「KING」と一致するもの

interview with Trickfinger (John Frusciante) - ele-king

 バンドを脱退していた時期でさえ多くのひとにとって彼は「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(以下 RHCP)のジョン・フルシアンテ」だっただろうし、バンドの最高傑作との呼び声も高い『Californication』に豊かな叙情をもたらしたギタリストであっただろう。だからこそ、先日発表されたバンドへの復帰のニュースは古くからのファンを中心として熱狂的に受け止められたし、やはりスタジアム・バンドのメンバーとして再びギターを鳴らす彼の姿を見たいというのが人情だ。
 けれども彼のソロ活動をつぶさに追っていたリスナーは、フルシアンテが優れたエレクトロニック・ミュージックの作り手であることを知っている。過去のソロ作ではギター・ミュージックにエレクトロニックの要素を導入することもあったが、とくにトリックフィンガー名義を使ってからは、アシッド・ハウスやIDMのような純然たるエレクトロニック・ミュージックに集中している。彼の作るマシーン・ミュージックは新しいわけではないがとても端正で、そこからこぼれてくる叙情が何とも味わい深いものだ。

 トリックフィンガーとしては3年ぶりとなるアルバム『She Smiles Because She Presses The Button』も彼の長所がよく表れた作品だ。初期オウテカのようなIDMあり、途中ジャングルの要素が飛び出してくるトラックあり、メロディアスなアシッド・ハウスあり。そのどれもがとても丹念に作られていることが聴いているとわかる。リズム・パターンや細かい音の配置はこれまでよりも洗練されていて、それは本人が言うように絶え間ない努力がもたらしたものなのだろう。ギタリストとしてもエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーとしても、その過剰なほどストイックな姿勢が彼の個性を生み出してきた。
 それにしても、マシーンへのマニアックなこだわりや音楽に対する学究的な考察、エレクトロニック・ミュージックへの愛情(とくにオウテカへのとめどないリスペクト)などなど……を話し出すと止まらない、彼のチャーミングな音楽オタクぶりが発揮されるインタヴューとなった。本文にある通り、本作のあとには(本人曰く)ジャングル寄りのソロ・アルバムも用意されているそうなので、RHCP での活動のみならず、そちらも併せて楽しみにしたいところ。
 それでは1万字超え、エレキング独占インタヴューをお届けしよう。

ロックスター扱いされることへの反動ではなくて、僕は頭のなかでも創作活動でも自由でいたいから、自分が関心あることを追求したいんだ。2007年の時点ではエンジニアでありたいって強く思ったし、自分で音楽を作りたかったし、ロックばかりを作り続けたくなかった。

2000年代なかばにエレクトロニック・ミュージックの制作を本格的にスタートされたと思うのですが、当時はバンドのステージでロックスター扱いされることへの反動もあったのでしょうか?

ジョン:長い間エレクトロニック・ミュージックを愛していて、時期としてはレッド・ホット・チリ・ペッパーズで『Californication』を書き出したころからいちばん好きで聴いていた音楽はエレクトロニック・ミュージックだった。サンプル、ドラムマシーン、シンセサイザーらに魅了され、いろいろと遊んでみたりしたけど、2007年ごろに80年代初期の機材を発見して、しっくりきたというか自分に合っているものを見つけた。303、909、707とかね。そこから一度にいろいろな機材を一度にミキサーを通して録音できることを知って、そこからカセットテープの録音機やCDへ焼くこともできて……音楽をオーヴァー・ダブせずに作れることを知った。僕は4トラックでオーヴァー・ダブすることに慣れていたから、一度に1曲を丸ごとステレオで作れて、オーヴァー・ダブせずに作っている音楽がステレオから流れてきたことにすごく興奮したのを覚えている。ここでやっと自分が愛聴していたモノへの理解ができたよ。だからそれがトリックフィンガーの始まりといってもいいかな。
 今回のアルバムは2018年にレコーディングされて、前作とは同じやり方でまったく同じ機材ではないといえ、同じようなCDバーナーだし、小さな Mackie のミキサーで同期した。音楽性は前作とは違うし、もっと機材を使っていた。今回のアルバムは、4つ以下かな。最後の曲 “Sea YX6” は、ドラムマシーン RY30 でしか使っていないし、シンセサイザー DX100 だけを使っている。だからこの曲では、これが最小数かな。ほかの曲では、平均的に3つ、4つ以上の機材は使っている。これらの Elektron Monomachine、Analog Four、Analog Rhythm らはとてもパワフルなんだ。だから YAMAHA RY30 ドラムマシーン、Analog Four ドラムマシーンを使った。あ! 1曲だけ ROLAND606 ドラムマシーン機材を使っている。“Plane” でね。いろいろな方法でエレクトロニック・ミュージックを作ってきたよ。でもライヴでこうやって作るのは、すごく楽しい方法だったよ。課題は、数少ない機材から最大限のものを作り出すことだけど、その挑戦すら楽しめたよ。最後の曲で1つのドラムマシーンから1曲を完成させることは、とても満足したし、いろいろとやりながら学べたし、あの機材がどれだけ有能かもわかったよ。
 だからバンドのロックスター扱いされることへの反動ではなくて、僕は頭のなかでも創作活動でも自由でいたいから、自分が関心あることを追求したいんだ。2007年の時点では自分自身がエンジニアでありたいって強く思ったし、自分で音楽を作りたかったし、ロックばかりを作り続けたくなかったし、それらをやったことでこの音楽を作ることへたどり着いたんだ。

エレクトロニック・ミュージックを制作し始めたころを振り返って、あなたはエレクトロニック・ミュージックを「学んでいた」と表現していました。いまもエレクトロニック・ミュージックを「学んでいる」という感覚ですか? それとももう少し別のものに変化しましたでしょうか。

ジョン:エレクトロニック・ミュージックに限らず、音楽全般に対して僕は「学ぶ」姿勢でいるんだよね。RHCP で制作してきた音楽もだけど、愛聴していたレコードやCDを聴きながらいっしょにギターを弾くんだ。60年代、70年代で他のミュージシャンがやってきたことを暗譜するんだよ。これをやることによって、曲をかいて、自分がどんなスタイルの音楽を作りたいかわかる。だから僕にとっては、ほかのひとが過去にやったことを知ることで自分への成長にもつながるし、音楽を作ることと学ぶことはイコールだと思う。
 だからエレクトロニック・ミュージックも同じで、ヴェネチアン・スネアズといっしょに音楽をやったことで良いことを学んだし、この過去12年間はリリースしていない音楽をたくさん作ることができた。彼といっしょに仕事することで学ぶことがたくさんあった。たくさん曲を作って、ライヴからそのままステレオでレコーディングして、ふたりで同時に多数の機材を使って、自分たちでミックスもして。そのやり方でたくさん学んだ。あと、いつもエレクトロニック・ミュージックの歴史に着目しているのはいちばん気になる音楽だし、ほかのひとの作品を聴くことでどうやって作っていいか発見があるからなんだ。真似から始まって最終的には僕っぽいと言われる音楽になると思うけど。ほかのひとがやってきたことをなぞることで、もっと高いところへいけるんじゃないかって思う。なんかすごく性格もよくて、ひとから好かれていて、楽器を弾きだしたらそこから人間性が表現されるひとっているよね。みんなはそういうひとに引きこまれるよね。僕はそういうタイプじゃないんだよ。僕は本当に努力を積み重ねないとダメだし、クリエイティヴな部分を頭のなかで活性化させて、柔軟性をもって、頭の回転も早くしないとダメなんだ。いつも何かにインスパイアされてないとダメなんだ。十代のとき、僕の友だちのなかで全然練習してなくても素晴らしいものをすぐにできちゃうタイプのひとがいて、僕も真似しようと思ったけど難しかった(笑)。だから早い段階で僕はひとに気にいってもらえるような音楽を作るためには、何倍も努力をしなくてはならないということに気づけたよ。ひとに好かれようが好かれまいが、僕はとにかく頑張らなくてはいけないんだ。

あなたにとって、トリックフィンガーの楽曲はあなたのパーソナリティをどの程度反映したものだと感じますか?

ジョン:僕のパーソナリティそのものが反映されているよ! さっきも言ったようにまずは、ほかのひとがやっていることを聴いたりすることから始まる。このアルバムで言ったら “Noice” では、ドラムンベースのプロデューサーAMIT (エイミット)からのインスパイアだった。彼は、半分ドラムンベースでやるんだけど。そのアイデアを気に入って、R-130 だけでやってみたんだ。あと、ほかにふたつ機材を使って。あのリズムは彼からインスパイアされたものなんだ。“Sea YX6” は、オウテカが作ったEPで RY30 だけを使ったものがあって、彼らのインタヴューでひとつの機材だけを使うことに対する価値観とかも読んだ。そのアイデアにインスパイアされた。“Brise” は、Elektron の Analog Four や Analog Rhythm を使った。これらは、ジェネレイティヴな音楽をシンプルに作れて、楽しいやり方だと思う。機材にプログラミングして、それらが機材から出てきて、次はどんなものが出てくるかわからないからワクワクする。メロディは毎回リズムとともに変わるし、ドラムやメロディは、この “Brise” ではジェネレイティヴ。“Plane” のメロディもジェネレイティヴで、“Amb” は、メロディとベースラインはジェネレイティヴだし、“Rhyme Four” は特有のメロディがある。だから時と場合によってランダムなものが出てくる。とくに “Plane” と “Brise”。ジェネレイティヴな音楽は、マーク・フェルにとくに影響されている。“Brise”は彼や彼がいたグループの SND でやっていたことに感化されたよ。サウンドを聴いていると機材へ命令するのではなく、機材とコミュニケーションを取っている感じがするんだ。それでそこから出てくる結果に驚いたりするんだよね。そういった過程が楽しいよ。
 だから全部僕っぽいと思うよ! メロディ、リズムのセンスは全部僕らしいと思うし。ここで使っている言語──あらゆる機材の使い方やプログラミングは、確実にほかのひとたちからの影響を受けているね。ギターを演奏しているときも同じだよ。僕のギターは、僕っぽいんだけれど、僕自身はだれかを真似しようとしているんだ。

コンピューターに制限のプログラミングをすることによって、ジェネレイティヴ音楽が生まれている。だからジェネレイティヴ・ミュージックとAI音楽の区別がつかないな。コンピューターは結局人間がプログラミングしなきゃならないし。

今回の『She Smiles Because She Presses The Button』はいつごろ制作した楽曲を収録しているのでしょうか?

ジョン:2018年にレコーディングしたね。収録した楽曲たちの経緯は不思議な形で出てきたんだよね。できるだけ簡潔に答えられるようにするね。
 数年、音楽をあまり作らない時期があったんだ。2015年ごろかな。自分のメインとしている家に住んでなくて、違うところに住んでいたんだよね。それでメインにしている家に帰ってからスタジオを立ち上げて、いままでやったことのないやり方で音楽へアプローチしはじめたんだ。出来が悪くても気にしなかった。結果が良くなくても気にしないことにした。何かをやり遂げたかなんかどうでもよかった。僕自身が高いところまでチャレンジしてさえいればよかったんだ。そうやって持っている機材でやったことのないことにトライしたことで、新たな発見もあったんだ。音楽を作っていくことでいちばん大切なことに着目していたし、曲の完成とかアルバムを完成することが目標ではないなか、一年間それを続けたんだ。だから今作と9月に出るものは、一年間丸ごと曲作りに時間を費やせた結果なんだ。ゴミみたいなものをたくさん生産したけど、そこからたくさんのことを学んだよ。前はFMシンセも DX7、DX100 の使い方すらわからなかった。だからその時期に使い方を覚えた。Analog Four や Analog Rhythm の使いこなし方も努力した。やれるだけの実験をこの機材らで試したよ。あんなひどい音楽を作って我慢できたのが不思議で仕方がないよ(笑)。でも本当にいい結果を願い続ける自分に疲れたんだ。オーヴァー・ダブもやらなかったよ、スタジオでもリビングでも。僕は一度もコンピューターからドラムマシーンをプログラミングしたことがないんだ。ドラムマシーン自体からやるから。とにかく自分の首をしめることをやめたんだ。最終的に自分が聴きたい音楽が生まれたらいいって決心したんだ。でもその怠けてた時期があったからこそ、「こんなのやってられない。ちゃんと始まり、中間、終わりという点を考えて曲を作ろう」って考えたんだ。そのときに今作の曲や9月にリリースされるものが出てきたんだよ。

先にリリースされたEP「Look Down, See Us」と今回のアルバムはどのような関係にあるのでしょうか?

ジョン:「Look Down, See Us」は、リリースされる数か月前に作られたんだよね。だから僕にとっての最新の音楽はあのアルバムに入っている。あれは僕の大きなスタジオで制作されたんだ。もっとギアもあるし、コンピューターもあったりで。だからあれは、今年の9月に出るアルバムとは違うことをやったものなんだ。あのジャングルにこだわった一年があったからこそ、2019年は違うアプローチで柔軟性をもって、自分へ課題を与えるようにしたんだ。楽して、ただ同じパターンを続けないようにね。「Look Down, See Us」は、僕がいろいろな場所へ行ってから新たな場所へ行こうとしたものかな。

アルバムのリリース元となる〈Acid Test〉は 303 へのこだわりがあるユニークなレーベルですが、〈Acid Test〉、あるいはそのサブレーベルの〈Avenue66〉からアルバムをリリースすることは、どのような意味を持ちますか?

ジョン:〈Acid Test〉はそうだね。303 へのこだわりのあるレーベルだから、303 を使用している音楽しかリリースしないんだよね。今回は 303 を使用していないんだよ。だからこそ〈Avenue66〉に上手くハマったんだ。

アルバム・タイトルはエレクトロニック・ミュージックを作ることの純粋な喜びが表現されているように感じたのですが、一人称が「She」なのはなぜですか?

ジョン:僕自身、ボタンを押して音楽を作ることが好きだからね。でも正直に話すと僕の彼女 Aura-TO9 (アーティスト名)のパソコンのログイン画面に彼女の写真が出てくるんだ。それは彼女自身の写真で、彼女が笑顔でカメラのシャッターを押そうとしている姿の写真が出てくるんだ。だから僕が、彼女はボタンを押すことによって笑顔になるって言ったら、彼女が「それは素敵なアルバムのタイトルになるね」って言った流れからなんだよ(笑)。

1曲目の “Amp” からそうですが、あなたの楽曲はとてもメロディックだと感じます。エレクトロニック・ミュージックにおけるメロディの要素をどのように捉えていますか?

ジョン:ポップ・ミュージックでメロディを作るのとは違うものだよね。ロックでもね。ポップでもロックでも、(メロディは)音楽の要素のなかでいちばんメインであってその他はメロディに合わせる形だけど、エレクトロニック・ミュージックでは、ドラムがリードしていて、メロディがドラムに合わせるし、たとえドラムがシンプルでも僕にはそう聴こえる。だからじょじょにやっていくうちに繊細なメロディを生み出さなければならなくなった。エレクトロニック・ミュージックを始めたとき、サビばっかり出てきたんだ。MPC3000 とかでプログラミングしようとしていて、途中でサビみたいなところが出てきちゃって、頭を悩ませたよ。そういう書き方に慣れていたからなんだろうけど。だからもっとリズミカルで繊細なメロディが書けるように勉強したんだ。あとは、いろんな方法でメロディへアプローチするやり方を考えたんだ。ポップではキャッチーなメロディを作ることを目指すけど、エレクトロニック・ミュージックでメロディはいろいろな役割を果たせる。メロディは、半分効果音、半分メロディでいられるし、音符であったと思ったら次から聞こえる音は、音符というより効果音みたいな。それかハーモニーであったり、一音ではなくどんな音でもいいんだ。そこから音とサウンドのコンセプトのなじませ方というのが分かっていくんだ。スムーズな物語のように。だからこれらにはすごく時間をかけたし、発展していったものと言えるかな。
 アーロン・ファンクと僕が普段音楽を作るときは、僕がドラム、メロディを担当して、じょじょに僕はメロディ担当、彼はドラム担当になり、たまにベースを僕がやったり、彼がやったり……。それでたまにメロディ自体ドラムみたいに聴こえたものを僕が作ったり、彼が小さなドラムマシーンでメロディを作ったり……いろいろ。でも僕にとって彼は世界のなかでも好きなドラマーで、だから彼のドラムをサポートするためのメロディを考えたりもした。それが大きな影響を与えたとも言える。こういうやり取りを誰かとやったことはなかったからね。RHCP にいるときもドラムはメロディに沿って作られているし、ギターもそうだし、ベースもだし。だからリードを取るドラマーがいて、僕はメロディだけど、そのドラムをサポートすることによってメロディの要素に対する捉え方が変わったね。メロディを生産することやメロディを機材で作っているときにサウンドに対して焦点を当てているから、メロディはどちらかというとそのサウンドに向けて存在している、サウンドを強調させる要素だと思う。だからデジタル機材で音を作ることにすごく時間をかけるんだ。そこからそのサウンドに合った一音を見つけるんだ。CだからとかDだからとかEだからとかではなくて。いいサウンドを仕上げて、そこにあった一音を見つけなかったら台無しになるからね。ギターの演奏とは全然違うことだね。

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9月に〈Planet Mu〉からリリースするものは全部ブレイクビーツだよ。今作や〈Planet Mu〉から出すアルバムは、ギターは一切入れてないし、歌ってもいない。その方法で自分を表現するのが好きなんだ。

“Noice” は反復するリズム・パターンとヴォーカル・サンプルの重なりが印象的なトラックです。初期レイヴのようなムードもあり、アルバムのなかではほかの楽曲と際立って個性が異なるように感じるのですが、このトラックの課題は何だったのでしょうか?

ジョン:ノイズ音楽から始まった。僕はピタやファーマーズ・マニュアルみたいなひとたちが好きで。リズムやメロディに重点を置いてないものが好きだから。ただサウンドだけっていうところが好き。で、僕のサウンドクラウドに聴けるものを1曲載せたんだけど、それは “A3t1ip” っていうんだ。ピタ(Pita)と A3 をもじった。だからこの曲は、ノイズ音楽から始まって、そこからさっき話した半分ドラムンベースのスタイルにしていって、そこでノイズに対して音量エンベロープをつけた。だから冒頭、音量が上がる感じあるよね。もともとはそれぞれ別々のノイズ音楽をくっつけたものなんだ。ヴォーカル・サンプルが終わりのほうで出てきたりするしね。最後のほうはすごく人工的なドラムマシーンの音で、ロボットっぽいんだよね。でもクラシックなジェームズ・ブラウンのブレイクビーツのビートを刻んでいるんだ。あのアイデアは、トランス・ミュージックのアーティスト Komakino (コマキノ)からもらったんだ。具体的に言うと、彼らのEP「Energy Trancemission」に収録されている曲 “Outface(G60 Mix)” のなかのサンプル・ヴォイスが「マザー・ファッキンなブレイクビーツをくれ!」って言うんだけど、そこから始まるのはブレイクビーツではないリズムなんだよね。で、それがすごく人工的なサウンドなんだ。それにインスパイアされたよ。コンピューターで作るときは何千ものサンプルを選べるけど、ヴィンテージな機材を使うときはそうはいかない。どれがこのサウンドに合っているかっていうやり方だよ。
 基本的にサンプル・ミュージックのファンで、女性ヴォーカルの入ったサンプルが好き。シンガーが参加するのと全然違うんだ。サンプルのヴォーカルは機材に生かされるから誰かがその音楽に向かって歌っているわけではない。どんな風にそのヴォーカルが使われることも知らないわけだから。そのサウンドがすごく好きだよ。

リズム・パターンは一聴してシンプルな部分もありますが、注意して聴くと非常に緻密で複雑なプログラミングがなされています。以前、リズムのプログラミングにはけっこうな時間をかけると聞いたのですが、このアルバムのトラックもリズムは時間をかけて作ったのでしょうか。それとも以前より早くなった?

ジョン:前よりは確実に早くはなったけど、プログラミングに時間を要すことで価値を見出せることがあるよね。ほかのエレクトロニック・ミュージシャンですぐに音楽が作れるように機材を全部準備したり、機材をどこにでも持って行って、5分もしたら1曲が生成されるような方法を聞くけど、僕はそれはやらない。僕はまっさらな状態から始めるんだ。今作に収録されたすべての曲は、それぞれ違うグループの機材が使われていて、一曲ずつセットアップが違った。(次に発表されるアルバムの)『MAYA』を作っていたときは、2、3週間かけてブレイクビーツを作ったり、DX7 の音を作ったり、それぞれの要素を作って、最終的に音楽として成り立つようにしていた。でもどんな風に仕上がるかもわからない上、テンポぐらいしかわからない状態なんだ。2、3週間……いや、もしかしたら1か月ぐらいかけて、ブレイクビーツや DX7 の音だけを作っていた。それは幸せなことだよ。僕は音楽を作るとき、早く仕上げることは求めてないから。DX7 で音を作ることだけでも僕は満たされるんだ。ブレイクビーツを作るときも。そのほかにもデジタル・マルチ・エフェクトをいろいろ試しているときも楽しい。その過程が済んだら音楽を作る段階へ入るんだ。早く作っても僕の場合、1週間はかかる。あんなに時間をかけて作ったものを一切使わないということもあるんだ。
 時間の効率は確かに悪いよ。でもすごく人生のなかで幸せなひとときでもあるからね。話は戻るけど、今作はさっきも言ったように丸一年あってからの制作段階に入ったからね。アーロン・ファンクと音楽を作るときは、とにかくプレッシャーがかかるよ。彼ぐらい早くプログラミングしなきゃって思うからね。でも幸運にも彼は機材に対する準備をかけるからね。だからプログラミングは僕より早くても時間をかける長さは僕と同じぐらい。彼に追いつくまで数年はかかったし、当初は足を引っ張っているんじゃないかって思ったし、彼に待ってもらうことも多くて。でもその課題をこなしたことで、お互い3、4日プログラミングにかけて、それが過ぎたらレコーディングに入れるようになったよ。だから早くなったけど、時間をかけることが好きだよ。これが質問の答えだね(笑)。

あなたは初期のアシッド・ハウスやテクノなどに、純粋に音楽的な関心を長く寄せてきたと思うのですが、いっぽうで当時の80年代末ごろから90年代初頭ごろのレイヴ・カルチャーに思い入れや憧憬はありますか?

ジョン:エレクトロニック・ミュージックに関しては90年代初期かな。あと、その後の90年代末ごろと2000年代初期。それらの時期に思い入れがあるかな。レイヴ・カルチャーに関しては、2000年代末ごろかな、いちばん思い入れがあるのは。僕のガールフレンド、マルシーのアーティスト名である Aura T-09 が、ここLAのレイヴで長年プロモーターをやっていて、ウェアハウスのパーティーとかも催行していたんだ。彼女は新しい音楽にすごくアンテナを張っていた。僕は彼女に2009年だったか2010年に出会って、それで付き合う前から彼女からレイヴ・ミュージックを教わったんだ。レイヴ好きの友だちがいながらも2008年ごろまで興味がわかなかったかな。本当にこの12年の間で変わったことではあるよね。あらゆることをその前から見てきたけど、90年代にいちばん好きなレイヴ・ミュージックが出てきたころ、僕は麻薬中毒者でそれどころじゃなかったからね(笑)。何が周りで起きているかもわからなかったし、薬にハマってしまっていた(笑)。どこにも行ってなかったよ。
 ジャンルでいったらジャングルが好きだよ。9月にリリースするアルバムがあるんだけど、それはジャングルなんだ。今作とは違ってコンピューターで作ったんだ。9月のは、Renoise で作って、他にもいろんなハードウェアを使ったよ。DX7 とか。だからこれはジャンルでいったら僕にとってのジャングル、IDMというところかな。ジャングルからインスパイアされているけど、僕特有のものでもある。ジャングルよりIDMっぽいとは思うけど、ジャングルに影響されているし、好きな音楽のテイストだよ。あとゲットー・ハウス・ミュージックも好き。シカゴの〈Dance Mania〉レーベルから出てるDJディーオンとか。シンプルなエレクトロニック・ミュージックならDJファンクやポール・ジョンソンとかもすごく好きだな。IDMだったらエイフェックス・ツイン、ヴェネチアン・スネアズ、 オウテカ、スクエアプッシャーとか。1999年ごろに発見してから彼らには影響されたし、大好きなアーティストたちだよ。あとジャンルでいったらフットワークも好きだからDJラシャドも好きなんだ。彼女のマルシーのおかげでDJラシャドの音楽は、フットワークが世界的に認知される前や〈Planet Mu〉に入る前から知っていたんだ。この10年の間だったら、ベリアルの音楽も好きだね。彼のメロディへのアプローチからはとてもインスパイアされているし、彼の音楽全般的に魅了されるんだ。それでテクノもジャングルもドラムンベースも好きだけど、UKガレージも好きで……わりといろんなジャンルが好きで、ハウス・ミュージックもいろいろ好きだな。ダブステップの初期もいいよね。でもとくにジャングル、ブレイクビート・ハードコアが好きで掘り下げれば、サンプルやブレイクビーツが好き。だから9月に〈Planet Mu〉からリリースするものは全部ブレイクビーツだよ。今作(『She Smiles~』)は全部ドラムマシーンで作ったからね。9月のは、ドラムマシーンもあるけどメインはブレイクビーツですごくテンポが速いんだ。

万人受けするものではなかったとしても数百人のひとが好きになってくれるかもっていう部分を楽しんだ。それにレッド・ホット・チリ・ペッパーズへ復帰して、たくさんのひとに愛されるような音楽を制作する楽しさも同時に味わっているんだ。

あなたは以前からAIについて考えを巡らせているとのことでしたが、以前よりもさらに人工知能が発達する現在、AIが作る音楽と人間が作る音楽を分けるポイントはどこにあると考えていますか?

ジョン:ジャンルでいったらジェネレイティヴ・ミュージックがある意味AIが作る音楽っぽいけど、厳密に言ったらAIが作った音楽ではないしね。誰かが昔、AIが作る音楽であったらジェネレイティヴしかないんじゃないかって言っていたんだけど……。音楽の要素で忘れてはいけないのが、制限をかけること。誰かがまず制限をかけることをプログラミングしないとね。コンピューターに制限のプログラミングをすることによって、ジェネレイティヴ音楽が生まれている。だからジェネレイティヴ・ミュージックとAI音楽の区別がつかないな。コンピューターは結局人間がプログラミングしなきゃならないし、いろんな計算、選択、判断はできるかもしれないけど、それは人間がプログラミングした範囲内だし。それが重要なところじゃないかな。オウテカが何年か前にリリースしたCD10枚組のボックスセット『NTS Sessions』があるんだけど(註:正しくはCD8枚組、LPだと12枚組)、あれらの音楽は自分たちが作ったプログラムから生産したはず。何年かかけて作ったプログラムだとか。あのプログラムは、たしか短時間で音楽を作ることができるって見解でいる。ボタンを押したら出てくるものすべてが全部オウテカみたいなサウンドを生産するプログラムなんだ。で、彼らは何が出てくるかもわからない状態ではあるんだけど、コンピューターがプロデュースしている間に彼らはそれを操縦することができる。そこでいらないものを省いたり、必要なものを増やすことができる。再生が始まったら操縦できるとはいえ、もし彼らがいなくなってしまったらあのプログラムは人類が生存する限り、ずっとオウテカみたいなサウンドを生み出せるということだ。だから僕のなかでは、AI音楽といったらそれがいちばん近いのかなって。そのプログラムを作っていく過程でやれることよりもやれないことをプログラミングしていくことの方が重要だったわけで……。だからコンピューターがどんなものを生み出すかというよりも、制限されているということが重要だよね。だから繰り返すけど、ジェネレイティヴ音楽とAI音楽を見分けるポイントの違いはわからないな。それに音楽を生み出すには、自由というより制限をかけることが重要だからね。制限のなかでの自由は生まれるけどね。

トリックフィンガーはエレクトロニック・ミュージックにフォーカスしたプロジェクトだと思うのですが、ひとりのミュージシャンとして、ギタリストのアイデンティティとエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーのアイデンティティが今後融合していく可能性は感じていますか?

ジョン:まずアーティスト名について整理したいんだけど、9月に出すアルバムはジョン・フルシアンテの名前で出すんだ。僕名義でエレクトロニック・ミュージックのものは過去にわりとリリースしているから、トリックフィンガーがエレクトロニック・ミュージックのときの名前とは限らないんだ。でもたしかにトリックフィンガーではインストのみだし、一切僕がギターも演奏しなければヴォーカルもいれてないものではあるね。
 あとどれだけのひとが知っているかわからないけど、僕名義で出したアルバム『Enclosure』こそヴォーカル、ギター、エレクトロニック・ミュージックが融合されてるね。あれこそ僕自身がエレクトロニック・ミュージシャンでありながらソングライターでもあり、ギタリスト、シンガーでもあることが融合した作品だね。あのようなアルバムはすごく好きだけど、エレクトロニック・ミュージック好きにとってはポップすぎるって言われるし、ロックが好きなひとにとってはエレクトロニック・ミュージックすぎるって言われるし……。あのころは、ひとに自分の音楽をどう思われようとも自分が挑戦するものを作りたかったんだ。僕のコンセプトは、いい曲を書いて、それを崩壊するっていう考えだった。コードを抜いては、それをねじって、合わなくても同じようなヴォーカルのメロディにして……なんてことをやっていた。万人受けするものではなかったとしても数百人のひとが好きになってくれるかもっていう部分を楽しんだ。変なものを作っても、それを好んでくれるひとたちが現れることをね。それに RHCP へ復帰して、たくさんのひとに愛されるような音楽を制作する楽しさも同時に味わっているんだ。これもまた別の課題ではあるけどね。
 RHCP で作っている音楽と自分のソロ・プロジェクトに関して大きく違うのは、エンジニアリングの部分だね。僕はもう13年も自分自身がエンジニアをやっているから、ギターをレコーディングしていても何していてもこだわるんだろうな。RHCP で90年代末や2000年代に使用していたシンセはずっと使っている。でもエレクトロニック・ミュージックをやるときは、ギターもヴォーカルも入れない。ギターで曲作りをするときは、ベースやドラムセット、シンガーと何ができるかってことに着目している。それをいまもリハーサルしているよ。リハーサルのあとや週末にリハーサルをしていないときは、ずっとドラムマシーンで遊んでるんだ。いいインストゥルメンタルの音楽ができないかなって。いちばん好きな音楽ではあるからね。だから『Enclosure』や『PDX』でやったようなアルバムを作るとは思えないな。言い切れないけど、今作や〈Planet Mu〉から出すアルバムは、ギターは一切入れてないし、歌ってもいない。その方法で自分を表現するのが好きなんだ。もともと60年代、70年代のオールド・ソウルやファンクが好きでそれのサンプルの大ファンだった僕だけど、いままで以上に研究して、リズムやセンスをそこからもらってギターを演奏しているよ。だからいまの RHCP での僕のギターの演奏はそれらの影響が大きいし、ギターの練習をしたことによって、エレクトロニック・ミュージックの方面でもいい音楽が生まれたと思っているんだ。ギターでの曲作りはこの数年やっていなくて、練習に徹した。でもそれが、エレクトロニック・ミュージックのほうへもうまくいい影響になったと思っている。

いまちょうど話が出ましたが、レッド・ホット・チリ・ペッパーズへの復帰が発表され、いまはパンデミックでライヴができないとはいえ、今後バンド活動も活発になっていくだろうと思います。ただ、そのなかでもソロの楽曲制作は続けられますよね?

ジョン:その通りだね。バンドに復帰したのはエレクトロニック・ミュージックを続けられることがわかっていたからだし、両立できる余裕もあるしね。夏にライヴをやる予定だったんだけど、全部来年へ延期になった。だから来年の夏には RHCP のライヴ活動が実現できることを願っている。いまは曲の制作中だよ。目標は今年の終わりにはスタジオに入ってアルバムの制作に入るか、もしくはアルバムを作り終えることなんだ。復帰したらすぐに曲作りが始まって、新曲が出せるようにしようという話だったし。バンドのメンバーとして1998年に戻ったときからエレクトロニック・ミュージックを作らせてもらっていて、時間に余裕があるのもありがたい。僕はロック・ミュージシャンとして、エレクトロニック・ミュージシャンとして、ふたつの表現がしたいし、自由でいたい。9月に出すアルバム『MAYA』は僕の愛猫の名前なんだ。昨年癌が見つかって、最近亡くなってしまったんだ……。RHCP の『Stadium Arcadium』の制作に入る寸前に飼いはじめて、そこからずっと僕が音楽を作るときも音楽を聴いているときも練習しているときもずっと僕の隣にいたんだ。だから彼女の名前をアルバムのタイトルにつけたかったんだ。

Speaker Music - ele-king

三田格

 ニューヨークのアパレル・メーカー「HECHA / 做」が攻めまくっている。プロジェクト1は2018年の9月にウェブ上で行ったオール・デイ・ストリーミング。プロジェクト2は2019年のベルリン国際映画祭でジェシー・ジェフリー・ダン・ロヴィネリ(Jessie Jeffrey Dunn Rovinell)によるクィアー映画『ソー・プリティ』の上映。プロジェクト3は「黒いテクノを取り戻す(Make Techno Black Again)」(トランプのパロディです、念のため)というキャンペーン用キャップの発売。この時にテーマ曲をつくったのがスピーカー・ミュージックことディフォーレスト・ブラウン・ジュニア(以下、DBJ)という音楽ライター。プロジェクト4はオンライン・ショップの開設とポップ・アップ・イヴェントと続き、これらはすべて共感によってドライヴされるビジネス・モデル(Empathy-driven business model)を標榜するルス・アンジェリカ・フェルナンデスとティン・ディンという2人の女性が企画・推進している。プロジェクト7は「テクノは誰のもの?(Who Does Techno Belong to?)」と題された討論会の開催で、商品化され、商業化したテクノについてゲストを交えて語り合うなど、テクノに対するこだわりがハンパない。彼らの頭にあるのはとにかくデトロイト・テクノの継承と発展である。EDMのかけらもない。そして、Project10として〈プラネット・ミュー〉からリリースされたスピーカー・ミュージックのセカンド・アルバム『Black Nationalist Sonic Weaponry』はまさに「黒いテクノを取り戻」し、「HECHA / 做」の主張を具体化した素晴らしい内容となった。〈プラネット・ミュー〉も今年、最も重要なリリースになると大きな声を上げている。何も知らずに1曲目を聴いた僕も叫びそうになった。すごい。すごいよ!!マサルさん。セクシーコマンドー。いやいや。

 ベース・ミュージックとフリー・ジャズの出会い。そんな生易しい次元ではないかもしれない。1曲目にフィーチャーされているのは詩人のマイア・サナア(Maia Sanaa)で、付録としてついている45ページのブックレットは彼女の書いた理論や詩を集めたものらしい(これは未見)。DBJ自身もアミリ・バラカが提唱し、黒人音楽の歴史をまったく新しい視点で読み直したとされる批評家ツィツィ・エラ・ジャジ(Tsitsi Ella JajiI)が連帯のために提唱したステレオモダニズム理論をアルバム全体に応用したそうで、それはアメリカ産のブラック・ミュージックを読み解くためにセネガルとガーナと南アフリカの音楽を研究した成果らしい。どこがどうだかはもちろんよくわからない。わかるのは躓くように叩かれるスタッタリング・ドラムがとにかくカッコいいということと、3曲目の“Techno Is A Liberation Technology(テクノは解放のテクノロジー)”でジョン・ハッセルばりのトランペットが最初のピークをつくり出すこと。この緊張感には圧倒される。ドリルン・ベースなんて子どもの遊びだったじゃん……(いや、それはそれでいいんだけど)。続いて“Black Secret Technology Is A Traumatically Manufactured And Exported Good Necessitated By 300 Years Of Unaccounted For White Supremacist Savagery In The Founding Of The United State(野蛮な白人至上主義の上に築かれたアメリカのために300年も輸出が必要とされ、精神的な外傷を負わされてきた黒い秘密景気)”で同じく極端なスタッタリング・ドラムの背後で粒子の細かい電子音が縦横無尽に飛び回り、“A Genre Study Of Black Male Death And Dying(黒人男性の「死んだ」と「死んでいる」の調査)”ではドラムがトライバルな響きにガラッと変わり、延々と警察無線がサンプリングされる。複数のパーカッションが入り乱れる瞬間はまさしく何かが起きた感じ。

 不協和音を連打するピアノにリードされた“Of Our Spiritual Strivings(私たちの精神的努力)”はザ・ポップ・グループをベース・ミュージックに変換したかのようであり、メロウなサックスとノイズで構成された“Black Industrial Complex - Automation Repress Revolution In The Process Of Production, And Intercontinental Missiles Represent A Revolution In The Process Of Warfare(黒い複合産業 - オートメイションは生産方法を劇的に変えることを抑止し、大陸間弾道ミサイルは戦争を進化させていく)”でようやく一息つける(つけないかな)。“Super Predator(他人を犠牲にして利益を得る者)”で再び強烈なスタッタリング・ドラムが復活し、“American Marxists Have Tended To Fall Into The Trap Of Thinking Of The Negroes As Negroes, i.​e. In Race Terms, When In Fact The Negroes Have Been And Are Today The Most Oppressed And Submerged Sections Of The Workers​.​.​.(アメリカのマルクス主義者たちは黒人のことを人種的タームとして考える罠に陥りやすく、実際に黒人たちはかつても、そして、いまも抑圧され、労働者としてどっぷり社会の底に沈められている)”ではストイックなドラミングに不穏なシンセサイザーの波が押しては返すスリリングな展開。ラストはアルバム全体の余韻を先取りするようにジェフ・ミルズのコード進行を思わせるクールな“It Is The Negro Who Represents The Revolutionary Struggles For A Classless Society(階級なき社会のための革命の闘争を象徴するのはニグロである)”。物悲しいサックスの響きはマッド・マイクのそれとはあまりに対照的。デトロイト・テクノの優美なメロディやパワフルな面しか見えていないフォロワーは思いっきり反省すべきだろう。

 深南部からニューヨークに出てきたというDBJは、以前は本人名義で実験音楽に多くの時間を割いてきた。どちらかというと活動はアート寄りで、2017年にスザンヌ・フィオール・キュレイトリアル・フェローシップの奨励を得るとMoMAの別館など様々な場所で作品を発表し、ヒートシックなどの名義で〈パン〉からリリースがあるスティーヴ・ウォーウィックとの共作「E-M」などですぐにも知名度を上げていく。DJなどではヒップホップやテクノを扱うこともあったDBJは、しかし、自分で作曲するとなるとフィールド・レコーディングや延々とスピーチを続けているものがメインで、昨年末に〈プラネット・ミュー〉からリリースされたスピーカー・ミュージックとしてのデビュー作『Of Desire, Longing』もゴソゴソとしたドローンの変形サウンドが46分36秒にわたって持続するだけ。いわゆるダンス・ミュージックではまったくない(あ、安倍晋三の言い回しがうつった!)。『Black Nationalist Sonic Weaponry』の前哨戦となったのはケプラ(Kepla)とのコラボレイト・アルバム『The Wages Of Being Black Is Death』(19)で、控え目だけれど、パーカッション・サウンドが取り入れられ、『Black Nationalist Sonic Weaponry』の青写真がここには確実に描かれている。言葉とサウンドの比重が逆転し、「メイク・テクノ・ブラック・アゲイン」を自らが実行に移した感じだろう。“Sunken Place in Reverse...a Cancelled Future, a Horizon of a Pipe Dream(逆さに沈没した場所……キャンセルされた未来、空想の地平線)”から『Black Nationalist Sonic Weaponry』まではあと一歩である。“Sophisticated Genocide - American Industrialized Culture is Designed to Flush Out Non-performing/Non-conforming Black Male Bodies(洗練された大量虐殺 - アメリカの産業文化は役に立たない黒人男性の肉体を追い出すようにつくられている)”で組み合わされたリズムとドローンのコンビネイションもDBJが助走段階に入っていることを告げ知らせている。さらに『Black Nationalist Sonic Weaponry』と2日違いでリリースされたDBJ名義『Further Expressions Of Hi-Tech Soul』は1時間に及ぶスタッタリング・ドラムにマッド・マイクを思わせる雄大なシンセサイザーがやや重々しく被せられていくスタイルで、彼の作品にしては言葉がまったく使用されず、この試みもまたテクノを新たな次元に持ち上げたものといえる。タイトルはマッド・マイクを意識したものではなく、耐久と適応を強いられてきた黒人の歴史とその肉体を表すものだという。

 シリアからオマール・スレイマンが飛び出し、ウクライナからヴァクラが頭角を現したように、紛争が起きることを察知して優れた音楽がその予兆を奏でることはままあることだろう。アメリカでブラックライヴズマターが再び拡大する直前、僕はピンク・シイフ(Pink Siifu)によるパンク・ラップにいささか慄いていた。ここまでアナーキーなヒップホップ・サウンドはそうそうない。しかし、録音時期から考えて、それをも上回る音楽的な爆発を起こしていたのはDBJだった。19日に配信が開始されたということは、各曲のタイトルはブラックライヴズマターを受けて考えられたものに違いない。厳密にいうとブラックライヴズマター以後につくられた最初の作品とは言えないだろうけれど、そのような時間的な境界線上にあったことを考えれば、『Black Nationalist Sonic Weaponry』をブラックライヴズマター後に現れた最初の音楽作品として考えてかまわないのではないだろうか。〈プラネット・ミュー〉からのステートメントは「(『Black Nationalist Sonic Weaponry』は)野蛮な新自由主義を超克し、白人のテクノ・ユートピアが描き出す架空の経済成長に負うことがない未来へと歩み出す作品だ」と結ばれている。また、『Black Nationalist Sonic Weaponry』の収益はすべて「Black Emotional and Mental Health (BEAM) 」と「the Movement 4 Black Lives」に寄付される。

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野田努

デトロイト・テクノはアメリカのポップ・カルチャーから欠落し、反メディア的であるために、国のスキャン・システムから完全に抜け落ちてしまっている。(略)アメリカのメディア風景全体を補強しているエンパワーメントの論理からテクノは脱退する。それらすべての指令から逃れて可視化するために、あるいは人びとの声を聞くために、人びとの歴史を語るために。──コドウォ・エシュン『More Brilliant Than The Sun』(高橋勇人訳)

 娘がまだ幼稚園に通っていたとき、いっしょに近所を歩いていたら、自転車に乗った警官が2名ぼくたちの前を通り過ぎた。傍らにいた娘を見ると、思い切り敬礼している。「なにやってんだよ?」と訊くと「おまわりさんと仲良くなれれば、何かあったときに助けてくれるじゃん」と答えた。たしかにこの社会では最初、そう教えられるものである。おまわりさんはみんなを守ってくれると。
 その娘もいま11歳となって、アメリカで警官が黒人をとっちめている映像をいっしょに見ている。このリアルは、彼女が学校では教えられていないリアルだ。時間はかかるだろうが、これから彼女に“黒い物語”を話さなければならない。すなわち信じ込まされていた話が必ずも正しくはなかったということを。ブラックライヴズマターに若い白人が多いのは、彼ら・彼女らが子どもの頃に教えられたリアル(歴史、社会)が欺瞞的だったことに腹を立てているからだろう。

 「地球人を飼いならす平凡な視聴覚プログラムは、人びとの心を濁らせて人種間に壁を作る」とはかつての、30年前のデトロイトのURなるアーティストがレコードに印刷した言葉だが、時代が変わるときはいっきに変わるものだ。NYのスピーカー・ミュージック(ディフォレスト・ブラウン・ジュニア)なる黒人青年は、いま、山頂で空気で肺をめいっぱい膨らませるかのようにデトロイト・テクノとフリー・ジャズを我が身に吸い込み、そして更新しようとしている。ディフォレスト・ブラウン・ジュニア(DeForrest Brown Jr.)名義でリリースしたアルバム『Further Expressions Of Hi-Tech Soul(ハイテック・ソウルのさらなる表現)』のアートワークは、エシュンの『More Brilliant Than The Sun』を読んでいる彼自身の姿である。そして、“Hi-Tech Soul”とはデリック・メイの造語であり、そのコンセプトの重要性をDBJは1週間前に出たばかりのスピーカー・ミュージック名義のアルバムに併せて作ったブックレット(フリーでDLできる)のなかで解説している。
 ブックレットにおいては、URの『インターステラー・フュージティヴ』のアルバムのアートワークが紹介され、そしてドレクシアの『ザ・クエスト』のCD版に掲載された奴隷貿易という西欧社会の歴史(学校では教えられることのない)が再掲されている。それがこれからスピーカー・ミュージック(DBJ)を聴こうとする人たちへのひとつヒントだが、しかし、彼のサウンドには、21世紀のフットワークやベース・ミュージックを通過した斬新なリズム──ディスコとは切り離されたエレクトロニック・アフリカン・パーカッション──がある。リズムは彼の武器だが、さらにフリー・ジャズのエッセンスを融合させ、そう、URの“ファイナル・フロンティア”を30年分のアップデートに成功させている。それが、スピーカー・ミュージックのセカンド・アルバム『Black Nationalist Sonic Weaponry』の最後の曲、“It Is The Negro Who Represents The Revolutionary Struggles For A Classless Society (階級なき社会のための革命の闘争を象徴するのはニグロである)”だ。ちなみにニグロとは、黒人が主体的に自らを呼んだ言葉ではない、植民主義における白人が彼らをそう呼んだのであって、問題の根源は植民主義を生んでしまった思想なり文明なりにあると。
 スピーカー・ミュージックはサウンドの発展のさせ方もさることながら、コンセプトの研磨においても抜かりがない。今回の抗議運動は歴史的モニュメントの破壊にまでことが及んでいるが、ブラックライヴズターが反人種人差別にとどまらず、それ(=奴隷制度や植民主義)が黒人ではなく白人の歴史から来ていることを若い世代の白人が声を出していることに未来があるとは言えないだろうか。人びとの声は、DBJがブックレットの最初に引用したアミリ・バラカ(リロイ・ジョーンズ)の1967年の言葉「我々はポスト・アメリカの形態を欲する」とリンクしている。そして、連帯(solidarity)を呼びかけているこの音楽は、パブリック・エナミー〜UR以来の、確信的なポリティカル・ブラック・ミュージックと言えよう。(彼はいま『黒いカウンター・カルチャーの結集』なる著書を準備中だとか)

 ディフォレスト・ブラウン・ジュニアは、革命前史として、サン・ラ、アーチー・シェップ、アルバート・アイラー、ミルフォード・グレイヴス、ノア・ハワード、クリフォード・ソーントンといったアーティストたちの作品をリストアップしている。そう、ジャズなのである。これら60年代末〜70年代前半のフリー・ジャズと90年代のデトロイト・テクノとの溝を埋めようというのがDBJの企みであろう。
 また、インスピレーションのひとつに状況主義にも影響を与えたフランスの思想家アンリ・ルフェーヴルの名も挙げているが、大それた固有名詞が並んでいるからといって、身構える必要はない。テクノは、音を感じるところからはじまる。まずは何よりも、ここにはサウンドの強度がある。能書きをすっ飛ばして聴いても充分にカッコいい。アーチー・シェップのアルバムのように。ただひとつだけ言いたいのは、世のなかには「いま聴かなくていつ聴くのよ」という音楽があり、これはまさにいま聴く音楽だ、ということ。世界が“黒い物語”を必要としているまさにいまこのときに、である。

interview with Akira Rabelais - ele-king

 米シカゴ在中の異才アキラ・ラブレー(作曲家、ソフトウェア開発者)にはじめて会ったのは、2007年、デヴィッド・シルヴィアン欧州ツアーに参加した際立ち寄ったドイツ・ケルンでのこと。ツアー中盤、いまだ捉えどころのないデヴィッドから「紹介したいアーティストがいる」と言われ、その「アキラ」という名前の人と––詳細不明のまま––演奏会場に隣接したカフェで落ち合った。「この人とは酒が飲めそう!」と出会い頭に思い、開口一番ツアー中のこと日本でのことなど私事を捲し立ててしまった。アキラさんはその笑止千万な話しをひとしきり聞いてくれた後、ウィットで生き生きとした音楽やイメージを物腰穏やかに語ってくれた。私はその革新的なアイディアに興奮しつつ自分が恥ずかしくなった……。
 別れ際、彼は1枚のカードを手渡してくれた。ツアーバスに戻ってから、その魔術的な抽象画と古代文字が添えられたカードを眺め続けた。プラハに向かう深夜のハイウェイは闇に包まれていて、国境上空では怪鳥が鳴いている。私はその護符(カード)を大切に保管した。
 それから十数年近い歳月が過ぎて、私は偶然、大阪のNEWTONEレコードでアキラさんの再発盤レコードを入手した。その夢幻の響きはときを超えてまったく色褪せることなく、活き活きと私の前に立ち現れてきた。早速アキラさんに手紙を書いた。

 以来、機会ある都度にアキラさんとやり取りをしてきましたが興味が尽きないので、ele-king 野田さんに直談しインタヴューを行いました。ジョージ・フロイドさんが白人警官によって殺害された事件を期に起こった抗議活動が全米のみならず世界に広がりをみせる中、2回に分けて取材しました。以下その全文です。

これは本当に驚くべきアルバムです。一聴しただけでは制作プロセスがまったく推測できません。(渡邊琢磨)
作業プロセスは、トラックのヴァリエーションをいくつか作って、それを数日間、再生し続けて自分の潜在意識に浸透させ……それから調和的な修正を加えるというものだった。(アキラ・ラブレー)

音楽のみならず、開発されたソフトウェアも謎めいた魅力に満ちており、あなたの音楽的バックグランドを推し量ることは容易ではありません。

Akira Rabelais(以下、A):音楽の初仕事は、あるオペラ作品のためにパート譜を作成することだった。最初の給料で彼女にシルクのパジャマを買ったので、そのときのことはよく憶えているよ……音楽やアートとのつながりは、私がテキサス南部育ちということと関係がある。私は人里離れた競走馬の牧場で育った。ハイウェイの中途から挨拶するのに立ち寄るような場所だ。私は牧場で自然を声帯模写した。コヨーテ、鳥、馬と一緒に歌った。母はアーティストで、バッハ、サティやブラームスを弾いていた。私の最初の楽器は農場を取り囲んでいた有刺鉄線を射撃用の鉄の板に打ち付けることによって即興的に作り出したものです。

広漠とした大自然の記憶ですね。一方であなたは、ミュージック・テクノロジーやコーディングの卓越した技術をお持ちです。こうした技術や知識も音楽を始めた頃に習得していったのでしょうか?

A:いや、私がコンピュータを使いはじめるのはもっと後になってからだよ。大学生の頃、DMCS(註1)を使いはじめて、そのソフトを覚えることに夢中で何百時間もラボで過ごした。仲間の学生が私のやっていることに気づいて、電子音楽をやってみたらと勧めてくれた。それで、“Max”や“KYMA”(音楽やマルチメディア向けのビジュアルプログラミング言語)を使いはじめるようになったんだ。

それから、あなたは大変独創的なソフトウェア「Argeïphontes Lyre」を開発されました。このソフトに関してご説明いただけますか? またこのソフトはご自身の作曲ツールでもあるのでしょうか?

A:最初に開発した「Argeïphontes Lyre」(以下:AL)は、私のカルアーツ(カルフォルニア芸術大学の通称)の修了制作だった。「AL」は、トム・エルベ(註2)の下で学んだ結果生まれた。私が独自のオーディオ・フイルターの着想を得たのはアニメーションのクラスでのことだった。友人に、Blender(3DCG制作ソフトウェア)のアニメーション部分をプログラミングした人がいて、彼のアニメーションソフトはスイッチをオンにするとキャラクターが四方八方に飛び出てくるのだけど、そのソフトに触発されて「自分も同じことを音でやらなければ」と考えたんだ。そしてそれが結果として、“Eviscerator Reanimator”(「Argeïphontes Lyre」に包摂されているオーディオ・フィルターの一種)になった。いまの「AL」は、6ヴァージョン目です。それは、DSP・フィルター、ジェネレーター、オーデイオ、ヴィデオ、そしてテキスト合成の集合体のようなもので、私はそれをC言語、オブジェクティブC、C++で書いていて、再結合、変異、歪み、たたみ込み、対称性という概念を主体としている。最初のヴァージョンでは視覚情報の合成 ( 音声から映像への変換、映像の編集等々)を伴っていたが断念してしまった。直近ではカオス理論にハマっていて、どうやってそれを取り込もうか研究中。「AL」は私の庭のようなものです。私は庭仕事が好きで、雑草を抜いたり、収穫したり、新しいことを見つけたり、そのアイデアをまるで花のように育て……ときに、「AL」は道具として使える詩のようでもあります。ほとんどの私のアルバムで"AL”を使っています。「AL」は、僕のウェブサイトから無料でダウンロードできます。(註3)

あなたが大学時代にトム・エルベに師事していたとは驚きです。私も“SoundHack"のいくつかのプラグインを使ったことがあります。

A:彼は大学院時代の恩師です。彼がカルアート時代に唯一(研究室で)指導した生徒が私です。彼はいま、カルフォルニア大学のサンディエゴ校にいますよ。そして大学時代の師は、ビル・ディクソンでした。彼のことは君も知っているだろう。フリー・ジャズの演奏家で……

え! トランペッターのビル・ディクソンですか! セシル・テイラーとの共演盤を持っていますよ!

A:はい。私は彼の即興演奏のアンサンブルで、3年間演奏していました。話しは変わるけど、君のプロジェクト(註4)のために“緊縛美”というフィルターを書いたよ。オーディオストリームが縄や糸の束のように、ねじり合わさって結び目をつくるというイメージが“緊縛美”になったんだ。君に送ったオーディオ・ファイルの中で、そのフィルターを聴くことができると思う。

はい、たしかに。原音にあまり干渉しない有機的なフィルターですね。この“緊縛美”について、もう少し説明してもらえますか? これも「Argeïphontes Lyre」から派生したフィルターの一種なのでしょうか?

A:そうです。「AL」のなかで試せますよ。女性の身体の周りに結び締め付けられたような縄のようなサウンドチャンネルという、ただの思いつきなんだけどね。

あなたは開発したソフトウェアを無料でシェアされていますね。近年、音楽に限らず大手メーカーのソフトウェアやアプリケーションが軒並み月額制、サブスクリプション化されました。私的にはフリーソフトにはいまだ想像的で、なかには使い勝手すらも(有償ソフトよりも)良いものがあります。これはシステムの問題だけではないと思うのですが。

A:君の言いたいことはよくわかるよ……個人もしくは少人数で開発するフリーソフトにはたいがい、創造的なスピリットがある。お金や必要以上の意見は創造的な表現をブロックしがちだ。私はサブスクリプションのファンではない。だからPro Toolsを使うのをやめたんだ。

そうした変遷を経て、あなたはいまやクラシックとなった名盤 『Spelle-wauerynsherde』(Boomkat Editions : BKEDIT015-COL)を生み出します。
これは本当に驚くべきアルバムです。一聴しただけでは制作プロセスがまったく推測できません。この作品が作られた経緯、制作過程を教えていただけますか?

A:『Spellewauerynsherde』は三つの言葉なんだ。つまり、Spell(呪文)、Wavering(揺らぎ)、Shard(破片)という。私は大学でラッキー・モスコヴィッツという作曲家、指揮者に学んだ。彼は、60年代後半にバックパックひとつでアイスランド中を旅しながら、失われゆくアートフォームであった哀歌の独唱などをアンペックス製のリールテープに次々とドキュメントしていった。彼は帰国後そのテープをクローゼットに片付けたまま忘れてしまった。それを、30年後に私が発見したんだけどテープの状態はとても酷かった。私はそれを慎重に修繕してハードディスクに保存し、ラッキー自身や学校の図書館、そして私自身用にコピーを作った。彼は悲劇的な人だった。酒の問題を抱え、私が大学を卒業した2年後に夭逝してしまった。このアルバムを作りはじめたのは彼が亡くなってまもなくの頃だった。
 彼の収集した音を20分程度使って制作をし、1年後に作品は完成した。このアルバムをリリースしてくれるレーベルを数年、探して回ったけどなかなか見つからなかった。そんな折に突然、デヴィッド・シルヴィアンから彼がスタートする新レーベル〈Samadhisound〉から何かリリースしないかという手紙を受け取ったんだ。デヴィッドは、このアルバムを気に入ってくれて承諾してくれた。それからさらに18ヶ月かけて、ジャケットデザインを探し求めたが、ようやくLia Nalbantidouというフォトグラファーの写真を見つけ、アルバムは2014年にリリースされた。
このアルバムの技術的な点を説明しておくと、たいはんの楽曲は、“タイム・ドメイン・ミューテーション”および、“コンボリューション”(という技術で)構築されている。“ミューテーション”は、トム・エルベから学んだテクニックだ。私のコンボリューションは、トムの“SoundHack”に基づくものではあるけれど、タイム・ドメインの部品を追加した。このアルバムでは基になった音を再文脈化しているけれど、その音の本質にある有機性は保たれていると思う。その作業プロセスは、トラックのヴァリエーションをいくつか作って、それを数日間、再生し続けて自分の潜在意識に浸透させ……それから調和的な修正を加えるというものだった。

註1:DMCS(Deluxe Music Construction Set)は、86年に制作された初期の音楽制作ソフト。
https://en.wikipedia.org/wiki/Deluxe_Music_Construction_Set

註2:米国の電子音楽の重鎮でコンピューターミュージック会社”SoundHack”の代表。

註3:「Argeïphontes Lyre」は、下記リンクよりフリーダウンロード可。
https://www.akirarabelais.com/o/software/al.html

註4:アキラ・ラブレーと渡邊琢磨は“Soundtrack recomposed project”という企画でコラボレーションを行なっている。同作には(仏)のアーティト、 フェリシア・アトキンソンも参加している。7月下旬、渡邊主催レーベルより配信限定リリース予定。

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コロナウィルスによって世界が激変しました。あなたの生活や表現にどのような影響を及ぼしましたか?(渡辺琢磨)
願わくば、人びとが少し内省的になってもらえたらと。これからどのように生きたいか、どういう影響を世界に与えているのかを考えてもらえたらと思います。(アキラ・ラブレー)

ご友人の作曲家が収集したヒストリックな音とオープンリールが時代を越えてあなたの作品に生成変化したということでしょうか。あなたの作品はパーソナルでありつつ、出来事や他者との関わりから生まれた作品も多いような気がします。コラボレーションに関して考えをお聞かせください。とくにハロルド・バッドとの共作に関して個人的に興味があるのですが……

A:私にとってコラボレーションは常に難題です。自分のやり方がハードルを上げてしまうのです。去年リリースした『cxvi』(Boomkat Editions : BKEDIT018)ではコラボレーション作品に取り組みました。完成まで10年かかりましたが、結果には満足しています。ハロルド(バッド)は、素晴らしい人です。彼が自作の”Avalon Sutra”で作業をしていた時に、デヴィッド(シルヴィアン)が私たちを結びつけた。それで友達になりました。彼の場合一緒に作業するのはとても楽でしたよ。

そういえば、私もデヴィッドを介してあなたとドイツでお会いしましたね。話しは変わりますが、コロナウィルスによって世界が激変しました。あなたの生活や表現にどのような影響を及ぼしましたか? また、こういった厳しい状況をどう捉えていますか? よろしければ教えてください。

A:パンデミックが表現にどのように影響するか説明するのは難しいですね。私はというと、作業する時間が増えました。願わくば、人びとが少し内省的になってもらえたらと。これからどのように生きたいか、どういう影響を世界に与えているのかを考えてもらえたらと思います。

ありがとうございます。全米では、ジョージ・フロイドさんが白人警官によって殺害された事件を期に大規模なプロテストが起こっており、この抗議デモはいまや世界中に広がっています。あなたが住んでいるエリア(イリノイ州シカゴ)での状況を教えていただけますか。

A:私は、シカゴのダウンタウンから電車で北に一駅のところに住んでいるので、デモが自宅のあたりまで来ます。数千人のプロテストの参加者が通り過ぎていくのを見ました。私が目撃したデモはとても穏やかで、まるでパレードのようでした。残念なことに一部の地域はとても危険な状況で、ニュースでも見ましたが衝撃的でした。

ドナルド・トランプは事件発生当初は傍観し、後に差別や暴力を煽るような発言をまたしてもツイッターやメディアで繰り返しています。このことは世界的に報道されています。

A:彼や彼の支持者が合衆国に対して行なってきたことは悲しく、恥だと感じています。意図的に無視することや、悪意のある不寛容を賞揚し正当化することは容認できません。

日本ではアーティストやセレブリティーの政治発言は敬遠される傾向があります。これは米国の状況とは異なると思いますが、アーティストが政治に言及することについてどう思われますか。

A:思うに、私は誰からも学ぶことができる……キム・カーダシアン(※著名なモデル)から何か学べるだろうか? わかりません。アートとアーティストは同じではないということを憶えておくのは大事だと思う。ヒーローに実際会ってみるとたいてい、幻滅しますからね。

あなたは過去に何度か日本を訪れていますね?

A:日本は好きです。素晴らしい瞬間の記憶がたくさん残っています……舞踏の先生と一緒に踊ったり、新宿で道に迷ったり、新幹線でコーヒーとカツサンドを食べたりしたこと。福岡の小さなレストランで友人と“タクシードライバー”の酒を飲んだこと、日本の風呂、東京でカラスと歌ったこと、誰もいない山形のホテルのバーでマンハッタンを飲みながら雪が降ってくるのを眺めたこと、神社で節分のキャンディーをキャッチしたこと。こうした瞬間、というより、やはり人なんですよ。

その“タクシードライバー”のお酒のラベルは知人のアートディレクター、映画ライターの高橋ヨシキさんによるデザインですよ。

A:そうなのか!? ワオ、それは最高だね。


 アキラ・ラブレーと音のやり取りをしていると──ピアノや弦の音が変調するように──生活時間は“歪み"、日常も“変異"していく一方、均質化された思考や審美性、価値観等は解体されていく。蝋燭の炎のように小さくゆらゆらと持続/変化する音が、現実を明るみに出していくような行程は「内」から「外」を求めつづけた暗澹たる日々の羅針盤のように作用した。パンデミック後、最初のメールではお互いの国のこと、見えている景色のこと、国政等々についてやり取りし、美味しいお茶の淹れ方を(何の脈絡も無く)教えていただいた。ソフトウェアやコードは書く人つくる人次第で、詩にもなるし、社会問題を提起することもできる。(ele-king booksから出版されている『ガール・コード』も是非ご参照ください。)私もC言語の勉強を再開しましたが……早くも挫折寸前です……。アキラ・ラブレーとの音の往来は、7月下旬リリース予定の染谷将太監督『まだここにいる』recomposed project に収蔵されています。詳細は適時こちらから(https://www.ecto.info/

 

アキラ・ラブレー(Akira Rabelais)
テキサス南部で生まれ。作曲家、ソフトウエア設計者、著述家。ビル・ディクソンに作曲、および編曲を学び、カリフォルニア芸術大学では 電子音楽のリーダーであるモートン・スボトニックおよびトム・エルベに師事し修士を修める。幼少期、彼は農場を囲んでいた有刺鉄線を金属板に打ち付けることによって最初の楽器を作り出した。 その後、音や映像を巧みに歪めたりノイズ を加えるなどの操作ができる独自のソフトウェア「Argeïphontes Lyre」を開発。彼は自身のソフトウェアを書くことを詩を書くことになぞらえる。数あるフィルターは形骸化蘇生法、ダイナミックFM音源、時間領域 変異、そしてロブスターカドリールなど独特な言葉で綴られているように。

Akira Rabelais official https://www.akirarabelais.com/
bandcamp https://akirarabelais.bandcamp.com/

BES & ISSUGI - ele-king

 大きな話題を呼んだ『VIRIDIAN SHOOT』から早2年。復活した SCARS としての活動も順調な BES と、今年新作『GEMZ』をリリースしている ISSUGI、日本が誇るふたりのラッパーがふたたびタッグを組んでアルバムを送り出す。タイトルは『Purple Ability』で、多くのゲストたちが参加。発売は7月3日。さらに輝きを増した BES & ISSUGI の化学反応に注目だ。

SCARS / SWANKY SWIPE としての活動でも知られるラッパー、BES と最新作『GEMZ』のリリースも話題な MONJU / SICK TEAM のラッパー、ISSUGI によるジョイント・アルバム第2弾『Purple Ability』が〈DOGEAR RECORDS〉からリリース! SCARS から STICKY、MONJU から Mr.PUG、仙人掌が参加! 本日よりアルバムからの先行配信もスタート!

◆ SWANKY SWIPE / SCARS としての活動でも知られ、SCARS『THE ALBUM』(06年)、SWANKY SWIPE『Bunks Marmalade』(06年)、ファースト・ソロ・アルバム『REBUILD』(08年)といったクラシック作品をリリースして人気/評価を不動のものとし、近年ではソロだけでなく復活した SCARS としての活動も活発なラッパー、BES(ベス)。
◆ 東京から国内ヒップホップ・アーティストを中心に様々な音楽を06年から現在まで途切れなく発信するレーベル、〈DOGEAR RECORDS〉に所属し、MONJU / SICK TEAM のメンバーとして、そしてソロ・アーティストとして膨大な音源をリリースしており、バンド・サウンドを取り入れた最新作『GEMZ』のリリースも大きな話題となっているラッパー、ISSUGI(イスギ)。
◆ 旧知の間柄であり数々のコラボレーションをこれまでにリリースしてきた卓越したスキルを持つ両者がガッチリと手を組み、18年にリリースしたジョイント・アルバム『VIRIDIAN SHOOT』はその年の年間ベスト・アルバムにも選出されるなど各所で絶賛され15カ所に及ぶライヴツアーを敢行。早くもこのタッグでのジョイント・アルバム第2弾となる『Purple Ability』がリリース決定!
◆ 客演には SCARS から STICKY、MONJU から Mr.PUG、仙人掌が参加! そしてプロデューサー勢には前作に続き D.I.T.C. 関連の作品で知られ、ISSUGI ともこれまでに幾度もコラボしているNYのプロデューサー、GWOP SULLIVAN や DJ SCRATCH NICE、GRADIS NICE、16FLIPと『VIRIDIAN SHOOT』にも参加していた面々の他、フレディ・ギブスやカレンシーら数多くのアーティストとコラボしているベイエリアのプロデューサー、DJ FRESH、〈DOGEAR〉からの作品リリースでも知られる ENDRUN、BES と ISSUGI ともに初顔合わせとなる FITZ AMBRO$E が参加! BES & ISSUGI の化学反応は常に 200% HIP HOP。
◆ 6月19日よりアルバムのリリースに先駆けてM1 “ Welcome 2 PurpleSide” (prod by Gwop Sullivan)、M8 “Trap to Trap” ft 仙人掌, Mr.PUG (prod by DJ Scratch Nice)の2曲の先行配信が iTunes Store / Apple Music、Spotify などでスタート! また iTunes Store ではアルバムのプレオーダー受付も同時にスタート!

[アルバム情報]
アーティスト: BES & ISSUGI (ベス&イスギ)
タイトル: Purple Ability (パープル・アビリティ)
レーベル: P-VINE, Inc. / Dogear Records
品番: PCD-25291
発売日: 2020年7月3日(金)
税抜販売価格: 2,500円

[TRACKLIST]
01. Welcome 2 PurpleSide
 prod Gwop Sullivan
02. SoundBowy Bullet
 prod 16FLIP & DJ Scratch Nice
03. Callback
 prod DJ Fresh
04. Purple Breath
 prod Gwop Sullivan
05. 大丈夫?
 prod Fitz Ambro$e & DJ Scratch Nice
06. Interlude
 prod 16FLIP
07. Hits a stick
 prod DJ Scratch Nice
08. Trap to Trap ft 仙人掌, Mr.PUG
 prod DJ Scratch Nice
09. Belly
 prod Endrun
10. Stack the ...
 prod Gradis Nice
11. Skit
 prod Gradis Nice
12. Inner Trial ft Sticky
 prod DJ Scratch Nice
13. 明日への鍵
 prod Gradis Nice
14. Nice Dream
 prod 16FLIP
15. BoomBap pt2
 prod Gwop Sullivan

[Profile]
SWANKY SWIPE / SCARS としての活動でも知られ、SCARS『THE ALBUM』(06年)、SWANKY SWIPE『Bunks Marmalade』(06年)、ファースト・ソロ・アルバム『REBUILD』(08年)といったクラシック作品をリリースし、人気/評価を不動のものとしたラッパー、BES (ベス)。
〈DOGEAR RECORDS〉に所属し MONJU / SICK TEAM のメンバーであり、ラッパーとしては元よりビートメーカー名義 16FLIP としてもこれまでに膨大な音源をリリースしてきた ISSUGI (イスギ)。
今はなき池袋の伝説的クラブ、bed が生んだ卓越したスキルを持つ両者が手を組み2018年にリリースしたジョイント・アルバム『VIRIDIAN SHOOT』はクラシックと絶賛された。
早くもジョイント・アルバム第2弾となる『Purple Ability』がリリース。

Villaelvin - ele-king

 2000年代にはリアルなアフリカを舞台にした超大作がハリウッドでも次から次へとつくられ、小品にも忘れがたい作品が多かったものの、現在では『ブラックパンサー』のようにおとぎ話のようなアフリカに戻ってしまうか、そもそもアフリカを舞台にした作品自体が激減してしまった(90年代よりは多い。あるいはセネガルなど現地でつくられる作品にいいものが増えてきた)。アフリカに対する注目は音楽でも同じくで、ボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロがライヴ・エイドから20周年となる2005年に世界8大都市で「ライヴ8」を同時開催し(日本ではビョークやドリームズ・カム・トゥルーが出演)、G8の首脳にアフリカへの支援を呼びかけたり、ベルギーの〈クラムド・ディスク〉がコンゴのコノノNo. 1をデビューさせてアフリカの音楽に目を向ける機会を増大させてもいる。これに続いてデイモン・アルバーンはアフリカ・エクスプレスを組織したり、コンゴの現地ミュージシャンたちと『DRC Music』を制作、ベルリンのタイヒマン兄弟も同じくケニヤなどに赴いて『BLNRB(ベルリンナイロビ)』や『Ten Cities』といったコラボレイト・アルバムを、マーク・エルネスタスはセネガルでジェリ・ジェリ『800% Ndagga』をそれぞれつくり上げている。こうした動きはしかし、第1次世界大戦前にイギリスとドイツが次々とアフリカ各地を植民地にしていったプロセスともどこか重なってみえる、個々の動きとは別に全体としては複雑な感慨を呼び起こす面もある(ディープ・ハウスのアット・ジャズが早くから南アフリカのクワイトにコミットしていったことも多面的な要素を持つことだろう)。アフリカの音楽産業は、規模でいえば1に南アフリカ、2にナイジェリアである(北アフリカとフランスの関係は煩雑になりすぎるので省略)。西アフリカを代表するナイジェリアではイギリスとアメリカの資本が暴れている一方、この数年で東アフリカを代表し始めたのがウガンダで、同地にもイギリスやドイツ、そして中国の資本が相次いで投入されている。イギリスのコンツアーズとサーヴォが現地のパーカッション・グループとつくり上げた『Kawuku Sound』、ゴリラズのジェシ・ハケットによる『Ennanga Vision』……等々。

 「先進国から来る人たちは演奏を録音して持って帰るだけ。出来上がったものを聞かせてもくれない」という不満は以前から少なからずあったらしい。アフリカと先進国の関係を変える契機が、そして、クラブ・ミュージックとともにやってくる。ウガンダのクラブ・ミュージックを牽引してきたのはDJ歴20年を超えるDJレイチェルと、2013年ごろから始動し始めた〈ニゲ・ニゲ・テープス(Nyege Nyege Tapes)〉である。東アフリカ初の女性DJとされるDJレイチェルはレコードも売っていないし、わずかなCDも高価で手の届かないものだったという90年代からDJやラップを始め、それは彼女が中流で、平均的な家族よりもリベラルな親だったから可能だったと本人は考えている(https://blog.native-instruments.com/globally-underground-dj-rachaels-journey/)。ウェデイング・プランナーとして働く彼女は結婚式で使うサウンドシステムをDJでも使いまわすことでなんとか生計を立てているようで、CDJが国全体でも3台しかないというウガンダではレンタルも簡単にはできないという。一般的にウガンダで音楽を楽しむにはスマホしかなく、それは『Music From Saharan Cellphones』(11)の頃も現在もあまり変わっていないらしい。ヒップホップからゴムまで横断的に扱うDJレイチェルの流儀に応えるかのようにして、そして、〈ニゲ・ニゲ〉がスタートする(詳細はあまりに膨大なので詳しくは→https://jp.residentadvisor.net/features/3127)。〈ニゲ・ニゲ〉の特徴を2つに絞るなら最新のエレクトロニック・ミュージックと伝統的な過去の音楽を等価に扱っていること、そして、ウガンダだけではなく、南に位置するケニアやタンザニア、あるいは西アフリカのマリやマダカスカル島東方に浮かぶレユニオンで活動するプロデューサーたちの音源もリリースしていることだろう(〈ニゲ・ニゲ〉のリリースで大きな注目を集めたタンザニアのシンゲリを紹介するコンピレーション『Sounds Of Sisso』については→https://www.ele-king.net/review/album/006179/)。〈ニゲ・ニゲ〉自体は音楽を生み出す母体として機能しているというよりDJ的な編集センスで存在感を示しているといえ、その頂点に位置しているのが現在はカンピレ(Kampire)である。DJレイチェルと同じくアクシデントでDJになったというカンピレは音楽に対する知識がなかったことが幸いしたと自身のユニークさを説明する。彼女がミックスすると、嫌いだった曲まで魅力的に聞こえてしまうので、僕もかなり舌を巻いた(ということは以前にも当サイトで書いた)。

 「ウガンダのアンダーグラウンドはどんどん大きくなっている。〈ニゲ・ニゲ〉は国際的に認知され、多くの西側メディアがウガンダを記事にしている」(DJレイチェル)


 そして、〈ニゲ・ニゲ〉が2018年にクラブ専門のサブ・レーベル、〈ハクナ・クララ(Hakuna Kulala)〉をスタートさせる(ようやく本題)。「安眠」というレーベル名とは裏腹にあまり聞いたことがない種類のベース・ミュージックをぶちかますケニヤのスリックバック(Slikback)やウガンダのエッコ・バズ(Ecko Bazz)などアルバムが楽しみなプロデューサーばかりが名を連ねるなか、〈ニゲ・ニゲ〉のハウス・エンジニアを務めるドン・ジラ(Don Zilla)と、ベルリンからやってきたエルヴィン・ブランディによるユニット、ヴィラエルヴィン(Villaelvin)のコラボレイト・アルバム『Headroof』がまずは群を抜いていた。バンクシーのように公共空間を使ったアート表現でも知られるというブランディはこれまで3人組のイエー・ユー(Yeah You)として4枚の実験的なアルバムをリリースした後、ソロでは本人名義の「Shelf Life(賞味期限)」などでアルカもどきの極悪インダストリアル路線をひた走り、とくにアヴリル・スプレーン(Avril Spleen)名義では混沌としたサウンドを背景にリディア・ランチばりの絶叫を聞かせてきた(それはそれで完成度の高い曲もある)。これがドン・ジラと組んだことでグルーヴを兼ね備えたインダストリアル・テクノへと変化。ドン・ジラ自身は昨年、やはり〈ハクナ・クララ〉から「From the Cave to the World」でデビューし、シンゲリを意識したようなトライバル・テクノや不穏なダーク・アンビエントを披露したばかり(コンゴ出身の彼は自分の音楽をコンゴリース・テクノと呼んでいる)。2人が起こしたアマルガメーションはアフリカとヨーロッパの音楽が混ざり合うという文脈でもすべてが良い方に転んだといえ、それぞれの音楽性が互いにないものを補完し合うという意味でも面白い結果を引き出している。インダストリアル・ノイズをクロスフェーダーで遊んでいるようなオープニングからシンゲリにはない重量感を備えた“Ghott Zillah”へ。タイトル曲の“Headroof”ではコロコロとリズムが変わる優雅なインダストリアル・アンビエントを構築し、これだけでも次作があるとすれば、それは〈パン〉からになるような気がしてしまう。ゴムをグリッチ化したような”Ettiquette Stomp”からアルヴァ・ノトとDJニッガ・フォックスが出会ったような“Zillelvina”へと続き、”Hakim Storm”ではチーノ・アモービを、ダンスホールを取り入れた“Kaloli”ではアップデートされたカンをもイメージさせる。全編にわたって知的でダイナミック。想像力とガッツにあふれたアルバムである。



〈ハクナ・クララ〉の最新リリースはアフリカ・エクスプレスにも参加していた南アのインフェイマス・ボーズによるメンジ(Menzi) 名義のカセット「Impazamo」で、これがなんとも不穏でダークなインダストリアル・ゴムに仕上がっていた。〈ニゲ・ニゲ〉がこれまで大々的にプッシュしてきたシンゲリとはだいぶ異なっった雰囲気であり、こうした方向性はしばらく維持されるに違いない(シンゲリを発展させたリリースももちろん〈ニゲ・ニゲ〉は続けている)。さらには、この夏、〈ニゲ・ニゲ〉の最初期からリリースを続けてきたナイヒロクシカ(Nihiloxica)のデビュー・アルバムが〈クラムド・ディスク〉から、という展開も。母体をなすのはドラムセット1人に7人のパーカッションが加わったウガンダの伝統的な打楽器グループ、ニロティカ・カルチャラル・アンサンブル(Nilotika Cultural Ensembl)で、この編成で彼らは昨年、〈メガ・ミュージック・マネージメント〉から『KIYIYIRIRA』というラヴリーなアルバムをリリースしたばかり。これにイギリスでアフロ・ハウスの佳作を連打してきた〈ブリップ・ディスク〉から“Limbo Yam”をリリースしていたスプーキー~Jとpq(もしかして〈エクスパンディング・レコーズ〉から『You'll Never Find Us Here』をリリースしていたpqか?)がプロデュースとシンセサイザーで加わり、ニロティカにニヒリズムの意味を加えたナイヒロクシカと名称を変形させたもの(pqは前述したエッコ・バズのプロデューサーも務めている)。イギリスの地下室とアフリカの伝統を結びつけたと自負するナイヒロクシカは2017年に〈ニゲ・ニゲ〉からカセットでデビューし、1年間ツアーを続けたことで伝統音楽「ブガンダン」に対する理解を深めたと確信し、そのままスタジオ・ライヴを収めたEP「Biiri」を昨年リリース、これをアルバム・サイズにスケール・アップさせたものが『Kaloli』となる。怒涛のドラミングは冒頭からアグレッシヴに響き渡り、まったくトーン・ダウンしない。次から次へとポリリズムが乱れ飛び、スリリングなドラミングをメインにした構成はさながら23スキドゥー『Seven Songs』の38年後ヴァージョンだろう。本人たちはこれを「ブガンダン・テクノ」と称し、「不吉なサウンド」であることを強調してやまない。エンディング近くに置かれた“Bwola”などはそれこそ『地獄の黙示録』でウィラード大尉が血だらけの顔を河から浮かび上がらせたシーンを思わせる。エンディングでは少し気分を変えるものの、全体に漲るパッションはとても暗く、情熱的である。

 世界中からヴォランティア・スタッフが集まり、4日間も続くという〈ニゲ・ニゲ・フェスティヴァル〉(CDJは2台!)はもちろん警察から狙われ、今後は新型コロナウイルスの影響も避けられないだろう。ウガンダはしかし、政府がしっかりとした広報機能を兼ね備えていないらしく、コロナ対策もオーヴァーグラウンドで人気のヒップホップやダンスホールが音楽に乗せて民衆にその知識を伝え、いまのところ死者はゼロだという。つーか、タンザニアでも6月7日に終息宣言が出たものの、「神の恩恵により新型コロナウイルスを克服できた」というマグフリ大統領の言葉を聞くとかえって不安に……。韓国とともにメガ・チャーチが猛威を振るうウガンダはLGBTに対してかなり厳しい視線を向けるらしく、前述したDJレイチェルもレズであることがわかった途端に友だちを何人か失ったそうで、〈ニゲ・ニゲ〉に集まる人たちのなかには、そこが「安全地帯だから」という理由も少なからずあるらしい。

 健全なオーヴァーグラウンドがあり、必要なアンダーグラウンドが機能している。ウガンダの音楽状況をイージーにまとめるとしたら、そんな感じになるだろうか。そして、それはなかなか容易に手に入るものではない。

井手健介と母船 - ele-king

1.

 かつてアメリカのボストンに、霊媒として名を馳せた「マージャリー」ことミナ・クランドンというひとがいた。彼女には、あのコナン・ドイルも惚れ込んでいたそうだ。橋本一径の『指紋論』によると、マージャリーは1923年から自宅でラップ音やテーブル浮揚といった超常現象を来客たちに披露していた。「支配霊」のウォルターを呼び出して客と会話をさせたり、エクトプラズムを生成したり……。さらにエクトプラズムはウォルターの手として実体化し、歯科用の蝋型に親指を押し付けて指紋を残した。幽霊が存在することを自ら証明するためのその指紋は、幽霊との「コンタクト」の場であった交霊会の出席者たちに手土産として配られたという(皮肉にもその「幽霊指紋」は、マージャリーのいんちきを証明してしまうことになるのではあるが)。

 映画『リング』の透視能力者である山村志津子(山村貞子の母で、実在した超能力者の御船千鶴子をモデルとする)しかり、幽霊、超能力者、オカルトなどなどは、証しを立てることを常に要求されてきた。それらは現実の「いま、ここ」にないものであったり、「いま、ここ」を超え出たものであったりするからだ。けれども、ないものがあること、現実の規範や決めごとを超えたなにかがあることを明らかにするのは、きわめて難しい。なぜなら、それらは「ない」のだから。あるいは現実を超えてしまっているのだから、現実の規律に縛られ、そこから逃れられずに生きるわたしたちにとって、理解できるものであるはずがない。心霊とは、現実のまったきオルタナティヴである。

2.

 『エクスネ・ケディと騒がしい幽霊からのコンタクト』において井手健介と母船は、現実にないものを歌っている。井手は「エクスネ・ケディ」、バンドは「ザ・ポルターガイスツ」というオルターイーゴを纏って。そのペルソナは、現実を超え出るためのものだ。

 “ポルターガイスト” では「どうして触れられないの?」、「どうして目に見えないの?」、「もいちどさわって/さわらせて」と、エクスネ・ケディが跳ねるビートにのってだみ声で呼びかける。ラップ現象にも近い「ポルターガイスト」とは、実体がない、いたずらな幽霊ないしは心霊現象であり、黒沢清の映画で言えば(赤い服を纏った女やジュラルミンケースから出てくる少女ではなく)、消化器や瓶を倒したり、看板を落っことしたりする、あれである。だから、ポルターガイストに触れられるわけがないのだ。いっぽうでポルターガイストは、現実の生を超え出てしまった死者たちからのコンタクトである。そのコンタクトをたしかなものとするために、エクスネ・ケディは霊に証しをねだる。「夜明けの足あと」、「寝床はどこなの?」。「足あと」とは「ウォルターの指紋」であり、「寝床はどこなの?」とは幽霊の身元確認だ。

 あるいは、ものがなしげな “人間になりたい” でエクスネ・ケディは、「人間になりたい動物」と「人間をやめたい人間」を混在させた「ぼく」を歌う。“人間になりたい” は、あの有名な洞窟の比喩についての歌だろう。「人間になりたい動物」は、「きらきらの影絵」を恍惚として見つめる縛られた「人間」にあこがれている。そのほうが楽だからだ。いっぽうの「人間をやめたい人間」は、影絵に見惚れたまま受動的な「かなしいYES」を「繰り返す」人間の態度に飽き飽きし、くだらない現実からイグジットしたい。エクスネ・ケディは現実を生きる人間(あるいは、人間がつくりだす現実を生きること)と現実を超え出た非人間とに引き裂かれている。

 ざっくりと言ってプラトンは、「影絵」を目に見える現実に、「影絵をつくりだす実体」をイデアにたとえたわけであるが、ここで前者を心霊現象、後者を「霊それ自体」のアナロジーとして考えてみたらどうだろう。ポルターガイストは幽霊の影絵だ。現実に縛られた人間たちは、霊それ自体という実体には決して触れらない。心霊現象を通してコンタクトすることしかできないのである。現実を超え出た霊とのコンタクトを求めれば求めるほど、人間は現実に括りつけられていることに自覚的にならざるをえない。

 とにかくエクスネ・ケディは、現実にないものを執拗に歌う。「人の子だってバレないように/過去から来たって知られないように」(“ささやき女将”)。「宇宙の果てで踊ろう」、「地球の外で歌おう」(“おてもやん”)。「妖精たちが泳ぐ海で/わたしはずっと待っている」(“妖精たち”)。がしかし、それらの歌はむなしいのぞみや祈りのようにも聞こえる。「映画は終わるものでしょう?」(“ぼくの灯台”)と、エクスネ・ケディはこのアルバムの最後で諦念を口にしている。

 いっぽう、映画の起源に影絵を見るならば、「映画の終わり」は現実に立ち戻ることではなく、逆説的に現実からの解放を意味する。はりつけにされたままで影絵を見つづけるのはもう終わり。さあ、くもりのない心の瞳でもって、完全な形を保った世界の真の姿を見よう。──霊それ自体と触れ合おう。かように “ぼくの灯台” の詞は両義的である。

3.

 霊、妖精、地球の外にある宇宙、時間のねじれ。オルターイーゴを纏い、現実の外をシアトリカルな発声と発想で歌う『エクスネ・ケディと騒がしい幽霊からのコンタクト』は、音楽それ自体も現実を超え出ようとする響きを持つ。

 石原洋がプロデュースした『エクスネ・ケディと騒がしい幽霊からのコンタクト』の音楽的なテーマは、「人工的でギラッとしたロック」であり、「グラム・ロック」であり、「70年代の黄金期のブリティッシュ・ロック」であったと井手は言う(https://www.ele-king.net/interviews/007600/)。たしかに “ささやき女将” では、井手と墓場戯太郎、北山ゆう子、羽賀和貴といった母船のメンバーたちが、霊媒となってT・レックスを降霊している。“イエデン” では井手がマーク・ボランを口寄せするも、ぴったりと憑依させることに失敗し、ずれたままコミカルかつシアトリカルなファルセットでねちねちと歌いつづける。デイヴィッド・ボウイの『ロウ』からの残響がみだらにこだまするのは、“妖精たち” である。“ロシアの兵隊さん” のメロトロン、(ブリティッシュではないものの)“ぼくの灯台” でのアル・クーパーふうの大山亮のオルガンの音も忘れがたい。

 とくに印象に残るのは、北山のドラムの響きだ。ドラムを色彩豊かに鳴らすため、ミキシングを自在に操り、一曲ごとにミュートの具合い、チューニング、録りかたなどを変えているようにも感じる。フィルインから始まる “妖精たち” や “おてもやん” ではスネアドラムやバスドラムの胴鳴りが強調され、それによってサイケデリアが生まれている。打数の多さによって陶酔的で不穏なビートの織り物を編み上げた、まるでグル・グルのような “おてもやん” は、ほとんど北山のドラムが主演の曲だと言っていい。

 サイケデリック・ロックを直接的に想起させる意匠が少ないにもかかわらず、『エクスネ・ケディと騒がしい幽霊からのコンタクト』にサイケデリアを感じるのは、そうした「人工的でギラッとしたロック」である点による。かつての「グラム・ロック」や「70年代の黄金期のブリティッシュ・ロック」を夢見ること。ジェントリフィケートさせずに野卑で軽く、安っぽいムードを音に宿すこと。頽廃的なロックを人工的に演出すること。そうすることで生まれた音楽は、「2020年のニッポン」という現実から優雅に遊離するという意味でサイケデリックにほかならない。

4.

 「イデケンスケ」と何度か、もごもごとゆっくり口に出して言ってみると、次第に「エクスネケディ」の音が立ち現れる。井手健介からエクスネ・ケディへの変態は、現実を超え出るためのトランスフォーメーションである。現実の外からのコンタクトの証しとして、ここに『エクスネ・ケディと騒がしい幽霊からのコンタクト』というアルバムが残された。それはまるで、幽霊の指紋のようだ。

 6/8から、NY市は第一段階のビジネスが再開した。第一段階とは建設業、製造業、卸売業、一部の小売店、農業、林業、水産業である。それと同時にレストラン、バーは外で飲むのは大丈夫と、たくさんの人がバーでテイクアウトのドリンクを買って、バーの前でたむろしている。が、レストランの外でのダイニングプランは第二段階(6月下旬を予定)で、まだである。が、レストラン側はその準備として外にテーブルを置きはじめ、それでたくさんの人たちがバーの前でたむろしはじめた。クオモ州知事は「これでまたコロナ感染者が増えたら、ロックダウンを考える」とご立腹である。段階的な再開計画に準拠していないビジネス、とくにバーやレストランについて州全体で25000件もの苦情があったと語り、規則に違反しているバーやレストランは、酒類免許を取り上げるということである。まだまだ慣れないことなので、手探りでやっている。
https://gothamist.com/food/photos-new-yorkers-are-trying-day-drink-away-pandemic
https://gothamist.com/news/coronavirus-updates-june-14-2020

 とはいっても、この暖かい陽気で外に出る人は止まらない。最近は、みんなマスクをしているだけで、パンデミック前とほとんど変わらなくなっている。10人以上の集まりも大丈夫になり、5月末から続いている抗議活動もまだ継続している。ソーシャルディスタンスはほとんどないし、NYでは禁止されている花火も毎日のように上がっているし(どこで調達しているのだろう)。ニューヨーカーは、そろそろ気が緩んできたらしい。

 パンデミックでNYを離れた知り合いも徐々に戻ってきている。ライヴ活動はまだできないが、スタジオでジャムったり、ルーフトップでアンプラグドでライヴをしたり、個人的な集まりで音を出しはじめている。ライヴストリームはもう恒例化しているが、インスタグラムだと必ず音が遅れるので、残念ながら、なかなか見ようという気がしない。向こうは、だいたい家でやっていて、こっちが家でパジャマ姿で見ていても、なんだか気分が上がらないし、やっぱり現場でのライヴ感が恋しい。
 と思ったら、9月のUKバンドのライヴのチケットを取ったという友だちがいて、9月にライヴが再開するのか? UKのバンドがNYに来られるのか? と訝しげだが、そろそろライヴ活動が戻ってくるか。

 そのライヴストリームだが、このパンデミックのなかで、きちんとマネタイズできている例もある。音楽会場のエルスホエアはルーフトップの季節になり、毎週金曜日7~10時、ルーフトップからのライヴストリームをはじめた。その名もサン・ストリームス(https://www.instagram.com/p/CBTy-YZgjxW/)。
 このイベントでは、その日のアーティストがもっとも関心を持っている組織に集めたお金を寄付する。抗議活動に行かないならここに寄付して、ということである。前回のイベントminecraftでは、$6500を集め、すべてをBlack lives matterに関する国家保釈基金に寄付をした(https://elsewither.club/)。
 会場やレーベルがオーガナイズしてくれると、たくさんのバンドが一気に見られるし、知らないバンドももれなく見られるので、見甲斐がある。バーガーレコーズたちが企画したメモリアルディのイベント(https://www.facebook.com/events/548428185822225/)は50弱バンド、DJが参加で、12時間のライブストリームをやっていた。

 NYのライブストリームのリスティングはここで見られる。https://www.ohmyrockness.com/features/15570-concert-livestreams

 まだ第一段階だが、NYは再開し、地下鉄も通常本数に戻り、普通に戻ってきている。第二、三、四と順調に再開してくれることを願う。

interview with Wool & The Pants - ele-king

 東京の底から音楽が聴こえる。それは世界が静まりかえったときに、よりよく響く。「なぜ(why)」彼はその音楽を演り、「どう(how)」表現するのかにおいての「どう」の部分では、彼の音楽はじつに独創的である。独特の籠もった音響は、1970年代の古いダブのレコードのように粗く陶酔的で、そしてイメージの世界に向かわせる。もっともWool & The Pantが描くのは、人影もない午前2時の侘びしい通りであり、孤独であり、そこには友だちや恋人の姿さえみえない。それでも、Wool & The Pantsのファースト・アルバム『Wool In The Pool』には滑らかな光沢がある。街の灯りがひとつそしてまたひとつ消えていくようであり、遠くてまばたく光のようでもある。つまり、この日本において、Burialの時代に相応しい音楽とようやく会うことができたのである。

 「アルバムはPPUの人が選曲したんです」、長身の德茂悠は身体を斜めに折り曲げながら、曲で歌っているあの声で喋りはじめる。3人組のバンド、Wool & The Pantの首謀者が彼=德茂である。
 「大学くらいから宅録をはじめて、PPUの話が出たのが2017年くらい、それまで録っていたものを全部送って、PPUが選曲しました。入れたくない曲もあったし、もっと気に入っている曲や曲順も送ったんですけど、PPUがそれは嫌だと。でも、PPUが提案した流れを最終的に僕も気に入りました。あのアルバムはPPUの功績がでかいです」
 彼はまず、アメリカはワシントンのインディ・レーベル〈Peoples Potential Unlimited〉、通称PPUの功績について喋る。ファンキーで、ソウルフルなダンス・ミュージックの発掘で知られるこのレーベルから彼らはデビューした。これは面白い話である。オブスキュアな黒人音楽、ヴィンテージのブギーを探しているリスナーから一目置かれているPPUは、日本でもファンは少なくない。しかし彼らは日本のインディにはそれほど興味はないだろうし、日本のインディを聴いているリスナーでPPUを知っている人も多いとは思えない。そして、PPUは“サウンド”に拘っているレーベルである。
 「歌詞を送ってくれって言われたんで、友だちに英訳してもらって送ったんですけど、完成品に歌詞カードは付いてなかったですね(笑)。読んでないんじゃないかな」
 いや、そんなことはない、向こうの人は歌詞をすごく気にする。6月某日、コロナ第一波が収束したかに思えるなか、Pヴァインの会議室でソーシャル・ディスタンスを取りながら、ぼくたちは話した。

 德茂悠と会うのはこれが4回目で、ちゃんと話すのは3回目。1回目はレコード店で、2回目はお好み焼き屋だった。ぼくはひたすらビールを飲み、彼はノンアルコールだった。酒を飲まないのは体質的なことらしいが、ストイシズムが德茂の人生の通奏低音であることは、彼が高校時代ボクサーであったことからもうかがい知れるだろう。
 しかも、ただボクシングをやっていたのではなかった。全国大会に出場するような強豪校の選手だった。朝、昼、夕、夜と空いている時間はすべてボクシングに費やしていたと言うが、同時にヒップホップが好きで、ヒップホップをかけながら練習に打ち込む高校生でもあった。
 「ヒップホップがめちゃくちゃ好きでしたね」と、もとボクサーは回想する。「ボクシング部はみんなヒップホップが好きで。僕はそこでけっこう躍起になって、俺がいちばん面白いの知ってるぞ、みたいな。ヒップホップめちゃくちゃ掘ってて、それをかけながら練習できたんですよ」
 「リズムが重要だった」と德茂は語気を強める。「ボクシングはBPMが大事だから」、そんな彼が高校時代とくに好きだったのはECDの『ホームシック』だった。もちろん、ゼロ年代の世代である彼は、リリースされてから何年も経ってから聴いている。それでもこれが彼の音楽の原点において重要な一作となった。

 音楽にのめり込むきっかけは、病気で入院したことだった。ボクシングの特待生として大学入学予定だった高校3年生のときの出来事で、半年のブランクは彼の人生に進路変更を強いたが、その半年を德茂は無駄にはしなかった。音楽ばかりを聴いて過ごし、彼はますます音楽にのめり込んでいく。
 「大学で上京して、いろんなレコード屋にも行けるようになったんで、ヒップホップ以外の音楽も聴くようになりましたね。で、そのうち音楽をやってみたいっていう気持ちになったんです。でもいっさい何も楽器を使っことはなかったんで、まずはネットでECDが使っていた機材を調べました」

大げさなものは嫌いなんですよ。過剰にドラマチックに演出するのも嫌いだし、過剰に壊滅的に絶望的な歌とかも苦手で。自分の生活に近い淡々とした感じというか。

最初はECDを手本にしてたんだね?

德茂:その頃『失点 in the Park』のCDが再発されて初めて聴いたんですが、当時の自分は曲を作ったことも無いし何もわかってなかったんで、サンプルがループしているだけみたいな、とにかく簡単なものに思えたんですよ(笑)。これなら俺もできるかも? みたいに思ってしまって。それで、あるときECDの部屋の写真を見て、そこにあった機材を買おうと。それがいまも使っているやつです。ローランドの機材なんですけど、高くて買えないので、安いジャンク品を買いました。姉の彼氏にヤフオクで落としてもらって(笑)。あとでお金払うからって。

なんで自分で落とさなかったの(笑)?

德茂:ヤフオクのアカウントもなかったし、クレジットカードも持ってなかったんで。

ローランドのなに?

德茂:MC-909。全部入っているやつですね。いまでも使っているのはそれです。ジャンクなので、できないことがいっぱいあるんですよ。

ジャンクでも一応は使えるんだ?

德茂:一応使えます。ただメモリーが壊れていて保存ができないんですよ。なので電源切ったら終わりっていう刹那的な仕組みで。

じゃあ別の何かに残しておかないと(笑)。

德茂:(iPhoneの)ボイスメモで録音しているだけなんですよ。作ったものをボイスメモで録音して、それで終わりですね。

それをずっと続けてるの(笑)?

德茂:最初からそれをずっと続けてて、いまもそのスタイルです。

だからパラ音源が残っていないんだ。

德茂:iPhoneのボイスメモのスペックがあがっていくにつれてどんどん音がよくなるっていう。

はははは。

德茂:いまだに0っすね。音楽的な話になったら困るというか、「ギターなに使ってる?」みたいな話できないです。


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 最初はインストゥルメンタルからはじまった。トリップホップ──ポーティスヘッドやマッシヴ・アタックなどを参考にしながら曲を作って、CDRに焼いた。それを大学で配ったことが第一歩だったという。
「けどやっぱり誰もまともに聴いてくれなかったですね。それでも作り続けて、CDRを何枚か作っていくなかで、自分の声を一回だけ吹き込んだんです。そうするとけっこう聴いてくれて。良いか悪いかは別として、面白がってくれたんですよね」
 彼は昔のことをよく覚えている。ここでは端折っているが、あたかも昨日のことのように事細かに話している。「本当はラップしたかったんですけどね。でも、家でリリックを書いたときに文字量がエグいってことに気づいて。歌と比べると圧倒的に多いじゃないですか。こりゃ時間かかるなと思ってやめたんですよね」

 音楽は彼の生活そのものだった。彼の生活を支配するのは音楽だけだった。「ずーっと宅録していて」と彼は続ける。「しばらくしてタワレコでバイトをはじめたんですよ、大学も全然楽しくなかったんで。その頃マッシヴ・アタックの『ヘリゴランド』とかフライング・ロータスの『Los Angeles』とか出た頃で、好きな新譜がたくさん出てて、音楽を聴いているのは超楽しかったんですけど、大学にはあんまり友だちはいないし、パーティな感じにも馴染めなかったんです。で、タワレコで働いているとき、偶然いまのメンバーがお店に買いに来たんですよ。『お前見たことあるぞ』みたいなことを言われて、『お前同じ大学だろ』みたいな。それで『バイト終わったら飯いかない?』って。それがけっこう嬉しくて。そいつがいまのベース(榎田賢人)なんですけど」
 まあ、音楽の話ができる友だちができることは、そいつの人生において大きな財産である。ふたりは情報交換した。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンからフガジ、ジェームス・チャンスにDJシャドウ……いろんな音楽を聴いたようだが、そもそも德茂は上京してからの多くの時間をレコード店で働いている。それはおのずと音楽の知識が身につくことを意味しているが、ぼくがもっとも興味深いと思ったのは、彼の口から突然段ボールの名前が出たことだった。
 『Wool In The Pool』のサウンドは、ノン・ミュージシャン的なアプローチによる創意工夫から成り立っている。あらかじめ教科書があり、楽器の演奏スキルを上げるために鍛錬して演奏する音楽ではない。教科書を破り捨て、スキルよりも発想を重んじるアートとしての音楽だ。つまり、彼のやり方はポストパンクのバンドと同じである。ヤング・マーブル・ジャイアンツやレインコーツやワイヤーやジョイ・ディヴィジョンやそういうバンドたちは、演奏力しか取り柄のないバンドよりも数百倍面白い作品を作っている。Wool & The Pantsはこの系譜にいる。
 「CDRを配りはじめた頃、ベース弾いてくれないかって、初めて一緒に録音しましたね。ちょうど僕はブラック・ダイスにハマっていたんで、彼のベースをコラージュしたりして。いま聴いたらめちゃくちゃ恥ずかしいんですけど、そのときに彼となら面白いことできるかなと思ったんです」
 德茂がライヴを意識したのは、同級生たちが就職先を決めるべく忙しくする大学4年のときだった。その数か月後には、同級生たちは自分の人生の安定のために紺のスーツに身を包んで、朝晩満員電車に乗っている……というのに、彼の頭にあったのはどうしたらバンドでライヴができるようになるかだった。
 「みんな就活してるなか、ライヴのことを考えていましたね。ライヴするなら、じゃあメンバー3人必要なんじゃないかって。とりあえずドラム必要だよねって。いまのドラム(中込明仁)を誘いました。そいつも同じ大学で、バトルスのDVDを見せたりして、一所懸命練習してもらいましたね(笑)」
 「食えるタイプの音楽にたどり着くとは考えてなかったので、ぼくは大学3年の終わりくらいに就職決めてました。1社だけ受けて1社受かって。でも入って1週間で辞めました(笑)。で、ユニオンに入ったんです。だからライヴをはじめた頃はユニオンで働いている時代ですね。ユニオンではスワンプ/フォーク担当でした」

あるときECDの部屋の写真を見て、そこにあった機材を買おうと。それがいまも使っているやつです。ローランドの機材なんですけど、高くて買えないので、安いジャンク品を買いました。姉の彼氏にヤフオクで落としてもらって(笑)。

 当たり前の話だが、バンドとはそう簡単にはいかないものである。卒業後にベースは個人的な事情で東京を離れ、バンドはドラムとのふたり組で活動する。数年後、地元でハードコア・バンドを組んで歌っていたベース担当は、個人的な事情によって再度東京にやって来る。バンドは3人編成に戻ったが、まとまりは悪かった。
 「Wool & The Pantsと名乗る前に、別の名前でやってて、ベースと半々でまったく違うタイプの曲を作って交互に歌ってました」、德茂はバンドがどのようにディペロップしていったのかを話しはじまる。「2012年〜2014年まで、3年くらいやりましたね。2015年くらいにいまのスタイルに近いバンドのイメージが浮かんで、それをやりたいと。そのイメージだと全曲僕が考えた曲をやることになっちゃうんですが、なんやかんやでふたりは受け入れてくれて。ベースはその頃このバンドとは別にハードコア系のバンドを組んでました。それも結構面白くて灰野敬二さんと対バンしたりしてました」
 そしてスライ&ザ・ファミリー・ストーンからの影響についての説明を加える。「僕の方向性も少しづつ固まっていきました。ヒップホップに戻っていったんですけど、大きかったのはスライでした。スライの作品にはすべてがあるじゃないですか。ヒップホップ、ダブ、テクノ、スワンプ的でもある。めちゃくちゃハマりましたね。それで、スライ的なことを別のスタイルでやってみようかなって思いはじめた頃に、バンド名をWool & The Pantsに変えました」

それは、クール・アンド・ザ・ギャングのパロディなわけでしょ?

德茂:フェイクっぽい名前にしたかったんで。シリアスな名前とか、クールな名前にはしたくなかったんです。
 当時ジェームス・パンツにハマっていたんで、パンツ欲しいなって(笑)。で、カールトン&ザ・シューズとか、衣類系いいなみたいな。あとスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーン、プリンス・アンド・ザ・レボリューションとか格好いいバンドってだいたい「and The〜」付いてるなと。メンバーからは「別にいいんじゃない?」みたいな感じでしたけど、僕はけっこう気に入ってて、Wool & The Pantsって名前を思いついたときに音楽性も固まっていった気がします。

ライヴのほうはうまくいったの?

德茂:うまくいってないですね。最初は、無力無善寺とかUFOクラブあたりでやってたんですけど、客5人くらい。友だち多めなバンドにマウントされてました。

1stアルバムの時点で音の世界観ができてるんだけど、これっていうのはどうやって生まれたんだろう? 社会からなのか、自分の内面からなのか?

德茂:内面ですかね。社会的なことは内面にも影響してるはずなので。言葉に関してはボクシングの挫折がひとつ大きいですね。試合が近づくと、朝練・昼練・夕練・夜練ってあったんですよ。空いてる時間は全部ボクシング。それが無くなって、いろいろ考える時間が増えて、そこを少しずつ音楽で埋めていった感じですね。とくに今回アルバムに入っている曲の半分はその頃、18〜20歳くらいのときに書きました。“Bottom Of Tokyo”の詞もその頃ですね。

18歳の青年がなんで女性言葉で? 

德茂:いくつか理由はありますけど……女性の言葉の方が表現しやすいと思ったんじゃないですかね。もちろん男性の言葉で書いている曲もありますけど。

それは德茂くんのなかに、女性性があるってことなのかな?

德茂:うーん。僕がめちゃくちゃ女系一家で。小さい頃父はずっと単身赴任で、ずっと離れて暮らしていたんですよ。姉がふたりで僕が末っ子で。母親と姉ふたりのなかで暮らしてて。いとこも三姉妹なんですよ。親族があつまると女の人ばかりで(笑)。そういう環境で育った影響はあるかもしれないです。

“Bottom Of Tokyo”は底辺の生活を歌っている曲じゃない? 18歳のときの歌詞なんだね。

德茂:そうです。その頃からあまり変わらないですね。

作品のリリースについてはどう考えていたの?

德茂:興味を持った人が聴いてくれればいいかなって思ってましたね。だからどこからリリースするとかはとくに考えずに、Soundcloudにずっとあげてました。ユニオンで働きながらライヴして、Soundcloudにできた曲をあげるっていう。二桁再生されたら嬉しいなって感じで。

ずーっと曲は作り溜めていたわけでしょ?

德茂:めちゃくちゃありますね。

メモリーがないわけだからどうやって保存してたの?

德茂:ボイスメモですね。全部ボイスメモです。

全部ボイスメモなんだ。

德茂:ボイスメモをPCに出して。それで送ったって感じですね。

Soundcloudにあげてたものも?

德茂:そうですね。無料サイトでWAVファイルに変換しただけっすね。

それで独特の籠もった感じが出てるのかなあ。

德茂:でもめちゃくちゃフィルターかけてますね。フィルターかけて、その上で劣化して。リー・ペリーからの影響ですね。スライの『暴動』とリー・ペリーの『スーパー・エイプ』、ずっと僕の音触りのゴールがそこなんです。で、ふたりともメロディははっきりしてるじゃないですか。あのざらついた音と、そうじゃない僕のメロディとで、いまの音楽になりましたね。

作ってるときはひとり?

德茂:“Bottom Of Tokyo”だけ3人でスタジオ入ってミックスしてますけど、他の曲はすべて、僕が家で全部の楽器を演奏して録ってます。

それまでの生活は
ひどく貧しくて
わたしの性格も
ひどく貧しくて
くたびれた
“Bottom Of Tokyo”

 “Bottom Of Tokyo”は貧しい生活にうんざりして人知れず旅に出る女性の心情が歌われている。“Just Like A Baby Pt.3”は、「僕と外へ」「逃げて」と繰り返す。“Sekika”は「星の出ない夜も」「月の出ない夜も」「愛されない」といい、そして“Wool & The Pants”では「まあいいのさ」と何度も繰り返される。永遠のやり切れなさがここにはある。Wool & The Pantsはそうしたネガティヴな感情をドライに表現する。そして、ダンス・ミュージックとダブを通過したサウンドは官能的でさえある。そうすることでWool & The Pantsは、この見通しが暗い日々を乗り越えているのだ。
 あるいは決別すること、これもまた彼の歌詞を特徴付けるコンセプトであり、とりわけ“Edo Akemi”という曲は、朝早く、部屋を片付けて旅立つ人の覚悟をもった心情にリンクする。それは彼がインディで感じてきた同調圧力への決別にも思える。
 その“Edo Akemi”は日本のポストパンクにおいて重要バンドのひとつ、じゃがたらの“でも・デモ・DEMO”のカヴァーだが、やかましいオリジナルとはまるっきり別のむしろ囁くように静かな、完璧なまでに自分のサウンドに変換したカヴァーだ。

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大きかったのはスライでした。スライの作品にはすべてあるじゃないですか。ヒップホップ、テクノ、ダブ、スワンプ的でもある。それで、スライ的なことを別のスタイルでやってみようかなって思いはじめた頃に、バンド名をWool & The Pantsにする。

Wool & The Pantsは独自のサウンドを持っているけど、“Edo Akemi”なんかはその独自なところがすごくよく出ている。完全に自分のサウンドにしちゃってる。

德茂:(陣野俊史の)『じゃがたら』って本を大学生のときに読んだんですが、江戸アケミさんにすごく感情移入した時期があったんです。じゃがたらの1st(『南蛮渡来』)がめちゃくちゃ好きで。ただ自分が音楽をやるうえでは、絶対に真似はしたくないというのがあって。オリジナリティはずっと意識してました。ニュー・エイジ・ステッパーズが好きなのは、ダブだけどダブじゃないからです。ジェームス・チャンス、ESG、KONKのようなNY勢もそうですよね。ファンクでありファンクじゃない。僕が好きな音楽はみんなそうですね。オリジナルな解釈を持っている。

このアルバムを聴いたときに、ひき籠もってる感じ? もってる音色、ドラムの音にしてもそういうものを感じたし。それは意識してるんですか? このくぐもったような音とか。

德茂:もちろん、くぐもったような音は狙ってやっています。もともと僕の声が籠もっているんで、籠もった声でドラムだけクリアになってても合わないので。ただ、完全にフィーリングだけでやってます。

ミキサーはあるわけでしょ?

德茂:ないです。MC-909のなかで全部やってます。録音からミックスまで。歌録りは家にあるギター・アンプにマイクつないでそれのアウトから入れてます。でもどうでもいいんですよ、めちゃくちゃに録っても最終的にどうせ絞っちゃうんで。

機材を増やそうとは思わないんだ?

德茂:うーん、でもMC-909のジャンクじゃないものが欲しいっていまだに思ってますね。これしか使えないんで。

そういう意味でいうと、まさに德茂くんの生活から生まれた音だね。金をかけて作った音楽ではないっていうか。

德茂:アルバム出すために、スタジオで録音する、これくらい必要だ、お金稼ごう、みたいなのがしっくりこないんですよね。家にあるものだけでも面白いものはできると思うので。

ワンルーム・マンション?

德茂:ワンルームです、めちゃくちゃ狭くて、機材とベッドって感じです。4万円くらい。それ以前は3万円で、天井が落ちてきて引っ越しました(笑)。"Bottom Of Tokyo"ですね。

最近はUSのヒップホップではスタンディング・オン・ザ・コーナーにハマってるんだって?

德茂:そうなんです。3年前くらいに友だちが教えてくれたんですよ。「ちょっと似てるんじゃない?」って。たしかにやってることは違うけど音質が近い。スタンディング・オン・ザ・コーナーの音って、ロフト・ジャズの音。屋根裏の音っていうか、僕は地下だけど、メインステージにはどっちもいないっていうか。サン・ラについての曲があって、サン・ラは「別の場所へ行こう」って、グレイト・エスケープ的なことを歌っていたじゃないですか。だけど、サン・ラの曲をパロディしながら「僕らの世代はもう行く場所も無くなっている」っていうことを歌っているんですよ。“エイント・ノー・スペース”って。

そういう同世代の音や言葉って気になる?

德茂:気になるし、新しい音楽は好きですね。

次の新しいアルバム作ってるの?

德茂:作ってます。いまも点けたまんまですね、機材。

停電とかしたらやばいね。

德茂:めちゃくちゃヒヤヒヤしてますね。でもよくあるんですよ、落ちちゃって。年末から来年頭には出したいってずっと思ってます。

働いているとき以外は曲作ってるの?

德茂:いや、それもそれで疲れてきちゃって。働いて、家帰って本読んで、寝るって感じで。土日に曲作るって感じです。

曲のインスピレーションっていうのはどこからくるの?

德茂:普段の生活からですかね。大げさなものは嫌いなんですよ。過剰にドラマチックに演出するのも嫌いだし、過剰に壊滅的に絶望的な歌とかも苦手で。自分の生活に近い淡々とした感じというか。自分の温度の音楽を作ってる感じです。

いま作っているものって、アルバムとして作る最初の作品になるわけだけど、テーマとかコンセプトはあるの?

德茂:あります。前作は結果としてダブとファンクが中心に出来たものだと思っていて、次のアルバムもダブは引き続き残るんですけど、JAZZとヒップホップを混ぜたものになるかなと思ってます。あと最近歌い方がようやく定まってきた気がしてます(笑)。

好きなヴォーカリストっているんですか?

德茂:います。マッシヴ・アタックは客演も含めてヴォーカルが良い曲が多いと思います。声でいったらMFドゥームとかメソッド・マンも好きですね。

今回のアルバムのなかで、アルバムを象徴している曲名は何だと思いますか?

德茂:“Bottom Of Tokyo”ですかね。

ちなみにこの緊急事態宣言のときは家から出ないでいたの?

德茂:仕事が週3日あったので。それ以外は散歩だけですね。

音楽以外で楽しみってなに?

德茂:本が好きで。小説ですね。宇野浩二とかミシェル・ウエルベックとか。最近は金子薫って人も好きで読んでます。

 こんな感じで、彼との1時間半ほどのお喋りは終了した。始終と淡々と喋っているが、若い世代らしく会話のなかでは、ロバート・グラスパーなんてダサいとか、思い切りが良い言葉がどんどん出てくる。敵を作りそうなことは言わない、優等生ばかりが目立つ昨今のインディ・シーンにおいて、こういう性格は浮いてしまうのだろうけれど、いままでレコードでしか聴けなかったWool & The Pantsのデビュー・アルバムがこの6月にはCDとして流通することになった。すべては作品で判断されるだろうし、「なぜ(why)」彼はその音楽を演り、「どう(how)」表現するのかにおいての「なぜ」の部分も、年内もしくは年明けにリリースされるセカンドで、より明らかにされることを願っている。

※WATPのインスタはこちらです。https://www.instagram.com/woolandthepants/

interview with Jessica Care Moore - ele-king

 以下は、デトロイトに住む詩人、ジェシカ・ケア・ムーアのインタヴューである。彼女は黒人女性文学者として多くの著作があり、また数々の文学賞も受賞しているが、そのなかにはNAACP(全米黒人地位向上協会)やDetroit Institute of Artsからの表彰もある。オハイオ大学の米文学教授が2005年に編んだ黒人女性文学のアンソロジー『Anthology of African American Women's Literature』にも、アリス・ウォーカー、トニ・モリソン、ニッキ・ジョヴァンニ、オクタビア・バトラーらの作品に混じって、彼女の詩も掲載されている。1971年生まれの彼女は、当時そのなかでもっとも若い。
 活動家でもある彼女がこの間忙しかったことは言うまでもない。しかし、いま起きていることを理解するためにも現地の黒人の声を聞きたかったし、それが女性ならなおさら良かった。また、ちょうど彼女は7月にリリースを控えているジェフ・ミルズの新しいプロジェクト、ザ・ベネフィシアリーズ(The Beneficiaries)のアルバム『The Crystal City Is Alive』に参加していることもあって繫がりやすい。エディ・フォークスもトラックを提供しているこの作品で、彼女はポエトリー・リーディングをしている。ちなみに彼女は、サイレント・ポエツの1997年の作品『For Nothing』にも1曲参加している。その曲“This Is Not An Instrumental”は受けがよく、4ヒーローとナイトメアズ・オン・ワックスのリミックス・ヴァージョンもある。
 通訳を引き受けてくれた魚住洋子さんはマイアミ、ジェシカはデトロイト、そしてぼくは東京と3都市を結んでの取材は、日本時間の午前10時、現地時間の午後21時にはじまった。彼女はじつに情熱的に、そして貴重な話をしてくれている。米文学、とりあえず黒人文学に興味がある読者は彼女の詩集もチェックしましょう。

私は若い人たちがストリートに出て行動を起こしていることを誇りに思っています。私自身もかつてなんどもそういった行動を起こしてきましたから。

デトロイトでのスピーチの様子をfecbookにアップされている動画で見ましたが、まず、アメリカ全土および日本や欧州でも熱くなっている抗議運動のなか、あなた個人はどんなことをしていたのでしょうか?

ジェシカ:私はアーティストとしてノンストップで活動しています。まずはCovid-19の影響で(最新作の)ツアーはすべてキャンセルになってしまい、方向転換してオーディエンスとオンラインで繋がる方法を模索せざるを得ませんでした。それが最初のパンデミックでした。そしてレイシズムのパンデミック……。
 これはアメリカでは新しいことではない。私は自分のキャリアを通して、レイシズムやセクシズムのテーマは取り上げ続けています。ジョージ・フロイドのような事件はアメリカでは常に起きているんです。今回、Covid-19を避けるために世界中の人が家にいて、あの影像を目の当たりにしたのです。ジョージ・フロイドだけではなくアマード・アーベリーやブリアナ・テイラーの映像を見ると、さらに不安を掻き立てられます。私は若い人たちがストリートに出て行動を起こしていることを誇りに思っています。私自身もかつてなんどもそういった行動を起こしてきましたから。
 私個人はいまそれとは違った行動をとっています。今日は若いエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーのOmari Jazzと有名な詩人Ursula Ruckerを私のインスタグラムのショウに招いて話し合います。自分が何をしているかだけでなく、25歳の若者が何をしているのかを知ることはエキサイティングです。これは彼らのムーヴメントだから。これは彼らの市民権運動であり、彼らにとっての1992年LA暴動なのです。
 ただ今回特別なのはCovid19による危機があり、すでに人道的危機に疲れ果てた人たち──ヘルスシステムの危機と人道的危機は関連していますから──怒りを爆発させたんでしょう。
 アーティストのなかにはツアーがなくなりお金も稼げない、この際家にこもってリラックスしようとおとなしくしている人たちもいます。私は全力を尽くそうとしています。いまアーティストの存在が必要だと感じるからです。今日、ジェフが“The Crystal City Is Alive”のMVをインスタにアップしたのを見て、興奮していろいろな人に転送しました。アートがいま私たちに与えてくれるもの──バランス、少しばかりの喜び、反抗の音楽──これらがいま私たちが必要としているものです。エレクトロニック・ミュージック、ポエトリー、ヴィジュアル・アート、ダンスなどあらゆるフォーマットのアートによって。いまこの状態に反応しているアーティスト、それはこのインタヴューも含めて、私たちをコネクトする役割を担っています。私は人びととコネクトし続けることを選択しました。私は疲れています。でもやらなくてはなりません。ずっと忙しくしています。

こういうときこそ、アーティストとして声を上げることは重要だと考えていますよね?

ジェシカ:私がアーティストとして声を上げているのは確かです。それが効果的だと思っていますし、ファーガソン事件(※2014年のミズーリ州ファーガソンにおいて18歳の黒人青年マイケル・ブラウンが白人警察官によって射殺された事件)が起きたときには、ファーガソンを訪れてラッパーのTalib Kweliとプロテストに参加しました。あのときはしばらくファーガソンに滞在して、自分がどのような役に立てるか模索しました。しかし今回はCovid-19の影響で、母親として息子の安全のため、ストリートに出てプロテストに参加することを控えています。私の母は75歳で、彼女の安全も考えなくてはなりません。普段だったらすぐにストリートに出ていくところですが、Covid-19で多くの知り合いを失いました。マイク・ハカビーのことは知っていると思いますが、私の友人でも親や兄弟を亡くした人もいます。だから今回はちょっと不安なのです。
 白人の友だちからも「いま自分たちにできることは何か」と訊かれます。いまの世代の白人が行動を起こしてくれることに期待しています。レイシズムはアメリカ黒人の問題ではなく、アメリカ白人の問題だからです。黒人は犠牲者ですが、問題を起こしたのは私たちではありません。状況を改善するためには黒人の力だけではどうにもできません。
 私は毎週日曜日に会社の役員など、ある意味コミュニティに精通していない人たちと話し合う機会を設けています。私の最新作(『We Want Our Bodies Back』)はサンドラ・ブランド、交通違反で警察に逮捕されて刑務所の中で自殺をした女性に関するもので、その詩をこういったミーティングで朗読し、メッセージが人びとの心に届くよう務めています。
 また“I Can’t Breathe”(※2014年にジェシカが書いた作品)という詩は今回大きなインパクトを与えています。この詩はエリック・ガーナーが殺されたときに作ったものですが、ジョージ・フロイドの最後の言葉でもあり、今回さまざまな機会で披露しています。この詩は母親の観点から語られていて、この国で黒人と息子を育てる気持ち、どのようにしたら安全に暮らして、彼らの目標を達成することができるのかを語っています。この詩に触れた人たちが気持ちをひとつにして、この国で起きていることを理解することに役立っています。私はこのようにして自分の声を聞いてもらっている。

13歳の息子がなぜビルに火をつけるのかと訊いてきました。どんな意味があるのかと。ビルに火をつけるのは暴力に対する反応だと答えました。彼らが暴力的なのではなく、暴力の犠牲になったのに誰も何もしてくれないことに対する反応だと。


いまや#BlackLivesMatterはアメリカの外側にも広がりつつありますが、この運動に関するあなたの評価を教えてください。

ジェシカ:#BlackLivesMatterは必要です。とはいえ、いまプロテストに参加しているのはBlackLivesMatterだけではなく、多くの白人もいます。BlackTransLivesMatter(黒人トランスジェンダー)、BlackWomanLivesMatterなど、他の団体や影響を受けた人たちが多く参加していることも忘れてはいけません。#BlackLivesMatterデトロイト支部から何か一緒にやらないかと連絡をもらったこともありますし、このムーヴメントは必要なものです。いま、人間性のためにすべての人間が必要です。沈黙は許されません。私の75歳の母はワシントンでトランプ大統領が教会の前で聖書を持った写真を撮るだけのために罪のない若者に向かって催涙ガスを発射したことに涙しました。聖書なんかきっと読んだこともないくせに。母は17歳でカナダから移住し、父と異人種間結婚をして、人種隔離やさまざまな苦労を経験してきました。キング牧師と一緒にマーチしたこともあります。すでに戦ってきたはずなのに2020年のいま、またこうして戦わなくてはならないことは年配の世代にもかなりのトラウマとなっています。
 Defund Police (警察の予算削減)運動がいま広がっていますが、私はこれに賛同します。すでにミネアポリス警察が予算削減を明言したのは革命的でエキサイティングなことです。私が学生だったとき、警察は学校の一部でした。警察が学校に常駐すべきではありません。プリズン・カルチャー(刑務所のような環境)がそこで生まれます。14~15歳の子供が警察に監視されている環境に慣れてしまうのはおかしい。これは黒人その他有色人種が多い学校に限られています。学生がもっと高いレベルの教育を受けられるようにすること、優れた才能ではなく労働力を生み出すことを目的とした現状の教育を改善すること、それが重要です。
 私の息子(※すでに詩人としてデビュー)はクリエイティヴな仕事に就くでしょう。でもそれは社会が望んでいることではありません。(アメリカ社会は黒人に)マクドナルドで働くのでよしとされているのです。教育レベルがあがれば犯罪は減ります。メンタル・ヘルスに予算を費やせば犯罪は減ります。なぜこの国はそういったことに注目しないのでしょうか。アメリカには資源も設備もあるのに、心がないのです。心を取り戻すことが今回のムーブメントの中心で、だから人々は自分の健康の危機も顧みずにプロテストしているのです。

抗議運動で、破壊や略奪の映像が日本でも流れましたが、警察といっしょ手を組んで行進しているような平和的なデモの映像も流れるようになりました。あなた自身は、平和的なデモを志向していることと思いますが、ああしたバイオレンスは、あなたにはどう写っていますか? 

ジェシカ:警察がバイオレントなのです。アメリカは残念ながらバイオレントなところです。13歳の息子がなぜビルに火をつけるのかと訊いてきました。どんな意味があるのかと。ビルに火をつけるのは暴力に対する反応だと答えました。彼らが暴力的なのではなく、暴力の犠牲になったのに誰も何もしてくれないことに対する反応だと。例えば私が火に包まれているのと、ビルが燃えているのを同時に見たら、どちらを助けるかと息子に尋ねました。命がある私と、物質でしかないビルと。ビルに対しての暴力は人間の命とは比べものにならない。トランプ大統領が写真を撮った教会も暴力の犠牲になりました。でも教会の人たちは保険もあるしビルは再築できると言いました。でも亡くなった人の命は戻ってこないんです。
 この国は貧富の差が激しく、バランスが欠けている。恵まれた人たちが「大人しく抑圧されていればいい」というのは簡単です。私自身は犯罪を犯したことはありません。でも警察官が自分の後ろにいると自動的に不安感を覚えます。何も悪いことはしていません。単なる詩人です。でも警察官が私の車を止めれば恐怖を感じます。そのような背景で育っていない人には理解できないでしょう。これは黒人全員が持っている不安感です。
 私が仕事で出張して、ときには海外に数週間いることもあります、息子が家に残っていることが心配で、むしろ自分とともに連れてきたいと思います。これは本能的に感じるもので、トラウマなのです。ジョージ・フロイドに起きたこと以上に暴力的なことはありません。黒人は何世紀にもわたって、その恐怖を背負ってきているのです。私たちは困憊しています。どこかの時点で、どんな手段を取ろうとも、この重荷から逃れたいと思っていて当然でしょう。それまでにいったい何人が殺されなくてはならないのでしょうか。ジョギングの最中に、武器も持っていないのに。なぜ、誰かの息子、娘が死ななくてはならないのか。何の意味もなく。
 私の世代は、いままでにも同じことが起きてきたことを知っています。でもいまはiPhoneがある。ビデオを撮ることができる。警察の改善は大昔に行われなくてはならなかったのです。権力を持ちすぎていて、軍隊のようになっている。デトロイトのウェイン州立大学の警察は軍装備を備えています。 何のために? 大学内をパトロールするのが仕事ではないのか? なぜ軍の装備が必要なのか? これがPolice Defundムーヴメントの骨子です。警察を無くそうというのではありません。地方警察が軍隊化する予算を無くして、学校教育の予算に回す。
 暴力とは何なのかを考えなくてはなりません。ブラック・パンサーはバイオレントではありませんでした。暴力に対する回答でした。人びとは暴力に対する答えを出そうとしているのです。


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あなたが、ここ10年で重要だと思うアートを教えて下さい。

ジェシカ:過去10年! たくさんあるからね。ジェフ(ミルズ)の他には……詩人はとても重要です。たぶんいちばん必要とされているけれど、いちばん儲からない(笑)。この数週間「アーティストに幸あれ」と言い続けています。いま私たちを生かしているのはアーティストの仕事だと思うから。10年間を振り返るのは大変だけど、最近思い起こしているのは……
 まずはジェイムズ・ボールドウィン。いまジェイムズ・ボールドウィンは非常に重要です。とくに若い世代が彼に注目していることは心が安らぎます。
 オードリー・ロード(Audrey Lorde):個人的に振りかえっている。とくに彼女は詩人の沈黙に関して書いているので。
 アリス・ウォーカー:偉大な本を残している。『Take The Air Out Of The Heart』は彼女の最新作で、先祖は自分たちを見守ってくれていて私たちは孤独ではないということを書いています。
 Ursula Rucker:フィラデルフィア出身の詩人で、The Rootsのアルバムに参加している。活動家でもあり、彼女の声はいまとても重要だと思う。
 Mahogany Brown:詩人
 Talib Kweli:ラッパー、彼の音楽はこの10年間つねに革新的。
 Yassine Bey (ex Mos Def):90年代にカッティングエッジだった。 かつて革命的でも消え失せてしまうアーティストが多いが彼はとってもコンスタント。
 Questlove:オンラインで彼がしていることが好き。

 それから、あらゆるDJは大切です。彼らは人びとを動かすことができる。インスタグラムのフィードでのパーティさえも、朝の3時まで踊って友人たちとコネクトできる。
 ほかにも……インディア・アリー(India Arie)、Black Woman Rocks(※ジェシカが組織する黒人女性によるロックのプロジェクト)で16年の間一緒に活動しているミュージシャンたち。Jackie Benson(ギター)、Kimberly Nicole(ヴォーカル)、Imani Uzuri(ヴォーカル)。Stephanie Christi’an (デトロイトのアーティスト)。Yazura……
 いま挙げた人たちは必ずしもメインストリームではありません。しかし、これらの女性の声は他のアーチストにはないメッセージを感じる。どのように歌うかもですが、どのような作品を手がけているかも大切です。偉大なアーティストは多くいますが、偉大なアーティストであり、偉大な人間であることも重要です。

 トム・モレロ(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン):偉大なミュージシャンであると同時に素晴らしい活動家。
 ブーツ・ライリー(Boots Riley/The Coup):映画『Sorry To Bother You(邦題:ホワイト・ボイス)』 の監督でもある。革新的な精神を持つ。

 私は、どんな逆境に立ったとしても革新的なスピリットを持った人が好きなんです。

 Tamar-Kali:アフロ・パンクのアーティスト

 私たちはみんなラディカル。ラジオプレイなんか考えてもいない。エレクトロニック・ミュージックだったらジェフ・ミルズ。反応など気にせずに、音楽を聴き手に届けることだけを考えている。こういうアーティストたちが私をインスパイアする。流れに逆らう人たちです。
 『The Crystal City Is Alive』は共感を買おうと思って作られた作品ではない。息子が「このアルバムは面白いね」と言ってくれました。音楽はいままでに聞いたことがない、面白いものでなくてはならないのです。
 最近の音楽にはあまり感動しません。よく昔の物をききます。マービン・ゲイからグラディス・ナイト。私はデトロイトで育ったんですから。テンプテーションズも聴くし、ダニー・ハザウェイやロベルタ・フラックは私のヘビーローテションです。私はオールド・スクールだからアナログで聴いていますよ。
 この10年は90年代に比べると私にとってはそれほど興奮するものではなかったけれど、私が関わっているBlack Woman Rocksのミュージシャンたちなどが私に活気をくれています。

いま映画の話も出ましたが、『プレシャス』はご覧になってますよね?

ジェシカ:(原作者の)サファイアは知ってますよ。ニューヨークに住んでいた頃の知り合いです。私にとっては詩人が映画化の契約を結んだということで大きな事件でした。詩人たちに希望を与えたと思います。映画は見るのが辛いものでしたけれど。


The Beneficiaries
The Crystal City Is Alive

Axis(※7月にリリース)


(ここら小林が用意した質問に移る)今回、ジェフ・ミルズやエディ・フォークスといっしょに「The Beneficiaries 」プロジェクトをはじめた経緯を教えて下さい。

ジェシカ:Spectacles (デトロイトにあるショップ)オーナーのZanaがジェフと共通の友人で、私はZanaは18歳くらいの頃から知っているのだけれど、彼女がジェフが誰かコラボレーションの相手を探していると。私がジェフのファンであることを彼女は知っていたし、でも私はマイク・バンクスとは親しかったのだけれどジェフとは〈Movementフェスティヴァル〉のバックステージでマイクから紹介されて瞬間会っただけでした。
 私はジェフ=The Wizardを聴いて育っています。エレクトリファイ・モジョとは詩の朗読で一緒だったりして知り合いになったのですが、ジェフとはまだ知り合ってなかったんです。ただ、私はジェフといつか一緒に仕事をしたいと思っていたので、実際に声をかけてもらったら、いろいろと考えてしまいました。まずはスカイプでミーティングをしたのですが、信じられない気持ちでした。ジェフに対して大きなリスペクトを持っていますが、それは私だけではなくて、まわりのミュージシャン、たぶんジェフが知らないような人たちも大きなリスペクトを抱いています。ヒップホップの世界はもちろん、Yassine Bey(モス・デフ)も「ジェフのこと知ってるの?」と興奮してました。
 最初のスカイプはお互いのことをよりよく知るのが目的で、ジェフが私の弟と同じマッケンジー高校に行っていたことや、子供の頃近所に住んでいたこと、人間性をわかり合って、そのあと質問はフューチャリズムや記憶というようなトピックに移っていきました。私はアルバムのために詩を書いたことがなかったし、会話の後インスパイアされていくつかを詩を作りました。
 でも最初のコラボレーションはNASAの企画(訳注:ロンドンのNTSラジオの番組をジェフが手がけNASAの協力をもらっていました)でしたよね。彼のラジオ番組のためにナレーションをして。素晴らしい体験でした。その後、レコーディングのコラボレーションをやろうということになったのです。
 正直、いままでのなかでいちばん面白い印象的なレコーディング体験でした。ほとんどの場合、コラボの相手は私にビートにのって詩を朗読することだけを要求します。それじゃあまり面白くない。私が自分でプロジェクトをやる場合にはミュージシャンと私がひとつのものを一緒に作り上げていく感じにします。ジェフとの共演では彼の耳を信じて、同じ言葉を繰り返したり、囁いたりと彼のディレクションに従いました。そして彼が私の詩を区切って使用したことも良かったと思っています。私はいつもオープンマインドです。
 コラボレーションは会話~エネルギー~理解というような段階を経ていきました 。私は7ページにもわたる詩を制作してジェフに送ったら「とても興味深い」というあっさりとした返事がきて、期待していた反応を違ったので、さらに7ページ違う内容の詩を作って……。でもそうやってジェフが私を後押ししてくれたことを感謝してます。彼は私の詩にインスパイアされて音楽を制作しなくてはならない。最初に送った詩は面白いけれど、音楽制作に至るほどではなかったということでしょう。結果、興味深い以上の内容の詩ができて、本当にエキサイティングなプロジェクトになったと思います。
 アルバムアートワークの色やそこからくるエネルギー、すべての曲に「The Crystal City Is Alive」のメッセージが込められていること。すべてが素晴らしいと思います。
 「The Crystal City」とは私にとってはデトロイト。マジカルな都市。すべての音楽がここから生まれる。ニューヨークではないけれど、デトロイトは特別なもの、大切なものがある。そして疑う余地なくブラックな都市。ソウルにあふれている。市は巨大な負債を抱えて、いま街の人たちはCovid-19で多くを失い、でも「The Crystal City Is Alive」が、「私たちは生きている」というメッセージを伝えて人びとに喜びを与えることができれば、それがいまみんなが求めていることでしょう。
 悲劇と痛みが蔓延するなかで、素晴らしい未来を見ることができなければ私たちは前進できません。13歳の息子に美しい住処を提供したいし、私たちが作った国を逃げ出すという選択肢はないはずです。どこか別の国、アフリカなどに移住しようという人もいます。でもここが私たちのホーム。私のなかには西アフリカとチェロキーインディアンの血が流れています。だから誰よりもここは私の土地だと言えるし、平和に暮らす権利があるはずです。
 このプロジェクトはまさしくいま、このタイミングで人びとが求めているものと言えると思います。私が期待するように人びとを感動させられれば嬉しい。
 エディーとの共演も良かったです。彼の作った曲は素晴らしい。エディーとジェフがそれぞれ違ったものを作り上げたのもいいですね。すべてのテクノ・プロデューサーが「声」に対して積極的なわけではありません。マイク・バンクスとこういう話をしたときも私の言葉の数が多すぎると言われました(笑)。今回ジェフがそのバランスをうまく見つけて、ときには言葉をいくつか、あるいは詩を3行だけ使うというような、同じ言葉を繰り返し使用したりなど絶妙なバランスになっていると思います。

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未来を考えることはいま現在起きていることを見つめることでもある。なぜならすべてはコネクトしているから。

(小林からの質問)本作には宇宙に関係する語がよく出てきます。あなたにとって「universe」とはどのような意味を持っていますか?

ジェシカ:「Future Is Now」ですよね。未来を考えることはいま現在起きていることを見つめることでもある。なぜならすべてはコネクトしているから。
 ユニバースは私にとってはつねに円形だと思っています。今回のアルバム・カヴァーもアートワークが円形にくりぬかれていて、永久を表している。人生はすべてサイクルからできているし、過去を見ることはとても大切で、過去を見ることで前進できるという考えはもともと私はとくに信じていたわけではないのですが、今回のプロジェクトで未来を考えることを余儀なくされました。
 ジェフから「なぜ“いま”のことを詩にしているのか」と訊かれ「“いま”が私を必要としているから」と答えたのですが、それで未来も私を必要としているに違いないと思うようになりました。私の作品は現在の題材にしていることがほとんどですが、私の後から来る人たちが、私がそういう人たちのことも考えて制作していたということ、私の黒いボディが存在していたことは理解してもらいたいと思います。
 自分の住んでいる地区から一歩も出たことがないという人がアメリカにはたくさんいます。私は旅が好きで、一箇所にとどまるということはありません。いまは年老いた母がいるのでデトロイトに戻ってきましたが、ニューヨーク、ジャマイカ、パリ、どこでも住むことができます。私はガーナやアイボリーコースト(コートジボワール)など西アフリカに関して多くの作品を書きました。でも実は一度も訪れたことはありません。 想像のなかではなんども訪れていて、すでに1997年に22歳で最初に出版された本のなかでもこれらアフリカの国に関して書いているのです。
 ユニバースとはそういうことだと思います。ひとつの共同体の中に存在する。でも音楽などは時間や空間を超えて存在することを可能にする。
 ジェフとは“記憶”に関して面白い会話をしました。ある日目覚めて、すべての記憶を失っていてゼロから再出発しなくてはならないのと、逆にすべての記憶を忘れることができないのとどちらがいいかと。私は記憶を保っていたい、自分が何者なのかを子供に伝えたい、自分が経験してきたことがいまの自分を作っているということを忘れずにいたいと思います。父のことも忘れたくないし。人生のなかの大切な人を忘れたくない。私は前世や先祖の存在なども信じています。人は肉体的に死んでも、エネルギーは残ると思っています。これが質問の答えになったかわからないけれど(笑)。

(小林からの質問)“The X” には「We are the future Afropologists finding Sanctuary in the meditation of sound waves」というフレーズが登場します。「afropologist」とは、アフリカ系の人びとの文化を掘り下げる人類学者、ということでしょうか? 

ジェシカ:「afropologist」は言葉の遊びです。「Anthropologist」と「Afrofuturism」を掛け合わせています。アフロフューチャリズムを考えつつ、過去を探すために発掘をする、というような意味です。

最後に、フェミニズムについての意見を訊かせてください。

ジェシカ:私は自分は「Womanist」だと名乗っています。これはアリス・ウォーカーが提唱した言葉です。ウーマニズムに関して語ったベル・フックス(Bell Hooks/活動家)は私のヒーローのひとりです。私はフェミニズムには非常に若い年齢、小学校高学年で本を通して出会っています。フェミニズムは女性とその権利を守る運動です。私は男性が多い家庭、父の前の結婚での兄弟が3人、実の兄弟が2人のなかで彼らに守られて育ちました。いまの世のなかではフェミニズムでは十分ではありません。ジョージ・フロイドはフェミニズムによって守られてはいないから。それが私にとっては問題です。
 ウーマニズムは家族も含めるので、私にはよりしっくりきます。私には兄弟も父も大切です。女性の権利向上のためのマーチは素晴らしいです。でもファーガソンのプロテストに行ったときに犠牲者の母親に出会って、子供を失った母親の悲しみを目の当たりにしたとき、そこにフェミニストの活動家はいませんでした。私にとってはウーマニズムの考えの方がフィットしています。私は家族の観点から語ります。コミュニティ全体が大切です。そこにはもちろん女性が含まれます。
 もちろん女性の声をサポートしていくし、アメリカだけではなく世界では女性が声をあげられない国もたくさんあります。私が南アフリカに行ったとき、私が大きな声で力強く発言しているのを小さな女の子が宇宙人でも見るような目で見ていました。一緒に行ったヒップホップの男性アーティストと同等に私が語り、女性を代表している。とても重要なことですが、フェミニズムという言葉はちょっとトリッキーです。

コミュニティのなかの個人みたいな感覚でしょうか?

ジェシカ:(フェミニズムは)男性を含まないから。グーグルなどで調べることもできると思うけれどウーマニズムはもっとコネクションを大切にします。アリス・ウォーカーはこう言いました。ウーマニズムはフェミニズムの紫色に比べてラベンダー色だと。ウーマニズムはジョージ・フロイドも話題として取り上げるでしょう。私にとって、黒人男性の命は非常に大切なことです。息子の母親として、息子が無事に生き延びていくことが重要です。もちろんフェミニズム賛成、女性賛成です。が、同時にファミリー賛成です。黒人女性として黒人男性とともに生きていくことはとても大切なことです。
 もちろん黒人女性は白人女性に比べて賃金が低いのは事実だし、まだまだ戦っていかなくてはなりません。ただウーマニズムの方が排他的ではないということです。

(6月10日、ZOOMにて取材)

 以下に掲げるのは、音楽家と哲学者の4人によって共同執筆された、インプロヴィゼーションに関するテクストである(初出は2010年。原著フランス語版はこちら)。かつてデレク・ベイリーの掲げた「ノン‐イディオマティック」なる概念を出発点に、即興とはなにかについて、哲学的考察が繰り広げられる。訳出したのは、共同執筆者の1人であり、ヨーロッパの即興シーンで活躍する打楽器奏者の村山政二朗。彼による序文とともに、以下に全訳を掲載する。関連音源(2008年録音、マスタリングはラシャド・ベッカー)もあるので、ぜひそちらもチェックをば。(編集部)

「語法と愚者」について(村山政二朗)

「語法と愚者」(Idioms and Idiots (w.m.o/r35 / Metamkine) 2010)はジャン=リュック・ギオネ、マッティン、レイ・ブラシエ、村山政二朗により共同執筆された。

以下、各人の紹介。

ジャン=リュック・ギオネ(Jean-Luc Guionnet)(67年生)
フランス出身の即興演奏家(サックス、オルガン、エレクトロニクスによる)。作曲家。美術家でもある。
https://www.jeanlucguionnet.eu/

マッティン(Mattin)
ビルバオ出身のアーティスト。主にノイズと即興で活動。 フリーソフトウェア、そして知的財産の概念に反対している。
https://mattin.org/

レイ・ブラシエ(Ray Brassier)(65年生)
フランス生まれのイギリス人。アメリカン大学ベイルート校哲学教員。思弁的実在論という概念を考案したが、そのような運動はないと考える。
https://ja.wikipedia.org/wiki/レイ・ブラシエ

村山政二朗(Seijiro murayama)(57年生)
ドラム、声を用い即興演奏を行なう。80年代、灰野敬二の不失者、KK NULL の A.N.P に参加。06年以降、ギオネと幾つかのプロジェクトで共同作業を行なっている。
https://urojiise.wixsite.com/seijiromurayama

今回、「語法と愚者」のフランス語版(idiomes et idiots 2017)から日本語版への訳を担当した村山は、99年よりフランスで演奏家として活動する機会を得、特に様々な分野とのコラボレーション(ダンス・ヴィデオ・絵画等)への興味より、2006年、哲学者、ジャン=リュック・ナンシー(Jean-Luc Nancy)との「ヴィーナスとオルガン奏者(Vénus et le joueur d’orgue)」という、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)の絵画をテーマにしたパフォーマンスを企画した(ストラスブール現代美術館後援。初演はパリ、グランパレ。2006)。

また、2005年より村山は振付家、カトリーヌ・ディヴェレス(Catherine Diverrès)のカンパニーで音楽を担当。これにギオネ、マッティンを招き、共同作業(ステージ上でのライブ)を行なう。この作業をきっかけとした話し合いの末、哲学者を招くプロジェクトの第二弾として、当時、イギリスで研究中のマッティンの担当教官である、ノイズにも造詣の深いブラシエに白羽の矢が立った。こうして、いったいこの4人で何ができるかの討論を重ねていくうちに……これが「語法と愚者」への簡単な導入である。

テキストのテーマは、デレク・ベイリー(Derek Bailey)が特に厳密な定義も与えず、自分のインプロを「イディオマティック」なインプロから差異化するために使った「ノン‐イディオマティック」という語、これを生産性のあるものとしていかに構想できるか、である。もちろんそのためには、まずはコンサートをめぐり、そしてインプロ自体をめぐり様々な問いが発せられる。「ノン・イディオマティック」を考察するため、フランソワ・ラリュエル(François Laruelle)の「ノン‐フィロゾフィー」まで引き合いに出す羽目と相成った。英語版からフランス語版訳への翻訳は、哲学者、アントワン・ドーレ(Antoine Daures)によるものだが、訳者の限界を思い知らされる意訳・改訳があり、日本語版への翻訳には共同執筆者権限で処理せざるを得ない箇所があったことをお断りしておきたい。そして、このテキストには付属の音源があるので、これもお忘れなく。

ジャン=リュック・ ナンシー(Jean-Luc Nancy)
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジャン=リュック・ナンシー
補足:À l’écoute, Paris, Galilée, 2002
この「聴くということ」についての本の末尾に、上述のティツィアーノの絵の引用がある。ナンシーから、これをコラボレーションに使いたいという意向があった。

デレク・ベイリー(Derek Bailey)
https://ja.wikipedia.org/wiki/デレク・ベイリー

フランソワ・ラリュエル(François Laruelle)
https://ja.wikipedia.org/wiki/フランソワ・ラリュエル

イディオムとイディオット(語法と愚者)
──ある即興演奏のコンサートについての11のパラグラフ

0 何が起きた?

我々は共にあることを行なった。それは単にひとつのコンサートであるが、我々は自らにその説明を試みたいのである。正確には何が起き、また、どのようにして、なぜそうなったのかを。

我々はその過程の経過を語るだけでなく、コンサートの前後、さらにこのテキスト執筆に至るまでにあった全ての議論の要約も行ないたい。そのため、このコンサートがもたらした問題、すなわち、理論的には抽象的であるが実践的には極めて具体的な問題を、我々は言葉にし説明することにする。我々の希望するのは、この体験により、アートのうちにおけるアートの再現についてより良い理解が得られるようになることである。

1 コンサートの前

我々四人は皆、哲学に興味を持っている。その一人は音楽に強い関心をもつ、哲学を生業とする者である。他の三人の音楽家は彼をあるコラボレーションに誘った。ここで、この共同作業の正確な性質を明確にしておく必要がある。つまり、この哲学者は音楽家ではなく、いまだかつていかなる音楽のパフォーマンスにも参加したことがないということである。彼は参加に同意したものの、我々の誰にもこの共同作業がどのような形をとるのか皆目見当がつかなかった。

言葉が音声として音楽のコンテキストで発せられる場合、多くは不快な結果しかもたらさないにせよ、音声としての言葉には興味深い何かがある。繊細な感動においては、論理または思考の、同時発生する異なるレベル(二、三の、いやそれ以上の)間のコントラストがしばしば重要なファクターである。そして言葉はこのレベルの数を増すのに非常に有効なツールなのだ。こうして、例えば俳優が映画の中で自分自身の演技について行なうコメントは大きな感動の源であり得る。その例として、イングマール・ベルイマン〔Ingmar Bergman〕の「情熱〔En Passion〕」をあげよう。あるいは、クリス・マルケル〔Chris Marker〕は「レベル5〔Level 5〕」の中で自身の映画をどうコメントしているか、さらにアフガンの歌手、ウスタッド・サラハング〔Ustad Sarahang〕が歌の途中で行なう、自分の歌についてのコメントはどうか(たとえ、彼が言おうとしていることがこちらには一言もわからないとしても)。

我々が直面した最初の困難は、言葉にどんな役割を演じさせるか、である。プロジェクトに参加したこの哲学者はいかに作業を進めるかについては確固とした決意がないとしても、自分がしたくないことははっきり知っていた。それは、アカデミックな理論家の役割を果たすべく、他のメンバーによる音楽の演奏についてコメントすることである。彼が恐れているのは、自分の参加が哲学者としての能力において音楽について話すことになると、結局はありきたりで、大げさなアカデミズムを振りかざすだけの身振りにしかなるまいということである。そして、その内容も、音と概念との関係についてのある種の胡散臭い仮説に負い目を感じる程度のものにとどまらざるを得ないということなのだ。
その主な例とは、音楽には一種の代理概念的な考えが含まれ、それが本当に表現されるためには、音楽についての理論的考察を通じ、明確な概念的表現が与えらなければならないという考えである。
この図式は3つの点において受け入れ難い。
第一に、発言に訴えることは、音の物質的曖昧性を弱めるしかないであろう比喩的意味の中に、音を再び包み隠す恐れがある。
第二に、音楽が既成の概念形式および理論的カテゴリーから推論的に理解できるとそれは見なすからである。
第三に、それは言葉による概念化と音をつくることの分業を仄めかすからであるが、これは認知的・理論的考察と実際的・美学的製作とのイデオロギー的区別を再現していると考えられるのだ。
自分の演奏を本当に考察している即興演奏家は、自身のアーティスティックな音楽的実践についての理論家として、いかなる哲学者よりも適任である。「アカデミックな哲学者」として職業的に認められても、それで自動的に「公式に認定された理論家」の役割が認められることにはならないのだ。

このことは即、ジレンマとなる。私たちのうちの三人は経験を積んだ即興演奏家だが、残りの一人がもしアカデミックな理論家(考察する、コメントする、あるいはさもなければ演奏の二次的サポートをする)としてパフォーマンスすることに気がすすまないなら、いったい何を彼は行なうことになるのだろうか? コメントやスピーチという手段に訴える可能性をすべて放棄したとなると、彼に関しては、他のメンバーの傍らでパフォーマンスする以外の選択肢はないように思われる。パントマイムとタップダンスが除外されれば、楽器に頼るということが不可避となる。しかし、どの楽器か? 若干の躊躇ののち、エレキギターの選択が純粋に実際的な理由から浮上する。昔、学校でギターの演奏のイロハを習ったおぼろげな記憶があり、以来この楽器を手にしたことはないが、ギターから音をどう出すかについては漠然とではあるが少なくともわかる気がする。そんな微々たる自信も他の楽器については全くあり得なかった。

とはいえ、ギターの選択には問題がある。我々は、自ら自身にとってのみならず、またこのコンサートに来る聴衆にとっても何か非慣習的なことを行ないたいという点で一致していたわけだが、エレキギターの存在はこの要請を即座に阻む恐れがある。一方で、この楽器はロック・イディオムとの様々な結びつきを引きずっているからであり、これはできるだけ避けたいと我々は考えた。他方、即興演奏におけるエレキギターの使用は、デレク・ベイリー〔Derek Bailey〕や灰野敬二のような著名な演奏家を連想させ、彼らの特徴あるスタイルを意図よりも無能力を通じ風刺できるかもしれない。
無能力により、演奏は「自由な即興演奏〔improvisation libre〕」の不器用な模倣に終わるかもしれないが、無能力は能力の過剰と同じくらい確実に、親しみを供給することも可能である。コンサートの時に、この無能力に付随するパワーと無力さが決定的な要因であることが明らかになる。
我々のうちの一人は、同定可能な音楽語法を司る技術的ルールに基づき演奏できないだけではなく、「自由に即興演奏する」方法も知らないのである。重要なことは、この二重の無能力がそれにもかかわらず、陳腐さ以外の何かを生み得るか否か、である。

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2 頼むからインプロヴィゼーションを始めないでくれ!

我々はインプロヴィゼーションを一つの公理と見做すが、それは、人がインプロヴィゼーションをしているところなのか否かを決して本当には決められないという意味においてである(自由意志、主観性そしてイデオロギーについて、このことが提起する問題の多さを考えてみればよい。そして、そうした問題に満足な答えをもたらすのは我々には不可能に思われる)。
この公理的アプローチを取ることにより、インプロヴィゼーションは自らの考え、決定、概念により我々が寄与できる領域になる。こうしてそれは、インプロヴィゼーションの場を限定し焦点を当てる、その特異な様相の一つを特定する、その効果を検証する、そして様々なメソッドを発明する、等々を可能にする領域となる。

「インプロヴィゼーション」と言うとき、我々は単に特異な音や出来事の産出だけでなく、社会的な空間のそれについても触れているのである。我々はこれを戦略的なタームであると同時に概念的なツールとして援用する。したがって、インプロヴィゼーションは実験音楽の創造にも、平凡な日常の実践についても関係し得る。しかし、それはどんな領域に適用されても、なにがしか不安定なかたちを引き起こすはずである。インプロヴィゼーションが機能するとき、それが持つ定義し難いものは、あらゆる固定化と商品化を回避させようとするに違いない。少なくともそれが効力を持つ間は。
目指すべきは、世界とインプロとの関係について練り上げた推論を、展開しつつあるいかなる言説にも適用し、常に、そして世界の外側でさらによい良くこれを理解することだろう。そもそも「世界」はここでは適切な語ではなく、おそらく、「それがそうではないもの〔ce que cela n’est pas〕」と言った方がベターだろう。

アートの文脈において現実と非‐再現的な関係を持つことは可能だろうか? 場所・空間としてのホールの全ての特徴を考慮に入れることにより確かにそれは可能になるだろう。また、ホールを最大限に活用しようとし、以前の習慣や振る舞いを断ち切り、新しく変えなければならないだろう。
言い換えれば、人は標準化のプロセスに対抗しようと努力すべきである。
我々は即興演奏(インプロヴィゼーション)とは、ホールで起きるすべてへの考慮が要請される実践であることを期待する。それは、他の場所で、のちに使えるような、新しいなにかの創造であるのみならず、社会的関係を変化させることにより瞬間の強度を高める一つの方法である。
即興演奏は、ラディカルで、個人的かつ内在的な自己批判であるのと同様に、「その場限り〔l’in situ〕」という極端な形もとりうるが、それは、将来の状況のためにあるポジションを守ったり、作り上げる必要がないからである。このようにインプロヴィゼーションは自己解体の方を向いていると言える。

こうして、インプロヴィゼーションを外を持たない純粋な媒体〔médialité〕、あらゆる形の分離化、断片化あるいは個体性に対立する、限界も目的もない純粋な手段とみることができる。しかし、そう言うだけでは充分ではない! いつ、この空間のより良い活用は達成されるのか? それは、何か重要なことが起きようとしているという印象を与えるのに充分なほど、濃密な雰囲気を発生させることに成功したときである。この体験を記述する既定のカテゴリーや語彙は存在せず、ここでまさに賭けられていることを記述するのは常に困難である。
しかしながら、この奇妙さは、それを同化する、あるいは即座に理解することの困難さゆえ、標準化のプロセスに対立する。充分に濃密な雰囲気が生みだされると、その場に巻き込まれた人々は、自己の社会的地位と標準化された振る舞いをしばしば痛切に体験することになる。その雰囲気の密度はある閾に達すると、我々の知覚を妨げ、からだに馴染みのない感覚を生むほどの身体的なものにさえなり得る。ニュートラルな見かけの中のある混乱により、どこに自分がいるのかは本当にはわからぬまま、人は不思議な場所にいる感覚を最終的に持つ。ひとつひとつの動き、ひとつひとつの語が意味を持つようになる。そのとき生まれるのは、空間あるいは時間の統一された感覚ではなく、それぞれの位置が様々な空間及び様々な時間性を含むようなヘテロトピア〔訳註1〕である。空間について、以前のヒエラルキーと従来の区分が露呈する。伝統的な演奏時間と注意の配分(音楽家を尊重する聴衆の振る舞い、など)は置き去りにされる。さらに事態を進めれば、これらのヒエラルキーは消失することさえあり得ようが、それは誤った平等の感覚を与えるためではなく、時間と空間に対する新しい社会的関係を生み出すためである。

訳註1 ヘテロトピア:現実の枠組みの中で、日常から断絶した異他なる場所。

誤解のないようお願いしたい。我々が喚起しているのは「関係性の美学〔esthétique relationnelle〕」のいかなる変種でもない。関係性の美学においては、聴衆との対話性を少しでも注入すれば、胡散臭いイデオロギーを信奉している制度化されたアーティストがつくる退屈極まりない作品に、文化的余剰価値が付加される。我々はむしろ、ステージ上での演奏の限界を問い質したい。即興演奏の素材として、どの程度まで舞台芸術を定義するパラメータ(すなわち、聴衆、演奏家、ステージ、そして期待などの区分)を使うことができるのかを。このコンサートにおける期待の問題は、多くの人が一人の哲学者を見ることを待ち望んでいたゆえに重要である。即興音楽のコンサートで哲学者が何をするのだろう? スピーチを含む何かのはず……ところが、彼はその代わりにギターを弾いた、それも下手くそに! これらの期待により生まれたテンションが、どれほど我々に影響し、演奏のヴォルテージを上げたことか?

コンサートに先立つ会話中、我々が多く話したのは、出来うる限りそこにいようとすること、すなわち、パフォーマンスに没入する方法を見つけることであった。のちに判ったのだが、そうするためには、作業の枠組みをその境界あるいは限界まで押しやる必要がある。しばしば疑問なしに受け入れられるこれらの境界点には、実際、多くの問題、矛盾、そしてコンサートの状況を決定する条件が密かに含まれている。この境界点に我々がある仕方で振舞うように強いられ、どれほど影響されているかを見極めたいならば、非常に注意深くそれを扱わなければならない。我々は、コンサートホールが暑いのか寒いのかなど、だけではなく、書かれてはいないが我々を縛る惰性で従っている慣習のことも話しているのである。すなわち、異議を唱えることができるとはみなされぬルールのことである。即興演奏の実践において、まず第一に最も頻繁に見過ごされる単純な問いとは、いかにコンサートの社会的な文脈が我々の行動の範囲を枠付け限定しているか、である。

そのような限界を越えていくには何が必要か? それは、確立したルールを再現する実践の拒否、あるいは紋切り型の音楽制作を反復する実践の拒否である。そこには「実験音楽家」として認知されるためそうするのが当然とされ、不可欠なものとして受け入れられているルールの拒否も含まれる。
例えば、演奏者と観客間に適切な距離を決めるルールをとってみよう(これが演奏家と聴衆のあいだに能動的、受動的役割を割り当てることになる)。もし人が演奏中であるか、演奏の予定を入れたなら、彼には何か提案するか、提供することがあるということになる。しかし、その提案が、例えば演奏家が「聴衆になる〔être du public〕」というような内容であると、コンサートそのものを単に日々の平凡で「正常な〔normal〕」な状況に変えるというリスクが生じるだろう。とはいえ、コンサートの状況について最も興味深いことのひとつは、それが日常の空間とは際立って異なる社会空間を生む、あるいは提供する可能性を持っていることである。コンサートに行く人は影響を受けたい、感動したいと思っている。彼らは何かを受け取りたいのだ(あるいはたぶんそうでない?)。演奏家の「与える〔donner〕」、あるいは「与えない〔ne pas donner〕」という決定は、聴衆の「受け取る〔recevoir〕」、あるいは「受け取らない〔ne pas recevoir〕」という願望そして欲求不満との際限のないゲームを繰り広げる……
この聴衆の受動的役割を承認するのは非常に問題があるにせよ、このおかげで、演奏家は何か「例外的な〔extraordinaire〕」ことを行なう機会をも得られる。即ち、人々の習慣的、社会的なやりとりに対立する状況をつくることである。我々が目撃した、あるいは行なった最も興味深いコンサートは、聴衆と演奏家のポジションとそれぞれが承認されている役割(聴衆と演奏家が共にコンサートの状況のルールから受け継いだもの)が混じり合い、何か別物へと発展したものだった。これは聴衆がより責任の伴う能動的な役割を引き受けた結果であり、こうして彼らはどんなことでもなし得ると考えるようになったのである。

我々は「能動性〔activité〕」や「受動性〔passivité〕」のような用語の疑わしい性質を愛する。また、恩着せがましい態度をとるのはいかに容易であるかも我々は意識している。しかし、気がついたのは、誰もガツンとやらない、誰にも影響も及ぼさないようなコンサートは全てを現状維持のままにするだけで、人が能動的に関わることを生みだせないということなのだ。それでは何も起きなかったようなものである。他のコンサート(ニオール〔Niort〕はその一つ)は、後後まで我々の考察に糧を与えてくれるだろう。まさにそれは、コンサートの「良し〔bon〕悪し〔mauvais〕」をどんな音楽的意味においても判断するのが、どれだけ時間が経っても難しいからである。こうして、我々はこの二つの語のはざまで考えることに駆り立てられる。このコンテキストにおいて、良いコンサートとは、良い・悪い、成功・失敗という確定した二分法に従うかぎり、それについて下すどんな判断も理屈に合わないようなコンサートのことになる。こうしたケースでは、既成の判断基準は保留され、判断のもとになるパラメータの根拠の問い質しが余儀なくされる。これまでの基準と価値は崩れ去る。

これは単に判断の破棄、そして芸術的成功と失敗の区別を可能にする制約を清算するという問題に留まらない。「自由即興演奏〔l’improvisation libre〕」の理想に内在する挑戦を、コンサートの状況の性質こそ即興演奏において賭けられているという地点にまで強化するという問題でもあるのである。
音を反応的にやりとりする plink-plonk だけでは充分ではない。即興演奏におけるこの手の単純な反応のやりとりはすでに過去のものだ。我々が目指しているのは、まず、ほとんど無反応の仕方を、反応の仕方として探求することにより、「互いに反応すること〔réagir l’un à l’autre〕」が何を意味し得るかを問題とすることである。しかし、重要なのは「反応〔réaction〕」に「非‐反応〔non-réaction〕」を置き換えることではなく、いかなる種類の模倣(潜んだ、あるいは隠れた)も凌ぐような、反応あるいは非‐反応のモードを見つけ出すことである。ここで言う模倣とは、まさしく、それ自体が模倣として現われないような種類の模倣である。実際、これは音楽(作曲されていようと即興演奏されていようと)における反応〔réagir〕と呼ばれるものの本質に関係する。

我々ひとりひとりが、自分自身の手段をコンサートの状況に持ち込む。楽器、アイディア、持続、技能、知識……これら全てとの関係を忽ちにして断つことができると信じるのは、少なくとも非現実的だ。ここで、「お互いに反応すること〔réagir les uns aux autes〕」とは何を意味する? 我々が考えるところでは、それはあまりにも明白なやり方ではそうしない、ということに関わっている。また、これまで試みられなかったことを敢えて試みることにも。脆さを招く恐れがある何か、不安、他のミュージシャンに影響する緊張感。これらのものにより、誰もが最大の注意を払うようになることを期待しつつ。究極の目的は、それぞれの演奏者が個人的な時間感覚を自分のものにし得るような、相互作用の形態を達成することだろう。コンサートによっては時間の経過が極めて特異に経験されることがあるが、まさしくこのようなことがニオール〔Niort〕で起きたのだった。

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3 コンサート中

コンサート直前、サウンドチェック中に判明したのは、我々の相互反応の仕方についてある決定をすべきだいうことだった。というのは、メンバー相互の結びつきが余りにも明白すぎたからである。そこで、我々は行為とそのリアクションに制約をかけるような構造を考え出した。コンサートの長さは45分、これを15分ずつの三つのセクションに分け、各自、その一つか二つを選んで演奏できることにした(全てのセクションでの演奏は不可)。ただし、どのセクションでも演奏しなくても良いという可能性は残した。こうして、コンサート中、もし無音状態が生じるなら、それは15分から45分(皆がどのセクションでも演奏しない場合)までの長さになる可能性ができた。実際、結果的にはなんらかの理由で我々はこのルールを侵害したにせよ、この構造により充分非慣習的な相互反応の仕方が生まれた。

このコンサートを思い返してみるに、我々の主な目的の一つはその雰囲気をできるだけ濃密にすることだった。ニオールでは、各人がこの密度の追求を実現すべく奮闘した。個別にそうしたにもかかわらず、我々は集団的にヴォルテージを上げることになんとか成功した。これは紋切り型の相互コミュニケーション形態に訴えていてはうまくいかなかっただろう。たとえば、メンバーの一人は、普段は使わないチープなエレクトロニクス装置と声だけで演奏するという選択をしたが、コンサート全体の時間の三分の二を一人で演奏したことは非常に強い体験だったという。もう一人の音楽家もこの密度を一種の賭けとして体験するが、それは、いつ演奏すべきかだけでなく演奏するか否かについての賭けでもあった。ところで、全く演奏しない可能性は極めて強い誘惑であった。なぜなら、それはこのリスクの高いコンテキストで演奏するという決定に必然的に伴う、人に笑われることを回避する安易な方法となるからであった。結局、コンサートの密度は、いわば下に何があるのか知らず非常な高みから跳び下りる挑戦のような形を取ったのである。

4 臨床的な暴力

コンサート中に何を成し遂げたいかを議論し始めたとき、我々は、冷たい、あるいは臨床的な暴力の達成について語り合った。こうして、もし人が問い質すならば、馬鹿げていることは明白な(不名誉とは言わぬまでも)目標を設定した。すなわち、人々を叫ばせることである。
実際、少なくとも聴衆の一人はコンサート中、自発的に叫んだ。これは、雰囲気の密度が高まり過ぎ、身体に過酷な影響を及ぼす時に起こることかもしれない。なぜ、こんなことを達成したかったのか? 多かれ少なかれ美学的に心地よい抽象的な音作り、そして個人的な音楽趣味の再認につきものの好き嫌い、この二つを乗り越えたかったからだ。

もちろん、我々は音楽がある種の内在的な情動の次元を持っているとは信じないし、感情的なロマン主義に対するモダニストの批評を喜んで取り入れる。しかし、この批評はそれだけでは不充分だ。それは余りにも頻繁に一種の審美的形式主義を奨励してきたのである。我々は、麻痺させるようなダブルバインド状態を切り裂きたいのだった。つまり、修辞的表現主義による感情的インパクトか、用心深く撤退する形式主義による反省的明晰さ、この二つの間のダブルバインドである。我々が達成したかったのは理論的、根本的に要求が厳しいものだった。重要なことは、ある種の心理的、認知的動揺を招くような音楽表現のゆがんだモードを見つけることである。この音楽表現は他方、演奏家のであれ、聴衆のであれ、情動的な紋切り型と安易すぎる感情的満足感を破棄するものである。

音楽において暴力とみなされることは、余りにも頻繁に一連のショックを与える行為(不協和音、騒々しさ、演劇的威嚇と呪詛、等)から成り立っている。我々は別のことをやってみたかった。それは我々自身と聴衆を曖昧で、平静を失わせる試練にかけることである。
すなわち、即興演奏および音楽技術の技巧の誇示を控えることにより、我々演奏者と聴衆をすぐに見分けがつく快適なゾーンから押し出すこと。たしかにそれは「暴力」ではあるが、特別に考え抜かれたものだ。また明らかに、それは身体的である必要はない(しかし、身体的ではありえないとか、そうあるべきでないということではない)。しばしば、この暴力は心理的であり、願望、感情移入、注意、期待に関わる。また、この暴力は単純に満足することの拒否から生まれる一方、自己反省のレベルが建設的なフィードバックに高まるまで、当事者各人の動機を問いかけるのである。

このように、我々の興味を引く暴力は自発的なものではない。それは、規律があり、計算され、強い決意で動機づけられたものだ。この意味で「政治的暴力〔violence politique〕」と呼ばれているものに類似性を持つ。この暴力は実践における主観的取り組みの核から生じ、その目的達成時には単なる生理を越えた何かに触れる。それは紋切り型の再現や既成の表現のカテゴリーの外に出る。いや、そう言うだけでは充分ではない! いったい誰がそれを実行するのか? それは多分、馴染みの快適なゾーンを切り開き、全く思いがけない角度から自己を表現しようとする愚者だろう。
我々のうちの愚者は、我々のうちの非‐愚者に追い詰められたと感じる。あたかもゴムバンドが彼を自分の周りに縛り付けているかのように。このゴムバンドとは、人が深く関与する状況において、あらゆる保守的特性が自己に及ぼす圧力のことである。このバンドはある時点で若干きつくなり過ぎ、いつ切れてもおかしくない恐れがあるが、愚者にはこの圧力の性質と自己に及ぼす影響について考える時間がたっぷりある。その中心には、受け入れられている規範、すなわち、作業をするコンテキストに固有な現状を再現しうるあらゆることがらがある。自由即興演奏のコンテキストにおいてこれらの規範が含むのは、ノウハウ、超絶技巧、美学、好み、そして、演奏者の相互反応や聴衆への反応が演奏家にとって持つ意味についての先入観、さらに、コンサートの状況を条件づけ再現する習慣、音楽がどうみなされているか、などである。

これらの問題を長いあいだ考え、ついに袂を別つべきものが極めて明らかになったとき、あるいは、もはや待つことができなくなったとき、人は石を飛ばすパチンコになるのである。もちろん、これに伴い得るのは、即興演奏のコンサートに内在するとみなされる価値の基盤の破壊である。計算できないリスクが現れた。そして、この記述が絶望的に思われるかもしれぬ一方で、そのような暴力に伴う絶望は全くない。
先に問題とした圧力は現状のそれであるにせよ、この暴力がいったん発生すると、圧力は現状に無関心になる。なぜなら、この暴力は想像できる最も単純なやり方でそれにとって代わるからだ、あたかも何も例外的なことは起きていないかのように。人々は暗闇の中におり、ようやく闇に慣れてきたところで誰かがこの闇を問いかけるようなものだ。彼はこうして人々に恐怖を引き起こし、強いられる闇を暴力として感じさせるだろう。これが臨床的な暴力の意味である。臨床的暴力の精度とは狙撃者のそれであるか、あるいは正常さの見せかけ、あるいは自然と考えられていることを切開する外科医のそれである。これを暴力行為として経験する者がいるかもしれないが、愚者にとってそれは単に必要なことに過ぎない。外科用メスが、問われず、語られもせぬ、コンサートの状況を保持させる即興演奏のルールの基盤を切開するのだ。しかし、外科医と違い、愚者ははっきりした目標も、同定可能な切除すべき嚢胞(のうほう)もない。重要なことはその切断にある。そこから、皆自らの結論を引き出すことができる。愚者は構造のない、あるいは分類できない視点から現実を眺める。愚者の介入には拠り所がなく、アナーキー〔an-archic〕である。全体的な意見の一致も全体的理解もない。この意味において我々も愚者である。

5 11の何も言わない方法

1. 「何も言うことがない」から「何か言うことをみつける」へ。この動きに任せ、自分自身の位置を変えることにより。

2. コンサートについての問題をめぐり、音楽と哲学が出会った、なぜかは知らず。いずれにせよ我々は何かを変えたかった。

3. コンサートとは何であるかについて、我々は意見を交換し効果的な実践を見つけようとした。主に、コンサートで出来れば見たくないことを定義することにより。

4. こうして因習的なコンサートの枠組みがずらされた(それは視野を拡げ、聴くということを更新するための様々な可能性を生むだろう)。しかしながら、我々は何をして良いのかわからなかった。

5. 我々は一種のコンサート、非‐コンサートを行なった。さて、Aと非‐Aとの関係は何か?

6. 心理的葛藤と熟考の間のテンションにより採択されたひとつひとつの決定が我々のエネルギーの源だった。そして、このプロジェクトは我々の音楽家あるいは哲学者というアイデンティティーを突き崩した。音楽家であるか否かは別として、人は誰でも音楽に存在を与える、それに命を吹き込む時には音楽的であるのでは? 同じことを哲学にも言おう。さあ、同時に音楽的、哲学的、等々であれ、(コラボレーション〔collaboration〕という語のなかには労働〔labor〕という語が見つかるが、通常、コラボレーションする当事者たちはそれぞれのアイデンティティーを転覆させたり、他のアイデンティティー、未知のXへスライドする試みには積極的でない。あるいは、安易なスライドは見つけるに事欠かない)。

7. 哲学と音楽を括弧に入れ、自己の職業を自分自身から引き離すことで、至極単純に、我々は感じ、行為し、反応し、考える人間だと自らを確認する。そう、もはや我々自身を感じない経験(我々はあまりに疲れ過ぎ、時に自分の職業に閉じ込められてさえいないだろうか?)。

8. 堰き止めようとするならば爆発の恐れある、計り知れぬエネルギーで満たされた、我々の内なる深い沈黙……この名づけ得ぬゾーンこそがわれわれの言語活動の経験のもとにあるのだろう。おそらく、そこに我々はいた。

9. かくして、聴衆はこの経験を共有するように誘われた。中には我々が醸しだした緊張感の衝撃にまともに呑まれている者もいるように思われた。いわゆるコンサートへの期待もどこかに置きさったまま。

10. ひとたび、非‐コンサートが終わると、我々は作業を再開した。この語りがたい経験を言葉にしようとした。このテキストがその試みである。

11. 毎回、紋切り型に陥らずに行なおうとすること。それは日々の活動を更新し、刺激し、活性化する。それがもはやそうではないところまで。

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6 ノン(非)〔Non〕

我々はデレク・ベイリー〔Derek Bailey〕のノン‐イディオマティックにおけるノン(非)とフランソワ・ラリュエル〔François Laruelle〕のノン‐フィロゾフィー(非‐哲学)におけるノンの間には特別な関係があると考える。ノン‐フィロゾフィーは哲学の理論あるいは科学であり、哲学を素材として扱う。ノン‐イディオマティックな演奏は音楽自体を素材として扱うことができると考えられる。

「自由に即興演奏された音楽と他の音楽との主な違いは、私が思うに、後者はイディオマティックであるが前者はそうでないということです。いわゆる音楽はインプロヴィゼーション(即興演奏)ではなく、あるイディオムで成り立っています。音楽は土地固有の言語、言葉のアクセントと同様に形成されます。インプロヴィゼーションの音楽ではそのルーツは場所よりもむしろ機会です。たぶん、インプロヴィゼーションがイディオムに取って代わるのでしょう。しかし、インプロヴィゼーションは他の音楽のようなルーツを持っていません。その力はどこか他のところにあります。インプロヴィゼーションには多くのスタイル(グループや個人の)があっても、それらがまとまって一つのイディオムになることはありません。社会的あるいは地域的な絆や忠誠を持たず、特異であると言えます」(デレク・ベイリー)。

もちろん、ベイリーの発言は音楽の世界における個人の位置を擁護するための戦略のひとつとして理解できる。しかし、この種の戦略は通常シンプルで(そして時に愚かで)あるのに対し、ノン‐イディオマティックの戦略は非常にダイナミックなもので、我々には興味深い問いと問題にあふれている。たとえ、デレク・ベイリーが必ずしも彼自身の考えの最良の実例ではなくとも(しかし、この事実こそ、それが良い考えの証左であるのでは? つまり、考えや理論がその本人の実践や主観性を完璧に越える時には)。

ラリュエルとベイリーの足跡(そくせき)には類似性がある。彼らは、哲学と音楽の実践の、それぞれの制度化されたイディオムからの解放に携わっていると考えられる。両者は自らの歴史的バックグラウンドに対し、非常に似た関係を持っている。接頭辞としてのノン(非)が意味するのは、人がなにかの部分であるのではなく、ある種の外部からそのなにかと関係を持つということである。ただし、その外部は考察の超越性より実践の内在性を一層含むのである。ノン(非)はまた、否定辞として次のことを意味する。すなわち、人がある種のグローバルな内在的視点のようなものを持っているとみなされること。上からの視点ではなく、音楽の実践自体の内からの視点。もっとも可能な限り内在的な視点。この視点が暗示するのは、人は再現の層を一つ加えることで、先行の層を減らしたり、さらには他の全ての層を一つにするということ。言い換えれば、この視点が暗示するのは音楽はあのようではなく、むしろこのようである、そうは考えられないこと、そして音楽はそれ自体を再現する必要はないということである。

ラリュエル:「哲学は常に少なくとも哲学の哲学である」「ノン‐フィロゾフィー(非‐哲学)とは哲学の科学である」。それならば、なぜ哲学の科学として考えられるノン‐フィロゾフィーはなぜメタ・フィロゾフィーでないのか? ラリュエルは哲学とはその構成上、反省的であると主張する。Xについてのあらゆる哲学的主張は、同時に哲学のXに対する関係についての考察である(Xが芸術作品、科学理論、歴史的出来事のどれであれ)。言い換えると、哲学者は単に「この対象〔cet objet-là〕」についてだけ語ることは決してなく、全ての他の哲学がどのように「この対象〔cet objet-là〕」と関係を結ぶかについても語るのである。ノン‐フィロゾフィーの試みとは反省的調停のレベルの彼方に上昇する一方、それと同時に非反省的即時性のレベルまで下降することだが、それはラリュエル言うところの「リアルな内在性〔l’immanence réelle〕」を介して行なわれる。
これはラディカルに非反省的である即時性であるが、一種の純粋な実践的超越性を生み出す(理論よりもむしろ実践による媒介)。全く理想化された、または概念化された内在性に対立するものとして、「リアルな内在性」は、詰まるところ、理論の「使用〔l’usage〕」の問題に帰着する。ラリュエルにより喚起されるリアルな内在性は、哲学の厳密に訓練された実践を必要とする。ノン‐フィロゾフィーはメタ・メタ・レベルにまで上昇し反省性を悪化させる代わりに、第三の反省性の層を加えるがこれは同時に引き算でもある(a-であるa+)。すなわち、特異であると同時に普遍的な視点から、哲学自体を眺めることを可能にする引き算。媒介としての抽象は実践を通じて具体化、統一化されるのだが、ラリュエルによれば、これは「一のうちで見られ〔vue en-Un〕」得る。これは神秘的な有頂天、歓喜ではなく抽象への実践的没入であり、ポストモダンの皮肉屋により興じられた、様々な哲学的イディオムをもちいた戯れの類を排除する理論の具体化である。

我々はノン(非)を無能力のしるしとして振りかざす。このノンは知の層をひとつ加えると同時に、独善的な反省性の身振りを不可能にすべく、考察から自意識の層をひとつ取り除く。独善的な反省性の身振りとは演奏家の聴衆への訳知り顔のウィンク、「あなたは、私があなたが知っていることを知っている、というそのことを知っています」のことだ。ノン(非)は演奏者の知的かつ感情的能力と彼の技術的手腕のあいだに、決して取り除くことのできないくさびを打ち込むことにより、そのような皮肉を込め距離を保つ独善的安心感を無効にする。ノン(非)は実践に、学習したことを意図的に忘却する〔désapprentissage〕という身振りの中にある手腕を対立させる。状況において阿呆〔idiot〕になるという手腕。しかし、そう言うだけでは充分でない!

ノン‐イディオマティックな音楽にはノン‐フィロゾフィーと同様の狙いがある。ノン‐イディオマティックな音楽は音楽自体についての、そして様々な音楽についての知識から糧を得ているが、非‐知の層を付け加えることで、それ自体が「一のうちで〔en-Une〕」捉えられる(音楽自体に適応された現象学的還元のようなもの)。こうして、それはいろいろなイディオムで演奏する典型的ポストモダン的振る舞いの機先を制することになる。ノン(非)は音楽についていかなる二次的な言説も不可能にする。それは、いわゆる解釈の不可能性を印す。こうして実際的に言うならば、人は現在の全ての音楽をエレクトロ・アコースティックの音楽のフィルターを通して見ることができよう。あるいは、それはインプロヴィゼーションのフィルターを通してであってもよい。

我々は非〔le NON〕(「非‐哲学〔non-philosophie〕」/「非‐イディオマティック〔non-idiomatique〕」)と無〔le DÉ〕(「無‐技巧〔désapprentissage〕」)の間に同価値を仮定する。両者はそれぞれ、不能の中の能力の解放、無能力の中の能力の解放を連想させる。学習したことの意図的忘却の実践は単に技術の否定だけでなく、無能力の中の一般的能力の解放をも仄めかす。無能力の技術的/実践的習熟は単に限られた審級にすぎないのである。

ニオールでの我々のパフォーマンスは学習したことの意図的忘却とインプロヴィゼーションの技術の美学化を対立させるものであった。後者は、社会の枠組みやコンサートの仕組みのような、非‐美学的な覆いから演奏の音響的あるいは聴取的次元を取り出す傾向、さらに「純粋な」聴取体験の美学に従いすべての場所を音に与えようという傾向に起因する。しかしながら、自由即興演奏は技巧の審美化へと退化する恐れがあり、即興演奏の超絶技巧演奏家が誇示する技術はまさにイディオマティックの超絶技巧演奏家のそれと同様、フェティシズムの対象となる。審美主義の内在的批判は、音楽をイデオロギーへと貶めたり、音楽に反省的意識の層を加えることによっては達成されないだろう。むしろ問題は、内在的実践と超越的理論の間のヒエラルキーを、理論を実践に再度関係づけ解消することである。が、それも痙攣的概念が独善的感覚を妨げるよう、いかに危機が早まるかにかかっている。

目標は距離の安全にもはや依存せず、内部に留まるような批判を成し遂げることだろう。従って、これはもはや実際には批判ではなく、むしろ内を通しての外の発見だろう。

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7 再現〔REPRÉSENTATION〕

Représenter〔再現する〕:ラテン語 repraesentare からの借用(1175年頃):出現させる、目の前にあるようにする、言葉で再び生む、繰り返す、実際に存在させる、遅滞なく全額支払う。
誰かの前に連れて行く(6世紀)、司法に委ねる(8世紀)、誰かに取って代わる(10世紀)。

ラテン語の動詞 repraesentare は動詞 praesentare が re で強調されたもの。
法的意義が1283年より実例により確認されている。
Représentation:リプリゼンテーション、再現。
イメージ、類似(1370頃);法的意義が1398年初めて実例により確認される。

1980年代にクロード・レヴィ=ストロース〔Claude Lévi-Strauss〕は当時の現代アートに対する強い異議を次のように叫んだ:「彼らは鳥たちが歌うように描けると思っている」。思想家によるアート批判で極めて頻繁に見られることであるが、彼らの観察の正確さはおそらくネガティブな要素をずばり指摘する。しかし、この要素は別の観点からするとポジティブな潜在力であることが明らかになり得る。我々はレヴィ=ストロースの言葉をノン‐イディオマティックというものに結びつけることができよう。もし私が単純に知っているだけなら、私は「純粋な存在〔pure présence〕」の中にある(動物性)。もし私が私は知っているということを知っているなら、私は再現の中にある(二重の層/イディオム)。人間はサピエンス-サピエンス、つまり自分が知っていることを知る動物と考えられているが、これは人間が決して再現の外に出ることができないことを意味する。言い換えると、「我々」はこれから先も常に自らの文化的遺産やその背景に結びつけられているはずだから、決して鳥たちのように描いたり歌うことはできないだろう。しかし、ある層を先行する二つの層に付け加えること(私は(私は(私は知っている)ことを知っている)ことを知っている)は、人為的に最初の層に戻ろうという試みを意味し得る、特にこの層が「非‐何か(知)〔non-quelque chose〕」と名付けられるときには。ノン‐イディオマティックは「人為的な鳥」を作りあげる長く、主観的なプロセスと言えよう。

一連の出来事は次のようになるだろう。
1 第一の層:鳥の歌
2 第二の層:土地固有のアクセント
3 第三の層:スーパー‐イディオマティック(複数のイディオムで演奏すること)であるかノン‐イディオマティック(音楽を「一のうちで〔en-Une〕」受け取る)(=「非‐問題的な層〔niveau aproblématique〕」)

再現とは千の層のケーキ(ミル(千の)フォイユ(葉、層))とみなすことができ、その各層はそれ自体に再度加えられたり、多かれ少なかれ他の層に加えられる(一つの層の出力と他の全ての入力間のフィルターの強度に従い)。自己をあるイディオムに対し位置づけることができるというのは、このミル・フォイユの内部にある位置を占めることに等しい。問題を扱うとは、千の層を持つケーキを取り返しのつかぬ変化に強制的に晒す一方でそれに働きかけることである。ここにおいて、対象との相互作用はとりわけ動的である(安全策さえ必要とする)、アクセント(なまり)を失おうが、失うまいが(ところでアクセントがないこととはどういうことか?)。

ノン(非)は千の層に付け加えられる一つの層であるが、それは実際的な「一のうちでの見え〔en-Un〕」の観点から与えられる。つまりそれは千一番目のものである。これは未知の知という機能を果たす新たな層となる。引き算でもある、足し算としての実践の内在性。マイナスでもあるプラス。知には常に既に知識の力が含まれていると考え、そして知識とは単なる知に仮説的に我々を連れ戻す、そのような力の退行であると考える限り(それも自分が知っているということを知らぬまま)、端的に知ることは不可能であると人は主張し続けるだろう。しかしながら、我々がノン(非)を通じて接近するのはまさにこの条件なのである……

問題は再現が下で水平にすることなのか(平坦化)、上で水平にすること(即ち、上昇)なのかということである……即興演奏のコンテキストにおける影響の「リアリティー〔réalité〕」は、一つレベルの少ない再現に接近する可能性のうちにある(これが共時性のリアリティー)。出来事は起きても、可能な限りほとんど再現されていない。

それなら作品のまわり、中あるいは外側のざわめき〔rumeur〕を素材を不可欠な部分と考えてみてはどうだろう? ざわめきという言葉で我々が意味するものとは何か? 作品自体がデータや記号の巨大な流出の中の特異点であるかぎりにおいて、ざわめきとは作品の形態により発生するデータや記号の流入・流出の流れである。ざわめきとは芸術作品が発生させる流れ(これにより作品は作られるのだが)に抵抗できないという断言である。すると、作品が流れに対して透過性を帯びぬよう、いかに直前の流れを別の流れの方向へと反らせるかが問題になるだろう。即ち透過性が YES ならば作品は NO。とはいえ、作品は素材よりもコンセプチュアルであるべきだと言っているのではない。それはいかなるものでも、さらにいかなるものより以上(あるいは以下)のものでさえあり得る。ざわめきという言葉は「ゴシップ〔commérage〕」という意味に近く、誤解を招く恐れがあるので他の言葉を使ったほうが良いのかもしれないが、それにしてもこの意味の近さは重要である、もしくは重要であり得る。それはアートの歴史、あるいはアートイヴェントをめぐる討論やコメントを、いわゆるアーティスト自身により公表されたものも含め考えてみればよい。とはいえ、このロジックによれば全てのアート作品はざわめきに対し NO と言う方法であるのだろう、たとえ、ざわめきはすべてのそのような NO のおかげで存在するにしても。こうして、音楽の形態とプロセスも、音楽自体を取り巻くざわめきの形態とプロセスに何か関係があることになる。たとえ、ざわめきは抵抗の一方法でもあるとしても、である。

インプロヴィゼーションには常に少なくとも再現の層が一つ少ないと言うことは、インプロヴィゼーションが現実の中の影響を展開するものであると言うに等しい。まさしくそこに、音楽の内在性の可能性があり、これはパフォーマンスや、解釈や、音楽の(あるいは音楽の中の)コンテキストの内在性の中にある可能性とは比較にならない。そして、影響が実際に起きるとは、それがある影響として再現されていないことを端的に意味する。この「リアル〔réel〕」は「実際に〔réellement〕」起きることとして、単刀直入に理解されるべきである。それは単に今、ここで起きようとしているに過ぎないからである。

常に変わらず、アートにおける批評、あるいはアートについての批評は二つの層を重ねることにある。そして、批評は全てをそれ自体の再現の舞台に変える、と言うことができよう、たとえ全てがすでに舞台であるような場合でさえ。言い換えれば、再現というしるしは常にすでにつけられているものの、それは常に忘れられている(かのようだ)。再現をしるすとは枠に枠を嵌めること、つまり、二重に冗長な振る舞いである。結局、批評的距離は全てを社会学的分析のネタや人文科学の対象に変えることになる(後者は科学的姿勢の中にある最も特徴的なことをグロテスクに風刺するものに帰する)。自分が創るべきアートは自分が再現するという事実を意識することこそ、アートのいかなる歴史的なプロセスをも動かす原動力に他ならない。

ノン(非)。罠とは現代〔le contemporaine〕が常に究極のものであると考えることにある。これでは、この究極のものは我々と同時代〔contemporain〕であり、我々の現代性〔contenporanéité〕である、即ち我々は究極のものの同時代人〔contemporains〕だ! となってしまうのだ。歴史を二つに分けたいと考え、実際にそれを行ない、宣言すること。そのことがすでに、人がそうしようとしてはおらず、単なる希望的観測、あるいは呪いであるという兆候である。「~について〔sur〕」の言説の不可能性は、結局のところ、~と〔avec〕、または~の中で〔dans〕の言説の不可能性の原因となる。そこで残るものはただ、言説がそれ自体に再注入されるフィードバック(そしてこの叫びがノン(非)に対して可能にすること)だけである。すなわち、言説をそれ自体に再度注入する言説であり、そうする口実とは言説自体の可能性の条件を統合しなければならないということである。

この意味で、ノン(非)は認識の零度という白紙還元であろう。ノン(非)が前提とするのは、ある知であると同時に、対象、素材として知られていることの非‐使用である。アートは素材が何であるかについて教える学校であるが、同じ講義を際限なく繰り返す嫌いがあるだろう。「素材というものはないか、あるいはそれが何であるかについて徹底的に新しい意味を得るため、それを再定義しなければならないかのどちらかだ」。しかし、人はすでに常に素材に関与している。というのも我々には、全体として素材についての客観的なヴィジョンを得ることができるような位置がないからである。この全体とは素材という概念がまさしく前提とすることであるが、その前提の理由は「素材」という概念が超越のヴィジョン(それゆえ、現実の盲目な内在性からの出口)を仮定するからである。
もちろん、非‐哲学の素材に関する主張とは、その思考法を構成するラディカルな内在性の要素の外に出ることなしに、そのような内在的姿勢が実現できるということである。しかしながら、素材を内在性の中にまで高めることが素材の終わりをもたらすのであり、これこそ、アートが我々に教えることだというのが我々の確信である。こうして我々は素材という語に付随する意味の領域から外に出るのだ。ノン(非)と素材の間には相容れない何かがある。

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8 あらゆる音楽はイディオマティックである

「あらゆる音楽はイディオマティックである」という主張は、音楽自体についての断言というよりはむしろ、ある観点を断言するものである。この主張はそれを行なう者については多くを語るが、音楽自体についてはほとんど何も語らない。逆に、「音楽はノン‐イディオマティックに向かい得る」という主張は、音楽の内的原動力がどんなものであり得るかについて多くを語る。人がつくる音楽は努力にかかわらず、どれも常にイディオマティックだと信じるのは、上からの視点、空中からの俯瞰、あるいは、存在する、そして存在しうる全ての音楽について一種の概略的地図のようなものを持っているようなものだ。「あらゆる音楽はイディオマティックである」という主張、これは、演奏し、作曲し、パフォーマンスすることは、その地図に基づき、即座にその不可欠の部分として展開されると考えることだ。これは人はこのような地図を使い、地図の上で演奏すると考えることだ。ノン‐イディオマティックな音楽という考えに自分が馴染むようになっても、そんな地図についての考えは持っていないということにはならない。それは単に、知的活動においてもアーティスティックな実践においても、自己がその地図の場所にいないということ、そしてさらに、我々はそれを素材として考えることができないということを意味するに過ぎない。しかし、そう言うだけでは充分でない。

これはまた別のレベルでは、イディオムと考えられているものは、あらゆる音楽的提案も生み出しうる、影響、模倣、原則などのまとまりにすぎないということも意味しうる。これは歴史という語の最も貧しい意味において、あまりにも歴史的な観点である。人類は我々の知るあらゆる動物のうちで、実際、最も偉大な模倣者であると考えられる。ここから、「あらゆる音楽はいずれにせよイディオマティックであることに変わりない」と主張を進めるのはこの模倣の技術を指摘することに等しい。
しかし、「音楽はノン‐イディオマティックへと向かうことができる」と言っても、模倣や影響を音楽家が免れると断定することにはならず、音楽がそれらの関係に晒されることなく単独で発生し得るということを示すに過ぎない。あるいは、音楽自体が、自己参照と模倣への監禁とでも呼ぶべき事柄に対して、批判的観点を与える強力な手段になるということを示すに過ぎない。何よりもノン‐イディオマティックへの推進力によって、即興演奏は、選ばれた少数の者だけが正当に理解し得る、個人的な冗談や音楽的参照の引用に陥らないで済む。

幾つかの点で、ノン‐イディオマティックの概念はジル・ドゥルーズ〔Gilles Deleuze〕の「生成」という考えに関連がある。これに照らし、「マイノリティー」と「イディオム」という二つの考えの結びつきを考察しなければならない(クレオールの例によると、ノン‐イディオマティックは人が直感的にあるはずだと想定した場所に必ずしもあるとは限らない)。ジャンルが本当に時代遅れであるなら、我々は素晴らしい潜在的分離に直面する。それは、イディオムを気にせず、卒なくこなす演奏とジャンルに基づくか、ジャンルを使う演奏の分離である(後者はジャンルについて「精通している」人々に向けられた私的悪ふざけという様相を帯びる。普遍性を本当には普遍的でないとするのと全く同様に)。ジャンルとしての普遍性という考えはノン‐イディオマティックが避けなければならないものである。とは言え、これはノン‐イディオマティックの音楽家が自身の音楽を普遍的であると考えているということにはならない。 むしろ、それが意味するのは次のことである。
ノン‐イディオマティックの音楽家が、ジャンルについての隠れたメッセージを闇取引することなしに音楽がどうあるべきか否かについての判断を行なっていることは保証できないとしても、そのような判断はそれ自体のパラメータを侵害する極点にまで突き詰められるべきであり、そのとき、これらのパラメータは見えない操作子〔opérateurs〕となる。意識的であれ無意識的であれ、個人的であれ集団的であれ、慣例、習慣に応じて不当にも同化されることになった操作子として。音楽のあるべき姿についての保証を破棄しても、音楽はどう在り続けてよいかについての批判的禁止が全て無効になるわけではない。スピリチュアルな香油、良い趣味のしるし、あるライフスタイルのアクセサリー、贅沢な商品、等々(としての音楽)。ノン‐イディオマティックが結局、音楽的ピジン〔訳註2〕でないならば、それは間違いなくその可能性の問題を問う。

訳註2 ピジン:ピジン言語。現地人と貿易商人などの外国語を話す人々との間で異言語間の意思疎通のために互換性のある代替単語で自然に作られた接触言語。共通言語をもたない複数の集団が接触して、集団間コミュニケーションの手段として形成される。

「自由に即興された音楽は即興演奏をその一部として含む音楽とは異なります。私は、『インプロヴィゼーション』という本をまとめるとき、こうした事柄を言語の研究で発展した用語で考察するのが有益だと思いました。自由に即興演奏された音楽とあなたが引用した音楽の間の主な違いは、私が思うに、後者はイディオマティックであるが前者はそうでないということです。いわゆる音楽はインプロヴィゼーション(即興演奏)ではなく、あるイディオムで成り立っています。音楽は土地固有の言語、言葉のアクセントと同様に形成され、それはまた地域と社会の産物、その特定の社会で共有される様々な特徴による産物です。このコンテキストで、即興演奏は人々の音楽のなかに存在し、特定の地域と人々を反映する、中心的なアイデンティティーの機能を果たします。そして何と言っても即興演奏はツールです。それは音楽の内部で中心的なツールになりうるかもしれませんが、ツールであることには変わりありません。一方、自由即興演奏の音楽ではそのルーツは場所よりもむしろ機会です。たぶん、インプロヴィゼーションがいわゆる音楽におけるイディオムの場所を占めているのでしょう。しかし、自由即興演奏は他の音楽のような土台あるいはルーツを持っていません。その力はどこか他のところにあります。自由即興演奏には多くのスタイル(グループや個人の)があっても、それらがまとまって一つのイディオムになることはありません。社会的あるいは地域的な絆や忠誠を持たず、特異であると言えます。実際、自由即興演奏の音楽を、見たところ限りなく多様な特異な演奏家やグループからなるものと見ることができます。本当に多いのでその全体をノン・イディオマティックと考える方が容易です」(デレク・ベイリー)。

問い:どうしたら人はアクセント(訛り)なしで話していると思えるのか? ノン‐イディオムのアクセントですらイディオマティックである! これこそ、ノン‐イディオマティックの考えに反対する人々の主要な議論である。しかし、ノン‐イディオマティックへと向かう(あるいはそれに直面する)性向は音楽への強力な源となる、非常に特殊なエネルギーである。たとえば、既に確立した形式としてのジャンルに基づく演奏やそのジャンルを使った演奏ができなくなるような多くの場合にそれは当てはまるのだが、そのようなイディオマティックな演奏では、音楽体験がそれぞれの音楽家の内面に完全に統合されていることが確認されるのだ。文化とは何か? それは知のきわめて耐性のある核のようなもの、捨て去ることはどうしてもできず、また日々それでやっていかなければならないものである(この知についてはいかなることであれ知る必要なしに)。しかし、音楽が完全にイディオマティックであることは決してあり得ない。ノン‐イディオマティックな演奏とは、人が考えるあるべき音楽の姿、あるいはいかに音楽は機能すべきかを再現しようとしない演奏である。この点でイディオム自体が徹底的に非‐主観的である。イディオムが主観的なものになるのは、それがある特定のイディオムの再現となる時である。これは「愚かさ〔idiotie〕」としての音楽だ……それは現実の愚かさ(『現実の愚かさ〔L’Idiotie du Réel〕』:クレモン・ロセ〔Clément Rosset〕著)を人間の中に組み入れるという問題である。人は自分のアクセント(訛り)を選んだわけではないが、そのアクセントに対処する、またはそれに抵抗することはできる。ノン‐イディオムは音楽を言語的なメタファーから切り離し、「いや、音楽は言語ではない」と主張するための巧妙な方法である。母国語での自分自身のアクセント(訛り)に人は決して気づかない。それに気づくようになるには大変な作業を要するのだ。

ノン‐イディオマティックという考え自体に何かプログラムされたようなところがある。ある実践を名付けることは必ずしも、その実践をなんらかの(近視の)実用主義の名で言い表すことではない。 また、この実践の力学を以下のように命名することは役に立ち得る。すなわち、ほぼ疑いなくある種の生気論の名において。しかし、また充分あり得るのは、用語体系自体により、実践の結果とその原動力(そこでは実践と理論が同じひとつのもの)のあいだに立ち上げられた深い弁証法の名の下においても。ノン(非)はこの弁証法に力を与えるなにかである。一方であれよりもこれをするという決意がある(なぜそうしているかを知りつつ)。しかし、他方で別のやり方ができないという無力さもある(そしてそれを後悔することさえできないという無力さが)。イディオマティックな音楽家であるという考えに含まれる暗黙の仮説とは何だろう? それは、あるイディオムの中に「住まう」ということはそれに疑問を持つことなくそのイディオムで演奏することであり、そしてイディオムに縛られるということは自分の演奏を俯瞰する視点を手に入れることができなかったということ、である。人がいるのは内側で外側はありえない、人は唯一、母語だけで話すことができるのとほぼ同じように。この点で、イディオムと大衆の文化および知の間には結びつきがある。あるイディオティックな(馬鹿げた)形態とは、ここそこでだけ見つかる特定の形態であり、言語はそのようなもののひとつである。アクセント(訛り)とは、あるイディオティックな形態だが、これはある別のイディオティックな形態の中に含まれる。結果として、ノン‐イディオマティックの考えは自分自身のイディオムを反省する義務を伴うように思われる……

それにもかかわらず、ノン‐イディオマティックが意味するのは全く反対のことだ。ノン‐イディオマティックの想定では、モダンあるいはポストモダンの文化において、イディオムを強力に再現することなしに人はその中に住まうことができない。つまり、イディオムを再現している(そのイメージを見せている)という気持ちを(少なくとも)持たずには、そのイディオムで演奏することはできない。さらに、人は実際のところ、たった一つのイディオムに住まうことはできない。だから他の多くのイディオムについても、多かれ少なかれ知らなければならない……こうして人は俯瞰する視点の可能性を持つ。あるイディオムはひとつのシンプルな知を想定し、この知はできる限り深いものであるかもしれないが、少なくとも、この知についての知を生み出すとは考えられない。イディオムを再現するということは、その知についての知を人が所有すると(人が自分はそれを知っているということを知っていると)想定するに等しい。大衆文化は、それ自身を再現することなしに存在すると見なされる(だから、最も単純なレベルではポップアートは大衆的ではない)。しかし、「ノン‐イディオマティック」が意味するのは、演奏していることについてのこの二次的な知を引き算して演奏する、ということである。こうして、あらゆるイディオムはそれ自身の再現であるので、ノン‐イディオマティックな音楽家の仕事は音楽における音楽の再現から逃れることだろう。

ある意味で、ノン‐イディオマティックが想定するのは、人はアクセント(訛り)を全くもたないことができるということ、そして、人はだれもその由来を知らないような訛りを持つことができるということである。この点で、ノン‐イディオマティックな音楽は、あるべき大衆の〔populaire〕音楽を生み出すひとつの方法だろう。ということはそれは大衆音楽ではない。次の話の「あたかも、~のように〔comme si〕」は再現のそれではない。「私は私が演奏することを演奏する。私が演奏する場所で、その時に。私が知っていることを知りながら。あたかも自分が本当の大衆的音楽家〔un véritable musicien populaire〕であるかのように(即ち、民俗的ということ。それは必ずしも「大衆的」ではない)」。こうして、ノン‐イディオムが仮定する「あたかも、~のように」は、科学者が自分自身の仕事に使うそれに近い。「全てのことはあたかも……のように起きる」。大衆的〔populaire〕の意味は「民俗的〔folklolique〕」であるよりもむしろ「よく知られた〔très connu〕」であるというのは不思議である。噂〔rumeur〕……またしても)。「大衆音楽」のようなものを生み出す唯一の方法はノン‐イディオマティックな音楽家になることだろう。ノン‐イディオマティック=名声に対抗するイディオム。しかしながら、即興演奏家はどんな音楽家とも演奏できると考えられているということは、彼らのノン‐イディオムが実際は他のイディオム全てを含むスーパー‐イディオムであるということを意味しないだろうか? 否。一つ引き算するという層をつけ加えることにより、ノン(非)はスーパー‐イディオムという考えを妨げる。ラリュエルのノン(非)が示す、内在性の「一〔L’Un〕」はまさに非‐全〔pas-tout〕である。結局、ノン‐イディオマティックな音楽家になるということは、おそらく同時代的なイディオマティックな音楽家になるということに等しい。

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9 異化の政治学

社会はなぜ即興演奏家を必要とするのか? 我々即興演奏家は小企業家である。自己のマネージメントに長けているばかりか、自分自身の上司や部下として、またプロデューサーや消費者として振る舞うのもうまい。ある意味で、即興音楽がおかれた状況は、資本主義の発展の未来を予兆する小さな実験室のようなものである。というのも即興演奏家であるには資本主義的経済において評価される特徴の多くを必要とするからだ。すなわち、その特徴とは個人的な動機、強力な個性、極度の柔軟性と適応性、異なる状況に即座に対応する能力、公(おおやけ)で演奏する能力(消費者のため)、絶えざる出世欲(「私の個人的な能力や楽器の特殊な演奏法を見て下さい。私がお見せすることは他の場所では手に入りませんよ」)などである。

これらすべての理由で、自由即興演奏をこれが60年代に出現した当時の政治参加の雰囲気に再び結びつけることは重要であると我々は考える。それは、自由即興演奏の開始の歴史的瞬間から現代資本主義的文化におけるその現状までの、資本主義の発展とイデオロギーの変化の関連をより良く理解するためである。我々が把握する必要があるのは、なぜ以前の即興演奏の左翼的展望がこの実践に内在する諸問題を認めることができなかったか、である(例えば、即興演奏家が究極の資本主義者の良いモデルになるという事実)。この政治的視野の狭さを生んだロマンティックな理想化を明らかにする必要がある。さらに理解する必要があるのは、なぜ即興演奏家が実践の形態としての即興演奏の政治的可能性について、しばしばあれほど極度に粗雑で過剰に簡略化した説明を広めたかである(もちろん、実際に自由即興演奏に進歩的側面が隠されているという原則から出発するならば、であり、我々はそう考える)。

さて、演劇の再現装置との関係で、コンサートの装置のうちにある暗黙の了解の政治的な言外の意味を考えてみよう。ブレヒト〔Bertolt Brecht〕の Verfremundungseffekt (不当にも「異化効果〔effect de distanciation〕」と訳されている)は、演劇の4番目の壁を取り除こうとする試みだが、その達成のため、観客を舞台とパフォーマーから隔てる幻想を遠ざけ、中断させ、観客の「受動的」で「疎外された」状態を明らかにする。こうして、実際、状況がいかに見せかけのものであるかを、観客は理解するようになると考えられている。即興演奏においては異化効果は二重である。というのは、演奏家の状況もまた混乱したものだからである。演奏家と観客は前もって予想できなかった状態に置かれ、双方の分離はもはや余り明白ではない。

問い:今この瞬間に、どんな状況に自分が置かれているにせよ、どれほど自発的にギブアップしたいと思うか?

即興演奏において濃密な雰囲気を引き起こすこと、その意図するところは、状況(聴衆、演奏、ディレクター、オーガナイザーを含む)を成立させている保守性を明らかにし、新たな条件の組み合わせへの欲求を生むことにある。即興演奏に処方箋はない。その目標は前例のない状況を作ることである。それも誰にとっても奇妙な状況を、啓蒙的な、あるいは前もって準備された指針なしに。自著『解放された観客〔Le Spectateur émancipé〕』の中で、ジャック・ランシエール〔Jacques Rancière〕はジョゼフ・ジャコット〔Joseph Jacotot〕の例を引いているが、これは生徒に自分自身も知らないことを教えようとした19世紀のフランスの教師である。ジャコットはそうすることで、認識的習熟の自負を問題視し、知性の前の平等を自身の出発点としていたのである。ランシエールの言葉のよると、ジャコットは「民衆の教育についての標準的な考えに反対し、知的解放を要求していた」。知の権威を演じることは(ギー・ドゥボール〔Guy Debord〕の批判あるいはブレヒトの啓蒙的配慮のように)、たとえその解体が意図されたとしても習熟の論理を再現することになる。

ブレヒトは、幾つかの戦略を互いに巧みに利用し(例えば、社会主義リアリズムを叙事的あるいはロマンティックなシナリオに導入すること)、特定の技術や効果を明らかする。しかし、いずれにせよ、彼の啓蒙的配慮はたえず観客を、知らぬこと、まだ学ばなければならないことから遠ざけていた。ランシエールは、見ることと聞くことについての考え方を変えることを提唱する。それも受動的な行為としてではなく、「世界を解釈する方法〔des manières d’interpréter le monde〕」として世界を変え再構成するために、である。彼は教育的距離やジャンルや規律についてのどんな考えにも反対である。しかし、彼の説明はそこで終わり、この反対が何に至り得るのかは言わない。これらの不平等を拒絶するだけでは充分でないのであるが。

我々はこれに取って代わる経験のモデルが必要である。それは、ある状況の中で適切な知として重要なこと、その欠乏も余剰も溶かす限りにおいて、階層的な知の主張には無関係なものであるだろう。認識的権威が解釈による反論を受けることが想定される時のように、それは解釈の問題ではない。解釈には媒介が必要で、これを通じ人は状況を考察し、こうして状況への自分自身の熱中を和らげる意識的方法が得られる。目標は、演奏の即時性を解釈の媒介に対立させることよりも、知と無知、能力と無能力とのあいだの差異が明白でなくなる瞬間を突き止めること、そしてこれに専心し、それらの見分けがたさを、状況において最も言語道断な矛盾が集中する焦点へと転換することなのだ。異化と愚かさ。

10 異邦人と愚者

人がノン‐イディオマティックな音楽家になるのは、イディオムがイディオムそれ自体の再現である事実への気づきによるならば、ノン‐イディオマティックな音楽家になるということは(超)異邦人になることに等しいだろう(ホワイトヘッド〔Alfred North Whitehead〕のサブジェクト(主体〔subject〕)が「スーパー‐ジェット〔super-jet〕」であるのと同じ意味で)。

基本的には、異邦人とはある別のイディオムを持った者であるのに対し、愚者はイディオムを全く持たないか、例外的に特異なイディオムを持つ。つまり、愚者があるイディオムを持つならば、それを使うのは彼だけだ。

従って、バックグラウンド・ノイズ〔bruit de fond〕の定義を、
形態として同定できない、かつ/あるいは定義できない、かつ/あるいは聴取者が興味を引かれない、音の中にある全てとし、
そして、「ざわめき〔rumeur〕」の定義を、
記号(形態かつ/あるいは情報かつ/あるいは影響)で出来ているノイズとするならば、
異邦人とはざわめきとバックグラウンド・ノイズの境界が異なる者である。

一方、愚者にはその境界が存在しない。彼にはバックグラウンド・ノイズとざわめきは全体として一つのもの〔en-Un〕として現れる。それはまた、情報かつ/あるいは形態かつ/あるいはサウンド等々であり得る……一音としての音の世界と一情報としての音の世界を区別しないこと。

「(超)異邦人〔super-étranger〕」とは「太陽の異邦人〔étranger solaire〕」である。この異邦人がイディオム(太陽に)に光を投げかけるという意味において。

「(超)愚者〔super idiot〕」とは「闇の中で見える愚者〔l’idiot nyctalope〕(闇の中でも見える人)」である。この愚者は自身ならではのイディオムを持ち、非言語的環境の中で話す(完全な闇の中で自分自身のために光を創り出す)ことができるという意味において。つまり、愚者は非言語的な道具〔instrument〕を用いて話すのだ。

ノン‐イディオマティックは馬鹿げている〔idiotic〕! しかし、それに向かう(あるいは直面する〔le vis-à-vis〕)傾向はノン‐イディオティックな〔non-idiote〕音楽を生む。聴衆と演奏家は共に異邦人となる……

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11 言語活動、非‐言語活動としての音楽

I クルト・ザックス〔Curt Sachs〕によると、音楽の起源には歌と器楽演奏の二つの方向性がある。
歌は言語に向かうベクトルを持つ。一方、器楽演奏はその起源においてよりノン‐ランガージュ(非‐言語活動)に関係があるだろう。
ここまで、我々のノン(非)‐コンサートについて話してきたが、それは我々が交わした議論に条件づけられていた。
我々はランガージュ(言語活動)と音楽を分けて考えるよりも共に考えることにより興味があった。
我々のうちの一人が哲学者であり、彼がコンサートで話すことを拒んだ事実、コンサートをめぐる全ての言葉(コンサートの前、コンサート中、そして、コンサート後の議論)、これらすべてが我々のノン‐コンサートが言葉を欠くようになった理由、そして聴衆の側からの言葉に対する強い期待を充分明らかしたと思われる。

II 非‐言語活動=前言語的状態。
言語を考える上で、ヒトの過去に遡り、その初源の状態をイメージするためには、関連諸学の参照も有用であろうが、言語の起源についてどんな説明を与えられても、それが本質的なところで現在も自分のカラダでヴィヴィッドに感じられなければ、自分の言語活動とつながっているという実感が湧かなければ、興ざめな話である。言葉を探していて、なかなか見つからなかったものが、ようやく見つかった時の感覚、その時の充実感とは何に由来する? それは普通自分が成し遂げたことと考えられるが、言葉の方が自分を見つけるという感覚になるときもあるのではないか? そのようなことは時代が進んでも不変であろう。音でも同様のことがあるはず。そうでないならば、人間が言葉を、音を単なる道具として、なにがしかのかたちで有産性に貢献するだけのことになる。でも、その有産性だけではやっていけないのは自明では?
言語との関係で根本的なことは、常に我々にとってアクチュアルな創造の瞬間に達するための、言葉による自己の活性化、乗り越え、そしてそのような言葉の到来のための準備をすること。
同様に、音との関係で根本的なことは、常に我々にとってアクチュアルな創造の瞬間に達するための、音による自己の活性化、乗り越え、そしてそのような音の到来のための準備をすること、等々。
非‐言語活動=前言語的状態は歴史的なものだが、いまも非歴史的なアクチュアルななにかがあるはず。それに結びつくタームは、死、孤独、サイレンス(無音ではない)、深さ、カオス。ある種のヴァイブレーション(血流、空気の流れ)、絶えずやむことのないもの(モーリス・ブランショ〔Maurice Blanchot〕)などである。
意識的な知覚以前に、バックグラウンド・ノイズ、その他の恒常的な音により我々は常に身体的にマッサージされている。それは音の前体験のようなもの。

III 非‐言語活動を言語活動へともたらした想像を越えるエネルギー。
言語活動の創造は社会化、コミュニケーションの必要、そして協同的に生きるため。
と同時に、もちろん様々な弊害を生んだ。使いにくい道具としての言葉。それをいかに道具として意識しないか? 楽器をいかに道具として意識しないか?
コンサートの演奏者と聴衆との対峙構造。
つまるところ主客対立の問題をどうするか、となりがちだが、そうではなく、人も物も差別なく存在するという姿勢をとること。

IV 言語活動の特徴:分ける、形成する、組織する。
言語活動を音の世界に拡げて考えると、言語活動としての音楽がもたらすのは知識の伝達を口実とする制度確立と維持、既得権益の踏襲、商品としての音楽。言葉は必要な改革のための有効な自己批判をもたらすはずが、それが欠けると単なる、なし崩し的世襲制となる。
言語活動の飽和は機能障害、死をもたらす。全てが形式化すると、それはトゥーマッチ。言語活動は非‐言語活動の注射が必要。それは自らを開く、呼吸する、バランスを保つため。
その逆も真なり。非‐言語活動のカオティックさから常に創造性を生み出し続けるのは困難で、むしろ、ルーティン化したエネルギー一発のやっつけ仕事になる恐れが大。そこは言語活動を導入して事態を分析、自己を対象化する戦略が要る。細部への繊細な気配り。

V 人間の言語活動の構造:上部は言語活動、下部は非・言語活動
(追記:いまでは、内と外として考えるべき、だがそれは空間の話ではなくという認識に変わった)
非‐言語活動あっての言語活動であり、言語活動あっての非‐言語活動。補完的。持ちつ持たれつ。

VI デレク・ベイリーによるノン‐イディオマティック
音楽の歴史に見られるイディオマティックなインプロヴィゼーションから自分の即興演奏の行為を区別するためにこの語は厳密な定義なしに用いられ、そのため誤解の種も蒔いた。

VII 音楽を取り巻く現状
ランガージュとしての音楽の優位。ノン‐ランガージュを排除する同定し難い力は第一に音楽の疎外を、第二に人間の疎外をもたらす(それは別に新しいことではない)。
資本主義に基づいた音楽産業とコンサートのシステム、大衆のためのカルチャー。
音楽の身体を欠いた、脳による享受、音楽へのアクセスのさまざまなヴァーチュアルな方法。
それらはあるリアリティーを生み出すが、別のリアリティーを隠蔽する。個々人は何を選択するかで鍛えられる。

VIII 第一世代の即興演奏家たち
演奏行為におけるノン‐ランガージュなエネルギーの重要性を明らかにした(特に変化とスピードに関し)。
しかし、演奏家は一般に、一旦このエネルギー呪縛されるともはやそれから逃れられない。それはマイナス面であるが、プラス面としてはそれまでにない、即興音楽を提案し、したがって新しい音楽の聴き方を提案した。
主として、演奏行為イコール音を出すことの傾向がある。
演奏しながら音を聞く。より体で音を聴く。
サイレンスの追求は音をつかって行なわれた。
主として演奏行為の追求。

IX 対照的な傾向としての、後続のあるいは即興の第二の世代、そしてそれ以降
第一世代から少しづつ進行した音楽的枯渇、倦怠は音楽のラディカルな変化への動機となった。
経済的な要因もあり(不況には気分を高揚させるためのフリージャズ)、
住宅環境によるコンサートにおける制約や従来の演奏行為に対する批判もあり(音響派)、
今や、速度の代わりに、遅さ。
変化の代わりには、無変化、さらには退屈さの探求。
複雑さには単純、簡素さ。
即興演奏で曲のように聞こえる音楽をつくるという最近の志向。
つまり、即興自体よりも音楽という志向。
裏には即興演奏というジャンルがあるという読み。即興が本質的に重要なのではなく。
オーケストラによるインプロの台頭(助成金も取り易し)を見ても同じことが言える。
ノン‐イディオマティック・インプロとイディオマティック・インプロの違いは
イディオムが共有されるか否かにかかっている。
個人的なイディオムへの嫌悪?
即興行為イコール音を作ることではなく、聴くことが音を出すことよりもフォーカスされる。もちろん、二つの間のフィードバックは忘れずに。
聴くことが音を出すことのもとになる。
単に現象としてだけではないサイレンスの導入。
そもそもサイレンスって何ですか?
空間、その他のパラメータへの配慮。なぜそれは必要?
言語活動と非‐言語活動、どちらも飼いならすには様々な、微妙な戦略が必要。
それと同時にその束縛を逃れるには微妙なバランスがいる。近すぎず、遠すぎず。

だが、こうした頭でっかちの傾向分析と対策としての戦略に辟易した地点からしか音は始まらない。

X
我々の戦略は二つの道に跨っている(言語活動と非‐言語活動)。重要なことは、単に音楽を囲む現在のシステムを政治、社会、文化等々の観点から問い質すだけではなく、言語としての音楽の支配の仮面を剥ぐような、ラディカルな音楽をひとりひとりが日常的に試行錯誤することである。音楽がその本質的な力を引き出すのはその非‐言語活動的側面からであり、この力こそ音楽が様々な困難を克服し、それ自体を乗り越えていくことを可能にする。とは言え、言語活動あっての非‐言語活動であるので、後者の原動力を引き出す先のデータとなるのは言語活動としての音楽であることは変わらない。問題はその使い方だ。

これは音楽だけでなく他の分野にも関係する話である。

【訳者後記】

今回の「イディオムとイディオット(語法と愚者)」の翻訳は、仏語版をもとに英語版も参照しながら行なった。最終11章はこの章の執筆者権限で現状に即すべく大幅な加筆・変更を行なった。

村山政二朗 2020年

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