「KING」と一致するもの

Maarja Nuut - ele-king

 エストニアのマーヤ・ヌート、なんと12月に初来日することが決定した。彼女の民俗音楽とエレクトロニカの融合が直に聴けるのは楽しみでしかない。共演にはエストニアで交流も果たしたASUNA、そして『hinged』の日本盤リリースや本公演へのきっかけを作ったShhhhhがDJで彩りを添えます。

Maarja Nuut Japan Show 2022

日程:2022年12月6日(火)
会場:代官山・晴れたら空に豆まいて
時間:OPEN 18:30 /START 19:30
料金:ADV ¥3,800 / DOOR ¥4,300 (共に1ドリンク代 600円別途)
チケット予約:https://www.artuniongroup.co.jp/plancha/top/news/maarja-nuut-japan-show-2022/

出演:
Maarja Nuut
ASUNA
DJ: Shhhhh

Maarja Nuut:
 1986年生まれ、エストニアはラクヴェレ出身のコンポーザー/プロデューサー/シンガー/ヴァイオリニスト。幼少期から合唱団の指導者でもあった母親の影響で音楽を親しむようになる、7歳からヴァイオリンのレッスンを受け始め、12歳からタリン音楽高等学校で学んだ後、エストニア音楽・演劇アカデミーに入学。エストニアやヨーロッパ各地の音楽祭に参加し、早くから民族音楽に興味を持つようになる。21歳のとき、オランダ人チェリストのサスキア・ラオ・デ・ハースとともにインドを訪れ、ヒンドゥスターン音楽を学んだ。
 2008年、エストニアに戻った彼女は民族音楽の道に進むことを決め、タルトゥ大学の一部門であるヴィリヤンディ文化アカデミーで学んだ。ここで、ソビエト連邦以前のエストニアの村の音楽の78回転レコードに出会い、インスピレーション得る。2011年からストックホルム大学で学び、特にポーランドの村落民俗音楽への関心を深めた。2014年に音楽の修士号を取得して卒業した。
 元々はクラシックを学んでいたが、民族〜フォーク・ミュージックへと傾倒し、伝統的なエストニアのヴィレッジ・スタイル現代的な解釈へと消化するスタイルを確立。2013年にソロ・アーティストとしてアルバム『Soolo』デビューし、タリン・ミュージック・ウィークでアーティスト賞を受賞。2016年、ソロ・セカンド作『Une Meeles』をリリースし高い評価を得た後、独自のアブストラクト・エレクトロニック・サウンドを生成するHendrikKaljujärv(別名Ruum)とのコラボレーションを開始。Maarja Nuut & Ruumのデュオ名義で2枚のアルバムをリリースし、国際的なフェスティバルへの出演も果たす。2020年にはSan Arawとのコラボ作をリリースし話題となった。そして2021年にパンデミックのタイミングで受け継がれた祖母の古い農場の開墾と修理の合間を縫って自信の海辺のスタジオでプロデュース、録音をほぼ1人で敢行した自身にとって”初めての本格的なソロ・アルバム”という『hinged』をリリースした。


Maarja Nuut
hinged

PLANCHA

・日本盤ボーナス・トラック1曲収録
・解説:松山晋也
・歌詞・対訳付き

ASUNA(アスナ):
 石川県出身の日本の電子音楽家。語源から省みる事物の概念とその再考察を主題として作品を制作。同時に音の物理現象に関する美術作品の制作/パフォーマンスも行う。代表作に「organ」の語源からその原義である「機関・器官」としてオルガンを省みた『Each Organ』(2002)、本の語源としてのブナの木を元に情報の記録・運搬について扱った作品『Epidermis of Beech』(2012)などがある。近年は、干渉音の複雑な分布とモアレ共鳴に着目した作品『100 Keyboards』(2013)で、「メルボルン国際芸術祭」(2018)、「シンガポール国際芸術祭」(2019)、「ベルファスト国際芸術祭」(2019) 、など海外のアート・フェスティバルから多数の招待を受け展示/パフォーマンスを行い、昨年も米ニューヨークの名門・BAM(ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック)からの招待を受け、全公演ソールドアウトとなる単独公演を成功させた。並行した音楽制作では、10代の頃から東京の実験音楽/即興/音響シーンに関わり、様々なアコースティック楽器やPCベースによる作曲作品から即興演奏まで行いつつ、無数のオモチャ楽器と電子音楽によるパフォーマンス『100 Toys』(2007) を中心とし、録音作品では毎回多岐に渡るコンセプトながらも一貫した作品制作を行う。これまで海外25カ国以上で演奏/展示、CDやレコードなどをリリース。ドイツの電子音楽家のヤン・イェリネクや、美術家の佐藤実-m/s、トラックメーカーのshibataらと長年に渡りコラボレーションによる制作も行っている。


Shhhhh (El Folclore Paradox/ The Observatory):
 DJ/東京出身。オリジナルなワールドミュージック/伝統伝承の発掘活動。フロアでは民族音楽から最新の電子音楽全般を操るフリースタイル・グルーヴを発明。
 執筆活動やジャンルを跨いだ海外アーティストとの共演や招聘活動のサポート。2018年秋よりベトナムはホーチミンのクラブ、The ObservatoryのレジデントDJに就任。
 ミャンマー伝統音楽のリミックス盤『Kalab Mixed Myanmar #1』(Rollers)のキュレーション。Worldwide FM、NTSへのmix提供など。Rainbow Disco Club 2022、Mindgames presents Balanceへの出演も。
https://linktr.ee/kanekoshhhhh

追悼:キース・レヴィン - ele-king

三田格

 P.i.L.の初来日にキース・レヴィンはいなかった。正規リリースされたライヴ盤『Paris Au Printemps(P.I.L.パリ・ライヴ)』やブートレグでは『Extra Issue, 26 December 1978』と『Profile』を重点的に聴いていた僕の耳に、あのシャープでクリアーなギターは響いてこなかった。来日直前にキース・レヴィンが脱退したことで、あからさまにジョン・ライドン・バンドでしかなくなったP.i.L.はこともあろうにレッド・ツェッペリンを思わせる演奏に変わり始め、ジョン・ライドンの歌い方が必要以上に演劇的に感じられたことをよく覚えている。いまから思えば元曲と演奏の雰囲気が合っていなかったからなのだろう。アンコールで“アナーキー・イン・ザ・UK”をやったのもサーヴィス精神とはまた別にジャー・ウォブルもキース・レヴィンもいなかったから反対するメンバーがいなかったとか、そういうことだったに違いない。あと半年早く来てくれればP.i.L.を体験することができたのに。あと半年早ければ『Paris Au Printemps』のようなオルタナティヴのピークに触れられたかもしれないのに。ちなみに初来日の模様を収録した『Live In Tokyo』に『Metal Box』の曲は“Death Disco”しか収録されていない。ジョン・ライドンからすればP.i.L.が生まれ変わらなければならないというプレッシャーを感じながらもがきにもがいてつくりあげたバンド・サウンドだったのだろう。そう、キース・レヴィンがいなくなるということは、ライドンにとってはかなりな難局だったのである。

 キース・レヴィンがP.i.L.を脱退したのは“This Is Not A Love Song”のミックスをやり直したかったレヴィンとその必要はないとしたライドンが修復できないほど悪い関係になったからとも、単にレヴィンのドラッグが原因だとも言われている。いずれにしろアルバムの半分が同じ曲で構成されたレヴィン・ヴァージョンの『Commercial Zone』が翌84年1月に、ライドン・ヴァージョンの『This Is What You Want... This Is What You Get』がそれから半年後にリリースされ、『Commercial Zone』がそれまでのP.i.L.と地続きの作品性を誇り、はるかに優れた内容であることは歴然としていた。『Commercial Zone』を『This Is What You Want... 』のデモ・テープ扱いしていた記事もいくつか見かけたけれど、一体何を聴いてきたんだと呆れるしかなく、『Commercial Zone』に収録されていた“Blue Water”が初来日のオープニングに流れていたことも思い出した。だから『Album』『Happy?』『9』と聴けば聴くほど情けなくなるジョン・ライドン・バンドに対してキース・レヴィンの活動に興味が湧くのは当然のことで、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのプロデュースを経て脱退から3年を待った『2011 - Back Too Black』や続く『Violent Opposition』を相次いで手に取るも『This Is What You Want... 』よりも完成度が微妙だった時はさすがに愕然としてしまった。それどころかレイヴ・カルチャーが勃興してきた頃にはP.i.L.の誰もが存在感を失っていた。

 キース・レヴィンはシド・ヴィシャスやスリッツ及びバンシーズのリズム隊とフラワーズ・オブ・ロマンスとしてバンド活動を始め、クラッシュの創設メンバーとしてはジョー・ストラマーをザ・101ナーズから引き抜いてクラッシュのヴォーカルに付かせたにもかかわらず、自身はデビュー前に脱退。次に音楽シーンに現れた時はP.i.L.のメンバーとしてだった。P.i.L.はライドンの性格を反映して最初から大胆不敵なサウンドを構築し、ジャー・ウォブルの不気味な下降ベースとパンクにありがちな荒々しさとは違う意味で耳障りなキース・レヴィンの金属的なギターはすぐにも彼らの特徴となり、デビュー・アルバムから約1年後にリリースされた『Metal Box』でさらなるサウンド的な飛躍を遂げることに。アブラクサスのレビューでも触れたけれど、“Radio 4”はキース・レヴィンがひとりで多重録音したもので、"Poptones" でもレヴィンはドラムを叩き、“Bad Boy”という曲名はレヴィンのニックネームに由来する。ジャー・ウォブルが脱退したこともあってサード・アルバム『The Flowers Of Romance』はほぼすべての楽器をレヴィンが演奏し、彼がいなければP.i.L.は成り立たなかったはずなのに、ライドンは『Commercial Zone』のどこが気に食わなかったというのだろうか。デヴィッド・ボウイ『Let’s Dance』に寄せすぎたということなのか。

 クリエイティヴィティのピークにいるミュージシャンは同時期に何をやってもいい仕事をしてしまうもので、キース・レヴィンの才能もP.i.L.在籍時に様々な花を咲かせている。ジャー・ウォブルと組んだスティール・レッグスVジ・エレクトリック・ドレッドはドン・レッツをフィーチャーしたレゲエ色の強いP.i.L.サウンドの楽観的変奏。『Metal Box』でドラムを叩いてもらったお返しなのかカウボーイ・インターナショナルにも1曲で参加し、エイドリアン・シャーウッド周辺だとヴィヴィアン・ゴールドマンやシンガーズ&プレイヤーズの諸作に客演、スリッツやリップ・リグ&パニックからメンバーが集まったニュー・エイジ・ステッパーズにも最初は正式メンバーとして参加していた。P.i.L.を脱退してゲーム・クリエイターに転身したというニュースが入ってからもダブ・シンディケート、バーミー・アーミー、ゲイリー・クレイルと〈On-U Sound〉との絆は強く、マーク・ステュワートのアルバムでも結構な量のギターを弾いている。2010年代になるとジャー・ウォブルとのコンビを復活させてジョイント・アルバム『Yin And Yang』(12)をリリースし、キャバレー・ヴォルテール風のオルタナティヴ・サウンドからインド風の瞑想的なギター・ソロまでなかなかの充実作となったサード・ソロ『Search 4 Absolute Zero』(13)と、クラウドファンディングで募った資金を元に『Commercial Zone』の完成形『CZ2014』(15)も自主制作。やはりそれだけ引っかかっていたのかと思うと、なんともいえない作品ではある。それで気が済んだということになってしまうのか、それから7年が経った2022年に肝臓ガンによる逝去の報が届き、第1報に続く「未亡人になってしまいました」という奥さんのツイートがとても悲しかった。

 キース・レヴィンは音楽に対して貪欲な人生を生き抜いたという例には当てはまらない。ビットコインはパンク・ロックだと主張し、晩年は暗号通貨にのめり込んでいたというし、果たしてもっと才能があったのか、それともこれで精一杯だったのかということもわからないままに生涯を閉じ、『Metal Box』や『Search 4 Absolute Zero』だけが目の前に残されている。P.i.L.や同時期のポスト・パンクが破壊だけでなく、その後に創造というプロセスを見せてくれたことは二十歳前後の僕にはとても重要なことだった。パンク・ムーヴメントは確かにインパクトがあった。でも、マネをするだけだったり、パンクにカブれてチンピラまがいのバンカラ野郎になっていくミュージシャンを僕はとても受けつけなかった。『Metal Box』のような変化をもたらし、ロック的な皮肉をパンクのファンにさえ向けることができると教えてくれただけでもキース・レヴィンには感謝しかない。R.I.P.
 


 

野田努

 三田格と同じく、キース・レヴィンとジャー・ウォブル抜きの(『Metal Box』のP.i.L.ではない)P.i.L.の初来日を複雑な心境で観に行ったひとりとして、若干の付け足しを。P.i.L.のもっともスリリングだった期間を、ファースト・アルバムから『The Flowers Of Romance』までの3枚+ライヴ・アルバム『パリ・ライヴ』とするなら、その時期の音楽性において重要な働きをしたのがウォブルとキース・レヴィンであることは疑いようがない。もともとプログレッシヴ・ロックが好きで、スティーヴ・ハウに憧れてイエスのローディーもしていたレヴィンは、ギタリストとしての技術も持っていた。しかしながら彼が素晴らしかったのは、その技術を、従来のギター・サウンドを否定するかのように使ったことだった。セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズの厚みのあるギターはハード・ロックの延長にあったが、レヴィンの耳障りな金属音のようなギターは、そうした伝統へのアンチだった。因習打破なその姿勢こそが、ポスト・パンクという創造性の扉を開いたのである。
 P.i.L.ファンの議論のひとつに『The Flowers Of Romance』を作ったのはレヴィンだったというのがあるように、ある時期から、彼の存在はジョン・ライドンの脇役以上のものだった。『The Flowers Of Romance』ではほとんどギターを弾かず、パーカッションやシンセサイザーを担当したレヴィンは、自分の楽器を演奏するためだけにその場にいるミュージシャンというよりも、あの作品の方向性を決めた音楽監督というに相応しかったのかもしれない。ゆえにジョン・ライドンと衝突し、彼は脱退した。その後は三田格が書いている通りである。
 リアルタイムで言えば、メディアはP.i.L.をジョン・ライドンのワンマンバンドのように紹介したが、初来日のP.i.L.はまさにライドンのバックバンドだった。ウォブル/レヴィン時代のP.i.L.がサウンド的には全否定したはずの“アナーキー・イン・ザ・UK”をそのバンドはやった。本当に、あと半年早く来てくれれば……である。そうしたら、ギターの革新者にしてポスト・パンク・サウンドの先導者、キース・レヴィンの演奏を直に聴くことができたのだろう。

現代メタルガイドブック - ele-king

「最新の先鋭的な音楽」としてのメタルを一望する「新しいメタルの教科書」!!

ジャズやポストロック、ヒップホップやエレクトロニック・ミュージックまで、
さまざまなジャンルを貪欲に取り入れた裾野の広さ
「激しさ」「過激さ」を極限まで追求してきたエクストリーム・メタル
そしてさまざまな形でメタルの影響を受けた最新のポピュラー音楽の数々

執筆:清家咲乃、村田恭基、脇田涼平、つやちゃん、西山瞳、川嶋未来、藤谷千明、梅ヶ谷雄太

目次

1 注目すべき10アーティスト

2 HR/HM(Hard Rock / Heavy Metal)
オリジネーター │ ハードロック │ NWOBHM │ ポップメタル、メロディアスハード │ メタル系テクニカルギタリスト(80~90年代) │ ヘヴィメタル/パワーメタル │ スラッシュメタル、クロスオーヴァー・スラッシュ │ スラッシュメタル、クロスオーヴァー・スラッシュ │ プログレッシヴ・ハード/プログレッシヴメタル

3 メタルの理解を深めるにあたって重要なジャンル外音楽①:90年代まで

4 エクストリーム・メタル
グラインドコア │ 初期デスメタル(OSDM) │ ブルータル・デスメタル │ プログレッシヴ・デスメタル │ テクニカル・デスメタル │ 1st wave of Black Metal │ 2nd wave of Black Metal │ ブラックメタルの広がり │ ヴァイキングメタル、フォークメタル

5 ポストHR/HM
グルーヴメタル │ インダストリアル・メタル │ オルタナティヴ・メタル │ メロディック・デスメタル │ メタリック・ハードコア │ メタルコア(ゼロ年代以降:メロデス通過後・現在に至る意味での)、スクリーモ │ デスコア │ プログレッシヴ・メタルコア/Djent │ ゴシックメタル │ ドゥームメタル、ストーナーロック、スラッジコア │ フューネラル・ドゥーム │ ドローン・ドゥーム、メタル隣接のアヴァンギャルド音楽 │ ポストメタル │ ポスト・ブラックメタル、ブラックゲイズ │ 上記全てを包含しうる境界例的なバンド

6 メタルの理解を深めるにあたって重要なジャンル外音楽②:00年代以降

7 2010年代以降のメタル
ポップミュージックのフィールドにおける活用 │ メタリック・ハードコアの発展 │ エレクトロニック・ミュージックとの接続 │ ジャズとメタルの交差関係 │ 不協和音デスメタル │ Roadburn Festival │ オールドスクールなスタイルの再評価を起点とした新たな広がり │ エピックメタル方面 │ 2022年の傑作群

8 日本のメタル周辺音楽
大きな影響をもたらした代表格 │ 日本のプレHR/HM │ 日本のHR/HM │ メタルに近いところにある日本のパンク/ハードコア │ 日本のエクストリーム・メタル │ 日本のポストHR/HM

COLUMN
ライフスタイルとしてのメタル
メタルと英語
近代・現代音楽とエクストリーム・メタル
メタルと声
Dave Grohl(Nirvana、Foo Fighters)の地下メタル愛
メタルとヒップホップの救い──逃避と革命の音楽
ヘヴィ・ミュージックの革新性と包括性、それを示す場としてのRoadburn Festival
メタルとヴィジュアル系

索引
プロフィール


オンラインにてお買い求めいただける店舗一覧
amazon
TSUTAYAオンライン
Rakuten ブックス
7net(セブンネットショッピング)
ヨドバシ・ドット・コム
Yahoo!ショッピング
HMV
TOWER RECORDS
disk union
紀伊國屋書店
honto
e-hon
Honya Club
mibon本の通販(未来屋書店)

P-VINE OFFICIAL SHOP
SPECIAL DELIVERY

全国実店舗の在庫状況
紀伊國屋書店
三省堂書店
丸善/ジュンク堂書店/文教堂/戸田書店/啓林堂書店/ブックスモア
旭屋書店
有隣堂
TSUTAYA
未来屋書店/アシーネ
くまざわ書店

interview with Mount Kimbie - ele-king

 安心した。マウント・キンビーの新作は、LAに暮らすドミニク・メイカーとロンドン在住のカイ・カンポス、それぞれのソロ作をカップリングしたものになる──そう最初に知ったとき、てっきりこのまま解散してしまうんじゃないかと不安に駆られた。仲たがいでもしたのかと気が気じゃなかった。
 大丈夫。海を隔てようとも、ロックダウンを経ようとも、ふたりの絆はいまだ健在だ。『MK 3.5』なるタイトルが示しているように、今回は4枚目のフル・アルバムにとりかかるまえのちょっとした寄り道のようなもので、「メインのプロジェクトとは少し違ったことを実験するチャンスだと捉えて」「自分たちの頭のなかにあるアイディアを、あまりプレッシャーを感じずに、自由に実験し、探求すること」が目的だったようだ。
 といっても手抜きなどではもちろんない。00年代末、ポスト・ダブステップの時代にボーズ・オブ・カナダの牧歌性を持ちこむところから出発し、2012年に〈Warp〉と契約してからは生楽器を導入、バンド・サウンドを試みていた彼らだが、『MK 3.5』はこれまでのどの作品とも異なる新境地を拓いている。

 メイカーによるディスク1「Die Cuts」はUSメジャー・シーンからの影響が大きく、トラップのスタイルにUKらしいメランコリーが組み合わせられている。ジェイムス・ブレイク作品におけるメイカーの貢献度がいかに高いか、あらためて確認させてくれる内容だ。一方、カンポスによるディスク2「City Planning」は、彼のDJ活動からのフィードバックが大きい。徹頭徹尾アンダーグラウンドのテクノを志向しており、クラブのサウンドシステムで聴きたいミニマルなトラックがずらりと並んでいる。喚起される、夜の都市。
 ほかの面でも両者は対照的だ。「Die Cuts」にはブレイク以外にもスロウタイダニー・ブラウンなど多数のゲストが参加。サンプリングも使用されており、多くの人間たちとのコラボレイション作品と呼ぶことができる。ひるがえって「City Planning」は1曲を除き、カンポスひとりの手で制作されている。あるいは「Die Cuts」にはことばがあるけれども、「City Planning」にはない──

 みごとに性格の異なる2枚を最初から最後まで通して聴くと、長時間電車で旅をしているような、そしていつの間にか国境を越えてしまっていることに気づくような、不思議な感覚に襲われる。こればかりは2枚を通しで聴かないと味わえない。ある一定以上のまとまった時間を体験することによってしかたどりつけない風景もあるのだと、マウント・キンビーは主張しているのかもしれない。多くのリスナーがアルバム単位での聴取を手放しつつある現在、これは挑戦でもある。


向かって左がドミニク・メイカー、右がカイ・カンポス

ぼくらは、今回のアルバム制作の機会を、互いがメインのプロジェクトとは少し違ったことを実験するチャンスだと捉えてアルバムをつくった。(カンポス)

ハードなビートだけでアルバムをつくるのはどうも気が進まないんだ。ぼくは、叩くようなビートをつくることよりも、感情を表現するためにどうビートを使うか、ということのほうを意識してる。(メイカー)

メイカーさんがLAへ移住したのは2015年ころですよね。前作『Love What Survives』(2017)リリース時のインタヴューでは、LAとUKを往復しつつ、ふたりで一緒に作業したと語っていました。新作『MK 3.5』は完全な分業ですが、分業自体はファーストセカンドのころもやっていたのでしょうか。

ドミニク・メイカー(以下DM):いや、ファーストとセカンドのときは、ふたりともロンドンにいたから、一緒につくっていたよ。で、『Love What Survives』のときは、ツアーもあったし、ぼくがけっこうヨーロッパにいたから、一緒につくる時間ができたんだ。

今回、初めて互いの作品を聴いたときの感想を教えてください。

DM:めちゃくちゃ気に入った(笑)。カイのヴィジョンが伝わってきて、すごくよかった。ぼくにとって、彼の頭のなかを見るのはつねに興味深いことなんだ。もちろん、彼とはもう何年も一緒に音楽をつくってきたけど、それでもまだ、互いに出しあってないものがあるし、それぞれの世界というものがある。それに、ふたりとも今回のレコードをつくるプロセスは山あり谷ありだったから、完成した互いの作品を聴いたときは、よくぞ頑張った! と思ったね(笑)。

カイ・カンポス(以下KC):ぼくも同じだな。今回は、ドムが言ったとおり、お互いけっこうつくるのに苦戦したんだ。どうやって完成させたらいいのかわからなくなるときもあったし、ストレスもあった。でも、レコード制作の最後の10%で、いろいろなものがパズルみたいにハマっていったんだ。そして、アルバムの半分であるカイの作品を聴いたとき、その作品が素晴らしくて、作品をつくりあげる要素の最後のピースを糊づけしたみたいに感じた。彼が頑張っていたのもわかっていたから、ふたりともが頑張ってつくった作品がうまく合わさってひとつの作品になったときは感動だったね。細かいことなんだけど、一曲一曲をバラバラに聴くのと、アルバム全体をひとつの作品として聴くのって、やっぱり感じるものが違うんだよ。

相手のアルバムで好きな曲と、その理由は?

DM:ぼくは、最近公開された “Zone 1 (24 Hours)” かな。あの曲は、聴けば聴くほど引きこまれていくから。聴くたびに、新しいレイヤーの重なりに気づくんだ。聴くたびに魅力が増すって最高だと思う。カイは先週末にロンドンのファブリックっていうヴェニューでライヴをやったんだけど、アルバムの曲をライヴで聴くのもすごくクールだった。曲が、アルバムで聴くのとは、また違うフィーリングを持ってるように感じたんだよね。

KC:ぼくも最近出た “f1 racer” を選ぶ。まず、あのキャッチーなメロディがすごくいいと思った。聴いたその日じゅう、気づいたらあのメロディを口ずさんでいたしね。それに、トラックの構成自体もすごく好きだった。あのヒップホップとポップが混ざったような感じが、すごくミニマルでいいなと思ったんだ。

自分が好きだと思わない音楽をつくる方向に進むひとたちもいるけど、ぼくらのなかには、自分たちが面白いと思える、喜びを感じられる音楽をつくりつづけたいという思いがいまだに残っているんだ。(カンポス)

そもそもおふたりが大学で初めて出会ったとき、互いの印象はどのようなものだったのでしょう?

DM:ぼくは、自分以外にあそこまで音楽好きなひとに会ったのはカイが初めてだったんだ。それに、ぼくの周りには音楽をつくっている人がひとりもいなかったから、会った瞬間に興奮したよ。このためにロンドンに越してきたんだ! と思ったね。

KC:ひと目惚れさ(笑)。ドムに会ったときは、おもしろいヤツだなと思った(笑)。

今回『MK 3.5』をそれぞれ個別に制作するうえで、これだけは決めておくというか、最低限のルールのようなものはありましたか?

KC:ルールはなかったね。それでもなぜか、バランスのいいものができた。ぼくのほうが15分くらい長かったらどうしようなんて心配もしてたんだけど(笑)。あと、どっちが早く仕上げられるか、みたいな暗黙の競争みたいなのもはじまってたな(笑)。最初はドムがすごく順調に見えて焦ったんだけど、幸運なことに彼も途中で壁にぶち当たって、おあいこになったんだ(笑)。

ちなみにアウトキャストの『Speakerboxxx/The Love Below』は意識しましたか?

KC:意識はしてなかったけど、もちろんフォーマット的に同じだから、比較はされて当然だと思う。でもぼくにとっては、ぼくらの今回のアルバムとその作品はちょっと違うんだ。ぼくらは、今回のアルバム制作の機会を、互いがメインのプロジェクトとは少し違ったことを実験するチャンスだと捉えてアルバムをつくったから。でもアウトキャストのアルバムのほうは、自分たちの10年に一度のベスト・レコードの1枚を作る姿勢でつくったんだと思う。でも、ぼくらの目的はそれではなかったんだよね。あのレコードは10点満点中10点のレコードだけど、それは今回のぼくたちの目標や意識ではなかったんだ(笑)。

メイカーさんの「Die Cuts」はトラップのスタイルをUK的なメランコリーが覆っています。現在の居住地と故郷とのあいだで気持ちが引き裂かれたことはありますか?

DM:そうだね。ホームやイギリスの音楽が恋しくなるときもたまにあるから、それがノスタルジックなサウンドとして映し出されているのかもしれない。あとは、最近のラップ・ミュージックのトレンドのひとつとして、トラップの要素を取り入れるという流れがあるけど、ぼくの場合、ハードなビートだけでアルバムをつくるのはどうも気が進まないんだ。ぼくは、叩くようなビートをつくることよりも、感情を表現するためにどうビートを使うか、ということのほうを意識してる。そういうちょっと外れた感じがメランコリーに聴こえるっていうのもあるのかもしれない。メランコリーを意識しているわけではないけど、それっぽく聴こえると言われたらたしかにそうかもと思う。でも、ぼくはそういう音楽を懐かしんでいるというよりは、いまも現役でそれを聴いてるんだよね。だからそれが自然に出てくるんだと思う。

[[SplitPage]]

(パンデミックについて)LAって極端でさ、最初のころはめちゃくちゃ厳しくて、みんな警戒してたんだけど、一度少し緩むと、誰も気にしなくなった(笑)。(メイカー)

前作のタイトル『Love What Survives』には、カンポスさんの解釈によれば、ファーストをつくったころの気持ちや勢い、動機が現在でも「生き残っている(survive)」、という思いが込められていました。いまも「survive」しているものはありますか?

KC:自分の数年前の発言を聞くのって、なんか心地わるいね(笑)。いまも生き残っているのは、面白い音楽をつくりたいという気持ち。音楽をつくるのと、音楽業界で仕事をするのって、まったく別物なときもある。なかには、音楽業界で働くことのほうが強くて、結果的に自分が好きだと思わない音楽をつくる方向に進むひとたちもいるけど、ぼくらのなかには、自分たちが面白いと思える、喜びを感じられる音楽をつくりつづけたいという思いがいまだに残っているんだ。高評価をもらったら、それをつくりつづけないといけないと感じるアーティストもいるかもしれないけど、ぼくらにとっては、昔と変わらず音楽づくりを楽しむということが最優先なんだよ。だからぼくたちは、いろいろなやり方で音楽をつくりつづけているんだ。いまも新作に取り掛かっているけど、そのサウンドも今回のアルバムとはまた違うしね。

通訳:もう次のアルバム制作にとりかかっているんですか?

KC:そうだよ。『3.5』は、1年以上前にはすでに仕上がっていた。で、そのあとすぐに次のアルバムをつくりはじめたんだ。

『MK 3.5』の「MK」はマウント・キンビーのことだと思いますが、「3.5」は何を意味しているのでしょう?

KC:3枚めと4枚めのあいだという意味だよ。

通訳:これは4枚めのアルバムではないということでしょうか?

KC:そう、違うね(笑)。

通訳:では、いまつくっているのが4枚めのアルバムということですね。どのようにつくっているのでしょう? バラバラに? それとも一緒に?

DM:ロンドンで一緒に作業してる。いい感じだよ。あと、ぼくらにはあとふたり、バンド・メンバーがいるんだけど、彼らも作業やソングライティングに参加してくれている。彼らが加わることで、いい意味でエナジーが変わるんだよね。集中力が高まるんだ。

『MK 3.5』が完全な分業形態になったことに、パンデミックの影響はありますか?

DM:多少はあったと思う。でも、ぼくはLAに住んでいて、カイはロンドンに住んでいるから、すでに分業形態ではあったんだよね。『Love What Survives』のツアーが終わったあとで、カイはDJ活動に集中して、ぼくはLAでプロダクション活動に集中していたから、パンデミックがなくても分業形態には自然となっていた気もする。まあそれに加えて、簡単に移動ができなくなったから、その状態が思ったより長くなったり多くなった、というのはあるかもね。

ちなみに昨秋出た限定シングル「Black Stone / Blue Liquid」は、今回の新作に連なるものというよりも、『Love What Survives』のアウトテイクだったのでしょうか?

KC:あれは、『Love What Survives』にもフィットせず、今後の作品にもフィットしなそうだったから、ああいう形でリリースしたんだ。ぼくたちがただインターネットでノイズをつくったようなトラックだったしね。ちゃんとできあがっていた曲だったから、シェアするためにはなにがベストだろうと思ってシングルにしたんだ。

ここ2年ほどのパンデミック中は、それぞれどのように過ごしていましたか? やはり家にこもっていることが多かったのでしょうか?

DM:ぼくらはふたりともラッキーで、パンデミックのあいだもスタジオに通えていたんだ。

KC:そうそう。ぼくのスタジオは、家から歩いてすぐのところにあってさ。みんな運動のために家の外に出ていいってことになってたんだけど、ぼくにとっての運動はスタジオに歩いていくことだったんだ(笑)。

DM:ぼくが家にこもっていたのは4週間くらい。あれはキツかったな(笑)。ヘッドフォンつけながら作業するのって好きじゃないんだ。でもそのあとは、スタジオに行けたからよかった。LAって極端でさ、最初のころはめちゃくちゃ厳しくて、みんな警戒してたんだけど、一度少し緩むと、誰も気にしなくなった(笑)。スタジオに入れない期間があったと思ったら、スタジオで大人数のセッションがすぐにはじまってさ(笑)。40人はいたんじゃないかな(笑)。しかもノー・マスクで(笑)。

「Die Cuts」は、ジェイムス・ブレイク作品におけるメイカーさんの貢献が非常に大きいことを確認させてくれるサウンドです。ブレイクの楽曲をプロデュースするときとはどのような違いがありましたか?

DM:違っていたのは、もちろんマインドセット。ジェイムス・ブレイクに限らず、自分以外のだれかをプロデュースするというのは、自分にコントロール権はない。でも今回のアルバムでは、自分のヴィジョンを自由に形にすることができた。ジェイムスの素晴らしいところは、カイも同じなんだけど、僕との合意点が必ずあるんだ。互いを評価しあって、最高のサウンドが生まれていく。でもやっぱり大きな違いは、タイムラインも含め、自分がコントロールを持っているかいないかだね。今回、自分がすべてのコントロールを持っている、というのを初めて経験したんだ。すごくユニークな経験だったし、その状況でどう作業していくか、かなり勉強になった。もちろん、だれかと一緒に作業すること、なにかをつくることも大好きだけど、クリエイティヴ・コントロールをすべて自分が持っているというのも、また気持ちがよかったね。

今回、自分がすべてのコントロールを持っている、というのを初めて経験したんだ。すごくユニークな経験だったし、その状況でどう作業していくか、かなり勉強になった。(メイカー)

“in your eyes” はスロウタイとダニー・ブラウンという、UKとUSのラッパーの組み合わせが興味深いです。メイカーさんはスロウタイの一昨年のシングルや昨年のアルバムにも参加していましたが、彼らふたりのラッパーの魅力はそれぞれどこにあると思いますか?

DM:スロウタイは、みんなが知っている以上に多芸多才なんだ。声だけでなく、彼のソングライティングもほんとうに素晴らしいんだよ。それに、ラップだけじゃなくて歌声も最高。あと、スロウタイとダニー・ブラウンという、イギリスとアメリカ、ふたつの異なる国のラッパーを迎えることができたのもよかった。彼らはそれぞれに独自のクレイジーなエナジーをもっているし、彼らがいると、周りにもそのエナジーが広がるんだよね。あの曲では、異なるラッパーのエナジーをつかって、いろいろと遊んでみたかったんだ。“in your eyes” は、曲自体は暗い感じだけど、ふたりが出てくることで、嵐のなかに太陽がのぼってくるような明るさが生まれる。あと、あの曲は、ふたりのショート・ストーリーがひとつの曲に入っているような感じだね。

カンポスさんの「City Planning」にはアクトレスを思わせる触感、音響性があります。じっさい、8月にアクトレスとの共作曲 “AZD SURF” が出ていますね。

KC:彼からはつねに影響を受けてる。ぼくらは、特定の時代の音楽への興味をシェアしてると思うんだ。いまって、エレクトロやダンス・ミュージックをノスタルジックな音楽と捉えてつくられているサウンドも多いよね。でも、そのなかには聴いていて面白くないものも多い。ぼくも90年代後半から2000年代のダンス・ミュージックは大好きだけど、最近つくられているものは、それをただつくりなおそうとしているものも多いと思うんだ。でもアクトレスは──それはぼくがやりたいと思っていることでもあるんだけど──ラップ・ミュージックをそういった音楽に取り入れて、ただのコピーでない新しいサウンドをつくってる。彼のそういう部分から影響を受けてるんだ。

“Satellite 9” などのエレクトロはドレクシアを、“Zone 1 (24 Hours)” などはジェフ・ミルズを想起させる部分があります。今回の制作にあたり、デトロイトの音楽を参照しましたか?

KC:デトロイト系はかなり聴いてたよ。あとは、当時のあのエリアの楽器の使い方にも影響を受けてる。でもさっきも言ったように、それをコピーしただけの、再現のようなサウンドはつくりたくなかった。それはぼくの専門分野でもないしね。でも、ぼくが好きなエリアだから、要素として取り入れたいと思った。アルバムのSFっぽさも、デトロイトの影響なんだ。

いまって、エレクトロやダンス・ミュージックをノスタルジックな音楽と捉えてつくられているサウンドも多いよね。でも、そのなかには聴いていて面白くないものも多い。(カンポス)

「Die Cuts」と「City Planning」は多くの点で対照的です。まったく異なる作品を、それぞれのソロとしてではなく、マウント・キンビーとして発表するのはなぜなのでしょうか?

KC:さっきも少し話したけど、今回のアルバムにかんしては、あまりアルバムをつくるという感覚はもっていなかったんだ。たぶん、ソロ・アルバムとして取り組もうとしていたら、もっと大変だったと思う(笑)。アルバムを意識せず、あまり構えなかったおかげで、今回のレコードでは、自分たちの頭のなかにあるアイディアを、あまりプレッシャーを感じずに、自由に実験し、探求することができたんだ。それに、ふたつの作品の対比がまた面白いとも思った。サウンドは違うけど、両方ともいまのぼくたち、つまりいまのマウント・キンビーがつくったサウンドであることに変わりはないしね。ぼくらの音楽の歴史の一部であることは変わりないから。

通訳:しかも、すでにもう、ふたりで共同作業をしながらアルバムをつくっているんですもんね。

KC:そうそう。今回の作品をつくって出したことは、次のアルバムのアプローチを定める助けにもなったしね。

通訳:次のアルバムの共同作業は、どんな感じでおこなわれているんですか?

KC:次のアルバムは、これまでのなかでいちばん共同作業が多いと言ってもいいかもしれない。アルバムを1年以上前に書きはじめたときは、ぼくがLAに行ってドムと一緒にデモをつくったし、そのあとは離れていたけど互いにアイディアを投げ合った。で、いまはドムがロンドンにいるんだ。今回は、リモートで曲を仕上げたことが一度もないんだよね。曲を仕上げるときは、かならず一緒にいるんだ。

『MK 3.5』を引っさげてツアーはしますか? その場合どのような形態になるのでしょう?

KC:まだわからないんだよね。2枚に分かれているから、それを一緒にやるとなるとどうしたらいいのかまだ考えていないんだ。ぼくはここ数年ひとりでDJをやってるんだけど、もしかしたらそういうヴェニューでぼくだけで自分の作品をパフォーマンスするのは考えてるんだよね。来年のはじめごろからやろうかと思ってる。で、来年の中盤くらいからまたマウント・キンビーでなにかやりはじめてもいいかなと。ドムがどう思ってるかは知らないけど(笑)。

DM:ぼくもDJセットは何回かやろうかなと思ってる。LAに戻ったら、またプロダクションの仕事で忙しくなるから、あまりパフォーマンスはできないかな。マウント・キンビーのアルバム制作もあるしね。

今回の『MK 3.5』のリミックス盤をつくるとしたら、参加してほしいひとはいますか?

KC:もうすでに、何人かのアーティストには頼んでいるんだ。でも、いまはまだ言えない。たくさんいるよ。発表されるのを待ってて。

通訳:以上です。ありがとうございました。

KC:ありがとう。ぼくは今年の末に日本に行く予定だから、もうすぐみんなに会えると思う。

DM:ぼくも、また日本に行けるのを楽しみにしているよ。ありがとう。

Babyfather - ele-king

 ティルザとDJ Escrowがフィーチャーされた、ディーン・ブラントのベイビーファーザー名義の新曲が公開された。すごく良い曲なので紹介します。リリースは彼のレーベル〈World Music〉(←ナイスなネーミングです)から。


https://open.spotify.com/album/6aazGhy1unBHW4nPE6uHlN?go=1&utm_source=embed_player_m&utm_medium=desktop&nd=1

Kazufumi Kodama & Undefined - ele-king

 空しい気持ちに包まれたとき、こだま和文の音楽はより親密に響いてくる。これほど空虚さに寄り添ってくれる音楽をぼくは知らない。彼がUndefinedと作り上げた『2 Years / 2 Years In Silence』は、いまのぼくにとって最良のサウンドトラックだ。打ちひしがれた空しい夜の友である。

 作品とは関係のない話をすることをお許し願いたい。1週間前の土曜日のことである、二度勝ち越しながら二度追いつかれたとき、哀しみではなく、空しさだけがぼくを包んだ。引き分けに終わったジュビロ磐田戦で、清水エスパルスのJ2降格を覚悟したとはいえ、一縷の望みがなかったわけでもなかった。が、しかしそれにしても、最終節のコンサドーレ札幌戦は劇的なまでにいまの清水を象徴する試合だった。「らしかったな」とひと言、静岡の高校時代の友人からメールが入った。金を使うばかりで、肝心なソウルの部分をおろそかにするからこんなことになるのだ。
 
 音楽ライターの原雅明が主宰するレーベル〈Rings〉からリリースされた『2 Years / 2 Years In Silence』は、前半4曲のダブ・ヴァージョン4曲が後半という構成になっている。後半はアンビエントを意識したということだが、アルバムでぼくがとくに注目したいのは、Undefinedのトラックだ。極論をいえば、こだま和文のトランペットが入っていないヴァージョンも聴いてみたくなるほど、この人たちのダブ・サウンドは傑出している。ベーシック・チャンネルの系譜を思わせるそのミニマリズムは、作品の後半においてよりラディカルに解体されているのだ。素晴らしい沈黙が創出されているそれら4曲は、ぼくが近年聴いたダブと形容される音楽においては、もっともクリエイティヴなもののひとつであることは間違いない。
 
 悲観論者として知られるこだま和文がいまどんな心境にあるかは、この音楽を聴かなくとも察するにあまりある。2022年は、あまりにも大きなことが起きた1年でもあった。CDのアートワークにあるささやかな美しさは、いまもミクロな次元では希望があるのだということを暗示している。思えばこだまの音楽はずっとそんな調子だ。最悪ななかにも小さな最善はあるのだ。それをみつけて今日を生き、明日を思う。彼はいま、数ヶ月前から立川でTHE DUB STATION BANDのライヴを再開しているが、そうした小さな場面では良きことは起きているし、音楽シーンや身近なところにはほかにもポジティヴなことはある。スペシャル・インタレストは「もうがまんできない」とは言わず、より現実主義的にこの厳しい時代を「耐えていこう」と言った。そうだ、小さな希望を見つけて耐えていこう、そして昔のように、まずは地元のサッカー少年少女が憧れるチームになって欲しい。
 
 ミュート・ビートの時代から、こだま和文の音楽を聴いているとその折々の自分を思い出す。『2 Years / 2 Years In Silence』は、戦争があって元首相が暗殺されて、清水エスパルスが降格した2022年のアルバムだったとぼくのなかでは記憶されだるろう。直感的な作品なのかもしれないが、ぼくにとっては、この音楽にはそのすべてのことが詰まっているのだ。

interview with Gilles Peterson & Bluey (STR4TA) - ele-king

 〈ブラウンズウッド・レコーディング〉を主宰するDJのジャイルス・ピーターソン、インコグニートのリーダーとして活躍するブルーイことジャン・ポール・マウニックのふたりが手を組み、周囲のミージシャンを巻き込んで結成したプロジェクトのSTR4TA(ストラータ)。1970年代後半から1980年代初頭に勃興した英国のファンク・バンドやジャズ・ファンク・バンド、通称ブリット・ファンクと呼ばれるムーヴメントにインスパイアされたのがストラータで、実際にブリット・ファンクの時代から活躍するブルーイや彼と交流のあるミュージシャンたち、さらにアシッド・ジャズのころから一時代を築いてきたミュージシャンも参加し、2021年にファースト・アルバムの『アスペクツ』を発表した。アルバム・リリースに際してジャイルスへインタヴューをおこない、ストラータ誕生の話などを聞いたのだが、タイラー・ザ・クリエイターのブリット・アワードにおける「ブリット・ファンクから影響を受けた」というスピーチがひとつのきっかけになり、改めてブリット・ファンクを世に知らしめ、いまの時代にリアルタイムで表現しようというのが結成に理由だったそうだ。

 『アスペクツ』ではブリット・ファンクを下敷きに、そこにディスコ/ブギー、アシッド・ジャズ、クラブ・ジャズといったジャイルスが通過してきたエッセンスも加えつつ、あえて現代的な補正や加工を加えたりすることなく、サウンドが生まれたままの粗削りさをそのまま提示し、そうしたところがカッティング・エッジな音楽性も作り出していた。インコグニートのような洗練された音楽とは真逆をいくスタイルで、そこがストラータの魅力のひとつでもあったわけだが、そんな彼らが一年半ぶりとなるニュー・アルバム『ストラータスフィア』を完成させた。セッション・ミュージシャンが主となり、いわゆるゲスト・ミュージシャンの参加がなかった『アスペクツ』だが、今回はオマー、ロブ・ギャラガー、ヴァレリー・エティエンヌなど、かつてのアシッド・ジャズの時代からジャイルス主宰の〈トーキン・ラウド〉で活躍してきたヴェテラン・ミュージシャン、そしてエマ・ジーン・サックレイ、シオ・クローカー、アヌーシュカといった、ジャイルスやブルーイよりずっと下の若い世代のミュージシャンなどが幅広く参加する。そんな若い世代のアーティストとのコラボにより、『アスペクツ』からさらに進化した世界を見せてくれるのが『ストラータスフィア』である。今回のインタヴューにはジャイルスとブルーイの両名が揃い、そんな『ストラータスフィア』の世界についてじっくり話をしてもらった。

日本は70年代に誕生したジャズやフュージョン、ジャズ・ファンクなど、特別なシーンがあるから、それを記念するようなプロジェクトを僕たちでやろうと考えていた。今後やるかもしれないし、いまでもやりたいと思っているよ。(ジャイルス)

ミュージシャンというのは不思議なもので、特別な何かができあがったとしても、その特別さを忘れてしまって、次なる特別なものを求めてしまいがちだ。(ブルーイ)

通訳:こんにちは! 今日はお時間を取っていただき、ありがとうございます。通訳のエミです。ジャイルスさんとは以前、日本でお会いしたことがありますが、ブルーイさんは初めてです。今日はエレキングという雑誌のインタヴューで質問原稿をジャーナリストの方からお預かりしているので、それを読んで進めていく流れです。よろしくお願いします!

ブルーイ(以下B):こちらこそどうぞよろしく、エミちゃん¬♡

昨年ファースト・アルバム『アスペクツ』を発表したストラータですが、このたびセカンド・アルバムの『ストラータスフィア』がリリースされます。ファースト・アルバムの後にリミックスEPもリリースされ、それからさほどインターバルを置かずにセカンド・アルバムのリリースとなるわけですが、ファースト・アルバムに対する世間やリスナーからの反響はいかがでしたか? いい手応えや反響があったからこそ、こうしてセカンド・アルバムへ繋がっていったのかと思いますが。

ジャイルス・ピーターソン(以下GP):このような流れでブルーイと一緒に制作ができたことに正直驚いているんだ。僕とブルーイは以前から一緒に作品を作りたいと思っていたんだけど、これだと思うプロジェクトになかなか出会わなかった。プレス・リリースを読んでもらったらわかると思うけれど、僕たちは何年も前からずっと一緒に仕事をしてきた仲なんだ。そしていつだったか、日本でアルバムを作ろうという話をしていた時期があった。その話は実現に至らなかったんだけど、日本は70年代に誕生したジャズやフュージョン、ジャズ・ファンクなど、特別なシーンがあるから、それを記念するようなプロジェクトを僕たちでやろうと考えていた。今後やるかもしれないし、いまでもやりたいと思っているよ。とにかく、(プロジェクトの成り立ちとして)僕たちはロンドンにいて、お互いに近いところに住んでいるという状況だった。そしてふたりとも、イギリスのグラミー賞に値するブリット・アワードを見ていたんだけど、タイラー・ザ・クリエイターが特別功労賞(ライフタイム・アーカイヴメント・アワード)を受賞したときに、彼はスピーチでブリット・ファンクが大好きだということを述べたんだ。そこで僕はブルーイに電話して、「ブリット・ファンクのレコードを作ろう! タイラーのようなアーティストも好きだと言っているし、音楽界という広い領域でブリット・ファンクが評価されているんだよ」と彼に伝えた。これが僕たちの機動力となり、プロジェクトをスタートするきっかけになった。ロックダウン中という奇妙な時期に誕生したプロジェクトだったけど、素晴らしいプロジェクトになった。
 ファースト・アルバムの反応にはものすごく驚いたよ! だからすぐに次のアルバムを作りたくなった(笑)。でも今回のアルバムでは、後で詳しく話すけれど、ブリット・ファンクの域を超えて、それがどのように進化していったのかというのを表現したかった。だからアシッド・ジャズやストリート・ソウル(*1980年後半から1990年代前半のUKのクラブ・シーンや海賊ラジオなどで用いられた用語。ヒップホップやエレクトロの影響下にある80年代前半頃のソウルを指し、ドラムマシーンによるエレクトリックなビートやダブを取り入れたベースライン、ロー・ビットなアナログ・シンセの音色が特徴)を経て、シオ・クローカーやエマ・ジーン・サックレイといった最近のアメリカやイギリスの新たなジャズ・ムーヴメントを代表するアーティストたちまで包括されたものになっているんだ。

B:ファースト・アルバムは驚きだったね。私にとっては旧友を訪ねるような感覚だったから。同じような会話がなされると思っていたから。しかもレトロな感じで。つまり過去のことについて話すのかと思っていたんだ。でもこのプロジェクトでは、その古い言語を使って新しい音楽を作ったんだ。ミュージシャンというのは不思議なもので、特別な何か(この場合はブリット・ファンク)ができあがったとしても、その特別さを忘れてしまって、次なる特別なものを求めてしまいがちだ。それが成長の一部なんだがね。そして成熟とともに洗練さも増してくる。あの音楽(ブリット・ファンク)は当時の無垢な感じがあって、洗練さは欠けていた。ジャイルスはそれを見抜いていて、それを再現するのが上手だった。ジャイルスは私に「いったん俯瞰して、このテイクを使おうじゃないか」と言った。私はサウンドを洗練させようとしていたけれど、ジャイルスはあえてそれをしたがらなかった。彼は洗練度を取り除こうとしたんだよ。そのおかげで私は物事を考えすぎないで楽しむことができた。昔は時間がなかったり、資金がなかったりしたけれど、若さというエネルギーがあった。それらの要素が融合して音楽ができていた。今回は私と一緒に作品を共同プロデュースしてくれる人がいたということが重要だったと思う。そうでなければインゴグニートのアルバムがもう1枚できてしまっていたかもしれないからね(笑)。ジャイルスはインコグニートとこのプロジェクトの見分けがはっきりついていたから、その点が素晴らしかった。

ファーストのリリース後、ジャイルスが主催する「ウィ・アウト・ヒア」ほか、スペインの「プリマヴェーラ・サウンド」といったフェスティヴァルに参加し、「ジャズ・カフェ」などでライヴ・ステージも披露していますね。ライヴ・アクトとしてのストラータはどんな方向性を持つのですか? 以前のインタヴューではブルーイたちの生演奏を軸に、そこへジャイルスがDJミックスやエフェクトを加えていくということを伺ってましたが。

B:アルバムの音を荒削りにしたのと同じように、生演奏も荒削りな感じにしようとした。即興演奏をしたり、サウンド・エフェクトを入れたり……もっとジャズっぽい感じにしたんだ。私たちのバンドはライヴではより一層ジャズ色が強まる。

GP:フェスやライヴに出演するのは最高だったよ。あれ以来たくさんの出演依頼が来た。「プリマヴェーラ」は観客が僕たちのことをあまり知らないという、新しい層の人たちだったから面白かった。テストとして良かったと思うし、エキサイティングだった。「プリマヴェーラ」はナイトライフという文脈で行われているイベントだから、僕たちのバンドもクラブに近い状況でライヴをやったし、DJの存在も重要だった。そういう新しい領域でライヴをやり、熱狂的な反響を得られたことは、僕たちやバンドのみんなにとっても新鮮な体験だったと思う。「ジャズ・カフェ」でのライヴは、「プリマヴェーラ」よりもずっと安心感があった。「ジャズ・カフェ」は昔からある会場だから。日本(の東京)で言うと…「ブルーノート」みたいなところかな。あと、もうひとつのところ……なんだっけ?

B:「ブルーノート」はむしろ「ロニー・スコッツ」(訳注:ロンドンにある老舗のジャズ/ブルースのライヴ・スポット)に近いと思うな。ジャズ・カフェは……あれとあれの間だよ。えーと……

GP:「ビルボード」?

B:いや、「ブルーノート」と昔の(東京・新宿にあった)「リキッド・ルーム」だ。

GP:ああ、そうかもしれないね。ロンドンでは会場のチケットが即時で完売する。そしてチケットを買う人たちは昔からファンだった人たち、つまり年齢層が少し高めなんだよ。だからライヴも少し違ったものになる。最近は自分の音楽をさまざまな文脈に置き換えて、さまざまな空間に当てはめていくということをしていかないといけない。今回のストラータというプロジェクトに関しては、ストラータを従来の文脈、すなわち人びとが聞いたことのある会場や想定できる観客から取り出して、真逆の文脈(「プリマヴェーラ」など)に当てはめたりすることに楽しみを感じている。ストラータはそういう表現方法にとても適しているんだ。

B:ストラータの来日という目的だけのために(かつて東京・西麻布にあったクラブの)「イエロー」を再開させないとだな。

通訳:それは最高ですね!

GP:本当に最高だね。「イエロー」だったら完璧だ!

素晴らしいレコード・コレクションがあることはひとつの資質だが、レコードを2、3枚選んで、「これを参考にしてほしい。でもこれと同じ音楽は作りたくない。新しい音楽を作りたいんだ」と私に伝えられるということは、また別の資質なんだよ。(ブルーイ)

僕が15か16歳のころ、いろいろなレコード会社に手紙を書いていたんだ。「自分はDJで、大勢の前で音楽をかけている」って嘘をついてね(笑)。そしたらアンディー・ソイカはプロモ用の12インチを僕に送ってくれたんだ。(ジャイルス)

『ストラータスフィア』の制作に入るにあたり、次はこうしようとか何か話し合いましたか? 基本的にはファースト・アルバムの延長線上にあるもので、1970年代後半から1980年代前半のブリット・ファンクを下敷きにしたプロジェクトということに変化はないと思いますが。

B:ジャイルスのブリット・ファンクに関する知識と、私がそういう音楽を作ってきたという経歴は、この音楽を再び作るにあたり最高のコンビネーションだった。ファースト・アルバムで作ったのは1970年代後期の音楽だったんだが、『ストラータスフィア』は1980年代に踏み込んでいる。最初のトラックをいくつか作る前に、私はジャイルスに「80年代前半から中旬までの音楽を聴いてくれ」と言われた。ドラムマシーンやプログラミングを使い、そこにライヴの要素を加えるような音楽だよ。私は当時(80年代前半~半ば)その道を行かなかったから、今回はその旅路をすることができて興味深かった。当時は多くのバンドがその道に進んでいたけれど、私はそっちには行かないと決めていた。80年代の話だよ。私はインコグニートの活動でファンクをやっていて、その炎をまだ掲げていた。プログラミングとライヴの音をミックスする方向には行きたくなかった。ジャイルスは私にレコードを持ってきてくれた。自分の活動で忙しかった当時の私が体験しなかった時代の音楽を聴かせようとしてくれたんだ。私はジャズ・ファンクをやっていて、その流れから離れたくないと思い、80年代はレゲエの方向性に進み、マキシー・プリーストとアルバムを5枚作った。その後はアメリカに渡り、マーカス・ミラーと仕事をした。マーカスと一緒に音楽をやっていた時期は、クラブで80年代の音楽を聴いて踊ったりしていたよ。TR-808などの機材を使った80年代初期の音楽だ。ジャイルスはそういうレコードを私のために選んでくれた。私の家にレコードを持ってきてくれたんだが、ジャイルスが自宅に戻る前に、私はすでに新しいトラックをひとつ作っていたよ。ジャイルスも絶対気に入ってくれると思った。私たちのように音楽に対する認識が通じ合っていると、細かいことを話し合わなくても、完璧な曲が作れるんだ。ジャイルスにアイデアがあって、俺にアイデアがあったら、完璧にこなすことができるのさ。

GP:とても自然な流れでできたよ。ブルーイはご存じの通り、素晴らしいエンジニアで、素晴らしいミュージシャンだ。だから、非常にいい基盤があるし、スタジオでもリラックスして作業できる。僕がアイデアや考えを持ち込んでも、バンドがすぐに対応してくれるんだ。時間のプレッシャーもなく、数週間くらい時間をかけて、ブルーイは僕からの情報をゆっくりと消化して、音楽へと変換する。それを後で聴かせてくれて、僕が「イエス」とか「ノー」とか「素晴らしい!」とかコメントする。

B:私がジャイルスにミュージシャンを紹介するときもある。

GP:参加してもらいたいミュージシャンがロンドンに滞在中だと聞けば、その人たちをスタジオに呼ぼうという話になる。「エマ・ジーンにはこのトラックに参加してもらおう」とか「オマーも入れたらいいんじゃないか」とか「ピアノ演奏者のピート・ハインズにも再び参加してもらおう」など。ファースト・アルバムの要素を引き継ぐ形で今回のプロジェクトも進めた。とてもイージーで素敵なプロセスだったよ。僕とブルーイは昔からの仲だから、お互いのことも理解し合っている。僕の役割はA&R(訳注:レコード会社における職務のひとつ。アーティスト・アンド・レパートリーの略。アーティストの発掘・契約・育成とそのアーティストに合った楽曲の発掘・契約・制作を担当する)に近い感じだったね。でもA&R以外のこともやった。A&Rとプロダクションの間を担当する役割の名前があるとしたら、そういう役職だったね。

B:プロダクションA&Rだよな。

GP:まあ、そうだよね。でもA&Rは何でも屋みたいなところもあるから……紅茶を入れるのが仕事のA&Rだっている(笑)。

B:A&Rのきめ細かさというのを私は昔から評価してきた。インコグニートの時代の当初、私はジャイルスにインタヴューされたことがある。そのときからジャイルスの音楽に対する理解というか認識は素晴らしいものだと思ったよ。ジャイルスは素敵なレコード・コレクションの持ち主だけど、同時に音楽を介して私たちとコミュニケーションが取れるんだ。素晴らしいレコード・コレクションがあることはひとつの資質だが、レコードを2、3枚選んで、「これを参考にしてほしい。でもこれと同じ音楽は作りたくない。新しい音楽を作りたいんだ」と私に伝えられるということは、また別の資質なんだよ。ジャイルスは音楽に対する理解や見解が明確なんだ。わかりやすく伝えることができる。普通だったら、「このレコードのベースラインを使えばいいのか?」とか、「このドラムを使いたいのか?」とか、「これと同じキーボードのサウンドを入れたいのか?」などと考えてしまいがちだ。でも私にはわかる。ジャイルスが言いたいのは、「このレコードの素晴らしい要素を取り入れたい。その素晴らしい要素が何かというのは自身で聴きとってほしい」ということなんだ。曲の全体的な要素やフィーリングを感じてほしいということなんだよ。

[[SplitPage]]

80年代初期のレコードが再び人気を博している。ストリート・ソウルと言われる音楽をいまかけている若い世代の人たちがいるということなんだ。だからいま、リイシュー盤が出ているんだよ。(ジャイルス)

計画なんて全くなかった。ファーストでもなかったし、今回もなかった。これが私たちのコミュニティであり、私たちの世界なんだ。周りの環境なんだ。近所に住んでいる仲間もいるし、仕事仲間もいる。みんな私たちの知り合いであり、私たちの世界の人間なんだ。(ブルーイ)

『ストラータスフィア』というタイトルは、ブリット・ファンクの代表的アーティストであるアトモスフィアからインスパイアされているのでしょうか? ストラータに参加するピーター・ハインズもアトモスフィアのメンバーでしたし、ブルーイも近い位置にいてライト・オブ・ザ・ワールドなどで活動していました。もちろんジャイルスにとっても、かつてアトモスフィアは大好きなバンドでしたし、ストラータとアトモスフィアはいろいろ関係が深いのかなと。

GP:そのとおりだよ。『ストラータスフィア』の綴り(STR4TASFEAR)はアトモスフィア(ATMOSFEAR)と同じで最後が「FEAR」となっているだろう? それがひとつのヒントだよ(笑)。

B:当時はライバル関係にあったバンドもいて、セントラル・ラインやハイ・テンションなどはインコグニートのライバルだった。だがアトモスフィアは違って、私たちにインスピレーションを与えてくれる存在だった。そのおかげで、アトモスフィアに対してはいまでも親愛なる感情を抱き続けている。

GP:ブリット・ファンクについて語るとき、忘れてはならないのは最近亡くなってしまったアンディー・ソイカだ。彼がDJとしての僕に初めてタダでレコードを送ってくれたんだ。僕が15か16歳のころ、いろいろなレコード会社に手紙を書いていたんだ。「自分はDJで、大勢の前で音楽をかけている」って嘘をついてね(笑)。そしたら(レーベルもやっていた)アンディーはプロモ用の12インチを僕に送ってくれたんだ。レヴェル42の “サンドストーム” とパワー・ラインの “ダブル・ジャーニー” という曲が入った両A面のシングルで、とても良いレコードだった。レーベルは〈エリート・レコーズ〉。僕にとっては嬉しくも、懐かしい思い出がある。それに、彼とはサッカーをやる機会もあったんだ。アンディーはミュージシャンたちが作るアマチュア・サッカー・リーグの審判を務めていたから、そのときに彼と初めて会った。僕は当時、自分のレーベル〈トーキン・ラウド〉のチームでサッカーをしていたんだ。とにかくアンディー・ソイカのレガシーは素晴らしいもので、彼はアトモスフィアのバンド・リーダーだっただけでなく、〈エリート・レコーズ〉を運営していたから、レヴェル42とレコード契約をして、彼らのファースト・アルバムのプロデューサーも担当していたと思う。それから、エキサイティングなストリート・ソウル系のレコードも数多く出していた。実はちょうど昨日、ストリート・ソウルのリイシュー盤が届いたところなんだ。ビヴァリー・スキートの7インチだよ。

B:彼女はインコグニートでもヴォーカルを務めてくれた。

GP:このような80年代初期のレコードが再び人気を博している。ストリート・ソウルと言われる音楽をいまかけている若い世代の人たちがいるということなんだ。だからいま、リイシュー盤が出ているんだよ。そういう形でアンディー・ソイカの輝かしいレガシーが受け継がれている。アトモスフィアは、フリーズと同様に普通という枠からはみ出ていたという印象があったね。アトモスフィアは比較的エレクトロニックで、実験的で、ダークで、それはそれで面白かった。その一方でフリーズはニュー・ウェイヴ色が強かった。アトモスフィアとフリーズは、従来のブリット・ファンクとは少し違う感じがあって、そういうところが僕には魅力だった。もちろん従来のブリット・ファンクも大好きだけどね。

B:アトモスフィアはピーター・ハインズがメンバーだったし、フリーズは私も結成に関わったバンドだよ。初期のメンバーだったんだ。そして今は、ピーターも私もストラータにいる。

GP:ハインズが一緒にステージで演奏してくれたら最高なんだけどな。彼はやってくれそうかい?

B:いや……

GP:スタジオでの演奏を好むほうか。

B:そうだな。ステージだと疲れるかもな。

ブルーイを軸に、ピーター・ハインズ、マット・クーパー、スキ・オークンフル、フランセスコ・メンドリア、リチャード・ブル、フランシス・ハイルトンなど、ファースト・アルバムの面々がそのまま参加していますが、今回はゲスト・ミュージシャンが多くフィーチャーされている点が特徴です。まず、オマー、ロブ・ギャラガー、ヴァレリー・エティエンヌと、アシッド・ジャズ時代から長い付き合いの友人たちが参加していますが、彼らにはどのように声をかけたのですか?

GP:最初から計画されたものではなかったよ。

B:計画なんて全くなかった。ファーストでもなかったし、今回もなかった。これが私たちのコミュニティであり、私たちの世界なんだ。周りの環境なんだ。近所に住んでいる仲間もいるし、仕事仲間もいる。みんな私たちの知り合いであり、私たちの世界の人間なんだ。だからさまざまなミュージシャンが自然に思いつく。このプロジェクトの話をしているときだけでなく、日常生活でも彼らの名前が出てくるからね。たとえばクラブに遊びに行ったときや、フェンダー・ローズのプレゼンテーションを「ロニー・スコッツ」でやったときでも、私が例として名前を挙げたミュージシャンが実際に5、6人くらいクラウドのなかにいるとか……そんなことがしょっちゅうあって、彼らと現場で話したりする。それがロンドンの素晴らしいところなんだ。このレコードは、さまざまなミュージシャンたちのハブであるロンドンで作られたものなんだ。ロンドンはいまでも才能ある人たちが世界各地から集まる坩堝なんだよ。シオ・クローカーが今回のアルバムに参加することになったのは、シオがロンドンでギグをやったときに観に行ったことがきっかけだった。ジャイルスにそのライヴに誘われるまで、そんな会場がロンドンにあることさえ知らなかったよ。あのころはコロナの真っ最中だったけど、私たちはライヴに行ってパーティーを楽しんだのさ。

GP:今回はアヌーシュカも参加していて、彼らは当時のフリーズを彷彿とさせるから面白い。僕は彼らのアルバムを〈ブラウンズウッド〉からリリースしたことがあるし、彼らの最近のアルバムは〈トゥルー・ソウツ〉から出ている。そのアルバムにお気に入りの曲があって、僕はその曲をラジオでかけていたから、曲のリミックスをしてくれないかとアヌーシュカに頼まれたんだ。そこでブルーイと僕でリミックスを作った。良いリミックスができたから、ストラータのアルバム用のヴァージョンをもうひとつ作ろうということになった。そこでアヌーシュカの曲のストラータによるリミックスではなく、ストラータがアヌーシュカをフィーチャリングする曲を作ったんだ。違うヴァージョンなんだけど、アヌーシュカの曲を使っている。それも自然な流れで思いついたことだけど、今回のアルバムに入れたらいいと思った。アヌーシュカはブライトンを拠点にしているミュージシャンなんだけど、とてもクールで、感じのいい人たちなんだ。
 ヴァレリー・エティエンヌが参加してくれたのも素敵だった。彼女はブルーイのシトラス・サンというユニットでヴォーカルを務めていたし、いまではジャミロクワイのシンガーのひとりとして活躍しているなど、素晴らしいキャリアの持ち主だ。彼女も……

B:すぐそこに住んでるんだよ。

GP:そうなんだ、ご近所さんなんだよ。そして、ロブ・ギャラガーと結婚している。ロブはストラータのアルバムのアートワークもやっているんだ。“ファインド・ユア・ヘヴンズ” という曲では、彼は歌詞も担当している。非常に素晴らしい詩人であり作詞家だからね。ロブは作詞家としても幅広く活躍していて、エヂ・モッタなどにも歌詞を提供している。

B:スキ・オークンフルにも歌詞を提供していたよ。

GP:そうだったね。それからエマ・ジーンが参加してくれたことも良かった。彼女はアーティストとしても特異な存在だからね。彼女がどのように貢献してくれるのかわからなかったけど、僕たちが用意した音源にヴォーカルだけでなく、トランペットなどを加えたりして素晴らしい曲を作り上げてくれた。

B:私たちの音楽に花とキャンドルと紅茶を加えてくれたのさ(笑)。

GP:とても素敵だったよね。オマーの参加も良かった。周りの人は「オマーには何を歌ってもらうんだい?」と聞いてきたけど、オマーにはヴォーカルじゃなくて、シンセを弾いてもらいたかった。

通訳:ちょうど次の質問がオマーについてです。

“ホワイ・マスト・ユー・フライ” でのオマーはてっきりリード・ヴォーカルをとると思ったのですが、そうではなくシンセサイザーを演奏していて驚きました。どうしてこの起用になったのですか?

B:この曲を作っているときに、何か要素を加えたいと思っていて、私たちで「ファン・ファン・ファーン♪」みたいな変な音を口から出していたんだ(笑)。それでお互いを見て、「なんでこんなことやってるんだ!? オマーにやってもらおう!」と言って、変な音を出すことが得意な彼に連絡を取ったんだ。

GP:オマーの全体的な音楽性は賞賛に値するし、〈トーキン・ラウド〉からリリースした作品も最高だ。その後はアメリカのシーンでも活躍して、エリカ・バドゥやコモンなどと共演したりして、素晴らしいキャリアを築いている。アメリカでも大人気だ。スティーヴィー・ワンダーとも共演したよね。しかもオマーはものすごく優れたプロデューサーでもあるんだ。

B:ミュージシャンとしても卓越している。腕の良いミュージシャンという枠を超えている。私が知っているなかで最も才能のあるミュージシャンのひとりだと思っているくらいだ。作曲も譜面に起こしてできるし、ストリングス向けの作曲もできるし、ブラスのアレンジもできる。彼のアレンジ能力はまるでチャールス・ステップニーのようなんだ。彼は真の逸材だよ。

GP:いまはイギリスのテレビ番組にも出演しているよ。「イースト・エンダーズ」という有名なテレビ番組に出ているんだ。

通訳:それは知りませんでした!

GP:イギリスでいちばん有名なソープ・オペラだよ。僕はまだ観ていないんだけど、出ているらしい。ブルーイは見たかい?

B:ああ、知ってるよ。オマーが殺されたかどうかまでは知らないが。ソープ・オペラは酷い結末じゃないと意味がないからな(笑)。

一方で “トゥ・ビー・アズ・ワン” ではあなたがヴォーカルを披露していますね。これも意外でしたが、どんなアイデアから歌おうと思ったのですか?

GP:僕は強制的に歌わされたんだ(笑)。

B:バック・ヴォーカルに、「作業中の男」の荒っぽい声を入れたくてね(笑)。

GP:とても楽しい経験だったよ。歌が下手な人でも、まあまあ上手いように聴こえさせることのできるとても良いツールがエンジニアのためにあるなんて、いままで知らなかったよ! だから僕の声も悪くなかった。でもライヴではできない。絶対に失敗する(笑)! でもレコードを聴くと、自分の声だと認識できるよ。

通訳:私もあなたの声だとわかりましたよ!

GP:そうかい、なら良かった。エンジニアの人たちはいい仕事をしてくれたよ。あれが最初で最後の機会だね。いや、じつは以前にも一度ある。これはジャーナリストの人がディグったら面白がるかもしれない。僕の別名のひとつにアンジェロ・へクティックというのがあるんだが、その名義で “フォー・オール・ザ・ガールズ・アイヴ・ラヴド” という名の曲を7インチで出している。(ロブ・ギャラガーが運営する)〈レッド・エジプシャン・レコーズ〉からのリリースとして入手可能だよ。最近ではかなり値が上がってるみたいだけどね(笑)。

通訳:それは貴重な情報ですね。ありがとうございます!

オマーらヴェテランの一方で、エマ・ジーン・サックレイ、シオ・クローカー、アヌーシュカといった若いアーティストも参加しています。特にエマとシオはジャズの新しい世代を牽引するアーティストとして注目を集めているのですが、彼らをゲストに迎えた意図はどんなものですか?

GP:僕はシオのことをけっこう前から知っていて、僕が日本に行くときは上海にも寄って、上海でDJをやっていたことがあったんだけど、そのときに彼と会ったんだ。シオは上海に何年か住んでいたんだよ。不思議な出会いだった。彼は僕がDJしているクラブに来て、一緒にジャムしていたんだ。毎回とても楽しいセッションだったよ。その後、 彼はディー・ディー・ブリッジウォーターと仕事をすることになって、彼女は彼のメンターになった。しかも彼の曾祖父はめちゃくちゃ有名なジャズ・トランペット演奏者なんだよ。名前が……なんだっけなあ。ルイ・アームストロングとかそれクラスの人だよ。そうだ、ドック・チーサムだ! だからシオはすごい血統から来ている。スタジオでの彼を見ても一目瞭然だよ。ワンテイクで済ませたからね。

B:しかも頭も相当キレる。ロサンゼルスのライヴでは、その場でラップもしはじめて……シオというアーティストにはものすごい尊敬の念を抱いているんだ。

GP:シオはJ・コールなどの大御所ラッパーたちとも一緒に仕事をしているよね。エマ・ジーン・サックレイも興味深い人物だ。彼女はこないだ日本でライヴをしていたよね。彼女のアルバムを買おうと、日本人のお客さんが長い列を成している画像を見た。あんな光景は初めてだよ! 彼女は唯一無二の存在で、彼女のようなアーティストはほかにいない。ジャズ・シーンに属してもいない。属してはいるんだけど、属してもいない。独自の道を歩んで、自分でなんでもやってしまう。仕事としてクラシックの室内管弦楽団のストリングスの演奏も引き受けられるし、クラシックの作曲もできる。ポップ・ソングを作ることもできるし、本当にさまざまな領域で才能を発揮できる人だ。それが彼女をとても刺激的なアーティストにしていると思う。

B:自由奔放という印象があるね。それに彼女のキャラクターも大好きなんだ。ずっと一緒にいたいと思うような人なんだよ。ジャズ・アワードに出席したときも、彼女の隣に座ってずっとおしゃべりしたいと思った。

偉大なジャズ・ミュージシャンはルールに従わなかった奴らばかりだ。ファラオ・サンダースが登場したときも、彼はルールに従わなかった。他のミュージシャンが出しているサウンドと同じようなサウンドを出したくなかったんだよ。(ブルーイ)

“ファインド・ユア・ヘヴンズ” はディスコ・ブギー調の曲で、ストラータとしては、多少は新しい領域だと思われるかもしれない。でもそのシーンも当時は人気で、ディスコ・ブギーとブリット・ファンクは密接に関連していたんだ。(ジャイルス)


アヌーシュカをフィーチャーした “(ブリング・オン・ザ)バッド・ウェザー” やエマ・ジーン・サックレイをフィーチャーした “レイジー・デイズ” など、今回のアルバムはヴォーカル面にも重点を置いたメロディアスな楽曲が目立ちます。ある意味でインコグニートにも通じる楽曲だと思いますが、ファーストからセカンドに向かう中で歌について何か意識した点はありますか?

B:俺はまさにそういう理由(インコグニート風になってしまう懸念)から、ヴォーカル面に関してはプロデューサーとして一切関与していないんだよ。ヴォーカルに関しては、ヴォーカルを担当した人自身にプロデュースを任せたんだ。そのほうが、私がプロデューサーやアレンジャーとして、自分のアイデアやヴォーカルやメロディや歌詞の方向性を持ち込んで作り上げるヴォーカルよりも、彼ら自身のヴォーカルが作れると思ったから。彼ら自身にメロディを作曲して歌を歌ってもらい、彼らの考えやサウンドを表現してもらうようにした。だから今回のレコードは特別なものに仕上がっていると思う。

GP:たとえば “ファインド・ユア・ヘヴンズ” はディスコ・ブギー調の曲で、ストラータとしては、多少は新しい領域だと思われるかもしれない。でもそのシーンも当時は人気で、ディスコ・ブギーとブリット・ファンクは密接に関連していたんだ。シェリル・リンなどのレコードは当時のDJがよくかけていたからね。

B:この曲を初めて聴いたときには少し戸惑ったよ。ロブとヴァレリーがまとめていたものだった。ロブが作曲してヴァレリーが歌っていたからね。ジャイルスとスタジオに入るとき、じつは私にはすでに自分でイメージしていたヴォーカルの方向性やメロディの方向性があった。だが、そういう案は彼らに送ったり聴かせたりしないで、彼らのやりたいようにやらせることにした。だから彼らのヴァージョンを聴いたときには、想定外のものができていて、少し驚いた。でも曲を聴いていたら、曲の終盤には「これは特別な作品ができたな」と確信に変わっていたよ。

GP:エマ・ジーンの “レイジー・デイズ” に関しては、デモがすごくエキサイティングで僕は大好きだった。あれはマット・クーパーが主に作曲したものなんだよ。

B:ああ、彼がバック・ヴォーカルの大部分を作曲した。

GP:とても良いデモができたから、これをエマ・ジーンに渡そうということになった。そして彼女がさらに曲を展開して全く違う、素晴らしい曲に仕上げてくれた。あの曲は面白いフェイズを経て完成したよね。

B:そうだったな。

“ヴァージル” はヴォーカル・ヴァージョンとありますが、これはもともとインストのヴァージョンがあったのですか? なお、この曲に見られるようにホーン・セクションの人数が増えて、ファーストよりさらに分厚く、ゴージャスなサウンドになった印象があります。

GP:そうかもしれない、インストのヴァージョンがあるなあ! それは近日リリース予定。まだはっきりとは言えないけど、ボーナス・トラックとしてあるんだよ(笑)。

今後もサード・アルバムなど継続的にストラータは活動していくのでしょうか? 今後の展望や計画などを教えてください。

B:じつを言うと、私はジャイルスとスタジオに行くのが恐ろしいんだ。スタジオに行ったらサード・アルバムの制作がはじまってしまうからな(笑)。

GP:僕はジャパニーズ・ヴァージョンのアルバムを作りたいな!

B:もし私にロサンゼルスで2、3曲作らせてくれるならやってもいいぜ。ロサンゼルスで一緒に仕事をしたいミュージシャンを何人か見つけたんだ。

GP:それはまた別のプロジェクトだよ。

B:本当にすごいミュージシャンたちなんだ。君も絶対に惚れ込む。シオと一緒に演奏しているミュージシャンたちだよ。

GP:それもやろうじゃないか。でも、ジャパニーズ・アルバムも作るべきだよ。

B:ジャパニーズ・アルバムか、よし。

GP:僕は絶対にジャパニーズ・アルバムを作りたい。

通訳:それは素晴らしい企画ですね。日本のファンは大喜びしますよ!

GP:日本にはレジェンドがまだ何人か健在だからね。若手もいるし。

B:でもジャイルスは焼酎を飲みすぎるから、そこだけ気をつけてもらわないと(笑)。

GP:お行儀良くしますよ(笑)。

通訳:その企画が実現したら最高ですね! 今日はおふたりともお時間をありがとうございました。

B:年末にインコグニートで来日するから、そのときに会えるのを楽しみにしているよ。

通訳:そうなんですね。では日本でお待ちしています。ありがとうございました!

Photay with Carlos Niño - ele-king

 これまで〈Mexican Summer〉などからリリースを重ねてきたニューヨークのプロデューサー、フォテー。9歳の若さでエイフェックス・ツインの音楽と出会いながら、その後ギニアへの旅を経てアフリカン・パーカッションとフィールド・レコーディングに目覚めたという、興味深い経歴を持つプロデューサーだが、その彼がLAのキーパーソン、カルロス・ニーニョをフィーチャーした2作、『An Offering』と『More Offering』が特別仕様のCDとしてリリースされることになった。環境音に電子音、サックスやハープなどが交錯する美しいサウンドスケープに注目したい。

Photay with Carlos Niño
『An Offering & More Offering Special Edition』

2022.12.14(水) 2CD Release

天才ビートメイカーとも評されるフォテーと、現代スピリチュアル伝道師カルロス・ニーニョによる共演作『An Offering』と『More Offering』が、2枚組のスペシャル・エディションとしてCDリリース!! 水に反射する様々な色彩や風景から、レイヤーや奥行きを感じさせる視覚的な体験をサウンドスケープとして聴かせる。豪華ミュージシャンも多数参加した、強力なコラボレーション作品の完成!!

西アフリカのギニアへの旅を経て、サンプリングとフィールド・レコーディングの可能性を拡げる実験へと乗り出した早熟のプロデューサー、フォテーが、カルロス・ニーニョやミカエラ・デイヴィスらを招いて作ったサウンドスケープを、どう表現してよいかまだ言葉が見つからないでいる。だが、そのことがとても心地よく思えるほど、何度でも繰り返して流しておきたい音楽がここにある。(原 雅明 ringsプロデューサー)

参加ミュージシャン:Photay - Synth、Mikaela Davis - Harp、Randal Fisher - Tenor Saxophone、Mia Doi Todd - Voice、Carlos Niño - Percussion、Natt Ranson - Trombone、Aaron Shaw - Tenor Saxophone、Diego Gaeta - Keyboards、Nate Mercereau - Guitar Synth、Iasos - Voice

【リリース情報】
アーティスト名:Photay with Carlos Nino(フォテー・ウィズ・カルロス・ニーニョ)
アルバム名:An Offering & More Offering Special Edition(アン・オフアーリング・アンド・モア・オフアーリング・スペシャル・エディション)
リリース日:2022年12月14日(水)
フォーマット:2CD(一部店舗にて、Tシャツ付き限定バンドルあり)
レーベル:rings / International Anthem
解説:原 雅明
品番:RINC97
価格:3,000円+税

【トラックリスト】
《 An Offering 》

1. PRELUDE
2. CURRENT
3. CHANGE
4. EXIST
5. PUPIL
6. MOSAIC
7. HONOR
8. ORBIT
9. EXISTENCE (feat.Iasos)

《 More Offering 》

1. ECHOLOCATION (featuring Randal Fisher)
2. PUPIL (Photay's Tributary Mix)
3. EXISTENCE (Photay's Infinite Mix)
4. EXISTENCE (Photay's Infinite Mix)(Club Diego Version)
5. FLOATING TRIO PART 3 (Photay Carlos Niño and Randal Fisher)
6. QUARTET IMPROVISATION 053021 (Carlos Niño & Friends)
7. FEELING NOW
8. NOW FEELING
9. PHASES (Solstice Mix)

販売リンク:https://photay.lnk.to/Ob68Z6Kx
オフィシャルURL:https://bit.ly/3WD9KSx

Mimi Parker - ele-king

 Low(ロウ)のドラマー兼ヴォーカリストであるミミ・パーカーが55歳で亡くなったことを昨日の6日、海外のメディアが報じている。2020年より患った子宮癌が悪化しという。
 1994年にデビューしたLowは、最初はスローコアと括られ、数少ない熱心なファンに支えられながら、しかし90年代を通じて、アメリカにおけるもっとも重要なオルタナティヴなロック・バンドへと発展した(最初の3枚はじつに素晴らしい)。途中から〈Kranky〉を拠点として、素晴らしい作品を何枚も発表している。とくに近年の『Double Negative』と最新作『Hey What』は傑出していた。 
 ミネソタ州ベミジー郊外の小学校で出会い、高校時代から交際していたという、パートナーでありバンドメイトのアラン・スパーホークは次のようにコメントしている。「友よ、宇宙を言語化し、短いメッセージにするのは難しいけれど、彼女は昨夜、あなたを含む家族と愛に囲まれて亡くなりました。彼女の名前を身近に、そして神聖に感じてください。この瞬間をあなたを必要とする誰かと分かち合ってください。愛はたしかに、もっとも大切なものです」

The Residents - ele-king

 「1億年前、ルイジアナ州の中心部からやや南に空から大きな岩が落ちてきた。そう、その時はまだルイジアナとは呼ばれてないけどね。岩が落ちた衝撃で大きなくぼみができ、少しずつそのくぼみは埋まっていったものの、くぼみは依然としてくぼみのままだった。そこに水が溜まり、クーチー・ブレイクと呼ばれる沼になったんだ。この沼は海とは繋がっていなかった。このことに意味があった。その沼はペルシャ湾から200マイル離れていて、そこにいれば世界情勢には無縁でいられた。ローカルというのは常にそういうものだけど。沼では起きるはずのない不思議なことがよく起きていた。何人かの若者がクーチー・ブレイクでキャンプをしていて、彼らはそこにはあるはずがない花崗岩の大きな塊を見つけて登ってみた。彼らは洞窟を発見し、キクの花の陰に運命が潜んでいると考えた。大事なことは彼らがそこにじっと座り続け、クーチー・ブレイクの声に耳を傾けたことだった。彼らは成長してザ・レジデンツになった。彼らの音楽は記憶だけでできている。クーチー・ブレイクを覆う怪しい霧と不気味な形、そして意表をつく音の記憶で」
(Sonidos De La Noche『Coochie Brake』より)

 ザ・レジデンツがソニドス・デ・ラ・ノーチェ(=夜のサウンド)名義で11年にリリースした『Coochie Brake』はバンドの成り立ちを題材にしたもので、これが契機となってザ・レジデンツの構成メンバーや彼らがルイジアナ出身であることが明らかになっていく。ヴォーカルのランディ・ローズが親の介護でバンドを離れていたため、曲はチャールズ・ボバックとボブが3ピース・バンドの振りをして録音。ギターとキーボード、そしてドラムだけの演奏にもかかわらず(1人2役のふざけたクレジットが笑える)、プレス・プラドーを思わせるマンボやエキゾチック・サウンドのダークサイドを掘り当てたサウンドがこれでもかと繰り広げられた。電子音がほとんど鳴らないのに、しっかりとザ・レジデンツ・サウンドに聞こえるのは不思議だったけれど、翌年からボバックはドローンをメインにソロ活動を活発化させ、ボブことノーラン・クックもデス・メタルのバンドに時間を割くようになる。チャールズ・ボバックことハーディ・ウィンフレッド・フォックス・ジュニアはそして、「医者がさっき薬物を投与した(笑)」とSNSに投稿して脳腫瘍であることを明かし、翌18年に他界。現在はボブとランディ・ローズの2人でザ・レジデンツを名乗り、『Leftovers Again?!』や『A Nickle If Your Dick’s This Big 1971ー1972』など主に未発表音源のアーカイヴをカタログに付け加えている。

 ランディ・ローズが復帰し、ボバックが亡くなるまでの間に3人は自分たちの辿った軌跡を題材にした3本の大掛かりなツアーを行った。『ザ・ランディ、チャック&ボブ3部作(the Randy, Chuck & Bob Trilogy)』と名付けられたこれらのツアーは幽霊と死をテーマにした「Talking Light」(2010ー2011)、愛と性をテーマにした「The Wonder of Weird」(2013)、生と再生と輪廻と臨死体験をテーマにした「Shadowland」(2014ー2016)で、ボバックは体力が続かずに「Shadowland」ツアー中にグループを脱退。『So Long Sam 1945-2006(さよならアメリカ 1945-2006)』は「Talking Light)」ツアー中にキャバレー・ショーという体裁でバークレー美術館で行った「Sam’s Enchanted Evening(アメリカの魅惑的夕べ)」のライヴを記録したもので、2010年に4曲入りシングルとして限定配信されていたものの完全版。コンセプトはアメリカでヒットしたメジャー曲のカヴァー集となり、CD1はヴァイオリン2台とキーボードにアコーディオン、そして、ヴォーカルとパーカションという室内楽編成、CD2はそのリハーサル・デモ(=つまりスタジオ・テイク)を収録。『Meet The Residents』や前述の『Coochie Brake』と同じく基本的にはエレクトロニクスを重用しないザ・レジデンツのアコースティック・サイドである。

 ステージの雰囲気はランディ・ローズに負うところが大きく、とにかく情熱的。畳み掛けられるダミ声のシャウトは80年代にパルコで観たライヴのそのままが蘇る。フィールド録音のフィリップ・パーキンスを正式メンバーに加えて録音された『The American Composer's Series』やエルヴィス・プレスリーを題材にした『The King & Eye』といったコンセプト・アルバムの類いとは異なり、好きな曲を気ままに取り上げたカヴァー大会の様相を呈し、MCも全部拾っているためにアット・ホーム感に満ちている。オーディエンスの反応もとても暖かい。“September Song”や“Mack the Knife”など演劇的な要素のあるミュージシャンならば気合が入るのも当然なクルト・ヴァイルの曲はやはり真骨頂。対照的に『ティファニーで朝食を』の主題歌“Moon River”やボビー・ジェントリー“Ode To Billie Joe”といった映画にちなんだ曲も説得力がある。ルイジアナ州の雰囲気が濃厚に漂うとされる“Ode To Billie Joe”はBサイドに回された曲ながらビルボード1位になった自殺の歌で、10年後に映画化されるまでビリー・ジョー・マッカリスターが自殺する前日に河に何を投げたのかという議論が絶えなかった曲でもある。ザ・レジデンツの音楽的ルーツのひとつなのだろう。

 全体に60年代に対するノスタルジーが強く、ブライアン・イーノやブロンディーもカヴァーしたジョニー・キャッシュ“Ring of Fire”やドアーズからジーザス&メリー・チェインなどのカヴァーで知られるロック・クラシックのボー・ディドリー“Who Do You Love?”といった王道が手堅く取り上げられる。バート・バカラック作は2曲あり、ジーン・ピットニー“True Love Never Runs Smooth”とディオンヌ・ワーウィック“Walk On By”はどれも原曲に恐怖を吹き込み、不安を煽るアレンジが実にザ・レジデンツらしい。これらを聴いているとシクスティーズの能天気さにヨーロッパ流の悲壮感を植えつけていくというのがザ・レジデンツの基本的なアイディアをなしているということがよくわかる。意表を突かれたのはミシェル・ルグラン“The Windmills of Your Mind(風のささやき)”で、これも原曲のセンチメンタルなテイストは取り払われ、不安しかないザ・レジデンツ仕上げ。『池袋ウエストゲートパーク』の着メロでおなじみステッペン・ウルフ“Born to Be Wild”を室内楽にアレンジしたものはペンギン・カフェを思わせるところがあり、ロックからアンビエントへ移行したイーノのミッシング・リンクを聴いているかのよう(イーノが『Commercial Album』に参加していたことも最近になって明かされた)。77年にはライヴで演奏され、『Dot.Com』などにも収録されているローリング・ストーンズ“Paint It Black”も圧巻。これはもうかなり年季が入っていることが窺えて言うことなし。

 ライヴ本編の締めくくりはやはり69年のクィックシルヴァー・メッセンジャーズ“Happy Trails”で、60年代にとらわれているわけではないと言いたいのか(タイトルも『1945-2006』だし)、中盤では郷ひろみ“Goldfinger'99”の元曲であるリッキー・マーティン”Livin’ La Vida Loca”もピック・アップ。それなりによくできているけれど、むしろ70年代以降は見事に空白だということが目立つばかり。これでエミネム“Lose Yourself”でも取り上げていれば現代にも目を配っているバンドに見えたかもしれないけれど、さすがにそこまでのキャパシティはなかった。彼らのモダンさはここが限界だったのかなと思うのはCD2のみに収録されているドナ・サマー“Mac Arthur Park”(78)のカヴァーで、17分を超える組曲を7分弱にまとめてディスコビートを抜いた弦楽中心のホラー・ドローンに仕上げている。これはアンチ・ディスコという意味ではなく、“Mac Arthur Park”からどれだけヨーロッパ的な感性を引き出せるかという試みなのだろう。ザ・レジデンツには“Diskomo”やイビサ・クラシックとなった“Kaw-Liga”といったディスコ・ナンバーがあり、ボバックは脳腫瘍を公表する時に『Freak Show』で声優を務めたスティーヴン・クローマンと結婚していることも公にし、ザ・レジデンツがゲイ・カルチャーと共にあったことも伝えている。“Mac Arthur Park”のドローン風カヴァーは、僕にはドイツのファウストとダブって見える。前々から僕は『Meet The Residents』とファウストの初期衝動は似ていると思っていて、クルト・ヴァイルの演劇的な感性を軸に諧謔性と悲壮感を同居させるためにアメリカからアプローチしたのがザ・レジデンツなら、ヨーロッパのインプロヴィゼーションに諧謔性を塗り込めたファウストが結果的に似たものになったのではないかと。60年代の熱気をエレクトロニクスに変換させることで80年代のオルタナティヴとなったザ・レジデンツに対して、ディスコ~レイヴ・カルチャーがひと段落してようやく90年代末に復活するファウストが共に00年代にそれなりの存在感を示したこともなんとなく符号に感じるところである。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443