「KING」と一致するもの

Fatima - ele-king

 先日ロンドンから帰ってきたばかりの友だちが言うには、いまは「ジャズが来ている」そうだ。流行りモノが好きな僕は、そういうひと言が気になってしまうのだが、UKは、クラブ・カルチャーにおいてジャズ/ファンク/ソウルがセットとなって周期的に流行る。ele-kingでもここ1~2年はその手のモノが紹介されているが、あるクラブ世代の固まりがある程度の年齢に達すると、ジャズ/ソウル/ファンクにアプローチする人は少なくなく、いまはダブステップ世代にとってそういう時期なのだろう。
 そういえば、昨年はセオ・パリッシュによる〈ブラック・ジャズ〉(70年代のスピリチュアル・ジャズを代表するLAのレーベル)の編集盤もあったが、今年はサン・ラー生誕100周年でもある。ラー100年の記事は、海外のインディ系の多くのサイトでも載っている(彼は1914年、大正3年生まれなのだ)。

 クラブ・ミュージックで言えば、フローティング・ポインツ(サム・シェファード)は、そのスジでもっとも評価の高いプロデューサーだ。彼はいまだにアルバムを出していないのだが、何枚かのシングルによって(とくに2011年の「Shadows EP」と「Faruxz / Marilyn」は必聴)、その他大勢のジャジーな連中との格の違いを見せている。ゆえに彼が運営に関わる〈エグロ〉からソロ・デビューした、スウェーデン出身ロンドン在住の女性シンガー、ファティマのフル・アルバムを楽しみにしていなかったファンなどいないだろう。

 録音はロンドンとLAでおこなわれている。アルバムをサポートするメンツはかなり良い。サム・シェファードはもちろんのこと、デトロイトのセオ・パリッシュ、〈ストーンズ・スロー〉のオー・ノー、サーラーのシャフィーク・フセイン、LAのコンピュータ・ジェイ、リーヴィングからもカセットを出しているナレッジ、ケンドリック・ラマーのアルバムにも参加しているスクープ・デヴィル、ロンドンのfLako……とまあ、一流(?)どころが揃っている。
 しかし、一流どころを揃えれば必ずしも試合に勝てるわけではないことは、ワールドカップをご覧の方にはおわかりだろう。チリやメキシコのようなチームは、がんばって最後まで見て良かった……と思わせる試合をした。ファティマの『イエロー・メモリーズ』がそのレヴェルに達しているかどうかは疑わしいが、確実に言えるのは、ここには過去を活かした魅力的な「現在」があることだ。

 現在──ローリン・ヒルやジル・スコットで育った90年代の子供の上品な歌の背後には、モダンなビートが軽やかに鳴っている。1曲目の“Do Better”(シェファードpro)は、70年代ソウル風のドラマティックなホーンセクションではじまるが、アルバムはレトロに囚われない。マッドリブの弟によるヒップホップ・ビーツの“Technology”、コンピュータ・ジェイ(とシャフィーク・フセイン)によるネバっこファンク“Circle”、スクープ・デヴィルのうねりをもった“Ridin Round (Sky High)”……と、前半は、ヒップホップ・ファンとしての彼女の好みが展開されている。
 そして、ジャズ/ソウル・スタイルの“Biggest Joke Of All”(シェファードpro)、最高にチルな“Underwater”(ナレッジpro)など、古さを活かした曲を混ぜながら、『イエロー・メモリーズ』はUKらしい折衷主義を更新する。真夜中のダウンテンポ“Talk”(シェファードpro)から最後の曲“Gave Me My Name”(シェファードpro)にかけてのメランコリーも悪くはない。 
 

 大好評発売中! 続々と追加のオーダーをいただいております『「4分33秒」論』。イヴェントやフェアもまだまだつづきます。ジュンク堂書店池袋本店さんでは、佐々木敦さんの選書フェア〈ジョン・ケージと「4分33秒」を/から考える〉を開催中。こんなにあるのかジョン・ケージ本! 売り場では、ケージ自身の著作から、ケージ学者の研究書、実験音楽の入門にもってこいのガイド本まで、佐々木さんのコメントつきでずらりと展示・紹介されています。お立ち寄りの際にはぜひ9F芸術書のフロアまで!

■佐々木敦著
「4分33秒」論──「音楽」とは何か

本体 2,500円+税
上製256ページ
2014年5月30日発売
ISBN 978-4-907276-05-8
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~目次公開!~
一日目 『4分33秒』とは何をするのか
イントロダクション/「『4分33秒』を/から考える」ということ/『4分33秒』の初演とその時代/無響室の体験/「音」と「音楽」/なぜ四分三三秒なのか/ホワイトペインティング説/『4分33秒』が企図するもの/「あんなの音楽じゃない」/人間は慣れる/「HEAR」と「LISTEN」/「音」から「音楽」へ/耳はフォーカスできる/「聞こえている」ことの豊かさ/現前性・一回性・不可逆性/『4分33秒』を聴く/『4分33秒』を録音するということ/時間の設定/『4分33秒ダブ』/ダニエル・シャルルとの対話/「音」の収奪/作曲なんかいらない?/『4分33秒』は常に流れている/『4分33秒』の後で作曲するということ
二日目 「無為という行為」と「時空間の設定」
否定形で語られる『4分33秒』/ネガティヴがポジティヴに変換する/「意図」の所在/『4分33秒』を「音楽」たらしめるもの/『4分33秒』の理想の有り様/二回目以降/四分三三秒の間に起きていること/意図の介在しない芸術/音楽が不要になる?/それは芸術の範疇なのか/「音楽」vs「音」の不可能性/時空間の設定・限定/「無為」を成立させる条件/アートと音楽/『4分33秒』のオムニバスを聴く/角田俊哉とサーストン・ムーアによる『4分33秒』/参加できなかった理由/リダクショニズム/「無」が語る
三日目 『4分33秒』をめぐる言説
音楽史における「サイレンス」/マイケル・ナイマン『実験音楽』/「偶然性」と「開かれた経験」、そして〈生〉の肯定/近藤譲『線の音楽』/「外聴覚的音楽」/「音楽だと思ったら音楽」なのか/「聴覚的音楽」に回収される/器としての世界/常にそこにある沈黙/庄野進『聴取の詩学』/『4分33秒』がまとう権威性/『4分33秒』と「レディメイド」/「枠」と「中身」/『4分33秒』の続編/若尾裕『奏でることの力』/フルクサスとの関わり/「オーヴァーピース」と「アンダーピース」/コンセプチュアル・アートと『4分33秒』/室内楽コンサートとヴァンデルヴァイザー楽派/『One11 with 103』/ケージとフランク・ザッパ/次回予告
四日目 『4分33秒』以降の音楽
『ヴァリエーションズⅦ』/「枠」と「出来事」/指示の零度と百%の狭間/出来事性を再認識させる/映像における「枠」と「出来事」/構造映画(ルビ:ストラクチュラル・フィルム)/カメラがパフォームする映画/ほとんど何もない/『4分33秒』への回答/ミニマル・ミュージックとの接点/特権化が神秘化へ向かう/ヴァンデルヴァイザー楽派/聴取ではなく体験、官能ではなく認識/『セグメンツ』/『セグメンツ』で起きていたこと/コンセプトの理解と聴取体験/コンセプトは理解されるためだけにあるわけじゃない/体験が重要なのか/『4分33秒』を/から「考える」こと/即興/聴取の解体
五日目 「聴取」から遠く離れて
三つの『4分33秒』/第二の『4分33秒』/第三の『4分33秒』/「聴取」だけが問題なのか/枠と出来事を再考する/枠とは何か/純粋なタイムマシン/自分の時間が外にある/純粋に時間が流れる/映画におけるフレーム/純粋小説?/『エウパリノス』/「体験」でいい/質疑応答/無駄なことが贅沢だという感覚/『4分33秒』と「人間が生きているということ」/美学に拠らないこと


interview with Matthewdavid - ele-king


Matthewdavid
In My World

Brainfeeder / Beat Records

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 マシューデイヴィッドはロサンゼルスの空のような男だ。僕がどれだけくだらないことを喋ろうが、いくら現在の音楽マーケットに悪態をつこうが、いつでも穏やかで、真摯なまなざしを向けながら人の言葉をひとつひとつ丁寧に咀嚼し、紳士的に自分の見解を述べる。そのたたずまいはつねに涼しげ、本当にメガ・爽やかな男であり、時折あれ? 軽く後光差してない? と思ってしまうほどの輝くポジティヴ・オーラで、語りかけるものの身を包んでしまう。それでいて完全に超変人。

 本作『イン・マイ・ワールド』の完成直後、彼から受け取ったデータを初めて通しで聴いたとき、僕は愕然とした。近年にないほどの深い感動をおぼえた。いったいどうなってるんだ? どうやったらこれだけポップでありながら最高にドープなソングライティングができるんだ? 彼にしか創ることができない最高のレコード。結婚と娘の誕生によってかけがえのない家族を得た彼が人生のひとつの集大成として完成させたこのレコード。彼の過去の膨大なアンビエント・ワークスの中で僕がしばしば垣間みてきた彼の人生の苦悩や不安、葛藤──僕が体験したことのない人生の山なみを乗り越えた先に広がる光と闇が渾然一体となる遥かな宇宙、それをマシューデイヴィッドは愛で包み込もうとしている。控えめに言っても最高傑作、僕の今年度最高のレコードだ。

 インタヴュー中に登場するマシューの奥さんであるディーヴァ・ドンペ(Diva Dompe)は、かつてブラック・ブラックやポカホーンテッドなどでバンド活動をおこない、現在はディーヴァ(DIVA)としてLAを拠点にソロ活動をおこなうアーティスト。マシューとの結婚、娘のラヴ誕生後も滞ることなく積極的にライヴ・パフォーマンスや、自らが主催する瞑想プログラムなどをおこなっている。不定期ではあるが彼女も〈ダブラブ〉でヒーリング・プログラム、「イアルメリック・トランスミッションズ(Yialmelic Transmissions)」のホストをつとめている。

■Matthewdavid/マシューデイヴィッド
フライング・ロータス主宰〈ブレインフィーダー〉の異端児にして、自らも時代性と実験性をそなえるインディ・レーベル〈リーヴィング〉を主宰するLAシーンの重要人物。非常に多作であり、カセット、ヴァイナル、配信など多岐にわたるリリースを展開。2011年に〈ブレインフィーダー〉よりデビュー・フル・アルバム『アウトマインド(Outmind)』を、2014年に同レーベルよりセカンド・アルバム『イン・マイ・ワールド』を発表した。


たぶん、君は僕の「幸福の涙」にチャネリングしちゃったんだと思うよ。

やあマシュー、またこういったかたちでインタヴューができて本当に光栄だよ。はじめに正直に言わせてくれ。『イン・マイ・ワールド』を聴いて泣いたよ。ここ数年でもっとも感動したレコードのひとつだと言っていい。

MD:ありがとう。じつは最近泣き虫なんだよ。このアルバムの制作中もよく泣いていたから、たぶん、君は僕の「幸福の涙」にチャネリングしちゃったんだと思うよ。

「幸福の涙」にチャネリング!!!! 何かスゴいねそれ。でも僕も大袈裟な言いまわしかもしれないけど、このレコードを通してマシューの人生と、それに照らし合わせた僕の人生を追体験させられたよ。

MD:共感してくれたみたいだね。それこそ僕が成し遂げたいことのすべてさ。アートのかけらが無機質な社会を貫き、全人類が共有可能な感情レヴェルの最深部を掘りおこす……この音楽はまだまだ、ぜんぜん、抽象的なんだよ。まだ相当難解だし実験的なんだけど……。僕はこのイカレたスタイルで、もっとポップな音楽を制作するようユル~く試そうと思うんだ。より広いオーディエンスへ向けていくことも重要だしね。

うん。間違いなく共感した。極論を言えば、すべての人間は一生の間、人生経験や内面世界を誰とも完全に共有することはできないんだけど、僕らは他者の人生経験や内面世界を自分たちのそれと照らし合わせることで誰の人生や感覚でも共感できる。そういう意味でこのレコードはすんごいスムーズだと思うんだよね。『イン・マイ・ワールド』は抽象的で難解なエクスペリメンタルとポップの完璧なバランスの上に成り立っている。そのバランスの支点にシュッと人が入り込めるようになってるってゆーか……

MD:そうさ! これは解放なんだよ! 僕が求めているのは解放なんだ! 僕らはしばしば僕らのマインドが解放を求めていることに気づけないんだ。僕はこのアルバムをひたすら外へ向かってゆく魂の表現に感じている。すごいダイレクトなんだよ、何も後ろには抱えないで前に向かってく感じ。これがリスナーの解放に働きかけるんだ、ちょうど僕がこれを制作していたときに体験したように。僕は人々がもっと寛容でオープン・マインドなっていくように感じるんだ、すべてにたいして。すべてが癒えるのさ。
 もし誰かがこのレコードを試しに聴いてみてフィーリングがあまり合わなかったり、好きになれなかったりしてもだよ、それでもそこにはリスナーへの影響があって成立するある種のポジティヴ&ヒーリングがあるんじゃないかって感じているんだ。それが僕のゴールなんだよ。

マスタリングとミックス・ダウンをしているときに僕のベイビーが生まれたんだよ。僕は最後の手を加えて構成を形作った。

解放だね。ジャケも全裸だしね! 勝手な感想なんだけど、『イン・マイ・ワールド』は非常にストーリー性に富んだ作品に思えるんだ。スーパー・スイートなラヴ・ソングで幕が開けたと思ったらさまざまな感情が押し寄せてきて、気がついたら壮大な精神の旅へ向かっている。最終的には生命と芸術的欲求の根源、宇宙のはじまりまで遡ってまた帰ってくるみたいな……

MD:そうさ! これらの曲で物語を編むのはマジで大変だったんだよ! 正直に言うと当初の予定でははじめから終わりまでの流れはこうじゃなかったんだ。だけどアルバム制作が最終段階に入ってさ、マスタリングとミックス・ダウンをしているときに僕のベイビーが生まれたんだよ。僕は最後の手を加えて構成を形作った。

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物語、つまり『イン・マイ・ワールド』のストーリーで織られたタペストリーは、情熱と探求による献身の時間を経て、語られるべき時を迎えたのさ。


Matthewdavid
In My World

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けっこうな時間をこのアルバム制作に割いてたよね? いくつかの曲は1~2年前にできあがっていたじゃん。でもこのアルバムでの聴こえ方ってかなり違うし、マスタリングとミックス・ダウンのときにさ、以前作った曲もショワ~って変容した感じ? 家庭を持ったマシューが見えた新たな物語の世界へさ。

MD:バラさないでくれよ……(笑)。ご存知のとおりこのアルバムを作りあげるのに何年もかかったよ。たぶん2~3……いや、何年かかったか正確に言うのも難しいな。2曲めの“コズミック・コーラー”は何年も前に作ったビートものだったし。
 僕の人生、つまり新たな家族を得るまでの変遷が、長年あたためてきたアイデアに、あらためて僕を頭から飛び込ませてくれて、そのチカラづよさに気づかせてくれたんだ。まだ完成するまえの話だよ。たくさんの古いアイディアが成熟、変容して、全体像を結ぶ曲となっていった。物語、つまり『イン・マイ・ワールド』のストーリーで織られたタペストリーは、情熱と探求による献身の時間を経て、語られるべき時を迎えたのさ。愛、思いやり、感情移入といったもっとも深い情熱が誠実な創造力を走らせてくれるんだ。

さっきも言ったけどジャケが最高。写真が相当キテる。とくにライティングと表情が。このポートレート撮影にあたってコンセプトはあったの?

MD:いや~、ニコラス・マレーが撮影したフリーダ・カーロのポートレイトを参考にしたんだよね(https://indigodergisi.com/wp-content/uploads/2014/01/frida-kahlo-by-nickolas-muray.png)。ディーヴァの友人の素晴らしい写真家であるローガン・ホワイトのおかげさ。リヴィングにデカいライティングを用意してもらってさ、僕らでベンチやら植物やらハリボテやらセッティングして……僕らが実験を開始してから一時間かそこいら経った頃かな、よっしゃ、全裸でベイビー抱いて撮ろうぜ! ってなって。

いや、普通ならないって……

MD:ちがうライティングや表情も試してみてさ、異なった趣きを演出するように、僕らの幸せを内省的でアーティスティックな雰囲気に再現してみたんだ。僕のベイビーは人生と愛を、人類の成長と進歩を象徴しているんだ。

マシューはディーヴァ(Diva)といっしょにあのけっこうマジな瞑想をしてるの? いくつかのトラックはディーヴァの曲のコンセプトに近いものを感じるよ。てか、3曲めなんかモロに“パーペチュアル・ムーン・ムーズ(Perpetual Moon Moods)”でディーヴァのアルバム・タイトルとカブってるし。ネオ・ペイガニズムとかアニミズムみたいなものには惹かれる?

MD:そうだね、コンセプチュアルな面では扱っているテーマ/リリックの言葉選びの点では近いものがあるよ。僕が自分の音楽のなかで話そうとしている事柄はいろいろあるんだけど、その内のいくつかは君が言うような「ネオ・ペイガニズム」や「オカルト」、「秘術」と呼ばれる類いのものだ。LAでのエナジー交流のコミュニティがあって、僕も彼女もその中でいっしょに瞑想してるよ。秘技である古代の治癒術を学んだり、不安や恐怖をどのように消すのかをコミュニティの中での創造行為を通じて学び、段階的な行動とともに共有していくんだよ。

僕が自分の音楽のなかで話そうとしている事柄はいろいろあるんだけど、その内のいくつかは君が言うような「ネオ・ペイガニズム」や「オカルト」、「秘術」と呼ばれる類いのものだ。

近年のマシューの作風であるソウルやR&Bのチョップ&スクリュー、オリエンタルなメロディ、未来的ダブ・エフェクトも非常に洗練された新たな形でこのアルバムの曲に表れているよね。なにより今回はマジで唱いまくってるしラップしまくってる。それがなによりこのアルバムを愛に満ちたものにしているしね。月並みなことを言って申し訳ないんだけど、〈ブレインフィーダー〉からの前作『アウトマインド』からの変化は明らかなんだ。話が重複しちゃうけど、結婚や娘の誕生などマシューの人生には最近大きなことがいっぱいあったわけで、状況や環境の変化は君のアートにも絶対影響するじゃん?
 “アウトマインド”を制作してたときからふりかえってみて、いったい何がもっともマシューの音楽に影響を与え、どんな方向に変化したと思う? マシューを再びラップすること、唱うことに突き動かしたのはなんだろう?

MD:これは僕にとってとても重要なことなんだけど、愛の明白なテーマを投影するためには、よりよいプロダクション・クオリティでの歌とラップのヴォーカルが不可欠なのさ。若い頃の僕がヒップホップの洗礼を受けたことは、僕が真に自由な自己解放に向かっていくはじまりだったんだ。高校の頃にビートを作りはじめてビートにラップをのせた。初期のフルーティーループスと初期のACID PROで作ってたね。自分自身の存在意義や怒れる10代のフラストレーションなんかを込めて、ほとんどパンク的反抗精神なんだけど、あくまでそれをヒップホップを通して発散していたのさ。当時の僕のラップはすべて自分自身に関する事柄だった。ティーネイジャーとしての足掻き、教師や政府、ときには両親への足掻きもね。

愛の明白なテーマを投影するためには、よりよいプロダクション・クオリティでの歌とラップのヴォーカルが不可欠なのさ。

 いま、僕がこれらの人々に見せつけてやりたい唯一の事柄は感謝と尊敬の念なんだ。すべての人類へのメッセージさ。みんなが愛を持ちつづけるかぎり僕には未来への希望と楽観があるんだ。人間は意識を高めればお互いに助け合い、共感し合うことができるんだ。意識の飛翔(Mind Flight)+意識の拡張(Mind Expansion)= 宇宙の移行(Space Migration)なんだ。「みんなが愛を持ち続ける限り」……僕はこのテーマをこの新たな身体表現として語りかけたいんだ。インスト・アルバム(『アウトマインド』)のようにテーマをコッソリと埋め込むかわりにね。勇敢になるときがきたのさ、世界がひとつになるための最大の可能性といえるこの普遍的なテーマを表現するときがきたんだ。僕らは娘を「ラヴ」と名づけたんだ。彼女やこの地球に存在するすべての人間が宇宙の光を内包しているようにね。

たしかに君がこのアルバムで壮大な愛と平和の「意識の拡張」を試みてるのはよくわかるんだ。でも僕がこれを聴いて感じたのは、君が今回掲げる普遍的なテーマの強度とでも言おうか。単なるヒッピー気取りのハリボテじゃない強度、それはマシューがいままでの人生で体験してきた憤り、葛藤、失望といったリアリティがあるからこそ成立しているように聴こえるよ。

MD:その通りだよ。光と闇は一体だ。そして僕らは自分たちからその多くを学ぶことができる。夜のもっとも深い闇を通り抜けるようにね。その秘密は闇の中で沸き返ったり固まったりしているんだよ。僕らは眩い光と漆黒の闇の間でおこなわれる、認めざるをえない交換を理解することで宇宙の秘密、魂の秘密を見つけるんだ。この考え方が僕の音楽を強固なものにし、マジで僕のヴィジョンを強いものにしているんだ……そこだよ。僕らはいま同じ波長で話をしているんだ。
 僕がマジに焦点をあてたいことがあるんだ。僕の友だちやコミュニティもつねにそれを談義してきた。僕らの国には深刻な戦いがあるんだ。たぶん他の国々でもそうだけど、これは闇との戦いなんだ。僕らの国は、僕らが生きていくことから追いたてるドラッグ、計画、道具、組織を作り出した。恐怖を僕らの心にしみ込ませることで、僕らが絶対に闇に立ち向かえないように、完全に闇を恐れてしまうようにね。これは不健康だから変わる必要があるんだ。僕らがもっと目を向けて認めなくてはならないのは、人間社会と意識の解放において教育と試練をもって闇を抜けていくことなんだよ。

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これ以上もう境界線なんてほとんどないんだよ。いつだって僕らは音楽の境界を解放してきたんだ。


Matthewdavid
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少し話題を変えるけど、マシューを取り巻くLAのローカル・シーンも最近変化している? もしくは見え方が変わってきた?

MD:すべての物事は絶え間なく続く変化と流動の段階にある。それは音楽シーンもいっしょさ。僕はたくさんの音楽をたくさんの時間で考える。あらゆる歴史の点から、あらゆる国からやってくる、あらゆる種類の音楽について。ロサンジェルスはインスピレーションを受けるには本当にエキサイティングな場所だ。エレクトロニック・ミュージックは〈ロー・エンド・セオリー〉で、ジャズはサンダーキャットで、アンビエントやニューエイジ、実験音楽のリヴァイヴァル・ライフスタイルは僕やゲド・ゲングラスやキャメロン・スタローンズが担っているようにね。これらの芸術行為はつねに混ざりあってひとつのものになろうとしている……これがいま起きていることさ。ここでは、僕はソウルやR&Bミュージックを作って、「変テコ・ポップ」や「変テコ・ソウル」をショウで披露して、オーディエンスはつねに何か新しいものに興奮し、敬意を抱いてくれるんだよ。

最近誰かとコラボレーションしている? 家族とのコラボレーションは『イン・マイ・ワールド』の中には入ってる?

MD:アルバム・カヴァーの家族写真だけかな。じつはディープ・マジック(Deep Magic)の古い曲をリミックスして3曲めの“ザ・ムード・イズ・ライト”に使っているよ。インドでサンプリングしてきた子どもたちの声は最後の曲の“バーズ・イン・フライト”に使っているね。
 “イン・マイ・ワールド”以外だと、仕事でマジでたくさんの人とコラボレーションしつづけているよ。友だちの音楽をたくさんミキシングしてマスタリングして、〈リーヴィング・レコーズ〉のリリースもやりながらね。

〈リーヴィング・レコーズ〉も年々ヴァラエティに富んだリリースになってきたよね?マシューと〈リーヴィング〉も繋がりの深い〈ストーンズ・スロー〉や〈ロー・エンド〉周辺も以前よりも懐の大きなものになっていってる気がするんだけど。それって前も訊いたかもしれないけど君らによるものが大きいんじゃないかな。

MD:これ以上もう境界線なんてほとんどないんだよ。いつだって僕らは音楽の境界を解放してきたんだ。

子育てが忙しいのにけっこうイヴェントにも顔出すし、ライヴもやってるよね? 最近LAで印象に残ったイヴェントとかライヴってある?

MD:昨日は〈ロー・エンド・セオリー・フェスティヴァル〉だったんだよ! 全部ジャングルとドラムンベースのセットでプレイしてやった! ステージ上でキモいくらい踊り狂っちゃってさ、そしたら観客がガンガンのせてくるもんだからドンドンアガっちゃって……。みんなすごい楽しんでたし、僕のほうも新たなスタイルでパフォーマンスをするのはいつだって最高だね。ラップと歌もチョコっとやったよ。

うわ! それ行きたかったなー。君めっちゃクネクネ踊るもんね。数ヶ月前にさ。ロー・エンドにDJ Earlといっしょに観にいったの憶えてる? あれすっごいヤバかったよね。ジャングルからジューク/フットワーク系もハマってる? アルバムに収録されてる“ウェスト・コースト・ジャングル・ジューク”は超キラー・トラックだよ。このスタイルだけの12インチとか切ってよ。

MD:すごいハマっちゃってるよ。すごく楽しいしエナジーに満ちてるんだ。こういったもののヴァイブレーションをもろに受けたらクレイジーに突っ走らずにはいられないよ。ありがとうマシュー・サリヴァン(Matthew Sullivan)! 僕にジャングルを発見させてくれて感謝するよ!
 ジャングルはフットワークの親でもある……だけど僕はヒップホップのバッググラウンドで育った。ヒップホップはサンプリング・ドラムとブレークだろ? ジャングルはそこからブレークを取って2倍の早さにしちゃうんだ! 超楽しいよ! フットワークとジュークはベースにベースにベースにベースさ。IDMとドラムンベースはリズムとシーケンス、それからタイミングを永久飛行に……よっしゃ行こうぜ!

正直なところ、最近、クレイジーなジャングルやドラムブレークにハマっちゃってて……それからフットワークを少々……。僕は実験を試みながらこれらのスタイルがヒップホップやソウル、アンビエントと合体していくのにワクワクしてる。

〈ダブラブ(dublb.com)〉でマシューがホストを務めているウィークリー・プログラム、「マインドフライトメディテーション(Mindflight Meditation)」について教えてよ。

MD:毎週2時間、〈ダブラブ〉でおこなっている僕の音楽瞑想プログラムさ。ほとんどの場合、すべてが即興で、すべてがライヴでおこなわれ、聴者の意識レヴェルを高め、変性に向ける、アンビエント/エレクトロニック/ドローン/フィールド・レコーディングなどで構成される番組だよ。ひょっとしたら僕の音楽活性化体験の中でもっとも満たされて報われているものかもしれないな! この種のパフォーマンスや即興はいつもホーム・スタジオでおこなってるんだ。僕ん家のリビングで、僕の家族と……だけどもそれをブロードキャスト、〈ダブラブ〉を通じて世界中に配信できるのはとてもうれしいよ。ヒーリング・ヴァイブを共有するんだ! これまでにたくさんのゲストを迎えて僕とコラボレーションやライヴ・パフォーマンスをおこなってきた。ディンテル(dntel)、 mndsgn、M・ゲド・ゲングラス、d/p/i、ホワイト・レインボウ(white rainbow)など……いろんな人が遊びに来るけど大抵の場合は僕ひとりでやってるよ。

とりあえず近いところで企んでることがあったら教えてよ。

MD:さっきも言ったけど、正直なところ、最近、クレイジーなジャングルやドラムブレークにハマっちゃってて……それからフットワークを少々……。最高のヒップホップ・グループ、アウトキャストのミックス・プロジェクトとジャングルだね! そろそろくるでしょ。僕は実験を試みながらこれらのスタイルがヒップホップやソウル、アンビエントと合体していくのにワクワクしてる。

君がどれだけアウトキャストが好きなのかは知ってるよ。このアルバムを聴いてケンドリック・ラマーも好きなのかなって思ったんだけど。

MD:ケンドリックは好きだよ。だけどアンドレ3000はもっと好きだな。あえて言いたいんだけど、僕はケンドリックが持っているようなスマートで未来的でイケてるスタイルはあきらめなきゃいけないな。彼には本当に滑らかなヴォーカル・プロダクションもあるよね。正直に言うと、ケンドリックのサウンドは彼のヴォーカル・プロダクションによって最高のものになっていると思うし、そこからインスパイアされるよ。アウトキャストはいつだって境界線をブッ壊してるんだ。でも僕にとってもっとも重要な要素は、彼らがどうやってヴォーカル・プロダクションにおいてピッチを使っているかなんだ。型にはまらない、ファンキーな、ギャングスタなレイヤー感とサイケ・エフェクト……。

最後に締めのメッセージがあれば……

MD:僕のレーベルの〈リーヴィング・レコーズ〉は〈ストーンズ・スロー〉の協力の下、たくさんの奇妙なアルバム・リリースを控えている。きたる一年、僕はもっと〈ストーンズ・スロー〉のオフィスで働くことになると思うよ。可能なかぎり情熱的で革新的なアートに焦点をあててサポートとリリースをつづけていくよ!
 そして最大の感謝の念を僕のコミュニティ、家族、友だちにつつましく表するよ。
 愛してるぜリョウ!

#5 eastern youth 吉野寿 後編 - ele-king

この頃から俺、一人で飲みにいけるようになったんですよ。一人でウロウロするようになって。そしたら自分と同じように一人でウロウロしている人が、世の中にはいっぱいいるってことに気づいたんですよ。

前編はこちらから

──今回インタヴューさせていただくにあたって、eastern youthのアルバムをあらためて活動順に全部聴き直してみたんです。そしたら『Don quijote』がすごく印象的で。歌っていることの本質はいまと変わらないのですが、歌詞から連想される世界観が荒涼としているというか。この頃の吉野さんはどんな心境だったんでしょうか?


eastern youth
DON QUIJOTE

キングレコード

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吉野:どんな感じだったんでしょうね……。「ドン・キホーテだなあ」って思ったんですよね。

──ご自分が……?

吉野:そう……ですねぇ……。この頃からCDのセールスが落ちてきて、レコード会社から首の皮一枚だみたいなことを言われて、さんざん脅されてたんですよ。さすがにもう(工事)現場の仕事とかには戻りたくなかったし、なにより自分との戦いに負けたくなかった。でもその戦っている相手が己の主観でしかない、幻のようなもののような気がしていたというか。「いったい何と戦ってるんだろう、俺は?」みたいな。ただ戦わなきゃ敗れるということだけはハッキリしてるんだけど、同時に勝つということもない戦い。

──どういうことですか?

吉野:負けたくないってことをあえて具体的に言うなら、生き延びたいってこと。だからこの戦いにおいて勝つということはないんです。前からそう思って生きてきたんですけど、恐らくこの当時はそれをより強く感じていたんじゃないですかね。……『Don quijote』って、どんな曲が入ってましたっけ?

──“暁のサンタマリア”とか“大東京牧場”とか。

吉野:あー、はいはいはい。この頃から俺、一人で飲みにいけるようになったんですよ。それまでは友だちを誘ってたりしてたんだけど、いよいよ誰もいなくなってきて、一人でウロウロするようになって。そしたら自分と同じように一人でウロウロしている人が、世の中にはいっぱいいるってことに気づいたんですよ。それを見てたら、結局(自分の人生は)一人で戦わなきゃダメなんだっていうことがわかったんです。「俺たちには仲間がいるからな」とかいうんじゃなくて。

──それって吉野さんが何歳くらいのときですか?

吉野:35~6ですよ、たしか。

──じつは僕いま37歳なんですが、まさに同じような心境なんですよ(笑)。

吉野:あははは(笑)。でもね、それは子どもの頃からずっと続いてて、いまも続いてる感覚なんです。結局一人なんだっちゅーか。眼鏡の内側には一人しかいなくて、一人の窓からみんなを見ている。結局一人に帰ってくるというか。そういうのがずっと心の軸になっている感覚なんで。このアルバムではそれがとくに強調されていたのかもしれませんね。この頃の俺は荒んでたんですかね……。いまも十分荒んでるんですけど(笑)。バリバリ。ヤバい(笑)。

俺は人間の形をした虚無袋みたいなもんです。それでその虚無みたいなもんにぶっ殺されそうになるんですよね。なるというか、つねになってるんですよ。だけど、それが当たり前の状況なんだと思うんです。

吉野:虚無ですね。俺は人間の形をした虚無袋みたいなもんです。どこを切っても虚無しか出てこないし、逆さに振っても虚無しか出てこない。もう砂漠っていうか、「空洞です」っていうか。それでその虚無みたいなもんにぶっ殺されそうになるんですよね。なるというか、つねになってるんですよ。油断してると、膝から崩れ落ちそうになる。「なんだこりゃあ、ダメだ」って。だけど、それが当たり前の状況なんだと思うんです。自分の荷物は自分で背負うしかない。虚無を打ち負かしてやるとか、うっちゃるとか、誤魔化すとかじゃなくて、それごと生きていこうっていうか。

──それが吉野さんの戦いであり、eastern youthが歌っていることであるわけですね。

吉野:言いたいことはただひとつ。虚無を背負って、それでも生きていくんだっていうこと。もやもやっとしているものなんで、グッと形にするのはエネルギーが必要な作業なんですけど。

──虚無を背負って生きていく、と思えるようになったのはいつ頃ですか?

吉野:心筋梗塞で半殺しになったときから(https://natalie.mu/music/news/21916)。最初倒れたとき、「死ぬ」と思ったんですね。「あーあ、これまでか。こりゃ死んだな」って。でも、生き残ったわけですよ。集中治療室で寝転がってて「やったー! 死ななかった」と思ったけど、「たぶんこれはいままでみたいにバンドはできんだろう。何もかもパーだな」って感じたんです。そのときは先のことなんてわかりませんから。

──でも、パーじゃなかった。

吉野:そう。パーじゃなかったんですよね。結局生きているうちは生きていくしかないんですよ。泣こうが喚こうが生きていくしかないっていうか。虚無だろうが、絶望だろうが、生きていくしかねえわけです。そう思えたら清々したんですよ。それまでは「俺はいつまで生きるんだ?」とか「いつ死ぬんだ?」って思ってたから。もちろん死んで終わらせてしまいたいと思うことはいまでもあるけど、焦んなくても死ぬよっていうのがわかってしまったんですよ。

──なるほど。

もちろん死んで終わらせてしまいたいと思うことはいまでもあるけど、焦んなくても死ぬよっていうのがわかってしまったんですよ。

吉野:人はそれぞれ持ち時間というものを与えられていて、それが終われば死にたくねえって言ったって死ぬ。虚無だろうが絶望だろうが、「いま生きてる時間を生きるしかないんだな」っていう覚悟ができたっていうか、腹が決まったっていうか。そんな気がしましたね。そんときがくりゃ、焦んなくてもいずれ死ぬなら、もうなるようになれと思って。そしたら清々したっていうか、さっぱりしたっていうか。シンプルになりました。迷わなくなりましたね。

──死に対する考え方が変わったということですか?

吉野:どうなんでしょうね。ただ死に対する恐怖は倒れる前よりも、確実に強くなっていますね。夜中に突然目が覚めて「このまま死ぬんじゃないか?」って眠れなくなったり、お風呂入っていてちょっと目眩がすると「もうダメか」って思ったり。俺の身体はもう「死ぬ」という感覚を知っているから、その恐怖とつねに隣り合わせで生きている感じです。昔は死ぬのなんて大して怖くなった。「死ぬときゃ死ぬんだ。どうにでもなりやがれ」と思ってたんですけど、いざ一回本気で死にかけると死の山は想像以上に高いというか。「死ぬって並大抵のことじゃねえぞ」って思うようになっちゃったんですよね。

──よりリアリティを持って死を意識するようになったと。

吉野:死ぬのは前より怖くなりましたけど、だからなおさらいましかねえんだっていうか。いましかねえから「ちゃんとやれ」っていうか。世の中の大人として「ちゃんとやれ」っていう意味じゃなくて、自分の生きたいように生きてくれっていうか、生きろっていうか、やれっていうか。焦燥感や虚無感はあるけど、それを克服しようがしまいが死ぬときゃ死ぬっていうね。だったらそれごと行くしかねえ。俺はそう思ってますね。

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誰かのせいで自分はいまこんなふうになってる、こんな目にあっているっていうふうにすり替えようとしてる。その誰かを踏みにじることで俺は救われるんだ、みたいな考え方はすごく情けないことだと思います。


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──震災以降、日本は死を意識するようになったと思うんですよ。でもそこから生まれた焦燥感や虚無感から、悪い意味で「自分の生きたいように生きていく」とか「人よりも自分」とか、まるでタガが外れてしまったような気がします。自分勝手になったというか。では、吉野さんはいまの日本をどのように見ていますか?

吉野:難しいですね。……一言で言うならムカつく。「何言ってんだお前ら、正気かよ」って思うようなことが普通になっていると思います。なんて言えばいいのか……。パンドラの箱が開いちゃいました、みたいな。身も蓋もないような感じになっているなとは思いますよね。

──それはどういった部分に感じるのですか?

吉野:インターネットとかで匿名の発言が表に出ることが増えましたよね。そういうところで、たとえば拝外主義みたいなものを正当化しようとしてるように思うのですよ。「みんな、そう思ってるだろ?」って。それでそこに居場所を見出そうとしている。そんな人が多いように感じます。だから安倍晋三が総理大臣なわけだし。嫌な国だな、腐っとるなと思うわけです。やっぱりみんな余裕がなくなっているんじゃないですか? 俺だって余裕ないけど(笑)。

──ヘイトスピーチなどをする人や、ネトウヨと呼ばれる人たちのことですね。

吉野:江戸時代の身分制度のようなもんですよ。彼らは自分よりも下のものを無理矢理作り出して、自分の人生がうまくいかないことに対する不満、実社会でどうにもならない自分の鬱憤を、自分よりの下みたいなものを踏みにじることで解消しようとしている。自分を認めさせようとしている。そんなふうに思うのです。承認要求みたいな。でも本当は自分自身のうまくいかなさなんてのは、自分で背負っていかなければならんのです。己の人生とがっぷり四つで戦っていかなきゃ打開なんてぜんぜんされないのに、誰かのせいにすることによってそれをごまかしているような気がする。いや逃げようとしている。そんなことして自分の行動や論理が合理化されるとでも思ってるんですかね? 情けない。

──なぜ彼らはそうなってしまったと思いますか?

吉野:俺も彼らがなんでそんなこと言うのか、ハッキリとした理由はわかりません。だけど自分の人生や孤独というものに耐えきれない根性なしであるというのは間違いないですよね。ちゃんと自分の人生を戦ってないというか、(自分の問題を)誰かのせいにして「自分は悪くない」と思っているってことじゃないですか。誰かのせいで自分はいまこんなふうになってる、こんな目にあっているっていうふうにすり替えようとしてる。その誰かを踏みにじることで俺は救われるんだ、みたいな考え方はすごく情けないことだと思います。自分の問題は自分で打ち壊さないと。それができないやつらが多くて、そいつらが差別したりするんでしょうね。だから余計に腹が立つ。

人間は誰しもが一人なんです。最終的には一人なんですよ。

──吉野さんはヘイトスピーチに反対するデモにも参加されているらしいですね。

吉野:みんなそれぞれ事情があるよ。街なんてそれぞれがいろんな事情を背負って、隣り合わせて、小競り合いをしながら関わり合っているんですよ。人間なんて最終的には一人ですからね。その人が死んだら全世界はなくなるのと同義なんですよ。だから一人の人間っていうのは全宇宙と言ってもいいわけですよね。だからこそちがっていて当たり前だし、だからこそおもしろいし、そうやって街はあるべきだと思うんです。人間とはそういうものでしょう。なのに、彼らはひとつの型みたいなものを作り上げて、「自分はそこのメンバーだ」「それが自分のアイデンティティの核だ」と思うことで、自分を認めたがっている。しかもそうじゃないやつらを踏みにじる。「俺はそうだけど/お前はそうじゃない/だからお前はクソだ」「俺は持ってる/お前は持ってない/だからお前はクソだ」。でもね、そんなのは幻想ですよ。幻です。幻みたいなものを信じようとしている。その根性のなさに腹がたつ。国家も民族も全部幻ですよ。人間は誰しもが一人なんです。俺っていう人間、君っていう人間。一人ひとり。それがいっぱいいりゃあ、村にもなるだろうし、街にもなるだろうし、国にもなるだろうけど、最終的には一人なんですよ。一人と一人が関わるからいろんなことが起こってくるけど、結局国だの民族だのってのは幻だと思う。人間はそんなもので割り切れん。人間をなんだと思ってるんだって。舐めやがって、っていう気持ちですよね。

──では最後の質問です。吉野さんにとってレベル・ミュージックとはどんなものですか?

吉野:俺ねえ、考えたことないんですよ(笑)。「レベル・ミュージックって何?」っていうか。レベルっていうのは闘争のことですよね。闘争って人それぞれちがうと思うけど、俺にとっては生き残ることなんですよ。「冗談じゃねえぞ、殺されてたまるか」ってことです。それだけです。

──ということはeastern youthで歌っていることこそが、吉野さんにとってのレベル・ミュージックであると。

吉野:レベル・ミュージックかどうかはおいといても、闘争の歌であるということは間違いないです。あくまで俺っていう人間がどうにかこうにか生きていくんだっていう。俺は歌を政治闘争とか社会に訴えかけるような「手段」にはしたくないんですよ。そういうことじゃなくて、一人の人間がどうにかこうにか生きていくことがすでに闘争なんだと思うんです。戦わないと生きていけないです。だから、何に向かって戦っているのかわからないけど、わからないけど殺されそうになってるわけです。

俺は歌を政治闘争とか社会に訴えかけるような「手段」にはしたくないんですよ。そういうことじゃなくて、一人の人間がどうにかこうにか生きていくことがすでに闘争なんだと思うんです。

 俺はどうして生きてっていいか、どう歩いてっていいかわからないけど、それを掴もうとするのもひとつの戦いですよね。いわゆる社会に対してもの申すみたいな歌が自分の中から自然と出てきて、それが必要だと思ったら歌うかもしれないですけど、基本的に俺にとって曲を作って歌うということはそういうことじゃないんです。「こうやったら世の中よくなるよ」とかを歌にしたくない。「これを買ったら、あなたの人生はもっとよくなりますよ」っていうのと同じでしょ(笑)。

──仮に僕がそういった曲を聴いて鵜呑みにしてしまえば、それは思考停止ということですしね。

吉野:うーん、なんていうか、答えみたいなものは自分でたどり着かないとダメだと思うんですよ。人に答えを提示してもらったって、それは答えにならないんです。だから、自分にとっての答えを探すしかなくて。ただそうするだけ。ただ探し続けていくことだけが大事なんです。たどり着くことが大事かっていうのは俺の問題じゃない。ただ探すだけ。それが目的であって、到達点ではない。というか、到達点はないんです。

──最初から言っていたことと変わらないわけですね。

吉野:そう、シンプルです。でも年々ヴォキャブラリーが崩壊していっている(笑)。口も頭もぜんぜん回らない。信じていた語彙みたいなものも信じられなくなってしまって、バラバラになっているんですよね。昔は「信念」とか「真実」とかってものをもうちょっとは形のある状態で信じていたと思うんですけど、いまはまったく信じてなくて。信念も真実もそんなもんはねえっちゅーんだ、っていうか。本当はあるんだけど、「それは何か?」と言われると「これです」って言えるもんじゃないっていうか。たしかなものは何もないっていうか。歳とったらたしかなものが増えていくのかなって思ってたんだけど、逆で、どんどんどんどん剥がれ落ちていって、なんにもたしかなものがなくなってきたんです。ただ命が一個あるだけで。でもそれが大事なことなんじゃねえかなって。

歳とったらたしかなものが増えていくのかなって思ってたんだけど、逆で、どんどんどんどん剥がれ落ちていって、なんにもたしかなものがなくなってきたんです。ただ命が一個あるだけで。

 正しさとかよくわからない。ただ、自分が生きてるように他のやつも生きてるんだっていうのは真実です。それは尊重されるべきだと思う。尊重されるべき人間とされなくていい人間っていうのはいないわけだから。自分が人間として生きていたいのであれば、他の人も人間として生きてることを受け入れないと。そうじゃないと、自分が人間ではなくなってしまう。それはたしかだと思います。そんぐらいしかわかんないです。で、どうしたらいいんだっていうことは、いろんな人がいろんなこと言いますし、自分のバカな頭でなんとか理解しようとしていますけど、やっぱり明確な答えなんてわからんのです。どんどんわからんくなってきてます。でもどうにかこうにか生きたいとは思っています。

■ライヴ情報
極東最前線巡業 ~Oi Oi 地球ストンプ!~
2014年8月30日(土) 渋谷クラブクアトロ
open 17:00 / start 18:00  ¥3,500(前売り/ドリンク代別)
出演:Oi-SKALL MATES / eastern youth

ticket
ぴあ(P:230-946)
ローソン(L:77597)
e+(QUATTRO web :5/17-19・pre-order:5/24-26)
岩盤
CLUB QUATTRO

(問い合わせ)
SMASH : 03-3444-6751
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DBS presents PINCH Birthday Bash!!! - ele-king

 この日ユニットに集まった人びとは、ピンチが2台のターンテーブルの前に立っていた150分間に一体何を期待していたのだろう。やはり、彼がシーンの立役者として関わったダブステップか? それとも、彼の新しいレーベル〈コールド・レコーディング〉で鳴らされる、テクノやUKガラージがベース・ミュージックと混ざり合った音だったのだろうか? ピンチがフットワークを流したら面白いな、なんて想像力を働かせていた人もいたのかもしれない。
 実際に会場で流された音楽は、それら全てだった。
 
 ジャー・ライト、エナに続いたピンチのステージは、テクノの轟音とともにはじまった。そこに重低音が混ざるわけでもなく、リズム・パターンが激しく変化するわけでもなく、ストイックな四つ打が会場を包み込んでいく。
 ピンチがロンドンでダブステップの重低音を体感し、それをブリストルへ持ち帰り自身のパーティを始めるまで、彼はミニマルやダブ・テクノのDJだったのだ。ここ1年でのピンチのセットのメインにはテクノがあるわけだが、自分自身のルーツに何があるかを理解しないうちは、新しいことなんぞ何もできない、と彼は証明しているようにも見える。
 〈コールド・レコーディングス〉から出たばかりの彼の新曲“ダウン”はまさにテクノと重低音、つまりピンチ過去と現在が混ざり合った曲だ。
 先日発売された同レーベルの初となるコンピレーション『CO.LD [Compilation 1] 』は、去年の4月からレコードでのみのリリースをまとめたものになっており、参加しているエルモノ、バツ、イプマン、エイカーという新進気鋭のプロデューサーたちは、自分たちを形作っているジャンルの音を現在のイギリスのシーンに置ける文脈のなかで鳴らしている。
 例えば、イプマンはダブステップの名門レーベル〈テンパ〉や〈ブラック・ボックス〉からのリリースで知られていたが、〈コールド・レコーディング〉から出た彼の曲“ヴェントリクル”では、テクノの要素が前面に押し出されており、意外な一面を知ったリスナーたちを大きく驚かせることになった(イプマンがレーベルのために作ったミックスではベン・クロックが流れていた)。
 「アシッド・ハウス、ハードコア、ジャングル、UKガラージ、ダブステップ以降へと長年続く伝統からインスピレーションを受けた、進化し続ける英国のハードコア連続体の新たなムーヴメントのための出口」が〈コールド〉のコンセプトだが、ピンチ自身と彼が選んだプロデューサーたちは、伝統から学ぶスペシャリストである。このコンピを聴くことによって、それぞれのプロデューサーたちの影響源だけではなく、彼らの目線を通してイギリスのクラブ・ミュージックの歴史までわかってしまうのだ。 

Pinch-Down-Cold Recordings


Ipman Cold Mix


 開始から30分ほどして、流れに最初の変化が訪れる。ピンチは若手のグライムのプロデューサーであるウェンによるディジー・ラスカルのリミックス“ストリングス・ホウ”をフロアに流し込んできた(彼のミックスの技術はずば抜けて高く、色の違う水が徐々に混じっていくようなイメージが浮かぶ。手元にはピッチを合わせてくれたり、曲の波形を可視化してくれるデジタル機器は一切無く、レコードのみだ)。今年に入りアコードをはじめ、多くのDJにサポートされてきたアンセムはオーディエンスたちにリワインドを要求させたが、「まだ早いよ!」といわんばかりにピンチは4つ打へと戻っていく。

Dizzee Rascal-Strings Hoe-Keysound Recordings


 ちなみに、この日流れていたテクノも面白いチョイスだった。「うおー! これDJリチャードの〈ホワイト・マテリアル〉から出たやつだ!」という情報に富んだ叫び声が聞えてきたのだが、DJリチャードはジョーイ・アンダーソンやレヴォン・ヴィンセントと並ぶ、アメリカ東海岸のアンダーグラウンド・シーンにおけるスターだ。彼らが作る曲はときに過剰なまでのダブ処理が施され、リズムにもヴァリエーションがあるため、ベース・ミュージックのシーンでもたびたび耳にすることがある(ペヴァラリストのセットにはしばらくレヴォン・ヴィンセントの“レヴス/コスト”があった)。
 おそらく、アメリカで育った彼らも、スコットランド生まれブリストル育ちのピンチと同じようにベーシック・チャンネルのうつろに響くミニマル・テクノを聴いてきたのだろう。国境を越え、似たルーツを持ち違った土壌で生きるプレイヤーたちが重なり合う現場には驚きと喜びがつきものだが、この夜はまさにそんな瞬間の連続だった。

DJ Richard-Leech2-White Material


 とうとう、この日最初のリワインドがやってくる。ピンチがマムダンスとともに〈テクトニック〉からリリースした“ターボ・ミッツィ”が流れるとフロアが大きく揺れ、DJはレコードを勢いよく、そして丁寧に巻き戻す。だが、直ぐに頭から曲は始まらない。ピンチは拳で自分の胸を叩いて、フロアに敬意を示す。するとイントロのシンセサイザーがじわじわとフロアに流れ始めた。気がつくと、フロアはオーディエンスではなくパーティの熱気を作り上げるDJの「共犯者」で埋め尽くされていたのだった。

Mumdance&Pinch-Turbo Mitzi-Tectonic Recordings


「Yes, I’m」という声ネタとハンド・クラップが鳴り始めた瞬間、フロアの熱気はさらに上がる。それは、ブリストルのニュー・スクールの優等生であるカーン&ニークの“パーシー”を、ふたりが成長する土壌を作り上げたピンチが流すという、感動的な場面でもあった。世代から世代へと時代は嫌でも変わっていくものだが、この日34歳の誕生日だったピンチはその変化を楽しんでいるようだった。
 ラストのダブステップからジャングル、フットワークという流れにいたるまで、フロアをDJはロックし続けた。曲が鳴り止むとピンチはフロアへ合掌し、オーディエンスとゴス・トラッドに拍手の中で150分間のロング・セットは幕を閉じた。

Kahn&Neek-Percy-Bandulu

TechnoGrimeBass Music

V.A.
CO.LD [Compilation 1] 

Cold Recordings/ビート

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Hundred Waters - ele-king

 ピッチフォーク系列の映画サイトであるザ・ディゾルヴでは絶賛されTMTではボロカスに書かれたスパイク・ジョーンズの『her』だが、そのあまりにフワフワとした物語と映像に、ジャ・ジャンクーの『罪の手ざわり』において返り血を浴びながらナイフを握りしめる労働者の女に喝采を送った僕などは「どんだけ傷つきたくないねん」と朦朧とした頭でツッコまずにいられなかった。しかしながら題材的にもムード的にも現代的であることは間違いなく、そしてそれをもたらしているのは主人公が恋するOSのスカーレット・ヨハンソン演じる「声」である。デジタルの海のなかで抱ける官能とメランコリアがあるとすれば、そのもっとも手っ取り早い触媒は生々しい発話であるだろう。コンピューターの声としては妙に艶っぽいヨハンソンの囁きは、インターネット時代のその後の近未来において唯一たしかな人間臭さとして響いていた。まあ、さすがにあのセックス・シーンはないなーと思ったけど。

 フロリダ出身の4人組バンドであるハンドレッド・ウォーターズはおそらく、そうした声の響きがもたらす現代性に自覚的だ。はじめに聴いたときは、これは紙版『ele-king』vol.6における特集「エレクトロニック・レディランド」の続き、すなわち女性ソロ・ユニットの作品だと思ったのだが、そのくらいヴォーカルのニコール・ミグリスの声がバンドのコアとして成立している。生音を使いながらエレクトロニカの方法論で作られたトラックはデジタル的にカッチリとしているが耳触りは徹底してオーガニックで、いわばラップトップ時代のフォーク・ミュージックだ。フォークトロニカという呼び方ももちろんできるわけだが、しかしフォー・テットの『ポーズ』~『ラウンズ』時代をそのジャンルのピークとするならば、ハンドレッド・ウォーターズにはもっと歌に対するはっきりとした志向が感じられる。ほかのIDM、ラップトップ・アーティストのように声を加工し素材として使っても不思議ではない音楽ではありながらも、そうはしないことが肝だ。

 なぜかスクリレックスのレーベルと契約した2枚め。2010年代のアーティストらしく音楽的語彙は豊富で、10年前くらいのビョークやムーム、フォー・テットを思わせるエレクトロニカが中心にはあるが、もちろん今様のアンビエント・ポップの感性を備え、“アニマル”のようなダンス・トラックではトライバルな風合いもあるのでバット・フォー・ラッシーズや、遠景に6、7年前あたりのギャング・ギャング・ダンスが見えてくるのもおもしろい。が、たとえば中盤のハイライトとなる“ブロークン・ブルー”~“チャンバーズ(パッシング・トレイン)のひたすら幻想的で物悲しいメロディがアルバムの色彩を深めていることを思えば、トラックの多様性はあくまでバンドのスペックである。夜空にきらめくような音色を携えながら放たれるコケティッシュなニコールの声が響かせようとしているのは、このデジタル時代のエクスタシーだ。それは『her』の取ってつけたような(疑似)恋愛よりも、僕にははるかにロウなコミュニケーション欲求に聞こえる。オープニングの1分少しのアカペラ風トラックはもっともチャーミングな小品だが、そこで彼女はすでに「わたしに愛を見せて」と宣言することからはじめているのだから。


Eddi Reader
Vagabond

Reveal / ソニー・ミュージック

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 エディ・リーダーの来日公演がいよいよ間近に迫ってきた。私自身もとても楽しみにしている。5月に日本盤が発売となった5年振りのニュー・アルバム『ヴァガボンド』も(毎度のことながら)じつに素晴らしい作品だったからなおさらだ。

 エディの魅力とは何なのだろう。いつも何気な〜く聴いてしまっていて、正直なところこれまで彼女の魅力について深く考えたことがなかったけれども、第一の魅力がその歌声にあることは明白だ。無邪気な少女性と大らかな母性のちょうど中間を行く、伸びやかなその声の魅力はなにものにも代え難い。陳腐な表現だが、まさに心洗われる声だ。

 そしてもうひとつ。「何気な~く」聴いていると述べたけれど、いま思うに、その何気なく聴けてしまう感じこそが重要なのではないか。はっきり言って彼女の音楽には革新性と呼べるものはないし、刺激的とも言い難い。じゃあ保守的で退屈なのかと問われれば、断じてそんなことはなく、むしろいつも瑞々しい感動を与えてくれる。ひと言で言えば、彼女の音楽は純度100%の“グッド・ミュージック”なのである。奇をてらうことなく、ただ実直にいい歌といい曲を届けようというその姿勢は、フェアーグラウンド・アトラクション時代から現在に至るまで1ミリもブレていない。そして、そんな彼女に裏切られたことはいまのいままで一度もない。言うなれば、彼女のもうひとつの魅力とは、この上ない「安心感」だと思う。

 私だって、常日頃は刺激的な音楽を探し求めている。だが、それと同時に、何も考えずただ気持ちよく身を委ねることができ、かつ充足感を与えてくれる音楽の存在というのも非常に大切にしている。私は後者のような音楽を、最大限の敬意と愛着を込めて“障らない音楽”と勝手に呼んでいるのだが、この“障らなさ”を実践できる音楽家というのはじつはなかなかいない。いや、ただ障らないだけのイージーリスニングみたいな音楽ならそこら中に転がっているわけだが、そこに充足感までを求めるとなると、これがじつに貴重なのだ。そんな中で、エディ・リーダーは私にとって“障らない音楽”界のヒロインなのである。繰り返しになるけどこれ、めちゃくちゃ褒めてますからね。

 エディのライヴの思い出というと、私にとっては2005年のフジロックが挙げられる。当時のタイムテーブルはもうすっかり忘れてしまったし、他にも刺激的なアクトを多数観ていたはずだが、もはやその記憶も薄れてきた。だが、あのとき苗場の山に響いた彼女の歌声の清らかさだけは、鮮烈な記憶としていまも脳裏に焼き付いている。これが私にとって初の生エディ。それまでも作品は愛聴していて、その素晴らしさは十分享受しているつもりでいたが、いやいや甘かった。ステージでの彼女の歌は本当に生き生きとしていて、バンドとともに作り出すアットホームな雰囲気も最高。野外での開放感も相俟って、ラストの“パーフェクト”の大合唱ではその多幸感のあまり感極まったのを覚えている。もちろんライヴにおける彼女にもギミックなど一切ない。飾らないステージにシンプルなバンド、あとは歌だけだ。それで十分。ライヴでの彼女の魅力は、間違いなくアルバムを超えていた。

 さあ、今年もエディ・リーダーが日本にやってくる。今回はフェアーグラウンド・アトラクションでの来日時にこけら落としを行った名古屋〈クラブクアトロ〉の25周年アニバーサリー公演を含む東名阪のツアーだ。

 また、新作『ヴァガボンド』の日本盤リリースに加え、来日を記念して、フェアーグラウンド・アトラクション3作とエディの初ソロ作の計4タイトルが紙ジャケット仕様の完全生産限定盤として再発された。
(詳細 https://www.sonymusic.co.jp/artist/EddiReader/info/438207

 彼女のことだから、今回も素晴らしいステージになるのは間違いのないところだろう。そして、ひょっとしたらアニバーサリーイヤーならではのサプライズもあるかもしれない。思いっきり期待して、あとわずかに迫ったその日を待とうじゃないか。

■エディ・リーダー ジャパン・ツアー

大阪公演
6月28日(土)
Umeda CLUB QUATTRO
18:00開演
前売り¥7,000(税込/ドリンク別)
(問)スマッシュウェスト06-6535-5569

名古屋公演
6月29日(日)
Nagoya CLUB QUATTRO
“Nagoya Club Quattro 25th Anniversary”
18:00開演
前売り¥7,000(税込/ドリンク別)
(問)クラブクアトロ 052-264-8211

東京公演
7月1日(火)
Shibuya CLUB QUATTRO
19:30開演
前売り ¥7,000(税込/ドリンク別)
(問)スマッシュ 03-3444-6751

チケット発売中
https://smash-jpn.com/live/?id=2109

 いまさらって感じもあるんで、飛ばしていきます。
 前回は……ビザも帰りの航空券もなかったものの、EU加盟国でないスイスに無事入国。かの地のゲストへの歓待ぶりに感心し、まだもう少しつづくはずの旅について夢想しつつ結んだのだった。ローブドア(Robedoor)のブリット・ブラウン(〈NNF〉代表)、アレックス・ブラウン(ローブドア)、マーティン(サンド・サークルズ/Sand Circles)僕の4人はチューリッヒからバーゼルへ入った。

■OCT 18th
 最初にツアー日程を確認した際に、なるほど、18日はバーゼルでデイオフなのね。観光できるのね。と浮かれてみたものの、まさかのハコの名前が〈OFF〉っつーオチでした。この日はよくも悪くもいわゆるパンク・スクワットな場所で音質はもちろん劣悪。集客もマチマチといったところで不完全燃焼であった感は否めない。翌朝にロザーン入りする前にギーガー美術館へ行こうということになり、イヴェント終了後に身内で勝手に『エイリアン』をスクリーンに上映しながら飲みはじめる。僕ら4人が『エイリアン』にエキサイトしている階下にお客さんのひとりが申し訳なさそうに降りてきて『マーチを売ってほしいんだけど……』と言われるまで完全にライヴをおこなったことを忘れていた。ちなみにこのハコっつーか、ビルに宿泊してたわけだが、シャワー風呂がなぜか台所に置いてあるフランシス・ベーコン・スタイルで家人にモロ出しだった。しかも窓際でカーテン無しなので向かいの家にもモロ出し。逆にお返しのつもりなのか、向かいのお姉ちゃんがベランダからオッパイ見せてくれました。これ、バーゼルのハイライト。

■OCT 19th


ギーガー美術館にたたずむアレックス

 ロザーン入りする前にグリュイエールのギーガー美術館へ(R.I.P.)行く。山腹にそびえ立つグリュイエール城への道のりに建立されるこの美術館はパーソナル・コレクションや併設展も含めて予想以上に見応えのあるものであった。ギーガーのイラストレーションとグリュイエールの幻想的なランドスケープが相乗する不思議な感覚には体験する価値があるとここに記しておこう。ロザーンでの衝撃はele-kingのウェブ版にも紙面にも書いてしまったのでこれ以上はクドいため割愛させていただこう。〈ル・ボーグ〉、ルフ・フェスティヴァル、エンプティセット、エンドン最高!

■OCT 20th
 ジュネーヴでこれまで同行してきたサンド・サークル(Sand Circle)のマーティンとの共演も最後となる。そして翌日から代わって同行するカンクン(Cankun)のヴィンセントとホーリー・ストレイズ(Holy Strays)のセバスチャンが合流する。ヴィンセントはモンペリエ、セバスチャンはパリを拠点にするフレンチ・ドュードだ。早速レーヌのハイ・ウルフ(High Wolf)をネタにして盛り上がる。ハイ・ウルフことマックス・プリモールトは素晴らしい。彼と時間を過ごしたことのある人間は彼をネタにせずにはいられないのだ。すべてのツアー・ミュージシャンはそうあるべきではないだろうか?


“サイケデリック・ループペダル・ガイ”、カンクンのステージ

 サンプリング・ループとギター演奏によるリアルタイム・ループで構成される初期サン・アロー以降、〈NNF〉周辺で定番化した「サイケデリック・ループペダル・ガイ」という点では、カンクンもハイ・ウルフに近いスタイルだ。しかしハイ・ウルフがクラウト・ロックをベースとしたワンマン・ジャムであるのに対し、カンクンの展開はもっとDJミックスに近い。ダンス・ミュージックとしてのグルーヴが強いのだ。〈メキシカン・サマー〉からの次回作を期待させられる演奏を披露してくれた。
 セバスチャンのホーリー・ストレイズはなんだろう……僕が聴いた初期の〈NNF〉リリースのサウンドとはだいぶ異なっていて、ラウンジっぽかったり、トリップホップっぽかったり、ジュークっぽかったり、ウィッチハウス的な雰囲気も……まぁ如何せんものすっごい若いのでいろいろやりたいのでしょう。インターネット世代のミュージシャンと少し垣根を感じる今日このごろなのです。
 アナーキスト・バー的なハコ、〈L'Ecurie〉もナイスなメシ、ナイスガイズ、ナイスPAと最高のアテンドを見せてくれた。このハコや〈ル・ボーグ〉のようにアトリエ、ギャラリー、居住スペース、パフォーマンス・スペース、バーを一か所に集約している場ってやっぱり発信力とかアテンドが圧倒的に強いと思う。


〈ル・ボーグ〉にて

■OCT 21st


BUKAのステージ

 マーティンとの別れを惜しみつつも5人編成となりミラノ入り。この日のハコの〈BUKA〉はかなりイケてた。もともと70年代に建てられた大手レコード会社(Compagnia Generale del Disco)のビル、つまりオフィス、ウェアハウス、レコーディングスタジオ、プレス工場や印刷工場が併設される巨大な建造物の廃墟なのだ。このレコード会社は80年代のイタロ・ディスコ・ブームで一世を風靡するものの倒産、88年に建物をワーナーが購入するも90年代半ばに断念、長らく放棄させられていた場所で、その一部を改築し、2012年からアート/イヴェント・スペースとして再生したのが〈BUKA〉である。一部というのは本当に一部の地上階からアクセス可能なオフィス、講堂(70年代風のレトロ・フューチャリスティックなコロッセオ型の講堂! ライヴはここでおこなった)のみで、敷地の大半は完全に打ち捨てられた状態である。もちろん電気も通っておらず、サウンドチェックを終えた僕とブリットらは懐中電灯を頼りに探索、男子たるものはいつになってもこーゆーのに心くすぐられるのである。この日のライヴはURサウンドが収録してくれたようだ。

■OCT 22nd
 この日からフランス入り、初日はモンペリエ。これまでサウンドチェックに入る際に必ずスタッフに訊ねていたことがふたつある。ひとつはDIはいくつあるのか? もうひとつは誰がネタを持っているのか? だ。フランスに入ったこの日からふたつめの問いかけに対するリアクションがあまりよろしくなかった。この日はライヴ終了後にマイクでオーディエンスに問いかけるものの単なる笑いものになってしまった。イヴェント終了後、みんなはディスコ・パーティへ向かうものの僕ひとり不貞腐れて宿に着いて寝た。ちなみにここまであんまり書いてないけどツアー中は男同士ふたりでワン・ベッドでも普通に寝れる。ツアーって恐ろしいよねーって朝起きて横で半裸で寝ているブリットを見て思った。

■OCT 23rd
 フランスのお次はトゥールーズ。前日に引きつづきライヴ・バー的な場所。この日もハコの連中は僕の要求に応じてくれず、このあたりからフランス自体にムカツキはじめるもこの日は対バンのサード(SAÅAD)が爽やかな笑顔でわけてくれた。サードはローブドアやカンクンのリリース元であるハンズ・イン・ザ・ダーク〈(Hands in the Dark)〉がプッシュするドゥーム・ゲイズっつーかダーク・アンビエントなバンドである。先日同レーベルからデビュー・アルバムであるディープ/フロート(Deep/Float)が発売されたようだ。シネマティックなダーク・アンビエント好きは要チェックだ。


ブリットとスティーヴ

 この日の僕のハイライトはシルヴェスター・アンファング(Silvester Anfang)のスティーブがたまたまライヴに遊びに来てくれていたことだ。スティーヴはフランダース発、暗黒フリーフォーク集団フューネラル・フォーク(Funeral Folk)及び現在のシルヴェスター・アンファングII(Sylvester Anfang II)の母体となったシルヴェスター・アンファングの創始者である(ややこしいんですけど改名前はサイケ・フリーフォークを主体とし、改名後はサイケ・クラウトロックを主体とする別バンドなんだ! と力説していた。そのあたりもアモン・デュールに対して超リスペクトってことなんですね)。ベルギーのエクスペリメンタル・レーベル代表格、〈クラーク(Kraak)〉のメンバーでもある彼がなぜここに? というのも嫁がトゥールーズの大学へ通っているとのことで数ヶ月前に越してきたらしい。数年前からアートワーク等を通して交流はあったものの、このようなかたちで偶然会えるとは本当にうれしかった。

■OCT 24th


ソーヌ川に浮かぶハコ〈ソニック〉

 リヨンへ到着。この日の〈ソニック〉はソーヌ川に浮かぶハコ……というか船なのだ。その昔サンフランシスコでバスの座席を全部取り外して移動式のハコにしていた連中を思い出す。リヨンの町並みは息を呑むほど美しい。ユラユラするハコも素晴らしい。ワインもおいしい。音は90db以下だったけれどもまぁまぁよかった。この日も誰もネタをわけてくれなかった。フランス人の田舎モンどもなんかファ……などとヴィンセントに悪態をつきながら床に着いた。

■OCT 25th


パリス・キッズ。

 パリへ到着。僕は今回のローブドアのヨーロッパ・ツアー最終地点であるバーミンガムの〈ブリング・ダ・ライト・フェスティヴァル〉には参加しないのでこの晩が彼らとの最後の共演となる。パリでのショウを仕切ってくれたフランチ・アレックス(アレックスはいっぱいいるので)はフランスのインディ・ミュージックのウェブジン、『ハートジン(hartzine)』のリポーターで、DIYテープ・レーベル、〈セブン・サンズ〉の主宰者でもある。フリー・スペース〈ガレージ・ミュー(Garage MU)〉でのイヴェントの集客と盛り上がりはすさまじい熱気であった。パリのキッズはイケている。今回のツアーでもっともヒップスタティックな客層であったかもしれない。カンクンもホーリー・ストレイズも最終日ということで気合いの入ったラウドのセットを披露してくれたし、ローブドアもこれまででもっとも長いセットを披露した。ネタも大量良質で感無量である。例のごとくチーズとワインとジョイントで夜が白むまで最終日を祝った。僕はパリにもう一日滞在してグスタフ・モーロウ美術館をチェックすることに決めた。パリ最高!

■OCT 26th
 ローブドアのブリット、アレックス、カンクンのヴィンセントと別れを惜しみつつも単身パリに残る。この場を借りてブリットとアレックス、マーティンにヴィンセント、セバスチャンとそして何よりプロモーターのオニトと各地でアテンドしてくれたローカル・メイトたちに心底感謝を表する。あんたら全員最高。

 パリなんかクソだ。グスタフ・モーロー美術館は改装中で閉館していた。門の前で呆然と立ちすくむ僕とブルガリアからの旅行者のじじい。ダメ元でピンポンを連打し、出てきたおばちゃんに作品あるならチョコっとでも見せて~と懇願するも鼻で笑われ門前払い。仕方なくポンピドー・センターへ向かい、クリス・マルケルの回顧上映会を見るが煮え切らず。カフェでレバノン出身のカワイ子ちゃんと談笑して癒されるもメイク・アウトできず。物価も高い。駅のジプシーウザい。パリなんかクソだ。

■OCT 27th


トゥールーズにて、夜景。

 ツアー終了とともに足が無くなったので激安長距離バス、ユーロ・ラインで友人の家へ転がりこむためパリからバルセロナへ向かう。激安なので赤ん坊が泣き叫ぶ車内で隣の席の人の体臭がゴイスーな小便クサいゴミまみれのクソバスを想像していたがンなことはなく、むしろ快適に(ワイファイ有り)移動する。途中で停車したパーキング・エリアで、トイレ休憩がいったい何分なのか、フランス語がまったくわからないので他の旅行者風の乗客に訊ねる。ようやく英語が介せるジャーマン女子がいて助かった。なになに、バルサには瞑想プログラムを受講しに行くだって? ニューエイジだね。スピってるね。次の休憩所でドリフター風のフレンチ男子に話しかける。なになに、とくに目的もなく旅行中? いい感じじゃない。え? ネタ持ってきてんの!? じゃあとりあえず巻こうよ。バスがしっとりとした闇夜の荒野を疾走していく中、僕はこの旅が終わらないことを夢想しながら眠りについた。

 無駄にドリフトはつづく……次回はバルセロナから極寒のNYへ。

DAIKANYAMA UNIT 10th ANNIVERSARY - ele-king


BADBADNOTGOOD
III

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 代官山のユニット──DBS、OPN、デムダイク・ステア、あるいはラシャドからマーク・マッガイア等々、妥協をしないコアなブッキングで知られるハコ──が今年で10周年。そのアニヴァーサリー・イヴェントがシリーズとなって今週木曜日からはじまる。
 で、その第一弾は、今週木曜日(6/26)、トロンからの刺客、最高の殺し屋、3人組のジャズ・バンド、BADBADNOTGOOD(バッドバッドノットグッド)だ。彼らは、オッド・フューチャーのカヴァーをしたことで、タイラー・ザ・クリエイターとの共演も果たしている。ライヴでは、カニエ・ウエスト、ジェイムス・ブレイクのカヴァーを披露するそうだ。また、バンドはフランク・オーシャンのバックも務めている。先日、〈Innovative Leisure〉から新しいアルバム『III』を出したばかり。RZAやブーツィー・コリンズも賞賛するという、彼らの生演奏が日本で見れるのはもちろん今回が初めて。これは注目です!
 サポートするのはジャズ、ハウス、ファンク……、あらゆるグルーヴを吸収しながら進化する、cro-magnon。「ジャズ」というキーワードが浮上する今日、是非、この夜を体験して欲しい。

■LINE UP:
BADBADNOTGOOD
guest: cro-magnon

2014.06.26 THU

OPEN : 18:00
START : 19:00
CHARGE : 前売り 4,500yen (税込 / D別)

TICKET :
チケットぴあ0570-02-9999 [P] 233-203
>>@電子チケットぴあでチケットを購入する
ローソン [L] 70152
e+

INFO :代官山UNIT 03-5459-8630

https://www.unit-tokyo.com/


interview with Yoshida Yohei group - ele-king


吉田ヨウヘイgroup
Smart Citizen

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 喉に痛みをおぼえ医者にかかったところ逆流性食道炎のおそれがあるといわれたとき私は若さをうしなった。デュラスの『愛人(ラマン)』の「わたし」が十八歳で年老いたのに較べれば上出来といえるかいえないかわからないがともあれ、好青年が好中年になったと嘯いていたのが名実ともに中高年になったのである。さいきんライヴハウスにとんとご沙汰しているのはそのせいかもしれないと疑ったのであるが、ライヴハウスに行かなければ若手のバンドをまっさきに発見する機会もよろこびもない。

 吉田ヨウヘイgroupをはじめて知ったときも、最初私はジャズのコンボだと思った。〈ピットイン〉の昼の部から叩きあげていこうというような。はたしてそれは彼らの多様な音楽的要素の一部をとればあたらずいえども遠からずであった。バンドをはじめるにあたりラウンジ・リザーズ――この名前を聴いたのはずいぶんひさしぶりだった。というのも、過去10年、いや20年か、主流派から前衛にいたるジャズの古典(原理)回帰によってもっともあおりを食ったのはロフト・ジャズの折衷主義だったと私は思うからである――を模範にしたというだけあって、複数の因子を同居させ異化効果をうみながらそれに違和感をおぼえさせない手腕は、インディ・シーンのなかでも頭ひとつ抜けている。ロックでありジャズであり、ラウンジと室内楽の質感をもち、リーダーであり作詞作曲を一手にひきうける吉田ヨウヘイの歌唱は飾らないものだが女声コーラスが過ぎることでそれは色彩感を増す。そして和製ダーティ・プロジェクターズの異名をとるにいたったファースト『From Now On』につづく『Smart Citizen』は軋みと滲みぶくみのピアノ曲 “窓からは光が差してきた”ではじまり、フルートの前奏が吹き抜ける“ブルーヴァード”の巧緻な組織性を経て、どことなく和的な“アワーミュージック”、エキゾチックなリフレインの“新世界”など9曲を一気に駆け抜けていく。西田修大のギターはいたるところで利いており榎庸介のサックスをはじめ管は曲に厚みをもたらし、盟友・森は生きているの面々を招いた編曲/プロデュースは凝っている。サティとかキンクリとかイースタン・ユース(!)とか、かつて親しんだ音楽を彼の背後に聴くのは加齢のせいばかりとはいえないが、吉田ヨウヘイgroupの音楽は私の胃酸のように逆流性でもなく、音楽の遺産のように過去に縛られていないが、たんに未来を指向しているというほどの自我も幸福感も感傷もない。ただいまがあり音楽があるだろう。

■吉田ヨウヘイgroup
 2012年に結成、ヴォーカル&ギター、アルト・サックスを担当する吉田ヨウヘイをリーダーとするグループ。ギター、ベース、ドラムのほか、テナー・サックス、キーボード、フルート、ファゴットを兼任するメンバーを含む総勢8名の大所帯バンド。2013年に初の全国流通盤CD『From Now On』をリリース、最新作は『Smart Citizen』。吉田ヨウヘイ、西田修大、榎庸介、星力斗、池田若菜、内藤彩、高橋“TJ”恭平、reddamが参加。

とっくにやられていてもいいはずの音楽なのにフォーマットが固定化しているせいでやられていないというイメージ。それを掘りだそうという感じです。 (吉田ヨウヘイ)

私ははじめてお会いするので、バンドのなりたちから教えてください。

吉田:僕は2年前まで会社員だったんです。そのときはギターの西田くんとだけいっしょだったんですけど、音楽を真剣にやりたいと思って会社を辞めたんです。

それは思い切りましたね!

吉田:会社にも「音楽をやります」といって辞めたんです。

どんなお仕事をされていたんですか?

吉田:出版社で記者をやっていました、IT系のビジネス誌でした。

会社勤めしながらバンドをつづける選択肢はなかったんですか?

吉田:ホントに忙しいので、たとえば日曜日を空けてその日に何ヶ月前から予定を入れても、その日にトラブルの類があると仕事を優先しないとマズいので、両立するには向かない仕事でした。

西田さんは昔からの知り合い?

西田修大:僕が大学1年のころに吉田さんは大学院の2年生だったんです。そのときからかわいがってもらっていたんですけど、いっしょにバンドをやろうという話になったのは僕が大学4年のときです。

吉田ヨウヘイgroupがいまのかたちになってきたのはいつくらいですか?

吉田:メンバーは僕が会社を辞めてからひとりひとり誘っていったんです。サックスの榎も途中で入ったんですけど、僕と彼は同じ先生にサックスを習っていて、サックスがもうひとりほしいと思っていたところで仲良くなったので、声をかけたんです。

吉田さんはサックスを習いにいったということはジャズから音楽に入ったんですか?

吉田:もとはロックです。ジャズは途中からで、ちょうどONJQが出はじめた時期に好きになって、サックスをはじめたいと思ったんです。

ONJQというと10年以上前ですね。

吉田:リアルタイムではなかったので聴いたのは7~8年前で、それから2~3年してサックスをはじめたんですね。

榎さんがサックスをはじめられたのはどういうきっかけだったんです?

榎庸介:音楽を意識的に聴きはじめたのはロックからで、そこから年代をたどってビートルズにいって、ザ・フーにいってブルースにいって、最終的にジャズにいきついて演奏したいと思ったんです。ジャズをやるならフロントでサックスを吹いて、ばりばりアドリブをとりたいと思って。サックスをはじめて、大学のジャズ研でやっているうちに「やっぱり誰かに習わないとダメだ」と思って、いまの先生に習いにいったんです。

そこで吉田さんに出会った。

吉田:習いはじめたのは同じ時期で、入って3ヶ月くらいで発表会があって、榎とはそこで会ったんです。そこでしか生徒同士が会う機会はないんですね。

吉田さんはギターは以前からされていたんですよね?

吉田:ギターは中学校からずっとやっていました。

ギターとサックスはまったくちがう楽器ですよね。あまり兼任することはないと思うんですが、なぜサックスだったんですか?

吉田:ONJQを聴いたのと、ラウンジ・リザーズの3枚め(『ヴォイス・オブ・チャンク(Voice Of Chunk)』)にマーク・リボーが参加しているんですけど、それを聴いてびっくりしたんです。ジョン・ルーリーはサックス奏者ですけど、ギタリスト的な感性でサックスを操っている音楽だと思ったんです。

そうかもしれない。

吉田:バンドをやるにあたり、新しいことをやるためにはギターの新しい方法というか道筋を見つけなければいけないと思ったんですけど――

新しい方法というのは、ベイリー的な、あるいはフレッド・フリス的な、ギターという楽器をめぐる方法論の更新ということですか?

吉田:そうです。でもギタリストの感性でサックスを使ったら新しいものが見えてくるんじゃないかと思って、ラウンジ・リザーズの3枚めの音楽性を基本に考えたということと、ONJQが好きになったので、だったらサックスをがんばれるんじゃないかなということですね。

では吉田さんはギターによる作曲とサックスによる作曲、器楽ごとに作曲の方法がちがうと考えていたということですか?

吉田:そうです。ロックにはギタリストが多いしギタリスト的な感性でつくられている音楽だと、ギターをやっているからこそ思うことが多かったんです。サックス奏者のひとがロックをやろうとするのとギター奏者がサックスを演奏してロックをやるのとでは、けっこうちがうだろうなという思いがありました。

いろんな楽器を入れることで音楽の可能性の幅を広げていきたかった?

吉田:サックスとかフルートとか管でロックをやるだけでも、聴いたことがない音楽をつくるためのハードルは下がると思いました。可能性を広げるというより、とっくにやられていてもいいはずの音楽なのにフォーマットが固定化しているせいでやられていないというイメージ。それを掘りだそうという感じです。

とはいえ大所帯になるとバンドの機動力は鈍りますよね。せっかく会社辞めて動きやすくなったのに、メンバー全員に電話して予定を立てるのは大変だったんじゃないですか?

吉田:最初はぜんぜんうまくいかなかったですけど。でもけっこうまじめなひとがそろったというか、時間をともにするうちに仲良くなったというか、そういった感じだったんですね。

ほかのメンバーの方もたまたま知り会ったんですか?

吉田:ドラムの高橋(‘TJ’恭平)くんだけは以前に対バンして、憧れて声をかけたという経緯でして。事情はそれぞれちがうんですけど、ひとりひとり知り合って誘いました。

いまのメンバーにおちついたのは――

吉田:全員がそろったのは今年の1月、レコーディングの2週間前ですね。

吉田ヨウヘイgroupとリーダー名を冠したバンド名にしたのはジャズ的な習わしですか。

吉田:それもあったんですけど、仮でつけたのがそのまま残ったのが大きいです。仕事を辞めるタイミングでそれまでやっていたバンドもやめて、このバンドをたちあげたので、とりあえず名乗っておいて時期が来たら変えようと思っていたんですけど。

西田:もともとはソロでしたから。イメージ的には吉田さんがソロをやるっていうの(で)に俺がギターを弾きにいく、という感じに近かったです。

おふたりともほかのバンドにも参加しているんですか?

榎:固定して活動してるバンドはないんですけど、話が来たらやるかという感じで片足つっこんでいるバンドはいくつかあります。

西田さんは?

西田:俺はこのバンドだけですね。あとよしむらひらくのサポートをずっとやっています。

ラウンジ・リザーズの話がありましたけど、彼らのような音楽をやろうと思っていたわけではないですよね?

吉田:でもそんな感じでしたよ。

西田:あったね。

彼らは80年代のロフト・ジャズのバンドで、いまの20代にはうけなさそうな気がするんですが。

吉田:3枚めが好きなのはめずらしいかもしれませんが、ファースト(『ザ・ラウンジ・リザーズ』)なんかだと菊地(成孔)さんをはじめ、ディスクガイドでよく紹介されていることもあって、わりと知られてると思います。ファーストはけっこうジャズだと思うので、僕らはあそこまでのものは想定していなかったですが、3枚めのジャズかロックかどっちかわからない感は想定していました。

ほかになにか参考にしたレコードなりミュージシャンなり、あげていただけますか。

吉田:僕はダーティ・プロジェクターズがすごく好きなんですよ。ザ・ナショナルとかベイルートとか、ブルックリンのバンドには好きなのが多いですね。

西田:僕はバトルズ、レッチリ、レッド・ツェッペリンですね。

名前を聞くだけでオナカいっぱいというか食い合わせが悪そうですが。

西田:好きな音楽はいっぱいあるんですけど、とくにそれらが好きなのはアンサンブルがいけているところです。

レッチリもそうなんですね。

西田:はい。あのアンサンブルはやはりノリのおもしろさだと思うんです。ジョン・フルシアンテはハネていないけどチャド(・スミス)はハネているとか。単純な熱量と、完成度以前に個々人のプレイヤーが熟達していることで、雑に聴こえるはずのアンサンブルが悪い方向にふれないところが好きですね。

原稿を読み上げるような説明でしたね(笑)。

西田:(笑)そういうことをごちゃごちゃ考えるタイプなんですよ。

榎さんは?

榎:僕は菊地さんから好きで、そこからマイルス・デイヴィスに入っていった感じです。マイルスのいろんなスタイルのバンドをちゃんと自分の色でできる、バンドごとにキャラクターはころころ変えるんだけど芯がとおっている、パーソナリティをちゃんと出せるところが好きです。

どの時期のマイルスがお好きですか?

榎:全部好きなんですよね(笑)。

『カインド・オブ・ブルー』でも『ドゥ・バップ』でも?

榎:『バース・オブ・クール』から『ドゥ・バップ』まで好きです。逆に時期ごとにちがう気がしないんですよね。

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自分が思っているミクロな問題は生活環境が変わっても解決しないし、大きい話でも、PM2.5や異常気象は都市レベルで環境が改善されても避けられない。それでも都市が開発されて、そのなかには幸せなひとや不幸なひとがいっぱいいる。 (吉田ヨウヘイ)


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『Smart Citizen』はヴォーカルとコーラス、アレンジ、ギターのリフレインのつくり方などもおもしろかったです。

西田:“ブールヴァード”ですか?

“ブールヴァード”もそうですし“新世界”も。あとファゴットとフルートとサックスなどの管の使い方もおもしろかったです。アレンジの主導権は吉田さんですか?

吉田:“アワーミュージック”の管楽器のパートをフルートの子がつくったりだとか、いくつかメンバーに託したところもありますが、基本的に9割方、僕が考えています。

ホーンも含め譜面を書くんですか?

吉田:打ち込んでそれを譜面にして渡します。

弦楽器の編曲も吉田さん?

吉田:はい。

ギター・リフのアイデアも西田さんではなく吉田さんですか?

西田:ファーストの『From Now On』のほうが自分のアレンジが多かったです。今回もアレンジしているところもありますが、ギターのリフレインを考えたのは全部吉田です。

吉田:たとえば“新世界”だと、60年代のジャズのレコードでヴィヴラフォンを早弾きしているのがあって、これをエレキでやるとおもしろいんじゃないかと、西田くんに聴かせました。こういうのつくるよって。

ある曲を聴いて気に入ったフレーズを管なりギターなりに置き換えることはよくありますか?

吉田:ファーストの曲で、ダーティ・プロジェクターズの曲でベースの裏打ちが恰好いいなと思う曲を、ハイハットの裏打ちに応用したりしたことはありますね。全部ではないけどわりとあるかもしれません。

1曲目の“窓からは光が差してきた”でピアノの背後にノイズがありますよね。それは楽音だけではなくノイズも自分たちの音楽には含むという意志のあらわれですか?

吉田:僕はジム・オルークがすごく好きなんですが、ポップスにそういったものがもっとあるべきだとはいい曲ができたのでノイズを入れてもおもしろいかなと思っただけで、絶対ノイズ的なものを入れていくぞという強い気持ちはないです。

アルバムはコンセプトをもとに構築したのでしょうか? それとも曲がたまって自然とこういったかたちをとった?

吉田:曲ができて自然とこうなりました。

なにがしかのコンセプトがあったわけではなかった?

吉田:そうですね。

『Smart Citizen』というタイトルの由来を教えてください。

吉田:さいきん、「Smart City」という言葉がよく使われているなと思っていたんです。僕はIT系の記者だったので。

“Smart City”というのはどういったものですか?

吉田:都市全体の電力使用量を機械で管理して環境配慮型の社会にしようという動きなんです。そういうことを考えているときに、ふと、教育施設などの整った、お金持ちしか住めないような都市に住んだらどうだろうと思ったことがあったんです──いま僕はお金がないので。それで“新世界”の歌詞を書いたんです。自分が思っているミクロな問題は生活環境が変わっても解決しないし、大きい話でも、PM2.5や異常気象は都市レベルで環境が改善されても避けられない。それでも都市が開発されて、そのなかには幸せなひとや不幸なひとがいっぱいいるだろうなと漠然と思ったときに、そういった都市のなかで暮らしているひとを描けば今回のアルバムは成り立つんじゃないかと思いました。一曲から発想して全部通底させた感じです。

歌詞を書くにあたりそういった前提を置いていたということですか?

吉田:いや、それも後づけです。歌詞については全部主人公がちがっているし、一人称で書いているので自然と生活のいろんな場面をきりとった歌詞になっているかなとは思っています。

恋愛の歌うんぬんではなくて日常の断片を描きたかった?

吉田:僕は歌詞をつくるのが苦手で、放っておくと誰にもなんにもつっこまれないような歌詞しか書けないんですよ(笑)。ヤバイっていわれないことだけが目的になっていることがあるんです。

どうしてそうなるの?

吉田:思いを吐露するのが得意じゃないんだと思います。曲を書くひとにはめずらしい、普通のひとなんです(笑)。西田くんとは長いことバンドをやっているので、歌詞については相談していて、どんな事象でも恋愛に絡めて危ない感じを出していこうという話なんかはけっこう前からしていました(笑)。

西田:人間の体温がない歌詞になるんですよ(笑)。だから恋愛にするとなまなましくなって――

吉田:ディテールを膨らませればさらに恋愛っぽさが増すから、もう、そうしようって(笑)。そうしないとなんで書いているのっていわれがちなんですよ。

でも、言葉でなにかを訴えかけるより情景を描くことでイメージが誘われるところに、私は好感をもちましたよ。

吉田:ありがとうございます。

そして『Smart Citizen』には、全9曲の関係のなかで浮かびあがるものもあるとも思うんです。曲順も吉田さんが決められたんですか?

吉田:僕が決めたんですけど、ライヴでやってきた曲順とけっこうちかいです。

西田:最終的にこれしかないなという感じでしたよ。

ライヴを重ねていくうちに吉田ヨウヘイgroupらしさがうまれていったということですか?

吉田:入って1年目のメンバーが多いので、それはまさにそうでした。

唐突ですが、みなさん何歳ですか?

吉田:僕がみんなより上で32で、西田が今年27。それがふたりいて、あとは23~24歳ですね。

吉田さんがお兄さん役ですね。

吉田:どちらかといえば西田がお兄さんで僕はお父さんですかね。

西田:さいきんそれがほんとうに定着してきましたね。

吉田さんのリーダー・バンドは吉田ヨウヘイgroupがはじめてですか?

吉田:過去にもありますよ。

このバンドでつづけていくという決意をもって会社を辞めたんですもんね。

吉田:でもそれはけっこうゆるいところもあって。彼とやっていたバンドがうまくいけばいいなくらいのつもりで会社に辞めるといったら、辞めるまでの期間でうまくいかなくなったんです。

どうしてうまくいなかくなったんですか?

西田:いろんな理由があるけれども、いちばんは僕と吉田さんの問題ですね。

吉田:西田くんが曲を書きはじめて、作曲もいけるかもという感じになってきたんです。プレイヤーとしては僕より彼のほうがレベルが上で、自分がバンドを仕切れなくなってきたというか、やりたいことがうまくとおらなくなって、メンバーも僕より彼の意見を聞きたいという状況にもなってきて。それだったら僕ももう一度自分のやりたいことをやりきらないといけないと思ったんです。

それがどうしてまたいっしょにやることになったんですか?

吉田:僕と彼はすごくちがうと思っていたんです。僕はフォーキーなうたものをやりたくて、西田くんは演奏力があったのでテクニカルな方向にいきたいのだとばかり思っていました。でも、僕がつくる曲で彼がギターを弾かなくなったら、それまでの自分たちの曲はお互いの影響でつくったものだという感覚が強く出てきたんです。

では吉田ヨウヘイgroupになって、西田さんは離れていた期間があったんですね。

吉田:つくってから半年経って入りました。さっきのリフの話もそうなんですが、僕がつくっている曲にしても、西田の演奏力が計算に入っているから成り立つところもあるんです。自分の創作に切り離せないところで彼とつながっていたことに気づいたので、仲違いしたこともあったんですが、もう一回やろうかという話になったんです。

西田:いまは過去最高に関係がいいですよ。

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俺のギターのスタイルは吉田とつくってきたところが大きかったというものあるんです。吉田さんの曲があって、それに要請されてのプレイがあり、逆に俺がこういったギターを弾けるからこういった曲が存在するというところもあり、それが両輪で進んできたのでいっしょにやるのが楽しいんですね。 (西田修大)


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吉田さんは西田さんを当て書きしていたところがあったということですね。

吉田:そうです。西田くんもバンドを辞めて自分で曲を書いたほうがいいと思っていたみたいですが、そういった欲がじつはあまりなかったと気づいたみたいで。ひとの曲で自分が活きるならそれもやりがいがあるんじゃないかというか。

西田:けっきょく前のバンドのころは吉田さんがリーダーで――もちろんいまもそうなんですが、僕はその次にイニシアチブをとるひと、という感じだったんです。そのころは自分がけっこうな役割を担っていると思っていたし、自覚もありました。でも吉田さんがいなくなって自分がリーダーになったときに負う責任とか、作曲にかかる負担とか、逆にそれで得られるものは、想像していたものとはちがっていました。そうした経験があった上でいまのあり方を選択をしたことで、すごく自分の自我が安定したところもあります。あとはやっぱり、俺のギターのスタイルは吉田とつくってきたところが大きかったというのもあるんです。吉田さんの曲があって、それに要請されてのプレイがあり、逆に俺がこういったギターを弾けるからこういった曲が存在するというところもあり、それが両輪で進んできたのでいっしょにやるのが楽しいんですね。

要求に応えつつ提案することでバンドの音楽性ができてきた、と。

西田:そうですね。スタイル自体がそうなんじゃないかと。

ギタリストで影響を受けたひとは?

西田:ジョン・フルシアンテ、彼は好きです。あとレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロ。でも最初に好きになったのはクラプトンとスティーヴィー・レイ・ヴォーンです。

古き良きギター・キッズですね(笑)。

西田:(笑)ギターをはじめたころはクラプトンとレイ・ヴォーンばっかり聴いていて、“クロス・ロード”をずっとコピーしてたんですけど、あるときレッチリを聴いて、すべてを端折っていっきにミクスチャーにいったんです(笑)。でも一貫しているのは、僕はギター・ヒーローだといわれているひとのギターが好きだということ。俺は目立っているひとが好きだし、いちばんやりたいのはなんといってもギターが恰好いいと思える演奏だったりもするんですね。さっきの話のように、楽器をギターに置き換えるというようなこともやっていきたいんですが。

しかし大所帯のバンドではバリバリ弾きまくるのはむずかしい気もしますね。スペースの問題がありますから。

吉田:それで参考にしようとしたのがマーク・リボーのように、ほかの楽器があっても入りこむのがうまいギタリストだったんですね。

西田:あとはネルス・クライン(ウィルコ)やジョニー・グリーンウッド(レイディオ・ヘッド)も参考にしました。

具体的にどういう点が参考になりました?

西田:いらないことをやっているところです(笑)。

吉田:西田はバンドのなかでひとりだけ飛び道具なイメージなんです。しっかり弾いているんだけど、いなくてもいいような感じでいてほしくて。

いなくなるとなにかが大きく削がれる感じ?

吉田:そうです。楽譜に表せる部分では必要ないことをしているんだけど、すごく印象を残すようなギターであってほしい。その参考になるアプローチはいつも探していますね。

『Smart Citizen』は見事にそうなっていると思いますよ。音色や空間性にも気を配った玄人好みのプレイだと思いましたが、その洗練は新人らしからぬといわれたりしませんか?

吉田:意外にそうはいわれないんですよ(笑)。

西田:ライヴをやっているときの俺たちは「荒(粗)い」という意味を含めて「若い」んだと思うんですよ。でも「音楽たのしいよね、やったろうぜ」という溌剌さは表面的にはあまりないかもしれない。

みなさんにとってライヴとスタジオは同じですか? ちがいますか?

吉田:僕はけっこう同じようなモチヴェーションで臨みます。

アルバムの曲を再現するためのライヴということですか?

吉田:スタジオとライヴがぜんぜん別だというひとがいるじゃないですか。それから較べると7割くらいは同じでいいと思っています。録音ってむずかしいなと思うんです。

吉田さんはご自分で録られたりもしていますね。

吉田:自分で録ったり、エンジニアを入れることもありますが、スタジオとライヴのちがいを考えると、ベストのライヴを録音したとしても、CDの音圧で聴いたらいいと思わないかもしれない。それを同じように感動させたり納得させるには、もっと音が必要だったりすると思うんです。ライヴ感があってそのまま録ったようだといわせるにしても、なにか足すものが要るとか。ですから、ライヴの感動をそのままスタジオで再現できればいいとは思うんだけど、そのまま録ってもうまくいかないとは思っています。

西田さんは、ギター・ヒーローとおっしゃいましたけど、ギター・ヒーローにとってはライヴこそ本領を発揮できる場だと思いますが。

西田:正直にいいますけど、俺はギター・ヒーローに憧れて自信があるところもあるんだけど、基本的に弱気なんです。ギターはライヴだからライヴになればすべてを忘れていけ、といえるかといえば、まだいえない。さっき吉田がいったように、ライヴとスタジオのどちらかに比重を置くという考え方からすると、俺らはすごいフラットだと思うんですよ。でも俺はライヴが好きで、リハーサルが好きなんです。

みんなと演奏するのが好きなんですね。

西田:そうみたいです。たとえば、ギターをジャッと弾いてドラムがパンッと入ったときに音圧が来たとか。ライヴでお客さんがもりあがってくれたら、それが意図したところでもそうでなくてもすごいしあわせだとか。このために生きているんだって思うこともあるけど、音楽的にライヴとスタジオを完全に区別するかといえばそうではないですね。

榎さんはいかがですか?

榎:自分は、ひとりでブースでクリックをもらって演奏するよりも、みんなでいっしょに演奏するほうが単純に楽しいですね。

ロック・バンドのなかでのサックスの位置は不安定なところもあると思うんですが、榎さんは吉田ヨウヘイgroupのなかでどのような役割を担っていると考えていますか?

榎:僕らがふつうのロック・バンドとちがうのは、曲をつくってアレンジしている吉田さんが、サックスも演奏するところだと思うんですね。そのなかで自分は西田さんの立ち位置に似たものを意識しているところはありますね。あってもなくてもいいんだけどすごく大事なもの。ほかの楽器のやるべきことをサックスに置き換える、そこにこのバンドの色があり、評価されているところでもあると思うので、もっとそういうサックスを吹けるようになっていけばバンド自体がもっとおもしろくなるんじゃないかとは思っています。

多楽器主義のバンドがさいきん多いじゃないですか。

吉田:そうですね。

そういうバンドと吉田ヨウヘイgroupを較べてどう思いますか?

吉田:これは僕が思うだけかもしれないですけど、管楽器入りのバンドの多くは管楽器を入れることで管楽器によるパーティ感とか多幸感とかをもたらそうとしていると思うんです。でも僕らは管楽器が入ってもあまりしあわせではない(笑)。狙いはけっこう真逆だと思います。

歌詞でもしあわせな状態がやがて終わるだろうというトーンが支配的ですよね。

吉田:歌詞でいうと、ファースト・アルバムを出してセカンドを録る段階になってから、バンドの調子も上向きになって聴いてくれるひとも増えてきて、もしかしたら今後もっと安定して胸を張って音楽ができるかもと思っていたんです。ファーストのときは不安が強くて、その不安定な状態を吐露するとドロドロした歌詞になるだろうと思っていました。いまはメンバー全員足並みがそろっていて自信が生まれ、でもファーストのころの不安ものこっているからこそ恥ずかしくないと思ったんです。ぎりぎり聴けるような温度感というか。不安と自信が共存した心情を吐露できるのは、いい意味でいましかないだろうから、歌詞ではそれを出しちゃおう、と。その意味では楽観的なんですけどね。

歌詞のなかにみえる街あるいは都市や家というものは吉田さんにとってどういうものですか?

吉田:舞台設定を考えるときにまず思いつくもの、ですかね。歌詞を作るためにディテールを詰めていくと話が転がっています。

自分たちは都市生活者だという自覚がある?

吉田:いや、それしか思いつかないんです。松本隆さんや松山猛さんが好きなので、語彙が豊富だったら「一張羅の涙」とか、見たこともない組み合わせのセンテンスをつくってみたいんだけど、なにも思いつかない(笑)。日常的な言葉を設定しているからそうなるんです。

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僕は元ネタがあったほうがハードルが高く感じられるんです。その曲を元にそれを越えるクオリティの曲をつくる。そういった感覚があるので、ゼロからつくらないようにしています。配分でいえば、全体の五分の一くらいを自分から出てくるものにしたい。 (吉田ヨウヘイ)


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曲を書くときって、どういう順番ですか? 詞はたいへんだとおっしゃいますが、メロディや和声進行、リズムなどの要素でどこから先に生まれるという決まりのようなものはありますか?

吉田:曲ごとにちがいます。 “ブールヴァード”であれば、あるレコードからリズムの元ネタをもってきて、その上に乗せる管楽器のパートをまたちがうレコードからもってきて、それが3つか4つたまってあるとき頭の中でバッと混ざったので、それでつくりました。

それらの音楽がつながるのはどういったときなんでしょう?

吉田:自分だったら、このマテリアルならこの時代性から切り離して自分の曲にできるって思うことがあるんです。レコードを聴いていると。このリズム・パターンとシンコペーションだったら自分のものとして吐き出せるな、とか。それが自分の頭のなかで混ざれば、ということですね。

ゼロからつくるより、なにかに対応してつくっていく?

吉田:いろいろ試したんですけど、僕は元ネタがあったほうがハードルが高く感じられるんです。その曲をもとに、それを越えるクオリティの曲をつくる。そういった感覚があるので、ゼロからつくらないようにしています。配分でいえば、全体の五分の一くらいを自分から出てくるものにしたい。

いわゆるオリジナリテイ、クリエティヴィティとは真逆の考え方ともいえますよね。

吉田:レコード屋で働いていることもあって、作曲の原動力にするための曲を聴ける時間が増えたんですよ。そうすると、パクるということを作曲の起点に置いたとしてもネタ切れの心配がない(笑)。

使える/使えないというかつてのDJのような観点で音楽を聴いているということですか?

吉田:感動する音楽で自分と関係ある、感動するけど自分とは関係ない、自分とはまったく関係ない、音楽をこの3つくらいに分けていて、聴くとすぐそのレールに乗るんですよ。

榎さんは吉田さんの考えに同意できますか?

榎:僕はそのような考え方ではないですね。でもなにかを聴いたとき、自分のいきたい方向性からの距離でそれをとりいれるかどうかは決まってくると思うんです。ここまでであれば自分の演奏にもスパイスとしてとりこめるんだけど、これ以上離れるとスパイスにすらならない。その線引きはたしかにあって、その遠さでグラデーションみたいになっているイメージはあります。

西田:たぶん俺は吉田さんとやっている期間が長くて、どこまでが自分本来の考えで、どこまで吉田さんとの作業のなかで出てきたものかわからなくなっている部分はありますね。俺も音楽を聴くときはそういうところがあるし。とくにさいきんはギターに集中しているぶん、「この曲のこのコード進行でこの洗練されぐあいでこのビートの精確さのときに、ギター・ソロがこんなふうに入ってくるとダサいけど、ファズの音色でこういったふうに入れた場合はアリだから、ジミヘンのような音色でサックスの運指を参考にして弾くんだけど、弾き方の粗さとしてはジミー・ペイジで、上に乗るものはスティーリー・ダン」――みたいなことはいつも考えますよ(笑)。

こみいっていましたがわかりやすい譬えでしたね(笑)。

西田:そういったことを吉田といつも話しているんですよ(笑)。

最初にいった、あるべきなのにいまだない音楽を掘り出す方法がそれなんでしょうか?

吉田:「素材としてロックで使われていないけどロック的な感性で聴いてもいいと思えること」をみつけることに僕は興味があって、それをレア・グルーヴやジャズからとれるとうれしいんですね。

西田:積み上げていくほうがむずかしいし、おもしろい。でもそれをさらに越えるものが真っ白な状態から出てきたら、夢のような話だとは思いますけどね。

やっているうちにそういうようなところに来ることもあるんじゃないですか。

吉田:作曲のレベルはそういうことをやっているうちに上がっているとも思うので、何枚かアルバムを経たあとに機会があれば、手法としてまっさらな状態からつくりはじめることもあるかもしれません。

メンバー同士のかねあい、バンド内の関係性の変化もあって、音楽もまた変わっていくかもしれないですもんね。

吉田:音楽のアイデアを言葉できちんと伝えることができるようになりたいと思っているんです。それが自分だから思いつくのではなくて、アイデアそのものがおもしろいからほかのひとが乗れるものであってほしい気がしています。西田とはそれが共有できる感じになってきているので、全員に浸透したらもっと楽しいですね。自分がつくるよりも各パートのひとたちが楽器の特性をふまえつつ曲にしていけたら……そこまでいきたいですね。

東京のインディ・シーンのなかで吉田ヨウヘイgroupと距離感がちかいのはやはり森は生きているですか?

吉田:仲良しだからあまりわからないですね。

ライバル関係ともいえると思いますが。

吉田:たしかに西田くんと森は生きているの岡田(拓郎)くんはすごいバチバチしているし(笑)。

西田:ほんとに(笑)。

なんで?

西田:俺は彼を尊敬しているので、「うれしいよ」という前提で聞いてほしいんですけど、互いにギタリストとして意識できる対象だと思っています。世界が狭いかもしれませんが。たとえば、俺のライヴを彼が観にくると、「今日はプレイ内容としてはアレなんだけどあそこはもうちょっとああしたほうがよかったんじゃない」と意見を言う(笑)。逆に俺が彼らのライヴを観に行って、演奏の後に会うと、「マジおまえには会いたくなかったわ」とかいわれますもんね(笑)。

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