「KING」と一致するもの

!!! (Chk Chk Chk) - ele-king

 昨年の来日公演でもサイコーのパフォーマンスを披露してくれたチック・チック・チックが、今年も日本へやってくる!!! 今回は5月23日~24日にかけて横浜赤レンガ倉庫野外特設会場で開催される《GREENROOMFESTIVAL ’20》への出演というかたちだ!!! またみんなでダンスに明け暮れようぜ!!!

GREENROOMFESTIVAL ’20に !!! (Chk Chk Chk)が出演決定!!!
最強&狂のライブバンドが赤レンガ倉庫をダンスフロアに変える!
最新作『WALLOP』好評発売中!

毎年国内外から豪華アーティストが集結する「GREENROOM FESTIVAL ’20」の第2弾出演アーティストが発表され、!!! (chk chk chk) の出演が決定! NYの馬鹿げたダンス規制法を痛烈に批判し一躍脚光を浴びた名曲 “Me And Giuliani Down By The School Yard (A True Story)” から16年、突き抜けてエネルギッシュかつ痛快に反体制の姿勢を示し続けているチック・チック・チック。最新作『Wallop』をひっさげ、〈Warp〉30周年の一環として敢行された来日ツアーでも集まったファンを踊り狂わせた最狂のライブバンドが、今度は赤レンガ倉庫をダンスフロアに変える!

GREENROOM FESTIVAL ’20
場所:横浜赤レンガ倉庫野外特設会場
日時:2020年5月23日(土)、24日(日)

第2弾出演アーティスト
Tash Sultana
!!!
Oscar Jerome
ASIAN KUNG-FU GENERATION
Suchmos
EGO-WRAPPIN'
PUFFY
SPECIAL OTHERS
D.A.N.
LUCKY TAPES
TRI4TH
TENDER
showmore
みゆな

5月23日(土)、24日(日)に開催となる GREENROOM FESIVAL に第2弾として新たに14組のアーティストの出演が決定しました! パワフルなラインナップの発表とともに、完売必至のチケットの先行販売も開始! 今後も MUSIC に加え、ART や FILM の発表がありますので、どうぞお見逃しなく。パワーアップし続ける「GREENROOM FESTIVAL ’20」に是⾮ご期待ください!

事務局一般先行チケット販売開始!
[1日券各日] 価格 ¥12,000
[2日通し券] 価格 ¥19,000
https://greenroom.jp/tickets/

Lineup
MGMT / Tash Sultana / !!! / Sigrid / Oscar Jerome
ASIAN KUNG-FU GENERATION / Suchmos / never young beach / EGO-WRAPPIN’
佐野元春 & THE COYOTE BAND / RHYMESTER / PUFFY / 平井大 / SIRUP / LOVE PSYCHEDELICO
GLIM SPANKY / SPECIAL OTHERS / TENDRE / LUCKY TAPES / D.A.N. / TRI4TH / showmore / みゆな and more...

label: WARP RECORDS/BEAT RECORDS
artist: !!!
title: Wallop

国内盤CD BRC-608 ¥2,200+tax
国内盤特典: ボーナストラック追加収録/解説・歌詞対訳冊子封入

[ご購入はこちら]

R.I.P.飯島直樹 - ele-king

ネットワークそれ自体が文化だということを

河村祐介

 DISC SHOP ZEROで扱われたレコードの多くは、突き詰めて言うと “つながり” というものがひとつの美学として貫かれていたと思う。“つながり” とは良く知られたブリストルやその他の地域のアーティストやレーベルとの直接の連絡網、現場でプレイされ人と人の隙間を埋める “つながり” もあり、もっとちいさな単位でいえば、違ったジャンルの前後の曲をDJがブリッジするための楽曲のレコメンド、もっと個人のリスニング体験においても、あるアーティストとアーティストの良き隙間を見つけて、そこにはまるなにかとなにかをつなぐ楽曲たち。単体の楽曲としての存在ではなく、楽曲と楽曲、もしくはその他のさまざまな事象とつなげることで生まれうる刺激を絶えず紹介していた感覚がある。もちろん、それはDJカルチャーに大きな価値の源泉をみていたというのもあるとは思うが、もっと大きな視座がそこにはあったように思える。

 隙間というと、重箱の隅をつつくようなマイナーな存在を想起してしまうが、ちょうど良い隙間にはジェームス・ブレイクやスミス&マイティといった大きな存在がスポッとそこに入ってしまう場合もある。その多くは、トレンド(もちろんDJカルチャーなのでそれも導入しつつ)と、少々離れた場所でならされる音楽だが、確実にどこかで鳴らされるために生まれた音楽たちで、ひょんなことからサブスクのヴァイラル・チャートにのることはあっても、それを目的にした音楽ではない。各地に数十人だとしても確実にそれを欲しいと思うひとたちのいる音楽。

 飯島さんはさまざまな音楽をバイヤーという立場からつなぎとめていった。そんな音楽のつながりにはひとつのモデルとして、ブリストルという都市があったということだろう。各アーティスト個々へのリスペクトはもちろんだが、そのネットワーク自体を尊敬していたんだろうと思う。そしてこのネットワークこそが、レコードと音楽が紡ぎ出すカルチャーだということを教えてくれたのが飯島さんであり、DISC SHOP ZEROというレコード店だったと思う。音楽に繋がるのは、なにも音楽だけではない。そこに繋がるのはエッジーな新譜、過去の知られざる楽曲、サウンドシステム・カルチャー、アートやカルチャー全般、さらには歴史、ときには政治的意識だったかもしれない。そして、さまざまな人々たちだった。

 このネットワークをDISC SHOP ZEROの周りでも作ろうとしていたのが飯島さんだったと思う。もちろん作ろうというのは彼の言葉とは違うだろう、おそらく彼ならこういうだろう、希望を込めた笑顔とともに「レコードは紹介するから、勝手にできてくれたらそれが一番いい」。先人たるブリストルのネットワークと接続・参照しながら、良き隙間を見極めることで “DISC SHOP ZERO” 独自の視点で「サウンド」そのものを媒介にむすび付けることを絶えずやっていた。

 トレンドではなく、このネットワークをひとつの価値観創出の場所として捉えレコードをそろえる。そのネットワークに絡め取られたお客さんもある種の価値観の源といった感覚もある。それゆえに独自の審美眼で選ばれた独自のレコードたちが列んでいた。そのネットワークの大事なハブを失ってしまったいま、その価値観を共有していたDJたちは、今後プレイスタイルが変わってしまうかもしれない。それほど大きな存在だったのではないかと思う。しかし、彼が残してくれたのは個々の音楽への紹介もあれば、上記のような、こうした見えないカルチャーの土台となるネットワークでもある。そこに絡め取られた人々が、そのカルチャーを捨てない限り、それは存続し続けるだろう。

 本当に大きな存在でした、ありがとうございました。

 安らかに。


音楽を続けていく理由がまたひとつ増えた

UKD(Double Clapperz)

 朝起きてInstagramを開きJoshua Huges-Games(DoubleClapperzのEPのジャケット、マーチャンダイズのデザインを手掛けてくれいるブリストルのイラストレーター  彼もまた飯島さんが繋いでくれたブリストルの友人の1人でもある)の投稿に書かれたRIP Naokiの文字に目を疑った。何かの冗談だと思い、すぐに他のSNSを確認したり友人に連絡を取り事実なんだと知る。
 人づてに足が良くないとは聞いていたが詳しい事は知らず、突然の訃報を受け入れられず混乱したまま仕事に向かった。その日は1日中ずっと上の空で何も手につかなかった。

 飯島さんとの出会いは5年前だったと記憶している。僕らが放送していたインターネットラジオNOUS FMにBANDULU GANGのHi5Ghostをゲストに迎えた回をZEROのBlogに紹介してくれた。全く面識はなかったが僕は取り上げてくれたことが嬉しくてすぐお店に向かった。当時はそれほどレコードに興味がなかったが僕はそこで人生で初めてレコードを購入し、多い時は毎週のようにZEROに通うようになる。
 「買い物がない日にもDouble Clapperzは良く店に来るね」と飯島さんに言われたことがあるが、次こんな事をやろう思ってるんですよとか、ブリストルのアーティストから面白いダブが届いたとか、そんな雑談から生まれる僕らのアイデアを一歩先に進めてくる人でもあり、僕らのような若造がやろうとしていることに手を差し伸べてくれる良き理解者の1人でもあった。
 僕らがレコードでのリリースを始めたのも、元はと言えばZEROで取り扱って欲しかったからだし、まずは全部自分たちでやってみるというDIY精神は飯島さんから影響を受けたものである。
 2年前初めてブリストルを訪れた際カーニバルが開催されていたこともあり、BS0で来日していたアーティストや飯島さんがきっかけで繋がった沢山の同世代アーティストがブリストルの道端で僕に「Welcome to Bristol」と声をかけてくれた。
 飯島さんが育んできたブリストルと東京の交流は、しっかり僕らの世代にも受け継がれていると再認識した。
 もちろんブリストルとの交流は東京だけではない。
 僕ら2人は飯島さんの告別式には九州ツアーの真っ只中のため参加できなかったが、僕らの福岡公演の場は奇しくもBS0関連のアーティストが多く訪れるThe Dark Room。
 アルコールでふらふらになった数人が残った朝5時過ぎのフロアにBim OneとDubkasmによるEaston HornsとSmith & MightyのB Line Fi Blowが鳴り響いた。
 飯島さん、BS0が撒いた種は全国各地に根を張っている。

 最後になりますが、飯島さんの死に直面にし音楽を続けていく理由がまたひとつ増えました。どうぞ安らかに静かにお眠り下さい。


僕のスタート地点(ゼロ)をたくさん作ってくれた

Sinta(Double Clapperz)

 Disc Shop Zeroの飯島さまには生前とてもお世話になりました。ご逝去をお聞きし、とてもショックで仕事に手がつかない状況でしたが、飯島さんにとてもお世話になったことを思い出しました。この感謝の気持ちを伝えたいという気持ちで、お手紙のつもりでこの文を書いています。

 下北沢のお店では他愛もない話から、具体的なご相談まで、さまざまな場面で助言とサポートをいただきました。イギリスに行ったときはかならず飯島さんに報告に行って、飯島さんは優しく僕の話を聞いてくれました。そんな温かな目線にはいつも元気付けられてきました。飯島さんのお声がけがあって、世界中の気の合うアーティストや憧れのプロデューサーを紹介頂きました。その繋がりからはじまったことがたくさんあります。

 レーベルをはじめたのは、Disc Shop Zeroにレコードを置いて欲しいと思ったのが大きな理由でした。でも僕らだけでは右も左もわかりませんでした。アートワークを担当しているJoshua Hughes-Gamesや、マスタリングをお願いしているWax Alchemyさん、ディストリビューターさんもご紹介いただき、納得のいくレコードをリリースできるようになりました。
 dBridgeさんを繋げてくれてNew Formsの音源制作やパーティをやったこと。Nomineさんに僕らのことを紹介してくれて、彼のサウンドレクチャーを開催し、その通訳をさせていただいたこと。BS0にお誘いいただき、DJや翻訳、アテンドなど様々な機会をいただきました。飯島さんは常に僕の初めてのことに対して背中を押してくれて、一歩を踏み出す勇気とチャンスをいただきました。そういった仕事は今では僕のライフワークになりました。Disc Shop Zeroという名前の通り、僕のスタート地点(ゼロ)をたくさん作ってくれました。

 常に周りのアーティストやファンを第一に考えられて、休みなく働かれていらっしゃいました。
 今はゆっくりお休みになられてください。僕はここで、飯島さんみたいに周りの人のゼロを作れる人間になれるように、もっと頑張ります。


飯島さんが教えてくれたこと

髙橋勇人

 2013年の4月のこと。行ったこともないのに登録していたお店のメルマガで、〈Deep Medi Musik〉から出たスウィンドルの「Do the Jazz」がリプレスされたことを知り、下北沢へすぐに買いに走った。(ごちゃごちゃした)店頭のダブステップのコーナーを探してもそのレコードの影も形もなかった。「もう売り切れちゃいましたか?」とカウンターの向こう側にいた店員さんに尋ねると、「いや、まだ忙しくてそっちに出せてないんですよ……」と、真っ赤なスリーヴの12インチをお店の奥の方から、よっこらしょと出してくれた。それが僕の飯島直樹さんとの出会いだ。

 僕がゼロに通うようになった当時を振り返ってみると、2013年は、英誌『The Wire』がブリストル新世代を巻頭で特集したのが象徴的だったように、そのシーンへの関心が再燃し出した時期だ。彼の地のプロデューサー集団、ヤング・エコーがファースト・アルバム『Nexus』を出たのも、テクノのダークサイドへと接近したDJピンチが〈Cold Recordings〉を開始し、バツなどの若手を紹介しだしたのもこの年である。いまはなき名門ダブステップ・レーベル〈Black Box〉も健在で、トルコのガンツなど、世界の音がブリストルから連発していた。ゼロには当然のごとく、そのすべてが入ってきていた。同年にヤング・エコーのカーンが、MCフロウダンとのキラーチューン “Badman City”が入ったEPをリリースしたとき、店頭でそれを聴いて、あまりのかっこよさに全身が震えたのを昨日のことのように覚えている。

 周知の通り、飯島さんは江古田にお店を構えているときからブリストルにおもむいて、その文化を日本に紹介し続けてきた。飯島さんが語るイングランド南西部の反骨精神旺盛な港町は、アーティストたちの人物関係や、それを繋ぐ現地のレコード店やクラブの話に収まるものではなく、背景にある文化政治的なアティチュードと常にセットだった(例えば、街で大手スーパーであるテスコのボイコット運動が巻き起こった話など)。それは海外礼賛の輸入話などでは決してなく、自分たちがいる東京という場所を問い直すような、刺激に満ちていた。飯島さん自身も、自分は日本のローカルのためにブリストルから着想を得続けている、といっていた。

 だから僕がゼロに頻繁に通いはじめたのは、単純にレコードのためだけではない。音楽、政治から人間関係にいたるまで、とにかくいろんな話をした。お店に行ってもレコードを買わない日だってあったくらいだ(すいません)。

 飯島さんはひとを繋げるのも上手だった。当時、クラブにいく友人がまったくいなかった僕にとって、ゼロから生まれた交友関係にはとても助けられた。あの小さな空間には、インターネットのコミュニティにも、地元のコミュニティにも、なんとなく合わない若者が流れ着いていたように思う。

 飯島さんの音楽パースペクティヴはアーティスト中心主義ではなく、音楽が内包している可能性をサウンドとは別の形で実現できる存在にもしっかりとスポットライトが当てられていた。サウンドシステムとそれが鳴る場所の作り手、そこに魂を吹き揉むパーティ・チーム、都市と音楽のネットワークを可視化するジン、ライター、写真家、そしてリスナーたち。その文化のエコロジーがあるからこそ、音楽は音楽であり続けることができる。

 飯島さんはそのことに誰よりも自覚的であり、その実践者であり、必要があればそれを阻害する者たちに向かってストリートに出て声をあげ、選挙割なども積極的に行っていた。2015年にゼロや東京の音楽クルー、ソイやビムワン・プロダクションのメンバーが中心になって始まったブリストルのスピリットを紹介するプロジェクトBS0は、その理念がパーティとして形になったものだ。そこに呼ばれるアーティストを誰よりも愛していたのは飯島さんだったが、その関係に上下などなく、二人三脚でシーンを、いや世界を変えてやる、という気概で満ち溢れていた。

 晩年、飯島さんはひとりでお店を切り盛りしていたけれど、音楽の世界における彼の一人称にはつねに複数形の僕たちの存在が含まれていた。何かの、ひいては誰かのために行動し続けることについて、飯島さんがその人生で示した意義は計り知れない。そこに敬意と感謝の意を示したい。

 ────2014年、僕は大学の勉強でも就活でも行き詰っていた。そのとき、ツイッターで『ele-king』のバイト募集を見つけたものの、応募するかどうかを決めかねていて、飯島さんに相談しにいったことがある。そうしたら、「あの募集、僕も見たよ。ハヤトくんが応募してみたらいいじゃないかなと思ったんだよね」と背中を押され、こうして音楽について書くようになった。最初は右も左もわからない状態だったので、ライターとして書き方のアドバイスもよくもらっていた。飯島さんは僕の尊敬する先生だ。カウンターの向こうから響いてくるあの声は、これからも僕のテキストから消えることは決してないだろう。


優しく聡明なRebelの人

Mars89

 ele-king編集部から執筆の依頼がきた時、僕は仕事も何もほとんど手に付かない状態だった。しかし、これを書くことが今この僕が飯島さんのためできることの全てだったし、心から書くことを望んだ。
 ele-kingとの付き合いも、Disc Shop Zeroに立ち寄った野田さんにまだまだ無名の僕の作品を飯島さんがお勧めしてくれたことがきっかけだった。そして今ではインタヴューやチャートなどいくつもの形で繋がっている。僕の作品が出るときにいち早く予約や入荷をしてくれてたのもZeroだったし、会うたび「次の作品は?」と、いつも気にかけてくれていた。そして野田さんのように面白いものを探してZeroを訪れる人たちにお勧めしてくれていたに違いない。僕のように彼や彼の店がきっかけとなって新たな道が開けた人は数多くいるだろう。それはこの追悼文が掲載されるele-kingに寄せられた他の人の追悼文を見ればわかるはずだ。
 僕がブリストルを訪れたときには何人もの人に「東京から来たのか! Naokiによろしく!」と声をかけられ、それがきっかけで打ち解けたりもした。彼が東京とブリストルで撒いてきた種は地面の下でしっかりと太い根を張っている。
 彼が撒いてきた種は “音楽だけ” ではない。常にそこに広がるカルチャーとセットだった。ブリストルというのはカウンターカルチャーの街であり、オルタナティヴなスタイルを追求してきた街だと思っている。Zeroでは選挙割を導入して政治への参加を呼びかけていたし、彼は僕が抗議活動の現場で顔を合わせる数少ない音楽関係者の一人でもあった。Contactで隔月開催している BS0xtra では抵抗のカルチャーにまつわる書籍や資料を持ってきて、横でコーヒーを出し、「場」を作っていた。渋谷プロテストレイヴのアフター会場にもそれを出して音楽と抵抗のカルチャーの関係性を強固にすることに協力してくれた。優しく聡明なRebelの人だった。
 彼は1月に更新したブログでZeroを「レコードの販売だけでなく、面白いことをしていける場にしたい」と書いていた。彼が不在のこの世界で、彼が遺した「場」をどうしていくのかは残された私たちにかかっているが、この点については僕は楽観視している。彼が育てた草の根は太く強い。それは僕が思っている以上だろう。
 彼は常に地道で着実な方法で道を拓き、種を撒き、草の根を育て続けて来たように思う。そして彼が撒いてきた種はあらゆる場所で芽吹き、実り、花を咲かせている。そしてその花がまた新たな種を撒くのだろう。
 この追悼文を書き上げるまでの時間を想定していたわけではないが、思ったより時間がかかってしまった。色々なことを思い出して手が動かなくなり、同時になぜか、黒いスーツはあるけどシャツとタイが無いなとか、この服装飯島さん気に入ってくれるかなとか、最後の挨拶なんて言おうかとか考え出して止まらなくなってしまった。ここまでに大きめのマグ2杯分のコーヒーを消費し、今3杯目に手を出しながら追悼文の締めくくりを考えている。
 数時間後の式では次のような事を最後に伝えようと思う。
 飯島さん、今までいろいろとありがとうございました。僕がそっちに行くのはもう少し先になりそうです(そうなる事を祈る)。つぎ会う頃にはそこはサウンドシステムでブリストル・サウンドが鳴り響き、抵抗のカルチャーが根付いている場所になっている事でしょう。また一緒にパーティーやったり抗議活動やったりしましょう。
 Massive thanks and respect.


まだ信じられないけど

三田格

 人当たりがとても優しく、マッチョなところがまったくない方でした。いつ会ってもゆったり構えていて、乱暴なことはいっさい言わない。ZERO自体がアット・ホームな場所だったけれど、音楽の話だけでなく、娘が熱を出したとか家族のことを話す時も実に楽しそうだった。小学生の娘が夏休みに店を手伝うと聞いた時は「労基法違反じゃないの?」と思わず言ってしまったけれど、「学校の課題でそれはありなんだよ」と、なんか得意げだったな。そんな家族が死によって引き裂かれてしまうのはとてもいたたまれない気持ちです。「レコード屋の親父」である前に、飯島さんには家族があり、政治の話をしていても、考え方のベースにはいつも家族があるという感じがしていたので。

 江古田に店があった頃は行ったことがなく、下北沢に移転してから毎週のように行くようになりました(家から歩いて30分だった)。よく話すようになったのはワールド・ミュージックのことを訊いてからで、飯島さん自身はピーター・バラカンさんの本を読んでワールド・ミュージックに興味を持ったと言っていた(ので、バラカンさんにもZEROの存在を伝えて)。バンクシーの作品が無造作に置いてあるのはいつも気になってしょうがなかったけれど、僕の都合で定休日を変えてくれたことは誠に痛み入りました。おかしかったのはレコードストア・デイになるとアナログ盤はほかの店でよく売れるので、ZEROの店内は飲み会になってしまうこと。ビールやスナック菓子が飛び交い、この日は落ち着いてレコードを探すことができない。いつもジェントルな飯島さんがこの日だけは「てやんでい」みたいになっちゃって。

 めちゃくちゃな店内だったけれど、「Township Funk」がヒットしたDJムジャヴァのアルバム(南アフリカ盤)まで売っていたのは驚いたな。〈ナーヴァス・ホライズン〉というレーベルを教えてくれたのも飯島さんだったし、ZEROで買ったモデュール・エイト『Legacy LP』は近年の宝物になっている。教えてもらうだけでなく、DJニガ・フォックス「O Meu Estilo」がすごくいいよと教えてあげたらすぐに気に入っちゃって、あちこちのディストリビューターに連絡を取りまくったあげく「入荷できなかった」とかなり悔しがっていた。スクウィーのブームが去って、どこにもダニエル・サヴィオの新作が入荷しなくなってしまった時は飯島さんに頼んで探してもらったら、本人だったかレーベル・オーナーだったかが「在庫切れだけどベッドの下に1枚だけあった」といって送ってくれたことも。飯島さんはブリストルだけじゃなく北欧にも顔が利くんですよ。エレキング本誌でブリストルのミニ特集を組んだ時も楽しかったな。飯島さんの撮ってきた写真がわかりにくくて、どんどん小さな扱いになって(笑)。せっかくまたブリストルがざわつき始めた時に、なにもそんな時に逝かなくても……。

 イギリスの音楽には様々な側面がある。とはいえ、戦後の労働力不足を補うためにジャマイカから来た移民たちが音楽を通じてイギリスに与えた影響はとても大きく、ビートルズやクラッシュがレゲエを取り入れ、デヴィッド・ボウイやビョークがドラムン・ベースに手を伸ばしたことにもそれは表れている。昨年、アイドル・グループのリトル・ミックスが全米でヒットさせた「Bounce Back」もソウル II ソウルの「Back To Life」を再構築したものだし、ブリストルの音楽に通じているということはそのすべてとは言わないけれど、そのようにして変化・生成してきたイギリスの音楽でもかなり重要な部分を理解させてくれ、飯島直樹が日本に接続した「文脈」はその流れをほぼ同時に追える楽しみだったといえる。2ヶ月も迷い続けてようやくイキノックス『Bird Sound Power』を買った時、飯島さんは「それ、1枚も売れなかったんだよ」とニンマリ笑った。R.I.P.(安らかにお眠りください)


なぜ下北ZEROが偉大なのか

野田努

 あれはたしか1998年のこと、なぜわざわざ江古田まで行ったのかはいまでもよく憶えている。当時、DJクラッシュがプレイするときの極めつけの1曲(北欧のトリップホップ)があって、それはどうやら江古田のZEROに売っているらしいと。その時代、渋谷は世界でもっともレコード店の密集している街であり、渋谷で手に入らないモノはなかった。だが、それだけは渋谷では手に入らず、情報筋によれば江古田にはあるとのこと。ZEROに行かねばならなかった。
 当時のZEROは、下北時代のこの5年と違いじつに綺麗な店内で、まだブリストル臭もそれほどなく、ポストロックやトリップホップなんかが揃っていた。下北の店舗でいうと、入口を入って右側のすぐ奧が江古田時代の名残である。
 90年代は、レコード店というのがひとつの事業として夢が見れた時代だ。当時は多くの店が誕生し、元からあった店は店舗を拡張し、とにかくレコード店は賑わっていた。ZEROもそんな時代に生まれたわけだが、当時の多くのレコード店が90年代初頭のハウスやテクノもしくはヒップホップを契機としていたのに対して、ZEROは後発組で、大衆音楽史で言えばポスト・レイヴ期に生まれている。細分化の時代であり、音楽がひとかたまりの力として成立しなくなった時代だ。ムーン・フラワーズという、UKではほとんど知られていないブリストルのバンドをきっかけにブリストルとの交流がはじまったZEROが、いわゆるマニアの集う専門店と化していったとしても当時の状況を思えば不自然ではない。
 しかし何故かZEROは細分化された同好会のひとつに収束しなかった。飯島直樹にとってレコード店とは、客が入って好みのレコードをレジまで持っていって完結するという商業施設以上の意味を持っていたのだろう。そこは情報を発信してはシェアし、音楽シーンを面白くするのにどうしたらいいのか意見を交換し、そしてシーンに活気を取り戻すための拠点だった。店が下北沢に移ってから、ZEROはそれ自体がメディアであり、ムーヴメントを目論むための場だった。そして、それこそぼくが90年代初頭のレイヴの時代にロンドンで経験したレコード店文化の姿だった。
 ぼくはよく飯島さんに冗談めかして「ここだけ日本じゃない」と言っていた。誰かに紹介するときも「ここは日本じゃないから」と説明した。その理由はもうひとつある。下北ZEROは、UKにはよくあるタイプのカウンター越しに会話しなければ良いレコードが買えないお店で、良いレコードをゲットするには飯島さんと対話しなければならない。これはコミュニケーションが下手な日本人相手には向いていない商売方法だろうし、アマゾンやコンビニがあれば良いと思っている人間には鬱陶しいだろう。いまや希少化しつつある商店街の八百屋みたいなもので、これが苦手でZEROから離れた人だっているはずである。まあ、綺麗ごとではないいろんな諸事情もあったのだろうが、結果としてZEROはそのやり方を通した。レコード店が事業としてたやすくなくなったとくにこの10年、逆境をバネにむしろどんどん磨きがかかっていった。とくにブリストルのシーンとは固い絆で結ばれていた飯島さんだが、彼が輸入したのはレコードという商品を売るだけではなく、その国の音楽文化のあり方まで表現していた。通っていた人は知っての通り、そこに政治性が含まれることもあった。UKに近づいたほうが日本の音楽シーンは絶対に面白くなるというのが彼の信念だったし、ぼくはそれに共感していた。UKの音楽シーンには、それが音楽に生気を与える場として絶えずアンダーグラウンドへのリスペクトがあり、またその根底には批判精神を決して忘れないパンク的なパッションがある。
 オルタナティヴな共同体が複数生まれることが真の意味での多様性なるものだろう。飯島さんが移民文化との衝突によって磨かれたUKのダンス・カルチャーと接続したことと下北ZEROのあり方は完璧に合致している。こうした彼の精神は、ZEROやBS0に集まったDJたちにも確実に受け継がれているので、ぼくは決して悲観していない。今朝の静岡新聞の文化欄に飯島さんを讃える記事が載っていたけれど、飯島さん、あなたはそのくらいのことをやっていた。ありがとうとしか言いようがない。
 思い出はたくさんあるが、最後にひとつだけ。おそらく2004年だったと思う。いつものようにふらり寄ったら飯島さんがいきなり爆音で音楽をかけた。「これ、むちゃくちゃ格好いい! 買います、なんていうアーティストなんですか」と訊いたら、差し出してきたレコードがワイリーだった。あれがぼくにとってその後の10年がはじまる合図だった。


生活世界ZERO

小林拓音

 飯島さんにはこれまで何度も原稿やチャートをお願いしたり、話を伺ったりしてきた。それが ele-king というメディアにとってどれほど大きなことだったか、読者の方ならわかってくださると思う。
 去年の4月もそうだった。ひとつまえの紙エレでは日本の音楽にフォーカスした特集を組んでいるのだけれど、この国の最先端の動向を把握するために、やはり飯島さんにも話を聞きにいった。そのとき、個人的な日本の音楽のオールタイム・ベストワンについてもお尋ねした。答えは G.RINA だったが、同時に宇多田ヒカルの『Fantôme』を挙げていたことも印象にのこっている。飯島さんのイメージとはかけ離れていたから。母が亡くなったときに聴いて、ものすごくヒビいたのだという。いま思えば、そのころから変化が起こっていたのかもしれない。
 以降も何度かZEROを訪れているが、なぜか閉まっている日にあたることが多かった。なんやかんやで半年。ZEROに行ってきたという編集長が、オシアのカセットテープのことを教えてくれた。これはなくなるまえに買いにいかねばと、翌日ぼくもZEROに走った。ちょうど消費税の引き上げが実施されたタイミングで、同時にキャッシュレス決済の還元もはじまっていた。「うちもやることにしてね。クレジットカードのほうがおトクだよ」と飯島さんは苦笑いしていた。手続きを終えるとピロンと電子音が鳴り、スマホに領収メールが届いた。なんだかZEROに馴染まないなと思った。
 さらにその一週間後。紙エレ最新号でダブ特集を組むことになっていたので、河村さんと一緒に飯島さんと打ち合わせをした。まさに飯島さんなくしては成立しえない特集だった。それが10月の下旬。そのときもまだ、大きな違和感のようなものはなかった。以後何度もメールのやりとりを重ねた。だから、年が明けてすぐこんなことになるなんて、思いも寄らなかった。

 ダブやベース・ミュージックはもちろん、いわゆるグローバル・ビーツも扱っているのがZEROのいいところだった。これは三田さんが書いていることと完全にかぶってしまうけれど、極私的に大きな出来事だったのでどうしても書き記しておきたい。たしか初めてZEROを訪れた日のことだったと思う。DJムジャヴァの『Sgubhu Sa Pitori』と『Sgubhu Sa Pitori 3』が立てかけられているのを発見し、ぼくは目を丸くした。金欠であったにもかかわらず、迷わずカウンターに持っていった。南アフリカから直に仕入れたんだよと飯島さんは教えてくれた。けっこう苦労したのだという。日本でこの2枚を扱っていたのはZEROだけだろう。というか、ググればわかるように、海外のサイトにも見当たらない。そういう盤をいっぱい揃えているのがZEROだった。
 そして、野田さんが書いているようにZEROは、たんにディープなレコード店であるだけでなく、地域商店のようなコミュニティ生成の場でもあった。階段をのぼるとたいてい先客がいて、飯島さんと語りあっている。そこで紹介されて知り合ったひともいる。ヴェーバー=宮台のことばを借りていえば、アマゾンやアップルのような「システム」ではなく、「生活世界」である。そのあり方は、利便性とひきかえにさまざまな個人情報を提供せざるをえないにもかかわらず、消費者の側がなにに奉仕させられているのかについては巧妙に隠蔽される「システム」的なもの、ハイテクな監視社会にたいするささやかな抵抗だったのかもしれない。「システム」すべてをひっくり返すことはできない。すでに「生活世界」だってそのなかに組み込まれている。でも、だからこそあえて、意識的に「生活世界」を構築していかなきゃいけない──そういうことを肌でわかっているひとだったんだと思う。ゆえに飯島さんは、クレジットカード決済を勧めるときに苦笑いを浮かべていたのだ。選挙があるたびに、投票に行ったひと限定で割引セールを実施していたのもZEROだった。アマゾンやアップルにはぜったいに真似できないことだ。アンダーグラウンドは、そういう代替不可能な、かけがえのないひとの手と志によって支えられている。
 ピロンと電子音の鳴った日は、たまたま誕生日だった。なくなるまえに入手できたこと、飯島さんが丁寧に説明してくれたこと(サックスのオリー・ムーアはピッグバッグのあと、レッド・スナッパーの作品でも吹いていたひとだ)、それに還元の件もあってすこしトクした気分になっていたぼくは、それをじぶんへのプレゼントにすることにした。ふだんレコードを買うときよりも、なんだかうれしかった。ポイントは還元できても、そういう類のうれしさを「システム」は供給できない。今後オシアを聴くたびにぼくは、飯島さんとZEROのことを思い出すだろう。

Nightmares On Wax - ele-king

 これはたまらない。昨年はリカルド・ヴィラロボスによるリミックス盤を発表、12月の来日公演も記憶に新しいナイトメアズ・オン・ワックスだけれど、なんと、1995年の名作『Smokers Delight』の25周年記念盤が4月3日にヴァイナルでリリースされることになった。ザ・KLFの『Chill Out』をヒップホップで再現するというコンセプトにもとづいて制作されたこのセカンド・アルバムは、それまでのブリープ~ハウス路線から一気にスモーキーかつソウルフルなダウンテンポへと舵を切った転機作で、現在われわれがよく知るNOWサウンドの原点にあたる。今回の記念盤には、2曲の新曲を含む計4曲がボーナストラックとして収録されるとのことで、そちらのほうも楽しみ。

[3月11日追記]
 発売が近づいてきた『Smokers Delight』の25周年アニヴァーサリー盤より、ボーナストラックとして収録される新曲2曲のうちの1曲 “Aquaself” が公開されました。ん~、気持ちいい~。安心のNOW印、炸裂です。

NIGHTMARES ON WAX
歴史的傑作『SMOKERS DELIGHT』のリリース25周年を記念し、
新曲を追加収録した再発盤のリリースが決定!

マッシヴ・アタック『Blue Lines』、ポーティスヘッド『Dummy』、トリッキー『Maxinquaye』と並び、その時代を象徴する名盤として絶大なる評価を受けているナイトメアズ・オン・ワックスの歴史的名盤『Smokers Delight』。リリースから25周年となる今年、新曲を追加収録した25周年記念盤が、4月3日に発売決定!

英 Fact Magazine が「80年代後半のレイヴ・シーンの黎明期を生んだムーヴメントが、リラックスした部屋の中でも、イビザの夕暮れにも合うようにと、CDウォークマン世代にとってのセカンド・サマー・オブ・ラブを再定義した作品」と称賛した本作『Smokers Delight』は、当時まだ新興レーベルだった〈Warp〉周辺の勢力図を大きく塗り替え、〈Warp〉初期を支えたロングセラー作品であり、UKでシルバーディスクの認定を受けている大名盤であると同時に、デビュー作『A Word of Science』でジャンルを横断した独特なエレクトロニック・サウンドで注目を集めていたナイトメアズ・オン・ワックスが、ソウル、ヒップホップ、ダブからの影響を吸収したチル〜ダウンテンポの巨匠として歩み始めるキャリアの礎となった代表作。

バックボーンは、レゲエ、ソウル、そしてサンプリングとディギングを通したヒップホップだった。だからダブの影響や、ラヴァーズ・ロックのソウルフルな影響が感じられるんだよ。俺を音楽に向かわせたすべてのDNAが詰まってる。当時みんなから、ナイトメアズのサウンドを見つけたな、と言われたけど、「本当? なにそれ?」って感じだった。でも今振り返ると、感覚だったり、スピリチュアルな意味合いで、その意味がわかる気がするよ。そのゾーンに入った瞬間に自分でもわかるんだ。 ──George Evelyn (Nightmares On Wax)

今回25周年記念盤をリリースするにあたって、ジョージは再び「ゾーン」に入り、“Let’s Ascend” と “Aquaself” という2曲の新曲、“Dreddoverboard” のファンク・ヴァージョン、“Nights Introlude” のライヴ・ヴァージョンが追加収録される。赤と緑のカラー盤となる2LP盤は、シルバーのゲートフォールド・ミラーボード・スリーブに収納され、アルバムとボーナストラックがダウンロードできるダウンロード・コード付となっている。

label: WARP RECORDS
artist: Nightmares On Wax
title: Smokers Delight (25th Anniversary Edition)
release date: 2020.04.03 FRI ON SALE

輸入盤2LP WARPLP36RX

BEATINK:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10846

Tracklisting
A1. Nights Introlude
A2. Dreddoverboard
A3. Pipes Honour
B1. Me And You
B2. Stars
B3. Wait A Minute / Praying For A Jeepbeat
B4. Groove St.
C1. Time (To Listen)
C2. (Man) Tha Journey
C3. Bless My Soul
C4. Cruise (Don't Stop)
D1. Mission Venice
D2. What I'm Feelin (Good)
D3. Rise
D4. Rise (Reprise)
D5. Gambia Via Vagator Beach

*Bonus tracks on download card
01. Aquaself
02. Let’s Ascend
03. Dreddoverboard (Funk Mix)
04. Nights Introlude (Live In Chicago)

DJ Marcelle & Kampire (Nyege Nyege) - ele-king

 これまで20回以上開催されてきた WWW のレジデント・パーティ《Local World》ですが、今年もやる気満々です。今回は、これまで都内のクラブで開催されてきた YELLOWUHURU 主宰の《FLATTOP》と Celter 主宰の《Eclipse》との共同パーティで、話題のウガンダのフェス/コレクティヴ〈Nyege Nyege〉主宰の Kampire と、そのレジデントでもあるアムステルダムの DJ Marcelle を初来日で迎えます(Marcelle は大阪公演も)。これまたすごい一夜になりそうです。

Local XX2 World FLATTOP x Eclipse - Super Freedom -

新しい伝統と自由への狂騒。アフリカからダンス・ミュージックの未来を切り開くウガンダの新興フェスティバル/コレクティブ〈Nyege Nyege〉主宰の Kampire と、そのレジデントでもあり、今最も “越境する” 奇矯のアーティストとして話題の DJ Marcelle を初来日で迎え、Local World、FLATTOP、Eclipse によるハイブリッド共同パーティ “Super Freedom” が開催。

Local XX2 World FLATTOP x Eclipse - Super Freedom -
2019/03/28 sat at WWW / WWWβ
OPEN / START 23:30
Early Bird @RA ¥1,800
ADV ¥2,300@RA | DOOR ¥3,000 | U23 ¥2,000

【詳細】https://www-shibuya.jp/schedule/012322.php
【前売】https://www.residentadvisor.net/events/1386693

DJ Marcelle / Another Nice Mess [Netherlands]
Kampire [Nyege Nyege / Uganda]
YELLOWUHURU [FLATTOP / GHPD]
Celter [Eclipse]

+ many more

※ You must be 20 or over with Photo ID to enter

【DJ Marcelle 大阪公演】

AltPass feat. DJ MARCELLE
2020.3.27.fri. 22:00-7:00 at Club Daphnia
ADV ¥2,500 | DOOR ¥3,000

GUEST DJ:
DJ MARCELLE / ANOTHER NICE MESS
(JAHMONI) from Nederland

DJ:
Toshio Bing Kajiwara
7e
Gyoku
Gunilla
KA4U

LIVE:
USK

Visual Effect:
catchpulse

and more act.

FOOD: カカト飯店

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Local 1 World EQUIKNOXX
Local 2 World Chino Amobi
Local 3 World RP Boo
Local 4 World Elysia Crampton
Local 5 World 南蛮渡来 w/ DJ Nigga Fox
Local 6 World Klein
Local 7 World Radd Lounge w/ M.E.S.H.
Local 8 World Pan Daijing
Local 9 World TRAXMAN
Local X World ERRORSMITH & Total Freedom
Local DX World Nídia & Howie Lee
Local X1 World DJ Marfox
Local X2 World 南蛮渡来 w/ coucou chloe & shygirl
Local X3 World Lee Gamble
Local X4 World 南蛮渡来 - 外伝 -
Local X5 World Tzusing & Nkisi
Local X6 World Lotic - halloween nuts -
Local X7 World Discwoman
Local X8 World Rian Treanor VS TYO GQOM
Local X9 World Hyperdub 15th
Local XX World Neoplasia3 w/ Yves Tumor Local XX1 World AI2X2X w/ ???


■DJ Marcelle / Another Nice Mess [Netherlands]

「異なるカルチャーに対してオープンでありながらも、そこのオーディエンスや自分の期待感に意識を向けすぎないこと。自分の道を進むためにね」@RA https://jp.residentadvisor.net/podcast-episode.aspx?id=679

アムステルダムを拠点にDJ、プロデューサー、ラジオ放送、ミュージシャンと多岐に渡って活動を続けるベテランDJ Marcelle / Another Nice Mess。

サプライズ、アドベンチャー、エンターテイメント、教育:オランダのDJ/プロデューサーの DJ Marcelle / Another Nice Mess を説明するためによく使用される4つのキーワードであり、ライブ(およびスタジオ内)では3つのターンテーブルとレコードを使用して、ミックスの可能性を高みに引き上げる稀有なDJであり、またそれ以上のミュージシャンでもある。 2016年以降、ドイツのレーベル〈Jahmoni〉から「In The Wrong Direction」、「Too」、「Psalm Tree」、「For」(Mark. E. Smith へのオマージュ)の一連のEPリリースを経て、昨年最新LP『One Place For The First Time』をリリース。2008年から2014年の間には、ドイツの〈Klangbad〉から伝説のクラウトロック・バンド Faust の創設メンバーである Hans-Joachim Irmler によってセットアップされた4枚のダブル・バイナルのアルバムをリリースしている。

異なるスタイルの音楽を異なるコンテキストに配置することにより、個々のスタイル変化させ、他に類を見ない音楽スタイルを融合し、3つのターンテーブルと膨大なコレクションであるレコードを使いながらオーディエンスに3つの同時演奏ではなく1つのトラックであると感じさせる。そのスタイルは環境音、アバンギャルド・ノイズ、動物の音、レフトフィールド・テクノ、フリージャズ、奇妙なヒップホップ、最先端のエレクトロニカ、新しいアフリカのダンス・ミュージック、ダブステップ、ダンス・ホールなどと組み合わせれている。

独創的で熟練したミキサーであり、独自のスタイルを持ち、ほとんどのDJのクリシエやこれまでのルールを回避し、フラクサス、ダダなどのアバンギャルドな芸術運動やモンティパイソンの不条理な現実に触発されるように、ダブ、ポスト・パンク、最新のエレクトロニック/ダンス・ミュージックの進化など、常に、非常に、密接に、音楽の発展を追い続け、革新的な “新しい” サウンドに耳を傾けている。創造と発展の芸術性と高まりを強く信じ、約2万枚のレコードと数えきれないほどの膨大なレコード・コレクションは過去と現代のアンダーグラウンド・ミュージックに関する強力な歴史的知識を体現している。

ステージにおいてはマルセルは開放と自由を超越し、しばしば「圧倒的な豊かさ」、「真の耳を開ける人」、「真の開拓者」と表現されている。ヨーロッパ中のクラブ、美術館、ギャラリーを回りながら、ウィーン、ベルリン、ミュンヘン、バーゼル、チューリッヒなど、多くの都市のレジデントDJ、 2015年と2016年には Barcelona circus / performance group のライブDJを務め、ウガンダの Nyege Nyege フェステイバルでは「ライフタイムのレジデントDJ」として任命され、最近では欧州の Dekmantel、Unsound、USの Sustain Release 等のフェステイバルに出演しワールドワイドな活躍を展開。

また Red Light Radio、FSK、DFM など、ヨーロッパのさまざまなラジオ局向けにウィークリーおよびマンスリーのラジオ番組も開催し、インターネット上の John Peel ディスカッション・グループでは「best post-Peel DJ」と評される。マルセルにとって、何らかの緊急性や固定する必要がない限り、音楽形式は意味をなさない。分類が難しいことでブッカー、ジャーナリスト、オーディエンスを最初は混乱させられる。もしマルセルを適切な言葉で説明するのであれば「アバンギャルド・エスノ・ベース」と言えるだろう。

https://soundcloud.com/marcelle


■Kampire [Nyege Nyege / Uganda]

「私が望むのは、ジェンダーや性的指向に関わらず、その人となりの本質をしっかり見極め、誰もが平等にチャンスを得られるようになること」@i-d https://i-d.vice.com/jp/article/kzvn4v/uganda-dj-kampire-interview

東アフリカで最もエキサイティングなDJであり、ウガンダはカンパラの Nyege Nyege コレクティブのコアメンバーであるKampire。活気に満ち溢れたそのサウンドは世界中のクラブやフェスティバルへの出演を呼ぶ。Mixmag 2018年のトップ10のブレイクスルーDJに選出され、Nyege Nyege フェスティバルでの Boiler Room での放送は合法的な「インターネットの瞬間」であり、SNSで何千ものシェアをされ、オンラインで視聴している世界中の電子音楽ファンからフォローされる。

Kampire のDJミックスは Resident Advisor、Dekmantel、Fact Magazine で紹介され、Pitchfork & Fact の年末のリストで2019年のベスト・ミックスにも選出。Rinse FM ラジオのレジデンシーは、Hibotep、Faisal Mostrixx、Catu Diosis など、東アフリカのDJやアーティストにフォーカスしている。

2019年には4大陸でツアーを行い、ヨーロッパ全土のすべての有力フェスティバルに出演、ニューヨークの Redbull Music Festival の Nyege Nyege のショーケースでアメリカでデビューを果たし、Best friend & Nyege Nyege day one Decay と共に2020年の夏には、彼らのショー「Bunu Bop」でヨーロッパのフェスティバル・ステージにウガンダの最高のパーティー・カルチャーをもたらすであろう。

科学、文化、芸術として “黒髪” を探求するアート・インスタレーション「Salooni」の共同設立者であり、その体験プロジェクトは La Ba Arts Festival、ウガンダ、ガーナ、Chale Wote Street Art Festival、East African Soul Train (E.A.S.T) のレジデンシー、ケニア、Africa Utopia、ロンドン、キガリ、ルワンダ、 Women’s day、Burkina Faso and N’GOLÁ Biennial、São Tomé e Príncipe などで展開されている。

https://soundcloud.com/kkaybie


■YELLOWUHURU [FLATTOP / GHPD]

棍底にHOUSEを抱えながら電子音と生音を有機的に混ぜる男。

https://soundcloud.com/yellowuhuru


■Celter [Eclipse]

2019年2月より自身の主宰するイベント “Eclipse” をCONTACTにて始動。エクスペリメンタル、アバンギャルドを軸としたプレイを得意とする。

https://soundcloud.com/cel_ter

felicity - ele-king

 日本のインディ・シーンを支えてきた〈felicity〉が、レーベルとしての企画ライヴを3月12日に開催する。ご存じ七尾旅人と、先日EP「ざわめき」をリリースしたばかりの新世代ロック・バンドの羊文学、そしてこちらも昨秋アルバム『けものたちの名前』を発表したばかりの ROTH BART BARON の計3組が出演する。9年ぶりの企画とのことなので、きっと熱気あふれる一夜になるにちがいない。詳しくは下記より。

2002年の発足以来、個性的で良質なアーティストの作品をリリースし続ける音楽レーベル〈felicity〉が9年ぶりとなるレーベル企画ライブを開催!

七尾旅人、羊文学、そして ROTH BART BARON の3組が出演いたします。

[公演概要]

felicity live 2020

2020年3月12日(木) 渋谷WWW X

act:七尾旅人、羊文学、ROTH BART BARON

■OPEN 18:15 / START 19:00
■オールスタンディング ¥4,000(ドリンク別)
■前売りチケット:チケットぴあローソンチケットイープラスにて
 2月1日(土)10:00より一般発売開始
■問い合わせ:WWW X 03-5458-7688

Answer To Remember - ele-king

 何となくチック・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァーを連想させてしまう語呂のアンサー・トゥ・リメンバー。リリース元のレコード会社は「今までに聴いたことがない新しいエクスペリメンタル・ミュージック・プロジェクト」と紹介しているが、これは日本の若手ジャズ・ドラマーの中でもっとも才能溢れるひとりと言われる石若駿によるニュー・プロジェクトである。

 石若駿は日野皓正などに見いだされて本格的なジャズ・ドラマーの道を志し、バークリー音楽院に学んで東京芸大の打楽器専攻科を首席で卒業するなど、音楽家としてのエリート・コースを進んできたと言える。プロ・デビュー後は日野皓正、大西順子、TOKU やジェイソン・モランなど国内外のトップ・ミュージシャンと共演してきたが、その中でもテイラー・マクファーリンカート・ローゼンウィンケルとの共演がいろいろと話題を呼んだ。彼らとの共演を通して日本から登場した世界基準の新世代ジャズ・ドラマーと脚光を集め、また純粋なジャズの枠にとどまらない幅広い音楽の可能性も示唆することになる。自身の活動ではリーダー作の『クリーンアップ』(2015年)や石若駿トリオ名義で作品をリリースするほか、芸大時代の同級生だった常田大希らとジャズ、オルタナ・ロックなどのミクチャー・バンドの King Gnu (キング・ヌー)の前身である Srv.Vinci (サーヴァ・ヴィンチ)を結成し、小西遼や小田朋美らとのポップ・ユニットの CRCK/LCKS (クラック・ラックス)でも演奏する。WONK、MELRAW(安藤康平)、桑原あいなど同世代の若いジャズ・バンドやミュージシャンとのセッションも活発で、くるり、ものんくる、森山直太朗の作品にも参加するなどジャズ界にとどまらない活躍を見せる。『ソングブック』というシリーズ・プロジェクトは、「うた」をテーマに石若駿がさまざまなアーティストたちとコラボレーションを行ったセルフ・プロデュース作品集である。

 2019年もクリーンアップ・カルテットを組んで久しぶりのリーダー・アルバム『CLNUP 4』をリリースしたほか、『ソングブック』の第4集や CRCK/LCKS でのリリースがあり、くるりのツアー・ドラマーにも抜擢され、マーク・ド・クライヴ・ローによるローニン・アーケストラや SOIL & “PIMP” SESSIONS、日野皓正らの新作への参加、〈ブルーノート〉の企画アルバムやサントラへの参加と多方面での活動が続いていたが、そんな多忙な中でアンサー・トゥ・リメンバーをスタートさせた。レコーディングは ATR バンドという石若駿をリーダーとするハウス・バンドが中心となり、ニューヨークで活躍するジャズ・トランペッターの黒田卓也、米津玄師から mabanua らも注目する話題のシンガー・ソングライター/ピアニストの中村佳穂と彼女のバンド、フラッシュバックスのメンバーとしても活動してきたラッパー/トラックメイカーのキッド・フレシノのほか、ermhoi (エルムホイ)、Karai、Jua などのシンガーやラッパーが参加している。

 先行シングルとなった “トーキョー” は ermhoi のフェアリーな歌声がフィーチャーされたプログレとジャズの融合的なナンバーで、まさに新時代のリターン・トゥ・フォーエヴァーとでも言いたくなる趣もあり、現在ならばサンダーキャットスクエアプッシャーあたりの作品にも比類するのだが、中でも立体的で息をつかせないほどに叩きまくる石若駿のドラムが素晴らしい。『ソングブック』ではシンガーの歌声を生かすため、プロデューサー的な立場からシンプルなドラムにしている面も見られるが、ここではとにかく極限まで振り切れたような演奏で、ドラマーとしての可能性を追求している様子が伺える。“スティル・ソー・ワット” はローニン・アーケストラでの演奏に通じるジャズ・ファンク系のインスト曲で、ピアノやホーン・アンサンブルはじめ ATR バンドによる緊密なインタープレイを聴かせる。アグレッシヴなドラムがまわりの楽器を引っ張り、躍動感と高揚感に満ちた演奏を繰り広げるナンバーだ。そうしたダイナミックなジャズ・ロック演奏とキッド・フレシノのクールなラップが結びついたのが “ラン”。ハードバップ調の演奏に Jun のラップを乗せた “410” と共に、日本語ラップとジャズがここまで見事に一体化したナンバーもそうはないだろう。もともとインストのトラックに後からキッド・フレシノがラップを乗せたそうだが、石若駿の手数の多いドラム音とまるで呼吸をするかのようにラップがシンクロしている。中村佳穂バンドと共演した “ライフ・フォー・キッス” は、冒頭にある「今までに聴いたことがない新しいエクスペリメンタル・ミュージック・プロジェクト」を示すような楽曲。ジャズともオルタナ・ロックともインディ・ポップとも何とも形容ができない構成で、どこに向かうのかわからない面白さのある曲だ。比較的オーソドックなジャズ演奏の “GNR” がある一方、こうした実験性に富む “ライフ・フォー・キッス” は石若駿のジャズだけにとどまらないスケールの大きさを再認識させてくれる。

Beatrice Dillon - ele-king

 モーゼは「パンのみに生きるにあらず」とおっしゃるけれど、〈パン〉がなければもはやエレクトロニック・ミュージックを聴くことで精神的な豊かさまで得ることは不可能に近い……とまでは言わないにしても、それほどにベルリンの〈パン〉は心や頭に届いてくる音楽を絶え間なく発信し続けている(ジョークがわからない人への注→小麦粉のパンとレーベル名をかけています)。昨年のスティーン・ジャンヴァンやアースイーターに続いて、2019年も春先にリリースされたヘルム『Chemical Flowers』がまずは素晴らしく、秋にリリースされたスティーヴ・ウォーマック(=ヒートシック)『Moi』も鼻歌交じりの実にとぼけた作風で、さらにビアトリス・ディロンによる実質的なファースト・アルバムが目を見張る出来であった。これまでのキャリアを考えると、レーベルはよりどりみどりだったはずだけれど、そうか、ディロンは〈パン〉を選んだか、と。ダンス・カルチャーと実験音楽を拮抗させ、どちらのジャンルにも刺激を与えているという意味ではこれ以上ない組み合わせだろう(ジョークがわかる人への注→パンがなければケークスで木津毅の連載を読めばいいのよ〜)。

 これまでルパート・クラヴォーと2作続けて制作したコラボレイト・アルバムはどちらかといえば実験的で、リズム・トラックでありながら着地点がダンスフロアのど真ん中ではなかった(テクノ・ジャズと評された「The Same River Twice」はある意味傑作)のに対し、〈ブームキャット〉や〈ヘッスル・オーディオ〉からのシングルではヒネりを効かせたクラブ・ミュージックと両輪を並び立たせてきた彼女がこれらを過不足なくフュージョンさせ、新しいステップを踏み出したものが『Workaround(回避策)』である。『回避策』というタイトルは、そのようにして二刀流で続けてきた試行錯誤の結果、彼女にとって避けられなかった問題をクリアーしたという意味にも受け取れるし、まるでブレクシット(ジットじゃないよシットだよ)に対してエクスキューズを放っているようにも推し測れる。いい意味で思わせぶりなタイトルである。ジェームズ・P・カーズの宗教研究だとかトマ・アブツヨリンデ・フォイクトの抽象画などに影響を受けたそうだから、もっと違う意味があるのかもしれないけれど(リンク先の絵を見ると、なるほどとは思う)。

 全体的にカリビアン・サウンドがモチーフとされ、それはまるで新種のウエイトレスのように再構成されていく。富裕層じゃなかった……浮遊感しかない感触はベンUFOとカップリングでリリースされたカセットのDJミックスやちょうど1年前に〈リヴェンジ・インターナショナル〉の15周年を記念してリリースされたミックステープ『RVNG Intl. At 15: Selects / Dissects』にも通じる内容で、『RVNG Intl. At 15』では同レーベルからの正式リリース(Selects)と未発表曲(Dissects)を素材としていたのに対し、『Workaround』の元ネタはFM音源やアコースティック楽器を使った生演奏だという。ブリティッシュ・バングラのパイオニアとされるクルジット・バムラのタブラやシンケインなどに客演するジョニー・ラムのギター、あるいは昨年、〈モダン・ラヴ〉から猛々しい雰囲気の『Paradise 94』をリリースしたルーシー・レイルトンによるチェロに〈ヘムロック・レコーディングス〉のオーナー、アントールドなどが加わり、‘Workaround Two’ではローレル・ヘイローが金属的なヴォーカルもちらりと披露している。

 タブラをフィーチャーした緩やかな導入から前半は琴を含む様々な弦楽器がいい味を出している。スウィング・ビートを縦横にシンコペートさせるのが本当に楽しいのだろう、“Workaround Four”ではリズムの抜き差しに多くのヴァリエーションをつくりだし、間が抜けてしまうギリギリのタイミングでタムがひらめいたり、忘れた頃にタブラがカツンと鳴る。“Strings Of Life”のビートレス・ヴァージョンをUKガラージにしたらこうなるかなあという感じで、民族楽器を多用しているわりにワールド・ミュージック然としたところはなく、そういう意味では『Mala In Cuba』(12)を実験的な面へと傾かせたというか(本人の意識ではマーク・エルネスタスの『Jeri-Jeri』(13)や〈ナーヴァス・ホライズン〉の新しいコンピレーションでカッコいいドラムを連発していたDJプリードらに負うところが大きいらしい)。“Workaround Eight”からスピード感が増し……と言いつつ、すべての曲はBPM150で統一されているらしく、音数が増えたということでしかないのだけれど、曲が進むにつれてどんどん気持ちが上向いていくのがいい(DJミックス的な構成というか)。明るいというわけではなく、むしろ暗いサウンドなのに2010年代を覆っていた陰鬱なムードとははっきりと隔たりがあり、岩盤浴でもしたようにさっぱりした気分になれるのが嬉しい。『RVNG Intl. At 15』もかなりリピートしたけれど、『Workaround』もしばらくはやめられそうにない〜。

 ちなみに彼女の本名はディオン・ウェンデルで、カッセ・モッセことガンナー・ウェンデルとはコラボ・シングルもリリースしていたりするけれど、この2人は兄妹とか何かそういうものなのだろうか。ビアトリスというのもゲームのキャラクター名なのか、ダンテの『神曲』に出てくるベアトリーチェに由来するのだろうか。はて。

ジョジョ・ラビット - ele-king

 2010年代で最も面白かったコメディ映画はタイカ・ワイティティ監督『シェアハウス・ウイズ・バンパイア』だと思っていた。ワイティティの新作『 ジョジョ・ラビット 』を観るまでは。

『シェアハウス・ウイズ・バンパイア』はバンパイアたちがIT社会に順応しようと四苦八苦し、人類との共存を模索してワヤクチャになっていくシチュエーション・コメディで、これがニュージーランドの片隅で生まれた小品であるにもかかわらず、これを観たマーヴェル・スタジオがワイティティに『マイティ・ソー』の舵取りを決断させたのだから、どれだけハリウッドで成功するポテンシャルを秘めた作品だったかは容易に想像できるでしょう。それどころか結果を出しすぎてワイティティは『マイティ・ソー』の続編も任せられることになり、以前から取り組むと公言していた『AKIRA』はいまだクランク・インにたどり着けなくなっている。

『ジョジョ・ラビット』はそんなワイティティが『AKIRA』よりも優先させたナチス映画。ナチスを題材にしたコメディ映画といえば5年前にデヴィッド・ヴェンド監督『帰ってきたヒトラー』があり、ドイツの現在を鋭く風刺したばかりだけれど、ヒトラーとネオナチの違いを鮮明にするという仕掛けが施されていた同作に対して『ジョジョ・ラビット』はナチス自体をコミカルに描き、親しみを感じさせる要素を入れたことは反発も引き起こしている。自身がユダヤ(とアイルランドとマオリ)の血を引くとはいえ、ワイティティはかなり危ない橋を渡ったことは確か。『シン・ゴジラ』にもオマージュとして取り上げられた岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』をコメディ仕立でリメイクしたとして、それをアジアの人たちに見せる勇気が日本人にあるだろうかというような。

 ローマン・グリフィン・デイビス演じるジョジョはヒトラー・ユーゲントに入りたくてしょうがない10歳の軍国少年。ビートルズ「Komm Gib Mir Deine Hand(I Want To Hold Your Hand)」に煽られてジョジョたちは勢いよく訓練キャンプに参集し、サム・ロックウェル演じるキャプテン・クレンツェンドルフのハードな訓練生活に突入する。前線で負傷した隻眼の指導教官に扮したロックウェルは陽気な暴力性を期待させる上手い配置。マーティン・マクドナー監督『スリー・ビルボード』の暴力巡査や昨年の個人的なベスト5に入れたいアダム・マッケイ監督『バイス』ではウィル・フェレルを押しのけてジョージ・W・ブッシュを怪演するなど、ロックウェルはこのところ一作も見逃せない役者になりつつある。また、ジョジョの母親を演じるのがスカーレット・ジョハンサン(日本ではなぜかヨハンソン)で、美しくて優しく、そしてオシャレなロージーは政治的にも毅然とした姿勢を崩さないレジスタンスの一員という非人間的な造形。これは『アンダー・ザ・スキン』や『ゴースト・イン・ザ・シェル』、そして何よりもブラック・ウィドウ(『アヴェンジャーズ』)で見せるハードボイルドな役柄に通じるものがあり、こんな人は実在しないよ~とブーたれたいところだけれど、明日はないと覚悟を決めていた戦争末期のドイツ人たちが毎日のようにオシャレをしていたというのは史実に基づくものだという。スカージョのファッションは青のロング・コートやアーミー柄のカーディガン、赤い襟のサマー・セーターなど、どれもナチスの制服姿と際立った対比をなし、自由を手放さない生き方を視覚的にもアピっていく。

訓練中にウサギを殺せと命じられて尻込みをしてしまったジョジョは、2年間音信不通の父親を逃亡兵と決めつけているナチスの党員たちによって「ジョジョ・ラビット」と謗られるようになる。ジョジョにとって父の不在を埋めるものが、そして、想像上の「アドルフ」で、この役は監督自身が演じている(誰も引き受けてくれなかったので自分が演じたそうだけれど、結果的にユダヤ系がヒトラーを演じたことに)。ワイティティ演じる「アドルフ」はいわゆるアグレッシヴなそれではなく、スラップスティックで愛嬌のあるヒトラー。当時の軍国少年にはヒトラーがどのように見えていたかはわからないけれど、戦後と同じようにヒトラーを「怖い」と認識していたとも思えないので、誇張があるとはいえ、軍国少年が指導者を身近に感じていたという感覚を表すものとしてはゼロではないだろう。オウム真理教の信者が麻原彰晃をアニメで描いていたセンスと重なるというか。ちなみにヒトラー・ユーゲントが勢いづくシーンで流れるのはモンキーズ「I’m a Believer」をドイツ語でカヴァーした「Mit All Deiner Liebe」と、これもビートルズ同様、少しブラックな使い方。撮影が実際にナチスの宣伝映画を撮ったプラハのバランドフ・スタジオにセットを組んで行われたというのもなかなかブラックではある。

(以下、ネタバレ)
 ジョジョは、そして、ユダヤ人の娘、エルサ(トーマシン・マッケンジー)が納戸の奥に隠れて暮らしていたのを発見してしまう。母親のロージーが密かに匿っていたのである。エルサはジョジョを脅す。通報すればあなたたち親子も死刑になると。ジョジョはパニックになるも、ユダヤ人の秘密を聞き出してユダヤ人を壊滅させるための本を書こうと考え、エルサの話に耳を傾けていく。この辺りはかなり丁寧な描写が続く。『シェアハウス・ウイズ・バンパイア』の原題は「What We Do in the Shadows」、すなわち「我々は暗闇の中でどうする?」で、陽の光の差し込まないホテルの中で悶々と暮らしていたバンパイアたちが人間たちと友人になり、いわば世界を広げようとする話だったとしたら、『ジョジョ・ラビット』は納戸=暗闇の中に潜んでいるエルサの話を聞き、その過程でナチスによる洗脳がとけていくという展開を指し示す。関心を向けるヴェクトルが逆方向になったのである。バンパイアたちはラストシーンで狼男たちと大乱闘を繰り広げるけれど、狼男は要するにナチスで、暗闇に潜んでいたユダヤ人とナチスが鉢合わせすれば、それは大乱闘にもなるわなと。『シェアハウス・ウイズ・バンパイア』を観て無邪気に笑い転げていた僕は『ジョジョ・ラビット』を観る前にもう一度観ておけばよかったと、いま、痛切な後悔に襲われている。そう、2010年代で最も無責任に楽しめるコメディ映画は『シェアハウス・ウイズ・バンパイア』だと思っていた。『ジョジョ・ラビット』を観るまでは。

『ジョジョ・ラビット』はコメディ映画としては少し弱い。ヘイト・クライムに立ち向かうという社会派的な側面がはみ出し過ぎて、ビルドゥングス・ロマンとしてのファクターも色濃く盛り込んだためコメディの要素はなくてもよかったという気までしてしまう。エンディングでは笑うどころか涙さえ出てしまいそうだった。エルサと別れたくないジョジョは嘘をつき、真実を知ったエルサはジョジョを張り飛ばすも、2人は珍妙なダンスを踊り始め、デヴィッド・ボウイ「ヒーローズ」と共にエンド・ロールへと雪崩れ込む。とても短いシーンだけれど、ローマン・グリフィン・デイビスはほんとに11歳かよと思うほど演技が複雑で素晴らしく、ユーゲント仲間のヨーキーもとてもかわいかった。

三田格
『ジョジョ・ラビット』予告編

プリズン・サークル - ele-king

「法律が変わるまでやめます」と井上陽水は言った記憶がある。大麻所持で逮捕された時のコメントで、法律が変わったらまたやるという意味にも取れる。謝罪はなかったはずで、執行猶予のあいだ(当時は2年)に6作目のアルバム『white』もリリース。留置場でつくった曲も収録され、歌詞は急に難しくなった。

 ピエール瀧や沢尻エリカがドラッグで逮捕されてから起きた騒ぎが何かに似てるなと思っていたら、ああ、16年前に起きたイラク人質事件だと思い当たった。日本人4人がイラクで武装グループに誘拐され、日本政府が身代金を要求されるや、人質たちに対して異様なほど国内から攻撃の言葉が向けられたのである。元パレスチナ・ゲリラの足立正生さんが知り合いのゲリラ仲間に連絡をとり、そこからなんとか解決に向かう糸口を見つけたそうで、あらゆる立場の人がどんなルートを使ってでも人命を第一に考えるならわかるけれど、それどころか人質たちは同じ日本国民に罵倒され、自己責任論が一気に巻き起こった現象は海外でも大きな話題となり、日本社会の構造があれこれと論じられるきっかけともなった。それから6日後に別な武装グループに誘拐されたイタリア人たちが同じようにして解放されたケースではイタリア人たちが喜びのあまり国を挙げてのパレードを開催したことで、その対比はあまりにもはっきりとしたものになった(ちなみに自己責任論の言い出しっぺは安倍晋三で、ブッシュ政権の国務長官コリン・パウエルが日本人の人質たちを弁護するという奇妙な図式に発展した)。ドラッグに手を出した芸能人をめぐる海外のニュースはイタリアの例と同じトーンで語られていて、最近だと『アベンジャーズ』の看板俳優、ロバート・ダウニー・ジュニアが麻薬更生施設に入ったというニュースが淡々と報道されるのに対し、そうした芸能人たちがドラッグ依存から立ち直ったというニュースが流れるとそのことを祝福するニュースがメディアにあふれかえる。ドラッグ依存に対して「責める」よりは復活を「喜ぶ」声の方が強いのである。アメリカ人はことさらにカムバック・ストーリーが好きだということもあるかもしれないけれど、それにしても武装グループの人質になった人やドラッグ依存の人を糾弾し、「アウト、アウト」と叫ぶ感覚は一体どこからくるのだろう。中東で人質になった人たちは法律を犯したわけではないので、法律を守らないということでもないし、共通点があるとしたら誰にも知られずに好きなことをやっていたというぐらいで、そんな人はしかし、ほかにいくらでもいる。わからない。普通とは違ったことをして、そのことがマイナスに転じた時に容赦なく襲ってくる人やそれを喜ぶマスコミが日本には少なからず存在するとしか言えず、排除の基準には悩むばかりである。あるいは吉田大八監督『羊の木』や白石和彌監督『ひとよ』など、このところ刑務所帰りの人たちがさらに過酷な運命に直面しなければならないという作品が続くのも気になるところで、「禊」という感覚にも違和感が募るばかり。ピエール瀧が『ゾッキ』の撮影に入ることで「瀧ルール」などという言葉まで生まれてしまった(それを言うなら陽水ルール?)。

 坂上香監督『プリズン・サークル』は日本の刑務所に初めてカメラが入ったドキュメンタリー。撮影場所に選ばれた「島根あさひ社会復帰促進センター」では「セラピューティック・コミュニティ」(以下、TC)というリハビリ・プログラムを実施することで再入所率を減少させることに成功し、刑務所=罰を与えるところという概念を変化させているという。内容は専門家のガイドを得ながら囚人同士で話し合うだけのことである。最も驚いた部分を最初に書いてしまうと、裁判所で刑を言い渡されて服役しているにもかかわらず、実は自分のやったことの意味がまるでわかっていないという例があったこと。それがTCという場で周囲の囚人たちと会話を重ねているうちに、自分が何をして、どうして罰せられたのかがやっと理解できたというもので、その場面を見ていて、え、裁判所ってそういうことをわからせるところじゃなかったの? と別な疑問まで湧いてしまった。『プリズン・サークル』はそういったプロセスを4人の囚人をクローズ・アップすることで細かい部分まで明らかにし、それこそホアキン・フェニックスという名優を得ることができれば、さながら4ヴァージョンの『ジョーカー』を観たような気分にさせてくれたようなところがある。『ジョーカー』のアーサーはケン・ローチやポン・ジュノが題材とした下層労働者を普遍化する存在ではなく、京アニの放火犯に近い存在だと思うので、この連想はそれほど遠くかけ離れたものではないだろう。親に虐待されている人を羨ましく思うほど家族とのつながりを欲している健太郎(仮名)など、「親」との関係がいやでも本人にのしかかってくるという構造も『ジョーカー』を思わずにはいられない。TCによって記憶を取り戻す人、親との関係を初めて客体視できるようになったり、それによって考え方が変わっていく人など、どの部分も見応えがあり、「理解」がなければ「反省」にも辿り着かないと言うことがよくわかる。あるいは「反省」だけをさせようとする人は目的がそもそも違うんだなということも。それにしても(たまたまかもしれないけれど)親が原因のほとんどをなしている例が多過ぎる。それ以上の論点には踏み込まないものの、家族主義を弱体化させるだけでどれだけ犯罪が減るんだろうとはやはり思ってしまいます。話を続けることで自分が変われたと自覚した囚人が終盤で感謝の意を込めて監督に握手して下さいというと、刑務官が規則だからといってこれを退けてしまう場面はなかなかに切なかった。彼を犯罪者にした感覚の大半は人との触れ合いが無さすぎたことから発していると思うのに、犯罪者になったことで、やはり禁じられるのが人との触れ合いなのである。エンディング近く、出所した人が「刑務所にいた間は充実していました」とコメントしているのも、おそらく厳罰主義者や犯罪者に「アウト」と叫ぶだけの人たちには気に入らない箇所だろう。京アニの放火犯を『ジョーカー』と同一視して見るのが困難であるように。

RBG』や『マックイーン:モードの反逆児』、『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』や『主戦場』と、昨年は劇映画よりもドキュメンタリーの方が幅も広く、全体にテンションが高いなと感じていた。『プリズン・サークル』と同じくイランで初めて少女鑑別所にカメラが入ったメヘルダード・オスコウイ監督『少女は夜明けに夢を見る』という作品もあった。望月衣塑子をダシにした『i-新聞記者ドキュメント-』は微妙だったけれど、まだまだ観たいものは残っていて、8時間を超えるにもかかわらず山形映画祭ドキュメンタリー部門で大賞と観客賞をダブル受賞したワン・ビン監督『死霊魂』もこの春には控えている。この勢いはまだまだ続くかもしれない。『プリズン・サークル』の撮影対象となった「島根あさひ社会復帰促進センター」は島根県が誘致してつくられた官民連携の新しい刑務所で、その目的は雇用促進というビジネスがベースでもある。矯正とビジネスが結びついて利益共同体と化したアメリカの刑務所に取材し、『監獄ビジネス』(ヒラリー・クリントンはこれで大統領選で黒人票を失ったとも言われている)を著わしたアンジェラ・デイヴィスは『プリズン・サークル』に寄せて「この映画は、静かに、私たちを沈黙という抑圧から解放する。刑務所を、受刑者を、そして観る者を」と賛辞を述べている。
 

『プリズン・サークル』予告編

interview with shotahirama - ele-king

 いったいなにごとかと、そう驚くことになるだろう。これまでノイズ~グリッチの領野でキャリアを重ねてきた孤高のプロデューサー、「きれいなひとりぼっち」こと shotahirama が、突如ヒップホップに開眼したのである。といってもいきなりラップをはじめたわけではなく、またごりごりのギャングスタに転身してしまったわけでもない。昨年末にリリースされたばかりの新作『Rough House』が、ターンテーブルを用いて制作され、無類のビート・ミュージックを打ち鳴らしているのである。
 とはいえそこはやはり shotahirama、前作『Maybe Baby』ほどではないにせよ、グリッチ・ノイズやダブも細やかに取り入れられている。今回の新作がおもしろいのは、にもかかわらず既存のエレクトロニカ~グリッチ・ホップのようなスタイルとは微妙に距離を置きつつ、かといってクリスチャン・マークレーのような前衛に振り切れるわけでもなく、もちろんヒップホップのターンテーブリストたちのスタイルとも異なっているところで、なるほどたしかにこれは彼にしかつくりえないヒップホップといえるだろう。
 このような「転向」のきっかけは2年前。それまでほとんど聴いてこなかったというヒップホップに、まずはリスナーとしてのめりこむことからすべてがはじまった。以下のインタヴューをお読みいただければわかるように、それはもうどっぷりだったのだという。有名どころは無論のこと、ずいぶんマイナーなものにまで関心の矛先は向かったようだ。それこそディギン・イン・ザ・クレイツよろしく掘って掘って掘りまくり、寝ても覚めてもまた掘って……なかでも強く惹きつけられたのは、90年代ニューヨークのアンダーグラウンド・シーンだったという。shotahirama はそこにオーセンティックを見出した。
 今回が彼にとって初めての「アルバム」であるという点も注目しておくべきだろう。いや、もちろん shotahirama はすでに何枚もアルバムを送り出している10年選手なわけだけど、今回の新作『Rough House』は3~5分の曲が10トラックという、わかりやすい「アルバム」のかたちをとっているのである(最後の1曲をのぞく)。これまで長尺の曲ばかりつくってきた彼が、ストレートにアルバムという形態に挑戦──いったいなにごとかと、そう驚くことになるだろう。
 と、このように二重に転機を迎えた shotahirama だけれど、今作に込められているのはたんにヒップホップにたいする熱い想いというよりもむしろ──や、それも当然あるのだけど、それ以上に──ハマったらとにかく一意専心、掘って掘って掘りまくるという、音楽文化そのものにたいする深い敬意と誠実さなのではないかと思う。つまり、至上の愛である。


最近の主流のヒップホップでもなく、逆にテクノとか、ノイズとかグリッチでもなく、そのぜんぶの中間地点というか、どこにも属していないものでできているような音になっていたらいいかな。

前回のアルバムから2年半くらいが経ちましたけれど、この間はなにをされていたのでしょう?

shotahirama(以下、SH):ふたたびレコードを買うことに舞いもどりましたね。リスナーとしてしっかり店に行って、買って。またむかしみたいにディグりはじめているかな。レコードにもう一回興味が出てきた。

おもにどういった方面のものを?

SH:前回の『Maybe Baby』の制作が終わってから、ずっとヒップホップばかり買っていましたね。妻がもともとディスクユニオンのヒップホップ担当だったので、有名どころはすでに家にあったんですよ。でも俺はノイズとかオルタナの人だったから、言い方は悪いけど、「ラップしてんなよ」という感じで(笑)。「ア・トライブ・コールド・クエスト聴いてればヒップホップ知ってるでしょ」くらいの感じだった(笑)。まわりの若い子たちがみんなヒップホップを聴いていて、かっこいいんだなと。それで、ちゃんと聴いてみよう、俺も買おうと思って、自然とヒップホップを探すようになった。一度のめりこむとそれだけになっちゃう性格なんですよね(笑)。じぶんでもとことん調べるし、お店の人や詳しい人に訊いたり。40歳とか45歳くらいの先輩たちは、リアルタイムで通っていた人たちだから。それでもうドハマりして、月いくらまでって制限しないと信じられないくらい買っちゃう(笑)。コレクターって厄介ですよね。音楽はもちろん聴くんだけど、所持してるフィジカルの数が増えていくことじたいにもけっこう昂奮しちゃう。

買ったのに時間なくて聴けていないやつとかありますよね(笑)。

SH:あと、おなじの買っちゃったりね(笑)。

それで今回ヒップホップのアルバムになったと。

SH:こんなにレコード持ってるし、じゃあ使ってみるかということで。がっつりターンテーブルで、マシンドラムと合わせてね。今回はラップトップのソフトウェアとかはあんまり使わないでつくりました。だから、レコードを買うことによって今回のアルバムが生まれたんですよ。

ヒップホップのなかでも、いちばんハマったのはどの辺ですか?

SH:いちばんハマったのは、90年代半ばのニューヨークのアンダーグラウンドのものですね。ロード・フィネスやバックワイルドなどの D.I.T.C. (Diggin’ In The Crates)とか。あとブルックリンだとナチュラル・リソースとか、ハードコアだけど、ヘルター・スケルターとかのブート・キャンプ・クリックとか、その界隈にいるダ・ビートマイナーズとか。彼らがトラックメイクしている12インチをひたすら探した。ビートマイナーズのシーンはめちゃくちゃかっこいいんですよ。とくに、その界隈のシェイズ・オブ・ブルックリンやフィンスタ・バンディはめちゃくちゃハマりましたね。音数が少なくて、ネタが一個あって単純にワン・ループでっていうところがすごく好きで。キックとスネアだけで、音がこもっていて、ラップも暴力的じゃない。俺はこういうのが好きなんだなというのがこの2年間でわかった。

2018年の秋に、アルバムからの先行シングルとして「Cut」を出していますよね。でも音を聴くと、そのあとにけっこう変わったのかなと。今回のアルバムには収録されていないですし。

SH:気持ちが変わった(笑)。気分屋というか気まぐれというか、やっぱりじぶんの思うままにやっていきたいじゃないですか。メジャーでもないし。でも今回も、「Cut」とおなじことはやっています。あれもノイズっぽさとかグリッチな感じはかなりなくしたし、サンプリングをつかっているし。でもまだちょっと『Maybe Baby』が入っちゃっている感じですね。

新作を聴いて、たしかにヒップホップだけど、とはいえやっぱりグリッチだなとも思いました。

SH:ですね。ちょっとハウスっぽくないですか? クリック・ハウスみたいな。ドープな暗いギャングスタではないし、ウェッサイでもないし。ぼくがそういう人じゃないから。そもそも(生まれが)ニューヨークだし。なんとなく怖いという感じにはならないくらいが俺っぽいのかなと。踊れて、かつ聴かせられるようなものをつくりたかった。だからグリッチしちゃうし、ターンテーブルもずっと指でなぞってわざと速度を落としたり。といってもタンテを使っているグリッチの人、たとえばクリスチャン・マークレーとか大友(良英)さんとか、そういう感じでもない。俺だったらどうできるんだろう、というのは考えました。ヒップホップとは言っているけど、shotahirama っぽさはある。当然ヒップホップを意識してつくったんですけど、グリッチとかノイズとかを聴いているひとがたどりついてくれたらいいな。もちろん、ふだんヒップホップしか聴かないひとにも聴いてもらいたいし。

いまの主流のトラップでもないですよね。そっちは肌に合わない?

SH:トラップのシーンをそんなに知らないから簡単にはいえないけど、少なくとも今回やろうとしていたこととはまったくちがうだろうなと。たぶん、前回のアルバムに比べて今回は音がすごく少ないと思うんです。音が多いものだったり速いものだったり、あとエレクトロニックな感じにもあまりしたくなかった。クラブ的というか、ファッショナブルな感じにはしたくなかったんです。きらきらしてつやっぽいものではなく、ハイが削れていて中音域が豊かな、アナログっぽい質感で、ロウで。

ビートがヒップホップだからかもしれませんが、以前よりポップさも増したように思いました。

SH:聴きやすくなっていたら嬉しいな。

むかしの〈Ninja Tune〉に近いのかなとも思いましたね。キッド・コアラとか。

SH:最近の主流のヒップホップでもなく、逆にテクノとか、ノイズとかグリッチでもなく、そのぜんぶの中間地点というか、どこにも属していないものでできているような音になっていたらいいかな。俺じゃないとできない感じ。

どことなくマウス・オン・マーズも思い浮かべました。

SH:マウス・オン・マーズめっちゃ好きですよ! 制作中はぜんぜん頭をよぎらなかったけど、いまそう言われてみて「ああ、俺めっちゃ好きだわ」と思った。それは嬉しいですね。

ナインティーズっていうところに、たぶんじぶんのモードというか、基本的にそこになにか核のようなものがあるのかなって。くすぐられるものがたくさんあるというか。じぶんのなかのオーセンティックが90年代なんですね。

制作過程で〈Anticon〉や〈Definitive Jux〉あたりは聴きました?

SH:少なくともこの2年間では聴いてないですね。たぶん、もともとじぶんが持っていた(グリッチなどの)要素と、新しく掘ったもの(ヒップホップ)が混ざった結果、〈Ninja Tune〉とかマウス・オン・マーズとかにつながっているんだろうな。それはすごくおもしろい。

ちなみにオウテカは?

SH:オウテカはめっちゃヒップホップ好きですよね。でもそういうじぶんに近いところのは聴かなかったですね。オウテカ聴いていたらまたべつな方向にブレただろうし。だからこの間、ギター・サウンドも聴けなかったんですよ。嫌っているわけではなくて、一度ハマるとそればっかりになっちゃうから。

“ROUGH HOUSE” なんかはいわゆるJ・ディラ以降のもたつくビート感に近い瞬間もありますけど、そういうものにも触れなかった?

SH:触れてないですね。ディラもマッドリブも。あー、でもディラは、トライブがらみで少し絡んでいたかも。

そういう話を聞くと、すでにあるグリッチ・ホップなどから影響を受けたのではなくて、かつてそういうものをつくったパイオニアの人たちとおなじように、オーセンティックなヒップホップを聴いて、オリジナルのなにかをつくろうとして、こうなったという流れなんですね。

SH:むかしの偉人たちのインタヴューとかアルバムの解説とかを読むと、たとえばアルバムをつくるためにどこどこへ旅行に行ってとか、その地方の楽器だけ使ってとか、ありますよね。その限定された条件のなかで集中して、たとえばもともとじぶんたちが知っていたギターを弾くようにシタールを弾いてみたり。ラップトップを触るようにターンテーブルを触るとか。そういう感じなんじゃないかな。

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愛が詰まっているんです。「このひと、これが好きなんだな~」っていうのが伝わってくれるといいな。「俺はこういうのを聴いて、こういうふうにつくったんだよ」っていう。

ラッパーを入れることは考えなかったんですか?

SH:やってみたいとは思います。やってみたいですけど、こういう性格なので、いっぺんにいろいろはできないんですよね(笑)。なにかにハマったらそれだけになっちゃう。あるひとりのアーティストだけにハマるというわけではないんですけど、そこからその周辺や時代を探っていって。この曲はこの人がプロデュースしてるんだとか、その界隈をずっとぐるぐるまわって、じぶんのなかに落としこんでいく。それがわかるまで聴きつづける。オタク気質なのかな。だからその間はペイヴメントもまったく聴かなかった。

おもしろいのは、今回のヒップホップにせよペイヴメントにせよ、90年代というところですよね。

SH:グランジもですけど、あの時代のニューヨークのヒップホップはすごくおもしろい。

それはやっぱりじっさいそこに住んでいたから、なにかが刷りこまれちゃってるんでしょうか?

SH:そんなかっこいいものではないと思う。ナインティーズっていうところに、たぶんじぶんのモードというか、基本的にそこになにか核のようなものがあるのかなって。くすぐられるものがたくさんあるというか。じぶんのなかのオーセンティックが90年代なんですね。

前半と後半とでちょっと雰囲気が変わりますよね。今回はデジタルのみでのリリースですけど、しっかりA面・B面でわかれているような印象がある。単純に分数で割ったら収まらないかもですが。

SH:前半はまだグリッチも多くて、後半はサンプリングだけでトラックメイクするような感じ。

こういう流れにした狙いは?

SH:“SLACKER” と “SLACK HOUSE” はもともと1曲だったんです。俺の悪い癖で(笑)。だから切ったんですよね。前半4曲くらいはたしか、つくっている時期がおなじだったんじゃないかな。そのころはまだ1曲10数分でアルバム、みたいなことを考えていたと思う。でも意外とさくさくつくれて、その前半4曲とはまったくべつのものができた。この調子で行けば、(長い)この曲もちがう曲になる、あれもちがう曲にできる、という感じで10曲に絞っていた。

そうすることで、いわゆるアルバムの形態になったと。手ごろな長さの曲がしっかり10曲も入っている、こういうかたちは初めてですよね。

SH:そうそう! フル・アルバム。10曲で50分くらいあって。そんなのやったことないですからね。

キャリア10年目にして、ついに。

SH:自分のレーベルをはじめたのが2009年だから。

たしかに。先ほどハウスっぽいという話が出ましたけど、前半の曲のタイトルに「HOUSE」とついているのはそういう理由から?

SH:いや、これはラフ・ハウス・サヴァイヴァーズっていう、ニュージャージーのヒップホップ・トリオからとりました。ふだんヒップホップを聴いているひとでも知らなかったりする、いわゆるマイナー・ヒップですね。ニュースクールっぽい感じです。そのジャケがまたかっこよくて。でもあとで聴きなおしたら “SLACK HOUSE” とかは意外とクリック・ハウスぽい。意識したわけじゃないけど。そもそもハウスとヒップホップは親戚みたいなものだし、ダンス・ミュージックを聴いていたひとがつくったからそうなったのかな。

今回は音数が少なめなのもポイントですかね。

SH:『Maybe Baby』は多かった。『Post Punk』もそうだし。それはヒップホップを聴いた影響じゃないですかね。

以前、トラックは0.1秒ずつつくっていくといっていましたよね。そのペースでざっくり計算してみると、今回はめちゃくちゃはやく仕上がっているのでは?

SH:めっちゃはやいです。今回メインでつかっているのはエレクトロンのデジタクトという機材で、ビートがつくれて、サンプラーにもなっている。『Maybe Baby』のときは使っていなかった。前回は基本的にリアクターっていうソフトとずっとにらめっこしていて。そのちがいじゃないですかね。ノイズっぽいところ、グリッチっぽいところもあるけど、ほんとうにわずかなので。ターンテーブルはビートメイクをするうえで、ほんとうにはやくつくれる。大丈夫かなって思うくらい。前作とはぜんぜん制作期間がちがいますね。『Maybe Baby』は、あれだけ頑張ったのに、結果10数分だった(笑)。今回はこの期間で10曲もできているし、アウトテイクも含めたらもっとある。

あとやはり随所にダブの要素も仕込まれていますよね。最後の曲とか。

SH:これは(リカルド・)ヴィラロボスの影響なんです。あの読み方が難しいアルバムの……

赤いジャケの?(『Fizheuer Zieheuer』)

SH:そう! あのジャケの盤を3枚くらい持っていたんです。何回も再発されて黒いジャケになってるんですけど、赤いジャケありのやつは高いんですよ。

あれはぼくも一時期めっちゃハマりましたけど、3枚はすごい(笑)。

SH:あれをずっとひきずっていて。ほんとうにお気に入りで、いつかああいうのをつくりたいと思っていた。ヒューっていう亡霊みたいな声が入ってくる部分も、じぶんのなかでたまたま近いネタをみつけて、それをピッチダウンしたら幽霊みたいになって、「あれっ、この感じ、発明したかも」と。ヴィラロボスはもっとクリックで、テクノですけど、それをダウンテンポでできるのではないかと思いついた。音数を極端に減らして、たまにディレイをかけて。そういう思い入れもあったので、最後のその曲だけ10分超えてたと思います。

なるほど。ヴィラロボスだったとは。いやー、懐かしい。

SH:呪術的な、すごい妖しい感じでね。アガる声ネタも入っていて、祝祭感もある。トランペットも入っていて、南米のノリですよね。ヴィラロボスはほんとうに好きですね。ぼくのはもうちょっと暗い感じになってる。

この歳になってじぶんの好きな領域がまた増えたというか、かつてギタポを聴いていたときのように、しっかり勉強して買ってという感じになれたので、すごく幸せな2年間でしたね。

今回の制作中に聴いた唯一のヒップホップではない作品?

SH:いや、聴いてはいないですね。じぶんのなかでずっとひきずってきたって感じです。ほんとうに好きな12インチなので。おもしろいですよね。サンプリングしようと思ってつくりながら、「あれ?」という発見がある。「こういうふうに聞こえるんだ」みたいな、そういう発見はめちゃくちゃ楽しいです。それって、0.1秒ずつグリッチさせてノイズつくっていくのよりもはるかに健康的じゃないですか(笑)。

たしかに。ほかに工夫したことはありますか?

SH:たぶんヒップホップのトラックをつくるときって、ふつうはジャズとかソウルから元ネタを引っぱってくると思うんですが、俺は今回、基本的にはヒップホップの12インチを使いましたね。ほんとうはその元ネタを探してつくるんでしょうけど。だから、わかるひとは聴いたらわかるんじゃないかな。ギャングスターも入ってるし。最後の曲の冒頭はジェルー・ザ・ダマジャの “Come Clean” って曲ですね。

デビュー作の。

SH:シェリー・マンっていうドラマーの “Infinity” という曲があるんですけど、その曲で鳴っている、水がしたたるような音をジェルー、正確にはプレミア(プロデュースはギャングスターのDJプレミア)が使っているんです。その12インチをそのまま使って、ピッチを落としてテンポも遅くして、ビートに乗っけて。そのやり方に愛が詰まっているんです。「このひと、これが好きなんだな~」っていうのが伝わってくれるといいな。

孫引きみたいな感じですよね。その場合オリジナル盤じゃないから、それをサンプリングしているほうの微妙な音の感じも入ってくるということですよね。

SH:そうです。さらに指でピッチを変えているし、当然サンプラーでもまためちゃくちゃいじるし。いくつかの過程を経ているので、まったくそのままでは絶対にないはずです。あとはスラム・ブラザーズとか。1曲目の “STOP FRONTING” はスラム・ブラザーズの同名曲からとっていますね。ネタもそのまま。ピッチはだいぶ変えてるけど。だから、「俺はこういうのを聴いて、こういうふうにつくったんだよ」っていうのが伝わるといいな。

まずなにより音楽好きであるというか。

SH:やっぱり音楽オタクなんですね。それで前回のときにはいっさい話していなかったヒップホップにもついにハマってしまったと思ってもらえれば(笑)。とか言いつつ、ちゃっかり去年の(スティーヴン・)マルクマスのライヴにも行ってるんですけどね。この歳になってじぶんの好きな領域がまた増えたというか、かつてギタポを聴いていたときのように、しっかり勉強して買ってという感じになれたので、すごく幸せな2年間でしたね。でも、このインタヴューがきっかけで、じぶんのなかのヒップホップのブームが終わったらと思うと怖いな(笑)。次のアルバムのときはラテンの話をしていたりするかもしれない(笑)。

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