「KING」と一致するもの

禁断のクリスマスBOX - ele-king

 禁断の多数決から素敵なプレゼントが届いた。以前よりアナウンスのあったクリスマス・アルバム『禁断のクリスマスBOX』である。ハンドメイド感あふれる箱を開けると、雪を模した綿やらオーナメントやらアートカードの奥から、ディスクが2枚あらわれる。20曲入りのCDと本作用の映像を収めたDVDだ。とても楽しい作りである。しかしこの作品にはもうひとつ重要な要素がある。

 前号(ele-king vol.7)で行った〈マルチネ・レコーズ〉主宰トマド氏へのインタヴューでも非常におもしろい話をきくことができたが、本作は話題の「投げ銭システム」、クラウドファンディングを利用し、まさにファンのための仕様を実現している。「メンバー全員、クリスマスが大好きです! 応援してくれた皆さんと完全ハンドメイドのクリスマス作品で一緒にメリークリスマス♪を楽しみたいです」というコンセプトのもと、こうしたシステムを利用し、クリスマス・アルバムというものを「売り物」ではなく「プレゼント」へと、スマートに(またハートフルに)転換してみせた。もちろん定価のついたれっきとした商品だが、制作費をファンがもつというあり方はなんとも直接的で理想的ではないか。投げた金が、プレゼントになって帰ってくるのだ。それはたとえもとからのファンであったとしても、「買わされる」システムとはまったく違うものだ。クラウドファンディングは、うまく利用するならばその過程や手順をスムーズにし、わかりやすく見せてくれる。

 曲のほうも、パンダ・ベアをほうふつさせるサイケデリックなトロピカル・ポップや、デイデラス風のラウンジーなカットアップ・スタイルに幕を開け、ベタベタなクリスマス感を避けながらも豊かなフレイヴァーによってこの時期特有のそわそわとした空気を彩る。
 購入はバンドの公式サイトから可能だが、明日はメンバーによる手売りが行われるようだ。クリスマス直前でもあることだから、ぜひ行ってみよう。

 詳細→ https://kindan.tumblr.com/post/37976471859/12-22-dum-dum-office-box
 公式サイト→ https://kindan.tumblr.com/

12/22(土)に高円寺DUM-DUM OFFICEにてメンバーによる『禁断のクリスマスBOX』店頭販売

12/22(土)に高円寺DUM-DUM OFFICEにてメンバーによる『禁断のクリスマスBOX』の店頭販売を行います。12時~17時まで店内におります。先着で、禁断の赤ワイン or チューダー or サイダーを一杯振る舞います。 尚、当HPのショップページからも『禁断のクリスマスBOX』をご購入出来ます。何卒よろしくおねがいいたします。

DUM-DUM OFFICEの地図
https://magazine.dum-dum.tv/archives/901

『禁断のクリスマスBOX』 ショップページ
https://kindan.tumblr.com/shop/

チューダーとは?
https://umanga.blog8.fc2.com/blog-entry-165.html

[music video] - ele-king

 今年はフォーマルな服装をキャップで崩すスタイリングが推されていた。タイラー・ザ・クリエイターの影響はあったのだろうか、さらにそこにスケボーのブームも合流してか、〈Supreme〉のキャップが東京の街中で散見された。
 もうひとつ、いやというほど見たのはからし色の洋服だ。先日、『ele-king vol.8』の年末対談のために上京していた木津毅氏、竹内正太郎氏とともに、裏原宿あたりでデートをしていたのだが、そこらじゅうの服屋でマスタード色がウィンドウ・ディスプレイに晒されていた。道行く人まで......、ほらあの人も、ね、あそこの人も、ほらほら、また、うわー......。


How to Dress Well  - & It Was U(Official Music Video)

 ほら、ハウ・トゥ・ドレス・ウェルも! なるほど。おめかしするにはマスタードだったのね。


Alexis Taylor - Nayim From The Halfway Line

 しかし、キャップとマスタードのスタイリングを2年以上前から実践していた人がいる(https://www.youtube.com/watch?v=wif8DAyXkVc)。ギーク界のファッション・リーダーことホット・チップのアレクシス・テイラーだ。
 そのアレクシスが12月3日、〈ドミノ〉からソロEP『ナイム・フローム・ザ・ハーフウェイ・ライン』を突如としてリリースした(デジタル配信は17日開始)。公式な事前予告なしだったが、クリスマスに向けたささやかなサプライズということなのだろうか。2008年にジョン・コクソンが主宰する〈トレッダー〉よりリリースした宅録アルバム『ラブド・アウト』以来のソロ作品となる。
 ジャケットのアートワークは、オリヴァー・ペインとのタッグで有名な現代アート作家ニック・レルフによるものだ。
 残念ながら18日現在筆者の手にはまだ届いていないので、入手しだいレヴューしたいと思う。前作は宅録の名盤『マッカートニーⅡ』を思わせるような弾き語り&シンセのチルな作品であったが、今回はミニマムでグルーヴィーなリフレインが意表をついてくる。映像とタイトルのとおり、フットボールのネタからもいくらかねじれた感性がのぞくのがさすが。


Hot Chip - Don't Deny Your Heart (Official)

 ホット・チップのアルバム『イン・アワー・ヘッズ』は、今年とても評判であったように思う。ファンも増えただろう。もっとも筆者からするとマッチョなまでに3分ポップス化しているのがいまだに好きになれないのだが、それにしても本当によくできた曲ばかり揃ったアルバムだった。そのなかでも特にきらびやかだったシングル曲“ドント・ディナイ・ユオ・ハート”の公式ヴィデオが発表された。
 初めはまったく笑えなかった。いまでも笑えない。「ファニーなヴィデオ」で話題を呼ぼうとセルアウトしているんだと感じた。もうファンでいることがいたたまれなくなった。まあしかし、すこし再考してみよう。
 ホット・チップのメンバーはゲイである――という噂がかつてあった。噂を盛り上げたのは“レディー・フォー・ザ・フロア”(2008)の印象的な一節=「きみは僕のナンバーワンの男(You're my number one guy)」だ。2年以上前、なにを思ったか初対面にも関わらず筆者は噂についてアレクシスに訊いてしまったが、彼は笑顔でこう答えてくれた。
 「『バットマン』の映画でジョーカーが手下にそのセリフをいう場面(https://www.youtube.com/watch?v=hLBmZW-d2A8)があって、そのグラマー(文法)が好きだったから使ったんだ。ゲイのニュアンスは意図していなかったよ。現に僕も女性と結婚して子供もいるしね。インターネットで僕らがゲイだというひとがいようと関係ない話さ。」
 それ以前にも彼らはゲイ雑誌からのインタヴュー英『ガーディアン』誌のインタヴューなどにおいても、ゲイから人気があることは認めつつも噂を否定している。
 とすれば、今回のPVは改めてゲイを自分たちと切り離し対象化しているとも思える......けども、いまさら?
 もうすこし考えてみる。
 2人の選手が喧嘩寸前のところ、唐突にダンスでバトルをするシーンがある(『スペースチャンネル5』というダンス・ゲームを想起させる意味不明な空間だ)。その後、2人は熱くキスを交わし、不穏だった会場は愛のあふれる平和な空間となる。これは、とくに本楽曲がディスコ音楽からの影響が顕著なように、ホット・チップ自身が愛するディスコ文化(音楽)がゲイのコミュニティによって発展してきたことを示唆しているのではないだろうか(https://www.qetic.jp/feature/battles/78938)。
 ......なんて考えてはみたものの、映像監督のピーター・セラフィノウィッツ(Peter Serafinowicz)はコメディアンだし、ホット・チップとの仕事では、おっさんの口からビーム吐かせたり(https://www.youtube.com/watch?v=MaCZN2N6Q_I)、UFOがぶっ壊れるだけだったり(https://www.youtube.com/watch?v=-OsD3g461fM)するわけで、いやほんと、くだらないだけでしょう!
 しかし、このくだらないだけってのがポイントなのかもしれない。「これほど同性愛ってものが政治的なトピックになった年もない」とは木津毅氏の言葉だが(紙『ele-king vol.8』p84参照)、そんな年にあえてこのくだらなさを打ち出したと。そういうことでいいですかね。だって「我々は何年間もこの瞬間を待ち望んでいました! これこそがフットボールです!」ってナレーション、フットボール好きにだってわけわからないでしょう。

Kendrick Lamar - ele-king

 数ヶ月前、ある人から「あんたがやっていることはアンダーグラウンドで、マイナーで、負け組だ」と言われたが、12月16日の夜、自分は本当に「アンダーグラウンドで、マイナーで、負け組だ」と痛感した。自民党の勝利が予想されていたとはいえあそこまでの圧勝とは......。

 これは、なんだかんだテレビの影響が大きいんじゃないかと思っている。僕はほとんどテレビを見ない人間だが、スポーツとニュース番組はたまに見ている。3.11のときもそうだったが、今回の選挙報道に関しても、日本の報道番組の軽さには見ていて憤りを覚える。民主党3年間への批判、あるいは失われた20年というキャッチコピー、そして中国の台頭による日本経済の相対的な低下への不安(ないしは領土問題)などなどが今回の結果をうながしたのだろう。
 が、相対的に見たときに、南ヨーロッパの失業問題、アメリカの激しい格差社会などと比べれば、日本にはまだマシなところがそれなりにある。そもそも経済的な衰退に関しては日本だけの問題ではない。それでも、自分たちはまだまだイけるんだという幻想が、昭和時代への回帰という妄想と結びついて、ちょっとあり得ない選挙結果になったんじゃないだろうか。
 そんな暗黒時代を迎え、僕は水越真紀とともに、年明け刊行予定の、二木信という金玉ライターの単行本の編集を手伝っていた。『しくじるなよ、ルーディ』というタイトルで、二木信がこの10年、主に日本のヒップホップについて書いた原稿やラッパーへのインタヴュー記事をまとめたものである。
 僕は、300ページもある金玉ライターの原稿を2回以上も繰り返し読みながら、本のなかで紹介されているラッパー/トラックメイカーたち──キラー・ボング、シーダ、SHINGO★西成、環ロイ、MSC、田我流、スラック、マイク・ジャック・プロダクション、ビッグ・ジョー、ザ・ブルー・ハーブ、シミラボ、ハイイロ・デ・ロッシ、PSG、鎮座ドープネス、志人などなどの気持ちの持ち方、表情の豊かさにずいぶんと気持ち良くさせられた。彼らの、野性的な知性、自らの身体感覚を頼りに生きているさまがとても魅力的に思えた。

 25歳のロサンジェルスのラッパー、ケンドリック・ラマーの『グッド・キッド・マッド・シティ』は、ある意味興味深い接合点を作っている。昔ながらの、つまりドクター・ドレ(ギャングスタ)が好きなヒップホップのリスナー、その対極にあるとも言えるチルウェイヴ(気休め)とリンクするクラウド・ラップ系のリスナー、その両側を惹きつけていると下北沢のレコード店で説明されて、「それじゃあ」と買った。1ヶ月以上前の話である。
 なるほど、たしかに『グッド・キッド・マッド・シティ』にはドクター・ドレが参加しながら、ツイン・シャドウやビーチ・ハウスがサンプルのネタに使われている。ドレイクも参加しているが、ウィーピーではない。Gファンク、そしてここ数年のUSインディ・ロックのメランコリーが混在しているようだ。
 『グッド・キッド・マッド・シティ』は、まず1曲目が最高だ。不気味なシンセと変調された声で構成されるイントロは、ジェームス・ブレイクめいている。スクリューの効いた"スウィミング・プール"や"ポエティック・ジャスティス"も格好いい。ドレの代表作『クロニック』に捧げた"コンプトン"という曲もある。ボーナス・トラックの、とくに"ザ・レシピ"も良かった。
 アルバムは、『ピッチフォーク』がべた褒めするほどの歴史的傑作とは思えないけれど、魅惑的なラップとモダンなテイストが入ったクールな作品であることは間違いない。ミックステープ『セクション80』収録の"ハイパワー"のPVが示唆するように、ナズの『イルマティック』の孤独な叙情詩(ブルース感覚)も感じることができる(そして、ラッパー特有の、肌で感じ取って生きている人間の動きを見ることができる)。

 先日のエレグラのフライング・ロータスのライヴ&DJのセットにおいて、彼がケンドリック・ラマーをプレイしたとき、二木信と一緒に盛り上がってしまった。フライローが出演する前から我々はケンドリック・ラマーについて互いの意見をぶつけ合っていた。僕は、フライロー周辺にはない感覚がケンドリック・ラマーにはあると主張した。逆に言えば、デイダラスからフライローへと展開するロサンジェルスには、ラマーのような痛みが前面に出ることはない。そして......、しかしそれを大観衆の前でプレイするフライローはやっぱり素晴らしいですよ。「アンダーグラウンドで、マイナーで、負け組」の気持ちをわかっている。


 経済にしろ原発にしろ年金にしろ、ろくな改善も出来なかった「あの」自民党が単独過半数とはクラクラする。(中略)勇ましい政権の勇ましさに、せめて熱狂しないことがこれから数年の「我々」の忍耐になる。
   水越真紀「勇ましさに惑わされるな」(『ele-king vol.8』より)

さあ、年末号です。 - ele-king

 ele-king最新号ができあがりました。年末号といえば、やはり年間総括特集! 今年は青二才チームと老害チームの2本立てによって、よりキメ細やかに総括座談会を行っております。ele-king的ベスト30作レヴューも収録。ぜひぜひご意見お待ちしております。
 そして表紙、巻頭インタヴューは巨匠ブライアン・イーノ! こんな写真加工、よく許可が下りたな......という宇川直宏デザインにもご注目あれ。「ひとはなぜ音楽を聴きたいと思うのか、きちんとこれに答えられたひとはまだ誰もいない。」三田格の巧妙な質問には名言回答続出、12ページにわたる保存版ロング・インタヴューです!
 また今年活躍のフレッシュなアーティストにも個人的な年間チャートを寄せていただいているほか、さまざまな論点を持った音楽コラム、カルチャー批評、インタヴュー、好評の連載陣も腕をふるう充実の内容。どうぞ、お手にとってご覧下さい!

●巻頭インタヴュー

ブライアン・イーノ、ロング・インタヴュー◎三田格
アンビエント・カレント、カタログ15タイトル! 

●座談会
2012年の音楽シーンを語り尽くす!
オールジャンル30代不在座談会◎田中宗一郎×野田努×松村正人×三田格 +木津毅
u‐30インディ総括座談会◎倉本諒×竹内正太郎×中村義響×橋元優歩

●レヴュー
2012年エレキングランキング30

●インタヴュー
快速東京
ヘア・スタイリスティックス
岩淵弘樹×澁谷浩次

●アーティストによる2012年ベスト
ISSUGI FROM MONJU/一ノ瀬雄太(快速東京)
福田哲丸(快速東京)
空間現代
サファイア・スロウズ
夏目知幸(シャムキャッツ)
シンリシュープリーム
出戸学(オウガ・ユー・アスホール)
ミツメ
虫博士
ほうのきかずなり(禁断の多数決)
Jam City
BokBok

●音楽の論点、人気連載、最新情報コラム、年末号も大充実の必携本です!

-----目次-----

〈フォト・ギャラリー〉間部百合─4

〈EKジャーナル〉松村正人/Shing02/五所純子/水越真紀─12

〈巻頭インタヴュー〉ブライアン・イーノ、ロング・インタヴュー◎三田格─19
アンビエント カレント15─32 

〈特集〉2012◎松村正人/五十嵐一晴─36

〈座談会〉2012年を語り尽くすオールジャンル、30代不在座談会 Part1◎田中宗一郎×野田努×三田格×松村正人+木津毅─38

〈レヴュー〉2012年エレキングランキング30(1-10)─48

〈座談会〉2012、u‐30インディ総括座談会◎倉本諒×竹内正太郎×中村義響×橋元優歩─55

〈レヴュー〉2012年エレキングランキング30(11-20)─68

〈2012の顔〉快速東京・福田哲丸+一ノ瀬雄太インタヴュー◎三田格/小原泰広─73

〈音楽の論点2012〉磯部涼/橋元優歩/小林雅明/中里友/ブレイディみかこ/湯浅学/野田努/竹内正太郎─92

〈レヴュー〉2012年エレキングランキング30(21-30)─108

2012マイ・プライベート・チャート10ライター編─113

〈Eコラム〉「自意識」について◎三田格─116

〈連載〉ネオ・ニヒリズム◎粉川哲夫─120

〈TAL-KING1〉ヘア・スタイリスティックスインタヴュー◎松村正人/菊池良助─125

〈no ele-king〉MARK◎磯部涼/小原泰広─132

〈連載まんが〉本日の鳩みくじ◎西村ツチカ─138

〈連載コラム〉キャッチ&リリース◎tomad─144/二木ジャーナル◎二木信─146/ピーポー&メー
◎戸川純─148/編年体ノイズ正史◎T・美川─152/ナポレオン通信◎山本精一─156/水玉対談◎こだま和文×水越真紀─160

〈最新情報コラム〉EKかっと・あっぷあっぷ◎金田淳子/市原健太/岡澤浩太郎/小原真史/プルサーマル・フジコ/木津毅/水越真紀─166

〈TAL-KING2〉岩淵弘樹×澁谷浩次(yumbo)◎九龍ジョー/菊池良助─178

〈2012マイ・プライベート・チャート10〉
アーティスト編:ISSUGI FROM MONJU/一ノ瀬雄太(快速東京)/福田哲丸(快速東京)/空間現代/サファイア・スロウズ/夏目知幸(シャムキャッツ)/シンリシュープリーム/出戸学(オウガ・ユー・アスホール)/ミツメ/虫博士/ほうのきかずなり(禁断の多数決)/Jam City/BokBok─185

〈表紙オモテ〉宇川直広
〈表紙ウラ〉大原大次郎

Prince Rama - ele-king

 ギャング・ギャング・ダンスがよりレフト・フィールドな感性に支えられ、また受け入れられていたのに対し、プリンス・ラマは、もっとずっと素朴な動機からトライバリズムへと向かったデュオではないかと思う。彼らのサイケデリアにおけるヒンドゥーなりアフリカなりチベットなりといった意匠は、ある意味では純粋というか、「なんとなく好きだからそうしているのー」というあけすけさが裏返ったような、奇妙な強度を持つものだ。
 先日のDOMMUNEや次号ele-kingの2012年総括座談会でも述べたが、ネットワーク化によって作品の発表形態や享受のありかたが決定的に多様化するなかで、人と音との関係の恣意性は上がっている。昨今「ロックを聴くならオアシスから」といったような定式がまるで見当たらないのは、ヒーロー不在のためなどではなく、ヒーロー不成立のためだ。興味が拡散し、ジャンルは細分化を極め、視聴可能な音源のアーカイヴも無限に膨張、昔の音がそしらぬ顔でいまの音に並ぶ(「昔の音はいまの音」三田格)......そのような地平で、われわれはまさにある音楽と「たまたま出会う」傾向を深めている。同座談会では、そんなリスナー実感を竹内正太郎がとても素直に述べている。このリアリティをピックアップしたかったので、タイトルは「僕らは偶然聴いている」とした。シニア組の座談会が「若者に反抗が戻ってきた!」という話からはじまるのと、おもしろい対照を生み出していると思う。宣伝、失礼しました。21日発売です。

 こうした傾向に照らし合わせるならば、プリンス・ラマの「少し遅れてきたブルックリン」的なトライバル・サイケは、まさに恣意的に選択されたスタイルだったのではないかと思い当たる。彼らは、それに向かうことになった動機に深く絡め取られることがない。もしこれがマジなトライバル志向や呪物崇拝に突き動かされた音楽だったのなら、今作のようなイメージ・チェンジはあり得なかっただろう(ジャケを見るだけでも明らかだ)。そのかわり、2000年代の終了とともにその存在も風化していったことだろうと思う。正直なところ手詰まりな感のあった音やキャラクターを、あっさりと翻すことができたのは、彼らのモチヴェーションの軽やかさのためではないか。今作においてはそうしたことがあらためて浮き彫りになった印象だ。

 しかし表層を離れると、彼らの一貫性もまた見えてくる。というか、『トップ・テン・ヒッツ・オブ・ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド』というコンセプトが与えられたことで、これまでのエセ密教やエセ黒魔術的なトーンがすっかり相対化されてしまった。それらは今回のエセ・サイバーパンク同様、「世界の終わりのヒット・ナンバー10」のひとつだったのです、という具合である。じつに幻術的な縫合だ。しかし間違ってはいない。彼らの瞳のなかでは、どちらも同じようなものだったということだ。
 ジャケットでは、コンピュータの内部世界を記号的に表現した『トロン』的なマス目空間に、非西欧世界のモチーフがコラージュされている。ネット世界のゴミくずを適当にかき寄せるヴェイパーウェイヴ的な感性に共振するように見えるのは、やはり自らのトライバリズムに向かう姿勢が、ちょうどそれに類似したものだったからだろう。その意味では、本年作としても時宜を得た転身だったと言える。

 思いがけないところで、〈ノット・ノット・ファン〉~〈100%シルク〉にも接続した。ニューウェイヴィなディスコ・チューンに、ウィッチなヴォーカルがかぶさり、これまでの傾向を引き継ぐどろっとしたプロダクションで仕上げられている。アマンダ・ブラウン関連の諸作に並べられるだろうし、〈シルク〉の顕著なディスコ志向にも沿っている。音楽的にも脱皮を図った、というか、脱衣を図ったような変化と一貫性がみられる。アニマル・コレクティヴに見初められ、〈ポー・トラックス〉から出てきた彼らが、リアルな森ではなく、ヴァーチャルな情報の森に遊んでいることを感慨深く眺めた。1曲挙げるならば“ドーズ・フー・リヴ・フォー・ラヴ・ウィル・ラヴ・フォーエヴァー”か。

MXH-DBA700 / DD600 - ele-king

 私は音楽を聴いて考える仕事が多いので日中は家でよく音楽をかけている。ところが、夜は狭いくせに高い東京の住宅事情と、何かしら茫漠とした家族への負い目もあいまって、スピーカーは鳴らせないか、鳴らせたとしても蚊の鳴くような音である。書きものをするのはたいてい深夜なので、必然的にヘッドホンをつけることになる。私はふだんカナル型のヘッドホンを愛用しているが、それはいくつか理由がある。オーバーヘッド型はかさばるので――外に持ち出すには――機動性に欠け、インイヤー型は心許ない、首かけ、耳かけは、オーバーヘッド型にもいえることだが、首が凝るし耳のうしろが痛くなる。と、のっけから注文ばかりで恐縮ですが、音楽好きにとって、ヘッドホンは「聴取環境」のなかでも再生機器以上に見過ごせない要素であることはまちがない。いや、むしろ、これだけアナログ(レコード、カセット)からデジタルまで、デジタルであっても複数のファイル形式に音声(データ)が多様化し、PCから各種プレイヤー(のグレード)まで再生環境が分化したいまとなっては、情報が最終的に音に変換される場所、音と身体の接点がなによりも大切になってくるが、一本数百万するスピーカーに金をかけられるのは医者とか会社経営者とか、金持ちの骨董趣味の老人くらいだろう。私たちはもっと現実的に、というよりも現在的に音楽を聴いているはずだ。そこでヘッドホンが問題になる。耳と音のセッションする接点としてのそれが。

 前述の通り、私はヘッドホンをいつも使っているが、これは原音に忠実なのを謳った某社のものなので比較的フラットな再現性である。ノイズ~ドローン、クラブミュージック、バンドものからSSW、アコースティックなジャズとかクラシックとか、多種の音楽を偏り少なく聴くための気配りなのだがつねひごろ物足りない気はしなくもなかった。なので、maxellの2タイプのヘッドホンを試せるのをもっけの幸いとばかり、ふだんよく聴く音楽を元に「MXH-DD600」と「MXH-DBA700」を、買い換えを視野に入れ、真剣に聴き較べてみた。
 視聴音源に選んだのはマーラの『マーラ・イン・キューバ』から"Revolution"。今年出たアルバムのなかでもウェブ、紙の「ele-king」で、とみに評価の高かった作品であるだけでなく、高音から低音まで広いレンジをふくみ、かつデジタルとナマ音(のサンプリング)をミックからなるこの曲を聴き較べに最適とみなした。まず、赤色使いもかわいい「MXH-DD600」は一聴してバランス感覚にすぐれたヘッドホンという印象。これまでは、いくらか暴力的にも感じられた"Revolution"が「MXH-DD600」だと、まとまりをもった、こなれたものになっている。低音を殺さず中音域に配慮したデュアル・ドライバにより、ドラムやパーカッションといった中音域に固まりがちな楽器群をクリアに再生するためか、ダブステップとキューバ音楽のフュージョンである『マーラ・イン・キューバ』のような境界線上の音楽の意図を、「MXH-DD600」は俯瞰するように届けてくれる。この特性ならソウルやファンクなどのファットな音色にも相性がいいはず。それに歌ものも。というわけで、つづけざまに、これも野田さんはじめ、下半期の「ele-king」で話題になった「公営住宅地のボブ・ディラン」ことジェイク・バグの同名作から"Broken"をかけてみた。私はこの曲を聴くたびに、これってディランより山崎まさよしのワン・モアなんとかなんじゃないのと口を滑らしそうになるのだが、「MXH-DD600」で聴くと、歌の細かいニュアンスが手によるようにわかり、美しいメロディと隣り合わせの荒涼とした心象が歌の襞からにじんでいる気がして、彼の音楽との俄然距離が縮まった。ありがとうございました。

 さて一方、黒一色のシャープな「MXH-DBA700」であるが、こちらはBA(バランスド・アーマチュア)型とダイナミック型ドライバ搭載により "Revolution"の低音の迫力と高音の伸びを過不足なく再生する。傾向としてはドンシャリ、つまりハイとローをもちあげた音楽になじみがいいだろうから、ダンスミュージックにはうってつけである。音の分離が明快なので、各パートがどのように周期しグルーヴをつくるかもよくわかる。ためしにシャックルトンの『ミュージック・フォー・ザ・クワイエット・アワー』も聴いてみたが、重層的な音の構造体そのものが剥き出しになったようで、これまで聴いていたヘッドホンでは感得できなかった発見があった。あまりに強力なヘッドギアともいえるもので、これをポータブルプレイヤーないしはスマートフォンに装着して街に出ようものなら、踊り出すか固まるかして、渋谷警察の角あたりで職質を受けないともかぎらないので注意が必要である。また、ヘッドホンの重要な選択基準ともいえる、フィット感と携帯性については、「MXH-DBA700/DD600」のゆるやかな円筒形のシェイプは耳を圧迫しすぎることのない、ほどよい密着感をもっており、しかも絡みにくいフラットコードを採用した、こころにくいホスピタリティ(?)には、私がキシメン派であることをさしひいても、賢明なる読者諸兄の賛同を得られるのではないか。

初音ミクの『増殖』 - ele-king


HMOとかの中の人。(PAw Laboratory.) - 増殖気味 X≒MULTIPLIES
U/M/A/A Inc.

初回盤 通常盤


 初音ミクによるYMO『増殖』のカヴァー・アルバム、『増殖気味 X≒MULTIPLIES』が今週リリースされる。プロデューサーは、初音ミクを筆頭としたボーカロイド文化の黎明期から活動し、現在もシーンを支えつづける“HMO とかの中の人。(PAw Laboratory.) ”。2009年に発表された『Hatsune Miku Orchestra 』につづく第2弾ともなる作品であり、前作にましてコンセプチュアルなこだわりと細部への作りこみが徹底されている。そうした点をひとつひとつ照らし出すことで、本作はさらにユニークにかたちを変えるだろう。また双方の「増殖」のニュアンスが持つ興味深い差異についてもあきらかになるはずである。今回は元ネタであるYMO『増殖』との比較をおこないながら、本作のおもしろさ、YMOのおもしろさ、そしてボカロ文化のおもしろさに迫る座談会をお届けしましょう。YMOを知らないあなたにも、初音ミクがわからないあなたにも!


YMOか、スネークマンショーか

小学生でスネークマンショーのファンになったってひとはすごく多いですね。遠足のバスのなかでみんなでかけて聴いたと。(吉村)

――まずはみなさんのYMO体験から、簡単におうかがいしたいと思います。世代的には三田さんと吉村さんがいちばん聴いていらっしゃると思いますが、さやわかさんはいかがですか?

さやわか:僕は小学1年とか2年とか、ほんとに子どもだったんですよね。74年生まれなんですが、音楽を聴いていちばん最初にかっこいいなと思ったのが、YMOとかで。

三田:そうなんだ?

さやわか:そうなんですよ。まあ最初は“ハイスクール・ララバイ”とかを聴いて、「こういうものがあるんだ」っていうのが最初なんですが。

三田:(笑)なるほど~。

さやわか:子供ですからね。その後に“ライディーン”とか聴いて、かっこいいなっていう感じですよね。だから、『増殖』ぐらいになると、もうなんとなく知ってるんですよね。しかもちょっとギャグが入っていておもしろおかしいし、従兄弟の家に行ったら置いてあるくらいのポピュラーなものだったんですよ。とくにこれは、ジャケットもダンボールとかついててかっこいいじゃないですか。おもちゃっぽい、ガジェットっぽいというか。だから子ども心に憧れのある盤ではありましたよ。

三田:久住昌之がつけた歌詞、知ってる?

さやわか:「テ・ク・ノ~、テクノライディ~ン~」(空手バカボン“来るべき世界”の歌詞)じゃなくてですか(笑)?

三田:「僕は~きみが好きなんだよ~」って(笑)。

さやわか:はははは! ともかく、そんな感じですね。YMO初期から中期に行くぐらいの感じの、ちょっとおもしろおかしいんだけれども、とんがっててかっこいいみたいな感じ、ポップさがある感じがすごく好きだったなあ。印象的だった。だんだん大人になってくると中二病的な気持ちで「中期ぐらいがいいよね」みたいなことを言い出すんですけど(笑)。でも、最終的には『増殖』くらいがすごく好きですね。子供の頃の憧れもある、ポップで、おもちゃっぽい感じ。

三田:ポップっていうか、勢いがあるときだよね。

さやわか:まさにそうですね。やりたい放題感があるわけじゃないですか。

三田:僕は高校生だったけど、吉村さんは?

吉村:僕は中学生でしたね。何年か前にスネークマンショーの本を書いて、そのときにすごくリサーチしたんですけれども、小学生でスネークマンショーのファンになったってひとはすごく多いですね。遠足のバスのなかでみんなでかけて聴いたと。

さやわか:懐かしいな。いま思い出しましたよ。2コ上の従兄弟がスネークマンショーのテープをいっぱい録って持っていたんですよね。僕はそこから入っていって、スネークマンショーのオリジナル盤みたいなものもどんどんテープに録って、友だちと貸し借りしました。スネークマンショーがやっぱりおもしろいんですよね。

三田:今回の野尻さん(※)にプレッシャーをかけてるわけですね(笑)。

※野尻抱介。『増殖』オリジナル盤にはスネークマンショーによるコントが数編収録されているが、『増殖気味 X≒MULTIPLIES』では野尻氏の脚本によって2012年現在を反映する内容に書き換えられている。

さやわか:はははは! いやいやでも、今回の野尻さんのやつも、時代性があるというか、よかったじゃないですか、最後のやつとか。

吉村:スネークマンショーのほうは、けっこう校内放送でかけて怒られたとか、そういうエピソードがいっぱいある。

三田:小学校で?

吉村:小学校、中学校で。モノマネもよくやったみたいですよね。たとえばKDD(『増殖』収録のコント)とか英語じゃないですか。小学生だったら意味はわからないんだけど、言葉やセリフのリズムとか声の質とか、すごくおもしろく聞こえちゃうんですね。そういうマジックがあった。

三田:じゃあけっこう共有文化なんだ? クラスメイトの。

吉村:そうですね。YMOよりもスネークマンショーって感じですね。

さやわか:そうなんですね。僕はもう、嘉門達夫とかといっしょに聴いたような気がしますよ。そういうレベルの出来事ですよね、小学生にとっては。

三田:あー、なるほどね。僕は逆に、YMOはダメだったんだよね。ちゃんとそのとき買って聴いたのは『BGM』だけで。流行りものの勢いに負けて、7インチは全部買ってたんだけどね。だからいまだに『テクノデリック』を聴いてない。

一同:(声を揃えて)マジすか!?

三田:そうそう。

さやわか:そんなことがあり得るんですね。

三田:いまだに抵抗があって。なんでかって言うと、先にクラフトワーク聴いてるんだよ。父親がヨーロッパ土産で『トランス・ヨーロッパ・エクスプレス(ヨーロッパ特急)』の7インチ買ってきてくれて。で、その頃に聴いてる音楽ってクリームとかだから、はじめて『トランス・ヨーロッパ・エクスプレス』を聴いて、もう何が起きたかわかんない! っていう衝撃があったわけだよね。何がどうなっちゃったんだろ、と思って。それでその次の年に“ライディーン”を聴くと、「子どもっぽいなー」っていうね(笑)。なんか真剣になれないんだよね。

さやわか:はははは! でもまあ、そうですよね。フュージョン感が。

三田:だけど、『BGM』がよかったんで、もうちょっと聴いてみようかなと思ったときに、『増殖』も知ったんだよね。だからこの作品には愛着があって。

さやわか:あ、そうですか? 『BGM』から戻っていく感じですか?

三田:そうそう。だから“ビハインド・ザ・マスク”を知らなかったのよ、全然。だいぶ経ってから“ビハインド・ザ・マスク”聴いて、いまではいちばんが“ビハインド・ザ・マスク”かな。そんなとこです、僕のYMO体験というのは(笑)。『増殖』はでも、リアルタイムで聴かないと、体験としての差が大きいよね。

さやわか:『増殖』はリアルタイムで?

三田:うん。『増殖』と『BGM』だけはそれなりに愛着があるね。でも、去年だったか、坂本龍一さんがDOMMUNEに出た後の打ち上げで、僕、ポロっと「“タイトゥン・アップ”のなかのセリフで「酒飲め、坂本」ってありましたよね」って言ったら怒られたんだよね。「違うよ!」って。「Suck it to me, Sakamotoって言ってるだろ!」って。30年以上勘違いしてた(笑)。しかし、そんなに怒るかなって(笑)。

さやわか:はははは! でもそうやって空耳するくらいの気軽さでみんなの耳に入ってくるような影響力がありましたよね。

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ふたつの「増殖」

いまの初音ミクって、初音ミクというぼんやりとした中心のようなものに向かって、全員が違うものを作っているってところがおもしろいので、その違いをはっきりと出してるジャケットだなと。(さやわか)


――その『増殖』を初音ミクでカヴァーしたアルバム、『増殖気味 X≒MULTIPLIES 』が今月リリースされるわけですが、ここからは両者を比較しながらお話をうかがっていきたいと思います。アレンジ、プロダクション、コンセプトに加え、楽曲やコント・パート、仕様そのものの再現性についてなど、たくさんの比較ポイントがありますよね。

 また、そもそもYMOが『増殖』をリリースした背景にあるものと、現在の初音ミクを取り巻く風景とを比べながら見えてくるトピックもあるかと思います。初音ミクはちょうど発売から5年が経って、いろいろな意味でかなり一般化された段階を迎えてもいますので、そのあたりもふくめておうかがいしていきましょう。

 まずは、ぱっと気づいた相似点、相違点からご指摘いただけますか?


さやわか:時期的にはおもしろいですよね。YMOが上り調子というか、わっと人目を引きつつおもしろおかしいことをやっていた頃と、初音ミク5周年、それこそファミマなんかで商品が売られるようになったタイミングで、同じものが出るっていうのは。ほかにも5周年ということで初音ミクがらみの企画はありますが、『増殖』のカヴァーというのは、目のつけどころとしていいかもなって思いましたね。

 で、相似というよりもむしろ相違する部分なんですけど、ジャケットの絵がいいですよね(笑)。初音ミクの姿が、全部同じじゃないんです。全部違ってるんですよ。

三田:色校を見たときにジグソーパズルを作ろうって言ったんですよ。

さやわか:うん、それいいじゃないですか。『増殖』のジャケットって、いかにも当時のテクノ的な考え方として、「同じものがいっぱいある」っていう意味を持たされていたじゃないですか。もちろん個々の人形に微々たる違いはあるんだけれども、その違いが微々たるものであるというほうに意味を見出すのは、いかにも当時のテクノ的な考え方に思えますね。ところがいまの初音ミクって、初音ミクというぼんやりとした中心のようなものに向かって、全員が違うものを作っているってところがおもしろいので、その違いをはっきりと出してるジャケットだなと。

三田:『増殖』の意味が違ってたと思って。オリジナルのジャケット・デザインは、当時で言ってた右傾化みたいなムードへの批評性を持ってたと思ったんだけど、今回のは初音ミク自体の増殖性をパラフレーズしてる感じだと思って。まあ、いまのほうがよっぽど右傾化してるんだけど、もうパロディになるレベルの右傾化じゃないから(笑)。そういう違うはあるかなって。

さやわか:そうですね。そういう意味では、その右傾化的なものをさらりと流してしまっているような、なんというか軽やかさがあるわけですよね。

三田:軽やかさ(笑)。

さやわか:だって『増殖』のジャケは、こんなふうな表現で来られるからには、どう考えてもメッセージ性が高いわけじゃないですか。

三田:僕が当時覚えてるのは、年配の人たちに拒否反応があったよね。

さやわか:ああ、そうなんだ。

三田:筑紫哲也なんかが右傾化に対していろいろ言ってたタイミングでもあったから。

さやわか:これ(『増殖気味』)はそういうことじゃなくて、かわいいキャラクターがいろんな表情を取っているっていうことに完全に置き換えているので、そこがおもしろいなと思いました。


ボーカロイドは政治性を嫌うか


やっぱりスネークマンショーのパロディなんだから、もうちょっと強く毒みたいなものを出したほうがいいんじゃないかなという気持ちもある。あの雪山のコントも、もしスネークマンショーがやってたら、津波とかになるんじゃないかな。(吉村)


吉村:いまの話と共通するんですけど、『増殖』のときはコントのギャグに70年代末の世相がすごく反映されてるじゃないですか。今回のは、3.11後のいまの世相っていうのがまったく反映されてない。逆にそれはすごいことだと思って。

 これは自分のなかでまだ解釈が分かれてるんですけれども、そうしたテーマを中途半端に出すよりはいいのかなっていう気持ちと、やっぱりスネークマンショーのパロディなんだから、もうちょっと強く毒みたいなものを出したほうがいいんじゃないかなという気持ちと。あの雪山のコントも、もしスネークマンショーがやってたら、舞台は雪山じゃなかったと思う。

さやわか:何? 戦場とか?

吉村:津波ですよ。津波で取り残された人とかに設定したと思う。

三田:ああー、なるほど。やっぱりそこは意図的に回避されてると?

吉村:そう、ちゃんと考えて避けられているんだというのはわかるんですけど、そのへんが違うな、と思いますね。

三田:なるほどねー。

さやわか:社会性みたいなものをあえて排除してるということですよね。でも、初音ミク自体が政治性とそもそも接続されにくい、スタンスを固定しにくい存在としてあったわけじゃないですか。それに、メインで聴いている層が小・中・高ぐらいのはずなので、いまは彼らにとって政治的なものっていうのが、自分たちの問題として扱われていないんじゃないかということがある。そして、政治に興味がある大人たちにとってみれば、今度は初音ミクが彼らに届いていない。

三田:でも、小説を読むかぎり、このコントを書かれた野尻抱介さんというのは、国家は意識しているし、政治性を感じさせないという作風ではないけどね。僕の印象からすればやや楽観的な国家観ではあると思いますけど、まったくそういうものを排除するわけではない。「一般意志2.0」とか急に出てくるんだけどね。

吉村:たとえ左であれ右であれ、そういう政治性みたいなものを出すとリスナーから拒否されるみたいなことはあると思います?

さやわか:うーん、どうでしょう。

三田:でも、それは巧妙なやり方があるような気もするけど。野尻さん自身はこの『南極点のピアピア動画』(ハヤカワ文庫JA)も『ふわふわの泉』(同)もテーマが増える、増殖するってことだったので、テーマ的にはぴったり合ってるはずなんですよ。でもコントにあんまり反映されてなかったなって。小説のほうと全然キャラが違うんで、あれ? みたいには思った。

吉村:そのあたりをすごく考えてこれになったとは思うんですよ。

さやわか:たぶんそうでしょうね。

三田:やっぱり子どもを意識したのかねえ?

さやわか:そうじゃないんですか。単純に、聴いて楽しいって感じですよね。とくに聴いていて思ったのは、ニコ動(ニコニコ動画)ユーザーのなかでも、どっちかと言うとクリエイターよりちゃんとリスナーに向けて作られているように感じましたけどね。

三田:YMOの『増殖』を聴いたときに思ったけど、やっぱりギャグは一回性のものでさ。何回も聴くものではないよなと感じたんだけど、『増殖気味』のほうは「いいボカロもあれば悪いボカロもある」のネタとかさ、けっこう何回聴いてもおもしろい(笑)。

さやわか:はははは! その違いは何なんですか(笑)?

三田:何なんだろうな(笑)。あれがいちばん好きで、あればっか聴いてる。

さやわか:それは強力なメッセージ性とか、そういうものを持ってないからかもしれない。

三田:なんだろうね。

さやわか:空気系じゃないけれど、ゆるっと、ふわっとして重みがなく、なんとなく聴いて笑っちゃえるみたいな。

三田:『デス・プルーフ』(クエンティン・タランティーノ監督)以降、女のおしゃべりが気になってるからかもしれない。女が集まってしゃべってるのって妙にインパクトがあるよね。『ハッピー・ゴー・ラッキー』(マイク・リー監督)とか、最近だと『東京プレイボーイクラブ』(奥田庸介監督)っていう映画のなかで、風俗嬢がしゃべるシーンにすごい破壊力があるんだけど、ちょっとそれに通じるものを感じちゃって(笑)。

さやわか:キャラソン(キャラクター・ソング)CDにちょっと似たノリがあっておもしろかったですよね。途中に寸劇が入る系の。『増殖』は曲とギャグが交互に入ってますよという構成のアルバムなんだけど、『増殖気味』は、初音ミクを中心としたキャラものだなって思いました。

吉村:そうか、主役がはっきりしてるんですね。

さやわか:そうですね。


オリジナルはいい加減な仕様? 『増殖気味』の楽しい仕様

僕はsupercellのイメージがいまだに強すぎるのかもしれないですけど、初音ミクってロックっぽい曲がかなり多い気がするんですよね。合成音声だからといって、エレクトロニカみたいなものがさほど目立つわけでもないように思うんです。(さやわか)

三田:コントの脚本が野尻さんになったのは、アーティストの意向? じゃあやっぱり『ピアピア動画』(『南極点のピアピア動画』)が大きいのかな。これは明らかに初音ミクをモチーフにしてるし、ニコ動をテーマにしたSFだったから。野尻さんは、ニコ動でも投稿したり、いろいろされてるんだっけか。尻Pだっけ?

さやわか:そうそう。そういう意味でも『増殖気味』は、ニコ動的な文脈もYMO的なものもちゃんとわかって作ってるってことですよね。全体的に凝りようもすごい。そうだ、インナーがちゃんと野球場になってるんですよね(※)。そんな感じでYMOへのいろんなオマージュがある。

※もともとは後楽園球場のジオラマを用いていたが、最終的にはエポック社から初代野球盤を借りて撮影されている。

吉村:(初音ミクが)入りきらないのがいいね。乗りきらない。

さやわか:これはYMOのほうと楽しさが全然違いますよね(笑)。『増殖』のほうは、なんというか強さのある表現としてやっていたんだけど。

三田:たしかにね。ヴィジュアルってすごいなあ。

さやわか:すごいですね。レイアウトも同じなのに。野球盤はいい仕事してますね。

吉村:YMOって、この頃はまだ匿名バンドっていうところがあったと思うんですね。

三田:ああ、なるほど。

吉村:誰が坂本さんで誰が高橋さんですか? みたいなこともあったぐらいで。ようやくこの頃にフジテレビとかの歌番組にはじめて出たぐらいかな。まだ一般的には匿名だったんですね。

さやわか:あ、そうなんだ?

吉村:スネークマンショーをやってるのがYMOの3人と思われてた時代。伊武さんと細野さんの声が似てるのもあるんですけど。

三田:ああ、なるほどね。さすがにそれはなかったな。そう思ってた?

さやわか:それは思ってなかったですね。スネークマンショー単体で、ちゃんと別の活動があるわけじゃないですか。

三田:そっか。小学生でそれを認識してるってすごいね(笑)。

さやわか:ははは(笑)。だからけっこうそれを認識するくらいには、ちゃんと好きだったんですよ(笑)。

吉村:『増殖』って、意外といい加減に作られたもので。「いい加減」って言うとあれだけど、制作に時間がなかった。売れてる間に何かアルバムを出したいけれど、モノはないからどうしようっていうね。このヴィジュアルも、フジカセットの広告をそのまま引用したもので、ポスターをそのまま使ってるんですよね。


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ニューウェイヴ路線への分岐点となった『増殖』

(初音ミク現象の)全体像なんてわからないでしょうね。中心もないし。そういうところのおもしろさではある。(三田)


吉村:あと、スネークマンショーのほうから、ニューウェーヴに寄せてくれという要望があった。 フュージョンじゃなくてね。それはかなり大きいですね。

三田:ああ、そうなんだ?

吉村:スネークマンショーのプロデューサーの桑原茂一さんも、それがうまくハマったんだっておっしゃってましたね。(高橋)幸宏さんが仲良くて、その頃ずっとスカとかの話をしてたんだと思います。YMOサイドからアルバムにコントを収録したいって話が来たときに、最初はイヤだったそうなんですよ。やっぱりちょっと、フュージョンのイメージが強くて。

三田:僕と同じでちょっとイヤだったんだ(笑)。ていうか、『BGM』は完全にニューロマンティックスになっちゃうじゃない? あのニューウェーヴ路線は、そのときのスネークマンショーのおかげで導かれたってことなんだ?

吉村:そうそう。それとヨーロッパ・ツアーをやったっていうのもありますね。スティーヴ・ストレンジ(ヴィサージ)のクラブに行ったりとか。

三田:ミック・ジャガーが入り口で追い返されたクラブですね。オールド・ウェイヴは帰れと。

さやわか:じゃあ初期の頃は、電子音楽でありつつも、あくまでフュージョン感のあるものをやるっていう部分にこだわりがあったんですかね?

吉村:いや、初期は引っ張られたんだと思いますよ。やっぱり時代はフュージョンの時代で。〈アルファ〉はフュージョンの会社みたいな位置づけもあったから、そこで何かやるってなったときに、YMO直前に幸宏さんもサディスティックス、教授もKYLYNをやっていたわけだし。

さやわか:なるほど。

吉村:『増殖』を出す前の秋にヨーロッパ・ツアーに行ってますね。これは有名な話ですけれど、ロンドンのヴェニューでYMOがライヴをやったら若いパンクスのカップルが踊りだして、教授も「俺たちかっこいいかもしれない」と思ったという。それがでかいと思います。ニューウェーヴに行く上で。

三田:それは聞いたことがあるかもしれない。パンクスが踊るんだ? 僕はこの頃、新宿のギリシャ館に通ってたけど、YMOがかかると全員同じフリでステップを踏むんですよね。こういう......いまだに覚えらんないけど。

さやわか:はははは!

三田:僕は高校生でね、大人のお兄ちゃんお姉ちゃんたちがやってるのがほんとに覚えられなくて。やったことある? YMOさえかからなければ自由に踊れるのに、YMOがかかるとつまはじきだったのよ(笑)。

一同:

吉村:でもブラック・ミュージック系だといまもそんな感じじゃないですか? ソウルとか。

三田:いや、ステップっていうか、振り付けがかっちり決まってるんですよ。僕のあの当時のカルチャーの印象から言うと、ピンクレディーといっしょ。同じ振りをみんなでしなきゃいけないっていう。

さやわか:ああー。でもディスコ文化ってけっこう同じ振りやってる印象ありますけどね。

吉村:もうオタ芸みたいな感じ?

三田:いや逆に、その頃は振りから解放された時代でもあったんですよ。前の流れとしてチッキンとかブギがあって、次にバンプってのが来た。74~5年はそういうリズムでしたね。で、その次にパンクが来て、自由に踊れるぞって思ってたらYMOのせいで全員同じ動きになっちゃって、「ちょっと待ってくださいよ」っていうところがあって(笑)。いまだにトラウマだもん。

吉村:たまたまそのディスコがそうだったんじゃないの(笑)?

三田:いやいや、僕それが、YouTubeとかで上がらないかなと思って(笑)。結局覚えられなかったからさ。そしたら3、4年前に何かの雑誌で、そのフリを全部解説するっていう記事が載ってたことがあった。

吉村:タケノコ族から流れてきたんじゃない?

三田:あのね、そう、フリは完全にタケノコ族といっしょでした。でも、実際のタケノコも見に行ったけど、やっぱりそれよりはもっとメカニックなものなんだよね。あのときほら、ドナ・サマーってさ、いちばんの衝撃は音楽じゃなくてロボット・ダンスだって言われたんだよね。当時ワイドショーとかでも、例の“アイ・フィール・ラヴ”がかかったときに、とにかく視聴者がいちばん驚くのはあのロボットのようなダンスだっていう報道なんかがあったわけよ。そのあたりにちょっとリンクしてるYMOの動きだったと思うんだけど。......すんごい瑣末な話(笑)。

一同:

X氏:YMOも初音ミクも、海外公演で大きな注目を集めるほどの社会現象を引き起こしたという点には共通したものがありますよね。でも音楽以外の部分に焦点を当てた評価であることも多いため、たとえばYMOは世間の反応やレコード会社に対して反抗していくことにもなります。『増殖』やその後の作品には、そうした傾向がより如実にでてきます。タイトルや楽曲の方向性などを見れば明らかですよね。海外から帰ってきてみれば、それまでは思いがけなかったような、そうした状況に直面することになってしまった。その点は、初音ミクの開発者として知られる佐々木さんの状況とも平行しているように思うんです。初音ミクというものが、ご本人が想定した以上の規模や、方向性に転んでいったというところ。僕はそのへんを重ねて見てしまうんですよね。


打ち込みのイメージにズレをもたらすプロデュース

初音ミクが出てきてほんの1~2年の頃って、もはや作家性みたいなものはなくなっていくんだ、キャラクター文化こそ最強、みたいなことがけっこう言われていたと思うんですね。でも最近は、初音ミクみたいなものが、じつは創作のプラットフォームとなりつつあるというか、結局は個々のクリエイター、プロデューサーの姿が見えてくるようになった。(さやわか)

――さらに『増殖気味』のほうの音についてもおうかがいしましょう。または、楽曲の再現性・非再現性において、何か企んだ部分があるなと思われたところを教えてください。

さやわか:ぱっと聴いて最初に思ったのは、「やけにギターの音が鳴ってるな」ってことなんですけど(笑)。

三田:ロックっぽいよね。

さやわか:そうなんですよ。で、僕はsupercellのイメージがいまだに強すぎるのかもしれないですけど、初音ミクってロックっぽい曲がかなり多い気がするんですよね。合成音声だからといって、エレクトロニカみたいなものがさほど目立つわけでもないように思うんです。

三田:それは年齢層の問題なんじゃないの?

さやわか:そうなんですかね? そっか、そういうこともあるかもしれない。でも、それと同じようにこのアルバムも、1曲目からきちんとギターを立てて、タテノリ感もきっちり来るような音楽にしているんだなとは感じました。

三田:1曲目はRCサクセションの“よォーこそ”みたいに感じたけどね。それは僕にそう聴こえるだけなのか、狙ったのか、ちょっと訊いてみないとわからないけど。

さやわか:なるほど。

吉村:打ち込みくささをあえて消してるのはすごく感じましたね。

三田:消してるところまで行ってますか?

吉村:僕は消してると思うな。このアルバムを作ったHMO とかの中の人。(PAw Laboratory.) の好きなYMOっていうのは、たぶんもっと打ち込み打ち込みしたYMOでしょう?

さやわか:たぶんそうですよね。

吉村:それをあえて消してるなって感じですよね。で、そっちのほうがいまの時代に合ってる気がする。

三田:華やかだしね、アレンジも。

さやわか:かといって人が歌う、単純にパンクなりロックのアルバムとして『増殖』のカヴァー・アルバムを出すわけじゃなく、あくまで声は初音ミクであって人間じゃない、っていうところがいまっぽいなと思いながら聴きましたね。

三田:2作の差ってことだと、僕はほとんど違和感がなかったな。自分の記憶のなかの『増殖』だという気がしたね。

さやわか:ああ、そうです? 『増殖』ってこんな感じだったんですか。

三田:なんか、あんま変えてないようなふうに聴けた。

吉村:歌詞は変えてないの? “ナイス・エイジ”とか。

――変えていないとのことです。“タイトゥン・アップ”の一部だけ変わっているそうです。

吉村:それは聴き取れなかったな。あと、『増殖』には入っていない“デイ・トリッパー”と“体操”が収録されている。まあ、“体操”はボーナス・トラックか。そういえば、マイケル・ジャクソンの遺作アルバムにYMOのカヴァーが入ったりしておもしろかったですけどね。ああいうブラック・ミュージックに行ったりするような可能性は、まだこの頃のYMOにはあった。

三田:“ビハインド・ザ・マスク”を『スリラー』に入れようとしたけど、曲の権利も売れといってきたので、坂本さんが断ったやつですね。

吉村:そうそう。あとはアメリカの音楽番組『ソウル・トレイン』に出演したりとか。繰り返しになるけど、そういう、ニューウェーヴ路線へ向かうことになった分岐点にあるのがこのアルバムだから。

初音ミクV3をいちはやく! (※現在開発中の、Vocaloid3エンジンを使った初音ミク英語版βバージョン)


ふつうのアニメなんかを題材に二次創作が広がるときって、エロ・グロ・ナンセンスが爆発するじゃない? 遡るべき一次創作があるときに、二次創作というのは無制限の領域を得るけど、初音ミクみたいな二次創作しかないものっていうのは、逆に爆発できないわけだ?(三田)


さやわか:なるほど。あと、さっきの生っぽい音、という話で思い出したんですけど、この作品で使われてる初音ミクの声が、ボーカロイドのヴァージョン3のライブラリなんですよ。

三田:......? 詳しいな。

さやわか:これがけっこう大事なことなんです。ボーカロイド3(現在開発中の、Vocaloid3エンジンを使った初音ミク英語版βバージョン)の初音ミクを使ったCDが出るのって、ほとんど初めてじゃないですか? いままではみんなヴァージョン2のものを使っていて、「初音ミクの声」と言えばあれだという共通了解があります。でも、最近ボーカロイド自体がヴァージョン・アップして、すごく人間に近いものが作れるようになったんですよ。このアルバムではそのヴァージョン3用に作られた初音ミクの声を使ってるので、かなり生で歌っているように聴こえるんですよね。みんなが知ってる、あのケロケロした初音ミクの声じゃない。藤田(咲)さんもこのアルバムには参加してますけど、一瞬どっちの声かわからなくなるくらいのクオリティを感じさせますね。ヴァージョン3用の初音ミク発売って、未定ですか? まだ世に出てないよね?

三田:へえー。じゃ、これしかないの? その新しい初音ミクとしては。

――商業で用いられているのはこれしかないそうです。担当の方によりますと、ファミリーマートでのキャンペーンの際に“ナイス・エイジ”のシングルを切って、それをユーチューブに上げたところ、海外でちょっとした論争が起こったともいいます。まず、「ミクの英語版ができたのか」という反応。それから、「でもこの発音はどうなの?」という反応。で、それに応えて「いや、これは日本のタカハシユキヒロという人の発音のモノマネをしてるんだ。だからこれで問題ない」というYMOマニアの見解。

さやわか:あははは! ソフトウェア的な限界なのか、YMOの真似をしているからこうなってるのか、という論争なんだ? それはね、でも、思った! というか、やっぱりモノマネなんだ。日本人がたどたどしく英語で歌いました感を、きっちり演出しようということなのか。

三田:そっか。30年たっても日本人の英語は変わらんということなのね(笑)。

さやわか:はははは!

吉村:自民党が悪いって橋下が言うよ。

一同:


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中心なき増殖、ボカロ文化のおもしろさ

ドロドロした表現が社会性に向かわないっていうのは、空気でしょうね。この文化を支えている人たちの。まあ、将来はわかんないですけど。(吉村)

さやわか:初音ミクって、海外の人気もすごくありますね。ただ、海外での受け入れられ方っていうのは、初音ミクを固有のキャラクターとして見るようなところがあります。

三田:ニコ動(ニコニコ動画)で観ておもしろかったんだけど、日本の子どもが初音ミクで騒いでいる映像を、世界中の子どもにみせるっていう動画。世界中の子どもが拒否反応を起こしてるんだよね。実体のないものに夢中になっている意味がわからなくて、ブラジルの子とか韓国の子とかがほんとに引いてるわけ。僕はそれまであんまり初音ミクに興味がなかったんだけど、あれを観たときに、おもしろいのかも! って思ったんだよね。考えが変わりましたよ。

さやわか:いいですねー。海外という話で思い出しましたけど、海外のファンの人たちって、いまだに初音ミクをあるひとつのアニメのキャラのように勘違いして捉えていることが多いんですよ。日本ではいまやこの『増殖気味』のジャケットが象徴するように、中心の存在しないものとして捉えられ、楽しまれていますよね。ライヴとかでも、「本体の存在しないものをセガの技術がいかに動かすか」みたいなことを醍醐味として楽しむ傾向がある。存在しないけど、でも、みんなでがんばって盛り上げる。そういう構造ですよね。

三田:で、盛り上げれば盛り上げるほど世界の子どもたちが引くんですよ(笑)。

さやわか:「存在しないものをなぜ盛り上げているの?」と思ってしまうんでしょうね。アイドルにも近いところがあります。アーティストとして圧倒的な価値のない、発展途中にあるものを、どうして全力を注いで盛り上げようとするのか。

吉村:テクノの方面ではどうなんですか? 初音ミクを使用したりするのは。

三田:ミクトロニカとかミクゲイザーとかはあるらしいですけどね。でも浮上してこない。

さやわか:音楽的には何をやってもいい世界になっているからいろんな人がいるし、年齢層も幅広い。間口が広いというか、懐が深いというか。

三田:全体像なんてわからないでしょうね。中心もないし。そういうところのおもしろさではある。

さやわか:そう。 そのあたりの感覚が、このアルバムのジャケットなり、そもそも『増殖』を選んでカヴァーすることなりにきちんと表れていて、とても批評性があると思った。おもしろいですよね。

三田:うんうん。それで言えば、前作から『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』を飛ばしてこのジャケットにきたのは、ハマりだなと思った。

吉村:うん。ぴったりきてますよね。

さやわか:たぶん作品としては、元ネタのYMOの『増殖』を知っていて、YMOをどういうふうに昇華してるのかな? という玄人筋が買っていくものだと思うんですよ。でも、この描かれているイラストとか、ねんぷち(ねんどろいどぷち)とかに惹かれて買って、「かわいいなー」って思っているだけの人、元ネタがあるだなんてことに気づかずに聴くような人もいていい。ボーカロイドはそのぐらい広い文化になっているとも思うんですね。大人は「いやー、YMO聴いてくれてうれしいよ」とか思ってるかもしれないけど、子どもはとくにそんなこと気にしてない。

三田:姪がふたりいるんだけど、反応がみごとに逆なんですよ。妹は元ネタを教えてあげるとそれに関心を持つ。だけどお姉さんは元ネタがあるということについて目をふさぐんだよね。

さやわか:ああー、嫌がる?

三田:無視する。ふたりとも初音ミクが大好きだから、ご飯食べててネギを残したりしたときに「それでも初音ミクのファンか」って言うと、食べる。

さやわか:いいねー! いい話じゃないですか。

三田:そのぐらい好きなんだけど、......なにを言おうと思ったか忘れた(笑)。まー、この作品の反応は知りたいよね。

さやわか:元ネタを気にする人もいれば、気にしない人もいる。そのふたつともが許容されるぐらいの世界にはなっていますよね。

吉村:非常に正しいですよ。このオリジナルの『増殖』にしたって、当時買ってた人の90パーセントは、流行だから買ったというだけで。YMOだから買うとか、彼らが好きだから買うというのはまだない時期です。それがないからこそヒットしていたというか。

三田:アーチー・ベルのカヴァーだ! って言って買ってる人はいない。

吉村:ははは。そう。

さやわか:うん、それでいいんだと思うんですよ。

ボカロ文化における作家性の問題

今年くらいからなのかな、(初音ミク関連の)市場が本当に大きくなって、YMOとか関係なく、ただ素朴にブックレットについてるマンガを読んで「かわいー」って言ってるだけの人も普通にいられるような広さを得ましたね。(さやわか)


――初音ミクを通して、いち作家としての強い個を出してくるようなタイプのプロデューサーさんというのはいないんでしょうか? 先ほどからのお話は、絶えざる集合知的なプロデュースと、絶えざるその淘汰によって初音ミク像とその作品が成立している、というふうに集約できると思います。そのとき、本作のクレジットに「HMOとかの中の人。」と記載されることにはどのような意味があるのか。これは彼のアルバムなのか、初音ミクのアルバムなのか。そして、初音ミクを用いながら強い個を打ち出してくる作家というのはいるのか。音楽批評誌の興味として、その点についてお聞かせいただければと思います。

三田:うーん、それは作品との距離感によっても変わってくると思うな。このアルバムは、僕は初音ミクのアルバムとして聴けるけど、たとえばアレンジの方法なんかにもっと入り込んでいくというようなかたちで、この人の作家性に寄っていくリスナーはいると思う。この作家がミクを離れたときに、それでもついていくファンがいるかどうかというところはそれぞれの作家によりますよね。

さやわか:初音ミクが出てきてほんの1~2年の頃って、もはや作家性みたいなものはなくなっていくんだ、キャラクター文化こそ最強、みたいなことがけっこう言われていたと思うんですね。これからはみんながキャラクターに奉仕して、ひとりひとりの作家ではなくて、集合知的なものだけが機能していくんだと。でも最近は、初音ミクみたいなものが、じつは創作のプラットフォームとなりつつあるというか、結局は個々のクリエイター、プロデューサーの姿が見えてくるようになった。
 以前、ぽわぽわPさんのインタヴューか何かを読んだときに、彼が「初音ミクやボカロ文化のおかげで僕らにも注目が集まってる」って言ってたんですよね。それってもう、考え方が変わってますよね。以前は、「僕らはもう要らないんだ」「キャラがかわいく存在できてればそれでいいよね」って世界になるという話だったのが、そうじゃなくなってきてる。たぶん、初音ミクを一次創作的なキャラクターだと思っている海外の人とか、まだ初音ミクがどういうものかわかっていない日本人は、そのことに気づいてないと思いますね。もちろん初音ミク自体もかわいいし、単体で力のあるキャラクターなんだけど、その後ろからちゃんと人間が出てこれるようなシステムになってきてはいるんだと思う。これは言ってみればニコ動全体がそうで、たとえばヒャダインとかも完全にいまは固有名として出てきていますよね。

三田:そうなると、僕はよくは知らないからわかんないけど、強く自分を出しすぎて嫌われる人っていうのもいたりするの?

さやわか:それはもちろん、いますね。普通のプロデューサーといっしょで、我が強すぎてよくない、みたいなことはあるんですよ。

三田:それは作品の出来、不出来ではなくて、自分を出しすぎるという点への批判なの?

さやわか:両方ですかね。やっぱり、初音ミクをこういうふうに使わないほうがいいよねって部分はあるわけじゃないですか。

三田:たとえばどういう使い方がだめなの?

吉村:これは規約だけど、エロとか。あと下品なものとかは許容されないよね。

三田:じゃあ、たとえば『けいおん!』でもなんでも、ふつうのアニメなんかを題材に二次創作が広がるときって、エロ・グロ・ナンセンスが爆発するじゃない? 遡るべき一次創作があるときに、二次創作というのは無制限の領域を得るけど、初音ミクみたいな二次創作しかないものっていうのは、逆に爆発できないわけだ?

吉村:本物がないからこそ、心のなかで規制されるというかね。『けいおん!』なら本物の『けいおん!』があるものね。

三田:そうそう。

さやわか:初音ミクはそもそものストーリーがないので、エロみたいな要素が成り立ちにくいっていうのもありますね。そういう絵を描いている人もいるんだけど、ピンナップ的なものになっちゃうんですよ。

三田:初音ミクの一生を考える人も出てくるでしょうね。

さやわか:それもまたひとつの物語のパターンとして回収されるんでしょうね。“初音ミクの消失”とかってそういう曲じゃないですか。

三田:この『増殖気味』をさ、でも初音ミクの名義で出すことはできないんだよね?

さやわか:それは......どうなんだろう、うまいこと話を通せば可能なんじゃないかなあ。『初音ミクの消失』とかもミクという名前とイラストを使って発売されていたし。

吉村:新興宗教が使ってたりしないのかな? そういうの、出てくると思うんだけど。

さやわか:ははは! もし昔に初音ミクがあったら「しょーこーしょーこー」とか歌わせるのが、あったかもしれないですね。

三田:ははは、いまは全然そういうふうな発想が浮かばなかったけど、でも時期が少し前だったらそう思ったかもねー。

さやわか:うん。でも、いまはそういう政治的なものや社会性みたいなものは排除されているわけですね。

三田:じゃあ、ほんとに、ちょっと言葉は悪いけど消毒されちゃってるんだね。

さやわか:このジャケットにしても、「ちっちゃいものがいっぱいあってかわいい」とだけ感じられる世代がいるんなら、よかったねって話でもありますけどね。

吉村:サエキけんぞうさんが、ゲルニカのカヴァーをやったりしているじゃないですか。ああいうドロドロしたものを初音ミクに歌わせるってなると、どうなりますかね。

さやわか:初音ミクでドロドロっていうと、それこそ中二病というか、切ない青春の痛み、あるいはリストカッター的なモチーフを歌ったやつがあるんじゃないですか?

三田:そんなの、ボカロだったらいっぱいあるよね。

さやわか:そう、そういうドロドロ感は多いですよね。そこでプロテストソングをやろうということにもならないし。

三田:そこはわからないな。姪なんかのボカロの消費の仕方を見ていると、やっぱり物語消費なんだよね。

さやわか:ボカロの歌詞ってどんどん物語化してるわけじゃないですか。

三田:それで小説も書いたりするわけでしょ。と考えると、いま言ってたようなドロドロの限界ってないと思うな。

さやわか:なるほどね。

吉村:ドロドロが社会性に向かわないっていうのは、空気でしょうね。この文化を支えている人たちの。まあ、将来はわかんないですけど。

三田:サッカーのサポーターみたいなものということ?

さやわか:ああ、似てるかもしれないですね。

三田:また言葉が悪くなってしまうけど、どこかきれいごとなところがあるじゃない。

さやわか:アイドル文化にも似てるかもしれないですね。「俺らの支えている初音ミクをうまいこと使えよ」という漠然とした空気があって、その基準がどこかにあるわけじゃないけれど、やろうと思ったことのなかで最大公約数的なところを押さえないといけない。うまいこと使わなかったらファンから「俺だったらもっとうまくやれるよ」って言われて嫌われる。(笑)。ただ、重要なのは、その「俺だったら」というのが本当にできてしまう。それはアイドルにはできない、ボカロ文化ですよね。

吉村:非常にいいツールですよね。すばらしいと思う。

さやわか:観客だったはずの人が、いつのまにか作り手に反転してしまう。それが一瞬で起こりますから。

吉村:今回だったら『増殖』のカバーをやるという選択。 何を歌わせるかというところに個が宿るわけじゃないですか。

さやわか:初音ミクで『増殖』やったらいんじゃね? みたいな話から、じゃあこういうパッケージでやって、こういう見せ方をして、さあ受け入れられるかみたいに、作品が生み出されて評価されるための連想がさっと広がっていきやすい。もちろん、だからこそ評価される作品を作るのはとても苦労すると思いますけど。

吉村:かなり難しいことですよね。アイディアはすぐに浮かぶけど。実際にそれをいいものにするのはものすごく大変なことで。

さやわか:それこそ今回の野尻さんのように、政治性を入れるか入れないかとか、微妙なポイントを突いていかなければならないことになりますよね。

三田:でも、次がないよね、HMO.......。

一同:


三田:“体操”やっちゃったし、“胸キュン”(“君に、胸キュン”)やっちゃったし。『B-2ユニット』かな。

吉村:歌がないよ。

三田:ああ、そうか。戦メリ(“戦場のメリー・クリスマス”)とかできないのかなー(笑)。あれならデヴィッド・シルヴィアンが歌うヴァージョンがあるからさ。

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コント、芸人、アニメ声優

姪なんかのボカロの消費の仕方を見ていると、やっぱり物語消費なんだよね。(三田)

吉村:そうだ、YMOファンにこれ言っとかなきゃね。『増殖』でギターを弾かれた大村憲司さんの息子さんが、この作品のギター弾いてるんだよ(大村真司)。安室奈美恵や土屋アンナとかのサポート・ギターをやってる人なんだけど、MIDNIGHTSUNSっていうバンドでも活動していて。お父さんの曲"Maps"のカバーとかだと、高橋幸宏がドラム&ヴォーカルで参加してるヴァージョンもあったりするんですよね。

三田:さっきからみんなギターって言ってるのは、それなんだ。

吉村:そう。あとは曲だけじゃなくて、ちゃんとコントが入っているのもいい。『増殖』をカヴァーしようというのは、度胸がありますよ。お笑いのバナナマンっていうのは、スネークマンショーが好きだからつけたコンビ名だっていうのを聞いたことがありますけど、それ自体もすごく度胸のいる命名だと思うんですよね。

三田:そうなんだ、「雨上がり決死隊」はRC(サクセション)だしね、お笑いにはニューウェーヴ文化が投影されてるんだね。

さやわか:この次はあれですよ、スーパー・エキセントリック・シアターにいくっていう方向もありますよ。お笑い要素をもっと強めていく(笑)。

三田:そっちに行くか。

――『増殖』におけるコント/芸人さんという軸にアニメ声優さんを対置させているわけですが、このあたりはどうでしょう?

三田:いや、うまいとしか言えない。詳しくないし。

さやわか:いや、うまいですよね。

吉村:テクニカルな問題としても、この男の声優さんもめちゃくちゃうまいし、伊武さんぽい。

さやわか:伊武さんぽい(笑)。それいいですね。しかし声優さんのレベルが高くなりつづけていますよね、昨今は。声優さんはいまや水樹奈々なんかでもそうですが、オリコンで1位を獲っちゃうわけですからね。そのへんのアイドルっ子とかより技量があったりするし、演技はうまいし、かわいかったりもするし、すごいですよね。

三田:さっき言った姪っ子たちも、ボカロの元ネタに興味を持つ子のほうは仮想現実系なんだけど、興味持たない子のほうは声優追っかけなの。

さやわか:ああー、リアルを追ってるわけですね。

三田:二次元だけでいいとは言うんだけどね。小学生の頃からAKBとかバカにしてて。

吉村:そういうYMO知らない人に聴いてみてほしいよね。その感想をききたい。

三田:その可能性はある作品ですよね。

さやわか:うん、いまそういうふうに動いているマーケットなので、そこがいいですよね。


橋下が初音ミクを好きかどうか問題

オリジナルの『増殖』が持っていた右傾化への批評という点について言えば、いまの文化というか、安倍政権的なものが持っているニュアンスに対して、こういう相対的な文化の楽しみ方がカウンターになっていってほしいかなとは思う。(三田)

安倍とか橋下とか石原とか経団連の米倉とか、初音ミクを嫌いだと思うんだ。本能的に嫌悪しそう。だからさ、あいつらの嫌いなことをやれば正しいんだ。(吉村)


さやわか:僕、初音ミクもので80年代とかのカヴァー・アルバムを作ること、あるいはおっさん世代がかつて好きだったような曲を初音ミクにやらせて、「いやー、これを初音ミクがやるなんて!」って言って盛り上がることなんかが、以前はあんまり好きではなかったんですよね。上から押しつける感というか、若い世代に対して「俺たちの与える豊かな音楽をお前ら聴けよ。初音ミクとか言ってるけど、これこそが音楽だよ!」みたいな意図も感じるので。でも、今年くらいからなのかな、市場が本当に大きくなって、そういうあり方が成立しなくなったと思うんですよ。YMOとか関係なくて、ただ素朴にブックレットについてるマンガを読んで「かわいー」って言ってるだけの人も普通にいられるような広さを得ましたね。まあ、薄まったというか、拡散したというか。

三田:それこそ正しい『VOW』の道ですよ。

さやわか:ああ、そうそう! それでいいと思うんですよ。『VOW』だけ読んでた人はべつに『宝島』という雑誌にどんな意味があったかなんて考えないわけで。その自由さがいいですね。一方で、うるさいおっさんもちゃんと包摂されるというか、排除されないところもいいなと思います。

吉村:どこまで遡るのかな。ニューウェーヴ、70年代歌謡とかまではあるとして、演歌とかあるのかな。

三田:演歌なんてありそうだけどね。

さやわか:あるでしょう。ニコ動にいけば、思いつくものは何でもあるという気がします。インターネットそのものくらいの感覚で「何でもある感」がありますね。初音ミクのあり方自体が、とりあえず音楽的には何をやってもいいというふうに許してくれているので。ただ、そのことによってエッジーな音楽表現が相対化されるようなところもあります。端的に言えばパンクとかメタルとかやってる人もいますけど、様式美が印象づけられるだけで、シリアスな攻撃性とか強度は全然ないんですよね。なくていいというか。

三田:まあ、僕は『けいおん!』の“4分33秒”(ジョン・ケージ)を観たときに、もう次は何もない! と思ったけどね。

さやわか:あはははは!

三田:あれは......じーっと聴いちゃったよー(笑)。

さやわか:そういうものも許されるけど、全部が相対化されたマップの上に置かれるから、体制的でない音楽をやりたい人たちにとってはやりにくい場所だと思うけど、その状況を楽しめる人にとってはいい。

三田:オリジナルの『増殖』が持っていた右傾化への批評という点について言えば、いまの文化というか、安倍政権的なものが持っているニュアンスに対して、こういう相対的な文化の楽しみ方がカウンターになっていってほしいかなとは思う。

さやわか:いや、ほんとそうですよね。僕も今日はそう思いましたよ。カウンターとして立つならそこしかあり得ないというか。

吉村:安倍とか橋下とか石原とか経団連の米倉とか、初音ミクを嫌いだと思うんだ。本能的に嫌悪しそう。だからさ、あいつらの嫌いなことをやれば正しいんだ。

さやわか:あははは!

三田:橋下はわかんないけどね。あの人のマネジメント・ポリティクスみたいなもので言うと、外貨を稼げそうなものは応援するような気もするけど。

さやわか:橋下が初音ミクを好きかどうか問題(笑)。

三田:いや、侮れないよ橋下は(笑)。でもそういう色気を見せる政治家が出てこないのは不思議だよね。ロンドン・オリンピックでさ、ダニー・ボイルがイギリスの労働者階級のカルチャーを引っぱってきてすごく評価されたわけでしょ。だけど、石原慎太郎がこれまでやってきたことを鑑みたときに、東京オリンピックで何ができるかと考えると、まずサブ・カルチャーは全部そっぽを向くよね。いったいどこのどんなアニメが彼に協力してやるんだって話ですよ。結果ものすごく伝統を強調したオリンピックになるでしょうね。ロンドンの真逆になるのは必定。そういうときに、どうしてこういうものを味方につけたほうが有利だって考える人がいないんだろうって、不思議なんだよね。麻生とか、まー、いたけど。

さやわか:それはね、実はまさに今日ここに来る前に歩きながら考えてたことなんですよ。単純に言えば、そうしたサブカルを支持する層の人たちが投票に行かないから、味方になる必要を感じないんだろうなって思います。ネットを見てても「若者が投票に行かないと、未来は大変なことになるよ」とは書いてあるわけじゃないですか。いま若者と呼べる人間の割合っていうのは日本の総人口のなかで30パーセント以下で、さらにそのなかの半数以下しか投票に行かないとなれば、もうマイノリティとして黙殺されることになりますよ、とか書いてある。あるいは投票者の平均年齢が50代半ばの人たちだから、その人たちに有利な社会になっちゃいますよ、みたいなね。
 でもこれからさらに高齢化が進んでいくんだったら、いちいち若者のためを考えずに世界が作られていってしまうのは当然だとも思うんですよ。もちろん、それはいいことじゃないんですが。そして考えたくないですが、いま若者に味方をしようとしているサブカル側の人も、もしかして年をとれば、自分たちより若い世代の人たちやそのカルチャーを軽視して、圧迫ようとするかもしれない。


メディアとしての初音ミク

初音ミクには、音楽を運んでくる運び屋みたいな側面があるわけですよね。「音楽を聴きたい」と思ったときに、とりあえず初音ミク関連のものならネット上にたくさんある。ニコニコ動画とかに行けば、それが人気順で出てきたりもする。(さやわか)


――一方で、在野のプロデューサーさんたちの音楽的な力量が、かなりハイ・クオリティな完成度を見せつつあるなかで、ふつうのJポップのようにボカロ作品が機能しはじめてもいると思うんですが、ポップスとして見たときにいかがですか?

さやわか:三田さんはどうですか? そもそもJポップとしてこういうものを聴いたりするんですか?

三田:うーん、聴くっちゃ聴くけど(笑)。姪の観てる横で、「ふーん」って。

さやわか:ははは。そうか、じゃあ音楽として評価するというところまでは全然いかないわけですね?

三田:モノサシがいっぱいあるからね。消費の仕方も一種類じゃないからなあ。

さやわか:今年なんかだと、ジョイサウンドのチャートの3位とかが初音ミクだったりするわけで。タダだからっていう事情もあるとは思いますけど、若い人のなかだとふつうのポップ・アーティストみたいな存在にもなってるわけですよね。初音ミクはキャラクターに過ぎないわけだからそれはおかしな話だと思うかも知れないけど、じつは言ってみれば音楽を運んでくる運び屋みたいな側面があるわけですよね。「音楽を聴きたい」と思ったときに、とりあえず初音ミク関連のものならネット上にたくさんある。ニコニコ動画とかに行けば、それが人気順で出てきたりもする。

三田:まあ、メディアってことだよね。初音ミク自体が。

さやわか:そうですね。まさに。

吉村:昔だったらJ-WAVEをかけとくところが、いまは初音ミクを追っていればなんとなくいまの音楽もわかるし、それぞれポップだし、仕事もはかどるし。

三田:ラジオとして使っていると。

吉村:ラジオであり、テレビであり。

三田:なんか、アンディ・ウォーホルの感想とかきいてみたいよね(笑)。でも、それは一方では閉じた部分でもあって、そこから出ていくことも大事だとは思うけどね。

さやわか:そう、だからカヴァー・アルバムをやるのは、そのための意味があるのかなと思いますね。言ってみれば、『増殖』というアルバムが、ここで再発見されてるわけじゃないですか。僕らには当然のものでも、いまの人や、僕らとは違っていた人々にとってみれば、こういう作品があったのかと知るきっかけになる。

吉村:そういえば、初音ミクって、まだWindows専用なんですか? 僕はWindows専用だってところがよかったんじゃないかなと思ったんですよね。最初からMacがあったら、もっとみんな小洒落たものを作ろうとして失敗したと思うんですよね。

一同:ああー(笑)。

さやわか:クリエイター志向なね(笑)。それはそうですよね。最近のニコ動的な環境を支えている人たちって、MacよりはWindows的な......なんだろう、大衆性があるというか。絵を描くのに使ってるソフトとかも、サイ(SAI)とかね。

吉村:なんか、Macユーザーだと、(スティーヴ・)ライヒのカヴァーとかさ。

一同:

三田:マリア・カラスを歌うとか。

さやわか:あははは!

吉村:自己満足で終わってしまうというか。

さやわか:昔から音楽創作系のコミュニティってネット上で何度も作られているんだけど、なぜそれがうまくいかないかというと、作り手の自己満足的になりがちだったからじゃないでしょうかね。それに対してなぜニコ動などが成功したかというと、ボカロを用いた表現のほうは、そのキャラをどう使うかということが先にあって、音楽性は後についてくる。音楽的には好きなことをやらせてもらって、要は初音ミクって人をタテとけばいいんでしょ? っていう部分があったと思うんですよね。そもそも、音楽より先にネタとしての消費をされたところがカギだったと思うんです。でも、それは必ずしも「作り手が前に出ない」ということをネガティヴに捉えるべき感覚ではないんですよ。そういうものだったから音楽が流通したんだと証言しているアーティストがいっぱいいます。

三田:やっぱり、だからメディアなんだってことだよね。

さやわか:そうですね。音楽だけやっているコミュニティはお互いの音楽を褒め合って終わりになってしまう。けれどニコ動の場合には初音ミクをどれだけうまく見せるかというので、ランキングの上位に行くためにみんな切磋琢磨すると。それをやりたくない人ももちろん一方にはいるわけだけど。

三田:ほんとに、YMO知らなくて、これを初めて聴いたという人のレヴューを読んでみたいよね。ヴィジュアルやらコンセプトやらいろいろあって。

さやわか:ひょっとしたらYMOとは坂本龍一が所属するグループだということを知らないで聴いている人もいるかもしれない。

吉村:坂本龍一という名前すら知らない人が聴いている可能性もある。

さやわか:「坂本って、反原発とかの人かー」みたいな(笑)。音楽が若者の第一の文化として出てこない時代ですし、坂本龍一を知らないことは十分にありえますね。

三田:よし、じゃ姪に聴かせてみる!


HMOとかの中の人。(PAw Laboratory.) - 増殖気味 X≒MULTIPLIES
U/M/A/A Inc.

初回盤 通常盤

 「初音ミク」の開発者である佐々木渉氏は、発売当初から現在にいたるまで、「生みの親」としてさまざまな場で発言を求められてきた。功績ある開発者として、ビジネスの開拓者として、日本の新しいカルチャーの最前線を拓いた証言者として。しかしその一方で、初音ミクという複雑で巨大な遊び場(=プラットフォーム)が巻き込むありとあらゆる事象については、おおむね静観の姿勢をとっているようだ。開発者の立場から、多くの人が楽しむその遊び場を壊すようなことがあってはならない......氏はおそらくはそのような思いから、日々生まれてくるおびただしい初音ミクと、おびただしいコミュニケーションのありようとを見守っているのではないだろうか。初期『ele-king』0号からの読者であったというディープな音楽体験を持ち、アンダーグラウンド・カルチャーへの理解も人一倍である佐々木氏ならではの哲学が、そこには存在しているように思われる。
 今回、そんな佐々木氏と、ele-kingの「生みの親」、野田努との対談を収録することができた。テクノの話題にはじまる音楽談義だが、初音ミクの少女性に向けた野田の素朴な疑問や、ボーカロイド以前のポップス史において、「声」の変調がいかなる意味を持ってきたのか、ボカロ文化を世界はどのように受け入れるのか、といった広い話題を含むトークになっている。前・後編に分けてお送りしましょう!

すべてはテクノにはじまる

エイフェックス・ツインの音楽もライターさんの書いてることも、「なんで、どうしてこうなっちゃったんだろう!?」みたいなことが多かったですよね。「夢のなかで音楽が浮かんで......」「彼はDJセットにやかんを持ち込んで......」とか(笑)。(佐々木)

あの頃は、作家の優位性みたいなものへの否定もありましたからね。いちど作品を投げてしまったら、どう解釈されようがそれは受け手の自由であるという態度がいっきに広がった。(野田)

佐々木:僕が初めにテクノのCDを買ったのは中学生の頃で、『テクノ・バイブル』というY.M.O.のボックスセットだったんです。当時は電気グルーヴなどが人気だった頃で、先輩の影響もあってテクノをどんどん聴いてました。でも、個人的にはいきなり『ガーデン・オン・ザ・パーム』(ケン・イシイ)なんかにすっと入っていけたタイミングでもあって、アンビエント寄りのものを、「クラブ向けのテクノとは違うものなんだなあ」と思いながら聴いたりしていました。

野田:へー。

佐々木:札幌もクラブはけっこうあったので、プレシャスホールなんかには高校の頃から行ってました。音はほんとに好奇心にまかせて聴いてましたね。『ele-king』は0号から読ませていただいていたんですが、思春期の自分はエイフェックス・ツインとかの取り上げられ方にすごく刺激を受けました。彼の音楽もライターさんの書いてることも、「なんで、どうしてこうなっちゃったんだろう!?」みたいなことが多かったですよね。「夢のなかで音楽が浮かんで......」「彼はDJセットにやかんを持ち込んで......」とか(笑)。

野田:あははは(笑)!

佐々木:そういうおもしろい音楽をやっているほうへどんどん向かっていきました。当時はインターネットとかがなくて、試聴できるといったら地元のCD屋くらいで。でもそこは〈ソニーテクノ〉(※1994年、〈ワープ〉〈R&S〉〈ライジング・ハイ〉の3レーベルを中心にソニーが日本盤として発売、90年代のテクノ・ブームの土台となった)だけは聴けたんですよ。

野田:ああー、試聴自体がまだ定着してない時代ですよね。

佐々木:それで、休みの日とかはCD屋でずっと〈ソニーテクノ〉のCDを聴いてたりしました。

野田:素晴らしいですね。しかし、中学生でいきなり『ガーデン・オン・ザ・パーム』だとハードルが高くないですか?

佐々木:いえ、不思議な音楽だなあと思ったことのほうが強くて、カッコイイなってふうにすぐには思えなかったですね。テクノって歌詞もないし、音像だけ感じながら聴いていられるものだったから、ライターさんが書いたレヴューやインタヴューと照らし合わせてすごく妄想を膨らませられるものでした。その体験がすごく強かったので、ブラック・ドッグなんかも、インタヴューで言っているようなことと、彼の音楽とがすごくリンクしやすくて。

野田:ブラック・ドッグですかぁ。それは面白いですね。当時のテクノはロックのスター主義へのアンチテーゼというのがすごくあって、自分の正体を明かさないっていう匿名性のコンセプトがすごく新鮮でね。売れはじめた頃のエイフェックス・ツインもたくさんの名義を使い分けてましたね。後からあれもこれもエイフェックス・ツインだったという、リスナーに名前を覚えさせないという方向に走ってましたね(笑)。
 で、ブラック・ドッグは、匿名性にかけてはとくにハードコアな連中でね、当時は『NME』が紹介したときも顔がぼけた写真しか載せなくて、まともにインタヴューも受けなかったんですよ。作家の優位性みたいなものへの否定もありましたからね。いちど作品を投げてしまったら、どう解釈されようがそれは受け手の自由であるという態度がいっきに広がった。作品は作り手のものであって、正しい解釈がひとつしかないというふうに限定されることをすごく忌避していた時代でしたよね。いまでもよく覚えているのは、『スパナーズ』で初めてブラック・ドッグがインタヴューを受けたときのことです。当時としては画期的な、チャット形式でのインタヴューをやったんですよ。姿は見せない、「<<......」という記号が入った、チャット形式のインタヴュー。彼らの発言はドットの荒いフォントで載って、写真はなし。1994年だったかな......、そんなものが『フェイス』というお洒落なスタイル・マガジンのカヴァー・ストーリーになったんです。

佐々木:アーティストが機材の向こう側にいる感覚というか。『グルーヴ』だったか、その頃の記事で、ブラックドッグが昔のPCのキーボードで顔を隠してるみたいな写真が載っていたんですが、それがすごく脳裏に残ってますね。知らない場所で作られた音楽というようなニュアンスもあったりしたし、その匿名性の問題にしろ、メイン・ストリームの考え方とちょっと違うところでやってるのかなと思ってました。......思ってたらプラッドとひとりのブラックドッグに分かれていきましたけども。

野田:じゃあ、もうほんとに〈ワープ〉っ子だったんですね。

佐々木:そうですね、ずっと聴いてきたので。『アーティフィシャル・インテリジェンス2』のボックスとかも買ったりして。

野田:『アーティフィシャル・インテリジェンス2』の映像を初めて観たときに、みんなで叫んでたもんね。その場に(渡辺)健吾とか佐藤大なんかもいたんですが、「すげー、これ!!」ってね! 低解像度のCGで、いま思うと大したものじゃないのに、ほんとにあのときはみんなで涙流しながら......、いや、本気で泣いてました(笑)。

佐々木:このあたりはほんとに、ショックでしたね。光沢感とザラザラした感じが混じっていて。当時はゲームでも『バーチャファイター』なんかが出ていたので、3Dポリゴンは見たことがあったと思うんですが、音楽のサイケデリックさと、映像と相俟ったときのサイケデリックさというのがやはりちょっと違っていて、すごく印象深く残っています。いま話していてもどんどん思い浮かんできますね。スピーディー・Jの"シンメトリー"って曲の動画がすごくやばくて。イルカが亜空間の中で気持ち悪い球体になってどんどん食べられていく、あれですね(笑)。やっぱり、こうしたショックを受けて、アンビエント的なものに接近するようになりましたね。それになかなかパーティに通うようなお金もなかったですし、家で聴けるアンビエントのような音楽の方へ向かうのは、必然だったかもしれません。ピート・ナムルックとか......

野田:ピート・ナムルックは先日亡くなられたんですよね。

佐々木:ああ、そうなんですか......。ファックスのアンビエントは良い意味で精神的にトラウマになりましたね人生観にも影響するくらいサイケデリックで最初は意味が分からなかった。音楽に取り残された感じがした。世界は広いなーと。あと、アンビエントは日本人の方もけっこういらっしゃったりという部分で、関心もありました。テツ・イノウエさんとか。

野田:うぅ、いま、よくその名前が出てきましたね! テツ・イノウエさん。それこそ『アンビエント・オタク』っていうアルバムを当時出してるんだよね、ピート・ナムルックといっしょに。だから先月、ピート・ナムルックが亡くなられたときに、コンタクト取りたいんだけど、テツ・イノエさんの連絡先がわからないか? って、ベルリンの知人からメールが来たんですけど......(もし、この記事を見て、ご存じの方がいたら編集部までご一報を)。
 で、この「A.I.シリーズ」っていうのは、レイヴのムーヴメントがいちど殺伐としたものになった後のエレクトロニック・ミュージックだったわけです。100%クラブに存しないところで音楽的な自由度をどんどん上げていって、わけのわからない領域まで達してしまっているというものではありますからね。そういうなかで、アンビエントなものとか、ラウンジーなものとか、あるいはエクスペリメンタルなものとか、ハウスから離れてやたら多様化した時期でしたね。それ以前は非常にわかりやすくて、「ハウス・ミュージック」っていうひと括りですべてを語ることができたんですが、「A.I.シリーズ」のようなもののおかげでほんとにわけのわからない、ひと括りにできないものになっていきましたね。

佐々木:そうですよね。レッド・スナッパーとかも「ポストロックやミクスチャー」っていうような性格の音楽の先駆けだったかもしれないですね。

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札幌アンダーグラウンド・シーンが生んだ〈クリプトン・フューチャー・メディア〉

ファックスのアンビエントは良い意味で精神的にトラウマになりましたね人生観にも影響するくらいサイケデリックで最初は意味が分からなかった。音楽に取り残された感じがした。世界は広いなーと。(佐々木)

野田:それで、テクノを聴かれてて、ソフトウェアの開発というところへ行くわけですよね。それ以前に音楽を作ったりされていたんですか?

佐々木:そうですね、紆余曲折ありまして(笑)。僕はライナーを見るのもすごく好きで、ワゴン・クライストの『スロッビング・ポウチ』を買ったときに......

野田:最高ですよね。それ、ライナー誰だっけ?

佐々木:竹村延和さんですね。竹村さんは全然ワゴン・クライストの話を書いてなくて、はじめはハービー・ハンコックの"ウォーターメロン・マン"の話をずーっとしている。で、「これはなんでテクノの棚にあったんだ」みたいなことが書かれていて、最後は「とにかく自分のリミックスがすばらしいから聴くように」という話になっている(笑)。

野田:あははは(笑)!

佐々木:これは何なんだろう? って(笑)。それから竹村さんの音楽を聴くようになりました。『ele-king』でも竹村さんが表紙で載っていらっしゃったことがあると思いますけど、彼を知ったことがひとつのショックでしたね。アンビエント的なジャンルの広がり方をさらに極端に押し進めているような気がしました。武満徹さんからヒップホップやノイズまで参照されていて、音楽ってジャンルがないものなのだな、と。そこからフリー・ジャズみたいなものも聴くようになりましたし、当時で言えばデヴィッド・トゥープさんとかがボーダーレスに音楽を紹介していて、そうしたものの影響も受けました。あるいはサンプリング・ミュージックも、ブラックドッグを素朴に聴いていたころよりもっと概念的に聴くようになったし、ニューヨーク・アンダーグラウンドのDJスプーキーやデヴィッド・シェーとかにも手をのばすようになって。
 そうしているうちに、札幌にもアートっぽい、フリー・インプロっぽい音楽をやっている人が何人かいたので、少し交流するようになりました。そういうクラスターのなかに、いまのクリプトン(・フューチャー・メディア)の社長の仲間や、当時の社員もいらっしゃったんです。彼は『スタジオ・ボイス』とか『美術手帖』とかが90年代前半にフォローしてたような、サイバー・パンクとかインターネットで世界が変わるとか、アルヴィン・トフラー以降のそういう思想的なものが大好きな方ですね。僕は最終的にそこに就職することになるわけなんです。音楽制作については、サウンドアートやノイズ・ミュージックのようなものに関わりながらやっていたことはあります。

野田:機材とかはもう自分でいじってたんですか?

佐々木:はい、もう、サンプラーを買って遊びました。カットアップ・コラージュをしてみたり。でも池田亮司さんのサインウェーブ主体に行く前のファースト『1000フラグメンツ』を聴いて、ああ、これはぜんぜん歯が立たない、こういう人がすでにいるんなら生半可にサンプラーをいじるのはナシだなと思って(笑)、そんなに長続きはしませんでしたね。

野田:ははは、なるほど。

初音ミク=DX-7 ?

 思春期におけるディープな〈ワープ〉体験を語ってくれる佐々木氏。デトロイト・テクノなどへも傾倒するなかで、氏はアナログ・シンセの再評価の文脈に立ち会うことになる。初音ミクの開発については、そうしたアナログ・シンセの太くあたたかみのある音の流行に対する、わずかなカウンター意識もあったようだ。シンセサイザーとしてのミクの声=音、そのゼロ地点に企図されていたものとは、どのようなものだろうか。

札幌にもアートっぽい、フリー・インプロっぽい音楽をやっている人が何人かいたので、少し交流するようになりました。そういうクラスターのなかに、いまのクリプトン(・フューチャー・メディア)の社長の仲間や、当時の社員もいらっしゃったんです。(佐々木)

僕は、それでなぜ佐々木さんが「声」というものに向かっていったのかということに興味がありますね。(野田)

佐々木: 90年代中盤までは、汎用コンプレッサーが高くて......。たとえばヒップホップだとDBX-160だったりとか、すごく限られたもので音圧をある程度稼げる状況だったと思うんです。安物のコンプレッサーを入れたら逆に音がぐちゃぐちゃになっちゃったり、というような状況ですね。だから、そもそも音が太い機材というものが必要でした。現在においては、プラグイン・エフェクトによって、どんなに音が細かろうと、手を尽くせば太く見せることが可能です。でも当時はそういうわけにもいきませんでした。
 たしか『テクノボン』を読ませていただいたときに、FMのシンセサイザーというものが、それまでのアナログのシンセサイザーに比べて、出音の傾向が違うという指摘があったと思います。そういう音が80年代のエレポップみたいなものへつながっていって、キラキラしたシンセの音が街にあふれていくなかで、逆にデトロイトやハウスの太いシンセの音というのは身体にも気持ちいいという実感があったと思うんです。
 で、ボーカロイドについてなんですが、これはもともと音の位相が自然でないものなんです。サンプリングした音の波形と、声をのばすときに使う波形とが違う。そのふたつの音波形を合成するので、そこで本来の音が持っているきれいな位相が失われててしまう、という面があるんです。初期のソフト・シンセもそうですが、低音がすごく弱い。なのでいまでもベースに太い音を使いたければ、ムーグのアナログ・シンセを買うべきだというような話は相変わらず生きていますよね。初音ミクは、そういう条件でいうと、「声が華奢で高い」という傾向にしなければモコモコ、シャカシャカしてしまって形にならないということが、実験の段階でわかってきました。それで、音圧がなくて、細くて、ちょっと人間離れした声に行ったんです。
 さて、これをどうやって演出して見せていこうか? 女の子のヴィジュアルを付けるとして、どんなふうにこの人間離れした声への理由づけをするか。そのときにDX-7が出てきたときの状況にちょっと似てるなと思ったんです。いままでのシンセサイザーでは、ツマミをいじって直感的に音を作ることができていたのが、DX-7ではパネルになり、アルゴリズムになり、操作がやたら面倒で、ベルの音みたいなのは簡単にできるけど、凝ったアンビエントみたいな音を出そうとすると、すごく大変な作業をしなければいけなくなる。初音ミクも、人間らしい声を出そうと思うとすごく難しくなってしまうけど、なんとなく人間じゃないような女の子の声となれば、簡単に出せる。そのへんの相似的な関係を重ね合わせようかなと思って、ヴィジュアルのモチーフとしてDX-7を使わせてもらえないかなということでヤマハさんに問い合わせて、「商標をつかわないのなら」と、了承をもらったんです。なので、カウンターといっても、そういった事情のつじつま合わせという意味合いのほうが強いかもしれませんね。

野田:それも面白い話ですね。しかも、このところ80年代リヴァイヴァルが続いているから、若い世代のあいだではDX-7みたいな音がまたぶり返しているんですよね。ただ、いまではデジタルもアナログも選択肢のひとつというか、機材と音楽の関係性って、90年代以降は相対的な関係性なんですよね。たとえばヒューマン・リーグの時代って、まだシンセなんて高いから、若い奴は誰も買えないわけですよね。だから学生がシンセを手作りしている。で、ローランド社がエレキ・ギターを買えるような価格にして販売したものが、TRシリーズとかね。それがDX-7以降、とくにアシッド・ハウスやデトロイト・テクノ以降は生産中止だったこともあって値上がりしちゃったり。オウテカなんて初期の頃はエンソニックですよね。3枚めくらいからマックス側に寄っていく。そうするとフォロワーたちもみんなマックス側に寄っていく。するとオウテカはまたアナログに戻すというようなことになる。最近でも敢えてパソコンを使わない人と、敢えて使う人と両方いるし......。
 僕は、それでなぜ佐々木さんが「声」というものに向かっていったのかということに興味がありますね。

機械と声の呪われた歴史

初音ミクも、人間らしい声を出そうと思うと難しいけど、なんとなく人間じゃないような女の子の声となれば、簡単に出せる。そのへんの相似的な関係を重ね合わせようかなと思って、ヴィジュアルのモチーフとしてDX-7を使わせてもらえないかなと思いました。(佐々木)

佐々木:われわれの会社はそもそもサンプル・ネタを販売する会社で、たとえばスタジオで録ってきたドラムのブレイクなんかをライセンス・フリーで売っているわけなんですが、そういうなかで、声の音ネタというのはかなり需要があったんです。「アー」とか「ハ~」とかもしくはダンス・ミュージック用の「ヘイ!」とか(笑)。

野田:へえー。『remix』をやっていた頃、けっこう、送っていただいているんですよね。初音ミクが出る数年前のことでしたが、たしか何度か紹介させてもらったことがあったと思うんですけど。当時は、札幌からなんでだろう? って感じでしたね(笑)。

佐々木:ビジネス的に、いちばん売れる音ネタでしたね。

野田:なるほど。サンプラーを買ってまず友だちや彼女に自慢するものといえば、声のサンプリングじゃないですか。「えー」とか、いろんな音階で鳴らして「すごいでしょう」って(笑)。声というのは素材は、音の合成機械にとってすごく何かあると思うんです。今年ele-kingでも重要作として挙げているメデリン・マーキーというシカゴの女の子の作品があるんですが、特徴としてひとつ挙げられるのはヴォコーダーを使ているということなんですね。ヴォコーダーを使ったアンビエントという感じですね。  ヴォコーダーの歴史がまた面白くて、あれは戦争中にアメリカのペンタゴンが音声を暗号化するために作り出した音声合成装置なんですよね。そのあたりのことは、今年出た『エレクトロ・ヴォイス』という本に詳しいんですが、広島に原爆を落としたりとか、ドイツへの攻撃の指令とかは酷いことは全部ヴォコーダーを通している(笑)。だからある意味、「機械で音声を変える」ということは人間の歴史のなかで非常に呪われた歴史を持っているわけです。ケネディ大統領なんかも盗聴をされたりするわけですけれども、その陰にもつねにヴォコーダーの存在がある。そういう起源の一方で、クラフトワークがヴォコーダーで歌うということがはじまるんですよね。
 クラフトワークの前にも大衆音楽において機械っぽい声が使用されるという例はいくつかあって、ウォルター・カルロスが『時計じかけのオレンジ』のサントラでベートーベンの『第九』とかをやるじゃないですか。あれでロボ声を使っているんですよ。偉大なるベートーベンの交響曲をロボ声でやったということが、当時は大人からすごく反感を買った。声をいじるというのは、やはり世の中に対してノイズを立てるような側面があるわけなんですよね。かたやクラフトワークは、『アウトバーン』で大々的にヴォコーダーを使用しましたが、そうしたメソッドがアメリカのブラック・コミュニティでバカ受けするわけです。いわば殺人兵器が反殺人兵器化するんですね。だからヴォイス・マシーンの歴史のなかに位置づけていくと、初音ミクもまたもうひとつ違った見え方がしてくるのかもと思います。やっぱうちの3歳の娘も反応するほど、可愛いもんね(笑)。

佐々木:自分としては、物心ついたころから加工された声というのはある程度世の中に普及していて、J-POPにおけるピッチの調整やハーモナイズ処理なんかも90年代中頃から盛んにされていきますよね。なので逆に加工音に慣れた耳で声に衝撃を受けた体験というと、NYアンダーグラウンドの、たとえばマイク・パットンのようなノイズ系のボイス・パフォーマーであったり、ヤマタカアイさんのネイキッド・シティみたいなものだったりとか。

野田:じゃ、機械というよりも人間ぢからのほうなんですね。

佐々木:(笑)人間というか、単純に強く個性的な声を出せば注目を浴びるものなんだなという驚きはありましたよね。

野田:初音ミクがヒットしている傍らで、R&Bからジェイムス・ブレイクにいたるまで、この数年とことんオートチューンの流行がありましたよね。何かわからないけど、生の声を加工することに対する大いなる好奇心というものが、またこの数年でいっきに拡大しています。

佐々木:自分のなかで、10代の頃には変な音とかノイズとか、音響とかもかなり通っていたので、当たり前になってしまっている部分はありました。一方でポップスの傾向としては、90年代からの小室哲哉さんの女性プロデュース物であるとか広瀬香美さんみたいな、とにかく高いキーで歌わせるというような流れと、「みんなもヤマハのイオスみたいなシンセサイザーを買って、ポップスを作って、女の子に歌わせてプロデューサーになろう!」みたいな作曲コンペティションが盛んになされるような状況とがあったと思います。それでそういうユーザーによる高い声の需要はありつつも、実際人間にはそう高い声が出せるものではない。だから、とにかく高い声を出させたいというのであれば、人間をどう歌わせるのかという点をそこまで突き詰めなくても、ボーカロイドのようなものでいいんじゃないかなという思いもありました。
 初音ミクの前に英語版のボーカロイドを出していたときがあったんですが、そのとき自分の尊敬する作曲家の方から、「なんて使えないモノなんだ」というようなご意見をいただいたことがあります。発音記号と音の関係性がもっと詰められてちゃんとしたものだと思っていらっしゃったようなんですが、ボーカロイドというのはサンプリングの音の断片がたくさん入っているというものなので、発音記号を指定すれば、リップノイズのような記号的な音まで細かくひとつひとつ合成されて出てくるかというと、そういうわけでもないんですよ。それで、「あ、これはアカデミックな層のかたに使ってもらうのはむずかしいな」とわかりまして(笑)。そういうわけなので、ボーカロイドも初期の頃は海外ではことごとく売れなかったです。アカデミックな研究に寄り添うにはサンプリングに寄りすぎているイメージですね。

野田:現代のスピーク・アンド・スペルみたいなもの? いや、でもあれは音程は変えられないもんね。

佐々木:そうですね......。日本語のボーカロイドは50音にひとつひとつの音が対応しているので、「あ」と入れれば「あ」という音が出てくるし、「い」にしても同様です。ただ、英語はスペルによって発音記号が変わるし、フレーズによって音の流れが変わったりするので、細かいところが微妙に欠落して、中身が粗かったりするんですよ。その粗い部分がそのまま置きざりにされていて。技術は確立してるのに、中身をきっちり整えていくという作業が未成熟で、当時とても中途半端なものだったんですよね。技術開発にかかったコストに対して売り上げが全然ついていかなくて、初音ミクをやる段階では、もうプロジェクトを閉じようかという話もあったくらいなんです。これで最後の製品だ、ぐらいの。携わる人数もぐっと減っていました。そんなわけで、初音ミクが生まれる前夜は、なにかおもしろいことをしなければいけないんじゃない? というようなムードにはなっていましたね。

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ボーカロイドがツールを超えたとき

ヴォコーダーは、戦争中にアメリカのペンタゴンが音声を暗号化するために作り出した音声合成装置なんですよね。広島に原爆を落としたりとかの指令は全部ヴォコーダーを通している。だからある意味、「機械で音声を変える」ということは人間の歴史のなかで非常に呪われた歴史を持っているわけです。(野田)

そのとき感じたのは、もう音楽の向こう側で音がどんなふうに鳴っているのかというのは、視聴者にとってはわからない世界になっていくんだなということです。(佐々木)

 クリエイターの創作上の利便性を上げる、いちツールとして開発されたに過ぎない音声合成ソフトが、ひとつのヴィジュアル・イメージと、思いもかけないほど多くの人びとの想像力、創作物、コミュニケーションによって、存在や人格をありありと錯覚させられるような広がりを得た。そこに「ただの女性の声ネタ」を開発するという以上の狙いはなかったのだろうか?

佐々木:まず「アニメ・ソング」というジャンル名を耳にしたときに、まったく何の音楽ジャンルでもないことに驚いて、でも若い人にすごく違和感なく浸透しているなという強い印象がありました。「アニメの主題歌であれば皆知っているし好きだからOK!」みたいなノリ。更にアンダーになると声優さんのキャラクターソングと言われるデフォルメされた声ありきの世界や、アダルトを含むゲーム由来のテーマ曲が許容されていく世界......。また、クリプトンに僕が入ったのが2005年ですが、当時オーケストラの音をサンプリングしていて、そこそこのクオリティのソフトを作れてたんです。生かサンプリングかわからないというレベルくらいには。でもそれを見たときに少しさみしい気持ちにもなりました。「一般の人がこれ聴いても、どっちかわかんないよね」というのは狙い通りでいいことなんですけど、テクノやエレクトロニック・ミュージックの歴史のなかでは、あまりポジティヴな使い方ではないと思った......要は「○○もどき」みたいなふうにして人に聴かせるやり方や、その需要が増えてきたんだなと思いました。当時、ゲームで言えば『ファイナル・ファンタジー』の〈スクウェア・エニックス〉さんとか、映画音楽なんかでも、オーケストラを呼ぶよりもコントロールしやすい音源でなんとかしようという感覚があって、いろんな部分でそういうことが起こりつつありました。
 そのとき感じたのは、もう音楽の向こう側で音がどんなふうに鳴っているのかというのは、視聴者にとってはわからない世界になっていくんだなということです。バンドが演奏しているのか、打ち込みで作られたものなのか、誰がどんな意図で鳴らしたものなのか、そういう音とそれを出す動機の関係性が本当にあやふやになっていく感じ。機材が良くなるなかで、音も多様性を持っていくということはこれまでにもありましたが、いまじゃプリセット枠がぐわーっと増えて、それこそオーケストラの音色にしても何でもあって、使い方によっては何でもできるという状況が、ほんとにいいのか悪いのか、その思考自体を止めてしまっている状況というか。リズムマシンから始まった演奏者の代用的なツールが、歌声合成(VOCALOID)の汎用化を可能にするところまで来た。だから昔の自分が初音ミクを見たら第一声「なんじゃこりゃ」とは言うでしょうね。ただ、これは声の質としてはアニメとかを視聴している人にはある程度親和性を見いだせるようなものなのかなと思いますし、人間的な要素も欠落していて、声の表現もつたないわけなんですが、そういうすごく素っ気なかったり朴訥に聞こえたりするところは、むしろよい部分でもあるのではないかと思いました。人間の代用のはずなんだけど、真正面からの人間の代用とは違う、おもちゃとしての適当さを持たせたものにしたかったというのはありますね。
 初音ミクは、自分をかわいらしく見せようとしている女の子の声を、ひたすら録りつづけた音源をボーカロイドにしているんです。だから、もともとは自分はかわいいでしょ、と一生懸命に自己主張していたものなのに、ばらばらにされてしまって、言葉のつながりとか感情とかが入っていないものになってしまっている。それが最終的に音として出てくると、なんだか間抜けなような感じがします。でもそこがとてもかわいいという部分もある。

初音ミクと性の問題

例えば南米のトロピカリアのような、ちょっとふざけたような音楽、トン・ゼーがそのへんの床を洗う機械を面白がって音楽に用いたりする感覚に似ていると思います。軽やかなおふざけというか。初音ミクというのは自分のなかではそうしたものに近いです。(佐々木)

野田:なるほどね、とても重要なポイントがいくつかありますね。まず、ボーカロイドの波形の話。きれいな波形と壊れた波形を重ねるから音が汚くなるというお話をされていましたけれども、音楽における機械声、ロボ声の使用はこれまでほぼ例外なく汚い音でしたよね。ヴォコーダーもそうだけど、だからおもしろいと言えるし、だから反感を抱かれる、という歴史をたどって来てもいるわけです。クラフトワークでさえ、はじめは笑われていたんですからね。
 もうひとつは、かわいらしい女の子の声にしたということ。僕みたいなかわいい文化の対極にいるような人間が言うのもなんですが。

佐々木:藤田さん(藤田咲)という演者さんに声をお願いしたんですが、スタジオに入ったときに、まずどういうふうに声を出せばいいんですか? と質問されました。彼女に読んでもらうのは、セリフでも日本語でもなくて、呪文みたいに50音が羅列されているものです。まったく何の意味も持っていないけど、ただ、それを読んでいるときの声の表情はそのままボーカロイドに使われます。その1語1語を細かく切ったものがボーカロイドになるわけです。で、こちらからお願いしたのは、とにかく意味不明な台本は意識せずにとにかくかわいらしくお願いしますということでした。あまりなにも考えないで、とにかく楽しく、かわいく! と煽っていたんですが、そんな問答を続けていたら、藤田さんがもう吹っ切れてしまったようで、途中で腕を振りだしたんです。テンポに合わせて体を揺らしながら声を出しはじめた。それから良いテンションになり「わたしかわいいでしょ?」という雰囲気で50音を発音しつづけてもらったので、かなり不思議な録音になりました。
 これの前にカイトとかメイコといったボーカロイドを作っているんですが、それはふつうのシンガーの方にお願いしていたので、ヴォイス・トレーニングのような録音だったんです。正しく、きれいな発音、発声。それを切って音程なしにつなげると、駅のプラットホームの音声アナウンスのようなフラットな感じになるんですが、ミクの場合は、とにかく「わたしかわいいでしょ!?」というテンションが凝縮されているので、切って貼って、そのテンションが高く口を開いた「ら」と、口が閉じ気味だけど表現を可愛くしようとした「ぬ」とかが並んだときに、ちょっと変な感じ、変な印象になります。聴き手は、歌い手側になにかメッセージか感情表現があるものという前提で聴くわけですが、そこがバラバラになるわけですね。自分はそれはユーモラスに感じるんです。例えば南米のトロピカリアのような、ちょっとふざけたような音楽、トン・ゼーがそのへんの床を洗う機械を面白がって音楽に用いたりする感覚に似ていると思います。軽やかなおふざけというか。初音ミクというのは自分のなかではそうしたものに近いです。
 音声合成として全然完璧なものではないですしね。もともとヨーロッパの会社がボーカロイド作ってたんですけど、そっちは声が人間ぽくならないのを逆手にとって、フランケンシュタインみたいな表現で、「これは人造人間みたいなものですよ」という売り方をしていたんです。それがなんとも自虐的というか、売れなさそうで(笑)、この方向はナシだなと思ったりしました。そこで日本の文化的な環境に適したものとして思い浮かぶのは、SFチックでかわいらしい女の子かなというところで、ご存知のとおりの姿かたちになっています。

野田:なるほどー。ソフトウェアのパッケージングとして重要な部分を支えている絵だというのはわかったんですが、ぶっちゃけ、このヴィジュアル自体にエロティシズムは意識されていないんですか?

佐々木:いや、僕自身もともとアニメ・カルチャーにさほど詳しいわけではないんですが......エロティシズムとは少し違うものでしょうか。昔は、男の子の性的な欲求の捌け口というと、エロ本やAVみたいなものだったりしたと思うんですけど、ある時期から肉感的なリアルな女性像が受け入れられないなどの理由で、アダルト・アニメやエロゲーなどに向かう人も一方で増えていったんだと思います。過度に母性を感じさせるように、胸が大きかったり、過度に恥ずかしそうに頬が赤らんでいたりという、アニメ等の記号的な性の表現は、自分としては作為的かつ刹那的と感じていたんです。初音ミクはそういうディテールがありつつも、頬の赤みや胸の大きさというのは極限までカットしていきました。それに、そもそもこの初音ミクの声ではあまり性的なイメージに結びつかないだろうなとも思いました。VOCALOIDの音として冷静に人間の声と比較すると、考えなしに淡々としている印象もありますし。この声を出している女の子がいるとすれば、それはおそらく胸も小さくて、性的なアプローチに乏しい姿なのではないか。それで少しストイックにしたというところはありますね。
 最近は女性のファンの方も多いですし、ニコニコ動画などの視聴者にもとても若い女性の方がいらっしゃいますから、変に性的に強調されていると、違和感になっただろうなとも感じます。

野田:ああ、なるほど。サイバー・フェミニズムっていうタームがありますよね。デジタル空間では、女性は旧来的なジェンダーから解放されるというね。ローレル・ヘイローのアルバムの会田誠の切腹女子高生の引用は、アメリカのデジタル文化になぞって言うと、サイバー・フェミニズム的なものを感じなくもないのですが、さっきのうちの娘じゃないけど、初音ミクは、女性性に受け入れられるんですね。なんか。

佐々木:もちろん最初は男の方が多かったですけどね。プログラマーとかIT系のお仕事をされながら、ネット・カルチャーのなかで情報収集をされる方がおもしろがって集まってきてくれました。一番乗りで動画を作られていた方では、鉄道オタクの方も結構いらっしゃいましたしね。

野田:なぜ鉄道オタクの人が(笑)!?

佐々木:山手線のメロディをひとつひとつ歌わせてくれるんですよ(笑)。新しもの好きで鉄道も好きという方はけっこういらっしゃると思います。

野田:ああ、そうかもねえ。


 時間を忘れて語る両氏。このあと野田がさらに初音ミクの少女性をめぐって切り込みます! 後編を乞うご期待!

 コンセプトは「seen it Somewhere, sold Nowhere, only Here.」
 って格好つけちゃってすみません。直訳しつつ行間を読んで頂けると尚良し......って偉そうにすみません。

 ライヴハウスやクラブの片隅で広げられた物販コーナーに並ぶ、バンドメンバーによる趣味丸出しで極少生産のマーチャンダイスから放たれる得体の知れない魅惑的な香りは、熱狂的なファン以外の好奇心をも多分に刺激することでしょう。
 近年はめっきり見かけなくなりましたが、昔の雑誌などでは必ず巻末あたりでメールオーダーのカタログページが掲載されていて、ガラスケース越しでは見たことの無いヘンテコなアイテムが多数掲載されており、眺めているだけでも楽しい気持ちになったいたことをいまもふと思い出すことがあります。
 オンライン上であれば、どこからでもアクセスできるのは当たり前だけれど、、それじゃあなんだか面白くないですよね!?
 多少のギミックを仕込んだネットストア『ANYWHERE STORE』が近日オープンとなります!!

 取り扱い第一弾はイギリスの名門「Honest Jon's」がひっそりとリリースしていたカーハートとコラボしたトートバッグとロゴTシャツ。
 日本初のテクノガイド本『TECHNO definitive 1963-2013』などの書籍はもちろん、少ロットで作成されたマーチャンダイスの販売を行います。ちなみに、『TECHNO definitive 1963-2013』の表と裏のイラストは数多くのデトロイト・テクノの名盤のジャケを手がけてきたアブドゥール・ハック氏による書き下ろしですが、この裏表紙で使ったSF漫画ちっくなイラストがすこぶる評判が良くて、エレクトラグライドで出店(目指すは神出鬼没な移動式マーチャンダイス屋)したときも、そのステッカーだけ欲しいという人が何人もいました。それで、現在、『TECHNO definitive 1963-2013』Tシャツの特別限定ヴァージョンとして、ハック氏のイラストをフィーチャーしたものを作ろうとか思案しています。受注制でやろうかと思っているのですが、作ったら買いたいという方がいましたら、どうかワタクシ菅村宛(adinfo@ele-king.net)にメールを下さい。また、こんなものを作って欲しいというリクエストがあれば教えてください。たとえばノイ!のマグカップとか......(ノイ!の日記というのをいま真剣に考えているのですが、どう思われますか?)

 ついに、期間限定開店中!!→ANYWHERE STORE

interview with Yo La Tengo - ele-king


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 1日限りではあるけれど「ザ・フリーホイーリング・ヨ・ラ・テンゴ」と題されたライヴで3年ぶりの来日を果たしたヨ・ラ・テンゴ。今回の来日公演は通常のライヴとは違い、通訳を介したQ&A形式で観客とのトークを挟みながら、その場のフィーリングで選曲を決めていくという特殊なスタイル。ヨ・ラ・テンゴのライヴといえば、本編で圧倒的なサウンドを奏でて観客をうっとりさせ、アンコール・タイムではリクエストを募ったり、嬉々として自分たちの好きな曲のカヴァーを披露したりして、アットホームな雰囲気を醸し出すのがいつもの流れなのだけれど、この日は観客とのQ&A(微笑ましい質問もあれば、マニアックな質問もあり)に半分くらいの時間を割いていることもあり、全編通してアンコール・タイムのような和やかな雰囲気。この晩、ステージにセッティングされた楽器はアコギ、ベース、シンプルなドラムセット(スネアとタム、それにシンバル)だけで、数曲演奏して客電がつき、質問タイムを挟み、また演奏するという構成は、いつものヨ・ラ・テンゴのステージを期待していた人にとっては肩透かしだったかもしれないが、コアなファンにとっては満足のいく極上の公演だった。

 その翌日、インディー・ロック界随一のおしどり夫婦であるアイラ&ジョージアに、今回のライブの裏話や、来年1月に出る新作について話をきくことができた。

 自分としては10年前くらいに書いていた曲のような感覚もあったりするし。自分たちでそれらの違いを発見したり、説明したりするのが難しいだけなのかもしれないわ。

昨晩のライヴでは観客からの質問に、冗談で「プレゼントをくれないと質問に答えないよ」と言っておられたので、プレゼントを用意してきました。どうぞよろしくお願いします。

アイラ:ありがとう。昨日言っておいてよかった(笑)。

メンバーと同じシャツにヅラをかぶったコスプレ姿の通訳3人も笑いをとっていて、大活躍でしたね。あのアイディアは日本に来る前からあたためていたんですか?

アイラ:そうだよ。来日する前から考えていたアイディアだね。通訳を入れることで他の国でやるよりもショウのペースがゆるんだり、間が空いてしまったりしないようにと思って、メンバーひとりひとりに通訳をつけようっていうのは最初から考えていたんだけど、さらにショウを面白くするために通訳のみんなに僕たちのコスプレをしてもらおうと思ったんだ。実際にカツラとかを買いに行ったり、準備したりするのはすごく楽しかったよ。

アイラ役の通訳の方は、お揃いのボーダーのTシャツを着ていましたね。あれは日本で調達したんですか?

アイラ:そうだね。日本で買ったよ。

ユニクロですか?

アイラ:違うよ。H&Mだよ(笑)。自分が着ようとしていたTシャツを僕の担当の通訳の人に前もって伝えていたんだけど、彼はそんな種類のTシャツは持ってないって答えたんだ。実際に彼が当日着てきたTシャツを見たらそれでもまったく問題はなかったんだけど、招聘元のスマッシュのスタッフがこのコスプレのアイディアを気にいってくれて、どうせならお揃いのシャツを買いに行こうということでH&Mに連れてってくれて、そこで買ったんだ。

英語圏以外の国で今回みたいなQ&A形式のライブをやるのは大変そうだなと思っていたのですが、とてもユーモア満点で素敵なライブだったと思います。このような形式のショーを観て、思い浮かんだのがアメリカのテレビ番組『アクターズ・スタジオ』だったのですが、もしかして、これがインスピレーションの元になっているのですか?

アイラ:ハッハッハッハ。違うよ(笑)。それは思いもしなかったな。そこからアイディアをとったわけじゃないよ。他の国でやるとみんな好き勝手に同時にいろんなところから発言したり、おしゃべりしたりしていたりして、何が質問されているかまったくわからない状況が多いんだけど、昨日のライブを思い返してみると、みんなマナーがちゃんとしていて、きちんと挙手してマイクを持った人が質問する感じだったから、たしかに『アクターズ・スタジオ』っぽかったかもね。

 ※『アクターズ・スタジオ』......アメリカの俳優・監督・演出家らを養成する演劇の専門学校、アクターズ・スタジオが運営するテレビ番組。俳優・映画監督らをゲストに招き、同校の生徒を前に、インタヴューに答えるという形式。番組終盤には毎回決まった10の質問と、会場の学生からの質問に答える。日本では佐野元春が司会を務める『ザ・ソングライターズ』が近い雰囲気。

昨晩のトーク・セッションのなかで「新作では何か新しいことがしたかった」と言っていましたね。前々作の『アイ・アム・ノット・アフレイド・オブ・ユー・アンド・アイ・ウィル・ビート・ユア・アス』と前作の『ポピュラー・ソングス』はこれまでの集大成的なバラエティに富んだ内容でした。なかでも"ミスター・タフ"はファルセットで歌っていたり、"イフ・イッツ・トゥルー"はモータウンっぽいストリングスが入っていたりしていたので、ヨ・ラ・テンゴの新機軸はソウルっぽいサウンドなのかと思っていたのですが、新作で新しく取り入れた要素はありますか?

ジョージア:ちょっとこれまでと違うところもあるかもしれないけど、際立って新しい要素はそんなにないかなって思うわ。自分としては10年前くらいに書いていた曲のような感覚もあったりするし。自分たちでそれらの違いを発見したり、説明したりするのが難しいだけなのかもしれないわ。

アイラ:きみが言うように、たしかに"ミスター・タフ"とか"イフ・イッツ・トゥルー"みたいな曲はモータウンっぽい感じがするし、それが新機軸になっているっていう考えも理解できるよ。あの頃のアルバムの特徴を話すとすると、いろいろなジャンルっていうものをフォローしてみようって気持ちがあった時期だね。たとえば、"イフ・イッツ・トゥルー"とかはモータウンってコンセプトにもとづいて曲を書いてみようと思って、ストリングスを入れてみたりして、ジャンルをなぞっていた部分はあったんだけど、今回に関しては、特定のジャンルを意識するって感じじゃなくて、自分たちから自然に生まれてきた曲をそのまま収録した感じかな。

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いま、話をしていて考えていたんだけど、どうしてもっと早くにジョン(・マッケンタイア)といっしょにやらなかったのかなって思うよ。


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長年つきあいのあるプロデューサーのロジャー・マテノに変わって、新作ではトータスのジョン・マッケンタイアをプロデューサーとして迎えているそうですが、どのような経緯で実現したのでしょうか?

アイラ:はっきりとは覚えてないんだけど、スタジオで練習しているときに誰かがふとこのアイディアを思いついたんだ。ジョンとは20年以上の知り合いでこれまでいっしょに何かをしてないことが不思議なくらい仲がいいし、音楽的にもあうし、バンドみんなが賛成したよ。ジョンはほんとに忙しい人なんだけど、たまたま彼のスケジュールにちょうど空きがあったから実現したんだ。

長年、インディー・ロックを聴いてきた人たちにとってはこのコラボレーションは夢のようです。

アイラ:そうだね。いま、話をしていて考えていたんだけど、どうしてもっと早くにジョンといっしょにやらなかったのかなって思うよ。僕たちは映画のサントラを依頼されることも多いんだけど、いつも同じようなタイプの曲を求められることが多いんだ。全然違うジャンルの音楽を書けるし、書いてみたいのにね。よく考えてみたらそういう目で自分もジョンのことを見ていたかもしれなくて、トータスのファンだし、彼の音楽も大好きだけど、自分たちは全然トータスっぽくないからと思っていて、そういう固定概念のようなものに囚われていたんだけど、そこから離れて広い視野をもてるようになったことがジョンといっしょにやるきっかけになったかもね。

昨日披露された新曲は3曲ともゆったりとしたリズムでリラックスした曲調でしたね。ジョン・マッケンタイアとタッグを組んだということで、ポスト・ロックっぽい複雑なサウンドになっているのかもとイメージしていましたがいい意味で期待を裏切られました。

アイラ:たぶん、自分たちはポストロックみたいな複雑な拍子のカウントはできないから、ついていけないんじゃないかな(笑)。

ジョンはジャムセッションの段階から関わっていたのでしょうか? それともある程度、サウンドの方向性がまとまってからポスト・プロダクションを施すという形ですか?

ジョージア:彼は一度もわたしたちのジャムセッションには来てないのよ。ジョンはシカゴに住んでいて、私たちはホーボーケンに住んでいるから距離的な問題もあるし。レコーディングをはじめる前にほとんどの曲ができていて、そのデモをもって彼のスタジオに行って、そこからアルバムに向けて共同作業をはじめたから、実際にスタジオに行くまでは彼は曲を聴いていない状況だったの。

SOMAスタジオには膨大なヴィンテージ機材が所蔵されているそうですが、いろいろ試してみましたか?

ジョージア:もちろん。

アイラ:いつもは音楽を作るときに、どういうサウンドにしようとかは前もって考えないようにしていて、自分たちのフィーリングのままに曲を作るようにしているんだけど、今回はSOMAスタジオにあるロクシコードだけは絶対に使おうと決めていたんだ。

ロクシコードとは、どんな楽器なんですか?

アイラ:エレクトリック・ハープシコードの一種で、ハープシコードとオルガンのあいだのようなサウンドなんだ。サン・ラがよく使っていた楽器だよ。

 ※ロクシコード(Rocksichord)......60年代のヴィンテージ・キーボード。テリー・ライリーも『ア・レインボウ・イン・カーヴド・エア』で使用。最近のアーティストだとウィルコやステレオラブが使用。

8月くらいからツイッターにレコーディングの様子を知らせるツイートをしてましたね。機材の写真やソフ・ボーイのフィギュアの写真をアップしていましたが、あれはSOMAスタジオの写真だったんですね。あの写真を見たときは、ジョンがプロデューサーとして参加しているというのを知らなかったので、あとで知って、なるほどと思いました。

ジョージア:そうそう、そうなの(笑)。

 ※ソフ・ボーイ(SoF'BoY)......ジョン・マッケンタイアもメンバーのバンド、シー・アンド・ケイクのメンバーで、イラストレーターとしても活躍するアーチャー・プレウィットが作者のキャラクター。ヨ・ラ・テンゴならではユーモアで、新作へのヒントだったのかも。

ヨ・ラ・テンゴの曲は夕暮れどきや真夜中っぽい雰囲気を想像させる曲が多いと思います。メンバーが集まって行うジャム・セッションもこういった時間帯にやっているんですか?

ジョージア:いいえ。私たちはいつも15時くらいから集まってはじめるのよ。(笑)

アイラ:いつも曲を作るときは、その曲自体が自由になるようにしているから、聴いた人たちがいろいろ想像してさまざまな感想をもつんじゃないかな。たとえば、昨日のライブでやった曲とかも曲の中盤くらいにならないとその曲がどんなムードでどういう方向性になっていくのかも自分たち自身でもわからないくらいだし。昨日演奏した曲も別の場所でやるとちがうムードになったりすることもあるしね。

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昨日のライブでやった曲とかも曲の中盤くらいにならないとその曲がどんなムードでどういう方向性になっていくのかも自分たち自身でもわからないくらいだし。昨日演奏した曲も別の場所でやるとちがうムードになったりすることもあるしね。


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カヴァー曲に関しての質問です。ここ数年ではゾンビーズの"ユー・メイク・ミー・フィール・グッド"やトッド・ラングレンの"アイ・ソー・ザ・ライト"、キャロル・キングの"ユーヴ・ガッタ・フレンド"をカヴァーしていましたね。オーソドックスな選曲が増えているような気がしますが、最近はカヴァー曲のチョイスの基準は変わってきましたか? 昔はダニエル・ジョンストンやアレックス・チルトン、ビート・ハプニング、オンリー・ワンズ等、インディー寄りな選曲が多かった気がするのですが?

ジョージア:自分たちでも気づいてなかったんだけど、たまたまだと思うわ。まだリリースされてないけどタイムズ・ニュー・ヴァイキングのカヴァーもしているし。

アイラ:自分のなかで、いま挙げられたアーティストたちの境界線はなくて、たとえば、アレックス・チルトンもキャロル・キングのことをすばらしいソングライターだって公言していたように、ダニエル・ジョンストンもすばらしいと思うし、同じようにトッド・ラングレンもすばらしいと思うし。自分のなかではどっちがインディーとかいうような意識はないよ。

毎年やっているWFMUマラソンですが、リクエスト曲は事前に練習しているんですか?

ジョージア:リクエスト曲は事前にはわからないから練習できないのよ。

アイラ:リクエストが来てから演奏するまで数分しか時間がないから、その間にお互い話してみたり、音を鳴らしてみたりするだけだよ。

ジョージア:いちおう、ウォームアップを兼ねて練習スタジオでお互いに曲名を出しながら練習することはあるけど、実際にはリクエストでその曲がくることは少ないわね(笑)。

 ※WFMUマラソン......NYのネットラジオ局WFMUの運営資金を募るために、ヨ・ラ・テンゴが10年以上毎年行っているチャリティー・ライヴ。リスナーから寄せられたリクエスト曲に応えて演奏する生放送番組で、リクエストするには100ドル以上が必要。

今年に入ってから「ザ・ラヴ・ソング・オブ・R.バックミンスター・フラー」という特別なショーを何回かやっていますが、どのようなプログラムなのでしょうか?

アイラ:バックミンスター・フラーという人物に関するドキュメンタリー作品で、サム・グリーンという映像作家といっしょにはじめたプロジェクトなんだ。彼は近年、人々がスマートフォンとかそういったデバイスで映画を観ることに対していい感情をもっていなくて、劇場に足を運んで映画を観てもらいたいって意味合いを込めて、映像を流しながら、彼がナレーションをして、その横でバンドが演奏するライヴ・ドキュメンタリーという形式をやっているんだ。僕たちはその映像のために12曲のインスト曲を書き下ろしたんだ。自分たちのスケジュールに組み込みことが難しいから、そんなにしょっちゅうはできないけど。

 ※バックミンスター・フラー(The Love Song of R. Buckminster Fuller)・・・「20世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチ」とも評されるアメリカの思想家、デザイナー、建築家、発明家。「宇宙船地球号」という概念・世界観の提唱者。デザイン・建築の分野では、ジオデシック・ドームやダイマクション地図、ダイマクション・ハウス(住宅のプロトタイプ)などを発明。

ヨ・ラ・テンゴのオフィシャル・サイト限定でジョージアのソロ作品がリリースされていますね。これはどんな作品ですか?

ジョージア: 20分間のギター・インスト1曲入りの12インチで、B面はドローイングが施されているわ。どっちかっていうとアート作品みたいな感じね。

アイラ:とても美しい作品だよ。

 ※ジョージアのソロ作品......リトル・ブラック・エッグ(Little Black Egg)という名義で500枚限定プレスの12インチ。ヨ・ラ・テンゴのオフィシャル・サイトのみで販売。

ジェームスは、はっぴいえんどや不失者、非常階段、Salyu等、日本のアーティストのレコードをたくさん買ったといっていましたが、あなたが日本で入手したレコードはどんなものがありますか?

アイラ:僕は今回、スパイダースの7インチを買ったよ。

ジョージア:裸のラリーズのすごい高いボックスセットは?

アイラ:あれは日本じゃないよ。何年か前だけどサンフランシスコで買ったんだよ。高かったけど、それだけの価値はあるよ(笑)。

ヨ・ラ・テンゴはこれまでにも数々の映画のサントラに曲を提供してきましたが、もし自分たちがスコアを担当できるとしたら、どの監督といっしょに仕事がしたいですか?

アイラ:最近の映画は音楽を全然気にしてなくて、音楽は後から取って付けたような感じの映画が多いけど、マーティン・スコセッシとかジム・ジャームッシュ、コーエン兄弟とかはとても音楽を気にしているから、そんな監督の作品に携われたら嬉しいな。でもコーエン兄弟はいつもいっしょに音楽を作っているパートナーがすでにいるから無理だよね。

昨日のライブの最後に「来年また来るよ」といっていましたね。楽しみにしています。

アイラ:ありがとう。

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