「Ord」と一致するもの

Melodía - ele-king

 この季節、なんだかんだと飲み続けてしまい、けっこうそれもがっつりと飲んでしまい、50歳を越えた身体にはさすがにこたえる。今日は休もう今日は休もうと思いながら……もはや自分との戦いだ。
 さて、ele-kingは、こうして2014年も人と共有したい盤を何枚も発見し、平日のほぼ毎日1枚以上のアルバムを紹介し続けてきたわけだが、今年最後のレヴューを飾るのに相応しい作品が本作である(Mr.Mitchのアルバムについて書きたい誘惑を抑えながら)。のんびりと過ごしたいときこの音楽は本当に重宝する。

 これは伊達伯欣とアルゼンチンのフェデリコ・デュランドとのコラボレーション作品で、アルバムのタイトルは、スペイン語で『旅日記』。
 クラシックギターを演奏しているというよりも、ただ弦を爪弾いているだけの音が、演奏しているというよりも、ただ鍵盤を叩いているだけのピアノ音と絶妙に重なっていく。そして、フィールド・レコーディングの音が重なる。音はとことん隙間だらけで、年の瀬を迎えるこの国の静けさと親和性が高い。
 伊達伯欣は、コーリー・フラーとのイルハでの作品畠山地平とのオピトープでの作品と、2014年の密かなる楽しみを提供……いや、それどころか、最近はele-kingの読者の健康を気遣うあまり、医学の連載コラムまではじめてくれている(本業は医者である)。
 
 繰り返そう。本作は、この季節にはぴったりの、静謐なアンビエント作品だ。
 ジャケに写っている洒落た部屋は、かつて彼らがライヴで呼ばれたベルギーの田舎のヒッピー夫婦の家だという話で、つまり、一般家庭の部屋のなかで人びとが集まって開かれたライヴ写真だそうだ。なんとも羨ましいくらいにのんびりした話だが、曲のレコーディングはツアー中のホテルの部屋であるとか、道中でおこなわれている。旅を続けているときには日々のルーティンから切り離された独特の解放感があって、信じられないほどに、すべてが愛おしく思えるものだ。電車に乗っているだけでもウキウキするし、歩いているだけでも幸せな気持ちになる。
 本作において伊達伯欣とフェデリコ・デュランドのアンビエントは、楽天的で、牧歌性をとことん極めている感がある。よく晴れた暖かい午後、窓を開けっ放しにしながら、うたた寝をする。浅い眠りのなか、遠くで、楽器の音が聞こえる。そんな安らぎに満ちた、とても美しいアルバムだ。
 

 リリース元である〈home normal〉は、埼玉在住の英国人が運営しているレーベル。他にもさまざまな国のクオリティの高いアンビエント作品をたくさん出しているので、レーベルのサイトをぜひチェックしてみましょう。新しい発見があるかもしれません。読者のみなさま、ライターのみなさま、ミュージシャンやレーベルやヴェニューやオーガナイザー、レコード店や書店のみなさま、チャートを送ってくれたDJのみなさま、1年間ありがとうございました。2015年もよろしくお願いします。よきお正月をお過ごし下さい。

Neil Young - ele-king

 年末チャートと選挙結果は似ている。同じものを求める大勢の人たちと細かい趣味に分かれた小数の人たち。ファレル・ウイリアムスやイギー・アゼリアのような大多数を作り出すのも資本主義なら細かい趣味に分かれた人たちを作り出すのも資本主義。毎年、野党の分散状況を眺めているような気がしていたので、紙版『ele-king』でも個人チャートはやめました。自分は他人とはちがう光線を出したい人たちが個人発信でやればいいかなと。ちなみに「他人とはちがう光線を出す」ことはいいことだと思います。読んでもらう相手を間違わなければ。

 年末チャートにも選挙にも関心がない人をアナキストとは呼ばないと思うし(アナキストというのは選挙制度の無効を訴えるために、選挙になると必死になって「NO VOTE」を呼びかける運動家であって、選挙になると無関心をアピールする人ではないと思うし)、じつのところ資本主義と無縁のポップ・ミュージックもあまりおもしろいものではないと思う。「15本限定のカセット・テープ」がおもしろいような気がするのは、それが資本主義の世界だからで、「流されていない」とか、少しでも抵抗しているようなことを言いたいがための稚拙なアイディアを共有できるような気がするからで、逆に言えば資本主義だからこそ成立する会話のようなものでしかないと思う。そういうものを何本も聴いたり、なんだかよくわからないネット音源を聴いたり。それでいいんじゃないかな。「♪レリゴー」を歌っている子どもの横で「♪とりむしけもの~」と歌っている子がいれば、「この子は将来大物だ」とか思って笑っている感じ。本気でそう思っているわけがない(関係ないけど、「アナ雪」の作曲陣は3人で、そのひとりはチリー・ゴンザレスの弟なのね)。

 ニール・ヤングの新作は「♪レリゴー」でも「♪とりむしけもの~」でもなかった。「売れてる」をアピールしている音楽にも「売れてない」をアピールしている音楽にも聴こえなかったということである(本人は歌詞でフラッキングに反対=つまり資本主義には眉を顰めているけれど)。弾き語りヴァージョンをCD1、同じ曲をオーケストラやビッグ・バンドによってアレンジしたものがCD2で、通常盤は後者のみ。それはバカラック・マナーの優雅なオーケストレイションで幕を開け、チルウェイヴでもヴェイパーウェイヴでもないのに現代的な叙情性を兼ね備え、過去に連れ去ろうとするようなものではなかった。いや、バート・バカラックが夢見心地な曲を量産した時代ではなく、僕はほんの少しだけど、1982年に引き戻された。ペイル・ファウンテインズがバカラックをリヴァイヴァルさせた“サンキュー”を思い出したからである。

 「ネオアコ・ディフィニティヴ」でも書いた通り、演奏はけっして上手くないけれど、デビュー当初のペイル・ファウンテインズやアズテク・キャメラは透き通るような瑞々しさにあふれ、グラムやパンクで汚れきった世界観を清浄化するような作用があった。一瞬でもそのような時代があるとないとでは、その後の世界の受け止め方も変わるものである。80年代も中期になると、メジャーではヒップホップ、マイナーではポスト・インダストリアルがあっという間にダーティな空気を運んでくることになり、ペイル・ファウンテインズもファースト・アルバム『パシフィック・ストリート』がリリースされる頃にはもっと苦渋に満ちた感触を強めてしまう。時代からズレまくっていたとしても“サンキュー”のようなバカラック調で占められたアルバムが聴きたかったというのが本音ではあるけれど、彼ら自身が“サンキュー”の路線を信じられなかったのだから仕方がない。

 その時の気持ちの半分でも満たしてくれたのが、このタイミングで、しかも、ニール・ヤングになるとは思わなかった。“サンキュー”ほど朗らかではないし、もっと地味で落ち着いているし、ファレル・ウイリアムスだって「ハッピー」でミラクルズを思い出させてくれたじゃないかとは思うんだけど、どうしてもあれはスモーキー・ロビンスンのパクリに聴こえてしまう。ニール・ヤングにはなぜかそれがない。


neil young / tumbleweed

pAradice (LifeForce/LibraryRecords) - ele-king

2014お気に入りになった良音スポット5つと2015には行きたい噂の良音スポット

DJ schedule 2014-2015

12/26 「LOVE IS THE MASSAGE大忘年会」@天狗食堂 三軒茶屋
27 「LIBRARY忘年会 CURRY DISCO」@カレー屋ミラン 東高円寺
30 「UP!」@heavy sick zero 中野
31 「year2014 countdown party feat.circle」@32016 渋谷

1/3 「New Year 3rd」@AOYAMA HACHI 青山
10 「TRANSIT」@cobra 江古田
11 「スナックニューパラダイス」@MORE 下北沢
12 「ミストサウナ」@天狗食堂
17 「tamariuzu」@SHeLTeR 八王子 w/小林 径、MOROI

mix定期的に更新中
https://m.soundcloud.com/dj-paradice

interview with Ogre You Asshole - ele-king


OGRE YOU ASSHOLE
ペーパークラフト

Pヴァイン

RockPsychedelic

【初回限定盤】 Tower HMV Amazon
【通常盤】 Tower HMV Amazon
Review

 歴史が終わったあとのロック。それでも、つづいていくロック。「まだまだ続く/終わるはずの場所も/終わらず遠くでかすんで見える」という“ムダがないって素晴らしい”の印象深いセンテンスは、『ペーパークラフト』に通底するどこまでも終わりのないようなミニマリズムと同期しつつも、もう少し広い意味で解釈することもできるだろう。そう、オウガ・ユー・アスホールというバンドの評価を決定的なものにすることになったこのアルバムには、ロックという音楽に対する極めて冷静な批評的距離と、深い愛情に満ちた盲目的とも言える没入が両立されている。そのギリギリのバランス感覚は、出戸学、馬渕啓、勝浦隆嗣、清水隆史という4人のメンバーに加えて、プロデューサーの石原洋とエンジニアの中村宗一郎を合わせた6人が緊張感を持って育て上げてきたものだと言える。

 思い返せば、彼らの挑戦的な三部作は、フランスの批評家であるロラン・バルトの写真論『明るい部屋』を、『homely』の一曲めのタイトルに引用することからはじまっていた。このことの意味は決して小さくないだろう。一義的な理解で言えば、バルトが写真の偶有性のなかにこそ美しさを見出したのだとしたら、“明るい部屋”のあの不穏なイントロが示唆するように、オウガ・ユー・アスホールはその写真論のネガとポジを反転させてみせる。つまり、日常にありふれた「普通のもの」のなかにこそ、暗黒郷へとつづく取り返しのつかない変化の兆候を見出してしまうような、そんな想像力だ。おまけに、この三部作で徹底的に敷衍されたミニマリズムは、その「取り返しのつかなさ」を助長するかのようだ。わかっちゃいるけどやめられない、そんな、なし崩しのムードを催眠的に助長する。なぜなら、ぼくも、あなたも、その「取り返しのつかなさ」の一部だから。「居心地がいいけど悲惨な場所」で暮らす、紙の城の住民の一人だから。そして周知のように、“明るい部屋”のあの不吉なイントロのノイズは、三部作完結編である『ペーパークラフト』の最後、“誰もいない”で再度リフレインするのだった――。

 もちろん、オウガ・ユー・アスホールはポストモダンの理論派ではない。むしろそういった説明的な要素をほぼ完全に排除することで、すべての細部に意味を持たせているとすら言える。あるいは、すべては筆者の深読みに過ぎないのかもしれないが。取材を前に、筆者はバンドにとって最初の転機となった08年の『しらないあいずしらせる子』を聴き返していた。俗っぽい言い方をすれば、ずいぶんとエモく感じる。ものの数年で、バンドはここまで遠い場所に来たのだ。彼らの現在の代表曲は“ロープ”という。繰り返す、“ロープ”だ。これをポストモダンと言わずになんと言おう。いわゆるポスト・ロックと呼ばれる音楽が、ロックの相対化を図るどころかひとつのマイクロジャンルとして埋没してしまった惨状を遠目に、オウガ・ユー・アスホールはその歴史の上をたゆたう。

 以下の取材は、スカイプを介して行われた。インターネット回線が安定しないため、映像はカット。音声だけが長野県某所の練習スタジオ、田我流いうところの「アジト」から届いてくる。4人はいたってひょうひょうとしていた。

出戸学(Vo,Gt)、馬渕啓(Gt)、勝浦隆嗣(Drs)、清水隆史(Ba)の4人からなる日本のロック・バンド。2005年にセルフ・タイトルのファースト・アルバムをリリースし、2009年には〈バップ〉へ移籍しメジャー・デビューを果たす。2008年制作の『しらないあいずしらせる子』以来は現在に至るまでプロデューサーの石原洋とエンジニアの中村宗一郎がレコーディングを手がけている。2012年の5枚め『100年後』などを経て、2014年に〈Pヴァイン〉より最新アルバム『ペーパークラフト』を発表した。


少なくとも、『フォグランプ』のときの煮詰まり感はないですね。作品を作ることの楽しさをこの三部作で学んだ感じです。(出戸)

レーベルが変わって、アルバムをリリースして、慌ただしい一年だったと思いますが、アルバムへの反響はどうでした?

一同:うーん。

勝浦:ない。

一同:ははは(笑)

本当ですか?

出戸:いや、ないこともないんですけど、あんまり耳に入ってこないんですよね。

『ペーパークラフト』の完成度ってすごいじゃないですか。自分たちで聴いて、どうですか?

出戸:それはまあ、いままでのなかだったら……。

勝浦:いちばんですね。

出戸:そうなるよね。

変に褒められすぎるのも嫌で、地方に留まる若いミュージシャンもいますが、そういうノイズをシャットアウトするために長野にいるというのもありますか?

出戸:いや、僕たちの場合は、バンドをやりやすい場所を選んでいたら自然と長野になった感じですね。メンバーで話し合って、意見をきいて。もちろん、プロモーションとかのことを考えたら東京とか、名古屋にいた方がよかったのかなと思うこともあるんですけど、前にいたレーベルが「東京じゃなくてもいいよ」と言ってくれたこともあって。メジャーのレーベルがそう言ってくれるなら、東京に行く理由もそんなにないかなと。自分たちで練習スタジオを持てるということが大事で、時間のこととか、お金のことを気にせずに練習できるというのが僕らにとっては大きいんだと思います。メンバーそれぞれが長野に縁があって、知らない土地じゃないというのもあるし。

2011年の『homely』、2012年の『100年後』、そして今回の『ペーパークラフト』で三部作が完成したわけですが、同時に音楽性も大きく変わりましたよね。そこの出発の部分を改めてお訊きしたいのですが。

出戸:2009年の『フォグランプ』というアルバムで、それまでのUSインディらしさみたいなものを出しきったみたいなところがあって。なにか新しい刺激を注入しないと、バンドの空気もグズグズしそうだなっていう予感があったんですよ。それまではセッションで曲を作っていて、「せーの」で録ったものをみんなで聴き返して、「ここがよかったから使おう」みたいな感じの作業だったのをまず変えてみようと。それで、10年の『浮かれてる人』から僕と馬渕で曲を作るようになって、手法を変えることで少しずつ視界が開けてきた感じですね。

『homely』以降のオウガって、「プロデューサーの石原洋さんとエンジニアの中村宗一郎さんと組んでから急激に変わった」みたいな、非常にざっくりとした認識を持たれているのかなという気もするんですけど、あのふたりと合流したのは2008年の『しらない合図しらせる子』で、もう何年も前のことなんですよね。

勝浦:バンドが変わった大きな理由として、石原さんと中村さんの存在があると思うんですけど、最初は僕らのUSインディ感をもっと尊重してくれてる感じで、もうちょっと距離があった。

出戸:『浮かれてる人』くらいのときから石原さんが自分で作ったミックスCDをくれるようになって。そこで聴いたりするものが影響しはじめたっていうのもあるかもしれない。

たとえばどんなものをくれるんですか? 僕が名前を聞いてもわからないかもしれませんが……。

出戸:いや、たとえば「夏用」だったりとか、そんな感じのもありますし、「フレンチ・ポップのベーシック」とかだったらゲンスブールなんかも入ってるし。あとはサイケだったりとか。

清水:ニューヨーク・パンクのコンピとかもあったよね。ノイズもあったし。

勝浦:ノイズもあったし。

出戸:ノイズとか、エクスペリメンタルとか、本当にいろいろです。

そういうのって、石原さんの気分なんですかね?

馬渕:どうなんですかね。一曲聴いているあいだに次の選曲を決めてるって言ってましたけど。

出戸:そこで聴く音楽が影響しはじめたっていうのもあるだろうし。それまでは石原さんもわりと押し黙ってる感じだったんですけど、『homely』の曲を作っていって、スタジオで聴いてもらったときに、「今回のアルバムはイケる」って初めて言ってもらえて。そこから少しずつ歯車がかみ合いはじめた感じかな。

リスナーの反応はどう見てました?

出戸:お客さんはどちらかと言うと、昔の僕らを望んでいるのかなとは思っていたんですけど、僕らは『homely』の先をもう少し研究してみたいというのがあって。やりたいことと求められることがマッチしてない感じはありましたね。

三作品を作り終えて、どうですか?

出戸:3作品を作るなかで、自分たちのやりたい音楽を理解してもらえたんじゃないか、とは思っていますけど。少なくとも、『フォグランプ』のときの煮詰まり感はないですね。作品を作ることの楽しさをこの三部作で学んだ感じです。

ロックなんだけど、同時にロックから離れるためのもの、というか。ロックなんだけど、ロックじゃなくなりたいというか。(勝浦)

2013年のライヴを何度か観ていたんですが、当時の印象ではノイズ・エクスペリメンタルな方向に行くのかな、と思っていたんですけど、ばっさり切り替えたのには驚きました。だって、〈Shimokitazawa Indie Fanclub 2013〉のライヴとか、怒ってませんでした? せっかくのフェスなのに、2曲やって帰るっていう(笑)。

出戸:とくに苛立ってはなかったですよ。あのときはたしか、「素敵な予感」のオルタナティヴver.と、「ロープ」のロングver.の2曲しかやらなかったので無愛想に見えたかもしれないですけど、あのときはバンドがそういうモードだったんだと思います。

勝浦:むしろ、おもしろがってました。

出戸:そうそう、おもしろがってた。

ああいうモードには飽きてしまったんですか? インストのロックでもぜんぜんいけるというか、ある意味ではボアダムス的な方向にも行けるんじゃないかと思ったんですけど。

出戸:飽きたとかではなくて、あのモードをCDに作品としてパッケージしようとするときに、作品が自分で想像できなかったというか。全編ノイズみたいな作品は自分でもあまり聴かないですし。基本、歌モノから出られない、みたいなところはありますね。

そこは今回、訊きたかったポイントなんですけど。

出戸:うーん。

勝浦:でもたしかに、それはポイントかもしれません。出戸くんとかはとくにそうで、自分のやっていることに責任を持つ傾向があると思うんですよ。

責任?

勝浦:やりたいことにポンポン手を出す人は逆にいま、すごく多いと思うんですけど、出戸くんは自分のなかにちゃんと根づいているものを継続させていくタイプなんですね。聴くものがガラッと変わったとしても、それまでに聴いてきたものを否定したりはしなくて、自分のなかに根っこを持っている。それが責任というか。そういう根っこがないと、そっちでずっとやっている人の作品に比べて嘘っぽくなると思うんですよ。

出戸:そうですね。とくにノイズとかって、その人の生きざまが出ると思うんですよ。仮に同じような音が出ていたとしても、その音のなかにどういう人がいて、そこに思想があるのかとか、そういうものに大きく左右されるジャンルだと思うので。僕らにはそういうのはまだ早いというか、根っこが備わっていないというか。

勝浦くんのリズム感にはミニマルにハマるものがあって。人間が機械に近づこうとするんだけど、どうしても揺らぐじゃないですか。その揺らぎが好きだっていうんですよね。(清水)

なるほど。そこで出てきたのが、「ミニマルメロウ」だったわけですが。

出戸:去年末の〈リキッドルーム〉のワンマン・ライヴの打ち上げでその言葉が出たのがはじまりです。

勝浦:あれはその言葉を聞いてすぐに「よさそうだな」と思いました。

音よりも先に「ミニマルメロウ」というコンセプトが先にあったパターンは初めてだったんでしょうか?

出戸:そうですね。音の面で、そういう架空のジャンルみたいな言葉が先にあったのは初めてだと思います。

「ミニマルメロウ」っていうのも、本当に微妙なバランスでの組み合わせですよね。あんまり対立させて考えたことがない概念というか、実際に出されてみて、「なるほど」という驚きがありました。

出戸:対立する要素というふうに考えていたわけでもなくて。自分たちのなかにあるメロウな要素と、ミニマルな要素を混ぜ合わせてみたことがなかったから、うまくいくのかわからなかったんですよ。それで、一度やってみようと。

言葉をばらしてお訊きしたいのですが、「ミニマル」というとアート全般にまたがる広い概念ですけど、オウガにとってはどういう概念なのでしょう?

出戸:そこはじゃあ、うちのミニマル担当から(笑)。

勝浦:音楽のことで言うと、ロックなんだけど、同時にロックから離れるためのもの、というか。ロックなんだけど、ロックじゃなくなりたいというか。ふつうのロックをふつうに演奏してもおもしろくないので、リズムの持つ文脈を変えてしまう概念ですかね。ミニマリズムというとよく「テクノ以降」とか言われると思うんですけど、たとえばカンがそうであるように、ロックなんだけどロックではない文脈からも聴けるというか。

清水:あと、ミニマリズムっていうのは、勝浦くん個人の特性でもあるんだよね。勝浦くんは生活の中の趣味というか、服装とか家具とかもミニマルだし。

勝浦:うーむ。

清水:それに、勝浦くんには「機械になりたい」という名言があるからね。

勝浦:それ、言った覚えがないんですけどね(笑)

清水:勝浦くんのリズム感にはミニマルにハマるものがあって。人間が機械に近づこうとするんだけど、どうしても揺らぐじゃないですか。その揺らぎが好きだっていうんですよね。それも、揺らぎ放題というのでもなくて、あくまでも機械に近づこうとしているせめぎ合いから生まれる揺らぎが好きだっていう。それを地で行っている人だから。

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出戸くんの声とか、馬渕くんのメロディ・センスがもともと資質としてメロウだと思うんですよね。叙情的というか。ミニマルとメロウ、その両方の要素がバンドのなかにもともと存在していた。(清水)

勝浦:それを聞いて思い出したんですけど、最初バンドに入ったときに、当時のUSのインディ・ロックをぜんぜん聴いてなくて、いまのロックがどうなっているのかってことをまったく知らなかったんですよね。僕は淡々とリズムを刻みたいのに、AメロとBメロでドラムのパターンを変えろって言われたりとか。「なんだそれは」と。「ドラムは一定のものだ」と(笑)。それはわりと昔から思ってたんですけど、それが『homely』以降になって、めちゃくちゃやりやすくなりましたね。

それは勝浦さんのどういう思想とつながっているんですか?

勝浦:何なんですかね。もともとメロディがない人間なので、機械っぽいとはよく言われるんですけど。

出戸:資質なんでしょうね。

勝浦:そうかもしれない。生まれ持った体質ということにしておいてください。わりと繰り返したりするのが好きなんですよね、昔から。ただ、最近のライヴを録音して聴いてみたら自分で思っている以上に揺れてたんですよ。それがすごいショックで。

一同:ははは(笑)

勝浦:まだまだ正確ではないです。

では、「メロウ」の方はどうですか?

清水:それはもう、出戸くんの声とか、馬渕くんのメロディ・センスがもともと資質としてメロウだと思うんですよね。叙情的というか。ミニマルとメロウ、その両方の要素がバンドのなかにもともと存在していたし、そういう意味ではもともとミニマルメロウなバンドだったのかもしれないけど、それを意識的に混ぜ合わせたことがなかったってことだと思います。

なるほど。ただ、たとえば正確なリズムだったら機械で打ち込めるだろうし、いまなんてそのちょっとした揺れさえもプログラムできるんじゃないかと思うんですよ。だとすれば、オウガ・ユー・アスホールがそれでもロック・バンドという形態にこだわるのはなぜですか?

勝浦:「ロック・バンドとしてはじめたから」という答えになるんだと思います。さっきの出戸くんの責任感の話といっしょで、自分たちを少しずつ変えていくことに面白味を見出しているから。

清水:もう、職人と同じだよね。モノを作るときに機械をどんどん導入する人もいるかもしれないけど、手で作ること自体によさがあるというか。彫刻やっている人に「なんで手でやるんですか?」って訊くようなもので、端的に「やりたいから」っていう。

出戸:もともとロックを聴いて育ってるっていうところも大きいですけどね。テクノとかも多少は聴きますけど、リスナーとしての主軸がロックにあるというのが僕の場合は大きいかな。

彫刻やっている人に「なんで手でやるんですか?」って訊くようなもので、端的に「やりたいから」っていう。(清水)

わかりました。話は一気に変わるんですけど、『homely』の1曲め、“明るい部屋”というタイトルは、ロラン・バルトの引用ですか?

出戸:そうですね。

その引用の意味みたいなものって、説明できますか?

出戸:うーん、意味かあ。あれは石原さんとふたりで考えていて、ロラン・バルトの引用はどうかという話をしていたことは覚えているけど、意味って訊かれるとなあ。どうなんだろう、難しいですね。

なるほど。出戸さんはそもそも、「自分の作品を自分で語る」というのはあまり好きではない方ですか?

出戸:なかなか難しいですよね。どちらかというと苦手な方だと思います。

音楽で表現する以上の言葉が見つからないという感じですか?

出戸:そうですね。「言葉の人」って感じではないですね、僕は。

ロラン・バルトっていうと、いわゆるポスト・モダンの批評理論みたいなものを意識して引用したのかな、とも思ったのですが。(注:「明るい部屋」は、ロラン・バルトの最後の写真論である。)

勝浦:そんなに理屈っぽく言葉を選んでいる感じじゃないんですよね、僕から見ていると。

出戸さんの曲名とかって、短いセンテンスで印象的な曲名をつけるじゃないですか。その威力がすごいなと、いつも思うんですけど。

勝浦:あれってフィーリングでつけてるんじゃないの?

出戸:フィーリングなのかな。順番としては歌詞のあとに曲名をつけることが多いし、何かを考えてつけてることは間違いないんですけど、何を考えているかを言葉にするのは難しいですね。

では、歌詞を書くのは好きな方ですか?

出戸:いいときはいいんですけど、嫌なときは嫌ですね。

一同:ははは(笑)

自分の歌詞が評価されているとは思いますか?

出戸:『homely』以降はまだ考えて書いているので、わかってもらえてればいいなとは思いますけど。

「表面だけ立派で、綺麗にみえるけど、じつはペラペラ」みたいなものについて考えたりしていました。「居心地がいいけど悲惨な場所」というイメージを意識的にも無意識的にもずっと考えていたように思います。(出戸)

今回のアルバムの歌詞を書いていく上で、アルバム・コンセプトのようなものはありましたか?

出戸:「表面だけ立派で、綺麗にみえるけど、じつはペラペラ」みたいなものについて考えたりしていました。また『homely』から『100年後』、そして今回の『ペーパークラフト』を通して、「居心地がいいけど悲惨な場所」というイメージを意識的にも無意識的にもずっと考えていたように思います。

『ペーパークラフト』で綴られた歌詞が、怒っているか、諦めているかのどちらかに分類されるなら、どちらだと思います?

出戸:どちらでもないですね。

でも、怒りや憂いみたいなものがないと出てこない歌詞だと思ったんですよ。

出戸:何かに白黒つけてるわけじゃないんですよ。日常的にも、楽しいけれど心のどこかでそれを嫌だなと思っていることとか、あるじゃないですか。そこはすごく微妙なもので。個人的にもすごく怒ったりとか、すごく悲しんだりとかしない人間ですから。だから、ひとつの強烈な感情を描いているわけではないですね。

わかりました。メンバーのみなさんは出戸さんの歌詞は気にしますか?

馬渕:気にしなくていいところがいいんですよね。たゆたっているというか。

勝浦:前はたゆたっていて、意味を感じにくかったんです。いまは、歌詞のなかにちゃんと芯がありつつ、なおかつたゆたってる感じかな。そこが最近の進化だと思う。

出戸:たゆたう感じが好きっていうのは根底にあって、聴いている人の耳に何も意味が残らないような歌詞をわざと書いていたような時期もあったんですよ。文法とかもわざと間違ってみたり。音に溶けこむのがいちばんだと思っていたから。でも、意味のない歌詞を書いたつもりでも、そこから嫌でも浮き出てしまうものがあって。言葉ってそういうものじゃないですか。どんなに消そうと思っても消せないものがあるという。だからいまは、言葉の意味と音の関係性の中から出てくるものっていうのは、昔よりは意識して絞っていますね。

評論によっては「ポリティカル」、つまり政治的という言葉が出てきますし、僕もいまの日本の状況を反映したような歌詞だなと思ったのですが。

勝浦:うーん、政治的なわけではないよね。

出戸:僕らが、というよりは、いまは世の中が政治的なのであって、そういう世の中にも順応できるアルバムだと思ってもらえればいいんじゃないですか。でも、政治的な事柄が薄まった世の中になれば、そこでもぜんぜんちがった聴かれ方をされたい。具体的に何について歌っていると感じるかが、聴く人や聴く時代によって少しずつ変わっていくような、鏡のような作品になればと思ってますね。

「オウガ・ユー・アスホールは(おもに詩作の面で)震災以降に大きく変化したバンドのひとつだ」という評論があるとしたら、出戸さんは反論しますか?

出戸:たまたま震災がバンドの変化と重なっているので、そう見えても仕方ないと思います。でも『homely』に収録されているほとんどの曲は、震災前に作られているんですよね。

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1960年代って真空管の音だと思うんですけど、僕らはそれよりも後の、70年代的なアナログっぽい音が好きなんだと思います。トランジスタのディスクリート回路というか。(勝浦)

『ペーパークラフト』を聴いて、ザックリと「70年代感」みたいなものを感じたのですが、あの時代の音楽に惹かれてるっていうのはとくにありますか?

出戸:それはありますね。

勝浦:最近はとくにそうですね。

あの時代のどういうところに惹かれるかって言葉にできますか?

出戸:音質だと思います。

清水:81、82年あたりから、録音の機材が大きく変わってくるんですよね。どんどんデジタルの機材が普及していって。

出戸:たとえばシンセひとつとっても、アナログ・シンセとデジタル・シンセではぜんぜん音色がちがってくるんですよ。

勝浦:1960年代って真空管の音だと思うんですけど、僕らはそれよりも後の、70年代的なアナログっぽい音が好きなんだと思います。トランジスタのディスクリート回路というか。

清水:そうだね、トランジスタだね。

たとえば“他人の夢”の間奏のギター・パートなどはどのようなアイディアだったのでしょうか?

馬渕:あれは最初、ブルースっぽいギターを入れてほしいという話だったんですけど、いいフレーズが思い浮かばなくて。ミニマルっぽいフレーズを重ねていくのはどうですか、と逆に提案してできたパートですね。

出戸:あそこはいいよね。

馬渕:あれ、12弦のアコギなんですよ。それがまたいい味を出しているんだと思います。

今回はヴィンテージ機材のリストがついていたりとか、使う楽器の種類を増やしているのも意識的なことですか?

馬渕:機材に関しては、前から中村さんの持っているものを出してもらっているものがほとんどなので、今回に限った話ではないんですけどね。いろいろ勧めてくれるんですよ、「これどう?」みたいな。

出戸:それも、小出しにね。最初から全部教えてくれるんじゃなくて、「じつはこんなのもあって」みたいな。

馬渕:そうそう。「こんなものも持ってたんすか!」みたいな(笑)。いまだに驚くことが多いです。

中村さんとの仕事は石原さんよりも早かったと思いますが、どういう経緯だったのですか?

出戸:マスタリングを一度お願いしたことがあって、それで顔を知っているというのもあったんですけど、直感で選んだ部分もあります。当時は僕らにもそれほどレコーディングの経験がなかったので、スタジオやエンジニアによって音がどうちがうのかとか、マスタリングによってどう変わるのかとか、よくわかってないまま頼んだ部分もあったので。それで、最初は思うような音になかなかならなかったんですよね。

自分たちが頭のなかで思い描く理想の音とズレている感じですか?

出戸:中村さんて、バンドが鳴らしている音をそのまま録るんですよ。イコライザーいじったり、パソコンで音を整えたりってことをしないんです。僕らが未熟だったら、未熟なものがそのまま録れるっていう。僕らがいまいるスタジオがそういう場所っていうのもあります。いいところも、恥ずかしいところもそのまま出るスタジオだと思いますね。

勝浦:実際は、ヘタなまま録れるという(笑)。

僕も中村さんのマジックみたいなものがあるのかと思ってました。

出戸:いまって、プロ・ツールスとかを使って補正するから、多くのバンドが似通った音になりがちだと思うんですよ。そういう意味では、バンドの音をそのまま録ってくれる中村さんみたいな存在はすごく珍しいんです。中村さんの場合、マジックがないように見えるのにいい音に録るのがマジックなんだと思います。僕らのわからないところですごく色々やってるんでしょうね。


中村さんて、バンドが鳴らしている音をそのまま録るんですよ。僕らが未熟だったら、未熟なものがそのまま録れるっていう。(出戸)

それはいい話ですね。また話が変わるんですけど、『ele-king』も毎年恒例の年間ベスト号が出る季節なのですが、みなさんが2014年の作品でベストを挙げるとすると、どうなりますか? 気にしているリスナーも多いと思うのですが。

一同:……(沈黙が訪れる)。

出戸:今年観たもの、聴いたものでもいいですか?

大丈夫です。

出戸:映画は、ポール・トーマス・アンダーソンをDVDで全部観たりしてました。音楽は、サンタナの弟がやってるディスコのレコードがよかったです。

清水:ああ、あの女の人のピンクの水着のやつね!(注:Jorge Santanaの1978年のアルバム『Jorge Santana』のことだと思われる。)

勝浦:僕は、イタリアのプログレをよく聴いてたな。アレアとか、オパス・アヴァントラとか。

出戸:あれはよかったなー。

普段はどこでレコードを買うことが多いですか?

一同:ディスク・ユニオン。

やっぱりそうなるんですね!

出戸:やっぱり種類が多いし、価格も地方とかに比べると安かったりするので、どうしてもそうなっちゃいますね。地元にも、長野市のGoodTimesさんとか、松本のほんやら堂さんとかはたまに行きます。

『タイニー・ミックス・テープス』という批評サイトがアリエル・ピンクを評論するときに、「レコード・コレクター・ロック」という言葉を使っていて、オウガにも当てはまる言葉だと思ったんですね。要は、レコードをたくさん集めている人の作るロックというものがあると。逆を言うと、ロックのフォーマットは過去に出つくしていると思いますか?

出戸:手法はある程度、出つくしているとは思いますけど、その組み合わせにはまだ試されていない領域があると思うし、あとは同じ曲でも歌う人によってぜんぜんちがう曲になったりするじゃないですか。組み合わせとか、伝わり方という意味では、「新しく感じられるもの」はまだまだ作れると思う。

勝浦:今回の「ミニマルメロウ」というのも、そう思えたわけだしね。


受け取る側にも、受け取りに行く姿勢みたいなものがあってほしいし、そうでないと通じない部分もあるとは思いますね。(勝浦)

なるほど。とすると、オウガ・ユー・アスホールは、リスナーには一定のリテラシーが必要だと考えますか?

出戸:どういうことだろう?

つまり、アートに関する知識というか、作品を理解したり、解釈する能力だったりをリスナーに求めるか、という質問です。

出戸:自分たちの音楽が完全にアートだとは思ってないんですよね。ライヴだったらグルーヴとか、ビートだけでも伝わるものはあると思うから。

勝浦:でも、ある程度は知識というか、自分から受け取りにいく姿勢みたいなものがないとね。たとえば、子どもはマクドナルドがいちばん好きだったりするじゃないですか。そのままでは煮物の渋い味わいとか、複雑な味っていうのはわからない。だから、J-POPのわかりやすい泣きの進行とか、みんな好きだったりすると思うんだけど。そういう意味では、受け取る側にも、受け取りに行く姿勢みたいなものがあってほしいし、そうでないと通じない部分もあるとは思いますね。

清水さんの2005年くらいのインタヴュー(https://idnagano.net/interview/2005/10/vol02.php)を拝読したのですが、「わかる人だけ来ればいいっていうのではなくて、良いものを解るお客さんを増やしたい、育てたいと思う気持ちが強いです。偉そうですけど、何が面白くて何が高度な表現かっていうのをわかってほしい」と語られているのが非常に印象的で、いまのオウガもそのような役割を担う側に来ているんじゃないかと思うんですが。

清水:まあ、あのときは「ライヴハウスの人」って立場で話していたので、そういうこともちょっと言ってみたんですけどね。いま聞くと恥ずかしいです。でも、作り手としてそういうことを言葉にしてしまうと格好悪いというか、説教くさい感じがしますよね。それはちょっと格好つけて言うと、後ろ姿で伝わればいいことだと思うので。

なるほど。では、質問を変えましょう。そういう役割をオウガが担えているとしたら、うれしいことですか?

清水:そりゃあ、うれしくなくはないですけど……。

勝浦:まあ、ぜんぜん担えてないと思いますけどね。

出戸:うん。それに、たとえばクラウト・ロックをリスナーに教えるためにバンドをやっているわけじゃないですからね。そこを目的にしちゃうのはちがうと思うし。あくまで結果として、僕らを好きになってくれた人が、僕らの音楽から派生してクラウト・ロックなり、他の音楽を聴いてくれることはあるかもしれないけど、そこは目的じゃないと思う。

勝浦:それはもちろん、そうだね。

清水:「RECORD YOU ASSHOLE」みたいな番組をやってることもあって、そういう「教育者」みたいな立場で話を訊かれることが増えているのかもしれない。でも、教育者ってかんじでもないしね。

勝浦:教育なんてできる立場にない(笑)。

出戸:もっとすごい人たちはいくらでもいるので。


他のバンドがやっていることにそれほど興味がないのかもしれないですね。(馬渕)
(同世代のアーティストについては)歳が近いからこそ、嫌な部分が見えちゃうことが多いのかもしれない。自分を鏡に映して見るような気分になってしまって。(勝浦)

国内のミュージシャンで、リスペクトできる存在といえば?

出戸:ROVO、メルツバウ、山本精一さん、ヒカシューなど、いっしょにやらせてもらった中でもリスペクトできる人はたくさんいます。

では、下の世代、たとえばいわゆる「TOKYO INDIE」と括られるバンド群って、気にしていますか?

勝浦:気にしてないですね。

出戸:森は生きているみたいに、対バンする機会があれば聴きますけど……。あまり詳しく知らないので、何ともいえないです。

馬渕:「TOKYO INDIE」に限らず、他のバンドがやっていることにそれほど興味がないのかもしれないですね。

清水:憎んでるでも、避けているわけでもないんですけど、たんに縁がないっていうか。まあ、作り手なんでそんな感じでいいように思いますが。

馬渕:長野にいるので、そういう最新の情報とかも自分で求めないかぎりは入ってこないしね。

同世代とのヨコの連携もあまり見ない印象なので、孤独じゃないのかな? と思ったりもするのですが。

出戸:田我流とかがいるかな。彼はすごいリスペクトできますけど。

勝浦:あとはなんていうか、歳が近いからこそ、嫌な部分が見えちゃうことが多いのかもしれない。自分を鏡に映して見るような気分になってしまって。70年代の人とかだと、対象化できるくらい遠くに離れているから、関心を持つうえでの条件もいいんですよね。

なるほど。超然としているというか、『ペーパークラフト』にしても、2014年という尺でどうこう、という作品ではないですよね。そういうものを感じます。

勝浦:いまっぽいやつって、2~3年で飽きちゃうことが多いんですよね。いま、CDを整理して売ったりしているんですけど、発売した当時に流行っていたものにかぎって、全滅に近いほどの買取価格なんです。逆に、家に残るのは時間の経過のなかで生き残ってきた作品が多いですね。

馬渕:あと、作った時代がわからないものを作りたいっていうのはあるかもしれないですね。リスナーとしても「これ、いつの音楽で、いったい誰が作ってるんだろう?」みたいな音楽に惹かれることが多いし。


守りに入るくらいだったら思い切って黒歴史を作りたい、とは思っています。(出戸)

この三部作でオウガ・ユー・アスホールは何を達成したと考えますか? あるいは逆に、やり残していることはどれくらいありますか?

出戸:やり残していることがあるかはわからないですが、今回の『ペーパークラフト』ではとくに、コンセプトを深めるのとレコーディングを進めていくことが同時に、すごく自然にできたと思っています。それに、ジャケットやアートワーク、MVやアーティスト・フォトなどを総合的に作ることができたと感じています。そういうやり方ができるようになったのは、この三部作を通してだと思います。

あえて名前を出しますが、ゆらゆら帝国が『空洞です』を作ったあとに、何年かライヴをやって、「『空洞です』の先にあるものを見つけられなかった」「ゆらゆら帝国は完全に出来上がってしまった」と言って解散してしまったことがトラウマになってるリスナーも少なくないと思うんですよ。

出戸:まだ次のことは考えてないですけど、少なくとも「これ以上のものは作れない」という感じではないよね。

勝浦:それもそうだし、次のアルバムで思いっきり失敗してもいいと思うんですよ。予測のつく範囲で守りに入ってしまうよりは、失敗したら失敗したでまたその次にいいものを作れればいいし。

出戸:もちろん、失敗したいわけじゃないですけどね。ただ、煮詰まって何もできなくなるよりはいいですよね。それに、何をもって失敗と言うのかっていうのもあるし。

たしかに。

清水:リスナーの立場になってみても、考え過ぎて袋小路にいくよりは、いろいろなことをしてみてほしいよね。失敗作を聴くのも楽しかったりするし。

出戸:失敗したくはないですけどね。

一同:ははは(笑)

出戸:80年代にやらかしてる大物のミュージシャンもけっこういるじゃないですか。でも、それでそのミュージシャンがリスナーに見放されたかというと、そんなこともないわけで。そういう意味で、守りに入るくらいだったら思い切って黒歴史を作りたい、とは思っています。

 大阪を皮切りにスタートした『ペーパークラフト』リリース・ツアーはすでに大盛況のうちに3公演を終了。来る12/27(土)には、恵比寿〈LIQUIDROOM〉にて東京公演が開催されます!

ツアー日程一覧はこちら
https://www.ogreyouasshole.com/live.html

■OGRE YOU ASSHOLE
ニューアルバム・リリースツアー “ペーパークラフト”

OPEN / START:
18:00 / 19:00

ADV / DOOR:
¥3,600(税込・ドリンクチャージ別)

TICKET:
チケットぴあ [241-735]
ローソンチケット [71374]
e+ 岩盤

INFO:
HOT STUFF PROMOTION
03(5720)9999


Robert Wyatt - ele-king

野田努 / Dec 26 2015

 僕がUKの左翼ミュージシャンとして真っ先に名前を思い浮かべるのはロバート・ワイヤットだ。初めて聴いたアルバムが、彼がストレートに政治的だった時代のリリースの『ナッシング・キャン・ストップ・アス』(1982年)だったから、その印象が焼き付いているのだろう。ジャケットには労働者の姿が描かれ、作中ではジョージ・オーウェルの名前が出てきたり、“レッド・フラッグ(赤旗)”なる労働歌など、オールドスクールな左翼観が歌われているが、ワイアットをあたかも音楽界のトニー・ベンのように喩えられた記事を読んだこともある。70年代なかばのフリー・ジャズ時代にも、ゲバラやキューバの歌をやっていて、実際ワイアットは、政権を変えるためには革命活動に参加すべきだと共産党員となったこともあった。党には幻滅して数年で離れるものの……、が、しかし、近年の作品(たとえばイラク戦争への怒りが込められた『コミックオペラ』)を聴いてもわかるように、ワイアットはずっと同じ方向を見続けているように思う、愚直なほどに。ロック・シーンにいながら嫌味なくらい黒人ジャズを愛したワイアットだが、彼が尊敬したポップ・ミュージシャンはジョン・レノンだった。

 『ディファレント・エヴリ・タイム』は、英国における彼の初の評伝の出版に併せてリリースされた2枚組の最新のベスト盤で、いま何故ロバート・ワイヤットなのかと言えば、こんなご時世だからということなのだろう。“シップビルディング”はいまこそ聴けと、〈ドミノ〉という比較的若いレーベルからの若いリスナーに向けたメッセージかもしれない。



 僕がエルヴィス・コステロとの共作“シップビルディング”をアンチ・サッチャリズムの曲だと知ったのは、ずっと後のことだった。歌詞を理解しないことが、ワイアットの音楽の魅力を損なうことにはならないのだろう。60年代後半、ロックにジャズを持ち込んだソフト・マシーンのドラマー/ヴォーカリストだった彼は、その後も音楽的探求を怠ることはなかった。アヴァンギャルド、現代音楽、アンビエント、ラテン、エレクトロニックなど、さまざまな要素を自分の作品のなかに取り入れている。コラボレーションも多い人で、そのリストも60年代のデヴィッド・アレンとケヴィン・エアーズをはじめ、イーノ、ジョン・ケージ、フィル・マンザネラ、エイドリアン・シャーウッド、ピーター・ゲイブリル、ベン・ワット、坂本龍一、ポール・ウェラー、ビリー・ブラッグ、ウルトラマリン、ビョークからホット・チップス……ジャンルも世代も広範囲におよんでいる。
 かように、音楽家として豊かなキャリアを築いてきたワイアットだが、それでも彼の音楽を特徴付けるのは、声であり、言葉だ。ひどく悲しげで、ときには実験的で、技巧派ではないけれど忘れがたい美しさの力強い歌声、そして、ときに社会的公正を訴える言葉だろう。彼は裕福な階級出身で、思春期においては地中海のマヨルカ島に遊学、60年代にはUKのヘイトアシュベリーとまで言われた「カンタベリー」系と括られる、サイケデリック・ロックかつ気取ったアート・ロックの、言わば音楽エリートなのだが、いまあらためて聴いても一貫した強い思いを感じるし、とにかくワイアットの歌声がミックスされると、それは世界で唯一無二のワイアットにしか出来ない音楽になってしまう。

 『ディファレント・エヴリ・タイム』は2枚組で、1枚目には彼のソフト・マシーン時代からマッチング・モウル時代、そしてソロへと展開する40年以上のキャリアからの13曲が収録されている。1曲目の20分にもおよぶ“ムーン・イン・ジューン(6月の月)”は、ソフト・マシーンの『サード』(1970年)に収録されたジャズ・ロックの名曲だが、フライング・ロータスの最新作を絶賛する人にも親しみやすいはずだ。
 マッチング・モウルの“オー・キャロライン”や1974年の人気作『ロック・ボトム』からの曲がないのは寂しいかもしれないけれど、この13曲は、ディスク2に収められた国際色豊かでヴァラエティーに富んだ17曲のコラボーション作品とともに、彼の魅力をバランス良く伝えている。
 ロバート・ワイアットをこれから聴いてみたいという若い世代にはオススメのディスク1だが、コラボレーション曲を編集したディスク2のほうは、昔ながらのワイアット・ファンにとっても新鮮な内容となっている。ワイアットが好きだからといって、クラブ・ジャズの先駆者ワーキング・ウィーク、ホット・チップやビョークのような最近のポップ・アーティスト、あるいは北欧系アーティストとの共演におけるワイアットなど、すべてをチェックしている人はそうそう多くはいないだろうし。ちなみに最後に収録されているのはジョン・ケージとのコラボレーション曲。

 僕が人生で二番目に買ったコンピレーションは、〈ラフ・トレード〉の1980年の、アメリカ向けオムニバスだった。アイルランドのパンク・バンド、スティッフ・リトル・フィンガーズにはじまって、デルタ5、ザ・スリッツ、ザ・ポップ・グループ、ザ・レインコーツ、ヤング・マーブル・ジャイアンツの“ファイナル・デイ”、スクリッティ・ポリッティの“スカンク・ブロック・ボローニャ”……という、当時のアメリカへの嫌味としか言いようのない左向きの選曲の最後がロバート・ワイヤットの“アト・ラスト・アイアム・フリー”だった。高校生だった僕には、「ついに私は自由」というフレーズが、怒りを内包した凄まじい皮肉であるなんて、知るよしもなかったけれど。

※『ディファレント・エヴリ・タイム』のリリースと同時に、1974年の名盤『ロック・ボトム』から、前衛ジャズに接近した1975年の『ルース・イズ・ストレンジャー・ザン・リチャー』、ポストパンク時代の名作1982年の『ナッシング・キャン・ストップ・アス』と1985年の『オールド・ロットンハット、〈ラフ・トレード〉時代最後のアルバム『ドンデスタン』、2003年の『クックー・ランド』ほか、計8枚が歌詞対訳付きでリイシューされている。

野田努

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松山晋也 / Dec 24, 2015

 曲目リストをざっと眺めて、いの一番に聴いたのが、ディスク2のエピック・サウンドトラックス「ジェリー・ベイビーズ」。この曲は、94年にリリースされたワイアットのレア曲中心のベスト盤『Flotsam Jetsam』で、当初収録される予定だったのに結局見送られた曲である。僕は昔から大好きだっただけに、残念なことだった。97年に亡くなったエピック・サウンドトラックス(ケヴィン・ゴドフリー)がスウェル・マップス解散直後の81年に〈ラフ・トレード〉から出したソロ・シングルで、ワイアットがもう一つの姓である(ロバート・)エリッジ名義でヴォーカルをとっている。ケヴィンは元々がドラマーだが、ピアノの弾き語りもする。そしてその歌は、いくばくかのメランコリーを孕みつつもどこか楽天的で飄々としており、独特な味わいがある。つまり、ワイアットにかなり近いのだ。きっとワイアット自身もケヴィンに対し、小さからぬ親近性を感じていたんだと思う。
 この作品が出たのは、ワイアットと〈ラフ・トレード〉の付き合いがはじまり、立て続けにシングル盤(それらは82年にアルバム『ナッシング・キャン・ストップ・アス』に収録された)をリリースするようになった頃だった。3枚目のソロ・アルバム『ルース・イズ・ストレンジャー・ザン・リチャード』を発表した75年以降は、政治問題に熱心になり、音楽活動といえば、請われて時々他人の作品にゲスト参加する程度になっていただけに、やっと本格的にやる気になったんだなと、当時うれしく思ったことを憶えている。
 今回の2枚組ベスト盤のディスク2は、ワイアットが他の音楽家の作品にシンガーやプレイヤーとして参加したコラボ曲(ライナーにある本人の言葉を借りると「緩やかな支配者」として参加した曲)の中から厳選されたものだが、当然ながら、積極的に若い音楽家たちとコラボするようになっていった〈ラフ・トレード〉時代以降の作品が大半を占めている。特に90年代以降の作品の豊かな国際色を眺めると、彼がいかに地球規模で敬愛され、影響力を放ってきたかをあらためて実感させられる。
 ディスク2では、他にも、イーノのオブスキュア・シリーズ第六番として76年に出たジャン・スティール/ジョン・ケイジ『Voices And Instruments』の収録曲“エクスペリエンシズ第2番(Experiences No.2)”とか、英国のコミュニズム系ブラス・バンドであるハッピー・エンドの『Turn Things Upside Down』のタイトル曲、あるいはスティーヴ・ナイーヴ(彼がキーボードで参加した屈指の名曲“シップビルディング”」も勿論ディスク2に収録)が私的パートナーである作家/精神分析医ムリエル・テオドーリと共作したオペラ的作品『Welcome To The Voice』の収録曲など、かなりレアなトラックも入っている。もっと有名な曲、人気のある曲は他にいくらでもあるのに……と感じるファンが少なくはずだ。だが、曲目リストの人名を眺め、通して聴いてみて思うのは、これらはすべて、ワイアット自身の人生に豊かな彩りと喜びをもたらしてくれた人びとなのだな、ということだ。なにしろマイク・マントラーが2曲も入ってるし、ニック・メイスンやフィル・マンザネラといった本当の恩人(音楽上でも生活上でも)、そして、本作と同時に出た同名の伝記本の著者であり、本作のオリジナル・ライナー執筆や最終的な曲順決定なども担当したマーカス・オデアーのバンド、グラスカットの曲もしっかり入っている。
 つまり、みんなありがとう、おかげで俺の音楽家人生はこんなにも楽しかったよ……という内なる謝辞がここからは聞こえてくる気がするのだ。となると、彼が数か月前に英国の雑誌アンカットで「音楽制作はもうやめた」と引退宣言したことも合点がゆく。正直、僕も、彼の創作意欲は近年衰えていると感じていた。今作のジャケットに、本人の顔を真正面からアップでとらえたリアルな写真が使われていることにも、本人の確かな意思が感じられる。たとえていえば、本作はロバート・ワイアット・エリッジの、ちょっと気の早い音楽的墓碑銘のようなものなのかもしれない。過去、ワイアットのベスト盤的作品は何枚もリリースされてきたが、その点が他とは決定的に違うと僕は思う。
 ディスク1は、ソフト・マシーン時代から近年に至る本人名義の作品から時代順に選ばれた、極めてノーマルな構成。とくに驚くような点はないが、意外だったのは、彼の人生最高の名曲、名演と多くのファンが思っているであろう“オー・キャロライン”(マッチング・モール1st収録)がなく、それに続く“ サインド・カーテン”が選ばれていることだ。“オー・キャロライン”は、デイヴ・シンクレアの書いたメロディの力が絶大なので、今回は遠慮した、という見方もできるけど、それ以上に、「今でも愛しているよ、キャロライン」としつこくリフレインされる歌詞(キャロラインは当時の恋人)のことを気にしたのではないかと僕は思う。下半身不随の人生をずっと支えてくれた愛妻にして同志アルフィのことを思えば、いかにもこれは墓碑銘にはふさわしくない歌だろう。

松山晋也

 超オススメのイベントです。なんと、2015年1月、ジュリアナ・バーウィックが初来日します。
 彼女がどんな人なのかは、過去の記事を参照してください。

Julianna Barwick- The Magic Place
Julianna Barwick & Ikue Mori- FRKWYS Vol. 6
Julianna Barwick- Sanguine
Julianna Barwick- Nepenthe
Julianna Barwick- Rosabi

 とにかくライヴが楽しみでなりません。詳しくは、https://foundland.us/archives/956をチェックしましょう。





1/23(金)東京・品川教会(品川区北品川4-7-40)
adv./door 4,000/4,500yen
open 18:00/start 19:00

1/24(土)新潟・新潟県政記念館(新潟市中央区一番堀通町3-3)
adv./door 3,500/4,000yen(県外3,000yen/18歳以下無料)
open: 16:30 / start 17:00
w.福島諭+濱田潤一、青葉市子

1/25(日)神戸・旧グッゲンハイム邸(神戸市垂水区塩屋町3-5-17)
adv./door 3,500/4,000yen
open 17:30/start 18:00

1/26(月)大阪・島之内教会(大阪市中央区東心斎橋1-6-7)
adv./door 3,500/4,000yen
open 18:30/start 19:00

企画・招聘:flau, HUTU


ザ・フィールド - ele-king

 シューゲイザーとテクノが好きな君が年明けに行くべきは、このパーティだ。00年代に人気を博した、ドイツのザ・フィールドが来日。他に、〈コンパクト〉サウンドの日本代表とも言えるKAITO、2014年は、ele-kingの12インチ・シリーズにて森は生きているのリミックスを手がけてくれたGONNOも出演。ツアーにはベルリンのDJ、BARKERも同行。トランシーな夜になること間違いないでしょうね。

THE FIELD(KOMPAKT) & BARKER(Ostgut-Ton, Leisure System)
緊急来日公演決定!

 シューゲイズ・テクノと称されエクスペリメンタル・ロックの要素を取り入れながらさらなる進化し続ける THE FIELD。最新作『CUPID'S HEAD』ではソロ・プロジェクトへと原点回帰を果たし、レコーディングで使用したハードウェアで作り上げた画期的なライヴ・セットはループ・サウンドの匠が新境地を切り開いたことを証明してみせた。過去3回の単独来日公演、そしてロック・ファンも巻き込んだフジロックや朝霧ジャムで実証済みの中毒性に溢れた圧巻のパフォーマンス、お見逃しないように! 祝・再来日!
 さらに、Berghain/ Panorama Bar で行われているパーティ(兼レーベル)Leisure System, Ostgut-Ton からのリリースで知られる Barker & Baumecker の BARKER がツアーDJとして同行、我が国で〈KOMPAKT〉と言えばこの人 KAITO こと HIROSHI WATANBE、日本のテクノ~ハウス・シーンの次世代を担う才能として希有な存在感を示す GONNO も出演。
 

2015.01.16 fri @ 代官山 UNIT
Live: THE FIELD(KOMPAKT)
DJs: BARKER(Barker & Baumecker, Ostgut-Ton, Leisure System), HIROSHI WATANABE aka KAITO(KOMPAKT), GONNO(WC, Merkur, International Feel)

Open/ Start 23:30-
¥3,500(Advance), ¥4,000(Door)
Information: 03-5459-8630(UNIT)
www.unit-tokyo.com

Ticket Outlets: LAWSON(L: 75759), e+(eplus.jp), disk union CMS(渋谷, 新宿, 下北沢), TECHNIQUE, Clubberia Store, RA and UNIT

THE FIELD(KOMPAKT) https://www.kompakt.fm/artists/the_field
テクノ・ファンの間ではボーダー・コミュニティー以降の新しいオーガニックなテクノ・サウンドとして、ロック・ファンからは同郷のスウェーデンの人気バンド、120デイズや〈WARP〉のバトルス、トム・ヨークとの交友で注目を集めたKOMPAKTを代表するアーティスト、ザ・フィールド。2007年にリリースされたファースト・アルバム『From Here We Go Sublime』が『ピッチフォーク』でBest New Album(9.0)として高評価を獲得し、同年のベスト・テクノ・アルバムとして世界中で高い評価を獲得、そのサウンドは〈KOMPAKT〉らしいミニマルなビートにメロディアスでオーガニックなシンセ・サウンド、細かくフリップされたボイス・サンプルを多用しテクノ・ シーンでも異彩を放つ彼独特のサウンドで世界中の音楽ファンを魅了した。2009年にはセカンド・アルバム『Yesterday & Today』をリリース、バトルスのドラマー、ジョン・スタニアーが参加、前作以上に生楽器を取り入れオーガニックでメロディアスなテクノ・サウンドを展開しながら、サウンドの幅が広がった進化したサウンドを披露した。ザ・フィールドのサウンドはアンダーグラウンドなミニマル・テクノのサウンドとエクスペリメンタル・ロックの垣根を取り払い、双方のファンにアピールする新しいテクノ・サウンドを生み出して世界中で注目を集め続けている。2011年10月にサード・アルバム『Looping State Of Mind』を発表。別名アンビエント・プロジェクト、ループス・オブ・ユア・ハートでもループ・サウンドの可能性を模索。2012年、フジロックでは深夜のレッドマーキーで壮大なライヴ・サウンドを披露しオーディエンスを熱狂させた。2013年、バンド・スタイルでのライヴ活動に一旦終止符を打ち、ソロ・プロジェクトに立ち返った最新アルバム『Cupid’s Head』をリリース。相変わらず、『ピッチフォーク』からBest New Album(8.7)として高評価、その他各メディアから軒並み大絶賛されている。

BARKER(Barker & Baumecker, Ostgut-Ton - DE) https://ostgut.de/booking/artist/barker-baumecker
ベルリンのBerghain/ Panorama Barで行われている四半期パーティーLeisure Systemを主宰するBarker & Baumecker。Ostgut-Tonからリリースされた2枚のEP「Candyflip」「A Murder Of Crows」で注目を集め、フル・アルバム『Transsektoral』を2012年にリリース。その年のベスト・アルバムとしてJuno Plus, Resident Advisor, XLR8Rなどでランキングされた。ミニマルを基軸としながらアブストラクトな装いを兼ね備える独自のビートとウワモノが絡み合ったサウンドは、テクノ/エレクトロニカの双方のリスナーから高いプロップスを獲得している。今回は、THE FIELDたってのリクエストによりBARKERがツアーに同行することが決まった。

HIROSHI WATANABE aka KAITO(Kompakt)
https://www.hiroshiwatana.be
ドイツの人気レーベル〈Kompakt〉唯一の日本人アーティスト。1stアルバム『Special Life』に収録された「Intension」がFrancois K.のミックスCDに収録されるなど瞬く間に大反響を呼び、10年以上が経過した現在も色褪せることのない名曲として語り継がれている。また、Kaitoのオリジナル・アルバムでは常に対になるビートレス・アルバムも制作され、繊細かつ美しい旋律により幅広い音楽ファンに受け入れられている。Hiroshi Watanabe名義でも自身最大のセールスを記録した1stアルバム『Genesis』に続き、2011年に『Sync Positive』を発表。リスナーを鼓舞させる渾身の作品となっている。2013年には〈Kompakt〉の20周年を記念して制作された二枚組DJミックス『Recontact』をリリースし、更にKaito名義では4枚目となるオリジナル・アルバム『Until the End of Time』を発表。新生Kaitoとも言える壮大なサウンドスケープが描かれている。

GONNO(WC, Merkur, International Feel) https://www.facebook.com/pages/GONNO/235886486469829?fref=ts
次世代ハウス/テクノDJの旗手としてこれまでに日本のレーベル〈WC Recordings〉を初めとした数々の国内外レーベルより作品を発表、同時にDJやライヴ・アクトとしても、アシッドでメロディックなテクノを基調としながら幅広くストーリー性溢れるプレイが話題となり各地でプレイする。2007年~2009年には続けてベルリン公演を敢行、またその間にレーベル〈Merkur Schallplatten〉との親交から3枚のアナログ限定リリースも担当した。2011年、ウルグアイの〈International Feel Recordings〉からリリースされたシングル 「Acdise #2」が、ロラン・ガルニエやジェームス・ホールデン等にプレイされ話題を集め、発売後およそ1週間でソールドアウト。2011年ベスト・テクノ・レコードのひとつと言えるヒットを記録、フランソワ・ケヴォーキアンやDJエンマによるミックスCDにも収録された。現在も各方面で勢力的に活動をする中、昨年にはジェフ・ミルズの新作 「Where Light Ends」にリミックスを提供、またティム・スウィーニー主宰のBeats In Space Recordsから12インチ「The Noughties EP」、ALTZとのスプリット・シングル等、Calm別名義K.F.のリミックスを発表、一昨年、昨年と2年連続ドイツ/フランス/イギリス等を渡るEUツアーを敢行、BOILER ROOMにも出演を果たした。


はっぴいえんど - ele-king

彼は「見る前に飛べ」と言いぼくは茶化して「飛ぶ前に見る」と言ったことがあった。それは単なる笑い話に終わらず、ぼくはぼくなりに「風を集めて」と言う作品にして、それをまとめてみた。
松本隆『微熱少年』(1975年)

 先日、1年ぶりに顔見知りの中古盤屋に入って「最近は何が売れているんですか」と訊いたら、「和ものが強いっすね」と言われた。たしかにそのお店の日本の音楽のコーナーを見ると、1年前に比べて1/3は減っている気がした。実際そのとき──平日の夕方だが、「日本」コーナーではひとりの若い女性が熱心に掘っていた。そのお店では、90年代以降と80年代以前とで分けているのだが、減っているのは主に80年代以前で、「70年代」は入荷するとすぐに売れてしまうという。

 日本において、はっぴいえんど(の解散間際のアルバム)をはじめとする、1972年~1973年あたりのベルウッド・レーベル諸作について、僕がここで上塗りするのもおこがましい話であるのだが、なんでこんなにも70年代初頭のはっぴいえんど系が求められているのかと言えば、もはやリヴァイヴァルなどではなく、年々評価を高めているという事実はさておき、ひとつには、知的で洒落ていながもその温かいサウンドが良いのだと思う。フォーキーだがリズムとアレンジも凝っているし、言葉もユニークだし、アコースティックな音空間も繊細かつエレガント。ポップにおけるミキシング主流の時代を先取りもしているので、いまも音は古びない。すべては最終的に聴き心地の良い音楽へと落とし込まれている。とかくピリピリしている最近の日本において、それはひとつのシェルターになっているのかもしれない。
 そもそも今日は、消費文化の世界では、チープな打ち込み音楽が氾濫している。だいたい世のなか超アメリカンでアッパーな、そして薄っぺらいEDMだし、ああ耳も気持ちも痛い……となれば、アコースティックな響きの、アナログ録音の良さが滲み出ている生演奏の音が価値を高めるのも自然の流れで(ベックの2014年のアルバムもそういうカウンター的なものを内包していただろうし、この日本だって、EDM的なるものへの「ノー」として、いまに知的なギターポップが来るで)、日本語で歌われている格好いい音楽を求めるなら、さて、どこの時代に手が伸びていくのかは言わずもがだ。

 ちょうど同じ週、ひとと待ち合わせのために僕はまた別の街の中古盤店に入った。まだ明るい時間帯だったが、同じように日本の音楽のコーナーには人が張り付いている。そのうちひとりは30歳ぐらいの外国人で、彼は、Hのコーナーから20分は離れなかった。『レコード・コレクターズ』も最新号では「はっぴいえんど」特集をしているが、なるほど、各社再発しているのだ。いろんな意味でタイムリーだと思う。

 3年前、アメリカのTMTというピッチフォークへのカウンター的なマニアックなサイトで、はっぴいえどに関する記事が公開された。この手のメディアで、強烈なエキゾティズムを持っている日本人が取りあげられることは、90年代以降は珍しいことではないけれど、エキゾティズムとはほど遠いはっぴいえんどへの賞賛とは意外な話となる。どうやらアメリカでは、ここ数年、日本に生まれ、日本を生きながら、しかし日本との微妙な距離の、戦後=オキュパイド・ジャパン以降に生じた複雑なアイデンティティへの理解がはじまっているようなのだ。
 面白いのは、TMTのライターが、自分=アメリカ人の耳に、この音楽が「紛れもなくfamiliar」であることにショックを受けていることだ。それは、70年代初頭の日本のロック・バンドが、今日の若いアメリカ人が忘れかけている音楽の物語(魅力)をアメリカに教えているからなのかもしれない。が、しかし、はっぴいえんどのラスト・アルバム『HAPPY END』の最後に収録された“さよならアメリカさよならニッポン”(ヴァン・ダイク・パークスとの共作)という曲名が暗示するように、彼らはアメリカン・ポップスの単純なファンだったというわけではない。ときにはアメリカ支配からも、同時に日本支配からも逃れようとしたきのねじれのなかので、この音楽は鳴っている。はっぴいえんどが日本のロック/ポップス史における大いなるターニング・ポイントだったとしたら、重要なことはそれがバッファロー・スプリングフィールドの優れた翻訳ということではなく、当時みんながやってはいけないと思わされていたことをやったことにある。この音楽の心地よさの背後には、当時支配的だった文化への拒絶の意志があるのだ。
 ……とまあ、そこまで理屈にこだわらなくても、世界のレアグルーヴ愛好家にとって日本が最後の秘境と言われている話は、もうすでに何回か書いてきた通りである。僕たちは、フランス人のハウスDJの耳を鈴木茂のギターが魅了している時代に生きている。

 この度、キングレコードから創設者三浦光紀の監修によって、180グラムのアナログ盤として限定リリースされる初期のベルウッド・レーベルの10枚。中古盤でも高値が付けられているものばかりの作品なので、探している人は、値段が上がらないうちに手に入れた方がいいかもしれない。煽るわけじゃないけど、本当に、中古市場でも人気ある。カッティングに関しては、和田博巳(元はちみつぱい)の監修のもとで丁寧におこなわれ、アナログ盤らしい温かい音質になっている。
 外国でも通用するサウンドなどという(褒め)言葉は本当に意味がない。僕は、子供の頃に洋楽ファンから「所詮日本のロックなんかさ~」と言われてきた不幸な世代だ。他方で邦楽ファンは洋楽を聴かないという状況にあった。そうした対立軸がいまだにあるのは残念なことだが、しかしその対立軸を越えたところで、はっぴえんどは聴こえているはずだ。僕が小学生の頃は、アントニオ猪木やジャイアント馬場が外国人レスラーをばったばった倒しては人が拍手していた時代である(しかも何故かドイツ人レスラーは味方だった)。もう、そんな単純で、欺瞞的なメロドラマは繰り返されないだろう。萩原健太は、1983年の著書『はっぴいえんど伝説』の最後を「ほんとうの『伝説』はこれから生まれるのかもしれない」という言葉で結んでいる。たしかにその通りになった。大きな大きなハッピー・エンドである。

その代わりはっぴえんどは、受け継がれてきた否定を否定することによって、現存する歴史や記憶の形態を突破しようとした。
──マイケル・ボーダッシュ(奥田祐士訳)『さよならアメリカ、さよならニッポン』

Bellwood LP Collection

大瀧詠一 / 大瀧詠一 1972年

なんてロマンティックな音楽だろうか。この時代にしては先駆的な、巧妙なミキシングの、全曲およそ3分〜2分というポップスが夢の劇場を立ち上げる。萩原健太いうところの「永遠の3分間」の集合体。リアルタイムでは売れなかったという、大瀧詠一のファースト・ソロにして初期の最高傑作。この盤のみ1月発売予定。


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大瀧詠一 / アーリー大瀧詠一 1982年

不毛なこの人生で恋とポップスが夢の続きを可能にする。フィル・スペクターやビートルズやモータウンは、そして大瀧詠一は、そうしたどきどきする思いを音の大聖堂のなかで鳴らすことができた。レーベル10周年のときにリリースされたベスト・アルバム。


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はっぴいえんど / HAPPY END 1973年

僕たちの現在がもう過去には戻れないハイブリッドな文化として揺らいでいることは、いまとなっては常識だが、70年代初頭を思えば、それはそれでラジカルな態度表明だったに違いない。日本のポップ・ミュージックにとって歴史的な起点となった作品。


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はっぴいえんど / CITY、はっぴいえんどベスト・アルバム 1973年

はっぴいえんどを起点とする「はじまり」から広がった地平には、実に多くのものがあった。そのなかには80年代の「シティ」との親和性もあった。「シティ」はつねにアンビヴァレンツな記号だ。その空虚さは現代を生きる我々の骨身にしみているが、松本隆にとってのそれはアイロニーでもあったはず。パンクに心酔していた中高生の僕は、はっぴいえんどに端を発したニュー・ミュージック的なるもの(実はまったく別の展開として商用されたもの)に抵抗があったのだが、しかし、松本隆の『微熱少年』(装丁の絵がますむらひろしのほうです)は、稲垣足穂とともに重要な1冊だった。


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はっぴいえんど / ライブ!!はっぴいえんど1974年

1973年のライヴを収録。知的で、情熱的で、皮肉たっぷりの“はいからはくち”のライヴ演奏は感動的……というか、録音物では(ロックのヴォーカリスト中心主義に抗うがごとく)感情を制御していたこのバンドが、しかしライヴでは実にエモーショナルだったということを知ることができるだけでも貴重な記録。“抱きしめたい”のライヴ・ヴァージョンは涙もの。風都市主催のコンサート「CITY-Last Time Around」がおこなわれたのは1973年9月。オリジナル盤のライナーノーツは北中正和。


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はっぴいえんど / シングルス・はっぴいえんど 1974年

はっぴいえんど時代のメンバーのソロ作品集。『大瀧詠一』と『HOSONO HOUSE』と『HAPPY END』がさてどんなものなのか知りたい人には便利な編集盤。


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あがた森魚 / 乙女の儚夢 1972年

60年代が好んだ覇者アメリカへの対抗としての「日本」とリンクしたであろう林静一の絵を抜きにこのアルバムは語れない。大胆に引用される大正時代のデカダンスは、「戦後」という圧倒的に支配的な歴史観と抗するかのように、戦前大衆文化を訴える。バックを務めるのは、はちぴつぱい~ムーンライダースの面々。僕は、70年代のあがた森魚の諸作を本当によく聴いた。自分がどこから来たのかを知りたがる20歳ぐらいの僕には、大正ロマンはアイデンティファイしやすかった。UKのポストパンクが19世紀ゴシックにアプローチするのと似ているのかしれない。“赤色エレジー”が数十万のヒットだったいうのは、いまでは信じられないけれど。


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細野晴臣 / HOSONO HOUSE 1974年

細野晴臣の最初のソロ作品で、年を追うごとに評価を高めているのも納得できる、ソフトな感触の心地よいフォーク・ロック。「異邦人でいること」、細野晴臣はかつて自らのコンセプトをそう語っている。アメリカでも日本でもない、文化の反射板のあいだで研磨された音楽のもっとも牧歌的な結実と言えるかもしれない。周知のように、彼はその後、エキゾティック・サウンドのパロディのような音楽を試みているが、その文脈でからは「テクノ」とは別YMOが見えるだろう。


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はちみつぱい / センチメンタル通り 1973年

鈴木慶一、かしぶち哲郎らを擁した、はっぴいえんどとともに時代を切り拓いたバンドの唯一のアルバム。ドライなはっぴいえんどに対して、こちらは情緒的で、タイトルが言うように感傷的で、プログレッシヴ・ロックめいた展開もある。


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高田渡 / ごあいさつ 

谷川俊太郎、山之口貘、吉野弘といった詩人の言葉を音楽に混合する。ポリティカルだがユーモラス。黒人詩人ラングストン・ヒューズの木島始による日本語詩は、はっぴいえんど演奏するブルースをバックに歌われている。いま聴いてもモダンに感じる。


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ラリ・プナだって! - ele-king

 〈Morr Music〉を筆頭に、「あの頃のエレクトロニカ」にもふたたび光が当たりつつあるのかもしれない。ラリ・プナの再来日が10年ぶりというのは、その背後にさらにいろいろなものの“10年ぶり”をしたがえているように思えてならない。あのあたたかくつめたい音を、ある人々はなつかしく、ある人々は新鮮に聴くことになるだろう。
 来年2月の来日は一夜限り。逃すのはもったいない機会だ。

■LALI PUNA Live in Tokyo 2015
with special guest TRAMPAULINE

 ドイツのMorr Musicの看板アーティストとして、2000年代初頭のエレクトロニカ・ブームの寵児とも言える存在だったラリ・プナだが、その後も寡作でマイペースな活動ぶりながら一作ごとに新たな顔を見せ、ヴァレリー嬢の唯一無二のヴォーカルも相俟って、その作品群はいま聴いても全く色褪せていない。日本初となる単独公演では、新旧の楽曲を織り交ぜたロングセットで、定評があるライブ・バンドとしての魅力も余すところなく伝えてくれるだろう。そして、2015年1月にラリ・プナのドイツ・ツアーでサポート・アクトをつとめることになった韓国のエレクトロ・ポップ・バンド、トランポリンが東京公演にも特別出演決定! 2012年の初来日公演でも絶賛を浴びたクールで熱い彼女たちのパフォーマンスも見逃せない。

■公演詳細
2015 年 2 月 11 日(水・祝)
代官山 UNIT
開場 18:00 /開演 19:00
前売 4,800 円/当日 5,300 円
チケット取扱: e+, ローソンチケット
お問い合わせ:
代官山 UNIT TEL:03-3464-1012 https://www.unit-tokyo.com/
DUM-DUM LLP 03-6304-9255
https://dum-dum.tv
チケット一般発売: 12/ 28( 日 ) 10:00 ~
◎先行予約 ; 12 月 20 日(土)18:00~ 12 月 23 日(火)23:00

■ヴォーカル、ヴァレリー・トレベルヤーからのメッセージ
「久しぶりに東京に行って演奏できることをとても楽しみにしています。前回東京に行ったのは4年前、高橋幸宏さんが私をゲストシンガーとして招いてくださった時でしたが、2005年に初めて東京と大阪、それに京都を訪れた時、私たちはすっかり日本の虜になりました。ラリ・プナの一員として再び日本で演奏できることを嬉しく思います。そして、トランポリンとのコラボレーションもとても楽しみです。彼女たちのヴィデオをYouTubeで観て、私は即座に彼女たちの演奏に魅了され、ラリ・プナとの相性もいいだろうと確信しました。そして、実際にそうだと分かりました。私たちは2曲を一緒に作ることにした
のですが、とてもうまく行ったんです。」──ヴァレリー・トレベルヤー(ラリ・プナ)

■ラリ・プナ(Lali Puna)
1998年初頭、ドイツ・ミュンヘンにて、ヴァレリー・トレベルヤーのソロ・プロジェクトとして始動。間もなく、ザ・ノーツイスト(The Notwist)やタイド&ティクルド・トリオ(Tied & Tickled Trio)のメンバーとしても知られるマルクス・アッハーが加入。同年8月にHausmusikより7インチ・シングルをリリースした後、レコーディングのみならずライブ演奏も志向していく過程で、ドラムのクリストフ・ブランドナーとキーボードのフロリアン・ツィマーも加わり、4人組のバンド編成となる。1999年9月、まだ設立後間もないベルリンのレーベル、Morr Musicよりデビュー・アルバム『Tridecoder』をリリース。2001年9月に発表したセカンド・アルバム『Scary World Theory』は、歌ものエレクトロニカの可能性を押し広げた作品として絶賛を浴び、ラリ・プナのみならず、Morr Musicの人気とレーベル・カラーを決定づける作品にもなった。2002年秋には初のUSツアーを敢行するが、その数ヶ月後に、フロリアンが、自身のプロジェクト、Iso68に専念するためバンドを脱退、後任としてクリスチャン・ハイスが加入。2004年4月には、ギターを多用し、ロック色を強めたサード・アルバム『Faking the Books』をリリース。2005年5月には、ドイツのエレクトロ/インディーポップ寄りのアーティストが多数集結して東京と大阪で行われたイベント「Soundz from Germany 2005」で初来日。2010年4月、長いブランクを経て、6年ぶりの新作『Our Inventions』を発表し、これまで以上に精緻で研ぎ澄まされたエレクトロ・ポップを聴かせた。バンド名の「ラリ」はヴァレリーの幼少時のあだ名、「プナ」は彼女の出生地である韓国のプサンのことを指している。

■トランポリン(Trampauline)
韓国・ソウルにて、チャ・ヒョソンのソロ・プロジェクトとして始動。2008年にフォーキーなエレクトロニカを換骨奪胎したような清新なサウンドが光るデビュー・アルバムを発表。2011年には、ギタリストのキム・ナウンをメンバーに迎え、ヒョソンの独特な英語詞の歌い回しとクセのあるエレクトロ・ポップが見事に融合したセカンド・アルバム『This Is Why We Are Falling For Each Other』を発表。同年の韓国大衆音楽賞で2部門にノミネートされる。2012年6月には、IRMA Records Japanよりセカンド・アルバムの日本盤がリリースされ、同年9月には初来日、VOGUE JAPAN誌主催のファッションイベントの一環としてagnes bの表参道店にてライヴを行い、渋谷O-nestでも公演した。2015年1月には、ドイツでラリ・プナと3公演を行う他、2月には韓国のソウルとプサンでの共演も決定している。ヴォーカル/シンセサイザーを担当するヒョソンを軸としたバンド編成は流動的だが、現在はキム・ナウンとベースのチョン・ダヨンを加えた3人を正式メンバーとして活動している。


DJ20周年の年、2014年は素晴らしい年でした。感謝の気持ちをこの10曲に(順不同) 2014/12/16

まだまだ続くDJ道!21年目もどーぞよろしくお願い致します!!

>>DJ FUMI Schedule
2014
[12月]
12/20 DJ FUMI 20th ANNIVERSARY SPECIAL "en21" x "皆殺し" @福岡 今泉 BlackOut
12/31-01/01 "VQ Count down NYE party" @Nimbin (Australia_Nimbin)
2015
[01月]
01/02 "3rd Eye Productions presents "Indigo Evolution New Years Festival" @2hrs from Byron Bay
01/04 "Buddah Bar with Dachanbo" @Buddha Bar (Australia_Byron Bay)
01/16 "Dosen't Matter" @New Guernica (Australia_Melbourne)
01/23-26 "Rainbow Serpent 2015" @Lexton (Australia_Victoria)
[01/24 05:30-07:00 Saturday Morning on the Sunset Stage]
01/31 "MACHINE" @MY AEON (Australia_Melbourne)

[2月]
02/13-16 "EARTH FREQUENCY FESTIVAL" @Ivory's Rock (Australia_QLD)
[Friday Night]
02/21 "Vitamin Q" @AVALON (Australia_Gold Coast)

[3月]
03/06-09 "Maitreya Festival 2015" @TBA (Australia)
[Saturday Night]
03/21 "RESPONSE" @東京
03/28 "TBA" @北海道

 

 

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