「KING」と一致するもの

 3月29日の晩、代官山ユニットは超満員。オウガ・ユー・アスホールマーク・マグワイヤは初めて対バンした。この鼎談は、ライヴの翌日に収録したもの。
 ミュージシャン同士、それも国が違う者同士が話し合いあうと、面白い発見がある。たとえば、マーク・マッガイアの、オウガの音楽に「ソウル」、つまり、ブラック・ミュージックからの影響を感じたという感想は、いままで日本の音楽メディアで見られなかった。「ノイ!だ」と言うと思っていたのだが、マーク・マグワイヤは「シュギー・オーティスだ」と言った。
 それでは、前口上はこのぐらいにして、どうぞ楽しみを。ちなみに、彼らから最高のプレゼントもある。ライヴのアンコールでの、オウガの「ロープ」にマーク・マグワイヤがギターで参加した当日の動画だ。正直、この演奏を聴いたとき、ele-kingからまた12インチで出したいと思ったほどだったが、彼らは無料で公開しようと言った。なので、いま、みなさんは、この鼎談の最後に、そのブリリアントな演奏を聴くことができます。

オウガ・ユー・アスホール(出戸学、清水隆史、馬渕啓)×マーク・マグワイヤ
司会:野田努=■
通訳:高橋勇人=△


マーク:まだ知ったばかりのバンドだったけれど、一緒にやっても絶対にうまくいくなという確信もりました。一緒にやった曲の音階も好みでしたね。メジャーがきてマイナーがきて……、何という音階かはわからないんですけどね。

出戸:僕たちもわからないです(笑)。

まずは、なぜ今回オウガ・ユー・アスホールの方からマークさんと一緒にやりたいと思ったのかという話しを聞きましょうか。

出戸学(以下、出戸):ホットスタッフの松永くんという僕たちの都内でのライヴの制作をやってくれているひとと、代官山ユニットとの共同で今回の〈””DELAY 2015””〉をやったんです。対バンのツーマンで〈””DELAY””〉という企画をやっていこうと思っていて、それで誰がいいか相談したんですよ。みんなで会議をしていろんな候補が出たときに、「マーク・マグワイヤがいいんじゃないか?」「何とか日本に呼べるかも」ということになったんです。

マーク・マグワイヤ(Mark Mcguire以下、MM):実現してくれて本当に嬉しいです。

清水隆史(以下、清水):音もすごいディレイだし。

MM:ハハハハ。いつもですよね(笑)。

出戸:実際にやってみてどうでしたか?

MM:音も空間もいい会場でしたし、素晴らしいバンドとプレイできて光栄でした。実ははじまるまで少し緊張していたんですよ。ひともたくさん入っていましたからね。アンコールで一緒にオウガ・ユー・アスホールのみなさんとステージに立ったときは、自分の音が大きくなり過ぎないよう、バランスに常に気を使いました。自分ひとりでステージにたつときは、音が全部ミックスされてモニターから聴こえるから音の調性が容易にできます。でも、バンドとなるとその聴こえ方も全然違いますよね。

一緒に“ロープ”をやることはいつ決まったの?

出戸:前日くらいですね。

清水:前々日くらいから一緒にやる?って話がきて、ずっと迷っていたんだよね。

馬渕啓(以下、馬渕):どの曲でやるかということも話してましたね。

俺はたぶん共演するんじゃないかと思っていたけどね。 “ロープ”しかないだろうって。

マークさんはいつ曲を最初に聴いたんですか?

MM:どの今日をやるかはほんの数日前に聞ききました。そのとき僕は大阪のホテルにいて、ギターを弾きながらアイディアを練りました。

マークさんはライヴをやる前にオウガの音楽を聴いたことがあったんですか?

MM:新しいアルバムはまだ聴いていなかったんです。でも最近出た曲を聴かせてもらいましたよ。とても滑らかでサイケデリックなサウンドがとても好きです。まだ知ったばかりのバンドだったけれど、一緒にやっても絶対にうまくいくなという確信もりました。一緒にやった曲の音階も好みでしたね。メジャーがきてマイナーがきて……、何という音階かはわからないんですけどね。

出戸:僕たちもわからないです(笑)。

オウガは自分たちの大きなインスピレーションのひとつにクラウトロックがあって、そこがマークさんと共通するところなのかなと思います。

MM:そうなんですね。たしかに僕にとってもクラウトロックが重要な要素です。とても形式的で衝動的な部分もあり、それなりに技術も必要ですよね。

清水:クラウトロックはずっと聴いていたんですか?

MM:最初にクラウトロックを発見したときはとにかくたくさん聴きました。19歳のときだったと思います。当時に比べたらいまはそこまで聴いてはいませんが、自分自身の重要な核になっています。
きのうオウガのみなさんと話していたんですが、最近はシュギー・オーティスのようなソウルやファンクからもインスピレーションを感じます。

清水:きのうの夜にソウルの話をしたんですよね。

出戸:僕らも黒いのにハマってますからね。

MM:僕がはじめてオウガ・ユー・アスホールを聞いたときにブラックミュージックの要素を感じたんですよ。もちろん、それはひとつの要素に過ぎず、いろんな影響が交ざり合っていて、それらがクリエイティヴなサウンドを織り成しているんだと思います。一緒に“ロープ”を演奏したときには曲や歌から、様々な影響が生み出すダイナミズムを感じましたね。
 きのうも僕がシュギー・オーティスを感じた曲を演奏していたんですが名前が思い出せない……。ギターが印象的でテンポは遅い曲なんですけどね。

清水:なんだろうな“ムダが無いって素晴らしい””かな。

出戸:最近、僕も清水さんからシュギー・オーティスを教えてもらって聴いているんです。

清水:定番というか、再発見系ですよね。

90年代にデヴィッド・バーン発掘したんだよね。オウガはマークさんと一緒にやってみてどうでした?

清水:演奏がすごく丁寧ですよね。

出戸:ギターがすごく上手いと思いました。アンプを使わないでラインで音を出していることにもびっくりしました。そのギターの音色がやっぱり独特なんです。僕らもレコーディングでラインはかなり使いましたけど。

馬渕:ライヴだとやっぱりラインの音は異質感があって面白かったです。

出戸:ラインだけでギターを弾いているひとのライヴって初めてみたかも。

MM:実験的な音楽を演奏するようになってからはずっとラインで弾いていますね。自分はトーンに拘るタイプだったんですが、ラインのトーンに慣れてしまったのでアンプに戻ることはありませんでしたね。それでできたのがいまのスタイルです。

出戸:なるほど(笑)。とても綺麗な音でしたね。

僕もあなたのギターの音が好きです。とくにロングトーンがシンセサイザーみたいに聴こえるんですよね。

MM:ギターと他の音をミックスして出したりもしています。でも基本的にはギターだけでギターだとは思えないような音を作っていますね。よく僕のアルバムを聴いたひとが「あの部分はシンセを使っているんだよね?」って聴いてくるんですが、だいたいはギターだけで作った音なんですよ(笑)。

出戸:映像も自分で作っているんですか?

MM:そうですよ。自分で作った映像と見つけてきた映像を組み合わせて編集しています。映像と音楽を一緒に作るのは映画を作るみたいな感覚です。その異なるふたつの要素がうまく組合わせるのが楽しいんですよ。

出戸:じゃあ映像もバラバラではなくて同期させてセットで流しているんですか?

MM:はい。なので映像の長さに合わせて自分の曲の長さも調性することもあります。きのうもギターを弾きながら後ろをちょくちょく振り返って映像を確認していたんですが、そのためです(笑)。

では映像をコントロールしているひとがいたわけではないんですね?

MM:いません(笑)。映像が決まったときに再生されるようプログラミングをしているので、ちゃんと映像がはじまるのか気を使いますね。

最後の映像がすごかったよね(注:水爆実験や第二次世界大戦の映像、政府を批判するスピーチなどが引用されていた)。オウガは観てたの?

出戸:最後、見てました。

清水:激しい終り方でしたね。

MM:あの映像と曲を作っているとき、歴史的な出来事の裏で政治や宗教がどのように動いていたのかに関心がありました。たくさんのひとびとが様々な形でひとつの瞬間に関わっていたわけですからね。そして、そのなかで多くの考えや憶測が生まれました。あの映像のなかでは9.11は裏で大きな工作があったんじゃないかというスピーチも引用しています。
 ひとびとに学ばれる歴史は戦勝国などの大きな権力をもった者が作り出したものです。僕はアメリカ人でアメリカの教育を受けてきました。だからこそ、アメリカが他の国々にどんな影響を及ぼしたのかとても興味があるんです。2013年に広島の原爆ドームに行って深く感銘を受けました。過去を振り返ることによって明らかに間違いだと思うこともたくさんあり、そういうものを自分で学んでいきたいんです。(日本語で)コノオンガクヲヘイワノタメニ。

一同:おー!

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マーク:僕がはじめてオウガ・ユー・アスホールを聞いたときにブラック・ミュージックの要素を感じたんですよ。もちろん、それはひとつの要素に過ぎず、いろんな影響が交ざり合っていて、それらがクリエイティヴなサウンドを織り成しているんだと思います。

出戸:ギターがすごく上手いと思いました。アンプを使わないでラインで音を出していることにもびっくりしました。そのギターの音色がやっぱり独特なんです。僕らもレコーディングでラインはかなり使いました。

マークさんがはじめて来日したときのライヴはもっとアンビエント・フィーリングが強くて、きのうのライヴとは違う感じだったんだよね。もっとマニュエル・ゴッチング的だったというか。

MM:そのときに比べると、使っている機材にも変化があったので当然サウンドも変わっているでしょうね。サンプラーやドラムマシンなどを使かうようにもなりました。でも、「単に成長しているだけ」という風には捉えられたくはなかったので、またギターだけのスタイルに戻って新しいアイディアを試しつつアンビエント・テイストの曲を作ることはいまでもしますよ。そうやって違ったことにチャレンジしていきたいんです。

清水:マークさんはライヴとアルバムでアレンジを変えていますよね? きのうのライヴでやっていた曲と新しいアルバムに入っていた曲を比べてみても、どの曲が一致しているのかわからなかったりしました。

MM:レコーディングとライヴは別物ですからね。レコーディングは音のパーツのたくさんの層のように積み重ねていますが、ライヴをその単なる再現にはしたくないんです。それに再現してみても決して同じものにはならないでしょう。だから意識的にライヴをレコーディングとは違うものにしようと思っています。

エメラルズもそうだったけどマークさんの以前の作品はわりと自然がテーマだったりしたんだよね。リリースの形体自体も、アナログ盤とカセットテープしかないものもすごく多くて。たとえば『ギター・メディテーションズ』(2008年、〈Wagon〉)というアルバムはカセットでしか出ていないんですよ。それがすごくいい作品なんですけど、いまだにカセットでしか手に入らない。

MM:現代社会の毎日の多忙な生活から抜け出すためにアンビエントや自然は役割を果たしていると思います。たとえばヨガの瞑想にしてみても、現在ではなくて過去の意識を呼び起こすような効果がるので同じことが言えるでしょう。音楽にも自己の存在が消えてしまうような感覚をもたらすことがありますよね。

きのうのライヴは過去のものと比べたら、すごく抽象的な言葉で言うと力強いものを感じたというか。

MM:アグレッシヴな曲も最近は作っているんですが、さっきも言ったようにアンビエントな要素とのバランスも考えたうえで実験的な試みをやっています。ライヴに来てくれたお客さんにとってもそっちの方が変化があって面白いでしょうからね。

きのうみたいにライヴを一緒にやって、最後にギターを一緒に弾くことはアメリカではよくあるんですか?

MM:そんなに頻繁にあることじゃないですね。僕は基本的にいつもひとりでライヴをやるので、自分が演奏しているときに誰かがステージに入ってくるのは嫌なときもあります(笑)。

下村A&R: マークはアフガン・ウィッグスと共演しましたよね。

MM:そうですね。彼らのアルバムに参加していくつかライヴもやりました。フル・バンドで演奏したことはかなりためになりましたね。昨晩、オウガのステージに立てたことも同じです。素晴らしいエネルギーを感じることができました。曲を聴いているときの感覚と、実際に演奏してみる感覚とではやはり大きく異なるんですね。

清水:オウガもライヴで誰かと一緒に演奏するのは初めてだったんじゃないかな。メルツバウとやらせて頂きましたが、楽器を使ったセッションとは少し違ったし。

マークさんはメルツバウを知ってますか? オウガはいままでメルツバウとしか共演したことがないんですよ。

MM:はい、もちろん! ハハハハ。それはすごいですね。きのうは彼と同じくらいラウドにはプレイできませんでした(笑)。

清水:マークさんは共演することにむしろ慣れていると思っていました。

出戸:リハーサルのときの方がもっとアグレッシヴに弾いていたんですよ。本番のときは抑えていたんじゃないかな。

MM:本番は緊張しちゃったんです。リハーサル、すごく楽しかったですよね(笑)。リハーサルをするまでは、プレイヤーで曲を聴きながらしか練習をしていなかったので、僕のプレイを評価してくれたのはすごく嬉しいです。

音源を出してほしいですね。オウガは日本のなかですごく特殊というか、ある意味では孤立しているというか。

清水:そうですか(笑)。

アメリカのインディ・シーンにはエクスペリメンタルな音楽をやるひとやレーベルもたくさんあります。

MM:アメリカのシーンでも僕はある意味ではオウガと同じ状況にいますよ。僕のサウンドはエクスペリメンタル・シーンに完全に合うものでもないし、インディ・ロックに当てはまるものでもありません。どこに自分はいるべきなんだろうと居場所を探している感じがするんです。オウガの音はとてもユニークで様々な音楽の影響を隠さずに表現しているので、僕と同じようにどこにもフィットしないんでしょうね。
 アメリカのリスナーには自分が聴いている音楽をカテゴライズしたがる傾向が少なからずあって、未知なる音楽に出会ったときに「これは面白い曲だ!」ではなく「これは何ていう音楽なんだろう?」と反応するひとが多いんです。ジャンルが交ざり合うことを嫌うひともいますからね。それに対して日本のリスナーは音に対して心が広くて、「ジャンルで分ける」聴き方をしないひとが多いような気がしました。

清水:なるほど。ジャンルにこだわってはいないよね?

馬渕:わかりやすくジャンルが別れているロックって日本にあるのかな?

出戸:ヴィジュアル系くらいじゃないかな。

ガレージ・ロックとかポスト・ロックとかね。

MM:アシッド・マザーズ・テンプルを聴いてみても、やっぱりジャンル分けするのは不可能ですもんね。でもそれがいいところだと思うんです。

出戸:そうかもしれないけど、日本では逆にシーンが見えにくいということがありますよね。

清水:世界的な目で見たら、日本自体が全体的にサブカルチャーっぽいもんね。

MM:少し前のバンドですが、ファー・イースト・ファミリー・バンドは「ジャパニーズ・サイケデリック」というシーンを象徴するような存在です。そういうひとたちもいるにはいるんですけどね。

柴崎A&R:アメリカではジュリアン・コープが書いた『ジャップロックサンプラー』がすごく影響力が強いんですよ。

MM:僕も読みましたよ。

日本のなかで有名な日本のバンドと、海外で有名な日本のバンドって違うんだよね。

柴崎A&R:いわゆる、はっぴいえんど史観がないですからね。

もっと言うと、はっぴいえんどは海外ではあまり知られていないからね。

MM:細野晴臣はYMOのメンバーなので聴きましたが、はっぴいえんどのことはあまり知りません。日本の音楽の独自性みたいなものはYMOにも表れていると思いますね。海外の音楽を単なるコピーではなく、自分たちのオリジナリティを持ったミュージシャンもしっかりといるということです。そういうひとは海外で影響力をいまでも持っているんですよ。YMOもそうですがアメリカのシーンにはボアダムスみたいになりたいひとも多いです。多過ぎるくらいですね(笑)。

出戸:逆にいまの日本ではYMOのフォロワーはそんなにいないですよね。

清水:たしかに。はっぴいえんどは多いけどね。

今度はマークさんを長野に呼んだ方がいいんじゃない? 東京から車で2時間くらいかかるけど、自然がすごく綺麗な場所らしいですよ。

清水:出戸くんなんか標高1300メートルのところに住んでるんですよ。

出戸:家の前で鹿が寝てますからね。

すごいね(笑)。彼らはそこにスタジオを持っているんですよ。

MM:素晴らしいところですね! 是非行ってみたいです。

ジム・オルークさんも彼のスタジオによく行くみたいですよ。マークさんはジムさんと仲がいいんですよね。

MM:初めて日本に来たときにジムさんとは知り合ったんですよ。

出戸:ジムさんは新宿の飲み屋で会ったって言ってましたね。

MM:そうなんですよ。ピス・アレイ(ションベン横町)で会いました(笑)。

清水:英語でピス・アレイって言うんですね(笑)。汚くて治安が悪そうな名前ですね(笑)。

出戸:マークさんとジムさんが出会った飲み屋には僕らもたまに行きます。

MM:そうなんですか! 食べ物も美味しくて素晴らしいお店ですよね。

絶対に長野に呼んだ方がいいよ。

出戸:じゃあ次は呼びますね。

そこでセッションして曲をつくるとかね。

MM:実現したら最高ですね。(日本語で)ソンケイシマス。

今回、マークさんは大阪と新潟までギターを持ってひとりで行って、新潟から東京に戻って来たんですよね。

MM:はい。

清水:すごいな。よくわかりましたね。

MM:日本語が読めるわけではないんです。初めて来日したときにひとりで地下鉄に乗ったんですが、パソコンで事前に調べたり標識に書いてある言葉を携帯で調べたりして頑張りましたね(笑)。日本は標識がたくさんあるから比較的親切ですよ。

日本に住んでいてもたまに標識に迷うことがあるけどな(笑)。

清水:すごくマジメですね。

オウガにピッタリなアメリカのレーベルって何だと思いますか?

MM:良いレーベルはたくさんありますからね。うーん。自分は多くのレーベルに関わっているわけではないですが、〈ドラッグ・シティ〉なんかはやっぱり合っているんじゃないでしょうか? あのレーベルにはかなり幅広いスタイルのミュージシャンが所属していて、しっかりとサポートもしてくれます。ミュージシャンがどのような路線に進んだとしてもそれをしっかりと受け入れてくれるのは素晴らしいですよね。ジム・オルークも〈ドラッグ・シティ〉のことを評価していましたね。ジムさんはいろんな経験をしているから、やっぱり彼の意見は参考になりますね。僕も大きいレーベルと仕事をしたことがありますが、やっぱり小さいインディペンデント・レーベルの方が柔軟に対応してくれるんです。

清水:しかし……そもそもオウガ・ユー・アスホールって名前ですからね(笑)。

MM:名前の由来がすごく気になっていたところです(笑)。

それってUSのインディバンドからきてるんだよね?

出戸:前のドラマーが高校生のときに来日したモデスト・マウスのライヴに行ったんですよ。そのときに腕に「オウガ・ユー・アスホール」ってサインをもらって、それがバンド名の由来なんですよ。ちょうどそのときが自分たちのライヴの直前だったんですけど、名前を付けてなくて「あのサインでいいんじゃない?」ってなってから10年以上ずっと同じ名前です(笑)。

MM:すごいエピソードですね。とても目立つ名前だなと思っていました(笑)。初めて名前を見たときには「一体どんなサウンドなんだろう?」と想像力をかき立てられたのを覚えています。「オウガ」(「鬼」の意味)という言葉からラウドな演奏をするバンドなのかなとか思っていました(笑)。

清水:よく「パンク・バンドなの?」とか言われるんですよね。

今回の来日でレコードは買いましたか? 普段からよくレコードを買うそうですね。

MM:今回はレコード屋さんに行けていないんですよ。僕のレコードコレクションはいまのところ2、3000枚くらいですかね。初めて日本に来たときはJポップをとてもたくさん買いました。1枚200円くらいで買えるのに驚きましたね。一緒に行ったひとからは「そんなのお金のムダだよ!」って言われましたが(笑)。YMOや各メンバーの作品もけっこう買いました。日本以外のものでも安く売っているのは助かります。アメリカでは西海岸に住んでいたころはいつもレコードを買っていました。ですが引越をしたときにあまりにも荷物が多くなることに気付いて、最近は前に比べたらあまり買っていないんですよ(笑)。いまは故郷のクリーヴランドに住んでいます。

クリーヴランドは北東部なので西海岸とは全然違いますよね?

MM:大違いですね。かなり冬は寒いです。あとパンクの精神を持って、髭を生やしてに革ジャンを着たひとが多いと思います。ノイズ・ミュージックのシーンもあったりするんですよ。湖に面した地方都市で物価が安いのも特徴です。そして何より自分が生まれ育った場所なのでとても落ち着きます。あまりこういう街はアメリカにないので、この街の人間であることを誇りに思っているひとは多いですね。

出戸:長野も似たところがありますね。冬も寒いし、デカい湖もあるし(笑)。でもパンクとノイズのシーンはないですね(笑)。ヒッピーとかもいるんですけど、あんまり接触はしないです。

MM:西海岸に居た頃はポートランドやロサンゼルスによく行ってたくさんのヒッピーに会いましたけど、クリーヴランドにはそんなにいませんね。

そういえば最近マークさんには赤ちゃんができたんですよね?

MM:そうなんですよ。だからクリーヴランドに戻ったんですよね。この子です(携帯の写真を見せる)。

かわいいですね! いま何歳なんですか?

MM:いま生後6週間なんですよ。だから早く帰ってあげないといけませんね(笑)。

馬渕:昨日もその写真見せてもらったんですよ。でも生後6ヶ月だと思っていました。

MM:ブランニュー(超新しい)ですよ(笑)。面倒を見なきゃいけないので、ツアーの期間もいつもより短いんです。このツアーの間に奥さんから子供の動画が送られてきたんですが、離れてまだ5日しか経っていないのにすごく成長しているように感じました。

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マーク:とても目立つ名前だなと思っていました(笑)。初めて名前を見たときには「一体どんなサウンドなんだろう?」と想像力をかき立てられたのを覚えています。「オウガ」(「鬼」の意味)という言葉からラウドな演奏をするバンドなのかなとか思っていました(笑)。

清水:よく「パンク・バンドなの?」とか言われるんですよね。

エメラルズは解散してしまいましたが、マークさんはまたバンドをやらないんですか?

MM:ご存知かもしれませんが、エメラルズは昔からの友だちと自然な流れで結成したバンドでした。だからバンドが終ってしまったのも自然なことだったのかもしれません。もうエメラルズとして演奏することはないと思うと残念な気持ちにもなることもありました。バンドでも活動はやはりソロとは全く違うものなので、再びバンドをはじめてみたい気持ちもあります。バンドが解散してからいろいろと試してはいるんですが、まだまだバンドの「ケミストリー」を探している途中ですね。ちなみに、オウガのみなさんはバンドをはじめる前から知り合いだったんですか?

清水:馬渕くんと出戸くんが高校の同級生で、勝浦くんと自分が大学の先輩・後輩って感じですね。

そこはエメラルズみたいだね。

MM:音楽をはじめる前の関係ってやっぱり大事なんですね。エメラルズが解散した理由のひとつには、メンバーと友だちのままでいたいっていうのがあったんです。バンドを組んでいると、どうしても関係がぎくしゃくしてしまうこともありますからね。いまはそれで良かったと思います。仲の良い友だちと音楽や音楽ビジネスについて話せるんですからね。オウガはもう10年以上バンドを続けてきたわけですが、バンドを存続させるためのアドバイスみたいなものはありますか?

出戸:うーん、なんだろうな。あんまり会いすぎないとかかな。

ハハハハ。

出戸:バンドでたくさん会っていますからね。

清水:そうかな(笑)? 割と一緒にいる方だと思うけどね。みんなで暮らしてはいないけどね(笑)。

MM:わかります。ツアーとかではいつも同じ場所にいることになりますから、一緒に住む必要はないし、「どっかいけよ!」って言いたくなるときもありますよね(笑)。

出戸:あとバンドってマンネリ化してくるとダメになる感じもするから、メンバー間で刺激を与え合うような関係を心がけていますね。

MM:なおかつインスピレーションやアイディアを共有できる関係ですよね。

出戸:マークさんはいまもひとりでレコーディングをしているんですか?

MM:そうですね。毎日自宅で録音していますよ。楽器も全部自分で演奏しますね。

出戸:バンドだと刺激し合えて自分が考えてもないことができるわけじゃないですか?  でもひとりでやっているとそこには限界があるというか、自分から出てきたものしかないですよね。

MM:たしかにそうですよね。ギター以外の楽器を弾いてもそこから生まれてくるメロディーやリズムが自分っぽいなと思うことがあります。でも他人と演奏すると想像もつかないような展開を見せることがあります。

その「制限」はあなたにとってネガティヴなものなのでしょうか?

MM:必ずしもそうであるとは限りません。バンドでしかできないことがあるということは、ひとりでしかできないことも同時にあるということですよね? バンドとソロって全く違うフォーマットのものです。エメラルズのメンバーたちはバンド以外のところで次の段階に進みたいと思っていました。いまの僕がやりたいのはソロの可能性をとことん追求することなんです。

出戸:ひとりでやっているとどこがOKなのかわからなくなりそうだけど、自分の作っている曲が完成したとどのように確信が持てるんですか?

MM:自分がやっていることを客観的に見るのってひとりではすごく難しいです。だからアドバイスをくれるひとが近くにいることってすごく重要ですよね。
 僕の場合はひとりで曲を作っていると、そこから次の曲のアイディアが生まれてきたりするんですが、それを繰り返している気がします。(アイフォンの作曲中リストを見せながら)いまも何十曲を同時並行で作っている状態なんですよね(笑)。うーん、曲を完成したと判断するのは難しいです。とにかくできることをやりつくすのみですね。

そこはオウガと反対だね。オウガの場合は終わりはどうやって決めるの?

出戸:レコーディングの期間がだいたいきまっているから、そのなかで出たアイディアを使うんですよ。

馬渕:時間があったらあったでいっぱい作り過ぎちゃうんですよ。

MM:ちゃんと締切を作ると目の前のことに集中できますもんね。締切がなかったらなかったで、ガンズの『チャイニーズ・デモクラシー』みたいに自由になりすぎてヒドい作品ができることだってありますからね(笑)(このアルバムは制作に約14年をかけている)。

清水:また来日する予定はあるんですか?

MM:戻って来たいです。山田さん(プロモーター氏)のような日本での父親もいますからね(笑)。考えてみればこれで4回目の来日になるんですね。日本はもうすっかり僕のお気に入りの場所です。

次はオウガが長野に呼んでください。

山田:初来日のときに野田さんがオウガを勧めてくださったんですよね。

誰もが思うことだろうけど、オウガとマークさんは絶対に合うと思っていたんですよ。

清水:今回の対バンにはそんなに長く時間がかかっていたんですか(笑)。

本当に実現するとは思わなかったよ。

出戸:本当に一緒にできてよかったです。

マークさんから最後に何かありますか?

MM:昨日は同じステージに立てたし、こうして対談もすることができてとても嬉しいです。貴重な体験ができてリフレッシュすることができました。ソンケイシテイマス。





マーク・マグワイア、最新作情報。

Mark McGuire
Noctilucence

Dead Oceans/インパートメント

Amazon

 テクノ専門学校、ドローン大学、スパイス部にレコ部――世に学府、部活はあまたあれど、『映像夜間中学』ほど、習熟度のいかんを問わず、あまねくひとびとに門戸の開かれた学舎はふたつとございません。特殊漫画家であるとともに学長である根本敬秘蔵の映像とディープなトピックでつづる語りの場はマンガ以上にマンガな不条理あふれるこの世の仕組みをあらわに。観るだけではなく、聞くだけともちがうこの至高のイヴェントが、15年め突入を記念し、ふだん根城にする渋谷〈UPLINK〉を飛び出し、この黄金週間、あなたの街にやって来る!
 五月病はおろか中2病にも効果覿面! 映像夜間中学、今晩より開校です!!

■学長の言葉
 “この世”の存在は根本(こんぽん)的に下らなくてフザケたものだ。そこを大大大前提とし、その認識から出発した上で人は真面目に生きるべきだろう。ようするにマジメな事を只、無自覚にマジメなままやってマヌケの魔力に足下掬われるのではなく、フザケた事を真面目にやり通す者たれという事。その辺の事を一見バカバカしく思える映像を見ながら体験して頂ければ幸、ってな『場』でありたや。

■DAY1:京都“メトロ大學”校
5月1日(金)18:30開場 / 19:00開演
会場:クラブメトロ|CLUB METRO
Tel. 075-752-4765 / https://www.metro.ne.jp/
料金:¥2,500(+1ドリンク¥500別途)

■DAY2:福岡校
5月2日(土)18:30開場 / 19:00開演
会場:アートスペース・テトラ|art space tetra
Tel. 092-262-6560 / https://www.as-tetra.info/
料金:¥2,500(+1ドリンク¥500別途)
※翌日の5月3日(日)にはDJ根本敬出演のライヴ・イヴェントあり。

■DAY3:広島校
5月4日(月祝)
会場:音楽喫茶 ヲルガン座
Tel. 082-295-1553 / https://www.organ-za.com/
【夜の部】19:00開場 / 19:30開演
料金:¥2,500(+1ドリンク¥500別途)
【昼の部】14:30開場 / 15:00開演
※夜の部にご参加の方のみお申し込み頂ける“根本敬入門編” です

■DAY4:大阪校
5月5日(火祝)20:00開場 / 20:20開演
会場:シネ・ヌーヴォ|Ciné Nouveau
Tel. 06-6582-1416 / https://www.cinenouveau.com/
料金:¥2,500(+1ドリンク¥500別途)

■DAY5:名古屋校
5月6日(水祝)18:30開場 / 19:00開演
会場:パルル|parlwr
Tel. 052-262-3629(当日のみ対応)/ https://www.parlwr.net/
料金:¥2,500(+1ドリンク¥500別途)

詳細は以下よりご確認ください
https://www.uplink.co.jp/news/2015/36798


HEADZ 20th Anniversary Party - ele-king

 ここ最近も、空間現代やgoat、あるいはMoe and ghostsなど、むちゃくちゃ刺激的でユニークな作品をリリースしている、佐々木敦主宰のHEADZが今年で20周年を迎えます。GWの真っ直中5/2と5/3の2DAYS、レーベルは渋谷で20周年を記念にしてのイベントを開催します。
 これだけのメンツが揃うことは滅多にないでしょう。ぜひ、日本の音楽シーンのカッティングな局面を体験してください!

HEADZ 20th Anniversary Party
“HEADZ 2015-1995=20!!!”

日時:2015年5月2日(土)、5月3日(日)
会場:渋谷TSUTAYA O-nest

開場:16:30 / 開演:17:00
料金:2,500円+1 D(当日のみ)


UNKNOWNMIX DAY(5月2日)

伊東篤宏(Optrum)
豊田道倫
core of bells
空間現代 × Moe and ghosts
goat
ju sei
MARK
コルネリ
suzukiiiiiiiiii × youpy


WEATHER DAY(5月3日)

三浦康嗣 & 蓮沼執太
木下美紗都と象さんズ
detune.
Jimanica
minamo(杉本佳一 + 安永哲郎)
ASUNA
よだまりえ
毛玉
SUBMARINE


問い合わせ:HEADZ(TEL. 03-3770-5721 / https://www.faderbyheadz.com

80年代後半より、映画、音楽、芸術、近年では文芸、演劇とジャンルを横断し、精力的な活動を続ける批評家の佐々木敦が主宰するHEADZが今年で発足20周年を迎えます。

カッティング・エッジな音楽雑誌『FADER』、ジャンルレスな濃縮雑誌『エクス・ポ』他の編集・発行、トータス、ジム・オルーク、オヴァル、カールステン・ニコライ他の海外ミュージシャンの招聘(来日公演の企画・主催)、UNKNOWNMIXやWEATHERといった音楽レーベル業務、飴屋法水の演劇公演の企画・制作等(ままごと『わが星』のDVD他、演劇やダンス・パフォーマンスの作品を発表するplayレーベルもスタート)、HEADZはこの20年、多岐な活動を続けて来ています。

このアニヴァーサリー・イヤーを記念したイベントをゴールデンウイークに行います。
5月2日(土)は佐々木がHEADZ発足以前よりスタートさせていたレーベル、UNKNOWNMIX所縁の音楽家が、5月3日(日)は2000年よりスタートし、こちらも15年以上の歴史となったWEATHERレーベル所縁の音楽家が出演致します。

「空間現代 × Moe and ghosts 」や「三浦康嗣(□□□) & 蓮沼執太」のような、この日限りの貴重なコラボレーションも含む、HEADZが紹介して来たさまざまな刺激的な音楽をぐっと凝縮して体感出来る、この二日間の公演に是非お越し下さい。

MUST COME !!


Adrian Sherwood - ele-king

 時計は19時30分頃を指していた。ダビーでインダストリアルなビートをBGMに、たくさんのひとが地上階からフロアへと伸びる階段にたむろしている。この日最初に目にした光景だ。当日券がソールド・アウトになってしまったのは、自分が会場に着いてからものの5分後の出来事だったらしい。エイドリアン・シャーウッドと関係を築いてきたリスナーたちはこんなにも多いのである。

 おそらく、その各々に独自のシャーウッドへのアクセス経路があったにちがいない。ミキシングのスペシャリストである彼が関わってきた作品はあまりにも多く、その影響はあまりにも大きい。ダブ好きが通る道でもあれば、インディ史にクレジットされた人物でもある。階段に居座る様々な世代のレイヤーがそれを体現しているのだろうか、と考えているうちににせんねんもんだいのライヴがはじまっていた。

 バンドの演奏をシャーウッドが生でミックスするというセットだったのだが、ステージ上にシャーウッド本人の姿はなく彼はフロアの後方で黙々と作業を行っていた。両者が向かい合う立ち位置で真剣勝負さながらの空気のなか、あたかもピッチャーとバッターの関係のようにドラムが放つ変化球的スネアを強烈なディレイで客席に打ち返し、ギターの放つマシンガンのような金属音をリヴァーブで加工していく。エンジニアとしてシャーウッドが演奏に展開をつける演出家的な立ち位置にまわることもあれば、彼自らが音を操り前に出ていき第四のメンバーのように立ち振舞う局面も。ライヴ前の短い日程で行われたレコーディング・セッションにおいてシャーウッドはバンドの音を深く理解したようだ。先月シャックルトンとの共演も経験したにせんねんもんだいは一体どのような作品を彼とスタジオで作り上げたのだろう。

 バンドとの「セッション」を終えて、ふたたびシャーウッドがステージに戻ってくると「マルチ・トラック最新セット」と銘打たれたこの日最後のステージが始まった。手元にある膨大な数のノブとSEパッドを叩きながら、ガラージよりのダブステップからダブへジャングルへとセットは展開していく。
 
「最新セット」を耳にしていたはずなのだが、シャーウッドの魅力は過去に焦点を当て続けることのなのだろうかという考えが頭をよぎった。数ある彼のリリースのなかで自分が初めてリアルタイムで手に取ったものは2006年の『ビカミング・ア・クリシェ』(〈 Real World Records〉)なのだが、ダブステップが全盛期を迎えていたUKから届いたそのアルバムのなかで一番輝いているのはジャングルだ。その曲“ピース・オブ・ジ・アース”はコンゴ・ナッティのリズムにリトル・ロイのヴォーカルという文句のつけどころのない曲なのだが、随所にちりばめられている鼓膜が干上がるようなダブ・エフェクトなしではそこに科学反応は生じえない。表現しつくされたかに見えたジャンルを自身のミキシングを通すことによって、シーンの先端でも戦える武器に変換してしまう手腕がシャーウッドにはある。

 この日のセットで彼はピンチとの共作“ディファレント・アイズ”や“プリシンクト・オブ・サウンド”もプレイした。今年リリースされた『レイト・ナイト・エンドレス』に収録されたナンバーなのだが、ゼロ年代中期の古典的なダブステップのスタイルを踏襲したものでいわゆる「新しさ」はない。けれども計算し尽くされた緻密なリズムと音響エフェクトを通過した音を聴いていると、曲が未来から語りかけてくるようにも聴こえてくる。常にブラン・ニューであることを強要するのではなく、シーンにあり続けるものを真に理解することの重要性を説く音楽がそこにはあった。

 肝心なベースについて語るのを忘れていたようだ。ステージ下に設置されたサブ・ウーファーはとてつもない鳴りをしていた。会場の外に出たとき、これでもかというほど空気は澄み渡っていたほどだ。

V.A.
Sherwood At The Controls Volume 1: 1979-1984On-U Sound / Beat Records

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Sherwood & Pinch
Late Night EndlessOn-U Sound / Tectonic / Beat Records

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からだとこころの環境 - ele-king

蜜と富だけを求め
自分の健康に気を配らないヤツは消え失せろ
ジュニア・バイルズ“フェイド・アウェイ”

 だいたい音楽というのは、健康など顧みないどころか身体に悪いことをさんざんやってきてはしかもその素晴らしい成果を残しているほどの文化なので、健康の問題となったとき、医者から酒は身体に悪いと言われても、どちらかと言えば、呑まずにやってられっかばーろーという立場を支持してきたと言えるだろう。若さ故の暴走だ。ハラが減ったら、コンビニでパンでも買って胃に流し込めばいいだろう。
 たしかに若いうちは暴走しても無理が利くのだが、当然、人間の保証期間と言われる40歳を過ぎたあたりから、現実的な支障が出てくる。しかも医療費というのがこれまた金銭的にもバカにならない。それどころか、村上春樹も言うように、身体な調子はその行為において、とくに内面が関わるときは影響が出てくる。現実の試練のなかで、心が折れそうになったとき、実際に折れてしまうと、これまた現実もますますたいへんなことになってしまうものだ。
 さらにまた、健康問題は社会問題でもある。たとえば、昔は花粉症などなかった。しかし、高度経済成長期の日本政府が、林業の効率化をはかるため、本来あった広葉樹を切り、産業的に効率のいい針葉樹を大量に植えたために起きるようになった現代のアレルギー病だ。当たり前だが、昔は花粉症はなかったし、ほとんどの欧米にもない。

 ある意味、健康の問題は、大きな問題でありながら、これまでいろいろな主題を扱っていた音楽においては、なかば避けられていたことのひとつだろう。

 伊達伯欣(だてともよし)は、いかがわしい魔術師ではなく、ふだんは西洋医学の臨床の現場で働いている医師だ。現代的な医療の現場から医学と音楽を考えるという、珍しい医師であることは間違いない。電気も通らない山小屋で暮らしていた人ではなく、若い頃はジェフ・ミルズで踊っていたほどの人で、現在も都内の大学病院に勤めている。
 そういう人が、アンビエント・ミュージシャンとして国際舞台でも活躍して、そして、医師としては、じょじょに漢方医学の効果に目覚めていったことは、とくに90年代からele-kingを読んでいるような、ある世代以上の方々には興味深いのではないだろうか。
 というか、ele-kingではすっかりお馴染みの伊達伯欣だ。イルハ(Review)、オピトープ、最近では、坂本龍一とテイラー・デュプリーとの共作……中途半端にはなっているが、連載中のコラムもある。

 信じられない話だが、彼の個人医院であるつよくさ医院の待合室では、アンビエント・ミュージックが流れている。
 それって不謹慎なことだろうか。
 病院の待合室は、つねに無音か、さもなければNHKのニュースが流れていればいいのだろうか……という慣習化された病院の日常に対して、人に平穏さをもたらす目的で作られたアンビエント・ミュージックをここで流さなくてどうするとでも言いたげに、実際に、それまでの人生でアンビエント・ミュージックとはまったく関わりのなかった中年女性がその作品名をメモしたりとか、明らかにリアクションがある。

 伊達は、このように自分が音楽で得たことを臨床の現場で活かしているわけだが、そもそも音楽文化に身を置く医師が書いた医療書というのは、世界的にも珍しいのではないだろうか。

 彼の『からだとこころの環境』は、健康というものの考え方を西洋医学と東洋医学との見地から検証しつつ、同時に社会問題とも照らし合わせながら、よりよい医療を考察し、実践するための本だ。西洋医学の対処療法の長所短所を解説する。「1日30品目」や「牛乳は身体に良い」などという常識の間違いを指摘しながら、よりより食事法の指南もある。ストレスや「怒り」の問題にもけっこうなページを割いている。
 「からだ」「こころ」「環境」についての章があり、そして、巻末には彼のお勧めのアンビエント・ミュージックの作品の解説もあるという、かなり画期的な本になった。
 40歳を過ぎた人、ないしは女性、自分の健康生活を反省したい人には、とくに読んで欲しい。

伊達伯欣
からだとこころの環境 ――漢方と西洋医学の選び方
特典がつくお店があります!

著者制作&選曲のアンビエント音源スペシャルコンパイルCD-Rを、一部レコード店・書店様にてお買い上げのお客様に頒布中!

お取り扱い店舗
◾︎タワーレコード
仙台パルコ店、京都店、吉祥寺店、名古屋近鉄パッセ店、福岡パルコ店、神戸店、梅田大阪マルビル店、金沢フォーラス店、札幌PIVOT店、新宿店7F、難波店、渋谷店2FBOOKS
上田店、梅田NU茶屋町店6F、静岡店、アミュプラザ博多店、横浜ビブレ店、池袋店

◾︎ディスクユニオン
通販サイト、お茶の水駅前店、神保町店、新宿本館、下北沢店、吉祥寺店、町田店、横浜関内店、津田沼店、千葉店、柏店、北浦和店、大宮店、池袋店、渋谷店、横浜西口店、中野店、立川店、BIBLIOPHILIC & bookunion新宿

◾︎代官山 蔦屋書店

◾︎STANDARD BOOKSTORE 心斎橋店

お取り扱いのお店につきましては、各社各店舗さまへご確認下さいませ。


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HOLY (NO MORE DREAM) - ele-king

~HR/HM COVER TUNE 10選~

Young Fathers - ele-king

 素晴らしい最新作を出したばかりのスコットランド、エジンバラの3人組、ヤング・ファーザーズ。紙ele-king vol.16でも大フィーチャーされています。
 『ホワイトメン・アー・ブラックメン・トゥー』は、サウンド的にも、クラウトロックがモータウンをカヴァーしたような面白さがありつつも、やはりなんといっても(ジャム・シティの新作にも言えることだが)時代描写がみごとだ。なので、歌詞対訳のある日本盤がお勧めなのですが、カセットテープが欲しい方がいたら差し上げます。1本だけなので、2人以上いたら抽選です。

■ご応募方法
・件名を「ヤング・ファーザーズ カセットプレゼント応募」として、info@ele-king.net までご応募ください。(Eメールのみの受付となります)
・本文には「郵便番号/ご住所/お名前/最近よく聴いているアルバム1枚」をお書きください。(※商品を受け取れるご住所をご記載ください)
・商品の発送をもって抽選結果の発表にかえさせていただきます。
・締め切りは、4月27日まで。

※ご応募メールは抽選後破棄させていただき、個人情報につきましても本件以外の目的に使用させていただくことはございません。

interview with East India Youth - ele-king


East India Youth
Culture Of Volume

Indie PopElectronic

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 ファースト・アルバムのジャケットには、人肌の表現としてはいささか大胆な色づかいの、抽象的な自画像が用いられていた。『トータル・ストライフ・フォーエヴァー(Total Strife Forever)』と名づけられたその作品は、タイトルやアートワークにたがわず混沌とした印象のサウンドだったが、人気もメディアによる評価も高く、同年の英マーキュリー・プライズにノミネート。彼自身、その後はロンドンという舞台を同じくして活躍するファクトリー・フロアとのツアーを行ったり、ジーズ・ニュー・ピューリタンズのサポート・アクトを務めるなど、目ざましい──そして自身にとってもかけがえがないと述べる体験や活動を経てきた。
 イースト・インディア・ユースことウィリアム・ドイル。彼は特定ジャンルにおけるフロンティアの掘削者というよりも、英ポップ・シーンの表舞台でマイペースに自己探求をつづける、みずみずしいプロデューサーである。エレクトロニックな方法を用い、実際にテクノ、インダストリアル、エレクトロ・ポップ、あるいはジェイムス・ブレイクなどと比較されて語られるのを目にするが、大仰にそうしたジャンル名をかぶせるよりは、たとえば“エンド・リザルト”などがそうであるように、レディオヘッドが、キーンが、ザ・スポットライト・キッドが、つまりは英国ロックのある傍系の遺伝子が現在という空気と時間のフィルターをかぶって表出したものだと言うほうがしっくりくるだろう。しかしもちろん、さまざまに比較を受けているエレクトロニック/ダンス・ミュージック的な要素・傾向もまた、アンダーグラウンドの成果やトレンドの渦を反射するようにEIYの音楽を豊かにしている。

 そうした充実の中でかたちを成したこのセカンド・アルバムにはふたたび自画像があしらわれた。今回はより写真的なかたちで自身を映し出しているのが興味深い。それはこのインタヴューのなかでも述べられているように、「プロデューサー気質を発揮するよりも、自分がラップトップの前に出たかった」という気持ちをいくばくか象徴するものなのかもしれない。その意味で、多様性はそのままに、しかし格段に整理され、ポップ・パフォーマンスという方向性を得た音は、前作に比較してもすばらしく表現の威力を増している。

ちなみに、これまた以下に回想されているのだが、ファクトリー・フロアとのツアーの興奮や影響は冒頭の“ザ・ジャダリング(The Juddering)”に思いきり顕著で、微笑ましい。

■East India Youth / イースト・インディア・ユース
現在はロンドンを活動の拠点とする、ウィリアム・ドイルによるソロ・プロジェクト。デビュー作『トータル・ストライフ・フォーエヴァー』が高い評価を受け、FKAツイッグスやボンベイ・バイシクル・クラブとともに2014年度のマーキュリー・プライズにノミネートされた。第10回Hostess Club Weekenderで初来日、本作はその後初にして2枚めのフル・アルバムとなる。

昔のコンピュータにもかかわらず、そんなにレトロな感じがしなくて、どちらかというといまっぽいものになっているんじゃないかと思って

今作も自画像がジャケットのアートワークに用いられていますね。しかしいくらか抽象度が下がりました。これは前作と今作の音における表現の差でもあるでしょうか?

ドイル:たしかに今作は、音としても以前よりカラフルで、それがアートワークに反映されているかもしれないな……。これは80年代のアミーバ(Amoeba)というコンピュータを使ってつくったものなんです。もっとピクセルが粗くって、それによってローファイなアートになっているんだけれど、それをキャプチャー画像として使用していて。おもしろいのは、昔のコンピュータにもかかわらず、そんなにレトロな感じがしなくて、どちらかというといまっぽいものになっているんじゃないかと思って……そのへんが今回のアートワークとしておもしろいところかなと思いますね。

あなたがプロジェクトを始めた当時は2012年ということですね。今作までで機材環境にはどのような変化があったのでしょうか。可能でしたらどのようなものを用いていらっしゃるのかということもふくめて教えてください。

ドイル:メインの機材はラップトップなんだけど、すべてはそこからはじまっていて、ソフトウェアをたくさんつかっているけど、ハードウエアはそんなに使用してないんです。それはライヴでもいっしょで、最近、ベース・ギターはライヴでも楽曲制作のときでもよく使うようにしているんですけど、それ以外はツールも少なくて。どちらかというと個人的にはソフトウェアに興味があるんだけど、プロデューサーやエンジニアさんというのはやっぱりハードに関心のある人が多いんですよね。だからヴィンテージな機材を掘り出して使う人も多いと思います。
僕の場合はソフトの中からいろんな音を出すというのが好きで、そうやって遊んでいますよ。もともとは、前にいたバンドではアコギをメインとして弾いていたし、10歳のころからすでに自分のメインの楽器はギターだったんです。これからはもっとギターをこのプロジェクトにも投入していきたいなと思っていますよ。ただ、機材ということでいえば、このプロジェクトがはじまってからいまでもベーシックは変わっていないですね。3年に一度くらいは自分のセットアップを更新しているというか、コンピュータやソフトを見直して変えていて、それが環境の変化といえばいえるかもしれないです。

音楽をつくりはじめることになったきっかけは? 最初からいまのようなDAWソフトを用いたエレクトロニックなものだったのですか?

ドイル:10歳のときに父がエレキ・ギターを買ってくれたんです。それが音楽人生のはじまりでしょうか。当時、アコギを友人から借りて自分なりに独学で弾いていたのを親が見て、それでギターを買ってくれたんだと思います。いっしょにアンプなども買ってくれたので、自分でももっと練習するようになったし、見よう見まねで曲もつくりはじめました。10歳か11歳のときにバンドも組んだりして、13歳か14歳の頃にはコンピュータを使いはじめたかな……。というのも、生まれ育った町から引っ越したので、友だちもいないし、バンドも組めなかったから。仕方なく自分だけで音楽をつくる方法を探すしかなかったし、ちょうどベックとかモービーとかを好きになりはじめてもいたから、アコースティック要素はあるけどエレクトロニックなところもあるような音楽に心が向かったというところもあったかなあと。そのときキューベース(Cubase)を独学で学ぶようになっていまにいたりますね。10年経ったいまでも同じプログラムを使って音楽を書いています。とくに音楽的な家庭に育ったわけではないし、環境としても音楽的だったわけではないけど、いまでは本当に音楽が人生の一部という感じですね。

マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『ラヴレス』を最初に聴いたときっていうのは、いまでも覚えているんだけど、その音の印象や衝撃がすごく自分の中に焼きつきましたね。

シーンとして、たとえばベースミュージックだったり、ダンス・ミュージックの流れを意識していますか?

ドイル:じつはぜんぜんシーンやジャンルを意識したりということはないんですよ。自分がどういうところにカテゴライズされているのかとか。ある楽曲はすごくダンス寄りだったり、ある曲はシンセ・ポップだったり、急にインストゥルメンタルなものが入ってきたり、クラシック寄りのものだったり。それから、シーンやジャンルっていうものにずっぷりとはまってしまいたくないなとも思います。そういうものが嫌いなわけではないし、テクノのイヴェントやレイヴなんかに遊びにいくのも大好きですけど、自分がどこにも該当しないというポジションがとても気に入っているので、これからもそんなかたちで活動していきたいとは思っていますね。

“マナー・オブ・ワーズ(Manner of words)”などにとくに顕著ですが、今作においてはリヴァーブや歪(ひず)みがサウンドのひとつの特徴になっているようにも思います。M83など、エレクトロニックな特徴をもったシューゲイザーなどを思い浮かべました。そういった音楽やギター・ノイズ、その増幅によってつくられる音楽に興味があるのですか?

ドイル:そうですね、意識しているというほどではないですが、たとえばマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『ラヴレス』を最初に聴いたときっていうのは、いまでも覚えているんだけど、その音の印象や衝撃がすごく自分の中に焼きつきましたね。それは根づいているからこそ知らないうちに表現の中に出てきているものだと思います。たしかにそう言われると、この“マナー・オブ・ワーズ”のどの部分を指しているのかということがすごくよくわかります。ただ、それは意識したものではなくて、自分の中の感覚としてすごくナチュラルに出てくるものなんだろうなと思いますね。おもしろいのは、『ラヴレス』とか、いま日常的に聴いているものじゃないのに、そうやって影響を及ぼしているってことですよね。最初の印象が強いばかりに、そんなふうになるのかな。

資料によると、あなたは今回、プロデューサーとしてよりもポップ・アーティストとして歌い、パフォーマンスを行ってみようというひとつの転換点を迎えたということですね。それはマーキュリー・プライズにノミネートされるというような出来事にもきっかけがありますか?

ドイル:そうですね、マーキュリー・プライズにノミネートされたというのもひとつのきっかけだったと思います。このイースト・インディア・ユースのパーソナリティをもっと表に出して、みんなに知ってもらいたいたかったんですよね。自分が前に出ようと思った。以前はラップトップの後ろにいて、地味な感じだったんです。でもライヴをやるごとにみんなが楽しめる要素を増やしてきているかなと思います。そういうことに対するリアクションを見ながら、もっと自分としてもエネルギッシュなパフォーマンスを楽しんでもらいたいと思っていたんですが、まさかこんなに人気の出るプロジェクトになるとは思ってもみなかったので、こうやってノミネートしてもらったり楽しんでもらったりすることで、そうやって好まれるようなかたちになっていきたいなという思いも自然にふくらみましたね。それが、こうやってプロデューサー気質を前に出すというよりも、パフォーマンスを楽しんでもらうというような、そしてそんな道をもっと突き進みたいというような気持ちになっています。

プロデューサー気質を前に出すというよりも、パフォーマンスを楽しんでもらうというような、そしてそんな道をもっと突き進みたいというような気持ちになっています。

詞はどのようにつくるのですか? ご自身が観念的なタイプだと思いますか?

ドイル:じつは、歌詞を書くっていうのが自分にとってもっとも難しいことなんです。苦手なので、いまでもなんで自分がこんなことをしているんだろうって不思議な気持ちになります。いつも苦しむところなんですよ。自分がおかれている環境や場所をモチーフにはしていて、それを最終的には抽象的なかたちで表現するので、歌詞によってはすごくアブストラクトになっていると思います。どちらかというと、空間を絵具で塗ってつくっていくような感覚で言葉をつくっていますね。……本当に自分ではいつも苦しむ、もっとも音楽制作のなかで難しいことだと感じています。

今作にはより大きなスケール感が備わっていて、映像表現との相性もよいのではないかと感じましたが、あなたの「ポップ」なあり方は、今後どのような展開をしていくものなのでしょう?

ドイル:自分の理想的なポップのかたちは、みんなが聴いて楽しめるもの、ですね。でもその背景にはアンダーグラウンドなものの要素が隠れているというのが目指すところでもあります。聴いてすぐに楽しめるものだけれど、何度聴いても発見があったり、耳に冒険を与えられるものだったり、そんなものが見え隠れする曲をつくりたいですね。すぐに惹かれるようなメロディやリズムがあって、ポップ感のあるものがいいけど、その後ろに複雑な要素が見え隠れするもの──でも、そうやってうまく成功している人たちもたくさんいますよね。1曲でそれをやるのは難しいけれど、アルバムを通してそれが感じられるようなものをつくりたいなと思います。自分の好きな要素、ポップに反した要素なんかも、ね。

ファクトリー・フロアとのツアーはいかがでしたか? 印象に残っていることと、もっともよかったと感じるショウの模様について教えてください。

ドイル:そうですね、僕にとってすごく多大な影響を与えてくれている存在です。自分のいまの道すじや、制作において重要な人々につないでくれたキーマンともいえるかも。彼らがツアーにきてくれないかと言ってくれたときは本当に二つ返事で、自分自身もこれはぜったいに行くべきだって心から思えたしうれしい出来事でしたね。彼らとツアーをしてあらためて思ったのは、毎回誰とツアーをやっても素晴らしいなと思うんだけど、そのうちそう思いながらも最初の数曲だけ聴いて場を離れるようなことが増えてきたんですね。でもファクトリー・フロアについては、最初から最後まで本当に目が離せなくて、毎晩ライヴを楽しんでましたね。セット・リストが同じだったりするのに、毎回ちがうワクワク感があって、とくにドラムのゲイヴがライヴで披露するダイナミックさというのはそれぞれの晩で異なっていたんですよね。それが「ゾーン」に入ると、もう言葉では表せないくらいすごいものになっていて……。いまでもその興奮はうまく言い表せないですね。アルバムも大好きですけど、ライヴがとにかく素晴らしい。多大な影響を与えてくれた人だし、よき友人たちです。

ジェイムス・ブレイク、よく較べられるんですよ(笑)。その理由は顔が似てるからだと思うんですよね。

ジェイムス・ブレイクなどはどうでしょう?

ドイル:よく較べられるんですよ(笑)。その理由は顔が似てるからだと思うんですよね。イギリス出身で、同じような髪型で、雰囲気がなんとなく共通しているからなのかなって……(苦笑)。自分としては音楽的にも、背景として持っているものもまったくちがっていると感じています。彼のメロディのうしろにあるものは、どちらかというとソウルとかブルースとかっていうものだけど、僕の音楽はそうではない。そして彼の音楽のほうがデリケートだと思いますよ。僕の場合は、もっとバンってみんなのまえに差し出すものだというか。スタンスも参照点もちがうので、音楽として較べられる理由はあまりよくはわからないですね。

UKにおいて、インディで活動することとメジャーで活動することの差はどんなところにありますか?

ドイル:自分がメジャーとインディのどこに属するかというようなことは、自分でもあまり考えたことはなかったんですけど、こうやって日本のインタヴューを受けさせてもらっているわけだから何かしら成功した部分はあるのかなとは思いますね。ただ、自分としては、外からの変な影響なく音楽をつくりつづけることが夢なので、その理想に近い部分ならインディでもメジャーでもいいなと思います。

出身もロンドンですか? ロンドンでの音楽体験について教えてください。

ドイル:生まれたのはボーマスという場所で、ロンドンに来たのは4年前です。ロンドンというのは音楽にまつわるカルチャーが本当にたくさんある場所で、エキサイティングで楽しいです。でも、最近は自分のライヴが忙しくなってしまって、音楽のイヴェントにはあまり行けてないんですけどね。引っ越した2年間くらいは本当にいろんなところに通いました。すごくメジャーなアーティストから、すごくマイナーなアーティストまで、たくさんのものを同じタイミングで見れる場所ですね。

昨年、今年と、あなたが観た映画や読んだ本などで印象深いものはどんなものでしょう?

ドイル:スカーレット・ヨハンソンが主演の『アンダー・ザ・スキン(邦題:アンダー・ザ・スキン 種の捕食)』という映画があるんですが、それが素晴らしかったですね。スカーレット・ヨハンソン自身もブリティッシュ・アクセントだったりするんですけども。久々にすごいものを観たと思いました。サントラもいいんですよ。それがとても印象に残ってますね。

 今週末、ファッション・ブランドC.Eとレーベル〈ヒンジ・フィンガー〉共同の主催のイベントで来日する、ウィル・バンクヘッドとピーター・オグレディことジョイ・オービソン。当日を待ちわびている皆さんのために、なんと今回が初来日のジョイ・オービソンがインタヴューに答えてくれました。
 ここで簡単に彼の経歴の説明を。音楽のバックグラウンドはジャングルのミックス・テープにあるというロンドン在住のジョイ・オービソンのデビューは2009年。そのトラック“Hyph Mngo”はいわゆるダブステップが「ポスト」へ移行した時代の象徴的な曲として記憶されており、ジャンルを越え本当に多くのDJたちがプレイしました。
 ですがその後ドラムンベースの鬼才ユニット、インストラメンタル(Instra:mental)の元メンバーであるボディカ(Boddika)とレーベル〈サンクロ(SunkLo)〉の立ち上げなどを経て、深淵なハウスやテクノの方面に舵を取りました。ツアーでヨーロッパを回るようになった彼は、デザイナーとしてのキャリアやレーベル〈ザ・トリロジー・テープス〉で知られるウィル・バンクヘッドとベルリンで出会い、よりロウなトーンを突き詰めたレーベル〈ヒンジ・フィンガー〉をふたりで始動させ現在にいたります。
 インタヴューには普段はあまり応じていないという彼ですが、最近買ったベスト・レコードから、一緒に来日するウィル・バンクヘッドについてまで、激多忙なスケジュールのなかシンプルにそして丁寧に答えてくれました。

いまどちらにいらっしゃいますか? ロンドンの自宅でしょうか?

ジョイ・オービソン(Joy Orbison、以下JO):うん。ロンドンのエレファント・アンド・キャッスルにある家の予備部屋兼スタジオの椅子に座っているよ。

あなたの来日が決定して、多くのファンが喜んでいます。が、ここにひとつ問題があります。ロンドンと東京って結構遠くて、片道10時間くらいかかるんですよね。どうやって時間を潰す予定ですか? やっぱり本を読んだり映画を見るんでしょうか? それともひょっとして機材を持ち込んで作曲ですか?

JO :ウィル・バンクヘッドと僕の彼女の間に座ることになったから、めちゃくちゃお酒を飲むことになりそうだ。少しは眠れるといいなぁ。いつもは飛行機のエンタメ・サービスを使ってチェスをするんだ。小さな子供に連敗しないように練習しないといけないからね(笑)。

今回はしかも初来日です。DJノブといった日本のDJたちもこの日は出演しますが、日本の音楽シーンや文化に関心はありますか?

JO :日本のシーンは全然知らないんだけど、いつも耳にする音楽と日本文化の関係性にはわくわくするよ。C.Eの素晴らしいスタッフたちの協力のおかげでDJノブと同じイベントへの出演が決まったことが単純に嬉しい。最高の初来日になるといいね!

最近買ったベストのレコードは何ですか?

JO :Automat & Max Loderbauerの“Verstärker”だね。

それでは最近注目しているプロデューサーは?

JO :Herronかな。

さて、あなたのキャリアを少々振り返ってみようと思います。2009年にあなたはスキューバの〈ホット・フラッシュ・レコーデイングス〉からのシングル “Hyph Mngo”でデビューを飾り、この曲はいわゆるポスト・ダブステップのアイコンのひとつとしてみなされています。ですが、あなたは〈ドルドラム〉から “BB / Ladywell”のリリース以降、テクノやハウスの方面へシフトし現在に至っています。この転機のきっかけとはなんだったのでしょうか?

JO :個人的にはその流れを変化だとは思っていなかったんだよ。でも当時の自分が周りからどうやって見られていたのかは理解できる。 “Hyph Mngo”はそれまでの僕の曲のなかでDJやオーディエンスに一番サポートされたものだったけど、同時に僕はたくさんの曲を作っていた。当時作った曲を見てみても、ハウスやテクノっぽいものもあれば、ドラムンベースみたいなものもある。そういう曲は世間が僕に抱いていたイメージとはかけ離れているだろうね。そんな感じでこれからも縛られないスタイルで曲を作っていこうと思うんだけど、その課程でシーンや時代性の呼吸が合っていたら最高だよ。

Joy Orbison – Hyph Mngo

あなたはボディカとの共作でも知られていますが、彼とのレーベル〈サンクロ〉からの最新リリースは2014年の2月にリリースされた“モア・メイム / イン・ヒア”なので、それから1年以上が経っています。最近はボディカと曲を作っていますか? 〈サンクロ〉は日本でもすぐにソールド・アウトになってしまうので、ファンは新作を期待していますよ。

JO :ボディカとは少なくとも週に2、3日はスタジオに入るように心がけていて、しばらくの間この作業を継続していたよ。おかげで本当にたくさんの曲が完成したね。実はもうすぐ新曲がリリースされるんだ……!

ウィル・バンクヘッドは何度かDJとして来日しており、去年もアンソニー・ネイプルズやレゼットと東京でプレイしました。彼は才能溢れるデザイナーであると同時に、違ったジャンルで活動するプロデューサーをつなぎ合わせる重要な役割も果たしていると思います。そして現在、あなたはバンクヘッドとともに〈ヒンジ・フィンガー〉を運営しているわけですが、アートワークやDJスタイルを含めて彼の「作品」をどのように評価しますか?

JO :彼の作品の大ファンだよ。ユニークなものの見方をしているから、いつも僕は驚きっぱなしさ。僕の音楽やレーベルのコンセプトを可視化してくれるひとは彼くらしかいないから、出会えてすごくラッキーだ。
 それに彼のDJも本当にヤバいんだよね。たぶん僕がいままでで出会ったなかで、飛び抜けて強烈なレコード・コレクションを彼は持っているんじゃないかな。あのレコードの壁を探索するのにかなりの時間を使ったよ。あそこでは必ず特別な曲が見つかるんだ(いまそのレコードは地下室にしまってあるんだけどね)。自分自身の知識をワクワクさせるような何かに変換させることに関して、彼の右に出る者はいないと思う。なんせブジュ・バントンからフランソワ・ベイルに繋いだりするんだからね!

ウィル・バンクヘッドの作品でお気に入りを挙げるとしたら何でしょうか?

JO : うーん、難しいね……。T++の「ワイアレス」かブラワンの「ヒズ・ヒー・シー&シー」ってことにしとこうかな。

様々なスタイルを経てあなたは現在に至るわけですが、2015年に私たちはどんなことを期待できるでしょうか?

JO :目標はたくさんリリースをすることだね。とにかく目の前のことに集中しなくちゃいけないな。

それでは最後に日本のオーディエンスにメッセージを!

JO :(日本語で)「トリッキーは、お茶を作ります」

 最後のひと言がどういう意味なのか質問してみたところ、英語では“Tricky, you make the tea”と打ったようです。 “Tricky’s Team”という似た名前のタイトルの曲をボディカとリリースしていますが、それから察するにインタヴューで触れている次なる新曲の名前なのでしょうか!? 週末に期待!

Joy Orbison & Boddika – Tricky’s Team


The Trilogy Tapes, Hinge Finger & C.E presents
Joy Orbison & Will Bankhead

2015/04/24(Fri)
@ Daikanyama UNIT & SALOON

[UNIT]
Joy Orbison(Hinge Finger)
Will Bankhead(The Trilogy Tapes / Hinge Finger)
DJ Nobu(Future Terror / Bitta)
[SALOON]
Edward Occulus
Toby Feltwell (C.E)
1-Drink
Koko Miyagi
Bacon
Open/Start 23:30
Early bird 2,000yen(Resident Advisor only) / Adv. 3,000yen / Door 3,500yen
Ticket Outlets: LAWSON / diskunion 渋谷 Club Music Shop / diskunion 新宿 Club Music Shop / diskunion 下北沢 Club Music Shop / diskunion 吉祥寺 / JET SET TOKYO / TECHNIQUE / DISC SHOP ZERO / Clubberia / Resident Advisor / UNIT / min-nano / have a good time
※20歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの公的身分証明書をご持参願います。(Over 20's Only. Photo I.D. Required.)
More Information : Daikanyama UNIT
03-5459-8630 www.unit-tokyo.com https://goo.gl/maps/0eMrY

2015/04/28(Tue)
@CLUB CIRCUS

Joy Orbison (Hinge Finger)
Will Bankhead (The Trilogy Tapes / Hinge Finger)
AIDA
Matsuo Akihide
qands
Open/Start 22:00
Door 2,500yen
※20歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの公的身分証明書をご持参願います。(Over 20's Only. Photo I.D. Required.)
More Information : CLUB CIRCUS
06-6241-3822 https://circus-osaka.com

当日は東京と大阪の両会場にてイベントの開催を記念したC.EのTシャツの販売が決定!
CETTT T #2 (イベントTシャツ)
Price: 4,000yen (Tax incl.)
問い合わせ先: Potlatch Limited www.cavempt.com

Joy Orbison
2009年にHot Flush から〈Hyph Mngo〉をリリースしデビューを飾ったのち、〈The Shrew Would Have Cushioned The Blow(Aus Music)〉や〈Ellipsis(Hinge Finger)〉、Boddikaとの共作による〈Swims(Swamp81)〉など精巧かつ念密に構築された楽曲を次々とリリースし続ける傍ら、Lana Del ReyやFour Tet、José Jamesといったアーティストのリミックスを手がけている。ハウスや2ステップ、ジャングル、テクノ、ダブステップ、これらの要素が融合し生まれた〈ガラージハウス〉とはJoy Orbisonの作り出した“音”だと言っても過言ではないだろう。レーベル〈Hinge Finger〉 をThe Trilogy TapesのWill Bankheadと共に立ち上げるなど異質かつ独自な動きを行う中、最近ではBBC RADIO 1の人気プログラムである〈Essential Mix〉に登場するなど、トラックメーカー/プロデューサーとしてはもちろんDJとしても高い人気を誇っている。
https://soundcloud.com/joy-orbison
https://www.residentadvisor.net/dj/joyorbison

■Will Bankhead
メイン・ヴィジュアル・ディレクターを〈Mo’Wax〉で務めたのち、〈PARK WALK〉や〈ANSWER〉といったアパレル・レーベルを経て、〈The Trilogy Tapes(TTT)〉を立ち上げた。現在、前述したTTTやJoy Orbisonとのレーベル〈Hinge Finger〉の運営に加え、〈Honest Jon's Records〉や〈Palace Skateboards〉などのデザインを手がけている。2014年10月には、渋谷ヒカリエで行われた〈C.E〉のプレゼンテーションのアフターパーティでDJを行うため、Anthony NaplesとRezzettと共に来日した。
https://www.thetrilogytapes.com

■DJ NOBU(FUTURE TERROR / Bitta)
FUTURE TERROR、Bitta主宰/DJ。NOBUの活動のスタンスをひとことで示すなら、"アンダーグラウンド"――その一貫性は今や誰もが認めるところである。とはいえそれは決して1つのDJスタイルへの固執を意味しない。非凡にして千変万化、ブッキングされるギグのカラーやコンセプトによって自在にアプローチを変え、 自身のアンダーグラウンドなリアリティをキープしつつも常に変化を続けるのがNOBUのDJの特長であり、その片鱗は、 [Dream Into Dream]〈tearbridge〉, [ON]〈Musicmine〉, [No Way Back] 〈Lastrum〉, [Creep Into The Shadows]〈Underground Gallery〉など、過去リリースしたミックス CDからもうかがい知る事が出来る。近年は抽象性の高いテクノ系の楽曲を中心に、オーセンティックなフロアー・トラック、複雑なテクスチャーを持つ最新アヴァ ン・エレクトロニック・ミュージック、はたまた年代不詳のテクノ/ハウス・トラックからオブスキュアな近代電子音楽など、さまざまな特性を持つクセの強い楽曲群を垣根無くプレイ。それらを、抜群の構成力で同一線上に結びつける。そのDJプレイによってフロアに投影される世界観は、これまで競演してきた海外アーティストも含め様々なDJやアーティストらから数多くの称賛や共感の意を寄せられている。最近ではテクノの聖地〈Berghain〉を中心に定期的にヨーロッパ・ツアーを行っているほか、台湾のクルーSMOKE MACHINEとも連携・共振し、そのネットワークをアジアにまで拡げ、シーンのネクストを模索し続けている。
https://futureterror.net
https://www.residentadvisor.net/dj/djnobu

■Edward Occulus
イラストレーター・グラフィックデザイナー。2011年にToby Feltwell、Yutaka.Hとストリートウエアブランド〈C.E〉を立ち上げた。www.cavempt.com

■Toby Feltwell
英国生まれ。96年よりMo'Wax RecordsにてA&Rを担当。
その後XL Recordingsでレーベル を立ち上げ、Dizzee Rascalをサイン。
03年よりNIGO®の相談役としてA Bathing Ape®やBillionaire Boys Club/Ice Creamなどに携わる。
05年には英国事務弁護士の資格を取得後、東京へ移住。
11年、Sk8ightTing、Yutaka.Hと共にストリートウエアブランドC.Eを立ち上げる。
https://www.cavempt.com/

■1-Drink
TECHNO、HOUSE、BASS、DISCOの境界を彷徨いながら現在にいたる。 DJユニット"JAYPEG"を経て現在は個人活動中。 ときどき街の片隅をにぎわせている。
https://soundcloud.com/1-drink


interview with trickfinger (John Frusciante) - ele-king


Trickfinger
Trickfinger

Acid Test / Pヴァイン

ElectronicRockHouse

Tower HMV Amazon iTunes

 ジョン・フルシアンテを知らずにこのインタヴューを読む方はおられるだろうか。90年代から2000年代の音楽シーンをいわゆるミクスチャー・スタイルと強烈なファンク・ロックによって風靡し、いまなおその支持の揺らぐことのないモンスター・バンド、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ。同バンドのギタリストとして活躍したジョン・フルシアンテは、RHCPには欠員を埋める形で中途加入し、彼らの音に叙情的でエモーショナルな「歌」の力を呼び込んだ──名ギタリストであるとともに名ソングライターとしての力量をも遺憾なく発揮してみせた。一時の脱退から復帰したタイミングで制作された中期の名盤『カリフォルニケイション』におけるフルシアンテの功績は広く評価されるところである。そして2度めの脱退後の彼は、その才と持ち前の求道的な音楽探求と鍛錬の姿勢をよりストイックに追求し、さまざまなアーティストたちに学びながらともにアルバム制作を行っていった。そのなかで近年顕著だったのが、エレクトロニックな表現とダンス・ミュージックへの接近、またはヒップホップとの邂逅だと言えるだろう。今回のインタヴューでは、驚くべきことにそうした音楽性の萌芽と発露がすでにRHCP時代から見られ、かつ、本作が脱退直後につくられていた作品だったということが明らかになっている。新機軸かと思いきやソロ以降のディスコグラフィを倒立させなければならなくなるようなアルバムなのだ。そうしたことに思いをいたしながら耳をかたむけると、きっと新たな驚きと愛着が生まれてくることだろう。
 しかしそれにしても、ジョン・フルシアンテという人は、音楽に対してはいつになっても変わらず生真面目で、迂遠にも思われる努力と勤勉さをもって向かい合うアーティストである。あれだけのリリカルなセンスを持ちながら、まるで頑迷ともいえる彼の信念と音楽哲学──ひいては人間観──はしかし、これまでもずっとリスナーと彼の間の信頼関係を結ぶ強い紐帯でありつづけてきた。そのあたりのゆがみなさはなかば狂気的にすらみえ、また彼の楽聖的な相貌を深めてもいる。
それではどうぞ、日本国内では弊誌一誌、独占インタヴューをお届けしよう。


■trickfinger / トリックフィンガー
レッド・ホット・チリ・ペッパーズのギタリストとして知られるジョン・フルシアンテによるソロ・プロジェクト。ソロでキャリアを突き詰めたいとして2009年に同バンドを脱退し、ジョシュ・クリングホッファーやマーズ・ヴォルタのオマー・ロドリゲス・ロペス、フガジのイアン・マッケイ、RZAなどさまざまなアーティストとともにいくつかの名義で精力的にアルバムをリリース。2015年4月、本名義では初となる同名アルバム『トリックフィンガー』を発表した。

シーケンサー、コンピュータのようなエレクトロニクスの楽器の場合、限界となるのは自分のマインドだけ。だから、エレクトロニクスを扱うことで、自分の思考プロセスも早くなったんだ。

トリックフィンガー(trickfinger)というプロジェクト名にはどのような意味や意図が込められているのでしょう?

ジョン・フルシアンテ(以下、J):俺の奥さんがつけた名前なんだ。俺があるとき、トリッキーなギター・フレーズを演奏しているのを見て、「あなたはトリックフィンガーね」って(笑)。トリックフィンガーっていう名前の響きがおもしろいと思ったから、使うことにしたんだ。

あなたは近年のソロ作品について語るインタヴューのなかで、繰り返し「人間の知能と機械の知能の競合」というアイディアを語っておられますね。AIが人を超える音楽をつくり得ることがあると考えますか? また、そのときその音楽はどのようなかたちにおいて人の音楽に秀でるのでしょう?

J: そうだね。人間の思考には限界があるんだ。ギター、ベース、キーボードのような楽器を演奏するときは、もちろん思考の訓練にはなるけど、指の限界、それから人間にはふたつの手しかないという限界もある。だからそれぞれの楽器のフィルターを通して音楽に取り組むことになるし、自分の肉体の限界というフィルターも出てくる。それに対して、シーケンサー、コンピュータのようなエレクトロニクスの楽器の場合、限界となるのは自分のマインドだけ。コンピュータは人間よりも素早く計算ができるし、人間より正確だし、人間が通常の楽器を演奏するよりも、コンピュータのほうが正確に指示の通りに動く。だから、エレクトロニクスを扱うことで、自分の思考プロセスも早くなったんだ。
 アシッド・ハウスを作りはじめたときは、180BPMから190BPMの曲を作りたかった。ジャングルも作りたくて。でも俺の思考プロセスがそこまで追いついてなかった。ブレイクビーツで曲を作りはじめる前に、まずステップ・プログラミングをマスターしたかったんだ。それでステップ・プログラミングを学んで2年くらいすると、160PMから190BPMの曲を作れるようになってたんだ。いままで作った曲の中でいちばん早かったのは、250BPMだったよ。それ以上になってくると、ナンセンスになっちゃうよね(笑)。260BPMになってくると、ビートの違いがわからなくなるんだ。早すぎて、四分音符の意味がなくなっちゃう。3、4年のうちに、俺の思考プロセスが、人間の可聴範囲内での速い曲に追いつくようになったんだ。ギターで考えるよりも、脳の回転を早くさせたいと思っていたけど、それが実現した。
 俺はティーンエイジャーの頃は、エディ・ヴァン・ヘイレン、イングヴェイ・マルムスティーン、スティーヴ・ヴァイのような速弾きのギター・プレイヤーに憧れてたんだ。当時は速弾きができるようになったことが大事だったんだ。ヴェネチアン・スネアズとかスクエアプッシャーを知るようになって、彼らの音楽ではドラムのプログラミングが人間のドラマーが叩けるスピードよりも遥かに速いんだ。それに、人間の速弾きよりもぜんぜんカッコイイ。ヴェネチアン・スネアズとかスクエアプッシャーのドラム・ビートは、人間のドラマーのビートよりもカッコイイんじゃないかな? そして、ミュージシャンなら、自分ができないことに挑戦することが大事なんだよ。俺がドラマーだったら、ヴェネチアン・スネアズとかスクエアプッシャーみたいなビートを叩けるように練習してるよ(笑)。いまの俺は、自分の肉体よりも、脳を使って音楽を作ってるんだ。

3、4年のうちに、俺の思考プロセスが、人間の可聴範囲内での速い曲に追いつくようになったんだ。ギターで考えるよりも、脳の回転を早くさせたいと思っていたけど、それが実現した。

数年来、あなたはコンピュータのプログラミングによって理論的に音を組み上げる実験や研究をつづけてこられたわけですが、そこでとくに(アシッド・)ハウスにフォーカスするのはなぜなのでしょう?

J: ひとつクリアにしたいんだけど、もしかしてこのアルバムは、最近作ったアルバムだと思ってる?

そうですね。

J: このアルバムは8年前に作ったんだ。

すごいですね。知らなかったです。

J:だから最初の質問で、徐々に速いビートを作れるように段階を踏んだ話を説明したんだ。このアルバムの曲は、俺がエレクトロニック・ミュージックを作りはじめたときにできたものだよ。レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(以下RHCP)のツアーが終わって、バンド活動をやめて、自宅のリビング・ルームに機材をセッティングしてひたすら実験してたんだ。エレクトロニック・ミュージックを作りたかったんだけど、まずはアシッド・ハウスからはじめようと思った。アシッド・ハウスから出発して、エイフェックス・ツイン、ルーク・ヴァイバート、ヴェネチアン・スネアズのようなアーティストの流れが誕生したからなんだ。だから、その原点に戻りたかったんだ。ブルースのギタリストになりたかったら、まずはロバート・ジョンソンやアルバート・キングの音楽を勉強するだろ? ルーツをまず勉強しないといけないんだ。アシッド・ハウスから、UKアシッドとかIDMが派生したんだよ。

 エレクトロニック・ミュージックを作りはじめたときは、とてもエキサイティングだった。それまでは、ひとりで音楽を作るというのは、オーヴァーダビングでやるものだと思ってた。ギターをレコーディングしてから、キーボード、ヴォーカル、リード・ギターなどを一つ一つ重ねていくものだと思ってたんだよ。それまでは、そういう方法でホーム・レコーディングをしていた。RHCPをやめる1年前から、エレクトロニクスの機材のマニュアルを読んだり、使い方を習いはじめてね。ホテルとか飛行機の中で、そういう機材を使って練習してたよ。いろいろなアーティストのことについて読んだり、ネットで調べていくうちに、ほとんどのアシッド・ハウスのアーティストは、808を1台と、303を1台と、101を1台繋げて、同期させて音楽を作ってることを知ったんだ。一人のアーティストが機材を操作して演奏してたんだ。当時のアーティストはそれをダイレクトにカセットにレコーディングして、次の日のクラブ・イヴェントでプレイしたわけだ。最初の頃は、そうやって一人の人が音楽を作れることを知らなかったんだ。一人のプロデューサーが、機材をプログラミングして、ツマミをいじったり、パターンをその場で変えて、それをそのままライヴ録音をしてたってことをね。

このアルバムの曲は、俺がエレクトロニック・ミュージックを作りはじめたときにできたものだよ。レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(以下RHCP)のツアーが終わって、バンド活動をやめて──。

俺のアシッド・ハウス・アルバムの楽曲はすべて、CDバーナーにダイレクトにレコーディングしたんだ。それぞれの楽曲では、俺が5台から15台の機材を同期させて演奏してるんだ。それをMackieのミキサーでミックスしながら、CDバーナーにレコーディングしてるわけだよ。だから、オーヴァーダビングはまったくしてないんだ。このアルバムは、RHCPを脱退してから、4ヶ月以内に作ったものなんだ。じつは、『ジ・エンピリアン(The Empyrean)』も同時進行で制作していたんだけど、どっちかというと、アシッド・ハウスのトラックを作ることのほうを優先してたんだ。『ジ・エンピリアン』の制作は、2、3週間の間に1日くらいの作業。それ以外は毎日アシッド・ハウスを作っていた。そして『ジ・エンピリアン』はリリースする意図で制作を進めてたけど、アシッド・ハウスのトラックは、リリースする予定はまったくなかったんだ。それでも、あのときはアシッド・ハウスを作ることがプライオリティだったんだよ。それに、学ぶことが多かったから、作ることがすごく楽しかったんだ。オーヴァーダビングで曲作りをするんじゃなくて、いくつかの機材をプログラミングして、一人でジャム演奏をしているような感覚だったから、エキサイティングだった。他のミュージシャンと演奏するときと同じように興奮したけど、誰も自分の演奏を邪魔する人がいないんだ。他のメンバーと口論になることもないし、説明する必要もないし、指示する必要もないし、指示されることもないんだ。エレクトロニクスで曲を作る場合は、前もってアイデアがなくても曲を作ることができるんだよ。過去に4トラックでレコーディングしたことはあったけど、アシッド・ハウスのトラックを作ったときは、初めて自分でエンジニアリングをしたんだ。オーヴァーダビングをするのではなく、同時にすべての音を一人でレコーディングすることも初めてだった。

『ジ・エンピリアン』と同時期にアシッド・ハウスを作っていたというのは驚きです。

J: 2007年9月にRHCPのツアーが終わった頃には、半分くらい完成してたんだ。そのあとの4ヶ月間は、ほとんどアシッド・ハウスのトラック作りに集中してた。『ジ・エンピリアン』は、2、3週おきに1日くらいしか作業してなかった。いつか完成することはわかっていたけど、べつにどうでもよかったんだ。

俺はトラックにギターを入れるようになったんだけど、オリヴァーはそういうトラックは選ばなかった。

なぜ何枚もソロ・アルバムをリリースしたあとのこのタイミングで、そのアシッド・ハウスのトラック集をリリースしたいと思ったのでしょう?

J: いや、トリックフィンガーのトラック集をリリースするのは、俺のアイデアじゃなかったんだ。じつはリリースされなかったアシッド・ハウスのトラックがまだたくさんあるんだけど、たまたまレーベルを運営してる人が選ばなかっただけなんだよ。アシッド・ハウスのトラックを作った1年後に、友達のアーロン・ファンク(ヴェネチアン・スネアズ)がマスタリングしてくれたんだ。アルバムには8、9曲収録されてるけど、じつは22曲くらい作ったんだ。それをCDに焼いて、20人くらいの友だちにクリスマス・プレゼントとして配ったんだ。あげた人たちはみんな友だちだから、それをネットに上げたりはしない。それで、友だちのマーシーが、アシッド・ハウス・レーベルを運営してるオリヴァーに聴かせたんだ。そしたらオリヴァーがリリースすることに興味をもった。マーシーが、彼のレーベルのレコードを何枚か聴かせてくれて、俺はそれをかっこいいと思った。だから、オリヴァーにOKを出して、彼がどの曲をリリースするかを選んだんだ。俺が焼いたCDには、8、9ヶ月分の曲が入ってたんだけど、たまたまオリヴァーは最初の4ヶ月以内に作った曲だけを選んだんだ。途中から、俺はトラックにギターを入れるようになったんだけど、オリヴァーはそういうトラックは選ばなかった。この作品をリリースするつもりはもともと俺にはなかったから、リリースのアイデアも俺が思いついたわけじゃない。どちらかというと、リリースしないつもりでトラックを作ってたんだけどね。だいぶ前のことだし、俺の歴史の一部だから、みんなに聴かせられるのはうれしいことだけど。

この時期のトラックの後に、あなたのソロ作品でのエレクトロニック・ミュージックとギターやヴォーカルの組み合わせが生まれてきたわけですね?

J:そうなんだ。あの頃のトラックは、まだ俺がビギナーだったし、あまり高い基準を設定してなかったんだ。当時から、メロディのないアブストラクトなエレクトロニック・ミュージックとか、ブラック・サバス的なグルーヴの入ったジャングルを作りたかったけど、まだその技術が俺にはなかったんだ。あの頃がエレクトロニック・ミュージシャンとしての俺の出発点だったんだけど、808ステイトとか、〈Phuture〉からリリースされたものとか、アルマンドとか、80年代のシカゴ・ハウスの連中を模倣しようとしてたんだ。俺が作りたかったタイプの音楽は、まだやり方がわからなかった。でも80年代初期のアシッド・ハウスを真似ることなら、当時の俺にはまだできたんだ。だから、それをやっていた。

エレクトロニック・ミュージックは俺にとって聖域だったし、そのとき俺が演奏していた音楽よりも、レベルが高い音楽だと思っていた。

RHCPに入っていた頃から、シカゴ・ハウスやアシッド・ハウスを聴いてたんですか? もしそうだったら、ぜんぜん予想もしなかったことですね。

J:そうなんだ。当時はインタヴューを受けたときも、あまりそういうことについて話さなかったんだ。エレクトロニック・ミュージックは俺にとって聖域だったし、そのとき俺が演奏していた音楽よりも、レベルが高い音楽だと思っていた。俺が聴いていたエレクトロニック・ミュージックは、クラブで踊るために作られたものか、エイフェックス・ツインやオウテカのように自分をミュージシャンとして高めるために作られている音楽だったんだ。RHCPみたいなポピュラーなバンドだと、レコードを売ることがどうしても第一の目的になってしまう。でも、そういう音楽よりも、エレクトロニック・ミュージックのほうが次元が高いところにあると思った。俺は自分が尊敬するエレクトロニック・プロデューサーの生徒だと思っていたから、あえて彼らの名前を出す立場ではないと思っていたんだ。だから、当時はインタヴューであまり話してなかったけど、1999年にRHCPに戻ったときから、じつはいろいろなテクノ、ハウス、IDMを聴きまくってたんだよ。

誤解を恐れずにいえば、一連のさまざまな取り組みは、ジョン・フルシアンテというギタリストが、ギターという楽器と、ギターによって生み出される音楽とを対象化する作業であるように思われます。あえてギターから遠ざかろうとするように見えるのですが、ちがいますか?
そうだとすればなぜそのようなことを目指すのでしょう?

J: 当時はギターを完全に放棄しようとしてたわけじゃないんだ。あとから徐々にギターを取り入れるようになったんだ。でも、ギターをアシッド・ハウスに入れるんだったら、まずアシッド・ハウスをマスターしないといけないと思ったんだ。いつか、自分が好きな音楽的要素を何でも組み合わせられるようになりたいと思ってたけど、まずは自分が慣れ親しんでない音楽をマスターしたかった。アシッド・ハウス、テクノ、ジャングルを作るには、それなりに時間をかけないといけないし、それができるようになってから、いろいろな要素を融合させようと考えてたんだ。 ギター・プレイヤーというのは、ネックの仕組みとか、指の限界があるから、いろいろな罠に陥りやすい。しかし202、303、101を使うと、ギターのような制限はない。でも当時の俺は、ギターの制限に慣れ親しんでいたから、それを問題だと思ってなかったんだ。アシッド・ハウスを作ることで、自分の音楽的ボキャブラリーと思考プロセスを広げることができたんだ。しばらくすると、マシンを扱うことが、ギターと同じくらいに楽になったんだ。ギターを演奏するのと同じようにマシンを扱えるようになったし、マシンから学んだことを、ギターに応用できるようにもなった。ギタリストの自分と、プログラミングする自分が繋がったんだ。マシンをしばらく使うことで、ギターに由来する典型的なメロディとか音楽的理論に陥らない自分を作り上げることができたんだよ。

ギタリストの自分と、プログラミングする自分が繋がったんだ。ある日突然、アシッド・ハウスを取り入れたロック・スターではないんだよ(笑)。

少しあとから、アシッド・ハウスにギターを組み合わせるようになって、いい曲もできたけど、もともとの目的は一人で音楽を作れるようになることだった。そして、自分が好きな音楽的要素をすべて融合できるようになることだったんだ。でも、アシッド・ハウスの作り方がわからないのに、突然アシッド・ハウスを作って、そこにギターを乗せるような人にはなりたくなかった。『PBX』とか『エンクロージャー』には、アシッドっぽいセクションが曲に入ってるけど、80年代のアシッド・ハウスとはまったくちがうんだ。伝統的なアシッド・ハウスを長年作ってる人が思いつかないようなパートだった。アーロン・ファンクやクリス・マクドナルド、それにザ・ダウトフル・ゲスト名義でリリースしているリビーとコラボレーションでトラックを作ったことがあるよ。スピード・ディーラー・マムズでは、長年いっしょにアシッド・ハウスを作ったこともある。だから、『PBX』や『エンクロージャー』でアシッドの要素を取り入れるというのは、アシッドを長年作った経験のある視点からやってるんだ。ある日突然、アシッド・ハウスを取り入れたロック・スターではないんだよ(笑)。

今作ジャケットのアートワークとして用いられているたくさんの数字は何を意味していますか?

J: 俺は歌詞、アイデアをノートに書き留めるんだけど、全部とってあるんだ。そして曲作りするときに、数値をノートに書き留めないといけないときもある。この時期に使っていたノートには、数字を書き留めたページが何枚かあった。──ロック・バンドと演奏するときは、小節の数を数えながら演奏する必要がないんだな。つまり曲のセクションが終わって、次のパートがどこからはじまるかだいたいわかるんだよ。でもエレクトロニック機材をプログラミングするときは、1小節めから16小節め、17小節めから32小節めの間に何をプログラミングするかを意識しないといけない。いまは意識しなくてもわかることだけど、当時はまだ経験がなかったから、そういった数字を全部書き留めてたんだ。マシンの音が変化するようにプログラミングしないといけなかったんだ。どこからどこまで、どの音を入れたり、何小節めから展開を入れるかとか、そういう数字を書き留めてたんだ。

本作制作の過程や録音時の模様について教えてください。もっともこだわった点、また、もっとも優先したことがらについてもおうかがいしたいです。

J:当時は、それぞれの曲はちがう記事の組み合わせで作ってたんだ。ゼロからの状態で作りはじめて、まずは一つの機材をプログラミングしはじめる。それを別の機材と同期させて、次の機材をプログラミングする。さらに3つめの機材をつなげたり、どんどん音を足していく。一つの機材をプログラミングしてから、もう一つの機材をプログラミングして、2つの機材だけでやりとりができるんだ。既成概念がなくても、機材をいじってる間に、曲ができあがる。テニスとかボクシングの試合みたいに、機材とやりとりしてるような感覚だね。一人でジェム・セッションをしてるような感覚。
 そして徐々にどういう曲にしたいかが見えてきて、そこから機材をソング・モードに変えて作業したりしたんだ。手動でリズム・パターンを変えることもあるし、音を加工させたりもした。エンジニアリングの問題が出てくると、それを自分で解決しないといけなかったし、いつも学ぶことが多かった。ディレイとリヴァーブも何台か持ってるし、Mackieのミキサーも使ったんだ。Rolandのドラム・マシンをいくつかと、Monomachine、Yamaha R8みたいなものも使った。だから、トリックフィンガーの曲ではどれも、いままでやったことがないことに挑戦したかったんだ。しばらくはDIN Syncで機材を同期させてたけど、のちにDin to MIDIコンバーターを入手してから、MonomachineとかYamaha R8とかAkai MPC 3000などのデジタル機材を導入するようになった。DIN SYNCを使っていた頃は、909, 808, 707, 101, 303, 202のみを使ってたけど、途中から80年代半ばの機材も取り入れるようになった。今回のアルバムは、303, 606, 808の使用度が高いね。

オーヴァーダビングがないから、ライヴ・レコーディングみたいなものだった。もちろん、満足いくまで何回かテイクをとったから、厳密にワンテイクとは言えないけどね。

では、今回はコンピュータはいっさい使ってない?

J:そう、いっさい使ってないよ。レコーディングもCDバーナーにしたんだ。

では、ワンテイクでライヴをレコーディングしてるような感じですね。

J: そう、オーヴァーダビングがないから、ライヴ・レコーディングみたいなものだった。もちろん、満足いくまで何回かテイクをとったから、厳密にワンテイクとは言えないけどね。ただ、一人でライヴ・バンドをやってたような感じだったんだ(笑)。

当時からすでにモジュラーシンセも使ってたんですか?

J:そうだね。すべての曲で使ったわけじゃないけど、いくつかの曲では使ってたよ。

イクイップメントやスタジオの環境、アイディアの生まれる環境についてはだいたいそんなところでしょうか。

J:機材はだいたい全部教えたと思うよ。EMT 250、ARP 2500、Doepfer Modular Synthesizer, Roland MC4、Roland 202, 303_, 606, 707, 727, 808, 909も使った。Yamaha R8, Monomachineも使ったね。Machinedrumはたしか使ってなかったと思う。それ以外はあまり使わなかったから、けっこうベーシックなセットアップだった。

マシンからインスパイアされることもあるんですか?

J: マシンを使っていると、事前にアイデアがなくても曲が作れるから楽しいんだ。インプロヴィゼーションで楽器を演奏するのと同じ感覚だよ。トリックフィンガーの曲も、最初はハウスのキックを打ち込むところからスタートして、そこから発展させていった。目の前にある音に対して反応していくうちに、トラックを構築できるんだ。機材をいじっていくうちにアイデアが湧きあがってくる。ポップ・ソングの作曲家の場合は、頭の中にアイデアを思いついてから、それを楽器で演奏するんだけど、そのプロセスとはちがうね。まったくノープランでスタートして、機材をいじっている間にアイデアが見えてくるんだ。メロディが思い浮かんだら、それを202にプログラミングするんだ。でも、202やMonomachineを使って、頭の中のアイデアを形にしていくうちに、想像していたものと、まったくちがう音になることもあるんだ。そういうアイデアがいちばん刺激的だと思う。マシンとの相互作用によって、自分の想像を超えたアイデアが生まれるんだよ。マシンを使ってアシッド・ハウスを作る醍醐味は、最初からアイデアがなくても、曲が作れることなんだ。聴こえてきた音に反応して曲を作っていくんだ。当時は、レコードよりも、とにかくドラム・マシンで作ったシンプルなハウス・ビートが聴きたかった。ドラム・ビートが鳴っていると、それに触発されて別のマシンをいじって、音を重ねていきたくなる。それがとにかく楽しかったね。

いまはコンピュータとトラッキング・ソフトウェアを使っているんですよね?

J:そう。同じ機材を使っているけど、いまは使い方が変わったんだ。いまのほうがドラム・コレクションが増えたんだけど、コンピュータを使って演奏してる。コンピュータを使わずに、606を使ってモジュラーシンセをトリガーさせることもある。ほとんどのドラム・マシンは、コンピュータからトリガーできるから、いままでとはちがう方法でコントロールできるんだ。リズムをずらしたり、ポリリズムを作り出したり、ブレイクビーツっぽいリズムも作り出せるんだ。最初はステップ・プログラミングを学んだけど、そこからマイクロ・リズムを研究するようになったんだ。リズムをずらすことで、もっとキャラクターのあるリズムの作り方を学んだ。コンピュータを使うことで、ドラム・マシンの表現力が広がったんだ。ヴィンテージのRolandのドラム・マシンには、マイクロ・コンピュータが入ってるんだよ。コンピュータを使うことで、ドラム・マシンの脳に入り込んでコントロールできるんだ。機材だけを使っていると、ボタンを使ってプログラミングするしかない。でもコンピュータを使うことで、909に入り込んで、もっと表現力のあるプログラミングができる。909を使って、生のドラマーのようなリズムが作れるんだ。Renoizeのソフトを使って、909の中のコンピュータをコントロールしてるんだ。それがいちばん大きい違いだね。
 トリックフィンガーのそれぞれの曲で、ちがう機材の組み合わせを使ってるんだ。いまは、セットアップは固定されてるし、理想のかたちになったんだ。それもひとつのちがいだね。当時は202を2台持ってたけど、いまは6台持ってるんだ(笑)。当時は303をほとんどの曲で使ってたけど、いまはあまり使わないんだ。

純粋に自分の中にあるエネルギーを表現している音楽が好きなんだ。だからパンクやジャングル、50年代のロックンロール、40年代のカントリーが好きなんだろうな。

他の未発表音源はいつかリリースしますか?

J:このアルバムもそもそもリリースしようと思ってなかったわけだしね。だから、1年後にオリヴァーがまた他の未発表音源をリリースしたいと言ったら、承諾はすると思うよ。でも、自分からリリースしようとは思わない。

最近は何を作ってるんですか?

J:いまは自分のために音楽を作ってるだけなんだ。2013年の12月から、リリースを意識せずに音作りがしたくなったから、しばらくはそのモードで制作してる。ブラック・ナイツの新作が今年リリースされるけど、それは2013年に作ったものなんだ。だいぶ前に完成させたから、もっと早くリリースしたかったけど、5月にリリースされる予定だよ。

最近はどんな音楽を聴いてますか?

J:いつも変化してるよ。最近は音楽を作るときは、サンプリングから作りはじめるんだ。いまはこの作り方がいちばん楽しいし、自由だし、表現力があるんだ。ギタリストとして、俺はいろいろなレコードにインスパイアされたから、RHCPにも楽曲を提供できたんだ。それがなければ、できなかったよ。音楽の歴史を勉強することがインスピレーションになってるんだ。だから、サンプリングをすることで、俺は音楽の歴史を取り入れて、そこからまったく新しい音楽を生み出せるんだ。だから、ギタリストとしてやってたこととアプローチは同じなんだ。サンプリングで心地よく曲を作れるようになるまでしばらく時間がかかったけど、それができるようになってから、自分のソロ作品やヒップホップ作品で多用するようになった。サンプルに対して反応して、そこから曲を作っていくんだ。いまは、とくにアルバムのプランをもたずに曲を作っている。
 それから最近は90年代のジャングルをよく聴いてるよ。あと、80年代のニューヨークで流行ったフリースタイルも大好きなんだ。70年代後半と80年代初期のパンクもよく聴いてるね。ジャームス、ブラック・フラッグ、ザ・ワイパーズ、ミスフィッツみたいなハードコア・パンクのバンドだよ。レコード店に行って、カントリー、フォーク、プログレ、50年代のジャズ、キャット・スティーヴンス、コメディとか、いろいろなレコードを買い漁ったりする。最近ハマってるのは、ジョー・ジャクソンなんだ。幅広くいろいろな音楽を聴いてるよ。ノイズも聴くしね。
 最近、友だちのオーレン・アンバーチがLAにきてライヴをやったのを見たけど、すごくよかった。最近俺が作った曲がノイズの曲だったんだけど、リズムやメロディの要素が入ってないんだ。そういうアプローチも楽しい。ピタ、エクハルト・エーラーズ、ファーマーズ・マニュアルなんかも最近は聴いてるよ。40年代から60年代の音楽を聴くこともあるし、自由でピュアなアプローチで作られてるものが好きなんだ。巧みなものを作ってやろうという意図のある音楽じゃなくて、純粋に自分の中にあるエネルギーを表現している音楽が好きなんだ。だからパンクやジャングル、50年代のロックンロール、40年代のカントリーが好きなんだろうな。有名人になろうとかじゃなくて、純粋に自己表現をしている音楽。だから、ピュアな音楽を聴くことが多い。ミュージシャンがみんな同じ部屋で演奏しているレコーディングが好きだよ。オーヴァーダビングを多用することで、ミュージシャンの技術は落ちたと思うんだ。モダンなバンドは、オーヴァーダビングを多用したり、巧みなエンジニアリングを使って、実際よりも歌が上手いように聴こえさせることができるんだ。そういうバンドよりも、40年代のカントリー・バンドを聴くほうが楽しいね(笑)。

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