「Ord」と一致するもの

Charles Hayward - ele-king

 70年代後半から80年代初頭にかけて活躍した伝説的なポストパンク・バンド、ディス・ヒートのメンバーとしても知られるチャールズ・ヘイワードによる二種類の作品がリリースされた。それぞれ『(Begin Anywhere)』と『Objects Of Desire』と題された、フォーマットも内容も大きく異なるこれらの作品について触れる前に、まずはヘイワードのこれまでの活動について書き記しておこう。

 チャールズ・ヘイワードは1951年生まれ、英国のインディペンデントな音楽シーンで主にドラマーとして活動してきた。その名前が広く知られるようになったのはやはり1976年にギターのチャールズ・バレン、ベースのギャレス・ウィリアムズとともに結成したディス・ヒートにおける活動がきっかけだろう。英国ロンドン・ブリクストンを拠点に活動し、1979年にはデビュー作『ディス・ヒート』をリリース。即興的なセッションを録音し、それを聴き返すことで楽曲のアイデアをかたちづくっていくとともに、テープ編集やポスト・プロダクションを幾重にも施すことによって同作品は完成したという。現在から振り返れば同じく英国ロンドン・ブリクストンで活動する若手バンドのブラック・ミディの先駆にも思えるが、ともあれ、ベースのウィリアムズの脱退にともないディス・ヒートは1982年に解散。その直後にヘイワードはディス・ヒートの音楽を発展的に継承するかたちでキャンバーウェル・ナウを結成。音響的な実験は深化するものの一枚のアルバムを残し5年後の1987年には解散してしまう。

 その後も複数のグループで活躍することになるのだが、キャンバーウェル・ナウが解散した1987年は初めてのソロ・アルバム『Survive the Gesture』をリリースするなど、ヘイワードにとって画期となった年だと言っていい。同作品のアヴァンポップな作風は傑作とも謳われたものの、その後も画家マーク・ロスコに捧げた『Skew Whiff』(1990)や『Abracadabra Information』(2004)、『One Big Atom』(2011)などつねに自らのソロ・ワークを更新し続けてきた。他方で記憶に新しいところでは2017年にソニック・ユースのサーストン・ムーアとともに全編即興演奏による作品『Improvisations』をリリースしており、ギター・ノイズと渡り合う力強いロック・ドラミングはディス・ヒート時代から変わらないヘイワードのオリジナルな響きを聴かせてくれている。それから2年を経てリリースされた『(Begin Anywhere)』と『Objects Of Desire』は、ドラマーではなくコンポーザー、あるいは綜合的な音楽家としてのヘイワードの才能が発揮された極めてユニークな作品になっている。

 シンガーソングライターとしてのピアノによる弾き語りが収録された『(Begin Anywhere)』は、メランコリックな歌声とつねに希望が先送りされてしまうかのような感触の楽曲が印象的な、英国ロック・ミュージックのオルタナティヴな血脈を総ざらいしたとも言えそうなアルバムである。それに対して『Objects Of Desire』は、ディス・ヒート結成前の1975年に録音された素材がもとになっており、演奏というよりもドローン/物音/ノイズ/トライバルな響きなどが編集された実験的な作品になっている。約1時間にわたって延々と続く音響的な実験はカセットテープの歪みさえサウンドとして定着させており、この音源がさらにカセットテープとしてリリースされているということも面白いのだが、いずれにしても3~4分前後の小品が収録されたソング集でもある『(Begin Anywhere)』とは好対照をなすアルバムである。

 『(Begin Anywhere)』と『Objects Of Desire』はほとんど繋がりがないようにも思えるほど異なる作品になっている。だがそれは1975年の演奏(『Objects Of Desire』)から44年を経て現在の演奏(『(Begin Anywhere)』)へと発展/洗練を遂げたということでもないように思う。むしろ1975年に録音された音響素材を聴き取り、それを音楽作品へとまとめあげたのは他でもなく現在のヘイワードであって、おそらくポップスと実験音楽の両極にそれぞれ振り切ったような2作品が同時期にリリースされているということこそ重要なのだ。どちらの作品が欠けても現在のチャールズ・ヘイワードの音楽を把捉することはできないとともに、これらの2枚のアルバムは、彼がいまもなお新たな音楽へと前進し続けているということをわたしたちに明らかにしてくれることだろう。

Kokoroko - ele-king

 目下、ロンドンにおいてもっとも熱いシーンはラップかもしれないが、しかしそのカオスから生まれるふつふつとした蒸気とはあたかも対岸で鳴っているのが、『We Out Here』に収録されたココロコの“Abusey Junction”だ。それはもがいてもがいてなんとか生きようとするDaveが流している涙のすぐそばにある音であり、切ないチルアウトである。ココロコから漂う静寂さは、ニューエイジのそれとは完璧なまでに180度違っている。ここは森ではない。川のせせらぎはなく、聞こえるのは騒音であり、見えるのは山ではなくビル。土ではなくコンクリート。飲める水は水道水。いつ気が触れてもおかしくないようなこの都市における肝の据わった叙情詩を、南ロンドンの7人組は演奏する。彼ら/彼女らの待望のデビューEPは、今年のまあ5枚のうちの1枚にははいるだろう。
 ココロコのサウンドを特徴付けているのはオスカー・ジェロームのギターだ。詩的でエモーショナルな彼の演奏は、打楽器奏者のオノメとドラマーのアヨのふたるからなる、いたってチルなアフロ・ビートと有機的に絡んでいる。そして大らかさと優しさは、リーダーのシーラによるブラス音やコーラスによって彩られる。多文化的であり、男女人種混合のコミュニティである彼らを現代の英国の理想的音楽の具現化というのはたやすいが、ここには、70年代ルーツ・レゲエの最高の瞬間さえも彷彿させる強さがあることも忘れないでおきたい。チルアウト感覚はこのバンドの武器だが、シャバカ・ハッチングばりの炎も、フェラ・クティの勇敢さもあるのだ。つまりこの音楽は骨抜きではないし、明るい未来を渇望している。4曲入りのデビューEP「Kokoroko」、素晴らしい、アルバムが待ち遠しい。

 ココロコの力強い静寂とは打って変わって、〈The Vinyl facto〉からリリースされた『Untitled 』はとげとげしく、ささくれだったUKジャズとUKヒップホップとの邂逅のショーケースである。『We Out Here』のパンク・ヴァージョンというのは言い過ぎだが、ポストパンク的な展開とは言えるだろう。コンピレーションのテーマは画家のジャン・ミッシャル・バスキアということだが、いまのロンドンのアクチュアルなシーンのレポートとしても機能している。
 UKジャズも若々しいシーンだが、こちらの若さは、ニヒリズムをもって活力を発している。衝突ないしは攻撃性がここにはあるのだ。アルバムを聴いて思い出すのは、最初期の〈ラフトレード〉のコンピレーションだ(女性が活躍している点も似いている)。あれがロックやパンクというスタイルに疑問を投げかけたように、本作は、ヒップホップやジャズに疑問を投げかけ、あらたな異種混合に挑んでいる。

 シャバカ・ハッチングがラッパーのコジェイ・ラディカルと組んだ曲、“No Gangster”が目玉ではある。これこそUKジャズのネクストだろう。じつのところ、ぼくはこの曲のためだけにアルバムを買った(まあ、ジャケのデザインが格好良かったというのも大きいが)。また、コンピにはマーラジョー・アーモン・ジョーンズ、ヌビア・ガルシアといった「おや」と思わせる引きのあるメンバーによる曲もある。曲もたしかに悪くない。が、しかし、このアルバムを活気あるものにしているのは、まだキャリアの浅いと思われる人たちのトラックだ。まるでザ・スリッツのヒップホップ・ヴァージョンといえる“Broadcast By Chocolate”、=CoN+KwAkE=なる人物の変態ヒップホップ、Lord TuskによるPiLを彷彿させるパンク・ジャズ、Maxwell Owinによるウェイトレス・ジャズ(とでも形容したくなるサウンド)……。
 うん、たしかに面白いことが起きているようだ。90年代初頭、ベイビー・フィイスが全盛だった時代にパブリック・エナミーがいたことを思い出すがいい。

※原稿とは関係ないけど、参院選の渡辺てる子、彼女の演説は素晴らしい。

interview with Francesco Tristano - ele-king

日本はジャズの流れているカフェが多い。ヨーロッパでそんなところはもう存在しない。僕は子どものころ、ジャズ・ミュージシャンになりたかった。東京にいると、当時の思いがふたたび感じられる。東京はジャジーな街だ。

 街を歩くのが好きだ。安物の発泡酒を片手に、目的地もなく、ひとりで、ふらふらと都内をうろつくのが大好きだ。新宿、四谷、市ヶ谷、飯田橋あたりは殿堂入りである。秋葉原も良い。神田~大手町~有楽町も趣のあるラインだが、その先の銀座はとりわけすばらしい。昼間でもじゅうぶん魅力的だけど、夜はなお格別で、見上げ続けていると首が痛くなってくる高層ビルの群れ、きらびやかなネオン、せわしなく行き交う年収の高そうな労働者たち──それらを眺めながらとぼとぼ歩いていると、なんというか、生きている実感が沸いてくる。どこまでも明るく残酷なバビロンの風景は、「ここにいる連中と気が合うことは一生、絶対にないんだろうな」と、自分がどういう場所に生き、どういう角度から世界を眺めているのかを、明確に思い出させてくれる。そしてそれは、どこまでも個的な体験だ。

 リュクサンブール出身、現在はバルセロナを拠点に活動しているピアニスト、フランチェスコ・トリスターノの新作は、『東京ストーリーズ』というタイトルどおり、東京がテーマになっている。
 トリスターノといえば“Strings Of Life”のカヴァーで名を馳せ、デリック・メイとはじっさいにコラボも果たし、カール・クレイグの作品にも参加するなど、まずはデトロイト勢との交流が思い浮かぶ。かの地のテクノを吸収することで獲得されたであろうグルーヴ感は、ピアノが前面に押し出されたこの新作においても、たとえば冒頭の“Hotel Meguro”や“Insomnia”、ヒロシ・ワタナベを迎えた“Bokeh Tomorrow”などのトラックによく表れ出ているし、あるいは“Neon City”や“The Third Bridge At Nakameguro”といった曲のビート感はヒップホップとして享受することも可能だろう。他方で彼は一昨年、アルヴァ・ノト、フェネス、坂本龍一とともにグールド生誕85周年を機にセッションをおこなうなど、ダンスとはまたべつの角度からもエレクトロニック・ミュージックの文脈に切り込んでおり、着々とモダン・クラシカルの重鎮への道を歩み進んでいるように見える。
 そんなトリスターノが東京をテーマにしたアルバムをつくったと知ったとき、最初に気になったのはやはりその切り口だった。日本との接点も多い彼は、いったいどのような観点から東京を眺めているのか?
 今回の新作がおもしろいのはまず、最終曲“Kusakabe-san”の琴を除いて、表面的なオリエンタリズムをいっさい排している点だろう。「僕は日本人じゃないから、日本らしいものをつくる意味がない」と彼は言う。「日本人のミュージシャンがバルセロナに来て、バルセロナについてのアルバムをつくろうとして、カタルーニャの民族音楽みたいなサウンドのアルバムをつくるようなものだよ。それはあまりおもしろい作品とは言えない」。とはいえ、ご機嫌な3拍子“Electric Mirror”初っぱなの声優的な声のサンプルに代表されるように、アルバムには随所に日本語の音声が挿入されていて、ほらやっぱりエキゾティシズムじゃんと目くじらを立てることも可能なわけだけど、他方でスペイン語も聞こえてくるから、むしろそれらは彼自身の内的な何かを表現するものだと考えたほうがいい。「たいせつなのは何かパーソナルなものを持ち込むことだ」と彼は続ける。『東京ストーリーズ』は、ひとりの人間のどこまでも個的な──すなわち誰とも絶対に共有不可能な、でもだからこそ逆説的にもしかしたら共有できるかもしれない──記憶の風景を浮かび上がらせる。それはいったいどのようなものだったのだろう?


日本人のミュージシャンがバルセロナに来て、バルセロナについてのアルバムをつくろうとして、カタルーニャの民族音楽みたいなサウンドのアルバムをつくるようなものだよ。それはあまりおもしろい作品とは言えない。

目黒や新宿など東京の都市が曲名になっていますが、東京をテーマにしてアルバムをつくろうと思ったのはなぜですか?

フランチェスコ・トリスターノ(Francesco Tristano、以下FT):僕が初めて日本に行ったのは2001年だから18年前だった。それから少し間があって、2009年からは定期的に日本に行っていまに至る。初めて東京に行ったときも、東京という街にすごく感心したけれど、街が巨大すぎてクレイジーすぎて掴みづらい感じがした。だから、東京にハマるまで時間がかかったよ。東京に40回くらい訪れてからは、東京の友人や、行きつけの場所や飲食店などができてきた。ある意味、東京でレコーディングする時期を待っていたんだと思う。僕は6年前に京都でアルバムをレコーディングしているんだ。良い経験になったし、良い準備運動になった。けれど今回の東京をテーマにしたアルバムはとても特別なものになるとわかっていた。

曲名になっている赤坂や銀座などはどちらかといえば高級感のあるエリアですが、とくにそういう側面は意識しなかった?

FT:いや、これは僕の個人的な体験がもとになっている。たとえば銀座はたしかに高級感のあるエリアだけど、その一面は僕には関係ないことで、銀座にはヤマハがあったから、僕はピアノの練習のために銀座に行っていた。赤坂から自転車で銀座に行き、ピアノの練習をする。だから“Ginza Reprise”はピアノの練習曲みたいな曲なんだ。アルペジオがあったり、同じフレーズの繰り返しだったりする。銀座は僕の練習スペースだから。赤坂についての曲は……同じ場所に何度も滞在していると、そこが自分のホームのような感じになってくるよね? 赤坂には僕が滞在しているホテルがあって、とても落ち着いた感じのホテルで宣伝もされていない、変わったホテルなんだ。東京のホテルにしては珍しく部屋にバルコニーがついているから、おそらく、以前は居住用のマンションだったのだと思う。そこが偶然、僕の拠点になったんだ。じつはデリック・メイがそのホテルのことを教えてくれたんだよ! 10年くらい前に彼から教わって、それ以来、毎回そこに滞在している。だから赤坂は僕にとって、朝起きて、バルコニーのドアを開けて、外の音、車の音や、人の音、下にいる子どもの声なんかを聞いて、下に降りていき、そこでコーヒーを飲むところなんだ。つまり朝のルーティンだね。“Akasaka Interlude”という曲だけど、日本盤にはその「リズミック版」のボーナストラックが入っている。
 いま話したふたつ、銀座と赤坂は僕にとってのルーティンを表している曲なんだ。僕が東京にいるときに毎日おこなっていること。

ユザーン、ヒロシ・ワタナベ、渋谷慶一郎と、日本のゲストが多く参加していますが、東京についてのアルバムだから日本の人を使おうという前提があったのでしょうか?

FT:もちろんだよ。東京でレコーディングをするとなれば、日本人のミュージシャンの友だちにぜひ参加してもらおうと思っていた。ヒロシさんとはかなり前から友だちで、ヨーロッパでも何度か共演してきたし、彼にリミックスをしてもらったこともある。何年か前に彼と一緒に曲をつくりはじめたけれど、結局完成されなかった。僕が彼のスタジオに行って、一緒に作業して、彼が送ってくれたファイルに、今度は僕がレコーディングを追加してというように、ファイルのやりとりをしていたんだけど、「スタジオで生のレコーディングをしよう」と僕から提案した。そのほうがファイルをやりとりしているよりもずっと強烈な体験になるからね。
 ユザーンとは何年かお互いのことを知っていたんだけど、今回のスタジオ・セッション以前に共演したことはなかった。でも彼とは何か一緒にやりたいと思っていた。それが何かは具体的にわからなかったけど……。一緒にライヴをやろうと企画してもいたけど、それも流れてしまった。他にも一緒に何かをやる案があったんだけど、「スタジオ・セッションを一緒にやらないか?」と僕から提案したら彼は快諾してくれた。
 渋谷さんとは最近、1年前くらいに出会って、共通の友人が僕たちを紹介してくれた。東京は巨大な街だけど、世界は狭いなと思った。なぜなら、僕のジュリアードの同級生のマキヤさんが、渋谷さんと東京で同級生だったから! マキヤさんは、いまでもニューヨークに住んでいてヤマハで働いているよ。多くの人と出会えば出会うほど、世界を狭く感じるのは当たり前かもしれないけれど、 さまざまな人たちと一緒に音楽を演奏していくと、僕たちはみんなファミリーの一員なんだって気づくんだ。

エレクトロニクスと生楽器とを共存させるときに注意していることはなんでしょう?

FT:エレクトロニックの楽器を使うときは、アコースティックの楽器と同じように扱うようにしていたね。少なくとも今回のアルバムにおいては。シーケンスされている部分も少しはあるけれど、リズムやベースの部分を含む、エレクトロニクスの多くは生演奏している。エレクトロニクスの楽器をそのままの音として聴こえるように、エレクトロニックの楽器を直接的な方法で使いたかった。あまりプロダクションが過度にされていないようにしたかった。もちろんマスタリングやミキシングはおこなったけど、パソコンからトラックが1ヶ月間流れていて、それに合わせてミックスをするというわけではなかった。テイクやトラックを毎回録音して、それをミックスするというやり方だった。シンセサイザーに直接音を出させて、僕がそれを演奏して録音するという感じだった。僕以外にも、ヒロシさんやグティ、渋谷さんもシンセサイザーで参加してくれたけどね。

3曲目“Electric Mirror”はリズムが楽しく、疾走感があり、ユーモラスな曲ですが、これには何か参照元はあったのでしょうか?

FT:アルバムの曲の多くは日本で作曲したんだけど、これは東京で作曲しなかった数少ない曲だ。ジャン=フィルップ・ラモーのバロック・オペラ「カストールとポリュックス」がもとになっている。1800年代初期の作品で(註:正しくは1700年代)、僕はこのベースラインとその他の要素をいくつか拾って、エレクトロニックな楽器用に書き直した。作曲しているうちに、ある種の対話のようになっていったから「ミラー」というタイトルにした。鏡で自分の姿を見ると、そこには少し違う感じの自分が見える。この曲もバロック・オペラを使っているけれど、音は歪んでいるし、エレクトリックな響きがある。秋葉原や原宿で見られるクレイジーな日本の若者文化のイメージなんだ。表現力が豊かというのか、曲の最初の部分で、お店で何かを売っているような女の子の声が聞こえるだろう? 曲には、異文化間のアイデンティティが存在しているよね。秋葉原では自分たちの趣味に没頭して遊ぶ若者たちがいる一方で、他の国でも似たような美意識を持つ人たちが存在している。そんなイメージなんだ。ライナーノーツには「Impossible is nothing (=Nothing is impossibleを鏡で写した感じ)」って書いたと思うけど、バロック・オペラを原宿風に演奏することだってできるという意味なんだ。

6曲目“Lazaro”や8曲目“Insomnia”などには、ニューエイジ~アンビエント的なシンセが入っていますが、ふだんそういった音楽は聴くのでしょうか?

FT:あまり聴かないな。“Lazaro”で聞こえるのはアナログ・シンセサイザーだから、それがそういうふうに聴こえたのかもしれないね。“Insomnia”のアイディアは、シンセサイザーを特定な響きを持つ楽器として使っただけで、ニューエイジ的な感じを出そうと思ったわけではないよ。“Lazaro”では単純にシンセサイザーにとても柔らかい音の出るアナログパッドを使ってピアノのメロディの伴奏をしていたんだ。“Insomnia”のつくりはもう少し複雑で、グティがシーケンスしたシンセサイザーのパーツを持ち込んできたから、より複雑なサウンド・デザインが聴ける。“Insomnia”で僕が気に入っているところは弦楽器のピッツィカートな音だ。これは僕が子どものころから好きな音だった。オーケストラでもこういう音を書くことができるけれど、今回はそれをシンセサイザーのために書いた。するとより直接的で差し迫った感じの音になる。

僕が東京の街を楽しみはじめたのは地下鉄を使うことを止めてからだった。自転車だけで移動するようになったんだ。街を本当に知りたいなら、自転車を使うほうが良い。

9曲目“Cafe Shinjuku”にはクラリネット奏者のミシェル・ポルタルが参加しています。彼はどのような経緯で参加することに?

FT:ミシェル・ポルタルも健在するアーティストのなかの偉人のひとりだ。僕は彼の音楽を聴いて育ったから、彼の音楽は昔から聴いている。 彼と共演できたことも、やはりこのうえなく光栄なことだった。僕たちは4年くらい前に共演をして、その一度限りの共演からは何も発展しなかったのだけれど、僕が作った曲で、彼にぜひ演奏してもらいたい曲があったから、彼にスタジオに来てくれるようにお願いした。そこで“Cafe Shinjuku”をレコーディングしたんだ。
 僕には新宿での記憶が明確にあるから、彼に曲がどのようなものなのかを説明した。僕は新宿のカフェに座って人を待っていた。外は雨がひどくて、だからその人は遅れていた。僕はコーヒーを何杯もお代わりしながらカフェのラジオを聴いていた。日本はご存じのとおり、ジャズが流れているカフェが多い。ヨーロッパでそんなところはもう存在しないから、それはとてもクールなことだと思う。ヨーロッパではどこに行っても、ジャズがかかっているところなんてもうない。とくにカフェなんかではメインストリームのラジオしかかかっていなくて、ジャズはいっさいかかっていない。僕は子どものころ、ジャズ・ミュージシャンになりたかったんだ。即興で演奏して、自由に弾くジャズ・ミュージシャンになるのが夢だった。そういう思いを僕はずっと抱いてきた。 東京にいると、当時の思いがふたたび感じられる。東京はジャジーな街でもある。ラジオでかかっているところも多いし、少し高級感のあるジャズ・クラブもある。ジャズの街である東京にオマージュを捧げたいと思った。だからミシェルにバスクラリネットを吹いてもらいたかった。これはアルバムのなかでもとくにお気に入りの曲なんだ。

今回のアルバムでもっともフロアでかかってほしい曲はどれですか?

FT:アルバムはダンスフロア向けではないけれど、いまアルバムの曲のリミックスをしているところで、自分がリミックスしたものもいくつかある。ダンスフロアで、あるいはリミックスとしてもっとも可能性のあるのは“Insomnia”、“Bokeh Tomorrow”、“Nogizaka”の3曲だ。“Nogizaka”の原曲ヴァージョンは遊び心がいっぱいでピアノっぽいけれど、僕が作ったリミックスは観客の反応も良いし、みんな踊ってくれるからいちばんフロア向けなのは“Nogizaka”だと思う。

逆に、もっともコンサート・ホールで聴いてもらいたい曲はどれですか?

FT:“Yoyogi Reset”か“Lazaro”だと思うな。とても親密な曲だし、僕の個人的な経験がもとになっているし、とても繊細なところに触れているから。“Yoyogi Reset”は僕が日本でブレイクダウンを体験したときの曲だ。僕が東京の街を楽しみはじめたのは地下鉄を使うことを止めてからだった。自転車だけで移動するようになったんだ。それは6年くらい前の話だけど、街を本当に知りたいなら、自転車を使うほうが良いと思った。僕は自転車が大好きで、どこの街でも、どこに行くときにも自転車を使う。最初は東京で自転車に乗るのは難しくて危険だと思ったけれど、勇気を持って乗ってみたら、東京をまったく違った形で楽しめるようになった。代々木公園は、僕の拠点からあまり遠くないところにあったから、代々木公園まで自転車で行ったり、そこでジョギングしたりしていた。僕は毎日ジョギングをしていて、東京では代々木公園で走っていた。でもこの曲はジョギングについてではなくて、2年前、僕の妻の父親が亡くなったときの曲だ。そのとき、僕はちょうど日本行きのフライトに乗っていたから、この体験は日本と深く関わりのある出来事になった。フランクフルトで乗り継ぎをしていたときに電話がかかってきて、「父親が亡くなりそうだから戻ってきて」と妻に言われた。だから僕は妻のもとに戻り、翌日は義父の葬儀でピアノを演奏した。バッハの曲を弾いたよ。東京に行くスケジュールを立て直し、2日後に日本へ向かった。その当日に演奏をしなければいけなくて大変だったよ。夕方5時に到着して、その日の8時にはもうステージにいなければいけなかった。シャワーを浴びる時間もじゅうぶんになかったくらいだ。その後も公演が続き、僕が葬儀で弾いた曲も含まれていたから、僕にとってはとても辛い体験だった。そのツアーは非常に大変なツアーだった。東京での僕の体験は、楽しいことや、愛情を感じていることや、美味しい食べ物を食べることばかりではない。孤独を感じたり、家族や故郷と離れていることから、物事をしっかりと受け止められない辛さを感じたりすることもあった。だからこのときに代々木に行ったのは、呼吸をするため、マインドをリセットするためだった。だからこの曲がいちばんパーソナルな曲だね。

バロック音楽には現代の音楽と共通するものがある。すべてはベースの音が基本になっているだろう? テクノの曲からキックドラムとベースラインを取ったら、もうあまり何も残っていない。要となっているのはベースだ。

今回のアルバムは東京をテーマにしつつも、いわゆる「和」の要素やエキゾティシズムに頼った部分はほとんどないですよね。

FT:そうだね、偉大な監督、小津安二郎の言葉に次のようなものがある。「I'm Japanese so I make Japanese things (俺は日本人だから日本らしいものをつくる)」。僕だったらこう答える。「僕は日本人じゃないから、日本らしいものをつくる意味がない」。 東京が僕に与えてくれたものや、東京で出会った人たちのおかげで、僕は東京が大好きだ。でも僕が日本人になることはけっしてないし、いつか東京に住む機会があるかもしれないけれど、ずっと日本に暮らしているわけでもない。今回のアルバムは僕の、謙虚な気持ちからの、とてもパーソナルな体験がもとになってつくられたものだ。だから日本っぽい音にしようとか、江戸の感じを真似したりするようなことはいっさいしなかった。今回のアルバムでは、フィールド・レコーディングもたくさんしたし、琴の音が入っている曲もアルバムの最後の方にある。あれは、たんに琴の音が好きだからというエピソードとして入れたんだ。とにかく日本らしいサウンドのアルバムをつくろうとはしなかったよ。それは間違っていると思う。それはまるで日本人のミュージシャンがバルセロナに来て、バルセロナについてのアルバムをつくろうとして、カタルーニャの民族音楽みたいなサウンドのアルバムをつくるようなものだよ。それはあまりおもしろい作品とは言えない。やはりたいせつなのは何かパーソナルなものを持ち込むことだと思う。だからこのアルバムは、東京での僕の個人的な体験や、街から受けたパーソナルなインスピレイションがもとになってつくられた。

今回のアルバムを「日本」や「東京」、「寿司」などの単語を使わずに言い表すとしたら?

FT:「ラーメン」はどうかな(笑)? 今回のアルバムにはラーメンについての曲はなかったね。こういう質問には、「その空間にあるピアノ(Piano in space)」と答えることが多い。これはピアノ・アルバムで、ピアノの音がアルバムの曲すべてから聴こえる。そこにエレクトロニック機材がオーケストラのように伴奏してくれている。〈ソニー〉からリリースされた僕の前の作品『Circle Songs』は100%ピアノ・ソロだったけれど、今回のアイディアとしては純粋なピアノ・ソロの音から、フル・オーケストラによる、エレクトロニックなサウンドに移行するというものだった。

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バッハは楽器に強いこだわりがない人だった。彼が作曲する音楽の言語は絶対的だった。彼は楽器という表現方法をもとにしていない。だからバッハは技術の進歩には興味を示すと思う。シンセサイザーにも興味を示していたと思うよ。

クラシカルは歴史が長い分、バロックや古典派、ロマン派、印象主義などさまざまなスタイルがありますが、そのなかでもとくに影響を受けたのはなんでしょう? バッハはよく取り上げていますし、あなたの大きなルーツのひとつだと思いますが、できればそれ以外で。

FT:僕はバッハを毎日聴くし、バッハを毎日聴いて育ってきたからバロックが第一のインスピレイションになっているね。でももうひとつの理由として、バロック音楽には現代の音楽と共通するものがあると思うからなんだ。とても遊び心があって非常にリズミカル。テクノやエレクトロニック・ミュージックと同じようにベースがとても重要で。すべてはベースの音が基本になっているだろう? テクノの曲からキックドラムとベースラインを取ったら、もうあまり何も残っていない。リズムの要素が少し残っているかもしれないけれど、やはり要となっているのはベースだ。だからバロック音楽には間違いなく強い影響を受けているね。

ピアノはいまでこそ古典的な楽器とみなされていますけれど、発明された当時の人びとにとってはとてもハイファイでデジタルな音に聞こえたのではないか、それこそ今日におけるシンセサイザーのように聞こえたのではないかと想像しているのですが、この考えについてピアニストとしてはどう思いますか? たしかバッハはピアノ曲をひとつも書いていませんよね。

FT:ピアノは非常に複雑な楽器だ。どう言えばいいのかな……。ピアノは未来から来た楽器だと当初から考えられていた。とても複雑で巨大で、出る音も大きかったから、作曲家はどうやってピアノを扱っていいのかわからなかった。バッハが弾いてみたピアノはおそらく最高級のものではなかったと思うんだけど、彼はピアノを好まなかった。そのときバッハはかなり高齢だったということもある。正直な話、バッハは楽器に強いこだわりがない人だった。キイボード楽器向けのバッハの音楽でも、ヴァイオリン向けのバッハの音楽でもまったく同じに見えるよ。彼が作曲する音楽の言語は絶対的だった。楽器という表現方法をもとにしていない。だからバッハは技術の進歩には興味を示すと思うよ。当時もそうだった。当時もっとも技術的に進歩していたのはオルガンだった。教会がすばらしいオルガンを所有していた。それはきわめて優れた技術を持つ楽器だった。バッハはオルガンに強い興味を持っていた。オルガンの技術に強い関心を持っていたから、彼は現代の考えに近い考えを持っていたと思う。シンセサイザーにも興味を示していたと思うよ。

あなたは2011年のアルバム『BachCage』でバッハとケイジを同時に取り上げていましたけれど、その2組を一緒に取り上げようと思ったのはなぜ?

FT:このふたりは対話しているんだ。互いに対してね。彼らは数多くの点でつながっている。ふたりの作曲家の対話というか、卓球のラリーのようなプレイリストをつくって、このふたりをつなげる要素を探していた。たとえば、各作曲家の作品に共通するメロディや、ある特定の音やリズムの参考になるような音の要素。僕が先ほど話したバッハについての内容は、バロック音楽全般に当てはまることだ。現代の音楽との共通点が非常に多い。だからケイジの音楽や自分の音楽と、バロック音楽のあいだに共通点を見つけることは僕にとって容易なことなんだ。

ケイジだと“4分33秒”に注目が集まりがちですが、彼はピアノ曲や数々の電子音響の実験も残しています。あなたにとってケイジのベストな作品は?

FT:そうだな……ケイジが何を作曲したということよりも、彼が作曲したということ自体が重要なことだと思う。彼のヴィジョンは、緊迫性や現代的という意味では、他の作曲家のヴィジョンよりはるかに先を行っている。ジョン・ケイジ前とジョン・ケイジ後がある。彼はすばらしい音楽をたくさんつくったけれど、重要なのは、彼の作品の底には非常に強力な概念的な基盤があったということなんだ。そのせいで音楽の影が薄れてしまった。彼は自分でも言っているけれど、ジョン・ケイジ後は著作者という概念が消えてしまった。ジョン・ケイジの登場により、作曲家という概念が消滅した。僕たちは、作曲家であれ演奏者であれ一般の観客であれ、みな同じ体験の一部である。同じ体験の一部であり、体験を共有している。作曲家が独裁的権力を持ち、演奏者は作曲家の忠実なメッセージを観客に伝えなくてはいけなくて、それを聴く観客も静かに従うべき、という構造/ヒエラルキーはもう存在しない。それがケイジの思想だ。ケイジ以降、僕たちは音楽をまったく新しい思想として捉えている。だから彼は20世紀における超重要人物だったと思う。彼のベストな作品にかんしては、僕はケイジの作品で大好きなものがいくつもあるけど、“In A Landscape”というピアノ曲はとても美しい作品だと思う(*『AMBIENT definitive』をお持ちの方は22頁を参照)。

バッハとケイジの作品で、ピアノで録音されたもののなかでは、それぞれどの演奏家によるものがおすすめですか? 前者はできればグールド以外で。

FT:僕はグールド以外のバッハ演奏家をあまり知らないから、おすすめするとしたらやはりグールドだな。それ以外だと誰がおすすめできるかな……坂本龍一も僕が好きなバッハを弾いていたかもしれない。でも、彼はむしろキュレイター的なことをしているのかも。ケイジにかんしては、ケイジ専門の演奏家という人がいないから答えるのは難しい。それにケイジはピアノ作曲家として有名なわけではないからね。でも、ひとりだけケイジのピアノ音楽をよく演奏していた人がいた。ケイジを聴くには、スティーヴン・ドゥルーリーという人がおすすめで(*『AMBIENT definitive』をお持ちの方は22頁を参照)、バッハを聴くならやはりグールドをおすすめするね。

昨年は『Glenn Gould Gathering』でアルヴァ・ノト、フェネス、坂本龍一と共演していますが、それ以前から彼らの音楽は聴いていましたか? それぞれどのような印象を持っています?

FT:現代に健在するアーティストたちのなかでもっとも偉大な3人だと思う。坂本龍一と共演することになったと聞いたときは、信じられなかったよ。僕にとっての3大インスピレイションのひとつに入るからね。だから彼と、アルヴァ・ノト、フェネスと共演できたということはほんとうにすばらしい体験だった。もちろん以前から彼らの音楽はよく知っていたよ。何年も前から彼らの音楽を聴いてきたから。だからこの共演は僕にとってとてもたいせつで、共演した1週間の期間は充実した時間を過ごすことができた。それも、もうひとつの「東京ストーリー」になるよね。あの3人と一緒に東京で1週間を過ごした。そのとき、彼らには強い影響を受けたよ。

デトロイト・テクノは都会の悲しみをもっともうまく捉えた音楽だと思う。僕たちは本来の故郷である地球や自然界とはまったく切断された世界に暮らしている。僕たちが見るもの、触るもの、つくるものはすべて僕たち自身が発明したものだ。デトロイト・テクノはその悲しみをいちばん上手に表現している。

2016年の『Surface Tension』はデリック・メイをゲストに迎え、彼の〈Transmat〉からリリースされました。彼とはいつ、どのような経緯で?

FT:デリックとは10年くらい前に出会った。カール・クレイグがデリックのことを紹介してくれたんだ。僕たちは車でデトロイトの街を走っていて、一緒に時間を過ごしていた。互いにいろいろなアイディアが浮かんで、一緒に音楽をつくろうという話になっていた。初めて彼と一緒に仕事をしたのはオーケストラのプロジェクトだった。5年くらい前にベルギーでやった公演だったけれど、とても良い出来で、デリックとは結局、オーケストラ公演をその後もデトロイトやパリなどでもやることになった。彼と共演した後、僕は毎回こう言っていたんだ。「デリック、今度一緒にスタジオに入って制作しようよ」って。デリックは「うーん、どうかな。音楽のレコーディングはもう何年もやっていないから、わからないな」と言っていたから僕は、「じゃあ、こうしよう。スタジオに来てくれさえすれば、僕が適当に録音しておくから、何か良いものができたら、そのときにまた考えよう」と伝えた。そうやって彼を僕のスタジオに呼んだ。そしてスタジオで僕は、彼が演奏したものをすべて録音したんだ。彼が僕のスタジオに入るなり、録音ボタンを押してずっと録音していた。僕たちはアルバムを1枚リリースしたけれど、まだまだ音源はたくさんあるから、その音源だけであと2枚はアルバムがつくれるよ。現時点では、あの8曲がリリースされるのにふさわしい音だと思うから、残りの音源は保留にしているけれどね。

デトロイト・テクノが成し遂げた最大の功績はなんだと思いますか?

FT:個人的に思うのは、デトロイト・テクノは、人類の都会の悲しみをもっともうまく捉えた音楽だと思う。あなたも東京に住んでいるからわかると思うけれど、僕たちは都会という、僕たちの本来の故郷である地球や自然界とはまったく切断されてしまった世界に暮らしている。僕たちが見るもの、触るもの、つくるものはすべて僕たち自身が発明したものだ。僕たちは、自然の要素というものに触れてはいないんだよ。水道から流れる水道水を自然のものと捉えるならべつだけど、たとえば手を洗って石鹸を使うときも、なんらかの化学物質が入っているし、手を拭くときにタオルを使うけれど、そのタオルも、綿を織ったり、工場で染められたりという技術が使われている。そういった、自然界の要素から切断されているという状態。僕だって建築物などのつくられたものは好きだし、モノが嫌いだと言っているわけではない。ただ、僕たち人間がそういうモノに溢れた環境に暮らしていて、自然の要素に触れていないという状態に悲しみを感じるんだ。デトロイト・テクノは、その悲しみをいちばん上手に表現していると思う。僕にとっては、とてもエモーショナルでポエティックな音楽だ。同時にとてもグルーヴィで、他の感情が付随してくるときもあるけど、悲しみを感じられる音楽でもあると思う。

2年前には『Versus』でカール・クレイグともコラボしていますが、近年はジェフ・ミルズがオーケストラとやったり、デトロイト・テクノがクラシック音楽と結びつく例が目立つ印象があります。それ以外でも、ここ10年くらい、クラブ・ミュージック~エレクトロニック・ミュージックとクラシカルが融合するケースが増えてきていますが、そういう動きにかんして「カウンター・カルチャーが正統なハイ・カルチャーの地位にのぼり詰めようと背伸びをしている」、あるいは「ハイ・カルチャーの側がカウンター・カルチャーの良いところをかすめとろうとしている」、そういう側面はあると思いますか?

FT:その両面があると議論できると思うけれど、それはあまり関係ないことだと思う。たいせつなのは、音楽に限界はないということだから。音楽を、ジャンルやスタイルがあるものだと捉える必要はないと思う。なんらかの基準を満たすからこれは○○の音楽だ、という考え方は必要ないと思う。僕は、音楽に限界や辺境というものはないと思っている。だから、オーケストラを使ってエレクトロニック・ミュージックを演奏したいと思うのは自然なことだと思うし、エレクトロニック・ミュージックのアーティストたちがクラシック音楽のミュージシャンを使って自分を表現してみたいと思うのは自然なことだと思う。そういう試みにたいしオープンな姿勢でいることは、さらに豊かな体験ができるということだから。エレクトロニック・ミュージックにもアジェンダがあって、クラシックな音楽ホールで演奏会をやりたいと思うだろうし、その一方でクラシック音楽も観客の層を広げたいと思っているだろう。だからいま挙がったような側面はたしかに正論として存在すると思うけれど、僕個人の意見としてはとくに気にしていないな。

いま注目している若手のテクノ・アーティストはいますか?

FT:もちろん! 最近は才能あるプロデューサーが大勢活動している。ほんとうにたくさんの作品がリリースされているから、僕はそのすべてをフォロウすることはできないし、すべてを知るなんてことは不可能だけど、たとえば日本だけでもシーンは盛り上がっているし、すばらしい音楽をつくっている人たちがいる。メインストリームな音楽や、ダンス・ミュージックでいまいちばんホットなものを知りたいのであれば、僕はそこまで知らないけれど、ライヴ・セットで最近いちばん気に入っているのは、ブラント・ブラウアー・フリック。最近新しいアルバムが出たんだ。『Echo』というタイトルで先週リリースされたばかりだ。すごくおすすめだよ! 彼らも東京が大好きなんだ。

ふだんテクノやエレクトロニック・ミュージックを聴いている人におすすめの、最近のクラシカルの音楽家を教えてください。

FT:僕がおすすめするのは、僕のメンターであるブルース・ブルベイカー。ピアニストであり、偉大な人でもある。すばらしいアルバムを何枚か出しているよ。フィリップ・グラスのようなアメリカのミニマル・ミュージックに傾倒しているけれど、僕がいちばん好きなのは『Codex』というアルバムで、2年前にリリースされた作品。『BachCage』同様、とても昔の音楽と、アメリカのミニマリスト作曲家のテリー・ライリーの作品とを行き来しているんだ。すごくクールだよ。


Underworld - ele-king

 アンダーワールドが10月23日にニュー・アルバム『Drift Songs』を日本先行でリリースする。『T2』の限定12インチイギー・ポップとのコラボなど、止まることなく活動を続けてきた彼らだけど、スタジオ・アルバムとしては2016年の『Barbara Barbara, We Face A Shining Future』以来、3年ぶりの作品となる。今回の新作は、昨年11月からスタートし、52週にわたって毎週なんらかのかたちで映像や音楽、エッセイなどを発表していくシリーズ「DRIFT」の総決算に当たるとのことで、いったいどんな内容に仕上がっているのか、いまから楽しみだ。現在、トレイラー映像が公開中。

 というわけで、B面はコーネリアス“未来の人へ”(作詞は坂本慎太郎の曲)のカヴァーだそうで。また、今回フィーチャーされているゑでゐ鼓雨磨は、姫路を拠点に活動するバンド、ゑでぃまぁこんのメンバーということです。
 このシングル、2019年8月28日(水) zelone recordsより発売。夏の終わりかぁ、まだ夏休み前だっていうのに……待ち遠しいですな。

小舟 / 坂本慎太郎 feat. ゑでゐ鼓雨磨

Side A 小舟 (Boat)
(作詞 / 作曲: 坂本慎太郎)
Side B 未来の人へ (Dear Future Person)
(作詞: 坂本慎太郎 / 作曲: 小山田圭吾)

Vocals & Guitar: 坂本慎太郎 
Bass: AYA
Drums: 菅沼雄太 
Vocals & Chorus: ゑでゐ鼓雨磨 (from ゑでぃまぁこん)

Produced by 坂本慎太郎 
Recorded, Mixed & Mastered by 中村宗一郎 @ Peace Music

Girlpool - ele-king

 インディ・ロックといえば、80年代はザ・スミスやフェルトのようなミゼラリビストが主流だったものだが、21世紀の合衆国においてはすっかりドリーマーたちのスタイルになりつつあるようだ。今年の初頭に出したニュー・アルバム『What Chaos Is Imaginary』が、インディ・ドリーマーたちから賞賛されているロサンゼルスのドリーミー・ポップ・デュオ、ガールプールが来日する。音楽事務所DUM-DUM野村とフォトグラファー、ライターとしても活躍中のYUKI KIKUCHIさん(旧名:キクリン)がいまプッシュしたいアーティストこそ彼ら。まあ、ドリーミーというか、ジーザス&メリー・チェインを彷彿させるバンドです(つまりそうとう良い)。注目しましょう。
 なお、新代田FEVER での対バンは東京インディ・シーンで頭角を現してきているTAWINGSとNo Buses。とても格好いいバンドなので、この機会にぜひ見てください!

GIRLPOOL Japan Tour2019

大阪 9/1(日) 心斎橋CONPASS
Girlpool Japan tour 2019
LINE UP:Girlpool(From CA)
OAアリ!
DJ:DAWA(Flake Records)
出店;Distro Now!
Open 18:00/ Start 18:30  
Ticket:¥4,800(前売/1ドリンク別 先着来場者特典アリ)
お問い合わせ # 06-6243-1666 心斎橋CONPASS

● 出演イベント
東京 9/2(月) 新代田FEVER
Girlpool Japan tour 2019

LINE UP:Girlpool(From CA)
SUPPORT ACT:TAWINGS、No Buses、BYE CHOOSE(Dj)
出店;Distro Now!
Open 18:30/ Start 19:00  
Ticket:¥4,800(前売/1ドリンク別 先着来場者特典アリ)
お問い合わせ # 03-6304-7899 新代田FEVER

東京 9/3(火) 下北沢BASEMENTBAR
Girlpool Japan tour 2019

LINE UP:Girlpool(From CA)
OAアリ!
出店;Distro Now!
Open 18:30/ Start 19:00  
Ticket:¥4,800(前売/1ドリンク別 先着来場者特典アリ)
おい合わせ # 03-5481-6366 下北沢BASEMENTBAR

ツアーチケット先行販売はこちらから受付しております→https://peatix.com/group/44011/view#

冴えわたるベンジー・Bのセンス - ele-king

 2019年6月20日、ルイ・ヴィトン、メンズの2020春夏コレクションが発表された。ランウェイの舞台はドフィーヌ広場、「少年時代の楽しみ」をコンセプトとし、会場の外観は春の訪れを感じさせる濃い緑で統一された。ラッパーのオクテヴィアンブラッド・オレンジのデヴ・ハインズ、クリス・ウー、スワエ・リー(Swae Lee)といったミュージシャンもランウェイを歩き、話題を集めた。ヴァージル・アブローがアーティスティック・ディレクターを務め、ミュージック・ディレクターを務めるのはベンジー・B。本稿ではこのランウェイで使われた音楽をレヴューした。

 一聴してわかるが、2020SS のコレクション音楽の主役はヴァイオリンだ。ヴァイオリンを主役としつつ、シンセサイザーやサンプリングが絡み合った音楽がヘリテイジ・オーケストラによって再解釈されて演奏される。パリという都市で、ヴァージルのもつサンプリング・再解釈・再構築といった彼の理念を表現しようと思ったとき、ベンジー・Bはヒップホップだけでなくジャズ、コンテンポラリー・クラシック、グライムといった様々な現代的な要素を織り交ぜ調和させることを選んだ。

 演奏を手がけたのはUKのジュールス・バックリーとクリストファー・ウィーラーによって設立されたオーケストラ「The Heritage Orchestra」。ジャイルス・ピーターソン のフェスティヴァル出演、BBC Live Lounge の演奏を務めるなどBBCとの関わりも強く、ピート・トン(Pete Tong)とのコラボレーション・アルバムでは、イビザ・クラシックスを再解釈したアルバムを発表している。

Max Richter - Spring 1 (Four Season Rework)
 コンテンポラリー・クラシックの音楽家、マックス・リヒターが手がけた「春」、この曲がランウェイ全体の文脈を作り上げ、雰囲気をセットしている。マックス・リヒターは66年ドイツ生まれ、英国育ちのコンポーザーで、クラシックとエレクトロニクスを結びつけた音楽性で注目を集め、映画音楽なども手がける。人気を得たのは2018年に公開された映画『メッセージ』で使用された“On the Nature of Daylight”、そしてこの曲で使われたのはヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲「四季」をリメイクした『Recomposed by Max Richter: Vivaldi – The Four Seasons』(2012)より“Spring 1”だ。

《四季》の原曲の楽譜を検討した結果、リヒターは既存の音源を使うのではなく、音符単位でリメイクしたほうがと判断。その結果、原曲の75%にあたる素材を捨て、残りの25%の素材に基づきながら新たに楽譜を書き下ろし、ヴァイオリン独奏と室内アンサンブルで演奏可能な“新作”を完成させた
* https://www.universal-music.co.jp/max-richter/products/ucch-1037/

 印象的なヴァイオリンのフレーズは原曲の音符をつなぎながら、再構築されており、確かに原曲の雰囲気を踏襲しているものの異なった響きを得ている。さらにヴィヴァルディの原曲と異なるエッセンスとして、Moog シンセサイザーのベースラインが敷かれている。ヒップホップとは異なる形で、サンプリング・再構築・コラージュといったアプローチが表現されているといえるだろう。

Arthur Verocai - Sylvia
 ブラジルのサイケ・レアグルーヴと呼ばれるアルトゥール・ヴェロカイの1972年リリースの2ndアルバムより。2016年にリイシュー盤が発売されている。ヒップホップとのつながりといえば、リュダクリス、カレンシー(Curren$y)、スタティック・セレクター、スクールボーイ・Qといったラッパーが2000年代中頃にこぞって同曲が収録されたアルバムからサンプリングしたことだ。この曲でも、ホーン使いにはむしろその頃のヒップホップ・チューンを連想させられた。

Arca - Wound
 アルカのアルバム『Xen』より。Xジェンダーやフェミニズムといったモチーフを加工した声によって表現する。原曲では重低音とシンセ、そしてヴァイオリンが鳴らされている。「I am not the wound type」というアルカのメッセージこそ演奏されないものの、性を超えた多様性への目配せがあるのだろう。

Nick Drake / Andy Bay - River Man
 UKのシンガーソングライター、ニック・ドレイクによる“River Man”のアンディ・ベイによるアレンジカ・カヴァー。ここでもギターの後ろでヴァイオリンが奏でられている。ここで、この会場となったドフィーヌ公園自体がパリのセーヌ川の三角州に位置していることと、この曲のタイトル「River Man」とは情景のレヴェルでつながっているはずだ。

Slum Village - Fall in Love
 NYのジャズ・ピアニスト、ギャップ・マンジョーネの“Diana in the Autumn Wind”をサンプリングしたJ・ディラ・プロデュースの1曲。ベンジー・Bの頭の中にはジャズ・ミュージシャン=アンディ・ベイのカヴァーからの、ジャズ・ピアニストの音楽をサンプリングするという連想があったのかもしれない。このランウェイの中でもっとも普通に北部のクラシックなヒップホップであるが、弾き直されることで雰囲気を変え、ランウェイの雰囲気とよくマッチさせている。

Treble Clef - Ghetto Kyote
 UKのグライム・アーティスト=トレブル・クレフ(Treble Clef)による2000年代のインスト・グライム・クラシック。原曲のチープなサンプルベースのヴァイオリンの原曲をオーケストラで再現することでクラス感を醸し出している。ランウェイではフランス移民の出自をもつUKのラッパー、オクテヴィアンが映され、UKのサウンド・カルチャーの新旧世代がランウェイでコラボレーションした瞬間だった。

Tyler, the Creator - Igor’s Theme
 カルフォリニア発のコレクティヴ=オッド・フューチャーのタイラー・ザ・クリエイターの最新作、『 IGOR』のテーマ。「彼がこの街にやってくる」(あるいは裏側の意味としては、「この曲に集中しろ」という言葉が鳴り響いている)というメッセージが鳴り響き、コラージュ的なサウンドスケープが展開された原曲。演奏はヴァイオリンを軸にシンプルなインストゥルメンタル。

 一聴すると、パリ・ヨーロッパという文脈に合わせて、ヴァイオリンという楽器の共通点のみでジャズ、コンテンポラリー・クラッシック、グライムをごちゃごちゃと混ぜているように見える。しかしリサーチを重ねていくと、選曲の裏側にサンプリング・再構築・コラージュといったヴァージル・アブローの基本哲学が透けて見えるのが、このランウェイの面白さであった。

Cabaret Voltaire - ele-king

 リチャード・カーク、クリス・ワトソン、スティーヴン・マリンダーの3人によって結成されたキャバレー・ヴォルテールは、パンクの波が来る前からダダイズムに傾倒し、イーノが標榜した「ノン・ミュージック」を実践するプロジェクトだった。テープループやオシレイターを使って、アブストラクなサウンドコラージュをしていた彼らは、ポストパンク以降のインダストリアル・サウンドを先取りしていたと言えるだろう。
 そんなキャブスの、まさにパンク前夜の貴重な音源『1974-76』、そしてパンク以降に映画のサントラとして制作された『チャンス・ヴァーサス・コーザリティ』の2作が〈ミュート〉よりリイシューされる。前者は、結成初期にバンド自身で録音した音源の中からセレクトされた楽曲集で、1980年にインダストリアル・レコードからカセットでリリースさてあもの。その後1992年に〈ミュート〉からCDで発売され現在は入手困難となっていたが、今回新たにマスタリングされ発売されることとなった。後者は、1979年に同名映画のサントラとして制作された『チャンス・ヴァーサス・コーザリティ』 。これは今回が初のリリースとなる。
 2枚ともに、8月30日(金)にリリースされる。


キャバレー・ヴォルテール
1974-76 (1974-76)

Mute/トラフィック

リマスター作品。1980年にインダストリアル・レコードからカセットで発売され、その後1992年にMute傘下のThe Grey AreaよりCDで再発され現在は廃盤となっていた。本作は、バンド結成初期の音源の中から自身でセレクトされた楽曲集である。それらは全てクリス・ワトソンの自宅屋根裏にあるオープンリールのテープレコーダーで録音されたのだが、その中の数曲が1976年、バンド自身によってカセットテープで限定数リリースされ今となっては伝説のお宝バージョンとなっている。


キャバレー・ヴォルテール
チャンス・ヴァーサス・コーザリティ (Chance Versus Causality)

Mute/トラフィック

初商品化。リマスター作品。1979年、バベット・モンディーニ監督による同名映画のサウンドトラックとして制作された作品。この作品は即興演奏で構成されており、「リズムを減らし、より多重録音を」という当時の一文が残されている。勢いがあり即興的ながら茶目っ気たっぷりで温もりが感じられるこの作品は、この時期におけるキャバレー・ヴォルテールの刺激溢れる瞬間を切り取ったものであり、ヴォーカル・サンプリング等の技法やサウンド全体を通して『Nag, Nag, Nag』と『Voice of America』 のリリースの間を強く結びつけるアルバムとなっている。ジャケットに関しては過去のアーカイブから蔵出しされた素材を使用し、その当時の画像、ライヴ演奏時の写真などを含めそれらをモンタージュ的に配置し、リチャード・H・カークとフィル・フォルステンホルムによってデジタル加工が施されている。

◼︎キャバレー・ヴォルテール
バンド名の由来:1910年代に既成の秩序や常識に対するカウンターとして起こった反芸術運動(ダダイズム)の活動拠点であったスイスのキャバレーの名前にちなんでいる。既存の音楽の解体、再構築という彼らのサウンドと共鳴している。

73年結成。シェフィールド出身。バンド名は1910年代に既成の秩序や常識に対するカウンターとして起こった反芸術運動(ダダイズム)の活動拠点であったスイスのキャバレーの名前に由来する。既存の音楽の解体、再構築という彼らのサウンドと共鳴している。オリジナル・メンバーはリチャード・H・カーク(guitars, keyboards, tapes)、スティーブン・マリンダー(vocals, bass, keyboards)、クリス・ワトソン(81年に脱退/ keyboards, tapes)。79年にデビュー・アルバムをリリースし、15枚のスタジオ・アルバムをリリースしている。82年初来日公演実施。95年以降は活動休止中だが、最も再結成が望まれるバンドのひとつ。現在実に1994年以来のオジリナル・アルバムを制作中である。

www.mute.com
www.facebook.com/CabaretVoltaireOfficial

Takkyu Ishino - ele-king

 一連の騒動から数ヶ月。いまだ Yahoo! や Google を賑わせている石野卓球だけれど、先月から鬼のような勢いでリリースを重ねてもいる。6月12日にはじまった毎週1曲ずつのシングル投下は、現在“Turkish Smile” “Koyote Tango” “John RydoOn”と続いており、今週は“Chat on the beach”が、そして来週は“Bass Zombie”がリリースされる予定だ。
 建前と同調圧力とビジネスの都合が入り混じった泥水の降り注ぐなかを、タトゥーや渡独や数々のツイートによって、すなわち確固たる決意とユーモアをもって見事に切り返してきた石野卓球。この一連のシングルも、彼の反撃の一手と捉えて構わないだろう。いま日本で誰がいちばんオルタナティヴかって、卓球をおいてほかにあるまい。今後彼(ら)がどのような活動をしていくのか気になるところだが、ひとまずはこの5週連続リリースの完結を見守ろうではないか。

石野卓球、 新曲の5週連続配信リリースが決定!

石野卓球の新曲5曲が、6/12(水)より、5週連続で、各ダウンロードストア及びサブスクリプションサービスで配信されることが決定。全てのジャケット画像も公開された。

配信日と楽曲タイトルは以下の通り。

6/12(水) Turkish Smile
6/19(水) Koyote Tango
6/26(水) John RydoOn
7/3(水) Chat on the beach
7/10(水) Bass Zombie

6/12(水)に配信される“Turkish Smile”は、2018年、実験的ファッションプロジェクト・Noodleのオリジナルムービー(https://youtu.be/Xt5ddL7fQlc)に提供した楽曲のフルバージョン。既に石野卓球のDJでも使用されており、世界中のフロアを沸かせている1曲。

“Turkish Smile” “Koyote Tango” “John RydoOn” “Chat on the beach”の4曲は、ミックスを石野卓球と得能直也が、“Bass Zombie”は石野卓球と奥田泰次(studio MSR)が手掛けている。マスタリングは、全曲、木村健太郎(kimken studio)。“Chat on the beach”には、ゲストとして吉田サトシがギターで参加。各曲のジャケットは、石野卓球がコンセプトとディレクションを、杉本陽次郎がデザインを担当した。

尚、全曲、ハイレゾ配信(WAV 24bit / 48kHz)も同時スタートとなる。

■“Turkish Smile” “Koyote Tango”配信リンクまとめ(Linkfire)
Turkish Smile – https://kmu.lnk.to/58eNS
Koyote Tango – https://kmu.lnk.to/IklKi

■石野卓球(Takkyu Ishino) プロフィール
1989年にピエール瀧らと電気グルーヴを結成。1995年には初のソロアルバム『DOVE LOVES DUB』をリリース、この頃から本格的にDJとしての活動もスタートする。1997年からはヨーロッパを中心とした海外での活動も積極的に行い始め、1998年にはベルリンで行われる世界最大のテクノ・フェスティバル《Love Parade》のFinal Gatheringで150万人の前でプレイした。1999年から2013年までは1万人以上を集める日本最大の大型屋内レイヴ《WIRE》を主宰し、精力的に海外のDJ/アーティストを日本に紹介している。2012年7月には1999年より2011年までにWIRE COMPILATIONに提供した楽曲を集めたDisc1と未発表音源などをコンパイルしたDisc2との2枚組『WIRE TRAX 1999-2012』をリリース。2015年12月には、New Orderのニュー・アルバム『Music Complete』からのシングルカット曲『Tutti Frutti』のリミックスを日本人で唯一担当した。そして2016年8月、前作から6年振りとなるソロアルバム『LUNATIQUE』、12月にはリミックスアルバム『EUQITANUL』をリリース。
2017年12月27日に1年4カ月ぶりの最新ソロアルバム『ACID TEKNO DISKO BEATz』をリリースし、2018年1月24日にはこれまでのソロワークを8枚組にまとめた『Takkyu Ishino Works 1983~2017』リリース。現在、DJ/プロデューサー、リミキサーとして多彩な活動をおこなっている。

HP – https://www.takkyuishino.com/
Twitter – https://twitter.com/takkyuishino?lang=ja
Instagram – https://www.instagram.com/takkyuishino/

COLD WAR あの歌、2つの心 - ele-king

 「冷戦」とのタイトルだが、これは政治映画ではない。クラシカルな佇まいを持った情熱的な恋愛映画であり、音楽映画だ。陰影に富んだ白黒のイメージ、スタンダードの画面サイズ、ぶつかり合いながらも惹かれ合う運命にある男女……。それらを数々の歌と音楽が情感豊かに彩っていく。90分足らずの時間、観る者はただ陶酔的な心地になるばかりだ。
 いや、政治映画ではないと書いたが、東西対立に翻弄された1950年代のポーランドにあっては当然、愛も音楽も政治からは逃れられない。時代がそれを許さなかった。ただ、だからと言ってこれが「特殊な時代」を舞台にした過去に憧憬するばかりの映画かと言えば……前作『イーダ』と本作で現代ポーランドを代表する映画作家となったパヴェウ・パヴリコフスキは、本作をたんなるクラシックの模倣とせず、どこかで現在と繋ぎとめているように思える。

 映画は農村の民たちが民謡を歌うシークエンスから始まるが、すぐに主人公の音楽家ヴィクトルがどうやら民族音楽を蒐集している人間だとわかる。各地に赴き民謡のフィールド・レコーディングを行い、それを国立民族舞踊団のための音楽としてアレンジするのだ。あるときヴィクトルは団員の選抜で若い女ズーラと出会い、父親を殺したとも噂される彼女のどうにも危うい魅力に惹きつけられる。すぐに激しく愛し合うふたり。やがて舞踊団はソヴィエト指導者の賛歌をプログラムに入れざるを得なくなり、芸術的自由を求めてヴィクトルは西側への亡命を目指す。ともに逃げようと誘ったズーラは約束の場所に現れずヴィクトルはひとりで国を出るが、その後もふたりは場所を変えて何度も出会い直すこととなる――。
 本作における舞踊団はポーランドに実在する民族芸術団である「マゾフシェ」をモデルにしており、国民の公式音楽とも言えるものを当時の国民に提供していたという。その音楽の魅力をパヴリコフスキ監督は5年前に再発見したそうだが、本作において非常に重要な役割を与えている。とりわけ、主題歌に位置づけられるのが民謡「2つの心」である。ヴィクトルはまずその歌を農村の少女が歌っているのを発見し、舞台のための音楽へと発展させる。そしてその後、同じ歌が50年代のパリではしっとりとしたジャズのアレンジで姿を変えて登場することになる。
 どのシーンを切り取っても絵になる本作だが、ハイライトはこの歌の場面だろう。それはヴィクトルとズーラが国を離れ、違った姿で生き延びることを象徴するものだ。西側の音楽に乗せてポーランド語で歌うズーラの周りを、ゆったりとエレガントに動くカメラ。監督は前作『イーダ』との最大の違いが移動撮影にあり、またそれは音楽のためだったと語っているが、ここでの360度パンのような言ってしまえば「わかりやすい」演出は『イーダ』ではあまり見られなかったはずだ。だがそのことが本作にある種の大胆さを与えており、映画的な快楽を高めている。

 ヴィクトルは亡命先のパリでジャズをやるわけだが、ポーランド民謡をそこに混ぜ合わせつつ音楽活動を続けている。海外の音楽を聴いている人間なら誰しも、似たようなことが数えきれないほど起きてきたことを知っているはずだ。つまり、政治的理由で国を逃れた者たちがいつだって音楽をともに越境させ、それまでになかった新しいものとして鳴らし始めることを。そうして故国の音楽は、姿を変えながら生き続けるのである。
 何度も別れたりくっついたりを繰り返す男女の姿は監督の両親からインスパイアされたものだそうだが、彼はその物語をそのままトレースするのではなく、何より音楽を鍵とすることで主題を浮き彫りにしている。政治的困難に人間が晒されたとき、それでも迸る情熱がどうしようもなく国境を越えていくこと、である。だから、1950年代のヨーロッパを舞台にしたこのロマンティックなラヴ・ストーリーは、その古めかしい見た目とは裏腹に、人間の移動が不自由になりつつある現代とたしかに重なっている。いま、愛と音楽は自由を求めてどこまでも移動することが可能だろうか。そのヒントを得たいのであれば、わたしたちはこの美しい映画にただ身を投じるだけでいい。

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