「KING」と一致するもの

たった一人のパンク・ロック - ele-king

 最初に結論を──Kazuma Kubota のノイズは人間讃歌である。
 本稿はその命題から始められ、その命題に向かって終えられる。

 Kazuma Kubota。日本のハーシュノイズ作家。
 フィールド・レコーディングとアンビエント・サウンド、具体音とカットアップ・ノイズを、高度に・複雑に・立体的に──繊細な織物のように──、高い解像度で組み上げたスタイルを築き上げたその作家は、ノイズ音楽シーンに新たな地平を切り拓き、東西南北・老若男女問わず、多くのノイズ作家に影響を与え続けている。
 たとえば──伝説的ノイズ・ミュージシャンと言って過言ではないであろう──非常階段/INCAPACITANTS の美川俊治は、Kazuma Kubota の作品集『Two of a kind』に次のような言葉を寄せて絶賛している。
「Kazuma Kubota、この名前は覚えておいた方が良い。年寄りが跳梁跋扈する日本のノイズを、この男はいずれ背負って立つことになるのだから。理由? この作品を聴きなさい。それで分からないようなら、自分を諦めることだ」

 カット・アップによる切断。アンビエントによる縫合。音によって切り刻まれ混ぜ合わされるのは時空を把握する認識そのものであり、つまるところそれは、歴史そのものである。
 ぱっくりと切り開かれた傷口。そこから覗く時間と空間。飛び交う断片が再接続されたあとで浮かび上がる、全く新たなノイズの地平。そこでは徹底して人間の物語が奏でられている。都市の喧騒、秋の散歩道、冷たい料理を囲む何気ない雑談。ささやきと咆哮、呼吸──言葉以前の音──それらの音の数々は、意味を持たない端的な雑音=ノイズであり、記号の外にある非‐記号であり、認識されず、理解されないままに、見過ごされ忘れられていく日々の泡である。

 うつろいゆく雑音。
 そう、雑音は果てなくうつろい続けてゆく。

 Kazuma Kubota は、それらの雑音=ノイズを拾い上げ、無関係だったはずの音と音の間に連関を見出し、繋ぎ、磨き、大量のエフェクターによって加工し、スピーカーを通して再生し、名もなき雑音に名を与える。そうすることで彼は、顧みられないまま失われた、しかしかつてはたしかに存在したはずの風景を、音と音の間に現出させる。──1月30日。週末、駅前で待ち合わせ。秋の朝を歩く。枯葉が敷き詰められた道。息が白くなり始めている。音楽を聴いている。たくさんの時間が混在する。思い出が混濁する。自分がわからなくなる。わけもなく涙が溢れる。その場にうずくまる。「January thirty」と「A Sense of Loss」。音楽を聴いている。無数の音の粒子が、世界をふたたびかたどりはじめる。物語が、私に生きることをふたたび働きかける。私は立ち上がり、ふたたび歩きはじめる。都市の喧騒、秋の散歩道、今ここにある風景。

 全ての人間は物語によって世界に触れる。
 全ての人間は物語によってのみ世界に触れることができる。
 物語とは、人間の情緒に訴求することで情報を効率的に伝達する情報伝達形式ではない。
 物語とは、人間の情緒に訴求することで情報の外にある世界の広がりを想起させる表現形式である。

 これまで、多くのノイズ作家は物語を否定し、物語性を拒否し、自身の作品に物語性が混入することに抵抗してきた。物語という表現形式は人間の持つ認識機能の特性にあまりにも近しいがゆえに、情緒に訴え共感を呼び起こし安易に連帯をもたらす危険なものであり、世俗的で卑小で恥ずべきものである──ノイズに限らず現代の表象文化においてはそうした主張が知的なものだとされてきた。そして、そうした思想の傾向は今なお強く、むしろ深化し過激化しつつあるように思われる。

 たとえば、自身もノイズ演奏を行う哲学者のレイ・ブラシエは、雑音=ノイズも含め、人間の認識領域外にある「他なるもの/多なるもの」の生の実在を認め肯定し、彼らについての思索を展開する。ブラシエは、地球上から人間がいなくなり、「他なるもの/多なるもの」のみが残された「人類絶滅後の世界」において、いかに存在は在り続けるのかと考える。人類はいない、それでも宇宙はあり、人類がもはや認識することのない世界のなか、認識されえない存在は、どのようにして存在を続けているのかと。
 それはこう言い換えることもできる。存在を存在足らしめるものは人間などではなく、仮に「人類の絶滅」が訪れたとしても、作者とも聴者とも関係のない場所で、音楽は鳴り続けるのだと。そうした思想の背景には、根本的な人間性への否定が横たわっている。そして、多くのノイズ作家/ノイズ作品が体現する思想もまた、ブラシエの論理と同様の構造を持っている。人の介在を問わず、それ自体で立つノイズと呼ばれる音楽は、過剰な──完全な──人間性の否定へと繋がる危険性を孕んでいるのだ。

 一方で、Kazuma Kubota はそうではない。私はそう思う。
 Kazuma Kubota のノイズには、今ここに生きる人間の物語がある。Kazuma Kubota のノイズは、徹底して、あなたや私や彼や彼女など、今目の前に生きている人間に捧げられている。Kazuma Kubota は、そうした自身の音楽性について、インタビューで次のように語っている。
「僕は作品を作る上で映像的なストーリー性と、自身の感情を表現することが重要だと考えています。僕はハーシュノイズを単に暴力的な表現として使用するのではなく、もっと深い感情の爆発のピークを切り取ったイメージとして使用しています。アンビエントは悲しみ、孤独、喪失感、憂鬱、等の現実の生活の中で感じる、行き場の無い感情を表現する為に使用しています」

 Kazuma Kubota のノイズは人間の生活の中にあり、人間の感情を写し取り、人間に徹底的に寄り添うようにして鳴らされている。
 ノイズでありながら人間を肯定すること──それは、幸福も不幸も、快楽も苦痛も、自由も不自由も含め、あらゆる人間の生活を「既に在るもの」としてとらえ、人間の限界を引き受け、その上で肯定しようとする、絶妙なバランス感覚が必要とされる取り組みである。そして Kazuma Kubota は、そうした高度なアクロバットを成し遂げ、今なお成し遂げ続けている。そのようにして Kazuma Kubota のノイズは、人間讃歌として、私たち人類に向けて、まっすぐに奏でられ続けている。

 最後に一つ、私的な思い出について話したい。

 私が Kazuma Kubota の存在を知ったのは2013年のことだった。
 私は当時、大学を卒業して会社員になったばかりで、右も左もわからないまま、右へ行ったり左へ行ったりを繰り返していた。私は社会の中で混乱していた。私は疲れていた。もう何ヶ月も、月間の労働時間は400時間を超えていた。かつては映画を観ることや小説を読むことが好きだった。その頃には映画を観ることや小説を読むことはできなくなっていた。けれども幸いなことに、音楽を聴くことはできた。聴くのは決まってノイズだった。──ノイズを聴くと、自分が失われていくような感覚を覚えることがある。自分自身がノイズを構成する一つの粒子になっていくような感覚を覚えることがある。私はその感覚が好きだった。

 そうした日々の中で、私は Kazuma Kubota のノイズを聴いた。それは不思議な感覚だった。新しいと思ったが、新しいだけでもないと思った。そこには妙な懐かしさがあった。奇妙な音楽だと思った。それはたしかにノイズだったが、そこにあるのはノイズだけではなかった。そこには、記憶の中に堆積していたハーモニーやメロディの数々が鳴っていた。私は私の思い出を思い出していた。私は思い出の中を彷徨していた。そのとき私は、私が十代だった頃に聴いた、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやコールター・オブ・ザ・ディーパーズ、シガー・ロスにレディオヘッド、エイフェックス・ツインや七尾旅人を思い出していた。──いや、白状しよう、私の記憶はさらに過去へと遡り、私は小学生の頃に聴いた X JAPAN やブルーハーツすら思い出していた。
 それはなぜか。そこには何があったか。私はここで最初の文に立ち返る。「Kazuma Kubota のノイズは人間讃歌である」。──そう、結論はこうだ。そこには非‐人間に捧げられた、非‐意味の塊としてのノイズだけでなく、人間に捧げられた、意味の塊としての物語があったのだ。

「ノイズ・ミュージックは、たった一人でもできるパンク・ロックだ」と Kazuma Kubota は言った。
 たとえばそれがそうだとして、パンク・ロックが自分と他人の間に生まれる軋みを表した音楽だとすれば、ノイズとはまさにその字義通り、自他の間隙に生まれる〈軋み〉そのものではないだろうか。
 そう。軋みはここで鳴っている。いつものことだ。
 軋みはつねにすでにここにあり、そもそも自分と他人は隔てられているのだが、多くの音楽は隙間を満たすことで隔たりを隠そうとするその一方で、ノイズは、隔たりを隠そうとしないどころか軋みを浮き彫りにしさえする。ノイズは、私たちは一人ぼっちなのだと指し示し、そうであっても音楽の中で、一人ぼっちの私はこの上なく自由なのだと教える。

 Kazuma Kubota によって構成された新たなノイズ音楽=〈たった一人のパンク・ロック〉──フィールド・レコーディングとアンビエント・サウンド、具体音とカットアップ・ノイズ。「January thirty」と「A Sense of Loss」。都市の喧騒、秋の散歩道、今ここにある風景──それはたしかに一人ぼっちの音楽だが、一人ぼっちであるがゆえに、かつてブルーハーツが歌ったパンク・ロック=人間讃歌のような、優しさと愛に満ちた、現代の人間の物語が可能となっている。私はそんな風に考えている。

 人間は永遠に一人ぼっちだが、それは絶望ではない。
 kazuma Kubota が鳴らすノイズ──たった一人のパンク・ロックが、私にそれを教えてくれたのだ。


新世代の先進的リスナーを中心に幅広い注目と支持を集める Post Harsh Noise の旗手 “Kazuma Kubota” の現在廃盤となっている代表作品をCD化し6月3日(水) 2タイトル同時リリース!

さらに昇華したカットアップ・ノイズの復興を告げる基本資料。クボタの鋭く研ぎ澄まされた作品はどれも、多くのアーティストがその生涯をかけても生み出せないほどのアクションやアイデアに満ちている。 ──William Hutson (clipping. / SUB-POP)
真面目で甘酸っぱい音楽/ 音。フィルムや小説の短編集に近い感触。今後どうなっていくか聴いてみたいと思わせる作品でした。 ──朝生愛

タイトル:A Sense of Loss (ア・センス・オブ・ロス)
形態:CD (スリーヴケース+ジュエルケース+8Pブックレット)
品番:OOO-35
小売価格:2000 円+税
JANコード:4526180518259

トラックリスト:
1. Ghost
2. Memories
3. Sleep
4. Regret
 Total 25:16

タイトル:January Thirty + Uneasiness (ジャニュアリー・サーティー・プラス・アンイージネス)
形態:CD (スリーヴケース+ジュエルケース+8Pブックレット)
品番:OOO-36
小売価格:2000円+税
JANコード:4526180518266

トラックリスト:
1. January Thirty
2. Uneasiness
 Total 29:35

◆本年初頭の RUSSIAN CIRCL ES (US / Sargent House) 来日公演で共演を務めUKの〈OPAL TAPES〉からもリリースする等、新世代の先進的リスナーを中心に幅広い注目と支持を集める Post Harsh Noise の旗手 Kazuma Kubota の現在廃盤となっている代表作品をCD化し2タイトル同時リリース!
◆OOO-35 は2010年に米国のレーベル〈Pitchphase〉から限定リリースされたオリジナルEP。日常を思わせるフィールド・レコーディングや感傷的なドローン/アンビエントと切り込まれるカットアップ・ノイズのコントラストが単なるノイズ・ミュージックを越えた唯一無比のドラマを生み出す傑作。さらに本来収録される筈であった1曲を追加、晴れての完全版仕様となっている。
◆OOO-36 は2012年にイタリアのレーベル〈A Dear Girl Called Wendy〉から限定リリースされたワンサイドLP と、2009年に20部(!)限定でセルフリリースしたEPを1枚のCDにコンパイル。断続と反復を多用したブレイク感溢れる冷たくも激しいハーシュノイズと穏やかなアンビエントの狭間を揺らぎながら突き進んで行く “January Thirty”、雨音のフィールド・レコーディングとギターのアルペジオから幕を開け従前のノイズ観を独自の美意識で更新した意欲作 “Uneasiness”。ともに新時代のノイズ・ミュージックの発展性を示した
重要な内容だ。
◆本再発にあたってはリマスタリングエンジニアに SUMAC, ISIS, CAVE-IN 等のポストメタルの名盤から映画音楽まで幅広く手がける名匠 James Plotkin を起用。スリーヴケースに保護されたジャケットには Kubota 本人による撮りおろしの風景写真が収録された8Pフルカラーブックレットを同梱、Kazuma Kubota 独自の世界観を視覚面からも表象している。
◆国際シーンで人気を獲得し既に各地にフォロワーをも生み出している新たなるノイズ・フォーマットの提唱者として注目すべき作家の隠されたマスターピース、いまここに初の正規流通!

Primitive World - ele-king

 コロナ・ショックが起きるまで最も的確な未来像を描いていたフィクションはTVドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』(2011〜2019)だと思っていた。ポピュリスム政治と移動の自由、商人たちが政治的に独立した要塞都市で暮らし、荒野をさまよう主人公たちの姿が新自由主義によって再帰した「万人の万人における闘争」と重なって見えたことも大きかった。実際にはイギリスの南北格差を復讐劇の骨子とし、フェミニズムの機運を商業的なタームに取り込んだことがバカ当りの要因だったのだろうけれど、あまりにもマーケティングの手の平の上で転がされている気がしてしまい、「シーズン5」までで観るのはやめてしまった(なので、デナリス・ターガリエンがどうなったのかいまだに気になっている)。『ゲーム・オブ・スローンズ』で描かれたヴィジョンはコロナ・ショックが移動の自由に制限をかけたことで一気に揺らぎ、女性指導者の優位が示されたことでファンタジー性も薄くなった(日本では在宅勤務が増えることで日本的集団制に変化の兆しがあるかもしれない)。ハンガリーやブラジルのように独裁政治が際立った国もあったけれど、多くの国では社会主義的な政策がとられ、同じディストピアを構想するにしても、これからは『ゲーム・オブ・スローンズ』が示したものとは異なるムードを模索するようになるだろう。最初に『ゲーム・オブ・スローンズ』を勧めてくれたのはLAに住むフェミニストの友人で、彼女は「セックス・シーンが多すぎる」と留保をつけ、作品的には「あまりにソープ・オペラなんだけど」と苦笑まじりではあった。しかし、『悪徳の栄え』や『結晶世界』、『愛の嵐』や『獲物の分け前』など官能性に裏打ちされたアナーキズムの傑作は数多く存在する。『ラスト、コーション』、『LOVE 3D』、“Je T'aime“、“好き好き大好き”、『マダムとお遊戯』、『先生の白い嘘』……なかでもロレンス・ダレル『アレクサンドリア四重奏』は松岡正剛が「恋愛一揆」と評するほど、その筋では古典として名が通っている。コロナ・ショックが『ゲーム・オブ・スローンズ』から奪ったものはむしろそうした「ソープ・オペラ」の背徳性だったのかもしれない。エスカイア誌が選ぶ「最も官能的なセックスシーン」では「シーズン3 第5話」で行われたジョン・スノウ(童貞)のオーラル・セックスが堂々の1位を獲得している(7位と8位に入った『マッドメン』と10位と11位に入った『アウトランダー』も確かにすごかった)。

 プリミティヴ・ワールドことサム・ウィリスのセカンド・アルバムはロレンス・ダレルが『アレクサンドリア四重奏』から約10年後に発表した『アフロディテの反逆』を題材にしている。現在では入手困難なので詳細はわからないけれど、パリの五月革命にインスパイアされた政治的な要素の強い風刺小説とされ、多国籍企業やメンタル・ヘルスに焦点を当てたものらしい。主人公の妻イオランテは死んでロボットとして生まれ変わり、それが自壊してしまうまでのお話。思想的にはニーチェの影響が色濃いという。“イオランテが踊る(Ioanthe Dances)”、”理想が凝縮した肉体(Flesh Made From Compressed Ideals)”、”皮膚は鉛を混ぜた石膏(Skins Plastered With White Lead)”と確かに曲のタイトルは小説に沿っている。“墓の間にキアシクロゴモクムシ(Harpalus Among The Tombs)”とかはよくわからないけれど……はっきりとわかるのはサウンドがあまりにもカッコいいということ。オープニングは神経症的なグリッチ・ミニマルで、同じくグリッチで再構成されたUKファンキーと続き、これだけで軽くDJプリードやサム・ビンガは超えてしまった。なんというケレン味。ブレイクダンスの新世紀が視覚化されたよう。タラタラとした“Into The Heart Of Our Perplexities”で焦らしたあげく“Skins Plastered With White Lead”ではディーゴを意識したらしきブロークン・ビーツをアルヴァ・ノト風に仕上げたジャズ・ドラム。

 リズム・オデッセイは後半も続き、最後を飾る”The Foetus Of A Love Song”では無機質なドローンへなだれ込み、ディストピアの余韻を存分に染み込ませる。使用した機材は前作『White On White』(駄作です)とまったく同じだそうだけれど、出来上がったものは何もかもが異なっていて、同じ人物がつくり出したサウンドだとは思えない。2010年にベッドルーム・ポップのアレシオ・ナタリツィアと組んだウォールズで独〈コンパクト〉からデビューし、3枚のアルバム(とダフニー・オーラムの音源を再構成したアルバム)をリリース。ナタリツィアはノット・ウェイヴィングなどの名義で多様なソロ活動を行い、ジム・オルークやパウウェルらとジョイント・アルバムをリリースしたり、ジェイ・グラス・ダブと新たにユニットを結成するなど2010年代の才能として加速度をつけていたなか(ドナルド・トランプのスピーチを延々とサンプリングした”Tremendous​”はタイトル通り実に途方もない)、一方のサム・ウィリスには目立った動きがなかったものの、ここへ来て一気に逆転という感じでしょうか。むしろノット・ウェイヴィングがトランスやアシッド・ハウスに回帰しつつあるいま、ウィリスの先見性は異様に目立っている。当たり前のことだけれど、人の才能というのはわからない。サム・ウィリスとアレシオ・ナタリツィアがもう一度、タッグを組んだら、そして、どんな作品をつくるんだろう。

interview with Sonic Boom - ele-king

 ソニック・ブーム。
 スペースメン3のふたりのファウンダーのうちのひとりである。イギリスのサイケデリック・バンド、スペースメン3はわずか10年に満たない活動期間(1982年~1991年)の間は一部の熱狂的なファン以外にはあまり知られることはなかったが、特にここ日本でスペースメン3の受容史はまあ、お寒いのひとことではあった。来日公演はもちろん一度もなかったし、そのアルバムがリアルタイムで発売されたのはほとんどバンドが解散状態にあった1991年の4作目にしてラスト・アルバムとなった『Recurring(回帰)』のみというぐあいである。
 しかし、実はこの『Recurring』以前にスペースメン3関連のアルバムがひっそりと日本でも発売されていた。それがソニック・ブームのファースト・ソロ・アルバム『Spectrum』だ。
 ストーン・ローゼズがデビュー・アルバムを発表し、一躍話題となった〈Silvertone Records〉から1990年にリリースされたソニック・ブームのソロ・アルバムは、ストーン・ローゼズ人気のおかげでまさかの国内盤発売が実現したのである。それがどのくらい売れたのかはまあ、あまり書かないほうがいいだろう。当時の音楽誌などで大きく取り上げられることはなかったし、そもそもそんなに大量に売れるような内容でもなかったのは確かだが。ちなみに国内盤の帯に書かれたキャッチコピーはこうだった。

「ほとんど犯罪的な覚醒サイケ~SPACEMEN3のソニック・ブームによる別プロジェクトアルバム」

「犯罪的な」とまで書かれてしまったこのアルバムは、しかし例えばソニック・ブームを知らない人が「お、ストーン・ローゼズのアルバム出したレーベル? じゃ買ってみようかな」とか言って手を出してはいけないブツだったということは間違いなく言える。


Sonic Boom
All Things Being Equal

Carpark / ビッグ・ナッシング

Amazon Tower HMV

 その後、ソニック・ブームはソロ名義ではなく、ソロ・アルバムのタイトルであった Spectrum をユニット名として、同じ〈Silvertone〉からアルバム『SOUL KISS (Glide Divine)』を1992年にリリース。以後はこの Spectrum と、より実験的なユニットとして Experimental Audio Research (E.A.R.)のふたつの名前で活動していくことになる。
 近年はメジャーの MGMT のプロデュースなども手掛けるようになった反面、自身の音源のリリースは減っていたのだったが、2020年になって突然ソニック・ブームがアルバムを出すというニュースが舞い込んできた。しかも、それは Spectrum 名義でもなく、E.A.R. 名義でもなく、ソニック・ブーム名義による30年ぶりのソロ・アルバムだというのだからさらに驚きは倍増なのだが、やっと届いた音を聴くとさらに驚きが待っていた。なんだこの明るい曲調は? スペースメン3のラスト・アルバム冒頭のダンス・チューン “Big City” をテンポダウンさせたようなオープニング・トラック “Just Imagine” からやたら多幸感に溢れている。アルバムを貫くオプティミスティックなムードにちょっと戸惑いながら、いまは南欧のポルトガルにいるというソニック・ブームと Skype でつながった。

※本インタヴューは、『All Things Being Equal』のライナーノーツに掲載されているインタヴューと同じタイミングで収録されたものです。両方合わせて読むと、より新作の全貌に迫れます。

分業したほうがいいなんてのは現代の神話みたいなものだと思うよ。ときにはうまいこと分業するというのも必要かもしれないけど、全体を見渡す視点を持つことが大切だと思う。音楽だけじゃなく他のアートも含めてね。

1990年に〈Silvertone Records〉からリリースした『Spectrum』以来、実に30年ぶりのソニック・ブーム名義のソロ・アルバムということになります。そのアルバムをリリースした後はその名義をご自身の音源制作では使わず、Spectrum、Experimental Audio Research(E.A.R.)というふたつの名義で制作を始めることになったのはどういう理由だったのでしょうか?

ソニック・ブーム(以下、SB):「ソニック・ブーム」は自分ひとりのソロで活動するときに使う名前で、「Spectrum」は他のアーティストやソングライターとバンド形式で曲や歌をメインに活動する名前。「E.A.R.」として作る音楽は楽曲に重きを置くのではなく、サウンドを重視したものにしているんだ。この3つの名前を使いわけることにした主な理由は、区別をつけるためだ。自分だけで作ったソロの作品ではないのに自分の名前をつけるようなことはしたくなかったんだ。そういうのはグループとしての作品であるべきだと思う。もしグループではなくて自分ひとりで作ったのであれば、もちろん自分の名前を使うよ。Spectrumのアルバムは1曲につき最低でもひとりは他のアーティストと一緒に作っていた。当然彼らは楽器を弾いたりするわけでね。そう、Spectrum はコラボレーション・ユニットなんだ。

Spectrum と E.A.R. というふたつのユニットを使い分けていくなかで、自分のなかでこれらのユニットに対する態度に変化はありましたか? もしかすると、今回のアルバム・タイトル「All Things Being Equal」という言葉が、Spectrum と E.A.R. の境界線が曖昧、というか融合していくということを表しているのかなとも思ったりしますが……。

SB:確かにその境界線というのは曖昧なものではある。名義というものは、最終的に作品をどのようなものにするのかを考えるときに僕が決めなきゃいけないことのうちのひとつなんだ。Spectrum と E.A.R. も自分のなかで区別はつけてはいるけど、本質的にはすべて僕の音楽活動だし、劇的に違ったことをしようとはしていないよ。それぞれのプロジェクトで違うことをしようというよりも、いつもアルバムごとに違ったことをしてみようとしている。だから今回のアルバムもどのようなものにするか、しっかりとした意識的な決定をしたんだ。シンプルな電子音響を核として、そこにパーカッションやヴォーカルを重ねることでよりその要素を際だたせようってね。この作品は俺ひとりで作ることになるだろうとずっと思っていたし、スペースメン3のレコーディングでもよく使っていたようにドラムマシーンを使うだろうなってこともわかっていたんだ。よく言われるんだけど、「ソニック・ブームは元スペースメン3であり、Spectrum よりも世間で認知されている」っていう言葉を信じたほうがいいなっていう気もしたんだ。ただ、それぞれの活動というのは確実にお互いに影響は及ぼし合っているよ。アートワークやビデオといったものから楽曲制作のプロダクションやマスタリングまでね。 それぞれに対して過度に特化していくということは全然信じていない。分業したほうがいいなんてのは現代の神話みたいなものだと思うよ。ときにはうまいこと分業するというのも必要なのかもしれないけど、全体を見渡す視点を持つことが大切だと思う。音楽だけじゃなくて他のアートも含めてね。僕はいつもあるひとつの媒体から学んだことを別の媒体に取り入れたいと思ってる。すべてのものごとは相互に影響をおよぼしあってると思う。そういうのが僕は好きなんだ。

あなたは2016年に E.A.R. 名義で今回の新作と同じタイトルの「All Things Being Equal」というシングルをリリースしていましたね。このシングル曲は16分にも及ぶ長いインストゥルメンタル・ナンバーです。このシングルが、今回のこのアルバム制作に直接つながっていったのでしょうか?

SB:シングルがアルバムにつながっているかということについてはイエスでもあるしノーでもある。シングルで使った楽器はとても古い CASIO のキーボードなんだけど、アルバムに入っている別の曲でもそれは使っている。でもこのシングルを作ったときにはまだこのアルバムは見えていなかったんだ。そもそも E.A.R. 名義で出したのはアブストラクトなインストゥルメンタルだったからさ。その後この曲をいろいろと弄って、60年代後期か70年代の初めにコンピューターで生成された歌詞をつけて、日本盤にボーナストラックとして収録されるときにタイトルを「Almost Nothing Is Nearly Enough」に変えた。アルバムのタイトルと混同してほしくなかったからね。でも「All Things Being Equal」というタイトルは気に入っていたし、シングルの12インチはかなりレアになっていることもあるから、アルバムのタイトルとしてこれを使ったんだ。アルバムに収録されていない曲のタイトルをアルバム・タイトルにするっていう変な伝統があるんだよね。たとえば Gun Club のデビュー・アルバム『Fire of Love』には “Fire of Love” という曲は入っていない。同様にスペースメン3のデビュー・アルバム『Sound of Confusion』にも “Sound of Confusion” という曲は入っていない(笑)。どんな理由であれ、アルバムに入ることのできなかった曲の名前がアルバム・タイトルになることによってその評価を保ち続けるっていうのはおもしろいと思うんだ。

そういえばジーザス&メリーチェインのデビュー・アルバム『Psycho Candy』にも同タイトルの曲は入っていませんでしたね(笑)。さて、今回30年ぶりのソロ・アルバムを出すにあたり、ソニック・ブームという個人名義を再度使った理由は?

SB:まずはこの名前をあのクソみたいな SEGA のキャラクターから取り返さなきゃいけなかった。奴が僕の名前を盗んだんだよ! 奴はもともと Sonic The Hedgehog って名前だっただろ。僕は奴が Sonic The Hedgehog だったずっと前からソニック・ブームだった。なのに突然奴は名前をソニック・ブームに変えたんだ。だから僕は立ち上がって僕の名前を守らなきゃって感じだった。
 僕がその名前を使うと決めたときは誰もそんな名前を欲しがってなかったよ。すごくいい名前だねっていろんな人が言ってくれた。ソニック・ブームは形を持たないところがすごく好きなんだ。存在していてもそれに手を伸ばして触ったり、家に持って帰ったり、食べたりすることはできないだろう? もしかしたら食べることはできるかもしれないけど(笑)。
とは言っても、特に30年ぶりにこの名前を使うことにしたものすごく強い動機みたいなものは実はないんだ。これは僕のソロのアルバムだから、ソニック・ブームって名前を使うことは正しいと感じられた。パーソナルなアルバムとは思わないけど、確実にソニック・ブームの核があらわれているアルバムだからね。

いま身の回りに起こっている問題は僕たち全員が引き起こしたものだ。もう政治家にそれをなんとかしてもらおうなんて思ってはいけないよ。結局政治なんてビジネスなんだから。僕たち全員がその問題に取り組むべきなんだ。

この「All Things Being Equal」というタイトルには、あなたの現在のモットー、人生のテーマのようなものが込められていたりしますか?

SB:自分の人生のモットーって言えたらよかったんだけどね。若いときにそう言えるくらい賢かったら、若い頃から地に足がついた性格だったって言えたらいいんだけど、そんなことはないよ。でも、人生や人との出会いを通して自分の行動を省みることはできた。人と一緒に学ぶ機会もまだたくさんある。願わくはみんなには良いことを学んでほしいなと思ってる。僕の経験はいつも良いことばかりではなかったけど、完璧な人なんてどこにもいないし、ほとんどの場合はたとえそれがひどい体験だったとしてもなにか得るものがあるものだよ。

1990年にあなたがまだスペースメン3に在籍していた時期にソニック・ブーム名義で制作したファースト・ソロ・アルバム『Spectrum』では、ひたすら「現実世界からの逃避」と「何者かによる救済の希求」を描いていました。あの時期はスペースメン3も内部に問題を抱えていて、あなたのフラストレーションはとても大きなものだったと推測します。それがファースト・ソロのムードに現れていると思えます。
 しかしそれから30年を経て作られた今回のソロでは、響きの点でも、また歌詞の面でもポジティヴな肯定感、そして抽象的な愛、平等な愛のようなものを感じます。これは普通に考えれば、あなたも歳を重ねて成熟した大人になった、ということなのでしょうが、なにかそれ以上にあなたのなかで自分自身の考え方が大きく変わったというようなことがあるのでしょうか?

SB:実はその当時はスペースメン3はまだ臨界崩壊に至るような状態にまでは行ってはいなかったんだ。だからあのソロ・アルバムではスペースメン3のメンバーが演奏をしてくれているんだ。精神的には機能していなかったのも確かだけどね。スペースメン3は、うまいことやっていくことができない若者が集まったグループだった。だから一緒に沈んでいくような結果になってしまったんだけど、こういうのってある特定の種類のロック・バンドではそんなに珍しい話でもない。セックス・ピストルズやストゥージズ、MC5 なんかを思い出してみてよ。もちろん意識してそうなったわけではないし、僕らだって自分たちの状況に気づいていたとも言えない。そのあと何年もかけて僕たちはお互いうまくやっていけるような人間じゃないって気づいたけど、そういう経験を経ることがものごとの見方を変えてくれたりすることもある。
 ものごとの捉え方や考え方は変わったね。2010年だったかな、アニマル・コレクティヴのパンダ・ベアと仕事をすることになったときだった。そのとき僕は50代を目前にしていたんだけど(注:ソニック・ブームは1965年生まれ)、同じ場所や同じ人に囲まれた生活に人生を費やしたくないなと思い始めていた。人間関係がうまくいかない人もたくさんいたし、僕が育ったところ(イギリスの地方都市ラグビー)はいい友達もいるけどすごくフレンドリーな場所というわけでもなかった。そういう環境から出たかったし、商業化された都市にもいたくなかった。同じコーヒーショップ、同じファーストフードショップを見るのも、人々がみんな携帯を見ながら歩いているのを見るのもうんざりだった。
 そんなときにポルトガルでパンダ・ベアと一緒に作業をすることになったので、そのあたりに住む場所を探し始めたんだ。リスボンの郊外にある小さなナショナルパークを見つけてさ。美しい山に囲まれた場所なんだ。日本の北部に少し似ているかもしれないな。とにかく美しい場所なんだ。おかげで外でたくさん時間を過ごすようになったし、ガーデニングをするようにもなったんだけど、そういうことをしていると頭の中からノイズやナンセンス、クソみたいなことが消えて空っぽになるんだ。思考も明快になって、考えていたことをもっとリサーチするようになる。バックミンスター・フラー(註:アメリカの思想家。「宇宙船地球号」という言葉で知られる)が地球や人類、経済モデルのとの関わり方、経済資本モデル、その本質の一部である好景気と不景気の繰り返しについて話しているのを見たり聞いたりしてね。もし僕がもう1枚アルバムを作るとしたら、そういう問題についても言及してみたいと思ってる。何が欲しいだとか、もっと欲しい、もっと大きいものが欲しいみたいなこととか、使いまくって捨てまくって消費しまくってやるみたいなことを僕の声を使って届けたくない。
たとえばこれまでの人生で僕が消費してきたプラスチックのことを考えてみる。それらはよく考えると全然必要ではなかったことに気づくんだ。プラスチック製品は好きだったけど、もういまはプラスチックから何かを飲むのも何かをプラスチックで包むのも嫌だ。自分の人生を変えなきゃいけないって思ったんだ。そうしたら突然自分の人生がより良くなった気がするし、いままで自分がしてきたことに対しても気持ちが軽くなったような気がした。すべてのことにつながりを感じることができて、いままでとは比べものにならないくらいハッピーな人間になったよ。それを表現していきたいんだ。いま身の回りに起こっている問題は僕たち全員が引き起こしたものだ。もう政治家にそれをなんとかしてもらおうなんて思ってはいけないよ。結局政治なんてビジネスなんだから。彼らが行動を起こしたとしても牛歩だし、多くの場合政治家自身のビジネス・オペレーションの隠れみのになってしまっている。僕たち全員がその問題に取り組むべきなんだ。もちろん全員がそんなものごとの見方ができるわけではないことはわかっているけど、しっかりとした考えを持っている人はいるわけだしね。最近の気候問題は自分たちに何ができるのかということをより考えさせてくれていると思う。この地球上で起こっている問題について、僕たちはもっと真剣に取り組まなきゃいけない。僕たちは自分たちの人生に起こるノイズに対していっぱいいっぱいになるあまり、たくさんのことに目をつむり続けてきた。説教じみたことは言いたくないけど、いいヴァイブスがあるレコードは作りたいよね。

ポルトガルに住んだことで、あなたの考え方がそこまで至ったというのは興味深いところです。ポルトガルのなんという街に住んでいらっしゃるのですか?

SB:シントラという街なんだ。ここに限らず、ポルトガルは全然商業化されていない国だから気にいったよ。ここからスペインのマドリードなんて行ったら未来に足を踏み入れたような気持ちになるよ。もちろん東京もね。実際あそこは未来だし(笑)。あまりいい言葉ではないんだけど、ここはオールドファッションなんだ。ここではものごとが急速に発展したりしない。もちろんすべてがってわけじゃないよ。携帯とかラップトップ・コンピューターはちゃんと普及しているし。だけど総じて商業化されたものを見ることは多くなくて、オールドファッションなコミュニティがいたるところにあるんだ。このあたりをドライヴするとき、僕は近所のお年寄りたちに向かって手を振るんだ。そうすると彼らも手を振り返してくれる。おはよう、こんにちは、こんばんは……そんな挨拶も街角で常に交わされている。人が足早に通り過ぎるような都市部ではそんなこと起こらないだろ? そこがすごく好きだ。
 生活環境は自分の健康状態や心の健康にすごく影響がある。僕は木や美しい自然、鳥や野生動物、爬虫類、虫に囲まれた、自分が健康でいられる環境にいたかったんだけど、ポルトガルではそれがまだ見つけられるんだ。
音楽もこの生活環境に大きく影響されているよ。このアルバムはまさにシントラの音だと言っていい。童話で有名なハンス・クリスチャン・アンデルセンも家をこの地域に持っていたそうなんだけど、とにかくマジカルな場所なんだ。山に囲まれているけど海も近くにあるからすぐビーチに行ける。その昔ポルトガルの皇室が、毎年夏になると避暑のためにこの山脈に来ていたんだって。リスボンに比べると夏は5度も気温が低いからね。天気も最高で、海から風が吹いてそれが雲を作るんだけどとても美しい。太陽も美しいし、それらのムードはアルバムに取り入れられていると思う。歌詞はほとんどこの土地で書いたけど、ここにいることで感じることを最大限表現したんだ。庭で過ごしたり植物を植えていたりするときの気持ちをね。だからこの地域というのはアルバムにとっての最大の影響源になっていると思うよ。

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最良の出来事っていうのは前向きな気持ちで人生を生きて、外に出たり、経験を積んだときに突然起こったりするんだ。

アートワークにはとにかくあなたが関わってきたたくさんのアーティストの名前がクレジットされていて壮観ですね。


Sonic Boom
All Things Being Equal

Carpark / ビッグ・ナッシング

Amazon Tower HMV

SB:彼らこそがこのアルバムの最大のインスピレーションだからね。たくさんの人たちに感謝しているんだ。覚えている限り300から400のバンドやアーティストと一緒に仕事をしてきたよ。そこまで多くなってくると、さすがにすべてのことを覚えているのは難しいし、その人たち全員をクレジットするのは不可能だ。だからいままで一緒に仕事をした人全員にありがとうという気持ちを込めて「This is dedicated to the ones I love」とクレジットして、特にそのなかでも特別な人たちの名前を載せたんだ。なかには本当に僕の活動の初期から一緒にやっている人もいるし、全然名前が知られていない人もいる。プロデューサーとしての活動の初期に関わったフランスの European Sons というバンドがいるんだけど、彼らが拠点としていたフランスの街に行くたびに「誰かこのバンド知ってる?」って聞くんだけど誰も知らないんだ。プロデュースをしたのは1990年だからすごく前のことなんだけどね。連絡先もなくしてしまって、彼らに関する情報がなにもないんだ。だけどまだCDは持っているよ(笑)。たくさんの名前を載せることで、彼ら全員に僕を助けてくれたことや僕の人生の一部になってくれたこと、そして彼らから学んだすべてのことに対して感謝したんだ。そのときは気づかないかもしれないけど、人は人と出会うことで必ずなにかを学んでいるからね。
 こんなにたくさんの人やバンドとレコーディングやミキシング、プロダクションなど、関わり方のかたちは違えども共に音楽を作ってきたなんて信じられないよ! ジャケットを作ったりビデオを作ることで関わったバンドもいる。違うタイプの人と働くのが好きなんだ。ありがたいことにいつも僕はそこから収穫を得ることのできるタイプの人間だから。考えごとをしているときとか、自分の頭のなかでこれは誰がこんなふうに考えろって教えてくれたんだっけ? って思うこともあるよ。それも祝福したかった。彼ら全員が僕の音楽をよりよいものにしてくれたから。

プロデュースを頼んでくる人たちは、あなたにどんなことを望んで来るのでしょう?

SB:彼らからこちらにアプローチしてくることもあれば、僕のほうからプロデュースさせてくれということもあるよ(笑)。君がライブハウスで来る日も来る日も違うバンドが来て演奏するのを見ていたとする。そうするとだいたいみんな似たようなタイプの人間の集まりだなって思うだろう。でも、スタジオに入って制作を始めてみると、彼らのなかにあるダイナミクスだとか、自分たちの音楽や音楽そのものに対する考え方、音楽の作り方がバンドによって全然違うんだってことに気がつくんだ。プロデュースを始めた初期の頃に気づいたことは、もし自分がスタジオに行ってその場のルールを作って、これが俺たちのやり方だ! なんてことをするのは愚かだということ。僕がプロデュースを始めた理由のひとつは、スペースメン3時代に初めて迎え入れたプロデューサーなんだ(注:おそらくスペースメン3のファースト・アルバムに関わったボブ・ラムのことだと思われる)。彼はとても優しい人だったけど、音楽のことも僕たちのこともちっとも理解していなかった。僕たちの意見よりも彼の意見の方が尊重されたんだ。僕はすぐに彼は間違ってるって気づいたけど、もうああいう人とは働きたくないと思った。少なくとも僕にとってこれはポジティヴなことじゃなかったよ。だから自分でプロデュースもやり始めたんだけど、そのうち他の人が声をかけてくれるようになった。プロデューサーとして関わるけど、決定権は依頼主である彼らにあるべきだと思ってる。僕は彼らがよりよい作品を残せるように、そしてできるだけ早くベストな結果を残せるように正しい方向に導くだけ。最終的には彼らが納得してハッピーになることが大事。僕が納得する結果を残すために他の人を僕のやり方に従わせるっていうのはまったく違うんだ。バンドごとにやり方が違うのを見るのはかなりおもしろいよ。ときにはなによりもまず楽しもうぜってなる場合もあるし……いつだって楽しいんだけどね。すべてが比較することのできない経験になっているよ。とにかく全員違うからさ。人生のなかでも最高の出来事って、いつも予定されて起こることはないだろう? 最良の出来事っていうのは前向きな気持ちで人生を生きて、外に出たり、経験を積んだときに突然起こったりするんだ。

これまでにプロデュースや共演をしたなかで、印象に残っているアーティストをいくつか挙げてその印象を教えてもらいたいのですが……そうですね、たとえば MGMT、パンダ・ベア、Dean & Britta、Cheval Sombre、No Joy、ビーチ・ハウス、Delia Derbyshire、Silver Apples……

SB:えええ? それはちょっと難しすぎるよ(笑)。たくさんの才能ある人たちと一緒にやってきたんだから! 彼らはゲームのなかでもトップの人たちだよ。ゲームといっても彼らがやりたいことをする彼ら自身のゲームのなかということだけどね。人が自分に人生のリスクを背負わせてまで夢を追いかけるために自分たちのやりたいことをするって最高だと思わない? とにかく……選べないって! それぞれの強みがあるからなあ……みんなイコールにね……All Things Being Equal (笑)。

今回のソロはあなたもパンダ・ベアやビーチ・ハウスの制作で関わったワシントンDCの〈Carpark Records〉からのリリースです。このレーベルのカラーはあなたの音楽にとてもあっていると思います。このレーベルにはあなたがスペースメン3を始めて以降に生み出した音楽への影響力が継承されている感じがします。

SB:〈Carpark〉と初めて一緒に仕事をしたのはパンダ・ベア絡みで、その後レーベル・オーナーのトッド(・ハイマン)とはたまに連絡を取り合っていたよ。それで〈Carpark〉にいたビーチ・ハウスと一緒にやることになった。だから〈Carpark〉からリリースをすることは自分にとってなんとなく意味があるような気がしたんだ。それと当時僕は、別のレーベルとの問題を抱えていたんだよ。ロイヤリティが払われなかったりとか、アルバムが売れてもそれがちゃんと経理計上されていなかったりとかさ。音楽業界ではありがちなことなんだけど。当時はそういったネガティヴなことと向きあわなきゃいけなかったんだ。彼らはすごくモラルが低くて、非人道的なビジネスをするんだ。彼らのようになって戦ったほうが楽だということはわかっていたけど、それは僕がやりたいこととはまったく逆だし、なにより嫌な感情を振り払いたかった。嫌なものをただ手放したかったんだよ。お金がすごく欲しいんだったらネガティヴなことは付きものなのかもしれないけど、もうそんなものは気にしないって決めたんだ。それよりもその経験をポジティヴなものに昇華すれば、他の人にポジティヴで公平で思いやりのある行動を起こさせるような影響を与えられるかもしれないしね。もうすでにそういう行動を起こしている人もいるけど、まだすごく大きなメジャー・レーベルではまだ信じられないようなことが起こっている。とにかくポジティヴなことに昇華したかったんだ。
 トッドには、僕のレーベルに対する気持ちを話したことがあるんだ。彼はとても公平で正直でオープンな人だからね。リリースに関しては最初は全部自分でやろうかなと考えていたんだけど、いろいろな側面からそれを考えてみると、お金は減らないかもしれないけど、作品が届く人の数や作品が広がる可能性も減るんだろうなって思ったんだ。だからパートナーとしては彼らがベストな選択だったよ。いまのところの僕たちの関係性はまさにパートナーシップという感じで、他のレコード会社でたまにあるような契約書で結ばれた奴隷みたいに感じる関係にはまったくなっていない。30年間で学習してきたこともたくさんあるしね。20歳のときにスペースメン3としてレコード会社と契約を結んだときは、なにが起きているかなんてわかってなかったからなあ。

「パイオニアは後追いの人たちにその背中を狙われる」って言葉があるんだ。俺たちがやったことは特別なことではなくて、そのときに俺たちができることのすべてだったけど、もしかしたら背中を狙われていたのかもしれないね(笑)。

もともとあなたは同時代の音楽シーンに直接的にコミットしてきたタイプではないと思いますが、いまの音楽シーンについて何か思うことがあれば教えてください。 

SB:僕はスタジオで一緒に制作をする人に、音楽を作っているんだからある程度はいまこの場所でやっていることを正確に把握しておく必要があるよって言うようにしているんだ。そのとき作っている音楽は何かに影響を与えることもあるからね。未来のことを見据えたときに、この音楽がどんな立ち位置になるのかっていうのはいつも僕が考え続けていること。なぜ、そしてどうやって音楽が定義されてきたのかということにはずっと興味があるけど、シーンというものの大きな一部になったことはないね。スペースメン3はパイオニア的な存在だったのかもしれないけど、パイオニアっていうのは自分の力でどこかに向かって行く人のことを言うだろ? 「You can tell the pioneers by the arrows in their backs (パイオニアは後追いの人たちにその背中を狙われる)」って言葉があるんだ。俺たちがやったことは特別なことではなくて、そのときに俺たちができることのすべてだったけど、もしかしたら背中を狙われていたのかもしれないね(笑)。
このあいだ「もし若手のバンドにひとつだけアドバイスをするとしたらなんと言いますか?」っていう質問をされたんだ。「オーマイガー、若手にアドバイスをする奴って大嫌いなんだよ!」って感じだった。それでも答えてくださいって言われたから「妥協をするな。心からやりたいと思うことをするんだ。友達が好きなシーンの一部になるために音楽をやってはいけない。すぐに友達がライヴを見に来てくれることはないかもしれないけど、やりたいことをやれば報われる」って言ったんだ。心に響く優れた音楽っていうのは、程度は違えど妥協をしない人たちが作ったものなんだよね。彼らは妥協せずに音楽とコミュニケーションをとることが必要だってわかっているんだ、音楽はコミュニケーションがすべてだからさ。それに音楽は素晴らしくパワフルなコミュニケーションの手段のひとつでもある。音楽って自分がそのときに考えていたことや思い出を際限なく呼び起こしてくれるよね。それって10枚のカードセットに入っているカードをある部屋で全部並べて覚えて、その後にもう一度その部屋に戻るとそのカードのすべてを覚えている、みたいなことに近いと思うんだ。もう何年間も聴いていなかったとしても、聴けばほぼ瞬時にその当時の感情や思い出を呼び起こされるという点でね。

1965年生まれのあなたはあと5年後には60歳になります。そのとき、世界はどうなっていて欲しいと思いますか?

SB:ワオ……僕は現実的だから、もし僕たちがリサイクルをすることや消費活動、長距離移動を削減することに賭けなければ……飢餓や水不足、資源不足、人の超過密といったような他のメカニズムのなかで人口はじょじょに減っていくことになると思うんだ。僕たちが抱えている問題というのは巨大だけど、地球は回復するということはあと2ヶ月くらいでわかると思うんだ。落ち込んでいる日には、「地球は人間がいなければより早く回復していくのでは」なんて考えたりもするけど、いつもは僕たちならできるって感じているよ。海にプラスチックを投げ込むのをやめて、海に浮かんでいるものを取り除いて、石油科学をやめるんだ。石油科学は有毒なものだってわかっているだろ。いまや再生可能エネルギーがあるんだから、それが唯一の回答であるべきだ。
 5年後か……夢は大きく持ってみよう……この地球はひとつで人類もひとつであるということを地球上に住む人びと全員が理解して欲しいんだ。お互いのことをレイシストと呼んだり、国家で分断したり、嫌なことやきついことはたくさんあるけど、違いを強調するよりもシェアするべきことのほうがたくさんあるということに気づいてほしい。この地球上で文化的な違いがあることは祝福すべきことだ。だけど一方で全員がこの地球の一部で、ひとりがその他の人のために地球を台無しにするなんてことがあってはいけない。もしひとつ選ぶとしたら、5年後には牛肉の消費量が大幅に減っているといいな……あと国家同士がきちんと手を組んでよりグローバリゼーションが進んでCO2の排出量のコントロールとかができるといいよね。西洋の国が中国を見て「大気汚染が深刻だ! この状況ってクレイジーだよ」って言うけど、いままで自分たちもさんざん大気汚染をしてきたじゃないか。この問題が深刻になる直前にこれはやばいって思ってちょっとだけ賢いやり方に切り替えただけでしょ。そういう問題にもっと目を向けていくべきだと思う。自分たちが「WE」であることを自覚していればいいんだけど、ドナルド・トランプやボリス・ジョンソンが当選するのは……わからないな。彼らは僕たちをつなげるよりも分裂させるだけだから。みんなが一緒になってものごとに取り組むことが大切なんだ。一緒に取り組み始めたら他のことも必然的についてくると思うよ。戦争はなくなって、お互いのことを理解し始めるし、人はそれぞれ違っているのは祝福すべきことで同じである必要はないということもわかる。違いがあることは問題ではないとね。それって両親が言っていたからその子供たちも同じことを言い続けるような、オールドファッションなことなんだよ。いまの人の行動とかものごとのありかたって、いままでずっとそうだったからそうしているだけでさ。そのことに対して疑問を持たないでしょ? 一度でも疑問を持ったら絶対に理にかなってないってわかるからね。

The Soft Pink Truth - ele-king

 これは怒りの作品だ。マトモスの片割れ、ドリュー・ダニエルによるプロジェクト、ザ・ソフト・ピンク・トゥルースが『Am I Free to Go?』なるカヴァー・アルバムをリリースしている。コンセプトは明確で、ドゥームやディスチャージなど、クラストコアのカヴァー集。
 ドリューによれば、最近〈Thrill Jockey〉からリリースされたばかりの新作『Shall We Go On Sinning So That Grace May Increase?』と同時期に制作されたもので、現在の資本主義的な生活世界における政治的悲惨さ──ドナルド・トランプ、(巨大グローバル企業の)アマゾン、人種差別的とりしまり(警察)、気候変動、パンデミック──をめぐって湧きあがってきた、みずからの感情と向き合ったアルバムだそう。
 経費を除いたすべての収益は、ファシズムに抗議する世界じゅうの人びとを法的に支援するファンド「国際反ファシスト法的防御基金(the International Anti-Fascist Legal Defence Fund)」へと寄付される。

artist: The Soft Pink Truth
title: Am I Free To Go?
release date: 27 May, 2020

tracklist:
01.Hellish View (Disclose cover)
02.Fuck Nazi Sympathy (Aus-Rotten cover)
03.Multinationella Mördare (Totalitär cover)
04.Police Bastard (Doom cover)
05.Profithysteri (Skitsystem cover)
06.Respect the Earth (Crude SS cover)
07.Cybergod (Nausea cover)
08.Death Earth (Gloom cover)
09.Space Formerly Occupied by An Amebix Cover But Fuck That Guy for Being a Holocaust Denier
10.Protest and Survive (Discharge cover)

bandcamp

interview with Darkstar - ele-king

 ダークスターのデビュー曲“エイディーの彼女はコンピュータ(Aidy's Girl Is A Computer)”は、クラフトワークでは表現できない領域で鳴っている。パソコンの前に長時間座りながら時間を過ごしている、現代の快楽と孤独。いや、孤独など感じさせはしない。画面の向こう側には、刺激的な世界が無限に広がっているのだから快楽である。この、果てしない快楽。
 感染に恐怖し、動きが制限された世界では、彼らの新しいアルバムはほどよいサウンドトラックだ。ダークスターの1stアルバム『ノース』を、「2008年の経済破綻以降に偏在している胸騒ぎの感覚をはっきりと伝えている」と評したのはマーク・フィッシャーだが、それに倣えば今作は2020年のパンデミックにおける胸騒ぎにリンクしていると言えるだろう。
 作った当人たちによれば、再開発されるロンドンが契機となっているそうで、なるほど忘失されゆくものへの切なさは本作『シビック・ジャムス』に通底している感覚なのだろう。もしCOVID-19がなかったら、オリンピックに向けてそれまでなかば破壊的に再開発が進められていた東京にも当てはまるテーマでもあった。が、“市民の窮地”なる意味のタイトルを冠したこのアルバムは、集まることが制限されたいまの世界においても響き合っている。
 ダークスターはその名の通り暗い星であり続けけているが、とくに今作においては、アトモスフェリックでアンビエントなフィーリングが前面に出ている。1曲目の“森(Forest)”は、豊かな自然が循環する美しいそれではない。迷い込んだら戻れない、深くて視界の悪い森だ。アルバム中もっとも魅力的な曲である“Jam”には2ステップのリズムがひび割れたサウンドとしてあるが、それは以前のようには踊れなくなったダンスホールへと続いているようだ。“1001”は一聴するとキャッチーなメロディが聴こえるのだが、時空間がねじ曲げられたかのようなミキシングが施された背後には、奇妙な音やテープの逆回転めいた声が散りばめられている。
 ダークスターのメロディスでメロウな特性は、ダブステップを通過したシガー・ロスか、さもなければロバート・ワイアットだ。“Tuseday”のような力強いダンス・ビートを擁する曲もあるが、すべては彼らのモジュラーシンセによるくぐもった音色と輪郭がぼやけた歌声による独特のムードへと向かっていく。
 灰色……これはダークスターをひと言で説明するときによく使われる言葉で、マーク・フィッシャーは『ノース』を『アナザー・グリーン・ワールド』ではなく『アナザー・グレイ・ワールド』だと説明しているが、音楽性の豊さえで言えば『シビック・ジャムス』こそがそう喩えるに相応しいメリハリのある内容で、曲作りもより繊細さ、精密さを増している。これまでのなかでもベストな出来だろう。が、しかしもっともこの重要なのは、この作品が失われたレイヴ・カルチャーに取って代わるスペースに捧げられているという点だ。電話取材には、ジェイムス・ヤングが答えてくれた。

ある空間を作り出したいと思っていた。その空間というのは、再開発でめまぐるしく変化していくロンドンという都市で、うんザりしたり窮屈さを感じて生活していくなかで、心地よさを感じられるスペースのことだ。

まずは素晴らしいアルバムをありがとうござまいす。とても気に入っています。

JY:こちらこそ、そう言ってくれてありがとう。

いま住んでいるのはウェスト・ヨークシャー?

JY:いまはロンドンに戻っていて、ウェスト・ヨークシャーには住んでいないんだ。ウェスト・ヨークシャーは自然がたくさんあって、すごく田舎で、人里離れた場所。必要最低限のものしかないから、気が散ることなく作業に集中できるんだ。

通訳:また住みたいと思います?

JY:恋しくはあるけど、いま住みたいとは思わない。訪ねるには良い場所だけど、いまはまだ身を置く場所ではないな。

通訳:ロンドンはここ数年で変わりましたが、いまも住みたい魅力的な場所なのでしょうか?

JY:たしかに住みにくくはなっているけど、やっぱり好きな街であることは変わらない。いろいろ大変だけどね。

前作から5年という時間が空いた理由を教えて下さい。あらためて自分たちの方向性について考える時間が必要だったのでしょうか?

JY:いや、アルバム以外のダークスターのプロジェクトで忙しかっただけだよ。エイデン(・ホエイリー)も個人的にいろいろ忙しかったし。5年の間に何も活動をしていなかったわけじゃないんだ。他の活動が落ち着いてからアルバム制作を始めて、かかったのはだいたい2年くらい。

通訳:次の方向性が定まるのに時間がかかったり、何か考える時間が必要だったりはしなかった?

JY:それはなかった。アルバムを制作する度に次にどんなものを作りたいかは見えてくるし、それをどう形にしていくかをつかむまでに時間がかかることもあるけど、行き詰まったり、自然の流れに逆らって何かをしようとしたりはしないね。

アルバムは、いまのこの状況になる前に制作されたものだと思いますが、この未曾有の非常事態にとてもしっくり来るうに思いました。ダンス・ミュージックがベースにある音楽ですが、孤立してもいるようなニュアンスもサウンドにはありますよね?

JY:そうだね。5年分の出来事や考えが反映されているからそうなったんだと思う。その間にいろいろなことが起こったぶん、それらすべての側面が映し出されているから。俺たちの曲には、自分たちが考えていること、感じていること、さまざまな経験が自然に出てくるからね。

サウンド的には、アンビエントでありダンスでもあります。こうしたアンビヴァレンスはどうして生まれたのでしょうか?

JY:今回のアルバムでは、ある空間を作り出したいと思っていた。再開発でめまぐるしく変化していくロンドンという都市で、うんザりしたり窮屈さを感じて生活していくなか、心地よさを感じられるスペースを探しだす。そうすることで、生活のバランスをとるんだ。そのスーペスを音で作り出していく過程でアンビエンスな部分ができあがり、いくつかのトラックも、それにあわせて自然にアンビエントなサウンドを持つようになったんだと思う。意識的なものではないよ。

通訳:逆に、今回意識的にやったことはありますか?

JY:聴きやすいサウンドにすることと、ローなサウンドにすること。あとは、さっき話した空間を作り出すためにダンス・ミュージックを作りたくなった。でもそれは、初期のダークスターのサウンドに戻るという回顧ではなくて、いまロンドンからダンスフロアという空間が再開発によって減らされているという現状のなかで、いまの自分たちでそのフィーリングを作り出す音楽を作り出したかったという意味。現在のダークスターとして昔作っていたようなダンスのフィーリングを持ったサウンドを作ったらどんな音になるか、の試みだったんだ。

自分たちが感じることを曲にしていくうちに、アルバムの内容は、ここ数年のロンドンのカオスが反映されたものになっていった。

今作もまたポリティカルな作品ですが、ダークスターならでのムードはどこから来るんでしょうか? あなたがたの内面から来るのか、それともこの世界から来るものなのか

JY:それは、自分たちのなかから自然に出てくるものとしか言いようがない。試したいことをいろいろ新しく試しながらも、自分たちの考え、自分たちが好むサウンドというものは変わらないからね。ダークスターのサウンドはそれを基盤に作られているし、その基盤は変わらない。そのムードはそこから生まれているんじゃないかな。

アルバム・タイトル『Civic Jams』について教えて下さい。

JY:自分たちが感じることを曲にしていくうちに、アルバムの内容は、ここ数年のロンドンのカオスが反映されたものになっていった。自分たちがロンドンという都市で生活しているなかで目にしてきたもの、感じてきたもの、経験してきたものごと。それを捉え、まとめた言葉がこのタイトルだと思って『Civic Jam』にしたんだ。

通訳:ダークスターのアルバム・タイトルは、毎回場所を表す言葉が入っていますよね。場所を入れるのは重要?

JY:そうだね。自分たちのまわりのことが曲になるから、自分たちがいる場所がかならずアルバムの内容になる。俺たちは普段の生活、周りの出来事以外にインスパイアされて曲を書くことはほとんどどないんだ。

ダークスターの音楽において歌詞は重要ですか? 

JY:これはよく訊かれる質問だね。もちろん重要でもあるけれど、感情を表現をするために歌詞に重点を置いたり頼っているわけではなく、その重要さはサウンドと同じ。サウンドでも、表現したいことの内容は同じくらい伝えられると思う。だから、歌詞で表現しているのは、さっき話したサウンドで表現しようとしていたことと同じなんだ。混乱のなかで自分たちが心地よさを感じられる、楽な気持ちになれる空間。いま起こっている現実と、その変化のなかで人びとが本当に求めている価値やコミュニティとの間でとっていくバランスだね。

批評家のマーク・フィッシャーはダークスターについて良いことを書かれていますが、彼の文章からインスパイアされたことはありますか?

JY:読んだ。全部は読んでいないけど、インスパイアされたことはあると思う。彼の文章は、自分たちがアルバムで何をしたかったのかをうまくまとめ、説明してくれていた。アルバムが何を映し出しているかをそれを読むことで自分たちの視点とは違う角度から再確認ができて、次に作りたいものが見えてきた、というのはあるかもしれない。

ダークスターとレイヴ・カルチャーとの結びつきについて教えて下さい。とくに今作において、レイヴ・カルチャーはどのようにリンクしているのでしょうか?

JY:ロンドンとレイヴ・カルチャーは切っても切り離せない。ダークスターの基盤はロンドンだ。レイヴ・カルチャーでクラブに行ったことから刺激を受けて音楽を作りはじめ、現在に至っている。そういう面でもちろんサウンド面においても影響も受けているし、レイヴ・カルチャーはダークスター・サウンドの基盤であり、ルーツであるといえるね。

最後の質問です。コロナウイルスによって、この先、音楽の質は変わると思いますか?

JY:それは俺たちにはわからない。いまはとりあえず、何かを作るときだと思う。それはいまの状況に関係なく、できることだ。いつそれをリリースしたりパフォーマンスできるようになるかが自分たちにわからないだけであって、いまは座ってじっとそれを待ちながら、そのときがきたら披露できるものを作り出す時期だと思うね。

Ralph - ele-king

 昨年ファーストEP「REASON」を発表し、今年2月に公開された “Selfish” で注目を集めたラッパーの Ralph、グライムなどからの影響を独自に咀嚼する彼が、さらなる新曲 “Back Seat” を本日リリースしている。プロデュースは引き続き Double Clapperz が担当! 不安を煽るストリングスがラップを呼び込む冒頭からしてもう最高にクールです。同曲を収録した最新EP「BLACK BANDANA」は6月10日に発売。

[6月12日追記]
 ついにリリースされた Ralph のEP「BLACK BANDANA」より、表題曲のMVが公開されている。監督は Hideki Amemiya で、MURVSAKI プロデュースによるドリル・サウンドを引き立てるクールな映像に仕上がっている。チェック!

「JapanViral 50」に楽曲がランクインするなど、いま注目のラッパー Ralph が新作EPから先行シングル “Back Seat” をリリース。

ファーストEP「REASON」のリリースでその地位を確固たるものにし、2020年2月リリースのシングル “Selfish” は Spotify で「JapanViral 50」のプレイリストにランクインするなど、その勢いは衰えを知らない新鋭ラッパー、Ralph。本作は6月に発売が予定されている新作EP「BLACK BANDANA」からの先行シングル。

グライムやベースミュージックシーンにおいて、世界的に活躍するプロデューサー/DJユニットの Double Clapperz が手がけるタイトなビートに、Ralph の代名詞であるリアルなリリックと巧みなフローが展開されている。

6月10日にリリースが予定されているEPは “Selfish” “Back Seat” を含む5曲で構成されており、いまの Ralph を象徴する作品になること間違いない。2020年最も注目を集めている若手ラッパーの第二章が、このシングルから始まる。

リリース情報
アーティスト:Ralph
タイトル:Back Seat
リリース日:2020年5月27日

各種配信サービスにてリリース
https://linkco.re/TAauh36b

Ralph/ラッパー

2017年に SoundCloud で発表された “斜に構える” で注目を集めたことをきっかけに、アーティスト活動を開始。2018年には dBridge&Kabuki とのスプリットEP「Dark Hero」をレコード限定でリリースし、即完売。ファーストEP「REASON」のリリースでその地位を確固たるものにし、2020年2月リリースのシングル “Selfish” は Spotify で「JapanViral 50」のプレイリストにランクインするなど、その勢いは衰えを知らない。
卓越したラップスキルと自身のバックボーンから生まれるリアルなリリックが高く評価され、ヘッズの信頼も厚い Ralph。いま東京で2020年の活動が最も期待されている若手ラッパーの1人と言える。

Twitter:https://twitter.com/ralph_ganesh
Instagram:https://www.instagram.com/ralph_ganesh/

Play For SCOOL - ele-king

 緊急事態宣言が解除されたからといって、ライヴハウスやイベントスペースがすぐに元通りになるわけではない。現在営業自粛中の三鷹のスペース、これまで演劇やダンス、音楽や展示など様々なアートを発信してきた SCOOL もやはり苦境に立たされている。
 そんな SCOOL を支援するためのコンピレーション・アルバムが、本日リリースされている。田中淳一郎とコルネリ、そして SCOOL の店長でもある土屋光の3人によって提案された企画で、SCOOL ゆかりのアーティストたちが勢ぞろいしている。
 先日アルバムをリリースしたばかりの yukifurukawa の新曲など、ほとんどが未発表曲で占められており、いくつかはこの5月に SCOOL で録音されたばかりだという。音楽家ではないアーティストの手による楽曲も収録されており、未知のサウンドに触れる絶好の機会でもある。フィジカル盤CD-Rは税込2,000円+送料180円、デジタル盤は1,500円(1曲150円)にて販売中です。

コンピレーション・アルバム
『Play For SCOOL』

田中淳一郎(のっぽのグーニー / ju sei)、コルネリ、土屋光(SCOOL)が中心となり、SCOOL のコンピレーション・アルバムを作りました!

新型コロナウイルスは終息に向かっているようにも見えますが、わたしたちの生きる楽しみや糧を与えてくれるインディペンデントな場所は、根本から揺るがされるような打撃を受け、それぞれの場所で運営の方向性を模索している状況です。
例に漏れず SCOOL も予定していたイベントの延期/中止を余儀なくされており、収入が無く厳しい運営状態が続いています。緊急事態宣言が解除されても、すぐに以前と同様にイベントを行うことは困難で、まだまだ先の見えない状態です。

そこで SCOOL が存続していくことを願い、ゆかりのあるユニークなアーティストの方々に参加していただき『Play For SCOOL』と題したコンピレーション・アルバムを制作しました。
収録された楽曲はほぼ録り下ろしの新作音源で、SCOOL らしいバラエティにとんだ充実した内容になったと思います!
このアルバムの売り上げは SCOOL の今後の活動に役立てていきます。ぜひお聴きいただき、ふたたび人々が自然に集まれるようになったとき、SCOOL になにか面白いことを探しに来てください!

田中淳一郎(のっぽのグーニー / ju sei)
コルネリ
土屋光(SCOOL / HEADZ)

『Play For SCOOL』

01. 神村恵 「待機」
02. 服部峻 「学校の外の世界」
03. 鈴木健太 「ねざめ」
04. yukifurukawa 「きっと」
05. 七里圭 「Paris, Berlin」
06. ダニエル・クオン 「radio freebies」
07. 滝沢朋恵 「ノーアンサーソング」
08. MARK 「Dear マティス」
09. Sawawo (Pot-pourri) 「コミック」
10. 土屋光 「Amplifying SCOOL」
11. のっぽのグーニー feat. sei
12. BELLE BOUTIQUE (荒木優光) 「PATTERN – CARDBOARDBOX(excerpt)」
13. グルパリ 「macaroni salad」
14. ジョンのサン 「細まりフォーエバー」
15. コルネリ 「空色の歯ぶらし」
16. よだまりえ 「綺麗なものを見たの」

produce: のっぽのグーニー、コルネリ、土屋光(SCOOL)
mastering: のっぽのグーニー
design: コルネリ

Wire - ele-king

 パンクが大衆の認識に与えた衝撃が完全に浸透するよりも前に、ワイアーはすでにパンクを弄び、嘲笑い、その限界を超越していた。新興のパンク世代が、より純粋であると思われる1950年代のロックンロールの価値観を称揚し、1970年代のプログレッシヴ・ロックの大仰さを軽蔑して根絶を望んでいたのをよそに、ワイアーは〈Harvest Records〉と契約を結んでピンク・フロイドと同じレーベルの所属となり、伝統的ロックンロールに残るブルース・ロックの影響を自分たちのサウンドから排除しようとした。パンク・ムーヴメントの中核に残された者たちは、パンクの限界をより深く突き詰めようとしたが、それがあまりにもあっさりと超えられたことに、ほとんど気づいてさえいなかった。

 それから40年以上が経ったいま、ワイアーの音楽が反ロックの衝撃をもたらすことはなくとも、その栄誉の一部はワイアー自身に与えられるべきだろう。彼らが短期間で鮮烈にロックの形態を歪め、解体したことによる影響は長くくすぶり続け、ここ数十年に渡ってロックを再構築しようとする動きに力を与えており、状況は1970年代の終わりに彼らが目指した方針に近づいている。一方でワイアーが少なくとも2008年の『Object 47』以来切り開いてきた道は、ロックとの和解を目指しているかのようであり、ロックの構造に対する遠回しでぎこちない攻撃は健在ながら、自分たちの言葉で曲作りの方法論を探求することで、以前より遙かに心地よい状態に繋がっている。

 また現在のワイアーは、過去の自分たちとの対話にますます没頭しているように見受けられる。ロックの既成概念を解剖するアイデアと、ほとばしるポップスの輝きを組み合わせるスタイルは当初から変わっておらず、バンドは過去の自分たちを折に触れて肯定することを厭わない。コリン・ニューマンが皮肉とともに“Cactused”の切迫感のあるサビに込めたメッセージは、バンドによる1979年の珠玉のポップ・ソング“Map Ref. 41 Degrees N 93 Degrees W(北緯41度西経93度)”と同じ無味乾燥なほのめかしを表している。それでもワイアーが現在のロックのあり方を受け入れるなかで辛辣さはわずかに鳴りを潜め、うまくいっているときに得られる純然たる喜びも多少は感じられるようになってきた。

 そこには以前に比べて少しだけ緩さも生じているのかもしれない。1970年代のワイアーの楽曲は槍のように脳をきつく刺激するもので、リリース時点ですでに彼らのミニマリズムは完成されており、バンドはそこにさらなる活力を与えて展開させることは望んでいないように見受けられたが、現在、その音楽のなかに新たな活気が生まれる余地が徐々に認識できるようになっており、とくに『Mind Hive』ではその狙いが見事に開花している。“Unrepentant”や最後の“Humming”のような曲では、ブライアン・イーノ風と言ってもいいほどの広大なアンビエントの流れができており、一方“Hung”は、8分近くにおよぶ曲の中で核となるグルーヴを乗りこなせるという自信に満ちている。そうしたエネルギーは、新たに加入したギタリストのマシュー・シムスが持ち込んだ幻惑的な色合いにもたしかに受け継がれており、彼の存在感はますます高まっているが、それはまたバンドが少なくとも過去12年間で辿ってきた進化の道筋に欠かせないものでもある。

 ワイアーが変わらず妥協のない挑戦的なワイアーらしさを保っていることは、歌詞に現れている。その歌詞は、現在のインディ・ロック・シーンで彼らの影響を受けているどの若手バンドと比べてもなお、鮮烈で鋭く、謎めいていると言っていいだろう。多くの楽曲では、オンライン空間のまとまりのない空虚な世界観が断片的な形で漂っており、“Humming”では謎めいたロシア人の存在に言及し、喪失感やうまくいかないものごとや頭をよぎる失われた自由について述べていて、“Hung”においては混乱のなかで制御を失われる感覚や「一瞬の疑念」から生まれた些細な混沌がひたすら描かれる。『Mind Hive』全体を貫いているのは、現在まさに動揺し崩壊しようとするこの世界に対する明白な意識だが、それぞれの歌が具体的な何かから引き出されたものだとしても、その直感の閃きを歌詞から辿ることはできない。歌詞に唯一残されているのは、断片的な糸口と脅迫めいた暗示であり、それは力強く感情を込めた、憂鬱と偏執からなる筆致で描かれている。これはおそらくロック・ミュージックに限らず、世界の全体が、ようやくワイアーに追いついたということなのかもしれない。

訳:尾形正弘(Lively Up)


Ian F. Martin

Before punk had even fully made an impact on the public imagination, Wire were already kicking it around, mocking it, transcending its limitations. As the emergent punk generation championed the supposedly purer values of 1950s rock’n’roll and sneered the pomposity of 1970s progressive rock into what they hoped was oblivion, Wire signed to Harvest Records as label mates to Pink Floyd and set about expelling the blues-rock influences of classic rock’n’roll from their sound, leaving the core of the punk movement digging deeper into its own limitations, mostly not even aware of how swiftly they’d been surpassed.
Now, more than 40 years on, Wire’s music doesn’t land the anti-rock impact, but part of the credit for that should probably go to Wire themselves. The slow-burning influence of their short, sharp distortions and deconstructions of rock forms has helped rock music over these past few decades to reassemble itself in a way that brings it closer to the path that Wire had begun charting in the late 1970s. Meanwhile, the path Wire have carved themselves, at least since 2008’s Object 47, feels like a sort of reconciliation with rock, retaining the band’s oblique and angular attacks on its structures but combining that with a greater comfort in exploring its songwriting conventions on their own terms.
The Wire of today also seem to be increasingly engaged in a dialogue with their own past selves. The combination of ideas that dissect rock conventions and bursts of glorious pop has been there since the beginning, and the band aren’t averse to the occasional nod to their past selves. Colin Newman’s irony-laced announcement of the impending chorus in Cactused directly references a similar dry aside in the band’s 1979 pop gem Map Ref. 41 Degrees N 93 Degrees W. Still, there’s a little less sarcasm in Wire’s nods to convention nowadays, a little more comfort in the simple joys of what works.
There’s perhaps a bit more looseness too. Where Wire’s songs in the 1970s were tightly-wound lances to the brain, already at such a point of minimalist completion by the time of release that the band seemed to feel no need to let them breathe and develop, there’s increasingly a sense of breathing space to their music now that is in particularly full bloom on Mind Hive. Songs like Unrepentant and the closing Humming have an expansive, almost Eno-esque ambient drift to them, while Hung has the confidence to ride its central groove for nearly eight minutes. Some of this must surely be down to the psychedelic tint brought by new guitarist Matthew Simms as he increasingly makes his mark, but it’s also part of an evolutionary course the band have been on for at least the past twelve years.
Where Wire are still uncompromisingly and defiantly Wire is in the lyrics, which are still fresher, sharper, more cryptic than nearly any of the younger bands that carry their influence in the contemporary indie scene. The disconnected, spectral presence of the online world haunts many of the songs in a fragmentary fashion; references to an ambiguous Russian presence, a sense of loss, of something gone wrong, of freedoms lost flicker through Humming; the sense of something spinning out of control, of mere chaos born out of a “moment of doubt” pounds its way through Hung. There’s a definite sense running through Mind Hive of our current shivering, crumbling world, but if the songs are drawn from anything specific, access to that spark of inspiration is closed off by lyrics that leave only fragmentary evocations and menacing hints, painted in powerfully emotional strokes of melancholic paranoia. Perhaps it’s not just rock music but the whole world that has only just caught up with Wire.

Various Artists - ele-king

 新しい生活様式ではないが、今後はCOVID-19以前・以後というフレーズが多く使われていくだろう。音楽業界も大きな変化に直面することが考えられる。たとえばライヴやフェスなどがこれまでのような形で開かれるのか先行きは不透明であるし、ライヴハウスやクラブ、ミュージック・バーなどの存続も懸念される問題だ。それによっては音楽家やアーティストたちの活動も変わらざる負えないし、youtubeなどネット配信を介したライヴやフェスのやり方もいままで以上に模索されるだろう。それでも生のライヴの素晴らしさを再現するのはなかなか困難だ。
 ライヴは観客がいてこそ盛り上がりや興奮を生み、それによって演奏者や歌い手たちもより素晴らしいパフォーマンスを見せるという相乗効果を生むもので、レコードやCD、または音楽配信などでは味わえない魅力がそこにある。
 ただし、ときには無観客で行われるスタジオ・ライヴという手法もある。スタジオという良質な録音環境の中、オーヴァーダビングや編集作業などの余計な行程を狭まずに、ライヴ・ホールにおけるパフォーマンスに近い形で奏者の生演奏を録音したものだ。観客の拍手や歓声、奏者のMCなどが入らないので、音楽の録音物としてはより純度が高い。いままでのようなライヴ開催がなかなか困難な状況下では、スポーツの無観客試合ではないが、無観客のスタジオ・ライヴというのもひとつの方法ではあるかもしれない。

 スタジオ・ライヴについてはイギリスのBBC放送が数々の名演を生んできて、ときに公式のライヴ・アルバムよりも素晴らしい演奏を聴くこともできる。BBCのスタジオ・ライヴではDJのジョン・ピールによる『ピール・セッションズ』が有名で、ジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリン、デヴィッド・ボウイなどが録音を行っているが、その舞台となったのがロンドンのメイダ・ヴェール・スタジオである。1934年に設立され、ビートルズからモリッシー、ニルヴァーナなどがセッションを行ってきた由緒正しきスタジオで、建物はヒストリック・イングランドがグレード2の建造物に指定している。今後は歴史的建造物となるために現在の場所は閉鎖され、スタジオとして新しく再開する場所を探すとのことが2018年に発表されたが、現在はCOVID-19のために3月末から閉館となっている。
 ジョン・ピール以外ではジャイルス・ピーターソンもメイダ・ヴェール・スタジオでのスタジオ・ライヴ放送をしばしば行っていて、彼の番組の『ワールドワイド』でたびたびその模様が放送されてきた。ゲストのミュージシャンやDJがプレイを披露するのだが、2018年10月には「UKジャズ」と銘打った特別プログラムが組まれ、ジョー・アーモン・ジョーンズやヌビア・ガルシアたちが出演している。
 ボイラー・ルームもそうだが、アーティストたちにとってメイダ・ヴェールのスタジオ・ライヴは絶好のアピールの場なのである。2018年の春は『ウィ・アウト・ヒア』が発表され、それをフォローする形で「UKジャズ」の特番が組まれたわけだが、本アルバムはその2018年10月のセッション音源をまとめたものである。

 参加者はジョー・アーモン・ジョーンズ、ヌビア・ガルシア、オスカー・ジェローム、ファティマ、ハク・ベイカー、イシュマエル・アンサンブルで、そのほかエズラ・コレクティヴのディラン・ジョーンズやジェイムズ・モリソン、ココロコのムタレ・チャシ、マリウス・アレスカやラス・アシェバーも加わっている。
 ジョー・アーモン・ジョーンズについては『スターティング・トゥデイ』を発表して間もなくとあって、その録音に近い形でメンバーを揃えてセッションに臨んでいる。披露する“スターティング・トゥデイ”と“オールモスト・ウェント・トゥー・ファー”は共にアルバムからのナンバーである。
 ヌビア・ガルシアの“ホールド”は〈ジャズ・リフレッシュド〉からのデビューEPである『ヌビアズ・ファイヴ』(2017年)収録曲で、オスカー・ジェロームの“ドゥ・ユー・リアリー”はデジタル配信のみで発表していた2018年のシングル曲。どちらもジョー・アーモン・ジョーンズのバンドと共演という形で演奏しているが、そもそも彼ら3人はジョー・アーモン・ジョーンズとマックスウェル・オーウィンの『イディオム』(2017年)でも共演するなど昔からの仲間であるので、今回のセッションも非常に息の合ったところを見せてくれる。
 ファティマの“オンリー”は当時リリースされたばかりの『アンド・イエット・イッツ・オール・ラヴ』からのナンバーだが、ジョー・アーモン・ジョーンズ・バンドとの共演という形で披露している。
 ハク・ベイカーはロンドンのインディ・フォーク系のシンガー・ソングライターで、やはりジョー・アーモン・ジョーンズと共演して持ち歌の“サースティ・サーズデイ”を歌っている。
 つまり、本セッションのほとんどがジョー・アーモン・ジョーンズ、ヌビア・ガルシア、オスカー・ジェロームを主軸とするジョー・アーモン・ジョーンズ・バンドの演奏となる。唯一の例外はブリストル出身のピート・カニンガムを中心とするイシュマエル・アンサンブルで、アルバム『ア・ステイト・オブ・フロウ』(2019年発表、2018年にリリースされた『セヴン・ソングス』という連作シングル曲を中心に構成)からの楽曲“トンネルズ”を演奏している。

 “スターティング・トゥデイ”に代表されるように、アルバム録音と比較してエレクトロニクスの関与する割合が減っている分、個々の演奏における即興部分の比重が増し、ライヴならではの粗削りなところもあるが、それを補って余りあるエモーションの込められた演奏が展開される。ラス・アシェバーの歌も、このセッション用に変えてきているところもある。これを聴くとやはりジャズはライヴ・ミュージックであり、レコードはたまたまその瞬間を録音したものに過ぎないということを感じる。
 オスカー・ジェロームもライヴという形態が彼のシンガー・ソングライター的な立ち位置をよく伝えてくれるし、ファティマもジョー・アーモン・ジョーンズ・バンドと共演することにより、彼女のネオ・ソウル的な資質をより引き出している。イシュマエル・アンサンブルの“トンネルズ”は原曲に比べてドラムスが退行した分、全体的にアンビエントな仕上がりとなっていて、ジョー・アーモン・ジョーンズ・バンドとの違いを際立たせるものとなっている。どちらかと言えばフローティング・ポインツに近い演奏だ。
 こうしてライヴ演奏ひとつとっても、オリジナルの演奏とは随分と違うところがあり、極端な話、同じ曲でもひとつとして同じ演奏はない。曲や演奏は生き物であり、アイデアひとつでどんどん変わっていくものである。COVID-19によっていろいろ不自由や制限を感じざる負えないライヴ環境だが、そうしたなかでも音楽は新しいアイデアを生んでいくと信じたい。

Satoko Shibata - ele-king

 これはおもしろい試みだ。昨年5枚目のアルバム『がんばれ!メロディー』を発表し、リキッドでのライヴも成功、そのライヴ盤までリリースし、まさにノりにノっているシンガーソングライターの柴田聡子。来る7月3日にはミニ・アルバム『スロー・イン』の発売を控える彼女が、「全国ツアー」を開催する。
 といってもこのご時勢、もちろん文字どおり全国へと足を運ぶわけではない。ようは配信なのだけれど、その趣向がとてもよく練られているのだ。延期になったツアーの当初の予定通りの日程で、「富山風」「金沢風」「名古屋風」と、連日自宅からライヴ配信をやっていくのである。当然、現地から以外でも視聴可能なので、全国から柴田聡子の「ひとりぼっち」を目撃しよう。

弾き語りツアー風 “柴田聡子のインターネットひとりぼっち’20” 開催決定

新型コロナウイルスの感染拡大により全公演延期となりました弾き語りツアー “柴田聡子のひとりぼっち’20”。いまだ振替公演スケジュール及び払い戻しのご案内をできておらず、皆様には大変なご迷惑をおかけしておりますことをお詫び申し上げます。各会場およびプレイガイドともに、この混乱の中でも最善を尽くしてくださっていることと思います。情報が揃い次第ご案内をさせていただきますので、今しばらくのお時間をいただきますよう、お願い申し上げます。

改めまして、5月22日は本来であればツアー初日、富山公演の予定でした。楽しみにしていたツアーが延期になってしまい、意気軒昂、盛り上がっていたチーム柴田聡子も一旦の進路変更を余儀なくされた中、せめて演奏を電波に乗せて届けよう! という案が上がりました。
そこで、柴田聡子の弾き語りライブを本来のツアースケジュールの通り、全日程、開演時間に合わせて YouTube LIVE にて生配信させていただきたいと思います。題して “柴田聡子のインターネットひとりぼっち’20” です!

柴田聡子の自宅から、本当に “ひとりぼっち” での配信になります。セッティングから全て本人監修になります。なので配信がスムーズに行えるかどうかもお約束できませんが、出来うる限りの準備をしてお届けしたいと思っています。
全公演無料配信です。各地に思いを馳せつつも、もちろんどなたでも、お住いの地域に限らずご覧いただくことができます。もしよろしければツアー全公演、疑似体験的に自宅で追っかけてみてください。

弾き語りツアー風 “柴田聡子のインターネットひとりぼっち’20”
5月22日(金) 19:30 富山風
5月23日(土) 18:00 金沢風
5月24日(日) 18:00 名古屋風
5月29日(金) 18:30 京都風
5月30日(土) 17:00 松江風
5月31日(日) 17:30 広島風
6月06日(土) 18:00 札幌風 day1
6月07日(日) 18:00 札幌風 day2
6月11日(木) 19:30 大阪風
6月12日(金) 19:00 岡山風
6月13日(土) 18:00 福岡風
6月21日(日) 17:30 仙台風
6月27日(土) 18:00 東京風

YouTube 柴田聡子チャンネル
https://ur2.link/TztX

[配信シングル情報]

アーティスト:柴田聡子
タイトル:変な島
品番:DGP-817 / ハイレゾ (24bit) DGP-818
リリース日:2020年6月10日(水)

[CD / 7インチ情報]

アーティスト:柴田聡子
タイトル:スロー・イン
J-POP/CD 、2枚組7インチ
発売日:2020年7月3日(金)
品番:[CD]PCD-4555 定価:¥1,500+税 / [7インチ]P7-6248/9 定価:¥3,182+税

Tracklist (カッコは7インチ)
1 (sideA). 変な島
2 (sideB). いやな日
3 (sideC). 友達
4 (sideD). どうして

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