「KING」と一致するもの

 『IDM definitive 1958-2018』のカヴァー・イラストを担当した祟山祟の初の単行本、『恐怖の口が目女』が6月30日、おおかみ書房/リイド社から刊行される。これがまたとんでもなく意味がない、じつにバカバカしくてしょーもない恐怖漫画で、最高だ。
 祟山祟はじつは、90年代のエレキングで一時期連載をしていたこともあるという特異な男で、思春期に電気グルーヴの洗礼を受けてしまった犠牲者のひとりなのだ。『恐怖の口が目女』には、梅図かずお、車田正美、大友克洋、宮崎駿、などなどの昭和の漫画がサンプリング的というかヴェイヴァーウェイヴ的にコーラジュされている。“口が目女”をめぐるナンセンス・サスペンス・ホラーとして描かれた物語には、スピリチュアル・ジャズにも負けないぶっ飛んだエンディングが待っている。
 こんなにもこわくてくだらない漫画を描いた祟山祟、おそるべし。巻末には、彼が尊敬する天久聖一との対談もあり、です。

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 子どもが死んだというニュースを聞いていると、よく「明るい子だった」とか「リーダー的な存在だった」という説明が続く。「毎朝、元気に挨拶をする子どもだった」とか。「目立たない子だった」とか「普通の子だった」という補足はあまり耳にしない。そういう報道を繰り返し聞いていると「暗い子ども」や「人見知りをする子ども」は死んでも可という価値観が示唆されているような気さえしてくる。しかも、それが死んだ子と同じクラスにいた子どもの耳にも入っているんじゃないかと思うと、セカンド・レイプじゃないけれど、活発でもなければリーダー的な存在でもない子には二重のダメージがあるんじゃないかとまで考えてしまう。いろんな子がいていいし、いた方がいいと思うならば、このような「理想の人間像」があるかのように表現するのはどうだろうかと。死んだ子どもがどんな子どもだったかということは少なくとも公共のニュースで報道する必要はないのではないかと。
『フロリダ・プロジェクト』を観ている間、僕は活発でリーダー的な存在のムーニー(ブッルクリン・キンバリー・プリンス)はこのままいけば絶対に犯罪者になると思って観ていた。6歳という設定のムーニーは同じモーテルで暮らす子どもたちを率いて、毎日、いろんな遊びを考え出す。草木が伸び放題になっている原っぱで。あるいは、観光客が立ち寄るアイスクリーム・ショップで、どうすれば自分にもアイスクリームを買ってもらえるかを思案する。ムーニーたちが住んでいる安モーテルの近くにはディズニーランドがある。隠れホームレス(ヒドゥン・ホームレス)と呼ばれている彼女たちは、もちろんディズニーランドには行ったことがない。アトラクションから上がる歓声なども聞こえない。それどころかひっきりなしにヘリコプターの音が聞こえ、ただでさえ悪い想像をめぐらせやすい僕はヘリコプターが彼女たちの住むモーテルに落ちてくるという結末を頭の片隅に置きながら観ることになった。子どもたちが楽しそうにしていればいるほど悪い予感しか湧き上がってこない作品なのである。薄紫色に塗られたモーテルはとても綺麗な建物に見えるし、フロリダの天気がそもそも悲惨な雰囲気からは縁遠いにもかかわらず。

 「ディズニーランドのそばに住み、しかし、その中で遊ぶことができない子どもたち」。この映画を紹介する文章は大体、そんな風に書いてある。でも、どうだろう。僕が子どもの頃、日本にはディズニーランドはなかった。築地市場の向かいにある国立がんセンターの敷地内に住んでいた僕は都内にしては自然に恵まれた場所で育ったので、子どもの頃の遊びといえばムーニーと同じようなことしかしていなかった。観光客から金をせびるということはなかったけれど、想像力だけで遊んでいたという意味ではムーニーたちとまったく同じで、それが貧しい遊びだったとは思わない。世の中には経済的に裕福でも子どもをディズニーランドには連れて行かないという方針の親もいるし、ディズニーランドで遊ぶことが上だという考え方はむしろ歪んでさえいるといえる。子どもたちは遊ぶ。ただ遊んでいる。これ以上、ストーリーの紹介をしようがない映画なので、抽象的な文章になっているのはわかっているけれど、悪い想像ばかり巡らせながら『フロリダ・プロジェクト』を最後まで観た方は、ラスト85秒で(それこそOPNが言った「ブルーカラー・シュールレアリズム」を強烈に味わい)、しかし、その時にディズニーランドが持つ意味を誤解して捉えやすく、そのせいで「ディズニーランドのそばに住み、しかし、その中で遊ぶことができない子どもたち」という否定的な表現が導かれてしまったのではないかと思う。(以下、ネタバレ)ムーニーとジャンシーはディズニーランドに「行った」のではなく、母親と引き離される社会から「脱出した」と思った方がいいのではないかと僕は思う。ディズニーランドは手の届かない場所として設定されているわけではなく、ある種のシェルターだったのだと。想像力では補えない世界に居続けることはもはや不可能で、そこから逃れられるのであればどこでも良かったのだと。ラスト85秒、観客は誰ひとりとしてムーニーの表情を観ることはない。ムーニーたちは目を丸くしていたのだろうか、それとも無表情だったのだろうか。

 この映画は半年ほど前、本サイトでも通訳などでおなじみ坂本麻里子さんに勧められた。彼女はむしろラスト85秒以外の本編がブルーカラー・シュールレアリズムだろうと言っていた。そして、管理人役のウィレム・デフォーが出てきた時に「あ、これは映画だった」ということを思い出すほど、つくりもの感がなかったという。フロリダには1秒も行ったことがないので、そこは僕にはわからないけれど、デフォーの演技を含め引き込まれ方がハンパなかったことは僕も同じである。子どもたちが逃げ回ってデフォーの足元に隠れるシーンがある。仕事の邪魔をされたデフォーは怒りもしないし、子どもたちが出て行く時に、本当に優しい表情を浮かべる。彼は必要以上に住人たちに寄り添えば、クビになりかねない立場にある。どうにかしたいけれど、何もできない。変質者めいた男がひとり出てくる以外、悪人がひとりもいないことが、この映画を本当に出口のないものにしている。
 日本では目黒で起きた幼児虐待死以降、安倍政権や日本会議が主張する家族像から離れ、必要がある場合には親子でも引き離した方が良いという議論が少しは囁かれるようになった。アメリカでは養育能力がないと判断された親から子どもが取り上げられるというテーマは何度も繰り返され、『フロリダ・プロジェクト』でも同じ結論が示されている。個人が尊重される社会というのはそうならざるを得ないし、『プレシャス』(10)や『ローズ・イン・タイドランド』(06)と同じく、あの子たちは、その後どうなったんだろうと思うばかりである。そして、この先も日本では幼児の虐待死が続くのかなあと。


Mouse On Mars - ele-king

 ボン・イヴェールのジャスティン・ヴァーノンとザ・ナショナルのアーロン・デスナーがウィスコンシン州で主宰するフェスティヴァル〈Eaux Claires〉は、実際に行って感じたことだが、非常にDIY的な感覚で貫かれた場だ。大企業よりは地元の顔なじみの企業がスポンサーに入り、集客のためよりはミュージシャン同士の音楽的なネットワークを可視化するためにラインナップを決める。ミュージシャンシップによってジャンルを横断し、大勢の人間や価値観がひとつの場所に集うという感覚――とりわけ、ボン・イヴェールの作品や活動に貫かれているのは、この「シェア」という感覚である。いま、ヴァーノンが音楽仲間たちと取り組んでいるコレクティヴ・プロジェクトの名前はズバリ「PEOPLE」だ。
 「PEOPLE」のラインアップには、そして、ヤン・ヴァーナーとアンディ・トマの名前もある。マウス・オン・マーズのオリジナル・アルバムとしては6年ぶり、通算11作めとなる『ディメンショナル・ピープル』は、彼らが〈Eaux Claires〉に参加した経験がかなりの部分で基になっている作品だ。大勢のゲストが参加しているという点ではコンピレーション作『21アゲイン』(14)の発想を推し進めていると言えるが、同作がモードセレクターはじめ基本的にエレクトロニック・ミュージック系のネットワークを駆使していたことに比べると、『ディメンショナル・ピープル』に現れるメンツはジャンル的に非常に多彩。ボン・イヴェール、ザ・ナショナルはもちろんのこと、サム・アミドン、ベイルート、リサ・ハニガンといったインディ・ロック/フォーク勢をはじめとして、スパンク・ロックやアマンダ・ブランク、さらには超大御所ソウル・シンガーであるスワンプ・ドッグといった意外なメンツはすべて、〈Eaux Claires〉に由来している。そしてまた、コンセプトが社会主義だというのも……ボン・イヴェールが社会主義者とまでは思わないが、「民主社会主義」を繰り返し唱えていたバーニー・サンダースの演説大会の前説をヴァーノンが担当していたことを思えば、そう遠くないと言えるだろう。少なくとも、「シェア」という感覚こそが本作のもっとも重要なテーゼである。

 アルバムはそのヴァーノンが参加し、パート1~3で構成されるタイトル・トラック“Dimensional People”から始まる。ジューク/フットワークを意識したと思われるビートがせわしなく跳ねまわるが、ジューク/フットワークではない。フリージャズとダブ、アフロビートがたっぷりと注がれたすさまじくファンキーなIDMであり、それはやがてアンビエントへと姿を変えていく。このトラックがよく本作のモードを表していて、前作『パラストロフィックス』のエレクトロニックな質感に比べてオーガニックな音色とジャンルの積極的な衝突/融合が特徴だ。管弦楽器のアンサンブルや人声が要所で施され、大勢の人間がひとつの部屋にいる情景が何度も喚起される。IDMとポスト・ロックの交流に熱があった2000年前後の空気が、現代的に更新されていると言えばいいだろうか。久しぶりの〈スリル・ジョッキー〉作だというのも本作のトピックだ。
 雑多な人間によるアンサンブルという点では発想的にボン・イヴェールと共通しているのだが、やはりというか何というか、もっとも異なるのはマウス・オン・マーズらしい素っ頓狂なユーモアが張り巡らされていることである。やる気が感じられない脱力しきったアブストラクト・ヒップホップ“Foul Mouth”、カントリー・ドローンとでも呼びたくなる“Parliament Of Aliens”、パーカッシヴでつんのめるグルーヴが躍動するメタ・ファンク“Daylight”と、爆笑ではなく思わず小さく噴き出してしまう妙ちくりんなトラックが並ぶ。きめ細かさもあるが、それを崩す余裕もある。このおかしなサウンドはマウス・オン・マーズが開発したというアプリであるElastic DrumsやfluXpadが駆使されてできたものだそうだが、テクノロジーを理知的に利用するというよりは、ただおもしろがって遊んでいるといった感じだ。実際、ヴァーノンはじめ本作に参加したメンバーがアプリで遊ぶ動画がいくつか公開されているが、みんな純粋に楽しそうだ。子どものように音を変形させ、笑っている。

 紙ele-king vol.22に掲載されたヤン・ヴァーナーの発言を読めば、彼らが真剣に社会主義の発想を現代に生かせないか、と考えたことがわかる。資本や富を分かち合うこと、対話すること、多様な価値観を認め合うこと。OPNの『エイジ・オブ』がアンチ・ヒューマニズム的な見解からエレクトロニック・ミュージックの更新を(ある意味、トレンディに)目論んでいるとすれば、マウス・オン・マーズのIDMは頑なにヒューマニズムを貫こうとしている。だがそれは頑固とはほど遠い柔軟なもので、大勢の人間のアンサンブルの目標を(予定)調和に予め設定してしまうのではなく、偶発性や事故を能動的に楽しもうとする態度である。多様性とはそういうことなのだ、と。ベイルートのザック・コンドンとスワンプ・ドッグが参加したなかばドリーミーなクロージング・トラック“Sidney In A Cup”のピースフルな音の戯れを聴いていると、ここにマウス・オン・マーズの最新の理想主義が示されているように思えてくる。


COSMIC TEMPLE - ele-king

最高にクールなリズム・セクションを紹介させてくれ。
ジャズ、テクノ、ダブ、ヒップホップ、なにを載せてもびくともせず、猛烈に疾走するグルーヴ・エンジン。
窓の外には一瞬先の未来がかいま見える。

扉が開いた。なにかを掘り当てちゃった感じがする。
コズミック・テンプルのふたりがどうやってこの扉を開く鍵を見つけたのかはわからない。
だが、彼らはおのれの力で鍵を探り当て、扉を開いた。
とめどなく奔流のように流れるクリエイティヴなエネルギー。

クリエイションとは一瞬先の未来をかいま見ること。
すべては人生のすべてを賭けた壮大な洒落でもあり真剣勝負でもある。

心の奥深いところに入ってきてスイッチを入れてくれる。
自分のなかにまだ美しいものがたくさんあったなって気づかせてくれる。

コズミック・テンプル!

色即是空、空即是色。
お釈迦様も須弥山のサイファーでスティック片手にウインクしてるぜ、きっと。
(春日正信)

quasimodeのリズム・セクション、須長和広と今泉総之輔による「コズミック・テンプル」が7月4日に1stアルバム『TEMPLE and TREE means like a COSMIC』をリリースします。
6月26日にはApple MusicとSpotifyでアルバム先行配信開始。同日、渋谷Milky wayでライヴを行います。

Apple Music
https://itunes.apple.com/jp/album/1393926634

■リンク(Spotify)
Spotify

■配信ライヴ情報
7月4日のリリース当日には、全世界に向けてライヴ中継を配信します。

■アルバム情報

COSMIC TEMPLE
TEMPLE and TREE means like a COSMIC
Amazon
https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXGS4N3

interview with Jim O’Rourke - ele-king


Jim O'Rourke
sleep like it’s winter

NEWHERE MUSIC

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Writing about a musician like Jim O’Rourke is always a challenge. His work is rarely what it seems to be on the surface, its mechanisms carefully concealed so that how it works on you as a listener is the result of an almost invisible creative process. A huge amount of complexity and musical intelligence underscores music that feels completely natural and even obvious, as if it’s always existed. If his creative approach includes a strong element of academic discipline, his finished music nonetheless has a lot of heart.
On O’Rourke’s previous relatively high-profile release, his unexpected 2015 return to something like rock songwriting with Simple Songs, instantly familiar-sounding rock hooks would merge imperceptably into completely unexpected musical territory without you ever noticing how you’d travelled. His latest album, Sleep Like It’s Winter, released from the new, ambient-focused NEWHERE label, sees him in a radically a different sonic landscape again, with an icy, uneasy, breathtakingly beautiful 45-minute instrumental track.
Between Simple Songs and Sleep Like It’s Winter lie twenty-two separate releases in O’Rourke’s Steamroom series, which he puts out at a rate of about one every couple of months from his Bandcamp page. While some of these releases are old tracks deemed worthy of exhuming from his archives, this rapid flow of releases may also include something for those of us hoping to find clues as to his working. Certainly some of the Steamroom releases that most immediately preceded Sleep Like It’s Winter share similarities.
None of them are quite as richly layered and textured though, and while ambient music is almost by definition music that defies analysis, working primarily on the fringes of consciousness, Sleep Like It’s Winter at the same time feels like a very conscious album, full of ideas and revealing something new on every listen.

I mean, most people would say Eno. Actually it would go back to Michael Nyman’s book Experimental Music: Cage and Beyond. It’s a great, important book that I read when I was in high school.

I:
I always find it a bit difficult to talk about music that often gets described as ambient or drone…

J:
Right, well, the fact that they even asked me to make an ambient record for them, that’s why I decided to take the challenge. I didn’t set out to make an ambient record but it’s sort of about making an ambient record more than it’s an ambient record (laughing) you know? Pretty much everything I do is about what it is as opposed to being it.

I:
You’ve said before something along the lines of that you approach making music in a way kind of like a critic.

J:
Yeah, I don’t make music ‘cause I enjoy it. (Laughs) Yeah, I have said something like that. I’m not comparing myself to him but when I was young I read this quote from Godard where he said, “The best way to critique a film is to make another film,” and that stuck with me since I luckily read that as a young boy. That’s fundamental to how I work.

I:
How long did this new album take?

J:
That took about two years.

I:
Were you still living in Tokyo when you started work on it?

J:
I was still in Tokyo, yes, when they first asked me. But there was also a lot of extraneous work around that time also because I was moving. So the first six months of working on it was probably more thinking than actually putting anything down. Just thinking about what the hell that term “ambient” meant, and it means different things to different generations. At the beginning, when they asked me, it was like “We’re starting an ambient label,” and I was like, “Okay…” (laughs) Just making any record in terms of “make a record in this genre” is anathema to me, but I decided to do it because it was such a revolting idea! (Laughs) Not that I dislike ambient music – I don’t mean that. That’s just not the way I think when I make things, so it was such a bizarre proposal that I decided to do it.

I:
For ambient music what is your first natural frame of reference?

J:
I mean, most people would say Eno. Actually it would go back to Michael Nyman’s book Experimental Music: Cage and Beyond. It’s a great, important book that I read when I was in high school. There’s a bit about Eno in there talking about, and (Eno) didn’t use the word “ambient” yet, he refers (Erik) Satie’s idea of “furniture music”. And it might be on the back of his Discreet Music record, which was a big deal for me when I was a kid, because on the back of the record it’s all just him talking about these ideas and there’s also diagrams of technically how he made the music. When I think of ambient music I don’t necessarily think of Eno because Eno’s actual ambient music, when he moved on, you know those “Ambient” records, I actually don’t like those very much – no disrespect to him, but it’s just not my cup of tea. In a way I like Satie’s definition of it more: that it’s “furniture music”, that it’s like BGM: it’s not something that’s meant to be listened to with the active mind, which implies that you’re not following the formal structure of what’s going on. So it’s a sort of shift of standpoint that means “ambient” to me. For me, in making this record, the most important thing was, “Where is a line where you decide to give up on formal structures completely?” and, “Where is a line where formal structures can still be perceived but they’re not being shouted at you?”

I:
Speaking of formal structures, going back to Eno, he often seems interested in the idea of taking the musician completely out of the music

J:
For me, in that way of thinking of music, which I’ve been moving towards my entire life slowly but surely (laughs), Roland Kayn was the biggest guy for me. Someone could call his music ambient but it’s way too aggressive for that. The idea of his music is you create the system and then you just let it go. The challenge is how can you create a system that still represents the ideas even though you’ve let it go. If you look at some of the last decade or so of Cage’s scores, like the number pieces, they create these systems. These later Number Pieces of his are really interesting because, if you do them correctly, they’re really constraining even though they don’t seem to be. Whereas someone like Kayn and what Brian Eno were doing, especially in the 70’s, they still want a result but they want to be hands off about it.

I:
For those of us listening to you, it’s almost like we get to hear you, well not in real time but now it almost feels like every couple of months there’s a new thing on Bandcamp

J:
Yeah, Bandcamp is one of the few things the internet has created that I really like. I do like that it’s just there for the fifty people who want it and nothing else gets attached to it. Everything that comes with releasing records, if I have nothing to do with it that’s the happiest I could possibly be. For me, you’ve got to understand, once it’s done it’s done: I’m already gone.

I:
Did your work on those releases inform your work on this new album?

J:
I think one or two might have been failed versions. (Laughs) I mean the Bandcamp stuff, honestly it’s for the 50 or 80 people out there who want to hear that stuff. It’s just being able to be, “Here, you guys want this: go ahead.” Not that I don’t put as much work into those things. For every Bandcamp work I put up, there’s like 80 failed Bandcamp things.

I:
In Sleep Like it’s Winter, there are a lot of sounds that are happening just on the edge of hearing, where it drops to near silence for a while before the sounds build back up again.

J:
Yeah, that’s true. A lot of my really early stuff in the late ’80’s, early ’90’s was a lot of that but I think, because I was young, I was still in the mode of imitating people. I was imitating silence (laughs) because there’s a lot of that, especially in (Giaconto) Scelsi’s music, which I was really really into when I was in college. And I really appreciated the amount of silence in a lot of Luc Ferrari’s work, which I was also really really into.
Also, at that time, things like the Hafler Trio, P-16 D4a, blah blah blah, but I don’t think I really understood how to use that until later in life. Because silence is just as much a part of the dynamic as something loud. In the act of actually listening to something, time means a lot and silence is also time because you perceive time differently in silence than time with sound. Hopefully, the use of silence stretches your perception of time – it’s the same thing as having a good drum fill or something.

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Well, in terms of structure, the one thing that music can’t really do eloquently, like the other art forms, is deal with time backwards. Music can really only change time by making reference, and that can only be done if the music has a formal structure because you’re making structural reference or a melodic reference.

I:
So silence can be a function of the overall rhythm of the piece.

J:
Right, yes, exactly, yeah. Another thing I had to think about a lot when making this record is the idea that just because the music is “ambient” and doesn’t have percussion elements or whatever, that doesn’t mean it doesn’t have a rhythm. So, what role does rhythm take in this and how does it manifest itself is also something I had to think about a lot. And silence is part of that. Silence is kind of like an audio punctuation as well and it can be a comma or it can be a period. Or a semi-colon. Of course it matters what comes before and what comes after, but you really can hear the difference between a period and a comma. There’s definitely a moment of silence on this record that’s a comma and then there’s one that’s 3 periods in a row. At least that’s the way I think of it.

I:
Did you find, while making this record that there are cliches in ambient music?

J:
Oh, there definitely are. I kind of knew them before I started this because that’s mostly the reason I don’t listen to ambient music. I mean, pretty much all ambient music is major 7th chords, so harmony was going to be a big deal – how to approach harmony with this. Major 9th is also very popular: those are the two go-to harmonies in ambient music, if it isn’t just a perfect 5th. How to deal with harmony on this! I didn’t want it to just be about the overtones, because with the drone route really you’re dealing with overtones and not dealing with harmony – that was something I knew firsthand from doing it. In my memory, all the failed versions are sort of mixed up in it. Once I’ve finished the record, the only time I’ve heard it since mixing it is to check the mastering, so I kind of forget what happens in it. I learned a lot of what it wasn’t, but I don’t know if I learned what it is. I would rather find the next question than find the answer: that’s just the way I am. I mean, I don’t really believe in answers. A solution should lead to the next question.

I:
A bit like a filmmaker working in a genre, you have a choice: “Am I going to take this convention and play with it or am I going to confound this convention?”

J:
That’s a really apt comparison for me, because those kinds of filmmakers were a much bigger influence on me than music really was when I was young. I always wanted to be a filmmaker and then I found out how expensive it is and what kind of life you have to lead so that didn’t happen. Someone like Robert Aldrich or Richard Fleischer, these kinds of filmmakers were a really big deal for me because I loved watching them do all sorts of things despite being in this supposed cage of genre convention. William Friedkin is like a superhero to me: I love William Friedkin. To Live and Die in L.A., that film is amazing in what it does with genre conventions. I have a huge poster of it staring in my face right now. My way of thinking on that stuff really comes more from film than anything else. Just it really taught me a lot about approach.

I:
I wonder as well if, compared to pop music where the story is told in a very concise nugget, ambient music, where a single piece might be stretched over an entire album, works in a more cinematic rhythm.

J:
Well, in terms of structure, the one thing that music can’t really do eloquently, like the other art forms, is deal with time backwards. Music can really only change time by making reference, and that can only be done if the music has a formal structure because you’re making structural reference or a melodic reference. And that’s really only calling back, that’s not restructuring time. Kurosawa Kiyoshi, in the ‘90s, was the king of that. He deals with time in his films in the most extraordinary manner, especially Hebi no Michi (Serpent’s Path) and Kumo no Hitomi (Eyes of the Spider). The way he restructures everything you’ve seen with just an image, and your perception of time in everything you’ve seen can change from just an image. You can do that in all the visual arts, and obviously you can do that in writing, but music doesn’t have the tools to do that in such an eloquent manner. It’s really kind of clumsy. That’s something that’s always fascinated me since college, because when I was in college and studying all the Stockhausen and all that shit, that was the stuff I was really interested in. There’s this whole period of Stockhausen doing these “moment works”. I mean, the 60s and 70s was when all those guys were trying to address the problem of time in music, and the fact that they did is awesome, but it was really kinda hamfisted. It’s still a problem in music and that’s the thing I think about a lot, and film is the thing that reminds me of that constantly, more so than music does.

I:
You’ve mentioned before constantly creating roadblocks for yourself in the creation of your music.

J:
I don’t think I do that as much as I used to. When I was younger I think I needed to. I think now I sort of trip myself up naturally. I don’t even consciously do that: its just the way my brain works. I think when I was younger I had to do that. And also, when you’re younger, when you have no gear or anything, that’s a great thing, you know? Having too much gear is one of the worst things in the world. The more gear you have, the less you do. That’s a concrete restriction that you’ve got to think about, “I’m not even gonna touch any of that stuff”. There’s only three instruments on this record – no, four, sorry, if you count a short-wave radio as an instrument.

I:
Were you working with any collaborators on this record or is it all you?

J:
Yeah, it’s just me. There was one version that was going to have drums on it but it didn’t work. So there’s a hard-drive full of this stuff with drums on it that will rust away (laughs).

I:
You’re living in the countryside now. Since moving there has that impacted the way you work.

J:
I just get to work more. There’s not much distraction at all. It’s the closest to when I was in my early twenties, really. I mean, I wouldn’t sleep for days at a time: I’d really be in my room with my tape machine and just doing that non-stop. That’s not something I’d want to do now, but I can get to that frame of mind again, which is something I haven’t been able to do for a long long time.

I:
You produce a wide range of music under the name of “Jim O’Rourke”, but there’s often this sense, particularly in Japan, that “this is what this project is and this is what it sounds like”. I remember a friend of mine was playing a show and at the end the manager of the venue commented, “Yeah, that should be three different bands, what you played there”

J:
Yeah, that’s a very reductive way of thinking. I think it is more common here than anywhere else.

I:
You’ve spoken in the past that people have a hard time considering an artist’s work as a whole rather than each thing discretely.

J:
Right, I think that’s more common in music. I mean, you say “Hitchcock “ – people might mention a film or two as their favourites but they’re generally thinking “the work of Hitchcock”. But it is true in music; you would think of “the works of Morton Feldman” but that’s because that world of music does tie into that socio-political way of thinking. But in terms of popular music that really has more to do with commodity than a way of thinking, there really aren’t that many people who approach it that way. Whether you like him or not, Frank Zappa is someone who could be seen as an exception to that: people generally think of “the work of Frank Zappa”, although he was generally making records with a rock band. People think that way about someone like Bob Dylan. So there are exceptions, but in general there aren’t.

I:
Do you feel there are themes that keep coming back in your music?

J:
Oh God, yeah! (Laughs) It’s all the same thing. They’re all the same thing really. I mean, I think it’s something Picasso said or someone said it about Picasso: “You’re really just making the same painting over and over again.”

One silly example, I remember when I was younger, I would read Naked Lunch every year, and I noticed that every year I re-read it, I learned more about me than I did about the book. Because I saw more of how I had changed, in that time, than the book had changed. Because the book, of course, hadn’t changed at all: it’s always been there.


Jim O'Rourke
sleep like it’s winter

NEWHERE MUSIC

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I: What do you think links an album like Simple Songs to and album like Sleep Like it’s Winter or maybe Kafka’s Ibiki’s Nemutte?

J:
I guess I would say it’s that I made them. (Laughs) It sounds like a joke, but in a way I think that’s really kind of the best answer. Certain aspects of what I’m trying to do come out stronger on some things more than others. But they’re kind of all there on all of them.

I:
One thing that connects them, when I listen to them, is that I hear multiple layers to the way things transition on your records.

J:
I don’t know if you’ve heard this record I did called The Visitor.

I:
Yeah, I was listening to that today, actually.

J:
I mean, that’s probably the closest I’ve ever gotten. It still has lots of problems, but that’s the closest ever to sort of doing what I wish the music would do. And that’s really all about the transitions, really – the flipping and the flopping, as Kramer would say. I don’t think in the abstract about the transitions – I don’t think “OK, now I’m going to make this kind of transition,” – it’s not an abstract idea or an exercise, but that really is a big part of how I put things together. It’s like weaving a rug. I don’t know if that’s an apt analogy, but you don’t want the work put into the music to show. The best rug you ever saw, if you look at the way it’s put together, that work never overshadows the overall effect, hopefully. That’s the hardest thing, I think, in making music - to hide the work. You’ve gotta hide it. That’s really really important to me.

I:
Has that always been a key part of your approach?

J:
It’s always been there. I’m trying to think of where I learned that lesson, but I know I learned it very young. Definitely since like… it was like ’91, ’92 where I got out of the habit of highlighting the work more than what the work was supposed to produce.
That’s kind of part and parcel of how I work. A big percentage of the work is in hiding the work: it needs to live once you’ve killed it, you know what I mean? (Laughs)

I:
Part of the fun of listening to some of your recent records was that on multiple listens, it continues to fundamentally change.

J:
You’ve reminded me. I know I’ve said this before, but this was a big deal for me and it relates 100% to this. When I was in high school there was a movie theatre within like two hundred yards of our house and, because I would go there every day, they eventually just let me go in for free. So I was going there every day. And one day I was going there to go see a movie and my father said, “You saw that movie already, why are you going to see it?” and I remember saying to him, something to the effect of, “All of these people put like a year of their lives into making this movie. How arrogant would it be for me to think I could understand it all in two hours?” That was one of the things I really love about film: that good films didn’t have it all out there on the surface like somebody serving you a whatever course dinner. You had to dig in, and some things don’t work without that resonance, that’s very important, ‘cause time equals resonance, you know? One silly example, I remember when I was younger, I would read Naked Lunch every year, and I noticed that every year I re-read it, I learned more about me than I did about the book. Because I saw more of how I had changed, in that time, than the book had changed. Because the book, of course, hadn’t changed at all: it’s always been there. So that was also kind of a profound thing for me when I was a young ‘un.

I:
Perhaps there’s also this idea of having the space to find you way into something. It took me forever to get into Bowie because at first I thought it was “classic rock”, which just had so much baggage attached to it. But because there were so many entry-points into his work I eventually found one that worked for me.

J:
I can understand that. I had that a few years ago with Keith Jarrett. He was someone I knew I was supposed to like and I should have ‘cause I love ECM –70s ECM, the stuff I grew up on. And of course, he’s like a towering figure in that world and it took a long long time. It’s really only in the past two or three years that I finally cracked the code with him.

I:
I can understand that. I guess the point for me is that there wasn’t a single door. There were multiple doors in and I had to find mine.

J:
Right. Well I think there has to be like one initial door and when you open that door there’s all the other doors. Just like… (Laughs) I immediately thought of Genesis, sorry!

I:
You don’t have to apologize for Genesis!

J:
Oh, I will never apologise for Genesis! You’re never going to find a more hardcore Genesis fan than me – Peter era, of course. The Lamb Lies Down on Broadway is my favourite album of all time. But, you know, Genesis wasn’t embarrassing when I was growing up.

I:
Maybe “I will never apologise for Genesis!” is a good sentiment to end on. Thanks!

9 イン・サークルズ(2) - ele-king

 アフリカのリズムは「ワン」がいろんなところに共存していて、というか拍の頭という概念が薄く、「あなたはここにいるからわたしはここにいます」と全体のなかの居所をみんな知っていて、集合体となる。道半ばながらこのような理解をしているのだが、トニー・アレンのドラミングは「ワン」は共有するにしても4肢のドラマーがそんなアフリカのリズムのように各々の居所に隙間を抜くように共存しながらエンジンとなって、しかも曲に合わせて変幻自在に動く。



 トニー・アレンによるモーゼス・ボイドへのクリニックはリズム的示唆に富んでいる。7:30~の短いミニマル・フレーズを伝えるシーンはもっともエキサイティング。フレーズで取り込もうとするモーゼスを制止するかのように、まずは右足のバスドラム、左足のフットハイハットからひとつ目のエンジンを確認する。次に左手のスネア。このとき、もうフレーズと言ってもいいものになっているのだが、それはあくまでもできあがってきたもので、フレーズから逆算していく4ウェイ的発想ではなく、右足、左足、左手が歯車のように絡んでいることに注目したい。そして、最後に参加する右手は4ビートに近い。絶妙にいわゆるスイングはしないところがクールだ。各々シンプルながら1人の中に4人いる。
 これを見ながら、アフリカの太鼓を練習しながら4拍目から1拍目へドンドンとすることさえもわからなくなったことがあったのを思い出した。そのときは、あまりになっていないだけだったのだが、「なんか違う」ながらドラムでかなりのフレーズを覚えていたにも関わらずそんな次第な上、同時にその理由を突きつけられたような気がした。しかし、はて、今だってどうだろう。ともすれば陥りがちなフレーズ先行が顔を出すことが大いにあるのではないかという反省を促される動画だ。しかも、気持ちよくだからにくい。楽観的なだけだろうか。その点アフリカのリズム・アンサンブルは本当によくできている。各々は絶妙に絡んでひとつの大きなうねりを形成する。その実はシンプルで、その輪に入ることができたとき最高の練習のひとつになると信じて続けている。

 「でもさ、実はみんな同じものじゃない? ハウスにジャズ云々、いろいろとジャンルはあるものの、要は同じ。誰もがあらゆるものを分け隔てなく聴いている、と。ほんと、ソウルフルな音楽か、リズミックな音楽かどうかってことがすべてなんだしさ」

 そう語るカマール・ウィリアムス筆頭に、多文化で、それに裏付けられた説得力のあるDIY精神(そうが故にリズムも気持ちところから外れないというような共通認識が生まれているのかもしれない)満載である南ロンドンならではのチャレンジは、ジャイルス・ピーターソンのブラウンズウッドからリリースされた『We Out Here』に凝縮されている。別冊ele-king『カマシ・ワシントン/UKジャズの逆襲』に、ここ数年起こっていることの一部始終が記されているが、僕のお気に入り3枚を挙げるなら、Yussef Kamaal『Black Focus』、Joe Armon-Jones『Starting Today』、Kamaal Williams『Return』。トニー・アレン直の影響が面白いとか、面白くないとかではなくて、曲に寄り添いながら、ときに寄り添わずに、自分たちのフレージングをしながら、気持ちいいところから外れようとはしないチャレンジが面白い。モーゼス・ボイド最高です。
 ところで、僕は2年程前にロンドンに行った。そのとき、交差点に信号が少ないのに車が譲り合うともなくするすると通り抜けていくところや、フィッシュ・アンド・チップス屋の兄ちゃんが手持ち無沙汰にポテトを入れる箱をクルクル回しながら、注文を受けて適当に頷いたと思ったらするするときれいに納めていくのを見て、リズムを感じたのだが、これを聞いてどう思われるだろうか? 立ち止まってはものを見ないとでも言うのだろうか。考え過ぎなことは承知で何かご意見があれば伺ってみたい。

 「“アフロフューチャリズム”という用語にはものすごくたくさんの定義を目にしてきたけれど、むしろ僕はこの用語自体が流動的で、それ自体が広い意味を持つようになって、より多くの人たちが自分たちの作品の背景として取り入れるようになったという点が気に入っている。まるでこの言葉そのものが生き物のように、多くの定義を取り込み続けている」  シャバカ・ハッチングス

 僕は、アフロフューチャリズムとは言えない代わりに、イン・サークルズ。堂々巡りなりに気持ちいいところから外れないようGONNOさんとグッド・ヴァイブスを目指すライヴが近づいてきた。

2018年7月8日(日) Open 17:00 / Start 18:00 GONNO × MASUMURA 『In Circles』リリースパーティー 会場:代官山UNIT 出演:GONNO × MASUMURA GUEST:トリプルファイヤー Adv ¥3,300 / Door ¥3,800 (ともに+1D) 2018年7月11日(水) 開場 18:30 開演 19:30 OLD DAYS TAILOR デビューアルバム 『 OLD DAYS TAILOR 』リリースパーティー 会場:吉祥寺スターパインズカフェ 出演:OLD DAYS TAILOR ゲスト:湯川トーベン(b) 前売り: ¥3,300 / 当日 ¥3,800(ともに+1D)


Underworld & Iggy Pop - ele-king

 なんと、アンダーワールドとイギー・ポップがコラボEPをリリースします。これはなんとも意外な組み合わせ……と一瞬思ってしまいましたが、いやいやいや、まったく意外ではありません。『トレインスポッティング』です。あの映画のオープニングを飾っていたのは“ラスト・フォー・ライフ”、そしてエンディングは“ボーン・スリッピー”でした。
 その続編である『T2トレインスポッティング2』の音楽を担当していたリック・スミスは、制作中にイギー・ポップと会合を重ね、それが今回のコラボとして結実したそうです。このたび公開された“アイル・シー・ビッグ”のリリックは、オリジナルの『トレインスポッティング』と『T2』の背景からインスパイアされているのだとか。
 発売は7月27日。22年ぶりの共演に、胸を躍らせましょう。

UNDERWORLD & IGGY POP
Teatime Dub Encounters

ロック界のレジェンド、イギー・ポップと
世界屈指のダンス・アクト、アンダーワールドが満を持して
コラボEP「ティータイム・ダブ・エンカウンターズ」のリリースを発表!

昨年満を持して公開された映画『T2トレインスポッティング2』。その映画音楽を担当したアンダーワールドのリック・スミスは、制作中、ともにオリジナルの『トレインスポッティング』に楽曲を提供したイギー・ポップとロンドンでミーティングを行ない、新作映画のためのコラボレーションの可能性を話し合った。

イギーは快く「会って何か話そう」と応じてくれた。僕らはともにトレインスポッティングとダニー(・ボイル)に強い絆を抱いていたからね。この紳士を説得して一緒に仕事をする一度きりのチャンスだろうと思った。だからホテルの部屋を貸し切って、スタジオを用意して彼が現れるのを待ったんだ。 ――リック・スミス(アンダーワールド)

イギー・ポップの“ラスト・フォー・ライフ”で幕を開け、アンダーワールドの“ボーン・スリッピー(ナックス)”で幕を閉じる96年公開の『トレインスポッティング』。完璧なオープニングと完璧なエンディングを持った映画は、青春映画の最高傑作として本国イギリスを中心とするヨーロッパはもちろん、アメリカ、日本でも異例の大ヒットを記録。ユアン・マクレガーやロバート・カーライルといったスター俳優を生んだ一方、イギー・ポップ、ブライアン・イーノ、プライマル・スクリーム、 ニュー・オーダー、ブラー、ルー・リード、レフトフィールド、デーモン・アルバーン、そしてアンダーワールドといった当時の先鋭的ポップ・シーンを代表するアーティストが名を連ねたサウンドトラックも大きな話題となった。

それから実に22年。リック・スミスのもとに現れたイギー・ポップは、完璧にセッティングされたスタジオを目にし、すぐにでも制作に取り掛かろうという情熱に駆られた。

ホテルの部屋に完璧なスタジオを持った誰かと会って、Skypeにはアカデミー賞監督がいて、目の前にはマイクと30もの洗練された楽曲があったら、頷くだけでびびってられないだろ。一瞬で血が沸き立ったよ。 ――イギー・ポップ

今作『ティータイム・ダブ・エンカウンターズ』は、アンダーワールドが『バーバラ・バーバラ・ウィ・フェイス・ア・シャイニング・フューチャー』を、イギー・ポップが『ポスト・ポップ・ディプレッション』を2016年3月16日に同時にリリースした数週間後に、ホテルの部屋で秘密裏に行われた数回のセッションの末に誕生した。これは過去に対するトリビュート的なものではなく、今もなお第一線で活躍し、持っているすべてを目の前の作品に捧げ、ひらめきこそが創造を生むという信念を持ったアーティストたちが作り上げた、最高に刺激的で躍動に満ちた作品である。

先行曲である“ベルズ&サークルズ”は、BBC Music主催イベント《Biggest Weekend 2018》でアンダーワールドがヘッドライナーとしてパフォーマンスした際に初披露された。そしてEPリリースの発表と合わせて、新曲“アイル・シー・ビッグ”が解禁。“ベルズ&サークルズ”とはある意味真逆の魅力を持った楽曲で、壮大なアンビエント・トラックの上で、イギー・ポップは語りかける。その歌詞は、ダニー・ボイルとの会話の中で、『トレインスポッティング』と『T2トレインスポッティング2』の背景にインスパイアされて書かれたものだという。

今では俺も多少は年を食い、俺がいなくなった時に俺のことを思ってくれる友達について考え始めてる
1人か2人は笑顔を浮かべ、俺との楽しい思い出に浸ってくれるだろう奴がいる


I’ll See Big
Apple Music: https://apple.co/2Ie6vtk
Spotify: https://spoti.fi/2luH9OZ

Bells & Circles
https://youtu.be/KmJWD9jQvhc


アンダーワールドとイギー・ポップによるコラボレート作「ティータイム・ダブ・エンカウンターズ」は、7月27日(金)に世界同時リリース! 国内盤CDにはボーナストラック2曲が追加収録され、歌詞対訳と解説書が封入される。iTunes Storeでは「Mastered for iTunes」フォーマットでマスタリングされた高音質音源での配信となり、今アルバムを予約すると、公開された“Bells & Circles”と“I’ll See Big”の2曲がいち早くダウンロードできる。

label: Beat Records
artist: Underworld & Iggy Pop
title: Teatime Dub Encounters
release date: 2018.07.27 FRI ON SALE
国内盤CD: BRC-576 ¥1,500+tax

リリース詳細はこちら:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9742

Tracklist
01. Bells & Circles
02. Trapped
03. I See Big
04. Get Your Shirt
05. Bells & Circles (instrumental version) *Bonus Track for Japan
06. Get Your Shirt (instrumental version) *Bonus Track for Japan

interview with jan and naomi - ele-king

 2014年、デビュー直後のjan and naomiのライヴに偶然接することが出来たのだが、美しく儚げな男性ふたりが、極めて繊細にコントロールされた弱音の響きを紡ぎ出す様に、非常なインパクトを受けたのだった。ファッション・モデルをもこなすというその出で立ちのシャープさ、そして奏でられる音楽の圧倒的幽玄。アートの匂いを強烈に振りまきながらも、まるでこの街でないどこかからふと現れた超俗的な佇まい。
 その後もEPリリースやフジロックへの出演などを経て着実のその特異な存在感を浸透させていくなかで、彼らの表現は「狂気的に静かな音楽」とも称されるようになっていったという。なるほどこのファースト・アルバム『Fracture』は、その言葉に強く頷くことの出来る出色の内容だ。

 広がりあるサウンドケープや抑制のきいたエレクトロニクスの用法からは、所謂チル・ウェイブ以降のサイケデリック感覚が強くにじみながらも、ジェイムス・ブレイクやキング・クルールといったサウンドメイカー達とも共通するような透徹した音響意識を感じさせる。しかしながら、メロディーとそれを届ける歌はあくまでインディー・フォーク的であり、その意味で、かつてのサッド・コア~スロウ・コアのアクト達に通じるような、静謐な「うたもの」としての快楽性も備えている。

 また、ほぼ全曲が英語詞で構成されているその歌詞世界も、彼らの「狂気的に静かな音楽」を創り出す重要な要素となっている。全編において、神(逆説的に、ときに悪魔的なものへの憧憬も隠さない)や愛といった形而上学的存在への問いかけが染み出す。しかし、ゴスペル音楽のような、熱狂的な覚醒や躍動は締め出され、その変わりに、甘く物憂げな静謐がメロウネスとなって全体を浸す。

邦訳:あなたがいないと、大空を羽ばたく羽をなくしたようだ/何度あなたがこの世界に存在したかと思っただろうか/何度あなたが実存すると思っただろうか、/何度もそう思った ‘Forest’

 こういったペシミスティックなヴィジョンは、近代以来の放蕩への回心・贖罪を経て救済へと向うべきだったはずの現代の文明が、むしろ日々自らの手で神を葬り、救済を遠ざけてしまったことで代わりに引き寄せることとなったニヒリズムに強く培養されているようにも見える。一方で、そういった諦念の淀みの中でも、

邦訳:ここはあなた夢の入り口、今までのことには別れを告げて/この折れた骨で、エスの街から抜け出すのだ/私たちの夢のためにその約束は守って、今まで見てきた罪に別れを告げて ‘Fracture’

 とタイトル曲に歌われるように、これまで重ねてしまった罪を見つめつつも、新たなフェイズを切り開こうとする心性を垣間見せもする。


jan and naomi
Fracture

cutting edge

Post-PunkEthereal

Amazon

 耽美的音楽と審美性から、ある種「浮世離れした」存在と見做されそうなjanとnaomiによる音楽は、その実、「諦念」と「希求」、「破壊」と「再生」の間に揺れる生活者の告白として、極めて実直で真摯なものだとも言える。
 この、蠱惑的なほどに極めて静謐な音楽は、静寂に取り囲まれるとときに静寂そのものが我々を圧するような不安を喚起するように、静謐であるがゆえ我々を内省へと誘い、内省の果には実存世界の外延へと連れ出しもする。熟れ、爛れ、饐えを抱えながら、それでも今、救いを希求する。破壊を受け入れながら、そこから新たな物語を紡いでいく。
 卓越した現代のレクイエム集であるとともに、賛美歌集とも言える本作『Fracture』をリリースしたjanとnaomiのふたりに話をきいた。

naomiさんと一緒に音楽を作りはじめた時期、反骨精神のある音楽がすごく好きで。そのなかで何がいちばんパンクなのかって考えたときに、もちろん大きい音を出して真正面からぶつかっていくのもすごくカッコいいんだけど、東京の渋谷で、絶えず様々な音が無秩序に鳴っているところで、それを「フッ」と止めるというようなことがもっともパンクかな、と思ったんです。

2016年の前作EP『Leeloo and Alexandra』のリリース以降、フジロックやロシアのフェス(V-ROX FESTIVAL)への出演や、映画『Amy Said』の音楽担当など、いろいろなフィールドで活動してきたかと思うのですが、そういった経験は今作に制作に影響を与えていますか?

jan(以下j):いちばん大きかったのは映画音楽制作の経験ですね。

naomi(以下n):劇伴すべてとエンディング・テーマを、という依頼で。限られた予算内で多くの楽曲を作らなくてはいけなかったので、レコーディング・スタジオに入る予算も無くて、自宅で完パケまでもっていけるようなやり方をしっかりしなくてはいけなかった。だから自然と俺もjanもDTM的に制作する環境が整ってきて。それは今作の制作を進める上で影響がありましたね。今までは、生ドラムと、アンプから出しているギターの音を主軸にしていたものが多かったんですけど、そういうプロセスではない楽曲が増えたというのがあります。

いままでは普通にプリプロを制作して、それをスタジオへ持っていって、というようなスタイル?

n:そうですね。

今回はふたりがお互い事前にデモを投げあって、みたいな感じ?

j:お互いに交換するっていうよりは、基本スタジオに入るまでは別々に形を作って、スタジオに入ったらふたりでいろいろ遊ぶっていうやり方だったかな。

そういうプロセスがアルバムの音にも反映されている気がしますね。これまでに比べてギターよりもピアノが目立ってきている感じとか、エレクトロニクス音の比重も増えている気がしました。

j:naomiさんが打ち込みで作るものもあれば、俺がシンセサイザーを使うということもあったり。あと家でヴォーカルも取れる環境になったことも大きかった。

新作についての話に本格的に入る前に、映画『Amy said』の音楽制作について訊いておきたいんですけど、おふたりの音楽は所謂映像喚起力が強いなという気がしていて。基本英語詞であるにも関わらず、特定の風景を喚起させるというか。監督の村本さんとしても、そのあたりを汲んでのオファーだったと思いますか?

j:たぶん最初は監督もそういう気持ちだったと思うんだけど、徐々に監督にも明確なヴィジョンがあるっていうことがわかってきて。

n:打ち合わせのときにラフの映像を見ながら「具体的に思っていることがあったら教えてください」って言ったら、めちゃ具体的で(笑)。

「こういう音をここに入れてください」的な?

n:そうです。「何年代の誰々みたいな音楽が欲しい」とか、「ここはテクノで言うとあの時代の感じ」とか、「バーで鳴っているBGMも欲しい、このマスターはこの年代の音楽に影響を受けているから、たぶんかかっているのはこういう音楽だ」といったような。

そういう意味では、アーティストっていうよりプロの映画音楽作家さん的な感じですね。それが経験としては大きかったと。

n:そうなんです。いままでトライしなかったこともできたし。「トミー・ゲレロみたいな曲で」というようなオーダーとかもあったな。

映画音楽って、監督によって全然やり方違うみたいですよね。厳密に音符レベルで指定してくる人もいれば、「ふわっとした感じでお願いします」みたいな人もいる、と。いろんなミュージシャンに映画音楽制作の話を聴くと、みなさん「大変だけどいろいろ鍛えられる」というようなことを言いますね。

n:それはかなりありますね。

j:結局、僕らも映画音楽のプロじゃないから、作ったものにはjan and naomiらしさはやっぱり残ってはいるんですけどね。

今回のアルバムはとくに映像喚起力が強いなと思いました。各曲、何か具体的な映像世界を想定した上で曲作りしていくんでしょうか?

j:前作までは割と、イメージや言葉の輪郭を帯びていないものを曲のなかに投げ込んで聴き手にそのエッセンスを自由に解釈して欲しい、というのがあったんですが、今回、自分が歌詞を書いたものに関しては具体的にして、抽象表現は抑えてストーリーテリングする感じでやりたいなあ、と思いました。聞き手によってはもしかしたら以前より映像性がなくなったと思うこともあるかも知れないけれど、割と自分的には具体的なヴィジョンが見えたものを投げ込んでいるというイメージです。

場面設定的がしっかりある感じを受けました。

j:劇っぽくつくれたらな、と思っていました。

各曲、曲ごとにテーマを先に設定して、そこから作っていく、という形ですかね?

j:俺が作った曲は最初に歌詞書いてという感じだったんですけど、naomiさんは?

n:はじめはテーマはとくに決めないですね。何か映像にあてはめるような作り方もしていない。

曲を作っていく段階で徐々にテーマのようなものがあぶり出されていく、と。

n:そうですね。

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janの声は独特で、音程がなくても成立するような感覚があって。ひとりで活動していた頃やjan and naomiの初期にはそういう曲がけっこうあるんですが、音程が合っていないないというかズレているのかな、というのも含めて味にするような歌声と歌い方もできる。


jan and naomi
Fracture

cutting edge

Post-PunkEthereal

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先ほどデモは各人で作っていくと言っていましたが、その後のふたりのキャッチボールってどうやっているんでしょう?

n:普通のバンドと違うところだと思うんですが、僕たちはデモをつくったら基本的にはそれで完成というイメージ。今回は、その後レコーディング・スタジオで録っていくなかで、もう一方がその上でいろいろと遊ぶ、みたいな感じでした。家で8割9割仕上げて、スタジオでしか録れないものを録り直したというようなやり方が多かったですね。

j:その遊び方もまったく定形があるわけじゃなくて。例えばお互いが作った曲について、演奏的にはほぼ何もしてなくても、意見をひとつの楽器として織り交ぜていく、というか。例えば俺が演奏して歌ったものに、naomiさんが「ああしたほうが良いと思う、こうした方が良いと思う」と言うことが、jan and naomiの音楽の色というか、ひとつのフィルターとなっていると思います。

細かなアレンジとかもほぼ作曲者の主導で?

n:俺の曲はそうでした。janのものは、弾き語りのデモが用意してあって、セッションしながらレコーディングしていく、みたいな感じでしたね。

j:割合コラージュっぽく部分的に、っていうのが今回はとくに多かったかな。

一般的な、Aメロ固めて、Bメロ固めて、構成作り込んでいって、プリプロ作って、スタジオにもっていって、録って、ラフミックスして、みたいな感じで作っていないのだろうな、というのは感じました。音の差し引きなども当意即妙にその場でやっているのもけっこうあるんだろうだとうな、という。非常に作り込まれているのに一方でセッション感もあるという、不思議なバランスだなと思いました。

j:ミックスがはじまってから音を足すこともありましたね。

ミックスはエンジニアさんと?

j:メールベースで意見を言い合ってという感じですね。

音像の部分でも、一聴して全体にすごく深さと広がりがありつつ、曲ごとの緩急もあって、構成的なこだわりも感じました。

j:最近になって思い出したのは、互いの曲が徐々にビルドアップされていく上で、この曲はEQ的にビルドアップしたから、あの曲のこの部分をちょっとマイナスしてみようとか、そういうことがあったな、ということ。例えばnaomiさんがある曲のなかでシンセサイザーにリバーブを深くかける判断をしたときに、俺のこの曲のリバーブは逆にもう少しカットして、マットな曲の響かせ方にしようかな、とか。それがレコーディング~ミックスのプロセスのなかで多くあった気がしますね。

それぞれすごく空間的な処理なんだけど、1曲1曲の粒立ちというか個性みたいなものがちゃんとありますよね。曲ごとでBPMに幅があるとかじゃないのに、そういう各曲の個性がある。

j:たしかに自然とbpmだけはそんなに離れていない形になりましたね。

野田:音響はすごく独特ですよね。俺も聴いて思いますね。

「ダーク」といえばいいのか……重いけど広がりのある空気感というか。おふたりの音楽的趣向が音響デザインに反映されてるんでしょうか?

j:あまり何かに影響されてこうなったというのはないかな。それより、日々naomiさんとライヴをして一緒にお酒飲んだりとか、そういう普段の生活のなかから得たことが大きいかもしれない。大概そういうことって歌詞にしか影響しないと思うんだけど、お酒を飲んでいるところでかかっていた音楽とかが無意識に影響しているのかも。

もともとおふたりは、渋谷の百軒店で別々で活動している中で知り合ったらしいですね。例えば学生時代に出会って、とかいうような場合、お互いどんな音楽が好きとか話をする中でバンドに発展するというのが一般的かなと思うのですが、おふたりの場合は、どういう形で音楽的ルーツの共有といったことが行われたのでしょうか。

j:「これが好き、あれが好き」っていう音楽の話をする前に、曲を一緒につくる機会があって。それで出来た曲がいい感じだったんです。

n:もともとjanの音楽が好きだったし、janももしかしたら俺の音楽を好きでいてくれたのかしれない。だから最初に曲を一緒に作ってみても上手く行ったということなんじゃないかな。

野田:性格的に気があったとか?

n:俺のほうが年上で、ちょうど良い年の離れ方だったっていうのもあるかもしれないですね。物事を決める時にもケンカしないし、素直に譲れるし、janも譲ってくれることもあるし。

野田:性格を陰と陽に分けるとすると、どちらがどちらですか?

n:場面によるんですけど、基本的には通常時はjanの方が陽で俺が陰。でもお酒を飲むと俺のほうが陽になる。janは逆にお酒を飲むとどんどん陰に向かっていく(笑)。

野田:そういう観点からもバランスが良いんですね。お互い陽になっちゃうとね(笑)。

j:取り留めのないことに(笑) 3年に1回くらい稀にふたりとも陽になるときもありますけどね(笑)

ふたりとも歌声の面でもまったく違った個性を持っていますよね。naomiさんはハイトーンヴォイス。janさんは、レナード・コーエンなども思わせるような低い声。お互いの歌声の魅力を挙げるとしたら?

j:naomiさんの声は怖いくらい透き通っていて、そのホーリーな感じに感動します。

n:janの声は独特で、音程がなくても成立するような感覚があって。ひとりで活動していた頃やjan and naomiの初期にはそういう曲がけっこうあるんですが、音程が合っていないないというかズレているのかな、というのも含めて味にするような歌声と歌い方もできる。今回は歌い方を試行錯誤してヴォーカルのテイク数も重なっていきましたが、以前は1回録っても5回録っても全部OKという感じだった。厳密に言うと外れているけど、それがむしろ良い、っていう。

j:今回のように抽象性が薄い曲の場合、いままでの歌い方だとどうしても説得力がなくて、歌い方を変えた曲もありました。

ちなみに、技術的な影響を受けているかどうかは別として好きなシンガーっていますか?

j:エルヴィス(プレスリー)かな。

おお、意外な気がしつつ……でもわかる気もする……。

野田:ほんとに? 冗談とかではなくて(笑)?

j:本当ですよ(笑)。子供の頃から好きで、いまも変わらず好きかな。

どんなところが好きですか?

j:なんといえばいいか……聴いた瞬間に自然とゾワッとするというか。神聖なときもあれば、すごく悪魔的なときもある。そういったものに魅了されるんです。そういった振れ幅があるものは、エルヴィスに限らず好きですね。でも、エルヴィスはその究極形といえる歌声だなあと個人的に思います。

どこかでjanさんの歌声が「スコット・ウォーカーを思わせる」と評されいてるのを見ましたけれど、彼の歌にもそういう振れ幅がある気がしますね。

J:そうですね。でもスコット・ウォーカーの歌声も美しくて好きなんですが、甘さがないかな、と。エルヴィスにはそれもあるな、と感じます。

naomiさんは?

n:玉置浩二。

また意外な。

n:あとASKA。

おお……。

n:歌がいいって思う人って誰かなあ、っていまずっと考えてて。一番最初に出てきたのが玉置浩二。

それは親の影響で聴いていたとか?

n:2年くらい前に、僕らがよくいく渋谷の「カラス」でケヴィンさんっていう常連さんが、玉置浩二をずっとかけて歌の魅力を店中の人に語っていた夜があって。安全地帯含め玉置浩二の存在は知っていたけど、「歌が良い」っていう耳で聴いたことはなくて。で、「ああ、良いな」と。

ASKAは?

n:ASKAの歌もやっぱり本当に独特で、歌い出して2秒で「あ、これASKAだ」って思わせる声の独特さ。歌上手い人っていうのはたくさんいるけど、玉置浩二も含めその人だけの「節」があるな、っていう人に憧れる。

自分の声の帯域に近いとかは関係なく……その人だけの個性がある歌声が好きということですね。

n:正直ジェイムス・ブレイクとボン・イヴェールのヴォーカルの差とかわからないですよ。好きな人はわかるんでしょうけど。自分の歌に関しても、「あれだったら誰が歌っても一緒じゃん」ってなったら嫌だな、っていうのはあります。

野田:jan and naomiを聴いて日本的だとは全然思わなかったし、言われなければ日本のアーティストだって気づかずに聴いてしまえると思うんですよね。だからいまの「玉置浩二の歌が好き」っていうのは無理して言ったんじゃないかなと疑っていますけどね(笑)。本当はジェイムス・ブレイクやボン・イヴェールが好きでしょ! ライバル心があって言えないんじゃないんですか(笑)?

n:いや、そんなことないですよ(笑)。

j:でも今回のアルバム、外国人の友達に聞かせると、「アニメっぽい」って言うんですよ。

へえ~。

j:微妙な細かいところに、アニメ的にニュアンスがある、と。

無意識で出てしまう日本固有の土着性みたいなことなんでしょうか……?

j:おそらく。歌謡曲感ということの延長線上なのかもしれないですけど、アニメっぽいメロディだったりピアノのフレーズが入っていると言われて、確かにそういう耳で聞き直したら、そうなんですよね。ジブリっぽさというか…久石譲的なものを連想させる要素が意外と入ったりしているのかもなあ、と思いました。

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勇気づけられたのはSTRUGGLE FOR PRIDE。音源ももちろん聴いてますが、やっぱりライヴですかね。

おふたりとも育ちは日本ですか?

n:俺はニュージーランドに90年代の5年間くらい住んでいたことがあります。

J-POPが日本から耳に入ってきて意識したりとかは?

n:当時はJ-POPを聴きたかったですけどインターネットもなかったから簡単に聴けなかった。憧れはありましたけど。

janさんは?

j:俺は幼少期から日本です。

では日本の音楽には10代のときから普通に触れていて。

j:それがあんまり……母が好きな洋楽が家ではよくかかっていましたね。ニルヴァーナとかPJハーヴェイとかその当時のリアルタイムなもの。

それでも滲み出てしまう日本の土着感というのがある意味魅力ということですかね。何かミーム的に受け継がれているものが無意識に入っているのかも知れないと……。ちょっと話を変えて、アルバムのタイトルについてですが、「Fracture」という単語には「骨折」とか「硬いものが玉砕する」とか、ちょっと物騒な意味であったり、または「複雑性」という意味もあるみたいですが。

j:辞書をひいて大体初めに出てくる意味は「骨折」ですね。

n:これは実際の経験談から来ているタイトルです。

骨折の経験ってこと?

n:そうなんです。このアルバムのジャケットの打ち合わせも兼ねてアートワークをやってくれたChim↑Pomたちと飲んだ日の帰りに、泥酔していて高円寺の住宅街で足を折ったんです。

野田:もう治ったの?

n:大体。まだボルトとか鉄板入ってるんですけど。

え、けっこうな骨折だ。

n:で、アルバム・タイトルをどうしようって考えていたときに、「骨折」って英語で何ていうんだろう、って調べて。単純に「broken bone」だと思っていたけど、「fracture」っていう言葉があると知って。しかも、janが過去に映画に出ていることがあって、そのタイトルもまた「fracture」で。あ、これタイトルに良いかもなって思ってすぐjanに相談しました。骨が折れる、硬いものが壊れる……破壊、と連想をしていくなかで、僕らがいま生きている2017年~2018年の渋谷を見ると、ビルがどんどん壊されて再開発されている。そこから、時代とも「fracture」というワードが共鳴しているかも知れないと思って、俺の肉体とこの街との繋がりもある、と。初めはそんなに意味を持たせるつもりもなかったんですけど、自然とそうなっていった。

仮にこの曲たちからひとつ言葉を抽出せよとなったとき、「fracture」ってすごくピッタリなワードだと思いました。

n:そうですよね。その気もなく歌詞書いていたら、破壊と再生というイメージが立ち上がってきたというか。終わりからまた物語がはじまるといったイメージ。

いきなり1曲目のタイトルが“THE END”という。ドアーズの同名曲はアルバムの最終曲でしたが、今作では幕開けの曲として置かれている。これにはなにかこうした意図があると思うのですが。

n:そう。曲順上これだけはこうした理由があって。アルバムを作るとなると、いままで作ってきたEPよりちゃんと曲順を考えなくてはならない。けれど、各曲歌詞も「これが最初で、これが次で、これがその次で」といったように時系列的に並べる感じではないし、どうやって決めようかなって思っていたんです。けどこのM1を“THE END”というタイトルにしたとき、ふと、映画も最後に“THE END”となって終わるけど、その映画の世界では明日もあるはずだ、と思って。終わりからはじまるなにかもあるはずだ、と思ったんです。

ネガティヴなモチーフ、終焉、破壊、そして罪の意識、喪失、諦念が散りばめられながら、そして一方で再生への希望も求めている……。実際に「神」という言葉も出てくるし、キリスト教的世界観を強く感じたんですが、それはやはり意識して?

j:とくに意識的というわけではないかもしれません。宗教ついても興味を持っていろいろ勉強もしたんですけど、教義そのものというよりキリスト教美術のあり方が好きで、そういう文献を読んでいたりするから、自然とそれが反映されているかもしれない。そういったなかで、人が何かにすがったり祈ったりするプロセスが凄く美しいなと思うことがあって。地獄から天国へ這い上がる願望だったり、人間の根本的な祈りの心性に魅了されることが多いです。

そういった祈りの賛美という感情がある一方で、諦めというか、すごく膿み疲れている感じというか……ある種の厭世的世界観とのバランスが興味深かったです。日本語訳詞を読んで「こんなダークなことを歌っていたのか」と驚きました。いま自身がそういうモードなのか、前々から本質的ににそういう傾向があるのか。

j:うーん。諦めがあって、しかし祈る気持ちが生まれて、けれどまた諦めて、みたいなエンドレスなループが常にあるかもしれないですね。

衝撃的だったのが「悪魔」というモチーフが頻出でした。しかもその誘惑に惹かれている自己というのが描かれている気がして。歌詞のなかにそういった表現を入れるというのは勇気あることだなと思いました。これは、自らの弱さを表明しているのか、それとも純粋に「悪」というものへ憧れがあるのか。

j:いや、憧れと言うより、悪魔も神もどちらも美しい、という視点で物事をみたいということの現れだと思います。「神も悪魔だし、同時に悪魔も神である」という思いでいます。

naomiさんもそういう世界の見方に対しては共感できる?

n:俺は直接的にはそこまで共感することはなくて……。俺の曲の場合は、あくまで物語というか、そこに作者たる俺の本心や主観的な感情が表れているっていうわけではないですけね。

そのときに物語を駆動させるものは?

n:例えばさっきも話に出た渋谷の再開発で見えてくる破壊と再生というもの……。僕らが制作に至るまで、そして歌詞が完成するまでの日々の歩みですね。それこそ、こうやってみなさんと知り合って話すなかで感じたこととか、友だちと飲んで骨折ったこととか、飲みすぎちゃったこととか、そういったことがベースにあるんでしょうね。

いまの時代これくらいダークな力がある歌詞って珍しいなという気がしました。アメリカン・ゴシックのような世界、例えばある時期のジョニー・キャッシュとか、デヴィッド・リンチとか……それを渋谷っていう風景にオーヴァーラップさせると、ここで描かれているような世界になるのかな、とも思いました。

j:どこにでも潜んでいる伝統的な悪のエネルギーみたいなもの、絶対に変わらない悪のようなものが少しでも輪郭化されて、認識することができれば、逆に恐れがなくなるんじゃないかな、って思うことがあって。無視することでは恐れは解消できないけど、認識することで怯えがなくなるのではないか、というような。

見ないことによって却って知らぬうちにその悪に取り込まれてしまうかも知れない、というね。怖いものをあえて見ることで強くなる、という感覚は分かる気がします。いまの「恐れ」ということで思い出しましたが、やはりこの音楽の、特異ともいうべき静かさについても伺いたいです。静かさって、リラックスもさせるけど時にすごく不安を喚起させもしますよね。子供の頃、周りが静か過ぎることで逆に泣き出してしまったりとか。

J:わかります。

「静か」というのは心地いいということだけではない、という意識があるのかなと思ったのですが。

j:naomiさんと一緒に音楽を作りはじめた時期、反骨精神のある音楽がすごく好きで。そのなかで何がいちばんパンクなのかって考えるときに、もちろん大きい音を出して真正面からぶつかっていくのもすごくカッコいいんだけど、東京の渋谷で、絶えず様々な音が無秩序に鳴っているところで、それを「フッ」と止めるというようなことがもっとも、パンクかな、と思ったんです。

なるほど。コデインとかロウとか、かつてスロウコアと呼ばれたバンドたちも、ポスト・ハードコア的文脈から出てきたということを思い起こさせる話ですね。わちゃわちゃしたものがレベル・ミュージックの主流だと思われがちなところに、カウンター加えてやろう、というような?

j:そうですね。

野田:では自分たちが勇気づけられた音楽ってなんですか?

n:STRUGGLE FOR PRIDE。音源ももちろん聴いてますが、やっぱりライヴですかね。

野田:いつ観たんですか?

n:「RAW LIFE」の頃に初めて観て。

それはどういう意味で勇気づけられたんでしょう?

n:「音楽をやろう!」って思ったんです。「俺もやりたい!」って。みんなが楽しそうにしていて。「RAW LIFE」とか「CHAOS PARK」とかで、大きな規模じゃなくても、自分たちで手作りの楽しい空間が作れるんだ、っていう気持ちを持った。僕らもいつも飲食店とかでライヴをするけど、店の人と俺たちとお客さんだけで勝手にやっている感じ。そういうのはあの時の経験に勇気づけられているかもしれないです。

janさんは?

j:具体的に「この出来事」というのはないんですけど、聖歌かな。いろんな音楽を聴いて、ああだこうだいろいろ考えはじめちゃうときに、ふとグレゴリオ聖歌のレコードをかけたりする。自分の心臓の鼓動だけ聞いて、それに正直にいれば良いんだという気持ちに戻れる。

僕は聖歌を聴いていると美しいなと思うと同時にちょっと空恐ろしくなってくることもあって……。

j:そういう風に感じるプロセス自体も一気にフッとなくなって、子宮のなかにいる胎児のような気持ちになる。完全に無意識に状態になれる。瞑想とは違うんですけど。普段の生活で人と話したことなどは、記憶としては蓄積されていくんだけど、その記憶のなかにだけに埋もれないようにする。その、埋もれないでいられるというこが喜び。

お話しているとふたりで本当にタイプが違いますね。

野田:そうだよねえ。SFP v.s.聖歌だもんね(笑)。

違いもあるけど、でも一緒に演っていると。

野田:むしろ違いがあるからこそ合うんじゃないですかね。

具体的な方向性は違えど、ふたりともエクストリームなものが好きってことは共通しているということですかね?

n:ハッとさせられるものが好き。

変にバランスを取ろうとしているものより振り切れたものが好き?

n:うん。

j:エクストリームなもの、例えばノイズとか聴いていても、俺は聖歌と同じ様に聞こえることもあったりしますね。

音楽以外にもいろいろファッションやアートにも興味があって実際にも繋がりがあると思うのですが、それらについてもやはりエクストリームなものが好きですか?

j:うん。

n:好きですね。

例えばさっきも話に出た渋谷の再開発で見えてくる破壊と再生というもの……。僕らが制作に至るまで、そして歌詞が完成するまでの日々の歩みですね。


jan and naomi
Fracture

cutting edge

Post-PunkEthereal

Amazon

野田:アートワークをChim↑Pomにお願いしようと思った理由は?

n:Chim↑Pomとは去年の夏に出会って、彼らのイベントに呼んでもらってライヴをやって。ジャケットは自分たちがやるよりも誰か外部の人に頼みたいなってずっと思っていて、誰か面白い人いないかなって考えていた時、年末に新宿で演ったライヴにまたChim↑Pomが観に来てくれて。ちょうどレコーディングも中盤に差し掛かっていて、そろそろアートワーク周りの話を本格的にしなきゃなってときに彼らに再会したから、その場のインスピレーションで「ジャケの制作とかやるんですか?」って訊いてみたら「いいよ」って言ってくれたので、お願いすることしたんです。

内容はChim↑Pomに一任って感じ?

n:そうですね。いくつか提案してもらって、その中から一つだけ選ばせてもらいました。

(ジャケットを見ながら)これって、琥珀ですかね……? 琥珀のなかに何かが入っている…?

j:いや、ドラム缶なんですよ、それ。

n:ドラム缶の中にエリイちゃんが入っているのを実際に上から撮ったらしいです。

え! そんなんだ。全然気づかなかったけど、そう言われてみるとたしかに人間が入っている。

j:ドラム缶に閉じ込められている女性っていうのが、寂れゆく都市、再生していく都市というこのアルバムの世界観に合っていると思います。

なにかの動物の受精卵のようなものかな、とも思いました。

n:そういう解釈もいいですよね。蓄光印刷にしてもらったので、これが暗闇で光るんですよ。それも受精卵とか、かぐや姫のような感じがあっていいなと思う。

野田:俺は繭のなかに人間がいる、と思ったんだよね。jan and naomiの音楽はどこかシェルターっぽいから、そのなかにいる女の子というふうな見方だった。まさかドラム缶だったとは。Chim↑PomとかSFPとか、渋谷の話とか、基本的にjan and naomiはアティチュードがパンクなんだね。

n:そうだと思います。だから、ジェイムス・ブレイクとボン・イヴェールに対して興味ないのも理解してくれました(笑)?

◎ツアー情報

【Fracture tour 2018】

2018年6月23日(土) 北海道・札幌PROVO
前売り:¥2,500 (税込・1Drink別)
PROVO電話予約:011-211-4821
メール予約:osso@provo.jp ※お名前・人数・連絡先をメールにてお送りください。
【問】PROVO 011-211-4821

2018年7月14日(土) 福岡・UNION SODA
前売り:¥2,500 (1Drink別)
チケットぴあ P-コード: 118-465
Live Pocket : https://t.livepocket.jp/e/4dw_4
メール予約 : info@herbay.co.jp ※お名前・人数・連絡先をメールにてお送りください。
【問】HERBAY 092-406-8466 / info@herbay.co.jp

2018年7月16日(月祝) 京都・UrBANGUILD
前売り:¥2,500 (1Drink別)
Urbanguild HP予約:https://www.urbanguild.net/ur_schedule/event/180716_fracturetour2018
ePlus:https://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002262177P0030001
【問】Urbanguild 075-212-1125

2018年7月21日(土) 東京 ドイツ文化会館 OAGホール(6/9チケット発売)
前売り: 立ち見¥2,500・座席指定¥3,500 (1Drink別)
ePlus:https://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002262177P0030003
【問】Slowhand Relation inc. 03-3496-2400


◎イベント出演

7/6 TOKYO CUTTING EDGE vol.02
@ liquidroom open/start 24:00
ticket now on sale
Line Up:長岡亮介 / jan and naomi / WONK DJ:SHINICHI OSAWA(MONDO GROSSO) / EYヨ(BOREDOMS) / DJ AYASHIGE(wrench)
https://cuttingedge-tokyo.jp/

GLOBAL ARK 2018 - ele-king

 DJミクが主宰する〈GLOBAL ARK〉が今年もある。場所は奥日光の、もっとも美しい湖のほとりだ。日本のダンス・カルチャー(とりわけワイルドなシーン)を切り開いていったリジェンド名DJたちが集結し、また、海外からも良いアーティストがやってくる。ローケーションもかなりよさげ。スマホが使えないエリアだっていうのがいい。〈GLOBAL ARK〉は、手作りの昔ながらのピュアな野外パーティだが、スタッフは百戦錬磨の人たちだし、屋台も多いし、宿泊施設もしっかりあるから、安心して楽しんで欲しい。気候の寒暖差にはくれぐれも気をつけてくれよ。

DUBFORCE - ele-king

 ダブフォースは、MUTE BEATのオリジナルメンバー、DUB MASTER X(MIX)、屋敷豪太(Dr)、増井朗人(Trb)を核とするダブ・バンド。WATUSI(Ba)、會田茂一(Gt)らも参加している。いとうせいこうもメンバー入りを表明しているというが、とにかく、ジャパニーズ・ダブの黎明期から場を積んできた強者たちによる、むちゃくちゃ年季の入ったダブ・バンドである。
 もちろんレゲエ/ダブに年齢なんて関係ない。ダブフォースは7月10日、渋谷クラブクアトロの30周年記念イベントに出演する。この島国に流れ着いたベース・ミュージックの発展型をぜひ多くの人に聴いて欲しい。
 また、バンドは初の7インチ・アナログレコードの発売も控えている。詳しくは彼らのホームページを見てください。
https://www.dubforce.tokyo/

@SHIBUYA CLUB QUATTRO

日程:7月10日(火)
場所:渋谷クラブクアトロ
時間:Open19:00 / Start20:00
料金:
前売り 4,000円(+Drink Charge)
当日 5,000円(+Drink Charge)
チケット発売日:4月21日(土)
チケットぴあ:0570-02-9999(Pコード:114-300)https://t.pia.jp(オンラインチケット購入はこちら)
ローソンチケット:0570-084-003(Lコード:70652)https://l-tike.com(オンラインチケット購入はこちら)
e+:https://eplus.jp(オンラインチケット購入はこちら)

チケット取扱店
HESHDAWGZ(03-3475-3475)
HMV record shop 渋谷(03-5784-1390)
HMV record shop 新宿ALTA(03-5362-3360)
Dub Store(03-3364-5251)
JET SET 下北沢店(03-5452-2262)/ ※4/22より取扱い
REDPOT(048-854-0930)

MORE INFO: https://www.club-quattro.com/shibuya/

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