「KING」と一致するもの

interview with Jordan Rakei - ele-king

すでにハッピーな人をもっとハッピーにすることができる、そう信じているんだ。セラピーは何も、鬱や、PTSDといったものの治療ばかりとは限らない。あれは実は、この世界をもっとより客観的に眺めるのを助けてくれる、アメイジングな道具なんだよ。

 これまで3枚のアルバムをリリースし、新世代のシンガー・ソングライターとしてのポジションを確立させたジョーダン・ラカイ。もともとニュージーランド出身で、オーストラリアで活動基盤を築いた後にロンドンへ渡り、そこでトム・ミッシュロイル・カーナーアルファ・ミストリチャード・スペイヴンといった面々とコラボし、さらなる成功を収めていく。さらにはアメリカのコモンとも共演するなどワールドワイドに活躍の場を広げているジョーダンだが、そうした活動の華々しさに対して音楽そのものには非常に繊細で内省的な面がある。セカンド・アルバムの『ウォールフラワー』(2017年)がそうした一枚で、ネオ・ソウルの新星と持てはやされたファースト・アルバムの『クローク』(2016年)とは違う世界を見せてくれた。「AIシステムに立ち向かう人間の未来」を描いたサード・アルバムの『オリジン』(2019年)では、テクノロジーやネット社会が進化したゆえのディストピアへの警鐘を鳴らし、一方でディスコやAORテイストのダンサブルなサウンドも目立っていた。

 3枚のアルバムでそれぞれ異なる世界や音楽性を披露してきたジョーダンだが、ニュー・アルバムの『ワット・ウィ・コール・ライフ』もまた、いままでとは違う作品となっている。録音スタイルで見ると、いままではひとりでスタジオに入ってトラック制作をすることが多かったのだが、今作はすべてバンドとリハーサルしながら曲作りをおこなっている。そして、歌詞の世界を見ると実体験に基づくパーソナルな作品が多く、より深みとリアリティを増したものとなっている。結果として『ウォールフラワー』のように内省的でアコースティックな質感の楽曲が多いのだが、そこにはセラピーによって自己の振り返りをおこなったこと、ブラック・ライヴズ・マター運動を通じて自身のルーツに思いを馳せたこと、そしてコロナ禍での生活など、さまざまな経験が『ワット・ウィ・コール・ライフ』を作っている。音楽家としてはもちろん、ひとりの人間としてのジョーダン・ラカイの成長が『ワット・ウィ・コール・ライフ』にはあるのだ。

振り返ってみると、実は非常に多くのアドヴァンテージを与えられてきたじゃないか、と。単に自分の肌の色、そして自分のジェンダーのおかげでね。自分の特権を理解することを通じて、格差をもっと縮めようとし、できるだけ誰にとっても平等なフィールドをもたらしたい。

今日は、お時間いただきありがとうございます。

ジョーダン・ラカイ(Jordan Rakei、以下JR):いやいや、こちらこそ、取材してくれてありがとう!

いまはどんな感じですか?

JR:うん、アルバムが出たところでハッピーだし、エネルギーの波に乗ってる感じ(笑)。エキサイトしていて、アルバム・リリースのドーパミンが出てるよ。フフフフッ!

(笑)。近年のあなたを振り返ると、2019年にリリースしたサード・アルバムの『オリジン』のリリース後、日本公演も含むワールド・ツアーやアメリカの公共ラジオNPRがおこなうライヴ企画「タイニー・デスク・コンサート」への出演、『オリジン』を絶賛したコモンとの共演、別名義のハウス・プロジェクトであるダン・カイによるアルバム『スモール・モーメンツ』のリリース、コンピ・シリーズの『レイト・ナイト・テールズ』や〈ブルーノート〉のカヴァー・プロジェクトである『ブルーノート・リ:イマジンド 2020』への参加など、忙しい活動が続いていました。

JR:うんうん。

そうした中でコロナ禍があり、以前とは日常生活や社会、そして音楽業界も変化してきていると思います。あなた自身や周りではいろいろ変化はありましたか?

JR:いい質問だね。うん、あれで僕は……コロナが(昨年春)ロンドンに広まったとき、あそこから確か、僕たちは4ヶ月近くロックダウン状態に入ったんだ。で、あの状況のおかげで僕は、自分に音楽があるってことをありがたく思うようになったね。音楽は僕にとってホビーであり、と同時に自分のキャリアでもある。もちろん、自分の家にこもってばかりいたから、ロックダウン期はやっぱりとても退屈ではあったんだ。ただ、僕はアルバムを作っていたし、サイド・プロジェクトとしてダン・カイ名義で『スモール・モーメンツ』を作ったり。だからあのロックダウン期間中の多くを、自己投資する時間を見出しながら過ごしていた、というのかな? これがパンデミック状況じゃなかったら、僕は大抵他の人びとの作品をプロデュースしたり、ツアーをやったり、他のアーティストのために曲を書いて過ごしているわけで、今回はほんと、自分自身にフォーカスできる滅多にない機会だった、みたいな。だからなんだ(笑)、ここしばらくとても生産的だったのは! コンピレーションをまとめることもできたし、〈ブルーノート〉のプロジェクトにも参加でき、『スモール・モーメンツ』に今回のアルバム、と。うん、ほんと創作にいそしんでいたなぁ自分、みたいな(笑)。そんなわけで音楽的な面で言えば、自分のために時間を割くことができるようになったのは本当に良かったし、一方でパーソナルな面では、些細なことにもっと感謝するようになった。たとえば友人に会う機会を以前より大事に思うようになったし、それだとかディナーで外食に出かけることとか。外食はいままで別に大したことないと思っていたんだけど、ロックダウン中はそうした機会はすべて僕たちから取り去られてしまったわけで。だからいまの自分は、人生全般に対してもっとありがたさを感じるようになった。

ニュー・アルバムの『ワット・ウィ・コール・ライフ』は、そうしたコロナ禍によって変わってしまった世界と結びつく部分はありますか?

JR:ああ、そうなんだろうね。今回のアルバムの響きには、もうちょっとこう、静観的というのか、内省的な要素がある。自分に言わせればよりダークというか、かなり楽しくダンスフロア向けだった『オリジン』に較べて、もう少しエモーショナルかつダークなんだよ。だから、そうした面は部分的にインパクトを受けたと思う。けれども、実際に僕がこのアルバムを作っていた間は、僕のスピリットそのものはかなりポジティヴだったんだ。先ほども話したように、ロックダウン中は時間をすべて自分のために使えたわけだし、アルバムを作ることに対して相当エキサイトしてもいた。だから、やや入り混じっているというのかな、アルバムには明るくポジティヴな面もあるし、一方でかなりダークな部分もある。僕自身としてはかなり良いミックスになったと思ってるよ。

『オリジン』のテーマには「AIシステムに立ち向かう人間の未来」があり、テクノロジーやネット社会が進化したがゆえのディストピアを描いていましたが、『ワット・ウィ・コール・ライフ』におけるテーマは何でしょうか?

JR:主たるテーマと言えば、心理セラピーを受けに行き、そこで自分が学んだ教訓すべて、だったね。自分の子供時代について、結婚したこと、オーストラリアからロンドンへの移住、自分の両親、そして兄弟との関係についてなどなど、セラピーを通じて学んだ教訓のすべて。というわけで基本的にアルバムの全体的なストーリーは僕が自分自身について学んだことだし、それらを聴き手とシェアしようとしている。だから歌詞の面での表現も、いわゆる内面で観念化したものより、もっとずっとパーソナルになっているっていう。

具体的にどのようなセラピーだったのですか? いわゆる「セラピストのもとに通い、寝椅子に横たわって過去を語る」というもの?

JR:(笑)その通り。そもそもは実験として、面白そうだからやってみよう、ということだったんだ。というのも、セラピーを受けた当時の自分はかなりハッピーな状態だったし、とにかくセラピストがどんなことをやるのか興味があった。自分はそういったことに詳しくなかったから、実際はどんなものなんだろう? と。そんなわけで、とてもオープン・マインドかつハッピーな状態でセラピーを受けにいったところ、セラピストの女性からあれこれ質問されていくうちに、この(苦笑)、自分の心の内側にフタをしてあった邪悪な部分みたいなものをいろいろ明かしている自分に気がついた、というか。

へえ、そうなんですか!

JR:うん、かなり驚異的な体験だった。セラピーの過程をナビゲートしていくのを手伝ってくれる、いわば第三者的な存在の人と一緒に自分自身の人生を振り返る、という行為は。そうだな、おかげで自分の子供時代にも戻ることになったし、学校で起こった様々な出来事だとか、もっと小さかった頃の兄弟との思い出なども出てきて……あれはかなりいろんなことを明かしてくれる体験だったし、僕はセラピーをみんなに勧めているんだ。そうは言っても、中には自らの過去に改めて深く潜っていくのがとても難しい、と感じる人も確実にいるだろうし、無理にではないよ。ただ、いま現在の自分を人間として理解するのに、セラピーは非常に役に立つと思う。

でも、あなたはセラピーを受けるには若過ぎじゃないかと思うんですが(笑)?

JR:ハハハハハッ!

実験や興味半分でやってみたとはいえ、普通セラピーと言えば、メンタル面で問題があるとか、「中年の危機」に際して受けるものではないかと?

JR:フフフッ! それは、僕がいわゆる「ポジティヴ・サイコロジー」というコンセプトを信じている、というところから来ている。どういうことかと言えば、メンタル・ヘルスの療法や心理学で用いられるツールを使い、悲しい状態からノーマルな状態に持っていくのではなく、通常の状態からハッピーな状態へ、そしてハッピーな状態からさらにハッピーな状態に人間を導いていく、というもので。だから僕はセラピーを利用することで、すでにハッピーな人をもっとハッピーにすることができる、そう信じているんだ。セラピーは何も、鬱や、PTSDといったものの治療ばかりとは限らない。あれは実は、この世界をもっとより客観的に眺めるのを助けてくれる、アメイジングな道具なんだよ。

そうやってセラピーを通じて子供の頃のこと、両親や兄弟との関係、ロンドンに移住して自立したこと、結婚生活について、両親の夫婦関係と自身の夫婦関係との比較や理解など、いろいろなことに考えを巡らせました。また、幼い頃からの鳥恐怖症や――

JR:うん、フフフッ!(苦笑)

その根源となる予測不可能なものに対する恐怖など、自身の内面にあった疑問がいろいろわかってきたと聞きます。恐れは克服できました?

JR:(うなずきながら)あれはおかしな話でね。僕のこれまでの人生ずっと、鳥は恐れる対象だった、みたいな。バカげた、根拠のない恐怖なんだよ。自分では説明がつくんだけど、ただ、いまだに鳥はおっかない。ほんとバカらしいよね、でも、なんとか克服しようとがんばっているところだよ。でまあ、僕が気づいたのは、鳥は……僕のいろんな恐れの中心めいた対象だったんだけど、いまやそれを、予測のつかないものに対して抱く恐れを象徴するものとして捉えている、みたいな? 僕はルーティンを守ったり、前もって計画を立てるのがかなり好きな方だし、けれどもたとえば、誰かに立ち向かうといった予測不可能な事柄、知らない人に面と向かうのは本当に怖い。それだとか社交面で感じる不安もあって、他の人びとと接して社交する状況にもビビる。そういったものはどうなるか予測できないし、何につけても、予測不可能なものには苦戦してしまうんだね。というのも……そうだなぁ、自分の中に何らかの反応が引き起こされてしまう、というか? セラピーに通って気づいたことのひとつも、僕はそういう体験には困難を感じるってことだったね。

ライヴ・パフォーマンスの場ではどうなんでしょう? あれも見知らぬ人が多く集まる、ある意味予測不可能な状況だと思うんですが。

JR:(笑)確かに。ただ、ライヴは対処できるんだ。おもしろいことに、僕はアガることがまったくなくてね。ステージに上がるのが怖いってことは一切ない。どうしてかと言えば、自分は本当にしっかり練習してきたし、リハーサルもよくやって、観客に向けて自分がどんなことをやりたいかきちっと把握している、という感覚があるからで。それに大抵は、観客もこちらのやることに拍手を送ってくれるわけで(笑)。ある意味、観客が喝采してくれ、僕が何か語りかけるとみんなが笑いを返してくれる、というのはある程度は予想可能だし、その状況を自分も理解している、と。とは言っても、(単独公演ではなく)フェスティヴァルでプレイするのは少し勝手が違って、状況を予測するのがやや難しくなるね。お客さんも僕が何者か知らないし、だからフェス出演では普段より少しだけナーヴァスになる。うん、それは自然な成り行きだし……とは言っても、基本的に僕はステージではアガらない。

そうしたセラピーによって音楽制作も影響されるところは大きかったのでしょうか?

JR:ああ、確実に作詞面では影響された。どの曲も、歌詞に関してはあのセラピー体験について、みたいなものだから。ただし音楽面で言えば、「たぶんそうじゃないか」ってところかな……? たぶん影響されたんだろうな、僕はあのムードにマッチするような音のパレットを作り出そうとしていたわけだし。そうしたムードの多くは生々しくエモーショナル、かつアトモスフェリックなものだったし、僕はあれらのストーリーを運び伝える詩的な媒体を与えたかった。そうだね、セラピーは僕に、歌詞そして音楽の両面で大きく影響したと思う。

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自分の傷つきやすさを捨てて、誰かに対してやっとオープンになれた自分についての歌だし……それはほんと、メタファーを使って書けることではない。

昨今の社会情勢が『ワット・ウィ・コール・ライフ』にも反映されていて、たとえば“クラウズ”はブラック・ライヴズ・マター運動に触発された曲です。あなたのルーツを辿ると、父親はクック諸島のマオリ族出身で、母親はニュージーランドの白人という混血ですが、肌は白かったので白人としての扱い、いわゆる「ホワイト・プリヴィレッジ」を受けてきた。で、オーストラリアという白人が大半の国で育ち、その後イギリスへ渡った。BLM運動によってそれまであまり気にしてこなかった自身の肌の色やルーツを見つめ直し、それによって受けてきた経験に思いを馳せて書いたのが“クラウズ”というわけです。改めてこの曲にこめたメッセージについて教えてください。

JR:うん、いま言われたことは基本的にあの曲をよく要約してくれている。ただ、あの曲で僕が話しているのは……まず、自分は人種が混じっていると自覚した、というのがあって。だから、これまで成長してきた間に、人種が混じっているということすら忘れてしまっていたんだよね、というのも僕の肌の色はご覧の通り白人のそれなわけで。で、ああした(BLM運動の)様々なことが起きていた中で考えていたんだ、「ああ、自分の父親の肌の色がブラウンだったことをすっかり忘れてたな!」と。父親はニュージーランド、そしてオーストラリアで暮らしてきた人生の間ずっと、ああした経験に対処してきたに違いないし、でも僕はそれについて彼と話し合ったことがなかった。彼がこうむったかもしれない人種差別に、僕はちゃんと共感したことがなかった、というか。で、先ほど言われたような自分が受けてきた特別扱い、純粋に自分の肌の色ゆえに与えられた特権について僕も考えさせられたし、白人の多い国オーストラリアで育ったことについて考え、また現在もロンドンのような場所で暮らしているし──ロンドンはもちろん多文化社会とはいえ、やはり白人が多いわけで。だから僕はとにかく、「ちょっと待てよ」と思った。というのも、僕はこれまでずっと一所懸命働いてきたし、自分が成功できたのはその努力の賜物だよ。ところがそんな自分のこれまでを振り返ってみると、実は非常に多くのアドヴァンテージを与えられてきたじゃないか、と。単に自分の肌の色、そして自分のジェンダーのおかげでね。白人の男性であるおかげで自分は成功を収めることができたというか、ハード・ワークに由来するものではなく、自分は最初の段階から得をしてきたんだな、と。で、あの曲は一種、そこから来る自分の罪悪感というか、その点を理解し、自ら認め、その上で問題に取り組みつつ前に進んでいこうとする歌なんだ。自分の特権を理解することを通じて、格差をもっと縮めようとし、できるだけ誰にとっても平等なフィールドをもたらしたい、そういうことだと思う。

そうしたリアリティと向き合うのは難しいことですよね。あなたが非常に努力して現在の立場にいるのは我々も理解していますが、現在の社会では「白人男性」のアイデンティティはとても多くの角度から敵視されてもいて。

JR:(うなずきつつ聞いている)。

そうしたアイデンティティの持ち主というだけで批判されてしまうのは、フェアではないんじゃないか? という気持ちも抱きます。たとえばの話、私からすれば旧型の「白人男性の特権」の象徴と言えばドナルド・トランプで。

JR:フハハッ!(苦笑)

彼は親からビジネスを受け継いだだけで、まさに父系社会の産物ですが、あなたはそうではなく自力でここまで来た。そんなあなたが罪悪感を抱くのは、逆にこちらもモヤモヤしてしまいます。とても複雑な話なので仕方ないとはいえ……。

JR:そうだね、複雑だ。だから、さっきも話したように、自分の中でも入り混じっているんだと思う。これまでずっと、本当に努力を重ねてきたのは自分でも承知しているからね。ただ、それと同時に、たとえば……キャリア初期の頃、僕はもっとトラディショナルなソウル・ミュージックを作っていたわけだよね。ところが、UKはもちろんアメリカ、いやそれ以外の世界中にも、とんでもなく優れた黒人のソウル・シンガーで、成功していない人たちはいる。でも、僕は白人でそれをやっていたからちょっとした存在になったというか、アウトサイダーながらソウル・ミュージックをやっている風変わりな奴みたいなものになって、人びとから「おっ、彼は白人なのにこういう音楽をやってて変わってるぞ、クールだ、彼の音楽を流そう」と注目された。その点ひとつとってすら、伝統的なソウルのコミュニティの中では僕には違いがあり、それが有利に作用して初期の自分が他の人より成功することに繫がった、というか。間違いなく僕は努力したし、練習も多く重ねて歌もさんざん歌い、少ないお客相手に何年も演奏するなどの下積みはやってきた。けれども、一方で、それとは別の側面では恩恵を受けてもきたんだよ。

“ファミリー”をはじめ家族や兄弟などについて書かれた曲もいろいろあります。家族や兄弟などプライヴェートな部分を歌詞にするのはとても勇気がいることかと思います。また歌詞も以前のように曖昧で比喩的なものではなく、“ファミリー”や“アンガーディッド”では直接的な言葉を使ってストレートに表現している場面もあります。ソングライティングをする上でいろいろ心境の変化があったのでしょうか? 以前に比べて自分をさらけ出すことを恥ずかしく思わなくなったそうですが。

JR:うん、それは確かにある。特に、君の言う通り“ファミリー”のようなトラックはそうだね。以前の僕は両義的な曖昧さ、そしてメタファーを用いて歌詞の意味合いを隠すのが好きだった。それはきっと僕自身に、ストーリーをオープンにさらけ出す自信が充分なかったからだろうね。ところが“ファミリー”では、あのストーリーを語る唯一の手段は本当に、比喩を用いずダイレクトに語ることだけだろう、そう思えた。その方が、もっと理解しやすいからね。そうは言っても、アルバム曲のいくつかにはやっぱり抽象的というか、比喩を用いたものもあるけどね、僕はああいう曲の書き方のスタイルも好きだから。ただ、数曲は、自分がこの内容を本当に語りたいのならばダイレクトに書くしかない、というものだね。たとえばさっき君の挙げた“アンガーディッド”、あれは妻との出会い、そしてそこで自分の傷つきやすさを捨てて、誰かに対してやっとオープンになれた自分についての歌だし……それはほんと、メタファーを使って書けることではないし、どんな風だったか、とにかくありのままに書く以外になかった(笑)。だから、そうしたふたつの書き方の混ざったものだし、おそらくそれは自分も成長した、人間として以前より成熟しつつあるってことなんだろうね。おかげで、場合によってはもっとオープンになった方がいいこともあると気づかされたっていう。

そうやって歌詞の中で自分を出し、弱さも見せることには勇気が必要だと思います。

JR:うん、僕もそう思う。妙な話だけれども、僕の場合、歌を通じてそれをやる方がずっと楽に感じられるんだ。たとえばどこかで友人と会って、そこで「お前の子供時代がどうだったか教えてよ」と友人に言われたら、面と向かって話す方がずっとやりにくいだろうな、みたいな?(苦笑)

(笑)確かに。

JR:いざ話そうとすると難しい。でも、それを歌に書くとなったら、曲作りは僕自身のスペースの中でやれるし、ある意味音楽の後ろに隠れて語ることができる、という面もあるからね。んー、まあ、音楽の中での方がほんと、自分をさらけ出すのがずっと楽なんだ。で、いまの自分としては、その方向にもっと進んでいきたいな、と。

サウンド面を見ると、いままでのようにあなたがある程度のベース・トラックを作った上で必要に応じてゲスト・ミュージシャンを入れて録音していくのではなく、バンドとしてスタジオに入っていちからサウンドを作り上げていくレコーディングがおこなわれています。あなたのバンドはいろいろツアーをしてきて結束も強くなり、今回はそうしたバンド・サウンドを求めてレコーディングに入ったのですか?

JR:その通り、まさにそう。僕がこの作品で捉えたかったのは……以前は、音楽はすべて自分で書いて、ライヴの準備のためにそれをリハーサル場に持ち込んで皆でプレイする、というものだった。で、彼ら(=バンド)は毎回、さらに良いサウンドにしてくれるんだよ。というわけで僕も「彼らと一緒に書かなくちゃいけないな」と思ったんだ、そうすれば、レコーディングする前の段階で彼らにもっと良いサウンドにしてもらえるから(笑)。というわけでスタジオに入って──うん、これまた混ざっているんだよね。彼らバンド側の出してきたアイデアをすべて享受しつつ、でも、自分自身にも挑戦を課したかったから、僕は今回は典型的な、オールドスクールなプロデューサーの役割を自分にもっと割り当てたんだ。ある意味少し後ろに退いて、耳を傾けた。キーボード、ギター、といった具合に各パートに集中するよりも、むしろもっと音楽全体の視界を聴くというか、音楽そのものと、そこからどんなフィーリングを受け取るかに耳を傾けていった。だから実際、今回はスタジオのコントロール・ルームで過ごすことが多かったんだ、他のみんながレコーディングしている間も、自分は昔気質なプロデューサー役をやっていたっていう。あれをやるのはチャレンジだったけれども、とても楽しんだし、これまでとはまた別のやり方で音楽について多くを学んだ、という気がしている。僕はアルバムごとに音楽作りのプロセスを変えていくのが好きだし、だから次のアルバムではまた違う創作過程を踏むかもしれないよ(苦笑)、まあ、どうなるかわからないけれども。ただ、今回のようなアルバムの作り方は素晴らしかったね、うん。

ウェールズの田舎で友人のミュージシャンたちと作ったそうですが、利便性の高いロンドンではなくウェールズを選んだのは何か理由がありますか?

JR:(笑)それは、僕たちは気を散らされるあれこれから逃れたかったからなんだ。僕としては、このレコーディング・セッションを一種の曲作りのために向かう小旅行とか休暇、それとも田舎の隠遁所で過ごす経験、みたいなものにしたかった。でも、いつもとは違う空間にいると、なんというか、自分の頭を別の働き方のモードに置くことになる、というのかな? たとえば、ロンドンにいたとしようか。僕たち全員がロンドンでこのアルバムを制作していたとして、ある日ひとつトラックを仕上げたら、みんな「さーて、どうやって家に帰ろうかな。夕飯は何を食べよう?」と考えなくちゃならない。日常生活のあれこれも考えながらやっているわけ。ところが田舎に滞在していると、日常は忘れて音楽だけに集中することになる。散歩に出かけて、木立の中を歩いて樹々を眺めているうちにインスピレーションが湧いて、スタジオに戻ってまた別のトラックに取り組んで、それで“ファミリー”ができ上がった、とか。だからあれは本当にオープンで、かつリラックスした音楽の作り方だった。と同時に、プレッシャーもあったけどね、自分たちが何をやろうとしているのか、僕たちにはまったくわかっていなかったから。でもその一方で、ああやってスタジオにいられるのはとても解放的な体験だった。だからあの2週間は本当に、くつろぎながらあの環境に入っていった、というか。

バンドのメンバーが全員揃って強制的にスタートするのではなく、ジャム・セッション的なことをしていく中でメンバーからいろいろなアイデアが生まれ、そうした自然発生的でクリエイティヴな雰囲気の中で楽曲が磨かれていったと聞きます。ただ、前もって何も決まっていないと、「さて、どうしようか?」と途方にくれてうまくいかない場合もたまにあったんじゃないかと……。

JR:(苦笑)。

自由だったセッションを、どんな風に舵取りしていったんでしょうか?

JR:いや、意外なことに、そういう困った場面に僕たちはあまり出くわさなかったよ(笑)。それにはクールな逸話があって……ある朝、僕たちは作業をはじめて1曲仕上げたんだ。アルバムの6曲目の“ワット・ウィ・コール・ライフ”、あれをその朝に録り終えた。よし、ということで、ランチを食べ昼休みをとって、作業再開になった。ところがみんな腹一杯ランチを食べたせいで、かなり無気力になってしまって。

(笑)。

JR:(苦笑)おかげで、みんなやる気を起こそうと必死だった。僕はそうじゃなかったけどね、そもそも、普段からそんなに食べない方だから(笑)。で、自分はまだエネルギーが余っていたし、一方でバンドの連中は満腹で不活発になっていて、でも僕は「よし、あのシンセサイザーで何かやろう」って感じで。そこで、“アンガーディッド”のイントロになっていくベース・ラインを弾きはじめた。だからなんだ、あの曲の冒頭部がとても剥き出しな感じになったのは。そういう風に自分が淡々と弾いていたベース・ラインに過ぎなかったからだし、でも、弾いているうちにこれはいいぞ、レコーディングしよう、と思い立った。そこからはじまったようなものだったし、徐々に僕はあの曲、“アンガーディッド”へと組み立てていった。ああした素敵な、ゆったり動いていく歌が生まれたのは、僕たちがみんなパスタを腹一杯食べてダルくなっていたからだった、という(苦笑)。

(笑)。

JR:(笑)あのときくらいだったかな、僕たちが作業を進めるのにてこずったのは。でも、ある意味あれはあれで良かったんだ、だってあそこから“アンガーディッド”が生まれたんだからね。

ビートメイカー的で、よりプロセスの細部まで突っ込んでいくタイプのプロデューサーではなくて、今回の僕はもっと俯瞰するプロデューサーをやってみたんだ。

メンバー間の意思疎通が豊かであるからこそ生まれる雰囲気ですし、先ほどもおっしゃっていたように、今回あなたはいわばクインシー・ジョーンズ的に全体像を見るアプローチをとった、と。やはり、そこにはあなた自身のミュージシャンとしての成長もあったわけですか?

JR:その通りだ。おそらく、5年くらい前の自分にこの作品は作れていなかっただろうと思う。ロンドンで過去数年、実に多くのミュージシャンをプロデュースし一緒に仕事してきたし、いろいろな人びとのために曲もたくさん書いてきた。そうやって僕はある意味、制作プロセスへの異なるアプローチの仕方を学んできた。そこで考えたんだ、これと同じことを自分のアルバムでやってみたらどうだろう? と。プレイヤーとして演奏の多くをこなすというより、むしろもっと総合プロデューサー的にあらゆる面に目を配る、というね。で、アーティストでありつつ自分でそれをやれるのは本当にラッキーだと思っているよ、セッションそのもの、あるいはクリエイティヴなプロセスを前進させるためにプロデューサーに頼らざるを得ないアーティストをたくさん知っているからね。でも、僕には自分の音楽をどんなサウンドにしたいか、そのヴィジョンがちゃんとあるし、と同時に曲を書いてもいる。だから非常にラッキーというのかな、曲を書くことができ、かつ、それをどう仕上げるか、プロセスの最後まで見通すこともできるのは。自分の頭の中にヴィジョンが存在するからね。で、それはこれまでの経験を通じて学んだことだったし、クインシー・ジョーンズ的な全体を見るスタイルのプロデューサーという意味で、確実に自分ももっと進歩したと思う。たとえばそうだなぁ、フライング・ロータスのようなビートメイカー的で、よりプロセスの細部まで突っ込んでいくタイプのプロデューサーではなくて、今回の僕はもっと俯瞰するプロデューサーをやってみたんだ。

『オリジン』では曲作りにおいてスティーヴィー・ワンダーやスティーリー・ダンからの影響を述べていましたが、『ワット・ウィ・コール・ライフ』を作る上で聴いていたのはローラ・マーリング、スコット・マシューズ、ジョニ・ミッチェル、ジョン・マーティンだそうですね。新旧のフォークやフォーク・ロック系のシンガー・ソングライターたちですが、彼らのどのような部分があなたの音楽に影響を与えているのでしょうか?

JR:彼らみたいな人たちは、音楽の中でもっとストーリー・テリングを基盤にしているからだと思うし、それに音楽的にもはるかにそぎ落とされて簡潔だよね。もちろん僕のアルバムはそぎ落としたものではないし、実に多く幾層も音が重なっている。とはいえ、思うに自分は、彼らの歌詞の書き方、そしてその歌詞の伝え方からインスピレーションをもらったんだろうね。それから、ハーモニーとメロディに対する彼らのアプローチの仕方にも。たとえば、スティーヴィー・ワンダーは非常にエキサイティングなハーモニーを使うんだ、非常にジャズ・ベースなハーモニー、あるいはファンクが強く基盤になったハーモニー、といった具合に。でも、今回のアルバムで僕はあまりそれはやっていなくて、それよりもっとソングライターがベースの、非常に多くレイヤーを重ねたものになっている。うん、そういったことに自分は足を踏み入れていったんだね、より歌がベースの、フォークが基盤の音楽へと。で、「このフォークがベースになっている音楽を、どうやったらもう少しモダンな、エレクトロニックな響きを持つものにできるだろう?」と自問していた。だからこのアルバムは新旧の世界の間に架かった橋、そこに存在するものだと思う。

以前のインタヴューではボン・イヴェールとも共演したいといったことも述べていました。世間からはネオ・ソウルというイメージで捉えられがちなあなたですが、いま述べたようなアーティストたちや『ワット・ウィ・コール・ライフ』のサウンドからは、よりアコースティックでフォーキーな世界を指向しているのかなという気がしますが、いかがでしょうか?

JR:そうだね。以前の自分は……いや、誰もが僕のことをこの、「ソウル・シンガーの新星が登場」みたいに評してくれたこと、それはとても感謝しているんだよ。ただ、僕はいつだって非常に幅広く音楽を聴いてきたし、たとえば昔作った「ソウル」なレコードにしても、他に較べて少しオルタナな曲がいくつか混じっていたこともあった。要するに僕の中には常に、異なる領域を探ってみようとする側面があるっていう。ダンス・ミュージックのプロジェクトであるダン・カイをやったり、あるいはセカンドの『ウォールフラワー』ではもっとアコギ寄りだったりしたのはだからだし、僕はアルバムごとに異なるサウンドを探究している。本当にたくさんいろんなタイプの音楽を聴いているから、毎回、それらすべてを聴き手とシェアしたいと思う。だから次のアルバムではまた、もしかしたらガラッと違うサウンドをやるかもしれない(笑)。とはいっても、現時点ではどうなるかまだわからないけどね! ただ、自分はきっと違うことをやるだろう、それは確信しているし、それが楽しみでもあるんだ。というのも僕はアルバム作りを、ファンや人びとに対して自分の持つ音楽的に異なる側面を見せる場であると同時に、ある種の学びのプロセスとして考えているから。僕は決して「これ」という風に、たとえば「僕はソウル・シンガー」と狭いひとつの箱に分類されたくないし、それは自身について「ソウル・シンガー」のレッテルだけに留まらない、もっとずっと多くのことをやる人間だと感じているからであって。そうだな、それが僕のキャリアのゴールみたいなものかな、(ジャンルや名称の区分云々を越えて)もっと「アーティスト」になりたい。

あなたの数多くの側面をパッケージした総合的な存在を目指す、と。

JR:そういうことだね。

先ほども「次はどうなるか」という話がありましたが、今後の予定やプロジェクト、やってみたいことなどお聞かせください。まずは、可能になったところで本作向けのツアーがあるでしょうが、それを終えたら?

JR:うん、やってみたいと思っていることはいくつかある。とはいっても現時点ではまだ歌詞のコンセプトはちゃんと考えていないんだけどね、僕は前もって歌詞コンセプトを想定するのが好きだから。でも、そうだね、やりたいと思っていることがふたつあって、まずひとつはクック諸島に戻ること、なんらかの形で自分の家系的な遺産を受け入れる、ということで。だからたぶん、何ヶ月かクック諸島に滞在して、地元ミュージシャンとコラボしながら曲を書く、みたいな。それができたら本当に素晴らしいだろうと思うんだ、自分自身のカルチャーと再び触れ合うということだからね。でも、それと同時に……発表したばかりの今回のアルバムは、音の重ね方やアレンジという意味で自分としてはかなり密度の濃い作品だと思っていて。だからぜひそれとはまったく逆の、思いっきりそぎ落とした作品、ミニマル調なものをやりたいと思っているんだ(笑)。

(笑)なるほど。

JR:(笑)僕はずっとこういう感じでやっているんだよ。ファースト・アルバムを作って、あれはかなりファンキーな作品だったから、次はもっとスローなものを作る必要があると思ったし、それでセカンドはスローなものになった。で、サードはまたファンキーな内容だったし、対して今回のアルバムはものすごく密度が濃い……という具合で、自分は作品を作りながら何もかものつり合いをとっている、そういう感覚がある。でもまあ、現時点でやりたいと考えているのはそのふたつだね。クック諸島でのなんらかのコラボレーション、そしてもっとシンプルな美しい音楽をやる。とにかくシンプルで、聴いていてリラックスできるような音楽を。というのも、いまちょうど、アンビエント・ミュージックにハマっているところでね。だからもしかしたら、2時間近い長さのアンビエントな曲をやる、とか?(笑)

それはいいですね。たまたまですが、私もアンビエント音楽はここ最近よく聴いています。

JR:いいよね、美しい音楽だ。

アンビエントの古典、ブライアン・イーノ作品だとか……

JR:うんうん、ブライアン・イーノね! 瞑想をやっているときや電車に乗って移動中に、僕もブライアン・イーノの『ミュージック・フォア・インスタレーションズ』なんかを聴いている。とにかく美しい経験というか、一種のムードを、心を落ち着けるムードを感じさせてくれる音楽だ。

もう時間ですので、終了させていただきます。今日はお時間いただきありがとうございます。また、あなたとバンドの皆さんが日本にツアーに来られる日を楽しみにしています。

JR:うん、できれば来年、日本に行くつもりだよ!

YOUNG JUJU - ele-king

 この春にEP「LOCAL SERVICE 2」をリリースしたKANDYTOWN。同クルーのYOUNG JUJU、現在はKEIJUとして活動するラッパーが2016年に発表した記念すべきファースト・ソロ・アルバム『juzzy 92'』がアナログ化される。オレンジのクリア・ヴァイナル仕様で完全限定プレスとのこと。客演にもプロデュースにも豪華面子が集結した1枚を、いま改めてヴァイナルで楽しもう。

KANDYTOWNのYOUNG JUJU(現KEIJU)が2016年に発表したファースト・ソロ・アルバム『juzzy 92'』がオレンジのクリア・ヴァイナル/帯付きジャケット/完全限定プレスで待望のアナログ化!

◆ KANDYTOWNのラッパー、YOUNG JUJU(現KEIJU)が2016年に発表したファースト・ソロ・アルバム『juzzy 92'』が待望のアナログ化! 客演にはIO、DONY
JOINT、Neetz、Ryohu、GottzのKANDYTOWN勢に加えてB.D.やFEBB、プロデュースにはKANDYTOWNからNeetzにRyohu、MIKI、Fla$hBackSからFEBBとJJJ、さらにはJashwon、Jazadocument、MASS-HOLE、DJ Scratch Nice、U-LEEが参加! MASS-HOLEのプロデュースで先行カットされた "The Way" やIOとNeetzが参加した "Angel Dust" といったライブでもお馴染みな楽曲や縁の深いB.D.とのコラボによる"Live Now"(プロデュースはJJJ)等を収録した傑作!
◆ 親交の深かったFEBBのレコメンにより、ミックス&マスタリングはベニー・ザ・ブッチャーやカレンシー、スモーク・DZAら多くのドープな作品を手掛けている名エンジニア、ジョン・スパークス(John Sparkz)が担当!
◆ フォトグラファー、嶌村吉祥丸氏が撮影し、イラストレーター/グラフィック・デザイナー、上岡拓也氏とIOがディレクションしたアートワークをベースに、CDにはなかった日本語帯を付属したアナログ盤がオレンジのクリア・ヴァイナル/完全限定プレスでリリース!


[商品情報]
アーティスト:YOUNG JUJU
タイトル: juzzy 92'
レーベル:KANDYTOWN LIFE / BCDMG / P-VINE, Inc.
発売日:2021年11月23日(火)
仕様:LP(オレンジ・クリア・ヴァイナル/帯付きジャケット/完全限定プレス)
品番:PLP-7193
定価:3.740円(税抜3.400円)
Stream/Download/Purchase:
https://p-vine.lnk.to/OAG7L0bu

[トラックリスト]


1. Hallelujah
 Produced by DJ Scratch Nice
2. The Way
 Produced by MASS-HOLE
3. Angel Dust feat. Neetz, IO
 Produced by Neetz
4. Tap This feat. FEBB
 Produced by FEBB
5. First Things First
 Produced by FEBB
6. Skit 24/7
 Produced by MIKI
 Backing Vocal by IO
7. Live Now feat. B.D.
 Produced by JJJ
 Contain a sample from Shota Shimizu "Overflow" (JPSR01200783).
 Licensed by Sony Music Records.
 (P)2012 Sony Music Records


1. Ready
 Produced by JASHWON
2. Prrrr. feat. DONY JOINT
 Produced by Jazadocument
3. Speed Up
 Produced by Ryohu
 Backing Vocal by Ryohu
4. Til I
 Produced by U-LEE
5. DownTown Boyz feat. Ryohu
 Produced by Ryohu
6. Worldpeace feat. Gottz
 Produced by JJJ
 Backing Vocal by Ryohu
7. Outro
 Produced by Jazadocument

All Songs Mixed & Mastered by John Sparkz

Ryoji Ikeda - ele-king

 電子音楽家、池田亮司による東京では5年ぶりのソロ・ライヴ・パフォーマンスと、2012年から各地で上演が続けられている作品「superposition」の上映が、10月23日(土)WWWとWWW Xにて開催される。両会場を舞台に、ライヴ・パフォーマンスは2回、上映は3回の計5公演が実施。
 そしてこのタイミングで、「superposition」のサウンドトラックCDもリリースされる。「superposition」とは、情報の新たな概念である「量子情報」についての、池田による芸術的探求プロジェクトとして始動したもの。これまでイギリス、アメリカ、コロンビア、ロシアなど世界各地で上演されてきた。初演から10年近くのときを経て、このたびパフォーマンスの音源がCD化される。
 同梱のブックレットには、舞台全体をオペレイトする全シーンのスコア、パーカッショニストが奏でるテキストソースなど、「superposition」を構成する全要素がアーカイヴされている。10月25日発売、限定999部とのことなので、これは逃せません。
 また、10月25日より京都公演の収録映像がcodex | editionのオンラインショップにてオンデマンド配信(有料)される。詳しくは下記より。

池田亮司、東京にて5年ぶりのソロライブパフォーマンスと「superposition」映像上映が決定。
周年を迎えるWWW、WWW Xの両会場を舞台に、知覚の極地へ向かう1日・計5公演を実施。

日本を代表する電子音楽作曲家/アーティスト、池田亮司によるソロライブパフォーマンスと
東京未上演のパフォーマンス作品「superposition」の特別スクリーニングが決定した。

東京でのソロライブパフォーマンスは2016年WWW Xで行われたMerzbowとの共演以来となる。

「superposition」は池田の作品では唯一となる生身の身体(2名のパフォーマー)がステージに登場する作品。
2012年から世界各地で上演され、東京では未上演となっていた。
CD+ブックレットと映像配信の全世界リリースを10月25日に控えており、世界に先駆けてその映像をWWWで特別上映する。

この日は、ライブパフォーマンス2回/上映3回の計5公演を実施。
音そのものの持つ本質的な特性とその視覚化を、数学的精度と徹底した美学で追及する池田亮司。
そのライブパフォーマンスと作品を1日で堪能できる、またとない機会となる。

●WWW & WWW X Anniversaries
 Ryoji Ikeda superposition special screening

日程:2021年10月23日(土)
会場:WWW
料金:各回 前売 ¥1,800 / 当日¥2,300(自由席)

開場/開演:
-1st 12:00/12:30
-2nd 16:00/16:30
-3rd 18:30/19:00
*上映時間は約60分となります。
*3rd setのみ、WWW Xで行われるlive set(2nd)と同時間帯の上映となります。

チケット情報(全公演共通):
先行予約 9月22日(水)18:00 - 9月26日(日)23:59 (先着受付)
一般発売 10月2日(土)10:00
受付URL:https://eplus.jp/ryoji-ikeda-1023/

公演詳細:https://www-shibuya.jp/schedule/013788.php
問い合わせ:WWW 03-5458-7685

●WWW & WWW X Anniversaries
 Ryoji Ikeda live set

会場:WWW X
出演:池田亮司 / Ryoji Ikeda
料金:各回 前売 ¥5,000 / 当日¥5,500(オールスタンディング/ドリンク代別)

開場/開演:
-1st 13:30/14:30
-2nd 17:30/18:30

チケット情報(全公演共通):
先行予約 9月22日(水)18:00 - 9月26日(日)23:59 (先着受付)
一般発売 10月2日(土)10:00
受付URL:https://eplus.jp/ryoji-ikeda-1023/

公演詳細:https://www-shibuya.jp/schedule/013790.php
問い合わせ:WWW X 03-5458-7688

※本公演は「ライブハウス・ライブホールにおける新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」に基づいた対策を講じ、お客様、出演者、スタッフの安全に最大限配慮した上で、従前の50%以下のキャパシティにて実施いたします。チケットのご購入、ご来場の際は必ず「新型コロナウィルス感染拡大予防に関する注意事項」(https://www-shibuya.jp/news/013186.php)にてご注意事項の確認をお願いいたします。

Ryoji Ikeda
1966年岐阜生まれ、パリ、京都を拠点に活動。 日本を代表する電子音楽作曲家/アーティストとして、音そのものの持つ本質的な特性とその視覚化を、数学的精度と徹底した美学で追及している。視覚メディアとサウンドメディアの領域を横断して活動する数少ないアーティストとして、その活動は世界中から注目されている。音楽活動に加え、「datamatics」シリーズ(2006-)、「test pattern」プロジェクト(2008-)、「spectra」シリーズ(2001-)、カールステン・ニコライとのコラボレーション・プロジェクト「cyclo.」(2000-)、「superposition」(2012-)、「supersymmetry」(2014-)、「micro | macro」(2015-)など、音/イメージ/物質/物理的現象/数学的概念を素材に、見る者/聞く者の存在を包みこむ様なライブとインスタレーションを展開する。これまで、世界中の美術館や劇場、芸術祭などで作品を発表している。2016年には、スイスのパーカッション集団「Eklekto」と共に電子音源や映像を用いないアコースティック楽器の曲を作曲した新たな音楽プロジェクト「music for percussion」を手がけ、2018年にCDをリリース。2001年アルス・エレクトロニカのデジタル音楽部門にてゴールデン・ニカ賞を受賞。2014年にはアルス・エレクトロニカがCERN(欧州原子核研究機構)と共同創設したCollide @ CERN Award受賞。
www.ryojiikeda.com

2012年から世界各地で上演を続けている池田亮司のパフォーマンス作品『superposition』のサウンドトラックCDとブックレットをcodex|editionから限定999部でリリース、2021年9月22日よりプレオーダー開始。10月25日より公演収録映像をオンデマンド配信。

アーティスト:Ryoji Ikeda
タイトル:superposition [cd+booklet]
レーベル:codex | edition
品番:CD-003
税込価格:5,500円
発売日:2021年10月25日(月)
(デジタル音源も同日リリース予定)

●superposition [cd+booklet] (2021.10.25 リリース)
*12トラック収録(全54分)のCDと96ページのブックレットのセット
*限定999部、エディションナンバー入りカード付き
*9月22日(水)20時(JST)よりcodex | editionのオンラインショップ(www.codexedition.com)にてプレオーダー開始
*10月23日(土)WWWにて先行販売実施予定(要入場チケット)

●superposition [video on demand] (2021.10.25 リリース)
*2013年10月のKYOTO EXPERIMENTでの公演(於 京都芸術劇場 春秋座)を収録、編集した4K映像をオンデマンド配信開始(有料)
*10月25日(月)よりcodex | editionのオンラインショップ(www.codexedition.com)にて配信開始予定

Jamire Williams - ele-king

 新世代のジャズ・ドラマーとして頭角を現し、ジェフ・パーカーやヴルフペックの作品に参加、プロデューサーとしてもソランジュなど、多くの作品に関わってきたジャマイア・ウィリアムス。彼の5年ぶりとなるソロ・アルバム『But Only After You Have Suffered』が11月24日にリリースされる。ここ5年の彼の試みを凝縮した、集大成に仕上がっているようだ。カルロス・ニーニョやサム・ゲンデルらも参加。チェックしておきましょう。

JAMIRE WILLIAMS『But Only After You Have Suffered』

ソランジュ、モーゼス・サムニー、ブラッド・オレンジ等の作品にも名を連ね、パット・メセニ ーからロバート・グラスパー・トリオまで、数々のライヴで圧巻のプレイを見せてきた現在のジャズ・シーンでも圧倒的な存在感を誇るジャマイア・ウィリアムス。自身のサウンドの頂点を目指した、音楽の旅の集大成となる5年振りのアルバムが、日本限定盤ハイレゾMQA対応仕様のCDでリリース!!

Brandon Owens – bass guitar / Carlos Niño – percussion / Chassol – keyboards, synthesizer, programming / Corey King – vocals / Jason Moran – piano / Josh Johnson – mellotron, synthesizer, programming / Matthew Stevens – lead guitar / Sam Gendel – guitar synthesizer, alto saxophone / etc.......

ジャズ・ドラマーとしてNYで活躍していた頃から、ジャマイア・ウィリアムスは自身の表現領域を拡張し、深化させてきた。このアルバムには、作曲家/プロデューサーとしての彼が到達した、複合的で美しいアートが刻まれている。ジェイソン・モランやコーリー・キングからサム・ゲンデルやシャソルまで、彼が歩んできた音楽の旅で出会った才能が、このアルバムを更に輝かせている。(原雅明ringsプロデューサー)

アーティスト : JAMIRE WILLIAMS(ジャマイア・ウィリアムス)
タイトル : But Only After You Have Suffered(バット・オンリー ・アフター・ユー・ハヴ・サファード)
発売日 : 2021/11/24
価格 : 2,800円 + 税
レーベル/品番 : rings (RINC81)
フォーマット : MQA-CD
バーコード : 4988044070271

*MQA-CDとは?
通常のプレーヤーで再生できるCDでありながら、MQAフォーマット対応機器で再生することにより、元となっているマスター・クオリティのハイレゾ音源をお楽しみいただけるCDです。

Official HP : https://www.ringstokyo.com/jamirewilliams

Richard H. Kirk - ele-king

野田努(9/22)

 日本時間の昨晩、キャバレー・ヴォルテール(通称ザ・キャブス)の活動で知られるリチャード・H・カークが9月21日、65歳で亡くなったことを〈ミュート〉が発表した。昨年11月はキャバレー・ヴォルテールとしては26年ぶりのアルバム『Shadow of Fear』を発表し、エレキングの取材も快く答えてくれたカークだが、いまあらためてその記事を読み返してみると、すでに体調に問題があったのだろうか、取材中に何度か咳き込む様子が記されている。いずれにせよ悲しいことだ。各国の主要メディアが報じているように、偉大な音楽家/アーティストがまたひとりいなくなってしまった。

 1973年のイギリスのシェフィールドという地方都市で、リチャード・H・カークを中心に、クリス・ワトソンにスティーヴン・マリンダーという3人の“ダダ中毒”によって結成されたキャバレー・ヴォルテールは、パンク以降の音楽シーンにおいて未来を切り開いた重要なバンドのひとつだった。ブライアン・イーノが提唱した「non-musician」(音楽を作るのに音楽家である必要はない)という考え方に感化され、アブストラクトなテープコラージュから出発した彼らは、自らを「ミュジーク・コンクレートのガレージ版」と呼んだように、いわばアヴァンギャルドとパンクとの融合を実現させた第一人者でもあった。(初期の音源は2019年に〈ミュート〉から再発された『1974-76 (1974-76)』で聴ける)

 個人的な話で恐縮だが、彼らの初期の代表作“Nag Nag Nag”で見せた原始的なドラムマシンとテープ操作による反復、シンセサイザーと電子ノイズにスポークンワードめいた声といったキャブスのスタイルは、それが出たとき高校生だったぼくには、音楽に対する感受の仕方をいきなり押し広げられたような、相当な衝撃があった。また、彼らは政治的でもあり、予見的でもあった。ヴェルヴェッツのカヴァーを収録し、“バーダー・マインホフ”で締める『Live At The Y.M.C.A.』(1980)をはじめ、レーガン政権下で右傾化するアメリカを題材とした『The Voice Of America』、そしてイスラム主義の台頭を主題とした「Three Mantras」(1980)という、アメリカと中東における原理主義や宗教の政治介入に対する彼らの関心はその後のアルバム『Red Mecca』(1981)にも集約されている。こうしたコンセプトはリアルタイムで聴いていた10代の頃には何のことかさっぱりだったけれど。(ちなみに高校1年生の石野卓球が静岡のぼくの実家に遊びに来たときにぼくのまだわずかながらのレコード・コレクションを見て最初に反応したのがキャブスだった。いまでもその場面を鮮明に憶えている。お互い初めて会ったそのとき、「それ俺も好きです」とかなんとか、そんなようなことを彼は言った)
 1981年にクリス・ワトソンが脱退し、カークとマリンダーのふたりになってからの第二期は、レーベルも〈ラフトレード〉から〈サム・ビザール〉またはメジャーの〈パーロフォン〉へと変わって、音楽も実験色の強いコラージュ的なものからダンス・ミュージックへと路線変更された。80年代のキャブスは、“Just Fascination”(1983)や“Sensoria”(1984)、“I Want You”(1985)などポップ・チャートに入っても不自然ではないような曲をいくつか発表している。もちろんこうした彼らのエレクトロニック・ダンス・ミュージックは、同時代のアメリカのアンダーグラウンドなブラック・コミュニティで始動したダンス・カルチャーと併走し、そしてやがて合流した。カークは1989年から数年のあいだ地元のハウスDJ、パロットと結成したスウィート・エクソシストを介して〈Warp〉を拠点にブリープ・テクノ・ダンス・トラックの 12インチを切り、1990年のキャブスの12インチ「キープ・オン」においてはデリック・メイによるリミックス・ヴァージョンを収録している。それまでの方向性を考えれば必然だったと言えるかもしれないが、ポスト・パンク世代ではハウス‏/テクノに対してのダントツに素早い反応だった。あの当時はカークのその行動に痺れたし、自分たちの選んだ道は間違っていないとずいぶん勇気づけられもした。

 ハウスやテクノといったクラブ・ミュージックとの出会いを機に、リチャード・カークとキャバレー・ヴォルテールは、いっきにアンダーグラウンドヘと潜っていった。1990年代以降のカークは〈Warp〉や〈R&S〉、〈Touch〉といった先鋭的なインディペンデント・レーベルからソロ名義のほか、サンドズ名義をはじめとする数々の名義で作品を発表するようになる。90年代半ばにはキャブスからマリンダーも離れてしまうが、結果ひとりになってからもカークはひたすら作品を制作し、彼自身の〈Intone〉レーベルなどから、カーク本人でさえもとてもすべてを覚えられなかったのではないかと思われるほどのたくさんの名義を使ってテクノ‏/アンビエントの作品のリリースを停止することなく続けた。
 その数はあまりに多く、彼のすべての作品をチェックしている人がどれほどいるのだろうかと思う。ぼくは1994年のサンドズ名義の『Intensely Radioactive』と同年のソロ名義による〈Warp〉からの『Virtual State』、そしてマリンダー在籍時のキャブスの最後のアルバム〈Apollo〉からの『The Conversation』の3枚がお店で購入した最後のレコードだった。それは以降は、2000年代初頭のポスト・パンク・リヴァイヴァル時にいっしゅん初期の音源を聴き直したことはあったかもしれないが、2010年代に〈ミュート〉が80年代のキャブス作品を中心に再発するまでは、キャバレー・ヴォルテールもカークも自分のリスニング生活とはほとんど無関係だったことは否めない。それは個人的ではあるが、1979年/1980年のキャブスに心底震えた世代にとってありがちなコースだったのではないだろうか。(ゆにえ、まだ聴いていない彼の作品はあまりにも多くあるとは言える)

 2020年11月にキャバレー・ヴォルテール名義としては26年振りにリリースした『Shadow of Fear』は、カークのなかの“ファンク”が噴出した生命力ある力作で、そしてまた、初期の作品を彷彿させる言葉のカットアップを効果的に使った作品でありディストピックで暗示的なアルバムでもあった。その破壊的な迫力と否定の力に、カークの芸術的始祖のひとりであるトリスタン・ツァラもさぞかし歓喜したことだろう。が、しかし65歳とは、やはり早すぎた。今年に入ってからは3月にキャバレー・ヴォルテール名義での1曲およそ50分の『Dekadrone』と1時間にわたる『BN9Drone』という2枚のドローン作品をリリースしているが、彼は結局、ぶっ倒れるまで作り続けたのだろう。「彼は最後まで、ハングリーでアングリーでファンキーだった」とは『ガーディアン』の追悼記事の見出しだが、いやまったく、本当にその通りだ。

野田努

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三田格(9/24)

 ele-king臨時増刊号メタヴァース特集のために原稿を書きながらキャバレー・ヴォルテールがこの春にリリースした『Dekadrone』を聴き直し、漠然と初期のインダストリアル・テイストをロング・ドローンでやり直している感じかなあと思っていたら、深夜になってリチャード・H・カークの訃報を目にした。第一報では死因は不明とあった。亡くなったことを知って聴くのとそうでないのとでは聴き方がまったく変わってしまう。え、死んじゃったの!と思って、もう一度『Dekadrone』を再生すると、今度はなんともオプティミスティックで、近年のデッドロックな気分を反映したドローンとは正反対の高揚感がダイレクトに耳を打ってきた。「デカドロン」というのはステロイドの一種であるデキサメタゾンとドローンを足して、イタリアの古典文学「デカメロン」と掛けた造語のようで、おそらくはカークが最後まで服用していた抗炎症薬を題材としたものなのだろう。LSDを開発した製薬会社サントスの名義で10枚以上のアルバムを残した男である。デカドロンという薬にも大きな希望を見出していたのかもしれない。

 訃報を目にして最初に思い出したのはなぜかメジャーフォースの工藤(昌之)さんに聞いた話だった。キャブスが初めて来日し、新宿のツバキハウスでライヴを行なった後、彼らは工藤さんがDJを務めていた六本木クライマックスに遊びに来たというのである。そして、キャブスの3人はナンパをはじめたんだよと工藤さんは笑いながら言った。僕もつられて笑い、旧ベイシング・エイプのスタジオは俗っぽい雰囲気でいっぱいになってしまった。工藤さんが言いたかったことはこうだろう。インダストリアル・ミュージックの急先鋒として喧伝されていたキャバレー・ヴォルテールは当時、神格化ではないけれど、どこか恐れ多い雰囲気に包まれていた。でも、そんなことはなくて、当時から彼らは人間味のある人たちだったんだよと。クライマックスは狭いハコで客がすし詰めになっているようなこともなかったから、ナンパなんかしていれば、ほぼ全員に何をやっているかわかってしまうクラブである。チーク・タイムという習慣を最初に辞めたハコであり、陰湿な性格には似合うスペースではなかった。ちなみにツバキハウスのライヴを収めた『Hai!』は名作ながらマスター・テープを紛失し、〈Mute〉の復刻版はアナログ起こしだという。

 〈Rough Trade〉の3枚目ということもあり、キャブスはデビューEPから聴いていた。正直、ピタッと来る感じではなく、いま聴いてもカンの粗雑なコピーみたいに聞こえてしまう曲も多い(それでも全部買っていたのは『ロック・マガジン』がプッシュしていたから)。それが先行シングルもなく、ふいに2枚組でリリースされた4thアルバム『2X45』で僕は彼らの編み出したインダストリアル・ファンクにめろめろになってしまった。『2X45』はインダストリアル・ミュージックとファンクの官能性をものの見事に融合させ、ボディ・ミュージックや遠くはハード・ミニマルに至るまでダンス・ミュージックのアンダーグラウンド化に多大な導線を示した作品である。それこそヴァージン・プルーンズのギャビン・フライデーは『2X45』を聴いて「自分たちはもっといいディスコ・レコードをつくれる」とコメントしていたけれど、カークによればそれまでもダンス・ミュージックをやっているつもりはあったようで、クリス・ワトスンが脱退したことで思いっきり舵を切ることができた結果が『2X45』だったという。しかし、さらに驚かされたのは、続く『The Crackdown』だった。『2X45』以前のインダストリアル・テイストを大幅に回復させ、有象無象のブリティッシュ・ファンク・ブームとは一線を画すオルタナティヴ・ファンクの流れがここに確立される。『The Crackdown』がなければそれこそフロント242もタックヘッドもなかったかもしれない。

 キャバレー・ヴォルテールとフラ、そして、フォン・フォースがシェフィールドをダンス・カルチャーに引きずり込み、やがて〈Warp〉が設立される。〈Warp〉ではただひとりの創設メンバーとなってしまったスティーヴ・ベケットは早くからキャバレー・ヴォルテールのアルバムを出したがっていたけれど、彼の思いはかなり歪んだかたちで実現する。シェフィールドでは逸早くアシッド・ハウスに手を出し、現在もクルックド・マンなどの名義でアシッド・ハウスの改良に余念がないDJパロットがカークを誘って二人はスウィート・イクソシストを結成、設立当初の〈Warp〉に“Testone”を吹き込み、「ブリープ」と呼ばれるタームを引き起こす。LFOのビッグ・ヒットもあって「ブリープ」は〈Warp〉を認知させる大きな要因となるも、ここからが少しややこしい。〈Warp〉の創設メンバーのひとり、ロブ・ゴードンはイギリス人がハウスやテクノをやるならアメリカとは違ってレゲエのリズムを取り入れなければならないと主張し、もうひとりの創設メンバー、ロブ・ミッチェルと対立、レーベルから離脱してユニーク3のプロデュースに専念する。この対立を受けてカークは〈Warp〉ではなく、ロブ・ゴードンとゼノン(XON)というユニットを組み、さらに「ブリープ」を推し進める。その本質は「信号音」ではなくレゲエのリズムにあることが明らかとなり、これはスウィート・イクソシストのアルバムがいまでもグローバル・ミュージックの文脈で聴くことができる土台にも通じている(カークはレゲエをメインとしたサントスもほぼ同時にスタートさせる)。

 以後は、スウィート・イクソシストの新作もカークが新設した〈Plastex〉からのリリースとなり、キャバレー・ヴォルテールの新作も同レーベルを通じて〈R&S〉傘下の〈Apollo〉にライセンスされることに。リチャード・H・カークが〈Warp〉からソロ・アルバムをリリースするのは〈Plastex〉を閉鎖した1994年を待ってからであり、カークがテクノというタームと格闘を続けた91~93年を〈Warp〉が共有できなかったことは〈Factory〉とニュー・オーダーの関係とは異なる気分を浮上させ、できれば本人からもっと詳しい事情を聞いてみたかったところでもある。〈Apollo〉にライセンスされた『The Conversation』は、そして、ようやくレイヴ・カルチャーと距離が取れるようになった作品として完成度も高く、2020年に復活を果たすまでカークにとっても超えられない壁となってしまった感もなくはない。アシッド・ハウスの波に飲み込まれてしまい、自分でもキャバレー・ヴォルテールの作品らしくなかったと述懐していた『Groovy, Laidback And Nasty』やアシッド・ハウスに対抗してミニストリーと組んだアシッド・ホース、あるいはテクノにオリジナリティを見いだすことができなかった『Plasticity』とは異なり、『2X45』や『The Crackdown』をテクノで再構築した『The Conversation』はゆったりとした官能性を呼び戻し、ようやくオルタナティヴ・ファンクの本流に返り咲くことができた傑作だった。2時間を超える大作にもかかわらず、まったく飽きさせないのはさすがとしか言いようがない。

 リチャード・H・カークがさらにスゴいと思うのは自分の音楽を先入観をもって聞かれたくないために40以上の名義を使い分けたことである。『Red Mecca』や『Three Mantras』など早くから西欧とイスラムの衝突に関心があったというカークは、ジョージ・ブッシュがイラクに戦争を仕掛けた際はバイオケミカル・ドレッドの名義で『Bush Doctrine』をリリースして奇天烈なレゲエを聞かせ、ヴァスコ・ドゥ・メント名義ではさらにインダストリアル・ダブをこじらせていく。イクステンディッド・ファミリー(拡大家族)とかニトロジェン(窒素)とか気になるネーミングはたくさんあるけれど、さすがにすべてはフォローできない。どの名義だったか忘れてしまったけれど、ある時、石野卓球とカークのソロ作を聴いていて、卓球が「いまどきダダダッてプリセット音をそのまま使うのは彼だけだよ」と笑っていたことを思い出す。そう言われるまで僕は気がつかなくて、以降、ダダダッというプリセットのスネア音を聴くとリチャード・H・カークのことを思い出すようになってしまった。それこそダダイズムだし。R.I.P.

三田格

Riki Hidaka + Jim O' Rourke + Eiko IshibashiI - ele-king

 日高理樹(リキ・ヒダカ)は、彼の音楽がそうであるように、生粋のボヘミアンなのだろう。いまの日本では絶滅に近い、社会の規範に囚われることがないいわば自由人。いったい彼は何のために音楽を作っているのだろうか。崩壊したフォークソング、解体されたギター、無調と調性とを超えた響き、アマチュアリズムと実験……。
 ぼくが彼の音楽を初めて聴いたのは2016年の『Abandoned Like Old Memories』だったが、当時もいまも、彼はエスタブリッシュな音楽シーンにはいない。それはこの世界の秘密の入り口から下っていく地下室においてのみ演奏され、そこに遙々やって来た者たちのみが耳にすることができると、まあそんなところだ。

 しかしながら彼の彷徨にも、どうやら拠点と呼べる場所があるらしい。2005年10月に広島の中区にオープンしたレコード店〈Stereo Records〉である。LAで生まれ東京で育ち、NYでも数年ほど暮らしていたこの旅人がどうして広島なのか。2012年の夏、彼が貧乏旅行で日本を横断していたとき、ちょうど広島に着いたところで出会ったのが同店の店長、神鳥孝昭だったのである。風来坊というよりも浮浪者然とした日高に風呂場を教えて夕食をともにした神鳥が今夜はどこに泊まるのか訊いたところ日高は公園のベンチで寝るというので、だったらうちに泊まれと、こうしてふたりの関係ははじまったという。
 とはいえ、最初の出会いの時点では、神鳥にとって日高はただのおかしな若者である。神鳥が、日高が音楽をやっていることを知ったのはその出会いから1年後のことだった。2013年5月、広島でライヴを企画した際、友人づてにミュージシャンとして紹介されたのである。
 こうして日高と再会した神鳥だが、初めて聴いた彼の音に震えを覚えたという。そして、神鳥がレーベルをはじめようとしたときに、最初のリリースを日高理樹のアルバムにすることに迷いはなかった。2014年4月に、彼の『POETRACKS』のアナログ盤がRECORD STORE DAYに合わせて発売された。ぼくが最初に聴いた日高のソロ作品『Abandoned Like Old Memories』も〈Stereo Records〉からで、これはレーベルにとって3番目のリリースだった。(2番目のリリースはJan and Naomiでの活動で知られるJanと日高の共作によるサイケデリック・フォークの『Double Happiness in Lonesome China』)
 
 この頃神鳥は、人伝いではあったが石橋英子が日高を面白いと思っているという話を耳にし、アイデアが閃いた。2017年6月に広島の〈CLUB QUATTRO〉と愛媛の〈どうごや〉で神鳥が企画したライヴ公演にまず石橋英子とジム・オルークに声をかけた。それからふたりに当時はNY在住だった日高理樹のことを話し、ジョイント・ライヴを提案した。このアイデアに石橋とオルークは協力的だった。神鳥と石橋は話し合い、その結果公演は三部構成となって、最後を3人によるセッションで締めることにした。
 結果、6月6日の広島公演がこのトリオの最初の演奏になったわけだが、それがプロジェクトのはじまりとなった。3人は、2017年12月には、再度〈Stereo Records〉主催で東京と山梨でのライヴも実現させた。その山梨でのライヴのための滞在中、〈八ヶ岳星と虹レコーディングスタジオ〉においてセッションした記録をもとにオルークがエディットして、ミキシングを施した結果が本作『置大石』である。楽器は日高がギター、石橋がフルートとピアノ、オルークがシンセサイザーを担当している。
 
 “置_置_置”と“置___置___置”という謎めいた曲名の2曲が収録されている本作『置大石』(おきおおいし、と読むのだろうか)は、透明で美しいが抽象的で途方もなく、つかみ所がないかもしれない。しかも極めて静的なこの音色とテクスチュアの冒険は、外側だけ聴けばほとんど変化がないように感じられるかもしれないが、じつはその内部で変化している。ひょっとしたら、滲んだ水彩画さもなければ水墨画のように視覚的に再生されるかもしれない。
 レコードで言うA面の“置_置_置”では、抽象性の高いトーンが呼吸しているかのように途切れては鳴り、その幽妙な広がりの遠くからギターのドローンが響いている。曲のなかば過ぎから音は空間を包囲するように広がり、この空間は終盤に向け密度を増し、そして消えていく。
 石橋英子のピアノからはじまるB面の“置___置___置”は、その魅惑的な旋律にオルークのシンセサイザーと日高のギターがテクスチュアを描きながら展開する。ドローンのなかに石橋のフルートが加わると、音楽の背後からは平穏な気配がスローモーションで立ち上がり、やがてわずかな旋律はギターにゆだねられる。
 先述したようにこの2曲のミキシングはジム・オルークによるもので、彼はこの日常でも非日常でもない、いわば完結なきひとつの連続体のような曲における音のひとつひとつを調整し、静的で不規則的だが循環性のあるこれらの音響に輪郭を与えている。おそらくはオルーク自身もこの音楽のリスナーのひとりとして再構築したことだろう。
 また、レコード盤のレーベル面には〈Stereo Records〉の神鳥孝昭と〈八ヶ岳星と虹レコーディングスタジオ〉のオーナー、藤森義昭への感謝が記されている。この音楽は彼らとの出会いによって生まれているわけだが、ぼくがこのreviewの前半で書いているのは、日高と神鳥との出会いを軸にした話であって、山梨からやってきた石橋とオルークのふたり──音楽における静かな川の流れの深みのようなアーティスト──を軸にすればまたもうひとつの物語がある。そのふたつの物語の出会いが、このレコード(ないしはCD)に記録されている音楽と化したと。
 リスナーがこの音楽を聴いていてなにか胸のすく思いを感じられるとしたら、それはきっと彼らの出会いによって創出された感覚であり、そしてまた、リスナーが朝靄のかかったかのような、この空間にまでたどり着けたことへの喜びゆえであろう。(敬称略)

David Sylvian - ele-king

 徹底的に音を探究する稀代の音楽家、デイヴィッド・シルヴィアン。ひさしぶりに嬉しいニュースの到着だ。これまでも多く彼の作品を送り出してきた現ベルリンのレーベル〈Grönland〉から、最新フォト・エッセイ本『– ERR –』がリリース。全世界550部限定とのことで、本人直筆サイン入りのエディションも販売される。なくなる前に、お早めに。

あくなき音の探究を続ける孤高の音楽家 "David Sylvian" の最新フォトエッセイ本が Grönland Records よりリリース! 全世界550部限定、本人直筆サイン入りの数量限定スペシャルエディション!

あくなき音の探究を続ける孤高の音楽家 "David Sylvian" の最新フォトエッセイ本が全世界550部限定で Grönland Records よりリリース、日本でも超数量限定で販売される。

「タワーレコードオンライン」、「HMVオンライン」、「ディスクユニオン」、P-VINEオフィシャルオンラインショップ「P-VINE SPECIAL DELIVERY」での取り扱いが決定。

本人直筆サイン入りとなり、「P-VINE SPECIAL DELIVERY」では特典として本書に寄せたデイヴィッド・シルヴィアンよるコメント(日本語訳)が付属する。写真家や文筆家、画家としても知られる藤原新也からのコメントも到着した。

それが都市であれ、砂漠であれ、アメリカの道の15センチ下には荒野が眠る。そして多くの写真家がそのアメリカの道の寂寥感を車の窓越しに撮ってきた。だが本書の写真の中では、1と0という永遠に中間値の失われたジャギーの暴力によってそのアメリカの道伝説があたかもクラッカーのようにとつぜん砕け散る。それはデジタルという空虚が与える新しい美学だと言える。 ──藤原新也

[本書に寄せたデイヴィッド・シルヴィアンよるコメント(日本語訳)付き通販ページ]
https://anywherestore.p-vine.jp/products/bookgron-200

[商品情報]
アーティスト:David Sylvian
タイトル:– ERR – limited edition
フォーマット:Book
発売日:2021年11月19日(金)
品番:BOOKGRON200
ISBN:978-3-00-069573-5
サイズ:38 x 28 x 8 cm
ページ数:216
価格:¥25,300(税込)(税抜:¥23,000)

メシアTHEフライ - ele-king

 先日お伝えしたように、JUSWANNA のMC、メシアTHEフライの2010年のソロ・アルバム『MESS - KING OF DOPE-』が本日9/15にCDでリイシューされる。そのタイミングにあわせ、同作のストリーミングでの配信も解禁となった。ジャケをあしらったTシャツも限定で販売されるとのことで、あわせてチェックです。

JUSWANNAのブッ飛んだ救世主ことメシアTHEフライが2010年にリリースした傑作ファースト・ソロ『MESS -KING OF DOPE-』の復刻CDリリースに合わせて待望のストリーミング配信も解禁! またそのジャケットを用いたTシャツが完全限定で発売&予約受付開始!

 メッセージ性の強いパンチラインを最大の武器に独自のスタンスで常に斜め45度から世間を騒がす反逆者であり、MEGA-G、DJ MUTAとのユニット、JUSWANNAのブッ飛んだ救世主ことMESS a.k.a. メシアTHEフライ。そのメシアがJUSWANNAとしての活動休止後の2020年12月に発表した傑作ファースト・ソロ『MESS -KING OF DOPE-』の復刻CDが本日リリースされたのに合わせ、本日より各ストリーミング・サービスにて同作の配信も開始!
 また本日よりその『MESS -KING OF DOPE-』のジャケットを用いたTシャツの予約受付が開始! ボディはGILDAN T2000 6oz ウルトラコットンヘビーウェイトTシャツを使用し、カラーはホワイトとブラック、ロイヤルブルーの3パターン。本日9/15(水)からP-VINE OFFICIAL SHOPのみの完全限定生産での予約受付となり、受注期間は9/28(火)正午まで、発送は10月下旬頃を予定しております。
 その『MESS -KING OF DOPE-』は同時に帯付き2枚組/完全限定プレスでのアナログ盤も12月にリリースを予定しております。こちらも完全限定生産となりますのでご予約はお早めに!

*メシアTHEフライ 『MESS -KING OF DOPE-』 Tシャツ 販売サイト
https://anywherestore.p-vine.jp/products/mtf-messt

★『MESS -KING OF DOPE-』Tシャツに関する注意事項
※新型コロナウィルスによる状況によっては、発送期間が大幅に遅れる可能性がございます。あらかじめご了承ください。
※オーダー後のキャンセル・変更は不可となります。
※配送の日付指定・時間指定は出来ません。


[CD情報]
アーティスト:メシアTHEフライ
タイトル:MESS -KING OF DOPE-
レーベル:Libra Records / P-VINE, Inc.
発売日:2021年9月15日(水)
仕様:CD
品番:LIBPCD-013
定価:2.640円(税抜2.400円)
Stream/Download/Purchase:
https://p-vine.lnk.to/bT6jlsZm

[LP情報]
アーティスト:メシアTHEフライ
タイトル:MESS -KING OF DOPE-
レーベル:Libra Records / P-VINE, Inc.
発売日:2021年12月2日(木)
仕様:帯付き2枚組LP(完全限定生産)
品番:LIBPLP-001/2
定価:4.950円(税抜4.500円)

Tomorrow’s People - ele-king

 アナログ・レコードにまつわる新しい試みとして〈Pヴァイン〉が取り組んでいるプロジェクト「VINYL GOES AROUND」からニュー・アイテムの登場だ。
 今回のタイトルは、シカゴのソウル・グループ、トゥモロウズ・ピープルの1976年作『Open Soul』のテスト・プレス。1枚ずつ手づくりで制作されたシルクスクリーン・ジャケット仕様。今回も超限定商品のため、お早めに。

Tomorrow's People「Open Soul」LPのテストプレスがハンドメイドのシルクスクリーン・ジャケットでVINYL GOES AROUNDから超限定発売。

Tomorrow's People「Open Soul」LPのテストプレスを株式会社Pヴァインの新規事業「VINYL GOES AROUND」限定で9/15(水)午前10時より販売する。

ハンドメイドのシルクスクリーン・ジャケットは、青みを含んだグリーンの女性のポートレートと、鮮やかな赤の文字でデザインし一枚ずつ丁寧にプリント。

本作はバートン4兄弟を中心としたシカゴのソウルグループの1976年に制作されたアルバムで、DJやソウルマニアの間で究極のコレクターズアイテムとなっている作品。中でも一際光る存在の20分を越える壮大かつグルーヴィなファンク「OPEN SOUL」は、永遠と繰り返されるフレーズがドープなダンストラック。またディープなソウル曲「Lovers to friends」や極上のファンキー・チューン「Let’s Get With The Beat」、疾走感のあるインストゥルメンタルファンク「Hurt Perversion」などを収録。また当アイテムは先日eBayにて先行販売をしてUS $132で落札された。

[購入ページリンク]
https://vga.p-vine.jp/exclusive/
※9/15(水)午前10時より販売開始


[商品情報]
アーティスト:Tomorrow's People
タイトル:Open Soul (Test Press)
品番:VGA-5001
フォーマット:LP(シルクスクリーン・ジャケット/シリアルナンバー入り)
価格:¥7,700(税込)(税抜:¥7,000)
★VINYL GOES AROUND限定販売
★9月15日(水)午前10時より販売開始

[TRACK LIST]
A1. Lovers To Friends
A2. It Ain't Fair
A3. Hurt Perversion
A4. Hurry On Up Tomorrow
A5. Let's Get Down With The Beat
B1. Open Soul


[VINYL GOES AROUND]
株式会社Pヴァインが立ち上げたアナログ・レコードにまつわる新しい試みを中心としたプロジェクト。
https://vga.p-vine.jp/

interview with Amyl & the Sniffers - ele-king

憎しみでいっぱい
こんな壁は大嫌い
何もかも大嫌い
“Don't Fence Me In”

 必然というか、当たり前というか、パンク・ロック登場。日本というたいへんな国からではない。これはオーストラリアはメルボルンからの一撃。名前はアミル&ザ・スニッファーズ。火の玉のようなヴォーカリスト、エイミー・テイラー擁するパンク・バンドのデビュー・アルバムが2019年に〈ラフトレード〉からリリースされると、彼らの新しいとは言いがたいパンク・ロック・サウンドは、しかし瞬く間に欧米では評判となって、ことUKでは熱狂的なファンを生んでいる。

望んでいたのは公園を散歩することだけ
望んでいたのは川沿いを歩き 星を見ることだけ
どうかもう私を痛めつけないで
“Knifey”

 プロデューサーがアークティック・モンキーズの『AM』を手がけたロス・ロートンだったことも理由のひとつなのだろう。メルボルンのパブでやってきたことをただ続けているだけというこのバンドの荒削りなサウンドを有能な彼はうまくまとめている。だとしても興味深いのは、およそ10年前からはじまったインディーにおけるドリーミー路線とはまるっきり逆の、言いたいことを言いまくっては暴れるパンクの熱風とAC / DC譲りのハードかつなかば漫画的な勢い、そしてミソジニーから気候変動、資本主義の限界と自分への激励が込められた若さ全開の言葉が今日の欧米のインディー・キッズの心をとらえたということである。しかも、彼らはたんに熱くエネルギッシュというだけではない。エイミーが手がける女性の不自由さを代弁する歌詞は、新世代のフェミニスト音楽としての評価もある。ちなみに彼女は、今年の初頭にリリースされたスリーフォード・モッズのアルバム収録の“Nudge It”という曲で客演しております。

ただ資本のため
私は動物なの?
あくまでも資本のため
でも私が気にする必要ある?
“Capital”

 音楽文化が何かと世間で叩かれている日本で暮らすぼくは、いま、自分たちがどこから来たのかを確認する意味でも、小さなところからまたやり直すことは、それはそれでひとつのやり方として未来かもしれないと思う。アミル&ザ・スニッファーズは労働者階級を崇拝しているという批評家の指摘に対し、エイミーは2018年の『ガーディアン』の取材において「何も崇拝はしていない」と答えている。また、あるインタヴューでは「フェミニストを引用したいわけではない。ただ前向きにアップデートしたいだけ」とも話している。メディアからのカテゴライズを忌避しばく進をもくろむ彼らの『Comfort To Me』は注目のセカンド・アルバムだが、これがおそらく日本では最初にちゃんとプロモートされる作品になる。アミル&ザ・スニッファーズ、ぜひ注目していただきたい。質問に答えてくれたのはエイミー・テイラー、そしてベース担当のガス・ローマー。(※文中に引用した曲はすべて新作から)

あるとき知り合いが未成年や子供でも入れるハードコアのイベントに連れていってくれたの。会場には30人くらいのお客さんがいて、みんなすごく攻撃的で、イカってる感じで、汗だくだった。みんなクレイジーな踊りをしてたり、空をパンチしたり、フロアを走り回ったりしていた。それがすごいかっこいいと思って、自分はこの場所にいたいと思った。


Amyl & The Sniffers
Comfort To Me

Rough Trade/ビート
(歌詞対訳付き)

PunkGarage Rock

Amazon

オーストラリアはいまどんな感じでしょうか?(※取材をしたのは8月18日)

エイミー(以下A): いまオーストラリアはロックダウン中だから、午後9時以降は外出禁止令が出ている。メルボルンでは6回目のロックダウンだよ。でもロックダウンしていなかった時期はギグを5回やることができて、ヴィクトリア周辺の田舎町でライヴをやることができた。それは最高だった。それからメルボルンでもライヴを一度やることができて、そのライヴに関してはお客さんが2019年からチケットを持っていたものなんだ。今回のロックダウン開始が、その夜の12時だったからそれが最後のライヴ。だから最近はまったくやってないよ。

暇な時間は何をして過ごしていますか?

ガス(以下G):パブに行ったり、ベッドで寝っ転がってゴロゴロしたり……俺的にはよくベッドでゴロゴロしてるのが多いね。テレビ観て、リラックスする。俺は家でくつろぐのが好きなんだ。快楽主義者なのさ。

A: 私はその正反対。私はトレーニングしたり、音楽を聴いたり、走りにいったりするのが好き。最近は読書も少しするようになって、それも楽しんでる。それくらいかな。あとは絵を描くのも少しやってる。そんな大層な絵じゃないけど、趣味としてやってるよ。

いつ、何がきっかけでパンク・ロック出会い、どのような経緯でメルボルンのパンク・シーンのなかに入っていったんでしょうか?

A:私は幼い頃、小さな町で育って、その町はヒッピーっぽい感じのゆるい所だった。そしてライヴ音楽に関しては、未成年や子供でも入れるものがほとんどなかった。あるとき知り合いが他の町で行われている未成年や子供でも入れるハードコアのイベントに連れていってくれたの。会場には30人くらいのお客さんがいて、みんなすごく攻撃的で、イカってる感じで、汗だくだった。みんなクレイジーな踊りをしてたり、空をパンチしたり、フロアを走り回ったりしていた。それがすごいかっこいいと思って、自分はこの場所にいたいと思った。
 それ以降、未成年や子供でも入れるイベントがあるとどんなバンドでも観にいくようにしていたよ。ハードコアやパンクだけじゃなくてガレージ・ロックとかにも行っていた。ライヴ音楽で、エネルギーが感じられて、コミュニティがあればジャンルは何でも良かった。ライヴ音楽を取り巻くコミュニティが好きだったんだよね。メルボルンに移ってからは壮大なライヴ音楽の世界が開けて、週に6回くらいライヴに行っていた。それくらい夢中になっていたんだ。

パンクのどんなところがあなたがたを惹きつけたのでしょうか?

A:うーん、攻撃的な感じに惹かれたのかもしれない。でもはっきりとはわからないな。子供の頃はパンクの雰囲気が怖いと思っていたけど、それは良い意味であって、そこに興味を引かれていたんだよね。パンクの表現の仕方に共感したんだと思う。あとは単に楽しいから! すごくハイテンションで、私自身もハイテンションだから。

逆にいうと、あなたにはパンクを聴かなければならない条件が揃っていたということだったのでしょうか?

A:とくにそういうのはなかったよ。別にひどい環境で育ったというわけでもないし……。でも自分自身の中なかに怒りという感情がすごく溜まっていたんだと思う。私は若い頃から社会を批判してきたし、それは基本的な形で表現していたのね。例えば「なんでお父さんは週6日働かなくちゃいけないの?」とか「なんで生活がその日暮らしなの?」とか、そういう基本的な疑問を問いかけてた。それに自分が女だということもあって、この社会に対する批判的な感情があったんだと思う。

ではガスさんはいかがでしょう?

G:最初は13歳くらいのときかな、友だちにパンク・ミュージックを教えてもらったり、あ、俺はずっとスケボーをしてたから、スケボーのヴィデオにパンクが使われていたりしてパンクを知ったんだと思う。ガキの頃は身近にそういう音楽があったから、そういうのを聴いてた。その後は何年かパンクから離れたんだけど、またパンクを聴くようになって、アミルの活動をするようになったんだ。

A:私も音楽のスタイルやジャンルはとくにこだわっていなくて、自分たちのバンドも、最近までパンク・バンドだという自覚がなかったくらいなんだ。いま振り返ってみれば、私たちが作っていた音楽はパンクだったと理解できるけど、当時はただ音楽を作っているという認識しかなかった。ライヴをいろいろなところでやるようになってから、自分たちはパンク・バンドなんだと自覚した。でも私たちは音楽全般が好きで、私が一番大きな影響を受けたのはやっぱりロック。ガレージ・ロックやクラシック・ロックや、他にもたくさんのスタイルから影響を受けてる。本質的にアミルはパンクなのかもしれないけど、私たちはパンク以外にも大好きな音楽がいっぱいあるんだよ。

なんでこんなしつこくパンクについて訊いているのかといえば、質者は13歳のときにリアルタイムでラモーンズやセックス・ピストルズと出会ったことで人と違った人生を歩んでしまった現在50代後半のオヤジであると同時に、資本主義が人びとを追い詰めて、これほど社会が壊れてしまった(分断されてしまった)時代において、より必要な音楽だとも思うからです。スリーフォード・モッズのやビリー・ノーメイツのような音楽がもっと出てきて然るべきだと思うし。

A:(うなずいている)うん、うん!

だからスニファーズがラップでもフォークでも他のジャンルでもなく、パンクでなければならなかった理由を詳しく知りたいんですよ。

A: そうだよね。私のなかには、そしてガスもそうだと思うけれど、私たちのなかには何かに対して怒りを感じている部分があるってことなんだと思う。スリーフォード・モッズも同じで、私たちに共通するのはある特定の精神であり、私たちは別に「パンク」というサウンドを表現をしようとしているわけではないんだけど、結果として、そういうふうに聴こえてしまうんだと思う。

1976年にパンクが生まれて40年後の2016年にスニファーズは誕生していますが、ある意味、パンクのなかにもまだまだ変えていかなければならかなかった側面があるがゆえに、スニファーズの音楽はノスタルジックではなくリアルであると言えますか? 

G:リアルだと思うね。俺たちの音楽はいろんな解釈をされていて、ロックンロールという人もいれば、超パンクだという人もいる。でも俺たちは過去のパンクの人たちみたいになりたくて音楽をやっているんじゃない。だからアミルはリアルタイムのバンドだと俺は思うね。誰かへのオマージュとしてバンドをやってるわけじゃないから。

A:私とガスはアミルの音楽を現代的にしたいと思ってるんだけど、ギタリストのデックは「1974年以降の音楽は何も聴きたくない!」なんて言っている奴で、その時代が大好きでそこに留まっていたいんだ。だからアミルにはそういうノスタルジックな要素もあるけど、個人的には——もちろん過去のアーティストたちを尊敬しているけど——自分はいまの時代に生きて、この活動をやりたい。なぜなら過去のパンクにも現在のパンクに対しても批判できることはたくさんあるから。だから両方から良いものを残していけばいいと思う。

パンクにおいて変わっていかなければならないこととは、たとえばどんなことだと思いますか?

A:まわりの他のバンドを見ると、かなり男性がメインだということかな。もちろんそのなかには偉大で最高なバンドもいるけど、個人的にはもっと多様になってほしい。多様なメンバーがいる、最高なバンドもたくさんあるのに、そういうバンドは(男性メインのバンドと比較すると)あまり取り上げられない。アリス・バッグなど、女性や有色人種がいるパンク・シーンはあるのに男性だけのバンドと比べるとあまり注目されないことがある。他にも変えるべきところはたくさんあるけど、いま挙げたのが一番大きな課題だと思う。

女性のパンク・ロッカーとして挙げた方についてもう少し教えていただけませんか?

A:アリス・バッグはいまでも現役で活動している人で、最近は『Violence Girl』という本も出したんだよ。彼女はロサンゼルスのパンク・バンド、ザ・バッグズというバンドをやっていて、 素晴らしい、楽しい人。他にもそういう女性のパンク・ロッカーはたくさんいる。彼女たちはたしかに存在しているのに、パンクのシーンは女性を蔑視するところがあるからあまり注目されない。それは間違ってると思う。

ちなみに、メルボルンのパンクのシーンというのはどんな感じなのでしょうか?

G: 最高なパンク・バンドがたくさんいるよ! 若いバンドに関しては、俺はあんまり知らないけど、いると思うよ。自分がオヤジになった気分だ。昔みたいにそんなに出かけないし、最近のキッズのことも知らない。でもメルボルンのパンクのシーンは最高で、やばいバンドがファッキンたくさんいる。

A:最近はこの状況のせいでライヴ音楽のシーンがどうなっているのか分からないということもあるよね。でもクールなシーンがあるってことは間違いないよ! 日本では、パンクのシーンは盛り上がってるの? いまは難しいと思うけど……

通訳:いまはたしかに大変だと思いますね。正直なところ、私はパンクのシーンはあまり詳しくないのですが、若い人たちの間ではパンクやハードコアが人気なのではないかと思います。それにスケート・カルチャーも日本では人気ですからね。

A:それはクールだね!

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パンデミックはアルバム制作に大きな影響を与えたよ。音楽を作る時間がたくさんできたから。音楽についてよく考える時間もたくさんあったし、どういうものを作りたいのかということもじっくり考え抜くことができた。すごくポジティヴなことだったよ。

2016年、バンドがはじまったとき、地元のシーンでのリアクションはどうでしたか?

A:バンドをはじめたのは、そもそもホームパーティでライヴをやりたかったから。活動をはじめて、バンドにとって少しでも喜ばしいことがあると、私たちは全員感激して、「これはものすごいことだ!」と言っていたよ。地元のどんなリアクションでもすっごく嬉しかった。地元のラジオ曲でアミルの曲が1回かかっただけで「すげー、私たち超ビッグじゃん!」って言って盛り上がっていたし、他のバンドの前座を務めることになったときも「オー・マイ・ファッキン・ゴッド! すごいことだよ!」って喜んでた。いま振り返ると、そういう地元のリアクションはけっこう普通のことだったのかなって思うけどね(笑)。

2019年に〈ラフトレード〉からアルバムを出したことによって世界中からリアクションがあったと思いますが。

A:そうね……(考えている)

G:何かあったかな……ファック……、すごく昔のことのように思えて、思い出すのがファッキン難しいよな?

A:私も何も思い出せないな。

世界からのリアクションよりも、地元のちょっとしたリアクションの方が記憶に残っているというのは面白いですね。

A:そういうちょっとしたものは、自分でも理解できる類のものだから。アミルをはじめる前に、私が普段行っていたライヴはせいぜい100人とか200人くらいのものばかりだったし、音楽雑誌を読み耽っていたわけでもなかった。レコード・レーベルの仕組なんかについても何も知らなかった。だから自分の理解できる範囲内で、バンドが活躍していたら、そのすごさが理解できたけど、海外で自分たちのバンドがすごいことになっているということを聞いても、それが良いことだとはわかるけれど、具体的に何なのかということが飲み込めなかった。自分との繋がりが感じられないから、そのことをリスペクトして「ファック・ヤー!(よっしゃー!)やばいね!!」と思うけど、同時に「これってなんのこと?」って思ってる(笑)。

『Comfort To Me』は、コロナ禍でロックダウン中に地元で制作されたわけですが、パンデミックというネガティヴな状況下においてポジティヴに思えたことがなにかあったら教えて下さい。

G:パンデミックはアルバム制作に大きな影響を与えたよ。音楽を作る時間がたくさんできたから。音楽についてよく考える時間もたくさんあったし、どういうものを作りたいのかということもじっくり考え抜くことができた。パンデミックが起きていなかったから、俺たちはツアーを続けていただろうし、そうなっていたら、いつ新曲を作ったり、レコーディングできていたかわからないからな。だから時間が有り余るほどあったということはすごくポジティヴなことだったよ。

A:私もガスと同感。ひとつの土地にずっといることで、自分の部屋というスペースもできたし、ツアーをするのは楽しいけど、定住して人間が普段の生活でやるようなファッキン・ルーチン的なことをやるのも悪くないなと思った。

私が見えている世界は、やはり男性が見ている世界とは違うものだと思う。その世界がいつも悪いとか良いとかという話ではなくて、私は夜、ひとりで外を歩くことに不安を感じる。それはフェアじゃないと思う。


Amyl & The Sniffers
Comfort To Me

Rough Trade/ビート
(歌詞対訳付き)

PunkGarage Rock

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アルバムとしてのひとつの大きなテーマがあったら教えて下さい。

A:バンドの最新の曲を集めたものって感じかな。アルバムを聴くと、ひとつのテーマがあるように聴こえるかもしれないけど、それは私の脳が、ある特定の期間に考えていたことだからだと思う。でも一貫したテーマがあるというわけじゃない。

なぜ『Comfort To Me(私に安らぎを)』というタイトルにしたのですか?

A: 『Comfort To Me』はアルバムに収録されている“Capital(資本)”という曲の歌詞の最初の一節。すごくニヒルな曲だよ。歌詞は「Comfort to me, what does that even mean (私にとって安らぎとは何?) / What reasons do we persevere (何のためにみんな頑張ってるの) / Existing for the sake of existing (存在するために生きている) / Meaning disappears (その意味が消えていく)」だから、このタイトルはアルバムに隠されたイースターエッグのようなものなの。それに、みんなに「タイトルの『Comfort To Me』ってどんな意味?」って訊かれるけど、曲では「それってそもそもどういう意味?」と訊き返している。曲の内容としては、すべてのことに意味はなくて、みんなそれぞれやっていることをただやっているだけで、私たちがわかるのはそこまでということ。
 また『Comfort To Me』のもうひとつの意味として、去年からロックダウンを経験したことで、典型的な安らぎとされているもの——つまりジャージを履いてベッドに入ることや、自分が悲しいときに誰かが夕食を作ってくれることなど——に対して感謝できるようになったという意味もある。でも私にとっての安らぎとは、汗だくのライヴでもあるし、車を高速で飛ばすことでもあるし、毎晩ホテルで寝泊りするということでもある。だからたくさんの意味があるんだ。

“Don't Need A Cunt”や“Knifey”といった曲で歌われている、ミソジニーや男性中心的な世界観への批判や恐怖というのはスニファーズにとって重要な主題のひとつだと受け取って良いのでしょうか? 

A:そう思う。経験上、私が本質的に感じているのはそういうことだし、私の経験からして、私が見えている世界は、やはり男性が見ている世界とは違うものだと思う。その世界がいつも悪いとか良いとかという話ではなくて、私は夜、ひとりで外を歩くことに不安を感じる。それはフェアじゃないと思う。自分が着たいと思うような服を着て、外を出歩くことに危険を感じる。私は別にセクシャルな意味でその服を着ているわけじゃない。その服を着たいから着てるだけ。すごく単純なことなんだけど、男性からの期待というものがあるから、すごく複雑なことになってしまう。私はその期待に強烈なまでに反抗して、過激な服を着たりする。そして、もしその服を着ている私でさえ気まずいと感じているのなら、男性陣はそれを見て気まずいと思うべきなんだよ! という主張をしているんだ(笑)。

ちなみに、エイミーさんにとって重要な女性パンクロッカーは誰でしょうか?

A:プラズマティックスのウェンディ・オーリン・ウイリアムズが大好き! アリス・バッグも好き! 彼女は最高だと思う。X・レイ・スペックスのポリー・スタイリーンも好き。あとは誰が好きかな……ちょっと思い出してみる! アップチャック(Upchuck)というアトランタ出身のバンドがいて、彼らのパフォーマンスも最高。いま思い出せるのはそれくらいしかないけど、ロックで好きな人もいるよ。ディヴァイナルズの活動で好きな時期もあったし、ザ・ランナウェイズがすごく好きな時期もあった。それに女性ラッパーもパンクな一面があると思う。ニューヨーク出身のジャングル・プッシーは私にとってもっともパンクでイケてる女性だと思う。

最初のほうの質問と重なってしまいますが、パンク・ロックには、サウンド面でもまだ開拓する余地はあると思いますか?

G:作れるノイズは無限にある。いつでも、何かしらのファッキン・サウンドは作れると思うんだ。だから余地はあると思うよ。パンクは平面的なサウンドとして捉えられることもあるけど、他の音楽と同じで、いろいろな方向に進むことができると思うんだ。だから今でも新鮮でオリジナルなサウンドを作り出すことは可能だと思うよ。

A:私はパンクは主に精神だと思うの。その人の精神や価値観。それはジャンルを超えることができるから、まだ成長する余地はあると思う。JPEGMAFIAもパンクだと思うし、スケプタもパンクだと思う。こういう人たちは精神がパンクだと思う。昔ながらのパンクの象徴であるモヒカンや革ジャンもたしかにパンクなんだけど、パンクは装飾でもジャンルでもなく、態度のことをいうのだと思う。私たちのサウンドがパンクと呼ばれるのは、みんながまだ楽器の演奏の仕方がよくわかっていないから。私たちみたいな人たちは、演奏よりも、その根底にある精神に駆られて音楽をやっているから。ギターとベースとドラムを使い、反復するコードの演奏が多いのは、みんな初心者だから同じようなコードを何回も弾いているからで、それが自分たちにとってはいい感じに聴こえる。それで十分なんだ。それ以上のことは後からついてくればいいと思う。

どうもありがとうございました。いつか日本でライヴをやってそのエネルギーをばらまいてください。

A:ぜひそうしたい! 私たちと話してくれてありがとう!

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