「KING」と一致するもの

特集 エレクトロニカ“新”新世紀 - ele-king

 こういうひとつの括り方に抵抗を感じる人がいるのはわかっているが、なかば強引にでも括った方が見えやすくなることもある。もともと踊れもしないテクノ(エレクトロニック・ミュージック)を、しかし前向きなニュアンスで言い直したのがエレクトロニカ(ないしはえてして評判の悪いIDM)なるタームである。

 90年代の後半のクラブ・シーン/レイヴ・カルチャーは現在と似ている。アンダーグラウンド文化に大資本が介入すると、音楽が、最大公約数的にわかりやすいものへと、やんわりと画一化されていってつまらなくなる。ゲットー的なもの、冒険的なものはまず排除される。逆に、こういう状況のなかでカウンターとしての需要を増し、発展し、新たなリスナーを獲得したのがエレクトロニカだった。ポストロックと並行してあったものなので、リスナーも重なっている。

 2010年に〈エディションズ・メゴ(Editions Mego)〉からOPN(Oneohtrixpointnever)が『リターナル(Returnal)』を出したときは、この手の音楽がエレクトロニカというタームを使って解釈されることはまずなかったが、しかし、エイフェックス・ツインが華麗な復活を遂げて、かたやEDMが全盛の今日において、エレクトロニカ新世紀と呼びうるシーンが拡大するのはなんら不思議なことではない。

 いや、むしろエレクトロニカ的なものがなければ、音楽は面白くないのだ。それは、この音楽が実験的であるとか、高尚であるとか、知的であるとか、そんな胡散臭い理由からではない。この(なかば強引な)ジャンルが、リスナーをさまざまな音楽を結びつけるからである。ジャンルという牢獄から解放することは、90年代後半を経験している世代は充分にご存知のことだろう。

 新世代を代表するのはOPNとArcaだろうが、他にもたくさんの秀作が出ている。また、受け手が作り手と紙一重なのもこのシーンの特徴でもあるので、我々がここでチェックできていない新しい作品がなんらかのカタチで出ていることは充分にあるだろう。もしそうした穴があれば、ぜひ教えてください。なにはともれ、今回の特集が少しでも、あなたの宇宙を拡張する手助けになれば幸いである。   (野田努)

Electronica Classics - ele-king

さて、「エレクトロニカの“新”新世紀」と銘打って、とらえがたくも魅力的なエレクトロニック・ミュージックの現在を示している作品群を取り上げる本特集だが、一般的に「エレクトロニカ」という名で認識されている作品にはどのようなものがあっただろうか。リアルタイムで聴いてこられた方も多いことと思われるが、あらためていま聴き返したいエレクトロニカ名盤選をお届けします。


Alva noto - Transform
Mille Plateaux (2001)

 キム・カスコーンが「失敗の美学」と名づけたデジタル・グリッチの活用によって、90年代後半から00年代前半にかけてのノンアカデミックな電子音響が始まった。カールステン・ニコライ=アルヴァ・ノト/ノトは、そのグリッチ・ノイズをグリッドに配置することで、ステレオの新美学とでもいうべき電子音響を生み出していく。とくに本作の機械的でありながら優美で洗練されたサウンドは、2001年の時点ですでにポスト・グリッチ的。数値的なリズム構成が生み出すファンクネスには、どこかクラフトワークの遺伝子すら感じるほどだ。00年代以降のエレクトロニカに大きな影響を与えた傑作。


Fennesz - Endless Summer
Mego (2001)

 ティナ・フランクによるグリッチなアートワークは、リアルな「永遠の夏」そのものではなく、いわばポップ・ミュージックの記憶から生成するヴァーチャルな世界=記憶の表象であり、このアルバムの魅力を存分に表現していた。これはテン年代的(インターネット的)な光景・環境の源流のようなサウンド/イメージともいえ、たとえば、甘いギター・コードに介入する刺激的なグリッチ・ノイズは、「歯医者で聴いたフィル・コリンズ」というOPNのコンセプトへと接続可能だろう。ヴェイパーウェイヴ以降のインターネット・カルチャー爛熟期であるいまだからこそ新しい文脈で聴き直してみたい。


Jim O'Rourke
I'm Happy, And I'm Singing,
And A 1, 2, 3, 4
Mego (2001)

 ジム・オルークの唯一の「ラップトップを用いたオリジナル・アルバム」は、00年代以降、多くのエレクトロニカの雛形ともなったアルバムでありながら、しかしほかの何にも似ていない孤高のアルバムでもあった。じじつ、この弾け飛ぶような電子音には、ヴァン・ダイク・パークスのポップネスから、メルツバウのノイズまでも圧縮・解凍されており、ジム・オルーク的としかいいようがない豊穣な音楽が展開されている。フェネス、ピタらとのフェノバーグとは違う「端正さ」も心地よく、まさに永遠に聴ける電子音楽的名盤といえる。2009年に2枚組のデラックス・エディションもリリースされた。


Ekkehard Ehlers
Plays
Staubgold (2002)

 このアルバムこそ、00年代後半以降の「ドローン/アンビエント」のオリジン(のひとつ)ではないか? コーネリアス・カーデュー、ヒューバード・フィヒテ、ジョン・カサヴェテス、アルバート・アイラー、ロバート・ジョンソンなどをソースとしつつも、それらのエレメントを弦楽的なドローンの中に融解させ尽くした美しい音響作品に仕上がっている(元は12インチシリーズであり、本作はそれをアルバムにまとめたもの)。“プレイズ・ジョン・カサヴェテス2”における超有名曲(“グッド・ナイト”?)を思わせる弦楽にも驚愕する。イックハルト・イーラーズの最高傑作ともいえよう。


Shuttle358
Understanding Wildlife
Mille Plateaux (2002)

 00年代初頭に人気を博したクリッキーなビートはエレクトロニカの「ポップ化」にも貢献した。LAのシャトル358(ダン・エイブラムス)が、2002年に〈ミル・プラトー〉よりリリースした本アルバムは、その代表格。細やかに刻まれるビートに、朝霧のように柔らかい電子音が繊細にレイヤーされ、00年代初頭の小春日和のような空気を見事に象徴している。耳をくすぐるカラカラとした乾いた音響が気持ちよい。2015年には11年ぶりのアルバム『キャン・ユー・プルーブ・アイ・ワズ・ボーン』を老舗〈12k〉よりリリース。こちらは森の空気のようなアンビエント作品に仕上がっていた。


Frank Bretschneider &
Taylor Deupree
Balance
12k (2002)

 電子音響とエレクトロニカの二大アーティストの競演盤にして、ミニマル/クリック&グリッチ・テクノの大名盤。初期テイラー・デュプリー特有のミニマル・テクノな要素と、フランク・ブレッシュナイダーのクリッキーかつグリッチなエレメントが融合し、緻密なサウンドのコンポジションを実現している。シグナルのような乾いたビートと、チリチリとした刺激的なノイズが交錯し、マイクロスコピックな魅力が横溢している。ミニマル・グリッチな初期〈12k〉の「思想」を象徴する最重要作といえよう。フランク・ブレッシュナイダーはシュタインブリュッヘルとのコラボ作もおすすめ。



SND
Tenderlove
Mille Plateaux (2002)

 マーク・フェルとマット・スティールによるクリック/グリッチ・ユニットSNDのサード・アルバム。近年でもファースト・アルバムがリイシューされるなど常に高い評価を得ている彼らだが、本作は、そのキャリア中、もっともハウス・ミュージックに接近した問題作である。ハウス・ミュージックの残滓を残した甘いコード感と、シンプル/ミニマルな音響の中で分断されていくダンス・ビートなどは、現在のアルカなどにも繋げていくことも可能だろう。後年、〈エディションズ・メゴ〉や〈ラスター・ノートン〉などからリリースされたマーク・フェルのソロ作も重要作。あわせて聴きたい。


Hecker
Sun Pandämonium
Mego (2003)

 なんというノイズか。まるで太陽のように眩く、獰猛であり、優雅でもある。嵐のようなノイズの奔流はラッセル・ハズウェル級であり、まさに取り扱いが危険な盤だが、しかしその強靭な音響は一度ハマると抜け出せなくなる快楽性がある。いわば90年代末期に誕生したピタなどのグリッチでノイジーな電子音響と、2010年代的なインダストリアル/ノイズをつなぐアルバムといえ、いまをときめく〈パン〉が、2011年にアナログ盤でリイシューしているのも頷けるというもの。まさにヘッカーの最高傑作だ。刀根康尚やデヴィッド・チュードアなど実験音楽や電子音楽の系譜にも繋げて聴いてみよう。


Pan Sonic
Kesto
Blast First (2004)

 キム・カスコーンがグリッチ・ムーヴメントの最重要バンドと認識するパン・ソニック。ファースト・アルバム『ヴァキオ』(1993)が有名だが、ここではあえて本作を紹介したい。彼らの5枚目のオリジナル・アルバムにして、脅威の4枚組。ブルース・ギルバート、灰野敬二、スーサイド、スロッビング・グリッスル、アルバン・ルシエなどに捧げられた楽曲群は、インダストリアルから電子ノイズ、果ては静謐なドローンまで実にさまざまで、さながらパン・ソニック流の電子音楽/ノイズ史といった趣。グリッチ以降の電子音響が行き着いた「宇宙」がここにある。アートワークも素晴らしい。


Stephan Mathieu
The Sad Mac
HEADZ (2004)

 フィールド・レコーディングに弦楽のようなドローンがレイヤーされ、記憶の層が再生成していくような美しい音響作品であり、同時に「作曲家」ステファン・マシューの個性が前面化した最初の作品でもある。弦楽曲のもっとも美しい瞬間を、まるで記憶のスローモーションのように引き伸ばすシネマティックな作風は、電子音楽とエレクトロ・アコーステイックの境界線を静かに融解させていく。アルバム・タイトルは愛用してきたマックのクラッシュを表現しているようで、いわばマシンへのレイクエムか。現在のアンビエント/ドローンの系譜を振り返るときに欠かせない重要なアルバム。


Electronica “New” Essential Discs - ele-king

「こういうひとつの括り方に抵抗を感じる人がいるのはわかっているが、なかば強引にでも括った方が見えやすくなることもある。もともと踊れもしないテクノ(エレクトロニック・ミュージック)を、しかし前向きなニュアンスで言い直したのがエレクトロニカ(ないしはえてして評判の悪いIDM)なるタームである」

「2010年に〈エディションズ・メゴ〉からOPNが『リターナル』を出したときは、この手の音楽がエレクトロニカというタームを使って解釈されることはまずなかったが、しかし、エイフェックス・ツインが華麗な復活を遂げて、かたやEDMが全盛の今日において、エレクトロニカ新世紀と呼びうるシーンが拡大するのはなんら不思議なことではない」
(本特集巻頭言より)

──とすれば、フロアにもベッドルームにも収まらない今日的なエレクトロニカとはどのようなものか。ディスク・レヴューで概観する。

Akkord - HTH035 (Houndstooth 2015)


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 シーンに現れたときにはマスクを被り謎の存在だったアコード。彼らはマンチェスター近郊を拠点に活動をするシンクロとインディゴによるテクノ・ユニットだ。プロジェクトをはじめるにいたってエイフェックス・ツイン、セラ、シャックルトンといった面々を念頭に置き、この作品においてはその影響がジャングルやダーク・アンビエントを通して噴出。そのリズムをアタマで理解しようとすると複雑で脳の中枢が熱くなり、体で捉えようとすると妙なダンスが生まれる。また今作の後半にはフィスやリージスといったプロデューサーたちのリミックスを収録していて、特にハクサン・クロークによる「数多くの証人」と題された曲がトんでいる。前半の楽曲すべてをひとつにリフィックスしてまとめたもので、家でもフロアでも聴けないような音の暴力が10分続き、ド派手なSF映画のようにそれが突如パッと終わる。(髙橋)

Actress - Ghettoville (Werk Discs, Ninja Tune / ビート 2014)


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 思えば、転換期は2010年だった。アクトレスで言えば『Splazsh』の年。その後も『R.I.P』、そして『Ghettoville』へと着実に我が道を進んでいる。UKクラブ・カルチャーから生まれたモダン・エレクトロニカを代表する。(野田)

AFX - Orphaned Deejay Selek 2006-08 (Warp/ビート 2015)


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 エレクトロニカとは、いかに工夫するか。リチャード・D・ジェイムスにとってのそれは機材の選び方にも関わっている。高価なモジュラー・シンセや最先端のデジタル環境を賞揚するわけではない……という話は佐々木渉に譲ろう。『Syro』から続く3作目は、アシッド・サウンドの最新型。(野田)

Albino Sound - Cloud Sports (Pヴァイン 2015)


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 日本においてこのエレクトロニカ・リヴァイヴァルの風を敏感に感じ取ったひとりが、アルビノ・サウンド。詳しくはインタヴューを参照。(野田)

Arca - Mutant (Mute/トラフィック 2015)


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 音楽作品において、これほど強烈なヴィジュアルは、久しぶりである。若く敏感な感性は、なんとも妖しい光沢を発しているこのヴィジュアルに間違いなく手を伸ばすだろう。アルカはそういう意味で、現代のハーメルンの笛吹き男である。(野田)

Four Tet - Morning/Evening (Text/ホステス 2015)


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 好き嫌い抜きにして、フォー・テットの功績は誰もが認めざる得ないだろう。最新作は2曲収録。メトロノーミックなドラミングの上を、エキゾティズムを駆り立てるように、インド人の歌のサンプリングが挿入され、叙情的な展開を見せる1曲目。そして静かにはじまり、多幸的な協奏のなか、心憎いドラミングでエンディングを用意するもう1曲。見事、というほかない。“ストリングス・オブ・ライフ”のカヴァーも素晴らしかったし。(野田)

Holly Herndon - Platform (4AD/ホステス 2015)


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 〈リヴェンジ(RVNG Intl.)〉からの『ムーヴメント』(2012年)がクラブ・シーンにも届いたこともあって、新作は名門〈4AD〉からのリリースになったサンフランシスコ出身のホーリー・ハーンダン。簡単にいえば、ローレル・ヘイローとは対極にいるプロデューサーで、彼女の女性らしい“声”がこの音響空間では重要なファクターとなっている。「R&Bエレクトロニカ」とでも言ったらいいのかな。(野田)
https://www.youtube.com/watch?v=nHujh3yA3BE

Huerco S. - Colonial Patterns (Software / melting bot 2013)


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 ブルックリンの新世代電子音楽マスターが、2013年にOPN主宰〈ソフトウェア〉からリリースしたアルバム。デトロイトの高揚感と、ハウスの優雅さと、ミニマル・ダブの快楽性と、00年代以降のアンビエント/ドローンの浮遊感を、ポスト・インターネット的な情報量と感性で(再)構築。4/4のテクノ・マナーと、雲の上を歩いているようなスモーキーな感覚が堪らない。あの〈オパール・テープス〉などからも作品をリリースしている。(デンシノオト)

Kind Midas Sound, Fennesz - Edition 1 (Ninja Tune / ビート 2015)


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 ザ・バグことケヴィン・マーティン、イラストレイターとしても活躍するキキ・ヒトミ、詩人でありテクノ・アニマルでマーティンと共演したこともあるロジャー・ロビンソンによるスーパー・ダブ・トリオが、電子音楽化クリスチャン・フェネスと組んだ意外作。家(に籠る)系アカデミシャンを、ストリートの知性派ギャングが外へ引きずり出したらどうなるのか? いや、ここでの実験はその逆だろうか。〈ハイパーダブ〉からのリリース作で聴けるスモーキーで力強いダブステップは押しやられ、フェネスの繊細な残響プロダクションがバグのラフさをときに助長し、ときに漂白する。リズムがもう少しあってもいいかなと思う気もするが、両者のバランスを考えれば納得もできる。インテリジェント・ダブ・ミュージック。(髙橋)

Laurel Halo - In Situ (Honest Jon's / Pヴァイン 2015)


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 ローレル・ヘイローが2010年に何をやっていたかと言えば、〈ヒッポス・イン・タンクス〉からチルウェイヴ風の柔らかい作品を出していたのだった。が、ヨーロッパを経験してからは、彼女の音楽は遠近法のきいた音響のダンス・サウンドへと変容した。2013年に〈ハイパーダブ〉から出した12インチ「ビハインド・ザ・グリーン・ドア」に収録された“スロウ(Throw)”なる曲は彼女の最高作のひとつで、ピアノとサブベース、パーカッションなどの音の断片の数々は、宙の隅々でささやかに躍動しながら、有機的に絡み、全体としてのグルーヴを生み出す。テクノへと接近した新作においても、立体的にデザインされた小さな音の断片とサブベースが、独特のうねりを創出している。凡庸のテクノとは違う。女性アーティストに多く見受けられる甘い“声”(ないしは女性性)をいっさい使わない硬派による、素晴らしい作品だ。(野田)

Lee Bannon - Pattern Of Excel (Ninja Tune/ビート)


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 サクラメントのプロデューサー。2012年にアルバム『ファンタスティック・プラスティック』でデビューして以来、ヒップホップに軸足を置きつつもしなやかに音楽性を変容させ、翌年の『オルタネイト/エンディングス』ではジャングルを、そしてこの『パターン・オブ・エクセル』ではアンビエント・ポップを展開。2015年はジョーイ・バッドアスのプロデュースで話題盤『B4.DA.$$』にも参加するなど、時代にしっかりと沿いながらもジャンル性に固執しない無邪気さを発露させている。自らが「ピュア・ベイビー・メイキング・ミュージック」と呼ぶもうひとつのペルソナ、ファースト・パーソン・シューター(FPS)名義ではチルウェイヴに同調。クラムス・カジノやスクリュー、ウィッチ・ハウスとも隣り合いながら、まさにFPS(一人称視点のシューティング・ゲーム)──主観性が先行する世界をドリーム・ポップとして読み替え、2010年前後のリアリティを提示した。(橋元)

Logos - Cold Mission (Keysound Recordings 2013)


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 〈テクトニック〉や〈Keysound〉といったレーベルからリリースを重ねてきた、UKのグライム・プロデューサー、ロゴスのファースト・アルバム。マムダンスとの『プロト』(Tectonic, 2014)ではUKハードコアの歴史を遡りフロアを科学する内容だったのに対して、こちらはリズム・セクションを可能な限り廃して、空間に焦点を当てたウェイトレス・グライムを前面に出し、そこにアンビエントの要素も加えた実験作。グライムの伝統的なサウンドである銃声や叫び声のサンプリングと、尾を引くベース・キックがフロアの文脈から離れ、広大な宇宙空間にブチまけられているかのような様相は恐怖すら覚える。「グライムを脱構築していると評された」本作だが、本人は大学で哲学を学んだ経験から「ロゴス」の名前を採っているとのこと。(髙橋)

Mark Fell - Sentielle Objectif Actualité (Editions Mego 2012)


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 Sndのマーク・フェルも長きにわたってこのシーンを支えているひとり。2010年以降はコンスタントに作品を出している。これもまたミニマルを追求した作品で、NHKコーヘイとも共通するユーモアを特徴としている。(野田)

NHK - Program (LINE 2015)


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 NHKコーヘイは、本当にすごい。〈ミル・プラトー〉〈スカム〉〈ラスターノートン〉と、そのスジではカリスマ的人気のレーベルを渡り歩き、ここ数年は〈PAN〉、そしてパウウェルの〈Diagonal〉からも12インチを切っている。もちろん彼にとっての電子音楽は大学のお勉強ではない。それは感情表でもなければ研究でもない、おそらくは、意味を求める世界への抵抗なのだろう。2015年の新作では、素っ頓狂なミニマルを展開。小さなスクラッチノイズのループからはじまるこの反復の、どこを聴いても物語はない。タイトルは、あらためて言えば、NHK『番組』。(野田)

Oneohtrix Point Never - Returnal (Editions Mego 2010)


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 この1曲目から2曲目の展開を、大音量で聴いていない人は……いないよね? いい、1曲目、そして2曲目だよ。そうしたら、最後まで聴いてしまうだろう。(野田)

Patten - ESTOILE NAIANT (Warp/ビート 2014)


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 OPNが錯視家なら、パテンは詐欺師。「D」とだけしか名乗らないロンドンの“ミステリアスな”プロデューサーによるセカンド・フル。煙に巻くようなタイトルやアートワーク、あるいは言動によって、アブストラクトなダンス・トラックにアートや哲学の陰影をつけてしまうスリリングなマナーの持ち主だ。〈ノー・ペイン・イン・ポップ〉から最初のアルバムを、〈ワープ〉から本作をリリースしたという経歴は、〈エディションズ・メゴ〉と〈メキシカン・サマー〉をまたぐOPNが同〈ワープ〉と契約したインパクトに重なり、当時のインディ・シーンにおける先端的な表現者たちがいかに越境的な環境で呼吸をしていたのかを象徴する。とまれ、Dは人気のリミキサーにして自身もレーベルを主宰するなど才能発掘にも意欲的。彼の詐術とはまさにプロデューサーとしての才覚なのかもしれない。(橋元)


 本当だったら「エレクトロニカの“新”新世紀」特集に載っていたはずの新騎手、各誌讃辞を惜しまない新作とともに来日。後日の公開をお楽しみに。

■Visionist Live presented by Diskotopia & melting bot

2015.11.15 sun at CIRCUS Tokyo
START : 18:00 ADV ¥2,000 | DOOR ¥2,500

〈PAN〉再来襲! 現代グライムの旗手、ロンドンのVisionistがデビュー・アルバム『Safe』を携え来日。FKA Twigsとの帯同ツアー、KENZOやAcne Studiosの音楽も手がけ、ファッションまでも巻き込む気鋭がUKサウンドシステム・カルチャーを拡張する日本初のライブを披露。

Objekt、Afrikan Sciences、Bill Kouligas、Lee Gamble、M.E.S.H.、TCF、そしてRashad Beckerと来日ラッシュの続くベルリンの実験/電子レーベル〈PAN〉から今度はロンドンのVisionistが新譜『Safe』を携え来日。ここ数年でUKを中心に再興する00年代前半にダブステップと共に現れたラップ・カルチャー、ロンドン発祥のグライムを再構築しながら、UKの電子音楽やクラブ・ミュージックに根付くUKサウンドシステム・カルチャーを拡張、最新作『Safe』では脱構築を試み、グライムを彫刻のように掘り込みアブストラクトな音像を浮かび上がらせたアート・ピースはクラブや音楽シーンを飛び出しファッションまでも巻き込み話題を集めている。ブリストルとロンドンを中心に新たなる時代を迎えたUKサウンドシステム・カルチャーの前人未踏の領域へと踏み込むフロンティア、Visionistのライブが東京で実現する。

Main Floor :

Visionist Live [PAN / Codes from London]
ENA [Samurai Horo / 7even]
Yomeiriland (嫁入りランド) Live
食品まつり a.k.a foodman Live [Orange Milk / melting bot]
Prettybwoy
with MC Pakin [Dark Elements / GUM]
A Taut Line [Diskotopia]
BD1982 [Diskotopia]

VJ : Shun Ishizuka

First Floor :

VOID : Azel / Gyto / Shortie / Tum
Mr. James [Expansions, London]
asyl cahier [LSI Dream]
JR Chaparro

ADV Ticket Outlet :

Peatix / PIA (P-CODE 280477)

主催 / 会場 : CIRCUS
制作 / PR : Diskotopia | melting bot
協力 : Inpartmaint

more info : https://meltingbot.net/event/visionist-live-presented-by-diskotopia-meltingbot

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■Icy Tears Vol.3 featuring VISIONIST
Presented by Joyrich

2015.11.13 fri at Club Arc
START : 22:00 Door ¥3,000 w/1 Drink

DJ:

VISIONIST
WILL SWEENEY (ALAKAZAM)
KIRI (PHIRE WIRE)
1-DRINK
HIROSHI IGUCHI
AVERY ALAN (PROM)
KOKO MIYAGI


Mode Of Electoronic-a - ele-king


Laurel Halo / In Situ

Tower HMV Amazon

 テクノがエクスペリメンタルなモードをまとうようになった時代……。それが2010年代初頭のエレクトロニクス・ミュージックの潮流であったと、ひとまずは総括できるだろう。
 グリッチやクリック、ドローンなど00年代のエレクトロニカにおけるサウンドの実験が、ミニマル・ダブ以降のテクノの領域に流れてこんでいったことは、デムダイク・ステアやアンディ・ストットなどを擁する〈モダン・ラヴ〉、ビル・クーリガス率いる実験音楽レーベル〈パン〉、ルーシー主宰の〈ストロボスコピック・アーティファクツ〉の諸作品を思い出してみれば即座にわかる。

 その結果、(アートワークも含め)、ノンアカデミックなエレクトロニクス・ミュージックは、よりアートの領域にシフトし、コンテクストとコンセプトと物語性が強くなった。エクスペリメンタルという言葉が頻繁に用いられるようにもなる。ビートは分断され、サウンドは複雑化した。


Laurel Halo / Quarantine
Hyperdub/ビート(2012)

 ローレル・ヘイローは、待望の新作がリリースされるワンオートリックス・ポイント・ネヴァーやアルカ(新作『ミュータント』は前作を超える傑作!)などとともに、そのような時代を代表するアーティストといえよう。同時に孤高の存在でもあった。会田誠の作品を用いたファースト・アルバム『クアランティン』(2012)のアートワークなどを見ても分かるように、繊細・緻密な2010年代前半にあって、ほかにはない独自の感性であった。とはいえ、楽曲自体はどこか瀟洒で、それこそ「テン年代的」なエクスペリメンタル・アンビエントな質感を持っていた点も新しかった。

 しかし、彼女の楽曲にはある種の「つかみどころのなさ」があったことも事実。声を存分に使ったトラックもあるが、ホーリー・ハーダン(新作『プラットフォーム』は90年代以降の音響学=ポップの領域越境のお手本のごときアルバム!)のキャッチーさとはまた違う「地味」なテイストがあったのだ。

 いまにして思えば、その「つかみどころのなさ」こそ、テクノをルーツとする彼女のストイックさの表れだったのではないかと思う。テクノとアンビエントという領域のあいだでローレル・ヘイローの音は鳴っていた。実際、『アンテナ EP』(2011)や『アワー・ロジック』(2013)などを聴けば、彼女のストイックなテクノ感覚やアンビエント感覚をより理解できる。ある意味、『クアランティン』と『チャンス・オブ・レイン』は、やや異質な作品だったのではないかとも。この『イン・サイチュ』において、彼女は自分のルーツ=テクノへと素直に回帰している(『アワー・ロジック』的?)。1曲め“シチュエーション”の洗練されたビートメイクには誰しも驚くはず。この変化は彼女がベルリンというテクノの地に移住したことが大きいのかもしれないし、〈オネスト・ジョンズ〉からのリリースということもあるだろう。
 ここから私はインダストリアル/テクノ、ジューク / フットワーク、グライム、近年のアンビエント・シーンとの関連性や交錯性もつい考えてしまう。


Jlin / Dark Energy
melting bot/Planet Mu(2015)

 そこでまずジェイリン『ダーク・エナジー』(2014)をとり上げてみたい。類似性は3ビートメイキングではなく、独自の硬質感とファッションショーなどでも用いられるモードな雰囲気にある(とくに『イン・サイチュ』のM2)。

 モード感覚は近年のエレクトロニック・ミュージックを考えていく上で重要な要素で、〈パン〉からリリースされたヴィジョニスト『セーフ』も同様だ。グライム文脈でありつつも、エレガンスでエクスペな音楽性は、アートワークにしても未来的。彫刻のような硬質なサウンドと鉱物的なビートがたまらない。そしてテクノ・フィールドからはドイツのヘレナ・ハフ『ディスクリート・ デザイアーズ』も併せて聴きたい。彼女のトラックはアシッドなビートが強調されているが、インダストリアルなダークさもある。


Powell / Insomniac /
Should Have Been A Drummer
XL(2015)

 また、スティーヴ・アルビニにサンプリング許諾申請をして怒られ、結局、承認してくれたパウエル『インソムニアック/シュドゥヴ・ビーン・ア・ドラマー』もインダス以降の現代音響テクノの最先端として聴いておきたい。ここからエンプティセットの新作EP『シグナル』における過激で優雅な実験的なサウンドに繋げていくことも可能であろう。

 個人的には〈ストロボスコピック・アーティファクツ〉からリリースされたシェヴェル『ブラーズ』と、〈オパール・テープス〉から発表されたインダストリアル・テクノとフリー・インプロヴィゼーションとアンビエントの交配を図るマイケル・ヴァレラ『ディスタンス』こそ、『イン・サイチュ』の横に置いておきたいアルバムだ。『ブラーズ』は最先端のインダストリアル・テクノで、そのストイックな感覚は『イン・サイチュ』とスムーズに繋がっていく。『ディスタンス』は、ジャンルと形式を越境していくストレンジな感覚の中に、ローレル・ヘイローの個性に近いものを感じる。

Chevel『Blurse』

Michael Vallera『Distance』

 『イン・サイチュ』にはアンビエントなテクスチャーとジャズ的な和声感が見られる曲もある(M7とM8などにととまらず、ビート入りのトラックでもシルキーな上モノなどに彼女のアンビエント感覚を聴き取ることができる)。
 そこでカラーリス・カヴァデール(Kara-Lis Coverdale)を聴いてみたい。彼女はクラシカルな感性と素養を持ったアンビエント・アーティストだが、讃美歌や宗教歌のようなエッセンスを感じる音楽家である。声を使ったり、ミニマルなフレーズによって曲を構築したりするなど、古楽のような音楽性と浮遊感のあるサウンドのテクスチャーが素晴らしい。LXVによるグリッチ・ノイズと、カヴァデールによる乾いた音と、弦のようなアンビエンスと加工されたヴォイスなどが交錯するコラボレーション作『サイレーン』も素晴らしいが、何はともあれ神話的なアンビエント『アフタータッチズ』をお勧めしたい。

Kara-Lis Coverdale『Aftertouches』
Kara-Lis Coverdale - "TOUCH ME & DIE" from Sacred Phrases on Vimeo.


Dasha Rush / Sleepstep
Raster-Noton(2015)

 また〈ラスター・ノートン〉からリリースされたダーシャ・ラッシュ『スリープステップ』もアンビエントとテクノを20世紀初頭のモダニズムで越境するような優美なアルバムである。ジャズ/フュージョン的なコード感と今日的な電子音楽のという意味では、CFCF『ザ・カラーズ・オブ・ライフ』をピックアップしたい。架空のドキュメンタリー映画のサントラといった趣のアルバムだが、ピザールな感覚もありヘイローの諸作品と並べても違和感はない。

 エクスペリメンタルかつ音響なテクノと幽玄なアンビエント/アンビエンス。そしてジャズ/フュージョン風味。ストイックでありながらローレル・ヘイローらしさもある。そのうえ2015年的な音楽的文脈すらも聴き取ることができる。今年も素晴らしい話題作・傑作が目白押しだが、『イン・サイチュ』も独自の存在感=鉱石のような光(まるでアートワークのごとき!)を放っているように思えてならない。

Note:
Jlin『Dark Energy』
Visionist『Safe』
Helena Hauff『Discreet Desires』
Powell『Insomniac/Should'Ve Been A Drummer』
Emptyset『Signal』
Chevel『Blurse』
Michael Vallera『Distance』
Kara-Lis Coverdale『Aftertouches』
Kara-Lis Coverdale/LXV『Sirens』
Dasha Rush『Sleepstep』
CFCF『The Colours of Life』


アルカ、音楽のオーヴァー・スペック - ele-king


アルカ / ミュータント

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 アルカの新譜『ミュータント』は、彼のミックス音源の密度がアルバム一枚にわたって展開する驚異的な作品である。今年頭に突如リリースされたミックス音源『Seep』(16分56秒)の強度が持続する1時間06秒のアルバムとでもいうべきか(ちなみに日本盤にはボーナス・トラックが収録されている)。
 これは決定的な変化でもある。何故なら2013年リリースの前作『ゼン』は、彼の作曲家としての個性が全面に出ており、ファースト・アルバムにふさわしい名刺のような秀作であった。対して本作は現代を生きる音楽家としての思考・呼吸・無意識が四方八方に炸裂するような極めてアクチュアルなアルバムに仕上がっている。先行公開された“ソーイチロー”などを聴くと前作のテイストに近いと思われてしまうが、これは一種のトラップだろう。じっさいアルバムは1曲め“アライヴ”から世界をズタズタに分断するかのような強烈な音響が展開されるからだ。まさに知覚がクラッシュしそうなほどのサウンドの情報量と快楽。私は、この「クラッシュ」感覚にこそアルカの現在性を聴き取ってしまう。

 情報/感情、事実/主観、言葉/映像、ムービー/サウンドなどが渾然一体となり、蒸発しそうなほどに飽和している現代、いわば「ポスト・インターネットな空間」から、われわれ「人間」の感覚に注入されるデータという「モノ」たち。すでに人間の知覚は、インターネット的な「モノ」の官能性と刺激に晒され、オーバースペックにある。その先に待っているのは「クラッシュ」か。本作『ミュータント』には、そのような「クラッシュ」感覚が濃厚に圧縮されているように思えるのだ。

 また、アルカやOPNの新作におけるアートワークやヴィジュアルは過剰なまでにグロテスクなものも多く、衝撃的な映像もある。が、しかし、真の問題はそこではない。先に書いたように私たち「人間」は、過剰な情報と官能の摂取で、いまや「クラッシュ」寸前であり、彼(ら)の音と映像は、その無意識と摂取の状況を的確に反映しているのである。アルカとヴィジュアルを担当するジェシー・カンダはいまをよく分かっている。そう。「クラッシュ=人間の終わり」の時代を。

 だが、アルカの「クラッシュ」感覚が、単に露悪的なものに留まっていない点も重要である。彼の音楽の本質は、ラヴェルやドビュッシーなどフランス印象派の和声感覚を想起させる優雅なものだ。そこにアルカの作曲家としての本質もあるとは思うのだが、同時に、ヒップホップやインターネットのミックス音源からも強い影響を受けている彼は、その「優雅さ」を内側から炸裂・破壊させるようにトラックをコンポジションしていくのである。そう、彼は自分自身をクラッシュさせるように音楽を生み出している。そこから必然的に生まれるノイズもまた音楽のエレメントであり、決して反社会的な象徴としてノイズを用いるわけではない。構築・破壊・再生成のコンポジション。

 その意味でアルカほど21世紀における人間の終わり(崩壊)を体現している音楽家もいないだろう。アルバム・ラストにして静謐な楽曲“ペオニーズ”が、まるで旧人類を葬送するレクイエムのようにも聴こえてしまうほどだ……。エレガント/クラッシュなポスト・インターネットにおける存在論的音楽。それがアルカの『ミュータント』だ。ここには新しい音楽が蠢いている。


DIE KRUPPS Live in Tokyo 2015 - ele-king

 ディー・クルップスがやって来る! この年の瀬にやって来る! ついに初来日公演とあいなった! 今回ディー・クルップスは、とあるシンポジウムに参加するために来日することになり、その日程に合わせて急きょライヴがブッキングされたのだ。

 首謀者、ユールゲン・エングラーが中心となり、ディー・クルップスは1980年にデュッセルドルフで結成された。オーソドックスなバンド編成にメタル・パーカッション、電動工具やミニマル・エレクトロまでもが融合したサウンドは、時に社会や政治に対し挑戦的な姿勢をとる。同時代のアインシュトゥルツェンデ・ノイバウテンなどに比べると、はるかにアッパーでストレートだ。彼らの代表曲『Whare Arbeit-Wharer Lohn』(真の労働・真の報酬)は、ドイツのニューウェイヴの<アンセム>ともいえる存在だ。その後はEBM(エレクトリック・ボディ・ミュージック)シーンの立役者として注目され、ニッツァー・エブのようなフォロアーたちを生み出した。いわば、1980年代ドイツ音楽シーンの代名詞的存在なのだ。現在ではアグレッシヴなギターをフィーチャーした「インダストリアル・メタル・マシーン・ミュージック」と呼ばれる独自のスタイルを確立し、数千人単位のフェスティヴァルにも出演するほどの、名実ともにドイツ屈指のバンドへと成長した。

 「とにかく日本のファンの前で演奏したい」と言う彼らの情熱は計り知れない。今回は初来日にして、ライヴ公演はわずか1回のみという貴重な機会となった。デビュー当時から使用されている「シュターロフォン」(自作メタル・パーカッション、重量は60kg以上!)を引っ提げて、ディー・クルップスが東京を強襲する! この機会に、彼らの体の筋肉は、どれをとっても機械なのか、その目で確かめていただきたい。
(小柳カヲル)

Line Up:
Jurgen Engler (Vocals)
Ralf Dorper (Synthesizer)
Marcel Zurcher (Guitar)
Volker Borchert (Drums)
Nils Finkeisen (Guitar)


【DIE KRUPPS Live in Tokyo 2015】
2015年12月8日 (火)
東高円寺 U.F.O.Club https://www.ufoclub.jp/
開場 19:00 / 開演 20:00
前売:¥3,500(+D) / 当日:¥4,000(+D)
(主催:Suezan Studio / U.F.O.Club)

講演の詳細やチケット予約方法は特設サイトをご覧ください。
https://suezan.com/krupps/


interview with Oneohtrix Point Never - ele-king


Oneohtrix Point Never
GARDEN OF DELETE

Warp/ビート

ElectronicaGrotesque Pop

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 今度はB級趣味に振り切れた……と思った。ソフィア・コッポラ監督『ブリング・リング』にサウンドトラックを提供したことやナイン・インチ・ネイル ズとのツアーがダニエル・ロパティンのスノビズムに火をつけまくり、これまで彼の作品を覆っていたアカデミズムから彼を引き剥がしたのかと。俗っ ぽさというものは誰にでもあるし、それを隠す人もいれば隠さない人もいる。彼にもそのような二面性があり、『ガーデン・オブ・ディリート』ではいままでとは違う側面を曝け出したのだと。
 話を聞いてみると、しかし、必ずしもそういうことではなかった。アルバムのテーマを「不安とグロテスク」にしたことはそうだし、ナイン・インチ・ネイルズとのツアーが様々な面に多大な影響を及ぼしたことはたしかで、音楽面での影響から音楽産業のあり方にも、その認識は波及していた。彼自身、まだ自分の内面に何が起きたのか、そのすべてを語ることはできていないと思わせるほど混乱があり、高揚に満ちていた。新作をつくることでトレント・レズナーから受けた影響がさらに増幅したということも考えられる。本人に「パーカッシヴな作品が増え、かつてなくダイナミックな印象を与えるし、ナイン・インチ・ネイルズのエレクトロニック・ヴァージョンに聴こえる」と伝えると、ロパティンも「そうだと思う」と、まったく否定する様子はなかった。変名でガバのDJもはじめたみたいだし、彼の衝動はおそらく、いまだに拡大し続けているのだろう。
しかし、ロパティンはB級趣味では なく、ナイン・インチ・ネイルズから受けた影響が彼を自らの思春期へ舞い戻らせるきっかけとなったらしいのである。それは曖昧な記憶でしかなく、非常に抽象的な観念の昇華ともいえ、フロイトの抑圧ではないけれど、どこかトラウマを炙り出すような作業だったのかもしれない。そう、彼の口からはメタリカにラッシュ、あるいは、サウンド・ガーデンにデフ・レパードの名前まで飛び出してきた。

僕には世界に対する考え方というのがあって、それはなんというか……「物質性に対するアイディア」というかな。世界というのはすべて物質性によって繫がり合っているものだ、と。したがって、僕にとってはあらゆるものはマテリアル/物質ということになるし、何もかもが物体になる。要するに、僕からすれば何もかもが利用可能なもの、柔軟に形を変えるプラスチックだ、みたいな。

イントロを聴いてなんとなく思い出しましたが、NBCは『ハンニバル』の打ち切りを発表しました。

ダニエル・ロパティン(以下、DL):へえ……なんとなく知ってるよ……実際に観たことはないけど。

で、最近あのショウはキャンセルされたんです。

DL:(苦笑)ああ、そうなんだ?

毎回、ブライアン・ライツェルのクレジットを見るたびにあなたのことを思い出すのですが──

DL:ああ〜! あのドラマ、『ハンニバル』のことね! うんうん。

だから、クレジットの彼の名前を見るとあなたを思い出す、と。

DL:そうなんだ、それは面白いや(笑)。

で、『ブリング・リング組曲』を内省的な曲調にしたのはどっちのアイディアだったのですか?

DL:うーん、とにかく映画そのものに対する僕たちの自然な反応があれだった、ってだけのことなんだけどね。というのも、僕たちには……実はあんまり時間がなかったんだよ。そうは言っても、電話を通じて音楽のコンセプチュアルな面についてはふたりでさんざん話し合っていて──僕はニューヨークにいて、一方で彼はロサンジェルスにいたからね。で、ある時点まで来て、「オーケイ、とにかく何日か一緒にやってみて、それでどうなってみるか見てみよう」ということになった。だからコラボの当初の段階では、僕たちふたりで作ったものなら何だってアリだ、それが即、映画にマッチしたものになるだろう、みたいな見込みはまったくなかったわけ。それよりもあれは、どういう方向に向かいたいか自分にはわかっていて、でも、まずはブライアンと実際に、初めて彼に会ってみることにして、そこでまた色々と話し合うことになった──みたいなもので。で、僕たちはどちらも一緒にコラボレーションすることに興味があったし、あの当時、彼は『ブリング・リング』のサントラをまとめる作業に取り組んでいてね。
 というわけで、とにかく彼のスタジオに入り、そこで彼の方でいくつかの主題をプレゼンしてくれて、僕に向かって『はい、この音楽に反応してみて!』と。で……彼が最初に聴かせてくれたもののひとつは、実はセックス場面で流れるテーマ曲だったんだ。そこで、僕はものすごく……圧倒されちゃったというのかな。だから、セックスの場面で流れるスコアを作るのがどれだけ難しいことなのか、その点に気づいて気圧されてしまったという。

(笑)。

OPN :(笑)いや、だって、セックス場面の音楽なんて考えたこともなかったからさぁ! というわけで、僕はあのスタジオで呆然としたまましばしじっとしていて、彼に向かって――だから、「……えーと、ブライアン、こういう音楽をやる時に何か参考になることとか、アドバイスはもらえるかい?」と訊いてみたわけ。で、彼の答えは「何言ってんの〜、ノーでしょ」で。

ハハハハハッ!

DL:(笑)(ボソボソと低い声でゆっくりつぶやく:おそらくブライアンの口調を真似ていると思われます)。「とにかくまあ〜、やってみなよ……」みたいな。でもまあ、うん、僕にとってはあれが良かったんだと思う。彼は僕を信頼してくれたってことだし、同時に彼はただ主題を聴かせてみて、そこでの僕の反応を待つって具合に、僕にチャレンジを仕掛けていたわけだから。あれは僕にとってはとてもハッピーな瞬間だったな。で、そのおかげでそこから先はお互いにリラックスでき、気持ちよく一緒に作業しはじめるようになったという。うん、あれは良い経験だったよ。

アメリカではブリング・リング窃盗団をボニー&クライドのように持ち上げ、実際、そのような風潮にのってTVドラマまでつくられたことにソフィア・コッポラは違和感を表明したと受け取れました。

DL:ああ。

あなた自身はあの映画をどのように受け止めましたか。

DL:あの映画は大好きだね! とても好きだし、大事にしたい作品だと思ってる。ってのも、僕が思うにあの映画ってのは……自分に思い出せる限りって意味だけど、あの映画は……僕の世代のすぐ後に続いた世代、そういう連中を描き出した、おそらく最初の作品のひとつなんじゃないか、と。まあ、僕はいま33歳だし、彼らが実際に何歳なのかは知らないよ。ただ、確実に僕よりは若い子たちだろうね。それでも、僕自身とはそんなに年齢差のないキッズだと思う。だけど……とにかくあの作品は実際、僕にとっては初めての経験だったんじゃないか? と。
 だから……インターネットというものがどんな風に、若い人たちを非常に……非常におっかない意味で変容させてしまう存在なのか、それを映画というメディアで観たのはあれが最初だった、と。要するに、ああいう子たちは実に安直に……(苦笑)ネットを通じてセレブたちの情報をあれこれ探ってみて、それらのいろんな情報を照合したところで、「彼女は今週末、ラス・ヴェガスでのDJ出演が決まってる。だから家にいないはず」って結論に至るわけだよ。

(笑)だったらじゃあ、空き巣に入ってやれ、と。

DL:そう、ほんとそう! 「無人の家だから押し入っちゃえ!」みたいな。だから、僕からしてみれば、あの作品はとても重要な映画なんだ。というのも、僕の母親にあの映画の感想を訊いたところ、彼女が言っていたのは「途方もないことだわね」ってことで。だから、この……「情報の高速道路」みたいなものが登場する以前の時代だったら、こんな事件は絶対に起こりえなかっただろう、と。かつ、彼ら(窃盗団)は実に自由気ままで、なんというのか……犯罪につきもののあらゆるリスクに対する意識もすっかり欠如していて、彼らにとってはほとんどもう、すべてが「ハリウッド産映画の中の幻想」に過ぎないというか、自分の好きなときに浸ってみて、飽きたら勝手に抜け出せばいい、そういうものだったって感覚のある映画で。だからとても説得力のある、正直な映画だと僕は思うし、彼女(ソフィア・コッポラ)は一歩引いたスタンスから彼らを描いているよね……
 まあ、そうは言いつつ、さっき君が言ったように、たとえ現実のブリング・リング窃盗団の理想化/美化といったメディアによる操作についての意見を述べた映画であっても、その映画を観ている人間をまた、作り手の考えに沿ってマニピュレートするのは楽なことなんだけどさ(苦笑)。でも、是か非かの判断を下すのではなく、彼女が両方入り交じったアンビヴァレントさを残したところは好きだね。だから、とにかく彼女は「こういう事件がありました」、と作品を世に送り出してみて……

あとは観る側次第、彼らの解釈や判断に任せた、と。

DL:そういうこと。

また、ヴァンサン・カッセルが主演の新作映画『Partisan』もあなたが音楽を担当したそうですが、それにはどのようなサウンドトラックをつけたのでしょう?

DL:あのサントラはこう、非常に……そうだね、いつもと同じことだけど、とてもシンセに重点を置いた内容で。僕の創作モードはまあ、大概そういうものだしね。ただし、あの映画で僕が用いた音楽的な参照ポイントというのは…これはまあ、監督(Ariel Kleiman)と僕とがとても似た生い立ちの持ち主だからってところから来ているんだけどね。どっちもロシアからの移民の血筋なんだよ。

ああ、そうなんですか。

DL:というわけで、僕たちはなんというか……お互いのルーツにあるような作品について多く話し合ったんだ。たとえばタルコフスキー映画やタルコフスキー作品のスコアをいくつか担当した(エドゥアルド・)アルテミエフの音楽といったもので、あれはある種、あのサントラの出発点になったね。それから……それとはまた別のファクターとして、彼(アリエル・クレイマン)に早いうちにこう言われたんだよ、「これは空想的なファンタジー映画だから、背景でおとなしく鳴っているだけのサントラだとか、控えめな音にする必要は一切ないから」と。要するに、「とにかく、どんなやり方を使ってくれても構わない。ただ、君にできる限り最高にエモーショナルな音楽をつくり出してほしい」って注文されたわけ。それって、映画向けのスコアという意味ではとくに、とてもユニークなリクエストでね。ってのも、いまどきの映画で多いのはむしろその逆、ほとんどもう「観客がそれと意識しないような、さりげない音楽を」みたいなものを求められるわけで。だから……アリエルはその正反対を求めていたっていう。彼はとにかく、僕に1970年代調に大げさなスコアを書いてもらいたかったんだよ。

(苦笑)。

DL:だから、それが僕にとってのあのサントラに対する意見になるかな。

わかりました、映画/音楽ともども、楽しみにしています。

DL:ありがとう!

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そういう曲ってのはいったい何なんだろう? と。たとえそんな曲であっても、聴けばどこかしら心が動かされるだろうか? ……それこそ今から300年後くらいの世界で、楽器や音源を再生する手段が一切ないような状況であっても、やっぱり誰かに対して鼻歌でハミングしてあげたくなる、そういう曲だろうか? と。

ちなみに『ブリング・リング』や森本晃司『Magnetic Rose』のプレミア・ショーにヴィトルト・ルトスワフスキのエレクトロニックな解釈と、あなたの活動範囲は広すぎて脈絡がどこにあるのかまったくわかりません。

DL:ヘッヘッヘッヘッヘッ(ひとしきり笑っている)! あー、そうなんだろうねえ……

で、あなた自身にはいつでも戻れるポイントのようなものはあるのでしょうか。

DL:うん。で、ある意味そういうポイントがあるからこそ、自分はああやって、一見不釣り合いで多種多様なプロジェクトに関与することができるんじゃないか? と。っていうのも……僕からすれば、自分の中にはある種の「形式主義」というか、テクニックに対するフォルムが存在するんだよ。だから、まず素材になるのが何かを眺めてみるわけ。自分が取り組むことになった、あるいは自分に提供された素材というのは──それは、他の誰かが書いた音楽作品ってケースもあれば、あるいはまた、ある種のシナリオを渡される、というか……たとえば共演相手のパートナーが何らかの「声」を求めている、ヴィデオ・スカルプチャーやヴィデオ・アートに取り組むってこともある。だから、僕はいくらでもいろんなインプットを受け付けられるわけだけど、実際のところ……概して言えば、そのアウトプット、結果というのは概して似通ったものでね。
 というのも、僕には世界に対する考え方というのがあって、それはなんというか……この、「物質性に対するアイディア」というかな。だから、世界というのはすべて物質性によって繫がり合っているものだ、と。したがって、僕にとってはあらゆるものはマテリアル/物質ということになるし、何もかもが物体になる。要するに、僕からすれば何もかもが利用可能なもの、柔軟に形を変えるプラスチックだ、みたいな。
 だから自分にもっとも興味があるのは、じゃあ、この物体/オブジェはどれだけ興味深いものなのか? この物体、あるいはマテリアルの持つ個性の、その何が僕をエキサイトさせるんだろう?という点なわけ。その対象に触れることによって、僕の中に何らかの感情的な反応がもたらされる、自分に何かを感じさせてくれる、そういうものかどうか、だね。
 で、いったんそういった物体群にインデックスをつけて整理してみると、自分でもほんと、「ああ、なるほど。こういうことが起きてるんだな」と納得できる。そうすることで僕は、かなり自然に仕事に取り組むことができるようになるんだよ。だから、様々なプロジェクトに対する僕のアプローチの仕方というのは、実は概して似通っている傾向があるっていう。それはとにかくこう、もっとも感情面でばっちり充填された、そういうマテリアルを見つけ出そうとすること、みたいな。そうして、とにかく自分がそれに対してどう反応するか、そこを見てみるっていう。

ここのところあなたは新作をリリースする度にきちんとコンセプトを練り、方法論も刷新していますが、今回のコンセプトは「ポップ・ミュージックのグロテスクで不安な側面」という理解でよろしいでしょうか?

DL:うん、その通りだね。

また、前作ではサンプリングから離れたと話していましたが、新しいコンセプトを実現するための制作方法がどんなものだったかも教えて下さい。

DL:ああ。それは……ごく単純なテクニックだったんだけど、それはなんというか、その作品ピースがどんな風に聞こえるかという点はあまり気にせずに、とにかく「歌を書く」という点に注意するってことだった。そこは、違ったよ。だから多くの場合……僕はただこう、キーボードの前に座って曲作りに取り組みながら、自分自身に対して「もしも余計な飾りや付属物をここからすべて取り去ったら、いじったり遊ぶ余地は一切残らないだろうか?」と問いかけていた、みたいな。だから、あれらの楽曲を飾り立てて遊んでみることはできないし、曲に何らかのスタイルを与えたり、何であれ手を加えることすらできない、と。では、そういう曲ってのはいったい何なんだろう? と。たとえそんな曲であっても、聴けばどこかしら心が動かされるだろうか? ……それこそ今から300年後くらいの世界で、楽器や音源を再生する手段が一切ないような状況であっても、やっぱり誰かに対して鼻歌でハミングしてあげたくなる、そういう曲だろうか? と。
 そうだね、僕が求めていたのはそういうことだった。本当に、これらの楽曲そのものを充分力強いものにしたかったし、それ以外の部分はそれこそもう、「建築物」に過ぎない、みたいな。その点は今回、自分にとって重要だったし、だからそこにはかなりフォーカスして気を配った。そうは言っても、まず曲群を書いてみた上で、そういう方向に向かったんだけどね。思うに、以前の自分というのは、もうちょっと……自分自身のソングライティング、そして自分が発するメッセージというものに対して臆病だったんじゃないかな。だから、そっちの面は少しばかり曖昧に留めておいて、むしろ建築物を組み立てる方に集中していたっていう。
 ……というわけで、それが今回の制作テクニックだったと言えるけれど、他の点、より実際的な音楽作りの手法という意味では……なんというか、もっとテクニカルな面から言えば、今回やったことに……ヴォーカルの合成があったね。前のアルバムをやっていた頃から考え始めていたテクニックだったんだけど、あの時点ではシンセーシスの技術としてまだちゃんと広げられていなくて。だから、うん……実際、あれはボーカロイドから影響を受けているし、あれがきっかけで僕も、なんというか、シンセで合成された人工の音色を使って、とてもヒューマンな何かを表現することができるじゃないか、そう考えさせられるようになったという。どこにでも遍在するサウンドをいかにマニピュレートしていくか──コンピュータのつくり出す個性のないヴォイスをひねって、それをエモーショナルな何かへ変化させていくってことを考えたね。

機械が感情を表そうとするのは、エモーショナルであると同時に、とても奇妙、かつ不思議に聞こえもしますよね?

DL:うんうん、でもほんと、そこなんだよ! だから、いったんそうやっていろいろとひねり始めていくと……僕からしてみれば、自分のやっていることというは単に、ビルボード・トップ40に入っているような音楽、それらをどぎつく誇張したものに過ぎないっていう。

(笑)はあ。

DL:もちろん、彼らだって彼らなりにひねりを加えてはいるんだけど、そのやり方ってのは非常に巧妙で……だから、聴く側が軽く酔っぱらったような、ちょっとイカれた状態になるまで、実はあれらがどれだけ奇妙な音楽なのかを感知できないっていう。だけど僕からすると、僕は音楽に対する感覚がとても鋭いから、たとえばVEVOなんかを眺めていると……日本で言えばそれが何に当たるかはわからないけども、まあとにかく、トップ40に入るヒット曲みたいなものを眺めてみる。で、僕からすればああいう楽曲こそグロテスクに聞こえるんだよね。それこそもう、あらゆる類いのひねりを加えられた人工合成のヴォイスが、他の音楽の模倣/パスティーシュにくっつけられている、みたいな。で、それらはつくり手が狙った通りのフィーリングをずばりそのまま、聴き手に毎回感じさせるべくつくられているっていうさ(苦笑)。

ははははは…!

DL:(笑)僕は本当に、その部分を誇張したくて仕方なかったんだよ。そういう風にして、とにかく……ポップ・ミュージックをヒエロニムス・ボッシュの絵(※ボッシュの有名な絵画に「Garden Of Earthly Delight」がある)か何かみたく見せたかった、と。

メッセージは、ポップ・ミュージックにおいて非常に重要な存在なんだよ。で、自分が音楽をつくるときというのは、得てしてこれまではこう……メッセージについてはちょっと曖昧なまま、回避していたっていうか。だから今回は──これは初めてに近かったけど、自問せざるを得なかったんだよ、「これっていったい何のことだ? 自分がここで言わんとしているのは何なんだ?」と。

なるほどね。で、あなたの考えるポップ・ミュージックとは、たとえば、どんなものでしょう?

DL:思うに……エモーショナルなところと抽象的なマニピュレーションとの間のバランスが完璧なもの、そういうものじゃないかな。それはだから、「心を惑わす究極のフォルム」みたいなものであって……僕にとっての音楽パートというのは、その聴き手がミュージシャンじゃない限り、彼らにとってミステリーであり謎である、そういうものだ、と。だから、音楽がどんな風に機能するものかを聴き手は知らないし、彼らはとにかく、(音楽を聴いて)感情面で揺さぶられるけれども、どうして自分がそう感じるのかはわからない、と。
 その一方で、メッセージというのがあって……メッセージは、ポップ・ミュージックにおいて非常に重要な存在なんだよ。で、自分が音楽をつくるときというのは、得てしてこれまではこう……メッセージについてはちょっと曖昧なまま、回避していたっていうか。だから今回は──これは初めてに近かったけど、自問せざるを得なかったんだよ、「これっていったい何のことだ? 自分がここで言わんとしているのは何なんだ?」と。で、そこから歌詞を始めとする色んなものが浮上してきたわけだし……そう、僕からすれば本当に、バランスってことなんだ。ポップ・ミュージックが最上の形をとると、そこには素晴らしいバランス、アンセム調のメッセージと心を惑わせ引き込むような抽象的なフォルム、その両者の間の素晴らしいバランスが生まれるっていう。

なるほど。“STICKY DRAMA”はR&Bとスラッシュ・メタルのマッシュ・アップのようにも聴こえましたが、あれはあなたがいまおっしゃった形容にマッチする曲かもしれませんね。R&Bの魅力と、ノイズが混じり合っていて。

DL:うんうん、その通りだね(笑)!

“MUTANT STANDARD”はインダストリアル・プログレッシヴ・ロックとでも言うべきもので――

DL:わあ、そう言ってもらえるのはクールだな。

また、バロック調の“FREAKY EYES”にはエイフェックス・ツインがシンフォニック・テクノをやっているような折衷感覚があります。

DL:アハハハハハッ!

『Betrayed In The Octagon』や『Zones Without People』にも “LIFT”を思わせるクラシカルな曲調はあったと思うのですが……

DL:へえ〜、なるほど?

で、この辺りはやはり母親の影響があるんですか? 

DL:……ああ、たぶんね、うん。っていうのも、彼女は……彼女には聴き取れるようなサムシング、そういうのがあるんだよ。たとえば……僕のつくった音楽を聴いていて、「お前、シューマンのことは知ってる? シューマンの作品は聴いたことがあるの?」なんて言ってくるんだよなぁ。

(笑)。

DL:で、こっちとしては、「あー……うん。たぶん、YouTubeか何かを観ているうちに行き当たったことはあったの……かも?」みたいな(苦笑)。「母さん、頼むよ〜。そんなのよくわかんないし!」ってもんでさ。ところが彼女の方はマジで、「そうは言うけども、お前のやってることの中には同じこと、シューマンの音楽の中で起きていたのと同じことがあるのよねぇ」とかなんとか、いろいろ言われるわけだ。

はははははっ!

DL:でも、明らかにそこには繫がりがないわけで……というのも、正直、僕は彼女にとってあんまり良い生徒じゃなかったし、母さんにもずっとそう言われてきたしね。ただ、それでも僕が彼女から学んだことというのは……基本的な音楽理論やある種のモードに基づく、彼女の持つ和声への感性というかな。それもあったけど、と同時になんというか、うちの家族の間で重用されている価値観みたいなものも受け取ったんだろうね。
 ってのも、僕の父親もミュージシャンだったわけで、だから僕の家族の中にはとてもはっきりした、「我々はどんな音楽が好みか」みたいなスタイルが存在していたっていう。で、うちの家族が好むのはいつだって、気が滅入るような音楽で……

(爆笑)。

DL:だから、とにかく「とんでもなく美しい音楽じゃないと受け付けない」みたいな。それがなんであれ、色いろんな意味で極端なものじゃなくちゃいけないっていう。たとえばほら、ショパンの曲だとか……とにかくこう、エクストリームな音楽ね。なんというか、中庸な音楽が入り込む余地は一切なし! みたいな。

(笑)なるほど。

DL:というわけで彼女は、常に非常に極端なものを好んできた、と。で、自分はそこをちょっとばかり受け継いだんじゃないかと思ってる。ただ、実際に“LIFT”を書いていた間は、あの曲にそういう面があるなんて、まったく頭に浮かばなかったけどね。僕としては、こう……「自分はバラードを書いてるんだ」みたいに考えていたからさ。ほんと……シンディ・ローパーとデフ・レパードをずっと頭に描いていたし。

(笑)マジに?

DL:ああ、マジだよ。冗談じゃなくてほんとの話。

(笑)ああいう、いわゆる「パワー・バラード」をイメージしていた、と。

DL:そういうこと! まあ、そもそもデフ・レパードに良い曲は少ないんだけど、ただ、いざ彼らが良い曲やるときってのは、たいていミッド・テンポのバラードだっていう。

しかも、やたら派手な(苦笑)。

DL:うん。アッハッハッハッハッハッ! しかもちょっとメランコリックだったりしてさ(笑)……いわゆる、ヨーロピアンな哀感があって。

(笑)うわー、きついなぁ。

DL:だよねぇ。たしかにすごくクサい音楽だけど、とにかく、僕は大好きなんだ!

まあ、誰でも「良いと認めるのに罪悪感を感じるけど、でも好きな音楽」はありますしね。

DL:(笑)その通り!

第一話【了】

※これに続く、「不安やグロテスクを主題にしようと思ったきっかけは何ですか?」から先の回答は、12月末に発売される紙『ele-king vol.17号』に掲載されます。こうご期待!


 あらゆる手法が出尽くしてしまったかのように見えるダンス・ミュージックを、いかに更新することができるのか。かつてはそこに知性を持ち込むことによって、あらたな表現の枠組みとしてIDMが生まれたわけだが、現在のフロアにおいてそれはどんな形をしているのだろう。

 アントールドの「ドフ」は、今年リリースのなかでも突出したオリジナリティがあり、かつかなりクレイジーな部類に入る作品だった。モジュラー・シンセの霧の上にまさかのギターとスラップ・ベースが重なり、中盤でやっとキックが入ってくるというかなり異端的な構成になっていて、そのはみ出し感がクレイジーたるゆえんである。

 ダブステップからスタートした彼の関心は、去年のアルバムで表現されているようにテクノに向かっている。アントールドは自らの新たな土台を作るためにディスコグスを用いて、テクノにおける法則性を研究したのだという。その結果、過去に類似しないクレイジーさが生まれた。自分が現在しようとしていることを膨大なアーカイヴのなかで定点観測的に捉え、オリジナリティを作る。情報の海の泳ぎ方は、現代において必要な知性のひとつのようだ。

 またそこにおいて「コピーをしない」、という点も重要になってくる。エナは去年の『バイノーラル』前後から、ドラムンベースのリズムを換骨奪胎したアプローチをとり、結果としてテクノのシーンにも共鳴する個性的なサウンドにたどりついた。そこには現在のトレンドでもあるブレイクビーツを用いたバック・トゥ・ベーシックな90年代回帰はいっさい見られない。

 「ドラムンベースの10年をダブステップは5年でやってしまった」とエナは言う。ネット上の情報共有の加速化は利益をもたらす一方で深刻な問題もあり、どんなメソッドも瞬時にコピーされ、「新しさ」のサイクルはどんどん短くなっている。あの難解に思われたアルカのサウンドですら、いまでは類似したものが多数あるくらいだ。現在において自作におけるオリジナリティを守るためだけではなく、シーンを殺さないためにも「コピーをしない」はなくてはならない知性なのである。

インテリジェンスはここにある! 5枚/5つの問題提起


Discogs

Untold - Doff
(Hemlock Black (12) 2015 )


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ENA - Binaural
(Samurai Horo 2014)


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Demdike Stare - Testpressing #005
(Modern Love (12) 2014)


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Monolake - Ghosts
(Monolake / Imbalance Computer Music 2012)


Discogs

Sd Laika - That's Harakiri
(Tri Angle 2014)

interview with Co La - ele-king


Co La
No No

Pヴァイン

ElectronicNoiseExperimental

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 コ・ラとは、まあ「コーラ」のことなのだけれども、そのネーミングから発せられるある種傍若無人な批評性とは別に、「ー」が「・」になることで生じてしまっているこのなんともいえない吃音、休符、そしてその真空にも似た半拍に吸い寄せられてくる多大なノイズこそが、この奇態なアーティストの本尊にしてコアなのではないかと、彼の音楽を聴くたびに思わせられる。

 彼ことコ・ラ、ことマシュー・パピッチは、現エレクトロニック・ミュージック・シーンを牽引するもっとも柔軟な知性、OPN(ワンオートリックスポイントネヴァー)主宰の〈ソフトウェア〉を象徴するプロデューサーである。プロデューサーというべきか、アーティストというべきか、ミュージシャンというべきか、そうした呼称の遠近法の中になかばペテン的に存立している彼の音は、ときにアートに近接し、ときにフロアでひとを躍らせ、そして幸せなことにポップ・ミュージックとしてもわれわれのヘッドホンやステレオを賑わせてくれる。このもってまわった言い方にピンとこなければ、ともかくもこの10月にリリースされた新譜『ノー・ノー』を再生してみてほしい。

 雑音に騒音、音楽のような何かに音楽らしい輪郭を与えているのはビートのみで、それとて一定不変の安心を約束してくれない。どこか執拗でせわしなく、あまのじゃくで、ときに攻撃的ですらあるコンポジションに、われわれはたとえばクリス・バーデンが好きだと述べる、あるいはかつてパンクやハードコアに心を奪われたのだというパピッチのひとつの精神を見出すだろう。「コーラ」から長音を奪ってしまう感覚は、まさにこのあたりに由来するようにも感じられる。

 しかし、彼にはまたもう一つ重要な背景がある。2000年代半ばのボルチモアの実験主義者たちの極北、ポニーテイルやエクスタティック・サンシャイン──前者はポストロックやマスロックの文脈でも解釈されるカラフルでノイジーなアート・ロック・バンド、そしてより深いサイケデリアを展開する後者こそはパピッチとポニーテイルのダスティン・ウォングによるギター・デュオ・ユニットである。テリー・ライリーやあるいはマニュエル・ゲッチングなどを彷彿とさせながら2本のギターが螺旋を描いて楽しげにもつれ合うエクスタティック・サンシャインの音楽がコ・ラのスタート地点に存在することは、彼の根元にポジティヴなエクスペリメンタリズムが存在することを証すものでもあるだろう。

 ということで、ギターをエイブルトンに持ち替えたパピッチの、騒音と愛嬌が半ばするエレクトロニック・プロジェクト、その第2章に耳を傾けてみよう。耳というよりも五感で受け止めることを、この「ノー・ノー」という雑音たちは望んでいるのかもしれないけれども。

■Co La / コ・ラ
ボルチモアのエクスペリメンタル・デュオ、エクスタティック・サンシャインの片割れ、マシュー・パピッチによるエレクトロニック・プロジェクト。2011年に米アンダーグラウンド・テープ・レーベル〈NNA〉よりデビュー作『デイドリーム・リピーター』をリリースし注目を集める。後にOPN主宰の〈ソフトフェア〉より『ムーディ・クープ』(2013)『ノー・ノー』(2015)を発表、エレクトロニック・ミュージックのフロンティアを掘削するプロデューサーの一人として活躍を期待される。

言語化される前のことばや、新生児が発する音、咳やあくび、泣き声といったフィジカルで制御不可能な音に興味があったね。

あなたの音楽は、一定のビートはあるものの、さまざまなサンプリング・マテリアルがめまぐるしく切り替わって、ある感情や情緒が持続し展開するのを意識的に避けているような印象があります。こうした編集は快楽的に追求されたものなのでしょうか?
それともコンセプチュアルに目指されたものなのでしょうか?

コ・ラ(Co La、以下CL):加速感やスピード、直線感に僕は快楽を見いだせる。いまの興味はダイナミズム、ムード、感情移入や混乱状態といったところかな。自分の音楽が目指すところは前進だね。もちろんそこには調査も含まれるけど停滞はしない。

今回用いられている音声には、くしゃみや赤ん坊の泣き声、叫び声などヒューマンなノイズが多いですね。これは意識的にディレクションされているのですか? それともあなた自身に起こった何がしかの変化によるものなのでしょうか?

CL:作曲において声という基本的な要素を使用しつつも、歌わずにある種の拡張されたテクニックを用いている。制作の段階では言語化される前のことばや、新生児が発する音、咳やあくび、泣き声といったフィジカルで制御不可能な音に興味があったね。

以前『レスト・イン・パラダイス(Rest In Paradise)』(2011)を「家具の音楽」(musique d'ameublement)として語っておられましたが、あなたにとって作曲行為は空間デザインに近いものなのですか?

CL:建築は自分の作曲のある部分には適切な類似点だと思う。でも、アンビエンスの概念はよく「家具の音楽」と同意義とされることがあるけれど、『ノー・ノー』はそれとはかけ離れたものだよ。

コ・ラでの取り組みは、方法論としてはエクスタティック・サンシャインの真逆にあるように感じられます。というのは、ESには多少即興的な要素もあるのではないかと思うからです。コ・ラにおいては即興性を意識することはありますか?

CL:たしかに音楽はまったくちがうよね。でも、じつはエクスタティック・サンシャインの音楽は練って作られたもので、入念にリハーサルもした。それに僕たちは大した即興演奏ができるわけでもない。コ・ラにおいては即興をあまり意識してはいないかな。でも〈パン〉でやっているリフテッドのプロジェクトでは、もっと自由に探求をしているよ。

書かれていないルールっていうのかな。僕は曲を作ることによってその領域を探索していた気がする。

「ノー・ノー(No No)」というのは、否定を表すというよりはオノマトペのようなものでしょうか? タイトルの由来について教えてください。

CL:オノマトペの要素は興味深いよね。僕はダダイズムの自動筆記とかコンクリート・ポエトリーのファンだよ。「ノー・ノー」は何か禁止されたものを表す口語的な言い方なんだ。書かれていないルールっていうのかな。僕は曲を作ることによってその領域を探索していた気がする。疑念や困惑を抱きはじめるのに十分なくらいに、一定の形式をわずかに保ちつつも、そこから外れた音を使ってね。

地元ではパンク・シーンが強固だったようですね。ミスフィッツやラモーンズがお好きだったというエピソードは少し意外でもあります。そういった音楽はあなたにどんな影響をもたらしたと思いますか?

CL:『ノー・ノー』に取り掛かる前に、自分が高校生だったときのレコード・コレクションを聴き返していたんだよね。パワー・バイオレンス、スラッシュ、グラインド・コアとかだよ。音の面でそれらを参照するのではなくて、その音楽の持つ、ときにユーモアに溢れていて、ときに戦略的なイデオロギーを思い出したかった。『ノー・ノー』は攻撃的なコ・ラのアルバムでそれを定義するために、ある点においては自分の昔の感心と向き合ったりしたね。

パワー・バイオレンス、スラッシュ、グラインド・コア。音の面でそれらを参照するのではなくて、その音楽の持つ、ときにユーモアに溢れていて、ときに戦略的なイデオロギーを思い出したかった。

また、クリス・バーデンに惹かれてアート・スクールに進まれたそうですね。あなたが指摘する、不条理、科学、暴力、そしてヒューモアという要素は、まさにコ・ラにおいても実践し模索されているように思います。彼の「作品」としてもっとも衝撃を受けたものについて、あるいはクリス・バーデンとあなたの音楽観・芸術観について教えてください。

CL:クリス・バーデンは僕のインスピレーションのひとつで、とくに彼の思考のスタイルに注目しているよ。成功した芸術作品は自身のロジックと、それを支えるために実例と主張を兼ね備えていなきゃダメだ、と個人的には思っている。マテリアルとコンセプトの連帯と、一時的にミクロなマニフェストも必要になってくる。僕はバーデンの「ショック」にはそんなに興味はないんだけど、次々と強烈さ、眩しさ、粉砕、そして奇妙さといった状況を作り出す彼の能力にはとても感心があるよ

〈ソフトウェア〉は現在のあなたのホームと呼び得る場所ですか? また、〈ソフトウェア〉はなにかと息苦しい時代に遊び心やジョークを表現し発信できている限られたレーベルだと思いますが、客観的な視点から期待していることはありますか?

CL:うん。〈ソフトウェア〉はホームだね。彼らはとても献身的だし、わずかなコンセプトでも理解してくれる。ダニエル(OPN)のキュレーションは素晴らしいと思うよ。彼は特異さと共感の間のバランスを取るのがとても上手だね。あとユーモアもある。

僕には情報的なノイズをツールとして、また有益だと捉える傾向がある。“スクイージー”や“ガッシュ”といった、かなり負荷が掛かっていて複雑に展開してく曲にそれは表れているね。

あなたのノイズ観についての質問ですが、本作中であなたがもっとも「ノイジー」だと感じる曲はどれですか? 理由についても教えてください。

CL:僕には情報的なノイズをツールとして、また有益だと捉える傾向がある。“スクイージー”や“ガッシュ”といった、かなり負荷が掛かっていて複雑に展開してく曲にそれは表れているね。だからこれらの曲は、不安や困惑を生み出しているという意味では「ノイジー」だといえる。『ノー・ノー』の大部分は困惑の要素と透明な瞬間のバランスを保っているよ。僕はガラクタのようなアクチュアルなノイズとディストーションを、けっこう象徴的に使っている。それらは不調和を表象しているけれど。必ずしもストレスを感じさせたり疑問を投げかけたりするものではないんだ。

歌を紡ぐことやギターでフレージングするというアプローチはいまのところあまり興味はないですか?

CL:しばらくの間、ギターには興味がないんだよね。エクスタティック・サンシャインのときからギターはとってあるけど、正直に言うと、一年はギター・ケースを開けていない。

今年よく聴いた音楽や素晴らしいと感じた作品について、とくにジャンルに関わりなく教えてください。

CL:今年はグライムをたくさん聴いたな。マーロ、シャープ・ヴェインズ、ミスター・ミッチとか大好きだよ。それからヴォイシズ・フロム・ザ・レイクはほぼ毎日聴いている。他によく聴いているのはフォーク(Phork)、モーション・グラフィックス、ジェレミー・ハイマン、マックスDとかだね。


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