「KING」と一致するもの

interview with Fever The Ghost - ele-king


Fever The Ghost
Zirconium Meconium

Indie RockPsychedelicGarage

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 テンションの高い、エキセントリックなサイケ・ポップはいま流行らないだろうか? しかし、まさにテームなドリーム・ポップ化を遂げてしまったテーム・インパラを多少歯がゆく感じている人などは、ぜひこのフィーバー・ザ・ゴーストにぶっ飛ばされてみてほしい(ドゥンエンの新譜もいいけれど)。テームなインパラがノンアルコール・ビールだとすれば、FTGはさしずめドクターペッパーか、ソーダ・フロートに花火の刺さったやつというところ。それは子どもが大好きな、目に悪い色をした、極端な味の、高カロリーの、悪趣味すれすれの、おいしい体験である。

 西海岸というサイケデリック・ロック揺籃の地から現れたサイケデリック・ロック・バンド、フィーバー・ザ・ゴースト。骨太なガレージ感、圧巻のグルーヴ、酩酊感も十分(このライヴが楽しい→https://www.youtube.com/watch?v=s97ZqaFv-O0)、ここでも答えてくれているようにキャプテン・ビーフハートあるいはラヴといった西海岸の先達の影響を奥底にしのばせながら、ホークウインド的なスペーシーなプログレ要素、あるいはグラム・ロックのカブいたポップ・センス、そしてフレーミング・リップスやオブ・モントリオールのエキセントリシティを放射する……とにかく派手なエネルギーを充溢させた4人組である。

 それでいてチャイルディッシュなヴォーカル・スタイルをはじめとして、PVから一連のアートワークにいたるまで、幼形成熟的で得体の知れないキュートさが大きな特徴になっている。彼らの奇矯さの象徴たるこのヴォーカル=キャスパーには、近年のロック・バンドにおける「コレクトな感じ」──グッド・ミュージック志向で行儀のいい、あるいはファッショナブルにヴィンテージ・ポップを奏でる器用さといったものから程遠い、ひとつの業のようなものも感じるだろう。リズム隊が年長でテクニカル、シンセ・マニアがいるのもいいバランスだ。ショーン・レノンによって発見され、ウェイン・コイン(フレーミング・リップス)が入れ込んだというエピソードにもうなずかされる。

 さて、今回取材したのはベースのメイソンだが、じつにマインド・エクスパンデッドな回答を戻してくれた。キャスパー(オバケのあれ)ばかりではない、みながそれぞれに大らかな世界観を持っているのだろう。フィーバー・ザ・ゴースト、そのアンチ・ビタミン・カラーのサイケデリアは、2015年というタイミングにおいてはとくに美味に感じられる。召されませ。

■Fever The Ghost / フィーヴァー・ザ・ゴースト
テンプルズを輩出した〈Heavenly Recordings〉と契約したロサンゼルス出身の4人組バンド。2014年にデビューEP『クラブ・イン・ハニー(Crab In Honey)』をリリース。これまでザ・フレーミング・リップス、ショーン・レノンやテンプルズとツアーを周り、2015年のレコード・ストア・デイには、テンプルズとお互いの楽曲をカヴァーするスプリット・シングルを発売。そして同年9月、デビュー・アルバム『ジルコニウム・メコニウム』の発売が決定した。ラインナップはキャスパー(vocal /guitar)、ボーナビン(synth)、ニコラス(drums)とメイソン(bass)。

僕らに影響を与えたものはたくさんあるんだ。拡張現実、テクノロジーの発達、森、YouTubeのフード・レヴュー……

結成はいつで、どのような経緯で集まったメンバーなのでしょう? 年齢はみなさん近いのですか?

メイソン(bass):結成は2年半くらい前で、もともとはヴォーカルのキャスパーがひとりでシングルをいくつかレコーディングしたところからはじまった。その後いくつかの幸運な偶然が続いて、キャスパーとキーボードのボビーがいっしょにリハーサルをしたり、ショウで演奏するようになって、その少しあとに、僕らのプロデューサーでありゴッドファーザーのルーター・ラッセルが、ベーシストの僕(メイソン)とドラマーのニックをキャスパーに紹介したんだ。ニックと僕はそれ以前にも他のバンドでいっしょに演奏していて、いっしょにロサンゼルスに移ってきた。年齢は僕らのうち2人が30歳で、もう2人が23歳だから、少し離れているね。

西海岸はサイケデリック・ロックの揺りかごともなった土地ですが、実際に生まれ育った場所として、そうした影響の残る土地だと思いますか? また、自分たちの音楽性を決定する上で影響があったと思いますか?

メイソン:たしかにそういう面はあるし、僕ら自身も間違いなく西海岸出身のミュージシャンからの影響は受けていると思うよ。キャプテン・ビーフハートやアーサー・リーのラヴとか。でも僕らがどこで生まれたかに関わらず、そういった音楽に惹かれていたと思うし、それらが僕らが影響を受けた唯一の音楽ってわけでもない。僕らに影響を与えたものはたくさんあるんだ。拡張現実、テクノロジーの発達、森、YouTubeのフード・レヴュー……

(通訳)フード・レヴュー?

メイソン:うん、とくに「ゲイリーズ・フード・レヴューズ(Gary’s Food Reviews)」。ゲイリーは僕らバンドにとってのヒーローみたいな存在だよ。食べ物が好きだから観るというよりもゲイリーのレヴューの仕方が好きだから観るような感じさ。

あなたがたは、エキセントリックな雰囲気があるのに、とてもスキルフルなバンドだと思います。曲作りをリードしているのはどなたですか?

メイソン:曲作りのプロセスは、まずキャスパーが曲を書いて、バンドの他の全員にそのヴィジョンを共有する。そして僕らそれぞれが自分のパートを作って、曲が発展していくんだ。

視覚的な表現においても、斬新でありながら、ある意味では正統的なサイケの伝統を引いていると思います(“バーベナ/Vervain (Dreams Of An Old Wooden Cage)”など)。MVやアートワークのディレクションは誰が行っているのですか? また、その際にとくにこだわる部分や哲学について教えてください。

僕らの美学は、「何であれナチュラルに感じることをする」ってことだよ。

メイソン:誰かひとりがディレクションをしているというよりも、バンド・メンバー全員と、バンドのまわりに不思議と現れた人たちとのコラボレーションだよ。オリバー・ハイバートと弟のスペンサー・ハイバートとは人からの紹介で知り合って、それ以来いろいろなことをいっしょにやることができた。それと同じようにキャスパーはゲーム・デザイナーのテイト・モセシアンを家族ぐるみで子どもの頃からよく知っているんだけど、僕らの新しいアルバムのジャケットのアートはテイトが作ってくれた。そういうふうに僕らのまわりにはたくさん興味深い人たちがいて、僕らはいつもそういうまわりの人たちからインスピレーションを受けたり、コラボレーションしているんだ。僕らの美学は、「何であれナチュラルに感じることをする」ってことだよ。僕らが作る音楽、アート、着る服まで、どれも自由さの産物で、僕らは自分たちをひとつのスタイルやジャンルに縛ったりはしないんだ。表現の自由が僕らの哲学だよ。

ライヴ・ヴィデオなどでは、録音環境もあるのでしょうが、非常にガレージ―でラフなプロダクションが目指されているように感じます。対して、アルバムの方はクリアに整えられていますね。今作のサウンド・プロダクションについて、何か目指すところがありましたら教えてください。

メイソン:目指していたのは、僕らが自信を持って出すことができて、自分たち自身で聴きたくなるようなレコードだった。サウンドについて、バンド内でとくにはっきり「こういうサウンドにするべきだ」みたいな会話をしたわけじゃなくて、僕らが使ったスタジオや、制作に費やすことのできた時間といったいろいろなファクターが組合わさって、自然と彫刻が彫り出されるように、結果的にこのアルバムができ上がったんだ。

とはいえ、“サーフズ・アップ! ネヴァーマインド(Surf's UP!...Nevermind.)”などは絶妙にワイルドですね。エンジニアはどんな方なのでしょう?

メイソン:エンジニアはクリス・ステフェンって名前で、〈セージ・アンド・サウンド〉ってスタジオで仕事をしている。彼はキャスパーの父親と長いこといっしょに仕事をしていて、キャスパーともレコーディングをしたことがあった。すごくいいヤツで、パイレートって名前のすごく可愛い犬を飼っていて、その犬がいつもいっしょにいるんだ。それとヴィクター・インドリッゾ(キャスパーの父)も僕らのガイドになってくれたよ。

(通訳)ヴィクターがプロデューサー?

メイソン:うん、というか、プロデュースは基本僕ら自分たちでやったんだけど、彼は僕らのカウンセラー、ガイダンス、グル、友人としていっしょにいてくれたんだ。

僕らみんなきゃりーぱみゅぱみゅや(初音)ミクの大ファンなんだ。サウンド面でも、ヴィジュアル面でもかなり影響を受けているよ。

このアルバムの制作の進め方についても教えてください。

メイソン:制作のプロセスは曲によってかなりちがっていたよ。いくつかの曲は実際のスタジオの中でキャスパーが作りはじめて、他のいくつかはAbleton Live上で作りはじめて、そのあとスタジオに持ち込んでバンドが加わって、さらに他の曲はバンドでライヴ・トラックとして生まれて、いったんそれを破棄して、それぞれのメンバーが別々に自分のパートを録音して作られた。それぞれの曲に必要な方法で形作っていったんだ。レコーディングのプロセスは全部で18ヶ月くらいにわたったよ。ときにはまったくレコーディングをしない時期があったり、逆に一週間毎日レコーディングを続けたり、スケジュールや時間が許すときに断続的にレコーディングを進めたんだ。

“1518”はドラムマシンを用いてダンス・ビートが敷かれていますね。ファンキーですが、曲調もくるくるとめまぐるしく表情を変えていきます。どんなプロセスででき上がった曲なのでしょう?

メイソン:“1518”にはドラムマシンも少し使っているけれど、大部分は生のドラムの録音なんだ。ニックのドラムに加えて、ヴィクター・インドリッゾの演奏するコンサート・タムもレコーディングに入っているよ──コンサート・タムを演奏できるとヴィクターはすごくハッピーになるから、少し彼に演奏する機会をあげる必要があったのさ。もともとキャスパーが以前に自分の部屋でレコーディングしたセッションからのステム・ファイルがあって、それを僕の家でドラマーのニックに聴かせたんだ。そのとき家の上階の住人からストラトキャスターを買って、僕らのヴァージョンのナイル・ロジャース・サウンドを作ろうとしたんだ。その後にそれを〈セージ・アンド・サウンド〉スタジオに持っていって、他のシンセサイザーのトラックや、ヴォーカルの大部分を加えていった。だから3つのちがったレコーディング環境の組み合わさった曲だと言える。

“イコール・ピデストリアン(Equal Pedestrian)”も非常に自由です。ヴォーカルにはオートチューンまでかかっていますね。とても意外な展開でもありましたし、あなたがたが柔軟なバンドだということもわかりました。少しJ-POP的であるとさえ思ったのですが……

メイソン:そう言ってくれてすごくうれしいよ! 僕らみんなきゃりーぱみゅぱみゅや(初音)ミクの大ファンなんだ。きゃりーぱみゅぱみゅはプロダクションも素晴らしいし、ミュージックビデオも最高で、サウンド面でも、ヴィジュアル面でもかなり影響を受けているよ。僕らのお気に入りのミュージックビデオのいくつかはきゃりーぱみゅぱみゅのビデオさ。

Massiveは複雑なシンセサイザーだから、たとえばキャスパーが「ボビー、フワフワのピンクのスパイダーがたくさん空から降ってきて、地上2フィートのところに着地して、その下を屈んで歩かなきゃいけない、みたいなサウンドが欲しいんだけど」とか言ったとしても、それに対応することができるんだ。

これにヴィデオをつけるとすれば、どんな作品にしますか?

メイソン:この曲のヴィデオはほぼ間違いなく実際作ることになると思うよ。できればきゃりーぱみゅぱみゅのMVの監督に作ってもらいたいな。もしもこのインタヴューを読んでいたら、ぜひお願いしたいね!

ムーグも非常に大きな役割を果たしていると思います。あなたはシンセにも好みがありますか?

メイソン:僕らのキーボーディストのボビーはムーグのLittle Phattyを使っていて、このアルバム中の曲にもかなり使われているよ。それとネイティヴ・インストゥルメンツのデジタル・シンセであるMassiveもかなり多用しているよ。ボビーはサウンドデザインのエキスパートで、MassiveはLittle Phattyよりずっと複雑なシンセサイザーだから、それを使って、たとえばキャスパーが「ボビー、フワフワのピンクのスパイダーがたくさん空から降ってきて、地上2フィートのところに着地して、その下を屈んで歩かなきゃいけない、みたいなサウンドが欲しいんだけど」とか言ったとしても、それに対応することができるんだ。

デヴィッド・ボウイとマーク・ボランだとどっちに共感しますか?

メイソン:うーん、たぶんデヴィッド・ボウイかな。彼の方がマーク・ボランより宇宙が好きだと思うから。

シド・バレットとジム・モリソンなら?

メイソン:間違いなくシド・バレット。彼の方が自転車に乗るのが好きだから。レザー・パンツを履いてちゃ自転車に乗れないもの。

(シド・バレットとジム・モリソンなら)間違いなくシド・バレット。彼の方が自転車に乗るのが好きだから。レザー・パンツを履いてちゃ自転車に乗れないもの。

(通訳)ジム・モリソンは何に乗ると思いますか?

メイソン:彼はたぶん虎から生えた女性の頭に乗るね。

ニンジャとサムライなら?

メイソン:ニンジャとサムライ? いいね、この質問。ニンジャかな、サムライはもっとタフガイっぽいっていうか、英語で言う「bro」って感じがするけど、ニンジャはシャイだと思うから。ニンジャはきっと感情面が発達していると思う。

アリエル・ピンクは好きですか?

メイソン:うん、アリエル・ピンクは好きだよ。ときどきフランク・ザッパの、まるで子どもみたいな性格を思い起こさせるところがあってさ。新しいアルバムはいつも聴くといい時間が過ごせるよ。

現実と非現実というふうに世界を分けるのは馬鹿げていると思いますか?

メイソン:現実と非現実を分けずに考えるのは不可能だと思うよ。現実っていうのはそれを認識する個々人や存在ごとに分裂していっているから、現実と非現実で世界を分けるのは自然な認識で、馬鹿げているとは思わないな。そしてテクノロジーの面について言えば、僕らの世界の上によりよい世界が構築されて、そこに行けるようになるといいなと思うよ。

マインド・エクスパンディングとは、いまの世界を生きていくのに有効な考え方だと思いますか?

メイソン:マインド・エクスパンションはいつでも有効な考え方だよ。必ずしも達成されなければいけないものだとは思わないけれど、マインドを発達させていくことこそが、人間のもっともよい資質のひとつだと思うし、それをやめてしまったら(人間)みんながストップしてしまうよ。いまの時代だけじゃなくて、これまでも、人類の進歩の途上から現在に至るまで、ずっと人間はマインドを成長させてきたと思う。いつか『スター・トレック』の世界が実現したらいいなと思うんだ。すべてが受け容れられて、すべてが与えられて、みなが芸術や科学や探求にフォーカスする世界。それがいちばん楽しいことだと思うし、人々はそういうことを十分していないと思うからさ。

マインド・エクスパンションはいつでも有効な考え方だよ。マインドを発達させていくことこそが、人間のもっともよい資質のひとつだと思うし、それをやめてしまったら(人間)みんながストップしてしまうよ。

アニメやゲームが好きなんですか? 好きな作品を挙げてもらえませんか?

メイソン:うん、アニメやゲームは僕らみんな好きだよ。『アドベンチャー・タイム』とか、『マインクラフト』なんかがお気に入りかな。

日本の作品で好きなものがあったら、ジャンルを問わず教えてほしいです。

メイソン:いろいろあるけど、さっきも言ったようにJ-POPは僕らみんな大好きだし、アニメだったら『(新世紀)エヴァンゲリオン』とかにはかなり影響を受けていると思う。

(通訳)『エヴァンゲリオン』はアメリカでも広く知られているんですか?

メイソン:うん、かなり有名だよ。もちろんメインストリームとしてのレベルで有名なわけではないけど、サブカルチャーとしては有名だと思う。

いまおもしろいなと思う同時代の音楽があれば教えてください。

メイソン:アワー・オブ・ザ・タイム・マジェスティ・トゥエルヴ(Hour Of The Time Majesty Twelve)っていって、略してHOTT MTっていうバンドがいるんだけど、彼らはクールだよ。あと、ヴァイナル・ウィリアムス(Vinyl Williams)も。彼はもうすぐアンノウン・モータル・オーケストラ(Unknown Mortal Orchestra)のサポートをすることになっているんだけど、アンノウン・モータル・オーケストラも好きだよ。HOTT MTとは、他の僕らの友だちのバンドも含めて12月にいっしょに大きなショウをしたいと思っているんだ。同じようなラインアップで日本にも行けたら最高だね!

休まず動悸する音と映像 - ele-king

 エレクトロニカ、IDM、ダブステップ以降のクラブ・ミュージックの交錯点において確実に新たな流れを予感させるアーティストの一人、アルビノ・サウンド。まさにいま世に問われようとしているデビュー・アルバム『Cloud Sports』から、新たなミュージック・ヴィデオが公開された。

Albino Sound - Restless

 廃墟の壁や天井のカットアップにはじまり、塀を越える少年が映し出される。彼が歩きはじめてから駆け出すまでの奇妙な緊迫感は、やがてさまざまな建造物の映写に重なりながら増幅し、主体の出発/前進/衝動もしくは脱出/逃亡/混乱をオブセッシヴに描き出す。モノクロームなサウンドと乾いたビートは、いつしか映像の心拍数にシンクロして、早鐘を打つようにその動悸を高めていく──気鋭の若手ディレクター石田悠介が監督する、日本人離れしたMVセンスも楽しみたい。

 また、来月にはリリース・パーティーも予定されているようだ。あわせてチェックされたし!

電子音楽界の新たな才能、デビューアルバム『Cloud Sports』が好評のAlbino Sound<アルビノ・サウンド>が新MV「Restless」を公開した。映像は短編映画「Holy Disaster」の監督:石田悠介がドイツのベルリンで撮影した映像で作られている。

MVはアルバムのリード曲であり、都会の夜に合うアーバンな世界を持ちつつも、チル効果もあり、反復するビートが非現実的な中毒性を持った楽曲となっている。

またAlbino Soundはデビューアルバム『Cloud Sports』のリリースパーティーを11/19(木)中目黒solfaで開催する。詳細は後日公開予定。

■Albino Soundプロフィール
Albino Soundはプロデューサー兼マルチ・プレイヤー梅谷裕貴(ウメタニ・ヒロタカ)のソロ名義。今までに世界の第一線で活躍するアーティストをその卒業生に名を連ねるレッドブル・ミュージック・アカデミーが世界中から集まった応募者たちの中から選び抜いた日本人アーティスト。その活動は多岐にわたり、TAICO CLUBやRAINBOW DISCO CLUBへの出演の他、ウェブサイトTheDayMag.jp の制作した短編ドキュメンタリー・シリーズのサウンドトラックなどの提供を行っている。デビューアルバム『Cloud Sports』を10月7日にリリース、ミックスは日本を代表するエレクトロニカ/テクノ・アーティストAOKI takamasaが担当。マスタリングは中村宗一郎、MVの映像は短編映画「Holy Disaster」で知られる気鋭の若手ディレクター石田悠介が監督している。

■イヴェント
Albino Sound 『Cloud Sports』 リリースパーティー
日程:11月19日(木)
会場:中目黒solfa
詳細:後日公開

■リリース情報

Albino Sound / Cloud Sports
品番: PCD-20362
発売日:2015年10月7日
価格:¥2,000+税
発売日: 10月7日

<Track list>
01 Airports 1
02 Cathedral
03 Culture,Over again
04 library
05 Restless
06 Jump Over
07 Escape
08 Airports 2


我が人生最悪の年 - ele-king

 開幕前から心配だったし、悪い予感は確実にあった。今年の正月、地元の友だちとは「ま、今年1年も残留が目標だな」と、したり顔で言い合ったものだった。とはいえ、心のどこかに、いや表向きにも、「まさかそんなことはないだろ」という根拠のない余裕というか盲信めいたものがあったことも事実だ。こんなにも不甲斐なく、弱いというのに……それでも清水エスパルスがJ2に落ちるなんてことはあり得ない。なぜならそこは日本でも指折りのサッカーの街であり、他のどこの街よりも幅広い年齢層におよぶ熱心なサッカー・ファンがいる。ぼくは清水に隣接する静岡市で生まれ育ったけれど、小学校の校庭にあったのはゴールネット、ソフトボール大会はあっても野球はなし。生まれて初めて賞状をもらったのは、ゴール・シーンを描いた絵。実家の4軒先には名物サッカー専門ショップがある。そんな環境だった。
 小さな港町の清水は、しかし、ぼくが住んでいた頃は、何かと静岡をライバル視して、サッカーにおいては静岡を見下していた。70年代半ばのぼくが小学生のとき、清水はブラジルからペレを招いてサッカー教室を開いているし、静岡の子供にとっても清水FCのユニフォームは別格だった。ちなみに、70年代後半、ぼくが中学生のとき、全日本少年サッカー大会で優勝したときの清水FCのFWが、今シーズンの清水エスパルスの最初の監督である。というように、あの選手は小学生/高校生のときからすごかったとか、そういう話が普通に話せる環境だったのだ。
 いや……、いまさらこの場で、こんな地元自慢めいたことを言ってどうなる? わかっている。ぼくは過去の亡霊に取り憑かれているのだ。はっきりしているのは、2015年は我が人生最悪の年である、ということ。悲しく、惨めで、ただただ空しい。この悲しみの前では世界がどうなろうと知ったことじゃないし、代表はもちろん、自分の子供の所属しているサッカーチームの試合なんぞ見る気もしない。海外リーグをほめそやしている輩を見ると虫ずが走る。
 我ながら無茶苦茶だが、それがサッカー・ファンの性というものだ(違うか!?)。華やかなプレミア・リーグだって、その昔、基盤を作ったのは地元チームへの愚直なまでの忠誠心だろう。自分のチームが勝ってくれればいい。それだけで安眠できるし、ゴール・シーンを頭のなかで反芻するだけで心地いい。それが人生における、数少ない自慢だ。しかし負ければ、重苦しく、鬱々とした日々に耐えなければならない。清水エスパルスを応援している人たちは、ここ数年、ずいぶん忍耐力がついたかもしれないが、そこに追い打ちをかけるように、いまこの時点では、迷走しまくりの無能フロント(素人目にもわかる偏ったチーム編成、哲学を欠いた監督選びなどなど)のおかげで楽観的な要素がまるでないという、すさまじくシビアな現実認識を強いられている。出直そうなどと自分に言い聞かせようにも、何の説得力もないのである。
 たまに、そんなに辛いのだったらサッカー・ファンなどやめればいいと言われる。だけどね、サッカー・ファン……いや違うな、Jリーグのスタジアムの自由席で声を出してきたぼくのような人間にとって、この辛さと引き替えに、とんでもない歓喜も味わっている。自分たちがどこに所属しているのかをわかっていて、見ず知らぬ者同士が喜びのあまり、ハイタッチをしたり、抱き合ったりする、老若男女のあれほどの大騒ぎは、熱狂は、まあぼくが知る限りサッカー・スタジアムでしかありえない。もっとも、2015年はそんな機会すらなかったのだが。
 ぼくは限りなく調布市に近い世田谷区に長いあいだ住んでいるので(飛田給までチャリで行くほど)、まわりは赤と青の人が多いし、悲しいかな、サッカーをやっている息子も小学校高学年となれば友だちとFC東京の試合に行く(物心つく前から日本平、埼スタ、等々力、味スタ、日産、湘南、そしてときにいまはなき国立の清水のホーム側自由席に連れて行って洗脳したはずなのにコレだ。いや、だからこそか……。いや、子供に「この選手のプレイを参考にしろ」と言える選手がいなかったことも大きいだろう)。
 と、ここまで書いてきて、ふと気がつけば負け犬のなんたらというか、本当に空しいのだが、これだけ恥をさらしつつ、さらにその上塗りを言うと、当たり前だが、ぼくは永遠にオレンジである。第二の故郷などない。人生の半分以上東京で過ごしているが、故郷はたったひとつだ。いまは自分にそう言い聞かせるしかない。自分で選んだわけではないけれど、ぼくを育てたのは静岡であり、そして、その静岡よりも圧倒的に小さな町でありながら、サッカーでは圧倒的に強かった清水を尊敬している。そして、そのチームはいまでもぼくの人生の重要な部分を占めている。アイデンティティとコミュニティは魅力的なものだが、そのチーム(ルーツ)はいま、情けないほど弱くなったという、ぼくには重大なことだが、興味がない人にはどうでもいい話なのである。
 つまりどういうことかと言えば、マクロに見れば、ぼくのような人間は、なんとも偏屈で、いびつで(なにせ、他で起こっているどんなことよりも我がチームの勝敗が気になるのだから)、そして排他的で(いや、でもJリーグのスタジアムに行っている人の多くには、決して表には出さないが、相手チーム/サポへのリスペクトがある)、ある意味ヒーローものに夢中になっている子供の自己投影と同じ……ではないよな、何をこんな弱いチームに自己投影する必要がある? まあ、あのアントニオ・ネグリだって資本主義の怪物であるACミランが好きじゃないかと、まあ、そうした人間の矛盾の吹き溜まりであるからして、サッカー(・スタジアム)には、何か超越したものがあるのだ……などといったこのとりとめのない原稿はもう終わりにしよう。ele-kingは私物ではないし、個人ブログではないし、サッカーの世界はもっと広い。が、狭いからこそ見える宇宙もある。ここまで読んで下さった方(とくにJ1、J2、J3の他チームのサポの方)には、深くお詫び申し上げます。あー、しかし本当にJ2なんだなぁ……しかも涙すらでないほど、ある意味清々するほど無様な試合ばかりだったなぁ、途中からはチームとして崩壊しているとしか見えなかったし……この悲しみ、惨めさ、いかようにも癒しがたい。つい数日前のできごととはいえ、いまだに自分は悪い夢を見ているのではないかと錯覚するし、息子も気を遣ってか、家ではこの話題にはいっさい触れない。なんて哀れだろう。“いいことばかりはありゃしない”、それだけだ。

メロウ大王の帰還 - ele-king

 アイズレー・ブラザーズ(THE ISLEY BROTHERS)のメロウ大王、シルキー・ヴォイスのロナルド・アイズリー。最近は目立った動きがないが、74歳の高齢だけに、元気にしているだろうかと気にしていたところ、この夏、ケンドリック・ラマーのアルバム『To Pimp A Butterfly』の“How Much 2 Dollar Cost”にゲスト参加して、だいぶかすれたとはいえ相変わらず魅力的な美声を聴かせてくれた。これはそろそろ新作が期待できるのでは、と思っていた矢先のつい先日、ネット上で突然の訃報が飛び交って驚いたが、もちろんこれはデマ。すぐさまロナルドは元気だとオフィシャルの声明が出された。そしてそのニュースの流れで、ロナルドは新作を制作中で、来年にはワールド・ツアーを計画していることがわかった。
 同じく『To Pimp A Butterfly』に参加し、冒頭の“Wesley's Theory”で、迫力のある語りをガッツリ聴かせた同い年のジョージ・クリントンが、近年すっきりと体重を落としてどんどん健康になっていることを思えば、同い年のロナルドもまだまだ元気で歌い続けられるはずで、心配など余計なお世話だったか。

 オハイオ州シンシナティ出身のアイズレー・ブラザーズの出発点は、ご多分にもれずゴスペルのファミリー・ヴォーカル・グループだが、世俗音楽に照準を合わせ、57年にNYに拠点を移した。その形態は、大まかにいって、60年代を通しては兄弟3人のヴォーカル・グループ、70年代はそこにギターとベースの弟2人、キーボードの義弟1人が加わった6人組のファミリー・グループだ。ミュージシャンが時代とともにスタイルを変化させるのは当然のことだが、アイズレーズは変化してもその都度、大きなヒットを出し、とくに70年代の全盛期にはファンクとメロウという対照的なスタイルを並行して打ち出しながら、その両方で頂点を極めた。
 さらに90年代には、彼らのメロウの名曲“Footsteps In The Dark”をサンプリングしたアイス・キューブの“It Was A Good Day”、同じく“Between The Sheets”をサンプリングしたビギーの“Big Poppa”を筆頭に、再評価の風潮が高まる。ロナルド自身も若いアーティストの作品のゲストとして引く手あまたとなり、その勢いで00年代にはアイズレー・ブラザーズを再始動させ、ミリオン・セラーとなるアルバムを連発するなど、第二次黄金期を築き上げるに至った。
 ヒップホップのおかげで90年代に息を吹き返し、新作を出したりツアーを再開したりしたアーティストはたくさんいるが、その多くが懐メロの域を脱しなかったのに対し、ロナルドは時代に沿ったトレンディーなプロダクションとがっぷり組んで第一線に返り咲き、他に類を見ない破格の復活劇を繰り広げた。サンプリング・ネタとしての人気もすっかり定着し、先のケンドリック・ラマーも、“I”ではアイズレーズの73年の大ヒット曲“That Lady”をサンプリングしている。


The Isley Brothers
The RCA Victor & T-Neck Album Masters(1959-1983)

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 さて、先ごろそのアイズレー・ブラザーズの『The RCA Victor & T-Neck Album Masters(1959-1983)』という、23枚組のとんでもないボックスが発売された。タイトルからもわかるとおり、59〜83年にRCAとTネックから発表された全23枚(2枚組があるので全22作)を網羅したボックスで、50ページにおよぶカラー・ブックレットと、初回版には限定特典として解説の邦訳も付いている。RCAとTネックの間の60〜69年に発表されたアルバム、そして再評価で改めて人気が高まった90年代半ば以降を含め、Tネック後に出したアルバムは対象外なので、全盛期を含むTネック期69〜83年の全21作22枚に、RCAからの59年に出た『Shout!』が付いている、と言った方が実態に即しているだろうか。以下、本ボックスに収録されたアルバムを1枚ずつひもときながら、アイズレーズの足跡を辿ってみよう。

 まずは初アルバムの『Shout!』。これはRCAからのセカンド・シングルだったタイトル曲がヒットして、それを軸に組まれた59年のアルバムだ。兄弟3人の作となる“Shout!”は、チャート・アクションこそ地味だったがロング・ヒットとなって、最終的にはミリオン・セラーに達したらしい。ここでの彼らは、いくらか節度のあるコントゥアーズと言いたくなるくらい、実にエネルギッシュなドゥーワップ・グループで、それは3人が飛び跳ねるジャケットにもよく表れている。シンプルな作りの陽気なドゥーワップに交じって、トラディショナルの“When The Saints Go Marching In”、R&Rの“Rock Around The Clock”なども歌っており、街角からそのままやってきたような活きの良さだが、それもそのはず、この年、一番年長のオーケリーでも22歳、ロナルドはまだ18歳だ。

 だがヒットはこれ1曲にとどまって、この後は前記のとおり、本ボックスには収録されていない10年間が挟まり、アイズレーズはいくつものレーベルを渡り歩く。その過程で、ワンド在籍時の62年には“Twist & Shout”が大ヒットし、翌年にはビートルズがカヴァーするに至った。
 また64年には、友人の紹介で故郷シアトルから出てきたばかりのジミ・ヘンドリックスに出会い、自宅に居候させて活動を共にするようになる。この頃の録音は、当時、彼らが住んでいたニュージャージ州ティーネックに立ち上げたレーベルのTネック、そしてアトランティックから、シングル4枚がリリースされているが、全く話題にならなかった。
 ジミが65年にUKに渡ったため共演は短期に終わったが、アイズレーズは翌66年、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったタムラ・モータウンとの契約を得て、最初のシングル“This Old Heart Of Mine”を大ヒットさせた。この曲を収録した66年の同名アルバムが手元にあるが、スプリームスの“Stop! In The Name Of Love”や“I Hear A Symphony”、マーサ&ザ・ヴァンデラスの“No Where To Run”などのカヴァーを含め、ここではホランド/ドジャー/ホランドによるモータウン・サウンドをバックに歌うアイズレーズという、彼らの歴史の中ではある種、異色な姿が確認できる。そしてよくも悪くも制作体制が完全にコントロールされたモータウンを3年ほどで離れると、アイズレーズはTネックを本格始動させて、すべてを自分たちで管理する活動形態に移行する。

 セルフ・プロデュース体制を手に入れたアイズレーズは、69年には勢い余って3作も発表している。スーツ着用が基本だったそれまでの面影が残って髪型はきちんとしているが、衣装はぐっとサイケに決めた姿がジャケットに収められた『It's Our Thing』には、モータウンの軽快なポップスとはひと味違う、深みのあるソウルが詰まっている。
 中でも実質的にタイトル曲であるファンキーな“It's Your Thing”はR&Bチャートで1位、ポップ・チャートでも2位の大ヒットとなった。これを受けて、ついこの間まで、モータウンのアーティストのカヴァーを歌わされていたアイズレーズの曲を、ジャクソン5やテンプテーションズがすかさずカヴァーするという逆転現象も起こり、アイズレーズにとってはさぞ痛快だったことだろう。
 またファンク色が一気に表面化しているのもこのアルバムの特徴だが、それはこの頃のJBのファンクやテンプテーションズのサイケなファンキー路線などを考えると腑に落ちる。とくに“Give The Women What They Want”は、JBの影響がストレートに表れたファンクだ。なお後にギターに転向する弟のアーニーが、このアルバムにはベースで参加している。

 続く『The Brothers: Isley』からは、“It's Your Thing”のテンポを落としてヘヴィーにしたような“I Turned On You”がヒット。全体的にも前作よりヘヴィーな感触を増すとともに、サイケ色も加わっており、この頃、デトロイトではファンカデリックがレコード・デビューしていたことに思いを馳せる。

 その一方では、ルドルフの真摯なリード・ヴォーカルに、ロナルドの激しいバック・アップ・ヴォーカルが絡むスロー“I Got To Get Myself Together”もあるし、ロナルドの“Get Down Off Of The Train”での男臭い熱唱や、“Holdin' On”での部分的なシルキー・ヴォイス使いも聴きものだ。そしてこのアルバムでは、アーニーはドラムスとベース、もうひとつ下の弟のマーヴィンがベースで参加した。

 69年の3作目は、アナログでは2枚組だったライヴ盤『The Isley Brothers Live At Yankee Stadium』。この年の6月、アイズレーズは「若くてクリエイティヴなアーティスト」を集めた大規模なコンサートを開催し、そのドキュメンタリー映画『It's Your Thing』を製作するという大仕事をやってのけた。本作はその音源版で、アイズレーズに加え、ゴスペルのエドウィン・ホーキンス・シンガーズにブルックリン・ブリッジ、Tネックで売り出し中だった女性シンガーのジュディ・ホワイト(本ボックスでもボーナス・トラックで何枚かのシングルを聴くことができる)、そしてファイヴ・ステアステップスらのパフォーマンスが収められている。アイズレーズの演目は“Shout!”と“It's Your Thing”を含む4曲だけだが、アーニーはドラムス、マーヴィンもベースで参加し、喉を枯らして熱唱するロナルドをはじめ、当時の若いエネルギーと熱気あふれるパフォーマンスの一端を垣間見ることができる。

 1年に3作発表しても、乗りに乗っているアイズレーズは休むことを知らず、翌70年には『Get Into Something』を発表。ここからはアーニー(ds, g)、マーヴィン(b)、義弟(ラドルフの妻の末の弟)のクリス・ジャスパー(p)が全面参加するようになる。ホーン・セクションもストリングスも使った壮大な長尺ファンク・ロックの冒頭の2曲が耳を引くが、前年にアイザック・ヘイズが『Hot Buttered Soul』を発表していることを考えると、この流れも順当だ。そしてこの2曲はバーナード・パーディーとアーニーによるツイン・ドラムも聴きもの。全体的にはギターの役割が大きくなってサイケ色を増したのに伴い、ロナルドの歌にもナスティかつダーティーな味わいが加わっている。なおラストの“Bless Your Heart”は、どこから見ても“It's Your Thing”の別ヴァージョンとしか思えない。

 次の『In The Beginning… The Isley Brothers & Jimi Hendrix』は、一旦、時系列から外れるが貴重なアルバムだ。前記したとおり、64〜65年に録音され、設立したばかりのTネックから1枚、アトランティックから3枚リリースされたシングルの両面全8曲入りのアルバムだが、そのうちの6曲に、当時21〜22歳のジミが参加しているのだ。アトランティックとの権利関係の契約が満了して、アイズレーズの手に権利が戻ったため、やっとリリースできたそうだが、ジミの死の翌71年の発表なので、彼らなりの追悼盤でもあったのだろう。まだワウワウもファズも使ってないが、すでにジミは唯一無二のスタイルを確立しているばかりか、後の十八番のひとつとなる夢の世界のように美しいスローの萌芽も現れている。ここにはジミが歌った曲はないが、1曲目の“Move Over And Let Me Dance”は、ロナルドが明らかにジミの唱法をまねて歌っており、ブーツィー・コリンズの歌が、ジミのものまねから生まれたことが思い出された。なお当時のジミとの生活が、まだ12〜13歳だったアーニーに及ぼした強烈な影響は、後のアーニーのギター・プレイにくっきりと表れることになる。

 本筋に戻ろう。この後は、R&Bチャートのトップ20ヒットとなったサイケでファンキーな“Warpath”のシングル発表を挟んで、71年に『Givin' It Back』(“Warpath”もボーナス収録されている)が発表された。前作では主にファンク・ロックの流れを突き進んでいたが、今回はカーティス・メイフィールドやマーヴィン・ゲイらによってもたらされたニュー・ソウルの流れを捉えて、ニール・ヤング、ジェイムズ・テイラー、ボブ・ディランなど、男性ミュージシャンのカヴァー集だ。3人揃ってアコースティック・ギターを抱えたジャケットからも想像できるようにアコースティックな作りで、多用されたパーカッションが耳を引く。そしてロナルドは激しいヴォーカルだけでなく、シルキー・ヴォイスで切々と歌う場面も多い。ここからはCSNYのカヴァー“Love The One You're With”がヒットした。

 そのヒットに気を良くしたか、続く72年の『Brother, Brother, Brother』も半分はカヴァーで、今度は女性シンガーに照準を合わせ、キャロル・キングのカヴァーが3曲もある。そのうちシングル・カットされた“It's Too Late”は、歌にも演奏にも原曲の名残がほとんどない10分半の長尺版。ロナルドの独自の解釈による歌も含め、すっかり自分たちの曲のような佇まいだ。だが人気が高かったのはオリジナル曲の方で、R&Bチャート3位になった“Pop That Thing”をはじめ3曲がヒットした。またジミの死に思うところがあったのか、アーニーのギター・ソロは堂々として進境著しい。加えてクラシカルの正式な教育を受けているクリスも、全体に華やかさや重厚さなど、様々な彩りをもたらし、その活躍には目を見張る。

 急速に頼もしさを増した弟たちとともに、その勢いをダイレクトに刻んだのが、73年発表の『The Isleys Live』だ。オリジナルはアナログ2枚組で、前2作の収録曲からのセレクトに“It's Your Thing”を加えた曲目は、やはりカヴァーとオリジナルが半々。衣装もすっかりサイケになったヴォーカルのオーケリー、ルドルフ、ロナルド、ギターとベースに弟のアーニーとマーヴィン、キーボードに義弟クリス、このラインナップにドラムスとパーカッションを加えたバンドはとてもまとまりがあり、間もなく始まる絶頂期を予感させる熱い演奏が繰り広げられている。特に“featuring Ernest Isley, Lead Guitar”というクレジットに恥じず、アーニーは各曲で燃え上がるようなソロを聴かせる。ブックレットには、まるでジミのようにバンダナを巻いた頭の後ろにギターを抱える姿が見られるし、すべての曲が終わった後の独演は、もはやジミそのものだ。

 この後、アイズレーズは年長の兄3人のヴォーカル隊に、弟と義弟の3人が正式に加わったバンド体制となり、73年の『3+3』は、ジャケットにも6人が揃って写った記念すべき第一弾アルバムだ。半分ほどはジェイムス・テイラー、ドゥービー・ブラザーズなどのカヴァーでフォーキーな路線を残すが、その中で、ヴォーカル・グループ時代の64年にシングル発売したオリジナル曲“Who's That Lady”の新装版“That Lady”は、パーカッションとアーニーの唸るギターが映える、ファンキーさとメロウさを兼ね備えた名曲で、R&B/ポップ両チャートのトップ10に入り、69年の“It's Your Thing”以来の大ヒットとなった。クラヴィネットを交えたクリスの演奏の鮮烈な彩りも加わって、アイズレーズは明らかにパワーアップしており、他にもスライ&ザ・ファミリー・ストーンのリズム・パターンを流用した“What It Comes Down To”、シールズ&クロフツの曲を極上のメロウにリメイクした“Summer Breeze”がヒットし、アルバムはR&B/ポップの両チャートで初めてトップ10入りを果たした。なお余談ながら、“If You Were There”は、シュガーベイブ/山下達郎の「ダウン・タウン」の下敷きになった曲だ。

 続く74年の『Live It Up』は、タイトル曲を筆頭とする激しいファンク、Tネック期では最後のカヴァー曲となるトッド・ラングレンの“Hello, It's Me”を含むメロウを二本柱とした方向性が示され、絶頂期の音楽性の基盤が固まった手応えが感じられる1枚だ。ファンクとメロウのいずれでも、アーニーとクリスが力強さ、美しさの両面を膨らませて強化し、大いに貢献しており、中でもクラヴィネット、モーグと、順次、新しい機材を導入してきたクリスが持ち込んだアープ・シンセの美しく繊細な音色は、以後のアイズレーズには欠かせないトレードマークのひとつとなる。

 そしてアーニーがドラムスを兼任し、名実ともに3+3の6人だけの録音体制となった翌75年の『The Heat Is On』は、弟たちが曲作りにも力を発揮してカヴァー曲を排し、ついにR&B/ポップの両アルバム・チャートを制覇した。後にパブリック・エネミーが同名曲を出す“Fight The Power”では、“Bullshit is going down”というストレートかつ強烈なメッセージを発信されているのに驚く。作詞をしたアーニーは“nonsense”と書いたのだが、それでは生易しいと感じたロナルドが、録音時に急遽“bullshit”に変えて歌ったとのことだ。初めてかどうかはわからないが、この時期に“bullshit”という言葉が歌詞で歌われるのは異例。そしてそのロナルドの本気がみなぎる歌を、クリスのクラヴィネットのバッキングが熱く盛り上げている。この曲を含めアナログ盤のA面にあたる前半はファンク、B面にあたる後半には、後年サンプリングで大人気となる“For The Love Of You”をはじめとするメロウが収録されており、クリスのアープ・シンセの格調高く甘い音色が加わったメロウは、とろけるような威力を身につけた。なおボーナス収録されている“Fight The Power”のラジオ・エディットでは、やはり“bullshit”にピー音がかぶせられている。

 翌76年の『Harvest For The World』は、クリスのピアノを軸とした壮大な前奏曲で始まる。前作と比べるとファンクの比重は抑え気味で、ヒットしたのも、アーニーのギターともどもスムースな疾走感で駆け抜ける“Who Loves You Better”と、フォーキーなメッセージ・ソングのタイトル曲だ。だがクリスのクラヴィネットによる同じフレーズの繰り返しのバッキングが高揚感を煽る“People Of The Today”や“You Still Feel The Need”など、ヘヴィーなファンクも健在で、この辺りはスティーヴィー・ワンダーの「迷信」や「回想」などの作風がベースになっていそうだ。そしてまどろみを誘う“(At Your Best) You Are Love”をはじめとするメロウともども、音の幅をどんどん広げるクリスの手腕が随所に活かされている。

 続く77年の『Go For Your Guns』ではファンクが盛り返す。ヒットした“The Pride”はEW&Fを意識したようなファンクで、マーヴィンが拙いスラップ・ベースで頑張っているのが愛おしい。もう1曲のファンク“Tell Me When You Need It Again”は、久々に外部のメンバーがアディショナル・キーボードとベースで参加しており、マーヴィンにはまだ無理そうなこなれたスラップなどを加味。またファンク・ロックの“Climbin' Up The Ladder”は、ファンカデリックの“Alice In My Fantasies”が下敷きになっているのは明らかで、アーニーのギター・ソロも、ジミとファンカデリックのエディ・ヘイゼルが混ざり合ったイメージだ。もっともエディもジミの大ファンだったので、3人のプレイにはもともと共通点が多いのだが。一方のメロウも名曲が揃い、特に“Footsteps In The Dark”と“Voyage To Atlantis”の2曲は、神秘的なメロウという新境地を切り開いた。今になって思うと、アイズレーズはドリーム・ポップの先駆者でもあったのかもしれない。

 再度6人体制に戻した78年の『Showdown』も、ファンクとメロウのバランスが取れたアルバムで、前者は“Take Me To The Next Phase”、後者は“Groove With You”という名曲を生んだ。この2曲を聴くだけでも、ロナルド、ひいてはアイズレーズの、ファンクでの力強さとメロウでの繊細さ、その対照的な両者を極めた高い表現力を実感できるだろう。また、多数のカヴァー曲に取り組んでいた頃から一貫して、他者のいいところを自分たちの流儀にあてはめて取り込むことに長けていたアイズレーズだが、この頃は、当時のファンク・バンドが当然のように使っていたホーン・セクションやストリングスを、何故か取り入れていない。アーニーが“Groove With You”のドラムスでハイハットを入れていないことに言及しながら、アイズレーズの場合は「あるものがないところが特徴」と語っているが、その言葉は核心をついている。歌3人、楽器3人でできることに敢えてこだわり、その結果、音数の少ない組み立てでオリジナリティが確立されているのだ。ただアーニーの言葉には、ひと言付け加えて、「あるものがないが、足りないものは何もない」とさせてもらいたい。

 こうしてアイズレーズは自分たちの流儀で、『Live It Up』からの5作を連続してR&Bのアルバム・チャート1位にし、そのうちの4作はポップ・チャートでもトップ10に送り込んだ。この勢いに乗って、79年の『Winner Takes All』は2枚組と大きく出た。1枚目はファンク主体、2枚目はメロウ主体で、細かいところでは、クリスがペンペンした特徴的な音のアレンビックのベースを弾くなどの新しい試みや、フレーズの幅を広げたアーニーのギターの成長といった部分的な変化はあるが、大筋ではこれまでのアルバムの拡大版だ。となると若干の冗長さを免れず、セールス的には後退。そうはいってもアルバムはR&Bチャートで3位、ポップ・チャートで14位だし、3曲のシングルのうち、ファンクの“I Wanna Be With You”はR&Bチャートで1位になっているので、セールスの後退の主な要因は2枚組の高価格だったのだろう。だがディスコの隆盛やエレクトロの発展によって、セルフ・コンテインド・バンドによるファンクの時代の終焉が徐々に近づいていた、という背景も、じわじわと影響を及ぼし始めていたのかもしれない。

 いずれにせよ次作、80年の『Go All The Way』は1枚組に戻し、ファンクとメロウをほぼ交互に収録。さらにこれまで先行シングルはファンクと決まっていたが、今回はメロウの“Don't Say Goodnight”を選択した。この曲が“It's Your Thing”以来のR&Bチャート連続4週1位となり、その人気に引っ張られて、アルバムもこれまでで最高のR&Bチャート連続5週1位を記録、前作でのつまづきを帳消しにした。メロウを前面に出した背景には、AORやクワイエット・ストーム人気の高まりがあるのだろうが、骨太のファンクも、とろけるようなメロウも、どちらも独自の流儀で超一流のレベルに高めていたアイズレーズだからこそのなせる業だ。

 このタイミングで、これまでのヒット曲をライヴ用のアレンジでスタジオ録音した擬似ライヴを2枚組で出したいと考え、アイズレーズはドラマーとパーカッション奏者を迎えて『Wild In Woodstock: The Isley Brothers Live At Bearsville Sound Studio 1980』をレコーディングした。しかしこのアルバムは配給元のCBSから発売を却下されてお蔵入りとなったため、これまでに5曲を除いてボーナス・トラックなどでバラけて発表されてきたが、完全な形で陽の目を見たのは今回が初めてだ。そもそも何故スタジオ録音の擬似ライヴを録りたかったかというと、実際のライヴでは機材の不調や故障、ノイズといった不測の事態が起こりがちだし、一概に悪いこととは言えないが、勢い余って演奏が荒れることもある。そうした可能性を排除した状態で、ベストの演奏を残したかったようだ。冒頭の“That Lady”を聴くだけでも、バンドの力量がオリジナル録音当時とは比べ物にならないほど上がっているのがわかるだけに、彼らがそうした思いを強く持ったことには何の不思議もない。余談ながら、Pファンクも77年のアース・ツアーのリハーサル風景を収めたアルバム『Mothership Connection Newberg Session』を95年に発表しているが、観客のいない空間で、ある程度の冷静さと緊張感を保ちながら、自分たちの演奏とインタラクションの力だけで熱くなるパフォーマンス特有の雰囲気が、私は結構好きだ。人前で披露するためではなく、自分たちで最高の演奏を目指して一丸となって楽しむ、そんな心持ちの演奏の魅力だろうか。だからこのアルバムも、私は大好きだ。

 お蔵入りでつまずいたか、純然たる新作としては2年ぶりとなった82年の『Glandslum』には、時代の変化が明確に感じ取れる。以前のアイレーズは、先行シングルをファンクにするだけでなく、アルバムの1曲目にはファンクを配するのが通例となっていたが、今回は静謐なハープの音で幕を開けるスローが冒頭に配されている。ここに至るまでの80、81年には何枚かのシングルを発売しており、80年末に出したファンクの“Who Said?”がR&Bチャートで20位どまりだったことも手伝って、メロウを主軸とする方針を定めたのだろう。実際にこのアルバムの中でゴリゴリのファンクは、この“Who Said?”のみで、それもアルバムの最後の曲としての収録になった。結局、本作から大きなヒットは出なかったが、そのわりにアルバムはR&Bチャートで3位と健闘している。

 その流れを引き継いで、同年、発表された『Inside You』からは、ジャケットこそ勇ましいが生粋のファンクは姿を消し、アップ・テンポはファンクというよりもディスコ寄りのダンス・チューンとなって、ロナルドもファルセットで歌う場面が多くなっている。そしてスローではクリスのアレンジによるストリングスが全面的に導入され、アルバム全体のイメージがメロウに大きくシフト。またクリスは“First Love”のコーラスをひとりで担うなど、歌にも意欲を見せて、より積極的に関わっている。統一感のある流麗なアルバムだが、ヒットはタイトル曲がR&Bチャート10位となったのが最高で、残念ながらセールスは思わしくなかった。

 そのためか翌82年の『The Real Deal』では、ファンクをエレクトロに衣替えして復活させ、以前のようにメロウとほぼ半々の構成となった。カジノを舞台にしたジャケットも、これまでになくアーバンぽさが漂っており、時代に沿ったイメージの演出に心を砕いた跡が見受けられる。繊細な情感をたたえて美しさを増したアーニーのギターと、ロナルドのシルキー・ヴォイスの饗宴“All In My Lover's Eye”、アーニーが遠慮無く弾きまくる渋いブルース“Under The Influence”などの名曲/名演もあるが、エレクトロ・ファンクのタイトル曲がそこそこヒットしたのみ。時代の変化の中で、ちょっとした不調の連鎖に苛まれるアイズレーズであった。

 そしてTネックからの最終作となる83年のアルバム『Between The Sheets』のジャケットは、真紅の薔薇に寄り添うようなサーモンピンクのシーツ。どちらかといえば無骨なメンバーの姿は裏ジャケットに隠された。音を聴くまでもなく、アーバン&メロウに照準を定めたことが察せられ、実際に本作からは、今でもメロウの名曲として聴き継がれるタイトル曲と、“Choosey Lover”の2曲がトップ10ヒットとなった。甘美な香りを放つサウンド・プロダクションにはクリスの貢献が大きく、ロナルドのシルキー・ヴォイスにはさらに磨きが掛かってトロトロである。そうした中にあって、胸を強烈に揺さぶるメッセージ・ソングの“Ballad For The Fallen Soldiers”は、決してメロウなだけではないアイズレーズの骨太の一面を表わした、面目躍如たる1曲だ。そしてアルバムは久々にR&Bチャートの1位となり、アイズレーズはTネックでの有終の美を飾った。

 本ボックスに収録されたアルバムはこれで全部だ。残念なことに、85年には、ヴォーカル隊の3人によるアイズレー・ブラザーズと、バンドの3人によるアイズレー=ジャスパー=アイズレーに分裂し、それぞれの道を歩み始めることになる。だが86年には長兄のオーケリーが他界、89年にはルドルフが引退して聖職に就いたため、前者で残ったのはロナルドひとり。後者もアルバムを2枚出して88年に解散し、クリスはソロとなり、アーニーも90年に唯一のソロ作『High Wire』を発表、残った4人はバラバラになってしまった。そんなところへやってきたのが先述した再評価の波だ。その波に乗って、ロナルド、アーニー、マーヴィンの3兄弟は再度、結束し、96年にアイズレー・ブラザーズとしての活動を再開。その直後にマーヴィンは持病の糖尿病の悪化で引退を余儀なくされるが、ロナルドとアーニーのふたりはアイズレー・ブラザーズ名義で活動を続けた。

 だが、いい時期は長く続かないのが常。ロナルドは脱税の罪で07年からの3年間、まさかの獄中生活を送ることになる。60代後半とそこそこ高齢だし、以前から腎臓を患っているという報道もあったので心配されたが、無事に刑期を務め上げて10年には釈放されたのがせめてもの救いだ。その直後、長い闘病の末、マーヴィンが他界するという不幸があったが、ロナルドは年内に初のソロ名義で新作『Mr. I』を発表。これまでずっと兄弟とともにアイズレー・ブラザーズを名乗ってきたが、デビューから50年以上のキャリアを経て、健在の兄弟も少なくなったところでの初ソロ名義作ということで、若干の寂しさを感じさせるものの、世界はロナルドの元気な復活に湧いた。続く13年の『This Song Is For You』が、現時点でのロナルドの最新作で、近況はこの記事の冒頭に書いたとおりだ。

 というわけで、このボックス、もし1枚も持っていなければ完全にお買い得だし、仮に半分近く持っていても一考の余地があるのでは。ライナー邦訳には知らないことがたくさん書いてあったし、時系列に添って1枚ずつ聴き進んでいくのは単純に楽しく、つい盛り上がってこんな長編記事を書いてしまったくらいだ。

日本のロック、がんばってくれ! - ele-king

 弊紙ではHocoriのインタヴューを掲載したことが記憶に新しい。時宜を得た“トレンディ”なスタイルのポップ・ソングを、映像表現においても現シーンの前線で活躍するプロデューサー関根卓史とともに、軽やかに、楽しげに追求する桃野陽介。とくにその歌唱スタイルには、テレビとCDの時代を過ぎてもまだ脈々と受け継がれる、「J-POP」の生命が力づよく息づいている。tofubeatsらしかり、むしろ今日においてますますJ-POPの参照性が高まっていることを象徴する存在のひとりだ。
 その桃野がフロントマンを務めるバンド、モノブライトの方に新しい動きがあったようだ。体制をあらためてのワンマン・ライヴが、来年1月に開催となる。メンバーそれぞれによる旺盛なソロ活動からのフィードバックに期待が集まる。

 今年6月に瀧谷翼(Dr)の脱退を受けたツアーを実施した後、その動向に注目が集まっていたロック・バンド、モノブライトがついに沈黙を破る。
 新体制となって初のワンマン・ライヴとなる『モノブライト LIVE 2016 bright eyes』が来年、1月11日(祝)大阪・梅田CLUB QUATTRO、1月17日(日)東京・渋谷CLUB QUATTROにて開催されることがオフィシャルサイトにて発表された。

 モノブライトは2006年に桃野陽介(Vo / Gt)[モモノヨウスケ]を中心に、松下省伍(Gt)[マツシタショウゴ]、出口博之(Ba)[デグチヒロユキ]らと共に北海道の専門学校時代の同級生で結成され、2007年にメジャー・デビュー。2013年にリリースされたオリジナル・アルバム「MONOBRIGHT three」を筆頭に、オリジナル・アルバムとしてはこれまでに6作品を発表。2014年にはZepp Tokyoでのワンマン・ライヴも開催。今年6月のドラムの瀧谷翼が脱退後は、それぞれにソロとして精力的に新しいフィールドで活動しながら、並行して水面下で新境地を追求した新作のレコーディングも進められていた。年明けに行われる、今回のライブのタイトル『bright eyes』には、Art Garfunkelの名曲“Bright Eyes”と、90年代を代表するシンガーソングライターConor Oberstが在籍するバンド名より、桃野陽介(Vo / Gt)が付けたタイトルである。バンド結成から10年めを迎えようとする中で、これまで数多くのサプライズを、音楽を通して巻き起こしてきたモノブライトが示す『bright eyes』とは、はたして。

 なお、この公演のチケット最速先行もスタートしている。リニューアルされたバンドのオフィシャルサイトにて10月21日(水)23時まで受付中だ。モノブライトの新章は、新年のクアトロからはじまる。

■モノブライト PROFILE
2006年に桃野陽介(Vo / Gt)を中心に、松下省伍(Gt)、出口博之(Ba)の北海道の専門学校時代の同級生で結成。UKロックシーンを背景にした、感情と刹那がたたずむ音像は桃野陽介というシンガーソングライターの手によって、ひねくれポップロックへと変遷していく。その象徴ともいえる作品、「未完成ライオット」で2007年にメジャーデビュー。これまでオリジナルフルアルバムとしては2013年にリリースされた「MONOBRIGHT three」などを筆頭にして6作品を発表している。さらに、精力的なライブ活動と共に2014年にはZepp Tokyoでのワンマンライブも開催。2015年メンバーのソロ活動を経て、同年10月に新体制で新境地を目指す。

■「モノブライト LIVE 2016 bright eyes」
2016年1月11日(祝) 梅田 CLUB QUATTRO
2016年1月17日(日) 渋谷 CLUB QUATTRO

OPEN 17:15 / START 18:00  ※両公演共通

【TICKET】
前売 ¥3,500 / 当日 ¥4,000(DRINK代別)
オフィシャルサイト先行受付期間:10月15日(木)21:00~10月21日(水)23:00まで
オフィシャルサイト先行URL:https://eplus.jp/monobright-2016hp/
★一般発売:11月28日(土)10:00~

■楽曲
「MONOBRIGHT three」
発売日:2013年11月13日
品番:ASCU-6100
価格:¥2,381(tax out) 9曲入りfull Album

■関連リンク
オフィシャルサイト https://www.monobright.jp/
オフィシャルYouTube CHANNNEL https://www.youtube.com/channel/UC0hpHTHCkLsmCiGdjIXo1sQ
オフィシャルTwitter https://twitter.com/monobright_mo(@monobright_mo)
オフィシャルFacebook  https://www.facebook.com/monobright.mo

interview with Yppah - ele-king


Yppah
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 筆者が初めてイパの音楽を聴いたのは、セカンド『ゼイ・ノウ・ワット・ゴースト・ノウ(They Know What Ghost Know)』(2009)が出た頃で、当時はエレクトロ・シューゲイズと謳われていた。ノイズ+疾走感+甘いメロディというシューゲイズ・ポップの黄金律が、穏やかなエレクトロニクスと清新なギター・ワークによってほどよく割られていて、同種のタグの中で比較するなら、ハンモックよりもビート・オリエンテッド、ウルリッヒ・シュナウスよりもミニマル……とてもバランスも趣味もいいという印象のプロデューサーだった。チルウェイヴの機運もまさに盛り上がろうというタイミングで、そうした時代性とも響き合うアルバムだったと記憶している。

 そうしたバランスのためでもあるだろう、後年『ラスベガスをぶっつぶせ』『CSI: 科学捜査班』など、映画やドラマ、ゲームなどに使われる機会も増えたようだ。そもそもサントラを作ってみたくて音楽制作をはじめたというから、イパことジョー・コラレス・ジュニアにとって、その約10年にわたるキャリアは理想的な歩みだったとも言える。

 そして4枚めとなる『タイニー・ポーズ』がリリースされた。本作を特徴づける一曲を挙げるならば、“ブッシュミルズ(Bushmillls)”だ。それは彼がフェイバリットのひとつだと語るカリブー(マニトバ)の『アンドラ(Andorra)』(2007)を彷彿させ、ブロードキャストや、あるいはソフトサイケの埋もれた名盤といった趣を宿し、ドゥンエンの本年作の隣で、ハイプ化したテーム・インパラよりも一層奥のサイケデリアを引き出してくる。
 彼のドリーミーさ甘美さは砂糖ぐるみなのではない、それはもうちょっと深いところにある情感から生まれたものだ。そして年齢や経験とともに彼はより自然な手つきでそれを引き出すようになった──のではないか。本作はその意味で成熟したイパを示しており、前作『81』でやや野暮ったく感じられたパーソナルな感触を完全に過渡期のものとして、その先の音とスタンスをポジティヴに描き出している。以下語られている犬の影響というのは……よくわからないけれども。

■Yppah / イパ
イパことジョー・コラレス・ジュニアによるソロ・プロジェクト。2006年のデビュー・フル『ユー・アービューティフル・アット・オール・タイムズ(You Are Beautiful At All Times)』以降、これまでに〈ニンジャ・チューン(Ninja Tune)〉から3枚のアルバムをリリース。映画『ラスベガスをぶっつぶせ』やゲーム『アローン・イン・ザ・ダーク』、連続テレビ番組『ドクター・ハウス』『CSI: 科学捜査班』などにも楽曲が起用されるほか、世界ツアーなど活動の幅を広げている。

カリフォルニアに越してきてから犬を飼いはじめたんだけど、彼らはこのアルバムのライティングのプロセスに大きく影響していてね(笑)。

前作はもう少しアンビエントなものだったと思います。『81』という生まれ年をタイトルに据えた、パーソナルな内容でしたね。今回はその意味ではどんな作品でしたか?

イパ:新作は、前作の続きのような作品なんだ。類似点がたくさんあると思う。2つの作品のちがいは、前回のほうはもっと純粋で感情的だったけど、今回はもっとディテールにこだわっているところかな。もっと内容が凝縮されているんだ。

いったいどういう点で「小休止」だったのでしょうか?

イパ:これは、犬に餌をやるときに使う「待て」の意味だよ。カリフォルニアに越してきてから犬を飼いはじめたんだけど、彼らはこのアルバムのライティングのプロセスに大きく影響していてね(笑)。家で作業してるから、制作中、ずっと犬たちと過ごしていたんだ。
 彼らとすごしていることでサウンドに影響があるわけではないけど、作っている間、彼らにずっと囲まれていたから、そういう意味で影響を受けてるんだよ。製作期間の大半を犬たちと過ごしていたから、そのタイトルにしたんだ。

たとえば『ゼイ・ノウ・ワット・ゴースト・ノウ(They Know What Ghost Know)』(2009)などには見られたフィードバック・ノイズや、いわゆる「シューゲイザー」的な表現は、その後、音の表面にはあまり出てこなくなりましたね。イパというのはあなたにとってそもそもどういうユニットなのでしょう?

イパ:たしかにそうだね。このアルバムでは、雰囲気が前回よりももっとコントロールされているから。イパは僕のお気に入りのプロジェクトで、そうやって自由に変化を加えられるところが魅力なんだ。決まった方向性がないからこそ特別。何も考えずに、楽器を触ることから自由に曲作りをはじめることができる。そこから自分が好きなサウンドが生まれるまでライティングを続けるんだ。それがイパというプロジェクトのテーマ。考えすぎずに、直感に任せるんだよ。その過程で良いサウンドが生まれたら、そこからいろいろと考えていく。そうすることで、自分が聴いていて心地のいい音楽が作れるんだ。

(通訳)今回、その自由なプロセスの中でサウンド的に変化した部分は?

イパ:ほとんど同じだと思う。少しテンポが早いものを好むようになったり、アンビエントなサウンドをもっと広げていったというのはあるかもしれないね。ギターのグライムっぽいエッジーなサウンドをより好むようになったのもあるかもしれないし。あとは、さっきもいったようにもっとまとまりのあるサウンドを意識するようになったのもその一つだと思う。サウンドや曲同士にもっとつながりがあるんだ。

この2年、ギアをたくさん買いはじめて、それを使ってサウンド・デザインをするようになったんだけど、それを曲に使えたらとずっと思っていたんだ。

サウンド・プロダクションについて、とくに今回こだわったり気をつけた部分はありますか?

イパ:この2年、ギアをたくさん買いはじめて、それを使ってサウンド・デザインをするようになったんだけど、それを曲に使えたらとずっと思っていたんだ。サンプルしたり、レコーディングしたエレクトロニック・サウンドのまわりに生の楽器のサウンドを重ねていくっていうのが主なやり方だった。だからこそアルバムが完成するまでに時間がかかったのさ。サウンドを作る中でいろいろな変化や発見があったから、なかなか方向性が定まらなかったんだ。

“ブッシュミルズ(Bushmillls)”のヴォーカルはあなた自身ですか? 声や歌を楽曲に用いるときの基準を教えてください。

イパ:そう。前よりは自分の声を評価するようになったけど、やっぱりまだ自分の声は好きにはなれないな(笑)。基準はとくにないね。声や歌を使いたいと思う時には自分が欲しいサウンドが決まっているから、エフェクトを使ってそれを作るようにしているくらい。いまではいろいろなエフェクトがかけれるし、自分がいいと思えるものができあがるまでに時間がかかることもあるけどね。

ジャケに使われている絵の作者、パット・マレック(Pat Marek)は、物事や生命の断面を象徴的に表すような作品を多く描かれていますね。彼の絵を用いようと考えたのはなぜですか?

イパ:彼から僕にコンタクトをとってきて、自分のアートワークを僕の音楽に使う気はないかと訊いてきたんだ。で、僕もアートワークが必要だったし、彼の作品集を見てみたら素晴らしかったから、彼にデザインしてもらうことにした。彼から連絡があったのは、2年くらい前の話。彼にアルバムの制作過程や音、犬の話をしたんだけど(笑)、よく見ると、すごく抽象的だけどアルバムのアートワークの中にはさっき話した犬が描かれているんだ。ソング・タイトルや音、制作環境の雰囲気、僕が話したことを、彼が抽象的に表現してくれたのがあのアートワーク。ヴァイナルに印刷されたあのデザインを見るのが楽しみだね。

エイフェックス・ツインが昨年の新作以来元気に活動していますね。エイフェックス・ツインはあなたにとって重要なアーティストですか?

イパ:エイフェックス・ツインは大好き。彼の作品はつねに聴いているよ。おもしろいのは、彼の作品って家でじっくりと座って聴くわけではないんだけど、彼のプロダクション技術からは大きく影響を受けているんだ。僕の音楽の中のグリッチっぽい部分は、彼からの影響だね。

新作を聴かれていたら感想を教えてください。

イパ:聴いたよ。あまり言いたくないけど、正直少しガッカリしたんだ。もう少しアイディアが詰まっていてもいいんじゃないかなと思った。人の作品のことをインタヴューで批判するのはあまりいいことではないし、僕にとやかく言う筋合いはないけど(笑)、僕の感想はそれ。アルバムを聴く前に新作のシングルを聴いた時はすごく興奮したんだよね。すごくいいアルバムになるんだろうなと思った。ああいう曲をもっと収録したらいいのにっていうのが正直な意見だけど、僕の期待がきっとみんなの期待とちがっているんだろうな。

では、ボーズ・オブ・カナダでいちばん好きな作品と、好きな理由などを教えてください。

イパ:どれだろう……それぞれに魅力があるから……難しすぎて答えられないよ(笑)。すべてが好きだから、一枚は選べない。どうしてもって言われたら、『キャンプファイア・ヘッドフェイズ(The Campfire Headphase)』(ワープ、2005)って答えるべきだろうな。好きなトラックがいちばん多く入ってるから。

(通訳)彼らの魅力とは?

イパ:彼らの音楽はずーっと聴いてる。彼らのサウンドって、シンプルだけどすごくいいと思うんだ。あと、僕にとって、エレクトロニック・アーティストでいまだにミステリアスだと思うアーティストはあまりいないんだけど、彼らにはまだミステリアスな部分がある。彼らのローファイなヴィジュアルも魅力的だし、とくにヴィデオなんかはすごくおもしろいと思うね。あのランドスケープや質感にはインスパイアされているんだ。

ロングビーチに住んでいるといつだって外に出られるし、家の外にいることをエンジョイできる。サーフィンもするようになったし、そういうのも影響していると思うよ。

現在の活動拠点はカリフォルニアですか? カリフォルニアの風土やカルチャーから受けた影響はありますか?

イパ:そうそう。ロング・ビーチに住んでるんだ。テキサスの暑さに耐えられなくて(笑)。夏の間に外にいられるっていう環境は影響していると思う。ヒューストンは、夏は暑すぎて外に出ていられないからね。ここに住んでいるといつだって外に出られるし、家の外にいることをエンジョイできる。サーフィンもするようになったし、そういうのも影響していると思うよ。開放感があるから、より多くのものにインスパイアされるようになったんじゃないかな。

以前、カリブーの『アンドラ(andra)』(マージ、2007)に影響を受けているとおっしゃっていたのを読んでとても納得できました。エレクトロニックなんですが、根底にサイケデリック・ロックを感じさせます。あるいは『アンドラ』がそうであるようにクラウトロック的なトラックもありますね。あなたにとってのカリブーという存在についても語ってもらえませんか?

イパ:『アンドラ』は僕のお気に入りで、大きなインパクトを与えてくれた作品なんだ。そのアルバムのパフォーマンスを見たんだけど、そこで彼は、僕がやりたいと思っていたことをたくさんやっていて、それが刺激的だった。エレクトロと生楽器をミックスしたりね。いまでこそいろいろなギアなんかが出てきてそこまで難しくないのかもしれないけど、当時は「ワーオ! どうやってエレクトロのプログラムを楽器とつなげているんだろう!?」って衝撃だったんだ。彼は博士号も持っていて、ピアニストでもあって、とにかく何でもできる。僕も彼みたいだったらいいのにな(笑)。

テキサスといえばサーティーンス・フロア・エレヴェーターズ(13th Floor Elevators)ですが、テキサスのサイケデリック・ミュージックに思い入れがあったりしますか?

イパ:彼らのファンでもあるし、影響は大きく受けてるよ。シューゲイズの部分もそうだし、あのドリーミーな部分が好きなんだ。そのあたりは自分の音楽にも取り入れようとしている要素だね。

あなたの音楽を「シューゲイザー」と呼ぶかどうかは別として、あなたはそのように呼ばれる音楽に興味を持ってこられたのですか?

イパ:いまもそういったヘヴィーでサイケデリックな作品を好んで聴いているよ。僕が初期に受けた影響だしね。

そうだとすれば、どのようなアーティストが好きですか?

イパ:ライドはもちろんそうだし、ポスト・パンクのアーティストたちも好きなんだ。ヴァン・シーもシューゲイズっぽいところがあると思うし、スロウダイヴも好きだね。ジーザス・アンド・メリー・チェインも。あとは……スペースメン・3からも大きく影響を受けてるよ。



変化というより、今回の新作は初期に戻っている感じがする。

最初のアルバムである『ユー・アー・ビューティフル・アット・オール・タイムズ(You Are Beautiful At All Times)』(2006)からいままでで、制作環境におけるいちばんの変化を挙げていただくとすれば、どんなことですか?

イパ:うーん、変化というより、今回の新作は初期に戻っている感じがする。最初のアルバムのときはレコードをサンプルしていて、そのサウンドを使ってアンビエントな雰囲気を作り出していた。で、いまはそういうサウンドはおもにシンセで作っているんだ。モジュラー・シンセサイザーを使って、そのサウンドをサンプルしてる。だから、変化というよりは初期に戻った感じがするんだよね。すごく似ていると思う。まあ、内容はもちろんちがっているけど、メインの要素はある意味で原点回帰しているんじゃないかな。

ちょうどキャリアがもう少しで10年に差しかかろうとしていますね。この10年の間に、20代から30代へという変化も迎えられたと思いますが、アーティストとしてその変化をどのように受け止めていますか?

イパ:そうなんだ。気づいたらって感じ(笑)。変化は、ジャンルを考えなくなったことだね。前は、エレクトロの要素を使ったロック・アルバムを作りたいとか、そういう考え方をしていたけど、いまはただ、エレクトロの要素を使っておもしろいアルバムを作りたいというふうに考えるようになった。いまの時代、音楽が混ざり合っているのは当たり前だし、いろいろなアプローチをとることができるしね。

ギターはあなたの音楽の重要なキャラクターだと思いますが、ギターをつかわないイパのアルバムは考えられますか?

イパ:イエス。たまにリミックスをするんだけど、リミックスする作品の中には、シンセがメインでまったくギターが使われていないものもある。そういう作品を聴くと、自分もギターを使わない曲を使ってみてもいいかもしれないなって思うね。

(通訳)すでに作ったことはあります?

イパ:あるよ。いま作業しているプロジェクトがあって、それがミニマル・ウェーヴっぽいんだけど、いまのところギターは使っていない。だから、使わないまま進めていこうかと思ってるんだ。

(通訳)サウンドはやはりぜんぜんちがいます?

イパ:もちろん。やっぱりよりダークになるよね。80年代のミニマル・ウェーヴサウンドって感じ。でも、コピーしようとしてるんじゃなくて、そういう要素を使おうとしてるだけなんだ。

音楽を作りはじめたきっかけのひとつが映像だからね。映画のサウンド・トラックを作ってみたくて音楽制作をはじめたんだ。

曲のメイキングとしては、もしかすると弾き語りが原型となっていることも多いでしょうか?

イパ:いや、時と場合によるよ。モジュラー・シンセからはじめるときもあるし、他のものからはじめるときもある。でも大体は、雰囲気作りからはじめるかな。質感を決めたり、そこから曲作りをはじめるんだ。サンプルを使うときなんかは、サウンドはほとんど偶然に生まれるものばかりだしね。そうやって生まれたサウンドや雰囲気にインスパイアされながら、曲作りを進めていくんだ。

音楽以外で、たとえば本や映画など、この1年ほどの間でおもしろいと感じたものがあれば教えてください。

イパ:僕は映画や映像が大好きだから、フィルムに影響されて音楽を作ることが多い。おもしろいと思ったものは、タイトルさえもないビデオクリップとか、そういう作品だね。サーフィンのビデオ・クリップとか、スケボーのビデオ・クリップとか。そういったものをインターネットで見つけるんだ。ボーズ・オブ・カナダのローファイなイメージにも影響されてる。そういう映像を見ると、曲を書きたくなるんだよね。クレイジーなアーカイヴ映像の時もある。たまに、自分の50年代とか60年代の先祖のファミリー・フィルムをアップロードしている人なんかもいてさ。そういうのってすごくクールだし、見るのが大好きなんだ。

映像に音をつけることに興味はありますか? なにか音をつけてみたいと思う作品を挙げてもらえませんか?

イパ:もちろん。音楽を作りはじめたきっかけのひとつが映像だからね。映画のサウンド・トラックを作ってみたくて音楽制作をはじめたんだ。音をつけてみたい作品はたくさんあるけど、いま関わっているプロジェクトでは、アパートの中にいる人たちが、外で何か起こっているけどそれが何なのかわからなくて、でも確実に殺人が起こっている、みたいな……(苦笑)。シリアスではないダーク・コメディの映像に乗せる音を作ろうとしているところ。おもしろくなるだろうな。作るのが楽しみなんだ。あとは……わからないな。ロマンティック・コメディみたいな映像にはあまり興味がないね。もっと、ホラー・ドラマっぽい作品がいい。ホラーだと、いい意味で真剣に曲を作れるからさ。

アルカ(Arca)新作は11月! - ele-king

 アルカ。
 自主リリースのミックステープ『&&&&&』が話題となって、あれよという間にほぼ無名ながらカニエ・ウェストの『イールズ』に5曲参加、立て続けにFKAツイッグスのプロデューサーとしても『EP2』『LP1』とメモリアルな作品を残し、契約争奪戦の上で〈ミュート〉とのサインにいたり、傑作『ゼン』をリリース、今年はビョークのアルバム『ヴァルニキュラ』を共同プロデュースした、あのアルカだ。

 彼(女)の新作リリースが決定した。

 ポスト・インターネットを象徴し、アンダーグラウンドが時代とメジャーを動かすことを鮮やかに示してみせた彼(女)が、次のステージで表現するものは何か。自らのルーツや環境、社会的なコンフリクトと向かい合った上で踏み出される、その第2歩めに期待が高まる。

 「『ミュータント』は、デビュー・アルバム『ゼン』が内省的な作品だったのに対して、外に開かれ、そしてより大胆な作品となった」 プレス・リリースより

 制作上のパートナーとして、ヴィジュアル面を全面的に手掛ける鬼才ジェシー・カンダも、もちろん今回も切れっきれである。まずは新作ヴィジュアルと最新アー写、そして新作MVをお届けしよう。

■新着ミュージック・ヴィデオ「EN」

 我々の前に現れた突然変異(ミュータント)。デビュー作をはるかに圧倒する作品完成!
 昨年リリースされたデビュー・アルバム『ゼン』の尖鋭性、ビョーク、カニエ・ウェストやFKAツイッグスのプロデュース、奇妙で美しいヴィジュアル・アートとの融合作品…全世界に衝撃を与えたこれらの作品はアルカの才能のほんの序章だった。
 デビュー・アルバムから1年、アルカは、ミュータント(突然変異)というタイトルのセカンド・アルバムを早くも完成させた。まさに溢れ出るほどの才能が一気に解放されたような作品だ。

 デビュー作で末恐ろしい24歳と評され、時代の寵児となったアルカ、その今後の作品への可能性は、どきどきさせるようなものだった。そして本作はその通りの作品となった。
 デビュー作を下敷きとしながら、音楽的豊潤さ、表現力、全てにおいて圧倒している。そして彼はこれだけのことをやりながらも、まだ25歳ということも末恐ろしい。今作は全てにおいてレッド・ゾーンに突っ込んだようだ。

 発売は11月18日。

■アルカ / ミュータント
発売日:11月18日 日本先行発売 (海外:11/20)
品番:TRCP-190
JAN:4571260584884
定価:スペシャル・プライス2,100円(税抜)
ボーナス・トラック収録
解説: 佐々木渉(クリプトン)

■アルカ
アルカ(ARCA)ことアレハンドロ・ゲルシ(Alejandro Ghersi)はベネズエラ出身の24歳。現在はロンドン在住。2012年にNYのレーベルUNOよりリリースされた『Baron Libre』,『Stretch 1』と『Stretch 2』のEP三部作、2013年に自主リリースされたミックステープ『&&&&&』は、世界中で話題となる。2013年、カニエ・ウェストの『イールズ』に5曲参加(プロデュース:4曲/ プログラミング:1曲)。またアルカのヴィジュアル面は全てヴィジュアル・コラボレーターのジェシー・カンダによるもので、2013年、MoMA現代美術館でのアルカの『&&&&&』を映像化した作品上映は大きな話題を呼んだ。FKAツイッグスのプロデューサーとしても名高く、『EP2』(2013年)、デビュー・アルバム『LP1』(2014年)をプロデュース、またそのヴィジュアルをジェシー・カンダが担当した。2014年、契約争奪戦の上MUTEと契約し、10月デビュー・アルバム『ゼン』 (“Xen”)をリリース。ビョークのアルバム『Vulnicura』(2015年)は、ビョークと共同プロデュースを行い、その後ワールド・ツアーのメンバーとして参加した。2015年11月、2ndアルバム『ミュータント』リリース。

■ジェシー・カンダ
アルカのヴィジュアル・コラボレーター。アルカが14歳の時、とあるアーティストのオンライン・コミュニティーで知り合って以来の仲。「ジェシーと僕は知合ってからもう相当長いからね」とアルカが説明する。「何か疑問点があったとして、僕が音楽面でその疑問点をそのままにしてると、ジェシーがビジュアルでその答えを出してくるんだよね。ジェシーがそのままその疑問に映像で答えを出してなかった時は、それは音楽で答えを出すべきだ、という事だと思うんだ」。本作のアートワークもジェシー・カンダが担当。その加工されたヴィジュアルに関して「それは作品自身の内部で起こってる事を反映したもの」by ジェシー・カンダ。
https://www.jessekanda.com/

■ディスコグラフィー
1st AL『ゼン』(Xen) (2014年) TRCP-178 (TRCP-178X: HQCD仕様として2015年3月に再発)
2nd AL 『ミュータント』(Mutant) (2015年) TRCP-190

■デビュー・アルバム『ゼン』まとめ。
[Visual] https://bit.ly/1UUmQTd
[特集記事] https://bit.ly/1Dzi7iw

■リンク先
https://www.arca1000000.com
https://soundcloud.com/arca1000000
https://www.facebook.com/arca1000000
https://twitter.com/arca1000000
https://instagram.com/arca1000000
https://mute.com
https://trafficjpn.com

■公開中のミュージック・ヴィデオ「Soichiro」 *「Soichiro」とはジェシー・カンダのミドル・ネーム


Idjut Boys - ele-king

 ディスコ・ダブのパイオニアであるイジャット・ボーイズが今月末から11月上旬にかけて日本ツアーを敢行する。今年8月に〈スモールタウン・スーパーサウンド〉からリリースされた最新作『ヴァージョンズ』は、2012年に同レーベルから発表した『セラー・ドア』を換骨奪胎、ダブ・アレンジをしたもので、90年代より続くふたりのキャリアに裏打ちされた傑作だ。
 現在、ノルウェイ〈セックス・タグス〉のDJフェット・バーガーとDJソトフェットらの活動によって、再評価がされているディスコ・ダブだが、今回の来日ツアーはそのサウンドを理解する上でよい機会になるだろう。

Idjut Boys Japan Tour 2015
- new album "Versions" release party -

10.30 (金) 岡山 Yebisu Ya Pro
Info: Yebisu Ya Pro https://yebisuyapro.jp

10.31 (土) 大阪 Studio Partita (名村造船所跡地)
Info: CCO クリエイティブセンター大阪 https://www.namura.cc
CIRCUS OSAKA circus https://circus-osaka.com

11.2 (火/祝前日) 東京 CIRCUS Tokyo
Info: CIRCUS TOKYO https://circus-tokyo.jp

11.6 (金) 浜松 Planet Cafe
Info: Planet Cafe https://www.club-planetcafe.com

11.7 (土) 札幌 Precious Hall
Info: Precious Hall https://www.precioushall.com

11.8 (日) 江ノ島 OPPA-LA
Info: OPPA-LA https://oppala.exblog.jp

Total Tour Info:
AHB Production https://ahbproduction.com

calentito:
https://bit.ly/1N2w6ms

映画会社で働いていたDanと、サボテン農場で働いていたConradが出会い、Idjut Boysを結成。2人はパブやレストランでPhreekという名前のパーティーを始め、そのパーティーはその後、U-Star Dance Partyとなった。パーティーU-Star Dance Partyをそのままにレーベル名に使用し、1994年にはレーベルU-STARが立ち上がった。ダンスミュージックへの強い愛情をライブ感覚溢れたダブ処理とユーモアによって昇華した彼らの作品は、単なるリコンストラクトに留まらないオリジナリティーに満ちており、”Dub- Disco”なスタイルを確立。DiscfunctionとNOIDというレーベルも始動させ、また2000年以降はcottageとDroidというレーベルを立ち上げ、それらのレーベルを通じて素晴らしい才能達をリリースした。そんなIdjut BoysのDJスタイルとは、巧みなミックスと創造性溢れる選曲で構成されるmadでグルーヴィーなダンスパーティーである。2011年、Idjut Boysとしての初のオリジナルアルバム『Cellar Door』をSmalltown Supersoundより発表。2014年、大阪の盟友Altzが主宰するALTZMUSICAからドーナツ盤”World 1st Day”をリリース。2015年9月には『Cellar Door』をまるまるダブ化したダブ・アルバム『Versions』をリリース。今回はそのアルバムリリースツアーとしての来日が決定した。


WIRED CLASH - ele-king

 日本最大規模のテクノ・パーティのワイヤーとクラッシュのコラボレーション・イベント、ワイヤード・クラッシュの開催が今月24日に迫るなか、リッチー・ホゥティンやレディオ・スレイヴらスターDJに加えて、さらに石野卓球とケン・イシイがB2Bで出演することが発表された。長年日本テクノ代表を務めてきたふたりの共演を、是非スタジオ・コーストの音響で。DJソデヤマといった先鋭的なプレイヤーから、東京のローカルで活躍するスンダまで実に多彩な顔ぶれが揃っており、4つのステージを往復するのに忙しくなりそうだ。詳細は以下の通り。


interview with Albino Sound - ele-king


Albino Sound
Cloud Sports

Pヴァイン

ElectronicAmbientTechno

Amazon

 それはどこで鳴っている?
 それは25年前なら、ウェアハウスや小さなクラブだった。それは30年前ならベッドルームだった。それは35年前ならライヴハウスだったかもしれない。ま、インターネットの共同体でないことはたしかだろう。
 で、それはどこで鳴っているんですか?
 アルビノ・サウンドはしばし考える。
 「……現実と明らかに乖離しているもの」と彼は重たい口を開く。
 なんですか、それは? ファンタジー?
 「ファンタジーとも違いますね。やっぱり現実が剥離しているというか。剥がされて浮いている1枚、みたいな」
 それをファンタジーというのでは?
 「それがファンタジーになる場合もあるし、もっとものすごい虚構というか彼岸みたいなというか……説明が難しいんですけど、僕は剥離感と呼んでいます」

ぼくがいろんな音楽を聴き出した10代の頃は、東京のシーンって完成されていたんですよね。で、そういうところに変な違和感があったんです。外から耳に入ってくるものと、生きている近くで起きていることの状況があまりにも違い過ぎていて、その間の隙間だったり不在感が自分の音楽のルーツになるんだと思います。

 東京で生まれ、横浜で育った彼は、10代のときにポストロック、レディオヘッド、そしてクラークやボーズ・オブ・カナダの世界にどっぷりはまっていた。深夜のTVから流れるエレクトロニカに耽り、そして学校で音楽の話題を共有できる友人もなく、ただ黙々と聴いていた……という。
 そして、17才の時の2004年の『スタジオ・ヴォイス』の特集に人生を狂わされる(松村正人が知ったら喜ぶだろう)。彼は、カンを知り、アーサー・ラッセルを知った。この頃は、ちょうど紙ジャケ再発が盛んな時期だったこともあって、ひと昔前なら聴くことさえ難しかったそれらの音源との距離は縮まっていた。

「とにかくアーサー・ラッセルにハマって、『ワールド・オブ・エコー』(1986年)がとくに好きになりました。ポストパンクにいったりとか、それこそニューエイジ・ステッパーズやディス・ヒートに夢中になって、最終的にクラウトロックにたどり着きました。ぼくはもともとは、クラブ・ミュージックではないんです。ひとりでギターを使ってドローンとかアンビエントとかをやっていたんですね」

「思春期の頃は、ポスト・カルチャーが蔓延していたというか、なんでも“ポスト”がつく世のなかだった。結局はエレクトロニカという言葉もそうですし……」
 いわゆる細分化ですね。
「そうです」 
 苛立ちを覚えましたか?
「世代的に虚無感が支配していたので、ロスト感で生きていたところはあります(笑)」

  話は逸れるけれど、アーサー・ラッセルの再評価は、この細分化の初期段階のときはじまっている。ぼくは、90年代末のUKで起きた再評価によって彼のことを知るが、彼の再発がレコ屋に出はじまめのが2003年以降である。
 ラッセルとは、ジャンル音楽家であることを拒んだ何でも屋で、つまり、シーンが分断されていても越境的な個によって回路は生まれ得ることを証明した人物とも言える。松村正人がディスコで踊ることはない。しかし、ラッセルは踊ってしまった。

 もっとも、ぼくが若い頃はシンプルに出来ていた。ロックのスター崇拝の文化やホワイティー一辺倒な世界観への違和感がそのままクラブ・カルチャーへの情熱に転換されたと言っても良い。好きなのは音楽、主役はリスナー。高い金払ってスターを崇めるくらいなら自分たちでやれ。その実践の場がクラブだったので、たとえどんなに実験をやっても、重箱の隅ばかりを見せびらかすマニアによる支配はなかったし、ふだん出会うことのない人たちが出会うことができた。重要なことは、踊れるか、ないしは何かを感じさせてくれるか、ないしは、いままで感じたことのない感情に直面させてくれるのか、そのいずれかだろう。
 細分化後の世界のつまらなさとは、周辺だけで完結してしまうところであり、周辺小宇宙群を突破するダイナミズムが、いまのマージナルな文化にもあって欲しいとぼくは思うのだが、レッドブルを何杯飲んでも無理だろう。が、アルビノ・サウンドは、そのヒントは「カンとクラスターにある」と主張する。そうか、クラウトロックか……。

 彼が打ち込みの音楽をやる契機となったのは、マウント・キンビーだという。マウント・キンビーは、ダブステップ以降のクラブ・サウンドにIDMを折衷したことで、一世を風靡した連中である。ぼくも彼らが出てきたときは興奮した。

「とくにライヴにやられました。ライヴでは彼らは歌うけど、その歌が下手じゃないですか(笑)? 完璧じゃないけど、彼らが向き合うなかで出てくるエモさに、がっちりと掴まれてしまいました。ぼくは彼らのエモなところに感動したんです。ああいうインディ・ロック的なユース感はマウント・キンビーにありますよね。“メイビーズ”とか。曲によりけりですけどね。あとはあの疾走感ですかね。とにかく、マウント・キンビーと出会うまで、家でひたすらパン・ソニックを聴いているような生活だったので(笑)」

「彼らはクラブ・ミュージックがやりたかったわけではなかっただろうし。おそらくですけど、ソフトの値段が下がって、ライヴをどうやるかを考えた結果、ああなったんだと思います。結果、ドラマーを後から入れていましたし。自分が音楽からすっぽり抜けていたときにあれが来たから、すごく新鮮な音楽に感じたのかもせれません」

 「ぼくがいろんな音楽を聴き出した10代の頃は、東京のシーンって完成されていたんですよね。で、そういうところに変な違和感があったんです。外から耳に入ってくるものと、生きている近くで起きていることの状況があまりにも違い過ぎていて、その間の隙間だったり不在感が自分の音楽のルーツになるんだと思います。都市的な孤独だったりとか、言いようのない感情だったり。そこにも隙間がありました。それは音楽にも反映されていると思います」

  彼の音楽が鳴っているところは、ここだ。
 いわゆる既存のクラブにも100%感情移入できないし、汗だくのライヴハウスにも、そしてインターネット共同体にも、どこにも行く場所がない人たちの場所を確保すること。ここからは、NHKコーヘイからカリブー、ローレル・ヘイローからリー・バノンにいたるまでの、あるいはゴートからドリーム・プッシャーにいたるまでの一種の共通の感覚を引き出せる。
 かつて商業主義にがんじがらめになったテクノは、エレクトロニカというジャンル名のもとで別の潮流となった──まあ、悲しい細分化の走りでもある──ことと、どこか似ているが、しかしこの新しいエレクトロニック・ミュージックの潮流は、どこにでもアクセスできるし、拒んでいないという点では、ニュアンスが違っている。
 アルビノ・サウンドのデビュー・アルバム『クラウド・スポーツ』は、自分たちの居場所を探している人たちの、今日的な折衷主義の成果とも言える。ここには、いままで書いてきたような彼の影響、エレクトロニカ、ポストロック、そしてシカゴのジュークの影響まである。

 なにしろ彼は、そう、あのリキッドルームのタイムアウト・カフェでふだんはフライパンを握っているのである。

「ぼくはあの場所で、基本的に鍋を振りながらいろいろな音楽を聴いている」と彼は言う。「見ているだけなので、ものすごく客観的にそこを見ていられたのは大きいです」
 隣には太郎さんがいて、とくにエイプリルさんがDJしているし(笑)?
「ミニマルやってるひともジュークやってる人もいるし、ヒップホップをやっている人もいる。〈ブラックスモーカー〉は毎年ブラック・ギャラリーをやってらっしゃるし、ロスアプソンのTシャツ市もある。素晴らしい環境です(笑)」
 この素晴らしい環境が、アルビノ・サウンドの作品にどれほど関わっているのかはわからないが、少なくとも、彼はフライパンを持ちながら日々アンダーグラウンドな音楽を意識せずとも吸収しているのである。

子供の頃はテレビで流れるJポップぐらいしか聴いていなかったんですよ。で、初めて〈ワープ〉系のような音楽を聴いたときに、『嘘をつかれていたんだ』と思ったんです。自分がいままで聴いていたものは嘘だったと

 驚くべきことに、彼がエレクトロニック・ミュージックを作りはじめたのは、去年の3月からだ。つまり、2014年から2015年に作られているこのアルバムは、長年家に籠もって作り続けきた人の作品ではない。それが、人に聴かせたらあれよあれという間に好意的に受け止められて、いまこうして作品が出ることになったというわけだ。「数年前まではパソコンすらまともに使えなかった」と彼は笑いながら話す。

「人間的に群れるのも好きなほうじゃなんです。たとえば、本を読むと文字から音を想像できるじゃないですか? ぼくが好きなのはそれです。すごい国語的な感覚で音楽を作っている自覚はあります。だから自分らしさを出すものとして、言語的な作り方があるんだと思います」

 彼は自分の音楽をこのように分析する。

「あと、曲作りはじめたときに、映像ディレクターをやっている仲が良い友だちがいて、いっしょに仕事をするようになったんです。その頃のぼくは全然パソコンが使えないのに、そういう依頼がいきなり来た。で、いざいやってみたら、映像と音楽のグリッドって全然違うんですよね。たとえば『顔が横を向くから音楽はこう変わってほしい』とかは、小節単位で起きることじゃないので、それが面白かった。音楽的な判断じゃなくて、映像的な判断が自分に加わると、どんな変化をしても整合性を保てるし、これはこれで面白いというのが、今回のアルバムには反映されています」

「彼(=石田悠介)が去年自主制作で映画(=Holy Disaster)を作ったんですけど、そのサントラを自分とボー・ニンゲンのギターのコーヘイ君といっしょにやったんですけど」

 ちなみに、高校の先輩にはボー・ニンゲンのヴォーカリスト、そしてネオ・トーキョー・ベースのメンバーもいたという。

「ボー・ニンゲンのギターのコーヘイ君といっしょに『なんかやろうぜ』と世間話をしていたら、たまたま僕が(スティーヴ・)アルビニ・サウンドを言い間違えてアルビノ・サウンドと言ったら、それはなかなか面白い名前だと。それで去年レッドブルに応募するときのための名義を考えていたら、これでいいだろうと。どういう音楽か想像つきづらいのも面白いなと思いました」

 「子供の頃はテレビで流れるJポップぐらいしか聴いていなかったんですよ。で、初めて〈ワープ〉系のような音楽を聴いたときに、『嘘をつかれていたんだ』と思ったんです。自分がいままで聴いていたものは嘘だったと」

  こういう感動は、ぼくもよくわかる。中学生のとき、初めてクラフトワークを聴いたとき、この世界にはこんな音楽があるのかと心の底から驚き、興奮した。これだけ音数が少なく、すべてが反復なのに、これほどまでに聴いていて気持ちがいい。そして、その回路が開けた自分自身にも嬉しかった。いったいこれは何なのか? そう思うたびにワクワクした。意味もなく。

「だから自分が音楽を聴いて、想像力だったりとか、感情の喚起と言ったら変かもしれないですが、いまの音楽も昔の音楽も自分にとってはそういうものだったので、それをリスナーに感じて欲しい。音楽を聴くことで、音楽以上の何かを感じてもらえれば嬉しいんです」

 そんなわけで、確実にいま、新しいエレクトロニック・ミュージックが混ざりながら、ぼんやりとだが新しいシーンが形成されつつある。アルビノ・サウンドもその一員だ。

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