「KING」と一致するもの

 『ロブスター』(恋愛禁止)や『ロニートとエスティ』(レズビアン)、あるいは『女王陛下のお気に入り』(死産)と、人口増加に寄与しないテーマの作品に出演が続いたからか、この4月にレイチェル・ワイズが10代の頃に見て衝撃を受けたデヴィッド・クローネンバーグのクラシック『戦慄の絆』をアリス・バーチとともにリメイクし、代理出産や人工授精、不妊治療やリモート出産など産科が直面しているイノヴェーションを軸に(出産というよりはもはや)「人間をつくる」というアメリカの生命観が色濃く反映されたTVドラマにアップデートさせた。同じ産科を扱っていてもヒューマン・ドラマとして感動的だったNHK『透明なゆりかご』とは様相が異なり、資本主義がビジネスとして生命の誕生に示す価値観が恐ろしいまでに強調され、「資本主義はそんなに悪い?」「朝から『共産党宣言」でも読んできた?」と、出産を自然現象よりは生産性を高めることができる産業のひとつとして推進していく感覚はこのところ右派によって後退ぶりを印象づけてきたアメリカが久しぶりに「先進国」だったことをがっつりと思い出させてくれた(少子化でオタついている東アジア諸国とは「産めよ増やせよ」の気迫が根底から違うというか)。昨年、アメリカの最高裁で覆された中絶禁止を違憲とするロー対ウェイド判決についての議論こそストレートには扱われなかったものの、ドラマ版には平和的な出産シーンなど皆無で、過剰に性的で血まみれ、ドラッグによる錯乱や投資家たちとの舌戦など全編にわたって暴力的な描写が続き、時間軸は乱れに乱れ、アートと結びつけていく演出などクローネンバーグのヴィジョンを愚直なほど継承・発展させた傑作といえる。オリジナルの設定ではジェレミー・アイアンズ演じる男の双子役をTV版ではレイチェル・ワイズが女の双子に変更しつつも役名はエリオット&ビヴァリー・マントルと男性名がそのまま使われ、オリジナルに登場するクレア・ニヴォーを演じたジュヌヴィエーヴ・ビュジョルドの名前がTV版では役名のジュヌヴィエーヴ・コタード(演じたのはブリトニー・オールドフォード)に援用されるなど形式的な移譲にもしっかりと気が配られ、兄弟(姉妹)の相克がアイデンティティの崩壊に発展していくというメイン・テーマもオリジナルに引けを取らないインパクトを維持した。冷静に考えてみると背景と主題は巧妙に結び付けられているとはいえ、不可分の関係にあるわけではないということも見失ってしまうほどの力技で、主要人物がほとんど女と黒人で占められていたのも現代的。非情な投資家を演じたジェニファー・イーリーがプロモーション・トークで2話まで観たらもう一度最初から観た方がいいとアドヴァイスしていたけれど、確かに2話まで観ると何が起きているのか混乱し始め、よくぞ全6話で話がまとまったと思う。

 異端の独走状態を突っ走ってきたデヴィッド・クローネンバーグは前作の『マップ・トゥ・ザ・スターズ』があまりいい出来とは思えなかったので、天才のインスピレーションもついに枯れ果て(https://www.youtube.com/watch?v=ZpvNuH420W8)、このまま息子のブランドン・クローネンバーグにカルトスター的な地位を奪われてしまうのかなとも思っていたのだけれど、『戦慄の絆』のリメイクで改めてオリジナルの評価が急上昇しただけでなく、『戦慄の絆』でもとくに印象に残った「体内の美しさのコンテスト」という視点を骨子とした新作を完成させたことで、その地位はやはり磐石だと思わせる。80歳とは思えない想像力と時代に対する皮肉が『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』には迸り、揺るがないオリジナリティの強度が改めて印象づけられていく。脚本が書かれたのは20年前で、マイクロプラスティックが人類の80%で血液中に見つかったとされる現在、クローネンバーグはいまが映画化のタイミングだと判断したという。クローネンバーグ作品には「体内に何かいる」というテーマのものが多く、『シーバーズ』では寄生虫(性欲の象徴)、『ヴィデオドローム』では銃(暴力の象徴)、『ザ・フライ』ではハエの遺伝子(科学技術の象徴)、『イグジステンズ』ではゲームの端末(仮想現実の象徴)がそれぞれに人体を変形させていくというプロセスを追っていて(『戦慄の絆』もリメイクによって「体内に何かいる」シリーズに加わった)、『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』もオープニングから「現代文明」の断片が人間の体内に入り込んでいる状況を描いたものだということが推察できる。物語は海辺に横倒しになっている大きな船の遠景から始まり、船は明らかにタイタニック=文明の比喩で、人間のつくり出した技術がコントロールできなくなっている状態を表している。船からカメラが手前に移動してくると少年ブレッケンが海岸で遊んでいる。ブレッケンは母親ジュナに呼ばれて家に帰り、その夜、バスルームでポリバケツをバリバリと食べ始める。ジュナはブレッケンが寝たのを確認すると寝顔に枕を押しつけて我が子を殺す。場面は変わってヴィゴ・モーテンセン演じるソール・テンサーとレア・セドゥ(!)演じるカプリースが共に暮らす家。ソールは病人で、カプリースが看護をしているのかと思いきや、しばらく観ているとソールは体内で新たな臓器をつくり出すことができる人間に進化しており(加速進化症候群)、カプリースはそれを体外に取り出すショーを人前で繰り広げる芸術家だということがわかってくる。

 最初はなかなか理解が追いつかないけれど、人類は痛みの感覚というものを失っており、体の不調を自覚しづらい世界で痛みをどう認識するかが人々の価値観をなし、観客はその世界観に慣れていくしかない。ソールはいつも苦しそうにしていて、進化という概念とはどうにも結びつかず、そのような違和感を残したまま作品の世界観に馴染んでいくと、加速進化症候群というのはマリリン・チェンバース演じるローズが『ラビッド』で与えられた設定と同じだということがわかってくる。ローズが体内でつくられた新たな臓器を生かすために人の血を欲したのに対し、ソールはその臓器を摘出して人に見せることで生計を立てられるという変化がある。加速進化症候群という病名がついているぐらいで体内に新しい臓器ができるのはソールに限った話ではなく、人類にはポツポツと認められる事態となっており、ソールのような人間は体内で新たな臓器がつくられると政府の秘密機関である臓器登録所に登録することが義務づけられている。臓器登録所のラング所長をスコット・スピードマン、助手のティムリンをクリステン・ステュワート(!)が演じていて、臓器登録所はそのようにして生まれた臓器が遺伝的に次の世代に継承されないことを目的としている。いわば「進化」を監視し、抑制する機関なのである。『イグジステンズ』や『クラッシュ』は制御できなくなった文明に人間が振り回されていく一方だったけれど、人類はもう少し文明をコントロールできるように設定されていて、むしろ人間の身体能力をここまで過大評価できるのかという強い視点にはたじろぐしかない。ダーウィン研究家のスティーヴン・ジェイ・グールドはダーウィンはあくまでも「適応論」を説いたのであって、生命は環境に合わせるために進化したり退化するとしたにもかかわらず、人類はこの150年、「進化」だけに過剰反応を示していると嘆いていた。クローネンバーグもそういった意味では「環境の変化」に対して人類が「進化」するという考えしか持たないようで、『スキャナー』や『デッドゾーン』など超能力に目覚めた例や『ザ・フライ』ではハエの遺伝子を獲得したセス・ブランドルがその能力を面白がるシーンは彼にとって至福のヴィジョンと思えなくもない。「体内に何かいる」というのは、それが外に出てくる痛みと引き換えに高い能力を得ることを意味し、処女受胎のイメージにも重なっていく。過去には『フランケンシュタイン』を撮る企画もあったようだし、クローネンバーグはこれまでの作品群を通じて何度も新たな人類を創造してきたということなのだろう(ちなみにクローネンバーグは無神論者)。

 クローネンバーグの作品がすべてセックスの比喩だというのはフロイディアンに指摘されるまでもなく、クローネンバーグ自身が『シーバーズ』で商業デビューを果たす以前にソフトコア・ポルノを撮ろうとしていたこともあるので、リビドーが様々にトランスフォームした結果が後々の作品に結実していくというのはそうだろうし、それはわかりきっていることだから、「臓器の摘出ショー」を見ながらティムリンが言う「手術は新たなセックスよ」というセリフにもはや新鮮味はなく、交通事故を起こすことにエクスタシーを感じる『クラッシュ』と同じ価値観が繰り返されているのはやや時代遅れに感じられるところもあった。プラスチック可塑剤として使われるフタル酸ジエチルヘキチルがヒトの精子形成を妨げる要因となり、結果、この40年でマイクロプラスティックがヒトの精子を半減させてきたことはジ・オーブがサウンドトラックを務めたドキュメンタリー映画『Plastic Planet(https://www.youtube.com/watch?v=a7X-J1DhfjE)』(OST盤タイトルは『Baghdad Batteries』)でも言及されていたように、そのことを考えると、むしろ「人間をつくる」産科を構想したドラマ版『戦慄の絆』の方が『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』を取り巻く「環境」には対応していると僕には感じられた面もある。ヒトの精子が半減していることと子どもをつくらないセックスは直結する問題ではないはずなので、ティムリンが「手術は新たなセックスよ」と興奮する感覚がもうひとつ共有できず、「体内の美しさのコンテスト」というものが重視される世界観が僕にはまだわかっていないというだけかもしれないけれど。ドラマ版『戦慄の絆』が時にキューブリックを思わせる現代性をデザイン面でも強調した(真上からのショットも多め)のとは対照的に『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』は終末というよりもはや場末といった雰囲気の未来像を美術的には構築している。いつものチームとともにつくりあげた陰のあるマニエリスティックな色調は世界が停滞し、失望の底にあることを告げ知らせるには充分で、テクノロジーだけが見たこともないものに入れ替わっているという対比を際立たせる。ドラマ版『戦慄の絆』は後半で中絶禁止法を復活させたアトランタに乗り込むというアグレッシヴな「場所の移動」を経験するのに対し、『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』はアテネをロケ地に選び、背景に歴史をにじみ出させたかったといい、起源とその終焉を意識させるというのか、それこそ新たなものが生まれることを待っているという雰囲気を充満させていく。話が少し進むと冒頭で母親に殺された少年の遺体が冷凍保存されていたことが明らかにされる。(以下、ネタバレ)少年はプラスティックを食べることが可能な臓器を生み出していたのに、これを気味悪がった母親が殺してしまったのである。そう、冒頭の短いシークエンスは人類にとっての大きな悲劇だった……のかどうかは観た人が考えるところ。ソールとカプリースは少年の遺体を使って新たな人類が生まれていたことを公に広く知らせるショーをやらないかと持ちかけられ、どうしようか迷っていると、全身に耳を植えつけたイアー・マンのダンス・ショーを観たことに刺激され、ショーを開くことにソールとカプリースの気持ちは傾いていく。

7月のジャズ - ele-king

 この5月、6月はヒタ・リー、アストラッド・ジルベルトと唯一無比の個性を持つ女性アーティストの訃報が続いたが、先日7月16日にはジェーン・バーキンが亡くなった。エルメスのバッグの名前にもなったジェーンだが、私にとってはセルジュ・ゲンズブールのパートナーで、彼の作品にいろいろと顔を出したことで忘れられないシンガーである。“ジュ・テーム” はもちろんのこと、少年のような裸体のポートレートをジャケットに配した『メロディー・ネルソンの物語』(撮影当時のジェーンは娘のシャルロットを妊娠していた)は、ブリジット・フォンテーヌのプロデュースでも知られる鬼才ジャン・クロード・ヴァニエが音楽監督やアレンジを務め、後世にも多大な影響を与えた。


Nicola Conte
Umoja

Far Out Recordings / ディスク・ユニオン

 さて、今月の一枚目はイタリアのニコラ・コンテによる久しぶりのアルバム。タイトルの『ウモジャ』とはスワヒリ語で統一や連帯を意味する言葉で、1970年代のアメリカの黒人ジャズ・ミュージシャンの間ではキーワードのひとつにもなっていたのだが、これが示すようにここ10数年来の方向性であるアフロ・ブラック・ジャズ、スピリチュアル・ジャズ的なアルバムとなっている。これまでも南アフリカはじめいろいろな国のミュージシャンたちと共演するなどしてきたニコラだが、今回の録音メンバーもイタリア、イギリス、フランス、フィンランド、スウェーデン、セルビア、アメリカ人、ガーナなどアフリカをルーツとするミュージシャンと、アドリア海に面した港町出身のニコラらしく国際色豊かな顔ぶれである。

 長年の付き合いであるザラ・マクファーレンが歌う “アライズ” (彼女の同名アルバムとは別曲)が代表するように、ジャズを基調にソウルやファンクが融合し、アフリカ音楽やブラジル音楽などのエッセンスを交えたアルバム作りは相変わらずだが、今回は1970年代中頃のロニー・リストン・スミス&コズミック・エコーズ、ギル・スコット・ヘロンブライアン・ジャクソン、ロイ・エアーズ・ユビキティなどを想起させるような作品が多く、使用楽器や録音機材も含めて当時の音楽が持っていた匂いや質感をリアルに再現しようとしている。アフロ・ジャズとサンバ・フュージョンを掛け合わせた “ライフ・フォーセズ” におけるティモ・ラッシーのサックスは極めてファラオ・サンダース的(現在であればカマシ・ワシントン的)で、そうした引き出しの多さはやはりニコラ・コンテのDJ的な嗅覚のなせるところである。


Ashley Henry
My Voice

Royal Raw Music

 サウス・ロンドンのピアニスト、アシュリー・ヘンリーも2019年のファースト・アルバム『ビューティフル・ヴァイナル・ハンター』以来久しぶりの新作となる。ビートメイカー的な側面も持つアルファ・ミストに対し、アシュリー・ヘンリーはクラシックもマスターしてきた正統派のピアニストであり、同じジャマイカをルーツに持つウィントン・ケリーからアーマッド・ジャマルらの影響も口にする。リリカルで端正なジャズ・ピアノと、カリビアン・ルーツのラテン的なタッチというのが彼のピアニストとしての評価となるだろう。ただ、彼もクラブ・ミュージックからの影響を受け、リ・アンサンブルというプロジェクトではナズをカヴァーするなど、ヒップホップやブロークンビーツ的な作品も展開し、自らヴォーカルもとっていた。新作EPである「マイ・ヴォイス」は、自身で設立したレーベルの〈ロイヤル・ロウ・ミュージック〉からとなり、来年にリリース予定のニュー・アルバムに先駆けた作品となる。

 今回のEPは「マイ・ヴォイス」とするだけあって、自身のヴォーカルやワードレスのヴォイス、スキャットなどを含めたトータルでの声楽とピアノ演奏のコンビネーションを披露する部分が多い。表題曲がその代表で、透明感に富むピアノとワードレス・ヴォイスが非常にイマジネーション豊かな音像を描く。“ラヴ・イズ・アライヴ” におけるスウィートな歌声も、シンガーとしてさらに覚醒したアシュリーの姿を見せてくれる。ヴォコーダーのようにも聴こえるメロウな歌曲の “メラニン” など、歌とピアノのバランスはハービー・ハンコックが手掛けた歌モノの域に近づいている。“デイ・ドリーム” での歌声は、オマーやクリーヴランド・ワトキスなどの先達を彷彿とさせるもので、みなジャマイカ系イギリス人という共通項から生み出される歌声なのかもしれない。そして、小刻みなブロークンビーツ調のリズムを刻む “ブリーズ” をはじめ、今回もクラブ・ミュージック経由の斬新なドラム・パターンが随所に配置され、新しいジャズの息吹を感じさせる作品集だ。


Terrace Martin
Fine Tune

Sounds Of Crenshaw

 ロサンゼルスのミュージシャン/ラッパー/プロデューサーであるテラス・マーティンは、スヌープ・ドッグ、ケンドリック・ラマー、トラヴィス・スコットらの作品に関わり、ジャズとヒップホップを結びつけたキーパーソンである。自身のアルバム『3コードフォールド』(2013年)はそれらラッパーからシンガー、さらにロバート・グラスパーも交え、そのグラスパーの『ブラック・レディオ』に対するヒップホップ/R&Bサイドからの回答とでもいう作品だった。『ヴェルヴェット・ポートレイツ』(2016年)ではサンダーキャット、カマシ・ワシントン、キーヨン・ハロルドらも交え、全体にジャズへ接近したところが見られた。特にディアンジェロのツアー・メンバーで、グレゴリー・ポーターやアシュリー・ヘンリーの作品にも参加し、マイルス・デイヴィスの伝記映画『マイルス・アヘッド』でトランペットを演奏したキーヨン・ハロルドが鍵で、彼の参加でディアンジェロ的な70年代ソウル~ファンク・リヴァイヴァルの流れを汲んだアルバムとなった。

 その後、ミュージシャンやプロデューサーらのコラボレーション・グループであるポリシーズのアルバムやライヴ盤を経て、ケンドリック・ラマーやレオン・ブリッジスら久々にラッパー/シンガー陣とコラボした『ドローンズ』を2021年に発表。それから2年ぶりの新作が『ファイン・チューン』である。今回のラインナップを見ると、キーヨン・ハロルド、カマシ・ワシントン、ロバート・グラスパー、デリック・ホッジ、ブランディ・ヤンガー、ロバート・シーライト、エレナ・ピンダーヒューズとジャズ界の実力者が多く揃うので、『ヴェルヴェット・ポートレイツ』の路線かと思いきや、アフロビートの “デグナン・ドリームズ” などがあり、非常に幅広い内容となっている。カマシ・ワシントンとロバート・シーライトをフィーチャーした濃密なアフロ・ジャズ・ファンクの “ファイナル・ソウト”、ブランディ・ヤンガーのハープが夢想の世界に誘うメロウ・グルーヴの “ダメージ”、ジェームズ・フォントルロイのスウィートな歌声が魅力の “トゥー・レイト” など力作揃いのアルバムとなった。なお、同世代のミュージシャンだけでなく、ラリー・ゴールディングスのようなジャズ界の大物から、かつて〈ブラック・ジャズ〉に伝説的な2枚のアルバムを残したギタリストのカルヴィン・キーズまで参加するなど、通も唸らせる人選となっている。そのキーズのボサノヴァ調のギターが光る “ザ・アイランド” は、これまでになかったテラス・マーティンの新しい面を見せるものだ。


Kris Tidjan
Small Axes

BBE Music

 仏領マルティニーク出身でパリ育ちのシンガー・ソングライターのクリス・ティジャンは、ヒップホップ、ソウル、レゲエなどから音楽に傾倒していき、その後自身の楽曲制作をはじめて2015年に「フローティング・セラピー」というEPでデビュー。アフロビート、ブロークンビーツ、ディープ・ハウスなどをミックスした作品を作っていたが、そこから長い期間を経て(現在はベルリンを拠点とするようだ)、ようやくデビュー・アルバムの『スモール・アクシズ』を完成させた。“ダズリング・リボン” に見られるように、ディアンジェロの『ヴードゥー』を連想させるネオ・ソウルとジャズが結びついたクールな世界が彼の魅力だ。ランプの “デイライト” のフレーズが飛び出す “インカーネイテッド” はじめ、彼の歌声はドゥウェレを思い起こさせる非常に魅力的なもの。そんな歌声とアフロビートとブロークンビーツが混じったようなリズムが結びついた “リトル・ジャイアント” は、クリスの兄弟であるアラン・ロジーヌとセルビア出身のジャズ・ピアニストのゾラン・テルジッチが参加。中間で披露されるピアノと土着的なコーラスとリズムの交わりは、彼のルーツであるマルティニークから生まれたものだろう。

 1990年にはじまるジョージ・ブッシュの声明に反応して2005年に書かれたという反戦歌の “ローズ・オブ・ウォー” は、クリスのヴォーカルに対してサックスとフルートが極めて有機的に絡み、そこから即興的なインタールードの “インターローズ” を挟み、“エディ” は切々と綴るネオ・ソウル調のナンバー。これらのナンバーではディアンジェロやドゥウェレはもとより、クリスの敬愛するボブ・マーリーからの影響も見ることができる。アルバム・タイトルの『スモール・アクシズ』もボブ・マーリーへのオマージュとして名付けられたそうだ。そして、“カティオパ” は2005年にいとこのジェレミー・オーネムとコラボして作った曲で、マルティニーク系やフランスのミュージシャンと共演している。カリビアンとアフロビートとソウルが結びついたクリス・ティジャンの原点と言える楽曲だ。

Hi Tech - ele-king

 いまさら言うことでもないが、90年代とはじつに狂った時代で、ぼくはダンスの現場で何度も何度も衝撃を受けている。たとえば1992年のロンドンのジャングル、1993年のブリクストンでのジェフ・ミルズ、こうしたパーティではDJ/音楽もさることながら、集まっている人間たちの身体から吹き出る大量の汗と、なかば常軌を逸したパワーというかほとばしるエネルギーというか、その場全体の何もかもがぶっ飛び過ぎていた。で、えー、それから、フライヤーなしのイリーガルなレイヴ・パーティ(倉庫でも、あるいは野外でも)とか、ここでは書きたくない驚倒した経験がいくつもある。自分で言うのもなんだけど、そんな経験豊富なぼくにとって、とくに仰天したほどの経験が何だったかと言えば、1997年9月にマイク・バンクスの案内で侵入した、デトロイト市内のゲットーテックのパーティだった。
 いや、あれを「経験」とは言えないな。どんなに狂っていようと、ぼくとしてはその一部になりえた/そのつもりになれたものだった。だが、ゲットーテックに関して言えば、ぼくは外側からただ「見学」していたに過ぎなかった。いっしょに踊って、彼ら・彼女らの一部にはなれなかったのである。 
 何度か書いてきたことだが、ぼくが行ったゲットーテックのパーティ会場は公民館/体育館のようなところだった。天井には普通に蛍光灯がついているから明るい。飾りと言えば、束になった風船があるだけだった。つまり子供の誕生会よりも質素で、場内の後方や隅にはもともと置いてあった長机や椅子が詰んである。前方には舞台があって、中央にはDJブースが設けられている。DJの隣には盛り上げ役のMC、そのまわりでは男女のダンサー数人があり得ないほど激しく、エロティックに腰を振る。1000人ほど集まった100%黒人たち——中年のカップルから威勢のいい若者まで、洗練されていない大勢の老若男女が腰を振って楽しんでいる。マイケル・ジャクソンの“ビリー・ジーン” がBPM140以上の高速でエレクトロのレコードにミックスされると、会場が揺れ動くほどの興奮の坩堝となる。この創造性、この大衆性、このブラックネス、この超絶なダンサーたち。ドラッギーでもないし、おそらくはアルコールさえもなかったというのに(なにせ公民館なのでバーも売店もなかった。デトロイトなので自販機もなかった)。
 これが超ローカルな(労働者階級の)シーンとして確立され、いろんな世代に人気があること、品は良くないかもしれないが、その活気に関しては、デトロイトの音楽シーン全体においても突出していることにもぼくはひどく感銘を受けた。だが、何よりも衝撃だったのはあの「ノリ方」だ。平安時代の祝宴でも古代の神事でも、歌ひとつ歌うのにも酒の力を借りていたほどシャイというか陰キャラな日本人からしたら、音楽だけでここまで自己を解放し、上がれる人たちがいるってことが信じがたくもあり、嬉しくもあった(ぼくもそのときは完璧にシラフだった。飲んでいたら、あの猛烈なるダンスのうねりのなかに入っていったのだろうか……。はっきり言う、絶対に無理だった)。
 昨年、デビュー・アルバムをオマー・Sのレーベルから出したハイ・テック(このシンプル極まりないネーミングもファンキー)が早くもセカンド・アルバムをリリースした……ということは、いまもあのシーンは存続し、しかも作品を聴けばこのジャンルが密かに進化していることを全世界に向かって告げているのだ。素晴らしい。
 
 ゲットーテック(ゲットーエレクトロ、デトロイト・エレクトロとも呼ばれている)とは、デトロイト内部で発展した、エレクトロ、マイアミ・ベース、ゲットー・ハウス、ラップなどが混ざった雑食音楽。速くて、ファンキーで、ブーツィーで、ナスティーで、現場では下半身の触れ合いが活発なエレクトロニック・ダンス・ミュージックである。昨年いちやく注目を集めたデトロイトの3人組(King Milo、Milf Melly、47Chops)は、大衆的かつアンダーグラウンドな黒人ダンスの現場から生まれた音楽を、この期に及んで進化させんと企んでいる。
 『Détwat』が旧来のエレクトロ・スタイルにこだわってもいないことは、1曲目の“Nu Munni”でわかる。リスナーの先入観をからかうように、これは4/4ビートの、ちょっとしたギミックありの、そして踊りやすいBPMの白眉なテクノ・トラックだ。が、ハイ・テックはその余韻などは残さず、ギアをトップスピードに上げてゲットーテックを発射、素早く2曲目の“Money Phone”がぶっ込まれる。そこから最後までスピードが落ちることなく、新世代の808主義者たちは暴走するのである。ときに実験と遊びとは表裏一体の関係にあるが、ハイ・テックの3人は、ゲットーテックという外の世界にはあまり知られていないデトロイト特有のパーティ音楽を、さらに面白く、音楽的に楽しめるものに拡張している。“Money Phone”におけるピアノとラップの掛け合いも興味深く、“Clap That A$$”もふざけた曲だが斬新で、“Shrimp & Grits”にいったては故障したクラフトワークのごとしだ。 彼らが笑いを取ろうとしていることは見え見えで、しかしそれでも “Zooted”やオートチューンを活かした“Glitch N Ass” のなかにサイボトロンやオックス88やドレクシアの記憶が確認できる。ハイ・テックはデトロイト・テクノの子孫なのである。
 全12曲中ほぼすべての曲が1分から2分台という短さ、これもゲットーテックの流儀では重要となる。曲間はなく、次から次へと曲が「これでも食らえ!」とばかりに続く。でなければダンスは萎えてしまうし、この生々しさ、このストリート感覚もまたゲットーテックが鑑賞用の音楽ではないことの証左なのだ。ええい、こんだけ暑いんだから、無駄に涼むよりは汗をかいて冷やしましょうや。

気鋭の書評家が厳選!
とりあえずこれだけは読んでほしい新旧の40人

現在につながる古典作家の中から、今読んでも面白い作家を20人。そしてここ10年以内に登場した今後をになう新鋭作家を20人。古典と最新の両面から「読むべきミステリ」に迫る! 「古典」と「現在」の間を解説するコラムも掲載し、これ一冊で今のミステリ状況がわかる入門ガイド。

インタヴュー
クリス・ウィタカー
(『われら闇より天を見る』で2022年の国内ミステリランキング三冠、本屋大賞翻訳小説部門第一位)
月村了衛
(冒険小説・警察小説、骨太な大衆小説をいまに引き継ぐ。〈機龍警察〉シリーズ、『香港警察東京分室』など)

監修
杉江松恋
1968年生まれ。慶應義塾大学卒。書評家。著書に『路地裏の迷宮踏査』『読み出したら止まらない! 海外ミステリーベスト100』、『浪曲は蘇る』他。共著に『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』など。

執筆
荒岸来穂、小野家由佳、香月祥宏、川出正樹、酒井貞道、坂嶋竜、霜月蒼、千街晶之、野村ななみ、橋本輝幸、松井ゆかり、森本在臣、若林踏

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お詫びと訂正

このたびは弊社商品をご購入いただきまして誠にありがとうございます。
『十四人の識者が選ぶ 本当に面白いミステリ・ガイド』に誤りがありました。
謹んで訂正いたしますとともに、お客様および関係者の皆様にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

P.3
誤 この10年以内に翻訳紹介が始まった作家のみだ彼らがこれからのミステリ界を背負っていってくれるだろう。
正 この10年以内に翻訳紹介が始まった作家のみだ。彼らがこれからのミステリ界を背負っていってくれるだろう。

P.6
誤 メフィスト・ショウ・マスト・ゴー・オン 千街晶之
正 メフィスト・ショウ・マスト・ゴー・オン 坂嶋竜

P.9
誤 巧みな語りと校正に籠められた深い想い
正 巧みな語りと構成に籠められた深い想い

P.80
誤 〈質問・文〉杉江松恋 〈取材〉若林踏
正 〈文〉杉江松恋 〈取材・構成〉若林踏

P.191
誤 千街晶之(せんがい・まさゆき)
正 千街晶之(せんがい・あきゆき)

Spekki Webu - ele-king

 札幌を拠点に活動を続けてきたテクノDJの OCCA が、次世代のサイケデリック電子音楽シーンを語る上で欠かすことができない2人の重要人物を招聘し、革新的でユニークな電子音楽イベントを創ろうとしている。今回ゲストに招聘されたのは、〈MIRROR ZONE〉を主宰する SPEKKI WEBU と PYRAMID OF KNOWLEDGE 名義でカルト音楽愛好家に知られる K.O.P. 32 の2名だ。未知なる最先端の音楽を制作し、演奏する彼らが、東京と大阪のダンス・ミュージック・シーンを根底から揺るがすことは間違いないだろう。
 両者は今回、7月27日(木)に東京のストリーミング・スタジオ SUPER DOMMUNE(こちらは SPEKKI WEBU と OCCA の出演)、28日(金)に VENT を会場に OCCA の盟友である YSK と共に主催する《SECT》に出演。その後29日(土)には、CIRCUS OSAKA を会場にした OCCA による新シリーズ《PARHELION》に登壇し東西を廻る予定だ。
 そしてこの度、初めてのジャパン・ツアーを敢行する SPEKKI WEBU に来日前インタヴューのチャンスが頂けた。先日、台湾にて開催された《Organik Festival》でも OCCA と顔を合わせていた2人が、どのように意気投合し、今回のイベントがどのようなコンセプトを持っているのか持っているのか、少しでも伝われば嬉しいと思う。


「海を超えた地でダンス・ミュージックのBPMが加速し、テクノあるいはトランス・ミュージックと形容される音楽への熱量が高まっている」と書けば、往年のファンはこのような文章を読むのは何度目のことだろうと思うかもしれない。確かに、海外で開かれている信じられないような大きさのダンスフロアで、BPMが150を超えるような音楽に人びとが熱狂的になっている動画がSNSで回ってくることは、もはや日常茶飯事となっているが、一部のアンダーグラウンド・シーンにいる人間は、これを単なる繰り返された流行、舵を失ったトレンドだとは認識していないだろう。米作家マーク・トウェインが語った「歴史は繰り返さないが、韻を踏む(History does not repeat itself, but it rhymes)」という言葉がしばしば歴史学で引用されるように、それと同様のことがこの複雑化した音楽シーンにおける変遷を形容することもできると思う。そこには確かに、大きな流れ=トレンドの影響がある一方で、同時にこの時代でしか生まれない特有の “うねり” が存在している。つまりこの「BPMの加速化」は、文化的な需要を満たしつつも、過去にはないほど画期的で、いまだかつて体験したことのないようなサウンドと共に起きている現象であると言い換えることができるだろう。

 オランダ出身の SPEKKI WEBU は、まさにその “うねり” を、最前衛で創り続けているクリエーターの1人として、多くの信頼あるDJから認識されている。彼は、この加速化するテクノ/トランスといったムーヴメントを牽引する中で、〈Amniote〉や〈Positive Source〉といった新興ダンス・ミュージック・レーベルから作品を発表し、自身が主宰するレーベル〈MIRROR ZONE〉からは、トランス・ミュージックの系譜にありがらも、全く新しいDJプレイを可能にするツール的プロダクションを世に送り出してきた。また、ここ日本でも著名な Jane Fitz や Mama Snake、Konduku らと共にB2Bで共演してきた指折りの技巧派DJでもあるのだが、それは彼の音楽的ルーツにガバやジャングルといった幅広い音楽があり、ダンス・ミュージックの新しい可能性を拡張し続ける研究家であることが理由にあるのかもしれない。このインタヴューを通して、彼の音楽的ルーツと彼が捉えるダンス・ミュージックの新しい像が伝われば幸いだ。

■こんにちは、クリス! 元気ですか? まずは、あなたが育った街であるオランダのデルフト、そして大都市ロッテルダムについて教えてほしいです。デルフトはどのような街で、あなたはどのように過ごしましたか? また、どのようにしてアンダーグラウンドな音楽と出会いましたか?

SW:こんにちは、僕はとても元気だよ! 僕はデルフトという比較的に小さな街で育った。デルフトは地理的にロッテルダムとハーグというふたつの大都市に囲まれた大きな都市圏にあるところで、昔は父親と一緒に地元のレコード店によく音楽を掘りに行ったね。
 ここで初めてジャングルのCDを買って、それからエレクトロニック・ミュージックの旅がはじまった。周りはみんなハードコアなレイヴに行くか、ヒップホップを聴いていた。このときから僕はガバに興味を持ちはじめ、それらの音楽を集めるようになったんだ。
 僕が若い頃、デルフトにはいくつもの素晴らしいヴェニューがあって、そこではエレクトロニック・ミュージックの幅広い分野を紹介するような興味深いイベントがたくさん催されていた。僕が初めてダンスフロアに足を踏み入れたのも、そういった会場だったね。僕の友だちの多くは、街中や郊外のハードコア・ガバ・レイヴに行っていた。でも、ある程度の年齢になると、僕の興味は自分の住んでいる地域周辺の大都市(ロッテルダムとハーグ)に移っていった。
 ロッテルダムは、ガバ・ムーヴメントの勃興と形成に貢献した非常に重要な都市だ。面白いレイヴをやっているクラブやコミュニティ、サウンドシステムがたくさんある街でもある。だから僕はよくロッテルダムに訪れてライヴを見たり、面白いアーティストのプレイを見たりしていた。毎週末かなり長い期間、友だちたちとパーティーに行っていたんだ。この数年間は、エレクトロニック・ミュージックの世界を自分の中に形成し、自分を教育するのにとても重要な時期だったよ。

■あるインタヴューでは、あなたははじめにガバ・ミュージックに傾倒していたと書かれていました。それはいつ頃で、どのようにして遊んでいたのでしょうか? また、その後どのように現在のスタイルにたどりついたのでしょう?

SW:エレクトロニック・ミュージックに触れたのはかなり若い頃だったね。初めてジャングルのCDを買った後、すぐにガバ・ミュージックに触れた。90年代のオランダではすでに重要なカルチャーになっていたから、僕の周りの人はみんなこのスタイルのエレクトロニック・ミュージックを聴いていたよ。下に住んでいた少し年上の隣人はテープを集めていて、かの有名な音楽イベント《Thunderdome》のコンピレーションを聴いたのもこのときだった。これで新しい世界が開いたんだ。面白かったのは、ここに収録されていたトラックの多くに、ジャングルやブレイクビーツのリズムも混ざっていたこと。これはもちろん、ジャングル・ヘッズの僕にとっては天国のような組み合わせだった。
 それから音楽を集めはじめ、パーティーにもよく行くようになった。この時期からガバ・ムーヴメントに深く入り込むようになって、このジャンルの中にもっと実験的で面白いコーナーがたくさんあることを知ったんだ。インダストリアルでエッジの効いた、より深くてダークなサウンド。カルチャー、サウンド、ダンスフロア、インスピレーションの面で、いろんなことがとても面白くなりはじめた瞬間だった。この時期の音楽体験は、僕が後にDJとしてプレイするようになったとき、アーティストとして非常に重要な基礎となるものになったね。
 ロッテルダムとその周辺には、インダストリアル・ハードコア、ドラム&ベース、ノイズ、ブレイクコアなどの境界を越えた、小規模で親密かつ実験的なクラブ・ナイトを主催する会場がいくつかあったんだ。この時期は、多くのDJやライヴ・アーティストたちが、その境界線を破り、サウンドの面でよりストレートに、何か別のものへと進化させていた。興味深い新しいアーティストたちが押し寄せてきて、彼らが僕の関心の的だったんだ。僕は少人数の友人たちとヨーロッパ中を旅して、これらのアーティストの演奏をたくさん見に行った。アーティストとしての僕自身の教育やブループリントは、この頃に形成されたかもしれないね。

■あなたのDJスタイルはBPMの制限から逃れ、「リスナーの意識と鼓動に訴えかけるようなスタイル」を象徴しているように思います。多くの人が形容するように、あなたのセットに意識を集中していると、まるで地球から宇宙に発射するスペースシャトルのような感覚を得ることがありますが、現場ではどのようなことを考えながらセットを構築しているのでしょうか?

SW:どのスロットをどれくらいの時間プレイするかにもよるが、僕は時間をかけながら「リフトオフ」の瞬間に向けて緊張感を高めていくのがとても好きなんだ。特に長いセットを演奏するときは、呼吸を整え、ゆっくりと「特定のエネルギーのポイント」まで向かっていく。このポイントに到着したら、この原動力を保ち続ける。これが僕のセットにおいて最も重要なことだ。全体的には、まずマインドをリセットするストーリーを創る、それから未知への新たな旅に出るというストーリーだ。でも、さっきも言ったように、すべては自分の出番次第でもある。
 ロング・セットをやるときには、セットの途中で長いブレイクダウンをかけて、ダンスフロアと脳をリセットするのが好きだ。BPMが145くらいで進行しているところで、突然3分のアンビエント・トラックを流してダンスフロアをブレイクさせる。旅は必ずしもまっすぐ継続的に進む必要はない。既成概念にとらわれないようにすることは、DJとしてだけでなく、プロデューサー、ライヴ・アーティストとして、そして新しいオーディオ・ヴィジュアル・ショウにおいても、とても重要なことなんだ。

■いま述べていただいたように、あなたは特定の現場で、ドローンやサイケデリックなエクスペリメンタル、ダウンテンポまでを流すことが多いと思います。BPM、あるいはビートという概念について、どのような考えを持っていますか?

SW:BPMは、僕にはあまり関係ない。もちろん、いまのところ僕がプレイするのは夜のクロージング・タイムや遅い時間帯だから、僕のDJセットは速いペースになることが多い。ただ、僕にとって最も大事な要素はグルーヴ、深み、催眠術なんだ。BPMが80だろうが125だろうが160だろうが関係ない。プログレッシヴなグルーヴ感、根底にある隠れたリズム、ポリリズムの要素がすべてだ。僕が演奏するトラックの中には、とても不思議な音楽的な変化が起こっているので、セットを聴いた人は僕が実際にプレイしたBPMの速さに驚くということがよくある。その音楽的な変化によって、人びとは実際にそこまで速いBPMだとは認識しないんだ。これが「マインド・トリック」と「催眠術」の力だと思う。

■主宰されているレーベル〈MIRROR ZONE〉からは、多くの現代的なトラック、DJツールとしても使えるトラックがリリースされています。レーベルの設立背景や哲学的な信念を教えていただけますか?

SW:このレーベルは2018年にスタートし、僕の人間としての歩みを進化させてきた。〈MIRROR ZONE〉は、あなたと僕、僕たちの社会における立ち位置、そして僕たちが人間としてどのように形成されていくのかの全てだ。
 誰もが自分自身との個人的な旅路を持っている。転んで学び、ありのままの自分を受け入れる。鏡を見る勇気を持ち、毎日より良い自分になろうとする。〈MIRROR ZONE〉は、あなたと僕が経験する人生だ。僕のインナーサークルの中で、友だちたちが人間として美しく興味深い瞬間をたくさん経験しているのを見てきた。すべてのリリースには、コンセプトやストーリーがあり、それはアートワークや詩にも反映され、リリース全体が完全な旅となっている。

■あなたはクロアチアの《Mo:Dem Festival》など大規模なトランス・フェスティヴァルでもプレイをしたDJでもあります。広義の意味でのトランス・ミュージックについて、どのような考えを持っているのでしょうか?

SW:いまのところは、僕にとって「トランス」とは単なる言葉でしかない。もちろん古典的なトランス・ミュージックというサウンドはあるけれど、その定義ははるかに広い。それは、ある瞬間にムード、フィーリングを提示し、共有する特定の方法だ。それだけでなくて、DJセットの中でトラック同士がどのように連動しているかということも重要だと思う。例えば、トラック3がトラック6、10、15と強く繋がってたりね。継続的な繋がりが、雰囲気やマインドセットを創り上げる。僕にとっては、感情と催眠術がすべてなんだ。ヒプノティック(催眠術)という言葉がいまのDJとしての僕を表すのにぴったりだと思うし、これが「トランス」の基本だと思う。

■今回の日本ツアーで共演する K.O.P. 32 が運営するレーベル〈Beyond The Bridge〉からあなたの「Euclidean Doorway EP」が先日リリースされました。K.O.P. 32 と共演するにあたって、何か特別な思いがありますか?

SW:K.O.P.32 とは以前から知り合いだったが実際に会う機会はなかった。だから今回 OCCA と一緒に日本で彼に会えるのが夢のようなんだ。僕たちは、ダンスフロアで一緒に溶け合うことができる「似た者同士」だと確信している。僕たちは同じバックグラウンドを強く共有しているからね。
 彼と一緒にパフォーマンスすることは、間違いなく特別な感覚だ。そうでなければ、彼のレーベルから自分の音楽をリリースすることもなかったと思う。彼に直接会ったことはないけれど、僕たちが一緒に感じ、話すのは銀河の言葉なんだ。それに、彼はとても才能のある素晴らしいアーティストで、僕にとっても刺激的な存在だ! だから、彼と一緒にツアーを回れることをとても光栄に思っている。

■最後に、あなたの初来日公演を楽しみにしているダンス・ミュージック・ファンに向けて一言お願いします!

SW:日本を訪れるのは初めてで、とても興奮している。新しい人たちと出会って、一緒のダンスフロアを共有し、みんなを未知への旅に連れていけることをとても楽しみにしているよ。日本に訪れて、遊んで、探検することは長年の夢だったが、それがついに実現するね!

(Introduction & Interview: Yutaro Yamamuro)

Haruna Yusa - ele-king

 昨年、ソロとしては2作目となる Have a Nice Day! のカヴァー・アルバム『Another Story Of Dystopia Romance』を発表し注目を集めた遊佐春菜。本日、1年ぶりとなる新曲がリリースされている。今回の楽曲は、今後の飛躍が期待される若手バンド Strip Joint の “Liquid” で、もともと英詞だったものを日本語詞にして再構成。夏の一瞬を切りとるようなヴォーカルに注目したい。


「夏の雫」リンク
https://big-up.style/WT6SWhgvvC

King Clark - ele-king

 1961年8月ニューヨークはヴィレッジ・ゲイト、ジョン・コルトレーン・セクステット(エリック・ドルフィー含)完全未発表ライヴ音源発掘。そんな令和一大ジャズ・ニュースに触れて「待ってました」と色めき立つ人が、はたしてどれくらいいるだろうか。狂喜する往年のジャズ・ファンを横目に、それがいったいどれほどの意味を持つことなのかよくわからぬまま、とりあえず様子を見るか、あるいはすぐに忘れてしまうか、ようするに大して関心を持たない人たちが大勢目に浮かぶ。そんな諸兄諸姉に対して説得力のある何事かを訴えるのはなかなか難しそうであるし、かといって往年のジャズ好事家諸賢にとり為になるような何事かを私なんぞが書けるはずもなく、さて。


John Coltrane with Eric Dolphy
Evenings at the Village Gate

Impulse! / ユニバーサル

Jazz

■通常盤(SHM-CD)
Amazon Tower HMV disk union

■限定盤(SA-CD~SHM仕様)
Amazon Tower HMV disk union

配信

 ともあれいまさら基本的な情報は不要であろう。なにしろいまや岩波新書の目録にその名を連ねるほどの歴史的偉人である。その岩波新書赤版1303『コルトレーン ジャズの殉教者』の著者であり世界有数の “コルトレーン学者” たる藤岡靖洋は、『The John Coltrane Reference』(Routledge, 2007)というコルトレーン研究の決定版と言うべき巨大なディスコグラフィーの編纂にも関わっている。コルトレーンの足取り・演奏データを詳細に記したこの本を眺めていると、「when you hear music, after it’s over, it’s gone in the air, you can never capture it again(音楽は聴き終わると空中に消え去り、もう二度と捕まえることはできない)」という呪文のようなエリック・ドルフィーの言葉を思い出す。ようは録音されずに空中に消えた演奏のほうが録音されたものより圧倒的に多いという当たり前の事実に改めて直面するわけだが、したがって録音されているという事実だけを根拠に、今回発掘された1961年8月ヴィレッジ・ゲイトでの演奏に何か特別な意味を持たせる理由はないこともまた、肝に銘じておくべきことなのかもしれない。ごく一部の(ほぼ関係者に近い)人を除けば、「待ってました」というわけではなく不意の棚ぼた的サプライズ発掘音源であり、つまりコルトレーンが日常的に行なっていた数あるギグのほんの一コマが、当時たまたま新しい音響システムのテストの一環としてリチャード・アルダーソンによって録音されており、永らく行方不明になっていたそのテープが近年たまたまニューヨーク公共図書館に眠る膨大な資料のなかから発見されただけの話である。発掘音源をめぐるいたずらな伝説化を避けるなら、そういう物言いになる。

 ジョン・コルトレーン(ss, ts)、エリック・ドルフィー(fl, bcl, as)、マッコイ・タイナー(p)、レジー・ワークマン(b)、アート・デイヴィス(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)のセクステット、つまりこの時期数ヶ月間にわたって実験的に試みていたツー・ベース編成による全5曲。“My Favorite Things”(①)、“When Lights Are Low”(②)、“Impressions”(③)、“Greensleeves”(④)といった定番のレパートリーが並び、ドルフィーが編曲したことで有名な『Africa/Brass』(1961年5月録音)収録曲 “Africa” のライヴ録音(⑤)は他のどこにも残されておらずこれが唯一の記録である。すべての曲が10分を超え、“Africa” に至っては22分。この時期に顕著となるこうした演奏の長尺化は、コルトレーンの音楽の発展にとって不可避の事態であり、従来のコードチェンジに縛られずにひとつのハーモニーを延々と展開し続けることの可能性を示していた。とりわけライヴ演奏は一種のトランス状態の渦を作り出すかのごとき様相で、当時は「ジャズの破壊」とまで言われたコルトレーン=ドルフィーの剥き出しのソロがここでは存分に堪能できる。

 ふいと個人的な話になるが、私が初めて買ったコルトレーンのアルバムは、『That Dynamic Jazz Duo! John Coltrane – Eric Dolphy』(1962年2月録音)と題された見るからにブートレグ感が漂うレコードだった。実際おそらく1970年頃につくられたブート盤である。中古で確か500円。安っぽいモノクロ・ジャケットの裏面にはなんとコルトレーンの直筆サインが油性のマジック(つまり魔術的な力)で書き込まれており、すわ!歴史がねじれる不思議!とひとりひそかに喜んだ。私が高校生の頃なので2003年とかそのあたりの話であるが、当時巷では「スピリチュアル・ジャズ」と呼ばれる古い=新しい潮流が盛り上がっていた時代である。クラブ・ジャズ/DJカルチャーのシーンが発端となったスピリチュアル・ジャズなる言葉が指し示していたのは、簡単に言うと「コルトレーン以後のジャズ」だった。どことなく神秘的だったり民族的だったりアフロセントリックだったり、場合によっては宇宙的だったりする崇高なムードを纏ったグルーヴィーな黒いジャズが対象で、代表格はファラオ・サンダースアリス・コルトレーンアーチー・シェップ、そして〈ストラタ・イースト〉や〈ブラック・ジャズ〉、〈トライブ〉などといったレーベル、またはそのフォロワーが定番のネタであり、スピリチュアルを合言葉に一気に再評価が進んだ。コルトレーン「以後」ということは当然ジョン・コルトレーンその人も含まれる、というよりまさにコルトレーンこそがスピリチュアル・ジャズの “元祖”、“伝説”、“永遠のアイコン” であるとして崇められてはいたが(参考:小川充監修『スピリチュアル・ジャズ』リットーミュージック、2006年)、実際の主たるところはその「後」のほう、コルトレーンの「子どもたち」だった。なぜならコルトレーンはとうの昔からビッグネームであったし、一部のDJにとってはグルーヴがレアであることのほうが音楽やその歴史的文脈より優先されたからである。

 個人的な話を続けると、歴史捏造油性マジカル・ブート盤の次に買ったのが『Olé』(1961年5月録音)だった。表題曲におけるコルトレーンのソプラノサックスが「アンダルシアの土埃のなかで舞っているジプシーの肉体感覚に近いように聴こえる」と書いたのは平岡正明だが(『毒血と薔薇』国書刊行会、2007年)、このジプシー的感覚あるいはアラブ的感覚はスペインめがけて地中海を3拍子で突破することによって培われ、おそらくその後のコルトレーン流の高音パッセージをかたちづくる最も重要な要素であるはずだ。螺旋状に延びていく並外れた旋律=フレージングは、隣にエリック・ドルフィーを擁することでより際立ち強化・装飾される。コルトレーンのグループにドルフィーが加入していたのは1961年5月から翌62年3月までの約10カ月間。『Olé』の他に『Africa/Brass』、『Live At The Village Vanguard』、『Impressions』などがあり、ライヴ録音のブート盤を含めるとそれなりの数が残されている。この頃の “中期” コルトレーンはスピリチュアル・ジャズ隆盛の時代にあってはあまり顧みられていなかったようにも思うが、“Olé” や “Africa”、また “Spiritual”(『Live At The Village Vanguard』収録)といった比較的長尺の楽曲は、モーダルな “単調さ” ゆえの “崇高さ” があり、明らかに後のスピリチュアル・ジャズを預言している。『A Love Supreme』(1964年12月録音)や『Kulu Sé Mama』(1965年6、10月録音)を差し置いて、どうやら私はこのどちらに転ぶかわからない危うさ、神に対する卑屈と人間的な尊厳を兼ね備えた “中期” コルトレーンがいちばん好きだった。「ファンキーズムから前衛ジャズにジャズ・シーンがきりかわった前後から、卑屈さや劣等感を額のしわにほりこんだ黒人くさい黒人がジャズの世界から減り、人間的な尊厳にみちた人物が数多くあらわれた」(平岡正明「コルトレーン・テーゼ」『ジャズ宣言』イザラ書房、1969年)。言ってみればコルトレーンはその中間のような、というより明らかに相反するふたつの性質を有しており、かの有名な「笑いながら怒る人」ならぬ、キャンディーをペロペロ舐めながら神妙な面持ちの人、導師の顔をした弟子キャラ、といった具合の、まるでレコードにA面とB面があるような二面性である。それならコルトレーンの毒血はAB型か。

 にもかかわらず片面をなきものとされ、生前より聖人的尊厳を投影され、死後さらに伝説とされ、まるで神様のように祀られている状況について、コルトレーン本人は少なからず戸惑いを感じているようだ。「自分でも考えられねごどだ」──1975年、恐山のイタコに “口寄せ” されて地上に舞い降りたコルトレーンは津軽弁でそう語った。FM東京「ジャズ・ラブ・ハウス」という番組で放送されたこのときの口寄せ実況はなかなか傑作で、しまいにはコルトレーンの親父さんまで降霊してくる始末(「まさかあのようにジョンが有名になるとは思わなかった」云々)。書き起こしが『季刊ジャズ批評』誌46号(阿部克自「宇宙からきたコルトレーン(恐山いたこ口寄せ実況)」)に掲載されているので、ご興味のある方はぜひ。

 口寄せは英語だと necromancy に相当するか、あるいは conjure でもいいかもしれない。たとえば『マンボ・ジャンボ』で知られる作家イシュメール・リードにとって最重要キーワードのひとつが conjure であったことを考えると、(ジャズの下部構造としての)ブルース衝動は死の概念と不可分であり、そこにはすでに何らかの魔術的な力が内在していることに気がつく。黒人霊歌以前のニグロ・スピリチュアルすなわちヴードゥーの精霊か、それこそ奇病ジェス・グルーの発症を促す何らかの魔法か。かくして、キャプチャーされることなく空中に消えた無数のサウンドに、大西洋に沈んだ無数の死のイメージが重なる。まずはレコーディングされていた奇跡を真摯に受け止めるべきなのだろう。録音は呪文であり救済である。1961年8月ニューヨークはヴィレッジ・ゲイト、ジョン・コルトレーン・セクステット(エリック・ドルフィー含)完全未発表ライヴ音源発掘。アフリカ大陸へ延びるテナーサックスのミドル・パッセージに、いまだ見ぬ過去と失われた未来が立ち現れる。もうしばらく、ジャズは「コルトレーン以後の音楽」でしかありえないことを確信する。

world’s end girlfriend - ele-king

 この春お伝えした world’s end girlfriend の新作情報ですが、ついにリリースが実現することになりました。9月9日発売、LPは4枚組、CDは3枚組の大作です。全リミッター解除で挑んだアルバムとのことなので、そうとうすごいことになっていると思われます。抵抗と祝福──。買って、聴いて、その全貌をつかみましょう。

https://linkco.re/Xuq6T5Cx

world’s end girlfriendが全てのライブ活動を停止し、
全てのリミッターを外して制作された
7年ぶりの新作アルバム「Resistance & The Blessing」
2023年9月9日リリース決定。
全35曲145分収録、LPレコード4枚組(99ドル)、CD3枚組(54ドル)で限定発売。
Bandcampにて先行予約受付開始(7月14日0時より)。
https://virginbabylonrecords.bandcamp.com/album/resistance-the-blessing

ジャケットアートワークを担当したwilquitous による、
この世に咲く花の最終形態のような美しい混沌に満ちた
「IN THE NAME OF LOVE」MUSIC VIDEOも同日公開(7月14日0時公開)。
https://youtu.be/81WkubIWSMs

アルバム「Resistance & The Blessing」は2つの魂が
男女、同性、親子、友人、敵、様々な姿で様々な時代と土地で
出会い、別れ、誕生と死を繰り返し続ける物語であり、
自らの音楽アルバムという表現を極限まで追求した作品でもある。

ゲストに
詩に戸田真琴、
朗読にsamayuzame,
歌にSmany、Itaru baba、
音にarai tasuku, CRZKNY,
ギターに青木裕、
アートワークにwilquitous
等が参加。

world’s end girlfriend “Resistance & The Blessing”

トラックリスト
01. unPrologue Birthday Resistance
02. Reincarnation No.9 - Fire,walk with me.
03. Slaughterhouse (feat. samayuzame)
04. MEGURI
05. IN THE NAME OF LOVE
06. Odd Joy
07. Orphan Angel
08. GODLESS ALTAR Part.1
09. GODLESS ALTAR Part.2
10. Petals full of holes (feat. samayuzame)
11. Eve (feat. Smany)
12. Reincarnation No.9 - More tears are shed over answered prayers than unanswered ones.
13. RENDERING THE TWO SOULS
14. Cosmic Fragments - A.D.A.M.
15. Questions
16. FEARLESS VIRUS
17. Dancing with me
18. Blue / 0 / +9 (feat. arai tasuku, Itaru Baba, Aoki Yutaka)
19. Black Box Fatal Fate Part.1 - MONOLITH (feat. CRZKNY)
20. Black Box Fatal Fate Part.2 - SEVEN SIRENS (feat. CRZKNY)
21. Trash Angels
22. The Gaze of Orpheus (feat. samayuzame)
23. Sacrifice
24. Torture in heaven (feat. samayuzame)
25. Fire on the Lethe
26. Möbius (feat. samayuzame)
27. Before and After Life
28. himitsu (feat. Smany)
29. Cosmic Fragments - Moon River
30. Glare (feat. samayuzame)
31. Tu fui, ego eris.
32. Ave Maria
33. Two Alone (feat. samayuzame)
34. SEE YOU AGAIN
35. unEpilogue JUBILEE

Black Dog Productions / The Black Dog - ele-king

 今年は〈Warp〉の「Artificial Intelligence」シリーズ30周年。つまりポリゴン・ウィンドウオウテカB12などのアルバムが軒並み30周年を迎えるわけだけれど、なかでも屈指の名盤がブラック・ドッグ・プロダクションズの『Bytes』である。ケン・ダウニー(ザ・ブラック・ドッグ)およびプラッドとして知られるふたり、エド・ハンドリー&アンディ・ターナー(先月の来日公演@VENTも相変わらずよかった)がさまざま名義で参加、一見コンピ風の体裁をとった歴史的名作、問答無用の1枚で、このたびめでたくヴァイナルでリイシューされることになった。オリジナル・リリース時以来、ヴァイナルでは復刻されてこなかったようなので粋なはからいといえよう。あわせてザ・ブラック・ドッグ名義の『Spanners』(1995)もオリジナル・プレス以来初めて、ヴァイナルでリイシューされる。こちらも『Bytes』にひけをとらない、3人のオリジナリティを堪能することができる1枚。ぜひに。


●Bytes
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13491


●Spanners
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13492

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