「Ord」と一致するもの

interview with NaBaBa - ele-king

 村上隆氏によって設立され、日本の若手アーティストを育成・支援してきたカイカイキキが、先月その本丸ともいえるカイカイキキ・ギャラリーにて公開した「A Nightmare Is A Dream Come True: Anime Expressionist Painting AKA:悪夢のドリカム」展。ここに出展していた6人のアーティストのうちのひとりがNaBaBa氏である。美大出身で高い油彩の技術を持つが、これまでにメインで作品を発表してきた媒体はご存知400万の会員数を誇るイラスト投稿型SNSピクシブであり、まさにこの展覧会が謳う「日本にオタクと現代美術のフュージョンのジャンルを創造するプロジェクト」を担う才能として、デジタルとアナログを往復する活動を行ってきた。
クール・ジャパンが終わろうが終わるまいが、この「○○とオタク」問題はいぜんとして日本がまじめに考えるべきリアルをふくんでいる。自身がコアなゲーム・ファンであり熱心に「洋ゲー」批評を展開しているうえ、有名ゲーム企業に就職まできめてしまってもいる氏は、アートとゲームとオタク・カルチャーのはざまで、若き画家として、技術者として、ファンとして、思考と実践を重ねるめずらしい存在だ。筆者自身は門外であるものの、今回さいわいなことに取材の機をえた。無知をいいことに、かなり大胆な質問もぶつけさせてもらっている。ぜひ後半の、ゲームや女性の表象をめぐるトピックまでじっくり読んでいただければと思う。
 ちなみに筆者が氏のことを知ったのは、「悪夢のどりかむ」会期終了を目前にストリーミング配信された、出展者らのトークショーにおいてである。NaBaBa氏は真ん中で座を仕切り、巧みに話題を振り、最後はなぜか会場を巻き込んで踊っていた。同日深夜には、こんどは「村上隆のエフエム芸術道場」にてパーソナリティを務め、アートとは関係なく1時間をまるまる「洋ゲー」紹介に費やしてしゃべりたおした。その一連を、筆者は不思議な思いで眺めていた。インタビュー本文でもふれられるとおり、持てる能力を駆使して生き残っていかなければならないというような奇妙に現実主義的なオブセッションは、この作家の個性であるとともに世代的な特徴を暗示するようにも思われ、興味深い。

※「悪夢のどりかむ」出展作品は画像掲載の許可がいただけませんでした。ご了承ください。

絵との出会い、ゲームとの出会い

僕はあえて油絵科へ進むという迂回路をとることで、いろいろなものを吸収しつつ、ゴールへ向かおうと思いました。

絵を描きはじめることになったのはいつごろです?

NaBaBa:幼少のころから絵を描くのは好きだったんですが、将来も見すえて意識的に取り組みはじめたのは、中学1年くらいのときですね。ちょうど中学入った段階で、同じ志を持つ仲間がクラスにいまして。僕はゲームのクリエイターになりたかったんですよ。その開発のなかでも、絵を描くポジションにつきたいというのが目標としてありました。となると、だいたいの人はデザイン科へ進む。けれどそういう王道ルートをたどると、他の人と差がつかなくてキャラが立たないなと。僕はあえて油絵科へ進むという迂回路をとることで、いろいろなものを吸収しつつ、ゴールへ向かおうと思いました。

中学でですか? ずいぶんと戦略的ですね(笑)。

NaBaBa:はい(笑)。で、予備校、多摩美術大学と経て、なんとかゲーム会社に就職できたので、当初の目標は達成することができました。

すごいですよねー。14歳からのハローワークを地で行ったと。美術部とかではなかったんですか?

NaBaBa:そうですね。はじめは独学で、高校あたりから予備校に通って。そのへんは他の美大生とあまりかわらないコースですね。ただ、近くにライバルがいたっていうのが大きいです。いろんな部分で、彼より上を行こう、彼とはちがうやり方をみつけようっていうふうな力が働きました。たとえば当時は「RPGツクール」だとか家庭向けの簡単なゲームを作るソフトなんかが出てまして、お互いゲームを作って見せ合いっこしたりもしていましたし、いま自分にあるいろいろなものの起点になっていたなと思いますね。

いわゆる「洋ゲー(輸入もののゲーム)」にディープにはまっていくことになるのも同じころなんでしょうか?

NaBaBa:両親がおそらくゲームが好きで、もともと家にゲーム機があったくらいなんで、小さいころからゲーム自体に親しんではいました。でも洋ゲーにはまっていくのはやっぱりそのライバルの影響で、中学からですね。そいつには大学生くらいのすごいサブカル通のアニキがいて、そのお下がりでいろいろなものを知ってるんですよ。僕にはそういう後ろ盾がないのに、あいつはどんどん新しいものを持ってきやがって(笑)。それで海外のゲームなんかをやってみると、ぜんぜん日本のヤツと違うではないかと! 完成度もずっと高いし、どんどんそっちに傾倒していくようになりました。

なるほど。クラスで1~2名、洋楽とか聴いちゃうぜみたいな......

NaBaBa:そう!

一種、「中二」的なメンタリティでもって洋ゲーに向かっていったという部分もあるんでしょうか(笑)。

NaBaBa:完全にそれですね(笑)。当時海外のゲームといったらパソコンがメインだったので、当然、パソコンの性能が要求されたわけなんです。ゲームを動かすための。まだ2000年そこそこで、どこの家庭にもパソコンがあるという環境ではなかった。だからまわりに布教しようにも難しかったですね。おそらく日本全体でみても洋ゲーっていうのはまだまだ部分的で、ネットを調べても、ブログだとかレビューや感想を扱っているサイトなんかは多くなかった。情報源は限られていましたが、逆に自分自身でレビューを書こうという動機づけにはなりましたね。いまはソーシャル・メディアも発達しましたし、PlayStation3とかXbox360とか、家庭用ハードで海外のゲームもたくさん来るようになって環境は変わってます。けど、いまだに「洋ゲーは洋ゲー」といった感じで、日本のゲームとは楽しまれ方や認知のされかたに隔たりがありますね。

そのあたり「洋楽」「邦楽」が抱える奇妙な断絶に通じるものがありそうですね。また後ほど詳しくうかがっていきたいと思います。

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NaBaBaの絵とは(1)――ネット絵と西洋絵画

まず社会に訴えたいテーマがあって、それをこの絵画という四角いスペースで観客に伝えるために、導線として絵解きを利用します。ロジックは用いますけど、それは情動に訴えるためですね。

さて、ではこちらのお話からうかがっていきましょう、「A Nightmare Is A Dream Come True: Anime Expressionist Painting AKA:悪夢のどりかむ」展。その謳うところは「日本にオタクと現代美術のフュージョンのジャンルを創造するプロジェクト」、NaBaBaさんの作品もここで注目を集めました。そもそもカイカイキキの門をたたくことになったいきさつ、この展覧会に出展することになった経緯をおしえてください。

NaBaBa:けっこう紆余曲折があるんですよ。僕はここにいっしょに出展されているJNTHED(ジェイエヌティヘッド)さんという方とは前からの知り合いだったんです。で、僕が出している電子書籍(『Look Back in Anger』)の宣伝をストリーム配信で行ったときに、JNTさんにも出てもらったりしてたんですね。僕はそのお礼として、なにかあれば手伝いますよということをお伝えしてたんです。ちょうど会社に入る前で余裕のあった時期だったので。そしたら急に、どこそこに来てほしいっていう連絡が入って。自分は当然CGの仕事を手伝うもんだと思って向かったんですけども、いざ行ってみたらカイカイキキの三芳の工場だったんです。もう、縦2~3メートル、横7メートルくらいの巨大なキャンバスがあって、「これ手伝ってほしい」って言われて、「ええー!?」ってなりましたね(笑)。しかも制作期間はあと4日しかない、みたいな。まだ真っ白で。ほぼ泊まり込みの徹夜でその背景を描きました。ほら、あの初音ミクのやつですよ(同展出展作品)。その場にMr.さん(カイカイキキのベテラン・アーティスト。同作の共作者)がいて、僕がやってるのをおもしろいって言ってくれて、それが村上さんに伝わって、「じゃあ、数日後に札幌でこの展示やるからすぐ来て」って。いまからだとその日に着くのにあと1、2便だけしか残ってないって状況で、なんとか駆けつけたら「トーク・ショー出て」ってなって、さらには「踊って」ってなって。ええ、ミクの衣装で踊りましたよ。そのへんが今回の展示の伏線になってましたね。そのあと小規模な展示にも数回参加しました。

ルックバックインアンガー

ははは! 座談会とかのあとに「じゃ、踊りますか」ってなるのはそこが発祥なんですね。ええと、わたしは美術にはくらいので恐縮ですが、NaBaBaさんの絵っていうのは、ある面ではふつうに西洋の近代絵画みたいにもみえるというか、それらと同質な充実感が錯覚できると思うんです。それはただ油彩だから、写実的な表現だから、というだけのことかもしれません。が、他のアーティストの出展作品が、アニメ的なイラストをキャンバスに移すという行為や発想自体のなかに緊張や批評を生み出しているのとは、すこし違う原理で描かれているようにもみえます。どうでしょう?

NaBaBa:僕はもともと油絵科出身でありますので、たしかに日本のサブカル的・オタク的な絵っていうのも同時並行で描いてはいましたが、そのふたつの融合をはかっていきたいということをいち作家の命題としても持っていたんです。それは今回の展覧会のメイン・テーマにも重なるわけですけどね。ですから西洋絵画のいろいろな要素も自分なりに読み解いたうえで、いるものといらないものを選択しています。いわゆる厚塗りと呼ばれるヴォリューム感でありますとか、遠近法の使い方、モチーフの配し方。日本の絵画の要素を踏まえつつも、西洋絵画的な要素も盛り込んでいく。とくに西洋の絵画の古典は宗教的な性格も強かったわけなので、作品のなかにもはっきりとした物語があったりするんです。大きな美術展なんかに行けば、図録などでそれらの物語をながめることもできる。そういうところを僕は興味深く思っています。日本のイラストにもイラストなりの物語の伝え方っていうのがあると思うんですが、それらのあいだに接点を見つけて、なんとか自分のなかで物語を表現していきたい、自分の絵の魅力を作っていきたい。っていうことですね。

たとえばファンタジーなんかで用いられているイラストは、そういう宗教画の持つ時間性とか物語性を引いていたりしないんですか?

NaBaBa:ファンタジーというのは日本の......?

すみません(笑)、あいまいにしか理解してなくて。世界標準なのかどうかわからないんですが、ゲームとか映画とかでよく見かける......

NaBaBa:はいはい。それはですね、ちょっと話がそれてしまうかもしれないんですが、日本のいまのアニメやゲームで見られるファンタジーはそれこそガラパゴスって言ってもいいようなもので、西洋のファンタジーやその起点となるような神話や民話みたいなものを下敷きにしつつも、日本の中で独自に培養されてよくわかんない方向に走っちゃったものなんですよ。西洋のファンタジーというのは、ギリシャ神話や北欧神話、旧約聖書、だとか歴史上にある原典を強く引き継いだ上で成り立ってる。一方、日本は表面的には西洋のファンタジーを見習ってたんだろうけど、そこにあるコンテクストまでは採り入れず、何でもかんでもごちゃまぜになって、今日の無国籍的な感じに発展してきた。日本のイラストに描かれるファンタジーもそういうものですね。で、宗教画ということにかんして言うと、僕は作品に対してはすごく意味をこめてるんです。すごく伝えたいことがあって、そこからはじまっている。宗教画は、たとえば神への信仰をより高めようとか、目的やメッセージを持ったものなわけで、それを伝えるために絵解きを用いたりするんですが、それと似ているかなと思います。わかりやすい例だと、これなんかは秋葉原の通り魔事件を扱っています(「失楽園2」)。まず社会に訴えたいテーマがあって、それをこの絵画という四角いスペースで観客に伝えるために、導線として絵解きを利用します。

失楽園2
失楽園2

なるほど、NaBaBaさんの絵には絵解きのロジックが組み込まれているわけですね。それはよくわかります。

NaBaBa:はい。ロジックは用いますけど、それは情動に訴えるためなんです。

そうした方法においても「悪夢のどりかむ」展のなかではすこし異色な作風であったと思います。ほかのアーティストとご自身について、意識されている差はありますか? NaBaBaさんの場合、もっとふつうのアニメ絵とのハイブリッド作品もあったりしますよね。

NaBaBa:自分にかぎらずみんなそれぞれの路線を持っているとは思います。あの展示はゆくゆくは海外でも行う、むしろ海外を勝負の場所として前提したものなわけですね。だから、自分としてはいままで以上に西洋絵画との接合というのをやっていこうと思いまして。すごく意識的に古典絵画的な厚塗りと写実に乗っかったつもりです。そういうテクニックに乗っかった日本のオタク的絵なんだ、ということが海外でも伝わるように、意識的に仕上げたものではありますね。ほかの方々とのあいだに上下という意味での差はまったく感じませんが、そういう部分で海外からの見られ方を想定した点は、僕の場合は強いですね。

NaBaBaの絵とは(2)――日本とオタクへのアジテーション

ピクシブなりなんなり、ローカルな場所での盛りあがりなんて、世界からみれば蚊帳の外のことなんだと。まずい、のんきに楽しんでる場合じゃない!

「ネット絵をキャンバスに」というのは、キャンバスってものをモニターやコミックなどの平面にラディカルに近づけていく作業なのか、その逆で、モニターやコミックなどの平面にある絵をキャンバスに取り出して盛ろうという作業なのか。それともまったくそういうこととは別のものを作ろうということなんでしょうか?

NaBaBa:目標としては別物を組み立てたいですよね。取り出す/取り出さないってところで表現をすませてはいけないところだと思うんですよ。とはいえ、今回の展示で言えば、「取り出す」っていうこと自体がまず相当難しいことであるということもわかりました。単純にイラストと油彩とを往復するにも、技術的な関門がありますね。そのへんの実証と、あとは作業効率化も考えて、今回下絵はすべてCGで作ってあります。

ピクシブ(PIXIV https://www.pixiv.net/)なんかでみるイラストやCGっていうのは、物理的にはモニターなどの端末のなかに見えているもので、同時に、別の位相ではインターネット空間やそこにあるコミュニティのなかで成立しているものですね。ネット絵を「取り出す」といったときには、絵柄だけではなくて、そうした全体を巻き込まなくてはならないことのようにも思います。

NaBaBa:もちろんその通りで、今回の展示の本質は文化の横断です。その手段として絵画を用いているからには絵柄の差ってのは重要になるわけですが、同時にそれを取り巻くさまざまな物事にもアプローチしなければいけない。その施作のひとつとして、会期中はストリーム配信でネットの中の人たちへの投げかけを積極的に行いましたし、今後も様々な方法で横断的な取り組みは行っていきたいと思っています。

ほかにNaBaBaさんの大きな特徴のひとつとして、さきほども挙がりましたメッセージ性の強さがあります。「ラブレター」のような世界情勢へのまなざしや観察から生まれているものもありますし、ひろく社会批評的な関心から描き起こされていたりすることが多いですね。なかでも日本のいまとか、世界のなかの日本とか、日本というテーマに非常につよい執着が感じられます。NaBaBaさんのなかでは日本というのがひとつ大きなモチーフとしてあるんでしょうか?

NaBaBa:それは大きいですね。自分がすごくリアリティを感じている世界対日本という構図は、やはりゲームの分野がいちばんなんですけどね。僕はオタク側の絵にずっと片足以上突っ込みながら、そこにめがけてメッセージを放ちつづけていたわけなんですが、いまのままじゃまずいと。ピクシブなりなんなり、ローカルな場所での盛りあがりなんて、世界からみれば蚊帳の外のことなんだと。オタク・カルチャー全体を見ても海外市場開拓という点で取り損ねや遅れがある。それじゃまずい、のんきに楽しんでいる場合じゃない。生き残りの問題ですから、自分たちに勝負するつもりがなくても、向こうのほうから殴り込みがかかってくるし、自分たちの中で小さく回していても緩やかに縮小するしかないんです。それに対して備えないとお株を奪われるぞという思いがあるわけです。守るために攻める。そのためには西洋的なコンテクストを作品のなかに入れて、市場としても表現としても拡大や進化が必要だと。まあ、村上(隆)さんがおっしゃっていることと同じようなことではありますが。自分の作品では、どういうところが世界に負けているのかということを、1例ずつ挙げていくっていう感じなんですよ。「ラブレター」なら、これを描いた当時はリーマン・ショック真っただなかでしたから、火の粉がいつこっちに降りかかるかわかんないぞというようなことを言っているわけです。ふるきよきアメリカを象徴する画家と言えるアンドリュー・ワイエスをオマージュし、それを燃やしてしまう。ふるきよきアメリカの崩壊。そこに対して、アニメ塗りの女の子が危機感ゼロな憧れを向けている、というように描いてます。


「ラブレター」(左)、「晴天」(右)

わたし「晴天」とか好きなんですが、総じてゼロ年代というものを象徴するような風景とか風物が、たくさん串刺しにされてますね。郊外、下町、河川敷、女子学生、さわやかな制服、携帯、とかいろいろです。晴天というか青空自体がそうかも。こういう青空のアニメ作品などを、わたしですら見知ってます。それがまた、アニメ絵っぽいけど油彩で、半分写実的に描かれて......すごくオーソドックスだけど、どこか空気を緊張させるような批評性がありますよね。

NaBaBa:オーソドックスで、アニメっぽいところもあって、みんなが好きそうな食材が揃っているようにみえる。でもいざ食べようとすると食べづらい。そう簡単には食べさせるものかっていう気持ちもありますね。

でも、日本というローカリティに対する憎しみもあれば、そのぶんの愛もあるわけですよね。

NaBaBa:はい、はい。

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カオス*ラウンジと「悪夢のどりかむ」展

僕たちのやっていることといえば、日本のオタク・カルチャーやソーシャル・メディアへの賛美ではないし、過剰にそこを意識したり前提としているわけでもありません。むしろ従来のオタク・カルチャーへの批判もあります

で、ちょっとまえにローレル・ヘイローというアーティストが会田誠さんの絵をジャケットに使用して、そのことについてインタビューを受けているのを読んだんですが、あまりの理解されてなさっぷりに驚いたんです。ほとんど「ワオ、なんてクールなライオット・ガールたちなのかしら」くらいの感じで。まずもって「セップク」であって、「アサシン」なんかじゃありえないじゃないですか。彼女は知的なアーティストだし、会田誠さんというのも、比較的よその国で翻訳されやすい描き方をされている方だと思うんです。それでもそんな感じ。だからこの(「晴天」の)河川敷とかローファーっていう繊細な表象から日本を説明するなんて超難しいわけですよね。先ほどから言っておられるように、そこに絶えざる翻訳作業をはさんでいくことになるのでしょうが、これは一方ではほとんど不可能なことのようにも思えます。しかし、その困難さやローカリティに居直ることは、たとえばカオス*ラウンジの弱点でもある。村上隆さんの発言を総合すると、まずひとつ、そういうふうに言われているように見えます。

NaBaBa:そうですね。

そうしたことへのレスポンスというか、批評のモチヴェーションがあったりするんでしょうか。

NaBaBa:ローカリティっていうのは、注視しつづけなければならないものでもあって、かつ外部への意識というのも、持たなければならないものです。会田誠さんのその作品が、もともとの意味を剥奪されて、ただ単にかっこいいヴィジュアルとしてしか受け入れられていないっていうのもわかるんですが、ある意味、そういった方法を駆使してでも、向こうの文脈に入り込まなければいけないって気もしていてですね。そんなものを目指したり考えたりしていってそれがつもりにつもった結果、ある瞬間に、作品に少しずつこめてたイヤミみたいなものがすべて固まって一気に爆発して、「なんじゃこりゃあ!?」ってものになってくれればいいなあって。思います。

ああ。なるほど。

NaBaBa:長期的には、そんなふうに思ってます。時限爆弾なんですよね。ピクシブとか日本にむけてやっていることも同じですね。ピクシブって、はじめにサムネイルっていう縮小された絵を一覧から選んで、それをクリックすることで実際のサイズの作品をみるという順があるんです。だから、サムネイルでみた段階ではきれいっぽいけれど、開いてみたらとんでもないものだったというような、ステップの逆用で自分の伝えたいものを届かせたりすることもあります。目的のためには、ある段階においては相手にあわせる。

二重の闘いがあるんですかね。日本との闘いと、その闘いを世界に説明する闘い。

NaBaBa:それはこれからの勝負ですね。洋ゲーなんかも、日本ではもともとの意味や文脈がフラット化されていたり、あるいはそもそも楽しまれてもいなかったりするわけです。でもまあ、自分なんかは海外のニュース・サイトをみるなりして、洋ゲーの持っているコンテクストを正しく理解していきたいって思っているわけです。実際むこうの人からみて正しく理解できているのかどうかわかりませんよ? でもそういう姿勢で挑んでるっていう自分の矜持もあるんで、海外のビューワーや、日本のサブカルチャーを楽しむ人に対しても、そういう視線でみてもらえる人を少しでも増やしたいと思う。そうやってゆくゆくは市場を作っていかないと、国内で自分たちの好きなものを楽しむことすらままならなくなってしまうだろうって思うんです。

自分たちこそ海外のものとどう向き合ったらいいのかって問題、ありますよね。ところで、カオス*ラウンジにも深い、込み入った問題提起があったと思うんですね。いろいろ言われていることをまとめると、まず、ウェブっていうアーキテクチャが自動的に集約する欲望や興味、そういうもののおもしろさとかグロテスクさをすごくコンセプチュアルに取り出そうとしたと。または、「つかさ」(※1)とか「踏み絵」(※2)なんかはそうですけど、リレーショナル・アートみたいなものを逆手にとるようなやり方で、ネット上のコミュニケーションを物理的な空間に取り出そうとした。(椹木野衣「美術と時評:6 カオス*ラウンジ    萌えいづる自由・平等とその行方」アート・イット、ほか参照)要はわれわれをとりまいて、いつのまにかわれわれを動かしている新しい環境に対して美術の側から侵入しようとしたり、2次創作の総体をコミュニケーションの問題として可視化したりっていうようなことで、問題自体にすごくエッジイなものがあるわけです。「悪夢のドリカム」ではそういう層の問題も引き継がれているんでしょうか? それともそのへんはまったく新しく仕切り直し、ということになっているんでしょうか?

NaBaBa:そこは争点になっている部分ではありますよね。僕たちの展示の座談会でも話題にあがっていました。カオス*ラウンジっていうのはネットやソーシャル・メディアのなかで起こっていることを、物理空間に持ってきて露骨にみせる、そこの異常性や新しさというものを人々に伝える広告塔として働いたと思うんです。今回の展示のパンフレットでも言ったんですが、日本のソーシャル・メディアに対しての賛美であるとかが強くあるのはわかるんだけど、そこの賛美で終わってしまったら、いち作家というパーソナリティへの評価がうやむやになってしまう。自分ももちろんネットのなかのオタク・カルチャーみたいなものをつよく引き継いでいるわけですけれども、最終的に自分のオリジナルの世界観のなかに作品を落とし込まなければいけないと思うんです。梅沢(和木)さんの作品なんかは、ご自身の世界観をつよく持っているものだと思うんですけど。うーん......

難しいですね。

NaBaBa:難しいところなんですよ。僕はなにもカオス*ラウンジを全否定しているわけではなくて、ひとつの核心を突いていたとは思うんです。ソーシャル・メディアで起こっていることのおもしろさ、異常さ、すごさを伝えていく、再翻訳してアート・シーンに提示するっていう役割。であるからには、ソーシャル・メディアに対して友好的な関係を持ちつづけなければ、そもそもカオス*ラウンジとしてのコンセプト自体が成り立たないとも思っていました。カオス*ラウンジの進化としてこうなると理想だなって思っていたのは、ネットで活躍するクリエイターとかももっと取り込んで、たとえば「キメこな」(※3)の騒動のときなんかも、「ふたば☆ちゃんねる」(※4)までを取り込んで、素材と作品の相互循環的な、ネットもリアルも込みのエコ・システムみたいなものを作ってしまえばよかったと思う。そういう着地があればハット・トリックとして最高だったなって思いますけどね。カオス*ラウンジっていうスタイルだからこそ、そこは決裂じゃなくて友好的な巻きこみ方をするべきだった。逆に僕たちのやっていることといえば、日本のオタク・カルチャーやソーシャル・メディアへの賛美ではないし、過剰にそこを意識したり前提としているわけでもありません。むしろ従来のオタク・カルチャーへの批判もあります。彼らがいままでやってこなかったこと、できなかったこと、これからやるべきことをやろうと。ケンカを売るというのではなくて、自分たちが正しいと思うものを海外の文脈にのせていく努力をしようということです。そのへんがカオス*ラウンジと自分たちの立ち位置の違いかなと思います。

ナイトメアは、運動体というより作家本位の連合体って感じですかね?

NaBaBa:アーキテクチャの可視化っていうようなことは、オタク・カルチャー的なものをアートの文脈にのせるときには、どの作品にも大なり小なりふくまれてくるものだと思うんですよ。しかしそれのみに特化させていくモチヴェーションは自分にはあまりないです。「ナイトメアはカオス*ラウンジの上位互換か」みたいなことをツイッターで言われたりするんですけど、それは微妙に違うと思います。

カオス*ラウンジがただ著作権の問題として矮小化されたフレームで断罪されたりするのはもったいないですよね。それふくめて「悪い」環境自体をあぶりだしたという両義的な評価もあるかもしれませんが。

NaBaBa:それはやっぱり大事なことでもあって、カオス*ラウンジはともかく、他のところに目を向けても、本来責任をもって作品を発表している人たちが、ちょっとの過失やそれにも当たらないようなことで、無責任なネットの有象無象に徹底的に私刑されるという構図を最近よく見ます。僕はそこに違和感を感じているのですが、とはいえただそれを拒絶するのも戦略としてはうまくなくて。無理やりつっこまれる要因をつくる必要はないですよ。マーケティング的な意味もありますが、社会的にデリケートなところに神経を尖らせていくっていうのは、自分が伝えたいことを届けるための手続きでもありますから。原理主義をつらぬいていたらうまくいかないこともある。梅ラボさんとかカオス*ラウンジにも言えると思いますが、作品としての正義はそれでも自分にありつづけているという感覚。それはある意味で正しいんだけど、原理主義のために不必要な摩擦を生むこともある。それはもったいないと思います。

※1 カオス*ラウンジの前身となるグループ企画「ポストポッパーズ」が行ったライヴ・ペインティング。美水かがみ原作『らき☆すた』に登場する「柊つかさ」を支持体とし話題となった。

※2 カオス*ラウンジによる、他人の制作したイラストや画像などを床に敷きつめ、来客者に踏ませるというインスタレーション。使用した画像等をめぐり著作権侵害が議論された。

※3 画像掲示板「ふたば☆ちゃんねる」から生まれたキャラクター。梅沢和木氏が作品中にこれをコラージュしたことが、掲示板のユーザーの感情を損ね、また著作権侵害にあたるとして問題になった。

※4 2001年よりつづくインターネット上の画像掲示板


「アートは総合戦」か? ポストお絵描き掲示板世代の戦略性

ここに出てくる絵師さんたちは、かつてはその場所、つまりお絵描き掲示板にいて絵の純粋性を追い求め、いまは社会の世知辛さをすごく感じているというたぶん最初の世代なんです。

ちょっと話がそれるかもしれませんが、NaBaBaさんのようなその現実主義的な「まじめさ」......たとえば世界のアートの文脈にどう接続するかという戦略ですとか、相手目線でどうペイしていくか、どう身を立てていくかっていうような、アートの神秘性みたいなものをはなから信じていないような感覚。これってどこからくるものなんでしょう? 時代とか世代の問題なのか、絵師・イラストレーターという人種の問題なのか、何なんですかね? NaBaBaさんだけではなくて、けっこういろんなところで感じるんですよ。

NaBaBa:大学でもイラストの教本だとかでも、創作の神秘性をしつこく刷り込まれるわけです。美術ってものは、創作ってものは、市場であるとか、儲ける・食ってくってことと切り離されているときがもっとも純粋なかたちなんだ、ってことをですね。でも社会に出るとそれでにっちもさっちもいかなくなることがあたりまえにあるんですよね。いまの時代だからどうだっていうより、普遍的な問題です。モラトリアムの問題ではないかと。ある意味、僕はそれは議論するまでもないことだと思います。それを受けいれ、その上でさらにどう長期的な視野で目標達成を目指していくのか。到達するまえに飢え死にはできないですしね。

音楽でもやっぱり動機の純/不純なんていうことを問われたりしますが、それで食べていく以上は商業ベースのものの考え方に部分的に乗っからざるをえなかったりもするという、そこのアンビヴァレントですよね。いや、それはよくわかるんですけど、そこまでみんな現実的だったかというと......たとえばいまは、仮に就職できたとしても、日本に右肩上がりの経済成長なんてありえないだろうし、ラクして生きていくのは不可能だ、みたいな見積もりがすごく若い人にまであったりするじゃないですか。で、さらにそこに新自由主義的な価値観っていうんですかね、が輪をかけますね。そういう一種の世知辛さのようなものに関係してたりしないのかなあって思うんですが。ネオリベ的で世知辛くって頭打ちな社会で身につけたひとつの倫理観として、神秘性を否定して、自分を説明する責任を重視したり、「オマエはそれほどのものじゃない」という批判を内面化させたり、自己卑下・自己批判的な感覚を持ったりするんじゃないのかなと。なんか、「低クオリティですみません、注意!」みたいなことまでみんな超言うじゃないですか。NaBaBaさんも『ネット絵学』(虎硬編、2012)では就職のしかたを説いていらっしゃったりしますが、どうです、このへんは?

NaBaBa:ははは! いや、それを編集された虎硬さん自身もすごくそういう意識のある方でして。理想をただ追求しても手づまりになるという。『ネット絵学』に関して言えば、かつてネットの絵のカルチャーのなかに、そういう理想を掲げていた人たちとその人たちが集まっていた場所(お絵描き掲示板)があったということを、歴史として書き起こしたものですね。いままでそこは文字としての記録がなかった部分でして、『ネット絵学』は彼らのおこなったことを意味づける仕事でした。でもそれ以外に、あの本が出てきたってことは、やっぱひとつの気付薬として若い人たちには自覚を持ってほしいという願いがあるということだと思うんですよ。ここに出てくる絵師さんたちは、かつてはその場所、つまりお絵描き掲示板にいて絵の純粋性を追い求め、いまは社会の世知辛さをすごく感じているというたぶん最初の世代なんです。その第1世代が第2、第3の世代に対して「このまま準備もせずに外に出ると大変だぞ」ということを忠告しなきゃいけないと思っている。それにお絵描き掲示板後に出てきたピクシブには、「評価」とか「ビューワー数」とかの項目があって、そこで点を稼ぐべくふるまっていくか、純粋性を守るか、っていうような選択をすでにして求められるわけなんですね。そこで戦略性を優先した人が結局いま残っているという事実もある。そういう厳然とした事実に対して、理想を求めて散っていった人たちへの鎮魂歌が『ネット絵学』であるとも言えます。

うーん、鎮魂歌。まさにですね。お絵描き掲示板へのレクイエム。

NaBaBa:多様に存在していたお絵描き掲示板ってものを、ピクシブのなかに一元化して、ひとつの秤ではかる。そうするとその秤にのる作風もあればのらない作風もあるわけですね。それまでそれは掲示板ごとに住み分けされていたんです。けれどよくもわるくもピクシブによって統一の基準で評価されて、しかもそれが実社会と平行な関係を持つようになってしまった。点が高くて注目を集めたりすると、実際の話、仕事がきたりするようになったんですね。そうすると趣味で好きで描いてたはずの空間が、いつのまにか食ってく空間に変わってしまう。そしてそのたったひとつの秤にのるために、作風すら転換していかなければならなくなってしまった。そんなふうに導入された市場原理に、絵描きたちも自覚的にならざるをえなくなっている......。

うーん、「僕は君たちに武器を配りたい」ってやつですね。ひとりひとりが武器を持って自覚的に戦っていかなきゃ生きていけないというような皮相な自由競争の世界を、ピクシブのシステムは反映している。そしてそれをまえにする後続のティーンたちに渡したい武器が、『ネット絵学』のなかにあると。

NaBaBa:はははは。もちろんそこでいう「武器」を持たずに純粋性を優先している人たちもいます。僕自身のことを言えば、ピクシブの登場以前からそういう純粋性っていうのはほとんど持ってなくて、なんでなんですかね、表現っていうのは総合戦だって思ってるようなところがあるんですよね。ネットの絵師って、絵ばかりで評価されているわけではなくて、自分がどう望んでいようが、本人のキャラクターみたいなものもトータルで評価される面もあるんです。ツイッターとかいい例ですね。作品+キャラクター。絵はそこそこでも人気がある人は多いし、その逆もある。そういう総合力が問われてる部分は確実にあります。僕はそれに対しては肯定もなにも、そういうもんだと思ってる。で、総合戦として、こうしてインタビューを受けたり、ゲームの批評を書いたりしている。絵っていう枠からみれば外れてるかもしれないですけど、全部組み合わさった上でのステータスが高ければ、僕はそれでもいいって思ってるんです。ほかのステータスを切ってまで絵のステータスに集中しなくてもいいんじゃないかと。そういうスタンスです。

一種の芸人化、というと言い方が悪いかもしれないですが、それはやりようによっては純粋性を守る方法にもなるかもしれませんね。

NaBaBa:まあ、ほんと芸人化ですよね。ソーシャル・メディアの発達でいろんなことをひとりで発信できるようになった。ということは、いろんなことをひとりでやらなければならなくなったということですよ。逆に言えば、全部自分ひとりでできる人は浮上できる時代だということですよね。

美術の世界の地盤を揺るがすような、新しい事態ってことになりますか?

NaBaBa:タレント性の演出を視野に入れなければいけないというのは、絵描きのみならず創作する人々みなに問われている同時代的な課題です。少し舵の切り方を間違えただけで炎上騒ぎになりますし。そういう作家個人に色々なものが問われる時代だからこそ、編集者、プロデューサー、エージェントといった類の人達も、もっとコンパクトなかたちで役割を果たすことを求められる時代になると思っています。

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ギャルゲーは日本で唯一の主観視点ゲーム!? 没入感で読み解くNaBaBa的洋ゲーの楽しみ方

僕はそういう体験性っていうもの、没入感というものをすごくつよく意識していて、作り手としてもそこは極めていきたい部分ですね。

では、ゲームのお話もおうかがいしましょう。私は実家がゲーム等禁止だったものですから、常識的なところが抜けておりまして恐縮なんですが、洋ゲーっていうのは、輸入物ならなんでも洋ゲーっていうんですか? それともなにか独特のニュアンスがあったりするんでしょうか?

NaBaBa:まあ輸入物が洋ゲーということで間違いはないですが、しいて言うならアジアは除かれるかもしれませんね。韓国なんかもゲーム大国なんですが、そこは別枠にして欧米のゲームを洋ゲーと呼びならわすのかなって思いますね。

NaBaBaさんはよく「没入感」ということに言及されているんですけれども、主観的な世界への没入っていうのは、NaBaBaさんにとってゲームを評価する上での大きな指標になるんでしょうか?

NaBaBa:はい、それはめちゃくちゃ大きいですね。ある意味それがいちばん重要だと言いきります。ただ、それはひとつの手法にすぎないので、人によってはそこまでの意味を持たないかもしれません。でも僕はそういう体験性っていうもの、没入感というものをすごくつよく意識していて、作り手としてもそこは極めていきたい部分ですね。どうしてそこまで没入感を意識するかというと、それがゲームでしか表現できないことのひとつだと思うからですね。映画とか既存のメディアは、観客はあくまで傍観者として、その物語のテンプレを一方通行に追うことしかできませんよね。自分自身の意志でその世界に干渉できるというのがゲームの特徴です。その干渉に対してゲームからのフィードバックもある。遊んでいるあいだは現実を完全に忘れられるというようなことも可能になる。僕はそういう点にすごくひかれます。

没入感というのは、一般的なゲーム批評でも重要視される点なんですか?

NaBaBa:洋ゲーはそうですね。FPS(ファースト・パーソン・シューター)と呼ばれるゲームが持つ一人称視点。要は自分の視界そのままであるかのように画面が展開していくゲーム。これは没入感の優先を前提にした画面ですから、ゲームの遊びやすさ、効率という点からいえば場合によってはあまりよくないかもしれない。たとえばマリオのように落とし穴をジャンプするようなゲームでは、キャラクターが全身で映ってくれていたほうが、落とし穴と自分(キャラクター)との距離感がつかみやすかったりはするでしょう。これが主観視点だと、自分の身体が画面には映らないわけなんで、やや難しい。でもその不自由さ、非効率性を含めた上で僕は没入感というものの達成をはかります。洋ゲーはそれが深く追求されていますね。でも日本にはほとんどないと言っていい。主観視点のゲームって日本にはないんですよ。

え、ないんですか?

NaBaBa:それこそ90年代半ばの3Dゲームの黎明期にはあったのですけど、それは没入感とか以前の問題でしたし、そもそも専門性の高い技術で可能になる表現なものですから、日本では早期から取り組んでこなかったという事情もあって、開発の現場でそのノウハウがないんですね。いまからやろうとしたらそれこそすごいコストがかかるし。だからいまから取り組むのはすごくリスキーなことなんですよ。やろうとして失敗した会社はかつてたくさんあったし、参入するのは現実的ではないですね。

では日本に主観視点のゲームが根づかないのは、純粋に技術的な障壁があるからであって、たとえば風土や国民性というようなものとは無関係ってことですか?

NaBaBa:いや、関係なくはないと思いますよ。FPSが出てきたのはアメリカなんですが、その背景には銃社会だということがかなり大きく関係していると思います。日常的に銃を撃つことがありえる社会で、その体験をできるだけよどみなくゲームのなかに表現しようと思ったら、FPSのようなかたちになるのは当然だとも思いますね。逆に言えば、日本ではその体験の生々しい感覚というのは導かれにくい。銃を撃つという行為が引いた視点からキャラ同士で行われるほうがしっくりくるかもしれない。

しかし、ないっていうのもまた意外な気がしますね。

NaBaBa:すごく拡大解釈すれば日本にも主観視点のゲームはあって、それはギャルゲーなんですよ。

ああ、なるほど!

NaBaBa:女の子の立ち絵と書き割りのほかは、背景だけって感じになりますよね。あれは日本での没入感の追求のひとつのかたちであって、やっぱ女の子のいちゃいちゃや恋愛関係をリアルに感じようとすれば、主人公(自分)の姿がまるまる映っては邪魔なわけです。それは自分なので没入感を高めるためには俯瞰の絵ではまずい。主人公の視点で視界を構築する。だから日本は日本なりに、女の子と擬似恋愛するために没入感を追求していったってことになりますね(笑)。

はははっ。やや図式的ではありますけど、アメリカで1人称視点のゲームを作ると万人が敵であるようなシューティング・ゲームになって、日本でそれをやるとミクロなリア充疑似体験になって私小説的な1人称が召喚されたりするってことですね。

NaBaBa:没入感を追求すれば、行き着くさきは主観視点しかないのかなというのは思いますが、ギャルゲーっていうのは日本に固有のゲームで......

えっ、日本だけなんですか?

NaBaBa:欧米にはまずないですね。韓国やアジアには似たものはあるんですが、やはり起源は日本ですし、独自の進化を遂げているものになります。そういう日本独自の主観視点を持ったものと海外の主観視点とを融合させたものを、作り手として作っていきたいなとは思っているんです。遠い将来の夢としては。

没入感の先にあるものが何なのかということをうかがいたいんですが、それは現実の世界の見え方を少しいじって変えるというよりは、別の世界をたちあげて、そこをほんとのことにしてしまいたい、みたいなことなんですか?

NaBaBa:後者ですね。ゲームのなかの世界にいるあいだは理屈ぬきで入り込んでいたい。身体も性別も時代も超越して、モニターの向こうの世界の存在になりきりたい。ただ一方で終わりのないゲームというのは好きではないんですよ。なりきったまま帰ってこれなくなるのはいろいろとまずいわけです。かつて宗教画が、言葉や文章ではなく見たままに感じられる絵解きとしてその伝達目的を効率よく果たしたように、没入の仕組みを作るということは、よりメッセージを伝える上での効果的な方法であると思うわけです。そしてそのメッセージは現実をより強く生きるためのものであるべき。現実に帰ってきた時にほっとして、それまでの疑似体験やそこにあったメッセージ性によって、よりよい現実の人生をつくるうえでの糧になってほしい。遊び手としてそういうゲームを求めていますし、作り手としてはそういうものを作りたい。

FPSって、なにも知らないで説明だけきいたりすると、自分以外が全部敵であるようなとても殺伐とした暴力の世界を想像してしまうんですね。でも少しまえに現れたアーティストで、その名もファースト・パーソン・シューターって人がいるんですけど、彼の音なんかはとても内向的で、外に向けるべき銃を内に向けなおしたような感覚があるんです。で、曲名からはほぼあきらかにゲームの体験をテーマにしてるんだなってことがわかります。それで、こうした感覚がFPSに実際にあるものなのかどうか、不思議に思ってたんです。

NaBaBa:内向性っていうのは確実にあるでしょうね。撃ちあうだけのFPSっていうのはもう過去の話で、いまは広義の疑似体験装置としての進化がいろいろとあります。それで、そもそも没入感って内に内に入っていくっていう感覚ですから、内向するというのも当然はじめからあり得ることになります。僕なんかはもう、ヘッド・ギアみたいなやつをがちゃっと頭につけて、外界をいっさい遮断した状況でやりたいなって思うくらいですね。ただ、なかには、その主観視点の世界にほかのプレイヤーを入れて協力プレイをするようなものもあるんですよ。現実の知りあいと同じ仮想空間を体験することが作用を生むようですね。ただ、自分はちょっと受け入れられない。現実の知りあいって時点で、現実のいろいろなしがらみが仮想世界にも流入してしまいますから。そういうもの一切を遮断して、完全にひとりで没入したいですね。......なんか自分がいかに主観視点が好きかみたいな話で(笑)アレなんですけど......。これはまあ、極端な楽しみ方だとは思うんですよ。いまは協力プレイ込みのゲームのほうが増えているんで。ひとりで入り込むっていうのは、先鋭化された楽しみ方であるというか、そこに対する恐怖心というか、警戒を持っている人は多いですね。

先鋭化された楽しみ方っていう言い方、すごく合点がいきます。

ゲームと社会の成熟関係――チェルノブイリやアフガンをゲームにできますか

現代社会を舞台にしたゲームは非常に少ない。でも一方で『Medal of Honor』という米軍の一員となって、アフガニスタンでの戦争を追体験するというようなゲームもあります。アドヴァイザーとして米軍自体が協賛している場合もある。

NaBaBa:ウクライナのゲームに『S.T.A.L.K.E.R.: Shadow of Chernobyl』というのがあるんですが、これは事故のあったチェルノブイリ近辺を、自由に歩き回れる3D空間として再現したものなんです。とくにルートが決められていたりするわけではなくて、勝手に移動してサヴァイヴァルする。ただし放射能の汚染がつよい地域なわけで、場所によっては死んでしまう仕組みになっています。これは地球上に現実にあって、かつ行くことができない場所でもあるわけで、没入するにはもっともふさわしいロケーションじゃないでしょうかね。もちろんそういう場所を舞台として選定した、あえてゲーム化した、ウクライナの人たちの強いメッセージも感じる。

チェルノブイリをゲームに用いるというのは果敢ですね。事故から時間も経ってますけど、日本でフクシマとなれば、映画とか文学とかアートには許されても、ゲームはけしからんということになるでしょうね。

NaBaBa:現代社会を舞台にしたゲームは非常に少ない。でも一方で『Medal of Honor』という米軍の一員となって、アフガニスタンでの戦争を追体験するというようなゲームもあります。当時も遺族から批判があったりして問題があった。それでも作っちゃうわけです。さらにはアドヴァイザーとして米軍自体が協賛している場合もある。

ええ!

NaBaBa:アメリカの場合はプロパガンダ的な意味あいも強いんですけどね。志願兵制度ですから、米軍の兵士というのは、こんなに立派で、こんなに国民のみなさんを守ってますということをメディアを通じて宣伝するわけです。ハリウッド映画もあれば、ゲームもある。いっときは米軍がFPS作ってましたよ。『America's Army』というそのものズバリなタイトルですね。もともとは訓練用のものではありましたが。ゲームと社会との関わり方という点では日本とアメリカは大きくちがいますね。ウクライナだってそうです。ゲームというメディアに対する意識のちがい、ひいては表現作品に対する意識のちがいを感じざるをえないところですよね。

ほんとうにそうですね。

NaBaBa:市場規模でもハリウッド映画とゲームの関係は逆転しましたから。いまはゲームのほうが儲かってます。『アメイジング・スパイダーマン』のトレーラーなんかも、いちばんはじめに公開されたやつは、スパイダーマンの主観視点で街を飛びまわるもので、アメリカでは批判が起きましたね。映画なのにゲームの表現をパクるのか? みたいな。それも象徴的な話です。ご覧になりました?

いえ、観たかな......?

NaBaBa:あるゲームのトレーラーにそっくりで、僕なんかも笑っちゃったんですけど、ええと......

(iPadでみせていただく)

ああ、観ました!

NaBaBa:で、これがそのパクリのもとだって言われてる『Mirror's Edge』というゲームとの比較映像です。



あ、NaBaBaさんのサイトで紹介されてましたね。......うわ、ほんと似てる。

NaBaBa:ですよね。映画人的には映画のほうがゲームより優れているんだという意識がありつつも、市場的に逆転されつつあることへのくやしさもあるはずなんですが。そういう地殻変動が指摘されてからもう数年経っています。世界的な不況でマーケット自体がちょっと縮小してはいるんですが、それだからこそインディのものが元気になりはじめたりもしていて、まあ、日本とは温度差がありますね。

「洋ゲーを通して見えてくる日本はありますか?」って質問をしようと思っていたんですが、すでにいろいろ出揃いましたね。

NaBaBa:ははは!

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なんでぜんぶ、女子の絵ばっかりなんでしょう?

でも、自己投影だったり自己模造だったりするんですよ、その女の子の絵も。

では素朴に質問するんですが、「悪夢のドリカム」展もそうですが、たとえばあのなかとかに女性・少女の絵しか出てこないのは、なんでなんでしょう?

NaBaBa:......ですよね。狙ったわけではないんですが、男性の絵が排除されていて女性の絵ばかりになってはいる。これは......なんでだろうな、日本のオタク文化の問題でもあると思います。性的な趣向という部分もある。オタク文化はしばらく男性本位のものでもあったわけで、しかもオタクだからリアルな女の子との接点もなかなかない......そんななかで女性の神秘性への憧れを引きずっているのかもしれない。ただ、いまの人たちや、このまえの展示に出ていたような方々が、そういうオリジンの持っていた憧れをどこまで引いているかはわからない。その様式だけを継承しているのかもしれないですし。まあ、オタクの象徴として女性を描くということはあるかなと思います。あと、ギャルゲーに男性の絵が出てこないことと同じかもしれないですね。

女性のほうも、じゃあ『テニプリ』(『テニスの王子様』)でもなんでも、イケメン・パラダイス的な消費とか動機とかがあるわけですが、それが反転しただけってことです?

NaBaBa:いわゆる腐女子の人とかは、男性をモチーフにされるわけですけど、男性のほうはそうやってモチーフにされることに慣れていなくって、われわれが腐女子の描いた男性の絵とかをみるとまだ生理的に受けつけられないんですよ。女性の場合はもうずいぶんと長いあいだ描かれつづけてきたからか、慣れているんじゃないでしょうか。たしかに男性本位で描かれた女性像なんだけど、それはそれとして女性も楽しめるという感じになっているんじゃないか。そこは一周まわって、『らき☆すた』や『けいおん!』とか、男性も女性も楽しめるハイブリッドが出てきているんじゃないかと思うんですけどね。いまは女性のモチーフというのはもともとの意味性を剥奪されて様式化・テンプレ化されてきてるのかなと。女性の描く男性はまだ男性も受け入れられるというレベルのテンプレ化まではきていない。

ポルノとしての機能を超えて、女性の描き方が様式化されてきているというのは納得もできるんですが、ではそうだとして、なぜ男性が男性をほとんど描かないんでしょう?

NaBaBa:なんだろうな、男性からみれば男性っていうのは魅力的ではないですし......僕についていえば、べつに男性を描いてもよかったんですけど、ピクシブなんかで目立つときに、戦略としては女性の絵を打ち出していかないとだめですよね。海外では、ある種マッチョなものへの嗜好として、男性が男性を描くっていうのはありますけどね。でも、自己投影だったり自己模造だったりするんですよ、その女の子の絵も。結果としては性別は女性に変えてしまうけどっていう。

あ、自己投影とか自己模造なんだ、なるほど......! あの女の子たちは自分なんですか......。説得力ある男性のモデル、テンプレってやつがまだできてないというようなことですかね。

NaBaBa:西洋絵画の歴史を紐解いても、女性の絵が多いわけで、それは男性社会だったから女性は絵が描けなかったということもあるかもしれないけれど、裸婦像なんかはポルノとしての役割を確実に果たしてもいた。女神だなんだと意味づけをして女性の裸を描く。描き方にもいろいろあって、ある方法にのっとればそれはオーケー。ポルノではない、とか。今回の出店した「あっち向けってんだろホイッッ!!」かは、指人間みたいなかたちで、男性の筋肉のキャラクターを描いてはあるんですけど、やっぱり、男性を出すときっていうのは、汚い、現実側の存在として描きますね。

父とか制度とかっていう?

NaBaBa:まあ、童貞的な世界観なのかもしれないですけどね。言ってしまえば。ギャルゲーに主役の男性像を抑えがちなのも、そういう、現実側の象徴が出てきてしまっては没入感が阻害されますから、そういうことかもしれません。かつては『Air』や、『Clannad』だのといったKey原作の京都アニメーションの作品だとかは男性のキャラクターが出てきてたんですよ。でもそれも最近はさらに排除されてきている。

童貞以外の「大人」の男性の像がない、というか、かたちにならないってこと自体クリティカルなことにも思えますね。あたらしい男の人のかたちが見えてこないことには、絵にもできない。音楽のシーンでも、2000年代っていうのはマッチョイズムの解体とともに進んできたようなところがあるんですよ。だから新しい音を創出してきた人たちは、ある意味で男性性を薄められた「しょぼい」存在かもしれないんです。けど、ならばこそ女性がそのよさを見つけ出して描いて取り出していくほうが簡単かもしれないですよね。

NaBaBa:父以外の男性の輪郭っていうのは腐女子文化によって整えられていくようにも思えますよね。それが、まだ男性の側まで届いていない。女性に理想像をつきつけられたときに、とまどってしまうことはあるかもしれないですね。僕らはまだそのような視線によって「みられる」ことに慣れてはいないですから。敗戦後はおそらく、日本では男性とか父というものに対してはある意味でダメオヤジ的な蔑むような視線が投げかけられてきたし、軍隊も持たなかった。アメリカのゲームに出てくるような強くて逞しい男性像は描きにくいです。

NaBaBaのこれから

線がブレてて、マティスっぽい背景で、建物が水墨画で、手がワタワタしてたり......

では、しめくくりとしてこれからのご活動の予定や告知などをおうかがいしたいと思います。

NaBaBa:予定は未定といったところもあるのですが、いちばん大きいのは今回の「悪夢のドリカム」展の海外での展示が控えていますので、それにむけての準備というところになるかと思います。遠い未来には自分でゲームを1本作りたい。......これ、あちこちで言ってるんで、ほんとに実行しないとまずい状況にはなってきました(笑)。

その海外にむけての準備というのは、具体的にはどういうことになりますか?

NaBaBa:そうですね、すでに新作を何点か描こうというようなことにはなっています。ライヴ・ペインティングで描いていたもの(https://www.ustream.tv/recorded/23047115)を完成させようかなと思っております。これはニコ生のほうで流れたときにいろいろとコメントがついていたんですが、ひとりだけ、昼の1時から夕方6時まで、ディスのコメントを書きつづけていた人がいたんです。たしかにディスなんだが、こんな時間ずっとこの映像にかじりついてコメントを書きつづけている執念はなんなんだと。マティスっぽいからダメだとか、水墨画のほうがいいとか、線がブレすぎ、とかいろんなことを言われたんですが、じゃあ、この人の批判点を全部ひとつの作品のなかに盛り込んだら、彼はいったいどんな気持ちになるんだろうと思って、描いちゃおうと。

あははっ。

NaBaBa:線がブレてて、マティスっぽい背景で、建物が水墨画で、手がワタワタしてたりとか、そういうオーディエンスとの緊張関係はこれからも作りつづけていきたいなと。

インタラクティヴ性みたいなことのほかに、相手の要求を技術的にも満たすっていう緊張感がありますね。

NaBaBa:そうそう。文句は言わせないけど、君の要求することは全部入れました、みたいな。やっぱそこは意識的にやられちゃうと、まえのような批判はもうできなくなると思うんですよ。その掛け合いは楽しみたいですね。

(笑)ぜひ、会場でもそのときのニコ動の映像を流してください。

NaBaBa:もう、絵のタイトルをそいつの言った言葉全部つないだやつにしようと思ってます。

(笑)とてもおもしろいお話をうかがうことができました。ありがとうございました。


ryo of dextrax (dxtx / The Dubless) - ele-king

ジャックハウス集団dextraxと並行して、The Dublessというバンドユニットで活動してます。
ROOM FULL OF RECORDSより今夏12インチをリリース予定。
The Dubless Live Schedule
7/21(sat) Idjut Boys Japan Tour at eleven
8/25(sat) VIDEOGRAM at Star Pine's Cafe
The Dubless
https://soundcloud.com/thedubless

Around The Dubless


1
The Dubless - Blackkite(Rondenion's Ragrange Mix) - ROOM FULL OF RECORDS

2
Fleetwood Mac - Albatross

3
Steve Miller Band - Fly Like An Eagle - Capitol

4
Donna Summer - I Feel Love - Casablanca

5
Laidback - Fly Away - Sire

6
山田美也子 - 勇気一つを友にして - みんなのうた

7
Todd Rungren - Lost Horizon - Rhino

8
Rondenion - Mechanical Motion - Ragrange

9
MINGUSS - Portrait Of Jon - Tokiora

10
Rampoo - Pop Demo - Soundcloud

Chart by JET SET 2012.07.17 - ele-king

Shop Chart


1

Rapture - Children (Bitches Brew)
名門DfaやThrone Of Bloodを拠点にリリースを展開しているトリオ・ユニット、The Raptureによる最新作のリミックスEpが"Bitches Brew"より登場。Darkstarr & Yam Who? & Ashley Beedleによる強力2作をカップリングした見逃し厳禁の大推薦Ep!!

2

Seahawks - Violet Skies (Ocean Moon)
日本が誇るサイケデリック/辺境ユニット、Cos/Mesを筆頭にノルウェージャン・コンビ、Rune Lindbaek & Oyvind Blikstadに加え、Discossessionのメンバーとしても知られる、Jonny Nashによるリミックス収録!

3

Lord Of The Isles - Searching / Don't Reach (Cocktail D'amore)
EneやFirecrackerのオフシュート、Unthank、American Standard、Adult Contemporaryからの作品等がいずれもヒットとなった人気の、Lord Of The Islesによる最新作がCocktail D'amoreの第4弾作品としてリリース!

4

Trance Yo Lie / Madteo - Cosa C'e' Sotto? / We Do... (Wania)
Trance Yo Lieなる詳細不明アクトによる極上ディープハウス楽曲を収録したA面、Ny地下シーンに潜むドープ・イタリアン・タレントMadteoによる楽曲をDj SotofettがリミックスしたB面共にドープなオールド・ハウスを彷彿させる珠玉作!!

5

Mungolian Jetset - Smells Like Gasoline (Smalltown Supersound)
HarveyやTodd Terjeによるリミックスを収録したBjorn Torskeの作品や、Todd Terje、Lindstrom、Idjut Boysの作品等、絶好調の好リリースが続くSmalltown Supersound最新作!

6

Mike Simonetti - Mike Simonetti's Circadian Rhythms Ep (Public Release)
レーベル第一弾を飾ったB.i.s.のTim Sweeneyを皮切りに、Jacques RenaultやBlackjoy、40 Thievesといった人気アーティストがリリースを繰り広げてきた"Public Release"の第五弾。

7

Breakbot - One Out Of Two (Because)
「Fantasy」に続く4枚目のシングルは「Baby I'm Yours」と同じくIrfaneが歌う"One Out Of Two"。リミックスも粒揃いです。

8

Muro - Tropicool Boogie VII -11154
ラテン、ディスコ、ブギーを中心にカリビアンやレゲエ、メロウなAorまで飛び出すMuro氏ならではの遊び心と冒険心満載の1枚。今年もこの季節がやってきました!

9

Slime - Increases ii (Get Me!)
ご存じDam MantleやGraphicsらのリリースで注目を集めるチルウェイヴ以降のUkベース・ポップ・レーベルGet Me!からの004番は、ジャズ畑の新鋭ユニットSlimeによる特大傑作1st.!!

10

Falty Dl - Hardcourage (Ninja Tune)
Planet MuやRampなど人気レーベルからのリリースでお馴染みNyの美麗Ukベース人気者Falty Dl。Ninja Tuneクラシックにオマージュを捧げる温故知新なレイヴ風味キラー・トラックスを完成です!!

[music video] ♯1 - ele-king

THE OTOGIBANASHI'S - Pool



 2度と戻らない青春の夏の1ページを記録したような甘酸っぱい感覚に満ちている。ここから、かせきさいだぁやフィッシュマンズ、あるいはチルウェイヴを連想するのは安易だろうか。いずれにせよ、THE OTOGIBANASHI'Sの、3分ちょっとの衝撃のデビュー曲である。T.R.E.A.M.のインタビューに拠れば、THE OTOGIBANASHI'Sは、B.M&僕(B.M&boku)、インディ(in-d) 、パルベッドストック(PalBedStock)の3MCから成るグループで、B.M&僕とインディは19歳、パルベッドストックは弱冠16歳だそうだ。トラックを作るのは、17歳のBlackaaat(読みはブラカットだろうか??)こと、あらべぇで、彼はブンやキラー・ボング、J・ディラなどに影響を受けていると語っている。『ele-king Vol.6』に倣って言えば、これもまた宅録文化の最前線と言えるのだろうか。ともあれ、この若さで、このセンス、今後が楽しみでしょうがない。

B.I.G.JOE - Hurry!!!



 『ブラック・パワー・ミックステープ~アメリカの光と影~』を観て、60年代後半から70年代前半の、ブラック・パンサーのストークリー・カー・マイケルやアンジェラ・デイヴィスのスピーチがずば抜けて格好良かったことに感動した。感情を爆発させることは容易い。いかに激情をコントロールして、テンションをキープし、クールにキメるか。ビッグ・ジョーは原発の問題や311以降の硬直した日本社会といった難しいテーマに挑みながら、カー・マイケルやデイヴィスがそうであったように、決していきり立たず、クールに、セクシーに、「立ち上がれ!」と民衆に呼びかけている。大きなテーマに捻じ伏せられることなく、軽やかにラップするビッグ・ジョーに痺れた! 「Hurry!!!」は、ビッグ・ジョー流の「ファイト・ザ・パワー」であり、「ファイト・フォー・ユア・ライト」である。

KLEPTOMANIAC feat.RUMI,MARIA - LA NINA



 トラックは〈ブラックスモーカー〉のアートワークを数多く手がけるクレプトマニアック、そしてラップするのはルミとシミ・ラボのマリア。この3人のレディのコラボレーションが決まった時点で、勝負はあった! はい、10年代のヒップホップ・クラシックの誕生です。体を揺さぶるぶっ太いビートとベース、ルーツ・レゲエからサンプリングしたようなルーディーなギター、複雑に絡み合う機械的な響きのするパーカッションとクラップ、そして自由気ままなシーケンス。それらは、既成の秩序に対する挑戦、あるいはそこからの逸脱を雄弁に表現しているように聴こえる。ルミは深い闇の中を蝶のように妖しげに舞い、マリアは日本語と英語を巧みに織り交ぜ、華麗に泳いでいる。マリアからはたしかにニップスの影響を感じる。勢いを増す〈ブラックスモーカー〉が8月に発売する女性アーティストのコンピレーション『LA NINA』からの一曲。ダブ、テクノ、ヒップホップ、ノイズ......コンピもとんでもないことになっている。

田我流 - やべ~勢いですげー盛り上がる



 すでに本サイトにレヴューがアップされた田我流のセカンド『B級映画のように2』からのニュー・シットなのだが、ミュージック・ヴィデオがやべ~勢いですげー最高なので紹介しよう!! これはもはやアメリカのアクション・ドラマ『特攻野郎Aチーム』のはちゃめちゃな世界観にタメをはっている。『特攻野郎Aチーム』の山梨ローカル・ヴァージョンとも言えるし、労働者階級のファンキーな暴走とも言える。と、まあ、いろんな見方ができるが、とにかく痛快だ。ところで、田我流にインタビューした時に聞いたのだけど、この曲は90年代後半のダーティ・サウスを意識していて、ブレイクする前のスリー・シックス・マフィアをモデルにしているという。なるほどね~。

SHINGO★西成 - 大阪UP



 大阪・西成のアニキの登場です! シンゴ★西成の通算三作目の新作『ブレない』からの一曲で、風営法の取り締まりで悪戦苦闘を強いられている大阪クラブ・シーンに闘魂を注入するような大阪賛歌だ。ラッパーやクラブ関係者、DJやダンサーだけでなく、近所のお店のオバちゃんやお姉さん 、赤井英和といった人たちも登場するのがいい。シンゴ★西成は今年のはじめに、日本最大の遊郭、飛田新地の活性化のためにブロック・パーティを主催している。その辺の話は近くアップされるであろうriddimのインタビューで大いに語ってもらっています。ほんと、この人はブレません。日本の大衆音楽としてこういう人が売れないとダメでしょ。シンゴ★西成を聴いていると、平岡正明の「歌手は大衆の欲望と表現を反射すればいい」という名パンチラインをいつも思い出す。元気の出る一発!

Motty - ele-king

Liquid Loftでの送別会から早3年。
現在は故郷の岩手県奥州市に2012年2月にopenしたばかりのCLUB Bugpipeを拠点にDjをさせていただいてます。震災以降に出来たお店ですがスタッフも空間もサイコーです。7/14(sat)にはGuestに Moodman を迎えて盛大にパーティー!!東北の方は是非!!
HAKOBUNE 7/14(sat) at Bugpipe
OPEN22:00 ¥1500 GUEST DJ:MOODMAN
DJ:UMEDA(JAZZRIZE) MOTTY GOKIUCHI 船長

twitter | Facebook | Bugpipe

ここ最近。2012年6月20日


1
Pele&Shawnecy - Kings Of The Garden EP - Cecille Numbers

2
La Pena - La Pena 009 - La Pena

3
Johnwaynes - Let's Get Lost 12 - Let's Get Lost

4
Brennan Green - My First House - Wurst Music Co.

5
Acid Pauli - Sidney/Darwin - Smaul

6
Eddie C - Make Change/Never Let Go - Flashback Records

7
Situation Edits - Pushin'On/Get On Up - Disco Deviance

8
Claudio Mate - Lilith Dimension EP - Lilith

9
Robag Wruhme - Donnerkuppel - Kompakt

10
Intruder(A Murk Production)feat.Jei - Amame - Defected

SpaceGhostPurrp - ele-king

 「コクトー・ツインズとウータン・クランとの出会い」――こう形容されているのがヒプナゴジック・ラッパー、マイアミ出身の20歳、MC/プロデューサー、ムニー・ヨルダンのスペースゴーストパープ名義のデビュー・アルバム『ミステリアス・フォンク』である。彼は、ご存じのように、メイン・アトラキオンズクラムス・カジノ、エイサップ・ロッキー、オッド・フューチャー、リル・Bらクラウド・ラップの一群に括られているひとりだ。
 メイン・アトラキオンズのアルバムもそうだったが、いかにもガラの悪そうなこのレコードは、下北沢では、〈100%シルク〉やカインドネス(チルウェイヴに対するUKからの回答)やなんかと隣り合わせに並べられている。レーベルは〈4AD〉。昨年、シャバズ・パレセズのアルバムが〈サブ・ポップ〉から、タイラー・ザ・クリエイターのアルバムが〈XLレコーディングス〉からリリースされているが、それらに続くかのように、インディ・ロック・レーベルからのヒップホップ作品のリリースで、しかもその音は......呪われた咳止めシロップとスクリューと、チルウェイヴとウィッチハウスと、濃い霧のかかったスタジオと、そしてどうしようもない無気力さが注がれている。〈ストーンズ・スロー〉の隣よりもウォッシュト・アウトの近くのほうが合っているし、グルーパーモーション・シックネス・オブ・タイム・トラヴェルの幽玄的な世界とも親和性が高そうだ。もちろん言葉ではない。そのサウンドにおいてのみ。
 ただし、"フォンク(Phonk)"とはマイアミのスラングでファンクの意である。すなわちこれは悪名高きG・ファンクの子孫であり、アダルトショップの世界であり、申し訳ないがファックの世界である。ファック・トゥ・ザ・フューチャー。マスタリングはロンドンのアビーロード・スタジオ。

 この若く新しい美学は、ほかにも飛び火している。ピッツバーグ出身の19歳の白人ラッパー、マック・ミラーが先月リリースした『ブルー・スライド・パーク』にもクラムス・カジノがトラックを提供しているが、最近彼が発表したミックステープ『Macadelic』にいたってはザ・ビートルズの"ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド"が引用されている。セックス・ピストルズとオッド・フューチャーを(そしておそらくは、ファレル・ウィリアムスとグッチ・メインを)尊敬する10代のMCの音楽にも、ストーナーでサイケデリックな感性が打ち出されている。
 その意味においては、彼の音楽は、ウィズ・カリファのスモーキーな領域とも繋がってくるわけだが、ミラーはヒプナゴジック・ラッパーたちほど眠たく、そして退廃的なわけではない。スクリューめいたドロッとした重さもない。曲によっては軽快に聴こえるほど、キャッチーで、闊達なところがある。それがゆえに彼には「ラップの黄金時代を思い出させるMC」という評価もあるほどだ。
 実際、彼のミックステープは10万回以上ダウンロードされ、『ブルー・スライド・パーク』にいたっては、びっくりだが......『ビルボード』のアルバム・チャートで1位になったのだ。成人向けのスペースゴーストパープと違って、こちらは子供でも踊れるだろう。それでも若さゆえの正しき不良性を秘めている。

 ちなみに、スペースゴーストパープあたりの幻覚性の高いトラックに数年前から目を付けていたのが東京のブッシュマインドで(彼によれば、ある種のホラー感覚に関してはメンフィスがとくに早かったという)、ちょうど彼の『グッド・デイズ・カミン』のアナログ盤もいまリリースされている

ベッドルーム・リスナーたちよ、外にも中はある。ダブやドローンやアンビエントをくぐって先鋭化をつづけるメディテーショナルなインディ・ミュージックを、いまもっともラディカルに追求するレーベルのひとつ〈100% Silk〉が日本を縦断! いまというときを記録すべく、あなたの目と耳はひとりの記者として彼らにひらかれていい。実際のところ数年後に彼らがどうなっているかなどわからない。だが事件性のあるイベントであることは間違いない。また、本誌『ele-king vol.6』でも登場願ったSapphire Slowsの存在は、若く名もない日本のアーティストたちを勇気づけるだろう。京都では〈Second Royal〉と、東京では〈Diskotopia〉と激突。各地のDJたちとの混淆も見逃せない。

詳細→https://www.inpartmaint.com/event_live_information/100silk.php

●07.13 (Fri) @ 大阪 | Osaka Clapper with OZ
LIVE: ITAL, Magic Touch, Sapphire Slows, Avec Avec, MADEGG

●07.14 (Sat) @ 京都 | Kyoto Metro with Second Royal
LIVE: ITAL, Mi Ami, Hotel Mexico DJ: Magic Touch
ACT: Magic Touch / HALFBY / Handsomeboy Technique / 田中亮太(club snoozer) /
Tomoh / 小野真 / 小山内信介
VJ: TR3

●07.15 (Sun) @ 名古屋 | Nagoya Live & Lounge Vio with Day In Day Out × picnic
LIVE: ITAL, Magic Touch, Mi Ami, Sapphire Slows
DJ: yusuke sadaoka (LC/OZ/FR) / Little P (WHITE/BLACK) / Y (Day In Day Out)
/ kinoko (picnic) / 2bn (PLAYON)

●07.20 (Fri) @ 仙台 | Sendai Club SHAFT with AFTER DARK
LIVE: ITAL, Magic Touch, Mi Ami, Sapphire Slows
DJ: kaaanji, APU, pruity, kenko, yoichi, K, ryuji

●07.21 (Sat) @ 東京 | Tokyo WWW with Diskotopia
LIVE: ITAL, Magic Touch, Mi Ami, Sapphire Slows,
DJ: A Taut Line, BD1982, Greeen Linez, Am Rhein, Mayu, CUZ ME PAIN



100% Silk ツアー / プロモーション / リリース情報
https://soundcloud.com/pdis_inpartmaint/sets/v-a-the-silk-road-1

100% Silk JAPAN Tour 2012 - ITAL, Magic Touch, Mi Ami, Sapphire Slows -
予告


Chart by JET SET 2012.07.09 - ele-king

Shop Chart


1

Locussolus - Berghain / Telephone International Feel /
ウルグアイを拠点に構えるバレアリック・トップ・レーベル"International Feel"からリリースされた過去作全てがカルト・ヒットを記録しているDj Harveyを中心とした新プロジェクトLocussolusによる待望の新作2トラックス。

2

Marter - Comfort "Kuniyuki Takahashi Rmx" Jazzy Sport /
国内はもちろんのこと海外でも高い評価を獲得する、Marterがビート・ダウン~ハウス・シーンで多くの支持を獲得すること必至な強力盤をリリース!

3

Little Tempo - Golden Deluxe - The Best Of Little Tempo Sunshine /
説明不要のジャパニーズ・ダブ・バンド最高峰、リトルテンポ。結成20周年を記念した自身の選曲によるベスト・アルバムが登場!!なんと、Cd3枚組全45曲、豪華箱入りデジパック仕様。限定店舗のみとなるノベルティ・7インチ特典付きます。

4

Cornershop - Solid Gold Aniligital /
ごぞんじCornershopの最新アルバム『Urban Turban』収録のキラー・ディスコ・トラックが、ラメ入りゴールド・ディスクで完全限定ヴァイナル・カット!!

5

Major Lazer - Get Free Mad Decent /
説明不要の黄金タッグ、DiploとSwitchによる衝撃のミラクル・ポップ・ソング。Bonde Do Roleのリミックスをカップリングしたナンバリング入り完全限定盤!!

6

Almunia - Pulsar / The Magician Claremont 56 /
Ukバレアリック人気レーベル"Claremont 56"から、Leonardo Ceccanti & Gianluca Salvadoriのイタリアン・デュオ、Almuniaによるシングル第二弾が到着!!

7

James Mason - Rhythm Of Life Shout Productions /
レア・グルーヴ、ジャズ・ファンク、ディスコ・ブギー...Theo ParrishからMuroまで、ジャンルを超えDj/アーティスト達にも愛され続ける『Rhythm Of Life』が再発。

8

J Rocc & Rhettmatic - Beat Junkies 45 Series Volume 1 Fat Beats /
J Roccの呼びかけにより1992年Caにて結成。凄腕ターンテーブリスト集団として確固たる地位を築き上げ、ヒップホップをネクスト・レベルへ押し上げたレジェンダリー・クルー=Beat Junkiesから、7"シリーズがリリース!

9

Haruka - Easy Listening - /
Future TerrorのHarukaによる、アンビエント・ミックスが到着。アンビエント~ドローン~電子音楽~フィールド・レコーディング音源などをもとにミックス。アート・ワークは河野未彩さんが担当。

10

V.A. (Compiled, Edited And Mixed By The Idjut Boys) - 5 Years Of Claremont 56 Claremont 56 /
Paul Murphy手掛けるバレアリック~ニューディスコ系人気レーベル"Claremont 56"の設立5周年を記念した豪華3枚組アルバムが登場!!

interview with Hot Chip - ele-king

 僕が欲しかったのは君だった
 さあ、僕らの最後の選択の時だ
 僕たち、どうやって嘘をついたり後知恵で批判したりするだろうか?
HOT CHIP "Don't Deny Your Heart"(2012)

 え~、またなの~? 親愛なる読者、どうかそう思わないで欲しい。来日ライヴはまるでパンクのコンサートのように、下手したらトリのブロック・パーティを食ってしまうほどの縦のりの大騒ぎだったホット・チップ。以下、バンドのフロントをつとめるふたり、アレクシス・テイラー(Alexis Taylor)とアル・ドイル(Al Doyle)といっしょに、実験的な取材を試みた......。


うん、髭のある女性は好きだな。とっても無愛想で......脅迫的で......暴力的で......男っぽくて......毛だらけで......髭が生えてる女性かな。








Hot Chip

In Our Heads


Domino/ホステス


Review
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野田:いいですか? 今回はひとつルールを決めたいと思います。「絶対に、本当のこと、真実を言ってはいけない」というルールです。

どうでしょう?


アレクシス:(即答)了解。いいよ。


アル:りょ、了解......難しいね(笑)!


野田:それでは「ホットチップくん」、よろしくお願いします。


オッケー。えー、まず最初に、Welcome to Japan! ということで、日本の好きなところはどこでしょう?


アル:(即答)何にも好きじゃない。嫌い。


(一同爆笑)


アル:こんな感じで行きますよー、みんな(笑)!


アレクシス:この視点で、ちょっと考え方を変えてみよう。なんで僕が日本を好きか。食べ物がシンプルで、ここで食べれる料理はひとつだけ。


アル:そうだね......(笑)!


アレクシス:ハンバーガーしかないから。まあ、いいんだけど。あと、住んでる人が......もっと愛想があったらいいのになと思う。


アル:ふふふふ......(笑)!


アレクシス:献身的じゃないし、秩序もないし、何事にも雑だから。いや、これ難しいね。こんな嘘をついてると、僕が無礼に聞こえない?


(一同爆笑)


アレクシス:でも嘘をつき続けなきゃいけないんだよね。もっと上手く答えていこうか。


好きな女の子のタイプは?


アル:アレクシス、これはマジでちょっと......(笑)!


アレクシス:これも嘘じゃないといけないんだよね? 了解。(しばし沈黙)......とっても無愛想で......脅迫的で......暴力的で......男っぽくて......毛だらけで......髭が生えてる女性かな。


アル:うん、髭のある女性は好きだな。うん、髭か......気にしないけどね。


アレクシス:ほんと、こんなこと考えたことなかったよ。ねえ、やっぱり、ほら、すごく無礼に聞こえるよね?


アル:無礼になるのは愉しいよ! 日本では無礼な感じでいこう。ははは(笑)。


アレクシス:女性全員を不快にしてしまいそうだね。


心配しないで!「Don't Worry. There is nothing left to....」


アル:そうだね(笑)。


(註:アレクシスの別バンドであるアバウト・グループ≪About Group≫の曲"Don't Worry"の歌詞)


得意な楽器はなんですか?


アレクシス:僕はギターの才能が輝いてるよ。


(一同笑)


アレクシス:ギターに関してはハッキリと言える。それに、たぶん僕は世界一のギタリストだよ。惑星一だ。あとは、吹奏楽器ならなんでも得意。なんでもこいって感じだよ。


アル:僕も吹奏楽器は得意だな。


ほう。2010年のツアーでは"I Feel Better"のイントロでフリューゲル・ホルンをプレイしてましたね。


アル:そうそう。とても得意だよ......って、嘘つくのも大変だ!


アレクシス:これって僕らが嘘をついてることは読者に伝えてくれるの?


野田:もちろん、もちろん!


もちろん、もちろん! オフコース!


アレクシス:了解。いいよ。......でも、それも嘘かもしれないじゃない?


いやいやいや......なにもなにも......(笑)。


アル:ぷははははは! 了解(笑)。


このインタヴューはスペシャル・ゴージャス・ボーナス・トラックです!


アレクシス:了解。


アル:ははは、了解。気にしないで(笑)。


そう、そのロイヤル・トラックス(Royal Trux)みたいな感じです。


アレクシス&アル:ふふふふ......。


(註:『In Our Heads』のボーナス・トラック"Doctor"にはロイヤル・トラックスのニール・マイケル・ハガティ≪Neil Michael Hagerty≫がギターで参加しており、ロイヤル・トラックスのアルバム『Accelerator』のTシャツをインタヴュー時のアレクシスが着ていた)


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ひとつ問題があって、記者たちは僕たちの最初の指令を読み違ってしまった。「Greek」(「ギリシャ人」)という語から「r」を忘れてしまったんだよ。僕らはギリシャ人なんだけどもね。記者たちは僕らが「Geek」(オタク/奇人/ダサい男)という言葉を発信したがってると思ってしまったんだ。

自分の好きなところはどこですか?

アレクシス:うーん......。僕は背が高くて......。

ふふふ......(笑)。

野田:うう(笑っていいのか気遣う)。

アレクシス:だから、見晴らしがいいところ。......僕の体型も好き。で......。

アル:僕は彼の体型きらいだけどね。ははははは!

野田:ははははは!(遂に笑う)

ふふふ(笑)。

アレクシス:......視覚が優れてること。で......、聴覚が素晴らしくて......、強い意志の力があるところも好き。......あらゆる悪に抵抗できることも。......それで......決断力もあるところ。

なるほど。あなたはアバウト・グループのリーダーですもんね。

アレクシス:いや、違うよ。

本当ですか、えっと、では。

アレクシス:17名いるメンバーのうちの1人でしかないよ。

17名?

アル:ふふふ(笑)。

ふふふ(笑)。了解しました。好きなダブステップのアーティストはいますか?

アル:(即答)スクリレックス(Skrillex)!

野田:ははははははは(爆笑)!

やっぱり(笑)!

アル:明らかでしょ!

アレクシス:僕は世に出ているダブステップに関するあらゆるものが好きで、ずっとずっと後世まで残ればいいなと思ってる。僕にとっては、もっともオリジナルでもっとも高尚な音楽のフォーマットかな。

はははは......!

アル:ふふふ(笑)。

レディオヘッドについてはどう思いますか?

(沈黙、5秒)

アレクシス:表現豊かで、......思慮があって、......とても音楽が美しい。とくに歌手の声がね。彼にしか触れられない心の琴線というのものに届くいてくるし......。

アル:ふふふ(笑)。

ふふふ(笑)。

アレクシス:で、......彼ら全員がレディング(Reading)出身というのに感心します。

アル:レディングという町にとても貢献してるよね。

(註:レディオヘッドはオックスフォード(Oxford)出身。ちなみに、ホット・チップのうちジョー・ゴッダード(Joe Goddard)はオックスフォード大学出身)

チャールズ・ヘイワードやロバート・ワイアットのようなポリティカルなミュージシャンとの共演についてはどのような感想をもっていますか?

アル:(即答)やったことない。

アレクシス:ないね。

(一同爆笑)

おおおお、了解、了解しました(笑)! では、とくにポリティカルなロバート・ワイアットのような人と共演したいと思いますか?

アレクシス:うーん、政治には興味がない。2012年以前に作られたどんな音楽にも興味がない。どれにもね。

アル:古臭いよね。

アレクシス:古くて霧のかかった音楽だよ。

アル:彼らには「黙れ、ジジイ」と言いたい。「黙ってればいいから。音楽やらなくていいから」と思うな。

(註:元ディス・ヒート≪This Hear≫として名高いチャールズ・ヘイワードは、ホット・チップの『One Life Stand』と『In Our Heads』にも参加しており、アバウト・グループのメンバーでもある。元ソフト・マシーン≪Soft Machine≫のロバート・ワイアットはホット・チップのリミックスEP『Made In The Dark』にヴォーカルで参加しており、ベルトラン・ブルガラ≪Bertrand Burgalat≫との曲"This Summer Night"をホット・チップがリミックスしている)

おふたりは、自分たちのことをプロフェッショナルだと思いますか?

アレクシス:んー......。

(しばしの沈黙)

アル:あー...、超難しい! 脳みそが燃えてる(笑)!

アレクシス:うーん、僕たちは......見た感じ、いまだにとってもアマチュアっぽく見えると思う、やることなにもかもにおいてね。僕たち自身が僕たちは音楽で生計を立てていると思っていたとしても、ね。たぶん、......僕たちをプロフェッショナルだと思っているのは、世界で僕たち自身だけだよ。

アル:ほう。ふふふ(笑)。

なるほど。

野田:ふふふ......(笑)。

アル:ふふふ......(笑)。

アレクシス:ふふふ......!(堪えきれず声を抑えて笑う)

野田:自分たちの音楽でいちばん伝えたくないことはなんですか?

アル:僕たちの感情とか、それと、欲望とか、うーん...。

アレクシス:楽しすぎる音楽は好きじゃないな。表現豊かな音楽も。

アル:そうだね......、退屈で現実に則していない音楽が好きかな、それと、うーん......。(笑)

アレクシス:僕はいつどんなときも、ダニエル・スパイサー(Daniel Spicer)という人がどんな音楽を作るかについて考えるんだ。彼は『Wire』誌のとても素敵な記者で......。

アル:はははははは(笑)!

アレクシス:彼は自分のバンドをもっていて、<Linkedin>というサイトに彼と記者として仕事をする機会を人びとに宣伝しているんだ。僕は、彼は世界でもっとも知的な人だと思うし......

ぷっははははは(笑)。

アレクシス:狭量なんてことはまったくないし、自分勝手に人を非難しないし、出身で人を判断することをしないし、音楽を聴くことに本当に集中していて、とても公平で、僕はいつも......発言するときには彼のことを考えてるんだ。

アル:なにかを決断するときも考えてるよ。音楽だけでなくて、生き方そのものについて、彼に教わっているね。

アレクシス:彼の口髭は全然好きじゃないんだけどね。

(註:ダニエル・スパイサーによるアバウト・グループの1stアルバムのレヴュー
 「ドラムがすべて(all about the drums)」で、他は取るに足らないといった旨である)

(註:また、アレクシスは『Wire』誌に直接メールを送ったようで、「ダニエル・スパイサーに、嫌いな人をレヴューでイラつかせるのをやめるようアドヴァイスしてくれないか。彼はなによりもまず最初に、僕のかけている眼鏡の種類にイチャモンをつけた。ジョン・コクソン≪同じアバウト・グループのJohn Coxon≫が同じフレームの眼鏡を『Wire』でかけていても攻撃しないのにね。どんなに度を超して幼稚な雑誌なんだろうと思った」という言葉が『Wire』誌に掲載されている。
https://www.exacteditions.com/read/the-wire/october-2011-9409/6/3/>

雑誌やウェブで、ホット・チップは「nerd」(ナード)や「wonk」(ウォンク)という語で「オタク」と形容されがちですが。

アル:うん。

その上で、"Night And Day"のようセクシュアルなことを歌うことについてはどう思っていますか。

アル:ははははは!

ちょっとセクシュアルですよね。

アレクシス:どう思っているか......。セックスについて書くことは本当に居心地が悪いし、いつだって避けようとしてるよ。それに......。

アル:それに、「オタク」という形容についても、僕たちはそういう期待に応えてきて......、そのイメージでキャリアを積んできたんだ。「オタク」のイメージも僕らから発信し出して、それから記者もそう書き出して......、それで......僕らが考えてたのは、パラダイムというか......。

アレクシス:実際のところ、僕たちがたくさんの記者を雇ったんだ。デビューするにあたって、言葉を広めて。

アル:イメージを作るためにね。

アレクシス:ただ、ひとつ問題があって、記者たちは僕たちの最初の指令を読み違ってしまった。「Greek」(グリーク。ギリシャ人)という語から「r」を忘れてしまったんだよ。僕らはギリシャ人なんだけどもね。記者たちは僕らが「Geek」(ギーク。オタク/奇人/ダサい男)という言葉を発信したがってると思ってしまったんだ。それがマイナスにも働いてしまって、遂には僕らが5人の「Geek」によるバンドだと嘘をつかなくてはならなくなって......、つまりさ、今日、実際、大変な時期を過ごしてるんだよ。

アル:うん、そのとおり。次のアルバムはギリシャの経済状況について書くよ。書くべきだよね。

野田:はははは......笑えないんだけど!

「Me and Ulysses」?

アル:そう、そういうこと(笑)!

アレクシス:ふふふふ......(笑)。

(註:ホット・チップがまだアレクシスとジョーのデュオだったデビュー・アルバム『Coming On Strong』では、ふたりのクレジットは「Ulysses and Sophocles」という古代ギリシャ人名の表記になっており、収録曲"Keep Fallin'"ではそのことを強調して歌っていた。)

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まずインターネットの性質として、絶対に間違いがないということ。インターネットに表示されるあらゆることはすべて真実であるということ。つまり、今日、僕たちに与えられている答えというのは......


ご存知のとおり。昨年に僕がロンドンに行っておふたりに会う前には、日本では地震がありました。


アル:はい。


地震と津波によって原子力発電所がとても危険な状態になって、現在でも日本に住んでいて安全なのかどうかが実際にはわかりません。イギリスは最初に原発事故を経験している国ですよね。そこで、おふたりの原子力についての見解を教えてください。


アル:これで本当の意見を言えないのは大変なことになるよ!


野田:俺もそう思う。


アレクシス:ある性質があって......。


アル:了解、大丈夫だよ。


アレクシス:僕が思うにはね、まずインターネットの性質として、絶対に間違いがないということ。インターネットに表示されるあらゆることはすべて真実であるということ。つまり、今日、僕たちに与えられている答えというのは......、エラーが起こる余地はなくて、現に僕たちもこうやってインタヴューで完全に真実を答えていることからも、それがわかるでしょう。


野田:ははははは。


アレクシス:インターネットは情報を発信していくのに最適な場所だから、なんのリスクもない。つまり言えることとしては......、僕たちは、原子力についての見解もインターネットの皆さんに任せます。


野田:そうきたか、なるほどねえ。


アル:ふふふふ......(苦笑)。


アレクシス:政治家っぽいでしょ。


アル&野田:だははははは。


野田:でも、ここはルールを解除して続けましょう。


オッケー。嘘ではなくて本当のことを。


アレクシス:でも僕たちがそのルールに則っているかってどうやってわかるの?


野田:逆襲されたね。


アレクシス:真実かどうか推測しなくちゃならないよ。


了解しました。


アル:日本ではすべての原発は止めたのだっけ?


残念なことに再稼動されようとしています(註:取材は6月22日)。


アル:ジェームス・ラヴロック(James Lovelock)という科学者(環境学者)がいて、彼は『ガイア理論(Gaia Theory)』を提唱して、書物を発表してるんだ。そこには、事故が起きた際の怖さや危険性があるのは承知しつつも、必要とされている電気を供給するには、他に代替エネルギーがない限りは基本的に原子力を利用しなければならないとある。イギリスだけでなくヨーロッパでも原子力利用に反対するムーヴメントはあるんだけど、まだ誰も十分な代替案を伴ってはいないんだよね。

 もちろん、原子力利用だけが答えじゃないよ。エネルギー使用を抑えるということもできると思う。この問題はもっと議論を深めないとならないことだよね。たとえば、チェルノブイリにしても、人間には大変な悪影響を及ぼしたけども、事故現場の周りでは自然の生態系は問題なく生きていた。そこでジェームス・ラヴロックが面白い提案をしていて、放射性廃棄物をアマゾンの奥地に移せばいいと言ってたんだ。そこに住む生物は構わないだろうし、ジャングルにも全体的に影響はない。人間はそこには絶対行かないしね。これもひとつの意見だよね......とはいえど、こういった話はミュージシャンが発言していいとは思わないけど......。


(註:ジェームス・ラヴロックは、コーンウォール在住のイギリスの環境学者で、地球をひとつの生命体という視点からエコロジーを論じた1979年の『地球生命圏 ガイアの科学』は日本でも話題となった。彼の理論に対しては批判もあり、温暖化に関する諸説には本人も過ちを認めている)


ふむ。


野田:原発に関して言えば、日本には地震があるうえに、民間マターでダメだったのに行政も良いほうに機能してないし、電気料は根上がるし......深刻な状況にあるんです。でも、いまのような意見は日本ではなかなか言えないことのひとつだよね。


アル:たしかに僕がこういうことを言うのは簡単なことであって、日本では困難だと思うんだ。事故の記憶はまだ鮮明だから。ひとまず事故の記憶から距離を置けるようになってから判断をしていくべきかもしれない。何が起きているのかを明らかにしなければいけないし、政治家が結論を下すのも、事故からいくらか年数を経る必要があると思うんだ。


ふむ。


野田:政府もこの数年でどんどん酷い事態になっているし......。


アレクシス:大きい規模の話のなかで意味があるかわからないけども......、あ、これは嘘じゃないよ、僕たちは津波の被災者のためのチャリティーに参加しているんだ。


ふむ。


アレクシス:映像作家のグレゴリー・ルード(Gregory Rood)が明確な態度をもっているバンドを集めたミュージック・ヴィデオのシリーズがあって、そのうち一組がホット・チップなんだ。僕たちの曲"Look At Where We Are"のヴィデオを日本のアニメ監督に作ってもらって、ヴァースの部分でマヘル・シャラル・ハシュ・バズ(Maher Shalal Hash Baz)という日本のバンドをフューチャリングしたものを、今年の後半に出せればいいなと思ってる。レコーディングは済んでいるのだけれども、詳細がどうなっているかは分からない。この活動が、基金であったり、被災者にとって何らかの意味のあるものとして機能してほしいなと思っています。


なるほど。Thank you!


アル:いいよ!(日本語で)「どういたしまして」。


どうしよう、何か聞きたいことあったのにな......忘れちゃったな......。


アル:ふふふふ(笑)。


これも嘘でなくて結構です。アレクシスはギターが上手いと答えてくれました。アレクシスはライヴのステージ上でギターを弾く時に"Hold On"でエフェクトを深くかけて弦をかきむしりノイズのような音を出したり、動きの小さいフレーズのみを弾いたりしていますね。ギターに対してコンプレックスがあるのかなと以前から感じていました。新曲の"Flutes"では「I put a prucked string today(今日は、弦楽器をひとつ乗せよう)/Beside a note you taught me play(きみが教えてくれた音色に合わせて)/A wooden box breathes away(木の箱が大きく息づいている)/Never again...Never again...(二度とない......二度とない......)」という歌詞がありますが、これはどういう意味なのでしょうか。実際のギターに関する体験なのですか?


アレクシス:これはギターに関して歌っているわけではないんだ。"Flutes"で僕が考えていたのは、僕の大好きなザ・ビーチ・ボーイズの音楽への認識についてで、あ、これも嘘じゃないよ。


アル:あはははは(笑)!


アレクシス:『ペット・サウンズ』は、音楽に何個も新しいタンブラーを導入して新しいテクスチャーを導入したアルバムだと思うんだ。ブライアン・ウィルソンは、普通だったらポップ・ソングでは同時に鳴らさないような楽器を重ねて、それぞれに同じラインを演奏させて、レイヤーを作ったからね。そこで僕がさっきの歌詞で考えていたのは、reed instrument(簧楽器)の隣でバンジョーみたいな「prucked string」(撥弦楽器)を鳴らすことで......。僕の音楽部屋にはペダルの付いたハーモニウムを持っていて、それが「A wooden box breathes away(木の箱が大きく息づいている)」の意味なんだ。だから僕が歌っていたのは、ブライアン・ウィルソンが僕の隣で演奏を聴いていて、アレンジを教えてくれている画なんだ。「wooden box」(ハーモニウム)を「prucked string」(撥弦楽器)の隣で鳴らすんだ、みたいにね。


なるほど。


アレクシス:でも、なんで「Never again...Never again...(二度とない......二度とない...)」と歌ったのかはまったく憶えていないな。この曲の歌詞はジョーが新しい音楽を送ってくれることにとても関係してて......、だからたぶん、こんなに音楽的にエキサイティングな瞬間は二度とないかもしれないということを言っていたんだと思う。提供者であるジョーからこの曲を受けとって、唯一無二なクリエイションの時間に興奮しすぎてたんだね。


ふふふふ。


アレクシス:そして、ギターに関して......ギターを弾くのは本当にとても好きだよ。いいサウンドは作れると思うんだけど、演奏に自信がない楽器は他にもあるんだ。アルはとてもいいギタリストだし、ロブ(Rob Smoughton。ホット・チップに初期から関わっており、現在もライヴやレコーディングに参加している。ソロ・プロジェクトはGrovesnor)もいいよね。ただ、オーウェン(Owen Clarke)も僕と同じで、あらかじめ決められた演奏はできるけど、ナチュラルにギターを弾くということができないんだ。でも、アルはスティール・パンとかフリューゲル・ホルンもここ数年で練習をはじめだしてステージでも演奏しているし、自信があって得意な楽器だけでなく、熟知してなくて自信がないような楽器にも挑戦していくことがいいと思っているよ。


アル:そうだね。


なるほど。ありがとうございます。


アル:ありがとう。


もう終わりの時間ですね。では、最後にひとつ嘘をついてくれますか?


アル&アレクシス:いいよ!


(アレクシス、声を抑えて笑う)


いままでの人生で、嘘をついたことはありますか?


アル:ハハ、ハハハハハハハー......!


(沈黙、10秒)


(野田、耐え切れず声を抑えて笑う)


アレクシス:僕は嘘ばかりついて生きてきた。真実を話したのは、6月22日の12:20(註:インタヴュー開始時間)からだけで、それまでの32年間は嘘まみれの人生だった。


アル:ははは......そうだね(笑)。


野田:ふふふふふ(満足そうに笑う)!


アレクシス:付け加えておくと、僕はジャーナリストに真実を語ったことはないよ。


野田:うまい。Thank you very much for nice answers!


ありがとうございました!


アレクシス&アル:ありがとう!


Please take a rest(どうぞゆっくり休んでください)。


アレクシス:ははは!


interview with Bo Ningen - ele-king

 以下に掲載するのは、菊地佑樹によるボーニンゲン(棒人間)を名乗るバンドにおいてベース&ヴォーカルを担当するたいげん(Taigen)氏へのインタヴューの記録である。ボーニンゲンはロンドンで結成された日本人4人によるバンドで、2010年にロンドンのレーベルからデビュー・アルバム『Bo Ningen』を発表している。ボーニンゲンの音楽は、ホークウインドを彷彿させるような迫力満点のハード・サイケデリックだが、長髪で黒づくめの日本人が激しく動き回りながら日本語で歌うその光景は耳だけではなく目を惹きつけるにも充分な妖しさを発している。謎に包まれたこのバンドがどのように生まれ、どのように活動しているのであろうか......。

 2010年1月、Bo Ningenの来日公演。僕は生まれて初めて日本のアンダーグラウンドなイヴェントに足を運び、恐怖と興奮がうずめくフロアに立ち尽くした。長髪、黒ずくめの、まさに「棒人間」と呼びうる見てくれの男たちが、大音量でギターをぐわんぐわん鳴らしている。ヴォーカルは「人生一度きり(Jinsei Ichido Kiri )!!!」とシャウトする。そのすさまじい演奏に、酒もろくに飲めない僕は、生まれてはじめて酔うという感覚を覚えたのである。

僕のなかでプロレスの入場テーマ曲っていうのはバンド音楽の原体験でもあって、入場テーマ曲で知ったバンド挙げてくだけでも、ブラック・サバス、レッド・ツェッペリン、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、メタリカ......


Bo Ningen
Bo Ningen

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Bo Ningen with Damo Suzuki
Foreign Affair Confidential

So I Buried Records

では、まずはバンド結成の経緯を教えて下さい。

たいげん:たぶん2007年、5年前になるのかな? 僕は当時いろんなバンドを現地の外国人と組んでいて、イギリスにある日本系のイヴェントに出演することになったとき、たまたま対バンしたのが、こうへい君(ギター)で。彼は東雲オーケストラ(現在のDay and Buffaloの原型バンド)っていうバンドにいたんだけど、そのバンドに共通の知り合いのリカちゃんって子がいて、その子が紹介してくれて話したのが最初かな。当時は実験的な音楽っていうか、ノイズ・ミュージックとか、いわゆるエクスペリメンタル・ミュージックをまわりで聴いてる人たちがあんまりいなくて、そこでこうへい君も同じ状況だったみたいで。お互いの演奏も気に入ったし、そのイヴェント以降、単純に話したり、遊んでるうちに「じゃあ今度セッションしようか」っていう流れになって。

そのときはすでにBo Ningenとして活動していたんですか?

たいげん:その当時はまだBo Ningenとしては活動してなかった、でもBo Ningen名義でこうへい君と曲を作ってたりはしたのかな? それでまた全然違う経緯で、ある友人に日本からギターを持って帰って来れなかった奴がいるから、貸せるギター余ってない? って相談されて。そのギターを持って帰って来れなかったのがゆうき(ギター)だったっていう(笑)。僕パソコンとかでも当時ライヴしてたんだけど、たまたまゆうきがお客さんで来ていてくれてて、そこで話しかけてくれたんだけど、こうへい君とはまた別に今度はゆうきとセッションしようってなって、っで実際にゆうきとセッションとか、話し合いをしてるうちに、これはこうへい君と会わせたら面白いことになるんじゃないかって。

最初はそれぞれ別で活動していたんですね

たいげん:そう。で、最後がもんちゃん(ドラム)。もんちゃんは共通のSM女王様がいて......それでライヴに来てくれて、合うんじゃない? って、その後一回みんなでスタジオに入ってこれでしっくりきたから、じゃあこれで行こうっていう。

イギリスにある日本人のコミュニティもそれぞればらばらで、かつ日本の出身地も違うんですよね?

たいげん:うん、僕が東京で、ゆうきが兵庫でしょ、こうへい君は岐阜、もんちゃんは群馬だから日本でのバックグラウンドも違うし、ロンドンでのコミュニティも違ったから、バンドを組む前からの知り合いとかではなかったんだよね。

当時、メンバーのみなさんはアートスクールに通われてたんですよね?

たいげん:ゆうきはメディア系の学校で、こうへい君は僕が行ってたロンドン芸術大学内の違う大学でイラスト専攻。でも出会ったのは学校でというよりは、友だちの友だちって感じだったかな。メンバー募集とかもしてないし、だから本当に自然に成った感じで、そこはヘルシーというか。あとこれよく言われるんだけど、髪型と服装。各自好きなことをやってるだけなんだけど、どこか共通点はあるし、でもみんなわりかしばらばらでしょ? 単純に好きな格好してるだけで、髪もみんな長いのが好きだったのかなっていう。そういうのも含めていろいろとやっぱり自然な気がするよ。

たいげん君は高校を出て、イギリスに行くわけですが、当時なぜイギリスを選んだんですか?

たいげん:よくこっちでUKの音楽に興味があったんですか? って訊かれるんだけど、僕は正直現行のUKの音楽、たとえばガレージとか、ブリット・ポップとかまったく興味がなくって、いわゆる興味がなかったからこそ、アメリカよりかは暗いのかなっていう。明るい曲と、暗い曲なら暗い曲のほうが好きみたいな。それくらいの認識だったのかな? もちろんキング・クリムゾンとかレッド・ツェッペリンとかUKで好きなバンドはいっぱいいるよ。とくにクリムゾンは高校のときからコピバンするほど大好きだったんだけど、こっちの音楽学校でまわりがクリムゾンのこと全然知らなくて唖然として(笑)。僕とゆうきはわりかしUKに来た動機が似てて、まず日本の大学にあんまり興味がない→留学を視野に入れる→英語圏の国→当時アメリカの情勢が良くない、それで→UKっていう(笑)。

僕はアークティック・モンキーズなど、当時のインディ・ロックが大好きなんですが、たいげん君がイギリスのインディ・シーンに興味を持てなかった理由はなんでですか?

たいげん:なんでだろう? 個人的にインディという音楽にあまり興味がなかったのかも。マイナーという意味としても、反産業ロックという意味においても本当に姿勢や音楽的にインディだったバンドがいたのは90年代ぐらいまでなんじゃないのかな? 僕はプロレスが大好きで「インディ団体」の姿勢やプライドが好きだったから、音楽のインディ・シーンを見たときに強烈なこれじゃない感が......。

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自分のなかで英語で歌うって選択肢はなかったかな。単純に自分の表現として即興で歌詞を作ったりするときって、僕は歌詞をあらかじめ紙に書いたりしないから......


Bo Ningen
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〈ストールン・レコーディングス〉との契約の経緯はどういったものだったんですか?

たいげん:スクリーミング・ティー・パーティというバンドと仲が良くて、彼らつながりでストールンの人たちとは以前から知り合いで。最初はライヴに何回か来てくれたんだけど、まあ日本語で歌ってるし、音楽性もいまと少し違ったから契約するか迷ってたみたい(笑)。それでマネージメント的なところから手伝わせてくれない? って言われて。そのあとに回を重ねて向こうからちゃんと契約してEPとアルバム出さないか? って話がきた感じかな。だから「これもすごい自然だったね」っていうのは僕たちもよく言ってて、お互いのこと事前に知ってる状態だったからビジネスとしてだけじゃなくて気軽に何でも話せて、わりかし自由にやらせてくれる、でもしっかりと意見をくれるし真面目な事も真剣の話せる、という良い環境だと思うよ。

たいげん君の音楽的なルーツを辿ると、プロレスの曲が原点なんですよね? そこからどのように音楽を見いだしていったんですか?

たいげん:幼少期を振り返ってみると、たまに母親が部屋でギターを練習していて、聴こえてくるフォーク・ソングがうるさいなぁくらいに思ってて(笑)、音楽そのものというよりは何かに関連/付加してる音楽が好きで、例えばゲームだったりだとか、アニメだったりだとか、いわゆるサウンドトラックだよね。それで中学からプロレスに興味が出て、ゲームやアニメの音楽からプロレスの音楽に興味が移った感じかな。プロレスの入場テーマ曲ってバンドから打ち込み、ジャンルもバラバラで色々な音楽をジャンルに縛られずに自由に横断して聴けるのは今役に立ってるかも。ちなみに僕のなかでプロレスの入場テーマ曲っていうのはバンド音楽の原体験でもあって、入場テーマ曲で知ったバンド挙げてくだけでも、ブラック・サバスでしょ、レッド・ツェッペリン、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、メタリカ、ミッシェル・ガン・エレファント、パンテラもそうか、あとELPもワールドプロレスリング(新日本プロレスの中継番組)のテーマ曲だったり(笑)。

灰野(敬二)さんなどは海外に出てから知ったんですよね?

たいげん:うん。海外に出て、日本にいたときに知っていた日本のアンダーグラウンド・ミュージックとはまた違う、海外で評価が高い日本の音楽というのかな。灰野さんだったり、メルツバウだったり、ちなみにそのふたつはフィンランドで知ったんだよね。

メンバーのみなさんそれぞれが違う音楽観を持つなか、当初はどんなサウンドだったのでしょうか?

たいげん:最初はもっとフリーフォームだったかな。リフは決まってるけど、回数とか、構成とかはあんまり決まってなかったし、いまよりも即興だったりだとか、ノイズとかに近い感じだったね。

ノイズやいわゆるエクスペリメンタル・ミュージックには以前から興味はあったんですか?

たいげん:とくに初期はね。実験的なものって言ったらちょっと変だけど、冷静に自分たちの音がどう変化してきたっていうのを考え直してみると、僕以外はオリジナルの曲を演奏するバンド歴みたいなものが皆無だったのね、しかも僕もBo Ningenの前にやってたバンドはすべてベーシストとしての参加で、ヴォーカルとしてオリジナルのバンドをやるのはBo Ningenが初めてだった。こうへい君とかもちょこちょこ活動歴はあったんだけど、僕が初めて会ったとき彼はまだギター歴2年とかだったし、ゆうきもオリジナル・バンドはこれが初めてで、もんちゃんもしばらくオリジナルのバンドはやってない感じだったんだよね。だからまっさらな状態ではじめられて、だからこそ最初はもっとフリーフォームというか、自由に構成とかも決めずにとにかく音を出していたのは必然で、メンバーの技術的なこととか、経験とかいろんなことが重なってっていまの形になってってるのかなって、だから途中で方向転換しようって感じではなかったかな。とにかく全部ジャムから作ってるのもあるけど。

僕がBo Ningenの音源を初めてmy spaceで聴いたときに、リリックにも衝撃を受けたのですが、イギリスで活動していくうえで、日本語で歌う迷いなどはなかったのですか?

たいげん:迷いはなかったかな。もちろん不安はあったよ、どういう風に受け取られるんだとうって。でもその時点で自分のなかで英語で歌うって選択肢はなかったかな。単純に自分の表現として即興で歌詞を作ったりするときって、僕は歌詞をあらかじめ紙に書いたりしないから、思ったことを脳から考えることでの変換機能を通さずに口から出したくて。そうすると、もちろん日本語じゃないときもたまにあるんだけど、でもやっぱりなんだかんだで日本語になるんだよね。頭のなかで変換してる時間がないんですよ、英語に。

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自分たちの音楽を聴いてるお客さんに対して、自分たちはどういうモノに影響を受けたか、普段どういう音楽を聴いてるだとか、こういう音楽もおすすめだよっていうのは本当に発信していかなきゃいけないことだと思うの......


Bo Ningen
Bo Ningen

Stolen Recordings

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Bo Ningen with Damo Suzuki
Foreign Affair Confidential

So I Buried Records

以前「リリックなどのすべてのメロディを最初はサウンドとして消化する」と言っていたのを思い出したのですが、そういう自分の聴き方が、曲を書くうえで、たいげん君にどのような影響を与えているのでしょうか?

たいげん:いま冷静に考えてみると、歌詞を見ながらだと歌詞が先に入ってきて、歌詞がよいなと思って音に期待しても、実際に鳴ってる音と歌詞とのギャップを自分のなかで感じることが多かった気がする。最初に聴いた曲で、歌詞カードみなくてもひっかかる歌詞がある曲はひっかかるし、単純に聴いてピンとくるかどうかが問題な気がするしね。あとはプロレスの入場テーマ曲やゲーム/アニメのサントラってインストも多かったから(笑)。

たとえば「人生一度きり」というあのフレーズは、英語ではなく、日本語であるからこそ響くのかなと思うのですが、実際に現地の反応はどのようなものなんでしょうか?

たいげん:これはすごく面白いんだけど、これは本当にその通りで、外人のお客さんも歌詞の意味がわかんないけど感情的なところで入って来るっていうのはやっぱりあるみたいで、ライヴで見れば僕らの動きがもちろんあるわけで、歌詞がわからないからこそ感情的に、衝動というか、うちらが出してる音もそうだし、なんかいろいろ出てるじゃない? 音以外でも。それをもっとストレートに受け止めてもらえる感じがして、しかもライヴをやって反応を見てるうちにお客さんが「こういうこと歌ってるんでしょ?」とか自分のなかで解釈してくれて、それは言語がわからないからこそで100人いたら100人違う解釈で僕は良いと思ってるし、それでCD買ったときに対訳の歌詞カードに英訳があるわけじゃん? そこで「なるほど」って曲の世界感の認識が変わるのもまた面白いと思う、だからアドヴァンテージとして今いまは捉えてるね、日本語で歌うってことは。単純に僕が英語得意じゃないっていうのもあるけど(笑)。

Bo Ningenはある種、欧州っぽくもある反面、日本っぽくもあるというか、その逆も言えるのですが、そういうバランスみたいなものは、ロンドンで活動してるからこそ滲み出る音なのかなと正直に思うのですが、ロンドンで活動することはたいげん君にとってどのような影響を及ぼしていますか?

たいげん:活動してるからっていうのもあるし、日本で活動してる日本人より、日本の良いところ、悪いところ、例えばさっき出て来た、灰野さんだったり、メルツバウみたいな音楽をメインストリームだとか、サブカルだとか、そういうのをまったく抜きにして見れる環境があるからこその視点は絶対あるとは思ってる。その両方の視点っていうのは僕のなかですごい大事で、悪い例を言っちゃうと、日本人のバンドももちろんイギリスにちょこちょこいるわけで、だいたい音楽的に「ウッ......」っていう人は、日本の批判ばっかするわけ。日本の良いところも見えてなくて、そうなるとイギリスの良いところもちゃんと裸眼で見えてるかちょっと不安になっちゃう感じで、こっちの良さも勘違いしちゃってる人も多いのね、そういう意味では両方に良いところ、悪いところ、長所も、短所も、日本も、UKもやっぱりたくさんあるから、僕はその両方をちゃんと見据えるのが大事だと思ってて。
 あとUKのバンドと対バンして、なんかダサかっこいいというか、ダルいのがかっこいいみたいな姿勢のバンドを見る時に「あっ、これをやっちゃいけないんだ」だとか、「僕がかっこよくないと思うのはこういうところか」という風に反面教師的に影響を受けてるとも言えるかな。もちろんそれは日本のバンドに対してもあるよ、個人的にバンドで限って言えば、どちらかというと直接的に影響を受けてるのは日本のバンドのほうが多いのかな? でも日本で活動してなくて、UKのバンドからは反面教師として影響を受けてる......だからちょうど中間にいる感じなのかな?

ゆうきさんがよく「うちらはイギリスのバンドだから」と言ってる言葉の背景にはどのような意味があるのでしょうか?

たいげん:うちらみたいなバンドが本当に初期から日本で、ずっとアングラでやってたと仮定して考えてみると面白いかも。日本のシーンって一個一個すごいかっこいいと思うんだよね、超突き詰めてるし、ニッチで良いとこ攻めるしさ、しかも同じような音が多いでしょ、ひとつのシーンに。これは悪い意味でも、良い意味でもなんだけど、何系ってすごい好きじゃん、例えば高円寺系だとか、渋谷系だとか。シーンも近くてバンドの音も似てるからバンドもお互いに影響受け合うし、っていうところで、影響受け合う人がすごい近いところにある環境。それはストイックでかっこ良いんだけど、なんかちょっとそれぞれのシーンが閉鎖的な感じもするのね、影響受け合う人もそうだし、なんか同じところでしかまわっていないと言うか。
 もしうちらがまったく同じメンバーで、日本で初期からそういうところで活動してたら、多分まわりの日本のバンドと似たような音になってたかもしれない、っていうところでUKのバンドっていうのをゆうきは意識してるんだと思う。最近BBCのインタヴューで僕たちがチャーチ(教会)でやったライヴについて訊かれたのね、けっこう歴史がある教会だったんだけど、そういう場所で演奏することに対してのことを質問されて、うちらBo NingenはBo Ningenだけれども、その場所に100%支配されるわけでもなく、Bo Ningenがその場所を100%支配するわけでもなくて、でもBo Ningenは100%Bo Ningenだし、歴史があるそのチャーチは100%チャーチなわけ、そこでうまく合わせていく、Bo Ningenのなかでのその場所に対してのリスペクトというか、対応みたいなものがあって、あのライヴが生まれたと思うんだけど、なんかそういう場合ってけっこう、なんていうのかな、わりかし我が強いバンドって言ったら変だけど、プロパーなロック・バンド、例えばガンズ・アンド・ローゼズでもなんでもいいんだけど、彼らがチャーチでやったら絶対どっちかに飲み込まれると思うんだよね、どっちかが強くなりすぎてしまうというか、そういう意味で色々なシチュエーションや場所でやってきた自負はうちらはあるから、『Dazed and Confused』の創立記念ファッション・パーティだとか、ヴェネツィア・ビエンナーレのアート・イヴェントだったりだとか、V&AミュージアムでのYoji Yamamotoのイヴェントとか。そこでしかできないことやいつも通りではできない事があって、それでも100%Bo Ningen出さなきゃいけないっていう、そういう経験はUKだからこそ出来たっていうところは感じてるし、いろんな場所でプレイできて、いろんな業界やシーンをクロスオヴァー出来たのはロンドンで活動してるからってのは思ってるかな。

しかし、アンダーグラウンドなど、いまはアメリカのシーンに勢いがあると思うんですけど、敢えてイギリスを選ぶ理由や、日本を拠点にしない理由はなんでですか?

たいげん:僕は個人的に日本が大好きで、友だちからも日本が合ってるとよく言われるんだけど(笑)。前の質問でも触れたけど、日本にいないからこその日本人らしさや日本の良さをちゃんと見るためには、まだ日本に帰るのは早い気がする。アメリカは行ったことないから、実感がわかない。だから早く行ってライヴしてみたいな。これも前の質問と同じだけど、イギリスはシーンのクロスオーヴァーも盛んだし、ヨーロッパからいろいろな人やバンドが来たりと良い意味でも悪い意味でも混沌としてるから、音楽に留まらず、全体を見渡した時に表現、活動をする街としてはとても魅力的だよ。

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明らかにクラブのほうが得るものはデカイ。でもいまダブステップっていう言葉が一般的になって、少しチャラくなってるんだよね、ブローステップっていうのかな?


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僕はザ・ホラーズのファリスがインタヴューでBo Ningenを紹介しているのを見つけて初めて存在を知りました。彼らとの出会いはどのようなものだったのでしょうか?

たいげん:たしか最初はリースとドラムのジョーだったかな? 僕達がダモ鈴木(元カン)をサポートしたときに、彼らが見てくれてて。Bo Ningenはその日Damoさんの前座の演奏後に会場を移動して違う会場で演奏、ダブルヘッダーだったんだけど、彼らはメインのダモさんを見ずに僕たちを見にきてくれて。リースが2回目のライヴ後に話掛けてきて、「すげーよかった、ダモさん見ないで2回みちゃった。俺もバンドやってんだ」って、それで「なんてバンド?」って訊いたらホラーズって言われて(笑)。
 でも本当にUKはそういう感じで、お客さんも本当に幅広くて、なんかアーティストと、お客さん、業界っていうのが凄いクロスオヴァーする環境だと思う。もちろんうちらの音楽だとか、うちらの捉えられかたが普通のこっちのUKのバンドとはちょっと違うからという理由もあるとは思うのだけど、そういう環境っていうのは僕たちにとってすごいプラスになってると思うな。

つい先日まで行われていた、ザ・ホラーズとのツアーでBo Ningenとして何をいちばん感じましたか?

たいげん:それまでもフェスや、British Sea Powerのサポートで大きな会場でやる機会もあったけど今回は会場の規模がさらに大きくて。しかも1000~3000人規模の会場で毎日演奏できるのは、本当に刺激的だった。とくに最後のBrixton Academyは4000人ぐらい入る会場で、その日のライヴが終わった後、会場の規模とパフォーマンスの関係性みたいなモノを考えさせられたよ。これは教会やミュージアムでライヴするときにも似てるんだけど、会場が違うとパフォーマンスも変わるということと似てるんだけど、小さいライヴハウスでお客さんが目の前にいる場所とBrixton Academyみたいなところだと、舞台とTVぐらい違いがあると思うのね。そこで考えすぎることはないんだけど、熱量の出し方というか、大きな会場の遠くで見れるお客さんまで届かせるためにはどうしたらよいのかなとか。これは無視しちゃいけない問題だなと思った。僕は小さいライヴハウスも大好きだけど、もっともっと大きな会場でも演奏したいから、これはいまの僕がいちばん考えてるとこ。あと、会場によってはほとんどのお客さんがBo Ningenはもちろん、メインストリーム以外の音楽を聴いたことない若い子だったりなんてこともあったから、良い衝撃でもトラウマでも、なにかしら残せた自負はある。ライヴ後にツイッター見てみると「Most Scariest Band ever seen(いままでで一番恐怖を覚えたバンド)」とか、「いま見たものをなんて言えば良いのかわからない......」みたいな意見があったりして(笑)、かと思えば「いま一番好きなバンドになった!」とか「本当にすごかった!こんなのはじめてだよ!」とか、直接的に褒めてくれる人もいたりして嬉しかったな。

ザ・ホラーズにも似たようなことを強く感じていて、音からもそうなのですが、自分たちが影響を受けてきたものを僕らリスナーにしっかり提示している気がします、そういう目的意識は持っていますか?

たいげん:僕たちもそういう影響力があるバンドに成りたいと思ってて、自分の趣味を押しつけるわけではないんだけども、まあいまは昔とは違うんだけどね、いわゆるメディアとかの影響力は少しなくなってきてるじゃない、まあこれちょっとメディアのインタヴューで言うのもどうかと思うけど(笑)、まあメインストリームのメディアっていう意味だけど。いまって流行りっていうものを作れなくなってきてるじゃない? だからこそメインのメディアで取り上げられないようなバンドが口コミで注目されるようになったり、いままで以上にリスナー個人個人が自分で好きな音楽を見つけたり、そういうのって絶対強いし、それって健全なシーンの作り方だと思うのね、そういうなかでバンドが教育っていったらあれだけど、自分たちの音楽を聴いてるお客さんに対して、自分たちはどういうモノに影響を受けたか、普段どういう音楽を聴いてるだとか、こういう音楽もおすすめだよっていうのは本当に発信していかなきゃいけないことだと思うの、というか僕はしていきたいことなわけで、国民性とかももちろんあるとは思うんだけど、でもこういうのってバンドが発信していくことだと思うのね、自分たちがお客さんに対して自分たちの音楽しか聴かせないか、それとも自分たちはこういうものも聴いてるんだよってところで発信してゆくか、とくに日本のお客さんはシーンやジャンルでの好き嫌いがはっきりしてる人が多い気がするから、バンドが発信していくことでお客さんの音楽を含めたいろいろな興味の幅が広がって、みんながオープンな考え方になれれば最高だよね。それは発信してゆく音楽性とか、パフォーマンスとかにもそういうのは出るから。

以前TEETHというバンドのインタヴューで、イギリスのレーべルの話になったときに、彼らはイギリスのバンドというよりも、いわゆるインディ・レーべルがいまのイギリスのシーンにとって良くないと言っていました。僕個人として、イギリスも僕らが見えないところで実は面白いことが起きてるんじゃないかと思っていて、アメリカよりも勢いがないと思われてる現状があるなか、そういう部分はフックアップしたいと思ってるのですが、実際のところズバリどうなんですか?

たいげん:僕たちが所属してるストールも規模で言えばインデ・レーベルで、うちらが契約してすぐのときはいまよりもう少しインディ系のバンドが多いレーべルだったんだけど、現在はハープの弾き語りのアーティストがいたり、もっとポップ寄りのバンドがいたり、日本語で歌ってる僕達がいたり、結構所属アーティストが多様化してるイメージだね。それで全体のシーンについてだけど、この流れでこんなこと僕も言いたくないんだけど、正直バンド関係の音楽シーンで面白いところ、すぐには思いつかないかも。

ではバンドから切り離して考えて、シーンのなかでいちばん勢いのあるものはなんですか?

たいげん:僕が最近すごく思うのは、明らかにクラブのほうが得るものはデカイ  でもいまダブステップっていう言葉が一般的になって、少しチャラくなってるんだよね、ブローステップっていうのかな? ダブステップが出て来たときって、各自いろんな音楽からダブステップに変わっていくアーティストが増えて、たとえばブレイクコアとか、テクノであったりだとか、ガレージであったり、2ステップであったり、ノイズとかね、違うバックグラウンドの人がダブステップというか、低音を強調した音楽を出しはじめてもともとダブステップになったわけで、そうするとみんな楽曲にバックグラウンドが出るんだよね、僕はゴス・トラッドさんがすごい好きなのは、彼のバックグラウンドがよく出てるからで、ノイズであったり、2ステップであったり、ダブ、ドラムンだとかね、そのバランス感覚がすご好きで、しかも日本人だから純血UKのベース・ミュージックと比べるといっそう個性的で。ゴスさんは日本人だけど、わりとダブステップ創世記からいた人でもあるしね。
 でもいま流行ってるダブステップ、ブローステップってまったくバックグラウンドがない気がするのね、自分のルーツをうまく音楽に落とし込めてない気がして。でも、わりかし新しい人でもちゃんとストイックに作ってる人たちもやっぱりいて、特にイギリスのクラブシーンって黒人の移民も多くて、それがダブとかダブステップが生まれる原因にもなったんだけど、単純にクラブのサウンドシステムだとかが日本とまったく違うんだよね、本当に体感系なのよ、僕もそれで低音の概念相当変わったし、自分が信用してるDJやサウンドシステムがいるクラブに行ったほうがライヴハウスとかに比べて断然得るものは多いかな。確かジェームズ・ブレイクとかもその畑出身なんだよね? だからそういうところでの活性化は単純に良いよね、彼もメインに出て来てるし。

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ゴス・トラッドさんがすごい好きなのは、彼のバックグラウンドがよく出てるからで、ノイズであったり、2ステップであったり、ダブ、ドラムンだとかね、そのバランス感覚が凄い好きで、しかも日本人だから純血UKのベースミュージックと比べると一層個性的で。


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ele-kingが選ぶ、2011年のアルバムランキングではジェームズ・ブレイクが1位でした。彼についてどう思いますか?

たいげん:個人的に声とかは好みじゃないけど、すごい斬新だし、実験的なところをポップ・ミュージックに突っ込んでるところとかすごい良いなとは思ったけどね。アプローチも面白いし、ああいうのがメインのところで評価されるのはやっぱり良いことだよね。

これはイギリスに限定せず答えて欲しいのですが、現在のシーンで、自分たちと似たようなメンタリティを持っているアーティストっていますか?

たいげん:ももいろクローバーZとでんぱ組.inc! ももクロは僕の音楽の拘りから生まれてたJ-POPやアイドルへの嫌悪や偏見を一掃してくれたと同時に、音楽やライヴ・パフォーマンスに対する姿勢や本気度や全力性に関してはそこらのバンドとは次元が違うというか、もの凄すごいシンパシーを感じます。あと高校生ぐらいの年頃特有の、青春の爆発力や真っ直ぐな姿勢を見てると、自分がなくした感情を思い出したり、自分がライヴでガス欠になったときにブースターになったりする。対してでんぱ組は、ももクロより少しだけ年齢層が高いから僕たちと同じ目線というか、一緒にタイムマシンに乗って失った青春を謳歌しよう! という爆発力がある。対談や対バン、ライヴでのコラボを通して、清秋を拗らせた感じとか、だからこその全力性とか、シーンの壁を壊す姿勢だったりとか、いろいろとシンパシーを感じることが多くて。アイドルに興味がない他のメンバーも競演ライヴ後、凄い良い感触だったみたいで「同志だ」って言ってました(笑)、僕もライヴ後に「これが一生の思い出ってやつか......」って思うぐらい感動したしね。

先ほど体感という言葉が出てきましたが、僕のなかでBo Ningenのライヴもまさに体感で、いろんな人に是非この感覚を味わって貰いたいのですが、ライヴに関して意識していることや、考えることはありますか?

たいげん:僕、灰野さんのライヴを初めて見たときに泣いてしまったわけですよ、ツーって涙が出るというより、座り込んでボロボロ涙が止まらなくて。なんか浄化というか、体のなかから毒が出たみたいな感覚があって、その経験が僕のなかですご大きくて、演奏する側になったいまでも、その感覚は忘れないよいにしてるし、良いライヴをしたなと思うときは自分で自分が浄化できた感覚になるよ。他にも演奏側が動かなかったらお客さんも動かないっていうこともあるし、自分がそういう精神状態というか、自分も楽しんでなきゃいけないし、自分もいつも新鮮じゃないといけないし、自分も表現できてないといけないし、やっぱりそれができてると自分の心にもうまく左右するわけで、自分がしっかりしてないとお客さんもそれは感じてくれないから、自分もうまくいけばそれは絶対お客さんにも伝わるものだと思ってるから。
 だから100%自分の為にやってるわけでもないし、100%お客さんのためにやってるわけでもないから、そのバランス? でもやっぱり根底では自分が良い音だしてなきゃいけない、自分が気持ちよくなきゃいけない、新鮮じゃなきゃいけない、自分自身が浄化できてるか? それでなにより僕は、他のアーティストのライヴで一番萎えるのは、さっきはダブステップで、バックグラウンドが見えないとか言ってたけど、インフルエンスが出過ぎてるのも萎えちゃうのね、「この人になりたいんだな」っていうのが見えてしまうと、自分のフィルターうまく通してやってればいいんだけど。
 僕は逆に、いかにステージで自分になれるか、いかに自分に嘘をつかないか、っていうところを突き詰めてやってるよ、やっぱりそれが自分が一番力を出せることだし。だからって自分の好きなものからまったく吸収しないわけじゃなくて、自分のなかの自分で何かをいろいろ吸収して、Bo Ningenとか、たいげん かわべというフィルターを通って外に出したものを、お客さんは見に来てるわけだから、そういうインフルエンスっていうのは、雑誌とか、こういうインタヴューで、こういう音楽が面白いとか、おすすめですって提示していけばいい話で、自分たちのステージはやっぱりいかに自分たちであるかというのが大事かな。
 あとライヴって非日常だから、いまこうやって喋ってる自分も素だし、ステージにいる自分も素だし、いまは日常で、ステージが非日常っていうのはお客さんも一緒だし、シュールレアリズムも含めて僕は非日常ってものにすごくどきどきするし、魅力を感じるから、ちょっと抽象的だけど、そういうところは出していきたいかな。非日常だからこその体験だし、でもそれはお客さんがいかに感じれるかって、うちらがどう感じてるかと同じだと思うんだよね、演奏してる側が少しでもつまんねなーとか感じてたら絶対お客さんに通じると思うんだよねそれって、だからこそうちらは毎回セットリストとかは変えてて、会場の雰囲気とか合わせるのもあって直前まで決めないことのほうが多いね。

Bo Ningenのライヴ・パフォーマンスとしての可能性についてはどう考えますか?

たいげん:ライヴってジャンルを超えれるパワーがあるし、頭通さなくてわかるものはわかるというか、よくうちらのライヴ見てくれたお客さんの感想で、5感、6感全部使うっていう話をよく聞いて、ライヴ見ることを体験と捉えてくれることによって音源じゃ伝わらない部分まで伝わると思うんだよね、そこはBo Ningenだからこそっていう意識はあるし、捉え方は人それぞれだと思うんだけど、可能性を広げるというか、見てくれてる人の幅というか、ジャンルとか、年齢層とか幅が広がれば広がるほど感じ方もそれぞれ何100通りもわかれると思うから、見に来てくれた人の分だけ違う受け取り方があるわけだよね? 何かそれ自体が可能性って気はするよね。どういう可能性があるっていうよりかはどんだけいろんな可能性を増やせるかって可能性(笑)? っていうのかな。

なるほど、では最後にセカンド・アルバムについての現在の制作状況を教えてください。

たいげん:楽器とヴォーカルの録音はすべて終わっていて、いま僕がミックス作業をしているところだよ。

ありがとうございました。メンバーの皆さんに感謝です1

 今回のインタヴューで彼らに興味を持った方は、今夏の来日公演に是非足を運んで欲しい。7月20日の東京は高円寺 UFO CLUBを皮切りに、22日 仙台 CLUB SHAFT、8月3日 大阪 FANDANGO、4日 名古屋 アポロシアター、5日 金沢テトラポット、6日 京都 METRO、そして最終日には東京に戻り、代官山UNITでの来日公演を予定している。


Biography
Bo Ningen(棒人間)は、イギリスの〈Stolen Recordings〉に所属する日本人4人組で、2009年に限定リリースしたEP『Koroshitai Kimochi』でデビュー。昨年には国内版アルバム『Bo ningen ボー・ニンゲン(棒人間)』と、EP『Henkan』をリリース。ライヴ・パフォーマンスは国境を超え、見る人すべてを虜にし、脳髄に衝撃を与える。今年はザ・ホラーズともにツアーをまわる。最近はダモ鈴木とのコラボレーション・アルバム『Foreign Affair Confidential 』を発表したばかり。この夏には再来日公演が決まっている。


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