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interview with Cornelius - ele-king


Cornelius /
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 そこにはあらゆるモノが放り込まれている。消費社会におけるハイ・カルチャーとロウブロウの境界線は溶解して、貧民街のヒップホップと煌びやかなデパートの玩具コーナーは結ばれる。ブラック・サバスはクラウトロックといっしょにリオデジャネイロのボサノヴァへと直行して、エイフェックス・ツインは空飛ぶ円盤に乗ってジーザス&メリーチェインに会いに行く。冗談音楽と立体音響、パンクとサンシャイン・ポップス......これらアルバムに詰め込まれたおびただしい情報量、そして得も知れぬセンチメンタリズム(僕にはそれが消費文化を強いられた世代のある種のシニシズム、80年代を席捲したブランド文化と対をなしていた当時のアンダーグラウンド文化から来ていると考えている。詳しくは『EYESCREAM』に書いた)......。
 まあ、とにかく、『ファンタズマ』は、海外のメディアから見れば日本のロック文化に決定的なアイデンティティを与えた作品となったわけだが、まずそれ以前の問題として、この音楽は僕たちの最高のサウンドトラックだったのである。それから13年後の今日も、この革命的なポップ・レコードの魅力は少しも衰えていない。未聴の若い人はこの機会に聴いてみて。

『ファンタズマ』を再発することになった経緯から教えてください。"2010"という曲が入っていたり、収録曲の"New Music Machine"のなかで「2010年になんか全部ぶっ壊れた」と歌っていたりすることと関係あるんですか?

小山田:まあ、それにかけてというのと、あとは、大人の事情ですね。

大人の事情?

小山田:ポリスターという会社から出ていたんですけど、権利をワーナーに買ってもらって、それで出そうと。

パーセンテージとしてはどのくらいなんですか? 大人の事情と......(笑)。

小山田:まあ、タイミングかなと。いろんな偶然が重なって。

ちなみに、なかなか新作ができないから......というところはないんですか?

小山田:それもあるのかなぁ(笑)。

そこはあまり突っ込まないでおきましょう。

小山田:いえいえ(笑)。

いろんな事情があるにせよ、さっき言ったように"2010"という曲が入っていたり、歌詞に「2010年」が出てきているんだよね。当時はどういうニュアンスで使ってたんですか?

小山田:ちょっと遠い未来という感覚で使っていたと思うんですよね。13年後のことだから実際は近未来なんだけど、やっぱり当時はまだ20世紀だったし、現実的にいま2010年になって感じるよりもずっと遠い感じでいたから。

1997年だもんね。

小山田:20世紀ですよ。

2001年でさえも、まだ遠い未来に思っていたからね。

小山田:僕ら世代は2001年とか1999年という数字に関する刷り込みがあるじゃないですか。

たしかに。でも、「2010年になんか全部ぶっ壊れた」というのはどういう感覚で言っていたの?

小山田:予想できないくらい先のこと......、そんな感じですかね。

まりん(砂原良徳)がリマスタリングすることになった経緯は?

小山田:せっかく出すんだし、もうちょっと聴きやすいものしたかった。それで、誰に頼もうかと思ったときに......。まあ、このアルバムを作っている頃に家が近所で、よく行き来をしてたんですよね。それでお互い作っているモノを聴かせ合っていたんですよね。だから当時の雰囲気を共有できる人だし、あとは彼が個人的にリマスターをやっていたんですよ、趣味で。

趣味でやってたんだ?

小山田:それがすごくて、自分の昔出ているCDとか、90年代頭のCDとか、音質が悪いじゃないですか。音が悪かったり、レヴェルが低かったり、90年代後半や2000年代初頭のCDはレヴェルを突っ込み過ぎているとか。時代によって音質の違いみたいなのがあって、それをたぶん、自分の聴きやすいカタチにリマスターして、で、盤を作って、それでちゃんとプリントもして、ジャケットもちゃんとスキャンして作って、しかもヴィニール袋に入れて、で、エサ箱みたいな箱があって、そこに入ってて(笑)。

ハハハハ。

小山田:「クラフトワーク」っていう柵があって(笑)。

ハハハハ! すごいね。

小山田:これはもう、売れるでしょう! というレヴェルまで完全に個人でやっていて、そういうのを聴かせてもらったりしていて。で、何枚かCDをもらったんですけどね。そのなかにフリッパーズ・ギターのサードがあって、それを聴いたら、たしかにすごく音が良くなっていたんですよ。

なるほどね。

小山田:彼ほどの適任者はいないと思って。

さすがと言うしかないね。

小山田:そうですね。

さすがまりん。そういう意味では最高のマスタリング・エンジニアがいたということだよね。

小山田:彼の本職はマスタリング・エンジニアではないけどね。まあ、マスタリングに関しては、解釈だなと。いまはそれがソフトウェアによって個人でできるんで。彼の解釈をいちばん信用していたというか。

マスタリングという作業自体はちょっと前までは作り手側のものだったけど、これだけ「リマスタリング」という言葉が流通して、あるいは、たとえば70年代のロックのレコードがUK盤とUS盤と日本盤とでは音が違うんだってこともわかってくると、マスタリング技術自体が表現に近づいている感じもあるもんね。

小山田:あと97年は、パソコンとかiPodで聴かれることを想定してなかったし、リスニング環境が変わってきているというのがありますよね。

でも、イヤフォンを入れていたじゃないですか。

小山田:13年という年月を感じたのは、オリジナル盤のパッケージを空けたら、そのイヤフォンについていたスポンジが完全に劣化していたんですよね。
ボロボロになっていたという(笑)。

そうそう、僕が持っているのもそうなっていた(笑)。あの劣化すごいよね。

小山田:ああいうのから年月を感じましたね。

小山田君の持っているのもそうだったんだね。

小山田:すべてそうなっていると思いますよ。

それ聞いて安心した。自分の保存状態が悪いからそうなったのかと思ってた(笑)。

小山田:だから今回、タワーレコードとHMVで予約してくれた人に、特典でそのスポンジを付けたんだよね(笑)。

それはいいね。ところで当時、あのイヤフォンを付けたのは?

小山田:オマケというよりもメッセージ、イヤフォンやヘッドフォンで聴いてもらいたいという。

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バイノーラル録音できるハンディ型のマイクが売ってたんですよね。それを中原くんと一緒に買いに行ったんですよ。そのマイクをDATに繋いで、いろんな音を録っていって、その頃に"Mic Check"を作るんですよね。録ったものから効果的なものを並べて、チョイスしていったという感じです。


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なるほど。あらためて『ファンタズマ』は革命的なポップ・レコードだったと思うんだけど、1997年ってどんな時代だったと記憶している?

小山田:CDがいちばん売れていたのが97年、98年って言われてますよね。バブルははじけていたけど、音楽産業的にはピークだったみたい。

ちなみに、1996年がエイフェックス・ツインの『リチャード・D・ジェイムス・アルバム』やDJシャドウの『エンドトロデューシング』、で、『ファンタズマ』がリリースされた1997年は、ビョークの『ホモジェニック』やマウス・オン・マーズ『オーディオタッカー』とか。

小山田:ああ、なるほど。

で、翌年の1998年はトータスの『TNT』......という感じなんだよね。

小山田:ちょっと変わりますね。

そうだね。98年にはゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラー!も出てくるしね。まあ、当たり前だけど、作業しながら、いろいろ思い出したでしょう。

小山田:そう、思い出したし、多くのことを忘れていることに気がついた。けっこうここまで地続きで来ちゃっているというか、そんなに時間が経ってないような気がするんですよね。たとえば97年からさらに13年前となると、84年になるんですけど、そうなると中学や高校生のときで、そこから『ファンタズマ』までの自分のなかでの変化はすごく大きいんですよ。でも、『ファンタズマ』から現在まではそんなにやってることが変わっていないというか。年齢も歳を取るごとにスピードが速く感じるじゃないですか。だから振り返ってみるとすごく時間が経っているんですけど、意識としてはそんなに経っていない感じなんですよね。だけど、いまこうやって当時の話をすると覚えていないことがすごくあって、まったく記憶から抜けていることがあるんですね。それがびっくりしましたね。

たしかに、13年前なんて、昨日のことのように思うもんね。

小山田:そうですよね。

それでは当時を思い出しつつ、話をしてもらえたらと思うんですけど、『ファンタズマ』とはそもそもどこから手を付けたんですか?

小山田:......それもぜんぜん覚えていない(笑)。

ハハハハ。いちおう、歴史的には「エイフェックス・ツインとブライアン・ウィルソンとの出会い」ということがクリシェになっているんだけど、ただこの1枚のなかには到底そのふたつだけでは語れない、ものすごい情報量が入っているじゃない。その後の『ポイント』以降と比較しても、信じられないほどの情報量だよね。むしろ『ポイント』以降はどんどん抽象的になっていくからね。とにかく、あらためて驚くのは、このアルバムに詰め込まれた情報量だよね。

小山田:そうですね、そのピーク感みたいなのは感じますね。

その前作に当たる『96/69』にも、ヘヴィ・メタルとヒップホップがごっちゃになった感じがあるけど、『ファンタズマ』はまたそことも違うし。

小山田:『ファンタズマ』のほうが内省的ですよね。

すごくコンセプチュアルで、はじまりと終わりがしっかりできているし。

小山田:どこから手を付けたのかという話だけど、たぶんいちばん最初は、"Mic Check"からやった気がする。頭から順に曲を作っていったと思うんですけど......。

"Mic Check"からなんだー。

小山田:おそらく。

それは面白い。

小山田:昔、『ウゴウゴルーガ』というTV番組があって、なかに「音の博物館」というコーナーがあって、そこでムシが交尾する音とか、すごく増幅したような音を聴かせるコーナーを持っていた人がいて、藤原(和通)さんという音フェチのアーティストがやっていたんですけど。その人がバイノーラル録音できるハンディ型のマイクを作っていて、売ってたんですよね。それを中原(昌也)くんと一緒に買いに行ったんですよ。そのマイクをDATに繋いで、いろんな音を録っていって、その頃に"Mic Check"を作るんですよね。

それは興味深い話だね。"Mic Check"は名曲だと思っているんだけど、あの曲の最初の1分強のイントロの部分のものすごい細かいカットアップがあるじゃない。あれからドラムがが入るまでがすべてを物語っているように思っていて。

小山田:あれは......バイノーラル録音だから耳で聴いているのとすごく近い臨場感のある音が録れるんですよ。それで録ったものから効果的なものを並べて、チョイスしていったという感じです。立体録音を最初にやったヒューゴ・ズッカレリという人がいるんですけど、その人は自分の録音方法を明かしてなくて、僕のやり方とは違うんですけど、その人の録音したテープが、僕が高校生のときに売ってたんですよね。六本木WAVEの1階に。

へー、1階に。

小山田:1階にね、面白い音楽......じゃないな、なんかスピーカーが売っていたり、ヒョウタンで作ったスピーカーとか。

えー、何年?

小山田:僕が高校生ぐらいのときですよね。で、それを聴いたことがあって。それをヘッドフォンで聴いていると、実際に髪の毛切られたり、ドライヤーをかけられたりするのを感じるんですよ。それをよく覚えていて......ヒューゴ・ズッカレリはマイケル・ジャクソンもやっているし、"バッド"の後半かな、それからサイキックTVもやっていますよ。

"Mic Check"って『ファンタズマ』を象徴する1曲だと思うんだけど、やっぱ"Mic Check"が完成したことで、アルバム全体が見えましたか?

小山田:そこまでではないですよね。何曲かやってみてからですね。

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そのちょっと前ぐらいに境界線が崩壊していったような記憶があるんですよね。たとえば、この頃は砂原くんとよく遊んでいたんですけど、そのちょうど1年くらい前かな......、クアトロで中原君の暴力温泉芸者のライヴがあって、で、そのときにいろんな人が来ていて、そこで僕は初めて砂原くんと喋ったんですよね。


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いまではロック・バンドがエレクトロニクスを使うことは当たり前になったけど、当時はまだそれがすごく冒険的だったでしょ。

小山田:いや、そんなことはない。すでにたくさんいたと思いますけどね。

誰がいたっけ?

小山田:YMOとか。

だってそれはテクノでしょ(笑)。

小山田:バンドじゃないですか。

まあ、70年代はね、他にもいろいろと。

小山田:電子音楽とロックって、70年代からじゃないですか。

でも、97年と言えば、レディオヘッドの『キッドA』よりも3年前だし、当時はロック/ポップス系ではビョークがエレクトロニカ(IDMスタイル)を取り入れた『ホモジェニック』を出して話題になったくらいだったし。コーネリアスがよくいっしょにライヴをやっていたバッファロー・ドーターもエレクトロニクスを導入したのが早かったように記憶しているんだけど、ロック・バンドって、けっこうまだグランジ系の名残みたいなのもの多かったし、テクノを嫌いなバンドも多かったし。

小山田:でもコーネリアスってバンドじゃないし(笑)。あと、フリッパーズの3枚目がけっこうサンプリング使ってたから。

まあ、そうか。自分のなかではとくに飛躍したという感覚はないんですね?

小山田:とくに変わったとは思わなかったですけど、自分がいままで目指していたけど到達できなかったというか、わりと自分が納得できる完成度までいったという感触はあったと思うけど。

さっき曲順に作っていったと言ってたけど......。

小山田:全部じゃないけど、ほとんど曲順ですね。これ、曲がシームレスに繋がっているんですけど、"Mic Check"からはじまって、そのエンディングから「では、次はどうなるんだろう?」ということで作っていった。そう、そういう作り方をしていったんだと思います。

"2010"みたいなブレイクコアや"Star Fruits Surf Rider"のサビに関してはエイフェックス・ツインからの影響とよく言われているんだけど、それは当たっている?

小山田:そうですね。エイフェックス・ツインはもちろんですけど、あとドラムンベースですね。リズムであったり。

あの当時、ロック・バンド......いや、バンドじゃないんだけど、ロック文化とテクノのあいだにはいまよりもずっと距離があったと思うんだよね。

小山田:そうですかね。そのちょっと前ぐらいに境界線が崩壊していったような記憶があるんですよね。たとえば、この頃は砂原くんとよく遊んでいたんですけど、そのちょうど1年くらい前かな......、クアトロで中原くんの暴力温泉芸者のライヴがあって、で、そのときにいろんな人が来ていて、そこで僕は初めて砂原くんと喋ったんですよね。

へー。

小山田:面識はあったんだけど、ゆっくり話したのは初めてでしたね。で、その頃にいろんなジャンルの境界線が崩壊していくのを感じたんですけどね。

ただ、前例のないことをやろうとしていたわけでしょ?

小山田:まあ......。

たとえば"Star Fruits Surf Rider"のシングルは2枚同時発売で、同時ミックスすると1曲になるというアイデアだったり。

小山田:あれはね、「できない」と言われました(笑)。当時はまだ、8センチ・サイズの短冊形のシングルがあったでしょ。もうほとんどマキシ・シングルに移行しつつある時期だったんだけど、あれに2枚入れて、「2台のコンポで同時に鳴らしてください」としたかったんだけど、「できない」と。

ハハハハ。ちなみに"Star Fruits Surf Rider"は当時、USとUKでシングル・カットされているんだけど、UKでは次に"Free Fall"がシングル・カットされているんだよね。

小山田:あー、そうか。

で、意外だったのが、"Chapter 8"がUSとUKとドイツでシングルになっているんだよね。

小山田:そうですよね。

リリースに脈絡がないというかね、国や担当者によって、好みの曲がすごくバラバラだったんじゃないかなと。

小山田:そうなんですよ。日本で出すときは担当者と話して、「じゃあ、これを出しましょう」という流れで決めていたんですけど、『ファンタズマ』は初めての海外だったし、コミュニケーションがぜんぜん取れてなくて、「Free Fall」もできた盤がいきなり送られてきたりして、「え? これですか?」みたいな(笑)。ジャケットも向こうで勝手にデザインされていて、けっこうびっくりしてましたね。まあ、向こうなりの考えがあって出していたと思うんですけど、それはこっちとぜんぜん違う感じでしたよね。

とくに"Chapter 8"なんかは、"Star Fruits Surf Rider"とはぜんぜん違う傾向の曲だし。

小山田:そうですよね。

レーベルのほうでも『ファンタズマ』をどう売っていけばいいのか迷っている感じがあって面白いんですけど、〈マタドール〉との契約はどうやって決まったんですか? 向こうから?

小山田:そうです。

〈マタドール〉は、すでにピチカート・ファイヴを出していたんだっけ?

小山田:ギター・ウルフも出してましたね。〈マタドール〉は日本のバンドをけっこうチェックしてたんじゃないですか。『ファンタズマ』で海外ツアーに行ったときも、日本の音楽が流行っていましたからね。向こうの人が日本という国を発見したというか。

バッファロー・ドーターもそうだったし。

小山田:チボマットとか、うちの奥さん(嶺川貴子)もそうだったし。

少年ナイフとか。

小山田:少年ナイフはもうちょっと前だね。

ボアダムスや中原昌也もそうだよね。

小山田:まりんもヨーロッパでDJやっているし。ちょうど90年代後半は、渋谷にはレコード屋さんがたくさんあって、海外の人が渋谷にレコードを買いに来るような時代だったでしょ。同時に日本のポップ・カルチャーが注目されていた時代だったと思うんですよね。

そうだったね。当時、とくにリアクションが面白かった国はどこですか?

小山田:会場単位ではあるんですけど、国という単位ではすぐに思い出せないんですよね。まあ、でもこの頃はイギリスが大きかったですね。アメリカよりもイギリスでしたね。ヨーロッパのなかでもイギリスがいちばん大きかったです。

ツアーも最初はイギリスからだったの?

小山田:最初はテキサス。サウス・バイ・サウス・ウェストで〈マタドール〉のショーケースがあって、そのあとヨーロッパ・ツアー、最初がオランダだった気がする。イギリスはかなり細かく回ったんですよね。最初に話題になったのはイギリスだったんじゃないのかな。

それは僕も記憶しているかな。最初はロンドンの友人から知らされたし、『ファンタズマ』は98年の『WIRE』誌の年間チャートにも入っているからね。ただこの頃は、作っているときに海外のリスナーに届けようなんていう気持ちはなかったわけでしょ?

小山田:ぜんぜん......とくになかったですね。

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何かが終わっていくような感覚はすごく出ていると思うんですよね。20世紀が終わっていく感じや、作品のなかのものすごい情報量に関しても、その当時の街の雰囲気からの影響が関係していると思うし。当時の僕は、毎日毎日渋谷に行ってレコードを買っていた。そういったことすべてに影響されていると思うし。


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あらためて聴いてみると、"Clash"みたいな歌モノというか、ああいう曲がまた面白いんですけど、それこそ『ポイント』以降は作っていないタイプの曲でしょ?

小山田:そうかもしれないですね。

"Clash"というのは、ジョー・ストラマーのクラッシュのこと?

小山田:まあ、それにもかけている......みたいな感じかな。

ハハハハ。『ファンタズマ』という作品のなかに"Clash"という曲が収録されているのが、なんだか倒錯している感じに思えたんだけど、なぜ当時、よりによってこの作品で"Clash"とか"ミック・ジョーンズ"という言葉を歌ったの?

小山田:なぜでしょうね? いや~。

そこに『ファンタズマ』の秘密があるんじゃないかと思っているんですけどね(笑)。

小山田:ぜんぜんクラッシュっぽい曲じゃないし。

それがひとつ、『ファンタズマ』の立脚点を表している気がして、ついつい深読みしたくなるんだけどね。

小山田:んー、なんかその、組み合わせが面白いと思ったのかな。

話が逸れるんだけど、いま、英米のロック・ジャーナリズムのあいだでエスケイピズム論争というのが起きているのね。僕はけっこう好きになって追いかけているUSインディの動きでチルウェイヴっていうのがあってね、シューゲイザーと80年代ディスコを組み合わせたような宅録の音楽なんだけど、「その音楽は逃避的である」と、「何も言っていないじゃないか」と、そういう批判があるいっぽうで、「逃避的で何が悪い」という意見とかいろいろあって、とにかく熱くなっているんだよね。で、そのエスケイピズムの音楽の流れを作ったバンドのひとつがアニマル・コレクティヴとなっていて、アニマル・コレクティヴの音楽はたしかにファンタジーなんだけど、それが出るもっと前には『ファンタズマ』があったと思ったんだよね。

小山田:最初じゃないけどね。

最初じゃないけど、アニマル・コレクティヴよりも前にそれをやっているでしょ。

小山田:『ファンタズマ』というタイトルが付いているぐらいだから、ファンタジーという意味ではそうだけど......、まあ、ファンタジー的なものだとは思うんですけど、いまあらためて聴いたときに、たしかに当時の社会状況を意識して作っていたわけじゃないんですけど、その当時の社会の雰囲気は作品に残ってしまっていると思うんですよね。「歌は世につれ~」じゃないけど、作品は社会と無縁ではいられないと思うんですよね。

あらためてそこを感じる箇所っていうのはある?

小山田:パッケージをふくめ、すべては当時にしか作れなかったモノなんですけど、内容的にも、何かが終わっていくような感覚はすごく出ていると思うんですよね。20世紀が終わっていく感じや、作品のなかのものすごい情報量に関しても、その当時の街の雰囲気からの影響が関係していると思うし。当時の僕は、毎日毎日渋谷に行ってレコードを買っていた。そういったことすべてに影響されていると思うし。

なるほど。

小山田:その時代を生きている以上は、社会をまったく切り離して音楽だけを作ることはできないと思いますね。だから、どんなにファンタジー的なものを作ろうとしても、作品にはそういった社会からの影響が反映されてしまうんだなということを、あらためていま思いますけどね。

なるほど。ある意味では『ファンタズマ』はすごくエモーショナルな作品でもあると思うんですよね。しかもどちらかと言えばセンチメンタルな作品だと思うんですけど、"Clash"もそうだけど、"God Only Knows"とか、それこそ"Mic Check"からしてそういう感覚があるでしょう。"Star Fruits Surf Rider"のようなロマンティックな曲にもセンチメンタルな感じがあるし。

小山田:うん、全体的なトーンはそんな感じがしますね。

で、そのいっぽうでは、"Free Fall"や"Monkey"や"2010"のような躁状態の曲もあるんだよね。すごく分裂的な内容になっているというか。何なんですかね?

小山田:何なんでしょうね(笑)。躁状態の曲が突然出てくるし、でも、全体の印象は感傷的ですよね。ただ、作っているときは自分を客観的に観れないんですよ。時間経って、初めて、客観的にそう思える。

『ポイント』や『センシュアス』って見事にコントロールされている作品だと思うんだけど、『ファンタズマ』は制御できずに壊れている感じもあるでしょう。しかも、最後の"Thank You For The Music"で、おちゃらけている。僕のバカな夢につき合ってくれてありがとう、バイバイみたいな。このおちゃらけ方がアルバムの感傷性を隠しているように思ったんだよね。リスナーを最後にきてまた騙しているというか。

小山田:うーん。

ホントのところはどうなんですか(笑)?

小山田:どうなんでしょうね。ま、クセみたいなものかな。

ハハハハ。

小山田:わかんないですけど(笑)。まず、入口があって出口がある作品にしたかったんですよね。現実から別世界に行って、どうやって現実に戻ってくるかみたいな......その落とし方というんですかね。

一瞬、素顔を見せておいて、最後に仮面を被って去るって感じじゃないんだ(笑)?

小山田:どうでしょう(笑)。ただ、これはすごくCDらしい作りだなと思いますけどね。いまはもう、コンピュータに取り込んで断片的に音楽を聴くじゃないですか。それ以前のアナログ盤の時代はレコードをひっくり返すという作業があったじゃないですか。レコードはそれに合った作りをしていたと思うんですけど、『ファンタズマ』はCDらしいCDですよね。実際、自分でもCDウォークマンで聴いていた気がするんですよね。

そうだね。ただ、全体の尺は45分くらいでレコード時間なんだよね。それぐらいがアルバムを聴くのに良い時間だよね。そういえば、未発表やリミックスを収録したもう1枚のCDがあるじゃない。その最後に入っている常磐響のリミックスが最高だったね(笑)。

小山田:ハハハハ、あれはね、彼が自分でぜんぶ喋っている。

へー、さすがだね。あの常磐響のミックスが極端な例なんだけど、小山田くんは自分のやっていることを自分で相対化するのが好きだよね。

小山田:好きなのかな。でも過去の自分と向き合うっていうのは、けっこう辛いですよ。辛い作業でもありますよ。過去の自分の写真、動いている映像を観るのは......けっこう、辛いです。

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サンプリング・コーラジュみたいなことをずいぶんやっているんですよね。海外盤を出すときに使用料は払いましたけど、いま同じことをやったら莫大な金額になってしまう。わりとざっくりしたサンプリングを使えた最後の時代の作品かもしれない。お金ない人がクリエイティヴなサンプリングを使って面白いことをやるっていうのはもう、90年代末からできなくなってしまいましたよね。


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話変わるけど、『ファンタズマ』ってブラジル盤も出ているんだよね。

小山田:出ている。ブラジルの人いましたよ。担当の人が。その人はいまでも毎年クリスマスになるとミックスCDみたいなのを作って送ってくれる。

素晴らしい人ですね。

小山田:ブラジルのディストリビューションやっている人ですね。

ちなみに『ポイント』はメキシコ盤があるんだよね。

小山田:『センシュアス』もメキシコ盤があるんですよ。いまでもメキシコの人からメールが来ますよ。『センシュアス』はアメリカの契約が西海岸のレーベルだったこともあって、近いじゃないですか、メキシコと。フェスをやると、メキシコからもお客さんがたくさん来るんですよ。

意外とラテン受けしているのかね。

小山田:彼らにとっても地球の裏側の音楽だから、よほど変な風に聴こえているかもね。こっちがブラジルのサイケを面白がっているように......。

そうとうエキゾティックに聴こえるんだろうね。

小山田:カエターノ・ヴェローゾの息子のモレーノ、その人まわりにカシンって人がいて、アート・リンゼーなんかといっしょにやっている人なんですけど、後に仲良くなるんですけど、その人なんかは当時ブラジルで『ファンタズマ』をよく聴いていたって言ってましたね。

実際、『ファンタズマ』にはブラジル音楽の要素もあるしね。

小山田:当時は、ムタンチスとか好きでしたね。

なるほどね。

小山田:再評価されてたでしょ。

そうだったね。カエターノ・ヴェローゾにもサイケな作品があるしね。

小山田:カエターノのサイケな作品もよく聴いてましたね。

それで『ポイント』に"ブラジル"という曲が入るんだ。

小山田:いや、あれはたまたまです。

さっきも言いましたが、『ポイント』以降は、どんどん抽象化の方向に進むでしょう。『センシュアス』になるとほとんどテクノというか、たとえば"Gum"みたいな曲と"Free Fall"を聴きくらべるとよくわかるというか、ホントに断片化されているなって思うんですけど。

小山田:でも、『センシュアス』に入っている"Music"なんかは普通に歌モノですよ。歌も好きなんで、そういうのもやりたいとは思っているんですけどね。

『センシュアス』へと続く方向性の発端は『ファンタズマ』なわけですよね。

小山田:そうと言えばそうだけど、でも、作り方が違いますね。『ファンタズマ』のときはレイヤーを重ねていく感じの作り方だったけど......『ファンタズマ』はまだサンプリングしているし、サンプリング・コーラジュみたいなことをずいぶんやっているんですよね。海外盤を出すときに使用料は払いましたけど、いま同じことをやったら莫大な金額になってしまう。当時はDJシャドウみたいな人がいたけど、それより先はアクフェンみたいにもっともっと細かくサンプリングしていくか、あるいはもうサンプリングはしない方向性になっていくじゃないですか。だから、わりとざっくりしたサンプリングを使えた最後の時代の作品かもしれない。

あのざっくりしたサンプリングの良さってあるからね。

小山田:その良さはあるけれど、いまはもう作れない。お金持ってる人が超大ネタ使ってやるっていうのはあるけど。そのまんま使って、歌入れてラップ入れてヒットさせるとか......。でも、お金ない人がクリエイティヴなサンプリングを使って面白いことをやるっていうのはもう、90年代末からできなくなってしまいましたよね。その代わりにティンバランドみたいな面白い打ち込みで作る人が出てくるんですけど。

たしかにそうだったね。

小山田:それと......『ファンタズマ』の頃はまだ商業スタジオで録音していたんですよ。『ポイント』からは自分のスタジオで録音しているんですけど。

外のスタジオを借りて『ファンタズマ』を作っていたというのもすごいね。

小山田:スタジオ代って高いじゃないですか。だから、たぶん『ファンタズマ』は2~3ヶ月で作っているんですよね。『ポイント』はもっと長くスタジオに居られたんだけど......。あの当時はまだ若かったし、毎日のように朝まで徹夜してましたね。『ポイント』からはもう、徹夜できなくなりましたけどね(笑)。

Chart by JETSET 2010.11.22 - ele-king

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SNOOP DOGG FEATURING MAYER HAWTHORNE GANGSTA LUV (MAYER HAWTHORNE G-MIX) »COMMENT GET MUSIC
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DOP L' HUPITAL, LA RUE, LA PRISON »COMMENT GET MUSIC
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KVBEATS THE RESUME »COMMENT GET MUSIC
黄金期のクラシックスに魅せられたクリエイターがデンマークにも!ゲストにSlum Village、Royce Da 5'9"、Prince Po、Oddisee、Mic Geronimo等、耳を疑うほど豪華なメンツが集結!

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SOMMERSTAD NESTE STOPP MORRA DI »COMMENT GET MUSIC
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ALOE BLACC

ALOE BLACC YOU MAKE ME SMILE »COMMENT GET MUSIC
大好評『Good Things』からの2ndシングルは極上エモ-ショナルな2曲!B面にはアルバムの最後を飾った"Politician"をカップリング収録。サウンドは勿論Leon MichelsとJeff Silvermanのコンビが担当!

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ERNESTO FERREYRA

ERNESTO FERREYRA EL PARAISO DE LAS TORTUGAS »COMMENT GET MUSIC
Rebootに続いてCadenzaが猛プッシュするのはこのErnesto Ferreyra!!Mutek_Rec、Cynosure、Themaからのリリース、そして当店ハウス・コーナー的には昨年Lomidhigh Organicから発表したキラーEP"Midnight Sun"の大ヒットでお馴染みのアルゼンチン出身の新進気鋭による待望のデヴュー・アルバム!!

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Lone - Emerald Fantasy Tracks - Magic Wire

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Robot Koch - Songs For Trees And Cyborgs - Project:Mooncircle

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Robert Wyatt/Ros Stephen/Gilad - For the Ghosts Within -Domino

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Cornelius - Fantasma - Warner Japan

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Girls - Brocken Dream Club - True Panther

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Colored Mushroom And The Medicine Rocks - Wagon

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Magnetic Man - Magnetic Man - Sony Music

10
Mount Kimbie - Crooks & Lovers - Hotflush Recordings

PeaceMusicFesta!辺野古2010 - ele-king

 10月29日の夜、〈リキッドルーム〉でのSEEDAのライヴを観終わったあと、興奮冷めやらぬまま急いで家に帰り、荷造りをして、慌しく早朝の飛行機に乗って沖縄に向かった。那覇空港に着くと、僕はまずパーカーを脱ぎ、Tシャツになった。沖縄に来るのは5年ぶりと久々だが、陽光の眩しさと南国の熱気には、否応なく気持ちを上げられる。睡眠不足の疲労などあっという間に吹き飛んでしまった。さあ、ビールでも飲みながら、流浪のロックンローラー、ヒデヨヴィッチ上杉の借りたレンタカーで、いざ辺野古へ! と言っても、ただ浮かれているわけにはいかない。今回の、4泊5日の旅の目的ははっきりしている。やることはたくさんある。そのひとつがここでレポートする〈PeaceMusicFesta!辺野古2010〉(以下、PMF)の取材である。

 PMFについて簡単に説明しておこう。今年で5回目を迎えるこの音楽フェスは、2006年に沖縄のレゲエ・ミュージシャンがスタートさせ、2007年からソウル・フラワー・ユニオンの伊丹英子と沖縄のミクスチャー・ロック・バンド、DUTY FREE SHOPP.の知花竜海が実行委員に加わり、規模を拡大していく。昨年は宜野湾市で開かれ、UAや加藤登紀子やオゾマトリらが出演している。

 今年の会場は、沖縄本島北部の東海岸に位置する名護市の辺野古である。周知のとおり、普天間飛行場の移設候補地だ。小さな漁村のすぐ隣には、米軍の海兵隊基地、キャンプ・シュワブがある。会場となったビーチには、驚くほど低い、乗り越えようと思えば乗り越えられるほどの有刺鉄線が張られ、そこから向こうはアメリカ領だ。この国でいまもっとも政治的にデリケートな集落のひとつである。会場近くの電柱には、幸福実現党による「賛成!! 辺野古移設」のポスターの下にPMFの案内が貼ってあって思わず立ち竦んでしまったが......それはひとつの例としても、地元住民のなかに基地移設をめぐって賛成派と反対派が混在する一筋縄ではいかない土地である。そこで平和を訴える音楽フェスを果敢にも開催してしまう気概にまず率直に恐れ入る。しかも、今回の出演者はフェスのコンセプトに賛同して基本的に渡航費含めすべて自腹だったという。
 実際に現地で、「基地の移設の問題が先にあって、音楽は二の次でしょ」という主張を僕に力説する若い女性と出会った。少なくない時間と情熱をこの問題の解決のために傾け、最前線である辺野古の浜辺で座り込みをしたり、辺野古移設反対を訴えている人たちの切実さを考えれば、(それがすべての意見ではないにしろ)当然の主張だろう。それはリアルな政治の話である。僕はその話を真剣に聞き、受け止めていた。しかし、心のなかで、「音楽にしかできないことがあると信じているから東京からここまで来ているんだよ」と呟いていた。「とにかく観てみようよ、彼らのライヴを!」ということなのだ。ここで伝えたいのは、PMFでいくつもの素晴らしいライヴがくり広げられたということである。そう、PMFは熱気に満ちた素晴らしいフェスだったのだ!

 台風も過ぎ去り、天候にも恵まれた1日目。まず驚いたのが、ステージの音響設備の充実ぶりと、屋台や本部やPAブースに使われているテントに沖縄各地の地名が記されていたことだ。おそらくあちこちからかき集めたのだろう。そして入場料が安いこと。大人で前売り2500円、当日3000円、高校生は前売り1000円、当日1500円、中学生以下は無料である。こういうところから主催側の熱意とインディペンデント・スピリットは伝わってくるものだ。
 この日の空気を最初に変えたのは、昼の早い時間にアコースティック・ギター1本で登場した元・犬式の三宅洋平だった。彼の虚飾のないストレートなギター・プレイとヴォーカルは、まだ人がまばらな会場を静かに扇動していた。フェスの宣言のようなメッセージを勇ましくラップした沖縄のラッパー、カクマクシャカも砂浜の温度を上げていた。1日目のトリのソウル・フラワー・モノノケ・サミットの祝祭的なライヴは老若男女のオーディエンスの期待に文句なしに応えるものだったが、僕にとって最大のハイライトであり、喜ぶべき発見はRUN it to GROUNDという沖縄のスクリーモ・ロック系のガールズ・バンドだった。ギター・ヴォーカルの女性の、地獄の底から発するようなシャウトに、泡盛を飲んで夕涼みをしていた僕はびっくりしてステージに駆け寄った。彼女たちをもっと早く知っていれば、ele-kingの執筆者らと着手している『ゼロ年代の音楽 ビッチフォーク編』(仮)でなんらかの形で紹介したかった。数十分のライヴを観ただけだが、そう言いたくなる特別な何かを感じた。

 ところで、僕がPMFのどのライヴにもっとも注目していたか。その答えは、2日目に登場したMISSION POSSIBLE(THA BLUE HERB×OLIVE OIL×B.I.G. JOE)と七尾旅人のライヴである。残念な話だが、いまだに「音楽と政治を結びつけるな」という野暮な難癖をつけてくる心の狭い音楽リスナーに対しては、「どーも、すいません! 俺は音楽オタクじゃないんでね!」と仕方なく答えるようにしている。まあ、ともあれ、彼らがこの状況、この現場にどのように切り込むのか、どんなパフォーマンスを見せ、どんな音と言葉を発するのかを楽しみにしていた。結論から言うと、彼らのライヴは会場に集まった多くの人が見過ごすことのできないものだった。詳しくはあとで書くが、いまのこの国の音楽シーン......、いや、音楽に"音楽以上の何か"を求めている人びとから信頼されている意味がさらに深く理解できる素晴らしいライヴだった。

 1日目のプログラムが20時過ぎに終わったあと、体の熱が冷めない僕は沖縄市まで足を運び、嘉手納基地の近くにある通称・ゲート通りにくり出すことにした。少し話は横道に逸れてしまうが、その町の夜の猥雑さは凄かった! 車で送ってくれた地元の女性も「外国じゃん!」と驚くほどだった。ハロウィンというのもあって、路上ではど派手な仮装をして酔っぱらった若い米兵らが大騒ぎしていた。爆音のヒップホップに釣られて、ふらっと入ったクラブはさらに異世界だった! 白人、黒人、スパニッシュ、日本人、韓国人らしきグループが入り乱れて、乱痴気騒ぎの真っ只中だった。バー・カウンターにはポールがあって、そこではセクシーな格好をした......というか半裸に近いあられもない姿の日本人の女性たちがポールに食いつくように腰をくねらせ、足の踏み場もないフロアではファンキーな黒人のカップルがエロティックにダンスしているではないか! 目を丸くする僕に、隣に座った常連らしき日本人のお姉さんは「毎週末、これなのよ」と呆れ顔で呟いていたが、そこでかかっていたドレイクやR・ケリーは、間違っても"聴く"ためではなく、もちろん踊るための、もっと言えば、男と女の出会いを演出するボディ・ミュージック以外のなにものでもなかった。
 僕は異文化が衝突することで生まれる乱痴気騒ぎを大いに楽しみ、「これも沖縄の魅力なんだよなぁ」と興奮していた。4、5日いただけでわかったようなことを言うつもりはないが、夜の歓楽街の熱気や息遣いを肌で感じてしまうと、基地の問題が一筋縄ではいかないことにまた別の角度から思いをめぐらしてしまう。"沖縄"や"基地"という単語を聞いたときに、本土の人間は必要以上にびびったり、怯んだりしてはいけない。ポスト・コロニアリズム的観点から真剣に物事を考えることだって大切だけれど、沖縄をロマンティックに語ったり、ナイーヴに受け止めたりするところから離れて、もっと無邪気に考えたり、行動することもときには必要だろう。妖しさ、下品さ、猥雑さがぐちゃぐちゃに混在する悪場所に人間は吸い寄せられ、そこでなにかしらの行動と思索の契機を掴むことだってあるのだ。僕はビールを飲み、屈強な米兵の集団にちょっかいを出されてもめげずに、まあ性懲りもなくそんなようなことを頭の片隅で考えていた。そして深夜、僕は敗残兵よろしく、ひとりゲスト・ハウスに帰って寝たのだった......。

 PMFの初日のステージには、実際に70年代前半のコザ(現・沖縄市)のライヴ・ハウスでベトナム戦争の過酷な戦場に送られる米兵たちを相手に過激なパフォーマンスを展開した、伝説のロック・バンド、コンディション・グリーンの元ヴォーカル、通称・ヒゲのかっちゃん(川満勝弘)が立っていた。南国のジョージ・クリントンのようなワイルドな風貌の彼は、"ホテル・カリフォルニア"のむちゃくちゃな日本語カヴァーを酔狂に演じ、笑いと歓喜の風を運んでいた。あとから考えれば、ヒゲのかっちゃんの年季の入ったトリックスター的な振る舞いも沖縄の混交的なアンダーグラウンド・カルチャーで鍛え上げられたものなのかもしれない。僕は彼を観ていてとても愉快な気持ちになれた。

MISSION POSSIBLEのライヴで会場は最高潮を迎えた。


 そんなこんなで、初日にバカみたいに飲んでしまった僕は、次の朝を二日酔いで迎えた。前日より晴れ渡った天気のなか、夕方まで波と戯れたりしてのんびりと過ごしていた。僕を最初にステージに向かわせたのは、美しくメロウなアコースティック・ギターの調べと夕方の空気を包み込むふくよかなヴォーカルをそっと差し出してくれた直江政広(カーネーション)だった。ああ、なんて素敵な演奏だろう。大それたメッセージなどなかったが、彼の音楽は雄弁に平和への祈りを奏でているように思えた。それまで我慢していたコロナ・ビールを買ってしまった。そこから、沖縄民謡とロックを力強くシェイクする知花竜海×城間竜太、ファンキーでソウルフルなレゲエ・バンドを従えて大御所の貫禄を見せるPAPA-U GEEが、解放的な雰囲気を作り出していく。この時間帯の流れはフェスのひとつのハイライトだった。そして、ここで登場したOLIVE OILのDJが一気に音圧を上げた。

 贔屓目に見なくとも、MISSION POSSIBLEのライヴの注目度は高かった。B.I.G. JOEがステージに勢いよく現れると、そこはもう彼らの独壇場だった。彼は挨拶代わりに自身のドラッグ・ディーラーとしての過去を物語化した"D.D.D. -DRUG DEALER'S DESTINY-"をやった。夕方の黄昏時にこんなハードボイルドな曲からはじめるなんて! しかし、僕の目の前では仮装したジャージ姿の女子高生たちがラップの真似をしながら大騒ぎしているではないか。僕は彼のちょっとした遊び心にニヤニヤしていた。が、B.I.G.JOEが「基地の米兵に届けるつもりでやる」というようなMCから、"WAR IS OVER"を英語でラップすると会場からは大きな歓声が上がった。座り込みの現場で見かけた女性たちも体を揺らし、たしかに声を上げていた。なんというか、それは理屈ぬきに美しい光景だった。そして、ILL-BOSTTINOがステージに登場して、"MISSION POSSIBLE"のファンキーなビートが疾走しはじめると、彼らの凄まじい説得力にやはり圧倒されてしまった。
 THA BLUE HERBのライヴの頃には、砂浜に弧を描くようにその日いちばんの人だかりができ、ひとつの小宇宙が完成していた。普段、ビールや焼酎ばかり飲んでいる俗の極みのような自分が柄にもなく、そんなスピリチュアルな気分に浸ってしまうほどだった。ILL-BOSTTINOは リリックにアレンジを加えながら、"ILL-BEATNIK"や"未来は俺等の手の中"をその場に確実に届く言葉でラップしていた。ILL-BOSTTINOは辺野古でライヴをやることの意味を魂の深いレヴェルで感受して、政治的領域ではなく人間の領域でオーディエンスのひとりひとりに向けて全力投球していた。コモンのソウルフルなトラックを使っていたのも印象的だった。これまで何度かTHA BLUE HERBのライヴを観ているが、それまでにない種類の、崇高な魂の叫びを感じる思いだった。勇敢な愚直さだけが切り拓ける領域とでも言えようか。彼は最後に、「沖縄のことを全世界に伝えてください」とオーディエンスに丁寧な口調で語りかけ、帽子を取り、深々と頭を下げた。そして、拍手の嵐が吹き荒れた。

熱い演奏を繰り広げるソウル・フラワー・ユニオン。

 さすがの七尾旅人も彼らのライヴのあとではやりにくかったんじゃないだろうか。しかし彼は嵐のあとの静けさと暗闇が覆いはじめた海辺の幻想的なシュチュエーションを味方につけて、これまた素晴らしくコズミックなライヴを見せてくれた。僕は喫煙所の椅子に腰掛けて、じっと音に耳を傾けた。七尾旅人は最近ではお馴染みのアコースティック・ギターとサンプラーによるライヴを披露していたが、いつもと違ったのは虫や波や木々の織り成す自然のハーモニーが彼をバックアップしていたことだ。そんななか、七尾旅人は"どんどん季節は流れて"や"Rollin` Rollin`"をやった。どこかエロティックで魅惑的な演奏に多くの人が酔い痴れていた。いつもより冗談も少なかった気がする。彼は多くの言葉を語らなかったように思えた。それで充分だった。その頃には、何か濃密な空気が会場を覆っていた。
 そしてフェスのクライマックス、ソウル・フラワー・ユニオンから沖縄の陽気なサルサ・バンド、KACHIMBA DXへと続く有機的なリズムの渦のなかで、僕はアホみたいに気持ちよくなっていた。ピース系のイヴェントにありがちな、ある種の品行方正な平和の訴えに流れず、最後を情熱的なダンス・ミュージックでぶち上げる精神に僕は共感した。ここでこれ以上あれこれ書くのはとりあえず止めておく。来年もあれば、行きたいと思わせるフェスだった。そう、あそこに集まった1000人近くの人たちはわかっている。PMFにはたしかに音楽のマジックがあったということを――。僕はそのあと、沖縄でやることをやって、飲んで遊んで、心地良い余韻に浸りながら帰路についたのだった。

interview with OTO - ele-king


サヨコオトナラ
トキソラ

ApeeeRecords

www.watonari.net

 よく晴れた心地よい日曜日の野音、お昼前、芝生の上に座ってサヨコオトナラのライヴを観る。OTOのアコースティックギターと奈良大介のジンベはそれがたったふたつであることが信じられないように、豊饒なリズムを創出する。アフロ、奄美の島唄、カリブ海、盆祭り、阿波踊り......ステージの中央にいるサヨコはいわばシャーマンだ。彼女は......物部氏と蘇我氏の争い以前の世界の、たとえば縄文時代のアニミズム的な宇宙を繰り広げているように僕には見える。いわばコズミック・ミュージック、強いて言うならアシッド・ダンス・フォーク、もし誰かがシンセサイザーを入れたらこれはクラウトロックと分類されるかもしれない。
 ステージの前にはただ酒がふるまわれている。若い子連れの姿が目立つ。OTOは、じゃがたら時代と寸分変わらぬ動きでギターを弾いている。楽しそうに、リズムに乗っている。奈良大介は複数の楽器を器用にこなす。サヨコは実に堂々と、彼女のコズミックな歌を、そしてソウルフルに披露する。最初は座って聴いていたオーディエンスだが、その音楽の魅力にあらがえず、やがて立ち上がり、しまいにはステージのまわりで多くの人たちがダンスする羽目となった。ちなみに彼らの音楽は、僕の文章から想起する以上に、モダンである。
 サヨコオトナラは、日本全国に拡散しているオルタナティヴなコミュニティを渡り歩いている。これは、はからずともUSアンダーグラウンドのフリー・フォークにおける旅しながら演奏してCDRを売っていくスタイルと同じだ。それをいま、元じゃがたらのギタリストと元ゼルダのヴォーカリストがやっているのはなんとも興味深い話である。


エド&じゃがたらお
エド&じゃがたらお春LIVE

ディスクユニオン

amazon

 2010年は江戸アケミ没後20年ということで、お春時代のじゃがたらのライヴ盤がリリースされることになった。アルバムには、80年代の日本を駆け抜けたこのバンドの、もっとも初期のエネルギーが詰まっている。そして『エド&じゃがたらお春LIVE』の1ヶ月前には、サヨコオトナラのセカンド・アルバム『トキソラ』が発表されている。バブルに浮かれた80年代の日本において日雇い労働者の町として知られる寿町でフリー・コンサートを開いた"いわば反体制的な"バンド、そして21世紀の日本で全国の小さなコミュニティを旅するスピリチュアルなバンドとのあいだには、もっと多くの言葉が必要ではないかと僕は考える。それはこの国のカウンター・カルチャー(と呼びうるに値するもの)において、極めて重要な一本のラインだからである。
 
 いずれにしても、現在、熊本で暮らしているOTOに話を訊けることは、僕にとって光栄なこと。実をいうと、この偉大なギタリストとは『エド&じゃがたらお春LIVE』のブックレットのために数か月前に会って、この取材の前日にも会って話している。たくさんのことを話し、そして例によって僕はビールを飲みながら話したために、内容がとっちらかってしまった(隣にはあのうっとおしい二木信がいたし......)。
 ......が、心配は無用です。僕たちにはひとつの言葉があるのです。「狂気時代の落とし子たちよお前はお前のロックンロールをやれ/答えなんかあの世で聞くさ」

彼が亡くなってからずっと、いまでもアケミの詩集を読み返すんだよ。そうすると、当時気にならなかったフレーズが、10年後に気づくとか、13年目に初めてわかってくるとか......、あるんだよ。たとえば「業を取れ」とか「微生物の世界」という言葉とか、「俺は音楽とか止めて百姓やりたいよ」とかさ(笑)。

じゃがたらお春のライヴ音源が出ることになった経緯からお願いします。

オト:じゃがたらが影響保存されて20年になるんで、なんかやりたいなと、去年からずっと考えていたんだけどね。そうしたら、昔、BMGでじゃがたらのディレクターをやっていた方から、トリビュート盤の企画をいただいたのね。トリビュート盤に関して、僕がどうこう意見を言える立場ではないんだけど、僕がちょっと失礼な発言をしてしまったんです。で、それがぽしゃってしまって......、じゃがたらの残ったメンバーと大平さんという『南蛮渡来』の頃にマネージャーやっていた人なんだけど、いまでもすごく応援してくれてね、僕らを育ててくれたような人なんですけど、彼らとも話をしていて、彼らはやっぱ若い世代に伝えたいという意見だったんだけど、僕がトリビュート盤の企画をダメにしちゃったから。

「トリビュート盤なんてダメだ!」って言ったんですか(笑)。

オト:失礼な言葉を言ってしまったんです......「クソみたいなのを作られてもなー」みたいな(笑)。

ハハハハ。

オト:いや、その企画がクソだと言ったわけじゃないんだよ。

わかります。トリビュート盤ってたくさん出回っていますけど、アルバムのなかに必ず「この人ホントにトリビュートの気持ちがあってやってるのかな?」というのが入っているし、誠実さの問題としても難しいところがありますよね。ホントにカヴァーしたい人が参加できなかったりすることもあるし。

オト:誠実さが大事ですよ。

ただ、いまの時代、じゃがたらをトリビュートすることは面白いとは思いますけどね。

オト:うん、人気がある人たちがカヴァーやってくれて、それで若い世代へと広がるというのはひとつの考え方としてわかるけど、それは僕の考え方ではない。そんなことで時代は動かない。

まあ、そうですけど。

オト:そういう風に売れるってことに意味を感じていないんだよね。そんなところに頼りたくはないというかね。実際に、ライヴでじゃがたらの曲を演奏している人たちとか知っているけど、そういう風に、本当にやりたいのならやって欲しいなと思うけど。ただ、生き様にも何もならないようなことはいい。企画があるからやりましたというのが出てくるのが嫌だったから。まあ、ありがたい話だとは思うんですけどね。こんなご時世に、じゃがたらのトリビュート盤を作ったところでレコード会社が儲かるわけじゃないし。

それで、結局、じゃがたらお春のライヴをCD化することになったんですね。

オト:うん、これはでも、前から出したいと思っていたんだよ。

オトさんと知り合ってから10年以上経ちますけど、オトさんがどんどんじゃがたら化しているように思うんですよ。

オト:そう? だったら嬉しいね。

江戸アケミさん化している?

オト:いやいや、アケミはスペシャルな人だったから(笑)。ただね、彼が亡くなってからずっと、いまでもアケミの詩集を読み返すんだよ。そうすると、当時気にならなかったフレーズが、10年後に気づくとか、13年目に初めてわかってくるとか......、あるんだよ。「いままでこう思っていたけど、実はその奥にはこういう意味があったんだ」とかね。たぶん、じゃがたらのファンの人にもそういう思いは巡っているんじゃないのかな。僕は僕なりに読んで、自分のなかにアケミの詞でキーワードみたいに引っかかる言葉があって、それを無意識に追いかけていったらいまの僕がいるという感じで、だから、やっぱ影響は大きいと思うんだよね。たとえば「業を取れ」とか「微生物の世界」という言葉とか、「俺は音楽とか止めて百姓やりたいよ」とかさ(笑)。亡くなる3日前の鮎川(誠)さんとの対談で、話が途切れたときに空を見つめるように「いやー、これからは緑というのがテーマになるような気がするんだよね」と言っていたこととか。そのときアケミはその「緑」についてうまく言語化できなかったけど、本当はもっと言いたいことがあったと思うんだよね。ただ当時は、「そんなことを言ったって、どうせおまえらわからないだろ」というような、アケミと他のメンバーとのあいだの決定的な距離というものがあってね。だからアケミは僕らには説明しなかったのかもしれないけど。

でも、いまの話はまさにオトさんの現在やっていることと結びついている話ですよね。

オト:うん、そうだよね。

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日本の音楽史におけるサザン・ロックからの影響に関して言えば、麻琴さんや細野さんからボガンボスまでが空白になっているけど、実はそのあいだにストリートではこんなバンドがいたんだよっていう、そこも言いたかった。だからちょっとお節介なところもあるんだよ。


エド&じゃがたらお
エド&じゃがたらお春LIVE

ディスクユニオン

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現在のオトさんのラディカルな活動もそうですけど、僕はじゃがたらお春が2010年に出たことがいくつかの理由で面白いと思ったんです。前に会ったときにも言いましたけど、あんなに楽しそうに演奏しているじゃがたらを初めて聴いたし。

オト:そうだよね(笑)。

あと、2010年にじゃがたらというのは、逆説的に言えば、いまもっとも求められていないんじゃないかと(笑)。1980年代当時も反時代的だったけど、2010年ではますます反時代的になっているというか。

オト:いやもう、80年代だってビリビリに酷かったよ。

ライヴの最中に喋りまくって(笑)。

オト:「うるせー!」とか言われてね。スカパラやミュート・ビートなんかといっしょに出ると野次がすごかったよ。お洒落さんたちがいっぱい来たから、アケミが曲やらないでMCでずっと喋ってるから、「説教しないで音楽やれよ!」とかね。

こだま(和文)さんはいまそうですよね(笑)。

オト:こだまさんはそこ引き継いでるから。

耳を塞いでしまいたくなるうようなことを言うバンドだったし、あと、『君と踊りあかそう日の出を見るまで』に象徴されるように、音楽表現に対して表現者はどこまで誠実になれるかみたいなところがありましたね。ああいう問い詰めていくような厳しさは、いまメインストリームにはないものだから、いろんな意味で2010年にじゃがたらが出るのは実験的だと思ったんです。

オト:僕が入ってから音楽が洗練されて勢いが出たということになっているんだけど、実は、僕が入る前から......。

素晴らしいですよね。レゲエもそうですけど、サザン・ロックの感じはもうホントに格好いいですし。

オト:僕はダブやアフロビートをやりかったんだけど、僕が入る前から、ニューオーリンズみたいな部分、イアン・デューリー&ブロックヘッズみたいなこと、"なにもかもが"や"ぶち壊せ"みたいな曲はあったんです。"なにもかもが"なんかは、イアン・デューリーより数年早く同じことをやっているんです。コードの感じとかね。アケミはああ見えてもドナルド・フェーゲンが好きだったから。ちょうど『それから』を録っているときに"TABOO SYNDROME"でね、コードはお洒落な感じで、リズムでは土臭いことをやりたいと思って、で、そうやったんだけど、あの曲を演っているときにアケミのドナルド・フェーゲン好きが発覚した。「俺はドナルド・フェーゲンが好きでな、『ガウチョ』に関してはけっこう詳しいぞ」って(笑)。

へー、それは意外でした。

オト:なのに、俺がスタイリッシュに仕上げようとするとぶち壊してくるんだよね。

ハハハハ。とはいえ、アフロビートというコンセプトを考えると、やっぱじゃがたらはオトさん抜きでは考えられないですよ。

オト:フェラ・クティもファンキーで、すっとぼけたところがあったけど、そこがまたアケミと似ててね。赤堤に成田さんというフェラ・クティのアナログ盤をずっと集めている人がいてね、僕らは芽瑠璃堂で購入していたんだけど、当時はまだなかなかに入荷されなかったし、入荷されても「あ、これ持ってる」とかね。だからバンドの練習が終わると成田さんのところに行って聴いていたの。6時ぐらいに行って、延々とフェラ・クティばっかり聴いている(笑)。

僕ら世代なんかは、逆にじゃがたらを通して知ったところがありますからね。

オト:当時はまだ、芽瑠璃堂でしか売ってなかったんじゃないかな。情報もまったく入って来てなかったし。

じゃがたらに関しては本当にたくさんのいい話がありますよね。こないだオトさんに教えてもらったあの話も最高でしたね。赤いジーパンはいて、上半身裸でピンクの腹巻きで登場したっていう......。

オト:野音でね、しかも「青空ディスコ!」って叫ぶという(笑)。

ハハハハ、労働者のスタイルですね。

オト:完全に労働者だよ。

フェラ・クティの精神的なところにも惹かれていたんですか?

オト:たとえば、JBズが好きな人って六本木や赤坂行けばいっぱいいるわけ。それはJBズは素晴らしいけど、僕らはアフロビートのところに持って行かれたんだよね。まだ誰もやっていないリズムのパターンとかあってさ。

オトさんのリズムの研究はすごいですからね。話し聞いているとこんなに左翼なのに、ネプチューンズが最高だって言ったりする(笑)。

オト:ハハハハ、それはリズムの面白さだよね。

じゃがたらお春に話を戻すと、さすがにまだこの頃は狂気はないですよね。

オト:ないね。......えっとね、その前に話を戻すと、僕が入ってから音楽が整理されたとなっているけど、それは僕にとってこそばゆいところがあるんだ。まずニューオーリンズのあのサウンドに関してだけど、アケミやナベちゃんやEBBYが出会ったのも、「当方サザン・ロックやるので」みたいなメンバー募集からだったのね。で、当時、お春はデモテープを持っていろんなところを回っているんだよ。それでも、たぶん、演奏力とか音楽性とかそういうもの以外の理由でキャッチされなかったんだろうね。むさ苦しいとか、汚いとか......ね。そういう当時の見る目の無さに対して「おいおい」と釘を刺したかったのもあったし、それと日本の音楽史におけるサザン・ロックからの影響に関して言えば、(久保田)麻琴さんや細野(晴臣)さんからボガンボスまでが空白になっているけど、実はそのあいだにストリートではこんなバンドがいたんだよっていう、そこも言いたかった。だからちょっとお節介なところもあるんだよ。

音はサザン・ロックなのに、歌詞はパンクなんですよね。

オト:歌詞はパンク(笑)。

あれは何なんでしょうね。

オト:サザン・ロックというのは揺らすためのもの、踊るためのものだから。身体を揺らして、キツイことをがーんと言うっていうのはアケミのスタイルだよね。あとアケミやナベちゃんやEBBYはザッパが好きだったね。当時はザッパ好きというのがなかなかいなかったし、僕はザッパは聴いてなかったんだよね。僕はとにかくダブをやりたかったから。

当時のオトさんのテレキャスターにはTAXI(スライ&ロビー)のステッカーが貼ってありますからね。

オト:レヴォリューショナリーズが大好きで、スラロビが大好きだったから。

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渋谷の屋根裏だったんだけど、ライヴが終わって楽屋に行ったら、その殴ったヤツが「アケミ、ごめん」って言うのね。そしたらアケミが「ごめんてな、すげー痛かったよ」って。「おまえな、ビール瓶で殴られると相当に痛いぞ」って、それで終わりだよ。「なんちゅー、男だ」と思ったよ。

で、「家族百景」のインナーの写真では、オトさんがTAXIのステッカーを貼ったギターを弾いている前には顔面から血を流している男がいるんですよね。その光景は、フェラ・クティでもレヴォリューショナリーズでもないわけですよ。

オト:あれはね、誰かがビール瓶でアケミの頭を殴ったら、見事に瓶が割れて、その破片で血を流しているんだよね。で、アケミが偉いのは、そのときそんな目にあっても怒らないんだよ。渋谷の屋根裏だったんだけど、ライヴが終わって楽屋に行ったら、その殴ったヤツが「アケミ、ごめん」って言うのね。そしたらアケミが「ごめんてな、すげー痛かったよ」って。「おまえな、ビール瓶で殴られると相当に痛いぞ」って、それで終わりだよ。「なんちゅー、男だ」と思ったよ。

ハハハハ、天才的に大きな人だったんですね。ちなみに最初はミーターズやアラン・トゥーサンを手本にしていたんですか。

オト:僕にとっての入口はダブとアフロビートだったけどね。ただ、僕はパンク上がりだったし、最初から音楽の知識があったわけじゃないんだよ。ポップ・グループがいて、「JBズみたい」って音楽誌に書いてあったから聴いてみたんだけど、ちょっと毛色が違っていたし。

いろいろ追求するのは、じゃがたらに入ってからなんですか?

オト:じゃがたらに入ったら、とくにベースのナベちゃんがひと通り面白い音楽を聴いていた人で、練習終わってから成田さんのところに行かない日はナベちゃんのところに行って、いろいろなレコードを聴くわけ。スタジオでセッションしていたら「おまえもキャンド・ヒートみたいなギター弾くな」とか言われて「誰、そのキャンド・ヒートっていうのは?」って言ってたくらいなんだよね。それでナベちゃんの家行くと「キャンド・ヒートならこれがいいんだよ」とか「ミーターズならこれ」って聴かせてくれるんだよね。ナベちゃんはじゃがたらの前はブルース・バンドを経てきていたから、基礎ができていたんだよ。

アケミさんのあのパンクな歌詞はどこから来ていたんですか?

オト:三里塚で、頭脳警察を聴いて、パンタさんの歌を聴いて、そのインパクトが強かっみたいだね。それから彼のなかで「闘争」が入っているんですよ。

なるほど。子供の頃にバキュームカーの運転手になりたかったというエピソードも僕は好きなんですよね。最初からものの見方がちょっと違っていますよね。

オト:そうそう、あれは83年だから、ちょうどテンパったときかな、アケミが言っていたんだけど、彼が小さい頃、お父さんがお酒に酔うとトイレで用を足したときに漏れたりしたんだって。それをお母さんじゃなくてアケミが拭いていたらしいのね。で、大きくなったらバキュームカーの運転手になりたいと思ったんだって。なかなかそういう発想にいかないよね。

すごくいい話ですよね。

オト:あとね、クラスで嫌われている子がいると、わざわざその子に近づいていって、仲良くなって、「俺はあの子と仲良しだぜ」って言いふらしたりとか。別に正義の味方ということじゃないけど、「なんだよ、みんなしてイジメやがって」っていう集団の予定調和に対する反発心だよね。そう、そういう反発心が最後まで強い人だった。

それはもうあれですね、毛利嘉孝先生の名言で、「狂気とは相対的なものであり、80年代は世のなかが狂っていたのであって、江戸アケミがまともだった」ということですね。

オト:高校のときは新聞部と山岳部だったらしいし。すごい真面目で、ストイックだよね(笑)。

話が飛んで申し訳ないんですが、オトさんが今回、じゃがたらお春出すのは......、まあ、経済的な見返りなんてないわけじゃないですか。

オト:まったくない。

それでも出すというのは、何か他に強い気持ちがあるんですよね。

オト:うん、今回の音源に関しては、そこに僕もいないわけですよ。僕から聴いてもすごくいいなと思ってたもので、それを聴いて誰がインパクトを感じるかわからない。若い人の耳に届いたときに、なかには強いインパクトを受ける人がいるかもしれない。それは僕の感じ方とは違ったものになるだろう、だから出しておきたい、というのがまずあった。そして、"HEY SAY!"と"もうがまんできない"を演っているんだけど、この頃のアレンジがすごく温かくて、音楽の良い部分をやっていて......。『南蛮渡来』は、もう背負ってしまっているからね。

すでに好戦的になってますよね。

オト:そうなんだよ。だって「オト、おまえは真面目だ。だが、俺はマジだ」みたいな感じで言ってたんだよ。それは僕に対するアンチなんだよ。「真面目止まりでは話にならないぜ」っていう意味だから。「マジにならんといかんぜ」っていうことを言ってきた。『龍馬伝』のなかの坂本龍馬が挑発するみたいな感じだね。

アケミさんの怒りのようなものはバンドで共有していたんですか?

オト:アケミも共有を強いてなかったからね。ナベちゃんは、「俺には女房がいるけど、でも、アケミの死に水を取るのは俺だ」と公言していたけど。女房以上に愛しているという意味で言っていたんだろうね。だから、83年にアケミがイってしまったときに、「どうしてイってしまったんだ?」って、三日三晩、寝ないで調べて、彼自身もイってしまうんだよ。アケミと同じ道を辿れるわけないのに、行こうとしたんだよね。そうして、83年にふたりともはずれてしまったんだよ。

さっきパンタさんの歌を聴いて、影響を受けたと言いましたけど、アケミさんには60年代的な左翼運動からの影響はあったんですか?

オト:なかったね。むしろ、遠目に見てうっとおしいと思っていたんじゃないかな。団体行動をすごく嫌っていたから。それが「お前はお前のロックンロールをやれ」に繋がっていくわけだから。87年ぐらいかな、雑誌に「カリスマ」って書かれたことにすごく傷ついていたことがあったのね。それをライヴをやる度にステージ上で執拗に訂正するんだよ。こっちは「書いた人がそう思って書いているんだから、別にそこまで気にすることはないじゃない」と思うわけだよ(笑)。でも、アケミはそうやって幻想を読者に振りまくのが許せなかったんだよね。自分がそういう幻想に乗っかるのが本当に嫌だったんだよ。それで「じゃがたらなんか見に来なくてもいいんだ、おまえたちはおまえたちの友だちを作れ、じゃがたらなんか見に来るな」とか言ってるんだよ。

ハハハハ。学祭のライヴでさえも、そういう言葉で客を挑発していた。

オト:でも、そういう言葉が爽快なんですよ。

観に行ったら楽しませてくれるのが当たり前だってタイプのライヴじゃなかったですよね。客が聴きたいと思っている曲をガンガン演っていくようなものでもなかったし、「今日のライヴ良かったねー」「ありがとう!」って感じではなかったですからね。

オト:僕が入る前のまだスキャンダラスなステージをやってた頃も、お客がそれを求めているから野次が飛ぶわけ、「ほら~、うんこしてくれ~」とか(笑)。ステージでは"もうがまんできない"のイントロが演奏されていて、そのなかでアケミはお客と掛け合いやっているんだよ。「おらおら、おまえら暗いぞ、日本人ってこんなに暗いのか!」とかガンガン挑発している。で、お客が怒ってくると「そうだ、そうだ、その怒りの顔だ!」って(笑)。「おらおら、じゃがたら嫌いんだろ? 嫌いだったら嫌いだって、でっかい声で言えよ!」とか言ってる(笑)。もうね、そういうコミュニケーションが爽快でね。そこまでのコミュニケーションっていまある? 

ハハハハ。

オト:でも、アケミがテンパってからは、ステージの上ではあんなに喋れたのに、ステージを降りるとぜんぜんダメだった。87年の「ニセ予言者ども」の頃だってそうだった。ぐたーっとしちゃってね、ものすごい体調が悪い。

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持続可能な循環型社会という答えが見えたんだよ。で、それが見えた時点で、僕は自分でそれをやってみたくなったんだよね。だから、レコード店が客にレコード袋を出さないんじゃなくて、そう思うんだったらまずは自分でそれを実践すればいいと思うんだよ。


エド&じゃがたらお
エド&じゃがたらお春LIVE

ディスクユニオン

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じゃがたらはひとつの分水嶺だったんでしょうね。80年代はまだじゃがたらのような文化は求められていたけど、結局、じゃがたらの理想主義的なところは90年代に駆逐されていくわけでしょう。江戸アケミのようなメンタリティはなかったこととして日本の音楽シーンは発展していくわけだから。

オト:たぶんね、88年ぐらいに、アケミとこだまさんはそのことを感じていたんだと思う。日本のなかでただ普通に音楽を演ることに大きな疑問を感じていた。篠田(昌已)君なんかはアケミの気持ちがわかっていたほうだったけどね。

時代はまさに中曽根内閣でしたからね。新自由主義のはじまりとともにじゃがたらははじまっているんです。

オト:そう、はじまっている。

僕なんかも当時の浮かれた日本のサブカルが大好きなひとりだったから、江戸アケミさんの言葉を心から理解できていたわけではないんです。

オト:ただね、社会に生きていて、本当に言いたいことがあってもそれが言語化できない人たちはたくさんいると思うんだよね。たとえば、僕がある野菜を食べたとする。で、農薬が入っていて身体受け付けなかった。「なんで野菜を食べないの」と言われる。それは野菜ではなく、僕の身体が農薬を受け付けていないってことなんだけど、食べている時点ではそれを言語化できない。そういう風に言えないことってあると思うんだよね。学校だって、会社だってそうだけど、そうなってくるとはずれるしかないじゃんね。で、はずれたほうがいいんだよ。ただ、はずれたあと、快適に過ごさないと悔しいじゃん。

ハハハハ、悔しいっすよね。ただ、逞しさみたいなものがあったんでしょうね。もうひとつ僕が好きなエピソードで、バンドで食えない頃に、アケミさんが下北沢のパチンコ屋の呼び込みやってて、それで夜には渋谷の屋根裏でライヴをやるというがあって。そうした逞しさ、地に足がついた感じで音楽をやっていたわけですよね。しかもあれだけネガティヴなことを歌いながら、ダンスに向かう。

オト:踊るのはあの頃、解放って言葉で言ってたけど。

フォークにはいなかったんですね。

オト:フォークにはいかないんだけど、"中産階級ハーレム"を持ってきて歌うときのアケミは完全にフォークなんですよ。だけど、それをフォークの文脈には絶対に入れたくないというね。

"中産階級ハーレム"はしかも長い(笑)。

オト:あんな長いフォークはない(笑)。

名曲ですよね。

オト:名曲だよあれは。こないだジョン・レノンの"ワーキング・クラス・ヒーロー"を聴いたときも、あれはアケミのアンサー・ソングなんだなと思ったよ。「日本じゃ、中産階級て言われて、ぷらぷら浮かれているよ」ってね。

だけど、いまほど中産階級に憧れている人が多い時代もないんじゃないですかね。

オト:どうだろうね。ヒップホップやレゲエみたいにミュージシャンやりつつ社長みたいな感じが出てくるとさ、案外みんな産業だと思っているんじゃないの。とにかく商売っていうかさ。どうなの?

うまくやれているのはごくいち部ですよね。そういえば、今回のじゃがたらお春では、かなり気合いの入ったブックレットを付けていますよね(執筆陣は、磯部涼、こだま和文、二木信、毛利嘉孝、湯浅学、それと筆者)。

オト:ただ出すだけでは無責任だなと思って。2010年に出すことの意味を考えたいと思ったんだよね。あのライヴ音源のマスタリングに関しては、実はずっと前にやっていたんだ。いつか出したいと思っていたんだよ。あとは毛利さんの『ストリートの思想』がすごいきっかけでしたけどね。

『ストリートの思想』は初めてちゃんと日本のポスト・パンクを政治的な文脈で説いていったところが良かったですよね。政治や社会の文脈でああいうことを書く人がいなかったから。

オト:まったくなかった。80年代の機運としてはまったくなかった。じゃがたらなんて、超浮いてたもん(笑)。

吉本隆明が広告になっている同時代に、屋根裏で血を流して踊っていたアケミとは何だったろう? って思いますよ。

オト:こう言ってはなんだけど、ポスト・パンク時代のノイズにしたって、音楽誌に書かれているアートとしてのノイズというベタな表現に思えてしょうがなかったんだよね。時代がさ、そういう時代だったでしょ。パンク、オルタナティヴ、ノイズ。映像作家だってノイズを入れて作品を出していた。僕からみたらみんなアンパイだよ。時代のなかのカラーリングでしょ。じゃがたらは全然関係なかった。パンクとは違うイディオムが入っているし、レゲエをやっていても、ミュート・ビートみたいにレゲエをそのままやるようなことはなかったしさ、アディダスをはいたこともなかった。まあ、みんな、そりゃあ、ダサいよ。アケミは赤いジーパンにピンクの腹巻き(笑)。「おい、そりゃあ、何なんだよ!」って(笑)。

ハハハハ、最高ですよね。80年代は、いま思えばニューウェイヴのセンスほうがメインストリームだったと言えるほどで、じゃがたらは本当に、まったくの反時代だったんですね。

オト:そんなんじゃ売れないよね、糸井重里が西武デパートで「おいしい生活」って時代にさ、「青空ディスコー!」じゃ(笑)。

ハハハハ。「おいしい生活」は終わったけど、「青空ディスコ」はレイヴ・カルチャーを予見したじゃないですか。そろそろ、サヨコオトナラの話をしましょう。現在のオトさんの活動のきっかけは、9.11にあるんですよね。

オト:そう、オルタナティヴへの流れだね。

環境問題と音楽の話でもありますよね。すごく重要な問題だし、同時に際どい問題でもあると思います。僕みたいなへそ曲がりは、たとえば、たまにレコード店なんかでも「うちは手提げ袋を出さないんです」とか言うのを見ると、「客に押しつけやがってー」「だったら10円でも安くしろ」と思ってしまうわけです(笑)。もちろん自分が正しいとは思ってませんが、今日では、下心見え見えのエコやオーガニックも少なくありませんし......。ただ、先日、サヨコオトナラのライヴをやった「土と平和の祭典」はとても面白かったです。行ってみないとわからないとはまさにあれで、普天間基地問題から原発問題とか、いろんな回路が用意されているんですね。僕は、ナチュラル系と言われるような、海辺でただ享楽的過ごしているだけのことをいかにも自然を愛してますっていう偽善的な態度が嫌いなのですが(笑)。

オト:ハハハハ。

そういうのとは明確に違った意識の高さをもったフェスでしたね。子連れが多かったのも良かったです。オトさんはどうしてああいう方向に行ったんでしょうか?

オト:僕はね、9.11の前から都会で音楽を楽しむことが減ってきてしまっていたんだよ。トランスであれ、レイヴであれ、祭りであり、都会から離れたところで音楽を楽しみはじめてしまっていた。新宿の風俗店で火事があった頃から、〈リキッドルーム〉に行くのにも、僕は覚悟していた。いつ死んでもいいようなね。飛行機に乗るときもそうだよ。こんな高いところ飛んでいるんだから、落ちて死んだって仕方がない。この景色を冥土のみやげにしようって、そう思って乗ってるから。それと同じように、都会はもう、自分で自分の身を守れるところではなくなってしまった。東京で音楽を楽しむことができなくなってきてしまったんだよね。

でも、全員が全員、田舎に住めるわけじゃないじゃないですか。

オト:そうだよ。ただ、いまはその角度からの話はちょっとおいてもいいかな。で、9.11があったときに、3日後に坂本(龍一)さんの「非戦」のサイトがあって、そこからいろんなリンクを追っていったのね。その前に、沖縄で少女暴行事件があったじゃない。それで地位協定について知って、で、「日本って、ぜんぜん独立してるわけじゃないじゃん」って。それまで僕は、世界のことや日本の政治のことを積極的に探ってなかった。スティングがアマゾンの自然危機を訴えるためのワールド・ツアーをはじめたときも、「そういうのは専門家がやれば」って感じで、「僕は音楽のことをやるから」って思っていたのね。だけど、9.11のときは、「これは子供がじゃれ合ってるなんてもんじゃないぞ、世界はもうドクターストップだ」と思ったんだよ。当時僕は映像をザッピングしていて、ペンタゴンには本当に飛行機は落ちていないし、どうも怪しいと、自分のなかに確信は持てなかったけど、ホントのテロじゃないなと思っていたんだ。そしたら、まあ、本を読んだり、ネットを調べると、陰謀説のようなことがいろいろ出てくる。しかし、テレビのニュースではまったく別の情報が流れている。これはもう、自分で把握できないと次に進めないなと思った。「僕は音楽専門で、環境系は専門家に任せます」っていう態度では次に進めないなと思ったんです。

しかし、その9.11から環境に進んだのはどうしてなんですか?

オト:で、いろいろと勉強してって、教育の問題、食べ物、医療、建築......この世は相当なまやかしでできていることがどんどん見えてくる。バビロンもへったくれもない。

思っていた以上にバビロンだったと(笑)。

オト:そう、こんなにもはっきりバビロンだったとはねー(笑)。これはもう、このままいまの流れを続けていったら人類はないと。

オトさんの場合、田舎に住んではいますけど、こないだ野音でライヴやったように、都会でもライヴをやってますからね。隠遁しているわけではない。

オト:隠遁してるわけじゃないからね(笑)。ただ、都会に住んでいるとアンチにならざる得ないよね。システムがあまりにも作られているから。持続可能な循環型の社会ではない。

なるほど。

オト:そう、持続可能な循環型社会という答えが見えたんだよ。で、それが見えた時点で、僕は自分でそれをやってみたくなったんだよね。だから、レコード店が客にレコード袋を出さないんじゃなくて、そう思うんだったらまずは自分でそれを実践すればいいと思うんだよ。買わないという意志をもつこととかも重要だよね。消費こそがいちばんの政治行動だから、イラク戦争のときにわかったのは、みんなが貯金しているなかの財政と融資という枠から国が好きなように使う権利を持っていて、そのなかから国が武器や爆弾を買ってるなんて......まあ、言語道断の話なわけだよね。銀行を使うってことはすでに民主主義でもなんでもないし、そしたら僕らの意志は関係ないってことだから。さらにお金についても考えたんだ。「お金って何だろう?」って思って。自分もそうだったけど、お金がないと困ることがたくさんある。生活するなかで最低限のお金は必要だからね。だけどね、お金がないと淋しい気持ちになるよね。

なりますねー(笑)。

オト:でも、精神にそこまで影響をおよぼすお金って何よって思うわけ。「人の精神を救うものがお金なの? それって正当なの?」って。お金の実態を知りたいと思ったんだよね。そしたら名古屋の在野の青木(秀和)さんって学者の書いた『「お金」崩壊』っていう新書が面白くてね。僕の知りたいことがいっぱい書いてあった。銀行の話から地域通貨の話とかね。それから阿部芳裕さんの書いた地域通貨に関する本を読んで......あとは太田龍っていう。

竹中労と平岡正明と3バカゲバリスタを組んでいた人ですね。

オト:太田龍がいっぱいフリーメーソンに関する翻訳をやっていてね、ものすごい仕事量なんだよね(笑)。もう死んじゃったけど、ものすごいスピードでものすごいたくさんの翻訳を出している。まあ、暴露本だよね。俺、ロフト・プラス・ワンで太田龍と対談したいって言ったくらいだから。

まあ、とにかく9.11以降、いろいろ勉強されていたんですね。

オト:うん、そう。じゃがたらの話に戻るけど、人びとがまやかしに踊らされない部分というかね、本当の日本の姿を見つめなきゃならないってアケミは言ってたんだよね。おそらく88年くらいから、彼の体調が急にアッパーにいくんですよ。それまでずっと安定剤を飲んでいたんだけど、86年ぐらいから日常生活では会話なんかも以前のように喋れるようになってくるし、筋肉もついてくるし、そうすると気が乗ってくるというか、彼のほうでもいろいろと話してくる。で、彼は日本の社会をできる限り見つめたいと思っていたけど、じゃがたらというバンドの中身が日本の小さな縮図みたいなもので、バンドのメンバーがアケミのことをぜんぜんわかってなかったんだよね、僕を含めて。だからアケミはライヴの演奏中に、バンドのメンバーに対しても「俺はじゃがたらなんかじゃねぇよ」という苛立ちを持ちながら歌っていた。これは『この~!!』というDVDに収録されているんだけど、"都市生活者の夜"のライヴ演奏で、意図的に音程をはずして歌ったことがあって、で、そのとき僕はそれが気にくわなくてね、「ふざけやがって」と思って、「そんな軽々しいフェイクで苛立ちを出しやがって」って。でも、彼のなかではその違和感がどんどん膨らんでいくんだよね。そうした、じゃがたらでの一連の出来事が、9.11があってから僕にはすごく透けて見えるようになった。アケミが感じていた部分が僕にようやく見えてきてね......アケミと僕が同じかどうかはもう参照することはできないけれど、でも、僕のなかでは「こういうことだったのかな」と思えたことがたくさんあった。僕なりに、バビロンの構造が透けて見えるようになったんだよ。

なるほど。

オト:そう、だから『この~!!』を観た人は、不快な思いをしたかもしれないけど、だとしたら、その不快感こそ、僕らが住んでいる日本に潜んでいる不快感に他ならないんだと言いたい。

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この編成がすごく大事なんだよ。移動しやすいというね。それでアコースティックで最小の編成になったというのがある。ライヴをやったあとに、いままでは泊まるのはホテルとかだったけど、いまは呼んでくれた人のお家に泊まるんですよ。そうすると、ご飯もいっしょに食べるし、翌日はいっしょに起きるし、何回もやっていると家族みたいになっていくんだよね。


サヨコオトナラ
トキソラ

ApeeeRecords

www.watonari.net

では、サヨコオトナラに話を戻しましょう。

オト:そういうのがあるんで、都市に暮らしながら変革することはもちろん重要だけど、サヨコオトナラは地球のなかの、グローバリゼーションではない、サステイナブルなものとしてのオルタナティヴを追求したいんだ。僕はね、そっちのサステイナブルなオルタナティヴに関してはぜんぜん知らなかった。だから面白くて、がーっと進んでいったんです(笑)。

端的に言うと、サヨコオトナラが目指すのは新しいコミュニティの創造だったりするんですか?

オト:そうだね。ただひとつのローカル・コミュニティではない、点在するところを繋いでいくコミュニティだよね。

それは素晴らしいコンセプトですね。僕は、サヨコオトナラのライヴを観ていくつか感動したんですけど、何度も繰り返しますけど、あれだけ子持ちのお母さんが来ているライヴは初めてでした。野外系は基本、家族連れが多いんですけど、それにしても割合が高かったなー。

オト:サヨコオトナラは家族連れが圧倒的に多いんですよね。

それも未就学の子供を連れたお母さんが多い。それがまず面白いですよね。よく見ると、元クラバー、元レイヴァーかなーみたいなお母さんもずいぶんいるし(笑)。

オト:たとえば、『六ヶ所村ラプソディー』みたいなのも、子持ちのお母さんが率先して上映会をやったりしているんだよね。

たぶん、オトさんがいまやっていることも社会運動のひとつの形態だと思うんですよね。

オト:ぜんぜん運動だね。

僕は、オトさんにはけっこう遠慮なく言ってますけど、サヨコオトナラの音は大好きなんです。サヨコさんの歌も素晴らしいと思います。でも、サヨコさんのシャーマニックな歌詞に"神様"という言葉が出てくると思わず引いてしまうのも事実なんです。

オト:シャーマンってね、スピリチュアルとか、超能力とか、いろいろあるからね。

アリス・コルトレーンは社会運動的だけど、むちゃくちゃシャーマニックじゃないですか。サン・ラだってそうですよね。海外のスピリチュアル・ミュージックは、外国語なので、聴いてられるんでしょうかね(笑)。ただそれを、サヨコオトナラは日本語でもやっている。最初はそこに戸惑いがあったんです。それはやっぱ、オウム事件のような日本の宗教的な狂気みたいなことが記憶に刻まれてるんで、警戒心が働いてしまうんですよね。ただね、実際にサヨコオトナラのライヴを聴いていると、本当に楽しい音楽なんだとわかるんです(笑)。踊り出してしまうようなタイプの音楽で、ダンス・ミュージックなんですよね。楽器を弾いているのはふたりなのにね。

オト:僕はもう、大所帯はやらないから(笑)。

じゃがたらで疲れたんですね、人間関係で(笑)。

オト:そう、人間関係で(笑)。

オトさんのなかではサヨコさんの歌詞はどういう風に理解しているんですか?

オト:サヨちゃんは、もちろん昔から知っていたけど、子供を産んでから変わったよね。

オトさんのなかで、サヨコさんの歌う"神様"はどういう風に捉えているんですか?

オト:神様はいっぱいいるよね。日本は、歌の神様もいれば、雨の神様もいる。

石にも木にも川にもいますからね。アニミズムですからね。そういう意味では水木しげるの世界というか、ボアダムスの世界というか、そういうものとも接点があるんでしょうね。そうした原始的なものを、社会運動的なものへと繋げていくのがサヨコオトナラの大きな目標みたいなものなんですか?

オト:ただ、社会運動はもっとちゃんとやっている人たちがたくさんいるからね。

さっきからコンセプトの話ばかりして申し訳ないんですが、ただ音楽としては本当に魅力たっぷりの音楽だと思います。集大成?

オト:サヨコオトナラの前身で、エイプっていう、女の子ふたりでやっていたバンドがあって。それはどんとが亡くなる前に旅していた日本のなかの経路、遠藤ミチロウさんが旅していた経路というものがあって、日本のあちこちにそういう拠点ができているんです。で、サヨコオトナラもその経路を旅しているんだけど、そのなかで回っていくときは、ドラムやベースが難しいんですよ。

単純に、身軽さってことですね。

オト:そう。モバイルでないとダメ。

トラヴェラー・スタイルですね。

オト:手持ち楽器ひとつ、車で4人で行けるってことだね。

ゼロ年代の、アメリカのフリー・フォークのシーンにはサヨコオトナラのようなバンドがいっぱいいるんです。

オト:あ、聴いてみたい。

だけど、オトさんがいないから、16ビートじゃないんです(笑)。

オト:ハハハハ。

ただ、サヨコオトナラのやっているコンセプトとかなりの部分で重なりますけどね。

オト:だからね、この編成がすごく大事なんだよ。移動しやすいというね。それでアコースティックで最小の編成になったというのがある。しかも、ライヴをやったあとに、いままでは泊まるのはホテルとかだったけど、いまは呼んでくれた人のお家に泊まるんですよ。そうすると、ご飯もいっしょに食べるし、翌日はいっしょに起きるし、何回もやっていると家族みたいになっていくんだよね。で、そこのエリア内の繋がりっていっぱいあるじゃない。そうすると、地元の繋がりのなかに自分たちが入っていくような感じになっていくの(笑)。それがね、僕にとってはすごくフィールドワークになっている。

そうなると、音楽関係者以外の人たちとも会うことになりますよね。

オト:それが面白い(笑)。

そうしたゆるやかなネットワークが日本全国にあるんですね。

オト:そう、グローバリゼーションではない。農業をやっている人が多いし、川のわき水で農業やっている人も多いよ。

僕がどれだけ俗っぽい人間かってことですかね(笑)。

オト:日本は、電気を作ってはいけないってプレッシャーをかけているんですね。先進国でそんな国はないんですよ。エネルギー自給と食料自給ができればさ、もし僕が市長だったら、自給自足コースを選んでいる人からは税金を取りませんと、その代わりに、税金に相当するものをなんらかの形で身体で返してもらえませんかと。お米で払おうとか野菜で払うとか。

だんだんクラスみたいになってきましたね(笑)。

オト:国ってホントにバカだからさ。「国家権力って何?」って思うもんね。「デモやったぐらいで逮捕するって何?」って思うけどね。

やっぱ、思想を警戒しているんじゃないですか。

オト:でもね、やっぱ政治を変えないと無理なんだよ。地方分権とか言ってるけど、分権するには、地方経済をちゃんと作れる状況だとか、なるべく自給できることを証明していかないと次のシーケンスにいけないんだよね。

あんま楽観的な気持ちになれないですけどね(笑)。ただ、僕らが若い時代を過ごした80年代よりも、いまの若者のほうがよほど社会に敏感だと思います。僕の世代なんか、僕も含めてほとんどノンポリですから(笑)。だから、じゃがたらやオトさんの話もいまの若い子のほうが切実に聞くかもしれないですよ。

オト:僕はいまキコリの研修に行ってるんですよ。

知ってます(笑)。

オト:森を元気したいから、そういうことをできるようになりたいなと思ってね。それで10年後にはキコリが似合うような人間になりたいんだ(笑)。

わかりました(笑)。今日もまた、いろいろ面白い話をありがとうございました。で、しかし、結局、じゃがたらって何だったんでしょうね。ものすごい問題提起をしていて、Pファンクみたいなものとも似ているけど......でも違うし。

オト:じゃがたらね......僕はね、リズムがはじまると、もう、そのなかにずっといたかった。とことんリズムのなかにいたかった。はじまったらもう、終わりたくなかったね。

もしも君が過去をたずねてなつかしがっても、
あの頃はまたあの頃で色々あったもんさ、
次へとわき出るリズムが前に進めとささやく
じゃがたら"つながった世界"

Chart by JETSET 2010.11.15 - ele-king

Shop Chart


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MOEBIUS & NEUMEIER

MOEBIUS & NEUMEIER ZERO SET 2 RECONSTRUCT PT.1 (RECONSTRUCT BY RICARDO VILLALOBOS) »COMMENT GET MUSIC
国内先行カットされたDJ NOBUに続き、Villalobosによる『Zero Set 2』リコンストラクトも待望のアナログ・カット。両面併せて33分超えのウルトラ・ディープ・トリップ。

2

V.A.

V.A. TIMELESS: SUITE FOR MA DUKES »COMMENT GET MUSIC
Mochilla主催の奇跡のコンサート『Timeless』シリーズ第3弾はJ Dilla!Slum Village"Fall In Love"、De La Soul"Stakes Is High"、Dwele"Angel"、ソロ作も含む全15曲!

3

MOEBIUS & NEUMEIER

MOEBIUS & NEUMEIER ZERO SET 2 RECONSTRUCT PT.2 (RECONSTRUCT BY PRINS THOMAS) »COMMENT GET MUSIC
国内先行カットされたDJ NOBUに続き、Prins Thomasによる『Zero Set 2』リコンストラクトも待望のアナログ・カット。今年の春に発表された1st.ソロ・アルバムの延長線上にある傑作ミックス!!

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HOUNDS OF HATE

HOUNDS OF HATE HEAD ANTHEM »COMMENT GET MUSIC
Salem + Gold PandaなUKサイキック・インディ・シンセ最前線!!Hype Williamsの友達というだけでもヤバすぎるロンドンの3人組、Hounds of Hate。ダブステップ以降のエレクトロニカにサイキックなオカルト趣味を山盛りにした、凄まじく最高のサウンド!!

5

DASO

DASO WHY TRY »COMMENT GET MUSIC
名門My Best Friendからのデビュー作"Daybreak"でシーンに旋風を巻き起こしたキラメキ込み上げテックハウサーDaso。伝説の1st.越えとなる大傑作を完成です!!

6

在日ファンクとサイプレス上野

在日ファンクとサイプレス上野 BAY DREAM ~FROM課外授業~ »COMMENT GET MUSIC
ハマケン率いる在日ファンクの3ヶ月連続コラボ・シングル。第2弾はサイプレス上野がライドン!!なんと"Bay Dream"のカヴァー!!サ上とロ吉の横浜クラシックが在日ファンク流に蘇ります!さらにカップリングも"担当者不在"カヴァー。当然サ上もマイクを握っております!

7

A.MOCHI

A.MOCHI PRIMORDIAL SOUP III »COMMENT GET MUSIC
WIRE10への参戦やヨーロッパでのツアー等、2010年は大きく躍進した一年となった日本人クリエイターA.Mochiによる3連続リリース・シングルの最終章。ヨーロッパのクラウドをうならせたファットな出音と空間演出に長けたサウンド・メイキングが今作でも炸裂しています!!

8

JAY KING & MACK ONE / D'LUX BEATS

JAY KING & MACK ONE / D'LUX BEATS 48 HOURS / KOTB / LAZY »COMMENT GET MUSIC
あの『Secondhand Sureshot』の元ネタ企画(!?)からの初リリースがコチラ!!20ポンド以内の予算でロンドンのレコ屋を巡ってネタ盤を掘り、各々が1日の期限で組み上げたビートで競い合う企画『King Of The Beats』の産物が7"化!

9

TOM TRAGO

TOM TRAGO VOYAGE DIRECT (FS GREEN REMIXES) »COMMENT GET MUSIC
ダーティ・ビーツとニュービーツを操る超新星FS Green現る!!注目のテックハウサーTom Tragoによる1st.アルバムからのリミックス・カットとして届けられた本作。実質的には天才新星FS Greenによる特大傑作1st.12"なのです!!

10

SLUGABED / GHOST MUTT

SLUGABED / GHOST MUTT DONKEY STOMP »COMMENT GET MUSIC
天才Slugabedと直系新星Ghost Muttによるカラフル・スプリット!!要注目新興レーベルDonky Pitchからの第1弾。スクウィー勢との交流も深める天才Slugabedと、オランダのLowridersからデビューを飾ったGhost Muttによる極上盤です!!

[Electronic & Chillwave] - ele-king

Games / That We Can Play | Hippos In Tanks


iTunes

E王 OPN(ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー、というのが正確な読み方ということです、すいません!)によるチルウェイヴ・プロジェクト、ゲームスが早くも2枚目のシングルをリリースする。4曲+ふたつのリミックス・ヴァージョン入り。
 1曲目の"ストリベリー・スカイズ"はメランコリックで甘ったるいドリーム・ポップ・ディスコで、なんの喜びもなく酒を飲みながら、しかし恍惚としているという、実に倒錯した享楽性をはらんでいる......ベースと歌はずいぶんと80年代風だが、録音のくぐもった感覚と別世界へまっしぐらなずぶずぶのアンビエンスはいまのモードを伝えている。続く"ミディ・ドリフト"は楽天的なフィーリングを伝えるクラフトワーキッシュな曲で、"プラネット・パーティ"はダークスターの『ノース』とも連帯するであろう悲しみのシンセ・ポップ......。
 そして、シングルのなかでもっともキャッチーなのがこの曲、"シャドウズ・イン・ブルーム(Shadows In Bloom)"。映像はM.I.Aの"ボーイズ"やエイフェックス・ツインも手掛けるウィアードコア(weirdcore)。どうぞご堪能ください。

#8:白く黒い魂に捧げる...... - ele-king

 昔から洋楽ばっか聴いて日本の音楽を聴かなすぎる、と言われる。サッカーはJリーグばっか観ているクセに......。
 そうした指摘はある意味では当たっているが、はずれてもいる。たとえ割合が低いとはいえ、日本の音楽を聴いていないわけではないし、あまりそれを繰り返されると強制されているようで気分が良いものでもない。そもそも洋楽とは邦楽の対義語で、西洋音楽の略であるから、すでにこの二分法自体がウチとソトを区分けする日本の因習にちなんでいることになる。こうした日本的因習に齟齬を感じていたがゆえに海外文化に魅力を覚えたわけだから、洋楽というタームそれ自体を洋楽ファンと言われている人たちは捨てなければならない。僕自身も、洋楽リスナーと言われれても面倒くさいからそのまま受け流してきたけれど、ザ・クラッシュとRCサクセションを同時に聴いてきた自分のなかでは洋楽/邦楽を区分けしてきたわけではないので、正直言うと清々しない。だから「最近洋楽でいいのある?」と訊かれたら、「あなたのような人が聴いて面白がれる音楽は知らない」と答えている。

 日本的因習はやっかいだ。そっくり否定できるものでもないし、もちろん肯定できるものでもない。たとえばデトロイトのマイク・バンクスを見ていると、いかにポッセを保つことが彼らの社会では大変かを思い知る。個人主義の社会では集団行動は魅力的だろうが、維持が困難なのだ。わが国では逆だ。ヒップホップのポッセ文化もこの国に落とし込まれれば日本的集団主義に変換される。集団内においては番付が発生するかもしれないし、いわば部活のりになるかもしれない。部活というのは、それがとくに運動部の場合は、簡単に休んではいけないというプレッシャーがある。それは個人より集団、情より義理が優先されるこの国の文化と絡み合っている。近松門左衛門の浄瑠璃の時代から現在にいたるまで、この国では集団や仲間意識を捨てて色恋に走ることそれ自体が、反社会的なのだ。

 ザ・クラッシュの有名な"ホワイト・ライオット"の有名なフレーズに「俺たち白人は学校に行ってバカになるけど、黒人は警官に石を投げることができる」というのがある。ジョー・ストラマーはその歌のなかで、反英国的なメンタリティに飢え、憧れている。こうした異文化への激しい衝動を描いたもっとも古典的なアーカイヴに、ノーマン・メイラーによる1957年の「ホワイト・ニグロ」がある。オレら白人と違ってビバップの黒人は崇高な野蛮人である。連中は堂々と大麻を吸って、破壊的なジャズを演奏するいかした連中だ。彼らこそ世界を変えうる反順応主義者である......という話である(いや、本当はもっとややこしい話で、とても堅苦しい日本語で訳されている)。
 そのエッセイで「モデルにしたニグロは白人の想像力の産物だ」とジャック・ケルアックから批判されたものの、"白い黒人"という言葉で表現されるコンセプトこそ、われわれが洋楽と呼んでいるものと重なる。白い黒人――ヨーロッパとアフリカの北米大陸における衝突とその混合による成果、そのハイブリッドな結実――ブルース、ジャズ、ロックンロール、ヒップホップ、ハウス等々である。イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国から日本にいたるまで、今日の音楽文化におけるもっとも重要な種子はアメリカ合衆国の"白い黒人"という雑食文化から発生している。


ヒップ -アメリカにおけるかっこよさの系譜学
ジョン・リーランド (著)
篠儀 直子 (翻訳)
松井 領明 (翻訳) P‐Vine BOOKs

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 翻訳されたジョン・リーランドによる『ヒップ――アメリカにおけるかっこよさの系譜学』(篠儀直子+松井領明・訳)は、その邦題の通り、われわれを惹きつけてやまないアメリカ文化における"かっこよさ"に関する優れた分析である。それは"白い黒人"の物語だ。
 さて......、まずはこの物語のルールからだ。奴隷貿易は中南米でもおこなわれている。が、"白い黒人"文化はアメリカ合衆国で生まれた(その理由は本書で説明されている)。それは白対黒という二分法で説明できるような単純なものではない。われわれは物事を単純化したがるときに誤って「これは黒いグルーヴだ」などと表現しているが、それはエルヴィス・プレスリーはたんなるの文化の盗人と見なす発想で、本質主義者的な思想である。ムーディーマンのリズムが黒いのであるなら、白人との出会いを果たす前のアフリカのリズムと同質でなければならない。ドレクシアは西欧の植民地主義を呪ったが西欧そのものであるクラフトワークを手本にしていた。このように、"白い黒人"文化は複雑性に基づいている。そして繰り返すが、その複雑性の上に成立した音楽が、今日もわれわれを惹きつけているものの源である。
 もうひとつのルールを説明しよう。日本やイギリスのように伝統のある国が抱く愛国心とアメリカのそれとの違いだ。パティ・スミスやブルース・スプリングスティーンのような人たちがなぜ星条旗をまとうかと言えば、アメリカという(歴史を持たない)国は自分たちのアイデンティティを再発見していくという回路を持っているからである。アメリカとはこうあるべきだという考えを主体的に身にしているがゆえに、彼らのような反抗者と星条旗は結びつくのだ。
 ジョン・リーランドは、19世紀にはじまった、のちに"ヒップ"と形容されることになるアメリカ文化の"かっこよさ"の100年を実にスリリングに描いていく。『ハックルベリー・フィンの冒険』で、家出した少年が川を下りながらさまざまな文化経験を果たしていくように、ブルースからはじまり、ソローやメルヴィルといった文化的アウトサイダーの先駆者を通過しながらニュー・オーリンズのジャズへと進む。ロスト・ジェネレーションを経て、ハードボイルドをめくりながらビートへと突き進む。モハメッド・アリやマイルス・デイヴィスを追跡しながら、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの"ヘロイン"を吟味する。ライオット・ガールにリスペクトを示して、それから本書は最終的に21世紀の現代へと辿り着く。
 本書に描かれているすべてが面白いが、もっとも印象深いのは著者が認識するところの"ヒップ"の終焉の話である。リーランドによれば、その原因のひとつは市場経済に"ヒップ"が飲まれたことにあると説明する。つまり、酔って誤って妻を射殺したヘロイン中毒の文学者たるウィリアム・バロウズがいまもしファッション広告になっても誰も驚かないということだ。ドラッグディーラーだった50セントがこの華やかな消費社会で素早くマーケティングされるとき、"ヒップ"は弱まるのである。
 もうひとつ、世界がミクシィ化したこともその理由に挙げている。"ヒップ"すなわち"白い黒人"文化、アメリカ的なかっこよさの根源にあるのは反抗心だが、ミクシィ的文化が普及したとき、追放される者やメインストリームの文化の不適応者はいなくなり、そしてデスチャのリスナーとニルヴァーナのリスナーの違いなど(せいぜい趣味の違い程度のものでしか)なくなる。まあ、これも納得のいく話だ。原書が2004年に出版されているので、イラク戦争の真っ直なかということになるが、願わくばオバマ当選後の現在についての論考も読みたかった。"白い黒人"文化はさらに新しい局面を迎えているからだ。が、しかしそれは、状況を見定める時間がもう少し必要なのかもしれない。

 "白い黒人"文化がイギリスに渡ったときに、どうなったかと言えばモッドになった。外見は伝統的なイギリス人のスタイルで、しかし中身はホワイト・ニグロというトリックである。これがビートルズからオアシスまで続くイギリス文化の"かっこよさ"を特徴づけている。日本はむしろ外見的なところでは勤勉なまでに"白い黒人"文化を模倣しているが、中身については保守的だ。ハイブリッドではあるが、因習に飲まれがちである。どこかで融合を恐れているのかもしれな いし、あるいは、ミク シィでも赤ちょうちんでも、新しい出会いを追加することよりも毎度同じ顔ぶれであることの居心地の良さに浸っていたいのかもしれない。日本人である自分にはその感覚が理解できるけれど、結局は ムラ社会文化なのだと思うとやるせない。アメリカの"ヒップ"が弱体化するずっと前から、流動性が低く移動が難しいこの社会では、動くこと(move on)より留まりながら生きていくことの知恵を身につけ、いや、身につけすぎたのだ......。そんな表層的な文化論を考えながら、人気テクノDJであるメタルと同居しながら世話をやいている桑田晋吾と近所の本屋で立ち読みをしていたら、わが国では数少ないアウトサイダーのひとりを再確認した。『文藝』に掲載され ている中原昌也の小説を読んで、人目をはばからず爆笑してしまった。

KAT-C (茶澤音學館 / form.) - ele-king

midnight tea time


1
Moondog - Viking I - Honest Jons

2
The natural Yougurt Band - Voodoo - Jazzman

3
Harco Pront - Trust - Music for Speaker

4
Bords Of Canada - Peacock Tail - Unknown

5
Apollo 440 - The Machine in The Ghost - Unknown

6
Signaldrift- Compass or Atlas - Woddlyhead

7
Twilight Circus Dub Sound System - Horsie - M Records

8
Savath & Savalas - Journey's Homes - AgendA

9
McClaren-Hom - Song For Chango - Island

10
Chickenwing All Stars - Celestial Dub(ANDERSON VERSION) - Heavenly Sweetness
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