「KING」と一致するもの

interview with Takuma Watanabe - ele-king


渡邊琢磨
ブランク

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Ambient

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 『ブランク』にもその音源を収録する染谷将太監督の短編映画『シミラー バット ディファレント』をはじめて目にしたのは2014年、〈水戸短編映画祭〉に招かれて渡邊琢磨と壇上で話したとき、短くも他者とのかかわりを繊細にきりとったこの映画を渡邊琢磨の音楽は静謐にいろどっていた。あれから3年、同年のソロ名義の前作『アンシクテット(Ansiktet)』が呼び水になったのか、翌年の冨永昌敬監督の『ローリング』、今年に入ってからは吉田大八監督の『美しい星』など渡邊琢磨は映画音楽をじつによくし、映画と音楽の関係がともすればアニメのそれに似通いがちな昨今の風潮の向こうを張る旺盛な実験精神をしめしてきた。ことに『美しい星』は今年の邦画界でも評判をとったのでご記憶の方もすくなくないにちがいない。内容については本媒体の水越真紀の秀抜な評文にゆずるとして、映画が公開するひと月前あたり、私はぶらぶらしていたとき、渡邊琢磨に近所のまいばすけっとの前でばったり会った。聞けば、これから『美しい星』のサントラのマスタリングなのだという。私は渡邊琢磨の音楽を聴くのは、まいばすけっとに行くことの数億倍は楽しみにしているが、はたして『美しい星』のサントラは期待をうわまわる出来映えだった。さらに間を置かず、新作『ブランク』を手にするとなるとよろこびもひとしおである。またこのアルバムは前作からつづくサイクルをいったん閉じるものであり渡邊琢磨にとっての映画と音楽の在り方の回答のひとつでもある。
 毎度ながら、対話は個別具体的な作家評はもとより近況報告まで、多岐かつ長時間にわたった。渡邊琢磨の音楽から現状を透かし見れば話題は尽きない。おそらく坂本龍一とダニエル・ロパティンの試みをおなじ視野におさめられるのは彼をおいてほかにいない。
 どういうことか、みなさんが目にしている印象的なジャケット写真を撮影したその日、ぐずついた日々の幕間のような熱暑にみまわれた東京の渋谷で(映画)音楽家渡邊琢磨に話を訊いた。

映画音楽がおもしろいのも、音楽家個人の作家性の問題にとどまらないからですよ。基本的には映画の演出効果の一環ですし、その点、匿名的なものですが、それでかえって、相関的に音楽がつくられる。

『ブランク』を聴くと、今年の『美しい星』や一昨年の冨永昌敬監督の『ローリング』など、琢磨くんが近年手がけた映画音楽は前作の『アンシクテット(Ansiktet)』(2014年)とひとつながりのように思いました。言い方はわるいかもしれませんが、ひとの土俵で自分のやりたいことをやっていたというか。

渡邊琢磨(以下、渡邊):一面的には、おっしゃる通りです(笑)。牧野(貴)さんの『Origin Of The Dreams』(2016年)もふくめ、付帯音楽の仕事は、僕がつくりたい音楽の実験の場にもなっています。

『アンシクテット』の意味は「顔」で、イングマール・ベルイマンの作品名の引用ですよね。当時すでにそういうことをやっていこうと思っていたと今回あらためて気づいたんですね。

渡邊:あのアルバムの制作を経て、映画監督にサウンドトラックの提案ができるようになりました。低予算でハリウッド映画にひけをとらない音楽がつくれます! というような(笑)。

低予算というのは魅力的だものね。

渡邊:卓録でハリウッドできますよ! というわけです(笑)。とはいえ、計画性があったわけではなく、アルバム制作後、映画音楽の仕事が重なっただけですが。『美しい星』の音楽を担当することになったのも、冨永昌敬監督の『ローリング』をみた(吉田)大八監督が、同作の映画音楽に興味をもったことがきっかけです。

『ローリング』は音楽がながれつづける映画でしたよね。

渡邊:冨永監督は、編集の際に1曲の劇伴を異なるシーンで再利用して、各々の場面や登場人物のエモーションを異化効果的に、重層的にしていく手腕があるのですが、『ローリング』の音楽制作時には、あえて厳密に「ここのTC(タイムコード)から、この位置まで(音楽を)当ててます」という指示書きをつけて完成した曲を送っていました。制作のスケジュールが少々タイトだったので、逆にバタバタとこちらの思惑通りことが運びました(笑)。それが意外に評価いただいた次第です(笑)。

いやよかったですよ。音楽も、映画をひっぱる推進力になっていたし。

渡邊:映画のハイライトあたりに、尋常じゃないテンションの男が電気ドリル片手に主人公を追いかけてくるって、これはもう脚本で読むかぎり、とてもサスペンスフルなシーンのはずですよ! でも、冨永監督が演出した本編シーンをみると、おかしなことに追いかけられてるはずの主人公が切羽詰まってない、なんとなく逃げてる(笑)。音楽家としては大変困ったシーンです(笑)! そこであえてサスペンスに寄せた劇伴、というかこれは冨永監督と私の共通見解で、『ゴッドファーザーⅡ』の暗殺シーンの音楽パロディをつくりまして、それを当てたところ、緊張感を煽る音楽と、滑稽な登場人物たちの挙動のアンバランスさが、さらなる異化効果、なのかすらもわからない不条理な名場面になりまして(笑)。

それが斬新とうけとられると――

渡邊:実際どうなのかわかりませんが(笑)。してやったり、という感じでしょうか(笑)。

『アンシクテット』のとき、お金がないから卓録でオーケストラやるんですよ、と琢磨くんはいっていて、それはそうなんだろうと思いつつ、考えてみればその手法自体が汎用可能な方法になっていたのが、ふりかえって考えるとおどろきでした。きのう『アンシクテット』から『ブランク』をつづけて聴いたんですが、そうすると発見があるんですね。

渡邊:やり方がわかってきて調子に乗ってるのかもしれません(笑)。でもなにがしかの企画や前提条件ありきではなく、自分が聴いてみたい音楽を制約なしでつくることが、結果、映画音楽などの仕事のシミュレーションになってますね。『アンシクテット』をつくっていた時点ではあくまで、映画音楽のようなテクスチャーで自分の音楽をつくる、それで完結でしたから。事後、映画監督との共同作業に派生していったのは、おもしろいながれではありますが。

たとえば往年のハリウッド映画のサントラを卓録でやると聞くと、いかに生の音をPCで再現するかという部分に耳がいきがちですが、それをふくめたサウンド総体に独自性があったんだと『美しい星』のサントラや『ブランク』を聴いて思いました。ところがそれも『アンシクテット』の時点にすでにその萌芽があったということが遡及的に理解できたんですね。

渡邊:シンフォニックな生楽器の響きと、電子音ないしダンストラックなどの機械的な響きの整合性をはかるのは、サンプリング技術などが発達した現代にあっても悩ましい問題です。表層的には異種の音の垣根などなさそうに思えますが、そこには楽曲や音響上の問題だけではなく、ジャンル固有の歴史的文脈や修辞法による先入観もあり、実際、アレンジやミックスの段になると、個々の音の差異に生理的な違和感をもつことが多々あります。とはいえ、その水と油をあえて混ぜる好奇心には抗えませんし、当初から関心がありました。

生楽器なりオーケストラなりと電子音楽をブレンドするのは、だれでも考えつくんですが、ジェフ・ミルズにしろカール・クレイグにしろ、彼らのオリジナル以上になるかといえばそうではないもんね。

渡邊:演奏者と作曲者、または編曲者の関係性にも依拠する問題かと思います。作曲者に明確な音のイメージがあっても、その音をどのように記譜して演奏者に伝えるかを熟慮しなければなりませんし、音符や記号に忠実な演奏をしても、作曲者の意図に沿わない場合もあります。そういう作曲者の苦悩というか、演奏者と作曲者の障壁の解決法として、様々な記譜法が20世紀以降に考案されてきたわけですが、私的には、演奏者の想像力を頼りにするか、もしくは仮想オーケストラでてっとりばやく具体化するか(笑)、いずれにせよ、いろいろハードルがありますね。かといってポスト・クラシカルだとか、そういうサブジャンルに逃げ込むのもイヤですし。

ポストロックはむろんのこと、琢磨くんはジャズにせよ、ラテンやロックでもいいんですが、そういうことの中心にはいかないように気をつけているようにみえるんですが、それは意識的なんですか。

渡邊:結局ラテンといっても、僕の場合〈アメリカン・クラーヴェ〉というか、キップ・ハンラハンですからね(笑)。自分はラテン音楽の当事者にはなりえないですが、周縁からラテンというか、移民、多民族のアンサンブルにアプローチして音楽をつくる、それもある種ラテン的なおもしろさだと思います。ラテン音楽の歴史やなりたちの複雑さを考えると、人種や文化のちがいから生じる摩擦ありきの音楽も、広義の意味でラテンじゃないかと。映画音楽がおもしろいのも、音楽家個人の作家性の問題にとどまらないからですよ。基本的には映画の演出効果の一環ですし、その点、匿名的なものですが、それでかえって、相関的に音楽がつくられる。染谷監督の『ブランク』などは、音楽制作に関しては自己完結してますが、映画の主題ありきですし、ふだん自分ではつくらない音楽がひっぱりだされています。そうした想定外のところにいかないと、なんにせよおもしろくないというのはありますね。

染谷さんの『シミラー バット ディファレント』は、以前琢磨くんが〈水戸短編映画祭〉に呼んでくれたときに上映したのをみましたが、あれがおふたりの最初の共同作業ですよね。

渡邊:そうです、2013年なので『アンシクテット』の1年前。

染谷さんとの出会いはそもそも――

渡邊:冨永昌敬監督の映画『パンドラの匣』(2009年)の打ち上げ会場に、冨永監督に呼ばれてお邪魔したら、たまたま隣の席が染谷くんだった。それがきっかけで一緒に遊ぶようになって。『シミラー バット ディファレント』の音楽を手がけたのは、出会ってからだいぶ時間も経っていて、いちおう僕が音楽担当になってますけど、染谷監督から映画音楽の依頼がきたわけでもなく、「映画音楽ってどうすればいいんですかね……」「そうねぇ……」とかいう相談からはじまったんですよ(笑)。あーだこーだ話しているうちに、面倒になってきて1曲つくって送ったところ、結果的に音楽担当になったような感じです。

自主制作でしたよね。

渡邊:そうです。仕事という感じでもなかったですね。映画によっては、映像に音を当てる前段階から音が聴こえてくるような作品がありますが、染谷監督の映画にも独特のグルーヴのようなものがあって、音楽の方向性は比較的つかみやすいです。もちろん軌道修正が必要になることもありますが。『美しい星』は、少々大変でした(笑)。

吉田監督のどういったところがたいへんだったんですか。

渡邊:大八監督がたいへんというより、音楽制作の期限に対して必要とされる曲数が、少々多かった(笑)、そういう時間的な問題です。それでかつ、大八監督から「この曲にはもうちょっとベースが欲しいですね」等々いわれると「ベースは後回しです!」とか、なりますよね(笑)。

ベースって音楽的な意味でのベースということ?

渡邊:大八監督は音楽に関しても独特の嗜好がありまして。監督は趣味でベースも弾くのですが、ミック・カーンが好きなんですよ(笑)!

私もそうですが、ベーシストといってミック・カーンとコリン・ムールディングとパーシー・ジョーンズを挙げるひとはたいがいひねくれていますよ。

渡邊:あまりベースっぽくない演奏をするベーシストですね(笑)。なのでわりと詳細な音のオーダーもあったりするのです。時間があればいくらでも実験したいのですが。

工程の話でしたね。

渡邊:そうです。

でも『美しい星』は本編もそうですが、音楽もよかった。ここにこういった音をつけるのかと思いました(笑)。

渡邊:制作期間中は終始ハイテンションでした(笑)。楽しかったです。

“Messenger”とか、亀梨(和也)くんの場面でこれでいいのかなと思いましたよ。

渡邊:ぼく自身、あれが正解なのかどうか半信半疑でしたよ(笑)。

ああいう疑似ワールド・ミュージック的な音楽は、私は琢磨くんがやっているのを知っているからおもしろがれるんだけどよく考えると唐突だよね。

渡邊:あのシーンには別テイクがありまして、最初は他のシーンとも整合性のある音楽を当ててたのですが、大八監督から「もっと振り幅出してください」というリクエストが再三きまして、その結果、ああいう擬似ワールド・ミュージックになりました(笑)。最初の数テイクがNGになったので、ひとまず、素地にしてたデータを全部捨てて、サンプリングのネタ探しをするという。シンフォニックな映画音楽をつくりたいという、こちらの思惑からどんどん逸脱していくプロセスに切り替えました(笑)。アフロ・ポップのレコードから数拍をサンプリングして逆再生したり解体したり、なんかヘンだなと思いつつ「振り幅だからな」と自分にいいきかせながらつくった曲を送ったら、大八監督から「これです!」というOKをいただきまして。「これなんだぁ……」とは思いましたが(笑)。

吉田監督のミック・カーン好きに助けられたかもしれないですね。

渡邊:(笑)独断ではあの曲は当ててませんね。亀梨さんの場面で、音楽的にここまで振り切ってもいいということが分かったので、そのあとの金沢の海岸で橋本愛さんが覚醒するシーン(“Awakening”)も躊躇うことなくつくれました。

幅を承知して自由度が高まったんですね。

渡邊:タガが外れました(笑)。


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特定の映画のために書き下ろした音楽を、パーソナルな作品に作り変えるという、領域横断的なプロセスに興味がありました。その作業の過程で映画作品のイメージが漂白していって、その結果、本来的な機能を失った用途不明の音楽だけが残りました。この使いどころ、用途不明な状態にある音楽が、ぼくの考えるアンビエント・ミュージックなのかもしれません(笑)。


渡邊琢磨
ブランク

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映画においても音楽のつけ方はいろいろありますよね。演出効果と考えることもできるし異化効果とみなすこともできる。琢磨くんの基本的なスタンスはどのようなものですか。

渡邊:基本的には、映画の主題によって自分のスタンスは変調します。異化効果などの方法論を踏まえるまでもなく、映画の見せ方は監督の感性、場合によっては人柄に依拠してますし、そのシーンをどう見せるべきかは、やはり監督の意向ありきです。その前提の上、あくまで音楽でこちらの解釈を提案します。ただバジェットや製作事情を音楽をつくる上での制約にはしたくないですね。音楽予算が潤沢になくても、ある場面からハリウッド大作映画のような音を想起したら具体化する方法を模索します。とにかく一度、具体を提案してみないことには、監督も判断できませんし。ただ、こういうなりたちの仕方が基準になってしまうと、それ以降は、琢磨くんだったらできるでしょ的なことになるので厄介です(笑)!

吉田さんだって、冨永さんのでそういうことをやっていたから琢磨くんにお願いしたわけだから、次はまたちがうことをやってくれますよね、という含意ありきだったでしょうからね。

渡邊:じつは『美しい星』のラッシュには『ローリング』のサントラがテンプトラック(既製曲を監督のイメージとして仮当てしておくこと)として当ててあって(笑)。黒澤明監督と武満徹さんが『乱』の音楽制作時に、マーラーみたいな音をつくってください、つくりませんというような既製曲を巡って侃々諤々するのはべつの次元で大変だと思いますが、過去の自己作品が仮当てされてあって、かつ、その曲に合わせて編集まで施してあって、これはなかなか厄介だと思いましたよ(笑)。別の映画のためにつくった音楽なので、そのイメージを払拭しなければならいし、元来、金沢の海岸に円盤が登場するシーンではなく、水戸の荒野で悪巧みをするロクでなしたちというシーンのためにつくったわけで(笑)、でも、それでかえって意気込んで、アルペジエーターでシンセをグワングワン鳴らして、のっけからトランスでいこうと思ったんです(笑)。同作のトークイベントのさいにも同じような話しをしたのですが、デヴィッド・シルヴィアンのツアーにいったじゃないですか――

そうでした! ということは、琢磨くんはミック・カーン好きにはぴったりじゃない(笑)。

渡邊:なのですが、大八監督は、僕がデヴィッド・シルヴィアン・ツアーのメンバーだったことは制作中は知らなかったのです(笑)。『美しい星』の打ち上げ会場かどこかで、覚醒のシーンの音楽はどう着想したんですか? というような話しになって、そのさい、デヴィッドの欧州ツアー中の出来事に言及したのです。欧州ツアーの中盤はベルリンだったのですが、そのとき、前ノリしたんですね。到着した日はオフで、ぼくはバンド・メンバーとは別行動でベルクハインに行ったんです。たしか、〈Perlon〉のレーベル・イベントだったと思うのですが、雰囲気とお酒にストレスも相俟ってたいへん昂揚しまして(笑)、その場にいた見知らぬカップルと仲よくなって、酒を奢ったり奢られたりしながら踊っていたんです。その瞬間の恍惚さと、できあいの友情はとてもリアルだったのですが、結局、朝になってお開きになり、そのカップルとは連絡先も交換せずわかれてタクシーも拾えず、数時間後にはデヴィッドの公演があるし、その後はまたバスに乗って夜走りでオッフェンバッハまで移動しなければならない。一挙に現実に引き戻されました(笑)。こういう一過性のリアルは、「覚醒」シーンと通底するなと思って、作曲のあいだ、その夜の出来事を思い返してました。金沢の海岸に出現する円盤や、宇宙人に覚醒したことは当人にとっては紛れもない事実ですが、あくまで一過性のリアルであって、事後的に現実に立ち返るわけですが、その瞬間は恍惚とともに壮大に円盤を出現させたい(笑)! 要するにこれは異化というより、その場面でみえてる状況を音楽でさらに煽って明確化することで、事後的に「あれはなんだったのか?」という価値転倒が起こるというか、解釈が分岐するような演出効果かなと。SF映画のおもしろい部分でもあると思うのですが。

それをおこなうには作品に内在しながら批評性が求められますよね。

渡邊:そうですね。原作も、三島由紀夫作品のなかでは異色ですし。

三島という点にも解釈の幅がありますからね。

渡邊:そうなんですよ。最初の打ち合わせのとき、大八監督とあまり明確な意見交換ができなかったので、仕事の内容としていろいろ伏線というか、落とし穴があり過ぎるような気がして、少々疑心暗鬼になりましたよ(笑)。

さっきおっしゃったアフターアワーズについていえば、昂揚はそのあとに現実が来ることがわかっているから昂ぶるのかもしれないですよね。

渡邊:その途上がすでに気持ちのマックスかもしれませんね。クラブの扉の向こうから、キックの低音が聴こえてきたときとか、バーカウンターからクラウドを遠巻きに見てる瞬間とか。

音楽にも過剰さのなかにそのあとの予兆がありましたよね。

渡邊:やはり相関的なものですね。ある一方だけでは成り立たない。

と同時に、音楽と映像との関係が短絡しないから一度目は素通りしてしまう場面が見直すとちがう印象になるとも思うんです。そしてそれは琢磨くんのここさいきんの音楽にも通底しているとも思うんですね。『アンシクテット』以降、曲数も多くないし大作主義ではないから聴くことへの負荷はないけれど1曲ごとに多様なレイヤーがありますよね。

渡邊:それは音楽にかぎっていえば、カテゴライズされることに対する拒否反応かもしれません(笑)。映画音楽の場合、監督やスタッフとの共同作業という点で、つねに重層的な仕事です。

いま琢磨くんがかかわっている映画音楽はありますか。

渡邊:ここ数ヶ月は『ローリング』あたりから地つづきだった感じがひと段落したところですが、年末から12月にクランクアップする若手監督の映画音楽にとりかかる予定です。

べつのプロジェクトはどうですか。現在構想していることなどあれば。

渡邊:Mac買い替えたいですね。

それいまここでいうことじゃないよね(笑)。

渡邊:いや、データの量がハンパないんですよ(笑)! しかもそれらは基本的にひとの作品のためのデータなので。音素材だけならHDDに移し替えてしまうのですが、アプリケーションやらプラグインやらになると判断が難しいし、自分の作品に着手するにあたっては、五線紙と同じで、まっさらなところからはじめたいというのもあるし。とはいえ次はポスト・プロダクションでなにかをつくるのではなくて、アンサンブルを一発録りしたいですね。いい加減ピアノ・クインテットやアンサンブル編成のレコーディングに着手したいです。

PCで構築する音楽と譜面の音楽にとりくむさいの構えはどうちがいます?

渡邊:ピアノ・クインテットの場合はバンドというか、メンバーが決まっているので、彼らに向けて音を書いているというか。彼らの演奏を受けて曲を改訂したりもします。逆に、彼らの表現の嗜好性や音色、そして技術的なことも含め、不相応なものはつくりません。

ピアノ・クインテットも、私は〈水戸短編映画祭〉に呼んでいただいたときに拝見しましたが、あれの時点では――

渡邊:2014年で結成してしばらく経ったころです。メンバーはチェロの徳澤青弦とヴァイオリンの梶谷裕子、コントラバスは千葉広樹、最後にヴィオラの須原杏がメンバーになってだいたい固定しました。このメンバーで演奏するときのテクスチャーというか音色の妙が好きですね。ふだん彼らは多方面で活動していますし、詳細な記譜や指示を出さなくても彼らの音楽的感性とキャパシティで作品を解釈してくれることが多々あります。会っていないときにいろいろやっているんだなぁ、というのがそれでわかる。それにたいして、作曲者本人は単調な生活を送っているわけですが(笑)。

だれかと音楽をつくるさい、変化というか意想外の演奏を聴きたい、と考えている?

渡邊:結局のところ、作曲者にとって演奏者の技量や特性は未知数ですし、これは楽器法などにも通じますが、たとえば、弦楽器奏者に重音を指定する際、ラ→ドよりも、ド→ラの方が弾きやすいとか、開放弦を使ったほうがより響くとか、そういう楽器の特性上、多少の改訂を施した方が作曲者の本意に沿ってる場合が多々ありますし、私的には弦楽器なら弦奏者に、ある程度の判断を委ねたほうが、よい意味で意想外に奏功すると思います。作曲者だけですべて判断するには、相応の経験が必要になりますし、それは演奏者とのやり取りを通して身につくものですからね。ただこちらも奏者が手癖に固執したり、一般論を持ち出してきたときは、何がしかの奇策で対応しますよ(笑)。ただ最近はどの分野においても、旧来のやり方や枠にとらわれないことを模索する音楽家やアーティストがいますし、こういうやりとりは比較的、容易だと私的には思います。ただしミーティングであれば建設的なやり取りができますが、メールやネットを介したやりとりだと、いっそう、こじれることもあります(笑)!
 ピアノ・クインテットもアルバム1枚分くらいの曲はあるのですが、もう少し可能性を模索してからレコーディングやライヴを頻発させたい。とくに音源化すると、それが決定稿になってしまうので。五線紙上にある音符の段階なら、いくらでも改訂できますからね。

リリースは来年くらい?

渡邊:そうですね。映画音楽などの仕事で得た実感やアイディアなどもフィードバックしつつ、つくれればよいなと。

海外での活動はどうですか?

渡邊:2016年に牧野貴さんとハンブルグ国際短編映画祭で『Origin Of The Dreams』の現地ライヴ上映を企図したさい、ケルン在中のパーカッション奏者、渡邉理恵さんを介して、ジョン・エックハルトというコントラバス奏者を紹介されて、彼はエヴァン・パーカーとの共作からクセナキスの作品演奏までかかわるツワモノでして(笑)、彼を中心に弦楽アンサンブルを編成することを考えたのですが、結局、日程の関係で実現しなかったので、なにがしかの機会を探ってます。あとは、こちらの弦楽アンサンブルとの共演を打診をしている海外のアーティストがいて、のちのちレコーディングやコンサートを行う予定です。なんにせよ、グローバルな視座だけでなく、異質性ありきです。ローレンス・イングリッシュに『ブランク』のマスタリングをお願いしたさいもどういう仕上がりになるかまったく予想できませんでしたが、彼の音響に対するアプローチ自体に興味があったので、どういう仕上がりであれ楽しみでした。結果、すばらしかったですし。

彼と仕事したことは?

渡邊:はじめてです。彼が主催するレーベル〈Room40〉の動向には、以前から興味がありましたが、たまたま〈インパートメント〉の下村さんからローレンスがマスタリングも手がけるという話しをうかがって。彼はやはりアーティストですし、マスタリングに特化していえば、多少懸念する部分もありましたが、エンジニアリングの観点でもすばらしい耳をしていると思いました。

彼がふだんやっているような音楽ではないですもんね。

渡邊:そうですね。ただ職人性を求めたわけではないですし、マスタリング・エンジニアと比較すると、多少の作家性はついてると思いますが、それ自体とてもオーガニックなものだったので。音質は変化しましたが、違和感はまったくなかったです。そういう趣向性自体とても刺激的でした。

『ブランク』は『シミラー バット ディファレント』『清澄』『ブランク』という染谷将太監督の3作品の音楽を再構成したアルバムですが、別々の映画に書きおろした楽曲を1枚のアルバムに再構成するさい、統一感を出すために留意した点はありますか?

渡邊:まず、特定の映画のために書き下ろした音楽を、パーソナルな作品に作り変えるという、領域横断的なプロセスに興味がありました。その作業の過程で映画作品のイメージが漂白していって、その結果、本来的な機能を失った用途不明の音楽だけが残りました。この使いどころ、用途不明な状態にある音楽が、ぼくの考えるアンビエント・ミュージックなのかもしれません(笑)。この本来的な機能を音楽から剥奪するというプロセスが、音の統一感に作用してるように思います。

そのなかで使用している雨音、和楽器、パイプオルガン、合唱、鐘の音などのマテリアルの記名性になにがしかの意図はある?

渡邊:どういう音楽が映画『ブランク』に相応なのかまったくわからない反面、なにを当てても正解にみえてくるという、ひとを食ったような問題が制作当初あり(笑)、かつ、染谷監督からとくに要望がなかったので、ひとまず、なにか極端なことにトライしてみようと思い、映像上、可視化されてない現象や動きに、私の一存で音を当てて、どこまでそのシーンが変容するか見てみようと、そういう実験をやってみたんです(笑)。そのさい、雨、風、鐘といった、どちらかといえば効果音に相当する音と、なにがしか先入観のある音、例えばパイプオルガン=教会とか、三味線=日本の情景であるとかを取捨選択し、それらを音から想起するイメージとは相反するシーンに当ててみたのですが、さすが『ブランク』というだけあって、スポンジのように、どんな音でも吸いとってしまいました。

ある側面からみると等価もしくは無秩序と思えても、秩序や管理、あるいは支配が別のなにかにとってかわっただけ、もしくはほかのレイヤーに移行しただけということは、社会構造もしくは、インターネットの仕組みなどを考えれば容易にわかりますし、もはやそこになんの疑いもなくユートピアをみるひとはいないと思います。

アンビエントといえば、マスタリングを担当したローレンス・イングリッシュの作風のいったんもそのようなものですが、琢磨くんは彼らのようなアンビエントないしエクスペリメンタルな音楽の現在の在り方についてはどう考えます?

渡邊:ポピュラー音楽とはまた別の観点で時代や社会状況が反映されてると思いますね。それもすごい速さでリフレクションしてる。最近は少しおちついた気もしますが、たまに突然変異体が時勢に即して出現しますよね(笑)。なぜそういう音色や音像になったのか、方法論的にはまったくわからないけど、あきらかにいまの状況の裂け目から生まれた音だなと、そこは明瞭だと思います。ローレンスの新譜『Cruel Optimism』を聴いてみてくださいよ。音に尋常じゃない批評性を感じます。あぁ世の中狂ってるなぁと、その事実を音で再認識して、それで癒されるという重層的なアンビエント・ミュージックですよ(笑)! 音に関していえば、耳がいいひとが手がけるものは、それがエクスペリメンタルであれ、フィールド・レコーディングの音であれ、音楽的ですね。ローレンスや、クリス・ワトソンもそうですが、彼らがつくる、あるいは録る音はノイズにしろ虫の声にしろ、可聴領域的にも心地よい(笑)。音楽はいろいろ聴きますが、映画音楽など時間に追われる仕事をやると、朝6時くらいから作業を開始して、夕方までに1曲納品するというような生活サイクルにせざるえないのですが、その後さらに聴ける音楽を考えると、耳の耐性的にもキャパオーバーでなかなか難しい。でもお酒を飲んだりボーッとするときになにか音が流れててほしいなと思ったとき、手にとるのはやはりポピュラー音楽ではなく、エクスペリメンタルというか、カエルの声や雨音、せいぜい、やさしい笛の音などになるんです(笑)。そういう生活実感を経て一層、アンビエントや実験音楽に嗜好が寄るようになりました(笑)。

ちょっとジョン・ケージ化してきた?

渡邊:概念的にですか?

それもありつつですが。ちなみに、ケージ的な概念についてはどう思います?

渡邊:なかなか複雑ですよね。ケージ的な概念といっても表層的な意味においてですが、環境音やノイズを意識的に音楽に取り込むことが、ここまで常態化した現在、ジョン・ケージが提唱してきたことはあらためて言及するまでもないと思いますが、たとえば“4分33秒”をコンサートで聴くのは、いまだに稀有な音楽体験になると思いますし、それはやはり革新性うんぬん以前に作品がよいのだと、あえて申し上げたい(笑)! 偶然性を採用した諸作でも、ほんとうにコインを投げて音を決めたのか? と勘ぐりたくなるような美しい曲もあって(笑)。逆に、武満さんの音楽評論などを通して考えると、ケージの東洋思想に対してはいささか抵抗したくなるし。まぁ、ぼくにとってジョン・ケージは、沈黙でも、きのこでもなく、音大時代に読んだ『サイレンス』と、あのチャーミングな笑顔ですよ(笑)!

音のヒエラルヒーについてはどう考えます? すべての音が等価であると、琢磨くんは考えなさそうですが。

渡邊:たとえば、異なる文化に属するラテン音楽のリズムなどを活用して作曲するさいに、どこまでラテンと自分の趣向を相対化して音楽をつくれるのか考えるわけですが、メロディや和声進行を非ラテン的なものにしても、それがクラーヴェのリズム構造に即してないと、あのキップ・ハンラハンが招集する強靭なプレイヤーたちは真価を発揮しません、というより、「Oh No」とか残念そうな表情でいいやがるので、たいへん腹立たしいんです(笑)! そこでリズム構造だけは採用して、その上に自分なりの旋律をつくればよいとか思うのですが、このリズムの磁場というか重力が相当なもので、なにをどうやっても、ラテン音楽風の既成概念をふりほどけない(笑)。これには面喰らって頭を抱えましたが、結果どうにか自分の音楽に引き寄せることができました。しかし彼らと一緒に飲みにいって、あの尋常でない酒量につきあった結果、体調を崩したので、やはりラテンに抗うことはできませんでした(笑)。それは冗談ですが、ある側面からみると等価もしくは無秩序と思えても、秩序や管理、あるいは支配が別のなにかにとってかわっただけ、もしくはほかのレイヤーに移行しただけということは、社会構造もしくは、インターネットの仕組みなどを考えれば容易にわかりますし、もはやそこになんの疑いもなくユートピアをみるひとはいないと思います。話しが飛躍しましたが、一面的にはすべての音が等価なこともありえるかもしれませんが、疑念は晴れません、自分の性格上(笑)。ただ平坦な意味で、あのひとのドラムよいなとか、先述のように、あの虫の声いいなとか、そういうこともありますし、やはり音楽的な志向の問題かなと。『ブランク』の音楽も、ほとんどすべて自分でコントロールして自己完結でつくっていますが、工程上、一番最後に音に触れたのは、ローレンス・イングリッシュですし。

別ヴァージョンがあるわけではないので比較はできませんが、つくるのがひとりで完結したぶん、マスタリングではじめてのひとと組んだのは結果的によかったのかもしれませんね。

渡邊:彼はオーストラリア在住なので、カンガルーみながらマスタリングしたのかなと思っていました。

すべてのオーストラリア人がカンガルーのそばで暮らしているわけではないですけどね。

渡邊:(笑)ブリスベンなので都会だとは思いますが、オーストラリア大陸から派生した電気が音に影響してるかと思うと興奮します(笑)。 (了)


Bibio - ele-king

 は、早い。昨年アルバムを発表したばかりだというのに、そしてこの春EPをリリースしたばかりだというのに、ビビオったらもう新たな作品を完成させてしまいました。しかも、またがらりとムードを変えております。今回のアルバムはここ何年かのあいだに即興で作られた楽曲のコレクションとのことで、どうやら「場所」がテーマになっているようです。発売日は11月3日。なお、国内流通仕様盤CDは500枚限定となっているため、手に入れたい方は早めに予約しておいた方が良さそうですよ。

BIBIO presents: PHANTOM BRICKWORKS

“場所”をコンセプトにした9つの楽曲をまとめた最新作を発表
自身が撮影した美しい映像とともに新曲を公開
国内流通仕様盤CDは500枚限定

僕はゴーストを信じてない。でも何かに取り憑かれた場所というのは存在すると思う。場所を取り巻く環境は絶えず変化する。それは必ずしも良い方向ばかりにではないし、自然でも、善意にもとづいたものでも、政治的な理由によるものでもない。その場所が何を見てきたか、その場所がどういった存在だったかということそのものから生まれる雰囲気が、変化をもたらすことがある。

『Phantom Brickworks』は、何年間かかけて僕が書きためてきた、ほとんど即興で作られた楽曲のコレクションになってる。これらの音楽は、特定の景色や時間に対する心の扉を僕に与えてくれた。それは現実の物事から、架空のもの、もしくはそれらの組み合わせだったりする。人間は、場所に漂う空気や雰囲気にとても敏感だ。その場所が持つ歴史的背景を知ることで、それらは強まったり、劇的に変化する。何かしらの形で、音や声まで聞こえる場合もある。その場所には、きっと伝えたい想いがあるんだと思う。 - Bibio

どこか懐かしく温かみのあるサウンドと独自の世界観で、幅広い音楽ファンやアーティストから支持を集める〈Warp〉の人気アーティスト、Bibio(ビビオ)が、“場所”をコンセプトに書きためた9曲を収録した最新作『Phantom Brickworks』のリリースを発表し、収録曲「Phantom Brickworks III」のショート・バージョンを自らが撮影した美しい映像とともに公開した。

Bibio • ‘Phantom Brickworks III’ (Edit)
https://youtu.be/xyp14lXevig

本作『Phantom Brickworks』は、11月3日(金)に世界同時リリースされ、500枚限定となる国内流通仕様盤CDには解説書が封入される。またCDはクラフト紙製のインナースリーヴとアウタースリーヴ付きの特殊パッケージとなり、2枚組LPには、ダウンロード・コードが封入される。

Labels: Warp Records / Beat Records
artist: BIBIO
title: Phantom Brickworks
release date: 2017/11/03 FRI ON SALE

国内仕様盤CD BRWP290 ¥1,857(+税)
特殊パッケージ / 解説書封入

ご予約はこちら
amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/B075T3HY24/
iTunes Store: https://apple.co/2fD1v67

The Beach Boys - ele-king

 サマー・オブ・ラヴから50年だという。映画で言うとアメリカン・ニューシネマ、たとえば『俺たちに明日はない』から50年だ。アメリカ文化に夢中になったことのある人間なら誰しも、あの鮮烈な時代に対して憧れを持っているものだと僕は20代のある時期まで思っていたのだが、どうやらそうでもないらしいことを最近では理解している。半世紀前に西海岸で起こったことに思い入れるのは、この21世紀において……とくに、いわゆるミレニアル世代では変わり者のようなのだ。カルチャーの側から「世界を変えられる」とした大げさな想像が、世知辛い現代に有効でないことはじゅうぶん理解できる。そうして60年代のアメリカのロック音楽は紙ジャケとなり、日本において多くは中高年のノスタルジーとして消費されている。「若者は60年代のクラシック・ロックを聴かない」という話もある。が、それはべつに悪いことではないのだろう。世代が交代すれば、価値観は変わっていくものだ。
だが……、それでも、あの頃の壮大な「夢」にいまのわたしたちが感じられる何かはないのだろうか? そんな風に考えたきっかけはいくつかあるが、極めつけは昨年出たザ・ナショナル監修のザ・グレイトフル・デッドのコンピレーションだ。アメリカのインディ・ロック勢は、いまこそ懸命に50年前を振り返っている。そこには何か切実な理由があるように思えてならないのである。


50年目の『スマイル』――ぼくはビーチ・ボーイズが大好き
萩原 健太

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 アメリカ音楽を追い続けてきた音楽評論家である萩原健太氏にとっての1967年とは、「ビーチ・ボーイズの『SMiLE』が出なかった年」なのだという。サマー・オブ・ラヴ全盛の西海岸にいながら、その渦中にはいられなかったビーチ・ボーイズ。彼らが出すはずだったアルバムをこの2017年から検証するのが『50年目の『スマイル』――ぼくはビーチ・ボーイズが大好き』だ。同書は僕のような変わり者のアメリカ音楽好きの心を見透かすように、現在のアメリカの風景を50年前のそれと重ね合わせつつ幕を開ける。そうして、あまりにも巨大な謎であった『SMiLE』というアルバムの特異性が、著者である氏のライヴ体験を紐解きながらひとつずつ語られていく。79年の江ノ島から2016年のニューヨークへ。読んでいると、その大きなアルバムのヒントをひとつ得て歓喜し、かと思えばまた煙に巻かれて悩んだビーチ・ボーイズ・ファンの道のりを追体験するようだ。
 萩原氏はビーチ・ボーイズを「永遠のカリフォルニア・ティーンエイジ・ドリーム」なのだと本書で形容する。現代のアメリカの優れたインディ・ロックを聴いていると、その図抜けたポップさと音楽的実験への好奇心は形を変えつつ確実に受け継がれていることがわかる。だが、なぜビーチ・ボーイズだけが特別なのか?
 ここでは『SMiLE』 の空白をリアルタイムで体験できなかった世代のひとりとして、萩原氏に素朴な疑問をぶつけてみることにした。「なぜ、いまビーチ・ボーイズを聴くのか」。ビーチ・ボーイズのことを話すのが楽しくて仕方ないという様子の氏と言葉を交わしながら僕は、リスナーの想像力を掻き立てるバンドとしてのビーチ・ボーイズの魅力を垣間見たように感じた。副題が『ぼくはプレスリーが大好き』の引用となっていることからもわかるように、『50年目の『スマイル』──ぼくはビーチ・ボーイズが大好き』には何よりもアメリカ文化への著者のときめきが詰まっている。(木津)

Pitchforkって21世紀のインディ・キッズにいろいろな意味で影響を与えたメディアだと思うんですけど、60年代のベスト200曲とベスト・アルバム200枚を載せていたんですね。それを見ていると『Pet Sounds』が2位なんですね。1位はヴェルヴェッツなんですけど。(木津)

そうかあ。それはうれしいかも。ビーチ・ボーイズが上に来るのは少し前のトレンドだって気がしていたから。(萩原)

それでベスト・ソングの1位が“God Only Knows”なんですよね。ようするにビーチ・ボーイズは21世紀になってもアメリカのインディ・ロックにおいてはすごく意味をもっているんですね。(萩原)

木津毅:僕は1984年生まれなんですけど、10代の後半からアメリカの音楽がすごく好きになって。

萩原健太:というともう世紀が変わろうとしている頃ですね。

木津:そのあたりからアメリカの音楽を聴きはじめて、僕は00年代のインディ・ロックがすごく好きで、ele-kingにもアメリカのロックのことについて書いたりしているんですけど、日本にアメリカのロックのことを伝えるのがけっこう難しくて。21世紀にビーチ・ボーイズを聴くということをどういうふうに考えたらいいか、というのはとても難しい問題だと思っています。そもそも野田さんが僕を駆り出したのは、いまの日本の若い音楽ファンからビーチ・ボーイズを聴いている感じがしないと言うからなんですね(笑)。60年代のクラシック・ロックみたいなものをあまり聴かないと。

萩原:言ってみればビーチ・ボーイズどころの騒ぎじゃないよね。

木津:洋楽リスナー自体が減っているというのもあるんですけど、それ以上にパンクの頃までだったらギリギリ遡れるけど、それ以前になると遡るのが難しいということがあると思うんですね。今回の対談に向けていろいろと見ていて、Pitchforkって21世紀のインディ・キッズにいろいろな意味で影響を与えたメディアだと思うんですけど、60年代のベスト200曲とベスト・アルバム200枚を載せていたんですね。それを見ていると『Pet Sounds』が2位なんですね。1位はヴェルヴェッツなんですけど。

萩原:そうかあ。それはうれしいかも。ビーチ・ボーイズが上に来るのは少し前のトレンドだって気がしていたから。

木津:それでベスト・ソングの1位が“God Only Knows”なんですよね。ようするにビーチ・ボーイズは21世紀になってもアメリカのインディ・ロックにおいてはすごく意味をもっているんですね。

萩原:確かに、若いミュージシャンの話をいろいろと聞いてみると、そういう人も多いみたいね。

木津:つまりはビートルズの『Sgt. Pepper's ~ 』なんかよりも『Pet Sounds』のほうが全然スゲエぜ、という気持ちがアメリカ人にはあるときっと思うんですよね。

萩原:でも、どうなんだろう。一瞬そんなトレンドがあったことはたしかなんだけど。そのままなってくれればよかったなあ、と。90年代に『Pet Sounds Sessions』ってボックスセットが出たことがあって。その頃をひとつのピークに、『SMiLE』という幻のアルバムの在り方とか、当時のロック・シーンとしてはとても珍しかったレコーディング方法とか、ブライアン・ウィルソンという人間のひじょうにナイーヴな心象とか、そのあたりをイギリスとか日本とか、アメリカ以外の国のリスナーや、アメリカに暮らしていてもアメリカ的ではない人たちがかなり持ち上げた時期があったんですよ。しかも、その『Pet Sounds』のボックスが一回発売延期になった。ビーチ・ボーイズのメンバーのマイク・ラヴとアル・ジャーディンからのクレームがあったとかなかったとかで、一回出ないことになったあと、1年くらい遅れてようやく発売されたんだけど。この、“発売中止”ってキーワードが、67年に出るはずだったのにお蔵入りしてしまった『SMiLE』を想起させて、90年代のビーチ・ボーイズ熱を盛り上げちゃった(笑)。その頃はまだまだ研究が進んでいなかったことも含めて、研究しがいのある音だったんだよね。ビートルズみたいにもうすでに研究されつくされているものとは違って、掘りがいがあった。それが96年から97年にかけてのことで。その頃はネットが盛り上がり始めた時代だったでしょ? なので、いろいろなファンがネットで研究成果の発表みたいなことを競うようにやり始めて、ちょっと盛り上がった時期だった。夢のような時期があったんだよね~(笑)。

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ビーチ・ボーイズの場合、あまり時代性みたいなものと繋がっていないんだよね。例えばニール・ヤングとか、あのときにもプロテストしていたし、いまもまだプロテストしているでしょ。でも、ビーチ・ボーイズはそういうのとは違って。当時もちょっと浮世離れしていたんですよね。ああいう時代のただ中にあって音楽を作っていたにもかかわらず、どこかそういう時代の空気感とは違うメッセージを放っていたのが『Pet Sounds』なんだよね。もし『SMiLE』があの時代に完成していたとしても同じようになっていたと思う。(萩原)


50年目の『スマイル』――ぼくはビーチ・ボーイズが大好き
萩原 健太

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木津:僕の感覚からすると、インディ・ロックが一番先鋭的だったと言われている00年代後半のアニマル・コレクティヴやフリート・フォクシーズみたいなものがビーチ・ボーイズを引用しているのがなるほどなと思ったんです。あのコーラス・ワークはコミュニティ精神を喚起するもので、それが当時の保守的なアメリカに対抗するために必要だったのではないかと。僕が一番ビーチ・ボーイズを感じるのはグリズリー・ベアなんですけど。その60年代に起こったことというのをアメリカのインディ・ロック・ミュージシャンというのはものすごく振り返るじゃないですか。そこでなにが起こったのかということをすごく研究する。その感覚や重要性を日本に伝えるのがとても難しいんですけどね。
ただ、そこを理解するためにもいまビーチ・ボーイズの曲を聴くというのはなにか意味があるんじゃないかなと思っていて。『50年目の「スマイル」』を読ませていただいたんですけど、サマー・オブ・ラヴというのがひとつの起点になっているじゃないですか。僕もアメリカ文化が好きな人間なので67、8、9年に起こったことをいろんな映画で観てすごく憧れがあるんですけど、その憧憬というのが僕ら世代にはなくなっているからきっとビーチ・ボーイズが聴かれなくなっているんだろうなと分析をしているんですね。本の入り口でサマー・オブ・ラヴについて書かれていたんですが、萩原さんはサマー・オブ・ラヴというのをいまどういうふうに振り返ってらっしゃいますか?

萩原:いまふり返ると、あのムーヴメントは結果的に失敗に終わったものなわけじゃないですか。成果は上げられなかった。ある種の挫折を呼びこんだだけで。でも、あの時代、多くの若者がロックとかそういうカウンターカルチャーを旗印に革命が起こせるんじゃないかと信じていたわけでしょ? そういう“時代の熱”っていうのはあの時代にしかないものなんだよね。そのあとになると、「ああ、あれは失敗したよね」という思いがみんなの心のどこかに必ずあるから。音楽をやる人でも、他のジャンルのなにかを作る人でも「そういうことを信じていた時代があったのかもしれないけど、それは失敗しちゃったんでしょ。じゃ、砂漠に井戸を掘ってもしょうがないじゃん」っていう感じで。でも、当時は違った。あの時代だけは、ここからなにか生まれるはずだって心底信じてずっとその場で井戸を掘り続けていた。そういう圧倒的な熱気を内包した音楽が生まれていた時代だった。
それはそれで素晴らしいことだと思うんですよ。だって、もういまの人にはできないんだから。なにかをやみくもに信じているパワーというのは、67年から69年くらいまでの、あの数年間のロック音楽にしかない。これは反発を食らうこと覚悟で言うけど、僕はロックというのはあの時代に活動していたアーティストたちの音楽だけなんじゃないかって思ったりするのね。67~9年に音楽をしていた人の音楽だけをロックと呼べばいい、と。だから世代的にはもう死んじゃった人とか、死んじゃいそうな人ばかりなんだけど(笑)、それでもやっぱりジミヘンはロックだし、エリック・クラプトンだってロックだし、ポール・マッカートニーだってそうだし。そういう時代だったんじゃないかなあ。
ジャズもそんな感じあるでしょ。あの時代にジョン・コルトレーンとかがやっていたことを、結局その後の時代のミュージシャンがだれひとり超えられない。もちろん、今のミュージシャンなら、技術的にあのくらいのことはできちゃうと思う。みんな上手になってるし。ロックの人たちにしてもテクニカルな面ではそのくらいできるだろうし、再構築もできる。『Pet Sounds』だって、たぶん『SMiLE』ですら、いまの時代にその音像を再現することは昔と違ってわりと簡単にできるはず。ただ、信じている熱量の違いがあるんだよね。熱量の違いが音に表れちゃう。まあ、ブライアン・ウィルソンが2004年に『SMiLE』を再構築したのも、いまの時代ならではってことになるのかもしれないけれど、この場合はやっているのが本人だし、当時の思いと直結しているというか、あの時代にコネクトしている感覚があっただろうから、ちょっと例外だとして。そういう特例を除けば、いまは変に全員シニカルになっちゃってるから。
まあ、あの時代だけ変に浮き足立っていたんだろうね。で、その浮き足立ってしまったがゆえに失敗したってことをいまでは誰もが思い知ってる。でも、逆に言えばそれがいまとなってはもうできないことで。だからこそ、妙に魅力的に見えてしまうというか。そんな気がする時代ですよね。

木津:僕がアメリカ文化に憧れるのってやっぱり日本にないものが強烈にあるからだと思うんですよね。ただ、だからこそ日本にどうやってビーチ・ボーイズを伝えるかってすごく難しいことだと思うんですけど、ひとつ取っ掛かりを考えると、本の入り口にトランプ政権について書かれていましたよね。そのトランプ政権というものを考えたときに、さきほど仰っていた68、9年に起こったことはいまの時代に有効だと思いますか?

萩原:うーん、そうだな。またあの時代の時点に立ち返って「やっぱりおかしいことはおかしいんじゃねえの?」って言ったとして、どうなんだろうとは思うけど。それに、ビーチ・ボーイズの場合、あまり時代性みたいなものと繋がっていないんだよね。例えばニール・ヤングとか、あのときにもプロテストしていたし、いまもまだプロテストしているでしょ。すごいじゃないですか。でも、ビーチ・ボーイズはそういうのとは違って。当時もちょっと浮世離れしていたんですよね。ああいう時代のただ中にあって音楽を作っていたにもかかわらず、どこかそういう時代の空気感とは違うメッセージを放っていたのが『Pet Sounds』なんだよね。もし『SMiLE』があの時代に完成していたとしても同じようになっていたと思う。
そういう意味ではトランプ政権がどうであれ、そことビーチ・ボーイズはやっぱり関係ない気がするんですけどね。グループだということもあって、ちょっとそこらへんは微妙で。メンバーのなかにはマイク・ラヴというバリバリの共和党員もいて、そういうこともあってか、ブライアンはあんまり政治的な表明をしてないし。でも、それも含めて『Pet Sounds』や『SMiLE』のあり様かなという気はするんで。逆に言うとオバマのときだと目立たなかったんだけど、こういう時代になると、むしろそののほほんとした感じがいちだんと目立つのかな(笑)。それは70年代に入ってすぐに出た『Sunflower』というアルバムを聴いたときにも感じたんだよね。これは本にも書いたけどエドウィン・スターが「黒い戦争」を歌っていたり、CSN&Yが「オハイオ」を歌っていたりする時代の空気感のなかで、ビーチ・ボーイズは「あなたの人生に音楽を」みたいなことを歌っていたわけで。その「なに、ほのぼのしたこと歌ってるんだよ」という感じが情けなくもあり、でも、実はそうであるからこそ表現できるなにかがあったりして。うまく伝えにくいんだけど。

木津:まあ両方あるのが魅力ってことですよね。

萩原:一周巡ってこの時期にそういうことを歌う、逆に言うとアナーキーな感じというのを楽しめるかどうかみたいな。ちょっと上級ネタになっちゃうんだけどね。そこはなかなか人を説得できないところなんだよね(笑)。

木津:僕もビーチ・ボーイズに関しては基本的なことしかわかっていなかったので、すごく丁寧に解説していただいて勉強になりました。で、すごくなるほどと思ったのが、『SMiLE』のことを「67年にアメリカ建国を振り返ったアルバム」というふうに書かれていて。そうすることによって当時の浮足立ったアメリカになにか大切なものを追い出させようとした切実かつ美しい問いかけだと表現されていて、すごく腑に落ちたし、感動したんですよね。

萩原:そう思ってもらえてよかった。

木津:アメリカのミュージシャンってすごく自分のルーツを振り返るじゃないですか。どこから来たのかとか……。

萩原:意識的な人は振り返るんですけどね。そうじゃない人はわりとブレブレになっちゃっていると思うから。

木津:そういう意味で言うとヴァン・ダイク(・パークス)とブライアンに関しては当時からそこに意識的だったのでしょうか。

萩原:とくにヴァン・ダイクはね。そこらへんは彼がリードしたことだろうなと思うんだけど。ただそれを触発したのはブライアンだと思うのね。彼はなにか言葉で言うんじゃないんだけど、音でそれを弾いたときにヴァン・ダイクが「これはアメリカの建国に遡っていいんじゃないか」と感じたと思うし。たとえば「ネイティヴ・アメリカンの侵略の歴史みたいなことなんだな」とか、ヴァン・ダイクはブライアンが無意識に弾いたメロディーのなかから感じたんだと思う。あのふたりならではのものなんだろうなという気はします。

木津:それはブライアンにしてもヴァン・ダイクにしても、彼らの個によるものなのか、もっと時代的なものなのか、あるいはアメリカ文化というものが負っているなにかなんでしょうか?

萩原:うーん、難しいところですね。でも僕はやっぱり特異な存在としてふたりがいたんだと思うんですよ。どちらも決して単独でいたらそんなにポピュラーな存在になれる人じゃない気はするんですけどね。でも、ブライアンにはたまたま仲間がいた。マイク・ラヴとかそういう連中がいて、西海岸の若者像みたいなものを体現する仲間がいて、そのなかでちょっと変わった才能を発揮していた存在がブライアンだったんじゃないかなと。ヴァン・ダイクのほうは絶対にひとりでは無理じゃない? 現在までずっと無理なんだから(笑)。そういう人たちだったんじゃないかなあ。だからアメリカ文化を代表しているとは言えない。ただアメリカのなかにああいう人たちはかならずいる。で、そういう人がやっていることがじつはおもしろい。我々はそういうものに常に触発されながらアメリカの音楽を聴き続けてきたところもあって。ボン・ジョヴィがいて、でも同じ頃にハイ・ラマズみたいなものも出てきたりして。その両方あることがアメリカ音楽の魅力だったりするでしょ? ビーチ・ボーイズというのはひとつのグループのなかにそこらへんを両方抱えこんでいたのではないかな、というのが僕の感じ方なんですね。本ではそのふたつの要素をマイクとブライアンに代表させちゃっているけど。アメリカの音楽趣味というのは常にその両方が存在するんだけど、ひとつのバンドのなかにその両方があるというのはなかなかないことじゃないかなと思っていますけどね。

木津:僕はこのお話が出たときに強烈に思い出したのが、2002年にウィルコが出した『Yankee Hotel Foxtrot』ってアルバムで。僕はあのアルバムがすごく好きであれ以降重要な流れを生み出したなと思っているんですけど、あれはカントリーや戦前のフォークを引っ張りだしながら音をモダンなものにしてアメリカの失意みたいなものが描かれているんですよね。彼らは自分たちがどこから来たのかということをすごく意識してやっていると思うんですけど、僕はそこにすごくアメリカ文化的なものを感じるんですね。

萩原:でもウィルコって、ウィルコ全体でブライアンっぽいじゃないですか。

木津:たしかに。

萩原:もともとはアンクル・テュペロというバンドがあって、そこからウィルコとサン・ヴォルトというふたつのバンドに分かれていったわけだけど。どっちもブライアンっぽいんだよね! でも、普通はそうだと思う。『Yankee Hotel Foxtrot』でウィルコは音響派みたいなところへ接近してみせたわけだけれど、正反対の要素を取り入れたと言うよりは、ジェフ・トゥイーディのシンガー・ソングライター的な素養をもっと際立たせるものとしてそっちに寄っていった感じはする。これは僕の個人的な見解で、読み取り方はいろいろだと思うんだけど。それに対して、ビーチ・ボーイズの場合はあり得ないけど馬鹿ポップなものとすごく悲しいものが一緒にいるみたいな奇跡というか。突き抜けちゃう「どポップ」な部分とものすごくダウナーな文化みたいなものが非常に美しく融和している。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドでも「どポップ」な部分がちょっと足りない。いい曲も多いしポップな曲も多いんだけど、それだけで成立しないというかさ。そういう意味ではエルヴィス・プレスリーもすごいかな。あの人はひとりのなかに万人受けするなにかカリスマ的なポップな部分と、ものすごいダメで『ツイン・ピークス』的なアメリカの病巣みたいなものを両方抱えこんでいる人なんだよね。普通は『ツイン・ピークス』的なものを出しちゃう人ってそっちだけになっちゃいがちじゃない。

木津:仰っていることは非常によくわかります。

萩原:だからビーチ・ボーイズは非常に特異なバンドで、『Pet Sounds』はまだポップな面があるんだけど、そうはいってもずいぶんとブライアン寄りに出来上がってきちゃったものなので、レコード会社がすごく不安に思ったというのはそこの部分だと思うのね。あれはあれでそこに特化した非常に美しい世界を作り上げていて、いま聴けばどこにも文句をつけようがないんだけど。ただ“California Girls”で歌われている「全米中の女の子がカリフォルニアの女の子になればいいのに」という歌詞と、『SMiLE』に収められるはずだった“Cabinessence”の「何度も何度もカラスの鳴き声がトウモロコシ畑をむき出しにする」って歌詞を比較しちゃうと「あれ?」ってことになるのはわからなくはないなと。いまから思えばその表現はありなんだけど。それは、たぶんいまだからなんだよね。あの頃だったら、ウィルコだってデビューできていないよね。ビーチ・ボーイズは、なんとなく昔ながらのショウビズの美学のなかで活動しながら、あんな地点にまで至っちゃったっていうのがおもしろいと感じますけどね。

木津:いまの話ってすごく60年代っぽい話だなと思うんですよね。『Pet Sounds』みたいなものって時代と交錯するダイナミズムみたいなものがあると思うんですけど、それ以前のビーチ・ボーイズというのもいまでもしっかり評価されているということですよね。

萩原:そう。大好きなの。初期のビーチ・ボーイズがあるからこその『Pet Sounds』だし『SMiLE』だし、やっぱり初期がいいんですよ。ただその初期の陽気な魅力のなかに「ブライアンってなんでこんな暗いの?」というのが浮かび上がってくる曲があったり、明るいサウンドに乗せてはいるんだけれども、イノセンスなものを失ってしまうことに対するものすごく悲痛な気持ちみたいなものが隠されていたりして、それがそのまま『Pet Sounds』から『SMiLE』に繋がってくる。その感じが長く付き合っていると見えてきてね。楽しいですね。なんかそれがいいんですよ。「14、15、16、17」って年齢をコーラスしながら進行する「When I Glow Up (To Be A Man)」(自分が大人になっていく)という曲があって、それなんかもただの数え歌っちゃ数え歌なんだけど、歳を重ねていってしまうことへのある種の不安みたいなものが漂っている。同じような曲がその前の時代にもいくつもあって。そういう曲たちがあったうえでの『Pet Sounds』。B面の一番最後に「君の長い髪はどこに行ってしまったの?」って歌うブライアンが出てくるわけじゃないですか。それで「キャロライン、ノー」と。「ノー」って言われたときにさ、もうバーッと来るじゃないですか! 目の幅で涙でちゃうぜ、みたいな(笑)。その感じというのがひとりのアーティストの線のなかにちゃんとある。本人たちはあんまり意識していないと思うんだけど、それでもデビューしてからたった5年くらいのあいだにそこまで来ちゃっているビーチ・ボーイズの表現の深まりというか。それでその次にあるはずだった『SMiLE』って考えると、ね。なーんか楽しいじゃないですか(笑)。

木津:やっぱり僕らの世代だと「『Pet Sounds』のビーチ・ボーイズ」であり「『SMiLE』を完成できなかったブライアン・ウィルソン」というイメージが強いから、天才の狂気なり闇みたいなものというイメージが刷りこまれているんですよね。だからそれ以前のほうがあんまり脚光が当たらないというか。

萩原:でも、昔は逆だったんだよ。みんな、とりあえずビーチ・ボーイズのこと知ってることは知ってて。でも、知っているのはせいぜい“Surfin' USA”くらいで。「ビーチ・ボーイズ大好きなんですよ」と言うと「ああ、“Surfin' USA”のね」って言われるわけですよ。それに対して山下達郎さんとか僕がいつも答えていたのは、「いや、ビーチ・ボーイズは“Surfin' USA”だけじゃない。『Pet Sounds』というすごいアルバムがあるんだ」と。そうずっと言い続けてきて。それで90年代になって、ようやくビーチ・ボーイズといえば『Pet Sounds』って時代になったんだよね。でも、今度は誰もが『Pet Sounds』のことばっかりになっちゃったもんだから、90年代以降、僕らは今度「いや、ビーチ・ボーイズは『Pet Sounds』だけじゃないんだ、“Surfin' USA”もすごいんだ」って言わなきゃいけなくなったりして(笑)。そんな逆転劇があった。ややこしいんですよね。

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実はバランスがとれたポップ・ミュージックとしてのビーチ・ボーイズというと、やっぱり66年の『Pet Sounds』の前までというか。スタジオ・アルバムで言うと64年の『All Summer Long』が一番の完成形として美しくまとまっている気がする。山下達郎さんもビーチ・ボーイズを聴きたいという人がいたらまず最初に『All Summer Long』をすすめるそうだし。あのアルバムこそがある意味でビーチ・ボーイズの到達点だと。そのあと『Pet Sounds』にいたるまでに何枚かあるんだけど、そこらへんにはだいぶ『Pet Sounds』的なニュアンスが芽生えてくるんだよね。それはそれで兆しとしてはとてもおもしろいんだけど、ある意味バランスが崩れていく過程だったというか。(萩原)


50年目の『スマイル』――ぼくはビーチ・ボーイズが大好き
萩原 健太

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木津:2015年に日本で公開された映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』、字幕を監修されたということですが、どういうふうにご覧になられました? あれも言わば、天才ブライアン・ウィルソンの闇に焦点を当てるものですよね。

萩原:実は『Pet Sounds』こそブライアンだ、と思っているのは、思いのほか日本とイギリスだけだったりするんだよね。アメリカの人っていまだに「ブライアン・ウィルソンって誰?」と言うから。ニューヨークでブライアンのサイン会があったとき、順番待ちの列に並んでいたんだけど。『That Lucky Old Sun』が出たとき。その列を見て、通りすがりのおばちゃんが「これはなんの列?」って聞くから「ブライアン・ウィルソンのサイン会だ」と言ったんだけど、全然ピンと来てなくて。仕方なく「ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソン」とビーチ・ボーイズの名前を出してはじめて「ああ」って。一般にはそれくらいの認知度なんだよね。テレビ中継とか見ていても、例えばボストンみたいな、すこし知的レベルが高いのかなって地域にマイク・ラヴが率いる現在のビーチ・ボーイズが行くと、地元のおばちゃんたちが「ギャーッ!!」って喜んでいるわけ。

木津:それはアメリカっぽい話ですね(笑)。

萩原:この本にも書いたけど、カーネギー・ホールでブライアンが『SMiLE』の全曲演奏ライヴをやって。これなんか、ある意味東海岸の知的な音楽ファンが楽しむライヴなわけですよ。カーネギーだし。しかもそのアルバムは〈Nonesuch Records〉から出ているわけだし。もちろん『SMiLE』のパートでも圧倒的なアプローズがあったんだけど、実は一番盛り上がったのはアンコールで“Fun, Fun, Fun”や“Surfin' U.S.A.”をやったときなんだよね(笑)。やっぱりアメリカはいまひとつわかってないのかも。だから、あの映画の意味はそこにあるんですよ。以前、ドン・ウォズが監督した『ダメな僕(Brian Wilson: I Just Wasn't Made for These Times)』って映画もブライアン・ウィルソンの苦悩みたいなものを描いたもので、日本やイギリスのファンはそれを観てなにをいまさらそんな話をやってんだって思ったんだけど、アメリカの人はそんな話なにひとつ知らなかったって言うわけ。そのときと同じ。『ラヴ&マーシー』のときもそんな話知らなかったって。ブライアンはそんなに悩んでいたんだって。その程度なの。アメリカではブライアンはいまだにかわいそうなんだよ(笑)。でも、マイク・ラヴが率いているもう一方のビーチ・ボーイズは別にそれはそれでOKな人たちだったりするので、そこがまた複雑なんだよね。だからあのへんの映画の存在価値というのはアメリカでこそ大きい。もちろんポール・ダノによる若き日のブライアンの演じかたは本当に素晴らしかったから、そこについては日本でも意味があったはず。やっぱりみんな忘れかけていたところもあるしね。

木津:日本ではどのあたりまで『Surfin' U.S.A』のイメージってあったんでしょうか?

萩原:80年代まではまだそんな感じだったよね。でも、実はバランスがとれたポップ・ミュージックとしてのビーチ・ボーイズというと、やっぱり66年の『Pet Sounds』の前までというか。スタジオ・アルバムで言うと64年の『All Summer Long』が一番の完成形として美しくまとまっている気がする。山下達郎さんもビーチ・ボーイズを聴きたいという人がいたらまず最初に『All Summer Long』をすすめるそうだし。あのアルバムこそがある意味でビーチ・ボーイズの到達点だと。そのあと『Pet Sounds』にいたるまでに何枚かあるんだけど、そこらへんにはだいぶ『Pet Sounds』的なニュアンスが芽生えてくるんだよね。それはそれで兆しとしてはとてもおもしろいんだけど、ある意味バランスが崩れていく過程だったというか。

木津:なるほど。それはすごくいいお話ですね。僕らの世代だと絶対に『Pet Sounds』から入りがちですもんね。

萩原:『Pet Sounds』って、ブライアン以外のビーチ・ボーイズのメンバーはヴォーカルとコーラスしかやっていない。演奏しているのはレッキング・クルーだしね。そういう外部ミュージシャンも含めてその全体をビーチ・ボーイズと呼ぶのであれば『Pet Sounds』をビーチ・ボーイズのアルバムと言ってもいいんだけど。もちろんその前のアルバムでもハル・ブレインがドラムを叩いていたり、グレン・キャンベルがギターを率いていたり、外部ミュージシャンがビーチ・ボーイズのメンバーの代役をつとめていたりするけど、そのへんはあくまでもロックンロール・バンドとしてのサウンドを追求していた頃だから。ある意味バンドとしてのビーチ・ボーイズの形だった。でも、より大きなオーケストレーションのもとでブライアン・ウィルソンが一気に持てる才能を花開かせた最初の1枚というのは、やっぱり『Pet Sounds』だったりして。ほんとにややこしいですよね。

木津:前期と後期の違いというのはすごく60年代的というか、ビートルズとかもそうなんですけど、ビートルズの60年代前半後半でまったく別物というのはいまの時代には生まれにくいものだなとは思います。

萩原:でもそうすると後半のほうがわかりやすいんだよね。ビートルズも後半のほうがある方向に振れているし、ビーチ・ボーイズも振れているってことだよね。最初の頃は両極の幅広い魅力がもうちょっと一緒くたに存在していたんじゃないかな。どっちがいい悪いじゃないですけどね。ビートルズからなにかを得たという人でも、初期みたいなことをずっと追求している人もいれば、『Revolver』みたいなことをずっと追求している人もいるし。

木津:僕は例えばグリズリー・ベアとかにもビーチ・ボーイズを感じるんですけど、でもたしかに60年代前半のビーチ・ボーイズはないといえばないかなという感じはしますね。

萩原:いまの時代に60年代前半のビーチ・ボーイズっぽいことをやる意味があるのか、ということをもしかしたら若いミュージシャンは自分に問いかけて、やっぱりこれじゃあなあと思っているのかもしれない。残念だけどね。それにしてもさ、表現によって別のペルソナを用意する人は多いけど、ビーチ・ボーイズはねえ。だってビーチ・ボーイズだよ。ビーチのボーイズ。ビーチ・ボーイズって名前で、なにやったってダメじゃん(笑)。
『Pet Sounds』をブライアンがソロ名義で出そうとしていたみたい話もあるんだけど、それは結局うまくいかなかった。“Caroline, No”のシングルだけはブライアン名義で出たんだけど、それだってやっぱりビーチ・ボーイズなんだよね。当時、まだできてもいなかった『SMiLE』のラジオ・コマーシャルが作られていて、「The Beach Boys. 『SMiLE』」と言うと“Good Vibrations”が鳴るっていうやつなんだけど、これも冷静になってみるとビーチ・ボーイズじゃ説得力ないというか(笑)。そこは別の名前を用意できるなら、したかったと思うよね。

木津:ブライアンは当時それをビーチ・ボーイズじゃないと思っていたということなんですかね?

萩原:本当はソロ名義にしたかったんじゃないかとか、そのほうが幸せだったんじゃないかとか、僕はいまでもあれこれ思うんだけど。でも例えば『SMiLE』の制作を中止したことに対してブライアンが言った「あの音楽はわれわれにとって不適切だと思った」という言葉の“われわれ”は決してブライアンとヴァン・ダイクのことではなくて、ビーチ・ボーイズのことなんだよね。だから彼はあくまでもビーチ・ボーイズとして音楽を作らなくちゃって思っていたんじゃないかな。

木津:『Pet Sounds』もビーチ・ボーイズという名前で出したから歴史に残っているところがあって、それはふり返るとそう思いますね。

萩原:『ラブ&マーシー』を観ると、そのなかのひとつのシーンでブライアンがマイクに怒られているじゃない? 「メンバーの誰も演奏してねえじゃねえか」って。ああいうことだよね。僕も子どもの頃、例えばビートルズの“Yesterday”を聴いたとき、「あれ? ドラム入ってないけど、リンゴはなにしているんだろう。チェロでも弾いているのかな」って思ったもんね。バンドの音楽はバンドのメンバーだけで演奏しているものだと思っていたからね。そういう意味で60年代ってまだバンドっていうものの考えかたが狭かった時代でもある。いま思うとそんなもん誰が演奏してもいいじゃないかって当たり前に思えるけど、当時は状況がだいぶ違ったと思う。ビーチ・ボーイズ名義で出すレコードなのに、ブライアンが全部違うミュージシャンを招集して大編成で演奏させて、ステージでできねえじゃねえかって音を作っちゃったわけだけれど、そんなこと当時はあっちゃならないことだったんじゃないかな。ほかのメンバーがツアーに出て“Good Vibrations”を初めてライヴで演奏するってとき、ブライアンはツアーなんか大嫌いだったのにわざわざ飛行機に乗って公演を観にいっているんだよね。心配で。スタジオで作り上げた理想の音をライヴで出せてなかったら、むしろそれはやらないでほしいくらいの気持ちがあったわけでしょ。そういうのってもうバンドじゃないよね。

木津:それはもう共同体としてのバンドっていうものにすごくこだわりがあったということなんですかね。

萩原:メンバーが兄弟と従兄弟だからねえ。やっぱり家族なんだよ。家族でやっていることだから解散もできない。赤の他人どうしだったら全然別の道があったんだろうけど。まだまだ親父の横暴も残っていただろうし。ヒッピー・ムーヴメントが起こって、従来あった既成の家みたいなコンセプトを打ち破って新しいコミューンを作ろうとしている時代のなかにあっても、やっぱりウィルソン家は親に対してあれだけ排除しようとしていても家は家で繋がっていた。そういう環境のもとで活動していたんだよね。そこの足かせもかなりあったなかでいろんな葛藤がブライアンにはあったのかな。

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ビーチ・ボーイズは、なんとなく昔ながらのショウビズの美学のなかで活動しながら、あんな地点にまで至っちゃったっていうのがおもしろいと感じますけどね。
(萩原)


50年目の『スマイル』――ぼくはビーチ・ボーイズが大好き
萩原 健太

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木津:さっき僕らの世代だったら『Pet Sounds』が中心になってという聴きかたが多いという話をしたんですけど、萩原さんの世代でいまもビーチ・ボーイズを聴くかただとまだ『Surfin' U.S.A.』のイメージなのか、それとも『SMiLE』に思い入れをもって聴かれているかたが多いのか、どうなんでしょう?

萩原:ずっと聴いている人なら『Pet Sounds』、『SMiLE』、『Sunflower』あたりのビーチ・ボーイズはかなり上にいると思うんだよね。ずっと聴いている人はね。でも昔聴いていましたくらいの人はあいかわらず『Surfin' U.S.A.』なんじゃないかなあ。まあそれでいいのかなとも思うし。ただずっと聴いている人が案外すくないよね。

木津:そうですね。僕がすごく印象的だったのが、ライヴに行かれたときに近くにいた人が「懐メロじゃねえか」と言ったことに心のなかで反論したというところで、これは懐メロをギリギリのところで回避する永遠のティーン・エイジ・ドリームなんだ、と書かれていてなるほどと思ったのですが、その反論の部分を存分に聞かせていただきたいなと思います。これはひとつ個人的な話なんですけど、母親とサイモン&ガーファンクルのライヴに行ったときに、よかったんですけど僕は懐メロだなと思っちゃったんですね。音楽もいいし、テーマもいいと思ったんですけど。

萩原:79年にビーチ・ボーイズが「JAPAN JAM」のために来日したときの話ね。僕は懐メロとは違うと思ったんだよね。でもそう言われてもしょうがないなと思ったステージでもあったの。当時のビーチ・ボーイズにはそこが限界だったと思う。でもその後、2012年に結成50周年で来日したときは違った。ブライアンのバンドを基本にして、そこにビーチ・ボーイズのほかのメンバーが入って行なわれたステージで。これは確実に懐メロじゃなかった。やってる音楽は同じなんだけどね。結局、どうやるかにもよるんだよね。
あと、リスナー側が若いとだいたい古い音楽は懐メロに聴こえるよね(笑)。僕もたぶんサイモン&ガーファンクルの同じ来日公演を観にいっていると思うんだけど、僕は懐メロとは受け止めなかった。エヴァー・グリーンなもの、時代を超えたものだと思った。こっちが歳を取らないとわからないこともたくさんあるしね。ほら、“Old Friends”という曲が『Bookends』にあるでしょ。年老いた旧友ふたりがベンチに座っていて、それがブックエンドのように見えるという歌詞ですよね。彼らが若いときに歌った表現もそれはそれでよかったんだけど、まったく同じことを本当に歳をとっちゃったふたりがあそこで歌ったときに、その曲がようやく時代に対してリアルに意味のある表現になったと感じたの。こっちも一緒に歳をとったからというのもあるんだけど、その歳月の果てにあの曲がようやく意味をもったという瞬間だった気がする。それは懐メロとは言えない。古い曲ではあるけれども、いまも生きているすごい曲だなと思いました。
それはブライアンやビーチ・ボーイズに関してもそうで、ブライアンがいまの自分のバンドを手に入れてからということにすごく意味がある気がする。彼ら、ブライアンの今のバンドのメンバーがブライアンの昔の音楽をいまに意味のあるものに作り変えていく。まったく同じアーカイヴを聴かせているだけなんだけど、ちゃんといまの表現としてできるやつらが集まった。それを知り抜いている人たちがバンドをやっている。これがけっこう重要な気がしていて、今回『SMiLE』を作れたのもあのバンドがいたからだと思う。たしかに、本当に古い音楽を古いまんまいまやってもダメじゃん、みたいなことは多い。ビルボード・ライヴに行くとそんなライヴばっかりだったりもするんだけど。だけどたまにあるんだよね。古いとか新しいとか関係なくいまの表現にできているライヴが。ウマいかヘタかにもよるよね。ブライアンのバンドはめちゃくちゃウマいんだよ(笑)。でもただウマいだけだとダメで、やっぱり昔の楽曲をよく知ってリスペクトしているやつらがやると今の音になるんだよね。

木津:仰っていることはわかります。曲が時間の流れとともに、リスナーの関係性も含めて変化するということはありますもんね。

萩原:いい曲っていつの時代でも演じる人によって生きるんだなという気持ちになるのね。そういうふうに聴ける自分がリスナーとしての歳月を積み重ねているというのもあるんですよ。だから僕はジョー・トーマスが諸事情で来られなかったあの99年の日本公演を誇りに思っているわけ。ジョー・トーマスがいたらこんなことにならなかったと思う。いないから、それまではステージ後方でコーラス要員みたいな感じだったワンダーミンツのダリアン・サハナジャが前に出てきて、ブライアンのとなりでやるようになった。それがブライアンにも火をつけたと思うんだよね。そうならずに相変わらずジョー・トーマスが仕切っていたら『SMiLE』はできなかったと思う。だからあの本にも書いたけど、ブライアンがソロで日本に初めて来た初日の大阪公演で大きく変わった気がするんだよね。

木津:そういうお話を聞くと、30年以上の時を経たからこその『SMiLE』の価値というのがあるんでしょうね。

萩原:そこはファンの贔屓目みたいなところもかなりあると思う。僕がビーチ・ボーイズについて言うことは信じないほうがいいってよく言うんだけど(笑)。ほら、僕はもうビーチ・ボーイズに関しては頭おかしいから。なんだけどそういう前提で言わせてもらうと、37年あってよかった。こっちがついて行けるというか、ようやくわかったという感謝の気持ちがありますね。

木津:本を読んでいて、やっぱりファンがそういうふうに30年以上の年月のなかで想像を働かしていくことも含めての作品だったのかなと思ったんですよね。

萩原:そう。いまはそういうのがなかなかないじゃない。あの頃はテープだったから残っているんだけど、いまはハードディスクなので基本的には全部上書きしていっちゃうし、直しちゃうんだよね。ああいうかたちで素材が残ることってこれからはないような気がするんだよね。

木津:唯一カニエ・ウェストが去年出した『The Life of Pablo』みたいに途中でどんどん出していくみたいなことはあるにはありますけど。でも『SMiLE』みたいな例はたしかに本当にないもので、それってファンと双方向のなにかがあったのかなと感じますね。

萩原:たまたまその未発表音源流出のシーンというのが大きな役割を果たしているので、そこの盛り上がりというのはたしかにあったと思う。誰が流出させたのかは知らないけど。ただそういうふうな思いというのはずっと聴いてきた僕みたいなマニアしか持っていないものなのかな。それは本を書いてみてよくわかりました。

木津:僕が今日一番お聞きしたかったのはいまなぜビーチ・ボーイズを聴くかってポイントについてで。00年代後半にビーチ・ボーイズに影響を受けたバンドがいっぱい出てきたというのをお話しましたけど、もうひとつは去年ザ・ナショナルがグレイトフル・デッドのトリビュート・アルバムを出したじゃないですか。あれはすごくわかるんですよ。いま60年代後半に起こったことを再考するというのがすごく重要な意味を持っているんだろうなという。とくにザ・ナショナルみたいにリベラルなバンドが西海岸で起こったことをいまの時代でもう一度やるというのはとても重要だと思うんですけど、そういう意味で言うといまビーチ・ボーイズを振り返ることや、アメリカ建国を振り返って描こうとした『SMiLE』というアルバムをあらためて考えるということはどういうポイントで再評価できるのでしょうか?

萩原:同じだと思う。あのときは出なかったのでそのときに実際どういう意味をもったのかはわからないままなんだけど、あのときだろうが、いまだろうが、要するに「アメリカ建国のときに自分たちがなにをしたか見つめ直してみろ」ってことなんだよね。(“英雄と悪漢 Heroes and Villains”の)「Just see what you've done.」という言葉はトランプにそのまんまぶつけられる言葉でしょ? お前はネイティヴ・アメリカンを駆逐しておいてなにさまのつもりだよって。オバマがせっかく止めていたのに、ネイティヴ・アメリカンの聖地を破壊する石油パイプライン建設を強権的に承認したりして、なにさまだっていうことだから。

木津:なるほど。最後にひとつだけお聞きしたいんですけど、僕たちがいま『SMiLE』を聴くとなるとネットのストリーミング一発で聴けるわけじゃないですか。本を読ませていただいて一番いいなと思ったのは37年間かけて『SMiLE』がすこしずつわかってくるという過程で、ブライアン本人は辛かっただろうし、ファンにとっても辛いことだったのかもしれないですけど、僕にとってはすごく羨ましい体験だと思ったんですね。そういう意味ですぐ『SMiLE』を聴けてしまうような僕ら世代にいまどういう部分を聴いてほしいですか?

萩原:これは本当は本に書かなきゃいけなかったのかもしれなくて、いまさらここでだけ話したら怒られちゃうのかもしれないけど、やっぱりできあがったのはブライアン・ウィルソンの『SMiLE』なわけでしょ。それが2004年の『SMiLE』で。ビーチ・ボーイズ版も2011年に出たんだけど、これも結局はブライアン版にのっとって再構築された仮の姿というか。で、そのビーチ・ボーイズ版が収められた『The Smile Sessions』という5枚組が出ているんだけど、やっぱりこれ全部で『SMiLE』なんだよ。もし『SMiLE』に興味をもってどんなものなんだろうなと思ったら、完成形としての『SMiLE』は1枚ついているけど、その素材が他のCD4枚にわたってバーっと入っているので、これを全部浴びてみてもらいたい。こんな録り散らかしたクリエイティヴィティの発露のしかたみたいなものはいまの時代にできるのかな、というのをいまの世代に聴いてもらえると嬉しいですね。そんなことできないし、そんな馬鹿なことしないって発想してくれてもいいから。ただなんでそんな素材を用意しなければいけなかったのかということも含めて、浴びてみてもらえると嬉しい。値段は高いけどきっと買う価値はあると思う。

木津:そんなものがほかにあるかと言ったらないですもんね。

萩原:3、4時間あれば全部聴けるんだから試してみてもらえると嬉しいかなあ。1枚に組み上がったちゃんとした流れのあるものを『SMiLE』だと思わないで、ほかの素材まで全部含めて『SMiLE』なので、そのへんを追体験してもらえると嬉しい。それを30年間にわたってちょっとずつ聴いてきた人たちがいたんだから(笑)。

木津:はい(笑)。僕もそんな内容の本になっていると思います。

萩原:曲解説みたいにしてバーっと書いてあるところもあるんだけど、そこもさらにおもしろく読んでもらえるんじゃないかなと思っていますね。

MIKUMARI × OWL BEATS - ele-king

 な、なんだ、このトラックは!? 呪術的というのか辺境的というのか中毒的というのか……不思議な魅力を放つビートのうえを荒々しいラップが駆け抜けていく。「ルードボーイの荒々しいラップとエクスペリメンタル・ビート・ミュージックの最高の結合」……なるほど、これはかっこいい。
 NEO TOKAIと呼ばれ、いま大きな盛り上がりを見せている東海地方のヒップホップ・シーン。その流れを加速させるかのような注目のアルバムが10月11日にリリースされる。名古屋のSLUM RCのラッパー=MIKUMARIと、ビートメイカー=OWL BEATSの共作アルバム『FINE MALT No.7』。これは見逃せないですよ。

MIKUMARI × OWL BEATS

SLUM RCの重要ラッパー、MIKUMARIとビートメイカー、OWL BEATSの共作『FINE MALT No.7』が完成!
ルードボーイの荒々しいラップとエクスペリメンタル・ビート・ミュージックの最高の結合!

東海地方のラッパーやDJ、ビートメイカーの活躍が目覚しい。その躍進は名古屋のレーベル/クルー、RC SLUM/SLUM RC抜きには語れない。この揺るぎのない事実、彼らの影響力の大きさ、またNEO TOKAIと呼ばれるシーンの実情が近年少しずつだが多くの人の知るところになってきた。正当な評価がされつつあるということだ。そして、今年3月にリリースされたMC KHAZZのファースト・ソロ作につづき、4年ぶりとなるMIKUMARIのフル・アルバムが到着した。

ATOSONE、MC KHAZZと組むINFAMY FAM as M.O.S(MARUMI OUTSIDERS)のラッパーとしても知られるMIKUMARIは、RC SLUM/SLUM RCにおいて最も悪ノリを追求する陽気なルードボーイだ。ライムにもリリックにもその荒々しさとひょうきんさが出ている。上澄みなんかではない。MIKUMARIのラップはルードボーイの魂の原液である。ゲスト・ラッパーはMC KHAZZ、HARAKUDARIに絞られた。

すべてのビートを制作したのはビートメイカーのOWL BEATS。ダブ、ルーツ・レゲエ、ラテン、デジタル・ファンク、ジャズを歪め、エクスペリメンタル・ビート・ミュージックを作り出している。不良と実験の組み合わせは最高だ。『FINE MALT No.7』によってさらに多くの人がNEO TOKAIのヒップホップの真髄に触れることになるのは間違いない。

Artist: MIKUMARI × OWL BEATS (ミクマリ × オウル・ビーツ)
Title: FINE MALT NO.7 (ファイン・モルト・ナンバー・セヴン)
Label: RCSLUM RECORDINGS
Barcode: 4988044891050
Cat No: RCSRC014
Format: CD (国内盤)
販売価格: 2,200 円(税抜) + 税
発売日: 2017年10月11日 (水)

TRACK LIST:
01. OVERTURE
02. Fine Malt
03. The Naked Gun
04. Gun Shot Represent Me
05. Super Groove
06. No Dissolve 2017
07. Natuowari
08. VOODOO feat MC KHAZZ
09. Yota Rude Boy
10. AKUTARO feat HARAKUDARI
11. 32MF96
12. Happy Go Lucky Me
13. RC Brother Hood
14. See You Next Music

MIKUMARI × OWLBEATS FINEMALT NO.7 HP: https://t.co/EdbGErd8iC

【MIKUMARI profile】
既にO.G。メジャーリーグ入団後ネクストバッターサークルから逃亡。その後アルコール、薬物依存症に罹る。その時路上で独り言を大きな声で呟いていたら、RAPに変わる。そのセンスの良さが評判を呼びRCSLUMに加入。太る。その後『FROM TOP OF THE BOTTOM』を発表、パンチラインを封印し殺し文句を産み出す。体重増加に伴い息切れがなくなる。故にスムースなライミングを体得する。酒と麻薬でいい感じに焼けた喉はいい声を吐き出す。さらに太る。太る友達のOWLBEATSと『URA BOTTOM』を発表。すごいスピードで売りきる。発売前に完売。奇跡。原付を貰いOWLBEATSと二人乗りをしたところパンクする。その後盗まれる。新しい原付の資金を獲得するため、僕は音に乗ると言い出す。皆んな納得する。紆余曲折を経て今年10月2NDアルバム『FINE MALT No.7』を発表する ORIGINAL RC。

【OWL BEATS profile】
鹿児島―奄美大島出身、南の男。狂気的で南国的であり、不良でヲタクな雰囲気を感じる音を好み、その存在感を現場でのPlayや作り出すBeatで聞かせるDJ、BEAT MAKER、PRODUCER。2012年、First album『? LIFE』を全国に発信した後、Remix album、Beat album、DJ mix、Live dvd、beat提供など、様々な作品を様々な形で世に放つと同時に地元鹿児島で定期的にイベントを企画し各都市にいる音の猛者を収集し音で会話を楽しみ評価を得て進化を続けている。2015 年にOTAI RECORD主催の名古屋で行われたビートメーカーのバトルイベント【BEAT GRAND PRIX 2015】で勝ち抜き初代王者となる。話題と進化と自他の解放を求め続ける南国音人間。

女神の見えざる手 - ele-king

 主演がジェシカ・チャステインだから観たいと思った。邦題も気を引いた(原題は『Miss Sloane』)。経済の話ではなく、ロビイストが立ち回る話なので、だとしたらジャンルが違うのではないかと思い、実際、上映が終わった刹那は違和感が残ったものの、時間が経ってみると、なるほどと思えてきた。ジェシカ・チャステインは『ゼロ・ダーク・サーティ』で上司の言うことを聞かなかったCIA役を踏襲するようにエキセントリックなトラクター役に挑んでいる。そのことを考えるとリーダーとしての成長ぶりを示すにはこのタイトルはメタ的な面白さも含んでいる(完全に術中にはまっているとも言える)。そう、ここ数年、経済的な痛手からニューエイジ志向へと進んだハリウッド映画が底を打って反転し、詐欺師でもなんでもいいから金を稼ぐ人物像に焦点を当て(『ele-king』15号参照)、そこで醸成されたリーダー像を『マネー・ショート』や『スティーヴ・ジョブズ』と言った合法的レヴェルに割り当てたのち、この作品ではさらに異常ともいえる領域に踏み込みんでいく。「神の見えざる手」に引っ掛けた邦題をそのまま経済の文脈で捉えてしまえば主体は人間ではないと思いがちだけれど、人間の定義からはみ出したリーダー像を思い描ければその限りではないという意味で「なるほど」と思ったのである。

 ジェシカ・チャステイン演じるエリザベス・スローンは冒頭、ロビイストの極意をゆっくりと暗唱し始める。その内容は最後のカードを切ったものが勝つという方法論で結ばれる。この映画を観ている人たちは必然的に最後にどんなカードが切られるのか、それを推測しながら観続けることになる。どの場面を観ていても、これかな、これかなと、「最後のカード」という言葉が頭から離れない。
 物語は公聴会を舞台にしてスローンが取った方法論を振り返る形で進められる。最初はスローンが所属していた会社に銃規制を弱めて欲しいという依頼が持ち込まれ、スローンはこの依頼を拒否したことで同社からの辞職を余儀なくされる。そして、別な会社に移って銃規制を強化するという反対のイニシアティヴを取って議員たちへの働きかけを行い始める。どうやって世論を動かすか。中盤の展開は押したり引いたりの繰り返しで、テニスやサッカーの試合でも観ているようにスリリング。とはいえ銃規制の議論自体はとくに深められない。法案の成立に至るプロセスだけがここでは緻密に描かれる。

 このところ欧米では盛んにサイコパスの有用性ということが論じられている。犯罪者として収監されているサイコパスはそのポテンシャルをマイナスに振り切っただけで、むしろ企業の経営者などには多くいるタイプだという研究が脚光を浴びているのである(あなたのサイコパス度チェックあり→https://www.youtube.com/watch?v=KApgaC_hI7M)。スティーヴン・ソダーバーグが『インフォーマント!』で扱った双極性障害や北欧ドラマ『ザ・ブリッジ』が人物造形に取り入れたアスペルガー症候群と同じく、サイコパスも資本主義のネクストには必要なものであり、新しい経営者像を探ろうという機運が高まっているのだろう。これまでの経営理念や哲学ではさらなる資本主義は召喚できないし、そのような資質のものを犯罪者として無駄にするのは社会の損失になるという判断である。そう思うと、『女神の見えざる手』はあまりにもタイミングが良すぎる。ミス・スローンが切った「最後のカード」はさすがに常軌を逸しているし、私生活では男娼を買い続けるという習慣だけが、むしろ、彼女に人間味を残すという展開はそれこそ皮肉が効きすぎている。

 しかし、この映画を観て、僕はドナルド・トランプの存在意義について考えざるを得なかった。トランプの支持率は現在、底だと言われている(55歳以上の大学を出ていない女性が岩盤支持らしい)。今年のエミー賞授賞式にクビになったスパイサー報道官が現れ、「就任式の聴衆の数は過去最大」というフェイク報道の名ゼリフをリピートし(目の前には彼のモノマネで大爆笑を取ったメリッサ・マッカーシーもいた)、まるで現職の時からトランプは支持していなかったと言わんばかりだったのを始め、トランプ・タワーをモスクワに建てる計画から経費の問題まで、あらゆる角度からトランプは信用を失っているかに見える。ウクライナや日本に武器を買わせるのは成功しているみたいだけれど、ホワイトハウスはいまだに職員が集まらないそうで、職員ひとり当たりの労働量には尋常ではないものがあるらしい。これはしかし、サイコパスとしての資質が裏目に出ているだけであって、そのことにみんなが慣れてしまうのではなく、一気にひっくり返ってしまう可能性を秘めているような気がしてきたのである。

 スローンが取った戦略はトランプ政権の現在とまったくの相似形を描いている。そのような窮地に自分を追いやっていく。そもそも公聴会を開かせることさえ計算済みだったのだろう。そして、これかな、これかなと、「最後のカード」について考えながら観ていた観客には、これは、ほんと、思いもよらない展開であった。そして、ドナルド・トランプに、もしもこの先、「勝ち」があるとしたら、この手があると思わせる映画なのである(粉川哲夫氏の「雑日記」でトランプに触れられている項目を読んでいると、だんだんそういう気にもなってくる→https://utopos.jp/diary/)。わからないのは、現実の世界でトランプがそれによって何を得るかであるけれど、この映画では、ミス・スローンは当然のことながらロビイストとしての「勝ち」を得る。クライマックスを過ぎ、静かなエンディングを迎えても、それがまたダーティー過ぎて、ほんと、すっきりしなかった。

 ドナルド・トランプが就任式で引用した……というか、ベインのセリフを丸パクリした『ダーク・ナイト・ライジング』を始め『ダメージ』や『Mr. ロボット』など、いまから思えば多くのサブカルチャーがトランプへの流れを予見していたにもかかわらず、こんな世界がやってくるとはまったく思ってもいなかった。『女神の見えざる手』はそんな気分に追い打ちをかけてくる。なんか、違うジェシカ・チャステインが観たくなってきた。


interview with Bicep - ele-king


Bicep - Bicep
Ninja Tune / ビート

HouseTechno

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 UKにおけるヒップホップ~トリップホップ~ブレイクビーツの系譜をしっかり継承する一方で、そのかつてのイメージを拭い去ろうとするかのように近年どんどん多角化を進めている〈Ninja Tune〉。今年に入ってからも、ボノボアクトレスフォレスト・スウォーズにと、非常に高い水準の作品のリリースが続いている(傘下の〈Brainfeeder〉や〈Big Dada〉まで含めるなら、サンダーキャットクートマのアルバムもある)。
 その〈Ninja Tune〉がいま大きくプッシュしているのが、マット・マクブライアーとアンディ・ファーガソンのふたりから成るハウス・デュオ、バイセップである。00年代末に開設したブログをきっかけに活動を始めたという彼らは、いかにもインターネット時代を象徴しているように見えるが、じっさいに彼らのルーツとなっているのは80~90年代のハウスやテクノのようだ。たしかに、“Glue”の機能的なビートの上に乗っかるアンビエント・タッチの美しい旋律や、“Spring”におけるある時期のエイフェックスを想起させる音響、“Rain”のヴォーカルの使い方や展開など、バイセップが「あの時代」のサウンドから多大な影響を受けていることは間違いない。初めて彼らのライヴ映像を観たときは、オーディエンスの熱気に気圧されてしまい、またロゴもマッチョな雰囲気が漂っていたので、変な先入観を抱いていたのだけれど、このアルバムで彼らが鳴らしているのは想像以上に繊細で、詩情豊かなダンス・ミュージックだった。
 そんな今後の〈Ninja Tune〉の未来を占う存在とも呼ぶべき彼らに、活動開始から10年近く経ってリリースされた待望のファースト・アルバムについて、そして彼らのバックグラウンドやアティテュードについて話を伺った。

Bicep | バイセップ
ベルファスト生まれ、現在はロンドンを拠点に活動するマット・マクブライアーとアンディ・ファーガソンによるDJ/プロデューサー・デュオ。2008年に開設したレコード収集の趣味を披露したりミックスやエディットをアップするブログ「Feelmybicep」が瞬く間に話題を呼び、月に20万人がアクセスするこの人気ブログをきっかけに世界中をDJツアーで回るようになった。また〈Throne Of Blood〉〈Traveller Records〉〈Mystery Meat〉〈Love Fever〉といったレーベルと手を組んだ後、ウィル・ソウル主宰〈Aus Music〉からリリースした「Just EP」がヒットし、タイトル曲はじつに多くの著名DJがプレイ、『Mixmag』と『DJ Mag』双方の「Track of the Year」を獲得。2016年には「RA Poll」で8位を獲得し、世界ツアーで数々のパーティをソールドアウトさせ、2017年には記念すべきデビュー・アルバムを〈Ninja Tune〉よりリリース。

EDMはマス用の商業音楽で、本物のアンダーグラウンド・ミュージックのように生き残ることはないだろうね。

「Bicep(上腕二頭筋)」というユニット名にはどのような思いが込められているのでしょう? ロゴにも3本の上腕が描かれており、マッチョな印象を抱いたのですが。

バイセップ(Bicep、以下B):オリジナルのアイデアは、70年代~80年代のディスコ、そしてとくにイタロ・ディスコのイメージから影響を受けていて、たとえばスカット・ブラザーズ“Walk The Night”、ビデオはカノ“It's a war”あたりがパッと思いつくね。名前はおもしろさ以外にとくに意味はなかったんだけど、最終的にこれに収まったんだ。ロゴに関してはヴァイナルが回っているときに見た目が良くなるように意識して、すぐに思いついたのがあのイラストなんだ。

『Bicep』はあなたたちにとって初めてのアルバムとなりますが、シングルを作るときと違いはありましたか?

B:そうだね、シングルに比べてサウンドの構築により多くの時間を使ったね。たとえばいつもとは違うシンセを使用したりミックスを試してみたりと、新しいアプローチを試みたんだ。いままでは自分たちのなかで合格点のレヴェルに達したものはそれ以上とくに手をつけなかったんだけど、今回はベストのサウンドになるまでとことん作り込んだ。たとえばある曲では4つの異なるシンセでベース・ラインの鳴り方を試したりね。

ハウスやテクノはシングル盤によって育まれた文化です。また最近はインターネットの影響もあり、音楽は曲単位で聴かれることも多いと思うのですが、アルバムを作ることの意義はなんだと思いますか?

B:そういった考え方からは距離を置きながら、家や電車のなか、クラブにまで対応できる曲を作りたかったんだ。これはこのアルバムの軸となるアイデアのうちのひとつなんだ。

このアルバムを作っているとき、フロアで身体を揺らしているオーディエンスと、ベッドルームでヘッドフォンをして聴いているリスナーと、どちらのほうをより強く意識しましたか?

B:言ったように、“バランス感”を保つことがこのアルバムでのひとつのチャレンジだったんだ。曲によってはダンスとリスニングのグルーヴを行き来するものもある。たとえば“Spring”はもともとクラブでのプレイ用に作ったんだけど、ミキシングやシンセを調整したからリスニング用としても機能するはずだよ。

今回のアルバムの収録曲のタイトルはすべて1単語ですが、これには何か意図があるのでしょうか?

B:くどいタイトルはやめて、アブストラクトかつシンプルなワン・ワードの曲名をつけたんだ。ほとんどの曲が自分たちにとって特別な意味を持っているんだけど、意味の捉え方は聴き手に委ねることにしたんだ。

本作を作るにあたって、もっとも苦労したことはなんでしょう?

B:まず、ベースとなるアイデアを持たずに、さまざまなスタイルで実験をしながら制作を始めたんだ。60曲ほどでき上がったところで、そこからアルバム用に曲を絞り込む作業がとにかく大変だった。制作には、完成後の後悔やパーツに飽きてしまうということが付きものなんだけど、そういった感情を押し殺しながらすべてを完成させるという作業はとても強い意志が必要だったね。まあ、それもひとつのチャレンジだったよ。

今作を〈Ninja Tune〉からリリースすることになった経緯を教えてください。

B:セルフ・リリースの可能性も持ちつつ、いくつかのレーベルにデモを送っていたんだ。そのなかでも〈Ninja Tune〉は最初に送ったデモの時点からとてもポジティヴな反応を見せてくれて、いっさい妥協をせずに気持ち良くアルバム制作に取り組むことができた。〈Ninja Tune〉の手厚いサポートにはすごく感謝しているよ。

音楽に興味を持つようになったきっかけはなんですか? 子どもの頃はどのような音楽を聴いていたのでしょう?

アンディ:若い頃はラジオで流れている音楽をテープに録音するのが好きで、オールドスクールなミックステープをよく作っていたんだ。さらに遡ると、ドラムンベースやジャングル、ニューウェイヴやポップスをひとつのテープにまとめていたね。

マット:僕は音楽に囲まれて育ったんだ。両親が一日中ヴァン・モリソンやメアリー・ブラック、エニグマをかけているような家でね。母親はコンテンポラリー・ダンスが大好きで、いつも世界中から集めた奇妙で素晴らしい音楽や、ニューエイジ、電子音楽がかかっていて、僕の無意識下に大きな影響を与えたと思う。父親はエンジニアで、自作のサウンドシステムが家にあり、倉庫には放送用の機材が溢れていたんだ。アルバムのプロダクションやテクニカルな面でとても大きな影響を受けていると思う。

資料によると、おふたりはエイフェックス・ツインやロラン・ガルニエを通してエレクトロニック・ミュージックに触れたそうですが、かれらの音楽のどういうところに惹かれたのでしょう? また、彼らの作品でもっとも好きなものはなんですか?

アンディ:地元のクラブのShineでロラン・ガルニエを観て以来すっかりテクノ/ハウスの虜になったんだ。当時はパンクやバンドのエネルギーが好きだったんだけど、テクノ/ハウスの持つエネルギーは別ものだったね。“Crispy Bacon”みたいなトラックはまったく異なるやり方でエネルギーを放っていたと思う。

マット:僕は、エイフェックス・ツインの多様で狂ったアイデアと、アナログ・サウンドの音像や荒々しい質感との融合に衝撃を受けたよ。

2012年に発表された“Vision Of Love”は、翌年カール・クレイグにエディットされ、ケヴィン・サンダーソンのレーベル〈KMS〉からリリースされました。デトロイト・テクノが成し遂げた最大の功績は何だと思いますか?

B:おそらく、世界に自分たちのテクノ・ブランドを紹介したことじゃないかな? デトロイトは昔からつねに音楽の街として存在し続け、とてもオープンマインドな場所という印象を与えてくれる。去年ベルファストでおこなわれた“AVAフェスティヴァル”でホアン・アトキンスが話していた「テクノのルーツ」に関するエピソードがとても興味深いものだったね。まるで彼らのような先駆者たちが街の個性を反映しているようで、現在も人びとがそのことに言及することはとても素晴らしいことだと思う。

2013年にはシミアン・モバイル・ディスコとも共作されています。かれらのルーツのひとつにはインディ・ロックもあると思うのですが、あなたたちから見てかれらのおもしろいところはどこですか?

B:シミアン・モバイル・ディスコはとても良い友人で、デュオとしての活動の仕方にとても影響を受けている。スタジオで彼らと過ごした時間には非常にインスパイアされたね。彼らがインディ~ロック~ディスコ~エレクトロなサウンドで2005~2006年にヒットを飛ばしたことは周知のとおりだけど、彼らはふたりともジャンルレスに音楽を愛しているし、彼らのサウンドを包括的に捉えればジャンルにこだわることは取るに足らないことだと気づかされるね。シンセ・サウンドのクリエイティヴィティやプロダクションのスタイルがとくに素晴らしいと思う。

あなたたちは昨年、ブレイズや808・ステイトのリミックスも手がけています。おそらくかれらの音楽に触れたのはリアルタイムではないと思うのですが、あなたたちにとってブレイズや808・ステイトはどのような存在でしょう? また、あの時代のハウスやテクノについてどのようにお考えですか?

B:たしか2000年初期~中期にかけて、初めて彼らの音楽を聴いたと思う。80年代後期から90年代初期のサウンドを掘るのが好きなんだよ。この時期はとても実験的かつクリエイティヴな音楽に溢れた時代で、ハウス/テクノ系の僕たちのフェイヴァリット・レコードはこの時期に作られたものが多いね。

あなたたちなりにハウスとテクノを定義するとしたら、両者の違いは何でしょう?

B:たぶん、“スピード”と“ムード”のバランス感じゃないかな。このふたつの音楽の境界線は最近とくに曖昧で、定義するのが難しくなってきてると思う。多くのサブジャンルも生まれているし。僕たちがUSB上で曲を管理する際も、ジャズ・ハウス、ファスト・ディスコ、ファン・テクノ、といった分け方をするんだけど、ひとつのトラックがこの3つのジャンルをカヴァーしてしまうこともあるしね(笑)。

ハウスやテクノはもともとアンダーグラウンドから生まれた音楽ですが、最近のEDMのようなダンス・ミュージックについてはどうお考えですか?

B:EDMのトレンドはフォロウしないようにしている。当初は、EDMファンもいずれアンダーグラウンドに流れると思ってたんだけど、どうやら違ったようだね(笑)。EDMはマス用の商業音楽で、本物のアンダーグラウンド・ミュージックのように生き残ることはないだろうね。

あなたたちはブログ「Feel My Bicep」で音楽を紹介したり情報を交換したりするところから活動をはじめ、それがレーベルやイベントにまで発展していきましたが、インターネットやSNSについてはどうお考えですか?

B:インターネットは、音楽のセンスが近い人びとと繋がり共有することのできる素晴らしいツールだね。僕たちはブログを、愛する音楽をポジティヴに議論する場として活用している。それは素晴らしいことだよ。ただ、オープンで誰とでも繋がれるがゆえに、議論や意見がつねに良い方向に行くとは限らなかった。僕たちはつねにポジティヴに音楽を捉え、好きな音楽の話に時間を費やし、決して他者の作品がいかに良くないかなどと吹聴するようなことはしない。良いものについて話をしたり共有したりするほうが、良くない音楽について議論をするよりもマシだと思う。

あなたたちが運営するレーベル〈Feel My Bicep〉からは、ご自身の作品に加え、BrassicaやSandboardsの作品もリリースされています。レーベルの方針のようなものはあるのでしょうか?

B:現在はとくにこれといったアイデアはないんだ。僕たちは、僕たちが好きな音楽をアウトプットし、好きなアーティストにプラットフォームを提供するだけだよ。

いまもっとも注目しているアーティストは誰ですか? また、今後リミックスしてみたいアーティストがいれば教えてください。

B:最近はフローティング・ポインツのサウンドが気に入ってる。リミックスに関しては、これから僕らのアルバムのリミックスを考えているんだけど、誰かに「ユニークかつ新しい“何か”を加えながら音楽的にトラックを発展させる」ということを頼むのは、なかなか難しいことだと思う。何人か全幅の信頼を置いている人たちにリミックスをお願いしてるけど、まだ秘密だね(笑)。

ファースト・アルバムのリリースを終え、いまおふたりがいちばんやりたいことはなんですか?

B:アルバム完成後からノンストップでプロモーションやツアーをやってるんだけど、これが今年いっぱい続くんだ。僕たちはすでに新しい作品に取り組みたくてうずうずしてるんだけど、スタジオから数ヶ月離れるのも必要なことかもね。


【アルバム情報】

label: Beat Records / Ninja Tune
artist: BICEP
title: Bicep
release date: 2017/09/01 FRI ON SALE
cat no.: BRZN244
price: ¥1,929 (+tax)
国内盤仕様: 帯/解説付き

amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/B0733PW3KH/
beatkart: https://shop.beatink.com/shopdetail/000000002175
tower records: https://tower.jp/item/4553534/Bicep
hmv: https://bit.ly/2wcw9Ne

【来日公演情報】

1:朝霧JAM 2017
日時:2017年10月7日 (土)
場所:富士山麓 朝霧アリーナ・ふもとっぱら
詳細:https://asagirijam.jp/

2:単独東京公演 at Contact Tokyo
日時:2017年10月8日 (日) 22時 OPEN
場所:東京都渋谷区道玄坂2-10-12 新大宗ビルB2F
詳細:https://www.contacttokyo.com/

汚れたダイヤモンド - ele-king

 木津毅が巣鴨の喫茶店で語気を荒げた。「今年のワー○○・ワンは『パトリオット・デイ』ですよ!」(次の中から○○にふさわしい言葉を選びなさい。1・ルド 2・スト 3・ワー)。今年の映画の話である。「そこまで言うほど……」とも思ったけれど、日夜、アメリカ社会の分断に心を寄せ、傷つき、もがき苦しんでいる木津くんらしい感情の高まりだと思い、僕は「そうだね」と相槌を打つだけにした。ピーター・バーグ監督による『パトリオット・デイ』はボストン・マラソンがかつては女性の参加を認めなかったことを回顧する作品……ではなく、2013年にボストン・マラソンを狙って起きた爆弾テロをジャーナリスティックに再現した作品で、テロに屈せず、市民たちが「ボストン・ストロング」を合言葉に一丸となって危機を乗り越える姿が描かれている。犯人を特定するまでのプロセスや住宅地に逃げ込んだ犯人を追い詰める緊迫感、妻が主人公に惚れ直しちゃったり、ケヴィン・ベーコン演じるFBI捜査官の嫌味な感じなど娯楽映画に期待する要素はだいたい満たされていて、逃亡する犯人たちに中国人が脅されるなどトピカルなレイシズムへの配慮も抜かりがない。三度の飯より愛国心という人が観れば小田急線や帝京高校のように愛国心が燃え盛ること請け合いでしょう。メラメラ。


© LFP‐Les Films Pelléas / Savage Film / Frakas Productions / France 2 cinéma / Jouror Productions

 そう、愛国心はまあ、いいです。この場合にはない方が不自然である。しかし、愛国心とセットで語られることが多い家族の描き方には少し微妙なものがあった。それ以前に犯人たちのことは何も語られていないに等しく、実際には犯人たちの親族がTVを通して投降を呼びかけていたことは完全に無視されている。詳しくはわからないけれど、当初ホームグロウンではないかと言われていたテロリストたちはチェチェンからの難民であり、違う州には親戚も住んでいたそうで、犯人たちが何に反発し、誰に疎外されていたかは何も検証されていない。それは必ずしもアメリカだけの問題だけではなかったのかもしれないし、どこからがアメリカという国の問題なのかがわからない。犯人の家族も含めて執拗に頑なさを強調するだけで、むしろイスラム系に対するイメージを各人が好きなように膨らませればいいというつくりなのである。トレント・レズナーの音楽がその感情をまた効果的に盛り上げていく。上手いんだな、これがまた。


© LFP‐Les Films Pelléas / Savage Film / Frakas Productions / France 2 cinéma / Jouror Productions

 テロと家族について考えるきっかけは意外なところからやってきた。テロとはなんの関係もない『汚れたダイヤモンド』という映画がそれだった。相変わらずフランス映画が低調なので、新人監督のデビュー作というだけで観てみようかと思い立った。なので、いつものこととはいえ設定もジャンルもわからないままに同作を観始める。最初は押し込み強盗の話かと思った。主人公のピエール・ウルマン(ニールス・シュネデール)が手際よく民間人の家から美術品を奪い取り、親分みたいな人が売りさばいてくれる。美術品を見る目があれば効率もいいんだろうけど、どうでもいいような絵を盗んだりもして、あぶく銭をせしめるという訳にはいかないらしい。普段は便利屋のようなことをしている。そこに警察がやってきて逮捕されるのかと思ったら、生き別れとなっていた父の死を知らされる。葬式のシーンでは彼が親族とは異常に仲が悪いということが示唆され、にもかかわらず、いとこのガブリエルに金額の大きな仕事を発注されてピエールはアントワープまで出掛けていく。まあ、話はここからである。いとこの会社というのは宝石商で、彼はだんだん宝石商の仕事にも興味を持ち始める。


© LFP‐Les Films Pelléas / Savage Film / Frakas Productions / France 2 cinéma / Jouror Productions

 宝石商の仕事というのがまずは興味深かった。ピエールとガブリエルはインドに出かけ、下請け業者の労働環境を視察する。ダイヤモンドのカットというのは、どちらかというとアーティスティックな仕事であることが一方では強調されているにもかかわらず、そこではグローバル化による工場労働の実態がクローズ・アップされる。ピエールが属していた窃盗グループのリーダーはアブデル・アフェド・ベノトマンが演じており、彼は実生活では銀行強盗などによって何度か刑務所に入っていたこともある役者である。監督は当初、この役を『クスクス粒の秘密』や『アデル、ブルーは熱い色』の大ヒットで知られるチュニジア出身のアブデラティフ・ケシシュ監督に役者として演じるよう依頼したところ、ケシシュからベノトマンを推薦されたのだという(このようなキャスティングの仕方だけでも新人らしからぬ大胆さに感心してしまう)。そして、作品内に移民たちのフォーメイションががっちりと組まれた上でピエールがインドを視察するという物語が進められ、ここで後半の展開に向かって大きな布石がひとつ打たれることになる。途上国の人たちと同じ目線になるという発想がないため、同行していたガブリエルはこれらの動きにまったく気がつかない。


© LFP‐Les Films Pelléas / Savage Film / Frakas Productions / France 2 cinéma / Jouror Productions

 物語のクライマックスは『トイストーリー2』を5分か10分に凝縮したようなものだった。『トイストーリー2』ではウッディが古い仲間と新しい仲間のどちらを選択するか迫られたあげく、思いもよらない解決法でエンディングを導き出す。ウッディたちはオモチャなので人種やトポスといったファクターに左右されることはなかったけれど、人間というのはやはりそう簡単には行かない。『トイストーリー2』で起きた奇跡はここでは何ひとつ起こらなかった。ヨーロッパの家族主義からハグれたピエールはウッディとは正反対のコースに足を踏み入れ、残酷な結末へと加速度を増していく。そう、「窃盗グループ」の存在には実に説得力があり、ピエールはいわば『パトリオット・デイ』におけるテロリストの位置に立たされたも同然だと僕には見えた。この作品に少し時事的なバイアスがかけられているとしたら、それこそヨーロッパという共同体がいま、テロリズムへとなびいていく息子たちに「待ってくれ」と呼びかけているとしか思えなかったことだろうか。それはただの願望にしか思えなかったし、監督自身はそれを「罠」と表現している。家族や擬似家族の呪縛からすべて解き放たれることが唯一の解決法だという意味では『トイストーリー2』ではなく、親を失うことで初めて(アメリカの国家制度の中で)個人として解放される『プレシャス』を想起すべきだったのかもしれない。そうだとしても、しかし、ヨーロッパというのは国家も家族も少し複雑に過ぎるのだろう。監督が望むように、この作品を希望的な結末と受け取ることは僕にはやはり難しかった。ダイヤモンドを扱っているだけに、本当に光も闇もすべてが屈折し過ぎていた(ピエールという役名はちなみに60年代に強盗などで知られる極左の活動家、ピエール・ゴールドマンにちなむらしい)。

 共同体からハグれてしまった人物像に興味があるのか、アルチュール・アラリの2作目は小野田少尉を題材にしたものだという。2010年代はじめからハリウッド寄りになり、どこか方向性が怪しくなっていたフランス映画がどことなく軌道修正を始めたのかなと思う昨今、新人では『アスファルト』のサミュエル・ベンシェトリしか目につかなかった中で、アルチュール・アラリの登場はかなり期待すべきものがあるように思う。つーか、ミシェル・ルクレールやレア・フェネールは新作を撮らないのかな~。



flau - ele-king

 CuusheやMasayoshi Fujit、Stefan Jos、Fabio Caramuruなどなど、つねにクオリティの高い作品──ポップなエレクトロニック・ミュージック、アンビエント、IDM、ポスト・クラシカル等々を、上品なアートに包んでリリースしているレーベル〈Flau〉が今年で設立10周年を迎える。
 この9月から10月8日(日)まで、代官山の蔦屋書店3号館の2階音楽フロアにて、〈Flau〉の回顧展が開催されています。音楽がモノではなくなり、服を脱ぎ捨てるかのような消費物になってきている今日、〈Flau〉が確固たるインディペンデント・レーベルとしてファンを少しずつだろうが増やし続けていることは、賞賛に値する。いまでは国際的な人気をほこるこのレーベルの10年の歩みを見ながら、彼らのユニークな音楽とその素晴らしいアートワークにぜひ触れて欲しい。

 Flau classic 5 (by ele-king)
  Masayoshi Fujita - Stories
  Liz Christine - Sweet Mellow Cat
  Cuushe - Girl you know that I am here but the dream
  El Fog - Reverberate Slowly
  IKEBANA - when you arrive there

■FLAU10 RETROSPECTIVE 2007-2017

会場:代官山 蔦屋書店 3号館 2階 音楽フロア
会期:9/1〜10/8

https://real.tsite.jp/daikanyama/event/2017/08/flau-10-retrospective-2007-2017.html
https://flau.jp/2017/08/28/flau10-retrospectiv


ギミー・デンジャー - ele-king

『パターソン』評からのつづき)
 というのも、ダニエル・ロパティンのワンオートリックス・ポイント・ネヴァー名義の新作『グッド・タイム』はジョシュアとペニー・サフディ監督の同名映画のサウンドトラックであるところからの推測というか臆断というか邪推にすぎないが、アルバム唯一のヴォーカル曲にOPNはイギー・ポップを起用しているのである。ロパティンの映画音楽といえばソフィア・コッポラの『ブリング・リング』も記憶に新しいが、『グッド・タイム』は全面的に携わった2作目の作品となる、本作の詳細は三田格先生の目から血の出そうな鋭い評文をお読みいただきたいが、90年代までの細分化――ジャンル的なものであるとともに原理的な側面もあったそれへ――の反動のように電子音楽そのものを再定義する、というより、現代音楽からダンス・ミュージックからポップ・ミュージックまで、デンシノオトさん以外のおよそ電子と名のつくものをとりこみたがるきらいがある。むろんエレクトロニックな音楽ばかりかノイズでさえも、聖域たりえぬ現在の音楽の趨勢もそこには寄与しているにせよ、ロパティンの方法とセンスは頭ひとつ抜けている。その世代の旗手と呼んでさしつかえないが、おそらくそこには具体の音が具体であるがゆえに記名的であるのであり、したがって描写的であるという逆説も働いている。そもそも抽象としての音の反語だったはずの具体の音が時代をくだるうち情報になった。サンプリングなど、個別の方法との比較は本稿の任ではないが、21世紀の「音楽」はすべからく情報の付帯音楽サウンドトラックであるなら、声(=ことば=意味)を主体としない音楽であるならなおさら映像喚起的である。OPNが映画音楽にとりかかるのもゆえなきことではないどころか、筋書きどおりとさえいえるが、かといって『グッド・タイム』は予定調和なのではない。私は本編は未見なので映画そのものには言及しないが、ゴブリンから神秘主義を減算することでポップにゴシック化したようなスコアにはロパティン印の多義性と柔軟性と、そこからくるB級趣味が聴きとれる。機能性を加味した本作をOPN名義にしたのは意外でもあったが、10年におよぶ活動が映画音楽のフォーマットでもロパティンは自由に腕を揮える確信をもたらしたのか、分岐した人格(名義)を統合する作家性をえたのか。いずれにせよ『グッド・タイム』はサウンドトラックとオリジナル・アルバムのおとしどころとしては絶妙である。
 こと終盤にいたってはそうだ。
 そこにやおらイギー・ポップがあらわれる。ピアノ伴奏による“The Pure And The Dammed”。ピアノの音は残響を加工してある、それにたいしてイギーの歌はナマである。ささやくようなイギー流のクルーナー唱法とでもいうべき深々とした歌いっぷりはレナード・コーエン化したスコット・ウォーカーのようであり、だれもが知るあのイギー・ポップではない。むろんイギーには、近作にかぎっても、ウエルベックの『ある島の可能性』に着想をえた深く沈静するトーンが支配的な『プレリミネール』(2009年)などもあるので、パブリック・イメージも一概ではないだろうが、であれば、イギー・ポップの公とはなにか。そのとき私性はどうふるまうのか。


© Byron Newman

 ジム・ジャームッシュの『ギミー・デンジャー』はミシガン州マスキーゴンに生まれトレーラーハウスで幼少期をおくったジェームズ・ニューウェル・オスターバーグ・ジュニアが、たびかさなるトラブルの果てにいかにしてパンクのゴッドファーザー、ストゥージズのフロントマンとなり、いまなにを考えるのか、終の棲家であるストゥージズの来歴をたどりうかびあがらせる。原点となるのはストゥージズの誕生年である1967年。そこに、イギー・ポップ、ロンとスコットのアシュトン兄弟、デイヴ・アレクサンダーらの前史が集約されていく。
 アナーバーのハイスクール・バンド、イグアナズのドラマー、ジム・オスターバーグと同郷でチョーズン・フューなるバンドをやっていたロン、弟のスコットにドラムを仕込んだのはジムことイギーだった。デイヴはアシュトン兄弟の妹のキャシーがたまたまみかけ誰だか声をかけてみたらといったのが縁になり、オリジナル・ストゥージズが出そろった。全員10代、最初はダーティ・シェームス(汚い恥)と名乗っていたが名乗っただけで満足したので音楽まで頭がまわらなかったが、一念発起し、共同生活――イギーは、俺たちは共産主義者だったと作中で主張するが、政治性を抜きにした原始共産制にちかい、つまるところコミューンであるそれ――をとおし、しばしばラリったりしながら切磋琢磨し、音楽経験を積んでいった。当時イギーはレコード屋に勤めていて、ジョン・ケージ、サン・ラー、クリスチャン・ウォルフ、ヴェルヴェッツ、ファラオ・サンダース――らのレコードを聴き影響を受けたが、なかでもハリー・パーチは別格だったという。パーチは平均律に疑義を唱え純正律に傾倒したのち、微分音による理論を完成しそれに基づく幾多の楽器を制作したことでもよく知られている20世紀音楽を代表する作曲家のひとりである。ダイアモンドマリンバ、バンブーマリンバ、クロメロデオン、キタラ、ハーモニックカノン、日本の箏をもとにしたKOTOなどもふくめ、パーチの自作楽器は風貌のみならず音までも野趣に富み、楽曲は荒野の石のように質朴で孤立している。ためしに、ウディ・ガスリーにジャド・フェアがバックをつけたような“Barstrow”を聴いていただければ、現代音楽といったときにひとが想起するものとの落差をご理解いただけるだろう。柿沼敏江は『アメリカ実験音楽は民族音楽だった――9人の魂の冒険者たち』(フィルムアート社/2005年)でパーチはじめ、ルー・ハリソンらを米国の風土のなかで読み解いているが、フォークロアに根ざした表現はかならずしも特定の価値観に収斂しない。日本の歴史が近代(明治)にはじまるわけではないのとおなじように、フォークロアの起点は無数にあり、歴史は単線ではないうえに主体の想像力の限界を意味するはずもないのに、そう考えたがるあんぽんたんがあまりに多すぎるというようなことを、私は『ユリイカ』の今年の1月号に書いたつもりだが、紙幅の都合で書けなかったことのひとつに、ハリー・パーチがホーボーだったことがある。ホーボー(hobo)とは貨物列車などにただ乗りし放浪生活をおくる、いわゆる「浮浪者、渡り労働者(ランダムハウス英和大辞典)」であり、上述の「Barstrow」はパーチのホーボー体験を下敷きにしたものだが、個々の視点の堆積としてのフォークロアは国民国家のなかに別様の地図を描かざるをえない。音楽にかぎらず、ことばや視覚表現や造形や行為そのものがネイションの無意識にフォークロアを潜在させる。おそらく詩がそうだ。私は拙稿でホイットマンを引いたが、ホイットマンにかぎらず、詩はその象徴性で歴史を超え現在を覆う。ジャームッシュが『パターソン』でやりたかったことのひとつもそれだろうし、私は先日アップした原稿で書き漏らしたが、主人公の妻がギターで“線路の歌”(日本では「線路は続くよどこまでも」の題の童謡になっているが、原曲は大陸横断鉄道にたずさわる線路工夫の労働歌であるこの曲を子ども向けにしたのも音楽を輸入品とみなし関税をかけるように骨抜きにする明治的近代的官僚的な教条主義のいったんではあるがここでは置いておく)を弾きがたる場面にはおそらく労働者と移動者の暗喩がある。ジャームッシュは終始漂白する人物を主題にする映画作家であり、パーチにフォーカスしたのにはそのような共感の裏打ちがあったのではないか。むろん共感はまずもって音楽においてはじまるが、ファースト『The Stooges』(1969年)で世に出る以前に彼らにこのような下地があったのは特筆すべきである。
 それとともに彼らが拠点としたミシガン州アナーバーの状況も見逃せない。ニューヨークとサンフランシスコの中継点であるアナーバーは60年代末文化革命の先端にあった。実験的な音楽やフリーなジャズが騒々しいロックと混在していた。たとえば60年代末、ことに67~69年にかけてジャズ・クラブ以外へ活動の場を広げていたサン・ラーもそのひとりである。ラーにはストゥージズやMC5との共演歴がある、と湯浅学の『てなもんやSUN RA伝 音盤でたどるジャズ偉人の歩み』(ele-king Books/2014年)にある。仕掛け人はジョン・シンクレアである。

デトロイトでアーティスト・ワークショップ開催に尽力し、ジャズやブルースにかんする学究的貢献をし、アンダーグラウンドな新聞や雑誌だけではなく『ダウンビート』誌や『ヴァイブレーション』誌などへも音楽論や政治論や文化論をまじえて幅広く積極的に執筆活動を行い、グランデ・ボールルームを拠点のコンサートを運営し、ホワイト・パンサー党を主催していたジョン・シンクレアは、MC5のマネージメントを引き受けながら、ジャズ・ミュージシャンとMC5やストゥージズ、ファンカデリックなどのデトロイト周辺のアクの強いバンドとを同じステージにブッキングすることに積極的だった (同書)


© Danny Fields/Gillian McCain

 69年8月のウッドストック、同年12月のストーンズのオルタモント――本作のタイトルはいわゆる「オルタモントの悲劇」をおさめた映画『ギミー・シェルター』が由来であるのはいうまでもない――、ジミ・ヘンドリックスが死の直前に出演した70年のワイト島など、この時期はみなさんが夏休みに出かけていく今日のフェスティヴァルの雛型ができあがった時期でもあった。上述の引用文につづく一文には、MC5のウェイン・クレイマーの以下の発言がみえる。「観客がサン・ラーを理解した様子を見せるまでは、このまま暴動になってしまうのではないかと思った」その場を渾沌が支配していた、行楽まがいのフェスではなかった。
 『ギミー・デンジャー』には初期ストゥージズのライヴ風景もたっぷり入っている。ステージ上でのけぞり、手を叩き、足を踏みならし、でんぐりがえり、マイクを咥え、血をながし彷徨するイギー・ポップは渾沌を体現するというより渾沌に弾き飛ばされ正対しながら七転八倒する怒り狂った猿のようだ。舞台上から客を挑発し観客もむやみにそれに乗る。脂肪率の低い身体で決めるポーズは江頭2:50にも影響を与え――などというと熱心なファンの不興を買いそうだが、私とてそのひとりである。評判は口こみに伝わり、MC5をスカウトに来たダニー・フィールズの目にとまり、68年9月22日MC5とともにストゥージズはついにエレクトラと契約を果たすが、粗野で荒々しいロックンロールは、私がこれまでくどくど述べてきた状況を血肉化したものであるならまだしも、余剰を削ぎ落としシェイプしたものであることには、各自いまいちど思いを馳せるべきである。
 むろんショービズの世界はなまやさしいものではない。まずロンがコメディ番組『三ばか大将(The Three Stooges)』のモー・ハワードに電話し、バンド名にストゥージズを使う許諾をとった。翌月には“アイ・ワナ・ビー・ユア・ドッグ”“ノー・ファン”、彼らを代表する2曲ができたらもう69年である。ニューヨークにおもむいた中西部の4人組はプロデューサーであるヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルとともにスタジオに入った。グループ名を冠したファーストでは上述の2曲が印象的だが、デイヴ発案による我流マントラ“ウィ・ウィル・フォール”が2曲のあいだの消失点のようになり、アルバムは奥行きを増している。おりしもフラワームーヴメントの時代であり、ハッピーなヒッピーにたいする屈折した闘争心もストゥージズの面々にはあったようだ。70年代の幕開けとともに、バンドは「ラリったメイシオ・パーカー」役のスティーヴ・マッケイを迎えロスで70年の『ファン・ハウス』を、デイヴィッド・ボウイの招きでロンドンに渡ったイギーとジェームス・ウィリアムスンを中心にサード『ロウ・パワー』(73年)を録り、アメリカに舞い戻り、薬禍に苛まれ、ストゥージズであることの重みを支えきれなくなったように瓦解する。やがてデイヴが鬼籍に入り、ついで時代はくだり、ストゥージズは忘却の底に沈むかと思いきや、パンクの到来とともにその音楽は息を吹き返す。デッド・ボーイズ、ディクテイターズ、ピストルズ、ダムド、ソニック・ユース、ブラック・フラッグ、バッド・ブレインズ、ジャームス、スリッツ、ニルヴァーナ、ホワイト・ストライプス――ジャームッシュはストゥージズに影響を受けたバンドを胸いっぱいの愛とともに列挙していくが、その圏域はパンクにとどまるものではなかった、その理由のひとつはソロになってからのイギーの継続的な活動にあったのだろうが、ジャームッシュは『ギミー・デンジャー』をイギー・ポップ史観におとしこむのではなく、あくまでストゥージズの物語として語りきっている、『イヤー・オブ・ザ・ホース』(97年)がニール・ヤングではなくクレイジー・ホースのドキュメンタリーだったように。


© Low Mind Films

 語り口はいたずらに伝説を鼓吹するものでもなく、かといってその前に跪拝するわけでもない。おそらく制作上の制約――ストゥージズ再結成の時期と撮影期間が重ならなかった――から本作は基本的にアーカイヴ映像とインタヴューとジェームズ・カーによるアニメーションで構成することになったが、ジャームッシュはそれを逆手に、かつて『イヤー・オブ・ザ・ホース』で試み、すでにドキュメンタリーの定番となっている密着スタイルを本作で相対化しようとする。『ホース』と『デンジャー』のあいだには20年ちかくの短くない時間がながれ、そのあいだ、冒頭に述べたように映像の位相も変化した。ノンフィクションとフィクションを分かつ「ノン」は「ノー・ファン」における「ノー」ほど強い否定性を帯びず、虚構のヴァージョンを意味するにすぎない。ペドロ・コスタしかり、アピチャッポンでもジョシュア・オッペンハイマーでも森達也でも松江哲明でも、形式の定義が作品の立ち位置を左右する昨今において、ジャームッシュはあたかも雑誌を編集するように、シームレスにアーカイヴ映像をつないでいく。その手捌きは、ストゥージズがそうであったようにスピーディでユーモラス(というよりコミカルといったほうがこの場合ふさわしいだろうか)でエモーショナル。ときにクリスチャン・マークレーの『ザ・クロック』を彷彿するほどテクニカルで唯物的かつメタフォリカル(『パターソン』を想起されたし)でもあり、両者の比較検討もまたことのほか興味深いが、それはまた別の話である。(了)

Ben Frost - ele-king

 世界的な成功を収めた前作『A U R O R A』から3年。ついにベン・フロストのニュー・アルバム『ザ・センター・キャンノット・ホールド』がリリースされる。発売日は9月29日。この新作はなんとスティーヴ・アルビニとともにレコーディングした作品となっており、なんでも制作中のスタジオではスピーカーがぶっ飛んだそうで……いったいどんな内容に仕上がっているのやら。稀代のプロデューサーがさらなる高みへと挑んだ意欲作、注目である。

エレクトロ・ノイズの鬼才ベン・フロスト、スティーヴ・アルビニとの
レコーディングによるニュー・アルバム(9/29)より新曲「lonia」を公開!

前作『A U R O R A』での大成功の後に発表されたこの曲(「スレッショルド・オヴ・フェイス」)は、前作を踏襲したものではない。それはまるで雪に反射した太陽の光で視界がきかない、そんな境地で制作されたようなサウンドだ。 ― Pitchfork

世界的な大成功を収めた前作『A U R O R A』(2014年)から3年、エレクトロ・ノイズの鬼才ベン・フロストは、スティーヴ・アルビニとのレコーディングで生み出されたニュー・アルバム『ザ・センター・キャンノット・ホールド』を9月29日にリリースする。ニュー・アルバムは、シカゴにあるスティーヴ・アルビニのスタジオで約10日間に渡ってレコーディングされ、その制作期間中にスタジオ空間で鳴らされたサウンドは、時に制御不可能になり、ベン・フロストとスティーヴ・アルビニに対し熱く激しく張り合うかの如く火花を散らしたのだった。ニュー・アルバムはそのスタジオで起こったドキュメントである。

プリズムから放たれるスペクトル、その虹色の中の鮮やかな群青色をサウンド化したというニュー・アルバム、アートワークやミュージック・ビデオなどヴィジュアル全般がこの鮮やかな群青色で統一されている。

■アルバム制作概要
2016年夏、ベン・フロストはシカゴに降り立った。それはあのスティーヴ・アルビニとの共同作業に入るためであった。約2週間を超える期間に制作された、今まさに崩壊しそうなくらい膨大に膨らんだ音の塊を、ガランとしたスタジオの中に並べられたアンプ群に流し込んだ途端、スピーカーの方がぶっ飛んだのだった。またスタジオのガラスの向こう側では、アルビニがスタジオで演奏された音源を縦横無尽にぶった切っていった。

轟音と静寂のシューゲイズ/エレクトロ・サウンドの決定打となった前作『A U R O R A』(2014年)は、『ピッチフォーク』で「ベスト・ニュー・ミュージック」を獲得するなど世界的な成功を収め、またブライアン・イーノ、ティム・ヘッカー、ビョークなどとのコラボレーション、映画音楽制作など多岐にわたる活動を続けてきたベン・フロスト。その飽くなき挑戦を続けてきた彼が新たに踏み込んでいった先は、シカゴでのスティーヴ・アルビニとの共同レコーディングだった。

■商品概要

アーティスト:ベン・フロスト (Ben Frost)
タイトル:ザ・センター・キャンノット・ホールド (The Centre Cannot Hold)
発売日:2017年9月29日(金)
品番:TRCP-217
JAN:4571260587144
ボーナス・トラック収録
解説:三田 格

[Tracklist]
1. Threshold of Faith
2. A Sharp Blow In Passing
3. Trauma Theory
4. A Single Hellfire Missile Costs $100,000
5. Eurydice’s Heel
6. Meg Ryan Eyez
7. Ionia
8. Healthcare
9. All That You Love Will Be Eviscerated
10. Entropy In Blue
11. Meg Ryan Eyez (Albini Suspension Mix) *ボーナス・トラック

[amazon] https://amzn.asia/7pXtgi6
[iTunes/ Apple Music] https://apple.co/2wygh41
[Spotify] https://spoti.fi/2hB7QSX

■プロフィール
1980年、豪州メルボルン生まれ。2005年、アイスランドのレイキャビックに移住。 Bedroom Community 創設者ヴァルゲイル・シグルズソンなどとともに音楽活動をおこなう。2003年、デビュー・アルバム『Steel Wound』リリース。2010年、ブライアン・イーノからの依頼により、映画『惑星ソラリス』にインスパイアされた作品を制作。また、スワンズの『The Seer』や、アンビエント、ドローン・ミュージック界の重鎮ティム・ヘッカー、ビョークの「Desire Constellation」のリミックス、映画のスコア作品も多く手掛けるなど活動は多岐に渡る。前作『A U R O R A』(2014年)は、『ピッチフォーク』で「ベスト・ニュー・ミュージック」を獲得するなど世界的な成功を収め、同年来日公演を東京と大阪にて実施。2016年夏、新作の制作をスティーヴ・アルビニとともにおこない、2017年にその作品群からの最初の作品「スレッショルド・オヴ・フェイス」(EP)を7/28にデジタル配信にて、ニュー・アルバム『ザ・センター・キャンノット・ホールド』を9/29にリリース。

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