「KING」と一致するもの

 擬装チェンバー・ポップの傑作『Ansiktet』(Inpartmaint)以後、ピアノ・カルテットを結成し、このところ弦楽曲に注力してきた渡邊琢磨(akaコンボピアノ)が、本媒体でも何度かとりあげた気鋭の映像作家、牧野貴とタッグを組み、「Origin Of The Dream(夢の起源)」と題した音と映像によるステージを渋谷WWWで初演する。具体的なイメージを重層化し、縦横無尽に運動させる牧野の映像と、古今東西の弦楽曲の批評的乗り越えを目する渡邊琢磨のスコアにもとづく13台の弦楽器の52本のストリングスが織りなすドラマの交錯は、逃れることのできないほど官能的な、夢の起源(Origin Of The Dreams)を思わせる舞台になることうけあいです!


写真:Yasuhiro Koyama


写真:Ryo MItamura

渡邊琢磨 × 牧野貴 Live Concert
'Origin Of The Dreams'

2016年3月17日(木) 
渋谷WWW
開場20:00/開演20:30
 
映像:牧野貴
音楽:渡邊琢磨

Piano,Conduct : 渡邊琢磨
1st Violin : 梶谷裕子、大嶋世菜、高橋暁
2nd Violin : 須原杏、帆足彩、波多野敦子
Viola : 中島久美、中山綾、河村泉
Cello : 徳澤青弦、橋本歩
Double Bass : 鈴木正人、千葉広樹
 
料金:3,300円(全席自由/ドリンク代別)
会場:渋谷WWW
住所:東京都渋谷区宇田川町13-17 ライズビル地下
アクセス:https://www-shibuya.jp/access/
お問い合わせ:WWW 03-5458-7685
チケット購入ページURL(パソコン/スマートフォン/携帯共通)
https://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002179310P0030001

牧野貴(映画作家)
2001年日大芸術学部映画学科撮影・現像コース卒業後、単独で渡英、ブラザーズ・クエイに師事する。2002年よりテレシネ・カラーリストとして多くの劇映画、ミュージックビデオ、CF、アーカイブの色彩調整を担当する傍ら、2004年より単独上映会を開始する。フィルム、ヴィデオを駆使した、実験的要素の極めて高い、濃密な抽象性を持ちながらも、鑑賞者に物語を感じさせる有機的な映画を制作している。また、ジム・オルーク、ローレンス・イングリッシュ、コリーン、マシネファブリーク、大友良英、山本精一、渡邊琢磨、カール・ストーン、タラ・ジェイン・オニール、イ・オッキョン等の前衛音楽家と共同作業においても、世界的に高い評価を獲得している。2009年には上映組織「+」プラスを立ち上げ、今まで日本に紹介される事の無かった映画作品を多数上映している。2011年よりエクスパンデッドシネマプロジェクトを開始、ヨーロッパ、北米、南米、オーストラリア、アジア等数多くの国際映画祭で受賞、上映多数。作品の発表は主に映画祭、映像芸術祭、音楽祭などの他、映画館、美術館やギャラリー、ライブハウスでも行い、その活躍の場は増幅を続けている。現代日本実験映像界を率先する作家である。https://makinotakashi.net/

渡邊琢磨(作曲、ピアノ)
97年、米バークリー音楽大学で作曲を学ぶ。帰国後、「COMBOPIANO」名義で活動を開始。2000年、NYに渡り鬼才プロデューサー、キップ・ハンラハンとの共同制作でアルバムを次々とリリースし注目を集める(英、音楽専門誌「WIRE」などに取上げられる)以降、国内外のアーティストと多岐に渡り音楽制作活動を行う。2004年、内田也哉子、鈴木正人(little Creatures)と、「sighboat」を結成(サマーソニック'10出演ほか)。2007年、デヴィッド・シルヴィアンのワールドツアー18カ国30公演にピアニストとして参加。2008年、内橋和久(gt)、千住宗臣(ds)とCOMBOPIANOをバンドとして再編(フジロックフェスティバル'09出演ほか)2014年、本人名義としては6年ぶりとなるアルバム『Ansiktet』をリリース。同年、本人主宰による室内楽アンサンブル「Piano Quintet」を結成(アラバキロックフェスティバル'15出演ほか)映画音楽、CM、舞台等、多岐に渡り楽曲制作・提供する。https://www.takumawatanabe.com/


 

都築響一×平井玄 - ele-king

 正直、東京(ま、西側っすね)に30年以上住んでいても、いまだに東京人というアインディティティを持てないんですよね。まったくピンと来ない。で、ぼく(=野田)のように、たまたま仕方なくここに住んでいる人が、ぼくのまわりには多い。家賃は高いし、次から次へと再開発されるし、味気ない街ばかりだし、クラブも中心地ばっかだし、歩くの早いし、自動車うるさいし、恐いし、世界のいくつかに都市を見てきたけれど、これほどコミュニティが形成しづらい都市もなかなかないと思う。大声で「東京」っていうのが、いまだに違和感があるっす。
 御大、都築響一と平井玄が「東京」をめぐって対談する。果たして「リアルな東京」とはどこか?

1月22日(金)19時開場/19時30分開始
第3回「街から」トークライヴ
TOKYO 右なのか? 左なのか?
都築響一と平井玄が首都の臍の下、新宿二丁目でガチンコ対決する!

-------------------------------------------------------------
入場無料(但しワンドリンクオーダー)投げ銭制
-------------------------------------------------------------
「マスコミが垂れ流す美しき日本空間のイメージで、なにも知らない外国人を騙すのはもうやめにしましょう」(『TOKYO STYLE』)と言ってデビューした都築響一。麴町育ちの彼は20年を経て『東京右半分』をものした。隅田川西岸しか知らない平井玄は、去年『ぐにゃり東京』で「神は街の底に宿る」とのたまわった。垂れ流しの怪しいオリンピックが迫る
東京の「リアル」は右か、左か。はたまた・・・・・どこに?
------------------------------------------------------------------
主催:街からトークライブ実行委員会 03-6638-6685
「街から」誌:https://www.machikara.net/

https://cafelavanderia.blogspot.jp


LUSH - ele-king

 ジーザス&メリー・チェインから始まり、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、チャプターハウス、スワーヴドライヴァー、スロウダイヴ、ライドら、甘いメロディと壁のような轟音ギターの波とともに80年代末〜90年代頭を駆け抜けたUKバンドの再結成が相次ぐなか(ele-king的に言うところの「UKオヤジロックの逆襲」ですね)、かつてのシューゲイザー界隈(ハッピー・ヴァレーでもテムズ・ヴァレーでもいいけれど、いまや誰もそんなふうに呼ばない……)においてもっとも華々しい輝きを放っていたバンド、ラッシュがついに再始動した。

 当時「あなたミキ派? それともエマ派?」なんて浮かれた議論が飛び交うほどにスペシャルなスター性を備えていたフロントの女性ふたり、赤髪のミキ・ベレーニ(ギター&ヴォーカル)と黒髪のエマ・アンダーソン(ギター&ヴォーカル)。音楽性云々よりも彼女たちの立ち振る舞いに異様なまでの注目が集まっていたのは懐かしくもうなずける話だが、そんな輝きとは対照的に、97年に起きたクリス・アクランド(ドラム)の自殺という何とも悲劇的で後味の悪い事件を後にシーンから静かに去っていったラッシュ。その後、フィル・キング(ベース)はメリー・チェインに加入。エマはリサ・オニールをヴォーカルに迎えたユニット=シング・シング(筆者は運良くエマと連絡を取り、数少ない彼女たちのライヴをロンドンで目撃しているがもちろん最高だった!)を結成し、フレッシュなギター&エレポップを聞かせる2枚のアルバムを残すもすでに解散。そして、ミキはいくつかの作品にゲスト参加していたものの、その後、雑誌の編集者として働くなどしてほぼ音楽シーンから離れてしまっていた。そんなこともあり、ラッシュだけは再結成とは縁のない存在だと思ってある意味ほっとしていたのだが……世のなか何がどうなるかわからない。

 そんな折に古巣〈4AD〉からリリースされたのが、彼女たちの歩みを完全網羅したこの5CDボックス・セットだ。デビュー・ミニ・アルバム『スカー』のアートワークをあしらった豪華ブック仕様のゴージャスな装丁から香る、美しい歪みとデカダンスな危うさを秘めたオリジナル〈4AD〉臭に、往年のファンは鼻をかぐわし目頭を熱くするにちがいない。ヴィジュアル面において初期〈4AD〉のカラーを決定づけたデザイン・ユニット〈23エンヴェロップ〉のデザイン集としても楽しめるこの感じ。いまのスタイリッシュでイケてる〈4AD〉とはどこか様子が違うこの感じ──そうなんだよ。つまり耽美なんだよ! 耽美!!

 そんなことはともかく内容の話をしよう。まずディスク1は、コクトー・ツインズやディス・モータル・コイルとの仕事でもお馴染みのジョン・フライヤーがプロデュースした前述の『スカー』(1989)と、コクトー・ツインズのロビン・ガスリーがプロデュースしたEP『スウィートネス・アンド・ライト』(1990)、そしてEP『マッド・ラヴ』(1990)を寄せて集めたプレデヴュー・アルバム『ガラ』(1990)である。いまだに後のアルバムよりこの作品を好むファンが多いことからもわかるように、コクトー・ツインズ直系の透明感とニューウェイヴの洗礼(ミキとエマは14歳の頃からの知り合いで、学生時代にいっしょにニューウェイヴのファンジンを作っている!)がぷんぷんと香り立つ。コーラス成分多めの空間的なアルペジオに、美しくもときにエッジーなコード・ストロークが織りなすツイン・ギターの響き。艶やかに重なる自由でナチュラルなミキとエマの声とハーモニー。それらを屋台骨として支える男ふたりの安定感抜群のリズムのコンビネーションがこの時点で見事に完成している。ラッシュを語る上で欠かせないインディ・ダンスな名曲“スウィートネス・アンド・ライト”ほか、“ブリーズ”“デラックス”“ソートフォームス”“エスリール”はこのアルバムに収録。さらにボーナス・トラックとして、熱心なファンにもうれしいさまざまなBBCセッション音源が収録されている。

 続くディスク2には待ちに待たれたデヴュー・アルバム『スプリット』(1992)を収録。切ないメロディに乗る「可愛い女の子が輝いてるわ 若さに笑みがこぼれる」なんて可憐な歌い出しが印象的な“フォー・ラブ”ほか、“ナッシング・ナチュラル”“スーパーブラスト!”などの代表曲。さらに、“タイニー・スマイルズ”“オーシャン”“ローラ”などの隠れた名曲にも清らかに湧き出る泉のようなアイデアを聴くことができる。ロビン・ガスリーによるプロデュースということで『ガラ』の延長線上にありながらも、アルバムとしての統一感がはっきりと表れた内容だ。ボーナス・トラックには、EP『フォー・ラブ』のカップリング曲“スターラスト”(後に『スプーキー』に収録されるヴァージョンよりも断然カッコいい!)や彼女たちが敬愛するワイヤーの名曲“アウトドア・マイナー”のカヴァーほか、ケヴィン・シールズとDJスプーキーによるリミックス曲なんかもばっちり入っている。

 ディスク3にはセカンド『スプリット』(1994)を収録。冒頭の“ライト・フロム・ア・デッド・スター”からストリングスを導入するなど、堂々とした貫禄も感じさせる内容。“ブラックアウト”“ヒポクライト”“ラヴライフ”と続く華麗でダンサブルな疾走も素晴らしいが、“デザイアー・ラインズ”“ネヴァー・ネヴァー”など、ゆるやかにたゆたう長尺曲におけるアレンジ力に、バンドの成長過程を楽しむ要素が多かったこれまでのおもしろさに加え、バンドの洗練もそこここに感じとることができる。ボーナス・トラックにはEPのカップリング曲ザ・ジストのカヴァー“ラヴ・アット・ファースト・サイト”のほか、レアなアコースティック・セッションも収録。

 続くディスク4はサードにしてラスト・アルバム『ラヴ・ライフ』(1996)を収録。冒頭の“レディキラーズ”からストレートでグランジーなギターに、ファルセットではない迫力あるミキの素のヴォーカルが飛び出したりして驚く。また、ストリングスのほかに管楽器も導入されたり、パルプのジャーヴィス・コッカーが参加したり、“500”“シングル・ガールズ”などの60Sテイスト溢れるとびきりのバブルガム・ポップが弾けたりと、ラッシュの大きな転換期をとらえた内容だ。コーラス、リヴァーブ、ディレイなどの深いエフェクト空間に包まれていた靄が晴れ渡り、当時隆盛していたブリットポップに接近したとかなんとか言われたりして、かつての物憂げなラッシュを期待したファンからは賛否両論な作品。だが、いま聴くと何てことはない……時流に乗るどころか、この先何年経っても色あせることのない王道ポップが並べられた(でも、どこかにそれに対するわだかまりもある)挑戦的なアルバムだったことがわかるはずだ。

 そして、最後のディスク5は日本来日記念盤として発売されていたコンピレーション作品『トポリーノ』(1996)。『ラヴ・ライフ』に収録されていたシングル“レディ・キラーズ”と“500”のカップリング曲をまとめた1枚で、とくにマグネティック・フィールズ、ザ・ルビナーズ、ヴァシュティ・バニヤンの秀逸すぎるカヴァーに心踊らされる。その後、グー・グー・ドールズとのアメリカ・ツアーを余儀なくされたりして、本人たちがまったく望んでなかった「メインストリームでの成功」というプレッシャーは相当なものだったのだろう。そんな居心地の悪さからの解放感がサウンドに表れた楽しい内容となっている。クリスが手掛けた唯一の曲“パイルドライヴァー”ほか、ボーナス・トラックに、ミドル・オブ・ザ・ロードの“チピチピ天国”、エルヴィス・コステロの“オール・ディス・ユースレス・ビューティー”、ワイヤーの“マネキン”、さらにイギリスの子供番組「ルパート・ザ・ベアー」のテーマ曲など、彼女たちの目からウロコすぎる選曲眼とカヴァー・センスをこれでもかと味わうことができる。

 ミキのお母さんが日本人で、いとこがハナレグミで、またいとこがコーネリアスで……なんていまさらそんな情報を語るのも野暮だけれど、日本にゆかりがあるラッシュの作品がこぞって廃盤状態にあるいま、この6時間半にもおよぶボックス・セットは、彼女たちが後のシーンに与えた影響をどうのこうの考えるよりも、彼女たちが残したきららかな魅力を変わらぬ鮮度で伝えてくれて素直に楽しむことができる(ちなみにクレジットにはないが、音も丁寧にリマスタリングされていて心地よさもアップしている)。また、その反面、恐いもの知らずの夢見るニューウェイヴ少女があれよあれよという間に注目を浴びてシーンからはみ出るほどの人気者になり、それゆえに与えられた苦悩と大親友の自死の末にバンド解散という影のストーリーも抱えていただけに、今回の再結成はじつに感慨深く晴れやかで頼もしいかぎりである。なんとも……歳月が薬なんていうけれど、彼女たちは20年もかかったってわけだ。

 ちなみに、ドラムに元エラスティカのジャスティン・ウェルチを迎えたラッシュの再結成ライヴは、いまのところ今年4月のマンチェスターを皮切りに、5月にロンドン、9月にNYでの開催が決定している。さらにこれから新作EPのリリースも予定されているというから本格的だ。もうこうなったら、ブラーもダイナソーJr.もマイブラもメリー・チェインも現役バリバリでいることなんで、そこにラッシュも加えて92年の再来〈ローラーコースター・ツアー2016〉なんか仕掛けて日本に来てくれい! お願い!!

vol.80:今年は中古レコード店が熱い - ele-king

 ここ数年ヴァイナル・レコード市場が熱いと言われている。とくに2016年、自分をハッピーにしてくれる何かがあると言うことを覚えておいて欲しい。毎日の生活に忙しいのはわかるが、週に1回でも、レコード店に足を伸ばしてみるのはどうだろう。人間らしい喜びと、価値ある消費者経験が待っているかもしれない。
 ラフ・トレードアーバン・アウト・フィッターズも、新譜から定番まで、新しいレコードを扱っている。カフェやバーにレコードが置いてあるのはもちろん、人気ホテルのエースホテルには客室に1台ずつレコードプレイヤーが置いてあり、スタッフが選択したレコードがプレイできるようになっている。レコードは、人びとの生活のアクセサリーとなった。

 中古レコード市場はどうだろう。マンハッタンにはたくさんの中古レコード屋があったが、一部を除き、いつの間にか消えた。レコードはどこに行ったのだろう……。2016年、中古レコード・ビジネスを世界的に考える男がいる。マイク・スニパー、キャプチャード・トラックスのオーナー、無類のレコード好き。
 以前、キャプチャード・トラックスの5周年フェスをレポートしたが/、あれからすでに3年経ったいまも、キャプチャード・トラックスの挑戦は拡大している。
 2008年に、アカデミー・レコードで働いていたスニパーが、地下で始めたレコード・レーベル、キャプチャード・トラックス。何度かオフィスを移動し、2013年にグリーンポイントにレコード・ストアを構えている。やがてオフィスはブシュウィックに移動。そこでは、キャプチャード・トラックスの傘下に生まれた新しいレーベルの集合体、オムニアン・ミュージック・グループ(OMG)が運営されている。目的は、OMGの様な大規模な構造から利益が受けられる革新的レーベルや、新しい別個のレーベルを探すと同時に、既存レコード(ボディダブル、ファンタジーメモリー)やキャプチャード・トラックスのパートナーシップ(フライング・ナン)を発展させることである。
 OMGファミリーには、シアトルのカップル・スケート、ニューヨークのスクオール・シング他、OMG傘下にできた新レーベルのシンダーリン、再発レーベルのマニファクチャード・レコーディングス、イタリアンズ・ドウ・イット・ベター、トラブルマン・アンリミテッドのマイク・シモネッティが運営するダンス・ミュージック・レコードレーベルの2MRレコーズ、パーフェクト・プッシーのメガデスが運営するブルックリンのレコード・レーベル、出版社のホナー・プレスがある。
 そのすべてを統括するのがスニパーだ。彼は仕事をしている以外は、レコード・ハントしている、というくらい中古レコード好きだ。田舎のガレージセール、誰かの地下コレクション、バケーションの間にレコード・ハントなど、「中毒みたいなものだよ」とスニパーは言うが、元アカデミー・レコーズの店員である彼の個人コレクションは、驚くほどの量と質を誇る。
 その中毒をフィードするために、と言うわけでもないが、キャプチャード・トラックス・ストアでも中古レコードの売り買いはやっているが、彼が考える新しい中古レコード・ビジネスは世界規模。フォート・グリーンのサイドマン・レコーズを共同経営。それはヒップな床屋内にある。「サイドマン・レコーズは、会社のアウトポストとして考えて、僕らの店だけでなく、アメリカ中、世界中のお店のライフ・スタイルのストックとしてレコードの売り買いが出来るように、会社を発展させようと思っている」

 サウス・ポートランド・アベニューにあるサイドマン・レコーズは小さい。スタイリッシュな男子のためのパーソンズ・オブ・インタレストという床屋内にオープンし、10,000個ぐらいのアルバムをストックする。パーソンズ・オブ・インタレストのウィリアムバーグ店はパーラーコーヒーと提携、フォート・グリーン店ではすでにカフェ・グランピーと提携していたが、サイドマン・レコーズのオープンの話を聞いてレコード店と床屋の組み合わせも悪くない、と思ったらしい。
 スニパーとサイドマン・レコーズのダミアン・グレイフとロブ・ゲディスは古くからの友だちで、18年前にはニュージャージーにある伝説のプリンセトン・レコード・エクスチェンジで一緒に働いていたこともある。いわゆる中古レコード・オタク仲間だ。
 共同経営にしたのは、単純にスニパーひとりではすべてできないからだ。お店はレコード好きな、スタッフに任せ、ふたりはレコード・ハントに出かける。彼らが見つけた価値ある珍しいレコードは、サイドマンやキャプチャード・トラックスだけでなく、世界中のお店に並ぶことになる。
 「ロブとダミアンは中古レコードのことになると熱いんだ。1日中あらゆるところでオタクなことを話し、コレクションを集めたりできる。ぼくにはそんな時間がないから」とスニパー。ロブが、主に大きなヴァンを運転して、今日収穫したものを、ドンドン、フェイスブックに載せていく。
 スニパーが世界の中古レコードのアイディアを思いついたのは、アメリカの中古レコードをお店にストックするのは難しいと、ニュージーランドのレコード・ストアと話しているときだった。
 「通り過ぎるには、難しすぎるし、ヴァイナルの復活もひとつの決め手だった」
 中古レコードのビジネスは別のゲーム。エキサイティングだが、ストックするのが難しい。
「新しいレコードを求めてお店に入ったときは、何があるかは予想ができる。レコードXが欲しくて、そこにあるとお店に入ったときにわかる。でも中古レコードは、インターネット前の不思議なポータル買い物経験が出来る。宇宙規模のね」
 ひとつのコンピュータ・スクリーンが、この惑星にある、購入可能な物体の詳細をリストしてくれる。ほとんどがバルク状態で入手可能である。中古レコード屋に行くことは、燃料を蓄えた宝探しの心を保有し続ける、数少ない消費者経験のひとつである。「中古レコード店に入ったら、壁にかかっているレコードは何だ? 新しく入ったコーナーはどこだ、カウンターの向こうで誰かがプレイしているのは何だ? いままで聞いたことないといくらでも訊けるし、すべてがクールだ」


Sideman record's sound track


@ Sideman records


@ Sideman records


@ Sideman records

photo:Via bk mag

 オーナーとして、中古レコードの方が利益率が良いことも魅力だ。新品は返品できない。中古なら、小売店は30パーセントしか利益はないが、リスクは少ない。
 「例えばミッドウエストの田舎の屋根裏部屋にある、誰かの見捨てられたレコード・コレクションが、ペニーに値するかもしれない。誰かのゴミは誰かの宝でもある。経済的にも環境にもいいし、面白いショッピング経験ができるし、やり遂げる感が良いんだよね」
 サイドマンはまだ初期段階で、ただいま、スニパー・チームはニューヨーク近辺から他の土地でもレコードを集めるのに大忙し。ヴァイナルも売って、新しいヴァラエティに富んだ物も売りたいと、例えばストランドのようなお店を例えに使う。
 スニパーのもうひとつの大きなヴィジョンは、中古レコード店をクリントン・ヒル、フォート・グリーン地域に持ってくること。3年ほど前、この地域に住んでいたスニパーは、グリーンポイントと違って、中古レコード店がないことにがっかりしていた。
 「ニューヨーカーにとって、週末に中古レコード屋に行く事は、ファーマーズマーケットやコーヒーを買ったりするのと同じ事。一種の儀式だよ。例え、カジュアルなレコード・バイヤーでもね。」

 数ヶ月前、ブシュウィックのバーに行ったときに、DJブースの隣にレコードの箱がいくつか置いてあり、そこにたくさんの若者がフラッシュライトを片手に、群がっているのを見た。聞くと、毎週水曜はサイドマン・レコーズ・ナイトがあり、レコードを販売しているのだった。ほとんどのレコードが1ドル。「これが好きだったら、これ聞いてみなよ」とダミアンと話しながら、レコード箱を漁るのは楽しいし、お酒も入り、勢いでまとめ買いする人もいる。そのときお店はまだオープン前だったが、このときも目を輝かせ、「もうすぐレコード店をオープンするんだ。絶対気にいるから遊びに来てね」と言った。

 そして、ついにオープンしたサイドマン・レコーズ。中古レコード市場が新たな展開をするかもしれない2016年。自分のニーズを考えるとビジネスに行き着くという例。好きなことをやり続けるとこうなったと、彼らの冒険はまだ続く。

Captured tracks
195 Calyer St
Brooklyn, NY 11222
12 pm-8 pm

Sideman records
88 s Portland Ave
Brooklyn, NY 11217
11 am-8 pm

2014年に公開されたイギリス映画『パレードへようこそ』(日本での公開は2015年)。その主人公であるLesbians and Gays Support the Miners(LGSM)の活動を紹介する写真展が開催される。撮影はフォトグラファーの横山純によって行われた。横山氏は2014年8月から一年間イギリスに滞在し、現地の抗議運動やグライムアーティストを撮影。その写真はイギリスの音楽媒体『FACT』の年間ベストフォトにも選出された。写真展は2016年1月13日から25日にかけて、大阪のコミュニティースペースdistaで開催される。

以下、開催中の写真展の様子。

日程:
2016年1月13日〜25日
17:00〜22:30
火曜日休

会場:
コミュニティースペースdista
大阪市北区堂山町17-5 巽ビル4F
https://www.dista.be/access/

入場無料

1980年代のイギリスで生まれたLGSMは、2014年のイギリス映画『パレードへようこそ』公開後、にわかにLGBT(性的マイノリティ)コミュニティやアクティビストの世界を越えて「LGBTのヒーロー」の一つとして数えられるようになりました。

サッチャー政権はストライキを行う炭鉱労働者に対して弾圧を行い、労働者の生活は逼迫していきました。ロンドンで活動するLGBTの活動家たちは「かれらはおれたちと同じようにサッチャーにいじめられている。なにかできることはないか?」と、自分たちが置かれている状況に炭鉱労働者の姿を重ねあわせ、労働者や組合をサポートするために「Lesbians and Gays Support the Miners」というグループを作り、活動を始めました。地道なLGSMの活動は徐々に炭鉱の街の人たちの信頼を得て理解者を増やし、音楽やダンスで絆を深め、最終的にその運動はイギリス全土を巻き込んだ民衆の運動になりました。

それから30年が経った今もLGSMのメンバーたちは今年のロンドンプライドパレードで、警察や保守層から弾圧や妨害を受けていたソウルクイアパレードへの連帯を表明しただけではなく、イギリス中のプライドパレードや労働者たちのお祭りなどでバナーを持って行進しました。イスタンブールのプライドパレードにおける弾圧に対するトルコ大使館前の抗議でも、東ロンドンにおける公営団地からの住民立ち退きに抗議するデモでも、LGSMのバナーとメンバーたちを見つけることが出来ました。

LGSMは今でも「誰かのために立ち上がる」ことを忘れず、古びれることなく、変わりゆく社会環境の中で、闘争の最前線に立ち続けています。
虹のもとで、連帯こそ力であると信じて。
その、かれらの姿を見に来て下さい。


interview with Alixkun - ele-king


Various Artists
ハウスOnce Upon A Time In Japan... by Brawther & Alixkun

Les Disques Mystiques/Jazzy Couscous

House

Amazon

 外から日本をどう見るかなんて、人の勝手なんだけど、アイドルと通勤ラッシュの構図こそを日本だとしたがる海外メディアの報道写真には多少腹が立つ。せめてポップ・カルチャーぐらいは……と思っても、『ブレードランナー』イメージを劣化再生産させたヴィジュアルがヴェイパーウェイヴではお約束になっていたり。キッチュな頽廃というのか、とりあえずsamuraiよりはマシか……と思ってみたり。ま、よく言えば、ミステリアスなんだろうな。
 一時期は、加速するグローバリゼーションによって世界は均一化する……などと言われたりもしたが、ダンス・ミュージックを聴いていると、世界はひとが思っている以上にアメリカナイズされていないことがわかる。たとえばUKグライムは、いくら彼らがUSラップに憧れていたとしてもUSラップにはならない。強固なまでの「らしさ」すなわち個性ってものがある。エスニシティも独創性も感じる。北欧でも、東欧でも、南欧でも、どこの土地にも、消せないにおいがあるのだろう。
 おもに80年代末から90年代にかけて、欧米の影響を受けて、日本でもハウス・ミュージックが制作されている。当時のぼくには、その多くは一生懸命にNYを追っているようにしか見えなかった。だったらNYハウスを聴けばいいじゃんと思っていた。
 ところが、である。ブラウザー(昨年、初のアルバム『Endless』をリリースしたパリのディープ・ハウスDJ)とアリックスクン(日本在住のフランス人DJ)の耳には、当時のいくつかからは、NYハウスとは違う、日本らしさとも言える特徴を持つ「ハウス」が聴こえた。つまり、日本人がNYに憧れてやったことが、結局のところ、はからずとも日本らしさを醸し出していたと。
 それは「和」の感覚があるとか、伝統的だとか、そんな嘘くさいことではない。プロダクションの繊細さも日本らしさだろうし、とくにメロディの作りには個性が出るだろう。少し考えてみれば、ジャズでもロックでもそうであるように、当たり前のことなのだけれど……、電子機材のプログラミングで作られるハウス・ミュージックにおいても「日本」が浮き出てしまうことにいちばん驚いているのは、作った日本人かもしれない。
 そしてふたりのフランス人は、数年前から、日本のハウス・ミュージックを──当時は数百円で買えたが、いまではン千円に値上がった──漁り続けている。その研究と長きにわたってのディグの成果が、アナログ盤4枚組のコンピレーション『ハウスOnce Upon A Time In Japan... 』となって、昨年の11月末にリリースされた。国際的なトレンドになりつつある「ハウス」を本格的に紹介するものとして、海外では話題になっている。
 以下は、昨年の12月にアリックスクンと渋谷でランチを取りながら対話した記録である。

根本の部分はアメリカなんですけど、そこに日本的なレイヤーが被さってジャパニーズ・サウンドになるんですね。だから、ハウスやディープ・ハウス、ソウル・ジャズとかヒップホップは、日本人が作ったものではないんですけど、そこに自分のヴァイブを入れて日本の音楽になっている。そこにぼくは魅力を感じますね。

コンピレーションの完成おめでとうございます。

アリックスクン(Alixkun、以下A):ありがとうございます。

何年くらいかかったの? 

A:作ろうと決断してから1年半から2年ぐらいかかったと思います。でもコンピレーションを作ろうというアイディアは前からありました。最初はドキュメンタリー(映画)といっしょにリリースしたかったので、コンピレーションの方はなかなか先に進まなかったんですね。ドキュメンタリーは制作に時間がかかるとわかっていたので、そちらを優先的に進めていたんです。

具体的にはいつから動きはじめたの?

A:ジャザデリック(Jazzadelic)の永山学さんと食事したときに、彼がけっこうプッシュしてくれたからじょじょに動き出しました。それが2014年の春ぐらいだったと思います。でもその段階ではドキュメンタリーの方を進行させたかったんですね。ただ秋ぐらいに〈ラッシュ・アワー〉が寺田創一さんのコンピを企画しているのを知って、ぼくらも動かなきゃマズいなと焦りだしました。ジャパニーズ・ハウスの盛り上がりに乗っかって、ぼくたちがコンピを作ったというイメージがついてしまうのは嫌だった。だから積極的にコンピを進めることにしたんです。それからぼくは「この曲を入れたい」というメールをいろんなひとに送りはじめました。

アリックスクンは、もう前からジャパニーズ・ハウスに興味を持っていたもんね。

A:最初に興味を持ったのは2009年くらいですかね。ブラウザー(Brawther)と繋がったのは2010年。面白いことに、ぼくらはYouTubeで繋がった。彼が自分のYouTubeのチャンネルにジャパニーズ・ハウスのプロデューサーが関わった曲をあげていたんですね。それを見つけてぼくが「いいね」を押したら、彼がぼくのページにきて、そこにあげていたピチカート・ファイヴのテイ・トウワさんのリミックスを見て、彼が「お前、この曲知ってんの?」とコメントをくれました。

こうやってコンピレーションを作ってみて、あらためてジャパニーズ・ハウスの魅力とはなんだと思いますか?

A:音のクオリティが高いことは魅力のひとつですね。

それは音質ということ?

A:そうです。ぼくはジャパニーズ・ハウスだけじゃなくて、70年代の歌謡曲以降の日本のソウル、ジャズ、ポップ、ヒップホップに興味がありました。そこにある大きな共通点は、アメリカやヨーロッパからインスパイアされていることです。でも単にコピーするだけじゃなくて、日本のトラディショナルな楽器を入れたり、日本語で歌っていたりする。あと日本を思い出させるようなメロディがあるんですね。根本の部分はアメリカなんですけど、そこに日本的なレイヤーが被さってジャパニーズ・サウンドになるんですね。だから、ハウスやディープ・ハウス、ソウル・ジャズとかヒップホップは、日本人が作ったものではないんですけど、そこに自分のヴァイブを入れて日本の音楽になっている。そこにぼくは魅力を感じますね。
 ぼくはヨーロッパ出身ですが、ヨーロッパで作られたものにはフランスっぽいとかイギリスっぽいとかって、あんまりない気がするんですね。フレンチタッチとかUKガレージとか、そういう区分はありますよ。ただ、それらがフランスやイギリスを思い出させるかというと、ぼくはそうではないと思います。ジャパニーズ・ハウスのすべてが日本のことを思い出させるわけではないですが、多くの曲にはその要素があります。

たぶん、日本人のプロデューサーはそういうことを意識せずに、ニューヨークのプロデューサーに近づけようと作っていただけだと思うけどね。

A:ぼくもそう思いますよ。ドキュメンタリーを作ったら、アメリカに好きなプロデューサーがいたからハウスを作りはじめたってひとが多かったんですね。日本っぽく作りたかったとか、ジャパニーズ・ハウスとして認められたかったとかっていうのは、全然思っていなかったんですよね。

で、コンピの1曲目は、タイニー・パンクス(T.P.O.)の“Punk Inc. (Hiroshi's Dub)”で、これは日本でも当時から人気の高いなんだけど、この曲の日本っぽさって何よ?

A:正直に言いますと、この曲にはあんまり日本っぽさはないと思います(笑)。このなかでいちばん日本を感じる曲は寺田さんの曲、“Sawauchi Jinku (Terada mix)"ですね。もちろん金沢明子の影響もあります。あとはGWMの“Deep Loop(edit)”、ヴィオレッツ(Violets)の“Sunset”という曲からもかなり感じる。
 このコンピレーションは、ぼくとブラウザーのもっとも好きなジャパニーズ・ハウスを集めたわけではないんです。もしそういう意図で作っていたら、同じアーティストで2、3曲は入れていたと思いますね。でもいろんなアーティストを紹介しなければならなかったので、そこのバランスをとりました。15曲くらいのコンピレーションを作るのに、アーティストが5人しか入っていなかったら、もったいないなと思って。それよりも、いろんなアーティストを紹介して、そこからみんなが自分でディグってほしいんです。

日本で同じようなことを日本人がやろうとすると、交流関係のしがらみとかが入ってきちゃうだろうけど、『ハウス』は、アリックスクンやブラウザーみたいな業界とはいっさい関係のないひとが外から見て選曲している。そこがこのコンピレーションのユニークなところだよね。

A:ぼくらはドキュメンタリーを先に作ろうとしていたので、このコンピレーションに入っているほとんどのアーティストにはインタヴューをしていたんですね。だからもう関係があったんです。例えば、寺田さんとはすごく仲が良くなったんですけど、だから寺田さんの曲をたくさん入れましょうということではなくて、ジャパニーズ・ハウスのシーンを紹介するためにコンピレーションを作りたかった。だから特定のアーティストに寄らずに、できるだけ客観的に選曲しました。

そういう意味ではとても画期的なコンピレーションになったと思います。日本人が選んだら、エクスタシー・ボーイズは入っていなかったんじゃないかな(笑)。

A:そうですか(笑)。それはどうしてですか? 全然知られていないから?

いや、彼らも当時はかなり有名だったよ。ぼくは一度、天宮志狼さんに大阪でインタヴューをしたことがあるんだけど、ぶっ飛んだひとだったなぁ。

A:ぼくとブラウザーもいろいろディグってみましたが、エクスタシー・ボーイズには、ぼくらもついていけない曲がたくさんありました(笑)。でも、この曲は素晴らしかったから入れることにしたんです。

そういうところが良いよね。だって、他にはYPFにもよくたどり着いたなと思ったよ(笑)。これも日本人なら絶対に行かないな。どうやって知ったの? 

A:〈Balance〉からトーキョー・オフショア・プロジェクト(Tokyo Offshore Project)がリリースしたシングルから知りました。それでいろいろ調べたら、このリミックスを見つけたんです。

YPFをやっていた清水さんとは一緒にデトロイトへ行ったことがあるんですよ。

A:そうなんですか! YPFの連絡先を知らなかったので、トーキョー・オフショア・プロジェクトのメンバーに聞いてみたんですが、彼らも連絡先を知らなかった。だから結局連絡が取れなかったんです。

この記事を読んで連絡をくれたら嬉しいね。

A:記事を読んだりして、この企画を知ったら是非連絡してきて欲しいです(笑)。

[[SplitPage]]

ブラウザーはもっとすごいんですよ。彼は日本語を話せないし、日本にいないのに、すごい時間をかけてネットで翻訳ツールを使いながら日本語ページを調べています。インターネットのアーカイヴを調べたり、シャットダウンされたページとかを掘り出したり(笑)。あとヤフー・オークションを使って名前を検索して、いままで見たこともないレコードにたどり着いて、買ってみてたり。

俺も全然知らない曲ばかりで、アリックスクンとブラウザーのオタクっぷりに感服しました(笑)。アリックスクンは、わざわざ立川、埼玉、千葉の中古レコード屋まで探しにいってるもんね。

A:ブラウザーはもっとすごいんですよ。彼は日本語を話せないし、日本にいないのに、すごい時間をかけてネットで翻訳ツールを使いながら日本語ページを調べています。インターネットのアーカイヴを調べたり、シャットダウンされたページとかを掘り出したり(笑)。あとヤフー・オークションを使って名前を検索して、いままで見たこともないレコードにたどり着いて、買ってみてたり。
 (浪曲師の)国本武春の“Home (6 a.m. mix)”が入っていますが、このコンピレーションのレヴューが海外で出たとき、「われわれがまだ知らなかった曲をタケハル・クニモトが提供している」と書かれていたんですが、実はこのミックスをしたのは福富(幸宏)さんなんですね(笑)。国本さんの原曲とは全然違ってて、これは完全に福富さんワークだから面白いと思った(笑)。クレジットにはそうやって書いてあるんですけどね。
 あと、ジャザデリックの “I Got A Rhythm (1991 original mix)”ってパール・ジョーイ(Pal Joey)の曲なんですよね。でも本当はジャザデリックの曲。彼らが作ったプロモ盤をパール・ジョーイが聴いて、ビューティフル・ピープル(Beautiful People)で作ることになった。でもこのミックスはそのプロモ盤にしか入っていないんですね。しかもそのプロモ盤は50枚くらいしかない(笑)。

それはどこで手に入れたの?

A:もともとはそのレコードが存在していることを知らなかったんですが、永山さんをインタヴューしたときにプロモ盤を作ったことを教えてくれたんです。それで探しはじめました。みんなこのレコードをビューティフル・ピープルのプロモ盤だと思っているんですよ。でもそれは違って、本当はジャザデリックのプロモ盤なんですね。このレコードはオークションで買ったんですが、その出品者のひともパール・ジョーイのプロモ盤と書いていて、全然高くなかった。テクストにも書いているんだけど、たまにインディ・ジョーンズみたいな気持ちになりますよね(笑)。忘れられた宝を掘り出すみたいな。

はははは。ジャザデリックはどういうひとたちなの?

A:ジャザデリックは永山さんと森(俊彦)さんのユニットで、ニューヨークのDJスマッシュの〈ニュー・ブリード〉なんかと関わっていました。

このコンピレーションを作っていて、一番大変だったことは? やっぱりライセンスの連絡とか? 日本では著作権が厳しいから、入れたくても入れられなかった曲があったと思うんだよね。

A:ピチカート・ファイヴの曲も検討していたんだけど、著作権のせいで諦めることになりました。

大阪のベテランDJ、紀平くんがプロデュースを手掛けた曲もあるんだよね。

A:そう、そのフェイク(Fake)の曲も、あるいは、カツヤさんの曲もレコードでしかなくて、情報がとても少なかったから、プロデューサーを探すところからはじめました。例えば、カツヤさんについてはレコード屋のテクニークのスタッフに尋ねてみたら知っていて、繋げてくれたんですね。いまカツヤさんはベルリンに住んでいます。YPFの場合はさっきも言ったように、探してみたんですが見つからず……。

ホント、労作ですね。これも時代というか、でも、日本で音楽を作っているひとたちに自信を与えるものにもなっていると思うな。

A:ありがとうございます。意図としては曲のクオリティが大事だったんだけど、それに加えていろんなアーティスト、あまり知られていない曲も紹介したかったというのがあるんですね。たしかにT.P.O.の“Hiroshi's Dub”はすごく有名なんだけど、それとは反対にすごくマイナーな曲も入っているんじゃないかな。あと福富さんも入っているし、マイナーなアーティストも入っているから、幅広い内容になったと思います。

リリース後のリアクションについても教えてください。

A:いまのところ、とくにヨーロッパにおいてはかなり良いリアクションが返ってきています。

どこか特定の国がすごいっていうのはある?

A:全体的にヨーロッパでは良く受け取られていますね。いまディープ・ハウスのリヴァイヴァルがいちばん熱いのはヨーロッパですからね。「知らなかった曲を紹介してくれてありがとう」という気持ちでみんな評価してくれているんです。15曲が全部ヒット曲かというとそうではない。でもそれはぼくらも認めている。

もちろん、ヒットしてないと思うよ(笑)。あのね、本場志向っていうか、当時のハウスのリスナーもNY産しか認めないみたいなところがあったし、デトロイトだってB級扱いだったから、ましてや日本産となると……。柱になったレーベルもなかったしね。

A:寺田さんのレコードも少なかったんですよ。自分のレーベルがあったけれど、当時はあまり知られていなかった。

寺田さんは当時の印象では、ものすごくメディアに露出していたから、有名人って印象だったんだけど、それでも苦戦していたんだね。ところで、アルバムのインナーの日本語はアリックスクンが書いたの?

A:最初はぼくが書いて、友だちの日本語ネイティヴに直してもらいました。

ちょっと日本語が間違っているんだよね。

A:そうなんですよ(笑)。ぼくが書いた日本語を見てくれたひとが原文を生かそうとしたから、場合によっては文章が変かもしれません。

はははは。でも、最後に書いてある「House is the feeling」っていう言葉がすごく良いね。感じることで、国籍がどこであろうと、わかる。

A:そうそう、本当にそういうこと。ハウスって、感じることだから。

コンピレーションを作っていて、当時の日本のハウス・シーンは見えてきたの? 見えてはこないでしょう(笑)?

A:先ほど野田さんが言っていたように、当時このひとたちはヒットしていませんでした。小さいレベルで2、3曲作ってそれっきりというアーティストも多く、けっして大きなシーンではなかったようですね。アメリカの影響がデカすぎて、国内シーンは生き残れなかったというかビッグにはなれなかった。あと、アメリカのカッコよさへの憧れもあったんじゃないかな。

全員がそうじゃなかったけど、概してものすごくあったね。ただ、いまでは信じられない話だけど、当時の日本のミキシングの知識では、メーターがレッドゾーンにいったら音が歪んで悪くなるからっていうことで、EQなんかも適度に調整されてしまって、作った人の意図とは別のとこで、ペラペラの音になっているのが多いんだよ。そこは、今回リマスターをしてある程度音をそろえているよね。

A:難しいですね……。リマスターはしています。でも、半分以上は元のマスターを貰えたんだけど、残りはヴァイナルから音を落としました。でもどんなにきれいに落としても、いろんなノイズが残ってしまうから、あとはブラウザーがきれいに仕上げてくれたんです。


Various Artists
ハウスOnce Upon A Time In Japan... by Brawther & Alixkun

Les Disques Mystiques/Jazzy Couscous

House

Amazon

アルバムのジャケットのデザインがすごく良いと思ったんだけど、これは?

A:もともとはぼくたちが好きな日本のアーティストに声をかけたかったんだけど、3人くらいに依頼したらタイミングが合わなかったり、興味がなかったりで、実現しませんでした。そこでイギリスのアーティストに頼んだんですよ。ヴィクトリア・トッピング(Victoria Topping)というひとです。ぼく、本当はコラージュがあんまり好きじゃないんですよ(笑)。でもこのコンピレーションで一番大事なのは音楽だから、コラージュについてはブラウザーと多少喧嘩しました(笑)。ブラウザーはデザインを気に入っていたし、期限もあったからジャケットはお任せして、ぼくの趣味に合わなくてもしようがないと割り切りました。でもリアクションを見ると、みんなジャケットを評価しているから、自分のテイストを犠牲にしてよかったです(笑)。

浮世絵って、江戸幕府からは監視されていたぐらい、実は、ものすごくエロティシズムを含んだ大衆文化なんだよね。たぶんこの絵は、花魁といって、まあ、当時の人気の娼婦ですね。だからその意味で、まさにハウス・ミュージック的なんだよ。

A:そうなんだ(笑)。それは日本人にしか理解できないことですね(笑)。

interview with Tortoise - ele-king

 彼らが新作を録り終えた情報はつかまえていた。「別冊ele-king」のポストロック号をやっていたときだったので数ヶ月前になるが、おあつらえむきの特集なのにリリースの都合でとりあげられなかったのはいかにも口惜しい。爾来このアルバムは何度も聴いた。冒頭の表題曲のニュース番組を思わせるジングルめいたイントロにつづくトータス節ともいえるリズムの提示、アンサンブルは複雑さよりスペースを求め、打鍵楽器の記名性はこれまでより鳴りをひそめシンセサイザーがムードを演出するこのアルバムは『イッツ・オール・アラウンド・ユー』『ビーコンズ・オブ・アンセスターシップ』の、つまり『TNT』以後の傾向雄の延長線上にあるのはあきらかだが、前作から7年の時間の経過は彼らの、リロイ・ジョーンズいうところの「変わりゆく──」いや、よそう。それより『ザ・カタストロフィスト』にはミシェル・レリスの書名「成熟の年齢」をかぶせたくなるやわらかさとかすかな官能をおぼえる。90年代、私たちはそれをまさにテクノロジーの、つまりポストロックのかもすものとして聴いたが、20年を経て、それがトータスの唯名性だったことにおそまきながら気づきつつある。

 ジョン・マッケンタイア、ジョン・ヘーンドン、ダン・ビットニー、ダグラス・マッカム、ジェフ・パーカー──5人を代表してギタリスト、ジェフ・パーカーにお答えいただいた。

■トータス・Tortoise
1990年に結成されたシカゴのバンド。ダン・ビットニー、ジョン・ハーンドン、ダグラス・マッコームズ、ジョン・マッケンタイア、ジェフ・パーカーの5人からなる、音響的なアプローチを持ったインストゥルメンタル・バンドであり、「シカゴ音響派」等の呼称によって、当時の前衛音楽シーンを象徴・牽引した。のちに「ポストロック」という言葉の誕生、発展、拡散とともにさらに認知度を上げ、多彩な試みをつづけている。今年1月リリースの『ザ・カタストロフィスト』で7作めのアルバムを数えることとなった。

シカゴ市のための組曲に入れるべく、メンバーそれぞれが1曲ずつ作曲したんだ。


TORTOISE
The Catastrophist

Thrill Jockey / Pヴァイン

Post RockIndieElectronic

Tower HMV Amazon

『ザ・カタストロフィスト』はおよそ7年ぶり7枚めのアルバムですが、これまでのどのアルバムより、作品の間隔が空いた理由について教えてください。

作品の間隔が通常より空いてしまったのにはいくつか理由があるんだ。ひとつはメンバーのうち2人がLAに住んでいて、みんながいっしょに集まることのできる機会を見つけるのが難しくなったこと。もうひとつはそれぞれ別のプロジェクトが忙しかったこと。自分はフリーのジャズ・ミュージシャンとして、ジョン・マッケンタイアはエンジニアやプロデューサー業、マッコームズはブロークバックやイレヴンス・ドリーム・デイで、等々。

『ザ・カタストロフィスト』に着手したきかっけについて教えてください。またいつごろはじまり、終わったのはいつですか。

新しい楽曲には『ビーコンズ・オブ・アンセスターシップ(Beacons Of Ancestorship)』のツアーが終わってからすぐ取り掛かりはじめていたんだ。シカゴ市から新しい作品を依頼されて、シカゴの即興音楽コミュニティのアーティストとコラボレートして組曲を制作した。そのときの楽曲が今作に収録されている曲の元になっているんだ。

本作の制作上のプロセスでいままでと変化したところはありますか。各自がアイデアをもちより、編集的に構築したのか、セッションでつくっていったのか、あえていうならどちらの比重が高かったですか。

今回はあなたの言う両方のプロセスを組み合わせたものだった。メンバーがそれぞれアイディアを持ってきて、それからグループとしてそれを新しいものへと発展させていったんだ。『ザ・カタストロフィスト』は『イッツ・オール・アラウンド・ユー(It’s All Around You)』のスタジオをベースにした制作プロセスにより近いものなんだ。『ビーコンズ~』はライヴや実際の演奏をもとにしたものだよ。

先行シングル“Gesceap”はメロディとリズムを効果的に交錯させた、長さを感じさせないすぐれた楽曲だと思いました。たとえばこの曲を例にとり、完成にいたるまでのプロセスを教えてください

前の質問で言った、シカゴ市のための組曲に入れるべく、メンバーそれぞれが1曲ずつ作曲したんだ。“Gesceap”はジョン・マッケンタイアが作った曲で、彼はテリー・ライリーの“In C”のような感覚をよりトータス的な文脈で表現しようとしていた。アルバムに収録されたバージョンになるまでにかなり多くの回数作り直している。曲の構造はできるだけ単純化して、録音にはたくさんの楽器が重ねられているんだ。

自分たちはまだ「アルバム」を作っているんだ。

『ザ・カタストロフィスト』は多様性に富んだ、しかしとてもまとまりのあるアルバムだと思いました。断片的なアイデアの折衷というより、曲ごとの自律性を重視したつくりになっていると感じました。この意見についてどう思われますか

自分たちはまだ「アルバム」を作っているんだ。偉大な作品というのはリスナーがさまざまなムードや感情を経験することができるものだと思う。同時にグループとしての自分たちの広範な音楽的な興味を反映したものでもあるよ。

サウンド面では、『ザ・カタストロフィスト』は『イッツ・オール・アラウンド・ユー』、『ビーコンズ・オブ・アンセスターシップ』よりエアー感が強いと思いました。今回のアルバムではトータルな音をどのようなイメージに仕上げようと意図したのですか。

今作に関して自分たちは絶対にオープン・サウンドを取り入れようと考えていた。それぞれの楽器のまわりにたくさんのスペースがあるようなサウンドだよ。

音づくりの面で、スタジオの機材およびメンバーの使用機材で、これまでと本作とで顕著なちがいがあれば教えてください。

知っているかもしれないけど、ジョン・マッケンタイアは彼のSoma EMSを15年あった場所から別の場所へと引っ越したんだ。『ザ・カタストロフィスト』はほとんど、もともとあった場所で録音されたんだけど、いくつかは新しい場所でも録音して、ミックスもそこで行われた。

『スタンダーズ(Standards)』以降、初期トータスの代名詞でもあったヴィブラフォン、マリンバの代わりにシンセがアンサンブルを牽引するようになりました。この変化は意図的なものでしたか?

そうだね。自分たちの音楽をより拡張する必要を感じて、シンセサイザーでの実験をよりたくさんするようになったんだ。

“ホット・コーヒー”は『イッツ・オール・アラウンド・ユー』時のアイデアをリサイクルした楽曲だということですが、収録を見送った楽曲を次作以降でとりあげることはままあることなのでしょうか? もしかしたら、トータスの楽曲のためのアイデアのストックはかなりの数にのぼるのでしょうか。

アルバムをリリースするごとにたくさんの「残り物」が出るんだけど、それらはしばしばシングルやコンピレーションとしてリリースしている。時折、それらに立ち返って何か新しいものを作るインスピレーションをもらったりすることもあるんだ。

“ロック・オン”は素晴らしい曲だしメンバーみんなが聴いて育ったんだ。当時としてはとてもユニークな曲だった。

デイヴィッド・エセックスの“ロック・オン”をカヴァーした理由を教えてください。またこの曲にトッド・リットマンを起用したのはなぜですか。

“ロック・オン”は素晴らしい曲だしメンバーみんなが聴いて育ったんだ。当時としてはとてもユニークな曲だった。かなりおもしろいミニマル・サウンドが加えられていたり、ロックンロールについての歌なのにギターが使われていなかったりね。自分たちはみんな長い間トッド・リットマンのファンであり友人で、彼の起用は自然な選択だった。

『ザ・カタストロフィスト』には“ロック・オン”以外にもヨ・ラ・テンゴのジョージア・ハブリーの歌う“ヨンダー・ブルー”を収録しています。なぜヴォーカル曲を2曲も収録したのですか? またこの曲はアシッド・サイケともいいたくなる曲調ですが、この曲の生まれた背景を教えてください

次回作にはヴォーカル曲をいくつか入れようと事前に考えていて、しかも自分たちはトッドと同じように、ヨ・ラ・テンゴのジョージアの曲を敬愛している。“ヨンダー・ブルー”は、曲は先にできていて、ジョージアに興味があるか音源を送ったんだ。そうしたら彼女のヴォーカルと歌詞が付いて戻ってきたんだけど、それを聴いてまったく吹き飛ばされてしまったよ。

ポストロックなることばについては、語ることもあまりないかもしれませんが、日本ではこの20年前にとりざたされたことばに今年復権の兆しがありました。こと日本だけの現象かもしれませんが、かつてトータスの代名詞ともなったこの言葉をもう一度もちだすのだすとしたら、どこに可能性を見出せばよいと思いますか。

新しい可能性というのは僕たちのイマジネーションのなかにあるんだ。可能性に限界はないよ。

今回〈Pヴァイン〉から、過去作品がすべて紙ジャケットで再発されます(それも先の質問と無関係ではありません)が、旧作のなかで現在、もっとも気に入っている作品を一枚あげてください。

すべてのアルバムが好きだけど、今日の1枚を選ぶとすれば『イッツ・オール・アラウンド・ユー』かな。

新作をライヴセットにかけるとしたら、ヴォーカル曲含め、ライヴ用のアレンジが必要になると思いますが、どのようにするおつもりですか。ライヴとスタジオワーク、トータスにとって比重が高いのはどちらですか。

どちらのケースもたくさんの作業を必要とする。よくスタジオで曲を作ってアルバムを完成させてから、ライヴでそれをどう演奏するか考えなければならないこともあるよ。それにもたくさんの時間とクリエイティヴィティを要する。

自分のやることはすべてトータスに反映されるし、トータスとしてやることはその他すべてのことへと還元されるんだ。

それにしても、私は『ザ・カタストロフィスト』はトータスの新局面をあらわす野心的な作品だと思ったのですが、なぜ「Catastrophe」を文字ったタイトルなのでしょう

アルバムのタイトルはジョン・ハーンドンが彼の読んでいた本から思いついたんだ。自分はその本を読んでないんだけど、いまの政治状況や環境のことを含めた日々の生活のことを考えると、興味深いし良いタイトルだと思った。

カヴァーアートには90年代のエイフェックス・ツインのような露悪的な意図をこめていますか? ちがうのであれば、その真意を教えてください

このジャケットは何年か前に撮った写真を使ってメンバーの顔を合成したものなんだ。自分たちの顔をジャケ写にするならこの方法しかないだろうと話していて、ご覧の通りになった。

90年代から2000年代初頭にかけて、トータスはシカゴおよび、インディ・ミュージックのある種の結節点と、すくなくともリスナーである私たちは見なしていました。現在のUSインディおよびシカゴのシーンでトータスはどこに位置づけられると自己評価なさいますか。

トータスはある特定の時代にシカゴのインディ・ミュージック・シーンを代表する存在だったと思う。メンバーはそれぞれさまざまな形でそのシーンに参加していて、それが自分たちの生み出す音楽に反映されていた。いまでは違ったシーンがあるし、自分たちの前の時代もまたそうであったように、すべてはつねに変化していくんだ。

トータスが、現在の5人、不動のメンバーになってから短くない時間が経ちました。ほかのプロジェクトでの活動も多いみなさんにとってトータスというバンドはどのような意味をもちますか。

僕たちは偶然にも同じ時に同じ場所にいた良き友人であり、気の合う仲間なんだ。自分にとってトータスはいつもアイディアを試す場所であり、アーティストとして成長する場所でもある。自分のやることはすべてトータスに反映されるし、トータスとしてやることはその他すべてのことへと還元されるんだ。

トータス約7年ぶりの新譜を祝し、本インタヴューにつづき、第2弾となる特集をお届けいたします!

 十代は懐がさびしいので湯水のごとく音楽に金を使うわけにはいかない。いきおい、ただで聴けるラジオがことのほか大切になる。彼とのつきあいは短くない。年端のいかないころにさかのぼるので、幼なじみ同然、長じて友人、ほとんど恋人。とはいえ、性交するわけではないので親友くらいで手を打ちたいが、友だちのだれよりもいっしょにすごす時間は長かった。中学にはいるころにはいくらか距離ができて、好きな番組を選んで聴くようになった。NHK FMのバラカンさんや渋谷陽一氏、同じ時間帯のヒット曲のリミックス中心の番組(DJは失念)と、日曜夜の「現代の音楽」は欠かさずエアチェックした。テーマ曲であるヴェーベルン編曲のバッハ「6声のリチェルカーレ」につづき、上浪渡さんの「現代の音楽です」のナレーションが入ると、寝床のなかで居住まいを正したものだ。60分テープに録音しつつ耳を傾けながら気づいた朝のこともしばしば、私にとってブルーマンデーの足音を告げるのは「笑点」でも「サザエさん」でもなく(そもそもテレビがなかった)、ヴェーベルンのバッハだった。
 テープを聴きかえし、インデックスをつくるのは翌週の課題である。多くの作曲家の名前と曲をこの番組で知った。武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」をはじめて聴いたのもこの番組だし、諸井誠、湯浅譲二、松平頼則、伊福部昭等々、日本の作曲家が印象に残っているのは、記憶の捏造かあるいは文化振興の意図からそうなっていたのかもしれないが、ケージ、メシアン、ナイマンもこの番組で知ったし、ノーノの「ガルシア・ロルカの墓碑銘」のガルシア・ロルカが聴きとれず、二十代までそのナゾが解明しなかった面目ない経験もしたが、現代音楽ないし前衛と呼ばれた(録音物としての)20世紀音楽は私にとって、ロック、ジャズやポップ・ソングなしいそのリミックス(クラブミュージック)と同列の刺激的な響きのひとつだった。その発見はなににもかえがたい、(音の)世界の広さに戦くことであり、音楽は学校で学ぶ音楽がすべてではないとほのめかすばかりか、音に不協和の関係など存在しないと(なかばあやまった)考えに開眼するきっかけだった。そこから、自作テープの編集が高じてのテープ・コラージュやカセットデッキの倍速ダビング機能の誤用、レコード・プレイヤーの回転数の意図的なとりちがえ、ラジオ、無線といった放送の音質そのものを音楽的に聴くハンドメイドの聴覚実験まではひと跨ぎである。私をふくむ健全な男女のだれもがそんなことにかまけたのが20世紀であり、いくつもの戦争に縁どられたこの20世紀を俯瞰し、二次大戦の前後でそれを劃する象徴として、音楽史──ここでいうそれは西洋音楽のそれであるが──にあらわれるのがピエール・ブーレーズである。
 1925年、仏モブリゾンに生まれたブーレーズはパリの高等音楽院でメシアンらに学ぶも中退、終戦の年、二十歳を迎えた彼は「12のノタシオン」を書きあげている。この短い断章めいたピアノ曲は名刺代わりともいえるもので、後にオーケストラ用に編曲され巨大化するこの作品をきっかけにブーレーズは20世紀音楽の重要作を江湖に問いはじめる。「婚礼の顔」「ピアノ・ソナタ第2番」「構造Ⅰ」、「ル・マルトー・サン・メートル(主のない槌)」──シェーンベルクの十二音技法を補足するとともに進化させたトータル・セリー(総音列)はものの本によく出てくるので、耳なじみの方も多いと存ずるが、平均律内の1オクターヴ内の半音をふくむ十二の音を平等かつ過不足なく用い完全な調和を目す十二音技法では満足できない、音価や強弱などのニュアンスまでパラメーター化し統治するのがトータル・セリーであり(乱暴な要約だが)、ブーレーズは自身の、というより20世紀のピアノ曲を代表する作品のひとつである「ピアノ・ソナタ第2番」(1948年)でシェーンベルクとの訣別を目した、とみずから語るように、その先に踏み出していく──のだが、私は思うのだが、「ピアノ・ソナタ第2番」にコーダにドイツ語の音名による「BACH」のアナグラムがあらわれるのとおなじく、シェーンベルクが最初の大機規模な十二音技法の作品「管弦楽のための変奏曲作品31」(1926〜28年)の基本音列の最後に「HCAB」つまりバッハの逆行形を置いたように、ブーレーズのいう訣別とは鏡像的な結びつきを意味するのではないか。ともに作曲家で指揮者であり教育者であるふたりは20世紀を前後に分かつ境界線上で対峙する(シェーンベルクが死んだのは1951年だ)だけでなく、音楽史上最大の巨人バッハを影に日向に志向し思考することで、前衛は古典との偏差のかぎりでの前衛であると彼(ら)はいいたがっている(「現代の音楽」のテーマがシェーンベルクの弟子であるヴェーベルンが編曲したバッハであるのも暗示的である)。本稿ではナイマンの著書『実験音楽』にならって、前衛と実験とを区別しているが、ブーレーズにはたとえば、ケージの偶然性を「管理する」など、完璧主義者の側面があり、その厳密さは旧作の改訂につながり、ダルムシュタットなどでの後進とのかかわりでは導きの光となり、マーラーやヴェーベルンのすべての交響曲の録音をのこした卓抜なタクト捌きにも実を結んだ(いまは指揮者のほうのファンが多いと思う)。行政官としても、IRCAM(フランス国立音響音楽研究所)の初代所長となり、リアルタイムでの音響処理できる高速コンピュータ「4X」の開発が、みなさんご存じの「Max(Max/MSP)」につながった経緯もある。「レポン」や「...explosante-fixe...」はいまや超然としたところがかえって古きよき時代を思わせ牧歌的だが、ブーレーズがいなければ、リチャード・D・ジェームスはミュージシャンになれなかったもしれないしIDMは流産したかもしれない。フロリアン・ヘッカーは「ele-king」Vol.7のインタヴューで、音楽の複雑さを例証するにあたり、ブーレーズとクセナキスを対比している。さらにポピュラー音楽とのかかわりつけくわえると、1976年に創設した現代音楽の室内オーケストラ、アンサンブル・アンテルコンタンポランを率い、フランク・ザッパの筆になる「パーフェクト・ストレンジャー」を振ったのは84年。ヴァレーズ、ストラヴィンスキーとともに「ル・マルトー・サン・メートル」をフェイヴァリットにあげるザッパの、当時の現代音楽の水準でいえば時代がかかった、しかし生粋の現代音楽の作家にないユーモアをひきだしたブーレーズの手腕には、ザッパ・ファン、ロック・ファンのみならず、タイヨンダイ・ブラクストンも目をみはるにちがいない。
 ことほどさように、広範な視野と豊富な語彙、音楽史の弁証法を信じながら古典あるいは西欧の美学の風合いを失わないたたずまいは20世紀音楽の最後の巨星と呼ぶにふさわしい。そのブーレーズが歿した。今後おそらく彼のように多面的に音楽を体現する作曲家はあらわれまい。ファーニホウやラッヘンマンがそうなれるとは思わない。ミニマル、ポスト・ミニマルの方々はどうだろうか。それとも、そもそも私たちはそのようなひとの必要ない時代に生きているのか。20世紀がまた遠のいた? そうかもしれない。ところが遠のけば遠のくほど道のりを踏みしめる楽しみは増さないともかぎらない。ブーレーズはその道の向こうにかすかに見える指標のようなものだ。それはこの平坦な時代に隆起した山のように見えなくもないし、行けども行けどもたどりつけない城のようなものでないとはだれもいいきれない。(了)


 音楽がファッションを発信できずしてどうしよう。ラッパーとして、アート・ディレクターとして、はたヴィジュアル・クリエイターとして、多彩な活躍をみせるこの若きアーティストは、ヒップホップ・クルー、KANDYTOWN(キャンディタウン)の中心人物として注目を浴びる存在だ。MURO、ANARCHY、KOHHらとともに、メンバーYOUNG JUJU、DONY JOINTと揃ってUNITED ARROWS企画のサイファー「NiCE UA 37.5:“Break Beats is Traditional”」に参加したことを筆頭に、ファッション・ストリート誌を賑わせ、クリエイター集団BCDMGへの加入、KID FRESINOの新作『Conq.u.er』収録の“Special Radio”への参加など、世間の彼への熱は高まるばかり。その当人、IO(イオ)の待望のソロ・デビュー・アルバムのリリースが決定したとの報。弊誌でも注目していきたい。


The Soft Pink Truth - ele-king

 YouTube動画をはじめて見たときのことを覚えているだろうか。自分の場合、まったく覚えていないどころかそもそもいつ頃からYouTubeを使っていたかすら定かではない……が、たいていの人間にとってもそんなものだろう。それはいとも簡単に、恐ろしくスムーズにわたしたちのモダン・ライフスタイルに浸入した。が、マトモスの片割れのドリュー・ダニエルは「はじめてのYouTube動画」をはっきりと覚えていて、それはイラクの砂嵐だったという。YouTubeがはじまったのは2005年のイラク戦時中であり、のちに続く紛争とテロの10年において、つねに傍らにあったのはインターネット動画サービスだった……企業も政治家も大衆もテロリストも活用できる「サービス」だったというわけである。
 コンセプチュアル・アート作家としてダニエルはここで、政治的というよりは社会学的なアプローチでこの10年を支配したインターネット・サービスを調理する。まず、検索ボックスに「Step」「Looking」「Acapella」「Awesome」そして「Party」の語句を入力し、そこから導き出される動画の音声をサンプリング、そうして8年前にジョークとして1曲完成させる。それから動画カルチャーに嫌気がさしたこともあって放置していたそうだが、2015年の暮れに作業を進め楽曲を増やし、たんなるジョークの域をずるずるとはみ出した結果完成したのが本作である。

 ためしに僕は、最近は「ヤバい」ともよく訳される「Awesome」を入力してみた。素人なのか「ユーチューバー」なのかわからないが、多くは投稿された「驚き動画」の類のものが並べられている。スゴ技を披露する人びとの姿を見続けていると、感心しつつもすぐに気分が悪くなってしまった。なんというか、「自分」を世界に向けて無邪気に放流する人びとの姿の気の濃度にやられてしまったのだが、もちろん自分もその世界のなかにいるわけだ。そしてザ・ソフト・ピンク・トゥルースの“オーサム”を聴いてみる。誰とも知らない人間たちのはしゃぎ声がメタリックなベース音とともに野放図に広がっていく……。
 ドリュー・ダニエルの、ひいてはマトモスのタチの悪さはここからだ。ふたつめのトラック“アカペラ”の、おそらく多くは素人のものであるだろう声や歌がぶつ切りにされ、緊迫感のあるビートによってそれらが奇妙なカットアップ・ハウスへとなっていく様は不気味であると同時に快楽的だと思えてしまう。前作にあたる『ホワイ・ドゥ・ザ・ヒーザン・レイジ?』はブラック・メタルにおけるホモフォビアを異化することで逆照射的にお行儀のいいゲイ・カルチャーの現在をからかっており、そのためやや込み入った音になっていたが、ここではもっと素直にマトモスが得意とする愉快でユーモラスなエレクトロニカ、おかしなハウスが聴ける。この10年のインターネット・カルチャーの歪みをモチーフとしながら、しかしどうしようもなく愉しいアルバムである……先ほどと逆のことをあっさり言ってしまうが、ケース・スタディでありつつ、これはやはり音楽作品なのだ。これで踊れるひとだってたくさんいるだろう。
 「Pay」の検索から生まれたであろうタイトル・トラックはマトモスの『シュープリーム・バルーン』(08)を連想するようなシンセ・ポップが混ざったキッチュなエレクトロニカだが、この音の元になった動画では消費が謳われていたことだろう。が、ダニエルは「なんでもっと支払うの?」と意味を反転させる。続くトラックでアブストラクトなビートと電子音のなか「コンピュータって何だよ?」と叫ばれるのにもつい笑いがこみあげてしまう。ゲイ・カルチャーへの直接の言及は今回あまりないが、“アイ・ラヴ・ユア・アス”、すなわち「お前のケツが大好きだ」がエレクトロ調のセクシーなトラックとなっているのはまあ、彼らしい意地の悪い冗談だろう。そうしてアルバムは、パーカッションがファンキーに転がる、ソウルフルですらあるハウス・ナンバーで終わっていく。トレンディな音とは言えないが、むしろそのことがダニエルの余裕を感じさせる。

 ダニエルはこのアルバムを「YouTubeにおける才能そして/あるいは狂気」だと説明している。この10年のライフスタイルの風刺画でありながら、それを嗤うのではなく朗らかに笑っている……自分もその一部なのだから。SNSをどれだけ嫌おうとも、インターネットの弊害をどれだけ語ろうとも、わたしたちはもうそれがなかった世界には戻れない……なんて真面目な顔で言うより先に、このアルバムはグロテスクな時代を舞台にわたしたちを踊らせる。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443