「KING」と一致するもの

Tom Skinner - ele-king

 これは待望の、と言っていいだろう。サンズ・オブ・ケメットの元一員、最近ではザ・スマイルのメンバーとしてのほうが有名かもしれないが、UKジャズ・シーンを支える俊英ドラマーが初のソロ・アルバム『Voices of Bishara』をリリースする(ちなみにハロー・スキニー名義ではすでに2枚アルバムを発表済み)。レーベルは〈Brownswood〉で11月4日発売。
 ちなみに、『Voices of Bishara』というタイトルは先日亡くなったチェリスト、アブドゥル・ワドゥドの77年のファースト・アルバム『By Myself』にちなんでいる(レーベル名が〈Bisharra Records〉)。やはり彼の影響力は大きいのですな。
 この秋注目の1枚、チェックしておきましょう。

Tom Skinner

トム・スキナーが自身名義では初となる
アルバム作品『Voices of Bishara』を発表

レディオヘッドのトム・ヨークとジョニー・グリーンウッドと
共に組んだバンド、ザ・スマイルやシャバカ・ハッチングスの
サンズ・オブ・ケメットでの活動でも知られる鬼才ドラマー!!

このレコードは、不正直さと偽情報が増加する時代に、コラボレーションとコミュニティを通して、何か真実のものを世に送り出す試みである。"Bishara" とは良い知らせをもたらす者であり、このアルバムに参加するミュージシャンは、私にとって非常に大切な存在で、この考えを尊重し、集団で暗闇が広がるところに光を広げるのである。 ──Tom Skinner

ドラマーでありプロデューサーでもあるトム・スキナー。レディオヘッドのトム・ヨークとジョニー・グリーンウッドと共に組んだバンド、ザ・スマイルやUKジャズの最高峰と言われるロンドンを拠点に活動するテナー・サックス奏者シャバカ・ハッチングスのサンズ・オブ・ケメットでの活動でも知られる鬼才が、トム・スキナー名義では初となるアルバム『Voices of Bishara』を発表! 新曲 “Bishra” が公開されている。

Tom Skinner - Bishara
https://youtu.be/B5CbxJu2cAY

本作は星の数ほどあるレコーディング・セッションを編集し、タフで魅力的な新しいサウンドを実現した無駄のない美しいアルバムだ。タイトルは、スキナーが隔離期間に繰り返し聴いていたチェリスト、故アブドゥル・ワドゥドの超レアな1978年のソロ・アルバム『By Myself』にちなんでいる。ワドゥドのアルバムは彼自身のレーベル〈Bisharra〉から自主リリースされたもので、スキナーの作品タイトルではアラビア語の綴りを使用しているが、どちらも同じ意図、意味を持っている。それは「良い知らせ」または「良い知らせのもたらす者」と訳される。

『Voices of Bishara」はトム・スキナーがロンドンのブリリアント・コーナーズで行われたセッションにミュージシャンの友人たちを誘ったところから始まった。このレギュラーイベントは、クラシック作品をフル再生し、それに対して即興で応えるというシンプルな形式をとっている。その夜は、ドラマーのトニー・ウィリアムスが1964年にリリースした作品『Life Time』に焦点を当てて行われ、彼と彼の友人たちが作り出した音楽は、Skinnerにアルバム1枚分の新曲を書かせるほど特別なものとなった。

スキナーは、チェロ奏者、ベース奏者、サックス奏者2人とともに、全員が同じ部屋にいる、クラシックなスタイルで録音を行った。彼はその音楽を家に持ち帰り、他の多くのプロジェクトの合間に編集を行った。その後スタジオ録音の段階へ移行し、その崇高な特質を際立たせながら、徐々に新しいアルバムの形が現れ始めた。

ハサミを自由に使って、楽器間の編集を徹底的にやり始めた。そうすると、音楽に新しい命が吹き込まれたんだ。私は、セオ・パリッシュのように、曲を切り刻んだり、セクションをループさせたりする偉大なディスコのリエディットからヒントを得たんだ。私は純粋主義者ではない。過去にとらわれたくないんだ。音楽をいじくりまわして、何が起こるか見るのは本当に力になった。それが正しいことだと感じたんだ。 ──Tom Skinner

結果として、タイトでヒプノティック、そして唯一無二な音楽が完成した。『Voices of Bishara』は、時代を超越した深く感情的な音楽で構成されており、卓越したハーモニーの深みと質感を備えている。チェロとベースが織りなす深いハーモニーに支えられ、豊かな音世界の中を舞い上がる。もちろん、グレース・ジョーンズからジョニー・グリーンウッドまで様々なアーティストが賞賛を送るトム・スキナーのパーカッシブなマジックも収められている。

私たちは個々の声であり、集合的に集まっている。このアイデアは、私たちが集合することで、よりポジティブな何かをもたらすことができるというものだった。何かの始まりなんだ。 ──Tom Skinner

トム・スキナー名義での初となるアルバム『Voices of Bishara』は帯付きの日本流通仕様盤のCDと輸入盤CD、そして輸入盤LPとデジタルで11月4日に発売!


label: Brownswood Recordings
artist: Tom Skinner
title: Voices of Bishara
release: 2022.11.04
BEATINK.COM: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13009

Tracklist
1. Bishara
2. Red 2
3. The Journey
4. The Day After Tomorrow
5. Voices (of the Past)
6. Quiet as it's kept

interview with Jockstrap - ele-king

 男性用下着を名乗る彼らが最初に注目を集めたのは、2018年のEP「Love Is The Key To The City」だった。ストリングスを効かせたラウンジ・ミュージックとグリッチという、ある意味で対極のものを融合させるアイディアは、現在の彼らの音楽性にも通じている。すなわち、ある既存の音楽をもとの文脈から切り離し、自分たちの感性に引きつけて再構築すること。いわばメタ的なポップ・ミュージックである。それを理屈優先ではなく、自然にやってのけているところがジョックストラップの強みだろう。
 ともにギルドホール音楽演劇学校に通っていたふたり、ヴォーカリストでありヴァイオリニストでもあるジョージア・エラリーと、プログラミング担当のテイラー・スカイから成るロンドンのデュオは、その後〈Warp〉と契約。「Wicked City」など2枚のEPを送り出したのち〈Rough Trade〉へと移籍、このたびめでたくファースト・アルバムのリリースとあいなった。
 初のアルバムではほとんどの曲にヴァイオリン隊がフィーチャーされている一方、多くの曲で電子ノイズやパーカッションなどが単調さを遠くに退けている。先行シングル “Concrete Over Water” に顕著なように、展開の読めなさもまた彼らの武器だろう。
 ときにシュールでときにロマンティックなエラリーの詞にも注目しておきたい。そもそもジョックストラップなるバンド名がそうなわけだが、「自分に触れると/いつだってわかる」(“Glasgow”)のマスターベーションのように、通常「(女性がそれを)公言するのは好ましくない」とされるセクシュアルな表現を遠慮することもない。“Greatest Hits” では「想像して 私はマドンナ」と歌われている。飾らずに官能をさらけだすスタンスも、本作の魅力のひとつだ。
 クラシカル、ジャズ、ハウス、ダブステップなどなどの小さな断片が違和感なく調和した、このみずみずしいエレクトロニック・ポップがどのように生み出されたのか、BCNRの一員として来日していたジョージア・エラリーに話を聞いた。

ダブステップはとてもエモーショナルだし、音の幅を広げるというか、どこまで動物的でモンスターみたいな音にできるか、みたいなおもしろさがあると思います。

今回はジョックストラップの取材ですが、先ほどBCNRのチャーリー・ウェインとメイ・カーショウの取材に立ち会ってきました。フジロックはどうでしたか?

ジョージア・エラリー(Georgia Ellery、以下GE):環境もいいし、お客さんもじっくり聴いてくれたし、ステージのセットアップもよくて最高でした。

日本は初めてですか? どこか行かれましたか?

GE:素晴らしいですね。東京大好きです。こんなに熱帯的でトロピカルとは思っていませんでしたけど、暑いのは好きだから。街も刺戟的で、ファッションもとてもすてき。

いまイングランドも熱波到来でめちゃくちゃ暑いですよね。

GE:湿気は向こうのほうが少ないんですが、暑いといろいろ故障しちゃったりするんです。暑すぎて電車が走らないとか。古い線路だと、一定以上の温度になると危ないみたいで。最近はコーティングをして熱対応にしているみたい。すごく不便ですね。

暑さでライヴに支障が出たりはしないんでしょうか? 曲順がトんだりとか。

GE:(フジの)ステージ上はちょっと暑かったけど、それほど大変ではなくて。ちょうどわたしたちの出番のときに曇ってきたから大丈夫でした。虫が楽器に止まったりして良かったです。

ジョックストラップの結成は2017年です。バンド名が一風変わっていますが、どのようなコンセプトではじまったプロジェクトなのですか?

GE:じつはバンド自体よりも先に、名前が決まっていたんです。ヘヴィ・メタルのバンド名が大好きで、「ジョックストラップ」ってどこかアイアン・メイデンみたいにエロティックな感じもあるし、ハードコアな感じもあるから。もともとわたしが考えていたコンセプトがあって、テイラー(・スカイ)に「こういう名前で考えているんだけど、一緒にやらない?」って聞いたら「いいんじゃない?」ってすぐOKしてくれました。おかしな話だけど(笑)。でも母親は「え!?」って。「なんでそんな名前にしたの」みたいな(笑)。でもスポティファイにもそんな名前のひとはいなかったし、いいかなって。

どういう音楽性のバンドにするかも決まっていたんですか?

GE:初めはどういうサウンドになるかぜんぜんわかりませんでした。わたしがつくったデモをもとに、テイラーがプロダクションを加えるかたちで。彼のプロダクションがどういうものか、フェイスブックにクリップみたいなものを上げていたから、だいたいはわかっていたけど、それらが融合したときにどういうものができるかは、そこまでよくわかっていなかった。

エラリーさんが作詞・作曲、スカイさんがプロデュースの担当ですが、作詞・作曲を済ませたあとは彼に任せる流れですか?

GE:最初は個別でつくるんですが、テイラーのつくってきたプロダクションを聴かせてもらって、ふたりとも気に入ったものがあった場合はそれを追求していく。それからふたりでエディットしながらいいものへと仕上げていくんです。互いが互いの作詞・作曲、プロダクションに興味があるから、ふたりでゴールを定めて共同作業していく感じかな。

先にトラックがあって、それに味つけしていくというパターンもあるのですか?

GE:今回のアルバムではそういう順番でつくったものが何曲かあって、“50/50” って曲なんかはテイラーのトラックの上にわたしが重ねていく、という手法をとりました。

いま話に出た “50/50” は「アー、エー、ウー、イー、アー」と母音で歌い上げるのが印象的です。これにはなにか参照元などがあったのでしょうか?

GE:彼が聴かせてくれたサンプルがあったんですが、それにたいするわたしの解釈が母音みたいだなと思ったから。

リリックはどのようなプロセスで書くのでしょうか?

GE:リリックを書くときはいつも、詩みたいに短い感じで書きます。内容としては、自分が個人的に体験したこと……自伝って言うのかな、そこで生まれた感情を受け入れたいときに、詩的に書く。それがリリックのベースになっていますね。

リリックを書くうえで、小説や詩など文学を参照することはありますか?

GE:シルヴィア・プラスというアメリカの詩人。彼女はシュールなイメージの自伝的なものを書いています。あと、おなじくアメリカの作家の、キャシー・アッカー。スリルのある近代的なライティング・スタイルで、散文やストーリーを書くひとです。

今回リリックでもっとも苦労した曲はどれですか?

GE:“Debra”。これも最初にトラックがあって、それにリリックを載せていきました。ビートがかっこよかったから、その要素に合わせていい歌詞を書きたいと頑張っていたんだけど、すごく難しくて。結局、ゲームの『あつまれ どうぶつの森』の内容についての歌詞になりました(笑)。

わたしたちは1曲1曲がヒット曲みたいなものをつくりたい

『あつ森』はふだんからけっこうプレイしているんですか?

GE:かなりね(笑)。

『あつ森』もその一種に数えられることがありますが、最近はメタヴァースが話題です。そういった仮想空間でアヴァターを介してコミュニケイションをとることについては、どう思っていますか?

GE:わたしはあまりほかのひとと一緒にはやらずに、ひとりでやることが多いんですが、やっぱりその空間は完璧なヴァーチャル・ワールドで、とても心地いい。一種の逃避ですね。インスタグラムのヴァージョンでフォロウするのが楽しくて、よくやっています。

もし『マトリックス』の世界のようにテクノロジーが発展したら、そちら側の世界で暮らしてみたいと思いますか?

GE:バランスが重要ですよね。難しいことにも直面するだろうし。

これはスカイさんに訊くべき質問かもしれませんが、ほとんどの曲に変わった音だったりノイズだったりが入っていますし、展開がまったく読めなかったり、実験的であろうと努めているのがわかります。ただ気持ちのいいポップ・ソングをつくるのではなく、実験的であろうとするのはなぜでしょう?

GE:テイラーはつねに新鮮なサウンドを求めていて、そこに刺激を感じるひとなんです。いままで聴いたことのあるものだとつまらないと感じるタイプだから、いつもじぶんの限界に挑戦して、聴いたことのない音を追求していますね。彼は11歳のころからプロダクションをやっていて、自分のスタイルに磨きをかけているひとだから、非常に独特な方法で(サウンドを)追求しているし、そんな彼を尊敬しています。

彼はどういった音楽から影響を受けたのでしょうか?

GE:確実にダブステップだと思う。わたしもそうなんだけど、そこからいちばん影響を受けているかな。ダブステップはとてもエモーショナルだし、音の幅を広げるというか、どこまで動物的でモンスターみたいな音にできるか、みたいなおもしろさがあると思います。あと、ブロステップやハウスからも影響を受けていますね。

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ダブステップのアーティストだとだれが好きですか?

GE:スクリレックスかな。あとトータリー・イノーマス・エクスティンクト・ダイナソーズ。ハウスにエモいヴォーカルが入っている感じで。ジェイムス・ブレイクが出てきたときも、そのポスト・ダブステップにとても感銘を受けました。彼はソングライティングもすばらしいから、そこからも大きな影響を受けていますね。あとはジェイミー・エックスエックス。エモーショナルかつダンス・ミュージックで、そのふたつの要素の融合に惹かれますね。

では、ダンス・ミュージック以外で影響を受けた音楽はありますか?

GE:70年代のジョニ・ミッチェルとか、80年代のコクトー・ツインズとか。80年代のオルタナティヴなミュージック・ライティングとかが好きですね。

そのあたりはリアルタイムではないと思いますが、どのようにして発見したのでしょう?

GE:ジョニ・ミッチェルやボブ・ディランは両親からの影響で……似たようなテイストがわたしにも引き継がれているのかも(笑)。テイラーの場合は、両親が実験的な音楽が好きだったから、父親がジェイムス・ブレイクのアルバムを聴かせてくれたり、母親がスクリレックスのライヴに連れていってくれたりしたみたい。

バイオグラフィーによると、クラシック音楽を聴いて育ったのですよね? そちらの道に進まなかったのはなぜですか?

GE:テイラーは12歳ぐらいのときにコンピューターを手に入れてから、じぶんで音楽ができることに気づいて、電子音楽のプロダクションにのめりこんだんだと思う。わたしの場合は、そこまでクラシックの演奏が上手じゃなかったし、オーケストラに参加するのもいやで、もっとちがうことがしたいと思ってジャズを専攻することにしました。

ヴァイオリンを習っていたそうですね。じつはわたしもかつて習っていたことがあるのですが、ヴァイオリンをやっていてつまらないと感じたのはどんなときですか?

GE:あなたも! つまらなかったというわけじゃなくて、弾くのは好きでした。オーケストラとかもね。ただちょっと堅いというか、世界が狭いというか。やっぱりわたしはダンス・ミュージックも実験的な音楽も好きだったから、ヴァイオリンだとクラシック向きすぎて、じぶんの作曲には合いませんでした。わたしはもっといろいろな道を探求したいから。あと、わたしってけっこうまじめなほうだと思うんですが、プロだと1日9時間くらい練習するんです。それはちょっと無理かなって。ほかにやりたいことがたくさんあるし。

本作のほとんどの曲にストリングスが入っていますね。やはりヴァイオリンの音を入れたかった?

GE:EPをつくったときに初めてストリングスのオーケストラを導入したんですが、そのときわたしたちの独特なサウンドがまとまった感じがしたから、アルバムをつくるとしたら入れようと思っていて、そうなりました。じぶんたちの持っているスキルの活用ですね。

ジョックストラップの作品に、あなたの出身地であるコーンウォールの要素は入っていると思いますか?

GE:意識的には、ないかな。むしろロンドンという都会の街の要素のほうが強いし、歌詞にもそういった部分は出ていると思います。

ちなみにBCNRとジョックストラップとで、もっとも異なっている点はどこでしょう?

GE:BCNRだと、みんなでリハーサル・ルームに集まって演奏しながら作曲して、ライヴを経て曲が完成していくんですが、ジョックストラップの場合はテイラーのベッドルームで集中的に作業して、曲を完成させてから初めてライヴで披露します。だから作曲のプロセスがいちばんちがう部分かな。

「ハイパーポップ」ということばがあります。ジョックストラップはそれと同時代に属しながら、それが持つある種の過剰さや空虚さとは異なる方位を向いている印象を受けます。

GE:たしかにハイパーポップから影響は受けていると思う。とくにソフィーにはね。彼女はすごく独特なスタイルだし、彼女にしか表現できない音楽のランゲージが存在する。テイラーにもそういう部分があると思うから、ハイパーポップとの共通性はあるかもしれません。とくに前回のEPはハイパーポップに近いものだったかも。

今回は初のアルバムです。流れがあり、それをしっかりと聴かせようという意思を感じました。

GE:アルバムにするってなったとき、曲順を考えなきゃいけないから通して聴いていたんですが、それまではあまり意識していませんでしたね。すべてがそうというわけではないけど、曲は時系列順だったり部類順に並べていて、EPも時系列順に並べています。1曲1曲のサウンドが大きくちがうから、曲順を考えるのはかなり難しかった。ひとによっては “Glasgow” を1曲目に持ってくるべきだって意見もあったんですが、最近つくった曲だから最後のほうに持っていって。そうすることで、わたしたちの進化の過程を表現したかったんです。ほかのアイディアとしては、ダンスっぽいトラックを前半に、アコースティックなものを後半にしようという案もありましたけど、それもなんかちがうなと。

マスタリングしていないヴァージョンをラジオに送って、一度かけてもらったことがあるんですが、それを録音してマスタリングすることで、ラジオの周波数の音が出せました。“Greatest Hits” はラジオのヒット曲についての曲だから

ほかのアーティストの音楽を聴くときは、アルバムを通して聴きますか?

GE:アルバムを通して聴くものもあります。アルバムの曲順によって流れがある作品もすごく好き。でもわたしたちは1曲1曲がヒット曲みたいなものをつくりたいから、そういった曲を並べるという作業がすごく難しくて。カニエ・ウェストもトラックリストを考えるのには苦労しているんじゃないかな(笑)。全曲ノリノリのアッパーチューンだと、べつに流れとかはないと思うから。

三曲目のタイトルはまさに “Greatest Hits” ですが、これがまさにそういった感覚をあらわしているのでしょうか? マドンナのようなヒット・ソングをつくってみたいという曲ですよね。

GE:“Greatest Hits” をアルバム・タイトルにしようというアイディアもあったんです。でも、すべてが “Greatest Hits” にはならなかったから(笑)。この曲はけっこうつくるのが大変で、マドンナっぽいサウンドもあるんですが、やっぱりテイラーはワンアクション加えたかったみたいで。OPN とザ・ウィークエンドのようなテープっぽい音を入れたくて、サンプリングを多用していますね。あとは、マスタリングしていないヴァージョンをラジオに送って、一度かけてもらったことがあるんですが、それを録音してマスタリングすることで、ラジオの周波数の音が出せました。“Greatest Hits” はラジオのヒット曲についての曲だから、そういったプロダクションをしたかったんです。

いまは2032年だと仮定します。10年前にこのデビュー・アルバムが出た意味とは、なんだったと思いますか?

GE:テイラーにとっては、新鮮味のないものかも。古いからもうダメ、みたいな(笑)。でもやっぱりヒット曲というか、バンガーであってほしいですね。名曲は変わらず名曲だから。

JOCKSTRAP x WAVE

いよいよ今週9/9にデビュー作をリリース!
ジョックストラップ 、WAVEとのコラボ・アイテムを同時発売へ!

ロンドンを拠点とする新生オルタナティブ・ポップ・デュオ、ジョックストラップの待望のデビュー・アルバム『I Love You Jennifer B』の世界同時リリースに合わせてWAVEとのコラボレーション・アイテムを発売することが決定した。

今回アルバムに使用されたアートワークを配したロングスリーブTシャツ、Tシャツの2型をリリース。9月9日(金)からWAVEオンラインストアとSOFTHYPHENにて発売する。

WAVE (ウェイヴ) ONLINE STORE www.wavetokyo.com
INSTAGRAM @wave_tokyo

80〜90年代を中心に “音と映像の新しい空間” としてカルチャーの発信基地のように様々な文化を発信する存在だったレコードショップWAVEの新しいプロジェクト。音楽、ファッションだけにとどまらない様々なカルチャーミックスをベースに情報を発信。

LONG SLEEVE TEE ¥8,800 (TAX IN)

TEE ¥7,150 (TAX IN)

名門ギルドホール音楽演劇学校で出会い、ブラック・カントリー・ニュー・ロードのメンバーでもあるジョージア・エラリーとテイラー・スカイが2017年に結成したジョックストラップ。既存のスタイルを解体し、それを巧妙に組み直して全く新たなジャンルを生み出すような時間的そして空間的に激しく混乱した形のポップ・ミュージックを作り出すことで注目を集めている。また、先行シングル「50/50」はシャネルのキャンペーン・ビデオやステラ・マッカートニーのランウェイショーに使用されるなど音楽の領域を超えた話題も提供している。

2022年のカオス、喜び、不確実性、陰謀、痛み、ロマンスを他にはない形で表現しているジョックストラップの待望のデビュー・アルバム『I Love You Jennifer B』は、9/9世界同時発売。本作の日本盤CDには解説および歌詞対訳のDLコードが封入され、ボーナス・トラックを追加収録する。輸入盤は通常LPに加え、数量限定グリーン・ヴァイナルが同時発売される。

label: Rough Trade / Beat Records
artist: Jockstrap
title: I Love You Jennifer B
release: 2022.09.09 FRI ON SALE

国内流通仕様盤CD RT0329CDJP ¥2,200+tax
 解説+歌詞対訳冊子
輸入盤CD RT0329CD
輸入盤1LP (通常ブラック) RT0329LP
輸入盤1LP (グリーン・ヴァイナル) RT0329LPE

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=12868

Kamaal Williams - ele-king

 ロンドン・ジャズ・シーンのキーパーソンのひとり、カマール・ウィリアムスの来日公演が急遽決定した。10月10日(祝)、渋谷WWWXにてキーボード、サックス、ドラムスのトリオ編成にてパフォーマンスをおこなう。ハウスを探求するヘンリー・ウー、ユセフ・デイズとのユセフ・カマールなど、これまでさまざまなスタイルに挑戦してきたウィリアムズ。今回の講演ではいったいどんなショウを見せてくれるのか。楽しみです。

Kamaal Williams
カマール・ウィリアムス

Kamaal Williams (Key)、Quinn Mason (Sax) 、Samuel Laviso (Drums)

サウスロンドンを代表するキーボード奏者兼プロデューサーであるHenry Wu (ヘンリー・ウー)こと Kamaal Williams (カマール・ウィリアムス)。ヘンリー・ウー名義ではハウス・ミュージックのプロデューサーとしても知られ、1枚のアルバムを残して解散したユセフ・デイズとのデュオ、ユセフ・カマールをはじめとした鍵盤奏者として注目を集めるカマール・ウィリアムス。彼が本名義では2018年のファースト・アルバム『The Return』、2020年に『Wu Hen』をリリースし、活況を呈するUKジャズ・シーンの中でもジャズとダンス・ミュージックをストリート感覚で横断する独特の感性で絶大な人気を誇っている。切れ味鋭いファンク・グルーヴやスピリチュアル・ジャズの深遠なるメロディー、さらにダウンビートやハウス・ミュージック的なプロダクションを巧みに溶け合わせる必見のライブパフォーマンス。緊急来日が決定!

10月10日(月・祝)
WWWX
開場 18:00 / 開演 19:00
前売:¥7,000(スタンディング)※ドリンク代別
※未就学児童は入場不可、小学生以上はチケットご購入が必要です
※購入時に個人情報の登録が必要となります
URL: https://eplus.jp/kamaalwilliams22-official/

(問)SMASH:03-3444-6751

新型コロナウイルス感染防止対策ガイドライン~ご来場いただく皆さまへお願い~
https://smash-jpn.com/guideline

オフィシャル先行予約
9/6(火)17:00 ~ 9/15(木)18:00
URL: https://eplus.jp/kamaalwilliams22-official/

一般発売
9/17(土) 10時~発売
東京 e+・チケットぴあ(P:226-770)・ローソン(L:72544)

お問合せ: SMASH 03-3444-6751 (smash-jpn.com)

Quelle Chris - ele-king

 テレンス・マッケナはドラッグの伝道者だと思われているけれど、本業は植物学者で、植物が人類を進化させてきたという思想がその核をなしていた。植物は酸素や食べ物を生物に与えてきただけでなく、最近では木陰をつくり出したことで生物が海から陸に上がれる手がかりをつくったのではないかということも言われている。そして、植物(とくにキノコ)がつくり出す幻覚物質が人類の脳を発達させてきたというのがマッケナの仮説で、セカンド・サマー・オブ・ラヴの時期になるとスペースタイム・コンティニウムやイート・スタティックと組んで彼は自説をレイヴァーたちに説いて回った。なかでもインパクト大だったコラボレーションがコリン・アンガスとミスター・Cによるシェイメンとの“Re: Evolution”で、ドラッグと音楽が結びついたカルチャーが世界を一変させるという誇大妄想がここまで肥大した例は珍しかった。シェイメンは元はロック・グループで、セカンド・サマー・オブ・ラヴの到来とともにフォームを変えていくものの、音楽性が貧しかったからか、同じようなトランスフォームを経験したハッピー・マンデーズやプライマル・スクリームほどは後世に語り継がれる存在にはならず、往時を知る人たちのノスタルジックなアイテムにとどまっている。とはいえ、セカンド・サマー・オブ・ラヴによって世界が変わると信じ込んだ彼らの信念は“Re: Evolution”だけでなく、同じ6thアルバム『Boss Drum』から最大のヒットとなった“Ebeneezer Goode”で最高潮に達していく。♪E、最高~、E、気持ちいい~と、あまりにMDMA讃歌が過ぎるという理由で放送禁止となり、TV出演の際は歌詞を変えて演奏しなくてはならなかった同曲は当時でもコマーシャルすぎてどうでもいい曲だったこともあり、イギリスやアイルランドで1位、ヨーロッパ総合でも4位という記録を叩き出す。彼らがそこまで多幸感を抱き、世界が変わることを信じた原動力はそして、なんだったのか。それはおそらくソヴィエト崩壊である。シェイメンがまだロック・バンドだった時期にリリースされたサード・アルバムは『In Gorbachev We Trust(英語の慣用句「神に誓って」のパロディ)』と題され、ジャケット・デザインには茨の冠を頭にのせたミハイル・ゴルバチョフの肖像が描かれている。マーガレット・サッチャーがいち早く評価したゴルバチョフは冷戦を終結させた“西側のヒーロー”ではあったものの、その後はどん底を這いずり回ることとなったロシアからプーチンが現れ、ロシアを立て直した過程を知っている僕たちにとって、ゴルバチョフの評価というものがあまりに一面的な価値観のものでしかなかったことはゴルバチョフの訃報に反応するのがやはり西側諸国であり、ロシアでは冷たいムードに覆われているという報道でも確認できる通り。


 デトロイトのヒップホップ・プロデューサー、クエール・クリスのソロ7作目は『Deathfame』と題されている。「死に装束」ならぬ「死に名声」とでも訳せばいいだろうか。J・ディラに見初められ、ダニー・ブラウンの初期作に名を連ねてきたギャビン・クリストファー・テニールは2011年にソロ・デビューし、オルタナティヴなサウンドにこだわりつつ、デトロイト・マナーの硬いビートを持続する。全体にストイックなジャズ・フィーリングが畳み掛けられるなか、タイトル曲では音楽産業との確執が語られ、死と引き換えに名声を手に入れるかどうかという葛藤へと踏み込んでいく。「どんなハグにも傷つけられ、殴られれば着想がわく」と苦境を客観視しつつ、「誰かほかの人間になりたい」と泣き言をリフレイン。元々、作風は一貫してダークで、スカしたところはあっても希望にあふれるサウンドとはとても言いがたかったものの、不協和音が織りなす意外性だったり、独特の遊び心や実験精神がもたらす抜け道のような爽快さに救われていたものがここへきて完全に八方塞がりとなった印象を与えるサウンドへと固まり出し、ついに閉塞感情から抜け出られなくなったかと思わせる一方、その徹底ぶりと凝縮度から過去最高の完成度という声も出ている。各曲のタイトルもストレートで、“Help I’m Dead”、“Alive Ain’t Always Living(ただ生きているだけ)”、”Die Happy Knowing They’ll Care(彼らが気にかけていると分かればハッピーに死ねる)”と婉曲表現ですらない。こうした主観の表明に説得力を与えているのが重くならないスモーキーなベースラインや奇妙なスネア、そしてネイヴィー・ブルーの多彩なピアノ・ワーク。ベースラインの自由度を差してか、「アンダーグラウンド・レジスタンスとは似ていないが工業都市デトロイトの歴史に当てはまるサウンドで、マッドリブと同様にアクトレスも想起させる(大意)」と見るピッチフォークのレヴューも面白い。レジデンツとマッシヴ・アタックが出会ったような“King In Black”、サイプレス・ヒルとDJプレミアが鉢合わせした“The Agency Of The Future”、あるいはクライマックスに置かれた“The Sky Is Blue Because The Sunset Is Red”ではデビュー当初のヴィンス・ステイプルズも呼び戻される。「死と名声」といえば広告塔として統一教会に利用された安倍晋三は山上容疑者にも逆の意味で広告塔として利用され、それで終わりかと思ったら、さらに岸田内閣にも広告塔として理由されるというではありませんか。ないがしろに近いゴルバチョフとは対照的な扱いで、しかし、さすがに3回目ともなると品がない(費用は麻生のポケットマネーでいいんじゃないかな。理屈じゃないみたいだし。でも、それじゃ国葬じゃなくて麻葬になっちゃうか)。


 ちなみにクエール・クリスが4年前にジーン・グレイと組んだ『Everything's Fine』は彼のキャリアとはまた違ったユニークな内容で、全体にサイケデリック色が強く、暗い時代のデ・ラ・ソウルといったところ。可能ならこちらを先に聴くことをオススメします(2人は共同作業を経てそのまま結婚。ジーン・グレイはジャズ・ピアニスト、ダラー・ブランドの娘で、90年代にはナチュラル・リソース、00年代はブルックリン・アカデミーのメンバーとして活動し、ソロ作も多いMC)。

この楽しみを知らないのはもったいない!
最前線を切り拓くユニークな名作たちをテーマ別に紹介

独創的な想像力を発揮し、多くの魅力的なタイトルを生み出してきたインディ・ゲーム。
そのなかからぜひともプレイしておきたい名作を9つのテーマのもとに厳選、気鋭の執筆者たちによる深いレヴューとともに紹介する。
インディ・ゲームがどのように現実社会を映し出してきたかもわかる、画期的ガイドブック。

執筆陣:
田中 “hally” 治久/今井晋
徳岡正肇/洋ナシ/櫛引茉莉子/木津毅/松永伸司/葛西祝/藤田祥平
近藤銀河/野村光/古嶋誉幸/山田集佳

田中 “hally” 治久 (たなか・はりー・はるひさ)
ゲーム史/ゲーム音楽史研究家。作編曲家。主著/監修に『チップチューンのすべて』『ゲーム音楽ディスクガイド』『インディ・ゲーム名作選』。ゲーム音楽では『ブラスターマスターゼロ』等に参加。レトロ好きなのにノスタルジー嫌いという面倒くさいインディ者。

今井晋 (いまい・しん)
IGN JAPAN 副編集長。2010年頃からゲームジャーナリスト、パブリッシャー、リサーチャーとして活動。世界各国のインディーゲームの取材・インタビュー・イベントの審査員を務める。

目次

序文(田中 “hally” 治久)

第1章 戦争 (キュレイター:徳岡正肇)
第2章 インターネットと現代社会 (キュレイター:洋ナシ)

[コラム]現実の社会や政治を “想像” させるインディーゲームたち(葛西祝)

第3章 歴史 (キュレイター:徳岡正肇)
第4章 フェミニズム (キュレイター:櫛引茉莉子)
第5章 LGBTQ+ (キュレイター:木津毅)

[コラム]インディーゲームにおけるDIY精神とトキシックなコンテンツの関係(今井晋)

第6章 音楽 (キュレイター:田中 “hally” 治久)

[コラム]インターネットの音楽から影響を受けたインディーゲームの世界観(葛西祝)

第7章 アート (キュレイター:松永伸司)
第8章 アニメ (キュレイター:葛西祝)
第9章 文学 (キュレイター:藤田祥平)

[コラム]近年のゲームが持つローカル・アイデンティティ──地域性に根ざした多様な表現(徳岡正肇)

索引
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Loraine James - ele-king

 ロレイン・ジェイムス、待望の来日決定。以下にスケジュールです。なんと、Loraine James名義のパフォーマンスとWhatever The Weather名義のパフォーマンスとあります。また、黒人前衛音楽家のJulius Eastmanの楽曲を再解釈した新作『Building Something Beautiful For Me』の日本盤リリースも決定。

Loraine James 東京公演

日程:11/2(水・祝前日)
会場:CIRCUS TOKYO
時間:OPEN/START 23:00
料金:ADV ¥3,000 / DOOR ¥3,500

出演:
Loraine James
and more…

チケット(9/12 12:00~発売開始):
イープラス : https://eplus.jp/ Loraine Jamesで検索
ZAIKO : https://circustokyo.zaiko.io/item/351038

Whatever The Weather 東京公演

日程:11/3(木・祝日)
会場:CIRCUS TOKYO
時間:OPEN 18:00 START 19:00
料金:ADV ¥4,000 / DOOR ¥4,500 *別途1ドリンク代金600円必要

出演:
Whatever The Weather
and more…

チケット(9/12 12:00~発売開始):
イープラス : https://eplus.jp/ Whatever The Weatherで検索
ZAIKO : https://circustokyo.zaiko.io/item/351039

Loraine James 大阪公演

日程:11/4(金)
会場:CIRCUS OSAKA
時間:OPEN/START 23:00
料金:ADV ¥3,000 / DOOR ¥3,500

出演:
Loraine James
and more…

チケット(9/12 12:00~発売開始):
イープラス : https://eplus.jp/ Loraine Jamesで検索
ZAIKO : https://circustokyo.zaiko.io/buy/1tjW:oO5:b7d7f

Whatever The Weather 大阪公演

日程:11/5(土)
会場:CIRCUS OSAKA<
時間:OPEN 18:00 START 19:00
料金:ADV ¥4,000 / DOOR ¥4,500 *別途1ドリンク代金600円必要

出演:
Whatever The Weather
and more…

イープラス : https://eplus.jp/ Whatever The Weatherで検索
ZAIKO : https://circustokyo.zaiko.io/item/351041

主催・企画制作:CIRCUS / PLANCHA
協力:BEATINK

Loraine James
Building Something Beautiful For Me

PLANCHA / Phantom Liimb
※日本独自CD化
※CDボーナス・トラック1曲収録予定
※解説付き

Release Date: 2022.10.07
Price(CD): 2,200 yen + 税

Jeff Mills - ele-king

 あまりに濃密な一日だった。
 この日は非常に重要な面会があって、殺人的な日差しと蒸し風呂のような湿気のなか、ふだんは足を運ぶことのない某所へと遠征。その時点でけっこうな体力を消耗していたのだけれど、国葬反対の示威行動があると聞けばのぞいてみないわけにはいかない。
 国会前へとたどり着いたころにはすでに日は没していた。いっこうに衰える気配のない熱気と湿気。主催者発表で4000人だったか、たしかにかなりの人数が集まってはいたものの、スピーチとシュプレヒコールとフォーク・ソングが骨格をなす、いうなれば旧来式の抗議だった。そういった積み重ねがたいせつなのはじゅうじゅう承知のうえで、個人的にはやっぱり楽しさのあるサウンドデモのほうがいいなー、などと文句を垂れる。
 そういえば、日本で実質的に初のサウンドデモを誘発することになった2003年のイラク戦争のとき━━いまとは事情が異なり、USやUKの政府が戦争賛成だった時代━━に緊急出版された本、『NO!! WAR』にはジェフ・ミルズもコメントを寄せていたのだった。

 そう、ジェフ・ミルズである。まもなくクローズするCONTACTに、ミニマル・テクノのパイオニアがやってくる。本番はこれからだ。腹ごしらえを済ませ、死にかけていたスマホを充電し、渋谷へと急ぐ。駐車場の階段を降りていくと、すでにWata Igarashiが大いに場を盛りあげていた。キックとハットのしっかりした、ハード寄りの4つ打ちがかかっている。平日だというのに、この時点でもうけっこうな混み具合である。暑い。とにかく暑い。
 ジェフ・ミルズのターンは0時から。無調的でスペイシーな、彼らしいハード・ミニマルが序盤を彩る。長くても2分くらいだろうか。地上に這い出たセミのごとく短命なフレーズの数々。息つく間もなくつぎつぎと押し寄せるサウンドの波は、このお先真っ暗な時代にあって、「未来はこんなにあるんだよ」と無数の選択肢を示しているかのようだ。
 ときおり巧みにズラされるリズム・パターン。五臓六腑を震撼させる低音。「ザ・ウィザード」の指は、キツツキのごとく909を襲撃している。DJではない。ライヴだ。じょじょにパーカッシヴでメロディックな要素が増していく。1時を過ぎたころだろうか。ダーク・コメディ(ケニー・ラーキン)の “War Of The Worlds” が鳴り響いたとき、今日は特別な夜になるのではないかと、根拠なき直感が脳裏をよぎる。

 溢れかえるひと、ひと、ひと。どこにいても浴びざるをえない汗、汗、汗。7月のベンUFO公演のときもたいがいだったけれど、集客率はおそらくそれを上まわっていた。場所の問題もあったのかもしれないが、とにかく尋常ではなく暑かった。
 流れが変わったのは2時前ころだったと思う。強烈なリフが耳に飛びこんでくる。“Sonic Destroyer” だ。雄叫びをあげる一部のオーディエンスたち。いてもたってもいられなくなる。それから20分ほどが過ぎ、だれもが知っているだろうピアノの旋律が道玄坂の地下に響きわたる。“Strings Of Life” である。咆哮に、絶叫。しかしこの興奮ですら布石に過ぎなかった。
 当初の終了予定時刻である3時を過ぎたころ。とんでもない熱気に覆われているにもかかわらず、全身の毛が逆立つのがわかった。調は変えられている。でも聴き間違えるはずがない。何度も何度も聴いた、あのイントロ。まごうことなき “Hi-Tech Jazz” だ。
 ヒートアップするフロア。わかる。わかるよ。だってこの曲は、ジェフ・ミルズがURを脱退したあとに発表された曲なのだ。それをいま目の前で、ミルズがプレイしている。頬をつたう生ぬるい液体が汗なのか涙なのか、もはやじぶんでもよくわからなかった。
 以降、パーカッシヴでハードな展開を経てパフォーマンスはいったんの終了を見る。汗だくのミルズ。鳴りやまない拍手。すぐさま再開されるプレイ。20分ほどであらためてショウは終わりを迎えるが、拍手も歓声もいっこうにおさまらない。時刻を確認し、再度アンコールに応えるミルズ。ふだんクールな彼が、笑顔を見せている。気がつけば4時をまわっていた。

 4月に出たジェフ・ミルズ・アンド・ザ・ザンザ22名義のアルバムでは、かつての “Jupiter Jazz” を想起させるミルズ流「ハイテック・ジャズ」が展開されていたわけだが、他方で同作はいつかバンドで演奏したときにマジックが発生するよう、将来のプレイヤーたちのために余白を確保してもいた。過去を振り返りつつ未来を志向するその姿勢は、この日のパフォーマンスにも通じていたように思う。
 相変わらず世情は暗澹としているけれど、この日ジェフ・ミルズが示してくれた希望の断片を、ぼくは生涯忘れないだろう。

[9月8日追記]
悔しいことにぼく自身は気づくことができなかったのだが、この日彼はトニー・アレンとの共作曲もプレイしていた、との情報を得た。ミルズは公演直前まで同曲を入念にエディットしていたという。

Björk - ele-king

 巡り巡って時代はまたビョーク(https://www.ele-king.net/news/008826/)なのか! 9月30日に世界同時発売が決定した『Fossora(フォソーラ)』から、アルバムの冒頭を飾る“Atopos”のヴィデオが公開されました。まずはこちらをどうぞ。


Björk
Fossora

One Little Independent/ビッグ・ナッシング
9月30日発売

■収録曲目:
1. atopos
2. ovule
3. mycelia
4. sorrowful soil
5. ancestress
6. fagurt er í fjörðum
7. victimhood
8. allow
9. fungal city
10. trölla-gabba
11. freefall
12. fossora
13. her mother’s house

どのアルバムも常にフィーリングから始まり
それを音にしようとする
今回、
そのフィーリングはランディング(着陸)
(前作『Utopia』は雲の中の島で、エレメント・エアでベースが無かった)
地上に降り立ち、地面に足を踏み入れる

それは、私はどのように「今」を経験するか、ということにも織り込まれている
今回は70億人が一緒におこなった
家に巣を作り、隔離され、
一つの場所に長く滞在し、根を下ろした

私の新しいアルバム『fossora』は、このことをテーマとしている
この言葉は私が作ったものだ
fossore(掘る人、掘られる人、掘る人)の女性語だ
つまり、「掘る人」(地中)という意味だ

サウンド的には、低音、ヘヴィーなボトムエンドが重要だ
6本のバス・クラリネットとパンチの効いたサブウーファーを使った

bergur þórisson、heba kadry
side project、el guincho、hamrahlíð choir、soraya nayyar、clarinet sextet murmuri、siggi string quartet ensemble、emilie nicolas、serpentwithfeetに感謝する
そして最後に、sindriとdóa

ビジュアルはviðar logi、james merry、m/m、nick knight、andy huang、edda、isshehungry、tomi、sayaka、sunna、sara、heimirが制作した

そして、私の忠実で素晴らしいチーム、derek、rosamary、catherine、chiara、hilma、móa

>>> https://www.instagram.com/p/Ch60RcftcDD/?utm_source=ig_web_copy_link

■ジャパン・オフィシャル・サイト:https://bignothing.net/björk.html

interview with Koichi Matsunaga - ele-king

 DJイベントでもなんでも、そこにコンピューマの名前を見つける確率は、彼が仲間たちと精力的にライヴ活動をしていた90年代よりも、ゼロ年代以降、いや、テン年代以降のほうが高いだろう。年を追うごとにブッキングの数が増えることは、近年のアンダーグラウンドにおいては決して珍しい話ではない。シカゴのRP Booやデトロイトのデラーノ・スミスやリック・ウィルハイトのように、大器晩成型というか、年を重ねてから作品を発表する人も少なくなかったりする。ことにDJの世界は、ミックスの技術やセンスもさることながら、やはり音楽作品に関する知識量も重要だ。ゆえにコンピューマのDJの場が彼の年齢に比例して多くなることは、シリアスに音楽を捉えているシーンが日本にはあるという証左にもなる。
 とはいえ、そうした文化をサポートするシステムや人たちが大勢いる欧米と違って、この国でアンダーグラウンドな活動を長いあいだ続けることはそれなりにタフであって、だからコンピューマのようなDJはいままさにその道を切り拓いているひとりでもあるのだ。先日、アルバム『A View』を発表した松永耕一に、まあせっかくだし、これまでの活動を思い切り振り返ってもらった。

当時はそれを世に出すなんてことはとてもじゃないですが考えたことなかったです。「チェック・ユア・マイク」にはバイト仲間の友だちと一緒に応募しましたが、テープの段階で見事に落ちてました(笑)。

音楽活動をはじめてからいま何年目ですか?

松永:音楽活動は、バンド/グループのメンバーとして参加したのはADS(Asteroid Desert Songs)が初めてです。1994年末にADSイベントをはじめて、作品を出したのが確か1995〜6年にEPミニ・アルバムを出してますので、その頃から音楽活動をはじめたということになるのではないかと思います。

ADS( Asteroid Desert Songs)がきっかけだった?

松永:バンドやグループに入って、自分自身が何か楽器を演奏して音を奏でるっていうことは、それまではあまり考えたことがなかったんです。どうにもリスナー気質で、DJはやりたいと思っていましたが。そう、だから聴くの専門で、ただ高校時代ダンス・ミュージックのメガミックスが流行ったり、メジャーの音楽でもホール&オーツでのアーサー・ベイカーのリミックスなどを知ってからは、自宅でラジカセでカセットテープを切り貼りしてみて、下手くそながら連打エディットにトライしてみたり、強引にカットイン繋いだりしてみたり、もちろん遊びの延長で全然上手くできないんですが、雰囲気や気持ちだけは(笑)。
 その後上京して、コールドカットや「Lesson 3」などヒップホップ的メガミックスを知ってから、学生時代に4トラックMTRを使ってトラック作りの真似事やコラージュミックスなどを下手っぴで作ったりしたことはありましたけど、当時はそれを世に出すなんてことはとてもじゃないですが考えたことなかったです。〈チェック・ユア・マイク〉(※90年代初頭にはじまったECD主催のヒップホップのコンテスト)にはバイト仲間の友だちと一緒に応募しましたが、テープの段階で見事に落ちてました(笑)。
 そういうこともオタクDJの延長でやってました。なので、まさか自分がバンド/グループに関わって何か作品を出すことになるなんてことは思ってもいませんでした。

ヒップホップが大きかったんですか?

松永:リスナーの延長線上でも身近に音として戯れられるというか、こういう音の組み合わせにしたら何か新たな発見や楽しみ方ができたりワクワクしたのはあの時代に出会ったヒップホップ的ミックス感覚でした。大好きで影響を受けたのは、いとうせいこう/ヤン富田/DUB MATER X『MESS/AGE』、KLF『Chill Out』に『Space』、デ・ラ・ソウルの1stと2nd、ジャングル・ブラザース、パブリック・エネミー、そしてジ・オーブも。グレイス・ジョーンズ『Slave to the Rhythm』、マルコム・マクラレン『Duck Rock』などもあらためて……こういった作品やアーティストのセンスとユーモア、コラージュ感覚にとても惹かれました。クリスチャン・マークレイの存在もこの時期に知ってさらに世界が広がりました。あとは細野晴臣さん責任編集の季刊音楽誌『H2』の存在も大きいです。

KLFの『Chill Out』と『Space』が出てきたのは、その後のコンピューマの作風を考えてると腑に落ちますね。

松永:大胆なコラージュ感覚とか、惹かれました。アート・オブ・ノイズも大好きでした。

本当にサウンド・コラージュが好きだったんだね。

松永:いま訊かれて気付いたんですけど(笑)。そういう組み合わせの心地よさを無意識に感じていたんでしょうね。学生時代の音楽仲間と、いろんなジャンルのレコードのビートレスの曲のみでノンビートに近いDJミックスを作ったりしていたことも思い出しました。

10代のころ好きだったレコードを挙げるとしたら?

松永:PiL「Public Image」『Metal Box』『This Is What You Want…』、アート・オブ・ノイズ『Who’s Afraid Of The Art Of Noise』『Moment In Love』、プロパガンダ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドまで〈ZTT〉ものが好きでした。

東京出てきてからの方が音楽にハマった感じ?

松永:インターネットもまだなかったですし、当時の同じ地方出身者同様に、熊本での限られた情報のなかで雑誌やラジオ、テレビを聴いたり見たりしながら、ラジオ短波でエアチェックしていた大貫憲章さんの全英トップ20だったり、NHKサウンドストリートだったり、音楽雑誌で紹介されてるアルバムを聴いていました。ただ、小遣いも限りがあるし、いわゆる田舎の普通の高校生の趣味の範疇での世界で、情熱はありつつも、そこまで深追いはできてなかったのではないかと思います。
 思いだすのは、高校入学してすぐに仲良くなった音楽に詳しかった同級生から、彼の寮の部屋でペンギン・カフェ・オーケストラやブライアン・イーノを教えてもらったりして、衝撃を受けたりしてました。環境音楽? アンビエント? こんな音楽もあるんだとか。ヒップホップも、好きだったPiL経由で“World Destruction”を知って、アフリカ・バンバータの存在を認識しました。で、ジャケットがカッコよかった「Renegade Of Funk」の12インチを買ったり……。コールドカットのようなメガミックスものをちゃんと知るのは80年代後半に東京に出てきてからです。そこからまた新たな音楽世界を知っていくことが日々楽しくて楽しくて、友だちとレコード屋行きまくって、もちろん一人でも。当時は試聴もできなかったからレコードのジャケの雰囲気や裏面、見れたら盤面クレジットを舐めるように見て妄想して買ってみて、当たることもあれば、まったく予想と違っていたり、外したり……。ただ、そのときには聴いてよくわからなくても何とかわかろうとする気持ちというか、何度も聴いてみて、そこから新たな発見したりしなかったり……。買ったあろにあーだこうだと語り合ったり、お金もあまりないからレア盤はなかなか買えないし、とにかく安いレコードを買いまくって、そこから新たなグルーヴやあえてビートのない部分でかっこいいパートを探したりもしてました。コラージュするために(笑)。

面白いですね(笑)。

松永:とにかく安く中古レコードを売っているお店に行って、ネタが見つかったらすかさず報告しあう。みたいなことをやってました(笑)。

バイトは?

松永:当時、埼玉県の川越にあった〈G7〉っていうローカルなレンタル・レコード屋さんです。国内盤だけじゃなくて、輸入盤のCDやLP、12"、日本のインディも扱ってました。ヴィデオ・レンタルもやっていたり、なかなかマニアックなものが揃っていましたと思います。そこでの経験や出会った先輩や同僚、みなさんからの影響が大きかったです。

ADSは〈WAVE〉(※80年代から90年代まであって西武資本の大型輸入盤店、当時は影響力があった)で働くようになってから?

松永:そうですね、〈WAVE〉に入ってからですね。ただ、ADSのイベントの初期では、〈G7〉時代の友だちにも手伝ってもらったりしてました。

〈WAVE〉で働くきっかけは?

松永:就職活動の時期、1990年に『ミュージック・マガジン』に〈WAVE〉の社員募集の広告が出ていたんです。〈WAVE〉には当時憧れていたし、よく通ってもいたので応募して、面接も何度かあったりしました。社員入社して……、ちょうどその頃、ヒップホップやダンス・ミュージックを経た新しいタイプの音楽がどんどん登場するような時代だったので。なんとなくですが、自分もそういう新しい音楽をいろいろ紹介できるといいな、という夢を漠然とではありましたが、何となく描いていました。

担当はどこだったでんすか?

松永:入社してすぐは〈WAVE〉の店舗ではなく〈ディスクポート〉という百貨店のなかにあるいわゆるレコード屋コーナーの店舗に配属されて、そのときの上司にお願いしまくって入社2年目にようやく渋谷のLOFTの1階の路面にあった渋谷〈LOFT WAVE〉に何とか移動できたんです。そこで、レジやアシスタント業務をしながら若手の一員としてワイワイと働いていたんですが、『RE/SERCH』誌の「Incredible Strange Music」特集号の出る前、その後のモンド・ミュージック前夜、『サバービア・スイート』が流行りはじめる頃に、そのサバービア関連アイテムを紹介できる小さなスペースをいただいて、本で紹介されていたムード/ラウンジ・ミュージック、エキゾチック・サウンズやオルガン・ジャズ、サントラ、ムーグものなどジャンル分けが難しいような作品やアーチストのCDになっている盤をセレクトして、それにプラス自分の勝手な妄想盤、サン・ラやジョー・ミーク、それに宇川直宏さんが作っていたハナタラシのライヴ音源にボーナス音源でついていたストレンジなムーグものやエキゾチック・ヴードゥーものセレクションCDをどさくさでサバービア関連と一緒に置いてみたりして……。そういえば当時、この売り場を見た橋本徹さんに「これはサバービアでない」と冗談まじりに怒られたり、とにかく無理矢理そういうコーナーをやらせてもらったんです。いま思うとホント勝手な奴で……若気の至りとはいえ、いろいろ反省してます。

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とにかく安いレコードを買いまくって、そこから新たなグルーヴやあえてビートのない部分でかっこいいパートを探したりもしてました。コラージュするために(笑)。

音楽制作をやるきっかけは、村松誉啓くん(マジアレ太カヒRAW )との出会い?

松永:もちろんです。それまで、先ほど少しお話ししたように、学生時代にコンテストへ応募したりもしてみましたが、本格的に音楽制作をやるきっかけは、村松さん、高井(康生)さんと出会ってADSをはじめてからです。

どうやって出会ったの?

松永:ヤン富田さんがプロデューしていたハバナ・エキゾチカ経由でバッファロー・ドーターも好きになって、サバービア橋本徹さんからの紹介でムーグ山本さんと出会いました。当時バッファロー・ドーターが渋谷のエレクトリックカフェでライヴをやるというので、それを見に行って、ライヴ終了後にムーグさんから村松さんを紹介していただいたんです。村松さんは当時、『i-D Japan』という雑誌の編集を手伝っていて、同誌の「オタクDJの冒険」というコーナーを担当していました。だからぼくのほうは勝手ながら村松さんのことを、あのコーナーを担当したあの人だ! と知っていたんです。
 出会った頃の村松さんは、灰野敬二さんのような髪型していて、とんでもなくお洒落で……。当時の界隈ではなかなか存在感のある目立ってた人だったのではないかと思います。高井(康生)さんもそこで紹介されて、全員がヤン富田さんが大好きということで、いろいろ盛り上がって話しているうちに、みんなでDJイベントをやろうと意気投合して。高井さん、村松さんはそれぞれ楽器もできるというので、いろんなアイデアからDJと演奏との実験的セッションみたいなことをDJイベントとしてやってみようと、それがADSのはじまりでした。1994年だったと思います。青春ですね。ムードマン〈M.O.O.D.〉からEPを出してもらう前のことです。


Asteroid Desert Songs
Pre-Main E.P.

M.O.O.D.(1996)

 〈WAVE〉繋がりもあって仲良くしてもらっていた、ちょうどその頃にオープンした〈LOS APSON?〉の 山辺(圭司)さんにもDJをお願いしたり、〈LOS APSON?〉経由で知り合った宇川(直宏)さんにVJをお願いしました。その後、佐々木(敦)さんから四谷P3でのイベント「Unknown Mix」でのライヴに誘われて、村松さんドラム、高井さんがギターを担当するという、バンド演奏に初めてトライしてみました。ベースは当時、村松さんがDMBQのベース龍一君と3人でUltra Freak Overeatというバンドをやっていたんですが、そのベースだった(高橋)アキラ君(アキラ・ザ・マインド)を誘いました。で、ターンテーブルが自分という。消防士のヘルメットをレンタルしてコスプレして、ビーチ・ボーイズの“Fire”をカヴァーしました。ヘルメットで、ヘッドホン・モニターがめちゃくちゃやりずらかったことを思い出します(笑)。

ADSといえば、村松君の機材で変調させた子供声も評判でしたが、あれも最初から?

松永:最初からですね。エレクトロ愛から。チップマンクスはもちろんバットホール・サーファーズもちらり(笑)。

エレクトロ愛が高まったのは、ADSを組んでから?

松永:より高まりました! とにかく、エレクトロ愛は、村松さんと出会ってさらに加速したっていうのはあると思います。

村松くんはもうエレクトロ?

松永:ビリビリにバリバリでした! 自分もそれに感化されながら、日々エレクトロ愛を邁進してました。それと同時に、お互い当時リリースされる数多くの新譜もかなりチェックしてました。

あの時代は新譜が常に最高だったからね。

松永:毎週火曜日でしたっけ? CISCOの壁一面にその週のイチオシのものがバーン! と並んで、全員それを買うみたいな、そういう時代ですもんね。

ADSは2年ぐらいで終わってしまって、すぐにスマーフ男組になるじゃないですか。あれは?

松永:自然の流れというか。もっとエレクトロに絞った活動をやりたくなって、それで、スマーフ男組になったという感じです。

松永くんはまだ〈WAVE〉で働いていたんですか?

松永:渋谷の〈LOFT WAVE〉から関西へ異動を命じられたんですね。非常に悩んだんですが、ADSをはじめてすぐの頃だったんで、どうしてもそのときは東京にいたかった。それで泣く泣く〈WAVE〉を退社して……。その後、タワーレコード渋谷店へ何とか再就職できたという流れになります。

それでいきなり、いまや伝説となったいわゆる「松永コーナー」を作ったんだ?

松永:1995年当時、タワーレコード渋谷店が現在の場所に移転したタイミングでした。6階がクラシックの売り場で、現代音楽の売り場もその階にもあったんです。ただ5階のニューエイジの売り場の隅にも現代音楽の一部も扱いつつ、アヴァンギャルドやその狭間みたいな、ジャンルは何?的な、売り場ではなかなか取り扱いが難しく扱いしづらいアーティストや作品を置けるような……当時は音楽産業絶好調で、しかも大型店だからできたと思うんですが……、余白を扱えるスペースとして機能できそうな売り場を作ることができたんだと思います。
 タワーレコード渋谷店が現在の場所に移転した年で、ぼくはその5Fのニューエイジの売り場へ配属になって、上司や同僚と試行錯誤しながら、お客様やアーティストたちと併走するような形で学ばせてもらい、その売り場を形作ろうとしたように思います。クラシック現代音楽のコーナーにあるようなコンテンポラリー・ミニマルなアーティスト作品から電子音楽、ニューエイジ、アヴァンギャルド、アンビエント、民族音楽、フィールド・レコーディング、効果音、そしてこの時代ならではでのジャンル分けの難しい、規定のジャンルやコーナーでは取り扱いの難しいアーティストや作品を紹介できるような売り場になっていったんです。最初は売り場に名前をつけようがないのでとくに付けてなかったのですが、どうしてもコーナー・サインとして何かしらのジャンル名を付けなくてはならなくなって、ホント難しくて、悩みに悩んで“その他”(OTHERS)コーナーと付けたように思います(笑)。

あのコーナーはホントに面白かったですよ。サン・ラー、ジョン・ケージ、ジョー・ミークやアンビエントまで、ジャンルの枠組みを超えたDJカルチャー的なセンスで展開していました。

松永:そういう時代だったんでしょうね。

赤塚不二夫まで置いてあったよ(笑)。

松永:アニメーション作家レジェンド久里洋二先生の廃盤だったVHS作品をタワレコ渋谷店のみで限定再発とか(笑)。ESGのライヴ・アルバムなんかは、卸業者さんを通じて直接メンバーに連絡してもらい、残っていたCD在庫200枚をすべて卸てもらったり、上司の高見さんがイタリア〈Cramps Records〉のジョン・ケージやデヴィッド・チューダー、アルヴィン・ルシエ、『|Musica Futurista 』(※ルイジ・ルッソロなど、未来派の音楽の編集盤)などの電子音楽の古典的名作アルバムの数々をいち早く独占CD化したり、思い出すといろいろ懐かしいです。
 デヴィッド・トゥープの影響も大きかったです。1996年に『Ocean of Sound』のCDも出たし、あのリリースには勇気づけられましたね。あのコンピレーションがメジャーレーベルからオフィシャル・リリースされたことで、ジャンルを横断的に楽しむってことは、もう普通になりつつあるんだなってことをあらためて感じて。そういう時代が来たんだなと。あれは嬉しかったです。実際、売り場でもものすごく売れました。

幅広いけど音楽への深い愛情と信念、ユーモア、その音楽を自分自身へと浸透させる力、そこへの気持ち、自分の言葉として語ること、宿る気持ち。村松さんはその説得力と音楽愛は半端じゃなかったです。

松永くんはそういう自分のレコ屋のバイヤーとしての仕事をやりつつ、音楽活動もやってきている。だからあの時代のクラブの感じやレコード文化の感じの両方わかっているよね。ところで、スマーフ男組という名前は、村松くんが付けたの?

松永:ふたりでつけたんですよね。ADS(Asteroid Desert Songs)のネーミングからの反動もあって(笑)。エレクトロでは“スマーフもの”っていうスマーフをテーマにしたりタイトルに付けたクラシックがけっこうあって、ブレイク・ダンスの型にも“スマーフ”っていうスタイルがあったり、1980年代、エレクトロとアニメのスマーフがわりと繋がっていたところがあった。スマーフのキャラもかわいいし、村松さんも自分もフィギュアやグッズも集めてたんです(笑)。それとPファンクやヒップホップのように、何とかクルーとか何とかプロダクションとか、次々と入れ替わり立ち替わりメンバーを迎え入れる不定型の集まりでいるような、そういうものにもどこか憧れていたので、それで男組になったんです(笑)。とはいえ、結局のところは村松さんとアキラくんと自分、ほぼこの3人での活動でしたが(笑)。

スマーフ男組の最初の音源は?

松永:〈P-Vine〉から出たマイアミベースのコンピ(『Killed By Bass』1997年)だった気がします。そのあとに〈File〉からの『Ill-Centrik Funk Vol. 1』(1998年)。〈Transonic〉からの『衝撃のUFO 衝撃のREMIX』(1998年)への参加だったと思います。


Various
Ill-Centrik Funk Vol. 1 (Chapter 2)

File Records(1998)

松永くんから見て村松くんはどういう人だったの?

松永:天才ですね。ADS、スマーフ男組と一緒に活動させてもらっていましたが、ある意味では、自分も村松さんのファンで、村松さんの才能やすごさを世に伝えたいっていう気持ちがずっとあったように思います。

彼の海賊盤のミックスCDを聴くと、フリー・ジャズからポップスまで、選曲が本当に自由じゃないですか。あのセンスはずっとそうだったんですか?

松永:ずっとそうですね。幅広いけど音楽への深い愛情と信念、ユーモア、その音楽を自分自身へと浸透させる力、そこへの気持ち、自分の言葉として語ること、宿る気持ち。その説得力と音楽愛は半端じゃなかったです。掘り下げ方、レコードやCDクレジット、ジャケットや盤面への思い、愛情と向かい合い方、情熱、気持ち。姿勢、本当にオールタイムで学ばせてもらったというか。

ぼくはこういう仕事してるから音楽好きに会うんですけど、でもその「好き」の度合いが、けっこう軽かったりする人も少なくないんです。でも村松くんの「音楽が好き」っていうときの「好き」は、すごいものがあったよね。

松永:ホントそうですよね。そして、どこかカリスマ的なユニークなスター性もあったというか。


スマーフ男組
スマーフ男組の個性と発展

Lastrum(2007)

Smurphies' Fearless Bunch* And Space MCee’z
Wukovah Sessions Vol. 1

Wukovah(2007)

『スマーフ男組の個性と発展』は、本当はもう少し早く出すはずだったんだよね?

松永:『Ill-Centrik Funk』が98年なんで、本当はその後すぐに出ていてもおかしくなかったんですよね。でも、そこから10年くらいかかってしまいました(笑)。ただその分、なんとも味わい深いアルバムができたと思うんですが、ADSからスマーフになって、その勢いがある時期でのリリースは完全に逃してしまいました。(笑)。
このデビューアルバムをリリースした後に下北沢〈Slits〉スタッフだった酒井(雅之)さんに声をかけてもらって、 酒井さんのレーベル〈 Wukovah〉からSpace MCee'z(ロボ宙とZen-La-Rock)とのJohn Peelセッションばりのスタジオ・セッション・アルバム(『Wukovah Sessions Vol. 1』2007年)をリリースしたんです。このプロジェクトを経て、スマーフ男組のライヴ・バンドとしての新しい可能性も感じて、メンバー3人ともすごくフレッシュな気持ちでそこへ向かい合っていました。その頃はたくさんライヴもやったんですよ。

音楽活動とレコ屋での仕事とのバランスはどういうふうに考えてました?

松永:もう両方やってくしか生活できないっていう、ただそれだけです(笑)。

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悪魔の沼を10年以上まだ続けられて、現在もオファーをいただけて3人でプレイできているというのはホントにありがたい限りで、はじめた頃のイメージからすると信じられないありがたさです。

DJはもうスマーフになってからはやってました?

松永:DJはADSをはじめる前、〈WAVE〉に入った頃に六本木〈WAVE〉にいた同期入社だった井上薫君や現kong tong福田さんに誘ってもらって西麻布にあった〈M〉(マティステ)でやらせてもらうようになって、そこからADSイベントにもつながっていくのですが、スマーフ以降2000年代以降の大きな経験ということであれば、(東高円寺のDJバー)グラスルーツの存在が大きいです。店主であるQくんにDJ誘っていただいて、あの場所でいろいろと鍛えられました。タワーレコード渋谷を離れた頃、2004年、毎月水曜平日の夜中に「コンピューマのモーレツ独り会」っていう一人DJ会を1年間、全12回をやらせてもらったり。翌年には「二人会」シリーズ「ふらり途中下車」になって、これ以降、グラスルーツを拠点にDJとしての活動が本格化したように思います。

自分のレーベル〈Something About〉もはじめますよね? 最初は自分のミックスCDだったね?

松永:そうなんです。『Something In The Air』という自分のミックスCDでした。ちょうどそのときもリリース後にele-kingのwebサイトで野田さんに取材(Something In The Air)していただきました。2012年なんで、もはや10年前なんですよね。時間が経つのが早すぎます。

はははは。

松永:このミックスCDをリリースする2010〜11年頃は、個人的にもプレイスタイルの過渡期で、自分のDJスタイルを見つめ直していた時期でした。引っ越しもあったりして、あらためてレコードやCDのダンボールを整理したりしつつ、タワレコ渋谷5F時代に紹介した電子音楽や実験音楽などのCDをあらためて聴き直したりして、自分なりにDJミックスの表現の可能性を追求してました。東日本震災も大きいかもしれません。そんな中で生まれたのが『Something In The Air』でした。

あれはまさにサウンド・コラージュ作品だったよね。

松永:この作品を制作するにあたって、密かに大きかったのが、2000年代初頭、永澤陽一さんのパリコレのファッションショーの音楽を担当する機会をいただいて、テーマや意向を詳しく教えてもらって、それをイマジナリーに音や音楽に変換してみて、その候補になりそうな音源サンプルを打ち合わせの際にたくさん持っていって、それらをひとつひとつ聴いていただいて、そのなかからじょじょに絞っていきながら、最終的に絞り込まれた厳選音楽素材、それらの音源を組み合わせてショーの音楽を構築していきました。10〜15分ほどの短いショーの時間内で、その音世界としてどのように起承転結を作ってくかというときに、自分の技術力の問題や選ぶ音楽の傾向や種類も関係したかもしれませんが、ビートが強くある曲を選ぶと、どうしてもBPMで繋いでいかなきゃいけなくなったり、カットアップ&カットインのポイントやタイミングの難しさや違和感にも繋がるから、なるべく柔らかに変容していくようにするために、どうしてもビートのあまり強くないものやノンビートのものを意識して選んでミックスしていたんです。その頃の経験が、その後『Something In The Air』でミックスしているようなことに繋がっていったように思います。

どんな感じだったんですか?

松永:拙い英語力なので、コミュニケーションもままならないなか、現地スタッフさんと一緒にルーブル美術館の地下のフロアでひとり冷や汗かきながらMDプレイヤー数台とラック式CDプレーヤーを数台積んで。PA卓でショーのリアルタイムでプレイをトライしてました。モデルさんの出るタイミングやシーンの雰囲気の変わるタイミングを察しながら、舞台監督からの指示をもう片方の耳でモニターしながらでのプレイでもあるので、もうそれが半端じゃない尋常じゃない緊張感というか、絶対にミスれないので、めちゃくちゃドキドキで、かなり鍛えられた気がします。その経験を4〜5年やらせていただいたように思います。でもそのときの思い出として、ショーを無事に終えれてフィナーレのタイミングで拍手をもらったときの嬉しさやホッとする安堵感はいまでもたまに思い出します。貴重な経験させてもらいました。


Something In The Air
mixed by COMPUMA

2012

『Something In The Air』はエディットなしのライヴミキシング?

松永:基本そうですね。

それはじつに興味深いですね。で、『Something In The Air』は当時すごい反響があった。

松永:うーん。どうなんでしょうか。やっぱりアンダーグラウンド・リリースですし。でもあの作品をリリースしたことは自分にとってとても大きかったように思います。

コンピューマ作品のひとつの原点になったよね。

松永:それは本当そうですね。ありがとうございます。

松永くん個人史のなかで、人生の節目というのはいつだったと思いますか? 

松永:そうですね。ソロ名義のアルバムをリリースしたいまのタイミングも大きそうな気がしますし、まだまだこれから先も続いていく、続いていってほしいとも思ってます。なので、これから先にもまだまだそのようなタイミングがいくつかあるかもしれませんが、これまでということで考えてみると、さっきとも重複してしまいますが、やはり震災を経て2012年初頭『Something In The Air』、あの作品をあのタイミングでリリースしたことは大きいかもしれません。自分のなかですごく楽になったというか、励みになりました。こういう世界観やプレイスタイルもDJ ミックスとしてトライしていいんだっていう、自信とまではいかないですけど、もっとやっていいんだ、ということに繋がったと思います。それと2017年に浅沼優子さんの尽力のおかげもあって、ドイツ〈Berlin Atonal〉へ出演できたこと、そこでDJ経験できたことも大きいと思います。何か景色が変わった気がします。

いっぽうで悪魔の沼もはじめます。

松永:下北の〈MORE〉、厳密にいうと〈MORE〉店長だった宮さんがその前にやっていた同じく下北沢ROOM”Heaven&Earth”ではじまったイベントだったんです。メンバーのAWANOくんから「沼」をテーマにイベントをやるので一緒にやりませんかと、そして、何かいいタイトルないですかと相談されて、そのときに「沼」と聞いて、瞬間的にトビー・フーパーの映画『悪魔の沼』のポスターの絵、大鎌を振り回すオッサンのあの絵が頭にパッーと浮かんだんです。それで冗談まじりに『悪魔の沼』」はどうですか? と(笑)。で、AWANO君から「誰か一緒にやりたい人いますか?」と尋ねられて、その頃自分は勘違いスクリュー的なプレイを盛り上がってよくやってた頃で、コズミック(イタロ・ディスコ)が再評価された後の時期でもあったので、西村(公輝)さんは面識はあったのですが、それまではDJご一緒したこともほぼなかったんです。AWANO君と西村さんは学生時代から縁もあって、それもあって西村さんとご一緒できたらと思って声をかけていただきました。悪魔の沼イベント初期は全編ホラー映画のサントラのみでトライしてみたり(笑)。初期は一人30分交代だったので一晩で3〜4セットをプレイするという、皆レコード中心だったので準備だけでもなかなか大変で、かなりしごかれました(笑)。オリジナルメンバーとしては二見裕志さんも参加されてました。一時期、1Drink石黒君も参加していたこともありました。そんなこんなを経て、現在の3人になりました。その頃に、ミヤさんに「3人でback to backでやってみたら」とアドバイスもらい、試しにそれをやってみたことがきっかけで現在のスタイルに繋がってます。
〈MORE〉時代の沼イベントは、およそ季節ごとの開催でした。フリーゆで卵とか、フリーわかめとか、幻や沼汁というドリンクあったり(笑)、毎回ゲストを迎えながら、ダンス・ミュージックながら自由に沼を探ってました。

これだけ長く続いているのは、やっぱ楽しいから?

松永:自分的には、ADS、スマーフ男組を経て、そしてDJの延長線上でもあったし、沼がテーマでしたし(笑)、なんだかとても気持ちが楽だったんです。季節ごとにやる趣味の会合や寄り合いくらいの感覚だったというか、なので、10年以上まだ続けられて、現在もオファーをいただけて3人でプレイできているというのはホントにありがたい限りで、はじめた頃のイメージからすると信じられないありがたさです。西村さん、AWANO君との共同プレイで、ヒリッとした刺激はもちろん、毎回の化かし合い含めて切磋琢磨し続けられているのはホントにありがたいなと思ってます。

松永くんはDJをやめようと思ったことってないの?

松永:いまのところ意識的にはないですね。ただ、いつまでこういうことを現場でやっていけるのか。やっていいのか。やり続けていいのか。ということはここ最近何となく思うこともあります。コロナ禍以降、最近は、より若い世代や幅広いジャンルの素敵なDJやアーチストさん、バンドとご一緒する現場も多くて、幅広い世代の皆さんと一緒に音を奏でられることにも大きな喜びを感じてます。それと長年サポートしてくれている友人と家族には感謝の気持ちでいっぱいです。

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もう本当にそれはありがたい限りでして。一緒に遊ばせてもらってるっていうか、彼らと話していると、たまに、「お父さんと(お母さんと)同い年です。コンピューマさんの方が年上です。」とか話してくれたり(笑)。

それで、今回のアルバム(『A View』)が、これだけ長いキャリアを持ちながら、初めて自分の名前(COMPUMA)で出したアルバムになるんですよね。

松永:はい。

元々は演劇のために作ったものを再構築したっていう話なんですけど、作り方の点でいままでと変わったところってあります?

松永:僕はミュージシャンではないので、できることがかなり限られてるんです。だから、ある意味で音楽を作る場合は、諦めからはじまるともいいますか。今回の作り方も基本的にはそういう意味では一緒なんですが、ここ近年での制作は、今作も含めて、Urban Volcano Sounds/Deavid Soulのhacchiさんの存在はすごく大きいです。

ダブでやミニマルであったり、松永くんのDJミキシングのサウンドコラージュ的に作っていたものとはまた違うところにいったように思いました。

松永:今回は、北九州の演劇グループ〈ブルーエゴナク〉さんからオファーいただいた演劇『眺め』のための音楽が基になってます。 2021年春頃に〈Black Smoker〉からリリースした『Innervisions』というミックスCDがありまして、その内容がかなり抽象的な電子音のコラージュが中心で、ダンス・ミュージックと電子音楽の狭間を探求するような、わりと内省的な内容だったんですけど、ブルーエゴナク代表の穴迫さんがこのミックスCDを購入していただいたようで、そこからオファーをいただきました。自分的には当初『Innervisions』の感じの抽象的なものだったら何とかできるかもしれないと思って、リクエストもそんなような感じの内容だったんで、それであればいけるかもということでお受けしたんですが、具体的に進行させたところ、実際にはかなり場面展開もあって、抽象的な音がダラッと流れるだけじゃどう考えても成立しないということがわかって、しかも九つの場面用の音楽が必要ということで、実のところかなり焦りました(笑)。
そこからBPM90でミニマル・ミュージックというお題をいただいたり、台本から音のイメージにつながる言葉をいくつもいただいて、それらの言葉をイマジナリー音に変換していって、それらをパズルのように組み合わせて試して構築していきながら制作を進めました。

『眺め』という言葉を松永くん的に音で翻訳してたと思うんですけど、どんなふうに解釈してどんなふうに捉えていったんですか?

松永:演劇タイトル「眺め」から当初感じていたのは、何となく、どこか遠くからというか、俯瞰してるような感覚でした。ただ、制作を進めていく中で、これは俯瞰だけではなくミクロでマクロな世界観も含めての「眺め」なんだと再認識しました。

穴迫信一さんさんのライナーノーツにすごくいいことが書いてありました。希望が見えない時代のなかで、いかにして希望を見つけていけばいいんだろうみたいな、それを音に託したというような話があって。

松永:本当に恐縮で素敵なライナーノーツをいただきました。そして何より演劇の音楽を担当するという貴重な機会をいただいて心から感謝してます。

松永くんの関わってきた音楽作品はダークサイドには行かない、それは意識していることなんですか?

松永:そうですか。そういうイメージなんですね。そこは無意識でした。ダークサイドに行っているか行ってないかどうかは自分ではわかりませんが、今作に関しては、演劇のための音楽でしたので、舞台と装置、照明や映像、お芝居もそこに入ってくるので、そういう意味では、今まで作った作品以上に、どこか余白の部分が残ることを意識した音、イメージとして何か少し足りないくらいの音にすることは意識しました。あとは、何と言いますか、何でもない、聴き疲れしまい音を目指すと言いますか、、

それはなぜ?

松永:最初は自分の持っているシンセなどで用意した個性的な音を合わせたりしたみたんですが、どうにも今回は、なんだかイメージが合わなかったんです。それとミニマル・ミュージックというテーマもいただいていたので、そこも意識しながら発展させてみました。何も起こらない感覚といいいますか、インド古典音楽ラーガ的メディテーショナルな世界も頭のなかに浮かびつつ。

いまでもレコードは買っていますか?

松永:新譜も中古もレコードもCDも買います。カセットテープもたまに。データで買うものもあります。全部のフォーマットで買ってますね。笑

いま関心があるジャンルとかあります?

松永:オールジャンル気になった新譜をサブスクで軽く聴いたり、そこから気に入ったものはCDやレコードでも買ったりするんですが、サブスクって、ふと思ったのですが、便利なので活用しますが、何と言いますか、聴いてるけど何となく聴いた気にだけなっているというか、しっかりと自分の中に沁み込んでこないというか。年寄りだからなのかもしれませんが、レコードCDで購入する音源への思い入れが強すぎるのかもしれませんが、長年の習慣での癖が抜けきらないんですかね。購入したものでないとなんだかしっかりと頭に記憶されないというか(笑)。DJプレイに関わるものはまた別ですが、リスニングするものは幅広くオールジャンルに話題作、旧譜もチェックしてます。これも年のせいなのか、より耳疲れしないような音楽と音量や距離感を求めているようにも思います。

最近はどのぐらいの頻度でDJやってるんですか?

松永:DJは平均すると週1〜2回くらいでしょうか。その時々によって差があるかもしれません。

コロナのときは大変だったよね。

松永:DJほとんどやってなかったんで家にずっといて、街も静かだったじゃないですか。いろんなことを考えさせられました。東京も、こんなに静かなんだとも思って。

なんかこう将来に対する不安とかある?

松永:それはもうずっとあります(笑)。凹んだり落ち込むようなことが多い世のなかですけど、少しでもいいところや心地いいところ面白いところを探していけたらと努めてます。息子達の世代が、少しでも未来に希望を持てるようなことを伝えられたり作っていってあげたいなというのが正直な気持ちとしてもあります。現実には、いろいろとなかなかハードなところだらけじゃないですか。だから、何かちょっとでも明るい未来を感じられるような気持ちと視点でありたいなという願望かもしれません。

松永くんからみて90年代ってどういう時代だったと思います?

松永:自分の勝手な解釈なんで違うかもしれませんが、90年代といまが違うとしたら、妄想力の違いでしょうか。当時はまだインターネットがなかったから、海外のマニアックな音楽や文化に関しては、勘違い含めて、皆が妄想力でも追求して熱量で挑んでいたと思うんですね。DJ的センスが良くも悪くもいろいろな場面で浸透しつつあって、その感覚でいろんな視点から色々な時代いろんな音楽を面白がる感覚がより世間的にも広がっていくような感覚が90年代に誕生したんではないかとも勝手ながら思います。インターネット以降、とくに最近は、やはりその知り得る情報の正確さ、速さが90年代とでは圧倒的に違うと思うんです。勘違いの積み重ねや妄想の重ね方の度合いは90年代の方が圧倒的に高かったと思うんですよね。翻訳機能のレベルも高くなりましたし、ただ、SNS含めて情報量がとにかく多すぎるので、本当に自分のとって必要な情報を選ぶことが大変な時代になっているような気もしてます。それはそれでなかなかに大変ですよね。自分でも何か検索すると同じような情報がたくさん出過ぎて、どれを読めばいいのか、ホントに知りたい正しい情報まで逆に辿り着けなくて、それだけで疲れてしまうことも多々あったりしますし。
 とは言ってもインターネットは便利ですし、音楽制作においてもDJにおいても素材集め含めてとんでもなく早く集められるし、それを活かせる環境があるから、90年代と比べると洗練された上手いDJプレイをできると思うんですよね。ただ、一概に比較は難しいのですが、どっちが好みかというのはまたちょっと比べられないですよね。どっちにもカッコよさもありますし、かっこよすぎてかっこよさ慣れしてしまう感覚もありますよね。

松永くんは世代を超えて、若い世代のイベントにも出演しているわけだけど。

松永:いや、もう本当にそれはありがたい限りでして。一緒に遊ばせてもらってるっていうか、彼らと話していると、たまに、「お父さんと(お母さんと)同い年です。コンピューマさんの方が年上です。」とか話してくれたり(笑)。

(笑)でも、DJの世界は、音楽をどれだけ知っているかが重要だから、ベテランだからこそできることっていうのがあるわけなので。

松永:ここ最近「沼」のメンバーとは会うたびに、こんなおっさんたちが、果たしていつまでこういう現場にいていいものかどうなのかっていう話にはいつもなります(笑)。

はははは。でも、続けてくださいよ、本当(笑)。最後に、〈Something About〉をどうしていきたいとか夢はありますか?

松永:今回もいろいろな皆さんの協力のもと、自主リリースでソロ名義で初めてのアルバムをリリースすることができて本当にありがたい限りなのですが、このCDリリースをきっかけにして、ここから新たないろんな可能性を探求できたらと思ってます。できることなら海外の方にも届けられたらとも思いますし、デジタルやアナログ・リリースも視野に目指してみたいです。自分なりのペースにはなりますが、これからもオヤジ節ながらトライしていきたいと思います(笑)。精進します。どうぞよろしくおねがいいたします。
 それと9/30金に、渋谷WWWにてリリース・イベントを開催させていただくことになりました。最高に素敵な皆さんに出演していただくことになりました。よろしければ是非ともです。よろしくお願いいたします。


COMPUMA 『A View』 Release Party

出演 :
COMPUMA
パードン木村
エマーソン北村
DJ:Akie

音響:内田直之
映像:住吉清隆

日時:2022年9月30日(金曜日)開場/開演 18:30/19:30
■会場:渋谷WWW
■前売券(2022年8月19日(金曜日)12:00発売):
一般 : 3,000円/U25 : 2,000円(税込・1ドリンク代別/全自由 ※一部座席あり)
■当日券 : 3,500円(税込・1ドリンク代別/全自由 ※一部座席あり)
■前売券取扱箇所:イープラス<https://eplus.jp/compuma0930/
■問い合わせ先:WWW 03-5458-7685 https://www-shibuya.jp/

※U25チケットは25歳以下のお客様がご購入可能なチケットです。
ご入場時に年齢確認のため顔写真付き身分証明書の提示が必要となります。
ご持参がない場合、一般チケットとの差額をお支払いいただきます。

interview with Kode9 - ele-king

 まずは2曲め “The Break Up” を聴いてみてほしい。最先端のビートがここにある。
 振り返れば00年代半ば~10年代初頭は、グライムにダブステップにフットワークにと、ダンス・ミュージックが大いなる飛躍を遂げた画期だった。そんな時代とつねに並走しつづけてきたプロデューサー/DJがコード9である。レーベル〈Hyperdub〉のキュレイションを見てもわかるが、その鋭い嗅覚はここ10年でもまったく衰えることを知らない。7年ぶりの新作『Escapology』は、彼のルーツたるジャングルはもちろん、ゴムやアマピアノといった近年のトレンドまでもを独自に咀嚼、じつにカッティング・エッジな電子音楽を打ち鳴らしている。2022年のベスト・アルバムのなかの1枚であることは間違いない。とりわけクラブ・ミュージック好きは絶対にスルーしてはいけない作品だろう。
 他方 『Escapology』 は、深いテーマを持ったアルバムでもある。音楽家として次なるステージへと進んだスティーヴ・グッドマン、新作のコンセプトについて髙橋勇人が話を聞いた。(編集部)


カレドニアの闇の奥、あるいは宇宙への脱出

「年に二、三回、家族に会うためにグラスゴーに帰ってきているんだよね。それで、ここ10年くらいは子どものときには全然知らなかったスコットランドのハイランド地方と恋に落ちてね。だからロンドンから逃亡(escape)するために友だちを連れて、ただドライヴをしているんだ」、と約束時間の朝10時30分きっかりにズームの画面に現れたコード9ことスティーヴ・グッドマンは、サウスロンドンにいる僕に話す。
 彼の7年ぶりのアルバムとなった『Escapology』のライナーノーツを僕が担当したのだが、その執筆のための取材を、両親が暮らすスコットランドのグラスゴーの実家から受けてくれたのだった。グッドマンが生まれ育った街である。
 以前、野田努と自分の対談で話したように、〈Hyperdub〉はアヤロレイン・ジェイムズなど、若手の先鋭的なミュージシャンを紹介し、グッドマンは盟友のスクラッチャDVAやアイコニカとともにゴムやアマピアノといった南アフリカのサウンドシステム・ミュージックを世界のクラブでプレイしてきた。今作はその音のフィードバックが期待されるアルバムでもある。
 また『Escapology』は2022年10月にリリース予定のコード9名義でのオーディオエッセイ/サイエンス・フィクション作品『Astro-Darien』のサウンドトラックという立ち位置である。こちらは日本の文化的文脈でいうならば、ドラマCDのサウンドに特化したもの、と理解できるかもしれない。
 最近、日本でも紹介が進んでいるマーク・フィッシャーやニック・ランドといった哲学者/理論家たちとともに、グッドマンはウォーリック大学の修士と博士課程で学び、哲学の博士号を取得。その研究の成果や音の文化への関心は、武器としての音や彼がDJ/プロデューサーとして発展に貢献したダブステップの重低音に着想を得て執筆した著書『Sonic Warfare: Sound, Affcet, and the Ecology of Fear』(2010年)へと繋がる。グッドマンはフルタイムで音楽活動をはじめる以前、2004年に始動した〈Hyperdub〉と並行しながら、東ロンドン大学でサウンド文化を教えていた。
 グッドマンが哲学にはまったのは、法律を学んでいたエジンバラ大学時代に哲学者ミシェル・フーコーを発見したときで、ウォーリック時代に彼が在籍していた学術グループ、サイバネティクス文化研究ユニット(Cybernetics Culture Research Unit:CCRU)では、ポスト構造主義があまり扱っていなかった唯物論の観点からデジタル/テクノロジー文化やサイエンス・フィクションへと焦点を当てるようになる(この詳しい話はまたの機会に)。このとき、CCRUではフィクションを通して世界を理論的に記述するセオリー・フィクションというスタイルが生まれており、このオーディオエッセイもある意味ではその延長線上にあるともいえる。

こういった未来的なシナリオを描くことによって、僕は神話を作っているという意図もある

 作品の物語を説明しよう。舞台となるのは、歴史と政治的事象を共有した架空の現代のスコットランド。同国に拠点を置くゲーム会社トランセスター・ノースのゲーム・プログラマー、グナ・ヤラは、スコットランドがイギリスの連合から独立できず、さらにブレグジットが決定した政治状況に不満を感じている。パナマとスコットランドの混血であるヤラは、かつてスコットランドが企て、イングランドやスペインの妨害によって頓挫した同国によるパナマのダリエン地方を植民地化するというダリエン計画に注目する。17世紀末に企てられたこの失策は、スコットランドの財政悪化を招いた一因とされ、1707年のスコットランドが現在の形のユナイテッド・キングダム(UK)に統合されるきっかけのひとつだったと考えられている。周知の通り、当時のイングランドは植民地政策と奴隷貿易を行なっていたわけだが、スコットランドも負の歴史へと加担していくことになる。
 ヤラはそのような植民地主義の歴史や、自分のルーツでもあり当時のスコットランドの理想となったダリエンという外部に着想を得る。物語の世界線でも、スコットランドは住民投票でUKからの独立に失敗し、UKはEUから離脱している。そのようなスコットランドが直面する現在の政治的閉塞状況に苛まれるヤラは、宇宙へと「アストロ・ダリエン」という名のスペース・コロニーをスコットランドが打ち上げるというゲームをプログラムする。ここでシミュレートされるのは、政治的/歴史的袋小路からの宇宙への脱出術(Escapology)なのだ。
 この作品を僕は一足先に聴くことができたのだが、そこには直線的なタイムラインはなく、混沌としたサウンドの奥で、断片的に異なるストーリーが「鳴っている」ような作品だった。「彼女が住むスコットランドから、1690年代のダリアン地方へとヤラの思考はフラッシュバックしたりする。だからその物語は時系列に沿ったものではなく、あくまで彼女の思考を追ったものなんだ。まるで密林を、あるいはジョセフ・コンラッドの『闇の奥(Heart of Darkness)』の物語を突き進むようにね。いうなれば『カレドニア*1の闇の奥』さ」

 「作品に取り掛かったのは2019年で、そこから徐々に物語を組みはじめた。アイディアの醸造はもっと前からはじまっていたけどね。2014年のスコットランド独立住民投票、2016年のブレグジットが決定した投票などがあったからさ」とグッドマンは説明する。
 本作はそもそもピエール・シェフールらミュジーク・コンクレートの創始者たちの現代音楽機関、フランス音楽研究グループINA GRMのイベントでのライヴのために製作されたものだった。
 「2020年3月に、GRMのためにパリのラ・メゾン・ドゥ・ラ・ラジオ(La Maison de la Radio)でライヴをする予定だったんだけど、パンデミックでそれが年末に延期になって、それがまた延期になった。最終的にそれが2021年10月、場所はフランソワ・ベイルのアクースモニウムになって、それを念頭に作品を書いていた」
 パンデミックを挟んで製作され、さらに構想が広がった『Astro-Darien』の表現形態は、ライヴだけではなく、オーディオエッセイとしてのリリース、さらには映像を使用した、ロンドンのクラブ、コルシカ・スタジオで開催されたインスタレーションや後続のミュージックビデオ作品としても発展していく。

 『Escapology』のリリースに合わせて発表された、同アルバム収録曲 “Torus” のビデオでは、スペース・コロニーとしてのアストロ・ダリエンの内部が描かれ、そこにはスコットランド北部のハイランド地方の自然が広がっている。ここにはどのような背景があるのだろうか。
 「パンデミックのロックダウン中、小島秀夫のゲーム『Death Stranding』をよくプレイしていて、ゲーム内でヴァーチャルのハイキングをたくさんした。それで『自分の実生活でもハイキングをしないとダメだ!』って思うようになってね。それまでの人生でハイキングなんてしたこともなかったのに、そこからまさか自分が実際にスコットランドでハイキングをするなんて、ほんと典型的なハイパースティション*2だ(笑)。それでちょうどCovidによるロックダウン(都市封鎖)が一時的に解かれた2020年の10月に、友だちとスコットランドのマンロー*3を訪れた。僕たちが行ったのは、ハイランドの最も北に位置するベン・ホープというマンローだった。『Escapology』に入っている “In the Shadow of Ben Hope” はそこに由来している。なんでベン・ホープに行ったのかというと、人工衛星の打ち上げ場の開発現場がその山のすぐ隣にあったから。『Astro-Darien』で使用された映像のいくつかは、ベン・ホープの頂上で撮影されたものだね。アイル・オブ・スカイにも行った。そこには『エイリアン』シリーズの映画『プロメテウス』の撮影にも使われたオールド・マン・オブ・ストー(Old Man of Storr)という垂直に岩がそびえ立つ場所があるんだけど、そこも登った。前にもその場所を見たことはあったんだけど、映画を見て興味を持ったんだ。それが “Torus” のアニメーション内で再現されている」

Kode9 - Torus

画面はゲーム『Astro-Darien』の画面になっており、ミッションやレベル、イングランドの経済的攻撃への対抗措置としてスペース・コロニー内で使用される暗号通貨「Nicol」の所持数などが表示されている。暗号通貨名はスコットランド国民党党首ニコラ・スタージョンに由来。

 このように、『Astro-Darien』におけるスコットランドの自然描写は、同国の地理学的特性の表現と、そこで現在起こっている文化的事象ともリンクしたものになっている。登場人物ヤラが働くトランセスター・ノースにも、現実の文化との関連がある。
 「犯罪シミュレーション・ゲーム『グランド・セフト・オート』の開発元のロックスター・ノースはスコットランドの会社だけど、彼らがアメリカのストリート・ライフをシミュレートする代わりに、スコットランドとそこで起こっていることに関するゲームを作ったらどうなるんだろうと思ったんだよ。それでロックスター・ノースをトランセスター・ノースに変えて、実際には存在しないゲームのありうる姿を想像している」
 またそこには、『Astro-Darien』でのテーマである、スコットランドの政治状況もリンクしている。“The Break Up” のビデオは、グッドマンがハイランド地方のロードトリップ中に撮影したものを編集し、ゲーム内のミッションである宇宙への逃亡のためにスペース・ポートへと可能な限り早く到達する様子を、ゲームのスクリーンを模して表現したものだ。この楽曲タイトルは、あるスコットランドの理論家から採られているとグッドマンは説明する。
 「楽曲タイトルの元にはあるのは、1977年に出た本『The Break-Up of Britain』だね。著者はマルクス主義社会理論家のトム・ネアン(Tom Nairm)で、彼は歴史学者のペリー・アンダーソンとも仕事をしている。その本は、グローバル化、歴史の終わりなどに際して、ナショナリズムに一体何が起こるのかについて書かれている。触れられているのは極右ナショナリズムやスコットランドやカタロニアで見られるような市民的ナショナリズム(Civic Nationalism)*4だね。これは不可避なUKの分裂に関するとても予言的な本なんだよ。
 『Astro-Darien』の物語にも出てくる、伝染性の白い泡(Contagious White Foam)に沈んだブリテン島は、僕が描く分裂するディストピックなUKだ。これはパンデミックとブレグジットの混合物の例えだね。その泡が人びとの間でパラノイド的精神病を引き起こし、「白い泡」というのは白人主義的英国ナショナリズム、という設定だ。スペース・ポートへの逃亡は、UKを支持する統一支持者(Unionist)から高速で逃げるスピード・チェイス、というわけ」

Kode9 - The Break Up

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ジャングルはどんなダンス・ミュージックよりも、ポリリズム的で回転的な力(フォース)がある。

 グッドマンは『Astro-Darien』をフィクションでありドキュメンタリーでもあるような作品だと捉えており、「この現実性の枠組みをゲームとして組み直している感じだ」と説明する。同作内では実際のニュース音声などが、物語のナレーションとともに引用され、展開されていくが、このように現実とフィクションが入り混じり、いま実際に起きていることを浮かび上がらせていく。ここで描かれるのは、リアリティの描写と、そこから派生していく架空現実なのである。
 またゲーム化していくような現実をサイエンス・フィクションから描いた意図も彼は説明する。「2014年の独立投票は失敗し、スコットランド国民党は次の独立投票を2023年に計画している。この期間に僕はこれがゲームみたいなもののようにも感じはじめたんだよね。もしゲームで失敗したら、またそれをプレイするまでで、それが『Astro-Darien』にも通じている。もし結果が気に入らないのであれば、またプレイするまでだ、と」
 ここにおいてフィクションがどのように機能しているのか、グッドマンは加速主義*5を扱った以前のプロジェクトと関連させて説明する。「前のプロジェクト『The Notel*6』は右派と左派の加速主義の対立についてのもので、その両方をおちょくった作品だった。同じように、この『Astro-Darien』は左派加速主義のシナリオを、わずかながらに誇張しつつ想像している。地球を離れるとか、そういう設定でね。技術的に強まった社会主義的な未来は、スコットランド独立が目指すものであるのは間違いない*7。独立派の主な理由は、スコットランドがイングランドよりももっと左派的であるという点にある。だからこういった未来的なシナリオを描くことによって、僕は神話*8を作っているという意図もある」
 グッドマンはここで、黙示録的サイエンス・ファンタジー『ラナーク』で知られる小説家、アラスター・グレイ(Alasdair Gray)が指摘するグラスゴーとパリやロンドンといった大都市の違いに触れている。後者の二都市は、映画などのヴァーチャルな世界で頻繁に描かれることによって、聴衆が都市を訪れる前からその場所性を思い描けるようなフィクショナルな空間である。対して、グラスゴーにはそのようなヴァーチャルな領域が少なく、閉所的な場所になっている。
 こういった地政学が現実を作っている*9。実際にはありえないが、可能性としてはありえる事象を描くことができるフィクションという手法を用いて、スコットランドという文化的空間が持つ可能性を神話化し、現実の一側面を強調する作業をグッドマンは行なっている。
 「(これが)『Astro-Darien』のナレーションが、スコッティッシュのテキストスピーチ音声になっている理由でもあるんだよね。大体のコンピュータ化されたテキストスピーチ音声ってイングランドかアメリカン・アクセントで作られている。だから自分の作品ではこの理由からスコティッシュ・アクセントを使いたくてね。それで数は少ないけど5個くらいの音声を見つけることができた。コンピュータ化されたスコティッシュ・アクセントを通して、つまり、若干ノーマティヴなものから遠ざかることによって、コンピュータ化された音声とはどんなものになりうるのかに気づくことができると思うんだ。

テクノ・ミュージックだけがもう未来を独占しているのではないということ。つまりは4つ打ちのキック、デトロイト由来、ヨーロッパでの突然変異などは、ひとつの音楽的観点から覗く未来でしかない。

 では『Astro-Darien』/『Escapology』のサウンドはどうだろうか。「『Astro-Darien』のサウンドトラックのほとんどはパンデミックの前にはできていたね。ソフトウェア・シンセをかなり奇妙に使っていたよ。レコード・ボタンを押して、鍵盤を嫌っているかのごとく連打してね。とにかくすべてを録音して、とにかくランダムだった。文字通り自分は楽器を演奏するサルみたいなものだったよ(笑)。事故的で、非意図的で、予想もつかないかつ音的にも興味深いものができたと思っている。楽器を演奏しない者は何かをでっち上げなけなきゃいけないから、僕はそういう方法を生み出す必要があった。そうやって生まれたものをジグソーパズルのように組み上げていったんだよ。
プロダクションの過程で使用されたソフトウェア・シンセサイザーのひとつにグッドマンはスケッチシンセ(Sketch Synth)を挙げている。韓国人プログラマー、パク・ジュンホが製作したこのオープンソースのソフトウェアは、ヤニス・クセナキスの電子音響作成コンピューターUPICのように、図形を音へと変換することができ、グッドマンはこのツールを自身のテーマとリンクさせてみせる。
 「GRMのアクースモニウムをどうやって使用するかを考えていたら、向こうがスピーカーの位置を示した会場のマップを送ってくれてね。それでそのマップをスケッチ・シンセに入れたら、不安定で不協和音な、とても居心地の悪い音ができた。それが『Astro-Darien』の物語にピッタリだと思った。スコットランドがイングランドの連合に入った1707年の後、ダリエン計画は明らかに植民地主義として失策だったけれど、イングランドの奴隷制度にスコットランドも加担するようになった。だから『Astro-Darien』で、僕は歴史のナレーターの重要性にも触れている。ゲームのAIシステムは、奴隷制度や植民地主義がスコットランドの資本主義にどれだけ重要かについて話している。当初、スコットランドの産業には多くの奴隷制度からの資本が入ってきていた。だから、それを表現するように、サウンドトラックは可能な限り居心地の悪いものにしなければいけないと思っていたんだよ。そのサウンドデザインにスケッチ・シンセは完璧だった」
 また今作において、とくにヘッドフォンで聴いたときに際立つのは、音が左右をダイナミックに移動するプロダクションだろう。そこにおいても、音の移動にもグッドマンはフィクションとの関連を想定している。
 「ステレオ・パニングによって方向感覚を失わせるようなプロダクションを目指したというのはあるね。ステレオ・イメージのプロダクションはほぼヘッドフォンだけでやった。ステレオを体験するのには最高の「場所」だからね。僕のスタジオは音がヘッドフォン並みに分離するほどスピーカーが離れるくらい大きいわけでもない。
  この物語では回転や、らせん状の運動が起きる。例えば “Lagrange Point” は、重力井戸のラグランジュ点を指しているんだけど、地球と月の間には複数のそういった重力の点が存在していて、それによって重力が安定している。宇宙ステーションやスペース・コロニーについて70年代に書かれたものを読んでみると、それらが位置しているのは、そういった重力の力(force)の間なんだよ。『Astro-Darien』のインスタレーションでは、YouTubeで見つけた動画を使っているんだけど、それは地球と月のお互いが関わり合ったらせん状のシステムについてのものだ。スペース・コロニーとしてのアストロ・ダリエンは回転していて、その中に入ると、回転するトーラス(“Torus”)がある。こういった複数の回転をステレオ・イメージで描いるというわけさ。“Lagrange Point” にはジャングルの要素があるけど、僕が思うに、ジャングルはどんなダンス・ミュージックよりも、ポリリズム的で回転的な力(フォース)がある。いうなれば、異なるループがお互いに関わり合って構成されるブレイクビーツの回転システムだね。

 ここでサウンドトラック『Escapology』収録曲のジャングルのリズムに触れられているが、本編である『Astro-Darien』の楽曲にはビートがない。なぜグッドマンは『Escapology』にビートを加えたのだろうか。
「『Escapology』を作ることは当初考えてはいなかったんだよね。まず『Astro-Darien』を作って、マスタリング音源をもらって、アートワークのためにヴィジュアルを担当したローレンス・レックやデザイナーのオプティグラムと長く作業をしていた。それで、この作品のためのイントロダクションになるような段階が、7年ぶりにアルバムを聴く自分の普段のリスナーたちのために必要だと感じた。奇妙な音で彩られたAIが作るスコットランド・アクセントなんて誰もいきなり聞きたくないはずだ(笑)。僕は『Astro-Darien』 のサウンドデザインが気に入っていたし、正直、この作品のためだけにその音を使うのはもったいないように感じてもいた。自分の頭の中では実験的なクラブ・ミュージックが鳴っているのだって聞こえていたから、その音をまた使いはじめたんだよ」
 今作で流れるビートは、グッドマンの音楽センスを形成したジャングル、それから初期ダブステップ以降の彼のトレードマークにもなっているフットワークや南アフリカが生んだゴムやアマピアノのリズムやベースラインだ。なぜここにはこう言ったリズムがあり、かつて未来の音楽だと言われたテクノはないのだろうか。
  「これは僕の過去20年の指針でもあるんだけど、テクノ・ミュージックだけがもう未来を独占しているのではないということ。つまりは4つ打ちのキック、デトロイト由来、ヨーロッパでの突然変異などは、ひとつの音楽的観点から覗く未来でしかない。だから、自分や友だちのDJたちの視点から異なる未来を描いているんだよ。例えば、過去数年、スクラッチャDVAやクーリー・G、アイコニカやシャネンSPはアマピアノをよくかけているよね。僕はあのベースラインが大好きだ。でも僕の頭はこんがらがっているから、アマピアノのベースがフットワークのリズムで欲しかったりするわけ。サイエンス・フィクションのための異なる音楽の遺伝子組み換えみたいなものだよ。加えて、自分のDJセットの要素もプロダクションに含んでいる。

僕の頭はこんがらがっているから、アマピアノのベースがフットワークのリズムで欲しかったりするわけ。サイエンス・フィクションのための異なる音楽の遺伝子組み換えみたいなものだよ。

 『Escapology』のリズムにシカゴや南アフリカの黒人文化に直結したリズムが選ばれ、また先ほどグッドマンが挙げた〈Hyperdub〉アーティストたちはUKの外側にも人種的ルーツを持っている。以前からグッドマンが公言しているように、レーベルはサウンドシステム由来の「ブリティッシュ・ミュージックと関係する、アフリカン・ダイアスポラ(離散)の音楽的突然変異のプラットフォーム」でありつづけてきた。2020年にふたたび世界規模のムーヴメントとなったブラック・ライヴス・マターへの共感も、当然グッドマンは抱いていおり、その要素も『Astro-Darien』には上記のようにサウンド、そして設定の段階でも関連性があったという。
 「パンデミックがはじまったくらいのときに、僕はスコットランドがどう帝国主義に関わっていたのかについて、かなり多くの本を読んでいた。さっき言った奴隷制度との関係、どうやってスコットランドに奴隷制資本が流れてきたのか、といったことだね。そしてダリエン計画は間違いなく壊滅的な計画だった。もしスコットランドが未来をどうにかしようとするなら、歴史の暗黒面と向き合う必要がある。
 スコットランドは市民的ナショナリズムを持っていると言われるけど、それはつまり国境が開いたナショナリズムを意味している。ブレグジットとは真逆なわけだよ。ブレグジットはイングランドのパラノイド・ナショナリズムだ。比べて、スコットランドには違った可能性があって、もっとオープン・マインドなナショナリズムのモデルを示していると思うんだ。
 でも同時に、帝国主義によって発生した負債をどうにかしない限り、スコットランド独立のサイエンス・フィクションは不可能だと思った。ゲームとしての『Astro-Darien』のゲーム・エンジンはTディヴァインっていうんだけど、それはスコットランドの最も有名な歴史家のひとり、トム・ディヴァイン(Tom Devine)から採られている。彼は『Recovering Scotland’s Slavery Past』という本を編纂している。この設定は、ゲームを駆動するAIは、スコットランドの地政学の歴史全体のシミュレーションである、というアイディアによるものだね。スコットランドは過去の罪をどうにかしなきゃいけない。それが次のレベルへ進むための必要条件なんだ」

 ポストコロニアル的批判的思考回路を自身の表現形態に接続することにより、グッドマンが目指すのは、ドキュメンタリー/フィクションを通した未来の創造と、未来を現在に到来させることだ。それはここで彼が述べるように、市民的ナショナリズムのもと、共同体の構成員の援助と、外部に開かれた新たな国家のあり方を探りつつ行なわれる。その先に広がる未来のために、現代の国家の礎となっている奴隷制度に着目し、歴史的な反省にも向かっている。これが特定の国家の「解放」の未来を描きつつも、それを安易には理想化しない『Astro-Darien』でグッドマンが提示する共同体の理論である。
 国家という共同体の未来像を、フィクションを通して彼は描いているわけだが、ではここにグッドマンの個人史はどのように関係しているのだろうか。「パナマとスコットランドにルーツを持ち、内部にいながらアウトサイダーの視点を持つグナ・ヤラは自分に似ているかもしれない」とグッドマンは答える。コスモポリタニストでノマドであることを肯定する彼の出自にも、ヤラに通じるものがある。「僕はスコットランドに半生以上住んでいなくて、両親はイングランド出身で、さらに彼らはブリティッシュというわけではなく家系の各世代が異なる国の出身。ある種の移民家族みたいなもので、祖父母世代はウクライナ、ポーランド、チェコ出身なんだよね」
 今作は決して自伝的なものではないとした上で、グッドマンはアウトサイダーの視点の重要性について、以下のように説明する。
 「彼女は、エイリアン化をポジティヴなものとして捉えるために、『Astro-Darien』を外部へと開かれた状態でいつづけるようにプログラムしている。つまり、いかなるスコットランド的な観念にもエイリアン的であるようなものに開かれている、あるいは反動的なナショナリズムのカウンターであるとも言える*10
 グッドマンによるプロジェクトは、彼の友人のベリアルがそうであるように、ある種の匿名性に包まれたプロジェクトで、そこからは彼の出自に関する情報は希薄に思われることもあった。しかし『Astro-Darien』/『Escapology』にあるのは、個人と大きな歴史のパラレルを往復してできたサウンドの結晶である。
 「作品を作り終わったあと友人と話していて、『一体全体、自分は何をやっているんだ!』と思ったよ。なぜなら、これは自分が普段やろうとする類のものじゃないからね」とグッドマンは作品を振り返る。奇妙な時代が新たな語り部を必要としている。思惑する芸術家は、自身を貫くカレドニアの闇の奥から、対峙すべき過去と未来を、サウンドとともに描き出したのだ。


(註)
1 スコットランド地域を指す地理用語。
2 ハイパースティション(Hyperstitution):CCRU関連のテキストで用いられる概念で、単なる噂(superstition)がテクノロジーによって強度を上げ、現実になっていくことを指す。
3 マンロー(munro)標高3000フィート以上のスコットランドの山を指す。
4 市民的ナショナリズム(civic nationalism):ナショナリズム(国家主義)の一形態であるが、自民族中心主義的はなく、共同体の構成員である市民の個人権利や平等などを重要視している。
5 加速主義(Accelerationism):資本主義の発展と技術革新を加速させることによって、社会変革を目指す思想。左派加速主義は資本主義システムの崩壊を指向し、右派のそれはその強化へと向かう。CCRU時代のニック・ランドがその根本的な考えを示したとされる。
6 The Notel (2016):シュミレーション・アーティスト、ローレンス・レックとグッドマンによる映像と音楽によるインスタレーション/パフォーマンス作品。未来の人間がいなくなった中国にある、AIによって制御され、ドローンが働く全自動ホテルの内部をシュミレートしている。この作品に関して、筆者は『現代思想 2019年6月号 特集=加速主義──資本主義の疾走、未来への〈脱出〉』で考察を行なっている。
7 現在のスコットランド与党のスコットランド国民党の政策は、スコットランド独立に加え、教育費の公的負担、EU支持、医療制度の充実、貧困層支援、労働賃金の引き上げなど、社会主義的な政策を掲げている。
8 神話(mythology):ある特定の共同体内で共有されている文化規範などを反映した世界の秩序や創生に関する造話。
9 会話でもグッドマンはここで「地政学(Geopolitics )」という言葉を使っている。特定の地域の文化社会的、政治的な事象を、地理学的な特性によって考察する学問分野/手法。
10 進行中の社会情勢に反動する形で右傾化する姿勢が反動主義的ナショナリズムと呼ばれる。例えば、イギリスの80年代のサッチャリズム~90年代トニー・ブレア政権に端を発するニューレイバーの新自由主義政策の行き詰まりから、ブレグジットの実現にいたる過程を例に取ることができる。UK国外にルーツを持つ「アウトサイダー」的視点は、このような自国/白人中心主義的なイギリスの反動主義に対抗するものであるとグッドマンは主張している。「新自由主義が失敗するとき、人びとがする最もたやすいことは、反動主義的ナショナリズムを拠り所にすること。だから、スコットランドで起きていることは、ナショナリズムに興味深いものを見出す、現在進行形の闘争だ」と彼はいう。

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