「KING」と一致するもの

VMO a.k.a Violent Magic Orchestra - ele-king

 「アート・ブラックメタル・テクノ・プロジェクト」、VMOことViolent Magic Orchestraが8年ぶりのアルバムを発表する。題して『DEATH RAVE』、ブラック・メタル、ハードコア、ガバ、ノイズなどがミックスされたサウンドに仕上がっているようだ(3/13リリース)。Vampilliaのメンバーはじめ、メイヘムやSunn O)))での仕事で知られるアッティラ・チハーら多くの面々が集結しており、Kentaro Hayashi、CRZKNYなども参加。新代田FEVERおよび東心斎橋CONPASSでのリリース・ライヴも決定している。詳しくは下記より。

VMOが8年ぶりのセカンドアルバム「DEATH RAVE」をベルリンのNEVER SLEEPより3月13日に発売決定。併せてリリース記念ライブの詳細も発表。

VMO a.k.a Violent Magic Orchestraが約8年ぶり、ザスターがボーカルを務める新体制後、初となるアルバム「DEATH RAVE」をベルリンのGabber Eleganza率いるレイヴ、ハードコアシーンの総本山 NEVER SLEEPよりリリースする。今作は世界中のメタル、テクノ、アートなどあらゆるジャンルのフェスに出演したVMOの経験とスタジオでの実験が爆発的な化学反応をおこしDEATH RAVEと呼ぶに相応しい作品が完成した。anoのちゅ、多様性を作詞/作曲したエンペラーaka真部脩一らVampilliaメンバーはもちろん、紅一点のボーカルザスター、ブラックメタルの伝説メイヘムのAttila Csihar、現代エクストリームハードコアの雄FULL OF HELLよりDylan Walker、アイスランドの新しい神秘Kælan Mikla、レーベルのボスGabber Eleganza、ビョークの最新作に参加したインドネシアのガムランガバユニットGabber Modus OperandiのIcan Harem、テクノの聖地TRESORからリリースするminimal violenceのinfinity devisionら海外勢に加え、アルセストことKentaro Hayashi、リヴァイアサンことCRZKNY、そしてMASF/ENDONのTaro Aikoら国内勢も参加したブラックメタル、テクノ、ハードコア、GABBER、ノイズがDEATH RAVEの名の下にネクストレベルで完成した。

そして、このアルバムを引っ提げて行われる5月末から7月頭までスペインのSONAR、北欧最大の野外フェスROSKILDEなど巨大フェスを含むリリースワールドツアーの前に、作品の世界を再現するDEATH RAVEを東京と大阪で開催。このリリースライブにはインドネシアより今作にも参加するGMOのIcan Haremも来日。ブラックメタルの暴力性とRAVEの快楽主義が奇跡的に融合する VMOのアルバムとライブを是非お楽しみください。

VMO presents
『DEATH RAVE リリース♾️メモリアル DEATH RAVE』

東京編
@新代田FEVER

2024/03/19 (火)
18:30open 19:00start
3500yen
4000yen
チケットURL
https://eplus.jp/vmo/

【ACT】
VMO
【special guest 】
Ican Harem from Gabber Modus Operandi
Jun Inagawa

大阪編
@東心斎橋CONPASS

2024/03/22 (金)
18:30open 19:00start
3500yen
4000yen
チケットURL
https://eplus.jp/sf/detail/4045710001-P0030001

【ACT】
VMO
【special guest 】
Ican Harem from Gabber Modus Operandi
KNOSIS(DJ set)


VMO a.k.a Violent Magic Orchestra「DEATH RAVE」
2024.03.13 Release | NSR014/VBR-VMO202403 |
Released by NEVERSLEEP (Japanese distribution by Virgin Babylon Records)
各種サブスクリクション同時配信
https://sq.lnk.to/NSR014_
アナログLP版発売日未定

Track List
1. PLANET HELVETECH
2. WARP
3. The Destroyer electric utilities version
4. Choking Persuasion
5. Kokka
6. Welcome to DEATH RAVE feat. Ican Harem - Gabber Modus Operandi
7. Satanic Violence Device feat. Dylan Walker - Full of Hell
8. MARTELLO MOSH PIT feat. Gabber Eleganza
9. VENOM
10. Abyss feat. Kælan Mikla
11. Ecsedi Báthory Erzsébet
12. SUPERGAZE
13. FYRE feat. Infinity Division
14. Song for the moon feat. Attila Csihar - MAYHEM
15. Flapping Dragon Wings


・VMO
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interview with Kode9 - ele-king

以前はロンドンがベース・ミュージックのセンターだったけど、いまは違っていて、いろいろなところからそれが出てきている。ロンドンはあくまでネットワークのひとつという存在になってきているかな。

 最新型の尖ったエレクトロニック・ミュージック、とりわけダンス~ベース寄りのそれを知りたいとき、UKには今日でもチェックすべきインディペンデント・レーベルが無数にある。そのなかでも長きにわたって活動をつづけ、日本における知名度も高いレーベルに〈Hyperdub〉がある。90年代末、当初オンライン・マガジンとしてはじまった〈Hyperdub〉がレーベルとして動き出したのは2004年。今年でちょうど20周年を迎える。
 主宰者コード9自身のレコードを発表すべく始動した同レーベルは、すぐさまベリアルというレイヴ・カルチャー=すでに終わってしまったものの幽霊とも呼ぶべき音楽を送り出すことになるわけだけれど、ほかにもアイコニカゾンビーダークスターといったおおむね「ダブステップ/ポスト・ダブステップ」なるタームでくくりうる音楽──あるいは90年代から活躍していたケヴィン・マーティンによるさまざまなプロジェクト──のリリースをとおして、10年代頭ころまでにひとつのレーベル・カラーを築きあげていた。
 大きな転機となったのはシカゴのフットワーク・プロデューサー、DJラシャドのアルバム『Double Cup』(2013)だったという。ただ他方ではそれと前後し、直截的にダンス・ミュージックというわけではないディーン・ブラント&インガ・コープランドローレル・ヘイローのような実験的なエレクトロニック・ミュージックの名作を送り出したりもしている。注目すべきアーティストの列が途絶えたことはなく、ジェシー・ランザファティマ・アル・カディリリー・ギャンブルクライン、日本との関連でいえばチップチューンのクオルタ330、独自視点で編まれたゲーム音楽のコンピ、近年の食品まつりなども忘れがたい。なかでもここ数年のレーベルの勢いをもっともよく体現しているのはロレイン・ジェイムズに、そしてアヤだろう。それら一級のカタログはもちろん、アンダーグラウンドな音楽にたいするコード9の鋭い嗅覚によって裏打ちされてきたものだ(かつて南アフリカのゴムを世界じゅうに広めたのも彼である)。
 そんな感じでスタイルの幅を広げていった〈Hyperdub〉の姿勢にはしかし、どこか一本太い芯が通っているようにも感じられる。やはりレーベルの根底にダンス・ミュージックが横たわっているからなのだろう、どれほどエクスペリメンタルな作品をリリースしようとも〈Hyperdub〉のディスコグラフィがハイブロウに振り切れることはない。尖りながら大衆に開かれてもいるその絶妙なバランスは、フットワークやジャングル、アフロ・ダンス・サウンドが入り乱れる先月の O-EAST でのコード9のプレイにもよくあらわれていたように思う。とりわけ印象に残っているのは高速化されたDJロランドの “Knights of the Jaguar” だ。いや、あれはほんとにかっこよかった。まるでゲットー・ハウスかフットワークのごとく生まれ変わったそれはヘスク(Hesk)なるDJによるエディットだという。すごいのはコード9なのかロランドなのかヘスクなのかわからない──ダンス・カルチャーにおける反スター主義の好例といえよう。
 さらにいえば、そうしたサウンド上の冒険だけに終始しているわけではないところもまた〈Hyperdub〉の魅力だ。以下でも語られているとおり、アヤのようなコンセプチュアルな要素を含む音楽のリリースを考える際には、友人である思想家、故マーク・フィッシャーもきっと気に入ったにちがいないと想像を働かせてみるそうだし、サブレーベルの〈Flatlines〉ではオーディオ・エッセイにとりくんでもいる。ダンス・ミュージックとともに、ものを考えること──まさにそれを追求してきたのが〈Hyperdub〉であり、だからこそ彼らはいまなお最重要レーベルのひとつでありつづけることができているのではないか。
 そんな〈Hyperdub〉のボスは現在、ダンス・ミュージックの状況をどのように見ているのだろう。

DJラシャド。あのレコードは人びとに大きな影響を与えたし、DJとしての自分を大きく変えてくれたものでもあった。以降10年間の、自分のDJの方向性を定めてくれたものだった。

日本はひさびさですよね。何年ぶりですか。

Kode9:2019年の12月以来。そのときは〈Hyperdub〉の15周年で、場所は渋谷WWW だったかな。あと(その翌週に)渋谷ストリームホールでやった《MUTEK》も。

この5年間でどんどん大きなビルが立ったり、渋谷の街並みはだいぶ変わりました。ひさしぶりに訪れてみてどんな印象を受けましたか?

Kode9:ビルは増えたよね。でも Contact のようなクラブはクローズしてしまったね。代官山 UNIT はどちらかといえばライヴ・ハウスのような感覚が強まった印象だし。東京のクラブ・シーンは少し変わってしまったのかな。

ロンドンも頻繁に再開発されているんでしょうか。

Kode9:ロンドンのクラブ・シーンは悪くないよ。パンデミック後に若いDJやアーティストがたくさん出てこられるようになって活発だ。すばらしいとまではいえないけれど、ロンドンのクラブ・シーンではつねになにかが起きているような感覚がある。ただ、自分も歳をとってきたから、仕事以外ではあまり出かけなくなってしまったんだけど(笑)。

あなたは最新のベース・ミュージックにすごく敏感な方だと思うのですが、いまのロンドンで新たな音楽のムーヴメントのようなものは起こっていますか?

Kode9:UKガラージやジャングルのリヴァイヴァルは起こっているね。あと、新しい流れでいうとアフロ・ハウスやアマピアノ、ゴムのようなアフリカのダンス・ミュージックから影響を受けたものが出てきているように思う。UKにとってそれが新しいものかどうかはわからないけれど、少なくとも10年前、15年前よりは色濃くなっていて、それは大きな違いかな。以前はロンドンがベース・ミュージックのセンターだったけど、いまは違っていて、いろいろなところからそれが出てきている。ロンドンはあくまでネットワークのひとつという存在になってきているかな。
 それとUKドリルが盛んになっている印象が強くて、それはシカゴ・ドリルのUKヴァージョンではあるんだけど、そういうUKスタイルの音楽が世界的に影響を与えているような気がする。ビートだったり、ベースラインだったり、ラップのスタイルだったり。ほかの都市のローカルな音楽にUKからの影響が見られるものが出てきたと思う。自分にとってもその影響は大きくて、ここ2、3年の動きは2000年代初頭のグライムやダブステップのMCを思い出させるね。自分がDJでかける音楽もいまあげたすべてのものから影響を受けているんだけど、とくにジューク/フットワークだったり、ジャングル、アマピアノとかを自分のまわりのDJグループもジャンルレスにミックスしていて、そうしたものの影響は大きいんじゃないかなと思う。

O-EASTでのDJセットを体験して、まさにいまおっしゃっていたようなサウンドが印象に残りました。スクリーンに映し出されたヴィジュアルも記憶に残っているのですが、視覚上のテーマもあったのでしょうか?

Kode9:じつは、来日するまでライヴ・プレイをやってほしいと思われていることを知らなかったんだよね(笑)。だからぜんぜんプランがなくて、どうやってオーディオ・ヴィジュアルのショウをやろうかギリギリまで考えたんだ。2日間くらいで。あの演出はヴィジュアル・アーティストの JACKSON kaki と自分との即興に近くて、彼がぼくのDJセットの世界観に合わせたゲーム・アヴァターのようなヴィジュアルをつくってくれたんだ。

序盤にDJロランドの “Knight of the Jaguar” のテンポを上げて、ゲットー・ハウスのようにかけていたのが強烈でした。

Kode9:あれはDJヘスク(Hesk)のフットワーク・エディットだね。テクノ・ファンなら絶対にわかるトラックだと思ったから、イントロをループで伸ばして盛り上げようかな、と。よく気づいたね(笑)。

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いまイギリスでは、音楽雑誌をあまり信用できなくなっていることが問題になっている。メディアの貧困化でジャーナリストたちも稼ぐことができないから、ライティングの質も低下しているんだ。

今年で〈Hyperdub〉は設立20周年を迎えます。当初はウェブ・マガジンとして発足して、のちにレーベルになっていったわけですが、2004年当時の意気込みと、現在の状況との違いについてお聞かせください。

Kode9:すごく変わったと思う。もともとの目的は自分の音楽をリリースすることだったんだけど、いまは時間がなくてできていないんだ。自分のリリースがないことがまず大きな違いだよね。レーベルをスタートしたあとは自分だけじゃなくベリアルザ・バグだったり、ダブステップやグライム、UKファンキーなどの作品をリリースするようになって、2009年ごろまではUKが主だったけど、日本のアーティストとも契約するようになってだんだん国際的になっていった。2011年ごろからはダンス・ミュージック以外のローレル・ヘイローだったり(近年の)ロレイン・ジェイムズだったり、ジェシー・ランザのようなポップスにIDM、エクスペリメンタルなアーティストのリリースも増えたし、2012年からはシカゴのフットワークも扱うようになって、ダンス・ミュージックだけでもなく、イギリスだけでもなく、どんどん拡がっていったのが大きな変化かな。

いちばん大きな転機となったリリースはなんでしたか? できればベリアル以外で。

Kode9:DJラシャド。あのレコードは人びとに大きな影響を与えたし、DJとしての自分を大きく変えてくれたものでもあった。以降10年間の、自分のDJの方向性を定めてくれたものだったし、そこからフットワークやジュークに影響を受けた音楽をプレイしはじめたから、あのリリースがいちばん大きかったかな。そう自分では思ってるよ。

最近のリリースだと、やはりロレイン・ジェイムズの存在がもっとも大きいのではないかと考えています。彼女の最大の魅力はどこにあると思いますか?

Kode9:彼女の音楽はすごくパーソナルで、親密なものだと思う。内向的なところがいいね。彼女の外向的ではない点はある意味ベリアルとも似ているけれど、やっぱり違っている。ベリアルは姿を見せないけど、彼女はシャイでありながら前に出ていて。そこに人を惹きつける魅力があるのかな。ぼくはシャイなアーティストが好きなんだ。内面を表現しながら成功している人たち。シャイっていうのは音楽の内容にかんして、っていう意味で、彼女は音楽業界のなかでも真摯に、名声なんか関係なく真剣に音楽をつくりつづけている。そこがすばらしいんだ。彼女はシャイでありながらSNSの使い方もうまくて、SNS上でファンとのつながりをもっている点もおもしろいね。みんなをパーソナルな世界に招いて立ち入らせてくれるところはファンも感謝していると思うし、そこですばらしいつながりが築きあげられているんじゃないかな。

去年出たアルバムでもうひとつ大きかったのはジェシー・ランザかなと思うのですが、彼女は〈Hyperdub〉のなかではポップな路線を担っているアーティストですよね。そこで、あなた個人のポップ・ミュージックの趣味が気になりました。どういうポップ・ミュージックが好きですか?

Kode9:ポップ・ミュージックからは学ぶことが多いんだ。すごく皮肉なことに、ポップスのほうがエクスペリメンタル・ミュージックよりもつくるのが難しいしね。だから、ぼくはKポップやアメリカのR&B、ヒップホップも聴くんだけど、自分にとってポップ・ミュージックは学校みたいなもので、聴くとほんとうに感銘を受けるし、楽しむためというより学ぶために聴いているね。ぼくは音楽教育をいっさい受けてないし楽器も弾けないから、ぜんぶ耳で聴いて楽しむんだけど、ああいったベーシックなハーモニーやキャッチーさを聴いただけで「ワオ!」と感心してしまう。自分にとってそれはすごく新しいものなんだ。

ele-kingは〈Hyperdub〉のアーティストだと aya にすごく関心があるのですが、次のアルバムは進んでいますか?

Kode9:願わくは、今年じゅうにリリースしたいと思ってるよ。aya は天才だ。コンセプト的にも音楽的にもすばらしいと思うし、パフォーマンスのレヴェルも違う。歌も歌えてラップもできて、ロック・スター的な雰囲気がありつつパンク的なところもあって、アティテュードにあふれているよね。シャイなところとは正反対な感じが彼女の魅力だと思う。

〈Hyperdub〉はアルバムより尺の短いEPをたくさんリリースしていて、その姿勢からは信念が感じられます。90年代はダンス・ミュージックが12インチをリリースの中心にすることで、アルバム主義を解体しました。〈Hyperdub〉のリリースもその延長線上にあるのではないかとele-kingの編集長は考えているのですが、シングル/EP単位でリリースすることの意義について教えてください。

Kode9:すごく難しいところだけど、まず、レコードのセールスが厳しくなったからデジタルEPをリリースするようになったんだ。ヴァイナルはパンデミック以降つくるのが大変で時間もかかるようになってしまったんだけど、これからはもっとアルバムをしっかり出していきたいと思っているよ。アルバムというのはアーティストの世界観を表現できるフォーマットだけど、EPはそれよりも早くつくれるから、アーティストのそのときのムードや音楽シーンの動向を捉えてリリースできるところが長所だよね。アルバムは制作に時間がかかるからこそ、ステイトメントのようなものを示すのに向いていると思う。逆にEPのスピード感は、レーベルの勢いや現在を捉えてみんなに見せていけるものだね。

マーク・フィッシャーの影響は強く〈Hyperdub〉にも〈Flatlines〉にも残っている。ベリアルや aya のような好きなアーティストたちをリリースするときも、「彼も同じように100%好きだろうな」というイメージのもとで考えるんだ。

次の質問も編集長から預かってきたものです。90年代に東京で暮らしていたとき、UKのアンダーグラウンドなダンス・ミュージックを知る方法は12インチのシングルを聴くことでした。それらは安価に入手できました。今日ではネットが擡頭し、情報が氾濫してすごくフラットな状況になっています。当時は12インチのヴァイナルが日本とイギリスのアンダーグラウンドにパスのようなものを形成していたのですが、いまはそれが途絶えてしまっているように思えます。どうすれば生き生きとした良質なUKダンス・ミュージックにアクセスできるのでしょうか? その方法があれば教えていただきたいです。

Kode9:まず、いまはそれをやること自体が難しくなってしまったよね。シンプルなものからなにかを得ようとするのは時代的に不可能に近い。すごく複雑化していて、いくらでもリリースの仕方やつくり方がある。バンドキャンプを利用したセルフリリースもあるし、ある種のフィルターやクオリティ・コントロールなしに音楽がどんどん出まわる時代になったわけだよね。インターネットが擡頭してから変わってしまったんだ。昔ならジャングルやドラムンベース、ダブステップだったり、それぞれひとつのシーンがあったけど、いまはシーンというものが中心にドンとあるというよりも、焦点がぼやけて、小さなシーンがほんとうにたくさん存在していると思うんだ。ベッドルームとインターネットが直結しているから、あいだになにも入らない。総数が膨大になったがゆえについていくのが大変になったし、つくり手もみんな(シーンや音楽が)ありすぎて大変なんだ。だから、ほんとうに信頼できるレーベルやウェブ、雑誌を自分なりに決めて、そこに絞るしかないのかなと思う。
 いまイギリスでは、音楽雑誌をあまり信用できなくなっていることが問題になっている。メディアの貧困化でジャーナリストたちも稼ぐことができないから、ライティングの質も低下しているんだ。20年前はライターたちがちゃんとフィルタリングして良質な情報を発信していたけれど、いまの音楽業界自体やプレスなども含めて、とにかく情報があふれているから厳しい状況だね。だから、ジャーナリスト側はニュースレターを書くようになった。雑誌に寄稿するのではなく。いまは転換期だと思う。ポッドキャストや配信の場もできているし、書く側も情報を与える側も、これからは自分たち自身で情報を発信できる場をつくっていくことになるかもしれない。信用できる情報は、自分たちで絞っていかなければいけないんだ。

わたしたちはマーク・フィッシャーの著作を3冊出版しているんですが、彼はあなたについても書いていますよね。あなたはマーク・フィッシャーの文章のどんなところが好きですか?

Kode9:マークとは一緒にPh.D.(博士号)をとった仲で、1996年から2000年にかけて一緒に勉強してきたんだ。ちょうど2、3日前が命日だったな……。彼の影響はものすごく大きくて、たとえば彼は、現代資本主義のように、嫌いなものがはっきりしていた。それへの批判を力強いことばで表現するのが特徴的だった。それは好きな音楽についてもそうで、社会的・政治的に音楽がどう広がっているのかも的確に表現していた。
 〈Hyperdub〉のサブレーベルにオーディオ・エッセイやソニック・フィクションをリリースする〈Flatlines〉というのがあるんだけど、そこから2019年にジャスティン・バートンとマークのコラボレイション作品『On Vanishing Land』をリリースしている。その作品は、マークが映画や本について書いた『奇妙なものとぞっとするもの(The Weird and the Eerie)』(原著2016)のアイディアをもとに、(音で)実践したものなんだ。レーベルの〈Flatlines〉の名前もマークが90年代に書いた論文のタイトル「Gothic Flatlines」から来ている。それくらい彼の影響は強く〈Hyperdub〉にも〈Flatlines〉にも残っている。ベリアルや aya のような好きなアーティストたちをリリースするときも、「彼も同じように100%好きだろうな」というイメージのもとで考えるんだ。たとえば、aya はノース・イングランドの出身なんだけど、マークはロンドンの外にある音楽シーンに関心を抱いていたし、彼がつくりあげてきた世界観にフィットするようなアーティストをピックアップすることはいまも意識している。ちなみにオーディオ・エッセイというのは、哲学やフィクション、ラジオ・ドキュメンタリー、ラジオ・ドラマ、エクスペリメンタル・ミュージックのミックスだね。
 それと、アーバノミック(Urbanomic)という出版社のエディターであるロビン・マッカイと『ソニック・ファクション(Sonic Faction)』というオーディオ・エッセイについての本を編集したんだけれど、それを数か月後には出す予定だ(https://www.urbanomic.com/book/sonic-faction/)。「ファクション」というのはフィクション(fiction)とファクト(fact)を組み合わせたもの。だから、理論を書いてはそれを音にして、また理論に戻って、また音の作品に落としこんで……というサイクルを繰り返しているね。

〈Hyperdub〉の2024年はどんな一年になりそうですか? 直近で控えているリリースも含め教えてください。

Kode9:「サヴァイヴァル」だね。20周年を迎えるというのは信じられない(笑)。アルバムをたくさんリリースしたいと考えている。20周年記念のショウケースの予定もたくさんあって、バルセロナのプリマヴェーラ・フェスティヴァルやロンドンのファブリック、オーストラリアのエレヴェイト・フェスティヴァル、フランスのニュイ・ソノール。祝福する場はたくさんあるんだけど、いま小さなレーベルを運営することはすごく複雑で大変なことなんだ。さっき話したようにストリーミングも増えたし、音楽業界自体やジャーナリズムも変わってきているし、それがすべてレーベル運営に影響する。だから、小さいレーベルとしてはサヴァイヴァルになっていくんじゃないかな。生き残りが大変なんだ。ひとりならまだしも、スタッフを3、4名抱えているしね。3月にはシカゴのヘヴィ(Heavee)がDJラシャドの『Double Cup』のようなムードを持ったアルバムをリリースするよ。ロレイン(・ジェイムズ)の前の前のアルバム(『Reflection』)や aya のアルバムにヴォーカルで客演していたアイスボーイ・ヴァイオレットというマンチェスターのラッパー[※UKでは2~3年前から注目されている、アンダーグラウンドで評価の高いMC]のアルバムもリリースする予定。もしできるなら、aya とナザール(Nazar)、DJハラム(Haram)、ティム・リーパー(Tim Reaper)……ぜんぶ出せたらいいな。少なくともヘヴィとアイスボーイ・ヴァイオレットは確実に出すことが決まっているね。

※なお、今回の取材でベリアルの新作が〈XL〉から出たことについて尋ねなかったのは、取材日(1月15日)がその情報が流れるよりも前だったからです。

Maceo & All The King's Men - ele-king

Creation Rebel - ele-king

 UKダブのレジェンドのひと組、昨年みごと復活を果たしたクリエイション・レベル。その歴史をたどるのにうってつけのCDボックスセットが〈On-U〉より発売される。題して『High Above Harlesden 1978-2023』。エイドリアン・シャーウッド初のプロデュース作品にあたる『Dub from Creation』(1978)からレアで高額だった『Close Encounters of the Third World』(1978)、代表作『Starship Africa』(1980)はむろんのこと、最新作『Hostile Environment』(2023)まで6作を収録。ブックレットには貴重な写真も掲載されているそう。詳しくは下記より。

CREATION REBEL
エイドリアン・シャーウッド主宰の〈ON-U SOUND〉が
クリエイション・レベルの豪華CDボックスセット
『High Above Harlesden 1978-2023』と
アナログ盤再発を発表

エイドリアン・シャーウッド率いる〈On-U Sound〉が、故プリンス・ファー・ライのバックバンドを務め、ザ・クラッシュ、ザ・スリッツ、ドン・チェリーらとステージを共にしてきたクリエイション・レベルの偉大なる歴史を詰め込んだ豪華CDボックスセット『High Above Harlesden 1978-2023』のリリースを発表! 待望のアナログ盤再発も決定した。

Creation Rebel - High Above Harlesden 1978-2023
YouTube >>> https://youtu.be/lw0SROhafOE

元々は、若きエイドリアン・シャーウッドが初めてのアルバム・レコーディング・セッションを実現するためのスタジオ・プロジェクトとして結成し、そこから名盤『Dub From Creation』が誕生した (UKレゲエ/ダブ・ミュージックのもう一人の巨匠、デニス・ボヴェルがエンジニアを担当)。
そこからプリンス・ファー・ライのツアー・バンドとして活躍すると同時に、バンド・リーダーであり中心的存在であるクルーシャル・トニー・フィリップスを中心にUKダブ/レゲエのシーンを語る上で欠かすことのできない重要作品をリリースしてきた。ベースのリザード・ローガンが投獄され、プリンス・ファー・ライが殺害されるという悲劇に見舞われた後、バンドは1980年代半ばから長期にわたって活動を停止するが、2017年、エイドリアン・シャーウッドのプロジェクト、シャーウッド・アット・ザ・コントロールのロンドン公演のために再結成。そしてエイドリアンとともにバンドはスタジオに戻り『Hostile Environment』を完成させた。クルーシャル・トニーは現在もバンドを率い、チャーリー・エスキモー・フォックス、ランキン・マグーとともに活動を続けている。
今回の再発企画では、『Dub From Creation』や『Starship Africa』といった1970年代後半から1980年代前半にかけてリリースされたUKダブ/レゲエを代表する名作5枚がフィーチャーされ、ファン垂涎のレア盤『Close Encounters of the Third World』を含め、5タイトルがアナログ盤で再リリースされる。またそれらの5タイトルに昨年40年振りにリリースされた最新アルバム『Hostile Environment』を加え、一つの作品としてまとめた6枚組CDボックスセットも同時発売される。CDボックスセットには、36ページのオリジナルブックレットが封入され、国内流通仕様盤はブックレット対訳/解説書付きとなる。
CDボックスセットのタイトル『High Above Harlesden 1978-2023』は、バンドが活動をスタートしたロンドン北西部の労働者階級地域に敬意を表してつけられている。
昨年、40年振りに届けられたアルバム『Hostile Environment』は、DJ Mag、The Quietus、The Wire、その他多くのメディアによって、2023年を代表する一枚として賞賛された。今回の企画は、〈On-U Sound〉の人気再発シリーズの最新プロジェクトとなっており、これまでにアフリカン・ヘッド・チャージ、ダブ・シンジケート、ニュー・エイジ・ステッパーズの再発に続くものである。

Dub From Creation (1978)
UKダブの総帥エイドリアン・シャーウッドによる最初のスタジオ作品。エンジニアはデニス・ボヴェル。ドラムはブラック・ルーツ・プレイヤーズのエリック ‘フィッシュ’ クラークで、レゲエのスーパースター、ジョニー・クラークの弟である。オリジナル・リリースは〈On-U〉の前身となる伝説的レーベル〈Hitrun〉より。

Close Encounters Of The Third World (1978)
ジャマイカのチャンネル・ワン・スタジオで録音され、ロンドンでプリンス・ジャミーがミックスした、クリエイション・レベルのカタログの中で最も人気のあるタイトル。
中古市場においてはコンディションの良い中古盤は超高額で取引されている。オリジナル・リリースは〈On-U〉の前身となる伝説的レーベル〈Hitrun〉より。

Rebel Vibrations (1979)
伝説的なルーツ・ラディックスのドラマー、リンカーン・“スタイル”・スコットをフィーチャーした、オリジナル・リリース以来入手不可能な、ヘヴィなベースラインとビッグ・チューンの正統派コレクション。オリジナル・リリースは〈On-U〉の前身となる伝説的レーベル〈Hitrun〉より。

Starship Africa (1980)
ダブのクラシック作品。惑星間サウンドエフェクト、星の彼方から聞こえてくる幽霊のような声、そして鳴り響くパーカッション。ルーツ・ラディックス、ミスティ・イン・ルーツ、プリンス・ファー・ライ・アラブスのメンバーが参加。近年ではMojo MagazineのHow To Buy... On-U Sound特集で、全カタログの中で最もお薦めのリリースとして第1位に選ばれた。
オリジナル・リリースは〈On-U〉の前身レーベル〈4D Rhythms〉より。

Psychotic Jonkanoo (1981)
ジョン・ライドン(セックス・ピストルズ、パブリック・イメージ・リミテッド)のバッキング・ヴォーカルをフィーチャーし、伝統的なジャマイカのルーツ・レゲエにUKらしい実験的なアプローチを取り入れた結果、独特のハイブリッド・サウンドが生まれた。

Hostile Environment (2023)
40年以上にわたる宇宙からの追放から帰還したバンドによる凱旋セット。クルーシャル・トニー、エスキモー・フォックス、ランキン・マグーのトリオは、プロデューサーのエイドリアン・シャーウッドと再結集し、ヘビー級のダブワイズ・リズムに現代的なスピンを加えた。

High Above Harlesden 1978-2023
上記の全アルバムを収録した6枚組アンソロジー・ボックス・セット、貴重な写真やライナーノーツを収めた36ページの豪華ブックレット、ボーナス・トラック7曲収録。

label: On-U Sound
artist: Creation Rebel
title:High Above Harlesden 1978-2023
release: 2024.03.29
CD Box Set 国内仕様盤:
(6枚組/解説書付き/38Pブックレット封入)¥8,000+tax
CD Box Set:
(6枚組/38Pブックレット封入)¥7,500+税
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13905

TRACKLISTING
DISC 1 (Dub From Creation)
01. Dub From Creation
02. Basic Principals
03. Rebel Rouser
04. Creation Vibration
05. Creation In A Iration
06. Dub Fusion
07. Mirage
08. Liberation
09. Rising Star
10. Vision Of Creation
11. Frontline Dub

DISC 2 (Close Encounters of the Third World)
01. Know Yourself
02. Conspiring
03. Beware
04. Dangerous And Deadly
05. Shouldn’t Do That
06. Creation Fever
07. Natty Conscience Free
08. Joyful Noise

DISC3 (Rebel Vibrations)
01. Rebel Vibration
02. Jungle Affair
03. Hunger And Strife
04. Ian Smith Rock (Dub)
05. Diverse Doctor
06. Mountain Melody
07. Black Lion Dub
08. Doctor’s Remedy

DISC4 (Starship Africa)
01. Starship Africa Section 1
02. Starship Africa Section 2
03. Starship Africa Section 3
04. Starship Africa Section 4
05. Starship Africa Section 5
06. Space Movement Section 1
07. Space Movement Section 2
08. Space Movement Section 3
09. Space Movement Section 4
10. Creation Rock
11. Give Me Power
12. Original Power

DISC5 (Psychotic Jonkanoo)
01. The Dope
02. African Space
03. Chatti Mouth / Threat To Creation
04. Highest Degree
05. Mother Don’t Cry
06. Yuk Up
07. Drum Talk
08. Independent Man
09. Creation Rebel
10. Monkey Grinds The Organ

DISC6 (Hostile Environment)
01. Swiftly (The Right One)
02. Stonebridge Warrior
03. Under Pressure
04. That’s More Like It
05. Jubilee Clock
06. This Thinking Feeling
07. Whatever It Takes
08. Salutation Gardens
09. Crown Hill Road
10. The Peoples’ Sound (Tribute To Daddy Vego)
11. Off The Spectrum

ドキュメンタリーに伝記映画、ライヴ映画など、近年ますます秀作が公開されている音楽映画を一挙紹介!

3月公開の『モンタレー・ポップ』とフェス映画の系譜

インタヴュー
ピーター・バラカン──音楽映画祭を語る
大石規湖(映画監督)

『ムーンエイジ・デイドリーム』『ストップ・メイキング・センス』などのロックの映画を中心に、『サマー・オブ・ソウル』や『白い暴動』、『自由と壁とヒップホップ』といった社会派音楽ドキュメンタリーまで、近年盛り上がりを見せる音楽映画の秀作・傑作を大紹介!

目次

巻頭特集 『モンタレー・ポップ』
Review ポップ・カルチャー史のエポックとなった伝説のフェス──『モンタレー・ポップ』 柴崎祐二
Column フェス映画の系譜 柴崎祐二

Interview
ピーター・バラカン さまざまな場所、さまざまな音楽──音楽映画祭をめぐって
大石規湖 「そこで鳴っている音にいかに敏感に反応できるか」

Review
マニアも驚かせた大作ドキュメンタリー──ザ・ビートルズGet Back』とビートルズ・ドキュメンタリー映画 森本在臣
断片の集成から浮かび上がる姿──『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・ デイドリーム』とデヴィッド・ボウイ映画 森直人
説明の難しい音楽家──『ZAPPA』 てらさわホーク
微笑ましくも豊かな音楽とコント──『フランク・ザッパの200モーテルズ』 てらさわホーク
伝記映画の系譜──『エルヴィス』ほか 長谷川町蔵
トム・ヒドルトンが演じるカントリーのレジェンド──『アイ・ソー・ザ・ライト』 三田格
ザ・バンドを語る視線──『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』 柴崎祐二
今こそ見直したい反時代性──『クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル トラヴェリン・バンド』 柴崎祐二
ヴェルヴェッツを取り巻くNYアート・シーン──『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド』『ソングス・フォー・ドレラ』 上條葉月
1984年と2020年のデヴィッド・バーン──『ストップ・メイキング・センス』『アメリカン・ユートピア』 佐々木敦
メイル兄弟とエドガー・ライトの箱庭世界──『スパークス・ブラザーズ』 森直人
パンクが生んだ自由な女たち──『ザ・スリッツ:ヒア・トゥ・ビー・ハード』 上條葉月
セックス・ドラッグ・ロックンロールに明け暮れた栄枯盛衰──『クリエイション・ストーリーズ 世界の音楽シーンを塗り替えた男』 杉田元一
アウトロー・スカムファック(あるいは)血みどろの聖者に関する記録『全身ハードコア GGアリン』+『ジ・アリンズ 愛すべき最高の家族』 ヒロシニコフ
改めて注目を集めるカルト・クラシック──『バビロン』野中モモ
甦る美しき革命の記録──『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』 シブヤメグミ
帝王の孤独──『ジェームス・ブラウン ~最高の魂(ソウル)を持つ男~』三田格
総合芸術としてのヒップホップ──『STYLE WARS』 吉田大
壁の向こうの声に耳を傾ける──『自由と壁とヒップホップ』 吉田大
ショーターの黒魔術に迫る──『ウェイン・ショーター:無重力の世界』 長谷川町蔵
ジョン・ゾーンのイメージを刷新する──『ZORN』 細田成嗣
ルーツ・ミュージックのゴタ混ぜ──『アメリカン・エピック』 後藤護
シンセ好きの夢の空間──『ショック・ドゥ・フューチャー』森本在臣
フィジカル文化のゆくえ──『アザー・ミュージック』 児玉美月
愛のゆくえ──『マエストロ:その音楽と愛と』杉田元一
徹底した音へのこだわりによるライヴ映画──『Ryuichi Sakamoto: CODA』『坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK : async』 杉田元一
失われた音楽が甦る瞬間──『ブリング・ミンヨー・バック!』 森本在臣
スペース・イズ・ザ・プレイス —— 渋サ(ワ)知らズと土星人サン・ラーが出逢う「場」──『NEVER MIND DA 渋さ知らズ 番外地篇』 後藤護
生きよ堕ちよ──『THE FOOLS 愚か者たちの歌』森直人
コロナ禍におけるバンドと生活──『ドキュメント サニーデイ・サービス』 安田理央
天才の神話を解いて語り継ぐ──『阿部薫がいた-documentary of kaoru abe-』 細田成嗣
坂道系映画2選──『悲しみの忘れ方 documentary of 乃木坂46』』『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』 三田格
勢いにひたすら身を任せる──『バカ共相手のボランティアさ』 森本在臣

Column
政治はどこにあるのか 須川宗純
ポリスとこそ泥とスピリチュアリティ──レゲエ映画へのイントロダクション 荏開津広
映画監督による音楽ドキュメンタリー 柴崎祐二
歌とダンスの(逆回し)インド映画史 須川宗純

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お詫びと訂正

このたびは弊社商品をご購入いただきまして誠にありがとうございます。
『ele-king cine series 音楽映画ガイド』に誤りがありました。
謹んで訂正いたしますとともに、お客様および関係者の皆様にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

表紙
誤 大石紀湖
正 大石規湖

Tapir! - ele-king

 意識せずともいつの間にやら季節は過ぎて、サウス・ロンドン界隈のバンドも気がつけばポスト・パンクよりもフォークのアプローチをとるようなバンドが増えてきている。こういうのは徐々に変化していくものだからどのタイミングでこうなったのかはっきりとした答えは出ないものだけど、しかし2022年にキャロラインの1stアルバムが出たというのはひとつのターニング・ポイントだったのではないかと思う。そもそもそれが受け入れられる土壌があったということで、やはりロックダウンを経て音楽を作る側のみならず聞く側の心境を大きく変えたのかもしれない(デスクラッシュのギタリスト、マット・ワインバーガーが20年の『ラウド・アンド・クワイエット』のインタヴューで「世界が僕たちの音楽に合うように変化した」と表現していたことをよく覚えている)。塩分をとり過ぎた体が水を求めるように、鋭く性急な音楽よりも、心がゆったりとした慈しみのある音楽を求め、そんな音楽を奏でるバンドをよりいっそう魅力的にしているのかもしれない。それこそキャロラインもそうだがフォークそのものではなく、フォークのフィーリングを取り入れて他の要素と混ぜ合わせたような音楽をやっているというのもミソだ。古きに学び新しさに変えていく、そんなインディ的な精神はもちろんこの流れのなかでも発揮されている。なにはともあれ空気はすっかり変わった。

 サウス・ロンドンを拠点に活動する6人組テイパー!はまさにこの文脈にあるバンドだ。鼻の飛び出た揃いの赤いなんだかわからない覆面をして、なんだからわからないポーズをとったアーティスト写真から興味を持って(夜の闇と鮮やかな赤のコントラストがなんとも魅力的だった)、22年にデビュー作「Act 1 (The Pilgrim)」を聞いたのだけど、その音楽は写真同様に不思議な感覚に陥るような音楽だった。ジム・オルークの『Eureka』を彷彿とさせるようなフォーキーで柔らかな感触と、子どもの頃に見た紙芝居や人形劇を思い出すようなノスタルジーを感じるサウンドがなんとも優しく交じり合い、そしてなんとも優しい心持ちにさせてくれたのだ。

 そのEPはまるごとこの1stアルバムに収録されている。「Act 1 (The Pilgrim)」というタイトルが示すようにEPの音楽をひとつの塊とし、それを三部構成の物語としてとらえアルバムとしてまとめあげている。“Act 1 (The Pilgrim)”、“Act 2 (Their God)”、“Act 3 (The King Of My Decrepit Mountain)”、章のはじまりのそれぞれにフィールド・レコーディングされた物音とリトル・ウイングス、カイル・フィールドによるナレーションが挟まれて物語へと導く道筋が語られる(それはちょっと想像力を刺激するラジオドラマみたいにも思える)。ジャケットにも描かれ、またかぶり物にもなっている赤い奇妙な生き物ピルグリムが緑の丘の上で仲間の声を聞き、引き寄せられるように巡礼の旅に出て不気味な森や山々を駆け巡り、海を渡り、神秘的な風景の中を冒険するという物語、それがアコースティック・ギター、ピアノ、コルネット、サックス、チェロなどの楽器を使い柔らかに語られる。壮大な物語だが、テイパー!の音楽は丸っこいキャラクターが活躍するアニメのように親しみやすく、やたらとノスタルジックで、日常の愛おしさを感じてたまらなくなるほどに優しい。
 オープニング・トラック “Act 1 (The Pilgrim)” のつま弾かれるギターとピアノの絡み、そしてハミングからしてそれがにじみ出ているし、“Swallow” の繰り返しのなかで響くファルセットの歌声はやはり郷愁をこれでもかとかき立てる。海へ出たAct 2、“Broken Ark” ではギターを歪ませ、ストリングスのフレーズとベースでひとり孤独の航海を続けるピルグリムの姿を描き出す。ひとりではいたくないから、だから誰かのいる場所へと彼は向かうのだ。
 Act 3の “My God” はまた素晴らしく胸を締めつける曲だ。それまでの神秘的な世界を離れたモノにまみれた物質的な世界での冒険で、あるいはそれはピルグリムの見た夢(その夢の世界こそがきっと我々の生きる現実だ)なのではないかという考えが浮かぶが、とにもかくにもiPhone 6、ヒューゴ・ボスの時計、メイベリンといった名前の羅列が日常へと続く道筋を作り上げこれでもかと心をくすぐり続ける(思い出と結びつくモノ。消費主義の現実のなかで、しかし我々はモノに愛を感じて生きてもいる)。この曲もそうだが “On A Grassy Knoll (We'll Be Together)” や “Swallow”、“Mountain Song” などの楽曲でドラムマシンと組み合わせていることもこの不思議な旅の奇妙な感触を強めているのかもしれない。柔らかく丁寧に積み重ねられる繰り返しのフレーズとコーラス・ワーク、そしてわずかな異物感がこの旅を味わい深いものにしているのだ。

 このアルバムをプロデュースしたのがハニーグレイズの Yuri Shibuichi であるというのもまた注目すべき点だろう。彼は高い関心を集めている新人バンド、メアリー・イン・ザ・ジャンクヤードの曲のプロデュースもしておりバンド活動のみならずプロデューサーとしても今後ロンドンのインディ・シーンで存在感を放っていくようなそんな気配が感じられる(ロイル・オーティスや Vijin などダン・キャリー関連のアーティストのレコーディング時に呼ばれ、しばしばドラムを叩いているということもこうした活動と無関係ではないだろう)。本作でもジャケットに描かれている広がる草原のような音象を作り上げ、手作り感を残したままに、この絵本のような不可思議な世界の広がりを表現するのに大きな役割を果たしている。

 あぁそれにしてもこのアルバムに聞いたときにやってくる感情はなんなのだろう。聞くたびに胸が締めつけられるようなノスタルジー、ジワジワと湧き上がってくるような愛おしさ、ちょっと哀しくだけども優しく包み込むように音楽が鳴り響いていく。現実から引き継がれた寓話の世界のフォークロアのようなおとぎ話のなかにあるリアル、優しい色使いの世界の中でテイパー!は日常に接続する感情を描いているように僕には思える。音楽だけにはとどまらないというこのプロジェクトがこの先どんな風に変化していくのか楽しみで仕方がない。

Terrace Martin's Gray Area - ele-king

 昨年は新作『Fine Tune』をリリース、来日公演もおこなわれたLAのマルチ奏者テラス・マーティン。彼が率いるバンドがグレイ・エリアだ。そのライヴ・アルバムが3月6日にリリースされる(LPは6月5日)。収録されるのは2020年に配信限定で披露された音源で、なんとカマシ・ワシントンがゲスト参加している。ジャズのライヴの魅力が詰まった1枚、チェックしておきましょう。

テラス・マーティン率いるバンド、グレイ・エリアが2020年に行ったライヴの模様を収録した配信限定ライヴ・アルバムが待望のフィジカル・リリース! ケンドリック・ラマーの名曲“For Free?”の超熱演ジャズ・カヴァーや、カマシ・ワシントンがゲスト参加した20分越えの絶品ジャム・セッションなど、現行ジャズにおける最高峰のライヴ・パフォーマンスがここに!

ロバート・グラスパーとのR+R=Nowや、同じくグラスパーに、カマシ・ワシントン、ナインス・ワンダーまで擁するディナー・パーティーと、数々のプロジェクトで現代ジャズの推進に余念がないテラス・マーティンが、自らのバンドとして結成した「グレイ・エリア」。そのバンドのお披露目として、2020年にJammcard主催のイヴェント「JammJam」で行ったライヴ・パフォーマンスの模様を収録した配信限定のライヴ・アルバム『Live at the JammJam』が遂にCD、レコードでリリース!!!

テラス・マーティンをリーダーに、ケンドリック・スコットやカマシ・ワシントンの作品で重宝され、自らリーダー作もリリースしている若手最重要ベーシストのジョシュア・クランブリー、ルイス・コールとジェネヴィーヴ・アルターディによるポップ・ユニット:ノウアーのバンド・メンバーでもあるキーボーディストのポール・コーニッシュ、そしてあのサンダーキャットの兄であり、プリンスやカマシのドラマーとして腕を振るってきたロナルド・ブルーナー・JRというジャズ界のキーマンが勢ぞろいしたバンド、グレイ・エリア。

その気になるライヴの内容は?と言うと、2分ほどのイントロを終えた後に突如として始まる“For Free?”で一気に爆発。曲名通り、テラス・マーティン本人がプロデュースしたケンドリック・ラマーの傑作『To Pimp a Butterfly』に収録された名曲“For Free?”のジャズ・カヴァーで、8分を超える超熱演を披露。キーボードのソロ・プレイを前面に押し出した甘味の強いバラード“Great Is Thy Faithfulness”を間に挟みつつ、テラスの盟友、カマシ・ワシントンがゲストとして参加した“Juno”、“Stop Trippin’”の二曲では、なんとどちらも20分近くにも及ぶ白熱のジャム・セッションを繰り広げる。これぞまさにジャズのライヴの魅力が120%パッケージされた極上のライヴ・アルバム!

「Juno feat.Kamasi Washington」(ライヴ映像)
https://youtu.be/ZWQ3ANEjTsQ

【Pre-order】
https://p-vine.lnk.to/ghXOiwjl

【リリース詳細】
アーティスト:TERRACE MARTIN'S GRAY AREA / テラス・マーティンズ・グレイ・エリア
タイトル:Live At The JammJam / ライヴ・アット・ザ・ジャムジャム
フォーマット:CD/LP
発売日:CD 2024.3.6 / LP 2024.6.5
品番:CD PCD-25383 / LP PLP-7404/5
定価:CD ¥2,750(税抜¥2,500) / LP ¥6,600(税抜¥6,000)
レーベル:P-VINE
*日本語解説付

【Track List】
1.Intro
2.For Free?
3.Great Is Thy Faithfulness
4.Juno
5.Stop Trippin

【Gray Area】
Terrace Martin - saxophone
Ronald Bruner Jr. - drums
Paul Cornish - keys
Joshua Crumbly - upright bass

Featuring:
Kamasi Washington - saxophone
Ben Wendel - Alto Saxophone
Maurice Brown – Trumpet

【Official】
https://twitter.com/terracemartin
https://www.instagram.com/terracemartin

 音楽でもそうだけれど、古典はときに現代の作品以上に刺戟的だったりする。古典というくらいだからそれが生み落とされた年代は古く、一見わたしたちの暮らす日常からかけ離れた世界や価値観が描かれているように映るかもしれない。にもかかわらず古典というやつは「これってまさに今日の問題じゃん!」と思わせる要素を少なからず含んでいるもので……長い年月をサヴァイヴしてきたがゆえにもつことを許された魅力というか、まあ、だからこそ古典は古典たりえているのだろう。かのマルクスもその代表選手のひとりである。
 新しい解釈を誘発しない古典は古典とは呼べない。マルクスもまた一世紀以上にわたりさまざまに読み解かれてきた。たとえばフランスの哲学者ジャック・デリダ──宣伝しておくと、もうすぐその伝記をele-king booksから刊行します──はソ連崩壊後の1993年に『マルクスの亡霊たち』なる本を上梓している。『共産党宣言』が呼びかけるプロレタリア革命のメッセージそれ自体ではなく、その文章にあらわれる「亡霊」なる単語に着目し、幽霊のように過去から回帰してくるものをめぐる思考=「憑在論」の端緒をひらいた重要作だ。それがのちにサイモン・レイノルズやマーク・フィッシャーに少なからぬ影響を与えたことはすでにele-king読者にはなじみ深いかもしれないけれど、そのような読み方がマルクス当人の意図していなかった解釈であろうことは疑いない。テクストはテクストを誘発し、また新たなテクストが紡がれていく、と。
 若手のマルクス研究者、斎藤幸平による『マルクス解体──プロメテウスの夢とその先』もそうしたオルタナティヴなマルクスの読みを提供してくれる一冊だ。想像してみてほしい。動物の健康を憂うマルクスを。感染症のリスクを意識するマルクスを。西欧ではなくアジアやアフリカ、ラテンアメリカを研究するマルクスを。この本からは「階級闘争の鬼」みたいなイメージを覆すマルクス像がつぎつぎと浮かびあがってくる。ずばり、エコロジストとしてのマルクスだ。従来相性が悪いとみなされてきた「緑」と「赤」のあいだに橋を架けること──それが本書最大の狙いといえる。

 じつは氏にはかつてele-kingでも何度か原稿を依頼したことがある。その後彼が知識人としてこれほど大きな存在になろうとは予想だにしていなかったけれど、それはきっと今日、多くの人びとが資本主義の横暴や気候変動に戸惑っていることのあらわれなのだろう。大ヒットした『人新世の「資本論」』(集英社新書)と同時並行で進められていたのがこの本で、いわばそのデラックス版ないしディレクターズ・カット版みたいなものかもしれない。オリジナルの英語版が出版されたときはUKでも話題になったようで、『ガーディアン』がインタヴュー記事を掲載している(https://www.theguardian.com/environment/2023/feb/28/a-greener-marx-kohei-saito-on-connecting-communism-with-the-climate-crisis)。原題は『人新世のマルクス──脱成長コミュニズムの理念に向けて』。本書はその英語で書かれた学術書の翻訳という体をとっているものの、著者自身が日本語としての読みやすさを意識し大幅に手を入れてくれているおかげで、この手の本にしてはだいぶハードルが下がっている。
 最初のほうでマーク・フィッシャーが登場するところは興味を引くポイントかもしれない。音楽のみならず映画やドラマ、大衆文学などなど、ポピュラー・カルチャーの論じ手として頭角をあらわしてきた彼が最初の本で打ち出したのが「資本主義リアリズム」なるコンセプトだった。もはや資本主義以外の社会のあり方を想像することができなくなってしまったというその感慨が、まさに『資本論』を執筆したマルクスを研究する専門家によってどのように整理されているのか、それを目撃するのも本書の楽しみのひとつだろう。
 エンゲルスがつくりあげたマルクスのイメージを解体する第二章、西欧マルクス主義の代表者ルカーチにたいする誤解をほどく第三章、話題の「人新世」なるタームへの批判を検討する第四章なんかもおもしろいのだけれど、個人的にもっとも興味深く読んだのは左派加速主義が扱われる第五章だ。当該論者たちはテクノロジーの発展で環境危機を乗り越えられると、技術革新こそが未来を用意すると主張しているらしい。そのためにはガンガン生産力を上げ、経済をまわしていかにゃならん、と。それが片手落ちの議論であることを暴き出していくさまは読んでいて素朴に痛快だ。
 ちなみにここでも何度か「資本主義リアリズム」の語が登場するのだけれど、著者は慎重にフィッシャーの名をあげることを避けている。誤解されないよう配慮しているのだろう。日本語版ウィキペディアで「マーク・フィッシャー」のページをのぞくと、なぜかフィッシャーは左派加速主義者ということになっている。ネットが信用ならない最たる例というか、どれほどフィッシャーがそのような考え方から離れたところにいるか、読者であればすでにご存じにちがいない。

 時間がない方は最終章だけ読もう。そこではマルクスを「脱成長コミュニスト」として再解釈する、著者のオリジナリティが最大限に発揮されている。主著たる『資本論』よりもさらに後、晩年のマルクスの抜粋ノートを丹念に読みこむことによって、まったく新しい──経済成長を望まない、進歩主義や生産力重視ではない──マルクス像が、すなわちデリダが亡霊を見出した『共産党宣言』の若き楽観主義ではなく、人間と自然の関係を真摯にとらえなおす老マルクスの姿がそこからは浮上してくる。
 最後に将来の展望が記されている点も重要だろう。実現可能かどうか、あるいは賛同するかどうかはべつにして、著者は本書で明確に「資本主義リアリズム」の呪縛に抗っている。「失われた未来」を突破しようと試みている。ただ資本主義のあり方を批判し気候危機に警鐘を鳴らすだけではなくて、よりよい将来を想像してみることのたいせつさを教えてくれる一冊にもなっているのだ。想像するとはまさにカルチャーの分野、音楽や映画や文学が得意とするところにほかならない。オルタナティヴはいくらでもある──マルクスという古典の読みなおしがその血路となることを、あらためて本書は伝えてくれている。

ソルトバーン - ele-king

 昨年末からTikTokが『ソルトバーン』を観た人のリアクションであふれている。とくに目立つのはバリー・キヨガン(と聞こえる。日本ではコーガンと表記)演じるオリヴァー・クィックがバスタブの残り湯を啜るシーンで、ガールフレンド(?)が撮影しているのか、このシーンを観ている男たちが一様に気持ち悪がり、「ノー」と叫んだり、あっけにとられたりしている。バスタブの残り湯にはジェイコブ・エロルディ演じるフィリックス・キャットンのザーメンが混じっているという設定で、同作のプロモーションのためにエロルディがジミー・ファロンのレイト・ナイト・ショーに出演した際は、バスタブの残り湯を連想させるロウソクのビンが6種類ほどデスクに並べられ、ひとつを選んでエロルディが口をつけようとするとスタジオの観客から悲鳴が漏れる。多岐に渡るTikTokのショート・ムーヴィには押し黙って観ている老夫婦をどうだと言わんばかりに映し出すものや2人組の女子がバスタブのミニチュアに白濁した液体を入れて飲み干すなどあまりに品がなく、リアクションの数が増えれば増えるほど僕が最初に『ソルトバーン』を観た時の印象からはどんどん遠ざかっていく。さすがにハイプだと非難する声も上がり、しかし、「ソルトバネスク」などという言葉が生まれるほど作品の訴求力が高いことも確かで、考察系の動画などTikTokや他のSNSではシリアスな内容のものも増えている。イギリス流のブラック・ユーモアを理解するために過去の映画や文学の知識が総動員され(イギリスを代表するブラック・ユーモアの作家、イヴリン・ウォーは「キャットン家の先祖を題材に小説を書いていた」というセリフもある)、あれこれと観ていたら迷路の中心に置かれたミノタウロスのほかにも作品のあちこちに銅像がちりばめられていたことや窓の外のドッペルゲンガーなど指摘されるまで気がつかなかったことも多かった。

 06年、オックスフォード大学の入学式。オリヴァーはおどおどと大学の構内に足を踏み入れる。食堂では「お前、友だちいないだろ」と嘲られ、出身地がリヴァプールに近いプレスコットというだけで指導教官からも妙な表情をされる。ポッシュ(富裕層)とサイコパスがオリヴァーの周囲ではひしめき合い、導入部だけで気が滅入ってくる。ある日、オリヴァーが自転車で図書館に行こうとすると、フィリックスが壊れた自転車の前で座り込んでいる。自分は歩いて行ける距離だからといってオリヴァーはフィリックスに自転車を貸す。フィリックスは有力者の息子で、陽キャに手足が生えているようなリーダー的存在。人に指図することに慣れきった風で、フィリックスがオリヴァーに礼を言ってもどうも素直な感じは伝わらない。ここからはスクール・カーストの存在を思い知らされるようなエピソードが畳み掛けられる。オリヴァーはフィリックスの「おもちゃ」にされながら、しかし、フィリックスには「おもちゃ」を大切にする側面もあり、対等なのか主従なのか、簡単には割り切れない奇妙な関係が育まれていく。ある日、オリヴァーの元に父親が倒れたという報が入る。オリヴァーはフィリックスの部屋に飛んでいき、オリヴァーの境遇に同情したフィリックスは優しく彼を慰めてくれる。舞踏会の日、タキシードを着込んだオリヴァーに級友たちが「似合ってるじゃないか。レンタルだろ」と続けざまに皮肉をぶつけていくなか、フィリックスはオリヴァーを会場とは正反対の方向に連れていく。小川を目の前にしたフィリックスは死んだ父親の名前を石に書いて川に投げ込めとオリヴァーに促す。しかし、石は川沿いのゴミの上に落ちて水の中には落ちなかった。

 夏休みになると、フィリックスはオリヴァーを屋敷に招待する。タクシーを降りるとオリヴァーの目の前には広大な敷地が広がっている。巨大な玄関が開くと高圧的な執事が慇懃無礼にオリヴァーを招き入れ、フィリックスが広大な屋敷の内部を案内していく。部屋の装飾はヘンリー7世の飾り棚やヘンリー8世のザーメンなど王侯貴族の遺産にルーベンスの絵画やシェイクスピアの初版本など計り知れない資産価値のものが並んでいる。フィリックスは適度に下品な言葉でそれらを紹介し、家族が待つ部屋にオリヴァーを連れていく。オリヴァーの到着を待っていた家族が「去年の人…」という言葉を使ったところで2人が部屋の扉を開け、オリヴァーは様々に声をかけられるものの、その内容はあまりに無神経でオリヴァーは体を硬くするしかない。「夕食は正装で」と言われたオリヴァーは「カフスは持ってきた?」と訊かれても「持ってない」と答えるしかなく、貸してもらうことに。

 その日からポッシュの暮らしぶりが毎日、繰り広げられる。BGMはMGMT〝Time to Pretend(それらしく振舞う)〟。イギリスのポッシュが性的に乱れると下品極まりないのはロネ・シェルフィグ監督『ライオット・クラブ』(14)と同じくで、オリヴァーの行動も少しずつ妙な方向に走り出す。フィリックスがマスターベーションしていたバスタブの残り湯をオリヴァーが啜るシーンは前述した通り。フィリックスの妹に誘惑されて自分はヴァンパイアだといって生理の血に顔を埋めたり(水の中から撮ったようなショットはとても秀逸)。ヘンリー7世や8世とつながりがあるかのように想像させる友人一家を招いたディナーでは食後にカラオケ大会が開催され、客人が自分は金持ちだという趣旨のフロー・ライダ〝Low〟をラップし、オリヴァーはペット・ショップ・ボーイズ〝Rent〟を歌わされる。歌いながら、歌詞の内容が金持ちに養われている人の気持ちだと気づいたオリヴァーは続きを歌えなくなり、キャリー・マリガン演じる友人のパメラが「自立すべきだ」とキャットン夫妻に言われて、事実上、屋敷を追い出されるエピソードも前後して差し挟まれる。パメラの生き方を評して「悲劇のヒロインぶってこちらの同情を集めている」というオリヴァーのセリフは後々に重要な意味を持ってくる。様々な心象風景が矢継ぎ早に展開し、フィリックスはオリヴァーの誕生日にサプライズがあるといって彼を車に乗せる。最初は喜んでいたオリヴァーだけれど、車の向かう先が自分の実家だと悟るや、行きたくないと騒ぎだす。オリヴァーの家に着いてみると普通に暮らしている夫婦が彼らを出迎え、すぐにもオリヴァーがフィリックスに話していたことはすべて嘘だったことがわかる。(以下、ネタバレ)オリヴァーは実は『聖なる鹿殺し』と同じく、計算通りにキャットン家に入り込んだのである。そして、フィリックスの父親による提案で200人規模の仮装パーティが開かれることとなり、翌朝、思いもかけない事件が起こる……。

 『ソルトバーン』をひと言でまとめると「中産階級が下層階級の悲惨さをエサにして上流階級の富を脅かす話」となるだろうか。『太陽がいっぱい』のように持てる者と持たざる者を対極におくのではなく、「少し持てるもの」と「多く持てるもの」の対比であり、富裕層(ここでは代々の資産を受け継ぐソーシャライト)の価値観もグロテスクに映るなら、手段を選ばずにのし上がろうとする中流の欲望も醜く歪んでいる。富裕層がことさらに悪として描かれるわけでもなく、中流が野望を持つに至った動機もとくに説明がない。TikTokなどのソーシャル・メディアでは富裕層を批判する言葉として「イート・ザ・リッチ(eat the rich)」というフレーズが2010年代後半に広まり、映画だと『パラサイト』や『ジョーカー』がそれを映像化した例といえ、現実の政治でも2021年には地方選挙のスローガンとして使用されたり、中国では富裕層の屋敷が襲われたりもしている。いずれにしろ現在の格差社会において富裕層はそれだけで悪という気分が広く共有されているから成立している話だと思うしかなく、『太陽がいっぱい』も殺人の動機には説明がなく、当時は自明の理だったものがいつしか風化してしまったために、39年後に新たな動機を付け加えてリメイク作『リプリー』がつくられたように『ソルトバーン』も時代が変われば理解不能な作品になってしまうのではないだろうか。ここで共有されている気分は、そして、フランス革命が最底辺の人々には無縁のブルジョア革命だったことにも通じている。富の偏りに耐えかね、憤っているのは最底辺の人々ではない。中産階級が「悲劇のヒロインぶって同情を集めている」のだと。

 ラスト・シーンはオリヴァーが全裸で屋敷のなかを延々と踊ってまわる。『ジョーカー』の階段のシーンを意識しているのは明らかで、これには賛否がかなり分かれる。僕も「イート・ザ・リッチ」という趣旨を体現するなら整合性のある表現だと思ったけれど、このシーンに使われているソフィー・エリス・ベクスター〝Murder On The Dancefloor〟のMVを観たところ、ダンス・コンテストで競争相手を次々と失脚させていくプロセスがあまりにチープで、オリヴァーの行動をこれになぞらえているとしたら確かに「Ruin(台無し)」だなと思うようになった(だから〝Murder On The Dancefloor〟のMVは観ない方がいい)。オリヴァーがキャットン家を「イート」していく過程はバリー・キヨガンにしか出せない説得力があり、その総仕上げとして全裸で踊っているというなら、こうした悪趣味にも意味があると思えたのに。

 バリー・キヨガンという俳優が最初に目に止まったのはクリストファー・ノーラン監督『ダンケルク』(17)だった。戦場の臨場感をひたすら描く作品で、キヨガンはチョイ役だったにもかかわらず、どこか物言いたげな表情は妙に印象に残った。2ヶ月もしないうちに同じ顔に再会できた。 ヨルゴス・ランティモス監督『聖なる鹿殺し』(17)でキヨガンはマーフィー家を恐怖のどん底に突き落とす悪魔のような役だった。「ような」どころか後半は悪魔そのものに見えた。とんでもない存在感だった。かつて『狼たちの午後』が表していた失意をオバマ時代の終わりと重ねたバート・レイトン監督『アメリカン・アニマルズ』(18)でもキヨガンは腺病質な学生強盗団の一味を演じ、クロエ・ジャオ監督『エターナルズ』(21)ではアマゾンに隠れ住んでいた不老不死の宇宙人と、もはや彼に普通の役はオファーされないという感じになってきた。かつてデニス・ホッパーが歩いた道である。その道をキヨガンは着実に歩き出している。マット・リーヴス監督『ザ・バットマン』(22)ではジョーカーの演技を研究したそうで、本編だけでなく未公開シーンも強烈。マーティン・マクドナー監督『イニシェリン島の精霊』(22)でもややこしい役割が当てはめられていた。

 エメラルド・フェネル監督 『ソルトバーン』を僕が観ようと思ったのは、そう、単にバリー・キヨガンが出ていたからだった。フェネルは『ソルトバーン』にも陰を落とす『アルバート氏の人生』(11)や『リリーのすべて』(15)などセクシュアリティを扱った重要作で役者を務めたのち(『バービー』にも出演)、イギリスで近年、問題となっているフェミサイドをひっくり返した『プロミシング・ヤング・ウーマン』(20)で初監督を務めたばかり。『ソルトバーン』は長編2作目にあたり、本作について本人は「狂気じみた愛の強迫性」を表現したとコメントしていて、参考にした作品は『時計じかけのオレンジ』『召使い』『テオレマ』『クルーエル・インテンションズ(『危険な関係』のリメイク)』『バリー・リンドン』と、わかったようなわからないラインナップを挙げ、パトリシア・ハイスミスによる『太陽がいっぱい』の原作ももちろんリストに加えられていた。また、上下を逆さにした構図や夜の植物の撮り方などフェネルの映像センスはかなり素晴らしく、スパイダーネットの衣装や『真夏の夜の夢』の仮装、そして、ポッシュの生活様式に『スーパーバッド』やDJシャドウなど隙間なくポップ・カルチャーが詰め込まれているところもたまらない。(2月16日に加筆・訂正)

♯3:ピッチフォーク買収騒ぎについて - ele-king

 音楽メディアにおける批評の時代は終わり、いまは「ファンダム」(ファン文化)の時代だそうだ。言葉の使い道は賞賛のためか、さもなければ人気者にぶらさがって、売れているものがどうして売れている(=どうして成功している)のかを分析し解説すること──ではないようだ。要するに、ファンダムこそが音楽の販売促進の有力な機動力で、アーティストにとってもレーベルにとっても必要なのはファンダムであると、そういう話だと。この解釈で合っていたら、なるほどそりゃそうだと思う。が、しかし音楽文化はそれだけでは語れない、より複雑なものなのだ。およそ1世紀前にアイシュタインが解読した宇宙空間のように。

 去る1月、コンデナストによる『ピッチフォーク』の『GQ』への吸収が欧米で話題になった。『ニューヨーク・タイムス』から『ガーディアン』といった大手メディアが大きく記事にしているくらいだからこれはひとつの事件といっていいだろうし、ファンダムの時代において、この騒がれ方には考えさせられるものがある。現在の『NME』が名前は同じでも70年代〜90年代のそれとはまったく別物であるように、買収によって編集方針やスタッフは変えられるだろう。しかも買収したのがいまどきもっとも不要だと思われる男性誌(GQ)なるものの親会社とあっては、ある種の文化闘争の気配さえ生じるのは喜ばしい話で、なんとデモにまで発展したそうである。

 正直にいうが、ぼくは『ピッチフォーク』を読んでいなかったとはいわないけれど、定期的にチェックするほど熱心な読者ではなかった。理由のひとつには、日本のレーベルや関係者が「『ピッチフォーク』で●●点!」とかいってみたり、「日本には『ピッチフォーク』のようなメディアがないから云々〜」とかいわれたりするのは、ニュートン力学以前に戻って宇宙の中心は『ピッチフォーク』にありといわれているようで、ぼくのなかの嫉妬心ないしはちっぽけな逆張りが働いてしまったからである。詩人ウィリアム・ブレイクにいわく「逆張りなくして進歩なし」、まあ許して下さいな。だからその対抗馬だった『タイニー・ミックス・テープ』(すでに終了)やUKでは編集方針が変えられる以前の『ダミー』と『ファクト』、そして現在も活動中の『クワイエタス』のほうを読んでいたし、『クワイエタス』はいまも読んでいる。当初は、『ピッチフォーク』も『ローリング・ストーン』(あるいは形骸化した『NME』)のような古株ロック・メディアに対する逆張りだったわけだが、いつの間にかこっちが主流になってしまったのだ。
 音楽文化史的にいえば、『ピッチフォーク』の功績は、まずはゼロ年代初頭のアニマル・コレクティヴをはじめとする、それこそ主流が相手にしなかったインディの存在を広くアピールし、時代を更新したことにある。それまでは、70年代の『クリーム』をのぞけば、アメリカのロック・メディアは自国のアンダーグラウンドな文化を率先してフォローすることはなかった。ヤン・ウェナーがパンクを認めたがらなかったように、アメリカのロック文化には保守的な側面があって(日本もそうだし、UKにもそれはあるわけだが)、NY生まれのヒップホップを最初に表紙にした音楽メディアは、おそらく1982年8月の『NME』(とうぜんグランドマスター・フラッシュである)だったし、シカゴ・ハウスもデトロイト・テクノも、アメリカが見向きもしなかったアメリカの音楽を積極的に取り上げ、真っ先にそれらを評価したのはイギリスのメディアだった(フランキー・ナックルズやデリック・メイなどは、80年代後半の『NME』のほとんどレギュラーだった)。そう考えれば、『ピッチフォーク』は自国のブラック・アンダーグラウンドのことも、ロッキズムが排除したダンス・カルチャーのことも、それ以前にくらべればそこそこフォローしてきた最初の米メディアといえるのかもしれない。白人男性ロックが宇宙の中心にはならないよう配慮していることだって、よくわかる。
 とはいえ同サイトのもっとも大きな功績は、オンライン音楽メディアのテンプレートを作ったこと、1枚のアルバムについて多くの言葉で語るというスタイルを定着させたことだろう。音楽作品に対する点数制は英米メディアのお家芸で、ゲームとしては面白いが、『ミュージック・マガジン』のそれを見ればわかるように茶番もしくは悲劇にもなりかねない。たとえ点数が低くても、それなりの文字数を擁した『ピッチフォーク』の論評には(すべてがそういうわけではないのだろうけれど)ちゃんとした考察もしくは愛情が表現されいるようだし、文章のクオリティはおしなべて高い印象がある。最近というか、もう1年以上前になるが、現代音楽家クセナキスの編集盤のレヴューはよく憶えている。学術用語をならべただけの、わかるひとにしかわからないよくあるそれではなく、クセナキスの極めて複雑な人生を描きながら、なにゆえ彼が「人間以外のテーマ」をもたなけばならなかったのかを論じた内容で、ちゃんと大衆に読まれることを意識した、エリート主義に染まらない知的かつみごとな構成力をもった文章だった。それから、2年ほど前にele-king booksから『ピッチフォーク』の副編集長だったジェン・ペリーの本(『ザ・レインコーツ──普通の女たちの静かなポスト・パンク革命』坂本麻里子訳)を出してみて、語り口のうまさや洞察力など音楽ジャーナリストとしてのたしかな力量に舌を巻いたものだった。しかしながらその他方では、毎日複数枚のアルバム・レヴューを掲載するその大量な情報の放出は、音楽が溢れかえりファストフードのように消費されている現代のリスニング文化と極めて親和性の高いものではあったが……(他人のことを言える立場でないことはよくわかっている)。
 まあ、それはそれとて『ピッチフォーク』の買収騒ぎを、音楽メディア文化がいま危機に瀕していることへのリアクションだというならぼくもそこに一票投じたい、などと悠長なことをいってる場合ではない。『クワイエタス』は、このところ毎年年末になるとだいたい弱音を吐いた編者の(身につまされる)原稿が載っているので、ここは音楽ジャーナリズムの踏ん張りどころだ。

 『ピッチフォーク』の買収騒ぎのなかで、『クワイエタス』(あるいは『ワイアー』などに寄稿)の名物ライター、ニール・クルカルニが死去したことも音楽ジャーナリズム的には最近のトピックだった。アジア系イギリス人ライターのこの人こそ逆張りの王様というか芸のある毒舌家で、ストーン・ローゼズのファーストをクソだと言える数少ない書き手だった(彼によれば、1989年のマンチェスターで最高のアルバムは、ドゥルッティ・コラムの『Vini Reilly』で、聴いてみるとたしかにその意見は説得力がある)。クルカルニにかかればオアシスも『スクリーマデリカ』もボロくそで、フランク・ザッパの全作品など無理して聴く必要はないなどと言い切った勇敢な人だ(日本でいえばある時期の三田格や磯部涼に近い)。彼のような名物ライターがいなくなったことをUKでは多くのひとたちが惜しんでいるが、ぼくが彼の文章を読んでいたのは必ずしも彼の毒舌が好きだったからというわけでもない。クルカルニは魅力的なレゲエ・ライターでもあったからだ。
 
 音楽に関する文章はいまでも重要な文化だ。より深い理解を助けてくれるし、自分にはなかったより面白い解釈を与えてくれもする。ときには神話を強化し、エネルギーを伝達してもくれる。ハイ・カルチャーとロー・カルチャーの境界を曖昧にする文化的経験としての音楽リスニングの言語化、知性派なら、現代思想を援用し既成理論への挑戦の手がかりにするだろう(面白いことに、UKの音楽批評にペダンチックな文章がたびたびみられるようになったのはパンク・ロック以降である)。自分の知らなかった音楽を紹介してくれる記事はありがたいしデータ重視の文章もリスニング生活では役に立つが(もともとぼくは、音楽雑誌のレヴューすなわち新譜情報から読むタイプだった)、記憶の書棚に残るのは、繰り返すがその音楽の理解を深めてくれる文章(正確でネットを頼りにしていない豊富な知識の共有や労を惜しまない現場主義者によるレポートもここに入る)、音楽から連想される感情的な強さやエネルギーを有し、音楽を聴いていて良かったと思える記事やエッセイ、知的な内省および書き手の人生におけるその音楽の意味をうまく表現している優れた自分語り、非学術的な文化論や自分には思いもよらなかった解釈(当たり前すぎるそれではなく、破壊的で見当違いな解釈はときに魅力だ)や共感しうる強いオピニオンをもった(反論にびびっていない)文章のほうかもしれない。ひとを酔わせる力、教養、そしてユーモアがあればなおのことよい。文章が良かったから音楽を聴いてみたなんていうことは多々ある。これはもう、アルゴリズムの牢獄からの脱出であり、だからぶっちゃけたところ、音楽の趣味でいえば『クワイエタス』とぼくはそれほど合っているわけではないのだが、それでも読んでいるのはウィットに富んだ文章が載っているからだ。

 じつをいえばこのele-kingはファンダムにはじまっている。雑誌を創刊する数年前からぼくはダンス・ミュージック/エレクトロニック・ミュージックに夢中で、言葉のないこれこそ音楽の未来だと真剣に思っていた。UKやドイツのダンス・カルチャーの熱気を日本に伝えたい、自分はこのシーンの一部になりたい、そういう思いで執筆やメディアをはじめている。その際のハウスやテクノに関する情報は、みずから現地に取材に行くか、(いまでもそうだが)先ほど申し上げたようにイギリスのメディアに頼るしかなかった。必然的にぼくはそれらを読むことが習慣となり(ぼく程度の英語力しかない人間がインターネット以前の時代に英語の雑誌や書物を読むことは、なかなかたいへんな作業だった)、そしてイギリスの音楽メディアに親しんでいくうちにファンダム以上の文化がそこにあることをぼくは認識していったというわけだ(サイモン・レイノルズによれば、それは「多趣味で独学」の文化だ)。それに準じてele-kingの中身もファンダムからは離れ、ライターとしてのぼくも変わっていったように思う。
 ダンス・カルチャーの重要な要素にDJカルチャーがあり、なんども書いているようにそれはリスナー文化の発展型ともいえる。DJが特定のジャンルに縛られがちなように、我が身を振り返ってもわかる話だが、ファンダムも外側で起きていることに無関心になりがちなところがある。聴いている側における言葉の醸成といったもうひとつの文化圏は、ともすれば生じる近視性、閉鎖性ないしは排他性を突き抜けることができる。センスの競い合いでもマウント合戦でもない、もっといえば音楽への単純な付加でさえない、そのもうひとつの文化を育てたいというのが編者としてのぼくの野心だし、音楽に関する文章が面白い、価値のあるものだと理解してもらいたいからメディアをやって、書籍や翻訳物も出している。ぼくはスポーツも好きで、スポーツに関する文章もよく読むほうだが、そのほとんどはくそつまらない勝利至上主義に支配されている。「ポピュラー文化はポピュリストである必要がない」(byマーク・フィッシャー)ことは歴史が証明しているのだし、もし音楽メディアが売れている音楽のことばかりの文章に占められていったら、どうだろう? 少なくともぼくはそんな世界に住みたくはない。

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