「KING」と一致するもの

Alice Coltrane - ele-king

 アリス・コルトレーンが40年前に自主カセットテープでリリースした『Turiya Sings』がCD/アナログ盤として7月16日に〈インパルス〉よりリリースされる。1976年にカリフォルニアのウッドランドヒルズに開設した宗教コミュニティ、ヴェダンティック・センターのアシュラムにおいて500本ほど発売された同作品は、アリス・コルトレーンのサンスクリット語による歌モノ集で、オルガンと、そしてオーバーハイムのシンセサイザーが伴奏されている。
 アリス・コルトレーンこの時期の作品は2017年にデヴィッド・バーンの〈Luaka Bop〉から編集盤『The Ecstatic Music Of Alice Coltrane Turiyasangitananda』としてリリースされ、話題になっている。過去、ブートが出回るほどカルト作だった『Turiya Sings』だが、今回はあらたにリマストリングし、初のCD化/ヴァイナル化もされる。発売は7月16日で、〈インパルス〉の創立60周年記念の一作でもある。


アリス・コルトレーン
キルタン ~トゥリヤ・シングス

ユニヴァーサル

Loraine James - ele-king

 『Reflection』は、最近ぼくが聴いたクラブ系のアルバムとしてはダントツのお気に入り……なのだけれど、ロレイン・ジェイムズの音楽が生まれた場所はクラブではない。それは彼女が育った北ロンドンにある高層アパートのリヴィングルーム。エイフェックス・ツインやスクエプッシャー、ドリルやグライムを好んで聴いていた彼女が、窓からの景色を眺めながら、母のキーボードを時間も忘れて弾いたことにはじまっている。
 アグレッシヴなデビュー・アルバム『For You And I』(2019)のアートワークに見える高層アパート群が彼女の故郷なのだろう。その1曲目、彼女のもっともずば抜けた曲のひとつ“グリッチ・ビッチ”は、ユニークなリズムを背景に「ビッチ、ビッチ」という声が反復される。ロレインは、黒人女性でありクィアである。彼女はそのアイデンティティと社会との複雑な関わりと向き合いながら、白い文化も黒い文化も男性性も女性性も折衷したエレクトロニカをじつに魅力的に展開している。

 いまやロレイン・ジェイムズはUKエレクトロニック・ミュージック新世代を代表するひとりだ。彼女はAFXやテレフォン・テル・アヴィヴをただエミュレートするのではないし、いたずらにグライムやドリルをやっているわけでもない。喩えるならうまい料理人で、それもずば抜けて腕の立つコック、しかもその料理が満足させるのは耳だけではない。ハートもときには頭も直撃する。
 コロナ禍においては、これまでの人生でもっとも集中的に多くの楽曲を制作したというロレインだが、昨年はグライムを咀嚼した「Nothing EP」やAFXのお株を奪うかのように楽しげな「Hmm」をリリース、リミキサーとしても売れっ子になりつつあるようで、ダークスターやケリー・リー・オーウェン、ジェシー・ランザやクーシェなどの楽曲を手掛けている。そして先週、待望のセカンド・アルバムとなる『Reflection』を出したばかりというわけだ。

 それでは景気づけに“Simple Stuff”を聴いてみよう。

https://soundcloud.com/hyperdub/loraine-james-simple-stuff

 UKガラージのミニマルな変異体で、シンプルに聴こえるがIDM的なアプローチがあり、しかも軽やかでなおかつ官能的という上質なダンス・トラックだ。これもそうとうカッコイイ曲だが、驚くのは早い。この手の曲はもう1曲ぐらいで、アルバムにはいろんなタイプの曲があり、その多くにはラップがフィーチャーされている。で、はっきり言うが、ほとんどそのすべてに心惹かれてしまうのだ。
 ラッパーを起用しての曲がじつに面白い。たとえば1曲、初期フライローをドリーミーに進化させたようなトラックが秀逸で、ややメランコリックでありながら「目指すは山の頂上/その日が来るまでがんばれ」と前向きな言葉を吐くラップとの絡みも絶妙だ。この曲で思わず気持ちが上がったところに、続いてジャングルがズドンと突き刺さる。そして、その重低音とブレイクビートが恍惚と跳ね回ったあとには、くだんのガラージ変異体に繫がると。まあ、たいていのアルバムは3曲目あたりで力尽きてしまいがちなのだが、驚くべきことに『Reflection』は4、5、6曲目において、グローバル・コミュニケーション風の夢見るアンビエントをヒップホップのリアリズムに変換してみせているのだ。そして、ガラの悪いトラップやドリルでさえも彼女にかかるとエレガントな宝石のような輝きを携え、その夢幻めいた音響を特別なものにする。いずれにせよ、評判の良かった前作では控え目だったドリーミーで甘美な響き、あるいは内省やメランコリーが今作のサウンド面における特徴となっている。
 ドリーミーといえば、彼女がファンだというLAのBathsが1曲参加しているが、これは予測されるようにエモい。でまあ、ポップなR&Bヴォーカル曲もトラック自体は悪くはないのだが、ハイレベルな本作においては歌のメロディがやや凡庸でベストな出来とは言えないだろう。しかし総じて言えば、これだけ聴き応えのあるエレクトロニック・ミュージックのアルバムはそうそうあるものではないし、『Reflection』には〈Warp〉のAIシリーズのラップ・ヴァージョンめいた側面がある。しかも……『Reflection』はたんに夢心地でうっとりするだけの作品ではないのだ。警察への怒りと黒人の連帯を主題にしている=つまりBLMとリンクする最後の曲におけるラップとジャジーなトラックとのエモーショナルな融和がみごとなように、90年代エレクトロニカのブラック・ヴァージョンとも言えるのかもしれないなと思ったりしている。そんなわけで、いまは時間が許される限りこのアルバムをただただ聴いていたい。

KMRU - ele-king

 ロンドンとイスタンブールを拠点とする〈Injazero Records〉、音楽プロデューサー/ジャーナリストのSiné Buyukaが設立したレーベルで、マット・エメリーやシー・ディアブなどの音源で知られる尖端的なエクスペリタンル・ミュージック・レーベルである。その〈Injazero Records〉が、2020年に〈Editions Mego〉から傑作アンビエント・アルバム『Peel』を出したことで知られるKMRUの新作アルバム『Logue』をリリースした。これが話題にならないはずがなく、リリース直後からアンビエント・ファンのみならず多くの音楽マニアが本作をSNSで絶賛している。
 しかし『Logue』は完全新作アルバムではない。どうやらKMRUのセルフ・リリースしていた膨大なトラックのなかから〈Injazero Records〉が選び、アルバムにまとめたのである。しかしそのせいだろうか、前作『Peel』より曲調ヴァリエーションに富んでいるし、実質、彼の「ベスト・オブ・ベスト」とでもいうべき仕上がりであり、KMRUというアーティストの多面性が理解できる構成になっている。

 KMRUのキャリアについては『Peel』についてレヴューを書いたときに簡単にまとめたので今回は省略するが、彼はケニア出身・現在ベルリン在住のアーティストであり、もともとはダンス・ミュージックを制作していたアーティストでもある。ゆえにその音楽性がいわゆる「アンビエント・ミュージック」だけに留まるものではないことはわかっていた。じっさい昨年『Peel』直後にリリースされた『Opaquer』でもアンビエントを超えた神話的な音響世界を構築していたのである(人によっては『Peel』よりも『Opaquer』を高く評価したのではないか)。

 当然、『Logue』にも、KMRUのポップ・アンビエント的な側面が存分に収められている。だが一聴すれば即座にわかるが、それは安易に「アンビエントの型」を守るようなものではまったくない。ところどころに導入されているケニア(KMRUの生まれ故郷だ)や東アフリカ周辺で録音されたフィールド・レコーディング音が非常に効果的に用いられているのだが、そのサウンドが反復し、やがてリズムへと変化する。そこにカーテンのように柔らかい電子音がレイヤーされていくような特異な構造になっているのだ。アフリカ音楽とアンビエントの融合とでもいうべきか。
 じじつ、2曲目“Jinja Encounters”、6曲目“11”などは、ダンス・トラックからアンビエント・トラックに変わっていく過程を感じることができる貴重な曲といえるだろう。環境音が反復し、リズムになり、電子音の層と交錯する。いわばアフリカ音楽とアンビエント/電子音楽の融合とでもいうべきサウンドなのだ。ちなみに“Jinja Encounters”は2017年のトラックで、このアルバムの中でも最初期の楽曲という。
 その意味ではプレ『Peel』『Opaquer』とでもいうべきサウンドなのだ。特にアンビエントなムードが濃厚な1曲目“Argon”(2018年の楽曲)、7曲目“Bai Fields”、8曲目“Logue”、9曲目にして最終曲“Points”などの楽曲を聴くとそれを強く感じる。彼のシーケンスはまるで親指ピアノのようにリズミカルであり、独自のアンビエンスを生成している。なかでも“Argon”はそのまま『Peel』『Opaquer』につながっていきそうなムードのトラック(ドローンとシーケンスの絡みが絶妙だ)で、極めて重要な曲に思える。

 しかしである。これが不思議なのだが、どのトラックも、まったく「過去」の曲という気がしないのだ。2020年・2021年を経たコロナ禍の音楽としての存在感を強く感じてしまうのである。これは編集した〈Injazero Records〉の力量かもしれないが、当然、もともとの楽曲に時代を超える力が宿っていたとすべきだろう。
 じじつ、この『Logue』のサウンドを、日々、繰り返し聴いていると、その優雅にして、どこか不穏なサウンドスケープが、まるでこの不安定な世界のサウンドトラックに聴こえてくる。単なるBGM的な「心地良さ」へと至るのではなく、そこかしこに不穏でダークなムードがある楽曲たちなのである。
 なぜこのような「ひっかかり」があるのだろうか。勝手な想像だが、KMRUは自らが安易に消費されるのを拒んでいるように思えてならない。「個」の存在を大切にしつつも、どこか世界の行く末を見据えているような音に感じられるのだ。アンビエント、リズム、反復、融解、空気、感情、世界、現在、未来。 NTSは、KMRUの音楽のことをこう評した。「ザラザラした土着のサウンドからフィールド レコーディングやシンセシスまで、あらゆるものを使用した、知的でアトモスフィアで感情的に実験的な音楽」。まさにそのとおりだ。

 すぐれた音楽は、リアルを捉え、そして良質なSFのように予見的だ。だからこそこの『Logue』はアンビエント・マニアのみならず、ジャンルを超えた広い音楽ファンに聴いて頂きたいアルバムなのだ。ここに音楽の「今と未来」がある、とは言い過ぎだろうか。しかし最終曲“Logue”で展開される「穏やかな最後の光景」のようなサウンドスケープを聴くと、ついそんなことを思ってしまうのである。

梅雨のサウンドパトロール - ele-king

 オリンピック村で配布されるコンドームの数が尋常じゃないと話題になってるけれど、どうせ東京オリンピックを強行するなら、いっそのこと夜のオリンピックも「OnlyFans」(https://onlyfans.com)で強行配信すれば収益もガーンと上がって、電通ウハウハなんじゃないでしょうか。セクシーな行為や姿を見られたい人が自作映像をアップする「OnlyFans」はディズニー女優のベラ・ソーンが主演作のリサーチ目的でアカウントを開設しただけで1日で1億1000万円も売り上げたというから、運営側が夜のオリンピックもコントロール下に置けば赤字も秒で解消でしょう! ああ、オレはなんて国想いなんだろう……つーか、見せたいバカはきっといる(https://twitter.com/onlyfansjapan_)。そうしたことを踏まえて、梅雨のサウンドパトロールです。

1 Cam Deas & Jung An Tagen / That (yGrid/C#) / Diagonal


https://soundcloud.com/diagonal-records/diag059-3-cam-deas-jung-an


https://presentism.bandcamp.com/track/that-ygrid-c

ケンイシイ “Extra”……かと思った。ロンドンから実験音楽系のキャン・ディーズことキャメロン・ディーズがパウウェルのレーベルに移籍し、オーストリーのステファン・ジャスターと組んだビート・アルバムの3曲目。“Extra” のダンス・ビートをゴムのミリタリー・ドラムに置き換え、全体にソリッドな質感で押し切っている。偶然にも大坂なおみを襲った病気と同じ『プレゼンティズム(Presentisim)』と題されたアルバム全部が様々なアプローチで “Extra” をアップデートさせた集合体のようで、オープニングはFKAトウィッグスの最良の仕事のひとつといえる “Hide” に通じるメキシカン・テイスト。


2 Ghost Warrior / Meet At Infinity / Well Street


https://soundcloud.com/oneseventyldn/premiere-ghost-warrior-meet-at-infinity

ハーフタイムなどドラムンベースの刷新に取り組んできたピーター・イヴァニ(Peter Ivanyi)による7作目のEPからタイトル曲。空間的な音処理に長け、ダークな余韻を残すことにこだわってきた彼が作品の質を落とさず、緊張感をアップさせた感じ。快楽的なんだかストイックなんだか。同EPからは複数のリズム・パターンを駆使した3曲目の “They Live” もいい。ハンガリーから。


3 kincaid / Slow Stumble Home / Banoffee Pies


https://banoffeepiesrecords.bandcamp.com/track/slow-stumble-home


https://soundcloud.com/banoffee-pies/premiere-kincaid-slow-stumble-home

ブリストルのニュー・レーベルからキンケイドとシューティング・ゲームに由来するらしいゼンジゼンツ(Zenzizenz)が2曲ずつ持ち寄ったEP「Single Cell」のオープニング。ロンドンのキンケイドは長らくオーガニック・ハウスをやっているという印象しかなかったけれど、ロックダウン下で取り組んだEP「Pipe Up」でハーフタイムらしき “Thirds” を聴いてから急に興味が湧いたひとり。そして、フィールド・レコーディングを素材に用いた “Slow Stumble Home” でダウンテンポというジャンルに新風を吹き込んできた。素晴らしくてナイス・チルアウト。


4 どんぐりず / マインド魂 / Victor


https://dongurizu.com/news/detail/80

本誌でヒップホップ特集を組んだと聞き、僕がたまにユーチューブでチェックしている群馬の二人組をピックアップしてみました。何を伝えたいのかさっぱりわからないけど、なぜか何度も観て(聴いて)しまう。


5 Kamus / Kult / Céad


https://soundcloud.com/cead_cd/kamus-kult?in=yungkamus/sets/kult

グラスゴーからキャメロン・ギャラガーによるアラビック・テイストのトライバル・ダブステップ。延々と宙吊りにされる快楽。かつてのトラップ趣味や妙な情緒の揺れは消し飛び、カップリングの “Wallace” とともにストイックでヒプノティックなパーカッション・ワークがとにかく素晴らしい。


6 ディノサウロイドの真似 a.k.a Dinosawroid-mane / 210212 / Opal Tapes

松本太のソロ・プロジェクト。カセット・アルバム『AOB』から6曲目。アルバム全体はエキゾチックなトライバル・ドラムやフェイク・ファンクなど、いい意味で懐古的なオルタナティヴ・サウンドみたいですが、“210212” はちょっと毛色が変わっていて、伸びたり縮んだりするスライムを音楽に移し替えたような面白い展開。関西の人なのか、自己紹介がふざけていてよくわからない。ネーミングの由来は→https://twitter.com/dinosawroidmane


7 Poté / Young Lies (feat. Damon Albarn) / OUTLIER


https://potepotepote.bandcamp.com/track/young-lies-feat-damon-albarn

パリ在住のポテによるアフロ・シンセ・ポップのデビュー作から8曲目。アフリカ・イクスプレスやブラカ・ソン・システマのレーベルを経て、ボノボが〈ニンジャ・チューン〉傘下に設立したレーベルから。癖がなくて聞きやすい曲が並ぶなか、ジェイミーXXのソロを思わせる “Young Lies” は重そうな歌詞をしなやかに聞かせていく。


8 miida and The Department - Magic hour

元ネゴトのマスダ・ミズキによるニュー・プロジェクト。渋谷系リヴァイヴァルというのか、さわやかで微妙にアンニュイな感じは懐かしのクレプスキュール・サウンドを思わせる。そこはかとなくダンサブルで、ロッド・ステュワート “I’m Sexy” のベース・ラインを思い出すのはオレだけか。


9 Maara / WWW / UN/TUCK Collective

「孤独なインターネット・インフルエンサー」を自称するマジー・マン(Mazzy Mann)による過去2枚のEPを素材としたリミックス・アルバム『MAARA 2​.​5: X MIXES & REMIXES』の冒頭に置かれた3曲のオリジナルから3曲目。リミックス部分は全部いらなかったという感じで、オリジナル曲では嘆き悲しむようなメロディをゴージャスに歌い上げ、確実にスキル・アップが達成されている。カンザス・シティのクイアーやトランスジェンダー専門のレーベルから。


10 Marjolein Van Der Meer & Big Hands / Kitty Jackson / Blank Mind

アラン・ジョンソンやラックなど秀逸なトラックものを連発してきたダブステップのレーベルがロックダウンを機に製作したアンビエント・アルバム『Comme De Loin』の5曲目。レイジーなウイスパー・ヴォーカルを軸にふわふわと頼りなげに漂う薄明のダウンテンポ。はっきりいって、良かったのはこれ1曲。

New Order - ele-king

 ニュー・オーの昨年のシングル曲“”のリミックス集が8月27日にリリースされる。バーナード・サムナーとスティーヴン・モリス、アーサー・ベイカーによるリミックスやadidas SPEZIALとのコラボレーション曲など全13曲が収録。
 なお、現在アーサー・ベイカー(※エレクトロ・ヒップホップの始祖、NOが1983年の「Confusion」でフィーチャーしたことは有名)でによるリミックスがデジタル配信中。


New Order
Be a Rebel Remixed

Mute/トラフィック
発売日:2021年8月27日(金)

Tracklist
1. Be a Rebel
2. Be a Rebel (Bernard’s Renegade Mix)
3. Be a Rebel (Stephen’s T34 Mix)
4. Be a Rebel (Bernard’s Renegade Instrumental Mix)
5. Be A Rebel (Paul Woolford Remix New Order Edit)
6. Be A Rebel (JakoJako Remix)
7. Be A Rebel (Maceo Plex Remix)
8. Be A Rebel (Melawati Remix)
9. Be A Rebel (Bernard's Outlaw Mix)
10. Be A Rebel (Arthur Baker Remix)
11. Be A Rebel (Mark Reeder's Dirty Devil Remix)
12. Be a Rebel (Edit)
13. Be a Rebel (Renegade Spezial Edit)

[Listen & Pre-Order]
https://smarturl.it/BARremixed


 ちなみに昨年3月に予定されていたジャパン・ツアーは、コロナ禍の影響により延期となり、2022年1月に実施されることとなっている。

■ジャパン・ツアー日程
大阪 2022年 1月24日(月) ZEPP OSAKA BAYSIDE
東京 2022年 1月26日(水) ZEPP HANEDA
東京 2022年 1月28日(金) ZEPP HANEDA
制作・招聘:クリエイティブマン 協力:Traffic
https://www.creativeman.co.jp/event/neworder2020/



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 UKの新しいDubレーベル〈Dub Junction〉よりサウンドシステム・ミュージック界の重鎮、Vibronicsとその盟友、ルーツ・レゲエ・シンガーのParavezとの共作による新曲「Healing Of The Nation」がリリースされる。記念すべき第一発目となるこの作品には、今日の日本でサウンドシステム文化を啓蒙するBim One ProductionがリミックスとそのDubミックスで参加。
 こちらは180g重量盤12インチ (400枚限定!)とデジタル配信で販売開始となる。すでにIration SteppasやKing Shiloh, Don Letts, OBFなどがサポート。メッセージ性が高いリリックにヘヴィー級の重低音で、心も身体も揺れること間違いなし!

Legend of the sound system scene, Vibronics, links up with longtime collaborator Parvez, to deliver a much-needed anthem in the face of Babylon.
Bim One deliver remix cuts direct from Tokyo inna future dubwise style.
Limited run of 400, pressed to heavyweight 180g vinyl with mastering from Ten Eight Seven.
Support already from King Shiloh, OBF, Don Letts, Dreadzone, Mungo’s Hi Fi, Iration Steppas, Ras Kwame, Charlart58, Blackboard Jungle + more!

Soundcloud (unearthed sound)


Vibronics & Parvez - Healing Of The Nation + Bim One Remix
Label: Dub Junction Catalog: DUBJ001 Release: 18/06/2021

Preorder/buy link (active from 1st June): dubjunction.com/dubj001
Format: 12” Vinyl (180g), streaming + download

1. Original Mix
2. Dub Mix
3. Bim One Production Remix
4. Bim One Production Dub Mix


Vibronic


Bim One Production

Seefeel - ele-king

 シーフィールが1994から96年にかけて〈Warp〉と〈Rephlex〉からリリースした作品をまとめたボックス・セット『Rupt+Flex 94-96』がリリースされた。
 まず情報的なことを書いていこう。ボックスは以下の4枚のCDで構成されている。

●Disc1……彼らが〈Warp〉から1995年にリリースしたセカンド・アルバム『Succour』、全11曲。
 このディスクについては、1995年にリリースされたオリジナルの『Succour』と同じソースが使われているようだ。ボックスのクレジットにあるマスタリング・エンジニアの名前もオリジナルと同じ(Geoff Pesche)。2002年と2008年に〈Warp〉から出たリプレス盤も同様だった。オリジナルと同様にGeoff Pescheがリマスターした可能性もあるかなと思ったが、念のためダイナミックレンジやピークレベルを見てみると、過去の音源も今回のボックス音源もほぼ同じだったのでおそらくオリジナルのままのようだ。このアルバムをリマスターしなかったのは、マーク・クリフォードがこのアルバムの音に自信を持っているということなのだろうか。
 ちなみに過去のディスクと今回のディスクの違いがひとつだけある。アルバム最後のナンバーの扱いだ。これまでのディスクでは、アルバムは全10曲収録となっており、8分近くに及ぶ長尺の“Utreat”がラストトラックだった。ただし、元素表を模した表ジャケットには、クレジットされている10曲の斜め下に“( )11”という表記があり、アルバムに隠しトラックがあることが示唆されていた。このことは当時から知られていたことだが、今回のボックスセットではトラック10の“Utreat”が5分8秒で終わり、続く部分は“Tempean”のタイトルで2分44秒のトラック11として初めてクレジットされている。

●Disc2……『Succour (+)』と題された、『Succour』制作期のレアトラック全12曲。
 このディスク以降は、エレクトロニック・ダブ・ユニットで、当ele-king netでもおなじみPoleのステファン・ベトケによるリマスターとなる。これもこのボックスのアピールポイントだ。
 この12曲中、完全な未発表トラックはトラック1、6~12の8曲。
 トラック2から4の3曲はベルギーの実験音楽レーベル〈Sub Rosa〉から1995年にリリースされたエレクトロニック・ダブ系のコンピレーション・アルバム『Ancient Lights And The Blackcore』に収録されたもの。このアルバムは全6曲から成るが、シーフィールはなんとその半分の3曲を提供している。他の3曲はナパーム・デスのドラマー、ミック・ハリスのユニットScornのアンビエント・ダブ、デヴィッド・トゥープによって録音されたヤノマミ・シャーマンズ──ヤノマミ族はブラジルとベネズエラの国境に並ぶ丘陵地帯に住む民──のフィールド・レコーディング、LSDグル、ティモシー・リアリーとDJ Cheb I Sabbahによるスポークン・ワード、と言えばこのアルバムがどういうものなのかは理解できるだろう。
 残るトラック5は、2009年にワープ20周年を記念してリリースされたアルバム『Warp20(Unheard)』に収録されたもの。

●Disc3……〈Warp〉との契約を残しながら、1996年にエイフェックス・ツインのレーベル〈Rephlex〉からリリースされたアルバム(6曲入り、30分弱のミニ・アルバムだった)に、未発表曲6曲を加えて全12曲とした『(Ch-Vox) Redux』。トラック1から6までがオリジナルの『(Ch-Vox) 』、7から12が新たに加えられたトラック。
 
●Disc4……『St / Fr / Sp』と題された全10曲を収録するこのディスクは、1994年に〈Warp〉からリリースされた12インチ・シングル「Starethrough EP」(4曲)と10インチ・シングル「Fracture / Tied」(2曲)、1994年に10インチ3枚組で発表されたオウテカの「Basscadet」にシーフィールがリミックスを提供したことへの返礼として同じ年に制作されながらも、2003年にマーク・クリフォードが運営するレーベル〈Polyfusia〉からリリースされるまで未発表だった“Spangle”の貴重なオウテカ・リミックス、完全未発表の“Starethrough(transition mix)”、2019年にSfl4e名義で配信のみでリリースされたシングル「Sp / Ga 19」の2曲(“Sp19”は“Spangle”の、“Ga19”はアルバム『Succour』に収録された“Gatha”の略称)の、2017年から19年にかけてデンマークとフランスで行われたライヴ音源をエディットしたもの)を収録している。

 シーフィールが1994年に〈Warp〉と契約した時、世間は「あの電子音楽の牙城〈Warp〉がギター・バンドと契約した!」ということで大騒ぎになった……いや、大騒ぎというほどではなかったかもしれないが、中騒ぎくらいにはなったのではないだろうか。いや、しかし実際1995年にリリースされたアルバム『Succour』は驚くほどここ日本では売れなかったと、ele-kingの編集長・野田努は当該アルバム日本盤にライナーノーツを寄せた僕にそう告げたことをいまでもよく覚えている。もっとも、〈Too Pure〉時代のシーフィールは日本ではほとんどメディアに取り上げられることはなかった。当時日本でもその名が轟き始めていたコーンウォールの異能、エイフェックス・ツインとキャリア初期から密接な関係を持ち、そのエイフェックス・ツインがほぼ原曲の骨格を崩さずに彼らの美しいサイケデリック・ギター・ロックな〈Time To Find Me〉にリミックスを施したということで一部の好事家の間で話題になっていたにも関わらず、である。
 シーフィールの音楽は黎明期からそもそも不思議な存在だった。ちなみにマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『Loveless』はシーフィールの最初のシングルよりも2年近く前の作品である。
 1992年の初頭、マーク・クリフォード、サラ・ピーコック、ジャスティン・フレッチャーの3人がシーフィールを結成した当初は、「3分間のポップ・ソングを作っていた」という。「ヴァース、コーラス、ヴァース、コーラス、ミドルエイト、コーラス、フェード・トゥ・エンド……」というやつだ。しかしすぐに飽きてしまった。その年の夏にダレン・シーモアが加入し、後に最初のEP「More Like Space」となる曲を録音したとき、彼らはそれまで試行錯誤したインディー・ロックの定石を捨てて、サウンドの核心に迫る旅をはじめることにした。〈Too Pure〉からの最初のアルバム『Quique』に至ると、コードチェンジは最小限に抑えられ、キーボードのループ、周期的なギターのフィードバック、ドラムマシンの音などがきらびやかなコラージュとなり、サラの言葉を使わないヴォカリーズが彩りを添え、水のようなレイヤーのシーケンスが重なり、異次元のサウンドスケープが生まれ、ダンスフロアとは無関係のある種のトランス状態を誘発するような音楽を彼らは生み出した。
 彼らの初期の作品のエレガントさを愛していたインディー・ロック・ファンはたしかに存在しただろう。が、彼らはその地点にとどまることなく、ドリーム・ポップ的なサウンドから実験的なアイデアを持ってよりダークでインダストリアルな領域へと急ピッチで進出した。そして彼らはアンダーグラウンドなエレクトロニカ・シーンの橋頭堡とも言えるレーベル、〈Warp〉と契約した。
 同じ頃にシーフィールはジャーナリストのサイモン・レイノルズによって提唱された「ポスト・ロック」というジャンルの代表的なバンドと見なされるようになる。シーフィールのほか、Bark Pyschosis、Pram、Main、Laika、Insidesといった「ロックの楽器を非ロック的な目的で使用し、ギターをリフやパワーコードではなく、テクスチュアや音色のファシリテーターとして使用している」グループの音楽がそのジャンル名で呼ばれるようになり、ロック・バンドにおけるサンプラーの導入やテクノ、ヒップホップ、ダブへのアプローチの呼び水ともなったのである。シーフィールの〈Warp〉時代は、イギリスのロック界におけるパラダイム・シフトの時代とぴったり一致しているのだ。
 だが、残念なことに〈Warp〉に移籍してからの彼らの活動は決して順風満帆ではなかった。バンドの司令塔でもあったマーク・クリフォードはより硬質な音響彫刻ユニットDisjectaを、ダレン・シーモアは初期シーフィールのメンバーであったLocustのマーク・ヴァン・ホーエンとユニットを、マーク・クリフォード以外のシーフィールのメンバーはSeefeelより歌に重点を移したScalaといった課外活動を展開し、シーフィールとしての活動は2010年までほとんど行われなくなる。マーク・クリフォードとサラ・ピーコックに加え、二人の日本人メンバーを迎えて改めて〈Warp〉から2010年にリリースされたアルバム『Seefeel』はいいアルバムだった。だが、このボックスセットに収められたわずか2年ほどの活動期間に創作されたシーフィールの音楽を聴くと、あの激動の時代を反映しているが故の凄まじいばかりの音の強度に頭をぶん殴られたような気分になる。いま聴いても決して聴きやすい音楽ではない。メタリックで、パーカッシヴで、引き裂くようなリズム。しかし音楽は一面的ではない。サラ・ピーコックの幽玄なヴォーカル・サンプルが穏やかさと光をもたらす瞬間があちこちにある。その音楽はストーリーを語るものではない。抽象的で、荒涼とすら表現したくなるような響きだが、それゆえ時代遅れになる危険性とは無縁であるとも言える。抽象的な音楽と言ったけれど、例えば彼らにはスティーヴ・ベケットも愛した“Spangle”といった名曲があるのは強い。オリジナルもいいが、オウテカによってさらなる幽玄空間を現出させたリミックスや、ライヴ・テイクをエディットした“Sp19”の、どちらも12分にも及ぶ天国的な響きに持っていかれて抗えない。

Khalab And M’berra Ensemble - ele-king

 イギリスやフランスはかつてアフリカに植民地を作っていたこともあって、アフリカからの移民やその子孫が多く住んでおり、アフリカ音楽が広まる土壌を作っている。ロンドンのジャズ・シーンにアフリカ音楽の要素が多分に感じられるのもその表われのひとつであるし、フランスであればマヌ・ディバンゴやトニー・アレンといったキー・パーソンが居住し、アフリカ音楽を広めていった。こうした具合に西ヨーロッパの国々には、程度の差はあってもいろいろな場面にアフリカ音楽が入り込んでいる。
 イタリアの場合はイギリスやフランスに比べてアフリカ系人種の比率が低く、アフリカ音楽の影響をそれほど受けた国ではないが、それでも民族音楽を主体とするレーベルがあったり、ジャズやラテン~ブラジル音楽を介してアフリカ音楽が入り込んできた歴史がある。ピエロ・ウミリアーニのようにアフリカ音楽を題材にライブラリーや映画音楽を作る作曲家もいた。地理的に見ればイタリアは地中海を挟んで北アフリカや中近東と接していて、アフリカ北部から地中海を渡ってきた難民を受け入れている。とくに2010年代以降は移民が年々増加傾向にあり、グローバル化が進んでいるようだ。

 こうしたグローバル化はイタリアの音楽にも影響を及ぼし、クラップ・クラップのようなアフリカ、ラテン、東南アジアなどの民族音楽を大きく取り入れたクリエイターを生んでいる。そのクラップ・クラップとも近い関係にあるのがDJカラブ(本名ラファエル・コスタンティノ)である。
 ラジオDJからスタートしたカラブは昔からアフリカ音楽に強い興味を抱いており、ローマでアフリカをテーマにしたイベントを開いてきた。エチオピアン・ジャズの大家であるムラトゥ・アスタトゥケをイベントに招いたこともあるし、マリ共和国のシンガーであるババ・ソシコもゲスト出演し、それをきっかけに『カラブ&ババ』(2015年)という共演アルバムもリリースした。『カラブ&ババ』はクラップ・クラップの『タイー・ベッバ』(2014年)などとともに注目を集め、トロピカル・ベースという言葉も生んだ作品のひとつだ。
 サウンド・クリエイターとしても注目を集めるようになったカラブは、クラップ・クラップの作品をリリースする〈ブラック・エイカー〉からビート・テープや、そのクラップ・クラップをフィーチャーした『ティエンデ!』(2015年)というEPをリリースしていく。その後、〈オン・ザ・コーナー〉からリリースした『ブラック・ノイズ2084』(2018年)はシャバカ・ハッチングスやモーゼス・ボイドら南ロンドンのジャズ勢と共演した実験的な作品集で、カラブなりに解釈したアフロ・フューチャリズムを披露している。

 こうしてカラブは「アフロ・フューチャー・ビート・シェイク」とか、「エレクトロ・シャーマン」と呼ばれる存在となっていったのだが、このたび新作の『ムベラ』をピーター・ゲイブリエル主宰の〈リアル・ワールド〉から発表した。
 『ムベラ』は西アフリカのマリ難民キャンプに避難する音楽家集団との共演となっている。マリ共和国と国境を接するモーリタニアの難民キャンプのムベラでこのアンサンブルは生まれた。マリ共和国は1960年のフランスからの独立後、軍事独裁政権と反抗勢力との衝突が長い間続いており、中でも砂漠の遊牧民であるトゥアレグ族による反政府闘争が大きな広がりを見せていた。2012年のクーデターで反政府勢力のアザワド独立宣言が出されたが、その紛争で多くの難民が発生し、難民キャンプやヨーロッパへの避難が行われた。
 こうした難民キャンプでは音楽やダンス、演劇などのワークショップが開かれ、避難生活で荒む人々の心の癒しとなってきた。トゥアレグ族とアラブ人からなるムベラ・アンサンブルも難民に寄り添ってきた存在だ。カラブとムベラ・アンサンブルとの接点がどこで生まれたのかはわからないが、恐らくはババ・ソシコからの仲介もあると考えられるし、またイタリアへのマリ難民が間に入っているのかもしれない。
 そして、このプロジェクトはイタリアのINTERSOS(インターソス)という非営利人道援助組織のサポートを受けている。インターソスの活動はいろいろあるが、難民支援や難民キャンプの運営なども含まれており、『ムベラ』もその活動と連動している。

 ムベラ・アンサンブルは全部で18名ほどの集団で、トゥアレグ族とアラブ人のほかにイタリア人ジャズ・ドラマーのトマッソ・カッペラート(彼は『ブラック・ノイズ2084』にも参加していた)やカラブの音楽仲間のDJナフなども含まれる。録音は2017年5月にモーリタニアで行われ、2019年9月から2020年9月の1年ほどの間にカラブとナフがローマのスタジオでミックス作業をしている。モーリタニアでカラブはDJもやっていたようだが、そうしたなかでフィールド・レコーディングスを通して持ち帰った素材をもとに、スタジオ・ワークでエレクトロニクスを介して再構築するというプロセスを経て『ムベラ』は完成した。
 トゥアレグ族の音楽と言えばティナリウェンが有名だが、エレキ・ギターとアフリカ固有の打楽器のコンビネーションによるサウンドが特徴で、俗に砂漠のブルースとも呼ばれる。近年も砂漠のジミ・ヘンとの異名をとるムドウ・モクターが活躍しているが(彼はニジェール共和国に住むトゥアレグ族出身)、ムベラ・アンサンブルもこうしたトゥアレグ族ならではの音楽を持つ。“ウィ・アー・ムベラ”はそうしたムベラの声明文的なナンバーで、トゥアレグ語によるメンバーの声が録音されている。男と女、若者や老人など様々な声だ。“スキット・イン・マイ・ハート”は一種のコーランのような歌で、イスラム教に属するこの地域の宗教観が色濃く出ている。一方で“レステ・ア・ロンブレ”にはフランス語によるアジテーションが流れ、フランス語とトゥアレグ語が共用語となるこの地域の文化的背景が伺える(ティナリウェンもフランス語とトゥアレグ語の両方で歌う)。“レステ・ア・ロンブレ”の楽曲自体はテクノ調のダンサブルなナンバーで、カラブのDJならではの持ち味が出た1曲だ。

 “デザート・ストーム”はマリ、モーリタニア、ニジェール、セネガル、ナイジェリアなど西アフリカのサヘル地域の自然や環境をイメージした曲。サハラ砂漠の南に位置するこの地帯は厳しい環境下にあって、近年は砂漠化の危険が叫ばれており、アルカイーダとISLの対立など政治や治安も不安定である。こうした環境下で人びとは音楽と言葉によって伝統や教訓、情報などを紡ぎ、“ザ・グリオ・スピークス”のような楽曲が生まれる。グリオとは西アフリカで古来より続く世襲制の伝統伝達者で、祈祷師や吟遊詩人のような存在である(ユッスー・ンドゥールやババ・ソシコもグリオの家系出身)。
 一方、“ザ・ウェスタン・ガイズ”とはカラブら西欧人のことを指すのだろうか。トゥアレグ族のギター・サウンドと西欧音楽ならではの重たいファンク~ロック・ビートが融合した楽曲である。“カーフュー”はギターとパーカッションの素朴なアンサンブルに始まり、次第にエレクトロニクスが加わってミニマルなビートを刻んでいく。フォー・テットとスティーヴ・リードのセネガル録音となる『ダグザール』(2007年)を思い起こさせるような楽曲だ。
 “ムーラン・シュクール”もエレクトロニクスが大きく導入された楽曲で、トゥアレグ語のコーランのような歌と独特のエキゾティックなメロディーがフィーチャーされる。やはりフォー・テットがプロデュースしたことで知られるシリアのオマール・セレイマンに通じるような楽曲だ。
 “ダンシング・イン・ア・デザート・ムーン”はレフトフィールド・ディスコの極致とも言うべきアフロ・ビート・ハウスで、トゥアレグ族の音楽が持つ舞踏性とも繋がっている。そして、まさに砂漠のブルースという言葉がふさわしい寂寥感に満ちた“スキット・ギット”でアルバムは締めくくられる。全体的に見ればカラブのエレクトロニクスは前に出過ぎることなく、トゥアレグ族の音楽が持つ本質を見事にとらえ、そして現在の音楽シーンにうまくアップデートした作品集となっている。

The Master Musicians of Joujouka - ele-king

 過去5年の間、もしくは、これまでに観たなかで最高のライヴのひとつが、2017年の音楽フェスティヴァルFRUE(フルー)でクロージングを飾ったザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカだった。このモロッコ人たちは二度のアンプリファイド(音響ありの)・パフォーマンスで、メイン・ステージの観客の心を揺さぶる能力を披露し、すでにその週末のスターとなっていた。

 そんな彼らの最終ステージは、会場を音楽祭のマーキー(大テント)に移しての深夜のアコースティック・セットだったが、PAなしで耳が聴こえなくなるぐらいの大音量を出すことのできるバンドには、そのような違いは、ほとんど意味を持たない。舞台のセッティングは、リフ山脈の麓にある彼らの村で毎年開催されているフェスティヴァルを再現したもので、舞台を覆うように敷かれた、すり切れたラグまでもが忠実に再現されていた。

 そのイベントを二回ほど体験していた自分としては、何が起こるか、大方の予想はしていたものの、彼らの音楽がFRUEの数百人の観客にもたらした効果には、やはり驚かされた。その喜びに耽る夜は、本物の、ハンズ・イン・ジ・エア(両手を空にあげる)なレイヴのようで、4時間近くに及ぶパフォーマンスで、グループが新たな高みへと昇華する度に観客は喜びの雄叫びをあげた。

 このような体験をレコードに収めるのは常に難儀なことであり、非常に優れたいくつかのリリースを含むマスターズのディスコグラフィでも、彼らのライヴ・パフォーマンスほどの恍惚感をもたらしたものはない。彼らの名を世に知らしめた1971年のアルバム『ブライアン・ジョーンズ・プレゼンツ・ザ・パイプス・オブ・パン・アット・ジャジューカ』では、サイケデリックな特性を際立たせるために、音楽に電子的な処理が施され、そのフィジカリティ(肉体的な衝動)が犠牲になってしまった。

 それ以来、グループのリリース(バシール・アッタール率いるライヴァルの一団であるThe Master Musicians of Jajoukaも含む)は、フィールド録音から、2000年にアッタールがその一団とタルヴィン・シンとで制作した、グループの名を冠したアルバム(これはスルーしてよい作品。信じてほしい)のような作り込み過ぎたワールドビート・フュージョンのようなものなど、多岐にわたっている。しかし、2016年にパリのポンピドゥー・センターで行われた「ビート・ジェネレーション展」でのコンサートを収録した『ライヴ・イン・パリ』ほど、好き勝手に、力強くやっている録音はないと自信を持っていえる。

 2017年の日本ツアーの際に限定盤として販売されたCDの、正式なLPレコードとデジタル音源のリリースは、1年以上にわたるCOVID-19煉獄の後では、より歓迎されるに違いない。これは、マスター・ミュージシャンズのアンプリファイド・モードであり、2017年のErgot Recordsからリリースされた『Into The Ahl Srif』のフィールド録音とは全く異なっており、私が記憶しているジャジューカのフェスティヴァルでのサウンドに近いものになっている。

 とくにカーマンジャ(ヴァイオリン)奏者のアハメッド・タルハは、アンプの使用により、驚くべき微分音が際立つという恩恵を受け、より力強い演奏となっている。彼は1枚目のB-SIDEで中心的な役割を果たしており、故・アブデスラム・ブークザールがリード・ヴォーカルを務めた“ブライアン・ジョーンズ・ジャジューカ・ヴェリー・ストーンド”などの定番曲で、喜びにあふれんばかりの演奏を披露。裏面にも同じような曲がいくつか登場するが、ここでは音楽は曲がりくねったような、コール&レスポンスのリラ(笛)とパーカッションがヒプノティックにブレンドされており、複雑なポリリズムが各曲の終わりに突然跳ねて、アッチェレランドで加速していく。

 しかし、最大の魅力は、アルバムの2枚目に収録された、トランス状態を誘発するような“ブゥジュルード”のフル・ヴァージョンだ。伝統的には、これはジャジューカ村のフェスティヴァルの最終夜に、火の灯された儀式のサウンドトラックとして演奏される組曲で、普段は寡黙なモハメド・エル・ハットミが、伝説の半人半獣(人間とヤギ)のブゥジュルードとして知られる生き物を体現する。

 武骨な毛皮の衣装を身に纏い、悪霊を追い出すために人々を激しく叩くハットミの姿は、秋田県男鹿半島のナマハゲを思い出すが、音楽は全くの別物で、感覚を奪われるようなダブル・リード楽器のライタ(あるいはガイタ)が、雷鳴のようなパーカッションを背景に、群がり合い、渦を巻くように襲ってくる。

 ライナー・ノーツのなかで、グループのマネージャー兼プロデューサーであるフランク・リンは、コンサートのこの部分は、音楽の原始的なオーセンティシティ(真正性)を保つために、ペアのステレオ・マイクロフォンを2つ使用したと洒落た言葉で説明しているが、これは、非常に激しくロックしているという意味だ。44分近くに及ぶ曲の中央部では、ライタが集結し、奇妙なフェイジングの効果を発揮して、音楽そのものが錯乱しているかのようだ。
 
 グループのライヴを体験できる機会が不足しているなか、このもっとも純粋な形のトランス・ミュージックは、自分自身を解き放ち、身をゆだねるべき音である。唯一、このLPヴァージョンの批判をするとしたら、半分聴いたところで、こいつをひっくり返さなくてはならないことだ。リンによると、ポンピドゥー・センターでのコンサートでは、ステージへの客の侵入で最高潮に達したというが、これはスーサイドが演奏して以来の出来事だったそうだ。この証拠に基づけば、それこそが、道理にかなった反応だったと思う。

(アラビア語読み協力:赤塚りえ子)

The Master Musicians of Joujouka
Live in Paris

Unlistenable Records
bandcamp

James Hadfield

One of the best shows I’ve seen in the past five years―maybe ever―was the closing set that the Master Musicians of Joujouka played at Festival de Frue in 2017. The Moroccans were the stars of the weekend, having already done a pair of amplified performances that demonstrated their ability to rock a main-stage crowd.
For their final appearance, they shifted to a marquee in the festival campsite for a late-night acoustic set―though such distinctions mean little to a band that’s capable of achieving deafening volumes without the need for a PA. The setting was a convincing recreation of the festival that the group hold each year at their village in the foothills of the Rif Mountains, right down to the threadbare rugs covering the stage.
Having been to that event a couple of times myself, I had a fairly good idea of what to expect, but the effect the music had on the assembled crowd of a few hundred people at Frue still took me by surprise. It was a night of joyous abandon: proper hands-in-the-air rave stuff, people howling with joy as the group kept ascending to new heights of intensity over a performance lasting nearly four hours.
Capturing that kind of experience on record is always going to be a challenge, and the Masters’ discography―while featuring some very fine releases―has never delivered anything quite as ecstatic as their live performances. On the 1971 album that first introduced them to a wider audience, “Brian Jones Presents the Pipes of Pan at Joujouka,” the music was subjected to electronic treatments that accentuated its psychedelic properties at the expense of its physicality.
Since then, the group’s releases―and those by rival outfit The Master Musicians of Jajouka led by Bachir Attar―have ranged from field recordings to over-produced worldbeat fusion efforts like the self-titled 2000 album that Attar’s troupe recorded with Talvin Singh (trust me: you can skip it). But I’m confident in saying that nothing has kicked out the jams quite as emphatically as “Live in Paris,” which captures a 2016 concert at the Centre Georges Pompidou, held as part of an exhibition dedicated to the Beat Generation.
Sold in a limited CD edition during the group’s 2017 Japan tour, the album has finally had a proper vinyl and digital release, and after over a year of COVID-19 purgatory it feels all the more welcome. This is the Master Musicians in amplified mode, and it’s very different from the field recordings heard on the 2017 Ergot Records release “Into The Ahl Srif,” which came closer to how I remember them sounding at the festival in Joujouka.
Kamanja (violin) player Ahmed Talha in particular benefits from amplification, letting his astonishing microtonal playing assert itself more forcefully. He takes a central role on the B side of the first disc, which features ebullient renditions of staples like “Brian Jones Zahjouka Very Stoned,” with lead vocals by the late Abdeslam Boukhzar. Some of the same pieces pop up on the flip side, though here the music is a hypnotic blend of sinuous, call-and-response lira flutes and percussion, with complex polyrhythms that leap into sudden accelerandos at the end of each piece.
However, the biggest draw is the album’s second disc, which contains a full version of the trance-inducing “Boujeloud.” Traditionally performed on the final night of the festival in Joujouka, this suite provides the soundtrack for a fire-lit ritual, in which the normally retiring Mohamed El Hatmi embodies the mythical half-man, half-goat creature known as the Boujeloud.
The spectacle of Hatmi, dressed in a ragged fur costume and vigorously thwacking people to drive out evil spirits, brings to mind the Namahage of Akita’s Oga Peninsula, but the music is something else altogether: a sense-scrambling assault of double-reeded ghaita that seem to swarm and swirl around each other, backed by thunderous percussion.
In the liner notes, the group’s manager and producer, Frank Rynne, explains that this part of the concert was recorded with two stereo pair microphones to “maintain the primordial authenticity” of the music, which is a fancy way of saying that it rocks very hard indeed. During the central stretch of the nearly 44-minute piece, the massed ghaita start creating weird phasing effects, like the music itself is becoming delirious.
Short of catching the group live, this is trance music in its purest form―sounds to lose yourself in, surrender to―and my only criticism of the vinyl edition is that you have to turn the damn thing over halfway through. The Pompidou concert culminated with a stage invasion, which Rynne says had only previously happened when Suicide played there. On this evidence, it was the only sensible response.

5 さらばロサンゼルス - ele-king

 4月初旬、久しぶりに羽田からロサンゼルス行きのボーイングに乗った。去年、帰国した時と変わらず、羽田は閑散としていて手荷物検査場も10分掛からず通過できた。しかし手荷物検査場を出てすぐのところでパスポートに挟んでいたはずのフライトチケットが無いことに気付く。物をなくすというのはなんとも不思議な感覚である。数秒前まで大事に持っていたはずのものが跡形もなく消えているのだからちょっと笑ってしまった。搭乗まで時間もあったので再発行してもらいことなきを得たがなんとも幸先の悪い旅のはじまりである。

1. Vegyn - Like A Good Old Friend

本人主宰のレーベル〈PLZ Make It Ruins〉から、僕の最近の夜散歩のお供、ユルめなダンスEP。フランク・オーシャン等のアルバムに参加したりプロデューサーとしても名を馳せつつあるが自分の作品も感嘆の完成度。僕はエモいという言葉が本当に嫌いなのですが、これはなかなかエモいかもしれない。決して古くさい感じはしないけど、昔のことに思いを寄せたくなるような、寂しげなノスタルジーを感じる。余談だがVegyn(ヴィーガン)ことJoe Thornalleyの父親はPhill Thornalley (元ザ・キュアー)らしい!


 今回の旅の目的は留学先に残してきた荷物の片付けである。ちゃんと自分で書くのは初めてだが、僕はここ3年ほどの間ロサンゼルスに住んでいた(といっても2020年は半分以上日本にいたので実質2年半だが)。去年の7月はまだパンデミック真っ只中で、通っていたカレッジもオンラインに移行したので登校できるようになったら戻ろうと荷物もほとんど置いて帰ってきたのだが、とりあえず日本で腰を据えて頑張ろうという決心がついたので完全帰国を決めた。
 高校入学前に親から留学を勧められたときはなかなか勇気が出ず、流されるように日本の高校に入学し、2年生も半分終わるころやっと決心がつき突然ロサンゼルスの高校に編入し、卒業後もカレッジまで行かせてもらったのに途中でやめる中途半端さと天邪鬼な性格を両親と預かってくれていたゴッドマザーに詫びるとともに感謝したい。

2. Joseph Shabason - The Fellowship

 テキサス州オースティンのレーベル〈Western Vinyl〉から。去年リリースされたChris Harris, Nicholas Krgovichとの共作、''Philadelphia''も素晴らしいアルバムだったけど、今作も繊細で気持ちの良いがより実験的なアルバム。 ''Philadelphia''で多用されてた笛みたいな音はShabasonの仕業だったのか。今作でもよく笛を吹く。曲によってだいぶ曲調が違く、アンビエント・ポップ的な曲もあれば、打楽器が複雑に重なっていく曲やギターでノイズを出すのもある。1人で真面目に聴いても良いし、暗すぎないので部屋でかけても良さそう。


 LAX(ロサンゼルス国際空港)に着くと通常はイミグレーションで1、2時間は待たされるのだが空いていたので、ものの30分で出られた。入国の際のPCR検査や自主隔離の説明、体調の確認などもいっさい無く、入国してすぐにアメリカを感じさせられる。ゴッドマザーと幼馴染である彼女の娘が迎えにきてくれ、久しぶりの再会を喜び「フライトチケットなくしちゃってさ〜笑」などとお喋りしながら家へ向かう。このとき僕は空港のカートにパスポートを置き忘れているのに全く気づかず、アメリカの空はいつ見ても大きいな〜などとうつつを抜かしているのであった。パスポートをなくしたのに気付くのは2週間後のことである。

3. Shame - Live in the Fresh

 前々回すでにアルバムのことは書いたのでバンドの説明は省きます。パンデミック中なので無観客ライヴのライブ盤。1曲目“Born in Luton”の冒頭のシーケンスでもうがっちり掴まれる。Youtubeにミニコント付きの映像も上がっています。なぜかYoutubeのほうが音が良いし映像あったほうが上がるのでYoutube推奨。 コントちょっと面白いけどコメントを見るとあんまりウケてないところも良い。


 2週間隔離を終え街に出た。ワクチンの接種もはじまっていて徐々に人出も増えてきている。移転した〈Amoeba Music Hollywood〉も人数制限のせいもあるがレコードストアデイでもないのに入店待ちの行列。
 以前より敷地面積は狭いがやっぱりデカイ。レコードコーナーが縮小してCD、DVDコーナーと半分ずつくらい。僕の好きだったグローバル・ミュージック・コーナーにいたっては棚四つくらいしかなく残念。

4.Tex Crick - Live In... New York City

 マック・デ・マルコのレーベル、〈Mac's Record Label〉(そのまま)からTex Crickのセカンド・アルバム。 タイムスリップしてきたのかってくらいの、もろ70'sソフトロック。むしろ若いリスナーには新鮮であろう、70年代とはもう半世紀前だし、シティ・ポップのリヴァイヴァルがあるし、ちょっと前Tik Tokでフリートウッド・マックが流行ったりしてたし。力の抜けた歌も心地良いし、シンプルで嫌味のないピュアさがグッとくる良アルバム。


 片付けとパスポートの再発行をすませ、パンデミック中に長居する理由もないので東京へ帰る。正直ロサンゼルスという街に飽きていたので未練はないが、少し名残惜しいのはタコス・アル・パストールくらいだ。アル・パストールはスパイスに漬けた豚肉を回転式グリル機でカリカリに焼いてパイナップルと一緒にいただく屋台タコスで僕の大好物。LAの渇いた空気と炭酸飲料とタコスのタッグの破壊力は凄まじい、本場メキシコにもぜひ行ってみたい。残念ながら東京には美味しいアル・パストールを出す店は無い。あの味を求めていつかまたロサンゼルスに行かなければならないだろう。

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