「KING」と一致するもの

Nightmares On Wax - ele-king

 月が変わり、いよいよ秋も深まってきた今日この頃……そうです、秋と言えばナイトメアズ・オン・ワックスです。はい、いま決めました(だってNOWってば、いつも秋に新作を出しているような印象があるから)。そんなNOWが年明けにニュー・アルバムをリリースします。って、その頃はもう冬じゃありませんか! ……はしゃいじゃってスミマセン。しかし前作から数えること、4年ぶり? 昨秋EP「Ground Floor」のリリースはありましたが、フル・アルバムは久しぶりですね。その新作のアナウンスとともに、新曲“Citizen Kane”が公開されています。

 おお。これはちょっとした新機軸かも? いぶし銀のビートにモーゼズによるヴォーカルとアラン・キングダムによるラップが絡み合って、なんとも当世風の味わいが醸し出されております。翻って9月に公開された“Back To Nature”の方は、じつにNOWらしいぬくもりのあるトラックに仕上がっていましたよね。

 いやあ、たまりません。NOW大好き。アルバムには上述のふたりの他にも、アンドリュー・アショングやジョーダン・ラカイ、セイディ・ウォーカー、おなじみのLSKなどが参加しているとのこと。待望の新作『Shape The Future』の発売日は2018年1月26日。首を長くして待ちましょう。

[11月22日追記]
 リード曲の“Citizen Kane”がなんと、シカゴ・ハウスのレジェンド、ロン・トレントによってリミックスされました。このトラックは12月1日発売の限定12インチに収録されるとのこと。こちらも楽しみです。

Nightmares on Wax
カニエ・ウェストのコラボレーターとしても知られる新鋭ラッパー
アラン・キングダム参加の新曲“Citizen Kane”を公開!
待望の最新アルバム『Shape The Future』のリリースを発表!

ソウル、ヒップホップ、ダブ、そして時代を越えたあらゆるクラブ・ミュージックを取り込んだトリッピーかつチルアウトなエレクトロニック・ミュージックで独自のキャリアと世界観を確立し、そのキャリアを通して多くのアーティストに多大な影響を与えてきたレジェンド、ナイトメアズ・オン・ワックスが、待望の最新アルバム『Shape The Future』のリリースを発表! 合わせて新曲“Citizen Kane feat. Mozez & Allan Kingdom”をミュージック・ヴィデオとともに公開した。

Nightmares on Wax - Citizen Kane ft. Mozez, Allan Kingdom
https://youtu.be/DQJG4hKkX0c

公開された楽曲は、ジャマイカに生まれ、ロンドンを拠点に活躍するSSW、モーゼズのほか、カニエ・ウェストやフルームのコラボレーターとして知られるラッパー、アラン・キングダムをフィーチャーしたラップ・ヴァージョンとなり、国内盤CDとデジタル・フォーマットにボーナストラックとして収録される(アルバム本編にはオリジナル・ヴァージョンを収録)。

コンテンポラリーなサウンドを積極的に取り入れた“Citizen Kane”のほかにも、すでに公開されミュージック・ヴィデオも話題となった“Back To Nature”といったナイトメアズ・オン・ワックスの代名詞とも言えるチルアウトでリラクシンな楽曲ももちろん満載。またセオ・パリッシュとの共作で注目を集め、ロイ・エアーズやビル・ウィザースを引き合いに高い評価を受けるSSW、アンドリュー・アショングや、ディスクロージャーやFKJの楽曲にもフィーチャーされた新世代ネオ・ソウルの注目株ジョーダン・ラカイ、長年のコラボレーター、LSK、女性ヴォーカリスト、セイディ・ウォーカーがヴォーカルで参加している。

Nightmares on Wax - Back To Nature
https://youtu.be/Vc-XzhnwpVc

ナイトメアズ・オン・ワックスの8作目となる最新作『Shape The Future』は、2018年1月26日(金)世界同時リリース! 国内盤CDには初CD化音源“World Inside feat. Andrew Ashong”と“Citizen Kane feat. Mozez & Allan Kingdom”がボーナストラックとして追加収録され、解説書が封入される。

label: Warp Records / Beat Records
artist: Nightmares On Wax
title: Shape The Future

cat no.: BRC-565
release date: 2018/01/26 FRI ON SALE
国内盤CD: ボーナストラック追加収録/解説書封入
定価: ¥2,200+税

【ご予約はこちら】
beatkart: https://shop.beatink.com/shopdetail/000000002196
amazon: https://amzn.asia/28WRot9
iTunes Store: https://apple.co/2lENLNA
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商品詳細はこちら:
https://www.beatink.com/Labels/Warp-Records/Nightmares-on-Wax/BRC-565/

パーティで女の子に話しかけるには - ele-king

 1977年のクロイドンを舞台に初期パンクの佇まいや心情を描いた映画だと思って観ていたら、ちょっと違った。クロイドンはロンドンの南に位置し、当時だとXTC、最近ではベンガやスクリームなどダブステップのシーンで知られる住宅街。オープニングからしばらくはアレックス・シャープ演じるエンが生粋のパンク・キッズとしてジュビリー(女王在位25周年)を祝う大人たちにケンカをふっかけたり、友だちとライヴハウスに潜り込んで大騒ぎはするものの、バンドの打ち上げに紛れ込めなかったエンたちがどこからか音がする方向に導かれて奇妙な一軒家に迷い込むと、そこからはSF映画に話がすり替わっていく。その家にいた奇妙な人々は実は宇宙人であり、48時間後には地球から退去しなければならないことが次第にわかってくる。彼らが宇宙人だと判明するまでがまずは楽しい。ブロードウェイで大成功を収めたジョン・キャメロン・ミッチェル監督が舞台演出をコンパクトにまとめた美術や衣装で彼なりのヴィジョンを矢継ぎ早に見せていく。ナゾがナゾを呼ぶというパターン。僕は最初、ロシアのバレエ団かと思った。未来派のようなコスチュームで優雅に踊っているし、群舞だし、全員が同じ衣装というのは当時、共産圏の比喩みたいなものだったし。宇宙人ということになってはいるけれど、そう、彼らはまるでパンクの3~4年後に姿を現すニューロマンティクスのようにも見えなくはなかった。等しくエドワード朝ファッションだったり、英国病にうんざりしていたという共通点があるにも関わらず、パンクとニューロマンティクスは同質の文化とは見なされていない。この距離を縮めてみることもまたSF的発想だったといえる。

 ジョン・キャメロン・ミッチェルは彼の名を一躍有名にした『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(01)でもやはり時間軸を巧みに操作していた。東ドイツでニューヨークのロック文化にアイデンティファイしていたヘドウィグはトランスジェンダー化することで西側への越境を果たす。そして、ベルリンの壁崩壊後に70年代のニューヨーク文化を音楽によって再現しようとするものの、アメリカには往時の熱狂を思い出す者はいなかった。よく言われているように70年代のニューヨークは文化的にひとり勝ちで、それには世界中が嫉妬していた。そのために90年代以降、誰もがニューヨークの凋落を指して、その事実を過剰に言い募った。同地からは!!! “ミー・アンド・ジュリアーニ・ダウン・バイ・ザ・スクール・ヤード”がそのアンサーとなり、『ヘドウィグ』もアメリカはもはや苦労してまで来る意味はなかった場所なのかと、その変貌を際立たせつつ、かつて自分が自由の国から得た熱狂を人々に回復させようとする。90年代の風景に70年代の精神を置くことでアメリカが失ったものを可視化したともいえる。時間的な差は短いとはいえ、パンクとニューロマンティクスにも決定的な違いがあり、前者が女性たちに独自の表現を促したのに対し、ホモ・ソーシャルであることを気取っていた後者は女性の参入そのものをほとんど許さなかった。エンが奇妙な家で出会ったザン(エル・ファニング)に「パンク」という言葉を教えると、ザンがすぐにも自分の衣装をハサミで切り刻み始めたことはなかなか象徴的である。そして、ザンはエンを追って奇妙な家から飛び出し、そこからしばらくは「1977年のクロイドンを舞台に初期パンクの佇まいや心情を描いた映画」になっていく。

 選曲が面白い。ファンジンを編集しているエンたちは音楽にも幅広い興味を示し、パンク一本やりではなく、レコードショップでクラウトロックを漁り、レジデントのDJにはペル・ウブをリクエストする。確かにパンクしか聴かないという哲学が生まれるのはもう少し後のことだろう。パンク・ロックしか鳴らない映画は必ずしもパンク・ロックの時代を描いているとはいえないともいえる。とはいえ、この映画のために作られた新曲も多く、その辺りはぐっちゃぐちゃ。宇宙人のBGMにはニコ・マーリーとマトモスがあたり、この場面は高解像度のカメラで画面の調子も変えてある。またパンクといえばどうしてもスウィンドルのようで、ヴィヴィアン・ウエストウッドからクビを言い渡されたという設定のボディシーア(ニコール・キッドマン)がちょっとした思いつきでザンをステージに上がらせ、それが受けると「私がプロデュースしたのよ!」とマルカム・マクラーレンばりの仕掛け人を気取る。スージー・スーを思わせる彼女のファッションもなかなか見せるものがあり、ほかもデレク・ジャーマンの衣装デザインを手掛けてきたサンディ・パウエルが初期パンクをなるべくリアルに再現したそうで、服もヘアも77年のデザインに限定し、78年以降のアイテムはまったく出てこないという。そのようにしてリアリズムに徹したのは宇宙人パートをファンタジーとしてくっきりと対比させるためで、ニコラス・ウィンディング・レフン『ネオン・デーモン』でもエキセントリックなメイクを盛られまくったばかりのエル・ファニングがなかなかそれらしい宇宙人キャラを演じている(僕はつい『荒川アンダー ザ ブリッジ』の桐谷美玲を思い出してしまった)。宇宙人たちのことを最初は移民の比喩かなとも思ったりもしたけれど、どちらかというとアスペやサヴァン症候群を描きたがる流れと同じ性質を持つものなのだろう。そういう意味ではそれほど徹底した表現にはなっていない。ザンの振る舞いを真似たエンがゲイリー・ニューマンとしてデビューしたという後日談を付け足せばよかったのに(なんて)。

『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』は、ヘドウィグがトランスジェンダーの手術に失敗していたことが後半部分のキーになっていた。それはいわば生殖機能にかかわる問題で、『パーティで女の子に話しかけるには』も後半で明らかになるのは宇宙人たちの世代交代や存続にかかわる問題だった。ザンにはある種の運命が課せられ、エンと過ごした時間がそのことに影響を与える。奇妙な家を抜け出し、エンの隠れ家で朝を迎えたザンは父親のいない家庭でエンの母親と出会う。エンの母親は昔はモデルだったと自慢げに話し、ダイアナ・ドースのポートレイトを指差しながら「彼女の足はアップに耐えられないので私がその代わりを務めていた」と言い放つ。そして、ソウル・ミュージックをかけてザンと楽しく踊り出す。ビートルズ『サージェント・ペパーズ』やザ・スミス『シングルズ』のジャケット写真にも使われているドースは、簡単にいってしまうとマリリン・モンローの代役を務めていたイギリスの女優で、莫大な遺産がいまだに行方不明という謎だらけの存在である。一般的にはドースはポルノ女優に近い存在とみなされているので、その足の代わりを務めていたということは、エンの母親はイギリスに置ける性的な存在としてかなり重要なパートを占めていたという意味になる。そのセリフの後でザンと踊り出すのだから、ザンにはすなわち性的なポテンシャルが手渡されたことになり、ヘドウィグのような性的に中途半端な存在であることをやめ、さらにはエンとの交流を通じてザンは親と子という「世代」の持つ意味を学ぶことになる(これ以上はネタバレ)。ザンは踊り、歌い、そして、宇宙人の存続にとって大きな変化をもたらす契機をつくり出す(ちなみにザ・スミスが『シングルズ』で使用しているドースのポートレイトは彼女が唯一、シリアスな映画に出演して評価を得た作品から選ばれている。マリリン・モンローでいえば『ノックは無用』と重なる)。

 ジョン・キャメロン・ミッチェルの作品にはいつも父がいないか、いても陰が薄い。父が欲しければ自分がなればいい。『パーティで女の子に話しかけるには』は他愛もないボーイ・ミーツ・ガールものだけど、ヘドウィグの手に入らなかったものがすべてここにあるともいえる。ラスト・シーンは予想外だった。

Throbbing Gristle - ele-king

 スロッビング・グリッスルのクラシック(という言葉がこれほど似合わないバンドもいないのだけれど)『セカンド・アニュアル・レポート』から40年! ということで、この11月から来年の春まで、怒濤のリイシューが続くわけですが、日本盤をリリースしている〈トラフィック〉からTGの缶バッジとステッカーのセットをいただきました。このセットを読者5名様にプレゼントいたします。
 メール:info@ele-king.net
 件名:TGプレゼント応募
 ●TGで好きな曲を1つお書きの上、メールを送ってください。
 締め切りは、11月10日の正午12時までとします。当選者にはこちらからメールします。

interview with Cosey Fanni Tutti - ele-king

TGとは音楽以下であり、音楽以上でもあった。
──ドリュー・ダニエル


Throbbing Gristle
The Second Annual Report

Mute/トラフィック

IndustrialNoise

Amazon タワーオリジナル特典 ステッカー付き HMVオリジナル特典 缶バッジ付きiTunes


Throbbing Gristle
20 Jazz Funk Greats

Mute/トラフィック

IndustrialNoiseKrautrockDiscoAmbient

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Throbbing Gristle
The Taste of TG

Mute/トラフィック

IndustrialNoiseDiscoExperimental

Amazon タワーオリジナル特典 ステッカー付き HMVオリジナル特典 缶バッジ付きiTunes

 彼らが、『異邦人』において母の死にさえも“感じる”ことのできないムルソーの内面に関心を寄せたかどうかはわからない。が、『ハドソン川の奇跡』で乗客を救う勇敢な機長でないことはたしかだろうし、既存の秩序に従って生きることを拒んだこともたしかだ。
 サイモン・レイノルズが指摘しているように、ノイズ/インダストリアルの始祖は、60年代のサイケデリック出身者だった。若い頃のジェネシス・P・オリッジは絵に描いたようなフラワー・チルドレンだ。で、だから、それがどこをどうしてどうすると、70年代半ばには、残忍なノイズにまみれながら妊婦の腹を切り裂き赤子の頭を掴み出すような、つまりハンパなく胸くそ悪い曲をやることになるのか。ロンドンのど真ん中の美術館で、ヌード写真と使用済みのタンポンの展覧会をやることになるのか……。
 マトモスのドリュー・ダニエルが言う通りかもしれない。いわく「近年では現実のほうがTGである。なにせ日本では、サラリーマンが女子高生の使用済みの下着を買っているのだから」
 スロッビング・グリッスル(TG)とは、じつはこの社会がTG以上にTGであることを教える。TGとは倒錯であり、音楽という表現がどれほど自由であるかを実践する。かつては“文明の破壊者”とまで騒がれた彼らだが、こんにち日本のインターネットは『D.o.A.』で題材にした小児性愛をゆうに超えている。病的なのはどっちだよという話だが、TGは、当時としては、音楽性にせよ、サブジェクトにせよ、ありとあらゆるタブーを蹂躙しながら展開する、まさに自ら言うところの「ポスト・サイケデリック・トラッシュ」だった。そのゴミ箱には、アウシュビッツからフルクサス、音響兵器からオカルト、俗悪ホラーから文学、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドからマーティン・デニーまで、ありとあらゆるものが放り込まれた。パンクと同じようにスキャンダラスでセンセーショナルなバンドだったが、TGにはパンク・ロックの“青春物語”は微塵もない。
 サディスティックな彼らに、はじめは多くのリスナーが恐怖を覚えたかもしれないが、TGにはユーモアもあった。時間が経ったいまとなっては、テクノ史における重要バンドという位置づけもできるだろう。70年代半ば以降に出てきたバンドで、いち早くイタロ・ディスコを取り入れたのも、TGだった。
 が、しかし、インダストリアルとか、テクノとか、前衛とか、実験とか、あるいはアートとか、型にはまらないのがTGだった。陳腐であり、崇高でもあった。そして初期のヴェルヴェッツにニコがいたように、TGにはコージー・ファニ・トゥッティがいた。まあ、静的なニコとは正反対の、かなり挑発的で、それこそ今日のネット社会が証明するように、人間の覗き見願望を暴き立てるかのような、ラディカルなパフォーマーではあったが。
 
 この度、スロッビング・グリッスルのデビュー40周年を記念して、1977年のファースト・アルバム『セカンド・アニュアル・リポート』、サッチャー政権誕生の1979年にリリースされた『20ジャズ・ファンク・グレイツ』、そして2004年のベスト盤『The Taste of TG』の計3枚が〈ミュート〉によってリイシューされた。初期の2枚にはライヴなどのボーナス音源が付いて2CD仕様、ベスト盤にはあらたな追加収録曲もある。近年のエレクトロニック・ミュージックの潮流としてあるノイズ/インダストリアルと呼ばれる音楽がどこから来たのかを知るにはこのうえない良い機会だ。古いファンにとっても、久しぶりに聴くと新しい発見が待っているだろう。個人的には、たとえば、政治思想にはかぶれなかった彼らが、“コンヴィンシング・ピープル”のような(アンチ・サッチャー・ソングとしか思えない)ポリティカルな曲を歌っていたことは興味深いことのひとつだった。

 取材を引き受けてくれたコージー・ファニ・トゥッティは、今年、自伝『アート・セックス・ミュージック』を上梓した。いま現在はロンドンのギャラリーで彼女の個展が開かれてもいる。ジェネシス・P・オリッジが病に伏していることもあるのだろうが、今年はUKのメディアでずいぶんと彼女の記事を見た。ここ数年は音楽の方面でも、主にカーター・トッティとしての活動と平行しながら、ファクトリー・フロアのニック・ボイドとの共作、ガゼル・ツインのアルバムへの参加するなど、新世代との交流も目立っている。
 ヌードモデル時代の話からCOUMトランスミッション時代、そしてTGからフェミニズムについても語ってくれた2万5千字。はじめに出てくる個展の話は、それを観ていない日本のファンには伝わりづらいところがあるかもしれないが(しかもそれはおそらく、このお上品な日本では、決して展示できない作品ばかりであるようだ)、削るには惜しく、しばしお付き合いいただければ、彼女の表現に対する考え方は明らかになるだろう。このロング・インタヴュー記事が、全盛期にはなかば神格化され、彼らのアイロニーにも関わらず、ちまたに多くの信者やアンチ権威の権威という矛盾を生んでいたTGを、いまあらためて理解するための助けになることを願いたい。

Cosey Fanni Tutti

わたしたち4人は、全員それぞれユーモアのセンスを備えた、そういう連中だった。全員がアイロニーを祝福していたし、人びとをまごつかせもしたかった。わたしたちは全員、マーティン・デニーに入れ込んでいた。わたしたちはTGを「インダストリアル・ミュージックの最初の形」として定めるつもりもなかった。

ちょうど今年の5月にイアン・ブレイディ(※1965年の猟奇的なムーアズ殺人事件の犯人。5人の少年少女が暴行の末に殺害された)が他界しました。この事件を題材にした曲は、ジョニー・ロットンとシド・ヴィシャスが抜けたセックス・ピストルズ残党にもありますが、ザ・スミスの“サーファー・リトル・チルドレン”が有名です。

コージー:ええ。

しかし、おそらくもっとも最初にそのおぞましい事件を扱った曲といえば、あなたがたによって1975年に演奏された“ヴェリー・フレンドリー”ですよね? 彼の死に何か思うところはありましたか?

コージー:……別にどうとも思わなかった、正直言って(まったく興味なし、という無表情な口調)。

そ、そうですか(苦笑)。

コージー:ほんと、わたしにはこれといった反応は浮かばなかった。あれは過去の話、あの時期の事件だったわけで。だから……あの事件が起きて騒動になっていた頃、わたしたち自身はまだほんの子供だった、みたいな(※コージーは1952年生まれ)。だから別に……まあ、報道番組で取り上げられたりしてはいたけれども、そう、わたしたちがあの事件を曲に取り上げたのは、あのおぞましい事件が実は、本来のあるべき形で(司法、世相、メディア他で)取り組まれてこなかったじゃないか、その点に人びとの関心を向けたかったから、という。かつ、ああした事件がどれだけ簡単に起きてしまうものか、そこにも注意を喚起したかった。そうやって、人びとはもっとああいう要素に警戒すべきだろう、と言いたかったわけ。

はい。

コージー:で……実はそれって、いままさに起きていることなわけよね? いま現在の風潮を考えると。

ええ、たしかにそうだと思います(※いまちょうど、ハーヴェイ・ワインスタイン疑惑もイギリスでは大きく報じられていて、次々に名乗りをあげる女性たちに応援の声が集まっています。また、ここ数年はジミー•サヴィル事件はもちろん、英北部ロクデールで1960年代に起きた幼児虐待リングの捜査といった洗い直し捜査の報道が折に触れて起きています)。

コージー:そう。だから、ああいう事柄が明るみになることはとても重要なのよ。

では、あなたご自身はああした事件、ムーアズ殺人事件やヨークシャー・リッパー事件が起きていた60〜70年代のイギリスの雰囲気に個人的に影響されたことはなかったのでしょうか?

コージー:その質問、どういう意味? 意図がよくがわからないんだけど?

思うに、60〜70年代にイギリスで育った人のなかには(※ここで坂本が連想したのは「レッド・ライディング四部作」他で知られる作家デイヴィッド・ピースです)ああした連続殺人鬼/大量殺人事件──それはまあ、アメリカ型の銃乱射殺人ではないですが──から心理面で影響を受けた人がいるようで。たとえば当時はまだ若い女性だったあなたが「外に出かけるのが怖い」といった恐れを抱いたことはなかったのかな? と。

コージー:それはまあ、当然の話、誰もが(あの頃は)そんな風に恐れていたわよ。とくに、若い女性だったらそう。わたしたちの世代の女性は若いうちにああいう事件のことを知らされたわけだし、たしかにわたしたちみんなが恐れを抱いていた。親たちは娘/息子の動向に気を配り、帰ってくるべき時間に子供が戻ってきたかどうか? 云々に注意していた。それもあったけれど……あの事件みたいな性質のものがマスコミに取り上げられ報道されたことって、実はそれまででも初だったんじゃないか? と思っていて。だから、当時としてはあれは「新しい何か」だった、と。

なるほど。

コージー:そうね、で……いま現在、誰もがこうした問題の数々にちゃんと取り組もうとしていると思っていて。そうやって、(隠すのではなく)問題を表沙汰にしようとしている。それは良いことだ、自分にはそう思えるわね。

さて、あなたがCarter Tutti Voidとしてアルバムを出した頃からさらにまた勢力的に活動されている印象を抱いていたのですが、今年は、〈ミュート〉 と再ライセンスをしました。

コージー:そうね。

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わたしたちは人間のなかにある暗部、よりダークな状態について歌っていた。で、それは愛について歌うのと同じくらい重要なことなのよ。というのも、そうした暗部を抑圧すればするほど、状況はますます悪化していくわけで。


Throbbing Gristle
The Second Annual Report

Mute/トラフィック

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今回は3枚のアルバムが再リリースされますが、 あなたは今年の夏前には自伝『Art Sex Music』を発表しましたし、ロンドンで個展も開催されます。あなたにとって“話すとき”であり、TGやCOUMトランスミッションズについて振り返るときでもあると、それは何を意味するのでしょうか?

コージー:んー、自分としてはそういう風に捉えていないし、いわゆるTGのレガシーを「振り返ろうとする」行為だった、とは思わない……だから、ああやって見返してみたところで、その時点でやっと過去が自分に訪れた、自分のものになったというか。過去について自分で語ることができるようになった、それだけのことじゃないかしら? 
 というのも、それがTGであれ、あるいはそれ以外のプロジェクトであれ、わたしたちがこれまでにやってきたことが去ってしまった、それらが自分たちにとって完全な「過去」になってしまったことは一度としてなかったし。というわけで、わたしとしては何も、過去の遺物めいた「歴史」から何かを掘り起こそうとしているわけではないし、要するにあれらは過去ではなく、常に私の身近に存在してきたものだ、と。

なるほど。でも、「いまこそ『自分の側のストーリー』を語る時期だ」という、そういう思いはあったのではないでしょうか?

コージー:まあだから、とにかく……わたしがああして自伝を書いたのは、別に「自伝を出す頃合いはいつがいいだろう?」みたいに腰を据えて考えながら、そうやって書いたものではなかった、という。むしろあの本は、活動を続けていくなかで、ほとんどもう、おのずから浮上してきた、みたいなものだったわけだし。
 というのも、わたしが音楽、あるいは自分のアート作品をつくるときというのは、それがわたしの人生を語っているから、そこに自分の人生が含まれているから、なのよね。だから、そうしたものがわたしの人生軌道の中に訪れる、入り込んでくるということだし、そうやってあの本も生じた、というわけ。ハル・シティ・オブ・カルチャー(※コージーの生まれ故郷の街ハルは2017年の英文化都市に選ばれ、1年と通じ様々なカルチャー・イヴェントをホストしている。その一環として2〜3月にかけて「COUM TRANSMISSIONS」という展示がハンバー・ストリート・ギャラリーで開催された)にしても、あのイヴェントが決まった際にあちらから何かやってくれないかと依頼が来て、そこでわたしはあの展示作品を提出することにした、と。COUM(クーム)は基本的に、ハルではじまったものだっだから。

はい。

コージー:それで……そう、あれをやってみたところ、突如として人びとの興味が集まった、と。だから、あの展示をやって良かったと思っている。あの展示では、COUM関連の遺物/思い出の品からCOUM活動の背景にあったセオリーetcまで、あらゆるものを実際に提示することができたから。その意味では回顧っぽく思えるかもしれないけれど、自伝に関しては、もうあの展示に取り組む以前の段階から執筆を開始していたんだしね。

なるほど。

コージー:それに、あれらの後にまた別の新たな仕事もはじまっているわけで。だから要するに、わたしは何も、ただ単に過去を引っ張り出してきてそれらをプレゼンしているだけで、アーティストとしてのわたしにいま新たに何も起きてはいない、そういう状態ではない、という。あれらの作品制作を通じて、そこからまた新たな作品が出てきているわけだから。

なるほど。いまロンドンのCabinet Galleryで開催中のあなたの個展に行きまして、どの作品も興味深かったのですが、とくに「Harmonic COUMaction」という短編映画が良かったんですね。

コージー:なるほど。

あれは非常にサイケデリックな映像で、あなたのつくったサウンド・インスタレーションと合わさるとクラクラしてくる感じでしたが、と同時に作品冒頭は「これは過去の回顧がテーマの作品なのかな?」と思ったんです。というのも、あなたのご両親の若い頃の写真から始まり、子供〜少女時代の写真やCOUMパフォーマンスの模様なども縫い合わされていて。

コージー:ええ。

ところが作品の最後で、それらのレトロなイメージや風景がいまのそれと混ざり合い、現在のあなたのポートレートに収束していく。それを観ていて、ああした何もかも、様々な変容があなたのなかに流れこんでいき、そしてそれらが「あなたがいまいるポイント」、2017年現在のコージーを作り出しているんだな、と納得がいった、というか。

コージー:そう、その通りね。あの作品に使ったサウンドにしても、過去の音源と今のものから集めてきたものだし。だからとにかく、ひととおり円が一周して閉じた、みたいなものだったわね。あの自伝にしても、そういうこと。わたしがどんな風に生まれ、そしてそのわたしがいまどんな場所にいるのかを描いている、と。
 だから、受け手をまずそもそものはじまりの地点まで連れていき、その時点から現在に至るまでの時間の中で起きたあらゆることを見せているわけ。で、そうよね、私はいまもまだこうしてちゃんと立っている、という。

ちなみに、こうした長い活動を通じて、過去のあなたは多くの人間から誤解されてきた、という思いはありますか? 

コージー:まったく自分でも見当がつかない。自分としては別に気に留めてもいないし。

なるほど。いや、あなたにはある種の評判がつきまとってきたわけで、人によってはあなたを「TGの裸の女性メンバー」とだけ理解しているかもしれない。ところが、たとえばあの個展を観に行けば、あなたが長い間にわたって──と言っても、何も「考え抜いて巧妙にアートのキャリアを続けてきた」とは思いませんけども、ご自分のアートをつくり続けてきた人だ、というのがよくわかると思うんですよね。

コージー:ええ。

で、こうしてお話を聞いていると、あなたに何がしかの「苦い思い」みたいなものがあった、とは思えないのですが──それでも人びとに長らく誤解されてきた、ここで誤解を解いておきたい、といった感覚もあったのかな? と感じたんですが。

コージー:フム……だからまあ、さっきも言ったように、わたし自身のなかにそういう思いは一切ない、ということよね。わたしは活動を続けながら作品をクリエイトしているだけであって、別に他人からの承認や賛同なんかが欲しくてクリエイトしているわけではないから。わたしは、自分を相手に作品をつくっているだけ。だから、わたしのつくる作品、音楽であれヴィジュアル作品……あるいはアートや写真であれ、それらの何もかもが「自分という人間」なのよね。というわけで、わたしは自分自身を作品としてプレゼンしている、それだけのことだ、と。

はい。

コージー:だから、わたしは自分のアートを日用品/モノとしてだったり、あるいは壁に掛けて装飾に使える芸術としてつくっているわけではない、と。それはわたしが自分の人生を通じて体験してきたカルチャーのなかから生まれる、わたし自身の声明文なのよ。

なるほど。でも、70年代、あるいは80年代のあなたにとっては、アートを通じてそうやってご自分を表現するのは難しかったのでは? とも思います。また個展の話に戻りますが、あそこで展示されたヌード写真作品や雑誌コラージュを観ていて、「うわぁ、彼女は文字通り、極限の形で自分自身を〝露出〟していたんだな!」と驚かされたんです。で、あの年代の自分にああいうことができただろうか? と考えてみて、「とてもじゃないけど無理、そんな勇気は自分にはない」と感じずにいられなかったんですよね。それも、あんな時代に。

コージー:あなたは、いま何歳なのかしら?

47歳です。

コージー:ああ、なるほどね。

それに、わたしは日本生まれですし、英米に較べて保守的な考え方の人間であることは間違いないんですけど……。

コージー:ええ、ええ、あなたがそうした思いを抱くのはなぜか、そこはわたしにもわかるわよ。だから、それは別にわたしとしても気にならないから大丈夫。ただ……とにかくこう(苦笑まじりに軽く吐息をついて)……だからまあ、自分はどうしてこういうあり方の人間になったのか? それを自分で説明するのはわたしにも無理だ、と。とにかく、自分はとても自由思考の持ち主で、スピリット面でも非常に解放されている、としか言いようがない。で、わたしはたまたま、そうしたあり方や姿勢が大いに讃えられていた時代、60年代や70年代に育った人間だ、という。
 というわけで、そうよね、それはもちろん日本や、あるいはそれ以外の世界中の色んな国とは、非常に違う状況だったでしょうし。でもわたしたちはみんな、どういう形であれ、自分たちがそのなかで生きているカルチャーに対して反応していくことになるんだと思う。

はい。

コージー:だから……ある意味では、自分はラッキーだったのかもしれないわよね? ただ、わたしは自分には勇気がある、勇敢だとか、そんな風に捉えることはまったくなくてね。とにかくこれがわたしという人間なんだし、自分のやろうと思ったことをやっていくだけ。だから、それ以外に自分の生きようはない、ということね。

The Quietusのラジオをちょっと聴いたんですが、あなたは10代のとき、60年代にヴェルヴェット・アンダーグラウンドやジミ・ヘンドリックス、あるいはレナード・コーエンやスモール・フェイセズ(いちばん意外な選曲でした) まで好きだったことを告白しています。 若き日のChristine Newby(※コージーの本名)とはいったいどんな女性だったのでしょうか? 選曲を見ると、すごく60年代を満喫した感じにも見えるのですが。ある意味では60年代のオプティミスティックな空気を存分に吸い込んだ少女が、どこをどうするとCOUMトランスミッションズへと変容するのでしょうか?

コージー:そうは言っても、わたしが60年代当時に聴いていた音楽、たとえばいま話に出たヴェルヴェット・アンダーグラウンドやジミ・ヘンドリックスにしても、あの頃はやはりかなり「破戒者」だったわけじゃない?

ええ。

コージー:まあ、たぶんいまの人びとがあの頃の音楽を振り返ってみたら、ああした音楽は現在の耳にはそれほど実験的なものには響かないのかもしれない。ただ、あの当時は非常に実験的に聞こえた音楽だったわけ。少なくとも、わたしの両親はああいう類いの音楽は絶対に聴かなかったでしょうし(苦笑)。

はい、はい(笑)。

コージー:(笑)でしょう? だから、そうした音楽を聴くことで、ある意味インスパイアされるというのか、「自分でも色んな物事を探ってみよう」と思わされるわけで。そうやって、自分の知らなかった別のライフスタイルだったり、これまでとは違う自己表現の仕方を見つけようとし始める、という。で、それによって、多くの人びとの精神のドアが開いたわけよね。

それは、ある意味現実からの逃避でもあったんでしょうか? あなたが当時いた現実の世界やライフスタイルとは別の世界を作り出すこと、それが音楽なりアート制作なりを始める大きなきっかけになった、ということでもありますか?

コージー:いいえ、わたしは別に自分のリアリティから逃げてなんかいなかったわ。そうではなく、自分の現実を祝福していたから。ただ、それが自分以外の他の人びとの現実とはかなり違っていただけ。で、わたしはその事実を喜んで受け止めたんだし、いかなる形であれ、その自分の現実を修正しよう、変えたりしようとはしなかった。というのも、そんなことをしたら自分が自分ではない感覚になってしまったでしょうし。

そういえば、これまた個展の話に戻ってしまうのですが、一瞬脱線させてください:「Harmonic COUMaction」の映像には70年代におこなわれたCOUMのストリート・パフォーマンス写真が使われていますが、あの中に何度も出てくる、金色の長い象の鼻のようなものを付けたキャラクター(※一種、インド宗教の図像めいた見た目で、そのキャラがスーパーマーケットのカートに乗って通りを練り歩く光景がコラージュされる)、あれは何なんですか? 

コージー:ああ、あれはCOUMのつくり出したキャラクターのひとつで、「Alien Brain」っていう名前(※「The World Premier of Alien Brain」パフォーマンスは1972年にハルでおこなわれた)。

ああ、そうなんですね。

コージー:で、あのコスチューム、あれは誰が着ても構わなかった。

(笑)。

コージー:だから、誰でもあのキャラになれたわけ(笑)。コスチュームの下にいるのが誰なのか、それはどうでもよかったし、とにかく「Alien Brain」というものがああやってあの場に「存在する」というのが大事だった、という。そう、あれはそういうキャラクターだった。

なるほど。あれは神の創造物/イコンみたいなものなのかな? と、観ていて感じましたが。

コージー:あれは……第二次大戦時のガス・マスクを使ってつくったコスチュームだったわ。で、そこに金銅色の塗料をスプレーしたもの、という。

じゃあ、ああいったパフォーマンスに使用した小道具は、あなたたちのお手製だったんですね?

コージー:ええ、わたしたちは……っていうか、わたしは昔はよく……あれは、どういう場所だったのかしらねぇ? 要するに、古道具屋だとか、廃品処理場/ゴミ捨て場みたいなところにしょっちゅう足を運んでは(笑)──

(笑)。

コージー:(笑)というか、タダで何かが手に入る場所ならどこにでも行ったし、それだとか不要品バザー/がらくた市といった、開催時間の終わり頃に行くと閉店前の値下げが始まって、格安で色んなものを買える場に繰り出して。で、あの当時はさっき言ったような第二次大戦時の名残りの品だったり、ヴィクトリア朝時代の衣類や……アール・デコ時代の服だったり、とにかく色んな類いの心を惹かれるオブジェなんかをそういう場所で手に入れることができたのよね。いまのように、そうした物品が(「ヴィンテージ」「アンティーク」として)トレンディになり、高価になる前の話だけれども。

でも、あのストリート・パフォーマンスの模様を捉えた写真を観ていてとても印象に残ったのが、パフォーマンスを見守っている通りすがりの人びとがマジで困惑していて──

コージー:ええ、そうよね。

「いったい何だろう、これは??」と、どう受け身をとっていいかわからない表情を浮かべていたことでした。で、そのギャップを眺めていて、あのとんでもないパフォーマンスをストリートでやっていた当時のあなたたちは、どんなことを考えていたんだろう?と思わずにいられなかったんですが。

コージー:だから、あそこで興味深かったのは、わたしたしが実際にアートを街路に持ち込んだ、ということだったのよね。そうやって、わたしたちはアートや色彩を(ギャラリーや美術館のなかではなく)人びとのいるストリートに引っ張り出した、と。だから、もしも通行人たちがあのパフォーマンスに自分も参加したいと思えば、わたしたちのなかに混じることも可能だったわけ。そう、あれは要はそういうことだったのよね。だから、「自分たちのアートをいつかギャラリーに展示してもらおう」だとか、そういう思惑や大掛かりなプランがあってわたしたちはああいうパフォーマンスをやっていたわけじゃない、という。
 ただ、それはどんな類いのムーヴメントにも当てはまる話でもあって、その当時ではなくて、もっとずっと後になってから評価され、その運動のあるべき場所だったり、理解される時代を見つけていくものなのよね。だから、もっと後になって、人びとがそうした過去のムーヴメントを探し当てていき、それを分析し、その上でそれに見合う場所/文脈だったり、その運動はどこにどんな影響を与えたのか? といった面が発見されていく、という。

はい。

コージー:ただ、それでも、そうしたアクション(行動)だったり、様々な物事が起きることを可能にする触媒の役割を果たすもの、それはやっぱり、はじまりの段階では必要なわけよね。たとえばジミ・ヘンドリックスであったり、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのような存在が。彼らは、自分たちの生きる世界や生を探究していき、自分たちは自らをどんな風に表現したいのか? を探っていった、その意味では似たような存在だったし、それはまた、わたしたちがやっていたのと同じことでもある。で、そうするうちに他の人びとのなかにそういうことを理解してくれる者が出てくるし、彼らのような面々がまた、同じことを彼らなりの手法で受け継いでいくのよ。

なるほど。

コージー:だから、それはスロッビング・グリッスルでも、あるいはクリス・アンド・コージーでも同じことだったわけ。わたしたちがああしてつくった音楽が他の人びとから認知/理解されて、で、それがまた、彼らの手によってまた違う場所へ、別の方向へと引っ張られていくのよね。

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それがTGであれ、あるいはそれ以外のプロジェクトであれ、わたしたちがこれまでにやってきたことが去ってしまった、それらが自分たちにとって完全な「過去」になってしまったことは一度としてなかったし。


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後に“ヴェリー・フレンドリー”や“スラグ・ベイト” が生まれるような土壌は、60年代末から70年代初頭のロンドンにはあったのでしょうか? 
それとも、COUMトランスミッションズやTGのみが突然変異だったのでしょうか?

コージー:まあ、わたしたちはラヴ・ソングは歌わなかったわよね。

(笑)。「ラヴ&ピース」はTGの味ではなかった、と。

コージー:とにかく、わたしたちは人間のなかにある暗部、よりダークな状態について歌っていた。で、それは愛について歌うのと同じくらい重要なことなのよ。というのも、そうした暗部を抑圧すればするほど、状況はますます悪化していくわけで。それに、かつての70年代イギリスというのは、とにかくダークだったしね。数々の政治的な変動が起きたし、人びとは貧困に苦しんでいて、ストライキも多かった。だから、とてもハードな時期だったわね、あの、60年代終わりの頃から70年代に入っていく、あの頃は非常にハードだった……で、わたしたちはとにかく、自分たちの日常で、そして他の誰もの日常で起きている様々な物事に注意を向けようとしていた、それだけのこと。

あの頃のバンドあるいはアート集団なりで、当時のあなたたちからしても共感できた、同じようなことをやっていてシンパシーを抱けた、そういう人びとは他にいましたか?

コージー:それはまあ、わたしたちが自分のレーベルを通じてレコードを発表することにした、そういう人たちのことよね。そういう人びとには共感を抱いたし、他にも活動を通じて出会った面々がいた……ただ、そうは言ってもそれはごくごく少数の、小さなサークルではあったんだけどね。正直、そう。

ええ。

コージー:だから、パンクも当時起きていたわけだけれども、パンク勢とわたしたちとは、非常に性質の違うものだったから。というのも、パンクというのは……あれはこう、なんだかんだ言ったってメインストリーム音楽の一端に属するもので、「レコード契約をモノにしよう、売ろう」云々の思惑が混じる、そういう類いのものだった、というか。わたしたちのやろうとしていたのは、そういうことではなかったし。

でも、そのパンクの側は、きっと75年、76年あたりのTGの作品や活動ぶりから何らかのインスピレーションを受け取っていたんじゃないでしょうか?

コージー:いいえ、それはないわね。彼らはわたしたちとは別物だったし、彼らの進んでいた方向とわたしたちのそれとは接したことがない、お互いまったく別の道筋をたどっていた。というのも、彼らのやっていたのは要はロックンロールだったんだし、わたしたちがやっていたのはロックンロールとは完全に無縁な何か、だったから。

ヌード・モデルやストリッパーはぶっちゃけ生活のためにやったのでしょうか? それとも芸術的野心があってのことなのですか?

コージー:あれはとにかく、わたしが自分のアートのために、自分自身に課したプロジェクトだったわ。で……そうね、受け取ったモデル料等々はたしかに役に立ったし、いくつかのプロジェクトの資金、COUM作品に使うアート素材の購入だとかに充てたこともあった。それとか、家賃光熱費etcの一部になったり。だけど、ああした仕事と同時に、わたしは普通の9時5時仕事の職にだって就いたわけだし、そうでもしないと食べていけなかった。それくらい、当時は悪戦苦闘していたから。だから、モデル仕事やストリッパー云々は、まず何よりも第一に、自分のアート・プロジェクトのためにやっていたことだった、と。
 それもあったし、第二の要素として、モデル/ストリップ業は定期的な仕事ではなかったし、だからどうがんばっても一定の収入をもたらす職業、生活を支えるだけの収入源にはなりっこなかった。というのも、ヌード・モデルにしたってオーディションを受けなくちゃいけないし、そこで「彼女はこの仕事には不向き、不採用」なんて結果になることだってあるわけで。だから、誰かが「そうだ、自分は裸体モデルになろう!」と思い立ったとしても、その意志だけで募集側がすぐ「それは素晴らしい! じゃあ彼女にこの仕事をあげることにしよう」と反応して「月―金の毎週5日勤務で、○年間あなたを採用します」なんて話にはなりっこない、と。彼らは目的にマッチした特定の体型、特定のタイプの女性を見つけようとしていたんだし。だからあの手の仕事というのは、とてもじゃないけれど、週給/月給単位で自分に生活費をもたらしてくれるような、そういう「安定した職」としてやっていたことではなかった、という。それはどうしたって無理な話。それに、いまと較べてどうなのか? は自分にもわからないけれど、とくにお給料の良い仕事というわけでもなかったしね、当時は。

ああ、そうだったんですか。

コージー:仕事の内容そのものはいまと同じように複雑だったけれども、でも、別に割のいい仕事ではなかったし。

いや、当時のあなたはかなりこう、派手でバーレスクめいたこともやっていたわけで、だから結構お金をもらえていたのかな?と感じたんですが、そういうわけではなかった、と。

コージー:いいえ、まったくそういうものではなかったわ(笑)。

あなたがセックスやセクシャリティといったサブジェクトを扱うようになった経緯について教えて下さい。

コージー:それはまあ、以前のわたしは、コラージュ作品をたくさんやっていたからなのね。そうした作品で、自分のヌード写真が掲載されたセックス雑誌を使ってコラージュをやっていたわけ(※個展でも、アメリカ80年代の『Partner』というハード系ポルノ雑誌に掲載された彼女のヌード・グラビアとインタヴュー記事を用いたコラージュ作が展示されていた)。あそこからだったわね、本格的にセックス/セクシャリティが題材になっていったのは。だから自分でも「よし、これなら自分にも続けられる」と思った、というか。少なくとも自分はあれらのイメージの背後にあるストーリーを理解しているし、ああしたイメージを生み出す経験が実際どういうものかも知っているわけだから。
 それに、さっきあなたが言っていたことと少し似ているけれども、「自分をオープンにしてさらけ出す」、ということなのよね。だから、少なくとも自分が実際に体験したことではない限り、その題材を扱うことに意味はないんじゃないか、わたしはそう思っていて。

ええ。

コージー:で……ただ、自分は嘘はごめんだ、というのか。嘘ではなく真実を、とにかく自分の作品のなかには真実の要素が含まれていなくてはならない、と。それに正直な話、もしもわたしが他の人間のやった仕事──その人間が裸になって撮影されたグラビア写真であれ、何であれ──他者の仕事を使って自分のコラージュ作品をつくろうとするのなら、やっぱり自分はそこで、彼らに対してのリスペクトの念を持ちたいと思う。彼らがどこからやって来て、これまでにどんな体験をくぐってここに至った人なのか、そうした面をちゃんと知りたい。
 それに、ヌード写真というのは、当時は興味をそそられる、魅惑的な対象でもあったわけで。というのも、いまのようにインターネットのどこにでも裸体やポルノが氾濫している、そういう時代ではなかったし、そもそもインターネットすら存在しなかったわけで。ああいう雑誌を手に入れるには、裏ルート、セックス・ショップの奥の秘密の部屋に行くしかなかった。だから、あそこにはある種のミステリーも関わっていたし、わたしはそこに興味をそそられもした。

性産業は犯罪組織とも繫がりがあったわけで、若い女性として、男性の前で裸になる弱い存在として、ああいう世界に入る危険性が怖くはなかったんでしょうか?

コージー:ええ。ただ、あれくらい若い頃だと、逆にそういった面をそこまで深く考えないものでしょう? だから、ああいう年代の人間は「自分はいつまでもこの調子でいける」なんて風に(苦笑)、怖いもの知らずでいられるわけで。けれどもまあ、本当に「これはまずい、ここに来なければよかった」と感じるようなシチュエーションに陥ったら、とにかくその状況をなんとかして切り抜けて、その場から立ち去って自分の安全を確保しようとするんでしょうし。

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たとえばジミ・ヘンドリックスであったり、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのような存在が。彼らは、自分たちの生きる世界や生を探究していき、自分たちは自らをどんな風に表現したいのか? を探っていった、その意味では似たような存在だったし、それはまた、わたしたちがやっていたのと同じことでもある。


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なるほど。あなたの個展を観てわたしが強く感じたことのひとつに、あなたのグラビアやヌード写真の「強さ」があったんですよね。たしかにあなたはものすごくご自分をさらしていましたが、『プレイボーイ』あたりの好むベビードール・ドレス姿やバニー・ガールといった子供っぽく可愛らしいイメージとはまったく違う。あなたがあの写真を自分でコントロールしているのがわかったし、単なる「セックスのオブジェ」ではないんだな、と。

コージー:そうやって、ある女の子は「オブジェ」という風に映るけれどもそうは映らない女の子もいる、というのは、やっぱりそれぞれのキャラクターの違いゆえだと思うけれど? わたしは、まあ……とにかくこう、何と言ったらいいかしら……そうね、わたしはいつだってとても強い人間だった、それだけ。

(笑)。

コージー:(笑)。どうしてかと言えば、とにかく、わたしが大きくなった頃、わたしが育った時代ゆえなのよね。それもあったし、自分の家庭環境も。わたしは中流ではなくワーキング・クラス出身で、貧しい公団暮らしだった。ああいう環境では、居場所を確保するために闘わなくてはいけなかったのよね。というわけで、わたしはこう、ちょっとばかり厄介で胡散臭くなりかねない、そういったシチュエーションに対処するのに若いうちから慣らされてきたのよ。
 それもあったし……わたしのなかには、非常に強固な「自分はどういう人間か」という概念が備わっていた。いつだってそうだったし、それはわたし自身の存在のなかにあった。だから、自分がどんな場所にいたとしても、それは「わたし自身」がその場にいたいと思うから(=他者に強制されたわけではなく)そこにいたんだ、と。

ああ、はい。

コージー:だから、それはわたし自身の選択、自ら「そこにいたい」と選んだからこそわたしはあそこにいた。だから、もしもそういう場に行くことにして、そこで困った事態に巻き込まれる羽目になったとしても、それだってやっぱり、「わたしの選択」の結果だった、という。たとえ、その場にいた人びとは、本来わたしに対してそうした困った振る舞いをすべきではなかった、としてもね。

でも、あなたのアートにはフルクサスからの影響もあると思うのですが、しかしあなたは小野洋子ほどピースな出方をしていませんよね。もっと挑発的だったし、もっとフェティッシュで、オブセッシヴでした。なにがあなたをラジカルな方向に向かわせたのでしょうか? 

コージー:そうねぇ……それはきっと、とにかくわたしがそういう人間だから、ということに尽きると思う。だから、大半の人間たちが直面しているリアリティ、現実とコネクトしたい、そういう人間なのよね、わたしは。それは、人間はどんな風に日々の生に対処していくか? ということ。だから、どうやってリアリティに取り組んでいくか……その現実から逃避するのではなくて──たとえば、ヨガだったり、瞑想に逃げ込むのではなくて。もっとも、わたしは別に、ヨガ/瞑想を敵視しているわけではないし、ああいうのがあっても構わないんだけれども。

ええ。

コージー:ただ、わたしが取り組みたいと思うのは、「人間」そのもの、それがどんな風に現実と関わっているのか、そして同じ人間同士の間でどんな関係を結んでいるのか、そこなのよね。というのも、結局は、わたしたちってそういう存在なわけでしょう? わたしたちは他の人間とコミュニケートしなくてはいけないんだし。だから、自らを他から隔離してしまい、そこで浮かんできた何らかのセオリーを「芸術作品」として提示することではない、と。そうではなくて、わたしのアートというのはわたしの実人生についてのもの、そういうことね。で、願わくは、それが受け手の心を動かして人びとがそれについて対話をはじめるに足るような、そういうアートであってくれればいいな、と。わたしだってかつて、アートに触れて同じように反応したわけだし。

しかしそうやってリアリティを相手にすることは、人間の醜い部分に接することでもありますよね?

コージー:そりゃもちろん。だからTGはああいうことをやったわけでしょう? 要するに、ラヴ・ソングの数々、愛ってなんて素敵なんだろうとか、天国にいるみたい云々、そういう歌があるのはもちろん大いに結構。ただ、わたしたちは実際、様々な物事に直面しながら日々を生きるしかないんだし、そこには心のなかで感じる苦悩をはじめ色んなものが含まれている。どうしてかと言えば、人間というのはそういう生き物だから、なのよね。わたしたちにはとんでもなく悲惨な行為をおこなってしまえる素質も備わっているんだし、だからこそ、そうしたおこないを繰り返させてはいけない、と。

わかります。ただ……現実には悲惨な事件は繰り返されていますよね。

コージー:ええ、それはわたしも承知している。だから、ついこの間もこんな話をしたんだけど、TGがやった〝The World Is a War Film〟という曲(『Heathen Earth』収録)……いまの時代ほど、あの曲がぴったりハマる時期はなかったんじゃないか、と(苦笑)。

たしかに。

コージー:ほんとうに、そう。あれは、あの曲をやった当時(1980年発表)を描いたものだったというのにね。だから……そういうことよね。でも、かといって、すっかりお手上げと座り込んでしまい、他の連中に世界を彼らの好きに支配させるがままにしてはおけないわけで。そのせいで、こういうシチュエーションに陥ってしまうことになるわけだから。

で、ああいう行為の背後には、男性的な価値観の抑圧に対するカウンターがあったかと思いますが、あなたは自分をフェミニスト的だと思いますか?

コージー:(吹き出して笑いはじめる)クククッ! みんな、いつもそれをわたしに質問してくるのよねぇ……。クックックックッ……。

(笑)失礼しました。

コージー:(笑)いえいえ、いいのよ、別に訊いてくれても構わないから!

日本ではとくにそう感じますが、女性が自らを「わたしはフェミニスト」と称するのには、まだかなり抵抗がある気がします。その言葉そのものから連想される様々なイメージもあるわけで。それにまあ、あなたはある意味、そうしたタームを超越した人のようにも思えるのですが、いかがでしょう、ご自分をフェミニストだと思いますか?

コージー:わたしは、自分のことを他のみんなと同じ人類の一員だ、そう思ってる。

(笑)「コージー」という個人だ、と。

コージー:そう。わたしはコージーなんだし、それはあなただって同じで、あなたはあなた。だから、その人間が「女性」として定義されてしまうという事実、それはとにかく、わたしとしては却下、願い下げだ、と。そうやって性で定義されるべきではない、そう思う。そうは言っても文化のなかにおいてそういう考え方は存在するわけだし、それは間違っている。で……この間、たまたまツィッターを通じて、ニムコ・アリ(※Nimco Aliはソマリア人の女性運動家。FGM撤廃を始めとする女性の権利・教育活動で知られる)という女性の引用に出くわしたのね。そこで彼女は、いま話しているようなことをみごとに要約した発言をしていて、それは「わたしたち女性は『人間』なのであって、ただ単に『姉妹』あるいは『母親』といった風に、男性の側にとってだけ意味のある存在ではない」といったことだったのね(※彼女が10月25日に残したツィート原文は「Like I said. We women are humans. Not someone’s something. We are autonomous just like men. So respect us because of that.」)。

なるほど。

コージー:だから、「フェミニズム」もそういうことなのよね。そのタームを使うことで、あなたは即「女性(フェミニン)」というカテゴリーに分類されてしまうことにもなるわけで。それはすなわち、「男性(マスキュリン)」に対しての別の何か、「アザー」ということになってしまうわけでしょう? だから、いま出した彼女の発言は、まさに真実だな、そう思う。わたしたちは人間なのであって、そのセクシュアリティ、あるいはジェンダーによって定義されるべきではない、と。そうじゃない?

はい。

コージー:それに、フェミニズムというのは、単語としてはある意味ちょっと違うんじゃないか? と。だから、もちろんわたしもあの言葉がどこから生まれたかは理解しているし、フェミニズムが何をやろうとしているのか、そこは分かっているのよ。それに、あの言葉以外にあの運動を的確に表現できる、そういう言葉はわたしにだって浮かばないし。ただ、さっき話した彼女の発言は、あの言葉について感じる「どこか違う」という思い、そこに対して図星だったな、と。

伝説の1976年10月の「プロステューション」ショーは、 よくよくセックス・ ピストルズのビル・グランディ事件と同じぐらいにスキャンダルな出来事でもあったと記述されていますが、 あれをやった当時のTGはどんな気持ちだったのでしょうか? 世界を挑発するわけですから、よほど強い気持ちがあってのことだと思います。

コージー:まあ、わたしたちはあのショウを展示して……あれはそもそも、わたしたちがそれまでやってきたアートの回顧という意味合いの企画だったのね。というのも、あの時点でCOUMは終わりつつあったし、あれ以降で予定されていたCOUMとしての活動はアメリカでのショウ数本を残すのみだった、と。というわけでTG、スロッビング・グリッスルは、わたしたちにとって新しいプロジェクトだったわけ。だから、マスコミからああやって「けしからん、立腹である」と反応されたことで、ある意味、自分たちが本当にやろうとしていたことの邪魔になってしまったな、と(※「Prostithution」をめぐり、公共芸術基金の使途について英国会で議論になった。ニコラス・フェアバーン故議員がCOUMを「文明の破壊者」と批判したのは有名だが、2014年には同議員の幼児愛好・虐待歴が暴露された)。というわけで、とにかく思い出すのは、あのときの自分が「あー、迷惑な話、うざったいな」と感じていたことだったわね。

(笑)。

コージー:わたしとしてはただ、さっさとスロッビング・グリッスルに取り組みはじめたい、そう思っていたから。それこそ、当時のわたしにとっては自分が新しくハマっている、エキサイティングなプロジェクトだったんだし。COUMの残滓、たとえばモデルをやるとか人びとの頭の上でパフォーマンスするといったことはまだ若干残っていたけど、それだってその程度の話。わたしとしてはそれはもう「終わってしまったこと」だったし、あの時点のわたしは既にそこから去りつつあった。だから、「Prostitution」はCOUM Transmissionsの回顧展であり、それと同時に、COUMの活動を刻印し、かつスロッビング・グリッスルのはじまりを記す、そういう意図のもとにおこなわれたショウだった。アートの世界から離れて、サウンドの世界へと入っていく、そのはじまりということね。

雑誌で初めてTGの写真を見たときは、なんでこんなノイズ・バンドに美女がひとりいるのだろうと思いましたが、やはりヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコというのがTGにとって大きな存在だったからなんでしょうか? 

コージー:フーン? まあ、自分ではそんな風に考えたことはなかったけれども。そうは言っても、わたしが若かった頃は、ニコをはじめとして、自力で自作音楽をやっている女性たちは他にもたくさんいたし。彼女たちはたしかに、あの当時はインスピレーションを与えてくれる存在だったわね。要するに、何も音楽は「バンドをやってる男連中」というのに限らない、と。
 と同時に、わたしは彼らの音楽外での活動ぶりにも興味があった。だから、いったんステージを離れたところで、彼らはとても興味深いオルタナティヴなライフスタイルを送っていたわけよね。だから、バンドとしてステージに立つだけではなく、彼らは日常の中でもオルタナティヴなことをやっていた、と。だからなんでしょうね、わたしの人生が、クリエイティヴな行為を中心にして回ってきたのは。

今回再発される3枚のうちの1枚、『セカンド・アニュアル・レポート』についてですが、 いまでもこれがTGのベストだというファンは多いかと思います。

コージー:ええ。

たしかに“スラグ・ベイト”や“マゴット・デス”のような曲は、今日言われるノイズ/ インダストリアルの出発点のような曲ですし、そのおぞましく残忍で血みどろの歌詞もいわゆるTGのパブリック・イメージにもなっているかもしれません。いま聴いてもパワフルな曲ですが、あなた個人はあのアルバムを現在はどのように評価しているのでしょう?

コージー:わたし自身がどう評価するか? まあ……だから、これもさっきから話してきたことと同じだけれど、何かをやるわけよね? それは、先ほど話したCOUMのストリート・パフォーマンスでも、何でもいいんだけれども、人がそうやって色んなことをやるのは、その、何というか……「自己表現したい」というニーズがあるからなのよね。で、わたしたちが『セカンド・アニュアル・リポート』でやったのも、まさにそれだった。それに、実際の話、あのアルバムでのわたしたちは、自分たちからすればまだ存在しているとは思えない、聴いたことがない、そういうサウンドだけを追求することに決めたのね。自分たちの感じていたフィーリング、それを音にして表現してくれるサウンドが存在しない、当時はそう思っていたから。
 で、わたしたちのなかには、あの作品をつくることによって自分たちのキャリアがどうなるだろうかとか、将来的にあれがどんな影響をもたらすだろうか云々、そういった類いのアジェンダはまったく存在しなかった。わたしたちはただ、とにかく自分たちの感じていたことを求めていたんだし……だから、自分たちが当時考えていたことだったり、当時自分たちの生きていた世界の様子、あるいはそこで自分たちが抱いていたフィーリングを反映した、そういう何かを求めていた。だからあれは、新しいサウンドだったのよね。自分たちの考えを提示するための、あれはまったく新しいやり方だった。で……ある種、あのプロセスそのものが変成しながら発展していった、みたいなものでもあったのよね。あの作品が最終的に形になる、その過程が。というのも、1週間くらいで出来上がった、そういうプロジェクトではなかったし、それこそもう、かなりの時間をかけて取り組んでいったもので……そうね、実際、1年ちょっとくらいかかったんじゃないかしら? そもそもグループの名前からはじまったんだし、そのアイディアはまさにハル時代にまで遡る。「スロッビング・グリッスル」という、あの名前のね。 

(笑)。

コージー:ただ、そこから実際にグループとしてはじまるのには、まずスリージー(ピーター・クリストファーソン。2010年没)との出会いまで待つことになったし、それからやっぱり、とくにクリス(・カーター)との出会いが必要だったわけで。というのも、わたしたちが聴いてみたいと思っていた、そういうサウンドを生み出すだけのテクノロジー面での技量が彼にはあったから。というわけで、そうやってスロッビング・グリッスルは生まれていったし、そこから『セカンド・アニュアル・リポート』も「起こった」という。

なるほど。

コージー:だけどまあ、わたしたちは別に、「いまから40年経って、人びとが自分たちを思い出してくれるよすがになる」ような、そういうものをつくろうとして、あの作品に取り組んだわけではなかったんだけどね。

(苦笑)。

コージー:(笑)というか、売れるだろうとすら思っていなかった、自分たちとしては。

では、いま、あの作品に集まる評価や──まあ、それは世界全体で見ればごく少数の人間たちの間での話かもしれませんけど──は、驚きでもあります? 一部の人間のなかでは、あのアルバムは「古典のひとつ」と看做されているわけで。

コージー:ええ、そうよね。それはファンタスティックなことだわ。というのも、つくっていた当時のわたしたちにとっては、それは意図したことでも何でもなかったから。ある意味、(そうやって後世になって評価される方が)ずっと良いことなんじゃないかとわたしは思ってる。

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わたしは中流ではなくワーキング・クラス出身で、貧しい公団暮らしだった。ああいう環境では、居場所を確保するために闘わなくてはいけなかったのよね。というわけで、わたしはこう、ちょっとばかり厄介で胡散臭くなりかねない、そういったシチュエーションに対処するのに若いうちから慣らされてきたのよ。


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『セカンド・アニュアル・レポート』に次いで『D.o.A. 』も人気作ですよね。そして、『20ジャズ・ファンク・ グレイツ』へと続くわけですが、『20ジャズ・ファンク・グレイツ』は、エレクトロニック・ミュージックの未来への架け橋になった作品ですが、 それまでのTGが築いたノイズ/インダストリアルのパブリック・ イメージを混乱させるような作品です。

コージー:ええ。

で、あのアルバムのもくろみ、あれは何を意図したものだったのでしょうか? ドリュー・ダニエルの解釈のように、「自らのアイデンティティを自ら意識的に冒涜すること」、TGの周辺に生まれていたインダストリアル神話めいたものを自ら破壊するのが目的だったのでしょうか?

コージー:まあ……わたしたち4人は個人として、全員それぞれユーモアのセンスを備えた、そういう連中だったわけで。

(笑)はい。

コージー:全員がアイロニーを祝福していたし、だから、人びとをまごつかせもしたかった、と。わたしたちは実は全員、マーティン・デニーとかラウンジ・ミュージック系、いわゆる「エキゾチカ」に入れ込んでいてね。「エキゾチカ」というのは、彼(マーティン・デニー)の名作アルバムのひとつのタイトルでもあるけれど。

(笑)はい。

コージー:だから、「じゃあ、それも混ぜてみよう」とわたしたちは考えたのよね。だから、あれをやったのも要は、物事をやっていくための新たなやり方を発見していくということ、それに尽きる、と。わたしたちは確立したフォーミュラにはまってしまうこと、同じことをえんえんと繰り返すことに興味はなかったし、TGを「インダストリアル・ミュージックの最初の形」として定めるつもりもなかった。
 というのも、あれはそういうものではなかったから。インダストリアル・ミュージック、あるいはインダストリアル云々というのはライフスタイル。あれは、生活/人生に対するアプローチの方法だった。だから、このインタヴューのあいだ中わたしがずっと言ってきたように、それは「自分たちはどんな人間なのか」、「自分たちは何をやっているか」、そして「どんな風に自分を表現するか」ということなのよね。
 で、あの当時、『20ジャズ・ファンク・グレイツ』をつくったときのわたしたちというのは、「オーケイ、じゃあ、ああいうジャケットで出そう」と考えた。だから、ジャケットだけ見ればいかにも「ジャズ•ファンクの名曲20選」めいたアルバムなわけだけれども、実際あのレコードをターンテーブルに載せてみれば、それとは似ても似つかない音楽が入っている、と。だから、あれがわたしたちのユーモア感覚であり、アイロニーであり、当時のわたしたちがたまたまいたのがああいう場所だった、ということなのよね。

自らをジョークにしているような、あのジャケットは有名ですよね。一見すごくキュートで……

コージー:とても可愛らしいけど、あの写真が撮影されたのは有名な自殺スポット(※東サセックス州にあるビーチー岬)だし。だからまあ、現実生活のなかでは「何事も見た目通りとは限らない」、そういうことでしょ? だから、何かを糖衣にくるんで美味しそうに見せることはいくらだってできるけれども、いったんその表層の下をめくってみれば、そこではありとあらゆることが起きている。だからあれは、多くを引き出すためには、表だけ見て満足するのではなく深く掘り下げていく必要がある、そういうことだと思う。

はい。ただ、最近よく感じるのは、色んな物事が表面だけ/字義通りになっているんじゃないか、ということで。「ここには深い意味、隠された何かがあるのかもしれないぞ」と期待して表面を剥がしていっても、いざ中身を見てみると、実はそこには何もなかった、見た目の通りだった、というか。

コージー:それはだから、表層性をそのまま疑問なしに受け入れてしまうような、そういう人びとが集積してきた結果、といいうことじゃないかしら。

ああ、なるほど。

コージー:とは言っても、いつだって、常に表面だけだったわけだけれども。人びとが好むのは、綺麗だとか気持ちいいだとか、そういう「表面」ばかりだったから。

ええ。

コージー:音楽の聴き方にしてもそうで、人びとはライヴを観に外に繰り出して、お酒であれ、それ以外の何でもいいけれど、それらを飲み込んでさんざん酔っぱらい、楽しいひとときを過ごして、それが終わったら家に帰る、と。で、それと同じことを、彼らはまた次の週末にも繰り返していくわけよね。ただ、わたしはそういう人生はごめんだった。TGにしても同じことで、そんな風に人生を過ごすことに、わたしたちはまったく興味がなかった。だから、わたしたちが求めていたのは、人びとが人間として成長していくことだったし……そうやって彼らに、可能な限り彼らの人生をフル体験していってほしかった、というね。

なるほど。

コージー:だから、わたしたちは何も、「ぞっとするような、残酷な人間になりましょう」と提唱していたわけではなかったしね。そうではなくて、「人間や日常にあるひどい現実にちゃんと目を向けて、それを良いものに変えていこう」と。

でも、あの当時、あなたたちの音楽は「ひどいシロモノ」、「音楽ではない」みたいに形容されたこともあったわけですよね。そこは、辛くはなかったでしょうか?

コージー:いいえ、別に。だって、わたしたちは現実を提示していただけだったし。人間のありさまに備わった、もっとも残忍でひどい部分、その失敗をプレゼンしていただけの話であって。だから、やっているわたしたち自身がむかつかされる、ひどい人間だったわけではなかったでしょ? 多くの人びとにしても、それは同じこと。わたしたちは悲惨な出来事を歌ったかもしれないけれど、それは別に、わたしたち自身がやった行為ではなかったんだし。

有名な“ホット・オン・ザ・ヒールズ・オブ・ラヴ”のような曲は前作の“ユナイティッド”の延長かもしれませんが、イタロ・ハウスとTGとの関係をあらかめた明らかにするもので──

コージー:(苦笑)。

で、TGがイタロ・ディスコとリンクしたのは、 そのエロティシズムとミニマリズムゆえだと思うんです。

コージー:ああ、なるほどね。

で、アシッド・ハウス以降のダンス・ミュージックのシーン、ハウス、 テクノ、ミニマルで、あなたがとくにお気に入りのDJ/ プロデューサーがいたら教えて下さい。

コージー:とくにいないわね。というのも、わたしたちは……というか、わたしがTGでやっていた頃は、その手の音楽はまったくやっていなかったと思う。ただ、TGが終わった時点で、わたしとクリスとはTGとはかなり違う進路を採ったし、そこから何年かのあいだ、ふたりでそういうルートを進んでいった。だから、あの頃のわたしたちはトランス・ミュージックみたいなものもやったし、あるいはあなたがそう呼びたいのなら「テクノ」でも構わないけれども、その手の音楽はかなり初期の段階でやっていたのね。だから、その手の音楽がメインストリームになった頃までには、わたしとクリスはもうそこから去っていた、別の何かに向かっていたし、あまり気に留めていなかったわ。

あなたが個人的にもっとも好きなTGのアルバムはどれですか?

コージー:あー、参ったなぁ……どれだろう??

(笑)。

コージー:……そうね、たぶん、『D.o.A.』? 自分でもはっきり決められないけれども……。 

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だから、わたしたちは何も、「ぞっとするような、残酷な人間になりましょう」と提唱していたわけではなかったしね。そうではなくて、「人間や日常にあるひどい現実にちゃんと目を向けて、それを良いものに変えていこう」と。


Throbbing Gristle
The Second Annual Report

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わかりました、質問を変えます。これまで長く活動してきていちばん辛かった時期はいつですか?

コージー:80年代半ばから後半にかけて、だったでしょうね。そう、あれはタフな時期だった。というのも、あの頃のわたしたちはものすごく貧乏だったし(苦笑)、わたしとクリスのふたりは一文無しで。その頃までにはわたしたちには子供も生まれていたし、その意味でもきつかった。

なるほど。

コージー:そうは言っても、それは経済的に困難だったという意味であって、子供が生まれたことそのものがきつかったわけではないけどね。息子は素晴らしい子供だったし……だから、(辛い時期だったと同時に)あれはわたしの人生でもっとも幸せな時期でもあった。というのも、わたしたちはロンドンから田舎(※ノーフォーク)に移って、とにかく自分たちのやりたいことを思った通りにやり、そうやって色んなことに取り組んでいたわけで。だから、あの時期でもっとも苦しかったのは、経済的な面においてだった、ということ。クリエイティヴな面に関して言えば、それが問題になったという経験は、わたしには一切なかったわ。どういうわけか、自分はそれらのクリエーションを生み出すことができてきたんだし。

はい。

コージー:それに、お金がないと、逆にクリエイティヴにもなる、何か自分でつくったりするでしょう? ありがたいことに、クリスは機材を自作できる人だし(笑)、だから彼は安物の機材を買ってきて彼なりに手を加えていったし、その結果として新しい響きのサウンドが出てきたり。だって、他に同じ機材を使っている人はいなかったわけだしね。だから、辛く貧乏な時期でも、そこにはまた良い面、ポジティヴな面も備わるものだ、と。

お話を聞いていると、あなたはこう、ネガティヴな状況のなかにあっても、そこで文句を言ってダラダラしているよりも、物事のポジな面を常に探していく、そういう人のように感じますね。

コージー:っていうか、そうするしかないから。でしょう?

Gazelle Twinのアルバムに参加したり、Nik Colk Voidと一緒にCarter Tutti Voidとしてアルバムを出したり、 下の世代との交流も見せていますが、彼女以外にもほかに共感する若い世代のミュージシャンがいたら男女問わずに教えて下さい。

コージー:あー、誰かしら? その質問って、ほんと苦手なのよね。

(笑)。

コージー:苦手。急にそう訊かれても、こっちはとっさに「この人」と思い浮かばないから。わたしはただ、他の人びとの音楽を聴いているだけだし……まあ、わたしたちはああやってGazelle Twinのリミックスを手がけたんだし、そうね、いまだったら彼女、ということになるかしら。彼女は素晴らしいなと思ってる。

Gazelle Twinのどんなところをあなたは評価しますか? 

コージー:彼女の音楽がジェンダーレスに感じられるところ、わたしはそこが好きね。だから彼女の音楽がとても好きなんだし、とても力強い音楽で。ええ、あれはとてもパワフルな音楽だし、内面の奥深いところから出てきたもので……だから、前情報なしに音楽だけ聴いたら、それをつくったのは男性、あるいは女性なのか、わたしには聞き分けられなかったでしょうね。

ここ何年かはCTIやChris & Coseyでの活動も最近はしていませんが、 あなた個人が活発的に見えます。あなた自身の活動で言うと、なにか新しいプロジェクトを考えているんでしょか?

コージー:ええ。というか、Chris&Coseyではなく、わたしたちはいまはCarter/Tutti名義で活動しているわけだし。そのCarter/Tutti名義で出したいちばん新しいアルバムはリミックスだったし、それにCarter Tutti Void作品にしても、あれは進行中のCarter/Tutti作品の一部であって……だから、プロジェクトを進めていくなかで、わたしたちは「他の誰かとコラボレーションをやろう」と思い立ったわけ。で、ニックとやってみたところ、それが上手くいってしまい、アルバムにまで発展した(苦笑)、と。だから、あれもまたとくに期待してやったことではなかったし、その意味で『セカンド・アニュアル・リポート』にちょっと似ているわね。思いもしないところから出てきた、という。

そうなんですね。

コージー:でも、それとは別に、Carter/Tuttiとしてのマテリアルはかなり別にしてキープしてある。わたしとクリスのふたりだけでつくってきた音源がね。ただ、わたしたちにはやらなくちゃならないプロジェクトが他にまだいくつかあるし、それらのC/T音源に取り組めるのはその後、ということになるでしょうね。できれば、来年には取りかかりたいと思っているけれども。

最後に、ぜひ日本でライヴやって欲しいです。

コージー:アハハハッ!

(笑)え? 日本はそんなに意外ですか?

コージー:(笑)だって、わたしにはあまりにも遠い国だから。

そんなぁ、たかが12時間のフライトですよ!

コージー:12時間? いや、わたしは心臓に持病があるから……

ああ、そうなんですか。それは残念です……

コージー:そうなのよ。だから、別に日本に行きたくない、というわけじゃないのよ。

うーん、でも、たとえばどこかの国で乗り換えて、フライト時間を分割するとか、無理ですかね?

コージー:そうやって、立ち寄った経由国で合間にホリデーも楽しんだり?(笑) 

(笑)。

コージー:でも、わからないわよね? もしかしたら実現するかもしれないんだし。

(了)

★TGのバックカタログが来年もリイシュー決定!

2018年1月26日
『D.o.A. The Third And Final Report』
『Heathen Earth』
『Part Two: Endless Not』

2018年4月27日
『Mission Of Dead Souls』
『Greatest Hits』
『Journey Through A Body』
『In The Shadow Of The Sun』

interview with Mount Kimbie - ele-king

 ケンドリック・ラマーは今年リリースした新作で、驚くべきことにU2をフィーチャーしている。さらに彼は来年、ジェイムス・ブレイクとともにヨーロッパを回るのだという。いまでも黒人たちの一部は心の底から白人たちを嫌っているという話も聞くが、どうやらケンドリックはそうではないらしい。彼の選択はたぶん、そういう対立を少しでも突き崩していこうという試みなのだろう。それがどこまで成功するのかはわからない。過度な期待はいつだって裏切られる。そう相場は決まっている。
 そんなケンドリックの果敢な試みに代表されるように、近年ブラックのサイドが積極的にホワイトのサイドへとアプローチしていく動きが目立っている。その起点となったのはおそらく去年のビヨンセのアルバムだろう。彼女はその力強く気高い作品で、ジャック・ホワイトやジェイムス・ブレイクといった白人のアーティストたちを積極的に起用した。その横断的なチャレンジは、エリオット・スミスやギャング・オブ・フォーをサンプリングしたフランク・オーシャンや、デイヴ・ロングストレスとの共作を試みたソランジュへと受け継がれることになる。そして今春、ついにジェイ・Zまでもが自身のアルバムにジェイムス・ブレイクを招待するに至った。そのトラックでブレイクとともにプロダクションを手掛けていたのが、マウント・キンビーの片割れ、ドミニク・メイカーである。つまり、引く手あまたのブレイクだけでなく、その盟友たるマウント・キンビーもまた、そのような越境ムーヴメントの一端をホワイトの側から支える存在になったということだ。
 そんな背景があったので、以下のインタヴューではドミニクにそういう昨今の傾向について尋ねているのだけれど、どうもうまく質問の意図が伝わらなかったようで、「近年はUSのメジャーとUKのアンダーグラウンドが結びついていっているよね」という話になってしまっている。こうして期待は裏切られるのである。


Mount Kimbie
Love What Survives

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 それはさておき、最初にマウント・キンビー4年ぶりのアルバムがリリースされると聞いたときは、それはもう胸が躍った。“We Go Home Together”や“Marilyn”といったトラックが公開される度に、勝手にイメージを膨らませては「今回はぐっとR&B~ソウルに寄った作品になるんじゃないか」「いや、彼ららしいダウンテンポなムードをより洗練させたものになるんじゃないか」などと予想を繰り返していた。そうして迎えた夏の終わり、いざ蓋を開けてみると――これがクラウトロックなのである。冒頭の“Four Years And One Day”からしてそうだ。完全にやられた。アルバム全体が、何やらパンキッシュなエナジーに満ち溢れている。いや、たしかにバンド・サウンドそれ自体は前作『Cold Spring Fault Less Youth』でも試みられていたけれど、それがここまで大胆に展開されるとは思いも寄らなかった。こうして期待は裏切られるのである。
 クラウトロックだけではない。マウント・キンビーの新作『Love What Survives』には、さまざまな音楽の断片がかき集められている。本作を聴き込めば聴き込むほど、それらの断片たちが要所要所で効果的な役割を果たしていることに気がつくだろう。そういえば本作をインスパイアした楽曲を集めたという彼らのプレイリストでは、ロックからアフリカ音楽まで多様な楽曲がセレクトされていたし、彼らがやっているNTSのラジオ番組には、ジェイムス・ブレイクやキング・クルールといったお馴染みの面子に加え、ウォーペイントケイトリン・アウレリア・スミスアクトレスからウム・サンガレ(!)まで、じつに興味深いアーティストたちがゲストとして招かれていた。つい先日も、アルバム収録曲の“You Look Certain (I'm Not So Sure)”をケリー・リー・オーウェンスがリミックスしたばかりである(彼女はマウント・キンビーの欧州ツアーのサポート・アクトにも抜擢されている)。そんな彼らのレンジの広さや音楽的探究心の断片を、クラウトロック~ポストパンクというムードのなかにさりげなく、だがこの上なく巧みに落とし込んでみせたのが、この『Love What Survives』というアルバムなのだ。

 10月9日、この取材の後に渋谷WWWXにておこなわれた彼らのライヴは、荒削りな部分が目立つ場面もあったものの、アルバム以上にエネルギッシュな熱を帯びており、まるで新人ロック・バンドのステージを観覧しているような気分になった(ファーストやセカンドの曲が新たに生まれ変わっている様もじつにスリリングだった)。いや、じっさい、4人編成という点において彼らは新人である。つまり……マウント・キンビーは今回のアルバムやパフォーマンスで、いわゆる「初期衝動」のようなものを演出しようとしているのではないか。そう考えると、なぜ彼らがこの新作に『Love What Survives』という意味深長なタイトルを与えたのか、その動機が浮かび上がってくる。「生き残るもの」とは要するに、かれらが最初に音楽を作り始めたときに抱いていた気持ちや勢い、刺戟のことだったのである。
 そんなわけで、「生き残るもの」というのはきっと政治的・社会的に虐げられている人びとを暗示しているのだろう、という小林の浅はかな先入観は見事に覆されることとなった。そして、ファースト・アルバム『Crooks & Lovers』のジャケに映っていたのはおそらくチャヴだろう、という編集部・野田の予想も外れてしまった。こうして期待は裏切られるのである。そんな素敵な裏切り者ふたりの言葉をお届けしよう。

 

よくわかっていないからこそ、そういう音楽のスペースのなかで、自分たちなりの解釈で何かをやってみるのもおもしろいんじゃないかと思ったんだ。 (カイ)

マウント・キンビーの音楽について、日本ではいまでも「ポスト・ダブステップ」という言葉が使われることがあるんですが、UKでもまだそう括られることはありますか?

カイ・カンポス(Kai Campos、以下カイ):いまその括りは死につつあるね(笑)。たしかに、僕らが初めてのアルバムを作った2010年当時、その言葉と一緒にその手の音楽がバーッと出てきて、ほんの短期間のうちにダブステップという音楽の概念がガラッと入れ替わった時期があったと思うんだけど、いまはだいぶ死に絶えてきているね。たぶんこのアルバムが出たあとには完全になくなるんじゃないかな(笑)。

これまでそう括られることにストレスは感じていましたか?

ドミニク・メイカー(Dominic Maker、以下ドム):いや、けっしてその呼び名に納得はしていなかったけど、とくに気にもしていなかったよ。とにかく自分たちの音楽がひとつの箱に収まりきらないようなものであってほしい、ジャンルの境界を跨いでいるようなものであってほしいという意識で音楽を作ってきたし、じっさいいろんなことをやっているから、それが「ポスト・ダブステップ」だろうがなんだろうが、ひとつの言葉で括ってしまうのは僕らの音楽にはふさわしくないんじゃないか、という思いはつねにあったね。

今回のアルバムからはクラウトロック~ジャーマン・ロックの影響を強く感じました。

カイ:たしかにいままでやっていたエレクトロニック系の音楽よりも、ちょっと前の時代のエレクトロニック・ミュージックに遡ったようなところはあるよね。クラウトロックやジャーマン系の音に聴こえるというのは僕らも認めるところだけれども、僕らはけっしてそのジャンルに詳しいというわけではないんだ。(クラウトロックを)ずっと聴いてきてよくわかっているからそれをいまやってみた、ということではないんだよ。逆に、よくわかっていないからこそ、そういう音楽のスペースのなかで、自分たちなりの解釈で何かをやってみるのもおもしろいんじゃないかと思ったんだ。「セミ・エレクトロニック・ミュージック」とでも言うのかな。過去を振り返って、リズムや楽器の編成といったところからアイデアを引っ張ってきて作ったのが今回のアルバムかな。

他方で本作からは80年代のポストパンク~ニューウェイヴの匂いも感じられます。そのあたりの音楽も参照されたのでしょうか?

カイ:その手の音楽はUKではかなり広く愛されていたから、僕らも自ずと踏んできてはいると思う。当時はブリティッシュ・ミュージックのなかでもおもしろい時代だったと思うし。ただ僕らの場合、たとえばスクリッティ・ポリッティとか、ああいったバンドは最近になって聴いているんだよね。あの頃の音楽が持っていた、とくにパンクのアティテュードに見られるようなポジティヴな要素を自分たちのアルバムの制作過程に持ち込んだというか、そういうことは今回あったような気がする。あと他にもこのアルバムには、自分たちの音のパレットが幅広くなればと思って、ソウルやディスコみたいなものも組み込んだつもりなんだ。だからいろんな音が聴こえてくると思う。でもけっして後ろばかり振り返っているわけではなくて、あくまで前に進もうとしている作品だと思っているよ。

昨年リリースされたパウウェルのアルバムはお聴きになりました?

ドム:聴いたと思う。バンドっぽいやつだよね? 僕は好きだったよ。聴いていて楽しかった。

エレクトロニック畑の人がパンキッシュなサウンドをやるという点で、今回のアルバムと繋がりがあるように思ったんですよね。

カイ:そりゃそうだろうね。だってこういう発想は僕らが思いついたものではないし、大きな流れのなかで、いろんな人が同時発生的にやってみたくなった時期なのかもしれないからね。


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じつを言うとキング・クルールとの曲の歌詞はいまだに意味がわかっていないんだ(笑)。まだ解読中だね(笑)。 (カイ)

今回のアルバムに影響を与えた楽曲のプレイリストが公開されていますが、そこではロバート・ワイアットやアーサー・ラッセル、スーサイドやソニック・ユース、ウィリアム・バシンスキからアフリカのバンドまで、かなり多様な楽曲がピックアップされていました。それらはおふたりが今回のアルバムを作っていく過程で発見していったものなのでしょうか?

ドム:あれはじつは、僕らはラジオ番組をやっていたんだけど、それ用のプレイリストという側面が大きいんだ。曲をかけるためにいろんなものをチェックして聴いていくなかで幅が広がっていったんだけど、その作業で見つけた曲もプレイリストに入っている。番組をやっていく過程でかなり大量の音楽を吸収して消化したんだ。それは今回のアルバムにも影響を与えていると思う。あと、番組に来てくれたゲストから教えてもらったものもあるね。僕らがリスペクトしている人が来てくれたんだけど、どんなふうに音楽を作っていくのか聞いていくなかでおもしろいものと出会ったりして、そういうこともすべてあのプレイリストには詰め込まれているんだよね。

カイ:そうやって考えるとおもしろいね。そういう流れがあってあのアルバムに至っている、ということがプレイリストからもわかるよね。

今回のアルバムには4組のゲストが招かれています。キング・クルールは前作にも参加していましたが、4曲目の“Marilyn”にフィーチャーされているミカチューはどのような経緯で参加することになったのでしょう?

カイ:ミカチューは、僕らふたりが音楽を作り始める前からファンだったんだ。知り合ったときに「いつか一緒にやろう」という話をしていたんだけど、それから2年くらい話が続いていて(笑)。今回いよいよ一緒にやる機会に恵まれたわけだけど、作ってみたらあっという間で、すごく相性がいいのかなと思える時間だったよ。だから、僕らにとってはようやく実現できたスペシャルなトラックなんだ。

その“Marilyn”はアルバムの他の曲と趣が異なっていますが、7曲目の“Poison”や、ジェイムス・ブレイクが参加している8曲目の“We Go Home Together”と11曲目の“How We Got By”の2曲も他の曲と雰囲気が異なっているように感じました。本作をこのような構成にしたのはなぜですか?

ドム:今回のアルバムは全体を通してすごくヴァラエティに富んでいると思う。いま挙げてくれた曲に限らず、個性的な曲ばかりが詰まっていると思うんだけど、それだけにアルバム全体の流れというか、全体で聴いたときの消化具合がうまくいくように、ということをすごく考えて曲順を決めたんだ。ミカチューとの曲もジェイムスとの曲もそうだけど、自分の頭のなかで曲順を組んでみたときに、“Marilyn”は突出しているという印象があって。(この曲は)アーサー・ラッセルの影響がすごく大きいと思うんだけど、とくにユニークな曲だからアルバム全体の流れのなかで活かしたいと考えたんだ。

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ジェイ・Zから「ジェイムス(・ブレイク)に歌ってほしい」というオファーがあったんだ。そのときちょうど僕がジェイムスが歌うことを想定して書いていた曲があって、それをやろうかってことになったから、僕も関わることになったんだよ。 (ドム)


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Love What Survives

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春頃から少しずつアルバムの収録曲が公開されていきましたが、先行公開曲のセレクションに関しては何か意図があったのでしょうか? 公開された曲からぼんやりとアルバムのイメージを膨らませていたのですが、蓋を開けてみると想像していたのとはまったく違い、とてもパンキッシュで驚きました。

カイ:最初に何を公開するかみんなと話し合ったときに意見が一致したのは、ゲスト・ヴォーカルの入っている曲から公開するのが理に適っているんじゃないか、ってことだった。やっぱりヴォーカルが入っているというのはみんなに伝わりやすいだろうし、わかりやすいよね。それを聴いて「アルバムはどんな感じなんだろう」という期待感を煽る狙いで最初の2曲(“We Go Home Together”、“Marilyn”)を選んだんだ。でも、その2曲はみんなが消化するのにちょっと苦労する曲だったかもしれない。それをあらかじめ出しておいて、他の曲より先に聴いてもらうことによって、あとでアルバムを聴いたときに、その曲のあいだにあるどの曲もフィットしたものに聴こえるようになる、という枠組みを提示することができたかもしれないね。

ドム:ジェイムスの曲もミカの曲もそうだけど、僕らはしばらく鳴りを潜めていたから、タイトルのなかにそういう有名な人の名前(ビッグ・ネーム)が入っていることによって注目を集めることができるんじゃないか、という意図もあったね。

いまヴォーカル曲の話が出ましたが、今回のアルバムにはハードな生活を送っている人たちの登場する曲が多いように感じました。リリックに関して何かコンセプトやテーマのようなものはあったのでしょうか?

カイ:歌詞は、僕らと客演してくれたシンガーとで一緒になって作ったんだけど、基本的には彼らが伝えたいストーリーをそのまま語ってもらえればいいと思っていたんだ。だから僕らが影響を与えたというか、注文をつけたことがあるとすれば、「この曲にはこういうふうに(言葉を)乗せてほしい」という、歌い回しやフレージングに関することだね。「ここに乗せるためには音節はこうじゃないほうがいい」とか、そういう注文はしたけれど、歌詞の内容に関しては自由にやってもらったよ。だから、(それぞれの)曲のメッセージには一貫性がないんだ。でも、そういうふうにやってもらったほうが幅の広さという意味でいいレコードになるんじゃないかと思って。ただ、レコーディングの段階では僕らも完全には歌詞を咀嚼しきれていなくて、じつを言うとキング・クルールとの曲の歌詞はいまだに意味がわかっていないんだ(笑)。まだ解読中だね(笑)。でもライヴでやるときは、あくまでも僕らのものとして消化してやっているから、歌詞の内容もレコードよりももっとフォーカスした内容になっているんじゃないかな。

ドミニクさんはいまLAに住んでいるんですよね。

ドム:そうだね。

LAへ移住したのはなぜ?

ドム:ガールフレンドが向こうに住んでいたからだよ。(移住して)もう2年になるね。天気もいいし、楽しんでいるよ。

ということは、今回のアルバムの制作はカイさんとデータをやり取りする形で進めていったのでしょうか?

ドム:いや、行ったり来たりしながら作ったよ。(UKには)しょっちゅう行くから。ノルウェー航空とかの安い航空券を買ってね(笑)。

なるほど。ではおふたりはわりと頻繁に会われているんですね。

ドム:そうだね。メインのスタジオはロンドンにあるんだけど、レコーディングの終盤には感覚やリズムを取り戻したいと思ってライヴを始めたんだ。今度のバンド編成はわりかし新しいものだから、アルバムが出る前からライヴに打ち込みたくて、ロンドンでライヴ活動はしていたよ。そういう意味ではLAに住んでいるからどう、ということもないかな。

ドミニクさんはジェイムス・ブレイクと一緒に、今年出たジェイ・Zの新作『4:44』に参加しています(“MaNyfaCedGod”)。それはどういう経緯で実現したのですか?

ドム:そもそもはジェイ・Zから「ジェイムスに歌ってほしい」というオファーがあったんだ。そのときちょうど僕がジェイムスが歌うことを想定して書いていた曲があって、それをやろうかってことになったから、僕も関わることになったんだよ。結局2曲で参加する形になったけど、作り方が僕らの慣れているやり方とぜんぜん違っていて、でもそれだけ勉強になったね。いい経験だったよ。


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音楽を作るときの刺戟って僕らがファーストを作ったときと何も変わっていないんだよね。そういう気持ちや勢いが「Survive(生き残る)」ってことなんだ。 (カイ)

ジェイムス・ブレイクは昨年ビヨンセのアルバムに参加していました。また、昨年話題になったフランク・オーシャンのアルバムではエリオット・スミスやギャング・オブ・フォーなど、いわゆる白人の音楽がサンプリングされていて、今回のドミニクさんとジェイ・Zとのコラボもそうなのですが、最近ブラック・ミュージックのビッグなミュージシャンたちが積極的にホワイトの文化を取り入れていっている印象があります。10年前や20年前にはあまりなかったことだと思うのですが、そういう昨今の流れについてはどうお考えですか?

ドム:ドレイクもジャマイカのアクセントを真似して歌ってみたり、グライムが好きで聴いていたりするから、そういう流れはたしかにあるよね。

カイ:カイラの“Do You Mind”(2008年)というUKファンキーの曲があって、むかしUKでビミョーに、ちょっとだけヒットした曲なんだけど、ドレイクの“One Dance”(2016年)ではそれをバックトラックに使っているんだ。もとの曲自体はUKでは大して注目されなかったんだけど、それがいまになってUSの超メインストリームの曲のなかで鳴っているというのはすごくおもしろいことだと思ったよ。そういうのって、(もとの曲に)興味を持ったR&B系のプロデューサーなんかが引っ張ってくるんだろうけど、たとえばビヨンセとかもそうで、メインストリームの人なのにオープンにいろんなものに興味を持ってそれらを取り入れたりしていて、彼女がやればそれに続く人が出てくるし、UKのアンダーグラウンドとUSのメインストリームのあいだにあった大きな壁が、ここ5年、10年くらいのあいだに崩れていっているという実感はあるね。

今作のタイトル『Love What Survives』は「生き残るものを愛せ」ということで、とても意味深長なのですが、これにはどのような思いが込められているのでしょう?

カイ:今回に限らず、レコードを作っているときに考えすぎてしまうのはよくないと思っているから、いつも感覚でいいと思うものを作っていくんだけど、いざどういうタイトルにするか考える際には、「何がモティヴェイションとなって自分たちはこれを作ったのか」ということを振り返るんだ。今回ふたりでこのアルバムを作りながら話していたのは、とにかく(これまでと)違うことをやりたいということや、変化が訪れたらそれをどんどん受け入れて前に進んでいこうということだった。そういう音楽を作るときの刺戟って僕らがファーストを作ったときと何も変わっていないんだよね。そういう気持ちや勢いが「Survive(生き残る)」ってことなんだ。新しいことをやったり、刺戟を絶やさないことで生き残っていくというか、自分たちのまわりにあるものを受け入れて、ケアをしながら大事に音楽を作っていくというか。そういう気持ちを可能にするには好奇心が必要だったり、変化に対するオープンな気持ちが必要だったり、あとは違うアプローチを恐れないということが必要だったりして、(『Love What Survives』は)そうやって生き残ってきたものを大事にするというような作り方に対する考えなんだ。でもこれは僕の解釈であって、聴いた人がどう解釈しても構わないんだけどね。

ドム:同感だね。

今回のアルバムはアートワークもユニークですが、被写体の彼は何をしているんでしょう?

ドム:いい質問だね(笑)。

カイ:本当は実際にアートワークを制作してくれたデザイナーのフランク(・レボン)に聞いてもらうのがいいんだけどね(笑)。フランクは今回のヴィデオもほぼすべて手がけることになっているんだ。このジャケットは彼が撮影してくれたものをもとにデザインしたものなんだけど、僕らと彼とではアルバムに対する見方がちょっと違っていて、だからこそおもしろいんだと思う。レコードにあのジャケットが付いたことによって、作品として僕らふたりのアイデア以上の存在になったんじゃないかなと思っている。けっこうインパクトは大きいよね(笑)。見た目もそうだし、フィーリング的にも。僕らだけの作品じゃなくなった気がして好きなんだ。まあ詳しいことはフランクに聞いて(笑)。彼はキャラクターになって何かをやるのが好きなんだ。

このジャケットを見て、ファースト・アルバムのジャケットを思い出したんですが――

カイ:フランクはファーストのアートワークを手がけたタイロン(・レボン)の弟なんだ。

へえ!

カイ:ファーストから今回のアルバムまでのあいだに僕らのなかですごくいろんなことが変わったんだけど、そこ(アートワーク)で繋がっているというのはおもしろいよね。

ファースト・アルバム『Crooks & Lovers』の被写体の女性は、いわゆるチャヴなのでしょうか?

ドム:あの女の子? ぜんぜんわからないな(笑)。

カイ:デザイナーに聞かないとわからないし、たぶんデザイナー本人もわかってないよ(笑)。

いまはこうして来日されて、ツアーの真っ最中だと思いますが、それが一段落ついたら何かやってみたいことはありますか?

カイ:ここ4年はけっこうおとなしくしていたから(笑)、いまは動きたくて、このツアーができるのが嬉しいよ。もうオフはいいや(笑)。

ドム:僕はこのあとホリデイで、フィリピンに行くんだ。日本ではカイとツアー・メンバーみんなで一緒に京都に行く予定だよ。そうやってちょっと休んで、また動き出したいね。


たとえ世界を敵にまわしても - ele-king

ただ、とにかく自分自身に関しては、自分まで自分の敵になったら本当に悲しいから、たとえ世界中や親兄弟が敵になっても、自分だけは自分の味方でいなさいよ、とは言いたいです。それは本当に大事だと思います。そのためにも、無理にでも自分を好きになる努力をしなさいということは言いたい。(本書より)

 ソウルやファンクをブラック・カルチャー無しでは語れないように、ディスコやハウス・ミュージックはゲイ・カルチャー無しでは語れない。ぼくたちは知っている。デトロイト・テクノからUKインディ・ロックまでもが、さんざんその恩恵にあずかっていることを。そしてぼくたちはアントニー・アンド・ザ・ジョンソンも聴いたし、アルカのインタヴューも読んだ。『マイ・ビューティフル・ランドレット』も観た。ゲイ・クラブにも行ったし……、わかった、じゃあ、『ゲイ・カルチャーの未来へ』を読んでくれ。

 『ゲイ・カルチャーの未来へ』は、日本のゲイ・カルチャーの、美術面においては先駆的とも言える巨匠、田亀源五郎の語り下ろし。いまでは、第19回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した『弟の夫』の作者といったほうが通りが良いかもしれない。欧米では毎年個展が開かれるほど評価の高いこのアーティストは、他方ではSNSなどを介して社会派としても認識されている。
 『ゲイ・カルチャーの未来へ』では、田亀源五郎の半生が語られ、『弟の夫』について、ゲイのエロティシズムについて、そして日本社会について語られている。「LGBTブーム」と言われて久しいが、日本では、いまだ欧米のようにカミングアウトが根付かないのは、何故なのだろう──
 田亀源五郎という開拓者の人生を知り、日本においてゲイを取り巻く状況を知る。そして力強い励ましの言葉を読む。企画・編集の木津毅から届いた本書の原稿を読んだとき、編集部は泣いた。
 10月31日、本日発売。とにかく、読んで欲しいっす!


田亀源五郎(著) 木津毅(編)
ゲイ・カルチャーの未来へ

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gifted/ギフテッド - ele-king

 泣いた。普通に泣いた。権力者たちにとって、古くは「気をつけた方がいい」とされてきた「頭がいい貧乏人の子ども」は、いまでは「国家のために役立つもの」とされ、存在意義があることにシフト・チェンジしている。ネオ・リベラルは子どもの脳もある種のレアメタルと見なし、早いうちに摘み取っておくものから早いうちに大事にするものに昇格し、どこの国でも天才児狩りのような様相を呈している。それこそ頭が良いか悪いかだけでなく、特殊能力を持つ子ども全般に話を広げると、雑誌などの天才児特集はまるでサーカスかイリュージョンを見ているような気分になるし、低年齢化が進むフィギュア・スケートの選手なんて、メンタルとフィジカルがあまりに釣り合っていなくて、いつのまに日本は旧ソ連みたいなマン-マシーンを生み出す国になっていたのだろうと歴史観すらおかしくなってくる。人類というのは、全体としては一体何がやりたいのかというか。

 特別な才能があるのなら、それを伸ばせるに越したことはない。本人だってどこかに埋もれているよりは幸せだろう。だけど、才能が頭角を表すまで待っていられないという焦燥感だったり、幼少期にまで管理の網の目が張り巡らされている感覚は微妙に受けつけがたい。資源にも製造業にも頼れなければ「頭脳国家シンガポール」という国家のあり方しかないのかもしれない。勉強のできる子どもが金にしか見えなくなっている親もそこら中にいるだろう。地下鉄サリン事件が起きた際、TVの報道番組で自分の教え子がオウム真理教に入信していたことを受けて、日本の物理学がこの先、どうなるかを心配していた人がいた。そう、教え子本人の精神状態とか健康のことはまったく心配しないのかなと、僕はその研究者の冷たさに恐れ入るしかなかった。

 7歳で天才的な数学の才能を見せた女の子の話。タイトルの「ギフテッド」というのは天から「贈られた」才能を示す修飾表現が暗喩に転じたクリシェのようで、マッケナ・グレイス演じるメアリーが「ギフテッド」そのものにあたる。メアリーは叔父のフランクとふたり暮らし。これまで『キャプテン・アメリカ』や『アヴェンジャー』といったアクション・シリーズが専門だったクリス・エヴァンスがフランクを演じ、感情のパレットを端から端まで使い切るような新境地を見せている。ここにひとつ意外性が仕掛けられ、フランクがメアリーの「数学」に対して、情緒とか感情のような位置に配置されるのかと思ったら、フランクがメアリーを叱る時は必ず論理的にメアリーを説得し、「ダメといったらダメ」とか「大人の言うことを聞け」といったような過剰に権威的だったり、理屈になっていない叱り方は一回もしなかったことが重要である。メアリーには数学の素質があるという前提で話は進められていくものの、メアリーの数学脳を日常的に鍛えているのは、実はフランクなのである。フランクを含め周囲の誰もがそのことには気づいていない。しかも、このふたりのやりとりが実に面白い。フランクが繰り返すのは何度も話し合ったじゃないかというセリフで、そのすべてを聞きたかったと思うほど、ふたりによる言葉のパスは絶妙だった。冒頭から「スペシャルな朝食だといったのに」とメアリーが怒ればフランクは「スペシャル・ケロッグ」という商品の文字を見せる。メアリーは最初のうちこそフランクに言い返すことができないものの、それが少しずつ対等に近づいていく。

 一方でメアリーの数学脳をもっと伸ばそうとするメアリーの祖母とフランクは裁判所で養育権を争うことになる。ここにもうひとつの論理合戦が始まる。このプロセスも数式の証明のような展開を辿り、途中でメアリーに大きな打撃を与える事実が浮かび上がってしまう。フランクはこの時、非言語的なコミュニケイションでしかメアリーに自分の伝えたいことを伝えられなくなる。言語を超える瞬間。この飛躍がこの作品は感動的だった。メアリーの存在を論理的に肯定するだけではこの映画はそこまでの作品だったかもしれないけれど、メアリーとフランクの間に非言語的なコミュニケイションが成り立った時、むしろ作品のメッセージは完成するのである。言葉、言葉、言葉ででき上がっていると思った作品が自らそれをひっくり返してしまう。しかも、その後でフランクはメアリーを言葉で裏切るのである。

 実際にこの作品を観た方は、ここに書いたことはストーリーの要約になっていないじゃないかと思うことでしょう。確かに物語はもっと別な経緯を辿り、メアリーの担任やフランクの隣人など登場人物はぜんぜん多い。特にフランクの姉は自分でも省略してしまうのはどうかと思うほど重要な役割を負っている。しかし、それらの要素はこの映画をメロドラマ化するための囮のような意味合いが強く、あえて解題の対象としなかった。メロドラマはメロドラマとして楽しめばいいし、僕もそこは普通に泣いた。この映画はそれだけスタンダード作としてよくできている。マーク・ウェブが『(500)日のサマー』の監督だということは忘れて観た方がいいぐらい。あのような奇矯な演出はここでは一切顔を出さない。

 フランクは一貫してメアリーに天才教育を施さない。それは冒頭で書いたように反ネオ・リベ的だし、この映画に出てくるどの登場人物とも同じく非常識と受け取られる。それこそ政治的行為に近いのかもしれない。子どもの脳は子ども自身に属し、アンバランスな成長がもたらす悲劇からは遠ざけなければいけない。そう、フランクがやっていることはいわゆる「男の子育て」ではない。裁判では「ゴキブリ」のことばかり言及されるけれど、この作品で男性の家事能力がまったく問題にされていないのも、その辺りは雑音にしかならないとあらかじめ判断されていたからだろう。もっといえばメアリーが家事を手伝う場面もないし、形而下はスパッと切り捨てられている。メアリーが遊んでいるおもちゃも幾何学を思わせる「レゴ」だったり。

 言葉で裏切られたメアリーは、フランクとの関係が言葉によって修復されるというストーリーにはならない。ここで非言語的な結びつきが活きてくる。言葉にはまず言葉にしなければならない感覚が先行し、それが言葉になっていくプロセスを言葉と称するのではないかと問うようなシーンがそれに応えている。「生きていくなら、言葉にするのを諦めてはいけない」とは蒼井優の言葉だけれど、同じように「非言語から言語へ」と向かうヴェクトルこそ生きていることだと、この作品も訴えかけている。メアリーは最後にデカルトの有名な言葉をもじってみせる。たったひと言足すだけでデカルトの近代的自我が他者性の議論へと変換されてしまう。そして、公園に駆け出していったメアリーはひとりではできない遊びを友だち相手に始める。こうして天才児はただの凡人になれたのである。なんというエンディングだろうか。

 メアリーを「数学」の天才という設定にしたのは、フランクとの論理的な会話を日常に溶け込ませるための方便だったのかもしれない。しかし、「数学」がモチーフになっている映画には、なぜかこのところ面白い作品が多い。先月、取り上げた『ドリーム』もそうだったし、アラン・チューリングの生涯を描いた『イミテーション・ゲーム』(14)はゲイ、ホーキング博士の伝記映画『博士と彼女のセオリー』(14)は身体障害者、同じくシュリニヴァーサ・ラマヌジャンの伝記映画『奇蹟がくれた数式』(16)も人種問題をそれぞれ数学と絡ませ、なぜかイギリス映画が多いなか、圧倒的に意表を突かれたのは『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』だった。『女神の見えざる手』のジョン・マッデンが12年前に撮った作品(この頃も数学モノは多かったかもしれない)である。そこでは『ギフテッド』と似た設定ながら、まったく違う結論が導かれていた。

New Sounds of Tokyo - ele-king

 ラウドで、ダーーーークで、挑発的。鋭く尖った音は未来に突き刺さる。覚悟しとけよ。
 愛情の問題もある。黎明期のテクノがいまだ特別な美をほこるのも、その純粋さと関係なくはないだろう。このレポートのモチベーションのひとつもそこにある。
もうひとつ、ここ10年ほどの欧米のエレクトロニック・ミュージック……たとえばUK(インスト)グライム、ダーク・アンビエントやインダストリアル、まあなんでもいいのだが……こうした比較的新しい、若い世代が主導した、刺々しい海外の動向とリンクする音源を探したくなった。 
 2008年~2009年あたりに欧米の四方八方で発展した「新しい」流れも、気が付けば、行くところまで行っている。サウンドトラックがカンヌで賞を取ったOPN、ケンドリック・ラマーとツアー予定のジェイムス・ブレイク、世界各国のフェスを飛び回るザ・xx、アナログ盤化される昔のヴェイパーウェイヴ、歌モノをやるアルカやローレル・ヘイロー、ストーンズ・スロウから新作を出したウォッシュト・アウト……などなど……などなどに象徴されるように。はじまったと思っていたら、おー、もうこんなになっている。じゃ、日本は?
 今日もまたひどい日だった。新しい景色に飢えていた。ぼくは、いま東京でもっとも尖っている音楽を作っている、若い人間の話を無性に聞いてみたくなった。

■「覚悟しとけよ」──Double Clapperz


ShintaとUKDによるDouble Clapperz。

俺はすげーカッコいいことやってるつもりなんだけど、なかなか理解されなかったり、ブッキングされなかったり、ムカつくからタイトルはこれでいいやって。

 彼らは若い。速いし、突風だ。ダブル・クラッパーズ(略称:ダブクラ)は、すでに名前が知られている。どこまでかって? ロンドンにまで。
いまの彼らの音楽は、現代のもっともエネルギッシュな英国ブラック・ミュージック=グライムに、すさまじく強い影響を受けている。
さて、DJのSintaとトラックメイカーのUKDが出会ったのは2012年。「最初にクラブで会ったとき、ようやく音楽の話が合うヤツがいたと思ったんですよ」とUKD。「グライムの話もしたけど、それだけじゃなかったよね。トラップとか……」とSinta。
 UKDにとって最初の影響はDex Pistolsだった。Bボーイ風なUKDは柔らかい声で話す。「18歳のときにDexのミックスCDを聴いて、それでメジャー・レイザーを知って、ディプロ知って、レゲエやダンスホールを聴くようになった」
 続いて、C.E.のTシャツを着た長身のSinta。StormzyやNovelist、Skeptaについて日本でもっとも熱く語れるライターとしても活躍している米澤慎太朗が言う。「俺は日本語ラップ。高校時代は日本語ラップおたくみたいな感じで、そこからR&Bっぽいところとダンスっぽいところがあったんで2ステップ・ガラージが好きになって。そのあとにガラージ。まだグライムもガラージも明確な違いがなかったような時代でしたね」
「グライムのことも最初は、新しいダンスホールと思って聴いましたから」とUKD。「そこは大事っぽい話ですね」とすかさずSintaが言うとUKDが相づちを打つ。「グライムって、ダンスホール・レゲエの一種かなと」。ふたたび間髪おかずにSinta。「つまりグライムをグライムとしてガッツリ入っていったわけじゃないというか、流れというか。レゲエのMCとか、好きなポイントがあったんだよね」。「あったね。早口のパトワが好きだった」とUKD。「Riko Danとか、あとはPay As You GoとかあのへんのサウンドとMCが好きだよね。レゲエ、ジャマイカンのノリがずっと好きだよね。でもどう考えてもいろんな意味でスケプタはデカいんじゃない? ファッションと音楽を結びつけたのもスケプタだし、UKDはファッションも音楽も好きだし、そういうのもあるとは思うけど。最初のきっかけは音楽がカッコいいし、見た目もカッコいいしってところだよね」とSintaがまとめる。
 ふたりの音楽制作は、「WarDub」が契機になっている。

Shinta:ワーダブっていうオンラインでやっていたグライムのコンペというか、MCたちがバトルで相手を口撃するように、DJたちもDJ同士で相手を攻撃しあう企画があったんですよ。

UKD:曲を送りあうんですよね。Twitterで@マークをつけて送るんですけど」

Shinta:けっこう毎年やっているっすけど、すごかったのは2013年ですね。グライムがまたおもしろくなってきたというのもそのへんからで、そこでいま活躍しているアーティストがほぼ全員参加しているんですよね……まあ、曲を作ってSound Cloudに出しただけなんですけど。そんなことしてもまず話題にもならないんですけど、マーロ(Murlo)っていうプロデューサーがいて、ロンドンのリンスFMで番組をやっているんですけど、その人が〈Butterz〉のショウに(ダブル・クラッパーズの)曲を送ったんですよ。Twitterで「曲をくれ」っていう@マークが来たんで送ったら、それをリンスFMでかけてくれたんですよ。そこからSoundcloudにDMがガーッと来たりしましたね」

このリアクションが、「日本でもやるけどUKとかを通じて世界中のリスナーにも届けたいという活動スタイルの原点」となった。で、その曲こそが、後にダブル・クラッパーズの最初のEPになる「Say Your Prayers」のオリジナル。

UKD:「Say Your Prayers」とは「覚悟はいいか」っていう意味ですね。

シンタ:「覚悟しとけ」みたいな(笑)。「お前の祈っている奴に言っとけ」って意味。しかも当時はジャージー・クラブとかの影響もめっちゃあったよね。聴いてもらったらわかるっすけど、グライムだけじゃないんですよ。

 この話は、ゴス・トラッドがUKで受け入れられた話を彷彿させる。たまたま自分が好きなことをやったらダブステップのシーンで受けたように、ダブル・クラッパーズもダンスホールやジャジー・クラブ、ボルチモアを自分たちなりに咀嚼したらそれがグライムのシーンで受けたというわけだ。
 ゴス・トラッドがディストピアを表現していたとしたら、ダブル・クラッパーズはより直球にダンスフロアに突き刺さるサウンドを目指している。“Say Your Prayers”の新ヴァージョンを収録した2016年に自主で制作した12インチには、なかばブートのような作りで、そのB面にはUKのグライム集団、Ruff Sqwadの曲のリメイクが収録されているが、すでにSintaはロンドンのギグに呼ばれているし、スケプタとも共演している。今年初頭には、ディジー・ラスカル以来の天才と言われる若きMC、カニエ・ウエストもお気に入りのノヴェリストを日本に招聘している。

 しかしながら、グライムとはUKならではの、ローカル色がもっとも強いスタイルだ。ぼくが今回もっとも聴きたかったのは、彼らが〈東京のサウンド〉をどう思っているのかということだ。「俺はその答えを持っているけど」とSintaが言う。「それは……俺たちがこれから作るモノ」
 こうした彼らの強気な姿勢、若さゆえの良き暴走は10月にリリース予定のセカンド・シングル「Get Mad」に集約されている。印象的なメロディとハードなドラミングで、人を駆り立てるような迫力満点のこの曲は、ある程度名前が浸透してからのダブル・クラッパーズの最初のシングルになる。 

「UKDが最初に出してきた曲が“Get Mad”って名前なんですけど、だからそもそもなにかしらブチ切れているんですよね(笑)」とSintaがが曲名について説明する。「Madというのはふたつの意味があるというか、『この曲はMadだね』と言ったら『ヤバい!』という意味だけど、“Get Mad」”と言ったら『キレる』って意味もあるじゃないですか。しかし……なんでそんなタイトルつけたんだろうって思うけどね」
「僕はけっこう承認欲求とかが強くて」とUKDが答える。その場は笑いに包まれたが、彼は冷静に話しを続けた。「俺はすげーカッコいいことやってるつもりなんだけど、なかなか理解されなかったり、ブッキングされなかったり、全然注目されないというのが、(だんだん認められて)自信がついてくると『なんでだろう?』って。けっこう頑張ってるのになと思って、あの曲を作ったんですよ。ムカつくからタイトルはこれでいいやって」
「というかまずあのヴァイオリンのリフが出来ていて、その時点でこれは狂気だなと思って(笑)。BoylanっていうUKのプロデューサーを起用したんですけど、そのときヴァイオリンのリフが超マッドだから使おうってことになって……」

 彼らの音楽に直結する強い気持ちは、彼らが所属する世代、20代半ばという若さと結びついている。たしかに90年代の東京には、20代が安く借りられてパーティできる場所がまだあった。新しいことをやる実験の場と週末の夜の娯楽の場とのバランスが取りやすかった。
 もちろん500人以上の集客を義務づけられているような商業クラブがあることが必ずしも悪いことではない。が、そればかりというのはまずい。自分がいま20代だったら、自分がかつて20代のときだったように、毎週末をクラブで過ごしたいと思っただろうか。
「だからぼくらが変えていくしかない」とSintaが言う。彼らは去る8月の半ばに「Get Mad」のリリース・パーティを終わらせたばかりだ。「ぼくらのリリース・パーティに集まっている子ってそういう(クラブで盛り上がった世代の下の下の)世代だし、遠慮なく楽しめるし。お金を持っていないと楽しめないみたいなパーティばっかりになっているから、ぼくらのリリース・パーティはエントランス・フリーでやった。そうしたら平日の夜なのに40人ぐらい集まって、20枚ぐらいのTシャツが売れた(笑)」
 実際のリリースまでまだ3ヶ月もあるのに、リリース・パーティをやるには早するだろう(※この取材は8月末)。「いや、それがいいんですよ」と彼らは不敵な笑いを見せる。最後にぼくは彼らの当面の目標を訊いてみた。「とくにああいう風になりたいというのはないんですけど……」こう前置きしたうえでUKDが力強く答える。「ゴス・トラッドさんの次に続くのは俺らでありたいと思いますね」
ダブル・クラッパーズの時代が近づいていると思うのはぼくだけじゃないだろう。

※出演情報
10/27 (金) 23:00- @Circus Tokyo dBridge & Kabuki pres. New Form
https://circus-tokyo.jp/event/dbridge-kabuki-pres-new-forms-tokyo/
11/3 (金) 23:00- @恵比寿Batica
Newsstand 2nd Anniversary


ようやくリリースされた待望の2nd EP「GET MAD」。
取扱店はDisc Shop Zero,Dubstore 、Naminohana Records、Disk Union Jet Set。Bandcamp : https://doubleclapperz.bandcamp.com/

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■ダブの新解釈──Mars89 

新しい動きとして面白いと思うのは、食品まつりさん。DJでは、セーラーかんな子ちゃんがおもしろいですね。彼女のDJは、毎回そう来るかという驚きがあって。DJとしてすごくユニークですね。

 パッションの塊のようなダブル・クラッパーズに対し、飄々としているのがMars89。彼は台湾で買ったという台湾語がデザインされた鮮やかなオレンジ色のTシャツを着て自転車に乗って現れた。待ち合わせ場所は都内の図書館の入口。ぼくは彼の顔を(そして電話番号も)知らない。しかし、彼が現れた瞬間に彼だとわかった。
 下北のレコード店、ZEROのカウンターに「Lucid Dream EP 」は売っていた。このカセットテープがMars89にとって2作目らしい。
 ちなみにブリストルのレーベル〈Bokeh Versions〉は、最近は、EquiknoxxのTime CowとLow Jackによる「Glacial Dancehall 2」、70年代末から80年代にかけて活躍したUKのレゲエ・バンド、 Traditionによる『Captain Ganja And The Space Patrol』のリイシュー盤を出している。
 Mars89の音楽もドープな残響音が拡がるダブだ。ヤング・エコー的な折衷を感じる。
「影響を受けているというか、毎回新鮮なインスピレーションをもらうのはOn-U Soundsとかですね」、彼はオールドスクーラーの名前を挙る。「アフリカン・ヘッドチャージは大好きだし、(トレヴァー・ジャクソンが監修した)『Science Fiction Dancehall Classics』というコンピレーションも好きですね。レゲエは好きだけど、実験的なダブが好きなわけで、ブリストル・サウンドも好きですけど、そんなに意識しているわけじゃない」

 Mars89がDJをはじめたきっかけは、兵庫県にいたときの「最初に遊びにいったパーティでやってたDJがめちゃくちゃヘタクソで。これでステージ立ってるんだったら自分がやったほうがいい」と思ったからだった。18か19で、エレクトロのパーティだった。いざやってみると自分よりもうまいDJが多いことに気が付いて、それならまだ誰も知らないような音楽をかけようとUKのアンダーグラウンド・ミュージックに手を出すようになった。
 ただし、「クラブ・ミュージックにいく前は、クラウトロックやポストパンク、ノイズ/インダストリアル、民族音楽系のエスノサイケとか、そういうのを聴いていた」。こうした感覚が、2010年代の〈L.I.E.S〉やLivity Sound、あるいはアイク・ヤードなどとリンクしたのだろう。

 彼と話しているとじつにたくさんのアーティスト名やジャンル名が出てくる。わずか10分も話せば、彼がどうしようもないほど音楽にどっぷりつかった人間であることがわかる。しかし、「境界線はない」とMars89は言う。「雑食的なんですよ。和ものも聴きますよ。浅川マキも好きだし、グループ・サウンズとかも好きだったんで、ブルー・コメッツとか聴いてましたね。ドラムとかがすごくファンキーなのがよくて。テクノ・ポップ系というか、YMOの派生系のものも好きですね」
 ポップという言葉ほど彼の作品から遠く感じられるのは事実だが……

 「僕の作品は、DJとしても使いにくいし、リスニングとしても多くの人に向いているわけではないと思うんですけど」と彼も認める。「ただ、メディテーションになるかもしれないですね(笑)」
 Mars89が曲を作りはじめたのは2年前だった。「本当に軽いノリだったんですけど、知り合いが新宿のDuusraaでビート・バトルみたいなイベントをやっていて、優勝したらヴァイナルを100枚刷れたんですね。それに参加してみなよと言われて、ノリで参加してみて初めて曲を作りましたね」
 彼はその後自主でカセットテープ作品をリリースして、〈Diskotopia〉のパーティで知り合ったAquadab & MC Aに渡したカセットが〈Bokeh Versions〉の手に渡り、気に入られて、今回のリリースとなった。幻想的なアートワークは画家をやっている彼の弟によるもの。

 Mars89にとっての音楽は、すなわちレベル・ミュージックである。踊って自由になることが重要、それがメッセージになればいいと彼は言う。
 音楽以外では映画からの影響が大きい。「曲を作るときにストーリーを与えないと曲が作れなくて。それこそ映画のサントラとかああいう感じのイメージじゃないと作れないんですよね。そのときに夢なのか現実なのかわからないような世界とか、知らない街にいるような感じをイメージしていて。夢のなかでいま夢だとわかっている状態とかそういう世界をイメージしていましたね」

 彼にも訊いてみよう。東京のサウンドってあると思う?
 彼は答える。「いまはなくて、これからできてくるかなと思いますね」
 この答えは、ダブル・クラッパーズのShintaと同じ。Mars89はさらに具体名を挙げて説明する。「新しい動きとして面白いと思うのは、食品まつりさんですかね」
日本からシカゴのフットワークへの回答のように捉えられた食品まつりだが、圧倒的なオリジナリティでいまや国際舞台でもっとも評価されているプロデューサーのひとり。
 Mar89は続ける。「DJでは、セーラーかんな子ちゃんがおもしろいですね。彼女のDJは、毎回そう来るかという驚きがあって。DJとしてすごくユニークですね。ほかにDJでは、年上ですけど、100madoさんも好きです」
 若い世代に絞って言うと、他に彼は〈CONDOMINIMUM〉も面白いと言う。「なかでも名古屋の人なんですけど、CVNって人の音が好きですね。アジアだったらTzusing(ツーシン)っていう上海のテクノの人ももしかしたら歳が近いかもしれない。〈L.I.E.S〉からよく出している人で、すごくアジア的なサウンドをうまく使いながらカッコいい曲を作っていて。BPM90~130くらいまでいろんな曲を作っていてカッコいいですよ」

 かつてはほとんど客がいないForestlimitで、1 Drinkと数時間ぶっ通しのバック2バックをやった経験もあるMars89は、「DJをやるといつも最年少だった」というが、最近はようやくダブル・クラッパーズのような彼より年下が出てきた。「ずっと自分が一番下だったというのもありましたし、年は気にしなかったんですけど、最近は少し意識するようになりましたね」

  Mars89は現在、UKDやKNK WALKSらといっしょに渋谷のRubby Roomで定期的にパーティをやっている。
「トライバル・ミュージックとか民族音楽的なものを含んだダンス・ミュージックをやっているパーティがあったら面白いんじゃないかと思ってはじめましたね。ダンスホール系とか、アフロ系の音ですね。クンビアとか、南米のローカル・ダンス・ミュージック的なものを取り入れて、それをUKやUSのダンス・ミュージックと同列で扱うようなパーティがやりたかったんですよね。アフロのパーカッションを聴くと絶対だれでも踊りたくなるし。そのへんで飲んでいる人がフラッと入ってきたりすることも多いですよ」

  渋谷の道玄坂の脇道からダンスホールが聴こえたら、冒険心を出して入ってみよう。東京の未来が鳴っている。

※出演情報
毎月第一水曜日 Noods Radio ( https://www.noodsradio.com/ )
毎月第二木曜日 Radar Radio ( https://www.radarradio.com/ )

酎酎列車 vol.7 @galaxy銀河系
11.25(sat)17:00~23:00
door/2000(+1D)
LIL MOFO
Mars89
speedy lee genesis
荒井優作

セーラーかんな子
テクノウルフ+テンテンコ

ブリストルのレーベルから出た、Mars89「Lucid Dream EP」。

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■クソヤバいものをブチ聴かす──Modern Effect

後ろ向きなModern Effectのふたり。

言葉の入っている音楽をあんまり聴きたくないというのがいまは強くなってきている。

 今回のレポートで紹介するなかで、あらゆる集団からもっとも孤絶しているのが、目黒/世田谷の外れで日夜音に埋没しているModern EffectのBack Fire CaffeとDocumentary aka Smoke Fable。ドレクシアの“リヴィング・オン・ジ”がお似合いの、ふたりである。
 なにしろ彼らときたら16ヶ月間ただひたすら作り続け、アルバム16枚分の曲が貯まったものの、自分たちの音源をどう発表すればいいのかわかっていなかった。

「ただひたすら作ってましたね」とBack Fire Caffe。彼は声が大きい。その人柄は、表面上では、作品のダークさの真逆と言えそうだ。「歩いているときもiPhoneでフィールド・レコーディングして、それを家に帰ってからピッチを変えたりして曲にしちゃおうとか」
「それは1日のサイクルですよね」とDocumentaryが静かに付け足す。「仕事が終わって空いた時間はできるだけこっちに来てもらって。作る以外でも映画を見るでも美術館に行くでも」

 ふたたびBack Fire Caffeがしゃべり出す。「全部音を作るために生活しているという感覚になっていちゃったよね!」
  彼の声は、取材に使った喫茶店の全席に響き渡ったことだろう。「もうひとりルームシェアしているやつがいて、そいつと作っていて。自分も初めはiPadのアプリで作りはじめて、そこから突拍子もないものができたんですけど。それがとにかく攻撃的だったんで“アタック”っていうジャンルをつけたんですね。その“アタック”っていうジャンルでやろうよ、というところからはじまりましたね」
 こういうベッドルーム・テクノ話が、お茶の時間を楽しんでいるご婦人たちやカップルたちの耳に入ってしまうのが、公共的喫茶店の面白さだ。

 それはさておき、こう見えても、Modern Effectには閉塞的な傾向がある。SNSの類はいっさいやらないというModern Effectの音楽をぼくが聴けたのは、ある偶然からぼくの手元に届いた、ヤバいものでも入っているんじゃないかというそのパッケージにそそのかされたらであるが、聴いて最初に感じたのは、何もかもを拒絶している感覚だ。誰も信用しない、絶対に希望はない、清々しいまでのネガティヴィティ……見せかけの繋がりは要らないと。ふたりにはクラブやレイヴで遊んでいた過去を持っているが、それがつまらないと感じたからこそ彼らはそれらの場から離れ、そして孤絶した現在を選んだ。

 ここで彼らに影響を与えたと思わしき音楽/好きな音楽をいくつか列挙してみよう。D/P/I(彼らにとっての大きな影響)、OPN(ただし『Replica』以前、ぎりぎり許せるのは『R Plus Seven』まで)、ARCA(とくに『ミュータント』)、Emptyset(音源を送ったら返事をもらった)、デムダイク・ステア、ティム・ヘッカー、〈Triangle Recordings〉や〈Subtext Recordings〉から出ている音源……彼らは最近のベリアルも気に入っている。
 彼らが目指すのは「クソヤバいものをブチ聴かす」こと。Back Fire Caffeが静かに言う。「クソヤバいものをブチ聴かすというのと、無国籍なものを考えていきたいと思っていますね」

 それぞれ別の飲食店で働きながら生活費を得ているふたりだが、在日インド人の下でハードに働くDocumentaryは、その環境を楽しんでいる。日本のなかの日本らしくない場所が彼らには居心地がいいのだ。
 Documentaryが続ける。「言葉の入っている音楽をあんまり聴きたくないというのがいまは強くなってきている。言葉の意味が出てくると音を純粋に追えないというか。もともとは歌や言葉が入っているものが好きだったんですけどね」

  現在のModern Effectは、自分たちの音楽をどのように届けるのかを模索中だ。初期ヴェイパーウェイヴのように、彼らにはまだ、自分たちの作品を売る気がない。値段付けられずに悩んでいるのだ。たしかなのは、作り続けること。HDの容量の限界まで。
 こうした悶々とした現状を変えようと、最近彼らは自分たちのホームページを立ち上げた(https://www.moderneffect.net/)。ここで彼らの音源は聴けるし、bandcanpでも彼らの音源は無料で聴ける(https://moderneffect.bandcamp.com/)。これらの作品のいくつかはUSBにコピーされて、ビニールにパックされるわけだが、リスナーがそれを購入できる機会がこの先どのような形で実現されるのかは神のみぞ知るだ。
 これからどうなるのか予測のできないModern Effectだが、彼らは音楽を作る上でもっとも重要なことを知っている。好きだからやる。たとえダンスフロアから人が逃げだそうと、彼らにとって最高の音が鳴っていればいいのだ。

※今後の予定
1年で365作品アップ(予定だそうです)

彼らのUSB作品の数々。この怪しげなデザインに注目。

(※この取材は8月下旬にほぼおこなっています。筆者の怠惰さゆえに掲載が遅れたことを、協力してくれた3組のアーティストにお詫びします)
(※※もちろん、今回取り上げた3組以外にもいるでしょう。いまいちばん尖っている音を出している人〈DJ以外〉をご存じの方は、ぜひぜひ編集部にご一報をー)

3 『クロス』 - ele-king

 「大旨の記憶が、(たった昨日のそれですら)一種の錯覚として保存されているように、われわれの好みとは、めいめいが幼少期から自己の上に築いてきた偏見そのものに他ならないのである。」と言ったのは、たしか稲垣足穂だが、ひょんなことから偏見を形成するそのものに飛び込める機会がやって来た。10月8日はちみつぱいのライブにドラムで参加した。

 9月28日朝起きて、森は生きている時代のA&Rである柴崎さんを通じて、夏秋文尚氏の代役での参加要請メールが入っているのを見た時は驚いた。リハが10月6日、本番が8日との旨。大分は佐伯で秋の植え付けをしていた自分は5日には東京入りしないといけないし、8日は大分でのジャコ・パストリアスのトリビュートライブにパーカッションで参加予定とあり、複雑な気分のまま、畑に向った。7月に大分市にあるアトホールでのあがた森魚さんのライブに足穂の話をしたい一心で行ってから、iPhoneを通してだけど、タルホロジー仲間として交流を持たせていただいていたこと、2009年大学を卒業したばかりのフリーター真っ盛りの頃『はちみつぱいボックス』を無理して衝動買いしたことが、伏線として思えなくもないような気分になっていた。柴崎さんの「一生の思い出作りにいかがでしょうか」という絶妙なコメントも相まって、方々に断りを入れる心の準備は、畑にて整いつつあった。


『はちみつぱいボックス』はじめ影響を受けたはちみつぱいグッズと、演奏後もらった全員のサイン

 思えば、『はちみつぱいボックス』は、はちみつぱいの印象を一気に変えた。もちろん『センチメンタル通り』も好きで聴いていたが、「日本のザ・バンド」と言われていたという伝説には多少の違和感がなくはなかった。それが『ボックス』を聴いて一変、ザ・バンドどころかデッド、オールマン、時にはクリムゾンまで感じるし、そのどれとも違う独特のタメとうねりが同居するグルーヴ(と、ここでは言ってしまって憚らない)が聴こえて来た時は、日本にもこういうバンドがいたのかと勇気づけられたものです。リハのあと、鈴木慶一さん、本多信介さん、和田博巳さんと、『ゆでめん』めいた蕎麦屋で飲ませてもらった際、その思いを伝えたら、本多さんが「だから、それは日本でしかできないんだよ」と言っていたのが印象的だった。

 『はちみつぱいボックス』のディスク1の1トラック目は“チューニング”である。そのまま2トラック目“こうもりの飛ぶ頃”に入っていく。粋な書き方だなぁと面白く思っていたのだけど、リハでその意味を知った。緊張の中挨拶を済ませてから、チューニングが始まったと思ったら、前方の駒沢裕城さんがこっちを向いて「適当に入って」と言って、本当に“こうもり”が始まった。武川雅寛さんのバイオリンが飛び交い、時には岡田徹さんのソロまで飛び出す。そのまま“塀の上で”と、渡辺勝さんが歌う“僕の倖せ”まで一気に行って、休憩。特に説明もないまま、それを3周してはちみつぱいのリハはあっけなく終了。唯一言われたことは、鈴木慶一さんに「“こうもり”からそのまま“塀の上で”に入るから、インプロのままサビまでシンバルで歌を掻き消してくれ」ということ。彼らからしたら赤子のような僕が、名曲“塀の上で”の「歌」を1メロ、2メロ、サビと掻き消す、しかもベルウッド45周年という場において、というのは、僕自身一ファンということも加わって、酷な話だと思ったが、やるしかない。蕎麦屋では、慶一さんに「“こうもり”は、ダラス・テイラーにならないで欲しい。はちみつぱいでは俺だけ結構プログレ。ビル・ブラッフォード好きならそれで行って欲しい。」、本多さんには「デッドでも、かしぶちでもなくていい。自由にやれ。」というようなことを言われた。かしぶちさんの息子でもあるドラマー太久磨さんも一緒に飲んでいて、ボーリングのピンのごとく並んだビール瓶と共に不思議な若手の結束が生まれていた。二人とも30になってはいるのだが。斯くして、“こうもり”ではブラッフォード、“塀の上で”のサビまでは、ポール・モチアンになることを決めた。このコラムの第一回で、パーカッションからドラムに孵化して自分のビートが欲しかったというようなことを書いたが、ここ1,2年は案外自分がうるさくて失敗することもあったから、偉人のように叩けるはずはなくとも、何かを意識するくらいがちょうどいいという感覚がなくはない。どうせ顔を出すときは出す…。


演奏前楽屋:左から橿渕太久磨(Per,Dr)、武川雅寛(Vn,Trp)、増村、鈴木慶一(Gt,Pf,Vo)、駒沢裕城(Pedale S Gt)、岡田徹(Key,Acc)、あがた森魚(Vo,Gt,Pf)、和田博己(B)、渡辺勝(Gt,Pf,Vo)、本多信介(Gt)

 はちみつぱいのリハが終わった頃、あがたさんが到着。こんなに早い再会が共演という形というのは何だが申し訳ない気持ちさえした。あがたさんも驚いていました。こちらは、“赤色エレジー”から“大道芸人”のイントロを挟んで“べいびぃらんどばびろん”まで、繋ぎの確認以外は、一周であっさり終わり。
 そして、2日後の本番。自己反省もあるし、厳しいお言葉もあると思うが、そんなことより、僕はその時「冷静にぶっこむ」だけだった。はちみつぱいの皆さんのリラックスしているのに遠くまで飛んでいく演奏には素直に感銘を受けた。かなり影響を受けた林立夫氏のドラミングをリハから真後ろで体感できたことも。それらは、岡田拓郎はじめ、同世代でやっていくことの応援になる。偏見のコレクションに、現実がクロスするという貴重な体験に感謝。


東京滞在時よくいる不忍の池

Mount Kimbie × Kelly Lee Owens - ele-king

 ほらね。彼らがアルバムだけで終わるはずがないと思っていたんだ。そしたらやっぱり来ました。マウント・キンビー最新作『Love What Survives』収録の“You Look Certain (I'm Not So Sure)”を、なんとケリー・リー・オーウェンスがリミックスしています。マウント・キンビーのふたりは今回のアルバムを制作する前にかなりの量の音楽を聴き込んでいたようだけれど、その新作収録曲のリミキサーに、今年出たデビュー・アルバム『Kelly Lee Owens』で高い評価を得た彼女を起用するあたり、かれらの音楽に対する探究心はいまだ衰えていないようである(ケリー・リー・オーウェンスは、これから始まるマウント・キンビーの欧州ツアーのサポート・アクトにも抜擢されている)。要チェック。

label: WARP RECORDS
artist: Mount Kimbie
title: You Look Certain (I'm Not So Sure)

iTunes: https://apple.co/2l7iEdd
Apple Music: https://apple.co/2z0nyyS
Spotify: https://spoti.fi/2xYKK02

label: BEAT RECORDS / WARP RECORDS
artist: Mount Kimbie
title: Love What Survives

release date: 2017/09/08 ON SALE
BRC-553 ¥2,200(+税)
国内盤特典:ボーナストラック追加収録/解説・歌詞対訳付き

beatkart: https://shop.beatink.com/shopdetail/000000002180
amazon: https://amzn.asia/hYzlx5f
iTunes Store: https://apple.co/2uiusNi
Apple Music: https://apple.co/2t3YEeV
Spotify: https://spoti.fi/2uiwx

アルバム詳細はこちら:
https://www.beatink.com/Labels/Warp-Records/Mount-Kimbie/BRC-553

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