「KING」と一致するもの

 11月といえばホリディ。今回はホリディ前後のイベント・レポートをお届けします。

■11/23 (Sat)
 ホリディ1週間前の週末は、NYから約4時間北のロードアイランド州のプロヴィデンスへ遠征。今までたくさんの伝説を作ってきたロフトビル’ビルディング16’の最後のショーが行われた。昔ライトニング・ボルトが住んでいたフォート・サンダー(コンタクトレコーズからの『u.s. pop life vol.11 トリビュート・トゥ・フォート・サンダーCD』に日本語で詳しく解説)の現在版とも言えるこのビルディング16。このショーを最後に、このビルは(も)立ち退きになる。住所は掲載していないのに、どこから集まったのかプロヴィデンスのキッズたちで大混雑。バスルーム近くに真っ赤な棺桶があり、ビルディング16にメッセージを書いて、カードを棺桶に入れるようになっている。ショーのクライマックスは、ハウス・バンドのワット・チアー・ブリゲイト。ボリウッド、バルカンズ、ニューオリンズ、サンバ等々をミックスした19人(!)のブラス・バンドで、子供から大人までを巻き込むお祭りバンドである。ステージに入りきらないので、フロアやスピーカーの上にもメンバーがいるし、観客が天井によじ上ったりするのは当たり前で、メンバーが観客にダイブし、ドラムごとドラマーを持ち上げたり、観客とバンドの盛り上がりの半端ない事。フィナーレでは、バンドがビルディング16の棺桶を、外に持ち出しマーチング(バンドは、外でもプレイを続ける)、観客はひとりひとり花火を渡され、棺桶に火をつけ燃やしてしまう。火力は相当強いし火事にならないのかと心配したが、勢い良く燃えて形がなくなって行く棺桶を見て、ぐっと心に突き刺さる物があった。長い間お疲れさま。これがプロヴィデンスのパーティ・スタイルのようだ。


ラストショーの写真集
https://everydayilive.com/bands/building16farewell/

Building 16

■11/25 (Mon)
 NYに戻ると、少し前から噂されていたロンドンのレコードショップ、ラフトレードのNY店がウィリアムスバーグ/グリーンポイント・エリアにオープンした(https://www.roughtradenyc.com)。元々HBOの倉庫だった場所(イースト・ロンドンの本店より3倍大きい)は、レコード店兼カフェ(byファイブ・リーヴス)、ギャラリー、音楽会場などの多目的スペース。初日(11/25)は、スカイ・フェレイラ(フリーw/CD購入)、チャールス・ブラッドリー(フリー)のインストアがあった。スカイはきっぱり諦め、チャールス・ブラッドリーを目指して行く。先に行った友だちは、ワンブロック以上の行列ができて入れなかったと言っていたが、タイミングよく前に5人ぐらい待っていただけで5分ぐらいで入れた。遅めに着いて正解。
 新譜100%の店内は、まだ空いている棚が多かったが、1階が新譜レコード/CD、メインドラッグが展開するギア・コーナー。2階には本&雑誌コーナー、ロンドンとNYをつなぐデジタル・ニュース、ガーディアンによるブース、アートギャラリーなどの分かれた小さいセクションがある。店内の作りがタワーレコード的、と思ったのはメガストアだからか。アートギャラリーの最初のキュレーターは、チルディッシュ・ガンビノで、彼は12/8でここでショーも行うのだが、ブライアン・ロッティンガーによるアート作品、ドナルド・グローバーのベッドルームの再現(サイケデリック・レインボウのライト・デザイン)が展示されていた。
 音楽会場は250人を収容、イスも設置されたバルコニーがあり、バワリーボールルームの縮小版のようだった。2階の後ろにはピンポンテーブルが2台設置されていた(チケット制のショーの時にはないとの事)。
 ジェイムス・ブラウンに影響を受けたというチャールス・ブラッドリーは、ステージにいるだけでカリスマ性があり、独特のソウルフルで無敵の動きを惜しげなく披露。彼を見ていると思わず笑顔になるし、バンドもとても楽しそうだ。近くで見れること自体がレアな、64歳の彼をオープニング・ナイトに持ってくるのは、さすがラフトレード。ショーの後も、追い出される事なくバーでハングアウトしたり、レコードを探しに行ったり、2階でピンポンしたり、ここはアミューズメント満載。ダニー・ブラウン、マシュー・E・ホワイトのフリーショー、ソールドアウトのテレヴィジョンのショーが終わり、12/3はジョン・グラント(フリーw/CD購入)、12/6はアンドリュー・バード(ソールドアウト)、12/6はアララス(ソールドアウト)、12/7はダイブ(ソールドアウト)、12/8はニック・ロウ(フリーw/CD購入)、などのフリー&チケット制のショーが続く。ブッキングを担当しているのがバワリー・プレゼンツなので、納得のラインナップである。
 キャプチャード・トラックスの記事でも書いたように、最近グリーンポイントエリアに、レコード店が密集している。
https://www.thelmagazine.com/TheMeasure/archives/2013/07/30/greenpoint-is-becoming-the-best-record-store-hood-in-brooklyn
 2013年にレコード店をオープンするという事自体が大胆だと思うが、それぞれのインディ・ショップは自分たちのカラーを売りにし、それに対抗するラフトレードは、長年の歴史もあり、レコードセレクションの特徴(ラフトレード限定版の物を多数扱う)と、多目的スペースにすることで、レコード店という場所の定義を変えるかもと期待が高まる。

https://www.roughtradenyc.com
https://www.brooklynvegan.com/archives/2013/11/some_very_initi.html
https://www.brooklynvegan.com/archives/2013/11/sky_ferreira_pl_3.html

rough trade nyc

■11/28 (Thu)
 音楽関係の仕事や、自営業をしている限り、ホリディと言っても、いつもと変わらずなのだが、アメリカ人は自分の田舎へと帰って行くため、ホリディNYは静かで、仕事をするには実はもってこい。夜になると、観光客と何処にも行けない移住者が集まりだし、ささやかにパーティをするのである。今年の著者のサンクスギヴィングは、ウィリアムスバーグ・ファッション・ウイークエンドを主催するアーサーの仕事場兼のロフトでパーティ。来ている仲間はアーサーのアシスタントをはじめ、ファッション、音楽関係者達なので華やか。サンクスギヴィングと言えばターキー(=七面鳥)なのだが、探究心あるアーサーは今年はグース(=ガチョウ)に挑戦。ガチョウの首でスープを取ったり料理はこなれた感じ。付け合わせのスタッフィング、クランベリー・ソース、グレイビー、マッシュ・ポテト、ビーン・キャセロール、温野菜のグリル、特製のフレッシュ・ペストソースはすべてアーサー作。ゲストは、オックステイル・シチュー(絶品!)、ビーツ・サラダ、マック・アンド・チーズ、ポテト・サラダ、更にスナックなど、これでもかというぐらいのごちそうが振る舞われた。5時に集合をかけたが、みんなの料理&集合事情でディナーが始まったのは結局9時過ぎ。サンクス・ギヴィング・ディナーには良くある事で、料理が出来上がる頃には、つまみ食いをしすぎてお腹いっぱい。ディナーが終わると、来ていた別の友だちの家に移動。そこは、お手製チーズケーキ(プレーンw/ラズベリーソース&チョコ)、コーヒー&サイダー、そしてダンス・パーティと、別の天国が待っていた。月に3、4回ショーもホストする場所なので、パーティの用意は完璧。ディスコボールが周り、サウンドシステムも完備。チーズケーキのあまりのおいしさに倒れそうになり(おばあちゃんのレシピらしい)、ホストの自家製フレッシュミントをインフューズしたウィスキーなど、キャラクターのあるドリンク&楽しい仲間で、サンクスギヴィングという名目のパーティは夜な夜な続いた。この場所はワイルド・キングダム。ウエブサイトはないが、NYに来たら、目の前の高架を通る電車に野次をとばしながら、ベランダでハングアウトするには最高の場所である。

https://williamsburgfashionweekend.com
https://www.ele-king.net/columns/regulars/randomaccessny/001412/

thanks giving dinner

■11/29 (Fri)
 11月からはじまっているブルックリン・ナイト・バザーに参加。2011年からはじまったこのイベントは、ウィリアムスバーグのホリディショッピングの強い見方で、ホリディ時期になると、いろんなエリアに出没していた。今までは、毎年場所を移動していたが、今年はグリーンポイントにようやくパーマネントの場所を見つけ、1年を通してオープンする(夏には、アウトドアのビアガーデンがオープン!)。アジアン・マーケットの雑多な感じをモデルにしたというマーケットは、100ものアーティスト&クラフトショップ、20のフードベンダーなどがすらりと並ぶ。一角には、地元の媒体がオーガナイズするライブショーがあり(ベンダーがない時には1800人収容できる、ブルックリンで2番目に大きい会場となる)、ピンポン・テーブル、インドア・ミニゴルフ、WIFIもあり、仕事できるスペースもある。ラフトレと同じ多目的仕様。去年は、著者の大好きなパックマンのイヤリングを発見したのだが、今年は、キャラクター物はあまり見られず、ジュエリー、洋服からiPhoneケース、タオル・ヘアバンド、古本をベースにした時計、アート・レギンスなどアーティなお店が並ぶ。著者のお勧めブランド、RHLSも出店していた。この日のバンドは、ア・プレイス・トゥ・バリー・ストレンジャー、ドーン・オブ・ミディ、ポンティアック、ウッズマン。ショッピングに夢中になり、ア・プレイス・トゥ・バリー・ストレンジャーしか見れなかったが、映像とスモークで、ほとんどバンドが見えなかった(後で聞いたらスタイルのようだが)。毎週のようにバンドが見れ(オウ・レヴォワール・シモーヌ、ティーン、マーク・デマルコなど)、アーティストの作品が随時入れ替わり、アミューズメントもありで、ハングアウトリストがまた増えた。そして、今日はキャサリン・ハンナのパンク・シンガーの上映会へ。Q&Aやライヴもあるらしい。
https://bkbazaar.com

brooklyn night bazzar

Baths、オフショット! - ele-king

 いよいよツアーは来週から!
 バスは最初の来日の折からラップトップとサンプラーを駆使するスキルフルなライヴを行っていたが、あのドリーム感の裏側に、デイデラスに見初められ、〈ロウ・エンド・セオリー〉でのDJを務められるスキルがあるということは重要なポイントだ。もしかすると、セカンド・フル『オブシディアン』から聴きはじめたファンは、彼のそうした側面をあまりご存知ないかもしれない。ぜひ、ライヴ映像なども探してみるといいだろう(https://www.tugboatrecords.jp/)。
 そして見応えある彼のショウをさらに楽しむために、彼の愛すべきキャラクターもあわせてご紹介しよう。


初来日の際に真っ先に向かった〈ポケモンセンター〉前でのもの。
バスは日本のアニメが大好き!
来日の際は〈三鷹の森ジブリ美術館〉にも執着するとのこと。
Lovely Bloodflow”は『もののけ姫』の世界のイメージなのだとか。

2度めの来日では、奈良の鹿が見たかった――。
シカ耳は新しかったね。
ご当地キャラ感も出ています。


今回のヨーロッパツアーを終え、休暇中の写真。
温泉にいったようです。
ちょっと痩せたのかな?

来日情報はこちら。
各公演のゲストも注目アクトばかりだ。
SeihoとBaths対決@京都も、編集部はみんな観にいきたかった! Madeggまで観られるんだから、行ける人はぜひこの機を逃さないように! 放射される熱量が強すぎてハコが発火してしまうんじゃないだろうか。

LAが誇る若きビートメーカーBaths来日公演!!
Tugboat Records presents Baths Live in JAPAN 2013

■12/13(金) 名古屋池下CLUB UPSET
OPEN / START 24:00
ADV ¥4,200 / DOOR ¥4,700(共にドリンク代別)
Act:Baths, DE DE MOUSE + his drummer (Akinori Yamamoto from LITE)
DJ: I-NiO, sau(otopost), LOW-SON(しろー + オクソン)
VJ: Clutch
[Buy] : 9/7(土曜)〜
チケットぴあ(P: 211-365)
ローソンチケット(L: 41184)
e+(https://eplus.jp)
※名古屋公演はオールナイト公演ですのでIDをご持参下さい。

■2013.12.15(日) 京都メトロ
OPEN 18:00 / START 18:30
ADV¥4,000(+1Drink)/DOOR¥4,500(+1Drink)
Act:Baths,Seiho,Madegg
[Buy] : 発売中
チケットぴあ(P: 208-539)
ローソンチケット(L: 59065)
e+(https://eplus.jp)
前売りメール予約→ticket@metro.ne.jpでも受け付けています。
前日までに、公演日、お名前と枚数を明記してメールして下さい。
前売料金で入場頂けます。

■2013.12.16(月) 渋谷WWW
OPEN 18:00 / START 18:30
ADV¥4,500(+1Drink)/DOOR¥5,000(+1Drink)
Act: Baths,Taquwami,Sodapop (anticon. Label Manager)
[Buy] :発売中
チケットぴあ(P: 208-502)
ローソンチケット(L: 79947)
e+(https://eplus.jp)


MAD PROFESSOR JAPAN TOUR 2013 - ele-king

 UKダブの伝説、マッド・プロフェッサーが12月13日に東京(代官山ユニット)、14日に大阪(心斎橋CONPASS)で公演をやる。東京公演では七尾 "DRY" 茂大(ドラム)と秋本 "HEAVY" 武士(ベース)からなる、日本最強のレゲエ・リズム・チームドライ&ヘビーの生のダブミックスをマッド・プロフェッサーが手掛けることが決定しているほか、8年振りとなる作品『ANOTHER TRIP from SUN』をリリースしたサイレント・ポエツこと下田法晴もDJで出演。また、「踊ってはいけない国EP」で素晴らしいリミックスを見せたDJヨーグルトもレゲエ・セットを披露。地下のSALOONでは、若きダブ・クリエーターJah-Lightが出演する。そして大阪公演ではBAGDAD CAFE THE trench townが出演。日本人のアクトにも注目が集まるでしょう。

〈東京公演〉
12.13 fri @ 代官山 UNIT
Live Acts: MAD PROFESSOR - Dub Show, DRY&HEAVY - Live Dub Mix by Mad Professor
DJs: Michiharu Shimoda (Silent Poets), DJ Yogurt (Upset Recordings) Reggae/ Dub/ Bass Music Set, Jah-Light
Open/ Start 23:00-
¥3,500 (Advance), ¥4,000 (Door)
Information: 03-5459-8630 (UNIT) https://www.unit-tokyo.com

TICKETS: PIA (P: 217-297), LAWSON (L: 72460), e+ (eplus.jp), diskunion Club Music Shop (渋谷/新宿/下北沢/吉祥寺), DISC SHOP ZERO, DUBSTORE RECORDS, UNIT

〈大阪公演〉
12.14 sat @ 心斎橋 CONPASS
Live Acts: MAD PROFESSOR - Dub Show, BAGDAD CAFE THE trench town
DJ: HAV (SOUL FIRE)
¥3,000 (Advance), ¥3,500 (Door) plus Drink Charge @ Door
Open 20:00, Start 20:30
Information: 06-6243-1666 (CONPASS) https://conpass.jp/

TICKETS: LAWSON (L: 53414), e+ (eplus.jp), CONPASS (Mail Reservation: ticket@osaka-conpass.com)


〈出演者プロフィール〉
■MAD PROFESSOR (ARIWA SOUNDS, UK) https://www.ariwa.com

泣く子も黙るダブ・サイエンティスト、マッド・プロフェッサーは1979年にレーベル&スタジオ「アリワ」設立以来、UKレゲエ・ダブ・シーンの第一人者として、四半世紀以上に渡り最前線で活躍を続ける世界屈指のプロデューサー/アーティストである。その影響力は全てのダンス・ミュージックに及んでいると言っても過言ではない。その信者達は音楽ジャンルや国境を問わず、常にマッド教授の手腕を求め続けている。なかでもマッシヴ・アタックのセカンド・アルバムを全編ダブ・ミックスした『No Protection』は余りにも有名である。伝説のリズム・ユニット、スライ&ロビーとホーン・プレイヤー、ディーン・フレーザーをフィーチャーして制作された『The Dub Revolutionaries』は、2005年度グラミー賞にノミネイトされ話題となった。まだまだ快進撃中、止まることを知らないマッド教授である。ここ近年だけでも、伝説的なベテラン・シンガー、マックス・ロメオ、レゲエDJの始祖ユー・ロイ、レゲエ界の生き神様リー・ペリーに見出されたラヴァーズ・ロックの女王スーザン・カドガン、UKダンスホール・レゲエのベテラン・アーティスト、マッカBのニュー・アルバムをプロデュースしている。自身のアルバムも『Bitter Sweet Dub』『Audio Illusions of Dub』『Roots of Dubstep』などをコンスタントにリリース、最新作はリー・ペリー・プロデュースの金字塔アルバム『Heart of The Congos』で知られるThe CongosのCedric Mytonとのコラボ・アルバム『Cedric Congo meets Mad Professor』を2013年にリリースしたばかりである。相変わらずのワーカホリックぶりを発揮している。最新テクノロジーと超絶ミキシング・テクニックを駆使して行われる、超重低音を轟かせる圧巻のダブ・ショーで存分にブッ飛ばされて下さい。

■DRY&HEAVY
https://ja-jp.facebook.com/Dryheavy
https://twitter.com/DRY_and_HEAVY

七尾 "DRY" 茂大(ドラム)と秋本 "HEAVY" 武士(ベース)というふたりからなる、日本最強のレゲ エ・リズム・チーム。90年、VITAL CONNECTIONなるバンド内にてリズム・コンビである〈DRY&HEAVY〉としての活動をスタート。95年にはLIKKLE MAIや井上青らをフィーチャーした編成と なり、97年の『DRY&HEAVY』でアルバム・デビュー。その重量級のルーツ・レゲエ・サウンドと過激なダブワイズが幅広い注目を集める。その後コンスタントにアルバムをリリースする一方、海外での活動も活発に行って各国で話題となる。 だが、日本屈指のレゲエ・ユニットとして活動を続けていた2001年のフジロック・フェスティヴァルにおいて、秋本が衝撃の脱退宣言。七尾は秋本抜きの編成でDRY&HEAVYを継続し、秋本はGOTH- TRADとのREBEL FAMILIAおよび若手と結成したTHE HEAVYMANNERSにて活発な活動を続けた。 そうしたなか、2010年に七尾と秋本によるオリジナルDRY&HEAVYが奇跡のリユニオン。新時代のサウンドを携え、伝説のリズム・チームが新たな一歩を踏み出す。

■Michiharu Shimoda (Silent Poets) https://www.silentpoets.net
1992年 FILE RECORDSより1st アルバム『6 pieces "sense at this moment"』でデビュー。 現在までに通算8 枚のオリジナル・アルバムと多数のリミックス・アルバムやミニ・アルバムなどをリリース。海外からの評価も高く94 年にドイツの99レーベル、Bellisima UKよりヨーロッパでもアルバムがリリースされる。95年に人気コンピシリーズである「Cafe Del Mar Vol. DOS」に日本人として初めて収録されたのをはじめ、現在までアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどで40作品を超えるコンピレーション・アルバムに楽曲が収録される。2000年にはパリのレーベルYellow Productionsよりアルバム『TO COME...』がリリースされ、翌年にはアメリカのアトランティックよりリリースされる。同年より、下田のソロ・ユニットとなる。活動は多方面に渡り、パリ・コレクション等のフアッションショーの音楽の担当や、他アーティストのプロデュース、リミックス、映画等にも楽曲を提供。活動20周年にあたる2012年、トイズ・ファクトリー時代の音源(Potential Meeting ~ To Come)が世界111カ国のiTunes Storeにて配信開始。2013年9月、自身のレーベル ”ANOTHER TRIP" を設立し、New DUBアルバム『ANOTHER TRIP from SUN』、また前作「SUN」の2013年Newエディション『SUN - Alternative Mix Edition -』を11月20にリリース予定。いよいよSilent Poetsの活動を本格的に再開。2014年リリース予定の10thオリジナルアルバムの制作も同時進行中。

■DJ Yogurt (Upset Recordings) https://www.djyogurt.com
いまはなきCISCO テクノ SHOPでバイヤー勤務しながらDJをはじめ、98年には音楽制作ユニットUpsetsと自身のレーベルUpset Recを始動。以後現在に至る15年間に渡ってテクノ~ハウスからDUB、アンビエント等など幅広い作風の楽曲のレコードやCD、MIX CDのリリースを毎年おこなっている他に、曽我部恵一や奇妙礼太郎トラベルスイング楽団等の歌もの楽曲のダンス・リミックスもおこない、リミックスが収録されたレコードは全て完売して中古価格が定価以上に高騰中のものも。2010年にYogurt & Koyasとしてリリースした『Chill Out』 はIdjut BoysのConradやSoft Rocks達から絶賛。2011年にはテクノ・アルバム『Sounds from Dancefloor』をリリースして、テクノをプレイする機会も増加中。2013年12月にはあの故Arthur Russellのバンド・メンバーのユニットArthurs Landingの "Miracle 2" をRemixしたVersionが欧米で流通する12インチとしてリリース。これまでの出演イベントはアンダーグラウンドな小箱でのパーティから、 大会場でのフェスまで多岐に渡り、2010年はエレクトラグライド@幕張メッセに、2011年はSONAR JAPAN等のビッグフェスにも招聘され、2010年から2012年にかけて3年連続でFUJI ROCK FESにも出演。テクノ~ハウスを軸に、レゲエ~Dub、ジャズやアフロ、ブラジリアン、ロック、 サイケデリックやバレアリック、ダブステップ、ワールド・ミュージックそしてアンビエント、数々の最新の流行のリズム・様々なジャンルの音楽性を交錯させた選曲で、毎週のように日本各地の音楽好き、踊り好きが集まるパーティでDJをおこなっている。

■JSH-LIGHT https://www.jah-light.com
"Real Roots Sound" をテーマに2004年からサウンドシステムを開始。2007年、自身のレーベル "LIGHTNING DTUDIO REC" を立ち上げると同時に、1st Singleとなる "Independent Steppers" をリリース。2012年、新レーベル "DUB RECORDS" からリリースされた1st 10" Singleでは、A: Mighty Massa / Warriors March, B: Jah-Light / Diffusion" といったコンビネーション・プレスで純国産ルーツを世界に向けて発信。現在、Youtubeにて自身の楽曲をダブミックスした映像を配信中なので、ホームページ内の "Dublog" をチェック !!!

■BAGDAD CAFE THE trench town https://bagdad-creations.com

進化を続けるCREATE集団! 関西を代表する大所帯REGGAE BAND、BAGDAD CAFE THE trench town。圧倒的なライヴ・パフォーマンスで、FUJI ROCK FESTIVAL, 朝霧JAM, SUNSET LIVE, 頂, WIND BLOW, FESTA DE RAMA, FREEDOMなど、数々のフェスティヴァルを盛り上げる。 2000年結成。1stアルバムで、新人では異例のFM802ヘビーローテーションに選ばれる。その後もアルバムを出すたびに、全国各ラジオ局のパワープレイに選ばれ続ける。タワーレコードのポスターNO MUSIC NO LIFE、テレビやラジオの音楽番組に多数出演。 2013年5月11日、充電期間を終えたVo. maiやコーラスも完全復活! BAND名も、BAGDAD CAFE THE trench townに戻し、最高のメンバーで再始動!! 主な共演者は、 BES, BUN BUN the MC, ET-KING, KURTIS FLY, Keyco, Leyona, Likkle Mai, Metis, Miss Monday, MOOMIN, SHINGO☆西成, Shing02, Spinna B-ILL, RYO the SKYWALKER, RANKIN TAXI, PAPA U-Gee, PUSHIM, 韻シスト, カルカヤマコト, こだま和文, 多和田えみ, プロフェッサーチンネン, 卍LIN……


踊ってばかりの国×快速東京 - ele-king

 紙エレキング10号、「ANTI GREEK HEROES」特集の表紙を飾ってくれたふたり、下津光史率いる踊ってばかりの国、そして福田哲丸が歌っている快速東京のライヴが12月12日恵比寿リキッドルームであります。いやいや、素晴らしい組み合わせですね。もうこの彼らに関しては説明不要でしょう、2013年は全国のライヴハウスやフェスで、がんがんにショーをやって、ファンもどんどん増やしているこのふたつのバンド、ともに年明けに新しいアルバムのリリースを控えているので、きっと新曲もいっぱい聴けると思います。今年最後のロックンロール・ショーです。みんなで楽しく騒ぎましょう。
 ちなみに、来年の2月には、踊ってばかりの国の12インチ・シングル「踊ってはいけない国EP」をele-king レーベル第一弾の完全限定盤としてリリース予定です。風営法にもの申す名曲“踊ってはいけない国”をDJのヨーグルトさんが陶酔的なハウス・ミュージックに再構築してくれました。レコードには、オリジナルとは別ヴァージョン、最近のライヴの1曲目でお馴染みのディープな超大大名曲“ANTHEM”も収録しています。お陰さまで、すでにかなりの予約が入っています。こちらもお楽しみに!

■東京ダンス
快速東京、踊ってばかりの国
12月12日木曜日@恵比寿リキッドルーム

open/start:18:45/19:30
チケット:前売スタンディング¥2,500(税込) D別/当日料金未定

問:エイティーフィールド 03-5712-5227(平日13:00-19:00)
https://www.atfeild.net
チケット発売:11/16(土)
プレイガイド:ぴあ、ローソン、e+

踊ってばかりの国HP
https://odottebakarinokuni.com

快速東京HP
https://kaisokutokyo.com


DJ NOBU× NHK yx koyxeи - ele-king

 〈ラスターノートン〉や〈エディションズ・メゴ〉のファンはクラブで踊るのでしょうか? アヴァンギャルドとダンスはつねに分離しているのでしょうか? 今週末の12月6日(金)からDJノブとNHKコーヘイのツアーがはじまります。6日はの岐阜Emeralda、7日は名古屋Mago、10日はDOMMUNE、14日は東京のSolfa。
 ベルリン帰りのNHKコーヘイは、最近、〈PAN〉(ヨーロッパでは人気のリー・ギャンブルなど、実験電子系で知られる)からの『Dance Classics』シリーズ3部作の最終作を発表したばかり。エンプティセットやピート・スワンソンのファンも、要チャックですよ。レジデント・アドヴァイザーに、彼のインタヴュー記事がアップされています
 電子音楽は、ダンス文化の良きパートナーとして拡張しています。DJノブとNHKコーヘイとのセッションもあるらしいです。

https://nhkweb.info/

interview with CORNELIUS - ele-king


Cornelius
攻殻機動隊ARISE O.S.T.

flying DOG

Tower HMV iTunes Amazon

 つづら折りになったジャケットには、内側になるにしたがってどんどん小さくなっていくように四角い穴がくり抜かれ、あたかも「記憶」のより深層へと降りていくかのような演出が施されている。キャラ絵や作品タイトルこそを見せたい・見たいはずのアニメのサントラ盤にあって、これほどミニマルでデザイン性の高いジャケットを提示することはずいぶんと挑戦的であるようにも思われるが、これが『攻殻機動隊』シリーズの劇場版最新作のサントラであること、そしてコーネリアスの仕事であることを考えれば納得だ。シリーズに通底するテーマと世界観がとてもシャープに表現されている。

 監督や脚本、キャストが一新され、“第4の『攻殻』”とも言われる『攻殻機動隊ARISE』。特殊部隊「攻殻機動隊」創設までのエピソードを、ヒロイン・草薙素子の過去に光を当てるかたちで描き出す最新作であり、全4部作となるうちの1作め『攻殻機動隊ARISE Border:1 Ghost Pain』が今年6月に公開、つづく『攻殻機動隊ARISE border:2 Ghost Whispers』が11月30日より全国劇場にて公開となり、注目が集まっている。

 コーネリアスはこのシリーズのサントラを手がけるとともに、「ゴースト・イン・ザ・マシーン」と名付けられたブッダマシーンの最新モデルなどの企画も行っている。経典音読マシンがルーツだったというあの四角い箱のコアに素子ともおぼしき女声(=ゴースト)を宿らせたこのモデルに筆者は震えたが、何よりも、コーネリアスの音楽自体が「楽曲を作る」ということで単純に完結してしまうものではないのだろうということを感じさせる。ヴォーカルにsalyu、青葉市子、歌詞に坂本慎太郎を加えた新鮮なコーネリアス・パーティも、期待を掻き立てるものだ。

 インタヴューでは「空気感」という言葉をひとつのキーワードとして感じた。そしてそれは、筆者が『攻殻機動隊ARISE Border:1 Ghost Pain』のトレイラーを初めて観たときのちょっとした違和感と驚きの源でもあったかもしれない。
 コーネリアスは、ロジカルでディストピックな『攻殻機動隊』の世界に奇妙な空間性を開いている。たとえばこれまで激しいブレイクビーツが多用されてきたような、タフでハード、隙間なくテーマ性と論理が敷き詰められたシリーズのなかに、まさに「空気感」という曖昧なものを感受しかたちにするコーネリアスの手つきは、何か新しい光源をもたらしてはいないだろうか。それはシリーズを一新する本作にちょうどふさわしい違いかもしれない。筆者にはその僅かな違和が、相対的な明るさとして感じられる。 

明るい作品じゃないですか?

でもコーネリアスにしてはダークだと思ったよ。
――うん、そうだと思うんだよね(笑)。

映画の劇伴というのは、依頼がまずどーんと来て、テーマ曲から作りはじめるというような進行なんですか?

小山田:そうですね、まさにそんな感じですね。

オーダー・リストみたいなものがあって、それに従って作っていくというような……?

小山田:そうです。そんな感じです。

そのリストというのは、場面みたいなものが書かれているんですか? 感情みたいなものが書かれているんですか?

小山田:まず台本みたいなものがあって、それに従って音響監督が、「このシーンでこういう音が欲しい」というようなことを指定してくるんです。「何秒で落ちる」とか「何秒でまたアップ」っていう感じで。

なるほど作るのも秒単位なんですね。その指定に基づいてどんどん収めていくわけですか。

小山田:基本的にはそうなんだけど、結果として指定された箇所とは違うところで使われたり、まるまるなくなっていたりすることもありますね。場面に合わせて編集されていたりとか。だから、言われたとおりに作るんだけど、言われたとおりに使われるとは限らないという感じです。

お題というよりも、台本に沿ってオーダーがあるんですね。

小山田:そうですね。でも、言われていたシーンと違うところで使われるのが逆におもしろかったりはしますね。

どう使うかということですよね。……ということは、作りはじめる前に台本なりを通して作品への理解がはっきり生まれているわけですか。

小山田:うっすらと(笑)。

(一同笑)

では作品理解ありきというよりは、コーネリアスというアーティストとの綱引きが求められている感じなんでしょうか?

小山田:いえいえ、そこは作品ありきなんですけど、それも感じつつ自分なりの解釈で作っていくということかなと思います。

「サントラってこういうものだな」とあらためて感じられた部分はありますか?

小山田:やっぱり、基本的に暗い話なので、感情も限定されてくるというか。そんなに明るい感情というのはなくて、ちょっとしたユーモアみたいなものはキャラクターによってはあったりするんだけど、中心になるのはダークな世界観ですよね。あとはバトルとか心理的葛藤とか。それも段階がいくつかあって、すごい深いものからニュートラルなものまで幅があるんだけど、基本的なところは限定されていきますかね。この映画の世界観に沿っていくと。
そういうものは自分のなかに日常的に持っているわけではない、パーセンテージとしてはわずかにしかない感覚なので、そこを増幅して作品にできるのはおもしろいなと思いました。

ああー、まさにそこもお訊きしたかったんですが、『攻殻機動隊』って近未来の過剰な管理社会をディストピックに描くものですよね。おっしゃるように基本的に暗い世界だと思うんですが、サントラにはわりと一貫して明るい印象を受けるんです。柔らかい光源を感じるというか。明るさを意識したりはしませんでしたか?

野田:でもコーネリアスにしてはダークだと思ったよ。

小山田:うん、そうだと思うんだよね(笑)。

そうですか。小山田さんの特徴というだけのことかもしれないですが、でも暗いイメージに寄り添う以外に、ご自身のなかにもう少し違うイメージがあったりはしませんでしたか?

小山田:うーん、そんなに強く意識はしてないんですけれど、無意識に自分にちょうどいいバランスに調整している部分はあるので……。まあ、こういう感じになっちゃったというところ(笑)。


「音楽メニュー」と呼ばれる楽曲のオーダー・リストには、カット番号と「混乱」などの簡潔なテーマが記されている。 はじめはミュージック・ヴィデオのように細かくタイミングを合わせて作っていたものの、セリフ等との兼ね合いもあり、その後の段階でのエディットは音響制作側にまかせたとのこと。

音にするときに、とくにポイントになる視覚的要素というとどんなところですか?

小山田:それはたくさんあって、最初はそういうものに偏執的に合わせて作ってたんだけど(笑)、結果ズレていったり修正が大変だったりして。

要素としては動きとかになりますか?

小山田:うん。動きですね。あと、色味が変わるとか、カットが変わるとか。

表情とかエモーションとかっていう内面的な要素よりは、アクションとか場面転換みたいなものに音が影響されるという?

小山田:それは両方ですね。

今回の『ARISE』は、まだ未熟な(草薙)素子の揺れる内面とか、孤独な闘いとかが印象的ですよね。昔のシリーズ(『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』)は公安9課というチームワークもあったりしてグルーヴィーなんですけど、それに比べてよりインナーなテンションがあるように感じます。でも、小山田さんの音楽って、そういうインナーなもの……気持ちみたいなものを文学的にしないというか、そういうものをどちらかといえば無視していくもののように思うんです。

小山田:なるほどね。気持ち……。気持ちというより雰囲気という感じですかね(笑)。

ああ、なるほど。空気みたいなものとかでしょうか。

小山田:ストリングスで泣きメロを入れたりとか、そういうハリウッドっぽいスコアリングじゃなくて……。そうですね、メロディってエモーショナルで内面的なものを表すって一般に言われるけど、もうちょっと空気感で内面的なものを表すことができるっていうか。まあ、「内面的なもの」って、わかんないんだけどね(笑)。空気感で「内面」とかその状況を表すという、どちらかというとそんな要素の方が大きいのかもしれないですね。

よくわかります。小山田さんは、近年は『デザイン あ』とか『CM4』ですとか、リミックスとかサントラのリリースが続いていますけれども、そういうものはオリジナル・アルバムでキャリアをつきつめていくというのとは逆で、人と人との間とか、社会のなかで機能する音を考えていくという仕事になると思います。小山田さんには、そうした作品制作を通して見える、社会の色とかってありますか?

小山田:うーん、色って言われて思い出したのは、オウムの事件があったときに「世界は黄色だ」っていうような歌を歌っていたことですかね。テレビで、誰だったか容疑者の人が「世界は黄色だ」って。

ええー、すごい感性ですね。黄色ってちょっと出てきませんでした。それはなんだかインスパイアされるお話です。

野田:すごいねえ。

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アニメOPの条件

アニメのオープニング・テーマって、タイトルも言ってほしいし、必殺技の名前とかもできれば言ってほしい(笑)。


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攻殻機動隊ARISE O.S.T.

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野田:映画のサントラとかって、今回が初めて?

小山田:ちゃんとしたのは初めてだね。

野田:サントラとか好きだったじゃない? いまはないけど、渋谷の「すみや」っていうレコード屋で、日本盤で出てないイタリア映画のサントラとかを漁っていた人なわけだから。

小山田:あははは。そのときからそうなんですけど、観たことない映画のサントラとかを聴いたりしていて、それ自体は何かの映画のなかで機能させるために作られたものなんだけど、iPodとかで聴くとまったく別のもののようにも聴こえるというか。その映画と切り離されたところで楽しめる部分っていっぱいあって。
そういう意味では音楽って器というか、何かのために作られたものが別のかたちで機能することがありますよね。サントラはとくにそうかも。だから、僕はこのサントラを『攻殻機動隊』のために作ったけれども、それを切り離した部分でも聴けるものにしたいなというところはありますね。

アニメ音楽で参照されたものとかはありますか?

小山田:わざわざ聴いたりとかはしていないんですけど、“ゴースト・イン・ザ・シェル・アライズ”っていう『ARISE』のテーマ・ソングでは、頭にあったのは『ルパン三世』のはじめの曲ですね。「ルパン~ルパン~」って、ひたすらルパンっていうタイトルを連呼する曲で、それを意識しました。「ゴースト・イン・ザ・シェル」をひたすら連呼する、みたいな。

へえー。

野田:なんで『ルパン』だったの?

小山田:『ルパン』がっていうより、タイトルを連呼するっていうところですかね。僕のなかでは、アニメのオープニング・テーマって、タイトルも言ってほしいし、必殺技の名前とかもできれば言ってほしい(笑)。ちゃんとそのコンセプトに合ったものが入っていてほしいっていうのがあって。それで、アニメ「らしい」オープニング・テーマというと、どうしても『ルパン』が出てくるという感じです。

小山田さん的なアニメOPの条件みたいなものが、ちゃんと入っているんですね。

小山田:うん。それに、ひたすら繰り返すから曲のミニマルな構造に合うというか。そういう曲って他にないなと思って。

連呼というところでは、「きおくきおくきおく……」(“じぶんがいない”)もそうかと思いますが、「記憶」も『ARISE』のひとつのテーマですよね。記憶が勝手に操作されたりいじられたり、不安定で信用できないものとして描かれています。この曲はそのテーマをそのまんまというか、かなり直接的に使っていておもしろかったんですが、音節ごとに「き」「お」「く」と切ってエディットされているのも、やっぱり「記憶をいじる」というようなテーマを意識してのことなんですか?

小山田:歌詞は坂本(慎太郎)君が書いてるんだけど、それは曲の後にできたものなので、最初から音のなかに「記憶」という言葉が当てはまっていたわけじゃないんだよね。ただ、素子が「義体」というキャラクター――人間とロボットの中間、アンドロイド的なものなので、あんまり人間ぽくない編集で作ったヴォーカル・ラインが合うのかな、とは思っていて。
歌詞は、最初に「き、き、き」ときて、次に「きく、きく、きく」ときて、最後に「きおく、きおく……」となるんですけど、「一文字でも意味があって、二文字でも意味があって、三文字でも意味があって、という構造になっている言葉が何かないかな?」って坂本くんに相談したら、「きおく」っていう言葉を出してきてくれたんです。

へえー、必ずしもテーマから来たものではないんですね。

小山田:もちろん坂本くんは、ちゃんと脚本を読んで言葉を選んできたとは思うんだけれども。

なるほど。戦後詩では最初、谷川俊太郎の『ことばあそびうた』みたいなものが精神的に低いものとして厳しい評価を受けていたようですけれども、言葉遊びみたいなものの方が、逆に空気を受容する器にはなりやすいのかもしれないですね。
 詞が後に上がったということですが、今回、詞のついているものは全部そうですか?

小山田:うん。

それをまた組み替えるということですか。

小山田:あ、組み替えはしないですね。

そのままでしたか。では、本当にうまくはまっているんですね。

小山田:そうですね(笑)。

ブッダマシーンは草薙素子の夢をみるか

あれは、もともと中国にあった「電子念仏機」っていう機械がモデルになっているんですよ。

なるほど。ところで、「ゴースト・イン・ザ・マシーン」という新しいブッダマシーンとダミーヘッド・マイクを使って、動画を撮っておられますね。あれはどこから来たアイディアなんですか?

小山田:ダミーヘッド・マイクに関しては、たまたま使っていたスタジオにあったんですよ。ブッダマシーンを作ったんですけど、あれってたくさんで鳴らすとおもしろくって。いろんな層で音楽が流れていて、ずっとドローンで、ピッチも変えられるし、演奏みたいなこともできるし。あのときは同時に4台使ってるんですけど、おもしろかったですね。

ダミーヘッド・マイクって、まだまだおもしろい使い方があるんでしょうか? ドラマCDみたいなものではさかんに使用されていますけれども。

小山田:ん? ドラマ?

はい。お話とかセリフの朗読が収録されているCDなんですけど、耳もとで甘い言葉を囁かれるとか、そういうことがリアルに感じられるようにダミーヘッドで録音されていることが多いんです。でも、音楽でそんなふうにうまいこと使用されている例はあんまりありませんよね。

小山田:たしかにね。CDでやってもあんまりよくわかんないというか。ダミーヘッドを使ってる例だと、マイケル・ジャクソンとかルー・リードとかもやっているんですよね。

へえー。

野田:ルー・リードも?

小山田:そう、他にもいろんな人がやってるんだけど、「ギター、ドラム、ベース」みたいな音楽で使ってもべつに何もおもしろくないというか(笑)。

それはそうですよね(笑)。以前に読んだインタヴューで、髪の毛を耳元でちょきんと切られる音が立体的に再現されたCDで感動されたというお話をされていたように思うんですが……。

小山田:うん。やっぱりいちばんおもしろいのは髪の毛をきってもらったりとかだよね。

なるほど(笑)。このマイク自体はけっこう歴史の長いものなんですね。

小山田:うん。80年代くらいからかな……。70年代くらいからあったっけ?

その頃からの進歩ってあるんでしょうか?

小山田:だいぶ進歩しているんじゃないですか? ダミーヘッドじゃなくてさ、ヒューゴ・ズッカレリっていう人がいて、知ってる? アルゼンチンかどこかのちょっとマッド・サイエンティストみたいな人で、詳細は明かしていないんだけど、立体音響に関してちょっとすごい録音技術を持っている人なの。マイケル・ジャクソンとかはそのやり方を使っているみたいなんだよね。それはダミーヘッドではないって言われてるんだけど、どういうノウハウかはわかってない。

へえー。

小山田:サイキックTVとかもそうだよね。80年代後半とかに、一時期すごい話題になってた。

野田:あー、そうだったね。

あの動画に関しては、「あ、頭の後ろ通った!」っていう気持ち悪い感触とかが生々しくあって、おもしろかったです。小山田さんにとっては、旋律とかそれがリニアに導いていく物語じゃなくて、こういう体験のようなもののほうにより興奮があるんじゃないかなと思いました。

野田:ほとんどそうでしょう。ライヴとかを観るとほんとにそうだよ。

小山田:はははは。

音響体験のほうが優先される。

小山田:まあ、このサントラに関してはわりとそういうものですよね。

GHOST IN THE MACHINE
https://www.jvcmusic.co.jp/ghostinthemachine/

テーマ性がたしかに色とか空気みたいなものとして感じられます。では、ブッダマシーンのほうはどうでしょう? そもそもはあのガジェットのなかにブッダがいる、というジョークみたいなものだったように思うんですけれども。

小山田:あれは、もともと中国にあった「電子念仏機」っていう機械がもとになっているんですよ。お経を自動で流してくれる機械。それをみんな流しながらお祈りとかをしていたみたいで。それを、中身をミニマルっぽくしてあんなかたちに仕上げたのがブッダマシーン。

実用的なものだったんですか!

小山田:そう。昔、中国に行ったときにお土産でもらったことがあって、それには本当に念仏が入ってた。形とかもだいたいあんなものですね。わりと最近になって中国の若い人がブッダマシーンのかたちにしたっていう。

そうなんですね。わたしもシリーズの最初のマシーンから知っているんですが、てっきりヨーロッパが作り出したオリエンタルなジョークみたいなものだと思っていたんです。そんな日用品だったとは意外ですね。

小山田:うん。ふつうにあったものなんだよね。

なるほど。そうすると余計おもしろいんですが、『攻殻機動隊』には、ロボットとかマシンみたいなものにゴーストが宿ることがあるか、あるとすればどんな条件のときか、っていうようなテーマも通底していますよね。ブッダマシーンの「機械のなかに宿った声(=ゴースト)」っていう性格は、なんてこの作品にぴったりなんだろうって思ったんです。

小山田:はははは。「ゴースト・イン・ザ・マシーン」っていう名前つけてるしね。

野田:あ、意識しているんだ。

小山田:もちろん。

あれ? このブッダマシーンのアイディア自体、小山田さんのものなんですか?

小山田:そうです。

そうなんですか! これ、すごくびっくりしたんですよ。よく『攻殻』とブッダマシーンが掛け合わさったなって、すごく不思議だったんです。いままでのブッダマシーン・シリーズでいちばん気がきいていると感じましたし。実際に声優さんの声が入ってるんですか?

小山田:声優さんの声は入ってなくて……、あ、ちょっと入ってるか。でも基本は声優さんの声じゃないんです。

へえー。「機械のなかの心」みたいなものへのロマンチックな気持ちは、小山田さんのなかにありました?

小山田:……なかったね(笑)。

(一同笑)

野田:そこまで少年じゃなかった(笑)。

ははは。すっごいドライなんですね。バトーさんが天然オイルを与えつづけたタチコマにだけは、ゴーストが宿った? みたいなエピソードもとても印象でしたけれども、そういうロマンティシズムも作品を牽引する強さだと思うんですね。ものに宿るゴースト、みたいなものはぜんぜん感じませんか。

野田:『ファンタズマ』の人だもんね。

小山田:(笑)そういうのとはちょっと違うかもしれないんだけど、何かつかみきれないものというのは意識していて。曲の構造だったりもそう。“ゴースト・イン・ザ・シェル・アライズ”も、ただ「ゴースト・イン・ザ・シェル」って言っているだけなんだけど、頭のなかに残らないというか……。同じように展開しているように聴こえるかもしれないんだけど、実際はぜんぜん解決しないままどんどん進行していくっていう構造になっていて、そこはつかみきれない感じを意識してはいますね。

すごく複雑で、複雑すぎて不透明になっている感じでしょうか。でも、そういうつかみきれない模糊としたものが表現されつつ、やっぱりコーネリアスって、音は透明になる感じがするんです。その透明な感じは、この新しいシリーズのなかにも大きなインパクトを与えていると思うんですけどね。

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おおきなこえをだすひとたちはみないなくなった

「おおきなこえをだすひとたちはみないなくなった/ほら 静か」(“外は戦場だよ”)っていうところがあるんだけど、そういうところに共感しますね。


Cornelius
攻殻機動隊ARISE O.S.T.

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ここ数年、音楽シーンのひとつのモードとして、ちょっとニューエイジなものがリヴァイヴァルしているところがあるんですね。(クリスチャン・)ラッセンにスポットが当たったり、「シーパンク」って呼ばれるようなファッションが注目されたり……

小山田:ええ! ラッセンなの?

そうですね。何かとイルカなムードなんです。

野田:ほら、90年代リヴァイヴァルでもあるからさ。

小山田:ああ、(ジ・)オーブとかの感じ。

野田:そうそう。

はい。一方にそういうちょっとドリーミーでメディテーショナルな感覚があって、そこではあんまり暗い気持ちとか、絶望みたいなものは鳴らされていないんですね。どこかでそういうモードを感じられていたりしたところはありませんか?

小山田:そういうムードがあるっていうのは知らなかったけど(笑)。

ふだんは社会というところが暗いというふうに感じますか?

小山田:まあ、暗いといえば暗いし……。

すみません(笑)。「暗い曲が多い」という認識に対して、どこか明るく感じられるところにこだわりたかったので……。90年代リヴァイヴァルということについては、何か感じられている部分はありますか? ハウスとかR&Bを中心にして、いま本当にそんな機運なんですよ。

小山田:あんまり感じないですけど、まあそろそろかな、という気はしますよね。

野田:これからどんどん感じると思いますよ。

小山田:ひととおり80年代の巡回も終わってるように見えるから、90年代にちょっとフレッシュな感じがあるんだろうなとは思います。

野田:フリッパーズ・ギターとかがね。

血を引くような存在が出てきていますよね。

野田:フリッパーズ・フォロワーみたいなバンドが、新鮮な感じで受け入れられているんだよね。

小山田:ほんと? 絶対(フリッパーズのこと)知らないでしょう?

野田:いやいや、ぜんぜん知ってるよ。20歳くらいの子たちにしてみれば90年代ってすごく新しいからね。

小山田:そっか。年齢的には僕らの子どもくらいになってくるよね。その子たちが生まれたころが90年代くらいでしょ? ちょうど、僕たちに60年代とか70年代のものがカッコよく見えたのとまったくいっしょなことなんだろうね。

リヴァイヴァルっていう意味はおいておくとしても、ハウスを意識した部分はなかったですか? わりと「ドッチンドッチン」っていうトラックが入っているんですけれども、ちょっと新鮮でした。

小山田:うん、「ドッチンドッチン」はわりと入ってますね。

躍動感を出すため、みたいな理由でしょうか。いまわりと世間的にこういう気分だっていうふうに感じていた部分はないですか?

小山田:うーん、両方かな……。

野田:でもダンス・ミュージックを作ってるっていうところは、トピックだね。わりと直球なね。

そう思います。

小山田:うーん、そうかもね。

野田:だって、『カメラ・トーク』の福富(幸宏)さんがリミックスした曲(“ビッグ・バッド・ビンゴ”)、あれをいまみんな探してるんだよ!

小山田:ええ、うそ! へえー……。若い子が?

野田:そう。しかも日本人だけじゃなくてね。

小山田:そうなんだ。

あとはクラウトロックっぽいものの気分もありました。2000年代後半は、若いバンドやアーティストにすごく参照されて、スターも生まれて。“スター・クラスター・コレクター”とかも、ちょっとそういう琴線に触れるんじゃないかと思います。

小山田:へえー、そうなんだ。でもまあ、どっちも偶然かなあ。クラウトロックはずっとあるといえばあるし。

それもたしかにそうなんですけど、ジャンルをまたいで一気にメディテーショナルなモードが広がって、そのなかでクラウトロック的なものの存在感はとても大きいものだったんです。
……というムードもまだ余韻を引いているなか、“外は戦場だよ”というボーダー2(『攻殻機動隊ARISEborder:2GhostWhipers』)のエンディング曲が鮮やかでした。小山田さんには「外は戦場」というような感覚はありますか?

小山田:外は戦場……。うーん、どうなんだろうね。

言葉尻からすると酷薄な世界観のようにも見えますけれども。

小山田:いや、そういうことよりも……。なんて言ったらいいのかな……。最後の方に「おおきなこえをだすひとたちはみないなくなった/ほら 静か」っていうところがあるんだけど、そういうところに共感しますね。

ああ……。それは、「おおきなこえをだすひとたち」は、干渉するものっていうような感じでしょうか。暴力とかもふくめて。

小山田:うーん、そうね……、ほっといてほしい感じ。……何なんだろうな(笑)。

ここはとっても両義的な部分かと思うんですが(※)、「ほら 静か」は、肯定的な感じですか? そうならざるを得なくなってなったという静かさですか?
(※詞のなかばに「心配ない/見て/外は/戦場だよ」という逆説がある)

小山田:うーん。

より自分にとって居やすいところになったのか、その逆なのか……。

小山田:なったんだかなっていないんだか、実際はよくわからないんだけど、どっちも含んでいる感覚なのかな。

interview with Downy - ele-king

 絶え間なく展開する変拍子のはざまに、「曦(あさひ)」という文字が落ちる。乾いたドラミングと硬質なギターの音の上で「春」という字がにじむ――詞のカードを見てみてほしい、そこには旧カナを散りばめ文語体でつづられたうたの言葉が、近代詩のような佇まいで並んでいる。
これがインドとビートルズと沖縄をルーツに持つ文体だと知ったときに、筆者の凝り固まった観念は激しく攪拌された。なんというミクスチャー。

 エスニックの意匠をいたずらにかけあわせたり、性質の異なるものを無邪気に混ぜ合わせたりするのではない。それらが、ひとりの人間の生きてきた時間とその経験体験のすべてのなかにたくしこまれるかたちでミックスされたものであることに感動してしまった。ダウニーの中心人物、青木ロビンはそのリスペクトすべき人格もふくめて非常に魅力的な人物だ。その彼の内側から波を打って広がっていく異形のヴィジョンを、緻密に構築されたバンド・アンサンブルが支え、展開させていく。それがこのバンドの非常に強力な柔構造なのではないかと思う。青木裕、仲俣和宏、秋山タカヒコ、石榴、各メンバーはそれぞれが別のプロジェクトや名だたるアーティストたちのサポート・メンバー、プロデューサー、映像作家としても活躍する磐石のプレイヤーたちだ。インプロ・パートの安定感とダイナミズムなど、それだけでもじゅうぶんに素晴らしく、9年の空白をものともしない熱心なファンがいることの理由がよくわかる。


downy
第五作品集『無題』

Felicity

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 そう、ダウニーは2000年の結成以降4枚のオリジナル・アルバムを残し、2004年から約9年もの活動休止の期間を迎えていた。ポストロックという言葉が国内において実体を備え輪郭を現しはじめる、その黎明のなかにいたバンドである。輝かしい軌跡のなかのその空白部分についてはこのあと語られるわけだが、すでに「ポストロック」という言葉が歴史の項目のひとつに格納されてしまっている時代、彼らはそこから歌と人生とを引き出した。もちろんダウニーはダウニーなので、演歌でもフォークでもない。ギターはソリッドでポストパンク的な荒涼感があるし、爆ぜるようなドラミングにもそのプロダクションにも殺伐という表現が似つかわしい。エレクトロニクスにもさえざえとしてドライな覚醒感がある。しかし「僕のなかでかなり温かい作品なんです」(青木ロビン)と語られるその温かさとは取りも直さず、人生の熱ではないだろうか。

 筆者があまりテクニカル系の「ポストロック」に親しみを感じてこなかったのは、閉塞的なテクニカル信仰をよんだり、折衷性(メタ性)を評価されるわりにベタにロマンチックだったり、エモーションの扱いが粗雑だったりする悪い例をたまたまいくつか目にしてきたせいかもしれないけれども、それは単にシーンが若かったということなのかもしれない。テクニックこそは人間の生きる長さとともに意味を増していくものなのかもしれない。ロックが仮に青春期以降を乗り越えられずにゾンビ化しやすいものだとすれば、ポストロックはむしろそのあとの時間において真価を発揮するものなのかもしれない。――そのようなことをこのダウニー5枚めの復活アルバムで感じさせられた。これまでの作品を否定するのではない。筆者が手ぶらの一般リスナーとして、とても親身な思いでこれを聴いたということに共感していただけるだろうか? 趣味や好みを越え、敬意をこめて聴いた一枚だ。日本のポストロック第一世代バンドがそれぞれどのような2010年代を迎えているのか詳しくはないけれども、この作品はひとつの感動的な例を示しているのではないだろうか。

9年という時間

単純に僕は、メールの書き方も知らない人間だったんだな、というようなことに気づかされましたね。

今回9年ぶりの新作ということなんですけれども、そう聞きますと、「マイブラ22年ぶりの新作」みたいな感じで、妥協しないからこそリリースしないというような、非常にストイックな印象も受けます。実際のところはどうなんでしょう?

青木:単純に活動を休止していたので、その間、制作する気がなかったっていうだけなんですけどね。で、いざ電話して「やりましょうボチボチ」っていう流れなんです。

野田:やる気を失った理由っていうのは何なんですか?

青木:いやー、9年前のことなんでドンピシャで覚えてないんですが、単純にやりたいことがもっといろいろあってですね。それは音楽以外のことも含めて。いちど音楽から解放されたいというか、音楽を普通に聴く耳に戻りたいというか、そんな気持ちがありました。

ああー、切実ですね。

青木:なんか何を聴いても、「どう作ってるのか」とか、そういうふうにしか聴けなくなっちゃっていたので。食あたりじゃないですけど(笑)、「聴けない」みたいになっていました。

とすると、いつか再開する予定を立てながら休んでいたというよりも――。

青木:そうですね、ほんとに無期限で。何度かタイミング的にはターニング・ポイントがいくつかあったんですけれども、「まだかなー」みたいな感じだったんですよ。

なるほど。

青木:まあメンバーとちょこちょこ連絡取り合ったりとか、彼らの出す音源はもちろん聴いていたし。3年ぐらい前から「いつやるかねえ」みたいな話はしてたんです。2年前に「やりますよ」って電話をちゃんとして、「やりますか!」ということになって。

最後に背中を押したものというか、決め手みたいなものって何かあったんですか?

青木:何でしょうかね。これは訊かれると思ってたんですけど、とくになくて(笑)。「いまだな」って思っても、自分のタイミングとみんなのタイミングがちょっとずれたらできなくなりますから。みんな各々アーティストとして頑張っているんで……。ほんとにたまたまだと思います。電話してみたら「そうかもね、いまかもね」みたいな感じでした。

なるほど。10年ぐらいのけっこうな時間ですけど――。

青木:そうですね、はい。

漠然とした質問なんですが、どういった9年間でしたか?

青木:僕個人としては、ほんとにやりたいことをあれこれ仕事して。会社作って、飲食店やって、ほんとにいろんなことをしました。子どももできていたので、子育てして。で、新しく友だちができて、みたいな(笑)。海外での仕事もしていたので、いろいろ土地も回って。

野田:海外の仕事ってどんなの?

青木:アパレルですね。

野田:へえー。

なるほど。音楽活動からはずいぶんと変化した時間だったんですね。

青木:変化というか、単純に僕は、メールの書き方も知らない人間だったんだな、というようなことに気づかされましたね(笑)。

(笑)生活のなかに、社会ってものがせり出てきたんですね!

青木:そういう意味でも、「音楽だけ」ってことになるのが、最後らへんはイヤになってきていたというのもあって。4枚目のアルバムくらいのときには、服の会社をもう立ち上げてやっていたんです。でも、最近感じるんですが、いま若いバンドマンなんかといっしょに曲を作らせてもらう機会があると、みんなすっごい丁寧ですね。

ああ、なんかちょっとわかります。

青木:「俺こんなじゃなかった」とか思いながら。みんなすごいな、と思って(笑)。

いまの若い方が、アーティストとしてのエゴよりも、そういったものを大切にされてるなっていうのは、わたしもすごく感じますね。

青木:そうそう。大事なことですよね。単純に印象がいいですからね(笑)。

ははは……

青木:俺が印象悪かったなって(笑)。

そうなんですか(笑)? お会いして、すごく丁寧な方という印象を受けましたけども。

青木:いやいや。いまはこうなりました。

はははは。9年のひとつの成果というか(笑)。

青木:ひととだいぶ喋れるようになったので。オープンにはなったと思います。

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踊らない身体

僕はだから、踊らないんですよ。

なるほど。いっぽうで音楽的な意味でこの10年を見てみますと、2000年代の初頭は、まだポストロックっていう言葉が機能していたと思うんですけども、その状況は変わりましたね。つい最近だったらアンビエントとかドローンとかダブとかに影響力があるように、構築性の高さやバンドのセッションのダイナミズムみたいなものよりも、どちらかといえば、そういうものを解体していく流れっていうのがこの10年を作ってきたようにも感じます。ダウニーの方向性と世間の流れみたいなものとを比べたり、あるいはそこで迷ったりってことはありましたか?

青木:新作に関してってことですか?

そうですね。

青木:3年ぐらい前から、僕はもう一回曲作りしようと思って――まあもとからちょこちょこ家で触ったりはしてたんですけど、ほんと趣味程度にはやっていて。なんというか、音楽をほんとに「聴く」耳にやっと戻ったんですね。自分の飲食店で流す音楽を、当時は絶対聴かなかったカフェで流れるような音楽にしたりとか。やっぱり心地いいんですよね、そこでコーヒーを飲むと(笑)。それが居心地の良い空間を作ってあげるという、自分のひとつのデザインであり、作品でもあるので……。飲食店という仕事においては、ですが。沖縄に移り住んで、海沿いでレッチリ聴いたりして、「気持ちいいなー、レッチリ。やっぱ海沿いなんだなー」とか(笑)。

(笑)

青木:なんだろうな、ほんとに作り手の耳ではなくなって。沖縄ではクラブ関係者の友だちが多いんですが、その子たちのイヴェントに行っても、「いまかかったの何!?」じゃなくて、「あー気持ちいいなー」みたいな、やっとそういう風に音楽が聴けるようになってですね。僕は、自分で音楽をやろうと思ったときから、聴き方が全部「あれは何の音だ、何のエフェクターだ」っていうふうになっていたので……。ほんとに単純に、子どもといっしょに子どもの音楽を聴いたりして、「俺もこんなの聴かされたんだろうな」とか思ったりするようになったし、音楽って、みんなにとっては生活にもっと密接したものだし、そのときそのときでチョイスするものなんだっていうことがようやくちゃんと理解できて。
 ダウニーの制作の話に戻ると、僕の作る音楽はもともとやりたいことが明確にあるので、最初は全部打ち込みで作ったものをメンバーにやってもらおう、ぐらいのつもりで、デモをバーッと作りました。じつはEDMの要素も少し入っていたんですけど、メンバーと話して、ダウニーってバンドでそれをやると、なにか古い音楽になってしまうんじゃないかっていうことで、一回解体して。で、今度はスタジオ・セッションをメインに構築していきました。だけど、それはそれで前のままじゃないかと。それで、いまの形になりました。データのやり取りをする。僕が、もらったデータをどんどん曲にしていって、投げて、もう一回作り変えてもらって、みたいなやり方です。
 肉体とエレクトロニックの狭間といいますか、そういうものを作りたくてですね。今回悩んだってところは、すごくボツったことですかね。30曲ぐらい書いて、残った曲でやっているんです。もはやネタになってますけど、自分のなかでは7枚目のアルバムにしたいぐらいの心境です、はい。

僕らメンバーがいちばん「ダウニーはこうだ」って決め込んでいるのかもしれません。

へえー! いまエレクトロニックっていう言葉が出てきましたけど、たしかにキーになっている音楽性ですよね。65デイズオブスタティックとかは、やっぱり一時代を作ったと思うんですけど、ポイントだったのはやっぱりそこにエレクトロニックなものが介在していたことです。ポストロックって、エモに行くものもあれば、フィジカルをストイックに追求したマス・ロックみたいなものもあれば、ハードコア・パンクの流れ――ビッグ・ブラックとか、シェラックとか――から続くものもありますよね。そんななかで、65デイズオブスタティックはすこし違う身体性を持ってたと思うんですよ。あるいは、ダウニーっていうバンドも。そのエレクトロニックっていう部分に寄っていったきっかけというか、アイデアみたいなものについてお訊きしたいです。何かに触発されたものなんですか?

青木:僕が若い頃からクラブにしか足を運ばない人間になっていたので、結局自分の身体に入ってくるものがすんなり出てくるんですね。父親がヒップホップのお店をやっていたりとか、いろいろ経緯もあるんですけど。

野田:すごいですね、それ。お父さんが?

青木:そうですね(笑)。インド人なんですけど。

野田:へえー!

青木さんは沖縄で育って、お父様がインドの方で、ヒップホップのお店をやってらっしゃってという、けっこうルーツとしては複雑な方なんですよ。

野田:すごいよ。

青木:そうなんです。で、母がビートルズの追っかけだったんで。家では小さいときからビートルズやドアーズが流れていました。そのあたりの洋楽は普通に……まあ5歳まで香港に住んでいたので、イギリス圏だったということもあって、テレビでずーっとビートルズとかのPVが流れているようなチャンネルがあったので。それ観て、意図せずにそうした音楽が入ってきましたね。
 で、クラブ・カルチャーにすごく傾倒する時期があって、自分はバンドマンとしてどうやってそれを表現していくかっていうことを、すごく考えたんです。それが結果としてダウニーの曲の作り方になっていますね。けっこう早い段階から、僕らは周波数の場所を決めてアレンジしていこうとか、そういう考え方をしていたので。当時、時代はシューゲイザーがガーッと音の壁を作って、みたいな感じだったんですけど、それはげんなりしていました。もっと音数が少なくていい。で、やっぱりミニマルですよね。それが大事だった。それを生でやるからこそ、体感できるリズムやノリがあるし、重ねれば重ねるだけ熱量が上がっていく。まあ、いまはPCでもそれができるんですけど、昔はもっとダンス・ミュージックの熱量が楽器によってプラスされていましたね。人間だからできることというか。僕らはずっとそれをやり続けて、いまに至っています。

ダンス・ミュージックがいかにダウニーの音楽にとって大きな要素であるかということはわかったんですが、たとえばダウニーの変拍子とかって、もっと身体をがんじがらめにするようなものなのかなってイメージがあったんですね。もともとすごくストイックなバンドという思い込みがあったので、そういうクラブ的なルーツには意外な感じがしました。

青木:僕はだから、踊らないんですよ。

あ、そうそう! わかります(笑)!

野田:(笑)

青木:とりあえず聴いていればいい、っていう、なんかそんな感じでした。

ああー。先ほどから、青木さんがすごくしっかりとしたお考えと哲学をお持ちの方なんだということに感銘を受けまくっているんですが、遊び心みたいなことでいうと、あんまり感じないというか、すごくマジメな印象を受けますね――。

青木:そうですね(笑)。それが悪いところでもあり(笑)、まあいいところでもあると思うんですけど。

実際に悪いと思ってらっしゃるんですか?

青木:そうですね。

へえー。

青木:遊びの成分を入れてみたりするんですけどね。

その遊びが「音の周波数」だったりすると、あんまり遊びって感じじゃないですけど(笑)。

青木:今回クラップが途中まであったんですけど、やっぱり結果的に「うーん、いらない」ってことになって。ミックスの最後の最後になくなっちゃったりとかしましたね。

それを削いでいくのはやっぱり、みなさんのマジメさなのでしょうか?

青木:まあたぶん、僕らメンバーがいちばん「ダウニーはこうだ」って決め込んでいるのかもしれません。

ああ、なるほど。

青木:「これはダウニーじゃない」「これはダウニーだ」みたいな。とくに彼らはずっと東京でミュージシャンをやってきて、周りからの反応をずっと感じてるんだと思うんですね。「こうだった、こう思ってた」とか。僕は逆にずっと離れていたので、そうでもありませんでした。まあ、ほんとにたまに、沖縄の店にも「ダウニー好きだったんですよ」って言って来てくれる子がいたりするくらいで。ダウニーTシャツを着たお客さんが来て、「カフェ、こういう感じなんですね」みたいなひとコマがあったり(笑)。なんかちょっと違う、みたいな顔されたりするんですけど(笑)。

はははは! ちょっと開放的な感じとかが。

青木:自分はそこまでないんですが、メンバーのほうにはもうちょっと「ダウニーらしさ」っていうものがあるみたいですね。ダウニーっていうのはこうです、って。

じゃあほんとに、この9年というのは、自分たちを客観的に見て対象化するとともに、音楽とも出会い直すような時間だったんですね。

青木:そうですね。そうだったと思います。

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Downyの漢字仮名世界

僕はなんせ日本語が喋れないで日本に来ちゃったんで。

なるほど。さんざんストイック、ストイックという言い方をしてしまいましたが、そのいっぽうで、エモーショナルでロマンティックな音楽でもあると思うんですよね、ダウニーの音楽というのは。ご自身がロマンティストだな、と思ったりすることはあります?

青木:いや、僕まったくないでしょうけどね。

あ、そうなんですか? でも、たとえばこの、歌詞の漢字仮名使いというか、旧漢字・旧仮名・擬古文調の言い回しを使いながら、文学の香りみたいなものを立ち上らせていくところは、ダウニーのすごく重要なイメージだと思うんですよ。大正ロマンとか明治ロマンっていうことを言うつもりはないんですが、こういう雰囲気はロマンティックだなーと感じるんですけどね。

青木:ロマンティックですかね(笑)。いや、わかんないです。そうなのかもしれないです(笑)。自分では感じないだけで。

へえー! これはどこからやってきたものなんですか? 好きな文学作品があったりとか、そういうことなんでしょうか?

青木:そうですね、僕はなんせ日本語が喋れないで日本に来ちゃったんで、最初すごく苦労したというか、イヤな目に遭ったというか。

そうなんですか!

青木:ものすごく勉強したんです、単純に。誰よりも漢字を知りたかったし。本を漁っているなかに好きな作家がいたりですね。詩ってこんなふうに書いていいんだ、とか、文章ってこんな形があるんだなって。ずっと自分なりにそういうふうな表現ができたらいいなと思って、闘っているというか、書き続けてるというか。

へえー! 言葉に対する不器用が生んだ一種の器用、みたいな感じなんですかね!

青木:そうなんですかね(笑)。

これ、完全にダウニーという世界を作っているじゃないですか。

青木:そうですね。

しかも観念的な作風というか。たとえば“下弦の月”って曲がありますけど、これは下弦の月を実際に見て書いたんじゃないだろうなって思うんです。いや、見て書いたのかもしれないですけど、それとは違う「下弦の月の世界」が頭のなかにあるんだろうなっていうふうに、すごく感じるんですよ。

青木:そうですね。自分しかわからないって言うと残念なんですけど(笑)、映像があって、イメージがあって、それに音をつけて、歌詞をつけてって感じですね。まあ、結果的にライヴだったら映像がついて、そのイメージをひとに伝えることができるようになるんですけどね。この歌詞の字面(漢字旧仮名表記)も含めてなんですけど、まあこういうイメージなんですね(笑)!

はい、すごくわかります。でも、ライヴじゃなくてもばっちりイメージで来ますよ。あるときあるひとが見た、事実としての月があるんじゃなくて、もっと観念的に構築された世界があるんだろうなって、すごく感じるんですよね。それがダウニーという、すごく特徴的な世界観を作ってもいて。

青木:(小声で)ありがとうございます。

ああ、でもなんかすごく意外でした。日本語ができない段階でいらっしゃったというのは、何才ぐらいのことですか?

青木:小1ぐらいです。そのくらいで日本語が喋れないと、もうすごいストレスというか。すごくイライラしてたのを覚えています。

野田:いきなり日本に来て日本人と同じ学校? インターナショナル・スクールとかじゃなくて。

青木:そうですね。親もなかなかなんですけど(笑)。

はははは!

青木:最初は東京だったんです。それが幼稚園の最後ぐらいで、やっと言葉を覚えたと思ったら、今度は沖縄に行って、「なんじゃこりゃ!」ってなって。何を言っているか全然わかんなくて……。

野田:ああ、方言だから。

青木:「イチから俺これやんの?」と思って(笑)。すごくイヤだったのを覚えています。

いちおう小学1年も「あいうえお」から学びはじめますけど、ネイティヴな子たちが基本だから、スタート・ラインがぜんぜん違いますよね。

青木:そうですね、ずっと怒ってましたね。「シャラップ!」ってずっと言ってたのを親が覚えていて(笑)。

はははは!

青木:「シャラップ」しか言ってなかった(笑)。

でも、それは幼い頃だと――

青木:そうですね、ダメージがけっこうね。

ねえ。でもそういう頃から、おうちに帰れば音楽が鳴っている環境だったんですか?

青木:そうですね。父親の部屋ではインド音楽が流れ、母親の部屋ではロックだったり、ジョージ・ウィンストンが流れてたり(笑)。ムチャクチャな感じでした。

なるほど(笑)。わたしはほんとに思い込みで、この文語っぽい感じっていうのは、中学とかで文学的な嗜好が強い男の子が傾倒する表現かなって思っていたんですよ。――なんというか、一種の青さとロマンティックさが強い文学性と結びついて生まれるような、エネルギーの高い文語表現。そういうものがこの歌詞世界の後ろにあるのかなと思ったんです。……それが、インド音楽とビートルズとネイティヴじゃない日本語話者から立ち上がってきたものだとわかると、全っ然、見え方が変わりましたね。

青木:自分の通過してきたものよりも、聴いたことのないものをやりたいという性分でして。歌詞もそういうことなんだと思います。まあ僕はこの歌詞の書き方しか知らないんで……。他がわかんないので、ちょっと何とも言いがたいんですけど。

野田:とくに好きだった作家はいますか?

青木:えっと、最初ほんとに「これは!」ってなったのは、萩原朔太郎。石原吉郎も「えー!」っていう。

朔太郎! じゃあどっちかって言うと、詩に寄っている側っていうか。

青木:いまでも、何でもかんでも本は読むんで。そのあたりを小学校ぐらいでカッコいいなーって思ったのを覚えてますね。

はあー。その最初の感動を、ダウニーを通してわたしも感じる気がします。

青木:そうですか(笑)。

なんかわかります。追体験しちゃいますね、小学校の頃、教室で詩集を読んだの。メンバーの方が詞を作るってことはないんですよね?

青木:ないですね。

たぶん他のひとからすると、この言葉の作られているテンションっていうのは高いもの――エネルギーの高い詞だと思うんですね。で、演奏があるわけですけれども、最初は、ダウニーのアンサンブルや変拍子って、詞のテンションの高さを解体するものとして働いていると思ったんです。だけど、もしかすると加速してるのかもしれないですね。どうなんでしょう、みなさんは詞にインスパイアされて、って感じなんですか?

青木:イメージは最初に伝えるので、共通していくものがどんどん出てくると思います。シンプルに“雨の犬”だったら、「雨の犬」っていう仮タイトルがあって、イメージがあって。わりとみんな長くいっしょにやっていたんで、それですぐ伝わったりはするんですけどね。どうかな、そこまで歌詞のこと考えてるかな、みんな(笑)。考えてるのは俺だけかもしれない(笑)。ただ、「どこの部分が好きだ」とかは言ってくれますけどね。たぶん、歌詞に関しては一任されてるんじゃないかな。

なるほど。それぞれスキルのある人々がやっているセッションですから、歌詞があろうがなかろうが、やろうと思えばどこまでも続くでしょうし、いくらでもできるでしょうし。だから言葉や歌はそこにふわっと乗ってくるだけ、という側面もあるんでしょうね。

青木:とくに今回、歌ものにしたいっていう思いがあったんですが、それはあまりダウニーのやってないところでもあったんですね。ずっと自分で歌を歌うのがイヤだったので。ほんとに、別のひとが歌ってくれればいいのにってずっと思ってたんですけど、これまではあんなにパーツの少ない歌のためにヴォーカルに立ってくれるひとはいなかったし(笑)。

ああ、なるほど(笑)。

青木:結局自分がやるほうが早かったりしちゃうんで。でもこの9年、子どもたちと歌ったりですね、なんだろうな、シンプルな歌ものとか……もちろん形とか方向性は違うんですけど。
僕にしかできないメロディがあって、僕にしか出せない言葉があるなら、もっと明確にそれを伝えていってもいいかなっていうのが今作にはあって。なんか……そんな感じですね(笑)。

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柔らかくなりあたたかくなること

いま思うと、昔はいろいろ相容れないというか、「自分は発散するけどひとのものは容れない」っていうタイプだったのかもしれないですね。いまはわりとシンプルに入ってくるし、それをまた出していけるし。

すごくいいお話です。曲はギターで作る感じですか?

青木:いや……? メロディが先な場合もありますし、トラックを作ってそれに歌を乗っける場合もあります。それに付随してコードを変えていったりとか、アレンジを変えてアンサンブルを変えていったりとか。ここでもっと盛り上げたいとか。ここはノイジーなんだとか。みたいなことは伝えますけどね。

ああ。ひとりで趣味で曲を作っているとおっしゃっていたので、もしギターを爪弾きながら曲が出てくる感じだったとすれば、それはそのままサッドコアみたいなものになるかなーと思ったんですけど。

青木:曲によりけりですね。“燦”とか“雨の犬”だったら、ギター弾きながら歌って作って、メンバーに送って、メンバーが楽器をつけていくって流れだったり。曲によっては完全にリズムから先に組んじゃって、それを叩いてもらってアレンジしてもらってとか。全然まるで変えてきちゃったりするんで、彼らは(笑)。メンバーが3人でスタジオに入って作ってきたものを僕に投げて、僕がそれをまた構成立ててっていうのもあれば、いろんなかたちがあります。

なるほど。さっき、ライヴだと映像でちゃんとイメージが提示されるってお話がありましたけど、映像でもダウニーは際立った作家性を残されているっていう印象があります。それは作られているメンバーの方が――

青木:zakuroです(笑)。

(笑)zakuroさんに一任されている感じなんですか?

青木:もちろん彼も作るんですけど、彼はディレクターみたいな形かな、いまは。いちばんわかりやすく言うとそんな感じです。あとは現場のVJですね。ひとの紹介だったりとか、僕が何人か挙げていったひとたちのパイプ役をやってもらっていて。そのあたりのイメージがわりと共通している。僕のことをすごく理解してくれています。いまは、これはないよね、これはあるよね、みたいなことをやってもらっていますね。もちろん本人もPVを作りますし。でも、今回は9年のなかで出会ったひとたちがいて、彼らとやってみたいなっていうのがあるので、オファーしているところです。いま数人でいろいろ作っていますよ。

あ、なるほど。映像も歌詞に負けず劣らずというか、けっこう思索的な内容を含んだものだなーって感じるんですよ。過去のもので、“漸”とか、“形而上学”とかの、ずっと扉が開いていくイメージ。あの正解のなさみたいなものを突きつけてくる感じっていうのはzakuroさんの個性だったりするんですか?

青木:“形而上学”は小嶋さんって方にやってもらったんですけど、それも当時僕の頭にあるものを無理矢理具現化するみたいなところがありましたね。当時は「この手法を試してみたい」とかって思って、自分でもカメラ持ちましたし、編集も立ち会いましたし。「もっと画角を」とかですね(笑)、そんなことを言ってたんです。今回は大人になって寛容になったので、向こうが言っているものが良かったりもするって、気づきました。いいものをどんどんオッケーしていけばいいなーと思ってます。

あ、じゃあその寛容さっていうのが一種の歌心みたいなものを引き寄せたりもしてるんですかね?

青木:そうなのかもしれないですね。自分では自分のことなのであんまり考えてなくて、インタヴューされてはじめて考えることのほうが多いんですけど。やっぱりいま思うと、昔はいろいろ相容れないというか、「自分は発散するけどひとのものは容れない」っていうタイプだったのかもしれないですね。いまはわりとシンプルに入ってくるし、それをまた出していけるし。ふたつのアイデアなら、1たす1は2じゃなくて、3以上にしなければいけないわけですし。それができるようになったのがいまの強みなのかなとは思っていて。考えもしなかったんで……たとえばひとに曲を書くとかですね。なんか、できるようになりました(笑)。

はあー、なるほど。本当にいいお話です。いろんな自分のなかの扉みたいなものが開かれていく感じだったんですかね。

青木:まあ、揉まれましたよね(笑)。

なるほど(笑)。

青木:いや、やっぱ優しいひとにいろいろ出会って。みんな優しいなと思って。自分もですけど、子どもを見る目としてこんな気持ちになるんだなっていうのが強くあって。何て言葉にしていいかちょっとわからないんですけどね(笑)。もちろん自分の大事なものは絶対守んなきゃいけないですし、自分の正解は必ず残すんですけど、もっといろんな見方があって、その見方を受け入れることができなかったら逆に向こうも受け入れてくれるわけがないというか……。現時点ではそこにいるんだと思います。

ハッピーだからハッピーな曲になるとか、そういう単純な表現をしないわけじゃないですか。一見重たくて厳しいような感触がありますが、今回の作品にはおそらくそういうふうなものが溶け出ているんでしょうね。

青木:はい。そうだと思います。今作は自分のなかでめっちゃ明るいんですけど。めっちゃ明るい曲ばっかり並んでるなーと。だけど、いままでダウニー好きなひと大丈夫かなー、みたいな(笑)。

へえー! それすごく太字で書きたいです(笑)。

青木:明るいって言われるんじゃないかなと思ってたんですけど、どうやらそうは思われないみたいなんで、それはそれで良かったと思うんですけど(笑)。

5人が5人とも、いろんな経験をしてきたところで、単純に人間性がにじみ出た作品だと思うんですね。だから僕のなかでかなり温かい作品なんです、今回は。むしろ暑苦しいなと思っていて。

ははは! 明るいというか、プロダクションがすごく綺麗に整えられてる、角とかガサガサしたものが削られてるという感じは受けましたけどね。元々すごくソリッドなギターの音だったり、それこそポスト・パンクっぽいっていうような、ラフさみたいなものがあったと思うんですけど、今回はすごくクリーンというか音響的に透き通っているというか。ジム・オルークとまで言うと何なんですが(笑)、そんな印象を受けました。そのあたり、考えていたことはあるんですか?

青木:でも元々ダウニーは、ひずみ、ブーストするのがイヤなんで。

あ、そうなんですか? さっき言っていたようなシューゲ否定みたいな感じがあったわけですか。

青木:そこまでは言わないですけど(笑)、ひずませればいい、みたいなのがなんかね……。誰でもできるし。もっとアンサンブルで凶暴さを出すってことですね。リズム・セクションとして凶暴さというか、僕らの持っている闘う姿勢を出していけたらいいなと、いつも思ってやってます。あんまり姿勢としては変わってないんですが、やっぱり僕らも年を取ったし。5人が5人とも、いろんな経験をしてきたところで、単純に人間性がにじみ出た作品だと思うんですね。だから僕のなかでかなり温かい作品なんです、今回は。むしろ暑苦しいなと思っていて。どう映るかはちょっと置いといて(笑)。

あー、でもそれはすごくいい話です。

青木:いまの僕らにできること。だから無理矢理冷たくすることはやっぱりいまの僕らにはできないですし、怒ってないのに無理矢理怒ることもやっぱりできないです。ほんとに、いま僕らのあいだにある人間関係が生み出したものなんじゃないかなと思います。
 だからわりと楽しく作って――まあもちろんキツいんですけど。ダウニーっていうのは制作自体がほんとに何回でもボツりますし、何回でもやり直すし、正解がどこにあるのかほんとにわかんなくなるときもあるぐらい悩みながら、トラック・メイキングしていくっていうバンドなんです。それをしかも、PCという選択肢もあるのに、わざわざ自分たちで弾き直してやるので。すごくキツい作業ではあるんですけど、わりと楽しくというか、またこのバンドでできるっていう喜びをちゃんと味わいながらやれていたとは思います。

その楽しさとか温かさ、柔らかさ、それから10年分の成長なり、音楽との出会い直しとかっていう新しい要素のいっぽうで、これまで一貫してきたものとして、いま「闘う」っていうキーワードが出てきましたね。それは、何との闘いってことなのでしょう?

青木:やっぱり自分たちの作ってきたものを、10年経っても聴いてくれるひとがいて、音源を出してくれるレーベルがいてくれるというだけでも、「どれだけ信頼してるんだよ」って――愛してもらってるんだなって思うので、そのひとたちに「ダウニーはやっぱりまたスゲーの作るな」と思わせなきゃいけないですよね。
だから、いちばんの敵は自分たちだし、自分らは前作を超えなきゃいけないですし。そこについては、メンバーがみんな一貫して「ダウニーっぽい」っていうイメージを持ち続けていたのが――首を絞めもしましたが(笑)――結果やりやすくなったんじゃないかなと思います。まずレーベルのひとたちがカッコいいって言ってくれないとはじまらないですし、僕ら自身もそうですし。

自分たちが闘いの対象だというのも、ダウニーのストイックな部分のひとつだと思うんですけれども、もうちょっと社会的な部分で、外に向かう闘いみたいな、そういうことはあんまりないんですかね?

青木:まあ、べつにシーンに一石を投じるとか、そこまで大仰なことは僕も思っているわけではないんですが……。9年のブランクがあって、僕はいわばルーキーなんですよ、いま。イメージとしては学生ぐらいの感じなんで(笑)。ほんとにギター持ったばっかりの頃の初心に戻っているので、そこまでおこがましいことは思っていないですね。まあでも、ファン以外の人にも聴いてもらうわけですから、他のバンドに「あいつらと対バンしたくねー」ぐらいに思われることはやんなきゃいけないと思います。自分らの音楽が、いまのところの自分らの正解であるというところまでは、ちゃんと作り上げたいので。
 社会に対して、という部分は、僕ら元々そういうスタンスでもないですから。もっと単純に、「こういう表現がしたい」っていうことを突き詰めているバンドだと思います。僕に至っては、自分の頭にあるものを映像でも何でもいいから吐き出していくというだけですしね。そこを目的にしています。

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沖縄という場所

なるほど。それはとてもよくわかります。でも、音楽にする必要はさらさらないんですけど、沖縄にいらっしゃると内地では見えなかったことが見えたりする部分もあるんじゃないですか?

青木:そうですね、たとえば基地の問題なんかは根深いです。誰も欲しいとは思っていないけど、依存している部分もあると思います。なければ実際に沖縄の経済が支えられないというような現実もあって。

ああ、なるほど。産業って観光くらいなんでしょうか。沖縄って、シングル・マザー率が高かったり、所得の水準が低かったり、常夏の楽園ではない、暗い部分を抱えていたりもしますよね。地震のあとはこちらから移住する人もけっこういたんじゃないかと思うんですが。

青木:そうだと思います。ただ、沖縄もそれぞれのコミュニティは小さなものなので、そこで元々の住民と分離せずに馴染んでうまくやっていけるかどうかというところでは、必ずしもうまくいっていないところもあるのかもしれません。

ああ……、今後ますますくっきりと明暗の出てくる問題なんでしょうね。逆に東京から距離をおいたことで、東京を客観的にとらえて見えてくるところもあったのではないかと思いますが、何か問題や欠点みたいなものは見えますか?

青木:そうですね……。沖縄では、子どもを夕方家に連れて帰ってくるときなんかに、いっしょに近所の子の面倒もみたりするんですよ。気軽に声をかけて、ちょっと注意したり、連れて帰ってきたり。そういうことは、東京だとできないことかもしれませんね。

ああ、地域社会が機能しているんですね。青木さんは、本当にきちんと沖縄という土地に住まわれているんですね。わたしも、実家の方はまだそんな感じだと思います。

青木:田舎はそうですよね。沖縄はやはり田舎でもあるので、アーティストがあまり来ないんですよ。ライヴ公演が少ないんです。モトを取れるほど集客ができないので……。そのかわりクラブがとても盛んですね。

ああ! なるほど! 田舎であるがゆえに、持ち寄り文化というか、自分たちでてきるパーティが主流になると。

青木:DJだったらひとりですし、呼びやすいですからね。僕の店でもいろいろやってるんですよ。

あ、それは素晴らしいです。

青木:レイ・ハラカミさんも、ご生前最後にライヴをされたのがうちの店なんですよ。

ええー、そうなんですか! 地方で、ご自身のやれることをちゃんとマネタイズしながらも純粋にやって、地元の音楽の現場もきちんとあっためて、子育てもして……、すごい10年だったんですね。新作も、錆びるどころか、本当にそうした人としての充実までが音に結びついているということがよくわかりました。お人柄もふくめて感服いたします。では、活動が再開したからといって、東京には引っ越されないんですかね。

青木:いまのところはそうですね。

ぜひ、お店に『ele-king』置かせてください!

青木:ぜひ!

わー、ありがとうございます!

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 エレグラ、いよいよ明後日に迫りましたね!
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ヴィデオ&メッセージ


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interview with Kindan no Tasuketsu - ele-king


禁断の多数決
アラビアの禁断の多数決

AWDR/LR2

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 2011年。古今東西ありとあらゆる音源が一並びに混濁する景色のなかで、彼らは「透明感」と歌った。

 禁断の多数決、その名は、フロンティア・ラインが複雑に歪んだシーンにとても鮮やかな印象を残した。アニマル・コレクティヴ譲りのサイケデリア(ほうのきは日本のエイヴィ・テアだ)、一大気運であったシンセ・ポップ、ひたひたと押し寄せるニューエイジ・リヴァイヴァル・モード――当時もっとも影響力のあった音楽的トピックを、ドリーミーかつエクスペリメンタルに巻き込み、バンド名からもうかがえるようなノイジーな批評性を漂わせ、またリスナーとしての喜びも溢れさせ、日本のポップスとしてもしっかり着地する、誰もが気になる(けれどもいまひとつ謎の)バンドとして。

筆者はEPにもなった“透明感”にビリビリときていた。世の中はとうに透明な場所ではなかったので、透明には「感」をつけなければならなかった。「感」をつけるフィーリングが、そのフェイクな味わいのシンセ・ポップからよくつたわってきた。いまこの世界にあるのは、透明によく似た、透明の偽物だけ……。

かといって、彼らの音楽はドリーミーで、なにか得体のしれないエネルギーと音楽的記憶を宿していて、ニヒルや偽悪のそぶりは感じられない。むしろその逆であるところにリアリティがある。本物の透明がない以上、そのことが「本当」になる……本物がないことが本当になっている時代を、アルカイック・スマイルで肯定しているような彼らの音のたたずまいに、筆者はとても親近感を抱いた。その頃、世間は『けいおん!』旋風のただなかで、筆者はあの素晴らしいアニメ版が宿している、抜けるような透明「感」にも、同じようなことを感じていた。

それから2年が経って、彼らはいま旅をしている。セカンド・フル『アラビアの禁断の多数決』では、やっぱりどこかフェイクな感触を残す旅が繰り広げられていて、奇妙に実体のない国名や地名がたくさん散りばめられているのが特徴だ。彼らの旅は「現地」にあるのではなく、『世界の車窓から』(テレビ朝日)の現地「感」にある。本物に触れられない切なさが、禁断の多数決の強度である。それは音を磨き、無二の個性を生み出している。CDケースの中敷きに印刷されたシノザキサトシによる短編で、好奇心旺盛なコロンブ・ハッチャーマンが「なんかくれ」とものをねだるのも、ほうのきがピーター・ゲイブリエル(過激な仮装)をリスペクトすることも、「本物」に対する両義的な希求感の表れだということができるかもしれない。

 シノザキの短編はこのアルバムのアート・ワークのコアをなすような内容で、ある砂漠の村が、そこに突如現れた「浮遊人」たちの存在によってちょっとした変化を迎える顛末を描いている(『アラビアのロレンス』が下敷きになっている)。が、変化といっても決定的なことは何も起こらず、最後は砂漠がめくれあがって、その下からまた砂漠が出てくるという、どこか閉塞的なクライマックスが、バカバカしいタッチで展開されることになる。そのとき空には「リバースター」なる謎の物体が浮かんで妙なる音楽を奏でていて、砂漠がめくれるきっかけになったのは、くだんのハッチャーマンによる「なんかくれ」発言だ。砂漠がめくれてもまた砂漠。「なんか」はいつまでも手に入ることはない。ハッチャーマンは物乞いをつづけるだろうし、しかし「なんか」が手に入らなくても塞いだり暗くなったりすることなどなにもない……。

 おそらくこのアルバムで鳴らされている音楽が、このとき「リバースター」から流れていた音楽だ。俗物として描かれる元宗教家の床屋は、その体験を「そりゃ驚いたよー、(中略)こんなことを言ってもわかんないと思うけどさ、実物のリバースターを見たら、そんな気難しい顔はしないと思うなー」と語る。筆者はこのくだりが好きなのだけれども、『アラビアの禁断の多数決』は、実際、それと同じような感じで、気難しい顔になって向かい合うものではない。砂漠の下から砂漠が出てくる世界で、それをそのままに、心地よく聴けばいいと思う。

この短編はいいライナーノーツかもしれない。インタヴューの時点でこのテキストのことは知らなかったが、話をきいていて、筆者には禁断の多数決についてのいろんなことが、ほぼこのテキストに沿うような内容で、すーっと氷解していくように感じられた。

目次
音楽雑誌の記憶
なぜか3.11以降……
偽物談、地名談。
ガブリエル世代のポップの裏表
禁断の組織論!
日本脱出

音楽雑誌の記憶

ほうのきさんって、『スヌーザー』とか読んでました?

ほうのき:年末の年間ベスト号には大変お世話になりました。

リアルですね(笑)。なんというか、ひとりのリスナーとしてのほうのきさんにすごく親近感がありまして。不特定多数の洋楽リスナーが、音専誌を通じて大きな話題を共有できていた、その最後期くらいの記憶をお持ちなんじゃないかなって思うんですよ。

ほうのき:なるほど。

「洋楽ファン」っていうカテゴリーがまだギリギリ生きていて、紙メディアが機能していて。しかもたぶんロック寄りで、ちょっと突っ込んだ情報や言葉が欲しくて、みたいな、自分と近い聴き方・読み方をされていたんじゃないかという勝手な妄想なんですが。

ほうのき:もともとはたくさん買っていたんです。たぶんいま言っていただいたのは合っていますね。他には『クッキー・シーン』とか『アフター・アワーズ』とか。

そうそう! まさに。

ほうのき:『リミックス』、『ロッキング・オン』、『クロスビート』、『(ミュージック・)マガジン』とかも、年間ベストの号はなんでも全部、必ず買ってましたね。

よくわかりますよ。田舎のせいもありますけど、シーンってそんなふうに感じるものでした。

ほうのき:ちゃんと月々買ってたんですよ。それがいつのまにか買わなくなってしまって……。

ああ、なるほど……。

ほうのき:当時、僕も僕の友人もみんな音楽が詳しくて。レコード屋にもよく行っていたんです。みんな本当にマニアックでした。けれど、なぜだかどんどん掘らなくなっていったんです。

ああー、それは根深い。時代性の問題でしょうか。

ほうのき:僕は鈴木慶一が好きで。彼が、「“いまいい音楽がないよね”ってみんな言うけど、それって自分が掘ってないだけで、本当はあるんだよ」っていうようなことを言っていたんですよ。自分が古くなっているってことに気づいてないだけなんだ、って。それには感銘を受けました。Hi-Hi-Whoopeeって人いるじゃないですか。あ、明後日、ele-kingで何かやりますよね?

ああ、はい!  2.5Dさんで番組をやらせていただきます(2013.10.25「2.5D×ele-king 10代からのエレキング!」)。Hi-Hi-Whoopeeのハイハイさんにもご出演いただく予定ですよ。

ほうのき:僕、ハイハイさんのこと何かで知ってそれ以来ずっと見てるんですけど、最近は、ele-kingさんとかハイハイさんとか、あとはベタだけどPitchforkとか、そのあたりはなんとかいまでも追っています。

普通に恐縮ですけれども……。

ほうのき:このアルバム(『アラビアの禁断の多数決』)の制作があって大変だったということもありますけど、もっと言えば、3.11ですね。あのあたりからなんです。なにか追えなくなってきたのは。

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音楽雑誌の記憶
なぜか3.11以降……
偽物談、地名談。
ガブリエル世代のポップの裏表
禁断の組織論!
日本脱出

なぜか3.11以降……

ちょうど3.11から年末まで止まってたんです。その間はほぼ聴いてない。そのときまでの知識で作ったのが前のアルバム(『はじめにアイがあった』)です。

それまではさまざまな音楽雑誌やラジオ、レコード・ショップまでもう何もかも、ひととおり網羅していた自信はあったんですよ。音源をハードディスクに入れられるという喜びも覚えて、大量に入れていたんですね。それが、3.11以降やらなくなっちゃって……。

それは、不思議なきっかけですね。

ほうのき:はい。あの出来事があってファースト・アルバム(『はじめにアイがあった』)ができたんです。(東京から)富山に帰ったし。だからあのアルバムにはそのときまでに得たものが反映されているんです。

へえー。3.11以降、なぜか情報を細かく追うことをやめちゃったんですね?

ほうのき:そうなんです。僕、Tumblrが好きなんですね。あの頃Tumblrをばーって見てたら、なんだっけ、あのコンサルみたいな人……

篠崎:大前研一じゃない?

ええっ?

ほうのき:そうそう、大前研一が「人間、変わろうと思ってもそんなスグに変われるもんじゃない」みたいな感じのことを言ってたんですよ。人間が変わるには3つくらいしか方法がなくて、早起きすることと、付き合っている人間を変えることと、引っ越すことだ、みたいな(※)。僕もう、そうだな、ほんとだなと思って(笑)。

※「人間が変わる方法は3つしかない。ひとつ目は時間配分を変えること。ふたつ目は住む場所を変えること。3つ目は付き合う人を変えること。どれかひとつだけ選ぶとしたら、時間配分を変えることが最も効果的なのだ」(『時間とムダの科学』プレジデント社)

ははは! 啓発されちゃったんですか。

ほうのき:ははは! 僕、それまですごく中途半端に音楽やってたんですよ。3.11まではほんとに。だけどその後、本気でやろう! って思ったんです。それが3.11と結びつく理由がどっかにあったんですけど……なんか、思い出せないですね。

なるほど、でも3.11がきっかけで富山に戻られたということなんですね。

ほうのき:そうですね、3.11がきっかけで戻ったのと、あとは大前研一……。

(一同笑)

(笑)あ、なるほど、そのとき何かを変えたいって思ったんですね。それで、住むところを変えるっていう大前研一の言葉にも触発されて。

ほうのき:そうそう、ちょうどTumblrでその言葉が流れてきて。でも、変わりたいというのは前から思ってたんですよ。たまたまそのときにその話を知って、3つとも当てはまって、これ自分だ!ってなったっていうだけで。

ははあ。たしかに3.11っていうのは、陰に陽に、人々に変化のきっかけを与えるものとして働いた部分があるみたいですね。一見関係ないけど離婚した、とか。

ほうのき:ねえ?

はい。被害が出た出ないということと別のところで、人と人との関係とかムードを変えるタイミングだったりもしたわけですけれども……。それがほうのきさんの上に、音楽にまつわる変化として現れてきてもおかしくないですよね。

ほうのき:それで、その年の年末ですかね。僕、ele-kingさんのとかPitchforkだったりとか、いろんなところで年間ベストで挙げられている音源をほぼすべて落とした(ダウンロードした)んですよ。真面目な話、橋元さんとはかなり気が合うんです。

わー、そうなんですね。

ほうのき:はい。で、2011年の末にベスト音源を全部落としたあと、少しずつまた聴くようになったんですね。日々掘って、日々聴いて、っていうことはなくなりましたけど、まとめて聴くようにはなって。そしてそのときに、ドリーム・ポップとかチルウェイヴみたいなものがばーっと入ってきたんです。一気に。年間ベストのをまとめて聴くわけだから。それで、うわ、これおもしろい、と思って。

たしかに、2011年の末はドリーム・ポップ的なトピックが連続してました。 ※前号の特集が「シンセ・ポップふたたび」、前前号の特集が「現実逃避」

ほうのき:ちょうど3.11から年末まで止まってたんです。その間はほぼ聴いてない。そのときまでの知識で作ったのが前のアルバム(『はじめにアイがあった』)です。ララージとか、アンビエント系のものから、カフェ・デル・マーのコンピとかも好きで、そういうの全部入れようって思って作ったんですけど。で、それを作り終えた頃に年末号があって、おもしろかった。だから、1枚めはチルウェイヴとか意識しないで作ってたんですけど、出した後にみんなにけっこう「チルウェイヴ」って言われて、なんかそれがうれしくて。

へえ!

ほうのき:まとめて聴くのはいまも続いていて、正直Hi-Hi-Whoopeeさんとかの教えてくれるおもしろい音とかも全部保存してあるんですけど、全部聴けてない(笑)。フォルダにたまる一方で、いつか聴くつもりなんですけど、そのままなんです。たとえば、tofubeatsがいいって言っていて、Hi-Hi-Whoopeeもいいって言っていたらその場で聴きますけど……。

わかりますよ。たまる問題の病理はリアルなトピックですよね。しかし、3.11のお話はおもしろいです。どちらかというと政治性とも結びつきやすい話題ですし、下手をするとすごく型にはまった窮屈な議論にもなってしまうので、アーティストさんとかに振りにくい話題なんですけど、ほうのきさんのその、謎の影響と謎の空白時間は興味深いです。チルウェイヴがその空白の後に入り込んできたのは偶然ではないですよ。現実逃避ってことにポジティヴなマナーを与えた流れでしたから。後っていうか、本当は同機してたわけですしね。

ほうのき:ああ……、なるほど!

まあ、でもこういういわゆるバズワード的なものは、たまたまでっちあげられたものでもあるわけで、それが偶然3.11後のタイミングで音として興味深く自分のなかに入ってきただけなのかもしれないですけどね。

ほうのき:3.11に関して言えば、あれだけ大きなことだし、僕もそんなに好んで発言したいわけじゃなくて、自然と変化が起きたってことなんです。だからおっしゃるとおり、偶然なんです。

偽物談、地名談。

ブライアン・イーノは僕のなかでフェイク感なんです。ロバート・フリップは本物感。

前作の話ばっかりで恐縮ですけど、わたし“透明感”って言葉にビビッときたんですよね。「透明」じゃなくて「透明感」っていうところが、すっごく生きてきた時代を象徴的に切りとってるなって思いまして。偽物なんですよ、透明の。透明「感」だから。

ほうのき:ああ、そうですね(笑)。たしかに。

その偽物っていうところを素直に肯定する感性……。偽物ってことにちょっと屈折したカッコよさを感じていたりする感じじゃなくて、です。その偽物ばっかりになっている場所とか世の中を、とくに斜めから見ることなく、生まれたときからそうあるものとして肯定していく、楽しんでいくというか。そういう感覚がひとつ禁断のキャラクターというか特徴なんじゃないかなと思いました。 「偽物」とかってどうです? そういう感覚あります?

ほうのき:ありますね。ラウンジ・リザーズ。僕、ジョン・ルーリーがフェイク・ジャズって自分たちのことを言うのがすごく好きなんですよ。あと、サム・ライミ。『死霊のはらわた』とかも好きなんですけど、彼らの作った言葉に「フェイク・シェンプ」っていうのがあるんですよ。役名のない役のことをフェイク・シェンプと呼んだそうです。フェイクというのはなにか、好きなのかもしれません。よくわかりますね! 今度飲みにいきましょう。

わー!

ほうのき:フェイクと本物で必ず思い出すのがキング・クリムゾンがなんです。キング・クリムゾンになれない感。

キング・クリムゾンになれない! ……音楽的に? 存在として?

ほうのき:ギタリストに、「この曲、ロバート・フリップみたいに弾いて」っていつも言うんですけど、絶対にそうならないんで。でも、ならないなりに、ブライアン・イーノは褒めてくれるかなって。ブライアン・イーノは僕のなかでフェイク感なんです。ロバート・フリップは本物感。

(一同笑)

いや、何か伝わりましたよ。いまフェイクじゃなくてすごいなって思える人とかいますか?

ほうのき:あ、そうですね、うーん……

その、フェイクっていうのが、ほうのきさんのなかの倫理みたいなものなのか、あるいは趣味なのか。それともとくに意識してない部分なんですかね?

ほうのき:フェイクじゃないもの……。スカーレット・ヨハンソンが出ている新作で、こっちにはまだ来てないですけど、『アンダー・ザ・スキン』っていう映画。そのトレーラーがすごくて。ペンデレツキみたいな不協和音とか、新幹線がトンネル入った瞬間の「スヴォー!」っていう感じの音だけで構成されたトレーラーなんですよ。そういうのに鳥肌が立ちます。でもこれもフェイクかな……。あと、ちょっと関係ないかもしれないですけど、アニマル・コレクティヴは僕、本当に衝撃を受けて。

ああ、きた……

ほうのき:だいぶ衝撃でした。あの人たちはフェイクじゃないと思います。

フェイクやれないから、いまポルトガルとか行っちゃったのかもしれないですね。

ほうのき:ああ、パンダさんですか? 

あ、エイヴィー・テアのほうが好きでした?

ほうのき:僕、エイヴィー・テアが好きですね。両方好きですけど。

わたしもひとつの原点ですよ。それこそチルウェイヴ的なものの始原でもあると思いますし。けっこう直接的な意味で。

ほうのき:あ、僕もそう思います。

はい。それに、ロック寄りのシーンだと、彼らが出てくるまではそれこそロックンロール・リヴァイヴァルとかポストパンク・リヴァイヴァルとか、「リヴァイヴァル」っていう批評的な音ばっかりが溢れていたじゃないですか。そこへかなり素直に、サイケデリックっていうものをいまやるとこうなる、っていう超おっきな例をドーンと出してきたのがアニコレだと思うんですよ。

ほうのき:ああー。

そしてシーンはどんどんとドリーミーに、サイケデリックに。それまでストーンドなノイズを出してた人たちもニューエイジっぽくなっていったりして。みんなアンビエントになって。

ほうのき:メディテーションな感じになって。

そうですよ。ジャンル関係なく眠りのムードに突入して。

ほうのき:僕、2010年くらいに京都のメディテーションズってお店が大好きだったんですけど、まさかいま大人気なお店になるなんて思ってもみませんでした。

ははは!  駆け込み寺的な。何でも早いですよね。……ええと、フェイクの話に戻りますけど、これ、何なんですかね。これ、このアー写の。それこそアニコレ的というか、ちょっとあの頃のブルックリンの偽物みたいな感じじゃないですか!

篠崎:(ぼそっと)フェイクですね。

ほうのき:ははは! これちょっと、見てください。影もおかしいんですよ。

ああ、気づきませんでした!  だから(笑)、いまこれをやるとしたら超遅れてきたブルックリン主義者か、なんかわざと偽物をやっている人たちじゃないと理解できないというか。

(一同笑)

ほうのき:説明になっているかどうかわからないんですけど、『アラビアのロレンス』をやりたかったんですよ、まず。

ああー! そうか。

ほうのき:それで、まず砂漠を探そうと思って。そしたら千葉にあるっていうから、千葉なんですよ、これ。どこだっけ……

尾苗:館山。

ほうのき:ああ、そうだそうだ。ミケランジェロ・アントニオーニの『砂丘』って映画で、砂丘で何組ものカップルがスワッピングをしてるんですけど、それをやりたかったっていう。このコラージュは、写真を撮ってくれた江森(丈晃)さんがやってくれたんですけど。

ああ、そうなんですね。いろんな偶然も重なりつつ、でも基本は『アラビアのロレンス』だったと。ほんとにアラビアとは思いませんけどね。

ほうのき:そうですよね(笑)。

いえ、否定じゃなくてですね。今回、曲にいろんな世界の地名が出てくるじゃないですか。でも、どれもちょっとふざけた感じというか、生のその土地じゃなくて、やっぱりちょっとフェイクというか。電脳空間にしかないような、情報の断片みたいな感じで国とか土地名が使われてませんか?

ほうのき:あ、合ってます、合ってます。

ちょっと怪しげですよね。“勝手にマハラジャ”とかだって、シタールとか入れてもっとベタにインドっぽくしたってよかったわけじゃないですか。だけど、エレクトロ・マハラジャって感じの、言っといてそれほどインドでもないというアレンジで。そういうあたりのコンセプトについて訊きたくて。地名に何か狙いはあるんですか?

ほうのき:ああ、それはバックパッカー感を出したかったんです。バックパッカーに憧れていて。いや、憧れるってほどでもないんですけど。

ぜんぜん駄目じゃないですか。丘サーファーならぬ……

篠崎:丘パッカー。

丘パッカー(笑)。基本丘ですけどね。なんていうか、脳内パッカー?

ほうのき:ああ、そうだ。じぇじぇ。

出た(笑)。

ほうのき:まあ、詞も僕が書いてるんで、このときはバックパッカー感を出したかったんですね。

篠崎:“ワールズエンド”とかも出てきますよ。

ああ、そうか! 国の名前を列挙してますよね。

『世界の車窓から』。僕はテレビ局に電話かけてました。曲名を見落としちゃって。あれ、ちゃんと教えてくれたんですよ。

ほうのき:兼高かおるさんの世界旅行のとか好きで。ああいうのをやりたいというのもありました。バンドっていう括りであんまり考えていなくって、とにかくおもしろいことがしたかっただけで。その手段としての音楽なんですよ。で、ラッキーなことに富山出身者が4人集まっていて。

そこ、すごいとこですよね!

ほうのき:そうなんですよ……この話、関係ないか。

(一同笑)

ほうのき:バックパッカー感を出したいというのは、音の部分だけじゃないんですよ。基本的には、やっていること全部のなかにあって、それが音にも出たという感じです。

なるほど。でも、それなら『世界の車窓から』みたいな、イイ感じの音楽、もっとその土地のそれらしい雰囲気を出していくという選択肢もあったわけじゃないですか。

ほうのき:ああ、『世界の車窓から』も好きです! ハードディスクにためていた音源のなかには、あの番組で紹介されていた曲もたくさん入ってます。あれはけっこうマイナーな音楽が流れるんですよ。探せないのもけっこうありましたね。

あ、そうなんですね。篠崎さんも?

篠崎:メモったりする程度ですけどね。

ほうのき:僕はテレビ局に電話かけてました。見落としちゃって。ちゃんと教えてくれたんですよ。いまはネットで紹介されてますけど、昔は何時何分に流れたやつ何ですか? って電話で訊いたら、教えてくれたんです。

あはは、すごいですね! いや、でも、そういうもっともらしさとか本格へ向かわないじゃないですか、禁断の多数決は。そこがいいなと思って。いろんな知識があって、音の趣味も幅広いのに、モノホンなセッションをやりたい、本格的に民俗音楽をやりたい、みたいにはならないでしょう?

篠崎:まったくないんじゃない? そんな話、出たことがない。

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音楽雑誌の記憶
なぜか3.11以降……
偽物談、地名談。
ガブリエル世代のポップの裏表
禁断の組織論!
日本脱出

ガブリエル世代のポップの裏表

僕は爆笑問題の太田光が好きなんですけど、彼はアートでも何でも、世間一般に広がらなければ意味がないっていうようなことを言うんです。

あ、ジョー・ミークが好きな篠崎さん。……前作は存在自体が問題提起、みたいなところがあったようにも思うんですが、今回はもうちょっとポップスとしてのアルバムの厚みみたいなものも目指されている、もうちょっとリスナーに寄せた作品なのかなと思いました。

ほうのき:あ、そこはひとつ話があるんですよ。もともとこれは2枚組のものだったんですね。

え、そうなんですか? めちゃくちゃ曲数があったということはうかがっていますが。

ほうのき:今回出せなかったもう1枚の方は、メンバー内では通称「ピッチフォーク盤」と呼ばれているもので。

ええっ。そんなはっきりとした性格のあるものだったんですね。

ほうのき:ピッチフォーク盤じゃないほうがこれ(『アラビアの禁断の多数決』)なんです。通称ピッチフォーク盤は、コアなやつばかり集めていて。ジェイムス・ブレイク風からダーティ・プロジェクターズ風、アダルト・コンテンポラリー、ファンカデリックっぽいものまで、いろいろ入っています。かなり分けて作りましたね。

なるほど、ではこのアルバムはある意味では上澄み液というか、難解めなものを落としたかたちだと。

ほうのき:そうですね、振り分けたんです。ポップなのを集めちゃったんですね。

なるほどなあ。Tofubeatsさんとか、若いアーティストの方にわりと感じるんですけど、「ポップスっていうものをちゃんと考えよう」っていうところがありませんか?  そんな問いは放っておいて、天然で好きなものを作っていいはずなんですが、なにか「いかに僕らはポップを作るか」というようなことを詰めようとする。ほとんど倫理として内面化されているようにも思えます。そういう感覚への共感はありますか?

ほうのき:僕は爆笑問題の太田光が好きなんですけど、彼はアートでも何でも、世間一般に広がらなければ意味がないっていうようなことを言うんです。チャップリンが好きだそうなんですね。その意味では岡本太郎ですらまだ弱いって。だからポップっていうことをもっともっと超えたかった、それが今回のアルバムで、「ピッチフォーク盤」のほうはその反対をやりました。だから本当はふたつともいっぺんに出したかったんです。そうしたらスケジュールの関係で最初に作りはじめたポップな方だけ出た……。

なるほどなあ。もっと若い人たちには、ポップスというか、ポップス産業への懐疑みたいなものがわれわれ以上に強いんだろうなって感じるんです。それに比べれば、ほうのきさんの感覚はもうちょっと柔らかいのかなとは思います。逆襲を仕掛けてやるっていうようなモチヴェーションはないですよね?  そこまで意識的でなくポップスが好きだったりするのかなと。わたしは“くるくるスピン大会”とか好きですよ。“トゥナイト・トゥナイト”とか。そのへんアルバムの顔ではないのかもしれないですけど、素直にポップス好きが出ている部分なんじゃないですか?

ほうのき:そうですね。“くるくるスピン大会”は、20歳くらいのときに作ったものなんですよ。はました(まさし)が作ったオケに唄を乗せたものです。適当に多重録音していた頃の作品で、久々に聴いたら「けっこういいんじゃない?」って感じになって。バグルスっぽいかな。“トゥナイト・トゥナイト”もはましたから来た曲です。僕はマニアックなものが好きなんですけど、はましたはわりかし普通の音楽が好きで、だけど彼がある意味いちばん変かもしれないですね。

ははは!

ほうのき:僕ら保育園からいっしょなので。彼はフェニックスとか、ちょっと洒落たAORとかが好きなんです。それで、彼が送ってきた音に僕がいろいろ加えてやりとりしているとすごい変なものができる。バランスがちょっとおかしいんですよね。

へえー、はましたさん。

ほうのき:僕はあの頃、(ザ・)シャッグスみたいな音ばっかり録ってましたね。

ははは。“くるくるスピン大会”がシャッグスに直には結びつかないですけどね!

ほうのき:僕ひとりでやると全部シャッグスになります(笑)。

“踊れや踊れ”とかは、アラン・パーソンズとか10ccとか、ちょっとリッチに味付けされているような印象ですが、祭りのお囃子ってこんなところと相性がいいのかって、ちょっと新鮮でした。……ピーター・ガブリエルがお好きなんでしたっけ?  そこにつながっていくのかあ、って。

ほうのき:そうなんですよ。そこへの自負はありますね。ピーター・ガブ――あ、ピーター・バラカンさんが怒るので、ピーター・ゲイブリエルって言いますね。

あ、わたしもまよいます。じゃ、ゲイブリエルに統一しましょう(笑)。

ほうのき:はい(笑)。ピーター・ゲイブリエル、デヴィッド・バーンが好きなので、そのへんを目指したいというのはあるんです。でも、最近けっこう名前を聞くんですよね。セロの人がトーキングヘッズのオマージュみたいな曲を演ってたり、The 1975とかもピーター・ゲイブリエルがいちばん好きって言ってたように思うんですが、「あれ?  僕だけじゃないのか?」って(笑)。案外そういう若い人がけっこういるんですね。

バンド全体としても重要な部分なのでしょうか? 篠崎さんとかも?

篠崎:重要ですね。それを音にして、偶然性みたいなものも詰め込んでできたのが今回のアルバムです。

ほうのき:最終的に(尾苗)愛さん、ローラーガール、ブラジルの声が入って雰囲気が一気に変わるので、アルバムはおもしろいですね。化学反応というか。そこで一気に禁断の多数決になるんだなっていうところがあります。

いや、それはよくわかります。実際に替えがきかないというか、他の方だと禁断の多数決にならないですよね。でも、すごく平面的に「萌えヴォイス」ってタグづけされてしまうことはありませんか? 今作はもうすでにそんな段階を超えてますかね?

ほうのき:去年まで多かったのは、相対性理論との比較ですかね。

なるほど、それはありましたね。禁断は、要は洋楽じゃないですか。それがちゃんと日本の土壌のなかに、日本固有の表現でもって着地しているところが素晴らしいなと思います。いろんなポイントがありますけど、尾苗さんたちのヴォーカルが果たしているものも、その重要なひとつじゃないかって感じますね。

ほうのき:「よくわかんないけどいい」って言われるのはうれしいです。

篠崎:はっきり「いい」「悪い」っていう反応がないよね。そのへんは曖昧とした感じです。

ほうのき:批判があんまりないのが、ちょっと不安ですね。自分はどちらかというと、否定とかがなきゃだめなのかなって思う方なんですけど、いまのところすごく悪く言われることがあんまりない気がして。

言葉で簡単に言いにくいバンドかもしれません。

ほうのき:そうなのかもしれませんけど、大丈夫かなあって心配になったりはします。

そういう部分で、バンドの方向とかについての話し合いとかをしたりするんですか?

篠崎:いやー、全然ないですね。何かひとつのコンセプトがあって、そこを目指そうというようなこともないですし。

禁断の組織論!

メンバー募集をしていまして。チェ・ホンマンみたいな大きい人、それからダニー・デヴィートみたいな小さいおじさんと、サルバドール・ダリみたいなヒゲで長身の伯爵みたいなゲイのおじさん。そういう集団に近づきたい感じがありますね。

さて、話は変わりまして、禁断の組織論といいますか、みなさんというのがどういう集まりなのかということをお訊きしたいんですけれども。「ノマド」という言葉をわりと使っておられますよね。

ほうのき:はい(笑)。

組織と呼ぶにはもしかすると柔軟すぎるつながりなのかもしれませんが、どうなんでしょう、コアにあるのは富山という地元の縁?

ほうのき:そうですね……。自然に、ですかね。

東京で音楽活動やろう、ってみんなで一念発起して出てきたんですか?

ほうのき:いや、そういうことではなくて、こっちで出会ったりしています。はましたは保育園からですね。篠崎は大人になってからです。ほんとに自然に集まっていて。愛さんは●●の店員さんですね。

尾苗:ああ、はい。そうなんです。

ええっ!

ほうのき:普通に店員さんで、僕が客だったんです。

尾苗:でも、わたしも富山の出身ですよ。

えっ、それは富山のお店で出会ったってことですか?

尾苗:東京です。

めちゃくちゃ偶然、富山だったんですね。

尾苗:たまたまその日だけ、「自分を売り出せ」っていうことで、名札に出身地を書いていたんですよ。そしたら「富山県なんですか?」って声をかけられて。

ほうのき:そうなんです。かわいいなあーと思って。それで、ググって(笑)。

ははは!

ほうのき:ストーカーですよね。でも、そしたら偶然にも共通の友だちがいたんです。

尾苗:わたしはわたしでバンドにいたりもしたので、その声を聴いてもらって……っていう感じですね。

すごいですね。篠崎さんも偶然東京で出会った組ですか?

ほうのき:篠崎は、メンバーの弟とバンドをやっていたりしたつながりですね。

それもまた富山だったと。どちらですか?

篠崎:高岡です。

へえー。そういう、地名が結ぶ縁というものがあるのかもしれないですけど、この10年って、バンドっていうものの説得力がなくなってきた10年でもあったと思うんですね。これ、いろんなバンドの人に訊いている質問なんですけど。

ほうのき:ああー、なるほど。それはわかります。

インディ・ロック系のアーティストが、どんどんソロとかデュオ、もしくは……

ほうのき:アニマル・コレクティヴとかですよね。メンバーも必ずしも揃ってなくていい。

そうそう、そんな世界で、なんでわざわざ5人とか6人とかで関係を結んでいるのか。ひとりやふたりのほうがいろんな部分で面倒くさくないですよね。デュオやソロに存在感が生まれたのもそういうムードの高まりだったのかなと思うんですが、みなさんはどんな感じなんです?

ほうのき:『あまちゃん』にちょっと似てますかね。

出た。

ほうのき:『あまちゃん』は好きで、あと僕は『ツイン・ピークス』も好きなんです。登場人物が全員好きですね。出ている人たちも全員擬似家族っぽい感じがしませんか。あのふたつの作品のいいところは、登場人物全員を愛せるところというか。ひとりもいやなキャラがいなくって。ツイン・ピークスみたいな集団を作りたいっていう感じが昔からあります。

ああ、『ツイン・ピークス』なんですか。誰か死にますね。

ほうのき:死んでも生き返ってくるんですよ、篠崎さんは。

(一同笑)

あはは!

ほうのき:だから、「バンドやりたい」からはじまってないんですよ。劇団というか……。必ずしも劇団が好きなわけではないんですけどね。

なるほど。

ほうのき:いま、メンバー募集をしていまして。チェ・ホンマンみたいな大きい人、それからダニー・デヴィートみたいな小さいおじさんと、サルバドール・ダリみたいなヒゲで長身の伯爵みたいなゲイのおじさん。そういう集団に近づきたい感じがありますね。サーカス団というか。

なるほど、なるほど。映画に出てくる、ちょっと古めかしい旅の興行団みたいな。おふたりもいっしょですか? バンドという意識ではない?

篠崎:そうですね。

仲良しグループでもない?

篠崎:仲良しではないと思いますね(笑)。

ほうのき:ほんとよくわからないんですよ。

特殊ですね。でもそんなかたちでけっこう楽しく、長くいっしょにいられるんだったらおもしろいことですよね。

ほうのき:音楽好きなのは共通していると思うんですけど、6人が集まって音楽の話をすることはほとんどないですよね。

映画観たりする感じですか?

篠崎:いや、そんな仲良くないです(笑)。

ほうのき:昔はよく篠崎とふたりで飲んだりしましたけど、政治の話とかですね。

オブ・モントリオールとかは色が違いますけど、あれもちょっとしたサーカス集団みたいな感じがありますよね。

ほうのき:トーキング・ヘッズの『ストップ・メイキング・センス』っていう映画がありますけど、あれを観ていると、黒人のコーラスの女性サポートが居たり、黒人のギタリストとかキーボードもサポートだったりしますよね。僕のコアにはそういう、さまざまな人といっしょにやりたいという感じがあるんです。だから、必ずしも6人だけでライヴをしたいとかっていうこともないんです。

ひとりひとりが主役になるスピン・オフもありつつ、集まると禁断の多数決になる。

ほうのき:そうですね。

でも、ひとりやふたりだと「多数決」っていう名前ともちょっと違ってきますよね。多数決って、暴力的なものでもあるわけじゃないですか。それが嫌という人が1人いれば、1人には犠牲を強いるわけですから。民主的なんですけど、民主的ってこと自体が必ずしもひとりひとりに優しくないというか。禁断の多数決っていう名前には、そういうことへの問題提起があるなーというか、時代性があるなというか。わたしは初めて聞いたときビリビリっとしました。そういう意味でつけたんじゃないとしても。

ほうのき:僕にはその感覚はけっこうあります。

篠崎:僕はとても多数決に弱いんです。

ははっ! マイノリティなんですね。

篠崎:いつも負けるので、「本当に俺は間違っているのか?」っていうことをずーっと幼少の頃から感じてきたんですよね。そういう気持ちや会話の流れから(禁断の多数決というバンド名が)生まれた部分はあるのかもしれないですね。鍋のときとかに(笑)。

あはは!

ほうのき:しょっちゅう飲んでたんです。政治を語る友だちでした(笑)。あの頃なんであんなに政治の話が好きだったんだろう?

篠崎:転換期というか、ちょうど自民党が崩れていく時期だったりしたからね。

民主党政権が成立してからむしろ興味が引いていったみたいな。

ほうのき:そうかもしれないですね。

篠崎:こんなもんかという。

そして、フェイクな国の旅をはじめた(笑)?

ほうのき:ははは、そうかも! まとまった!

まとめるのも暴力ですけどね!  でも、とっ散らかっているようで芯があるバンドだというのはとてもよくわかりますよ。

ほうのき:醸し出しているつもりはないんですけどね。

しかし、多数決で必ず少数派になっちゃう人っていうのはおもしろいですね。禁断の場合、それが恨み節になってないじゃないですか。

篠崎:恨み節ですか。

そう、マイノリティが逆襲してやるぞって感じにはならないですよね。

篠崎:それはないですね。いじけるだけみたいな(笑)。

ほうのき:ルサンチマンがない。

篠崎:溜め込んだりしないですね。

それで必要以上に皮肉屋になったりとか。それも立派な表現のモチヴェーションなんですけどね。

ほうのき:わかります、わかります。

篠崎:僕らは決してマイノリティのほうが正しいっていうふうに思っているわけではないんですよね。

ほうのき:一見バンド名とは違っちゃうんですけど。

よくわかります。そこが禁断のねじれたところというか、素直なところというか。

日本脱出

ワールドカップとか、日本を応援しますね。めっちゃ応援して、負けると悔しいんですけど、これがナショナリズムかっていうとそういうものだとは思えない。

ほうのき:ある有名な音楽家の発言なんですけど、日本はもう脱出するしかないって。うまく説明できないけど、逃げるってポジティヴなことかもしれないとも思ったりもするんです。

へえー、そうなんですね! いま「逃げる発言」には勇気がいりますけどね。

ほうのき:逃げてるだけといえば、そうなんですけど、逃げてるわけでもないというか……。

わかります。日本に内在すること――tofubeatsさんのインタヴューがとてもよかったんですけど、彼には日本とかJポップ市場の内側からルールや仕組みを変えていってやろうというモチヴェーションを感じるんです。それに対して禁断はどこか外側にいるかもしれませんね。外在的というか。

ほうのき:ワールドカップとか、日本を応援しますね。めっちゃ応援して、負けると悔しいんですけど、これがナショナリズムかっていうとそういうものだとは思えない。もちろん土地とかに感謝の気持ちはあるんですけど。だからその音楽家の日本脱出っていうのは、何かとても重たい言葉だと感じるんです。うまく言えないですけど。

篠崎:曲に国の名前がよく出てくるっていうこととつながりがあると思いますけどね。日本というものにこだわっているわけではないということは、歌詞を見てもわかるはずだと思うので……。バックパッカーになりたいわけだしね。

曲には「おわら」からチンドン屋までフィーチャーしてますよね。それをひとつのトライバリズムだととらえれば、一時期のブルックリンにも似ているというか。日本の中だけど、日本の中の異次元、別の場所に向かう感じ。

ほうのき:ああー。あと、ベイルート好きなんです。ベイルートを日本でやるとしたらチンドン屋かなと思って。日本の文化を大切にしたいっていうのは常に念頭にあります。

郷土や歴史や神々みたいなものへの愛はあるわけですよね。じゃあ、今度は禁断の多数決のオカルト思想について訊いてみましょうか!

ほうのき:オカルト(笑)。ええ!?

篠崎:……宇宙とかなら(笑)。

ほうのき:でも、呪術とか、あるといえばあります。僕、ロッジを持ちたいんですよ。で、ホワイト・ロッジとかブルー・ロッジとかブラック・ロッジとか名前をつけて、そこで呪術をやりたいですね。

尾苗:ははは。

ほうのき:ロッジで、何か焚いて……

篠崎:何かキタ! みたいな(笑)。

ほうのき:「よしよし、曲にしよう」(笑)。

篠崎:「これこそが曲だ」(笑)。

まさに『キャンプファイア・ソング』じゃないですか。それがクラブとかじゃなくて、パーソナルな感じで営まれているというのもおもしろいですよ。さて、最近はどんなふうに音楽を聴いていますか?

篠崎:iTunesとかが便利なので、シャッフルして流しちゃってたりはするんですが、ちょっと久々にレコード聴こうと思ってかけていると音が全然ちがいますね。太いです。MP3の音に慣れすぎてて、忘れていました。なので最近はレコードをまた探すようになりました。

ほうのき:変なのばっかり買ってるね。レジェンダリー・スターダスト・カウボーイだっけ?とか。

どのへんで買ってるんですか?

篠崎:大きいところは(ディスク・)ユニオンとかしかないじゃないですか。あとはリサイクル・ショップにダンボールで置いてあるようなやつとか。そこでソノシートとかを買ってみたり、『(がんばれ!!)ロボコン』のお話レコードとか。ロボコンの考えているときの音がすごくいいというか……「ロボコン、いまから考えるねー」みたいなときにポコポコポコーって鳴っている音がかっこよかったりするんですよね。

ほうのき:あ、篠崎さんはアニコレでいうジオロジスト担当なんですよ。変な音は基本的に篠崎さん。

なるほど!  ネットでも変なものはいっぱい集められそうですが、何かフィジカルを探すこととのあいだに差があったりしますか?

篠崎:ありますね、やっぱり。過程があるかどうか、ということですかね。ゴミの山のなかから一枚見つけるときの喜び。

ネットも、まあ、ゴミの山から探す作業ではあるわけですが。

篠崎:思い入れは違ってくるかな、と思います。わざわざ電車に乗って、何もないかもしれないけど行く。そうすると聴き方も違ってくるような気がしますし。……ちょっとかっこつけて言ってしまったかもしれないですけど。

ほうのき:僕も、たとえばヴェイパーウェイヴとミューザックの違いについて考えてみたいですね。そこにいまの質問の答えになるものがあるような気もします。



渋谷慶一郎+岡田利規 『THE END』
- ele-king

 客層のまったく読めない客席だった。〈Bunkamuraオーチャードホール〉にここまで異なる人種が集まること自体かなり珍しいのではないだろうか? わたしの右隣のおじさんは小難しい評論集を紐解きながら、連れのおじさんと、最近のチェルフィッチュは迷走しているように思えるね、『三月の5日間』から『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』までは若者特有の切実さが保たれていたんだよ、しかしその主題から離れて以降は……うんちゃらかんちゃら、と自説を開陳している一方で、わたしの左隣のお姉さんは全身、初音ミクそのもの(かつらではなくあれは地毛をこの日のために緑色に染めたのだろう)。この落差。どこで知ってだれを観に来たのか、という質問を投げかければとてつもなくばらばらの答えが返って来るに違いない。それほどまでに多くの要素を含んだ公演だった。客席にたどり着くまでに否応なく目に入るような位置に展示されていた、〈ルイ・ヴィトン〉のコスチュームに身を包んだ初音ミクの等身大フィギュアがその点では一種の踏絵と化していて、さかんに撮影する者と完全に素通りする者とに、人種がはっきりとわかれていたことを余談として付け加えておく。

 2013年5月23日、24日の二日間、〈Bunkamuraオーチャードホール〉にて行われたボーカロイド・オペラ『THE END』は、2012年12月の〈山口情報芸術センター(YCAM)〉での初演時からすでに話題にはなっていたが、8トンという客席そのものが震えるほどの音響機材が投入されたり、ラスト・シーンに大幅な変更が施されたりと、もはや再演というにはアップデートされすぎた東京公演は、注目の的となっていた。

 そもそも『THE END』とはいかなる公演なのか? 通常、オペラといえば、舞台上で衣装を着けた出演者が、演技や台詞だけではなく、大半の部分を歌手による歌唱で進める演劇のことを意味する。しかし、『THE END』の際立った特徴としては、人間の歌手もオーケストラも登場しないことが挙げられる。電子音響と立体映像によって構成された、世界初のボーカロイド・オペラ・プロジェクト。渋谷慶一郎と岡田利規と初音ミク、という発表されるまで想像したこともなかった組み合わせ。「どういういきさつでこの三者が一堂に会することに?」はじめて知ったときには耳を疑い、思わず首をひねったものである。

 ここで音響機材の重さをもう一度確認しておこう。8トン。想像の埒外にある重さ。無用な心配だとは承知しながら、カバンに耳栓を忍ばせていった臆病者がここにいることを告白しておく。そのあまりにも付け焼き刃的な対策は、正直に言ってまったくの杞憂に過ぎなかった。もちろん最初から最後まで客席は大音量で震えていた。しかしながら音響スタッフの行き届いた配慮のなせる業であろう、どれだけの轟音が届いたとしても、耳にじんわりと痛みが走るどころか、不快さを抱くことさえないままだった。

 オペラということで華々しいものを期待していた観客は面食らったのではないだろうか。いや、確かに圧巻の映像は華々しい、けれども、語られるあらゆることが、拭いようのない陰鬱さを帯びていた。
 初音ミクは一貫して正体不明の不安に苛まれていた。もちろん、いくつかの原因らしきものは物語のなかに存在する。髪も色も似せようとした、しかし全然似ていない初音ミクの劣化コピーが自分のほうへ向かってくること。いままで考えたこともないだろうけれど人間と同様にあなたも死ぬ運命にある、と突然告げられて動揺すること。記憶が曖昧であるいは嘘で、知らない場所か来たことのある場所かの区別もつかないこと。何かを与えられないと、動くことも話すこともここにいることもできない、常に「短く死んでいる」存在であることに気づくこと。それらのすべては不安の原因らしきものだが、原因ではない。
 不安を煽る初音ミクの劣化コピーに惑わされるけれど、注意しておきたいのは、初音ミクは最初から正体不明の不安に苛まれていた、ということだ。ここに原因と結果は存在しない。物事と物事が繋がっていって、結末が導き出されたわけではない。初音ミクは登場時からすでに、コンセプトの段階で、そのような病を抱えなければならない存在だった。蜂の巣を突っつかれただけで、はじめから大量の蜂が巣のなかを飛び回っていたのだ。
 無限に増幅する不安、という病。
 この病をどのように受けとめればいいのだろう?

 いまさら『THE END』についてわたしには何も語れない。21世紀にオペラがボーカロイドで行われることの意義、各界から噴出した過剰なまでの反発、旧来の初音ミク像をぶち壊したともアップデートしたともいえるデザインとその映像美、どれも言い尽くされてしまった。半年もたてばあらゆる要素は言い尽くされ、検索をかければ簡単に全体像が浮き上がってくる。というわけでここでは、ともすれば「はあ?」とあっけにとられてしまうような、一見なんの関係もなさそうなものを無理矢理ぶつけてみることで、『THE END』像をぶち壊したりアップデートしたりしてみたい。ただの劣化コピーに終わらなければいいけれど。

 『THE END』のラストシーンを目にしたとき、真っ先に脳裏によぎったのは中澤系だった。中澤系はディストピア的なシステム社会に疑義を唱える作風の歌人で、今回の物語の根幹にかかわる問題意識と深いところで響きあっていた。特に関係のありそうな短歌を引用しておこう。

終わらない だからだれかが口笛を嫌でも吹かなきゃならないんだよ
サンプルのない永遠に永遠に続く模倣のあとにあるもの
ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ
中澤系『uta_0001.txt』(雁書館 2004年)所収

 もちろん渋谷慶一郎と岡田利規が知っていたとは当然思えないが、これらの歌は、初音ミクの劣化コピーが初音ミクを責め苛み、ラスト・シーン間近に「終わりはくりか」という「終わりはくりかえす」という字幕の途中で「くりか」が消去され、あらためて「終わりはいくつある?」と打ち直されるこの趣向に、不思議と寄り添ってはいないだろうか?
 わたしは口笛を無意識に吹いてしまう悪癖がある。もちろんひんしゅくを買うような公共の場ではなるべく慎むように努めているけれど、感銘を受けたライヴのあとにはついつい先ほどの心の震えを取り戻そうと悪あがきを試みるかのように、耳に焼き付いたメロディを口元で復唱してしまうのだ。今回もやった。渋谷駅まで渋谷慶一郎+東浩紀 feat.初音ミク“イニシエーション”の口笛を吹き続けたのである。
 帰りの電車の中でふと“イニシエーション”でイニシエーションをしていたことに気がついた。
 わたしは無意識に、いましがた目撃したばかりの初音ミクの劣化コピーになろうとしていた。

 イニシエーションとは、いうまでもなく通過儀礼のことだ。観客は『THE END』という一種の通過儀礼を経て、初音ミクの劣化コピーを体内に受精させていた。終わりは繰り返さない。終わりは交尾する。終わりは繁殖する。終わりは感染する。終わりは永遠に模倣され、歌のなかに宿る。模倣された歌がわたしに歌われた瞬間だけ、初音ミクは壊れるまえの表情を取り戻す。どれが劣化コピーか見分けがつかなくなるほどに大量の劣化コピーが、わたしを容赦なく蝕む。
 わたしは蝕まれることを愛おしく思う。終わりがいくつもいくつもいくつも、数えきれないくらいの終わりがわたしを包囲することを疎ましくは思わずに愛おしく思いたい。劣化コピーの影に常に怯えなければならない21世紀の宿痾を慈しみたい衝動を、誰かに糾弾される筋合いはない。糾弾もいずれ劣化する。
 膨大な『THE END』のレヴュー、その劣化コピーのレヴュー、その劣化コピーのレヴューの劣化コピーのレヴュー、その劣化コピーのレヴューの劣化コピーのレヴューの劣化コピーのレヴュー、その先にあるものに未来を託したいわたしの思考回路はすでに終わっているのかもしれない。いくつかあるうちの終わりのひとつがいま、ここにある。

『THE END』
渋谷慶一郎+初音ミク
発売日 11月27日(水)

■完全生産限定盤
8500円(税抜) MHCL2400〜2403

・20世紀記録メディア仕様:
LPサイズBOX、EPサイズブックレット(写真、図版多数)、カセットサイズ・ブック(オペラ台本完全版)、オペラ全曲を収録したCD2枚組、「死のアリア」など3曲のミュージック・ビデオと制作風景の記録DVDを所収。スペシャル・ブック:ジャン=リュック・ショプラン(パリ・シャトレ座支配人)、茂木健一郎×池上高志対談、蜷川実花、高橋健太郎、鈴木哲也(honeyee.com)ほか豪華執筆陣によるオリジナル・テクスト、渋谷慶一郎による全曲徹底解説など120ページを収録。

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■通常盤(EU edition)
2381円(税抜) MHCL 2404
・紙ジャケット(仕様1枚)

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