「KING」と一致するもの

LONDON ELEKTRICITY & MAKOTO - ele-king

 あなたがジャジーでソウルフルなドラム&ベースをうんと浴びたいと思っているなら、このイベントがおあつらえ向きでしょう。
 今年で創立21周年を迎えるUKのドラム&ベース・レーベル〈ホスピタル・レコード〉。そのボスであるトニー・コールマンのソロ・プロジェクトとして知られるロンドン・エレクトロシティが、7月21日に代官山ユニットで開催される「HOSPITAL NIGHT」に出演する。
 昨年20周年を迎えた「Drum & Bass Sessions(DBS)」が開催する今回のパーティでは、ロンドン・エレクトロシティがレーベル21周年を祝す「21 years of Hospital set」を披露するそう。
 さらに日本勢からは今年〈ホスピタル・レコード〉と契約し、9月にアルバムをリリース予定のマコトが出演する。競演はダニー・ウィーラーや、テツジ・タナカ、MC CARDZ、などなど。

UNIT 13th ANNIVERSARY
DBS presents "HOSPITAL NIGHT"

日時:2017.07.21 (FRI) open/start 23:30
会場:代官山UNIT
出演:
LONDON ELEKTRICITY (Hospital Records, UK)
MAKOTO (Hospital Records, Human Elements, JAPAN)
DANNY WHEELER (W10 Records, UK)
TETSUJI TANAKA (Localize!!, JAPAN)
host: MC CARDZ (Localize!!, JAPAN)

Vj/Laser: SO IN THE HOUSE
Painting: The Spilt Ink.

料金:adv.3,000yen door 3,500yen

UNIT >>> 03-5459-8630
www.unit-tokyo.com
Ticket 発売中
PIA (0570-02-9999/P-code: 333-696)
LAWSON (L-code: 74079)、
e+ (UNIT携帯サイトから購入できます)
clubberia: https://www.clubberia.com/ja/events/268846-HOSPITAL-NIGHT/
RA: https://jp.residentadvisor.net/event.aspx?974718


(出演者情報)


★LONDON ELEKTRICITY (Hospital Records, UK)
"Fast Soul Music"を標榜するドラム&ベースのトップ・レーベル、Hospitalを率いるLONDON ELEKTRICITYことTONY COLMAN。音楽一家に生まれ、7才からピアノ、作曲を開始した。大学でスタジオのテクニックを学んだ後、'86年にアシッド・ジャズの先鋭グループIZITで活動、3枚のアルバムを残す。'96年に盟友CHRIS GOSSと共にHospitalを発足し、LONDON ELEKTRICITYは生楽器を導入したD&Bを先駆ける。'98年の1st.アルバム『PULL THE PLUG』はジャズ/ファンクのエッセンスが際立つ豊かな音楽性を示し、'03年には2nd.アルバム『BILLION DOLLAR GRAVY』を発表、同アルバムの楽曲をフルバンドで再現する初のライヴを成功させる。’05年の3rd.アルバム『POWER BALLADS』はライヴ感を最大限に発揮し多方面から絶賛を浴びる。’08年には4th.アルバム『SYNCOPATED CITY』で斬新な都市交響楽を奏でる。そしてロングセラーを記録した’11年の名盤『YIKES !』を経て’15年に通算6作目のスタジオ・アルバム『Are We There Yet?』をリリース、多彩なヴォーカル陣をフィーチャーし、ピアノ、ストリングスといった生音を最大限に活かしたソウルフルな楽曲の数々で最高級のクオリティを見せつける。'16年にはTHE LONDON ELEKTRICITY BIG BANDを編成し、ビッグ・ブラスバンド・スタイルでのライヴを敢行する。
https://www.hospitalrecords.com/
https://www.londonelektricity.com/
https://www.facebook.com/londonelektricity
https://twitter.com/londonelek


★MAKOTO (Hospital Records, Human Elements, HE:Digital, JAPAN)
DRUM & BASSのミュージカル・サイドを代表するレーベル、LTJ BUKEMのGood Looking Recordsの専属アーティストとして98年にデビュー以来、ソウル、ジャズ感覚溢れる感動的な楽曲を次々に生み出し、アルバム『HUMAN ELEMENTS』(03年)、『BELIEVE IN MY SOUL』(07年)、そしてDJ MARKYのInnerground, FABIOのCreative Source, DJ ZINCのBingo等から数々の楽曲を発表。DJとしては『PROGRESSION SESSIONS 9 – LIVE IN JAPAN 2003』, 『DJ MARKY & FRIENDS PRESENTS MAKOTO』の各MIX CDを発表し、世界30カ国、100都市以上を周り、数千、数万のクラウドを歓喜させ、その実⼒を余すところなく証明し続けてきた、日本を代表するインターナショナルなトップDJ/プロデューサーである。その後、自らのレーベル、Human Elementsに活動の基盤を移し、11年にアルバム『SOULED OUT』を発表、フルバンドでのライヴを収録した『LIVE @ MOTION BLUE YOKOHAMA』を経て13年に"Souled Out"3部作の完結となる『SOULED OUT REMIXED』をリリース。15年にはUKの熟練プロデューサー、A SIDESとのコラボレーション・アルバム『AQUARIAN DREAMS』をEastern Elementsよりリリース。17年、DRUM & BASSのNo.1レーベル、Hospitalと契約を交わし、コンピレーション"We Are 21"に"Speed Of Life"を提供、同レーベルのパーティー"Hospitality"を初め、UK/ヨーロッパ・ツアーで大成功を収める。そして今年9月、待望のニューアルバム『SALVATION』が遂にリリースされる!
https://www.twitter.com/Makoto_MusicJP
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https://www.facebook.com/makoto.humanelement
https://www.soundcloud.com/makoto-humanelements
https://www.humanelements.jp

Chino Amobi - ele-king

 昨年『Airport Music For Black Folk』をリリースし話題となったチーノ・アモービが待望の初来日を果たす。OPNやアルカに続く逸材として注目を集め、「ブラック・エクスペリメンタル・ミュージックの真髄」とも呼ばれる彼女の音楽は、ディアスポラやジェンダーといったさまざまなテーマとも絡んでいる。クラブ・ミュージックの最新の動向を特集した紙版『ele-king vol.20』(まもなく刊行)でも取り上げているが、まずはこの特異な「ブラック・エレクトロニカ」の正体をあなた自身の耳で確認してほしい。チーノ・アモービ、重要。

Local 🌐 World II Chino Amobi
7/1 sat at WWW Lounge
OPEN / START 24:00
ADV ¥1,500 @RA | DOOR ¥2,000 | U25* ¥1,000

世界各地で沸き起こる新興アフロ・ディアスポラによる現代黙示録。OPN、ARCA、ポスト・インターネット以降の前衛電子アート&ファッションとしてダンス・ミュージックを解体するアフリカからのブラック・ホール〈NON Worldwide〉日本初上陸! ナイジェリアの血を引く主謀Chino Amobiを迎え、コンテンポラリーな先鋭電子/ダンス・アクトを探究する〔Local World〕第2弾が新スピーカーを常設したWWWラウンジにて開催。

LIVE/DJ:
Chino Amobi [NON Worldwide / from Richmond]
脳BRAIN
荒井優作

DJ:
S-LEE
min (The Chopstick Killahz) [南蛮渡来]

#Electronic #ClubArt
#Afro #Bass #Tribal

*25歳以下の方は当日料金の1,000円オフ。受付にて年齢の確認出来る写真付きのIDをご提示ください。
*1,000 yen off the door price for Under 25.
Please show your photo ID at door to prove your age.
※Over 20's only. Photo ID required.

https://www-shibuya.jp/schedule/007862.php


■〈NON Worldwide〉とは?

“アフリカのアーティストやアフリカン・ルーツを持つアーティストのコレクティヴ。サウンドを第一のメディアとしながら、社会の中でバイナリ(2つから成るもの)を作り出す、見えるものと見えないフレームワークを表現し、そのパワーを世界へと運ぶ。“NON”(「非」「不」「無」の意を表す接頭辞)の探求はレーベルの焦点に知性を与え、現代的な規準へ反するサウンドを創造する。”

USはアトランタ発祥のトラップと交わりながら、もはや定義不問な現代の“ベース・ミュージック”をブラック・ホールのように飲み込み解体しながら、OPN、ARCA、そして〈PAN〉といった時の前衛アーティストやレーベルや、USヒップホップを筆頭としたブラック・ミュージックとも共鳴する現行アフロの潮流から頭角を現し、ヨーロッパの主観で形成された既存の“アフロ”へと反する、アフリカンとアフロ・ディアスポラによる“NON=非”アフロ・エクスペリメンタル・コレクティブ〈NON Worldwide〉。その主謀でもあり、ナイジェリアの血を引くリッチモンドのChino Amobi(チーノ・アモービ)をゲストに迎え、第1回キングストンのEQUIKNOXXから半年ぶりに〔Local World〕が新スピーカーを常設した渋谷WWWのラウンジにて開催。

国内からは、DJライヴとして最もワイルドな東京随一のエクスペリメンタル・コラージュニスト脳BRAIN、アンビエントからヒップホップまでを横断する新世代の若手プロデューサー、某ラッパーとの共作発表も控える荒井優作(ex あらべえ)、DJにはアシッドを軸に多湿&多幸なフロアで東京地下を賑わせる若手最注目株S-Lee、Mars89とのデュオChopstick Killazや隔月パーティー〔南蛮渡来〕など、ベース・ミュージックを軸にグローバルなトライバル・ミュージックの探求する女子、Minが登場。

ポスト・インターネットを経由した音楽の多様性と同時代性が生み出す、前衛の電子音楽におけるアフロ及びブラック・ミュージックの最深化形態とも言えるChino Amobiの奇怪なサウンドスケープを起点に、DJをアートフォームとしたコラージュやダンス・ミュージックがローカルを通じ、コンテンポラリーなトライバリズムやエキゾチシズムが入り乱れる、前人未到のエクスペリメンタル・ナイト。

*ディアスポラ=人の離散や散住を意味する。現在は越境移動して世界各地に住む、他の人口集団についても使われている。撒種を意味するギリシャ語に由来するこの概念は、離散してはいても宗教、テクスト、文化によって結びつけられている。

アフリカン・ディアスポラの研究はアフリカ大陸の外で生きているアフリカ系の子孫のグローバルな歴史を強力に概念化している。それは、アフリカ系の子孫の数世紀にわたるさまざまなコミュニティを、ナショナルな境界線を横断して統一的に議論することを可能にする用語でもあると同時に、補囚、奴隷化、そして大西洋奴隷貿易につづく強制労働の歴史を取り戻す議論のための方法でもある。1500年から1900年までの間に、およそ400万人のアフリカ人奴隷がインド洋の島々のプランティーションに、800万人が地中海に、そして1100万人がアメリカスという「新世界」へと移送された。

Amehare's quotesより
https://amehare-quotes.blogspot.jp/2007/07/blog-post_09.html

■Chino Amobi (チーノ・アモービ) [NON Worldwide / from Richmond]

1984年生まれ、米アラバマ州タスカルーサ出身のプロデューサー。ヴァージニア州リッチモンド在住。当初はDiamond Black Hearted Boy名義で活動。ARCAも巣立ったNYのレーベル〈UNO〉からEP『Anya's Garden』で頭角を表し、新興のアフロ・オルタナティヴなコレクティブ〈NON Worldwide〉を南アフリカのAngel HoやベルギーのNkisiと2016年より始動、“NON=非”ヨーロッパ主義の*アフロ・ディアスポラを掲げ、コンテンポラリーな電子音楽やダンス・ミュージックとしてワールドワイドに相応しい世界的な評価を受ける。またLee Bannon(Ninja Tune)率いるDedekind CutやテキサスのRabit(Tri Angle / Halcyon Veil)の作品に参加するなど、アフリカン・ルーツを持つアーティストと活発的に共作を続け、Brian Enoの『Ambient 1 (Music For Airports)』も想起させるコンセプト・アルバム『Airport Music For Black Folk』(NON 2016 / P-Vine 2017)が大きな反響を呼び、最新作となる実質のデビュー・アルバムとなる『Paradiso』ではトランスジェンダーのアーティストとしても名高い電子音楽家Elysia Cramptonもゲストに迎え、サンプリングを主体にアメリカひいては現代社会の黙示録とも言える不気味なサウンドスケープを披露。

《国内リリース情報》※メーカー資料より

アルカ、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーに続く恐るべき才能! 西アフリカに位置するナイジェリアの血を引くエレクトロニック・ミュージック・シーンの新興勢力〈NON〉から、主宰者チーノ・アモービによる最狂にブっ飛んだエクスペリメンタル・アルバムが登場!

アルカもリリースする名レーベル〈UNO〉からのアルバム・リリースも決定したエレクトロニック・ミュージック界の要注意人物!! UKの名門レーベル〈Ninja Tune〉を拠点に活動を続けるリー・バノン率いるユニット、デーデキント・カットのリリースや、躍進を続けるプロデューサー、エンジェル・ホーなども在籍するアフリカン・アーティストによる要注意な共同体レーベル〈NON〉。そのレーベルの主宰者の一人として早耳の間では既に大きな話題を呼んでいるアーティスト、チーノ・アモービが昨年デジタルのみでリリースしていた噂のアルバムが、ボーナス・トラックを加えて念願の世界初CD化! アンビエント・ミュージックの先駆者、ブライアン・イーノの名作『Ambient 1: Music For Airports』の世界観を継承しつつも、アルカ、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーにも匹敵するアヴァンギャルドさを加えた唯一無二のサウンドが生成された本作。ブラック・エクスペリメンタル・ミュージックの真髄を見せつけてくれる圧巻の内容です。

https://soundcloud.com/chinoamobi/sets/airport-music-for-black-folk

主催:WWW
協力:P-Vine

https://twitter.com/WWW_shibuya
https://www.facebook.com/WWWshibuya


■リリース情報

アーティスト:Chino Amobi / チーノ・アモービ
タイトル:Airport Music For Black Folk / エアポート・ミュージック・フォー・ブラック・フォーク
発売日:2017/04/05
品番:PCD-24604
定価:¥2,400+税
解説:高橋勇人
※ボーナス・トラック収録 ※世界初CD化

https://p-vine.jp/music/pcd-24604

interview with Dub Squad - ele-king

僕らはメンバーの3人で完結しているわけじゃなくて、ライヴの場に来ている人たちとの関連性みたいなものがすごく大きいし、そこを含めて活動してきているんですよ。だから、あらかじめ自分たちで「こういうことをやっていこう」というのはあえて決めないというか。「場」から受けるフィードバックってすごく大きいからね。(益子)


DUB SQUAD
MIRAGE

U/M/A/A Inc.

BreakbeatDubTechno

Amazon Tower HMV iTunes

 16年――そのあいだに僕たちは、オリンピックと大統領選挙を4度迎えることができる。無垢な赤子は生意気な高校生へと転生し、生意気な高校生はくたびれた労働者へと変貌する。前作『Versus』のリリースから16年。90年代にパーティの現場から登場してきたバンド=DUB SQUADが、そのあまりにも長い沈黙を破り、2017年の「いま」新たなアルバムを発表したことは非常に感慨深い。
 最近ジャングルが盛り上がっていることは『ele-king』でもたびたびお伝えしているが、その流れで思い浮かべるのがゾンビーである。彼が2008年にアクトレスのレーベルから放ったファースト・アルバムのタイトルは『Where Were U In '92?』、つまり「92年にお前はどこにいた?」だった。まさにその92年に渡英し、かの地でレイヴの現場を目撃したのが中西宏司と益子樹である。その光景に衝撃を受けたふたりは、帰国後、山本太郎を誘ってDUB SQUADを結成する。しかし、ではいったいレイヴの何がかれらを駆り立てたのか? 92年の何がそれほど衝撃的だったのか? そしてそのとき日本はどのような状況だったのか? DUB SQUADの3人は以下のインタヴューにおいてさまざまな体験を語ってくれているが、これは、リアルタイムでレイヴを目の当たりにすることのできなかった世代にとってはかなり貴重な証言だろう。
 件のゾンビーも92年には間に合わなかった世代である。彼は『Where Were U In '92?』を「その時代に対するラヴレター」だと発言しているが、当時のハードコア/プロト・ジャングルを直接体験することのできなかった若者が、そのエナジーを空想しそれをダブステップ以降の文脈へ落とし込むことによって、2010年代の音楽シーンにオルタナティヴな選択肢をもたらしたことは、いわゆる「創造的な誤読」の好例と言っていいだろう。その時代を体験していないからこそ生み出すことのできるサウンドというものもある。だから、そういった誤読の流れともリンクするような形で「いま」オリジナル・レイヴ世代のDUB SQUADが活動を再開したことは、きっと音楽シーン全体にとっても良き影響を及ぼすに違いない。
 ダブ/アンビエントなムードが途中でブレイクビーツ/デジタル・ロックへと切り替わる“Exopon”や、ギャラクシー・2・ギャラクシーのフュージョン・サウンドを想起させる“Star Position”のように、今回リリースされた『MIRAGE』は、けっしてリラックスしすぎることもなく、かといってハイ・テンションになりすぎることもない。この絶妙な匙加減こそが『MIRAGE』というアルバムの間口を大きく広げている。『MIRAGE』は、もともと彼らのことを知っている世代にだけでなく、もっと若い人たちにも積極的にアピールする何かを持っている。たぶん、こういう懐の深さのことを「歓待」と呼ぶのだろう。それは、これまで「場」との交流を音楽制作の大きな動機としてきたかれらだからこそ鳴らすことのできるサウンドなのだ。このアルバムを聴いた若者たちがいったいどんな反応を示すのか、そしてそれがどのような形でDUB SQUADへとフィードバックされるのか。いまからもう楽しみでしかたがない。


1996年、フリーズハウス/アムステルダム、オランダ

バンドだと、演奏者とお客さんというすごくはっきりした境界線がありますが、レイヴはそうじゃなくて、「場」というか、オーガナイズする側もお客さんたちも両方楽しむというか、ある意味ではすごくシンプルなことをみんなが力を合わせてやっている (益子)

DUB SQUADを結成されるまでは、それぞれどんな活動をされていたのですか?

中西宏司(以下、中西):僕はいわゆるインストのレゲエ/ダブ・バンドをやっていました。キーボード担当。でもライヴハウスで何回かやったという程度で、まあアマチュアですね。まだダブ処理とかを自分たちでできる状況ではなかったので、インストでレゲエをやっているみたいな状態でした。メロでピアニカ吹いたりしていましたよ。1990年前後かな。

益子樹(以下、益子):僕はすごく雑食なんで、いろんなバンドをやっていました。ロック・バンドもあればファンク・バンドもあって、ノイズのバンドもあったし、けっこうな数をやっていたと思う。音楽って、ちょっと日常とは違う何かがありますよね。そういうフッとテンションの上がるものだったらなんでもやりたいと思っていました。基本的にはギターで、あとはシンセも持っていたからそっちもやったり。でもまだそのときは、いまでいうクラブ・ミュージックにハマっていたわけではなくて、ふつうのバンド・キッズですよ。

山本太郎(以下、山本):僕はロック・バンドでベースを弾いていましたね。ただ、新しい音楽が好きでいろいろ聴いてはいたので、91年にジ・オーブのファースト・アルバムが出たときに「これはおもしろい」と思って。それで打ち込みに興味を持って、シーケンサーとかを買ったんです。バンドをやりながらそういうものにも興味が出てきた、というのがDUB SQUAD結成前ですね。

その後93年にDUB SQUADを結成されるのですよね。そこにいたるには、中西さんと益子さんがUKに行かれた経験が大きかったとお聞きしています。

益子:当時代々木に「チョコレート・シティ」というライヴハウスがあって、そこで、いまROVOを一緒にやっている勝井(祐二)さんや、ベーシストのヒゴヒロシさん(ミラーズ、チャンス・オペレーションなどに在籍)、それからDJ FORCEといった面々が「ウォーター」というハードコア/ブレイクビーツ・テクノのパーティをやっていたんです。ロンドンにヒゴさんの古い知り合いのカムラ・アツコさんという女性がいて、この方は当時フランク・チキンズというバンドにいて、その昔は水玉消防団というバンドにもいた人なんですけどね。そのカムラさんから「いまロンドンでおもしろいことが起きているから、一緒に行こうよ」と誘われて、ヒゴさんたちがレイヴ・パーティに行った。それで彼らはカルチャーショックを受けたんだと思いますが、日本へ戻ってきてから「ウォーター」を始めるんですね。そこに僕や中西君も遊びに行っていて、これはおもしろいなあと。それで、たしか92年の夏にカムラさんが日本に帰ってきていて、「ロンドンに遊びにいらっしゃいよ」と言われて。それで僕もイギリスに行って、いくつかレイヴ・パーティを体験して、本当にカルチャーショックを受けたというか。バンドだと、演奏者とお客さんというすごくはっきりした境界線がありますが、レイヴはそうじゃなくて、「場」というか、オーガナイズする側もお客さんたちも両方楽しむというか、ある意味ではすごくシンプルなことをみんなが力を合わせてやっているということ、あともちろんその場所で聴いた音の気持ち良さがものすごく大きな衝撃だったんですね。それで、僕が帰ってきてから半年後くらいに中西君もカムラさんのところに行って。

中西:そのときはまだ面識はなかったけどね。

益子:同じライヴハウスに出ていたり、リハで使っているスタジオが一緒だったりしたんですよ。もっと言うと3人とも一緒だった。世代も近いし、なんとなく友だちになって「じゃあなんか一緒にやろうか」というところから、いまのDUB SQUADが始まる感じです。

中西:何かのパーティに行ったときに益子君と話して、「僕もロンドンに行ってきたんだよ」という話になって。それで「何かやろうか」みたいな話になったんです。「ウォーター」だったかな。

おふたりがUKで体験されたレイヴはハードコアやブレイクビーツのパーティだったということですが、ジャングルもかかっていたんですか?

益子:そのときはまだジャングルはなくて、後にそこから派生した感じです。まだドラムンベースという言葉もなかった頃ですね。

中西:僕はその2年くらい後にまたUKに行ってるんですよ。そのときはもうジャングルになっている時期で、だいぶん雰囲気も変わっていて、それはそれで興味深かった。僕は、レイヴ的なハードコアが研ぎ澄まされて、いろいろなものを抜いていってダブになったものがジャングルとドラムンベースだというふうに思っているので、「こういうふうに変わっていっているんだ」と思った記憶がありますね。

「3人で何かを始めてみよう」となったときに、バンドという形態になったのはなぜなのでしょう? 先ほどお話に出たジ・オーブのように、向こうだとDJ/プロデューサーのユニットの形態が多いですよね。

益子:「バンドをやろう」とか「バンドじゃないものをやろう」とかそういうはっきりした意識があったわけじゃなくて、自分たちの出せる音を鳴らしていたら必然的にこういう形になったというか。一緒にやることになったときに、中西君はキーボードを弾きつつもベースが好きだったから、彼がベースを弾いて、僕はリズムマシンでちょっとしたドラム・パターンを流して、それをリアルタイムでダブ処理して遊んでいるような状態からスタートしたんです。

中西:ドラムとベースしかない(笑)。それでシーケンサーがないから、シーケンサーを持ってるやつを呼ぼう、ということになって。

益子:上モノがないわけ。それでも楽しくやっているんだけど、もうちょっと音楽的に充実させたいなと考えたときにフッと「そういえばタロちゃんがシーケンサー持ってたな」と思い出して(笑)。

山本:持っていたという(笑)。でも当時、僕はハードコアもダブもそんなによく知らなくて。「とりあえず遊びに来い」みたいな感じで誘われたので、行ってみたらふたりがそういうことをやっていて。これはどうすればいいんだろう、みたいな感じで(笑)。

中西:キョトンとしてたよね(笑)。

益子:でも「ジ・オーブとか好きなんだよねえ」とか言って(笑)。

山本:そうそう(笑)。当時はサンプラーも高価でなかなか個人では買えない値段だったんですけど、たまたまスタジオに古いサンプラーがあって。「じゃあサンプリングしてみよう」と(笑)。でもサンプラーなんていじったことなかったから、MIDIでノートの割り当てするとかもわからなくて、ひたすらプレイ・ボタンを押すだけとかで(笑)。そういうところから始まっているんですよね。

ちなみに益子さんと中西さんがUKに行かれたときは、のちのDUB SQUADのようなバンド・スタイルの人たちはいたのですか?

益子:それはなかったですね。僕が行ったときにはライヴはいっさいなかったと思う。DJと、あと謎のパフォーマンスをしている人はいたけど(笑)。楽器を持って演奏している人たちには遭遇したことはなかった。

中西:匿名性のある場だったから、なんだかわからないけどフライヤーを頼りにして、このDJの名前が載っているからまた行ってみよう、みたいな状態でしたね。

いまみたいにライトが当たっていたりするわけではなかった、ということですよね。

益子:そこがまさにおもしろかったところで。かれらはスポーツ・センターとかを借りてレイヴ・パーティをやっているんですが、たしかにスピーカーの向いている方向とかはある。けれどお客さんたちが誰も一方向を向いていないんですよ。もう好き勝手にいろんな方向を向いていて、それぞれに楽しく踊っているのね。DJがどこにいるのかもわからないし、何かに向かうというような感じではなかった。

中西:少なくともDJを見ようとする人はいなかったですよね。

益子:いないね。それはすごく新鮮な出来事で、バンドという形だと、観られる対象と観る人たちがいるわけで、自分もそれまでバンドをやっていたんだけど、観られる対象であることについてはあまり考えたことがなかったから、レイヴを体験してこういうやり方があるんだとわかって、少し楽になったところはあります。

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1996年、マッツォ/アムステルダム、オランダ

バンドという形だと、観られる対象と観る人たちがいるわけで、自分もそれまでバンドをやっていたんだけど、観られる対象であることについてはあまり考えたことがなかったから、レイヴを体験してこういうやり方があるんだとわかって、少し楽になったところはあります。 (益子)

そういうハードコアのパーティに刺戟されてDUB SQUADが始動したわけですが、最初に出たアルバムは『Dub In Ambient』(1996年)ですよね。そのときダブとアンビエントをやろうと思ったのはなぜだったのでしょう?

益子:体験したレイヴ・カルチャーをそのまんまやろう、という発想が僕らにはなくて。僕と中西君にはそういう共通体験があったわけだけど、あくまでその「感覚」で、何か一緒にできないか、というシンプルな気持ちでした。互いにしっくりくることができたらいいなと。で、音を出してみたら結果的にそういうものだったという。

他方、当時はリスニング・テクノやベッドルーム・テクノみたいなものも出てきていたと思うのですが、そっち方面から影響されることはありましたか?

益子:いや、俺はあんまり聴いてなかったなあ。

山本:俺はちょいちょい聴いていたかな。ブラック・ドッグとかは好きでしたよ。

益子:俺はジ・オーブくらいかなあ。なんか聴いたっけなあ。

中西:エイフェックス・ツインのアンビエント(『Selected Ambient Works Volume II』)は好きだったけど。

益子:俺はエイフェックス・ツインってあんまり聴いたことないんだよな(笑)。いまだによくわかんない(笑)。

山本:俺もアンビエントのやつしかそんなに好きじゃない。

益子:あとはロッカーズ・ハイファイだね。

山本:あれね(笑)。ロッカーズ・ハイファイはもしかしたら影響を受けたって言えるかも。

益子:『Ambient Dub』というコンピレーションがあって。あれは中西君が買ったんだっけ? それは俺らとやっていることがすごく近いなと思った。全曲じゃないんだけど、一部ね。そのなかにすごく共感できる人たちがいて、それがオリジナル・ロッカーズで、その後ロッカーズ・ハイファイに名前が変わるんだけど。それはよく聴いていたかなあ。

山本:たしかバーミンガムの人たちだよね。

中西:それは3人ともおもしろいと思って聴いていて。たしかにそういうアンビエント・ダブ/テクノ/ハウスというか、そういうコンピレーションを聴いてはいたよね。何枚かいいのがあって。共感ではないけど、似たようなことやっているのかなと思ったり。でもべつにそういうものがあるからそういうことをやろうと思っていたわけではなく。

DUB SQUADを始めた頃は、クラブでライヴをやっていたのでしょうか?

山本:当時はなかなかクラブもなくて。

益子:いちばん最初って「チョコレート・シティ」かな?

山本:最初はそうじゃないかな。

益子:ライヴがやれるとしたらライヴハウスだったからそこでやってみたんですけど、さっき言ったような「観る/観られる」の関係がやっぱり違うなと感じて。その後はたしか「キー・エナジー」だよね? 当時大きいパーティだとセカンド・フロアみたいなチルアウト・ルームを持っていたので、そういうライヴ・アクトが出られるパーティにアプローチをして、やらしてもらっていましたね。

山本:93年頃はエレクトロニック・ミュージックの音がかかっているクラブもまだそんなになくて。「マニアック・ラヴ」のオープンが93年頃だったと思うんですけど、それより前からあったクラブにテープを持っていってもあんまり聴いてもらえなかった。じゃあパーティをやっているオーガナイザーに渡そうみたいな感じで。当時「キー・エナジー」というわりと大きなパーティがあって、そこのメイン・フロアはトランスっぽい音がかかっていたと思うんですが、そのチルアウト・ルームの方に出たりしたのがクラブ・シーンに入っていく最初のところかなと思います。『Dub In Ambient』の頃はメイン・フロアじゃなくてチルアウト・ルームでやっていたんです。その曲調で踊りたい人は踊るし、寝転がって聴いている人もいるし、みんな自由にやっていて、こっちとしてもすごくやりやすい環境がありました。

益子:いわゆるド・アンビエントじゃないもんね。

僕は『Versus』からDUB SQUADに入ったので、最初の2枚は遡って聴いたのですが、セカンドの『Enemy? Or Friend!?』(1998年)になると、僕の知っているDUB SQUADだなという感じがするんですよね。

山本:『Versus ‎』と繋がっている感じですよね。

益子:それは、96年にもうひとつ、僕らにとっての大きな転機があったんです。「アンビエント・ウェブ」というイベントを東京や茅ヶ崎でやっていたヤックというDJがいて、彼はアムステルダムのクリエイターとコネクションがあったので、96年の夏、ちょうど僕らがファーストを出す頃に「アムステルダムにライヴしに行かないか」と誘ってくれたんですね。「ブッキングとか大丈夫なの?」って訊いたら「ひとつは確実にとれる」と(笑)。で、1回ライヴをやればきっと地元のオーガナイザーが観てくれているから、次のライヴも決められるだろうと言われて。

山本:行ったらなんとかなるよって。

益子:そうそう。そのひとつだけブッキングがとれているというパーティが、地元の若い連中がスクウォットして運営しているところだったんです。

山本:もともとアメリカの食品倉庫だったところを不法占拠してやっているところで。

益子:そこをクラブとスケート・パークとギャラリーにしていて……

中西:あとレストラン(笑)。

益子:そこでライヴをやることになったんですが、その会場はワンフロアしかなかったんですよ。つまりメインのフロアしかない。だから、踊りたい人たちばかりが来ているわけで、そこで僕らがライヴを始めると、ファーストの音を聴いたらわかるように当時の僕らの音楽はBPMもすごくゆっくりしているし、激しく踊るような音楽じゃなかったから、お客さんがライヴ中に話しかけてくるんですよ(笑)。「もっと速い曲ないの?」って(笑)。

中西:「ブレイクが長すぎる!」とかね(笑)。

益子:それは雰囲気を見ていてもわかるから、僕らも「参ったな」と思っていて。「僕らが用意しているのはこういう曲しかないけれど、僕らの後のDJが速いのかけるからちょっと待っててよ」とか言ったりしながら(笑)。

中西:女の子に呼ばれてワクワクして行ったら、「なんであんなにブレイクが長いの!?」って怒られるという(笑)。

益子:僕らは来た人たちを楽しませたいという気持ちが強いから、踊りたい人は踊らせないといけないなと。その方がお互いに楽しいし。だからその1回めのライヴが終わった後にすぐ次のライヴに備えるための曲作りに入って。

中西:次のブッキングが決まったから、急遽その倉庫の部屋を借りて、持ち込んでいた機材を使って曲を作ったんだよね。

益子:そうそう。1回めのライヴは港の倉庫だったんだけど、次のライヴは街なかの「マッツォ」というクラブで、これはちゃんと踊らせないと白けるぞと(笑)。

山本:当時のアムステルダムではいちばんメジャーなクラブだと説明されて、それはヤバいなと(笑)。

中西:オシャレというか、ちゃんとしたクラブでね。

益子:それで、メイン・フロアで自分たちとお客さんとお互いに楽しむための音というのはなんだろう、というのを考えはじめたところでちょっと意識が変わったというか。東京に戻ってきてからもその延長線上でどんどん曲を作っていって、それが『Enemy? Or Friend!?』に結びついていくんですね。

山本:ちょうど『Enemy? Or Friend!?』が出る90年代後半くらいから、クラブのパーティでライヴをやるということがそんなに特殊じゃなくなっていったと思うんですよ。僕らもDJの間に挟まって踊れる曲をプレイするというのが、その頃からだんだんふつうのことになっていった。

中西:その場に応じて試してみたことでオーディエンスが踊ってくれたから、今度はそれをフィードバックして新たに曲を作る、というふうに「場」と曲作りが呼応していったというか。

山本:それで思い出したんですけど、「リターン・トゥ・ザ・ソース」というサイケデリック・トランスがメインのパーティがあって。TSUYOSHIさんがやっていたのかな。そのオープニングでライヴをやってくれという話があって。会場は山の中だったから、のんびりした感じでパーティを温めるように始めるのがいいよねって心づもりで行ったんです。そしたらこれがけっこうな大雨だったんですよ。で、大雨なのに、もう踊る気満々のやつしかいなくて(笑)。このクソ雨のなかよく集まるなってくらいフロアに人がいて。それで僕らがふわ~っとした感じで1曲めを始めたら、ピリッとした空気になって(笑)。

(一同笑)

益子:やってるのに「早くやれ」って言われそうな(笑)。いや、もう始まってるんだけど、と(笑)。あのときの1曲目はド・アンビエントだったよね。失敗したなと思いつつも、それはそれでおもしろいかなという気持ちもあったり。

山本:あれはいい体験になった。

中西:「アチャー」感があったね。

山本:そういう「場」とのフィードバックのなかで、「じゃあ今度はこういうのをやったらいいんじゃない?」みたいなことが積み重なっていったんです。

僕らは来た人たちを楽しませたいという気持ちが強いから、踊りたい人は踊らせないといけないなと。その方がお互いに楽しいし。 (益子)

その次に出るのが『Versus』(2001年)ですが、あのアルバムもそういう「場」とのやりとりのなかから生み出されていったものだったのでしょうか?

益子:90年代の半ばから97~8年あたりまでは、クラブとか野外レイヴ・パーティとか、いわゆるクラブ・ミュージックの延長にある場でやることが多かったけど、だんだんそれ以外にもロック系のフェスとか、そういう場に呼ばれたりすることが増えていって。そうすると、それぞれの場に対応していくことになるから、そういう過程で曲も少しずつ変わっていったとは思うんですよね。

中西:音も詰まっているしね。すごく圧が強いというか、とにかく高エネルギーな感じだよね。

山本:90年代後半~2000年代初頭の頃には、クラブ・ミュージックが細分化していって、ある程度決まったパターンみたいなものができ上がっていたと思うんですよ。たとえばドラムンベースならこういう感じ、ビッグ・ビートならこういう感じ、というふうに。でも僕らはテクノのパーティにもトランスのパーティにも出るし、フェスにも出るしで、そういう特定のパターンにハマらないようにやっていたから、その結果がああいう感じになったというのはあるかもしれないですね。

益子:たぶん、ライヴの場で僕らに求められることが変化していったというのが大きいと思うんですよ。「テンションが上がる」とか「盛り上がる」といったことを求められるような場が増えたから、中西君が言った「高エネルギー」っていうのはそれが反映された結果なのかもしれない。僕らのことを認識している人たちが増えると、それまでのDUB SQUADで盛り上がった記憶を持っているお客さんも増えるから、その「盛り上がるんだよね?」っていう期待に応えなくちゃというような強迫観念があって。

山本:ははは(笑)。

益子:そういうのに必死になっていたのかもしれない。

中西:いま思えばね。べつにそれが辛いと思ってやっていたわけではないし、むしろ楽しいんだけど、たしかにそういう側面はあったかもしれないね。

益子:だから、どれだけ曲にエネルギーを込められるかとか、どれだけ僕らの音からそういう過剰なものを感じてもらえるかということを意識してはいたと思う。

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僕たちはたとえばサイケデリック・トランスを好んで聴いていたわけではないけど、そのパーティに来るゴリゴリのサイケっぽい人たちがフッとチルアウト・ルームに立ち寄って僕たちの音楽を聴いたときにどんな反応をするのか、というのをおもしろいと思っていて。 (中西)

なるほど。そのように『Versus』の頃にはすでにDUB SQUADのことを知ってライヴに来る人が増えたり、あるいは僕が地方で『Versus』を手に取ったように、どんどん知名度が上がっていったと思うのですが、まさにそこからDUB SQUADは沈黙に入るという……

(一同笑)

益子:そうなんですよ。いま振り返ると、たぶん一度リセットしたくなっちゃったんだと思うんですよね。もう詰め込むだけ詰め込んでしまったから……

中西:次は何に手をつけたらいいのかということを考えた時期でしたね。

益子:手を打つとしたら次は何か、というのが見えない状態に入ってしまったんだと思います。

中西:そうですね。3人に共通している意識として、それまでわかりやすく「これ!」というのからはちょっと外したようなものをやってきていたつもりがあって。でもその外しようがなくなったというか。

益子:下手したら外しているんじゃなくて、メインのものになりすぎちゃうっていうか。そういう恐れみたいなものがあったのかもしれないですね。当時それを意識していたわけじゃないけど、いまこうやって振り返ってみると僕らはたぶんカウンターでありたかったんだと。でもカウンターというのは、そもそもメインのものがあって初めて成り立つわけだから、そのカウンターになるためのメインがないという。

山本:メインがなんなのか、わからなくなるという。

中西:話が戻っちゃうんですが、僕たちはたとえばサイケデリック・トランスを好んで聴いていたわけではないけど、そのパーティに来るゴリゴリのサイケっぽい人たちがフッとチルアウト・ルームに立ち寄って僕たちの音楽を聴いたときにどんな反応をするのか、というのをおもしろいと思っていて。あっちはあっちで「こんなのあるの!?」って思うし、こっちはこっちで「こんなお客さんもいるんだ」みたいな(笑)。

(一同笑)

山本:なんて格好してるんだ、お前ら、みたいな(笑)。

中西:そういう相互作用みたいなものを僕らは場に求めちゃうというか。

そういうことが薄れていったということでしょうか。

益子:クラブ・シーンみたいなものがある程度でき上がってしまって、パーティもそうだけど、2000年代初頭から半ばにかけては新鮮さがちょっとなくなっちゃった頃だと思うんですよ。

山本:バンドで踊るということも当たり前になってきた頃だと思うんですよね。そういう踊らせることができるいいバンドが他にもたくさん出てきて。それで、「あのバンドは踊れるよね」と期待して来るお客さんがいることが当たり前になってきた、というのはあったかもしれないですね。

1999年、〈RAINBOW 2000〉/白山、石川

その後、益子さんはエンジニアリングなどの仕事でよくお名前を拝見していたのですが、中西さんと山本さんはDUB SQUADが休止されているあいだ、どんな活動をされていたのですか?

山本:僕たちはふつうに仕事をしたりしていました。僕はDJもやっていたので、自分でパーティをやったりはし続けていましたけど。

益子:中西君は、DUB SQUADと並行して僕がやっているROVOというバンドに、一時期だけど参加してくれていたことがあって。『Versus』が出た後、2001~04年くらいだっけ。

中西:DUB SQUADのメンバーとも完全に会わなくなったわけではなくて。たまに会ってセッションしていた時期もあるし、今回のアルバムも、何年か前にやっていたセッションからでき上がったものも多いんで。そのあいだにライヴもやってきているし、まるまる16年何もしていなかったというわけではないです。

ライヴは2011年から再開されているという話を聞きました。ちょうど『Versus』から10年くらいですよね。そのときはどういう経緯で再開されたのですか?

山本:「METAMORPHOSE」に「ちょっとまたやろうと思ってる」という話をしたら、「それなら、出ない?」と誘われて。よし、じゃあそこで再開しようと思って準備を始めたんだけど、台風で「METAMORPHOSE」がなくなっちゃったんですよ。ただ、それに向けてもう活動を始めてはいたので、その後何本かはライヴをやっています。それで曲もある程度できたからレコーディングしようという話になったんですが、そこからけっこうかかっちゃいましたね(笑)。3年くらいかな。


2000年、“3D 10周年時〈WATER〉フライヤー” 王子、東京

今回のアルバムがどういうふうに受け取られて、どんな反応が返ってくるのかというのが僕は楽しみで。たとえばそれこそEDMフェスみたいなものは昔はなかったから、ああいう場で楽しんでいる若い子たちの耳に入ったらどういうふうに聴こえるのかなとか、興味がありますね。 (山本)

今回新作をレコーディングすることになった際、先ほど仰っていた「メインに対するカウンター」というか、新たな外し方みたいなものはあったのでしょうか?

益子:いや、当時はそういう感覚でいたと思うし、さっき言ったみたいに止まっちゃったというのもそういうことだったと思うけど、そこからだいぶ時間も経っているし、だからべつに何かに対峙するということじゃなくて、自分たちがいま素直に気持ちいいと思えることをまとめたのが今回のアルバムですね。そういう意味では、ファースト・アルバムの『Dub In Ambient』とすごく近いかもしれない。

中西:もうある程度リセットできたという気持ちはあります。だから初期の頃のような気持ちでまた曲作りに取り組めたかな。こんなふうに言うと、以前はすごく追い立てられていたみたいな感じだけど、それほど売れているバンドでもないから(笑)。でも話にするとそうなっちゃうよね(笑)。まあ流れとしてはそんな感じで、『Versus』で飽和して、一度リセットしてという。

益子:まあ、長いブレイクだったよね。

中西:得意のね(笑)。で、やっぱり今回はアンビエントっぽい要素が増えているし、そういうのもリセットしたかった気持ちの表れなのかな。

今回、16年ぶりの新作『MIRAGE』を聴かせていただいて、この言葉が適切かどうかはわからないですが、『Versus』などに比べると少しポップになった印象を抱きました。間口が広くなったと言いますか、たとえばクラブ・ミュージックを聴きはじめたばかりの人でもすんなり入っていけるような。その辺りは意識されたのでしょうか?

益子:まったく意識してないね。

山本:でも『Versus』よりは音がシンプルになりましたよね。

益子:クラブ・ミュージックって何か規定があるわけじゃないし、結局いまどういうスタイルが多く機能しているか、という話だから。そこに対しての意識というのは特にないなあ。でも、細かい部分では逆の意識はあったかな。いま使われているようなリズムとか、ドラムマシンの加工された音を使うのはあえてやめようということは思っていたけど。

山本:いまトレンドの音楽ってすごく作り込まれているし、若いクリエイターたちは凝った作り方をしていると思うんですが、DUB SQUADは基本的に使っている機材も昔と変わっていないんです。いまも『Versus』を作っていた頃とほとんど同じ。バンド名に「ダブ」という言葉が入っているように、出ている音にエフェクトをかけて変えるとか、そういう手法が原点なので。

益子:そうだね。「なぜバンドという形になったか」という質問のときに答えるべきだったけど、僕らは昔もいまも曲作りという制作作業のなかでパソコンを使うことがないんですよ。もちろん人によって作り方はいろいろだろうけど、おそらく多くの人たちがDAWとか、90年代だったらLogicとかソフトウェア・シーケンサーというものを使って作っていたと思う。僕らはそういう作り方をずーっとしていなくて。その理由は、ひとつのものを3人でああだこうだ言いながらいじくるのは大変じゃないですか。

なるほど(笑)。

益子:あれはひとりで制作するのに向いている作り方だと思う。複数の人間、なおかつバンドをやっていた人間にとっては、1回ずつ音を止めなきゃいけなかったりとか、何かするたびに待ち時間があったりするというのはすごくまどろっこしいんですよ。だから基本的には押したらすぐ音が出る楽器であったり、ハードウェアのサンプラーだったり、そういうものを使って作るほうが自分たちにとってすごく合っていた。それで、昔からぜんぜん機材が変わっていなくて。もちろんマイナーチェンジはあるんだけど、メインの機材はほぼ同じですね。

中西:僕の場合はさらに劣化して、シーケンサーを使わずやっていて。

(一同笑)

山本:劣化というか退化だね(笑)。

益子:手で弾いているよね。

中西:手で弾いてる。最初にセッションで始めた頃のことを、ただそのままやっているという。だから「ポップ」という感想は意外でした。意識はしていないので。

益子:もちろん奇をてらって変なものを作ろうなんて思っていないけど、何か選択をするときに「受け入れられやすいように」という気持ちで選択することもあまりないというか。たんにそれがおもしろいかおもしろくないか、というところでしか選んできていないから。

中西:そうだね。でも「間口が広い」と思ってもらえたのはいいことだよね。

益子:いいことだよね。よかったね。

中西:僕らのなかでの「これはいいでしょ!」という展開とか、「これはさすがに無理でしょ」みたいなものというのは、たぶん誰にも共感してもらえないなと。そういう暗黙のルールみたいなものがあって(笑)。

今回のアルバムは16年ぶりのリリースでしたが、これからもDUB SQUADとしてまだまだ出していきたいと考えていらっしゃるのでしょうか?

益子:うーん、特に何も考えてないな。でもこれで終わりにしようとかそういうつもりはまったくなくて、何か次に残したいと思えるようなものが貯まってきて、いいタイミングが来たらまたアルバムを出したいと思います。僕らは「契約があって、何年のうちに何枚かを出さなきゃいけない」というのではぜんぜんないから。

山本:あと、今回のアルバムがどういうふうに受け取られて、どんな反応が返ってくるのかというのが僕は楽しみで。長らく音楽シーンから離れていたということもあるし、僕たちが休止した頃といまとではシーンの状況もぜんぜん違うと思うので。たとえばそれこそEDMフェスみたいなものは昔はなかったから、ああいう場で楽しんでいる若い子たちの耳に入ったらどういうふうに聴こえるのかなとか、興味がありますね。聴いてくれるかわかんないですけど(笑)。

そういうポテンシャルのあるアルバムだと思います。

中西:またそういう反応で僕らの方向性がどういうふうになるのかというのも変わってくるんじゃないかな。もうド・アンビエントの作品しか出さなくなる可能性もあるし(笑)。

(一同笑)

山本:それがおもしろいと思えばそうなるかもしれない。

益子:本当に「場」というか、いまはライヴの本数は少ないけれど、僕らはメンバーの3人で完結しているわけじゃなくて、ライヴの場に来ている人たちとの関連性みたいなものがすごく大きいし、そこを含めて活動してきているんですよ。だから、あらかじめ自分たちで「こういうことをやっていこう」というのはあえて決めないというか。「場」から受けるフィードバックってすごく大きいからね。

DUB SQUADライヴ情報

R N S Tアルバム リリース パーティ「REMINISCENT」
日時:2017.07.08(土)OPEN 18:00 CLOSE22:00
料金:¥3000 (+¥600 drink charge) W/F ¥2500 (+¥600 drink charge)
会場:Contact

FUJI ROCK FESTIVAL ’17 “INAI INAI BAR” produced by ALL NIGHT FUJI
ステージ:Café de Paris
日程:2017.07.28(金)
会場:新潟県湯沢町苗場スキー場

詳細:https://dub-squad.net/

Kuniyuki - ele-king

 去るGW中にRDCのために来日したフローティング・ポインツことサム・シェパード、来日中の彼が別の日に、敬意を表しながら札幌プレシャス・ホールでKuniyukiとともにDJしたことは、現在進行形のディープ・ハウス・シーンのなんともじつに“いい話”である。
 シェパードも関わる〈Eglo〉レーベルは、今年に入ってもHenry Wuの12インチを出しているが、そのHenry Wu周辺のロンドンはペックハムのジャズ/アフロ/ハウス/ブロークンビーツのシーン、あるいはフローティング・ポインツの影響を受けているメルボルンやシドニーのハウス・シーン──このあたりはいまもっとも面白い動きを見せている。そして、このアンダーグラウンド・ミュージックのシーンの広がりを証明するかのように、今年、札幌のベテラン・ハウス・プロデューサーのKuniyukiは、DJ Nature、Vakula、Jimpsterらとのコラボレーション音源を集めたCDアルバム、『Mixed Out』を〈Soundofspeed〉からリリースしている。
 で、サム・シェパードはもちろん、Kuniyukiが2002年に発表した「Precious Hall」によって、札幌の伝説的クラブを知っている。(このあたりの流れについては、7月14日発売の紙エレvol.20をご覧いただきたい)
 この度、CDアルバム『Mixed Out』にも収録されていたDJ Sprinkles RemixおよびK15とのコラボレーション音源が12インチ・カットされる。A面はJIMPSTERとの共作をDJ SPRINKLES(鬼才TERRE THAEMLITZ)がリミックス。B面は、いまでは各方面から注目の、Henry Wu周辺のK15(先日カイル・ホールのレーベルからもEPを出したばかり)とのコラボレーション作品。フローティング・ポインツ以降の素晴らしいモダン・フュージョン・ハウスが2ヴァージョン聴ける。CDともどもぜひチェックして欲しい。


Kuniyuki & Friends
A Mix Out Session
Soundofspeed


Kuniyuki & Friends a Mix Out Session
Mixed Out
Soundofspeed

interview with Irmin Schmidt - ele-king

 プログレッシヴ・ロックというジャンルに限らず、ロックの歴史において最も偉大なるバンドの一つに数えられてきたカン。彼らがケルンで誕生したのは、ちょうど半世紀前のことだった。70年代末に消滅するまでの間に彼らが発表した作品群は、70年代のパンク、80年代のニュー・ウェイヴやノイズ、更に90年代以降のポスト・ロックなど後続の若いミュージシャンたちに延々と影響を与え続け、現在に至っている。70年代英国のメディアによる「カンは50年先を行っている」という賛辞が真実だったことを、今、誰もが認めているはずだ。


Can
The Singles

Mute/トラフィック

KrautrockExperimental

Amazon

 というわけで、結成50周年を祝しておこなった、カンのリーダー格イルミン・シュミットへの電話インタヴュー。
 カンがシングル盤としてリリースした楽曲だけを23曲集めた編集盤『The Singles』が先日、英ミュートからリリースされたばかりだが、その前の4月には、ロンドンのバービカン・ホールで〈The CAN Project〉のコンサートもおこなわれた。これは、カンの楽曲をモティーフにイルミン・シュミットが作曲したオケ作品をロンドン交響楽団が演奏する(指揮はイルミン自身)第1部と、マルコム・ムーニーをシンガーに立てたスペシャル・バンドによるライヴという第2部から成るもので、イルミン自身が立案/プロデュースしたものだ。
 今回のインタヴューはそれらを踏まえて、6月半ばにおこなったものだが、時間が足らず、終盤の最も肝心な質問がすべてこぼれてしまったことを予めお断りしておく。

20世紀に存在していたコンテンポラリーなアイディアのすべてが詰まっていて、そのおかげで、ユニークで特別な音楽になっているのだろうね。だから何度聴いても、必ず何か新しいものが聴こえてくる……それがカンの音楽であり、カンのミステリーにもなっている。

4月にロンドンのバービカン・ホールでおこなわれた「カン・プロジェクト」のコンサートは、メディアではどんな反応でしたか。

シュミット:すごくいい反応だったよ。とても気に入ってくれた。私がロンドン交響楽団の指揮をして、自分で書いたシンフォニーを2曲披露したんだ。そのうちの1曲は、カンの作品をモチーフとしたものだった。カンの曲をオーケストラ・アレンジにしたのではなく、オーケストラ・ピースにカンの曲を引用した感じだ。メディアはほとんどロック系の評論家たちで、こういうものを見たり聴いたりしたことがなかい人たちばかりだったから、すごく驚いていたな。企画自体も珍しかったしね。最初の1時間はシンフォニックな音楽で、その後はロックで。みんなまさに見たこともないものを見たようなリアクションだったよ。よりじっくり鑑賞するために、もう一度観たいと言ってくれる人たちも多かった。第1部の方が好きな人もいれば、第2部の方が好きだった人もいたし、いろんなリアクションをもらえた。なによりも、まあ、みんなにすごく良いと言ってもらえて嬉しかったよ。

企画した自分自身では、コンサートの出来具合をどう評価していますか。

シュミット:うーん、難しい質問だね。世界でも指折りの素晴らしいオーケストラの指揮をとらせてもらっただけでもすごいことだった。私は若い頃に指揮者としての経験があったものの、カンを始めてからはオケを指揮することなんてまったくなかったから。だから、こうやってオーケストラと何かができることは私にとっては心底嬉しいことだ。いまだに指揮をやることが私にとって喜びであることに気づかされる、とても重要なできごとでもあった。心が動かされる、本当にいい経験だったな。コンサートの第2部は、サーストン・ムーアと彼のミュージシャンによるカンへのオマージュだったんだが、それも楽しくやらせてもらったよ。

クラシック出身のあなたが、今改めてオーケストラ作品にこだわる理由を教えてください。

シュミット:おっしゃるように、私にはクラシック音楽の背景があって、オーケストラの指揮をしていたこともある。交響楽団やオペラハウスで指揮者をしていたんだ。指揮をしてたのと同時に、クラシックの作曲もしていた。だからこれも自分の一面だ。ロックの自分がもうひとつの面であるように……まあ、他にもいろんな面を持ってるけどね。そういう背景がカンの音楽を豊かにしてくれたんだと思う。ロックだけではない、クラシックや、私が若い頃に勉強していた日本の雅楽とか、いろんな要素があわさってカンの音楽になってる。突然やり始めたことではないんだ。私は本当にオーケストラのサウンドが大好きだし。何十年にもわたってひとつの曲が受け継がれていって、どんどん研ぎ澄まされていく感じがとても美しいと思う。オーケストラの音楽は元々がすごく豊かだと思う。時折そういう音楽の世界に触れることが自分の喜びでもあるんだ。だからこれからも続けると思うよ。

カンの最重要コンセプトは「spontaneous(自発的、無意識的)」ということだったと思いますが、今回のオケ作品は「spontaneous」なものになったと思いますか。

シュミット:「spontaneous」ということなら、それはやはりカンだ。今回のオケの試みはそういうものではない。オーケストラ作品に携わっている時は、もしかしたら曲作りの過程で「spontaneous」な部分はあるかもしれないが、オケは渡された楽譜をその通りに演奏するから、ステージ上で「spontaneous」になることは難しい。もう既に存在するものをそのままプレイしなければいけないわけだ。オーケストラで音楽を演奏することは、私にとって、カンの場合とはまったく違うことなんだ。カンの音楽をオーケストラを通して再現しようとはしていないわけで。オーケストラの楽曲を作るときは、オーケストラの世界観を考えて作曲する。それはカンが演奏する時の「spontaneous」なアプローチとはまったくもって違うものだよ。

第2部のバンド・コンサートではサーストン・ムーアが核になっていたようですが、サーストンを中心に据えた理由は?

シュミット:私は長年ソニック・ユースの大ファンだった。80年代にソニック・ユースが出てきた時からずっと好きだった。以前、バルセロナのフェスティヴァルで彼らと共演したことがあって、私たちはライヴの後に会う機会を得た。その時に彼らと話し、お互いには共通点が多いことがわかった。音楽的に考えてることとかも含めてね。私たちにとってソニック・ユースの音楽は重要で、彼らにとってはカンの音楽が重要だった。それが、今回の理由のひとつだ。もうひとつのきっかけは……私は、来年出版される予定の本をここ数年書いてきたのだが、その本にサーストンのインタヴューを掲載するために彼に会ったんだ。その時いろいろ話しているなかで、サーストンから、パリでやるライヴに参加しないか? と提案があった。彼は、インプロヴィゼーションで共演したいと言ってくれた。それがきっかけで、私と彼はパリでデュオとして一緒に演奏したんだが、まったくもって即興的なライヴだったよ。実際、1時間しか準備の時間がなかった。そしてその時もまた共通点の多さを感じた。だから今度は私の方から、私が企画するコンサートの第2部のキュレーターになって欲しいというオファーをしたんだ。彼は快くそのオファーを受け、ミュージシャンも集めてくれた。立派なキュレーターだったよ。(註:カンの初代シンガーだったマルコム・ムーニーをフィーチャーし、サーストン・ムーア&スティーヴ・シェリーのソニック・ユース組を筆頭に、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン~プライマル・スクリームのデボラ・グージなどがバッキング)

あなたは何故、そのバンド・コンサートに参加しなかったのですか。

シュミット:なにしろ私は第1部のオケ・コンサートで指揮をしてたからね。前日にはオケと6時間もリハーサルをして、当日にも3時間のリハーサルがあり、その後に1時間の本番があった。つまり、あのコンサートでの私の役目は、第1部で二つのオーケストラ曲の指揮者をすることだったんだ。第1部で指揮をした後、第2部で演奏もするとなったら、体力的にもすごく厳しかったと思うよ。第2部のライヴはカンへのオマージュだったが、そこで私は演奏すべきではないと思ったし、そもそも私はカンの音楽を演奏することにはあまり興味がない。もう私は、カンの楽曲を再現したり、再構築したくはないんだ。今は違う音楽をやっているからね。だからそこはすべてサーストンに任せた。彼ならではのカンを創り出してくれたんじゃないかな。

第2部のバンド・コンサートに関し、あなたの方からサーストンたちに何かメッセージやアドヴァイス、注文などを出しましたか。

シュミット:私が口を出すことはまったくなかったよ。本当に何もなかった。サーストンがやってくれたことに関しては、いっさい関与していないし、口出しもしなかった。なにしろ、私も本番で初めて聴いたんだからね。お互いリハーサルの時間も被っていたから、リハーサルも見ていない。だからサーストンがやることを邪魔することはなかったし、私は私で自分のリハーサルに集中していた。本番でサーストンは第1部を初めて見たし、私は第2部を初めて見た。

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次の大きなプロジェクトは、過去のライヴ音源をリリースすることだ。うまくいけば来年にはリリースできるだろう。実際、カン時代にはたくさんライヴ音源を録り溜めていたものの、音質のクオリティーが低かった。でも今は、その音質を良くする技術がある。ようやくリリースできるようになったんだ。

カンは現在に至るまでずっと若い音楽家たちに影響を与え続けていますが、彼らはなぜカンに惹かれるのだと思いますか。

シュミット:それは、実に複雑な要素が混ざり合っていると思うが、まずはカンの音楽の豊かさ、ということだろう。20世紀に作られた新しい音楽の要素のすべてがカンにあるから。ジャズの文化、ロックの文化、ヨーロッパのクラシカルな文化、そして私が学生時代に勉強していた日本の雅楽……いろんな要素がカンにはあって、それらが実にスペシャルな方法で取り入れられている。20世紀に存在していたコンテンポラリーなアイディアのすべてが詰まっていて、そのおかげで、ユニークで特別な音楽になっているのだろうね。だから何度聴いても、必ず何か新しいものが聴こえてくる……それがカンの音楽であり、カンのミステリーにもなっている。メンバーがお互い意識的に抱いていたミュージシャンシップが一体になり、何か新しいものができたのだと思うよ。
 あと、カンがスタートした頃、メンバーの多くはすでに30代で、若いボーイズ・バンドではなかった。つまり、ある程度成熟したミュージシャンだった。ヤキは経験豊富なジャズ・ドラマーで、私とホルガーはクラシックの経験を積んでいた。ミヒャエル・カローリだけは若かったが、彼もすでに素晴らしいギター・プレイヤーだった。メンバーの音楽的スタイルや性格は多様だったが、それが豊かさとマジックとミステリーを創出したのさ。だから聴くたびに新しいものが見えてくる。そして、ドイツの70年代という歴史も感じることができる。そういうところが、未来へもつながる音楽になったのかもしれないね。

今回のイヴェントにはホルガー・シューカイは参加しませんでしたが。

シュミット:単純に健康の問題だ。彼は転んで腰を悪くしてしまい、病院から退院したばかりだった。だからロンドンに来ることができなかったんだ。

今回、シングル曲だけを集めた『The Singles』が出ますが、2012年には『The Lost Tapes』というものすごい未発表音源集も出ました。あなたは6月29日に80才を迎えますが、カンのキャリアに関してそろそろ総括しておきたいという気持ちがあるのでしょうか。

シュミット:いや、全然そういう気持ちではない。『The Lost Tapes』は、言葉通りの「lost tapes(失われた音源)」だった。長年ずっとアーカイヴに眠っていた音源が多数あったんだが、私のマネージャーでもある妻(ヒルデガルト)が、あのなかにはまだまだ面白い音源が眠っているからいつか何らかのカタチにした方がいいと常々言っていた。で、ようやくそれに着手し、デモを聴き直したんだ。50時間以上の音源があった。カンでは、レコーディングする時にはいつも、実際にアルバムに収録する曲よりも多くの曲を録音していた。でも、録ってみたものの、アルバムに収録されなかった曲がたくさんあった。しかも、その次の作品では新たな方向に進んでいるから、古い音源は使いたくなかった。だから毎回毎回アーカイヴに溜まっていったんだ。未発表のライヴ音源もたくさんあるんだよ。だから、時間をかけて、自らアーカイヴを全部聴き、今でも素晴らしいと思える音楽を再度蘇らせたんだ。妻やミュート・レコーズの力も借りて、あの『The Lost Tapes』はできた。つまり、カンを総括するなどという気持ちではまったくなく、まだ見せていなかったカンの一面を公表したまでだ。
 だが、見せてなかった一面を見せるのは『The Lost Tapes』で終わりだろう。アーカイヴすべてを聴いたなかで、他にリリースするに値するものはなかった。『The Lost Tapes』は最後のアーカイヴ音源ということになる。次の大きなプロジェクトは、過去のライヴ音源をリリースすることだ。うまくいけば来年にはリリースできるだろう。実際、カン時代にはたくさんライヴ音源を録り溜めていたものの、音質のクオリティーが低かった。でも今は、その音質を良くする技術がある。ようやくリリースできるようになったんだ。とにかく、それも含め、カンを総括しているわけではない。アルバムそれぞれが、その時のカンを総括するものにはなるかもしれないが、カンのキャリア全体を総括するものはないだろう。

カンというバンド名を公式に使いだしたのは68年秋だと思いますが、主要メンバー4人(あなた、ホルガー・シューカイ、ヤキ・リーベツアィト、ミヒャエル・カローリ)が揃ってバンドをやる意志が固まったのは、正確にはいつですか。

シュミット:カン結成の話がまとまったのは1967年12月だった。その後、メンバー各々がそれまでやっていた仕事を調整した。ホルガーは学校の教師だったが、その仕事を手放さなければいけなかった。ミヒャエルは法律の勉強をしていたが、彼はそれがすごく嫌いで、やめたいことを親に伝えなければいけなかった。指揮者の仕事をしていた私も、それを諦めなければならなかった。ヤキもケルンで最も有名なフリー・ジャズ・グループ(トランペット奏者マンフレート・ショーフのグループ)のメンバーだったし。それぞれが、当時やっていたことを手放したり調整したりして、バンドとして活動できるようになったのが1968年だ。そしてその頃にはもう、アルバムをリリースできるくらいの曲ができていた。

カン結成に際しては、まずあなたがホルがーとヤキに連絡して誘ったそうですが、ホルガーとヤキに目をつけた理由を教えてください。

シュミット:ホルガーとは同じ学校の仲間だった。自分がグループを結成することを決めたとき、すぐにホルガーのことが頭に浮かんだ。彼はクラシックを専門的に勉強していたし、それに加えてエレクトロニック・ミュージック好きで、ジャズ・ギターも演奏できたんだ。彼は特異で素晴らしいミュージシャンだった。だから、まずは彼を誘った。ヤキに関しては、実は最初、誰かいいドラマーを知らないかヤキに相談したんだ。マックス・ローチみたいなドラマーが欲しいと伝えたら、誰か探してみると彼は言った。まさか彼が自分のフリー・ジャズ・グループを辞めるなんて私は思ってもいなかったから。ところが、ある日私の家に全員で集まった時に、彼の方から「俺がやるよ」と言ってくれたのさ。

最初期メンバーのデイヴィッド・ジョンソン(実験音楽系の米人フルート奏者)は、マルコムの「素人ぽさ」が嫌で脱退したと聞いたことがありますが、本当の事情を教えてください。

シュミット:彼は現代音楽が好きで、カンがロックにアプローチしていることが気にいらなっかった。だからグループを去ったんだ。去ったのは完全に彼自身の意思であり、マルコム云々は関係ない。カンは、結成当初には音楽的なコンセプトはなかった。方向性もリーダーも決めずに、アナーキーに自分たちの音楽を追求する、そう思っていたからね。そして、誰か一人が作曲するのではなく、みんなで共作するという方針だけは決まっていた。だが、やっているうちにロック的な要素がどんどん強くなっていった。デイヴィットはそれが好きではなかったから辞めんだ。

ダモに関しては、まさしく本当の意味でのスポンテイニアスな始まりだった。彼は一度も私たちの音楽を聴かずに、ヤキと出会ったその夜、突然ライヴでステージに上がった。

カンのシンガー、マルコム・ムーニーとダモ鈴木の二人が、カンの表現に与えた影響、そして彼らの特異な魅力について、二人別々に論評してください。

シュミット:二人とも予期していないところから現れたんだ。マルコムと私は、パリに住む共通の友人を介して知り合った。彼は画家として活動していたんだが、その頃私もアート・シーンと関わりを持っており、ギャラリーでの企画をやったりもしていた。私はその共通の友人を通して、パリで活躍していたマルコムをケルンに呼んだ。マルコムがケルンのアート・シーンで活動できるようにしたかったんだ。当時既にカンはスタートしており、ある日マルコムを練習スタジオに連れていった。そこで何気に歌っていたマルコムの歌声がけっこう良かった。それで彼に、ケルンに残ってカンに入らないかと誘ったわけだ。私にとってのマルコムの魅力は、スポンタニティー(自発性・無意識)だった。クラシックの背景を持つ私には、その要素がなかったから、とても魅力的だったんだ。彼はリズムに関しても、すぐさまヤキと息が合った。あっという間にリズム・セクションとして成立したんだ。そして、彼らのその感覚は、カンのロック的要素を創り出した。ところが、あの頃の彼は、ヴェトナム戦争を恐れ、また言葉の通じない国にいることの不安も感じていた。精神的に落ち込み、歌えなくなってしまうこともあった。ちょうどそんな頃に、ヤキがストリートで歌っているダモを見つけ、彼に歌わせてみようということになったんだ。
 ダモに関しては、まさしく本当の意味でのスポンテイニアスな始まりだった。そこが私たちにとてもマッチした。彼は一度も私たちの音楽を聴かずに、ヤキと出会ったその夜、突然ライヴでステージに上がった。彼のヴォーカルはマルコムよりもメロディアスだったから、ギターのミヒャエルとすごくいいユニットになった。マルコムとヤキみたいにね。つまり、マルコムやダモとの出会いから一緒にやることになった経緯こそが、本当にスポンテイニアスだったとも言えるね。

さきほどの発言にも、あなたが若い頃に勉強した日本の雅楽のことが出てきましたが、西洋音楽にはない雅楽の面白さは、どういう点にありますか。

シュミット:大学の頃になぜだかわからないけど、私は雅楽にとても惹かれた。最も夢中になって勉強した科目だったと言っていい。でも、カンの音楽を作る時、実際に雅楽の楽器を使っていたわけではないし、どういう形でカンの作品にそれが現れているのか説明するのも難しい。ひとつ言えるのは、私がキーボードで表現していることにとても影響している。たとえば『Tago Mago』の一番短い曲“Mushroom”におけるオルガンとギターの音。あれなどは、私が自分で感じる雅楽のスピリットだが、といって、意識的に雅楽を再現しようとしたわけではない。雅楽の影響を咀嚼して、自分独自のものとして出していたと思っているよ。

カンは74年の『Soon Over Babaluma』までは2トラックのレコーダーで録音していたそうですが、多トラック・レコーダーと比べて、2トラック・レコーダーを使うことの利点やスリルはどういう点にあると思いますか。

シュミット:単純な話、それは金銭的な問題だった(笑)。2トラック・レコーダーしか買えなかったんだ。私たちはスポンテイニアスな曲作りをしていたから、1曲作るのに何週間もかかった。長ければ何ヶ月もかかった。当然、レンタル・スタジオを借りて、時間制限のあるなかでのレコーディングはできなかったので、自分たちのスタジオが必要だった。だが、自分たちのスタジオ(インナー・スペース・スタジオ)の機材に充てるお金がなかった。だから2トラック・レコーダーを買って、自分たちがやることすべてをレコーディングしたんだ。レコーディングしたものを合体させてエディットし、二つ目のテレコにダビングした。そのテクニックが、結果的に私たちの独自性へと発展した。曲の構成もそうだね。お互いの演奏をよく聴くこと、気をつけること。私たちがレコーディングしている環境ではそれが大事だった。それから、卓を通して録音しないことによって、逆に音にエネルギーが生まれた。私たちならではの音が録れたんだ。当時その手法は実に珍しかった。それがカン独自のユニークさになったんだと思う。

 参考までに、時間切れで答えてもらえなかった質問事項を最後に掲載しておく。

カンの音楽を聴くと、私は、いつも「混沌(Chaos)」と「鍛錬(Discipline)」という言葉が思い浮かべてしまいます。「混沌(Chaos)」と「鍛錬(Discipline)」は、カンの表現においてどういう関係にあると思いますか。

私は昔からカンのことを「大人のパンク・バンド」と評してきました。70年代当時、あなたたちには「大人」であるという自覚はありましたか。年齢的な問題ではなく。

70年代のドイツにはカンの他にも革新的バンドが複数いましたが、そういったドイツのシーンの特異さについては、当時から自覚していましたか。また、(ドイツ・ロック・シーンの)連帯感のようなものは感じていましたか。

70年代のドイツのロックを、英国やフランス、イタリアのそれと分け隔てている最も大きなポイトンは何だったと思いますか。

「E.F.S.」(「Ethnological Forgery Series」)シリーズの作品は、「Nr.108」までは確認できますが、結局何番まで作った(録音した)のでしょうか。

「E.F.S.」シリーズの曲の多くはまだ一般に公開されていませんが、今後まとめてリリースする考えはありますか。

結成50周年記念「カン・プロジェクト」の一環として、日本で何かコンサートをやる予定はありませんか。

亡くなったヤキ・リーベツァイトについて。ドラマーとしての彼の際立った才能、魅力について語ってください。

以前ダモ鈴木にインタヴューした時、「きっとイルミンは俺のことが嫌いなんだと思う」と語ってましたが、ダモに対する感情や評価は、正直なところ、どうなんでしょうか。答えたくなかったら、けっこうです。

以上

タワー渋谷で『Mellow Waves』発売記念 - ele-king

 いよいよ発売間近ですね。6月の夜の都会の夜に響くコーネリアス『Mellow Waves』──、そして7月1日、タワーレコード渋谷のB1にて、CD購入者を対象にした、発売記念プレミアム映像上映会&トークセッションが催されます。
 貴重なドキュメンタリー映像、プレゼント抽選会、またCDジャケットに使われている原画展やTシャツ販売もあり。ばるぼら(アイデア編集)×野田努(ele-king編集)のトークもあり、です! 渋谷か新宿のタワーどちらかで『Mellow Waves』購入の方に先着で「整理番号付き入場券」&「抽選会参加券」を配布します。(貴重音源も聴けるかも!?)

special talk : ISSUGI × CRAM - ele-king


ISSUGI & GRADIS NICE
THE REMIX ALBUM "DAY and NITE"

Pヴァイン

Hip Hop

Amazon Tower HMV iTunes


CRAM & ILL SUGI
Below The Radar

Moevius

Hip Hop

Amazon Tower

 ISSUGIとCRAMの対談をお送りする。CRAMとは、ISSUGIがビートメイカー/DJのGRADIS NICEと共作した『DAY and NITE』のリミックス盤『THE REMIX ALBUM "DAY and NITE"』にリミキサーとして参加したビートメイカーである。ISSUGIとKID FRESINOと5LACKの3人がマイクリレーする“TIME”という哀愁漂う曲を、80年代の“ソーラー・サウンド”を彷彿させるファンク・フレイヴァーと強烈なアタックのビートで構成されたダンサンブルなリミックス・ヴァージョンに生まれ変わらせている。が、これはあくまでもCRAMのひとつの表情であり、彼のサンプリングを主体としたビートはより多彩な表情とウネリを持っている。

 この若き才能、CRAMについてもう少し説明しておこう。彼は1991年生まれ、福岡出身のビートメイカーで自主制作で数多くの作品を発表、bandcampではこれまで創作してきたビートが大量に聴ける。ISSUGIが毎月発表した7インチをコンパイルした『7INC TREE』にもビートを提供、昨年末にはラッパー/ビートメイカー、ILLSUGIとの共作ビート集『BELOW THE RADAR』をリリースしている。手前味噌だが、後者の作品は、僕が運営に関わる『WORDS & SOUNDS』というレヴュー・サイトでも取り上げさせてもらった。また、CRAMは6月末に、すでにbandcampとカセットテープで世に出した『THE DEVIL IN ME』という作品をCD-Rという形で発表する。このスピード感も彼の武器だ。

 例えばトラップだけが新しいラップ・ミュージックであり、ブーム・バップは90s懐古趣味のヒップホップであるという認識を持っている方がいるとすれば、それは安直である、とだけ指摘しておこう。そのように、新旧のスタイルを二項対立で理解できるほどこの音楽文化は単純ではない。ISSUGIを聴いてみるといい。彼は、黒い円盤がターンテーブルの上をグルグル回りながら新しい音を鳴らしていくように、自分のスタイルを堅持しながらラップとサウンドを更新し続けている。CRAMは、サウンド、リリース形態、そのスピード感も含め現在の世界的なビート・ミュージックの盛り上がりに共鳴している。そんな2人によるラップとビートと創作を巡る対話である。まず2人はいつ、どこで出会ったのだろうか。

冗談じゃなく、CRAMは天才だと思ってます。これだけは書いといてください。俺こういうことあんまり言わないんで(笑)。 (ISSUGI)

トロントはそれぞれのシーンが小さいからひとつのパーティにヒップホップのビートメイカーだけじゃなくて、エレクトロとかダブステップの人たちもみんな集まるんです。そこでヒップホップだけじゃないノリも吸収できたかなと思います。 (CRAM)

ISSUGI:たしか福岡の〈CLUB BASE〉で会ってCD-RをもらったときにCRAMとはじめて会いましたね。レーベル面の赤い、黒のレコードの形のCD-Rだったと思う。

CRAM:僕は高校のときにMONJUの3人で出場しているMCバトルの映像を観てはじめて知りました。司会がDARTHREIDERさんでした。

ISSUGI:〈3 ON 3 MC BATTLE〉(〈Da.Me.Records〉と池袋のクラブ〈bed〉が主催していたMCバトル)だ。

CRAM:それからMONJUの『Black.de ep』を聴きました。

『Black.de ep』を最初に聴いたときのインパクトはどんなものでしたか?

CRAM:スネアの音がめっちゃ小さいのにグルーヴがあるのがかっこよかった。90sのヒップホップってドラムの音にインパクトがあって大きいじゃないですか。ドンッドンッダッーン!って。そういうビートとは違うかっこよさがあって16FLIPが好きになりました。

ISSUGI:うれしいですね(笑)。

CRAMくんが2016年にリリースした『Call me 3324"CD-R"』の紹介にBOSSのSP-303、SP-404といったサンプラーを使っていると書かれていますよね。最初からSPで作り始めた感じなんですか?

CRAM:いちばん最初はMacのGarageBandです。それからマッドリブやMFドゥームを知って、SP404の存在も知ったんです。それで当時は安かったのもあって買いました。その後、マッドリブが使っているのが広く知られるようになって、いまはめっちゃ値段が上がってますね。

SPの好きな点、SPでビートを作る理由は何ですか?

CRAM:MPCだと音があたたかくてディラっぽい音になってそれはそれでかっこいいんですけど、SPはデジタルっぽい音、冷たい感じになるのが好きなんです。みんなと違う音を出せるのもいいなって思ったのもありますね。

ISSUGI:俺はCRAMのビートを聴いて、まず音の鳴りがヤバいって感じましたね。それからグルーヴをナチュラルに理解してるなって感じさせるところと、メロディのかっこよさの3つですね。全部のパーツが生き生きしていて意味のある動きをしているんです。しかもデモ音源で聴いてもありえないぐらい音がデカい。マスタリングをしていないのにバッチリ音が出せているのは耳が良い証拠だと思いますね。いまSoundCloudで公開されてる“Ride Or Die”っていうビートもヤバいっすね。

CRAMくんは独自に、ナズやジェイ・ZやレイクウォンといったUSのラッパーのリミックスもかなりやっていますよね。

CRAM:「俺のビートでジェイ・Zが歌っとうや! バリかっけぇ!」っていう感じで始めたのがきっかけでしたね。

ははは。今回、『THE REMIX ALBUM "DAY and NITE"』では、 ISSUGI、KID FRESINO、5LACKがラップする“TIME”をリミックスしています。ISSUGIくんからのディレクションはあったんですか?

ISSUGI:CRAMにはアカペラを全部送ったんですけど、“TIME”は絶対やってほしいと伝えましたね。CRAMにはリミックスを作るセンスがあると思ってるんで、メロディの入ってくる“TIME”をリミックスしてほしかったんです。

CRAM:日本語のラッパーのリミックスは初めてだったんですよ。ISSUGIさんから依頼されたのもあって、最初は意識しすぎて16FLIPに寄せた音になっちゃったりもしたんです。自分の色を出すために何度も作り直しましたね。時間はかかりました。

ISSUGI:でも俺はCRAMに関しては、マジで100%言うことないと思ってる。冗談じゃなく、CRAMは天才だと思ってます。これだけは書いといてください。俺こういうことあんまり言わないんで(笑)。

CRAM:ありがとうございます。

ISSUGI: REMIXって場合によってはビートよりラップの方が前に“走っちゃう”こともあるんです。俺は自分で作った曲のBPMやピッチを数字でおぼえてないけど、俺がラップしている曲だから、ラップが走ってるって俺が感じたらそれは走ってるんですよ。CRAMはその点でバッチリだった。ラップのタイミングをわかってる。CRAMのオリジナルの曲を聴いていてもそこが絶対間違いないとわかってましたね。

CRAM:MASS-HOLEさんとISSUGIさんで対談してる記事があるじゃないですか。

ISSUGI:『1982S THE REMIX ALBUM』をリリースしたときの対談だ。

CRAM:そこでISSUGIさんが自分のラップの乗せるタイミングについてMASS-HOLEさんにけっこう指摘したというのを読んだから、「うわ、これ、バチッとせなイカンやん」って。

ISSUGI:「こいつ、厳しいぞ」って(笑)。

ははは。CRAMくんはビートメイカーとしての基礎というか、リズム感やビート・メイキングする際の感覚をどのように手に入れていきましたか。

CRAM:ひとつはトロントですかね。カナダのトロントに一時期住んでいて、そこで感じた海外のノリがめちゃくちゃ新鮮でした。トロントはそれぞれのシーンが小さいからひとつのパーティにヒップホップのビートメイカーだけじゃなくて、エレクトロとかダブステップの人たちもみんな集まるんです。そこでヒップホップだけじゃないノリも吸収できたかなと思います。SoundCloudを通じて知り合った友だちのビートメイカー、CYがたまたまトロントに住んでたんです。一緒にパーティに遊びに行ったんですけど、そこで「『SP持ってきて!』って言えばよかったねー!」って言われて、「いや、実は……」ってバッグに忍ばせていたSPを取り出してライヴしたんですよ。そしたら、「お前、ヤバいから次もライヴして!」ってなって、トロントのシーンに乗り込んでったっすね(笑)。

ISSUGI:いいね、いいね。

ところで、ISSUGIくんは『THE REMIX ALBUM "DAY and NITE"』をどのように作っていったんですか?

ISSUGI:リミックス・アルバムを作ること自体、超久々だったので楽しんで作りましたね。『Thursday』のときに5曲のリミックスを入れた作品(『THURSDAY INSTRUMENTAL & REMIXES』)を出したり、それ以降、曲単位でのリミックスはありましたけど。今回はメロウな感覚がいつもより2割増しぐらいで出ましたね(笑)。それと新曲が何曲かあると聴く人も楽しいと思って新曲も入れてます。

“SPITTA feat. FEBB (Prod. by MASS-HOLE)”と“RHYZMIK & POET (Prod. by FEBB)”の2曲が新曲ですよね。“D N N”はNYのブロンクスのGWOP SULLIVANっていうビートメイカーが作ってますね。

ISSUGI:そうですね。“D N N”は新曲ではなくて、ある曲のタイトルを変えてみましたね。GWOP SULLIVANはO.C.のアルバム(『SAME MOON SAME SUN』)の“Serious”っていうビートを聴いて超ヤバいなと思ったのがきっかけですね。

仙人掌をフィーチャーした“MID NITE MOVE”はGRADIS NICEと16FLIPの2曲のリミックスがありますね。

ISSUGI:同じ曲のリミックスが2曲入っているのがリミックス・アルバムっぽいなって思って入れましたね。だから、自分がリミックス・アルバムと思う要素を詰め込んで作りましたね。このGRADIS(NICE)のリミックスは、俺が(ラップを)乗せたいと思うビートを選んで作ったんですよね。

ISSUGIくんとCRAMくんにはビートの共作のやり方や考え方についても聞きたいですね。ISSUGIくんがいまFRESH!でやっているレギュラー番組の「7INC TREE -TREE & CHAMBR-」ではBUDAMUNKと共作する様子を放送したりしてますし、本作の冒頭曲“BLAZE UP”は JJJがドラムで、プロデュースは16FLIPとクレジットされてますよね。一方、CRAMくんもこれまでAru-2との『MOVIUS ROOPS EP』、ILLSUGIとの『BELOW THE RADAR』といった作品もあります。

CRAM:『BELOW THE RADAR』に入っている曲は、ILLSUGIが「これ、良くね?」とか言ってネタを選んで、僕は「うーん、どうだろう、でもやってみるか!」と思いながらSP404を駆使してかっこよくしていきました。

ISSUGI:はははは。CRAMが組み立てていったの?

CRAM:あの曲に関してはそうですね。ILLSUGIが上ネタのシーケンスを組んで、僕がドラムを打ちました。それでかっこよかったらアルバムに入れようって感じでした。『MOVIUS ROOPS EP』の場合は、まずAru-2がピロ~ッてシンセを弾いただけの、ビートもない、BPMもあってないような音を送ってきたんです。そういう、「これをどう使うの?」みたいな素材をチョップしたりフリップしたりして組み立てていきました。そうやって頭を捻って考えて作るのが好きなんですよね。

ISSUGI:俺は人が打ったドラムに自分がネタを入れるのが好きですね。“BLAZE UP”も最初にJ(JJJ)がドラム・ループだけ送ってきたんですよ。「何かを入れて返してください」という感じで。元々は今回のリミックス・アルバム用ではなかったんですけど、そのドラムが気に入ったから上ネタだけ入れて返すタイミングで、「リミックス・アルバムで使わせてもらえないか?」と頼んでOKしてもらいました。そこからベースとかを足してビートとして完成させましたね。すごく気に入っています。

RAPも含めてドラムからどのパートも前に行っちゃダメだっていうのはありますね。 (ISSUGI)

鼻唄で「フンフン~♪」って歌えるのが僕は良い曲だと思います。音楽やっていない人もつかめるのも大事だと思いますし、そこは意識していますね。 (CRAM)

「7INC TREE -TREE & CHAMBR-」の第2回目の放送でBUDAMUNKのビートにISSUGIくんが上ネタを足していくシーンがあるじゃないですか。ビートをループさせて、あるフレーズをいろんなタイミングで鍵盤で弾いて被せたりしていましたよね。

ISSUGI:これまでに曲を作りまくってきてるんで、ここで終わりだっていうタイミングが自分のなかにあってそこに入れていくんです。そこに入れられたら完成でストップしますね。

CRAM:僕もそこを見つけたらそれ以上は深く考えないで終わりにしますね。それ以上やるとドツボにハマっちゃうんで。ピッて止めますね。

ISSUGIくんはラップのレコーディングにもそんなに時間をかけない印象があるんですけど、ラップに関してはどうですか? 一発OKが多いですか?

ISSUGI:1回で録れるときもあるけど、ハマるときはもちろんありますよ。10回とか15回とか録り直すときもある。

CRAM:ハマったときはどうするんですか?

ISSUGI:くり返し録り直しているときは、リリックやフロウというよりも、ビートにラップを乗せるタイミングを調整しているね。速過ぎてもダメだし、遅過ぎてもダメだから。1小節めから16小節めまですべてが自分の頭のなかにあるリズムで置けたときにひとつのヴァースが完成じゃないですか。それと気持ちですね。その2つです。

さきほどISSUGIくんが、ラップがビートよりも先に“走っちゃう”とダメだという話をしていましたよね。その感覚はとても面白いと思いました。

ISSUGI:いまの時代はいろんな音のバランスでグルーヴを作ることができるので、グルーヴに関してもいろんな考え方があると思うんです。記憶が曖昧なので違ってたら申し訳ないんですけど確かマイルス・デイヴィスがどの楽器の演奏もドラムより絶対先に走っちゃいけないと語っていたんです。それを知ったとき、間違いないなと思いました。自分のなかの基本もそれなんですよね。RAPも含めてドラムからどのパートも前に行っちゃダメだっていうのはありますね。

なるほど。

ISSUGI:俺が好きで聴いているUSのラッパーとかミュージシャンの多くが当たり前に持っている感覚だと思うんです。黒人のラッパーでラップが走ってるヤツとか余り聴いた事ないので。多分HIPHOPの前にJAZZとかSOULとかがあったからだと思うんですけど、日本の音楽は走ってるなと思うときもありますね。ちょっと前にJJJが面白いことを言ってたんです。Jが福岡のクラブのイベントに行った時、フロアでずーっとビートを裏でノッてるヤツがいたらしいんですけど、Jは「こいつだけ裏でノッテルな」と思ってたらしくて、その日ビートのショウケースを観たらそいつが出てきてそれがCRAMだったんですよね。ビートを聴いたら「やっぱりヤバかった」って言ってて。CRAMはリズムキープの感じもやばいと思いますね。とぎれず円を描くようなループの感じ。

CRAMくんは、創作における鉄則というか、曲作りやビート・メイキングに関して意識していることはありますか?

CRAM:鼻唄で「フンフン~♪」って歌えるのが僕は良い曲だと思います。音楽やっていない人もつかめるのも大事だと思いますし、そこは意識していますね。だから、メロディアスなビートが僕は好きですね。

あと、「7INC TREE -TREE & CHAMBR-」でISSUGIくんがBUDAMUNKに「ファンクとは何か?」と訊くシーンがあって、これまでISSUGIくんがファンクという言葉を使っているのをあまり聞いたことがなかったのもあって興味深かったです。

ISSUGI:そうなんすよ。俺、最近ファンクが超気になっちゃってるんです。fitz(fitz ambro$e/ビートメイカー)っていうヤツが、〈Weeken'〉で俺がDJ終わったあとに、「超DJヤバかったよ。ファンクを感じたね」って言ってくれたことがあったんです。TRASMUNDOのハマさんにも「ISSUGIくんはファンキーだよね」って言われて、「俺ってファンキーなのかな?」ってここ最近考えることがあって。

CRAM:はははは。

ISSUGI:俺はBUDAくんからファンクを感じてきたんです。それは、ジェームズ・ブラウンのファンクというよりも、例えばエリック・サーモンやDJクイックに感じるファンクのことなんです。それでBUDAくんにああいう質問をしたんです。

そのときにBUDAMUNKが「動きが滑らかで流れてる感じ」というような表現をしていましたね。

ISSUGI:そうですね。言葉で説明するのは難しいけどノれる感じとかも言ってくれたときがあった気がしますね。それが動きがあるって事なのかなと思って。クールな感じのベースラインにも感じるし両方ありますよね。
 話変わるんですけどCRAMとILLSUGIのビートライヴ見た事ない人は出てるパーティに遊びにいってみて欲しいですね。ノリ方を目撃すると、「こいつらマジで音にノってんな」って伝わってくる。ビートライヴをやり出したらハンパじゃないなと思わせるものがあるんですよね。それがやっぱり音楽じゃないですか。CRAMがクラブでよくかける自分で作ったジェイ・Zのブレンドとかもハンパないです。

CRAM:あと、僕はいまのリル・ヨッティとかも好きなんですよ。それはチャラくてもノれるし、ラップが120点で上手いと思う。ジェイ・Zにもチャラい曲があったりするけど、確実にノリがあるんですよ。僕もそういう音楽が好きですね。

ISSUGIくんはリミックス・アルバムを出したばかりで、「7INC TREE -TREE & CHAMBR-」も進行中ですけど、2人は近い未来はどんな風に活動していく感じですか?

ISSUGI:〈Dogear〉からCRAMの作品を今年出したいと思ってます。CRAMは自分的に絶対にヤバいですから。「7INC TREE -TREE & CHAMBR-」では7インチをリリースする以外にもCRAMもそうだし、自分の周りのかっこいいやつを紹介できればと思ってます。あと例えばレコードをプレスしたり、スニーカーを探しに行くとか、あとはTOURの映像とかヒップホップが好きなヤツだったら楽しめる番組にしていければと思ってますね。

CRAMくんのアルバム、楽しみにしてます!

CRAM:ありがとうございます!

Cornelius - ele-king

 いよいよ来週末(6月24日)、新作『Mellow Waves』をリリースするコーネリアスの大特集号が、今週末(6月17日)、別冊ele-kingとして刊行されます。
 本年度の最重要作品=『Mellow Waves』についてはもちろんのこと、コーネリアスほぼ全作品のクロスレヴュー、小山田圭吾の半生を語る超ロング・インタヴュー、貴重なたくさんの写真……、また、坂本慎太郎、高橋幸宏、SK8THING、本田ゆか、宇川直宏ら、親しいアーティストたちの証言インタヴューなど、かなり盛りだくさんの内容になりました。
 コーネリアスが日本の音楽の水準を上げたことは間違いないのですが、『JAPAN TIMES』の音楽欄に寄稿するイギリス人ジャーナリストのイアン・F・マーティンによるコーネリアス分析、来年コーネリスの本を海外で出版するアメリカのアカデミシャン、マーティン・ロバーツによる論説も、グローバルな視点でみたときの日本の音楽を知る上でも手がかりになるであろう、読み応えのある内容となっています。
 『Mellow Waves』は、コーネリアスにしか作れない音響による、美しくメロウな作品ですが、(日本の)音楽にさらなるエネルギーを呼び込みうる起爆剤でもあります。音に耳を澄ませて下さい。そして願わくば、『コーネリアスのすべて』を手にとって下さい。
 

■特集:コーネリアスのすべて
 その生い立ちから初めてザ・スミスを聴いた夜、小沢健二との出会い、フリッパース・ギター解散からコーネリスへ、そして『ファンタズマ』から新作『Mellow Waves』へ、その半生を語る超ロング・インタヴュー。初めて公開する幼少期の家族写真、中高時代など、貴重な写真も多数掲載な……、
 11年ぶりの新作『Mellow Waves』をリリースするコーネリアスを大特集!

■contents
小山田圭吾ロング・インタヴュー 北沢夏音/野田努/松村正人
『Mellow Waves』クロスレヴュー 松村正人、野田努、宇野維正
対談:小山田圭吾×坂本慎太郎「求め合う音と言葉」

INTERVIEWS
瀧見憲司「狂えるスタイルとコーネリアスの関係」
辻川幸一郎「音楽に感応する映像」
中村勇吾「ロジックを絵筆にカタチをつくる」
宇川直宏「ハイテクノロジー・ブルース~90年代以降の映像と音楽の実験史」
イアン・F・マーティン「クール・ジャパンとウィアード・ジャパン」
本田ゆか「コーネリアスのユニバーサルランゲージ」
SK8THING「併走する感覚」
高橋幸宏「もしかしたら売れるかもしれない」

コラム
三田格「乾いた孤独 The90’s and Cornelius」
松村正人「キュレート・オア・エディット」
畠中実「音響作家小山田圭吾」
マーティン・ロバーツ「メロウどころじゃない 『ファンタズマ』以降のコーネリアス」
ジョシュ・マデル「コーネリアスのアザー・ミュージック」

コーネリアス ディスク・ガイド
天井潤之介/磯部涼/宇野維正/小川充/小野島大/河村祐介/杉原環樹/デンシノオト/野田努/松原裕海/松村正人/村尾泰郎/矢野利裕/吉田雅史/与田太郎/吉本秀純

BIOGRAPHY
小山田圭吾略年譜

寺尾紗穂×マヒトゥ・ザ・ピーポー - ele-king

 寺尾紗穂×マヒトゥ・ザ・ピーポー、さらに前野健太。なにが起こるんでしょうか。
先日、マヒトゥ・ザ・ピーポーがギターで参加した、寺尾紗穂の“たよりないもののために”がYoutubeで公開されましたが、みなさんもう聴きました? その言葉と音響に浸ることができたひとたちに、以下のイベントを紹介します。まだ聴いていないひとたちは、ヴィデオを観てみてください。

 寺尾紗穂は6/21に最新アルバム『たよりないもののために』を、そして6/28にはマヒトゥが2ndアルバム『w/ave』をリリースします。6月27日はなにが起こるんでしょうか。詳細は以下にまとめたので、お見逃しなく。

■にじのほし9『月の秘密Prime』

出演:寺尾紗穂×マヒトゥ・ザ・ピーポー/前野健太
日程:2017年6月27日(火)
会場:渋谷WWW(東京都渋谷区宇田川町13-17ライズビル地下/TEL:03-5458-7685)
時間:19:00開場/19:30開演
料金:前売券¥3500+1d/当日券¥4000+1d
※ 一部座席有り/整理番号順入場


■寺尾紗穂
1981年11月7日東京生まれ。
2007年ピアノ弾き語りによるアルバム「御身」が各方面で話題になり,坂本龍一や大貫妙子らから賛辞が寄せられる。大林宣彦監督作品「転校生 さよならあなた」、安藤桃子監督作品「0.5ミリ」、中村真夕監督作品「ナオトひとりっきり」など主題歌の提供も多い。2015年アルバム「楕円の夢」を発表。路上生活経験者による舞踏グループ、ソケリッサとの全国13箇所をまわる「楕円の夢ツアー」を行う他、2010年より毎年青山梅窓院にてビッグイシューを応援する音楽イベント「りんりんふぇす」を主催。昨年リリースの最新アルバム「私の好きなわらべうた」では、日本各地で消えつつあるわらべうたの名曲を発掘、独自のアレンジを試みて、「ミュージックマガジン」誌の「ニッポンの新しいローカル・ミュージック」に選出されるなど注目された。
みちのおくの芸術祭「山形ビエンナーレ」での絵本作家荒井良二とのコラボ、金沢21世紀美術館企画「AIR21:カナザワ・フリンジ」でのソケリッサとの共演など、演奏の場もライブハウスを超えて広がりつつある。
活動はCM音楽制作(ドコモ、無印良品など多数)やナレーション、書評、エッセイやルポなど多岐にわたり、著書に「評伝 川島芳子」(文春新書)、「原発労働者」(講談社現代新書)、戦前のサイパンに暮らした人々に取材した「南洋と私」(リトルモア)。8月に集英社より「あのころのパラオをさがして」を発売予定。平凡社ウェブにて「山姥のいるところ」、本の雑誌ウェブで「私の好きなわらべうた」を連載中。その他資生堂の広報誌「花椿」、高知新聞、北海道新聞でも連載を持つ。6月21日最新アルバム「たよりないもののために」と伊賀航、あだち麗三郎と結成したバンド「冬にわかれて」の7インチを同時発売。
https://www.sahoterao.com/


■マヒトゥ・ザ・ピーポー
2009年 バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。
2011年沈黙の次に美しい日々をリリース。HEADSの佐々木敦の年間ベスト10のデイスクに選出され、全国流通前にして「ele-king」誌などをはじめ各所でソロアーティストとしてインタビューが掲載されるなど注目が集まる。
2014年、kitiより2ndアルバムPOPCOCOON発売。
2014年には青葉市子とのユニットNUUAMMを結成し、アルバムを発売する。
2015年にはpeepowという別名義でラップアルバム Delete CIPYをK-BOMBらと共に制
作、BLACK SMOKER recordsにてリリース。
2016年には今泉力弥監督の映画の劇伴やCMの音楽などを手がける。
また音楽以外の分野では中国の写真家REN HANGのモデルや国内外のアーティストを自
身の主催レーベル、十三月の甲虫でリリース、
野外フェスである全感覚祭を主催したり、近年は仲間とweb magazine PYOUTHを始
動。ボーダーをまたいだ自由なスタンスで活動している。
2017年 6/28にNUUAMMの2nd album「w/ave」を十三月の甲虫より発売。
https://mahitothepeople.com/


■前野健太
シンガーソングライター。俳優。
1979年埼玉県生まれ。
2007年、自ら立ち上げたレーベル"romance records"より『ロマンスカー』をリリースしデビュー。
2009年、全パートをひとりで演奏、多重録音したアルバム『さみしいだけ』をリリース。2009年元日に東京・吉祥寺の街中で74分1シーン1カットでゲリラ撮影された、ライブドキュメント映画『ライブテープ』(松江哲明監督)に主演。同作は、第22回東京国際映画祭「日本映画・ある視点部門」で作品賞を受賞。
2010年、『新・人間万葉歌~阿久悠作詞』へ参加。桂銀淑(ケイ・ウンスク)「花のように鳥のように」のカバー音源を発表。
2011年、サードアルバム『ファックミー』をリリース。映画『トーキョードリフター』(松江哲明監督)に主演。同年、第14回みうらじゅん賞受賞。
2013年、ジム・オルークをプロデューサーに迎え『オレらは肉の歩く朝』、『ハッピーランチ』2枚のアルバムを発表。
2014年、ライブアルバム『LIVE with SOAPLANDERS 2013-2014』をリリース。文芸誌『すばる』にてエッセイの連載を開始。
2015年、雑誌『Number Do』に初の小説を発表。CDブック『今の時代がいちばんいいよ』をリリース。
2016年、『変態だ』(みうらじゅん原作/安齋肇監督)で初の劇映画主演。ラジオのレギュラー番組『前野健太のラジオ100年後』をスタート。
2017年、『コドモ発射プロジェクト「なむはむだはむ」』(共演:岩井秀人、森山未來)で初の舞台出演。初の単行本となる『百年後』を出版。
https://maenokenta.com/

即興音楽の新しい波 - ele-king

 『ジャパノイズ』の著者としても知られるアメリカの音楽学者デイヴィッド・ノヴァックはかつて、90年代後半からゼロ年代前半にかけて東京に出来したひとつの音楽シーンを、代々木Off Siteをその象徴として捉えながら日本発祥のまったく新しい即興音楽のジャンルとして「音響(ONKYO)」と呼んだ(1)――もちろんそこで挙げられた数名のミュージシャンたち、たとえば杉本拓、中村としまる、Sachiko M、吉田アミ、秋山徹次、伊東篤宏、宇波拓、そして大友良英らについて(ここに大蔵雅彦やユタカワサキをはじめとしてまだまだ加えるべきシーンの担い手がいたこととは思うが)、その多様な試みと実践を「音響」というただひとつのタームで括ってしまうことなどできないし、ノヴァック自身もおそらく批判を覚悟のうえで戦略的にそうした呼び方を採用しているようにみえる。それにそもそも「音響」と言い出したのはノヴァックが最初ではない。この呼称が日本語の読み方のまま世界的に流通していることからもわかるように、それが認知されるきっかけとなったのは日本語圏ですでにそうした呼び方がなされていたからだ。その起源は虹釜太郎が渋谷に90年代半ばに2年ほど構えていたレコード・ショップ、パリペキンレコーズのコーナーにあった「音響派」という仕切りにあると言われているが(2)、そこで扱われていた音楽は即興音楽シーンに限らずより広範かつ雑多なものだった(3)。だがいずれにしてもこの時期にそれまでの即興音楽とは質を異にしたニューウェーブとも言うべきいくつもの魅力的な試みがおこなわれていたことは事実であり、匿名的で、微弱な音量で、沈黙や間を多用するなどとしばしば言われる(4)ように、それらにゆるやかに共有されていた同時代性のようなものがあったということも指摘できるように思う。そしてそうした動向をリアルタイムで国内外へと発信し続けてきたウェブ媒体として「Improvised Music from Japan」があった。

 もともとは「Japanese Free Improvisers」という名称で1996年に英語オンリーで開設されたこのウェブサイトは、その後日英二ヶ国語になり、日本で活躍する外国籍のミュージシャンも紹介するために名称を変え、さらにCDショップ兼レコード・レーベルとしても機能しはじめることとなる。2012年からは水道橋にイベント・スペースとしても利用できる実店舗「Ftarri」を構えることになる、その前身となったサイトである。それを独力で立ち上げ運営してきた鈴木美幸は、それまでジャズ評論家/翻訳家として執筆活動をおこなっていたのだが、この時期に出現したまったくジャズとは接点のない即興演奏を前にして戸惑いと驚きを感じ、そして途方もない魅力を覚え、すぐさま世界に紹介する役割を買って出た(5)。ウェブサイトに記載されるミュージシャンの数は日増しに増えていき(いま現在も増えている)、シンプルなページ・レイアウトも手伝って、膨大なアーカイヴを簡潔に参照することのできる類稀なメディアとして機能していった。そしてこのウェブサイトが日本の同時代的な即興音楽シーンを、殊に海外へと向けて発信していく重要な役割を果たしていったということは改めて述べるまでもない。そこには「音響」として括ることはできないにしても、しかし何らかの新しさはあった。ならばそれはいったいどのような新しさだったのか。

 「Improvised Music from Japan」が紙媒体として発行している雑誌がある。2003年にその増刊号として、音楽家/批評家の大谷能生が責任編集を務めたものが出された。新しい世代の即興演奏家を紹介することがテーマになっていたその増刊号では、冒頭に、大谷による「Improv's New Waves ―論考―」(6)と題された文章が掲載されていた。そこでは多くの若手即興演奏家たちに「個人的な好みを排した、匿名的な音の世界」へと足を踏み入れていくことを厭わない傾向がみられるという指摘がなされ、さらにジョン・ケージもデレク・ベイリーも前提していなかっただろうものとして、しかし当時の(おそらくは現在も)先端的な即興音楽シーンの経験の基盤となっているものとして、録音メディアという装置を挙げながら、「これまでの音と音楽との区別がまったく役に立たないこうした世界を一旦受け入れ、そこからまた改めて『音楽』と呼べる体験を作り上げていくこと。即興演奏家とは、『音』と『音楽』とが現実に交錯する『演奏』の現場でそれを実践していくミュージシャンたちのことだ」と述べられ、そして次のように締め括られていた。

先ほど聞こえた音は、一体なんだったのか? 今聴こうとしている音は、一体どのような音なのか? 指先を緊張させながら鼓膜と思考を充分にゆるめる、または、思考を緊張させながら指先は脱力させるという相反する作業をおこなうことによって生まれるこうした問いを繰り返すことによって、即興音楽の演奏者は物質的持続の底の底へと降りていく。リ=プレゼンテーションに伴うすべての喜びと手を切ろうとする、こうした聴覚による世界の描写方法は、これまでのどのような芸術からも得ることのできない、まったく新しい現実との接点をぼくたちに提示してくれるだろう。(「Improv's New Waves ―論考―」)

 録音装置というメディアは人間的な価値判断や聴取の可能性を度外視して、あるいはそれらとは無関係に、あくまでも物質の次元で響きを捉え記録するものであり、たとえば自由に織り成されていく即興演奏が、メロディ・ハーモニー・リズムといった西洋音楽を構成する要素を持たずとも、あるいはその他の組織化された音の秩序をあらかじめ備えていなかろうとも、録音されるというそのことが音楽の成立条件となることによって、そうした側面をまるごと預け、繰り返し聴くことのできる音楽として手元に残してしまうことができる。演奏家はそこで出す音の種類や音の出し方に縛られることなく、思い思いにサウンドと関わりを持つことができるようになる。経験の基盤となっている物質的な次元が、意味づけられる前の音響を聴き手としての演奏家に開示してくれるのだ。そこに「聴覚による世界の描写方法」が見出されていく。「まったく新しい現実との接点」が見出されていく。

 大谷の論考にいち早く反応したのは音楽批評家の北里義之だった。彼は大谷の論考にいくつかの疑問を提起した(7)。するとそれに対する大谷の返答が「ジョン・ケージは関係ない」(8)という新たな論考としてまとめられ、さらに北里の再反論が「ケージではなく、何が」(9)という文章をも生むこととなり、とりわけ後者の論考は曖昧に乱用され続けてきた「音響」というタームについての再考を促し実相を炙り出そうとする極めて示唆に富んだものなのではあるが、ここではそれらのやり取りに関して深入りしない。一言添えるとしたら、大谷が個人主義を徹底させた先にある「匿名的な音の世界」を見出したことと、北里が「匿名的な音の世界」にモダンの原点そのものへの回帰を見出したことは、同じことがらを別の側面から考察しているに過ぎないということのように思う。だがここでは大谷が描いたシーンの情況について、北里がそれを「即興演奏が徹底して個の音楽であったことに対するアンチテーゼ」(10)だと読み取ったことに着目しておきたい。個人主義が徹底されようと、モダンの原点への回帰であろうと、そこにはそれまでの即興音楽が個と個の衝突やそれを過剰に濃縮することに価値を見出していたこととはまったく別の在り方があった。それはオフサイト周辺のシーンをつぶさに観察してきたイギリスの音楽家/批評家クライヴ・ベルの言を借りるならば、「肉体的なエネルギーや即効性のあるレスポンスよりも、リスニングとサイレンス、そして忍耐力を前面に押し出していた」(11)のである。そして「個の音楽」から離脱していくなかで見出されたのは、共演する際に単に個と個が対峙するだけではなく、「まわりの空間の、ほかのたくさんのものの一部」(12)として捉え返されるような共演者の在り方でもあった。ここに聴取と同様に新たな価値が見出されたことがらとして空間を付け加えることもできる。そこでは「アカデミックな場所にはいないバンドマンたちが、初めて空間を問題にしだした」(13)のである。

 あれから14年もの歳月が流れている。その間にも様々な試みがなされてきた。「音響」をジャンルとして忠実になぞる者もいれば、杉本拓のようにそれを「テクスチャーの墓場」(14)と呼んで明確に批判する者もいるし、それでもなお何らかの可能性を模索する者もいれば、そうした問題系とはまったく別の領域で活動をおこなう者もいる。「音響」の行く末として「即興」の原理的な不可能性が提起される(15)一方で、そうした原理論は即興音楽の実際に即していないという意見(16)もある。多様化と細分化を複雑に極めていく現代即興音楽シーンについて、それを一言であらわすのは容易ではない。だがこれだけは言えそうだ。そうした様々な試みが自然と集まってくるような、いわばホットスポットのような場所が各地に点在しているということは。とりわけ水道橋Ftarriに足を運んでみるならば、戸惑いと驚きを覚えるような、そして途方もない魅力に打ちのめされてしまうようなイベントに、なんども出会うことができるのである。それらは「音響」に限らず、たとえばジャパノイズ、サウンド・アート、現代音楽、フリージャズといった既成のジャンルに近接し人脈的な交流を持ちながらも、それらのどのタームでも捉えきれないような魅力を放っている。だから大谷能生の「Improv's New Waves」にまるで呼応するかのようにして、それを呼び覚ますかのようにして、今年のはじめにFtarriの店主・鈴木美幸が「即興音楽の新しい波」(17)というタイトルを冠したイベントをおこなったことを、もう少しよく考えてみたいのである。

 確かに2003年には見られなかった新しい試みが、2017年までにはいくつも出てきている。それらが果たしてシーンとしての波を形成するものなのかどうかはまだわからないが、まったくもって無関係な試みがただ単に乱立しているだけというよりも、やはり同時代的であるような響き合いを聴かせてくれるように思うのである。それを考えてみるためにも、ここでは水道橋Ftarriをひとつの窓としながら、そこからどのような光景が見えているのか、あくまでも極私的な体験から得られた見取り図を描いてみることにしたい。そのためにここでは、「ハードウェア・ハッキング」「ライヴ・インスタレーション」「シート・ミュージック」「即響」という4つのテーマを設け、それぞれについて言及していく。ただし、これらは情況を把捉する手段として便宜的に設定されたテーマに過ぎないので、当然のことながらジャンルのようにシーンを四分できるというものではなく、さらにミュージシャンによってはこれらのテーマに跨る試みをおこなっている者もいるだろう。それでもそうした具体的な実践に接近していくための契機になるのではないかとは思う。

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1 ハードウェア・ハッキング

 ハードウェア・ハッキングというのは字義通り既成の楽器や電子機器を物理的に改変するという意味で、とりわけ実験音楽/電子音楽の世界で著名な作曲家ニコラス・コリンズによって特有の意味合いが付与されて用いられるようになった。コリンズの言わんとするところを簡潔にまとめた金子智太郎による記事(18)から引用すると、ハードウェア・ハッキングとは「電子工学の専門知識を前提としないDIY電子工作」であり、「コリンズがハードウェア・ハッキングの文化的性格として強調するのは、電子音楽における作曲家と技術者の分離の解消や、デジタル化によって減退した直接性と接触性の回復などである」。要するに必ずしも専門的な技術者ではない演奏家が、自らの手を動かし試行錯誤と実験を繰り返しながら、既成の道具に直接的な改変を施していくことによって新たなサウンドを探し出すのである。コリンズ自身が述べるように、それを「その機器の設計者すら予想しなかった結果を、あらゆる可能性に挑戦する極端な実験主義によって生みだすこと」(19)と言い表すこともできるだろう。そこには既に完成された楽器を使うことでは得られない新奇な音色の探求と、さらにそうした楽器を用いた演奏に要請される新たな身体性の獲得、およびそこから導き出される、これまでになかったような時間的/空間的な構造化への可能性が秘められている。


中田粥 - A circuit not turning
きょうRecords (2017)
Amazon

 こうした方向性をもっとも過激に推し進めているひとりとして中田粥の名前を挙げることができる。東京都出身で現在は大阪に拠点を移して活動する中田は、既成のキーボードを解体し、内部の基盤を剥き出しにするとともにその回路に手を加え、独自の音響を紡ぎ出す実践をおこなっている。そうして生み出された楽器を彼は「バグシンセサイザー」と名付け、彼自身はハードウェア・ハッキングではなくリード・ガザラが提唱した「サーキット・ベンディング」の手法の応用であると言い、さらにそれをかつてジョン・ケージがピアノの内部の弦に直接ゴムや金属を挟むことでコンパクトな打楽器アンサンブルとしての音響を生み出した「プリペアド・ピアノ」における内部奏法の延長線上にある実践として捉えている。初期のバグシンセサイザーによる演奏では、自主制作したミニ・アルバムに残されているようにプリセットされた音源が断片的にあらわれていく奇妙な具象性を聴かせていたが、現在はより回路の接触から生まれる電子音響ノイズが強調されたサウンドとなっており、それは『A circuit not turning』で全面的に聴くことができる。一方でライヴでは音響を聴かせるだけではなく、小さな基盤のタワーを構築したりするなど、単なるサウンドの愉しみとしてだけでは終わらない、造形的な視覚要素と空間を生かしたインスタレーション的側面を体験することができる。


竹下勇馬 - Mechanization
Mignight Circles (2017)
Bandcamp

 中田粥とも共演歴が多く、ハッキングという方法論を別の視点から極端に推し進めているもうひとりのミュージシャンとして、竹下勇馬の名前も外せない。中田とふたりで「ZZZT」というデュオ・ユニットを組んでもいる竹下は、エレクトリック・ベースに様々な自作の電子機器を取り付け、自ら「エレクトロベース」と名付けた、これまた奇っ怪な楽器を扱っている。アメリカのトランペット奏者ベン・ニールが「ミュータントランペット」と名付けた改造トランペットを使用していたことを彷彿させるが、ミュータントランペットが既存の音楽を前提とした複数の楽器パートを兼ねる異なる要素の統合を目指すものであったのに対して、エレクトロベースは統合というよりも増殖であり、異なる要素が異物のままに同居することで前提とされる音楽それ自体を問い直しにかけていく。さらにニールがSTEIMという研究所の後ろ盾のもとに楽器を発展させていったことに比すると、あくまでもDIYの精神で改変を施していく竹下の楽器はより自由な音楽へと開かれてもいる。竹下によるベースの改造はいま現在も続いており、一旦でき上がった状態に慣れるとさらにコントロールし難いものへと改変していくというのだからその実験精神は尽きることがない。演奏では通常のベースの弦の響きを織り交ぜ、それを変調するとともに複数の電子音響ノイズを併用するサウンドを生み出しており、『Mechanization』の後半においてその模様を聴くことができる。


《《》》 - 《《》》
Flood (2015)
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 中田粥と竹下勇馬が、ドラマーの石原雄治、ギタリストの大島輝之とともに結成した《《》》(metsu)によるアルバム『《《》》』では、ハッキングによって生み出されたふたりの楽器が、アコースティックな打楽器とエッジの効いたカッティング・ギターとともに丁々発止のやりとりをする様が収録されている――とはいえハッキングされた楽器から発されるのは肉体的というよりもテクノロジカルなエネルギーであり、レスポンスも即効性があるというよりは不確定的な要素が多く、そこが従来の即興音楽にはない面白さとも言える。このアルバムの3曲めおよび4曲めに参加しているサックス奏者の山田光は、改変こそ施していないものの、マイクロフォンやスピーカーを組み合わせることによって独自の音響をサックスから紡ぎだす演奏を試みてもいる。山田のそうした側面にフォーカスを当てたアルバムはまだ発売されていないものの、ロック・バンド「毛玉」のフロント・マンとしても知られる黒澤勇人とのデュオによる作品が近くリリースされる予定だという。すでにゼロ年代の後半から即興音楽シーンに関わってきた黒澤もまた、集音と増幅を駆使することによって、卓上に寝かせたギターから独自のエレクトロ・アコースティックなサウンドを聴かせる演奏をおこなっている。

 このようにハッキングされた楽器からスピーカーを通して発される電子音は、楽器奏者との共演をおこなうことによって、電子音と楽器音が交錯するいわゆるエレクトロ・アコースティック音楽としての様相を呈していく。「エレクトロ・アコースティック」という言葉自体は、狭義には50年代の電子音と具体音を併用したレコード音楽のことを指すが、「音響」のムーヴメントと相俟って90年代以降により広く知られるところとなり、生演奏にエレクトロニクスを取り入れただけの音楽にも適用されるなど、現在では語感の良さも手伝って乱用されているきらいがある。しかし「エレクトロ・アコースティック」という考え方がもたらしたのは単に電子音と生音を併用するということだけではなく、技術の進歩などにより一方にまるで本物の楽器のような音を出す電子音があらわれ、他方には拡張され尽くした特殊奏法――これもひとつの技術革新だ――によってあたかも電子音のようなサウンドを奏でる楽器奏者があらわれ、そうした境界線の曖昧になった電子音/生音が、サウンドの平面上に同等の資格をもって立ちあらわれることによって、電子音や楽器音に歴史的に担わされてきた役割というものを、あらためて問い直す契機になったという点にこそある。そこでは音の発生源がラップトップPCなのかアコースティック楽器なのかといったことよりも、そこに一体どのような音が発生していて、それがどのように聴こえてくるのかということの方に焦点が当てられる。とりわけ「ハードウェア・ハッキング」の流れのなかから導き出されてくるエレクトロ・アコースティック音楽では、電子的なノイズと楽器の非器楽的使用による無形のサウンドが交差する傾向が強く、それを必ずしもハッキングすることのないエレクトロ・アコースティックの実践と関連づけてみることもできるだろう。


高島正志 / 影山朋子 / 長沢哲 / 古池寿浩
Astrocyte meenna (2016)
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 山田光のアイデアを取り入れることによって、独自の組み合わせからエレクトロニクス装置を生み出したドラマーの高島正志もまた、サウンドの地平をゆく固有の道を突き進んでいる。「G.I.T.M.」と名付けたその自作装置を取り入れた高島の演奏は、リズムというよりは痙攣するパルスの積み重なりを聴かせ、合奏では往年のスピリチュアル・ジャズのような陶酔感を伴っていく。他方で高島は作曲も手掛けており、そのモチベーションは自由であるはずの即興演奏が陥りがちな定型を脱することという、ギャヴィン・ブライアーズのデレク・ベイリーに対する批判を彷彿させるものがあるが、それでも彼自身はプレイヤーとして即興演奏をおこなう活動を手放してはいない。いわば彼にとっての作曲行為は即興演奏と相互に影響を与え合うような地続きのものとしてあるのだろう。現在は福島県に居住し、アジアン・ミーティング・フェスティバルにも出演したギタリストの荒川淳が郡山市で運営するスペース「studio tissue★box」で主に活動しているものの、都内でライヴをおこなうこともある。先日(5月5日)も高島の作曲作品が、竹下勇馬と石原雄治によるデュオ・ユニット「Tumo」によってリアライズされるライヴがおこなわれるなど、シーンとの交流がみられた。


Straytone / 中村ゆい / 増渕顕史 / 徳永将豪
A Crescent and Moonflowers
meenna (2016)
Amazon

 エレクトロニクス奏者と楽器奏者の共演から生まれるエレクトロ・アコースティック作品も紹介しておきたい。ミニマル・ドローンな音源の反復から電子音響を変化させていくStraytone、太く豊かな倍音を含んだサウンドを求道的に発し続けるサックス奏者・徳永将豪、12小節という定型を取り外したブルースの音響そのものに焦点を当てるかのようなギターを奏する増渕顕史によるトリオ・セッションと、声というよりも呼吸する気息の物質性をあらわにするヴォイス・パフォーマー中村ゆいが加わったカルテットによるセッションのツー・トラックを収めた『A Crescent and Moonflowers』である。管楽器のようなうねりとプリペアド・ギターのような打楽器的なサウンドを聴かせるStraytoneの演奏は、徳永と増渕による特殊奏法を取り入れた響きと混ざり合い、さらには吉田アミの「ハウリング・ヴォイス」を彷彿させる電子音響的なヴォイスを発する中村ゆいの演奏がそこに重なり合うことで、サウンドそれ自体の地平が開かれていく。そうした音像のなかから、ときおりその楽器の、あるいはその奏者にしか出せない固有の響きが前面に出てくる瞬間に立ち会うとき、サウンドの地平に照準を合わせていた耳に異化作用が施されていくというのも、こうしたセッションならではの愉しみだと言えるだろう。


康勝栄 / 弘中聡
state, state, state
ftarri (2012)
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 エレクトロ・アコースティック音楽の可能性を、あくまでも演奏を基礎としながらも、録音芸術として作品化した特筆すべきアルバムとして『state, state, state』も挙げておきたい。MultipleTapを主宰しウェブ雑誌『20hz』を発行するなど、日本のインディペンデントな音楽シーンを精力的に紹介し続け、クライヴ・ベルにも「これらの音楽を取り巻く環境を、特に日本において変えていくという使命を負っている」(20)と評された康勝栄と、変則的で巧妙にデザインされたリズムがラップのフロウを新鮮に聴かせるバンドskillkillsなどで活躍するドラマーの弘中聡によるデュオ作品である。僅かにポスト・プロダクションが施されたデュオ演奏とそれぞれのソロ、そして録音されたままのデュオ演奏が収録された本盤は、エレクトロ・アコースティックという考え方によって演奏をサウンドの地平で捉えられるようになったはずのわたしたちの耳が、それでも音盤上で施される改変によって本来の演奏を想起してしまうということ、しかし手を加えないことが本来の演奏と呼べるものなのかどうかということなどを、スタイリッシュなビートとともに提示している。すでに5年前の作品であり、とりわけ康の現在の活動はギターよりも自作エレクトロニクス装置を用いた演奏をする機会が多くなっているものの、そうした問題提起する射程の深さを伴うこの作品の特異性はまったく古びていない。

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2 ライヴ・インスタレーション

 かつてデュオ・ライヴをおこなった川口貴大と大城真は、それを観た米国のとあるレーベル・プロデューサーから「これはインスタレーション系だ」と評されたことがあるという。要するに「こんなものは音楽ではない」という否定的なニュアンスが含まれた評価を受けたのだが、むしろそうした評価を、従来の音楽概念では評価しきれないような、しかしあくまでも音を介した新しいパフォーマンスとの出会いから発された言葉として、ポジティヴに受け止めることもできるだろう。今年の春に出版された大友良英による好著『音楽と美術のあいだ』でも提示されていた、音楽とも美術ともつかないそうした新たな表現領域――あるいは領域から逸脱する表現のありよう――を、しかし美術に基軸を置いた音の展示ではなく、あくまでも音楽の現場で「演奏」としてなされている、いわば「ライヴ・インスタレーション」とも言える実践を眺めることから、その実態を探っていきたい。ここで紹介するミュージシャンたちの多くはアート・スペースに設置されるような音の展示作品も制作しており、いわゆるライヴハウスのような音楽のために設けられた場においても、空間と大きく関わるようなリアルタイムの反応と操作をおこないながら、投げ出された音の行方を見守るという非常に独特な「演奏」をおこなっている。こうした動向については、音楽家/評論家のデイヴィッド・トゥープによって「フェノメノロジスト」という呼称が用いられてもいる(21)


川口貴大 / ユタカワサキ
Amorphous Spores
Erstwhile Records (2015)
Erstwhile Records

 川口貴大はもともとフィールド・レコーディング作品の制作からそのキャリアを出発させながらも、ゼロ年代の半ばにはすでに会場内を歩き回りながら自作の音具を設置していくという特異なパフォーマンスをおこなっていた。『n』に結実するそうした方向性は、その後、大城真、矢代諭史とともに結成したグループ「夏の大△」へと受け継がれるとともに、より演奏に比重を置いた新たな表現を開発していった。複数のヤンキーホーンと音叉、さらには臓器のように伸縮する巨大なビニール袋とスマートフォンの光を用いたパフォーマンスでは、演奏の進行と展開を共演者に対する反応ではなくビニール袋の動きに合わせるという、非常に独特な即興演奏の取り組み方をしている。共演者との相互触発から反応の応酬を聴かせるのではなく、もっと人間の世界から離れた物と物の相互作用を提示するかのような川口のパフォーマンスは、その見た目の異様さもさることながら、どこにでもある日用品の匿名性とは裏腹に、彼にしか生み出せない個性的なサウンドを奏でることにも成功している。ユタカワサキとのデュオ・セッションにポスト・プロダクションを施すことで完成した『Amorphous Spores』で聴くことができるのは、人間の身体的な動作からは切り離されたところにある音響に刻まれた、しかし紛れもない彼の個性である。


大城真
Phenomenal World
hitorri (2014)
Amazon

 匿名的かつ個性的なサウンドは大城真が自作した通称「カチカチ」からも聴くことができる。かつてはヴィデオ・フィードバック現象を音楽として提示し、その後も「ウネリオン」と名付けた独自のフィードバックを発生させる楽器を自作するなどしてきた大城は、よりコンパクトに持ち運びの出来る形態として手のひらに収まるサイズの「カチカチ」を生み出した。会場内を歩き回るパフォーマンスは、ともに「夏の大△」で活動する川口貴大の初期の試みを彷彿させるところがあるが、至る所に設置された「カチカチ」が生み出す即物的な音響のアンサンブルがサウンドのモアレを形成するところなどは、独自に取り組んできたフィードバック現象の実践からの形跡を感じさせる。ヴィデオ・フィードバック、ウネリオン、「カチカチ」などを全て収録した、大城の活動の集大成ともいうべき作品が『Phenomenal World』である。彼自身の「現象としての音や、その発生の仕組みへの興味」(22)があらわされている本盤のタイトルからは、現象学を出発点に非人間的なオブジェクトに立脚する哲学を構想するという、グレアム・ハーマンの「オブジェクト指向存在論」を連想させるところがある。ただしそうした現代の思想動向の実体化や反映を彼の音楽に見出すことよりも、まずは様々にあらわれるサウンドに対する興味と驚きが根底にあるのだということには注意しなければならないだろう。


秋山徹次 / 大城真 / すずえり / Roger Turner
Live at Ftarri
meenna (2016)
Amazon

 今年の初めにイングランド北西の都市マンチェスターで大城真とともに展示およびライヴをおこなったすずえりの近年の活動にも非常に興味深いものがある。アコースティック・ピアノ、大小のトイピアノ、それにさらに小さな模型のピアノを連結し、「ピアノでピアノを弾く」という実にユニークな展示作品を手掛けるすずえりは、ライヴにおいても複数の「ピアノ」を用いながらそのユニークネスを発揮したパフォーマンスを繰り広げている。会場で何かを制作しようとしているものの、それにしてはあまりにも非合理的で非効率的なプロセスを踏んでいくことが、むしろ自作した音具たちの連関を生み出していくそのパフォーマンスは、従来の演奏概念とはまったく別のところから「即興」の醍醐味を聴かせてくれる。肩肘張らない脱力した佇まいもまた、しかつめらしく状況を見守る即興演奏とは別の緊迫感を生み出していく。残念ながら彼女のこうした側面を捉えた音盤はまだリリースされていないものの――とはいえ、彼女の面白さは音盤にはならないライヴのプロセスにこそあるともいえる。なので反対に、それをどのようにサウンドとして定着するのかは非常に気になるところだ――大城真、秋山徹次、それにロジャー・ターナーとのカルテットによるセッションを収めたアルバム『Live at Ftarri』でその特異な実践を垣間見ることができるだろう。

 音盤として残された彼ら/彼女らの実践は、あくまでも変化するサウンドの妙味にその魅力があらわれているわけだが、ライヴや展示においては「装置の実用性や象徴性ではなく、装置同士のネットワークや、物質が人間にもたらす影響」(23)とも言われるような、人間中心主義的な世界を離れた音たちが織り成していく、オブジェクトの相互作用のようなものを形成することの面白味がある。多くの場合ハッキングした自作音具を用いながらも、それをスピーカーから電子音として鳴らすのではなく、あくまでもアコースティックな響きとして空間に配置していくということも、現象する音の環境世界を提示しようとすることと無関係ではないだろう。それは「演奏」というよりも、人間に従属することのない音の発生を、制御不能なままに見届けようとするある種の「聴取」行為とも言える。こうした点から、まったく別の試みであるように思えながらもフィールド・レコーディングという実践との近似性が浮かび上がってくる。フィールド・レコーディングもまた、人間の世界を離れた音の環境を相手取っていく試みだからである。言うまでもなくそれをどのように切り取るのか、すなわち聴取する耳をどこに設定するのかということがフィールド・レコーディングの要であり、それは必ずしも聴くことによって視点を切り取ることが要点ではないインスタレーションの在り方とは異なっている。しかし耳の先で起こる出来事を人間が従属させることはできないのであって、とりわけそうした聴取の実践をライヴ空間でおこなうミュージシャンにあっては、そこでわたしたちが立ち会うこととなるのは出演者たちに同化した耳の視点ではなく、むしろ彼ら/彼女らが聴き、聴こうとし、それでも聴くことの外部へと溢れてしまうような音の生態系であるだろう。


stilllife
archipelago
ftarri (2015)
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 笹島裕樹と津田貴司のふたりによって結成されたstillifeは、フィールド・レコーディングをライヴにおける「演奏」としておこなう非常にユニークなデュオ・ユニットである。彼らのライヴでは、オートハープや木製の笛、音叉、小石、ガラス瓶その他無数の音具と、集音し変調するエレクトロニクス装置などを用いながらも、それらは一般的な音楽の演奏においてホワイト・キャンバスに描かれる絵のようにあるのではなく、むしろその場の環境やライヴをおこなう会場にすでにある様々に彩られたキャンバスを前にして、その背景が決してまっさらな沈黙ではないことを明かすかのように挿入されていく響きとしてある。言うまでもなく、彼らがそこで聴き取ろうとするサウンドは、観客であるわたしたちと同一のものではない。むしろ聴き取ろうとする彼らの「演奏」によって浮かび上がる音の世界が、わたしたちひとりひとりに固有の聴取の位置を与える契機となっていく。しかしだからこそ、彼らの音盤はライヴであらわされる音楽とはまったく別の価値を帯びもする。傑作ファースト・アルバム『夜のカタログ』の翌年にリリースされた『archipelago』では、あたかも電子音楽のような即物性を伴って響く鳥の鳴き声が、最終的にはそれが他ならぬ「鳥の声」という意味にまみれたサウンドでしかなかったということに、思わず気づかせるような工夫が凝らされていて、それは録音作品ならではのstillifeの「耳」の刻みかたとも言えるだろう。


松本一哉
水のかたち
SPEKK (2015)
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 stillifeのメンバーでもある津田貴司と、ベースを用いた特異なドローン/倍音を奏でてきたTAMARUとともに、昨年からは「Les Trois Poires」というグループでも活動をおこないながら、独自のフィールド・レコーディング作品を残しているアーティストとして、打楽器奏者の松本一哉の名前を挙げることもできる。「自分が指揮者になったように音を選んで聴けば、身の回りには常に偶然に作曲された音楽が溢れている」(24)と語る彼が、「偶然のオーケストラに奏者として自分が音を足すことで、全く別の聴き方ができたり、もっと違う楽しみができたり、今まで体感したことのない新しい価値を見出せる」(25)ということを念頭に置いておこなった環境音とのセッションが、『水のかたち』には収められている。全編が「ありのまま」に収録された本盤からは、「波紋音」をはじめとした複数の音具を用いた、水琴窟での数回にわたる演奏から、長野県根羽村に固有の独特な鳴き声を持つ蛙との演奏、梅雨明けに突然訪れるひぐらしとの演奏、あるいは浜辺に打ち寄せる波音との演奏など、水をテーマに様々な場所でおこなわれた「セッション」の記録を聴くことができる。打楽器奏者ならではのリズミカルな演奏もおこなう松本の音楽が、しかしときおり環境音なのか彼の打音なのかわからなくなる瞬間に立ち会うとき、「偶然のオーケストラ」が詩的な方便やケージ主義的な認識論ではなく、極めて具体的なサウンドのありようを指しているのだということがわかる。

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3 シート・ミュージック

 シート・ミュージックとは元来音楽の流通形態のひとつの在り方を指し、とりわけ録音/再生技術が音楽の消費形態として一般化する以前の18世紀末から20世紀初頭にかけて、音楽家が生み出した作品をいつでも再現できるような状態で所有するために売買された楽譜を指すのだが、ここでは大谷能生が『貧しい音楽』のなかで設けた章のタイトルから借用し、即興音楽シーンにおいて新たな表現を求めるために取り交わされているいわゆる「作曲もの」の総称として用いることにしたい。同書のなかで大谷がおこなったインタヴューにおいて、そのころ即興よりも作曲へと活動の比重が増していた杉本拓は、「即興で演奏すると落ち着き先が似てしまう、結局ある磁場の中に収まってしまう。そういった重力から離脱する手段としての作曲」(26)の魅力を語っていた。意味づけられる前の物質的な次元における音響を経験の基盤として分有しているならば、シート・ミュージックの役割もまた、同一の音楽を記号化して保存/伝達することよりも、記号化することから生まれる流動的で一回的な実践のほうに焦点を当ててみることができるようになる。すなわち、紙に書き記したスコアを介して演奏をおこなうことが、単なる伝達の手段やイデアルな領域に作品を保存するのではなく、即興演奏に新たな側面から光を浴びせ、より活動を活発化させるための方途となっていくのである。

(ところで、かつて批評家の佐々木敦は、体験を前提とし聴かれることを目指しているという点においてコンセプチュアル・アートとは異なるものとしながら、「一回性の中に、他の可能性を排除するに足る理由づけ」のないような、「聴かなくても聴いてることと無限に同じになる」ようなものこそが、「即興的な、偶然的な要素を取り入れたヴァンデルヴァイザー以後の作曲の方法論」だと述べていたことがある(27)。いわば充足理由律を否定する思弁的な作曲に可能性を見ていたのであって、それは音をあるがままにするはずのケージ主義的な実験音楽の多くの試みが、しかし音の物的状態ではなく、あくまでも聴くこととの関わりにおいてのみ可能な実践でしかなかったのに対して、聴取および演奏とは区別された作曲それ自体を提起していたジョン・ケージ自身の試みにおいては、「聴取と音の相関」(28)を抜け出す手掛かりをみることができるのであり、その方向性を相関主義の隘路に陥ることなく推し進めたものとして「ヴァンデルヴァイザー以後の作曲の方法論」を捉えることもできる。だが本稿では、あくまでも演奏やパフォーマンスに重心を置いた実践を事例として紹介しているため、こうした「思弁的作曲」を中心的に取り上げることはしない)。


Suidobashi Chamber Ensemble
Suidobashi Chamber Ensemble
meenna (0016)
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 2016年に結成されたSuidobashi Chamber Ensembleは、そのメンバーの多くが即興演奏家としても活躍していながらも、ヨーロッパの現代作曲作品からメンバー自身による豊富なアイデアを取り入れた楽曲、あるいは交流のあるグループ外の音楽家による作曲作品もリアライズしてみるなど、「作曲もの」を活発に実践しているグループである。メンバーを率いるのは吉田ヨウヘイgroupで活動していたフルート奏者の池田若菜で、ほかに即興演奏に果敢に取り組んできたヴィオラの池田陽子、シーンには珍しいファゴットを奏する内藤彩、さらに杉本拓と大蔵雅彦が参加している。前三者はクラシック音楽を素養に持つというところもユニークで、とりわけ内藤彩はこのグループに参加するまでこうしたシーンとはまったく関わりを持っていなかったというところも興味深い。ライヴでは毎回趣向を変え新たな楽曲に取り組んで見せる一方で、決め事なしの集団即興も試みるなど、尽きないアイデアと怖いもの知らずの実験精神にはつねに驚きが満ち溢れている。そうした彼ら/彼女らの魅力をたった1枚のアルバムに集約することなど到底できないが、それでも『Suidobashi Chamber Ensemble』におけるヴァンデルヴァイザー楽派の楽曲を演奏するという試みからは類稀な音楽が生み出されており、ライナーに池田若菜が書き記しているように「構造の理解だけでははかれない何か別の視点から作品を体験すること」(29)の面白さを感じ取ることができるだろう。


Various Artists
実験音楽演奏会
slubmusic / kenjitzu records / l-e (2015)
実験音楽演奏会

 Suidobashi Chamber Ensembleとも交流を持ちながら、主に大崎/戸越銀座のイベント・スペース「l-e」を拠点に活動する実験音楽演奏会(30)も、こうした「作曲もの」で魅力的な活動をおこなっている集団のひとつである。杉本拓が2013年にl-eでおこなっていた「実験音楽スクール」の参加者からなるこの集団には種々様々なメンバーがおり、「なるべく失敗しそうなのを作る」(中条護)という意見から「誰でも参加できる、なるべく簡単なことをやりたい」(高野真幸)という意見まで飛び交う(31)など、一様に括ることのできないバラエティの豊かさがある。だがそれでも、こうした集団として活動をおこなうことが互いに影響を与え合うことによって、また、基本的にはどのような実践も許されるl-eという拠点を持つことによって、様々に新しい試みへと踏み込んでいくことのできる理想的な環境があるとは言えるだろう。『実験音楽演奏会』に収められているのは、五線譜に書き記された作品からテキスト・スコアによるものまで様々であり、たとえば室内の温度を演奏を指示する楽譜に見立てた作品の実演などが収録されている。杉本はかつてこう述べたことがあった――「実験音楽とは、何が音楽であるのか、どのようにある音についてそれが音楽であるかないのかを認識するのか、そういう問題に対して思弁を活性化させ、さらにその思弁に対して実践で答える、そういった精神を持続させていく装置のひとつである」(32)


浦裕幸 / 金沢健一 / 井上郷子
Scores
meenna (2017)
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 こうした固定メンバーあるいは集団による実践とは異なりながらも、ユニークな作曲作品を生み出している存在として浦裕幸の名前も挙げることができる。2月17日のライヴで初演された「Etude for Composition #1」において、リアライズする即興演奏家の固有のサウンドを扱いながらも、カードを捲る無意識的な動作とそこから生まれる意図されざる響きを露わにしていた浦は、『Scores』においても奏者固有の音響をたゆたわせながらも、二重の無意識的なるものを顕在化させることに成功している。ひとつめはまったく音楽化されることを想定せず、もっぱら造形的な美しさだけを追い求めて制作されていた彫刻作品から、その形象を楽譜に見立てることで生まれる和音とその連なりであり、もうひとつはそれを演奏した10月1日の群馬県立近代美術館に偶然居合わせた子供のはしゃぎ声と基層となる環境の響きである。ポスト・ケージの地平にいるわたしたちにとって、もはや単にステージ上で演奏者がなにもしないというだけでは、意図されざる響きとしての「サイレンス」が立ちあらわれてくることはない。浦自身がどこまでそれに意識的に取り組もうとしているのかは定かではないものの、彼の実践からは、現代の耳に「サイレンス」をいかにして出会わせることができるのか、という挑戦を読み取ることもできるだろう。

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4 「即響」

 「即響」という耳慣れない造語は、フランス文学者/音楽評論家の昼間賢による論考「音響音楽論」(33)から借用した言葉である。同論考では、組織化された音楽、あるいはそうした音の連なりにすでにして組み込まれた楽音ではなく、「音響」――とりわけ音の(複製技術というよりも)保存手段としての録音を介したものとしての――を起点に据えて音楽の再構築を図る試みについて、それを喉歌、ブルガリアン・ヴォイス、クロード・ドビュッシー、ジミ・ヘンドリクス、フィールド・レコーディングといった多岐にわたる事例を辿りながら論述していくという内容になっている。その最終章「究極のローカル(二)――楽器に徹した即興演奏=即響の現在」において、昼間は現代即興音楽シーンについて触れながら、その特徴を「音の過剰や極端な欠如によって音楽の根幹を揺るがすのではなく、特異な響きを最大限にいかしつつ、通常の音楽とは別の音響を、あくまでも楽器によって、すなわち人間の身体を介したかたちで演出する音楽」として「即響」と呼ぶことにしている。それは「物質そのものではなく物的状態、すなわち、社会的に決められた用途から自由になった物と同様にありたいと願う人との出会い」であり、「意味づけられていない自由な音のために黙々と続けられる」実践なのである。大谷能生が14年前に提起した「新しさ」をも彷彿させるこうした定義は、当時見出された可能性を自らの身体と楽器を前にした音楽の現場において、さらに一層洗練させていく一傾向として捉えることもできるだろう。


歌女
盲声
blowbass (2014)
daysuke

 こうした傾向を語るにあたって、昼間賢がそれを体現するアーティストとして挙げていたチューバ奏者の高岡大祐について触れないわけにはいかない。ステージでパフォーマンスをおこなうだけでなく、生きることそれ自体が即興演奏と地続きにあるような発言を残してきた「旅するチューバ吹き」の彼が、石原雄治と藤巻鉄郎というふたりの打楽器奏者とともに結成した「歌女」は、ブラスバンドからそのキャリアを出発させたという高岡の音楽的な原点に立ち返るかのように、ニューオリンズ・スタイルのリズム隊を彷彿させる編成となっている。だがその音楽はまったく異なるものであり、重音奏法を循環呼吸によって延々と続けるチューバの響きにふたつの打楽器が交差するリズムが絡み合う演奏や、細かいパルスの連続が大きなうねりを生み出していく演奏など、音楽的なサウンドを聴かせる一方で、何かを転がしたりファスナーを開け閉めする物音が連ねられていく「非音楽的」な音響も聴かせている。そうした音楽が収められた『盲声』は、アルバムの冒頭に野外からライヴ会場へと赴く足音が、末尾にはライヴ会場から去っていく様子が録音されていることを思うと、この作品全体が「歌女」というグループの音響を生け捕りにした、いわばフィールド・レコーディング作品とも言えるものとなっている。


徳永将豪
Alto Saxophone 2
hitorri (2015)
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 楽器の求道者として自らに固有の音響を生み出してきたアルト・サックス奏者の徳永将豪もまた、「即響」とも言えよう特筆すべき試みをおこなっている。14年前の大谷能生の論考においてもっとも若い世代のひとりとして紹介され、当時多くの即興演奏家がエレクトロニクスを取り入れた演奏をおこなっていたのに対して、あくまでも「サックスというアコースティックな楽器の響きに取り組んでいる貴重な存在」(34)として挙げられていた徳永は、その後も自らの音楽を錬成していくことで誰にも到達できないような響きを獲得するに至った。運指をほぼ固定したまま息を吹き込むサックスからは、その呼吸の運動によって様々に反響し共鳴する驚くべきサウンドの豊かさを聴かせてくれる。それだけでなくときおり荒れ狂うように軋るノイジーな演奏もおこないながらも、気息によって形づくられる身体的なリズムが、特殊奏法を駆使したサックス演奏を、単なるノイズ生成ではなくより音楽的な流れとなっていくような構成的な展開をももたらしている。ファースト・ソロ・アルバムでは抑制された静謐さの揺らめきを探索していたその音楽は、5年半後の『Alto Saxophone 2』においてよりダイナミクス溢れる強靭な演奏に至り、そしていま現在も変化を続けている。彼の3枚めとなる新たなソロ・アルバムは近くリリースされる予定のようである。


大上流一
Dead Pan Smiles
DPS Recordings (2015)
Tower

さらにもうひとり、ギタリストの大上流一の実践をこうした特徴から捉えることもできるだろう。すでにゼロ年代の前半には活動を始めていた大上を「新しい波」などと呼ぶわけにはいかないものの、80年代から続く中野のライヴ・スペース「Plan-B」において、彼が2004年から10年間にわたって毎月おこなってきたライヴにおけるソロ・インプロヴィゼーションが、5枚組のアルバムとして陽の目をみることによって、ようやくわたしたちは彼の試みに録音を介して出会うことができるようになった。10年間の記録から厳選された録音が収録されている『Dead Pan Smiles』には、デレク・ベイリーを思わせる点描的なハーモニクスとフレーズから逸脱する演奏や、後期高柳昌行のごときフィードバックを取り入れた轟音ノイズなどがありながらも、ベイリーとも高柳とも遠く離れたミニマルに反復していく独自の即興演奏までもが収められている。それはどこかジム・オルークのギター・ソロを彷彿させるところがあるかと思いきや、そこにとどまることもなく、豊富なアイデアと卓越した技術を駆使して新たな即興に挑んでいく様に立ち会うとき、こうした連想ゲームがことごとく無意味になるような気にさえなってくる。ひとつとして同じ演奏がなく、つねに変化を続けるその音楽は、当然のことながらジャンル化した「フリー・インプロヴィゼーション」の再生産などではなく、まさしく「意味づけられていない自由な音のために黙々と続けられる」実践の軌跡と言うことができるだろう。


Various Artists
Ftarri Third Anniversary Vol. 1 ~ Vol. 6
meenna (2015)
Ftarri / Meenna

 もっとも懸念すべき事態は、こうした見取り図を描くことによって、その図式に収まりきらない魅力的な実践の数々が、わたしたちの前から見えなくなってしまうことにある。それを避けなければならないということは強調してもし足りない。そこで最後に、水道橋Ftarriが実店舗を構えて3周年を記念してリリースしたアルバムを紹介しておくことにしたい。Vol.1からVol.6まで計6枚出されたこれらのコンピレーション・アルバムには、これまで言及してきたミュージシャンたちのほとんどを含みながら、それだけでなく、総勢28名にも及ぶ多様な音楽が収録されている。そこには当然のことながらこれまで書き記してきた4つのテーマではまったく掬い取れないような特異な実践もあれば、そうしたテーマに当て嵌まるものの紹介し切れなかった試みもあるだろう。だがさらに言うならば、水道橋Ftarriを窓口として眺めることそれ自体が妥当なことなのかどうかということも、問われなければならないように思われる。そこに出演しているミュージシャンたちは言うまでもなく他のスペースでも活躍しており、たとえば六本木Super Deluxe、大崎l-e、桜台pool、東北沢OTOOTO、八丁堀七針、千駄木Bar Isshee、神保町試聴室など、他にも十分に窓口となり得るような音楽の現場が無数にあるのだ。さらにそれらの情報が掲載されたウェブサイトは、現在では「Improvised Music from Japan」だけでなく、それぞれのミュージシャンたちが容易にインターネット上に個人の拠点を作ることができるようになっているし、あるいはト調のように、都内のライヴ日程を価値判断を下す以前にひたすら収集し続ける驚異的なウェブサイトもあらわれてきている。本来であれば、そうした個別の現場とそこで活躍する単独者たちについて、ひとつひとつに丁寧に言説を付していくという作業が正しいことのようにも思う。しかしその個別の実践があまりにも膨大に広がっていることが、一般的なリスナーにとってどこから近づけばいいのかわからない難解さを生み出しており、さらにそうした多様性がむしろ興味を分散し触れてみる機会をも数少なくしてしまっているようにも思うのである。そうしたことを打ち破るきっかけとして、本稿のような踏み台の役割を果たす言説も必要なのではないか。無論、ここから先は、個別の読者が実際に現場へと足を運んでいくことが期待されている。ここで紹介した数々の実践は、それを目前にしてみるならば、音盤とはまったく異なる風景として立ちあらわれてくることだろう。そしてそれを未だなお「即興音楽」と呼び続けることが適切であるのかどうかは、今後あらためて議論されるべきことでもあるように思われる(35)

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