「KING」と一致するもの

interview with Future Brown - ele-king


Future Brown
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 アンダーグラウンド・スーパーグループ? ホントかよ? いかにもハイプな称号に思えるが、フューチャー・ブラウンはたしかにアンダーグラウンド・スーパーグループだ。欧米メディアはもちろんのこと、僕のまわりでも昨年末から「12インチ聴いた?」とか「アルバムどうだった?」とか、なにかと話題になっている。「アルバムよりシングルのほうが良かったんじゃない?」とか、「でも、よくよく聴いたら良かった」とか、FKAツイッグスのときに似ているかもしれない。
 メンバーは、ファティマ・アル・カディリ(クウェート出身で、昨年ハイパーダブからアルバム・デビュー)、ダニエル・ピニーダ&アスマ・マルーフ(LAを拠点とするイングズングスのふたり組。ナイト・スラッグス一派)、Jクッシュ(シカゴのジューク天才児、ラシャドの作品で知られる〈Lit City Trax〉主宰)の4人。ね、スーパーグループでしょ?

 いまアンダーグラウンドがどこにあるのか、それがレッドブルでないことは『vol.15』に書いたけれど、ひとつは確実にインターネット空間にある。ポルノのことではない。たとえば、我々は液晶画面の向こう側に見えるワールド・ミュージックを知っている。サイバーな探索旅行を通してアクセスするワールド・ミュージックだ。イラクの音楽も南アフリカのバカルディもアンゴラのクォドロも、もちろんプエルトリコのレゲトンだって、なんだって聴ける。エジプトのシャアビも、シカゴのドリルも、なんだって。
 フューチャー・ブラウンは、まさにそんな時代を反映している。世界中のビートに影響を受けて、世界中にアクセスしている……といったら大袈裟だが、イメージとしてはそうなる。ディアスポラ音楽、ハイブリッドという言葉は、従来は、USの黒人音楽ないしはラテン音楽における文化的衝突に象徴されるものだったが、フューチャー・ブラウンを聴いていると、インターネット時代における「ワールド」を意味するものへと変わりゆくんじゃないかと思えてくる。
 もちろん、なんでもかんでもあるわけじゃないけど。フューチャー・ブラウンの基盤にあるのは、おそらく……UKのグライムとシカゴのジュークだろう。
 以下、4人揃ってのインタヴュー。

 F=ファティマ
 J=ジェイミー (J-クッシュ)
 D=ダニエル
 A=アスマ

 4人とも、自分の言いたいことを言ってくれたおかげで面白い取材になった。ちなみに、UKでは2014年はグライムの「セカンド・カミング」と言われたほど、ディジー・ラスカルのデビュー以来の、グライム熱が高まった1年だった。インターネット時代のグライム、ディアポラ音楽としてのグライム、ハイブリッド・ミュージックとしてのグライムを代表するのが、この若さとエネルギーに満ち満ちた4人組なのである。

外交上、丁寧な物の言い方をしましょう。文章でも何でも、積極的に誰かをディスすることはしたくないわ。私たちはディプロのことは好きじゃない。それだけ。

このプロジェクトは、世界中のアンダーグラウンド・シーン/ローカルなダンス・ミュージックにコネクトしながら、ハイブリッドな音楽を創出するものだと思います。メンバー4人もNY、シカゴ、LA、レーベルはロンドンとそれぞれ距離的に離れていてながら、ひとつにまとまっている点も現代的だと思います。そもそも、このコンセプトはどのように生まれたのですか? 

F:メンバー同士が、一緒に音楽を作っていたけれど、グループとしてではなかった。つまり、ダニエルはアスマと音楽を作っていたし、私はジェイミーと音楽を作っていたし、私はアスマとも音楽を作っていた。そんな状況で仕事をするのはまったく効率的じゃないと思ってグループで仕事をすることにした。

レーベルの資料によれば「グライムの進化型」をファティマさんが描いたことが発端となったそうですが、我々としては、そうだとしたら、なぜ「グライム」という言葉を使ったのか、気になりました。

F:それは本当じゃない! 悪いけど、嘘だわ。全然本当じゃない(爆笑)! ワオ、誰がそんなこと言ったの!? クレイジーだわ。

J:グライムの進化型??

F:そんな表現は聞いたこともないわ!

J:ひととつだけ言いたい、それは……

F:幻想よ。

J:矛盾してるときって何て言うんだっけ?

F:知らない。

通訳:Oxymoron(=矛盾表現)でしょうか?

J:そう! 「グライムの進化型」って表現はoxymoron(矛盾表現)だ! グライムとは、その当時、盛んだった音楽だ。そのシーンを経験した奴じゃなければグライムは作れない。それを、よりスマートなグライムとか、グライムの進化型と表現するのは屈辱に近い。だって、歴史的実例をひっくり返して、進化型と称してるんだぜ。過去のレイアウトを使ってるくせに進化型と呼ぶのは、どうかと思う。

F:「グライムの進化型」という考えを描いたことは一度もないわ。今後もそういうことはないと思う(笑)。

J:グライムが自由な音楽だということを前提で、そういう表現を使ったなら少しは理解できる。俺たちも自由な音楽を作っているから。

A:なんて訊かれたの?

J:フューチャー・ブラウンは、ファティマが「グライムの進化型」を描いたことが発端か?

F:(笑)とにかく、それは全くの嘘よ。

いちばん最初にサウンドクラウドに“Wanna Party”を公開したのが2013年ですよね? それから2年後のアルバムとなったわけですが、プロジェクトのコンセプトや脚本は、最初からある程度決まっていたのですか?

F:ええ。“Wanna Party”をネット上で公開したときから、アルバムに収録された曲のインスト版がすでに出来上がっていたの。

J:あの時点で、ヴォーカルに関しては半分くらいが出来上がってたよな。

A:グループとして何がやりたいのかというのはわかっていたわ。

J:このプロジェクトをはじめた当初から、ヴォーカリストのためにビートを作りたいと思ってた。

そもそもこの4人はどうやって知り合ったのですか?

J:音楽活動を通じてだよ。ニューヨークで。

D:ああ。

J:シェインとヴィーナスが、ゲットーゴシックというパーティを毎週やっていて、そのパーティでプレイするために、イングズングズが隔月でNYに来ていた。俺もけっこう頻繁に、そのパーティでプレイしていた。そこで俺たちは、音楽の趣味が似ているなとお互い感じた。ファティマもこのパーティによく来ていたから、みんなでよく一緒にいた。そこで意気投合したんだ。でもアスマとファティマはそれ以前から知り合いだったのかな? よく知らないけど。

今回のプロジェクトが生まれる上で、もっとも重要だった4人の共通項って何だったのでしょうか?

A:音楽を愛していること。

F:私たちの音楽の趣味というのはかなり同系だと言えるわ。それがもっとも重要な事だったと思う。同じような音楽が好きだとコラボレーションも容易にできる。それに、お互いが、各自の安心領域から、出なきゃいけなくなるような流れになるの。他の人と一緒に仕事をすると、自分の安心領域から出ざるを得なくなるから、とても良いチャレンジになっているわ。

J:自分がいままでやったことのないことをやるようにと、追い込んでくれるのは、このメンバーが一番ハードにやってくれる。あと、新しいことを学んだりするのも、こいつらと一緒のときが多い。誰かがクールなことをして、それがインスピレーションになり、自分もそれに影響されて何かをやってみたくなるんだ。俺たちが一緒に音楽を作るときは、すごく楽しいエネルギーが充満してるよ。

ファッション・ブランドの「HBA(フッド・バイ・エア)」があなたがたをバックアップしたそうですが、どんなブランドなのですか?

F:フッド・バイ・エアのデザイナー、シェイン・オリバーとは長年の友だちだった。彼がフッド・バイ・エアを立ち上げる前からよ。だから、昔からの友だちがある日突然、有名デザイナーになったという感じ。私たちはお互いの作品のファンでもあるわ。

J: ファティマは、シェインと6年くらい仕事をしてたんだよな? フッド・バイ・エアの音楽を何シーズンもやっていたよな? それから……

F:そんなに何シーズンもやっていないけど。フッド・バイ・エアの音楽を頼まれたことは何度かあった。それから、私とシェインは2008年に音楽プロジェクトを一緒にやった。だから長い間、一緒に仕事をしていることになるわね。でも、それより大事なのは、私たちがそれ以前から友だちだったということよ。

それでは、アルカもそのブランドと繋がっているそうですね。

J:アルカは俺たちの友だちだよ。

F:そう、彼も友だちなの。フッド・バイ・エアは友だちとしか仕事をしないブランドなの。ファミリー志向が強いブランドよ。フッド・バイ・エアが仕事相手に選ぶ人やサポートする人というのは、フッド・バイ・エアと長い間、友だちだった人、親しい間柄の人だということ。

アルカも、自分のバックボーンにはチャンガトゥキ(Changa Tuki)という地元ヴェネズエラの音楽を持ちながら、インターネット時代らしく、国境を越えていろいろな文化にアクセスし、ハイブリッドな音楽を作っていますよね。そういう姿勢には、やはり、共感するところはありますか?

J:俺たちはコンセプトを思い付いて音楽を作っているわけではない。俺たちの曲は、コンセプチュアルな作品ではないんだ。

F:でも、訊きたいのは、インスピレーションについてよね? アルカは地元の音楽にインスピレーションを得て音楽を作っているけど、私たちはどうか、ということよね? 私の場合、クウェートの民族音楽にインスピレーションを得てフューチャー・ブラウンの音楽制作に影響を与えているか? ということよね。アスマの場合、インドの民族音楽にインスピレーションを得てフューチャー・ブラウンの制作に影響しているか? ということ。

D:俺は、インドの民族音楽に、すごいインスピレーションを受けてるよ!

A:私もインドの音楽からインスパイアされているわ!

F:でも、それがフューチャー・ブラウンの制作に影響している?

A:直に繋がっているわけではないけれど……

J:意識している部分はあるということか。

A:むしろ、無意識に、影響として表れてくるんだと思う。自分の耳にどう聴こえるか、というような影響。私がインド人だからこそ、ある種の音に魅力される影響とか。そんな感じのこと。

F:直接的な影響と間接的な影響があると思う。ひとりが回答するインタヴューなら、まとまった答えができるけど、私たちは4人だから、回答も難しくなってしまうわ。

A:でも、私たちはみんな……

F:私たちはみんな、様々な音楽にインスピレーションを受けている。それがたとえ地元でも地元じゃなくても。

A:その通り! たとえば、私たちは、イラクの曲の構成にインスピレーションを受けたりする。別に私たちがその場所の出身でなくてもインスピレーションを受けるわ。だって、私はレゲトンやダンスホールにも強いインスピレーションを受けるもの。

J:俺たちの出身がどこかというのはとくに関係ないと思う。むしろ、何を経験して聴いてきたかということや、どんな響きに愛着を感じるかということの方が大きい。そういうものが影響して、俺たちが作ったものが出来上がった。

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例えば、私たちは、イラクの曲の構成にインスピレーションを受けたりする。別に私たちがその場所の出身でなくてもインスピレーションを受けるわ。だって、私はレゲトンやダンスホールにも強いインスピレーションを受けるもの。


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みなさん、ふだんはネットでやり取りしていると思うのですが、4人揃うことって、やはり大変ですか? 

J:そんなに大変じゃないよ。

A:計画は必要ね。

F:そう、前もって計画するだけよ。

フィーチャリングされているラッパーやシンガーもいろんな人がいますが、レコーディングはスタジオでおこなわれたそうですね。そこはこだわったんですか? よくあるデータ交換ではなく、あくまでもリアルな現場を共有しながら作るんだということに。

J:それは、実際のところ、全てがその過程でおこなわれたわけではなかった。スタジオでレコーディングをやったのは50%ほどで、残りの50%は俺たちがいないスタジオでレコーディングされ、ファイルが送られてきた。

A:でもたしかに、スタジオに入ってリアルな現場で音楽を作るというのは私たちにとって大事なことだわ。可能な限りそうしたいと思っている。

F:毎回、可能というわけではないから。

A:そうなの。

J:距離的、金銭的な限界がある。

実際は、どんな風に作品が生まれていったのでしょう? 4人で話ながら作っていくんですか?

F:スタジオに入って(笑)、ワニを呼んで、象の鼻を引っ張って(爆笑)、フレンチブルドッグのお腹をさすって……まあ、とにかく……創造する過程は個人的なものだから、それを説明すると、その魔法が解けてしまう気がするの。

J:みんなでスタジオに入る。みんな、一緒に仕事ができることにワクワクしている。誰かがアイデアを出して作業が始まり、そこから作り上げていく。

A:曲の作り方はそれぞれ違うわ。決まった作曲方法があるわけではないの。アルバムの曲を聴けば、それが分かると思う。

〈ワープ〉と契約したいきさつについて教えて下さい。

J:〈ワープ〉が俺たちの音楽を聴いて気に入ってくれた。そこで契約について話し合い、契約がまとまっただけだ。音楽面では、自分たちがコントロールできるような状況を与えてくれた。〈ワープ〉は、俺たちにとって一番フィットするレーベルだった。

D:俺たちがどんな音楽を作るか、ということに関して〈ワープ〉は、とくに指示を出さなかった。だから自由にできた。

フューチャー・ブラウンのような音楽は、アメリカよりも欧州のほうがウケが良いですか?

D:それはマジでわからないな。まだアルバムを出してないから。

F:そうよ、まだアルバムはリリースされてないのよ。

J:正直言って、俺は、メディアが書いているものをあまり読んでない。

通訳:では、ライヴの反応はいかがでしょうか? アメリカでライブはやりましたよね?

D:えーと、ああ。やったことあるね。

F:ええ。

J:アメリカでライヴってやったっけ?

D:PAMM(マイアミ美術館)とかPS1とか。

J:それはパフォーマンスだろ。

D:最高だったよな。だから、アメリカでの反応もすごく良かったよ!

F:いままでやったライヴでは、観客はみんなノリノリで楽しんでいたわ。でも、アメリカとヨーロッパで反応の違いというものは、とくに感じていない。

J:アメリカはひとつの国だけど、ヨーロッパは幾つもの国を指す。ヨーロッパの方が何カ国でもプレイする機会は多いわけだけど、それが果たして、ヨーロッパの方が受けが良いからなのかというのはわからない。

F:物事を一般的に捉えて答えるべきではないと思う。

J:アルバムには、いくつものサウンドが含まれている。アメリカにインスピレーションを受けた曲や、ヨーロッパにインスピレーションを受けた曲。他にもいろいろあるから、それをひと言でまとめるのはムリだ。

みなさんは、たとえば、エイフェックス・ツインやオウテカのような、〈ワープ〉の古株のアーティストの作品を聴きますか?

J:俺は聴いたことはあるよ。

F:私も。ティーネイジャーのときに聴いていたわ。

D:俺も昔、聴いていた。新作ももちろん聴いたよ。

プロジェクト名にある「ブラウン」は何を意味するのでしょうか? 

F:「フューチャー・ブラウン」という名前全体が……

J:「ブラウン」単体の意味というのは無い。

F:そう、「ブラウン」には何の意味も無いわよ。

J:前もそんな話になったよな。ま、いいけど。

F:「フューチャー・ブラウン」とは、(DISマガジンの)ソロモン・チェイスが思い付いた言葉で、それは、自然界に存在しない茶色なの。

“Wanna Party”や1曲目の“Room 302”でフィーチャーされているティンクについてご紹介ください。かなりの評判のシンガーだそうですね。

J: 彼女と制作をはじめたのは……

F:2013年5月。

J: 本当に意欲のある人。彼女と話してみると、彼女がどれだけ音楽に情熱を持っているかということがすぐに分かる。彼女にデモをいくつか聴かせたら、彼女は4時間以内に2曲分の歌詞を書いた。そして、撮り直しなど一切せずにそれらの曲を完成させた。正直言って新鮮だったよ。あれほど完璧な体験は、そう頻繁に起こるもんじゃない。最高の仕事相手だったよ。

F:まさに神童ね。素晴らしい才能に恵まれている。

J: ヴォーカリストはみんな意欲的で、一生懸命、俺たちのビートに乗っかってきてくれたから、俺たちはヴォーカリストには恵まれていた。ヴォーカリストたちが、安心領域というか、身近な人たちのいる環境よりもアウェイな状況に挑んでいく様子を見るのはクールだった。

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私たちは、政治に無関心なわけではない。真空の住人ではないのよ(笑)。


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ロンドンのロール・ディープ・クルーのメンバーも参加していますね?

J:参加しているのは、ロール・ディープの元メンバーのローチー、それにラフ・スクワッドのラピッドとダーティ・デンジャー。俺たちはみんな、ロール・ディープとラフ・スクワッドのファンだったから。俺のロンドンの友だちが、ロール・ディープとラフ・スクワッドと仕事をしていて、長年グライムのシーンに関わっていた。その彼が、俺たちにラピッドを紹介してくれた。そこから連絡を取り合い、ダーティ・デンジャーとローチーにも曲に参加してもらおうということになった。そこでビートをいくつか彼らに送ったというわけさ。

最近は、ワイリーをきっかけに、ウェイトレス・グライムという、アンビエント・タッチのグライムが注目を集めてますが、好きですか?

J:それはグライムのファンが作った言葉で、その人なりのグライムの解釈の仕方なんだと思う。よくわからねえ。ある意味、冗長表現だと思う。ワイリーの、デビルミックス・グライム・ミュージック、つまりビートレスなグライム・ミュージックをリ・ブランディングしたというか……。それにグライムは、以前よりも自由でなくなっている。みんな、ワイリーのサウンドに似たようなものを作りたがる。グライムの本質は、自分特有の音を作ることなのに。だから、とにかくばかげてるよ。

F:グライムとは自由であることなのよ。プレデタが以前、こう言ったわ。「グライムを作るのにグライムをリブランディングする必要はない」と。グライムはグライムなのよ。

A:そうよ。

F:グライムの進化型でもないし、ウェイトレス・グライムでもない。ただのグライムってこと。

J:自分特有のことを表情豊かな音楽でやるということ。過去をやり直すとしたら、こうなります、って言ってるようなもんで訳が分からない。作品をウェイトレス・グライムと称している人達は、ワイリーにそれを聴かせるだろうか?多分しないだろう。なぜなら、それはワイリーの作品のリメイクに聴こえるからだ。コンセプチュアルの面にしてもそうだ。アイデアが……

A:でもときには、優れた作品だってあるわよ。

J:もちろん、良い曲はたくさんあると思う。

A:問題になってしまうのは、音楽を理解したいがために、新しい呼び名やジャンルを作ってしまうことだと思う。

F:元々あった呼び名で十分だったのにね。

J:それを、元のものより、優れているとか、進化しているとか、表現してしまうのが問題だ。

F:元のものより新しいとか。

A:そう、新しくてパワーアップした、みたいな。

J:ウェイトレス・グライムというのはワイリーのデビルミックスと同じコンセプトのもので、それは2002年、2003年から存在し、存在し続けているものだ。新しくも何ともない。ウェイトレス・グライムが新しくエキサイティングなものだというのは真実では無い。

F:リ・ブランディングね。

A:そうだわ。

J:マーケティングの良い訓練にはなると思うが。

メンバーの役割みたいなものはどうなっているのでしょうか? いまどちらに住んでいるんですか?

F:私はクエート出身で、いまはどこにも住んでいない。NYに住んでいたときもあったけど、いまは……

J:素晴らしい音楽を普及させるために世界を飛び回っているのさ。

F:プロデューサーとしての強みや弱みは、私たちそれぞれにあると思う。だけど、同時に、自分の安心領域から抜け出すために、あえて弱みに焦点を当てて、自分を成長させて行くこともできる。私たちは、強みを磨き、お互いを通して、弱みの部分を成長させて行っている。

J:役割に関して決まり事は作っていない。それを決めたら……

F:快適過ぎてしまうから。

J:自分を追い込んで、普段とは違ったことをした方が、エキサイティングなものができるかもしれないだろ。

ちなみにJクッシュさんのルーツはどこなんですか?

J:母はイラン人。父はリトアニア系のアメリカ人だ。

通訳育ったのはシカゴでしたっけ?

J:いや、シカゴに住んだことは一度もない。

通訳:そうでしたか、でもDJラシャドの作品でも知られる〈Lit City Trax〉を立ち上げたのはあなたですよね?

J:そう、俺が立ち上げた。シカゴのフットワーク・シーンが盛り上がっていたから、音楽をプッシュするために俺が出来る限りのことをやった。シカゴには何度も行ったことはあるけど住んだことはない。生まれたのはNY。そこに10年住んで、ロンドンに移住して10年住み、その後またNYへ戻ってきた。

ふだんもネットで世界中のビートを探しているんですか?

A:(笑)ええ。そういうときもあるわ。

F:DJ用にってこと?

J:たしかに俺たちはネットで音楽を見つけている。

F:でも、曲のビートは、スタジオに入って作るの。

J:アイデアとしてはじまるけど、そこから積み上げて曲を作っていくんだ。

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グライムの進化型でもないし、ウェイトレス・グライムでもない。ただのグライムってこと。


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これはDJクッシュさんにおたずねしますが、シカゴの新世代のゲットー・ラップ、メディアが「ドリル」と掻き立てているシーンとジュークとは実際に繋がりがあるのですか? 

J:いや、別物だ。ジュークはハウス・ミュージックがベースになっている。ドリルはラップから来ている。類似点はあるかもしれないが、別物と考えていい。

ドリルに対して、「シカゴ・バップ」は、よりダンサブルで、DJネイトなどジュークともより繋がりがあるのでしょうか?

J:バップ・シーンはジューク・シーンから直に発展したものだ。DJターボはバップの曲でよく名前が挙がる人だが、彼がバップ・シーンをけん引したひとりだ。他にもそういう人が何人かいるが、みんなフットワークのシーンから出てきた人たちだ。だからそこにはたしかな繋がりがある。

ドリルとバップ、シカゴのいまのヒップホップ・シーンがどうなっているのか教えて下さい。

J:この質問はみんなも答えてくれよ。シカゴのヒップホップ・シーンはみんな好きだし、アスマとダニエルは、以前何年もシカゴに住んでいたんだぜ。

D:俺たちがシカゴに住んでいた頃は、ドリルやバップはなかった。シカゴは音楽シーンが盛んで、才能のある人がたくさんいる。

A:とても独創性のある街よね。私とダニエルがシカゴにいた頃はドリルやバップはなかったけど、またたく間に大きなシーンが出来上がったもの。シカゴからは、素晴らしい才能の持ち主がたくさん現れてきている。今回のアルバムにも、意図的ではなく、シカゴのアーティストがたくさんフィーチャーされているわ。

J:シカゴでは面白いことがたくさん起こっている。シカゴに住む人の状況や環境などが、その人のパワーとなり、良い音楽を作らせている。シカゴから抜け出すためにね。シカゴから出たいという願望を持ったアーティストを俺は何人も知っている。治安の悪いシカゴから逃れたいと言う。シカゴの人は、ダンスに対してありがたみを感じているし、シカゴの音楽にはソウルが溢れている。俺たちはシカゴが大好きだ!

ドリルの、たとえばリル・ハーブなんかは、緊張感のあるニヒリスティックな作風を打ち出していますが、フューチャー・ブラウンは、もっとパーティに寄っているように思います。

F:私はその意見にとても賛成できない。私たちのアルバムを聴けばわかると思うわ。アルバム聴いた?

通訳:聴きましたよ。

F:あなたはいまの意見に賛成?

通訳:すべてがパーティというわけではないと思います。パーティ曲は1曲だけだったかと……。

F:私たちのアルバムは「パーティ」感が前提となっているわけではない。まったくそうではないわ。「パーティ」感は、いち要素として存在するけれども、アルバム全体のコンセプトではない。

では、みなさんはディプロをどう思いますか? 彼は早い時期からボルチモア・ブレイクやバイレ・ファンキなど、グローバル・ビートを取り入れて自分なりに編集した人です。影響を受けているのでしょうか?

J:奴のグラミー賞を取り下げるべきだ。

通訳:ディプロはグラミー賞に値しないと……?

F:外交上、丁寧な物の言い方をしましょう。文章でも何でも、積極的に誰かをディスすることはしたくないわ。私たちはディプロのことは好きじゃない。それだけ。

J:彼は、アンダーグラウンド・ミュージックを商品化し、金銭面で大きな得をしただろう。だが、彼は、元々そういう音楽を作ってきた人たちのために、シーンが持続できるような未来を用意するまでに至らなかった。

昨年はアメリカで人種暴動がありましたし、シャルリ・エブド事件やISによる人質事件があったり、ウクライナ情勢とか、国際舞台では政治的な事件が続いています。関心はありますよね?

D:もちろんだよ。アメリカの出来事は、人種暴動というより、警察の暴力に対するデモと表現した方が的確だろう。

フューチャー・ブラウンの政治的関心をひとつ挙げるとしたら?

F:警察の残忍性について。

D:こういうことは、みんな各自で興味を持つべきだと思う。グローバルな問題だから、世界の人すべてが関心を持つべきだと思う。

F:私たちは、政治に無関心なわけではない。真空の住人ではないのよ(笑)。

J:だが、フューチャー・ブラウンに、ひとつの政治的アジェンダや動機があって、それを人々に伝えたいというわけでもない。個人において、それぞれ強い政治的信念や意見があるということだ。

もし誰かにリミックスを依頼するとしたら、誰がいいでしょう?

J:ディジー

D:トータル・フリーダム

F:トータル・フリーダム

J: トータル・フリーダム、ディジー・ラスカル……

A: トータル・フリーダムでいいんじゃない?

最後に、みなさんが注目しているシーン、もしくはいま面白いと思っているビート/リズムについて話してもらえますか?

F:たくさんあるわ。たくさんありすぎて……。アルバムを聴いてちょうだい。そしたら私たちが聴いている音楽のバイブスがわかるわよ。たくさんあるから。

A:そうね。

F:クドゥーロもみんな好き。

J:クラブ、ラップ……

F:ラップ……

D:クラブ、バップ、ドリル……

A: まだまだあるけどいくつか挙げるとこんな感じ。

愛国と狂気を見つめる - ele-king

アメリカン・スナイパー
監督 / クリント・イーストウッド
出演 / ブラッドリー・クーパー、シエナ・ミラー 他
配給 / ワーナー・ブラザース映画
2014年 アメリカ
©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC
2月21日(土)より、全国公開。

 『アメリカン・スナイパー』劇中、ある海兵の葬儀の場面では弔砲が鳴らされ、トランペットの高らかで悲壮な演奏が響く……日本に住んでいる僕たちでも、この儀式は知っている。なぜならば、何度もその場面をアメリカ映画のなかで目撃してきたからだ。そう、何度も何度も……そこで広がっていくアメリカ映画的としか言いようのない叙情。だけど僕たちは、どうして繰り返し兵隊たちの死を見届けているのだろう?

 イラク戦争で160人を射殺したクリス・カイルを取り上げ、予想を遥かに上回る大ヒットとなっているイーストウッドの新作は、「殺戮者を英雄視する、コンサバティヴな映画」との批判も受けつつ、まさにいまもっともコントラバーシャルな一本としてアメリカを揺らしている。立場的には共和党支持者である(実際は中道に近いとも言われるが)イーストウッドへの色眼鏡もあるのだろう、とくにリベラルを自認するメディアからは疑問の声も多い。オバマ政権の行き詰まりに際して、ブッシュ政権時の「英雄」を浮上させる試みなのではないか、と。
 しかし、たとえばキャスリン・ビグロー『ハート・ロッカー』(2008)を「戦意昂揚映画だ」とするひとがいたときも、自分にはどうも、そんなふうには思えなかった。戦時下のイラクの張り詰める死の匂いのなか、地雷処理という命懸けの作業に向かって行くジェレミー・レナーは大義もないままただ「処理」としての戦争に向かいつづけるアメリカの呪われた姿の化身にしか見えなかったのである。たしかにそこに立ち向かっていく兵士たちは勇壮にも見える。が、イラク戦争においてはそれがいったい何のための勇ましさか見えなくなっていたのは誰もが多かれ少なかれ気づいていたことで、だからそこには剥き出しの映画的反復のみが残っていたのだろう。『アメリカン・スナイパー』のブラッドリー・クーパーも自宅とイラクの戦場を往復するなかで壊れていくが、それでも戦地で遥か彼方の敵に銃を向ける。そうしないと生きる理由を見失う、とでも言うかのように。
 だからこれはイーストウッドが繰り返し描いてきた、トラウマを抱えた男の物語であるだろう。そしてその傷痕は、紛れもなくアメリカの歪みが生んだものである。『ミスティック・リバー』(2003)の頃には「良心的な」アメリカのリベラルたちは「この国にいるのが恥ずかしい」と言っていた。だが、ラストで償いようのない罪を背負うことになるショーン・ペンを思い返すとき、そこに横たわっていたのはイーストウッドからの「それを負え」という重々しい念のようなものだった……かつてひとを殺しまくっていたダーティハリーだけがあのとき、そのことを告げていたのだ。

 『世界にひとつのプレイブック』(2012)でも怒りをコントロールできなくなったブラッドリー・クーパーは、ここでは「レジェンド」と讃えられるいっぽうで精神に混乱をきたし、父であることも剥奪されている。強い父になることがアメリカのかつての理想だったとして、太平洋戦争における『父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers)』(2006)、すなわち「父たちのアメリカ」と、イラク戦争における「アメリカの狙撃手」であることには大きな隔たりがあるようなのだ。彼を所有するのはあくまで国家であり、個人であることは後回しにされている。イーストウッドはこれまでも――とくに21世紀の作品において――二分される政治的立場を超える倫理的葛藤を問いつづけてきたが、舞台がイラクであることで、フィルム自体が混乱しているようにも見える。クリス・カイルは英雄か被害者か? ではなく、同時にそのどちらでもあることが起こってしまっている。
 映画ではクリス・カイルが志願したきっかけはテロのニュースを見たからだとされているが、そこで「国のために」と迷いなく宣言する姿を理解することが僕にはできない。しかし理屈ではない何か強烈にエモーショナルな迸りがそこにはあり、だとすれば、それは「政治的立場」なんてものよりも遥かに恐ろしいもののように思える。愛国という狂気の下で、クリス・カイルは英雄の自分と被害者の自分に引き裂かれていった。ただそのことが痛切だ。

フォックスキャッチャー
監督 / ベネット・ミラー
出演 / スティーヴ・カレル、チャニング・テイタム、マーク・ラファロ 他
配給 / ロングライド
2014年 アメリカ
© MMXIV FAIR HILL LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
2月14日(土)より、全国公開。

 ベネット・ミラー『フォックスキャッチャー』もそのような愛国の下で熟成される狂気を見つめる一本である。映画は財閥の御曹司がレスリングの金メダリストを殺害するまでを張り詰めた空気で映し出すが、スティーヴ・カレル演じる御曹司ジョン・デュポンは経済力によってチャニング・テイタム扮するレスリング選手の疑似的な父親になろうと試みているように見えなくもない。が、それはけっして達成されないまま、関与した人間たちの運命をひたすら狂わせていくことになる。
 それはデュポン自身の内面の問題であったからなのか、母親との確執のせいだったか映画では明示されないが、しかし「強いアメリカ」を標榜する彼の目は宙を泳いでいるようだ。それが「ありもしないもの」だったことが証明されたのがこの四半世紀ないしは半世紀だったとして(映画の舞台は30年前)……しかし彼らはなおも、諦められないのだろうか? 映画はそして、「USA!」の大歓声で幕を閉じる。

 愛国心にまつわる問題をアメリカ映画や、あるいはスプリングスティーンの作品などに見出してきたとき、ヘヴィなものだと認識はしつつもそれでも「よそのこと」だと感じていたのだと僕はいま認めざるを得ない。なぜなら、ここに来て日本に住む人間にとってもそれが急激に生々しいものとして立ち上がってきているからだ。「強い国家」「美しい国」が幻であると、うすうすそのことに気づいていたとしても、熱狂は止められないのだろうか? だとすれば、それはいったいどこに向かっているのだろうか?

 『アメリカン・スナイパー』のエンド・クレジット、そこで流れる映像にはただうなだれるしかなかった。それはたぶん、これからもその場面を繰り返し見なければならないという予感が的中しているからだろう。

『アメリカン・スナイパー』予告編

『フォックスキャッチャー』予告編

 さて、ブレイディみかこ氏による本作レヴューはご覧いただいているだろうか。いよいよこの週末から公開となる『ニック・ケイヴ/20,000デイズ・オン・アース』、ele-kingではご招待枠をいただいたので、観覧を決めかねていたかたへチケットをプレゼントいたします!

・2月8日(日)24:00を締切としてご応募下さった方から抽選で3組6名様に、2月10日(火)着で手配させていただきます
・チケットは新宿シネマカリテさんのみで有効です
・下記要綱にしたがってご応募ください

■ご応募方法
・件名を「ニック・ケイヴ チケットプレゼント応募」として、info@ele-king.netまでご応募ください(Eメールのみの受付となります)
・本文には「郵便番号/ご住所/お名前(代表者)/枚数」をお書きください
・当選された方には2月9日(月)中にチケットの発送と、「発送済み」のご連絡を差し上げます

※ご応募メールは抽選後破棄させていただき、個人情報につきましても本件以外の目的に使用させていただくことはございません。


映画情報:https://nickcave-movie.com/
新宿シネマカリテ:https://qualite.musashino-k.jp/
※本チケットプレゼントについてのお問い合わせは劇場では受付できません

Sam Lee & Friends - ele-king

 とくに21世紀に入ってからずいぶんたくさんの移民や難民を描いた映画を観ることになったが、紙版『ele-king vol.14』で三田さんと対談したときに気づいたのは自分のなかでエルマンノ・オルミの『楽園からの旅人』(2011)が尾を引いているということだった。映画ではイタリアのある街で取り壊されかかっている教会にアフリカ移民たちが逃げ込んで来る数日間が描かれていたが、すなわちその後日談はわからない。オルミは、未来も見えないまま流浪する運命にいる人びとがいまも現に存在するという当たり前の事実を提示した上で、その教会で繰り広げられる対話のなかでいくつかの宗教の対立と和解の可能性を示唆してみせていた。それは現在世界で起こっていることを考えると、より重くのしかかってくるようである……。

 「このナポレオンを巡るバラッドにおける、“イングランドとスコットランドの団結”と“ロシアでの戦争”というテーマは、今起きていることを予言していたかのようで、僕に強く訴えかけた。まるで歌ってくれと言わんばかりに。(中略)ここでは、英国のフォークソングと東欧の朗詠唱法が合流する接点を探索し、ロシアにある僕のルーツ、そして、時代と場所の感覚のタイムレスな対話を掘り下げている。」

 というのは、サム・リーのセカンド・アルバムとなる『ザ・フェイド・イン・タイム』収録曲“ボニー・バンチ・オブ・ローゼズ”に寄せられたリー本人の解説だが、それを読みながら、そして本作を聴きながら僕は『楽園からの旅人』の移民たちの顔を思い出していた。いや、サム・リーがあくまで英国トラヴェラーズの伝承歌のコレクターであることは承知しているし、イタリアの巨匠とは背景も立場もまったく異なるのだが、しかしさまよう人びとのなかに文学性や物語性を見出していることに共通のものを覚えたのである。
 そして、サム・リーの場合ここで本人が言うように「歌ってくれ」との啓示めいたものを感じている。彼は伝承歌がどうして「いま」歌わなければならないのか、ということに対して非常に雄弁だ。各曲の解説を惜しまず、また、その歌が「誰」から教えられたものか(すなわちルーツがどこにあるのか)を明示する姿勢は、リーの優れた研究者としての側面をよく示している。

 しかしながら、サム・リーは編集者として適材適所にひとを配置していくのではなく、あくまでも自分を歌の中心に置こうとする。いわば伝承歌にこめられた物語を自分に憑依させることでもう一度語り直そうとしているのだ。それは絶大な評価を受けたデビュー作『グラウンド・オブ・イッツ・オウン』から貫かれた態度だが、この2作めでは音響面において現代性を高めることに腐心しているように聞こえる。オープニング、“ブライン家のジョニー”がいきなりハイライトで、ミニマルに叩かれるパーカッションのリピートとそこで左右から飛んでくるシャープなブラスとエレクトロニクスの応酬は、実験的なエレクトロニカを聴く体験とそう遠くないものである。あるいは、“ボニー・バンチ・オブ・ローゼズ”における時空を歪ませるようなサンプリング使いと、妖艶に響く弦楽器と丸く響く打楽器のサイケデリア。かと思えば“グレゴリー卿”や“ウィリーO”では地鳴りのような弦の低音が鳴り響き、いっぽうで“愛しのモリー”ではホーリーなゴスペルが降り注ぐ。ルーツ音楽のモダナイズというとこの10年のトレンドとして繰り返されたフレーズだが、本作においてはその洗練の度合いがずば抜けている。ブライアン・イーノ界隈の人脈であるレオ・エイブラハムが関わっていることも大きいのだろう、たんに伝承を発掘するという「崇高さ」にあぐらをかかず、現在に通用する録音物に仕上げようという気迫が感じられるのである。
 そしてまた、若き日のマチュー・アマルリックのような青年の面影が抜けないサム・リーのジャケット写真からは想像もつかないほどの、彼の深い歌声が聴ける。曖昧な音階をしかし自在に行き来する“フェニックス島”での歌唱など、老ジプシー・シンガーによるものだと言われても信じてしまいそうだ。クロージングとなる“苔むした家”は陶酔的なほど美しくシンプルなピアノ・バラッドで、彼は確実にこの歌が生まれたというアイルランドの風景を見ている。研究だけでは飽き足らず、その歌が立ち上げる感情や肌触りを再現することへの情熱を惜しまないシンガーだ。

 そうだ、このアルバムに横溢するのは情熱である。サム・リーは現在、ブリテン諸島のものに限らずヨーロッパ大陸のジプシー音楽の収集にも取り組みはじめているという。だから場所を特定しない流浪者に想いを馳せるような音楽になっているのだろうし、現代における社会からの逸脱者、その感情を浮かび上がらせているのだろう。かつてのアーティスト志望のミドルクラスの青年は、前作でトラヴェラーズの伝承歌にたどりつき定住したのではなく、まさにライフワーク=流浪のスタートラインに立ったのだ。サム・リーの音楽は見落とされた現実に目を向けさせるような聡明さとともに、魔力的なまでにサイケデリックな引力を持ち合わせている。『ザ・フェイド・イン・タイム』とは逆説的なタイトルで、記憶が時間とともに薄れゆくとしても、感情は歌とともに蘇るのである。
 だからこの文章は、サム・リー本人による“フェニックス島”に寄せられた解説のなかの、力強い言葉で終えたいと思う。

 「この曲は物語性を失ってしまってはいるが、僕はずっと、文化の耐久力と、その人が受け継いだ文化的生得権として、支配的な社会の窮屈な生き方に束縛されずに独立した生活を送る権利を主張するというテーマゆえに、今まで生き延びたのだと信じてきた。それはジプシーとトラヴェラーたちが常時直面している試練であり、この問題について歌い、支持の意を表明することには価値がある。」

(引用は国内盤に寄せられたサム・リー本人の解説による)

Dub Syndicate - ele-king

 2014年はレゲエ・ファンにとって悲しみの1年だった。ホープトン・ルイス(歌手)、ジョン・ホルト(歌手)、フィリップ・スマート(ダブ・エンジニア/プロデューサー)、ウェイン・スミス(歌手)、バニー・ラグス(サード・ワールド)が死んで、スタイル・スコット(ドラマー)は10月に殺害された。58才だった。
 ジャマイカのスコットは、彼を巻き込んだ残忍な事件の前に、ダブ・シンジケートとして11年ぶりとなるオリジナル・アルバムの録音を終えていた。アルバムには、リー“スクラッチ”ペリー、U-ロイ、バニー・ウェラーといったレゲエの巨匠たちが参加した。ミキシングは、いままでのようにロンドンのエイドリアン・シャーウッドが担当した。こうして、2015年1月、ジャマイカの名ドラマーのひとり、スタイル・スコットの遺作はドイツのレーベルからリリースされた。

 スコットの死は、音楽のシーンにとって大きな喪失に違いないが、しかし彼の遺作は、そうした感傷をさっ引いたところにおいて、思いも寄らぬ悦びをもたらす傑作である。なんてことはない、相変わらぬレゲエ/ダブだ。が、「あれ、こんなに良かったっけ?」と、嬉しい驚きがあった。いちど聴いて、そしてもういちど聴いて、家にいるときに何度も繰り返し聴いている。ホント、気持ちが晴れ晴れとする。

 スタイル・スコットは、1970年代後半、クリエイション・レベルやルーツ・ラディックスといったバンドのドラマーとして頭角を表している。前者はルーツ・レゲエ・バンド、後者はダンスホール・スタイルへの橋渡し的なバンドだった。また、クリエイション・レベルがエイドリアン・シャーウッドと巡り会ったことで、スコットはザ・スリッツや〈ON-U〉レーベルと関わりを持つようになった。シャーウッドとスコットのふたりのパートナーシップは、1980年代の〈ON-U〉の音楽の骨格となった。ダブ・シンジケートもそのなかで生まれている。
 そんなわけで、スコットは、かたや〈Greensleeves〉で、かたや〈ON-U〉で、あるいはその他さまざまなレーベルの作品でドラムを叩いている。レゲエ・ファンであれ、パンクであれ、1970年代後半から1980年代前にかけてのスコットのドラミングを聴いてない者はいないだろう。

 ダブ・シンジケートの作品は、バンドがジャマイカで録音した素材を、ロンドンでシャーウッドがミックスしたものである。クリエイション・レベルの名作『スターシップ・アフリカ』(1980年)を聴けばわかるように、シャーウッドのダブ・ミキシングは、よりテクノロジカルなアプローチを具現化している。とくに初期は極端な電気処理を多用した。自家製のミキサーを使ったキング・タビーともポンコツを再利用したリー・ペリーとも違って、UKにはまともな機材があった。そうした環境面もこのプロジェクトの個性に結びついている。
 テクノ・ファンに〈ON-U〉好きが多いのは、エレクトロニックであることもさることながら、スコットが創出するリディムのミニマリズムが魅力的なグルーヴを有しているからだろう。オリジナル・アルバムとしては11年ぶりに録音された『ハード・フード』でも、彼のリディムは冴えに冴えている……いや、それどころではない。ひょっとしたら本作は、ダブ・シンジケートの数ある作品のなかでもベストなんじゃないかと思ってしまうほどの輝きがある。

 シャーウッドが情報量を削ぎ落としたストイックなミキシングに徹しているのが良い。ダブ・シンジケートのトレードマークである派手な電子効果音は、極力抑えられている。ときおり音響は揺らめくものの、基本的には心地良いリズムがたんたんと続いている。だだっ広い空間のなかを鼓動がこだまして、彼方で帚星が流れる。1曲目の、ほとんどドラム&ベースの展開を聴いたらファンは泣くかもしれないけれど、アルバムのなかに感傷的な要素はない。“Jah Wise”の透明な広がり、“Bless My Soul”の惚れ惚れとする美しさ、“Love Addis Ababa”の陶酔的な美しさ……などなど、「らしさ」は円熟の域に達している。好むと好まざるとに関わらず、人生は永遠にぶっ飛んではいられない。
 もっともスタイル・スコットその人の人生は、アルバムのタイトルが暗示するように「ハード(厳しい)」なものだったのだろう。しかし、僕がこの作品を推薦する理由は、この作品がハードだった彼の人生を反映しているからではない。むしろアルバムには、温かさ、優しさのようなものが滲み出ているからである。自分の内側から光が灯るように。

■5 classics of Dub Syndicate‎

The Dub Syndicate‎
The Pounding System (Ambience In Dub)

On-U Sound  1982

Dub Syndicate Featuring Bim Sherman & Akabu
Live At The T+C

On-U Sound  1993

Lee "Scratch" Perry & Dub Syndicate
Time Boom X De Devil Dead

On-U Sound  1987

Dub Syndicate
Stoned Immaculate

On-U Sound  1991

Dub Syndicate
Strike The Balance

On-U Sound  1989

interview with NRQ - ele-king

 インディ、ライヴハウス、なんでもいいけれども東京のシーンをみまわしたとき、ことベースにかぎれば、近年メキメキ頭角を現してきているのが服部将典であることに異論はあるまい。いや、べつにベースにかぎらなくともよいのであります。アコースティックと(NRQでは出番はないけれども)エレクトリックを弾きわけ、ピチカットにしろアルコ(弓)にせよ、ジャズを出自とするプレイヤーともちがう価値観を演奏に投影する服部の存在は、2010年代のロックなる分野を固定化したエンタメと歴史をひきうけたエクレクティシズムとに二分化するなら、まさに後者を体言するものではないか。『オールド・ゴースト・タウン』所収の“魚の午前”“余分な人”、『のーまんずらんど』の“合間のワルツ”に“春江”、このたびの『ワズ ヒア』の“ショーチャン”といった味わい深い楽曲の作曲者でもある服部将典と、牧野琢磨宅の2階でお話しした。

ギターにはソロがあるじゃないですか。その頃(ベースをはじめた高校生の頃)はそういうのがない、ひたすら同じ役割がつづく感じが居心地よかったんですね。


NRQ - ワズ ヒア
Pヴァイン

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服部さんは最初からベーシスト志望だったんですか?

服部:最初はエレクトーンで、それが小学生の頃。自発的に選んだ楽器はギターです。高校時代はイングヴェイ・マルムスティーンを聴いて早弾きの練習をしていました。

それは……意外ですね(笑)。

服部:そうですか?

ハードロックやへヴィメタルはだれしも通る道かもしれないですが。それってスキャロップ加工のストラトでハーモニックマイナー・スケールを弾きまくるみたいなのですよね?

服部:そうそう(苦笑)。あとはハロウィンとかクイーンとか。

総じていえるのは、メロディが強い音楽が好きだったということ?

服部:そうかもしれません。そのあとにパンテラの衝撃があって、メロディがないリズムだけの音楽を聴くようになったんです。

反動ですか? パンテラというと90年代なかばですね。

服部:高校生の頃だからそうです。そのときはまだベースを弾いていませんでした。弾きだしたのは高校3年ですから。バンド組むことになって、よくあるパターンですけど、ベーシストがいないから、やってといわれて、じゃあやろうかな、と。それでギターや鍵盤に戻ることなくいまにいたります。ギターにはソロがあるじゃないですか。その頃はそういうのがない、ひたすら同じ役割がつづく感じが居心地よかったんですね。

アコベをはじめたのは大学生になってから?

服部:大学4年ですね。

そんなに早いわけではないですよね。

服部:けっこう遅いと思います。

アコースティック・ベースはだれかに憧れてはじめたんですか?

服部:日本のハードコアにザ・ルーツというバンドがいて、最初はそのバンドに憧れてはじめたんですね。サイレント・アップライトでバチバチ、スラップするスタイルですね。

ジャズではないんですね。

服部:ぜんぜん。でも(アコースティック・ベースを)買うと、あいつ持ってんぞということで、そのころ軽音楽部に入っていたので、いろんなバンドで弾くようになったんですね。その軽音楽部にいた連中はいまも音楽活動をしていて、角田波健太はひとつ下でその代の人らがわりとしっかりオリジナルをつくってライヴハウスで活動していて、そのへんの人たちはいまでもいっしょにやったりしますね。

その頃は曲もつくってましたか?

服部:曲をつくるようになったのは東京に出てきてからです。たぶん最初につくったのは、僕は名古屋の芸大だったんですけど、その同窓生で映画をつくっている人に音楽をつけてほしいといわれたからなんです。その人とはそんなに親しくはなかったんですけど(笑)、仲介されてやることになった。曲なんかしっかりつくったことはなかったんですけど、まあやってみようかなって。曲といっても映画の音楽なので、断片的なフレーズというか雰囲気づくりみたいなものでしたけどね。

曲はベースでつくったんですか?

服部:ベースも使いつつ、家でタンバリンを重ねたり小物を寄せ集めたりしてつくりました。

最初が劇伴だったというのは考えようによっては象徴的ですね。

服部:そうかもしんないですね。

自我を解放するより、対象に寄り添う。

服部:それはずっとあるかもしれないですね。


(曲は)忘れた頃に、これはいいなくらいのものを引っ張ってくることが多いですね。そうやって自己対話をするというか時間のフィルターにかけないと怖いのかもしれない。僕は怖がりなんですよ。

NRQでは服部さんはアルバムごとに1~2曲提供されているじゃないですか? NRQに曲を書いているときも服部さんのなかにはNRQ像がしっかりあって、そのなかで曲をどうするかと考えるんですか?

服部:曲を僕は鼻歌でつくるんですよ。そこに適当にギターを重ねてみたり、でも元が鼻歌なので、それを歌っていたときは、だれとやるための音楽とは考えていないですよね。今回の“ショーチャン”はちょっと考えましたけどね。新曲が出そろったときに今回のアルバムはけっこうしっかりしているなと思って、バカみたいな曲をやりたいなと思って、その点は意識しました。

クレジットに「作曲」のほか「アレンジ=編曲」とあるのは、牧野くんによれば服部さんは総譜を書いてきた、ということでしたが。

服部:そうなんですかね(笑)?

自分のことじゃない(笑)。

服部:(笑)いままでは中尾さんや吉田くんに主メロ以外を譜面に書いてこう弾いて、とお願いするようなことはなかったので、試しにやってみたんです。それで「アレンジ」のクレジットがあると思うんですけど、「アレンジ」といっても全体像が頭のなかにあったというよりは後づけなんですよ。何回かライヴでやって、あくまでそれをふまえたものなんですね。それにギターについてはとくに指定もなかったんですよ。吉田くんも牧野くんもそういったやり方をすることがあるので、彼らの曲にも「アレンジ」とクレジットしてもいいと思うんですけどね。

曲はそれぞれ作曲者が主導権を持つということなんですね。

服部:いちおうそうなっています。それはミックスまでふくめてそうです。

私は服部さんの曲はアルバムのなかでいいアクセントになっていると思うんです。『のーまんずらんど』の三拍子の曲(“合間のワルツ”)や“春江”などはアルバムに多様性をもたせつつ、全体を〆ている。服部さんはそういう全体の流れというか、アルバムのなかでどういう曲がほしいかということを考えてつくるのかなと思っていました。

服部:後出しではあります。曲の断片はいろいろあるので、つくっている段階ではなにも考えていないんですが、どの断片を使おうか、NRQではこれがいいかなというのがだんだんわかってくるんですね。

断片のストックはいっぱいあるんですか?

服部:単に断片という意味ではいっぱいあります。それをパソコンにデータでとりこんだり、携帯に(鼻歌で)吹きこんだりしますね。ベースで弾いたのもあるんですけどね。それも楽器で弾いているだけで鼻歌みたいなものです。それらをたまに聴き返すんです。寝かせないと自分はダメなんですね。これできた、といってポンと出す自信はない。忘れた頃に、これはいいなくらいのものを引っ張ってくることが多いですね。そうやって自己対話をするというか時間のフィルターにかけないと怖いのかもしれない。僕は怖がりなんですよ。

人にどう捉えられるかということですか?

服部:それもありますし、自分の表現がどう評価されるかというのは不安ですよ。

服部さんはかなりいろんな方と共演されてきていますが、それでもそうなんですか?

服部:メチャメチャあります。ライヴ終わった後とか、毎回怖いですもん。

それだと音盤を出すには相当な決意が必要になる気がしますが。

服部:逆にそれがないのはバンドだからです。『オールド・ゴースト・タウン』はまだ個人が強い気がして、僕はいまだにあまり聴けないんです。自分の演奏に耳がいって、怖くて聴けない。『のーまんらずらんど』になるとそれが消えて、録音が終わってすぐにリスナーとして聴ける感じがあった。客観的に聴けるので、自分のなかでいいなという判断がついていて、どう評価されようが聴き手の問題でしかなくなるんです。

『ワズ ヒア』はどうでした?

服部:『のーまんずらんど』と同じでしたね。

今回は録音の関係で低音の出も強いですよね。各楽器が独立してベースも前に出てきた。あらためて、オーソドックスでありながらノートの選び方やフレーズのつくり方に服部さんならではのものがあると思いました。

服部:僕もそれなりに上手くなっているんじゃないかなと思うこともあるんですけど、ふとむかしの録音を聴くと想像より下手じゃないと思うこともあるんです(笑)。となるとあまり成長していないんじゃないかといううれしいのか悲しいのかわからなくなることもあるんですよ(笑)。

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僕は普通になるように勉強しているところもあるんです。普通になるというか、いちばん安定するところにベースの音を置きたいと思うんです。

服部さんはNRQはじめ、穂高亜希子さんエミ・マイヤーさん、多数のセッションに参加されていますが、そうやって勉強している意識は──

服部:もちろんあります。さっき松村さんにノートの選び方がおもしろいといっていただきましたけど、僕は普通になるように勉強しているところもあるんです。普通になるというか、いちばん安定するところにベースの音を置きたいと思うんです。それが足りない意識はずっとあるんです。音大を出ているわけじゃないし、理論的な下支えがあるわけではない。理屈じゃなくて反射的にいま鳴っている音にもっとも安定する場所に音を置けて、でもそのうえであえてこっちをやるんだというのをやりたい気持ちがあるんです。それもたぶん自分の演奏に感じる怖さとかぶる部分もあると思うんです。直感だけで自分はこうだとがんがん進んでいけるタフは僕にはちょっとない。

それはベースという楽器の役割と重なるものですか?

服部:そうですね(とやや留保するように)。

たとえば、エミ・マイヤーさんと永井聖一さんの『エミ・マイヤーと永井聖一』はJポップですよね。その場合、Jポップの枠内でもっとも安定するフレーズを探すということですか。

服部:あのアルバムのレコーディングはけっこう楽しかったんですよ。普段やらない、でもJポップってふだん何気なく耳にするじゃないですか。聴いていたけどやってこなかった音楽をできる楽しさ、というか、いわれてみれば、ちょっとしたコピー感覚みたいなものが、それがいいか悪いかはさておき、あったかもしれません。

アコベとエレベだと服部さんは自分はどちらの演奏者だと思いますか?

服部:いまはアコベですね。

このふたつはともにベースですが、じつはまったくちがう楽器だと思うんです。それを両立させるのはたいへんじゃないですか?

服部:たいへんです――けど考えないようにしています(笑)。たいへんだと思うとやりたくなくなっちゃう。流れでエレキ・ベースをまた弾くことになったので、再開した年はけっこう後悔していたんですよ。そう考え出すとどんどんネガティヴになっていっちゃって(笑)、どっちも放り出したくなったりもしたんですが、いまはどっちも楽しいし、あまり考えないようにしています。ウッド・ベースにはウッド・ベースならではの雰囲気があるじゃないですか?
 でもエレキ・ベースはものすごく剥き出しだと思うんです。エレキ・ベースには空気感がないぶんフレーズが問われる。そこがすごくおもしろくて、その経験がウッド・ベースにフィードバックされているところはあります。いまはそれが相乗効果になっていると思うんです。

服部さんのいまの当面の目標はありますか? NRQでの活動にかぎらず。

服部:自分の作品はつくりたいとは思いますね。純粋に自分の作品はまだ出したことがないので。

どういう形態でつくります?

服部:バンド形式ではないでしょうね。

ベース・ソロですか、バール・フィリップスみたいな?

服部:そういうのはたぶんできない(笑)。曲をいっぱいつくって、ひとりでできるのを選んでそれをちゃんとやりたいとは思います。

NRQのアルバムに採用している各人の曲数ってだいたい同じじゃないですか? 牧野くんがいちばん多くて、吉田さん服部さんの順ですよね。ルールでもあるんですか?

服部:そんなことはないですよ(笑)。がんばりしだいですけど(笑)。曲数を増やすとか、そういった作戦は僕のなかであまり練らないようにしているんですよ、あくまで流れのなかでやっていこうと思っています。


自分は芸大に行っていて最近はあまりないですけど、芸術やアートに対するアレルギーがあったんです。僕はアーティストより職人になりたい気持ちが強いんです。

いまは演劇の劇伴の仕事もやられているんですよね。

服部:さほど数があるわけじゃないですけどね。

新たに進出したい分野はありますか?

服部:仕事ということでいえば、もっとギャラがいい仕事をしたいとは思いますけど(笑)。

そんなナマナマしい話してんじゃないですよ(笑)。服部さんはどんな仕事でも断らない?

服部:基本的に断らないです。

職業意識ということですか?

服部:職人に対する憧れのようなものです。自分は芸大に行っていて、最近はあまりないですけど、芸術やアートに対するアレルギーがあったんです。僕はアーティストより職人になりたい気持ちが強いんです。

職人的なベーシストというだれを思い出しますか?

服部:僕のなかでは松永(孝義)さん、あとは渡辺等さん。

松永さんには影響は受けましたか?

服部:受けていると思います。どこがといわれるとわからないですけど。

松永さんも渡辺さんもタテヨコどちらも弾きますね。ああいうふうになりたいというより彼らの職人的な佇まいに憧れがある?

服部:そうです。

演奏者にはイノヴェーションへの憧れもあると思うんです。ベースだとジャコ・パストリアスのようになりたい人はいっぱいいると思うんです。服部さんにはそういった考えは?

服部:それはまったくないです。職人的にしっかり下支えして、そのうえで自分のやりたい小さい作品ができたらいいと思うんです。自分の作品は職人性とは関係のないものですね。まだつくっていないのでわからないですけど。

この3作、7年くらいNRQを続けて、中尾さんとのリズム隊はかなりこなれてきたと思いますが、そもそもNRQにはリズム隊という概念はあるのでしょうか?

服部:その考えはないかもしれないですね。全体のアンサンブルはありますけど、リズムと上物の関係性はないかもしれない。ほかのバンドでやるときは、けっこうドラムのバスドラを意識して合うように探っていくんですけど、NRQではそういった作業はしたことはないですね。いまいわれるまでまったく無意識だったんですが。

演奏するときはなにをいちばん聴いていますか? NRQの演奏の中心になっているものということですが。

服部:完全に牧野くんのギターだと思います。ギターはリズム、メロディ、ハーモニー全部の要素をもっていて全体の軸になっているということですね。牧野くんはギターでベースラインを弾くこともあるので、彼のギターとの兼ね合いは考えますね。

それでやりにくいとかやりやすいということも――

服部:いや、NRQはやりやすいです。でもあまり自由は感じない。ベースラインをきょうはちょっと変えてみようとか、そういう選択肢はNRQでは僕はあまり感じないです。思うに、牧野くんのギターには弾いていなくてもベースラインが決まってくる感じがするんです。吉田くんや中尾さんがどう考えているかはわかりませんし、曲にもよりますけど、僕にとってはわりと固定している気がします。

でもアルバムを追うごとに自由度は高まっている気もしますね。

服部:それは感じます。“日の戯れ”とかはとくにそうですよね。あと“門番のあらまし”は自分的には新しいというか3枚めならではだと思います。NRQのアンサンブル法があるわけじゃないですけど、それに則ってそこにラテンを加えてみたような、ちょっと余裕というか遊び心が出る余地ができた気がします。

その変化がNRQの成熟を物語っているのかもしれませんね。そのなかで私は服部さんの曲ももっと聴きたいので、次も楽しみにします。

服部:精進します(笑)。

interview with NRQ - ele-king

 前回の牧野琢磨を承けてのNRQリレー・インタヴュー、第二弾となる今回は二胡奏者、吉田悠樹に登場いただく。前野健太の諸作、穂高亜希子、ツジコノリコから昨年の友川カズキの『復讐バーボン』まで、意外なところに顔を出し、濃い色の歌手の歌によりそい、ときにその色の彩度と明度をきわだたせる吉田悠樹と、吉田悠樹の化身と見紛うばかりの彼の二胡はNRQでは伴奏者の軛を逃れたバンドの声そのものとしてのびのび歌っている。『ワズ ヒア』ではそれが新たな段階に入った、その理由を語る前に牧野くんに訊きそびれたNRQの歩みをさらいつつ、この異能の二胡奏者をかたちづくった音楽遍歴をたどってみよう。

中学くらいのときに、ハイスタ(ハイ・スタンダード)が出てきて、そこを入口にガーゼなどにたどりついたんです。


NRQ - ワズ ヒア
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吉田さんにはバンド・ヒストリーをうかがおうと思います。吉田さんは牧野くんとともにNRQのオリジナル・メンバーですが、牧野くんに訊くのもおもはゆいものがあるので。

吉田:(笑)松村さんと牧野さんはちかいですからね。うん、いいですよ。

牧野くんと最初に出会ったのはいつですか?

吉田:はじめて出会ったのは、普通にお客さんで観に行ったライヴですね。牧野さんはサボテンのサポートでギターを弾いていました。工藤冬里さんも出ていましたね。

サボテンが好きだったの?

吉田:その日にはじめて観て好きになりました。サボテンには後に2人時代のNRQの企画にも出てもらったりしました。

吉田さんっていま何歳だっけ?

吉田:32歳です。

音楽から想像するより若かったですね(笑)! もともとの音楽的な背景はどういったものですか?

吉田:パンク、ハードコアですね。

でもその頃はパンク、ハードコアの時代じゃないよね?

吉田:いや、中学くらいのときに、ハイスタ(ハイ・スタンダード)が出てきて、そこを入口にガーゼなどにたどりついたんです。

中学時代にハードコアだったんですね。しかしハイスタとガーゼの間にはいろいろありそうな気がしますが(笑)。

吉田:ありますよ、ヌンチャクとか、中学のときはいろんなライヴに通っていました。それがもう楽しみで楽しみで。

ジャップ・コアから熱心に音楽を聴きはじめた?

吉田:ガーゼ、レンチ、スライト・スラッパーズあたりで、これだ、と思ったんです。実家が東京なので新宿には出やすかったんですね。

〈アンティノック〉や〈ジャム〉ですね。

吉田:(歌舞伎町にあった頃の)〈リキッド・ルーム〉にもよく行っていました。あと好きだったのはスーパー・ジャンキー・モンキーですね。

“ばかばっか”ですね。懐かしい。

吉田:ちなみに『ワズ ヒア』に収録した“スロープ”はあぶらだこに由来しているんです。いわないとだれもわからないと思いますけど。

あぶらだこの何盤ですか?

吉田:『青盤』(1986年)に“スロープ”という曲があって、タイトルをお借りしました。

気づきませんでした(笑)。しかし吉田さんがそんなハードコアな青春を送ったとは存じあげませんでした。当時のライヴハウスは怖くありませんでしたか?

吉田:僕はぜんぜんそうは思わなかった。みなさん見た目は怖いけどやさしかったですよ。僕が中学生だったのもあったでしょうね。そこまで若いお客さんはほとんどいなかったので浮いてたと思います。


胡という楽器の音で激しさを表現しているつもりなんです。

そうなると自分で音楽やろうとなったとき、どういった選択になるんですか?

吉田:高校のときにバンドでギターを弾いていたんですけど行き詰まってギターじゃないなと思ったんです。かといって歌はヘタだったから歌うのもできない。それでいろいろと調べて考えたりしてDTM系にいくか、二胡みたいな民族楽器系にいくかの二者択一になったんです。

選択肢に二胡が入るくらい、ハードコアと並行してすでに民族音楽も聴いていたということですよね。

吉田:そうです。極端な音楽を聴いて一周して世界各地の音楽にたどりついたんですね。同じようにノイズからぐるっとまわって現代音楽を好きになったりもしていました。

極端な表現ということで同根だったんですね。

吉田:そうです。それで二胡をやりたいと漠然と思ってたときに、偶然にも大学の先輩に二胡をもらう機会があって。それでじゃあ二胡だなとなったんです。

思い立っても楽器を修得するには鍛錬が要りますよね。

吉田:その前にギターをやっていたのでわりとすぐにできたんですよね。

でもほら、二胡はギターより弦の数も少ないし、フレットもないじゃない?

吉田:でもそれくらいしかちがいはないんですよ。

しかも弓奏じゃないですか。

吉田:細かく話すと二胡をもらう少し前にモンゴルの馬頭琴を習って挫折したことがあったんです。馬頭琴は二胡とは似ているんですが弾き方がちがっていて、指の爪の生えぎわで弦を抑えるのがすごく痛くて。高校のとき、小西康陽さんのラジオ番組でホーミーを知って、興味があったので馬頭琴に挑戦したんですがそうそうに挫折しました。

最初に買ったレコードはなんですか?

吉田:たまの「さよなら人類」(笑)。

なるほど(笑)。

吉田:たまは子どももファンが多くて学校ですごい人気でした。後にたまの知久寿焼さんは「自分はパンクだ」って発言をしてたということを知って、やっぱり根源は「パンク」なのかもしれないです。夢はガーゼの〈消毒ギグ〉に出演することです(笑)。ハードコアを聴いていると、極端にうるさくて激しい音楽かもしれないけど、ガーゼには前向きな歌詞が多いんです。「家族を大事にしろ」みたいなまっとうなことを、その激しさで表現するのに感動しました。いま自分はそれを逆に実践しているというか、二胡という楽器の音で激しさを表現しているつもりなんです。


最初は僕の持っていた曲と牧野さんがひとりでやっていた曲におたがい音をつけあって、いま思えばそれはNRQの最小限の形態でした。

話は戻りますが、サボテンのライヴで牧野くんと面識ができたんですか?

吉田:直接の面識はそのときはなかったんですが、ギターがメチャクチャよかったのは憶えています。これはすごい、ちょっと頭がおかしい人なのかと思うくらい(笑)のキレのある演奏で衝撃でした。それでその後、〈円盤〉で僕が穂高(亜希子)さんと出たときに牧野さんのソロと対バンしたんです。サボテンでギターを弾いていたひとだとは思わなくて、気を抜いて〈円盤〉のCDの棚を物色していたら、アイラーの“ゴースト”を弾きだして「おっ、これは!」と思って釘づけになったんです。それですぐに話しかけた、それがファースト・コンタクトだと思う。

それは2007年? NRQの結成は2007年となっていますね。

吉田:たぶんその前の年だと思います。僕には当時やっていたパイカルというバンドがあって、それは編成的にはNRQとだいたい同じなんですけど、パイカルは学生時代の友人関係からはじまったバンドなのでやりたいことが先にあったバンドではなかった。だんだんメンバー間のやりたいことのズレが大きくなって、みんなが納得いくかたちで収まらず、CDも結局つくらなかった。バンドがそんな状態の頃に企画したライヴに、牧野さんソロと、服部(将典)さんとギターの青木隼人さん(NRQ『オールド・ゴースト・タウン』ではデザインを担当)のデュオ、その2組を誘ったんです。それはパイカルを2人に観てほしかったのもあったんですね。服部さんとはカナリヤという、ピアノの三浦陽子さんのバンドでいっしょにやっていました。

いまも継続していますね。

吉田:かなりマイペースですがつづいています。その後にあるライヴで牧野さんを誘って2人で演奏したのがすごくおもしろかった。しばらくしてもう一回デュオでやることになった頃にパイカルが解散して、そのことを伝えたら牧野さんが「じゃあ、いっしょにやろうよ」といってくれた。

デュオ編成ではなく、バンドにしようという思いはすでにあった?

吉田:そこまで話は詰めなかったですけど、バンドとしてやっていこうということで一致してはいたと思っています。

NRQのカラーは当然まだないですよね。

吉田:最初は僕の持っていた曲と牧野さんがひとりでやっていた曲におたがい音をつけあって、いま思えばそれはNRQの最小限の形態でした。でもそこにはとくに先行きどうしようというヴィジョンはありませんでした。ライヴの日程を決めて、それに向けてどうしようかと探っていった感じです。バンド名をつけたのはもっとあとですから。

命名者はどちらですか?

吉田:牧野さんです。ニュー・レジデンシャル・クウォーターズ(New Residential Quarters)、新興住宅地ですよね。僕は多摩ニュータウンだし(笑)。でも長くて覚えにくいので省略してNRQになりました。

牧野くんも八王子だし。

吉田:それでちょっと字面もいいし、ということですんなり決まり、その名義でライヴをやるようになったのが2007年。

服部くんが参加した経緯は?

吉田:バリトン・サックスの浦朋恵さんと僕と牧野さんでいっしょに演奏する機会があって、これは絶対ベースがあった方がいいと思って、服部さんを誘いました。ついでにNRQもやってよと音源を服部さんに送ったんです。それで3人で合わせたらもうバッチリで。服部さんとは歌ものも含めていろんなバンドにいっしょに参加していてすでに信頼してたんですけど、NRQではもっと密な感じでできるなと。
それでストリングス隊が3人集まったらドラムがほしくなって、〈円盤〉の田口(史人)さんに「これはドラムを入れるとしたらだれがいいと思いますか?」と訊いてみたら、サム・ベネットか中尾勘二といわたんですね。じつは中尾さんのことはちょっと念頭にあって、うーん、やっぱりそうか、と。そんなときに中尾さんが全バンドに出演する「中尾さん祭」というイヴェントを企画することになって、じゃあついでにNRQにも入ってくださいとお願いしたのが最初です。練習で4人ではじめてスタジオに入ったときにはもうすでに音ができあがっていました。それから中尾さんには最初はライヴのたびにそのつどゲストという感じでお願いしてたんですが、いつの間にか「もう正式メンバーですよね」って(笑)。

それに対して中尾さんはなんと?

吉田:「はぁ」と。(笑)まあ、NRQにノッてくれるという意味だと勝手に受けとりました(笑)。

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みんな作曲するのでいろんな視点が重なってるという点はこのバンドの強みだと思います。

吉田さんがNRQで書く曲は、牧野くんの曲とはちがう方向から全体を補完する役割を担っていますよね。“ピロシキ”“ボストーク”、今回の“スロープ”も牧野くんの書かなさそうな曲だと思うんですが、それは意識的ですか?

吉田:バンドとして次はこういう曲がほしいな
というのを自分なりにイメージしてつくることが多いです。たとえば自分がお客さんでライヴを見るとなると、僕は飽きっぽいので、支離滅裂なくらいの方が好きなんです。結果的に逆をいく感じになってるかもしれません。

俯瞰する視点ですね。

吉田:もちろん4人ともそれぞれそういう視点があると思うんですけど、みんな作曲するのでいろんな視点が重なってるという点はこのバンドの強みだと思います。

吉田さんはいろんな方と共演されていますが、その考えは一貫していますか?

吉田:だいたいいっしょです。でも歌手の伴奏をするのは楽器的にも、自分の技術的にもパターン化しがちなので、最近はあまりやり過ぎないようにしてます。もちろん伴奏は好きなのでもっとやりたい気持ちもあるんですが。またしばらくしたらいろいろとやりたくなるかもしれません。いまはNRQとソロが中心という感じです。ほかのバンドと較べてNRQは自分のバンドだという意識はありますね。4人なので100パーセントではないけど、この4人はバランスがすごくいい、坐りがいいと思うんです。

『ワズ ヒア』ではそれが2作めまでとはちがう段階に入った気がしますね。

吉田:ファーストはそれぞれの曲をもちよってコマを見せ合ったのが2作めでバンドっぽくなって、サードはそこからさらにもう一歩踏み込んでって感じですね。中尾さんのサックスと二胡がハモる曲も増えてきたし、もちろんギターとベースも含めてそれぞれの楽器の絡みでできることが広がってきた手応えはあります。

それはミュージシャンとしての熟達ですか?

吉田:バンドでライヴで地道に練っていった結果だと思います。

ライヴはどれくらいの頻度でやっていますか?

吉田:まちまち、なりゆきまかせです。多いときは月に3~4本あったかな。

牧野くんは音楽に費やせる時間が減ったから決断し、絞らなければならないといっていましたが、吉田さんはどうですか?

吉田:僕はいままでと同じで(音楽のために割ける)時間はむかしと変わらず……いや、むかしよりは減ってるかな。ちょっと前に結婚したのもあって生活のリズムは非常によくなったんだけど。ひとといっしょにやるのには単純に準備時間をとりにくくなったのはあります。そのぶんひとりでも準備できるソロのライヴが増えてる。

結婚したことで逆に演奏ではひとりになりたくて無意識にソロ演奏を志向するのかもね。

吉田:それはいま気づきました(笑)。たしかに前よりはひとりでの演奏もおもしろいと思えるようになってきました。スティーブ・レイシーとか林栄一さんとか独奏の演奏を聴くのは前から好きなんです。関島(岳郎)さんのソロもすごく好き。

関島さんのソロはチューバなんですか?

吉田:チューバだけでなくリコーダーやキーボードを駆使していておもしろいんですよ。

中尾さんと関島さんはコンポステラ~ストラーダですが、〈Off Note〉のようなレーベルの影響は吉田さんは大きいですか?

吉田:めちゃくちゃ大きいです。学生のときにトニー・ガトリフやエミール・クストリッツァの映画の音楽が好きで、国内で似たような音楽をやっているグループを探したんですね。シカラムータや渋さ知らズの流れで、ストラーダやコンポステラに出会ったのは大きかった。そこから沖縄民謡の大工哲弘さんも知りましたから。大工さんと中尾さん関島さんは〈Off Note〉でいっしょに何枚かアルバムをつくっていていまでもよく聴いてます。
伝統音楽とポップミュージックの融合っていうとなかなか難しいと思うんですけど、〈Off Note〉はどの作品も融合ってことも感じさせないくらい自然に聴かせるサウンドで。二胡で音楽をやるにあたってそのあたりはかなり影響を受けてると思います。

「歌」って声でメロディで歌うってことだけじゃなく、叫びで表現することもあるし、楽器で表現できるとも思うんです。

NRQのメンバーとしてミュージシャン吉田悠樹として、当面の目標をお聞かせください。

吉田:NRQ的にはまだまだいろいろできるというか。まだのび代はあるんじゃないかと。『ワズ ヒア』では、自分をふくめてこんなことができるのかって発見があったんです。まだいろんな展開はこれからあると思います。

今回吉田さんが作曲した“スロープ”のほかのもう1曲の曲名を“門番”とつけた理由はなんですか?

吉田:演劇を観た経験からです。〈サンプル〉という劇団があって、そのなかで門番という役が象徴的にあつかわれるのが印象にのこって、それをそのままつけたんですけど、理由らしい理由はとくにないです。

演劇はよく観ますか?

吉田:たまに観ます。サンプル、五反田団とか、飴屋(法水)さんもすごく好きです。

服部さんは劇伴をやられてますよね。吉田さんは演劇に音楽をつけたことはありますか?

吉田:五反田団と仲のよい怪談作家に吉田悠軌さんという僕と一字ちがいで同じ読みの方がいらして、吉田さんと怪談のライヴをやったことがあるくらいですね(笑)。

それは演劇を観にいくのは「物語」に接したいということですか?

吉田:うーん、どうなんだろう。音楽のライヴばっかだと飽きるので、たまには演劇をみたいというくらいで。でもそうやってたまに見る映画や演劇に新鮮に心が動かされて、アイデアを得ることが多いです。

いままでの話を総合すると吉田さんは知らないものにふれたい欲求が強そうですね。

吉田:自分に確固たるものがないからかもしれないですね。

そうなの?

吉田:あるとしたら、ハードコア魂じゃないですか。

(笑)パブリック・イメージにそぐわない決め台詞でしたね。

吉田:いや、ホントそうなんですよ(笑)。「歌」って声でメロディで歌うってことだけじゃなく、叫びで表現することもあるし、楽器で表現できるとも思うんです。

以前湯浅湾にゲストで出ていただいたとき、湯浅湾の大音量のなかでも吉田さんは自分の「歌」をちゃんと捕まえていましたものね。

吉田:あれはぶっつけでやらせてもらってすごく楽しかったです。歌があったら、その裏にもうひとつの歌があるというイメージがあって、それはぶっつけの方が上手くいくことが多い気がします。

対抗する旋律というか、そういうものが折重なって雑音になってもひとつひとつちゃんと存在しているのを吉田さんの二胡は表現しているといえますね。

吉田:ヴォーカルと楽器が対等というか、多少は旋律がぶつかっても、それでいいんじゃないかなと思うこともあります。NRQも4人それぞれ旋律が対抗して折り重なったりぶつかったりしても、全体で自然に聴けるみたいな感じでできたらいいなと思ってます。

ラストは中尾勘二氏!
近日公開予定、乞うご期待。

スワンズ/Swans - ele-king

 私は島崎藤村『破戒』の丑松のように机に手をついて告白したい気持ちに駆られている。
 わかっていなかったのだ。
 「新生スワンズ」なる文句を書きつけたのも一度や二度ではなかった。私自身、そのことばを納得して書いていたつもりだったし、あろうことか前回の二十数年ぶりの再来日公演を観てまでそんなことをいっていた気もするが、マイケル・ジラがスワンズのめざす音がどんなものか、今回のライヴを観るまでたぶん腑におちていなかった。情報はときに目を曇らせる。曇るといえば、ジラは前回のインタヴューで新作『To Be Kind』を「音の雲」に喩えていた。時々刻々変化する音の態様をジラは雲と呼び、私はその意味を忖度しながらも、まるで土手に寝転んだ父親が息子に空を指して、「ほらご覧、あの雲スワンズみたいだね」というように、ある種の形状を指してスワンズだと、つまり変化よりは不動性が主眼だった。ノーウェイヴ、インダストリアルないしはオルタナティヴの大立て者たるかつてのスワンズの陰々滅々たる音像の残像にひっぱられていたわけだが、それさえ本来は反復のもたらす変化をさしていたというのに。不思議である。もっとも当時といまでは反復の質はちがう。鈍重さはそのままに、ジャンクからロックへ鈍重の原料が変わった。ロックのコンボ・スタイルにペダル・スチール、ハンマー・ダルシマーやヴァイオリンといった各種小物を加えた編成の合奏からは濁りは濾過され音響はクリーンになりその分音量は倍加した、しかし耳を聾する音の壁ではない。舞台上のオレンジ・アンプの壁からPAを経由してO-EAST場内をみたす音はそれはそれはたいそうでかく、バースペースでグラスを傾けて小粋な会話を楽しむどころではなかった。しかしながら音の壁というより粗い目に織りあげた膜を幾重にも重ねたようにブ厚いそれの通気性は高い。この感じは前回公演にはなかった。いや私が気づかなかっただけなのかもしれない。前回と会場がちがったからハタと膝を打った。収容人数もちがえば(前回は400人の限定だった)天上も高い分、音の粗密がわかりやすい。もちろんエンジニアの腕にもよるのだろう。スワンズが『To Be Kind』以降、数枚のライヴ盤を出しているのはジラはスワンズのライヴ音響にひとつの完成をみた、と考えたのは『To Be Kind』所収の「A Little God In My Hands」のようなリズム隊とギター群がユニゾンしない曲のときで、ベースとドラムの刻む硬質のリフにつづき、ジラが悩ましげにワンコーラス歌い終えるとギター、ペダル・スチール、パーカッションがいっせいに雪崩れこむ。音は膨れあがり、場内を埋めつくしたお客さんの間を浸していくのだけれども、耳の焦点を変えながら音の階層を降りていくと、轟音の底でさきほどのリフレインが定期的に脈打つのがわかる。音が迫り来る。しかしほとんど解放的である。まったく自由である。しかしこれはフリージャズやフリーミュージックといったときの音楽の自由ではない。かつてケージがブランカの音楽に嗅ぎとった(といわれる)ファシズムの匂い、それを構造への意思と読み換えれば、ロックの形式を崩さないスワンズはブランカの側に立つ(歴史的にも音楽的にも)がしかし、一拍ごと一音ごとにたちあがる音はその前の音とまったくちがい新しい。ケージをアナーキーとみなすとき、そこに不確定の動態の謂いをこめているのだとしたらブランカのそれもまた静的な動態であり、逆に記号化し流通するアナーキーにこそダイナミズムは宿らない。ケージやベイリーは注意深くそれを回避し、ジラは彼らと同じ場所へ逆方向からにじりよる。建築の美を「凍った音楽」になぞらえることは音楽の反復不可能性の美を捨象しているがゆえに音楽は構造のみに収斂するものではない。

 むくつけき野郎どもが六人、舞台中央でうごめくさまは存分に威容だった。「荒野の六人」というよりペキンパー的な視角的要素ともあいまって、ノイズの配分はむかしよりすくないのにますます野卑に音はなってくる。むろんむかしのほうがもっとノイジーだった。アーバンでもあった、というと異論はあるだろうが、『Swans Are Dead』(1998年)で一度死ぬ前のスワンズが都市の喧噪を体現していたように、いまの彼らの体現するものを米国の広大な非都市部、もっといえばそれは自然だといってみるとそれは新生スワンズをスピリチュアルだといっているようにみえるかもしれないがそうではない。なにせジラは以前のインタヴューで新生スワンズの宗教性について訊ねた私の質問を言下に否定した――が、2010年以降の『My Father Will Guide Me Up A Rope To The Sky』や『The Seer』それに〈Young God〉なるレーベル名にいたるまで宗教性は微塵もないとでもいうのだろうか。もちろんインタヴューですべてをさらけださなければならない法はないし、それはとてもナイーヴなことだ。ジラは誤解を招くのをおそれたのかもしれないが、百歩譲ってそこには宗教的ニュアンスはないとしてもそれはあたかもコーマック・マッカーシーが『越境』でカラマーゾフの大審問官を借り受け、メキシコの辺境の教会に隠遁した人物に語らせたような不在のなにかに対する否定/神学ではあっただろう。そう考えると舞台の上の六人はペキンパーより『ブラッド・メリディアン』のインディアンの頭皮狩り隊のほうが似つかわしい。そしてマッカーシーが国境の南を失われたアメリカというより架空の無法地帯とみなしつづけたように、ジラはアメリカーナにルーツではなくアナーキーをみていた。それはノスタルジーとは無縁の世界であり、彼はデベンドラ・バンハートやアクロン/ファミリーの背後にすでにその光景をみていたのかもしれない。と思い、舞台中央のジラに目を向けると、ギターをさげたまま彼は両手をあげ、音を操るように手首をくねらせる。奄美で六調と呼ばれ沖縄ではカチャーシーというフリースタイル・ダンスの手の動きとよく似た動きである。それによくみるとジラは私の島の実家の裏に住むオバさんにどことなく似ている。ジラの身ぶりにしたがい音は巨大化する。そしてさらにうねりを増す。もし私に息子がいようものなら、渋谷円山町に突如湧きあがった目にはみえない音の雲を指してこういっていたことだろう。
 「ほらご覧、あれがスワンズだよ」(了)

The Best 5 Reissue 2014 - ele-king

01 Lewis Baloue / Romantic Times / Light In The Attic


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 アメリカでは近年、プライヴェート・プレス(いわゆる私家版)の発掘が進んでいる。文字通り、商業的な流通には乗せず、「仲間内に配って終わり」みたいなやつで、アンビエント・ミュージックだとそれらをまとめた『アイム・ア・センター』が決定的だったりする。そのようなプライヴェート・プレスには、当然、どんなものがあるのか想像もつかなかったりするわけで、昨年、最も話題を集めたのがルイス『ラムール』の再発だった。同作はカナダの大富豪が恋人のために1983年に吹き込んだアシッド・フォークというかなんというかで、これが2013年にEベイでいきなり20万円近くで落札され、それを受けてフリー・デザインやベティ・デイヴィスの再発を手掛けてきたシアトルの〈ライト・イン・ジ・アティック〉が正式に再発。簡単にいえば、あまりの音痴に世界は笑いの渦に巻き込まれた。そして、それで終わりかと思ったら、ルイスには2作目があり、『ロマンティック・タイム』(85)はシンセ-ポップにサウンドも様変わり。またしても切々と歌いかけるトーンには笑いが止まらなかった。後半でちょっと歌が上手くなる曲があって、その時だけ少し白けるものの、全体として見れば、世界を少しばかり平和な気分にしてくれたことは確かでしょう。この騒ぎのさなか、ルイス本人もイタリアの避暑地にいるところを発見され、再発されたレコードを手渡されたらしいのだけど、本人からは「で?」という返事が返ってきただけだったとか。(オリジナルは83年)

02 Tom Dissevelt / Fantasy In Orbit / Sonitron


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 実は『テクノ・ディフィニティヴ』のオープニングにしたかったオランダのパイオニア的シンセサイザー奏者(2年前にはキッド・バルタンとのジョイント・アルバム『ソングス・オブ・ザ・セカンド・ムーン』しか再発されていなかった)。『セカンド・ムーン』がまさにそうだけど、随所にエイフェックス・ツインを思わせる面があり、裏を返していえば、エイフェックス・ツインにはこの種の音楽がまだ黎明期に表現していた「驚き」を表現する素朴さが備わっているとも言える。ミュージック・コンクレートにありがちな生硬さもなく、時期的にまだニュー・エイジのようなスピリチュアリズムに陥るわけでもなく、単純にスペース・エイジの電子版をつくりあげている。インドネシアに演奏旅行に行き、現地で出会った歌姫と結婚し、シュトックハウゼンに興味を持って電子音楽に乗り換え…という彼の人生を映画化して欲しいかも。(オリジナルは63年)。

03 / Psychedelic Sanza 1982 - 1984 / Born Bad Records(Beans)


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 2011年に編集盤『アフリカン・エレクトロニック・ミュージック 1975-1982』が話題を呼んだカメルーンのギタリストによるサンザ(親指ピアノ)の演奏を集めた『アフリカ・サンザ』(82)と『アクワアバ:ミュージック・フォー・サンザ』(84)をパックした2枚組。サンザだけでメディテイティヴな空間を創出したり、ベースを加えてダンサブルな曲調を展開したり。同じカメルーンのマヌ・ディバンゴがエレクトロに走った時期だけにその差が際立つというか、ローカルに徹したことで現在に再生する余地があったという感覚はそれだけで示唆的。「サイデリック」というより「アトモスフェリック」ではないかと。

04 Berto Pisano, Jacques Chaumont / Kill ! / The Omni Recording Corporation


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 イタリア映画のOST盤。どんな映画かぜんぜんわかりませんけど(ジーン・セバーグの遺作らしい)、初期のカーティス・メイフィールドに憂いを含ませたようなスパイ音楽と甘く切ないストリングスのヴァリエイションがたまらない(菊池俊輔作曲『非情のライセンス』っぽいという か)。最後でいきなりドロス・トロイが歌い出す。(オリジナルは72年)。

05 The Topics / Wanted Live! By A Million Girls / Jazzman(P-Vine)


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 国内盤のライナーノーツを読むと、同じモダン・ソウルで同じ時期に同じ名前のグループが存在し、そちらの方が有名らしい。そこまで詳しくはないので、単純にこれだけを聴くと、それこそシティ・ポップスの元ネタみたいなサウンドがぎっしり。マインドデザイン(Mndsgn)が去年、アップしたミックスを聴くと、D/P/Iにジェリー・ペイパー(新)やシャラマー(旧)に混じって佐藤博や間宮貴子の曲もミックスされていて、70年代をどう聴くかということではもう同じなんだなーということがよくわかる。(オリジナルは78年)。

*次点でペレス・プラドーと名前が同じ弟によるイタリアン・ファンクの『ラヴ・チャイルド』(73)かな。レシデンツの5枚組とかウイリアム・オニバーの9枚組は面白そうだけど、さすがに外しました。

D/P/Iが日本を通過 - ele-king

 D/P/Iことアレックス・グレイについては、ele-kingでも何度取り上げているかわからない。彼や彼らをとりまくLAローカルがローカルではないことは、この数年のD/P/Iの動向や、マシュー・サリヴァンやショーン・マッカンやゲド・ゲングラスといった才能が名を馳せ、マシューデイヴィッドが押しも押されぬ存在になったいま疑う余地はない。そのD/P/Iのうれしい来日ツアーが金曜(福岡)からはじまるが、東京公演の目撃をゆるされるのはわずか111人+α。先行チケット購入者にはD/P/Iデザインのツアー・ポスターがついてくるということで、ヴィジュアル表現においてもヴェイパーウェイヴ以降のリアリティをスマートに切り取る彼の魅力を(QRコードとはかくもミステリアスで甘やかなものなのか)、何方向からも愉しむことができるにちがいない。

■D/P/I JAPAN TOUR 2015

2.6 FRI Fukuoka at KIETH FLACK 20:00 -
mew×duenn presents OBDELAY feat. D/P/I
More Info: TBA

2.7 SAT Osaka at CIRCUS 17:00 -
INTEL feat. D/P/I Japan Tour Osaka
More Info: https://intelplaysprts.tumblr.com

2.8 SUN Tokyo at KATA LIQUIDROOM 2F 18:00 -
BONDAID #4 feat. D/P/I Japan Tour Tokyo
More Info: TBA

Tour Info: https://meltingbot.net/event/dpi-japan-tour-2015

■BONDAID #4 feat. D/P/I Japan Tour Tokyo
powered by forestlimit sound system

日時:
2015.2.8 Sun START 18:00

場所:
KATA + Time Out Cafe & Diner [LIQUIDROOM 2F]

料金:
ADV ¥2,500 w/ Ticket (LTD 111) / DOOR ¥3,000
※限定111枚
ADV Ticket ¥2,500 yen inc. D/P/I JAPAN TOUR 2015 POSTER
アドバンスのチケットを購入された方にはD/P/Iデザインのツアー・ポスター(A2)が付いてきます。
ポスターは公演当日受付にてチケットと引き換えにお渡します。
※ ¥3,000の当日券もございますが混雑により入場規制がかかることも予想されますので予めチケットのご購入を強くオススメ致します。

チケット販売:
KATA [LIQUIDROOM 2F]
DISK UNION (SHIBUYA CLUB MUSIC SHOP/SHINJUKU CLUB MUSIC
SHOP/SHIMOKITAZAWA CLUB MUSIC SHOP/KICHIJOJI/CLUB/DANCE ONLINE SHOP)
DISK UNION ONLINE SHOP
https://diskunion.net/clubt/ct/detail/1006568517

2014年の各媒体を大いに賑わしたニューフェイスARCAやGiant Clawと並び、今日のオンライン・アンダーグランド~レフトフィールドにおけるエレクトロニック・ミュージックの新時代を切り開くLAの異端児D/P/Iが満を持しての初来日公演。R&B / ヒップホップの名義Heat Wave、アンビエント / ドローンの名義Deep Magic、グリッチ / ミュージック・コンクレートの名義D/P/I、そしてジューク / リディムの新名義Genesis Hullなど、様々な名義で現行の流動的なジャンルを縦横無尽に駆け巡り、コラージュやサウンド・プロセスを繰り返しながらインターネットを介して溶け合うサウンド /ヴィジュアル・アートとダンス・ミュージックのクロス・ポイントへと到達。圧倒的なスピードで加速を続ける時代の寵児が紡ぎ出す"今"という最高の瞬間を祝うべく、既存のジャンルやシーンの主流からは外れた異種 "#Leftfiled" (レフトフィールド)をキーワードに各シーンで異彩を放つ気鋭の国内アーティストが集結。新世代インディーズの巣窟でもある幡ヶ谷のライブ・ハウス forestlimit のサウンド・システムを投入、活気付く電子音楽の現在を体現した全14アクトで東京公演をお届けします。

LIVE :
D/P/I (from LA aka Alex Gray, Genesis Hull, Deep Magic, Sun Araw, etc)
[Leaving Records, Duppy Gun, CHANCEIMG.es, melting bot] #Glitch

DREAMPV$HER #Techno
FUMITAKE TAMURA (Bun) #Beat
Akihiko Taniguchi #Glitch
食品まつり aka Foodman [Orange Milk] #Footwork
KΣITO [SHINKARON] #Footwork

DJ :
Inner Science #NewAge
ENA [7even / Samurai Horo] #Bass
HiBiKi MaMeShiBa [Gorge In] #Gorge
Cold Name (from Jesse Ruins) [Desire] #Industrial
Fruity [SHINKARON] w/ Weezy & Takuya #Footwork
あらべぇ #Ambient
Hi-Ray [Sukima Tokyo] #HipHop
SlyAngle [melting bot / BONDIAD] #Techno

More Info : https://tmblr.co/ZThEfs1aIsq_N

■D/P/I aka Alex Gray :
LAのプロデューサーAlex Grayによるソロ・プロジェクトDJ Purple ImageことD/P/I。Deep Magic名義で2009年に〈Not Not Fun〉よりデビューし、 アンビエント / ドローンを主体とした作品を〈Preservation〉や〈Moon Glyph〉といったレーベルから連発、一方のD/P/I名義は自身のレーベル〈CHANCEIMAG.es〉立ち上げと共に2012年に始動、アブストラクトなベース / ビート・ミュージックへアプローチをした作品を矢継ぎ早にリリース。勢いは加速され〈Brainfeeder〉所属のMatthew David 主宰〈Leaving〉からのEP『RICO』、そしてアルバム『08.DD.15』と『MN.ROY』ではそのアブストラクトなビートは更にデジタルなプロセスを経て細切れとなり、Oneohtrix Point Neverの『R Plus 7』へも通じるシャープでグリッチーな音像のコラージュを主体としたミュージック・コンクレートへと発展。別名儀Heat WaveではR&B / ヒップホップをスクリューしたミックステープ、最近ではSun ArawとM. Geddes Gengrasの電子ダブ・レーベル〈Duppy Gunn〉よりGenesis Hullなる新名義でジューク / フットワークの影響下にあるリディムを披露。また同じくLAの盟友Sun ArawやDreamcolorのメンバーでもあり、映像やアートワークも自身で作る、流動する現在のジャンルを縦横無尽に駆け巡り加速を続けるマルチ多作家。

最新作リリース情報 :
D/P/I - MN.ROY / RICO [melting bot / Leaving Records 2014] #Electronic
#Glitch #MusicConcrete
https://meltingbot.net/release/dpi-mn-roy-rico/

Genesis Hull - Who Feels It, Knows It [Duppy Gun 2014] #Bass #Juke #Riddim
https://soundcloud.com/zonatapes/sets/genesis-hull-who-feels-it

Deep Magic - Reflections Of Most Forgotten Love [Preservation 2013]
#Ambient #Drone #NewAge
https://soundcloud.com/experimedia/deep-magic-reflections-of-most


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