「KING」と一致するもの

 大盛況のうちに終了した「マイマイ計画 × 野島健児presents マイマイセッション!」。お越しいただいたみなさま、ありがとうございました。
ご来場のみなさまには、開演までのわずかな待ち時間の中で、著者・智司さん画のマンガにセリフを入れていただきました。
 子どものころは、お兄さん・健児さんと毎晩のように制作していたというこのマンガあそび。絵を描くのは智司さん、セリフを入れるのは健児さん──「いまもずっと同じことをしています」とおっしゃっていたのが印象的です。

 それでは、みなさんがつくってくださった作品の中から、智司さん賞と健児さん賞をご紹介いたしましょう。智司さん賞はコメント付!
 あんな短い時間で、とつぜんペンを渡されて、たくさんの方々がオリジナリティあふれるストーリーをつくってくださり、スタッフ一同驚愕とリスペクトの念に打たれました。あそびが「ひらき」ながら、クリエイティヴなエネルギーを巻き込んでいた会場でした!


ちかさん「割と適当に考えた話」

コウモリがなぜだか片言の日本語!

さかたあやこさん「うれないロールケーキやさん」

あのぐるぐるは、ロールケーキなのか?!

しのぶさん「今年の流行大賞」

トーク中に紹介した作品。ナメクジだったのか…。

よしいかずみさん「ひみつの貝」

冒頭のブタさんの非礼さがよい。


ちさかもと美さん「失恋」

森しおりさん「夕食の献立」

きょうたにかおりさん「次男のイタズラ♪」

あかさくさん「弱肉強食」

Swindle & Flava D来日公演 - ele-king

 2015年にリリースされた『PEACE,LOVE & MUSIC』で、堂々と新たな一歩を踏み出したスウィンドル。同作は自身のルーツのひとつであるグライムを軸に、ジャズ、ファンク、ワールド系の音までも取り込んだ秀逸な1枚だ。あの壮大な音絵巻をDJでどうやって披露するのか、期待して待ちたい。ともに来日するフレイヴァDのストリート感覚が全面に出た、UKの現在を体現するかのようなセットにも要注目。さらに、東京公演にはふたりが所属するレーベル〈Butterz〉の創設者、イライジャ&スキリアムの出演が急遽決定。UKアンダーグラウンド・シーンを先導するクルーを体感できる貴重な一夜となるだろう。
 スウィンドルとフレイヴァDは東京、名古屋、大阪の3都市をツアーする予定。パーツ―・スタイル、沖野修也、クラナカなど、各公演には強力なゲストDJたちが集う。

SWINDLE (Butterz / Deep Medi Musik / Brownswood, UK)
グライム/ダブステップ・シーンの若きマエストロ、スウィンドルは幼少からピアノ等の楽器を習得、レゲエ、ジャズ、ソウルから影響を受ける。16才の頃からスタジオワークに着手し、インストゥルメンタルのMIX CDを制作。07年にグライムMCをフィーチャーした『THE 140 MIXTAPE』はトップ・ラジオDJから支持され、注目を集める。09年には自己のSwindle Productionsからインストアルバム『CURRICULUM VITAE』を発表。その後もPlanet Mu、Rwina、Butterz等からUKG、グライム、ダブステップ、エレクトロニカ等を自在に行き交う個性的なトラックを連発、12年にはMALAのDeep Mediから"Do The Jazz"、"Forest Funk"を発表、ジャジーかつディープ&ファンキーなサウンドで評価を決定づける。そして13年のアルバム『LONG LIVE THE JAZZ』(Deep Medi)は話題を独占し、フュージョン界の巨匠、LONNIE LISTON SMITHとの共演、自身のライヴ・パフォーマンスも大反響を呼ぶ。14年のシングル"Walter's Call"(Deep Medi/Brownswood)ではジャズ/ファンク/ダブ・ベースの真骨頂を発揮。そして15年9月、過去2年間にツアーした世界各地にインスパイアされた最新アルバム『PEACE,LOVE & MUSIC』(Butterz)を発表、新世代のブラック・ミュージックを提示する。

Flava D (Butterz, UK)
名だたるフェス出演や多忙なDJブッキングでUKベースミュージック・シーンの女王とも言える活躍を見せるFlava Dは2016年、最も注目すべきアーティストの一人だ。
幼少からカシオのキーボードに戯れ、14才からレコード店で働き、16才から独学でプロデュースを開始。当時住んでいたボーンマスでは地元の海賊放送Fire FMやUKガラージの大御所、DJ EZの"Pure Garage CD"を愛聴、NasやPete Rockにも傾倒したという。2009年以降、彼女のトラックはWileyを始め、多くのグライムMCに使用され、数々のコンピに名を残す。12年にはグライムDJ、Sir SpyroのPitch Controllerから自身の名義で初の"Strawberry EP"を発表、13年からは自身のBandcampから精力的なリリースを開始する。やがてDJ EZがプレイした彼女の"Hold On"を聴いたElijahからコンタクトを受け、彼が主宰するButterzと契約。"Hold On/Home"のリリースを皮切りにRoyal Tとのコラボ"On My Mind"、またRoyal T、DJ Qとのユニット、tqdによる"Day & Night"等のリリースで評価を高め、UKハウス、ガラージ、グライム、ベースライン等を自在に行き交うプロダクションと独創的なDJプレイで一気にブレイクし、その波は世界各地へ及んでいる。

ELIJAH & SKILLIAM (Butterz, UK)
UK発祥グライムの新時代を牽引するレーベル/アーティスト・コレクティブ、Butterzを主宰するELIJAH & SKILLIAM。イーストロンドン出身のふたりは05年、郊外のハートフォードシャーの大学で出会い、グライム好きから意気投合し、学内でのラジオやブログを始め、08年にGRIMEFORUMを立ち上げる。同年にグライムのDJを探していたRinse FMに認められ、レギュラー番組を始め、知名度を確立。10年に自分達のレーベル、Butterzを設立し、TERROR DANJAHの"Bipolar"でリリースを開始した。11年にはRinse RecordingsからELIJAH & SKILLIAM名義のmix CD『Rinse:17』を発表、グライムの新時代を提示する。その後もButterzはROYAL T、SWINDLE、CHAMPION等の新鋭を手掛け、インストゥルメンタルによるグライムのニューウェイヴを全面に打ち出し、シーンに台頭。その後、ロンドンのトップ・ヴェニュー、Fabricでのレギュラーを務め、同ヴェニューが主宰するCD『FABRICLIVE 75』に初めてのグライム・アクトとしてMIXがリリースされる。今やButterzが提示する新世代のベースミュージックは世界を席巻している!


映画西口東口 - ele-king

『ロード・オブ・ザ・リング』(2001)から、『マッドマックス 怒りのデス・ロード(2015)まで。
15年間の娯楽映画171本を紹介する、大ボリューム映画本の決定版!

新作・旧作含めて、年間250本観ている映画評論家・芝山幹郎による、最新映画紹介本。21世紀に公開された映画約13000本のなかから、娯楽映画を抽出。計171本を独自の切り口(西口映画:話や動きがおもしろい/東口映画:気配や匂いが面白い)で紹介。巻末に、若手映画評論家の
森直人との対談『21世紀娯楽映画の行方』を収録。21世紀始めから現在までを総括し、娯楽映画の未来を鼓舞する。

著者
芝山幹郎(しばやま・みきお)
評論家・翻訳家。1948 年石川県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。アメリカ文化や映画への造詣が深く、独自の映画評論を展開。主な著書に『映画は待ってくれる』(中央公論新社)、『映画一日一本―DVD で楽しむ見逃し映画365』(朝日新聞社)、『アメリカ映画風雲録』(朝日新聞出版)、『映画は遊んでくれる』(清流出版)、『今日も元気だ映画を見よう粒よりシネマ365本』(KADOKAWA)など。主な連載にキネマ旬報、週刊文春、NUMBER、GQ、PEN、エコノミスト、映画.com など。他にも劇場用パンフレットへの寄稿や対談など多数。


正月休みのための4本+1! - ele-king

 スターウォーズはもう観ましたか(僕はまだです)? フォースをすでに覚醒させたひとにも、まだのひとにも、あるいは何それというひとにも、ジェダイと関係ない冬休み映画をいくつかご紹介。映画館へ行きましょう!
 We wish you a merry christmas! よいお年を。

神様なんかくそくらえ

監督 / ジョシュア&ベニー・サフディ
出演 / アリエル・ホームズ、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ 他
配給 / トランスフォーマー
2014年 アメリカ/フランス
12月26日(土)より、新宿シネマカリテ他 にて全国公開。
©2014, Hardstyle, LLC. All Rights Reserved.

 ニューヨークのストリート・キッズの「リアル」を描いていると言っても、ラリー・クラーク監督、ハーモニー・コリン脚本の『KIDS』(95)とは違う。時代がちがえば、痛みもちがう。いきなり凄惨なリストカットを見せられたかと思えば、映画はずっとどうしようもなくズタボロの……ヘロインまみれの愚かな子どもたちの、汚れた日々を映すばかりだ。ここでカメラが映す21世紀の道端に、ストリートの美学なんてない。クズの輝きなんてない。彼女たちがヘロインを打つ場所はスターバックスやマクドナルドのトイレであり、正真正銘の都会のゴミとしてキッズは街をさまよっている。本作に主演しているアリエル・ホームズの自伝的な手記をもとにしていることが話題となっているが、だからといってわたしたちはこの映画を観なくても知っていたではないか……彼女たちがこの世界にたしかにいることを。主演ふたりの生々しい存在感にも胸を掴まれるが、と同時に、どうしても映りこんでしまう本物のストリート・キッズたちとそれを見て見ないフリをして通り過ぎる人びとから目を逸らせない。カメラは残酷にクローズアップを多用して、わたしたちに「ゴミ」と向き合うことを強要する……僕にそのことを下品だと言う勇気はない。冨田勲の音が耳から離れない。
 そうして映画は、アリエル・ピンクのドリーミーな歌をエンド・クレジットに流しつつ終わっていく。ドリーミーな……いったい何が? それは都会の公衆便所で見るひとときの夢なのだろうか。そこに立とうとするアリエル・ピンクというひとの無謀さに僕は、本当に震えるしかなかった。ふたりのアリエルがそこにいた記録を目撃してほしいと思う。

Ariel Pink - "I Need a Minute" (Official Music Video)

予告編



SAINT LAURENT/サンローラン

監督 / ベルトラン・ボネロ
出演 / ギャスパー・ウリエル、ジェレミー・レニエ、ルイ・ガレル 他
配給 / ギャガ
2014年 フランス
TOHOシネマズシャンテ 他にて全国公開中。
© 2014 MANDARIN CINEMA - EUROPACORP – ORANGE STUDIO – ARTE FRANCE CINEMA – SCOPE PICTURES / CAROLE BETHUEL

 これはある天才についての伝記映画ではなく、一種の芸術論である。『メゾン ある娼館の記憶』(11)でもずば抜けたセンスを発揮していたベルトラン・ボネロ監督は、序盤、分割画面で68年と69年の革命とコレクションを並列してみせいきなり観客を圧倒するが、そんなものは大して重要ではないとでも言わんばかりに、どんどん時間を進めていく。やがて時間軸はバラバラになり、時空はねじ曲げられて、すべては彼の76年の最高傑作へと向かっていくだろう。彼の才能も、性愛とドラッグにまみれた退廃の日々も、お決まりの「天才の苦悩」も愛も、さらには晩年の孤独も、ここでは最高の作品に奉仕したに過ぎない……時間は等価ではないのだ。次々に大音量で流される音楽もクールにちがいないが、ひとつひとつが美術作品のように差し出される画面と、それに魔術的な編集にクラクラする。美しい作品について語る映画であればエレガントに振る舞うのが当然、それこそがこの映画の美学であるとボネロは涼しげに言ってのける。ギャスパー・ウリエル、ルイ・ガレルといった美しい男たち(晩年のサンローランを演じるのはヴィスコンティ映画の常連ヘルムート・バーガー!)ばかりが現れるのも当然だし、やや周到に思えるモンドリアンの引用も“アヴェ・マリア”も……1976年の、その瞬間の前にひれ伏すのである……。年間ベスト映画に入れ逃した1本。

予告編


あの頃エッフェル塔の下で

監督 / アルノー・デプレシャン
出演 / カンタン・ドルメール、ルー・ロワ=ルコリネ、マチュー・アマルリック 他
配給 / セテラ・インターナショナル
2015年 フランス
Bunkamuraル・シネマにて 公開中。全国順次公開。
©JEAN-CLAUDE LOTHER - WHY NOT PRODUCTIONS

 いかにもアルノー・デプレシャンの映画である。つまり、ひとつの幼い恋が映画の中心にあったとして、その周りにありとあらゆる小さな事柄が散らばっていて、さらにその周りにはさらなる小さな事柄が控えている。自殺した母との複雑な関係や父との微妙な確執、勉学への若き情熱、パーティで踊ったデ・ラ・ソウル、仲間たちと観たジョン・フォードの映画、読みふけったレヴィ=ストロースやスタンダール……。それらはどこまでも伸びていき、終わりのない広がりを見せていく。日本でもヒットした『そして僕が恋をする』(96)のふたり――ポールとエステルのさらに若き日の痛ましい恋を描いた映画でありつつ、その青春の日々に散らばっていた瑣末なひとつひとつをランダムに思い出していく過程でもある。そしてそれらすべてのことがまた、どうしようもなく「たった一度の恋」に収束していく。ラスト30分頃のひたすら手紙の朗読を重ねるショットの切ない美しさは、間違いなく本作のハイライトである。何がどうなったという話でもないのに、人生の豊穣さを流麗に見せていくデプレシャンには毎度唸らされるばかりだ。94年生まれのカンタン・ドルメールと96年生まれ(!)のルー・ロワ=ルコリネの「一瞬」を収めたフィルムでもある。『そして僕は恋をする』におけるフランスの香り漂う恋愛模様に酔いしれたひとはもちろん、忘れられない恋を胸に抱えるひとは劇場へ。

予告編


消えた声が、その名を呼ぶ

監督 / ファティ・アキン
出演 / タハール・ラヒム、シモン・アブカリアン、モーリッツ・ブライプトロイ 他
配給 / ビターズ・エンド
2014年 ドイツ/フランス/イタリア/ロシア/カナダ/ポーランド/トルコ
12月26日(土)より、角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMA 他にて全国順次公開。
© Gordon Mühle/ bombero international

 トルコ系ドイツ人ファティ・アキンによるもっとも規模を大きくしつつ、トルコで最大のタブーとも言われるオスマン・トルコによる1915年のアルメニア人虐殺をテーマとした一作。喉をかき切られ声を失いながらも娘を探して世界中を旅する父親という難役を、いまもっとも重要な俳優のひとりであるタハール・ラヒム(ジャック・オディアール『預言者』、ロウ・イエ『パリ、ただよう花』など。黒沢清の新作にも出るそうです。)が熱演。熱、といま書いたが、じつにアキン監督らしいエモーショナルな温度を帯びた作品となっている。それは情の篤さだと言い換えてもいい。ここでは史実的なジェノサイドも描かれているのだが、その勇ましい暴力の下で隠された人間の弱さや親切さもまた掬い取られている。男は圧倒的な量の死を前にして絶望し信仰を含めて多くのものを喪っていくが、彼を多くの人びとの素朴な善意が救っていくのもまた事実なのである。そして僕が映画を反芻して思い浮かべるのはどうしても後者のほうなのだ。あるいは、チャップリンの映画を前にして(それは多くの人びとにとって初めて観る「映画」として描かれる)、子どものような目で涙を流すラヒムの姿だ。それはアキン監督映画の一貫した甘さでもあり弱点でもある、が、彼を応援し続けたい理由でもある。1973年生まれ、まだまだ先が楽しみな作家のひとりだ。

予告編


 それでもどうしても映画館に行けないという方に、家族で観るDVD編。

くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ

監督 / バンジャマン・レネール、ステファン・オビエ、ヴァンサン・パタール
配給 / ギャガ・プラス
2012年 フランス
DVD発売中。 https://www.amazon.co.jp/dp/B014QI4Z0M 
© 2010 Les Armateurs - Maybe Movies - La Parti - Mélusine Productions - STUDIOCANAL - France 3 Cinéma – RTBF

 くまのアーネストおじさんはおなかをすかせ、ゴミばこをあさっているうちにねずみのセレスティーヌと出あいます。くまとねずみの世界は地上と地下とでわけられていたため、ふたりのであいと友じょうはやがて大きなそうどうとなっていくのですが……。という、ガブリエル・バンサンの原作絵本をベースとした物語は、いまのフランスの精神の善き部分を象徴しているように僕には思える(テロ以前の、とは言いたくない)。別々の世界で生きる孤独なふたりが出会い、やがてソウルメイトとなっていくのだが、それが裁判という公の場へと持ちこまれるのがいまの欧米のリベラルのモードだと言えるだろうか。ああ、いいなと自然に思えるのはふたりともアーティストだということだ(ミュージシャンと絵描き)。異なる世界の融和をここで素朴に体現するのは、心優しき芸術家たちなのだ。
 初期ジブリに影響を受けたと思われる柔らかいタッチの線と色使い、アクション、音楽、警察をはじとする権力や商業主義への風刺、原作への敬意、どれもいちいち効いているし、制作者の真心を感じずにはいられないアニメーション作品だ。アーネストもセレスティーヌもとにかくかわいい……とくにアーネストが……『アナ雪』と同じぐらい観られてもいいと僕は思います。

予告編

interview with Keiichi Suzuki - ele-king

“男は黙って…”ではコーラスで反論を述べさせる、っていうのをやっているのね。いわゆるゴスペルとかそのへんの基本で、それをやってみたくて。


鈴木慶一
Records and Memories

Pヴァイン

Pops

Tower HMV Amazon iTunes


鈴木慶一
謀らずも朝夕45年

Pヴァイン

Pops

Tower HMV Amazon

『Records and Memories』について、たしかに男と女について語っているというのは、聴いていて感じましたね。そういう意味では女性コーラスの入れ方も念頭に置かれているのかなと。

鈴木:“男は黙って…”ではコーラスで反論を述べさせる、っていうのをやっているのね。いわゆるゴスペルとかそのへんの基本で、それをやってみたくて。

掛け合いソングですね。「男は黙って明日を待つんだ」っていう一節は、ちょっとした箴言を受け取ったような気持ちになりますね(笑)。

鈴木:そんな強いメッセージ性はないよ(笑)。

2曲めの“愛される事減ってきたんじゃない?ない”の「年取って 愛される事 減ってきたんじゃないないない?」みたいなフレーズは、ぼやきにも聞こえてきますが。

鈴木:それは(歌に登場する女性が)質問しているんだけど、その相手は他人かもしれないし、自分かもしれないし。

『図らずも朝夕45年』の1曲めには今作から“ひとりぼっち収穫祭”も入っています。

鈴木:この曲は内輪で人気が高いから入っている。それだけ(笑)。これはすごくややこしくて、女性が歌う歌詞なんですよ。嫌なちょっと怖い女のひと。

たしかに、「送り先は警視庁の遺失物窓口で なくした私を拾うのよ」って言ってる(笑)。女歌なんですね。

鈴木:女歌も久々に作りました。ムーンライダーズの初期のころはけっこうあるけどね。“夜の伯爵”(『ヌーベル・バーグ』収録)とか。

慶一さんにとって女性というテーマは大きいですよね。女性から受ける刺激もそうだし、傷といっていいかわからないですけど、精神的な打撃なども含めて。

鈴木:ははは(笑)。それは大きいですね。小学生のころに3、4歳年上のいとこがいて、ポップ・ミュージックを教えてもらったりとか、そういうのがあってね。通った学校すべてが男女共学で、女性が近くにいるのが当たり前だった。サッカーのあとは別だけど、飲みに行くことになって女性がいないと、帰っちゃったりすることもある(笑)。

女性がいないと楽しくないというより、不自然に思うんですね。

鈴木:なんかお尻が収まらない感じがするよね。人生の局面となるポイントで助けてもらったのは、おふくろだったりします。21年もマネージャーをやってくれているのも女性だし、女性の感覚が非常に大事なんですよ。

女性の感覚が非常に大事なんですよ。

ホモソーシャルな価値観がお嫌いなんでしょう。日本はいまだにホモソーシャルな社会で、そういう居心地の悪さみたいなものがあるように思いました。

鈴木:それはあるね。要するに、女好きとかそういうことじゃないんです。性的な差別もなくて、女性がいることが当たり前で、意見も普通に聞くし、話も普通にする。そういうのがいちばん日常的な場所。かつては男女がすべて同じだと思ってたの。でも90年代半ばくらいに、「男女に性差はあるんだな。でも同じほうがいいな」って、ちょっと変わるんだけどね。だから男らしくありたいとか、そういうことじゃないくて、性の違いはあるんだな、とは思った。それまで気づかないから、ちょっと奥手過ぎるんだけど。

女性には素晴らしいところがたくさんあるけれども、非常に付き合いづらいところもないわけではない気がするんですが、そうでもないですか?(笑)

鈴木:はははは(笑)。どうだろうねぇ。たまにはあるんじゃないんですか? そういうものもありつつ、重なるところもあって、お互いに距離もある。それで日々を生きていくことがいいんだと思うんだよね。

そういう気持ちが“LivingとはLovingとは”に入っている気がして、すてきな曲だなと思います。それから、曽我部くんとの三部作はコンセプト・アルバムの色合いが強くて、そういう余韻も今作には少し感じます。

鈴木:インストゥルメンタルの2曲め(“Memories”)とかは曽我部くんとやった曲に似ていたりもするんだけど。

“Records” と“Memories”という2曲のインストを入れるところが洒落てるなあ、と。

鈴木:あれは即興ですからね。一発ですよ。曽我部くんのときも即興はあったし、10分くらい録音していて、そこからいいところを選ぶ。そういういろんな手法があると思うんだけど、このアルバムのどこかにはそういう手法の集大成的な部分もあると思うよ。現在のテクノロジーでの最良の部分を使ってね。だからドラムも、あだち(麗三郎)くんが叩いている部分もあるけど、かなり自分で叩いているしね。ドラムを叩くっていうのは、ビートニクスだとまず考えられない(笑)。No Lie-Senseでは相当叩いている。それもあってこのアルバムでもドラムを叩いていて、そこに柴崎ディレクターとの書簡の交換により、「これは生にしたほうがいいんじゃないんですか?」ということになり、あだちくんに叩き直してもらったり。まさに「叩き直し」だなと(笑)。

「川面」と書いて、あえて「かわも」にするというのは、私のなかでは映像なわけ。

全体的に、ひとつの映画をシーンごとに作っていくような感覚というのも感じられました。

鈴木:とくに歌詞作りの段階では、私の脳みそのなかの妄想は映像なので。(“My Ways” の歌詞の一節で)「窓面」と書いて「まども」にするというのは、私のなかでは映像なわけ。だからみなさんがこの曲を聴き、歌詞を聴き、どう感じるかというのは、私の妄想なのでお好きなように受け取ってくださいと。

ちょっとテリー・ギリアムっぽいというか。『ゼロの未来』という彼の新作映画が今年日本でも公開されましたが、ご覧になりました?

鈴木:いや、観てない。

なかなかよかったです。主人公の中年男が天才プログラマーなんですけど、ひとと関わるのを拒んでいて。誰もいない教会で人生の意味を教えてくれる電話がかかってくるのを待ってるんですよね。ただ待っているんだけど、一方で“ゼロ”という数式を解こうとしてチャレンジしている。そこに女性が絡んできて、最後には人生の本当の意味に気づくという。主人公の男は世界に対しては諦念に満ちていて、いまさらどうしようもないし、変えようもない。教会の外に出てみるとあらゆるものが広告になっていて、これを買え、あれを買えとサインを送ってくる。ほとんど現在に近い近未来の光景ですけど。

鈴木:この前、テリー・ギリアムが演出していたオペラをテレビでやってたな。テリー・ギリアムっぽい作品だったね。

かなり慶一さんの世界とも親和性が高い監督ではないかと。“Sir Memorial Phonautograph邸”っていう曲も、ちょっとギリアムっぽいなと感じてました。

鈴木:基本的には、曲に全部仮題がついていて、“ホリーズ”とか“(ブライアン・)ウィルソン”とか。これは“ウィルソン”だね。コード進行とかがブライアンらしい。それを頭のなかで揉んでいくうちに、屋敷に忍びこんでいくものにしようというようにしたんだな。いろんなものをかつてここから盗みましたよ、って。

曲に全部仮題がついていて、これは“ウィルソン”だね。コード進行とかがブライアンらしい。それを頭のなかで揉んでいくうちに、屋敷に忍びこんでいくものにしようというようにしたんだな。いろんなものをかつてここから盗みましたよ、って。

最初にそういうイメージがあって、そこから画像が立ち上がってきて曲を作られることが多いのですか?

鈴木:うん。音を聴きながらね。他人に詞を書くときは、まだ曲が完成していない段階で頼まれるんですが、自分の曲の場合は、手がかりを作るには音を聴いていた方がいいんだよね。あと1曲、SEを入れちゃったんで、SE順に歌詞が出てくるやつもあります。“愛される事減ってきたんじゃない?ない”は最初にSEを入れたんですよ。まずは地下鉄の喧噪。自転車とか、車とか、バイクとか。それで権藤くんに連絡して、SEの順番を訊いたんです。その順に歌詞を作っていった。

それは初めにシナリオがあって、ということですか?

鈴木:そう。なんでこの音を入れたんだっけな、というのを歌詞を作るときに忘れちゃって困ったんですよ。そのときに、そうだ! SEの順番にしようと。“歩いて、車で、スプートニクで”(『アニマル・インデックス』/85年)の続編みたいなもの。

過去の作品の続編を作る、といった発想で曲を書かれることはけっこうありますか?

鈴木:ごくたまには、ありますね。続編というのは裏のテーマですけど。

今作のなかでは、“バルク丸とリテール号”というタイトルの意味も最初はわからなくて、「リテール」とか「バルク」という言葉を検索してみたりしました。そうしたら、「リテールは一般消費者向けの〈小売〉のことを指す。対義語はホールセールであり、いわゆる〈卸売〉を指す」とか、ようやく理解できる(笑)。

鈴木:たまたまコンピューターの部品を交換しなくちゃいけなくて、エンジニアの方とやり取りしていたの。MacBookの電源が壊れたので、品番で検索すればいいですよと。そしたら「バルク品」とか出てたの。知ってた?

柴崎:CDの業界だと、ケースがなくて筒の状態で盤だけで納品されることで、たぶん卸売用語でしょうね。

バルクは「ひとまとめ、一括するという意味。金融機関が保有する不良債権や不動産を第三者にまとめ売りすることをバルクセールという」(笑)。

鈴木:ケースなしってことだよね? バルク品ってことばを知らなかったから、そこで知るわけだよ。それで調べてみたら、反対がリテールだったの。これは使えるなと(笑)。

それでこの歌詞ができるって謎ですよね(笑)。

鈴木:それで渋谷の話になっている。秋葉原じゃなくてね。

渋谷のB.Y.Gにライヴを観に来た方から、「渋谷をもう一回出してください」というリクエストを受けて、それで「じゃあ出しましょうか」と(笑)。

渋谷が舞台の曲って他にありますか?

鈴木:『SUZUKI白書』に1曲だけあって(“GOD SAVE THE MEN -やさしい骨のない男-”)、これが続編なんですよ。渋谷のB.Y.Gにライヴを観に来た方から、「渋谷をもう一回出してください」というリクエストを受けて、それで「じゃあ出しましょうか」と(笑)。単にそれだけではじまったのね。

これはどの時代の渋谷ですか? やはり2015年、現代の渋谷ですか?

鈴木:うん。携帯もってるし。

この間、本当に久しぶりにB.Y.Gへ行って思ったんですが、20世紀に入って、渋谷にギリギリ残っていた、“記憶のなかの渋谷”と言うべき由緒あるスポットが、櫛の歯が欠けるようになくなっていって、公園通りのジァン・ジァンとか、あるいは松本隆さんが窓際の席で詩を書いていた桜丘町の喫茶店マックスロードとか、掛け替えのないものが消えてしまった。

鈴木:私もあそこで取材を受けました。ミュージック・マガジンが近くにあったので。

最後の砦は百軒店くらいかなと。

鈴木:しかしあのあたりも変わっているよ。変わっていないのはB.Y.Gとライオンだけだよ。あとはムルギーか。でも道を隔てた反対側は全部変わっているね。あそこは怪しげなバーだったんだよな。偶然にもあとで知ったんだけど、早めに亡くなった私のおじさんがあそこらへんに出没してたらしい。法事のときに80を過ぎたおじさんやおばさんに話を聴くのが面白いよね。それでできたのが、三部作の最後の『ヘイト船長回顧録』(11年)。「天ぷら学生」とか、知らないことばだったからね。だから、歌詞にすることばっていうのは決まっているわけじゃないんだよね。なんでもいいと思う。

“Untitled Songs”で終わられると、なんかお腹いっぱいになるんで、暖炉にあたっているようなものがすっと入っていたらいいだろうな、と思ったんです。

今作では、やはり5つのパートからなる“Untitled Songs”がいちばん気になります。

鈴木:当初はパート1だけだったんだけどね。パート1は自分にとって濃すぎるんですよ。濃すぎたものの後ろに、ものすごく長いものを付けて別の状況をつけつつ、別の歌詞も入って、はじめに戻って終わるものにしようかなと思ったわけだ。

パート1だけだと、あまりにも濃すぎて、いろんな想いが溢れてライヴで歌うのが大変そうですね。

鈴木:でもやるかもしれないしね。ルー・リードがウォーホールを追悼したアルバム(ルー・リード&ジョン・ケイル『ソング・フォー・ドレラ』/90年)とかを思い出すね。

この“Untitled Songs”というタイトルは最初からあったものですか?

鈴木:最初から。初めはパート1だけは、「An Untitled Song」という単数形でメモったものがあるんですよ。でもそれはだめだったので、「un」をとって「songs」に。

「題無しソング」というフレーズには「台無し」という意味も含まれている気がするし、こうやってすべてを相対化するのも慶一さんならではというか。

鈴木:どうしてもそうしたくなりますね。あとは「かわす」とかね。本来はこれで終わる予定だったんですが、シナトラと呼んでいたもう1曲がラストに入っています。

この曲は本当に好きです。この“My Ways”って、本当に切ない、いい曲だなって。これを最後に置くのが、このアルバムのすてきなところだと思います。

鈴木:あの“Untitled Songs”で終わられると、なんかお腹いっぱいになるんで、暖炉にあたっているようなものがすっと入っていたらいいだろうな、と思ったんです。最初から曲順も決めていて、最後かなと。しかも“Untitled Songs”の次なんじゃないかなと。それもわりと最後の方でできたんだよね。

これは歌詞が染みますよ。「これからの 毎日は お別れが 揃う 夜にさよなら 朝にさよなら 数えきれぬ エンドマーク 川面に並んでる 少し消え また増えて 末広がる」という1番の歌詞や、「今までの 毎日は 長い列をなし 背丈ほどが ぶら下がって 鉄路のように土の 一部となっている 何度 掘り返しても 唾を吐いても」という2番の歌詞には、大先輩の慶一さんから見ればまだまだ人生の何たるかを知っているとは言えない世代のぼくも、人生の後半にさしかかってきたので、とくに感じるものがありますね。

鈴木:私はあんなギターを普通は弾かないからね。これはAORな音にしようと。これを作ったときの裏話があって、これはディランの新譜のスタンダード・カヴァー集を小さい音で聴きながら、別の曲を作るというやり方なの(笑)。なかなかいいんですよ。隣でビートルズが聴こえているとき曲を作ったことがかつてあったけど、それが何なのか忘れちゃった。これは確実に、確信犯的にディランの新譜を小さくかけながら、キーボードで作っています。そっちを小さい音量でかけているから、こっちはもう少し大きな音量で弾いているんだよね。つまり情報が分断する。ディランも分断されるわけ。それで誤解して曲を作る。

今作は、1、2回聴いただけだと聴き手が混乱するアルバムかもしれませんが、何回も聴いているうちに愛着がもてる作品になるんじゃないかな、と思いました。

鈴木:ありがとうございます。歌詞カードを見つつ聴くとかね。

「莫漣」はわからなかったですね(笑)。

鈴木:そうだ、“無垢と莫漣”は、「丸ビルハート団」って呼んでいたんだ。検索していたら、丸ビルハート団っていう不良少女グループが大正時代にあったみたいで。丸の内のサラリーマンをひっかけて売春すると。この間、アーバンギャルドの松永天馬くんに丸ビルハート団のことを教えたから、次の作品にタイトルで出てくるかもな。天馬くんと話してるとKERAと近いと感じるね。軽音楽部じゃなくて、文芸部とか、そういう感じになる。

ムーンライダーズ活動休止後、初めてのソロということもあって、ご自身のなかで感慨がおありだと思うんですが。

鈴木:感慨はとくになかったね。これを作り終わってから、ライヴのプレミアムシートに配る7インチ用の2曲を作ったので、私のなかの最新作はもうそっちになっているんだよ(笑)。辛かったのは、最後の歌入れと歌詞のところかな。ちょっと別の仕事とダブっていたのでね。でもユニットとか、プロデューサーがいるのと違って、セルフ・プロデュースの不安はものすごい。いまだに不安だけど。

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これは偶然だけど、私がサニーデイ・サービスを意識したのは1枚の写真なんだよね。

曽我部くんと慶一さんがいっしょにやると初めて聞いたときに、なんて絶妙な組み合わせを考えるんだ! と思いました。曽我部くんにとっては大先輩だけど、慶一さんとは人間的にも音楽的にも親和性が高いだろうから、変な遠慮なしに融合できるんじゃないかなと。

鈴木:たしかに曽我部くんに遠慮はなかったね。こちらも曽我部くんが言うんならそうなんだなと思うもん。

彼は、はちみつぱいから慶一さんの音楽を好きになっているので、それがかなり大きいのではないかと。どこから入るかでだいぶ感覚が違いますから。

鈴木:これは偶然だけど、私がサニーデイ・サービスを意識したのは1枚の写真なんだよね。ピアノのところにソロで座っていて、チェックのシャツを着てるんだよ。「あ、これははちみつぱいのころの俺の写真だ」と(笑)。まさにそれだと思ったの。

彼がライヴでカヴァーしているはちみつぱいの曲が、“僕の倖せ”だったりするのが、なおおもしろいなと(笑)。あれは慶一さんではなくて渡辺勝さんが歌っているフォーキーな曲。自分が歌って似合う曲を選んでいるんですよね。ムーンライダーズの曲からは「スカンピン」を歌うとか。三部作の最初のアルバム『ヘイト船長とラヴ航海士』(08年)がレコード大賞の優秀アルバム賞をとったことにびっくりしたんです。「レコ大ってそんなにロックに理解があったっけ?」と驚きましたね。

鈴木:私もソニーの方に「ノミネートされてますよ」って言われて、「あ、そう」って思っていたんだけど、優秀アルバム賞だったから「えー」と。私もすげぇビックリした。翌々年に細野(晴臣)さんとか大貫(妙子)さんとかも受賞したよね。なんかハナレグミをきっかけにそういう流れができたね。それで、賞を授与される式に行ったの。そしたら曽我部くんは革ジャンで来てさ。ふたりでもらうんだけど、レコード協会の会長さんがね「毎日聴いております」って言うんだよ。「ありがとうございます」って返したけど、なんで毎日聴くんだろうな、と(笑)。「最後に鴨長明の『方丈記』の一節を入れたせいだ」とかってふたりで言ってたんだけど(笑)。審査員の作曲家の三木たかし先生が推してくれたらしいんだよ。あのあと亡くなってしまうんだけど、病床ですごく聴いていたというお話は聞きました。

レコード大賞とムーンライダーズはあまり接点はなかったのに、ムーンライダーズではなくて、ご自身のソロ作品で賞をとったのは、やはり不思議な感じですか?

鈴木:不思議。「まさかぁ」って。挨拶が「おったまげー」ではじまりますから。便利なのが自分のプロフィールで4行はいけるぞと(笑)。あとは同総会に出たときの他人の目が変わるくらいだよ。そこで変わっちゃいけないんだけどね。

ワーカホリックじゃないよ。だっていっぱい遊んでるもん。

次は映画音楽でそういう慶事があるといいですよね。

鈴木:すげえうれしかったのは、シッチェス・カタロニア国際映画祭っていうスペインの映画祭で最優秀映画音楽賞をもらったんだよね。北野武さんの『座頭市』で。それに出演していた浅野忠信さんが行ってトロフィーを持ってきてくれたの(笑)。そのトロフィーがいかしてるんだよ。『メトロポリス』(27年/独/フリッツ・ラング監督)の(ヒロインの)マリアみたいなんだよね。それからなんの縁か知らないけど、アメリカ人から映画音楽を頼まれてね。これはいまだにどこにも発表されていないんだけど、それは去年。完成した映画を観てみたんだけど、変な映画だったなぁ。

それはホラーですか?

鈴木:ホラーではないね。女性ふたりがいて、ひとりが森を観測していて、もうひとり灯台守のじいさんがいなくなっちゃう。それでもうひとりの女性が森を観測する装置を守るみたいな話。なんか不可思議だったんだよね。

そんなふうにアグレッシヴにお仕事を受けるのは、やはりワーカホリックということでしょうか?

鈴木:ワーカホリックじゃないよ。だっていっぱい遊んでるもん。その映画の試写会をアメリカでやったときに、ニューヨークの知り合いが見に行ったんだよね。そしたら「変な映画だなぁ」っていっていたけどね。映画を作ったひとが『マザー』を好きらしいんだよ。あと日本の音楽に詳しくて、メモがいろいろあったね。なんであれがウケたんだろう。

インターネットの時代になってから、海外のひとたちが日本の音楽を発掘しはじめて、レコードを探していますね。

鈴木:そういう外国の友人がいたりするね。日本に来てSP盤を買い漁って帰ったりとか。

それこそムーンライダーズとか、日本のポップ・ミュージックを聴き込んでいるひとが海外に現れたと思うんです。

鈴木:逆もあるよね。そのへんのボーダーレス状態はインターネットが推進していると思うけど。おもしろいけど、記録が多すぎるといえば多すぎる。

いまは自分の基準が見えなくなっているひとが多くなっているかもしれないですね。

鈴木:基準が見えないところで何が生まれるかっていうのは興味深いけど。

60年代は世界中、ビートルズが基準だから、わかりやすかったですよね(笑)。

鈴木:そうそう(笑)。ビートルズが基準で、70年代はそれがなくなって非常に困るわけだよ。そのときに違うヒーローが生まれるわけで、ミュージシャンのなかではザ・バンドとか。ストーンズは相変わらずやっているし。私は一応基準があった時代にいましたけど、いまではCDを買う基準とかはとくにないね。でもビートルズ『1』がブルーレイで出たら買っちゃうけどさ。ディランのあんなに高いブートレック・シリーズの最新作とかも2万円だけど、買っちゃうなぁ(笑)。グレイトフル・デッドのライヴ音源はCD80枚組とか出てるよね。

亡くなった大瀧(詠一)さんに、私の携帯のアドレスに目をつけられて「お前はやっぱりサイケデリックだな」といわれたんです(笑)。

日本のポップ・ミュージックを俯瞰で見て、出発点にグレイトフル・デッドがあるひとが海外に比べて少ない気がして、デッドとマザーズがスタートラインにあった慶一さんはそこが大きいポイントだと思います。

鈴木:亡くなった大瀧(詠一)さんに、私の携帯のアドレスに目をつけられて「お前はやっぱりサイケデリックだな」といわれたんです(笑)。「はいそうです」って答えるしかないよね。

はっぴいえんどの入団試験に受からなかったのは、それも理由のひとつだったんでしょうか。

鈴木:はっぴいえんどは酒を飲まないからな。それはけっこう大きいですよ。俺らは酒を飲むためにライヴをやっていたようなもんだもん。

今度出る本の話もうかがいたいんですけれど、どうやって作られたんですか?

鈴木:本はインタヴューです。まだ作業中なので内容は見えないんですけどね。いま、ビートニクスとか、作詞についてとか。あとは機材とか、食べ物とか。そういったところに焦点を当てて私が語るものになる予定です。

ソロに絞ったものなんですか?

鈴木:ムーンライダースについてのインタヴューもありますね。3枚組のアルバムと対をなすイメージですね。

他のひとへの提供曲についても語っていますか?

鈴木:それはなかったな。途中なので何ともいえないんです。すいません。

あまり個人史的な本ではないんですか?

鈴木:それも語っているけど、どの部分をピックアップするかによりますよね。王道も語りつつ、なぜか「なぜ私はB級グルメなのか」というところだったり。街中華と駅前食堂というのがあって、その歴史かな。あとはファッション、サッカー、楽器。サッカーとか話したら話が長くなっちゃうからね(笑)。でも全部並列だよ。男女もサッカーも。

王道も語りつつ、なぜか「なぜ私はB級グルメなのか」というところだったり。街中華と駅前食堂というのがあって、その歴史かな。あとはファッション、サッカー、楽器。

では、恋愛の話もけっこうされている?

鈴木:してるね。恋愛の話に興味もってない?

いやいや(笑)。余談ですが、慶一さんは『ウルフェン』(81年米/マイケル・ウォドレー監督)というホラー映画がお好きだと。この間、『70年代アメリカ映画100』(13年/芸術新聞社)という本で慶一さんと対談させていただきました。主編者の渡部幻くんも『ウルフェン』が好きで、『ウルフェン』がツタヤ限定でDVDが出ていると慶一さんにお伝えしてください」と言っていました(笑)。

鈴木:わかりました(笑)。覚えておきます。

あれは『ウッドストック』の監督、マイケル・ウォドレーの唯一の劇映画なんですよね。狼男ものとエコロジーが混ざってる不思議な作品。そういう変わったセレクションが、慶一さんの映画談義には出てくるので楽しいです。

鈴木:『トランザム7000』(77年米/ハル・ニーダム監督)のテーマをTBSラジオでかけるからね(笑)。

この間、B.Y.Gにうかがったときの1曲めが、『トワイライト・ゾーン』(60年に日本テレビで第1シーズンが放送された際の邦題は『未知の世界』。ホスト役のロッド・サーリングの声の吹き替えを鈴木慶一氏の父君、鈴木昭生氏が担当した。61年から67年までは『ミステリー・ゾーン』と改題されてTBSテレビで放送された)のある回(第92話「死ぬほど愛して Come Wander With Me」)で、カントリー歌手が歌を探しに旅に出て、そこで出会った歌だと。そういうところからカヴァーする曲を選ぶのが慶一さんらしいなと思って。

鈴木:『ブラウン・バニー』(03年米/ヴィンセント・ギャロ監督)でヴィンセント・ギャロが使ってるね。あのサントラに入ってるよ("Come Wander With Me"/JEFF ALEXANDER)。音の現物として初めてちゃんと聴いたのはそれです。曲自体は覚えていたけど、ギャロが使っていてビックリした。それで音源も手に入ってよかったね。それから運よく『トワイライト・ゾーン』の再放送をエアチェックしていました。

密かにカヴァーしたいそういう曲もけっこうおありになるんですか?

鈴木:まだ探しきれていない曲が記憶にはあるよね。これだけは見つけないと、死んでも死に切れないぞと。

そういう曲をあつめてカヴァー集とか出されると楽しいですよね。

鈴木:手に入るまではわからないんだよね。東京太郎という私の変名では、河井坊茶さんの“吟遊詩人の歌”をやってますけどね。子どものときから頭のなかで鳴っている曲だったんだけど、三木鶏郎さんの曲だとわかった。

『Musicshelf』の「鈴木慶一のルーツを探る10曲」と題するプレイリストのなかに、細野さんから教えてもらった曲というのがありましたよね。

鈴木:あれは口笛の曲なんですけどね。おやじの劇団員のひとたちと海へいっしょに行くと、ウクレレでずっと弾いてたのね。あの曲なんだろうなって思っていて細野さんに訊いてみたら、「いま口笛で吹いてみ」といわれて吹いてみた。そしたら「『パペーテの夜明け』だよ」ってね。『南海の楽園』っていうイタリア映画(63年)のサントラだと、あとで知るんだけど。すみやっていうサントラ専門店が渋谷にあったでしょう? そこの店長さんとお客さんの懇親会みたいなのがあったの。そこに俺は行ったのよ。それで「頭のなかで電子音楽が鳴っているんですけどわからない」っていったら、「これじゃないですか?」ってデヴィッド・ローズを教えてくれたんだけど、それだった。各ジャンルのオーソリティがいて、そのひとたちにわからない音楽を訊くとすぐに教えてくれる。あれはありがたいね。

それもひとつの“レコード・アンド・メモリーズ”という感じですね。

鈴木:自分のなかだけで自分の謎が解けていく、みたいな感じだよね。まだまだありますよ。子どものときに観たアメリカのテレビ番組とかね。

ニューオリンズのリズムを異国情緒に見せていたからな。やっぱりドクター・ジョンの『ガンボ』に尽きると思うけどね。あれはいいショウ・ケースというか。

さっき細野さんと大瀧さんの話が出ましたが、出発点ではっぴいえんどと出会われて、ライヴにキーボードで参加されたり、もしくはメンバーにならないかという話も出たほど、慶一さんははっぴいえんどの近くにいらっしゃったわけです。細野さんと大瀧さんだと、どちらの方から大きい影響を受けられましたか?

鈴木:(即答で)両方。大瀧さんに「お前は細野派だろ?」っていわれるのも嫌だし(笑)。

最初のころ、歌い方はかなり大瀧さんに近かったという有名な話もありますが、両方から同じくらい影響を受けられたのですね。

鈴木:あの4人から影響を受けていますよ。大瀧さんからはときどきメールが来たり、何か意見を言われたりしてね。バッキングをやるときのリズム・セクションの作り方は細野さんから学習した。リズム・セクションから作っていってギターを決めていく。まるでポール・バターフィールドみたいだと思っていた。大瀧さんは4人の生ギターを聴いて、「お前、2弦が鳴ってないよ」って言い当てる(笑)。そこまで聞こえてないんじゃないのかって思うんだけど、ひとりずつ弾かせてみると2弦が鳴ってないんだよね。そうやってひとりずつを追求していくんだよ。奇しくも、ニューオリンズのリズムを強力に取り入れたものを、同じ時期にふたりとも作ったね。

ニューオリンズへの着目は、おふたりともかなり早かったですよね。

鈴木:ニューオリンズのリズムを異国情緒に見せていたからな。やっぱりドクター・ジョンの『ガンボ』に尽きると思うけどね。あれはいいショウ・ケースというか。あれはまさに72年だな。ヒッピーみたいに集団生活をしていたころ。レコードが大量にあったので、ベースの和田くんが高円寺で「ムーヴィン」という店をやっていて、なんでもあったわけだよ。そのなかに『ガンボ』もあった。

松本隆さんからはどのような影響を受けましたか?

鈴木:隆さんとはいっしょに歌詞を作ったりしている。あがた(森魚)くんの“キネマ館に雨が降る”という曲の歌詞を共作しているんですよ(74年、松本隆プロデュースによるセカンド・アルバム『噫無情(レ・ミゼラブル)』に収録)。時間軸と地平軸で歌詞が飛び回るんだ。自由にいちばん飛び回れたらいい歌詞なんだよ、と隆さんに言われて。そのときに見せてもらったのが“驟雨の街”だったのね。感想を訊かれて、「すごくいいなぁ」って答えたら、「はっぴいえんどが再結成したらこれをやるんだよ」って言ってましたね。そのあと一回録音して、この前のトリビュート盤(『風街であひませう』/15年)で初めて発表されたよね。あれは72、3年だ。

鈴木茂さんとは同い年ですが、どのような影響を受けましたか?

鈴木:あのあたりに同い年が多いんだよね。林立夫とか、松任谷正隆とか。やっぱり茂の影響はギターだよな。なんでこんな音が出るんだろうっていうロングトーンを出していたから。ライヴだとギターばっかり聴こえるの。のちのちだんだんスライドギターになっていって、ソロでは完全にスライドが中心になっていったよね。『風街ろまん』に茂が歌っている曲があるけど(“花いちもんめ”)、あれを初めて聴いたのは隆さんの家でだった。たまたま隆さんの家にいたんだよね。「これ誰が歌っているかわかる?」「えっ、隆さん?」「違うよ。茂だよ。」って話をしたのを覚えてるね。はっぴえんどに限らず、他のミュージシャンの曲を早めに聴けたんだよ。あれは百軒店時代と言えますかね。リトル・フィートがいいっていうと、バーっと広がる。口伝えだよね。それで実際に聴いて広がっていくんだから。そういう店もあったということですよね。

最近よく思うんですが、その時代のことを誰かがちゃんと映画にしたらおもしろい作品ができるのに、それを作れそうな監督が日本だと思いつかなくて。

鈴木:あのディランが最後に出てくるやつみたいに?

そうです! 『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』(13年米/コーエン兄弟監督)。まさにそれです。ああいう映画がいつまで経っても日本でできないのは悲しいです。

鈴木:ああいう映画を観るといいなって思うよな。そこにいる感じになるもんね。

70年代の渋谷百軒店って格好の舞台だなと思います。

鈴木:まだ残ってるもんね。B.Y.Gの地下は過去の写真をもとにして復元してるからね。

慶一さんが監督されてもいいんですよ?

鈴木:いや、私は映画はいいです(笑)。音楽を監修するのはいいけど。でもその百軒店のやつは自分と近すぎるから嫌だな(笑)。批評性を失うような気がする。

でも『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』のように半分ドキュメンタリーだけど劇映画で、ディテールをきちんと考証して作られた映画は海外にはたくさんあるのに、日本だとほとんど皆無なのは淋しくないですか。

鈴木:それは、でもさ、内輪のストーリーを知らないとね。誰と誰が付き合ってたとかさ(笑)。原作に協力はしますけど。

文句をいわれない原作をぜひ(笑)。

鈴木:作りませんが協力はします(笑)。誰か作ってくれたらうれしいけど。

Grimes - ele-king

 グライムス、彼女もある意味では「KAWAii」の体現者だと言えるかもしれない。本人がそう言及しているかどうかはわからないが、“フレッシュ・ウィズアウト・ブラッド”のPVなどにうかがわれるふんだんな「青文字」系衣装に意匠、きわどい色や東洋モチーフのコミック風ジャケ……日本においては2次元カルチャーと原宿的なものとの間には截然たる線引きがあるが、海外においてはそのあたりざっくりと一括りにされる印象だから、まさに国際化され拡散された「KAWAii」の片鱗がそこかしこにのぞいている。

 なにも、そこにきゃりーぱみゅぱみゅの影響がある・ないというようなことを言いたいわけではなくて、由来が何であれ、グライムスはれっきとしたサブカルチャーの発信者であるということだ。その意味で、彼女はただミュージシャンであるという以上に、時代性やそれにくっついたさまざまなノイズを巻き込んでいる。この点では大文字のアートから身を剥がせなくなったビョークは古びて見える。

 そして、KAWAiiが、異性を惹きつけるよりも同性間での共感に強く影響されるものであるように、本作タイトルの「アート・エンジェルズ」というのは、おそらくは彼女が彼女「たち」自身の眩しさに対して抱く憧れであり、彼女の自己像でもあり、その両者をあわせての矜持にほかならない。「彼女たち」とは誰か。それは、聴けば瞭然、本作にとっての先達であり共感者たち──たとえば本作にも参加しているジャネール・モネイなど同世代のエッジイな女性シンガー/プロデューサーであり、あるいは彼女が私淑するクリスティーナ・アギレラやカイリー・ミノーグやマライア・キャリーといったきらびやかなディーヴァ、ケシャなど自立したパフォーマンスを行うソングライター、そして彼女たちに対して同じ憧れと共感を抱いて生きる女性たちすべてである。有名無名を問わず、そうした存在へのリスペクトを込めた呼び名が「アート・エンジェルズ」なのだろう。

 グライムスことクレール・ブーシェは、そもそものキャリアのスタートをカナダのインディ・コミュニティに発する、まさにD.I.Yなスタイルの宅録プロデューサーだった。チルウェイヴのブームを追い風としたドリーム・ポップの一大機運に同機し、ローファイかつ実験精神旺盛なスタイルで独自のシンセ・ポップを試み、「消費されない」女性プロデューサーたちの存在をあらためて印象づけた。折しもグルーパーやジュリア・ホルターなど、新しい方法を持った女性アーティストが続々と現れたタイミングでもあったが、ブーシェはその中で際立ってポップな存在感を放っていて、たとえばゴスからハードコアにもつながる『ヴィジョンズ』のアートワークなどからは、その極端さがクールなバランスをとって表れているのがわかる。それもまたKAWAiiに通じる感性であったかもしれない。

 そうしたポップ・シーンをゆくインディ・マインドが、今作『アート・エンジェルズ』においては超メジャーな音楽性として表出しているのがおもしろい。今回は本当にカイリー・ミノーグでありケシャなのであって、プロダクションから曲の発想までまるでちがう(冒頭の“ラフィング・アンド・ノット・ビーイング・ノーマル”こそ元ゴス少女の面目躍如たる中世や教会音楽のモチーフが引かれた奇妙なトラックではあるが)。一瞬、「そっちに行ってしまったのか……」と街頭やお茶の間で耳にしかねないトラックの列に驚きながらも、しかし、その中にレジスタンスのように“スクリーム”や“イージリー”や“ライフ・イン・ザ・ヴィヴィッド・ドリーム”などが現われて、やっぱりグライムスだなと──アートなりカルチャーの力によってシーンの釘調整を成し得る才ではないかと期待させてくれる。ドレスを血に可愛らしく染めながら、ヒットチャート様のR&Bやヒップホップを旺盛に奔放に取り込んで、歌い、踊り、遊んでいる彼女は本当にキュートで魅力的だ。こんなふうに、インディかどうかという垣根をついついと設定して聴いてしまっているわが身を恥じ入らせる輝きである。

 じつにさまざまなヴァリエーションがあり、工夫が凝らされているけれど、台湾のラッパー、アリストパネスをフィーチャーして愛らしくも禍々しい怪ラップを聴かせる“スクリーム”、そしてジャネール・モネイとの“ヴィーナス・フライ”などがもっとも多彩な音楽性をそなえつつ、いきいきと本作を象徴しているだろうか。歌う主体であると同時に歌わせる側にもなれるというブーシェ自身の幅を感じさせるとともに、なにより「アート・エンジェルたち」との交歓でありコラボレーションのエネルギーが充満している。音楽がスタイルを提案できずに、半ば退却的にグッド・ミュージック礼賛志向を強めるなか、エンジェルたちのファイティング・ポーズには勇気をかきたてられる。

 ウェブで取り上げきれていない本年重要作は、絶賛発売中の『ele-king vol.17』通称「年間ベスト号」にて。

UKオヤジロックの逆襲、2 - ele-king

 2月に掲載された『UKオヤジロックの逆襲』というニュースを覚えている方もいると思いますが、どうやら2016年も逆襲はまだまだ続きそうな気配です。ライドのフジロックはほんとに素晴らしかったし、ニュー・オーダーのアルバムは高評価、しかもシングルのリミキサーにはアンディー・ウェザオールと石野卓球が参加! メリー・チェインの来日延期は残念だけど、延期公演の会場は大きくなったので2月が楽しみ。

 そこでいま現在発表されている2016年のニュースは以下の通り。

 つい先日終了したハッピー・マンデーズの『ピルズン・スリル・アンド・ベリーエイク』の25周年再現ライヴの評判が本国イギリスですこぶる良いらしく、僕がキャッチしたインサイダーによる未確認情報によると、この勢いでニュー・アルバムのレコーディングに突入するらしい。ちなみに現在マンデイズのマネージャーはアラン・マッギーがやっている。

 もちろん2016年最大のトピックはローゼズのスタジアム・ツアー、なぜかユナイテッド・ファンのかれらがオールド・トラフォードではなくライバルの本拠地エティハド・スタジアムなのかはわからないけれどその直前には日本に! たぶん新譜もあるのでは……。
そして5月にはラッシュ(LUSH)の再結成ライヴ、ミキ&エマの現在を見るのは怖くもあるけど。

 同じく5月にはマニック・ストリート・プリーチャーズは地元ウェールズのスウォンジー・スタジアムで『エヴリシング・マスト・ゴー』の再現ライヴ。もちろんプライマル・スクリームのニュー・アルバムにも注目、どうやら今回は『スクリーマデリカ』的なクロスオーヴァー・サウンドらしい。

 最後に、まだ詳細をお伝えすることができないのですがエレキング読者の方々にとって注目すべきビッグ・ニュースがひとつ。2016年の7月にロンドンの伝説のパーティ・チームがその30周年を祝う野外パーティを計画中! こちらは年明けには発表されます。

 そんな2015年の終わり、MADCHESTER NIGHTが開催されます! 当時からのマンチェ・ファンも当時を知らない若者もオープンからラストまであの時代の名曲を楽しみませんか? 

12月29日 23:00 start
The Stone Roses来日決定緊急開催!
MANCHESTER NIGHT
下北沢MORE
https://smktmore.com
DJ:YODA
1,000 1D inc


RIDEが来日し、NEW ORDERが新譜をリリースした2015年の最後の月、ついにStone Rosesの単独来日が発表になりました。Jesus & Mary Chainの公演は延期だったけどあの時代の特別な曲の数々はいまだ輝いてる。
2016年は確実にアルバムを発表するでであろうStone Roses、その来日決定を一足先に祝いましょう! (与田太郎)


ライター募集! - ele-king

 ele-kingはアルバム評、書評、映画評のライターを募集します。
 info@ele-king.net 「ライター募集係」まで。
 お名前(ペンネーム可)と年齢をお書きの上、新譜、旧譜、映画、本、なんでもいいので、レヴューを3本/各800wで書いてメールしてください。
 音楽に関してはとくにジャンルはこだわりません。面白いものなら何でも取りあげるメディアではありませんが、面白い原稿なら何でも取りあげます。我こそはと思う方は、この機会にぜひご応募ください。採用された原稿には規定の原稿料をお支払いします。
 それでは情熱のこもった原稿を待っています!

『ele-king vol.17』 - ele-king

インディ・ミュージックの2015年
僕たちは1枚を決める──のか! ?

特集:2015年の音楽、:政治の季節「2016年の歩き方」

【2015年間ベスト・アルバム20】
2015年は時代の占い棒としての音楽が健在であることを証明した。
USではケンドリック・ラマーやディ・アンジェロ、UKではヤング・ファーザーズやジャム・シティ、日本では寺尾紗穂やKOHHがそうしたものの代表だ。
そして、ジェイミーXXの若いロマン主義は冷えた心を温めた。
しかし、2015年に欠けているものはユーモアだった。
年間ベスト・アルバム20枚。

【特集:政治の季節「2016年の歩き方」】
音楽は逃避的なサーカスであり、夢のシェルターだ。
が、ものによってはリアリズムに目覚めさせもする。
いまや現実が騒がしくて夢見る暇もないって?
時代を描こうと思ってピンで留めても、時代はつねに動いている。
私たちが思っている以上に、激しく。
日本ではSEALDsがあって、アメリカでは#BlackLivesMatterがある。そ
れらは音楽文化ともどこかで結びついている。
政治の季節2015年から2016年へ、私たちはどのように歩いていけるののだろうか。

【目次】
写真 Jun Tsunoda

interview OPN(ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー) 三田格+坂本麻里子

2015・年間ベスト・アルバム20枚(泉智、木津毅、北沢夏音、高橋勇人、デンシノオト、野田努、橋元優歩、ブレイディみかこ、三田格、矢野利裕)
ラフトレードNYの2015年 文・沢井陽子+George Flanagan
映画ベスト10(木津毅、野田努、水越真紀、三田格)
2015年私談 文・増村和彦

特集:政治の季節「2016年の歩き方」
interview 奥田愛基(SEALDs)、牛田悦正(SEALDs)泉智+水越真紀+小原泰広
ケンドリック・ラマーと戦後70年の夏 泉智
UKミュージックの救いの妖精、マーガレット・サッチャー 文・ブレイディみかこ
「ワン・スローガン、メニー・メソッド」──#BlackLivesMatter 文・三田格
20代がクラブに行かないワケ──ダブステップとグライムから考える マイク・スンダ×高橋勇人×野田努
大学に文学部はいらない? 坂本麻里子×三田格
ダンシング・イン・ザ・ストリート──2016年のための路上の政治学 五野井郁夫×水越真紀

REGULARS
初音ミクの現在・過去・未来(中編) 文・ヴィジュアル 佐々木渉
ハテナ・フランセ 第4回 戦争よりも愛のカンケイを 文・写真 山田容子
音楽と政治 第7回 ストレイト・アウタ・サムウェア 文 磯部涼
アナキズム・イン・ザ・UK 外伝 第8回 恋愛とPC 文 ブレイディみかこ
ピーポー&メー 人々と私 第8回 故ロリータ順子(前編) 文 戸川純

interview 渡辺信一郎 橋元優歩+野田努+小原泰広

interview KODE 9 高橋勇人+青木絵美

gallery 横山純

13年の幕間──2015年のジム・オルーク 松村正人+菊地良助

interview with Phew - ele-king

 説明不要だろう。本媒体にも何度か登場したPhewはいうまでもなく、伝説的なパンクロック・バンド、アーント・サリーでデビューし、80年には坂本龍一のプロデュースによるPASSからの「終曲/うらはら」でソロに転じて以降もながらく、この国の音楽の先鋭的な部分を支えるつづけるヴォーカリストである、と書くことで私はPhewがこのインタヴュー後半でいう禁忌を何重にもおかしていることになるかもしれないとおそれもするが、そのPhewがやぶからぼうにアナログ・シンセサイザーの弾き語りをはじめるにいたったのはいくらか説明を要することかもしれない。2010年の『ファイヴ・フィンガー・ディスカウント〜万引き』で他者の楽曲を歌いきったPhewは小林エリカとのProject UNDARKで震災以後の原発――というより「核」と記したほうがよりニュアンスはちかい――問題を、電子音響と声(語り)で俎上に乗せ、それをひとつの境に機材を担ぎ、単独で声と音響のライヴを本格化することになる。およそ2年前から、彼女のライヴではこの形態が中心となり、私は何度かライヴを拝見しましたが、それは毎回、可変的な表情をみせる、すぐれて即興的でありながら、Phewという個体に固有の磁力がすべてを覆う音の場を体験する得がたい機会だった。この状態のこれが音盤に定着するのを私は願い、やがてそれは3枚のCDRに素描として輪郭がのこった。


Phew
ニューワールド

felicity

Post-PunkElectronicExperimental

Amazon

 『ニューワールド(A New World)』のあるところはその延長線上にあるが、それだけではない広さがこの新しい世界にはある。科学技術が約束する“ニューワールド”を冒頭に、唱歌としてよく知られる“浜辺の歌”を終曲に位置づけたことで、あいだの7曲は、“終曲2015”にせよジョニー・サンダースのハートブレイカーズのカヴァーである“チャイニーズ・ロックス”にせよ、超新星爆発の光が何万年ものときを経て網膜に届くような気の遠くなる時差がなぜか未来的な色彩を帯びてしまう奇妙な倒錯さえ感じさせる。未聴あるいは既聴の錯誤。「あした浜辺」でしのばれるもの。もちろんこれは何度目かに聴いた私の感想であり、明日変わってしまうものかもしれないし、朝な夕なに変わるものかもしれない。該博な読者なら楽しみは倍加するにちがいない。けれども、はじめて聴くひとも遠ざけないポップな煌めきもスパークしている。
 ようこそニューワールドへ、と〆るべきかもしれないが、私たちの住む世界がもうニューワールドである。


私にとって音楽は逃げる場所だったんです。でも今年に入って音楽をつくっていたら、音楽が避難場所ではなくなっていると気づきました。「これからどうなっていくんだろう」という気分が、80年代のはじめに感じていた個人的な閉塞感とすごく似ている。だけど当時とは決定的に変わってしまった――そういうことを表現したかったんです。


ソロでのシンセ弾き語りは2年くらい前からですよね。

Phew(以下、P):最初は2013年の6月。UTAWAS(ウタワズ)というイベントがSuperDeluxであって、そこで山本精一さんとやりました。山本さんと私といったら、昔のあのアルバムのイメージがあるんじゃないかと思って、わざと「歌わない」というタイトルにしたんです。

『幸福のすみか』ですね。あのアルバムは名盤ですが、「歌わない」とはいえ、急にシンセサイザーで演奏できるわけではないですよね。もともと電子音楽に興味はあったんですか。

P:電子音楽はずっと好きでしたけど、自分でやるとは考えたことはありませんでした。最初にリズムボックスをすごく安く買ったのがはじまりです。Whippany社の「Rhythm Master」というヴィンテージのリズムボックスを1万円ちょっとで手に入れたんですね。
 私は80年代に入ってからテクノポップとか、そう呼ばれていた音がダメだったんですね。なにがダメってリズムボックスの音色がダメ。80年代はRolandの「コンピュ・リズム」が主流だったと思うんですが、その音質がイヤでした。60年代、70年代のリズムボックスの音は大好きなのに。もう音が全然ちがう。それを実際に手に入れたことが大きかった。それまでは、ヴィンテージあつかいで10万円近くしていてとても手が出なかった。それが震災後に円高になったこともあって、そういう機材がeBayで安く海外から買えたんです。それが2011年の春。「がんばろうニッポン」的なかけ声のウラで、私はeBayに張りついていた。

電子音を演奏するにあたって、ドラムの音を決めるのが先決だった?

P:リズムの音色が私にはすごく大きいんです。バンドでもドラムの音色が重要なんですね。ドラマーの場合は基本的なノリもそこにはいってきますが。

そこからご自分の電子音楽の世界を広げていったということですね。

P:そのあとにね、アナログ・ヘヴンっていうアナログ機材を扱っているサイトがあって、そのページを毎日見ていたんですよ。あと、オタクが集まるシンセサイザーのフォーラムなんかをずーっと眺めているうちに「Drone Commander」という機材を見つけたんですね。それはその名前の通り、ドローンを鳴らせる機材で「これに合わせて歌を歌うことができる」と思い、「Drone Commander」とリズムボックスとテープ・エコーでベーシックな音をつくりました。

あくまでライヴが前提だったということですね。

P:当時はライヴしか発表する場所がなかったですからね。

このセッティングにしてから、けっこうライヴをやりましたよね。私もかなり見た気がします。

P: 2013年から月2、3回くらいのペースでやっていましたから多いですよね。

どんどん機材が増えていった気がします。

P:最初は機材が並んでいるだけでうれしかった(笑)。全部鳴っていなくてもよかったんです。

それがいまはちょっとスリムになってきていませんか?

P:ライヴを何度かやるうちに、必要な機材を選択できるようになってきました。子どもが転びながら歩くことをおぼえるように、経験を重ねていかないと私は物事をおぼえていけない。

ライヴでも失敗することもある?

P:たくさんあります。でも私には歌があるからそれでごまかせる(笑)。基本は歌にあるっていうかね。電子音の鳴らし方も、歌を中心に考えます。アナログだと毎回どこかしら音がちがうのがおもしろかったりもします。デジタルだとピッチも安定しているんですけどね。歌はそのときの体調で声が変わるじゃないですか? アナログシンセもそういうところがあって、場所や天候で音が変わります。それに、アナログの機材には自分の指先からつながっている感じもあるんですね。ハウってピーピーいったりするんですけど、最初の1年は原因がまったくわかりませんでした(笑)。

聴くほうは、そういうものかと思って訊いていましたけどね(笑)。動じる素振りも見せないし。

P:けっこう大変なことになっているんですけど。動じないっていうのは経験じゃないかな(笑)。

それでもソロの場合、ひとりで問題を解決しなければならないわけですからたいへんですよね。

P:それは全然ちがいますね。ひとりでやっていたほうが自由度は高いんです。不安といえば、私はバンドでやっているほうが不安なことが多いですよ(笑)。

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80年は、中曽根とレーガンの時代で、徴兵制が復活するぞとかなんとか、そういう意見があったんです。当時、私はロンドンにいて、そのときの『Time Out』の表紙をはっきりと憶えているんですよ。家族写真が載っていて、その3分の2が燃えていて、世界の3分の2が第三次世界大戦を考えていると見出しにありました。私にとって80年はそういう時代なんですけど、2015年にも共通するものがあります。


さきほどの話に戻ると、歌を中心に電子音を考えるということでしたが、Phewさんのような記銘性の高いヴォイスと電子音を電子音を同居させるにあたり、方法論をあらかじめ考えましたか? それともやりながら見出していったのでしょうか。

P:やりながらですね。あらかじめ考えていることもあったんですけど、その通りにしようと思ったら、(アナログ機材の)知識も必要になってきますからね。声にかんしては思っていることがそのままできるんですよ。身体をシンセサイザーに喩えると、どこがオシレーターで、どこでフィルターがかかって、どこをいじればLFOがかかるというか、そういうことが自分の身体ではできる。それは技術でもあるんですが、デジタル的な気分もあるんです。逆に、いま使っているアナログの機材についてはそこまではない。バンドをはじめたころの新鮮さみたいなものを感じています。

すごくメカニカルというか機械的な身体感覚ですよね。Phewさんは声をもちいるヴォーカリストですけど、以前からそういった人間観がある気がしますね。

P:そうかもしれない。ヴォーカリストですけど、思いを伝えるとか、そういうタイプじゃなかったですからね。

以前から、といって思い出しましたが、『ニューワールド』には“終曲2015”と題した曲が入っています。“終曲”は坂本龍一さんがプロデュースしたPhewさんのデビュー・シングルのタイトルですね。

P:“終曲”は1981年に出たんですけど、あの時代というのは私個人は苦しんでいたんですよ。閉塞感があったというか……。80年代という新しい時代のはじまりがほんとうに大っ嫌いでした。パンクは終わってしまった。世の中は浮かれている。だけどメジャーなレコード会社とかはヘヴィメタ・ブームが再燃していて、ムリヤリつくったニューウェイヴを業界レベルでもりあげていく。ものすごく敗北感がありました。それで2、3年くらいはひきこもりみたいな生活だった。
 2015年になってから、1980年には個人で感じていた閉塞感が世間にも広がっている感じがしました。1980年当時には、音楽という逃げ場があった。私にとって音楽は逃げる場所だったんです。でも今年に入って音楽をつくっていたら、音楽が避難場所ではなくなっていると気づきました。「これからどうなっていくんだろう」という気分が、80年代のはじめに感じていた個人的な閉塞感とすごく似ている。だけど当時とは決定的に変わってしまった――そういうことを表現したかったんです。

今回のアルバムの前に自主でCDRを3枚出されています。その一枚目は“アンテナ”という曲からはじまっています。いまの話をうかがって、それは外から、情報でもニュースでもいいですが、そういったものを受信することの暗喩ではないかと思いました。

P:それはね、電子音をはじめたというのが大きいんですよ。電気と遊んでいるような感じなんですよ。無意識のレベルで現実が侵入してきてみたいなのは、作りながらわかったことですね。

あの3枚のCDRは、私は愛聴しているんですが、Phewさんのなかでどういった位置づけあんですか?

P:あれはまだ音楽に閉じこもれた時期のものですね(笑)。

『ニューワールド』への助走みたいなもの?

P:あれこそシンセサイザーでこんな音が出ちゃったっていうくらいの、メモみたいなもので、アルバムとはほとんどつながりはないんですけどね。

でもあそこで実験的な試みをおこなったことで、『ニューワールド』にポップ――という語弊があるかもしれませんが、そういう側面が生まれたのだと思うんですが。より噛み砕いた作品な気がします。

P:たしかに『ニューワールド』は噛み砕いていると思いますよ。サウンド・デザインをDOWSERの長嶌寛幸さんにお願いしたのがすごく大きいと思います。私がメモ代わりに録音した、わけのわからない混沌とした塊を、聴きやすく整理できたのは彼のお陰です。あかじめ曲の構成を考えて、好きなようにどんどん録っていった音源を長嶌さんに渡して、編集とミックスをやってもらう。ただし、 “スパーク”のリズムとシンセはDOWSERのものですね。

あの曲はつくり込み具合が突出していますもんね。Phewさんと長嶌さんというとビッグ・ピクチャーを思い出しもするんですが、あのときと今回はちがいますか?

P:ビッグ・ピクチャーはサンプラーを弾き語りするということで、サンプルには既存の音源がわりあててあって、それを私がいじっていくようなものだったので、演奏という感じではなかったですね。

小林エリカさんやメビウスさんとのProject UNDARKでの活動からの影響はありますか?

P:多少あるかもしれないですね。あのプロジェクトで私は歌と声しかやっていないんですけれども、いろんな方にゲストに来てもらって、電子音の音質によって、声の出し方を変えるやり方を勉強する機会になりました。

『ニューワールド』に収録した曲はいつごろからつくりはじめたんですか?

P: 2013年にこの形態でライヴをはじめたんですが、アルバムの収録曲は、録音直前につくりました。ライヴの内容は、毎回、考えます。40分間で物語をつくったり、絵を描いたりするような感覚です。DJに似ているかもしれませんね。

先日「ライヴみたいなやり方はイヤだ」とおっしゃっていませんでしたっけ?

P:むいてないんですよ。

(笑)もう何年もやっているじゃないですか。

P:ライヴハウスで演奏するのはいいんだけど、私がやることはちょっとショーにはむかないんじゃないかと。お客さんを楽しませる芸がないからね。

それよりは音楽だけ聴いてもらえればいい?

P:クラブってそういうところでしょう? 私、子どもが小さいあいだは夜遊びができなかったから、クラブが一番元気だったころに行けなかったんですよ。それで、この前ひさしぶりにオールナイトに行ったとき、「ああ、そうか。クラブがあったか」と(笑)。音楽をやる場もわかれてしまったというのは、やっていて感じるんですよ。MCでお客さんを湧かせるというのは、ここ10年くらいの傾向じゃないかな。一方的で強いものは受けないと気づいたのは90年代なかばでしたけどね。歌はフワフワしているにこしたことはない(笑)。2000年代を過ぎてからは、低音もいらなくなってきた。ベースがないバンドがすごく増えましたよね。それで空気感というか浮遊感が生まれてるんですよ。

その傾向が生まれた90年代なかば以降、Phewさんは波をうまく乗りきれました?

P:私は──音楽どころじゃなかった(笑)。

『秘密のナイフ』は95年ですよね。

P:その年に子どもができたんです。だからそのへんは音楽もあまり聴いてないですね。渋谷系のときかな。カヒミ・カリィさんは聴きましたけど。

ソロ名義のオリジナル・アルバムとなるとそれ以来ということになりますよ。

P:『ニューワールド』は2年間つづけてきたソロのライヴでやったことをアルバムのかたちにのこしたかったということなんです。あと、SuperDeluxでライヴする機会が多かったのも影響していると思うんですね。毎回六本木ヒルズを横目に、SuperDeluxの地下に降りていくと気分がバットマンになるのね(笑)。それから自分の音楽を世の中に出したいと思うようになりました。

理由はさておき(笑)、かたちになったのはよかったです。ライヴを拝見するたびにCDにすればいいのにと思っていましたから。

P:出し方にもいろいろあるじゃないですか? 閉じた場所、例えば、CDRをライヴ会場で販売するだけとか。私はそれでもいいと思っているんですが、やっぱりヒルズが存在するあいだは音楽を世の中に出していきたい(笑)。

であればもっと実験的な、ライヴをパッケージしたような内容も考えられたと思いますが。

P:でもバットマンだってさ、娯楽映画だし(笑)、できるだけ多くのひとの聴いてもらいたい意識はありますよ。

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パンク電子ロック音楽かなあ。クラシックのひとと話していると私はロックだなと思いますけどね。大部分のロック好きじゃないんですけど。パンクって言われるとちょっとムキになりますね。「まずはあなたのパンクを定義してください」というところから話をはじめないといけない。一番近いのはパンクなのだとしても、精神としてのパンクっていわれるのはちょっとイヤかなぁ。なんかパンク精神ってごまかしっぽいじゃないですか(笑)。

アルバムは9曲収録していますが、全体の構成は最初から決まっていたんですか?

P:それを頭のなかで考えていた時間がすっごく長かった。“チャイニーズ・ロックス”をカヴァーして、“浜辺の歌”を最後もってくるのは最初から決まっていたんですよ。それから“ニューワールド”の歌詞が出てきた。

“浜辺の歌”を最後にもってきたのにはどのような意図が?

P:メロディと歌詞が昔から好きな歌で、一度ライヴでもやったことがあります。あと高峰秀子さんの『二十四の瞳』で最後に“浜辺の歌”が流れます。原作では"荒城の月"なんですが、“浜辺の歌”に変えることで、いい意味で軽い印象がしました。あの明るい哀しさを表現したかった。

Phewさんの“浜辺の歌”を聴いて“うらはら”を思い出すんですよ。「あした 浜辺を」の「あした」に“うらはら”の「朝ならば夜を頼むな」を重ねてしまいます。

P: 80年は、中曽根とレーガンの時代で、徴兵制が復活するぞとかなんとか、そういう意見があったんです。当時、私はロンドンにいて、そのときの『Time Out』の表紙をはっきりと憶えているんですよ。家族写真が載っていて、その3分の2が燃えていて、世界の3分の2が第三次世界大戦を考えていると見出しにありました。私にとって80年はそういう時代なんですけど、2015年にも共通するものがあります。でも決定的なちがいもある。20世紀と21世紀のちがいというか、もう戻れない場所にいて、それを確認したかったというところはありますよ。

ハートブレイカーズの“チャイニーズ・ロックス”をカヴァーされた理由は?

P:大好きなんですよ。私は80年代という時代がホントにイヤで!

そんな何回もいわなくても(笑)。

P:あの浮かれた感じが嫌いで、当時ジョニー・サンダースの歌を聴いていて、とくに“チャイニーズ・ロックス”が大好きだったんですよね。ザ・ハートブレイカーズの『L.A.M.F.』は77年ですけど、パンクが終わっちゃって業界色になっていくなかで、すごくしっくりきた。ジャンキーの曲ですけど、気分的にそれがスッと入ってきた(笑)、それが私の80年。決してニューウェイヴではありません。

パンクではロンドンよりニューヨークのほうが好きだったんですか?

P:いや、ピストルズも大好きでしたよ。でも80年代になったら、スリッツがソニーと契約したりしちゃって。契約したってかまわないんですけど、私はいっしょに浮かれることができなかった。
 1980年に30歳とか、10代なかばとかだったらよろこんでいたかもしれないですが、自分たちでおもしろいことをやってやろうとしていた若者たちが、大人たちに搦めとられていくのをまのあたりにしてガックリしちゃったんです。90年代はじめに、ロンドンでミュート・レコードのダニエル・ミラーと話をする機会があったんですが、彼も同じことをいっていました。

当時、Phewさんのまわりにその感覚を共有できるひとはいましたか?

P:日本にはいなかったですね。

流されてしまった?

P:流されたというより、そうなっていくのがうれしかったんじゃないんですか? ツバキハウスのようなファッションになっていくのが楽しくて仕方ない。でも私はそこにもはいっていけなかった。

そこにもゴッサム・シティ的ななにかを感じていたんですか。

P:東京というすごく小さな場所で起こっていることだと思っていました。ゴッサムみたいにグローバルではない(笑)。

あれもひとつの都市ですよ(笑)。架空ですが。

P:学校に喩えると、ちがうグループが好きじゃないことをやってるとか、その程度の感覚ですよ。そりゃ、ゴッサムとはやっぱりちがいます(笑)。好きではないけど悪ではない。

わかりました(笑)。ではインターネット時代のネットワークのあり方とそれは通じるものはありませんか?

P:それは全然ちがいます。テクノロジーにかんしていえば、70年代から80年代にかけて、それに対する私個人の信仰はすごく強かったんですよ。過去につながっていない現在は、憧れでした。デジタルというだけですごく夢が膨らむ。機材にかぎらず、すべてにかんしてです。『夜のヒットスタジオ』とかでコンピュータのテープが回っているのを見るのが子どもの頃は好きでしたし、『2001年宇宙の旅』のスーパー・コンピュータのハルの歌に心を奪われました。とにかくコンピュータに対する夢がありましたね。それで21世紀の現在がこれなわけです(笑)。音楽も、機材もどんどん変わっていく。デジタルの音が好きじゃないのも、21世紀になってみて夢に描いていたデジタルがこれだったのかという落胆に近いものかもしれないですね(笑)。それはデジタルだけではなくて核技術もそう。当時の核開発の技術者は、それが夢の技術だと考えていたはずなんです。

であれば、文明批評的な側面も『ニューワールド』にはあるということですね。

P:そこまでは大きくはないですけれど、個人的には感じています。

となると、望むような進み方をしなかった現在においてどのような表現をするというのが、別の問題として出てくるような気もします。

P:その点にかんしては、私は歌から音楽を始めてほんとうによかったと思います。基本は自分の身体から出てくるもの、機材が変わろうがなくなろうが、音楽はできますから。

『ニューワールド』にあえてジャンル名をつけるとするとどうなりますか? 電子音楽、ロック、パンクといういい方もあると思いますが。

P:パンク電子ロック音楽かなあ。クラシックのひとと話していると私はロックだなと思いますけどね。大部分のロック好きじゃないんですけど。パンクって言われるとちょっとムキになりますね。「まずはあなたのパンクを定義してください」というところから話をはじめないといけない。一番近いのはパンクなのだとしても、精神としてのパンクっていわれるのはちょっとイヤかなぁ。なんかパンク精神ってごまかしっぽいじゃないですか(笑)。「歌」もそうです。「音楽的」というのといっしょでね。その定義から話さないと。とくに他ジャンルの、美術系のひとたちはよく「音楽的」といいますよね。まあ私も「映像的」とか使っちゃうから似たようなものかもしれませんが。だから、対等の立場で音楽と演劇とか映像とか、いっしょにやることは難しいと思いますよ。対等にぶつかり合って新しいものが生まれるのは奇跡的なことなんだなと思います。

サウンドアートや音楽劇のような様式はむかしからありますし、とくに後者のような試みはさかんになされている気もしますが。

P:演劇っていうのは徹底してことばの表現だと思うんです。だから音楽とは相容れないと感じました。私は逆に映像と音楽と組み合わせに可能性がまだある気がします。

Phewさんは以前、自作の映像を映写してライヴされたことがありましたよね。あれはすごく印象にのこっています。

P:それもやりたいことなんですけど、あと何年生きられるかわからないので、それだったら音楽をまだちゃんとやったほうがいいかなと思うんですよね。

それくらいの時間はあるんじゃないですか(笑)。

P:映像をちゃんとやるには、映像編集に適した高いパソコンを買わないといけないんですよ。そっちにするか音楽の機材を買うかだと、私は機材を買っちゃうかな。まだまだほしいのがたくさんあるから。

さらにシステムをブラッシュアップしたい?

P:というよりは、やっぱり機材が好きなのかなあ。いい音ってやっぱり金なんですよ。

そんなミもフタもない。まあでもそうなんですよね。

P:知識と経験と技術があればやすいデジタル機材でもいい音が出せると思うんですけど、私はそこまでできない。感性だけでやれるのは2、3年ですよ。歌だってそうです。

歌については「終曲/うらはら」、そのまえのアーント・サリーからの積み上げがありますからね。

P:それはそうです。80年代は歌の練習をしていたようなものです(笑)。転んだ経験というか。私の場合、声にかんしては身体でおぼえていくんですよね。喉というよりも、喉の空気の通り道を細くする太くするのを意識する。高い声が昔は出せなかったんですけど、あるとき感覚を掴んだら出るようになりしました。

『ニューワールド』がここ2年の集大成だとしたら、このアルバムを出して、次の構想はなにかありますか?

P:ちょうどディスクユニオン用の特典を家でつくっていて、次やりたいのはこういうことだなと思いました。インストなんですが、歌わなければ現実と遮断できることに気づきました。それは5、6分の曲で、構成もちゃんとあるんですよ。

歌が現実とリンクしてしまうのはことばだからですか?

P:意味的なことではなくて、身体が影響を受けてしまうんだと思います。その曲は音の世界だけでいけた気がしたんですよ。そういう感じでアルバムをつくりたいとは思います。

最後に、タイトルはいわずもがなですが、『ニューワールド』というタイトルはご自身の新しい世界を指していますか?

P:「新しい」というよりも「別の」世界のほうがちかいかな。想像力だけの世界のつもりだったんですけど、そこには現実が侵入してきています。つくっていたときに、80年代の記憶が蘇ってきたりもしました。私、80年頃にオルダス・ハクスリーの『すばらしき新世界』を読んだんですね。物語としては絶望的な終わり方で、いまはそれを超えるような現実になっているように見えるんです。もう希望とか絶望とかもなくて、物語性が失われちゃったみたいな意味合いもあるかもしれない。あの小説も頭のなかにありました。若いころ読んだときは登場人物の苦悩が理解できたんですけど、内容はよく憶えていなかったので、この前読み返してみたら、すごく軽い物語に感じたんです。この苦悩を私は理解できるけれど、私の子どもは理解できないだろうな、というような。ハクスリー自身もいっていましたが、喜劇になるかもしれない。それがいいとか悪いでなくて、受け入れるということですね。

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