「Ord」と一致するもの

Fiona Lee - ele-king

現実のオルタナティヴな響き──香港民主化デモのフィールド・レコーディングを聴く

つまるところ、雨傘運動を通して私にもっとも聞こえていたのは罵声と怒鳴り声でした。これらを録音しようとは思えなかったですし、こうした感情的になった場面を録音するための機材はしばしば持っていかないこともありました。政府や警察が恐ろしくて、ひどく嫌なものであることはもはや周知の事実です。ですからある程度までいくと、それらの周知の事実を強調し続けることは、私に関する限り、本当の助けにはならないのです──そしておそらくこのことが、運動全体がもっとも直面しなければならない問題だったのかもしれません。
──フィオナ・リー(1)

 2019年6月9日、香港島北部を東西によぎるヴィクトリアパークから金鐘(アドミラルティ)へといたる路上に、前代未聞の音響が出現した。およそ100万人もの群衆が集い、凄まじいざわめきをともないながら、建造物が林立する空間を様々なサウンドが埋め尽くす。ときに打楽器のリズムに合わせて「加油(ガーヤウ)」と叫ぶ合唱が巻き起こり、終わっては迸る叫び声が歓声のように響きわたり、しかしすぐさま別の場所から別の合唱が巻き起こる。アジテーションのような演説、管楽器や打楽器を使用した演奏などもあり、どれか一つに中心が定められているわけではない。合唱はほとんど偶然のように群衆の声が重なり合うことで激しさを増していく一方、そうした合唱が方々から起きては消えていき、全体を統合することのない、あたかも水のように不定形な音の力が出来する。基層をなしているのは大量の人々が生み出すざわめき、すなわちノイズの様々なありようだ。そしてこの未曾有のサウンドを、幸いなことにわたしたちは実際に耳にすることができる。香港を拠点に活動するサウンド・アーティストのフィオナ・リー(李穎姍)がリリースしたフィールド・レコーディング作品によって。


8月上旬、大埔墟でのデモの様子(撮影:Aokid)

 あらためてことの経緯を確認しておきたい。2019年2月、前年に台湾で発生した殺人事件を口実に、香港政府は逃亡犯条例の改正案を発表した。広く知られているように1842年の南京条約以来、第二次世界大戦における日本による植民地支配を例外に、香港は長らく英国の領土となっていた。そのため中国本土とは大きく異なる制度のもとに統治されており、1997年に中国本土へと返還される際、香港は向こう50年間既存の制度を維持すること、すなわち「一国二制度」のもと高度な自治が認められることになった。これにより中国本土では取り締まりの対象となるような行為、たとえば共産党政権に対する批判や政治的な集会、天安門事件をはじめとした過去の出来事を知ること、あるいは卑近な例ではツイッターやグーグルをはじめとした国外のインターネット・サービスの使用などが認められている。だが香港で犯罪を犯した人物を中国本土へと引き渡す逃亡犯条例改正案は、中国本土の意向に沿わない人物を犯罪者に仕立て上げることで連行することを可能にするものであり、すなわちこうした香港における自由を奪うものだった。逃亡犯条例の改正は「一国二制度」を揺るがし、香港の中国本土化を推し進めるものなのである。それはこれまでのように自由な創作活動ができなくなることをも意味する。こうした危機に対して香港市民は反発した。それは自らの生きる権利、いやむしろ生存の条件を確保するための闘争であると言っていい。

 2019年9月4日、香港トップのキャリー・ラム行政長官は逃亡犯条例改正案の撤回を正式に表明したものの、デモ隊をおしなべて「暴徒」と呼び、大量の催涙弾やビーンバック弾の発射をはじめとした、無抵抗な人間にさえ不当な暴力を振るってきた香港警察の行為に対して、市民の怒りが収まることはなかった。10月には警察が高校生に向けて実弾を発砲。その3日後に香港政府は緊急条例を発動し、のちに高等法院で違憲と判断される覆面禁止法を発令。翌11月には警察に追われた大学生が立体駐車場で転落死するなど、警察および政府による弾圧は激化し、それに抵抗するように一部のデモ隊の抗議活動も過激化していった。11月24日に実施された香港の民意が直接的に反映される区議会選挙では、民主派が8割を超す圧倒的多数の議席を獲得。政府や警察に対する批判が民意として可視化されることとなった。そして半年以上が経過した現在もいまだに抗議運動が収束する見込みは立っていない。闘争は単に香港政府と市民の問題にとどまらず、社会主義国家である中国本土と欧米の自由資本主義の代理戦争とする向きもある(2)。だが本稿ではこれ以上香港の民主化運動それ自体については深入りしない。あくまでも音楽作品がどのようなものであり、どのような意義があるのかということに徹する。抗議運動に関してのみ言及するのであれば音楽作品を語る必要などないからだ。だがむろん、作品を語る上で不可避的に触れざるを得ないことに関しては言及する。

 1987年に香港で生まれたフィオナ・リーは、幼少の頃より長らくピアノを習っていたというものの、あまり練習にのめり込むことができず、むしろ楽譜を使用せずに自由に表現することに愉しみを見出していたという(3)。転機が訪れたのは香港城市大学でクリエイティヴ・メディアを学んでいたときのことだった。師事していたセドリック・マリデから影響を受け、電球が発するサウンドに着目するようになる(4)。そこから音響現象、あるいはサウンド・アートへと関心が広まり、こうした領域で活躍する鈴木昭男やロルフ・ユリウス、フェリックス・ヘス、クリスティーナ・クービッシュ、ヤニック・ドビー、角田俊也あるいは梅田哲也といったアーティストから影響を受けたことを公言している。テン年代に入るとインスタレーションとパフォーマンスを股にかけた活動を精力的におこない、電球が発する響きを構成したパフォーマンス作品「delight」(2010~)、会場内外の様々な電磁波を捉えてサウンドへと変換していくインスタレーション作品「catch the wings of meteors」(2014)、螺旋階段の上階から地上へと水滴を落下させ、その響きを釣竿にぶら下げたラジオから再生するとともにボウルを使用して水滴を遮り、重力と時間と空間の関係性を明らかにしていく「Joy of gravity "Dropping from 14/F to G/F"」(2016)などを発表(5)。電磁波や重力など見えないものを可聴化する試みは、彼女が影響源として挙げる英国の人文学的環境学者ティモシー・モートンの思想とも共鳴する実践だと言えるだろう。

 2016年にはこうしたパフォーマンスやインスタレーション、さらにフィールド・レコーディング作品を収めた代表作と言ってよいデビュー・アルバム『walking in a daze』をリリース。その一方でパフォーマーとして東京、神戸、京都の三都市で開催されたアジアン・ミーティング・フェスティヴァルにも参加。モジュラー・シンセサイザーのサイン波を利用して電磁場を発生させ、磁石の球がガラス・ボウルの中をぐるぐると回転する特異なパフォーマンスを披露した。その後も来日して作品制作やライヴをおこなっており、水道橋のCDショップ兼イベント・スペース Ftarri にも出演。そのときの録音はソロを収めた『Ftarri de Solos』および集団即興を収めた『Ftarri Jam』という二枚のアルバムとなってリリースされている。ガラス・ボウルのほか、マイクスタンドに括りつけたペットボトルから水を垂らし金属の器で受け止め、水滴がリズムを生み出すとともに器を打楽器的に使用し、次第に水が貯まることで変化していく響きを聴かせるなど、つねに生成変化するインスタレーションのようなライヴ・パフォーマンスは視覚と聴覚の双方を刺激する尽きない魅力に溢れている。

 そうした彼女が初めて音を介して政治的/社会的な出来事に参加したのは、香港の港湾で運行しているスターフェリーの埠頭が取り壊されたときのことだったという(6)。香港警察から信じがたい罵詈雑言を浴びせられた彼女らは、手元にあるリコーダーで、警察たちがその場を去るまでひたすらスターフェリーのチャイムのメロディを奏で続けた。このときの経験を彼女は「実際のところ、これによって警察が本当に攻撃されているわけではありませんでした」(7)と述懐しているものの、それは大衆を扇動するために音楽を利用したり、あるいは近年話題になった「音響攻撃」をはじめとして、音/音楽が容易に暴力装置と化すことに対して、あくまでも音は無力である必要があること、しかしこの無力さにとどまり続けることによって権力による抑圧に対する抵抗たり得ることを肌で感じ取ったのではないだろうか。

 2014年、香港では普通選挙を獲得するための雨傘運動が巻き起こった。このとき、香港で音に関わるアーティストの活動を支援している非営利組織「サウンドポケット」によるプロジェクトのひとつ「ザ・ライブラリー」が、雨傘運動を音響的に記録するためのプロジェクトを立ち上げた(8)。香港を拠点に活動するアーティストたち、Nerve としても知られるスティーヴ・ホイや dj sniff など10名が参加したこのプロジェクトは二枚組のアルバム『DAY AFTER翌日 [2014. 9.29 - 12.12]』へと結実する。フィオナ・リーもこのプロジェクトに参加し、二つの音源を発表している。10月13日の早朝、警察による催涙ガスの弾圧を捉えた録音では、鳥の囀りがささやかに響く爽やかな雰囲気からはじまり、しかし次第に通りを行き交う人々のざわめきが増していく。町内放送のようなアナウンスが聞こえたあと、途端に騒がしくなっていき、ある種の即興パフォーマンスのような展開を聴かせる作品である。他方で10月16日深夜の録音では、マンホールの蓋が地面に投げつけられ、それがトンネル内で深い残響をともなって響く、その反響の様々なありようを聴かせるどこかインスタレーションのような作品だ。どちらも雨傘運動の音の記録であるとともに、フィオナの耳が捉えた、彼女自身の音楽活動とも通じる内容となっている。

 それから5年後、フィオナ・リーのサウンドクラウドに一時間半にもおよぶフィールド・レコーディング作品がアップロードされた。100万人が参加した2019年6月9日のデモの模様をビルの最上階で収録した音源である。凄まじい叫びが一斉に巻き起こっては消え、遠くで別のリズムで別の叫びが発生し、あるいはアジテーションとコール&レスポンスが別々に聴こえてくるなど、デモの規模の大きさとその多様性を音響的に伝える内容だ。その後も三ヶ月間、彼女は民主化デモのフィールド・レコーディングを継続し、そしてそれらの音源を組み合わせた作品『Hong Kong 9 June to 12 Sep 2019』を9月中旬に発表した(9)。デモが本格化した6月9日からキャリー・ラム行政長官による改正案撤廃の表明後となる9月12日までの六箇所のフィールド・レコーディングを編集して収録した本作品には、ひとまずは逃亡犯条例改正案に対する抗議活動が撤廃を勝ち取るまでの軌跡が刻まれていると言えるだろう。

 100万人が参加し民主化運動の大きな出発点となった6月9日の抗議デモから本作品は幕を開ける。ドンドコドンドコドン、というドラミングに対して大量の人々が「加油!」と叫ぶ、圧倒的かつ象徴的なシーンだ。その後、いわゆるワーシップ音楽の一つであり、今回の香港におけるデモの抵抗歌ともなっている“Sing Hallelujah to the Lord”の合唱がギターを伴奏におこなわれたり、「光復香港! 時代革命!」というコール&レスポンス、あるいは「五大訴求! 缺一不可!」と叫ぶ群衆が自然と「Stand with Hong Kong! Fight for Freedom!」の叫びへと変化したり、香港のラッパー JB による“Fuck the Popo”の合唱がおこなわれたりなどする。最後はショッピングモールを舞台に、民主化運動の只中で生まれた非公式国家「香港に栄光あれ」の合唱が、管楽器の演奏を交えながら披露される。そのどれもが勢いに溢れ、こう言ってよければ音楽的に豊かなアンサンブルを編み上げている。民主化運動を通じて生まれた──あるいは意味を変えた──数々の抵抗歌とコール&レスポンスの旋律が、余すところなく収められた貴重な記録となっている。だがより興味深いのは、こうした記号化し得る抵抗歌やコール&レスポンスよりもむしろ、大量の人々によって自然発生的に合唱が生まれては消え、さらに群衆が生み出すノイズが空間的に広がりその不定形なかたちの様々なありようを聴かせてくれることである。合唱やコールが一体どのような音環境でおこなわれていたのかが手に取るようにわかるとともに、何層にも重なるノイズと予期し得ない偶然的な変化は、今回の香港民主化運動それ自体の特徴を音響的に示しているようにも思う。こうした音群はたとえば、香港返還後最大規模となる200万人が参加した6月16日のデモについて、「素人の乱」5号店店主の松本哉が書き記した次のようなレポートからも窺い知ることができる。

そして、ちょっと驚いたのが、香港のデモにはデモの宣伝カーがない。制限されて出せないらしいけど、これがまたすごい。それどころか拡声器を持ってる人もほとんどいない。各所で突如巻き起こるコールなどがあるが、それ以外はただただ無数の群衆が行進してる。もちろんいろんな政党や政治グループもあるので、その人たちは一角に簡単なステージを作って話したりしてるし、楽器を持ってくるグループは太鼓(ドラムというより太鼓)を叩きながら行進したりもしているけど、やはりそれはそこまで多くない。そして時々怒りがたまってきた時に「うお~~~」とみんなで叫び始める。数千人数万人が叫ぶ。そしてすぐに止む。これすごい迫力。(10)

 雨傘運動と異なりリーダーや先導する組織が不在であり、各参加者が主にインターネットを通じて自発的にデモに参加していることが、今回の民主化運動のひとつの特徴とされている。デモを主催するリーダーがアジテーションをおこない群衆がレスポンスするのではなく、つねに変化する複数の中心があり、ときには無関係に並走し、あるいは重なりあっていくその様は、香港の活動家・區龍宇が「民主共同体は多元的でなければならない」(11)と述べたような共同体の理想的なあり方を示しているようにも思う。そして不定形に変化する自発的な抗議運動は、香港のアクション・スターであるブルース・リーの名言「水になれ」にあやかって、まさに不定形に離合集散を繰り返す流水にもたとえられているものの、それは同時に極めて優れた集団即興の構造的な特徴であるようにも思う。いわばフィオナ・リーは前代未聞の集団即興演奏を収録したのである。


8月上旬、大埔墟に設置された雨傘のバリケード(撮影:Aokid)

 むろん抗議運動をフィールド・レコーディングすることそれ自体が珍しいわけではない。1969年に米国のベトナム戦争に対する反戦デモを収めたトニー・コンラッドによる作品『Bryant Park Moratorium Rally』、あるいはベルリンの壁崩壊前夜のクロイツベルクのデモの録音を挿入したアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの楽曲“Fiat Lux”などが有名どころだが、近年では世界中の音環境を記録しマッピングしようと試みる「シティーズ・アンド・メモリー」によって「抗議と政治」というプロジェクトも進行している(12)。トランプ政権およびブレグジットへの抗議運動を収録したものを中心に、欧米のみならずインドやカンボジア、台湾などアジア圏でのデモの録音も投稿されており、抗議内容は必ずしも体制批判だけではなく、なかには政権を支持する運動の録音もある。ただし現時点では香港の民主化運動は一切投稿されていない。同ウェブサイトには無加工の「シティ・ヴァージョン」と録音に加工/編集を施した「メモリー・ヴァージョン」があり、世界各地でおこなわれている抗議運動の様々なコール&レスポンスのパターンを知ることができる。それらに比すとき、抗議運動のサウンド・パターンだけでなく出来事それ自体を収めようとしたフィオナの作品の特異性も浮かび上がってくる。

 抗議運動の録音に関して、『Souciant』誌に掲載された「フィールド・レコーディングの政治」と題した記事のなかでは、「経済的な目的へと合理化するのが困難であること」こそがプロテスト音楽の本質だと書かれている(13)。たしかに売れることや心地よい体験をすることがこうした音楽の目的ではないだろう。ただし同記事で言われているように「ノイズが美的価値を欠いている」とは限らない。抗議運動のフィールド・レコーディングは、その事実性とノイズの美的価値の相互作用をこそ聴き取らなければならないはずだ。そのためには抗議運動のフィールド・レコーディングを素朴に現実そのものの響きだと信じることを留保する必要がある。「シティーズ・アンド・メモリー」にメモリー・ヴァージョンがあるのは、他方でシティ・ヴァージョンがまさに「現実の響き」だと見做されているからに他ならない。しかしあらためて言うまでもなく、無加工のフィールド・レコーディングが現実をそのまま記録しているわけではないのである。録音という行為がすでに現実の響きの加工であるうえに、どのように録音するのかという点に制作者の作家性が示されてもいるからだ。本作品のように複数のサウンドスケープを選択し、ある継起的時間に収めるという時点でそこにはフィオナの耳が刻まれている。

 フィオナとも交流のある北京の音楽家ヤン・ジュンはかつて「事実性を記録することなど出来ません。記録することと創造することに区別はないのです。(……)楽器を選ぶこと、配置を決めること、録音ボタンを押すこと、その全てが作曲行為なのです」(14)と述べたことがあった。録音という行為は現実を切り取るという以上に、音を組織化するための積極的な手段でもあるのだ。そうであればこそ、自然の響きをそのまま写し取ったかのような極めてリアルな音響であったとしても、それが却って不自然に感じられてしまうということもある。ただしそれはフィールド・レコーディングという行為がすべて現実から等間隔の距離を保っているというわけではない。フィールド・レコーディング活動をおこなう18名のアーティストのインタヴューを収めた、キャシー・レーンとアンガス・カーライルの『イン・ザ・フィールド──フィールド・レコーディングの芸術』の書評で聴覚文化論の金子智太郎は、実際には見かけほど単純ではないと断りを入れつつ、同書における「録音のドキュメンタリー性を重視するかという問い」と「録音に自己がどう現れるかという問い」に言及している(15)。この二つの問いは表裏一体となっており、すなわち録音作品と客観的な現実との距離に関する問いと言うことができる。そしてフィールド・レコーディングには、制作者の意識の有無にかかわらず、つねにこの事実性に対する距離のグラデーションが存在する。

 事実性を括弧に括り、記録された響きを参照項を持たない音として聴取することを、かつてミュジーク・コンクレートの創始者であるピエール・シェフェールは還元的聴取と呼んだ。だがむろん響きから一切の現実を排した「音そのもの」を聴取することは不可能である以上、還元的聴取は現実との別の接点を音響から聴き出すための手段だと言うこともできる。たとえば雨傘運動を捉えたフィオナの作品は、まさにこのような還元的聴取をおこなうことによって、実際には展示でも公演でもないにもかかわらず、あたかもインスタレーション作品のように、あるいはオブジェを使用したサウンド・パフォーマンスのようにも聴くことができる。それは録音を音響へと還元しつつも、展示や公演といったフィオナの活動とも関わる現実との別の接点を聴き取ったということでもある。そのように考えるならば、『Hong Kong 9 June to 12 Sep 2019』は香港民主化運動の現実をそのまま切り出した響きというよりも、むしろフィールド・レコーディングによって切り出された、抗議運動を考えるための現実との別の接点をもたらしてくれる作品だと言うべきではないだろうか。

 今回の民主化運動では、香港警察が不当な暴力を行使する映像がSNSや動画サイトを介して拡散したことが、警察に対する不信感と反感を加速度的に増幅させていった。そして警察および政府のみならずその背後にある中国本土へと怒りの矛先は向かい、中国企業や親中派の店舗を襲撃するなど一部のデモ隊は過激化の一途を辿っている。だがしかし、そのような暴力を通して周知の事実を強調し続けることだけが取るべき手段なのだろうか。暴力の連鎖はどこかで止めなければならない。むろんいま現在闘争の只中にある香港市民にとっては、こうした問いかけは無意味に映るかもしれない。だが抗議運動における音の力は、抵抗歌を生み出し活動を鼓舞することだけにとどまるわけではない。映像に接して瞬間的に感情を増幅させるのとはまったく反対に、無数の声を一定の距離を確保しながら聴き取ることもまた「音の力」であるはずだ。音を現実から引き剥がし、そのうえであらためて音と現実との接点を探ること。あるいは音と耳の関係性を基盤にしつつ、しかしその相関性の外部にある現実について思考すること。フィールド・レコーディングという徹底的に聴くことを出発点とする表現手法は、こうしたある種の無力さに根差した抵抗としての「音の力」を可能にする。そしてフィオナ自身が本作品に関して「これらの録音が、抗議運動を別の視点から理解したい将来のクリエーターのための参考となることを願っています」(16)と述べているように、残された音の記録はまさに事実性からの距離を見出されることによって、香港民主化運動の響きの政治的かつ美学的な複数の側面を、抵抗手段としての聴取をともないながら明らかにしていくことだろう。

JPEGMAFIA - ele-king

 「お前は俺を知らない(You think you know me)」。プロデューサーというのはタグ好きだ。主役は誰かをリスナーに分からせるための、自らの楽曲群にグラフィティのように走り書きするタグが。WWEレスラー、エッジのテーマ曲をサンプリングしたJPEGMAFIAのプロダクション・タグは、彼のやることの多くと同様にいくつもの意味を兼ねてみせる。音響的な目印であり、ポップ・カルチャーの引用であり、挑発でもある、という具合に。お前は俺を知ってるつもりかい?(You think you know me?)

 バーリントン・デヴォーン・ヘンドリックスには、前作『Veteran』(2018)の思いがけないヒットでその混乱した、自由連想に満ちた音楽がより広い層の聴き手に達する以前に自らを理解する時間がたっぷりあった。その前の段階のとある名義で、彼はミドル・ネームと姓から派生したデヴォン・ヘンドリックス(Devon Hendryx)を名乗っていた。彼がJPEGMAFIAに転生したのは米空軍を名誉除隊した後に日本で生活していた間のことだった。彼はよくペギー(Peggy)の名も使いたがるが、その愛称は彼にどこかのおばあちゃんめいた印象を与える。

 しかしまた、JPEGMAFIAは自らを色んな風に呼ぶのが好きだったりする。『All My Heroes Are Cornballs』(2019)の“BBW”で、彼は「若き、黒人のブライアン・ウィルソン」を自称する──自らのプロダクション・スキルの自慢というわけだが、ウィルソンは録音音楽の歴史上おそらくもっとも白人的なサウンドを出すミュージシャンのひとりであるゆえに余計に笑いを誘う。“Post Verified Lifestyle”での彼は「ビートルズとドゥームを少々に98ディグリーズが混ざった、ビーニー・シーゲル」だ。ひとつのラインの中でジェイ–Zの元子分、王道ロック・バンド、顔を見せないアンダーグラウンドなラッパー、90年代のティーン・ポップ・グループの四つの名が引き合いに出される。この曲の後の方に出て来る「俺は若き、黒いアリG」は、さりげなくも見事なギャグになっていると共に考えれば考えるほどおかしな気分になるフレーズだ(註1)。

 JPEGMAFIAはつかみどころがなく、シュールなユーモアと政治的な罵倒、エモーショナルな弱さとの間を推移していく。『All My Heroes Are Cornballs』のリリース前、彼はアルバムが出るのはいつなのかという質問をはぐらかし続け、きっとがっかりさせられる作品になると言い張るに留まっていた。彼のYouTubeチャンネルにはジェイムズ・ブレイク、ケニー・ビーツをはじめとするセレブな友人たちが登場し、アルバムをヌルく推薦するヴィデオがアップされた。DJ Dahiの1本がそのいい例で、彼は冒頭に「たぶん俺はこのクソを二度と聴かないと思うよ、個人的に」のコメントを寄せている(※JPEGMAFIAがアルバム発表前にYouTubeに公開した、「友人たちに新作のトラックをいくつか試聴してもらい率直な感想を聞く」という主旨のジョーク混じりのヴィデオ・シリーズ「Disappointed」のこと)。

 これらの証言の数々は、ヘンドリックスがソーシャル・メディアのしきたりを享受すると共にバカするやり口の典型例だ。“Jesus Forgive Me, I'm a Thot”に「ニガー、やりたきゃやれよ、俺は認証済みだぜ」の宣戦布告が出て来るが、ここでの彼は自らのツイッター・ステイタスを見せびらかしつつオンライン上のヘイターたちをからかっている。“Beta Male Strategies”で彼はこう預言する──「俺が死んだら、墓碑はツイッター、ツイッター」

 Veteran』が盛り上がり始めた頃、ヘンドリックスは左頬の上に、目にポイントを向けたコンピュータのカーソルのタトゥーを小さく入れた。英音楽誌『CRACK』に対して彼は「何かの形でインターネットにトリビュートを捧げたかったんだ」と語っている。

 多くのラッパーがインターネットからキャリアをスタートさせてきたとはいえ、これほどオンライン文化の産物という感覚を抱かせるラッパーはあまりいない。ツィッター・フィードをスクロールしていくように、JPEGMAFIAの歌詞はおふざけから怒りっぽいもの、真情から軽薄なものまで次々に切り替わる。歌詞にはバスケットボール選手からファストフード・チェーン、ヴィデオ・ゲーム、90年代のテレビ番組、政治コメンテーター、インターネットのミームまで内輪受けのジョークとカルチャーの引用がみっしり詰まっていて、それらをすっかり解読するのには何時間も要する。

 その不条理なユーモアと割れた万華鏡を思わせるプロダクションに対し、手加減なしのずけずけとした政治的な毒舌がバランスを取っている。「政治的なネタ」についてラップしてもいいんだとアイス–Tから教わったとする彼は、人々の神経を逆撫でする機会を避けることはまずない。“All My Heroes Are Cornballs”で彼は「インセルどもは俺がクロスオーヴァーしたんで怒ってやがる」とラップする──「じゃあ連中はどうやってアン・ハザウェイからアン・クルターに鞍替えしたんだ?」(註2)。“PRONE!”は「一発でスティーヴ・バノンはスティーヴ(ン)・ホーキンスに早変わり」とオルタナ右翼勢にとことん悪趣味な嫌がらせを仕掛ける。(註3)。こうしたすべてを彼がどれだけ楽しんでいるかが万一伝わらなかった場合のために、“Papi I Missed U”で彼は「レッドネックどもの涙、ワヘーイ、なんて美味いドリンクだ」とほくそえむ。

 その挑発には、敵対する側からさんざん人種差別の虐待を浴びせられてもレヴェルを高く維持しようというオバマ時代の考え方あれこれに対する反動、というロジックが備わっている。ヘンドリックスは2018年に『The Wire』誌との取材で「一体全体どうして俺たちは、俺たちを蔑む連中にこれだけおとなしく丁寧に接してるんだ?」と疑問を発した。「『向こうが下劣になろうとするのなら、我々は高潔になろう』。むしろ俺は右派に対し、奴らが出しているのと同じ攻撃性をお返ししてやりたいね。効果てきめんだよ!」

 彼はまた従軍時代に体験したマッチョなカルチャーを引っくり返すのを大いに楽しんでもいて、タフ・ガイ的な記号の数々と典型的にフェミニンなお約束とを混ぜ合わせる。かつてのプリンスがそうだったようにJPEGMAFIAもジェンダーが流動的で、曲の中で女性の声にすんなりスウィッチするのだ。“Jesus Forgive Me, I'm a Thot”のコーラスで彼は「どうやったらあたしの股を閉じたままにしておけるか教えて」と歌うが、この曲のタイトルは性的に放縦な女性に対するヒップホップの中傷語(Thot)を女性の側に奪還している。彼は“BasicBitchTearGas”で再び女性の視点を取り入れるが、この曲は予定調和な筋書きを反転させた女性のためのアンセム=TLCの“No Scrubs”の、意外ではあるものの皮肉は一切なしのカヴァーだ。

 ペギーは「お前のおばあちゃんにもらったお下がりに身を包んで」(“Jesus Forgive Me, I'm a Thot”)けばけばしいファッションでキメることもあるが、それでも激しく噛み付いてくる。オンラインの他愛ない舌戦とリアルな暴力の威嚇との間にはピンと張り詰めた対比が存在する。“Beta Male Strategies”で彼はツィッター上で彼を批判する面々に「くそったれなドレス姿のニガーに撃たれるんじゃないぜ」と警告する。“Thot Tactics”では「ブラザー、キーボードから離れろ、MACを引っ張り出せよ」とあざける。アップル製コンピュータのことかもしれないが、おそらくここで言っているのはMACサブマシンガンのことだろう。

 ギャングスタ・ラップの原型からはほど遠いラッパーとはいえ、JPEGMAFIAは小火器に目がない。“DOTS FREESTYLE REMIX”の「お前が『Toonami』を観てた頃から俺は銃をおもちゃに遊んでたぜ」のラップは、昔ながらの「お前が洟垂らしだった頃から俺はこれをやってきた」に匹敵する愚弄だ(註4)。西側の白人オタクたちは自分のお気に入りのアニメ界のフェティッシュの対象を「ワイフ(wiafu)」と呼ぶが、“Grimy Waifu”でペギーが官能的なR&Bヴォーカルを向ける相手は実は彼の銃だったりする。

 突然注目を浴びたラッパーの多くがそうであるのと同じように、『All My Heroes Are Cornballs』も音楽業界およびその中における自身の急上昇ぶりに対する辛辣な観察ぶりを示してみせる。“Rap Grow Old & Die x No Child Left Behind”で彼は「俺はコーチェラから出演依頼を受けたけど、敵さんたちはそうはいかないよな」と自慢する。このトラックの他の箇所では、彼に取り入り利用しようとするレコード業界の重役たちにゲンナリしている様が聞こえる──「この白いA&Rの連中、俺を気軽に注文できる単品料理だと思ってるらしい/俺をお前らのケヴィン・ジェイムズにしたいのかよ、ビッチ、だったら俺にケヴィン・ハート並みに金を払うこった」(註5)。自分のショウを観に来る怒れる白人男連中は彼のお気に召さないのかもしれないが(「ニガーに人気が出ると、黒人ぶるのが好きな白人どもが毎回顔を出すのはどうしてなんだ?」──“All My Heroes Are Cornballs”)、その見返りを彼は喜んで受け取る。「年寄りのホワイト・ニガーは大嫌いだ、俺には偏見があるからな/ただしお前らニガーの金を教会の牧師が寄付金を集めるように俺の懐に入れてやるよ」(“Papi I Missed U”)

 と同時にペギーは彼自身、あるいは他の誰かを台座に就かせようという試みに抵抗してもいる。アルバム・タイトルがいみじくも表している──「俺のヒーローはダサい変人ばかり」と。アルバムの中でもっともエモーション面でガードを下ろした“Free the Frail”で、彼は「俺のイメージの力強さに頼っちゃだめだ」と忠告する。「良い作品なら、めでたいこった/細かく分析すればいいさ、もう俺の手を離れちまったんだし」。それは受け入れられたいとの訴えであり、完璧な人間などいないという事実の容認だ。あなたは彼を知っているつもりかもしれない。彼はそんなあなたを失望させるだけだ。

〈筆者註〉
註1:「アリG」は、ケンブリッジ大卒のユダヤ系イギリス人であるサシャ・バロン・コーエンの演じた「自分は黒人ギャングスタだ」と思い込んでいる白人キャラクター。コーエンはこのキャラを通じて「恵まれた若い白人層が彼らの思うところの『黒人の振る舞い』を猿真似する姿」を風刺しようとしたのだ、と主調している。しかし一部には、そのユーモアそのものが実はステレオタイプな黒人像を元にしたものだとしてアリGキャラを批判する声も上がっている。
(※アリGはマドンナの“Music”のPVでリムジン運転手役としても登場)

註2:インセルども=女嫌いのオンライン・コミュニティ「involuntary celibate(不本意ながらヤれずにいる禁欲者)」の面々は、JPEGMAFIAが少し前に成功しアンダーグラウンドからメインストリームに越境したことに怒りを発した。アン・クルターはヘイトをまき散らすアメリカ右派コメンテーターで、『プラダを着た悪魔』他で知られるお嬢さん系女優アン・ハザウェイ好きから、インセルたちはどうやってアン・クルターのファンに転じたのか? の意。

註3:ドナルド・トランプの元チーフ戦略家スティーヴ・バノンを車椅子生活に送り込むには一発の銃弾さえあれば足りる、の意。

註4:『Toonami』は1997年から2008年までカートゥーン・ネットワークで放映されたアクション/アニメ番組専門のテレビ枠。

註5:レーベル側のA&R担当者たちは彼らの求めた通りの何かを自分からいただけると思っているが、だったらもっと金を払ってくれないと、の意。ケヴィン・ジェイムズもケヴィン・ハートも俳優だが、人気黒人コメディアンであるハートはジェイムズよりもはるかに多額のギャラを要求できる立場にいる。


“You think you know me.” Producers love a tag: a graffiti-like signature to scrawl across their tracks, letting listeners know who’s in control. Sampled from the theme song for WWE wrestler Edge, JPEGMAFIA’s production tag—like a lot of what he does—manages to be many things at once: a sonic marker, a pop culture reference, a provocation. You think you know me?
Barrington DeVaughn Hendricks had plenty of time to get to know himself before the unexpected success of 2018’s Veteran brought his messy, free-associating music to a wider audience. In a previous incarnation, he was Devon Hendryx, a moniker derived from his middle and last names. It was while living in Japan, after an honourable discharge from the US Air Force, that he became JPEGMAFIA. He often prefers to use the diminutive Peggy, which makes him sound more like someone's grandmother.
Then again, JPEGMAFIA likes to call himself a lot of things. On “BBW,” from 2019’s All My Heroes Are Cornballs, he’s “the young, black Brian Wilson”—a boast about his production skills, made all the funnier by the fact Wilson must be one of the whitest-sounding musicians in the history of recorded music. On “Post Verified Lifestyle,” he’s “Beanie Sigel, mixed with Beatles with a dash of DOOM at 98 degrees”—in the space of a single line, name-checking a former Jay-Z protégé, a canonical rock band, a reclusive underground rapper and a 1990s teen-pop group. Later in the same track, he’s “the young, black Ali G,” which is a great throwaway gag that gets stranger the more you think about it.
JPEGMAFIA is elusive, shifting between surreal humour, political invective and moments of emotional vulnerability. In the run-up to the release of All My Heroes Are Cornballs, he constantly dodged questions about when the album was due, merely insisting that it would be a disappointment. His YouTube channel released videos of celebrity pals, including James Blake and Kenny Beats, offering lukewarm endorsements. DJ Dahi’s was characteristic: “I'll probably never listen to this shit again, personally.”
These testimonials are typical of the way Hendricks both embraces and mocks the conventions of social media. “Nigga, come kill me, I’m verified,” he declares on “Jesus Forgive Me, I’m a Thot,” taunting the online haters while flaunting his Twitter status. On “Beta Male Strategies,” he prophesies: “When I die, my tombstone’s Twitter, Twitter.”
When Veteran started blowing up, Hendricks got a small image of a computer cursor tattooed on his left cheekbone, pointing towards his eye. As he told Crack Magazine: “I wanted to pay tribute to the internet in some way.”
Many rappers have launched their careers on the internet, but few feel quite so much like a product of online culture. Like scrolling through a Twitter feed, JPEGMAFIA’s lyrics whiplash constantly between playful and bilious, heartfelt and irreverent. They’re dense with in-jokes and cultural references—to basketball players, fast-food chains, video games, ’90s TV shows, political pundits, internet memes—that would take hours to fully decode.
The absurdist humour and fractured-kaleidoscope production is counterbalanced by some unapologetically direct political invective. He credits Ice Cube with teaching him it was OK to rap “about political shit,” and seldom shies away from an opportunity to rile people. “Incels gettin’ crossed ’cause I crossed over,” he raps on “All My Heroes Are Cornballs.” “How they go from Anne Hathaway to Ann Coulter?” On "PRONE!," he trolls the alt-right as tastelessly as possible: “One shot turn Steve Bannon into Steve Hawking.” And just in case it wasn’t clear how much he’s enjoying all of this, “Papi I Missed U” gloats: “Redneck tears, woo, what a beverage.”
There’s logic to the provocation, a reaction to all that Obama-era stuff about taking the high ground while your opponents douse you in racist abuse. “Why the fuck are we so civil with people who despise us?" Hendricks asked The Wire in 2018. “‘They go low, we go high.’ I’d rather give the right the same aggression back. It works!”
He also delights in subverting the macho culture he experienced serving in the military, mixing tough-guy signifiers with stereotypically feminine tropes. JPEGMAFIA is gender-fluid in the way that Prince was, slipping naturally into a female voice during songs. “Show me how to keep my pussy closed,” he sings in the chorus of of “Jesus Forgive Me, I’m a Thot,” the title of which reclaims a hip-hop slur (“thot”) used against slutty women. He adopts a female perspective again on “BasicBitchTearGas,” an unexpected—and wholly unironic—cover of TLC’s script-flipping anthem, “No Scrubs.”
Peggy may sport flamboyant fashions—he’s “Dressed in your grandmama’s hand-me-downs” (“Jesus Forgive Me, I’m a Thot”)—but he still bites. There’s a bracing contrast between the online shit-talking and the threat of real violence. On “Beta Male Strategies,” he cautions his critics on Twitter: “Don't get capped by a nigga in a muhfuckin’ gown”. On “Thot Tactics,” he taunts: “Bruh, put the keyboard down, get the MAC out”—which could be talking about Apple computers, but is probably referring to the MAC submachine gun.
He’s a far cry from the gangsta-rap archetype, but JPEGMAFIA can’t get enough of his firearms. “I’ve been playing with pistols since you watching Toonami,” he raps on “DOTS FREESTYLE REMIX,” the equivalent of the old “I’ve been doing this since you were in diapers” jibe. While Western otaku use “waifu” to refer to their favourite anime fetish object, on “Grimy Waifu,” Peggy’s seductive R&B vocal is actually addressed to his gun.
Like many rappers who’ve been thrust suddenly into the spotlight, All My Heroes Are Cornballs offers caustic observations on the music industry and his rapid ascent within it. “I got booked for Coachella, enemies can’t say the same,” he brags on “Rap Grow Old & Die x No Child Left Behind.” Elsewhere on the same track, he’s unimpressed by record industry execs hoping to take advantage of him: “I feel these cracker A&Rs think I’m al a carte / They want me Kevin James, bitch, pay me like Kevin Hart.” He may not like the angry white dudes in the audience at his shows (“Why these wiggas always showin’ up when niggas be poppin’?” on “All My Heroes Are Cornballs”), but he’s happy to reap the rewards: “I hate old white niggas, I’m prejudiced / But I’ma take you niggas money like a reverend” (“Papi I Missed U”).
At the same time, Peggy resists attempts to put him, or anyone else, on a pedestal. It’s right there in the title: all my heroes are cornballs. “Don't rely on the strength of my image,” he cautions on “Free the Frail,” the album’s most emotionally unguarded track. “If it’s good, then it’s good / Break it down, this shit is outta my hands.” It’s a plea for acceptance, an acknowledgment that nobody’s perfect. You think you know him. He can only disappoint you.

Courtney Barnett - ele-king

 これは嬉しいお知らせだー。春の来日公演やフジでのパフォーマンスも話題を呼んだオーストラリアの宝、コートニー・バーネットが初めてのライヴ盤をリリースする。しかも、『MTV アンプラグド』である。本人コメントも到着しているが、どうやら「アンプラグド」には深い思い入れがあるようで……彼女の珠玉の楽曲たちがアコースティックではどのような表情を見せるのか。レナード・コーエンのカヴァー曲や新曲もあります。これは楽しみだー。

WaqWaq Kingdom - ele-king

 先日、新たに強力な12インチがリリースされたばかりの Mars89 だけれど(紙エレ年末号にインタヴュー掲載)、彼が suimin とともに主催する《南蛮渡来》(名前の由来はじゃがたら!)が5周年を迎える。というわけで、年明け1月18日にアニヴァーサリー・パーティが開催されることとなった(WWW / WWWβ)。目玉は、キング・ミダス・サウンドへの参加でも知られるキキ・ヒトミと、新生シーフィールのメンバーでありDJスコッチ・エッグ名義でも活躍しているシゲル・イシハラからなるユニット、ワクワク・キングダムの出演だろう。2017年のファースト『Shinsekai』も良かったし、最近セカンド『Essaka Hoisa』も出たばかりということで、すばらしいパフォーマンスを披露してくれることだろう。詳しくは下記をば。

[2020年1月9日追記]
 昨日、フルラインナップが発表されました。新たにローカルから欧州帰りの MEW、「ストレンジ・ダブ・セット」を披露する TOREI、そして Double Clapperz から UKD の計3組の出演が決定。楽しみです。

南蛮渡来 5th Anniversary

Mars89 と suimin 主宰のミューテーション・パーティ《南蛮渡来》5周年記念! “演歌ダブ”でも話題となった Kiki Hitomi とブレイクコアのレジェンド DJ Scotch Egg によるヘビー・バイブスな重低音デュオ WaqWaq Kingdom を初来日で迎えた、ベース&トライバルな阿弗利加、亜細亜、神、祭、未来、タイムワープな新世界へ。ワクワクなフルラインナップは後日発表!

南蛮渡来 5th Anniversary
2020/01/18 sat at WWW / WWWβ
OPEN / START 23:30
ADV ¥1,800@RA | DOOR ¥2,500 | U23 ¥1,500

WaqWaq Kingdom (Kiki Hitomi & Shigeru Ishihara) [Phantom Limb / Jahtari / JP/DE]
MEW [*1/9追記]
TOREI - Strange Dub set - [*1/9追記]
UKD (Double Clapperz) [*1/9追記]
Mars89 [南蛮渡来]
suimin [南蛮渡来]

Tarot: AWAI [*1/9追記]

※ You must be 20 or over with Photo ID to enter.

詳細:https://www-shibuya.jp/schedule/012125.php
前売:https://www.residentadvisor.net/events/1363782

■WaqWaq Kingdom (Kiki Hitomi & Shigeru Ishihara) [Phantom Limb / Jahtari / JP/DE]

Seefeel のメンバーでもある Shigeru Ishihara (別名 DJ Scotch Egg) と、The Bug との King Midas Sound でも活動するシンガー/プロデューサー Kiki Hitomi による“トライバル”にインスパイアされたキラーな重低音デュオ WaqWaq Kingdom。“ヘビー・バイブス”なデュオとして知られ、ヨーロッパ、中国での評判を皮切りに、〈Phantom Limb Records〉からのセカンド・アルバム『Essaka Hoisa』のリリース以来、USからの関心も高めている。

WaqWaq Kingdom は古代神道の神話や、地元の神々を称える日本の“祭り”をテーマとし、催眠的でシャーマニックなライブ・パフォーマンスは、「アニミスティックなルーツとフーチャリスティックな都市のネオン・カラーを再接続する強烈なタイムワープの体験」と言われている。

デュオの最初の2枚のレコード、および〈Jahtari〉からのEPとLPで着実な評価を得ながらワールドワイドへ進出。Quietus や Resident Advisor からの熱烈な記事や、The Wire でもフィーチャーされる。また Shigeru Ishihara はウガンダの新興フェスティバル〈Nyege Nyege〉に出演し、ナントとロッテルダムでもギグを行っている。

https://open.spotify.com/album/4HbqiCPMjB8WP1vIegQ6Br


■Mars89 [南蛮渡来]

Mars89 は現在東京を拠点に活動している DJ / Composer である。 2016年にEP「East End Chaos」をリリース。 そして、それを足がかりに2017年に「Lucid Dream EP」を Bristol を拠点とするレーベル〈Bokeh Versions〉からダブプレートとカセットテープというフォーマットでリリース。2018年にはアジアツアーや大型フェスへの出演を経て、〈Bokeh Versions〉から12インチ「End Of The Death」をリリース。主要メディアで高く評価され、あらゆるラジオで繰り返しプレイされた。UNDERCOVER 2019A/W の Show や田名網敬一のドキュメンタリーフィルム、Louis Vuitton 2019A/W Mens の広告映像の楽曲などを担当。Bristol の Noods Radio ではレジデントをつとめている。

https://www.mars89.com/
https://www.youtube.com/watch?v=gjw1UGL14yE


■suimin [南蛮渡来]

『覚醒、瞑想、殺人。』

https://soundcloud.com/min-ing

MOODYMANN JAPAN TOUR 2020 - ele-king

 正月明け早々にムーディーマンが来日する。最高のデトロイト・ハウス、ソウル・ミュージックおよびファンクの魔術師。ちなみに、1ヶ月前にアップされたばかりの、モータウン60周年を祝した最新のミックス音源はこちらです。https://m.soundcloud.com/carharttwip/carhartt-wip-radio-november-2019

MOODYMANN JAPAN TOUR 2020

2020.1.11(土) 東京 @Contact

Studio:
Moodymann
DJ KOCO a.k.a. SHIMOKITA
YOSA
U-T

Contact:
sauce81 - Live
Kaji (WITT | xXx) - Prince set
Pocho in the house
and more

Open: 22:00

Under 23 1000yen | Before 23:00 2500yen | Early Bird 2500yen | Advance 3000yen
With Flyer 3300yen | Door 3800yen

Info: Contact https://www.contacttokyo.com
東京都渋谷区道玄坂2-10-12 新大宗ビル4号館B2F TEL 03-6427-8107
You must be 20 and over with ID.


2020.1.12(日) 大阪 @Club Joule

2F:
Moodymann
DJ Fulltono (EXIT Records / Tekk DJz)
AKIHIRO (NIAGARA)
QUESTA (HOOFIT / BMS)

4F:
DJ AGEISHI (AHB Pro.)
SHINDO (hypnotic inc.)
Akemi Hino
Izumi Kimura (FLOW)
TeLL (C£apHaиds)

Open 22:00

Advance 3000yen + 1Drink fee (700yen)
RA, e+, iFLYER, Newtone, Root Down, Disk Union Osaka

Door 3500yen + 1Drink fee (700yen)

Info: Club Joule www.club-joule.com
大阪市中央区西心斎橋2-11-7 南炭屋町ビル2F TEL 06-6214-1223
AHB Production www.ahbproduction.com


Moodymann (KDJ, Mahogani Music / From Detroit)

ミシガン州デトロイトを拠点に活動するアーティスト、MoodymannことKenny Dixon Jrは、レーベル〈KDJ〉と〈Mahogani Music〉を主宰し、現代そして今後のインディペンデント・シーンやブラック・ミュージックを語る上で決して無視出来ない存在である。デトロイト・テクノ名門、Planet Eよりファースト・アルバム『Silent Introduction』をリリースし、その後〈Peace Frog〉よりアルバム『Mahogany Brown』、『Forevernevermore』、『Silence In The Secret Garden』、『Black Mahogani』をリリース。
『Black Mahogani』の続編『Black Mahogani Ⅱ ~ the Pitch Black City Collection ~』では、もはや〈Strata〉や〈Tribe〉、〈Strata East〉といったブラック・ジャズ~スピリチュアル・ジャズをも想わす作品を発表し、その限りない才能を発揮している。2014年、アルバム『MOODYMANN』をリリース。2015年、DJミックスシリーズ 『DJ Kicks』よりオフィシャルMIXをリリース。2019年には最新アルバム『Sinner』をリリース、New Eraとのコラボレーションなど常に話題が尽きない。2020年5月21〜25日デトロイトにてSoul Skate Detroitを開催する。

www.mahoganimusic.com
www.facebook.com/moodymann313
www.facebook.com/blackmahogani313

 すでにご存じの方も多いだろう。石原洋のソロ・アルバムが来年の2月12日に坂本慎太郎の〈zelone〉レーベルからリリースされる。タイトルは『formula』、アナログ盤ではA面1曲/B面1曲という構成だ。(CDでは普通に全2曲)
 石原洋といえばゆらゆら帝国のプロデューサーであり、一時期はOgre You Assholeのプロデュースも手掛けていたことで広く知られるが、元々はWhite Heavenという東京のアンダーグラウンドにおいて玄人受けしていたサイケデリック・ロック・バンドで活動していた前歴を持つ。バンド解散後もソロないしはThe Starsとしての活動をしていた石原だが、作品を発表するのはじつに23年ぶり。
 その新作には、予想だにしなかった音響が展開されているに違いない。ジョン・ケージ的なメタ・ミュージックであり、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド的なロックの解体かもしれない、おそらくは。アートワークも凝っている。まだ2ヶ月も先の話だが楽しみでならない。

formula / you ishihara

M-1 / Side A: formula
M-2 / Side B: formula reverse

All songs written, concrete conducted and produced by You Ishihara
Recorded, mixed & mastered by Soichiro Nakamura at Peace Music, Tokyo 2019

石原洋 / you ishihara: vocal, guitar, synthesizer, keyboard, effects

栗原ミチオ / michio kurihara: guitar
北田智裕 / tomohiro kitada: bass
山本達久 / tatsuhisa yamamoto: drums
中村宗一郎 / soichiro nakamura: keyborad


https://reststayrelationship.com

Kano - ele-king

 UKのラッパー、ケイノ(Kano)のキャリア6枚目となるアルバム『Hoodies All Summer』がリリースされた。ケイノは2000年代のグライム・シーンの立役者のひとりとして知られるラッパーだ。海賊ラジオ「Deja Vu FM」でワイリースケプタとともに評判をあげ、“Ps & Qs”で大ヒットを飛ばした。また、前作『Made In the Monor』(2014)はUKの批評家賞にあたるマーキュリー賞にノミネートされるなど、時代の声となる作品をリリースしてきた。Netflix で公開中の大人気ドラマ・シリーズ『Top Boy』でのめざましい演技に常に注目が集まってる。そんな幅広い活動の中でリリースされた本作は、コミュニティの宣教師かのように、若者の言葉を用いて彼らを導く。そんな彼が背負っている責任を感じさせるアルバムとなった。

 前半はいまのロンドンの厳しいストリートで稼ぐキッズの現実に寄り添う意識が背景となっているように感じられ、曲調も厳かだ。ヴァイオリンで幕を開ける 1. “Free Years Later”で時折自身の過去のいざこざに言及しつつ、いまの不良を諫める言葉を紡ぎながら「D・ダブル・Eがしてきたことをいま俺が若者にやるんだ」という最後のラインには多くのラッパーの見本となってきたD・ダブル・E(D Double E)の功績を称えながら、ケイノも別の「ストリートの理想像」を体現するという決意が聞こえる。2. “Good Youtes Walk Around Evils”ではタイトなグライム・トラックに、ラフなストリートでラッパーとして「まっとうにやること」、つまりラッパー・リリシストとして「稼ぐ」という姿勢を誇っている。つづく 3. “Trouble”はブラックパンサーの活動家であり、70年代〜80年代にノッティングヒルのデモを率いたことで知られるダーカス・ハウ(Darcus Howe)のインタヴューのサンプリングで始まる。現在の警察の黒人に対する暴力を歴史と結びつけながら、ストリートにい続けることの難しさをストリートにいる若者にも届くような言葉で語っている。例えば、UKのラッパー、アブラ・カダブラ(Abra Cadabra)の大ヒット曲“Dun Talkin'”のラインを引用するところにはウィットを感じさせる。

 中盤はレゲエのエッセンスをミックスした曲が並ぶ。ジャマイカのアクセントを感じさせるシンガーのコージョ・ファンズを客演に迎えた 4. “Pan-Fried”はこれまで彼自身が成し遂げてきたことを祝うような1曲で、東ロンドンのローカルな仲間の話や、ジャマイカ由来のファッション文化が散りばめられていて興味深い。続く 5. “Can't Hold We Down”でもジャマイカの人気ラッパー、ポップカーン(Popcaan)を迎え、ケイノのラップにイギリスとジャマイカの距離が生み出す憧れと、それに対する「俺たちのやり方」への誇りが入り混じったアンビヴァレントな感覚が聴こえて面白い。

 6. “Teardrops”では一転して、栄光の裏側に依然としてあるハードな現実に引き戻される。イギリスにおける黒人の置かれた立ち位置についてハードなビートに乗せて糾弾するようにラップするヴァースと弱気に呟くようなサビは、鮮やかなコントラストを引き出す。また 8. “Got My Brandy, Got My Beats”はある女性との別れの辛さを乗り越えようとする彼自身が描かれ、ガラージのビートとリル・シルヴァ(Lil Silva)のコーラスはその哀しさに寄り添う。

「愛と戦争は、すべて公正か」それが俺の生まれたところ
弱きは続かない、俺らみたいなシューズを履いて1週間
降ればいつも土砂降り、フードでひと夏を過ごす
君と僕にだけに、空から涙がこぼれる

In love and war All is fair where I'm from
The weak won't last a week in shoes like our ones
When it rains it pours Hoodies all summer
'Cause teardrops from the sky only seem to fall on you and I

“Teardrops”

 “Class of Deja”では、Deja Vu FM で凌ぎを削った盟友のD・ダブル・Eとジェッツ(Ghetts)を迎えた正統グライム・チューンで、ケイノとジェッツが交互にヴァースを蹴るスタイルで彼らの絆の強さも感じられる1曲だ。ラストの10. “SYM”では「Suck Your Mum」(意訳:くそくらえ)をコーラスするファニーなイントロが耳を引く。しかし、第二次世界大戦後にイギリスに移り住んだカリブ海移民の「ウィンドラッシュ世代」に触れるなど歴史を振り返りながら、現在のイギリスの黒人が置かれた状況までを見渡すように展開していく。そこから2000年代のダンスや海賊ラジオの存在にもスポットライトを当てるというドラマチックな展開には、イギリスの若者に歴史を伝えようとするケイノの姿が浮かんだ。

 ケイノが現実につながる歴史をラップするのは、それがストリートを生き抜くキッズに必要であると感じたからに違いない。それはマイノリティである「イギリスの黒人」というアイデンティティにとって、事実に基づいたストーリーを伝え、彼らを勇気づけ、良い方向に導きたいからであろう。ドリル・ミュージックがいまのストリート・キッズの現実を象徴しているならば、ケイノはこのアルバムを通して彼らの未来を描き出そうとしているのだ。

TOKYO DUB ATTACK 2019 - ele-king

 紙エレキング最新号、DUB特集やってます。特集のなかでfeatureした1人、1TA(Bim One Production)がシーンの重鎮たちと開催する〈TOKYO DUB ATTACK 2019〉を紹介します。サウンドシステム──という言葉をご存じかと思いますが、これほど「音楽ってカラダで聴くもんだよな~」と思わせる“場”もありません。サウンドシステムとは、元々はジャマイカの移動式ディスコのことですが、いまではその低音を最高に鳴らすための“場”であり、レゲエ/dubに酔いしれる贅沢な“場”として認知されています。音好きにはたまらない“場”です。気さくな連中による最高のサウンドシステムです。大推薦します!! ぜひ震えて下さい。

 2019年を締めくくる、国内サウンドシステム・ダンス大一番! 同じフロアのなかに3つのサウンドシステムを入れて交互に鳴らしあう、ゴマカシ効かないガチンコ・セッションが今年も開催!

 レゲエ(Reggae)において、もっともタフでハードコアな要素にサウンドシステムがある。DIYに設計された独自のスピーカーの山、規格外の低音、1ターンテーブルに置かれる破壊力抜群のダブプレート、シャワーのように降り注ぐダブワイズ……あくまでもオリジナルな音を追求し、その場でしか生まれ得ない究極のサウンド体験。それがサウンドシステムにおける“Dub”である。

 今回は、サウンドシステムダンスSteppars' delightでおなじみScorcher Hi Fi (STICKO & COJIE of Mighty Crown)と同じく東京ダブアタック・レジデントであるBim One Production + eastaudio Soundsystemに加え、日本ダブ、サウンドシステムカルチャーのパイオニアの1人、MIGHTY MASSAと東京が誇るリアル・ルーツ・サウンドのJah Light Soundsystemが一堂に会する。
 ピュアでタフ、そしてハートフルなスピーカーの鳴らし合い、日本におけるサウンドシステム・カルチャーのひとつの頂ここにあり!

2019年12月30日(月)

TOKYO DUB ATTACK 2019

3 Soundsystem Sessions by :
Mighty Massa meets Jah Light Soundsystem
SCORCHER Hi Fi with Sound System
Bim One Production feat. MC JA-GE, HAYAMI (ORESKABAND / Trombone) & ADD (ORESKABAND / T.Sax) with eastaudio Soundsystem

Vinyl Shops by
Disc Shop Zero

Food by
新宿ドゥースラー
Yaad Food

Coffee Stand by
KAWANO COFFEE STAND


OPEN : 16:00
START : 16:00
CHARGE :
Adv 2,900yen / Door 3,400yen
(共にドリンク代別)
※再入場不可
※小学生以上有料/未就学児童無料(保護者同伴の場合に限る)

前売りチケット>>一般販売 : 10/19 (SAT) on sale
ぴあ : 0570-02-9999 / P : 166-781
ローソン : 0570-084-003 / L : 72089
e+ : https://eplus.jp
Unit Web Ticket : https://unit-tokyo.zaiko.io
clubberia : https://clubberia.com/ja
Resident Advisor : https://jp.residentadvisor.net/

>>STORE
代官山UNIT 03-5459-8630
RAGGA CHINA 045-651-9018
diskunion 渋谷クラブミュージックショップ 03-3476-2627
diskunion 新宿クラブミュージックショップ 03-5919-2422
diskunion 下北沢クラブミュージックショップ 03-5738-2971
diskunion 吉祥寺 0422-20-8062
DISC SHOP ZERO 090-7412-5357 
Dub Store Record Mart 03-3364-5251
新宿ドゥースラー 03-3356-5674
OZAWA 03-3356-5674

*東京ダブアタックYoutubeチャンネルにて、インタビュー・シリーズ「TDA TALKS」公開中!
https://www.youtube.com/channel/UCgrS2GgP_lzdBFdk3wDJb1w/videos?view_as=subscriber


主催: Tokyo Dub Attack 協力: Bim One Production / Mighty Crown Entertainment / 代官山 UNIT

アイリッシュマン - ele-king

 CGIで若返ったロバート・デニーロがジョン・ウェインに見えて仕方なかった。ジョン・ウェインはジョン・フォードの『静かなる男』でアイルランド系アメリカ人を演じたが、『アイリッシュマン』も静かな映画だ。
 ニューヨーク生まれのイタリア移民らしいせっかちなトークで知られるマーティン・スコセッシの、しかもギャング映画を「静かな」と形容するのは妙かもしれない。セットから衣装までディテールは相変わらず饒舌ながら、『グッドフェローズ』で用いたヌーヴェル・ヴァーグの劇的な静止画像といった派手なけれんは影を潜め、画面を活気づけるポップ・ソングの使用も少なく得意な長回しのトラッキング撮影もさりげない。技巧は無駄のないカメラや構図の美しさ、ミディアム〜ロング・ショット群に自然に編み込まれている。その落ち着いたテンポはたぶん、デニーロの演じる老いたる主人公フランク・シーランによる回想という大枠設定ゆえだ。作品前半は1975年7月に彼が体験した、とある車旅を主軸に据えた一種のロード・ムーヴィー仕立て。高速道路を人生の川に見立て、おっとりしたナレーションが綴る旅路の中で過去のフラッシュバックとリアル・タイムが交錯する。

 第二次大戦復員兵シーランは、1950年代にトラック運転手として働いていたところを大物マフィア(ジョー・ペシ)に気に入られ雇われヒットマンになる。本作の真のタイトル「I Heard You Paint Houses(お前さんは家の塗装をやるそうだな)」なるフレーズは「家を(血で)塗装する業者」という、殺し屋を意味するギャングの符丁らしい。彼が汚れ仕事を続けるのに並行して、マフィアと全米労働組合と政界との癒着も描かれる。シーランは労組のカリスマティックなリーダー:ジミー・ホッファ(アル・パチーノ)――1975年に行方不明になった――の側近に推薦され、マフィアとホッファのパイプ役になっていく。エルロイの『アンダーグラウンドUSA』三部作ともやや被る世界だし、キューバ危機、ケネディ暗殺等の史実も部分的に関与するとはいえ基本的にシーランの人生談だ(ちなみに原作本はその内容の真偽を疑われており、この映画に「実話に基づいた作品」のテロップは流れない)。これら様々に枝分かれした回想と複雑な人間関係が1975年の運命的なロード・トリップに合流する様は、スコセッシの熟練した手腕の見せどころ。だがその旅路の最後に待っていた悲劇が起きた後で、『アイリッシュマン』はエモーショナルなギアをぐいっと上げる。3時間半の大作だが、このラスト約1時間のためにその前の2時間半が存在したと言っても過言ではない。
 シーランは決して仲間を密告しない、命令に従い何でもやる行動力ある「兵士」だ。忠実で寡黙な、犬のような男である彼が重ねる犯罪の描写もストイックかつロジカル、「仕事」に徹している。彼はふたつの組織のトップに全幅の信頼を置かれ一種の父子/師弟関係を結ぶのだが、騎士はふたりの王に仕えることはできない。ゆえにある大きな決断を迫られることになるのだが、その果てに彼が得たものは何だったのか? 
 最後の1時間はいわば後日談に当たり、作品冒頭に登場した老人ホーム暮らしのシーランに焦点が絞られる。刑務所服役、ギャング仲間の末路や妻の死……といった事実を淡々と積み重ねていく、ドラマも少なくもっとも地味なパートだ。しかしFBIにも無言を通し続ける彼の孤独な姿は、取り返しのつかない決断の末に多くを失った後悔と恥を自覚しつつ、それを自らの選んだ道として受け入れる悲しさに満ちている。『グッドフェローズ』の主人公ヘンリー・ヒルは、ギャングなライフスタイルを満喫したもののその稼業と常に背中合わせの死に怯え、司法側に仲間を売り飛ばして我が身を救う。忠犬シーランとは対照的な「生き残り術」だが、映画のフィナーレにはシド・ヴィシャス版“マイ・ウェイ”の「でも、俺は俺のやり方で生きた」が爆音で響く。その若さゆえのブラフに対し、『アイリッシュマン』はドゥーワップ・ソングの黄昏れた哀感で締めくくられる。

 『ミーン・ストリート』、『グッドフェローズ』、『カジノ』の三部作に『ギャング・オブ・ニューヨーク』、リメイクではあるものの組織犯罪と警察の抗争が軸である『ディパーテッド』まで含めれば、本作は実にスコセッシ6作目のギャング映画。つい「またか」と思ったし、観る前に「You can’t teach old dogs new tricks(老犬に新しい技は仕込めない)」の文句が頭を過りもした――加齢で肉体が衰えるように老いると頭も硬化し凝り固まるという言い回しだが、スコセッシはさすがに柔軟だ。作品世界は彼のホーム・グラウンドだし、キャストもデニーロ、引退生活から引っ張り出したジョー・ペシ、カメオ的にハーヴェイ・カイテルと定番がずらり。パチーノのスコセッシ作品初出演は話題だが、コッポラ経由で『ミーン・ストリート』出演を打診したものの断られて以来、スコセッシはずっと彼と仕事しようとしてきた。脇を固めるのは製作アーウィン・ウィンクラー、編集テルマ・スクーンメイカーの『レイジング・ブル』以来のゴールデン・スタッフ、音楽もロビー・ロバートソンだ。さながら「ベスト・オブ・スコセッシ」の趣きだが、背景では新たな試みがおこなわれている。
 スパンの長い物語だけに現在70代後半の主役3名が若き日を演じる――デニーロに至っては20代の場面もある――のは難しいと思われていた。しかしCGI若返りテクの大々的な導入で、同じ役者がどの年齢も演じるのが可能になった。『アイリッシュマン』の構想が始まった15年前、これは技術的に難しかったはずだ。またボブ・ディランのモッキュメンタリーに続き、スコセッシは再びネットフリックスと組んでいる。その代わり劇場公開から3週間後にストリーミング開始という条件を飲まざるを得ず、アメリカの一部映画館チェーンに上映拒否されたのは生粋のシネアストである彼にはつらかったと思う。だが、スーパーヒーロー映画や人気フランチャイズで混み合う劇場スケジュールの中で、作家性のある大予算映画が「観たければ劇場まで足を運べ」を押し通すのには限界がある――その贅沢が可能なのは今やクエンティン・タランティーノ、クリストファー・ノーランくらいだ。 
 一方でテレビのクオリティが上がり、ドラマを「1本の長い映画」と捉える風潮も生まれた。原案・制作等でテレビ界ともリンクしてきたスコセッシは、これら鑑賞スタイルの変化も鑑みた上で①劇場映画としても許容される、しかし②テレビの「前編・後編」感覚で観ることも可能なこのスタイルに挑んだのではないかと思う。3時間以上の映画を劇場で観るのには少々覚悟がいるし、お恥ずかしい話、1回目に『アイリッシュマン』を観た時は前半まで観て寝てしまった(笑)。筆者のように根性のないヴューワーも受け入れてくれる、一時停止できる選択肢のあるネットフリックス経由はありがたかった。
 作りたい映画、やりたいストーリーテリングを、時代に則したフォーマットとテクニックで具体化していくこと――この意味で、『アイリッシュマン』に『ツインピークス The Return』を思い返さずにいられなかった。25年ぶりにキャストや常連が結集し、彼の多面的な作家性を凝縮したあの作品も「デイヴィッド・リンチ総集編」の感があったが、連ドラの長尺フォーマットを活かした全18(!)という大絵巻の中に多彩な撮影/編集技法、サウンド・デザイン、衝撃的にシュールなぶっ飛びシークエンスを盛り込んだダイナミックな作りは、リンチ特有な世界観を現在に構築し直していてあっぱれ。ギャング映画という定番ジャンルを映画話法と新技術のミックスで前に押し進めた『アイリッシュマン』でスコセッシがやったことも、それに近い。そこにはもちろん両作品が時間と老い、死を扱っている側面がある。他界した役者やスタッフへの献辞がほぼ毎エピソードで流れた『ツインピークス』は、名優ハリー・ディーン・スタントンの遺作のひとつになった。『アイリッシュマン』にはスコセッシのオルター・エゴを様々な段階で演じてきた役者(カイテル、デニーロ、ペシ)が揃ったものの、3者が1本の作品で顔を合わせるのはおそらくこれが最後だろう。
 言い換えれば、彼らは「残された時間」を自覚して創作を続けるクリエイターということだ。スコセッシとリンチ双方の映画に出演した役者のひとりにデイヴィッド・ボウイがいるが、彼も『ネクスト・デイ』および『』で自らの終幕を鮮やかに引いてみせたものだった。コンスタントに大作を送り出しているアメリカン・ニュー・シネマ世代はスピルバーグとスコセッシくらいになってしまったが、時代に応じてしなやかに変化し生き残ってきた老犬の智慧と力量、衰えぬクリエイティヴィティに満ちた本作には脱帽させられたし、スコセッシは既に次回作の準備に取りかかっている。「OK, Boomer」とバカにしてシャットダウンしてしまうのではなく、がっちり受け止め吸収して欲しい。

『アイリッシュマン』予告編

interview with TNGHT (Hudson Mohawke & Lunice) - ele-king

 チョップされた音声とハンドクラップのループに導かれ、大胆不敵なホーンが飛びこんでくる。2012年にグラスゴーの〈LuckyMe〉と〈Warp〉から共同でリリースされた「TNGHT」は、トラップやジュークを独自に再解釈することで10年代初頭におけるポップ・ミュージックの最高の瞬間をマークした……とまで言ってしまうと褒めすぎだろうか。とりわけ同EPに収められた“Higher Ground”は強烈なインパクトを残し、トゥナイトを形成するルニスハドソン・モホークのふたりは大いに称賛を浴びることとなる。彼らの音楽にはフライング・ロータスのみならずカニエ・ウェストまでもが関心を示し、翌年ふたりは『Yeezus』に招かれることになるわけだけれど、スターへの階段をのぼりつめるまさにその絶好のタイミングで、突如トゥナイトは活動を停止してしまう。ビッグになりすぎると自由に音楽をつくれなくなってしまうから──どうもそういう理由だったらしい。EDMにたいする警戒もあったのだろうか。

 その後ソロとして着実にキャリアを重ねてきたふたりだけれど、ふたたび彼らがトゥナイトの新作にとりかかっていると報じられたのが2017年の6月。それから2年あまりのときを経て、ついにセカンドEP「II」がリリースされた(日本では「TNGHT」と「II」の全曲を収めた独自企画盤CDが発売)。変則的な拍子にクレイジーな犬の鳴き声がかぶさる“Serpent”を筆頭に、キャッチーな旋律がレゲトンのリズムのうえをまるで盆踊りのように舞い遊ぶ“First Body”、低音少なめの空間のなかでおなじく奇妙な旋律がくねくねと這いまわる“What_it_is”など、どの曲もこれまでの彼らの個性を引き継ぎながら、新たな切り口で素っ頓狂なサウンドを楽しませてくれる。モジュラーの音色を活かした異色の“Gimme Summn”なんかは快楽と居心地の悪さの両方を味わわせてくれ、もうやみつきである。
 彼らはなぜいまトゥナイトを復活させることにしたのか? その野心やアティテュードについて、ルニスとハドソン・モホークの両名が語ってくれた。


俺たちのアーティストとしてのゴールは、大きくなりすぎないことなんだよね。ビッグな存在になりすぎて、逆に自分を縛ってしまわないこと。知名度や観客の数が一定の規模に達すると、逆にできることが少なくなってしまう場合があるんだ。(ハドソン・モホーク)

まずは2008年にふたりが出会った経緯と、互いの第一印象を教えてください。〈LuckyMe〉の北米ツアーの際に出会ったのですよね?

ルニス(Lunice、以下L):そうだね。2008年にモントリオールで一緒にライヴをやったのが最初だった。ただ、その前にたしかスコットランドのグラスゴーでライヴをやった記憶があるけど。前からフェスでいつも顔を合わせる仲で、互いが住んでる街にも行ったりして。

ハドソン・モホーク(Hudson Mohawke、以下HM):きっかけはマイスペースだろ。

L:そういえばそうだ(笑)。僕がほかの〈LuckyMe〉のクルーとつながったのってマイスペースだ! SNSでつながって、いまに至る、だね。

なるほど。その後トゥナイトがデビューしたのは2012年です。なぜそのタイミングで? また、なぜ〈LuckyMe〉のほかの組み合わせではなく、このふたりでユニットを組むことになったのですか?

HM&L:とくに理由はないね。

HM:計画してはじめたようなものじゃないんだ。

L:最初に1回だけ、打ち合わせみたいなのはしたけどね。それから2年半ぐらいは何もしなかった。このプロジェクトがストレスになるのはいやだったし、無理に頑張ることもしたくなかったからね。自然に起こるのを待ってた。で、ロンドンにいたときだったんだけど、君が当時やってたトラックのプレミックスが終わって、僕はそのトラックを聴かせてもらってて、「ふたりでなんかやる? 手が空いたし」って話になったんだよね。

HM:そうそう。

L:それがはじまりだった。

HM:俺は、それまでほかのプロデューサーと組んでうまくいったことがなかったんだよね。誰かと一緒にやるのは難しいもんだなと思ってた。でもルニスと組んだら、全部がうまくいったんだよ。互いのやり方でやってるんだけど、相性がいいというかね。

トゥナイトは2013年にすぐ活動を休止してしまいましたが、その理由はなんだったのでしょう? 同年カニエ・ウェスト『Yeezus』の“Blood On The Leaves”に参加したことは、関係がありますか?

L:外的なことが理由だったというよりは、このプロジェクトじたいが理由になっているんだ。トゥナイトをはじめてから、物事が早く進みすぎたんだね。僕たちはふたりとも、徐々に、長い時間をかけて物事を進めていきたいタイプのアーティストなんだ。インスタントに、バズるだけみたいな音楽をつくるのは好きじゃない。まずは自分たちのためにつくりたいと思ってるからね。そうすれば、しばらくは残る音楽がつくれるんじゃないかな。それで当時は、オーディエンスの僕たちへの目線の向け方が僕たちが意図しているものとはズレてきていた。このプロジェクトのブランディングやディレクションという観点から考えた上で、少し距離を置く必要があると判断したんだ。

HM:正直に言って、似たような音楽がたくさん出てきて、俺たちの音楽が唯一無二のもののように感じられなくなると思った。人気が出てくると、どのシーンのアーティストにもおなじようなことが起こるものなんだ。まわりの期待が、つくりだされる音楽を他と似たようなものにしてしまう。俺らはそんなことは絶対にしたくなかったし、一辺倒な音楽しかつくれないループにいったん囚われたら、それがそのアーティストの賞味期限だ。

L:それはほんとに言えてる。

HM:クリエイティヴでい続けられるような環境に自分を置く努力をする必要がある。おなじ音楽ばかりつくっているんじゃなくてね。俺たちはあのとき、自由を得るためにトゥナイトから距離を置いた。オーディエンスの新しいリアクションを得るため、新しい実験をするためにね。ファースト・アルバムを出したあと、それができなくなると感じたんだ。おなじものを求められている気がして。それで、ちょっと時間を置くことにした。

L:競争率の高い世界だからね。みんなが1番になろうとする(笑)。でも僕らはそんなゲームは望んでない。本能的に、自分たちが楽しくいられる音楽をつくりたいだけなんだ。僕らのアルバムを聴いた人は、スタジオで楽しくやってる姿が見えるって言ってくれる。実際にそうなんだ。

では、今回トゥナイトを再開することにしたのはなぜ?

L:とくに理由はないよ。自然と「いまだな」っていうことで、そうなった。2017年だったはずだけど、ロス(・バーチャード、ハドソン・モホークの本名)がモントリオールのフェスでヘッドライナーをやったときに、ステージでコラボして“Higher Ground”をやらないかって誘ってくれて。オーディエンスがトゥナイトをステージで観るのは、それが5年ぶりになったね。あれはいいサプライズになったし、めちゃくちゃ楽しかった。でも当時は、トゥナイトの活動を再開するとまでは考えてなかった。そのステージのあとは、またそれぞれの活動に戻るつもりでいた。それで、2018年になってから彼がメールで「LAにいるからなんか楽しいものつくろうよ」って言ってきて。LAの日差しに当たって、綺麗な木に囲まれて、最高な環境で音楽をつくれるっていいよね。

HM:(笑)。

L:計画してたわけではなくて、ノリだよね(笑)。朝起きたらプールに入って。あーもう、ほんとうに最高だよ(笑)。ストレスフルな環境で制作するのとは大ちがいだ。

HM:ほんとに、フィーリングだったね。「音楽つくろう」、「いいよ」っていう。フィーリングが合わなければやる必要はない。楽しいっていう感情がいちばん大事。まわりに戻ってきてほしいって言われても、こっちがその気じゃなきゃね。俺たちが、楽しい、また新鮮な気分になった、って思ったのがあのタイミングだった。

お互いものすごくテンションが高くなっていて、「いまだ、いま全部やろう」って感じでどんどん進めていった。そしたら、犬が吠えはじめたんだ。スタジオの隣の家の犬がね。それもおもしろくて。その場で起こるものをそのままレコーディングに収めた。(ルニス)

“Higher Ground”のヒットは当時あなたたちに何をもたらしましたか?

L:驚き。ものすごい驚きだね(笑)。

HM:そのとおり。

L:聴く人に何が刺さるかって、つくる側では図れないものだなって痛感した。だからこそ、自分たちがやりたいこと、本能に従うことがいちばん大事なんだってわかったよね。何をつくったとしても、聴く側が気に入れば万歳、気に入らなければ残念、ただそれだけ。彼ら次第なんだ。それで、“Higher Ground”にかんしてはそれが顕著にあらわれた例だった(笑)。方程式なんてないんだなって思い知ったね。

HM:聴く人に何が響くかって、ほんとうに予想できない。“Higher Ground”をつくってる最中もつくったあとも、「これ売れる!」とかぜんぜん思わなかったからね。こっちでは予測できないんだ。だから、当たったときはマジで最高の気分になるんだよね。前もって「はい、これは当たります」って思って曲を出すわけじゃないからさ(笑)。たまにそういう曲ができる。で、結果的に当たったときはすごく嬉しい。

L:あの曲のおかげで、やっぱり自分たちの本能に従うのは大事なんだなって再確認したよ。

以前『RA』で〈LuckyMe〉の特集が組まれたときに、〈LuckyMe〉は「ビッグになりすぎずに成長すること」を心がけている、というような内容を読みました。それは現在でもそうなのでしょうか? だとしたら、その理由は?

L:それがまさに、トゥナイトが活動休止した理由だからね。ことが大きくなりすぎると、たいていの場合は結果的に、音楽のつくり方とか自分たちのプレゼンテイションがインスタントなものになってしまうと思うんだ。そのペースに、自分じしんがついていけなくなる。ちょうどいい規模の環境で制作ができれば、自由でありつづけられるし、余計なことを考えすぎず、自分たちが楽しめる状態のままで音楽をつくりつづけられる。それが、クリエイティヴでありつづけて、つくりだすものを生の状態でキープする秘訣だと思う。

HM:俺たちのアーティストとしてのゴールは、大きくなりすぎないことなんだよね。ビッグな存在になりすぎて、逆に自分を縛ってしまわないこと。俺らよりも断然、商業的に成功してる友だちもたくさんいるけど、「おなじようなものはもうつくりたくないのに」って現状を嘆いてたりする。知名度や観客の数が一定の規模に達すると、逆にできることが少なくなってしまう場合があるんだ。だから、ものすごく有名になったり経済的にものすごく成功したりすると、それまでのクリエイティヴの自由度が得られなくなってしまう。だから、俺たちが言う「ビッグになりすぎない」っていうのは、自分のクリエイティヴの自由度を守るっていう意味なんだよね。

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誰かの作品を観たり聴いたりするとき、そのアーティストがつくったものだってわかるものがいい。俺はそこで、そのアーティストのクリエイティヴィティを判断する。自分のパーソナリティをどれだけ注ぎ込めるか。(ハドソン・モホーク)

あなたたちにとってトゥナイトのプロジェクトは、それぞれのソロとどのようなちがいがありますか?

L:僕のほうは、ソロ活動のほうではより自分自身にフォーカスして、ものすごく細かいところまで気にかけながら音楽をつくっている。トゥナイトのほうはそれとはちがって、自分の持っている情報はもちろん活かすけど、あえて細かいことを気にしすぎず、あまり深いところまでいきすぎないようにしている。誰かと仕事をしていく場合は、その場の衝動だったりケミストリーを活かす、というのがこれまでで僕が学んだことだね。ソロのほうは瞑想みたいな、自分と向き合うものだから。だから、できたものは精巧なものになる。

HM:たしかに。ソロのほうは自分のクリエイティヴの限界を探る感じだよね。トゥナイトだとものすごいシンプルな感じで、考えすぎず、直感のほうが先立ってる。それは、最初から頭に置いてたことだね。ソロは自分の深いとこまでいくんだけど、トゥナイトはもっと動物的。

L:最初のほうでもおなじようなことを言ったけど、トゥナイトでは自分を出すというよりは、もっとダイナミックに音楽をつくってるんだよね。ソロとトゥナイトとのそのちがいは気に入ってる。いいバランスがとれてるよ。

制作はどのようなステップで進められるのでしょう? 役割分担があったり、あるいはどちらかに主導権があったりするのでしょうか?

L:僕がまずメロディを考えて、彼にそれを聴かせて、いろんな楽器を加えていくっていう流れが多いね。オンラインでのやりとりはしないようにしてるんだ。必ずじっさいに会って作業する。その場で最初のメロディに肉づけしていく。たとえばアルバム(『II』)の1曲目の“Serpent”は最初に完成した曲だったんだけど、全部がその場のアドリブで進んでいった。お互いものすごくテンションが高くなっていて、ロスも「いまだ、いま全部やろう」って感じでどんどん進めていった。レコーディングさえも、その場のその勢いで休みなしでやったんだ。ビートを回してるそのままの状態で録音をクリックして、レコーディングをはじめた。そしたら、犬が吠えはじめたんだ。スタジオの隣の家の犬がね。で、その声が入ったから僕は笑ってしまったんだ。でもそれもおもしろくて、その音はそのままにしている。そんな感じで、その場で起こるものをそのままレコーディングに収めた。

HM:プロセスは毎回ちがうけど、おもしろいのが、俺たちが曲をつくってると頻繁に変なアクシデントが起こるんだよね。予想もしてなかったことが起こる。で、それがうまい具合にゾーンに入ってくれる。これとこれを組み合わせるとか思ってもみなかった、とか、こんな音になると思ってなかった、とか、いい驚きがいっぱいある。クソ、このアイディア最高じゃん、みたいなのが突然降りてくる。まだ3曲しかつくってないのに、アルバム1枚よりもインパクトを感じられるものになったりする。勝手にね。そのゾーンに入る感じをいちばん大事にしてる。

“First Body”や“What_it_is”のような、ストレンジかつキャッチーなメロディと強烈なビートとの同居がトゥナイトの真骨頂だと思うのですが、自分たちではトゥナイトの最大の魅力あるいは武器はなんだと思っていますか?

HM:武器ねえ。マシンガンかな(笑)。

L:なんだろうね。愛かな(笑)。

HM:その答え最高じゃん。魅力っていうと、俺たちはなかなかいいからだしてるからね(笑)。

L:でもほんとうに、ふたりの仲の良さみたいなのは役立ってるとは思うな。まじめな話、彼が無意識に持っている音楽にたいする向き合い方がもともと好きで、僕も彼のようなスタンスでいきたいと思わせてくれる。トゥナイトのプロジェクトをはじめたのも、意識をせずにハドソン・モホークの音楽ができあがっていくのをはたから見ていて、彼が彼らしい音楽をつくっていたからなんだ。自分らしい音楽をつくることって、じつはかなり難しいからね。そこがロスのいちばん好きなところなんだ。

HM:それは俺もルニスにたいして思ってる。俺らが大事にしてることだしね。誰かの作品を観たり聴いたりするとき、どんな類のアートだとしても、そのアーティストの過去の作品と作風がちがったとしても、そのアーティストがつくったものだってわかるものがいい。誰かが演奏してたとしても、「これはルニスがつくった曲だな」ってわかるもの。俺はそこで、そのアーティストのクリエイティヴィティを判断する。自分のパーソナリティをどれだけ注ぎ込めるか。

L:僕らは、互いをひとりのアーティストとして認め合っているし、その距離感をあえてつくってる。ひとつのユニットみたいになりすぎると、変だからね(笑)。おなじようなものしかつくれなくなってしまうと思うし、なんていうか、ボーイズ・バンドみたいなノリにはなりたくないからね(笑)。だから、個のアーティストがふたりで音楽をつくっているプロジェクトであるということはつねに意識している。それで、トゥナイトという名前にしているんだ。バンド名というよりは、イヴェント名みたいな響きだからね。

ボーイズ・バンドみたいなノリにはなりたくないからね(笑)。個のアーティストがふたりで音楽をつくっているプロジェクトであるということはつねに意識している。それで、トゥナイトという名前にしているんだ。イヴェント名みたいな響きだからね。(ルニス)

あなたたちの音楽は、スマホやノートPCのショボいスピーカーから鳴らされたときでもしっかりとインパクトが残るように設計されているように感じます。それは意図していますか?

L:わかるでしょ(笑)。意図してるかっていうと、100%意図してる(笑)。悪いスピーカーほど良い。最初は良い音響を使っていた時期もあったよ。思えば、これにかんしてもロスって素晴らしいなと思うんだよ。ロスのミキシングのスタイルはほんとに狂ってる。すごくふつうのやり方で、カシオのキーボードとか、ラップトップとか、アイフォーンとか、そこらへんにある何を使っても自分の音楽をつくれるんだよ。だから僕も、高い安い関係なく、どんな機材を使っても音楽をつくれるようにしている。

トゥナイトのふたりは、ユーチューブやサウンドクラウド直撃世代という印象があります。インターネットやSNSについてはどうお考えですか? たとえば90年代であれば、インターネットは人びとに夢をもたらすもの、いろいろなことを可能にしてくれるポジティヴなものだったのではないかと想像するのですが、今日のインターネットは、人びとにむしろ悪夢をもたらすもの、人間関係をぎくしゃくさせたり、知らないうちに大企業に情報を握られたり、さまざまな弊害を生むネガティヴなもののように見えます。

L:僕らはマイスペース世代だから、SNSとの最初の付き合いはマイスペースだったけど、その後ツイッターが出てきて、インスタグラムが出てきた。僕はいま両方使っているけど、写真もやるからインスタグラムのほうをよく使っている。自分でつくった動画を投稿したりね。でも、SNSはクレイジーだから、没頭しすぎないようには気をつけてる。

通訳:90年代とはちがって、ネガティヴな方向に偏ってきているのも事実ですよね。

HM:まえから思ってたけど、フェイスブックにしてもツイッターにしてもインスタグラムにしても、みんなクソみたいなことばっか言ってるだろ。それはずっと思ってた。ただ、その考えがこのアルバムを出してちょっと変わったんだよね。自分が心の底からほんとに良いと思ってるクリエイションをSNSで発表すれば、みんなサポートしてくれる。誰しも、本能的には誰かを支持したいと思ってるもんなのかなってね。クソみたいなことばっか言い続けたいって、本気で思ってるわけないからね。最低なこと言ってくるやつもいるけど、全員がそうじゃない。

L:優しい人もたくさんいるね。

HM:そう、優しい人もいるし、本気でエキサイトしてくれる人もいる。それに気づいたのは、自分でもおもしろかった。SNSなんてまじでクソだろって、本気でずっと思ってたから。

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