「KING」と一致するもの

Oneohtrix Point Never - ele-king

 昨年は映画『Good Time』の劇伴坂本龍一のリミックスを手がけ、最近ではデヴィッド・バーンの新作に参加したことでも話題となったOPNが、5月にNYで開催されるライヴのトレイラー映像を公開しました。これ、新曲ですよね。しかもチェンバロ? 曲調もバロック風です。この急転回はいったい何を意味するのでしょう。そういう趣向のライヴなのか、それとも……。

ONEOHTRIX POINT NEVER
5月にニューヨークで行われる大規模コンサートの
トレーラー映像を新曲と共に公開!

昨年、映画『グッド・タイム』でカンヌ映画祭最優秀サウンドトラック賞を受賞したことも記憶に新しいワンオートリックス・ポイント・ネヴァーが、【Red Bull Music Festival New York】の一環として5月22日と24日にニューヨークで行われる最新ライブ「MYRIAD」のトレーラー映像を公開した。ダニエル・ロパティン(ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー)自らディレクションを行い、その唯一無二の世界観が垣間見られる2分間の映像には、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー名義の新曲も使用されている。

Oneohtrix Point Never - MYRIAD
https://opn.lnk.to/MyriadNYC

Video by Daniel Swan and David Rudnick
Directed by Oneohtrix Point Never
Animation by Daniel Swan
Produced by Eliza Ryan
Videography by Jay Sansone
Additional Animation by Nate Boyce
Thrash Rat™ and KINGRAT™ characters by Nate Boyce and Oneohtrix Point Never
Engravings by Francois Desprez, from Les Songes Drolatiques de Pantagruel (1565)
Additional Typography by David Rudnick

本公演が開催されるパークアベニュー・アーモリー(Park Avenue Armory)は、以前は米軍の軍事施設だった場所で、ライブが行われるウェイド・トンプソン・ドリル・ホール(Wade Thompson Drill Hall)は航空機の格納庫のような巨大なスペースである。当日にはスペシャルゲストやコラボレーターも登場し、ここでしか体験することのできない特別なライブ・パフォーマンスが披露されるという。

ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー|Oneohtrix Point Never

前衛的な実験音楽から現代音楽、アート、映画の世界にもその名を轟かせ、2017年にはカンヌ映画祭にて最優秀サウンドトラック賞を受賞した現代を代表する革新的音楽家の一人。『Replica』(2011)、『R Plus Seven』(2013)、『Garden of Delete』(2015)と立て続けにその年を代表する作品を世に送り出してきただけでなく、ブライアン・イーノも参加したデヴィッド・バーン最新作『American Utopia』にプロデューサーの一人として名を連ね、FKAツイッグスやギー・ポップ、アノーニらともコラボレート。その他ナイン・インチ・ネイルズや坂本龍一のリミックスも手がけている。さらにソフィア・コッポラ監督映画『ブリングリング』やジョシュ&ベニー・サフディ監督映画『グッド・タイム』で音楽を手がけ、『グッド・タイム』ではカンヌ・サウンドトラック賞を受賞した。


label: Warp Records / Beat Records
artist: Oneohtrix Point Never
title: Good Time Original Motion Picture Soundtrack

cat no.: BRC-558
release date: 2017/08/11 FRI ON SALE
国内盤CD:ボーナストラック追加収録/解説書封入
定価:¥2,200+税

【ご購入はこちら】
beatink: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=4002
amazon: https://amzn.asia/6kMFQnV
iTunes Store: https://apple.co/2rMT8JI


label: Warp Records / Beat Records
artist: Oneohtrix Point Never
title: Good Time... Raw

cat no.: BRC-561
release date: 2017/11/03 FRI ON SALE
国内限定盤CD:ジョシュ・サフディによるライナーノーツ
ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーとジョシュ・サフディによるスペシャル対談封入
定価:¥2,000+税

【ご購入はこちら】
beatink: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9186
amazon: https://amzn.asia/gxW5H63
tower records: https://tower.jp/item/4619899/Good-Time----Raw
hmv: https://www.hmv.co.jp/artist_Oneohtrix-Point-Never_000000000424647/item_Good-Time-Raw_8282459

interview with Chris Carter - ele-king

 未来なんてわからないものだ。当人たちも驚いているように、昨年のTG再発における反響は、1979年の時点では到底考えられないことだった。しかしながらTGサウンドは、40年という歳月を生き抜いたばかりか、さらにまた評価を高め、新しいリスナーを増やしている。制度的なアートやお決まりのロックンロールを冒涜した彼らがわりと真面目に尊敬されているという近年の傾向には、もちろん少々アイロニカルな気持ちも付きものではあるが。

TGはどこかに帰属することの観念から得られるいかなる快適さを感じさせるような音楽ではなかった。
──ドリュー・ダニエル


Chris Carter
Chemistry Lessons Volume One

Mute/トラフィック

ElectronicExperimental

Amazon Tower disk union

 そう、快適な場所などまやかしだといわんばかりだ。そして、ことに311以降の、政治的に、そして経済的に、あるいは環境的にと、あらゆる場面に「死」が偏在する現代を生きるぼくたちにとって、TGはもはや故郷である。その伝説のプロジェクトにおけるエンジン技師がクリス・カーターだった。彼の手作りの機材/音響装置によってTGは自分たちのサウンドをモノにしているのだから。

広く知られているように、TG解散後、クリス・カーターは元TGの同僚であり妻でもあるコージー・ファニ・トゥッティとのプロジェクト、クリス&コージーとして長きにわたって活動した。近年は、カーター・トゥッティと名義を変えて作品を出している。このようにクリス・カーターは長年活動しながら、しかし滅多にソロ作品を出しておらず、この度〈ミュート〉からリリースされる『ケミストリー・レッスン・ヴォリューム・ワン』がソロとしては5枚目となる。

  念入りに作り込んでしまったがゆえの退屈さ、そして未完成であるがゆえの面白さ、というのはたしかにある。『ケミストリー・レッスン・ヴォリューム・ワン』に収録された25曲には、素っ気ない不完全さがある。画集にたとえるなら、書きかけの絵ばかりが並んでいるようだ。しかし描きかけの絵の面白さというのは確実にある。

あるいはこれはアイデアのスケッチ集なのだろう。通訳(および質問者)の坂本麻里子氏によれば、「科学者とか研究者、大学講師と話しているような気分」だったそうで、クリス・カーターのような冷静な人がいたからこそTGという倒錯が成立したのだ。実際、彼はぼくたちの先生であり、アルバムはさながら研究所の実験レポートである。

それは先週末にも誰かと話していたことなんだけどね、「TGの音楽はかなりの長寿ぶりを誇るものだ」、という。で、初期TGのマテリアルの多くには、ある種のタイムレスなサウンドが備わっているんだよね。それがなんなのかは、僕にもわからない。TGのメンバーの間ですら、そのサウンドがなにか? を突き止められなかったからね。あれは相当に「ある瞬間を捉えた」という類いのものだったのに、でもどういうわけか歳月の経過に耐えてきた。

あなたがソロ・アルバムを発表するのはものすごく久しぶりなことですよね。そしてあなたはこれだけ長いキャリアのなかでソロ作品というものをわずか4枚しか出していないですよね? 

CC:うん、そうだね。

最後のソロ・アルバムが1999年の『Small Moon』になるんですか?

CC:ああ。

ではこのソロ新作は18、19年ぶりという。

CC:(苦笑)そうなるね。(独り言をつぶやくように)長くかかったものだ……

とにかく、ここまでソロ作品が数少ないのはなぜでしょうか? それはあなたの気質なのでしょうか? あるいは、ひとりで作るよりも共同作業が好きだからでしょうか? それともコージー・ファニ・トゥッティとの共同作業があなたにとっては表現活動の基盤になっているからでしょうか?

CC:ただ単に、僕は実に多くの(ソロ以外の)プロジェクトに関わっている、ということなんだけれども。

(笑)なるほど。

CC:いや、本当にそうなんだよ! だから、前作ソロが出た17、18年くらい前を思い返せば、あれはTGが二度目に顔を合わせて再結成する前の話だったわけだよね? 僕たちはあの時点ではまだカーター/トゥッティとして活動していたし、でもそこからTGが再び結集することになって……本当に長い間、僕の人生は再び稼働したTGに乗っ取られてしまったんだ。で、そのTGとしての活動が終わったところで、続いて今度はクリス&コージーが、なんというかまた動き出したし、それに伴い僕たちもクリス&コージーとしてツアーをやりはじめることになってね。
そんなわけで僕としては、あれら様々な他のプロジェクトの合間に自分自身のソロ・レコード制作をはめ込もうとしていたんだ。それに、クリス&コージーの後にはカーター/トゥッティ/ヴォイドが続いたし、また僕たちはリミックスや映画向けの音楽も制作していたからね。
というわけで、うん、基本的にはそれらすべてをこなすのが僕の日常的な「仕事」になっていた、と。だから、(苦笑)自分個人のソロ作品をやるための時間が残らなかったんだね。要するに、しょっちゅう脇に置かれて後回しにされるサムシングというのか、よくある「時間がなくていまはやれない、後で」という、そういう物事のひとつになっていたんだよ。(苦笑)まあ……僕はゆっくりとしたペースでこれらのトラックすべてを構築し、楽曲のアイデアを掴みはじめていった、と。だからソロ・アルバム向けのマテリアルに関しては、他の色々なプロジェクトの合間の息抜きとしてやるもの、そういう風に僕は取り組んでいたんだね。

各種プロジェクトにソロと、あなたは常になにかしらの作品に取り組んでいるみたいですね。

CC:(自嘲気味な口調で苦笑まじりに)そうなんだよねぇ……自分にはいささか仕事中毒な面があると思う。

「ソロ作をやろう」と思い立って一定の期間に一気に作ったものではなく、長い間かかって集積してきた音源を集めたもの、一歩一歩進めながら作った作品ということですね。

CC:ああ、そうだったね。アルバムに収録したトラックの一部は、かなり以前に作ったものも含まれているし……本当に古いんだ。そうは言ったって、さすがにいまから17、18年前というほど古くはないんだけれども。その時点ではまだこの作品に取りかかってはいなかったし。だから、それらは6、7年前にやった音源なんだけど、それでもかなり古いよね。

ソロ新作がこうしてやっと完成したわけですが、正直、いまの気分はいかがですか。

CC:エキサイトしているよ! 本当に興奮しているんだ。というのも、実に長い間、これらの音源は誰の耳にも触れないままだったわけだからね。もちろんコージーは別で、彼女は聴いたことがあったけれども。僕たちふたりは自宅に、居間とキッチンの隣にスタジオ空間を設けているからね。で、ちょっと一息入れたいなというときには、僕はスタジオに入ってモジュラー・システム作りに取り組んでいた。だからコージーは僕がどんなことをやっていたのか耳にしていたし、この作品をちょっとでも聴いたことがあるのは自分以外には彼女だけ、そういう状態のままだったんだ。とても長い間、何年もの間ね。そんなわけで、この音源を〈ミュート〉に送るまで、僕はちょっとしたバブルのなかに包まれていたんだよ。で、それは……そうだな、奇妙な気分だった。というのも、ある面では自分としても、あれらの音源を手放したくない、と感じていたから。

(笑)そうなんですか。

CC:だから、自分はそれだけ楽曲に愛着を感じていた、ということだね。あれはおかしな感覚だった。で、〈ミュート〉の方はなんと言うか……送った当初は、彼らからそれほど大きな反応は返ってこなかったんだよ。まあ、実際僕としても、それほど期待していたわけではなかったし。だから、「試しに音源を送って、彼らが聴いてどう思うか意見を教えてもらおう」程度のものだったんだ。そうしないと、この作品を聴いたことがあるのはやっぱり自分だけ、ということになってしまうし、その状態がずっと長く続いてきたわけだからね。で、いまのこの時点ですら……だから、ジャーナリストたちもようやく試聴音源を聴けるようになったところで、作品に対する彼らからのフィードバックを受け取っているんだよ。この作品についての第三者の意見は、本当に長いこともらっていなかったことになるなぁ……ただ、うん、いまはかなりエキサイトさせられているんだ。本当にそうだ。

長い間ひとりで大事にしまっておいた何かを遂に解放した、と。

CC:ああ。「遂に」ね(苦笑)。

ピーター・クリストファーソンがおよそ7年前(2010年)に亡くなりましたが、そのことと今作にはどのような繋がりがありますか?

CC:そうだね、なんと言うか、このアルバムのレコーディングには彼が亡くなる以前から着手していた、みたいな。僕はすでにいくつかのアイデアに取り組んでいたところだったし、スリージー(ピーター・クリストファーソンのあだ名)ともこのヴォーカルのアイデア、人工的なヴォーカルを使うという思いつきについて話し合っていたんだよ。ところが、そうこうするうちに彼が亡くなってしまった、と。それでなにもかもいったんストップすることになったし、彼の死から1年近くそのままの状態になっていたんだ。それくらいショックが大きかったということだし、少なくとも1年の間は、どうしても僕にはこの作品に再び戻っていくことができなかった。けれども、これらの音源に取り組んでいた間も、かなりしょっちゅう自分の頭の隅に彼の存在を感じていたね。だから、「スリージーだったらどう思うだろう?」、「スリージーだったらどうするだろう?」という思いはよく浮かんだ。
ただまあ……しばらく作業を続けていくうちに、やがてこの作品もこれ独自のものになっていった、と。でも、そうだね、彼の突然の死によるショックで、この作品をかなり長い間中断することになった。それは間違いないよ。

坂本:あなたとコージーはまた、ピーター・クリストファーソンが世を去る前から構想していた『Desertshore/The Final Report』(2012)を彼の死後に完成させましたよね。非常にコンセプチュアルな作品でしたが、様々なヴォーカリスト=異なる声を使っているという意味で、本作となんらかの繫がり、あるいは交配はあったでしょうか?

CC:いいや、それはなかったね。『Desertshore/TFR』は完全に独立した世界を持つアルバムだったし、あの作品向けのマテリアルの多くにしても、亡くなる直前まで彼が取り組んでいたものだったわけで。彼はかなりの間あの作品の作業を続けていたし、僕たちがパートを付け足したり作業できるようにと音源ファイルをこちらに送ってきてくれてもいたんだ。で、あれ、あのプロジェクトに関しては──僕たちとしても、あれ以外の他のもろもろとはまったくの別物に留めておこうと努めたね。というのも、彼には『Desertshore/TFR』に対するヴィジョンのようなものがちゃんとあったし、あの作品向けに彼の求める独特なサウンドというものも存在したから。で、彼が亡くなったとき、彼の遺産管理人が彼の使っていたハード・ドライヴ群や機材の一部を僕たちに送ってきてくれてね。そうすることで、僕たちにあのプロジェクトを完成させることができるように、と。

なるほど。

CC:そんなわけで、あのアルバムというのはちょっとしたひとつの完結した作品というか、それ自体ですっかりまとまっているプロジェクトだったし、それを具現化するためにはやはり僕たちの側も、あの作品特有の手法を用いらなければならなかったんだよ。そうは言っても、あのプロジェクトに取り組んでいた間も僕は自分のアルバムの作業を少々続けてはいたんだ。そこそこな程度にね。というのも、あの『Desertshore/TFR』プロジェクトの作業には僕たちもかなりの時間を費やすことになったし、あの作品に取り組むこと、それ自体がかなりエモーショナルな経験だったから。

父から小型のテープレコーダーをもらったのは、僕がまだ10歳か11歳くらいの頃だったんじゃないかな? で、そのうちに僕はテープレコーダー2台を繋げる方法を見つけ出したし、小型のマイクロフォンも持っていたから、それらを使っておかしなノイズをいろいろと作っていくことができたんだ。

今回のアルバムの背後には、あなた自身のルーツが大きな要因としてあると聴いています。そして、制作中には60年代の電子音楽とトラッド・フォークをよく聴いていたそうですね?

CC:ああ。

で、トラディショナルなイギリス民謡というのは……(笑)あなたのイメージに合わなくて意外でもあったんですけれども、どうしてよく聴いていたんでしょうか? どこに惹かれるんでしょうか。

CC:(笑)いやぁ……まあ、僕はとにかく「良い曲」が好きなんだよ。だから良い曲は良い曲なのであって、(苦笑)別に誰が作った曲でも構わないじゃないか、と。その曲を歌っているのは誰か、あるいは演奏しているのは誰かというこだわりを越えたところで、純粋に曲の旋律に耳を傾けるのもたまには必要だよ。だからなんだよね、僕はアバの音楽ほぼすべて大好きだし、本当に……ポピュラー音楽が好きなんだ。本当にそう。けれども、60年代の電子音楽、たとえばレディオフォニック・ワークショップ(※英BBCが設立した電子音楽研究所。テレビとラジオ向けに効果音他の様々なエレクトロニック・サウンド/コンポジションを制作した)に関して奇妙だったのは……あのワークショップにはかなりの数の人間が関わっていたから(※50〜60年代にかけての期間だけでも9名ほどが参加)、ときにはこう、とてもへんてこなサウンド・デザインや実験的な音楽、サウンド・エフェクツ作品を作ることだってあれば、その一方でまた、実にメロディックで、ある意味……やたら楽しげな、風変わりな歌だのテレビ番組のテーマ音楽をやることもあった、という。

(笑)ええ。

CC:だから、彼らの振れ幅は驚くほど広かったということだし、そのレンジは完全に実験的なものから感傷的な音楽、子供番組向けの感傷的でメロディックな歌もの曲まで実に多岐にわたっていたんだ。で、僕が気に入っているのもその点だし……そうだね、実際のところ、彼らが僕のアルバムになにかしら影響を及ぼしているとしたら、きっとそこなんだろうね。というのも、僕は奇妙なサウンドに目が無いタイプだし、もしも素敵なメロディを備えたトラックが手元にあったとしたら、なんと言うかな、そこに奇妙なサウンドを盛り込むことで、そのトラックをちょっとばかり歪曲させるのが好きなんだ。で、思うに自分のそういう面はレディオフォニック・ワークショップに影響されたんじゃないか? と。

あなたが最初に夢中になったアーティスト/曲はなんだったでしょう? そして、あなたが最初に聴いた電子音楽はなんだったのでしょう?

CC:ああ、最初に夢中になった対象……うーん、それはまあ、どの時期にまで遡るか、にもよるよね? というのも、僕は『Dr.Who』(※1963年から放映が始まり現在も続くBBCの長寿人気SFドラマ。オリジナルのテーマ音楽はレディオフォニック・ワークショップのディーリア・ダービシャーが演奏した)を観て育ったクチだし──

(笑)ああ、なるほど。

CC:それはまさに、いま話に出たレディオフォニック・ワークショップだったわけだよね? だから、ここで話しているのは60年代初期ということであって……かなりメロディ度の高い、『Dr.Who』のテーマ音楽みたいなものもあったし、それと同時にあの番組のなかでは様々な奇妙なノイズも使われていた。それに、BBCが制作した子供向けの番組を聴いていても、そこで使用されていた音楽がレディオフォニック・ワークショップによるものだった、というケースは結構多かったしね。でもその一方で、夜になると今度は自分のトランジスタ・ラジオでトップ・テン番組、いわゆるヒット・チャート曲を聴いていたんだよ。やがて僕の好みはプログレッシヴ・ロックやクラウトロックにも発展していったわけで、うん、自分の好みはかなり多様なんじゃないかと思う。

坂本:あなたの世代はたいてい最初はロックやブルースから入っていると思いますが、あなたの場合はどうだったんですか? たとえばビートルズ、あるいはストーンズの影響の大きさは、あの頃育った英国ミュージシャンが必ずと言っていいほど口にしますよね。

CC:というか、僕は実のところビートルズよりもむしろビーチ・ボーイズの方に入れ込んでいたんだ。ビーチ・ボーイズが本当に大好きだったし、なんと言うか、そこからビートルズを発見していった、みたいな。ああ、それにザ・キンクスの大ファンでもあったね。だから、ちょっと妙な趣味なのかもしれない(苦笑)。

たしかに面白いですね。多くの場合はビートルズから入り、そこからビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』を発見していく……という流れだと思いますが、あなたはその逆だった、と。

CC:そう、僕にとっては順路があべこべだったんだ。

どうしてあなたは電子音楽にのめり込んでいったのですか? 奇妙な、未来的なサウンドのどこに惹かれたのだと思いますか。

CC:んー……その面についての影響源としては、自分の父親も含めないといけないだろうね。というのも、彼はオーディオ・マニアだったし、ハイファイ機材を蒐集していて、とても高価なステレオ・システムをいろいろと持っていてね。すごく上等なスピーカーだとか。でも、そのなかにはテープ・レコーダーも2、3台混じっていて、父はかなり大型なテープ・レコーダーを所有していてね。それだけではなく小型のテープ・レコーダーも持っていたから、やがて父は小さい方の録音機を僕にくれることになったんだ。小さなリールが取り付けられた電池稼働式のテレコ、程度のものだったけれども。
父からあれをもらったのは、僕がまだ10歳か11歳くらいの頃だったんじゃないかな? で、そのうちに僕はテープ・レコーダー2台を繋げる方法を見つけ出したし、小型のマイクロフォンも持っていたから、それらを使っておかしなノイズをいろいろと作っていくことができたんだ。
だから、すべてはあの時期から来ているんだろうね。ティーンエイジャーの一歩手前の段階にいた自分が、父親の持っていた音響機材をあれこれ繋げていたあの時期──まあ、父が仕事に出て行った後にこっそりやっていたんだろうけども。というのも、(苦笑)あれらの機材を僕がいじったり繋げるのを父が許可してくれたとは思えないし……。

(笑)。

CC:(笑)ただまあ、そうだね、ほんと、すべてはあの経験から来ているんだと思う。子供時代の自分には音響/録音機材に触れる手段があった、という。それはあの当時としてはかなり変わっていたんじゃないかな。

お話を聞いていると、あなたは早いうちからただ音楽を聴いて楽しむだけではなく、音楽を作ることやサウンド・メイキングの可能性を自分なりに探ることに興味があったようですね?

CC:ああ、そうだったね。だから、僕はラジオを通じて番組や既成の音楽を録音するというのはほとんどやらなかったし、文字通り、「自分のサウンド」を作り出していたんだよ。もっとも、それらは真の意味での「音」に過ぎなかったけれども。音楽的なコンテンツはまったく含まれていない、サウンドによる純粋な実験だったんだ。それに、いまだに……たぶん僕は、音楽的にはディスレクシア(読字障害)の気があるんじゃないかと思っていて。だからいまだに、キーボード他に文字を書いて目印をつけないといけないんだよ。「これはこの音符に対応する」、みたいな。
僕はなにもかも耳で聴くのを頼りにやっているんだ。完全にそうだね。というわけで、(譜面を読める等の正統的な意味での)音楽に関してはかなり役立たずな人間なんだ。それでも、リズム面はかなり得意だけれども。で……そうは言っても、なにかを耳にしたり音楽が演奏されているのを聴くと、それが良い曲かどうか、さらには調子が合っているかどうかまで、耳で聴き分けられるね。だからほんと、僕はなにもかも耳で聴いてやるタイプなんだ。

アカデミックな訓練を受けた「音楽家」ではない、と。

CC:うん、まったくそういうものではないね、自分は。これといったレッスンを受けたことはなかった。だから、僕とコージーについて言えば、彼女は子供の頃にピアノのレッスンを受けたことがあったから、たぶんキーボード奏者としての腕前は彼女の方が上だろうね(苦笑)。

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僕は奇妙なサウンドに目が無いタイプだし、もしも素敵なメロディを備えたトラックが手元にあったとしたら、なんと言うかな、そこに奇妙なサウンドを盛り込むことで、そのトラックをちょっとばかり歪曲させるのが好きなんだ。


Chris Carter
Chemistry Lessons Volume One

Mute/トラフィック

ElectronicExperimental

Amazon Tower disk union

『Mondo Beat』と今作は、ビートがある楽曲においては似ていると思いますか?

CC:ああ、うんうん。その意見には賛成だね。ただまあ、やっぱり自然にそうなるものなんじゃないのかな? なんと言うか、僕の音楽的な遺産みたいなもの、それはあの作品からはじまっているようなものだしね。だから自分の初期作品にあった要素、それは間違いなく現在の僕がやっている音楽作品にも含まれていると思う。

さて、今回のアルバムについての質問ですが、ビッグなアルバムですよね。しかも2枚組という。

CC:(苦笑)たしかに。

これはある意味、先ほどの質問で答えてくださっているとも思うのですが、収録曲が25曲にまでになった理由はナンでしょう? 純粋に、長い間取り組んできた自然に蓄積してきた音楽をまとめた結果がこれだ、ということでしょうか。

CC:その通りだね。というか、今回リリースするものだけではなく、実はもっと他にもたくさんあるんだよ。

(笑)そうなんですね!

CC:ただ、そのなかでもベストなものを集めたのが今回のアルバムだ、と。だからなんだよ、この作品を『〜ヴォリューム・ワン』と名付けたのは。というのも、自分の手元にはまだかなりの数のトラックが残っているし、それらを今回とは別のセカンド・ヴォリューム、『第二巻』として出せるだろうな、と。それに……このソロ作に取り組んでいた頃、僕はかなりの部分をモジュラー・システムを使って作っていたんだよね。あれを使ってやっていると、自分でも気づかないうちにえんえんと際限なく作業にはまってしまいがちなんだ。いつの間にかスタジオにこもって同じトラックを相手に1時間も費やしていた、みたいな(苦笑)。そんなわけで、この作品をレコーディングしていた10年かそこらの間のどこかの時点で、もっと短く切り詰めるべく、違う作業の流れを開発していったんだ。もう少し自制を心がけた、というね。だからなんだ、収録トラックの多くは尺がとても短いものになったのは。

たしかにそうですよね。

CC:というのも、自分のやっていることに対して聴き手に退屈感を与えたくなかったし、人びとは僕がやろうとしていることの本質を2、3分くらいのトラックで掴んでくれるだろう、たぶんそれで充分じゃないか、そう考えたんだ。でも、そうやって短めな曲をレコーディングするようにしたことで、歳月の経つうちにかなりの量のトラックが集まることになった、と。気がつけば25トラック入りのアルバムができていたわけだよ。

なるほど。その点は次の質問にも絡んでくるのですが、いろんなタイプの曲がありますよね。インダストリアルなテイストのものからシンセポップ調のもの、“Moon Two”のようなメロディアスな曲もあります。それらは曲というよりも断片的というか、アルバムは断片集ともいえるような2〜3分の曲ばかりですね。どうしてこうなったのでしょう? やはり、いまおっしゃっていた自制の作用、制作過程をコントロールしようという思いの結果だった?

CC:それはあったよね。それに、いくつかのトラックに関しては、ほとんどもう他のトラックの「イントロ部」に近い、というものだってあるし(苦笑)……だから、以前にも僕たちはTGやクリス&コージーの楽曲で3分、2分程度のイントロはやったことがあったんだよ。で、今回の作品の一部のトラックもそれらに近いものだ、と。そうは言っても、なにかを味見程度だけに留めておく、その自制の姿勢は自分でもかなり気に入っていてね。この作品を作っている間、それは僕にとって魅力的な行為に映ったんだ。だからなんだよ、アルバムのトーンがかなりガラッと変化するのも。スリージーが亡くなった後、僕は何曲かもっとメランコリックなものを作ったし、けれども時間が経過するにつれてムードも変わっていって、もっとアップリフティングな曲も生まれた。そんなわけで、楽曲の並べ方を決めるのは少々難題になったね。どの順番で並べるか、それを見極めるのにはちょっと時間がかかった。

坂本:なるほど。「克明になにもかも表現した」とまではいかないにしても、ある面で、この作品はここ数年のあなたの人生に起きたていこと、そのダイアリーでもあるのかもしれませんね。

CC:ああ、それは良い形容だね。そうなんだと思う。

もちろん1曲1曲にストーリーがあるというわけではありませんが──

CC:それはない。

あなたの潜っていたムードの変化が聴いてとれる作品、という。

CC:うん。良い解釈だと思う。

僕はラジオを通じて番組や既成の音楽を録音するというのはほとんどやらなかったし、文字通り、「自分のサウンド」を作り出していたんだよ。それらは真の意味での「音」に過ぎなかったけれども。音楽的なコンテンツはまったく含まれていない、サウンドによる純粋な実験だったんだ。

『Chemistry Lessons Volume One』というアルバム・タイトルは、実験報告書のような印象を受けますが、これは現時点でのレポートで、ここから発展していく、しばらく続いていくものなのでしょうか?

CC:うん、だと思う。当初の『Chemistry Lessons』の全体的なコンセプトというのは、非常にエクスペリメンタルな内容になるだろう、そういうものだったんだ。10年くらい前に、その最初期のコンセプトに基づいて作ったトラックを何曲か、オンラインにアップロードしたこともあったんだ。というのも、その時点での『Chemistry〜』のコンセプトはアルバム作りですらなく、ただのプロジェクトだったからね。僕がスタジオで様々な実験をおこない、その結果のいくつかをオンラインで発表し、もしかしたら一部を音源作品として発表するかもしれない、程度のプロジェクトだった。
ところがそれが進化していったわけで、自分の手元にどんどん音源が蓄積していくにつれて、「オンライン云々を通じてではなく、これで1枚のアルバムにできるかもしれない」と自分でも考えたんだ。ただ、次のヴォリュームは今回とはやや違うものになるだろうし、3作目もまた同じく、ちょっと毛色の違うものになると思う。そこはちょっと似ているなと思うんだけど、かつてBBCが70年代にリリースしていた『サウンド・エフェクツ』のレコード(※効果音を集めたライブラリー音源シリーズ)、あれからは今回インスピレーションをもらっていてね。あれはテーマごとに編集された効果音のレコードで、『第一巻』のテーマはこれ、『第二巻』ではまた別のテーマで音源を集める、といった具合だった。
というわけで、ちゃんと準備してあるんだよ。今作には含めずにおいた未発表トラック群、あれらがあれば、『Chemistry〜』のセカンド・ヴォリュームはまたかなり違った響きの作品になるだろうな、と。おそらくもっと長めの楽曲が集まるだろうし、1作目とは異なるトーンを持つものになると思う。

坂本:この『Volume One』のテーマを要約するとしたら、なにになると思いますか?

CC:そうだね、これはシリーズ全体の「見本」みたいなものなんだ(笑)。

(笑)「これからこういうものがいろいろ出てきますよ」と。

CC:(笑)うん。だからこれはある意味、あらゆる側面を少しずつ見せたもの、紹介する内容だね。したがって曲ごとの作風もかなり違う、という。

人工的な歌声を使った曲がいくつかありますよね? “Cernubicua”とか“Pillars of Wah”とかでしょうか? 

CC:うんうん。

あれらの声は、機械で合成したものですか? それとも実際の人間の声を加工したものでしょうか?

CC:その両方が混ざっているね。一部ではヴォコーダーを使っているし、それに……スリージーが『Desertshore』向けに購入した機材も僕たちの手元にいくつかあって、なかにはそれらの機材を使用してヴォイスを加工した例もあった。だから、実際にヴォーカルが歌っていることもあれば、ソフトウェアを使って加工したこともある、と。そうやって異なるテクニックを組み合わせていったものだよ。アルバム制作が進行していくにつれて、どうやってそれを実現させればいいか、そのための作業の流れを発展させていったんだ。だから手法も変化していったし、アルバム作りのはじまりの段階で使ったもののもう自分の手元にはない機材もあったし、その際は改めて別のやり方を見つけ出していったり。だからヴォーカルに関しては、似たような響きに聞こえるものがあったとしても、それらは違うテクニックを用いて作ったものだったりするんだ。リアルな人間の声であるケースもあれば、完全に合成されたものもあるよ。

なるほど。

CC:で、本物の声と人工の声をと聞き分けられないひとがたまにいる、その点は自分としてもかなり気に入っているんだ。

(笑)。あなたのこうした人工的な歌声へのアプローチは、なにを目的としているのでしょうか? どんな狙いがあったのか教えて下さい。

CC:まあ、一部のヴォイスは僕自身の声なんだ。過去に自分の初期のソロ・アルバムでも、自分の声を使ったことは何度もあったしね……。でまあ、一部は自分の声だし、ただ「それ」とは分からないくらいとことん加工されている、と。だから、僕はとにかく……自らになにか課題を与える厳しさというか、難題に取り組むのが好きなんだね。で、クリス&コージーみたいに聞こえる作品にしたくはなかった。というのも、僕たちふたりで作る作品でコージーが歌いはじめた途端、それがどんなトラックであれ、「クリス&コージー」になってしまう、というのは自分でも承知しているからね。まあ、それは当たり前の話だよね、僕たちふたりで作っているんだからさ。ただ、今回の作品に関しては、僕は完全に「ソロ」なプロジェクトにしておきたかった。そう言いつつ、用いた一部のアイデアやテクニックについては生前のスリージーと「どうやればいいか」と話し合いはしたんだけれど、それを除いては、このアルバムではとにかく僕が自分ひとりでやっている、と。だからとにかくすべてを自分内に留めておきたかったし、これは文字通りの「ソロ・アルバム」というわけで、僕以外には誰も関わっていないんだよ。

いくつかのトラックではかなり高音の女性ヴォーカルらしきものが聞こえますが、あれもあなた自身の声を加工したものですか?

CC:うん、それも含まれるだろうし、他のヴォイスも手元にあったね。スリージー所有のハード・ドライヴから発見したもので、彼がアイデアとして使っていたヴォイスがいくつかあったし、それにオンラインで見つけてきたものも混じっている。ただ、それらを非常に高い声域で鳴らすことで、「女性」っぽく聞こえるようになる、と。一方でまた、とても低い音域で楽曲の下方で鳴らしたこともあったし、女性/男性の区別がつけられないんじゃないかな。

なるほど。キメラというか、もしくは両性具有というか──

CC:ああ、うん。

どちらの「性」にもなり得る、と。そうした人工的な声の持つ可能性、無限のポテンシャルがあなたには非常に魅力的なんでしょうか?

CC:まあ、このアルバムに関してはそうだった、ということだね。だから、もしかしたら次のアルバムはインスト作になるのかもしれないし。そうやって、自分にもうおなじみの世界に留まって(苦笑)、シンセサイザーやモジュラーなんかを使った、自分にはかなり楽にやれる音楽をやるのかもしれない。というのも、ああいうヴォーカルを用いると、作業にかなり長くかかってしまうんだ。毎回うまくいくとは限らないし、悲惨な結果になることだってあるしね。

(苦笑)そうなんですね。

CC:(苦笑)ああ。だからまあ、このルートには一通り足を踏み入れたということで、しばらくはこれで充分かもしれない。

初音ミクって知ってますか?

CC:ああ、うん。あの、ヴォーカロイドというのは、以前に自分も使ったことがあったんじゃないかな? (独り言のようにつぶやく)いや、というか、今回のアルバムの1曲でも、もしかしたらヴォーカロイドは一部で使っているかも……? んー……? まあとにかく、うん、僕個人としてはあんまり結びつきを感じられなかったね。あれは純粋にソフトウェアだし、僕はハードウェアを多く使用する方がずっと好きな人間だから。類似したことをやれるプログラムではなくて、むしろ実際のハードウェア機材でやってみるのが好きなんだ。たまに「かなり自分好みのサウンドだな」と思うものもあるとはいえ、あれは聴くのがきつい、というときもある音だよね。

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このソロ作に取り組んでいた頃、僕はかなりの部分をモジュラー・システムを使って作っていたんだよね。あれを使ってやっていると、自分でも気づかないうちにえんえんと際限なく作業にはまってしまいがちなんだ。いつの間にかスタジオにこもって同じトラックを相手に1時間も費やしていた、みたいな(苦笑)。


Chris Carter
Chemistry Lessons Volume One

Mute/トラフィック

ElectronicExperimental

Amazon Tower disk union

最初に作った自作の機材はどんなものだったのでしょう?

CC:60年代に『Practical Electronics』という雑誌を読んでいたことがあったんだけど、回路基板が付録で付いてきたんだよね。毎月、自分の手でなんらかの電子機材を組み立てることができて、パーツも購入できて。

メール・オーダー式の雑誌?

CC:そう。いろんな部品を注文し、自分で組み立てるという。だから僕が初めて作ったシンセサイザーは、あの雑誌で見かけた設計図にすべて基づいていたよ。そこからどんどんもっと大型のシンセを組み立てていくようになったし、他にももっといろんなもの、たとえばエフェクト・ペダル等も作っていって。TGに加入してからは、「グリッサライザー」(Gristleizer:エフェクト・ユニットのモジュール。TGの作品やライヴで多く使用された)というものを作ったね。あれは他の人間の考案したデザインに基づいていたけれども、自分でそれを改めてデザインし直したものだった。というわけで長年にわたって、僕はあらゆる類いの機材を自作してきたわけだね。
ところが歳をとるにつれて既製品を買ってしまう方が楽になってきたし、そうやって買って来たものにたまに改良を加えたり。でもまあ、近頃はあまり機材の自作はやらないね。オリジナルの『Chemistry Lessons』プロジェクトを開始した頃はまだ機材を作っていて、たくさんこしらえていたけれども。たとえばコージーのために「トゥッティ・ボックス」という名の小さなシンセサイザーを作ってあげたりした。で、そこから僕はモジュラーものにハマっていくようになって、自分用にモジュールをいくつか作ったこともあったね。ただ、いまの僕は主に市販のモジュールを購入してやっているよ。というのもモジュラーであれば、独自なものを作るように設定を組むのが可能だからね。モジュールをまとめてどうパッチしセッティングしていくか、そのやり方はひとそれぞれに違うわけで。だからおそらく、僕は自分で回路板を作る作業を、モジュールの購入で代用しているんだろうね。

それらをご自分の好みに合うように改良している、という。

CC:ああ、そうだね。それは自分はよくやるよ。

大学生のときに初めてのソロ・ライヴをやっているんですよね? それはどんなライヴ演奏だったのですか?

CC:(「大学でソロのライヴ・ショウをやったことがあるそうですが」と質問を聞き違えて)ああ、先週やったライヴのことかな? あれは週末におこなわれたムーグ・シンポジウム(※サリー大学が主宰する「Moog Soundlab Symposium」のこと。2018年版は2月3日開催)に参加したときのことで、小規模なライヴ向けのセットアップでやったものだったね。完全に実験的な内容で、キーボード等は一切使わず、モジュール群と箱があるだけ。それらを相手にちょっとしたライヴ演奏をやったんだ、40分くらいの短いものだったけれどね。別にムーグを使ってパフォーマンスしたわけではなくて、僕は単にあのイヴェントの一環だったんだよ。でも、あれは興味深かったな。というのも、僕はあまりライヴはやらないし、とくにソロ・ショウの場合は珍しいからね。ここ2、3年はカーター/トゥッティ/ヴォイドやクリス&コージーで僕たちもたくさんショウをやったけれども、ソロではあまりやってこなかった。だからあれは面白かったよ。

緊張しましたか?

CC:いや、そんなにあがるタチじゃないんだよね。うん、それはないな……自分がなにをすべきか分かってさえいれば、緊張することはまずない。だって、結局は自分が表に出て行って、そこでは人びとが待ち構えている、というだけのことだしね。で、音源を入れてなんらかのノイズを作り出して、それを気に入ってくれる者もいるだろうし、もしも気に入らないひとがいたら、残念でした! ということで。

(笑)。

CC:ハハッ。でも、自分は楽しんだよ。それに、観客たちも気に入ってくれたし、うん、あれはグレイトだった! 会場も良かったし、様々なヴィンテージのムーグ機材が置かれた横で演奏させてもらって、環境としてもばっちりだった。会場は素晴らしい空間だったし、音響設備も良くてね。それには大いに助けられたよ。

なるほど……と言いつつ、そもそもの質問は、あなたが大学生だった頃にやった初のソロ・ライヴはどんなものだったのか?ということでして。こちらの訊き方が明確ではなくて伝わらなかったかもしれません、すみません。

CC:ああ! というか、僕は大学には進学しなかったんだけどね。ただ、若い頃、70年代にたくさんの大学でライヴをやったのはたしかだね。イギリス各地の大学を回るツアーをやって、ソロでショウをやったこともあったし、ときには2、3人の友人たちと一緒に回ることもあって、彼らはライト・ショウを担当してくれてね。で、ライト・ショウをお伴に、僕は自家製のシンセサイザーでライヴをやった、という。あれは一種のコンセプチュアルなショウみたいなものだったし、うん、僕たちはイギリス各地の様々な大学を訪れてショウをやったものだったよ。

完全なインスト音楽とライト・ショウによるパフォーマンスだったんでしょうか?

CC:ああ、そうだった。だからまあ、いくつかのシークエンスを伴うアンビエント音楽、みたいなものだったね。

……観客の反応はどんな風だったんでしょう? いまならともかく、その当時としては、こう、かなり風変わりなパフォーマンスだったんじゃないかと想像しますが。

CC:(笑)。

それこそ、「なんだこれは?」と当惑するひともいたんじゃないですか?

CC:(苦笑)ああ……でも、音楽はかなりアンビエントなものだったし。それに、立体音響式でやったんだよね。その点は僕たちしては非常に興味深かったし、当時は立体音響にハマっていたから。ただまあ、お客の多くは「ロックンロール・バンドの類い」を期待して集まってくれたんだろうし、考え込んでしまうひとや困惑するひとたちは多かったね。それでも、おおむね観客の受けは良かったよ。

いろんな部品を注文し、自分で組み立てるという。だから僕が初めて作ったシンセサイザーは、あの雑誌で見かけた設計図にすべて基づいていたよ。そこからどんどんもっと大型のシンセを組み立てていくようになったし、他にももっといろんなもの、たとえばエフェクト・ペダル等も作っていって。

ところで、コージーの『Art Sex Music』を読んだ感想は? じつはいま日本版を訳しているんですよ。

CC:あー、そうだな……

かなり長い本ですけれども。

CC:そうだね。でも僕は、執筆が続いている間に、様々な推敲段階のヴァージョンを読んできたからね。あの本は元々はもっと長くて、それをフェイバー社側が編集してページ数を減らしていったんだ。というわけで僕はあの本のいろんなヴァージョンはすべて読んだことになるね……最終的にまとまった編集版の一部に「カットされて惜しいな」と思った箇所は少しだけあるけれども、でもまあ仕方ないよね、千ページの大著を出版するわけにはいかないんだし、ある程度は編集で減らさないと。
ただ……あれを読むとかなりエモーショナルになってしまうんだ。最後にあの本を読んでからかれこれ1年くらいになるけれども、いくつかの箇所は、読むのがかなりきついからね。そうは言っても、あの本は本当に好きなんだよ。すごく良いなと思ったし、ファンタスティックな本だ。とにかく、コージーのことを本当に誇らしく感じる、それだけだね。というのも、あれらをすべてページに記していく、その勇気が彼女にはあったわけだから、

彼女とのパートナーシップはいまも続いているわけですが、あなたが彼女から受けた影響はなんでしょう?

CC:あー……参ったな(苦笑)! それは大きな質問だよ。

(笑)ですよね、すみません。

CC:いやあ……答え切れるかどうか、それすら自分には分からない(笑)。

分かりました。じゃあ、これは次に取材する機会があるときまでとっておきますね。

CC:(笑)うんうん、次回ね。僕の次のアルバムが出るときに。

最後の質問です。いまだにTGの音楽がひとを惹きつけているのは何故だと思いますか?

CC:自分でも見当がつかないんだ。というか、それは先週末にも誰かと話していたことなんだけどね、「TGの音楽はかなりの長寿ぶりを誇るものだ」、という。で、初期TGのマテリアルの多くには、ある種のタイムレスなサウンドが備わっているんだよね。それがなんなのかは、僕にも分からない。TGのメンバーの間ですら、そのサウンドがなにか? を突き止められなかったからね。あれは相当に「ある瞬間を捉えた」という類いのものだったのに、でもどういうわけか歳月の経過に耐えてきた。一方で、多くの音楽は……ときに古い音楽は、20年くらい経ったらうまく伝わらなくなっている、ということもあるわけだよね? 「いま聴くと最悪だな!」みたいな。でもTG作品の多くには、なにかしら時間を越えた資質めいたものがあるんだよ。
思うに、その資質なんじゃないのかな、古くならないのは。だから、いまTGを聴いている人びと、いまTGを発見しているひとたちがいるのは僕も知っているし、彼らは聴いてかなりぶっ飛ばされているんだよね。で、それはグレイトだと思うし、素晴らしいことだと思っていてね。けれども、どうしてTGの音楽が聴き手にそういう効果をもたらすのか、それは自分でもいまひとつはっきりしないんだ。だから、TGのメンバーたち自身にも見極められないなにか、ということだし、他にもいろいろとあるよく分からないもの、そういうもののひとつだ、ということじゃないのかな?

なるほど。それに、そもそも長寿を意図して作ったものではなかったわけですしね。

CC:それはまったくなかったね。

坂本:2ヶ月ほど前にコージーに取材させてもらう機会があったんですが、そこで彼女も「40年以上経って人びとがまだTGを聴いてくれているなんて思いもしなかった。だからとても嬉しい」と話していましたから。でも、どうなんでしょうね、とても始原的な音楽だからかな? とも感じますが。

CC:ああ、そうだね! それはあるかもしれない。

もちろん、プリミティヴとは言っても電子音楽の形でやっているわけですが。

CC:うん、でも、彼女が言った通り、人びとが僕たちの音楽をその後も聴き続けるだろうなんて、僕たち自身考えてもいなかったからね。40年どころか、10年もしたら忘れられているだろう、そう思っていた。とにかくああして作品/活動をやっていっただけだし、それが終わったらおしまい。次にはまたなにか他のことをやっていこう、と。そうは言ったって、もちろん当時の僕たちはかなりいろいろと考えてTGの活動をやってはいたんだよ。ただ、だからと言って自分たちに「大局的な図」が見えていたわけではなかった、という。もしかしたら、だからだったのかもしれないよね、あんなにうまくいったのは。

4人のまったく異なる個人がTGというグループにおいてみごとにひとつに合わさったこと、それもあったかもしれません。

CC:ああ、そうだね。パーツを組み合わせた結果が単なる総和よりも大きなものになる、そういうことはたまに起きるからね。

わかりました。今日はお時間をいただいて、本当にありがとうございました。

CC:こちらこそ、話ができて楽しかったよ。

新作がうまくいくのを祈ってます。

CC:僕もだよ。聴いた人びとに気に入ってもらえたら良いなと思ってる。

大丈夫だと思います。

CC:そうかな、ありがとう。

ではお元気で。さようなら。

CC:バーイ!

(了)

7 ムードとモード(2) - ele-king

 いつか新宿ピットインの壁に掛かっていたエルヴィン・ジョーンズの写真を見ながら、アフリカ帰りの友人パーカッショニストAが言った。
「胸のあたりになんかあるやろ。ここで叩いている気しない?」
 言わんとしていることはなんとなくわかった。おでこのチャクラだけが先行してそれだけを頼りに音楽を聴いていた10代の頃から、ドラムを叩きながら同じようなものがへその下辺りにあることに気づき始めていた23歳くらいのことだったように思う。それを彼に伝えると、「それのバランスが大事やで。そしたらみぞおちの辺りで繋がってくる」と返された。エルヴィンのそれか。

 モードに入らないと何かを始めることはできないが、同時にモードは払拭するためにもある。2月前半から3月頭にかけて主に GONNO × MASUMURA と OLD and YOUNG の録音で大半を東京で過ごした。出発前、大分の山でアイデアと動きを温めて、体調を整えて、後悔のないように、なんていう気持ちで飛行機に乗り込んでいた。もしそのまま録音が終わっていたら、「やりきることができた」なんていう感傷主義に堕していただろう。
 確かに練習や経験が高まると、時に抽象的な気持ちよさを感じることができるが、そこに留まるとすぐに経験世界に逆戻りしてしまう。東京に着いて、まずGONNOさんとの録音に入り、セッティングを終え練習がてらセッションを始めた時、不思議とAの言葉を思い出した。みぞおちモヤモヤのリズム……スピリチュアルなことではなくて、誰しも叩いてて得も言われぬ気持ちよさを感じたことがあるに違いない。そして、どうやったらまた感じられるのだろうと思ってもなかなかもう一度やって来ないことも知っている。その要因のほとんどが、偶然、もしくは相手、だからだろう。音はもちろんのこと、GONNOさんが機械をいじっている姿自体に一箇のムードを醸し出される。相手は最高だ。僕はみぞおちで答えて、気持ちよくなりたくなった。恐らくこれが現時点での正解なのだろうと感じた。

 そういえば、森は生きているで初めて笹倉さんのスタジオへ行った際、彼が「まずセッティングだけしたらゆっくりしましょう。外人達はスタジオに来てもしばらく休んだり喋ったりしてなかなか録音を始めない。でも、録り始めたらすぐだ。」と言った。僕は、モードが準備や底上げだとしたら、ムードのためにならないとしょうがないことを知っているのだろうと受け取った。今は、充分なモード、少しの意識、リラックスが、ムードのファクターのように思う。GONNOさんとは少しの練習の中でトラックとクリックの関係に慣れたら、充分な休憩を設けて1テイクないし2テイクで録った。そんな環境を許してくれたエンジニアの葛西敏彦さんに感謝である。

 数日経って、笹倉慎介さん、伊賀航さんとの録音では、みっちりアレンジを練りながら8割程整ったところから録り始めた。そこから1テイク目、2テイク目がほとんどオッケー・テイクになった。それ以降のテイクで10割来たところは、自分がおらついてしまって、数テイクしか使えるものがなかった。まだモード自体が足りない練習不足というやつだろう。でも、寧ろムードの予感を感じるアンテナを常に敏感にしておくしかないとも思う。

 ムードの性質として、伝統を持たないもの、見ようとしたら隠れてしまうもの、ということが当てはまるように感じる。でも、音楽においての伝統の中には、一箇のムードを帯びているものがたくさんある。もしかしたら、10代の頃出鱈目な練習をしながらパーカッションに憧れていたのは、そのことに知らず知らず感づいていたからかもしれない。最近は、大分でサバールの練習会も始まった。レインボー・ディスコ・クラブまで大分を離れない予定なので、モードが去っていないうちに、山と部屋の往復を。

GONNO × MASUMURA
https://p-vine.jp/news/20180301-192700

OLD and YOUNG
https://recordstoreday.jp/item/old-young%e6%99%b4%e8%80%95%e9%9b%a8%e8%aa%ad/

 「ボーカロイド音楽」という言葉を目にしていまあなたは何を思い浮かべましたか? 高音が耳に残るアイドル・ソングでしょうか。テンポの速いロック・サウンドでしょうか。もちろん、それらも間違いではありません。が、ヒップホップやレゲエ、フューチャーベース、ブレイクコアやジュークなど、ボーカロイドあるいは他の音声合成ソフトを用いて作られた音楽は現在、想像以上にその幅を広げています。日に日に深化を遂げているこの音楽の最新の状況を知っていただきたく、『ボーカロイド音楽の世界 2017』をお届けします。

 2017年、ボカロ・シーンは初音ミク10周年という大きな節目を迎えましたが、それ以外にも同じく10周年を迎えた鏡音リン・レン、初音ミク中国語版の発売、「王の帰還」現象と新世代の擡頭、『♯コンパス』コラボ曲の席巻など、多くのトピックが目白押しでした。本書では「The World of Vocaloid Music 2017」と題しそれらの動きを俯瞰しています。
 巻頭インタヴューはEHAMIC。Google ChromeのCMにも出演していた彼は、ボカロを用いて曲を作るのみならず、それをLPやカセットテープといったアナログ・メディアでも展開している興味深いアーティストです。そのこだわりについて存分に語っていただきました。
 もうひとつの目玉は、「The 50 Essential Songs of 2017」と「The 20 Essential Albums of 2017」。2017年に発表された楽曲とアルバムからそれぞれ50曲/20枚を精選し、一挙にレヴューしています。再生回数にはいっさいとらわれず、何よりもまず「グッド・ミュージック」という観点からさまざまな楽曲/アルバムを紹介しています。
 また「Various Aspects of Vocaloid Music」ではさまざまな執筆者に協力を仰ぎ、「ジャズ」「アンダーグラウンド」「中国」「ニコニ広告」というテーマで近年の動向をフォロウ。とくに、ビリビリ動画を震源地として大きな盛り上がりを見せている中国ボカロ・シーンの紹介は、これまで気にはなっていたもののどこから手をつければいいのかわからなかった方にとって、格好のガイドとなるでしょう。

 また、本書の発売と同じ3月14日に、『合成音声ONGAKUの世界』というコンピレイションCDもリリースされます。1998年に竹村延和のレーベル〈Childisc〉からデビューしたスッパマイクロパンチョップ監修による充実の15曲を収録。こちらもぜひ手にとってみてください。きっと新たな発見があるはずです。

[書籍]
ボーカロイド音楽の世界 2017
2018年3月14日 発売
ISBN: 978-4-907276-93-5
Amazon

[contents]

VOCALOIDはボサノヴァ――an interview with EHAMIC (しま+小林拓音)

The World of Vocaloid Music 2017
ボーカロイドに関する2017年の重要トピック (しま)
初音ミク10周年のトピック (しま)
鏡音リン・レン10周年のトピック (アンメルツP)
まえがき ~みんながよく話す「ボカロ」という言葉~ (ヒッキーP)
2017年は新陳代謝の年 ~初音ミク10周年を祝った旧世代と無視した新世代~ (ヒッキーP)
ぼからんで見る「2017年」という時代 (あるか)

The 50 Essential Songs of 2017 (キュウ+しま)
The 20 Essential Albums of 2017 (キュウ+しま)

Various Aspects of Vocaloid Music
ボカロとジャズ (Man_boo)
ボーカロイド・アンダーグラウンド (ヒッキーP)
中国ボーカロイド・シーンの発展と現状 (Fe+しま)
VOCALOIDタグ動画におけるニコニ広告の拡大とそのランキングへの影響 (myrmecoleon)


[CD]
合成音声ONGAKUの世界
2018年3月14日 発売
PCD-20389
Amazon

[tracklist]

01. 春野 「nuit」
02. Treow 「Blindness」
03. piptotao 「春 etc.」
04. 羽生まゐご 「阿吽のビーツ」
05. 拓巳 「Kaleidoscope」
06. cat nap 「ぺシュテ」
07. 鈴鳴家 「フリーはフリーダム」
08. 松傘, mayrock, sagishi, 緊急ゆるポート, trampdog 「人間たち」
09. でんの子P 「World is NOT beautiful」
10. のうん 「箒星」
11. ぐらんびあ 「孤独、すべて欲しい」
12. キャプテンミライ 「イリュージョン」
13. Dixie Flatline 「シュガーバイン」
14. yeahyoutoo 「lean on you」
15. Noko 「只今」

Joe Armon-Jones - ele-king

 どんどん燃え上がるサウス・ロンドンのジャズ・シーン。2月に〈Brownswood〉からリリースされたコンピ『We Out Here』はその熱気を切り取った格好のドキュメントであり、今年最初の重要作でありますが、そこに参加していたジョー・アーモン・ジョーンズが初のソロ・アルバムをリリースします。エズラ・コレクティヴの一員としても活躍する彼は、クラブ・ミュージック~エレクトロニック・ミュージックの文脈とも密接にリンクしていて(昨秋サン・ラのカヴァーで話題になった彼らのEP「Juan Pablo」のミックスはフローティング・ポインツが担当)、つまりジャズ好きのあなたにとってはもちろんのこと、「ジャズはあまり得意じゃないんだよなあ」というそこのあなたにとっても注目すべき重要なアーティストなのです。一部ではポスト・フライング・ロータスとも表現されており……ほら、気になってきたでしょ? 発売日は4月27日。

いまもっとも熱い注目を集める南ロンドン・ジャズ・シーンの真打
ジョー・アーモン・ジョーンズ、待望のデビュー・アルバム『Starting Today』
日本先行リリース決定!
ロンドンのストリート・サウンドを示す新世代ジャズの新たな潮流

エレクトロニック・ミュージックの世界からロック~パンクに至るさまざまな分野で、現在もっとも注目を集めるサウス・ロンドン。シンガー・ソングライターでもキング・クルールやトム・ミッシュなど若い才能が続々と登場しているが、そうした南ロンドンでもひときわ熱いのがジャズ・シーンである。特にロバート・グラスパーの登場以降、アメリカでは、ケンドリック・ラマーやフライング・ロータスが自身の作品に積極的にジャズを取り入れ、カマシ・ワシントンやサンダーキャットといったニュー・ヒーローが生まれる一方、ロンドンでもシャバカ・ハッチングス、モーゼス・ボイド、ヌビア・ガルシア、ユセフ・カマールなどの台頭で湧き、そうした熱い息吹はジャイルス・ピーターソンのコンピ『We Out Here』でも伝えられるが、ここにシーンの最重要キーボード奏者及びコンポーザー兼プロデューサーであるジョー・アーモン・ジョーンズのデビュー・アルバム『Starting Today』が登場した。今回の発表に合わせてアルバムのオープニングを飾るタイトルトラックが公開された。

Joe Armon-Jones - Starting Today
https://youtu.be/mdz9jHg-mWM

アフリカンやカリビアン系黒人の多い南ロンドン・ジャズ・シーンにあって、ジョー・アーモン・ジョーンズは異色とも言える白人ミュージシャン。しかし、黒人さながらのグルーヴとフィーリングを有し、アフロ・ジャズ・ファンク・バンドのエズラ・コレクティヴの一員として活躍。ファロア・モンチやアタ・カクのツアー・サポートも務めている。2017年はエズラ・コレクティヴでサン・ラーの“Space Is The Place”のカヴァーを含むEP「Juan Pablo: The Philosopher」をリリースする一方、DJ/トラックメイカーにしてベースも操るマックスウェル・オーウィンと組んでEP「Idiom」をリリース。アコースティックとエレクトロニックを自在に行き来するジャズとディープ・ハウスの中間的な作品集で、Boiler Roomでのライヴも好評を博する。「Idiom」には女性版カマシ・ワシントンとも言うべきサックス奏者のヌビア・ガルシア、ギル・スコット・ヘロンとキング・クルールが出会ったようなギタリスト兼シンガー・ソングライターのオスカー・ジェロームも参加しており、ジャズ・ミュージシャンでありながらクラブ・サウンドやエレクトロニック・ミュージックにも通じるジョー・アーモン・ジョーンズの姿を映し出す作品集となった。

前述の『We Out Here』にも、自身の作品やエズラ・コレクティヴで参加したジョー・アーモン・ジョーンズが、満を持して発表する『Starting Today』には、現在の南ロンドン・ジャズ・シーンの最高のメンバーが集結する。「Idiom」に続いてヌビア・ガルシア、オスカー・ジェローム、マックスウェル・オーウィン、エズラ・コレクティヴのトランペット奏者のディラン・ジョーンズに加え、ザラ・マクファーレンのプロデューサーとしても活躍する天才ドラマーのモーゼス・ボイド、オスカーと共にアフロビート・バンドのココロコで演奏するベーシストのムタレ・チャシらも参加。女性シンガー・ソングライターのエゴ・エラ・メイ、ラスタファリ系ポエトリー・シンガーのラス・アシェバーらもフィーチャーされる。

『Starting Today』にはジャズ、アフロ、レゲエ、ダブ、ソウル、ファンク、ハウス、テクノ、ヒップホップ、ブロークンビーツなど、ジョー・アーモン・ジョーンズが吸収した様々な音楽のエッセンスが詰まっていると共に、それは折衷的で雑食的なロンドンのストリート・サウンドを示している。インナーゾーン・オーケストラのテクノ・ジャズとロニー・リストン・スミスのアフロ・スピリチュアル・ジャズ・ファンクを繋ぐような高揚感溢れる表題曲に始まり、メロウなAOR~アーバン・ソウルの“Almost Went Too Far”はサンダーキャットにも対抗するようなサウンド。スペイシーなエフェクトが効いたダブ・ミーツ・ジャズの“Mollison Dub”、サン・ラー風のコズミック・ジャズをバックにオスカー・ジェロームがファンクとレゲエ・フィーリングをミックスさせて歌う“London's Face”は、ジャマイカンやアフリカ移民の多いUKらしさを象徴する作品。“Ragify”はJディラを咀嚼したようなヒップホップ調のビートを持ち、ロバート・グラスパーやクリス・デイヴらUS勢に対するUKからのアンサーと言えるナンバーだ。

南ロンドン・ジャズ・シーン最重要アーティスト、ジョー・アーモン・ジョーンズのデビュー・アルバム『Starting Today』は、日本先行で4月27日(金)にリリース! 国内盤CDには、ボーナストラックとして、ジャイルス・ピーターソンが手がけたコンピレーション『We Out Here』に提供された“Go See”を追加収録。iTunesでアルバムを予約すると、公開されたタイトルトラックがいち早くダウンロードできる。

label: Beat Records / Brownswood Recordings
artist: JOE ARMON-JONES
title: Starting Today

BRC-572 (国内盤CD) ¥2,200+tax
ボーナストラック追加収録

Alva Noto & Ryuichi Sakamoto - ele-king

 アルヴァ・ノト(カールステン・ニコライ)と坂本龍一によるコラボレーションの最新作である。リリースはカールステン・ニコライが運営する〈noton〉から。
 二人が手掛けた『レヴェナント: 蘇えりし者』(2015/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督作品)の映画音楽から、彼らの音楽/音響は、どのような「響き」へと至ったのか。もしくは何が継続しているのか。それを知る上で非常に興味深いアルバムであった。
 彼らは音の美や透明性、その自律性にはこだわりがあるが、しかし「音楽」を固定的な形式性としても考えていない。それゆえ「サウンド・アート」的な作品を、驚きに満ちた「音楽」として、まずもって捉えているのだ。音楽は自由であり、その美意識は結晶である。

 本作『グラス』はアメリカのモダニズム建築を追求した建築家フィリップ・ジョンソン(1906年7月8日~2005年1月25日)による20世紀の名建築「グラスハウス」での二人の演奏を記録したアルバムである。演奏は、2016年にジョンソンの生誕110周年、およびグラスハウスの一般公開10期目を記念して公開された草間弥生のインスタレーション《Dots Obsession - Alive, Seeking For Eternal Hope》展示時のオープニング・パーティで披露されたものだ(ちなみに客席にはビョークがいたらしい!)。本アルバムは36分59秒に渡ってこの日の音響音楽を収録している。

 「グラスハウス」はコネチカット州にある1949年に建てられた四方をガラスで囲まれたミニマムなデザインの個人邸宅で、ジョンソンのパートナーであったアート・コレクターであるデイヴィッド・ホイットニーと自身のために設計・建築されたもののひとつだ。
 坂本龍一とカールステン・ニコライは、この「グラスハウス」の特質を存分に利用した方法論で本作のサウンドを産みだした。コンタクト・マイクを「グラスハウス」のガラスに付けて坂本龍一はゴムのマレットでガラスの表面を擦る。いわば「グラスハウス」全体を楽器のように音に鳴らしている。「グラスハウス」という環境・建築・空間それ自体が音響発声装置なのだ。
 むろん、彼らのまわりにはラップトップ、シンセサイザー、ミキサー、シンギング・グラス・ボウル、クロテイルなどの多くの楽器(音響生成のためのモノたち)が置かれている。坂本はキーボードを鳴らしつつ、シンギング・グラス・ボウルを擦り、微かな音を発生している。カールステンはラップトップに向かうと同時にクロテイルを弓で演奏する。それら「モノ」たちが音を発する様は、美しく、儚い。当日の演奏の模様はインターネット上で映像作品としても発表されているが、それを観ると「演奏者二人も含めたインスタレーション」のように思えるし、音響彫刻のようにも見えてくるから不思議だ(演奏は100%即興だという)。

 坂本は、2017年にリリースした新作『async』において「非同期」というコンセプトを聴き手に提示し、それに伴うインスタレーションを「設置音楽」と名付けた。「音響」ではなく、「音楽」なのだ。となれば2016年に披露された本アルバムの演奏もまた「非同期」であり、一種の「設置音楽」ではないかと想像してしまう。
 本作においても重要な点は、サウンド・アート的であると同時に「音楽」である点に思えてならない(ノイズ/ミュージック)。音響は、かすかなノイズや具体音が鳴り響きつつも、それらは「音楽」として緩やかに、大きな流れの線を描く。演奏の後半においては「旋律の前兆」のような響きも鳴り響く。ここにおいてノイズとミュージックが、それぞれの領域に清冽な空気のようにミックスされていく。

 それらすべてを包括するかたちで「グラスハウス」という場所が機能しているように思えた。音楽と場所。音響と空間。現代のようにインターネット空間において無数の音楽に解き放たれている時代だからこそ、ある限定された場所/空間における音楽の重要性や影響もまた大きな意味を持ち始めているのではないか。むろん、それはどこでも良いというわけではなく、コンセプトへの共振が重要に思える。
 その意味で「グラスハウス」=フィリップ・ジョンソンの「新しいものへの進化」、「モダニズムの追求」、「普遍性との共生」のコンセプト(概念)への共振は重要ではないか。個と社会、モダンとポストモダン、人工と自然。その両方を考えるということ。
 なぜなら坂本龍一やカールステン・ニコライもまたそのような20世紀以降のモダニズムの問題を音楽やテクノロジーの側面から追求してきたアーティストだからだ。となれば彼らが「グラスハウス」という「場所」にインスピレーションを受けて、素晴らしい音響を生成し、新しく普遍的な「音楽」の演奏を行ったことは必然だったのかもしれない。
 本作はこの二人の「音楽家」としての本質を知る上でとても重要な記録録音/音響音楽ではなかろうか。耽美的で「美しい」音響であっても、湿ったナルシシズムとはいっさい無縁だ。まさにガラスのように「透明な音楽」である。

Agit Disco - ele-king

 みなさんこんにちわ。先週末、石野卓球のDJで踊った編集部・野田です。先日、ele-king booksから刊行された『超プロテスト・ミュージック・ガイド』(原書タイトル『Agit Disco』)の発起人/監修者のステファン・ジェルクン氏が、彼のサイトにて日本版に追加された各プレイリストに対してコメントしています。
 https://szczelkuns.wordpress.com/2018/02/05/agit-disco-japanese-edition/
 しっかり長渕剛まで紹介されていました(笑)。

 また、わたくしめが本サイトにて発表した「基礎編+α」もそのままコピペされているのはいいのですが、今回の仕事中、ステファン・ジェルクン氏とのやりとりのなかの私信に書いたRCサクセションおよび忌野清志郎の説明までそのままコピペされております。少し大袈裟な表現ですが、そう思っているのでまあいいいか。
  https://szczelkuns.wordpress.com

 最後にもうひとつ業務連絡です。来週、3月12日(月)@DOMMUNE、19:00~21:00、『超プロテスト・ミュージック・ガイド』刊行記念番組をやらせていただくことになりました。出演は、日本版の企画および監訳の鈴木孝弥氏、コントリビューターの1人でありDJの行松陽介氏、そして編集部の小林+野田です。4人それぞれが2曲ずつ選んでかけようと思います。ぜひ、お越し下さい。ブルー・マンデーの夜をぶっ飛ばしましょう。

interview with Young Fathers - ele-king


Young Fathers
Cocoa Sugar

Ninja Tune / ビート

PopElectronicHip Hop

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 たしかに多様であることはたいせつだ。排他的だったり差別的だったりする世のなかが生きづらいのは間違いない。けれど、洪水のようにPCが猛威をふるっている昨今、多様性の賞揚それ自体がひとつの体制と化しつつあるようにも見える。企業も広告に気を配るのにひと苦労だろう。彼らは売らなければならない。資本はなんでも利用する。多様な世界、素晴らしい。そんな世界にふさわしいうちの商品、いかがでしょう。
 そのような風潮のなか、サウンドもメンバーの背景も多様なヤング・ファーザーズの新作がリリースされたことは興味深い。アンダーグラウンド精神溢れる〈Anticon〉からミックステープを発表し、〈Big Dada〉から放った前々作『Dead』でマーキュリー・プライズを受賞、前作『White Men Are Black Men Too』で大きくポップに振り切れながらも挑発的な問いを投げかけていた彼らは、いま、バランスをとることに苦心している。
 無自覚ではいけないのだろうけど、かといってPCマシマシなムードには胃がもたれる――似たようなことは音の扱い方にも言えて、大衆迎合的でありすぎてもいけないし、難解でありすぎてもいけない。そのような葛藤は、サブ(=従属的)カルチャーであると同時にカウンター(=対抗的)カルチャーでもあるポップ・ミュージックに背負わされた、永遠の宿命と言っていいだろう。ヤング・ファーザーズはその両岸でバランスをとるのが抜群にうまい。たとえば、今回のアルバムの冒頭を飾る"See How"から2曲め"Fee Fi"の馴染みやすくかつエッジイな音選びを経て、アノーニのようなヴォーカルがアフリカン・パーカッションを連れてくる3曲め"In My View"へと至る流れには、多様性が体制となったこの時代をサーフする巧みなバランス感覚が表れ出ている。
 アルバムごとに変化を続けている彼らではあるが、ヤング・ファーザーズというバンドの芯に揺らぎは見られない。彼らはいまもむかしも変わらず「ポップ・ミュージックとは何か」という問いのなかでもがき続けている。そのエンドレスな格闘のもっとも新しい成果報告が、この『Cocoa Sugar』なんだろうと思う。

ポップ・ソングはバランスがすごく大事で、聴き覚えがある部分と、聴いたことのない、おもしろくてもっと聴きたいと思うような部分のバランスが取れているのが良いポップ・ソングだと思うんだよね。

今回の新作は、前作とはまた異なるアルバムに仕上がっています。制作するうえで方向性やテーマのようなものはあったのでしょうか?

アロイシャス・マサコイ(Alloysius Massaquoi、以下AM):前作からの継続だとは思っているんだけど、同じ方向性でわりとシンプルにしたところはあるかな。アレンジに関しても一貫性を持たせるというか。僕らはポップ・ソングを作るという難業に挑んでいる。ポップ・ソングってじつは作るのがいちばん難しいタイプの音楽だと思っていて、重要なのはバランスのとり方なんだよね。すべての正しいものを正しいところに収めていかないといけない。そうしないといいものができない。それがポップ・ソングだからね。その意味で前作でやったことをさらに推し進めつつも、新たなカラーを持ち込んだ。明るいカラーだね。全体としては前作よりも大人になったアルバムと言えるかもしれない。その理由は自信がすごくついたこと。自信があるからやりたいことをやりたいようにできるようになった。やりたいことを自由にオープンに表現するためには、すごく自信が必要なんだと思う。クリエイターとしてそれを得ることができたから、さらに確信を持って作ることができたんじゃないかな。

グラハム・"G"・ヘイスティングス(Graham 'G' Hastings、以下GH):まったくいま言ったとおりなんだけど、いろんなものを押し込めるというよりは、厳選して作り上げた音楽かもしれない。「曲」という認識で作っているから、たとえばブリッジがあってヴァースがあってコーラスがあるというような構成の部分と、音的にもリヴァーブとかのエフェクトに頼るんじゃなくて、ドライに音を作って曲を浮き彫りにするということは考えたかな。

ケイアス・バンコール(Kayus Bankole、以下KB):僕らは作品を作るたびに毎回違うものを作っているんだよね。それは、自分たちに挑みつつ安全圏からつねに踏み出していこうという姿勢の点では同じなんだけれど、結果としてできるものが変わっていくということだね。色合いが増えたとか、明るさについての話が出てきたけど、それは音そのものというよりも感覚的なものかなあ。フィーリング的により明るいものになっているね。僕らはもともとダークなバンドってわけじゃないんだけど、今回はより明るいものを求めていたってのはあるのかもしれない。他のメンバーも言ったとおり、曲の構成をしっかりするということや、内容やトピック、個人的なことに関してもなんでも、わかりやすく伝えやすくすることを考えながら曲として仕上げていった。

AM:ポップ・ソングはバランスがすごく大事で、聴き覚えがある部分と、聴いたことのない、おもしろくてもっと聴きたいと思うような部分のバランスが取れているのが良いポップ・ソングだと思うんだよね。そこは目指したな。

今回のアルバムを制作するにあたって影響を受けた音楽、または映画や本などがありましたら教えてください。

GH:とくに影響源はないよ。ファースト・アルバムもそうだったけど、自分たちは何かを聴いて「これをマネしてやろう」なんて思うことはいっさいないし、とくに今回のアルバムはそれが顕著だったんだ。音楽的に「このサウンドで」と参考にしたものはないね。とにかくスタジオに入って、さあ作ってやろうという勢いで作ったアルバムだったからね。

KB:あらかじめ自分たちの頭のなかに、こんなことをやりたいというイメージがあったから、それをスタジオに入ってそのまま形にすることができたのはすごく良かったと思う。影響源となるものをこちらから求めなくても、自分たちのなかに蓄積があったってこと。もちろん、そのままの形でアルバムになったわけではないけど、自分たちの気持ちに素直にやった結果、新たな発見があったりもして、そうしたなかでできあがったアルバムかな。

AM:ある意味自分たちで勝手にストーリーを作っちゃったようなアルバムだと思っていて、よそから引っ張ってきたと言うより、フェイクもリアルも入り混じった僕たちの作ったストーリーという感じのアルバムなんだよね。

KB:(前作から)2年という月日があって、もちろん音楽は聴いていたんだけど、それまでに自分たちが送ってきた生活や、日常的なことから作り上げられた自分というものが、今回は自然な形で表れているんじゃないかな。新しいサウンドとか新しい方向性をあえて模索しなくても、自分たちが送ってきたふつうの生活が新しいものになってアルバムに出ていると思う。だからここで新しいスタートを切れたような気がするんだよ。(2011年の)『Tape One』もそういう性格のアルバムで、それまでの自分たちの生活から生み出されたものだった。それ以降の作品は、それを踏まえて作ってきたところがあるけど、今回はいったんそれをチャラにして、まったく新しいチャプターが開けたような感覚のあるアルバムなんだ。

GH:だいたい僕らは飽きっぽいからさ。人と一度何かをやるとすぐ飽きちゃうんだよ。だから前と同じことができないというのもあるんだけど、そういう意味でもこの年月のなかで培ってきたものがおのずといい形で出たアルバムなのかなと思う。

KB:「新しいチャプター」という言い方はぴったりだね。他の音楽をまったく聴いていないなんて言うつもりはないし、ふだんからヘッドフォンを持ち歩いて聴いたりはしているんだけど、自分たちに染み込んでいったものが自然と出てきているんだろうな。だけど、あくまで作るという過程、自分たちを表現するという過程においては、その聴いていたものに立ち返ってそれを紐解くというようなことはしていない。自分たちのなかにすでにあるものを自問自答するような形で、自分たちにチャレンジするような、自分たちのなかで議論をしながら作っていったものなんだ。じっさいの作業に入ったら他のものはぜんぜん聴かないね。その部屋のなかで自分たちだけで作ったものなんだよ。

「新しいチャプター」という話が出ましたが、今回はリリース元も前作までの〈Big Dada〉から、その親レーベルの〈Ninja Tune〉へと変わりましたよね。

GH:新しいスタイルになったことで上に上がれたわけだけど、どうかな(笑)。これで満足してもらえるといいね(笑)。「新しいチャプター」だから新しいスタッフと組んでみて、さあどうなるかな、ってところだな。でもフレッシュなスタートを切れたのはよかったよ(笑)。いまのところは順調だね(笑)。

KB:ブルシット! ブルシットだね! はははは!

今回マッシヴ・アタックとともに来日を果たしましたが、あなたたちにとって彼らはどのような存在ですか?

GH:いい人たちだね(笑)。彼らはオリジナル性のあるバンドだった。何もないところからああいう独自のサウンドを作り上げたという意味で、僕らもそうしていきたいと思わせてくれる存在だね。そういう人たちと話ができるのはすごくいい経験だったと思うよ。

AM:しかもそれで成功しているんだもんな。成功例として真似たい存在だとも言えるかもしれない。彼らは一貫性を持ち続けて、あれだけ長く活動して成功しているからね。

GH:あれだけ独自性を持ちながら成功を収めるというのは、じっさいすごく難しいことだと思う。しかもそれを続けているんだからね。それを見ていると希望がわくというか、拘ってやっていってもいいんだなと思える。レコードを売るために、みんなからああしろ、こうしろって言われるようなことをやっていかなくても、自分たちのやりたいことに拘っていくことで成功できる可能性もあるんだなと思わせてくれるバンドだと思うよ。

子どもの頃は、「エディンバラには何もないから外に出ていきたい」と感じていたね。それが逆にエディンバラから受けたいちばんの影響だったような気がするよ。

『T2 トレインスポッティング』ではヤング・ファーザーズの曲が使われていましたが、それはダニー・ボイルから直接オファーがあったんですか?

GH:そうだね。その話をもらって撮影現場まで行ったんだけど、彼は映画ごとに「この音楽を聴きながら作る」というタイプの人だったんだ。あのときはたまたま僕らの音源をずいぶん聴いていたみたいで、それで僕らを信頼して任せてくれたんだよね。すごくいい人だったよ。

オリジナルのほうの『トレインスポッティング』を観たときはどのような感想を持ちましたか? 世代的にリアルタイムではないですよね。

AM:時代の感じが出ている作品だと思う。いまとなっては名作だもんな。当時はヘロインなんかのドラッグ、スコットランドのネガティヴな部分が出ているって文句を言っていた人も多かったみたいだけどね。そのパート2に自分が参加しているんだなという感覚はあるよ。

GH:僕は好きだったよ。

AM:『シャロウ・グレイブ』とか、その前のやつも好きだったな。あと、あの作品はなんだっけ? そうだ、(アーヴィン・ウェルシュ原作の)『アシッド・ハウス』(監督はポール・マクギガン)とかも好きで観ていたよ。

『T2』を観ていてもっとも辛くなった場面はどこでしょう?

AM:最後のほうで僕らの曲が流れてくるところはすごく好きだったけどな。観ていて辛いというか、ふたりの友だち同士が殺し合って首を絞めるシーンとか、そこへ至るまでの緊張感はあったけど、でもそれが嫌だというわけではなくて、そこで自分たちの音楽がサウンドスケープ的に流れてくる感じは好きだったな。

『T2』で使用された"Only God Knows"は今回のアルバムには収録されていませんね。

GH:あれは映画用の曲なんだ。ダニーからオリジナル曲を頼まれて、それで書いた曲だからアルバムには入れていないんだ。

『T2』ではプロテスタントの飲み会に侵入して「ノーモア・カトリック」と合唱するシーンがありますが、そういった光景はいまでもエディンバラでは日常的なのでしょうか?

KB:そのシーンはあんまり印象に残ってないな(笑)。

GH:そういう宗教的なところよりもむしろ、フーリガンの対立のほうが印象に残っているね。まあ、そういうのはエディンバラよりもグラスゴーのほうが色濃いとは思うけど。

AM:あれはどちらかというとお笑いのシーンなんだよ。ああいう人たちの姿から見てとれる滑稽さだとか、「ノーモア・カトリック」って叫んでいるうちにお金を取られちゃったりする滑稽さだとかを描いているんだと思う。

その場面には何か政治性みたいなものがあると思いますか?

GH:笑えるって思えるのは自分たちの地元だからかもしれないけどね。僕らが子どもの頃は、サッカーを観に行けばチーム同士のライヴァル意識からああいうことがよく起こるものだったし、サッカーの世界における互いに対する根深い憎しみというのは、もう笑っちゃうくらいなんだよ。それがああいう形で映画のなかで表現されているということが僕らからすればすごくおかしい。というのも真実だからね。真実だからこそ笑っちゃうというか。もちろん問題としては深刻な部分もあるのかもしれないけど、僕らからするとああいう形で不思議なエディンバラ的なものが描かれているというのはおもしろいし、それを他の世界の人たちが見たらどうなのかなっていうのは興味のあるところだね。

KB:もちろん笑ってしまうようなこともいいことばかりじゃないけどね。ただあの映画のなかでは、あのシーンの役割として、ちょっと笑いを含む滑稽さが出ていたと思う。

スコットランドではEU離脱をめぐる国民投票で60%以上が残留を支持したり、ニコラ・スタージョンの独立路線など、政治的なことがいろいろと起こっていますが、ヤング・ファーザーズの新作にもそういったことが影響を及ぼしたりしているのでしょうか?

GH:ふつうに曲を書いているだけだよ。

AM:もしかしたら逆の意味での影響は出ているかもしれない。そういう状況があるからこそ自分たちがものを作ることに幸せを見出して、作っていて楽しいと思えるとか、逆説的な意味での影響はあるかもね。でも起こっていること自体が音楽に出ているかというとそんなことはない。べつに聴いていて鬱屈するようなことは歌っていないし、俺に言わせれば希望を歌っているものが多いと思う。ダークな曲を書いている人がダークな状況にいるとは限らないのが音楽の世界だと思うんだ。自分たちが書いている曲の内容も、たとえば自分のことだけじゃなくて、生活のなかで出会った誰かのことをキャラクターとして描いていることもあるし、まったくの架空のことを書いていることもあるし。それができるのが創作の良さだと思っている。だからいまそういう現状があるということをそのまま書くのではなくて、そのなかで暮らしている人たちの姿を曲にしているという感じかな。

GH:サウンド的には聴いていてダークな感じはしないと思うんだ。僕が個人的にいいと思う音楽は、歌詞をじっくり読むとそういったダークなテーマを扱っているけれども、仕上がりとして曲を聴いたときには踊ってしまうような、笑顔になってしまうような曲だから、今回の曲たちもそういう仕上がりになっていると思う。リズム的にはアップなんだけど、歌っていることの概念的な部分ではもうちょっと深いところを突いているような曲になっているんじゃないかな。それも滅入ってしまうようなことではなくて。さっきからバランスという話が出ているけど、そういう意味でいろんな要素を取り合わせつつ、最終的にはポジティヴな感覚を伝えたいということだね。

今回質問を用意したもうひとりは、『T2』で描かれるエディンバラにすごく笑ったそうで、彼の子どもは『ハリー・ポッター』で描かれるエディンバラに憧れているそうなんです。ヤング・ファーザーズの音楽もエディンバラの土壌と関係していますか?

KB:俺も笑ったよ。それはいいことだと思う。

GH:たぶん一般的に描かれるエディンバラのイメージというのは、きれいで住みやすい街みたいな感じなんだろうけど、そういう表面的なところからは見えない、でも育った人なら知っているみたいな部分があの映画には描かれていて、しかもそれが映画のスクリーンにボンと出てくるというのが地元民からするとすごく笑えるんだ。いかにも「らしいな」という部分、みんな知らないだろうけど僕らは知っているからこそ笑えるという感覚があって、僕らからすればそれがあの映画のおもしろさだったんだ。たしかにエディンバラには二面性があって、経済的な部分ではある程度豊かであるという良い面がある一方で、ドラッグの問題なんかの悪い面もあって、その二面性のふだんは表に出てこない裏側のほうにハイライトを当てたというのがあの映画のおもしろさなんだよね。

AM:『ハリー・ポッター』は好きじゃないからな。観に行ってもいないし。

GH:あれは完全にファンタジーだから実感はないね(笑)。美しい古い建物がある街だから、そういう環境がああいうファンタジーを生むということは理解できるけど、若いやつらが夢中になれるようなカルチャー的なことで言えば、僕らが育ってきた時代はほんとうに不毛だったよ。改善されてはいるけど、いまだにその名残はあるね。だからアーティストがエディンバラに居場所を見つけるのはすごく難しくて、芸術の世界で何か成功を収めたいと思ったら「ここに留まっていたらダメだ」という感じがいまだにあると思うんだ。

KB:もちろんエディンバラにはエディンバラの文化があるよ。外から入ってきた人がそこに馴染むのは難しいし、そこに居場所を求めるのも難しいから内向きになっていくんだろうな。最近は多少は良くなってきているけどね。

ヤング・ファーザーズの音楽にはそういったエディンバラらしさが出ていると思いますか?

GH:それはとくにないと思う。そりゃふだんから暮らしている街だから、何かしら自分たちのなかに入り込んでいるエディンバラらしさというのはあるのかもしれないけど。子どもの頃は、「エディンバラには何もないから外に出ていきたい」と感じていたね。それが逆にエディンバラから受けたいちばんの影響だったような気がするよ。他に何かを求めるとか、あるいは自分たちの空想の世界に逃げ込むといったことが、エディンバラが僕らに与えた最大の影響かもしれない。

AM:僕らが若い頃はエディンバラには本当に何もなくて、ユース・クラブっていう若い子が集まれる場所が2ヶ所あったくらいで、外へ出ていきたかった。あの街が僕らに与えた影響は、他の国へと目が向いたり、あるいは自分の世界に籠もってしまったりするようなエスケイピズムだった。もちろん、暮らしていくなかで自分たちに染み込んできた街の要素というのはいくつかあると思うけど。

GH:たしかにあの街は僕らにインスピレイションを与えているよ。あの街が僕らをインスパイアして何かをやらせたというよりは、そこに何もないという現実が僕らに他に何かを求めるインスピレイションをくれたということになるのかな。

interview with Silent Poets - ele-king

 いかなる物語にも良いときがあり、悪いときがある。人の人生において喜びに浮かれるときもあれば、悲しみで胸を痛めるときがあるように。家具屋のカタログのようにはいかない。ぼくたちはとにかくそうして生きている。サイレント・ポエツ=下田法晴もそうだ。
 サイレント・ポエツは、いわばマッシヴ・アタックへの日本からのアンサーだった。“ダウンテンポ”なるスタイルの継承者である。リーズのナイトメアズ・オン・ワックス、ブリストルのポーティスヘッド、ブライトンのボノボ、ウィーンのクルーダー&ドーフマイスター、パリのザ・マイティ・バップ、DJカム、ラ・ファンク・モブ……そして日本ではサイレント・ポエツ。
 昨年はクルーダー&ドーフマイスターも新作を出している。トスカ(ドーフマイスターの別プロジェクトで、Chill好きには必須の“チョコレート・エルヴィス”の作者)の名盤『Suzuki』も再発された。今年に入ってからはナイトメアズ・オン・ワックスも新作をリリースした。いまここにサイレント・ポエツが12年ぶりに新作『dawn』をリリースする……と書けば筋書き通りだが、ぼくたちの人生とはそんなにイージーではないし、そんなに小綺麗でもない。

 ぼくは人生に落ちぶれた人たちが集まる酒場にいた。居心地は悪くない。むしろ気分がいいくらいだ。


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 サイレント・ポエツは、最初はミュート・ビートに影響されたインストのレゲエ・バンドだった。それがマッシヴ・アタックを通過して、下田を中心としたよりエクレクティックな音楽性のプロジェクトへと展開するわけだが、根底にあるのはダブであり、こだま和文が絶えず発する“悲しみ”や“痛み”、あるいは小さな“微笑み”かもしれない。ひとつ言えるのは、そこが彼の帰る家だったということである。サイレント・ポエツ印でもあるストリングス・サウンドは以前のように優雅に響いてはいる。が、しかし今作には深い、そう、12年分のエモーションが込められている。
 ラッパーの5lackとNIPPS、櫻木大悟(D.A.N.)、レゲエ・シンガーのHollie Cook、イスラエル出身のフィメール・ラッパーのMiss Red、オーガスタス・パブロの息子のAddis Pablo……などなど多彩なフィーチャリングを擁しているが、今作のリリースには制作費を援助するような後ろ盾となるレーベルは存在しない。彼はとにかく人生のいろいろな局面を乗り越えて、なんとかしながら、おそらく這いずるように音楽の世界に戻ってきたと。

どんどん状況悪くなって、けっこうへこんだというか。お金もないし、みたいな感じになってしまって。いままではあんまりそういうことを感じて作っていなかったので、それはけっこうキツかったですね(笑)。

12年前のことなんてもう覚えていないと思いません?

下田法晴(以下、下田):そうですね。もう消えてますよね(笑)。思い出そうとしたら、いろいろと嫌な思い出も思い出しますけど(笑)。

この12年間で世の中があまりにも変わったからね。その前の12年よりも変わったでしょう

下田:そうですね。急激に変わりましたね。そういうのもリリースできなかった理由のひとつかもしれないですね(笑)。

こと音楽を取り巻く状況が変わりすぎたでしょう(笑)?

下田:そうですね。どんどん状況悪くなって、けっこうへこんだというか(笑)。お金もないし、みたいな感じになってしまって。いままではあんまりそういうことを感じて作っていなかったので、それはけっこうキツかったですね(笑)。

レーベルとの契約があってやっているんだったらともかく、下田くんみたいにインディペンデントで12年ぶりに作品を出すのってそれなりに気持ちが必要だったんじゃないかと思うんですが。

下田:それは相当ありましたね(笑)。出したくてもできないという状況がずっと続いていたんですけど、4年前にエンジニアの渡辺省二郎さんが声をかけてくれて、ダブ・アルバムみたいな作品を出したんですよね。あれをきっかけにその流れでまたやろうと思ったんですけどなんかまたできなくて(笑)。それで沈みかけたんですけど、そのときに(NTTドコモの)CMの話があって、本当に久々に新曲というものを書いたんですよ。

それが5lackの曲?

下田:そうですね。それが思った以上によくできたというか、評判も良くて。それもあってちょっと自信を取り戻したというか、それでやれるかなというときにちょうど25周年というタイミングだったので、これはいまやるしかないと感じたんですよね。

デビュー25周年?

下田:そうですね。結成になるともうちょっと長くなるんですけど、最初のCDを出したのが1992年くらいだったかな。もう26年目ですけど(笑)。

『SUN』からアルバムを出さなくなったけど、下田くんのなかでは「いつかは出そう」という気持ちはあったんですか?

下田:もちろんありました。でもそういう気持ちと出したいけど自信がないというのがずっと交差していて、あとは後ろ盾もなくなって自分でやるにはどうやってやったらいいんだろうというか。お金の問題とか、そういうことを考えているとなかなかできなかったんですね。曲もちょこちょこ作ってはいたんですけど、なんとなく「止めた」という感じになってしまっていて、それを繰り返してかなり燻ぶっていたんです。そういうなかで震災があったり、どんどん良くない状況になっていって、本当にどんどん奥まっていったというか(笑)。

やっぱり作品を発表していないと、自分が次出しても聴く人がいるのかと思ってしまうと良く聞きますけどね。とくにコンスタントに出していた人はね。

下田:当たり前なんですけど本当にこの10年でぼくのこと知らないって人がすごく増えたので(笑)、若い世代の人とか今回オファーした人で聴いたことない人がいることがけっこうショックで、「あれ?」みたいなことがあって(笑)。それもジワジワ効いてきていて、これは本当にヤバいんじゃないかと(笑)。

忘れられるんじゃないかと(笑)?

下田:忘れられるし、過去の栄光みたいなものなので。本当に過去の人になっていたなと思いましたね。

いまではインターネットで昔のものをディグるようなこともあるじゃないですか。そういうことの影響はなかったですか?

下田:なくはなかったですけどね。「ファースト良かったよね」とかそういうことはしょっちゅう言われ続けていたんですけど、いまの作品がなかったから「いまはなにやってんですか?」みたいな質問が怖くて(笑)。「昔はこんないいの作っていたのに、いまはなにをやってるんですか?」みたいなことを訊かれたりして、「やりたいと思っているんですけどね」というような言い訳をするのがすごく辛かったですね(笑)。それを本当に長いことやってきていたから、どんどん消耗していったというか(笑)。

まさに自分との闘いみたいな(笑)。

下田:それはありますね(笑)。

制作環境は昔と変わっていないんですか?

下田:もう全然(違いますよ)。昔は事務所を防音したりしてスタジオみたいなところを作っていたりしたんですよね。でもいまは事務所もないし、家のちっちゃい机で最小限の機材でやっているだけなので。だけどやっていたらあんまり関係ないなと思いました(笑)。そんな機材とか防音とかしなくてもできるっちゃできるというか、今回やってみたらなんとかなりましたね。でも逆に狭められたのが良かったのかもしれないです。すごく良い環境であぐらかいて……、はやってなかったですけど(笑)。

はははは(笑)。

下田:機材もほとんど売りましたけど、全然関係ないと思いました。あったらあったで良いとは思うけど、ないなりのやり方があったというか。

そういう意味だとニュー・ルーツの人とか(笑)、UKグライムやベース系の若い世代の人たちとかの、PCとソフトウェアだけの最小限の環境に近いというかね。

下田:それが良かったりするんですよね。

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今回は作っていてミュート・ビートというものに影響を受けたことをあらためてすごく感じたというか。今回はその影響もモロに出しちゃっていますし、しかもこだまさんにも参加してもらっていますし、自分にとって本当に大きな存在だということを改めて感じましたね。


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サイレント・ポエツは元々ミュート・ビートに影響を受けたバンドだったんですよね。

下田:そうですね。初期はぼくがドラムを叩いていたし(笑)。ちゃんとメンバーとしてギターもベースもキーボードもいましたしね。

いまのリトル・テンポですよね。

下田:リトル・テンポのメンバーの数名はそうですかね。

今回のアルバムにはこだま(和文)さんが参加されていますよね。

下田:そうなんですよ。

サイレント・ポエツの歴史を考えると、今回のアルバムにおいて重要な客演の一人じゃないかという気がします。

下田:そうですね。今回は作っていてミュート・ビートというものに影響を受けたことをあらためてすごく感じたというか。今回はその影響もモロに出しちゃっていますし、しかもこだまさんにも参加してもらっていますし、自分にとって本当に大きな存在だということを改めて感じましたね。朝本(浩文)さんが亡くなったということもあって、あの後にまたミュートを聴いていたんですよね。それでやっぱりすごいなと思って。

ミュートのどこが好きですか?

下田:なんですかね。このシンプルで、重くて強くて……。

悲しみのこもったメロディーは似てると思います(笑)。

下田:哀愁とか(笑)。そこは本当に好きですね。だからバンドでやろうとしたときにあまりに似ちゃって、どうしようもなかったんですよね。似たものが出来ちゃって「これミュートじゃん」って。暗い曲が多かったから、レゲエにしちゃうと本当に全部ミュートになっちゃうみたいな感じで、これはもうできないなと思ったんですよ(笑)。そこからサンプラーを買って、他の音楽も好きだったのでそっちのほうに移行していって、バンドでやる音楽ではなくなったのでぼくが勝手に分裂させちゃったんですけど。

当時の印象だと、ミュート・ビートの次に影響が大きかったのはマッシヴ・アタックだったんじゃないかなと思います。

下田:そうですね。そのふたつは完全に二大巨頭としてありますね(笑)。

だから世代的にミュートの最後期を聴いていて、しばらくしてワイルド・バンチやマシッヴ・アタックが出てくるという感じですよね。

下田:そうですね。その流れでぼくもそっち系のものも聴いていましたね。

とにかく、今回の新譜の情報を最初にもらったときに、まず「お」と思ったのがこだまさんでした(笑)。ぼくがこう言うのもなんですけど、本当によく声かけてくれたなと思いましたよ(笑)。

下田:(サイレント・ポエツの)初期の頃に一度声をかけたことがあるんですよ。そしたら「俺がやったらミュート・ビートになってしまう。これはやらないほうがいいんじゃない?」って間接的に言われたんですよね。たしかにそうだなと思ってやめたんですけど、そのアルバムには松永(孝義)さんとかは参加していただいたんですよ。という経緯があって、それを(こだまさんと)飲んだときに話したら「そんなことあったっけ?」ってあんまり覚えていらっしゃらなくて(笑)。

(一同笑)

下田:でも今回は「お前よく俺を呼んだな」って喜んでらっしゃいました(笑)。最初にお願いしにいくときに吉祥寺に飲みに行ったんですよ。こだまさんの行きつけのお店に行って頼んだでみたら、「お前偉いなあ」って言われて(笑)。「自分でやるのか。よく俺を選んだな」って(笑)。

今回こそこだまさんの力を借りたいという?

下田:それもそうですね。あとはやっぱり25周年というアニヴァーサリー感もあって(笑)、本当に好きな人にやってもらいたいと思ったんですよね。

制作は5lackとの曲から始まっていると思いますが、それ以降はどのようにはじまったんですか?

下田:今回は最初からほとんど全部の曲にフィーチャリングを入れようと思っていたので、アルバム全体の感じというよりも1曲1曲を集中して作ったという感じですね。例えばこれは誰にやって欲しいということを念頭に置いて作りながらオファーして、ダメだった人もいたので、そこからちょっと修正しながら作っていきましたね。

じゃあ例えばホーリー・クックとやろうと思ったらその1曲を作って、その次の人と一曲作って、って感じなんだ。

下田:本当にそうですね。そうしているあいだに次の曲を作ったりしていて、制作期間は1年くらいでしたけど、実際に曲を作っていたのは半年くらいでしたね。意外とやりだしたらするっとできたというか(笑)。溜まっていたんですかね。あとは最初からフィーチャリングを念頭においてやったというのがけっこうイメージしやすくて良かったのかもしれないですね。

サウンド的にはどんなコンセプトがあったんですか?

下田:いままで聴いてくれていた方を裏切りたくないというのもあったんですけど、5lack以降はちょっと広がって新しく聴きはじめてくれた方もいたというのも意識して、古くも新しくもないサイレント・ポエツというのをイメージしたかなあ。

ではとくにひとつテーマを設けたということでもなく?

下田:そうですね。全体のテーマというよりは1曲1曲で作っていったので。あとはとにかく復活とか、そういうキーワードはいっぱいありましたけどね(笑)。

とにかくかたちにしていくという?

下田:25周年ということで、26年目になっちゃうとダメだという締め切りもあったので(笑)。

自分でやってみてどうですか? 作るだけじゃないところというか、それこそ制作費とかお金に関するところまで全部自分でやってみて。

下田:そういうことをなんとなくごまかされながらケツを叩かれてやっていたような感じだから、それがわかってやったほうがスッキリできるのかなと思いましたね。めんどくさいこともありますけど、でもいろいろとサポートしてもらったのでわりと(制作に)集中できたと思います。だからやっぱり自分でやるほうがいいのかなと。手伝ってもらわないとできないんですけどね(笑)。

この櫻木大悟(D.A.N.)も下田くんは好きだったんですか?

下田:好きでしたね。いまの新しい世代で本当にかっこいいと思えるのはD.A.N.くらいじゃないかなと思って(笑)。

ちゃんと若い世代の音楽を聴いているんですね。

下田:聴きましたね。ただ最初はやっぱり日本語のヴォーカルにちょっと違和感はありましたね。すごく良かったんだけど、いままでの自分にはなかったものだったからちょっと戸惑ったというか。でもだんだん馴染んできいって最終的には良かったと思っていますね。本当に初の試みだったので。

年齢的には一番離れていますよね。

下田:そうですね。まだ24才くらいですもんね。

彼はサイレント・ポエツは知っていました?

下田:いや、知らなかったですね。それもけっこうショックでした(笑)。

(一同笑)

あんな物知りっぽい感じなのにね(笑)。

下田:音とかスタイルとかシンパシーを感じるところがあったので、名前くらいは知っているかなと思ったんですけど知らなかったんですよね。事務所の社長さんがすごく知っていてくれて。だからたぶん説得してくれたのかなと(笑)。でもちゃんと音を聴いての判断だとは思うので、やってくれて良かったですよ。

ニップスさんはやっぱりって感じですよね(笑)。

下田:そうですね(笑)。

ニップスさんはある意味サイレント・ポエツとは対極ですよね。

下田:本当にそうですよね。でもやりたがってくれるんですよね。それが本当に嬉しくて。このアルバムでもあの曲はかなり効いていますもんね(笑)。いい意味で変わっていなかったですね。

そうですよね。意外と90年代にサイレント・ポエツを聴いていた人たちもこういうアルバムが聴きたかったんじゃないのかなと思ったんですよ。

下田:ああ、たしかにね。

90年代のポエツはもっとスマートな存在で、海外志向が強かったじゃないですか。リミキサーやフィーチャリングのシンガーもだいたい海外勢だったし、あんまり日本のことは考えていなかったでしょう?

下田:そうなんですよ。自分が洋楽で育ったこともあるんですけど CDやレコードを出したときに海外のレコード屋さんの「S」の棚に入っているものを作るというのが当たり前に思ってやっていたので、邦楽とか日本でどうのということは全然考えていなかったというか(笑)。でもいまはもうあっちでも(日本の音楽は)なんでも聴けちゃうじゃないですか。だからそこまで思わなくなりましたけどね。今回はいままで周りで応援してくれていた人とか、「まだ出さないの?」ってずっと言ってくれていた人に向けてというところはけっこうあります。その人たちに「やっとできました」と言えるものを作りたいなという気持ちもけっこうあって、だから人選の幅も広がったのかもしれないですね。

ご自身でもそこは抜けた感じはありますか?

下田:やっと抜け出せた感じはありますね(笑)。

(一同笑)

下田:やっとちょっと顔を出せたかなと。本当に潜っていましたからね。これからは潜らないようにちょっと顔を出していきたいと思います(笑)。でもなんとなく今回やってみて次のこととかを考えるようになったので、次はこんなことをしようとか、今回やり残したことがあるなとか、いろいろ思っているので次はやれそうな感じがします(笑)。前は出したらしばらくはいいやって感じだったんですけど、あまりにも(出さない期間が)長かったので。ちょっと頑張ります(笑)。

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いまの新しい世代で本当にかっこいいと思えるのはD.A.N.くらいじゃないかなと思って。しかし彼はサイレント・ポエツを知らなかった。それもけっこうショックでしたね(笑)。

ちょっと話は戻りますが、この12年間はずっと仕事をして……

下田:そうですね、仕事はしていましたけど(笑)。普通に仕事をしてダラダラとしていましたね。

お子さんは?

下田:子どもはいるんですけど、離婚もしまして(笑)。そういうのもあったんですよね。

それは大変でしたね。

下田:子どもももう高校生ですね。今度2年生になります。

大きいじゃないですか! 会いますか?

下田:1ヵ月に1回くらいは会ってます。バンドやってベースも弾いてるみたいです。

『dawn』も聴いているんですか?

下田:聴いてますよ。今回タワーレコードさんの“NO MUSIC, NO LIFE.”のポスターも展開していただいているんですけど、それを子どもが「見に行ったよ」ってメールをくれて。

へえー!

下田:「この人なにやってんだろう」と思っていただろうから良かったです(笑)。

(一同笑)

いやあ、みんな苦労してるなぁ。ぼくも他人事じゃない(笑)。

(一同笑)

下田:そうですよねえ。

いまいくつなんですか?

下田:いまは51才になったんですよ。

自慢じゃないけど俺なんて54だから……50代キツイっす。

(一同笑)

てっきり下田くんは順風な人生を歩んでいいるのかと……。

下田:みなさんそういうふうに言ってくださるんですけど、もう全然脱線していっていますからね。いまだにそういうイメージを持たれているんですね(笑)。

やっぱりヴィジュアルがビシッとしているから(笑)。

下田:デザインだけは絶対カッコよくなきゃいけないと思うんで。


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今回のアルバム・ジャケットの写真は砂漠ですか?

下田:これはアメリカにホワイト・サンズという白い砂の大きな砂漠があって、そこで昔から写真を撮ってくれていた内田くんが10年くらい前に撮りに行った写真を使わせていただいたんですよね。

この砂漠の写真というのは自分のイメージと合ったんですか?

下田:合ってますね。写真を使わせてほしいと相談しに行ったら、「これがいいんじゃない?」って出してきたのがこれだったんですね。でも本当にバッチリだなと思って。

それは誰もいないイメージみたいなことですか?

下田:そうですね。この写真って見ようによっては夜が明けて人が1人で歩いて帰ってきた、みたいな感じにも見えるじゃないですか(笑)。

なるほど(笑)。砂漠を歩いてきたというイメージですね。今日はありがとうございました。久しぶりに話せた楽しかったです。

(了)

interview with GoGo Penguin - ele-king

 ロバート・グラスパーやカマシ・ワシントンなど、新しい世代によるジャズはもっぱらアメリカを起点にして語られることが多かった。しかし、それに加えて近年はイギリスの若手によるジャズが熱い。今もっとも注目を集める南ロンドン勢もそのひとつであるが、こうしたUKジャズの評価の流れを生むきっかけとなったのが、フライング・ロータスなどとも共演するドラマーのリチャード・スペイヴン、マンチェスターのマシュー・ハルソールなど〈ゴンドワナ・レコーズ〉勢、その〈ゴンドワナ〉出身のゴーゴー・ペンギンの活躍である。クリス・アイリングワース(ピアノ)、ニック・ブラッカ(ダブル・ベース)、ロブ・ターナー(ドラムス)というピアノ・トリオ形式の彼らは、これまでのジャズ・ピアノ・トリオの概念を変える存在で、テクノ、ドラムンベース、エレクトロニカといったエレクトロニック・ミュージックの要素や概念を演奏や作曲に取り入れている。そうしたエレクトロニック・ミュージックとのスタンスはアメリカ勢のそれとも異なるものがあり、またクリスのピアノに見られるクラシックからの影響、ロックからの影響を含め、UK独自のセンスを感じさせる。一般にはジャズ・バンドという括りで語られているが、実際はエレクトロニック・サウンドをアコースティックな生演奏で表現しているといった方が正しい。少し角度を変えて彼らの音楽を見てみると、たとえばカール・クレイグのインナーゾーン・オーケストラのような音楽と同質のものとも言えるだろう。


GoGo Penguin
A Humdrum Star

Blue Note / ユニバーサル ミュージック

Jazz

Amazon Tower HMV iTunes

 彼らは2009年にマンチェスターで結成され(初代ベーシストはグラント・ラッセルだったが、2013年にニックへ交代)、2012年に〈ゴンドワナ〉からレコード・デビュー後、2013年のセカンド・アルバム『v2.0』が「マーキュリー・プライズ」にノミネートされて一躍注目のバンドとなった。ライヴでも着々と評価を集める彼らは2015年に〈ブルーノート〉移籍し、2016年春にサード・アルバム『マン・メイド・オブジェクト』を発表。直後に初来日公演を行い、その後「ブルーノート・ジャズ・フェスティバル・イン・ジャパン」や「東京ジャズ」などでもステージを踏んでいる。アメリカでは「コーチェラ」や「SXSW」など大型の音楽フェスにも出演し、いわゆるジャズ・ファンでない観客も魅了する彼らだが、このたび通算4作目となるニュー・アルバム『ア・ハムドラム・スター』を引っ提げ、4回目の来日公演を果たした。宇宙科学者のカール・セーガンが1980年のアメリカのTVシリーズ『コスモス』で語った言葉が由来となる『ア・ハムドラム・スター』は、今までよりさらにエレクトロニック・ミュージックとの接点が増えているように感じられる一方、アンビエントな質感も増している印象で、音響を含めた一種のアート作品として完成している。ちなみに、1970年代後半から1980年代にかけてブームを呼んだペンギン・カフェ・オーケストラもアンビエント・ミュージックと呼ばれていたが、ゴーゴー・ペンギンというグループ名は彼らにちなんだものではない。グループ名を決めなければならない期限が迫っていたある日、たまたまリハーサル・スタジオでオペラ用小道具のペンギンの人形を見掛け、それでピンと閃いて決めたそうだ。


アンビエントの定義ということでは、その最高で究極の形はミニマルであることだと思う。最小のマテリアルや素材、アイデアで、何時間も同じことを繰り返していくのがアンビエントであると。余計な音や素材は不必要なだけなんだ。 (クリス)

『ア・ハムドラム・スター』は世界をツアーする合間に作ったものですが、いくつかの曲は異国の地で得たインスピレーションが元となっています。“トランジェント・ステート”は渋谷から代々木公園、原宿を散策していたとき、明治神宮でのイメージが元になっているそうですね。感銘を受けたクリスは神道における祖霊に関する本をいろいろと読み、それらからも曲想を得ているということですが、そうしたスピリチュアルな要素や内省的な事象がゴーゴー・ペンギンの作品に反映されることは多いのでしょうか?

クリス・アイリングワース(以下、クリス):うん、そういったことはすごく多いよ。もちろん、最終的な自分の意見を決めたり、結論や自分は何者であるかとか、そういった答えを出すのは自分自身でしかないのだけれど、それに至るまでにいろいろな人のアイデアや考え方、ものの見方を知るということは、とても面白いことだと思うんだ。だから、本とかを読んでいろいろな人の考え方を知ることが僕は多いけれど、神道についてはそれまで全く知識がなくて、いろいろと本を読んで勉強したんだ。ちょうどその日の明治神宮では結婚式が行われていて、ほかにも代々木公園の雑踏の中でいろいろな体験があったりと、心が動かされることが多くてね。そうした今までにない経験やインスピレーションから“トランジェント・ステート”を作ったんだよ。

今回の来日ではどこかへ行く予定とか、行きたい場所はありますか?

ニック・ブラッカ(以下、ニック):今回はスケジュールがあまりなくて、忙しいから難しいかもね、残念だけど(笑)。昨晩は僕とクリスで日本食のレストランに行ったけど、それくらいかな……前回の来日で明治神宮に行ったときは5日間くらい滞在できたけれど、そういったことは普段あまりないからね。

海外のアーティストにはアニメ好きな人も多くて、秋葉原へ行くことも結構ありますよ。

クリス:秋葉原は前回行ってるよ。僕の妻が日本のアニメの大ファンで、特にスタジオ・ジブリ作品が好きなんだけれど、彼女の薦めで僕も『となりのトトロ』とかいくつか観てるんだ。僕らのエンジニアのジョー(・ライザー)もアニメ・ファンだしね。

“ア・ハンドレッド・ムーンズ”はカリブの賛美歌を聴いているときに生まれたという、オーガニックでパーカッシヴなビートを持つ今までのゴーゴー・ペンギンにはなかったようなタイプの作品です。“ストリッド”はニックの故郷のヨークシャーを流れるワーフ川の様子から名付けられました。アルバム・タイトルの『ア・ハムドラム・スターズ』は宇宙科学者のカール・セーガンの言葉が由来となっています。“トランジェント・ステート”もそうですし、今回のアルバムには自然や宇宙、または宗教的な儀式などに結びつくような作品が多いように感じますが、いかがですか?

ロブ・ターナー(以下、ロブ):最終的に自然とか宇宙、儀式などの要素がアルバムに多くなったけれど、それらのものがアルバム制作の出発点になったわけではないんだ。アルバムを作る時点ではもっといろいろな要素や物事があって、異なる側面から曲も書いていったけれど、制作の中で曲も旅をするみたいにどんどんと進化したり、曲自身が探求するように変化していったりと、結果としてこうしたアルバムになったんだ。

クリス:僕らの曲は小さなアイデアから始まって、それがだんだんと膨らんでいく中で、別のものに変化することはよくあるんだ。誰かのアドバイスがきっかけで変わるとか。人によってものの見方は違うだろ。だから、曲によって僕とたとえば君とでは違う捉え方をすることもある。でも、それは僕らにとって面白いことなんだ。だって、人から言われないと、この曲にはそういった見方もあるだなんてわからないし、気付かされることもないからね。

ちなみに、前のアルバム『マン・メイド・オブジェクト』の中に“プロテスト”という曲がありましたが、あれは何かへの抵抗を示したり、政治的なメッセージなどと結び付いたりしているのですか?

ロブ:特に何かについての抵抗という意味ではなくて、「ノー」という感覚を言葉にするようにあの曲は作ったね。

クリス:偶然だけれど、あの曲を作っていた頃、僕らがツアーで行く先々でいろいろとテロが起こっていて、そのテロ事件の少し後にライヴや公演がたまたま組まれていることが重なっていたんだ。僕らはそうした事件や社会的な出来事にも目を向けていたい人間だから、もちろんテロという現実にも目をそむけることはできない。暴力的なことと結びつくような人間ではないけれど、でもやっぱりテロのあった地を訪れるといろいろと感情が湧いてきて、そういったものが“プロテスト”に結びついているのかもね。僕らはツアーが終わればテロのあった場所から去ってしまうけれど、これからもそこでずっと生活していく人たちもいるわけで。でも、これは僕個人の意見だけれど、“プロテスト”を演奏するときは、怒りとか憎しみとかそういった感情が僕の中にあるのではなく、ポジティヴなものが溢れ出る気がするんだ。それは演奏を聴くお客さんたちからも感じられるもので、悲しいことがあったけれど、ひとつになって生きている喜びを分かち合おう、称えようという、そんな気持ちを感じるんだ。

オーガニックな要素という点では、“プレイヤー”でのノイズ的なサウンドは、ベース弦に鎖やメジャーを当てて発生させたものです。プリペアド・ピアノの概念をベースに当てはめたようなものですが、こうした発想はどのように生まれてきたのですか?

ニック:あれは鎖をピアノ線に当てていて、ベース弦に金属メジャーを当てているんだ。一緒にレコーディングをしてくれるエンジニアのブレンダン(・ウィリアムス)のアイデアなんだ。

ピアノの場合は結構そうやって音を出すピアニストもいますが、ベーシストでそうやって音を作る人はあまり見かけないかなと。

ニック:ブレンダンとジョーは本当にアイデアマンなんだ。前のアルバムのときはフード・プロセッサーを持ち出してきて、僕らも一体何が始まるのかわからなかったね(笑)……実際は録音には使われなかったけど。

クリス:あと壊れたメトロノームを使って音を出してみたりとか。

何だかマシュー・ハーバートみたいですね(笑)。

ロブ:ほんと、そうだね。ハーバートは僕らのリミックスもしてくれているんだよ。

『マン・メイド・オブジェクト』ではピアノやベースを元にするほか、ロブがロジックやエイブルトン、あるいはiPhoneアプリを用いて作曲することもあったのですが、今回もそうした手法を発展させたり、あるいはまた何か新しいアイデアを盛り込んでいますか?

クリス:ステップ・シーケンサーというアプリはローランドTR-808みたいなドラムマシンの音を出すことができるから、それを使って“トランジェント・ステート”を作っているね。でも、アプリのサウンドはあくまでスケッチというか、アイデアを伝える道具的なものなので、実際にはそこからロブがロジックを使って、より細かくて複雑なリズムを組んでいくんだよ。

『マン・メイド・オブジェクト』のときもエレクトロニックに作りたいという意識はあって、今回はそれをさらに推し進めたいと考えたね。〔……〕でも、あくまで演奏の軸となるのはアコースティック楽器だよ。 (クリス)

“ア・ハンドレッド・ムーンズ”には初期のブライアン・イーノのようなアンビエントの雰囲気も取り入れられ、“プレイヤー”もアンビエントなピアノ・ソロから始まります。“ディス・アワー”はフランチェスコ・トリスターノとカール・クレイグが共演したようなアンビエント・テクノ的な楽曲と言えます。もともとゴーゴー・ペンギンの作品にはアンビエントと結びついた作品は多かったのですが、今作では改めてアンビエントをとらえ直しているように感じました。あなたたちはアンビエント・ミュージックをどのように考えていますか?

クリス:イーノは僕が大きな影響を受けたひとりだよ。彼の『ミュージック・フォー・エアポート』のフィルム上映が故郷のヨークシャーで行われたときに観にいって、それからハマって『ミュージック・フォー・フィルムズ』などいろいろと聴いていった。彼から学んだアンビエントの定義ということでは、その最高で究極の形はミニマルであることだと思う。最小のマテリアルや素材、アイデアで、何時間も同じことを繰り返していくのがアンビエントであると。余計な音や素材は不必要なだけなんだ。

あなたたちのトリオという形態もミニマルなものと言えますし、『ア・ハムドラム・スター』のアルバム・ジャケットも不必要なものをそぎ落としたシンプルなデザインですしね。

ニック:ああ、ジャケットは僕の友達のお兄さんがデザインをしてくれているんだ。ヨークシャーの頃からの知り合いで、前作でもジャケット・デザインをしてくれているよ。

一方、“レイヴン”や“トランジェント・ステート”はゴーゴー・ペンギンの躍動的でアグレッシヴさが凝縮された作品で、ロックからクラブ・ミュージックの影響が感じられる力強いビートがあります。“バルドー”はさらにダンス・サウンド的で、この曲のイントロの入り方、ブレイクの間合い、ビートが抜けてピアノだけになるところとかは、明らかにクラブ・ミュージックやエレクトロニック・ミュージック以降の感性かなと思います。“ストリッド”は一種のブロークンビーツと言えますし、トリッキーなDJプレイを思わせるリズム・チェンジの場面があります。マシン・ビートに近似した“リアクター”など、そうしたリズム面では今までのアルバムよりさらにエレクトロニックな視点で作られているのではと思いますが、いかがでしょう?

クリス:『マン・メイド・オブジェクト』のときもエレクトロニックに作りたいという意識はあって、今回はそれをさらに推し進めたいと考えたね。ベースをペダルによって変調させるという手法はわりと前からあって、僕たちも『マン・メイド・オブジェクト』のときにやったけど、今回は初めてピアノにエフェクターを用いたりしている。でも、あくまで演奏の軸となるのはアコースティック楽器だよ。僕らのスタイルであるアコースティック楽器で演奏するエレクトロニック・ミュージックというのに変わりはないね。ロブはロックが好きで、僕とニックはエレクトロニック・ミュージックが好きと個人的な嗜好はあるけれど、そうしたものを自分たちの音楽に反映させる技術がより進歩してきたということもあるかな。もちろん、そのために演奏の練習を積んだり、日頃からスキルを磨いたりしているわけで、それが今回のアルバムで形になったんじゃないかな。

“ソー・イット・ビギンズ”や“ウィンドウ”はティグラン・ハマシアンのようなリリカルで美しい世界を、トリップ・ホップやダウンテンポ、あるいはダブステップ的に解釈した作品と言えそうです。イギリスではリチャード・スペイヴンがダブステップやドラムンベースも咀嚼したジャズ・ドラマーで、サブモーション・オーケストラのようなダブステップを生演奏するバンドもいます。あなたたちはそうしたダブステップやドラムンベースの影響はどのように受けていますか?

ニック:彼らは僕らと同世代で、サブモーション・オーケストラとは10年ぐらい前から知り合いだし、リチャードとはライヴで共演したりすることもある。でも、僕らは彼らのやり方に影響を受けているというより、また違った角度でダブステップとかドラムンベースにアプローチしているといった方がいいかな。個人的にはダブステップそのものに大きな影響を受けているわけではなくて……中にはいいものもあるし、そうでないものもあるし。でも改めてそうした視点で見ると、確かに“バルドー”のベース・ラインはダブステップ的なものかもしれないね。

クリス:“ウィンドウ”の後半のビートとピアノのコンビネーションは、まるで何か新しい楽器を作り出しているみたいな感覚があって、どこか時計仕掛けのエレクトロニックな感じが出ているかもしれないね。

先ほどから名前が出ていますが、あなたたちには専属エンジニアのジョー・ライザーとブレンダン・ウィリアムスが第4のメンバーとしてついていて、作品やステージからは音響やポスト・プロダクションなどへの強いこだわりが感じられます。同じマンチェスター出身で今はロンドンを拠点としていますが、フローティング・ポインツも音響を作品の重要な要素と位置づけるアーティストで、ミキシング・エンジニアの仕事もしています。音楽家としてのスタイルは異なりますが、そうした点であなたたちには彼と同じ匂いを感じさせるところもあるのですが、いかがでしょう?

ロブ:うん、フローティング・ポインツのサウンドはすごくいいね。でも、彼はプログラミング中心のアーティストで、僕らとは音楽へのアプローチ方法が違う。彼の作品を聴いてると、クラシック的な緻密な音作りをしているんじゃないかなと思うね。スタジオでマイクをどう立てたりとか、この楽器にはこのマイクを使ったりとか。

クリス:僕らの場合は3人で、それぞれの楽器を、どうやってその楽器らしく響かせるか、聴かせるかということに主眼を置いている。しかも、その楽器の音をどうブレンドさせるかが難しいところで、そうじゃないと深みのあるものが生まれなくて、フラットなサウンドになってしまう。聴く人が音に包まれるような感じにはならない。あと、僕らのライヴはわりと生命力が溢れるような感じになるけれど、それをレコーディングでCDに取り込む場合、躍動感をいかにパッケージへ落とし込むかが結構難しいんだ。そうしたときにポスト・プロダクションの手助けを借りることが多いかもね。


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