「KING」と一致するもの

Disclosure - ele-king

 コロナ禍におけるUKではハウス・ミュージックがかかる違法レイヴ──いまどきの別称でいえば“隔離(quarantine)レイヴ”が頻発していることはもはやよく知られたところで、当局が30人以上のレイヴを見つけた場合は主催者に1万ポンド、参加者にも100ポンドの罰金、二回目以降は3200ポンドの罰金を科すなど政府も取り締まりに躍起になっている。まさにアナーキー・イン・ザ・UKというか、なんでも7月末には3000人規模のレイヴがあり、8月のある週末にはわかっているだけでも200件を越えるイベントがあったそうで、8月22日の電子版『ガーディアン』によれば6月以降すでに1000件の違法レイヴが発覚しているそうだ。30年ぶりのレイヴ爆発である。
 それにしても……1992年~93年のクリミナル・ジャスティスのときとは違った意味で警官(ただしフェイスガードしている)に囲まれているレイヴァーたちの写真を見ていると、イギリスって本当にレイヴが好きなんだなぁと呆れるというか感心する。いまだ有効なワクチンがなく、おそらくは公衆衛生的にも欠陥だらけで、致命的な病気にかかるリスクがあるなかでの集団的な「ダンス」なので奨励するわけにはいかないけれど、しかしまあ、本当に好きなんだなぁと。そうでもしてなければやってられないと、そういうことでもあるのだろうけれど、日本でこれはまずないでしょ。
 決して小さくないリスクを冒してまでいま森のなかや飛行場で踊っているのは、もちろん90年代に当事者だった中年たちではない。主役はその子どもたちの世代であって、まさか親から教え込まれたわけじゃあるまいし。文化として根付いてしまっているんだろう。
 だとしても、やはりどうしてもいま集まって踊ることは昔のようなオプティミズムやロマンスとは別の意味を孕んでしまう。これはもう仕方がないことだ。そして、よりによってこんな時代──UKではクラブはいまも閉店中──に堂々と『エナジー』などという直球なタイトルのダンス・アルバムをぶちかますディスクロージャーとはナンなのかと(笑)。

 いや、笑いごとではない。話はより複雑で、コロナ時代に敢えてダンスのディスクロージャーは格好いいという単純なオチでもなかったりする。コロナ前のUKにはクラブ/ハウスをめぐってのハードな議論があり、それはいまもあるので、手短に紹介したい。
 まずひとつには、昨年DJ Magが掲載した秀逸な記事──いまのUKダンス・カルチャーは白人的であり中産階級的(高価な遊び)であるという問題提起に集約される。これは、クラブ・カルチャーという漠然としながらも響きの良い言葉が「ナイト・エコノミー」という新自由主義用語にすり替えられてから起きている、大きな問題だ。日本でも「ナイト・エコノミー」が言われてから、何が失われたのかを探ってみて欲しい。企業が企画するドラムンベースのイベントなんて90年代の感覚でいえば警察がギャングスタ・ラップをやるのと同じくらい考えられない話だが、しかしそれが現代なのだ。
 もうひとつは、The Quetusが取り上げて批判している、ハウスキーピング問題もある。ロンドンのハウス好きな4人のDJによるハウスキーピングなるグループの何が問題かといえば、彼らの職業にある。経済的に決して裕福ではないアンダーグラウンドで生まれたこの音楽を、よりによって都市の再開発に関わる事業家や金融業者が「平等」や「隣人愛」を謳い、いかにもなトランシー・テック・ハウスをやるとはなんたることかという、ある意味ではなかなか指摘しづらいことでもある。これはよくよくディプロに叩きつけられている文化の搾取というレヴェルの話とはまた別だ。
 まあつまり、このところUKではそもそもハウス・ミュージックおよびダンス・カルチャーとは何なのかという本質的なことが問い直されていると、ざっくりこんな事情があるなかで、ディスクロージャーがたとえばコロナで亡くなったデトロイトのDJ/プロデューサー、マイク・ハッカビーへのリスペクトを表明したことは、小さなことだが大きなことでもある。ハウス・ミュージックのように、ロックと違って言葉を持たない/中心を持たない音楽の文化的死(清志郎のレヴューを参照されたし)を免れるには、作品それ自体の強度のほか、ひとつは作り手やメディアが言い続けることであり、より多くのリスナーがその出自を知ることであり、音楽やリスナーがストーンウォールやロン・ハーディを忘れないことである。

 ディスクロージャーは上記の議論において、ぼくが散見する限りでは、つねに賛否両論を受ける立場にいるのだけれど、だからこそ本作は注目に値するとも言える。思慮深い彼らが、では彼らのハウスをこの時代いかにディヴェロップするのかという話だ。しかもよりによって自由にダンスできない、レイヴは拡大しているが危険だし、あるいはナイト・エコノミー……いや、クラブ・カルチャーも停滞している現在にドロップされたダンス・アルバム『エナジー』、ここには彼らなりの回答がある。そのひとつはUKグライムとの共振だ。
 昨年の『Nothing Great About Britain』でいっきに評価を高めたスロウタイをフィーチャーした“My High”なる曲において、活きの良いこのグライム・ラッパーは「たのむから俺のハイを邪魔すんな(please don’t fuck up my high)」と繰り返している。そのみなぎるエナジーとファンキーなリズムを前にリスナーは圧倒されるかもしれない。コロナなんて知ったこっちゃないと言わんばかりだが、しかしアルバムではこの曲の前の前の1曲目には──シカゴ・スタイルをベースが大きいUK風にアレンジしたハウスで──ケリスをフィーチャーした“Watch Your Step(気をつけて)”がある。「私は群衆を望まない/暗くなっても私はひとりで部屋にいるように踊る」とケリスは歌っているが、これはいかようにも解釈できる歌詞で、じつはアルバムは初っぱなからリスナーをアンビヴァレンツな気持ちにさせてもいるのだ。

 ディスクロージャーは今年の頭に「エクスタシー」という、これまた直球すぎるタイトルの5曲入りのシングルを出している(※ちなみに本人たちの弁によれば彼らはドラッグ・ユーザーではない)。おそらくはこの夏に備えていたのだろう。コロナさえなければ彼らは2020年の夏の野外の王者になっていたかもしれない。だが事態は急変し、『エナジー』は場違いな作品になりかねなかったところだった。それが彼らの捻りと周到さによって、むしろこの夏に相応しいダンス・アルバムになっていたりもするのだ。
 彼らの周到さは、『エナジー』の広がりに見受けられる。アルバムには、スロウタイやケリスのほかに、シドコモンといった有名どころから、カメルーン出身のシンガーBlick Bassy、シカゴのラッパーMick Jenkins、マリのシンガーFatoumata Diawaraなど多彩なゲストが参加している。こうした華やかなフィーチャリングはメジャーではよくあることだが、9人のゲストの全員が非白人であり、何人かは英語以外の言語で歌っている。これもまた、ひとつのメッセージになりうるだろう。そして彼ら・彼女らは作中で浮いたりすることなく、色とりどりの趣向を配した本作の一部として機能している。
 それは歯の浮いた人類愛ではない。ハウスを通して見せることができる多様性の具現化だ。もうひとつの『エナジー』の特徴は、──これは今作に限った話ではないのだが──、UK音楽がもっとも得意とするセンスの良いモダンな雑食性にある。ストリート感あり、R&Bあり、ラップあり、アフロ・テイストありと、いろんなものが詰められているがスジが通っていて、よく練られているのだ。思いきりサンバのリズムを使った表題曲“Energy”を拒否するか受け入れるかはリスナーの精神状態にかかっているかもしれないが、コロナ禍だからといって音楽まで自粛する必要はどこにもない。

 2020年の夏に相応しいとはそういうことだ。『エナジー』は夏のダンスであり、UKハウスの魅力が詰まったアルバムで、と同時に、以前のようにクラブで騒げないからといって、いまダンス・ミュージックを作ることが決して無意味ではないということの問いかけにもなっている。ポップと、そしてアンダーグラウンドを行き来できることがダフト・パンクやベースメント・ジャックスの時代よりも重要になっている現在において、ディスクロージャーの『エナジー』をぼくは部屋のなかで楽しんでいる。TVからは国民不在の政治ニュースが流れているが、「たのむから俺のハイを邪魔すんな」である。

Bright Eyes - ele-king

 アメリカにおいてフォーク(・ロック)が何かしらの説得力を増しているのではないかと感じているのはこの数年のことで、去年辺りからそれが確信に変わりつつある。ひとつにはビッグ・シーフがサウンド的にもコンセプト的にも目を見張るような作品をリリースしメディアに絶賛されたというのもあるし、ひとつにはビル・キャラハンマウント・イアリのようなヴェテランが力作を発表し若い世代に発見されているということもある。もちろんボン・イヴェールがコミュニティ・ミュージックとしてのフォークを再定義しようとしているのもあるし……さらに大きなところで言っても、ボブ・ディランの17分を超えるシングル、それに久々のオリジナル作がアメリカを激しく問うものであったこともある。あるいはまた、テイラー・スウィフトのようなゴシップと戯れてきたメガ・ポップ・スターがそれこそボン・イヴェール一派の力を借りつつ『Folklore (伝承歌)』というタイトルの、アメリカの人びとの記憶を巡るフォーク・アルバムを制作する事態まで起きている。
 それは2016年からの重い問いになっている、「では、そもそもアメリカの民主主義とは何だったのか?」というテーマともリンクしているだろうし、権力と対峙するときの「人びと」のコーラスがいまどれほどの力を持ちうるかの試みでもあるだろう。あるいはまた、個と公がどのような関係を描くのかという問い直しであるだろうし……結局、混乱する時代にあってわたしたちは何度でもそこに立ち返るしかない。

 そんななかでいま急速に再注目と再評価を集めているのがコナー・オバースト率いるブライト・アイズである(それと、ボニー・“プリンス”・ビリーも。ウィル・オールダムは『ア・ゴースト・ストーリー』のような若い世代の心を捉えたインディ映画に俳優として出演するなどして、インディ・キッズたちの間でクールなアウトサイダーとして人気を高めている)。ブライト・アイズといえば、多くのひとが思い出すのは音楽的なテンションがピークに達していた『LIFTED or The Story Is in the Soil, Keep Your Ear to the Ground』(2002)~『I’m Wide Awake, It’s Morning』(2005)の頃だろう。同時期にはブッシュ政権の傲慢を激しく糾弾したシングルにしてプロテスト・ソング「When the President Talks to God (大統領が神に話すとき)」もある。自分の混乱や不安定さを隠さないままこの社会の不条理を訴えるオバーストの姿を見て、人びとは彼を「若きディラン」と呼んだ。それももう15年前のことだ。
 それからブライト・アイズは2010年代頭に向けて批評的にじょじょに失速していく。いま思えば、彼が受けた世の過剰な期待に対応しきれず、ややスピリチュアルな方向に進んだのと関係しているのかもしれない。ライターとしてデビューしたばかりの頃の自分が書いた『The People’s Key』(2011)の拙いレヴューを読み返してみると、はっきりと落胆が記されており、まあ拙いながらも当時の自分の正直な気持ちだったのだろうと思う。ブッシュ時代からオバマ時代へと至り、オバーストは何を歌うべきか、彼自身もリスナーも見失いつつあったのかもしれない。そのことを表すように、『The People’s Key』はフォーク・ロック・アルバムではなかった。
 しかしブライト・アイズとしての作品が長く途絶えている間に、次の世代がその存在を参照しはじめる。そこでキーワードになったのがエモだ。リル・ピープやマック・ミラーのようなエモ・ラップがカヴァーやサンプリングで精神性の拠り所にし、また、エモからの影響を公言する新世代のインディ・ロック・スターであるフィービー・ブリジャーズとオバーストのフォーク・ロック・ユニットであるベター・オブリヴィオン・コミュニティ・センターが結成されるなんてこともあった。ビッグ・シーフは自分たちがかつて所属した〈サドル・クリーク〉を「ブライト・アイズがいたレーベル」として認識していたという。初~中期のブライト・アイズにおける思春期性を帯びたエモーショナルさがときを経て、メンタル・ヘルスの問題が取り沙汰される世代に発見されるのは自然な流れだったのかもしれない。時代の混迷とともに、彼の震える声が再び求められたのだ。そして、ブライト・アイズとして9年ぶりのアルバムがリリースされた。

 フォークというにはやや作りこまれたロック・アルバムだが、『The People’s Key』よりはるかにフォーク/カントリーが戻ってきているのは間違いない。メンバーであるマイク・モギスとナサニエル・ウォルコットと再び集い、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーやマーズ・ヴォルタのジョン・セオドアのような名プレイヤーの参加もあり、かなり厚みのあるバンド・サウンドとなっている。なかでもウォルコットが手がけたオーケストラはリッチかつドラマティックなもので、初期を思えばずいぶんしっかりしたなと思わせるところがある。骨格としては正統にフォーク・ロック的な “Dance and Sing” の後半でほとんど仰々しく入ってくるストリングス、“Mariana Trench” においてジョン・セオドアの激しいドラミングのなかで縦横に飛び交うブラス、ビターなピアノ・バラッド “Pan and Broom” でよく歌うバグパイプなどを聴いていると、アレンジメントのゴージャスさで聴かせる作品なのだと感じられる。とても力強い。
 それでもその中心にあるコナー・オバーストの声と歌、それはいまでも不安を抱えたままで揺らぎ、震えている。このアルバムはオバーストの元妻のスポークン・ワードで幕を開けるのだが、そんな風に人生の様々な経験を経て40代となったいまも消えることのない自身の不安定さがここにはある。そしてオバーストの視線はまた社会や資本主義の欺瞞や不条理に向かっており、しかしそれに対して太刀打ちできない自分自身の弱さや無力感が綴られている。もう彼は「フォークの若き旗手」などではないが、中年になってなお、この世に生きることの過酷さを前に膝を抱える自分を隠そうとしていない。もちろん15年間に比べると歌い方も詞作もぐっと成熟しているし、彼もやはり年を重ねているのだと気づかされる。けれど、清潔な音でピアノが響くバラッド “Hot Car in the Sun” のなかで、「ベイビー、だいじょうぶだよ。愛している」とか弱い声で歌う頼りなさこそオバーストであり、ブライト・アイズなのだ……と思ってしまう。あるいは自分がそんな瞬間を探そうとしているだけなのかもしれないが。

 僕はいまでも『LIFTED』のラスト、“Let’s Not Shit Ourselves (To Love and to Be Loved)” で「僕にはブルーズがある! 僕にはブルーズがある! それが僕!!」と絶叫する彼の危うさを耳にすると視界がぼやけてしまうし、自分が過去に持っていたのかもしれない感じやすさを掘り起こされる気分になる。『Down in the Weeds, Where the World Once Was』のクロージング・ナンバーである “Comet Song” は、それを思うとずいぶんコントロールされて安定したアンサンブルが聴けるが、じょじょに壮大になっていくオーケストラのなかで懸命に歌うオバーストの迫力に耳を奪われる。それは彼がいまも等身大の自分自身でこの世界に対峙していることの証だ。このアルバムにあるバンド・サウンドの逞しさとオバーストの不安を滲ませる歌の対比は、個と公の間にある戸惑いのなかで何かを見失いそうな、社会の巨大さや残酷さを前にしたときのちっぽけな自分を、それでも奮い立たせてくれる。

Jun Togawa - ele-king

 Youtuberとしてすっかりお馴染みになった戸川純が久々にライヴの現場に戻ってきます。今週、土曜日。フレディーマーキュリーの誕生日です。

 この日は11回目を迎える「無機質な狂気」というはっちゃけたイヴェントで、戸川純と頭脳警察、そして町田康率いる汝、我が民に非ズの3バンドがドドーンと共演いたします。上を下への大騒ぎになりそうですね。そして、9月23日には〈JET SET〉が『20TH JUN TOGAWA』を初めてアナログ盤でリリースします。戸川純が20周年を記念してGOD MOUNTAINからリリースした洋楽のカヴァー集。パティ・スミスのアレやスラップ・ハッピーのアレなど、戸川純が影響を受けた20世紀の名曲がついにヴァイナルになってしまいます。アナログ・レコードの匂いを嗅ぐのが好きな人はたまりませんね。ちゃんと曲名を教えろよというクレーマーのような方はここをクリックして下さい。そのまま購入画面に進めます→https://www.jetsetrecords.net/i/814005776069/

 噂によると9/12発売の別冊少年チャンピオンでも掟ポルシェ。の連載に戸川純のインタヴューが掲載されるそうです。内容は不明です。いま再びギャグマンガの最高峰と化している少年チャンピオンに戸川純と掟ポルシェ。ですよ。時代は何周すれば気がすむんでしょう。阿部共実も載ってるし→https://www.akitashoten.co.jp/b-champion

ライヴ詳細

9/5(土)渋谷クアトロ「無機質な狂気 第11夜」
開場17:00 開演17:30
チケットは完売。配信チケットのみ発売中。
https://w.pia.jp/t/mukisitunakyouki
戸川純は、アーカイブはありません。

出演

汝、我が民に非ズ
Vo.町田康/Sax.浅野雅暢/Key.大古富士子/Gt.中村’JIZO’敬治/Ba.瀬戸尚幸/Dr.高橋結子

頭脳警察
PANTA/TOSHI/澤 竜次/宮田 岳/樋口素之助/おおくぼけい

戸川純
Vo.戸川純/Ba.中原信雄/Key.ライオン・メリィ/Dr.矢壁アツノブ/Key.山口慎一/Gt.ヤマジカズヒデ

O.A. 赤いくらげ

DJナカムラルビイ

Lotic - ele-king

 ロンドンの〈Houndstooth〉と契約したロティックの新曲“Cocky(生意気)”がやばいです。

 これは5月に発表した“Burn A Print”に続く新曲で、ロティックはコンセプトについてこう話している。「女の子たちのための歌。いつもあなたが自分の価値を把握して、それを自分で認めてあげるためのリマインダー。もしショッキングだったり気に障るようなものに聞こえたとしても、この歌はあなたがそもそも自分に嘘をつかないでいられるよう手助けするもの。そして何よりこの歌は、あなたが成長して、成功して、自信を持つことを祝福している」
 うーん、アルバムが楽しみです。

Bob Dylan - ele-king

 5分31秒間、僕は神を信じたことがある。といっても困ったときについ頼んでしまう「神さま」のことじゃない。ユダヤ教とキリスト教で等しく信じられているあの「神」だ。見た目は、ルネサンス期の絵画によれば、カリフラワーライスでダイエット中のサンタ・クロースって感じ。
 へんな話だけど、神はポップソングにのってやってきた。僕が11歳のときだ。
 ポップソングということは、中学校でのダンスタイムとか、ガソリンスタンドでのトイレ休憩中とかに、スピーカーから流れ出てきた神に出くわしてもおかしくなかったわけだけど、さすがは全知全能の神、きっちり礼拝堂シナゴーグで現れた。
 日曜学校でヘブライ語の授業を受けているときの出来事だった。
 僕たちは毎回、聖典トーラーの重苦しい物語を読まなくちゃならない。それで時々、司祭ラビは教室の雰囲気を盛り立てようとユダヤ系ロッカーの曲をかけてくれた。
 この日もラビが1本のカセットテープをラジカセに突っ込み、再生ボタンを押した。流れてきたのは、ボブ・ディランの“ミスター・タンブリン・マン”。
 アコギのシンプルなストロークではじまった。DからG、Aと行きDに戻る。
 そこへディランの声が重なる。忘れ去られたいにしえの街のこと、そして一夜にして砂へと崩れ落ちた帝国のことを歌いだす。
 ディランの詞が僕の脳に、不思議なじゅつをかけたようだ。1番を聴きはじめたとたん、サイケデリックな砂漠文明の光景が目の前に広がった。僕は遠くから、その古代文明が勃興し衰退していく様を早送り再生で眺めている。アリの巣みたい。僕は壮大な物語のジオラマから目が離せなくなった。
 なんだか少し怖かった。
 でも、ディランの穏やかな声が気分を落ち着かせてくれる──そう思ったのもつかの間、今度は僕の空想が翼を広げて空高く舞い上がっていく。よくあるたとえに聞こえるけれど、実際その通りのことが起きた。“ミスター・タンブリン・マン”の2番と3番の歌詞には、「魔法の渦巻き船(マジック・スワーリング・シップ)」で太陽を目指す旅が出てくる。この詞とともに、僕の心の目はシナゴーグを飛び出し、空を突き抜けて、宇宙まで行ってしまったのだ。
 僕はそこでたしかに神の存在を感じた。
 最後のコーラスにさしかかる頃には、ディランの“ミスター・タンブリン・マン”がモーセの「割れる海」や「燃える柴」と同じくらい、いや、それ以上の奇跡といえる気がしていた。
 ラビが停止ボタンに指をおく。ハーモニカの音がやわらかにフェイドアウトして、曲はおわりを告げていた。

 2020年になったいま、僕は先祖代々の信仰を手放して久しいけれど、ディランはハーモニカに奇跡を吹き込みつづけている。最新作『ラフ&ロウディ・ウェイズ』も奇跡のひとつ。このアルバムのなかの曲で、79歳のシンガーソングライターは自身初となるビルボードのシングルチャート1位を獲得した。しかも驚いたことに、この曲は約17分もある。
 COVID-19パンデミックのさなかにリリースされたから、聴く側はかつてないほど時間をかけて、自宅でじっくりディランを堪能しているだろう。近年のビルボードヒット曲は、あきらかにどんどん短くなる傾向にあった。2019年の平均は約3分、ディランの大作に比べると6分の1程度だ。
 コロナウイルスへの不安とともに生きるなかで、ディランの新しいアルバムに流れるゆったりとした時間は心地よく感じる。ハーブティーみたいに気持ちを落ち着かせてくれる。
 だけど穏やかなサウンドとは裏腹に、詞は挑発的で刺激に満ちている。男性器のジョークあり、陰謀論あり、死についてもあり余るほど語られる。みんながよく知る人物も登場する。インディ・ジョーンズ、アンネ・フランク、ジークムント・フロイトにカール・マルクスまで。
 ヴォーカルはこのアルバムの要だ。演奏をバックに、歌詞がスポットライトを浴びた名画のように掲げられる。
 79歳を迎えたディランの声はひびわれて揺らいでいる。音程補正ソフトが当たり前の時代だからこそ、その魅力はいっそう際立つ。
 歌い方もクールだし、年齢を重ねたしゃがれ声と相まって、もはやトム・ウェイツよりもトム・ウェイツっぽい。
 昔から変わらない部分もある。本作でもディランは自分が影響を受けたものを見てくれと言わんばかりだ。おなじみのモチーフがときに姿を変えながら、アルバムのあちこちで顔を出す。1940年代のウディ・ガスリーのスタイルに、アパラチア音楽文化の影。グレイト・アメリカン・ソングブックに手を出したかと思えば、アラン・ローマックスの収集音源もちらり。象徴派の詩、自身のフォーク・ソングのロックンロール・アレンジ、それからジャーナリスティックな語り口。もう挙げ出したらきりがない。
 『ラフ&ロウディ・ウェイズ』は、傘寿を迎えるディランの輝かしい到達点だ。繰り返し聴きたくなるのはもちろん、底が知れない。あらゆる方向へ広がり、さまざまなものを含みもつ。
 ディランはこれまでに何度もポップ・カルチャーの価値をより高みへと更新してきたけれど、今回もそれに成功している。もしも万が一(そうなりませんように!)、本作が最後のアルバムになったとしたら、まさに有終の美というにふさわしい。でも僕はまだまだディランが嬉しい驚きを届けてくれると期待している。2020年のいまも、1964年の頃と変わらず、唯一無二の存在だから。
 それに、ディランのような年齢のポップ・アーティストがこんなにも独創的な歌詞を書いているのをみると、すごく励まされる。
 僕はもう何十年もディランの文学的な歌詞に心を奪われている。お気に入りの作家や映画監督と同じように、ディランは、未熟な僕が見逃してしまいそうな物事にいつも気づかせてくれる。だから、11歳のときにシナゴーグのラジカセを通じてディランと出会えた僕は、本当に運がいい。
 そして、振り返ってみるとちょっと妙な話ではあるけれど、ディランの詞が(ほんの数分間とはいえ)僕に信仰をもたせたというのはちゃんと筋が通っている。だって、結局、歌というのは僕らが神とつながるすべなんだから。音楽と無縁な宗教というのは聞いたことがないし、人類史上ずっと、歌うことは霊的な儀式の中心的な役割を担っている。
 俗な世界に生きる現代の僕らもいまだに神経言語的なレベルでは、ポップ・ミュージックを宗教的なものに結びつけている。このアルバムには「ソウル」がある、なんて言ったりするし、ディランみたいなロックスターを「神」と呼んだりもする。
 いまだって、僕も心のどこかでディランの詞に神聖なものを感じている。新しいアルバムで聴くあのしゃがれ声には、あらゆるものの解が入っているのだろう。


by Matthew Chozick

For five minutes and thirty-one seconds, I once believed in God. Not just any deity, but the Judeo-Christian one, who, in Renaissance paintings, looks like Santa Claus on a cauliflower rice diet.
   Oddly, He came to me in a pop song ― I was eleven.
   Although I might’ve found the Almighty in the stereo of a junior high dance or speakered into a gas station bathroom, remarkably, He appeared to me in synagogue.
   At the time I was in a Sunday Hebrew school class for children.
   Every weekend we kids studied gloomy Torah stories, and sometimes a rabbi would lighten the mood with music from Jewish rockers.
   During a lull one Sunday, my rabbi inserted a cassette tape into a boombox, pressed play, and out came Bob Dylan’s “Mr. Tambourine Man.”
   It began with simple acoustic guitar chords: D to G to A to D.
   Then Dylan started to sing of forgotten ancient streets and of an empire that, in one night, crumbled to sand.
   The lyrics did something weird to my brain. The first verse conjured a psychedelic vision of desert civilizations that, from afar, looked like ant colonies. They rose and fell, in time-lapse, on a massive, geological scale.
   It was a little scary.
   But Dylan’s gentle voice relaxed me ― until it sent my imagination soaring, literally. The second and third verses of “Mr. Tambourine Man” included a journey towards the Sun on a “magic swirling ship.” The lyrics carried my mind’s eye up, out of the synagogue, through the sky, into space.
   I felt the presence of God.
   By its final chorus, “Mr. Tambourine Man” seemed no less a miracle than the Burning Bush or the parting of the Red Sea.
   And then my rabbi readied his finger above the boombox’s stop button, right before the track ended with a soft fadeout of the harmonica.


Now, in 2020, long after I left my ancestral religion behind, Dylan is still packing harmonica with miracles. One such miracle is that the singer-songwriter’s new record, Rough and Rowdy Ways, has given the seventy-nine-year-old his first chart-topping Billboard single ever. And extraordinarily, the hit is some seventeen minutes long.
   Released amid our COVID-19 pandemic, listeners have had an unprecedented amount of time at home to parse Dylan. Tellingly, in recent years Billboard hits had been shrinking in size. In 2019 they averaged about three minutes ― roughly 1/6 of Dylan’s 2020 opus.
   The new album’s gentle pacing feels soothing in our era of coronavirus anxieties. It relaxes like a cup of herbal tea.
   But the record’s sonic mildness belies provocative lyrics. There’s a penis joke, a conspiracy theory, plenty of death, and notable references to Indiana Jones, Anne Frank, Sigmund Freud, and Karl Marx.
The vocals serve as the centerpiece of the album; lyrics hang like spotlit paintings in front of instrumental accompaniments.
   Dylan’s voice at seventy-nine cracks and wavers, which makes the record even more compelling in our age of autotune and pitch correction software.
   The singing sounds cool; Dylan’s gotten gravellier with age. He’s now more Tom Waits than Tom Waits.
   Some things haven’t changed; Dylan still wears his influences on his sleeve. His old muses are reflected and refracted on the new album ― familiar 1940s Woodie Guthrie stylings, Appalachian refrains, forays into the Great American Songbook, hints of Allen Lomax’s field recordings, symbolist poetry, rock n’ roll covers of his own folk music, journalistic storytelling, and oh so much more.
    Rough and Rowdy Ways works as a bold culmination of the near-octogenarian’s career. It warrants many relistens and it feels bottomless, expansive. It contains multitudes.
   Like Dylan has done time and time again, the new album elevates pop culture orders of magnitude. And if ― knock on wood ― this turns out to be Dylan’s final release, it would be a brilliant note to finish on. Yet I expect more pleasant surprises to come from Dylan. He is still as peerless in 2020 as he was in 1964.
   To be sure, it’s heartening to see such lyrical originality from a pop artist of Dylan’s age.
   For decades Dylan’s writerly lyrics have captivated me. Like my favorite novelists and filmmakers, Dylan has continually helped me notice things about the world that, in my own stupidity, I would have otherwise missed. So I’m very lucky that, at age eleven, I discovered Dylan in a synagogue boombox.
    And while it seems a little weird now, it makes sense that Dylan’s lyrics made me a believer ― if only for a few minutes. After all, good songs are how we communicate with the divine. Every major faith uses music, and singing has been central to spiritual practice throughout human history.
    In our secular era today, we’re still neurolinguistically wired to experience pop music as religious. We discuss albums as having “soul” and we refer to rock heroes, like Dylan, as “gods.”
    Even now part of me finds Dylan’s songwriting to be divine. His gravelly voice on the new record sounds as if it has all the answers to life’s questions.


Pole - ele-king

 ヴラディスラフ・ディレイの新作も迫力あったし、ベアトリス・ディロンはUKだけど彼女のアルバムにはベルリンのミニマル・ダブからの影響を感じたし、そしてPole(ポール)の5年ぶりの新作もかなり良さげです。

 1998年に登場したPoleことステファン・ベトケは、当時数多あるベーシック・チャンネルのフォロワーたちのなかでも抜きんでた存在のひとつで、彼自身のレーベル〈~scape〉の展開とともにミニマル・ダブを進化させたイノヴェイターでもある。2003年に〈ミュート〉から5枚目のアルバムを出しているが、この度はそれ以来の同レーベルからのリリースで、5年ぶり9枚目のアルバムとなる。(2017年にはベルリンの前衛シーンの伝説、コンラッド・シュニッツラーとの共作も出している)

 新作のタイトルは『フェイディング』。“記憶の喪失”がコンセプトで、ふとケアテイカーを思い出す人もいるかと思うが、認知症になった母親が作品の契機にあるそうだ。「自分の母親が当時認知症にかかっていて、彼女が91年にもわたって積み上げてきた彼女の記憶すべてを無くしていく様子を見ていたんだ。まるでその様は、生まれたてで彼女の人生がはじまったばかりのような感じに思えた。まさしく、まだ中身が空っぽの箱のような」
 それでサウンドはどうかと言えば、アンビエント、ダブ、そしてジャズが少々といった感じの構成だが、音の空間性が素晴らしく、その重いテーマに対して音は決して重々しくはない。クラブで鳴らすというよりは、あきらかに家で聴く音楽で、これは注目してもいいでしょう。リリースは11月6日(金)です。

■「Röschen」 (Official Audio)

Pole
Fading

Mute/トラフィック

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https://pole-music.com/

interview with Jessy Lanza - ele-king

 ジェシー・ランザは……、いやこれはもう、柴崎祐二君あたりが喜びそうなポストモダン・ポップのアーティストだ。カナダ出身で米国に移住した彼女と、その才能はJunior Boys名義の諸作で保証済みのカナダ在住のプロデューサー、ジェレミー・グリーンスパンとのコンビによって作られるエレクトロ・ポップな音楽は、過去現在のいろんな音楽の美味しいところの組み合わせによって作られているが、今回のアルバムで言えば、アレキサンダー・オニールもその影響に含まれる。
 80年代にポストパンクなんかを聴いていたリスナーからすると、ブラコンの代名詞はその対極の文化だったりするのだが、ジェシーと同じく〈ハイパーダブ〉のミサもジャネット・ジャクソンとブランディなどと言っているし……。もうこれは完全に文脈(歴史)は削除され、その表層(残響)だけが舞い上がっていると、しかしこれが時代におけるひとつのセンスであって、あるいはこれこそヴェイパーウェイヴがはからずとも描いたのであろうリアル無きあとの我らが幻影世界なのだろうけれど、この先の話は柴崎君に任せるとして話をジェシーに戻そう。
 そう、とにかくジェシー・ランザ(&ジェレミー・グリーンスパン)は、そのポストモダン的感性と抜群のミックス・センス(フットワーク、エレクトロ・ファンク、ハウス、ニューオーリンズのバウンス……そしてYMO等々、すべてがフラットな地平における広範囲および多方面からの影響のハイブリッド)によって2016年のセカンド・アルバム『Oh No』を作り上げ、いっきに評価を高めている。たしかに、シカゴのゲットー・ダンスと細野晴臣を混ぜ合わせるというのはなかなかの実験であり、まあ、その前にも彼女はカリブーの『Our Love』(2014)で歌っていたり、あるいは90年代から活動しているベテランのテクノ・プロデュサー、モーガン・ガイストとも共作したりと、シンガーとしての才能は早くから認められてきたのだろう。技巧的にうまい歌手ではないが、彼女には雰囲気があるのだ。
 去る7月、ジェシー・ランザは待望の3枚目『All The Time』をリリースしたばかりで、すでに欧米ではかなりの評判になって露出も多い(なぜか彼女は日本では過小評価されている)。今作をひらたく言えばよりポップになった作品で、まだ世界がコロナでパニックになる直前に聴いた先行発表の“Lick In Heaven”には、ぼくも心躍るものがあった。
 ほかに推薦曲を挙げておくと、フットワーク調の“Face”、ディープ・ハウス調の“Over And Over”、メランコリックなダウンテンポの“Anyone Around”や“Badly”、ブラコンの影響下なのだろう“Alexander”や“Ice Creamy”、あぶく音とアンビエントの“Baby Love”……と、すでにアルバム収録の10曲のうちの8曲も挙げているではないですか。総じてスウィートで、ファッショナブルで、洗練されていて、良く比較されるFKAツィグスより軽妙で、グライムスと違って自身のエゴよりも楽曲が優先されている。息抜きにはちょうど良いアルバムだが、もしジェシー・ランザと対面で話す機会があったら言ってあげたい。君が好きな音楽はその当時はね……いや、でもいまマライア・キャリーやニュー・エディションを聴いたら良かったりするのかな?

見渡してみると、怒っている人ってとても多いのよ。何でそんなに怒ってるの? って思わされる。地下鉄に乗っているときとか、周りにたくさん人がいるからイライラするのは簡単なのよ。

いまNY? カナダ?

JL:いまはシリコンバレーにいる。

シリコンバレーはどんな様子ですか? 後ろに木がたくさん見えますが……

JL:ここ数ヶ月、自分の自宅から離れたところに住んでいるのよ。義家族と一緒に過ごしているから、高校生に戻ったみたい。家の離れにツリーハウスがあるから、そこをスタジオみたいにして使っているの。

この数か月、ほとんどを家で過ごしていると思うんですが、日々どんな風に暮らしていますか?

JL:このツリーハウスをスタジオにするためにいろいろと設置していじったりしていた。それもひと通り落ち着いたから、いまは新しい音楽を作っているところ。『All The Time』のMVを作ったりしていたわ。ツアーができないから、アルバムを出したあともどうにかして忙しくしなきゃって感じ。

作品を出して、ライヴをやって、プロモーションしてという音楽ビジネスのルーティーンがいま通じなくなっていますが、こうした難しい事態をどう考えていますか?

JL:まさにその変化の過程だから、何もわからないっていうのが正直なところ。ライヴができるようになるまでには、まだかなり時間がかかるっていう状況を飲み込んでいる最中ね。幸いなことにいまは家族と一緒にいるから、精神的には安定しているかな。はっきり言って、災難よ。

答えは誰もわからないですからね……。いま、考え中というところでしょうか?

JL:そう。どうすればいいかなあ・・・って、考えているところ(苦笑)。

よく聴いている音楽をいくつか教えて下さい。やはり、ご自宅でもポップに拘った選曲なんでしょうか?

JL:バンドキャンプで友だちの曲を聴くことが多いわ。メインストリームのアーティストではないけど。ただ、音楽を聴くより本を読む時間の方が多いの(笑)。断然多いわね。アルバムが完成したあと、ちょっと疲れちゃって。ベッドに寝転んで本を読んでいたい気分だったのよ。

何を読んでるんですか?

JL:『SNSをやめるべき10の理由』みたいな本(おそらく『今すぐソーシャルメディアのアカウントを削除すべき10の理由』のこと)があるんだけど、それがけっこう面白いのよ。

ツリーハウスでそれを読んでるんですね(笑)。

JL:そうそう(笑)。いま読んでるのはそれで、他にはマヤ・アンジェロウの『歌え、翔べない鳥たちよ』も素敵だった。この2週間で読んだのはその2冊かな。

この状況で悲しくて落ち込むこともあると思うんですが、いまの話だと、そんなときも音楽を聴くよりも本ですか?

JL:そうね。いまはベッドでゆっくり本を読む時間にはまっているの。

『All The Time』はコロナ前に制作された作品ですが、それがコロナ渦にリリースされたことを、あなたはどんな思いで見守っていましたか?

JL:もちろん、もともとはツアーの予定もあったからそれができなくなったのは悲しい。でも、ライヴ配信でDJセットの配信をしたりとか、ツアーに行っていたとしたらできなかったことができた。それはポジティヴなことだと思う。それに、MVにも充分時間がかけられたしね。いつも通りツアーをしていたら、忙しくなって逃していたかもしれないことにゆっくり向き合えたのは、この状況のなかで良かったことね。

でも、こういう暗いご時世において、あなたの音楽はワクワクするものだと思います。その音楽面に関して、ジェレミー・グリーンスパンとあなたはどんな関係性で進めているのですか?

JL:作業自体は別々に進めたわ。私はニューヨークにいて、彼はカナダのハミルトンにいたから。会わないといけないときは私が車でニューヨークからカナダに行ってた。私の家族がカナダにいるから、そういう意味でもちょうど良かったの。週末にカナダまでドライブして、音楽を作って、また車で戻ってくるっていうのは楽しかったわ。彼との曲作りはエキサイティングだし。

ニューヨークからカナダまで車を運転するんですか?

JL:そうなの。ニューヨークで大きなバンを持っていて、それはこっち(シリコンバレー)にも持ってきたんだけど、それで8時間ぐらい。8時間って聞いたら長いけど、運転していると楽しくてあっという間よ。

『Pull My Hair Back』や『Oh No』では、いろんなクラブ・ミュージックを折衷しながら作っていましたが、今作の『All The Time』において参照した音楽があれば教えて下さい。

JL:今回のアルバムを作っているときはセンチメンタルな気分だったのよね。ホームシックになってたし。だから、郷愁を感じるような、エモーショナルなシンガーソングライターの曲なんかが心に刺さってた時期だった。そういう感情をアルバム作りに落とし込んでいたわ。

ということは、具体的な音楽というよりは、そのときの感情を活かして作ったという方が近いでしょうか? もしくは、本や映画からインスピレーションをもらいますか?

JL:本や映画は、音楽作りにかなり影響するわね。映画の映像とかセリフを参考にすることがけっこうある。それと合わせて、怒りの感情を抱いたときに曲を書いたりするの。なんで感情がこんなにかき乱されてるのか、なんでこんな気持ちになっているのかわからなくて、それを消化するために曲を書く感じ。だから、1ヶ月後とかにそのとき自分が作った曲を聴くと、その感情が思いっきり表われてて面白いのよ。

他のアーティストの音楽を聴いて、それを参考にしたり、感化されたりということもあるんでしょうか。もし具体的な例があれば、教えてください。

JL:もちろん、それもある。このアルバムを作っているときは、アレクサンダー・オニールの曲をたくさん聴いていたの。今回、かなり影響を受けたわね。彼の音楽がどんなものか知りたくて、カヴァーしてみたりもして。それを自分の音楽に反映させたの。

たとえば“Face”なんかユニークな曲だと思いましたが、あのリズムはどこから来ているんですか?

JL:あの曲は、モジュラーでいろいろと実験をしていたときにできた曲なの。今回のアルバム作りの前に、機材をたくさん買ったのよ。使い方がわからないものもいろいろ買って、いじってみようと思って。だから、あんな感じでちょっと変わった曲になったの。

そういう実験をしながらレコーディングしたんですか?

JL:そうそう。細切れに録音して、それをあとから組み合わせた。

今回は、よりポップなアルバムを作りたかったの。キャッチーで、みんなに覚えてもらえるような曲を作ることが今回の目標だったから。それがいちばん表われているのが“Lick In Heaven”かなと思うわ。

“Lick In Heaven”をはじめ、今作はより歌のメロディラインがはっきりしているというか、すごく気を遣っていると思ったんですね。やはりそこは意識しました?

JL:今回は、よりポップなアルバムを作りたかったの。キャッチーで、みんなに覚えてもらえるような曲を作ることが今回の目標だったから。それがいちばん表われているのが“Lick In Heaven”かなと思うわ。

ちなみに歌詞についてのあなたの考えを教えて下さい。あなたにとって良い歌詞とはどんなものなのでしょう?

JL:今回のアルバムに関して言えば、全体的に怒りが反映されているのよ。さっきも少し言ったけど、自分がなぜこんなに怒っているのかがわからないっていう感情がすごくあったの。制作当時にね。いつも怒っているような人になりたいわけでは全然ないのに、そうなってしまったから、それを自分の音楽作りに活かしたのね。最終的には、怒りっぽい自分を受け入れてた。(編注:とくに1曲目の“Anyone Around”、そして“Lick In Heaven”にも怒りがあります)

怒りの原因は何だったんですか? 自分でもわからない?

JL:あはは、それがわからないからさらにイライラしたのよ(笑)。原因になるようなことは何もなかったの。具体的にはね。でも、他人の苛立ちに気づいてしまって、それに影響されたっていうのはあるかもしれない。見渡してみると、怒っている人ってとても多いのよ。何でそんなに怒ってるの? って思わされる。アルバムを作っているときもそれを考えてた。ポジティヴに、平和な毎日を送った方がいいってわかってるのに、なんでわざわざ怒るんだろうって。

ニューヨークという、都会にいるときにその怒りを感じていたっていうことですか?

JL:そうね。地下鉄に乗っているときとか、周りにたくさん人がいるからイライラするのは簡単なのよ。いちど気になりはじめたら、ずっと気になってしまう。みんなが敵みたいに思えてくるというか。被害妄想よね。無数の他人の中で毎日過ごすのは、なかなか大変なことだから。

そういう感情を抱えていながら、キャッチーでポップなアルバムを作ったというのが面白いですね。

JL:どのアルバムのときも、そのとき抱えている感情とは逆の音楽性にしたいのよ。今回に関して言えば、自分がずっと醜い状態だったから(笑)、それとは逆の音楽を作りたかった。それが、感情の整理に役立つのよ。そう考えると、これは音楽に関しても歌詞に関しても言えることだけど、自分の感情を昇華させられるようなものがいいものだと思うわ。

この夏はどんな風に過ごす予定ですか?

JL:ずっとこのツリーハウスかな(笑)。カナダにも行きたいけど、アメリカとカナダの移動がまだ無理だから。最初は7月に解禁されるって言われていて、そのあと8月になって、またそれが延期になっちゃった。だから、しばらくはここにい続けるしかないわね。

でもすごく居心地が良さそうですよね。

JL:最高よ。空気もきれいで、ずっといても全然平気な環境だから、ちょうどよかったかも。

また、ライヴ配信などの予定もありますか?

JL:それが次の大きなプロジェクトね。実は、アルバムを最初から最後までプレイする配信を計画中なの。このツリーハウスで、いつもとはちょっと違うセットにしてやろうかなと思ってる。

Tatsuhisa Yamamoto - ele-king

 ジャズ、実験音楽、ロック、エレクトロニック……などなど、あらゆる尖っている音楽シーンで引っ張りだこの前衛ドラマー、山本達久。石橋英子、坂田明、ジム・オルーク、青葉市子、UA、七尾旅人などのバックも務め、カフカ鼾のメンバーとしても活動している。
 先日、9月/10月と山本達久が自身初となるソロ・アルバムを2枚連続でリリースすることが発表された。
 まずは9月18日にオーストラリの実験派オーレン・アンバーチの〈Black Truffle〉から『ashioto』。
 10月7日には日本の〈NEWHERE MUSIC〉から『ashiato』。

電気グルーヴ - ele-king

 ウィー・アー・バック宣言から2ヶ月、電気グルーヴ、ついに完全復活である!
 2019年3月のピエール瀧の逮捕を受け、一時は全作品が出荷停止~配信停止状態になっていた電気グルーヴであるが、去る23日、コロナの影響で開催が延期されたフジロックの配信番組において新曲 “Set you Free” のMVが公開され、昨日、配信も開始となった。
 新たなマネジメント会社「macht inc.」を設立してから初となるリリースで、シングルとしては2018年1月の「MAN HUMAN」以来2年半ぶり、アルバムを含めると2019年1月の『30』以来1年半ぶりのリリースとなる。作詞・作曲・プロデュースを石野卓球が、アディショナル・プロダクションを agraph が担当。
 驚くべきは、アンビエント・タッチのハウスが描くこの暗い時代におけるこのポジティヴなヴァイブだが、「おまえを自由にする」というメッセージの込められたタイトル、そしてその「Set you Free」と「先住民」をかけることば遊びなど、相変わらずというか、表現にもますます磨きがかかっている。
 ここまで来たらもう電気が止まることはないでしょう。まずはこの曲を耳にぶち込んで、卓球&瀧の新たな船出を大いに祝福しよう(配信はこちらから)。

電気グルーヴ、2年半振りのシングル「Set you Free」配信開始

電気グルーヴの新曲「Set you Free」が、8月24日より各配信ストア及びサブスクリプションサービスでリリースされた。

https://linkco.re/DY8tPG5n

同楽曲は、8/23に行われた「FUJI ROCK FESTIVAL'20 LIVE ON YOUTUBE(DAY3)」内でMUSIC VIDEOと共に初公開されたもの。
シングルとしては、「MAN HUMAN」(2018年1月)以来、約2年半振りとなる。

作詞・作曲・プロデュースは石野卓球、ギターを吉田サトシ、アディショナルプロダクションを牛尾憲輔(agraph)が手掛け、ミックスは石野卓球と兼重哲哉、マスタリングは兼重哲哉が担当。

ジャケットはMUSIC VIDEOと同じく、田中秀幸(FRAME GRAPHICS)が手掛けた。

尚、「Set you Free(Video Edit)」MUSIC VIDEOは、「FUJI ROCK FESTIVAL’20 LIVE ON YOUTUBE DAY3(リピート放送)」(8/24(月)07:00から)で配信される。
FUJI ROCK FESTIVAL チャンネル → https://www.youtube.com/fujirockfestival

[“Set you Free”クレジット]
Denki Groove are Takkyu Ishino and Pierre Taki
Produced by Takkyu Ishino
Lyric and Music by Takkyu Ishino
Guitar : Satoshi Yoshida
Additional Productions : Kensuke Ushio(agraph)
Recorded at Takkyu Studio, STUDIO Somewhere
Mixed by Takkyu Ishino, Tetsuya Kaneshige
Mastered by Tetsuya Kaneshige
Designed by Hideyuki Tanaka(Frame Graphics)

[電気グルーヴ プロフィール]
1989年、石野卓球とピエール瀧らが中心となり結成。1991年、アルバム『FLASHPAPA』でメジャーデビュー。1995年頃より、海外でも精力的に活動を開始。2001年、石野卓球主宰の国内最大級屋内ダンスフェスティバル“WIRE01”のステージを最後に活動休止。それぞれのソロ活動を経て、2004年に活動を再開。以後、継続的に作品のリリースやライブを行う。2015年、これまでの活動を総括したドキュメンタリームービー「DENKI GROOVE THE MOVIE?-石野卓球とピエール瀧-」(監督・大根仁)を公
開。
2016年、20周年となるFUJI ROCK FESTIVAL’16のGREEN STAGEにクロージングアクトとして出演。2019年、結成30周年を迎えた。


Félicia, Akira, Takuma - ele-king

 なんでもイギリスではコロナ禍ではクラシック音楽が売れているそうで、ま、家にいる時間の多いいま楽しめるのは「家聴き」ということなのでしょうか。
 渡邊琢磨の新プロジェクトによる作品が素晴らしい。これは、彼が音楽を手掛けた映画『まだここにいる』(染谷将太監督、脚本・菊地凛子)のサウンドトラックを素材に再構築(recomposed)した曲からなる新作で、アキラ・ラブレーとアンビエント・ミュージシャンのフェリシア・アトキンソンとの共作でもある。
 ロバート・アシュレー風の声とピアノを美しいアンビエントに変換する“The Rain”やイーノ風アンビエントの最良なところを拡張した“その時間にかけ橋が生まれる”、ミニマル/ドローンの美的世界“Particle”、情感たっぷりの“まだここにいる”の4曲。アンビエント好きにはhighly recommendです。

渡邊琢磨 / Akira Rabelais / Félicia Atkinson
『まだここにいる』original soundtrack recomposed
Inpartmaint Inc.
※デジタル配信でのリリース

【渡邊琢磨】
宮城県仙台市出身。高校卒業後、米バークリー音楽大学へ留学。大学中退後ニューヨー クに渡り、キップ・ハンラハンと共同作業でレコーディングを行う。同作には映像作 家ジョナス・メカスらが参加。04 年、内田也哉子、鈴木正人らとバンド [sigh boat] を結成。07 年、デヴィッド・シルヴィアンのワールドツアー 18 カ国 30 公演 に バ ン ド メ ン バ ー と し て 参 加。楽 曲「The World Is Everything( ア ル バ ム 『Sleepwalkers』収録曲 ) を共作。14 年、自身が主宰する弦楽アンサンブルを結成。 自身の活動と並行して映画音楽も手がける。近年では、冨永昌敬監督『ローリング』 (15)、吉田大八監督『美しい星』(17)、染谷将太監督『ブランク』(18)、ヤングポー ル監督『ゴーストマスター』(19)、ほか。

【Akira Rabelais】(アキラ・ラブレー)
米テキサス南部生まれ、ロサンゼルス在住の作曲家 / ソフトウェア設計者 / 作家。 ビル・ディクソンに作曲、電子音楽および編曲を学び、カリフォルニア芸術大学では 電子音楽のリーダーであるモートン・スボトニックおよびトム・エルベに師事。音や 映像を歪めたりノイズを加えることができる自作のソフトウェア『Argeïphontes Lyre』を制作。アキラ・ラブレーはソフトウェアを書くことを詩を書くことになぞっ ており、例えば数あるフィルターを「形骸化蘇生法」「ダイナミック FM 音源」「時間 領域変異」「ロブスター・カドリール」など独特な言葉で綴っている。彼の作り出し たものは、数学の持つ完璧な美しさと言葉の情緒を以て、私たちを別次元へと誘う。

【Félicia Atkinson】(フェリシア・アトキンソン)
1981 年フランス生まれ。レンヌ在住。2008 年、エコール・デ・ボザールで MFA (Master of Fine Arts With honors) を取得し、パフォーミング・アートの可能性を 探求するボリス・シャルマッツと共に人類学およびコンテンポラリーダンスを研究。 彼女の作品はインスタレーション、彫刻、詩、絵画、ドローイング、パフォーマンス、 音楽など多岐に渡り、数多くレコード・リリースやライブ上演、世界各地の実験音楽 シーンやアートフェアへの参加など、国際的な活動を行っている。フランスを拠点と するインディペンデント出版レーベル・Shelter Press にて、バルトロメ・サンソン と共に共同発行人を務める。

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