「KING」と一致するもの

intervew with DE DE MOUSE - ele-king

すごくメチャクチャをやる人っていうのが書いてあって。「なんか面白そうだな」って、それで高3のときに初めて買ったのが『リチャード・D・ジェイムス・アルバム』。それが転機になった。転機というか、道を踏み外したというか。

 エイフェックス・ツインがポップ・カルチャーにぽっこりと残した巨大な玉手箱、そのひとつは"子供"、いわばピーターパンである。アニマル・コレクティヴ、コーネリアス、そしてデデマウス......。ロックンロールが思春期のものであるのなら、その思春期とやらを嘲笑するかのように掃除機で吸い取り、あるいはまるめてゴミ箱に投げる。いや、そんな悪意のあるものではない。もっと愉快なものだ、子供たちを楽しませるような。


DE DE MOUSE
「A Journey to Freedom」

rhythm zone/Avex Trax

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 話を聞くために初めてデデマウスに会った。まるで十数年来の知り合いに会ったような気分だった。彼は息つぎする間もなく喋った。僕に質問する間も与えない。これは彼の策略なのだろうか。言いたいことを言い切って、そして走って逃げていく、子供のように......いや、マンマシンのように。

 2007年にインディ・レーベルから出した『Tide of Stars』がほとんど口コミを中心に驚異的なセールスを記録して、まさに日本のテクノ新世代を代表するひとりとなったデデマウスは、この度、通算3枚目になる新しいアルバム『A Journey to Freedom』をエイベックスから発表する。以下のながーい話を読んでもらえれば、彼の音楽に特有な郷愁の感覚がどこから来ているのかわかってもらえると思う。あるいはまた、彼の音楽の背後にある理想のようなもの、そしてまた彼が音楽に託す思いのようなものも......。いや、それ以上によくわかるのは、彼が心底エレクトロニック・ミュージックを愛しているってことだ。

シロー・ザ・グッドマンって......近いですよね?

デデ:すごく近いです。でも、最近会ってないです。〈ロムズ〉から「(変名で)ださない?」と言われたことがあって、シロー君と高円寺のラーメン屋さんで会いながら。

飲み屋じゃなくて。

デデ:シロー君、シャイじゃないですか。

そう? ああそうかも(笑)。

デデ:シャイなんで、すごく冗談を言うんだけど、あんま目を見てくれなかったり(笑)。

ハハハハ。いやね、シロー・ザ・グッドマンと......年末だったかなぁ。高円寺で一緒に飲んでて、「いやー、オレにとっての失敗はデデマウスを出さなかったことやわ~」とぼやいていたんだよね。

デデ:ハハハハ。ホントに〈ロムズ〉が好きで、デモを送ってたんですよ。

言ってました。なのにオレは......みたいな(笑)。

デデ:でもダメで、そしたら永田(直一)さんが出してくれるっていうんで「じゃ、出しまーす」って。で、その後、シロー君からオファーされたんだけど、「いまさら鞍替えっていうのも何なんで」って(笑)。

最初から出してくれよって(笑)。

デデ:はい(笑)。正直、そう思いました(笑)。

まあ、それはともかく、デデマウスみたいな明白なまでにテクノをやっている新しい世代が、どっから来たのか興味あるんです。僕らの時代は、ハウスがあって、で、テクノがあってという風に、クラブ・カルチャーの歩みとともにあったけど、たぶん、違うじゃない。

デデ:ああ、はい。

どっから?

デデ:小さい頃はテレビのアニメ・ソング。まさに自分が曲作りするとは思わなかった......というか、歌うのが好きで。だからそれで、光GENJIとか歌って、「自分もこーなりたいなー」と(笑)。音楽とは歌って楽しくて儲かって、っていうイメージで(笑)。群馬の片田舎で育ったんで、テレビぐらいしかなかったんですよ。オレは大きくなったらアイドルになるって(笑)。人には言わなかったけど。さすがに中学生になる頃にはアイドルになろうなんて思ってなかったけど、まわりで地味だったヤツが音楽はじめたりして、バンドやったりね、「なんで、あいつが?」って、それがすごく悔しくて。

負けず嫌い(笑)。

デデ:で、家に父親のクラシック・ギターがあったので、友人からXの楽譜をもらって、クラシック・ギターでコピーしようとしたり。

ぜんぜんテクノじゃないね(笑)。

デデ:小学生のとき『シティハンター』のアニメがあって、そのエンディングがTMネットワークだったんですよ。その影響は実は、僕ら世代では大きい。みんな言わないけどね、実は大きいんです(笑)。それと都会に対する憧れが強い。そうなったときに、ダンス・ミュージックのほうが圧倒的にアーバンなわけですよ、Xよりも(笑)。すごくサイバーな感じがして。小室さんもライヴでシンセサイザーに囲まれていたりするじゃないですか。最初はあれが格好良く見えた。で、13~14歳ぐらいの頃から、ダンス・ミュージックいいなって思っていて、それと電気グルーヴですよ。

ああ、そうなんだ。

デデ:最初はよくテレビに出てたから芸人だと思ってたんですよ。でも、電気が"NO"出した頃から聴くようになって。

3枚目の頃から。

デデ:アシッドとかやりだした頃ですね。『テクノ専門学校』を聴いたり。

それは嬉しいね。中学生?

デデ:中3か高1ぐらい。そう、それで独学でキーボードの練習をはじめるんです。あと父親がオーディオマニアで、ヴィデオテープにFM番組を録音するような。

音質が良いからね。しかしホントにマニアだね、それ。

デデ:そうなんです。それで洋楽の格好良さを僕も知ってしまって。で、父親のコレクションにアバ、シック、カイリー・ミノーグなんかがあるわけですよ。そういうのを聴いているときに、ちょうど高2の頃、テクノ・ブームに当たった。ケンイシイさんが出した『ジェリー・トーンズ』とか。ただ、群馬の田舎だったから、ソニーが出していた〈ワープ〉のCDとか、ハードフロアとか、そんなものしか入って来ないんですよ。デリック・メイの『イノヴェイター』とか、もうちょっと後にはケミカル・ブラザース、アンダーワールド......。

まさにテクノ・ブームだよね。

デデ:当時、NHKでテクノの特番があって、〈レインボー2000〉の映像を流したんですよ。そこでアンダーワールドの"ボーン・スリッピー"を初めて聴いて、「これ、聴きたい!」と思って、買ったのが『ダブノーベースウィズマイヘッドマン』で、「あれ?」って(笑)。「こんな曲だっけ?」って。しばらくしてからシングルで出ているのを知ったような(笑)。

ハハハハ。

デデ:まあ、そんな感じだったんです。エイフェックス・ツインを知ったのは『キーボード・マガジン』だったかな。すごくメチャクチャをやる人っていうのが書いてあって、「なんか面白そうだな」って、それで高3のときに初めて買ったのが『リチャード・D・ジェイムス・アルバム』。それが転機になった。転機というか、道を踏み外したというか。

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で、エレクトロニカがブームになって、エイフェックス・ツインもエレクトロニカに括られて、「なんか違うな」って。エレクトロニカって上品なイメージがあったんですよ。そんなものじゃない気がするし、ラップトップの画面を見ながらライヴをしておしまいという、なんか不健全な感じがしたんです。

 

そうだよね。デデマウスの音楽を聴いてまず最初に思うのは、エイフェックス・ツインからの影響だもんね。

デデ:ドラムの打ち込みとかすごいじゃないですか。連打しまくって、感覚だけで作っているっていうか。リズムのバランスも悪いし、あのアルバムのすべてにもっていかれたというか。お気に入りの玩具、ゲーム、そんなようなものというか。いっつも聴いていた。
 衝撃という点ではスクエアプッシャーの『ハード・ノーマル・ダディ』でしたけどね。ジャングルの影響受けながらフュージョンみたいなことやっているし、ホントにびっくりした。96年~97年ぐらいですかね。で、ミュージック(μ-Ziq)も出てくるでしょ。もう、あのブレイクビーツを聴いてまたびっくりしちゃった。スクエアプッシャーの『ビッグ・ローダ』、ミュージック、コーンウォール一派や〈ワープ〉をずーっと聴いていましたね。貪るように聴いた。で、ソニーがしばらくして、〈リフレックス〉の日本盤も出すんですよ。田舎で日本盤しか手に入らないから、それはほとんど買い漁った。あとはもちろんオウテカ。

まあ、通ってるだろうね。

デデ:『キアスティック・スライド』。三田(格)さんがライナー書いていたんじゃないかな。で、その後に出した......。

『LP5』!

デデ:あれがもう最高で! コンピュータが自動生成されたメロディとリズムによるまったく新しい音楽に思えた。

『キアスティック・スライド』や『LP5』はミュージシャンに与えた影響が大きいよね。シロー君たちもあそこら辺からテクノに入ったって言ってたよ。

デデ:ちょうどその頃から学校で上京したんです。もうそうなったら、暇さえあればシスコに行って新譜をチェックするという。

なんか意外と真っ当な道を歩んでいるんだね。

デデ:インターネットがまだ普及していないし。

そうだよね。だけどデデマウスを聴いて、エイフェックス・ツイン、そして〈リフレックス〉からの影響というのはすごくよくわかる。

デデ:そういってもらえると嬉しいんです。僕は、そこは愛を出しているつもりです。

アンダーワールドというほうが意外だよ。

デデ:当時『ロッキングオン』にも流された世代だから(笑)。『ロッキングオン』と『エレキング』に(笑)。リチャード・D・ジェイムスに関する伝説が載ってるじゃないですか。戦車乗ってるとか、1日3曲作ってるとか。

夢のなかで作曲してるとかね(笑)。

デデ:そういうのを全部信じていた(笑)。なんて格好いいんだろうって。

遊んでいる感じがあったよね。当時のエイフェックス・ツインって、20歳そこそこの若者が、業界の大人をからかっている感じがすごくあったでしょ。

デデ:そうそう。ちょっとバカにしている(笑)。それがすごく格好良く思えたんです。暴力的で、悪意に満ちていて、それが最高だって。僕が19~20歳で作った音楽には、ものすごくその影響があったんです。突然ノイズが出てきて、「あーっっははは」って笑ってみせたりとか。
 音響やポスト・ロック系も好きでしたね。モグワイも好きだった。それでもデモを送ったのは〈リフレックス〉でしたけど。で、そうしたら〈リフレックス〉から返事が返って来たんです。まだ英語も読めないし、emailもできなかったんだけど、友だちでパソコン持ってるヤツがいて、彼のところに来たんです。「なんかお前宛に英語でメールが来ているよ」って。そしたらもう怖じ気づいちゃって(笑)。

ハハハハ。

デデ:「これは出せないけど、君は良いものを持っているから、もっと送って欲しい」って。それがものすごくプレッシャーになって、しばらく〈リフレックス〉を意識したものしか作れなかった。

なるほどね。

デデ:そのまま自然体で作れれば良かったんだけど。それでいちどダメになってしまったんです。小心者だから。

まったく小心者には見えないけどね(笑)。

デデ:それくらいからCM音楽の仕事をさせてもらえるようになったんだけど、まだ若いから、カネよりも自分のやりたいことをやるんだって、バイトしてでもやろうと。だけど、90年代末になってくると、かつて自分がエレクトロニック・ミュージックに感じていたワクワク感がどうもなくなってしまって......。

うん、そうだったね。エイフェックス・ツインも「ウィンドウリッカー」(1999年)がピークだったし。

デデ:うん、あれはすごかった。あのフィルの感じとか信じられなかった。

曲もすごかったし、PVもすごかった。ところが2001年の『ドラックス』でエリック・サティとテクノの中間みたいなことになったでしょ。

デデ:でも僕はあれがいちばん好きかもしれないんです。すごくピュアだし。

ああ、たしかに、ピュアであることは間違いないよね。

デデ:みんなはピアノの曲が良いって言うけど、僕はビートが入っている曲が大好きで。ドラムマシンとブレイクビーツの絡みという点では、ものすごく影響も受けた。

なるほどね。

デデ:もちろん「ウィンドウリッカー」や「カム・トゥ・ダディ」は大好きですけど。

ポップということを意識しているよね。

デデ:うん、そうなんです。それでも僕は『ドラックス』のビートものが大好きなんです。構成的にも、ピアノの曲があって、ビートものがあって、まあ、予定調和と言えばそうなんですけど、安心して聴ける。
 「ウインドーリッカー」の後にアルバムが出るって話があったじゃないですか。それをすごく楽しみにしていたんです。当時は大田区に住んでいて、毎日のように川崎のヴァージンに行って、「出てないか? 出てないか?」ってチェックしていたほど楽しみにしていた。でも、結局、あのあと出なかったじゃないですか。ものすごくがっかりしちゃって。あの頃がリチャードに対する気持ちのピークだったかもしれない。

エイフェックス・ツインの音楽のなかにはいろんな要素が入ってるしね。

デデ:そうなんです。エレクトロニック・ミュージックのピークって、やっぱ97年ぐらいがピークだったと思うんです。ジャングルがドラムンベースになって、そこからドリルンベースへと発展して......。で、しばらくしてDMXクルーみたいなエレクトロも出てきて、それはそれで面白いなと思ってたんですけど、正直、それ以外のところではそんな刺激がなくて。ボーズ・オブ・カナダみたいなのも好きでしたけど、あれがエレクトロニカって呼ばれるのが僕にはわからなくて。アブストラクトの流れなんじゃないかなと思っていた。

あるいはサイケデリック・ロックの流れというか。

デデ:そうそう。で、エレクトロニカがブームになって、エイフェックス・ツインもエレクトロニカに括られて、「なんか違うな」って。エレクトロニカって上品なイメージがあったんですよ。そんなものじゃない気がするし、ラップトップの画面を見ながらライヴをしながらおしまいという、なんか不健全な感じがしたんです。もっとフィジカルなものだったと思うし。あと......〈リフレックス〉の悪意を変な風に解釈する日本のエイフェックス・ツイン・フォロワーみたいな人たちがいて。敢えて名前を挙げると〈19頭身〉とか。

いや~、知らない。

デデ:2000年ぐらいにあったんですよ、そういうのが。〈ロムズ〉のコーマとかも初期は関係してましたよ。僕も関わっていたし。なんていうか、相手に対してただ攻撃的になればいいみたいな。「それは違うだろう」っていうのが僕にはあって。

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僕にとって〈ロムズ〉は届かない人たちだったんですよ。みんな独自のオリジナリティというか、スキルを持っていて、自分はまだそれを確立できていないから、自分はその辺の人たちと対等にはなれないけど、近づけるようにがんばってみようって。そこからデデマウスのファーストが作られるんです。

 

エイジ君(コーマ)とは、じゃあ、もう知り合っていたんだ。

デデ:その頃はまだ出会ってないんです。作っていた音楽も違っていたし、僕は僕で、リチャードの幻影を追い求めるのは止めて、もっと自分のコード感を出した曲を作っていたし。コーマ君と出会ったのは2004年ぐらいです。僕の友だちの女性シンガーで、Jessicaという子がいて、それをワールズ・エンド・ガールフレンドやジョセフ・ナッシングがアレンジするっていうことで紹介されたのが最初かな。僕もそれに参加したんです。

そのときはもうデデマウスとして活動していたんだ?

デデ:いちおうしてました。でも、そんなにアクティヴではなかった。23歳の頃かな、いちど〈19頭身〉の人と喧嘩になってしまったことがあって、自分も悪かったんですけど、そういうこともあって自信をなくしている頃で、もう外に出るのが恐くなってしまって(笑)。

ハハハハ。

デデ:恐いなって。だから〈ロムズ〉の人たちもきっと恐いんだろうなと思っていました。で、ジョセフと会ったら、すごく変人だけど、すごく柔らかい人で。で、コーマ君は、〈ロムズ〉の3周年に行ったときかな、僕が「すごく良かったです」って声かけたんです。そこでデモを渡したら、後からメールをくれて「君はストリートっぽい音楽をやるよりもメロディものにいくほうがいいんじゃないかな」みたいな内容で、「あ、やっぱそうなんだ」って思って。それもターニング・ポイントだったな。

ホント、気の良い連中だからね。

デデ:〈ロムズ〉のアニーヴァーサリーは毎年行ってましたよ。

なるほど。たしかにデデマウスからは、キッド606からの影響も感じるんだよね。あのアウトサイダーな感覚というか、アナーキーな感覚というか(笑)。

デデ:それはすごく嬉しい。エイフェックス・ツインやキッド606もそうですけど、僕にとって〈ロムズ〉は届かない人たちだったんですよ。みんな独自のオリジナリティというか、スキルを持っていて、自分はまだそれを確立できていないから、自分はその辺の人たちと対等にはなれないけど、近づけるようにがんばってみようって。そこからデデマウスのファーストが作られるんです。

なるほど。

デデ:エイフェックス・ツインはとんでもなくすごいし、〈ロムズ〉の人たちもすごいし、だったら自分にできることをやるしかないって。そう思えるようになってからアクティヴになりました。

どんな場所でやってたの?

デデ:中野の〈ヘヴィーシック〉とか。自分の近くいたのが、ゲットー・ベースの人が多くて。

おお。

デデ:DJファミリーとか。

僕もミックスCD持ってますよ。

デデ:そう、あの頃ゲットー・ベースすごかったじゃないですか。あの辺の下世話で、BPMが速い感じが好きだったから。

デデマウスの音楽とはあんま繋がらないけど。

デデ:そんなことないですよ。自分のなかではあるんですよ。あの下世話さ、ストリート感、そしてメロディというのは実は自分のなかにあるんです。

なるほどなー。話聞いていてすごく面白いんだけど、デデマウスがいた場所というのは、90年代のテクノ熱がいちど終わってしまって、で、廃墟のなかでなんか子供たちが遊んでいるぞっていう、そんな感じだよね。何もないところでさ。

デデ:シーンを意識してなかったですけどね。踊らせたい、メロディを聴かせたい、それだけとも言える。それでも、〈ロムズ〉まわりの人に聴かせるのは恐かった。自信がなかったんです。それでも支持してくれて......〈ロムズ〉5周年のアニーヴァーサリーには僕も出てるんです。

あ、僕もそれ行ってるかも。アニヴァーサリーにはけっこう行ってたよ。

デデ:けっこう来てるんですよね。サワサキさんも来てたって言ってたし。そういうなかで、僕はB級だってずっと思ってたんです。

ジョセフ・ナッシングは〈プラネット・ミュー〉だし、コーマは〈ファットキャット〉だったりとか、海外からも出していたしね。

デデ:〈プラネット・ミュー〉なんか......僕のなかでは夢ですよ。僕、〈ドミノ〉から返事をもらったことがあったんです。

いいじゃない。

デデ:でもリリースまではいかなかった。ちょうどフランツ・フェルディナンドを出した頃で、良い時期だったんだけど(笑)。「がんばれ」みたいな返事だった。それはそれで自信になったんですけどね。
 ただ、僕もふだんは〈ロムズ〉まわりの人たちとつるんでいたわけじゃなくて、月刊プロボーラーっているじゃないですか?

はい。

デデ:あの辺の、テクノの人たちと一緒にやってることも多かったんです。わりと根無し草的に、いろんなところでやっていた。自分のホームを欲しいなと思っていたけど、ボグダン(ラチンス)の影響があったわけじゃないけど、ライヴでめちゃくちゃやるっていうのが......。

ボグダン! あれ面白かったよね。

デデ:わけもわからず「あー」って叫んで(笑)。ラップトップでもああいうの良いなって思って。自分にカツを入れるためにマイクで「ぎゃー」って叫んでアジテートしたり。

時代のあだ花じゃないけど、ブレイクコアみたいなシーンが花咲いたよね(笑)。

デデ:すごかった。「何? ブレイクコア? 意味わかんなくねぇ?」みたいな(笑)。で、そういうなかで「ぎゃーぎゃー」言いながらライヴやってたんですけど、何かそういう、サーカスの見せ物小屋的なところで「こいつ面白い」と言われることも多くて。それがまた勘違いされる第一歩になってしまったというか。

それこそベルリンでジェフ・ミルズが初めてDJやったときは、まわしたレコードをすべて放り投げるパフォーマンスをやったという伝説があって、やっぱそういうサーカスティックな行為って「オレを見ろ!」ってことなわけでしょ?

デデ:格好いい、それ。やっぱそうなんだね。DJファミリーもね、ジャグリングがうまくて、かけたら前に放り投げるっていうことをやっていた。で、そういうことやられると、見てるほうもやっぱ上がりますよね。

重要ですよ、そういうことは。

デデ:で、あるとき〈ユニット〉でやったことがあって。シロー君も出ていて、シロー君は上でやっていて、下で永田さんがやっていて、で、僕の友だちが永田さんに僕のデモを聴かせてくれて、で、永田さんが「君、いいよ」って言ってくれて、そこからアルバムの話に発展するんです。〈ロムズ〉から出したかったんだけど、〈ロムズ〉は何も言ってくれないし(笑)。

ハハハハ。このインタヴューを真っ先にシロー君に読んでもらおう(笑)。

デデ:いやー、怒られちゃいますよ。

おおらかな人だから、笑ってくれるよ(笑)。

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僕のなかの東京のイメージなんです。自然と人工の殺伐としている風景、あんま人間くさくなくて......子供の頃に読んだ『おしいれのぼうけん 』って本があって、僕、あれが大好きで、保育園でいたずらしていた子が押し入れに閉じこめられてしまう話で、そこにはトンネルがあって、トンネルを抜けると夜の大都市に出るんです。

 

デデ:とにかく、それがきっかけで〈ロー・ライフ〉にも出ることになって。で、そのとき、最初はステージがあったんだけど人が押し寄せてなくなちゃって、僕のまわりに客がわーっといて、「オレの機材守れ! テーブルを持て、みんな!」って言って。で、テーブルを持たせながらライヴやって、そんなに激しい曲じゃないのに何人かの客がダイブしたりして。それを永田さんが見て、「新しい時代がはじまった」と感じたっていうんです。それでファースト・アルバムを出すことが決まるんです。

それはすっごくいい話だね。

デデ:でもね、アルバムを出すのは決まったけど、ディストリビューターも決まっていなかった。それなのにアルバムの噂が広まっていたらしくて、タワレコの人や新星堂の人たちから直接メールが来るんですよ。「アルバムを置きたいから」って。でも、「ディストリビューターがいないんです」って言っていたら、〈ロムズ〉のタカラダ君が、ウルトラ・ヴァイブを紹介してくれた。それで出したら、宣伝してなかったんだけど、みんなが応援してくれて......。

それはホントにいい話だよ。宣伝力ではなく音で売れたんだから。素晴らしいよ。

デデ:ホント、最初は信じられなくて。永田さんから「5千枚いくかもよ」って言われたときにはびっくりしちゃった。

口コミなわけでしょ。

デデ:タイミングも良かったんですよ。何故か、爆発寸前のパフュームと比べられたりして。

違うでしょ!

デデ:キラキラ・テクノみたいな(笑)。なんだかテクノ・ポップと扱われたりして。でも、中田ヤスタカさんとかもDJでかけてくれていたみたいで。ヴィレッジバンガードみたいなお店も大プッシュしてくれたりして......ホントに運が良かった。タイミングが良かっただけなんです。

それを言ったら、エイフェックス・ツインだって電気グルーヴだってURだって、みんなタイミングが良かったんだよ。

デデ:絶対にエイフェックス・ツインや〈ロムズ〉にはかなわない、そう思って違うことをやろうとはじめたのがデデマウスだったから。

デデ君のなかで〈ロムズ〉ってホントに大きかったんだね。

デデ:とても。絶対に自分よりすごいと思っていて......、アイデア、ミキシングのテクニック、すべて自分よりレヴェルが高いと思っていたし。

ファースト・アルバムが売れてもそう思っていたの?

デデ:ずっとそう思っていて、セカンド・アルバムでエイベックスに来たのも、テクノというより、自分はフュージョンにはまっていて、スーパーで流れるような音楽を作りたいって、そういう気持ちだったから。ホームセンターとかスーパーでかかるような音楽を目指したんです。郊外のニュータウンとか、僕、大好きだから。

へー、何でまた?

デデ:僕のなかの東京のイメージなんです。自然と人工の殺伐としている風景、あんま人間くさくなくて......子供の頃に読んだ『おしいれのぼうけん 』って本があって、僕、あれが大好きで、保育園でいたずらしていた子が押し入れに閉じこめられてしまう話で、そこにはトンネルがあって、トンネルを抜けると夜の大都市に出るんです。そこでねずみばあさんが出たりとか、いろいろあるんですけど、僕、その誰もいない夜の大都市というのが強い印象に残っているんですね。たとえば、誰もいない夜の高速道路とか。

群馬というのも影響しているのかね?

デデ:あるかもしれない。僕の家の近くに国道が通っていて、夜になると誰もいないんだけど、オレンジの街灯がばーっとあって。うん、だからそれとリンクしたというのもあるかもしれないけど、何故かニュータウン的なものが僕にとっての東京だったんです。

ふーん、それは興味深い話だね。決して、華やかなところではなく。

デデ:そう、閑散としたところなんです。そしてそこのホームセンターやショッピングモールでかかる安っぽいフュージョン、それをイメージしたんです。

ある種のアンビエントだね、"ミュージック・フォー・ニュータウン"とでも呼べそうな。

デデ:そうそう、ホントにそう。ああいうところでかかる音楽が好きなんです。で、スタジオ・ジブリみたいなのも好きだったから、自分の音楽のなかにどうしたら日本的なものを取り入れることができるのかって考えていて、それが、そう、ニュータウンのフュージョンであり......。

『Sunset Girls』?

デデ:そう、『Sunset Girls』です。だからあの、夏祭りのイメージとかも、その考えから来ているんです。

90年代だったら、テクノの目的意識がはっきりしているじゃない。踊らせるとか、トリップだったりとかさ、だけど、デデマウスみたいなゼロ年代のテクノはそうした拠り所みたいなものを喪失しているんだよね。クラブとかDJに90年代のようにアイデンティファイしている感覚とは違うじゃない。

デデ:自分がどこにアイデンティファイすればいいのか、わからなかったですね。

その感じは音楽に出ていると思いますよ。

デデ:上京して、深夜にクラブに出掛けても、4つ打ちのテクノしかかからないし......ハード・ミニマルは好きでしたけどね。

クラブには遊びに行っていたの?

デデ:頻繁に行くっていうほどではない。友だちが出るからとか、つき合っていた彼女から「ケンイシイの出る〈Womb〉のイヴェントに行こうよ」って誘われて行ったり、そんなものですよ。そういうところ行くと、「なんか違う」って思ってしまって。酒飲んで、4つ打ちで踊るって、音楽を聴いているっていうよりは......なんだろう? それでも昔はクラブで遊ぶのが格好いいっていうのがあったけど、いまはもうそんなのないじゃないですか。しかも自分の求めるテクノって、そういうところからはずれているものだったから。

それは90年代からそうだよ。僕がエイフェックス・ツインを好きでも、最初は肩身狭かったもん。「健吾、オウテカって面白いね」って言っても「んー、でも踊れねーじゃん!」みたいな(笑)。やっぱほら、あの頃はテクノと言っても主流はトランスだったから。〈ワープ〉なんてDJやってる連中からけっこう冷ややかだったんだから。

デデ:僕はその頃、学生で東京にいなかったから良かったのかもしれない(笑)。ただ、僕も、ブレイクコアとか、エイフェックス・ツインとか、そんなのを胸はってDJでかけて「ウォー!」ってなるなんて、考えられなかった。

だいたいね、日本で、エイフェックス・ツインの影響を自分の音楽に取り入れた最初の人って、オレが知る限り、コーネリアスだもん。

デデ:あー。

UKやヨーロッパはすぐにフォロワーが出てきたのにね。日本ではムードマンあたりが多少違っていたぐらいで、あとはおおよそトランスだった。で、ゼロ年代になって、〈ロムズ〉やデデマウスが出てきて、僕は初めてエイフェックス・ツイン・チルドレンが顕在化したと思った。USインディもそうだよね。アニマル・コレクティヴだって、バンドだけど、エイフェックス・ツインからの影響じゃない。だから、エイフェックス・ツインの影響って、意外なことにそのあとの世代から面白い人たちがけっこう出てきている。

デデ:コーネリアスの"スター・フルーツ/サーフ・ライダー"がFMから流れたときはホントにびっくりして。

あれはびっくりした。

デデ:ホントにびっくりした。自分がやりたかったことをやっている。『ファンタズマ』の"スター・フルーツ~"にいくまでの流れが最高なんですよ。

「真似しやがって!」とは思わなかった(笑)?

デデ:それよりも「やられた!」って感じでした。あれでコーネリアスはすごいと思った。

デデマウスやコーネリアスっていうのは似ているよ。音楽性はぜんぜん違うけど、「ファンタジーを見せる」っていうところは同じでしょ。

デデ:そう言ってもらえるとありがたいです。僕、アニメが好きで......古典的なアニメなんですけど。世界名作劇場とか、ルパンとか、少年が少女を救うために自分の身を犠牲にするくらいの気持ちで突っ走るっていうか。『未来少年コナン』とか、僕、大好きで。

ハハハハ。オレ、大昔だけど、ピエール瀧から「見たほうがいい」って言われて貸してもらったことがある。VHSのテープ10本ぐらい(笑)。でもさ、『未来少年コナン』なんて、うちらの世代じゃない。

デデ:だから追体験なんです。宮崎駿を掘り下げていったらそこに行ったというね。昔のアニメが好きなんですよ。野田さんがリアルタイムで見ていたような。

『巨人の星』......、いや、『マジンガーZ』とかだよ。

デデ:『マジンガーZ』はないけど、『ど根性ガエル』は好きですね。

ああ、なるほどね。あの時代の真っ直ぐな感じのアニメね。

デデ:そうそう、ラナを救うために命をかけるコナンの真っ直ぐさがたまらなくて(笑)。

実写ものにはいかなかったの? 『仮面ライダー』とか、『ウルトラセブン』とかさ。

デデ:『ウルトラセブン』は早朝、幼稚園のときに再放送で見ていた。

『ウルトラセブン』は幼稚園児には難しいでしょー。

デデ:もちろん重くて政治的なにおいをわかるようになったのは大人になってからなんだけど、ウルトラマンが格好いいと思っていたから。あとね......ロボコンとか。日曜の早朝に再放送してたんですよ。すごく影響受けましたね。

そのへんは、ジョセフ・ナッシングやエイジ君(コーマ)とも共通する体験なのかな?

デデ:どうでしょうね。実はそこまで話したことがなくて。ジョセフとはUFO話をしたことはあるけど(笑)。どうでもいい宇宙知識をいっぱい仕入れて、それで話したことはあったけど(笑)。アニメに関しては、話したことないですね。僕も最初は恥ずかしかったんです。「ジブリが好き」なんて言うと、だいたい「それって違くない?」って言われて。だからあんま言わなかった。......で、もうひとつデデマウスの影響を言うと、バグルスなんですよ。

バグルスって、あのバグルス?

デデ:そう、「ヴィディオ・キルド・レディオスター~」っていう。父親が持っていて。すごく好きになって、あの人のアルバムも聴いたんです。そしたらそのエンディングで、曲がリプライズするんですね。楽器だけの演奏で。そこがすごく好きで、で、それを僕はファースト・アルバムで最初の曲でやったんです。そう、懐かしさ......それも僕には重要な要素のひとつなんです。で、80年代のポップスって、僕のなかでそれなんです。DX-7の音を聴くとすごく懐かしくなるんです。

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童話的な......、色あせているんだけど、煌びやかなっていうか。で、多摩ニュータウンが好きだったから、休みの日に渋谷に行くんじゃなくて、多摩ニュータウンに行くんです。散歩するんですよ。そこをユーミンやボーズ・オブ・カナダを聴きながら歩くんです(笑)。

 

YAMAHAのDX-7と80年代ポップスって、本当は僕の世代なんだけどね(笑)。

デデ:そこは父親が大きいですよね。だから、ジャスティスみたいなニュー・エレクトロとか、僕のなかではしっくりこないんです(笑)。「これがエレクトロ?」みたいな。いまでも解せない(笑)。

あれは文脈が違うからね。エレクトロって呼ばないでほしいよね。

デデ:僕のなかではやっぱメランコリックな要素がなければエレクトロじゃないというか、すごくそれが重要なんですよ。プローンっていたでしょ?

プローン......?

デデ:〈ワープ〉から1枚だけ出した。

はいはい(笑)。

デデ:〈ワープ〉の10周年記念盤のリミックス集のほうにも参加していて、たしかトリッキー・ディスコをリミックスしていたのかな。とにかく......プローンが好きで。プローンが僕に80年代的な記憶を呼び起こしてくれたんです。自分の記憶の奥底で暴れられているような感じというか。『アンビエント・ワークス』よりもプローンのほうが僕はすごかったんですよ。野田さんたち世代はやっぱ『アンビエント・ワークス』がすごいでしょ?

もちろん。

デデ:僕はあんまそれを感じなかった。初めて聴いた17~18歳の当時はね。それよりもプローンのほうが懐かしさを感じたんです。

あれも変な1枚だったよね。

デデ:イージー・リスニング・ブームからすると遅すぎたし(笑)。童話的な......、色あせているんだけど、煌びやかなっていうか。

なるほど。

デデ:で、多摩ニュータウンが好きだったから、休みの日に渋谷に行くんじゃなくて、多摩ニュータウンに行くんです。散歩するんですよ。そこをユーミンやボーズ・オブ・カナダを聴きながら歩くんです(笑)。

なんでユーミン(笑)?

デデ:ユーミンやキリンジみたいなニュー・ミュージックが好きだったんです。

ぜんぜんエイフェックス・ツインとは繋がらないけどね(笑)。

デデ:だから、それを繋げたかったんですよ。ミュージック(μ-Ziq)っているじゃないですか。

はいはい。マイク・パラディナスですね。

デデ:彼のキッド・スパチュラって名義の作品あるじゃないですか。

最高だったよね。あの、〈リフレクティヴ〉から出ているヤツ?

デデ:あの名義で、『Full Sunken Breaks』(2000年)というアルバムがあって。

あー、それ、聴いてないわ。『スパチュラ・フリーク』しか聴いてない。

デデ:あれが大好きだったんです。キッド・スパチュラ......初期のミュージックと言ってもいいんですけど、簡単というか稚拙というか、ものすごいわかりやすいメロディがあったじゃないですか。『アイ・ケア・ビコーズ・ユー・ドゥ』の1曲目にもそれがあるし。あのアイデアでもって、自分のグッと来るメロディ、コード感でやったらどうなるんだろう?っていうのがあって。

なるほどねー。

デデ:だから、わかりやすいメロディみたいなものを追求したくて。

ミュージックはその辺、すごかったよね。イコライジングされた変態的なブレイクビーツで、しかし上物のシンセがやけにベタなメロディを弾くんだよね(笑)。

デデ:そういう点では、僕、ミュージックからの影響すごいですよ。

あー、言われてみれば、そうだね。

デデ:〈プラネット・ミュー〉はホントに憧れです。

いまはダブステップとグライムのレーベルですよ。

デデ:あー、〈プラネット・ミュー〉から出したかったなー。

ハハハハ。ちょっと話が飛ぶけどさ、ハドソン・モホークみたいな新世代はどう?

デデ:大好き。

やっぱり。

デデ:ニュー・ジャック・スウィングでしょ、あれ。

ハハハハ。うまいこと言うね。R&Bみたいなこともやってるしね。

デデ:プリンスみたいな曲もあるでしょ。「やられたー!」って思った。プレフューズ73のときも「やられたー!」って思ったんだけど、ああいうヴォイス・サンプリングをチョップするの自分もやっていたから。だから、自分はメロディをチョップして、自分なりのものを作ってやるって思った。

そうそう、なんで使っているのが、チベットやインドネシアの少女の声なの?

デデ:ただ手元にあっただけっていう。

アジアに対する妄想があるとか(笑)。

デデ:そういうわけではないんです。ただ、手元にあって使ったら「良いね」って言われて、「じゃ、使ってみようかな」みたいな。

なかばトレードマークになってるでしょ。

デデ:ただ、エイベックスに来たときにあれはもう捨てたかったんですよ。ヴォーカリストを使って、何か他のことをやりたいと思っていたほどなんです。あの声はライヴでも使ってないし......。

しかし......そう考えると、新しいアルバムは好き放題やってるよね。

デデ:うん、そうですね。

僕は6曲目がいちばん好きです。"double moon song"、これ、ホントに良い曲だと思います。テクノが好きな人はこれは好きだと思うよ。

デデ:はっきり言うと、これ、「カム・トゥ・ダディ」の2曲目の"フリム"なんです。ああいう、妖精が飛んでいるような曲を作りたいというのがあった。実はこれ、19歳のときの曲なんです。そのときからほとんど変わってない。ビートがちょっと変わったぐらいで。テクノに対する愛をいちばんストレートに出した曲なんです。

そうだね、ホントにそう思う。

デデ:昔、NHKの深夜番組で風景の映像にアンビエント音楽だけっていうのがあったんです。ボイジャーの映像にテクノがかかるみたいな。そこで『アンビエント・ワークス』の2曲目か3曲目がかかったんです。「いいな~」って思って。そう、そのときの感覚や、"フリム"みたいな感覚、それは僕のなかですごくピュアなものなんです。それをもう1回やってもいいかなと思って。それが結局、今回のアルバムのいちばん中心になった。

3曲目の"sweet gravity"も面白かったな。

デデ:あれはねー、あからさまにやってやれって感じで(笑)。

デデマウス的なアシッド・ハウスというか(笑)。

デデ:アシッドもの好きなんですよ。

やっぱそうなんだ。

デデ:いまやっておけば、4枚目ではもっと出せるかなって(笑)。

ハハハハ。

デデ:だから、自分がやりたかったこと、やってきたことの橋渡し的なことになればいいなと思っているんです。ただ、ぶっちぎり過ぎないようにしようとは思いました。だから、やりたいことをやっているんだけど、デデマウスを客観視して作ったアルバムでもある。ようやく、〈ロムズ〉への劣等感を払拭できたというか、やっとみんなと同じところに立てたのかなというのもある。

〈ロムズ〉は、そこまで大きかったんだね。

デデ:あと去年、タイコクラブに出たとき、そこで見たスクエアプッシャーのライヴがすごく良くって。わかりにくいことをやるのかなと思ったら、初期の頃の名曲と最近のメロディアスなポップスばかり、たとえば"ア・ジャーニー・トゥ・リードハム"とか"カム・オン・マイ・セレクター"とかやるんです。それに励まされて、自分の好きなことをやろうって気持ちをさらに固めた。

ああ、そうか、"ア・ジャーニー・トゥ・リードハム"(1997年の『ビッグ・ローダ』の1曲目)から『A Journey to Freedom』が来ているんだ。

デデ:もう大好きだったから。今回は曲名もすべてパロディなんです。"マイ・フェイヴァリット・スウィング"とか"ニュータウン・ロマンサー"とか。

なるほど。

デデ:最後の曲の"same crescent song"がロキシー・ミュージックの"セイム・オールド・シーン"から来ているというのはわかりづらいかもしれないけど。

絶対にわかりません(笑)。

デデ:それで、ジャケットの方向性が決まったときに、「あ、もうこれは『A Journey to Freedom』でいこう」と。

強烈なジャケだね(笑)。

デデ:強烈ですね(笑)。

下北の駅で見たよ~。でっかいヤツ。

デデ:ハハハハ、ありがとうございます。もう......、血を見るような努力の結果なんで、これ。イラストレーターの先生(吉田明彦)がスクエアの社員の方なんで、社外仕事になってしまうじゃないですか。だから、描いてもらうのに、何度も何度もお願いして断られ、でもお願いしてって。先生自身はやる気になってくれていたんだけど。で、描いてもらえるってことになったときに、自分の入れて欲しい要素をぜんぶ入れてもらおうと思って。だから、背景に団地が描かれている。これ、多摩ニュータウンなんです。奥さんがそっちのほうの方だったので、けっこう感覚的にわかってもらえて。

なるほど。

デデ:誰もいないパレードというテーマもあった。

子供っていうのはテーマとしてずっとあるんでしょ? アルバムも子供の声からはじまっているし。

デデ:僕の場合、子供っていうのは真っ直ぐさみたいなものの象徴としてあるんです。冒険とか......思春期前の真っ直ぐさ。先の見えない真っ暗な未来へと飛び込まされる以前の、真っ直ぐさ。13歳から15歳とか、僕は、その年代のときには恐怖しかなかったけど、希望とかいうものを託して旅立たせたいという気持ちがあって。で、ひとりでは淋しいから仲間がいれば安心だろうって。そういうことなんです。

タイトルが『A Journey to Freedom』だもんね。

デデ:だけど自分が描いたストーリーはけっこうヘヴィーなんです。8曲目の"station to stars"から9曲目の"goodbye parade"って、曲名にもそれは表れている。ってことは......。

そこはいまは言わないでおこうよ。

デデ:そう、隠しているストーリーがある。パレードが葬儀にも見えるから。だけど、僕なりにメッセージがあるんです。誰も頼れる人がいなくなったときがスタート地点じゃないのかなっていう。自分がデデマウスとして活動しているとき、助けてもらえる環境がすごくあった。彼女もいたし......。だけど、彼女もいなくなって、たったひとりになったとき、「がんばらなきゃ」と思って、そこから物事が進むようになったんです。

なんだかんだ言って、デデ君の場合は、表現する場があったじゃない。それは大きいですよ。

デデ:あんま説教臭いのは好きじゃないんだけど。

そういう音楽じゃないしね。ただ......いまのオタク世代になってくると、デデマウスの思春期とは違う窮屈さがあるんだろうね。インターネットで世界に繋がっている錯覚を覚えて部屋からもでない。誰にも傷つけられないし、誰も傷つけない空間にいるっていうかね。デデ君はいろいろ傷ついたり、傷つけたりしたかもしれないけど、傷つくことを恐れて外に出ないっていうのはものすごく恐いことだと思うんだよね。だからCDが売れててもそのファンたちは、オムニバスのライヴになるとあんま来ないっていうか。自分の好きなもの以外の世界を見ようとしないというか。デデ君はだって、DJファミリーだからね(笑)。

デデ:わかりますよ。ニコニコ動画とか、ああいうなかから、ゆとり世代の子たちが出てきているじゃないですか。面白いんだけど、ああいうのを聴いていて何が足りないのかと言うと、リアルさというか、現場で感じる現場感というか。場を経験していないで作っているのがすごくよくわかるんです。フィジカルさがついてないっていうか。まあ、それは若いから当然なんだけど、でも、やっぱ自分が外に出て行って、生の人間を相手していかないと。そういう意味でも『A Journey to Freedom』なんです。

なるほど。話変わるけど、すごいですね、ロンドンの〈ビッグ・チル〉でリリース・パーティだなんて。しかもプラッドと一緒に。

デデ:いや~、プラッド、大好きなんで、ホントに嬉しい。

あの人たちはホントに才能があると思う。作っている音楽もほとんどはずれないでしょ。

デデ:うん、最高ですよ。

しかし、商業的な成功には縁がないんだよ(笑)。

デデ:地味なんですよね。LFOなんかと違って。だけど、僕はホントに尊敬している。『ダブル・フィギア』(2001年)にはとくに影響された。ああいう、微妙にポップなものが好きなんです。そういう意味ではルーク・ヴァイバートが大好きで。一時期はリチャードよりもルーク・ヴァイバートのほうが好きだったくらい。あれほど才能がある人はいない。

ハハハハ、あの人、マジですごいよね。あれこそ根無し草というか、ホントいろんなレーベルから出しているし、「いったい何枚出しているのか?」っていうか。

デデ:わけわからないアシッド・ハウスを出したかと思えばトリップホップやったり......あの人の(ワゴン・クライスト名義で〈ニンジャ・チューン〉から出した)"シャドウズ"って曲のPVが最高で。

ドラムンベースもアンビエントもIDMも、やれることは全部やってるよね。彼がすごいのは、あれだけ作品数出しながら、彼のスタイルってものがないでしょう。あれはすごい。普通はハウスとかIDMスタイルとか、普通はなにかしらあるじゃない。自分のスタイルってものが。あの人は空っぽだよなー(笑)。それで作品が良いからすごいよね(笑)。

デデ:僕、「いちばん好きなのが誰か?」って訊かれたらルーク・ヴァイバートって言うかもしれない。............(以下、延々と同じような話が続くので省略します)

DRUM & BASS SESSIONS
"DRUM & BASS X DUBSTEP WARZ"
- ele-king

 帰ってきた......ドラムンベースの帝王が......初期のシーンから一貫して変わらないその凶暴性と言う名の鎧を身に着けたまま......あの頃から何も変わっていない。変わったのは、ゴールディー以外のものすべてだ。これが本物のカリスマの姿である。

 ドラムンベースのカリスマ"ゴールディー" x ダブステップのパイオニア"ハイジャック"、本国UKでもお目にかかれない共演にUNITフロアは興奮の坩堝と化したスペクタクルなDJショーの幕開けである!!
 振り返れば1996年、伝説の新宿リキッドルームからはじまったDBS。本場UKのリアル・グルーヴをそのまま体感できる数々の伝説的一夜を実現させ、いまなお、ベースライン・ミュージックの"真実"を伝えている老舗パーティ! 今年でなんと13年目に突入した名実ともに日本のドラムンベース界を代表するトップ・イヴェントであるのは言うまでもない。

 さて、2008年5月17日以来の来日となったゴールディーだが、昨年、待望のアルバム『Memoirs Of An Afterlife』をラフィージ・クルー(RUFIGE KRU)名義で発表。メタルヘッズ全開のベースラインが唸るダーク・コアな作品から現在のトレンドであるディープでアトモスフェリックなフィロソフィック・チューンなど......健在ぶりを知らしめるだけでなく、その存在価値、音楽的才能をさらに押し上げる歴史的傑作となったのは記憶に新しい。

インターナショナルに活動する
日本のダブステッパー、ゴス・トラッド
オリジナル・ダブステッパーのひとり、ハイジャック

 オープニングを務めたのは日本のダブステップ・シーンにおける先駆者"ゴス・トラッド"。DJセットの今回でもタイトかつテッキーなセットでフロアをロック。あらためて世界で活躍する日本のダブステップ界のパイオニアである彼の力を知らしめた。そして1時を回ってハイジャックの登場だが......saloonでプレイしていた筆者と時間帯が被ってしまい、残念ながら生で見れなかった......何人かに取材したところ、賛否両論。「ダブを惜しげもなくプレイしていて素晴らしかった」、「PCDJで残念」、「ダブステップ創世の息吹を感じた」等々......。いろいろ感想はあるようだが、彼のエクスクルーシヴ・ミックスをオンエアしたインターネット・ラジオ・ステーションTCY RADIO TOKYO"Stepp Aside!!!"でも聴くことのできる彼のプレイ――ダブの数々や最新リリース・チューンを躍動感溢れるそのミックス・テクニックによって披露し、フロアをロックしたことは間違いない。もうひとつ言えることは、彼がシーンのパイオニアのひとりとして、ダブステップの創造力、躍動力、高揚力を日本に運んでくれたことであり、本場UK最高の"熱"を伝えてくれたことである。現在最高点に近い盛り上がりを見せている本場UKだが、日本ではまだまだ熱しきれているとは言い切れないのが現状で、だからこそハイジャックのようなパイオニアが日本でいまプレイすることは重要である。是非この先も日本のパーティ・ピープルに驚きと発見をもたらして欲しいものだ。
 ちなみに、ハイジャックの裏でもろに被ったsaloon@TETSUJI TANAKAでありましたが、たくさんのオーディエンスに来て頂いて大熱狂!!! 陰様でフロアが満員になり、大盛り上がりでした。その時間帯saloonに来て頂いた方、踊ってくれた方、ありがとうございました! 次は4月17日、今度はUNITメインフロアで会いしましょう。
  

 いまかいまかとオーディエンスが待ち望んでたゴールディーだが、ハイジャックの途中からなんとマイクを持ち、自らMCでナビゲート。われんばかりの歓声が飛び交ったのは言うまでもないが、とにかくこのカリスマは煽り続けたのである。そして、ゴールディとハイジャックが交代するその光景は、新旧各シーンのパイオニア同士がジャンルの境界を跨ぎ、行き来するまさにUKダンス・ミュージックの象徴"ハイブリッド"の生の姿であり、DBSが呼び込んだ貴重な偶発的かつ必然的姿であった。

マイクを持って叫ぶドラムンベースの王様! マイクを持って叫ぶドラムンベースの王様!
UKアンダーグラウンドの両雄! UKアンダーグラウンドの両雄!

 こうして、ゴールディーのプレイが大熱狂のなかはじまった。彼自身やメタルヘッズのダークコアな作品、ディープ・ミニマルな選曲構成を中心にプレイ......歓声とベースラインがリフレインしている......この光景、この姿、この形こそリアル・アンダーグラウンド・ミュージック"ドラムンベース"本来の状態なのだ。そう感じた矢先、ゴールディーがあるひとつの強力な武器を持ち出した。その場においては異質とも取れる曲は......何か......発した瞬間、ジャングリストたちの秘めた熱狂性とその現在のトレンドで覆っていたカレントリーな空間を瞬時にスイッチ......DBSでは稀な光景である。生粋のパフォーマーとしても名高いゴールディーが最高潮に煽りだし、サイドに付いたドラムンベースMC日本代表カーズとともに縦ノリに変化したオーディエンスと渾然一体となり、その勢いはまたく止まらない。その武器とは、ニルヴァーナ"スメルズ・ライク・ティーン・スピリット"のオリジナルだった!

 時代淘汰されることなく歩み続けたロック・ミュージックとエレクトロニクスの発展により90年代に時代を捉えたドラムンベース。すべてを呑み込む許容性があるこのジャンルに不適切、不適合は存在しないと改めて実感させらてた。本当にフレキシブルで独自の進化を歩んだからこそこうして多くの人たちを魅了しているのだ。ダブステップもこれとまったく同じ道を辿っているのは、周知の通りである。すでに本国UKではドラムンベースを"越えてしまった"感があるこのダンス・ミュージックの新たな"核"が必ずやこの先も我々をユートピアに誘うだろう。世界中の隅々で......。

 それからゴールディーは、後半に差し掛かった辺りから選曲を懐かしのドラムンベース・クラシックスにシフト。LTJブケム、アートコア・マスターピース"Horizons"をスピン。オールド・ファンの心を掴んだだけでなく歴史の生き承認としても歩んできたゴールディーの懐の深さも垣間みれた瞬間だった。ふと時計を見たら5時を回っている。大幅な延長プレイにみんな大満足だった。まったくプレミアムな空間に包まれたのである。そして2010ジャパン・ツアー最後の曲は、これまたメタルヘッズ・クラシックス、名盤中の名盤、ラフィージ・クルー"Beachdrifter"。こうして感動的かつ叙情的な閉幕となった。

 ドラムンベースの限りない底力とダブステップのさらなる躍進、今回もまたそれを感じた最高のパーティだった。ベースライン・ミュージックを二分するこれらジャンルに向けて賞賛の意を表したい。DBSの持っている"力"にあらためて尊敬の念を表し、これからも筆者は歩んで行くだろう......ベースラインが消えない限り。

 次回パーティ・リポートは筆者も出演の4/17DBSを予定しております。乞うご期待!

Derrick May - ele-king

 もう随分と前にリリースされたこのデリック・メイの13年ぶりのミックスCD。すでにele-kingでもデリック本人のインタヴュー記事が掲載されているし、推薦文書いてるのが野田編集長であるからして、もう大半の人が購入して聴いていることと思う。だったら、なんでいまになってレヴューを? ということだが、その推薦人に「たまにはケンゴのデリック・メイ論を読んでみたいじゃないか」などと言われてしまったからだ。いやぁ、論などというほど立派なものをもちあわせてるわけじゃないんだけど。そう、でもそれで思い出したのは、1993年5月、ロンドンで体験したデリックのDJのことだった。

 あのころ、UKではレイヴがどんどん巨大化してきちんとスポンサーが付いたり許可を取って開催されるものが増えて、なかでもシカゴ・ハウスからジャングル、そして当時急激に注目されはじめてたジャーマン・トランスまでとにかく全部集めたというようなラインナップでいちばん人気だったのが〈Universe -Tribal Gathering〉だった(〈Rising High〉が公式コンピやテーマ曲出したりしてた)。その金曜には郊外で2.5万人を集めたそのレイヴがあり、僕はチケット買えなくてそっちは行けなかったんだけど、翌日の晩にブリクストンのVOXって巨大なハコでやったテクノの伝説的パーティ〈LOST〉も、UKに集結したトップDJたちを集めたという感じで普段より豪華だった。そこにヘッドライナーとして名前を連ねていたのが、デリック・メイだった。

 当時の僕はといえば、もうハードコアやジャングルからトランスに夢中になりかけていたころで、正直言ってデトロイト・テクノとかもう古いっしょ的な生意気な若者にありがちな勘違いをしていた。が、その晩のデリックはデトロイトがどうとかテクノの歴史がこうだとかそういうことはもういっさい粉砕して、異国の体育館みたいな誰ひとり知り合いもいない真っ暗で汗と埃の臭いのするだだっぴろいフロアでひとり寂しく踊る僕の頭上に天使を舞い降りさせた。いや、実際には天使は隅のほうでうろうろしてた黒人のカラフルなウエストポーチの中から飛び出してきたのかもしれないけど、いずれにしてもそのときのデリックは本当に神がかっていた。

 デリック・メイの選曲が一概にテクノではない、いやむしろハウスと言ったほうがしっくりくるというのは、実際に彼のプレイを聴いたことある人なら誰でも思うだろうし、これまで彼が世に出したたった1枚のミックス盤『Mix-Up vol.5』を覚えていれば納得するはずだ。このときもデリックは古いアシッド・ハウスからアムスあたりで掘ってきた最新のトラックまで、ファンキーでセクシーでアグレッシヴなグルーヴを紡いだ。なにより驚かされたのは、次々に曲を繰り出して、バックスピンやせわしないフェーダーさばきなど手数多く出音をいじって彼流のリズムをDJプレイに与えていく、あのスタイルだった。もちろん、それは彼ひとりで作りあげたスタイルではないのだが、日本でデリックがプレイして以降それを見たDJたちがこぞって同じようなトリックを自分のプレイでも取り入れていったことは疑いない。ある程度「デリック・メイっていうすごいやつが来る!」っていう事前情報があってもそれだけ衝撃的だったのだから、そのときの僕のやられ具合を想像してみて欲しい。リル・ルイスの"French Kiss"という、ブレークで喘ぎ声だけになってスローなビートがだんだんスピードアップしていって元の激しい4つ打ちのビートに戻るという曲がある(デリックの十八番でもある)。このときデリックは、あれみたいなことを手動でやっていた。でかいブレークを作って、しばらく無音にして、そのあとレコードを手でゆっくりゆっくり回転させはじめた。しかも、逆回転で。片方の手でテンポが128くらいになるまでレコードを回し続け、もう片方のターンテーブルから正回転の、ずぶといキックの音が重なってきたときの絶叫に近いフロアの盛り上がりは、一生忘れられないだろう。

 ......ほんと、このときの話は新書一冊分くらい書けるんだけど、またそれは別の機会に。今回のミックスCD、アナログ盤を使って昔ながらの手法と技法で録音された25曲は、いかにもデリックというスタイルと音をしている。彼がここ数年東京では一番頻繁にプレイしている代官山のAIRとのコラボレーションという形をとっているからか、ダイナミックで多少の失敗はものともしないライヴ感溢れるミックスだ。おもしろいなと思ったのは、かなりボトムの強調されたキックが目立つ曲が多くて、いまどきの線の細いミニマルやクリックを聴き慣れた耳にはちょっと驚くほど重いビートが襲ってくることだ。ベン・クロックとかベン・シムズとかキラー・プロダクションズあたりに象徴的だが、デリックがそういう音をジャジーな旋律がいかにもな曲と並行してチョイスしているのは意外にすら思った。一方で純粋にデトロイトの曲となると、恐らく冒頭のアンソニー・シェイカーたった1曲だけなのだから。

 実際のところ、今回のCDが「作品」として後世に残るようなモノでないことは誰の目にも明らかだとは思うが、逆にそれがデリックの「俺はまだまだこんなところで終わるつもりはないぜ、DJ活動の総決算を作るのはずっと先」っていう宣言にも感じられて頼もしい。理想を追い、あれやこれやと考えすぎて結局形にならない、ということをこれまでずっと繰り返してきた気がするデリック・メイ。それは、彼が自己を含めて客観視できるプロデューサー的視点を持っているから起きた不幸とも言えるだろうし、彼が非常に優秀なリスナーであるゆえに自作のペースや質が理想に追いつかなかった結果生じたとも言える。しかし、リスナーとしての貪欲さとかセンスというのは、DJとしては決して失ってはならないもので、それはデリック同様、かつてダンス・ミュージックの歴史に永遠に刻まれる革命を起こしたトッド・テリーやベルトラムといった連中が、自分の曲ばかりをかけるという罠にはまってそこから抜け出せなくなってしまったことからも見て取れる。そういう意味で、デリック・メイは間違いなくいまでも現役トップのDJのひとりだろうし、ハコでのライヴ録音をそのまま切り取ったようなこの盤にしても、精緻に作り込まれたミックスでは失われがちな律動や空気感みたいなものをしっかりと備えている。デジタルVSアナログというのは、本来利便性や技法の問題なはずなのに、結局いつも精神論やオカルト的なところに話が落ち着いてしまうのがどうも納得いかないが、その土俵に敢えてのるなら、やはりプロにはできるだけアナログ盤を使ってほしいなと思う。そして、デリックには、とにかくセクシーでかっこよくあるためにヴァイナルを使い続ける責務があるし、無条件にそれを擁護する権利もあると、このCDを聴いて再確認した。

Wet Hair - ele-king

 ブルース・スプリングスティーンやザ・ホラーズとのスプリット・10インチ・シングルをはじめ、限定3000枚のCD6枚組のボックス・セットで発売された『Live 1977-1978』など、この2~3年で加速的に再評価されたのがスーサイドで、以前ファック・ボタンズに取材したときも、このニューヨークのトランス・アート・パンクの伝説こそ若い彼らにとっての最高の追体験だったと話していた。もっとも多くのファンを驚かせたのは、ザ・ホラーズやファック・ボタンズではなくブルース・スプリングスティーンによる"ドリーム・ベイビー・ドリーム"のカヴァーだった。しかし、これとて深い縁があったことをアラン・ヴェガはあるインタヴューで明かしている。つまり、スーサイド再結成後の2002年に〈ミュート〉傘下の〈ブラスト・ファースト〉から発表したアルバム『アメリカン・シュプリーム』が9.11を主題としたもので、ヴェガはその取材でこれでもかと反ブッシュを叫んでいる。こうしたヴェガの政治的主張もスプリングスティーンとの仲を深めるのに大いに働いたことだろう。

 ちなみに〈ミュート〉は2000年に未発表を加えたCD2枚組としてスーサイドのファースト・アルバムをリリースしている。未発表音源に関する興味と(それがまたホントに良かったのよ)リマスタリングということで僕も買ったのだけれど、封入されたブックレットにはヴェガとマーティン・レヴの対談も載っていて、そこでヴェガは彼のセシル・・テイラーについて、あるいはイギー・ポップからの影響について語っている......。まあ、そう言われてみればたしかにストゥージズだ。

 ウェット・ヘアーは完璧なまでにスーサイド・フォロワーである。フォロワーというか、最初に聴いたときはスーサイドの新作かと思ったほどだ。僕はこのレコードが渋谷の〈ワルシャワ〉でかかったときからおよそ1時間悩んで、それで、結局買った。かれこれ1ヶ月前の話だ。

 アイオワで〈ナイト・ピープル〉なる(主にカセットをリリースする)レーベルを運営するライアン・ガーブスとショーン・リードのふたりによるウェット・ヘアーは、昨年のはじめに最初のアルバム『ドリーム』を発表して、そして年末にセカンド・アルバム『グラス・ファウンテン』をリリースした。ヴィンテージ・シンセサイザーとエフェクトをかましたうなり声、ドラムマシン、まさにスーサイド・スタイルだが、本家よりもノイジーでさらにトランシーでもある。そのあたり、モダンなセンスが注入されている。

 アルバムは気が遠くなるようなミニマリズムとうなり声からはじまるが、このバンドの個性はメランコリックな曲作りにある。A面2曲、B面3曲の計5曲入りだが、僕にはB面の1曲目"正しいときが来たら"のメランコリーが最高だ。それはスーサイドの"キープ・ユア・ドリーム"というか、豪雨のなか殺人者が歌うオールディーズ・ポップスのように聴こえる。"コールド・シティ"のメロディも悪くないし、"ステッピング・レイザー"は"ロケットUSA"というか......。

 ウェット・ヘアーのようなここ2~3年で台頭してきた新種のUSインディでもうひとつわからないのが、彼らがデジタルを放棄していることである。『ドリーム』は別のレーベルがCD化したが、『グラス・ファウンテン』に関してはいまのところヴァイナルのみでダウンロードすらない。こうした時代と逆行するかのようなアプローチも興味深い(テクノ系ではあれだけアナログにこだわっていたベーチャンが批判されながらデジタルに進出したものだが、シャックルトンはアンチ・ダウンロードを貫くらしい......)。

 ところで〈ミュート〉からの再発盤のブックレットによれば、ヴェガとレヴはスーサイドをはじめた当時一文無しで、ヴェガいわく「ケツを凍らせながらテントで寝ていた」という。彼らは純粋なまでに極貧で、自殺者という名前もまんざら大袈裟ではなかったようである。都市の辺境のギリギリのところから発せられたのが、ヴェガのあの叫び声だったのだろう。スーサイドの1978年のザ・クラッシュとのツアーは有名で、ふたりはステージで客から罵声を浴び、モノを投げられ、血を流し、暴動を誘発した。スーサイドのふたりから見たら、ザ・クラッシュの絵に描いたような左翼っぷりはどんな風に見えたのだろうか......。ファッションに見えただろう。しかし多くの聴衆が崇拝したのはザ・クラッシュだった。そして僕は紛れもなく崇拝者のひとりだった。

Yossy Little Noise Weaver - ele-king

 ヴァンパイア・ウィークエンドと音で渡り合えるバンドが日本にいることをご存じか。そう、ヨッシー・リトル・ノイズ・ウィーヴァー(YLNW)である。彼らの3枚目のアルバム『Volcano』は、カリブ海の音楽とミュータント・ディスコのブレンドで、エゴ・ラッピンとザ・ゴシップ・オブ・ジャックスによるあの素晴らしい『EGO-WRAPPIN'AND THE GOSSIP OF JAXX』に続くかのようにポスト・パンクのダンス・サウンドを演奏する。

 実際のところ、YLNWは大雑把に言って日本のレゲエ・シーンから生まれている。中心にいるのは元デタミネーションズ/元ブッシュ・オブ・ゴーストという経歴を持つキーボーディストYossyとトロンボーン奏者のicchieで、またメンバーには菅沼雄太(エゴ・ラッピン他)やThe K(元ドライ&ヘヴィー)もいる。2005年のデビュー・アルバム『Precious Feel』はキングストンの海辺で録音されたエレクトロニカであり、隙を見てはカンの『フロー・モーション』に接近する。2007年の『Woven』はジャッキー・ミットゥーがフォー・テットと一緒にスタジオで作ったミュータント・レゲエである。そうした過去の美しい2枚の抒情主義と打って変わって、3年ぶりの『Volcano』は、リスナーの身体をより大きく、波のように動かせる。

 "スーパー・ラビット"はトーキング・ヘッズがジャマイカ旅行したような曲だ。あかぬけたリズムとディレイの効いたスカのトロンボーン、そして滑らかなエレピのコンビネーションが甘い夢を紡いでいく。"ピース"はプラスティックスのカヴァーで、今回のアルバムにおけるベスト・トラックのひとつ。4/4ビートとジャジーな鍵盤とスカの香気が心地よいミニマル・ポップである。タイトなヒップホップ・ビートを取り入れた"ウォッシング・マシン・ブルース"やドリーミーな"ドラム・ソング"は過去2枚と連なるバンドの抒情性がよく出ている曲で、"ヴォルケーノ"は日差しを浴びたミュータント・ディスコ、"ペイル・オレンジ"はラテンの陶酔に包まれた温かいスロー・ダンスだ。

 こうした彼らの音楽は、とにかくキュートだし、耳障りの良さゆえにその背後にある挑戦が見過ごされがちだが、彼らの目的はジャマイカとディスコを並列させることでもはなく、ワールド・ミュージックのレトリックでもない。それは絶えず変化しながら新しいミュータント・サウンドを創造することに違いない。

 ここ数年続いている欧米のポスト・パンク・リヴァイヴァルとはまるで共振することのない日本の音楽シーンだが、興味深いことにレゲエ系のシーンではそれが起きている、起きていくかもしれない――そう思わせるYLNWの新作で、バンドはこの路線を継続しながら、初期のエレクトロニカ・スタイルをあらためて加味すべきである。何故なら、YLNWの輝きはこの1枚に限ったことではないのだ。

プラスティック・オノ・バンド
プラスティック・オノ・バンド!(photo: Kevin Mazur/ Wire Image )

 プラスティック・オノ・バンドが、去る2月16日(木)に〈BAM〉で再結成しプレイした。「●●がゲストに来る」......など、私のまわりでもさまざまなうわさが回っていて、ショーはあっという間にソールドアウト! あまりにも早くて、この1日前にはリハーサルをパブリックに公開するショーも追加で催された(こちらもかなり競争率が激しかったらしい)。

プラスティック・オノ・バンド
プラスティック・オノ・バンド!
(photo: Kevin Mazur/ Wire Image )

このショーは、現在のオノ・バンド・メンバー(コーネリアス、ショーンレノン、本田ゆか)に加え、曲ごとに豪華なゲストが登場した。エリック・クラプトン、ソニック・ユースのサーストン・ムーアとキム・ゴードン、ポール・サイモン、ベティ・ミドラー、マーク・ロンソン、シザー・シスターズ、細野晴臣......この上ない豪華なショーである。年齢(77歳!)をまったく感じさせないパワフルなパフォーマ ンスはもちろん、彼らをこの場所に一同に集めることができるYoko Onoの存在はさすがというしかない。このショーを見た人は一同に「彼女はすごい!」と言うし、このゲストたちが、最後に一列に並んであいさつした時は、ニューヨークにおけるYoko Onoと言う存在を重要さを再確認した。

mi-gu
mi-gu
Ghost Of A Saber Toothed Tigers
Ghost Of A Saber Toothed Tigers

 ところで、私が今回ピックしたいのは、数日後に行われたmi-guのショー。mi-guはコーネリアスのドラマー、あらきゆうこさんのバンドで、昨年は〈HEARTFAST〉のCMJショーケースにも出演して頂いた。ショーン・レノンとガールフレンドのバンド、Ghost Of A Saber Toothed Tigers(Sean Lennon & Charlotte Muhl)の前座として出演。ギターのシミーとドラム&ボーカルのゆうこさんの息もぴったりなショーは、数日前のプラスティック・バンドと比べるとこじんまりして、タイプは違うが、雰囲気がとてもよく、観客もアットホームな感じで、声援を送ったりして盛り上げる。観客には、坂本龍一の姿もあり、私の友だち(アメリカ人男)は大興奮して、一緒に写真を撮ってもらったりしていた。最後の2曲にはゲストとしてショーン・レノン、本田ゆか、そしてコーネリアス本人が出演。そして次のバンド(Ghost~)が登場すると、先ほどと、メンバーがシャーロット以外全て同じ! ただ、そのシャーロットが、この世のものとは思えない程かわいい。ショーン・レノンが自慢したくなる気持ちもわかるが、かわいいだけでなく歌も歌えるしベースも弾ける。基本ショーンとシャ―ロットふたりのバンドなのだが、今回はメンバーがいたのでバンド編成になっている。フォーキーなロックで、サウンド的にはショーンのソロに女の子ヴォーカルが入った感じだ。

 2月、NYはファッションウイークでもある。うちの近所のウィリアムスバーグにもファッション・ショーが存在する。NYファッション・ウイークエンドに対抗したウィリアムスバーグ・ファッション・ウイークエンド(WFW)だ。ローカルの若いデザイナーたちが斬新なアイディアや手法で洋服を作り、個性あるファッション・ショーを作っていく。 洋服はもちろんのこと、とくに面白いのはデザイナーのプレゼンの仕方。NYファッション・ウイークのように、洋服がメインで、モデルがキャット・ウオークをするだけではなく、こちらは、どちらかというとパフォーマンスがメイン。

フラウク
ウィリアムスバーグ・ファッション・ウイークエンドにおけるフラウク
トータル・クラップ
トータル・クラップ
ロボット・デス・カルト
ロボット・デス・カルト

 今回の2010年春夏のショー は、WFWでは初のサンフランシスコのデザイナーで、テクノロジーv.s.自然をテーマにしたライン、フラウク、グラムとパンク、アヴァンギャルドをミックスしたライン、トータル・クラップ、Lace & Voidをテーマにし、普段も着れるドリーミーさが売りのデシラ・ペスタ、主催者のラインであるKing Gurvy等々......。

 個人的にいちばん好きだった、ルフェオ・ハーツ・リル・スノッティはリーズ・ア・パワーズのミュージック・ヴィデオ"イージー・アンサーズ"のデザインも担当していて、メンバーはモデルで登場したり、アフター・パーティではDJをしたり大活躍。2010年の冬をイメージした野生の冒険のキャラクター、ガチョウ、イルカ、カエルをモチーフとし、カラフルな色を切り貼りしてリサイクルした洋服を着たモデルたちがラッパーに合わせてダンス・パフォーマンスを展開。ホットドッグやアイスクリームを、ウエブサイトの入ったフライヤーと一緒にオーディエンスに投げたり......。

 アートギャラリーでもある、シークレット・プロジェクト・ロボットのライン、ロボット・デス・カルトは、モンスター(ドラキュラ、フランケンシュタインなど)メイクのモデルたちが、ロボット・デス・カルト印の旗を持って、ステージに突如現れ大騒ぎ、そしてすぐに去る。5分ぐらいのショーだったが、存在感とインパクトは圧倒的。

 どのデザイナーもいまあるものを使い、いろんなアイディアを組み込んで、新しいものに変えていく。レイヤーだったり、コラージュだったり、リサイクルだったり。NYファッションウイークと規模はまったく違うけれど、DIY精神の面白いファッションショーだと毎回感心する。

 最後に、このファッション・ショーの主催者のアーサー・アービットに話を訊いてみた。彼は、元ツイステッド・ワンズという名前で、ライトニング・ボルト、ブラック・ダイス、ヤーヤーヤーズ、ライアーズなどを初めてウィリアムスバーグでブッキングした人で、最近では、DJ、イラストレーターとしても活躍している。また、普段もスーツでびしっと決めている人だ。


RNY:ウィリアムスバーグ・ファッション・ウイークエンド(WFW)はいつ、どのようにはじめたのですか。

アーサー・アービット:3年前、これから出てくる若手デザイナーにプラットフォームを作ってあげたいと思った。

RNY:NYのファッション・ウィークとは、どの辺が異なりますか?

アーサー・アービット:デザイナーたちはデザインをプッシュすること、それを創造する工程にとくに興味を持っていて、ビジネスは透明になっている。

アーサー・アービット
ウィリアムスバーグ・ファッション・ウイークエンドの主催者のアーサー・アービット

RNY:当日いろんなメディアのインタヴューを受けていましたが、WFWはどのようにプロモートしているのですか。

アーサー・アービット:いつも同じだけど、主要なメディアやブログサイト、ファッション業界の人たちだね。

RNY:WFWで何が大変で、何が楽しみですか。

アーサー・アービット:いまは楽しいことしか思いつかない。これが自分のやりたいことだからね。

RNY:あなたは主催者でもあり、デザイナーでもありますが、あなたの洋服ライン「King Gurvy」を紹介して下さい。

アーサー・アービット:エクスペリメンタル!

RNY:2010年おすすめのデザイナーは。

アーサー・アービット:フラウク(Flawk)だね!

Various - ele-king

 それは最近ではダブステップ系に顕著だ。決定的だったブリアルの"アーチャンジェル"をはじめ、コード9の"タイム・パトロール"やピンチの"ゲット・アップ"......グイードやジョーカーあたりもそうだろう。あるいはJ・ディラ以降のヒップホップではフライング・ロータスの"ロバータフラック"やエグザイルの"チューンド"、あるいはインディ・ロックにおいてはザ・XXの"ベーシック・スペース"......ここ数年、ソウル・ミュージックの急進派が開拓するある領域をポスト・R&Bと括ることができるのなら、ハウス・ミュージックのコンテキストでそれをやっているのがケニー・ディクソン・ジュニアと彼の〈マホガニー・ミュージック〉だと言える。彼が2008年末と2009年初頭に発表した2枚のアルバム『デトロイト・ライオット'67』と『アナザ・ブラック・サンデー』はまさにその最新版である。

 もっともケニー・ディクソン・ジュニアと彼の〈マホガニー・ミュージック〉は、コード9やフライング・ロータスのような進歩派のコスモポリタンな感性とはまた違ったベクトルを持つ。ディクソン・ジュアニの面白さは、例えば1970年代当時に進歩的な黒人から批判されたブラックスプロイテーションを積極的に引用して、あるいはそのヴィジュアルや言葉遣いにおいてステロタイプの黒人像をむしろ自ら弄ぶところにある。彼にはブラック・ナショナリスト的な側面が大いにあるけれど、だがそれは、アフリカ回帰のような正当派とも違った奇妙なねじくれ方をしているのだ。彼はまるで......黒人にとってのよい子の教科書をひっくり返し、同時にそれをサポートする白人のリベラル派を牽制するかのようだ。あるいは......僕は、極度にエフェクトがかけられ街の亡霊のうめき声にしか聴こえないR&Bヴォーカルが繰り返されるブリアルの"アーチャンジェル"をこのジャンルにおける最高のクラシックだと思っているひとりだが、ディクソン・ジュアニのポスト・R&Bは、60年代や70年代の亡霊があたかも本当に彼に取り憑いているように聴こえる。

 ここに紹介するレーベル・コンピレーション『マホガニー・ミュージック』は2005年に発売されたものだが、あっという間に完売し、この度嬉しいことに再プレスされたので取り上げる。今年に入ってセカンド・アルバム『II』を発表したアンドレスやランドルフ、ピラーナヘッドといった面々の他に当時ディクソン・ジュアニと関わりのあったUKの〈ピースフロッグ〉周辺のプロデューサー(チャールズ・ウェブスターなど)のトラックも収録されている。また、CDは2枚組となっていて、もう1枚のほうはデトロイトの女性シンガー、ニッキー・O(『アナザ・ブラック・サンデー』の最後の曲"リクティファイ"でも歌っている)のソロ・アルバムとなっている。

 マリク・アルストン、ジェソン・ホガンズ、そしてジョン・アーノルドら"ビートダウン"系による"イン・ア・ベター・ウェイ"はミニマルなダブの効果を取り入れて、ヒプノティックなソウルを響かせる。そして、人びと(黒人たち)のざわめきからパーカッションによるイントロへと続くという、いわばマホガニー・ミュージック・スタイルによるドウェイン・モーガンの"エヴリシング"へと滑らかに移行する。ピラーナヘッドがスローなファンクで決めれば、UK出身のベテラン、チャールズ・ウェブスターはメランコリックなギターとアンビエントをブレンドする。ロベルタ・スウィードとディクソン・ジュアニのふたりによるピッチ・ブラック・シティが気怠い深夜のジャジー・ハウス"ランナウェイ"(名曲!)で酩酊すれば、アンドレスは先日発表した自身のアルバムに収録した"ステップ・パターン"で夜霧のなかを彷徨する。そしてもう1枚のCDでは、ニッキー・Oが場末のクラブへと連れて行く。

 いずれにしても、この、例によって挑発的なまでに"黒い"音楽の背後でコンダクトを振っているのはディクソン・ジュアニだ。彼はそして、巷に氾濫する"ディープ"という決まり文句(ボンゴ、ブルース・コード、チャント等々のレトリックから成る、とりあえずブルージーな雰囲気)をあざ笑うかのように、スモーキー・ヴォイスをマイクに吹きかけるってわけだ。

[Techno] #3 by Metal - ele-king

1 Clouds / Timekeeper --Dave Aju Remix--- | Ramp Recording(UK)

 いやー、本当に、ぶっ飛びすぎ!......てか、笑えてくる。壮大な"エイリアン・ミュージック"に出会ってしまったのかもしれないな。黒光りするシンセが痛いくらいにまぶしいぜ。

 ハウスを借り物にブラック・ジャズの更新をはかるサンフランシスコの奇才――それがデイブ・アジュだ。ベルリンのマイマイやモントリオールのギヨーム・アンド・ザ・クーチュ・デュモンツのリリースで知られる〈サーカス・カンパニー〉を拠点にしているため、いわゆるモダン・ミニマル/ディープ・ハウスの文脈から語られることが多いプロデューサーだが、彼のポテンシャルはそんなものではない。あのマシュー・ハーバートが期待をよせるヴォイス・パフォーマーのひとりでもある。

 少し振り返ろう。2007年に〈サーカス・カンパニー〉からリリースされた「Love Allways」はアリス・コルトレーンに捧げられたものだった。ルチアーノのリミックスが収録された、2008年に〈サーカス・カンパニー〉からリリースされたシングル「Crazy Place」はフロアヒットした。同年にリリースされた自身のスキャットとヴォイス・サンプルのみで作られたアルバム『Open Wide』はビート・ポートの年間ベストのうちの1枚にも選ばれた。サン・ラー、セロ二アス・モンク、バニー・ウォーレル、カール・クレイグ、グリーン・ヴェルヴェット......これらは彼がリスペクトするアーティストのほんの一部だが、彼の曲には必ずと言っていいほどブラック・ジャズの意匠が散りばめられている。

 そんな才人が、〈ディープ・メディ〉などからサイケデリックなエレクトロニカ/ダブステップをリリースするヘルシンキのユニット、クラウズが2008年にイギリスの〈ランプ・レコーディング〉に残したトラックをハウスに再構築する。オリジナルはメランコリックなヴィブラホンに優しいトーンのアコーディオンが絡むヒップホップ調のトラックで、ラス・ジーによるリミックスは当時コード9やフライング・ロータスのプレイリストにもあがり、ダブスッテップの側からの支持も得ていた。

 原曲のアコーディオンとジャジーなフィーリングは生かされているものの、もはやオリジナルといってもよいほどの出来だ。冒頭から入るローファイでぎらついたシンセサイザーの音色はまるでシカゴのジャマール・モスか、あるいは初期のラリー・ハードを髣髴とさせる。単純で無機質なアジッド・ハウスかと思えばブレイクで突如モーダルなジャズに変化して、原曲で使われているアコーディオンの調べがゆったりと流れだす。構成、展開もドラマチックで面白い。加工されているためわかりづらいが、シンセのリフを良く聴いてみるとファラオ・サンダースとレオン・トーマスがモダン/フリー・ジャズの最重要レーベル〈インパルス〉に残した名曲"The Creator Has A Master Plan"のピアノが元ネタになっていることがわかる。この曲もまさにモダン・ミニマルのふりをしたブラック・ジャズというわけだ。彼はあらかじめクラブを体験してしまったがためにハウスをやっているアーティストであって、前の世代とは逆のプロセスを辿ってジャズに行き着いている。

2 Mirko Loko / Seventynine --Carl Craig&Ricard Villalobos Remix-- | Cadenza(Ger)

 DJワダの〈イグナイト〉でのアンビエント・セットを終え、天狗食堂で開かれていたDJサチホがオーガナイズする〈リリース・シット〉に駆けつけると、週末の朝に特有のとても良い空気が流れていた。DJはサチホ~スポーツ・コイデ~イナホ~リョウ・オブ・ザ・デックス・トラックスの面子でのローテーションだった。グルーヴがキープされたまま新旧のディープ・ハウスがたんたんと続く。朝の9時をしばらく過ぎると天狗食堂のイナホがロングミックスを聞かせる。足の運びが軽やかだ。スネアに引っかかりがあるが、スマートなミ二マル・ハウスがじょじょに子供の声と水の音、透明感のあるシンセとともに広がっていく。誰も声を上げず首を振りながらその音楽をきいていた。そのトラックここに挙げた。ミルコ・ロコのリカルド・ヴィラロヴォスによるリミックスである。

 レイジー・ファット・ピープルのメンバーとして〈プラネット・E〉からヒットを飛ばし、ソロでは現在のプログレッシヴ・ハウスのリーディング・レーベルであるロコ・ダイスの〈デソラ〉からも傑作を放った期待の新星ミルコ・ロコ。その彼のリミックスがルチアーノの〈カデンツァ〉からリリースされた。リミキサーは言わずとも知れたデトロイトのテクノ・ゴッド、カール・クレイグとベルリンのテクノ・ゴッド、リカルド・ヴィラロヴォスである。

 カール・クレイグのリミックスはプリミティヴな質感の力強いダンス・トラックで躍動感のあるパーカッションにローランドの名器JUNOの音色と思えるシンセが絡んで、全体がじょじょにビルドアップしていく。まるで音のなかに吸い込まれるようだ。美しく、しかも引きが強いトラックだ。彼が何枚かに1枚だけ見せる本気のトラックなのだろう。デリック・メイの名曲"To Be Or Not To Be"(ゴースト・イン・ザ・シェルのサントラに収録)にも近い感覚とでも言えよう。

 いっぽうリカルド・ヴィラロヴォスのリミックスはメランコリックで美しいアンビエント・ハウスだ。スティーヴ・ライヒのミニマリズムを彷彿とさせるような自然音と子供の声が螺旋を描いていく。リカルドらしい抜き差しとダブ処理も効果的だ。ジェームス・ホールデンによって解体されたプログレッシヴ・ハウスのドラマ性とスピリチュアリティはこの曲をきっかけに見事に復活を遂げるのではなかろうか。両面とも大事に使いわけることができる盤だ。

3 Badawi / El Topo | The Index(USA)

 エルサレム出身でニューヨーク在住のパレスチナ人パーカッショニスト、ラズ・メシナイが率いるバダウイのニュー・シングルを紹介しよう。ラズ・メシナイとは......その名前とバダウイ、サブ・ダブ、ベドウィンといった4つの名義を使い分け、DJスプーキーのホームである〈アスフォデル〉、ビル・ラズウェルのリリースでも知られる〈リオール〉、DJワリーが率いる〈アグリカルチャー〉等から数々の傑作を放ってきた男だ。ニューヨークのアンダーグラウンドを象徴するアーティストであり、ユダヤの政治と宗教をテーマにしたサウンドと彼の芸術、そしてその超絶的なパーカッションのテクニックは多方面で高い評価を得ている。最近ではクロノス・カルッテットやジョン・ゾーンとの競演も話題になった。

 今回は自身が立ち上げた〈ザ・インデックス〉からの第1弾である。昨年リリースされたコード9とのスプリットで見せたダブステップへのアプローチはさらなる進化を遂げ、"ElTopo"では抜けの良いタブラとばっつり出た低音が絶妙にマッチしたダブステップを展開している。そして"Dstryprfts"のリミックスではシャックルトンがブライアン・イーノのリミックスとはまた違うところで興味深いトラックを響かせる。〈パーロン〉からのリリースでみせたミニマルへのアプローチはさらに研ぎ澄まされ、キックとハット、メロディではなく飛び音として使われるシンセとノイズがかったアシッド・ベースがトランシーにうごめき、時折入るディレイがかかったシンバルがリスナーの意識を遠くに飛ばす。原曲からのサンプルとトースティンによるポエトリーが最小限にキープされたグルーヴのあいだでゆらめいている。僕もよく経験することだが、暗闇のなかで右も左もわからなくなったユーザーに襲い掛かる強烈なバッド・トリップである。

 リッチー・ホーティンが2003年にリリースした"Closer"をダブステップに変換したようでもある。アシッド・ハウスのオリジンであるフューチャーの"Acid Tracks"そしてその裏面に収録されている"Your Only Friend"にも共通するような独特のムードを持った曲でもある。まー、手短に言うとこの曲こそが最先端のミニマル・テクノであると僕は思う。

intervew with Breakage - ele-king

「ダブステップ聴いた?」って訊かれて、「いや、そこまでちゃんと聴いてないけど」って答えたけど彼女が「マーラがそのダブステップの重要人物のひとりなんだよ」って教えてくれたんだ「へぇー」って答えたら「へぇー、じゃなくてマーラって彼よ、マリブ、あなたたち学校一緒だったでしょ!」って言ってきたんだ。

 俺たちはハードコア・ミュージックの最新版を聴いている
 音楽がすべてだ
 俺も君たちも音楽が大好きなんだ
 だから君たちがここにいて、
 俺もかけるのが大好きだからここにいる
 君たちが来なかったら俺はプレイができない
 もっとも重要なのは音楽それ自体
 だからスピーチはここら辺までにする
 いま聴いてもらったのは、
 ジャマイカから来たいちばん熱いハードコアなダブプレート
 ここからテンポとスタイルを変えていこう
 ひと晩通して、一緒に曲を変えて、聴いて、
 楽しもう David Rodigan"Hardcore Music"

 『ファウンデーション』は爆弾だ。この爆弾を東京のあらゆる場所にこっそり仕掛けてやりたい。そしていっせいに爆発させてやろう。情け容赦なく、ロンドンの貧民街でシェイクされ、爆発し続けるハードコアのあらゆる要素が含まれているこの爆弾を。激しい地響きが街をひっくりかえし、火傷しそうなほど熱いコンクリートが最高のダンスフロアとなるだろう。

 ブレイキッジのセカンド・アルバム『ファウンデーション』を聴いていると、この時代のUKのダンス・カルチャーの活気というものが伝わってくる。スピーカーから聴こえる音は体内に注入され、そして身体を熱くする。キングストン経由のベース・サウンド、ダブ、ジャングル、グライム、ダンスホール、あるいはハーフ・ステップや2ステップやダブステップ......まるでビートの見本市のようなこのアルバムには、素晴らしいゲストたちも参加している。大御所ルーツ・マヌーヴァをはじめ、ダブステップのスター、スクリームとキャスパ、グライムのMCのニューアム・ジェネラルズ、昨年メジャー・デビューした女性シンガーのザリフ、そしてブリアル(!)。

 リリース元は、グライムに多大な影響を与えたイノヴェイター、シャイ・エフェックスのレーベル〈デジタル・サウンドボーイ〉。アルバムの冒頭ではUKでレゲエをかけ続けている伝説的なラジオDJ、デヴィッド・ロディガンがスピーチをしている。「俺たちはハードコア・ミュージックの最新版を聴いている......」

『Foundation』はこれまでのあなたの10年のキャリアの集大成的なアルバムなのでしょうか?  

 完全にそうだよ。いままで伝えようとしてたこともすべてこのアルバムに凝縮してるね。過去、現在、未来全部含めて。曲によってははじめた当時の音のものもあれば、いま向かってる方向の音のものもあるから、そうだね、集大成だよ。

ジャングルもダブステップもグライムも混ざっているし、ダブやガラージもある。MCも出てくるし、ダブステップのプロデューサーとの共作もある。でも、最終的にはジャングル色が強いアルバムですよね。シャイ・エフェックス(Shy FX)の〈Digital Soundboy Recording〉からのリリースだからそうなったんでしょうか? それともやはりジャングルがあなたの帰る家だという認識なんでしょうか?

 両方だね。俺もシャイも、テンポとかbpmとかそういうくくりは関係なく、基本的にはジャングルを聴くんだよ。ジャングルのテンポの曲じゃなくてもその曲のバイブズの本質にジャングルがあると思ったら聴く。暴力的な要素とか感情、ディープなだけじゃなくて人を動かす力がないと駄目なんだ。基本的にはジャングルしか作れないんだよ。自分のキャリアのなかでもジャングルしか作ろうとしてないよ。俺のドラムンベースの曲やアルバムのなかでジャングルを感じてくれたのは嬉しいよ!

"Hard"では、ジャマイカ起源のベース音楽の変遷について喋っていますよね。スタイルは違っても同じだと。これはあなたの主張でもあるんですか? つまり、ブレイキッジの音楽もジャマイカ起源のベース音楽の現在形であるという。

 そうだね、俺はダブにはスゴく影響されてるからね。そして"Hard"における(デヴィッド・)ロディガンのあのスピーチを聴いたとき、プロデューサーとしてもそうだけど、DJとしても俺の姿勢を反映してると思った。デカい派手なステージ・ショーをやるわけでもないし、つねに腕を振り回して踊りまくるわけでもなく、良い曲をかけるだけなんだ。自分が良い音楽だと思うものをかけるためにその場に居るんだ。俺が見せたり語るより音楽に語らせたほうが良いんだよ。「俺たちはハードコア・ミュージックの最新版を聴いている。すべてが音楽だからだ。君たちは音楽が大好きで俺も大好きなんだ。君たちは音楽を聴きに来て、俺はかけるのが大好きだからここに来た。君たちがいなければ俺はかけられない......」、あのスピーチ全部が本当その通りだと思うんだ。俺もロディガンを聴いて育ったからね。そして彼の声を使うんだったら意味あること言ってるフレーズを使いたかったんだ。

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あなたの歴史を振り返ってもらいたいんですけど、生まれは?

 バークシャー州のスラウっていう町で生まれたんだ。5~6歳ぐらいのときにバッキンガム州のバッキンガムに引っ越した。そこで乳兄弟が来て、彼がダンス・ミュージックについて教えてくれたよ。遠い昔さ、プロディジーの『エクスペリエンス』が出るちょっと前とか。91年、92年で10歳ぐらいのときかな。その当時にジャングルがはじまり出してて、その頃にジャングル聴き出したんだ。それが俺の育ちかな。

そこからどうやってジャングルのシーンと結びついたのですか?

 多くの人も一緒だと思うけど、不思議にもいちばん最初に聴いたジャングルの曲がシャイの"Original Nuttah"だったんだ。当時学校に月曜日に行って、誰と話してもあの曲が話題だったよ。引っ越したりしてたからそのときは俺知らなくて、新しい家に入れる前にしばらくお姉ちゃんの家に泊まってたんだけど、彼女の家でMTVか何かで流れてて......。学校でみんなが歌ってたからすぐわかって「これがみんなが話してた曲なんだ」と思って、で、聴いたら衝撃受けたね。ハードコアを聴いたりして似た曲は聴いたことはあったけど、あれはまったく新しく聴こえたんだ。ハードコアと同じ基礎だったけどレゲエ色が強くて、やられたね。あの後どういう音楽が好きかはっきりわかったね。
 実は昔ギターを弾いてて、その数年後、14歳ぐらいのときかな、ギターをさらに勉強するために音楽芸術学校にいったんだ。そこではいろいろ違う音楽をやらされたり、楽譜を読めるようになる勉強とか、他の楽器の基礎を学んだりしてたんだけど、そのなかでパソコンの使い方の授業もあったんだ。ある日その授業でジャングルの作り方がわかったんだ。"Original Nuttah"とか"Terrorist"がどうやって作られたのか理解できたよ。ああいう曲を作りたかったら、このパソコンの使い方を勉強しないといけない、と思ったんだ。家には4トラック、キーボード、ドラムマシンを持っていて、それで作ろうとしてたんだけどなかなかうまくいかなくて、彼らが使ってるドラムが本物のドラムを使ってるのかすらわからなくて、全部ドラムマシンで叩いてるんだと思ってたんだ。すごいドラムマシンだな!って思ってたんだ(笑)。それでCubaseとそこにあったサウンド・モジュールを完璧に覚えて、その学校の先生がびっくりするぐらい使えるようになったよ。その学校にはスタジオもあったんだけど、年齢制限があって入れなかった。それでもその先生がサンプラーをパクって来てくれて、別室に学校が使ってないパソコンとサンプラーを設置してくれて他の生徒が使えないようにしてくれたんだ。だから毎日1時間ぐらい早く行って曲作って、授業行って、昼飯のときもそこで曲作って、授業終わった後も先生が帰るまでずっと曲作ってたよ。月曜日から金曜日まで毎日ね。そして土日はほぼ毎週のように従兄弟の家に行って、彼が持ってたトラッカーのソフト、FastTracker 2、をいじってたんだ。そのうち自分のパソコンも買ってひたすら作るようになった。まだ全部がどうやって形になるか学んでる最中だったけど、最初のリリースは17歳ぐらいのときだった。結局その学校退学になったけどね(笑)。で、その次の専門学校のコースも落ちたんだけど(笑)。だからいま音楽で食えてることがおかしく思うんだよね。もっと面白いのが、来月その専門学校に講演者として招かれてるんだ(笑)! 最初呼ばれた時に「元学生としてぜひ話をしに来て欲しい」って言われて「元学生って、自分らの学校は俺を落としたんだぞ!」って言ったらびっくりしててさ(笑)。

なははは。憧れのDJやプロデューサーはいましたか?

 14歳のときはみんなに憧れてたよ。買ったテープ全部最初から最後まで聴いて、全曲がヤバく聴こえて......。この曲はまあまあだけどリスペクトできる曲だな、とかそういうもんでもなかったんだ。そこまでぱっとしない曲でもこのDJがかけてる、ということは何かヤバい要素があるに違いない、みたいな感じだったんだ。そういう要素を見つけるのも楽しかったしね。ひとつあの学校で学んだのは、曲や音楽のすべての要素を聴く方法だね。聴いてどうそれが形になったのか、どういう流れでそうなったのか考える力とそれに必要な耳だよね。
 でも......強いて言えばランドール、ハイプ、アンディ・C......、当時買ってたテープパックで必ず参加してたDJたちだね。誰が曲を作ってたかはそこまで重要じゃなくて、どのDJがかけてるかが大事だったんだ。BAILEYも影響受けたね。ウチの近所出身だったのもあって、ホームタウン・キング、っていうか俺の育ったエリアのヒーローだったよ。近い存在だったからBAILEYがそこまで出来るんだったら俺でも出来る、と思わせる希望をくれたね。

UKガラージやジャングルの文化は、90年代末やゼロ年代初頭に、ロンドンの労働者階級の文化としてどんどん大きくなっていったんでしょうね。あなたの音楽のなかにはやはり労働者階級のガッツのようなものを強く感じます。

 そういうエネルギーの役割は大きいと思うよ。2~3年前まで全然気付かなかったけどね。階級によって音楽に求める物が違うように感じたんだ。最初に音楽を作り出すときの気持ちだったり姿勢が階級によって違うと思うんだよね。俺みたいな労働者階級は、経済状況や育ちが決して良かったわけではなかったけど、音楽を作ってるときがいちばん楽しかった。幸いなことにいま現在音楽で食えてるけど、音楽を作り続けるためにどこかで普通に就職するのも全然苦じゃないよ。最初から音楽で儲かるなんて考えたこともなかったよ。多少無知な部分もあるかもしれないけど、自分のスタイルを変える気はいっさいないんだ。金だけじゃないんだ。だから、こうしたほうが良い、ああしたほうが良い、って言われても聞いてらんないよ。
 でも中流/上流階級の人だと、第一に服装が全然違うよな。もっとビジネスライクっていうか。音楽が好きだからビジネスにしてるから別に悪いってわけじゃないけど、中流/上流階級の人はもっとビジネスがメインだよね。それは音楽自体にも反映されると思うんだ。売れるように作ることがあるんじゃないかな。別にこの人がそう、っていうわけじゃないけど、全体的にそういうもんだと思う。欲や原動力が違うだけだと思うけどね。もちろん多くの人の原動力は女だったりもするけどね(笑)。音楽が好き、女が好き、じゃあ何の仕事しようかな、ってなるとやっぱり音楽になるからね(笑)!

なははは。2001年に〈Reinforced Records〉からデビューしますが、どういう経緯だったのか当時の話を教えてください。

 専門学校に通ってるときに同級生でエイドリアンていう奴がいてさ、ミグエルっていう友だちもいて、彼は〈Reinforced〉からBug Nyne名義で出してて、俺とエイドリアンの曲や俺ソロの曲も聴いて気に入ってくれて、で、「じゃあ、〈Reinforced〉に話しようか」ってなった。最初は別そういうつもりで作ったわけじゃなかったから断ったんだけど、彼の家にちゃんと曲を聴くために呼ばれて、で、行ったら彼に「あと2駅行ったらドリス・ヒル駅で〈Reinforced〉はそこにあるから行こうよ」って言われたんだ。一瞬「マジか!」って思ったけど、とりあえずそこに行ってなか入ったらいちばん最初に会った人がアルファ・オメガだったんだ。「うぉー!」って思ったね。で、奥のスタジオに行ったら4ヒーローのマーク・マックがいて、正直固まっちゃったよ(笑)! 彼は全然普通の人だったけど俺のなかではダンス・ミュージックのプロデューサーのドンだったからさ、もう緊張しちゃって全然話せなかったんだよね。
 そこで彼にMDから再生した曲を聴かせたんだけど、聴いた後にすぐ「いいね、欲しい」って言ったんだ。エイドリアンは「よっしゃ!」って感じだったけど、俺はなんて言ったら良いかわからなかったんだ(笑)。外に出たときにフライトに電話して、「いまスゴいことが起きたよ!」って伝えて、そこで〈Reinforced〉から曲が出る、って実感したね。最初はSolar Motion名義で曲を出して、そのあいだ自分で作った曲も聴かせてたら俺のソロのEPも出してくれて......契約するのを目的に曲を人に聴かせることはなかったんだけど、本当に運良く出してもらえることになったんだ。ガツガツ営業してリリースができたわけではなく、たまたまそういう展開になったから、本当にラッキーだったよ。
 でも、すべてがラッキーだったわけでもないんだ。〈Reinforced〉から出てた『Enforcers』っていうコンピのシリーズがあって、それにはいろんなプロデューサーがリミックスで参加してたんだけど、何もリミックスのルールとかわかってなくて勝手にドック・スコットのリミックスを作ったんだ。それをマークに聴かせたらすごく反応よかったから、勝手にBaileyとか他のDJに渡しまくったんだ。クラブでかかり出したら、みんな「こいつは誰だ! 勝手にリミックスしてブートで出すなんてけしからん!」っていう反応がスゴくて、その曲を誰がやったかみんなが探してる時期があったんだ。俺はそういうリミックスやった後の作業とか、許可とか、まるで知らなかったから追われる立場になっちゃったんだ(笑)。結局解決して大丈夫だったけど。まだ新人で誰も俺の顔がわからなかったのも良かったけどね(笑)!

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ブレイキッジというネーミングについて教えてください。

 EPを完成させた後だったんだけど、同じ〈Reinforced〉から出してるEspionageっていう友だちと〈Reinforced〉に行く途中に彼に名前の相談をしたんだ。いま当時のDJの名前は言わないけど(笑)、まあ、とにかく気に入ってなくて、そのEPを出すときの名前をどうしよう、って相談したんだ。アートワークとかクレジットとか決めてるときで、けっこう急ぎで名前を決めなきゃいけなかったんだ。そうしたら彼が「いまいちばん番好きな曲は何だ?」って訊いて来て、「Noise Factoryの"Breakage 4(I'll Bring You The Future)"だ」って答えたんだ。そうしたら彼が「それ使ったら良いじゃん、Breakage」と言って、もっと良い名前を考えるまで「ま、いいか」と思ってそれにしたんだ。10年経ってまだもっと良い名前が思いつかないけどね(笑)。もう遅いよね(笑)。2分で決まったよ。

2006年には〈プラネット・ミュー〉から12インチを出します。ダブステップと深く関わるようになるのはこの頃からですか?

 あの当時ダブステップの話を良く聞いてたのは覚えてるよ。まだちょっとしか聴いたことなかったけど。当時アメリカに住んでいたんだ。俺の顔を忘れられないように、数ヶ月に1回はロンドンに帰ってたんだけど、ロンドンに帰っているときに友だちに「ダブステップ聴いた?」って訊かれて、「いや、そこまでちゃんと聴いてないけど」って答えたけど彼女が「マーラがそのダブステップの重要人物のひとりなんだよ」って教えてくれたんだ「へぇー」って答えたら「へぇー、じゃなくてマーラって彼よ、マリブ、あなたたち学校一緒だったでしょ!」って言ってきたんだ。住んでた場所がクロイドンのすぐ近くだったから学校も一緒で、ハチャ(Hatcha)も近くのレコード屋で働いてる頃から知ってて。とにかく彼らがみんないまダブステップをやってるって聞いてちょっとリサーチをしたんだ。そうしたら速攻ハマったね。テンポだけじゃなくて、曲の構成のなかの空間、ダブからの影響......とかが好きで、ちょうど当時作ってたドラムンベースもそういうハーフタイムのモノもあったりしたんだ。俺が音楽的に向かってる方向と一緒だ、って思ったんだ。当時ダブステップを作る、じゃなくてこんな偶然もあるんだ、って思ったぐらいだったよ。
 クロイドンがすごく誇りに思えたのも覚えてるよ。面白かったのが、ダブステップをやってる奴らはほとんど昔から知ってる奴らだった、っていう部分もあったね。ローファーは同じ近所のパブに行ってたし、そのパブでも働いてたし、MCのポークス(Pokes)は近くでやってたドラムンベースのイヴェントでMCやってたし、ベンガとスクリームはレコード屋のビッグアップルにしょっちゅういて、俺も良く弟を連れてったりしてたし......そういう小さい頃の知り合いがたくさんいて、イヴェントに行くと「あれ? 知ってるよね?」みたいな人がほとんどなんだよ。そこからイヴェントに顔出すようになったり、LAでもダブステップのイヴェントがあったらチェックしに行って、新しい曲を買ったり、ネットでダブステップのフォーラム行ってチェックしたりしてて......そのうち「自分も作ろう」っていう気持ちになっていちばん最初に作った曲をマーラに渡したら、「これアナログ切らして」って言われたんだ。初めて作ってみた曲でそうなるとは思ってなかったからびっくりしたよ。結局残念ながら出なかったんだけど、それで俺のなかではダブステップの存在がスゴく大きくなって、そればっか作り出したんだ。すごく楽に作れたのもあったんだ。頭のなかのアイディアが楽にダブステップのテンポだと実現できたんだ。2006年に出したファースト・アルバムの曲も頭のなかはそういうアイディアがあるときに作ったから、いま聴くとダブステップからそんなかけ離れてないんだ。

実際『Foundation』には、ブリアル、スクリーム、キャスパといったダブステップのスターたちが参加していますが、彼らとはいま言ってたように昔からの友だちなんですね?

 いや、昔はみんなと仲良い友だちっていうわけではなかったけどお互い同じエリアで活動しててお互いの顔を知ってる程度だった。いまとなればみんな仲良いよ、長いあいだ知ってる仲だしね。

とくにブリアルみたいな人が参加しているのに驚きました。

 ブリアルに関しては一緒に曲を作った後まで会わなかったけどね。会ったら実は住んでるのが結構近くて、ウチのすぐ近くにレコード屋があって実は彼は昔そこで働いてたんだ。「だからお互い顔がわかるんだ」って感じだったよ。同じエリア出身だから世間は狭いよ。不思議な感じでもあるよ(笑)。

ルーツ・マヌーヴァがラップするグライミーな"Run Em Out"も素晴らしい1曲で、これは昨年〈Digital Soundboy Recording〉からリリースされた曲ですが、UKを代表するラッパーとのコラボレーションについて話してください!

 怖かったよ(笑)。曲のアイディアを作った時に、狂ったトラックになったな、って思って、誰を乗せたら面白いかな、って考え出したんだ。そこで「ルーツ・マヌーヴァの曲っぽいな」って思って、ルーツに乗せてもらうことは可能なのかな、って思ったんだ。とりあえずフィーチャリングで参加して欲しいアーティスト達のリストに載せよう、と思ったんだ。そして最初の段階のループをシャイに持って行って、「ルーツのMCが聞こえてこないかな?」って訊いたら「そうだね、このループのアイディアをもっと広げて完成させないと駄目だけどバイブズはぴったりだね」って答えたんだ。だからルーツのMCが乗ることを想像して曲を作り込んだんだ。グルーブとかノリを変えたわけじゃなく、プロデューサー的な視点からのトラックの作り方を意識したんだ。そして彼に送ったんだけど、数回送らなきゃいけなくて、メールで送ってもリンクの期限切れたり、CD何枚か送ったりしたんだけど、やっと返事くれて、「デモ送るよ」って言ってきたんだ。ルーツが俺にデモを送ってくれるのも嬉しかったけど、ルーツ・マヌーヴァなんだからデモなんか送る必要ないじゃん、とも思ったね(笑)。デモが届いたら予想通り完璧だったよ。


UKが生んだ最高のラッパー、ルーツ・マヌーヴァと一緒に。

  理想ではルーツがサウンドシステム文化に関して何か歌ってくれたら良いと思ってたけど、ルーツだったら何歌ってくれてもありがたいとも思ってたんだ。そしてデモが届いて1バース目、2バース目を聴いたらサウンドシステムのテーマだったから完全に求めてたものそのまんまだったんだ。そこでレコーディングに進めよう、って話になったときにすごくエキサイトして「ルーツ・マヌーヴァとできるんだ!」って言う気分でいたのが当日になったら「本当にやるんだ」っていう緊張感みたいなものを感じて、実際スタジオで一緒に作業してて「いま書いてる歌詞を書き終わったら彼はヴォーカルブースに立って、俺はルーツ・マヌーヴァに指示しなきゃいけないんだ」っていう緊張感を感じたよ(笑)。それ以前にスタジオでちゃんとヴォーカルを録ったことなかったけど運良くシャイもいて、勉強しつつ初めてのレコーディングだったから余計緊張したんだよね。やり出したら慣れていったけど、何より彼が俺のトラックで歌ってくれたことが嬉しかったよ。

何故こうもUKではダンス・カルチャーが途絶えることなく、エキサイティングな状態を保ち続けているのでしょう?

 若い子にも浸透してるのもひとつの要素だと思うよ。例えば先週の月曜日に初めて18歳以下のパーティでプレイしたんだけどすごかったよ。〈Ministry of Sound〉が16~18歳で満員だったんだ。そういうイヴェントや動きもこの文化が生き続けるためにはすごく大事だと思うよ。その逆で、多少歳取ってても毎週土日遊んで、水曜日のイヴェントにも遊びに行ったりしてる人も大勢いるからね。ジャンルも関係ないと思う。ハウス、トランス、ダブステップ、ドラムンベース、いろいろあるけど、例えばヨーロッパではまだそこまで浸透してないけど、UKファンキーはすごく盛り上がってるからね! ここからはつねに新しいものが生まれてるんだよ。新しいジャンルだったり、新しい解釈だったり、そういう姿勢がクラブ・カルチャーの健康を維持してると思う。あとは単純にイギリス人は遊びにいくのが好き、っていうことだと思うよ(笑)。みんな出かけて遊ぶのが好きなんだよ。平日働いて、土日が来たらみんな出掛けて遊ぶんだよ、土日通して。

ジンクがやっているクラック・ハウスについてはどんな印象ですか?

 大好きだよ。俺はけっこう長いあいだハウスが好きだし、彼がやってるハウスもすごく興味深いと思う。ほとんどジャンルの名前とか違いとかはわからないけどね。ハウス内のスタイルの違いとかもそんなにわからないけどね。ジンクのDJは実は数ヶ月前に初めて聴いたんだけど、最高だったよ。Big up Zinc!  彼は伝説だよ。自分のセットでも彼のそのハウスの曲かけてるよ。好きだったらかけないのもおかしいしね。

いまあなたがもっとも共感しているDJは? 

 やっぱりシャイ・エフェックスだね。一緒にDJすることも多いし、音的にもお互い共感できる要素がたくさんあるんだ。例えばダブステップもかけるし、ドラムンベースもかけるし、ハウスもかけるし。気分によってはレゲエもかけるし、彼も同じスタイルなんだ。彼と一緒にプレイすることによってイヴェントとかその日のテーマとは関係なく幅広くプレイできることが分かったのもあるし。俺もシャイも、どういうスタイルをかけるか関係なく、自分たちが良い音楽だと思ってる物をかけるし、それ自体が俺たちのプレイ・スタイルだっていうのをわかってDJしてるんだ。その延長でプロダクション面もジャンルやスタイルは関係なくて、自分が良いと思ってる音を詰め込んだのがアルバムなんだ。

〈Naked Lunch〉から出したシングルでは、より実験的なアプローチをしていましたが、ああいうことは今後もやっていくんですか? あるいは、もっとよりダブステップよりのアルバムを作る予定はありますか?

 あれはとくに深く考えずに作った曲だよ。夜遅く作った曲だったから単純に"Late Night"っていうタイトルにしたんだ。一晩のセッションでできた曲なんだ。夜通してワイン一本飲んで出来た曲なんだ(笑)。次のアルバムに関しては現段階では全然わからないよ。前もって計画し過ぎるのも良くないと思うしね。「2012年に次のアルバムが出ます。その内容はダブステップ×カントリー×ハッピー・ハードコアになります」って言ってもおかしいからね(笑)。そういうアルバムを作れる保証もできないしね。でもいまこう言って笑ってるけど、2年後に実際やってる可能性もあるからね! 全然予想はできないよ。いつになるかもわからないよ。1枚目のアルバムは1年かかって、今回の2枚目は2年かかったから、次は4年かかるかもね(笑)! 自分の感性が思うままに進むだけだと思ってるよ。

 昨年末スクリームが発表した「Burning Up」を聴くと、あるいはゾンビーの『Where Were U In '92?』を聴くと、ロンドンのダブステッパーたちにとっての帰る家はジャングルなんだとあらためて認識する。ゾンビーにいたっては自らをジャングリストと名乗り、ダブステッパーと呼ばれることを否定する始末だ。実際の話、その境界線もいまでは曖昧なものになりつつもある。日本の〈ドラムンベース・セッション〉がまったくそうであるように、ジャングルとダブステップは活発に交流を続けているからだ(それこそ大物ではチェイス&ステイタス、あるいはネロなんかもそうだ)。

 いずれにしても、街を突き抜けるような激しいビートを身体に注入したい――そんな衝動に駆られたときは、ロンドンのハードコアにチューニングすればいい。そう、ハードコア、イギリス人に通じるように言うなら「ハーコー」......ジャングルという呼称で知られるダンス・ミュージックのことを、彼らはそう呼んでいる。20年も前からずっと、変わっちゃいない。

   なお、ブレイキッジはマッシヴ・アタック『ヘリゴランド』のリミックス・アルバムに参加したとのこと。きっと『ヘリゴランド』に生気を与えたのは、ここ数年のUKのジャングル/ダブステップのシーンなのだろう。

[Drum & Bass / Dubstep] by Tetsuji Tanaka - ele-king

1. Mark Prichard / Elephant Dub/Heavy As Stone | 〈Deep Medi Musik〉

 「?」と言うキーワードを使うとき、決まってマーク・プリチャードの〈Ho Hum〉からリリースされた10インチ「?」を思い出す。2008年9月20日、 DBS〈DRUM & BASS x DUBSTEP WARZ〉にて筆者とユニットフロアで共演したマーラが1曲目にスピンした鮮烈な作品だ。何故ならこれは......ノンビートだからである。漆黒アンビエントが5分以上続くそのオープニングに会場は一時......静まり返った! 「なんだ、この曲は!?」、みんなそう思ったに違いない......文字通り「?」であった。そこからのマーラのプレイは言うまでもなく素晴らしいものであったが、いろんな意味を含めて話題をさらったセンセーショナルな作品が「?」だ。
 マーク・プリチャードは、UKエレクトロニック・ミュージックの巨匠として古くはグローバル・コミュニケーション、リロード、ジェダイ・ナイツ名義などで活躍していたベテラン・プロデューサーである。最近では〈WARP〉からアルバムを発表したハーモニック313(HARMONIC 313)名義としても名高い、エクスペリメンタルな孤高のサウンド・クリエーターだ。無限とも言えるその懐深いサウンド・スケープは、どのシーンにおいても抜きん出ており、数多くの名作をリリースしている。
 マーラの〈Deep Medi Musik〉からついにリリースした"Elephant Dub"は、彼の無限の創造性による産物となった。ダーク・サイドな音楽像の根底を掘り下げたかのようなヒプノティック・サウンドで、硬質にリヴァーブするビートと底知れぬ深いべースラインが共鳴している。まったく彼ならではのサウンド・オリジナーションである。"Heavy As Stone"だが、美しくも切ない女性ヴォーカルがトライバルでアトモスフェリックなトラック群と交感し、さらにポエトリーがよりいっそう全体像を際立たせたハイブリッド・ジャズ! 彼のサウンド・クリエーションはまったく無限であるとあらためて感じた。時代性を超越した作品である。

2. Hyetal & Shortstuff / Don't Sleep/Ice Cream | 〈Punch Drunk〉

 UKダブ・カルチャーの拠点"ブリストル"でもダブステップは刻々と進化を続けている。90年代初期のジャングルがレイヴを席巻していたように......。その進化の過程とともに、ピンチの〈Tectonic〉と双璧の如く歩んで来たのがぺヴァーリストの〈Punch Drunk〉。90年代のジャングル/ドラムンベース・ムーヴメントを通って来たであろう彼らブリストル・ダブステッパーたちは、UKダンス・ミュージックの特性である"ハイブリッド"を巧みに取り入れた全く新しいブリストル・サウンドの提唱者となった。
 その〈Punch Drunk〉からエレクトリック・ミニマルと称され、傑作の呼び声高い「Pixel Rainbow Sequence」を〈Reduction〉から発表したブリストルの新星ハイタルとポスト・ガラージ/ファンキー・クリエーターで〈Ramp〉からの「Rustling/Stuff」が記憶に新しいショートスタッフがタッグを組んでのリリース。アーバンなガラージ・テイスト溢れるエレクトリックなファンキー・ダブステップで、現在巷で話題のアントールド(UNTOLD)やゲーオム(GEIOM)などのミニマル X ガラージを混合させたニューフォーム・サウンドである。試行錯誤の末、細分化されてきたダブステップのなかでも今年もっとも注目されるであろうこのサウンドは、ジャンルを越えて脚光を浴びるポテンシャルを有す存在になろうとしている。その動向、その先の化学変化は刮目に値するムーブメントであり、今後のシーンにおいて最重要に位置づけられるひとつであろう。

3. Kryptic Minds / Badman/Distant | 〈Swamp 81〉

 筆者は、とにかくクリプティック・マインズのダブステップ・サウンドが大のお気に入りである。〈Tectonic〉からの「768」、ピンチ&ムーヴィング・ニンジャ「False Flag -Kryptic Minds RMX-」や〈Osiris〉の「Life Continuum/Wondering Why」、〈Disfigured Dubz〉から「Code 46/Weeping」など......最近のリリースすべて注目している。
 遡ることドラムンベース時代〈Defcom〉から数多くのダーク・サイバー・ドラムンベースを量産してシーンに一時代を築いて以来、一遍も変わらない硬質なビート・プロダクション、実に重く太い漆黒ベースラインとテッキーな音色――ドラムンベース・サウンド・クリエーションをそのままダブステップに変換してしまったと言っていいくらい一貫したサウンド・スキルが大いに繁栄されている。さらに素晴らしいのが、ミックスした時のその状態だ。ブレンドの最中でも己の主張性を損なわないそのグルーブ感満載のサウンド・ポテンシャルは実に素晴らしく、特にミニマルとのブレンド・ミックスをオススメしたい。スライトリー・ミスティック・ダブステップとも捉えれる唯一のプロデューサーだ。
 今回もダブステップのオリジネーターのひとりであるローファー〈Loefah〉主宰〈Swam P81〉からのリリース。前作にあたるアルバム『One Of Us』でその存在感を遺憾なく発揮した崇高なるダーク・ダブステップそのままに、今作も続編的アプローチを見せている。
 ダブステップ界でも現行のクラブ・ミュージック・トレンドである"エレクトロ"ムーヴメントに触発された作品が目立つなか、彼ら自身の音楽性を常に貫くその姿勢が真のダブステップ・プロデューサーとして認知されようとしている。今後も変わらないであろう確信がある。そう、昔と変わらず、彼はずっとこのサウンドを貫いてきたのだから。

4. Sbtrkt / Laika | 〈Brainmath〉

 サブトラクト(Sbtrkt)。脅威のニューカマーとして昨年のデビュー以来、破竹の勢いで上り詰めた天才エレクトリック・ダブステッパー。すでにベースメントジャックス、フランツ・フェルディナンド、モードセレクター、ゴールディといった大物達のリミックスを手掛け、ミニマル~ガラージ~ファンキー~エレクトロと縦横無尽に行き来している今年その動向がもっとも期待されている大注目株である。
 今作「Laika」は、ゾンビー(Zomby)のエレクトロ・スケープの傑作「Digital Flora」やアントールド〈Untold〉のミニマル・ガラージ「Flexible」に続くように〈Brainmath〉からの限定リリース。このトラックもすでにポスト・ガラージとして注目され、シーンで話題をさらっている。近い将来、その才能でシーンを掌握するであろう彼のサウンド・コンダクトから目が離せそうにない.......。

5. Eprom / Never(Falty DL Rephresh) | 〈Surefire〉

 イーピーロム(Eprom)は、サンフランシスコ在住の新進気鋭ウエスト・コースト・ベース・テクニシャン。ファンキーの要素とテッキーなカッティング・ビート、ハッシュされた女性ヴォーカルにアトモスフェリックな上ものを巧みにコントロールした、これぞニュー・テック・ファンキーだ。アメリカやカナダでも大盛り上がりを見せているダブステップやベースライン・ミュージックだが、アメリカでその代表格と言えば、ファルティDL(Falty DL)、6ブロック(6Blocc)、スターキー(Starkey)、ノアD(Noah D)等々だ。今回の"Never"のリミックス・ワークを担当したのがファルティー・DLだ。
 〈Planet Mu〉から発表した傑作アルバム『Love Is A Liability』やシングル「Bravery」、〈Ramp〉からの「To London」等々......名門レーベルからの信頼も厚い才能豊かなプロデューサーだ。もちろん今回のリミックスも名門レーベルに恥じぬ秀逸なディープ・ファンキーに仕上がっている。この先もアメリカ/カナダ・ダブステップ・シーンのホットな動向も追走しなければならない。刻々と独自の進化を遂げているのだから。

 来月の連載はサウンドパトロールと合わせて、先日大盛況で幕を閉じた2月13日のDBS〈2010ゴールティ VS ハイジャック〉のパーティ・リポートもお送りしますので乞うご期待!

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