「KING」と一致するもの

Boldy James / Sterling Toles - ele-king

 いざレコ評などを書こうと思うまで自分が聴いている音楽をどんな人がつくっているとか、僕はとくには調べないし、それほど気にならない。つい最近も4年ぐらい前から好きで聴いていたポスト・ロックのユニットを『エレキング別冊 カン大全』で取り上げることになって初めて調べたらライムと同一人物がやっているとわかってかなり驚いた。ドローンからダンスホールに転じたユニットだったので、ポスト・ロックまでやっていたとは想像以上に多彩なんだなーと。スターリング・トールズも2005年にCDRでリリースされた作品が最近になってアナログ化されて……とか、そんなんことぐらいしか知らなかったので、ラッパーのボールディ・ジェームズと組んでリリースしたジョイント・アルバムについて、こうしてレヴューを書こうと思い、最初にウォーミング・アップでユーチューブで何か曲でも聴いてからと思ったら、彼がデトロイトの高校で音楽の授業を教えている光景が出てきてびっくり。え、学校の先生だったの? スターリング・トールズってユニット名か何かだと思ってたけど、人の名前だったの? と、ついそのまま見ていると、いい感じで授業が進んでいくじゃないですか。生徒たちみんなでインプロヴィゼーションをやってアルバムを1枚つくろうとか、そんな話し合いをしている。とんでもない勢いでドラムを叩き、鬼気迫る音楽をやっている人とは思えず、静かに崩壊していく自分がわかるというか。さらに追っていくと、スターリング・トールズがデトロイト・ヒップホップの歴史を語るという映像は800人しか観てない。クリフトン・ペリーとスターリング・トールズはヒップホップを変えたルネッサンス・メンだか話している「デトロイト・イズ・ディフェレント」は300人。同じ趣旨でもう一本は150人しか観ていない。何も知らない時は、音楽だけを聴いていてどんなスゴい人なんだろうと思いがちなものだけど、いやあ、どんどんイメージが変わっていくなー。過剰な情報は音楽そのものを殺しかねないなー。

 それでは『Manger on McNichols』を覗いていきましょう~。ラッパーのボールディ・ジェームズは10年前にはデビューしていて、今年はすでにアルケミストと組んだ『The Price Of Tea In China』という面白いタイトルのアルバムもリリースしているものの、実はこの人のラップにはぜんぜん興味がない。『Manger on McNichols』でもMCが主導している“Detroit River Rock”まではそんなに興味がわかない。俄然、面白くなるのはトールズのドラムがフリーキーに暴れはじめる“B.B. Butcher”からで、ここからの3曲は何度も繰り返し聴いている。トールズが2005年にCDRでリリースした『Resurget Cineribus』もフィールド・レコーディングやゲットーテックがぐちゃ混ぜとなり、実に混沌としたアルバムで、とくに印象に残るのが破天荒なドラミング。トールズの演奏がとにかくスゴいんだと漠然と何年も思っていた。そう、こうしてレコ評を書きはじめるまでは。デトロイト再建を意味する『Resurget Cineribus』は1967年のデトロイトをテーマとしたもので、トールズの父親、デニス・エドワード・トールズがマーヴィン・ゲイのレコードに合わせてたわごとを喋るという行為からスタートしたらしい。トールズは1967年のデトロイト暴動を楽譜に起こせないかと模索しはじめ、リサーチの段階でデトロイトを再建するスローガン「Resurget Cineribus」にたどり着く。それはもともと1805年に起きた大規模な火災からデトロイトから立ち上がるためにつくられたもの(Rebuilding Detroit→https://www.youtube.com/watch?v=M3sGZsQZx80)。彼の父親が依存症から回復しようとしている時にこのスローガンが彼のなかでなんらかの意味を持っていると判断したトールズは67年のニュース映像からサンプリングした音と父親が葛藤しながら吐き出し続ける言葉をスコア化するという方法で音楽をつくり進める。ミュジーク・コンクレートがポップ・ミュージックのフィールドに降りてくる直前の時期だったと思うけれど、トールズ自身もそれは意識し、オーネット・コールマンやジョン・ケージがやるようにデトロイトを表現し、デトロイトが持っている「美しく弾力のある精神(the beautiful and resilient spirit )」に「肉と顔を与えた(to give flesh and a face)」のだという。言葉がわからないので半分以上意味不明だけど→https://sector7grecordings.bandcamp.com/album/resurget-cineribus

 『Resurget Cineribus』を聴いたDJアゾールトとミスター・ディー(Mr. De)は「まるでインディーズ映画を見ているようだった」と感想を残し、この作品はデトロイトの活動家たちに愛され、カイル・ホールダキムのような「境界を突破しよう」と試行錯誤しているミュージシャンたちにインスピレーションを与えたと評価されている。そして、僕が漠然と「最近になってアナログ化された」と思っていたのは、それがデトロイト蜂起から50周年を記念していたということも初めて知った。なるほど。そういうことだったのか。さすがにこれを知ると、もっと身構えて聴くものだったという反省的な気分に。そして、『Resurget Cineribus』の作業が終わるのを待ちかねていたボールディ・ジェイムズがすぐに『Manger on McNichols』のレコーディングを開始しようと言い始め、そこからレコーディング作業は12年にも及んだという。「マクニコルズ」というのは鉄鋼メーカーのことのようで、アルバム・タイトルは格子状になっている鉄の上で食事をしているという意味か(?)。よくわからない。ジェイムズもトールズも音楽産業だったり、他人に聞かせることを目的とせず、自分たちのためにレコーディングしていたそうで、とはいえ、個人的なトラウマが集団的なカタルシスとして共有されることには疑問がなかったという。レコーディングが伸びまくっている間にベースを弾いていたアンプ・フィドラーの兄は亡くなり、トールズの説明は読むのが面倒なほど長く多岐にわたっている(ので省略)。ゲストはその間にかなりの数まで膨れ上がり、“Welcome to 76”で侘しげなサックスを吹いているのはマッド・マイク。同曲ではエレクトリファイン・モジョの声もサンプリングされている。全体を通して聴くと、デトロイト・ヒップホップという文脈しか存在せず、それ自体がどんなトレンドにも属していないといえ、クエル・クリスなどと同じく単独で独自のヒップホップをやっていますよという感じ。トラップは5秒と聴く気がしなくなっている僕としてはもちろん彼らの方が興味深い。

interview with Saito - ele-king

 千葉県船橋の齋藤一家といえば、近所でも評判のオモシロ家族で、TVや雑誌の取材も珍しくない。匿名性を重んじるテクノに限らず、一般人でさえも個人情報に神経質なこのご時世に、ありふれた住宅街の一軒家の庭に貼られたテントで寝起きをし、テントで食事をし、気が向けば釣りに興じ、毎日がキャンプファイヤーのような生活を送りながらエレクトロニック・ミュージックを作っている。それは自然に溶け込む音楽というよりも、ともすればクレイジーでやかましい音楽、住宅街には不釣り合いな変わった音響だったりする。しかもこの夫婦、コロナ禍においては世界に向けてライヴ配信までしている。そして何を隠そう、このオモシロ家族(本人たちの言葉によればエクスペリメンタル家族)の奥方こそ、galcid(ギャルシッド)を名乗るレナであり、ルアーフィッシングに夢中な夫が生まれながらのテクノ野郎、齋藤久師なのであった……。

 さて、そんな齋藤一家から生まれたアルバムのひとつが、つい先日発売となった。SAITO名義によるアルバム『Downfall』で、レーベルはフランクフルトの名門〈ミル・プラトー〉。ちょうどひと月ほど前には、〈ミル・プラトー〉の親レーベル〈フォース・インク〉から、パワフルなテクノをフィーチャーしたシングル「Bucket Brigade Device」をgalcid名義でリリースされたばかりでもある。ちなみに昨年末には、アンビエント作品集「galcid's ambient works」がカセットテープで〈Detroit Underground〉から出ている。フィジカルはすぐに売り切れてしまったが、配信ではまだ買えるし、口コミで評判が広がっているお陰で、いまもなお聴かれ続けている。
 で、最新作となるSAITO名義の『Downfall』だが、これは強いて言うならオウテカの系譜にある音で、SAITO夫妻の盟友リチャード・ディヴァインの諸作ともリンクしている。つまり不規則なマシンドラムがうねりをあげながら、自由についての感覚を模索する音楽だ。とはいえ、SAITOの音楽は実験的ではあるが、よりフレンドリーでもある。奇想天外な展開に喜びの声を上げているロケット弾のような音楽で、あらゆる方向に飛んでは旋回し、最後は無事着陸する。ドイツではすでに評判になっているようだが、SAITOは今後ふたりの主戦場のひとつになるかもしれないと思う。そしてもうひとつ特筆すべきは「galcid's ambient works」のほうで、グローバル・コミュニケーションをダブ・ミキシングしたかのよう音響──といえば良いのだろうか、これが何気に良いのだ。ドリーミーなメロディと美しい静寂は、おそらくはレナの大らかさに関連しているのだろう。
 そんなわけで、気が滅入る時代であってもじつに元気よく暮らしている齋藤家の話をどうぞどうぞ。ふたりは日々の生活をいかに面白く創造していけるのかという人類にとっての重大なテーマに取り組みつつ、アンダーグラウンドなテクノ作品を世界に向けて発信している。まずはその自由な生き方を読者とシェアしたいと思う。こんなでもいいんだと、ちょっと元気になれます。そう、日本を暮らしやすい国にする方法は、個性豊かな変人が増えること、齋藤家のような家族がもっと増えることであることは言うまでもない。

フィジカルにこだわるのは自分たちを守るためですね。若い人たちには音楽を買うって概念がないからです。そうすると、ぼくらは食っていけないじゃないですか。だから1年遅れてでも出すんですよ。

新作はコロナ禍ですごく微妙な時期にリリースされましたけど、順番でいうとgalcidの『galcid's ambient works』が最初ですよね?

レナ:そうです。それも本当は去年の9月に出ているはずだったんですけど、カセットテープの原料である磁石不足で、世界中のカセット製造工場がしばらくクローズしてしまったんです。

この作品は、ちょっと驚いたというか、すごく良いと思ったんですが、まわりの評判が良かったでしょう?

レナ:そうですね。カセットテープは一瞬にして完売しました。アメリカでも全て1週間で売れてしまって、日本ではなんと3時間で売り切れとなりましたね。一応バンドキャンプにもあがっているし、アップル・ミュージックにも入っているから聴けるんだけど、なぜかテープが欲しいって。フィジカルなものを求める人がけっこういるのかな。ヴァイナルもそうなんですけど、でもコロナで完全に工場がクローズしていて、めちゃくちゃ遅れています。通常、デジタル配信が先にリリースされるというのは順番としてありえないらしいけど、そうせざるをえなくて。

齋藤久師(以下、久師):〈Force Inc.〉のものと〈Mille Plateaux〉のものも、今年の1月には出るはずだったんですよ。

フィジカルにこだわるのはなぜですか?

久師:まずは自分たちを守るためですね。だから1年遅れてでも出すんですよ。なぜかというと、若い人たちには音楽を買うって概念がないからです。知的財産なのに。そうすると、ぼくらは食っていけないじゃないですか。さらにコロナになって、ライヴもないとなると、絶対にコピーのできないフィジカルにはこだわりたいですよね。

物体として売るものがあるかないかは大きいですよね。ちなみにコロナ前までは、ライヴに行くとき機材はどうしていたんですか?

久師:galcidの場合、レナはひとりで機材を持ってヨーロッパを周りますよ。

レナ:言ってもまぁ、40キロ程度なんで。

じゅうぶん重いですよ(笑)。

久師:ドイツとかだと道もまっすぐだけど、フランスとかボコボコだからね(笑)。

レナ:イギリスはいいんですよ、紳士の国なので(笑)。手伝ってくれるんです。でも、昔住んでいたのがニューヨークだったから、手伝うふりして盗まれるんじゃないかって疑ってしまって。罪悪感を(笑)。

久師:1年間で2回スマホを盗まれていたもんね。

レナ:そうそう。スペインで。

久師:その盗んだ人が電話を使いまくったんですよ。で、40万円の請求が来た。最悪ですよ。

その40万はどうしたんですか?

久師:払いましたよ(笑)。

レナ:一応まけてもらいましたけど。渡航する直前に格安プランに変えたんです。でも、そのシステムだと盗まれたら連絡できるところがなくて……。フリーダイヤルは海外からはかけられないし、久師に代わりにかけてもらったら、本人以外はダメですと。その間ずっと電話を使われてしまってたんです。帰国して携帯会社に事情説明したら、24万まで下げてもらえました。それでも高いですけど(笑)。

いろいろエピソードがあってすごいですね。〈Mille Plateaux〉のほうの作品は、(名物オーナーである)アヒム・ゼパンスキーさんからオファーがあったんですか?

レナ:そうです。「クレイジーなものを作ってくれないか」って。

久師:「好きなだけ好きなことをしろ」って。「できるだけ狂ったものを作ってほしい」って言われましたね。それと、〈Mille Plateaux〉の長年こだわりのしきたりがあって、名前を「galcid」以外のものにしてくれといわれましたね。OvalやALVA NOTOもそうですけど、じゃあボク達は何にしようって。それで名字の齋藤(SAITO)にしようって。「Mille Plateaux」と「saito」って韻も踏んでるし面白いかなって(笑)。

レナ:〈Force Inc.〉のほうは「メインフロアのプレミアム・タイムで流すようなものを作って欲しい」と言われました。今までそういった4つ打ちの「ザ・テクノ」みたいなオーダーは受けなかったんですけど、試してみることにしました。じつは〈Force Inc.〉のことを知らなかったんですよ、私。友だちに「〈Force Inc.〉ってところからメールがきたんだけど大丈夫かな?」って言ったくらいで(笑)。「え、有名なの! じゃあ受けとこう」と(笑)。〈Mille Plateaux〉は知っていたんですけど。

同じじゃないですか(笑)。もともと〈Force Inc.〉からはじまったんですよね。

レナ:そうみたいですね。で、「〈Mille Plateaux〉はうちの傘下だから」って〈Forc Inc〉のオーナーに言われて……。

久師:どちらかというと、僕たちの好きなサウンドの傾向は〈Mille Plateaux〉系なんです。ダンスフロア系ではなくて。

〈Force Inc.〉はハード・テクノだから。

久師:そうそう。だから作り方も変えましたね。両方とも即興で演奏したあとにエディットするんですけど、〈Force Inc.〉のほうは昔の機材を使って、クラシックスタイルでレコーディングしましたね。ジェフ・ミルズ・スタイルというか。〈Mille Plateaux〉のほうはユーロラック・モジュラーだけで作って、それをあとでこねくり回しました。

レナ:同じく『galcid's ambient works』も全部ヴィンテージ・シンセを使いました。

久師:そうですね。意図してできるだけ雑に作りました。

できるだけおかしなようにやれっていうのは言われたんですけど、ぼくらにとってはあまりおかしなことではなくて、いつもやりたかったけど我慢していたことなんです。だから仕掛けはすごく多いですね。

アンビエントをやったのは『galcid's ambient works』が初めてですよね。なぜやってみようと思われたんですか?

レナ:去年の夏に作りはじめたんですけど、猛暑だったから、ちょっと涼しげな音楽を作ってみたいっていうのがきっかけですね。

久師:でも、真冬に出ちゃったよね(笑)。『galcid's ambient works』ではシーケンサーさえ使ってないんです。TB-303でCV/GATEを出して、直接アナログシンセサイザーをテープエコーに繋いだりして、そういったノイズを含めたサウンドが味になったのかな、と思います。

レナ:なんか新しいような懐かしいような雰囲気もあって、ちょうど良かったのかな、と感じています。『galcid’s ambient works』は、いろいろ開眼させてくれるきっかけになりました。それまで私たちはメロディを入れないというか、無機質なものにしたくて、コード感を敢えてトラックに入れてきませんでした。それが『galcid's ambient works』から入ってきたんです。その後の作品はちょっとメロディが入っていたり、コード感を感じるものが入ってくるようになりましたね。

今回まさにそれをすごく感じました。

久師:まずビートの部分を全部作って、あとでメロディを入れる形ですね。ぼくらの基本である即興という手法は変わらないけど、メロディは即興だとなかなか難しいです。それこそフリー・ジャズみたいになっちゃうので、ちゃんとリフレインするようなもの、構成されたものはあとから冷静になって考えて二度書きしています。だから一回だけダビングしましたね(笑)。

レナ:リスニング作品にしたいっていう想いがあるので、前回のファースト・アルバム(『hertz』)もそうですが、今回はとくに、和声にこだわりました。私が聴いてきたもの、それこそ〈Mille Plateaux〉の全盛のときとかはメロディがあったし、そういうものを聴いて育ってきているのがどっかにあったんだろうね。いままではあまりにもシンプルすぎて、感情的にもいろいろと抑えていたものが『galcid’s ambient works』以降は出てきましたね。

久師:それまでなぜメロディを入れなかったのかというと、無機質にこだわっているのもありますけど、リスナーに想像の余地を与えたかったからなんですよね。ダンスフロアでは、自分の予定調和を崩してくれるところが楽しかったりするじゃないですか。ドラムしか入っていない部分がすごく気持ちよかったり。だから、そこに特化して作っていたんだよね。ところが、メロディを一度入れてみると、意外と評判が良くて、「あぁ、いいのかな」って(笑)。世界が少し広がりましたね。リスナーの幅も。

レナ:それがいまやっている活動にも繋がっていくんですよ。だから『galcid’s ambient works』が分岐点になった。

〈Force Inc.〉のほう(「Bucket Brigade Device」)はダンスフロアがないと機能しないサウンドですけど、〈Mille Plateaux〉の作品(『Downfall』)は、タイミングが良いのか悪いのか、家でも繰り返し聴ける音楽じゃないですか。

久師:やはり評判も〈Mille Plateaux〉のほうが断然良いですね。いまは現場で流せないから(笑)。みんな家で聴くしかないので。

レナ:(「Bucket Brigade Device」は)せっかくマイク・ヴァン・ダイクがいろいろなクラブで低音出して調整してリミックスしてくれたんですけど、いざ蓋を開けてみたら、場所がないっていう(笑)。

コロナでロックダウンされた頃に、ロラン・ガルニエにインタヴューしたら、いまいちばん聴きたくないのはハードなテクノだと(笑)。

一同:(爆笑)。

久師:じゃあ、〈Force Inc.〉のほうは出さないほうが良かったのかな(笑)。再来年ぐらいにしとけばよかった(笑)。

〈Mille Plateaux〉のアルバムはいまの時代にすごく合っている気がします。これはコンセプトがあったんですか?

久師:常にびっくりさせようっていう思いがあるんです。落とし穴的なもの。

アヒムさんからは好きなようにやれって言われたんですよね?

久師:できるだけおかしなようにやれっていうのは言われたんですけど、ぼくらにとってはあまりおかしなことではなくて、いつもやりたかったけど我慢していたことなんです。だから仕掛けはすごく多いですね。ハリウッド映画のような。3秒に1回は何かがある。ループしているところがほとんどないですね。

レナ:絶対に「作品」にするという意識はあった。描いたイラストレーションを額縁に入れると、その瞬間から落書きではなくて作品になるじゃないですか。そういうことをすごく大切にするというか。ライヴ・セッションをそのまま聴かせる方法もあるけど、今回はエディットとかミックスとかをしっかりやろうというのがあったんですよね。当たり前のことだけど、でもいまはなんでも簡単に出せちゃうから……。

重要ですよね。DIYでやるうえでもね。

レナ:音楽系のワークショップでよく「作品化するのに迷っているんですが、どうしたらいいんですか」って訊かれるんです。

久師:いま、そのような質問は本当に多いですね。でも実はすごく簡単なことなんです。僕らがやっていることは、60年代後半からのジャマイカン・ダブの連中がやっていたことと同じなんですよね。エイフェックス・ツインやクラフトワークもそうですけど、謎めいているようで、やっていることはすごくシンプル。僕らもそう。全然難しいことはやっていないんです。強いて言うなら、一番こだわっているのは、中学生のときに作ったシールドかな。

なぜシールドを作ったんですか?

久師:お金がなかったからです。それがいまだに20本あるんですよ。それを挿した瞬間に、音が中2の時の音になるんです。いわゆる「悪い音」ってやつですよ。伝導率が悪いからなんですけど、その効果が良すぎて絶対手放せないんです。音の良さと音楽の良さって別物だなっていうのはけっこう昔からわかっていて、あえて高級オーディオとかハイレゾなものは使ってないですね。

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三島(由紀夫)さんが「死ぬ死ぬ死ぬ……」ってずっと言ってるやつね。これは、面白いから録ろうってなりましたね。

エレクトロニック・ミュージックを聴くときに、いちばん気にするところはどこですか?

久師:どうやって笑えるかと、踊れるかっていうところですね。

笑えるか、踊れるか?

久師:そう。僕らのテーマはそこなんです。「笑える」っていうのは「びっくりする」という意味もあるんですけど……コミック・バンドじゃなくても、音で笑うというのはできるんですよ。「え、ここにこれが来るの!」って(笑)。例えばハンドクラップが予期せぬような全然違うところに入っていたりとか、「ちょっと待ってこの人おかしいよ」っていう笑い。

それは「笑い」というより「驚き」ですよね。

久師:そうですね。ぼくら、そういうのを聴くとニヤニヤしちゃうんですよ。

レナ:「発見」みたいな感じなのかな。

久師:意外性かな。

『Downfall』の最後の曲もそういう意図で作ったんですか?

久師:三島(由紀夫)さんが「死ぬ死ぬ死ぬ……」ってずっと言ってるやつね。これは、面白いから録ろうってなりましたね。

レナ:海外の人は言葉の意味がわからないじゃないですか。だからどういう反応を示すんだろうって。サプライズとして入れたんです。

なぜ『仮面の告白』にしたんですか?

レナ:「Mask」はコロナとも被りましたね(笑)。もともと私が三島さんの作品が好きだったのと、あと『仮面の告白』って三島さんの処女作だし、私たちもSAITOとしては初めてだったというのもあったり。それと、私のなかで『仮面の告白』って、坂本(龍一)さんのお父さんが編集者だったりして、いろいろとシンクロしちゃったんですよ。あと、三島さんの声は昔のインタヴューなんですが、音って記憶とか時代感とかを含んでいるじゃないですか。それを現代の音にあてたときの違和感もいいと思って。

いま音楽のほかにハマっているのが、7.83という周波数ですね。シューマン博士という人が発見したんですが、地球には電離層っていうのがあるんです。そこには周波数が流れている。それが7.83ヘルツ。人間の耳は20ヘルツまでしか聞こえないから、完全に聞こえません。でもセンシティヴな人は、気配を感じる人もいる。地球ではすべての物質がその7.83っていう周波数を基準に動いているんですが、それが現在7.835とか、ちょっとだけズレてきているんですよ。

音楽を作るときはふたりで一緒に作っている?

久師:galcidに関してはレナが演奏して、私がミックスプロダクションを行なっています。SAITOに関しては、演奏も二人で行い、ミックスは私が行いました。

レナ:久師はめちゃくちゃ作業が早いんですよ。普通5日間とかかけるのを2時間とかでやってしまうので。

久師:雑な方がいいんですよ。1テイク目がいちばんいい。失敗するときもあるんだけど、だいたい一発目がいいんです。

最近リリースのペースも早いですよね。

久師:最近2枚出ましたけど、実はそれよりもっと前に録音しているフル・アルバムがあるんですよ。他にも海外を中心に12インチシングルやコンピレーション作品も色々と出しています。galcidの2枚目のフル・アルバムに関しては、去年の3月に完成している作品が〈Detroit Underground〉から出るはずだったんですけど、ファーストと同じくジャケットをデザイナーズ・リパブリックのイアン・アンダーソンに頼んだら、そのデザインだけで半年かかって(笑)。

レナ:さらに、一度でき上がったものに文句を言ってしまったんです。

久師:まさかのダメ出しをしたんですよ。最初に上がってきたのがめちゃくちゃチャイナ風で(笑)、これは絶対違う!と思って。

レナ:関係者一同みんな凍りついたけどね(笑)。

久師:イアンはデザイン界の巨匠だから、レーベルの人も「言えない」と。「じゃあ、僕たちが言う」って(笑)。

ぼくも1回会ったことがありますけど……よく言えましたねそれは(笑)。

久師:でも野田さんがもし自分のアルバムでそれがきたら、言うと思いますよ。

いやいや(笑)。やってもらえただけで嬉しいから。

久師:みんなそういう状況なんですよ。みんな凍りつくし、本人はヘソ曲げちゃうし(笑)。

レナ:でも、私にはいっさい文句を言わないかったですね。しれっとレーベルに請求額を上乗せしていたらしいですが(笑)。

久師:少数精鋭で手仕事でやっている職人さんたちだから、逆にレナの言ったことが響いたようで、「じゃあ、やったろう」ってなってすぐに作ってきましたよ。でも今度はプレス会社が大忙しになっちゃって。

レナ:向こうのプレスって、6月くらいで最後の受注を受けて、9月まで休みなんですよ。それでのびのびになって、さらにコロナになってしまった。

久師:でも最近〈Detroit Underground〉と話した結果、なんと今年の冬に出ることになったんです。

良かったじゃないですか。次のリリースが控えているのは楽しみです。

久師:でも、僕らとしてはフレッシュな方がいいじゃないですか。

たしかに。2年前の作品だと「いまだったらもっと良いものが作れるのに」って思いますよね。

久師:実は今、それを打開するべくやっていることがあるんです。昔はある天才作家に王様とかがパトロンとして曲を書かせていたわけじゃないですか。で、調べたらパトロンに直接作品を売っているシステムがあって。いまgalcidもPatreon(パトレオン https://www.patreon.com/galcid)というシステムを採用して、月に最低5ドル入れてくれれば聴き放題になるっていうサブスクをやっているんです。すごく健康的だと思うんですよね。その代わり、条件としてこちらは週に1曲あげる。

レナ:その条件は自分で縛っているんですが(笑)。

久師:毎週作ってあげているから、本当に新しいんです。

レナ:健康的だよね。聴く人は最新の音楽が聴ける喜びもあるし。

それは確かに新しいですね。

レナ:一応Patreonはクラウドファウンディング型ということになっているんですけど、サブスクという形にしていて、ダウンロードも可能なので、リスナーは好きな形で聴くことができます。

まさに広告に対しての狭告。

レナ:まさに。コメントもできるし、「今回は気に入ったから上乗せします」ということもできる。

久師:その点が投げ銭とは違いますね。

レナ:サブスクという形は私たちにとってありがたいですね。一回きりではないので、信頼関係が保てるんですよ。

それが確立されて、ベースになる経済活動みたいなものができたら大きいですよね。

久師:しかも、クライアントがいないから毎週『Downfall』みたいな過激で誰にもこびない曲を作ってアップしているんですよ。それ以上にフレッシュで新しいものを。ほぼ全曲にメロディが入っていますね。また、二度と同じことをしないというのが信条です。最近はFMシンセを多用します。それがまた新しいですね。
 FMシンセというとDX-7のイメージがあると思うんです。フュージョンとか、のど自慢とか。あれって、綺麗な音を作ろうとしてヤマハが作ったものですが、ぼくらが使っているFMシンセのモジュールは、触っちゃいけない操作子しか出ていないんです。つまり、音を壊していける。綺麗なエレクトロニック・ピアノとか、そういう音じゃなく、まともな音を出さないような装置なんです。

なるほど。すごく面白いです。それこそ303なんて、本来はベースラインとして作ったものが、あんなふうに間違った使い方のほうが面白いということになった。それと同じような話ですね。

久師:303と909と808とSHを作った菊本忠男さんとDOMMUNEで対談したんですが、そのとき303、909などのいわゆる難解シリーズはご自分で「失敗作だった」って言っていました。「でも菊本さん、これがどんな音が出るか知らないでしょ」って、DOMMUNEのサウンドシステムで鳴らしたらびっくりされて…。こんな音作った覚えはないって(笑)。当時、予算に限りがあったので、だったらしょぼい方向に合わすかということになった。そのしょぼい方向がTB-303の嘘のベースの音だったり808とか909のリアルでは無い電子的なサウンドになったんです。

レナ:逆に言うと、いまや本物だしクラシックだからね(笑)。

久師:世界中でいちばん鳴っている叩きモノだよね。そういう意味でもこれは素晴らしいんですよって言っても納得してくれませんでした。菊本さん自身は完璧に失敗したと思っているんです。そして彼は「久師さん、こんな爆音でTRシリーズを聴いたら耳を悪くするのでお気をつけください」って(笑)。

今回のコロナの状況を受けて、今後どういうふうに活動していこうっていうのはありますか?

久師:まず、この様な状況になって真っ先に揃えたのが映像配信機材です。嬉しいことに、4月にキャンセルになってしまった全ての場所からストリーミングでライヴの依頼がありました。なので、ヨーロッパのツアーはそうそうたるメンバーで自宅スタジオから配信できました。

レナ:ヨーロッパだけではなく、インドもありましたね! そちらも、ものすごくきちんとしている、といったら変ですが、メンバーもクオリティーも高かったです。そのように、オフラインでのイベントができなくなってしまった補填をするストリーミングをしつつ、去年末から行っている「音を鑑賞する」対話型のワークショップをやっています。ビジネスパーソンの方がけっこう来てくださるんですけど、そこで、私たちの作った音を流しているんです。

久師:「音楽」じゃないですよ。音です。「シューッ」とか「パッ」とか、抽象画を鑑賞するのと近くて、音を鑑賞するんです。そこにはメロディもありません。

レナ:対話型鑑賞は絵を使ってやる人は多いけど、2019年の時点で音でやっている人は誰もいなかったから、第一人者になりたいと思って。

それは場所を借りて?

レナ:今年の3月までは場所を借りてやっていたんですけど、いまはオンラインでやっています。ZOOMで。数十名の参加者から3~4名のグループにわかれて、聴いた音の印象を五感に変えて対話します。どんな色を感じるか、情景が見えるか、香りだったら? 感触とか、色々と個人で感じることを対話していくわけです。それぞれが、音から思い起こした自分の記憶やイマジネーションについて語ってくれます。絵だとなかなか言葉が出てこないけど、音だと言語化しやすいみたいですね。
音は記憶や映像と結び付きやすいようです。参加者は「こんな音聴いたことない」って人も多いですね。普段音楽を聴かないというか、聴いてもクラシック音楽とかロックくらいしか知らない人、そもそも歌詞がない音とかメロディがない音を知らない人が、いきなりエクスペリメンタルな音を聴かされて、「宇宙的なものを感じた」とか、「地下にいるような気分になった」とか。そういう違いも楽しめるコミュニケーションです。

久師:野田さんも小林さんも、レナも私も、同じ音を聴いても感じ方はそれぞれ違って、言葉も違うじゃないですか。その相手の多様性を認めるのが対話なんです。最初は「自分とは違うな」ってなるけど、何回かセッションを繰り返していくとその人の感性が開いてきて、相手との違いが楽しくなってくる。それがコミュニケーションになっていく。

レナ:音だから、正解も不正解もないじゃないですか。そうすると、「この人はこう感じるんだ」とか発見があるんです。明るく感じている人もいれば暗く感じている人もいる。たとえば、オルゴールの音を聴いて「懐かしい」って感じる人、「綺麗だな」って感じる人と、「怖い」って感じる人がいるんです。ホラー映画でオルゴールが鳴ると怖い場面とかありますよね。そういうのを過去に観たことがある人は、オルゴールの音を「怖い」と感じることもあります。そういうふうに、それぞれの感じ方が一個の音の中にある。
私は小さいころそうやって遊んでいたから、それをいろいろな人とやりたいと思ってはじめたら、意外にもビジネスパーソンの方々がおもしろがってくれました。「じゃあうちの企業でもコミュニケーションの場としてやらせて下さい」とか、中学校とか高校生とか、グレはじめる子供たちと一緒に先生がやるとか。そういう話がぽつぽつあって、新しい音との関わり方が開いた感じです。

やることがたくさんありますね。

久師:いま音楽のほかにハマっているのが、7.83という周波数ですね。シューマン博士という人が発見したんですが、地球には電離層っていうのがあるんです。そこには周波数が流れている。それが7.83ヘルツ。人間の耳は20ヘルツまでしか聞こえないから、完全に聞こえません。でもセンシティヴな人は、気配を感じる人もいる。地球ではすべての物質がその7.83っていう周波数を基準に動いているんですが、それが現在7.835とか、ちょっとだけズレてきているんですよ。

それは気候変動と関係しているんですか?

久師:かもしれない。すべてがちょっとずつズレていて、簡単にいえば整体に行って治さないといけない状態。

レナ:シューマン博士がそれを発見したのは20世紀初頭なんですが、でも仮説のまま博士は亡くなってしまった。それが、1967年くらいにアポロが飛んで、理論上正しかったことがわかったんです。じっさいに計測したら7.83だったと。20世紀の最大の発明は「振動」だと言われています。ワークショップのときもそのシューマン共振を入れたりしています。いまコロナで、「見えないもの」がキーワードになってますよね。音もそうだなって。

久師:実はヒトラーもその手法を使ってプロパガンダを行っていました。彼は人が不快に感じる周波数にこだわっていた。人間の可聴範域を超えた部分で不快な周波数を聴衆のいるところに流していたんです。それでヒトラーが壇上に出てきた瞬間に、その不快な周波数を切る、という演出をしていました。音は使い方によってはそういう悪用もできてしまうのが危険ですね。

レナ:「振動」はものすごくエネルギーを持っています。うまく使って、いま、脳科学の先生ともメンタルヘルスケアの部分でも役立てられる様に、さらなる音の研究を進めています。それをどんどんワークショップにフィードバックしているような感じです。

galcidの今後の方向性として、音そのものがあるんですね。

レナ:はい、そうですね。音と絵でコラボレーションしたこともありました。音をつけて抽象画を鑑賞すると、その絵が動き出すんです。薄く入れている色が急に際立って見えたり、とかなり面白かったです。無音で絵を5分間鑑賞するのは大変だけど、音が出ると動きが出るので、ゆっくり鑑賞できて、フィードバックももらえる。音の可能性は無限だと感じています。

久師:そういうワークショップをブライアン・イーノと教育機関などでおこなおうとしています。

それは大きな目標ですね。

久師:いや、すぐにできますよ。向こうから誘ってくると思う(笑)。

レナ:海外の人はそういう話に敏感で、すぐに興味を持ってくれますね。同じことをギターとかヴァイオリンとかピアノなどのアコースティック楽器でやろうとすると、すごく制限があるんです。音色や音階が決まっていて、音のイメージが強すぎるから。でもシンセって、ノイズからメロディまで出せるから、想像の範囲が広がって鑑賞しやすいんです。私は電子音楽は他のジャンルに比べて比較的新しいものなので、様々なことができると思っています。まさに色のパレットがあり、色自体を自分で作れますからね。これからも、電子楽器を使って可能性を追求していきつつ、作品を作り続けていきたいと思います。

Bruce Springsteen - ele-king

 エレクション・イヤーにこの男が動かないはずがない。2019年に(ロックというより)「ポップ・レコード」と宣言された『ウェスタン・スターズ』を発表したブルース・スプリングスティーンが、以前から噂されていた通り、大統領選挙直前にEストリート・バンドと再び集結したロック・アルバムをリリースする。アルバム・タイトルは『レター・トゥ・ユー』、すなわち、きみへの手紙。伝えたいことがあるということだ。
 すでに発表されている先行シングルにしてタイトル・トラック “Letter to You” は、あか抜けなくて泥臭いロック・ソング。あまりにもスプリングスティーンらしい力強い曲だ。そこでボスは、明らかに自分が老齢にあることを意識しながら、いま、きみに伝えることがあるんだと繰り返す。
「きみへの手紙に、俺が見つけた困難のすべてを。きみへの手紙に、俺が知った真実のすべてを」──。

 スプリングスティーンがいま、わたしたちに伝えたいことは何だろう。『ウェスタン・スターズ』ではおそらく「リベラル」とされる陣営の外をも射程にして、アメリカの夢から滑落した人間たちの痛みや悲しみがポップ・ソングに託されていた。であるとすれば、COVID-19以降の生活基盤のあり方、ブラック・ライヴス・マターの渦中で人権と秩序のバランスをどうするかが大きな争点だとされている今年の大統領選において、「争点」などと言っていられない、ただ毎日を生き抜くのに懸命な庶民のためにこそ、いまなお残酷な資本主義経済のなかで周縁化される弱き者たちのためにこそ、『レター・トゥ・ユー』の「手紙」は綴られたのではないだろうか。そう思えてならない。
 熱い男たちの熱いロック・ソング。そんなものがとっくの昔に古くなっていることは、きっとスプリングスティーンもわかっている。だけど、時代に取り残される人間たちのことを彼はけっして忘れない。繰り返そう。2020年、ブルース・スプリングスティーンのロック・レコードがリリースされる。(木津毅)

復活! ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンド、新曲「レター・トゥ・ユー」公開!


photo by Danny Clinch

急遽10月23日緊急発売となることが発表されたブルース・スプリングスティーンが盟友Eストリート・バンドと再びタッグを組んだ待望のニューアルバム『レター・トゥ・ユー』。新作からの第一弾シングル、タイトル・トラックでもある「レター・トゥ・ユー」のビデオが公開され、雪の荒野に佇むスプリングスティーンの姿と自宅スタジオでEストリート・バンドの仲間と再会し笑顔で曲を作り上げていく姿が対照的に描かれている。映像に映し出された歌詞をもとにした、第一弾対訳が公開された。

「厳しい時代と良い時代を経験して知ったこと、それらすべてをインクと血で手紙にしたためた」「すべての恐れと迷いを受け入れ、見つけた困難なことのすべて、真実だと知ったことのすべてを手紙に入れて君に送ろう」と、この困難な時代に生きるすべての人々に贈る、ボスからの「励ましの手紙」。ボスの真摯で誠実な歌の数々とEストリート・バンドのエモーショナルなサウンドは、信頼、友情、絆という大切な気持ちを思い出させ、未来への夢と希望を与えてくれる。

米国大統領選挙直前の10月23日発売となる、2020年最重要アルバム『レター・トゥ・ユー』の再生・ご予約はこちら。
https://SonyMusicJapan.lnk.to/LetterToYou

●Bruce Springsteen - Letter To You (Official Video)
https://www.youtube.com/watch?v=AQyLEz0qy-g

●「Letter To You/レター・トゥ・ユー」

たくさんの雑種の木の下で
俺は面倒ごとを起こしてしまった
ひざまずいて祈り、ペンをひっつかみ
こうべを垂れた
俺が呼び起こそうと努めたのは
自分の心が真実と認めたものすべて
俺の手紙にそれを入れて君に送ろう

厳しい時代と良い時代を経験して知ったこと
それらすべてをインクと血で手紙にしたためた
自分の魂を深く掘り下げ、名前を正しく署名した
俺の手紙にそれを入れて君に送ろう

君への手紙では、俺はすべての恐れと迷いを受け入れた
君への手紙では、俺が見つけた困難なことのすべてを
君への手紙では、俺が真実だと知ったことのすべてを
俺の手紙にそれを入れて君に送ろう

俺はあらゆる日差しを浴び、雨にうたれた
俺の幸せのすべてと痛みのすべて
夕闇の星と朝の青空
俺の手紙にそれを入れて君に送ろう
(訳:五十嵐正)

【作品情報】
未来への夢と希望を高らかに謳う、ボスから君への励ましの手紙。
盟友Eストリート・バンドと再びタッグを組んだ待望のロック・アルバム!

ブルース・スプリングスティーン / レター・トゥ・ユー
Bruce Springsteen / Letter To You

発売日:2020年10月23日発売予定
品番:SICP-6359 
価格:2400円+税

Bruce Springeteen featuring The E Street Band! 誰もが待っていた、これぞボス&Eストリート・バンドの王道サウンドが炸裂。彼らならではの「心臓が止まりそうなほど刺激的で、会場を大いに盛り上げる」サウンドに煽られた12曲を収録した待望のロック・アルバム。スプリングスティーンはこう語る。「エモーショナルな作品だ。Eストリート・バンドがスタジオで完全にライヴ録音したサウンドもとても気に入っている。今までやったこともなかった手法で、オーバーダブもしなかった。たった5日間で作ったアルバムが、結果として自分史上最高のレコーディング体験のひとつになったんだ」。書き下ろし新曲9曲と共に、1970年代からの伝説的だが、今まで未発表だった3曲(*)が全く新たな解釈で収録。スプリングスティーンがEストリート・バンドと演奏を共にしたのは、2016年に世界で最も成功したツアーと認定された「ザ・リバー2016」ツアー以来。

Eストリート・バンド:ロイ・ビタン、ニルス・ロフグレン、パティ・スキャルファ、ギャリー・タレント、スティーヴ・ヴァン・ザント、マックス・ワインバーグ、チャーリー・ジョルダーノ、ジェイク・クレモンズ
プロデュース:ブルース・スプリングスティーン、ロン・アニエロ
ミキシング:ボブ・クリアマウンテン マスタリング:ボブ・ラドウィック

収録曲 
01. One Minute You’re Here / ワン・ミニット・ユア・ヒア
02. Letter To You / レター・トゥ・ユー
03. Burnin’ Train / バーニン・トレイン
04. Janey Needs A Shooter / ジェイニー・ニーズ・ア・シューター *
05. Last Man Standing / ラスト・マン・スタンディング
06. The Power Of Prayer / ザ・パワー・オブ・プレイヤー
07. House Of A Thousand Guitars / ハウス・オブ・ア・サウザンド・ギターズ
08. Rainmaker / レインメイカー
09. If I Was The Priest / イフ・アイ・ワズ・ザ・プリースト *
10. Ghosts / ゴースツ
11. Song For Orphans / ソング・フォー・オーファンズ *
12. I’ll See You In My Dreams / アイル・シー・ユー・イン・マイ・ドリームズ

interview with Diggs Duke - ele-king

 ジャズ、ソウル、ヒップホップ、ロック、フォーク、ポップス、AORから、クラシックや現代音楽に至るさまざまな音楽の影響が伺えるディグス・デューク。そうした広範な音楽的要素を持ちつつも、そのどこかに限定されないオリジナリティを感じさせるのが彼の持ち味である。多大な影響を受けたというデューク・エリントンと同じデューク(公爵)を名前に持つ彼は、ほぼ独学で音楽を学んだ作曲家にしてマルチ・ミュージシャンであり、ほとんどひとりで多重録音を重ねて音楽を作ってしまうことができる。ソーシャル・ディスタンスに対応したスタイルをコロナ禍以前より持っているミュージシャンと言えるだろう。

 ジャイルス・ピーターソンのコンピに楽曲が収録されるなど、新しもの好きな音楽ファンの間ではかねてより注目を集めてきたディグス・デュークだが、作品制作は自主でおこなうなどずっとマイ・ペースの活動を続けてきたこともあり、いまひとつ実態が掴みにくいアーティストではあった。ただ、ハービー・ハンコックのようなジャズから、マーラーのようなクラシックの作曲家の作品を彼なりの解釈を交えてカヴァーしたり再構築するなど、過去の音楽に対しても実に研究心旺盛で、絶えずいろいろな刺激を注入して音楽を作っていることがわかる。多彩な楽器を操るのも、そうした好奇心から自然にマスターしていったことなのだろう。ハンドメイドの楽器まで制作しているようだ。

 そんなディグス・デュークの新作『ジャスト・ワット』のリリースに併せてインタヴューをおこなった。今回の作品では積極的にゲスト・アーティストと共演している点が特徴だが、参加ゲストは彼の周囲の日頃から懇意にしているアーティストたちで、決して話題作りのために有名どころを呼んできたわけではない。世の中の時流とか流行、レコード会社や音楽業界の流れに左右されて音楽を作っているわけではなく、あくまで自身の興味の赴くままに、本当にやりたい音楽を探求していくのがディグス・デュークなのである、ということが伝わるインタヴューとなった。

管楽器、弦楽器に関しては、耳で聴くことによって独学で演奏の仕方を学んだよ。どうやって動くのかを徹底的に調べて練習すれば、どんな楽器でもたいていは演奏することができる。

これまで『オファリング・フォー・アンクシャス』が〈ブラウンズウッド・レコーディングス〉からライセンス・リリースされたこともありますが、基本的にあなたはbandcampを中心に自主で作品をリリースしています。自身で〈フォロウィング・イズ・リーディング〉というレーベルをやっていて、外部のレコード会社に所属するとどうしてもその制約を受けるため、そうしたレーベル活動をおこなっているのかと思いますが、あなたの音楽活動や制作についてのポリシーを教えてください。

ディグス・デューク(Diggs Duke、以下DD):僕は自分がやること全てに対して絶えず新しいルールを作るようにしているんだ。作曲するたびに音楽というものに対して新たな理解が生まれるからね。〈フォロウィング・イズ・リーディング〉に関してはかなり長期的な計画を立てているよ。

ゲスト・ミュージシャンは最小限にとどめ、キーボード、ギター、ベース、ヴァイオリン、ドラムス、サックス、トランペット、クラリネットなど多くの楽器をひとりで操り、多重録音していくのがあなたのスタイルですが、これらの楽器は全て独学でマスターしたのでしょうか? 音楽学校に通っていたとか、これまで受けた音楽教育について教えてください。

DD:僕は音に対して天然の才能を持って生まれたんだ。喋りだすのと同じタイミングで歌いだしたし、5歳で父の友達からドラムのレッスンを受けはじめた。高校ではマーチングバンドでスネア・ドラムを叩いていたよ。父に言われてピアノで作曲をはじめたんだ。それで大学でいくつか作曲に関する授業を受けた。大学は卒業しなかったんだけどね。想像力を押さえつけられてしまう気がして形式にハマった学校は楽しむことができないんだ。管楽器、弦楽器に関しては、耳で聴くことによって独学で演奏の仕方を学んだよ。どうやって動くのかを徹底的に調べて練習すれば、どんな楽器でもたいていは演奏することができる。あとはもう、自分が何を聴きたいかをわかっているかどうかの問題だよね。

ジャズ、ソウル、フォーク、ロック、ポップス、ヒップホップ、ビート・ミュージック、さらにクラシックや民族音楽など、あなたの音楽にはさまざまなエッセンスが溢れています。これまで影響を受けた音楽やアーティストについて教えてください。

DD:デューク・エリントンは僕にとって最大の影響源。だから僕の音楽のキャリアを彼に捧げることにした。彼の仕事の仕方やバンドの運営方法、彼が魅せてくれる音楽が本当に好きなんだよ。もし彼のように音楽的な鍛錬を積むことができたら、この音楽業界でより長く好調なキャリアを築ける気がする。あとメンデルスゾーン、モーツァルト、マーラーにもそれぞれ違った理由で大きな敬意を抱いてる。それから動物が鳴らす音も好きだな、つねに影響を受けているよ。

2019年にリリースされた『ジャンベチューズ』という作品は、シェーンベルクやスクリャービンという19世紀から20世紀初頭における現代音楽の巨匠の作品をジャンベで再現するという、とても興味深いものでした。また2020年6月の『9』ではマーラーの “交響曲第9番” をカヴァーしていて、近年のあなたの作風はクラシック、現代音楽、そしてポスト・クラシカルなどに接近しているようです。新作の『ジャスト・ワット』についても、たとえば “コーリング・オン・マット” や “ザ・フィーリング” や “ビターズ・フォー・ビターズ” など、そうした傾向が強いように感じますが、あなた自身はそうした傾向についてどう思いますか?

DD:『ジャンベチューズ』を褒めてくれてありがとう。僕のディスコグラフィーのなかのアルバムのほとんどは自分で書いたオリジナルの楽曲や仲の良いコラボレーターと一緒に作ったものだけど、自分がライター、そして作曲家としてリサーチしたり、発展させたパーツをシェアするのも好きなんだ。
 たとえばそうだね、19世紀後半から20世紀初頭に活動したオハイオの詩人のポール・ローレンス・ダンバーの作品をたくさん音楽にしているのも、それが理由なんだ。彼の表現方法が大好きだし、それが僕なりの彼を自らの師として称える方法でもある。僕が受けてきた教育についての質問がさっきあったけど、僕はいつだって学んでいるんだ。特定の教育機関の一員として学んだことはないけどね。存命か、亡くなってしまっているかに関わらず、一度も会ったことがない人を師として仰ぐようになった。結局のところ、そこから学ぶことの方が実際に教師をつけて学ぶことよりもとても価値があるんだよ。同じようにもう亡くなってしまっているけど、スクリャービンやマーラーからも学ぶことがあった。彼らのアイデアに対する僕の解釈を通して、彼らのような作曲家の考え方と自分の作曲家としての考え方には共通した土台があることがわかった。僕がそういったリサーチに基づいたアルバムをリリースするのは、僕の学びは聴いて楽しいものであることが多くて、もはやそれ自体でアルバムとして成立することが理由かな。ジョン・コルトレーンについても同じことをしたんだよ。彼は作曲や即興演奏を発展させるためにおこなった稽古をあたかも楽曲として発表したんだ。“ジャイアント・ステップス” はもちろん面白い楽曲だけど、あれはただの稽古だったんだよ。

〈フォロウィング・イズ・リーディング〉からアルバム『テリトリーズ』をリリースするサックス奏者のジェラニ・ブルックスがアレンジで参加するほか、ジェイダ・グラントとロンという女性シンガーや、パーカッション奏者のトレイ・クラダップがサポートとして入っています。彼らはどんなミュージシャンで、どうして今回は参加してもらったのですか?

DD:僕の音楽をたくさん聴いてくれている人であれば、ジェラニのことは僕のディスコグラフィーのいたるところで見つけられるって知っていると思うよ。僕の3枚の作品、『オファリング・フォー・アンクシャス』『シヴィル・サーカス』『ジ・アッパー・ハンド』にも彼は参加してくれている。ボストンでの大学時代から何年にも渡ってライヴでも何回も一緒に演奏しているんだ。彼はもうすぐ新しいアルバムをリリースするんだけど、面白いものになっていると思うよ。このアルバムで彼は初めてドラムを叩いてくれているんだ。正直言って今作が彼がドラムを叩いているのをレコードで聞ける唯一の機会かもね。楽曲のアレンジを彼が送ってきたとき、ドラム・トラックも一緒に送ってきて、それがいい出来だなって思ったんだ。
 ジェイダ・グラントは2014年頃から一緒にやっているよ。『シヴィル・サーカス』にも参加してくれている。彼女はセントルイス出身の素晴らしいシンガーで、僕がワシントンDCに住んでいるときに出会ったんだ。ザ・デューンズっていう、いまはもう閉店してしまっているライヴ・ハウスで僕の音楽をノネットが披露する機会があってね。このパフォーマンスからの映像のいくつかはインターネットで見ることができるよ。ジェイダとは出会ってから、僕がDCにいる間ずっと一緒にパフォーマンスをしてくれたんだ。彼女は僕の音楽にとってとても大切な存在だったし、いまでもそう。彼女の声には甘さがあるでしょ。けど彼女はそれを威厳のある方法で届けるんだ。完璧なバランスだよね。
 ロンは素晴らしいプロデューサーだよ。実は彼女のアルバムを僕のレーベルからデジタル配信でリリースするんだ。昨年は彼女のビート・テープ『イエロー・ウォーターメロン』をリリースしたんだよ。彼女はとにかく素晴らしくて、折衷的なサウンドが持ち味で、プロダクションもヴォーカルもこなすんだ。ロンの声はジェイダの声によく溶け込むんだよね。ロンはハリスバーグで近所に住んでいる友達でもあるんだけど、彼女のパートはワン・テイクで録ったんだ。僕は何回もテイクを重ねるのが好きじゃなくてね。
 トレイ・クラダップはワシントンDCで出会ったもうひとりの友人だよ。このプロジェクトに参加してくれた他の人と同じように、彼とも前に仕事をしたことがあったんだ。『シヴィル・サーカス』でドラムとパーカッションを担当してくれて、ライヴでも一緒に演奏したことがある。彼のドラムには僕がいままで聞いたことのないようなサウンドがあるんだ。今作では、彼のリズムを他のリズムのサポートとして機能するように採用している。だからほとんど彼の音は聴こえないかも。だけど彼のパートを除いてしまったら空白が生まれてしまうと思う。今回参加してもらった人たちのことはこのプロジェクトに絶対参加してもらうって決めていたんだ。だから彼らに曲を聴かせて、彼らがどうやってこのプロジェクトに参加したいかを決めた時点で、もう彼らのパートはレコーディングされたようなもんだったよ。

自分が経験したり、きちんと理解した文化的な視点からしか作曲はしない。そうすることで文化を無作為にごちゃまぜにしないでいられるんだ。ある一定のレベルまでマスターしていないスタイルを手あたり次第に組み合わせる、なんてことは絶対にしない。

ほぼフィドルの爪弾きのみで綴る “ジュバ” や “ジャスト” など、ドラムレスのアコースティックな小曲があります。個人的にはキャレクシコなどのポスト・ロックを思い出したのですが、スタジオで即興的に作った曲ですか?

DD:その曲を気に入ってもらえてうれしいよ。自分で作った「Square Fiddle」という楽器を演奏しているんだ。お気に入りの楽器のひとつ。その楽器の写真を送るね。


Diggs Duke's Square Fiddle

 実はその楽曲はどちらも即興ではないんだ。各パートを何か月も実験して、練習して考えたんだよ。ソロ・パート以外は、このプロジェクトは基本的に自然発生的に作曲されたというよりはすべて事前にしっかりと作曲されているよ。

作曲についてはどのようにおこなっていますか? タイプとして即興的に楽器演奏をおこなうなかででき上がるラフなスケッチ曲と、きちんと各楽器パートを綿密に計算して多重録音をおこなっていくもののふたつがあるようですが。

DD:作曲をするときはいつも新しい作曲方法を使っているんだ。時々は似たような方法で終わるときもあるけど。だから作曲の方法がそのふたつにカテゴライズされるっていうわけではないね。僕は一日中作曲をしているから、自分の気分や、そのときいる環境がどうやって作業が終わるかに左右される。作曲方法が無限にあるから、僕にとってはコンスタントに創作活動をして、新しい音楽をリリースし続けるほうが性に合っているんだ。

楽器のチョイスはどのようにおこなっていますか? シンセのようなエレクトリックな楽器はあまり用いず、アコースティック・ピアノ、アコースティック・ギター、マンドリン、フィドル、クラリネットやオーボエなどの木管楽器によって、温もりのあるサウンドを作り出すのがあなたの作品の特徴でもあるように思いますが。

DD:MIDIでプログラミングをする以外、エレクトリックな楽器はあまり有用性があるとは思えない。作曲をするのをとても簡単にしてくれるから、MIDIでシンセサイザーのサウンドとリズム・シークエンスをプログラミングするのは大好きなんだけどね。だけどアコースティックの楽器がいとも簡単にヴァリエーションのあるサウンドを出してくれるのがとにかく好きなんだよ。

“ビターズ・フォー・ビターズ” はジャズと現代音楽の要素に加え、レイ・クラダップが演奏するトーキング・ドラムによってアフリカ音楽の要素も入ってくるという非常にユニークな曲です。この曲に見られるように、あなたの作品はいろいろな音楽的要素がありながらも、そのどれかに限定されない個性や新しさを持っていると思います。どのようにして融合の中から新しいものの創造を行っているのでしょうか?

DD:自分の音楽の印象を人から聞くのがとても好きだから、君の感想も聞けて嬉しいよ。僕は自分が経験したり、きちんと理解した文化的な視点からしか作曲はしない。そうすることで文化を無作為にごちゃまぜにしないでいられるんだ。ある一定のレベルまでマスターしていないスタイルを手あたり次第に組み合わせる、なんてことは絶対にしないようにしている。

ムビラを用いた “シーズンズ” もアフリカ音楽の要素が入った曲ですが、楽器アンサンブルは現代音楽的でもあり、非常に洗練された和声のアンサンブルもあります。あなたにとってこうした民族音楽的なモチーフはどこからやってくるのでしょうか?

DD:僕は自分のなかに既に取り込んである物事からしか影響は受けないんだ。そうでなくちゃ自分のことを盗用者や偽者としか思えなくなってしまう。経験のある作曲者は引用元となるたくさんの経験を持っている。創作や学習の過程を通して、その経験から得た視点を表現する楽曲を作るんだ。

“ハート・スマイル” は今回のアルバムの中では比較的ソウルやR&B寄りですが、それでもメインストリームの一般的なR&Bとは一線を画するものです。私個人としてはモッキーやムーン・チャイルドなどに通じるところを感じたのですが、現在の同世代のアーティストで共感を覚えるような人、影響を受けたり与えたりするような人はいますか?

DD:ボルチモア出身のマルチ・インストゥルメンタリストであり、教育者、アーティストでもある Jamal R. Moore からはここ数年自分の成長に大きな影響を受けているよ。サンフランシスコから東部へ初めて引っ越したときに彼がボルチモアの音楽シーンを紹介してくれたんだ。そこに住んでいた2年間はそのシーンにいるのがとても楽しかった。彼は時々僕にとって良き師でもある。彼は昨年『サームズ・オブ・ボルチモア』という素晴らしいアルバムをリリースしたんだ。トレイ・クラダップは彼のバンドのオーガニックス・トリオの一員でもあって、そのアルバムにも参加しているよ。僕たちはかなり近い距離で働いているんだよね。
 あと、ここハリスバーグに年上なんだけどサラディンという紳士がいる。クリエイティヴ面で大きく影響を受けているな。素晴らしい男なんだ。自分が年をとったらああいう男になるような気がしているよ。僕たちは毎週ここハリスバーグにある川で会っているんだ。彼はフルートを吹くから、一緒に練習したり話したりしている。そんな具合に自分のいるコミュニティの人たちからも影響を受けている。僕の家からすぐ近くに住んでいるジャニスという名前の女性がいるんだけど、彼女はいつも僕に音楽を続けるよう励ましてくれる。そして彼女はいつも近くにいる人たちのことも励ましてくれるんだ。その場にいるだけで音楽的で、クリエイティヴなエナジーをくれるような人っているんだよ。

現在はコロナの影響でさまざまな音楽活動も制限される状況にあります。そうしたなかで、あなたのようにひとりで完結してしまうことが多い制作スタイルは、この状況にはとてもフィットするやり方でもあるなと感じます。実際、現在はどのようにして制作活動、演奏活動などをおこなっていますか?

DD:僕はつねに新しい制作方法を考えているから、いまの世界の状況も含めて自分の前に提示されるいかなる状況にも順応することができる。君が言ってくれた僕のスタイルがいま音楽をリリースするやり方としてフィットしているという点は合っていると思うよ。自分で何でもできるから、自分のなかの規律みたいなものを世界に合わせることがより容易なんだ。

『ジャスト・ワット』を聴く人へのメッセージをお願いします。また、今後の活動やチャレンジしたいことなどがあればお願いします。

DD:僕はとてもドラマチックな人間で、つねに劇的に変化しているんだ。『ジャスト・ワット』を聴いてくれる人には僕が音楽を通して経験する変化を楽しんでほしいな。すべてのことは必ず変わっていくからね。

Cuushe - ele-king

 Cuusheがついにソロ・アルバムを完成させた。タイトルは『WAKEN』、「めざめる」という意味に相応しく、いままでにないリズミックな躍動に満ちている。ジェシー・ランザやマリー・ダヴィッドソンらともリンクしている。ちょっと意外なことに、クラブよりのサウンドを試みているのだが、しかし彼女らしい綺麗なメロディは健在。
 発売は11月20日、flauレーベルより。これは楽しみですね。
 
WAKEN (teaser)

Hold Half

 アートワークはCuushe「Airy Me」のMVで文化庁メディア芸術祭アニメーション部門新人賞を受賞し、その後も映画、漫画と様々なメディアで活躍する久野遥子による書き下ろし。


Cuushe
WAKEN

flau
2020年11月20日, CD/LP/DIGITAL

1.Hold Half
2.Magic
3.Emergence
4.Not to Blame
5.Nobody
6.Drip
7.Beautiful
8.Spread

https://flau.jp/releases/waken/
■ 視聴/予約:
https://smarturl.it/Cuushe-WAKEN/

Cuushe
ゆらめきの中に溶けていくピアノとギター、 空気の中に浮遊する歪んだシンセサイザー、拙くも存在感ある歌声が支持を集める京都出身のアーティスト。Julia HolterやTeen Daze、Blackbird Blackbirdらがリミキサーとして参加したEP「Girl you know that I am here but the dream」で注目を集め、デビュー作収録の「Airy Me」のMVがインターネット上で大きな話題となる中、全編ベルリンでレコーディングされた2ndアルバム 『Butterfly Case』を発表。独創的な歌世界が絶賛され、海外の主要音楽メディア/ブログで軒並み高評価を獲得。近年はアメリカTBSのTVドラマ「Seach Party」、山下敦弘 x 久野遥子による「東アジア文化都市2019豊島」PVへの音楽提供や、イギリスのロックバンドPlaceboのStefan OlsdalとDigital 21のデュオ作や、Iglooghost (Brainfeedder)、Populous、Skalpel(Ninja Tune)の片割れMeeting By Chanceらの作品にボーカル参加。長らく自身の音楽活動からは遠ざかっていたが、今年新たなプロジェクトFEMと共に再始動。

Shintaro Sakamoto - ele-king

 坂本慎太郎が非常事態宣言以降に書き下ろした4曲がリリースされる。2019年の「小舟(Boat)」以来となる新曲は、7インチ・シングルとして2枚に分けて発売。
 第一弾となる「好きっていう気持ち」は11月11日、第二弾「 ツバメの季節に」は12月2日、ともにzelone recordsからのリリースです。
 なお、今回のアートワークには、坂本慎太郎によるイラストレーションを活版印刷で刷ったジャケットサイズのカードが封入される。


第1弾: 2020年11月11日(水)

好きっていう気持ち / 坂本慎太郎
Side A 好きっていう気持ち (The Feeling Of Love)
Side B おぼろげナイトクラブ (Obscure Nightclub)

Written & Produced by 坂本慎太郎 
Recorded, Mixed & Mastered by 中村宗一郎 @ Peace Music, Tokyo Japan 2020

Vocals, Electric Guitar, Lap Steel, Keyboard & Vocoder: 坂本慎太郎 
Bass & Chorus: AYA
Drums, Percussion & Chorus: 菅沼雄太 
Flute: 西内徹 

●品番: zel-023
●Format: 7inch: 特別価格: ¥1,300+税 (7inch Vinyl) 特別カード(活版印刷)封入 distributed by JET SET


第2弾: 2020年12月2日(水)

ツバメの季節に / 坂本慎太郎

Side A ツバメの季節に (By Swallow Season)
Side B 歴史をいじらないで (Don't Tinker With History)

Written & Produced by 坂本慎太郎 
Recorded, Mixed & Mastered by 中村宗一郎 @ Peace Music, Tokyo Japan 2020

Vocals, Electric & Lap Steel Guitar: 坂本慎太郎 
Bass: AYA
Drums & Percussion: 菅沼雄太 
Soprano Saxophone: 西内徹 

●品番: zel-024
●Format: 7inch: 特別価格: ¥1,300+税 (7inch Vinyl) 特別カード(活版印刷)封入 distributed by JET SET

関西酒場のろのろ日記 - ele-king

大阪、京都、そして神戸と飲み歩き、関西の酒文化と出会う

処女作『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』が5刷りの大ヒットで大いに注目されているライターのスズキナオが、関西の文化と酒を通してゆっくりと出会っていく様を綴った滋味あふれるエッセイ集。関西のディープな酒場ガイドとしてもたのしめる一冊です。

目次

まえがき

第一章 大阪の酒場
 大阪に引っ越してきた自分を迎え入れてくれた酒──大阪市北区中津「大阪はなび」「大衆酒場いこい」
 まだまだ知らない大阪があると思わせてくれる酒──大阪府大東市「リカーショップおおひがし」、大阪府東大阪市「食笑」
 東京から来た友達を迎えて朝から飲む酒──大阪市北区・天満「但馬屋」
 道路脇で分厚いマグロを食べながら飲む酒──大阪市都島区・京橋「とよ」
 東京でしか飲めないと思っていた酒──大阪市中央区・淀屋橋「江戸幸」
 あべのハルカスのふもとで体温を感じながら飲む酒──大阪市天王寺区・天王寺「種よし」「半田屋 アベノ地下センター店」

大阪酒日記その1──天満~中津~新今宮~中津~京都~西九条~立花

第二章 大阪の酒場 その2
 欲望のエネルギーを感じる酒──大阪ビル酒めぐり「大阪駅前ビル」「上本町ハイハイタウン」「船場センタービル」
 いつも少し緊張する西成あたりの酒──萩ノ茶屋「難波屋」
 大阪駅に一番近い “街” で飲む酒──梅田・「新梅田食道街」
 今まで入れなかった店に入って飲んだ酒──三人で力を合わせる「三本の矢」飲み会
 観光気分で難波のたこ焼きを食べ歩いて飲む酒──大阪市中央区・難波たこ焼き食べ歩き飲み
 気ままな「ガシ」の空気を感じて飲む酒──堺市堺区・「溝畑酒店」「平野屋精肉店」

大阪酒日記 その2──十三~大阪城公園~心斎橋~神戸~中津~大正~南田辺~京橋~新神戸~我孫子~京都

第三章 京都と神戸の酒場
 時間の流れと一体化する酒──嵐山「琴ヶ瀬茶屋」
 急こう配を登った先で飲む酒──神戸山茶屋めぐり「布引雄滝茶屋」「滝の茶屋」「旗振茶屋」「燈籠茶屋」
 生活感まる出しの京都を味わって飲む酒──京都駅周辺角打ちめぐり
 歩いているだけで嬉しくなる町の酒──新開地ハシゴ酒

大阪酒日記その3──新神戸~京都~日本橋~新今宮~新開地~中津~西中島南方~新今宮~京都~梅田~京都~十三~今宮戎

第四章 酒場以外で飲む酒
 どんなにお金がなくてもここなら飲める酒──大阪市北区・梅田「風の広場」
 大阪で生きていることを実感させてくれた酒──大阪市此花区西九条周辺「玉や」「金生」
 不安な日々の中で深呼吸をしながら飲んだ酒──大阪市都島区「大川の川辺」

大阪酒日記その4──新今宮~京都~梅田~京都~十三~今宮戎

あとがき対談(スズキナオ+パリッコ)

著者
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『QJWeb』『よみタイ』などを中心に執筆中。テクノバンド「チミドロ」のメンバーで、大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』(スタンド・ブックス)『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)、パリッコとの共著に『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ” お酒』(イースト・プレス)がある。

オンラインにてお買い求めいただける店舗一覧

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晩酌わくわく! アイデアレシピ - ele-king

「若手飲酒シーンの旗手」が厳選、日々の晩酌をちょっと楽しくする面白レシピの数々!

ウェブメディアをはじめ、雑誌にテレビにと引っ張りだこ酒ライターが、長年にわたり探求してきたレシピから特に反響のあったもの、オススメできるものを集めた一冊。遊び心あふれる実験レシピに10分で作れる簡単おつまみ、自宅での定番メニューからオススメの調味料紹介まで、気軽に真似したくなるおもしろレシピを一挙紹介!

目次

まえがき
パリッコの定番レシピ
酒蒸し法
しょっパフェ
実験レシピ
調理器具を楽しむ
フィーリングカレー
枯れごはん
とっておきごはん
オリジナルドリンク
愛しの調味料たち
あとがき対談(パリッコ+スズキナオ)


著者
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー、他。酒好きが高じ、2000年代後半よりお酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『晩酌わくわく! アイデアレシピ』(ele-king books)『天国酒場』(柏書房)『つつまし酒 懐と心にやさしい46の飲み方』(光文社新書)『ほろ酔い!物産館ツアーズ』(ヤングキングコミックス)『酒場っ子』(スタンド・ブックス)『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、スズキナオ氏との共著に『のみタイム』(スタンド・ブックス)『“よむ”お酒』(イースト・プレス)『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)『酒の穴』(シカク出版)。

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「音楽はただの音楽だ。政治を持ち込むな」
 Ele-kingのようなメディアの読者であれば、すでにこの声明には反対している可能性が高いだろう。
 2020年という惨憺たる年が、世界中の人びとの人生をこれまでにないほど揺るがし続けるいま、この考えをさらに推し進め、問いかけてみる価値がある──「そもそも音楽は、政治的でなくても妥当性があるのか?」と。

 第一に、“政治的”が何を意味するのかを少し考えてみる必要がある。政治はしばしば、“問題(イシュー)”や“アクティヴィズム(行動主義)”の同義語として(たいがい否定的な意味合いで)、政府や社会の問題に直接の関与を示唆する言葉として理解される。例えば、ビリー・ブラッグ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンやラン・ザ・ジュエルズなどの一部の音楽は、たしかにその意味では政治的である。しかし音楽は、人間の生活や経験──人間関係、日々の葛藤、仕事、友人、家族との関係などについて語っている時点ですでに政治的であり、これらのすべてのことが労働時間、ジェンダー的な役割、給与などへの目に見えない政治判断という形で影響を受けているのだ。メインストリームか、アンダーグラウンドであるかの違いは、単純に文化の支配的な美学や価値観によってどの場所を占めているかということで、政治的なのである。人が何かを政治的なものにしたくないと言う場合の本当の意味は、単に政治的な関わり合いについて、深く考えたくないということだ。

 しかし多くの人は、政治が生活におよぼす影響について考えている。身の周りで目にする恥知らずな正義の欠如と、不正を実行した権力者たちが招いた重大な結果に、責任を負わないことに激怒している。この春、安倍首相が法制度を自分の身内で固めようとしたことで噴出した激しい怒りと、シンガーのきゃりーぱみゅぱみゅがこの問題をめぐりツイッターで安倍首相を批判した投稿を、あっという間に削除するよう追い込まれたスピード感は興味深いものだった。これは、国全体の関心を引く政治的に大きな意味合いを持つ問題だったが、エンタメ業界は制度的にこのような感情に反応することができなった。

 COVID-19の危機により、政治は我々の方に押し出され、目の前に突き付けられた。コンビニに徒歩で行くこと、行き交う歩行者たちのマスクの使用状況をチェックすること、歩道を通る際にスペースを確保すべくうまく通り抜ける術、我々の愛する音楽をサポートするため、ライヴ会場に出かけていくかどうかの判断などはすべて、我々の生活への政治の介入なのだ。この危機はまた、世界中の不平等や不正をあぶり出し、パンデミックにより人種的マイノリティが立場の弱いサービス業を不均衡に押し付けられた影響から、Black Lives Matter運動への重要な筋道をつけた。

 音楽そのものから、またはアーティストのオフィシャルな声明を通じて、その感情と関わりを持つということは、音楽の役割の一部だと思う。それは社会として我々がどう考え、感じるかということで、個人としてのみならず集団としての自分を見る鏡であり──我々が独りではないということを教えてくれる。メインストリーム(主流派)が無能であると、その役割はインディーズやオルタナティヴ・シーンが担うことになる(そうでなければ、彼らはいったい何から独立したのか?何の代わりなのか?)。

 UKチャートで成功を収めたストームジーやスリーフォード・モッズのようなインディーズ・バンドの破壊的な台頭は、人びとの日常生活における政治と結びついた時の音楽のパワーを示している。

 Black Lives Matterのようなものは、アメリカの問題であって、日本の問題ではないように見えるかもしれない。これには議論の余地はあるが、仮にそうだとしても、それが社会に提起する、人種、民族、ジェンダー、セクシュアリティや社会的背景などによって、どのように人を受け入れるか除外するかという問題はここにも存在し、解決していくべきことだ。大きな問題であれ、個人的な相互関係であれ、我々が特に考えもせずに踏襲する社会的慣習こそ、芸術による探究を必要としている最たるものだ。音楽には、これらの問題について考える社会的責任があるばかりでなく、音楽は表面的にどうであれ、“あるべき姿”を当たり前に思わないことで、より豊かにはなっても、陳腐にはなりにくいものなのだ。

 芸術と政治の関係性は、別の意味でも重要だ。ラディカルな思想やオルタナティヴ・カルチャーの創造性と未来へのヴィジョンを伝える能力を制限するような制度の壁が、数多く存在する。単純にメディア側の風景も、それらの独立した声が挑戦しようとするのと同じ方向で利益を得て、成長を遂げてきたからだ。個人である彼らのパワーは、コンサート、集会、ソーシャル・イベント(社交的な催し)や会合などで集まって、声を上げる能力にある。しかしCOVID-19は、その能力を破壊する。中国は香港でのロックダウンを利用して、抗議活動に野蛮な一撃を加え、ドナルド・トランプは、来るアメリカの大統領選で、人びとが安全に投票できる方法を制限するよう、公然と郵政サービスを利用している。

 賭け金(リスク)は低く、はるかに暴力的ではないが、オルタナティヴ・ミュージックのカルチャーも、それなりに、これらの力の影響を受けている。今回のパンデミックは、文化を生き永らえさせるための、人びとが集うこと、口コミのネットワークや物理的なミーティング・スポット(集合場所)をも奪ってしまった。ただでさえ、メディアの所有権の問題、タレントの事務所の影響力、Spotifyのアルゴリズムなどで、幅広い議論や言説からは除外されているにも関わらずだ。パンデミックによってもたらされた制約のなかで、どのように組織化し、情報発信し、声を大きくしていくかということは、芸術および政治の分野の、相互的な緊急課題であるべきだ。

 もっとも個人的なレベルでは、根底に政治的な意識があるだけで、ラヴソングのようなパーソナルなものさえも豊にし、ありふれたものとしてではなく、リスナーにフレッシュな方法で感動を届ける一助になる。より広い社会的なレベルでは、アーティストが日常生活における政治的な問題に直接取り組む自由を感じている場合、音楽は人びとがすでに抱える不安や怒り、懸念などと結びつき、未来へのより楽観的な可能性を明確に表現することができる。純粋に現実的なレベルでは、政治活動と創造的なカルチャーは同じ障害の多くに直面しており、それらを乗り越えるためのツールの構築などで、お互いに助け合えるはずなのだ。その意味では、「音楽は政治的でなくても、妥当性を維持できるのか?」という問いかけでは不十分なのかもしれない。むしろいま、私たちが問うべきは、「音楽は政治的でなくても、存在できるのか?」ということなのではないだろうか。


Saving Music with Politics (Saving Politics with Music?)

by Ian F. Martin

“Music is just music. Leave politics out of it.”

If you’re reading a magazine like Ele-king, there’s a strong chance you already disagree with this statement. But as this disastrous year of 2020 continues shaking up lives around the world in ever more ways, it’s perhaps worth pushing this idea further and asking, “Is music even relevant if it’s not political?”

Firstly, we should think a little about what we mean by “political”. Politics is often understood as synonymous with “issues” and “activism”, words that suggest (often with negative connotations) some direct engagement with matters of government and society. And some music, whether Billy Bragg, Rage Against the Machine or Run the Jewels, is certainly political in that sense. But music is also already political in the sense that it talks about human lives and experiences — relationships between people, their daily struggles, navigating work, friends, family: all these things are invisibly influenced by political decisions that affect working hours, gender roles, salaries. The fact of being mainstream or underground is political simply by virtue of occupying one place or another in relation to culture’s dominant aesthetics and values. When people say they don't want something to be political, what they usually mean is simply that they don’t want to think about its political implications.

But many people do think about how politics touches their lives. They are enraged by the shameless lack of justice they see around them and the total lack of consequences for the powerful purveyors of those injustices. The flood of anger that erupted this spring at Prime Minister Abe’s attempts to stack the legal system with his allies was interesting, as was the speed at which the singer Kyary Pamyu Pamyu was pushed to erase her Twitter criticism of Abe over the issue. This was a specific issue with big political implications, attracting wide engagement across Japan, but the entertainment industry is institutionally incapable of reflecting those sorts of feelings.

The COVID-19 crisis has pushed politics right up to our front doors and pressed it against our faces. The act of walking to a convenience store, the assessments we make over fellow pedestrians’ mask usage, the negotiations we make over space as we pass on the sidewalk, the decision over whether to go out to a venue and support the music we love — that’s all politics intervening in our lives. The crisis has also accentuated inequalities and injustices around the world, with an important thread of the Black Lives Matter narrative coming from the pandemic’s disproportionate affect on racial minorities and the inequalities that push them into vulnerable service jobs.

Whether through the music itself or an artist’s public statements, engaging with those feelings is part of music’s role though. It is part of the landscape of how we think and feel as a society; it’s a mirror that lets us see not just ourselves individually but also collectively — it shows us that we aren’t alone. And when the mainstream is incapable, that role falls to the independent or alternative scenes (because if not, what are they even independent from, an alternative to?) The UK chart success of acts like Stormzy and the subversive rise of indie bands like Sleaford Mods shows the power music can carry when it connects to the politics of people’s daily lives.

Something like Black Lives Matter may seem like an American problem and not really a Japanese issue. This is debatable, but even if we take it as true, the issues it raises about society and how we include or exclude people based on their race, ethnicity, gender, sexuality or social background exist here and deserve to be untangled. Whether in big issues or personal interactions, the social conventions we follow without thinking about are the ones most in need of exploration by the arts. It’s not just that music has a social responsibility to consider these matters: it’s that music, regardless of what it’s about on the surface, can be richer and less prone to cliché, when it doesn’t take “the way things are” for granted.

The relationship between the arts and politics is important in another way too. There are numerous institutional barriers that limit radical thought and alternative culture’s ability to communicate their creativity or visions for the future simply because media landscapes have grown up around the same interests that those independent voices seek to challenge. Their power instead lies in the ability to gather together and amplify their voice — whether in concerts, meetings, social events or rallies — but COVID-19 disrupts that ability. China took advantage of the lockdown in Hong Kong to strike a savage blow against the protest movement there, while Donald Trump is openly using the postal service to restrict people’s ability to vote safely in the upcoming US election.

While the stakes are lower and far less violent, alternative music culture too, in its own way, is affected by these forces. The pandemic has closed down people’s ability to gather, the word of mouth networks and physical meeting spots that keep the culture alive when it is already locked out of wider discourse by media ownership, talent agency influence, Spotify algorithms. The matter of how to organise, disseminate information and amplify voices under the restrictions brought on by the pandemic should be a matter of mutual urgency to both artistic and political spheres.

On the most intimate level, an underlying political awareness can enrich something as personal as a love song, helping it slip free of clichés and touch listeners in fresh ways. On a broader social level, artists feeling a greater freedom to directly address the politics of our daily lives can help music connect to the anxieties, anger and concerns people already have, as well as help articulate more optimistic possibilities for the future. On a purely practical level, political activism and creative culture face many of the same obstacles and could could well look to each other for help building the tools to help overcome them. In that sense, perhaps asking if music can retain its relevance without politics is not strong enough. Perhaps instead, we now need to be asking, “Can music even exist if it is not political?”

photo gallerly - ele-king

 バンクシーだけではない、コロナ禍のロンドンではグラフィティ、ストリート・アートが盛ん(?)。以下、坂本麻里子さんが送ってくれた写真をシェアします。


庶民のみなさん、前方、政治家にご注意を。


こんなでかでかと書かれてしまっては警官もたまったものではないですな。


これはマスク姿がインパクトありのカマール・ウィリアムスのポスターです。

ちなみにこれはエレキング臨時増刊号『コロナが変えた世界』の表紙候補だった写真、「コロナ・フューチャリズム」です。

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