「Ord」と一致するもの

G.RINA × Dam-Funk - ele-king

アメリカ西海岸/LAが誇るモダン・ファンク・シーン最強アーティスト、デイム・ファンクが6年振りとなるフル・アルバム『Invite The Light』をリリース。2年ぶりのJAPANツアーがおこなわれ話題を呼ぶなか、5年ぶりとなるフル・アルバム『Lotta Love』を発表したG.RINAとのスペシャル対談が実現。どうぞ、お楽しみ下さい。

ベッドルームスタジオはある意味、最善の方法だと思ってる

G.RINA「Lotta Love」ダイジェストMV


G.RINA
Lotta Love

TOWER RECORDS

Amazon


Dam-Funk
Invite the Light

Stones Throw

Amazon

G.RINA(以下、RINA):G.RINAです、はじめまして。これはわたしのアルバムなんですが、話している間アルバムを聴いてもらえますか?

DaM FUNK(以下、D):もちろん、どんなスタイルなの?

RINA:ファンク、ディスコ、ヒップホップの要素があって、そしてわたしなりのソウル音楽です。

D:いいね、聴いてみよう。日本生まれなの?

RINA:はい。

D:『Lotta Love』G.RINAね。プロデューサーも日本のひとなの?

RINA:あ、これはわたし自身がプロデュースしてるんです。

D:そうか、いいね! 聴こう聴こう。リリースしてどれくらい経つの?

RINA:1ヶ月前にリリースしたんです。

D:曲も作ってるの?

RINA:はい、曲を書いてプログラミングもしています。

D:音を最大にしよう。……クールだね。演奏もしているの?

RINA:はい、バンド・メンバーと一緒に。

D:ドープ! そしてすばらしいね。

RINA:わたしはディスコ・ファンクやソウルやヒップホップが大好きでしたが、その影響を自分のやり方で消化するのにとても時間がかかりました。自分自身のファンク・ミュージックをつくるときにとくにどういう部分に気を遣っていますか?

D:ハートだよ。自分に対して誠実に、心をこめてやるってことが大事なんだ。それに尽きる。俺は夜中の12時から制作を始めるんだ。キーボードに向かって、自分のヴァイブスを探していくんだよ。……この曲いいね、なんていう曲?

RINA:「音に抱かれて」……なんて言ったらいいかな、Music Embrace Us……?

D:へえ、いいね。ところでこのアルバム一枚もらえるかな?

RINA:もちろんです。

D:ありがとう。好きだなこの曲。……このコードがいいね。間違いないコード感だ。ときどき自分の作った曲で、自分であんまり良くないって思うものもあるんだ。ハハハ。でもこれはいいね。

RINA:またまた(笑)

D:ブギー、ファンク、ディスコ、ハウス、ヒップホップいろんな要素があるね。

RINA:ありがとうございます。いろんなジャンルの音楽をチェックしてるんですよね?レコードで?

D:そうだよ、ロック、ソウル、ニューウェイヴ……あらゆる音楽だよ。ファンクだけじゃなくてね。プリファブスプラウトにもハマってる。知ってる?

RINA:知っていますよ。

D:え、ホントに知ってるの? 彼らの音楽こそ俺のお気に入りだよ!

RINA:幅広さがわかりますね!
ところで、今回のアルバムはどの曲も好きですが、なかでも「Surveilance Escape」がとくにすきです。

D:ありがとう。すべて自分のベッドルームで録音したんだよ。

RINA:あのアルバムは一発録りですか?

D:いや、たしかに普段一発録りもよくやっているんだけど、実はこのアルバムの録音には4年かかったんだ。でも全ての音をベッドルームで録音したよ。ベッドルーム・スタジオさ。

RINA:今回の収録曲は全部ベッドルーム・スタジオで録音したんですか?

D:そうだよ。

RINA:わたしもそうですよ!

D:クールだね、それがある意味で最善の方法だと考えてるよ。でも次回はスタジオに入りたいと思ってる。グランド・ピアノやストリングス、そういうものを録音したいからね。

RINA:ピアノもご自分で弾くんですね?

D:うん、生の感触を入れたいんだ。ライヴ感のある作品さ。だけどその前にアンビエントアルバムも出したいと思ってる、インターネットで公開するような形でね。いま進行中だよ。……このアルバム・ジャケットの足はきみの足? なかには顔写真もあるの?

RINA:はい、あります。

D:いいね、あとでまたゆっくりチェックさせてもらうよ。

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自分のスタイルを追い求めて自分を信じて、こだわりから手を放さなかったんだ

DâM-FunK ”We Continue” from『Invite The Light』

RINA:数年前にJzBratでライヴをされていましたね、あれが日本で最初のライヴでしたか?

D:〈ストーンズ・スロウ〉のパーティだとしたら、そうだよ。

RINA:そのときわたしも観に行ったんですが、初めてあなたのライヴを観たとき、あなたのスタイルに新しさを感じました。そしてそれにとても勇気づけられたんです。そこから、わたしも自分が影響を受けたこういった音楽の要素を自分の作曲のなかに活かす方法をじっくり考えるようになったんです。

D:それはうれしいね。そしてそれはうまくいっていると思うよ。その調子でがんばって良い曲を作ってほしいね。

RINA:ありがとうございます。あなたはモダン・ファンクのシーンの開拓者として大きな存在で、同時にとてもユニークな存在でもあると思うんです。アメリカにはおそらく良いプレイヤーはたくさんいると思うんですが、そんななかで自分が他のプレイヤーたちと異なっていたのはどんな部分だと感じていますか?

D:俺は本当にやりたいことだけをやってきた。自分のスタイルを追い求めて自分を信じて、こだわりから手を放さなかったんだ。いろんなスタイルに手を出さずに、なんでも屋みたいにならないようにね。ひたすら自分に正直でいたことで、サヴァイヴしてこれたんだと思う。

RINA:普段はいろんな音楽を聴くんですよね。それでも自分で作るものはファンクにこだわってきた。

D:そう、なぜならこどもの頃からそういった音楽に助けられてきたからさ。プリンス、ジョージ・クリントン、エムトゥーメイ、チェンジ、スレイヴからルースエンズ……そういった音楽に助けられてきたし、良い思い出が沢山あるんだ。いろんな音楽がすきだけど、そのなかでもファンクは俺の血液みたいなものなんだよ。

RINA:わたしにとっても好きなアーティストたちばかりです。とくに影響を受けたといえるのは? プリンスですか?

D:そうだね、ただし1989年まで。それ以降はそうでもないね。サルソウル、プレリュード、影響を受けたレーベルもたくさんあるね。

RINA:では音楽に限らなければ?

D:人生に影響を与えているもの? 夕陽、うつくしい夕陽を眺めることだよ。

RINA:ロマンティックですね!

D:それ以外では年代ものの車で近所をドライヴすること、ファッションそしてインターネットだよ。

RINA:インターネットといえば、あなたのインスタグラムをフォローしていますが、ポジティヴなフレーズやメッセージを写真とあわせて発信していますね。ほぼ毎日されているので、どんな考えでそうしているのか聞いてみたかったんです。

D:そうだね、それはできるだけやりたいことなんだ。俺は他人にしてもらって良かったことを、自分もしていきたいと思ってる。スマートフォンを眺めてたくさんの情報に触れるとき、せっかくなら誰かをインスパイアするようなことばを、諦めるなっていうようなメッセージを発していきたい。

RINA:そういうことに対して強い信念があるのを感じます。

D:俺たちはただの人間だろう、自分が発するメッセージが誰かをひどく傷つけたり人生を壊してしまうことさえある、そんなことをするかわりに、ポジティヴな影響を与えたいんだ。そしてその良いエネルギーがきっとまた自分に返ってくる。もちろん俺だってパーフェクトじゃないし、馬鹿なこともするさ。だけどお互いに影響を与えあう時、良いエネルギーこそが必要とされてると俺は感じてるんだよ。

RINA:その通りですね、そしてそれはあなたの音楽の中にもあらわれていると思います。

D:ありがとう。そうだといいね。

RINA:最後に、短いことばで自分のことをあらわすとしたら?

D:ファンクスタだね。それと同時に良い人生を送りたいと思ってるひとりの人間さ。

RINA:今日はお話しできてよかったです、ありがとうございました。


interview with JUZU a.k.a. MOOCHY - ele-king

 新しい文化の交差点にぼくたちはいた。どんなことでも可能だった。睡眠など問題外。渋谷は世界の中心だった。ぼくたちは自分たちのやっていることに自信を持ちたかった。だが、はじまったばかりでは、どこにそれを実証する手立てはない。メディアもないから、自分たちで作るしかなかった。書く人もいないから自分たちで書くしかなかった。書くことは自分の混乱を整理するための作業だ。集中力なきものにモノは書けない。たとえ間近に爆音が鳴っていようとも、集中するのだ。

 狂気の時代の重要人物のひとり。わかるだろう、革ジャンに大型バイクという、典型的なロッカーズ・スタイルの若者がジャングルをかける……となれば、若さゆえの暴走である。しかもこやつときたら身長180は超えているし、体格もがっちりしている。前にも書いたように、初めてムーチーと会ったのは、渋谷のクラブの閉店後の明け方だった。96年? たしかそのくらいだ。閉店後の店の前の通りで、名前も知らない連中と喋っていた。しばらくすると、その晩のDJだったムーチーも店から出てきた。で、お互い挨拶してひとしきり喋った後、ヤツは大型バイクに乗って消えた。まだ20歳ぐらいだったな。
 それ以来、ムーチーは後ろを振り返らずに走っている。ムーチーからJUZUへと名前も変わり、JUZU a.k.a. MOOCHYとなった。


JUZU a.k.a. MOOCHY
COUNTERPOINT X

CROSSPOINT

Amazon


JUZU a.k.a. MOOCHY
COUNTERPOINT Y

CROSSPOINT

Amazon

WorldDeep HouseDowntempoDub

 JUZU a.k.a. MOOCHYの新しいアルバム──通算4枚目となるソロ・アルバムは、2枚同時発売の大作である。それぞれ『COUNTERPOINT X』と『COUNTERPOINT Y』という。集大成と呼ぶに相応しい2枚だ。それは、いろんな文化のフュージョン(結合体)であり、2015年の初頭に出たヴァクラのアルバムとも共通したユニバーサルな感覚がある。古代と現代を往復しながら、ジョー・クラウゼルの〈スピリチュアル・ライフ〉のように、トライバルで、ときに瞑想的。スピリチュアルで、ときにポリティカル(反原発のステッカーを貼って逮捕なんてこともあった)。だが、基本はオプティミスティックなエスノ・ハウス。
 
 まあ好きなようにやってくれといった感じである。ムーチーは、90年代にぼくが追っかけたDJのひとりだ。彼は、ほかの何人かの肝の据わったDJがそうであるように、いまも彼自身の道をひたむきに突き進んでいる。この時代、ある意味リスキーな生き方だろう。渋谷は浪費文化の中心となって、若者が住める場所でなくなって久しい。ムーチーは一時期福岡に移住したり、あるいはまた東京に舞い戻ってきたりと、やはり何人かのDJがそうであるように、漂流の人生を歩んでいる。いろいろあったのだろうけれど、それらの経験が音楽に反映され、いまも前向きさを失わずに走っていることが、ぼくには嬉しい。


自分にとってのワールド・ミュージックとは、先祖から伝わるもので、もしくはその楽器や演奏法に、現在の西欧楽器中心的な考えとは違う発想で演奏されている音楽をワールド・ミュージックとして思っています。

2枚組で、『COUNTERPOINT X』、『COUNTERPOINT Y』というタイトルで出した理由を教えて下さい。

Juzu a.k.a. Moochy(以下、JAKAM):2枚組、厳密には2枚同時発売だけど、そうなった理由は今年1月から東洋化成というアジア唯一のレコード・プレス会社とタッグを組んで毎月1月11日、2月11日、3月11日……と、それを9ヶ月続けてリリースした流れがあって。アナログ9枚に収録された18曲をリリースする上で、曲を短くして1枚に収めるより、ある程度原曲に近い形でCDというフォーマットでみんなに聴いてもらいたいという考えから、2枚になりました。また、「COUNTERPOINT EP」というタイトルでシングル・レコードを出していたのも、『COUNTERPOINT』というタイトルでのアルバムをリリースする計画が5年以上前からあったから。逆説的ですけどね……。

しかし、スケールの大きなアルバムだね。

JAKAM:まあ(笑)。

制作には何年かかったんですか?

JAKAM:前作『MOVEMENTS』が仕上がるときには、すでに『COUNTERPOINT』というタイトルが思い浮かんでいましたね。なので、ある意味、5年以上前からはじまっているってことになる。具体的に言うと、その『MOVEMENTS』というアルバムに収録されていた“AL ATTLAL”──アラビア語で「廃墟」という意味ですが──という曲があって、それが今作に繋がるガイダンス(予兆)でしたよ。

廃墟?

JAKAM:そう、この曲は、アルジェリアの女性ヴィジュアル・アーティストが名古屋のトリエンナーレにて展示する作品のBGMを作るということで、DJ /トラックメーカーを探していて、自分が選ばれたことからはじまってるんです。そのBGMには、エジプトの、アラブの大女性歌手で、ウーム・クルスームの“AL ATTLAL”という人の曲の一部を使って、それをリミックス(解体/再構築)してほしい、という要望だったんです。ちなみに、その部屋にはアラビア語で「愛」と描いてありましたね。

ウーム・クル……?

JAKAM:ウーム・クルスーム。自分も長くレコードやCDなど様々な音源を聴いてきたつもりだったけど、ウーム・クルスームという人をまったく知らず……、驚愕でしたね。音楽的にも、人生というかメンタル的にも衝撃を受け、俄然アラブ音楽、中東の音楽に惹かれていったのは間違いない!
 で、その流れから西アフリカセネガルから日本に来て20年以上のパーカッショニスト、ラティールシー、そしてアラブ・ヴァイオリン奏者、及川景子と繋がっていったのは、今回のアルバムに多大な影響をおよぼしています。
 この流れがあって、2011年2月、単独でセナガルに乗り込み、ラティールの協力のもとセネガルでのレコーディングをはじめるんです。で、その経由地点であったトルコ、イスタンブールでBABA ZULAの前座DJをしたこともあって、先日来日も果たし、今回のアルバムにも演奏が収録されているYAKAZA ENSEMBLEのメンバーとも繋がる。かなり大きな影響がある時期でしたね。あと……このツアーから戻って来て1週間後に3.11が起きたんですけどね。

もうちょっと具体的に、そのウーム・クルスームのどんなところに衝撃を受けたんですか?

JAKAM:まず、彼女のYoutubeと音源が送られて来て、見て聴いて思ったのは、そのドープなヴァイブとその華やかさ、美しさですね。観客の熱狂ぶりも真剣に音楽を聴いているからこその盛り上がりで、いかにこの音楽が高度で、なおかつ大衆的かが伝わった。年配のおじさんたちの盛り上がり方がハンパないす(笑)。
 その後、及川景子さんと「アラブ音楽講座」をやることになり、いろいろと教えてもらい、情報もつかみ、また、現地で、とんでもないレベルの演奏家たちと触れ合うことになりますが、この映像は「アラブ音楽の深淵な響きを聴いた!」という最初の衝撃です。
 ちなみに個人的にはアラブという場所がたまたま? 古い文化がもの凄く多く残っている地域で、「そこに漂う古代の香り」、というのが厳密には自分にとってのアラブ文化の魅力ですね。またイスラームとは無関係ではないので、その漂う精神性、というのも感じていたのかもしれない。ちなみにウーム・クルスームは幼少からコーランを美しく詠む少女として有名だったというキャリアもあります。

なるほど。しかし、バイク乗ってジャングルかけてた20年前といまとでは、自分のなかの何が変わったと思う?

JAKAM:その頃は本当にろくでもない奴だったから(笑)。いまは少しは……まあ親にもなり……かろうじて(笑)、で、未来の心配をするようになったことが変わったことかもしれないですね。あの頃はかっこつけていたのかもしれないけど、若く死んで上等! みたいなノリだったと思いますよ。自分ひとりのことしか考えていなかったので、恐怖はあまりなかったんです。未来に関しても、自分が死んだ後の未来まで考えるようになったのは大きな違いなのかなとも思います。
 音楽的な好奇心はいまと変わらない気はしますけど……ちなみに、当時もジャングルだけはなく、様々なシチュエーションで様々な音楽をかけていましたし、聴きまくっていましたよ。週5回DJとかもよくあることでしたので(笑)。

前の取材のときもそんな話をしているんだけど、あらためて、ムーチーがワールド・ミュージックに興味をもった経緯について教えて下さい。最初は何がきっかけだったんですか?

JAKAM:今回の制作をする上でも、前作『MOVEMENTS』に収録された“R.O.K.”という曲でも使われた三味線の音は、ある意味逆説的にはワールド・ミュージックの前兆だったと思いますね。ただ、ワールド・ミュージックという言葉は、単純に海外の、世界の音楽ということじゃないでしょう。それでは、ジェイ・Zもスティーヴィー・ワンダーもFAR EAST MOVEMENTもワールド・ミュージックになってしまうし。現代の言い方でどう言われるかわからないけど、あらためてそのワールド・ミュージックという定義は再定義する必要があると感じていますね。
 個人的意見だけど、自分にとってのワールド・ミュージックとは、先祖から伝わるもので、もしくはその楽器や演奏法に、現在の西欧楽器中心的な考えとは違う発想で演奏されている音楽をワールド・ミュージックとして思っています。まあ、コンゴでデスメタルをやっているバンドはワールド・ミュージックとは言いがたいし(笑)。メキシコのヒップホップをワールド・ミュージックともあまり言わないでしょ。第三世界でやっていれば──この表現もBRICSとか登場している時代には陳腐ですが──ワールド・ミュージックとも言えない時代になっていますよね。
 自分はあらゆる場所の、あらゆる時代の音楽に興味はありますが、とくに古代からある音、単純にいえば、そこらじゃもう聴けなくなった音に深い関心があるんですよ。そういう意味で、自分の祖母が実家で自分の姉妹や親戚と集まって4人で花札をやって三味線を弾いて歌っていた光景や音は自分のなかでのワールド・ミュージックということになるんですよね。
 またちなみにその祖母は血は繋がっていませんが、多大な影響をおよぼした他人でもあり、2年前に亡くなりましたが、いまも先祖と思い、感謝しています。その三味線も遺品として頂きました(笑)。

今回のような、多様な文化のとの混合にどのような可能性を見ているのでしょうか?

JAKAM:客観的というより主観的に、自分個人の欲求として「誰も聴いたことがないのに懐かしい音楽」を感じたい、作りたい、作ることに関わりたいと思ってますけど。余談だけど、今回のアルバムにも使わせてもらい、ヴァイナル「COUNTERPOINT EP.1」にも作品を提供してくれた鈴木ヒラク君とうちの自宅スタジオで以前話したときに、彼が面白いことを言ってたな。彼は「誰も観たことのない、人間が描いたとは思えないような絵を描きたい」と言っていたんだけど、巡り巡るとその発想はお互い行き着くところは近いのかもしれないね、と話していたんですよ。アートとは何なのか、とまではここで言及できるわけではないけれど、誰もが面倒だったり、危険だったりする様な領域まで肉体的にも精神的にも追い込まないと、それ相応の報酬は受け取れないのかなとも思いますね(笑)。
 なので、可能性があるとかないとかいうよりは、これは欲求です。情熱です(笑)。そこには打算はないです。

ある意味で、言ってしまえば民族音楽をミックスボードに繋いでミキシングしていくような、いまのムーチーのスタイルを形成するにいたった、もっとも大きなきっかけは何だったんでしょうか?

JAKAM:スタイルというと広義だと思うけど……、音楽活動的にもまずは友人関係があってできるもので、その人間には相当恵まれていると思う。自分自身はガサツでその関係をすぐ壊しそうになりますが(笑)。ともかく、人の繋がりで音楽というフィールドができ上がりますし、それを意識したかしないか自分でも定かではないけど、JUZU(数珠)やNXS(連鎖)など連なるものに意識はあった。答えにはなっていないけど、そういう考えや想いのなかで意識的に生きるようになったのは、21、22歳くらいだったかな……。
 当時は学生を辞めたばかりで、音楽である程度稼げるようにはなっていたけど、まだギターアンプのローンもほとんど支払っていない状態で(笑)。でも、やっていたバンドが解散して、DJが忙しくなって、レコード会社の人や業界の人ともいろいろ会ったり、ただ楽しむためにやっていたことが仕事になりはじめてきて、バンドではなくひとりで金を稼いで、自分の評価があくまで個人に向けられたとき、孤独も感じました。
 そういうこともあって、また人と一緒に音楽をやりたいと思って、その当時、新宿にあったリキッドルームの山根さんが「(DJではなく)バンド/ライヴでやってほしい」とオファーがあったか、勝手にやらせてもらったのかも定かではありませんが(笑)、たしか、90年代半ばのマッド・プロフェッサーの来日のときでしたね。その頃くらいから積極的に民族音楽系の楽器を扱うミュージシャンたちと触れ合うようになったんです。民族音楽は好きで聴きまくっていましたし、DJでもかけまくっていましたが、実際に音楽を作っていくという起源はそこかもしれない。初めて思い返しました(笑)! ありがとうございます(笑)。

けっこう、じゃあ、もう、本当に初期からだったんだね。

JAKAM:そうっすね。

クラブ・ミュージックというより、音楽とともに生きたいという想いは募るばかりでございます(笑)。それはクラブでもいいですし、家でも野外でもいいですし、国内でも海外でも、時間や空間を超えて、永遠に繋がる瞬間に出くわしたいですね。スピ系として(笑)。

ジョー・クラウゼルの〈スピリチュアル・ライフ〉と比較されるのは嫌?

JAKAM:嫌ではないですよ! 先日ニューヨークのブルックリンで、9.11にホッタテLIVEを敢行したんですけど、数少ないお客さんとしてジョーも来てくれて、レコード買っていってくれました(笑)。兄貴というよりニューヨークの優しいお兄ちゃんという感じです(笑)。ジャンルで聴いているわけじゃないし、ハウス好きの人ほど〈スピリチュアル・ライフ〉を聴き込んではいませんが、彼の音楽と出会う前からトライバルでプリミティヴ、原始的なものに惹かれていたので、共感もリスペクトもしています。でも、影響は受けていないような気がする……。まあ、他にもいろんな音楽を聴き過ぎて、自分でもごまかされているだけかもしれないだけで、影響は受けているのかもしれませんね(笑)。

台湾、韓国、中国など、日本から比較的距離の近い外国へのアプローチに関してはどのように考えていますか?

JAKAM:まさしくおっしゃる通り、このエリアに次作は行って、民族楽器やオリジナルなユニークな演奏者やアーティストと出会って、「誰も聴いたことがないのに懐かしい音楽」を作ってみたいと数年前から思っていましたね。前作『MOVEMENTS』のなかの“時の河”という曲で、最後にテロップででる「ASIA MUST UNITE」という言葉は自分の言葉です。この曲ではベトナムで録音された民族楽器がフィーチャーされていますが、
そのテーマは今作にも確実にありますし、より濃いものを作ってみたいです。ちなみにボブ・マーリーの「AFRICA MUST UNITE」から文字の並びは影響受けています(笑)。

アジアって、でも広いからね。DJを辞めようと思ったことはない?

JAKAM:DJになりたくてなったわけではなく、音楽が好きで、レコードを人並み以上に買っていた流れで地元の先輩からDJを誘われ、味をしめて(笑)。自らパーティをやって、仲間たちとクラブを作り、それがいつの間にかお金をもらえるようになって……。いまでも任務としては常にベストを尽くしDJしてきているけど、好きな音楽をみんなで共有したいという極自然なことが発端なので、仕事という概念でもなく、辞めるというのは人生を辞めるに等しいかもしれませんね。

子供が生まれて何か変わったことはある?

JAKAM:まあ、いままで話しように、多いに変わりました。音楽的な志向には全く影響されていませんけど。むしろ洗脳しようと常に企んでいます(笑)。が、ファレルやEDMにまだ太刀打ち出来ていないようです(笑)。中2の長男は、30G以上のEDM系? そのmp3データを最近だいぶ減らしたと言っていますので……相当掘っているらしいですね。なので、10代前半の子、いまはYoutube世代なので全世界NWO的に(笑)、まあ一緒な気がしますが、聴く最新音楽をチェックさせてもらうのは、子供がいなかったらちゃんと聴けるチャンスがなかったかもしれないので、良かったですよ。

30G以上のEDM系って……うわ、すごいね(笑)。正直言って、俺は子供が生まれて夜遊びしなくなったのね。夜遊びは金かかるし、妻子が起きるころに酒臭いカラダで朝帰りは心情的にできないし……、あと、はっきり言って、中年になると朝まで踊るほどの体力がなくなる。俺、毎朝7時前には起きている人間だから(笑)。で、ナイトライフは永遠の楽しみではなく、人生のある時期に限られた楽しみだと思ったんだよね。じゃあ、ハウスやテクノを聴かないかと言えばそんなことなくて、いまでも大好きだし、家で聴いているんですよ。ムーチーはDJだからそんなことないけど、クラブ・ミュージックとはどういう風に付き合っているの?

JAKAM:まず自分が出演するか、知り合いの店でしかあまり呑まないので、酒に金はあまり使っていないです。野田さんガブ呑みしそうだから(笑)。まあ、その意見に同感するところもあるのですが、個人的に札幌のPrecious Hall経由でNYのデヴィッド・マンギューソーのLOFTに関わっているので、70過ぎまではダンス出来る体力を絶対保持したいと思っています(笑)。好きな音楽をみんなで共有して楽しむ、というのは無愛想に見えて(笑)、本当に好きなんです。LOFTで気づいたというか、感じたのは50年以上前の音楽でも良いサウンドシステムで鳴らせば、永遠の響きがあるのだと体感しました。自分が死んだ後でも、そのレコードがその時代の人を踊らせたり、感動させれることは、本当に素敵なことだと思いますよ。
 クラブ・ミュージックというより、音楽とともに生きたいという想いは募るばかりでございます(笑)。それはクラブでも良いですし、家でも野外でも良いですし、国内でも海外でも、時間や空間を超えて、永遠に繋がる瞬間に出くわしたいですね。スピ系として(笑)。

スピ系って、はははは。じゃあ、今後の予定について教えて下さい。

JAKAM:今年の年末には2001年に起動し、2012年にパワーアップして還って来た(笑)。ONENESS CAMPの室内版ONENESS MEETING@UNITが2015年12月27日の日曜日にあり、そこでは先述したラティールや及川景子を交え、今回のアルバムにも収録された楽曲を中心にライヴをします。もちろんただ曲をなぞるだけではなく、マカームというか、その場で産まれるグルーブやメロディーも体感してもらえると思うので是非足を運んでもらえたら幸いです。
 作品的には自分が持っている2つのレーベルのうちのひとつ、〈CROSSPOINT〉と双璧を成しながらも……地味なレーベルですが(笑)、もうひとつの〈Proception〉からも自分のソロも含め、先ほどのワールド・ミュージック的な考えとは違う音楽や作品を出していきたいと思います。ちなみに〈Proception〉は造語で「Process of perception(知覚の進行)」を繋げた語になります。アジアをテーマにした作品も出来るだけ早く取りかかれたらとも思ってますよ。

!!!!!!Release Party!!!!
リリースパーティー
MOVEMENTS ONENESS MEETING

@代官山UNIT東京
2015年12月27日日曜日
https://onenesscamp.org/




Life Force Radio Observatory - ele-king

2015 Chart
(selected by Ginji, MaNA, Cossato, pAradice, INNA)

Season's Greeting and Best Wishes for the New Year!

Upcoming Party
2016/1/23
Life Force Radio Observatory @ Saloon
Live:
YPY (goat/bonanzas/birdfriend/nous)
Cossato
DJ:
pAradice/MaNA/INNA/Ginji
Sound Design:
ASADA
Visual Lighting:
mixer
22:00-
with flyer¥1500 / door¥2000
https://lifeforce.jp
https://soundcloud.com/lifeforce


interview with Keiichi Suzuki - ele-king

 1976年の結成から、2011年に無期限の活動休止を宣言するまで、35年間の長きにわたって、日本のロック史上に前人未到のフライト・レコード(飛行記録)を伸ばしつづけてきた稀有なバンド、ムーンライダーズ。2000年代後半から2010年代前半にかけて、相対性理論、cero、カメラ=万年筆、スカート、アーバンギャルドなど、ムーンライダーズからの影響を感じる新世代の台頭がめざましいなか、2013年12月17日に、前身となるはちみつぱい以来のオリジナル・メンバー、ドラマーのかしぶち哲郎が63歳で逝去し、バンドの歴史にひとつのピリオドがうたれた(※1年後にリリースされた『かしぶち哲郎トリビュート・アルバム~ハバロフスクを訪ねて』に長男で同じくドラマーの橿渕太久磨が参加、15年12月20日に開催される鈴木慶一45周年記念ライヴにもドラマーとしての参加が予定されている)。残る5人のメンバーは個々の活動を展開しているが、なかでも鈴木慶一は、曽我部恵一をプロデューサーに迎えて、08年から11年にかけて発表したコンセプチュアルなソロ・アルバム三部作がいずれも高い評価を受ける一方、高橋幸宏とのザ・ビートニクス、KERA とのNo Lie-Sense、二十代から六十代まで世代を超えてメンバーを集め新たに結成したControversial Sparkといったユニットやバンドでも立て続けに新作をリリース、そのほか映画や舞台の音楽監督等々、とても還暦を過ぎたとは思えない縦横無尽の疾走に目を見張らされる。


鈴木慶一
Records and Memories

Pヴァイン

Pops

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鈴木慶一
謀らずも朝夕45年

Pヴァイン

Pops

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 そんな充実ぶりに拍車をかけるように、今年でミュージシャン活動45周年を迎えた鈴木慶一の軌跡をたどるCD3枚組のアンソロジーとアーティスト・ブック、そして91年の『SUZUKI白書』以来24年ぶりとなる完全セルフ・プロデュースによる最新ソロ・アルバムが同時にリリースされるという報せが届いた。

 2曲のインストを含む全13曲の新作は、『Records and Memories』というタイトルが象徴するように、彼が生きてきた半生の「記録」と「記憶」の断片が渾然一体となって絡み合い、響き合う劇的なアルバムだ。豊富な人生経験から滲み出るタフなメッセージや箴言にうたれながら、聴き込めば聴き込むほどに、これまで見えなかったことが見えてくるような、不思議な覚醒におそわれる。

 「嫌われてるか 嫌ってるのか わかった時が かつて 一度もないのかい/そんな事なら 別れるべきで 恋人でいるような場所はそこにはない/おおおおお 憎んでみたらどうだ それが出来るなら きっと 愛し 愛されて いるはずさ/人の命は短くて 憎み 憎まれ 愛し 愛され 手を握り 手を離され 抱きしめて ふりほどき 大事に時を 流してくさ」(“Livingとは Lovingとは”)

 高橋幸宏と共作したほろ苦い名曲“LEFT BANK(左岸)”と同様に、鈴木慶一の“Livingとは Lovingとは”は、聴く者の状況によっては「人生の一曲」になりうる。少なくとも、この歌に心を楽にしてもらった者が、ここにひとりいることはたしかなのだから。

■鈴木慶一 すずき・けいいち
1951年8月28日 東京生まれ。
1970年、あがた森魚と出会い本格的に音楽活動を開始。以来、様々なセッションに参加し1971年には"はちみつぱい"を結成、独自の活動を展開するも、アルバム『センチメンタル通り』をリリース後、解散。“はちみつぱい”を母体にムーンライダーズを結成し1976年にアルバム『火の玉ボーイ』でデビューした。ムーンライダーズでの活動の傍ら高橋幸宏とのユニット“ビートニクス”でもアルバムをリリース。また膨大なCM音楽の作編曲、演歌からアイドルまで幅広い楽曲提供、プロデュース、またゲーム音楽などを作曲し日本の音楽界に大きな影響を与えてきた。2012年、ソロアルバム『ヘイト船長とラヴ航海士』が第50回日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。映画音楽では、北野武監督の『座頭市』で日本アカデミー賞最優秀音楽賞、シッチェス・カタロニア国際映画祭で最優秀音楽賞を受賞した。
2015年、ミュージシャン生活45周年の節目にソロアルバム『Records and Memories』をPヴァインよりリリース。

2011年にムーンライダーズが活動を休止したことによって、あれと違うものを作ろうという「あれ」がなくなっちゃうわけですよ。すべて過去のものになった。これでいわゆる“アフター・ムーンライダーズ”の動きがはじまる。

この度、完全セルフ・プロデュースによるニュー・アルバム『Records and Memories』とミュージシャン活動45周年を記念したCD3枚組のアンソロジー『謀らずも朝夕45年 Keiichi Suzuki chronicle 1970-2015』、そして来年2016年にはこれまでのキャリアを俯瞰した書籍も刊行されますね。

鈴木:書籍については、インタヴューを受けて話をしました。『謀らずも朝夕45年』の方の楽曲は3人で選曲しています。ひとりだとこういう場合はどうにも量が多すぎるからね。それからアンソロジストの目がないと、そういうものはなかなかできないと。本もそういう感じですよね。

最新のソロ・アルバムと併せて、45年間を振り返るレトロスペクティヴも音と活字の両方でやるという、その3つがワンセットということですね。それらについてうかがっていければと思います。まず最初に、45周年おめでとうございます。“45周年”といえば、今年8月に松本隆さんが作詞活動45周年を記念する『風街レジェンド2015』というイヴェントを開催されたりして、1970年前後の日本のロック創世記からその一員として活動をはじめた開拓者の方々が、大きなアニヴァーサリーの周期に差しかかったということだと思うのですが。

鈴木:45周年って妙な区切りではあるんですけど。でも歳を取ると5年間でなにが起きるかわからないので、「いま」が重要なんだよね。待っていられないんだ。だから5年区切りなんじゃないんですかね。

同じことを松本さんもたしかおっしゃっていましたよね。50周年はできるかどうかわからないから、と。

鈴木:40周年ができても、50周年のときは何が起きるかわからないからね。それがリアルな問題としてバーンとあるから考えちゃいますよね。結果的に45周年になっちゃいましたけど、根底にあるのは今度出るソロ・アルバムなんですよ。ソロ・アルバムを久々に作っていて、そのリリースがわりとずるずる延びて、考えてみれば「今年は45周年だな」ということになった。それがあって、こういう本もくっついているということですね。

曽我部(恵一)くんにプロデュースを任せた近年の3部作『ヘイト船長とラヴ航海士』(08年)、『シーシック・セイラーズ登場!』(09年)、『ヘイト船長回顧録』(11年)がまだ記憶に新しいのですが、あれは慶一さんのなかでは完全なるソロ作品というより、あくまでユニットの産物ですか?

鈴木:あれはユニットに近いですけど、(今回のソロで)大きいのはムーンライダーズの活動を休止して以降の作品ということ。あのときはムーンライダーズもやっていましたし、バンドの一員として活動しながら、ソロ・アルバムを作っていたので、ムーンライダーズとは違うものを作ろうという意識がありました。
 でも2011年にムーンライダーズが活動を休止したことによって、あれと違うものを作ろうという「あれ」がなくなっちゃうわけですよ。すべて過去のものになった。記録としては残っているけど。そこではじまるのが、KERAとのユニット、No Lie-Senseと、自分が作ったバンドのControversial Spark(メンバーは鈴木慶一、近藤研二、矢部浩志、岩崎なおみ、konore)。これでいわゆる“アフター・ムーンライダーズ”の動きがはじまる。今回のソロ・アルバムもそのなかのひとつなんですよね。

それは、慶一さんにとっては、新しい自由を獲得してそれを発揮するという気分なのか、それとも、ムーンライダーズという、ソロをやるときの基準がなくなったから、何をしてもいいなかで、いまソロ・アルバムを作る意味みたいなものを熟考されているうちに発売が遅れたのか、どちらなのでしょう?

鈴木:ソロ・アルバムが遅れたのは、いったん作ったものを反故にして、また新しいものを作ったから。2013年の終わりぐらいから作りはじめているんです。その間にとても身近なひとが亡くなったりしてね。悲しいことが起きると、私の場合はなぜか音楽を作る方向へいくんですよ。とにかく音楽を作るしかない。それと2012年に、すごく時間と手間ひまがかかる仕事を立てつづけに依頼されて、それに6ヶ月以上かかった。それは映画とミュージカルだけどね。蜷川幸雄さんの舞台(騒音歌舞伎『ボクの四谷怪談』/脚本・作詞=橋本治、演出=蜷川幸雄、音楽=鈴木慶一/2012年9月~10月上演)と北野武さんの映画(『アウトレイジ ビヨンド』/2012年10月劇場公開)。作曲する時間と労力のほとんどをそのふたつに費やしていたわけ。

悲しいことが起きると、私の場合はなぜか音楽を作る方向へいくんですよ。とにかく音楽を作るしかない。

 2012年の終わりに、来年は自分の作品の制作をはじめたいな、と思った。それで2013年にまずはじめたのが、Controversial Spark。で、その年にかしぶち(哲郎)くんの具合がよくないということを聞いてかなりショックで、1曲先に作ったのがこのなかではいちばん古い曲ですね。2013年の終わりにその歌詞を作った。それが“Untitled Songs”のパート1。2014年の頭にはその曲をライヴでやったりしていたね。それからアルバムを作ろうと思ってインスト中心に十何曲作るんですけど、私はひとりで独走しないんで、いろんなひとに聴いてもらっていたんだけど、とりあえずそれは置いておこうということになった。
 そういう結論に達して、またまっさらな状態からはじめる。それが2014年の終わりぐらいかな。一回白紙にもどして新たに作った曲を録音しはじめたのは今年に入ってからですよ。そのときに何曲かはできていました。このソロ・アルバムの半分弱くらいはレコーディングに入る前に自分で作っておいたものがあり、60%くらいはゴンドウ君のスタジオで突然できたものもあれば、駅に降り立ったときにできた最新のものもある。ムーンライダーズの活動を休止し、誰かが亡くなり、ということに対する自分なりのアンサーって感じですよね。

“Untitled Songs”を核としてこのアルバムは作られたのかな、と最初に聴いたときに思いました。

鈴木:それはスタートの問題であって、いったん作り出せば他の出来事も起きてくるので。誠に失礼かもしれないけれども、今年に入ってから武川(雅寛/はちみつぱい~ムーンライダーズのオリジナル・メンバー。ヴァイオリン、トランペットなどを担当。あがた森魚、加藤登紀子、南こうせつをはじめ多数のレコーディングやツアーに参加。ソロ・アルバムも4作発表している)くんが入院したニュースを聴いたときに、パッと曲ができたりね。それが“LivingとはLovingとは”だったりする。歌詞の内容はその出来事と違いますけどね。周りにも自分にも何が起きるかわからないときには、どんどんものを作るしかないんじゃないのかな。

世の中の出来事はむろんのこと、身近な出来事に対する本能的なリアクションが、慶一さんの場合、音楽というか。

鈴木:私にとって音楽を作ることは極めて初期衝動的な行為ですね。たとえば依頼された映画やミュージカルの音楽を作っていても、それとは関係ない自分の曲を作りはじめちゃう。でも忘れちゃうから、また依頼された仕事に戻っていく。そういうハイブリッドな状況が、ここ十年くらい続いていますね。

「垂れ流すようにものを作り発表していきたい」とかつて言っていたとすれば、その通りになったね。

ここ10年くらいの慶一さんの音楽活動は、かなり充実していらっしゃったと思うのですが、ご自身が活性化していたのでしょうか?

鈴木:その活性化が何なんだろうとも思うんだけど。それはどこか劣化なんだね(笑)。劣化しているので、体力も気にせず作曲しつづけてしまうとかさ。

今回取材させていただく前に、かつて慶一さんが出された本をいくつか読み返してみたんですが、パンタさんの『PANTA RHEI ~万物流転~』という対談集(91年1月/れんが書房新社)に慶一さんとの対談が収録されていて、慶一さんはそのなかで「行き着く果ては個人的民族音楽」ということをおっしゃっていました。世界のエスニックな民族音楽は、その土地の演奏者が自己批評しないで、ただあるがままにやっているだけだと。つまり自分のなかから勝手に出てくるものを、自分でセーブしたりチェックしたりしないで、全部垂れ流し状態で出せたら、それは素晴らしいものなんじゃないか。最後はその境地に行き着けたらいいね、と。

鈴木:「垂れ流すように」というところには行き着いたかもしれない。あがた(森魚)くんと「頭が呆けてきて前に作った曲と同じ曲をつくるかもしれないけど、そんなときが来たらいいんじゃないの」とも話していたけど、そこまでは至っていないですけどね(笑)。「垂れ流すようにものを作り発表していきたい」とかつて言っていたとすれば、その通りになったね。

あるときから歌詞にそんなに悩まなくなった、と以前インタヴューでおっしゃっているのを拝見したのですが、今作の詞もあまり悩んでいる感じがない。

鈴木:いや、ちょっと悩んだよね(笑)。明日歌を入れるために今日歌詞を作るという具合に、毎日歌詞を作っていたんだよ。次の日は13時スタートなんだけど、それができなくて15時にしてください、ってだんだん不規則になっちゃった。スケジュール的に忙しかったし、私が怠けていたわけではないと思う(笑)。それに、急遽、違う仕事が入ってきたりしたこともあって、ちょっと苦労したね。松尾清憲さんに歌詞を依頼されたりして、そういうときは角度を変えて、自分の作品づくりを措いておいて、そっちを先にやっちゃうんだよ。そうするとパッとできる。

ひとの作品の方が書きやすいということはありますか?

鈴木:ひとの場合はイメージができるので。たとえばある女性アーティストに対して歌詞を書くとする。そのひとに会っていろいろ話を聞いたりして、彼女をイメージして歌詞を作るということはできる。けど、自分はイメージできないからね。つまり、完全に自分はこういうひとだという確信はない。誰もがそうでしょう。どこかに「知らない自分があるんだろうなという疑惑があるわけね。

しかも、セルフ・プロデュースということは自分で判断をするしかない。たとえば曽我部恵一というプロデューサーを立てたときは、彼のジャッジが入るわけですよね。

鈴木:そうそう。しかも、彼は私の詞をカットアップすることもあったからね。「これ、1番いらないんじゃないですか」とか(笑)。

そういうご自身のジャッジメントに関しては、初の公式ソロ・アルバムとされている91年の『SUZUKI白書』と今作とはどのような相違がありますか?

鈴木:“『SUZUKI白書』から24年ぶり”と謳っていますが、実は完全にセルフ・プロデュースしたといえるのはこのアルバムが初めてかもしれない。『SUZUKI白書』の半分くらいはイギリス人にプロデュースを頼んでいるからね(※鈴木慶一氏が愛好するプログレ/ニュー・ウェイヴ/テクノ/アンビエントなど60~90年代の英国音楽の各分野から選んだトニー・マーティン、デヴィッド・モーション、マシュー・フィッシャー、デヴィッド・ベッドフォード、アンディ・ファルコナー、アレックス・パタースンに、楽曲ごとにプロデュースと編曲を依頼)。東アジアで収録した分は私がやりましたけど、それを引っさげて渡英して、こういうものをつくっているんだ、これをもとにちがうものをつくってくださいとお願いしているわけだから。歌詞はぜんぶ自分で書いていますけど。
 で、『火の玉ボーイ』(※実質的なソロデビュー作だが名義は“鈴木慶一とムーンライダース”/76年)までさかのぼると、あれだってほかのひとに、自分が書いた曲をもとにちがうものをつくってほしいと頼んでいる。私としてはスタジオ・アルバムはぜんぶ自分のソロ・アルバムのつもりでつくっているとはいえ、数々の人々の手助けがあるわけで、とくにムーンライダーズは大きい。アレンジ面でも助けてくれたしね。でも、今回みたいに全部の曲をほとんど自分で演奏して……っていうことはこれまでにないかもね。

結局はバンド体質なんだもん。だから集団でものをつくっていくのが好きなんだ。

今作はいろいろな意味で「初」と呼んでいい完全なソロ・アルバムなんですね。

鈴木:そのぶんの不安感はぜったいあるね。ただ、その前にユニットでの活動はいっぱいやっているんだけど──ザ・ビートニクスとか、No Lie-Senseとか。それはすごくやりやすいんですよ。ひとり他者がいると、「これってどうだろうな……?」っていうときのジャッジをしてくれるから。二人のユニットってほんとに便利だよね。一人だと、自分の中で切り裂かないといけないもん。「果たしてこれがいいんだろうか?」っていうような部分を、たとえば権藤(知彦)くんなんかは言ってくれるんだよね。
 でも権藤くんの立場は、レコーディングすることとプログラミングをすることで、そっちについては、私はなかなか批評するというレベルにまでいかない。やったことはあるけどね。コンソールの前にいて、録音して、ノイズがないかチェックしたり、データを直したりとか。それはけっこうちがう視線になっちゃうから。今回はかなりの部分をソロでやっているから、そこのジャッジをしてくれるのは(周囲の)みなさんということになるかな。

やはり、周りの人たちに訊かれるわけですか? 「どう思う?」って。

鈴木:もちろん。結局はバンド体質なんだもん。だから集団でものをつくっていくのが好きなんだ。で、ここでの集団は、スタジオでは私とゴンドウくんだけど、(アルバムに)参加しているひとはたくさんいるわけだから、その方々にもその都度聴いてもらう。ディレクターの柴崎(祐二)さんからもレポートがドカンとくる。それに私が書き加えて倍返しもする(笑)。

ジャッジしてくれる相手が必要なんですね?

鈴木:必要です。そうじゃないひともいるでしょう? そこまで自分は天才じゃないんでね……。ひとりで全部やると、どうも最終的な判断がわからなくなってくる。

誰かと何かを作るのがお好きなんでしょうね。

鈴木:日常もそうですよ。観るべきライヴとか映画がたくさんあるけど、自分でそれをカバーしきれないから、知り合いやマネージャーなど、いろいろな方々の話を聞きつつ、何を観るか決めたりする。ひとりじゃあね、実は怠け者で(笑)。それでワンステップ踏み出せなくなったらどうしようと思ってるけど、いまのところ大丈夫だから、まぁいっか(笑)。

インプットも活発にされているんですね。

鈴木:いろいろ行きますよ、映画なんかでも。ときどき「めんどくさいな」って思うので、そこで「よしっ!」って感じで行かないといけない。体調が悪ければ行かないだろうけど、いまのところそっちも大丈夫なんで。

慶一さんはいわゆる“田舎指向”とかはないですね? お知り合いのなかには東京から地方へ移住する方もきっといらっしゃいますよね。

鈴木:考えたことはあるけれどもね。

それは3.11のあと?

鈴木:いや、もっと前ですよ。20世紀のうちかな。いい場所があったんです。博多に高倉健さんが住んでいらした場所があって、連れて行ってもらったことがあるんです。けれども、移住はまったく実現はしなかった。要するに、朝7時までやっているバーとかがないとダメなんだね(笑)。

酒がお好きというよりも、集える場が必要なんでしょうか?

鈴木:今回の歌詞には、バーテンダーの発言をメモしたものがあるしね。歌詞を作っているときって、歌詞のことしか考えてないんだよ。曲を作るときは手の動きなんですよ。音が鳴ったときに何かできあがっていく。5秒でできあがることもあって、それをとりあえずデータとして記憶していくという。曲ではそれが可能なんだけど、文字に関しては、私は読書家ではないので、そんなに入力されていないんですよ(笑)。だから歌詞を作るときは耳をそばだてて、いろんな話をちょろちょろ聞きます。それを自分の携帯からMacに送って、歌詞メロ・フォルダに全部入れるんだよね。それを見ながら書く。そんな日々になるんだよ。その作業が終わっちゃうと、また言葉から離れる。

歌詞を作っているときって、歌詞のことしか考えてないんだよ。曲を作るときは手の動きなんですよ。音が鳴ったときに何かできあがっていく。

ご自分のことを読書家ではないとおっしゃいますが、ぼくは今作の“無垢と莫漣、チンケとお洒落”の「莫漣」っていう言葉がわからなかったんです(笑)。こういう難解な言葉はどこでインプットされたんですか?

鈴木:検索です。21世紀に入ってからは検索による作詞ばかりだね。本もチラッとめくったりしますよ。目をつぶって本を開く感じなの(笑)。かつてはずっとそんなことばかりしていた。ムーンライダーズの初期のころもそう。本を積んでバッと開いては作る。それもある種のカットアップ手法かもしれない。でも「本を開いたとき何かが閃く偶然」はどんどん少なくなって、いまは検索ばかりですよ。「莫漣はたまたま「無垢」を検索して、その反意語を調べていて見つけたんです。全部を対義語で作っていくなかで、無垢を歌詞にしたかったんだけど、その反意語に莫漣があった。「そういや昔、莫漣女っていたなぁ」とか思ってね。

「あばずれ」とか「すれっからし」とか、世間ずれしてずるがしこい女性の呼び名みたいですね(※詳しくは平山亜佐子氏の著書『明治 大正 昭和 不良少女伝―‐莫漣女と少女ギャング団』/09年/河出書房新社を参照のこと)。

鈴木:フェミニズム的にはちょっとやばいんですけどね。チンケだってそうですよね。

チンケって最近いわないですよね。そういう死語の発掘もよくされるんですか?

鈴木:うん。あと刑務所用語とか。

隠語ってやつですね(笑)。

鈴木:要するに、ほとんど表面にでてこない言葉とか、そういったものを使うことによって聞き手の方々が混乱するであろうと──それでいろんなイメージをもってくれればいいと思うわけで。今回の歌詞は結果的に抽象的だと思うんですよ。しかし、わりと男女(の関係)とかそのへんのことをやってみようかなと。あからさまにそれが出ているわけではないけどさ。まぁ、1曲めから“男は黙って…”だからね。

サッポロビールかい、という。“男は黙ってサッポロビール”というコマーシャルのコピーがすぐに出てくるのって、ギリギリ僕の世代までですよ(笑)。いまとなっては黒澤明の映画でも観ていないかぎり、(サッポロビールのコマーシャルに出演していた)三船敏郎すら知らないひとが増えているのではないかと心配になります(笑)。そういえば、今作の歌詞は数字にも着目して書かれていますね。「7と3で割って」とか「未熟の実が五分出来で」とか「ワルツは六拍子だと思い込んでいたら」とか。

鈴木:KERAの歌詞には数字が出てくることが多いですね。ビートニクスの4作め(『LAST TRAIN TO EXITOWN』/11年)の作詞は、ビートニクの研究からはじめて、それを歌詞にしていった。架空の町を作って、そこの住人はみんなグロテスクな人たちで、最後に若者が列車に乗って町を出て行くという、非常にアメリカ文学的な(シャーウッド・アンダソンの『ワインズバーグ・オハイオ』みたいな)感じなのね。ビートニクスの1作め(『EXITENTIALISM 出口主義』/81年)は勘違いしちゃって、完全にヨーロッパっぽいものになってしまったんですけど、それをちゃんとしたものにしようという意図があった。KERAとのユニット(No Lie-Sense)では、1作め(『First Suicide Note』/13年)はスーダラな無意味なものを目指した。“大通りはメインストリート”なんて当たり前じゃない(笑)。2作めも(1作めの)発売日に作りはじめているので、私の今回のソロの制作と重なっていたりする。No Lie-Senseも制作している時期は点在してるのね。今回のソロ・アルバムもその隙間を塗って制作している。それで今度のNo Lie-Senseのテーマは1964年なの。要するに高度成長期をテーマに歌詞を当てて書いている。けっこうとんでもない歌詞ができているんだけど、ケラとは数字の競い合いになるのね。その影響も今作にかなり入り込んできていると思うんですよ。

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音楽的な状況も、それを境に、自分のなかでは「変わったぞ」という感覚がある。64年は初めてエレキ・ブームがくる前の年だね。そこでこんな音があるんだとビックリするわけだよ。同じ年にビートルズがアメリカに上陸した。それで67年はヒッピー・ムーヴメント

現在、毎週水曜の21時から、慶一さんがTBSラジオの『Sound Avenue 905』のDJを担当されていて、ぼくも楽しく聴かせていただいているんですけど、67年と64年を特集されていましたね。

鈴木:64年と67年がなんで重要かというと、私的なことで、私が中学に入学したのが64年。高校に入学したのが67年。それで環境がガラッと変わるので、非常にいろんなことを覚えている。音楽的な状況も、それを境に、自分のなかでは「変わったぞ」という感覚がある。64年は初めてエレキ・ブームがくる前の年だね。そこでこんな音があるんだとビックリするわけだよ。同じ年にビートルズがアメリカに上陸した。それで67年はヒッピー・ムーヴメント。そのふたつをすごく覚えているので、そのふたつを取り扱った。

最初は歌ものよりもエレキのインストゥルメンタルに反応されていたと聞いたことがあります。

鈴木:そうです。それは単純に中学1年のときだから。女性はビートルズにハマるわけだよ。すると男性は「女性が夢中になっているものと違うものを探そうかな」となる(笑)。それで、そんなにルックスもよろしくなくて、歳も召したベンチャーズのインストゥルメンタルものに走るわけだよ。

でもベンチャーズから洋楽にハマるひとって、当時のリアルタイムのリスナーにはすごく多いですよね。山下達郎さんもベンチャーズから入って、好きな曲の作曲者に着目してどんどん深みにはまって行かれたようです。

鈴木:あれがなぜ画期的だったかというと、ギターをもちながら演奏する。しかも数人で。それを初めて目にするわけ。ビートルズはそれに加えて歌も歌うと。コンボ編成の電化されたギターの音を聴くっていう体験は、初めてだった。

最初に買ったレコードはシングル盤、あるいはコンパクト盤でしょうか?

鈴木:最初に自分で買ったのは、ベンチャーズの「パイプライン」。

A面よりB面の曲がお好きだったとか。

鈴木:そうそう、“ロンリー・シー”ね。もちろんA面もいいんですけど。やはり波の音をギターで表現したのは新発明だね。エレキギターの新発明はいっぱいあります。ザ・バーズの12弦ギターも新発明だと思ったな。エレキをフォークギターのように弾くというね。

64年から67年の間は3年しか経っていないけれど、すごい変化ですよね。

鈴木:さらにいうと、その3年後の70年には、私は音楽をはじめているわけです。ムーンライダーズで『火の玉ボーイ』を出したのは76年で、その3年後の79年には(バンドの音楽性が)ニューウェイヴになっているわけです。3年で物事は変わると。

1年ごとの時代の体感速度は、やはり60年代がいちばん早かったのではないかと思えてならないのですが。

鈴木:そう思うけど、それはリスナーとしての感性の問題であって、自分でやりはじめてからのスピードの速さは、いまがいちばんかもしれないね。

それは機材の進化の速さがあったからですか?

鈴木:それもあり、21世紀になってからかもしれないね。

20世紀と21世紀の感覚の違いについて、最近よく考えるのですが、20世紀の真ん中から濃いカルチャーを摂取されていた慶一さんが感じる、20世紀と21世紀のいちばんの違いとは何でしょう?

鈴木:いちばんの違いは情報量かなぁ。いまは情報をゲットすることは簡単だけど、量も多いし、嘘もあると。60年代のころは情報を得るのが大変だったもんね。音楽雑誌を読んで、いいグループ名のバンドがいい音楽を作っていそうだな、と思って、グループ名で買う。当たり前だけどハズレもある。あとはFEN(米軍放送)を聴いていても、ずっと英語だからシンガーもバンド名もよくわからない。そういうときは「これかなぁ」という勘も必要だったね。そういう勘はいまだにあるけどね。

いまは、みんなラジオを新しい音楽を発見するためのソースとして使わなくなっていますが……。

鈴木:かつてはラジオだけです。雑誌も「ティーンビート」と「ミュージックレビュー」くらいしかないので、あとはラジオだけです。そこで生まれたラジオ愛があるからやっているのが、いまの番組ですけどね。

かつてはラジオだけです。雑誌も「ティーンビート」と「ミュージックレビュー」くらいしかないので、あとはラジオだけです。そこで生まれたラジオ愛があるからやっているのが、いまの番組ですけどね。

佐野元春さん、鈴木慶一さん、小西康陽さんという3人のレギュラーが、それぞれ独自のスタイルと選曲で、やりたいようにやっていて最高だなと思います。

鈴木:野球のオフシーズンの放送だけど、TBSのあの時間ってすごいと思う。でもね、感激するよ。かつてAMを聴いていて「こんな曲があるんだ!」って思っていた10代の自分が大人になって、今度は自分の好きな曲をかけているんだから。糸居五郎さんのマネをしてしゃべっていたりするので、放送されたものの同録音源を自分で聴くと感激ですよ。自分はこういうことをやることになったのかと思うと感慨深いね。

テレビの音楽番組の司会はされていましたけど、民放の中波ラジオというのは初めてですか?

鈴木:初めてですね。FMはあったりするけど、JFNとか、ミュージックバードとか、(音楽が)ステレオでかかるところばかりだった。今後はTBSもステレオ化していくんだろうけど、一応チューニングを合わせると全国的に誰でも聴けるところで音楽を流せるっていうのはねぇ……非常にうれしいですよ。

反響もかなりあるでしょう?

鈴木:選曲がすごく大変なんだけどね。

適当に選曲しているのではなくて、特集をされていますものね。

鈴木:特集を組まなきゃいいんだけどね(笑)。全体の流れを考えて作っていかなきゃいけないから、やっぱり選曲に8時間はかかるよ。

64年とか67年の音楽って、いまや放送で接する機会がほとんどないので、若いリスナーにはきっと新しい発見があると思います。90年代の前半くらいまでは、60年代って意外に近く感じられたのに、いまはなぜこんなにも60年代が遠ざかっているように感じるのか、友だちと話していたら、身近なところにロックがないからでしょうと。ロックがカルチャーの入口になっているうちは60年代にアクセスしやすかった。ところがロック自体も変わってきているし、時代を牽引する力を失ってしまうと、過去のカルチャーにアクセスするための入口として機能しなくなってきたきらいがある。

鈴木:ただ、最新のロックと呼ばれているような音楽は変容しているけど、そのぶん面白かったりするんだよ。64年、67年と区切ったらその年のものしかかけられないから、それはそれで特定の世界を生み出すとは思うけどさ。でも、あの番組は意外と50代、60代が聞いていないということを知ったんだけど、これでいいかなと。

聴いている層はもっと若いんですか?

鈴木:20代、30代が多くてうれしいですよ。ラジオって、私には面白いけど、じゃあ聴くかっていわれると、そんなに聴いてはいないんだよ。80年代まではよく聴いていたけどね。そこで曲をチェックして影響を受けるっっていうことは何度かあったよね。いまはradikoとか聴くかな。とにかく音楽を聴きたいわけで、話を聞きたいわけではないんだよね。音楽をたくさんかける番組がだんだんなくなってきたのかもしれないね。ラジオで音楽がかかるというのが、私が10代のころは当たり前だったので、そう思っちゃうんだよね。

ぼくもラジオがなかったら音楽を好きになっていなかったかもしれないです。

鈴木:まったくその通りだね。湯川れい子さんのおかげでございます。ブリティッシュということばを知ったのが63、4年。湯川さんが「ブリティッシュ」って言ってたんだよな。俺、プリティッシュだと思っていたから意味がぜんぜんわかんなかったんだよね(笑)。

湯川さんが「ブリティッシュ」って言ってたんだよな。俺、プリティッシュだと思っていたから意味がぜんぜんわかんなかったんだよね(笑)。


鈴木慶一
Records and Memories

Pヴァイン

Pops

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鈴木慶一
謀らずも朝夕45年

Pヴァイン

Pops

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ブリティッシュといえば、3枚組のアンソロジー『謀らずも朝夕45年』を聴きながら、いかに慶一さんが日本ではあまり知られていなかった英国産モダン・ポップやニューウェイヴなどをリアルタイムで絶妙に消化して──もちろんイギリスにかぎりませんが──独自の音楽を作っていたか、あらためて感嘆しました。一方で「なんであの曲が入っていないんだ」と思ったりして、過去のアルバムをたくさん聴き返してみたり、すごく充実した時間を過ごさせていただいたんです。

鈴木:ありがとうございます。あれはアーカイヴィスツによる選出だからね。年代がバラバラの数人で選んでいる。だから、自分も「こんな曲あったなぁ」と発見があったりしますよ。

ムーンライダーズって、アルバム1曲めと2曲めには必ずいい曲をもってきますよね。あと、最後の曲も名曲率が高いと思うんです。今回DISC 1の“ジェラシー”“(『イスタンブール・マンボ』/77年)、“スイマー”“(『ヌーベル・バーグ』/78年)、“ヴィデオ・ボーイ”(『モダーン・ミュージック』/79年)と、ムーンライダーズの2作めから4作めまでのアルバム1曲めが3曲連続でかかるところは聴いていて思わずアガりますね。この並びは過去のベスト盤でもなかったパターンですよね。でも、なぜ『マニラ・マニエラ』からは“花咲く乙女よ穴を掘れ”なのかな、とか気になって。当時ムーンライダーズは「売れようとしないバンド」とか、ひとによってはいろいろな見方があったと思うんですけど、売れることをまったく考えていなかったかというと、そんなことはないんじゃないかなと。キャッチーな曲もたくさんあるし。

鈴木:いや、売れようとは休止するまで1回も思ったことはないけどね(笑)。

レコード会社に対しては、毎回アルバムを「これでどうだ!」みたいな感じで作っているような気がしました。

鈴木:「売れる」ということばを私はあんまり使わないからね。ただ、売れるものを作ったら、そこが到達点だと思って35年間みんなやってきたんだと思う。それでチャンスを逃したのが正解だったのか、それとも自分がズレていたりとかで、だんだん私はオルタナなんだなっていうことになってくるわけだよね。べつにオルタナでもヒットする場合もあるだろうし。その欲望は(ムーンライダーズが活動を休止する)2011年までは持ってたと思う。

このアンソロジーを聴いて、ご自身でも発見があったとおっしゃいましたが、たとえば?

鈴木:21世紀のアルバムから選ばれている曲。そのへんが最近のことなので、よく覚えていなかったりするんだよね。だから、その曲をこの前の11月のライヴで取り上げたりした。“本当におしまいの話”(『Tokyo7』/09年)とかね。そういう曲あったなぁと。

たしかに『Tokyo 7』はムーンライダーズ史のなかでどう位置づけていいのかよくわからないというか。そのタイトルを見たときに、シカゴ・セヴン(※カウンター・カルチャーのピークとなった68年、“イッピー”と呼ばれるアメリカの反体制運動の闘士たちがシカゴで検挙され、裁判にかけられた。アビー・ホフマン、ジェリー・ルービンなど7人の被告を総称する呼び名が”シカゴ・セヴン“。さらにブラック・パンサーのボビー・シールを加えて“シカゴ・エイト”と呼ぶこともある)を思い出しました。

鈴木:そこからきているんです。「TOKYO 7」ってムーンライダーズのメーリングリストの名前なんですよ。メンバー6人プラス、もうひとりが入って7人っていうことにしていた。

“本当におしまいの話”って、タイトルが強烈ですね。

鈴木:あれは親父が亡くなったころだったなぁ。そういうのもあるんじゃない?

運命で片付けてはいけないが、結局はそういうもんなんだよね。1951年という20世紀の真ん中に生まれて、60年代をリアルタイムで体感し、ニューウェイヴも体感し、21世紀になるときにちょうど50歳になり、とかね。

『火の玉ボーイとコモンマン 東京・音楽・家族 1951-1990』(89年/新宿書房)という慶一さんがご家族と対談している本を読み返すと、お父さんの鈴木昭生氏が新劇の俳優をされていて、羽田のご実家に劇団文化座のお仲間がたくさん出入りするなかで、ある種の雑居状態の環境で育ったことが、慶一さんに大きな影響をおよぼしたのかな、とあらためて感じました。

鈴木:もともと集団に属していたんですよ。あと、じいさんとばあさんを入れて9人。バンド思考になっていくのはそれも影響しているんだろうね。でも親父からどんな影響を受けたかははっきりしてない。その周辺の方々に遊んでもらっていて、そのひとたちの言う冗談が面白かった。その影響はあるかもしれないね。

“東京ディープサウス”、羽田という工場地帯の土地柄も大きかった、とおっしゃっていますね。

鈴木:運命で片付けてはいけないが、結局はそういうもんなんだよね。1951年という20世紀の真ん中に生まれて、60年代をリアルタイムで体感し、ニューウェイヴも体感し、21世紀になるときにちょうど50歳になり、とかね。

無理矢理結びつける気はないのですが、『Records and Memories』、レコード(記録)とメモリー(記憶)という今作のタイトルは、かなり示唆的というか、現在の慶一さんの心境や創作態度を反映しているような気がします。

鈴木:最初からそうしようと思ってたの。曲を作り出して、白紙に戻して作り替えても、アルバムのタイトルはずーっと『Records and Memories』だった。じゃあ、結局、なんでもありではないかと。いまは禁じ手というものはない状態かな。あとムーンライダーズが休止しているのも大きい。それとは違うものを作るためのControversial Sparkと同じようにユニットで、No Lie-Senseだったり、ビートニクスをやっている。曽我部恵一くんといっしょにやっていた時期は、まだムーンライダーズをやっていたから、今作の特徴はやっぱりそれがないってことだよね。
 こういっちゃうと譬えが大きいけど、ポール・マッカートニーの気持ちがわかるんですよ。『ヤァ!ブロード・ストリート』(84年)なんか最高だと思ったんだけどね。ビートルズを解散しウィングスを作り、ウィングスを解散しソロになり、来日もしてビートルズの曲もやっているし。ウィングスのときはビートルズの曲をあんまりやらないでしょう? いまはもう生きているビートルズのメンバーはふたりしかいないんだし、実際に歌うのはひとりしかいないんだし、全部背負う感じでジョン・レノンの曲もやると。その気持ちがいますごくわかるね。その気持ちはこのアルバムに反映されていないかもしれないけど、極論をいえば、ムーンライダーズが存続していて2015年にも活動していたとする。そうしたら私は(今作に入っている)こういう曲を提出していただろうなと。

こういっちゃうと譬えが大きいけど、ポール・マッカートニーの気持ちがわかるんですよ。

そういうふうに、ムーンライダーズをソロを作るときの基準にされていたんですか?

鈴木:それはあとからわかったことだね。作っているときは自由でありかつ不満な状態で音楽と向き合っている。できあがったものを聴いてみると、ムーンライダーズをずっとやっていたらこういう曲も入っていたかもな、と思う。もちろんそれだけじゃないですけどね。私のなかのいろんな記憶なり、記録を自由に詰め込んだ状態なので、自分色が強すぎて、聴くと寝ちゃうんです(笑)。

覚醒するんじゃなくて寝ちゃうんですか(笑)。

鈴木:そこに意外性が発見できるのは、バンドだったりユニットだったり、他者とやった場合だよね。あと自分でプロデュースした場合も意外性が発見できないね。

自分のなかにあるものだけで作っていると。

鈴木:それは私自身しか感じないことだから意味がないことかもしれないけど、そういう濃厚さはあると思うんだ。

(後編は来週公開。男女観から映画談議まで、そして曲ごとに掘り下げられていく「レコード」と「メモリー」……。同分量でお届けいたします!)

 「千葉という街を"フューチャー・テラーのために行く街"へと変貌させてしまった」。かつてDJノブのプロフィールにあった強力な一文だ。2015年、その勢いは衰えることなく、千葉や日本のローカル・シーンを旅しつつ、DJノブは世界的にも活動の幅を広げている。先日公開されたオランダの〈デクマンテル〉での彼のミックスは、今年のベスト・ミックスのひとつだろう。
 東京で開催されているフューチャー・テラーは、DJノブが世界で出会った音を体感できるチャンスだ。前回はベルリンを拠点に活動し、レーベル〈モーフィン〉を主宰する鬼才テクノ・プロデューサーのモーフォシスと、電子音楽のレジェンド、チャールズ・コーエンを招いた。そして今回、そのモーフォシスによって見出されたジャワ島を拠点に活動する、セニャワ(今年出たアルバム『Menjadi』は最高)と、ベルリンで知らないものはいないラシャッド・ベッカーを迎え、フューチャー・テラーが東京に再度襲来する。
 もちろん日本勢もフューチャー・テラーならではの素晴らしい組み合わせだ。DJノブ、ハルカらFTクルーに加え、EYヨ、Shhhhh、ゴンノといったDJたちや、ライヴ・アクトではゴートやNHK'Koyxenらが東西から集結。日本のローカルと世界のローカルが繋がる今年の大晦日は、忘れられない一晩になるだろう。やってくる2016年という未来は恐怖なのか、是非その目と耳で確かめてほしい。

FUTURE TERROR 2015-2016
代官山UNIT/ Unice / Saloon

日時:
2015.12.31 (THU)
OPEN/START 22:00

料金:
Advance 3,000yen
Door 4,000yen With Flyer 3,500yen
More info UNIT 03-5459-8630
www.futureterror.net www.unit-tokyo.com

出演:
[UNIT]
goat (HEADZ | UNKNOWNMIX) (live)
NHK'Koyxen (PAN | Diagonal | Mille Plateaux) (live)
SENYAWA (Morphine) (live)

DJ Nobu (Future Terror)
EYヨ (Boredoms)
Haruka (Future Terror | Twin Peaks)
Iori (Prologue | Bitta)
Shhhhh (SUNHOUSE)
Takaaki Itoh (WOLS | RESIDENCE)

[Unice] supported by terminus.
So Inagawa (Cabaret Recordings) (live)

Gonno (WC | Merkur Schallplatten | International Feel)
KABUTO (LAIR)
SO + Matsunami B2B (TRI-BUTE)
TAI T. RAM (terminus)
Takahashi (Veta)
You Forgot (UGFY)

[Saloon]
Rashad Becker (PAN) (live)

Fabio Lazaro (FLOPPY)
KEIHIN (Maktub, Prowler)
KURI (BLACK FOREST)
KURUSU (Future Terror)
Wata Igarashi (Midger)
WORD OF MOUTH (Partizan25)
YAZI (BLACK SMOKER | Twin Peaks)

DJ NOBU (Future Terror, Bitta)
https://futureterror.net

Future Terror、 Bitta主宰/DJ。Nobuの活動のスタンスをひとことで示すなら、"アンダーグラウンド" ──その一貫性は今や誰もが認めるところである。とはいえそれは決して1つのDJスタイルへの固執を意味しない。非凡にして千変万化、ブッキングされるギグのカラーやコンセプトによって自在にアプローチを変え、 自身のアンダーグラウンドなリアリティをキープしつつも常に変化を続けるのがNobuのDJの特長であり、その片鱗は、[Dream Into Dream] (tearbridge), [ON] (Musicmine), [No Way Back] (Lastrum), [Creep Into The Shadows] (Underground Gallery), そして最新作 [Nuit Noir] (Ultra-Vybe) など、これまでリリースしたミックス CDからも窺い知る事が出来る。近年は抽象性の高いテクノ系の楽曲を中心に、オーセンティックなフロアー・トラック、複雑なテクスチャーを持つ最新アヴァン・エレクトロニック・ミュージック、はたまた年代不詳のテクノ/ハウス・トラックからオブスキュアな近代電子音楽など、さまざまな特性を持つクセの強い楽曲群を垣根無くプレイ。それらを、抜群の構成力で同一線上に結びつける。そのDJプレイによってフロアに投影される世界観は、これまで競演してきた海外アーティストも含め様々なDJやアーティストらから数多くの称賛や共感の意を寄せられている。最近ではテクノの聖地 “Berghain" を中心に定期的にヨーロッパ・ツアーを行っているほか、台湾のクルーSmoke Machineとも連携・共振し、そのネットワークをアジアにまで拡げ、シーンのネクストを模索し続けている。

NHK'Koyxen (PAN | Diagonal | Mille Plateaux)

大阪出身のサウンドアーティスト。現在、大阪とベルリンを拠点に活動中。PAN、ラスター ノートン、SKAM/ラフ トレード、ワードサウンド、インポータントレコード等の海外レーベルから作品を発表し, 近年は毎年40回を超える海外公演を行う他、ペン画のインスタレーションや個展等を開催している。テクノ、ブレイクビーツ、ダブ、グライム等をクロスオーバーした即興的で歪なポリリズムパターンを駆使したライブセット展開するNHK yx Koyxenは、海外で非常に高い評価を得ており、2013年に現代美術の金字塔MoMAがキュレートし毎年NY行われているPS1 Warm Upに日本人初の出演を果たした。

Senyawa (Morphine)

SENYAWA はルリー・シャバラとヴキール・スヤディーによる実験的音楽のデュオ・プロジェクト。彼等はジャワ島のジョグジャカルタという街を活動拠点としている。ジャワの伝統音楽を実験的手法、自作楽器やアヴァンギャルドなアプローチによって唯一無二なオリジナル音楽と昇華させる手腕に、観る者は圧倒される。西洋音楽と伝統音楽の融合は、彼等の手腕によってまったく新しい境地に到達した。
幅広いヴォーカルテクニックで叙情豊かなポエトリーを吠える、ジャワの吟遊詩人ルリー。楽器発明家としても知られるヴキールは長い竹に弦を張った自作楽器を自在に操る。美しく精密なその楽器は、アコースティックサウンドからエフェクターを駆使したエレクトリックサウンド、優美な弦楽からパーカッシブな打撃音まで自由自在に往来する。

RASHAD BECKER (PAN, DE)

先日初のレーベル・ショーケースを成功させたベルリンの先鋭レーベルPANから、2013年に各所でその年のベストに選出された歴史的問題作『Traditional Music Of Notional Species Vol.1』をリリースした希有なサウンド・アーティストにして、テクノ~エクスペリメンタル界隈のみならず様々なジャンルのアーティストから支持されているベルリンの名門Dubplates & Masteringの天才マスタリング/カッティング・エンジニア、Rashad Becker。彼の構築するメロディやリズム、それらを構成する制約から解き放たれた蠢くようなノイズ/音像/残響が有機的に絡み合うこの上なくストレンジなサウンドは、これまで体験した事のない不気味な衝撃を聴く者全てに与えると同時に、耳の肥えたコアなリスナーをも虜にする中毒性は実験音楽の金字塔を打ち立てたと言っても過言ではない。


Zodiak - ele-king

2015 Best 10

 2015年はスペシャルな1年。いままで活動を共にして来た盟友であるDJ HIGHSCHOOLが1stアルバム 『MAKE MY DAY』 を、ERA、BUSHMINDは3枚目となるアルバム『LIFE IS MOVIE』、『SWEET TALIKING』をそれぞれリリース。SEMINISHUKEI、D.U.O.TOKYO……凄く近くでそれでいてそれぞれの色が際立つ3アーティストは、12/22の夜にトリプル・リリース・パーティを開催する。
 こんな素晴らしいタイミングは無い! と思い、3人の対談をセッティングしてもらった。少し前にFALSECRACKで合流したCENJUはこの3作品全てに参加している、
 というのをふと思い出して進行を手伝ってもらった。いつもの感じとスペシャルな感じの両方が伝われば嬉しいです。

MERCY = M
BUSHMIND = B
CENJU = C
DJ HIGHSCHOOL = H
ERA = E

M:簡単な自己紹介と、馴れ初め的なエピソードを教えてください。

E:どうも、ERAです。所属はD.U.O TOKYOです。お願いします。この3人の馴れ初め的なことを話すと、名前をERAに変えて表立って活動する時にBUSHMINDはアルバムもリリースしてて、名前はもちろん知ってて。ファースト・アルバム『3words my world』を自分が出すときに初めてコンタクトをとらせてもらった。

M:DJ PKが横浜でやってるイベントにこの3人がいた記憶があるんだけど。

B:挨拶だけは多分イベントでしてると思います。そのアルバム( * 『3words my world』)の時に呼び出しがかかったんすね。トラックをくんないかって、場所は新宿のマックですね。

E:BUSHMINDは間違いないんじゃないかってところで、トラックを欲しいと頼んだんですね。それが最初ですね。 DJ HIGHSCHOOLとの出会いは新宿アンチノックのライブの帰りに飯を食ったってのが最初なんだよ。WOB( *当時ERA、MERCYが活動の拠点としていた2ヴォーカルのHARD CORE BAND)の最後のライヴの時。

B:タコデリオ( *STARRBURSTが当時働いていたタコス屋)ですね。あの時みんな時間差でいたってことすね。

H:で、ずっとERAは無言だったんすよ。それで最後STARRBURSTとあの人たち怖くない? みたいな。

B:俺もいた。WOB怖いってなった(笑)。

E:当時、もしかしたらDREAD EYEを知ってたかもしれない。

H:ライヴとかも来てくれたんすよ。その時ちゃんと話したんすよ。

E:DREAD EYEはその時デモデープを聴いたことがあったのかな。MERCYの家にあった。

B:てかみんなそのライヴの時に会ってたんだね。

M:あの時、みんな来てくれて凄く嬉しかった。WOBはみんなは見た事あるのその1回だけじゃないかな。

H:えっ??? 俺、気が付いたんだけど、自己紹介が1人で終わってる。ということで、トラックメイカーのDJ HIGHSCHOOLです。所属はD.U.O TOKYOとSEMINISHUKEIです。あとUNDER$TABLE、宜しくおねがいします。俺とBUSHMINDとの馴れ初めは、滋賀県にThemselvesを観に行った時。全然お互い知り合いじゃないのに。

C:Anticonを滋賀に観にいったの?

H:なぜか滋賀の学園に来るっていう。そこでしかやらないっていう。今里さんに行こうって言われて、俺とタク( *TAC-ROC)と田中君( *SONIC)とで車出してて、渋谷集合にしたんだけど、なんかバンズ履いて待ってる人がいて、俺らに近い感覚の人が。あれさぁ、俺らと一緒に行く人っぽくない? ってなって。

C:派遣のバイトの待ち合わせみたいなのりだ。Goodwillの人ですよね?(笑)

H:BUSHMINDから近づいてきて、もしかしてゼム行く人たちですか? って。残りの人たちが全然来なくて、俺らずっと無言で、牽制したまま別れて、その後初めて話したライブってcommonでしたっけ?

C:俺もいた!common行ってた!!

M:CENJUはとりあえず話はのらなくていいから。

C:危ない危ない。話したくなっちゃった。そうだ、聞き役に回らないといけないんだった。

B:そのときも挨拶くらいしかしてないよね。

E:2人ともナードだったんすかね。

B:だいぶナードだった。Themselvesを滋賀まで観に行く位だからね。

H:ナード過ぎて全員バリア貼ってて、なかなか近づけない的な。ということでそんな感じですね。

B:そのBUSHMINDは僕です。SEMINISHUKEIとD.O.DとROCKASEN、HIMCASTあたりですね。所属を言い過ぎると、もはや動いてるのかわからないグループも入ってきちゃうから。

M:これでもうなれそめエピソードは出切りましたね。次は、それぞれ2015年にアルバムが出ましたよね。それぞれの作品の自分的なコンセプトを教えてください。

H:1日っていう時間軸で曲を入れていくって感じで、明け方からスタートして目覚めて起きて、用意して家を出て、昼になって夕方になってまた夜明け前までっていうのをトラックとして作って、あとはその時間帯の情景をラッパーに語ってもらうっていうのがコンセプトですね。

B:俺のアルバムは、実験室ってかんじですね。BUSHMIND LABOみたいな感じで。調合と化学反応を見るって感じです。1日の流れとか時間軸でっていうのもやりたかったんだけど、HIGHSCHOOLに先にやられたってのもあって、俺は実験に特化したアルバムを作ろうと思った感じです。

E:自分はラッパーなんすけど、自分の尺度でカッコいいラップができるかっていう。そこですね。あまり自分の尺度でダメな部分は出さないように作りました。

H:お前も俺のアルバムは? って言ってほしかったですけどね……タイミング逃したね。絶対逃すっておもってたけどね(笑)。

C:ありがたき。また後で来ます。

M:それぞれのアルバムに対して、思ったことを聞かせて下さい。

H:俺だけファーストじゃないですか。2人はサードか。だから俺からしてみると、2人っぽさがより研ぎ澄まされて出した形かなって感じに見えたっすね。BUSHMNDもERAも音的には違うけど、出すテンションというかアーティストの過程として時間軸の上での作品としては凄い似てるなって。スタイルが確立されてて、いままでも、もちろん確立されてたんすけど、それが一番色濃く出てる感じかなっていう。

M:両者とも、いままでの作品では一緒にやってないアーティストと一緒にやってる。そういう部分もいまHIGHSCHOOLが言った部分に通じると思いますね。

H:洗練されたというか、選別が厳しくなってるじゃないですか。前に比べて。BUSHMINDだったら 『BRIGHT IN TOWN 』( *1stアルバム)があって、『Good Days Comin'』 ( *2ndアルバム)があって、けっこう周りの近い人たちだったりするけど、サードはそういうものをいれつつ、さらに違う部分もいれてて。ERAはいままでは俺らのやってる D.U.O.が入ってたけど、今回は入ってなくて。バッサリ切ってフィーチャリングを自分が本当にやりたいって人とやってる。何かアーティストとしてやりたいことが確立してる上で作ってるように凄く感じる。

M:アーティストとして確立したBUSHMIND,ERAがやりたいことをやるという感じですよね。

B:夢は何個も今回叶いました。NIPPSさんとやること。小島麻由美さんとD.U.O.を絡めるのも、俺しか出来ないだろうなって。いい感じで出せたかなっていう。ERAのニュー・アルバムに関してはより色が濃くなったんじゃないかと思います。3 WORDS MY WORLDは自己紹介的な感じもあったけど、もっとプライヴェートな感じで。

E:そんな感じっすかね。俺がOS3と俺のとBUSHMINDのと聴き比べた時に、OS3も言ってたけど、たしかに俺らは3枚目でけっこう成熟してきてるみたいな。OS3はラフさが残ってるんだけど、それが軽く聴ける感じでいまのストリートなのかなって。結構俺とかは考え込んで作ってる部分があったりとか。フレッシュさみたいなのは感じたかな。

C:OS3のアルバムは聴きたい時に選べる感じだって俺は思ったっす。

B:あと、勢いはスゲェある。持って行かれる感みたいな、ガーッて勢いよく曲にしても並んでる感じが俺も思うっすね。。やってるところも他にはないところではあると思ったし、OS3のサイケデリックさも俺とはまた違うから。そこは凄いわかったね。同時期に出してみて。

C:ラッパーのくっつけ方が俺は面白いなと思いましたけど。

H:俺のはけっこう正当な感じなんだけどね。

M:アルバム制作の過程でJUCEとCOOKIE CRUNCHは自分が紹介してそれから直ぐにサクッと曲作ってたから、そういう意味でもけっこう勢いがあったと思う。

H:その2人もけっこう勢いよかったし。

M:勢いやのりっていう部分での1枚目感はたしかにあるよね。

H:そこまで意識してなかったすけど、勢いのあるやつを並べたなってのはあるかもしれないっすね。GO DUMBとかもけっこう勢いあるし。

B:GO DUMB ( "MAKE MY DAY"収録曲、ILL-TEE、CENJUが参加。)はリリース前から盛り上がっちゃってたからね。(*リリースされる前にライヴでMOSHが起こったりしてました)

H:そんな感じっすかね。俺も3枚目とかそういう感じでやりてぇなって思うし。

B:2枚目でしょ。とりあえず(笑)。

H:2枚目すっ飛ばしたけどね。2枚目を出さずに3枚目は絶対に作れないけど(笑)。

B:『JEWELS』も最初2枚目(*2ndアルバム)って体じゃなかったしね。

E:そうですね。EPみたいな感じだったすけど、一応あれはボートラを3曲追加してたんすよ。そうすると11曲になるからまぁいだろうと(笑)。

C:俺もインターネットで調べたんすけど、8曲からフルアルバムって言っていいらしい。フルって言えばそこで金額を上げられるって。最初の『THANKS GOD, IT'S FLYDAY! 』( CENJU & QROIX名義での1stアルバム)は8曲しか入ってなくって1,500円で考えてたんだけど、フルってことにしようってなって、1,800円に上げたんだよ。

M:でもあれはアルバム感ある作品だ思うよ。今調べたけど、オリコンの定義で言うとオリジナル曲5曲以上の場合はアルバムみたいですよ。

B:HIGHSCHOOLとりあえず出しちゃえ。5曲で出せばセカンドだよ。俺は3枚目が早く作りたいんだって。

C:5曲で3曲スキット入れたら8曲だからアルバムだよ。

H:そうだけど……もうアルバムの定義はよくね? 俺らが定義しなくて良くない? こんなちっちゃい部分でアルバム定義しててもしょうがないよ。

C:革命を起こすかっていう。

B:いや起きないって。曲数で革命は起きない!

E:ところで、BUSHMINDは4枚目は出そうと思ってますか?

B:4枚目も出したいけど、その前に何やるかかな、みたいな。ROCKASENもあるし、テクノとかハウスとかでもやりたいし。いきなりインストモノを出すとか、一旦そこで積み重ねというか、選択肢が増えるような動きをしたいすね。3枚目は現状の俺の積み重ねとか考えは相当出せたんで。

E:BUSHMINDとしてはラップがのってるのはフル・アルバムとして出して、テクノの音源に関してはまた別の形ということ?

B:いまの現状ではテクノとかは別って感じですが、そこは絡められるっていう可能性も見えてきたんすよね。

M:アルバムでもそういうアプローチを感じる曲はありますよね。

H:FRIDAY ( *SWEET TALKING"収録曲。O.I.、LUNAが参加。)もかなり4つ打ち色が強いし。
B:この間DJ PKが聴かせてくれたんだけど、ヨーロッパのラップは、バース部分がトラップビートで、フックで4つ打ち、それが定番化してて、ハードコアのDJのやつらもトラップとドンドン融合してるみたいなんだよね。

C:バースのラップは繰り返し系? 言葉は?

B:トラップだよ。ドンドカみたいな。言葉はいろいろで普通にラップもある。ブレイクっぽいところで4つ打ちになる。150くらいのビートで。ヨーロッパならでは。かなり融合しているところもあるから、そういうところも見つつ聴きつつ吸収しつつでまた新しいことが出来るかなって。

E:俺はBUSHMINDをリスペクトしてるところがあって、OS3もそうだけど、常に制作し続けてるじゃん。そこのモチベーションというか、そういうのがスゲェなみたいな。

H:やらないときもあるんすよ。普通にYouTube見入っちゃって。

B:全然あるっす。ベッドから出ないでずっと漫画読んでるっていう。

H:あんまり別に構えてないですね。やれるときにやろうかなみたいな。

B:締め切りがあると変わりますかね。

E:でも作り続けてるわけでしょ、常に。依頼がなくても。

H:普通に生活のサイクルの中に入っているっていうか。

E:それがスゲェって。

B:たぶんラップとトラック制作でまたちょっと違うところもあるんじゃないかと。

E:うん。俺はラップでいわせてやろうかなっていうのはある。トラック的にはそういうのはないのかな?いわせてやろうみたいなの。

H:その時の気分だと思う。言葉がない分、その時に言いたいこととか特にないから、トラックは表しやすいのかもしれない。

M:トラックを作っていく時に最初にこういうのを作ろうというヴィジョン的なものを持って作り始めて、そのままゴールに行けたことってありますか。

H:無い。

B:無いかな。あったとしてもたまにかな。

H:だいたいそれで想像してそのまま作って出来たの聴いたらダセェなって思うんだよね。

M:プランありきでも予想外の方向に行った方が良いのができたりする時も多いと感じますもんね。もう一回戻ったりして、予想してたやつより良い方向のものを再構築するというか。

C:俺、一時期トラックを作ってた時期があって、始めないとゴールが出来ないんですよ。ゴールありきでやってないから……

B:このネタをこう使って、こういうビートを作って、っていうのもあるし、そういう人も、作り始めてからゴールが見える人もいると思いますし。

H:俺は普通に作りはじめちゃって、それから当て嵌めていくっていう感じかな。前はこれをサンプリングで使ってって思ってたけど、作ってみてそういうのに飽きちゃったっていうか。

C:スタートのほうがクリエイティブってことですよね。

M:ストックしても一生使わないストックたくさんありますよね。これ絶対いいんだけどとは思ってストックするんですけど。

E:こういう、これ風のスタイルがあって、一回やってみるかみたいな感じでやってみたけど、クソださくなっちゃったみたいな。それは使わないもんね。

H:ラップって結構現実じゃないですか言葉だから。トラックって空想の世界だと思うんですよ。でも自分の経験したことじゃないと、何か重みがでないじゃないですか。トラックは空想のものだからポンポン俺は作れる。ラップになると色々考えちゃうからたじろく。

C:これは言ってもいいのか。それとも言っちゃいけないのかって。でも最近の俺はGOするようにしてる。たじろかないで、言ってしまったもん勝ちなんじゃないかって。

M:KNZZ( *来年遂に1stアルバム『Z』がリリース。『SWEET TALKING』に参加)のレコーディングをこの間見てて思ったんですけど、トラックとラップって音的には似てると思うんすよね。いちばん最後の煽りとかまで5本入れてて、全部出来るとそれが機能してるみたいな。

B:うん、そうそう。KNZZ君は作り方が似ているとおもう。やっぱ彼はトラックメイカーもやってるから、話していると確実にそう感じる。

H:けっこう行き当たりばったりなんすよね。トラック。このネタ使いてぇって時はあるけど、1から作るときもけっこう増えてきたからその時は行き当たりばったりで。

M:どういうペースで作れているときに、いいものが作れてると思いますか? 気持ちよくできたなって思う瞬間とか?

B:ラストピースが嵌った時。最後の1音、もう一個ちょっと足りねぇなって思って、これとかかなって投げてピタって嵌った時。

M:具体的にアルバムだとどの曲ですか。

B:アルバムはROCKASENとかのそうかな。だからラップがそれだったりもあるのね。

H:俺は全部それなんすよ。ラストピースがラップ。

C:トラック7割、ラップ3割。

E:じゃあぶっちゃけた話、ラップをのっけてガッカリすることもあるみたいな。

B:それはあるっすよ。

E:ここまで来てて、イメージしてて、要するに共同作業じゃないですか。

B:ラップがのってまだ完成じゃないんだって思った時はあるっすね。そん時に今度はもう一個サンプルとかを足す。

M:それがラストピースになるときもあるということですよね。

B:ROCKASENのとかたしかそうだったんだよね。ラップ乗っかっても、もうちょっとだったんだよね。

C:なんかトラック100%で作ってくるトラックメイカーいるじゃないですか、渡されて、これラップのっけなくて、このまんまでベストじゃんっていうのがあるんすよ。たまに。そうするとラップする隙間が無いから100%が逆に下がるんすよね。

C:それに対して俺はなんて言えばいいの……。すいません。本当に……。

M:それって制作の距離もありますすよね。ラップとトラックとのやりとりの投げ合いが一回しか出来ない場合もあれば無限に出来たりする場合もあるし。どこが最後のピースになるかはそういう結果だったりするのかなと。

B:人によってそれがラップだったりパースだったり。

H:出されたものを完全にこう乗りこなすやつもいるわけじゃないですか。

B:そうそう。それは相性次第だよね。

E:そこで考えさせられたのが、今回のBUSHMINDの作ったシャッフル音源なんだよ。 (*12/22のリリース・パーティで限定販売される予定のこの3者のアルバムがシャッフルされた音源 ↓下記にその音源よりまずはBUSHMINDから1曲公開 )
DJ Highschool feat. D.U.O / Rise And Shine ( Loose Set Remix )
https://soundcloud.com/bushmind/dj-highschool-feat-duo-rise-and-shine-loose-set-remix

C:俺は『SWEET TALKING』のトラックは、100%だからどう乗っけたらいいのか、邪魔しないようにって思って作ったんですけど。

H:じゃあGO DUMBに関してはどうなの。

C:GO DUMB、隙間がいっぱいあるからラップしないといけないんじゃないかって。

M:HIGHSCHOOLのアルバムは、こういう風にやってっていう指定ありきで作ってるから、感じ方が少し違うのかなって思うんだけど。

C:BUSHMINDの時はラップのっけて、さらに上がったよって送られてき音源が自分が聴いたときの音源と全然変わってるからスゲェなって思って。ここまで進化させられるんだみたいな。俺が100%って思ってたのがそうじゃなくって。

B:100%いってなかったから。俺が補正したの。

C:だから、それは人によって全然違うと思いますね。。俺とQROIXで作る時、HIGHSCHOOLで作る時、ラップののせかたの違いは出てくる。トラックメイカーによって。

B:シャッフル音源は思ったんすけど、ほとんど俺とOS3のトラックだからそこの相性もあんのかな。ごちゃごちゃにしたけど、あれだけ嵌るところが多いっていうのは、OS3のトラックはHIGHSCHOOLのトラックもあるし、俺のを入れ替えてもだけど、日頃の積み重ねというか、共通項がやっぱりあるんだなっていうのはやってて思ったっすね。

E:こっちとしてはトラックをもらって、トラックに合わせてじゃないけど、トラックを聞いてラップを書いたりするわけじゃないですか、それに対して真面目にやってたわけだけど、それをシャッフルしてみてシャッフルしたほうがカッコいいっていうのは結構考えさせられるなって。

H:逆にあんまりないですよ。あそこまで嵌ることはそんなにないです。それは俺とBUSHMINDの温度感だったり、そういう、なんかやっぱ常に制作ってなると絶対にこの3人は関わるから、そういうのもあると思うんすよ。クセをわかってるから。

B:ERAのラップは一番合いやすいから。トラックまとまったら、とりあえずERAのアカペラをのっけてみようって良くやってる。

H:自分はBUSHMINDに普通に影響を受けているからそういうのもあると思うんすよね。

B:フィードバックが起きた結果、あれだけいろんなことになってる。

H:全然別のところから来た3人で、じゃあシャッフルしましょうってなると、そりゃあ無理あるよなって思います。

M:不自然さがなかったですよね。普通に他の人に、これ曲って聴かせたら、これで録ったんだろうなって思うくらい。

H:いままでもそうじゃないですか。リミックス系でSeminishukeiでやってきたけど、やっぱりラップしてる奴も知ってるしみたいな。だからやりやすい。

E:自分は聴いて、根本から揺さぶられたんすよ。作り方的に。

B:俺もラッパーにあまり聴かせないほうが良いんじゃないかと思っちゃったんすよ。嵌りすぎてて。作った人に申し訳ないと思って。

H:でもそれって、リミックスなんだから当たり前じゃない?

M:ここまで当人達も問題作だと思っているシャッフル音源は聴いた人のお楽しみという事で、それぞれアルバムをリリースしてからはどんな感じで活動していました?

B:俺はかなりDJで呼んでもらってたかな。夏くらいからは毎週位のペースで。

M:アルバムの再現的なセット以外でのDJプレイの時はどういう感じですか?

B:イベントのオーガナイザーにどういうプレイをやってもらいたいか、基本ヒップホップかテクノかみたいな感じで聞いて。

M:イベントに呼んでもらった時に聞くんですか?

B:そう。「どっちがいいっすか」みたいな感じで聴く。基本2択かな。その中で、DJ APRILさんに呼んでもらったときは、オリジナルビートセットでお願いしたいということだったから、その2択以外だったけど。けっこうやったかな。8週くらい連続で呼んでもらってた。

M:ERAは?

E:アルバムをリリースした後に、現実とぶち当たりまして、それでまぁ、考えさせられることもあり、ちょいちょい休みつつも、制作しないとなって訳じゃないけど。そういうのでなんかBUSHMINDとかOS3とかやり続けてるから、そのモチベーションていうのか、そういうのが気になったっていうか。今回の制作に関しても次に向かってるんだけど、ちょっと離れてみて、色々聴いてみたりとか。2枚目まではすぐ行けたんだけど、今回は.……

M:2枚目作った後は、直ぐに曲作ってましたよね。

E:まぁ、そんな感じっすよね。はい。

H:俺は、もうちょっとこうできたなとかそういうのがあったんで、その反省点とかを見つめ直したり。今までミックスCDとか『Bed Time Beats』っていうビート集とか、結構出してたけど、アルバム制作してからストップしてたんで、それをまた再開して。ちょっと違ったアプローチでやってみようとか、ERAのアルバムにも1曲入れてますけど、RAMZAと一緒に曲を作ったり。

B:あれは完全にアップデート感があったね。あの曲は凄いよね。

H:今までやらなかった事とか、人と何かやってみようとか、そういう感じで。これからですけど。Bed Time Beatsの5も作ってたりとかします。

M:UNDER$TABLE ( * NERO IMAI, MIKRIS, J.COLUMBUS, OS3によるグループ)もはじめましたもんね。ラップをけっこうやってますよね。

H:でもトラックに対するアプローチが、いままでハードで作ってたのをアルバムからはガッツリPCに移したりとかして、その操作とかも慣れてきたってのはあるから、それでちょっと変わってきたというか。『SWEET TALKING』とか聴いたりして、トラックをもっと突き詰めるっていう部分ではかなり影響を受けたなっていうのはありますね。

E:同じクルーにいながら、BUSHMINDとHIGHSCHOOLはライバル的な……

B:そこは間違いないっすね。『Make My Day』は相当影響を受けたし、刺激にもなった。自分のやるべきこともそれで見えた部分もあるし。

H:そうっすね。向き合い方が、著しく変わったわけじゃないけど、伸びしろをもうちょっと自分で見つけてやってみようかなっていう感じではありますね。

M:ここ何年かみんな一緒に活動してきてるなかで今年みたいに近いタイミングでリリースしたことって無かったですよね。

B:まさかって感じだったよね。

M:そういうことお互いに影響とかどうですか?

H:SEMINISHUKEIとかD.U.O.とかもそうだけど、BUSHMINDがいて、ERAがいて、2人ともアルバムっていうか、一歩離れたところで、大げさですけど責任を背負ってじゃないけど。外に向けて何かをやってる人が自分の周りでその2人がいちばんやってるなって感じだったから、そこに俺も参入するみたいな。俺もそこで勝負したいなって。

B:フィードバックもデカくなるしね。

E:決まった。間違いないっす。

H:じゃないと面白くないかなって思う。

M:それぞれ音源の部分でそれぞれの作品で印象的なところはありましたか。

H:ERAのアルバムに関しては、スタイルというかERAというものを完全に確立したっていう感じは凄い思ってて、BUSHMINDに関しては、すげぇミクロの部分まで音を見てるなっていうのは思いましたね。音数も多いし、凄い細かいところまで見てるな。そこがBUSHMINDらしさだし。俺は大雑把だから。

B:その大雑把ぶり、初期り具合に俺は影響を受けてます。

H:逆にアルバムを出してから、もうちょっと細かいところを見てみる感じになったっていうところですかね、俺は。そこはトラックメイカー同士のあれかなって。

E:じゃあ、トラックメイカーとして、2人で最終目標までいかないにしても、何かしら目標みたいなもの...やりたいことはありますか。

B:近場の人間にうわぁーって思わせられるように、そこは変わらず。一番重要かなって思う。

M:そこは一番重要っすよね。

B:そこだね。常にそこは考えてる。

H:俺はヒップホップから離れてもいいかなって。トラックを作ってラップをするっていう図式じゃないですけど、ヒップホップのビートだからラップがのるとか、そういうのは別になんか……もともと俺はヒップホップばっか聴いてきた奴じゃないから。

M:とくにDJ HIGHSCHOOLは、アルバムが出る前まではラップがのるっていう想定でトラックを作ってるっていう話を良く聞いてたんで、アルバム通してその変化もあるといいですね。

H:アルバムを作るってなって、本当は歌モノも入れたかったんだけど、上手く嵌るやつもいなくて、研究して、今回はラップ・アルバムをやろうって思って、全部そういう感じにして。次はもっとやりたいことを……もちろん、ラップするトラックも作っているうえで、別の動きも独自でやりたいみたいな感じになりましたね。

B:インストもの?

H:インストものはずっとやってたから、次はもうちょっと歌とか、ラップじゃなくて。インストもあって、歌っすよね、歌。

B:それはやりたいよね、歌。

H:『SWEET TALKING』 の"FRIDAY"みたいなことっすよ。

B:あれはやっと一歩踏み出せたって感じだもん。

H:なんだっけ、Prince Paulの1曲目とか。こういう単語を出すと何かうわぁ...って思われるかもしれないけど、トリップホップとか(笑)。

(全員爆笑)

H:Portisheadとか聴いちゃったりとかして、かっけぇってなったから。だから、R&Bとか好きで、ミックスCDとかもインディな方向に行ってて、それだったらもろにインディに寄せてもいいんじゃないかなって思う。日本人だし。

B:ERAはオーバーなところでtofubeatsとかと絡んでやってるじゃないですか、その辺はどう考えてるんすか。

E:やれるならばやりたいってのはあるけど、メジャーの有名なアーティストだし、それに対して向こうがOKしてくれるのかなって。それが正直なところかな。

B:俺ははオーバーに通用するものを作りたいって思う。

E:その欲求はあるけど、向こうがOKしてくれるのかなってのはあるし、それにこたえられるだけのオーバーっぽいものってあるじゃん。

B:ERAは他の周りのラッパーと比べて、そこは一歩上にいってると思うんすよ。今回のアルバムでもそれは感じたし。

E:でもまだまだかな。なんか、最近足りねぇ部分も見えてきたってのはある。

B:そこで勝負できるような曲を作りたいってのはあるってことですか。

E:っていうのはある。

C:ERAはそれがあると思う。ERAが突破してくれないと俺ら居場所作れねぇじゃん。

B:俺、本当にERAのラップは可能性あると思う。

C:ERAの曲は本当にグッモーニーング ( *『LIFE IS MOVIE』収録"HEART BEAT"のこと)って歌っちゃうから。

M:BUSHMINDのアルバムがあって、そっからでて、ERAのアルバムにあの曲が入って、流れが良かったっすね。そういう、流れでいったらあの曲はトドメみたいな感じだったっすね。

E:BUSHMINDのトラックでヒップホップなのにギターを使ってるってのが新しかった。ギターっていうかアコギみたいなフレーズ。

B:あれ誰ももらってくれなかったんだよ、あのトラック。だからCIAの"DOWN SOUTH" ( CIAZOO 『logic work orange』収録)のっけて遊んでた。そしたらERAがこれいれるって。

C:あの曲はトラックとして100%だから難しいんすよね。

B:ERAは他にも選択肢があったもん。最初にのっけてたラップのフローと違ったもんね。俺は、それヤバいってなったんだけど、そしたらまた全然違うのがきた。だからまぁ、他にも選択肢があったってことですよ。

E:あのギターフレーズが良くて。

H:何とかの日曜とか……あれはけっこうビックリした。中途半端だよなーって。来たーみたいな(笑)。

M:ポップスって鼻歌で歌えるかどうかって思うんですよ。みんなが無意識に歌ってるのって、そういう事じゃないですか。鼻歌で歌っててもみんなこの曲が何か分かるっていう。そういう要素がある曲だと思うんですよね。

H:あの曲に関してはBUSHMINDとERA節なんですよね。

E:だから俺ってアングラなんだよね。

H:違うって。そういうことじゃなくて、Linkも近いっていうか。だから別にディスってないから(笑)。

M:OS3はERAとD.U.O.で曲を作ることが多いから、そっちのイメージの曲のほうが多い思うんすよ。で、ERAとBUSHMINDとで作った曲はまた違うイメージがあって、ソロというのもあるし。D.U.O.はD.U.O.のイメージがあるし。

C:ERAはどっちのほうがやり易いですか。

E:どっちがどっちってのはないけど、BUSHMINDはスゲェBUSHMIND節があると思う。

H:BUSHMINDと対峙してるERAみたいなのはある。

E:うん。相性は良いと思う。

B:俺も思うんす、そこは。

H:それぞれ、違った良さを引き出してる。俺と作っても、BUSHMINDと作っても引き出してる感はある。Link ( * 1stアルバム『3words my world』収録 )から始まってって感じなんですよ、俺は。BUSHMINDトラックはこうだよなって、壮大じゃないけどおおらかな。ラップってものを取り払って……

E:だからラップが足りなかったんだよ。

(*ERAとHIGHSCHOOLでラップに関して議論に……)

H:これだけは言わせて。ラップっていう概念をBUSHMINDのトラックでやると、1回取り払えるんですよERAは。

B:アングラ感からの脱却がテーマなんだよね。

H:いや、アングラじゃないってたぶん。アングラってポップスがあるからアングラって言葉があるわけで、俺は別にアングラなことをやってるとは思ってない。

E:ぶっちゃけ、D.U.O.の俺の最初のコンセプトはあったんだ。ポップスとか売れてぇなじゃなくて、ヒップホップとして最大級のデカイものを。アメリカのヒップホップってデカいものじゃないですか、メインストリームは。だからそういうものをやってみたいっていうのはあったから、D.U.O.はメジャーのトラックジャックしてガンガン曲作ってたし。

H:まあ、アングラかアングラじゃないかは、対照で。もうひとつデカい勢力とかジャンルがあってアングラってなってるだけだから。でもしょうがないんだよ。自分らで音楽を作っててやってる訳だから。いわゆるメジャーのさぁ……予算もかけられないわけじゃないですか。自分らでやってる訳だし。

E:じゃあ負けないようにしようぜ。英才教育を受けたやつらに。

H:だから、それはやり続けるしかないよ。こういうのがあるっていうのを提示し続けないと、聴いてる奴らからしたらやってないのと一緒だから。俺らがどんな思いでこういう音楽をやってるのかっていうのは、一生伝わらないからさ。

E:MERCYさん、これ思ってる以上にディープ談義になってしまいました。

M:いいじゃないですか。

E:絶対CENJUは才能あると思うし、余力が残ってると思うんだよな。余力があるように見える。

C:……なんか怒ってる。

E:まじ怒ってないけど、何か日本語のラッパーとして日本語の深さをOS3と語りてぇなって。

C:何かコーラ、タダでもらえるって……

E&H:おい逃げんなよ。ラッパー。

H:だから纏めると、みんな音楽が好きなんですよ。

E:たしかに。超マニアックになってた。やばい。

H:音楽が好きだっていうところで、リスナーに納得がいってないっていう。

E:リスナーに届いてないんだ。

H:だから、リスナーに納得してないからそう思うんだよ。大半の奴が軽薄なものしか聴いてないっていう。

E:たしかにね。だから日本がもっとそういう風になってくれたら、もっと俺らも満足してるよね。

H:それでいうと、俺もBUSHMINDもERAもみんな音楽が好きっていう。だからそれを聴いている人にも求めるからこそ、それだけじゃないけど、そういう部分もあって作ってるってのはあると思うんですよ絶対。

M:ポップスと言われる音楽の音楽性が底上げされるとですよね。

B:でもトラックもなんだけど、クオリティの差は超デカいと思うんだよね。ポップスやりたくてもクオリティがある程度……機材というよりも技術。全然俺は届いてないと思うんだよね。

M:一音一音の鳴りとかってことですよね。

B:そう鳴りとか。ある程度のラインを行かないと、メジャーで。そこには全然届いてない。

H:全部そうだけど、ミキシングっていう部分においては日本はかなり遅れてるんですよ。ジャンルに特化したミキサーが、各ジャンルにいないっていう時点で。

M:音の特徴ってあるじゃないですか。バランス、声の処理、結構似てるから。ジャンルによって。

E:クラウ・ドラップとかで音が超ショボいけど、カッコいいのもあったりする。

B:それはもちろんあるし。俺らもまぁそうだし、そこは……ってのはあると思うんだけど、ポップスとして、音が成立しているラインていうのがあると思うんですよ。アメリカとかだったらそのラインにいってなくても売れちゃうことがあるかも知れないけど、日本の音はまだラインがあると思うんですよ。

M:アメリカとかだとクラウド・ラップがメジャーのクオリティーの凄いものに対するカウンターとして機能してると思うんですが、日本だとそういう構図にはなってないというか。

B:カウンターとしても成立してないと思うんだよね。

M:海外でミキシングをすることですげぇ音が良くなったと思ってたけど、いろいろと聞く上で最高に良いものではないというか。平均値よりはいってるのかもしれないけど、日本のミキシングと比べたらめちゃくちゃ良いけど。もうちょい大きい中でみると、自分が評価しているところまでの感じではないのかなって、最近思うんすね。

C:答え。結果負けてられねぇ。

H:ってことで次のお題っすね。

M:年末にリリース・パーティはどんな感じにしたいですか?

H:俺は、ヒップホップのパーティにはそんなにしたくないかなってのはありますね。SEMINISHUKEIはずっとそういういろんなジャンルで単純に面白いって思ってきた人を引っ張ってきてるから。たまたまいまラップをやる奴の比率が増えてきたっていうだけで。ずっとそこでやってたけど、1回立ち返っていろんな音楽が聴けるっていう場所が俺は良いかなって思うんすね。

M:ですね。そういういろんなものがあって、そのなかで強いものをみんなでやるっていうのが本来の自分たちがやってきたことかなって思って。だからもう1回立ち返ってみて、バンドとか出すとかじゃなくて、それぞれの感じでそういうのが出来るのが一番いい感じだし。本当は色々パーティとかやってても、実際問題ヒップホップのパーティに寄ってきちゃってたけど、そこかなって思うから、そういうのできたらいいなって思うというか。

H:どこがホームとか俺らはいままでなくて。形がないままずっとやってきたっていうのが俺らのスタイルだから、そこかなっていう。

M:ジャンルでホームは作ってない。ホームって言える場所はあるけど、ジャンルでヒップホップ、ハードコア、テクノ……そういうのではない感じを、俺も最近思うことがあるから、そういうのが出来ればいいですよね。

H:そうですね。古い、新しいとか、そういうのは関係なしに面白いってただ思っただけで、動機としては完全に成立してると思うんで、それをもっとやんないと俺らじゃねぇなって思ったから。俺らはこうだからって、そんなのは別に1人1人が固めていれば別にいいと思うんすよ。全体としてみんなで固める必要はないっていう。

M:特に音的にそういうのは無いと思うから、それをもっと形として見せられるようなことが出来れば一番いいよね。

H:それこそ普通にイケてるからってテクノのDJ呼んで、ヒップホップのラッパーでこいつイケてるから呼んでって、一緒にパーティやったら面白いんじゃないかっていうのとは違うじゃないですか。人間レベルで繋がってるから、そこで初めて成立するからやっぱり。全然やってることが違くても。じゃないとやってる意味ないけど、そのレベルでやってるのってあんまりいないと思うんすよね。

M:そこを強化したものを今回も出せればいいと思うんすよね。HIGHSCHOOL、ERA、BUSHMINDのアルバムを全部聴いてる人は多いと思うけど、それぞれを聴いてる人が3つのなかからどれが好きって選ぶとしたら、それぞれまた違う人たちなんだと思う。

B:バラバラになって欲しいよね。

H:最終的にさっきの話に繋がるんですけど、こういう奴もいるよっていう提示になってるっすよ。俺らは意識してないけど、無意識的にいままでしてて、二軍感だとかオーバーグラウンドだとか、そういうのばっかり聴いてる奴にも、こういう奴もいるっていう提示。

M:そこでのクオリティの違いを出したいなって思う。そういう人たちってけっこういると思うし、そういうことをやろうと思って、そういうのではないよっていう提示が出来たらいいかなと俺も思うっすね。

H:いままで俺らが影響を受けてきたのって、全部そういう奴らだと思うんですよ。例えばさっきの話に戻るけど、俺とBUSHMINDでThemselves観に行ってJelがDystopia聴いてるってなって、まじで? って上がって。

B:一緒に住んでたんだって。笑 JelがDystopiaのドラマーと一緒に住んでて。っていうのをその場で知って。M AGENTS OF MAN ( *NY, NJのHARD CORE BAND)のベースがMr.LEN(COMPANY FLOWのメンバー)とルームメイトで、Mr.LENのアルバムにバンドで1曲入ってたり。

B:それに上がってた。

H:そういうのを形として提示してるのってあんまりいないじゃん。

M:最近その形が薄れてるって訳じゃないけど。そのことを今いま、もう1回提示したいと思ってますね。

B:そこは強みだしね。

E:じゃあ、MERCYたちは提示する派、じゃあ俺はグラサンを外せよみたいな(笑)。まぁ、そういうのやってるよ、俺らのルーツはそれだよ、しょうがねぇよ。それは好きなんだから……

M:そう思ってる奴はグラサン外せよって。

E:そのグラサン外して聴いてくれよって、どうなんだよって。そこなんですよ。

H:結局やり続けないといけないんですよ。新しい、古いなんて第三者が決めることだから。俺らは普通にやっててそれが新しいって勝手に言って、勝手に盛り上がって、ワーってなってるかもしれないけど、別に普通じゃない?って。友だちとして会ってやってんだから。新しいことやろうぜって言ってやってる訳じゃないっすよ、俺ら。

C:でもそれはもろ刃の剣でさ、その人の内面を知っちゃうとさ、あんまり良くない曲でもさ、アツい! みたいになっちゃうじゃん。聴き方変わらない?

H:そんなことないっすよ。

C:俺、けっこうあるんだよ。

H:それ、お前がサングラス外せよ。

C:音楽だけね、好きじゃなかったものが、その人を好きになることによってありになるっていうのはあるじゃん。

H&B:それはあるよ。

M:でもそれって音楽があって、フィルターをもう一回通してるからだと思う。

H:だから本当に良くなかったら、良くないと思うんだよね。人は好きだけど、いまいちなんだよねみたいな。っていうのはあるじゃん。

B:音楽やんなきゃいいのにあの人みたいな……

H:CENJUもこのラップは良いけど、このラップはいまいちでしょっていうのはあるからさ。そういう感じでしょ。そこの線引きは結構厳しく言ってるよ。交流はあるけど誘わないって奴はいますもんね。あるじゃんそんなの。

E::そういう人間性とか抜きにして気にいってもらいたいっすね。そういうのを求めてる。

B:そこまで届きたいよね。ライトリスナーが、そういう人間性とか噂とか気にせずに、音源だけ聴いて、うわやばいってなるところまでいきたいんだよね。

M:そのDJが聴きたいだったり、ライヴが観たいだったり、それだけで呼んでくれる場所を作らないと、その先のフィールドには……

B:そう。そこまでまだいけてないと思うから。

H:ちょっとまって、これさぁ後ろ向きなことしか言ってないでしょ。だからこれはちょっと自分らのなかで。

B:そうだね。これは第三者に聴かせるべきじゃなかったね。

M:それはもうコミュニティ・ミュージックで流してって感じでいきます。

C:質問良いですか? 俺、3人から参加オファーを受けたんですけど、どういう気持ちでオファーしたの。

H:俺は下衆い曲ができるってのは、こいつとILL-TEEしかいないって思って。下衆い曲作りてぇなって思って、下衆いと言えばこの2人だろみたいな。

E:俺は、CENJUがその時シーンでイケてたから、やべぇ使うべみたいのもあったし、そういうのかな。CENJUにフィーチャーされたってのもあるし、けっこう面白いなみたいな。

H:俺とBUSHIMDとERAの違いは、シーンでイケてると思ってないから。下衆い奴だなこいつは、って思って。内面知るほうが早かったから。

E:たしかに下衆い。

B:俺も“world end” ( CENJU"CAKEZ"収録BUSHMINDトラックでCENJU/ERA/J/COLUMBUSのRAPによる曲)があったからっていうのも。スタジオの後だったらオファーしてなかったかな。

E:下衆いでいいの?

B:直接言ってるんだから大丈夫だよ。

M:CENJUさんはどんな感じでラップやってるんですか。

C:出されたものは全部肥やしとしてやっていくわ。

H:下衆いね(笑)。

M:肥やしにして、何が生まれるんですか。

C:新たな名が生まれるというか。

H:ちっちゃいCENJU? LITTLE CENJU(笑)? 真似してよって思うんすけど、誰もここまでの下衆は出てこない。下衆って言うのはあれだから、人間味があるっていう。

C:言われなくてもそう受け取ってる。下衆の極みって酒を出そうと思ったんですけど、日本酒を大五郎で割った……3口くらい飲んだらベロベロになるっていう最低の酒。

H:最低な酒だからね。

E:下衆いほうが人間味があるっていうことだな。

C:下衆いラインのほうが面白いじゃないですか。人と話してても。

H:アルバム作っていて何が一番楽しかった? 何が一番上がったっすか。

B:うーん。曲が出来た時だね。レコーディングした瞬間が多いかな。あと、あれだね。好きな人から感想を頂いた時。

E:そういうの、上がるんすね。

B:うん。上がる。尊敬する人から、それはもう上がるっすね。

E:おれは、完成した時。ミックスが上がった時とか。

H:作ってる過程での、ラップやってる奴とのやりとり。

B:フィードバックが起きてひとつにまとまった瞬間ていうか。

H:コミュニケーションを取って、自分はブースにいないけど、一緒に作ってる感じが、音楽作ってるなっていう感じがして、俺はすごい面白かったっすね。そういうのをずっと続けて行きたいなって思ったし。トラックメイカーだから一人で作れるけど、1人で作ってない瞬間のほうが面白い。1人で作るのは当たり前の作業だから、来たものに対して新しい作用がある。別の、そいつの視点が入って来るっていう瞬間が一番面白いですね。

 ──この3人と仲間の続きの話を聞きたい方は是非とも12/22の恵比寿TIME OUT CAFE & KATAのトリプルリリースバッシュに是非とも足をお運び下さい。

BETWEEN THE BORDERS
- BUSHMIND"SWEET TALKING" x DJ HIGHSCHOOL"MAKE MY DAY" x ERA"LIFE IS MOVIE" TRIPLE RELEASE PARTY –

RELEASE LIVE:BUSHMIND / DJ HIGHSCHOOL / ERA
RELEASE LIVE GUEST:B.D. / C.O.S.A. / CAMPANELLA / CENJU / COOKIE CRUNCH / ILL-TEE / J.COLUMBUS / JUCE / KNZZ / LUNA / MASS-HOLE / MIKRIS / NERO IMAI / NIPPS / O.I. / R61BOYS / ROCKASEN / TOSHI MAMUSHI / YUKSTA-ILL / 仙人掌
BEAT LIVE:JJJ / RAMZA
DJ:BISON / ETERNAL STRIFE / KILLA TURNER / MAMIMUMEMOSU / MAMUSHICK SELECTER / NO RULE / OVERALL / RYOSUKE / STARRBURST / THE TORCHES

日時:2015年12月22日(火曜日/祝前日)開場/開演 23:00
会場名:KATA + Time Out Cafe & Diner[LIQUIDROOM 2F]
前売券(発売中):2,500円
前売券取り扱い箇所:チケットぴあ[Pコード 277-952]、ローソンチケット[Lコード 75769]、イープラス<https://eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002170426P0030001>、DISK UNION(SHIBUYA CLUB MUSIC SHOP/SHINJUKU CLUB MUSIC SHOP/SHIMOKITAZAWA CLUB MUSIC SHOP/KICHIJOJI)、JET SET TOKYO、LOS APSON?、MATABOND、TRASMUNDO、リキッドルーム
当日:3,000円


“Love Together ハイになるまで” - ele-king

 ラヴァーズ・ロック・ミーツ・ダブ──ヴァイナルの表と裏にて配膳されてしかるべきシュガー&スパイスがワンプレート上でユニゾン。レシピ配合に3年を要し、その間、表舞台から姿を消していたdUb MaFfia(ダブ・マフィア)が再始動する。

 ルーツ・ロック・レゲエにおいて最重要度を誇る女性ヴォーカルモノ。キングストンの埃っぽく危険な雰囲気を漂わせるダビーなリズムに、トウキョウ的なシティポップ・ムード溢れるラヴァーズ・ロックの融合を果たしたバンド、dUb MaFfiaより3年ぶりに届けられたシングル「Love Together ~ハイになるまで~」は12月16日配信開始!

 2012年にファースト・アルバム『No More Nukes Use Hemp』を発表し、そして今作品が3年ぶりのリリースとなる。ついに爆発するか?

dUb MaFfia – “Love Together ハイになるまで”


interview with Roots Manuva - ele-king

 彼女は俺の心を開き
 俺をウィードのように巻いて吸い
 そして、もぬけのからにする
“ミー・アップ!”


ROOTS MANUVA
Bleeds [帯解説・歌詞対訳 / ボーナストラック2曲収録]

BIG DADA/Beat Records

Hip HopReggaeUK Soul

Amazon

 あの爆音、あのベース、あのバリトン、そして、あのヘビー・プレッシャー(重圧)……
 デビュー作『ブランド・ニュー・セカンドハンド』のリリースから16年、ロドニー・スミスが最新アルバム『ブリーズ』と共に帰ってきた。このアルバムは、1999年以来6枚目、もしくはコンピレーション・アルバムの『ダブ・カム・セイヴ・ミー』、『オルタネイトリー・ディープ、スマイル&ヴァージョン』、『ダッピー・ライター』をカウントすると9枚目の作品となる。ロドニー・スミスとは、レフトフィールド、ゴリラズのアルバムに参加した男であり、ビートルズ『イエロー・サブマリン』の自身のヴァージョンを発表した男であり、そして、ニュー・アルバムでバリー・ホワイトとマックス・リヒターの両方をサンプルしている男のことだ。

 UKでは、ディジー・ラスカルがヒットを放ち、ワイリーがドンと構え、クレプト&コナンが大西洋をまたぎ、JMEは暴走、そしてストームジーとスケプタが勢いを増している。そんな中、ルーツ・マヌーヴァは崇高とリスペクト、そしてルーツを兼ね備えている。ルーツ・マヌーヴァとはroots manoeuvre 、つまり、ルーツを巧みに操る男ということ。
 その名が全てを語っているのだ。自分よりも8年先にデビューしたマッシヴ・アタックのように、ルーツ・マヌーヴァはサウンドシステムの精神を引き継いでいる。スラム街で育まれ、あらゆる音楽がその周辺に漂うサウンドシステム。ジャマイカン・ファミリーの歴史におけるその精神と崇高の全てが、彼が放つ音とラップに注ぎ込まれているのだ。

俺はいまだに、“ジャマイカ生まれのイギリス人としての自分とは何か”を定義しようとしているし、それがいったい何なのかを追求している。アメリカのラッパーたちは、自分たちが一体どんな存在なのかを即座に答えることが出来るだろう。例えばカニエ・ウエストは“俺は中流階級のパプテスト派だ”と答えると思う。でも俺は、自分が労働者階級のペンテコステ派だと明言は出来ないんだ。何故なら、俺は教会に行かないからね。

 「ひとりひとりバックグラウンドが違うだけで、俺たちは皆、同じスピリットのなかに生きているんだ」
 ゆったりと腰掛け、サウスロンドンの冬の空をサングラス越しに見上げながら彼は言う。「俺はいまだに、“ジャマイカ生まれのイギリス人としての自分とは何か”を定義しようとしているし、それがいったい何なのかを追求している。アメリカのラッパーたちは、自分たちが一体どんな存在なのかを即座に答えることができるだろう。例えばカニエ・ウエストは“俺は中流階級のパプテスト派だ”と答えると思う。でも俺は、自分が労働者階級のペンテコステ派だと明言はできないんだ。何故なら、俺は教会に行かないからね。でも同時に、ペンテコステ派の教会に通っていたバックグラウンドはある。自分が一体何者なのかを定義出来るようになるには、あと15年はかかるだろうな」

 瞑想的でありながらも自信に満ちた歌詞を通して、ロドニーは、彼が与えられるもの、もしくは、自分が与えることを許されたものを人びとに提供している。そして大抵、それはありふれた風景の中に潜んでいるのだ。彼は“敢えて”お茶目でワルな部分を前面に出しながらも魅力とユーモア溢れるラッパーであり、皆を招き入れつつも“俺を怒らせるなよ”と警告している。その内容は、普遍的でありながらもパーソナルなものでもあるのだ。パトワによって暗号化された言葉の数々は、意識の流れとして届けられる。懺悔、信仰、信念、正義、救済、贖罪、倫理、誘惑、疑念、不正、罪……その全てがニュー・アルバムという1枚の布に織り込まれているのである。
 
 「この作品は、経験の数々が織りなす多層構造。ダークなユーモアがありながらも明るいユーモアもあり、悲劇もあるが安息もある」と彼は語る。「俺は痛みを表現するのが好きなんだ。痛みを感じるというのは良いことだし、痛み以外にも喜びや愛だって表現されている。俺はライターだから、ただただ書き続けるんだ。でも、その書いている内容が、一体どこから来たものなのかは俺にはわからない。大抵の場合、自分とその内容に繋がりさえ感じないんだ」

 これまでにリリースされたアルバムからのトラックを聴いてみよう。 “ウィットネス(ワン・ホープ)”、もしくは、まるでペンテコステの教会でダブル・ブッキングされてしまい、同じ空間の後ろでドレクシアが同時にプレイしているような“レット・ザ・スピリット”のドクドクと脈打つベース音。そこには光と暗闇、昼と夜といった感情のミックスとコントラストが常に存在し、これでもかという重低音、深いローエンドの周波数がそれを支えている。
 「俺はいまだに「ダブ・カム・セイヴ・ミー」を聴くんだ」
 自身の過去の作品を聴くかという質問に、彼はこう答えた。「昔、『ブランド・ニュー・セカンドハンド』が大好きな女友だちがいて一緒にアルバムを聴いていたんだけど、聴くたびに最高だと思ったね。でも彼女と一緒に時間を過ごさなくなってから、あの素晴らしさを感じることができずにいるんだ(笑)」

俺は運が良かったわけじゃないんだ。働いて働いて、働きまくってきた。いま手にしているものは、得るべくして得たもの。何をするか、いくら稼ぐかは問題じゃない。凛とした態度で、尊敬の念を持ちながら働くことが大切なんだ。適当にダラダラとやっていれば、リスペクトなんてこれっぽっちも得られないさ。

 最新アルバムのクリエイティヴ・チームには、フォー・テット、ウィズ・ユー(スウィッチ)、マシンドラム(日本盤)といったメンバーが名を連ねている。フレッド・ギブソンもそのひとりであり、彼は、ブライアン・イーノ/カール・ハイドのアルバム『サムデイ・ワールド』への貢献でもっともよく知られている。
 「ルーツ・マヌーヴァ(というプロジェクト)は、ロドニー・スミスだけで成り立っているわけではない」と彼は言う。「このレコードには、俺のヒーローたちが集まっているんだ」
 〈On-U sound〉との繋がりがアルバムによりまとまり感を与えているのには頷ける。プロジェクト・マネージャー的役割を果たしたエイドリアン・シャーウッドは、多くのトラックにおいて、タックヘッドのキース・ルブラン、スキップ・マクドナルド、ダグ・ウィムビッシュ(“俺はただのベース・プレイヤーではない。俺はサウンドシステムなんだ”と自身のウェブサイトで語っている)のサウンドをレコーディング。このトリオは、〈Sugar Hill Records〉からリリースされた「ザ・メッセージ」と「ホワイト・ラインズ」でも共演している。

 「エイドリアン・シャーウッドは、このアルバムの制作担当だった」と彼は説明する。「俺は14トラックのアルバムを作ろうと提案したんだ。でも彼らが、“ダメだ。14トラック・アルバムは作らない。お前が作るのは10トラック・アルバムだ。気持ちはわかるが、そうした方がいい”と言ってきた。結果、UKではアルバムに10曲が収録されて、日本盤にはそれに2曲が追加されたんだ」
 「アルバムを聴いたとき……」と彼は続ける。「作品としては仕上がっていた。でも、あれは俺のチョイスではなかったんだ。もし俺に決定権があれば、15曲は収録されていただろうな(笑)」
 
 「アルバムはワンテイクでレコーディングした。天才だよな(笑)。それに、何よりも満足したのは、ローファイに仕上げたこと。このアルバムはなんというか……」
 ここで彼は一旦口を休め、微笑み、セールスマンの声を真似て、両腕を大きく広げた。「“スタジオへようこそ。ここで何が出来るのかをお見せしましょう! この上下にスライドする78チャンネルをご覧あれ。0.17秒の箇所のステレオ・エフェクト、お次にコーラスの最初の箇所に入ってくるエフェクトをご試聴下さい”。座っていられるから良いんだ。俺はただ、自分が好きなサウンドが出てくるまで待っていればいいだけだからね」

俺のひい爺さんが俺たちに何を望んでいたかっていう話をいまでも聞くんだ。俺の爺さんが俺たちに何を必要としていたかという話も聞く。俺のお袋が1年半前に亡くなったから、いろいろな話が出てきたんだ。おかしな話だよな。母親が死んでから、生きていたとき以上に彼女を知るようになった。

 アルバムは、“ハード・バスターズ”の「Most broke cunts are all true bastards. And most rich cunts are even more bastards(金のないアホどもの殆どが真の出来損ない。そして金持ちのアホどもの殆どは、それにも増して出来損ない)」という歌詞ではじまり、「この曲は号泣のツールキットだ」と彼が微笑みながら語る“クライング”に続く。
 そして3曲目、フォー・テットがプロデュースした“フェイスティ2:11”で、リスナーは奇妙で風変わりな、そして不思議な世界に引き込まれていく。この曲を、彼は「“ウィットネス(1ホープ)”の従兄弟のようなトラック」と表現している。「ボートレース」という言葉を優雅にリピートするコーラスが特徴的なこの曲では、「フロウェトリー」という動きの流れが表現されている。スラング、ジャマイカ語、英語という遊び場を言葉が駆け回り、文化を絡め、つなぎ合わせているのだ。「これはラップについてのラップで、俺はラップに関してラップするのが好きなんだ」と彼は言う。「フェイスティ」は、ジャマイカ語のスラングで無礼で横暴な人を意味する。
 「俺には、スペインに住んでいる息子がいるんだ。今朝彼と話をしていた時、息子と話す時の言葉に気をつけなければと本気で思った。スラングを使って話したら、息子は俺が何を話しているのかさっぱり分からないだろうからね。彼に理解してもらうには、言葉をハッキリと発音しなければならない。一方で、イギリスに住んでいる長男に対しては、自分の両親が俺に話していたのと近い話し方で会話するんだ。イギリス訛りをより多く使う。息子はあまりその訛りを理解してはいないけど、俺は理解出来るようになって欲しいんだ」
 “ドント・ブリーズ・アウト”の歌詞には美しい感受性と楽観性が含まれ、“ワン・シング”では「When I shake my tambourine, I shake that ever so keenly/I do my best to get a Lamborghini/My girlfriend love snakeskin bikinis(タンバリンを振る時は、精一杯振りまくる/ランボルギーニを手にするためなら何だってやる/俺の彼女はヘビ皮のビキニが好きなんだ)」という笑いを誘う歌詞もあり、言葉のリズムが、ペンテコステのタンバリンのピュアな精神と消費者主義の増強した誘惑を結びつけている。
 「ランボルギーニは欲しいよ」と笑いながら彼は言う。「でも、100万ポンド貯まるまでは買わないだろうな。そんな大金程遠い(笑)人生で100万ポンドなんて手にすることはないだろうし。金ができたら絶対に買うけどな」
 微笑みながら彼は続けた。「でも、必要ってわけじゃないんだ。俺はそんな考え方はしない。自分が得てきたもののために仕事がしたいし、それを得るために仕事をしてきた。俺は運が良かったわけじゃないんだ。働いて働いて、働きまくってきた。いま手にしているものは、得るべくして得たもの。何をするか、いくら稼ぐかは問題じゃない。凛とした態度で、尊敬の念を持ちながら働くことが大切なんだ。適当にダラダラとやっていれば、リスペクトなんてこれっぽっちも得られないさ」

息子たちといるとき、俺がラガ・ミュージックを聴いていると、あいつらが毎回「親父、頼むから俺たちの言語の音楽をかけてくれない?」と言ってくる。いつも文句を言っているんだ。「何で俺の両親はこんなダサい音楽が好きなんだろう!?」ってね。

 「俺のひい爺さんが俺たちに何を望んでいたかっていう話をいまでも聞くんだ」と彼は続ける。
 「俺の爺さんが俺たちに何を必要としていたかという話も聞く。俺のお袋が1年半前に亡くなったから、いろいろな話が出てきたんだ。おかしな話だよな。母親が死んでから、生きていたとき以上に彼女を知るようになった。お袋若かったときの話、彼女が何をしてきたかという話を聞いた。苦労したけど、彼らは同時に人生を楽しんでいたんだ。お袋はいつも、俺が彼女ほど苦労というものを理解していないと言っていた。でも俺は、彼女が素晴らしい人生を送っていたということを知ったんだ。俺と違って、彼女にはポケットマネーがあったからな(笑)
 俺のひい、ひい、ひい爺さんは、運良くキューバへ引っ越した。彼は、ジャマイカから初めてキューバへ行ったジャマイカ人のひとりだったんだ。そこでせっせと働いて、金を稼いだ。俺たちの出身地からすると、その場所はかなり田舎で、何の変哲もないところだった。でも、いま自分のルーツを振り返ると、彼らは昔よりも断然裕福なんだ。いまや、俺の家族は何軒か店を持ってるんだぜ! すごいよな。店のオーナーなんだ。なかには違法なことをやってる親戚もいるけど、そのことに関してはあまり話さないでおこう(笑)」

 アルバムのラスト・トラック“ファイティグ・フォー”を、彼は「家庭内での葛藤、家族の人間関係」についてだと表現している。何度か結婚し、息子も数人いる彼にとって、家庭内での葛藤は、“ファイティング・フォー”の境界を余裕で超えているのだ。
 「息子たちといるとき、俺がラガ・ミュージックを聴いていると、あいつらが毎回“親父、頼むから俺たちの言語の音楽をかけてくれない?”と言ってくる。いつも文句を言っているんだ。“何で俺の両親はこんなダサい音楽が好きなんだろう!?”ってね」
 しかし彼は、息子たちがルーツ・マヌーヴァとして活動する父親を誇りに思っているのは知っている。「(ルーツ・マヌーヴァの音楽を)好きは好きなんだ。でも、あいつらは、いまのままじゃ物足りないらしい。“親父、そろそろアデルとコラボしたほうがいいぜ。デイヴィッド・ゲッタとか! 期待してるんだから、頼むよ!”だってさ」
 これこそ“ヘビー・プレッシャー”(重圧)だ。


TOYOMU - ele-king

2015年音楽まとめ日記

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