「KING」と一致するもの

Chihei Hatakeyama & Shun Ishiwaka - ele-king

 これは興味深い組み合わせだ。アンビエント/ドローン・アーティストの畠山地平と、近年多方面で活躍をみせるジャズ・ドラマー、石若駿によるコラボ・アルバム『Magnificent Little Dudes』がリリースされる。2部作だそうで、まずはその「vol.1」が5月24日にリリース。事前準備なしでおこなわれた即興演奏が収録されるという。日本先行発売。いったいどんな化学反応が起こっているのか、注目です。

Chihei Hatakeyama & Shun Ishiwaka
Magnificent Little Dudues Vol.1
2024年5月22日(水)日本先行発売!

日本を代表するアンビエント/ドローン·ミュージック・シーンを牽引する存在となったChihei Hatakeyamaこと畠山地平が、この度ジャズ・ドラマーの石若駿とのコラボレーションを発表した。

ラジオ番組の収録で出会って以来、ライヴ活動などでステージを共にすることはあった2人だが、作品を発表するのは今回が初めて。『Magnificent Little Dudes』と名付けられた今作は、2部作となっており、2024年5月にヴォリューム1が、同夏にヴォリューム2がリリース予定となっている。

「その場、その日、季節、天気などからインスピレーションを得て演奏すること」をコンセプトに、あえて事前に準備することはせず、あくまでも即興演奏を収録。ファースト・シングル「M4」には日本人ヴォーカリストHatis Noitをゲストに迎えた。ギター・ドローンの演奏をしているとその音色が女性ヴォーカルのように聞こえる瞬間があることから、いつか女性ヴォーカルとのコラボレーションをしたいと思っていた畠山。「今回の石若駿との録音でその時が来たように感じたので、即興レコーディングの演奏中、いつもは使っている音域やスペースを空けてギターを演奏しました。ちょうどこのレコーディングの3週間くらい前に彼女のライヴ観ていたので、Hatis Noitさんの声をイメージしてギターを演奏しました」と話す。

世界を股にかけて活動する日本人アーティスト3組のコラボレーションが実現した『Magnificent Little Dudes Vol.1』は、日本国内外で話題となること間違い無いだろう。

アルバムはCD、2LP(140g)、デジタルの3フォーマットでリリースされる。

本日、収録曲の「M4」がファースト・シングルとして配信スタートした。

Chihei Hatakeyama & Shun Ishiwaka - M4 (feat. Hatis Noit)

[トラックリスト]
(CD)
1. M0
2. M1.1
3. M1.2
4. M4 (feat. Hatis Noit)
5. M7

(LP)
Side-A
1. M0
Side-B
1. M1.1
Side-C
1. M1.2
Side-D
1. M4 (feat. Hatis Noit)
2. M7

アーティスト名:Chihei Hatakeyama & Shun Ishiwaka(畠山地平&石若駿)
タイトル名:Magnificent Little Dudes Vol.1(マグニィフィセント・リトル・デューズ・ヴォリューム 1)
発売日:2024年5月24日(水)
レーベル:Gearbox Records
品番:CD: GB1594CD / 2LP: GB1594

※日本特別仕様盤特典:日本先行発売、帯付き予定

アルバム『Magnificent Little Dudes Vol.1』予約受付中!
https://bfan.link/magnificent-little-dudes-volume-01

シングル「M4」配信中:
https://bfan.link/m4

バイオグラフィー

[Chihei Hatakeyama / 畠山地平]
2006年に前衛音楽専門レーベルとして定評のあるアメリカの〈Kranky〉より、ファースト・アルバムをリリース。以後、オーストラリア〈Room40〉、ルクセンブルク〈Own Records〉、イギリス〈Under The Spire〉、〈hibernate〉、日本〈Home Normal〉など、国内外のレーベルから現在にいたるまで多数の作品を発表している。デジタルとアナログの機材を駆使したサウンドが構築する、美しいアンビエント・ドローン作品を特徴としており、主に海外での人気が高く、Spotifyの2017年「海外で最も再生された国内アーティスト」ではトップ10にランクインした。2021年4月、イギリス〈Gearbox Records〉からの第一弾リリースとなるアルバム『Late Spring』を発表。その後、2023年5月にはドキュメンタリー映画 『ライフ・イズ・クライミング!』の劇中音楽集もリリース。映画音楽では他にも、松村浩行監督作品『TOCHKA』の環境音を使用したCD作品『The Secret distance of TOCHKA』を発表。第86回アカデミー賞<長編ドキュメンタリー部門>にノミネートされた篠原有司男を描いたザカリー・ハインザーリング監督作品『キューティー&ボクサー』(2013年)でも楽曲が使用された。また、NHKアニメワールド:プチプチ・アニメ『エんエんニコリ』の音楽を担当している。2010年以来、世界中でツアーを精力的に行なっており、2022年には全米15箇所に及ぶUS ツアーを、2023年は2回に渡りヨーロッパ・ツアーを敢行した。2024年5月、ジャズ・ドラマーの石若駿とのコラボレーション作品『Magnificent Little Dudes Vol.1』をリリース。

[Shun Ishiwaka / 石若駿]
1992年北海道生まれ。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校打楽器専攻を経て、同大学を卒業。卒業時にアカンサス音楽賞、同声会賞を受賞。2006年、日野皓正special quintetのメンバーとして札幌にてライヴを行なう。2012年、アニメ『坂道のアポロン』 の川渕千太郎役ドラム演奏、モーションを担当。2015年には初のリーダー作となるアルバム「Cleanup」を発表した。また同世代の仲間である小西遼、小田朋美らとCRCK/LCKSも結成。さらに2016年からは「うた」をテーマにしたプロジェクト「Songbook」も始動させている。近年はゲスト・ミュージシャンとしても評価が高く、くるりやKID FRESINOなど幅広いジャンルの作品やライヴに参加している。2019年には新たなプロジェクトAnswer To Rememberをスタートさせた。2023年公開の劇場アニメ『BLUE GIANT』では、登場人物の玉田俊二が作中で担当するドラムパートの実演奏を手がけた。2024年5月、日本を代表するアンビエント/ドローン·ミュージシャン、畠山地平とのコラボレーション作品『Magnificent Little Dudes Vol.1』をリリース。

 春が来た。なにかが一新されたようなこの感覚が錯覚であることはわかりきっていても、やはり嬉しいものは嬉しい。幸い花粉症に悩まされるのは(個人的には)まだまだ先のことみたいだから、外をフラフラしながら街の香気や陽の光をのびのびと楽しんでいる。
 音楽と結びついている自分の記憶のなかの春っぽさは、快晴の軽やかさではなくむしろ曇天のようにまとわりつく気だるさだ。どこかに逃げたいな……という気持ちでかつて縋った音楽は、春には似つかわしくない陰気なものがどちらかといえば多かったような気がする。

 日が落ちると肌寒くなったり、自身を取り巻く環境が一変したり、理想と現実のギャップに気が滅入ったり。調子が狂いやすくなるこの季節、普段なら心地よく感じられるはずの陽気をついうっとうしく感じてしまうこともあるでしょう。そんな感情の移ろいをケアするための、日本のユースによる「ポスト・クラウド・ラップ」とでも形容すべきダルくて美しいトラックをいくつか取り上げてみようと思います。


tmjclub - #tmjclub vol.1

 2021年前後にtrash angelsというコレクティヴがSoundCloud上で瞬間的に誕生し、メンバーであるokudakun、lazydoll、AssToro、Amuxax、vo僕(vq)、siyuneetの6人それぞれがデジコア──ハイパーポップをトラップ的に先鋭化させた、デジタル・ネイティヴ世代のヒップホップ──を日本に持ち込み、ラップもビートメイクもトータル的に担いつつ、独自のものとしてローカライズさせていった。
 2021年というとつい先日のことのように感じられるが、彼らユースにとっては3年弱前のことなんかはるか遠い昔の話だろう。trash angelsは2022年ごろには実質的に解散した。そして2024年の年明けごろ、SNS上に @tmjclubarchive というアカウントが突如現れた。そこにはVlog風のショート動画やなんてことのないセルフィーが、いずれも劣化したデジタル・データのような質感でシェアされていた。
 そう、このtmjclubこそ当時のtrash angelsに近いメンバーが別の形で再集結した新たなミーム的コレクティヴなのだ。突然公開されたミックステープ『#tmjclub vol.1』には上述したlazydoll、okudakun、AssToroに加え、日本のヨン・リーンとでもいうべき才能aeoxve、ウェブ・アンダーグラウンドの深奥に潜むHannibal Anger(=dp)やNumber Collecterといった、同じSoundCloudという土地に根ざしつつもけっして前述のデジコア的表現に当てはまらない、よりダークでダウナーなラップを披露していた面々が合流。日本におけるクラウド・ラップの発展と進化、そして今後の深化を感じさせる記念碑的な必聴盤として大推薦したい。ここには未来がある。


vq - 肌

 SoundCloudで育まれるユースの才能には大人が手を伸ばした瞬間に消えゆく不安定さがあり、その反発こそがすべてをアーカイヴできるはずのインターネット上にある種の謎を残している、と僕は考えている。情報過多の時代のカウンターとして、だれもがミスフィケーションという演出を選択している、とも言い換えられる。
 とくに、前述したtrash angelsでもいくつかのトラックに参加していたvq(fka vo僕)はその色が強く、過去発表してきた数枚のEPはいずれも配信プラットフォームから抹消されており、現在視聴可能なのはこの2曲入の最新シングル『肌』のみである。
 がしかし、彼がミスフィケーションしようとしているのはあくまでも自身のパーソナリティのみで、音楽それ自体に対する作為的な演出はまるでない。むしろあまりにイノセントで、あまりに剥き出しの純真さをもって音楽に向き合っていて、そこにはヒップホップという文化を下支えするキャラクター性、つまりはスターであるための虚飾的な要素を解体し、ただただ透明であり続けたいという切実な思いが込められているように思える。
 あえて形容するなら “グリッチ・アコースティック” とでもいうべき不定形なビートに乗せられる、まっすぐな言葉による心情の吐露。削除された過去作をここで紹介できないことが悔しい。原液のような濃度を持ったこの表現者のことを、より多くの人に、痛みを抱えたあらゆる人に見聞きしてほしい。


qquq - lost

 以上のように取り上げた、trash angelsに端を発する日本のデジコア・シーンは猛烈なスピードで動きつづけていて、はやくも彼/彼女たちに影響を受けた次世代が誕生しはじめている。そのひとりが、qquqという日本のどこかに潜む若きラッパーだ。
 おそらくはゼロ年代以降の生まれだろうと(電子の海での)立ち振る舞いから推察できるものの、自身のパーソナリティはほとんど公にせずSoundCloudへダーク・ウェブ以降の質感を纏ったトラックを粛々と投稿する、という「いま」がありありと現れているスタイルも込みでフレッシュな才能だ。クラウド・ラップやヴェイパーウェイヴが下地にありつつもデジコアの荒々しさがブレンドされる初期衝動的なラフさもあれど、決してアイデアにあぐらをかかず、自分だけの表現を勝ち取ろうともがいているようにも見える。彼の孵化がいまは楽しみだ。


松永拓馬 - Epoch

 神奈川県・相模原を拠点とするベッドルーム・ラッパー、松永拓馬の最新作。2021年にはEP「SAGAMI」をリリースし、2022年には1stアルバム『ちがうなにか』を発表するとともにいまを羽ばたくトランス・カルト〈みんなのきもち〉とリリース・レイヴを敢行するなどアクティヴに活動をしていた彼が、1年半に及ぶ沈黙のなか、Miru Shinoda(yahyel)によるプロデュースのもと生み出した力作だ。
 アナログ・シンセサイザーによってゼロから作成されたトラックには、昨今の潤沢かつ利便性に富むDAW環境では探し当てることのできないクリティカルな音の粒が立っており、そのすべてがユースのプロパーな表現手法とは一線を画している。リリックには男性性を脱構築したかのような新しいスワッグさも漂う特異なバランス感覚があり、エレクトロニカ~IDM的な領域へと移行しつつありながらも、やはりバックボーンにはクラウド・ラップ以降の繊細なヒップホップ・センスが横たわっている。ドレイン・ギャングの面々やヨン・リーンなどを輩出したストックホルムの〈YEAR0001〉が提示する美学に対する、日本からの解答がようやく出るのかもしれない。まだ始まったばかり、これからの話だけれど。



rowbai - naïve

 バイオグラフィをチェックしようとした我々を突き刺す、プロフィール写真の鋭い眼光。「過剰さ」が共通項である2020sの新たな表現とは異なる、プレーンでエッジの効いた、ソリッドなミニマリズムを感じさせるSSW・rowbaiの2年2ヶ月ぶりとなるこの作品を、あえてクラウド・ラップというテーマになぞらえて取り上げたい。
 前作『Dukkha』では「弱さの克服」をモチーフとしていた彼女が今回願ったのは「弱さの受容」とのこと。朴訥としたフロウから送り出されるリリックには、足りない、聞こえない、見えない、止まれない……そうしたアンコントローラブルな不能感が随所に織り込まれつつも、歌いたい、誰も邪魔できない、光が見たい、ここにいたっていい……そうした自身を鼓舞しながら聴き手をエンパワメントする意志が交わり、暗くも明るい、痛みに寄り添ったケアとしての表現、慈愛が感じられる。トラックはエレクトロニックとアコースティックを折衷した有機的なデジタル・サウンドでヴァラエティに富んでおり、まっすぐなポップ・センスで真正面から表現と向き合っている切実な印象を作品全体に与えている。それでありながら、歌唱に振り切ることはなくあくまでもフロウとしての歌がある。現代のポップスがラップ・ミュージックといかに強く結びついているかを改めて考えさせられてしまった。

interview with Mount Kimbie - ele-king

 またひと組、ロンドンで新たなインディ・ロック・バンドが誕生した――そう言ってしまいたくなるほど、マウント・キンビーは大きな変化を遂げている。
 2009年から10年にかけ、ジェイムズ・ブレイクとともにポスト・ダブステップを担う重要アクトとして登場してきたマウント・キンビー。ファースト『Crooks & Lovers』(2010)は時代の転換期にあたる当時のモードのひとつを記録する名盤だが、その延長線上にバンド・サウンドも組み入れたセカンド『Cold Spring Fault Less Youth』(2013)や、より本格的にバンド編成を追求した『Love What Survives』(2017)は、1枚目の焼き直しを期待していたファンにとっては驚きだったかもしれない。ブレイクがどんどんシンガー・ソングライターに転身していく──マーク・フィッシャーはそれを「幽霊がだんだんと物質的な形式を身にまとっていく」ようだと形容した──のと並走するかのように、マウント・キンビーはどんどんロック・バンド色を強めていった。クラウトロックやポスト・パンクからの影響を濃くにじませる3枚目はとくに、その後ロンドンからつぎつぎと若手バンドたちが登場してきたことを踏まえるなら先駆的だったといえるかもしれない。
 ブレイク同様LAに暮らし、貪欲にUSのメジャーなサウンドを吸収するドミニク・メイカー。デトロイト・テクノに傾倒しロンドンでDJ活動に邁進するカイ・カンポス(2022年12月のVENTでの来日公演もおおむねその路線だった)。それぞれのソロ作をカップリングした3.5枚目『MK 3.5: Die Cuts | City Planning』(2022)という変則的なアルバムを経て送り出された新作『The Sunset Violent』は、長年の協力者たるアンドレア・バレンシー=ベアーンとマーク・ペルを正式にメンバーとして迎え入れている。マウント・キンビーはついに、名実ともに4ピース・バンドになったのだ。サードの目立つ参照項がクラウトロックとポスト・パンクだったとしたら、今回はより時代をくだり、随所でオルタナティヴ・ロック、グランジ、シューゲイズなどを想起させる音づくりが為されている。強烈なギター・サウンドといい意味でチープなドラム・マシン、夢の世界へと誘うようなヴォーカルの組み合わせは本作の大きな魅力だろう。みごと転生を果たした彼らはいま、なにを考えているのか。

楽器をプレイするのは魅力的だったんだ。シークエンスすることのできない、もっとこう、ある意味有機的な作曲プロセスを経なくてはならないもの、というのは。(カンポス)

先行シングル「Dumb Guitar」が出たとき、アンドレア・バレンシー=ベアーンとマーク・ペルがマウント・キンビーの正式メンバーになったことが発表されました。マウント・キンビーはバンドになったということですよね。まずはそれぞれの役割分担、担当楽器などを教えてください。アンドレアはキーボード、マークはドラムスでしょうが、具体的にどんなことをやっているのでしょう?

ドミニク・メイカー(以下DM):うん、ふたりは本当に、ぼくたちと関わってもらうことにした最初の瞬間から──当初はとにかく、自分たちの初期の曲を再現しようとしていただけなんだ。つまりライヴでそれらをプレイする方法を見極めようとしていた、と。ところが、マークとアンドレアのバンドへの貢献は実際それをはるかに越えるものだ、というのがかなり明白になってね。ふたりともじつに音楽的だし、彼ら自身の音楽活動もやっている。アンドレアはコンポジションを数多く手がけ、音楽/作曲の勉強も続けていて。マークは、言うまでもなくめちゃファンタスティックなドラマーだし、ぼくたちが最高に好きなバンドのいくつかでプレイしたこともある。だから彼らに参加してもらい、関与してもらうのは素晴らしかった。思うに時間が経つにつれ、両者に創作過程の一部になってもらいたい、ぼくたちもそう思っているのがはっきりしたんじゃないかと。で、彼らは非常に、そのプロセスに欠かせない存在なんだ。ぼくたちは本当に、彼らのスキルを活用したいと感じたし、ふたりともあれだけ才能のあるひとたちだから、それをやるのは納得だよね。それにアンドレアのこのレコードへの関与は、もう「フィーチャー・アーティスト」の枠を越えている。曲作りの面でも本当に助けてもらって……うん、ぼくたちは本当に、あのふたりととても強いつながりを感じている。それにいずれにせよ、ライヴでプレイし一緒に世界をまわることを通じてじつに数多くの体験をシェアしてきた仲だし、だから彼らを作曲面にも含めることは、ものすごくすんなりと楽だった。

通訳:なるほど。アンドレアはヴォーカルもこなしていますが、マークはどうですか? 彼もバッキング・コーラス等は担当するのでしょうか?

DM:ライヴでは、ぼくたちは彼の声をかなりたくさん使っている。実際、もっと使いたいと思っていて。でも、マークはものすごく多忙でね……いや、っていうかふたりとも忙しいし、だからこのレコード作りの終わりあたりでアンドレアが実際にぼくたちに加わり、メロディのいくつかなどなどでヘルプしてもらえたのは本当にラッキーだった。でも、うん、マークの声はもっと使えたらいいなと思っているよ(笑)!

新作の成立過程についてお伺いします。前回の特殊な作品、「3.5枚目」のアルバムと呼ばれていた『MK 3.5: Die Cuts | City Planning』が出たころ(2022年11月)にはもう今回の新作にとりかかっていたのでしょうか?

DM:いや、さいわい、前作とのオーヴァーラップはなかった。『MK 3.5』に収録したそれぞれのアルバムをフィニッシュしたところで──ふたりで一緒にあの作品を聴いたのはじっさい、新作向けの軽い作曲作業に着手すべく、砂漠〔訳注:ユッカ・ヴァレー。ジョシュア・トゥリー国立公園にも近い〕に向かう車中だった。だから、あの時初めて互いのつくったものを聴いた、あのレコード全体をとおしてすべて聴いたわけ。でも……うん、前作との被りはいっさいなかった。ただ、とにかく新しいというか、なにもかも自分ひとりでやる状態から踏み出すのは、本当にエキサイティングに感じられたね。というのも、あの2枚のアルバムはそれぞれべつの作品であって、どちらもこう、「ひとりでお産する」みたいなシチュエーションだったから(苦笑)。ふたたびいつもの状態に戻れたのは最高だった。終始自主的にモチヴェーションを掻き立てるのではなく、外部からもエネルギーをもらえるようになったからね。

カイ・カンポス(以下KC):うん、制作プロセスが本当に大違いだったから、前作と新作を同時にやる、というのは無理だったんじゃないかな。ぼくたちはあの、奇妙なソロ・レコード2枚をつくるのに全力投球しなくてはいけなかったし、その上で……あの作業が終わるやいなや──まあ、それほど長くギャップが空いたわけではないにせよ──あの2枚は「完了」にする必要があったね、今回の新作に向けて進むには。

通訳:なるほど。『MK 3.5』の2枚を個々で作り、世に出したからこそ『The Sunset Violent』を作ることができた、というか?

KC:うん。あの2枚のレコードは、自分たちにはどんな風にレコードをまとめることができるかうんぬん、そうした意味でちょっと実験的だったけれども……ただ明らかに、タイトルからして『3.5』なわけで、そもそも「マウント・キンビーの次作」として想定されたものではなかったんだよ。

自分が若かったころ、十代初期くらいによく聴いた音楽を遡って聴いていた。ザ・ストロークスやピクシーズあたり。で、これら2バンドのどこが好きかと言えば、彼らのメロディ、リード・シンガー/ヴォイスだと思う。(メイカー)

おふたりでカリフォルニアのユッカ・ヴァレーという田舎で制作をはじめて、その後バレンシー=ベアーン、ペル、共同プロデューサーのディリップ・ハリスとともにロンドンで完成させた、という流れで合っていますか? カリフォルニアで作曲し、ロンドンで演奏、録音をしたということでしょうか?

DM:うん、大体そんなところ。プロセス全体がやや分割気味だったというかな、移動の問題だのなんだののせいで。とにかくこう、ぼくが足止めを食らって合流できない、そういうケースが多かったし、一方でカイとマークとアンドレアはスタジオ入りしていて、ディリップとともに作業に取り組んでいたり。うん、あれはかなりバラバラなプロセスだったけれども、でもじつのところ、そのぶん多くの意味で、とても集中力の高いものになったんだ。というのも、じっさいに全員集合できたときは、その貴重な時間をマジにフル活用しなくちゃならなかったから。

新作はとにかくギターのエフェクター、音色が強烈で、スタイル的には異なりますがシューゲイズさえも想起させます。これほどまでにギターを歪ませたり、あるいはディレイをかけたのには、どんな効果を狙ってのことでしょう?

KC:当初の自分はただこう、ギターを作曲の主要ツールとして使いたかった、という。ぼくのつくった前のレコード、あれは非常にスタジオ作業とシークエンサーが基盤の内容だったわけだし、あの作品を抜け出したところで、楽器をプレイするのは魅力的だったんだ。シークエンスすることのできない、もっとこう、ある意味有機的な作曲プロセスを経なくてはならないもの、というのは。で……うーん、どうなんだろう? まあ、ぼくの好きなギター・ミュージックのほとんどは、たぶんなんらかのディストーションをフィーチャーしている、そう言っていいと思う。ディストーションのかかったギターのサウンドやフィードバックが自分はずっと好きだった、というか。ああ、あと、ディストーション・ペダルというのは、テクに秀でていないプレイヤーにとっての一種の「避難場所」でもあるだろうね。それにまあ、とにかくディストーションがかかったほうがいい響きになるし(笑)、そこではいろんなことが起きるし、倍音もたくさんあって……。それに、今回のギター・サウンドにかんしては、実際的な面もあった。ふたりでデモを切っていたとき、ぼくは作業場にアンプまで持っていきたくなくてね。だからかなりドライな、非常にこう、ミックスの前面に出てくる類いのサウンドになった。空間性があまりないサウンドというか、ある意味とても人工的なギター・サウンドだね。すべてダイレクト・インプットだから、演奏した空間の響きが含まれない。

通訳:なるほど。

KC:というわけで、ことのはじまりはアンプがないという現実的な話だったのが、いつのまにか選択になっていた、サウンドの一部になった、という。

通訳:それってある意味、70年代のロック・レコードによくあったギター・サウンドですよね? あまり空間を感じない、パンチのあるダイレクトな響きというのは。

KC:ああ、うん。

Love What Survives』がクラウトロック&ポスト・パンクだとすると、今回はUSのオルタナティヴ・ロック~グランジの雰囲気が強めに出ているようにも感じました。制作中はどんな音楽を聴いていたのですか?

KC:そうだな、その質問にマッチしそうなもので、聴き返した音楽はいくつかあった。まず、ディーヴォ。それからポリロックに、ラッシュ(Lush)、ザ・フォール、それにガイデッド・バイ・ヴォイシズもよく聴いたし……NRBQも聴いたな。

通訳:(笑)わぁ、興味深いです!

KC:(笑)

通訳:いや、NRBQって、ぶっちゃけイギリスじゃほとんど知られてないバンドなので意外で……。

KC:(苦笑)うんうん、そうだよね。でも、本当に彼らの歌は好きなんだ。素晴らしい歌がいくつかあるよ。それから……ザ・ザ。

通訳:マット・ジョンソンですね。

KC:そう。ほかにもいろいろあるな、えーと、ザ・フォールはもう挙げたっけ……ああ、クリーナーズ・フロム・ヴィーナスも。

通訳:マジですか!

KC:(苦笑)うん。

DM:(笑)

通訳:いやー、それはなんとも……かなり主流から逸れたセレクションだと思います。

KC:だね、フハッハッハッハッハッ! ただまあ、そうした音楽はどれも「ギターへの影響」みたいな話であって、もちろんそれ以外にもあれこれ持ち込まれてこの作品ができたと思う。というのも、いま挙げたような音楽だけを参照点にしてどうにかぼくにレコードを1枚作れたとしても、それはきっと本当に退屈なものになるだろうし。だから、ヴォーカルなどにかんして、ドム〔訳注:ドミニクの愛称〕がもっとずっとコンテンポラリーな影響を携えてそこにやってきたところで、エキサイティングになったんだと思う。そのふたつの面の出会い/合流点こそ、この作品を、やっていて興奮させられるものにしてくれたんじゃないかな。

通訳:ドムはいかがですか? 特にハマっていた音楽はありますか?

DM:どうだろう? 自分にとってはつねに、そこらへんよりもフィーリングが大事、というか。ぼくはそんなに……だから、ひとりで音楽に取り組むことも多かったし、とくに「これ」といったサウンドを影響として絞り込むことはあまりなくて、おもにフィーリングを重視した。ぼくはロサンジェルスにいたし、カイがあれらのインストゥルメンタル部を構築していた場所とはまったくちがう世界なわけで。だから思うに、ある種の……そうだな、「あまりシリアスに捉えすぎない」って感覚を注入する、みたいなことだったんじゃない?

通訳:(笑)ほう。

DM:(笑)たぶんね。とはいえ個人的には、自分が若かったころ、十代初期くらいによく聴いた音楽を遡って聴いていた。ザ・ストロークスやピクシーズあたり。で、これら2バンドのどこが好きかと言えば、彼らのメロディ、リード・シンガー/ヴォイスだと思う。で、とにかくどのメロディもとことんキャッチーにしようと努力する、そこは今回のレコードをつくっていたときにぼくが執着した点のひとつだった、みたいな。それにそのサウンドの多くにしても、さっき話に出たように、もっとダイレクトだ。かなりクリーンなヴォーカル・サウンドだし、とばりで覆うというより、メロディをしっかり補強していると思う。もうちょっとあらわになったというか。以前のぼくたちの作品の一部では、ヴォーカルのとばりでメロディを覆うところが少しあった。ところが今回は、よし、前面中央に押し出そう、と。それはぼくたちにはとても新鮮な、まるっきり新たな経験だった。

[[SplitPage]]

ここのところデトロイト全般、デトロイト・テクノのサウンドからものすごく影響を受けてきてね。だからローランド606、そしてタンズバーというドイツ産ドラム・マシンをとても重視してきた。(カンポス)

通訳:すみません、脱線しますが、ひとつ訊いていいですか? ドムのいま着ているスウェットは、もしかしてバウハウス?〔訳注:ドムの着ていた薄いグレーのスウェットにバウハウスのエンブレムっぽいグラフィックがプリントされていた。同校のエンブレムはオスカー・シュレンマーのデザインで、バンドのバウハウスもジャケットほかに利用〕

DM:えっ? あー、そうかも?

通訳:バンドのほうのバウハウスのマーチャンかな? と、つい好奇心がそそられまして。

DM:これ、アメリカのリサイクル・ショップで買っただけなんだ(笑)。だから……

通訳:(笑)じゃあ、関係ないですね。失礼しました。

DM:いやいや、たぶんそんなところなんじゃない? でも、たんにイメージが気に入って買っただけだし(苦笑)、べつに深い意味はないよ!

KC:(笑)

シンプルなドラム・マシンも印象的です。資料によると1980年代のドラム・マシンのみを使用したそうですが、そのこだわりの理由を教えてください。

KC:そうだなぁ、ぼくはつねに……以前と比較するとして、ここ数年でなにが起こったかと言えば、とにかくここのところデトロイト全般、デトロイト・テクノのサウンドからものすごく影響を受けてきてね。だからローランド606、そしてタンズバー〔MFB Tanzbär〕というドイツ産ドラム・マシンをとても重視してきた。どちらも非常にシンセティックな響きというか、「ドラム・キットの再現」を追求してはいない。で、それと同じ時期に、ぼくはアレックス・キャメロンのレコード〔『Oxy Music』(2022)〕のミキシングも手がけたんだ。そうして彼の作品に少し関わったわけだけど、彼はすべてのデモをリンドラムで、ぼくたちも今作で使ったドラム・マシンを使ってつくっていた。だから、しばらく前になるけど、彼がこっちに滞在していた間、スタジオにリンドラムがあったわけ。で。あれは本当に優れたマシンでね。というのも、リンドラムでは素晴らしいサンプル音源が録れるし、なんというか、そのままの響きが出せるっていう。でも、あのマシンのプログラミング機能はとても制約が多くてやれることに限界があるし、プログラムするのにやや手を焼かされるんだけど、そのぶん、あのでかいリンドラムを使ってグルーヴを出せると、かなり満足感がある。あれはほんと、80年代の古典だね。で、ありものをしっかり活用することをこちらに強いるマシンというか、あれを使ってこちらに歌をつくらせるところがあって。あのドラム・マシンから音が出てくるところには、なにかしらマジカルなところがある。で、ぼくたちも要は一台欲しかったんだけど、あれはいまやとても高額でね。このアルバム用にレンタルして、かなり長い間借りていたから、いっそのこと購入してもたぶんおなじだったかもしれないけど……だからあれはほとんどもう、非常に貴重な骨董品に近いってこと。それでも人びとがあの機材を愛しているのは、あのマシンから直接出てくるサウンド、あれにはほかとはちがうなにかがあるからじゃないかと思う。で、80年代当時は、あれはナチュラルなドラム・キットの再現を目指していたんだろうね──そうは言っても、ぜんぜん自然じゃないんだけど。

通訳:(笑)

KC:(笑)フラットすぎるし、だれかがドラムを叩いているようには聞こえない。でもそこに、その人工性に、興味深いところがあると思う。で、自分が今回はかなり大胆な、色をざっくりブロック分けした、フラットなサウンドのレコードをつくろうという選択をしたところで、あのマシンがフィットしたっていう。

彼(キング・クルール)もぼくたちと同様、南ロンドンにある、ステレオラブのドラマーのアンディ・ラムジーのスタジオを使うんだ。だからほんと、アーチーとはスタジオ時間の取り合いになったっていうか(苦笑)(メイカー)

おなじみのキング・クルールことアーチー・マーシャルが今回も2曲で参加しています。おそらくおふたりと世代は異なるかと思いますが、彼の音楽家としての最大の魅力はどこにあると思いますか?

KC:彼とぼくたちは、ある意味音楽界で一緒に育ってきたというか。ほんと、彼のことを「自分たちよりかなり歳下」ってふうには見ていないんだ、じっさいはそうなんだけど。キャリアという意味では同い年というのかな、だいたいおなじころに浮上していったわけで。だから当然のごとく、どちらも互いがなにをやっているかに興味を抱きがちだし……要は友情関係、そして好奇心に由来しているんだけど。で、ぼくたちがレコードをつくろうと思うと、なんというか、一定期間をブロックで確保し、ぼくとドムとバンドの面々と一緒に、集中してスタジオ作業に取り組む傾向があってね。それをやっているあいだに毎回、アーチーはスタジオに顔を出してぼくたちがなにをやっているかチェックしにくる。べつに飛び入り参加するわけじゃなく、ただこちらの作業に耳を傾け、スタジオでぶらぶらしているだけ、というのもしばしばだね。一方で、彼にアイディアが浮かんだり、あるいはぼくたちが作業中になにか思いついて彼に素材を送り、一緒にレコーディングするためにスタジオに来てもらうこともある。彼とやっていてぼくたちがエンジョイするのは、彼の非常に直観的なところだろうね。というのもぼくたちが出てきた音楽の世界――ぼくたちが初期にやっていた、アーチーと初めて出会ったころにつくっていたタイプの音楽は熟慮されたものだったし、非常に慎重に考え抜いてやっていたと思う。ところがアーチーがスタジオに来たとき、彼は自然に生じる即興性と本能的な資質を持ち込んでくれたし、おかげでぼくたちのやっていたこともぐっと向上した。おそらく、ぼくたちを前進させてくれたんだろうね。で、そこはいまだに変わっていないと思う。彼はいまも自分自身のアイディアをかなり信頼しているし、レコーディング・プロセスにあの、一種衝動的なエネルギーをもたらしてくれる。

DM:ぼくたちの世界も狭いしね。彼もぼくたちと同様、南ロンドンにある、ステレオラブのドラマーのアンディ・ラムジーのスタジオ〔Press Play Studios〕を使うんだ。だからほんと、アーチーとはスタジオ時間の取り合いになったっていうか(苦笑)

KC:(笑)そうそう!

通訳:(笑)

DM:ぼくたちが1週間使っていて、その次の週にアーチーが入る予定になっていると、こっちは「ダメ! それは無理だって彼に伝えてくれ。ぼくたちが使うんだから!」と(笑)。ある意味ディリップが両陣営の橋渡し、媒介役をやってくれたっていう。

KC:(笑)

DM:だからあのスタジオで作業していたあいだ、彼とはとても近接している感じがした。ぼくたちみんな、あのスタジオ、〈プレス・プレイ〉内で、お互い得るものがあった。あの空間で、みんな気持ちよく過ごせる。

リリックにかんしては、バレンシー=ベアーンとキング・クルールに一任したのでしょうか? それともあなたたちが書いたのですか?

DM:いや、“Yucca Tree” の歌詞はアンドレアが書いた。アーチー参加曲にかんしては、彼が自分で担当した。で、ヴォーカル部のすべてにかんして、ぼくとカイとアンドレアの3人でハーモニーなどなどをどうするか見極めていって。そうだな……だからこう、その場の流れで進んでいく、みたいなものだった。

通訳:では、とくに全体的な歌詞のコンセプト、アルバムを通してのスレッドみたいなものはなかった、ということでしょうか?

KC:ドムの書いたリリックが、アルバムを流れていくイメージの主要な焦点だったね。大半はドムの歌詞だけれど、もちろんリード・ヴォーカルをほかのひとに担当してもらう場合、たとえばアーチーが歌った曲や “Yucca Tree” でアンドレアがやったように、それらの作詞はいわば彼らのものになる。だからそれらすべてが作品にフィットする、なんらかの形でリンクしてくれることを願うわけだね。もっとも、だれもが互いからインスピレーションを受けている、といった面はあるにせよ。そうだな、レコードをとおして流れるメインとなるイメージ、それはドムの書いた歌詞だろうね。

DM:でもじっさい、アーチーについて考えると、ぼくは彼にとてもインスパイアされた。彼が歌詞で「絵」を描くやり方とか、さまざまなものごとを一種幻想的な手法で語るところ……それになんというか、彼は非常に陳腐でありきたりになりかねないようなものごとをとりあげ、それをひねり、歪めることで、かなりコミカルに、あるいは美しい、ときにダークなものにしてしまう。その「現実にちょっとひねりを加える」というのは、これまでもずっと、自分が執筆行為全般にかんして好きなところだ。ひとつのイメージ、あるいは場面やパーソナルな物体に集中し、そのシチュエーションの表層の下にしっかりもぐり込もうとする、という。そのうえで、それを耳で聴いても文字で読んでも出来のいいものにするわけ。

『The Sunset Violent』というタイトルにはどのような意味がこめられているのでしょう? 美しいものと目をそむけたくなるもの、正反対のものの組み合わせですよね。

KC:ぼくたちがアルバムをまとめてきたやり方、それはつねに──まず音楽がつくられる環境をクリエイトし、そして音楽が完成したところで、そのストーリーを具体化しようとする、というものなんだ。最初に強力なコンセプトを据えて、それに向けて音楽を書いていくのではなくてね。ぼくたちからすれば、作業を進めていくうちに浮上してくるものがなにかを見守る方が、もっとエキサイティングだしポテンシャルを感じる。で、音楽的には「大まかにこんな感じで」という前提はあったにせよ、実際、作品になんらかの形を与えることができたのは最後でだったんだ、「ああ、これらの楽曲からなんとなくテーマが姿を現してきたな」と。そこにかんしては、制作過程の最終段階になるまで考えなかった。ぼくはとにかく、ドムが歌詞で書いていたものにはとても興味深いイメージがたくさんあると思ったし、それらを読んでいき、心に残ったものをいくつか選んで書き留めていった。そんななかのひとつ、「the sunset violent」は “Dumb Guitar” に登場するフレーズなんだけど、ぼくたちは本能的に、「これはこの作品を提示するのにいいぞ」とひらめいたというか。そんなわけで、ぼくたちにとってはとくに「これ」というひとつの意味をもつフレーズではないんだけど、と同時に、このどこか対立的で相反するタイトルが、このアルバムの部分的なテーマであり、かつバンドとしてのぼくたちのテーマの一部だ、というのは事実だよ。まあ、いろいろな見方をしてもらっていいんだけど。

いまの若い世代の連中は概してもっとこう、違反/反逆型とされるタイプのエレクトロニック・ミュージックに入れ込んでる気がする。(カンポス)

2022年12月の来日公演はカイ・カンポスさんおひとりでしたが、「City Planning」との連続性を感じさせるテクノのDJセットだったように記憶しています。ロンドンのアンダーグラウンドなダンス・ミュージックのシーンでも、やはりいまだテクノは根強いですか?

KC:ん〜、まあなんというか、テクノはつねに──っていうか正直、商業面で言えば、これまででもっとも成功してるんじゃない? とはいえぼくなら、テクノが主要な勢力だとは言わないな……ロンドンのシーンを、ちょっとこう、「おっさんのジャンル」として見ているところがあるっていうか? つまり、いまの若い世代の連中は概してもっとこう、違反/反逆型とされるタイプのエレクトロニック・ミュージックに入れ込んでる気がするし。もちろん、これは一般論だけどね。テクノが好きなひとたちだってまだたくさんいるし、ぼく自身の好みはかなりクラシックなんだと思う。だから、とても若いオーディエンスが大半を占める、そういうギグでプレイするとたまに軋轢が生じることもあって。いまいちばんイケてるテイストだの、トレンドだのに、ぼくのプレイは必ずしもフィットしないから。それに、ひとくちに「テクノ」と言ってもひとそれぞれで、その解釈はかなり違うわけだし。

通訳:ですよね。

KC:でも、現状で盛んにプッシュされている類いのエレクトロニック・ミュージックに較べると、テクノを耳にする機会はそれほど多くないんじゃないかな。

『MK 3.5』はおふたりのソロ作のカップリングでした。今回の新作は、『Love What Survives』とは連続性がありますが、『MK 3.5』の2枚の盤とはまったく異なります。おふたりがそれぞれ好きな音楽は「マウント・キンビー」というバンドには反映しないというスタンスなのでしょうか?

DM:だからまあ、前作『MK 3.5』はおもに、当時自分たちのいた状況から生まれたものだったんだよ。

通訳:なるほど。

DM:つまり、なにもぼくたちのなかに「これらのレコードをどうしてもつくりたい!」っていう、燃える欲望(苦笑)がたぎっていたわけではない、と。

通訳:(笑)はい。

DM:それより、たんにもっとこう……目的意識があるのはいいことだ、みたいなノリだったし(笑)、その側面を個々に追求するのにいいタイミングだな、と。ぼくはプロダクション仕事をたくさんやっていたし、カイはDJ業で忙しく、エレクトロニックな面にもっと興味を抱くようになっていた。とにかく、当時あれらのレコードはある意味、ほとんど趣味に近いものに思えた、みたいな(笑)? で、あれらの事柄を集めて記録するのは大事だと思うし、ぼくからすればあの過程で最高だったことのひとつは、タイロン&フランクのルボン兄弟と、ヴィジュアル面で再び恊働できたことだった。それであの作品のぼくのサイドのレコードに素晴らしい映像がつくことになったし、またフランク経由で、カイの作品向けにみごとなスカルプチャーも生まれた。そうやって、またべつのアートをインスパイアすることができたのは最高だった。だから、あれはほんと、状況の産物だったけれども、じっさいとてもクールな結果になったというか? というのも、さっき話したように、離ればなれの時期ができ、あれらのまったく異なる作品に取り組むことになったし、それを「バンドとしてのマウント・キンビー」でやりたくなかったんだ。ただ、それによってぼくたちも再活性化してこの制作プロセスに入っていけたし、そこで「おおっ、今回はギターを使って音楽をつくることになったか!」ということになり、アンドレアもマークも参加して……そのコントラストをもてるのは抜群だった。あれらのプロジェクトをまとめるのにはかなり時間がかかったし、本当にひょっこり転がり込んできた幸運だった。しかもうまくいった、というね。

2013年の『Cold Spring Fault Less Youth』でバンド・サウンドをとりいれ、2017年の『Love What Survives』ではそれをさらに大きく解放し、独自のポスト・パンクとクラウトロックを響かせました。その後、2018~19年ごろからUKでポスト・パンクやクラウトロックを独自に咀嚼したブラック・ミディやスクイッドのような若いインディ・バンドが擡頭してきたことを考えると、あなたたちの試みは先駆的だったのではないかと思うのですが、ご自身ではどう思いますか?

KC:(照れ笑い)んー、まあ、それでぼくたちがオアシスみたいな「シーンの顔」的存在になれたらいいだろうけどね!

通訳:(笑)

DM:(笑)

KC:(笑)。でも、ぼくにもわからないなぁ……ほんと、べつに……いやだから、影響を与えるうんぬんの話って、たまたまいいタイミングで適切な場所にいた、ということだし、運が大きくものを言うわけで。と同時に、ぼくたちはたしかに若いアクト──いや、彼らももう「若く」はないだろうけど──に影響を与えたと思うけど、それは自分たちがそれだけ長く活動を続けてきたということであって。いまの時代で考えればかなり長いキャリアを積んできたし、そうすればやっぱり、「あなたたちから影響を受けました」と声をかけられるようになるもので。だから……自分にもよくわからない。その質問はたぶん、将来だれかさんが書いてくれるであろう、ぼくたちの「大々的回顧記事」向けのものじゃないかな?

DM:(爆笑)

近年のロンドンまたはUKの若手バンドで、お気に入りはいますか?

KC:うん、スティル・ハウス・プランツは2回くらいライヴを観たことがある。若くエキサイティングなバンドで、たぶん彼らも、ぼくのギターへの興味を再燃させてくれた一組だろうね。最近作品を出しているかどうかわからないけど、今作に着手する前の時期に、彼らの音楽はよく聴いた。

DM:イギリスではないけど、アメリカのアトランタ発のスウォード・トゥー〔Sword II〕ってバンドがいる。彼らは最高。ぼくは活動をフォローしているし、そういえば少し前にレコードを出したばかりで、あれは素晴らしい。あと、LAを発つ3週間前にズールー〔ZULU〕って名前のハードコア・パンク・バンドを観たんだけど、あれはほんと、自分が観たなかでもっともクレイジーなショウ、ってくらいスゴかった(笑)! うん、ぼくの最近のお気に入りと言ったらその2組だね。

ダブステップやテクノなどのいわゆるエレクトロニック・ミュージックにはなくて、ロックがもつ、とりわけバンド・サウンドがもつ魅力とはなんだと思いますか?

KC:やっぱり、人びとだよね。コラボレーションと、ソロ作品をやるときのちがいはじつに大きいし……音楽づくりに取り組む最大の喜びのひとつって、「そこからなにが出てくるか?」にまつわるサプライズの感覚だと思う。それがあると、自分は本当に、活気のあるフレッシュなことをやっているな、という気持ちになる。だからある程度までは、創作プロセスに人間をもっと加えれば、そのぶん驚きも増す。たとえばマークとアンドレアが加入してくれたときのように。で、ぼくたちがソロのレコードをつくり、そして今作に至った流れを考えると、場合によっては「あの2枚のレコードが、両者がそれぞれマウント・キンビーに持ち込むものを象徴している」と捉えるひともいると思う。でも、じっさいはまったくそうじゃないんだ。というのも、ふたりの人間が同じ空間に入り、一緒に音楽を書くのって──なにも、ぼくのやることの50パーセントとドムの側の50パーセント、そのふたつを単純にバシン! とくっつけあわせる、ということではないから。

DM:(笑)

KC:コラボする側面なしには生まれえない、そういうスペースとものごとをつくり出しているんだよ。だから、生演奏の、アコースティックな楽器を使った音楽ではそれはしょっちゅう起きるし、もちろんその対極として、シークエンス/スタジオ作業がベースの音楽もあって……でも、そこにはまた独自のよさがあるし、バンドではそれを再現しえない。エレクトロニック・アクトがそれをやろうとすると、しばしば、そのエレクトロニック/シークエンス面のもつよさを失う結果になるよね。というわけでぼくたちとしては、シークエンスされた音楽をもっとライヴっぽい響きに仕立てようとするのではなく、逆の方向をもっと掘り下げていったというか。ひとりでつくるエレクトロニック・ミュージックにも、それにふさわしい時と場所はあるんだよ。ただ、それ以上にエキサイティングに思えたのは、自然に発生する驚き、そして真の意味でのコラボをやり、そのサプライズが起きる新たな場をクリエイトすることだった、ということじゃないかな。スタジオであれ、ライヴの場であれ。

4月からヨーロッパとUSでのツアーがはじまりますが、今後のご予定をお聞かせください。

KC:ああ、夏にはおもにヨーロッパのフェスをいくつかまわる予定だよ。で、自分たちが本当に望んでいるのは、夏のフェス・シーズンが終わったら、それ以外の世界各地にも出ていけたらいいな、と。いろいろな交渉が進んでいるところだけど、ぼくたちはしばらくツアーをやっていなかったし、作品が出るのもひさびさだから……

通訳:(笑)「ぼくたち、まだちゃんと活動してますよ!」とアピールする、というか。

KC:(笑)そうそう! まあ、日本は間違いないけど、アジア各地にも、今年の終わりまでには行けたらいいね。それが希望。

通訳:そうなるといいですね。ちなみに音源という意味ではいかがですか? べつの類いのプロジェクト、たとえばサントラなどなどに取り組んでいる、なんてことはありますか?

DM:今回でやったようなソングライティングをこのままもっと続けていきたい、その欲求はとても大きいね。いや、ぼくたちはいつもなら、レコードをひとつ仕上げると「オーケイ、ひとつ深呼吸。作品はできあがったし、あとはライヴに集中」というノリなんだけど、今回は本当にエネルギーがあり余っているというか、このレコードのつくり方にたいする昂奮がバンドのなかにまだたくさん残ってる、みたいな? だから、ぼくはこのやり方は続けていくべきだと思うし、もっともっと音源を発表したい。だから願わくは今年の終わり、もしくは来年の頭までに、なにか新しい音楽を発表できたら最高だろうな。とにかく、このエネルギーを維持していくよ。

通訳:了解です。新音源の登場を楽しみにしますね。というわけで、質問は以上です。今日はお時間いただき、本当にありがとうございました。

DM & KC:ありがとう。バーイ!

KAPSOUL - ele-king

 LAを拠点に活動する日本人DJ/ビートメイカー、KAPSOULのファースト・アルバム『ASCENT』がリリースされる。すでに20年以上のキャリアを誇る彼は、これまで日米のさまざまなアーティストにトラックを提供してきており、たとえばそのなかにはデトロイトのハイ・テックのメンバー、キング・マイロが含まれていたりする。2022年、仙人掌をフィーチャーした “GaryPayton” で彼のことを知った方も少なくないだろう。
 今回の『ASCENT』にはその仙人掌とB.D.はじめ、LAの人気ラッパーのブルー、ダドリー・パーキンス(Declaime)、ジョージア・アン・マルドロウらが参加。チェックしておきたい1枚です。

LA在住の日本人DJ/ビートメイカー、KAPSOULのファースト・アルバム『ASCENT』、本日リリース! リリースに合わせ、アルバムからドープなインスト曲"90014"のMVが公開となり、仙人掌とBudaMunkのコメントも公開!

 20年以上のキャリアを誇り、仙人掌とのコラボによる"GaryPayton"のリリースで日本でもコアなヘッズの間ではその名が知られているLA在住の日本人DJ/ビートメイカー、KAPSOUL(キャップソウル)のファースト・アルバム『ASCENT』が本日ついにリリース! Westside Gunn作品の常連でもあるNYのラッパー、AARashidが参加した"LOAFER"、日本からB.D.と仙人掌が参加した"MEISO"、自らが率いるグループ、Black HairImperialが参加した"Y2KDNA"と3曲の先行配信曲も各所で話題となっており、他にもLAアンダーグラウンドで高い人気を誇るBlu、Stones Throwからのリリースでも知られるDudley Perkins(Declaime) とGeorgia Anne Muldrowらがアルバムには参加している。
 その『ASCENT』のリリースに合わせてジャズなテイストのドープなインスト曲"90014"のミュージック・ビデオが新たに公開! また、アルバムに参加している仙人掌とLA時代から進行の深いBudaMunkのコメントも公開!

*KAPSOUL "90014" (Official Video)
https://youtu.be/vuMrF7lei9Y

「ゲトー・バップと呼びたい最新のUS/LAのフィーリングが迫るドープなジャズヒップホップアルバム」仙人掌
「LAアンダーグラウンド界を長く支えてきた重要人物。自分がMPCでビートを作るきっかけになったプロデューサー」BudaMunk

[アルバム情報]
アーティスト:KAPSOUL
タイトル:ASCENT
レーベル:P-VINE, Inc.
仕様: デジタル | CD | LP
発売日: デジタル | CD / 2024年4月3日(水) LP / 2024年7月17日(水)
品番: CD / PCD-25386 LP / PLP-7415
定価: CD / 2,750円(税抜2,500円)LP / 4,378円(税抜3,980円)
*Stream/Download/Purchase:
https://p-vine.lnk.to/M0zJHX
*P-VINE SHOPにてCD販売&LPの予約受付中!
https://anywherestore.p-vine.jp/collections/kapsoul

[トラックリスト]
01. 5AM
02. LOAFER Feat. AA Rashid
03. Y2KDNA Feat. Black Hair Imperial
04. NARE NO HATE Feat. B.D.
05. DO THAT Feat. Black Hair Imperial
06. HEARO’S OF THE UNDERGROUND Feat. Black Hair Imperial
07. MEISO Feat. B.D., 仙人掌
08. MEGAPHONE Feat. BLU, Black Hair Imperial
09. 90014
10. DIRECTION
11. GARY PAYTON Feat. 仙人掌
12. SAME THANG Feat. Dudley Perkins, Georgia Anne Muldrow
13. ASCENT
※LPはSIDE AがM1~7、SIDE BがM8~13になります


[プロフィール]
 千葉にて生まれ育ち、1998年に渡米。ダウンタウンLAを拠点にプロデューサー/DJとして20年以上にわたって活動し、LAのアンダーグラウンド・ヒップホップシーンでは知る人ぞ知る存在となっている。
 ビートメイカーとしての腕を磨きながら、DOGMA&SAW、BURAKUMAN ZOMBIES(SHEEF THE 3RD x SAW)、デトロイトのグループ HI TECH のメンバーであるKing Miloなど、日米のさまざまなアーティストの作品にトラックを提供。さらに自身の作品としては、KAPSOUL名義でのソロアルバム『NGHT TRAIN』、シンガーのWet BookとのコラボレーションによるEP『Sketch Book』、Deshawn ReidとのユニットであるBlack Hair Imperial名義でのアルバム『NAPPY HAIR SOUL』などをリリースしてきた。
 2022年にリリースされた仙人掌をフィーチャーしたシングル「GaryPaytonが一躍脚光を浴びたことをきっかけに、2024年にP-VINEよりアルバム『ASCENT』をリリース。仙人掌、B.D.、Blu、Dudley Perkins、Georgia Anne Muldrowといった人気アーティストに加えて、日米のミュージシャンも多数参加し、ヒップホップとジャズを融合させた独自のサウンドを作り上げている。

interview with Chip Wickham - ele-king

クラブ・カルチャーは無限に広がり、刺激的で、何でもできるように思えました。とても先進的でクリエイティヴな「ストリート・カルチャー」がそこにありました。労働者階級の子どもたちがただ音楽を作ろうとしていた、とても重要な時代でした。

 マシュー・ハルソールが主宰する〈ゴンドワナ〉は、マシュー自身や彼が率いるゴンドワナ・オーケストラはじめ、ゴーゴー・ペンギン、ナット・バーチャル、ママル・ハンズなど注目すべきアーティストを多く輩出してきたジャズ・レーベルだ。そんな〈ゴンドワナ〉から2022年に『Cloud 10』というアルバムを発表したサックス/フルート奏者のチップ・ウィッカム。それ以前からスペインの〈ラヴモンク〉から数枚のアルバムをリリースしてきた注目のアーティストであり、遡ればファーサイド、ニュー・マスターサウンズ、ナイトメアズ・オン・ワックスなど幅広いアーティストの作品に参加し、クラブ・ミュージック・シーンにも深く関わってきた人物でもある。

 彼の作るジャズは、1950年代から1960年代に花開いたモダン・ジャズを土台としており、その中でも特にモード・ジャズの影響が色濃い。また、ラテン・ジャズやアフロ・キューバン・ジャズの要素も漂わせるのが特徴で、フルート、ハープ、ヴィブラフォン、パーカッションを絡めたエキゾティックな音色が印象に残る。カマシ・ワシントンシャバカ・ハッチングスたちとはまた異なるタイプのディープでスピリチュアルなサウンドだ。そんなチップ・ウィッカムの『Cloud 10』とEPの「Love & Life」、そして未発表の新曲をまとめた『Cloud 10 – The Complete Sessions』がリリースとなる。彼にとって本邦初登場作品となるこちらは、その音楽の魅力を余すところなく伝えてくれるものであり、リリースに併せて彼のインタヴューをお伝えする。

チップ・ウィッカム、FUJIROCK FESTIVAL'24 出演決定!
https://www.fujirockfestival.com/

音楽家であるには一貫した信念を持っている必要があるし、自分の仕事に対してもとても謙虚である必要がある。ある時点に到達して、よし、できた、となることはできない。一生が勉強。

まず、あなたのプロフィールから伺います。ブライトン出身のあなたは、チップ・ウィッカムの前は本名のロジャー・ウィッカムで1990年代より活動しており、またキッド・コスタという変名でマレーナというラテン・ハウス・プロジェクトで活動していた時期もあったりと、かなり長いキャリアをお持ちですね。どのようにしてジャズと出会い、サックスやフルートを始めたのですか?

チップ・ウィッカム(以下CW):父がジャズの素敵なレコード・コレクションを持っていて、子どもの頃、家にはいつもたくさんの音楽があったんです。父には感謝していますね。ラッキーなことに、私はその中から気に入った古いレコードを見つけ出して、まだ子どもだっていうのにソニー・ロリンズの『The Bridge』や、スタン・ゲッツとジェリー・マリガンの共演アルバムをよく聴いていました。全部覚えていますよ。コンテ・カンドリ・オール・スターズのアルバムも持っていましたし、ヴィンス・ガラルディが書いた一連のチャーリー・ブラウンのTVシリーズのアルバムとか、おもに1960年代のウェスト・コースト・ジャズが多かったですね。それから何年かして、私がジャズにのめり込んでいることに気づいた父は、ジョン・コルトレーンのイギリス公演を見たときのことを話してくれました。父はソウルとかファンクとか、クレイジーなイギリスのレコードもたくさん持っていて、ジャズはそうしたものの一部でした。ジョニー・ハリスの『Movements』も持っていて、ああ、なんて素晴らしいレコードが眠っているんだろうと思いましたよ。ジャケットは奇妙な三重露光のような写真で、子どもの私は最初ちょっと怖かったんですが、少し後に名盤だということに気づいたんですね。ほかにもアレサ・フランクリンやホセ・フェリシアーノとか、いろんな面白いレコードを聴きましたね。こうして私は父のジャズ・レコード・コレクションにのめり込んでいったんです。それからずっとずっとレコードを聴き続けて、ジャズはいつも私の生活の一部になりました。そして、サックスはジャズでよく使われる楽器だから、自然とその演奏を聴くようになり、その流れで楽器を弾き始めました。
 いまでも、なぜサックスを選んだのかはよく覚えていません。音楽が本当に好きで、小さい頃は最初にハーモニカを吹いていたことは覚えています。ブルースも聴いていて、ハーモニカを吹いていたんですよね。すべての音が揃っているわけではないし、キーごとに違うハーモニカが必要なんですが、私はそれを楽しんでいたし、サニー・ボーイ・ウィリアムソンやサニー・テリー、そしてブラウニー・マギーといった人たちの曲を聴くのが好きでした。こうして、もっと普通の音域の楽器を弾きたくなっていきました。なぜそれがサックスだったのかはよく覚えていないけれど、とにかくサックスだったのです。私がずっと音楽を聴いて、楽器を演奏しようとしているのを見た母がテナー・サックスを買ってくれました。それ以来、一度もこの楽器を手放したことはありません。

サックスを吹き始めたのはティーン・エイジャーの頃ですか?

CW:10代前半の頃ですね。私が通っていたのは、特に音楽が盛んな学校ではありませんでした。当時、私の多くの興味は学校の外にありました。だから、16、17歳になってから、地元のブライトンでジャズのワークショップみたいなものに通い始めました。そこでジュリア・ニコラスという素晴らしい先生がワークショップをやっていました。当時彼は結構若かったと思うんだけど、チャールズ・ミンガスの曲とかを演奏するワークショップでした。ミンガスの曲をやれるなんて、本当にすごいとめちゃくちゃ感動したのを覚えています。まるで恋に落ちたような気分でした。

その後マンチェスターの音楽学校に進学したそうですが、そこでは誰かに師事したのですか?

CW:マンチェスターの大学に行って、フィル・チャップマンという先生に個人レッスンを受けました。彼は私と同じブライトン出身でしたが、当時リーズに住んでいました。英国でジャズを専門的に学べる場所はリーズ音楽大学とギルドホール音楽演劇学校だけなのですが、彼はリーズ音楽大学のサックス主任講師をしていました。ブライトンの誰かが私に、この人に話を聞きに行きなさいと言ってくれたんですよね。フィルは私にとって父親みたいな存在の素晴らしい人でした。古いスタンリー・タレンタインのレコードやジョン・コルトレーンのレコードもよく貸してくれました。だけど、入門した当初の私は、彼が一体誰なのか、どれだけ優秀な人なのか、半年くらい経つまで気づかなかったんです……。
 レッスンでは最初彼が私に「演奏してみなさい」と言い、私は何かを弾く。そして彼がお手本を示しながら演奏するといった具合でした。当時私は18、19歳でしたが、彼はただ首を横に振って「いや、こう立って、手をここに置いて、こうするんだ」と言って、小さなことでも全部直してくれました。それまで私はなんとなく独学で勉強はしていたけれど、演奏の深いところまでは学んでいなかったんですよね。フィルは本当に深く、あらゆることを教えてくれました。とても情熱的で、エネルギッシュで、私の演奏に対するちょっと散漫なアプローチを成長へと導くその手腕は素晴らしいものでした。彼はときどき私を見て「君の年齢だったらもう少し上手く弾けてるはず」と叱咤激励しました。私はそれまでそんなことを言われたことはなかったし、自分はこの年齢でサックスを吹いている人たちのなかでは世界一だと思っていたから……。彼は私のような年頃の若造にどう話しかければいいか知っていたんです。彼は私に「趣味でやるだけならいまのままで大丈夫だよ」と言ってくれました。でも、同時に彼は私の本心をすぐに読み取り、やる気を起こさせる方法を知っていました。私にミュージシャンとしての努力やモチベーション、日々の生活について、たくさんのことを教えてくれました。音楽家であるには一貫した信念を持っている必要があるし、自分の仕事に対してもとても謙虚である必要がある。ある時点に到達して、よし、できた、となることはできない。一生が勉強。けっして立ち止まってはいけないということを教えてくれましたね。つねに学ぶことを止めない……本当にその通りですね。上達すればするほど、必ず自分より優れた人が現れるわけですから。でも、そんなことは気にせずに、競争相手は自分自身であって他人ではないという、人間として役立つことを、そして私のキャリアにも役立つことをたくさん教えてくれたのです。

その後プロ・ミュージシャンとなり、1990年代から2000年代はファーサイドからニュー・マスターサウンズ、ナイトメアズ・オン・ワックスなど幅広いアーティストの作品に参加しています。主にクラブ・ミュージック系のアーティストが多いわけですが、こうした分野のセッションに参加するようになったのはどんないきさつからですか?

CW:90年代のマンチェスターはとても豊かなシーンだったと思います。当時はトリップホップと呼ばれていたサンプリング・ミュージックがたくさんありました。80年代後半から90年代前半にかけてはクラブ・カルチャーがとても盛んで、マンチェスターにはハシエンダがあり、ストーン・ローゼズやハッピー・マンデーズなどがいて、クラブ・カルチャーが大爆発していました。だから誰もが、とくにそういう音楽をやっていたわけではなくても、サンプリングという行為に夢中だったのです。クラブ・カルチャーは無限に広がり、刺激的で、何でもできるように思えました。当時はヒップホップとジャズをミックスするというのも流行ってましたね。私が初めて大きな仕事をしたのは、ヒップホップ・レーベルとして大きな影響力を持つ〈グランド・セントラル〉を運営していたレイ&クリスチャンのレコーディングでした。ヒップホップのレコードでしたけど、ジャジーでよりトリップホップ的な作品でしたね。〈グランド・セントラル〉ではエイム(AIM)というアーティストとも仕事をしました。キャリア初期のころの私は、面白いDJタイプのプロデューサーたちに囲まれていたから、音楽は必ずしもミュージシャンが作るものではないことがわかりました。いいアイデアさえあれば音楽を作ることができたのです。もちろんテクノロジーのおかげでもあって、AKAIのサンプラーやMPCをみんなが持っていて、家でその小さなボタンを叩いていました。
 初期のドラムンベースにものめり込みましたね。いまはディープ・ハウスの分野で第一人者となっているジンプスターとも一緒に演奏しました。その頃の彼はジャジーなドラムンベースの若手プロデューサーだったんです。1997年にベルリンのジャズ・フェスティヴァルに彼と一緒に出演したのですが、サンプラーやエフェクト、エレクトロニクスなどを使ってドラムンベースを生演奏しました。当時はみんなが音作りを楽しんでいて、文化がとてもオープンでしたから、そこから刺激を受けやすかったです。とても先進的でクリエイティヴな「ストリート・カルチャー」がそこにありました。労働者階級の子どもたちがただ音楽を作ろうとしていた、とても重要な時代でした。
 私はレイ&クリスチャンのライヴ・バンドでも演奏していたのですが、そのバンドはみなが音楽クリエイターでした。それぞれがプロジェクトを持っていて、彼らはクールなことをすることしか考えていなくて、何でも取り入れて、何でも使って、何でも組み合わせる。限界なんてない。それは素晴らしくクリエイティヴで、本来の意味で芸術的なものでした。私が過ごした90年代半ばから後半にかけては、自分の好きなものを見つけるには絶好の時期でした。だから、ストレート・アヘッドなジャズはあまりやらなかったけど、バーでDJがターンテーブルやサンプラーを扱う横で一緒に演奏したり、サックスやフルートにエフェクトをかけて演奏したり、そういうことをたくさんしていました。そんなとき私は即興で演奏をして、DJも即興でスクラッチしたり、サンプリングしたループを入れたり出したりしていました。それは私にとって、週末にカルテットで演奏するのと同じように、ジャズ的なものでしたね。だから、スタイルに大きな違いはないと思っていました。私のプロデュース・スタイルや音楽の多くにはクラブっぽい要素もあって、それがいま役立っていると思います。実際にはサンプリングされていなくても、つまりミュージシャンが実際に演奏していても、少しカット&ペーストしたようなサウンドが好きなんです。当時のヒップホップやトリップホップ、ドラムンベースの人たちがいつも持っていたようなパターンやアイデアですね。繰り返される小さなループで構成されていて、それがいつも本当に楽しいと思っていました。私の初期の作品の多くには明確にそのようなサウンドがあるように思います。ほとんどトランシーで反復的なビート。私たちがビートと呼ぶ、深い深いグルーヴのようなものです。

サックス奏者は何百万人もいるけれど、フルート奏者はもっと少ない。フルートの世界を探求するのはとても楽しいことだといつも感じています。ある意味、あまり開拓されていない領域のようにも思えますね。

初めてのリーダー・アルバムは2017年にスペインの〈ラヴモンク〉からリリースされた『La Sombra』です。スペインのミュージシャンが多く参加していて、録音もスペインかと思うのですが、いつ頃からスペインに住むようになったのですか?

CW:スペインに移住したのは、2007年の年末。妻がスペイン人なので、子どもたちにもスペイン語やスペイン文化に触れさせたかったことが理由です。それとアーティストとして、自分が携わっているプロジェクトが一定の到達点に達したと感じていた、という理由もあります。ナイトメアズ・オン・ワックスのようにポップでハイレベルな相手と仕事もたくさんしましたし、バッドリー・ドローン・ボーイとツアーをしたりと、世界中を旅しました。〈ラヴモンク〉のレーベル・マネージャーのボルハ・トーレスは、私がマドリードで最初に知り合ったひとりで、彼はDJでもありました。彼はいつも私に興味を持ってくれて、マドリードで活動を始めたばかりの頃、遊び半分で彼とシングルを何枚か出しました。そして、私にアルバムを作るようにと勧めてくれたのも彼でした。私はニュー・マスターサウンズをはじめセッション・プレイヤーとして仕事をしたり、ガイ・リッチーの映画『Snatch』(2000年)でターキッシュというキャラクターのフルート演奏を担当するなど、いろいろなことをやりました。ボルハはそんな私の活動や作曲をすることを知っていたので、自分の音楽を作ることを勧めてくれました。私はそれまでいつもほかの人のプロジェクトやバンドのために曲を書いていましたが、100%自分の仕事をするということにコミットしたことはありませんでした。つまり、彼は私を自分自身の音楽を作るアーティストの道へと押しやってくれた最初の人で、これは本当にありがたいことです。
 それがアルバム『La Sombra』につながっていきます。『La Sombra』とは、スペイン語で日陰や影という意味。あのアルバムのポイントは、私が誰かほかの人の影のなかにいることをやめて、セッション・プレイヤーであることをやめて、アーティストとして自分自身に光があたる場所へと出ていく、ということでした。だからとても象徴的なタイトルだと感じています。私は、『La Sombra』を自分のために書いたオリジナル曲で構成した一枚のアルバムにしたかった。アルバム制作をするにあたり、レーベルが口を出すことなく自由にさせてくれたので、いい曲を何曲も書くことができました。しかし、このアルバムはスペインでスペイン人のミュージシャンとレコーディングし、タイトルもスペイン語なのに、皮肉なことにイギリスでヒットしたんです。スペインのミュージシャンを使ってアルバムを作り、スペインのマーケットで自分の地位を確立しようというのが私のプランでしたが、そんなに単純なものではありませんでした。ということでツアーでイギリスに戻ったのですが、それはそれで素敵なことで、不満ではありません。スペインのミュージシャンと演奏しても、あのアルバムには私の歴史が組み込まれているから、どうしてもイギリスらしさが出てしまうんですよね。

『La Sombra』はアルバム・タイトルからしてそうですが、ラテン・ジャズの要素が強い作品です。それは現在までのあなたの作品にずっと共通する要素で、またヴィブラフォンやパーカッションを混ぜた編成もラテン・ジャズに即したものと言えます。あなた自身はイギリス人で特にラテン系の血筋ではないのですが、どうしてラテン音楽に傾倒していったのですか?

CW:スペインに移住する前、イギリスにいたときからラテン音楽を頻繁に演奏していました。サンバやバトゥカーダのようなブラジル音楽をフルートとサックスで演奏することが、私の初めてのプロとしての仕事だったんですよ。サルサ・バンドやグルーポ・エックスのようなブラジリアン・バンドでもたくさん演奏しました。私はフルートもサックスも吹くことができるので、サルサ・バンドのホーン・セクションで演奏する仕事がたくさんきたんですよね。なのでサルサやラテン音楽はよく聴いていましたし、イギリスにいたときはそのラテン音楽のシーンで積極的に活動していたんですよ。でも、スペインに行ってスペイン語を話せるようになったことはよかったのですが、皮肉なことにマドリードでは、イギリスにいたころよりもサルサを演奏する機会は意外と少なかったです。
 たしかに私のどのレコードにもラテンやラテン・ジャズ的な要素は入っていますが、いつもそれほど目立たないように隠し味的に入れています。毎回同じテイストにはならないように。でも、私にとってそれは不変のものなんです。私はフルート奏者ですが、フルートをフィーチャーした素晴らしいラテン音楽がたくさんあるんです。繰り返しになりますが、フルートを聴かずにはいられないし、ラテン音楽を聴かずにはいられません。キューバやブラジルには偉大なフルート奏者がたくさんいて、私は彼らを本当に尊敬しています。だからフルートはつねに私の作曲や演奏に入り込んでくるし、そろそろ本格的なアフロ・キューバンのアルバムを作ってもいいんじゃないかと思うくらいです。

[[SplitPage]]

ハープは最近とても重要な楽器になってきていて、ジャズ界にとって興味深い存在だと思います。

フルートを本格的に始めたのはいつ頃ですか?

CW:フルートとの出会いは、バンドでブラジル音楽を演奏していたときのことです。フルートとサックスはもちろん関係があるし、演奏するときの指の形も似ているから、サックス奏者がフルートやクラリネットを手に取るのは自然なことなんです。演奏技術的にはフルートはサックスのいとこみたいなものですね。私は姉のフルートを借りて学びました。その後、妻が誕生日プレゼントにフルートを買ってくれて、ジョージ・ギャルウェイからレッスンを受けました。有名なフルート奏者のジェイムズ・ギャルウェイの兄で、サックス、クラリネット、フルート、何でも演奏する素晴らしいプロでした。性格はとてもワイルドでしたけどね。
 フルートという楽器はサックスよりも演奏するのが技術的にずっと難しい。サックス奏者はしばしばとても下手なフルート奏者になります。その逆は簡単なんですけどね。フルートでいい音を出すのは、サックス奏者には難しいんです。だから、それを修正するために何年も懸命に努力してきたし、好き嫌いをせず複数の楽器を演奏することができるマルチ奏者になるために努力してきました。フルートが大好きなんです。それでハロルド・マクネアやローランド・カーク、ジェイムズ・ムーディといったマルチ奏者の名手たちのレコードを聴くようになりましたね。どちらか一方しか演奏できないのではなく、両方演奏できたから良いキャリアを積むことができたと思っています。アルト・フルートはいつもアルバムで演奏していますね。アルト・フルートは少し大きめで、音に深みがあります。偉大な映画音楽作家のラロ・シフリンは、アルト・フルートとフリューゲルホーンを使っていました。彼の映画のサウンドトラック、とくに70年代の『Bullitt』のようなサウンド、あれはとても特徴的なものですね。
 私は美しい音色を奏でるアルト・フルートの大ファンです。でもライヴで演奏するのはとても難しくて、適切な曲を選ばなければならないし、大音量で演奏することもできません。私は “Winter” という曲(『Cloud 10』収録)でアルト・フルートを吹いたのですが、とてもスローで深いスピリチュアルなジャズ・トラックです。アルト・フルートは珍しい楽器で、私はそれを極めていくのが大好きなんです。どちらかというと、サックス奏者としてよりもフルート奏者としての私の方が特徴的だと思います。サックス奏者は何百万人もいるけれど、フルート奏者はもっと少ない。フルートの世界を探求するのはとても楽しいことだといつも感じています。ある意味、あまり開拓されていない領域のようにも思えますね。

あなたの演奏するジャズはラテンやアフロ・キューバンの要素があり、クール・ジャズ、ハード・バップ、モード・ジャズといった、1950年代から1960年代に土台を築いたモダン・ジャズが軸になっていると思います。クラブ・ジャズにおいてもこうしたジャズは「踊れるジャズ」として一世を風靡し、2000年代にイタリアのニコラ・コンテやレーベルの〈スキーマ〉、フィンランドのファイヴ・コーナーズ・クインテットなどが人気を博した時期もありました。あなたの作品を聴いているとそれらに近い印象を覚えるのですが、あなた自身では自分の音楽はどのように生まれたものだと思いますか?

CW:あのクラブ・ジャズ・シーン全体が好きでしたね。私はファイヴ・コーナーズ・クインテットの大ファンで、ヘルシンキにも行ったことがあります。メンバーのティモ・ラッシーとは親友で、彼の音楽の大ファンですよ。フィンランドのクラブ・ジャズ・シーンは50年代の〈ブルーノート〉のようなクラシカルなサウンドとダンス・ミュージック、そしてモダンな感性との素敵な出会いがあってとても素晴らしいものでした。〈スキーマ〉はどちらかというとボサノヴァ的ですが、あそこのリリースする作品も好きです。それから、ジャザノヴァやキョウト・ジャズ・マッシヴのようなアーティストも大好きで、彼らのようなクラブ・ミュージックとジャズが融合した音楽にたいへん魅力を感じます。
 私の音楽に対するアプローチについて話をすると、たとえば古いジャズのドラム・ループやサンプルを取り入れたシネマティック・オーケストラのように、それら素材をもとにダンス・ミュージックを作るというアイデアもあるんです。でも、ファイヴ・コーナーズ・クインテットのように、ジャズが本来的に持つダンス音楽としての要素をもっと直接的に用いる方法もあります。彼らの音楽は一見〈ブルーノート〉の昔のレコードのように聴こえるかもしれないけれど、じつはそれだけではないんです。今回のアルバム(『Cloud 10』)も、まるで50年代のサウンドやそのスタイルを知っている素晴らしいミュージシャンのプレイを聴くことができるような、ちょっとしたスタジオ・ワークの妙技があります。私のアルバムの多くには、そういった要素がたくさん含まれていると思います。『La Sombra』や『Cloud 10』に収録されている “Tubby Chaser” はそんなシーンを彷彿とさせると思います。
 クラブ・カルチャーとジャズ・カルチャーは、いまのところある程度まではイギリスではうまく融合していると思いますよ。若い世代が再びクラブ・シーンに溶け込み、ジャズもその一部に組み込まれ、シーン全体に新鮮な空気を吹き込んでいると思います。純粋なジャズ・ファンや、シリアスなダンス・ミュージック・マニアたちの領域を冒さない限り、両者は共存できる。その中間点を見つけるのは難しいと思いますが、それができたときは素晴しいと思います。現在だとほかの国でもミュンヘンのウェブ・ウェブとか、ストリングスがちょっとクラシックなストックホルムのスヴェン・ワンダーも好きですね。もし私の音楽をこれらの人たちと同じカテゴリーに入れてくれてるなら、それはとても光栄なことです。

〈ラヴモンク〉で3枚のアルバムをリリースした後、2022年にマシュー・ハルソールが主宰する〈ゴンドワナ〉から『Cloud 10』を発表します。マシューが率いるゴンドワナ・オーケストラにも参加しているのですが、どのようにマシューや〈ゴンドワナ〉との関係が始まったのですか? マンチェスターの音楽学校時代から関係があったりするのでしょうか?

CW:私とマシュー・ハルソールの付き合いは〈ゴンドワナ〉ができる前まで遡ります。マンチェスターのシーンで、彼やナット・バーチャルのような連中と一緒に演奏していたんです。それ以来、私たちはずっと友だちです。音楽的なテイストやヴァイブス、意思の面で、出会ってすぐに意気投合しました。私たちはいつも次のことをやりたいと思っているし、アーティストとしてとても好奇心旺盛な性格で、つねに前進していきたいと思っています。私たちは自分たちのやっていることが大好きで、いつも「このアルバムと、あのレコードと、これと、どう?」と話しているんです。話を戻すと、音楽学校を卒業してからはずっと後になりますが、スペインに移住する前の2007年頃、当時私たちはマンチェスター近郊でよく一緒にプレイしていて、私は彼のファースト・アルバム『Sending My Love』に参加しました。私がイギリスを離れてもずっと友だちで、マシューがマドリードに来るときは彼や彼のバンドといつも一緒に演奏していました。
 マシューがゴンドワナ・オーケストラを結成したときも、彼は私を招待してくれました。ジョン・スコット、タズ・モディ、アマンダ・ウィッティング、ギャヴィン・バラスといった素晴らしいプレイヤーたちと一緒にね。だからマシューと〈ゴンドワナ〉と私の関係が途切れたことはないんです。〈ラヴモンク〉から最初のアルバムを出したときも、そのデモをマシューに送って感想を聞いたり、雑談したりしたのを覚えています。私はデモをマシューによく送って「これ、どう思う?」とアドバイスをもらっています。『La Sombra』を発表するためのロンドン公演を企画してくれたのも、じつはマシューと彼のマネージャーであるケルステン・マックネスだったんです。当時は彼らのレーベルと契約していたわけではないのに協力してくれた。この関係はとても美しい。いつもそばにいるわけではないのが残念ですが、必要であれば飛んでいきますね。たとえばマシュー・ハルソールの最新作『An Ever Changing View』(2023年)のセッションにも参加しましたし、昨年9月には彼のロイヤル・アルバート・ホールを含む大きなツアーにも参加しました。ロイヤル・アルバート・ホールで3000人もの満員の観客の前で、〈ゴンドワナ〉の15年周年を祝福できたことは本当に意味深いことでした。
 私と〈ゴンドワナ〉との契約が始まったときのこと話すと、私とマシューはアーティストとレーベル・マネージャーとしてではなく、まず友人として話をしました。マシューは音楽に関することよりも、私がレーベルと契約することで私たちの友情が失われることを心配したんです。彼は「僕たちは大親友で、仕事という状況に入るのだから、このことについてじっくり考える必要がある」というのです。それはとても優しく、彼の人間性をよく表しています。もちろん〈ゴンドワナ〉とはとてもうまくいっています。ロニー・リストン・スミスをカヴァーしたEP「Astral Traveling」(2022年)も素晴らしいレコードで、本当にいい流れがつくれているし、これからもこの関係が続いてくれることを願っています。

幸運にもロニー・リストン・スミスと3、4回、とても長く話をすることができたんです。彼が「よくやった」と言って連絡をくれたことは、人生の忘れられない瞬間のひとつです。

『Cloud 10』は作風としては〈ラヴモンク〉時代を継承するものですが、グループ編成を見ると〈ラヴモンク〉での3作目にあたる『Blue To Red』(2020年)よりイギリスのミュージシャンがバンド・メンバーとなっています。録音のベースはイギリスに移ったのですか?

CW:いえ、マドリードにあるエスタジオ・ブラジルでレコーディングして、そこにイギリスからミュージシャンたちがやってきました。素敵なアナログ・スタジオで、そこでの収録は2回目でした。メンバーは当時一緒に仕事をしていた音楽家で、ゴンドワナ・オーケストラのメンバーだったジョン・スコット。それと2作目の『Shamal Wind』(2018年)でピアノを弾いていたフィル・ウィルキンソン。彼もイギリス人ですが、当時彼はスペインに住んでいました。それからサイモン・“スニーキー”・ホートンは、90年代半ばのレイ&クリスチャン時代まで遡る長い付き合いです。トン・リスコはスペインのガリシア地方の出身で、最高に素晴らしいヴァイブ奏者なんです。ほとんどはイギリスのメンバーですよね。でも私にとってアルバム作りは料理みたいなもので、それは材料やキャラクターをまとめることであり、レコーディングした時点でのスナップショットでもあります。だから、そのとき一緒に仕事をしているプレイヤーや周りにいる人たちがその時々のプロジェクトに参加する傾向があって、作品ごとに自然に移り変わっていきます。私は曲を書いてからデモを作ることが多いのですが、そのときの曲について私が求めるフレーヴァーを考えます。そうしたらジョン・スコットが最適なドラマーで、ベースはスニーキーが最高だと思いました。それにマッコイ・タイナーみたいなピアノも必要で……だからフィル・ウィルキンソンにピアノをお願いしました。最終的に正しい結果を得るために、正しい材料を揃えるようなことをするわけです。
 アルバムの演奏はライヴ・バンドとはまったく別もので、ライヴ・バンドで使うプレイヤーのリストもあるけれど、アルバムはそのとき必要な要素に基づいています。私にとってはいつも音楽が最優先で……一緒に仕事をした仲間のほとんどは、そんな私のことをよく知っています。私はとても正直で、彼らはそれを理解してくれる。その上でアルバムに参加するなら、参加する。しないなら、しない。ミュージシャンがプロセスにコミットし、自分自身よりも音楽を優先すること、それは私の音楽にとって本当に重要なことなんです。ミュージシャンが私と一緒にスタジオに入るとき、私は彼らがテクニックを見せびらかしたり、楽曲にあれやこれやと注文を入れたりすることを望んでいません。深い意味で、精神的な意味で、献身的な意味で、その瞬間、その楽曲を可能な限り良いものにすることに集中してもらうような……音楽に向き合ってその中に完全に同調してほしいのです。私にとってはそれが全てなんです。私がミュージシャンを集めるときにいつも心がけているのは、スタジオでそのような雰囲気を作り出すこと、つまり何か特別なものを作り出そうというスピリットをみなと共有していくことです。アナログ・スタイルのレコーディングは、その生演奏の瞬間を録音しなければなりません。上手く演奏できなかったらもう一度やり直さなければなりませんが、レコーディングを繰り返すには録音テープに十分なスペースが必要です。アナログ・スタイルのレコーディングにはこういったリスクがある一方、そうした制約下でのエネルギーがもたらすパフォーマンスのレベルはとても特別で、アルバムに美しいものをもたらしてくれると思います。そのプレッシャーに対処し、深く入り込むことができるミュージシャンがいる限り、毎回ずっといいものができる、そう思っています。

『Blue To Red』からはさらにハープ奏者が加わっています。ハープはゴンドワナ・オーケストラはじめ、マシュー・ハルソールが好んで使う楽器なのですが、そのあたりは影響を受けているのですか?

CW:もちろんです。マシュー・ハルソールはハープにこだわってきました。彼のバンドにはつねにハープがあり、それが彼のユニークなセールスポイントのひとつだと思います。私はマシューのおかげでハープ奏者のアマンダ・ウィッティングと仕事をするようになりました。アマンダがゴンドワナ・オーケストラで演奏していたのが直接のきっかけで、私がベルリンでのライヴに行ったとき、そこで初めてアマンダに会い、彼女の演奏を聴いて、意気投合しました。そして、当時進行中だった『Blue To Red』のセッションに参加してもらいました。土曜日にゴンドワナ・オーケストラで一緒に演奏して、そのまま月曜日に彼女はスタジオにいて、私の次のアルバムのレコーディングに参加してもらったのです。彼女はこれまで私の作品にたくさん参加してくれてますし、私も彼女のアルバム3枚に参加しています。

マシューの場合はアリス・コルトレーンが好きでハープを重用していると思うのですが、あなたも〈ゴンドワナ〉移籍後はマシューやアリスの影響からか、いわゆるスピリチュアル・ジャズ的な要素も増えているような気がします。いかがですか?

CW:ハープという楽器に関して言うと、アマンダ・ウィッティングはアリス・コルトレーンというよりドロシー・アシュビーに近いタイプの演奏家で、アリスよりはるかにメロディアスだと思います。ドロシー・アシュビーは私がよく聴く偉大な伝説的ハープ奏者です。1970年の『The Rubáiyát Of Dorothy Ashby』はお気に入りのアルバムのひとつ。これまでで最も美しいハープのアルバムだと思っています。私にとってハープはジャズという音楽における重要な一部だし、美しい音色を持ち、フルートとの相性もとてもいい。質感的にもね。ヴィブラフォンやローズ・ピアノなどとも相性はいいですが、とくにフルートと美しく調和する音だと思います。ハープは視覚の面でもステージでとても重要です。とても大きくて、とてもエレガントで、音楽に静けさと落ち着きと真剣さを与えてくれます。ああ、深くてゆっくりとしたスピリチュアルなジャズの曲を演奏しているときに、突然心臓の音が聞こえてきたら、心臓がバクバクしてしまいますね。本当にゴージャスなサウンドです。ハープは最近とても重要な楽器になってきていて、ジャズ界にとって興味深い存在だと思います。アマンダは昨年〈ファースト・ワーズ〉に移籍して、いま新プロジェクトを立ち上げるなど、新しいキャリアをスタートさせています。今後の彼女の動向も目が離せないと思います。

あなたの音楽はスピリチュアル・ジャズとカテゴライズされる場合もあると思いますが、いわゆるフリー・ジャズやブラック・ジャズ的なそれではなく、あくまでモーダルでクールなものであると思います。たとえばファラオ・サンダースとかマッコイ・タイナーのようなタイプとも少し違い、近い印象ではポール・ホーンやボビー・ハッチャーソンのような音楽を彷彿とさせます。エモーションよりも知性が勝る音楽で、非常に洗練されてスタイリッシュな印象を持つのですが、あなた自身は音楽を作ったり演奏したりする際に意識しているのはどんなところですか?

CW:あなたが名をあげたポール・ホーンやボビー・ハッチャーソンは、実際に参考にするミュージシャンですね。音楽におけるモーダルなエッセンスは、私が好きなクラブ・ミュージックの要素と結びついているから重要です。モーダル・ジャズには深みとクラブっぽさがあると思います。50年代や60年代のハード・バップを演奏するなら、コード・チェンジやウォーキング・ベースがとても特徴的ですが、モーダル・ジャズの世界に一歩足を踏み入れると、ベース・ラインを歩かせる必要はなくなります。モーダル・ジャズの多くには大きなベース・リフがあり、私はそれが大好きです。ベースのフレーズが大好きなので、私の曲はどれもベース・ラインが大きい。どれも美しくメロディアスなベース・ラインです。だから、ハード・バップのようにコード・チェンジを多用するよりも、モーダル・ジャズのウォークしないベース・ラインのほうが自分の音楽にはしっくりくると思っています。もちろん私の曲にはコード・チェンジもあるし、ストレート・アヘッドなジャズへの敬意もあります。スタイル的にモーダルなものはジャザノヴァやザ・ファイヴ・コーナーズ・クインテット、ティモ・ラッシーの世界に共通するもので、彼らの音楽はよりオープンエンドで、テクスチャーが強く、もっとスペースがあるものが多いです。エレクトロニクスを使ったり、ほかのものを使ったりするためにはスペースが必要なんです。ハーモニーが複雑すぎたり、変化しすぎたりすると、サンプルや深みのあるサウンドの効果が少し薄れてしまいますから。
 私が参考にしている一例をあげると、ボビー・ハッチャーソンとハロルド・ランドのアルバム『San Francisco』があります。ドナルド・バードがマイゼル兄弟とやった作品もそうですね。それからロニー・リストン・スミス! 私の〈ゴンドワナ〉からの最初のレコード「Astral Travelling」EPに遡りますが、ロニー・リストン・スミスをカヴァーしたこの作品もまたモダンでスピリチュアルなジャズです。モード・ジャズとファラオ・サンダース的なスタイルのクロスオーヴァーのようなものですね。私はじつは、幸運にもロニー・リストン・スミスと3、4回、とても長く話をすることができたんです。彼は私が「Astral Traveling」EPをリリースした後に連絡をくれて、電話でピアノを聴かせてくれました。彼の話に圧倒されて涙が出そうになりましたね。音楽について2、3時間話したのですが、あのレベルに達した人と話して、彼がいま何を考えているのか、どう考えているのか、彼がいま音楽についてどう感じているのか、彼の音楽をリスペクトしながらも新しいものを作ろうとしている私のような人間について、彼がどう考えているのか……彼の脳みその中にあるいろいろなものをかき集める機会を持てたことは、自分の人生が肯定されるような経験でした。
 カヴァー・ヴァージョンに関する個人的な見解を述べると、すでにクラシックになっている名曲を新しいものに書き換えてしまうのは最悪の試みだと思っています。私は自分で曲を書くので、カヴァー・ヴァージョンはあまりやりません。だから、あくまでレーベルからの特別企画的な提案だったとはいえ、ロニー・リストン・スミスの曲を3曲やるのはとても難しかったですし、オリジナルとなるべく同じように聴かせたかったから、アレンジもスタイルも深く考えなければなりませんでした。ロニーがトラックをとても気に入ってくれて、本当に理解してくれたのは、私にとっては圧倒的な体験でした。彼が「よくやった」と言って連絡をくれたことは、人生の忘れられない瞬間のひとつです。原曲を書いた人からリスペクトを受けるなんて素晴らしい経験で、一生感謝しつづけたいと思っています。

自分の経験の断片、好みの断片、人生や自分自身の断片を組み合わせることで、アーティストとして、作曲家として、自分の持ち味を発揮することができるようになるのです。私のなかにはマンチェスターの断片があり、ロンドンの断片があり、マドリードの断片がある。中東の断片も持っています。

『Cloud 10』には先ほど話に出た “Tubby Chaser” という曲があって、これは1960年代に活躍したイギリスの伝説的サックス奏者のタビー・ヘイズへのオマージュかと思います。曲調はそのタビー・ヘイズと同時期に活躍したサックス&フルート奏者のハロルド・マクネアの “Hipster” を彷彿とさせるものです。この “Hipster” はダンス・ジャズ・クラシックでもあるわけですが、こうした1960年代から1970年代初頭のUKジャズの影響はあなたにも大きいのでしょうか?

CW:ああ、素晴らしい影響を受けていると思います。タビー・ヘイズの “Down in the Village” は最高にクールだと思います。ハロルド・マクネアはカリブ海出身ではあるけれど、イギリスに渡って多くの時間を過ごしました。彼の “The Hipster” はまさに私がやってみたいことのひとつですね。スタイルの面で私やファイヴ・コーナーズ、ティモ・ラッシーに通じるサウンドがあります。私たちみんなが聴いてきた音なんですね。タビー・ヘイズやハロルド・マクネアたちはその元祖なんです。タビー・ヘイズはイギリスで言えば、50年代にUKのジャズ・シーンが成長した時期の最初の人物だから、とても愛されています。サックス、フルート、ヴィブラフォンを演奏して、多くの音楽家に影響を与えました。私のような人間ももちろん彼を避けて通ることはできませんよね。50年代にタビーたちはみな船に乗って演奏しながらアメリカに渡った。ニューヨークで3日間音楽を聴き、最新のレコードを買い、それをトランクに入れてまた船で戻ってくる。その頃のロンドンではサックス奏者のロニー・スコットが素晴しいジャズ・クラブをオープンして、タビー・ヘイズは人々がジャズを楽しむそんな素敵なロニー・スコッツ・クラブで演奏し、ニューヨークで聴いてきたものを再現しようとしたんです。古き良き時代のイギリスらしい話ですね。つまり、アメリカ人がやっていることを、私たちイギリス人も真似してやってみようじゃないかと。タビー・ヘイズはニューヨークに行ってアメリカのミュージシャンとレコーディングし、ロニー・スコットはソニー・ロリンズに演奏してもらうためにイギリスに招聘した。彼らはパイオニアであり、道を切り開いてきました。私たちはまだまだ彼らのことについて話をすべきです。彼らが私たち全員に与えた影響はいまでも感じられるわけですから。いま彼らのレコードを聴いても、ほかのどのレコードよりも優れていると感じます。
 タビー・ヘイズと同じような時代のハロルド・マクネアも、フルート奏者として私に多大な影響を与えてくれました。息を強く吐きながらフルートを吹くという、いわば歌と演奏を同時にこなす独特なスタイルを持っていました。同じようなスタイルを持つローランド・カークの演奏も聴きましたが、私にとってはハロルド・マクネアの “The Hipster” やそのほかの曲もろもろの方が素晴らしかったです。彼はケン・ローチ監督のドキュメンタリー映画『Kes』(1969年)のサウンドトラックに参加していて……最高に素晴らしい映画なんですが、その音楽を作曲家のジョン・キャメロンが手がけていて、ハロルド・マクネアがフルートを吹いています。初めてそのアルバムを聴いたとき、私は自分が何を聴いているのか信じられなかった。本当にゴージャスで、素晴らしい作品です。けれどもハロルド・マクネアは時代を先取りしていたのに、長生きはできませんでした。彼は3、4枚のアルバムを作って、それで死んでしまったのです。でも、彼が残したものは本当に驚くべきもの。みなさんにはぜひハロルド・マクネアを聴いてみてください、と言いたいですね。

現在のイギリスは、サウス・ロンドンのシャバカ・ハッチングスたちを中心としたジャズ・ムーヴメントがあり、一方でマンチェスターのマシュー・ハルソールやゴーゴー・ペンギンたちからも発信がおこなわれています。あなたはサウス・ロンドン・シーンとは異なるジャズをやっていて、でもゴーゴー・ペンギンなどともまた異なるジャズであると思います。ブリストルなどほかの都市でもジャズがあるわけですが、あなたは自身の音楽についてどのようなジャズだと思いますか?

CW:私はロンドン南部に近いブライトンで育ちましたから、ロンドンのジャズ・シーンの性質は理解しています。サウス・ロンドンのシーン全体は、アフロセントリックなサウンドですね。とてもディープでエレクトロニックなクラブ・ミュージックの要素もありますね。ロンドンのシーンにはライヴのエネルギーがあります。外に出て、集まって、演奏して、できるだけ多くの人がステージに立つ。現在のロンドンのシーンにはジャズが長い間必要としてきた若々しいスピリットがあります。一方でマンチェスターのマシューはもっと洗練されていると思います。もしマシューがサウス・ロンドンのペッカムを拠点にしていたら、いまごろ彼はイギリスで一番のスターになっていたと思いますよ。マンチェスターにいるということで、彼は少し注目を集めづらい部分があるかもしれません。でもロンドンはロンドンでほかとは違う難しさがあります。私はどちらのシーンも見てきたので、それぞれの苦労がわかるんです。私には世界を旅するトラヴェラーのような要素もあり、幸運にもその土地土地のいろいろなスタイルの音楽を演奏する機会に恵まれてましたから。文字どおりどんなスタイルの音楽もやってきたし、高いレベルで演奏してきました。私が持っている音楽的な幸運です。一緒に演奏するバンドは、多くの異なる味をもたらしてくれますが、それらを何とかうまく調和させることができたと思います。
 影響されたものが多すぎるのはときに悪いことで、混沌としてしまうこともあります。でも、音楽に限らず何ごともそうですが、自分の経験の断片、好みの断片、人生や自分自身の断片を組み合わせることで、アーティストとして、作曲家として、自分の持ち味を発揮することができるようになるのです。私のなかにはマンチェスターの断片があり、ロンドンの断片があり、マドリードの断片がある。中東の断片も持っています。私の音楽には、いろんな影響があるんです。住んでいたところからだけじゃなくて、いろんな音楽を聴いていますからね。だから地理的な縛りはあまりありません。いろいろな人に会い、いろいろなミュージシャンと演奏する機会があり、私はその経験を自分のなかに持っている。自分のヴォキャブラリーや作曲、演奏に、そのような断片を少しずつ取り入れることを楽しんでいるんですね。だから私のアルバムにはいろいろなスタイルがあるんだと思います。アフロ・キューバンから得たものも、深いスローなスピリチュアルな曲も、アップテンポのモーダルなものもあります。高速のジャズ・ダンサーからミディアム・テンポのジャズ・ダンサーも、“The Hipster” のような3/4拍のジャズ・ワルツもある。中近東の影響も、パーカッシヴなものもたくさんある。これが作曲の面白いところなんです。願わくは、私がそれらすべてを説得力のある方法でまとめられる実力を持つアーティストでいたいと思っています。ひどいコンピレーションみたいにならないようにね。これが実際に本物の芸術的な取り組みなんです。私はシーンで何が起こっているかということには興味がなく、いい音に興味があるのです。

『Cloud 10』とEPの「Love & Life」、そして未発表の新曲をまとめた『Cloud 10 – The Complete Sessions』がこの度日本で発売されます。改めて日本のファンに向けて、どんなところを聴いて欲しいかお願いします。

CW:本当に素晴らしい作品だと思っています。なんせ、私たちがおこなったレコーディング・セッションのすべてが収録されていますからね。完全なセッションです。オリジナル・アルバムの『Cloud 10』と、同じセッションで作られたEP「Love & Life」、そしてどちらにも収録されることのなかった“La Bohemia” と “Hang Time” というふたつの未発表曲が収録されています。とくに “La Bohemia” はレコーディングしたときに、ミュージシャンがまるで昔のジャズ・バンドのようにスウィングしている瞬間が最高でした。ベース・ラインは典型的なディープ・リフで、スピリチュアルでモーダルなものですが、奏者たちは突然50年代のスウィング・ジャズのようにベース・ラインをウォークさせ始め、エネルギーが爆発します。“La Bohemia” を聴いて、あのレコーディングのときに私が感じたエネルギーを体験できるかどうか確かめてほしい。本当にこの曲がリリースされたことをとても嬉しく思っています。“La Bohemia” と “Hang Time” をどうぞ楽しんでくださいね。

Chip Wickham
FUJIROCK FESTIVAL'24出演決定!
https://www.fujirockfestival.com/

Brian Eno, Holger Czukay & J. Peter Schwalm - ele-king

 昨夏お伝えした幻の発掘音源──ブライアン・イーノCANホルガー・シューカイ、J・ペーター・シュヴァルムによる驚きのライヴ盤『Sushi. Roti. Reibekuchen』が、5月24日に世界同時リリースされる。フォーマットはCD、LP、デジタル/ストリーミング配信の3形態。日本盤CDにはオリジナル・ブックレットの対訳つきの解説書が封入されるそうだ。限定日本語帯付LPも用意されているとのことで、これはしっかり確保しておきたい。

知られざる奇跡の邂逅
ブライアン・イーノ
ホルガー・シューカイ(CAN)
J・ペーター・シュヴァルム
貴重な発掘音源『Sushi. Roti. Reibekuchen』がまさかのCD化決定!

知られざる奇跡的邂逅が蘇る──今から遡ること四半世紀前の1998年8月27日、ブライアン・イーノ、CANのホルガー・シューカイ、J・ペーター・シュヴァルムが繰り広げたインプロヴィゼーション・ライヴがこのたび、発掘音源『Sushi. Roti. Reibekuchen』としてリリースされる運びとなった。

1990年代といえばブライアン・イーノが「歓迎されないジャズ(Unwelcome Jazz)」と呼んだ「新種の音楽」としての独自のジャズにアプローチしていた時期でもある。その成果は名称を変えて1997年のアルバム『The Drop』にまとめられることになるのだが、翌1998年に彼はまさに自身がアプローチしていたジャズに近しい音楽と運命的な出会いを果たすことになる。それがJ・ペーター・シュヴァルムによるバンド・プロジェクト、スロップ・ショップのデビュー・アルバム『Makrodelia』(1998年)だった。意気投合した両者はコラボレーションを開始し、2000年に伶楽舎とディスクを分担した2枚組『music for 陰陽師』を、2001年にはCANのホルガー・シューカイを含む多数のミュージシャンを交えた『Drawn from Life』を完成させる──のだが実はそこには前日譚があった。

イーノがシュヴァルムと知り合って間もない頃、3回目に会ったのがこのたびの発掘音源のリハーサルだそうである。そしてそこにはスロップ・ショップのベーシストであるラウル・ウォルトンおよびドラマーであるイェルン・アタイのほか、シュヴァルムが初めて対面する、カンの創設メンバーでありベーシストとしても知られるホルガー・シューカイがいた。イーノとシューカイはすでに『Cluster and Eno』(1977年)および『After The Heat』(1978年)で共同作業していたが、いずれもシューカイが参加したのは1曲のみ、かつベーシストとしての客演だった。しかし発掘音源に収められたイーノおよびシュヴァルムとのセッションでは、シューカイが「ラジオ・ペインティング」と呼ぶような、短波ラジオとテープを用いたサンプリング/コラージュを行っている。ともかく、三者が揃ってライヴを披露するのは初めてのことだった。しかもウォルトン、アタイを含む5人のメンバーが揃って演奏を行う機会はその後ついに訪れなかった。奇跡的な邂逅と言っていいだろう。

ブライアン・イーノが当時ライヴを行うこと自体も珍しかった。だがこの発掘音源の元となった「Sushi! Roti! Reibekuchen!」なるイベントはやや特殊なものだった。食べ物をタイトルに掲げているように、主役は料理人なのである。というのも、ドイツ・ボンの美術展示館で開催されたイーノによるインスタレーション展のオープニング・パーティーとして野外で行われたイベントだったのだが、字義通りパーティーであり、会場では大勢の来場者に料理人たちが食べ物を振る舞っていた。そうした中、用意されたステージでドローンが鳴り始め、そして5人のミュージシャンが即興で演奏を行った。イーノによればこのイベントにおけるパフォーマーは料理人たちであり、自分たちが作っているのはバックグラウンド・ミュージック。つまり音楽のパフォーマンスではなく、バックグラウンド・ミュージック付きの料理のパフォーマンスなのだという。イーノらしいコンセプトだと思うが、しかし、ステージで魅せる音楽は少なくない観衆の耳を釘付けにした。イーノとシュヴァルムが作り出すミニマルでアンビエント/ドローンなサウンドに、ホルガー・シューカイのサンプリング/コラージュが色を添え、そしてラウル・ウォルトンとイェルン・アタイは時に人力ドラムンベースのごとく怒涛のグルーヴを生み出していく。演奏は2セット、計3時間にもおよび、最後は警察に電源を切られて強制終了させられたという逸話さえ残っている。

発掘音源『Sushi. Roti. Reibekuchen』に収められているのは、そのような計3時間のライヴから抜粋された5つのトラックである。「料理のパフォーマンス」に付随するバックグラウンド・ミュージックとして構想されたライヴは、こうして音源化されることで新たに主役の座に躍り出る。そこから聴こえてくるサウンドは、ブライアン・イーノ、ホルガー・シューカイ、J・ペーター・シュヴァルムという三者の一期一会の本格的なインプロヴィゼーションであるとともに、ただ貴重な記録というだけに留まらず、アンビエント経由の「歓迎されないジャズ」に類する音楽が生演奏で収められた作品として、四半世紀経った2024年現在も実に興味深く思えるのである。

Text by 細田成嗣

ブライアン・イーノ、ホルガー・シューカイ、J・ペーター・シュヴァルムによる『Sushi. Roti. Reibekuchen』は、5月24日にCD、LP、デジタル/ストリーミング配信で世界同時リリース。国内盤CDには、オリジナルブックレット対訳付の解説書が封入される。また限定日本語帯付LPも発売される。

label: BEAT RECORDS / GROENLAND RECORDS
artist: Brian Eno, Holger Czukay & J. Peter Schwalm
title: Sushi, Roti, Reibekuchen
release: 2024.05.24
CD 国内盤(解説書+ブックレット対訳付):¥2,600+tax
CD 輸入盤:OPEN
LP 限定日本語帯付 輸入盤:OPEN
LP 輸入盤:OPEN

https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14008

TRACKLISTING:
01. Sushi
02. Roti
03. Wasser
04. Reibekuchen
05. Wei


interview with Yo Irie - ele-king

いま、恋愛リアリティ・ショー戦国時代で、自分は楽しく見ていたんですけど、興味を示さない人もいて、自分が恋愛ごとやオチのない恋バナに興味が強いタイプなんだなと理解したんですね。

 水、仕事、SF、FISHときて、恋愛。なんのことだかわからないかもしれないが、それが入江陽という異才シンガーソングライターのディスコグラフィである。

 デビュー・アルバム『水』(2013年)の発表からちょうど10+1年。大谷能生がプロデュースした『仕事』(2015年)、soakubeatsらとの『SF』(2016年)、自主レーベルからの『FISH』(2017年)と、入江は4作のアルバムをリリースしてきた。その間に、ネオ・ソウルやヒップホップやジャズやエレクトロニック・ミュージックを大胆にかき混ぜながら、滲みでる前衛性と溢れでる歌心と諧謔に満ちた歌詞とで彩られた異形のポップ・ソングを歌ってきた。

 異才、異形と似たような貧しい語彙で形容したものの、今回、『恋愛』での入江からは「異」がぽろっととれた、かもしれない。映画やドラマやゲームといった対外的な現場での音楽制作などを経て、ツイストした自我の中からストレートな志向を発見した入江は、まっすぐにポップへと向かった。ビースティ・ボーイズとの仕事で知られるマリオ・Cを筆頭に、あまりにも幅広いコントリビューターたちからの助力も得た結果、アルバムは清々しく、実に風通しがよい、群像劇のような作品に磨きあげられている。

 アルバムのタイトルでありコンセプトの「恋愛」は、自ら語るとおり、2010年代以降のジェンダーとセクシュアリティの多様性の(遅ればせながらの)認識の拡大、アロマンティックやアセクシュアルについてのそれを含む知識が広がった時代に、どこか古臭さと、古臭いがゆえの滑稽さを帯びている。それでも、少なからぬ人びとがいまも恋愛に心をかき乱されているし、それらが商品や見世物として流通してさえいる。その「恋愛」という不思議な共有性を通じて、入江がポップの鍵を掴んだことは想像に難くない。

 ところで、今回のインタヴューで入江の口からたびたび出てきたのは、「信用」や「信頼」といった言葉だった。それは、他者へのものであるのと同時に、音楽それ自体に向けられたものでもある。この歌い手は、「恋愛」というミクロなものを拡大し、なにか大きなものにアクセスしようと試みているようだ。

影響を受けたのは、「プロジェクトセカイ」というスマホ・ゲームの仕事に関わっていたことですね。その仕事で、20代や下手したら10代の若いボカロPの方々の曲をずっと聴いていたので、その素直さに影響を受けたんです。

入江さんの新作、7年ぶりですか!

入江陽(以下、YI):気づいたら、浦島太郎のように7年も経っていました(笑)。体感は2、3年……っていうと嘘で、さすがに5年くらい経っていそうな気がしたんですけど、7年も経っているとは思わなかったですね。「7年経っている」とみんなが言っていることが、嘘かもしれません(笑)。ただ正直、もっと早くつくればよかったって思ってはいます。

2019年から配信シングルを継続的に出していて、映画音楽の仕事もされていたので、それほどタイムラグを感じません。

YI:自分でおもしろいと思うのが、シングルを大量に出していたにもかかわらず、アルバムにほとんど入っていないことですね(笑)。

シングル集的なアルバムにはしなかったんですね。

YI:『FISH』やそれ以前のアルバムを聴き返すと、曲がバラバラすぎて、どういうシチュエーションで聴いたらいいのか悩むなって、リスナーとして客観的に思ったんです。それで、ジョン・コルトレーンの『Ballads』(1962年)のようなロマンティックなジャズ・バラード集が好きなので、「恋愛」というコンセプトのアルバムにまとめることで、聴くシチュエーションがわかりやすくなるかなと。……ですが、いま聴くと、意外と曲調がバラバラで(笑)。

いえ、入江さんの作品の中で最も統一感やコンセプチュアルなまとまり、完成度の高さを感じますし、最高傑作だと思います。ゲストも多いですし、入江さんがつくっていない曲もあって風通しがよく、それなのにこの統一感はなんなんだろう? と。

YI:アレンジャーさんも制作経緯もバラバラで、ドラマや映画への提供曲も収録していますからね。まとめる作業はストロング・スタイルで、曲をひたすら並べ替え、夜に散歩しながら聴きまくったんです(笑)。その作業をずっとやっていたら、自然と物語性が出てきました。前半は楽しげで恋愛のワクワク感があって、後半は切なげになってくる感じで。

そもそも、なんで恋愛がテーマなんだろう? と思ったんです(笑)。「はいしん狂」の入江さんだから、恋愛映画やドラマを見まくっていたのかな? とは考えましたが。

YI:まさにそれはあって、恋愛リアリティ・ショーを見まくっていたんです(笑)。『あいのり』や『テラスハウス』あたりがクラシカルなところだと思うんですけど、最近は各社乱立していて。ご覧になりますか?

まったく見ませんが、存在していることは知っています(笑)。

YI:たとえば、ふたつの島が舞台で、移動のタイミングが限られているから、その偶然性でカップルが成立するかどうかが決まる番組とか。元カレと元カノを集めて嫉妬させあう、醜悪な……「醜悪」は言い過ぎました(笑)。そういう練られた座組の番組とか。いま、恋愛リアリティ・ショー戦国時代で、自分は楽しく見ていたんですけど、興味を示さない人もいて、自分が恋愛ごとやオチのない恋バナに興味が強いタイプなんだなと理解したんですね。
あと、「恋愛」って言葉自体が古びてきていると思うんです。ジェンダー観が多様化し、アップデートされて、10年前と現在とでは『恋愛』というタイトルのアルバムを出す意味がかなりちがっているなと。そこで、「恋愛」という旗をあえて振る少数派になってみたらおもしろいかなって思ったんです。

たしかに、漢字で「恋愛」というタイトルのアルバムがどーんと出ると、すごくインパクトありますね。

YI:あえての「恋愛」なのか、単にやばい人なのか、わかりづらいですね(笑)。この古びた「恋愛」って言葉、ちょっと笑える感じがするんです。

昭和感がありますね。

YI:平仮名で「れんあい」とすることも考えたんですけど、そういう逃げはやめて、ストレートにわかりやすく「恋愛」としました。
過去のアルバムはコンセプトがわかりにくくて、内面的で抽象的なテーマだと思った理由もありましたね。ひねくれたことをやめて、自分を知らない方々にも興味を持って聴いてもらえ……るかはわからないんですけど、フックがある作品にしたかったんです。

亡くなった人の憑依というか、他人の思い出とか、もし前世があるとしたらその記憶とか、人類に共通する原初的な経験──恐怖や温かい気持ちにアクセスしたいなって。

入江さんって、井上陽水が好きですよね。入江さんにも井上陽水にも、滲みでる変態性と、どストレートなポップさがあると思うのですが、今回は後者が強調されていると感じました。そのぶん、エゴが抑えられているとも感じたんです。

YI:変な曲はなるべく外す方針でした。最近のシングルだと “Juice”(2023年)は気に入っていて、入れるかどうか迷ったんですけど、流れやバランスがよくならなかったので、泣く泣く外したんです。恋愛がテーマの曲なんですけど、それでも外すくらいアルバムの空気を尊重したんですね。変態さを抑えたサウンドにしたつもりなんですけど、“すあま” はピアノの即興演奏だったり、“Dracula” はアヴァンギャルドめだったり、匙加減がわからなくて不安になったので、ポップにかなり寄せたかもしれないです。

作品を客観視していたんですね。

YI:そうしつつ、実は、制作しながら素直な自分を発見しました。恋愛リアリティ・ショーをおもしろがって、キャッキャして見ている自分とか。あと、TikTokでバズっている曲を普通にいいなって思う自分とか。照れ隠ししていた素直な自分にアルバムの制作で出会えたというか、自分は難解なサウンド・プロダクションの曲が本当に好きだったのか? と疑問に思ったり(笑)。

ただ奇を衒っていただけなんじゃないかと。私が好きなエピソードで、入江さんとhikaru yamadaさんがエリック・ドルフィーのmixiコミュニティで出会ったというのがあるんです。でも今回は、エリック・ドルフィー成分は影を潜めているなと(笑)。

YI:変にしなきゃいけない、と思っていた部分もあったかもしれなくて。そこで音数を極力減らして、歌を聴かせるトライをしたんです。

TikTokのヴァイラル・ヒット曲の話がありましたが、参考にした曲はありますか?

YI:意識的に参考にはしていませんが、影響を受けたのは、「プロジェクトセカイ」というスマホ・ゲームの仕事に関わっていたことですね。その仕事で、20代や下手したら10代の若いボカロPの方々の曲をずっと聴いていたので、その素直さに影響を受けたんです。ストレートな初期衝動の強さを目の当たりにして、ハートに火がついたのはあったかもしれないですね。
“酔いどれ知らず”(Kanaria)って曲、わかります? TikTokの全動画についているんじゃないかってくらいバズった曲なんですけど、「プロジェクトセカイ」でその曲をボカロや声優さんにカヴァーしてもらうために聴いていたら、「みんなが好きな曲、自分も好きだな」と気づいて。抵抗なく自然に体が動いてる自分がいて、「俺、ひねくれていないかもしれない」と(笑)。

ところで、歌詞にご自身の恋愛経験は反映されていますか?

YI:当社比50%以上は入っているかもしれないですね(笑)。自分で歌う曲だと照れやひねくれたところがあって、実体験をさりげなく込めがちなんですけど、このアルバムにはドラマやほかのアーティストへの提供曲もあるので。たとえば、4曲目の “ごめんね” はNONA REEVESの奥田(健介)さんのZEUSというソロ・プロジェクトに提供した歌詞なので、「奥田さんが歌うんだったら」ということで赤裸々に書けたりしたんです。あと、ほかの方が作詞された曲で、自分の気持ちにも合っている曲を取り入れたり。実体験もなるべく込めたものにしたほうが、おもしろいかなと。
 ただ、自分の話をずっとされるのも、リスナーが聴いていてしんどいかなと思いました。生々しすぎてイヤホンを外されるなり、スピーカーをオフられるなり、再生を止められるなりされるのも怖かったので、メタ視点は心がけました。

“ごめんね” について、奥田さんが「彼の音楽って、ちょっと不吉じゃないですか。(中略)スイートな曲のなかにも不吉・不穏な部分を入れたくなる、そういうことをやってるのがラー・バンドだったりするんですけど、入江くんの魅力も良い意味で不吉なところなんですよね」、「すごくストレートなんですが、ちょっとコワい歌詞なんですよね」とMikikiのインタヴューで語っていました(笑)。

YI:「不穏」はいいんですけど、「不吉」というのはすごいですね(笑)。『水』を出したときに、柴田聡子さんから「もう死んだ人が歌っているみたい」って言われたんですよ。スピっているわけじゃないんですけど、それはちょっと意識しています。亡くなった人の憑依というか、他人の思い出とか、もし前世があるとしたらその記憶とか、人類に共通する原初的な経験──恐怖や温かい気持ちにアクセスしたいなって。そう考えると、なおさら自分が作詞作曲した曲じゃなくてもよくなってくる。そういう意味で、「自分がつくる」というエゴが薄まってきているかもしれないですね。

[[SplitPage]]

映画をつくりたいのかもしれないですね。映画って音楽とちがって、カメラに映りこんだものが全部映像に入っちゃうじゃないですか。たまたま映りこんだものをすべて肯定するというか、そういう意図はあるかもしれません。

入江さんってコラボレーションや他者に委ねる制作をしてきたわけですが、その傾向が近年は前景化したと思うんです。

YI:それはかなりありますね。他人に任せてできたものに修正希望を出して直したものより、最初の形のほうがおもしろいなって感じた経験が多くて。それで、任せた方の判断を尊重して信頼する傾向が強まりました。

先日、「これまで音楽に対して信じて倒れ込む、倒れ込み方がちょっと足りなかったかもしれません。次のアルバムでは完全にゆだねて、音楽をベッドと思って倒れ込んでおる気がします」とXにポストしていましたよね。いまのお話と関係しているのかなと。

YI:それ、忘れていました(笑)。そうなんですよ。以前は音楽を信じきれていなくて、ちゃんと倒れ込めていなかったんです。人類が音楽をずっと好きでいる事実――カラオケで歌うのが楽しいとか、子どもたちは歌うのが好きだとか、料理しながら歌をつい口ずさんじゃうとか、そういう音楽と人類の深い、ズブズブの関係に対する信用が足りなかったんですね。なので、個性的なものやエゴを込めないといけないと思っていたのですが、今回はそういうものをなるべく外して、人類と音楽のズブズブの関係に安心して倒れ込もうと。……なにを言ってるのか、自分でもよくわからなってきたんですけど(笑)。いろんなこだわりを脱ぎ捨てよう、という気持ちは強まっていますね。

パンツ一丁、いや、真っ裸になったという(笑)。

YI:まだパンツとタンクトップは着ちゃっていますね(笑)。それでも、だいぶ脱ぎ捨てられました。一時、軽い鬱っぽくなったりもしていたので、精神的にやばくなるのを予防するために、カウンセリングを定期的に受けるようになったんですよ。

“続・充電器” の歌詞にもありますね。

YI:歌詞にも出てくるスズキさんのカウンセリングを受けていて、内観するようになって、素直な自分を発見したことも影響があったかもしれないですね。日本のカウンセリングって、村の老賢者みたいな方が人生訓やアドバイスを授けるようなものも多いんです(笑)。西洋的なカウンセリングは、自分の話を鏡のようにずっとミラーリングしてくれて、自分のイメージが歪んだときにだけちゃんと映してくれるんですね。そういうスタイルのカウンセラーであるスズキさんにたまたま出会えたのは幸運でしたね。

“続・充電器” は内省的な歌詞ですよね。

YI:前半部分は元々の “充電器”(2019年)の歌詞で、後半に後日談を継ぎ足しました。

原曲の、バキバキのエレクトロニックなアレンジからも変わっています。

YI:あれは服部峻さんという狂気じみた……「狂気じみた」は言い過ぎかも(笑)。服部さんというかっこいいサウンド・クリエイターの方によるものでしたが、歌を活かしたアレンジにしたかったのと、「生のストリングスを録ってみたい!」って無邪気な願望があって。ストリングス・アレンジを廣瀬真理子さんという方にやっていただいています。
廣瀬さんが実は、このアルバムの隠れたエリック・ドルフィー性をかなり担っているんです(笑)。「廣瀬真理子とパープルヘイズ」というビッグ・バンドをやっていらっしゃるのですが、微分音を使ったり、かなり変態的なサウンドで。廣瀬さんに参加いただいたのは、“続・充電器” とシングルの “知ってる”(2023年)ですね。今回、ストリングスを入れた曲が増えました。

ストリングスが入っている曲では、“気のせい” の編曲がシンリズムさんで、“道がたくさん” が大沢健太郎さん(元・北園みなみ)。“道がたくさん” はフレスプの石上嵩大さんが作詞作曲をされていて、歌はsugar meさんとのデュエットですね。大沢さんの編曲は、スティーヴィー・ワンダーやシュガー・ベイブなんかのそれを感じさせるものです。

YI:“道がたくさん” は、石上さんのプロジェクトで10年ほど前につくったままお蔵入りになっていた曲のデータが残っていたので、サルヴェージしたんです。ずっと気になっていて、デモを聴きつづけていたんですけど、アルバムの締めくくりに合いそうだと思って。

“気のせい” のシンリズムさんの編曲は、冨田ラボの愛弟子感がよく出ている見事なシティ・ポップですね。

YI:エンジニアの中村公輔さんが京都精華大学でレコーディングの授業を受け持っていて、歌を録音する実践として、当時の生徒さんだった清田(尚吾)さんが書いた曲に、僕が急いで作詞した曲ですね。あとで聴き返したら、意外といい曲だな~と思って。ばーっと書いたから軽やかで、こだわりが希薄になったのかな。

「LINEの返事 書くだけで時間かけて」なんて、すごくいい歌詞だと思いました。

YI:「LINEの返事を返さない人にどうしたらいいの?」みたいな恋愛相談の動画がTikTokで流れてくるんですよ。それで「返事がこないってことは、大切に書いている可能性があるから待ってみて!」と言っていて、なるほど~! と思ったんですよね(笑)。

1曲目の “とまどい” は元々、NHK Eテレのドラマ『東京の雪男』(2023年)の挿入歌だったんですね。

YI:雪男と人間の女性が出会う話なんですけど、前半の歌詞がその出会いを描いたドラマに提供したもので、後半の藤岡(みなみ)さんパートはアルバム用に追加しました。

藤岡さんの声がすごく儚げで、それこそ霊界から響いてきているような歌ですね。藤岡さんは「タイムトラベル指南」ともクレジットされているのですが、これは(笑)?

YI:藤岡さんって、タイム・トラベルがすごく好きなんです。タイム・トラベル専門書店の「utouto」というのをやっているくらい。

タイム・トラベル専門書店ってすごいですね。

YI:明らかにタイム・トラベルしたであろう人も店に現れるらしくて(笑)。まったく同じ人が店の前を2回通過したり、侍が付近を歩いていたりするって、藤岡さんが言っていましたね。
以前、『ミュージック・マガジン』さんの連載(「ふたりのプレイリスト」)で藤岡さんにインタヴューしたとき、縄文土器とか藤岡さんが好きなものはタイム・トラベルに繋がっているとおっしゃっていたんです。それで今回、タイム・トラベル指南をレコーディングの際にしていただきました。僕は、タイム・トラベルはできなかったんですけど(笑)。

「指南」って、具体的にどういうことなんでしょうか(笑)?

YI:タイム・トラベルのおすすめ映画を教えてもらったりとか、それくらいです(笑)。タイム・トラベルという要素やテーマは僕も大切にしていて、時間軸を引き延ばしたり短くしたりするのが好きなんですね。なので、藤岡さんを今後のタイム・トラベルの師匠として招き入れたく、まず歌の客演でオファーしました。

他人のことなんてわからないと思っているんですけど、「目を見りゃわかる」と言いきる直感があってもいいのかなと。はぐれ者どうしって、なんとなく「あっ」って直感的に同じ属性だってわかる気がするんです。

“とまどい” は、若干ローファイ・ヒップホップっぽいプロダクションですよね。

YI:前半と後半でビート・チェンジする曲が好きで。“とまどい” では、商用利用OKのサンプリング素材を使って、エンジニアの林田涼太さんにミックスしていただいたんです。その素材と歌とのバランスをどうするかという点で、なるべく歌以外の音を減らしたかったので、楽しみながらつくって勉強になりました。

ミックスで歌を大きくしてど真ん中に置いたことも、アルバムをポップにしているのでしょうね。

YI:ドレイクをずっと聴いていたら、歌心やラップが生々しくて真に迫るから、みんなドレイクが好きなのかなって思ったんです。ドレイクの影響っていうと、恥ずかしいんですけど(笑)。ドレイクの影響で、どんどん「歌デカ」にしていこうと思ったんですね。

ビート・スウィッチの話がありましたが、近年の入江さんの作品の特徴ですよね。それもやはり、最近のヒップホップと関係していますか?

YI:かなりありますね。「別曲だと思って聴いてたわ~」みたいなビート・スウィッチの曲って最近、多いじゃないですか。ドレイクと21サヴェージの『Her Loss』(2022年)も、頻繁なビート・スウィッチの曲が多くて好きなんです。それをポップな歌ものでやれたらおもしろいんじゃないかなって。自分は多動傾向があるので、多動欲求を1曲で2曲分満たせるって理由もあるかもしれません(笑)。

あと、やはり気になるのが3曲目の “ときめき” で、マリオ・Cことマリオ・カルダート・Jr.が参加していることに驚きました。

YI:マリオさんから「入江くんの歌、おもしろかったから、なんか一緒にやってみない?」とフランクなメッセージをいただいて、送っていただいた曲に歌をのせてつくった曲です。OMSBさんとの “やけど”(2015年)で知ってくださったんだったかな? カクカクした譜割りじゃない、ふわっとのっている歌の気持ちよさをおもしろがってくれたようです。

作曲にマリオさんと並んでジョナサン・マイアさんという方がクレジットされていて、調べてみたところ、ラテン・グラミー賞を受賞しているブラジルのプロデューサー/エンジニアのようですね。

YI:全楽器をマリオさんとジョナサンさんが担当されている、としか書かれていないので、分担はわからないんですけど、たくさん演奏してくれているのかもしれません。

“ときめき” は「メロディの作曲」が入江さんと記されていますが、入江さんがトップラインだけを書いているというのが、いまどきのコライト的な作曲法だなと思いました。

YI:送られてきたトラックに歌をのせて、お互いの仕事を全尊重、全活かしで完成させたので、楽しかったですね。

ラブリーサマーちゃんとの “海に来たのに” は、シングルとして2023年にリリースされていましたね。

YI:元々、ラップ・デュオのOGGYWESTのメンバーであるLEXUZ YENさんとつくっていた曲です。それを下地に、僕と林田さんがつくり直して、ラブサマさんに歌をのせてもらったので、これもコライト色が強いですね。

ラブサマちゃんのヴォーカルが普段の歌い方とはちょっとちがっていて、90年代J-POP/J-R&Bっぽい発声がいいですね。

YI:ご本人はCharaさんのオマージュだと言っていました。

なるほど! グランジっぽいギターが途中から入ってきますが、これはラブサマちゃんの演奏ですか?

YI:そうです。ラブサマさんだったらギターと一緒にじゃないと、って気持ちがあって。シューゲイザー的な音も好きなので入れたかったんです。
こういうコライト的なつくり方は自分の頭の中と合っているようで、楽しいんですよね。完成したCDを送るために関係者リストをつくったら、70、80人ぐらいいて(笑)。みなさんには感謝しているんですけど、思ったより多かったのが自分でもおもしろかったですね。逆に、全部自分だけでつくったアルバムもおもしろいかなと思うんですけど、多動傾向にあるので、おそらく今後もこのスタイルだろうと思います。海外の作品のクレジットを見ると、作曲者がめちゃくちゃ多くて笑っちゃいますよね。

カニエ・ウェストの作品とか、そうですよね。そこに近づきつつあると。

YI:20人くらいで作曲するスタイルは、いつか挑戦してみたいですね(笑)。

息を吸って吐いているだけで、どんどん時間を食いつぶしているというか、人生に残された時間が減っていっているんだなって、ふと気づいて。呼吸しながらだんだん死に向かっていくって、実はリッチな体験だなと。

6曲目の “interlude(映画「街の上で」より)” は、サウンドトラックから収録されたのでしょうか?

YI:ミックスは直しましたが、そうです。今泉力哉監督の『街の上で』は下北沢を舞台にした若者たちの恋愛映画なんですけど、そのオープニングで流れる曲だったので、遊び心でアルバムに入れました。
曲として気に入っているのもあるんですけど、今泉監督は映画に参加した作家や俳優を活かそうとするタイプで、僕もすごくのびのびと音楽をつくらせていただいたことが楽しかったんですね。あと、映画音楽をやっている自分と歌を歌っている自分をもうちょっと繋げていきたいというか、壁を溶かしていきたので、アルバムに入れたのもありますね。

そう考えると、『恋愛』というアルバム自体が映画のようで、先ほど関係者リストの人数が多いという話があったとおり、たくさんの出演者やスタッフが関わっている群像劇のように感じますね。

YI:たしかに、自分は映画をつくりたいのかもしれないですね。映画って音楽とちがって、カメラに映りこんだものが全部映像に入っちゃうじゃないですか。たまたま映りこんだものをすべて肯定するというか、そういう意図はあるかもしれません。

8曲目の “あ・ま・み” は元々、姫乃たまさんがnoteで発表した曲ですよね。作詞作曲はスガナミユウさんで、入江さんが編曲しています。姫乃さんが精神的にしんどかった時期に、スガナミさんから贈られた曲だという経緯がありますね。

YI:スガナミさんって、LIVE HAUSの店長をされていて、コーディネーターやイベンターとして世間的に知られていると思うんですけど、ソングライターとしての顔をもっとムキムキ出していってほしい、という思いを勝手に抱いているんです。もちろん、この曲が純粋に好きだったので収録しました。

私も最近、LIVE HAUSのカウンターでしかスガナミさんと会っていなくて、しばらくちゃんとお話ししていないし、ライヴも見にいけていないんです。でも、ソングライターやパフォーマーとしてすごいんですよね。

YI:そうそう! パフォーマーとして最高なんですよね。すごく派手で、エルヴィス・プレスリーばりのステージングをしますからね。
アルバムの流れとして、“続・充電器” で辛い気持ちになって気絶して、“あ・ま・み” は夢の中、“すあま” でみんなが「入江さん!」と呼んで起こそうとしている、というひとつの解釈があります。

たくさんの人びとの声が入江さんに呼びかけている “すあま” は、このアルバムを象徴する曲だと思うんです。どうしてこの曲をつくったんですか?

YI:ポップなアルバムをつくりたかったので、実験的な要素を抑えてたのですが、それを発散しようと思って “すあま” と “Dracula” に込めました。ちょっと自分を解放するというか、こういう変なことをする自分も忘れずにいようと。

入江さんの活動に関わっているKotetsu Shoichiroのええ声なんかも聞こえますが、関係者や友人が参加しているのでしょうか?

YI:姉や甥のような家族、制作期間に会った友だち、恩師や同級生、〈P-VINE〉の前田(裕司)さんとか、全方位的に入江と関わってくれている方々の声です。あと、飼っている猫のすあまも「入江さん」と言っています(笑)。「プロジェクトセカイ」でお世話になっている初音ミクさんの声も入っていますね。

LPはヴァージョンちがいで、CDと配信が “にぎやかVer.” となっているのは?

YI:LPは尺がちょっと短くて人が減っているんです。単純にCDのほうが納期が長かったので、その間に人が増えたんですね(笑)。LP版でフィックスしてもよかったんですけど、諦めきれなくて。

次の “Dracula” はヴォーカルの変調が特徴的ですね。それこそ初音ミクのようにも聞こえますが。

YI:ムーグのアナログ・ヴォコーダーを入手して、そのリッチな音と自分の声を重ねています。ジョルジオ・モロダーの “E=MC²” なんかで使われているヴォコーダーの復刻版らしいですね。林田さんがセッティングに詳しいので、お力添えいただきました。

ポップなアルバムの中で、“Dracula” は最もエレクトロニックで実験的ですよね。

YI:この曲もビート・スウィッチさせるために、前半と後半で音の作家さんが別々なんです。前半が黄倉未来さんで、後半が耶麻ユウキさんというhikaru yamadaくんのサークルの先輩で、アンビエントをつくっている方ですね。おふたりにはどうなるかを知らせずにつくってもらって、それを強引に繋ぎました。歌詞もぐちゃぐちゃしているので、やりたい放題、楽しんだ曲ですね。

“Dracula” の歌詞、すごいですよね。「ウーバー」という言葉が耳に残ります。

YI:Uberで知り合った人たちをモチーフに、いろいろな意味でのマイノリティ、社会からちょっとはぐれている者たちの出会いを描きたかったんですよね。あと、「目を見りゃわかる」って暴力的な表現が好きで。僕は他人のことなんてわからないと思っているんですけど、「目を見りゃわかる」と言いきる直感があってもいいのかなと。はぐれ者どうしって、なんとなく「あっ」って直感的に同じ属性だってわかる気がするんです。“ときめき” でも、そういうことは歌っているんですけど。

恋愛に引きつけるなら、一目惚れがありますよね。

YI:一目惚れとか、気が合うと思っていたけど全然そんなことなかったとか、そういう勘違いを含めて豊かなことだなと思うんです。
よく考えたら、息を吸って吐いているだけで、どんどん時間を食いつぶしているというか、人生に残された時間が減っていっているんだなって、ふと気づいて。呼吸しながらだんだん死に向かっていくって、実はリッチな体験だなと。

4月6日にタワーレコード渋谷店のTOWER VINYL SHIBUYAで、4月13日にタワーレコード梅田NU茶屋町店でインストア・ライヴの開催が予定されていますね。

YI:ライヴはリハビリも兼ねてなんですけど、自信がなくなってきたので、ギタリストの小金丸慧さんにサポートしてもらいます。小金丸さんは「プロジェクトセカイ」でもお世話になっているし、このアルバムでも “ごめんね” のアレンジとか、かなりがっつりといろいろな形で参加してもらっています。“海に来たのに” では、ラブサマさんのギター・テックもやってもらっていますね。ほんとに、小金丸さんなしでは成り立っていない作品です。

小金丸さんって、メタラーでありながらジャズ・シーンでも活躍されていて、ユニークなミュージシャンですよね。先日、ちょうど取材しました(https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/36890)。

YI:もともと音大を次席で卒業するくらい優秀なミュージシャンなんですけど、ジャズ科の卒制がメタル作品だという破壊的な部分もあり、人柄はすごく優しくて、最高におもしろい方ですね。

入江さんのひさびさのライヴ、楽しみですね。

YI:今年からは、ライヴもやっていけたらと思ってます。全然やっていないくて、今回のインストアはかなりひさしぶりなので、入念に準備して、「絶対にできる!」って確信した状態じゃないとできない(笑)。

【入江陽『恋愛』 リリース記念 ミニライブ&サイン会】
◎TOWER VINYL SHIBUYA
日時:4/6(土) 15時~
場所:タワーレコード渋谷店6F
出演:入江陽(Vo./Key)、小金丸慧(Gt.)
イベント詳細
https://towershibuya.jp/2024/04/06/193759

◎タワーレコード梅田NU茶屋町店
日時:4/13(土) 14時~
場所:タワーレコード梅田NU茶屋町店(NU茶屋町 6F)
出演:入江陽(Vo./Key)、小金丸慧(Gt.)
イベント詳細
https://tower.jp/store/event/2024/4/096003
※ミニライブ・サイン会の参加方法は各店のHPをご参照ください。

【ライヴ情報】
「入江陽 New Album「恋愛」Release Event in 愛知」
日時:4/14(日)open18:00 start18:30
会場:金山ブラジルコーヒー
https://kanayamabrazil.net/index.html

出演:
・入江陽(れんあいset)
・森脇ひとみ(その他の短編ズ)
・The Kota Oe Band

予約:¥2500(+1d¥600) 当日¥3000(+1d¥600)
予約窓口:nqlunch@gmail.com(金山ブラジルコーヒー)

Savan - ele-king

 今年のクンビアはどうかしている。驚くほど飛躍がある。近年だとクンビアとレゲトンを交錯させたアトロポリスやマンボとクロスオーヴァーさせたソニド・ガロ・ネグロなど可能性を広げてきた人たちは少なからずいたものの(アルカも『KickⅢ』『KickⅣ』で導入)、それらとは少し次元が違う。ディスコ・ミュージックがアシッド・ハウスに変化した時のような発展があり、少なくとも原型は消し飛んでいる。今年の初め、ハイパー・フォーク・ブリコラージュと銘打って『Levure』をリリースしたアルゼンチンのヨトがスラップスティックなフォークトロニカとしてクンビアを刷新したとしたら、本家コロンビアからのエントリーとなったサヴァンこと環境保護活動家のホセ・ミゲル・ナバスによる『Antes del Amancer(夜明け前)』はサイケデリックなフォークトロニカというのか、ガレージ・ロックをどこかに置き忘れた『スクリーマデリカ』……というのはさすがに言い過ぎか。アルゼンチンが高度な音楽教育を背景にヘンなことをやらかす人たちだとしたら、コロンビアはストリートワイズがそのすべてで、理屈では導けないダイナミズムが本家を本家たらしめている。サヴァンは、南米の人にはありがちだけれど、熱帯雨林の医療儀式とやらに録音方法を委ねたそうで、先住民の語る神話やそのなかで鳥が果たしている役割にインスパイアされた音楽であり、アルバム全体を通してコロンビア北部にある山地(シエラ・ネバダ・デ・サンタ・マルタ)を歩き回るシミュレーションになっている。確かに〝Pensar Bonito〟を聴いていると高いところに舞い上がっていくような、それこそ〝Higher Than The Sun〟を思い出す感じがある。

 医療儀式というのは平たくいうとヤゲと呼ばれる先住民の下剤を服用することでトリップすることのようで(推測)、感情のブロックを取り除いて無意識に没頭することを意味しているという。ハーモニカを演奏しているデヴィッド・フェリペは毎週末にヤゲを使った医療儀式に参加し、彼の演奏に導かれて儀式の再現に勤めているようで、それはどうやらシャーマンが鳥になるという幻覚状態の再現らしい。サヴァンはフクロウやコンドルなど神話と深く関係している鳥たちの声の周波数スペクトルを分析し、それらをフルート版のガイタ(ジャジューカで使われている木管楽器)で吹くメロディに応用し、それらが織り成すハーモニーを音の彫刻と称している。演奏者の視点は鳥に同化し、遠くまで見通す能力を得て、自然の再生に意識を向けることが目的になる。ヤゲはちなみにテレンス・マッケナでおなじみアヤワスカに似たものだという。また、南米のプロデューサーたちが鳥に過剰な思い入れを持っているのは『A Guide To The Birdsong Of South America』にもよく表れていた通り。

 クラフトワークを自然志向に向かわせたようなオープニングからデヴィッド・フェリペのハーモニカが重用され、これがブルースを思わせる響きを放つ。続く〝Halcón(夜鷹)〟ではヴォーカルにマイタラを起用し、本格的な儀式へと没入していく。アンデス民謡とクンビアを混ぜ合わせたようなフォークトロニカは、ふわふわと宙を舞い続け、続く〝Pagamento(自然への捧げもの)〟が最初の白眉。変調させたカエルと鳥の声を何層にもレイヤーさせ、得も言われぬモヤモヤ感に導かれる。〝Búho(フクロウ)〟は初めて楽器の音がストレートに使われ、マイタラが再び断片的なヴォーカルを吹き込んでいく。さらに〝Pensar Bonito(美しさを思う)〟はきらびやかな弦の響きを組み合わせ、ヴォイス・サンプル(?)が優雅に空を駆け巡る。ここまで自然の描写に努めてきたサヴァンは〝Condor Madre(コンドルの母)〟で躍動感に満ちた一歩を踏み出し、循環コードを執拗に繰り返すせいか、これがまたどことなくプライマル・スクリーム〝Loaded〟のアコースティックな展開に聞こえて。空へ、空へ、コンドルは舞い上がる。一転して〝Colibrí(ハチドリ)〟はオープニングに戻ったようなハーモニカの乱舞。背景に挿入されたノイズの量がハチドリの小ささを浮かび上がらせる。最後は〝Aguíla de Paramo(吹雪の鷲)〟。意外にも厳しい自然の風景でエンディングを迎える。ヤゲによって浄化され、カタルシスを得て解放された人々は心が強くなっているはずだということだろうか。あくまでも医療儀式ということだから、まあ、そういうことなのだろう(最後に〝Pagamento〟を短くリプライズさせていればアルバムの構成としては完璧だったんじゃないかなと思う)。いや、しかし、「和みました」。音楽に限らずなんらかの手段でリラックスできた時、90年代後半に「癒し」という言い方が広まる前は「和んだ~」というのが一般的だった。なんで、日本人は「和んだ~」という表現を捨ててしまったのかな。サリン事件の後で被害者意識が増大したことと関係があるのだろうか。

 コロナ禍で税制が変わり、新自由主義に苦しめられたコロンビアでは毎週のように市民によるデモが起こり、2年前にコロンビア史上初の左派政権が誕生している。現職のペトロ大統領は左翼ゲリラ出身で、親米路線が揺らぐことは必至とされるなか、通貨をドルに変えると宣言したアルゼンチンのミレイ大統領から「テロリストの人殺し」と呼ばれ、早くもコロンビアがアルゼンチンの外交官を国外追放するなど、今月に入ってから不穏な動きが活発化している。ミレイはメキシコやヴェネズエラにも批判を加え、いまや南米の治安を掻き乱す最大級の不安要因であり、アルゼンチンやコロンビアの音楽にもさらなる変化が起きることは間違いない。『Antes del Amanecer』のリリースにあたってサヴァンは「私たちがどんな状況に置かれても、私たちは常にポジティブな思考を働かなければならない」とコメント。ミレイ大統領はちなみにイスラエル支持である。

edbl - ele-king

 1st、2nd ステージともにチケットはソールドアウト、客席はおおよそ男女半々、多様で熱心なファンが詰めかけた edbl 初のバンド・セットでの来日ライヴ。3月23日、BLUE NOTE TOKYO での 1st ステージを観た僕がまず感じたのは、イギリスのバンドならではと言える伝統的なステージ運びのさすがのウマさと、そして、ヒップホップ・ビートをベースとするライヴにおける演じる側、聴く側、双方の成熟度合いの高さだった。

 打ち込みメインのクールなヒップホップ・ビートと、元々はギタリストである edbl 自身が奏でるギターや、キーボード、ホーン、そしてヴォーカルといったメロディアスな要素の組み合わせの巧みさで、サウス・ロンドンの地から世界中でのブレイクを果たした edbl。ヒップホップ・ビートを用いるアクトでもいまや通例となったバンド・セットでのライヴは、インストの “Seven Eleven” で幕を開ける。ドラムスの Andrew Finney、ベースの John Wright、キーボードの Jim Baldock に続いてステージに上がった edbl は、他のメンバーとともにコーラスも担いつつ、やや高い位置に構えたテレキャスターのサウンドで曲をリードしていく。大半の曲でリード・ヴォーカルと、そしてラップもひとりで担う大活躍を見せた Jay Alexzander も登場し始めた次曲は “I'll Wait”。早くも Jay と edbl が客席煽りのウマさを発揮し、場内の熱気はグングンと高まっていく。つくりだす音楽とは裏腹に edbl はとてもアツい人で、彼のテンション高めの言動が周りの人々を巻き込んで、驚異的なリリース量の原動力になっているんだなと、謎がひとつ解けた感もあった。


 出し惜しみなし、人気曲のオンパレードだったこの日のライヴ。“No Pressure” に “Just The Same” と続けた後は、ゲスト・ギタリスト、Kazuki Isogai がステージに呼び込まれる。彼と edbl の共作アルバム『The edbl × Kazuki Sessions』から “Worldwide” と “Lemon Squeezy” をプレイ。共作はインターネット上のやり取りでなされたもので、面と向かっての共演はこのときが初となった両者。それでもやはり、同じ時代に同じタイプの音楽を嗜好するふたりのギター・プレイの相性は抜群で、弾きすぎない、ヒップホップ時代ならではのクールなかけ合いで客席を魅了した。
 そう、この夜の edbl バンドは、ヒップホップ・ビートのレコードをライヴでどう聴かせる(再現する)かという、かれこれ30年に及び演じ手側に突きつけられてきた命題の、最適解のひとつを示していたように感じた。2022年7月に、ロンドンの PizzaExpress Jazz Club でおこなわれた彼らのライヴはその音源が公開されている。トランペッターがいないだけで他のプレイヤーはこの夜と同じだけど、そのおよそ2年前の演奏に比べても全体のサウンドは、はるかにブラッシュアップされていた。「すべての楽器を打楽器のように」扱いアフリカン・アメリカンのファンク・ミュージックを確立したのはジェイムズ・ブラウンだけど、この夜の4人の演奏はまさにそれだった。ドラムスもベースもキーボードも、とにかく最小限の音しか奏でない。皆がパーカッシヴで、サステインはほとんど聞かせず、ビートを紡ぐことに専念。主役である edbl だけは時折、エモいソロなども交えギター・ヒーロー的な姿も演じて見せたけど、他の3人がミュージシャンズ・エゴ的なものを見せたのはメンバー紹介時のソロだけだ(それでも3人は終始、とても楽しそうに演奏していた)。90年代半ばにザ・ルーツがブレイクしてきた際、ドラム・マシンのように叩くクエストラヴが話題になったけど、「いまのロンドンのバンドは、ここまで来ているんだ!」と感嘆するほど、ヒップホップ・ビートの生バンド演奏はもはや次の段階に達していると感じられた。そして、そんなバンドが聴かせるミニマルなビートのウマみを感じとり、全員がノリノリだった客席を見ていると、聴く側の進化があってこその、演じる側のさらなる進化だとも思えた。

 “If There's Any Justice” “Be Who You Are” に続いて披露されたデビュー曲 “Table For Two” で改めて客席が沸く。ミニマルなサウンドながら、ギター・インストのジャジーなヒップホップからR&B、ソウルと多彩な曲の数々を連発し、飽きさせないステージングはこれもさすがだ。“Temperature High” “Cigars” “Never Met” に続けたアシッド・ジャズなノリのダンサブルな “Too Much” で盛り上げた後、“Lemonade” で本編は終了。“Nostalgia”、リミックスが最新シングルとしてリ・リリースされた “The Way Things Were” を演じたアンコールも大盛り上がりで、最初から最後まで実に心地よく楽しいショウだった。

『成功したオタク』 - ele-king

 2012年から世界的な広がりを見せたK-POPのなかでもトップを切り、16年には韓流グループで初めてフォーブス誌の「世界で最も稼ぐ有名人100人」に選ばれたBIGBANGは日本の観客動員数も(2位の嵐をダブルスコアで抑えて)1位となるなど破竹の勢いで10年間を駆け抜けた……と思いきや、その年の暮にメンバーのV.Iがケータイを没取して女性たちとパーティをやっているという報道が出たと思ったら、そこからスキャンダル報道がとまらなくなり、翌年にはT.O.Pが大麻で逮捕、事務所の株価暴落、兵役で特別扱いに非難、19年2月にはV.Iが経営するクラブ、バーニング・サンで暴行事件、同クラブで麻薬と性犯罪の疑惑も取り沙汰され、V.Iは警察に出頭、3月に入ると隠し撮りしていたセックス・ヴィデオを芸能関係者8人がアプリで共有していたことが発覚し、V.Iは引退を発表、韓国よりも日本のファンがV.Iを擁護したことも話題になった。さらにアプリを運営していた歌手のチョン・ジュニョンも逮捕され、同アプリに登録していたHIGHLIGHTやFTISLANDのメンバーもグループを脱退もしくは引退。この時も日本のファンが脱退阻止を働きかけて話題となり、V.Iは資金の横領など計9件の容疑(売買春あっせん、買春、違法撮影物の流布、業務上横領、常習賭博、外国為替取引法違反、食品衛生法違反、特定経済犯罪加重処罰などに関する法律違反、特殊暴行教唆)で実刑を課され、昨23年には早くも出所、チョン・ジュニョンには7年の刑が言い渡された。一連の事件はバーニング・サン事件もしくはスンリゲート事件と呼称され、V.Iと警察の癒着も明らかになったため警察幹部も立件されたことで疑惑は警察組織全体へと広がっていった。韓流衰退の合図だったともされる同事件を題材に『ガールコップス』や『量子物理学』といった映画もつくられ、うまく逃げおおせたと考えられている特権階級に対しては手段を選ばずに追及する姿勢がいまも続いている。

 ここまでのことは韓国では誰もが知っていて、それを前提につくられたドキュメンタリーが『成功したオタク』。チョン・ジュニョンがアイドルとして人気を博していたシーンを冒頭にちょっとだけ置いた以外は事件以後の余波が扱われ、彼らのことを「推し」ていた監督のオ・セヨンや他の女性ファンが自分たちの気持ちに整理がつけられず、怒りや虚無感、あるいはどう名づけていいのかわからない感情に振り回される場面が延々と記録されている。「成功したオタク」というのは「推しに覚えられるほど熱心なファンになった」という意味で(英題は『FANATIC(熱狂的)』)、セックス・ピストルズの親衛隊だったスージー・スーがデヴィッド・ボウイのようなメイクで有名になったプロセスとまったく同じ。そのようにして他のファンにも認識されるほど目立つファンになったことが、しかし、推しが(ここではバーニング・サン事件によって)ロクでもない存在になった途端に仇となり、「成功したオタク」だったことを悔いるようになっていく(ファンダムが崩壊した時に事態をどう受け止めればいいのかというケース・スタディというか)。「推し」というのは説明するまでもないけれど、ひいきのアイドルのことで、アイドルの応援を生きがいにすることは「推し活」や「推しごと」などと呼ばれている。「推し活」は人生を豊かにし、生き生きとしたものにしてくれ、たとえば鈴木愛理のソロ曲〝最強の推し!〟(https://www.youtube.com/watch?v=k8YRcE6BPNY)を観ると、「推し活」が無限大のパワーを与えてくれ、会社で出世し、政治家として成功する原動力になるものとして描かれている。基本的に「推し活」の背景には労働環境が劣悪で、働くことに喜びが感じられないという前提があり、そのような社会とのつながりを強化する効果が期待されている。社会に背を向けるような感覚は微塵もない。

 オ・セヨンは他の女性ファンたちと語り合い、彼女たちの声を記録し、慰め合い、裁判を傍聴しに遠くまで出かけ、買い集めたグッズの葬式を行う。捨てられるようで捨てられない。過去に対する複雑な感情が思いもかけない角度から滲み出す。セヨンはバーニング・サン事件を報道したパク・ヒョシル記者に最初は罵声を浴びせたことを反省し、謝りに行く。ヒョシル記者はセヨンを優しく慰めてくれ、このような事件が起きてもなお「推し」を擁護するファンは「パク・クネ元大統領の支持者たちに似ている」と言われる。セヨンはパク・クネを支持する人たちの集まりに足を運び、「ファナティック」を客観視することができ、かつてのファンたちにこれ以上、カメラを向けても仕方がないことを悟る。どんどん内省的になっていくセヨンは、さらに自分の母親もまた#Me Too運動で自分と同じように「推し」が犯罪者として糾弾され、自殺したことに苦しんでいることを知る……

 チョン・ジュニョンもパク・クネもいわば間違った指導者である。セヨンの言葉を借りると「推し活」というのは「(推しを)自分自身と同一視し限りなく信頼するという経験」で、「〝推し〟その人になりたい」という欲望へ発展していくという。それはおそらく指導者が他者ではなくなることを意味し、一種の神秘体験と同じ意味を持っている。ナチズムを研究した思想家、エリアス・カネッティは社会を構成する個々人には潜在的に接触恐怖があり、その恐怖から解放されたくて人々は群衆を形成するという(『群衆と権力』)。コミュニケーションがSNSなどの間接的な場で行われる頻度が増えれば、当然のことながら現実の生活において接触恐怖は増すだろうし、「群衆」も小規模なものが生まれやすくなる。「推し活」が増えるのもむべなるかなで、そうすれば間違った指導者と自分を同一視する機会も増えていくのは明らか。チョン・ジュニョンの例とパク・クネの例をここで重ね合わせているのはおそらく偶然ではないし、『成功したオタク』で描かれているのは、共同体が壊れたことで、むしろ、様々な接触が生まれていくプロセスである。複数で多様なコミュニケーションの増大。セヨンが最後に出会うのが、そして、母親だったという流れはそれこそ彼女がなぜ「推し活」に向かったかを示唆しているようで、かなりやるせない。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443