「KING」と一致するもの

編集後記(2017年12月30日) - ele-king

 不思議なもので、客入りが悪いライヴ、驚くほど人が少ないクラブというのは、むしろ記憶に残ったりする。1998年の冬のロンドンで観たハンス・ユアヒム・レデリウスのライヴは、入って2分もすれは客の顔ぜんぶを憶えられるほどの少なさだった。5人いたかどうかの世界。WIRE誌がオーガナイズしたイヴェントで、いかにも学生風の若者が下北のTHREEぐらいの広さの場所でじっとしている(いまならスマホをいじっているだろうが、当時はそんなものはないのでビールを飲んでタバコを吸って、ただじっとしているしかない)。
 90年代といえば、クラウトロック・リヴァイヴァルの時代である。入手困難だった音源が次々とCD化されて、アナログ盤でも再発された。なのに……こんなものなのかと。日本でのクラスターのライヴもものすごく盛況だったわけではないが、それにしても、まあ、クラウトロック・リヴァイヴァルの震源地のロンドンで5人とはなんという寂しさか(ある意味、これこそロンドンぽいのだが)。
 しかしながら、その寂しさ、なんというか、微笑ましい寂しさとでも言えるような居心地の良さがそこにはあり、これほどレデリウスの音楽を聴くに相応しい条件もなかろうと思えてきた。ある意味、それはぼくにとって贅沢な夜だった。
 翌日の昼前、ホテルをチェックアウトした当時64歳のドイツ人は、黒いトレンチコートを着て、機材と着替えが入っているであろうスーツケースを持ってひとりで現れた。このまま彼が住んでいるオーストリアに帰るという。そのわずかな空き時間に取材に応じてもらった。あの寒いロンドンで、名声あるアンビエントの巨匠がひとりで荷物を持っている姿も、なんというか、レデリウスらしいなと思った。

 そんなわけで2017年に83歳になったレデリアスの新譜(ソロではない共作)を見つけて、しかもドイツのグラムフォンからのリリースなので、これはCDで買ったのだが、少し調べてみると、この人は毎年複数枚の作品を出し続けている。アンビエントを賞揚しているメディアにあるまじき行為だが、まったくノーチェックだった。しかも2000年代以降はほとんどが共作で、これはきっとレデリウスの人間性も関与しているのだろう。彼の決定的な名言に「raging peace(荒れ狂う平和)」というのがあるが、レデリウスの音楽はソロになってからはとことん穏やかであり、平和的だ。
 Arnold Kasarなるベルリナーとの共作の『Einfluss』は、まあ言ってしまえば80年代に確立した彼の芸風の反復である。ピアノを習ったことのない人間が演奏する微笑ましいまでにシンプルなピアノ。荒れ狂う平和の反復。素晴らしい録音が、もういちど新鮮な気持ちでレデリウスの音楽に向かわせる。まだ聴いたことがない人はぜひ聴いて欲しい。

 エルヴィス・プレスリーよりも1年早く生まれたレデリウスは、ドイツ人として第二次大戦を経験している。そしてArnold Kasarがライナーで言うには、クラウトロック・リヴァイヴァルの90年代にさえも彼の居場所はドイツになく、そしてぼくの経験によればロンドンにもなかったのだろう。いや、そんなことはないか、あの観客5人ぐらいの会場は彼の居場所だった。トニ・ブレアの時代である。ロンドンにはイケイケのナイトライフがあったが、当たり前の話、つねに、それだけが世界ではないのだ。
 サッカーがわかりやすい例だが、重要なのは必ずしも点取り屋だけではない。2018年もよろしくお願い申し上げます。


※紙エレキングvol.21の表紙の裏の写真は、坂本麻里子さん撮影のものです。ロンドンは、高橋勇人も住んでいるペッカムの壁でした。 

Equiknoxx - ele-king

 電子機材で制作されたデジタル・ダンスホールは、ジャマイカ音楽における分水嶺であり、ルーツ&カルチャーにとって困惑の源でもあった。その起点となった80年代半ばの“スレン・テン”と呼ばれるリディムには、〈ON-Uサウンド〉が継承したような、マッシヴ・アタックが流用したような、1970年代に磨かれたダビーなベースラインはない。
 しかしながらそれは、ルーツ&カルチャーでは聞かれなかった、耳障りが良いとは言えない言葉をも表に出した。音楽スタイルの更新とともに、たとえばガントークなる芸風も生れたのだが、まあ、ジャマイカのダンスホールとUSギャングスタ・ラップとの関係性については他に譲ろう。ここで重要なことは、ゲットー・リアリズムに深く起因するダンス・ミュージック──シカゴのハウスやジュークもそうだが、激烈な快楽主義と、ときにはいつ死んでもかまわないというニヒリズムさえ感じるダンス・ミュージックは、サウンド面で言えば、革命的なスタイルだったりする、ということである。
 ジュークがそうであるように、デジタル・ビートはひとつのコーラジュ・アートでもある。ブレイクビーツも、最初はNYのアフリカ系/ラテン系が経済的制約のなかで創出したコラージュだ。欧米化された社会に生きる自分たちが、「アフリカ(という自分たちの居場所)」をでっち上げる/創造する、いわばディアスポリックなパワー。それは、カルチュアラルな土着性をいかにミックスするのかということであり、「お高くとまった文化へのカウンター」となりえる。OPNがAFXになれない大きな要因もここにある。シカゴのゲットー・ハウスを一生懸命にプレイしたリチャード・D・ジェイムスの感性を、むしろ理論的に乗り越えようとしているのは、2017年にジェイリンの『ブラック・オリガミ』を出したマイケル・パラディナスだ。

 2017年にリリースされたベルリンのマーク・エルネストゥスによるイキノックスのリミックス12"も、街一番のレゲエ蒐集家として知られるこのベルリナーが自分のレーベルを通じて紹介してきたのはルーツ&カルチャーのジャマイカだったことを思えば、興味深い1枚だった。もっとも、ダンスホールとルーツという二分法もいまでは古くさく思えるほどレゲエは前進しているという事実は、鈴木孝弥氏の訳で出たばかりの『レゲエ・アンバサダーズ』(DU BOOKS)に詳しいので、早くぜんぶ読まなければと思っているのだが、それとは別のところで起きていること、言葉ではなくサウンドのメッセージ、音によってキングストンの外に開かれていくこと、つまりアンダーグラウンド大衆音楽で起きていること──イキノックスがデムダイク・ステアのレーベルからアルバムをリリースし、レイムがスティーリー&クリーヴィーあたりの曲をミックスしたカセットテープを作り、そしてまた2017年の暮れにもイキノックスがデムダイク・ステアのレーベルから2枚目となるアルバムを出すことは、あまりにも面白い展開なのだ。

 ギャビン・ブレアとヨルダン・チャンを中心としたキングストンのプロデューサー・チーム“イキノックス”は、複雑にプログラミングされたそのリディム、鳥の鳴き声、そしてユニークな音響効果によって、こともあろうかイングランドのゴシック/インダストリアル系実験派たちとコネクトした(深読みすれば、この現象自体がプロテストである)。本作『コロン・マン』は、前作『バード・サウンド・シャワー』による欧州での大絶賛を得てからのアルバム──。
 そして欧州経験の成果は、ダブステップ以降の寒々しい荒野にもリンクする1曲目の“Kareece Put Some Thread In A Zip Lock”からはっきりと聴ける。ベースラインはない。美しいストリングスや瞑想的な音響、あるいは動物の声(?)を支えるジューク&ダンスホールを調合/調整したビート、野性と知性を感じる彼らのビートは、この1年でかなり洗練されている……わけだが、20世紀の初頭にパナマ運河を掘るために駆り出された9万人のジャマイカ人労働者をアルバム・タイトルにしているくらいだから、最先端のこのリディムがジャマイカの歴史とリンクしていることを強く意識して制作したのだろう。
 『コロン・マン』は、ステロタイプ化されたゲットー・ミュージックではない。しかしイキノックスは、ジャマイカが大きな影響力を持つ音楽の実験場であることをよく心得ている。リリースは1か月ほど前だったが、ぼくが2017年12月に最後に買ったアナログ盤はこれだった。ストリーミングでも聴けるんだけど、とくにこういう音楽は“盤”で聴きたいよね。じゃ、2017年のエンディングはアルバムのなかでとりわけオプティミスティックな“Waterfalls In Ocho Rios”で。

interview with Marina Kodama - ele-king

「音は電気なんだよ」と言われたのがものすごく衝撃で、セミの鳴き声もじつは電気なんだよって教えてもらったんですね。


児玉真吏奈 - つめたい煙
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 スモーキーというわけではない。でも、どこかから煙の漂ってくる気配がある。その不思議な感覚はおそらく、彼女のブリージィな歌声に起因しているのだろう。児玉真吏奈による初の全国流通盤『つめたい煙』は、そのタイトルに示されているように、えもいわれぬもくもく感を携えている。けれど、同じくタイトルに示されているような「冷たい」印象は与えない。“Dark Element”などはその曲名とは裏腹に、むしろ温かみを感じさせる。とはいえぬくぬく・ぽかぽかしているわけでもないのがこのアルバムのおもしろいところで、キュートかつストレンジなIDMポップが鳴らされたかと思えば、シンプルなピアノの弾き語りが挿入されたり、アンビエント調のトラックが浮遊感を紡ぎ出したりと、なんともつかみどころがない。まるでゆらゆらと辺りを漂い、やがては空へと消えていくはかない煙のようだ。児玉真吏奈は煙なのだろうか?
 難波ベアーズを中心にライヴ活動をおこない、あふりらんぽなど関西アンダーグラウンド・シーンとの接点を保つ彼女だが、本人的にはそれは「覗いている」感覚なのだという。その帰属意識の薄さや居場所のなさはこのアルバムにも強く表れ出ている。児玉真吏奈は「外」にいるのだ。だからこそ、“飲み物”や“oyasuminasai”のような繊細なリリックを紡ぎ出すことができるのだろうし、またそれが同じような感情を抱いたことのあるリスナーにそっと寄り沿う力を持つこともできるのだろう。
 このように不思議な魅力を放つアルバムを作り上げた児玉真吏奈だけれど、はたして彼女の真意はどこにあるのか? それを確かめに行ったインタヴュワーはやはり煙に巻かれてしまったのだろうか? その顛末を以下よりお楽しみください。


私、「真吏奈」って名前なんですけど、Fのコードってファの音から始まるから、私に「F」を足したら煙だ! と思って(笑)。

幼少期からピアノを弾いていたとお聞きしたのですが、それが音楽をやるようになった原点ですか?

児玉真吏奈(以下、児玉):家にアップライト・ピアノがあって、たしか5歳くらいの頃にピアノを習い始めました。でも習い始めたらすぐに先生が旅に出ちゃって(笑)。おもしろい方だったんですけどね。だからちょっとだけ習って、あとは自分で模索する日々が始まりました。

5歳にして独学なんですね(笑)。

児玉:はははは。そのとき自分でやっていろいろ発見して、ということがいまに繋がっているのかもしれないですね。

ピアノということはクラシック?

児玉:そうですね、クラシックの教材を弾いていました。でも(レッスンの教室が)おもしろい環境で、(教材以外にも)「悲しい音を出してみて」って言われれたりして弾いていましたね。それが日常だったので、小さい頃からアウトプットすることは多かったです。

いわゆるポピュラー・ミュージックに触れるようになったきっかけはなんだったのでしょう?

児玉:昔から家でラジオがかかっていたので、Jポップはよく聴いていました。小学生の頃はまだジャンルのことはよくわかっていなかったんですが、民族音楽とかもいろいろと聴いていましたね。私が小学生の頃に流行っていたのはUAさんやEvery Little Thingさん、あとは椎名林檎さんとかで、よく『Mステ(ミュージックステーション)』に出ていたので録画して観たりしていました。

そういうJポップと同時に民族的なものも聴いていたの? 誰かからの影響?

児玉:ラジオを聴いているとそういう特集があったりしたんですよね。知り合いにもそういう音楽が好きな人がいて、それで聴いていました。

その頃にはもう自分でも作り始めていたんですか?

児玉:そうですね。これはライヴでもよく話すんですけど、5歳くらいの頃に初めて歌を作ったんです。人生で初めて作った曲は、飼っているワンちゃんの歌。ワンちゃんって「散歩」ってワードを言うと昂奮するじゃないですか。その昂奮がすごくかわいくて愛おしくて、もっと昂奮させたいと思ったんですね。なら「散歩」というワードをたくさん使った歌を作ればすごく昂奮させられるんじゃないかと思って(笑)。それで散歩へ行く前に歌うために作ったのが“散歩のテーマ”という曲で、それが初めての作曲ですね。(相手が)犬だから反応もすごくピュアで、それがすごく嬉しかったのは覚えています。

電子楽器に触れるようになったのはいつ頃からなのでしょう?

児玉:たぶん親が好きだったからだと思うんですが、幼い頃にキング・クリムゾンを聴いたりしていて、そういう電子楽器とかを触ったりはしていました。でも、いまのようにシンセサイザーを使うようになったのはじつはけっこう最近で、20代に入ってからなんです。それまではずっとアップライト・ピアノで弾き語りをしていたんですが、もっと違う部屋があるような気がしていて。そうして方向性を模索していたときにモジュラー・シンセを演奏する方に出会って、そこで初めてアンビエント・ミュージックを知ったんです。その方に「音は電気なんだよ」と言われたのがものすごく衝撃で、セミの鳴き声もじつは電気なんだよって教えてもらったんですね。

セミの声が電気?

児玉:セミが「ミーン、ミーン、ミーン」と言っているのを木の下で聴いたら電気だってことがよくわかるよって言われて、実際に聴きに行ったんですけど、たしかに電気のノイズ音というか、たとえばテレビが点いていると(音量がミュート状態でも)すぐにわかるりますよね。

別の部屋にいてもわかったりしますよね。あれ不思議ですよね。

児玉:(セミには)それを力強くしたような感じがあったんですよね。それでその頃にシンセサイザーのお店も紹介してもらって、そこで(楽器を)触らせてもらえたんです。そのときに、いまも持っているコルグのクロノスというシンセサイザーを見つけて、すごく高いんですけど、「これがあったら児玉さんの言っていることがいろいろできるよ」と言われて。知り合いがそのシンセサイザーを使わせてくれたりして、そういう出会いが大きかったですね。

ピアノの弾き語りから電子楽器へ移行するときに、違和感などはありましたか?

児玉:ピアノをやっているときもよく(ピアノの)蓋を空けてなかを覗いたりしていて、いわゆる「ピアノを弾く」というよりは「打楽器や弦楽器をやる」ような感覚で、(ピアノのなかの)弦を弾いて音を出したりしていたんですね。そういうふうに(ふつうの)使い方をしていなかったから自然に(シンセに)行けたのかもしれないです。

アルバムの1曲め“Fio2:60%”の終盤に顕著なのですが、子音を打楽器や効果音のように使っていますよね。

児玉:あれは、スタジオに入ったときに、ミュージシャンのあいだで回っているルーパーをいただいたんですよ(笑)。それを使いたくて、何回か即興テイクを録ったんです。遊んでいる感じですね。だから(意識的に)素材として使おうとして使ったという感じではないですね。あとで聴いてから使おうと思いました。

児玉さんのヴォーカルは、おそらくよく「ウィスパー系」と言われるかと思うんですが――

児玉:言われます(笑)。

ご自身ではどう思われますか?

児玉:空気が多いんだろうなとは自分でも思うんですけど……でもどちらかというと「ウィスパー」って透き通った綺麗なイメージがあって、私はウィスパーのなかでも透き通っているというよりかは曇っているような気がしています。「燻製の声だね」と言われたことがあるんですが、それがいちばんしっくりきたんですよね。けっこうしゃがれたりもするので、それはたしかにそうだと思いました。

児玉さんにとってヴォーカルは特別なものですか? それとも、ほかにもいろいろある楽器のなかのひとつですか?

児玉:すごく特別です。めちゃくちゃ特別ですね。自分といちばん近い気がします。自分の声なんですけど(笑)。(ほかの音の要素が)それぞれバンド・メンバーだとしたら、(ヴォーカルは自分に)いちばん近い存在な気がします。いろんな声が出たりするのもおもしろい。たとえば裏声で歌うと、同じ人でも違う声になったりするのがすごくおもしろいと思いますね。

「私すごく病んでます」って言えるのはすごく幸せなことなんだと思います。

3曲めの“Dark Element”は展開がおもしろいです。これはあらかじめこのようにしようと考えていたんですか?

児玉:ライヴをやるときって、自分のなかであらかじめ決めておく部分と決めない部分があるんですが、それと同じように、(“Dark Element”の)始めの歌がある部分ではちゃんと(展開を)作っているんですけど、(展開が)自由になる部分も残しているんです。あれも大阪のスタジオで一発録りしたものですね。

このタイトルは、児玉さん自身のダークな側面ということでしょうか?

児玉:はははは。シンセサイザーのセットにいろんな名前がついているんですが、そのセットの名前が「Dark Element」なんですよ。それで調べてみたら「ダークな側面」という意味だったのでピーンと来て、これにしようと思いました。

その次の“私にFを足してみて”というのも不思議なタイトルです。森博嗣の小説を思い浮かべたんですが、それとは関係ありますか?

児玉:それって『すべてがFになる』ですか? 最近よく聞かれるんですよ(笑)。その小説は知らなかったので、逆に気になっているんですけど、それじゃないんですよ。

これは連想しちゃいますよ(笑)。では「F」ってなんなんでしょう?

児玉:ちょうど1年くらい前に、初めて高知にライヴで行ったときにできた曲なんですけど、その高知で過ごした時間がすごかったんですよ。旅をしないとわからない空気というか、靄のような霧のようなものがかかっている神秘的な場所があったんです。そのときは自分で車を運転して行ったんですけど、徳島から高知に近づくにつれてどんどん煙とか霧とか自然が溢れていって、着いてから見た景色も「回想シーン」みたいにちょっとぼんやりしているというか。そのイメージがあったので、大阪に帰ってきてすぐに曲が書けたんです。でもタイトルだけ決まらなくて、どうしようかなと思っていて。そのときたまたま長野県で大麻で捕まった人たちのニュースを見て……私、「真吏奈」って名前なんですけど、Fのコードってファの音から始まるから、私に「F」を足したら煙だ! と思って(笑)。とくに深い意味はないです(笑)。これに気づいてくれたら嬉しいなと思って。

なるほど(笑)! 「マリナ」に「ファ」を入れてみる、ってことですね(笑)。でもドラッグ・ソングというわけではないですよね(笑)。

今村(A&R):そこは誤解されないよう(笑)。

この曲に出てくる「夜をひっぱり貼り合わせる」というフレーズがすごく耳に残ったんですが、詞を書くうえで影響を受けているものはあるのでしょうか?

児玉:詞はじつはいちばん苦手なんですよ。昔から絵本とか写真集とか絵画集とかはすごく好きだったんですけど、文字にはあまり触れてこなかったんですよね。だからこそそういう歌詞になっているのかもしれないです。自分の持っているもので料理しないといけないってなったときに、代わりのもので間に合わせるというか(笑)。たとえばごはんを作るときの、「これを作りたいけど材料がないから、代わりにあれを使う」みたいな感じで、自分の持っている少ない言葉を当てはめていったら、本来の意味じゃない意味になったりすることがあって。でも影響を受けているものとなると……高校生のとき、古典はおもしろいと思いました。和歌とかって、文字の数は少ないのにすごく意味が込められていますよね。あれには衝撃を受けました。想像を膨らませるのが好きで、百人一首はよく読んでいましたね。それはもしかしたら(影響が)あるかもしれない。あと、こういうミュージシャンのインタヴューも好きで、よく読みます。だから文字を読むこと自体は嫌いではないと思うんですよね。これからもっといろいろ読んでいきたいです。これまでは言葉のないものにばかり触れてきたので。

言葉が苦手なのに、自分で歌詞を書くことを選択したのは少し不思議な気がします。

児玉:そうですね。いまもなんですけど、ふだんから(相手に何かを)伝えるときにすごく苦労しますね。こういう(取材の場で)意思を伝えるのも。幼いときの「悲しい気持ちを音にして」というふうに、音で感情を出すほうが自然ですね。言葉でとなるとすごく難しい。

その幼い頃の「悲しい気持ち」って、どのようなものだったのでしょう?

児玉:幼稚園生の頃は暗黒期でしたね(笑)。みんな遊具とかで楽しそうに遊んでいるのに、私はあんまり幼稚園が好きじゃなかったのか、毎日が憂鬱でした。幼稚園から帰ってきて、ふうって一息ついてピアノを弾くという日々でしたね。

それは小学生のときも?

児玉:好きな女の子とか友だちもいたんですけど、漠然としたダーク・エレメントはありましたね(笑)。でも人間関係はごくふつうの、幸せな感じでした。ただ好奇心がすごく大きくて。習い事とかもたくさんしていて、昔からいろんな世界を見ていたんですよね。通っていた小学校だけじゃなくて、水泳(教室)でほかの学校の友だちができたり、地域の鼓笛隊に参加したり、「外の世界」みたいなものの感覚は昔からありましたね。

5曲め“飲み物”や6曲め“oyasuminasai”で表現されている「自分の気持ちに蓋をする」ような感覚は、そういう経験から来ているんでしょうか?

児玉:そうですね。それはもしかしたらあるかもしれないです。

このリリックは、学校や会社で仮面を被って過ごしている人たちが共感できるような表現だと思いました。これは、他人のそういう状況を描いたというよりは、ご自身の感覚なのでしょうか?

児玉:自分で自分のことをさらけ出せるのはすごく幸せなことだと思うんです。私はたぶん昔からいろいろと感じるタイプだったと思うんですけど、身近にもそういういろんな人がいますよね。友だちが悩んでいることとか、自分の家族の複雑なこととか。でもそれは、自分自身のことじゃないから言えないというか。でもいろいろ感じることはあって。自分から生まれる煙じゃないけど(笑)、自分の出来事だったらさらけ出せますが、他の人の出来事だったら言えないというか。私は家庭環境もとくにめちゃくちゃな感じではなくて、すごく幸せな家庭だったんですが、じつはおじいちゃんが結婚を3回していているんです。1人めとはふつうに結婚して離婚したんですね。2人めが私の本当のおばあちゃんなんですけど、30代のときに亡くなっちゃって。それで3人めの新しいおばあちゃんが来る、という感じだったんです。でもぜんぜん深刻な感じではありませんでした。その3人めの、いまいるおばあちゃんも大阪のファンキーな感じのおばあちゃんで。でもそのおばあちゃんのお兄さんはちょっといろいろあって、自殺しているんですね。家族内ではそういうことがあって、家族のなかでいろいろあると一緒に暮らせない時期もでてきたりして。そういうところで生まれるさびしさみたいなものが、おじいちゃんとおばあちゃんの家で生活するときにもちょっとあって、でも「楽しいよ」ってふつうに過ごしてきたんです。そういうふうにいろんな感情を持ったまま生活しないといけないというのは昔から思っていました。だから逆に、「私すごく病んでます」って言えるのはすごく幸せなことなんだと思います。

アルバムの前半はビートがあったりエレクトロニカっぽかったりしますが、後半はアンビエントっぽかったり弾き語りが目立ったりします。この構成には何かストーリーがあるのでしょうか?

児玉:(アルバムの)テーマが「夜明け」だったので、大きな流れとしては(ストーリーが)ありますね。

少しずつ夜が明けていく感じですか?

児玉:そうですね。“oyasuminasai”が夜の寝る時間なんですけど、そこでいつも終われないので、その先の夜明けで終わるという感じですね。夜明けのちょっとグレイがかった空の感じですね。

昼よりも夜のほうが好き?

児玉:夜のほうが元気になりますね。最近になってやっと昼も元気になりました(笑)。

ヴァンパイアみたいですね(笑)。

児玉:でも早朝はすごく好きです。夜がちょっと残った朝は好きですね。

これからどんどん明るくなってしまう悲しさというか。

児玉:その感じはすごくあります。

今回はほぼすべての曲に歌が入っていますが、前作の『27』のようなアンビエント的な方向性ももっと聴いてみたいと思いました。たとえば声と具体音でドローンをやる、みたいなことに関心はありますか?

児玉:やっぱり歌がすごく大事で、歌いたいという気持ちが大きいんですよね。あの『27』も、「歌わずにどれだけ歌えるか」ということをやってみたかったんです。だからアンビエントをやろうという人たちからするとちょっと違うのかもしれない。でもああいうのはまたやりたいと思いますね。

詞を入れずに声を音として使ってみたいと思うことはあります?

児玉:じつは、いつも歌の原型がそれなんですよ。まだ言葉になっていない言葉で歌っているので。曲の生まれたてのかたちはいつもそうですね。

その最初の段階と、最終的に詞がついた段階でイメージが変わった曲ってありますか?

児玉:日本語ってけっこうはっきりしちゃうというか、意味を限定しちゃう感じがあると思うんですね。たとえば「海」と言うとみんなの頭のなかにはあの「海」が広がっちゃうんだろうけど、英語とかだったらほかにも何通りも捉え方があったり。そういう意味では、(イメージが変わった曲は)ぜんぶかもしれない(笑)。“けだるい朝”もフレンチ・ポップなイメージで作っていたんですけど、日本語を付けるといわゆる歌モノって感じになったんですよね。“私にFを足してみて”もけっこう変わりましたね。適当に歌っているときは本当に洋楽みたいな感じだったんですが、日本の歌モノって感じになりました。

ちなみにフィオナ・アップルって聴いたことありますか?

児玉:めちゃくちゃ好きです。

そうだったんですね! 音楽的には違うんですけど、児玉さんの曲を聴いていたら思い浮かべてしまって。

児玉:嬉しいです。すごく好きですね。フィオナ・アップルとかフアナ・モリーナとか、国の違う女性にすごく刺戟は受けていますね。

ギリギリの人っていっぱいいると思うんですよ。だから、刺戟物になるというか、私が煙になってみなさんを燻製できたらいいなと思いますね(笑)。

帯に七尾旅人さんがコメントを寄せていますが、彼とはどういう経緯で出会ったのでしょうか?

児玉:旅人さんのライヴの感想を書いたことがきっかけで、SoundCloudに上げていた“けだるい朝”を旅人さんが聴いてくださったみたいで、SNSに「チラッと聴いたけどすごくいいね」というようなことを書いてくださったんです。そのときはびっくりしてやりとりもさらっと終わっちゃったんですが、そのあと大阪で旅人さんのライヴを観に行ったときに、たまたまゾウのネックレスをつけていたら、旅人さんとすれ違ったとき、「そのネックレスすごくいいね」って話しかけてくださったんです。

そこだけ聞くとナンパみたいですね(笑)。

児玉:ぜんぜん違うんですよ(笑)! 私も「ライヴ素敵でした」みたいなことを話しかけたと思います(笑)。でも気が動転しちゃったのか、そのときは「“けだるい朝”を歌っているの、私です」って言えなかったんですよね。でも歌で知り合っているから、また歌で知り合えたらいいなと思ったんです。とくに向こうに連絡したりしなくても自然なかたちでまた会える気がして。そしたら2年後くらいに旅人さんからメッセージが来たんですね。旅人さんもその歌(“けだるい朝”)がずっと頭に残っていたらしく、でも誰が歌っていたのか忘れちゃっていたそうなんです。その時点ではもう私のことも(SNSで)フォローしてくださっていたんですが、旅人さんのなかで私が誰なのか判明したらしく、「改めて聴くといい歌だね」と言っていただいて。そのときに「ライヴをやっているの?」と聞かれて、その頃は音楽は作っているけどライヴ活動はほぼしていない時期だったんです。それで「また(ライヴが)できるといいね」と言ってくださって、そのあとにワンマンに呼んでいただいたのが「初めまして」でしたね。グッケンハイム(旧グッケンハイム邸)のワンマン・ライヴで初めてちゃんと挨拶させていただきました。
 ちなみにそのときはいまみたいに音楽をやっている友だちがいなかったので、母にドラムを叩いてもらいました(笑)。

お母上はドラマーだったんですか?

児玉:高校生の頃にドラムが好きでちょっと叩いていたそうなんですが、それ以来30年ぶりくらいに叩いてもらって(笑)。母がドラムをやっていたことは知らなかったんですけど、たまたま頼んだら「じつは好きなのよ」って(笑)。私が頼んだことでまたドラム熱に火が点いちゃって(笑)。それでいまは菅沼孝三さんに習ってますね。七尾さんとはそういうお話もしました。

七尾さんの作品では何がいちばん好きですか?

児玉:初期の『雨に撃たえば...!disc2』も好きですし、『リトルメロディ』もすごく好きですね。ぜんぜん違うんですけど、それがまた素敵だなと思います。

七尾さんは政治的・社会的な発言もされていますが、そういったことにも関心はあるのでしょうか?

児玉:ありますね。音楽でテロしたいなって思ってます(笑)。それもゆくゆく旅人さんにお話しできたらいいなと思っているんですけど。

「音楽でテロ」というのは?

児玉:危機感のスイッチがある人もいれば、ない人もいて。そのスイッチを押したい気持ちはあります。いろいろ戦争のことなどを調べたりしたんですが、私はやり出すとのめり込んでしまうので、やばいところまで見ちゃったりしちゃうんですね。でも逆に見ないとだめだと思って。トラウマにもなったんですけど、悲惨な写真とかも目を逸らさずに見ちゃうタイプで。いま何が起こっているのか考えたいという気持ちはありますね。だから、スイッチが動いていない人たち(のスイッチ)を押したい気はします(笑)。ライヴで「考えてよ!」って直接的に言うことはないんですが、「ちょっと押しにいきたいな」という気持ちはあります。

あふりらんぽのPIKAさんも帯にコメントを寄せていますよね。彼女とはどういう繋がりなのですか?

児玉:1年くらい前に和歌山で、遠藤ミチロウさんと、アナログエイジカルテットという地元のバンドと、PIKAさんと私が一緒に出演するイベントがあって、そのときにお会いしました。やっぱり歌がすごく素敵で、歌の話をしたのを覚えています。私の曲にゾウとラクダの歌があるんですけど(“Dark Element”)、PIKAさんの曲にクジラとライオンの歌があるんですよ。“くじらとライオン”というタイトルが聞こえなくて、知らずに「あの歌すごくいいですね」と言ったら、PIKAさんもそれ(“Dark Element”)に引っかかってくれていて(笑)。そんな話をしました。すごくパワーのある方で、惹きつけられましたね。そのあとPIKAさん主催のイベントにも呼んでもらったり、一緒にスタジオに入ったりもしました。

関西のアンダーグラウンド・シーンに属しているという感覚はあるのでしょうか?

児玉:じつはあんまりないんですよね。覗いている感覚というか。ベアーズとか京都とか、それぞれの界隈にファミリーがあって、私もベアーズには出ているんですけど、浮いているというか、あんまり馴染めていなくて(笑)。ベアーズでやったら「ベアーズっぽくないね」って言われるし、京都でやると「ベアーズに出ている子だよね」って言われたり。でもそこに蓋はしないで、扉を開けたいという気持ちはありますね。

今回の新作は初の全国流通盤とのことで、おもにどういった人たちに聴いてもらいたいですか?

児玉:さっき話したように複雑な感情を持ったまま、生活しないといけない方たちや、これまでは音楽が好きでライヴ会場に足繁く通ってくださるような方たちが聴いてくださっていたんですけど、今回はふだんぜんぜん音楽を聴かないような友だちの子が買ってくれたりして。ギリギリの人っていっぱいいると思うんですよ。だから、刺戟物になるというか、私が煙になってみなさんを燻製できたらいいなと思いますね(笑)。

interview with Kojoe - ele-king


KOJOE - here
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 Keep on movin’、動きつづけることで存在を証明していく。曲をつくりウェブにアップし、CDやレコードというフィジカルを制作し、ライヴをこなす。とにかく動きつづけていないとあっという間に忘れられてしまう。特にいまのヒップホップの世界は目まぐるしい。そんなシビアな世界でKojoeはエネルギッシュに動き、自身の表現を更新しつづけてきたアーティストのひとりだ。そして、今年の11月に最新作『here』を完成させた。

 Kojoeについて少し説明しておきたい。彼はラッパーであると同時にシンガーであり、ビートもつくる。プロデューサーでもある。そんな彼は10代のころにNYクイーンズにわたり、2007年にアジア人としてはじめてNYのインディ・レーベル〈ローカス〉と契約を交わしている。2009年に帰国後は日本を拠点に活動を展開してきた。SEEDAとともに参加した、5lack(当時はS.L.A.C.K.)『我時想う愛』収録の“東京23時”で彼をはじめて知った人も多いかもしれないが、タリブ・クウェリやスタイルズ・P、レイクウォンらとの共演曲も発表している。その後、『MIXED IDENTITIES 2.0』、『51st State』といったソロ・アルバムをリリースする一方で、OLIVE OILAaron Choulaiとの共作も制作してきた。

 日本語ラップとブラック・ミュージックとしてのヒップホップをいかに折衷するか。『here』には、そんな問いへのKojoeなりの現在の答えがあると僕は感じた。日本とアメリカというふたつのホームに引き裂かれていたアイデンティティを統合した結果が『here』ではないか、というのはあくまでも僕の解釈だが、多彩なゲストで構成された全18曲にはハードコアでソウルフルでエモーショナルなKojoeの多面的な魅力があふれている。

 このインタヴューは、Kojoeがホストを務める番組「Joe’s Kitchen」(〈Abema TV / FRESH!〉で毎週木曜に放送)の放送後に、その日のゲストであるPUNPEE、GAPPER、WATTERらが見守るなか、彼のスタジオ〈J STUDIO〉でおこなわれた。Kojoeはすでに2時間しゃべりっぱなしだ。だが、まだまだいける。Keep on movin’、彼の体力を舐めてはいけない。




俺は俺のようにしか歌えないという気持ちで良い意味で力抜いてる。本気なんだけど本気出してないから本気が出せた、みたいな。それを今回見つけた。


『blacknote』(2014年)リリースのときのAmebreakのインタヴューで次のように語っていましたね。「例えば向こうのヤツに聴かせて『スゲェ良い』って言われるような、ブラック・ミュージックとして認められるようなモノが、逆に日本では全然分かってくれなかったりとか、そういうフラストレーションはスゲェあるよね」。僕なりに要約すると、日本語ラップとブラック・ミュージックとしてのヒップホップのあいだで葛藤していた、ということかなと思います。そして、日本に移り住んでから数年間の経験を経て、『here』でKojoeさんなりのいまの答えを見つけたのかなという感想を持ちました。

Kojoe(以下、K):作っているときにそれをねらったり意識していたわけではなくて、それよりも意識したことのひとつは、俺の経験や葛藤を歌ったり、メッセージを訴えることはいままでやってきたから、このアルバムではこういう曲をこういう面子でやったら聴く人が喜ぶだろうなとかブチ上がるだろうなとか、いたずらを仕掛ける子供のような視点で作ったね。だから、日本語ラップとブラック・ミュージックの両方を良いバランスに混ぜてみようとかは考えていなかった。いま言われて逆にうれしいっていうか、そういう風に受け取られるんだって実感してきてる。

ゲストのラッパーやシンガーも多いですよね。たとえば“Prodigy”というフックなしのマイクリレーの曲がありますけど、このラッパーたち(OMSB, PETZ, YUKSTA-ILL, SOCKS, Miles Word, BES)のマイクリレーは他では聴けないですよね。

K:うん。TR-808でビートを鳴らして、ベースも強いトラップはやっぱり魅力があって人の心をつかむと思う。いまのヒップホップの流行のひとつのトラップを俺も好きだし、そういうモノと90年代のサンプリング・ヒップホップを合わせたらかっこいいんじゃないかって思ってこの曲を作った。BPMも90ぐらいだから、ブーム・バップが得意なラッパーはいつも通りフロウすればいいしね。MilesとかYUKSTA-ILL、BESくんとか、こういうビートで歌わなさそうなラッパーと、いまのトラップでもラップするPETZやSOCKSにマイクリレーしてもらったら面白いと思った。混ざらなさそうで、結果的に混ざったよね。

それと、これだけ充実した、制作/録音環境が整った〈J STUDIO〉ができたのも、ゲストが多数参加する『here』を作る上で大きそうですね。多くのラッパーがここで録音しましたか?

K:それはいろいろだね。ただ、このスタジオができたのはデカいよ。1月から作りはじめて3月ぐらいに完成した。それからAaronとの自主制作のやつ(ピアニスト/作曲家/ビート・メイカーのAaron Choulaiとの共作『ERY DAY FLO』)をスタジオのテストランも兼ねて作って、「ここで録れるな」と確認した。で、今回のアルバムを作りはじめた。ここに常に人が集まるようになったから、作っている途中で俺以外の人の耳に聴かせて反応を見たりできるようになった。いろんなヤツに「これどう?」って聴かせて感想をきいたりしてた。それもけっこう大事だった。

18曲と曲数も多いですし、ヴァリエーションも豊富ですよね。ハードコアな“KING SONG”からはじまり、“Prodigy”のようなマイクリレーがあり、またKojoeさんがラップだけじゃなく歌も歌う“PPP”のようなソウルフルな曲も際立っています。

K:良い意味で力を抜けた結果だと思う。運動するときも力が入っている状態だと動きって鈍いじゃん。それと似てるんじゃないかな。『51st State』に入ってる“無性に”みたいな曲は「歌手にも負けねぇぐらいに歌いてぇ!」という気持ちで歌い上げていた。もちろん今回もそういう情熱がないわけじゃない。ただ俺は当然、アンダーソン・パックやBJ・ザ・シカゴ・キッド、ダニー・ハサウェイのようには歌えない。だから、たとえば“PPP”とか“Cross Color”とかのソウルフルな曲も、俺は俺のようにしか歌えないという気持ちで良い意味で力抜いてる。本気なんだけど本気出してないから本気が出せた、みたいな。それを今回見つけた。そういう力の抜き方でヒントをもらったのはそれこそ(インタヴューの場にいたPUNPEEに視線をやりながら)PUNPEEや5lackだよね。あいつらには、「わざと力抜くのかっこよくないすか?」みたいな感じがあるじゃん。PSGとかも歌のメロディがすっげぇイケてるけど、いい感じに力が抜けてる。それが逆に研ぎ澄まされて、すごいソウルフルに聴こえる。

そうですね。わかります。

K:ある程度スキルを求めて動いたヤツにしかたぶんできないことなんだろうけどさ。俺も自分にたいしてそうやって楽しみな、みたいな気持ちになれたんだろうね。

Kojoe“Cross Color feat. Daichi Yamamoto”

俺がどの土地にいて、どこに立っていようと、音楽でつながっている場所が俺の居場所だって気づいた。音が居場所なんだって。だから、『here』というタイトルになったんだよね。

そういう力の抜き方によってソウルフルに歌うというのをPUNPEEや5lackから受け取ったのは面白いですね。ラッパー、シンガーという側面だけでなく、ビート・メイカー、プロデューサーとしてのKojoeさんの個性がより際立っているようにも感じました。

K:そこはちょっと意識したかもしれない。ただ、曲順に関してはそこまで深く考えず、ここ以外は置く場所はないっていうところに曲を入れていった。序盤はゲストのラッパーがたくさんいて、スピットしまくってるラップを並べて、途中で女性について歌う“Mayaku”とか“PPP”なんかを持ってくる。そうやってセクションを分けて、最後は自分について歌って終わる。そういう構成になってるね。ビート・メイキングは、ニューヨークにいた17年前ぐらいにMPC2000XLを手に入れてはじめた。ちゃんとしたビート・メイカーみたいにコンスタントに作り続けてきたわけじゃないけど、ずっと好きだったからいままでに3、400曲ぐらいは作ってると思う。前の嫁がラッパーだったからさ。

アパニー・Bですよね。

K:うん。彼女がプレミアとか俺の超憧れのいろんなビート・メイカーからビートをもらってて。そういうビートを横で聴いていたから自分のビートがダサ過ぎると思ってたね。でもこのスタジオを作ったときに、2000年ぐらいから作っていた自分のビートのCDがいっぱい出てきて久々に聴き直したら、「あれ?! けっこうイケてんじゃん!」って。2周ぐらいしてMPCで作ってたイナたいビートがすごいいいなあって。いちばん最後のRITTOとやってる“Everything”で11、2年前ぐらいに作ったビートを使ってる。

レゲエ・シンガーのAKANEと今年大躍進したラッパーのAwichを客演にむかえた“BoSS RuN DeM”(12月11日に5lack, RUDEBWOY FACE ,kZmが参加したリミックスがYouTubeにアップされた)もKojoeさんがビートを作ってますよね。この曲は突き抜けていますね。かなりの自信作なんじゃないですか?

K:超好きだね。ヒップホップよりヒップホップで、トラップよりトラップで、レゲエよりレゲエで、いろんなジャンルの人が「おわ~!」とブチ上がってくれるんじゃないかな。クラブのソファで女にセクシーな格好をさせて、男が彼女たちをはべらかしてる、みたいなMVは日本のヒップホップにも多いよね。でも俺は強い女のほうが色気があると思うし、そういう強い女性を見せたかった。“ボスって”、頭張ってやってる男と女を両方鼓舞するような歌にしたかった。「みんなボスれー!」って。そういうコンセプトはできていて俺が先にサビも録っていた。で、俺がいまいちばんイケてる女性で、俺が一緒に曲をやりたいと思うAKANEちゃんとAwichに声をかけた。イケイケなAKANEちゃんを見られたし、Awichもすごいハマってくれた。

Kojoe“BoSS RuN DeM Feat. AKANE, Awich”

Kojoe“BoSS RuN DeM -Remix- Feat.5lack, RUDEBWOY FACE, kZm”

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世界でも日本人の英語のラップがかっこいいって言われる時代が絶対来るってことなんだよね。たとえばジャマイカのパトワみたいに日本人の発音の英語がかっこいいって50年後ぐらいにはなると思う。









KOJOE - here


Pヴァイン

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このアルバムで大フィーチャーされていると言えば、18曲中6曲のビートを作っているillmoreですね。どういう方ですか?

K:こいつはもともと大分の人間で、OLIVEくんがすごい薦めてくれたビート・メイカーなんだ。〈OILWORKS〉のイベントか何かでいっしょの現場になって、ビートが超ヤバかった。他の若いビート・メイカーもいたけど、illmoreは突出していた。超真面目なくせにドープな音も作るし、耳がすごく良くて器用でどんなタイプの曲でも作れちゃう。EDMもトラップもブーム・バップも作るし、超オシャレなジャジーな曲も作れる。ゴリゴリの“KING SONG”みたいなビートも作れるからさ。あと、ベースの乗せ方が上手い。BUPPONとやってる“Road”のネタはMFドゥームも使ってるから(MFドゥームとマッドリブが組んだマッドヴィレインのある曲と同ネタ)、そこってビート・メイカーにとって勝負どころじゃん。他のビート・メイカーと同じネタ使っているからにはフリップしたり工夫しないといけない。その上でこのビートはすげぇ良かった。

“Cross Color”に参加しているDaichi Yamamotoさんはどういう方ですか?

K:京都生まれのジャマイカ人のお母さんと日本人のお父さんがいて京都で育ったヤツで、大学のあいだ3年半から4年ぐらいUKに行ってたんだけど、最近また日本に戻ってきた。いまAaronともいろいろ作ってるし、JJJとやったり、水面下でいろんなヤツとつながってるね。


フックアップの意識はあったりしますか?

K:そういうのはない。俺、フックアップは絶対しないもん。瞬発的に良いタイミングに出くわしてノリが良かったからやっちゃうっていうのはあるとしてもヤバいと思うヤツとしかやりたくない。illmoreは仕事がすごいできてビートが超かっこよかったし、Daichi Yamamotoもそう。俺はイケてりゃ何でもいいかなって思う。

なるほど。ところで、『here』っていうアルバムのタイトルに込められた想いについても語ってもらえますか。

K:俺はガキのころからずっと転校とか多かった。で、10代でニューヨークのクイーンズに行ったから俺の人生でクイーンズがいちばん長くいた場所なんだ。だからニューヨークのクイーンズが地元っていう感覚もあったけど、こっちに戻ってきて7年ぐらい経つから、もちろんいままで自分がいた場所はレペゼンしていきたいけど、クイーンズをレペゼンするのもちょっとナンセンスだなって思うところがあった。居場所を探していたのもあったし、日本に戻ってきて『MIXED IDENTITIES 2.0』(2012年)を出したときは、「ここはけっきょくアメリカじゃねぇかよ!」って文句を言ってみたりもしていた。

自分のアイデンティティについての葛藤みたいのがあったということなんですね。

K:うん。そうだろうね。無意識に苛立ちがあったのかもしれない。そういうのが落ち着いてきたから、『here』というタイトルにした。俺がどの土地にいて、どこに立っていようと、音楽でつながっている場所が俺の居場所だって気づいた。音が居場所なんだって。だから、『here』というタイトルになったんだよね。

やっぱりそれは、5lackやOLIVE OIL、Aaron、このアルバムに参加しているラッパーやビート・メイカー、アーティストたちとの出会いも大きかったのかなって感じます。

K:デカい、デカい。面白いヤツは世の中にはいっぱいいるけれど、そいつの音楽をリスペクトできて、さらに人間も面白いヤツとなると少なくなるよね。俺は運良く素晴らしいアーティストたちに出会って、そういう人間が周りにいてくれるから、多少、自分が開けた部分は絶対あるよね。

最初の僕の感想に戻してしまうんですけど、Kojoeさんが日本のラップ、ヒップホップとニューヨーク、クイーンズで体験してきたブラック・ミュージックとしてのヒップホップのあいだで産み落とした作品なのかなという気がします。

K:俺が10年以上前から言っているのは、世界でも日本人の英語のラップがかっこいいって言われる時代が絶対来るってことなんだよね。たとえばジャマイカのパトワみたいに日本人の発音の英語がかっこいいって50年後ぐらいにはなると思う。日本人の発音のままフロウやリズムに関してはケンドリックだったり、(ブルーノ・)マーズだったり、レイクウォンみたいにできるようになっていく時代が来ると思う。いつになるかわかんないけど、最近の10代とか20代前半のヤツのほうがやっぱ敏感で、昔の日本語ラップみたいにこうじゃなくちゃいけないみたいなのがなくなってきて、日本語と英語が混ざったりしててもオッケーみたいな世代がやっぱり出て来てるから。そういうヤツらが逆に俺の音楽を聴いて、「ヤベェ!」って思ってくれたら面白いと思ってる。若いヤツの耳も脳みそも進化してるよね。受け皿が広いというか、柔軟というかさ。いずれにせよ、世界中のヤツらが日本のヒップホップがヤベェっていう時代はいつになるかわからないけど来ると思うよ。

『here』はとにかくオープンな、開けたアルバムだなって今日の話を聞いてさらに感じましたね。

マサトさん(KojoeのA&R/JAZZY SPORT):この作品はKojoeくんが日本のシーンにたいしてフラットでいられる環境で作れたのがいちばんデカいと僕は思います。日本に帰ってきてから数年は周りからの“英語を使う日本人のラッパー”という先入観も強かっただろうし、いろんな意味でコンプレックスもあったと思う。ここ数年は徐々に変わってきてるけど、日本語だけじゃないとサポートされない土壌が日本にはあったと思うので。それがいろんなアーティストとの出会いを通じてKojoeくんがフラットになってきたのがやっぱり大きい。

なるほど。それは僕も感じました。今後の予定はどうですか?

K:うん。とりあえず、来年1月13日の安比高原でやる〈APPI JAZZY SPORT〉でのライヴを皮切りに、1月後半、2月ぐらいからがっつりツアーをはじめようと思ってる。来年はツアー以外でもできるだけライヴはやっていこうと思ってるね。こんな感じで大丈夫?

はい、番組のあとで疲れてるでしょうし、ばっちりです。

K:俺の体力ディスってんの?

いや、ははは。それ、使わせてもらいます(笑)。今後のライヴ、楽しみにしてます!


[イベント情報]

J presents 『bla9 marke2 #4』
日程:12/29 (Fri)
会場:中野heavysick ZERO
OPEN:23:00
¥2,000+1D
W.F ¥1,500+1D
24:00まで ¥1,000+1D


SUMMIT Presents. AVALANCHE 8
日程:12/30 (Sat)
会場:代官山UNIT
OPEN:23:30 / START:23:30
ADV ¥3,000
Diagonal & AVALANCHE 8通し券 ¥4,800
DOOR ¥3,500


Sam Purcell - ele-king

2017 in No Particular Order

5 2017年私談 - ele-king

 大分に拠点を移して1年半。何もしないでも新鮮さを保てる賞味期限はきっとどこにいても意外と長くない。そういうわけで、今年は環境作りに徹した。1月にそのままでは住めないような古い一軒家を借りて、1階部分をカフェ店舗、2階を書斎とまでは言えないが、東京1人暮らしの頃のような狭い古本とレコードに囲まれた部屋をDIYで作った。4ヶ月くらい工事をしていたか。ドラムの練習は専ら山。ちょうどドラムセットを置けるだけ水平を保ったモルタル部分を掃いて草を抜いてこちらは一日で完成。デモ音源専用だが一応録音もできるようになった。その合間合間で東京へ9往復。

 山で練習する一番のメリットは、音が一切反響せず飛んでいくばかりなので、いい音を自然と感じられる点にある。裏を返せば、大きい音でも小さい音でもいい音でならさないと全然楽しくない。太鼓が教えてくれるといえばかっこいいが、身の程を知らされるといったほうが近い。写真だけ見ればスピリチュアルな練習ができているように感じるが、ちょっと環境音とセッションしてみようとしてみた時に不思議だったのが、所謂日本的な100円レコード定番の民謡の雰囲気が漂ってすぐやめた。音が返ってこないという点以外は、いつも山に、東京の地下スタジオや、行ったこともない海外のスタジオを仮想しなければならないことに気がついた。海までも車ですぐで、よく行くのだが、目の前のきれいな海ときれいな空気はもう慣れてしまっていて、何か気持ちを焦らせるような幼少期体験にも似たものが喚起されない限りは、山と同じで舟歌が聞こえてくるだけで、すぐに踵を返すことになる。調子が悪いと寧ろ記憶を退化させることもある。

 そういうことがわかってきただけまずまずだろう。大分で唯一の人間に会う機会で楽しみなのが、アンタトロンディアというアフリカンチームの練習だ。10年以上アフリカの太鼓とダンスを続けている彼らは、アフリカン以外の音楽活動を行っているわけではない、いわばアフリカンのスペシャリストだ。そこが僕からしたら変態的で最高だ。話を聞くと、長野まで軽自動車に女性4人と太鼓詰めて一晩でたどり着き、7時間のワークショップを5日間受け、その間毎晩酒を浴び、大分まで帰ってきたこともあるらしい...。僕がドラマーだというのは一切関係なくて、彼らのバイブスを真っ新な気持ちで習うことができる。そういう説得力が彼らにもアフリカンにもある。先週は、地元の山奥で、もう一つの大分のアフリカンチームであるBENKAN主催のアフリカンイベントが行われて初めて参加した。Ibe&David kouakouの太鼓とダンス、また同じようなアフリカンのスペシャリスト達が九州中にこんなにいたのかと驚いた。

 個人的な意見だが、アフリカのリズムを身に付ければ付けるほど、ドラムにいい影響を与えてくれるし、音楽的なアイデアも豊かにしてくれるような気がする。時間の中で洗練され理にかなった隙間を抜き合い、またどこかで出会うリズム。圧倒的なリズム的ビット数とエネルギー。それは民謡や舟歌のように傍にはなかったので、学ばせていただいてもいいだろう。

 思えば、グリズリー・ベアの『Painted Ruins』は、アフロを、直接的でなくリスペクトをファクターとして浮かび上がらせているところが面白かった。アフリカぽいキメがある、訛っている、エネルギーのままにセッションする、という点ではなくて、長いループと短いループの中で感じる長くとか短いでない大きなエンジンに乗せられているようなリズムを、シンプルなままポップスに持ち込んだのは、聴いていてまず気持ちよくしてくれる。少し覗いてみると、割とスクエアにやっているし、ループ感は曲に寄り添って長短を変えながら自由に展開していく。あからさまにではなくその展開に合わせて静かに燃えていくその聞こえ方はやはり気が利いている。続けることで気づいたら気持ちよくなっているというのはアフロの最も好きな点であるのだが、それをポップスに持ち込んだ作品は聴いていてなんだか嬉しくなった。アフロの巨匠トニー・アレンの新譜『The Source』はもう圧巻。どこまで曲に寄り添うことができるんだという、フレージングとエンジン。よく聴くと全部フレーズが違うし、それなのに全部トニー節を感じる。懐が深すぎる。新譜のラーナー・ノーツか何かで最近知ったのだが、トニー・アレンは子供の頃からパーカッションに行かずにドラムだけやってきたらしい...恐ろしい。日本のAfro Begue も『Sautat』という作品としても素晴らしいアルバムを今年発表した。

 先週gonnoさんとのプロジェクトのプリプロ作りのため一日だけ東京に行った。アフロのリスペクトとファクターをキーに、僕らのグッド・バイブスを目指す作品のレコーディングは年明け早々になりそうです。よいお年を。

DJ Nigga Fox - ele-king

 きました! これは嬉しいニュースです。リスボンから世界中にポリリズミックなアフロ・ゲットー・サウンドを発信している〈プリンシペ〉から、なんとDJニガ・フォックスが来日します! 〈プリンシペ〉のドンであるDJマルフォックスはすでに来日を果たしていましたが、かのシーン随一の異端児が初めてこの極東の地でプレイするとなれば、これはもう足を運ばないわけにはいきません。2018年1月26日に渋谷WWWβにて開催される今回のパーティは、《南蛮渡来》と《Local World》とのコラボレイションとなっており、東京のThe Chopstick Killahz(Mars89 & min)と〈Do Hits〉/〈UnderU〉のVeeekyも参加、さらにKΣITOがゴムのセットを披露する予定とのこと。いやはや、これは年明けから一気にテンションぶち上がりそうです。ドゥ・ノット・ミス・イット!

Local 5 World 南蛮渡来 w/ DJ Nigga Fox

リスボンのゲットーからアフロ新時代を切り開く〈Príncipe〉の異端児DJ Nigga Foxが初来日! 加えて中国の新星Howie Lee率いる北京拠点の〈Do Hits〉からVeeekyと目下テクノウルフでも活躍するKΣITOが暗黒の南ア・ハウスGqom(ゴム)のライヴ・セットで参加、The Chopstick Killahzによるポスト・トライバルな《南蛮渡来》と世界各国のローカルの躍動を伝える《Local World》のコラボレーション・パーティにて開催。

ジャマイカからダンスホールの突然変異Equiknoxx、ナイジェリアの血を引くアフロ・ディアスポラの前衛Chino Amobi、シカゴ・フットワークの始祖RP Boo、アイマラ族の子孫でありトランス・ウーマンの実験音楽家Elysia Cramptonをゲストに迎え開催、インターネットを経由し急速な拡散と融合を見せながら、多様化するジェンダーとともに新たなる感性と背景が構築される現代の電子音楽における“ローカル”の躍動を伝えるパーティ《Local World》。その第5弾は“ポスト・トライバル”を掲げ、新種のベース・ミュージックを軸にエキゾチックなグルーヴを追い求める東京拠点の若手Mars89とminのDJユニットによるパーティ《南蛮渡来》をフィーチャー。ゲストにリスボンの都市から隔離された移民のゲットー・コミュニティでアフリカ各都市の土着のサウンドと交じり合いながら独自のグルーヴを形成、DJ Marfox、Nídia Minaj、シーンをまとめたコンピレーション・アルバム『Mambos Levis D'Outro Mundo』のリリースや〈Warp〉からのEPシリーズ「Cargaa」を経由し、国際的な活動へと発展したアフロ新時代を切り開くリスボンのレーベル〈Príncipe〉からアシッディーなサウンドで異彩を放つシーンの異端児DJ Nigga Foxが初来日、さらには中国の新星Howie Lee率いる北京拠点の〈Do Hits〉のヴィジュアルを手がけ、地元台北で世界各地のベース・ミュージックに感化され独自のローカル・サウンドを創り出すコレクティヴ〈UnderU〉のコア・メンバーVeeekyが登場。国内からは目下テクノウルフのメンバーとして活躍する傍ら、ジューク、ヒップホップ、ゴムなど先鋭的なビートを常に取り入れ、サンプラーを叩き続けるKΣITOがゴムのライヴ・セットで参加。ポップス、アンダーグランド、土着が“何でもあり”なポストの領域で入り乱れる現行のエクスペリメンタル・クラブ・シーンでも注目のバイレファンキやレゲトン、メインストリームとなったトラップ含めいつも“サウス”から更新される最新のビートが混じり合う逸脱のクラブ・ナイト。

Local 5 World 南蛮渡来 w/ DJ Nigga Fox
2018/01/26 fri at WWWβ

OPEN / START 24:00
ADV ¥1,500 @RA / DOOR ¥2,000 / U23 ¥1,000

DJ:
DJ Nigga Fox [Príncipe - Lisbon]
The Chopstick Killahz [南蛮渡来]
Veeeky [Do Hits - Beijing / UnderU - Taipei]

LIVE:
KΣITO *Gqom Live Set*

※20 and Over only. Photo ID Required.

https://www-shibuya.jp/schedule/008652.php

【記事】
リスボンのゲットー・サウンド@Resident Advisor
リスボンの都市から隔離されたゲットーのベッドルームでは、アフリカの音楽を取り入れた刺激的で新しい音楽が、10年ほど前から密かに鳴っていた。しかし今、〈Príncipe〉という草分け的レーベルの活動を通し、この音楽が徐々に国境を越え、世界で鳴り響き始めている。
https://jp.residentadvisor.net/features/2070

【動画】
リスボンのアンダーグラウンド・シーン@Native Instruments
ここ数年、リスボン郊外を拠点とするプロデューサーやDJの小さなグループが、未来のサウンドを創造しています。彼らはアンゴラ、カーボベルデ、サントメ、プリンシペなどのポルトガル語公用語アフリカ諸国出身で、彼らの作り上げた音楽には、激しい切迫感、荒削りなビート、恍惚感のあるグルーヴ、そして浮遊感が集約され、その結果アフリカのポリリズムにテクノ、ベース、ハウス・ミュージックを組み合わせた唯一無二のハイブリッドなサウンドが誕生している。

■DJ Nigga Fox [Príncipe - Lisbon]

アンゴラ出身、リスボンを拠点とするプロデゥーサー/DJ。2013年にリリースされた12" 「O Meu Estilo」でデビュー、ポルトガル郊外のゲットー・コミュニティで育まれた特異なサウンドをリスボンから発信するレーベル〈Príncipe〉の一員としてアフロ・ハウスの新しい波を世界へと広めている。続く2015年の12" 「Noite e Dia」は『Resident Advisor』、『FACT』、『Tiny Mix Tapes』といった電子音楽の主要メディアに取り上げられ、同年〈Warp〉からリリースされたシーンのパイオニアと若手をコンパイルしたEPシリーズ「Cargaa」にも収録され、国際的な認知を高めながら《Sonar》、《CTM》、《Unsound》といった有力な電子音楽フェスティヴァルにも出演、Arcaのブレイクで浮かび上がったエクスペリメンタル・クラブの文脈の中で、同性代の土着のローカル・サウンドを打ち出した〈N.A.F.F.I.〉、〈NON Worldwide〉、〈Gqom Oh!〉といったレーベルやコレクティヴとともにシーンのキーとなる存在へと発展。2016年の〈Príncipe〉のレーベル・コンピレーション『Mambos Levis D'Outro Mundo』と最新作「15 Barras」はアシッドなサウンドを強め、これまでのクドゥーロのアフリカン・スタイルを飛躍させ、よりハイブリッドで強烈なサウンドとグルーヴを披露、他ジャンルとの交流や融合を交え新時代のアフロ・ハウスの拡散と拡張に大きな貢献を果たしている。

https://soundcloud.com/dj-nigga-fox-lx-monke

■The Chopstick Killahz (Mars89 & Min) [南蛮渡来]

ポスト・トライバルを掲げ、奇妙なグルーヴと無国籍感を放つパーティー《南蛮渡来》のMars89とminによる東京拠点のDJユニット。

https://soundcloud.com/thechopstickkillahz

■Veeeky [Do Hits - Beijing / UnderU - Taipei]

現代社会の問題をテーマとし、ヴィジュアル・アートや音楽で伝える台北拠点のアーティスト。Howie Lee率いる北京の〈Do Hits〉と台北の〈UnderU〉のコア・メンバーとして活動。現代社会で起こっている問題に多くの関心を持ち、これらのテーマをヴィジュアル・アートや音楽に伝え、微妙な文化のシンボルや物語、デジタル/オフライン作品のコラージュを用い、コンピュータ・アートに加工した鮮やかなヴィジュアル・パフォーマンスを披露し、〈Do Hits〉ではヴィジュアル担当として、レーベルのユニークなヴィジュアル言語を作り出している。主に北京と台北の異なる場所の文化/音楽シーンを行き来しながら、ソロでは2017年末に台北にある洞窟のギャラリーで『sustainable data 1.0』展示会を開催、最新のアートワークとヴィデオを発表する。来年にはクリエイターの友人とともに、社会主義の真の価値とその調和を世界へ広げることを目指した、新しい服のブランドを立ち上げ、アジアの各都市でポップ・アップ・ショップの展開を予定している。

https://www.veeeky.com

■KΣITO

トラックメーカー/DJ。2013年に初のEP「JUKE SHIT」をリリース。ジューク/フットワークの高速かつ複雑なビートをAKAIのパッドを叩いて演奏するスタイルでシーンに知られるようになる。2016年、HiBiKi MaMeShiBa、ナパーム片岡などとともにレーベル〈CML〉を立ち上げ、Takuya NishiyamaとのスプリットEP「A / un」をリリース。ソロ活動に加えテクノウルフ、Color Me Blood Black、幡ヶ谷ちっちゃいものクラブなど、複数のユニットに参加、様々なミュージシャンとのセッションを重ねている。

https://keitosuzuki.com

ele-king vol.21 - ele-king

 2017年も残り僅か。今年もこの季節がやってまいりました。紙版『ele-king』年末号刊行のお知らせです。

 特集は「2017年ベスト・アルバム30/ベスト映画10」。端的に、今年もっとも優れたアルバムはなんだったのか? 編集部がなんども聴き直し考えに考えて選出した30枚を一挙にご紹介。また、さまざまなジャンルごとに2017年の動向を俯瞰、信頼のおけるライターの方々に執筆していただいております。映画もまた悩みに悩みぬいて選出した10本を紹介しつつ、こちらもコラムで『トレスポ』や『ブレードランナー』など2017年の話題作を振り返ります。

 そしてロング・インタヴューは、表紙のDYGL(デイグロー)と水曜日のカンパネラの2本立て。まったく“日本”を感じさせないDYGL、かたや“桃太郎”の水曜日のカンパネラ。いまの日本を切り取ってみました。いずれもカラーで、撮り下ろしの写真も多数掲載。

 さらに、特別対談も2本ご用意。登美丘高校のダンスやブルゾンちえみを通して、バブルのリヴァイヴァルからリア充の変容までを語りつくす、さやわか×三田格 対談(「もしかして、またバブル?」)。座間の殺人事件や共謀罪を題材に、中動態論の功績を検証する、白石嘉治×栗原康 対談(「セックスしてとりみだせ!」)。

 これら複合的な視点を通じて「じゃあ自分にとってのベスト・アルバムはなんだったのか」「私の見た2017年はどういう年だったのか」などなど、読者の皆様が何かを考えるきっかけとなれば幸いです。発売日は12月25日。ぜひお手にとってみてください。

contents

●ロング・インタヴュー:DYGL 大久保祐子+野田努/写真:当山礼子

●2017年間ベスト・アルバム30枚
(大久保祐子、木津毅、小林拓音、坂本麻里子、沢井陽子、髙橋勇人、野田努、松村正人、三田格)
・ post-punk / jazz rock 野田努
・ ambient 小林拓音
・ untrue 髙橋勇人
・ electronic / experimental デンシノオト
・ techno 行松陽介
・ grime 米澤慎太朗
・ us hip hop 吉田雅史
・ house 貝原祐介
・ jazz 小川充
・ indie rock 大久保祐子
・ neo classical 八木皓平
・ avant-garde 細田成嗣
・ japanese rap music 磯部涼
・ ny 沢井陽子
・ london 髙橋勇人
・ japanese indie イアン・F・マーティン
・ fashion 田口悟史
・ gadget / technology 渡辺健吾
・ politics 水越真紀

●特別対談:もしかして、またバブル? さやわか × 三田格

●ロング・インタヴュー:水曜日のカンパネラ 野田努+三田格/写真:押尾健太郎

●特別対談:セックスしてとりみだせ! 白石嘉治 × 栗原康

●映画ベスト10
(坂本麻里子、木津毅、水越真紀、三田格)
・ 『ブレードランナー2049』 木津毅
・ 『T2 トレインスポッティング』 野田努
・ 『哭声/コクソン』『クローズド・バル』 三田格
・ 『ツインピークス The Return』 坂本麻里子
・ 『Fate/Apocrypha』『Fate/stay night [Heaven's Feel]』 坂上秋成

●REGULARS
・ サマー・オブ・ラヴから50年 三田格
・ アナキズム・イン・ザ・UK 外伝 第12回 ブレイディみかこ
・ 乱暴詩集 第6回 水越真紀
・ 音楽と政治 第10回 磯部涼
・ ピーポー&メー 最終回 戸川純

Thundercat - ele-king

 『Drunk』をリミックスしたから『Drank』……気が利いているのか、いないのか。ジャケの色彩はRPGで言うところの毒の沼のようになっております。サンダーキャットが今年発表した話題作『Drunk』のチョップド&スクリュード版、こちらすでに夏に公開されていたものですが、このたび正式にCDとしてリリースされることになりました。あなめでたや。発売は年明け後の2月2日。ドラッギーなパープルの沼に飛び込んで、ダメージ食らっちゃいましょう。

THUNDERCAT
年間チャートにも多数ランクイン!
2017年を代表する名盤『DRUNK』の
チョップド&スクリュード版『DRANK』が緊急オフィシャル・リリース決定!

ケンドリック・ラマー、ファレル・ウィリアムス、フライング・ロータス、マイケル・マクドナルド、ケニー・ロギンス、ウィズ・カリファ、カマシ・ワシントンら超豪華アーティストが参加し、続々と公開されている国内外の年間チャートでも上位にランクインしている最新アルバム『Drunk』の大ヒット、来日ツアー全日程ソールドアウト、フジロックでもフィールド・オブ・ヘヴンのヘッドライナーを務めるなど、2017年の音楽シーンを象徴する存在と言っても過言ではない活躍を見せたサンダーキャットから、今年最後のサプライズ! アルバム・リリースから半年後となる8月に公開されていた“チョップド&スクリュード版”『Drank』が来年2月2日(金)にまさかのオフィシャルCD化決定!

本作には、スクリュー職人、オージー・ロン・シー(OG Ron C)と、彼が率いるチョップスターズの一員であるDJキャンドルスティックが手がけた“Chopnotslop Remix”と名付けられたリミックス群を収録。チョップド&スクリュードとは、90年代にヒューストンのヒップホップシーンで生まれた独特のリミックス手法で、そのサウンドのファンだったというドレイクの2011年作品『Take Care』を、オージー・ロン・シーが“チョップド&スクリュード”リミックスして以降、再び活況を迎えているカルチャーであり、今年も様々な名盤がチョップド&スクリュード化された他、映画『ムーンライト』のサウンドトラックで、チョップド&スクリュードの手法が取り入れられ、チョップスターズもチョップド&スクリュード版『Purple Moonlight』をリリースしたことも話題となった。

DJキャンドルスティックは、『Drunk』のリミックスについて、海外メディアの取材に対し、「クリエイティヴな音楽をスローダウンさせることで、型破りなアイディアを生み出し、チョップド&スクリュードのジャンルを拡張させたいんだ。サンダーキャットの『Drank』はそのゴールにまさにうってつけの作品だった」とコメントしている。

サンダーキャットの大ヒット・アルバム『Drunk』のチョップド&スクリュード版『Drank』は、2月2日(金)にリリース! 計24曲のリミックスが収録され、小林雅明氏による解説書が封入される。オリジナル盤に続いてレア化必至の初回限定生産盤はスリーヴケース付。

label: BEAT RECORDS / BRAINFEEDER
artist: Thundercat
title: Drank
release date: 2018/02/02 FRI ON SALE

国内初回生産盤:スリーヴケース付
歌詞対訳/解説書封入
BRC-568 ¥1,800+税

beatink: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9232
amazon: https://amzn.asia/0p60dyl
Tower Records: https://bit.ly/2BFlAF7


label: BEAT RECORDS / BRAINFEEDER
artist: Thundercat
title: Drunk
release date: NOW ON SALE

国内盤特典:
ボーナストラック追加収録/歌詞対訳/解説書封入
BRC-542 ¥2,200+税

beatkart: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=2757
amazon: https://amzn.asia/aYsKnhw
Tower Records: https://bit.ly/2iYSAPT
HMV: https://bit.ly/2j8vVvH
iTunes: https://apple.co/2ki6RUY

interview with YOSHIDAYOHEIGROUP - ele-king


吉田ヨウヘイgroup
ar

Pヴァイン

Indie Rock

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 聡明さで名高い編集部小林氏から「YYGの原稿どうですか?」とメールが届いた。はて、私はヤング・マーブル・ジャイアンツの原稿などたのまれていたであろうかと小首をかしげたが略称の綴りがちがう。「来週レコ発なのでそこにまにあうようにアップしたいです」とも書いてある。ああなるほど、YYGとは吉田ヨウヘイgroupのことね、とピンときたが、どうもYYGと聞くとフェラ・クティの「J.J.D.」が頭のなかでながれだすからいけない。「ようこそ、カラクタ共和国へ」フェラの口上とざわめき、パーカッションの乱打とポリっていくリズム――それらはむろん本稿とは関係ない。とはいえ完全に明後日の方向ではないのかもしれない。YYGこと吉田ヨウヘイgroupは前にも増してグルーヴィになった。以下の原稿をお読みいただければおわかりのとおり、本人はあまり自覚していないようだが、ヴォーカルとコーラス、ギターと鍵盤、ベースとドラム、シャープな各パートが集約する音の像の輪郭はより明確になった。アレンジに耳を転じると、2017年のサウンド・プロダクションをみわたしたエレクトロニックなニュアンスを端々にのぞかせながらホーンを巧みにちりばめたアンサンブルは吉田ヨウヘイgroupらしさを忘れない。指先とギターとアタッチメントで何重もの音の層を織りなすギターは肌理細やかな楽曲に多様性をもたらし、“ブールヴァード”や“新世界”や“ユー・エフ・オー”やそのほかもろもろにつづく新たな代表曲の誕生を予感する、吉田ヨウヘイgroupの道のりはけっして平坦だったわけではなく、4枚目の新作『ar』まではさまざまな紆余曲折があった。2015年6月リリースの『paradise lost, it begins』以後におとずれた活動休止と8ヶ月後の再開。バンドは生き物だが、休眠中の彼らになにがあり、動き出したあとは以前とどうちがうのか。吉田ヨウヘイと西田修大にその顛末と『ar』にいたる過程を問うロング・インタヴュー。
 諸般の事情でレコ発にはまにあいませんでしたが、彼らの演奏をみる機会が今後減ることはないだろう。吉田ヨウヘイgroupはいま心身ともに充実している。
 すごいぞ吉田ヨウヘイgroup、ようこそニューYYGワールドへ。

 

次のアルバムはめちゃくちゃいいものにしなければいけないという覚悟が自分たちのなかにあったので、そこに向き合っていたあいだに、いまの自分たちだとこれは達成できる気がしないぞ、ということになったんですよね。 (西田)

メンバーにがんばれといっていいものなのか迷う機会も増えてきていたんです。俺らはがんばろうと思っているけど、そういうことをするのに迷いが生じてきた。 (吉田)

去年の暮れ『別冊ele-king』でアート・リンゼイの原稿を依頼したときがちょうどライヴ活動を再開したころでしたよね。

吉田:ライヴの直前に原稿をお渡しして、そのあと観にきていただきましたね。

率直なところ、活動を休止した事情はなんだったんですか。

西田:結果論なのかもしれないけど、自分は休んだことも休んでからの状態もそんなにネガティヴには思っていないんです。2015年に『paradise lost, it begins』をつくって、あのアルバムはみんなで合宿するくらいけっこう根を詰めてつくったんですが、そのあとの10月にO-EASTでワンマンライヴがあって、そこまではなんとかムリしても駆け抜けようという感じだったんですね。

O-EASTも私拝見しました。

西田:『paradise lost~』という自分たちのなかでのいちばんの力作をつくったけど、FUJI ROCKに出たかったけど出られなかったり、届かないところがあったり、ほかのバンドに対して自分たちのほうが絶対にイケたという確信を得られていなかったところもあって、そのぶん迷いがあって、迷いがあるから余計にがんばっていたんですね。迷いをふりきるためにもとにかくいいものをつくらなきゃならないという状態がO-EASTまでつづいて、次をみなければならないという話になって、まためっちゃがんばったんですよ。根を詰めに詰めて(笑)。

それが2015年?

西田:休む前だから2015から2016年にかけてですね。ですごいやっていて、そうなるとこう(両手で視界を狭めるポーズ)なるからできないこととかみえないことが自分たちのなかに増えてきて、しかもそれが一朝一夕に解決するようなことではなかったんです。次のアルバムはめちゃくちゃいいものにしなければいけないという覚悟が自分たちのなかにあったので、そこに向き合っていたあいだに、いまの自分たちだとこれは達成できる気がしないぞ、ということになったんですよね。一回考え直さなきゃいけないんじゃないか、このままだと全員どんどん疲弊してしまうんじゃないかという状態になったんです。俺の認識としてはそんな感じですね。

吉田:フルートの若菜ちゃんが辞めちゃったというのがひとつのきっかけではあるんですが、メンバーにがんばれといっていいものなのか迷う機会も増えてきていたんです。俺らはがんばろうと思っているけど、そういうことをするのに迷いが生じてきた。最初はなんの迷いもなくがんばれといっていたんですが、それをどうしようかなと思いつつ、メンバーも僕と西田も迷ってつかれてきちゃっているなと思ったときメンバーが辞めてしまって。全体が疲弊しているといえる状況があるなら休んだほうがいいんじゃないかという認識だったと思います、当時は。

西田:うんうん。

メンバーのあいだに温度差があった?

吉田:難しいのはみんなそれぞれが音楽にしっかり強くやる気があって、ただぼくや西田のやる気とメンバーのそれには方向の違いみたいなのも感じたりして、でも僕自身も自分たちのやる気の出し方が正しいとは思えなくなっていたところもありました。こうがんばるのが本来のがんばる姿でしょといったりするのはムリがあるという気にもなっていたということですね。

ある種の閉塞感ですね。

吉田:そうですね。ほぼ全員のメンバーに、仮に自分たちとバンドやるのをやめても音楽をつづけるだろうなという感覚もしっかりあったし、その場合それががんばっていないとは全然言えない、ただの押しつけだなと感じていたというのもあります。

西田くんの話を総合するとバンドの理想像に到達するには各人のボトムアップが必要だということですか。

西田:完全にそうです。

ひとつの結論が出ていったん休止することになったあいだおふたりはなにを目標にしていたんですか。

西田:俺はバンドを休止するとき、自分のなかでもいろんなことをすごく考えたんですけど、いまに較べると迷いがすごく多かったです。それに気づけていないところがある一方で、自覚している課題もけっこうあった。みんなで楽しく自然にやればいいものができるんだよというのを俺は大正解だけど大間違いだとも思っていたんです。そのとおりだけどそれを音楽のなかでやるとき、絶対にできなきゃいけないことがでてきたり、根性出さなきゃいけない場面が出てきたり、逆に根性を出そうとするあまりできないことが出てきたりすると思っていました。そこらへんがすごいグチャグチャになっていて、それを整理したいとは思っていました。

西田くんっぽいね(笑)。

西田:(笑)。音楽をどのようにやるのが自分とバンドにとって最良なのかということですね。音楽にどういうふうに向き合うのかということを考えていました。

ことギターに限定していうと自分もスキルアップしなきゃいけないし、ということですか。

西田:それはずっと思っていました。ギターをスキルアップしなきゃいけないという悩みはいまのほうがポジティブに強いですけどね。

吉田くんはどうですか。

吉田:休止に入った直後に思ったんですが、自分の作曲がメンバーのプレイヤビリティを活かすようにつくっていた意識があったんですが、それはほんとうにそうなのかと考えました。打ち込みでいいならプレイヤビリティのシバリがなくなるじゃないですか。そのときにつくるものはちがうのかとか、自分がほんとうにつくりたいものがあるとして、いままで作った曲はそれに適合していたのか、それとも制限がかかっていたのか、どっちなんだろうとか考えました。ほんとうにいい曲を書けるようになりたいという話を(西田と)いちばんしていたので、自分がほんとうにいい曲を書けるようになりたいと思っていた気がします。

西田:ひととどういうふうにやっていくかというのは、休んでいるあいだふたりとも考えていたんですよ。俺たちにとってずっと大きな悩みだったから。

吉田:そうだね。

とりあえずの結論というかこういうふうにやっていこうというのが出たのがいつくらいで、どういう方向性をとると決めたんですか。

吉田:ふたりでは休止中も一緒にやってもいたんですが、10ヶ月ぐらいして吉田ヨウヘイgroupをもう一回やりたいなとなったときに、どういうふうにひとを誘うかというのにあらためて悩みました。もう一回やろうというのは、昔の曲をやろうとか、この延長線上でもっといいものをつくりたいよねという話が自分たちのなかで高まったので、ぼくももう一回やろうと思ったんですけど、前に思っていたメンバーとの関係だったり、どういうふうにバンドをやっていけばいいのかという悩みには答えが出ていなかったので、とりあえずベースとドラムはサポートで、やっているうちにかたちを見つけようとなりました。心の通い合いのようなものがあったほうがいいのかどうかもわからなくなっていたんです。すごく巧くて一回でやってくれるひとがベストなのか、そうじゃなくて融通の利くひとがベストなのか、どっちもあるひとじゃなきゃダメなのか、それにあてはまるひとがいてもそのひとがやってくれるのかもわかっていなかったんです。これはついこないだまで相談していたことでもあるんですよ。だから悩みつつスタートしたんです。

それで4人で再スタートすることになった。でもベースとドラムがいないのはバンドにとっては大きな変化ですよね。

吉田:今後かかわってもらう人との関係をどうするべきかには不安がありましたが、こと演奏に対しては、どういう演奏をしてほしい、どれくらいの水準であってほしいという理想のイメージはすでにあったんで新しい試みにわくわくしてもいました。

そのころはのちに『ar』につながる音楽の青写真はあったんですか。

吉田:なかったよね(と西田氏に)。

西田:あったけどなかったというか。俺はとにかく“ブールヴァード”とか“ユー・エフ・オー”とかやりたかったんです。吉田ヨウヘイgroupの曲は自分のなかではずっとやっていかなきゃならない曲、そうだよね吉田さん? とふたりで話してがまんできなくなって再開したんですよ。いろんな作り方があるけど結局、自分たちが目指していたもののつづきを見なきゃいけないよねということだったんです。それでメンバーに全員声をかけてひとりひとりと話し合って、いまのメンバーがのこって、じゃあどうしようかとなったときに、サポートのひとを呼んだらどうかとか、4人だからこそできるサウンドがあるかもしれないとなったり、それを一個一個悩みながら進めることだけを目標に再開したので『ar』のイメージはないままスタートしたのが実情です。

ダープロのリーダーのデイヴ・ロングストレスは今回のアルバムでソロみたいになって、生バンドでもなくなり女声コーラスもなくなり、自分の好きだった要素はごっそり抜けたはずなんですけど、あれ? いままでよりいいんじゃない、という衝撃があったんです。 (吉田)

アルバム制作に本腰をいれはじめたのはいつですか。

吉田:断言するのは難しいのですが、アルバムにはいっている“分からなくなる前に”は休止前にできていて、体制も決まっていないので音源をつくるのはきついから一曲だけデモを録ってそれをYouTubeに公開するのを、2016年9月に再開だったから、2016年の内にやろうと目標を立てました。

そういえば“分からなくなる前に”のソロ裏のコード進行はデートコース(現dCprG)の「ミラー・ボールズ」を参照した?

吉田:ああデートコースもそうですね! あのとき考えてたのはスライでした。

元ネタのほうだったんですね。『フレッシュ』の――

吉田:“イフ・ユー・ウォント・ミー・ステイ”です。

“分からなくなる前に”ができたら数珠つなぎに曲ができた?

吉田:それまでの3ヶ月ぐらいのあいだにフランク・オーシャンが話題になっているのを耳にしたりダーティ・プロジェクターズの今年出たアルバムのMVを見たりして、いままでとちがう音楽が出てきたんだなと思っていたときだったので、“分からなくなる前に”のデモを録り終えた2017年の1月あたりにそのへんをとりいれるべきか否か、自分たちで煮詰めていくところからはじまりました。

西田:あの時期毎晩のようにその話していたよね。

ダーティ・プロジェクターズは吉田くんの座右のバンドだもんね。

吉田:そうですね。ただダープロのリーダーのデイヴ・ロングストレスは今回のアルバムでソロみたいになって、生バンドでもなくなり女声コーラスもなくなり、自分の好きだった要素はごっそり抜けたはずなんですけど、あれ? いままでよりいいんじゃない、という衝撃があったんです。ドラムの音やプロダクションに感動したんですけど、吉田ヨウヘイgroupのいままでやってきたことの延長線上にこの凝り方は存在していないとも思いました。自分たちはこれまでも、これはいいけどべつにやらなくてもいいよね、というものはあっさり切り捨ててやりたい音楽に邁進してきたところもあったのでどうしようと悩みました。できないけど感動しちゃって、これやったほうがいいのかって。

そもそもやりたかったですか。

吉田:あれがやれないと自分たちのこともいいとは思えないんじゃないかと、そのときは考えたんです。凝った音像にじっさいに感動したわけだから、こういうものをつくれないと自分たちがいいアルバムをつくったとは思えなくなるだろうなと考えて、そういうことができるように成長しなくちゃいけないんじゃないかということですね。

西田:俺が思うのは、そうはいっても、吉田さんはやりたくないことがあまりないひとなんですよ。そこは気が合うんですけど、バンド・サウンドかそうじゃないかということにかかわらず、こういうのは俺たちはやんなくていいよというのがあまりなくて、決める基準としてはすごく乱暴な言い方をするとそのときいちばんいいとなっていることをやりたい。それを自分たちのフォーマットにどうあてはめるかというのをずっとやってきたつもりだったんですけど、今回は「これがいい」と思ったときに、自分たちのとったことのないプロセスがいちばん多い状態だったんですよ。

で、どうしたの?

吉田:西田くんがパソコンを買いました(笑)。

西田:そうなんですよ(笑)。

カタチからはいる派だ(笑)。

西田:その前にオーディオインターフェイスも買ってシステム自体をごっそり変えました。

それまでバンドのなかでPCを使うようなことあった?

西田:使っていないですし、なんならいまも使ってないっス。カオス・パッドをギターに通したことはありましたけど、システムごとごっそり変えないとムリじゃないという話を吉田さんにしていて、ようはギターを弾くような感覚でラップトップをあつかえないと(これからはダメなんじゃないと)。

吉田:サードのときの反省としてぼくはけっこうミックスも担当していたのでポストプロダクションのことも考えていたんですが、イメージの音があってシンセサイザーでできるだろうと思っていてもけっこうできなかったんですよね。シンセサイザーは自分のなかでは根性があればけっこういけるとイメージしてとりくんでみたんですけど。

根性をみせるポイントはどこ(笑)?

吉田:たとえばアルペジエイターに憧れてシンセサイザーを手に入れてそれに模した音はがんばればできると思ったんですが、すごい時間がかかるし、それにあんまり良くもならなかったんですよ(笑)。逆にギターやドラムの演奏とか、バンドにかかわるものだとしっかり時間をかければうまくいくので。だから音色をつくるのは難しいというか、(音楽をつくる)インターフェイスがちがうと難しいんだね、という話はよくしました(笑)。
 ダーティ・プロジェクターズを聴いて、(ああいった)ミックスとかキックの音づくりはパソコンをナチュラルに使えるようにならないとできないとなったときにふたりでPCをもちよって一緒に曲をつくるというのを週何回やるというバンド練みたいなことをやったこともあります。当時は新しい音源のリズムトラックをどうするかも決まっていなくて、定期的にはバンドの練習をしてなかったからそれにあたることをPCでやればできるようになんじゃないかって(笑)、曲もできていいんじゃないのとなったんです……けど。

その曲ってなに?

吉田&西田:“トーラス”です。

成果はあったということじゃないですか。

吉田:そうですね、でき上がったときは興奮して、しばらくしてからだめだったなぁってなったりしたけど。

西田:インタヴューのなかで、そういえばそうだったと気づくことが多いんですけど、いままでは「あれはやってみたけどちがった」と思っていたじゃない。

吉田:そう思ってた。

西田:でもいま話してみて(PCでの作業を)やったことがでかいのかなとも思った。

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“トーラス”をつくってわかったのは、あれは打ち込みでできた曲だけど生演奏でもいけるかもということだったんですね。 (吉田)

俺は吉田さんに打ち込みの適性がないとは思わないけど、その期間でベストを尽くそうとなったら生演奏しかなかったんですよ。 (西田)


吉田ヨウヘイgroup
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話は変わるけど、タイヨンダイは私のダチなんだけど。

西田:かっけえ(笑)!

吉田:ほんとうのダチはそういう言い方しなさそうですけど(笑)。

そうだよね(笑)。タイヨンダイはダーティ・プロジェクターズの新作にも参加していますが、彼も同じようなことをいっていましたよ。アナログシンセもギターも遊びのような手仕事の感覚だと。

吉田:ぼくらもがんばればそうなるのは感覚的にはわかっていて、ただ自分たちはギターについては一緒にいなくても練習するけど、どうしても打ち込みはひとりでは進まなかったんです。ひとりでやるのを目指したんですけど、会ってるときしかやらなかった(笑)。次作への課題ですね。でも時期がきたらやれる感覚もあります。

西田:目指していたのはフィジカルな状態だったんですけどね。悩めなかったんですよ、ギターのようには。わからなさすぎるものは悩めない(笑)。でもなにかをつくるには悩めなきゃいけないよね、とも思っていたから――といいながら、逆にいうと悩んで、悩んだままほかに楽しいことができたのかもしれない。

たとえば?

西田:ギターを弾くのがただ楽しいとかですよ(笑)。

それ以降はふつうの作り方に戻っていったんですか。

吉田:“トーラス”ができた段階でメンバーのクロちゃんがやっているTAMTAMが『EASYTRAVELERS mixtape』を出したんですね。TAMTAMの新譜はばっちりエンジニアの方に録ってもらっていて、聴いたら、“トーラス”とはキックの音のレベルがちがって、どっちがかっこいいかと100人に訊いたら100人ともTAMTAMのほうだというような音の質だったんですよ。ぼくはサンプルライブラリーからすごくかっこいいキックの音やスネアの音を選んで組み合わせれば自然と全体もかっこよくなるだろうと思っていたのにTAMTAMを聴いたら彼らの音のほうがかっこよかった。俺らはギターの音だったら録音した次の日改めて聴いて、あれ、かっこよくないぞと思うことはあんまりないんですが、打ち込みに対しては判断する力がまだないんだなとそのタイミングでわかってきたというか。逆にいままでに自分たちが得意だとも思っていなかったドラムやギターの音色にたいする判断のほうが点数高いんだなとわかったときがあって、そこでちょっと変えようということになったんですね。

そこで判断したんですね。

吉田:もっと慣れれば、この音を打ち込んだら全体がこうなるとわかるところまでくると思うんですけど、どれだけ時間がかかるかわからなかったので。“トーラス”をつくってわかったのは、あれは打ち込みでできた曲だけど生演奏でもいけるかもということだったんですね。TAMTAMのアルバムにも自分たちが打ち込みに求めていた質感もあったので、だったら生演奏が得意だからそっちをがんばろうと路線変更して一気につくりだしました。

のこりの曲は短い期間でつくったんですか。

吉田:アルバムのなかでは西田は“piece 2”も書いているんですが、感覚的には西田が平行して2、3曲書いてくれた感じで、自分が“トーラス”と“分からなくなる前に”、“フォーチュン”とかができていたから7曲か8曲書いた感じなんですけど、1ヶ月半で4曲ずつみたいな感じだったかな。

西田:吉田さんは後半にかけて尻上がりでした。今回は悩みながら決めずに進めたから、俺思ったのはさ、アルバムは今年絶対出したかったじゃん。

吉田:うん。

納期を設定していた?

西田:納期というより今年絶対音源出してそれをいいものにしたいという思いですね。俺は吉田さんに打ち込みの適性がないとは思わないけど、その期間でベストを尽くそうとなったら生演奏しかなかったんですよ。方向性を決めていくなかでやりたいことが出てきて、作曲にかんしてはどんどん尻上がりになったイメージです。制作が進むにつれ、やりたいことが明確になってきた。吉田さんが後半につくった曲については最初からブラッシュアップされていた気がします。

吉田:レコーディングが2回にわかれていて、リズム隊の録音は6月と8月でしたが、2曲宅録で10曲レコーディングしたイメージなんですよ。“piece 1”と“piece 2”は家でリアンプしたほぼ宅録なんですが、のこり10曲で5曲ずつ録音した感じで、6月に録音してそこで軽くミックスしてもらったんですけど、ドラムが完璧にイメージどおりの音になったんです。この音なら曲いっぱいできるなと思って自分のなかで加速がついた気がします。

ドラムの音が決まるとアルバムが像を結びますからね。

吉田:そうですね。

『ar』のドラムの音はこれまでよりちかいですね。

吉田:いままではほんとうにジム・オルークが理想だったので3メートルぐらいの距離で聴いているドラムの音が好きだったんです。それが50センチの音にしなきゃいけないと思って。生演奏でありながらドラムの音がちかいというイメージもTAMTAMのアルバムでついてはいたものの、自分たちにできるのかは半信半疑だったのが、録音を経てじっさいにできたのでこの音だったらこういう曲がかけるぞと一気にわかってきたところがあります。6月まではちょっと余裕があったのでそれほどハイペースではなかったんですが、6月のあと8月までに4、5曲書かなきゃいけないと決まっていたのでそこからハイペースだったよね。

西田:そうだね。後半は迷いもなかったからね。だけど最初から迷いなかったらつまらないアルバムになっていたかもしれない、と俺は思っていて、6月のレックのときにこれだったらできるとなってからは早かったんですが、悩んでいたのは“トーラス”がいちばんなんですよね。演るときにまた悩むんだけど、どちらが好きかといわれると両方好きだから、今回のアルバムには両方はいったんじゃないなかと思います。『ar』はだから、濃淡があると思いますよ。

期間が短いと演奏を詰めていく時間は足りなかったんじゃないですか。

吉田:それはサポートを含めてみんなが頑張って埋めてくれました。西田もいろんなひとに呼ばれてスタジオワークをこなしてお金をもらうようなこともあって、「1ヶ月練習して録音するのは、バンドだと短く感じるかもしれないけど演奏者としては短くはないんじゃないかな」と、教えてくれたのも大きかったです。

最初に話題にした、個々をどれくらいブラッシュアップするかという課題をクリアしていたということですね。

吉田:そうですね。

西田:それに加えて思うのは、短い期間でできた曲はデモの時点で演奏者がどういうことをすればいいのかわかるような音源だったんですよね。吉田さんのなかに明確なイメージがある感じがした。

それは西田くんだからじゃない?

西田:俺はもちろんそうだけど、曲自体がこういう演奏が理想だというのは楽器をがんばってやろうとしているひとならわかるものだったと思いますよ。“chance”という曲とか、「拡がった現実」はアレンジを悩んだけど、Bメロのパートとか、どういうふうにしたらいいのか明確でしたよ。その期間でできた曲で苦労したのは“1DK”だけでした。

“1DK”はなぜ苦労したの?

西田:ふつうに演奏が難しかったからです。テクニック的に難しかったから苦労したけど、それ以外そうでもなかったのは吉田さんがいうとおり信頼できていたのと曲自体が演奏に要請しているものがはっきりあったからなんですよね。

たとえば西田くんがほかの現場に行くときは、どのような演奏が理想かわかりづらいこともあるでしょ。

西田:それはありますね。

そういうときはどうする?

西田:うーん。困りますね(笑)。

そのあげくどうするの?

西田:がんばりますよ(笑)。でも俺は吉田ヨウヘイgroupの音楽については理解するべきだし、その自負もあるんですけど、『ar』について思うのは、くりかえしになりますが、デモの時点でどういうことをすべきかわかる曲が多かったんですよ。曲が「こういう演奏をしてほしいーよー」みたいな(笑)。それでできた曲はある意味全部フィジカルな仕上がりだと思います。それ以前の時期の“トーラス”や“サースティ”もフィジカルだとは思うんですけど、もうちょっとちがう質感だと思う。レコーディングの1ヶ月間を短く感じなかったのは曲がそういった感じだったからだと思います。

フィジカリティという感じだと『ar』はグルーヴを強調した曲が多い気がしました。

吉田:それはほかの方にもいわれましたけど、自分は正直わからないです(笑)。自分のイメージはグルーヴにかんしては以前とおなじくらいのものがみえていたはずで、再現度のちがいが大きいかもしれない。

さっきいったドラムの音色も相まってグルーヴ感をより感じるのかもしれない。

吉田:それはそうかもしれないです。いままでのドラムが3メートルぐらい離れて、オフマイク気味にベースやギターと一体に聞こえる感覚をめざしていたんですけど、ドラムが50センチのちかさになるとそれぞれが屹立して聞こえるのかもしれない、ポリスみたいに(笑)。各パートがそれぞれ前に出て、聴いているひとのなかで合わさるような音の作り方ですね。

次のアルバムどうするって話になったとき、ぼくがグラウンド・ゼロの『革命京劇』みたいにしたい、といったんですよ。 (吉田)

リズムにかんしていえば、西田くんのギターがこれまではメトロノミックに全体を引っ張る役割があったと思うんです。そういところから『ar』では西田くんのギターに自由なスペースが増えている気がしました。

吉田:それは完全にそうです。思っているとおりです。

演奏の個人的な聴かせどころはどこですか。

西田:難しいですね(笑)。全部です(笑)。

これ『ギター・マガジン』の取材じゃないよ(笑)。

西田:(笑)。いや全部なんですよ、ほんとうに。全部なんですけど、苦労せず自然に、自分のいままでやってきたことをやっと出せたぜ、この曲つくってくれてありがとうと思えたのは“Do you know what I mean? ”です。この曲がないとそのプレイができないんですよ。

それって冒頭のカッティングのところ?

西田:あとフレーズの組み方とか。

ああー。

西田:でも苦労してなくはないや(笑)。ヴォイシングにかんしてはめっちゃ苦労していて、今年受けた影響を出したかったし、考えてやった感じです。リズムにかんしては吉田さんが昔からこういうのかっこいいよねって進めてくれたのを超参考にしました。マサカーのフレッド・フリスとか。

ああー。

西田:そのカッティングをずっと曲で使いたかったけど、そういう曲がなかったのでそれをやっと曲で聴いてもらえますよ、どうですか、というのが“Do you know~”ですね。

フリスなんだ、これ。

西田:そうです完全に。それと石若駿くんと一緒にやっている影響が超でかくて、彼が教えてくれたヴォイシングをバンドの曲に取り入れたかった。新しいのと前からやりたかったのの両方がはいっているという意味では“Do You know~”だし“フォーチュン」もめちゃくちゃ気に入っているし“トーラス”のギターにかんしては苦労しました。“トーラス”については全部苦労したんですけど(笑)。

吉田:この一年西田くんはジャズ界隈のひとと仲良くなったんですよ。

ジャズ界隈のひととやるのはどう? 彼ら演奏が上手ですよね。

西田:すくなくとも自分がかかわっているミュージシャンは全員信じられないくらいすごいです。

シュンとしたことあった?

西田:俺は音楽、ギターをつづけられないんじゃないかと思ったことは何度もあります。いまも常にある。でもそういうのがあったからよかったんですよ。彼らと演奏するのになにができるとなると、こっちでやってきたことも極めていかなきゃいけないじゃないですか。そうなったとき、俺はバンドやってきているぞとか、ここにかんしてはけっこう考えてきたぞというのをみつけるきっかけにもなっていて、凹まされることもあるけど単純に教えてもらうことも多いですよ。

西田くんは“piece 2”も作曲していますね。この曲のアルペジオはなにで弾いているの?

西田:ウクレレです。“piece 2”はさっきいったみたいにシンセサイザーの使い方が自分たちは長けていないけどそういうふうにしたいとなったときに吉田さんに相談して、もしかしたらラップスティールだったらそういった感じになるかも、となってラップスティールを入れたんですけど、なにかものたりなくて、なにかを足したかったんですけどぜんぜん思いつかなくて吉田さんと話していたら、ラップスティールなんだからいっそウクレレでどう、といわれたんです。

ハワイつながりだ。

吉田:西田くんの家にラップスティールとウクレレがあったんです(笑)。

高木ブーさんみたいですね(笑)。

西田:ちょうどユニオンで『ブルーハワイ』ってレコードを100円で買って聴いていたのもあって(笑)、これなしだよね、というテンションで相談したら、いや意外と合うぞといわれてやってみたら合ったんですよ(笑)。

“piece 1” “piece 2”という小品もあり、『ar』は構成がすばらしいです。曲順はすんなり決まりましたか。

吉田:ぼくは忘れていてメンバーが2回ぐらいいってくれてうれしかったのが、去年メンバーと飲んでいて、次のアルバムどうするって話になったとき、ぼくがグラウンド・ゼロの『革命京劇』みたいにしたい、といったんですよ。

取材に立ち会った編集部小林:おー(と突然声をあげる)。

吉田:“Crossing Frankfurt Four Times”とか“Red Mao Book By Sony”とか、短い曲と普通の尺の曲が混在してるのがすっごいかっこいいじゃないですか、1分半~2分ぐらいの曲がいっぱいあるアルバムって。それだったらアルバムつくる負荷も低いと思ったんです。

それ大友さんに失礼じゃない! グラウンド・ゼロは制作の負荷が低いって吉田くんがいっていたって大友さんにいっちゃうよ(笑)。

吉田:(かぶりをふりながら)ちがいます、ちがいます。

西田:(とりなすように)ながれが意識できるということです。

吉田:(狼狽しながら)俺がつくると歌ものの4~5分ぐらいの曲がはいるので、6曲は4~5分台の曲、それと1分半の曲を6曲みたいなイメージのアルバムをつくりたかったということです。そのときは西田はまだ作曲していなかったけど、1分半の曲だったら力を発揮してくれるんじゃないかなというイメージがそのときあって、6曲ぐらいなら現実感もあると思ったんです。

なるほど。

吉田:それでアイデアのひとつとして『革命京劇』みたいにしたいといっていて、ただ結構間があったんで自分ではすっかり忘れていたんですけど、5月ぐらいに西田もクロちゃんも、『革命京劇』みたいにしたいんだったらこれはこうなんじゃないですか、といってくれたことがあって、ああそういったな、と思い出しました。アルバムの“シアン”や“chance”は“piece 3” “piece 4”でもいいかと最初思っていたんですよ。

たしかに尺は短いですね。

吉田:“Do you know~”も“トーラス”をつくったあとにふと思いついて2時間ぐらいで書いたんです。なので最初はこういうインタールードをつくりたいんだよね、ということで1分半の曲のつもりで書いて、それが気に入って倍くらいになったので別のインタールードつくらなきゃと思っていました。そもそも1分半ぐらいの曲を量産しようという気があったんです。

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ARはことばとして使われなくなるんだろうと思っていたんですよ。だからレトロフューチャー的な、廃れていくけど昔あった概念というニュアンスもちょっとこめていたんですね。 (吉田)


吉田ヨウヘイgroup
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そのようなアルバムの題名を『ar』にした理由はなんですか。そういえば、そのころライヴ会場で偶然会ったよね。

吉田:ジェフ・パーカーのコットン・クラブでのライヴです。

西田:あれがたしか7月だったから。タイトルを付けたのは9月ですね。

じゃあそのあとくらいですね。

西田:タイトルはもともと短い単語にしたいとは思っていたんですよ。とくに明確な理由があるわけではなくふわっとした気分だったんですが、それまでのタイトルが長かったのもあって短い字面でいいのないかなという話をしているなかで期限が迫って、わりと最初の段階で決まった気がします。吉田さんは悩んだと思いますけど。

吉田:そうだよ! さらっと見せたけど割と考えたよ!

西田:(笑)。最初にみたときにこれはいいと思いましたよ。

なぜ『ar』なんですか。

西田:SFっぽくしたくて、ここ1年ぐらいの気になる音楽には、ダープロなんかもそうだけどSF近未来感があるなと思っていて、AR(Augmented Reality=拡張現実)ということばは情報が映像にかさなる感じじゃないですか。それと、音楽を聴きながら歩いているときになんとなく情報量が付加される感じがちかいと思ったことがあったんです。みているものに色彩や情報を与えるのは、音楽はもとからそうだったんじゃないかなという考えをかさねて、「AR」ということばには両方の要件が備わっていると思ったんです。

そのことばは最新のテクノロジーとセットですが、テクノロジーの進歩について吉田くんは肯定的ですか。

吉田:その点で俺勘違いしていて、ARってなくなるんだと思っていたんですよ。以前は「VR(Virtual Reality=仮想現実)/AR」って書かれていたのに、ここ2年くらいPSVRとか、VRがらみの商品ばかりみるようになっていたので、ARはことばとして使われなくなるんだろうと思っていたんですよ。だからレトロフューチャー的な、廃れていくけど昔あった概念というニュアンスもちょっとこめていたんですね。そうしたらARの新機種をよくみるようになって、ARのほうが難しい技術で今後出てくるとわかってちょっとあてがはずれました。

西田:でもARってことばは吉田さんっぽいですよ。俺にとって吉田さんは機械に強いというか、理知的でコンセプトを立てるひとのイメージがあるんですよね。でも一方でARってエモーショナルに受け止めようと思えばいくらでもそうできることばで、吉田さんがレトロフューチャー感っていっていたのはそういうのとも関係あると思うんですよ。吉田さんの歌詞とかもほんとうにそういった感じだと思うんですよ。表現するのは人懐こかったり感覚的なことだったり、いったらエモいといわれるようなことかもしれないけど、表現するにあたってはそれだけじゃないんですよね。

歌詞の面では女性陣おふたりが作詞をしていますが、すごく吉田ヨウヘイgroupっぽい歌詞だと思いました。吉田くん以上に吉田くんっぽい気すらします。

吉田:ふたりには曲を書くから歌詞を書いてくれとお願いしたんですけど、俺は自分っぽくとか制約を与えると書けないと思ったので、なにも要求しなかったんですけど、結果的にふたりは吉田ヨウヘイgroupでやるならぼくの詞に寄せたほうがいいと思ったらしく、自分のなかでの通じるところを出そうと思いながら書いたみたいです。

まったく助言せず?

吉田:ぼくは自分で歌詞を書いたあと西田にみてもらうんですけど、ここは意味がわからない、どうとればいいのか、ということで直しがはいったりするんですね。それとおなじことは彼女らにもしてもらおうとは思っていて、書いた歌詞の筋が、だれにもわかるのは難しいですけど、ある程度わかる人が多いようにはしてくれとお願いして、ふたりとも二、三回やりとりした感じでした。

意図したとおりだった?

吉田:最初に“フォーチュン”の歌詞が届いたときにぼくに寄せようとして書いているのは分かりました。“フォーチュン”ってタイトルはちょっとかわい過ぎるかなと最初は思ったんですけど、割とすぐに慣れて、これはこれですごくいいなと思うようになりました。

私はまったく違和感なかったけどね。最初は音源だけを聴いたから、クロさんが歌っているのはわかったけど歌詞は吉田くんが書いているのだろうと思いましたから。

吉田:それはうれしいですね。

西田:歌詞にかぎらず、バンドのすべてをコントロールするのはムリだと思うんですよ。ドラムのチューニングとかベースの弦のどのポジションでEを弾くかなんて、なかなかこっちで全部は決め切れないけど、みんな吉田ヨウヘイgroupのなかでならどうすべきかということを今回やってくれているんですよね。いままでに較べたらそういった部分がすごく多いし、レックを二回にわけて、最初にできあがった音がよかったから、それでいいんじゃないといって後半に臨めたのもよかったですね。そのぶん余白みたいなものをのこした状態になったところもあって、それまでだと俺たちも細部にこだわっていたのが、もっとなにかいいものを足せないかなとか、ミックスや自分たちのプレイに集中したから単純にはいっているものが増えていると思います。

 といいのこして所用のため西田修大はギターを担いで颯爽と去っていった。12月に予定するレコ発(12月20日渋谷WWW X)をはじめ、たてこんでいる予定にそなえ、ふたりはスタジオでの練習帰りに取材に応じてくれていたのである。のこされた吉田ヨウヘイはもっていたギターを全部下取りに出して購入したご自慢のギブソン335への愛を蕩々と述べる。取材はすでに終了しているが、四方山話はひきもきらない。サブカルチャーに耽溺した人間にとって音盤コレクションや本棚がいかに聖域だったか、メタルのドラマーは凄く好きな人が多い訳ではないが、そのなかでミスター・ビッグのパット・トーピーは図抜けていた、いやあれはハードロックだから、でも彼はインペリテリにいたからメタルですよ、やっぱりいちばんかっこいいのはロリンズ・バンドみたいなバンドですよね、いややっぱりハイナー・ゲッベルスだよ、そもそもぼくは中学のときアルバート・キングの『ブルース・パワー』がほしくて近所のCD屋に毎日通い詰めたら哀れんだお店の方にPヴァインのカタログをいただいたんです、それなら私は――というテッペンまわった居酒屋さながら蜿蜒とくりひろげた会話から吉田ヨウヘイの歌詞への考え方を抜粋して以下に記す。

ぼくはあんまり強いこと言ったりDVなんて絶対できないけど、すぐ怒ったりしそうなやつのほうがモテるみたいな矛盾は日常生活でも映画とか見てても感じたり。そういうなんというか描きにくい曖昧なとこを描きだそうとしてみたらうまくいったことがあって。 (吉田)

私は吉田くんの歌詞には独特の不安定さがあって好きなんですが、歌詞を自己分析されたことはありますか。

吉田:音楽の音符とかリズムに対しては分析的な視点が自然と出てくるんですけど、たとえば映画だとカメラアングルとかカット割りとかまったくわからないんですよ。プロットがどうだとか。楽しむためでも、ロジカルな視点がいっさいはいってこなくて、ただ受け入れて、よかった、よくなかったで終わっちゃうんですよ。歌詞も自分のなかではずっとそうで、なんとなくいい、わるいくらいしかなくて、つみあげていけるものがないから、外から学ぶことができないんです。そうすると歌詞については自分の手法を洗練させるしかなくて、ことばにするに足るものと考えたとき、それに値するのは不安定さだったりするんです。ぼくの思っている不安定さって、日常会話で「俺こんなことを思っているんだよ」、って繰り返しいっちゃったら嫌われるヤツというか。曲という1年に一度ぐらいのアルバムの発表のタイミングにしか外に出ないことばで、音源というかたちでプレゼンテーションするなら出していいかなと思うんです。たまにしか出さないなら光るもの、そういったマテリアルがあると思っていて、自分はほんとうは話したいけど遠慮していることを歌詞というかたちで掬うとうまくいくなとある時期から思いはじめたんです。

ある時期っていつ?

吉田:このバンドをはじめてからです。三十になるちょっと前にはじめたんですけど、それぐらいからです。西田に「もうちょっと歌詞に起伏があったほうがいいんじゃないか」といわれていて。だから起伏を起こすときに自分がとれる手法として不安定さを象徴する場面をおりこんでいくとうまくいくなと思うようになりました。

題材は日常にありますか。

吉田:たとえば“chance”なら知り合いの女性がイギリス人と結婚して、もとの姓名の間にイギリス人のミドルネームが入ったんです。名前がおんなじまま、英語のミドルネームが追加されるって凄いな、どういう心境の変化なんだろう、と思ったことがあって。“chance”の歌詞は、それをディテールにして、鬱屈しているのを外国人と結婚して名前をマイナーチェンジして心機一転する、みたいなイメージで書きました。

吉田くんは、日本語で書く制約は世代的にも感じないですよね、きっと。

吉田:でも聴いたひとから字余りがあると指摘されたことはありますよ。

それもいいところだと思うけどね。

吉田:自分では制約は感じていなかったんですけど問題を指摘されることはあったので、今回はちょっと意識して、西田にも相談して大丈夫なんじゃないといわれたので許容できる範囲におさまっているといいなと思うんですけど。

字余り感もさほど気にしていなかったと。

吉田:ユーミンのメロディも英語で歌うとああいうメロディにはならないと思うんです。言語感覚から出てくるメロディは絶対あると思っていて、ユーミンっぽいメロディや細野さんの『HOSONO HOUSE』のときのメロディなんかは日本語でないと生まれないメロディで、そっちのほうに憧れているところがあるので日本語の制約は感じていないです。

作詞家で憧れているひとはいないんですか。というか、さっきの話だと作詞というものを分析することはないということか。

吉田:松山猛さん、松本隆さんは大好きです。自分も「一張羅の涙」みたいなことばを本当は書きたいんです。なにを言っているかよく分からなかったり、用法は正しくないけど素敵でイメージの広がりがあることば。それをやるには、本来その名詞を形容しない形容詞を前にもってきてハッとさせるという手法があるのは理解しているんです。でもそれには語彙が必要で、自分は語彙を身につけようと生きてきたのにぜんぜん身につかなかったんです。

編集の仕事もやったことあるんだから語彙はあるでしょう?

吉田:(苦笑)。語彙の部分で大事だったのは例えば「行く」ということばを使うときにあまり多用しないで同じ意味の別の言葉に書き換えるとか、そういったことだったんですよ。ふつうのひとが使わないことばは逆に使っちゃいけなかったんです。日常的なことばでスノッブじゃないように書くのが大事なので、それに慣れた自分にはそういった淡々としたことを書くほうが向いていました。

淡々としたことばの使い方でも、でも私が読むとおもしろいことばづかいを吉田くんはすると思うんですよね。たとえば、「動く」を「動き」にするように動詞を名詞化するのは語彙があると「律動」とかそういった難しいことばになっちゃうんだけど、そうしないことで動詞と名詞が二重化してことばの世界が厚みを増すというかね。

吉田:豊富な語彙を諦めてからは、逆に自分の歌詞の世界だと難しいことばが出てくると浮いちゃうので、そういったことばは使わないようにはしているんですよね。

たとえば微熱少年がいるなら平熱の淡々とした風景のよさもあると思うんですよ。

吉田:歌詞については、『ar』では書いたあとの感覚が前とはちがっていたんです。3枚目まではあえてほとんどの曲をラヴソングにするようにしていたんです。というのも、歌詞に起伏をつけるには女の子を主人公にしたラヴソングだとやりやすいと気づいたんです。ぼくはあんまり強いこと言ったりDVなんて絶対できないけど、すぐ怒ったりしそうなやつのほうがモテるみたいな矛盾は日常生活でも映画とか見てても感じたり。そういうなんというか描きにくい曖昧なとこを描きだそうとしてみたらうまくいったことがあって。

そういうことあるのかな、あるのかもねえ。

吉田:一回自分を完全に離れるからお話が作りやすいのかもしれなくて。身勝手なひとを好きになってしまうというような起伏の作り方だと歌詞がまわっていくなと思っていて、前回まではそれをモデルケースに書いていたんですけど、今回それをいつのまにか忘れていたのか、危ない場面を書こうとしなくても詞としての危なさが勝手にはいるように書けるようになっていた感じがして。

最初にいった不安定さを嗅ぎつける能力が恋愛にかぎらなくなったんじゃないかな。

吉田:感覚的にはそうですね。

セカイ系という言い方はかなり前の流行り言葉で、オタク的な文脈で使われることが多いけど、吉田くんの歌詞にはそれと似た空間性があると思いました。なにかが起こるかもしれない不安定さを皮膜一枚向こうに感じているような。

吉田:セカイ系って全体感ではなく一対一の関係が大事になってしまうということですか。

一体一の関係の背景があるという意味では全体感というより遠近感でしょうね。

吉田:ぼくは会話に没入したいんだけど周辺視野のことが気になってしまう、その場面のイメージはめちゃくちゃ強いですね。

おそらくそうだろうね。そうしてふとした所作の意味を考えてしまう。

吉田:喫茶店で大きな声で別れ話をするのはイヤみたいなのがあるかもしれません(笑)。ほんとはそんなこと考えずに相手の話に集中しないといけないはずなのに、周りがなぜか見えてしまう、みたいな(笑)。そういうのが詞の原動力になっているかもしれないです(笑)。

私はそんなとき、超越者の審判がくだされたと感じますが、それはさておき、吉田さんの歌詞では作中人物がよく後悔しますよね。夜考えていたことが朝起きると色褪せて思えるような感じ。

吉田:レイモンド・カーヴァーが好きなんですよね。予想よりわるいことが起きてそのまま終わるような話が多いじゃないですか。ぼくは自分の歌詞についてはできるだけハッピーエンドで終わらせようと思ってますけど。レイモンド・カーヴァーですごい好きな話が、夫婦喧嘩してる時に冷蔵庫が壊れて、冷凍したものとかがどんどん溶けてきちゃって、もういろいろ最悪っていう。

ほかに作家で好きなひとはいますか。

吉田:ヴォネガットです。ぼくは小説も分析的に読めなくて、どうして文学があるとか、ぜんぜんわからなかったんですが、ヴォネガットの『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』を読んだときに、いろいろやって最後子ども全員育てるじゃないですか。おそらくテーマは「ひとにはやさしくしよう」っていう凄いシンプルなことなのに、それをそのままいってもだれも聞いてくれない、でもこういうことがあるからやさしくしなくちゃいけないんだよいうメッセージを伝える。「ひとにはやさしくしよう」という一行のことを人の胸に響くように伝えるためにディテールがいろいろ必要で、それがこの小説なんだと感じたんですよね。歌詞でもその形式に則ることにしています。この歌詞のいいたいことはこれ、もちろん具体的に言い切れることじゃない場合もありますよ、でもそのうえで、これをいうにはそれが説得力をもつ文脈をつくらないと伝わらないと思い、それにはディテールへの共感がいるという観点からつくっています。“1DK”だったら一緒に暮らしてしあわせだったのが、あるきっかけでキツくなってきてそれをなんとかしたいというストーリーを設定していて、それに説得力をもたせるには、ふたりの喧嘩を描くのではなくて、家に行ったら仲がわるいのがまるわかりじゃんという状況を書くほうが共感度高いと思って。村上春樹を読んでいるときに思ったんですが、村上春樹の読者は小説のなかで起こっていることが、「これは自分にしかわからないことを書いてくれている」と思っている気がするんです。ただ、実際は100万部とか売れるわけだから、そう考えているひとが100万人いる。自分にしかわからないようにみえる表現というのがあって、歌詞を書くときはできるだけそういうものにしたいな、と思っています。

たとえばフィッシュマンズなんかはそうだったと思うんです。大勢いるんだけど舞台の上の佐藤伸治と一対一で向き合うようなありかたは、不特定の他者との共感が主流になるとなかなかなりたたない。最後に吉田くんのなかにロックシーンだけじゃなく日本の音楽の現状に対して思うことはありますか。

吉田:ぼくはほんとうに不満を感じないほうですね。ぼくの場合、本来才能に恵まれているのに世に出られなかったわけじゃなくて、二十歳ぐらいのときの音楽を聴くとじっさいにクオリティが低いんですよ。ふつうにクオリティが低くてライヴハウスで怒られていた(笑)。三十でようやくインディーズで出せるようになって。自分の実力と聴くひとの数が印象のなかではほとんど乖離していないんですよ(笑)。(了)

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