「KING」と一致するもの

vol.2:ポップ・アップ・ショップ~NYE - ele-king

 12月後半からニューヨークはとても寒くなり、大雪、ブリザードの日もあった。それでもホリデーなので気分はそわそわしがち......そんな最近のニューヨークでよく話題になるのがポップ・アップ・ショップだ。




インサウンド・デザイン・ストア(ポップ・アップ・ショップ)

  不況のせいか、最近は街に空きスペースを見かけるようになった。ポップ・アップ・ショップとは、期間限定でそのスペースを利用する方法で、洋服屋は在庫を裁くためにサンプル・セールをしたり、ホリデー向けのイヴェント会場になったりする。道を歩いていると、こんな場所にこんなに面白そうなお店が......というような場面によくあたる。私が長年(といっても5年ぐらいだけれど)このシーズンになると、通っているのが、Wired store。ホリデー・シーズンになると、ポップ・アップ・ショップとして登場する。最新の電子機器を体験できたり、ギフトに最適なグッズを売っていたり、音楽を聴けたり......とにかくここはいるだけで楽しめる、カッティングエッジでテクノロジー・デザインなスペースだ。ノリータ、ソーホーなど、年によっていつもヒップな場所に出現する。今年は、ミート・パッキング。

  インディ系オン・ラインショップとして知られるイン・サウンドも、ホリデーの期間だけギャラリー・スペースをポップ・アップ・ショップとしてオープンする。売られている物は普通のレコードではない。シルク・スクリーンのポスター、ポータプル・プレイヤー、Tシャツ等々、ギフトよりの物ばかりだ。サイトを見ても最近はCDやレコードよりもグッズに力を入れているような気がする。音楽はダウンロードだからだろうか。

  さらに興味深かったのが『ナイロン・マガジン』、『バースト』、『Lマガジン』、『フレーバー・ピル』等々のメディアや音楽関連のショー・ペーパーがオーガナイズした〈スコア! イズ・ア・ポップ・アップ・スワップ〉と言うイヴェントだ。ブルックリンのサード・ワードという場所で開催されたこれは、洋服、音楽、アート関連品、本、DVD、メディア、家庭用品、家に眠っている要らない物を持ちより寄付することで成立する。会場に入ると、そこにあるものは何でも持っていってOK。洋服のコーナーはまるで戦場のように、新しい物が来るとすぐさまなくなる。フリーだと欲張っていろんな物を手に入れようとしがちだけれど、人が要らないと思うものは、やっぱり要らない。こうすると、本当に必要な物が見えてくる。自分たちがいかに要らない物をたくさん持っているかを思い知らされるというわけだ。今の世のなか、無い物は無いというほどモノに溢れている。エコだエコだと騒ぐ前に、まずは自分の身の回りをシンプルにすることから2010年ははじめようと思う。

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 それではNYE、代表的なイヴェントを以下に挙げてみる。
  パティ・スミス& ハー・バンド@ バワリー・ボールルーム
  ディスコ・ビスケッツ @ ノキア・シアター
  MSTRKRFT (3 am set)@ ウエブスター・ホール
  フィッシャー・スプーナー @ フィルモア・ニューヨーク・アット・アー・ヴィング・プラザ
  デトロイト・コブラ @ マーキュリー・ラウンジ
  アンティバラス @ ニッティング・ファクトリー
  パッション・ピット (DJ set)@ ピアノス
  スクリーミング・フィメールズ、トーク・ノーマル、フランキー・アンド・ジ・アウツ、CSCファンク・バンド @ ケーキ・ショップ
  ティーム・ロベスピア @ ブルアー・フォールズ
  エクセプター @ モンキー・タウン
  ゴールデン・トライアングル @ グラスランズ


〈ケーキ・ショップ〉での物販物

トーク・ノーマル

スクリーミング・フィメールズ

 モンキー・タウンがクローズするので気になるところだが、今回は、わざわざ橋を越えて〈ケーキ・ショップ〉に行く。目的は、トーク・ノーマル、スクリーミング・フィメールズ、フランキー・アンド・ジ・アウツ、CSCファンク・バンド。ちなみに、フランキーは元ヴィヴィアン・ガールズ、クリスタル・スティルズ、現ダム・ダム・ガールズのドラマーで、CSC・ファンク・バンドは、元USA・イズ・ア・モンスターのメンバーのバンドだ。カウントダウンはスクリーミング・フィメールズ。

  トーク・ノーマルは、ブルックリンのバンド(女の子2人)で、2009年にファースト・アルバムを発表して、ソニック・ユースやティーン・エイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス、ライトニング・ボルトなどとも共演をしている。ダークで、ヘヴィーなギターリフと、変則なドラムビートと女の子ヴォーカルのノスタルジックなスクリーミングを特徴としている。ゴースト・パンクとでも形容しようか......。

  スクリーミング・フィメールズはスリーター・キニーとピクシーズを足して2で割ったような感じ。ニュージャージーはニュー・ブルンスウィック出身で、自分たちで300もののショーをブッキングし、去年はデッド・ウエザーやダイナソーJr、アークティック・モンキーズのオープニングも務めた。それでカウントダウン――彼らは11時55分過ぎに登場し、「ニューイヤー? 誰が気にするの?」といいながら、さっさと演奏をはじめてしまった。おいおい......なので、0時になったときは、演奏の真っ最中だった。1曲目が終わって時計を見たら12:02amだった。なんともあっけない2010年の幕開け......。でもこの10年を表すのには、こんなラフな感じが合っているのかも。

  いろんな場所でのカウントダウンの様子を聞いた。ニューヨークといえばタイムズスクエアだが、何でも30日に爆弾騒ぎがあったらしく、バックパックを持っている人は誰も入れなかったとか。結局何もなかったのだけど。

  そんな訳で、2010年無事にあけ、今日も動いている。何が起こるか、わくわくしながら、リアルなミュージックシーンをお伝えできていれば嬉しい。

七尾旅人 presents 百人組手 vol.2 - ele-king

 5時からやけのはらのDJがあると聞いていたので間に合わせようと思っていたのだけれど、その日の正午に子供にアクシデントがあって病院に4時間もいることに......、で、結局リキッドルームに到着したのは6時だった。

 来てみると会場は長蛇の列で、いままさに入場中といったところ。ありゃ、やけのはらのDJは? ま、いいか。まず驚いたのは人の多さ。年末のゆらゆら帝国も満員だったけれど、七尾旅人の「百人組手」も大盛況。1000人近くはいたはずだ。より多くの人が彼の歌に耳を傾けようとしているようだ。

 というわけで、まずはカメラマンの小原泰広を携帯で呼んで、ビールで乾杯した。しばらく談笑していると「もうはじまっているみたい」と小原が言うので、行ってみたら鶴見済がステージで喋っていた。彼は......資本主義と環境問題についての詩を朗読して、七尾がそこに効果音をかぶせていた。誓って言うけれど、僕は彼の表現活動に共感を寄せているひとりだと自負するが、その晩の彼は、反抗者でも扇動家でもなく、全校生徒を前に環境問題についての作文コンクールの最優秀作品を読み上げる優等生のようだった。朗読が終わったあと場内からは拍手が起きたから、僕の汚れた魂がいけないのだろう。だいたいこの日の出演においてもっともリスキーだったのは鶴見済だ。そう考えれば、リキッドルームで、ある意味ではジョー・ストラマーのように、子供にも理解できるように左翼思想を説こうとする彼に文句を言うべきではないのかもしれない。そもそもあの詩を望んでいたのは他ならぬ七尾旅人。それでも僕は小言を言ってしまった。それも本人に直接......、寛容さを欠いてかもしれないけれど、資本主義の真っ直中で生きながら、日々必死でカネを稼ぎ必死でカネを使っている人間からすると、あの手の純真な言葉(「生産」も「消費」も「もうたくさんだ」「もうたくさんだ」「もう......」等々)にはいたたまれなさを感じてしまう(以下、ザ・ストリーツの"ザ・ウェイ・オブ・ザ・ドー・ドー"の歌詞を参照)。

 さて、それでDJバク。山っ気あふれるヒップホップDJの登場だ。彼の切れの良いスクラッチを聴きながらもう一杯......ということで僕はバーでビールを飲むことにした。すると向こうから、いかにも柄の悪そうな五十嵐慎太郎がやって来る。一色こうきと会うのも久しぶりだったし、桑田晋吾も来たので、リキッドルームの2Fで新年会がはじまった。いつの間にかROVOの演奏もはじまり、そして終わりそうだった。いかん、いかん、このままではいかん。下に行くよ。僕は五十嵐と桑田にそう言い残して、ひとりで超満員のフロアのなかに突入した。

 けっこう酔っていたので途中からしか覚えていない。たしか豊田道倫が「おまんこちゃん~!」とエモーショナルに歌っていて、しばらくすると後藤まりこが出てくるあたりだったと思う。七尾旅人は彼の十八番、華原朋美の"アイム・プラウド"のカヴァーを歌った。続いて後藤まりこが歌い、七尾が合いの手を入れた。それは世俗的な、女性の想いの込められたありきたりのラヴ・ソングだったけれど、なにかそのあけすけな感覚が、その晩はとても愛おしく思えた。それが聖と俗を往復する七尾旅人の音楽の、優秀な翻訳だったからなのだろうか。とにかく僕は、豊田道倫の愛欲と、それから自分のことを"僕"と呼ぶ女性シンガーの歌う愛欲に感心しながら、なにか救われた気分を味わった。愛(love)ではなく愛欲(lust)、まさにLust for Life。

 そこから最後までは、七尾旅人の世界を楽しんだ。彼が「目を閉じて」と言えば目を閉じたし、「草原にいる自分を想像して」と言えば想像した。僕はこのハーメルンの笛吹き男の言いなりとなって、音楽とともに夢を見た。ルイ・アームストロングの高貴な魂を想いながら、"素晴らしき世界"を感じた。ライヴの最後には"Rollin' Rollin'"が待っていた。やけのはらも登場した。僕はこの予定調和を堪能した。ようやく踊ることができたから。

 終わってみれば良いライヴだったと思う。桑田は興奮気味に「やっぱ七尾は最高ですわ!」と呻いていた。僕も異論はない。が、10日前に同じ場所で体験した中原昌也~ゆらゆら帝国のライヴのような、濃密な緊張感はなかった。ああいう緊張感を回避しているようでもあった。和んでいたし、相変わらずの長丁場だった。そしてこの晩のライヴは、おそらく多くの人に考える契機を与えたかもしれない。七尾旅人らしいと言えば"らしい"。聖と俗、政治とアート、言霊と音楽......それらの温かみのある混合。アルバムは3月に出るらしい。

 1970年代にマックス・カンサス・シティでスーサイドとモダン・ラヴァーズが一緒にやるようなものでしょ、と僕はこの日のブッキングを喩えてみた。強引なのはわかっている。が、一緒にライヴを観ようということで恵比寿駅で待ち合わせした東京芸術大学の毛利嘉孝教授にはこのぐらい言っておいたほうがいいだろう。真実を言えば、僕は12月8日に渋谷AXでの中原のライヴを観てから、久しぶりにスーサイドのファースト・アルバムを家で聴いていたので、そんないい加減な、少々はったりめいた言葉が浮かんでいたのだ。

 あのアルバムの、レコードで言うとB面の"フランキー・ティアドロップ"の後半のアラン・ヴェガの突発的な叫びが中原の叫びに似ているような気がして聴いてみたのだけれど、近からず遠からずといったところだった。......それにしてもスーサイドのファースト・アルバムは本当に素晴らしい。間章はニューヨークで彼らのライヴを観た夜に感動のあまりずいぶんしこたまキメてしまったと本人が告白しているが、もし彼がいま生きていてヘア・スタイリスティックスを観たら意識の白夜を彷徨うどころか滑り台の上から容赦なく降下して(ヘルター・スケルター)、真夜中にトイレに駆け込んで胃のなかのものすべてを嘔吐し続けた......かもしれない。

 とにかく僕は、ソールドアウトのリキッドルームに自分のコネを駆使してまんまと入り込んだのだった。場内は控えめに言っても90%以上はゆらゆら帝国のファンだろう。そしてゆらゆら帝国のファンは寛大だった。前回、僕が中原昌也を観たときは明らかに彼の音楽に嫌悪を感じていた客がそれなりの数いたものだったが(それがどのバンドのファンなのかはロビーの出入りを見れば一目瞭然だった)、ゆらゆら帝国のファンは決して居心地が良いとは言えない満杯のリキッドルームのなかでヘア・スタイリスティックスのライヴを最初から最後まで温かく見守っていた。音にハマり、奇声を上げ、明らかに楽しんでいた。

 というか、ヘア・スタイリスティックスはこの晩も最高のライヴを披露した。ゆらゆら帝国のファンは自分たちの幸運に感謝したことだろう。中原昌也はバンド編成による特別なセットで臨んだが、実際に出てくる音も格別だった。中原が卓を操作して、ベース=AYA(OOIOO)、ドラム=姫野さやか(にせんねんもんだい)、キーボード=渡辺琢磨(Combo Piano)による4人が基本。途中からもうひとりドラム=千住宗臣(ex. V∞REDOMS)が加わった。彼らの演奏は、何年もともに活動してきたバンドのように息が合っていた。あるいは、息の合わなさも面白味に変換していた。

 前半、女性ふたりによるリズム隊(ベースとドラム)、そして中原との緊張感のある"間"の取り方に我々は息を飲み、それが数十分続いた。控えめな騒音と瓦礫のなかを中原がゆっくりと歩きはじめたようだった。演奏はじょじょに激しさを増し、中盤ではサン・ラめいたコズミックな演奏が我々の精神に激しい火柱を打ち立て、そして最後は中原の"叫び"に呆然と立ちつくした。叫び、咆哮......これを聴いたとき僕はまたしても目頭が熱くなってしまった。そして今回もまたTシャツを1枚買った。しかもライヴがはじまる前にだ(毛利教授も買った)。

 巨人ゆえにデカイ、といういかにも大阪らしい名前を持つ大阪のふたり組は、もちろん初めて聴いた。ヘア・スタイリスティックスのお見事なライヴの直後ではやりづらさもあったかと思うが、巨人のギターとドラムによるコンビネーションは最初から自分たちの世界に没入し、巧妙なミニマリズムによる興味深い演奏を展開した。それはいわゆるグルーヴィーな演奏ではなければブルースでもなく、強いて言うなら日本の大衆芸能で磨かれてきた間合いのリズムのような気がする。ギターは弾くというよりも、擦り、叩いているようでさえあった。アッパーでもダウナーでもない微妙な温度感のある音楽だった。

 さて、僕は例によって例のごとく、7時過ぎにリキッドに着いてからというものしこたまビールを飲んでいた。そしてその晩の最後の1杯にしようと決めたビールを片手に、僕はバンドの出番を待った。

 "おはようまだやろう"ではじまった。演奏は液体のなかを泳ぐ魚類のように、滑らかに展開された。ゆらゆら帝国のスムーズな演奏はフロアを果てしない夢のなかに滑らせる。「ああ もう 何も求めず 何も期待せず 全てをあきらめた後で まだまだ続く」――坂本慎太郎の屈折したコズミック・ブルースが鼓膜にこびりつく。続いて長いインストへ。満杯のリキッドはサイケデリック・メリーゴーランドと化した。あとは音に集中していればいい。複雑な曲をシンプルに聴かせる巧妙な演奏力で、バンドはナンセンスとニヒリズム、そして華麗なファンタジーをまぜこぜに、手慣れた態度で放出した。

 昔から思っていたことだが、ゆらゆら帝国のファンは格好いい男や綺麗な女の子が多い。暗闇だから実際の顔はどうかわからないけれど、ファッションにちゃんと気を遣っているのだ。何も高価なブランドを着ているわけではないが、古着などで工夫して自分たちのスタイルというものを持っている。それは往々にして60年代ファッションをアレンジしたもので、僕は彼らのこだわる態度が嫌いではない。ライヴは半ばに差し掛かると"3×3×3"のイントロが演奏される。ファンはいっきに噴火する。それに続く"タコ物語"でバンドはまた違う扉を開ける。淫靡なセックスを暗示するこの曲を、リキッドルームで踊っているレディーたちはどのような気持ちで聴いているのだろうか。僕はこの曲のなかに坂本慎太郎のセックスへの複雑なオブセッションを感じるのだが......。

 "順番には逆らえない"~"EVIL CAR"で興奮状態を保ちつつ、最後の曲は冷酷なエレジーであり希望の歌でもある"つぎの夜"だった。このエンディングがまた見事だった。単純に盛りあがったままでは終わらないという、ゆらゆら帝国の独特なカタルシスがあった。

 エリートは、所詮は自己正当化する。連中は頭が良いからそれなりにうまく、抜け目なくそれができる。そしてエリートに憧れるエリートにはなれない人たちのあいだでそれはあり難がられる。12月30日のリキッドルームは本当に充実していた。異端者が異端者を呼び、集まり、エレガントな騒音に酔いしれながら一時のサンキュアリーを形成したのだ。みんながファッショナブルだったし、この音楽がこれだけの人数を動員しているのだから未来は決して暗くない(楽屋には七尾旅人もいたしな)。

 というわけで僕は最後から2番目のビールを手にしながら、カメラマンの小原泰広君とリキッドルームを後にして、下高井戸のトラスムンドに向かった。

 アンソロジーをたった1冊、編ませてもらっただけなのに、構成内容がとても気に入っていただけたそうで、「水木しげる画業60周年」と題された米寿のお祝いに招待していただきました。これはちょっと感激でした。場所も帝国ホテルだし、会の切り盛りは出版社が複数でやるのかと思っていたら、最初から最後まで水木プロが手弁当でプログラムを組み、どことなく「お化けの運動会」を見ているような1日になりました。各テーブルには妖怪汁が配られ、司会は京極夏彦に荒俣宏、この日、たった1枚だけ描かれた絵は出席者全員がジャンケンで取り合いとなり、水木三兄弟があと12年、無事でいれば「3人合わせて300歳を祝う会」をやるという発表も。会場はけっこう広いのに学校の体育館にいるような気分になってくるのがどうにも不思議で、娘の悦子さんによる花束の贈呈はまるで入学式か卒業式に見えたり。境港市長や調布市長といった地域を代表する方のスピーチはあるのに出版関係の挨拶は最後までなく、マスコミもすべてシャットアウト、むしろ親戚の方々が多く詰め掛けていたようです(妖怪じゃありませんよ)。「こんな和やかなパーティはなかなかない」とは手塚るみ子さんのコメントだけど、水木しげるの生涯を10分で理解するというショート・フィルム(by京極夏彦)が上映された後で、荒俣宏が水木さんにマイクを向け「ひと言、感想を」というと、水木さんは「思い出すのは戦争のことだけ」と小さく呟き、「いろいろあった」とか「波乱万丈の人生だった」というような言葉を期待していた僕らは虚を突かれ、瞬間的に涙が出そうになってしまいました。水木さんはもう一度、たどたどしく、「思い出すのは戦争のことだけ。後のことは思い出せない」と繰り返しました。鬼太郎や河童の三平を産み出した時のことは忘れても戦争のことは忘れないということです。誰に依頼されたわけでもないのに『総員玉砕せよ』を描き上げた理由がわかろうかというものです。

 会場では久しぶりに手塚真とも再会。僕の本格的な編集デビューは彼が学生時代に撮った映画『SPh(1983)』のメイキング本で、ちょうどその作品をいま、イギリスでリメイクしている最中だとか(音楽はジョン・フォックス!)。そのようにして、いつの間にか水木エリアのなかにあって手塚尽くしになっていると「全員で記念撮影をします」という声がかかり、会場全体は舞台前方に詰め掛けていく......のに、ふと振り返ると、手塚兄妹だけは位置を動かず、テーブルを挟んでやや遠い場所に残ったまま。これは、つまり、写りは小さくなるけれど、別なグループのトップに位置しているという構図になり、水木しげるに所縁の人たちが集まっているなか、手塚治虫の子どもたちが取った行動としてはなるほどと思わせるものがありました。人は常に自分は全体のなかのどこに位置するのかを考えているものだとかなんとかいったのはラカンだったと思ったけれど、瞬時にしてその正解を探り当てたといえるのではないでしょうか。多分、無意識に。

「自分は全体のどこに位置するのか」ということでは、長年、ひとつの疑問があります。東京の路を歩いていると、3人から5人ぐらいのグループが横一線に並んでいる場面によく遭遇します。いわゆる「歩道いっぱいに広がって歩く」というやつです。僕はこのフォーメイションに加わるのがあまり好きではなく、高校の終わりぐらいから、ひとりだけ前か後ろを歩くようにしてきました。意識して外れるわけです。そうすると1人だけ会話がなくなります。その時に、そうか、会話に加われなくなることが不安でこのフォーメイションが維持されるのかということに思い当たります。その場で何が話し合われているのかということは、その中身がどれだけくだらないことでも、そのことには関係なく、それに加わっている者と加わっていない者をはっきりと峻別し、加わっていない者への圧力に転じるのです。それはまるで物理現象のようにして、人を横一線に並ばせる力となります。そうとしか思えません。このような光景を、そして、僕はパリやロンドンでは見たことがありません。「アメリカの田舎道でなら見たことがある」という人も「確かに都会では見たことがない」といいます。海外旅行の経験は数えるほどなので、この話を普遍化させる技量も材料も何もないのですが、やはり、喉元まで出掛かってしまうのは「日本だけなのか」という疑問です。会話から外れることがそれほどまでに恐怖感を呼び起こすのは「日本だけなのか」と(ミクシやツイッターに参加しないことも程度の差こそあれ同じことなのかなーとか)。先日、近所にある国士舘大学の正門前で、しかし、僕はアジア系(パキスタン?)の留学生たちが4人、横一線に並んで歩いているところを目撃しました。人種が違うというだけで、やはりこの光景は新鮮でした。彼らは故郷にいた時からそうだったのだろうか、それとも、日本に来てからそうなったのか。仮に英語で訊くとしても、それはそれでけっこうな英語力がないと難しそうなのでスルーしてしまいましたが、あー、やっぱり、一所懸命聞いてみればよかったなーと、いまは後悔しています。

 会話を共有しているということが日本人にとってはどういうことを意味し、それはほかの文化圏にはないことなのかどうか。この疑問はそろそろ30年ぐらいのロング・ランに突入しながらまったく前に進みません。ひとついえることは、横一線に並んで歩く列から離れることは、馴れているとはいえ、それなりに自覚的な行動であり、まったく苦痛がないことではないということです。そして、そのような価値観に日本人が多数、喝采を送った瞬間を僕たちは00年代に経験しています。「一匹狼」と評された小泉純一郎が自民党の総裁に選ばれた瞬間です。いまとなっては批判の声しか向けられなくなっている小泉純一郎ですが、僕は彼が総裁選に立候補した時からあの性格を生理的に受け付けなかった一方で、「一匹狼」として、その存在価値をマスコミなどが持ち上げたことには共感があったことも覚えています。それこそ『会社本位主義は崩れるか』などのベストセラーで称揚されていた「企業よりも個人を優先する」という価値観がそこには重ねあわされ、日本の何かが横一線に歩くことから脱却しようとしたことは間違いないでしょう。それが確実にネオ・リベラルへの第一歩だったとしても、すべてが間違いだったとは思えないのです(まー、現実にはその何かが竹中平蔵やアメリカに利用されただけなのかもしれませんが)。

 CD3枚組みというヴォリウムの『LIVE! Hair Stylistic』を聴きました。そして、いつもライヴ会場で耳にしていた中原昌也の叫び声を聴いて僕は愕然としてしましました。こんな声だったっけ? 彼はこんな声を出していたんだっけ? それはもう中原昌也という知人の叫び声ではなく、ありとあらゆる横一線から外れて、ひとりで孤独な路を歩く未知の男による強烈な叫び声でした。顔が見えなくなって初めてわかることもあるのです。こんな声を出す男がいまの日本に、ほかにいるのだろうか。

 中原、米寿まで生きろよ。

Flashback 2009 - ele-king

写真左:旅人&やけのはら。七尾旅人は年明け早々の1月9日に恵比寿リキッドルームでライヴあり。
写真右:モーリッツ・フォン・オズワルド・トリオ。こちらは七尾の前日の1月8日に恵比寿リキッドルームでの来日ライヴが決まっている。

  整合性というのはつねづね僕のテーマのひとつである。が、気が変わるのは人間の性分であるし、だいたい雑誌というのはせっかちだ。2009年のベストを選ぶのに、早いところでは11月前半にその締め切りを言い渡される。12月初旬に売られるからだ。だから下手したら最後の2ヶ月はその年から除外されることになる。2ヶ月もあれば、人間、恋に落ちることもあるだろうし、死にたくなることだってある。運命を変えるには充分な時間だ。こういうとき、webは良い。本当に年末になって、それを書くことができるのだから。

 2009年は自分にとって、僕の長いようで短い人生の平均値を基準に考えた場合、ずば抜けて最低レヴェルの経験をするという忘れがたい年となった。非常ベルは鳴りだし、事態は臨界点に達した。デヴィッド・クローネンバーグの映画に放り出され、未知の絶望を感じするほか術がなかった。事態が信じられなかった......なんて惨めな! ときに自虐的で、まるで『地獄の季節』の最初の10ページのような呪いに満ちた茫洋たる暗黒大陸においても、僕にとって幸いだったのは、信じるに値する友人知人が何人もいたことだった。ありがたいことだ。

 いまこれを書きながら、僕はイギリスのプロト・パンク・バンドとして知られるザ・デヴィアンツのリーダーであり、『NME』の名物ライターでもあったミック・ファレンの著書『アナキストに煙草を』を読んでいる。ちなみにこの素晴らしい本を、こともあろうかこのご時世に刊行している「メディア総合研究所」は、他にもここ数年、『アメリカン・ハードコア』や『ブラック・メタルの血塗られた歴史』といったとんでもなく喜ばしい本を出している。このように、政権が代わっても思ったよりアッパーにはならない世のなかにおいて、貴重な光を届けてくれている稀な出版社だ。で、そう、60年代のカウンター・カルチャーから70年代のパンクにいたるまでの現場感覚に満ちたその『アナキストに煙草を』読みながら、僕はどこの国においてもいつでも同じことは同じなのだなと確認したことがある。そのひとつ、60年代の回想の下りだ。「特筆すべきは、我々全員の頭の中を独占していたひとつのこと、すなわち自分の人生がこれからどうなっていくのか、何が起こるのか、そういう類のことはほとんど話題に上がらなかったことである。地球の未来について語ることはあったかもしれないが、自分個人の未来について話すことはめったになかった。この点において我々は、十年以上経って出現するパンクと似ていた」(赤川夕起子訳)

 まったく......僕のまわりにいる連中はたいがいそうだ。個人の人生の未来など、考えていないわけではないだろうが、まず語らない。それがゆえに勝ち負け社会の確固たる敗者として生きているのかもしれない。我々は結局のところ「政治理論などほとんどどうでもよかった。それが我々の魅力であり同時に没落した原因」(前掲同)だった。

 しかし......、ところが僕はこの夏、自分の将来――といっても半年後だが――についていろいろ考えた。せこい未来だけれど、事態は思ったより深刻だった。さすがに考えざる得なかった。ど、ど、ど、どうしようか? と妻に訊いた。し、し、静岡に帰ろうかな? 僕は焼き鳥を焼いている自分を想像した。臆病な僕はしばらく妻の顔を直視できなかった。が、妻は、考えてみれば僕のようなデタラメな人間と結婚するくらいであるから、それなりの覚悟はできていたのかもしれない。まあ、そんなわけで、ずーっと家にいるようになって肩身の狭い思いをすることはなかったけれど、とりあえずできる仕事はぜんぶした。5歳の息子は「なんで仕事いかないの?」と訊いたが、「これが仕事だ」と言った。

 河出書房新社の阿部さんのおかげで1冊の本を作ることもできた。三田格、松村正人、磯部凉、二木信というひと癖もふた癖もあるライターと一緒に作った『ゼロ年代の音楽――壊れた十年』という本だ。「壊れているのはお前だろ!」と言われそうだが、それはまったくその通りで、しかしそうした個人の属性とはまた別の次元で、我々はこのゼロ年代の音楽ついて語り、書いた。150枚のアルバムも丁寧に紹介した。僕は編集者としてバランスを整えようと努めたが、結局はいくぶん偏ってしまった。それは二木信がネプチューンズやミッシー・エリオット他3枚のレヴューを辞退したからではなく、まあ著者全員が偏執的といえばそうだし、言い訳すればそもそも時代がそういう時代である(断片化されている)、と僕はその本のなかで解説した。欠点もあるが、それを補うほどの長所もある本が完成した(1月末に刊行します!)。

 つまりそんな事情もあって、僕は12月のある時間を集中的に、ゼロ年代というディケイドについて頭を使い、スケジュール管理に神経をすり減らしていたので、クリスマスのこの時期、正直言えば2009年という1年についていまさら強い気持ちがあるわけではない。たしかに2ヶ月前まではあった。が、いまはもう薄れてしまったのだ。

 僕は11月上旬に『EYESCREAM』誌でまずそれをやって、半ば過ぎに『CROSSBEAT』誌でアンケートに答え、続いて『SNOOZER』誌の特集に参加した。ところがこの2ヶ月は年末ということもあってやけにバタバタしていた。清水エスパルスは悪夢の5連敗を喫して、坂道をゴロゴロ転がった。僕はそれにいちいち打ちひしがれている暇もなく、原稿を書いて書きまくって、そして音楽を聴いていた。

 10月30日にユニットでiLLのライヴを見終わった後そのままクワトロで湯浅湾のライヴに行って、11月に入って2本のトークショーをこなし、静岡でDJ(もどき)をやって、七尾旅人のライヴに行って、新宿タワーレコードでXXXレジデンツの発売記念トークショーを宇川直宏とやった。12月は〈ギャラリー〉に踊りに行って、中原昌也のライヴに行って、で、その数週間後に毛利嘉孝の司会で中原昌也と東京芸大で話した。そしてそれから......久しぶりに"締め切り"という名の絶対的概念に苦しめられた。もちろんこの2ヶ月、僕はこの「ele-king」に情熱を注ぎつつ、と同時に、いま平行して作っているアーサー・ラッセルの伝記本の編集もしている(これがまた面白いのよ)。ここに記したすべてが僕にとって刺激的で、思考の契機となる。

 そしてこの数ヶ月というもの、僕は自分でも信じられない量の音楽を聴いている。まだ文字にしていないものを含めると自分の限界まで挑戦したと言っていい。寝ている時間と人と会っている時間以外は、ほとんど聴いていた。僕の長いようで短い人生の平均値を基準に考えた場合、ずば抜けて最高レヴェルの密度だろう。もうそうなると、2009年を回想することなど、ホントにどうでもよくなってくる。

 せっかくなので、いくつか気になったことを書き留めておく。2009年の最高の曲のひとつは七尾旅人+やけのはらによる"Rollin' Rollin'"だ。奇しくも、東京NO1ソウルセットとハルカリが90年代のバブルな感覚を懐かしむように"今夜はブギーバック"をカヴァーするかたわらで、"Rollin' Rollin'"は"現在"を表現した。この曲の良さは水越真紀さんがレヴューで書いている通りだと思う。つまりこれは、この10年、バブルな思いとは無縁だった世代の素晴らしい経験が凝縮されたアーバン・ソウルだ。

 RUMIの3枚目の『HELL ME NATION 』もこの2ヶ月で好きになったアルバムだ。彼女は、このハードタイム(厳しい時代)を生きる女性のひとりとしてのリアリズムを追求する。30歳という自分の年齢まで歌詞にしながら、彼女の意気揚々とした姿はこの国の女性アーティストたちが手を付けてこなかった領域に踏み入れているように思える。とても元気づけられる作品だ。もしクレームを入れるとしたらジャケのアートワークだけ。それ以外はほぼパーフェクトだ。ラップものでは、他にも何枚か素晴らしいアルバムに出会えた。『EYESCREAM』にも書いたが、S.L.A.C.K.は最高だ。言葉も音も良い。そこには不良少年の毒と清々しさの両方がある。2009年に彼は発表した2枚、『MY SPACE』と『WHALABOUT』はどちらとも良い作品だ。出勤や登校で異様なテンションを発する朝の駅に、遊び疲れた身体を引きずりながら友だちや恋人と一緒にいた経験がある人ならこの音楽を身近に感じるだろう。疎外者たちのメランコリアだ。ファンキーという点ではTONO SAPIENSが良かった。嗅覚の鋭い連中が集まる下高井戸のトラスムンドやSFPの今里君、あるいは磯部涼が絶賛するSTICKYはまだ聴いていない。

 SFPも、4曲だが新録を発表した。リリース元の〈Felicity〉は、もともとはポリスターでフリッパーズ・ギターやコーネリアス、〈トラットリア〉をやっていた櫻木景という人物だ。例の「Rollin' Rollin'」も〈Felicity〉からのリリースで、いわば90年代前半の渋谷系に思い切り関与していた人間がいまこうして七尾旅人やSFPを出しているところが"いまの時代"を物語っていると言えよう。

 とまれ。僕は、いまこの日本にはふたりの強力なパンクがいることを知っている。真の意味での反逆者と言ってもいいし、彼らはこの国の"自由"の境界線を探り当てているという点においてパンクなのだ。そのひとりは中原昌也。彼はいわば、映画『If...』のマイケル・マクドウェルで、グレアム・グリーンが『ブライトン・ロック』で描いた17歳のピンキーだ。いずれ校舎の屋根に上って散弾銃をぶっ放すかもしれない。そしてもうひとりがSFPの今里。SFPの「Cut Your Throut」は興味深い作品で、ここがイギリスなら〈リフレックス〉や〈プラネット・ミュー〉から出ていてもおかしくない。SFPのハードコアは、いまとなっては誰もが思い描けるようなハードコア・サウンドで統一されていない。ポスト・モダン的にスキゾフレニックに展開されている。「Cut Your Throut」にはラウンジとサイケデリックとノイズコアが同居しているが、そういう意味でSFPはこのシングルで新しい領域に踏み入れたと言える。当たり前だがハードコアやパンクとは様式(スタイル)ではない。サム・ペキンパーの『ワイルド・バンチ』もまたハードコアであるように。

 電気グルーヴが彼らの20周年を祝うアルバムを発表したのも2009年だった。これを書いているたったいま(12月25日)も、僕の5歳になる息子は電気グルーヴの「ガリガリ君」を聴いている。僕が奨励したわけではない。能動的に、しかも繰り返し何度もだ。「2番がちょっと恐いんだよね」と感想を言っている。ちなみに「2番」とはオリジナルの次に入っている別ヴァージョンのこと。まあ、電気グルーヴにしてもクラフトワークにしても、何が素晴らしいかと言えば、あの罪深きトランス性によって3歳児から40歳児までをも興奮させるところだ。この年代になってわかることだが、それはエレクトロニック・ミュージックの"強み"のひとつだ。石野卓球からは、90年代に彼が体現した危うさはなくなってしまったけれど(誰も彼を責められない、あのまま突っ走っしることなんか誰にもできない)、彼の芸は円熟の領域に入ろうとしている。『20』を聴きながら、僕はそう思った。

 2010年にはマッシヴ・アタックの5枚目のオリジナル・アルバムが待っている。ヴァンパイア・ウィークエンドのセカンドも控えている。自分たちがいまどの方向性を選べばいいのか理解しているという意味において、どちらも良い内容だった。時代の空気は変わろうとしている。日本の音楽も面白い方向に転がっていくかもしれない。

 

■Top 25 Albums of 2009 by Noda

1. Atlas Sound / Logos(Kranky/Hostess)
アニコレがビーチ・ボーイズならこちらはビートルズ。毒の詰まったポップ。
2. S.L.A.C.K. / Whalabout(Dogear Records)
21世紀の薬草学におけるビートと日常生活のささやかな夢。
3. Girls / Album(Fantasy Traschcan/Yoshimoto R and C)
素晴らしきバック・トゥ・ベーシック。ここにも夢と星がある。
4. Volcano Choir / Unmap(Jagjaguwar/Contrarede)
ポスト・ロック時代の山小屋のロバート・ワイヤットといった感じ。
5. Major Lazer/Guns Don't Kill People...Lazers Do(V2 /Hostess)
ダンスホールにおけるスラップスティック。
6. Animal Collective / Merriweather Post Pavilion(Domino/ Hostess)
サイケデリック・ポップとエレクトロニカの華麗な融合。
7. The XX / XX(Young Turks/Hostess)
アリーヤとヤング・マーブル・ジャイアンツとの出会い。
8. V.A. / 5 Years Of Hyperdub(Hyperdub/Ultra Vibe)
アンダーグラウンド・サウンドにおける最高のショーケース。
9. Mortz Voon Oswald Trio / Vertical Ascent(Honest Jon/P-Vine)
『ゼロ・セット』から26年。1曲目を聴くだけで充分。
10. Grizzly Bear / Veckatimest(Warp /Beat)
ポール・サイモンが『キッドA』をやった感じ。"Two Weeks"は最高。
11. Micachu / Jewellery(Accidental / Warnner Music Japan)
批評精神に満ちたポスト・モダン・ポップのレフトフィールド。
12. Flying Lotus / L.A. EP CD(Warp/Beat)
レフトフィールド・サウンドにおける期待の星。
13. Rumi / Hell Me Nation(Pop Group)
リアリズムと世俗的だが素晴らしいファンクネス。
14. Bibio /Ambivalence Avenue(Warp/Beat)
エクスペリメンタル・ヒップホップの甘い叙情詩。
15 鎮座DOPENESS / 100% RAP(W+K東京LAB /EMI)
植木等とラップとダンスホールの出会い。
16. Moody /Anotha Black Sunday(KDJ)
アンダーグラウンド・ブラック・ジャズ・ファンク・ハウスの底力。
17. Dominic Martin / The Annual Collection(BeatFreak Recordings)
ジャングルの知性派によるエレクトロニカ・ポップ。
18. Toddla T/Skanky Skanky(1965)
モンティ・パイソンによるダンスホールといった感じ。
19. Speech Debelle / Speech Theory(Big Dada/ Beat)
取材してがっかりしたが、良いアルバムだと思う。
20. Fuck Buttons / Tarot Sport(ATP/Hostess)
スタイリッシュかつダンサブルに変貌。次作で化けるでしょう。
21. Dirty Projectors / Bitte Orca(Domino / Hostess)
NYのアート・ロックのお手本のような1枚。
22. Antony and the Johnsons / The Crying Light
(Secretly Canadian / P-Vine)
現代のディープ・ソウル。EPのみの"Crazy In Love"も最高。
23. 2562 / Umbalance(Tectonic /AWDR/LR2 )
ダブステップにおけるフューチャー・ファンク。
24. Juan Maclean / The Future Will Come(DAF / P-Vine)
ヒューマン・リーグ・リヴァイヴァルを象徴する作品。
25. Beak> / Beak (Invada /Hostess)
ポーティスヘッドによるクラウトロック賛歌。

Flashback 2009 - ele-king

the techno of the year! ルシアーノ。

 いよいよゼロ年代も終わろうとしてる。あっという間すぎて、とりとめがなさすぎて、消化しきれてないこの10年。その様相をギュッと凝縮したようにまったくもってカオスで行く末もなにも不明瞭だった今年。いろいろ話していく中で"テクノはNGワード"というショッキングなトピックすら出てきたが、こうなったら行くとこまで行ってしまえという思いも湧いてきたのだった。

 そもそも40すぎのおっさん一個人が体験できることなんてたかが知れてるし、「それで総括なんてちょっとおこがましいだろ」わたしの中のガイアがそう囁く。実は去年も某ではなく亡R誌の総括企画でいろいろ違う立場、違う世代のひとたちと語らって結構収穫があったのを思い出し、さっそく身近で現場にいちばん近いひとたちに声をかけた。ひとりは〈ageHa〉で積極的に旬のアーティストを招聘し、日本のDJたちもバシバシ登用してるパーティ〈CRASH〉のオーガナイザーの荒木くん、もうひとりは貴重なアナログを試聴して買える店舗として渋谷でがんばっている〈Technique〉のテクノ担当バイヤー佐藤くん。ふたりとも、それぞれの視点でなかなか外からは見えないことを語ってくれた。その貴重な発言を織り交ぜながら、09年を振り返ろう。

 今年意外だったリヴァイヴァル現象のひとつは、ハード・テクノが復活の兆しを見せたこと。ちょっと前までは"最も需要のないジャンル"とまで言われたハードテクノ/ミニマルが、息を吹き返した。

 「自分がテクノを好きになるきっかけのアーティストのひとりで、ルーク・スレイターは毎年呼んでるんですけど、今年はPlanetary名義のアルバムも出て、ヨーロッパでも評判が良くて調子も戻ってきてるって話を聞いて、すごい嬉しかったですね。一時低迷してる感じもあったでしょう。実際好調だっていうのを反映するように、DJプレイ自体すごく良かったし。このあいだ〈Drumcode〉のパーティで来たAdam Beyerもハードだったけどテクノ! って感じのプレイで、燃えました」(荒木)

 ベルリンで"世界一"との称号を得るクラブ〈Berghain〉が核となったこの動き、ルークのPlanetary Assault Systems名義のアルバム『Temporary Suspension』 が〈Berghain〉の運営するレーベル、〈Ostgut Ton〉からリリースされ、またWIRE09のハイライトになったLen Fakiが同クラブの公式盤としてリリースしたミックスCDも素晴らしかった。両者とも、クリック~ミニマルの流れは意識しつつも、図太いキックを響かせハードなサウンドの復活を象徴していた。

 「レーベルだと〈Blueprint〉とか〈Downwards〉が復活して、リイシューも含めると結構な数がリリースされる状況です。硬質なテクノはきてますね。ただ、シーンがハウス的なものばかりになってしまった反動で、30歳前後のかつてのハード・ミニマルの隆盛を知ってる層がまた聴きだしたという印象で、若いひとが新鮮に感じてるということはないんじゃないかなぁ。このあいだのSurgeonのDJでもフロアの年齢層高かったし」(佐藤)

 昨年のリーマン・ショック以降の世界恐慌一歩手前という経済状況は、もちろんクラブ/音楽業界にも寒風を吹かせた。特に欧州では意識変革や時流とも相まってアナログ盤のセールスの激減という事態に結びつく。Native InstrumentsのDJ用ソフト開発に関わっている人物によると、ドイツでのヴァイナルの販売数は今年1/3にまで落ち込んだそうだ。しかし、日本の状況はどうかというと、意外に市場全体の規模としては急激に縮小してるわけではないという。

 「レーベルだと〈Cadenza〉、もしくはリカルド(・ヴィラロボス)絡みのものだと、100~200枚売れることもありますが、それが最大。昔はウチだけで数百なんてよくある数字だったんですけどね。普通のものは10~30枚とかですよ。ただリリースの数がものすごく増えて、だから全体としてはそこまでセールスが落ち込んでない。ドイツのディストリビューターのひとと話したら、やはり多くのレーベルがアナログは全世界で300枚くらいしか売れないと言ってますね。そうなると日本はマーケットとしてすごくでかいし、次の展開としてアジアをどうにかしようと考えてるみたいです。ただ、そこまでプレス枚数が減ると値段上げて売り切りでもペイできないだろうし、DJとしてブッキング増やすためのプロモーション・ツールになってきてる」(佐藤)

 実際のところアナログ盤を買うというのは、ある種の贅沢行為もしくは奇特な趣味になりつつあるのかもしれない。今年はまったく面識ない若い子と一緒にDJする機会が何度かあったけど、PCかCD-Rでやってるケースが大半で、ターンテーブルはもう物置場と化してるわ、カートリッジもついてないわ、隅のほうに縦置きされてるわで、なんとも悲しいブースだった。もっと名の知れたメジャーな箱でプレイしてるDJたちにしても最近は「アナログ使いますか?」と事前に確認されるとか、そうでなくてもデジタル・ソースで良く聞こえるようにPAが調整されていてアナログだとイマイチというケースも増えているそうだ。そして、11月末にはついにオーストラリア発で「パナソニックがテクニクスのターンテーブルの生産を中止する!」という噂までネット中を駆け巡り大騒ぎになった。ひとまずそれはガセと否定されたが、いつそんな状況になってもおかしくない、というのが現実か。

 09年の最大のフロアヒットがリカルドのレーベル〈Sei Es Drum〉から出たRebootの"Caminando"もしくはルシアーノが半年以上かけてプッシュし続けたMichel Cleis"La Mezcla"であることは疑いないだろう。両方とも、フォルクローレ・ミニマルという今年の一大潮流となったトレンドを規定するような仕上がりで、実際南米の楽曲をもろにサンプルしたトラックだが、目の付け所やループの組み方など絶妙でまさに時代にフィットした感があった。リカルドは現在もアナログ・オンリーでDJしているし〈Sei Es Drum〉はデジタル・リリースをやってない。ルシアーノは現場ではPCを使っているが〈Cadenza〉は大半のリリースでアナログ重視の姿勢を貫いている。日本でも石野卓球や田中フミヤといった影響力のあるプレイヤーがいまだアナログにこだわっているといったように、ロールモデルになるトップDJたちの姿勢によってなんとかまだ最後のエリアは死守しているという状態だろうか。なにせ、Loco DiceやChris Liebing、Josh Wink等の例を持ち出すまでもなく、ほとんどのインターナショナルDJはすでにデータでのプレイに移行しているからだ。

 「でも例えばDaniel Bellとか、Sascha Dive、Cassy、それとレーベル〈OSLO〉周辺のアーティストなんかはみんなアナログが大好きで、影響力あると思います。うちにも来るけど、ユニオンで中古盤買うのが楽しみみたいですね。ドイツだといい中古盤はあまりなくて、値段も高いからって。DBXなんて、ユニオンに行くために東京をツアーに組み込んでるんじゃないかな(笑)」(佐藤)

 さらに09年は、完全にインプロビゼーション的な手法を持ち込んだライヴを行うアーティストが成果を見せ始めた年だったとも言える。テクノのライヴというと、ラップトップとにらめっこというのが普通だったが、ついにそこから大きくはみ出すことをテクノロジーとアイデアが可能にした。例えば、年明け早々に日本でも見られるMoritz Von Oswald Trio(モーリッツ翁とマックス・ローダーバウワー、ヴラディスラヴ・ディレイのユニット)が数々のステージでの実験を発展させて素晴らしいアルバムに結実させたし、ルシアーノはレーベルの若手Reboot、Lee Van Dowski、Mirko Loko、Digitaline、そしてアルバムにも参加したハン・ドラムのOmri Hasonがそれぞれ演奏する音の要素、さらにはシンクロする映像をMac上のソフトで自在に操り、誰の音が流れているか一目でわかるように光でアイコン化するという画期的なステージAEtherを展開。世界中をツアーして驚かせた。ラップトップを使いながらもその場で自由に音を組み立て、多人数で空間を作りあげるという実験はほかにもRichie Hawtinが多くのプロデューサーたちと積極的に行っている。

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 さて、ele-king的にはあまり注目されない部分ではあると思うが、無視できない人気と勢力を維持しているのがエレクトロのシーンである。ベルギーで毎年行われている巨大テクノ・フェス"I ・ Techno"の公式コンピCDで、昨年Boys Noize、今年はCrookersがミックスを担当しているのは衝撃的だ。"テクノ"と銘打ってはいるが、実際のところメインどころで鳴っている音は巷でいうところのエレクトロが大半という事実。ある意味行くところまで行ってしまった"テクノ"のストイックすぎる音の対極にある派手で下世話でエネルギッシュなこの手の音が、昔でいうならレイヴ、ハードコアと同じような文脈で若いクラバーに支持されているのはよくわかる。〈WOMB〉が幕張メッセに出張して行う大規模イヴェント〈Womb Adventure〉は、2年目となる今年も、Richie HawtinとDubfireのユニットClick 2 ClickとDigitalismやDexpistolsが隣り合ってプレイするという普段のクラブ・イヴェントではなかなかお目にかかれない取り合わせを実現していた。

 「DEXのやってるレーベルの若いアーティストでMYSSっていう2人組がいて、まだ22歳くらいですっごい若いんです。ここ数年でDJはじめてガーッと人気が出てきたっていうヤツらなんですが、去年の〈Womb Adventure〉に行ってリッチー知らなかったですからね! でも、かけてる曲聴いてると結構テクノなんですよ。あれは衝撃的だったな。僕らとは全然成り立ちが違うんだなと思って。曲は耳で聴いて採り入れてても、それをテクノとは認識してないんでしょうね」(荒木)

 レコード店に足を運ぶのも、テクノのパーティで踊るのも、30歳から下というのが極端に減っているという。一方で、どんどん若い世代が飛び込んで育ち始めているのがエレクトロだと。極端ではあると思うが、同じ音でもテクノとラベルづけされるといきなり「暗い・難解」的なイメージで、人が呼べないという危惧があるからだって。なんたることだ! 今のエレクトロのDJやアーティストすべてが敬ってもいい"I'm a Disco Dancer"と"Popper"の生みの親であるChristopher Justさんなんて、いつのまにか「エレクトロの人気アーティスト」と宣伝されるようになっていたからなぁ......。

 では、テクノの文脈でまったく新しいひとたちが出てきてないのかというと、そんなことはない。ロンドンとベルリンを拠点とする世界最高峰のエレクトロニック・ミュージックのサイト「Resident Advisor」が先日発表した読者投票によるトップ100DJのリストをみれば、多くの大御所たちを押しのけてたくさんのフレッシュな名前を見つけることができる。Marcel Dettmann、Magda、Ben Klockといったミニマル勢、Dixon、Nick Curly、Omar-Sといったハウスを新しいカタチで提示する連中も元気だ。では、日本のアーティストは......?

 「海外でレコードでてるアーティストはたくさんいるんですよ。でも、日本のリスナーやDJはあまり日本人の作品プッシュしない印象ですね。メディアも取り上げないし、レコード出たからといって人気に火がつくわけでもなく、積極的にリリースしてるレーベルも〈Mule〉くらいですからね」(佐藤)

 う~ん、たしかに。〈Poker Flat〉からもリリースするRyo Murakami、〈Minus〉や〈Immigrant〉などからリリースするRyoh Mitomiなどポツポツと新しいアーティストはいるが......。「ベルリンでプレイと言ってもギャラもあまり出ず、帰ってきてからのプロモーションになるかなという感じでやりに行くというケースも多いですよね。自費でいいなら来いよ、みたいな。やはり向こうに住むくらいでないと、難しいかも」(佐藤)。Akiko KiyamaやDen等のように拠点をベルリンに移すアーティストも中にはいるが、やはり距離と言葉の問題、それはITがこれだけ発達して、世界が狭くなったと言っても20年前と変わらず大きな壁なのだ。「ただ、店という場所があるし、アーティストのサポートしたいんで、どこのレーベルにアプローチしたらいいかとかいろいろ相談にものるし、レコードが出たらバックアップできるように多めにストックして在庫切らさないようにするんです。そうやってうまくリリースにつながったり、少しでも活動しやすくなれば嬉しいですよね」(佐藤)

 今冬は気候も懐もずいぶん寒さが厳しい感じ。ついつい引きこもってぬくぬくしてても楽しいかもなどと自分をごまかしてしまいがちだ。特に今年後半一気に日本でもブレークしたTwitterのようなひととひとのつながりをうながす属人性の高いウェブサービスのおかげで、再会やあらたな出会いそんなもろもろが楽しい(テクノに限らずDJやクラブ音楽関係者もたくさんいる!)けれど、それでなにかを「わかった」気になってしまうのはいちばん危険。最後に、先日アルバムのリリース・ツアーを終えたDJ Tasakaがつぶやいていたツイートを転載しておこう。

 「各地で会った皆さんありがとう。どこもそれぞれかなりの手応え。特に印象的だったのは神戸と大分。09年の日本のテクノ・パーティに関しては"東京が中心でその他の都市はそれを追う地方"的図式で見てしまうと、本質を完全に見誤るだろうことがよくわかりました」

 「各地でパーティに熱意を持っている人達同士がリンクできる余地、まだまだありそうです。伝えて、広めて、続けるための環境作りに関して、みんな同じベクトル向いてる」

※ 月イチで国内外の旬なDJをフィーチャーする日本最大規模のテクノ・パーティ〈CRASH〉、来年一発目のオススメは2月に、〈Yellow〉や〈Unit〉を揺らし続けてきた〈REAL GROOVES〉との共催で、アルバムをリリースしたばかりのサンフランシスコのClaude VonStrokeなど多数のゲストを迎えてのフェス仕様で行うパーティ。詳細情報は〈ageHa〉もしくは〈REAL GROOVES〉公式サイトでチェックを!

 

■hot techno releases 2009

(ALBUM)
Moritz von Oswald Trio / Vertical Accent (Honest John's)
Planetary Assault Systems / Temporary Suspension (Ostgut Ton)
Len Faki / Berghain 03 (Ostgut Ton)
Mirko Loko / Seventynine (Cadenza)
Luciano / Tribute To The Sun (Cadenza)
Josh Wink / When A Banana Was Just A Banana (Ovum)
DJ Tasaka / Soul Crap (Ki/oon)
Laurence / Until Then, Good Bye (Mule Electronics)
Telephone Tel Aviv / Immorate Yourself (Bpitch Control)
Shakleton / Three EPs (Perlon)
Crookers / Put Your Hands on Me (Southern Fried)
Reboot + Sascha Dive / From Frankfurt to Mannheim (Cecille)
Mihalis Safras / Cry For The Last Dance (Trapez)
Tiga / Ciao! (Last Gang)
Peaches / I Feel Cream (Warner)
La Roux / La Roux (Polydor)
Jesse Rose / What Do You Do If You Don't? (Dub Sided)
Ben Klock / One (Ostgut Ton)
2000 and One / Heritage (100% Pure)

(SINGLE)
Cesar Merveille & Pablo Cahn Speyer / Descarga (Cadenza)
Mistress Barbara / Dance Me Till The End of Love (Iturnem)
Depeche Mode / Wrong (Magda's Scallop Funk Remix) (Mute)
Laurent Garnier / Gnanmankoudji (PIAS)
Nick Curly / Series 1.1 (8Bit)
Timo Maas / Subtellite (Cocoon)
Radio Slave / Koma Koma (No Sleep Part 6) (Rekids)
Electric Rescue / Devil's Star (Cocoon)
Sis / Mas O Menos (Titbit Music)
Felipe Venegas & Francisco Allendes / Llovizna EP (Cadenza)
Orlando Voorn feat. Obama / Yes We Can! (Night Vison)
Michel Cleis / La Mezcla (Cadenza)
RV feat. Los Updates, Reboot / Baile, Caminando (Sei Es Drum)
La Pena / 004 (La Pena)
Steve Bug / Two of A Kind (Pokerflat)
Markus Fix / It Depends On You (Cecille)
Bloody Mary / Black Pearl (Contexterrior)
Gavin Herlihy / 26 Miles (Cadenza)
DJ T / Bateria (Get Physical)
Sebo K & Metro / Saxtrack (Cecille)
Click Box / Wake Up Call (M_nus)
Chris Liebing, Speedy J / Discombobulated , Klave (Rekids)
The Mountain People / Mountain People 08 (Mountain People)
Deetron / Zircon+Orange (Music Man)
Tiga / Beep Beep Beep (Soulwax+Loco Dice Remixes) (Different)
Paco Osuna / Lemon Juice (Plus 8)
Proxy / Who Are You? (Turbo)
Adam Port / Enoralehu (Liebe Detail Spezial)
Jesper Dahlback / Roda Rummet EP (Acid Fuckers Unite)
Massimo Di Lena / Gypsytown (Cadenza)

[Techno] #1 by Metal - ele-king

 ここ1年にかけて、ダブステップの影響もあってだろうか、従来の〈ベーシックチャンネル〉や〈ディープスペース〉などのレーベル以外にもヴァリエーション豊かでダビーな音響のテクノ/ハウスが続々とりリースされている。とはいえ、テクノとダブステップが実際に共振しているかと言えば、微妙なところだ。テクノのリスナーはまだそれほどダブステップを聴いていない。ただし、お互いに意識していることは確実なのだ。面白い動きはいろいろ起こっている。最近のダブステップをかけて、逆説的にテクノのクオリティの高さも再認識した。

1 Lee Jones / Yoyo Ep | Cityfox(CHE)

ミニマルのテック・ハウス化の中で〈サーカス・カンパニー〉に代表されるジャズや現代音楽をモチーフにした音楽性の高いトラックが多数見受けられるようになりました。その中で、スイスのクラブが設立した新レーベル〈シティ・フォックス〉より〈プレイハウス〉の中心的なアーティストで、マイマイのメンバーとして知られるリー・ジョーンズによる奥深いミニマル・ハウス音響的なところではジャジーな感覚を取り入れている。

2 Tolga Fidan / So Long Paris | Vakant(GER)

ルチアーノとともにミニマルのグルーヴの発展に貢献してきたトルガ・ファイデンによるニュー・シングル。従来よりも低音は強調され、サックスをメロディーとしてではなく"飛び"のアクセントとして用いる。より立体的なトラックへと変化している。

3 Matthias Meyer / Wareika / Infinity / Smiles | Liebe Detail(GER)

〈フリーレンジ〉とともに新世代のテック・ハウスを牽引する〈リエベ・ディテイル〉よりマティアス・メイヤーとワレイカによるスプリット。両面ともにクオリティが高く、2009年のアンセムと言っても過言ではない。ジャジーでエスニックなテック・ハウスにプログレッシヴ・ロック的な要素が加わり、高音あるいは中低域の持続音が不思議なトランス感を生み出している。ダブというよりはサイケデリック。ヴィラロボスとジョー・クラウゼルが共演したらこんな感じになるんじゃないか。

4 Conforce / CCCP EP | Modelisme(FAR)

そしてオランダよりの新鋭ボリス・バニックのダブ・プロジェクト、コンフォースがルーク・ヘスなどもリリースするフランスの〈モデリズム〉から。〈エコ・スペース〉や〈ベーシック・チャンネル〉タイプのミニマル・ダブでありながら、最近のミニマル・ハウスを通過している柔軟なグルーヴが素晴らしい。

5 Rui Da Silva & Craig Richards / Be There | Motivbank(GER)

ポルトガルのルイ・ダ・シルヴァとファブリックの看板DJ、クレイグ・リチャーズによる共作。ジェイ・トリップワイヤーなどにも通じる大箱に栄えるプログレッシヴなダブ・ハウス。最近では珍しい質感と言える。アシッド・ベースの使い方がクールなトビアスによるリミックスも収録している。

6 Marcel Dettmann / Prosumer & Tama Sumo / Phantasma Vol.3 | Diamonds And Pearls Music(GER)

今年も大活躍のベルグハイン勢によるスプリット。シンプルなアシッドハウスに、繊細な持続音が絡む、デットマンによるダビーミニマルと、シカゴハウスを上手く今のグルーヴに当てはめたタマ・スモとプロシューマーによるベースの効いたテックハウス。

7 Valma / Radiated Future | Blueprint Records(UK)

デットマンを中心としたハード・ミニマル回帰の中で再び注目を集めるジェームス・ラスキンによるレーベル〈ブループリント〉からヴァルメイによる新作。覚醒的なシンセをアクセントに、ストイックに展開していくハード・ミニマルとなっている。質感は昔のままながら、グルーヴやエディットに新しさを感じる。

8 Monolake / Atlas ーT++ Remix- | Monolake(GER)

エレクトロニカのフィールドからダブを追求するベテランのモノレイクのトラックで、メンバーのトーステン・プロフロックによるT++名義でのリミックス・ヴァージョン。ノイジーでカオティックで、ピッチの早いダブステップと言える。正直に言って、レゲエやグライムからの流れのダブステップは聴くに堪えないものが多い。が、モノレイクのそれは、そのなかで本当にクオリティが高い音響を見せつけている。あるいはまた、これこそがテクノとダブステップの理想的な融合のカタチのひとつだと言える。

9 Harmonia & Eno / Tracks and Traces Remixes | Amazing Sounds(GER)

E王これは衝撃的な1枚。ハルモニアとブライアン・イーノによる名作をシャックルトンとアップルブリムがリミックス。テクノでもダブステップでもない。摩訶不思議なアンビエントだと言えるし、ジ・オーブの『ポム・フリッツ』を連想させる。ダブステップ周辺のアーティストでは僕にとってはシャックルトンが抜きん出て面白い。分からないから面白いのであう。

10 The Sight Below / Murmur - EP | Ghostly International(US)

これはシアトル出身のアーティスト、サイト・ビロウによる深海系のダビー・ミニマル。リミキサーにはフィンランドからバイオスフィア。ドローニッシュで凍りつくようなハードコア・アンビエントである。

Flashback 2009 - ele-king

 手許にある音楽雑誌をパラパラめくる。音楽評論家やライターたちがこんなふうにつぶやく。――音楽が生成し浸透する現場に足を運ばなければ、なにもわからない/いろいろなパーティやライヴに足を運べ/PCでYouTubeとかマイスペースだけ見てわかった気になってしまうのはとても危険だ――や、てことはみごとにぼくは危険なんだな。

 10年くらい前まではたぶんぼくもその音楽評論家と同じような意見を持っていたのかもしれません。アグレッシヴに聴いていた時代があったのです。でも、ここ数年は特に新しい音楽シーン(というものがあれば)とはあまり縁のない世界に席を追いていたおかげで、すっかり世情に疎いアラフィフになってしまったのはまぎれもない事実なのです。だって『スヌーザー』見ても『ロッキング・オン』読んでも『クロスビート』眺めても、さっぱりわからない名前やジャンルばかりになっているじゃないか。

 俺は「グライム」ってわかりません。「ダブステップ」もよく知りません。つか、「エレクトロニカ」って何?ってこないだ奥さんに聞かれたんですけどよくわからないって答えておきました。だって説明できないのです。たとえばそのジャンルで代表的なアーティストは誰?って聞かれても閃かないのですよ。つか、俺って今なにを聴いてるんだろうと自問してしまうくらい、実はなにも考えずに音楽を聴いていたことに最近気づきました。

 でも、ここ1、2年はそれでも数年前に比べたらいいほうだと思うのです。少しは意識的に聴くようになってきたし、誰それが「これがいい」と親切に教えてくれたもののうち、多少は自分でそれを探して聴くということをするようになってきました。

 ......うーん、自分でも情けないね。こんなことを書いてる自分が情けない。だけど事実だからしかたがありません。そんな自分が選んだアルバム20枚(シングルははっきり言いますけど2009年は10枚買ってません......ですのでセレクションは当然割愛せざるをえませんでした)ですが、そういうわけでなにか指標があって選んだものではなく、結局2009年に聴いてフィットした20枚のセレクションなのです。だから、この文のお題目である「2009年を振り返って」と言われても、たぶん編集部が要求しているであろう内容はまったく書けない。だからこんな、自己憐憫みたいな文章をだらだらと綴っている次第なのです。

 よって、ここに選んだアルバム20枚というのは、なんの脈絡もない、単なる自分のコレクションのなかから今年気に入って聴いていたもの(=iPodに入っている率が高かったもの)を選んだだけなのです。まあしかし、それでもele-kingの読者で、ぼくの昔のことを知っている人なら(名前は違いましたけどね)、あのころからあまり趣向が変わっていないことを感じてもらえるかもしれません。結果として、サイケデリックで暗いんだけど、その中に一筋の光が見えるようなアルバムばかりがやはり自分の中で残ってきてるなあと感じています。

 ちなみにベスト20はほとんど順不同。ただしヨ・ラ・テンゴ(特に後半3曲のアンビエント・シンフォニー!)は圧巻でダントツ。その次が渋谷慶一郎といろのみのアルバムで、どちらも生ピアノの音を生かした沁みる内容で、相当な時間をともに過ごしました。感謝します。

■Top 20 Albums of 2009 by Shiro Kunieda

Yo La Tengo / Popular Songs(Matador / Hostess)
Keiichiro Shibuya / for maria(Atak)
いろのみ / ubusuna(涼音堂茶舗)
Kaito / Trust(Kompact)
Moritz von Oswald Trio / Vertical Ascent(Honest Jon/ P-Vine)
Andrew Weatherall / A Pox On The Pioneers(Rotters Golf Club / Beat)
David Sylvian/ Manafon( Samadhisound / P-Vine)
The Field / Yesterday and Today(Kompact)
Atlas Sound/ Logos(Kranky / Hostess)
Gong / 2032(Wakyo)
Jebski & Yogurt / Jebski &Yogurt(Rose)
ASA-CHANG & 巡礼 / 影の無いヒト(Comonds)
The Orb / Baghdad Batteries(Third Ear)
Simian Mobile Disco/Temporary Preasure(Wichita / Hostess)
Prefab Sprout / Let's Change The World With Music(Kitchenware)
Animal Collective / Merriweather Post Pavilion(Domino / Hostess)
Devendra Banhart / What Will We Be(Warner Bros.)
Mum / Sing Along to Songs...(Morr Music / Hostess)
Jackie-O-Motherfucker / Ballad of the Revolution(Fire)
Tim Hecker / An Imaginary Country(Kranky)
Tyondai Braxton / Central Market(Warp / Beat)

 とてもとても久しぶりに行った戸川純のライヴで、初めて生の"玉姫様"を聴いた。わかいころ、生理痛が激しかったり、その最中に喧嘩をしたときなんかにこの歌を口ずさんだりしたもんだ。原稿がかけないのも彼の"無神経な"一言にいちいち腹がたつのも、社会が私を拒絶して一人ぼっちな気がしてしまうのもすべてはこの女体の神秘のせい、いつもの理性的な私じゃないもののせい、コントロール不能ではあるけれど、いずれにしても「私」の一部のせい、だけど神秘神秘......。

 怪我をして杖をついていると聞いていたし、パフォーマンス自体には正直そんなに期待していなかった。ところがそんな意に反して、そのライヴは素晴らしかった。休憩を挟んで2時間たっぷり、ほとんどはスツールに掛けたままだったけれど、何曲かでは立ち上がり踊ってもいた。声はとてもよく出ていた。
 フロアはいっぱいに埋まっていた。30代と思わしき男女。古くからのファンたちかもしれないが、もう少し若く見えるひとたちもいた。
 彼女らしいMCも含めて、10年以上のブランクをこえて、何の違和感もなく、そのステージに引き込まれていた。
 ほとんどすべてが懐かしい曲ばかりだったけれど、古臭さはなく、それどころか、80年代よりも切実な思いで彼女の歌を聴くのではないかと思われるような人びとは21世紀の日本にますます増えているようにさえ感じる。
 彼女があちこちに忍ばせていた、あるいははっきりと歌っていた、管理社会化や対人コミュニケーションの困難、孤独など、最近では「生きづらさ」と総称される苦悩は、経済環境の変化も手伝って、あの頃よりも広範囲に、激烈に拡大し続けてきた。

 戸川純がずっと歌ってきた大きなテーマは、「思いの伝わらなさ」だ。恋人でも親子でも他人でも、彼女の思いは決して伝わらない。自分はただの肉塊でしかない"諦念プシガンガ"も誰にも見えないものが見えてしまう"Fool Girl"も恋から覚めるのは髪を切ったからだという"セシルカット"もそのものずばりの"昆虫軍"も"バーバラ・セクサロイド"も"ロリータ108号"も"レーダーマン"そうだし、"隣のインド人"もそうだった。"蛹化の女"も同じだ。他者は異種であり、隣人は異人であり、恋人の心ははるかに遠い。
 と考えると、"玉姫様"はまったく違う歌に聴こえてくる。女性の生理の神秘さを率直に歌ったというよりも、むしろ、生理中であろうとなかろうと通じない思い、すれ違い、互いの思惑違いのその責任は双方にあるにもかかわらず、自分が生理中だからね、仕方ないね、私はいまちょっと変なんだよねなどと白旗を揚げて見せている、とりあえずここは自分のせいだと言えばどちらも傷つかずにすむという思いがよぎった瞬間を思い出す。そういうとき、じつは悔しくもあったことも......。だって本当は双方に原因があるのに、双方が歩み寄るべきなのに、自分にもコントロールできない自分の中のなにやらを差し出してコトを収めようとするなんて、なんという事なかれ主義かと。すべては時間の節約、ディスコミュニケーションによる心の消耗の削減のためだ。

 どうせ「思いは伝わらない」のだ。どこまで話してもたぶん平行線は免れない。

 戸川純がこのように繰り返し歌ってきた「伝わらなさ」は、80年代までは主に女性と子供に集中した苛立ちだったと思う。校内暴力や登校拒否、(話し合いではなく)わざわざ法規制しなければ解決不能と判断された男女の雇用均等問題などに少しずつそうした苛立ちは現れ、やがて90年代以降、社会全体に充満するようになった気分ではなかったろうか。するとどうなったか?
 暴れる子供にはリタリンを飲ませ、プレゼン下手な自分はプロザックで鼓舞する。さまざまな非主流的気分に細かな病名をつけて、「憂鬱」はうつ"病"に昇格させられた。ADHDやうつ病がフィクションだというつもりはないけれど、そうした診断が、人びとの、社会全体の「伝わらなさ」に対する不安を和らげたとは言えないだろうか? 夫婦喧嘩の理由を生理のせいにしたときのように?
 こうした解決法は、ネオリベラリズム経済ととても相性が良かったのではないか。伝わるまで話あったり、伝わらない者同士がその状態のまま同じ空間にいることはとても効率の悪いことだ。ピル1錠でその場が収まるならこんなに簡単なことはないではないか。
 一方で、戸川純は、繰り返しその「伝わらなさ」という悲しみを歌うことで、「伝わらなさ」自体に抗議し続けてきたように思う。彼女の作る歌詞の特徴のひとつである、(自己制御不能な)情念を(理性的な)理屈でとことん説明しようとする姿勢というのは、「生理だから仕方ないね」という解決方法に対する抵抗だったのではないか。

 この日、たくさんのMCの中でとても引っ掛かりを感じたひとことがあった。アンドロイドのコールガールの諦観を歌う"バーバラ・セクサロイド"の時だったか、「あたしはフェミニストじゃないですよ」と言ったのだ。どうしてわざわざそんなことを言うんだろう? そういえば80年代から、彼女はよく似たようなことを口にしていた。「私は不思議ちゃんじゃないです」をはじめ、ファンが妄想する戸川純像をいちいち丁寧に修正しようとしていた。彼女のMCもインタヴューも、いつも本当に丁寧で、時にはくどいほど繰り返し、違う言葉で同じことを説明してくれようとすることもある。このこともまた、「伝わらない」ことをあんなに歌っている彼女自身が、時間と言葉を掛けることでいつか伝わることを実は信じている、あるいは願っている証左なのかもしれない。
 このライヴは10月から1月半にわたって新宿ロフトで行われた〈Drive to 2010〉というイヴェントの中のプログラムのひとつだった。純ちゃんは怪我をしていて、ほとんどの歌はスツールに掛けたまま歌われた。私は10数年ぶりに見る彼女のステージに、正直言ってそんなに期待していたわけではなかった。けれども、想像以上に、いや、以前に見ていたいくつものライヴ以上に、この日の戸川純はすばらしかった。90年代には開演が1時間以上押すこともあったけれど、この日はオンタイム(!)で登場し、声はあの頃以上によく聴こえたほどだ。休憩を挟んだものの、たっぷり2時間、ときおり立ち上がったり踊りさえした。純ちゃんは戻ってきていたんだと、満員のフロアも含めて本当にそう思えるものだった。

 ここにきて、抗うつ薬の副作用に人びとの関心が向きはじめている。大手メディアが「自閉症が個性と認められるまで」(ニューズウィーク日本版)のような記事を掲載するということは、自閉症は個性のひとつだという考え方も理解を得られるようになってきているかもしれない。効率的に(安直に)コミュニケーション不全を解決しようとする焦りが社会的に和らいできたことと、戸川純がふたたび歌いはじめていることは、無関係とは言えないのではないだろうか。

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入りとしてはヒップホップだったけど、スケボーやりながら、ルーツ・レゲエとかハードコアを聴いたり、吉田拓郎のアナーキーさに惹かれたりもしましたね。フィッシュマンズとかハナレグミを聴きまくってた時期もあるし、銀杏ボーイズも聴いてた。めちゃめちゃですね。PJハーヴィーとかモルディー・ピーチーズとか......。

Love Music Love Skate
これから先もずっと
No Busy No Money
これから先もきっと - "SMG"

ピーターパンのようにスケート
友だち、Family、Honey
ラヴ・ソング作ってMoneyっていうかHobby - "That's Me"



S.L.A.C.K.
Whalabout?

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 素晴らしい才能だ。東京板橋地区(Skate Board Bridge)から登場した弱冠22歳のラッパー/トラックメイカー/スケーター、スラック。

 2008年、100枚限定で自主制作で発表した『I'm Serious(好きにやってみた)』は一部のマニアックなヒップホップ・リスナーのあいだで話題を呼んだ。評価を決定付けたのは、今年2月、下北沢を結成地とするヒップホップ・クルー、ダウン・ノース・キャンプ主宰のレーベル〈DOGEAR RECORDS〉からリリースしたデビュー・アルバム『My Space』だ。ジェイ・ディー、マッドリブ、クリプス、ネプチューンズ、MFドゥーム......を彷彿とさせるラップとサウンド・プロダクション。それは時間をかけて、より多くのリスナーのもとに届いている。

 言葉が曖昧になるほど日本語と英語を織り交ぜた、囁くような、ときに呟くようなフロウとライム。チープなビート。もたつきながら前に進むグルーヴィーなシークエンス。ソウルやジャズ、ブルースなどブラック・ミュージックからのサンプリング。それらによって構成された彼の音楽性は、『My Space』の時点でほぼ完成されている。そして、9ヶ月という短いスパンでリリースされたセカンド・アルバム『WHALABOUT』。ちなみにその間、実兄のパンピー、ガッパー、スラックから成るPSGのデビュー・アルバム『David』も出ている。スラック本人はPSGのアルバムは「兄貴の趣味」だと言うが、いずれにせよ、この3枚をいま、このとき、しっかり聴いておかない手はない。

 『WHALABOUT』で言えば、ソウルフルなヴォーカルのサンプリングからはじまる"That's Me"、R&Bシンガーのように、ファルセット・ヴォイスとフェイクを巧みに操り、溶けてしまいそうなほど甘く切ない世界を描き出す "Another Lonely Day"は出色の出来だが、僕がスラックの音楽に強く惹かれる理由は、音楽に感じる甘ったるい感傷やときめきを呼び起こす瑞々しさと無邪気さ、そしてそれらを響かせながら音楽や人生に対するシリアスな哲学を表現している点にある。最高に晴れた日に余計な悩みをすべて忘れて聴きたくなるような音楽でありながら、そこには切実な想いが込められているのだ。

ラップはいつからはじめたんですか?

スラック:12歳ぐらいですね。兄貴(PSGのパンピー)は中3ぐらいからトラックを作り出して。スペシャ(スペースシャワーTV)とかで洋楽のPVを観て、ベースボール・キャップを被る感じを知って。当時は、リンプ・ビスキットとナズがどう違うのかも、ジャンルの違いもわからなかった。キッド・ロックもヒップホップだと思ってたぐらいだから。スケボーを同じぐらいのときにはじめて、「じゃあ、何聴く?」みたいなノリで、ロックとかパンクとかレゲエとかヒップホップを聴きはじめましたね。授業中に適当に暇つぶしにリリックを書いたりしてた。ラッパーは人のことを馬鹿にしたり、やっちゃいけないことをやるのかなって思ってたから、酷いことばっかり書いてた。

例えば?

スラック:批判ばっかっすね。アイドルをディスしたり、それがはじまりだった。スケボーやってる知らないお兄さんたちからもいろんな音楽を教えてもらいましたね。

お父さんがかなりのレコード・コレクターらしいですね。

スラック:親からの影響もありますけど、ヒップホップ自体は親の影響ではないっすね。俺がまだヒップホップを知らない頃から、家でブラック・ミュージックとかヒップホップが当たり前のようにかかってはいたけど。親父はストーンズとかの世代だから、白人がやってるブラック・ミュージックもかかってました。だいたいこういう感じに歌うとかは気づかないうちにしみ込んでいったのかもしれない。

日本の音楽は?

スラック:はっぴいえんどにハマたりしましたね。親父に「レコード、ある?」って訊いたら、もうごっそり出てきて。スケボーのヴィデオでかかってる曲を「これ、何?」って訊くと、ツェッペリンのレコードが出てきたり。

じゃあ、10代の頃、ポップ・チャートに入るようなJポップは聴いてなかった?

スラック:一時期、俺も普通の子たちと一緒に仲良くしたいと思って、そういうのも聴いてみたけど、何が良いのかわからなかった。

小学生の頃、まわりの人と話が合わなかったんじゃないですか?

スラック:そうっすね。小6からスケボーとか音楽にはまったから。それぐらいの子供ってカード・ゲームがばりばり楽しいみたいな感じじゃないですか。

まあ、そうですよね。いまの独特なラップ・スタイルも最初から?

スラック:いや、そんなことはないですね。日本語ラップをばりばり聴いて日本語でやってたし。ニップスさんのラップとか好きでした。俺は英語を喋れないんですけど、昔からまわりが多国籍な感じで、帰国子女のラッパーたちがいっぱいいるなかで動いたりしてましたね。小学校で初めてできた親友も外人だったし。いまもまわりに外人がいますね。

ダウン・ノース・キャンプにもいるんですか?

スラック:ひとりだけ、OYGっていう、Budamunky(『WHALABOUT』で2曲トラックを制作している日本人トラックメイカー)と一緒にやってるLAのラッパーがいますね。

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12歳でラップをやりはじめたとき何年でした?

スラック:いま22歳で10年前だから......

ということは、小6で99年かー。その頃だと、ウータン・クランとか?

スラック:ウータンのPV真っ盛りでしたね。あと、ナズの"Nas Is Like"とか。

ティンバランドとか?

スラック:ネプチューンズがPVにちょっと写ってるぐらいのときですね。まだ、こいつら誰だ? みたいな時期。コーンみたいなミクスチャーも流行ってましたね。だから、ヒップホップは中途半端な時代だったのかもしれませんね。

当時は楽しかった?

スラック:なんでも良かったですからね。スケボーやって、無駄に反抗したり、適当に音楽を突っ込んだラジカセをママチャリに入れて遊び出かけたり。

遊び方はいまも昔も変わらない?

スラック:変わってないけど、ちょっと人に知られてきたから、少し(まわりの目を)意識するようになりました。

ぶっちゃけ、不良だった?

スラック:不良の奴らとかやんちゃな奴らと学校では一緒にいたけど、そもそも趣味がずれてた。俺は学校終わったら、すぐに家に帰ってスケボー持ってちょっと遠い公園行って、そこのローカルなお兄さんとスケボーしてた。みんな金髪でピアスを開けてるときに、俺だけ坊主でラインを入れてましたね。『Up In Smoke』とか観て、悪い黒人の奴らがかっこいいなって。

ヒップホップ好きの不良の友だちもいたわけですよね?

スラック:ヒップホップの人たちは悪いことを悪いことだと思ってやる人が多いけど、スケーターは自分たちがやってることが悪いのに悪いと思ってなかったりする。ワルに憧れたりしない子供でしたね。兄貴にくっついて、兄ちゃんの友だちと遊ぶって感じだった。つねに兄貴の年齢の友だちが多かった。ワルよりも自由の方が好きでしたね。

ワルより自由か......なるほど。10代の頃に不自由だと感じていたことは?

スラック:やっぱり子供だから舐められますよね。板橋は田舎が近いんで、特攻服着たような人たちもいたし。でも俺はそういうのには関わらなかった。小6の頃から、頑張って原宿とかにヒップホップの店を探しに行ったりして、黒人に呼び込みされて怖えー、みたいな(笑)。

まわりにいた外国人はどこの人だったんですか?

スラック:アメリカ人とかスペイン人とかコロンビア人とかですね。スケボーやってる友だちは何人かわからないような奴がいっぱいいましたね。町でスケボーしてると、日本に来たんだけど、日本語も全然わからないから、つまらねーみたいな奴が声をかけてきて仲良くなるっていう。どこでもすぐに友だちはできた。普通の日本の環境だと、外国人からしたら、なんでこんなことを守らなきゃいけないのってことが多くて。そういうのもこっち側はけっこう自由にやってたから。

いろんな音楽を聴く中で最初からヒップホップにはまった感じなの?

スラック:入りとしてはヒップホップだったけど、スケボーやりながら、ルーツ・レゲエとかハードコアを聴いたり、吉田拓郎のアナーキーさに惹かれたりもしましたね。フィッシュマンズとかハナレグミを聴きまくってた時期もあるし、銀杏ボーイズも聴いてた。めちゃめちゃですね。PJハーヴィーとかモルディー・ピーチーズとか、一度サブカルっぽいところに行って、ヒップホップはダサいんじゃないかって思ってたときもある。それが高校の頃ですね。かっこつけて、型にはまり過ぎてる感じがダサいなって。でも、ベスくんやシーダくんが出てきたぐらいから、日本語なのにラップがヤベェなって。俺も英語のラップに日本語をはめるっていうのはずっとやってたんですけど、それをうまくやってる人がまわりにいなかったから。

あ、そうなんですね?! 真面目にヒップホップを作ろうと思ったのはいつぐらいから?

スラック:『My Space』を今年2月に発売して、その1年前ぐらいから作りはじめたから、2年前ぐらいからですね。かっこつけてるけど、やり切ってるヒップホップのダサいかっこ良さがわかって。解放し切っている感じがわかった。

トラックはサクサクできちゃう?

スラック:めちゃくちゃ作りますね。『My Space』を作ったときに『WHALABOUT』は7割ぐらいできてた。1日1曲ぐらい作ってた時期もあったし。

大雑把に言うと、『My Space』はソウルフルで『WHALABOUT』の方がビートの組み方がラフだし、ファンキーですよね。

スラック:まだ日本語のヒップホップで表現できてない重要な部分をやりたかったんです。

重要な部分というのは?

スラック:感覚なんですけど、遅れ方とかですね。ビートの鳴ってるところを完全に理解して、めちゃくちゃにずらしてもはまるみたいな。みんな昔からフロウ、フロウって言うけど、そうじゃなくて、なんかあるんですよ。耳で聴いて良いとかじゃなくて、感覚的な、音的な声の強弱の角とかが英語のラップには当たり前のようにあって、そこがヤバさの判断基準だったりする。

外国人で好きなラッパーは誰ですか?

スラック:いろいろです、特定の人はいま思い浮かびません。

カジモトやMFドゥームなんかはどうですか?

スラック:あー、そういうラップも好きっすね。BudamunkyはLAで10年間ぐらいトラックを作ってたんですけど、Budamunkyに向こうのラッパーのかっこいい奴を教えてもらったりしてますね。インフェイマスMCとか。まだそこら辺はリスナーとしては初心者ですね。

パンピーくんとかイスギ(ダウン・ノース・キャンプ)とか、最近周りの人たちがワッと出てきたじゃないですか。それはスラックくんひとりが頑張ったっていうよりも状況が整ってきたんじゃないかなと想像したんだけど......どうですか?

スラック:でも、板橋レペゼンとかはどうでもよくて。地元愛とかも正直ないし。そんなのよりスキルとか音楽の良さだから。

ある種のコミュニティとか仲間が形作られたのはいつ頃なんですか?

スラック:ダウン・ノースに「入れてください」って言ったことはあるんですけど(笑)、「入れるとかそういうんじゃないから」って言われて。「気が合っているだけの奴らだから」って。だから、「ダウン・ノースのメンバーですか?」って訊かれてもわからないです。そう言ってくれる人もいるけど、単純に気が合ってやりやすい友だちが集まってるだけなんで。俺らで勝ち取ってやろうぜ、やってやろうぜ、みたいのは全然どうでもいい。単純に良い音楽を作るために活動してて、かっこいいラッパーと間違いねぇって奴と仕事してたら、こういう風に絞れてきたし。......まあ、バビロン(無駄な要素)はとりあえず嫌いですけどね。

クルーにいるからとりあえずフィーチャリングで参加したり、アルバム出すみたいな文化がヒップホップにはあるじゃないですか。そういうのは違うなと?

スラック:ヒップホップ的にはそれもあるし、ある意味ではかっこいいやり方でもあると思う。こいつは俺らの仲間だからフィーチャリングで入れるみたいな。リスナーが聴きたくないなら聴かなければいいだけだから。それを批判してる時間がもったいない。俺がやるならかっこいい友だちをフックアップして、音楽がかっこいいほうが満足いきますね。

ちなみに、いま、ダウン・ノースの人たちと遊ぶときは何するんですか?

スラック:リラックスしてますね。スケボーしたり、酒飲んだり、飲まなかったり......いろいろっすね(笑)。暇があったら、出さない作品も無駄に作ってるし。安定剤ばりにビート作ってないと病んだり、スケボーしてないとストレス溜まったりしちゃいますね。

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バイトとかは?

スラック:最近、バイト辞めちゃって。やっといた方がよかったかなーって。そういう生活のリズムみたいのがあって、それがむちゃくちゃになると怖くなりますね。地に足着いてない感じになって。

アルバムを出す前からライヴはしてました?

スラック:ライヴはかなりやってましたね。音楽のことばっかでしたからね。かっこ悪りーものはかっこ悪いだろって感じで、くそ生意気な少年でしたね。

ところで、「slack」という言葉には「ゆるい」とか「いい加減な」とかいう意味があるわけだけど、この名前にした理由はなんですか?

スラック:辞書で言葉を探してて、「ゆるい」とか、そういう意味があったから選びました。適当に名前の響きもいい気がするって感じだった。後々、外国人の友だちに「スラックって名前をよく見つけたな。ホントお前そのものだよ」って言われて。後から気に入り出した感じですね。最近、雑誌とかでも「ゆるキャラ」とか「適当」とかが使われ過ぎてて、逆にちょっと使いたくなくなってきたけど(笑)。


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Whalabout?

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『WHALABOUT』には"適当"って曲があって、「適当に敬意を」ってラップしてますしね。

スラック:適当は口癖なんですよ。それを意識して使ってるんじゃないかって思われるのは、めんどくせぇなって(笑)。

デビュー・アルバムを出すときは、自分のことを誰も知らないわけじゃないですか。緊張感や力みみたいのはありました?

スラック:ないっすね。小6ぐらいからアルバムを作ることばっかやってたんですよ。通算どんだけ作ってるんだぐらいアルバムありますよ。実際、いまから『My Space』と『WHALABOUT』よりもヤバいのを作れって言われたら、1ヶ月で作る自信ありますね(笑)。『My Space』を出すときは、赤(字)にならないかなって心配はあったけど。最初は自主で刷って売ろうとしてたんですよ。全部手続きが終わって、8万円、母ちゃんに借りて、それを振り込みに行く途中に落としたんですよ。神隠しなんですよ。「へ?!」って(笑)。そしたら、〈DOGEAR RECORDS〉から出さないかってモンジュ(ダウン・ノース・キャンプ)に言われて、一か八かで、ここ(〈ウルトラ・ヴァイヴ〉)で審査通って出せたからラッキーかなって。

初回は何枚?

スラック:100とか300ぐらいですね。完全なる無名だったから。兄貴はマスタリングみたいのはやってくれましたけど、兄貴のフックアップで出せたわけでもないし。

『WHALABOUT』は?

スラック:PSGのアルバムを出して得た兄貴サイドのリスナーもいるから。

PSGはひとりでやるのとはまったく違う?

スラック:全然違いますね。俺の音楽を超聴いてる人は、PSGのアルバムは「なんでやったんだろう?」ぐらいの感じだと思いますね。そういう人もいました。音楽自体は優れてると思うけど、俺の趣味じゃないものもあって。あれは兄貴の趣味ですね。でも兄貴のセンスは信じてます。やりたくない曲はリリックでもやりたくないって言うし、実際"Yes."って曲でこのトラック大嫌いだって言ってる。俺のビートも兄貴が選んで、曲順を決めたのも兄貴ですね。でも最終的にはいいアルバムなんじゃないかって思ってます。

でも、ソロもPSGも楽しんでるのが伝わってきますよ。とくにサンプリングを本当に楽しんでるなーって。ソウルやジャズやブルースをサンプリングして新しい音楽を創造する感覚は、〈ストーンズ・スロウ〉のセンスに近いものを感じますね。

スラック:〈ストーンズ・スロウ〉から出すのは夢っすね。それはずっと昔から言ってる。ダム・ファンクが来日したときに、Budamunkyと一緒に声をかけたら、Budamunkyが〈ジャジー・スポート〉から出してるレコードをLAでかけてて超調子良いよって言われて。

いい話ですねぇ。〈ストーンズ・スロウ〉から出すのが夢ということだけど、アーティストとしての目標みたいなのはありますか?

スラック:ちゃんとヒップホップのかっこ良さがわかっている人に評価されたいっすね。

曲ごとにテーマは決めてから作るんですか?

スラック:あったりなかったり。意味なんてない曲はいっぱいありますね。"適当"とかは意味はないですし。

『WHALABOUT』には"意味なんてないさ"って曲がありますよね。でも僕は逆にそこに主張を感じたんです。"That's Me"の「Musicのみ」という言葉にも強い決意を感じるし、『My Space』のちょっとハウスっぽい"Think So"の「普通の生活して楽しくできればいいと思うんだよ」ってリリックにも「意味なんてない」っていう言葉の裏側にある信念が垣間見える。

スラック:ヒップホップはもっとお手軽な遊びの延長線上じゃないですか。それなのに日本のシーンはアメリカのヒップホップのビジネス化に影響を受けて、なんか知らないけど、良くない部分で目立つことを真似してる奴も多い気がする。贅沢は別にしなくていいんで、ただ最低限の金と良い音楽を作るための環境が欲しいだけなんですよ。旨い飯は食いたいけど、その分働かなくちゃいけないならいいよって(笑)。

「その分働かなくちゃいけないならいいよって」のは僕もよくわかるんだけど、それは......世代的な感覚だと思います? 2001年に小泉純一郎が出てきて、まあ、たぶん板橋も格差社会の餌食になっただろうし(笑)。

スラック:うちのマンションとか中流階級ぐらいの感じなんですけど、ベンツとかBMWとか多かったりして......、う~ん、でも、みんなビビって大学無理やり入って後悔したりして、俺はそういうのが嫌で。

ビビって入るっていうのは?

スラック:就職とか時間稼ぎっすね。俺らはぎりぎりゆとり教育触れたぐらいなんですよ(笑)。

というと?

スラック:好きなことを完全にやり切りたいなって。ビビっちゃって時 間を無駄にしてる友達を見て苛立ってリリック書いたりはしますね。もっと動いて言いたいことも言ったほうがいいと思うんですけどね。

何にビビってるんだろう?

スラック:わかんない(笑)。環境っすかね。友だちを失うのが怖かったりとか。

ということは、スラックくんはやはり異端ということだ。

スラック:でもPSGでよく話すんですけど、俺らがど真ん中だと思ってやってたことが、いろんなリスナーから変わってるとか癖があるとか言われて、それにいままで気づいてなかった。ちょっと変わったことをやるのは好きだったんですけど、いちばんかっこいいと思うことをやって来たつもりなんで。

サウンド的にはアメリカのメインストリームのヒップホップからの影響も強いですよね。

スラック:けっこう聴きますね。アメリカのメインストリームのヒップホップを俺らなりに舐めた感じでやってる。でも、最近はどちらかと言えば嫌いっすね。なんか音が高い。車で自分のアルバムを聴いた後に、向こうの新譜を聴くとシャリシャリしてて。低音なしで聴くとホントにひどくて。

MP3で聴くのを想定した音になってますよね。アナログへの拘りがあったりはする?

スラック:パソコンのなかに曲がたくさんありますよ。友たちがくれたりするから。アナログはサンプリング・ネタばっかり買ってますね。レコードプレーヤーは生まれたときからあるから、逆に執着心がないですね。

なるほど。ちなみに歌詞カードを付けないのには理由があるんですか?

スラック:歌詞を付けちゃうとラップのやり方がわかっちゃうかなって。こういう日本語をこういうフロウでラップすればいいんだって。英語に聴こえるけど、実は日本語だって部分がかなりあると思うんですよ。聴き取れるところだけ聴いて欲しい。ベスくんとかシーダくんとかもそうだけど、リリックは何回も聴いてればわかってくるから。

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S.L.A.C.K.
My Space

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『My Space』と『WHALABOUT』の違いを本人が分析すると、どうなんですか?

スラック:『My Space』のときに気づかなかった部分が『WHALABOUT』にはありますね。俺、ディアンジェロとかめちゃくちゃ好きなんですよ。例えば、久保田利伸さんはJポップとして聴かれてるけど、R&B風のJポップとして聴かれてるじゃないですか。キャッチーだったり、さわやかだったり、いい印象の裏にある渋い煙たいかっこ良さを雰囲気で感じさせられればいいなって。俺も出し過ぎぐらいの黒さを出して、法律とかモラルとかでははかれない、本当の良し悪しだったりを知ってもらいたい。

それは作品を世に出してリスナーに音楽で何かを伝えたいって気持ちが芽生えてきたってことですか?

スラック:でも、正直伝えたいことはなくて、ただ俺がやりたいことを完全に出し切って、「こんなのはどう?」って感じですね。そういう単純な一連の流れなんです。

なるほど。

スラック:そのなかでシーン......じゃないですけど、音楽に対して歯痒いような気持ちも出てきますね。

シーンという言葉で思い出したんだけど、さっきレペゼンという意識はないって話してたけど、ダウン・ノースは下北沢が拠点ですよね?

スラック:俺はそんなに下北に関わってないけど、ダウン・ノースで遊ぶときの家が下北にあったりしますね。あと、床屋が好きな感じなんですよ。

どういうこと?(笑)

スラック:下北の床屋によく行くんですよ。刈り上げがすごくうまくて。だから、床屋に行く感じのヒップホップですね、美容院というよりは。無理してでも金払って床屋行って、かっこつけるっていう。そういうヒップホップの感じが出せたらいいなって。反メインストリーム主義というか反抗精神がつねにあるべきものが、無闇にタレント化したり、ブログを頻繁に書いてみたり、そういうのが目立ってて。なんでそこを頑張ってんだよって。もっと違うところ頑張れよって。最終的に批判はないんですけど、俺がいちばん良いと思ってるものは行動で示してるんで。自己アピールっすね。

俺は自分の足でクラブに行き
自分でフレンズを選び
自分で曲を作る
シーンのルールには興味もない
Musicのみ Musicのみ
"That's Me"

馬鹿みたいに夢語って
大人なんて馬鹿に見えた
"Another Lonely Day"

自分の言葉がある。ナンセンスもある。それは落ち着きや諦念とはまったく逆のベクトルにある。彼は、大人の熾烈な生存競争から積極的に降りてしまっているように見える。上を目指すために「めんどくせぇ」ことに関わるよりも、スケボーや音楽を無邪気に楽しむほうを好む。好きな娘や気の合う仲間たちと過ごすことを選ぶ。ある友人は「フィッシュマンズみたいだね」と言ったけれど......そう、たぶん。

それは頭の固い頑固オヤジからはモラトリアムだとか、軟弱だとか揶揄されるような......しかしいまや首相さえもこの国の成長そのものを否定する時代に突入してしまったのだから......若者は成熟のあり方を自分たちで作り出すしかないのだ。それはある意味幸運な時代なのかもしれない。

スラックのCDを気軽に手に取って欲しい。君の時間や金が無駄にならないことを僕が約束する。まあ、万が一少しぐらい無駄になったとしてもいいじゃないか。それもひとつの冒険だ。「適当に敬意を」――

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