「KING」と一致するもの

 年末の『エレキング』(紙版--もう書店に並んでいるので、みなさんよろしくお願いします)をホウホウの体で入稿したあとののんびりした正月の一週間で『漱石を読む』(福武書店)を読んだ。につまって個体になったブラックコーヒーのような文章の連鎖をたどるだけで、私はたいへん幸福な気分になる。以前湯浅学氏が『レコード・コレクターズ』で「溶けた鉛を飲みこむような」と評した――もしかしたらちがう人が書いたかもしれない--キャプテン・ビーフハートの代表作『トラウト・マスク・レプリカ』を文章に置き換えたら、こんな感じかもしれないと思った。いや、ほんとうは、いまから20年ほど前、学生だった私は、学生はつねにそうであるようにサヨク的であり、井上光晴をよく読んでいたが、彼が死んでひと月ほど経った『群像』だったかに彼の追悼特集が組まれ、特集とは関係のない、その号の巻頭にあった小島信夫の短編(「羽衣」だったと思う)のひとを食ったというよりも前提を無視した書き方に衝撃を受け、当時新刊だった『漱石を読む』はそのとき買ったのだが、小島信夫の批評集成が水声社からでたのを知って、再読したのだった。じつはビーフハートを聴いたのは、恥ずかしながら、その翌年の暮れにワーナーからはじめて国内盤CDがでたときであり、順番は逆だった。彼らの古典の誇張、いや、むしろ古典のディシプリンと呼びたくなる行為のなかからなにかが反転し、前衛と意図することのない道筋を、目の前に広がる道なき荒野に浮かびあがらせる感じは方法意識におもに焦点をあててきたが、私には抽象論、概念論だけではない、端正なフォーマットを否定する行為を運動に転化させる意図があった。膨大に引用する過去作品が薪や炭のように内燃機関を燃えあがらせ、吐き出した煙は粉塵をあとにのこした。エコロジカルな洗練は微塵もない。彼らは過去を他者をリスペクトしたように見せかけながら、小説や批評、あるいはブルースとブルースのあとに連なったポピュラー音楽のうえにことごとく「私ではないもの」としてあるときは傍線を引き、またあるときはその上に二重線を書きこんだが、「私」とはどういうものか?

 私は大晦日の紅白歌合戦のサワリだけ見ようと、テレビをつけると浜崎あゆみが歌っていた。"ヴァージン・ロード"という歌だった。彼女は純白のウエディング・ドレスを着てNHKホールの客席の後方から現れ、ドレスの後ろ裾は何十メートルにも及んでいたようだった。その姿は歌の内容とそぐわないわけではなく、むしろそのものなのだが、彼女がウエディング・ドレスを着て熱唱したただそれだけのシンプルな演出は、NHKホールの客席はおろか、テレビの画面を眺める私たちにも向けていないようであった。歌に没頭するというより、目もくれず演じるようであり、その歌唱にはチェリッシュから平松愛理を経て木村カエラにいたる、満ち足りた結婚ソングにはない非日常性が際だっており、ひとことでいえばオペラめいており、またそれは俗流のオペラや演劇や文学がそうであるように感傷的であり悲劇的に思えた。ケータイ小説的といってもよかった。2011年になって、YouTubeで"Virgin Road"のPVをみて、そのときかんじたことの一端はわかった。PVで彼女は花嫁姿で武装していた(形容でなくマシンガンをもった花嫁を演じていた)。浜崎あゆみは"Virgin Road"を映像化するにあたり、社会と切断した、ゼロ年代にセカイ系と呼ばれたものの雛形として、秩序を向こうにまわし戦ったボニーとクライド(『俺たちに明日はない』)を記号化したドラマがあったが、誰もが知っている通り、ボニーとクライドは悲劇である(これがシドとナンシーだったらもっと喜劇的だったろうに)。そこにはカタルシスに向かって感情を増幅させていくヴェクトルがあり、それはきわめて音楽的であるだけでなく、一面的に音楽的、つまり予定調和であり様式である。
 はたして彼女はその数時間後に、シェーンベルグから〈メゴ〉に至るまで、形式と抽象主義の大国オーストリア出身の俳優と結婚したのだが、いいたいのはそんなことではない。結婚の翌日か翌々日に彼女は「私はこれからも私であり続ける」というふうなコメントを出した。ここで彼女いう「私」はどんな「私」だろうか? 彼女個人ばかりでなく、90年代後半から彼女が音楽を通して代弁してきた、無数のシチュエーションとそこに直面した無数のひとたちの心情はそこに含まないのだろうか? 結婚という人生の転機においてさえも変わらない「私」とはなんだろうか?

 私には妻も子もいる(だんだん文章が妙な方向にいきそうだが......)。家庭をもつ身には家賃が高い上に狭い東京のマンションの一室では音楽さえまともに聴けない。『明暗』の津田のように親の援助を得られない境遇ではなおさらで、家人が寝静まった夜に蚊の鳴くような音でストゥージズを聴くこともしばしばである。私は強がってそこにこそ発見があるとはいわないけれども、主体はつねに状況の変容の憂き目に晒されていて、「私」は変わることは前提にある。もちろん状況とは結婚そのものを指してもいて、彼女は旧態依然とした結婚という制度に絡めとられないと宣言したとも考えられなくはない。では、ジェンダーが問題になるかといえばそうではない。ジェンダーの基底にある社会と制度、そこで拮抗する進歩主義と保守主義の両面から中心を眺めるときの視差があり、感覚的に後者に目を瞑ることで、主体である「私」は遠近感が曖昧にならざるを得ないということかもしれない。私は保守主義に与したいのではなく、制度をとりまく考えの両翼が問題にする以上に現状は屈折しており、結婚しようとしても簡単にできるものではない。との前置きを置くなかでは、戦後すぐの作家たちの初期設定だった家族観を共有できた時代--江藤淳が戦後の象徴とし、上野千鶴子が「男流」と呼んだ小島信夫に代表される家族観への両者の意見こそ視差だろう--はいまの時代、牧歌的にすら映るが、牧歌的な風景において当の「私」は家族という集団のなかで一筋縄ではいかない個別の問題を抱え翻弄される。それは古典的な制度の特異点かもしれないが、特異点としての「私」は普遍性への迂回路として機能しはじめる、そしてそういった特異点は関係性のなかにしか存在し得ないと小島信夫であれビーフハートであれいっていたように思える。浜崎あゆみにはそれがない。彼女の「私」は代名詞でこそあれ、変数ではない。90年代末、あるいはゼロ年代初頭に彼女が代弁していた最大公約数としての「私」は消え、彼女はすでにマジョリティの声ではない、というのは、産業としての音楽の斜陽化と、ポップ(アイドル)ミュージックにおける人工美がさらに加速したことが原因かもしれないし、背景にあるハイパー個人主義は多数派を作ることすら躊躇わせる何ものなのかもしれない。ハイパー個人主義というより個人主義のインフレーションが起こったこの10年は同時に、先鋭性とひきかえに金メッキのように薄く引き延ばされた(新)保守主義が社会の表層にはりついた10年だったといいかえてもいい。カルチャー全体の古典回帰はその背景と無縁ではないと思うし、私もこの数年古典に触れる機会は多かった。小島信夫しかりキャプテン・ビーフハートしかり。それらには制度/形式という組織体が存続するかぎりそこに巣くっていて蠕動する感じがある。かつてそうだっただけでなくいまでもそうなのである。そのとき「私」というものはそこでは、任意の空間における任意の点であるだけでなく、ブラウン運動をする点どうしの特殊な関係性のなかで、不確定性原理に似た対象との関わりを持たざるを得ない。となると、「社会は存在しない」という観点と、(ポスト・)フェミニズムをあわせて検証することになり、煩雑かつ長大になるので避けるが--後者については、『ゼロ年代の音楽 ビッチフォーク編』(河出書房新社)という本があるのでそちらを参照ください--ゼロ年代以降の「私」のうしろには公約数が控えているのではなく無限の匿名性が広がっており、もとが匿名的だったダンス・カルチャーの停滞はゆえなきことではなく、無数のジャンルが乱立したのは反動かもしれない。しかしそれぞれが音楽の制度であるジャンル・ミュージックとの関係を特殊に保つかぎり音楽はいくらか延命する可能をのこしている。ビーフハートのようにわかれないものとして、歴史のなかに宙づりになって。
 彼はいまは絵描きとして暮らしているが、ほんとうにまた音楽をはじめるチャンスはゼロなのだろうか。そう思う間もなく、浜崎あゆみの入籍より2週間も早く、ビーフハートは鬼籍に入ってしまった。

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 キャプテン・ビーフハートことドン・ヴァン・ブリートは2010年12月17日に没した。その2週間前、高校の同級生で『トラウト・マスク・レプリカ』をプロデュースしたフランク・ザッパの命日にあたる12月4日に、トークショウで湯浅学氏とザッパについて話した。
「ザッパはキャプテン・ビーフハートの才能に嫉妬してはいなかったでしょうか?」
 私はそう訊くと、湯浅氏は「それはあっただろう。ビーフハートみたいに形式を無視した音楽を作ったひとは、ザッパのような音楽主義者には疎んじられただろうが、憧れられもしただろう」
 そう述べたのは、ビーフハートの音楽はデルタ・ブルースを土台にしたが、やり方はブルースを洗練させるものではなく、緊張させ、野生化したのだといいたかったと思われる。それがもっとも顕著にあらわれたのはいうまでも『トラウト・マスク~』だが、その前の2作『セイフ・アズ・ミルク』『ストリクトリー・パーソナル』にしてもブルースに収まりきらないものはある(後者は彼らの英国ツアー中にマネージャーが勝手にだしたものだが)。ただ遠心点をどこに置くかには迷いというか、若干の逡巡はかんじる。逆説的にいえば、ブルースはおろか、音楽さえも追い越す音楽をこの世に生み出すことの畏れを乗り越えた結果、この世に生まれたのが『トラウト~』だったといえる。それほどこのアルバムはたいへんな戦いの涯に生まれた。「作曲8時間、練習1年、録音1週間」かかったとこのアルバムは語り草になっている。しかし筆舌に尽くしがたかったのは、音楽よりヴァン・ヴリートの意を汲むところにあった、と当時マジック・バンドの一員だったズート・ホーン・ロロことビル・ハークルロートは『ルナ・ノート』(水声社)で『トラウト~』の制作過程を述懐している。
「俺はなんとなくもう『奴隷犬』みたいになりかけていた。不可能と思われるパートの練習に三時間も悪戦苦闘し続けて、豚のように汗まみれになっていたのを思い出すな。実際、それは絶対に不可能だったんだ! 最終的に俺はその八十パーセントぐらいを達成し、俺にできる限りのことはやったという結論に落ち着いたが、それは実に九ヶ月の間この曲を練習続けた後のことだ! 何より最悪なのは、どこで曲が終わるか、曲の長さがどのくらい引き延ばされるのか、いつ変更されるのかもわからない。はっきり言ってドンの気まぐれ次第だったんだ」

 ヴァン・ヴリートはほとんど弾けないピアノを叩きながら『トラウト~』の曲を作曲し、マジック・バンドのメンバーに声音を使ったり色や情景で説明したりしたという。カリスマといわれるミュージシャンにありがちな過剰な自意識がそこに絡んでいるようにみえる。しかしそのエゴはただ肥大して存在を誇示するのではなく、周囲を飲みこみ、世間と衝突する運命にあった。およそ最悪な独裁者といわれてもしょうがないヴァン・ヴリートのコントロール・フリークぶりと疑心暗鬼と独善性は、彼の音楽が理解されないことへの怒りの裏返しであり、また同時に理解され得ない音楽に執着せざるを得ないみずからへの苛立ちの反動でもある。ロバート・ジョンスンが十字路で悪魔と取り交わした契約に、69年のドン・ヴァン・ヴリートは手を染めた......と書くと情緒的に過ぎるが、それほど『トラウト~』の異質さはロック史に鮮烈にのこっている。そして、つけくわえるなら、サマー・オブ・ラヴの時代の悪魔はすくなくとも戦前よりトリッピーだったはずだ。
 ハークルロートはこうも述べている。
「ドンの創造力というのは、純粋に音楽的な意味では、あまり明確な形を持ってないんだな。むしろものの見方が彫刻家の目なんだよ。音も、体も、人も、全部道具として見ているのさ。結局彼のバンドの一員としての俺達の使命は、彼の持つイメージを、何度でも再生可能な『音』に変えることだった」
 ハークルロートが彫刻家にどんなイメージをもっていたかはわからない。しかしヴァン・ヴリートの音楽をこれほど的確に表す評言もない。ポリフォニーともヘテロフォニーともいえる音楽の構造を空間の奥行きに置き換えたキャプテン・ビーフハートと彼のマジック・バンドは、フィル・スペクターやビートルズがスタジオに籠もって行った実験を、灼熱の砂漠にもちだしたといっても過言ではない。ビーフハートにはオーディオマニアックな人間がよろこぶ立体感やら奥行きやらはない。がしかし、どもるようにシンコペートし、強迫神経症のようにイヤな汗をかいたままループするフレーズの数々は、一音一音がそれぞれを異化し、触れられるほどの物質感をもっている。前からだけでなく、後ろからも斜めからも眺められる。賢明な読者のみなさんはもうお気づきかと思うが、それはまるでサイケデリックな体験の渦中のようだ。


追記:浜崎あゆみの入籍から3日後、元ジャパンのベーシスト、ミック・カーンが物故者になった。『トラウト~』の13曲目、"Dali's Car"と同名のバンドを元バウハウスのピーター・マーフィと再始動しようした矢先の訃報だった。ヴァン・ヴリートと同じく絵描きであり彫刻家でもあった彼のベース・ラインは音楽の規範を逸脱した、ハークルロートにならうなら、まさに彫刻的なものだった(とくに『錻力の太鼓』のアイデアは、ホルガー・シューカイとジャコ・パストリアスをつなぐものだったとも思う)。
 ともにご冥福をお祈りします。

ele-king vol.1 - ele-king

巻頭対談:戸川純×の子(神聖かまってちゃん)
〈特集〉最期の実験 拡張するUSアンダーグラウンド(野田努)     他

LUKE SOLOMON JAPAN TOUR 2011 - ele-king

 ルーク・ソロモンといえばダーティなハウスの達人、シカゴのディープ・ハウスと共振するUKアンダーグラウンドの顔役。1990年代なかば、シカゴ・ハウスのマスターのひとり、デリック・L・カーターとももに設立した〈クラシック・ミュージック〉で一世を風靡したアンダーグラウンドの大物だ。来日するので、ファンは忘れないように。なお、1/24(月)にはドミューンにも出演する。

1/21(金)-大阪 A NIGHT WITH... LUKE SOLOMON @ TRIANGLE
HP: www.triangle-osaka.jp

1/22(土)-東京 A1 supported by LEMIOLI @ AIR
HP: www.air-tokyo.com

東京公演 詳細

AIR presents A1  supported by LEMIOLI  LUKE SOLOMON
DJ:
LUKE SOLOMON (Classic / Rekids / MFF / Freaks / from UK)
REMI (R20)
Kouki.K
LIVE:
DEXTRAX
VJ:
LA-COSMOS (R20)

"Licence to Dance" vs R20" LOUNGE
Hiroaki OBA -Live- (Licence to Dance)
ITTETSU (Licence to Dance / THERME)
Marii (Licence to Danace / THERME / S)
PECO (R20)
TIERA (R20)
MARCY (R20)

Artist Coordinated by Primitive Inc.
www.primitive-inc.com

プロフィール

LUKE SOLOMON (Classic / Rekids / MFF / Freaks / from UK)

シカゴ・ハウス第2世代Ron Trent、Chez Damier等が中心に躍り出た96年にHeaven And EarthやPurple Hazeの名義で作品をリリースし、シカゴ・ハウス・シーンに衝撃を与えたLuke Solomon。その後、Chez DamierのパーティーでDJをした際に知り合ったDerrick L. CarterとレーベルClassic Music Companyを設立。Gemini、DJ Sneak、Herber、Blaze、Metro Area等といった幅広いアーティ ストたちの良質な作品をリリースし、最重要レーベルの1つとして知られている。

99年にはレーベルMFF ことMusic For Freaksを設立。Justin HarrisとのユニットFreaks名義でも4枚のアルバムをリリースしている。08年に初のソロ・アルバム『The Difference Engine』をRadio SlaveのレーベルRekidsから発表。クリック、ミニマル・ハウスにアシッドを注入したようなサウンドにより、エレクトロ・ハウスの新機軸としてスマッシュ・ヒットを記録した。尚、この作品は2010年にリ・エディット、リ・プロダクションを施した、よりDJフレンドリーな改訂盤もリリースされている。
その後も自身の楽曲制作以外に、レーベルLittle Creaturesの設立、Damian Lazarusのアルバム『Smoke The Monster Out』のプロデュースを行うなど、活動は多岐に渡っている。また2011年には休止状態となっていたClassic Music Companyの再始動がアナウンスされている。DJとしての評価も高く、ロンドンを中心にしながら世界中の名門クラブでギグをこなしている。数多くの音源の中から癖のある楽曲をプレイし続ける選曲眼と抜群のミックス・ワークで独特のグルーヴを生み出すDJスタイルから変態ハウスとも称され、一部の好事家から熱狂的ともいえる支持を得ている。

THE ORB - METALLIC SPHERES JAPAN TOUR 2011 - ele-king

 昨年リリースされた『メタリック・スフィアーズ』を聴いて『チルアウト』を思い出した人も多いはずだ。なにせデヴィッド・ギルモアのメロウな泣きのギターとアンビエント・ハウスとのブレンドである。『メタリック・スフィア』は、楽天性を欠いたメランコリックな『チルアウト』だと僕は思った。
 そしてジ・オーブは、今週末から金曜日と土曜日にライヴをやる。宇宙に飛びたい人、集まろう!

1.21 fri @ 大阪 SOUND-CHANNEL "テクノ喫茶 SPECIAL"

Live:
THE ORB, TERRAs
DJs: ALEX PATERSON (THE ORB), nakamoto, kobayashi, mongoose, kanadiann
Bar Space DJs: 威力, mikiako, yoshi, HaRuKa, makishi, kunio asai, YURI OGUSHI
VJ: HiraLion Deco: ONA, chancom a.k.a Emile
SHOP: parampara, 甘茶蔓, Lily Deva, abetica, ArihiruA

Open / Start: 20:00-
¥3,000 (Advance), ¥3,500 (Door) 共に w/ 1 Drink
Info: 06-6212-5552 (SOUND-CHANNEL) www.sound-channel.jp
TICKETS: newtone records (06-6281-0403), tamtamcafe (06-6568-9774), sound-channel (manager@sound-channel.jp), sea of green (info-seaofgreen01@hotmail.com) *上記アドレスまでパーティー開催日/お名前/ご連絡先/枚数を明記の上、送信ください。当日エントランスでの支払いとなります。

1.22 sat @ 東京 UNT "UBIK"

Live: THE ORB
DJs: ALEX PATERSON (THE ORB), yoshiki (Runch, op.disc), DJ SODEYAMA (ARCHIPEL, NO:MORE REC)
Saloon: Timothy Really Lab - Ryujiro Tamaki, tosi, y., kon, Sisi, Ngtom

Open / Start: 23:30-
¥3,000 (Advance), ¥3,500 (w/ Flyer), ¥4,000 (Door)
Info: 03-5459-8630 (UNIT) www.unit-tokyo.com
TICKETS: PIA (126-724), LAWSON (76503), e+ (eplus.jp), DISK UNION CLUB MUSIC SHOP (SHIBUYA, SHINJUKU, SHIMOKITAZAWA), DISK UNION (IKEBUKURO, KICHIJOJI), TECHNIQUE, WARSZAWA

THE ORB(ジ・オーブ)
www.theorb.com www.myspace.com/orbisms

イギリス出身のDJ/プロデューサー、アレックス・パターソンとThe KLFのジミー・コーティーによって、88年に結成。ジミー・コーティーの脱退以降、スラッシュや、キリング・ジョークのユース、システム7のスティーヴ・ヒレッジなど多数のアーティストがアルバム毎に参加。移り変わりの激しいエレクトロニック・ミュージック・シーンに於いて、常に時最先端で革新的な作品を送り出し続けている。代表作は『The Orb's Adventures Beyond The Ultraworld』『U.F.Orb』『Orbus Terrarum』など数知れない。

「アンビエント・ハウス」というチルアウト・ミュージックのジャンルを事実上具現化したアーティストであり、その後のエレクトロニック・ミュージックに多大な影響を与えた。近年はファースト・アルバム以来の盟友でありジャーマン・エレクトロニック・ミュージック界の重鎮トーマス・フェルマンとの共同作業が多く、2005年にはヨーロッパに於ける最優良テクノ・レーベルKOMPAKTから『Okie Dokie It's The Orb On Kompakt』、2009年にはドキュメンタリー映画「Plastic Planet」のサウンドトラック『Baghdad Batteries』など、ミニマル~クリック以降のテクノの潮流を独自解釈しながらも、The Orb本来のサウンドスケープを継承する珠玉の作品をリリースしている。
2010年12月、元ピンク・フロイドの伝説的ギターリスト、デヴィッド・ギルモアをフィーチャーした『Metallic Spheres』をリリースしたばかりである。

interview with Simi lab - ele-king

 神奈川県は相模原を拠点とするヒップホップ・ポッセ、シミラボはまだオリジナル・アルバムを出していない。が、しかし、彼らが2009年12月にYouTubeに何気なくアップした1本のミュージック・ヴィデオの衝撃だけで、彼らを現時点でele-kingに紹介するのには十分であると確信している。
 シミラボは突如として現れた異邦人たちである。これはある意味でメタファーであるが、そうでないとも言える。彼らの存在はわれわれが生きる社会の常識や固定観念に揺さぶりをかけているようにさえ思える。たかがヒップホップ・グループと侮ってはいけない。

 "WALKMAN"と名付けられた曲のMVには、ふたりの黒人男性のラッパーとラテン系と思しき女性ラッパー、そして小柄な東洋系の男性ラッパーが登場する。と、何の情報もなかった僕は最初そう認識した。妖しげなミニマル・ファンク・トラックの上で4人全員が日本語でラップしている。それが英語訛りの日本語なのか、それともネイティヴの日本語なのか。それさえ判別がつかなかった。4人ともおそらく20歳かそこそこだろうと思った(いくつかの思い違いはインタヴューで明らかになる)。
 部屋のなかで愉しげにラップし、コンビニに買い物に出かけ、夜道を颯爽と歩く。ただそれだけの、おそらく彼らのなんの変哲も無い日常を捉えたチープな映像だったが、この国の現実の速度に自分の感覚や想像力が追いつけていないことをまざまざと思い知らされた気がした。いったい彼らは何者なのだろうか? シミラボの瑞々しくユーモラスな音楽――奇妙なファンクネスが漂うトラック、変則的でリズミカルなラップ、人を煙に巻くようなリリック、それらには特別な輝きがあり、未知の可能性を秘めていることは間違いなかった。


QN From SIMI LAB
THE SHELL

ファイルレコード

Amazon iTunes

 2010年7月に〈ファイル〉からリリースされた、シミラボのリーダー的存在のQNのソロ・デビュー・アルバム『THE SHELL』も素晴らしかった。また、今年の3月にリリースされる予定の、アース・ノー・マッド(QNのトラックメイカー名義)のファースト・アルバム『Mud Day』の仮ミックス段階の音源を聴いたが、これはきっとさらにユニークな作品となって完成することだろう。"WALKMAN"はこのアルバムに収録される。グループとしてのアルバムも今年出す予定だという。
 正直言えば、僕はシミラボについてまだ上手く言葉にできていないでいる。しかし、答えを急ぐ必要はない。まずは彼らの話を聞こう。今回、取材に参加してくれたのは、ディープライド(DyyPRIDE)、マリア(MARIA)、QN、オムスビーツ(OMSB`EATS)、ハイスペック(Hi`Spec)の5人だ。シミラボとして初となるロング・インタヴューをお送りする。

シミラボのひとりひとりがマイノリティの世界で生きてきた人たちで、世界や社会を外から細かいところまで見てた人たちだと思うんです。この歳にしてはわかりきっちゃってる部分もある。もともとマイノリティだったものが集まって化学反応が起こったんだと思う。


QN

"WALKMAN"のMVを観て、シミラボに興味を持ったんです。まず「何者なの?」というのがあって。肌の色も性別もいろいろだし、しかも、みんな、日本語でラップしている。HPを見ても全貌がつかめないし(笑)。トラック、ラップ、リリック、すべてが斬新だと思いました。これまでにないユニークなスタイルを持った人たちが現れたことに興奮したんです。

マリア:うんうん。

新代田の〈フィーヴァー〉のライヴにも行きました。で、とにかく会って話したいと思ったんです。今日はみなさんの音楽的、人種的ルーツも含めてじっくり話を訊ければと思ってます。まずはひとりひとり軽く自己紹介からお願いできますか。

QN:そういうのはやっぱディープライドからじゃない。

ディープライド:いま21歳です。親父はアフリカのガーナの人です。

お父さんはどういう経緯で日本に来たんですか?

ディープライド: 曾じいさんが、1960年にガーナ大使館が建つときにはじめて日本に来たガーナ大使一行のひとりだったんです。親父はじいさんにその話を聞いてて、20歳から10年間エジブトで家庭教師をしたあと日本に来たらしいです。オレがまだ小さくて両親がいっしょだった頃、親父は現場仕事、工場、英会話教師をやってたみたいです。寝ないで働いてたって聞きました。最近、ガーナに不動産を買ったらしく、そろそろ帰るみたいですね。

お母さんは日本人の方ですか?

ディープライド:そうです。

ディープライドくんは日本生まれ日本育ち?

ディープライド:横浜生まれのちらほら育ちって感じっす(笑)。中学時代はオレのねぐらは押し入れでしたね。引きこもってました。ドラえもんみたいなもんです。CDプレイヤーと漫画を持って、押し入れにこもってずっと音楽を聴いてたりしてた。映画のサントラ集とか。その頃から、リリックじゃないけど、殴り書きはしてました。そこからラップを歌い出すまでに2、3年ぐらいかかってる。兄貴がDJやってて、親父が昔のR&Bとか聴いてたから、ラップとか音楽をやるようになったのはそういうのもあるかもしれない。

引きこもってたんだね。

ディープライド:押し入れのなかにこもってばかりだったオレが行けるような高校は私立で3つぐらいしかなかったから、定時制に行くつもりだったんだけど、母ちゃんが「昼間の学校に行けよ」って言ってくれて、頭の弱い高校になんとか入れてもらいましたね。卒業してからは普通に仕事してて、ラップをはじめたのは1年半前ぐらいです。

最初にガツンとやられた音楽はなんだった?

ディープライド:はじめて自分で買ったCDが50セントの『ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン』でしたね。試聴して言葉じゃ説明できないぐらい食らって、CD買ったんですよ。あとからいろいろ調べて、50セントの逆境に立ち向かう姿にも感銘を受けて。50セントは自分のなかにあった反骨精神に火を付ける引き金になったと言っても過言ではないと思いますね。ほんとに衝撃だった。

なるほど。まずはそんなところで、次はマリアさんお願いできますか。

マリア:22歳です。お父さんはアメリカ人でお母さんは日本人です。小学生のときにぜんぜん友だちがいなくて。日本の学校に通っていたから、米軍にも友だちがいなかったんです。

お父さんが米軍の人なんですか?

マリア:そうです。私の出身は青森の三沢基地で、そこから横浜にある根岸の米軍基地のPハウスに引っ越しました。基地のなかにティーン・センターみたいな10代の子たちが集まる施設があったんです。みんなの溜まり場みたいなところ。友だちはいなかったんですけど、そこでいつも映画とか観たりしてました。米軍のなかには白人のハーフより黒人のハーフが多くて、みんなヒップホップとかR&Bを聴いてて、小4ぐらいのときにスヌープ・ドッグの"ザ・ネクスト・エピソード"が出たんですよ。

うんうん。ドクター・ドレの曲だ。

マリア:そう、あれをみんな超かけてて。密かにカッコイイなって思ってたんですよ(笑)。小学校から中学校に上がっていくに連れて、自分から音楽を聴くようになって、高校に入ってはじめてブッダ・ブランドを聴いたんです。ニップスのラップを聴いたときに、日本のヒップホップってこんなカッコイイんだってはじめて実感したんですね。自分もラップしようと思ったのは15歳のときです。だから、やりはじめてからはけっこう長いです。高校に入ってからはヒップホップはどういうルーツで来ているかにすごく興味が沸いて、ファンクとかソウルを聴くようになって、いまは自分なりにいちばんカッコイイと思うやり方をしてます。

歌も歌ってますよね?

マリア:そうですね。デバージやアイズレー・ブラザーズなんかのソウルも好きだし、やっぱりブーツィー・コリンズは外せないですね。エアロスミスやマリリン・マンソンみたいなロックも好きです。あとは、アーハの"テイク・オン・ミー"とかクラウデッド・ハウスの"ドント・ ドリーム・ イズ・ オーヴァー"とか、ビリー・ジョエルも外せないですね。気持ちに残る爽やかなメロディが好きなんで、歌も少しやってる状態ですね。

なるほど。

マリア:ヤバい! チョー緊張する! 

お互いどんどんツッコミ合っていいですよ。

ディープライド:マリアはジャーマンの血も入ってるでしょ。

マリア:うちの父親がアメリカとドイツのハーフですね。

ディープライド:親父がハーフなの?! じゃあ、マリアはクォーターなのか。

マリア:そう。まあ、ハーフでもクォーターでもなんでもいいんだけどさ!

ディープライド:でも、言っとくけど、クォーターがいちばんモテるからね。

一同:ハハハハハッ!

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アメリカと日本のハーフです! 小さい頃に離婚して親父はいないんですけど、結婚したときに挨拶がてらに日本に来て住み着いたんだと思います。親父の仕事は足が臭かったんで土木だと思います。ちなみにいまはアメリカの従兄弟の家に居候してて、シャブ中らしいです(笑)。


OMSB'Eats

では、QNさん、お願いします。


QN From SIMI LAB
THE SHELL

ファイルレコード

Amazon iTunes

QN:僕はいま20歳で、母ちゃんはよくフィリピン人に間違えられる日本人です(笑)。親父は普通の日本人です。僕のルーツはなによりうちの姉ちゃんで、姉ちゃんがヒップホップが好きですごい聴かされてました。中学ぐらいで何を思ったか、吹奏楽に入ったりもしました。あと、オレ、事故にあって、かなり重症だったんです。生存確率が50%の事故で脳みそがいまでも右だけ腫れてるらしいんです。みんなにそれを話したら、「だから、QNって音楽的にすごいんだね」って。喜んでいいのかなんなのか。自分の才能には事故にあったことがでかいのかなって思ってますね。

ディープライド:よかったんじゃない!

QN:あと、気づいたら、自分がマイノリティっていうか少数派であることのほうが似合ってるんじゃないかなって思いはじめて。3人ぐらいで風呂行こうよって言って、けっきょく15人ぐらいで行くことになったときとか、じゃあ、オレ行かないって。

マイノリティってそういうことか(笑)。

QN:みんな行くならオレいいやって。

天邪鬼なところがあるんだね。

QN:そうっすね。オレの世代はやっぱエミネムがでかくて。『8マイル』があったし、流行ってました。みんながエミネム聴くなら、オレは他の聴こうって。それでスティーヴィー・ワンダーとか、そっちに行きました。

ラップやトラックを作りはじめたのはいくつぐらいですか?

QN:DJは中学3年のときにはじめました。親父の仕事先を手伝って、溜まった金でターンテーブルを買いました。それから2年後ぐらいに自分でトラック作るようになって、ラップするヤツもいないし、ラップもしようかなって。自分でやったほうが調子がいいなって。

最初はひとりではじめたんだね。

QN:そうっすね。中学の頃に仲良かったヤツをむりやり「やるぞ!」って誘ったけど、そいつは野球部で忙しくて。

オムスビーツ:いま、あいつはギャルちゃんとよく遊んでるけどね!(笑)

ハハハ。じゃあ、次はオムスビーツさんにお願いしますか。

オムスビーツ:21歳です。アメリカと日本のハーフです! 小さい頃に離婚して親父はいないんですけど、結婚したときに挨拶がてらに日本に来て住み着いたんだと思います。親父の仕事は足が臭かったんで土木だと思います。ちなみにいまはアメリカの従兄弟の家に居候してて、シャブ中らしいです(笑)。義理の父親がいるんですけど、そっちのほうが付き合いが長いしマトモなんで、父親って感じですね。

そうなんだね。

オムスビーツ:僕はもともと音楽とか嫌いだったんですよ。小さい頃、親が車でヒップホップを爆音で流してて、「音、下げろよ!」とかずっと言ってました。当時、ビギーが流行ってたから、『レディ・トゥ・ダイ』の"ギミ・ザ・ルート"のフレーズをよく覚えてますね。

へー、すごい小さいときですよね。

QN:子供のころ、オムスビーツがなにかを聴いて踊ってる写真があるよね?

オムスビーツ:MCハマーでしょ。あ、違う、R・ケリーだ!

ませた子供だねー。それも親が持ってたCDだったの?

オムスビーツ:そうですね。R&Bで踊ってました。あんま音楽とかどうでもよかったんですけど、中学の頃に地元の神奈川TVで『サクサク』っていう音楽番組がやってて、そこで紹介されるインディーズ・ロックが面白くなって。

たとえば、どういうバンド?

オムスビーツ:木村カエラが司会の番組だったんですけど、いきものがかりとかが出てましたね。その流れでヒット・チャートの音楽が好きになった。

親がヒップホップを聴いてたことにたいする反動があったの?

オムスビーツ:いや、反動ではないと思います。中学の頃にエミネムの"ルーズ・ユアセルフ"と"ウィズアウト・ミー"が流行ってて、それを聴いて「ヤバイ!」って思いましたよ。それから親が持ってるCDをパクりはじめた。『レディ・トゥ・ダイ』を聴いて、「あれ?! これ聴いたことあるな」って。当時はビギーより2パックのほうがリスペクトされてて、やんちゃな中学生Bボーイは2パックが好きだったから、ビギーを貸しても「微妙だな」って言われてた。でも、オレはビギーが好きだった。高校になって、ひたすら親のCDをパクって聴いてましたね。

QN:悪いね。

オムスビーツ:高校になってバイトをはじめて、やっと自分でCDを買うようになった。それからサウスに行きました。スリー・シックス・マフィアが"ステイ・フライ"を出して爆発寸前の時期ぐらいにそれのスクリューを聴いてた。ああ、気持ちいい~って。

マリア:ヤバイね。

オムスビーツ:それで、オレ、DJやるわってなって、高2ぐらいのときにタンテを買った。そのときに『ソース・マガジン』もゲトって。MFドゥームとマッドリブのマッドヴィレインってあるじゃないですか? あれをジャケ買いしてすごく良かったから、それぐらいからサウスが抜けてきた感じですね。

それからラップを自然にやるようになったんですか?

オムスビーツ:いまもシミラボのメンバーにいるDJアット(ATTO)っていうヤツと高校の頃に知り合って、よく遊ぶようになった。そしたら、たまたま知り合った、前はシミラボのメンバーだったマグってヤツと3人で音楽やりたいってなったんです。マグのフリースタイルを見て、自分もラップしたいと思って、その3人でIDBってグループを作りました。そいつらと〈サグ・ダウン〉(神奈川の相模原を拠点とするヒップホップ・ポッセ、SDPのパーティのこと)に遊び行ったときに、QNが当時やってたイヴェントのフライヤーを配ってて、オレがそれに遊びに行ったんです。それでなんか気が合って、オレとマグとアットとQNと当時いたヤツらでシミラボができたんです。

シミラボ結成の話はまたあとでじっくり訊こうと思いますが、最後にハイスペックさん、よろしくです。

ハイスペック:23歳です。父親と母親は純日本人です。

一同:フフフフフッ。

どうしたの?

ハイスペック:いや、オレ、いつもメキに見られるんで。

メキ?

ハイスペック:メキシカンの血が入ってるんじゃないかって。

ああ、掘りが深い顔してますもんね。

ハイスペック:だから、あえて純日本人だって言ったんです。自分が中1、2ぐらいのときに兄貴がDJをはじめて、オレもヒップホップを聴くようになりました。ちょこちょこターンテーブルを触らせてもらうようになって、そこから興味持ちはじめたのが高校入ってぐらいからですね。高校の文化祭で人の曲を使ってラップしたりして、高校卒業したら自分たちでちゃんとやりたいなって。

最初はどういう音楽だったんですか?

ハイスペック:湘南乃風とかですね。

オムスビーツ:レゲエじゃん。

ハイスペック:最初にはまったヒップホップはウェストサイドでしたね。『アップ・イン・スモーク』が流行ってて。卒業してグループ作って、自分もMCやる予定だったけど、DJがいなかったから、オレがDJやることになった感じです。ライヴも1回しかやってないんですけど。

で、いまはシミラボのメインバックDJですよね?

ハイスペック:そうです。オレが本厚木のほうでイヴェントをやってて、そのときにいっしょにやってた友だちがジョーダンを誘ってきて。

オムスビーツ:ジョーダンじゃわからないだろ!

ハイスペック:あ、オムスビーツのことです。

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私が横須賀のクラブでディープライドをカッコイイなって思って逆ナンしたんですよ。でも、彼女がいたからそのときは諦めて。そのあと、私は1年ぐらいアメリカに行ってて、帰って来て久しぶりにディープライドと遊んだんです。「お前、まだ音楽やってるか? オレ、ヤバいヤツらと知り合ったんだよ」ってディープライドが言うから、いっしょにQNの家に遊びに行ったんです。


MARIA

さっきも少し話が出ましたけど、シミラボが結成された経緯を教えてもらえますか。


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オムスビーツ:やっぱりQNが中心でしょ。

マリア:まず私が横須賀のクラブでダン......、あ、ディープライドをカッコイイなって思って逆ナンしたんですよ。でも、彼女がいたからそのときは諦めて。そのあと、私は1年ぐらいアメリカに行ってて、日本に帰って来て久しぶりにディープライドと遊んだんです。「お前、まだ音楽やってるか? オレ、ヤバいヤツらと知り合ったんだよ」ってディープライドが言うから、いっしょにQNの家に遊びに行ったんです。そこではじめてみんなと会ったんだよね。

クラブとかで知り合ってじょじょに形成された感じだ。みんな同じ地元や学校ではない?

一同:ぜんぜん違います!

高校のころからクラブに遊びに行ってたんですね?

ディープライド:ぜんぜんしてましたね。

クラブのIDチェックとか厳しかったから大変だったんじゃない?

オムスビーツ:厳しかった。

QN:うん、厳しかったよ。

マリア:でも、六本木はぜんぜん厳しくなかったよ。

ディープライド:マリアは女だからだよ。

オムスビーツ:しかも、マリアは老けてるし。

マリア:うるせーよ!

ディープライド:女だと甘いよね。男だと目くじら立ててさ。「わかってんのかよ!」って怒られるけど、女の子だと入れる。

どんなところに遊びに行ってたんですか?

ディープライド:みんなけっこう違うんだよね。この3人(QN、オムスビーツ、ハイスペック)が軽くまとまってる感じで、このふたり(マリア、ディープライド)は遊んでた場所がまたちょっと違いますね。

QN:渋谷のクラブでDJするときも普通にIDチェックされて、顔が若いからライヴがあるのに入れないって言われたりしてた。

3人が遊んでたクラブとふたりが遊んでたクラブの違いはどういったところにあるの?

ディープライド:クラブやジャンルで違いをうまく説明できないけど、オレは当時ウェッサイどっぷりだったから、横浜が多くて、都内なら六本木でした。高校時代はずっと昔のウェッサイばっかり聴いてたから。それ以外は音楽として興味ないぐらい。イージー・E、アイス・キューブ、スヌープ・ドッグ、ほんと西ばっかりでしたね。20歳ぐらいになってから、ルーツ・レゲエとかウェッサイの元ネタになってるファンクやソウルを聴くようになりましたけど。

オムスビーツ:オレがはじめて会ったとき、ディープライドはアフロだったよね。

マリア:私がナンパしたときもアフロだった。

QN:そのときスティード乗ってたよね。あれでヘルメット被るんだって。

ディープライド:2年間もアフロをすきもしないで、伸ばし放題だったから。いまの髪の毛の7倍ぐらいあった。当時は地下への階段を転げ落ちるぐらい飲んで、綺麗なお姉さんと遊ぶことしか頭になかったです。というか、当時はそれが最高の現実逃避の処世術でしたね。

マリア:私は普段六本木なんですけど、友だちがすごく黒人が好きで米軍の近くの横須賀のクラブに行ったときがあったんです。そこで、「めっちゃイケメンじゃん」と思った人がいて、それがディープライドだった。あのときはまわりの女がみんな敵に見えましたね。

ハハハ。シミラボは気づいたら出来上がっていた感じなんだね。

マリア:ほんとそうだよね。

オムスビーツ:やっちゃおうよって。

マリア:"WALKMAN"のPVもノリで撮ったしね。QNが「このパソコンでPV作れるぜ」って言ってて、じゃあやろっかってなったんだよね。

"WALKMAN"が話題になったことについてはどう思ってる?

オムスビーツ:もういいかなって(笑)。"WALKMAN"のイメージが付いちゃってるとイヤだ。他にもいろんなこともできるのに。

QN:逆にイメージ付いてるからそれを壊したときのインパクトがあるよ。

あれはいつ作ったんですか?

QN:去年の冬だからもうすぐ1年経つよね。

マリア:もう1年経ったよ!

どんな反応がいちばん多かった?

QN:ポンっといきなりアップされたから、まずこの人たちは誰? みたいな反応ですよね。

マリア:具だくさんだしさ。わけわかんない色が集まってるから、何系みたいな? ヒップホップなのはわかるけど、こいつら日本語話せちゃうんだって反応もあった。

QN:感想で「日本語でラップするガイジンのPV」みたいのがあった。

一同:ハハハハハッ!

英語は話せるの?

マリア:私しかしゃべれない。

自分のネイティヴの言語は日本語?

ディープライド:そうです。ネイティヴって意味ではマリアもそうかもしれないし。

マリア:日本語ですね。

オムスビーツ:英語が嫌いになりそうだよ。

ディープライド:恨んだこともあるよ。

オムスビーツ:あるある。

それは「英語を話せるんだろ」って見られるから?

オムスビーツ:そうそうそう。ガイジンにも日本人にもそう思われるから。

いちいち説明しなくちゃいけないよね。

オムスビーツ:そう、とにかくめんどくさかったですね。

マリア:やっぱりハーフとして生まれると英語が話せないってほんとにコンプレックスだよね。私ももともとも聴くぐらいしかできなくて、アメリカに行ってはじめて話せるようになった。

QN:それは純日本人のオレが見ても感じたね。ディープライドはとくにそういうのを意識してる部分があるし。

ディープライド:意識し過ぎちゃいました(笑)。

オムスビーツ:オレはそれも通り過ぎて、どうでもよくなっちゃった。

QN:そういう意味では開き直ってるオムスビーツと先に知り合ってたから、マリアやダン(ディープライド)と知り合ったときにぜんぜん違和感なく入っていけた。

マリア:だからよかったのかもね。

QN:オムスビーツなんてうちにはじめて遊びに来たときに......

オムスビーツ:納豆食ったもんね!

一同:ワハハハハハッ!!

QN:旨そうに納豆食ってるから、「あ、こいつ日本人なんだ」って。

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オレは当時ウェッサイどっぷりだったから、横浜が多くて、都内なら六本木でした。高校時代はずっと昔のウェッサイばっかり聴いてたから。それ以外は音楽として興味ないぐらい。イージー・E、アイス・キューブ、スヌープ・ドッグ、ほんと西ばっかりでしたね。


DyyPRIDE

"WALKMAN"が話題になったとき、驚く反面、当然だろうなって気持ちもあった?


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オムスビーツ:まあね! みたいな。

QN:ぶっちゃけ、"WALKMAN"でこれだけ話題になって、「これでいいの?」っていうのはあった。

オムスビーツ:それはあったよね。

マリア:これからだよね。

QN:ぜんぜんまだスタートしてない。

「こいつら何者だ?」というのもあったけど、やっぱりトラックとラップが格好良かったからここまで評判になったんだと思いますよ。

マリア:それはQN様様だと思いますよ。はじめてあのトラックを聴いたとき、私はニヤニヤして帰ったもん。

オムスビーツ:ほんとにー?!

マリア:ほんとだよ。私はDJじゃないけど、それなりに幅広いジャンルを聴いてるし、ヒップホップはとくに深く聴いてるから、QNのあのトラックは間違いないと思った。

これまでとは違った何かを感じましたね。

マリア:タイム感ですかね。

:そうそうそう。

ディープライド:なにそれ?

マリア:なにそれじゃないよ。いまさら言うなよ!

オムスビーツ:マリア、説明して!

マリア:普通の人は普通に歩くじゃない。うちらはちょっとつまずいてる感じ。

上手い表現しますね。

ディープライド:みんな変わってるんだよね。すべての感覚が変わってる。そうとしか言いようがないよね。普通の人がラップしてもありがちなラップにしかならないけど、良くも悪くも変わってるんだと思いますよ。

QNくんは、ソロ・アルバムもそうだったけど、すごくオープンマインドな感覚で音楽を作ってますよね。アフロ・ファンク・テイストのトラックやソウルフルなR&Bテイストの曲やGファンク風の曲があったかと思えば、一方で"WALKMAN"みたいのも作るし。

オムスビーツ:QNに会うたびに、「これがヤバイんだよ!」ってCDを持って行ってたし、QNがうちに来たときはCDの山をごっそり貸してましたね。

QN:ごっそりね。

オムスビーツ:そういうのが何束かあるよね。

そこにはどんなCDがあったんですか?

QN:う~ん、なんだろう? たとえば、エドガー・アレン・フローとか。具体的には忘れちゃったけど、オムスビーツと知り合う前は「90年代がヤバイ!」ってずっとDJプレミアのビートとかばっかりにやられてて、最近のメインストリームなんてヒップホップじゃねぇって感じだった。

オムスビーツ:デム、マザーファッカー!

QN:っていう感じだったんですけど。オムスビーツがカンパニー・フロウとかリヴィング・レジェンズを聴かせてくれた。オムスビーツが「ヤバイ」って言ってるから、とりあえず、オレも「ヤバイ」って言うようにしてた。

ディープライド:ハッハッ!

オムスビーツ:「あぁ、知ってる、知ってる」って。

QN:こいつがヤバイって言ってるなら、聴きこもうっていうのはあった。マッドヴィレインもオムスビーツから教えてもらった。

マリア:"WALKMAN"に関しては、オープン......なんでしたっけ? 

オープンマインドですね。

マリア:そう。QNは決め付けることをしないで何でも聴くから。昭和のアニメのサントラを聴いてたり。

オムスビーツ:フォークも聴くしね。

マリア:ヒップホップの人があまりしない聴き方って言ったらおかしいかもしれないですけど、昭和の日本的なエッセンスも混ぜてるから、こういう妖しい雰囲気が出てくるんだと思う。

中古で昔のCDやレコードを買ったりもしてるんですか?

QN:ずっとしてますね。中学からDJやってたから。高校に入ったらみんなバイクとか車に興味を持つところなんですけど......

ディープライド:オレとかね。

QN:オレは、「そのマフラー、2スト? 4スト?」とかそれぐらいしかわからないから。

オムスビーツ:それぐらいわかれば十分でしょ。

QN:とりあえず、金があったらレコード買ってましたね。

音好きだったんだね。

QN:みんなと同じことをやりたくないっていうのがあったんです。

そこも天邪鬼だったんだ。シミラボがいまのシミラボとして精力的に活動し始めたのはここ1年ぐらいと考えていいのかな?

オムスビーツ:シミラボはとっくにあったけど......

ディープライド:いまの形で活動しはじめたのは1年ぐらい前っすね。

QN:そうだね。ここ1、2年だね。"WALKMAN"はマリアとダンがいてこそだよね。

オムスビーツ:絶対そうでしょ。

QN:最初のほうは「マリアとダンは最近入ったばかりで関係ないでしょ」みたいな感じだったけど。

ディープライド:そんなに!

QN:いや、ちょっといまの話は盛ったけどさ。いまとなってはマリアとダンがいなければ、あそこまで話題になってないよ。それはほんとに思う。この4人っていうのがやっぱりでかかった。

でも、まだまだいろんなメンバーがいるらしいですね。

QN:この3倍ぐらいはいますね。

マリア:いる。

オムスビーツ:いるいる。しかも強いよね。

なんかウータン・クランみたいな感じだね。

QN:最初はそんなことを考えてましたね。

オムスビーツ:2軍とか作りたいよねって。ウータンは3軍、4軍までいるからね。

マリア:へ~。

ところで、シミラボっていう名前の由来はなんですか?

QN:クルーとしても、音楽としても"染み渡る"という意味からきてますね。友だちだけでもないし、家族でもない。「just a simi lab」という感じですね。でも、家族ぐらいの絆なのかもしれないし。

ディープライド:結束しようとし過ぎてないからそこがいいと思いますね。

ラップや歌やトラックを作ったり、音楽をやるのはエネルギーのいることじゃないですか。表現欲求はどこから出てくるんですか?

ディープライド:もちろんヒップホップをカッコイイと思ってたけど、2、3年ぐらいひきこもってたときにいろいろ書いてて、ラップはその延長ですね。ラップは自分のなかのものを吐き出す術ですね。どうせ紙に書いたものがあるなら、ヒップホップが好きだし、ラップをやろうと思いました。

マリア:私はもともとソウルとかロックも好きだったし、詩もよく見てたんです。自分も音楽で人を動かせたらいいなって気持ちが強い。それではじめたのが大きいです。とくにいまなんか仕事もバリバリやってるから、音楽をやるのはエネルギーがす~ごいいるんです。ちょっと仕事で疲れてるから、QNのところに行くの今日は止めておこうと思ってると自分はそのレヴェルで止まってしまって、まわりが成長していくっていう現状があって。でも、みんなと会うことで刺激を受けて、いいものを作ろうって思える。みんなのことをどんどん好きになれるし。仕事は大変ですけど、エネルギーを使う価値があると思ってます。

QN:フフフフフ。

マリア:なに笑ってんの! いますごいいい話してるのにさ!

QN:思い出し笑いしちゃった(笑)。「みんなのことをどんどん好きになれる」って言ったからさ。最初は、ジョーダンは超ブサイクだし、オレはぜんぜん愛想のないヤツみたいなことをマリアは言ってたから。

オムスビーツ:お前、そんなこと言ってたの!

マリア:アハハハハッ!

オムスビーツ:超ブサイクか~。

マリア:最初はしょうがないじゃん。

オムスビーツ:ああ、オレは超ブサイクだよ! あ~、泣ける。

マリア:それは表向きだけだよ。でも、なんか、みんなと会ってるうちに見慣れてきた。いまとなってはみんなめっちゃ好き!

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最近、英語を勉強してて、再来年ぐらいから英語でラップしようと思ってますね。ディープライドと話したんだけど、日本語訛りの英語がカッコイイってヤツがいるかもしれないじゃんって。日本語訛りの英語のフロウがあっちでヤバイじゃんってなるかもしれないし。


DJ HI'SPEC

みんな仲が良いね(笑)。やっぱ、ヒップホップや音楽をやる悦びってみんなで集まって何かを作ることだったりする?


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マリア:それはすごいある。

オムスビーツ:でも、集まるけど、何かを作ろうってなかなかつながらないんだよ。

マリア:でも、いまは何かをやろうってなってるでしょ。

オムスビーツ:そうだね。ここ最近だよね。

遊びの延長線上でやっている感じ?

ディープライド:オレはそんなのないな。遊びじゃない。オレはさっきも言いましたけど、自分のなかから出てくる炸裂した脳細胞を処理していますね。他のみんなは違うかもしれないけどね。

『Mud Day』に入ってる"Madness Lab"のディープライドくんのラップで、「あっしの故郷はエイジアの極東/ジャパニーズ・ソサヤティ/(中略)こんな僕なんてほっといてちょうだい/さもなきゃ包丁から飛び出しナイフ」という歌詞があるじゃないですか。そこで表現しているのは疎外感ですか?

ディープライド:いや、劣等感ですね。

QN:第三者的にダンを見る限りだけど、ほんとに最初オレらと知り合ったときは、自分から言葉が漏れてくる感じがした。

ディープライド:そうだね。

QN:でも、ここ最近のラップを聴いてると、そこを脱してやっとラップっていうひとつの表現方法を楽しみはじめてる感じが伝わってくる。

ディープライド:前まで自分の腕を切ってたりしてて、「お前はもう死んだほうがいい」っていう声がずっと聞こえてた。

マリア:ほんとヤバかったよ。

ディープライド:そうなると、物とかがすべてゆがんで見えるんですよ。自分の意識が夢を見てるだけみたいな。そういうときに言葉しかなかったんですよ。

劣等感を感じてしまう理由はなんだったんですか?

ディープライド:それはさっきも話したけど、日本語しかしゃべれないことをバカにされることとか。あと、家族のなかでハーフが自分だけなんですよ。兄弟はいるけど、ハーフはオレだけで、自分が不自然な存在に思えるんです。なにが普通なのかがわからなくなったりしてた。劣等感はそういうところから来てるんでしょうね。どんなに真面目にやっててもお前は普通じゃないと言われるし。

QN:ダンがそういうこと言うのはほんとに冗談じゃないから。そういうことですごい共感しちゃう部分もあるし、ぜんぜんついていけない部分もある。

オムスビーツ:ダンの話を聞いてると、オレはそういうことを何も考えてなかったなって思う。

QN:いまはいっしょかもしれないけど、ぜんぜん違う世界を生きてきたんだなってことが伝わってくる。ダンはほんとに大変な思いをしてきたんだろうけど、ある意味僕らからしたら魅力的な経験をしてるとも思う。

オムスビーツ:毎日、そういうこと話されるのはいいけど、花金とかにあって、そういうこと話されるのは楽しい。

QN:たしかに毎日だと勘ぐるもんね。オレも精神的に病んでるときは、ダンが言った「普通なんてないよ」っていう言葉に1週間ぐらい考えさせられたりする。

マリア:だから、ラッパー・ネームがDyyPRIDEなんですよ。

たとえば、"WALKMAN"や"知らない先輩"にはいい意味で生意気な態度が出てると思ったんですよ。年功序列や世間の常識に媚びてないというか、媚びたくないっていう気持ちが強く出てるなって。

QN:シミラボのひとりひとりがマイノリティの世界で生きてきた人たちで、世界や社会を外から細かいところまで見てた人たちだと思うんです。絶対そうでしょ? ある意味冷たい部分もあったりするだろうし。この歳にしてはわかりきっちゃってる部分もある。もともとマイノリティだったものが集まって化学反応が起こったんだと思う。

マリア:ひとりひとりの家庭の事情もあったし。普通に育ってきたらマイノリティの考えなんて生まれなかったと思うんですよ。やっぱりそれなりにラフな道のりがあったから。人からいろんなことを言われたり、客観的に自分を見ることが多かった。

シミラボのHPのプロフィールやMVを観ると、観る側を煙に巻こうみたいな感じもするんだけど、あれは意識的にやってる?

QN:いや、HPに関して言えば、オムスとオレが遊びでやってるだけですね。

マリア:私も知らない。

QN:自分で自分の解析するのもあれですけど、オレはけっこう物わかりがいいんじゃないかなって思う。オレ自身、すごい人生を歩んできたわけではないし、こんなに変わった人たちといっしょに同じレヴェルで会話できたり、同じ遊びができるのは......。

ディープライド:でも、QNは天才バカボンだよね。バカと天才は紙一重って言うじゃないですか。スゲェ変な言葉使いをするし、右に行くと思ったら、左に行くような感じがある。人がわからないようなイメージを持ってて、立体映像を見ているような脳みその持ち主なんですよ。

シミラボってシリアスな部分とユーモアの部分のバランスがいいですよね。今日の話を聞いてても思ったけど。真面目にふざけてる感じがあるというか。

ディープライド:真面目にふざけてるっていい言葉ですね。

ところで、日本のヒップホップはそんなに聴いてきたわけではないんですか? やっぱ海外のもの?

マリア:私は洋楽が普通だったから、日本の曲はまじダセェって思ってました。カッコイイと思ったのはXジャパンぐらいだった(笑)。それもおかしな話なんですけど。やっぱりニップスにすごく影響されました。他にはジブラとかドラゴンアッシュとか。あと、スケボーキングのラップがすごい好きでよく聴いてました。どういう日本語のラップがカッコイイんだろうって観点で日本語ラップを聴いてました。

QN:オムスやオレやハイスペックは、敏感とまでは言えないけど、日本のヒップホップ・シーンにある程度アンテナを張っていて、マリアやディープライドがオレらの知らない音楽を持ってくる感じですね。

なるほど。これからの展望は何かありますか? 人生的にも音楽的にも。

QN:全体的に将来こうしようっていうのはあるのかな?

マリア:あんまりないかな。私、女だし。

オムスビーツ:意味わかんないよ。

QN:ハイスペックはどう? 今後どうしたいかいちばん訊いてみたいよ。

ディープライド:ハイスペック、YO!

QN:2年後は?

ハイスペック:日本だけじゃなくて、広い世界でやりたいとはほんとに思います。日本だけだと人も少ないし、世界で考えたら、オレらの音楽を気に入ってくれる人はもっとたくさんいるわけで。

QN:人によっては「なに言ってるんだよ!」っていう人もいるかもしれないけど、「見てろよ!」って感じですね。2011年はディープライド、アース・ノー・マッド、オレのEP、シミラボのアルバム、あとはハイスペック、オムスビーツ、アース・ノー・マッドのミックスCDを出すつもりです。日本でシミラボの地位をがっつり上げて、再来年ぐらいから本気で世界的なプロモーションができればなって。マリアは英語しゃべれるしね。

ディープライド:英語しゃべれちゃうしね!(笑)

マリア:六本木のガイジンに"WALKMAN"を聴かせたりすると、「オー、ナイスビーツ!」とか言うし。

オムスビーツ:ソー・クール・メ~ン!

マリア:向こうのみんなにも受け入れられるものがあると思う。実際、日本人も洋楽の意味ってわかってなかったりするから、日本語が他の国の人にわからなくてもいいものができれば浸透していくと思うし。

QN:最近、英語を勉強してて、再来年ぐらいから英語でラップしようと思ってますね。ディープライドと話したんだけど、日本語訛りの英語がカッコイイってヤツがいるかもしれないじゃんって。日本語訛りの英語のフロウがあっちでヤバイじゃんってなるかもしれないし。

マリア:そうだよ。

QN:フィリピン人がUSでデビューしたり、韓国人だって英語でラップしてるじゃん。

ファー・イースト・ムーヴメントなんていまアメリカで凄いでしょ。

マリア:ヤバイっすよね。

QN:日本っていう環境でほとんど英語が話せないのもすごいまずいことだし、英語で言いたいことを表現できれば、地球規模の音楽として評価されることもあるだろうし。そこらへんはオムスビーツのビートにしても、マリアの歌にしても、ディープライドの表現にしても、ガイジンに劣ってるかって言ったら、通用する自信はかなりあるので。

マリア:自信があったからここまでやってこれたしね。

ディープライド:オレは他にもやりたいことがいっぱいありますね。映画を撮りたいと思ってるし、自分自身の本も書きたい。

ディープライドくんにとってラップは表現方法のひとつなんですね。表現欲求がまずさきに溢れ出てくる感じだ。

ディープライド:そうですね。言葉でつながっていきたい。

QN:じゃあ、ハイスペック最後に一言!

ハイスペック:トラックも作っていきたいっすね。そこをどんどん前に出していきたい。みんなのライヴをしやすいように、バックDJもやっていきますけど。

ディープライド:自分もちゃんと目立ってくれないとね!

マリア:そうだよ。

オムスビーツ:脱ぐぐらいしないと!

山本精一 - ele-king

 「僕は僕から離れていく(I could walk away from me)」......、ルー・リードの歌う"キャンディズ・セズ"を高校生の頃、自分の足りない英語力で一生懸命に訳したときに、この美しい歌の最後のフレーズが心に残った。それは......やはり男が男を止めて女になることを意味しているのだろうか、いや、それともアルチュール・ランボーが「酩酊船」で幻視したような、歴史に作られた「俺」から逃れるように、荒れ狂う大海原に放たれた「俺」と同じような感覚なのだろうか、それとも強力なドラッグ体験によるある種の離脱感覚なのだろうか、そもそもなぜ「僕」が「僕」から離れることをルー・リードはこの不思議な歌の最後の締めにもってきたのだろうか......、実際のところそこにどんな意味が込められていようとも、それは実に象徴的な言葉として鋭く機能して、どこまでも思いを巡らせるのだ。そして、「僕は僕から離れていく」というその感覚は、山本精一がカヴァーするに相応しいと僕は思う。彼の音楽からは、多くの人が執着する何かを思い切り突き放した果ての妙な静寂さを感じるのだけれど(それは悟りや諦念といった言葉に置き換えたくはない何かである)、新作では彼の"キャンディズ・セズ"が聴けるのだ。

 『プレイグラウンド~アコースティック』は、昨年の『プレイグラウンド』に収録された曲のうち8曲、そしてPhewといっしょに作ったマスターピース『幸福のすみか』からの2曲ほか"キャンディズ・セズ"のカヴァーなどを加えた、アコースティック・ギターによる弾き語りアルバムである。つまり、山本精一の"言葉"と"歌"が際だつ作品となっている。言うまでもなく山本精一は詩人と呼びうる言葉を持った音楽家のひとりなので、早くから彼の言葉を感受していたリスナーのみならず、七尾旅人や前野健太や豊田道倫らを通じてフォークに傾倒しているリスナーにとっても興味深い作品と言えるだろう。
 そう、山本精一の"言葉"......とはいえ、アルバムのはじまりは『幸福のすみか』の1曲目に収録されたPhewの作詞の"鼻"で、しかし実に平明な言葉で綴られたアナーキーな歌は、本作の内容の序章としては最高の効果を生んでいる。山本精一は、あの歌の言葉の素晴らしさをあらためて伝えたかったという思いもあったのかもしれないけれど、"鼻"で歌われる、幸せではないと自覚しながら悲しくもないと感じる見事に裏返った感覚は、そのまま『プレイグラウンド』における日常へと流れ込むようだ。

 「コトバの海であたりは水浸し」......代わり映えのない、かつて永山則夫が銃口を向けた日本の退屈な風景をスリーヴアートにした『プレイグラウンド』は、たいした深みを持たずに使い捨てられていく表面的には前向きな言葉たちへの鎮魂歌のように聴こえる。「こんなに多くの声と交わって/だれひとりの声も知らないで」......アコースティック・ヴァージョンの"PLAYGROUND"からは、痛みがさらにヒリヒリと伝わってくる。「手紙が来るのは いつごろだろう」、素晴らしい絶望が美しいメロディとともに広がる。私たちはどこに行けない、実は本当は、どこにも行けない、『プレイグラウンド』の曲はそう訴えている。
 そして彼は、うちに秘めた憤怒をそう簡単に見せたりはしない。「静かな場所が嫌いだ」とルー・ルードは歌っているが、山本精一は「思ったより世界は静かだ」と歌いはじめている。その曲"待ち合わせ"には、山本精一の歌の、簡単には割り切れない深さが滲み出ている。「であいはいつも孤独/きれいな人にであい/小さな闇に気づき/その闇はしだいに深い朝へ変わる」
 真面目に生きれば生きるほど小さな闇に気づいてしまう。山本精一はさらに"宝石の海"でこう歌う。「限られた部屋でいつも叫んでいる/こころさえも見せずに」......苦しみや絶望のない音楽など信用するに値しない、とまでは僕は言わないけれど、しかしそれを持っている確実に表現は飽きられることはない、大切に聴かれ続けるのだ、"キャンディズ・セズ"のように。

 『プレイグラウンド~アコースティック』は、山本精一の控えめな狂気が、古典的なポップ・ソングの様式を用いた親しみやすいメロディのなかで礼儀正しく踊っている。このアルバムを聴けば彼が魅力的なソングライターであることを誰もが認めるだろう。"待ち合わせ"や"PLAYGROUND"にしても、"宝石の海"にしても、このヴァージョンで聴いてあらてめて曲そのものの輝きを思い知る。そしてすべての曲はヴェルヴェット・アンダーグラウンドのサード・アルバムの通称クローゼット・ミックスのように、生々しく録音されている。ちなみにファンのあいだで名曲として知られる(そしていつもele-kingで写真を撮ってくれる小原泰弘君が酒に酔うと必ず歌い出す)"まさおの夢"(作詞はPhew)のアコースティック・ヴァージョンも収録されている。

復刊! ele-king - ele-king

 というわけで、紙版が蘇りました。
以下、目次です。せっかくの紙版なので、店頭で、ぜひ実物を手にとってください。
宇川デザインのラメ入り表紙が怪しく光っています。

ele-king Vol.1

4 巻頭グラビア 「風景 抽象」 鵜飼悠

10 EKジャーナル
〝世界〟を席巻したチップチューンのセカイ 三田格
 デイヴィッド・リンチのストレート・テクノ 松村正人

12 ユタカワサキバンド改めucnvバンド インタヴュー ばるぼら

20 TAL-KING 1
巻頭対談:戸川純×の子(神聖かまってちゃん) 水越真紀/三田格/小林エリカ

36 特集 最期の実験 松村正人/塩田正幸
 拡張するusアンダーグラウンド 野田努
 マーク・マッガイア(エメラルズ) インタヴュー 野田努
 エクスペリメンタル・ナウ&ゼン 往復書簡:松村正人×三田格
 〈解析・〉実験の伝統/伝統の実験 畠中実
 〈解析・〉アニコレ的サイケデリアの拡散 橋元優歩
 ワンオウトリックス・ポイント・ネヴァー インタヴュー 三田格
 ジェイムズ・プロトキン インタヴュー 三田格
 最後の最後の実験~40の実験ディスク 松村正人/三田格

74 no ele-king
 豊田道倫 磯部涼/菊池良助

82 小特集
 ポスト・ダブステップ・カタログ
 ダブステップの現在 野田努
 ダブステップ以降の加速的な広がりに関するレヴュー 飯島直樹/野田努

91 論考
 ヘテロフォニック・グルーヴ・ミュージック 山口元輝

96 TAL-KING 2
 PSG インタヴュー 磯部涼/小原泰広

104 連載コラム
 20禁のおもひで Shitaraba
 キャッチ&リリース tomad
 私の好きな 牛尾憲輔(agraph)
 編年体ノイズ正史 T・美川/グレート・ザ・歌舞伎町
カルチャーコラム
 EKかっとあっぷあっぷ
 文芸/思想 五所純子
 漫画 三田格
 映画 粉川哲夫
 アート 結城加代子
 写真 小原真史
 演劇 プルサーマル・フジコ

128 TAL-KING 3
 シーフィール インタヴュー 野田努

134 再録
 ウェブ・エレキング・より、2010年ジャンル別レヴュー集

174 特別対談
 宇川直宏×三田格 DOMMUNEが可視化したテン年代の音との戯れ

巻末特集
 2010年、私の選ぶ10枚
  agraph、E-JIMA、今里、Eccy、加藤綾一、Shitaraba、渋谷慶一郎、
  DJ NOBU、テツジ・タナカ、チン中村、tomad、永井聖一、ナカコー、
  野田努、二木信、Phew、やくしまるえつこ、world's end girlfriend

表1、4 宇川直宏
表2、3 高橋恭司

interview with Eiko Ishibashi - ele-king


石橋英子
キャラペイス

felicity/Pヴァイン・レコード E王

Amazon iTunes

 孤独を好む少女だったのだろう。同世代が子供に見えて仕方がなかったのかもしれない。エレガントなピアノとこの音楽のアトモスフィアが伝えるものは、より濃密なひとりの時間である。真夜中の永遠の物思いに耽るように、石橋英子の『キャラペイス』はゆっくり流れていく。美しい響きをもった控えめなこの音楽は、ただ何も思わず聴き流しこともできるが、こちらが熱心に耳を傾ければ強く応えてくる。
 女性でピアノで歌と言えばジョニ・ミッチェルだろうというのはあまりにも早計だ。彼女の音楽はカンタベリーやクラウトロックといった1970年代の偉大なる冒険の系譜にある。つまりジャズやクラシック、現代音楽などさまざまな要素がなりふりかまわず混在している。ジム・オルークがプロデュースした今作では、そうした彼女の音楽性のなかに彼女自身の歌がミックスされている。一見、シンガーソングライターを装っているようにも聴こえるが、声は透明でピアノの音が耳にこびり付く。そして、こちらがより熱心に耳を傾ければ『キャラペイス』はまったく別の世界を見せてくれる。要するにこれは、奥が深いアルバムなのだ。
 何よりも秀逸なアートワークが雄弁に中身を教えてくれる。暗い道の濃い霧のなかから、エレガントなピアノが聴こえてくる......。

人から「あー、プログレや変拍子が好きだね」って言われることはありますけど、でも、作っているときはそういうものを作ろうと思って作ってないんですよ。自分では、大きく見て4とか8だと思ってやっている場合もあって、でも達久くんから「これ9じゃないの」って言われたり(笑)。

前作も好きだったんですけど、新作はさらに好きです。

石橋:ありがとうございます。

ここ1~2年、石橋さんのプレイは、七尾旅人くんやphewさんのバックでの演奏を聴いているんですけど、なんか四六時中ライヴをやっているような印象があるんですよね。

石橋:そうですよね(笑)。

:いろいろな方々のサポートをしたり、コラボレートしていますよね。年間100本以上のライヴをこなしているという話ですが、そうなると1週間に2回というか、3日に1回はステージに立っていることになります。

石橋:今年(2010年)はそうでもなかったんですけどね。でも、前の年は本当にそんな感じでしたね。今年は......数えてないけど、ヨーロッパで1ヶ月で22公演というのはありましたね(笑)。

ヨーロッパへは何で行かれたんですか?

石橋:向こうで、イタリアのサックス奏者といっしょに即興のセッションがあって。現地でいろんな人たちとセッションしたり。

石橋さんは本当にいろんな方とそうしたセッションをされていますが、ご自身で思う自分の属性としては、他人とコラボレートしたりサポートにまわるほうが自分らしく思えるのか、あるいは、今回の作品のように自分がフロントに立っているほうが「らしく」思えるのか、どちらなんでしょうか?

石橋:自分らしいと思えるのは、家で録音しているときですね。人に見られることなく、誰もいない空間で曲を作っているのが自分らしいかなと思うんですよね。それが誰かのサポートであれ、自分がフロントに立つのであれ、いまでも人前に出ることには抵抗があるんですよ。

その発言は誰も信じないですよ(笑)。

石橋:実はそうなんですよ(笑)。で、人前に出ることを前提とするなら、サポートであったり、バックで演奏しているほうが自分らしいのかなと思っています。

演奏行為そのものはお好きですか?  ピアノを弾いているときがいちばん幸せだとか?

石橋:ぜんぜんそれもないですね(笑)。演奏が大好きって感じではないんですよ。楽器自体にも興味がないし。

それはとても意外ですね。

石橋:ピアノの種類も知らないし、演奏することが「楽しい!」っていう感じじゃないんですよね。演奏する前も演奏した後も、「楽しかった」という感じじゃないんです。それはライヴで私の様子を見ればわかると思いますが、なんか淡々としている......。

ハハハハ。新作を聴かせていただいて、資料を読むと「歌に挑戦した」みたいなことが書かれているんですけど、曲を聴くとどうしてもピアノの音のほうが耳に入ってきてしまって、たとえば1曲目のようにピアノのリフが踊っているような演奏を聴くと、やっぱ演奏することに快楽を感じてらっしゃるのかなと思ってしまうんですけどね。

石橋:いや、もし自分がそれを感じてしまったら寒いと思うんですよね。そこでカタルシスみたいなものを得てしまったら自分に対して寒いというか......。今回のアルバムも、曲を作っているときに気持ちいいものを求めたいと思っていると絶対にしっぺ返しをくらって、ピアノから「違うよ」と言われて、それで何回も曲を捨ててはまた作ってと、そんなことを繰り返しながらできがあった感じです。

4歳のときからピアノを習っていたという話ですけど、幼稚園の年少ですよね。英才教育じゃないですけど、小さい頃から楽器演奏を追求してきたという経験から来るいまの言葉なんでしょうかね?

石橋:たしかに小さい頃からふたりの先生について習ってきたんですけど、どちらも近所のおばちゃんみたいな感じの人たちで、いわゆる"音大を出てます"という感じの先生とはちょっと違った先生だったんです。ふたりとも変わった先生でした。で、16歳までクラシックをやるんですけど、16歳でピタッと止めてしまったんです。それから10年以上人前でピアノを弾かなくなってしまって。弾かなかった時期も長いんです。バンドをやっていたときもドラムだったし。

クラシックを止めたのは、練習が厳しいから?

石橋:単純に飽きてしまったんです。高校生になったら、何だか急に無気力になり、ひたすら音楽聴いたり、映画をみているばかりでした。

コンクールには出てたですか?

石橋:コンクールには出ましたが、そういうところで賞を獲ることに興味がなかったし、音大に行くことにも興味がなかった。ピアノを弾くことやクラシックに単純に飽きてしまったんです。

16歳というと高校生ですよね。

石橋:そうですね。

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子供の頃から、感情に振り回されたくなかったんですよね。親に今日はどうだった?」と言われてもなんと答えていいのかわからないというか、いちどに複雑な感情や表情を表にできない子供だったし、ずっとそのまま来ているというか、昔からの癖みたいなもので。感情を表に出すのが苦手だというのもあると思うんですよね。

それではリスナーとして感動的な体験をした作品をいくつか教えていただければ。

石橋:最近では、ギャビン・ブライヤーズの『タイタニック号の沈没』、あれのライヴ盤ですね。

あれ良かったんですか?

石橋:良かったです。あとはセシル・テイラー。彼のドキュメンタリーを観て、それから彼のレコードを買い漁っているんですけど、どれも素晴らしいです。フリー・ジャズですけど、すべての音に鮮やかな色があって、一音一音がすべて深いんです。すごく速くて、すごく複雑な和音を使っているんですけど、音がすごくクリアなんです。あとは5年前に初めて聴いたんですけど、アルベール・マルクールというフランス人の作品も良かったですね。

どんなジャンルの方なんですか?

石橋:フランスのキャプテン・ビーフハートみたいに言われている人で、私はもっとユーモアを感じるんですけど。まあ、キャプテン・ビーフハートもユーモアがありますけどね。ただもっとフランス人ぽいというか、ちょっとオシャレなんですね。とにかく、聴いてとても驚きました。

10代の頃は?

石橋:キャプテン・ビーフハート。

先日亡くなりましたね。

石橋:キャプテン・ビーフハートとカンと......。

ハハハハ。

石橋:10ccとか。

フランク・ザッパの系譜ですね。

石橋:あと、ジョニ・ミチェル、ロバート・ワイアット......。

追体験というか、過去の作品なんですね。

石橋:そうです。そのときにリアルタイムで聴いていたものは、音楽が好きになってから逆に興味がなくなった。

そういうマニアックな音楽をどうして知ったんですか?

石橋:ほとんどラジオですね。ラジオでかかっているのを録音して、でも、ラジオでかかっている曲って、アーティスト名とかよくわからいから録音したテープを持って近所のレンタル・レコード屋さんに行そこのおじちゃんに教えてもらったり。

へー、貸しレコード屋の世代なんですね。

石橋:そうなんです。

すいません、もっとお若いのかと思っていました(笑)。

石橋:けっこうババアなんです(笑)。

いやいや(笑)、そんなことはないですけど、でも、旅人くんぐらいなのかなと思ってました。

石橋:旅人くんとは5つ違うんですよ。

なるほど。しかし、カンやビーフハートみたいなマニアックな音楽はアクセスしやすいものではありませんが、ラジオだけが情報源だったんですか?

石橋:あとは雑誌ですね。ホントに田舎だったので。

どちらなんですか?

石橋:千葉の茂原市というところです。

ぜんぜん関東じゃないですか。

石橋:いまでも電車が1時間に数本しかないし、外房のほうは取り残されているんですよ。埼玉や神奈川みたいな東京に近い感じとは違うんですよ。レコード店もないし。だから、『レコード・コレクターズ』で情報を得て、東京に行ったときに探したりとか、そんな感じでしたね。

石橋さんにとって音楽体験とはどこを刺激されるモノだったんですか?

石橋:どこ?

感情なのか、想像力なのか、あるいは音楽的な知識欲とか、知的好奇心とか......。

石橋:私、自転車で放浪するのが大好きだったんですね。徘徊するのが好きだったんです。高校生のときにいろんなことをするのが嫌になって、諦めというか......何にもなりたくなくなっちゃって、ただただ自転車で徘徊していることが多くて、それがいつも音楽を聴きながらだったんですよ。だから、そういう音楽が私に必要だったんですね。

なるほど。キャプテン・ビーフハートを聴きながら千葉の田舎を自転車で走る女子高生というのもシュールですね(笑)。

石橋:そうなんですよ(笑)。

はははは。

石橋:部屋で聴いていると親に怒られるし。

まあとにかく、ジャズはワイアットやビーフーハートといったロックを入り口にして入ったわけですね。

石橋:そうです。ただ、10代のときに聴いていたわけじゃないし、いまでもジャズに詳しいわけではないんですけどね。

しかし、なんでピアノではなく、ドラマーとしてプロデビューしたんですか?

石橋:プロ・デビューしてないですけどね。メジャー・デビューしてませんから(笑)。大学生のときもね......まあ、ぜんぜんダメな大学生でして、音楽やるつもりもなくて、8ミリの映画を撮っていたんですね。それで上映会のとき、アフレコするのが嫌だということで、生演奏をつけようという話になったんですね。とはいえ、音楽経験がない人ばっかりで、そういう人たちとバンドを組むことになったんですね。私は当時すでに宅録とかも好きだったから、4トラックのMTRで録音した曲をみんなで演奏することになった。で、ドラマーがいないから私がドラマーになった。

ヤッキ・リーヴェツァイトやクリス・カトラーの役を引き受けたと(笑)。

石橋:いやいや(笑)。そんないいものじゃなかったですけど、子供の頃の音楽教室にたまたまドラムセットも置いてあって、ピアノのレッスンが終わるとドラムを叩かせてもらってて、そういう経験があったから。それでドラムをはじめて、学生とのときにそのバンドで〈20000V〉とかに出ていたんです。それであるときパニック・スマイルと対バンになって、で、九州に呼んでもらったりもして。しばらしくてそのバンドも解散して、24歳くらいまで、3年くらい何もしていない時期があって、で、25歳のときにたまたま灰野敬二を観に行ったら〈20000V〉でパニック・スマイルの人が働いていて、「何でいるんですか?」って言ったら「上京してきたので、一緒にバンドをやらないか」って言われて、「じゃあ、やります」と(笑)。

なるほど(笑)。石橋さんが年間100本くらいのライヴに参加するようになったのは、何かきっかけがあったんですか? いつの間にかそうなっていたって感じなんですか。

石橋:けっこうふたつ返事なんですよね。

断れない性格なんですね(笑)。

石橋:はははは。だからいつの間にかそうなっていた。自分でも企画をやっていたんです。セッションの企画とか。人から誘われて、自分でも企画して、サポートもして、パニック・スマイルもやって......っていう感じでいたらいつの間にかそうなっていた(笑)。

自分でやっていた企画とはどういうものだったんですか?

石橋:それこそ七尾さんとか、チューバの高岡(大祐)さんとか、梅津(数時)さんのサックスとか、組み合わせを考えて即興のセッションを何セットかやるという。

即興に対する興味はいつからなんですか?

石橋:即興はわりと最近で、3年前くらいですね。吉田達也さんのデュオに参加するようになってからですね。吉田達也さんはしょっちゅう即興やっているので、吉田さんや、吉田さんの周りのミュージシャンの方々と即興やるようになって、あとは山本達久くんと知り合って。

今回、ドラムを叩いている。

石橋:そうです。山本達久くんも即興やりたいって人なので、ふたりで即興やったり、あとは......内橋(和久)さんとの出会いも大きいですね。

即興はどういうところが面白いんですか?

石橋:チャレンジというか、思いがけない自分が引き出されるというか。無意識を引っ張り出すというか、一瞬の輝きでもそれを出すというところが好きですね。

即興も一時は過去の遺物になったかのように思われましたが、アメリカの若いバンドでも多いし、ここ10年でまた復活してますよね。デジタル時代に入って、日常生活のなかのインプロヴィゼーションみたいなことがなかなかできなくなったということで、新たに価値を高めているんじゃないかと思うんですよね。

石橋:本当にそうかもしれないですね。

いっかい限りの演奏の面白さというか。

石橋:これからますます価値が出てくるんじゃないかと思いますけどね。ただそれを観に来るお客さんはまだ少ないと思いますけどね(笑)。今後も多くなるのかと言えば多くならない気がするし......。ある程度一定の、絶対数みたいなのが昔からあって、そういう人たちが確保できれば成り立っていくものだと思うんですけど。あとはネーミングとかに凝って、お客さんをうまく騙すというか。

絶対数はそんな変わらないけど、お客さんの世代交代が起きるかなと思うんですよね。

石橋:そうですね。

ところで、前作の『ドリフティング・デヴィル』がソロとしてはデビュー作になるんですか?

石橋:あれは2作目です。

あの前に1枚あったんですか?

石橋:ただ実質、あれがファーストと言ってもいいかもしれないですね。その前に出したアルバムは、映画のために作った曲やいろんな人のために作ったCDRなんかを集めたものだったんです。

編集盤だったんですね。

石橋:はい。だから作品として最初に作ったのはセカンド(『ドリフティング・デヴィル』)です。

あのアルバムを出した動機みたいなものは何だったんですか?  やっぱりいろんな人と競演するなかで、自分のソロを作ってみたいという欲望がどんどん高まっていって......。

石橋:実は人から言われて。

ハハハハ。そうだったんですね。

石橋:友だちがレーベルをやって、「そろそろ2作目を作ったほうがいいんじゃない」と言って、私は「そうか」って感じで、だけど私は右から左に聞き流していった、「あー」とか言って(笑)。ただ、その年、妙な夢を見ることが多くて、それで「作れるかも」と思ったんですね。ちょうど作ろうと思っていた時期に、七尾さんと出会って......。

それで彼が歌うことになったと。

石橋:七尾さんと出会って、3ヶ月か4ヶ月後に彼に歌ってもらうことになったんです。

いろんな人たちとやっていくなかで、自分の音楽のスタイルみたいなことは考えていましたか?

石橋:ないです。いまでも自分のスタイルというものがわからないです。なんだろう?

奇数拍子とか(笑)。

石橋:それは自分のスタイルじゃないですよね。

はい、スタイルじゃないですよね(笑)。

石橋:人から「あー、プログレや変拍子が好きだね」って言われることはありますけど、でも、作っているときはそういうものを作ろうと思って作ってないんですよ。

奇数拍子や変拍子を偏愛しているわけじゃないですね。

石橋:はははは。なんかね、昔からそういうのが好きだったのかもしれないんですけど、やっているときは意識していないんですよ。自分では、大きく見て4とか8だと思ってやっている場合もあって、でも達久くんから「これ9じゃないの」って言われたり(笑)。そういう風に気がつくことが多いんですよね。

ある種の癖みたいなものなんですね。

石橋:癖というか、体に入っているものですよね。

さすがですね。

石橋:いや、そんなにいいものでもないので。

すごく滑らかに聴こえるんですよね。いかにもプログレっぽい、「うわ、変拍子!」って感じではないじゃないですか。

石橋:私、そういうプログレはあまり好きじゃないんです。実はクリムゾンはあまり好きじゃなかったりする(笑)。

ハハハハ。そういうのって、ホントにキング・クリムゾンですよね(笑)。

石橋:だから実はマグマもあまり好きじゃなかったりとか......。

はははは。クリムゾンはどこがダメなんですか?

石橋:かちっとし過ぎているし、スクウェアな感じがするんですよね。

そしてあの大げさな世界観というか(笑)。

石橋:ある意味、笑えるんですけど。裏面白くもあるんですけど(笑)。

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死は大きなテーマなんですね。友だちの死、自分に近い人間の死、あるいは自分の死とか......。想像のなかの死、想像のなかで人を殺したりとか。前作でもそれはけっこうあったんですけど、今回ではより明確になったというか、強いと思います。曲を作っているときにつねにつきまとうものですね。

いまとなってはそういう感じですよね。20世紀だなーという感じがしますよね。ところで、石橋さんのインスピレーションはどこから来るんですか?

石橋:子供のときの心象風景だったり、まわりの出来事だったり......ですかね。

感情についてはどうですか?

石橋:感情の扱い方は難しいです。いつもバランスを考えています。感情はすごく大事なものだけど、ある意味では危険なモノというか。あまり感情に流されると面白くなくなるんですよね。それをパッション、情熱という言葉に置き換えたら私のなかではすごく扱いやすいものなんですけど、でも感情となると一筋縄にはいかない。もちろん大事なものだと思うんですけど。心が出発点でなければぜんぶが嘘になるし。

いまおっしゃったことって、石橋さんの音楽にも出ていると思います。Phewさんも感情を決して露わにしないことのすごさみたいなのがあると思いますけど、石橋さんはなぜ感情に支配されたくないんですか?

石橋:子供の頃から、感情に振り回されたくなかったんですよね。親に今日はどうだった?」と言われてもなんと答えていいのかわからないというか、いちどに複雑な感情や表情を表にできない子供だったし、ずっとそのまま来ているというか、昔からの癖みたいなもので。感情を表に出すのが苦手だというのもあると思うんですよね。

なるほど。曲のテ-マはどういうものが多いんですか?

石橋:死ですね。

し?

石橋:死です。死ぬこと。

それはどうしてまた?

石橋:死は大きなテーマなんですね。

非常に抽象的な言葉ですけど、どんな文脈における死なんですか?

石橋:友だちの死、自分に近い人間の死、あるいは自分の死とか......。想像のなかの死、想像のなかで人を殺したりとか。

なるほど。死か......死をテーマにしているという話は初めて聞いたなぁ。

石橋:前作でもそれはけっこうあったんですけど、今回ではより明確になったというか、強いと思います。

それは主に歌詞に出てくるんですか?

石橋:曲を作っているときにつねにつきまとうものですね。

僕は聴いてて、死は感じなかったなぁ。重たくなるような死は。

石橋:それは良かったなと思います。

1曲目なんかはむしろ軽やかな感じさえしたのですが......。

石橋:良かった。

歌詞を書くのは好きですか?

石橋:書き溜めするほうじゃないし、好きじゃないんだと思います。好きな人はつねに書いているでしょう。ただ、歌は言葉があったほうがいいので、それで書いてるって感じですね。歌詞となると歌い回しもあるし、言葉がそのまま使えるわけではないので、難しいですよね。

演奏と歌のバランスで言うと、繰り返し聴いていると演奏のほうが耳に残るんですよね。そこは意識されたんですか?

石橋:意識してないですね。音量のバランスで言えば、ジム(・オルーク)さんがミックスしているんですけど、ジムさんも、いわゆる歌手という感じの方ではないので、そういうバランスになったかと思います。私自身も恥ずかしいとうのもありますし(笑)。

恥ずかしいんですか(笑)?

石橋:恥ずかしいですね(笑)。

メロディは残るんですが、言葉が残らないんですよね。あえてそうしたミックスにしているんですか?

石橋:あー、そこは私が滑舌が悪いんです。とあるピアニストの方に言われたことがあって。「あなた滑舌が悪いからもっとはっきり歌ったほうがいいわよ」って(笑)。

親しみやすさみたいなことは意識しましたか?

石橋:そこはまったく意識してませんね。そういうことを意識するといい結果を生まないので。

ピアノを強調しようとかも?

石橋:前もって考えないですね。

前もって考えたことはないですか?

石橋:ピアノと歌だけでデモを作ろうと。それが自分にとっての決まりで、大きな縛りでしたね。前作はもっと自由でしたね。ドラムから作った曲もあった......。

さっき録音のバランスについて話してくれましたが、ジム・オルークが関わることによって他に変わったところはどんなところですか?

石橋:私の実感だけなんですが、デモは産みの苦しみがあったというか、曲もボツにしたいくらいの勢いだったというか......。

なんでですか?

石橋:やっぱひとりで作っているからじゃないですかね。ずっとひとりでやっているとわからなくなってしまうんです。「こんな作品を出す意味があるのだろうか」とか、「なぜ出すのだろうか」とか、「多くの名作があるなかでこんな駄作を出しても仕方がないじゃないか」とか......。そういうことを考えてしまうんですね。ジムさんにデモを渡すまでなんの確信も持てなくて、大丈夫かなと思ってて、それでジムさんに聴いてもらって、そうしたらジムさんが1曲づつアイデアを書いてくださって。そのときはまだプロデュースするとかぜんぜん決まってなかったんですけど、録音の何日か前だったのかな......、録音と演奏を手伝ってくれることぐらしか決まってなかったんです。それで、まさか彼がいろんなアイデアを出してくださるとは思わなかったんです。でも、ジムさんがいろんなアイデアを出してくださって、彼のアイデアを聞いているだけで曲が生き返ってくるというか......。

細かいアレンジまで?

石橋:そうです。ここにホーンセクションがあって、ここにはヴァイオリンだとか。曲のデモを聴いて、そこからいろんなことを感じ取ってくださって、上っ面ではないアイデアをどんどん出してくれて、そうしたら曲が息をしはじめたというか......。それは私の実感としての彼がもたらしてくれた"変化"です。

本当に彼がプロデュースした、ということなんですね。

石橋:そうです。

つまりコニー・プランクだったんですね(笑)。

石橋:ジムさん、コニー・プランク大好きで、コニー・プランクのTシャツ着てましたからね(笑)。

ハハハハ。それはすごい。石橋さんから見て、ジム・オルークのどこが突出していると思いますか?

石橋:うーん、難しいなぁ......。作曲家としても演奏家としても、プロデューサーとしても、どれとっても優れてますけど、私がいちばん驚いたのは......、ジムさんは自分が良いと思った埋もれた作品をリイシューするレーベルを作っていたんですね。私、それを知らなくて。で、彼のそういう精神が、すべてに反映されているんですね。演奏するときにも、プロデュースするときにも、ジムさん自身を大切にしないというか、捧げている感じがあるんですね。カヒミさんのサポートをいっしょにやっていてもわかるんですけど、すごいさりげないんですね、演奏も。実はすごいことやっているんだけど、あまり表立たないというか......、つねに音楽の全体像が見えている。そのなかにジムさんという人間が埋もれたとしてもそれを良しとする清らかさみたいなものがあるんです。音楽に対する清らかさがあると思います。それが素晴らしい。ジムさんのおかげでこの作品もできたと思っているし。ジムさんは「私は何もしてない」と言うけど、かなりいろんなことをしているんです(笑)。

なるほど。ところで、歌うのが恥ずかしいとのことですが、前作はたしかに旅人くんの力を借りたりしてましたよね。でも、今回はすべて自分で歌っていますよね。

石橋:前作から今作にかけての期間は、ひとりでライヴをやることが多かったんです。小さなライヴハウスで25人くらいのお客さんを前に2時間くらいやるんです。それを定期的にやってました。そのときはすごく緊張するんです。緊張しながらも、自分の作品は自分が歌うべきじゃないかという気持ちが芽生えたんでしょうね。自分の声とつきあうようになってきたということかな。そういう心構えができた(笑)。

いろんなゲスト・ヴォーカルを招いてやるという考えはなかったんですね。

石橋:まったくなかったです。今回はなかったです。

しかし、25人を前に2時間というのは緊張感ありそうですね(笑)。

石橋:観ているお客さんも緊張すると思いますよ。私の緊張感がフィードバックされて、お客さんと私で緊張のキャッチボールになるとういか(笑)。

アルバムのタイトルの『キャラペイス(carapace)』はどういう意味が込められているんですか? 言葉自体は「甲羅」という意味でいいんですか?

石橋:甲羅......殻のなかに閉じ籠もって作った感じだったのと、歌詞が最初、生々しかったので、それでぜんぶ亀が歌ったことにしてやろうかとか(笑)。自分が子供の頃から亀は特別な動物だったので......。

いちばん大きな理由は?

石橋:作っているときの自分の状態ですね。甲羅のなかでいろんな景色を見たというか......人それぞれの甲羅のなかにはどんな景色があるのか、とか。

アルバムのなかでとくに思い入れがある曲はどれですか?

石橋:3曲目の"rhthm"か、最後の"hum"ですね。

それは曲自体に対する思い入れですか?

石橋:そうです。"hum"に関しては、いちばん最後にできた曲だったというのもあrますけど。

アートワークの写真もとても良いですね。まるで闇のなかに佇んでいるようですけど、この音楽に暗闇があるとしたら、それはさっきも言った死という言葉に集約されるものですか?

石橋:そうですね。それと、夜中によく徘徊しているので。闇のなかを歩いて行く感覚......そういうのって誰にでもあると思います。そういうものに興味があります。

じゃ、最後に石橋さんの2011年の抱負を聞かせてください。

石橋:企画を仕掛けたいですね。2010年は自分の作品に時間を費やしたので、企画をやる時間がなかったから。それから、勉強したいですね。自分には足りない部分がなくさんあって、次に向けて勉強しなければならないことがたくさんあります。

どこが足りないと思ったんですか?

石橋:演奏もそうですし、曲を作ると言うことを一から見直したいと思っています。もっといろんな音楽を知って、知ったうえで自分の作品を作っていきたいです。ミックスも自分でやりたいし、自分の演奏できない楽器も弾けるようになりたいし(笑)。

なるほど(笑)。今日はどうもありがとうございました。

BITCHFORK - ele-king

 『ゼロ年代の音楽――ビッチフォーク編』がいよいよ発売されます。ビッチとは何者か? ――女とポップ・ミュージックの抵抗をめぐる冒険の書......というつもりで作りました。以下、目次を載せますので、どうぞよろしくお願いします!


photo by Yasuhiro Ohara

■contents

02 Foreword
そんなビッチ殺っちまえよ――本書はいかにして生まれたか    
野田 努

07 Bitch Talk 01
もうひとつの、しかし極めて重要な物語――ボヘミアン・ガールの系譜
五所純子×水越真紀×田中宗一郎×野田努 (司会・構成 三田格)

46 Column 01
私たちの革命――ライオット・ガールというムーヴメント
大垣有香

54 Column 02
強きもの、汝の名は弱さ――ジンライムのお月さまは「ひどい乗り方」を許していたんだ
水越真紀

57 Bitch Talk 02
ノー・ウーマン、ノー・クライム―― ヒップホップ文化に見る性について
RUMI×磯部涼×二木信  
オブザーバー 水越真紀(司会・構成 野田努)

83 Column 03
ビッチの領分――ミソジニー論争への一考察
新田啓子

91 Column 04
Bガールの逆襲 Return Of The B-GIRL
二木 信

95 Bitch Talk 03
コギャルの出て来た日 ――消費社会がもたらす女性の変化
湯山玲子×三田格  オブザーバー 野田努 (司会・構成 松村正人)

120 Interview  戸川純、インタヴュー
たぶん、女にしか書けないことを、と思ったんじゃないかな。「バーバラ」にしても女にしか出来ないことと思った。(取材:水越真紀)

128 Column 05
安室奈美恵はいつ死んだのだろう
五所純子

135 BITCHFORK DISC REVIEW
CLASSIC 1955-1999/00'S 2000-2010
(磯部涼、大垣有香、野田努、橋元優歩、二木信、松村正人、水越真紀、三田格)

188  Column 05
律はビッチ!
三田 格

Lone - ele-king

 ビビオのメロディアスなIDMスタイルが好きな人が間違いなく気に入るのがローンによる『レムリアン(Lemurian)』(2008年)と『エクスタシー&フレンズ(Ecstasy & Friends)』(2009年)で、ノッティンガムの夏を記録したという前者にしても、彼の名声を高めた後者にしても、その音楽を特徴づけるのはドリーミーな感覚だ。ボーズ・オブ・カナダの影響下で発展したモダンなスタイルのひとつにマウント・キンビーがいるけれど、ローンも大きくはそのひとつ。手法的にはビビオで、感覚的にはボーズ・オブ・カナダである。サイケデリックで、恍惚としている。だいたい1月の7日というのはまだ正月気分が抜けていないので、こういう夢うつつな音楽がちょうどいい。

 2010年はフォー・テットカリブーといった、最初に注目された頃はフォークトロニカと呼ばれたスタイルの人たちの作品がずいぶんと評判がよかったけれど、マウント・キンビーやローンを聴いていると、ダブステップとフライング・ロータスを通過したフォークトロニカではないかと思うときがある。ローンの場合は、綺麗なアルペジオがあって、そしてグリッチがある。そして、フォー・テットやカリブーよりもさらに夢想的である。12歳でボーズ・オブ・カナダに感動したというエピソードは伊達じゃない。

 『エメラルド・ファンタジー・トラックス』はしかし、フォー・テットとカリブーとすっかり歩調を合わせるように、彼にとって最初のダンス・アルバムと言える作品だ。4/4ビートが入った、デトロイティッシュな作品であると言える。『エクスタシー&フレンズ』はいま聴くとマウント・キンビーを先取りしていたような音楽性だったので、その続編を楽しみにしていたファンも多かったと思うけれど、過去の2枚とは目的意識が違っているようだ。アントールドやラマダンマンのような世代がシカゴのアシッド・ハウスの面白さを発見したように、彼はメロディアスなデトロイト・テクノにアプローチすることで彼自身のダンストラックを作っている。そういう意味では、2010年のフォー・テットとカリブーが好きだった人には推薦できるアルバムである。もちろん正月ボケが抜けていない人にも嬉しい音だろう。100%の逃避音楽だ。

 2010年は欧米のクラブ系のメディアを見ても、その前年よりもさらにテクノやハウスといった昔ながらのDJミュージックが目立たなくなった年でもある。『FACT』の年間ベストの1位がUSのインディ・ロックの部類に入るであろうフォレスト・スウォーズ(2位がカニエ・ウェスト)で、『Resident Advisor』の1位がカリブー(2位がフライング・ロータス)というのも、よほど他にないのかと正直ビビってしまった。まあ、DJミュージックの場合はトラック単位で見るべきなのだろうけれど、それにしても......。
 個人的なことを言えばクラブ系ではダブステップ以降を追うのに手一杯ではあるけれど、テクノとハウスは自分にとっては故郷みたいなものなので、このサイトでも面白いものがあればぜひ紹介したいと思っている。が、しかしコンスタントに書いてくれる人が見つからない。昔はDJ連中もシーンをアピールするために一生懸命に文章を書いたものだったが、庭付きの大邸宅で伸び伸びと正月を迎えているであろうメタルのように、いまさらそんな努力など必要ないほどシーンは自立しているということなのだろう。
 ......だったらいいのだけれど、経験的に言えば、シーンには作り手や送り手といっしょに情熱を持ったライターが必要。どこかに情熱をもっていらっしゃる方がいれば、僕はぜひお願いしたいと思っています。ご一報ください。件名は「ele-kingライター募集」にて、ele-king@dommune.comまで。試しに書いた3枚分のレヴュー原稿(文字数自由)を貼り付けていただければ幸いです(もちろんヒップホップ、ロックなど他ジャンルの方も歓迎しますよ)。

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