深夜の12時をまわった頃だ。ブースでは替わったばかりの二木信がフォクシー・ブラウンが歌うレゲエをプレイして、そらからもう一発、ダンスホールに繋ぐ。僕はマイクを持ってDJを紹介。闇のなかからヤジが飛ぶ。ヘイ!ヘイ!ヘイ!ヘイ! よく知っている声......と思ったら高橋透さんが荒声を上げながらDJブースの前までやって来る。そして、その晩初めて会う二木に向かって「営業DJしてんじゃねーぞ、おら!」とでかい声でピシャリ。ひぇ~、そんなこと言わないでやってよ、透さん......。11月22日、ここは静岡市両替町。リアル・アンダーグラウンド、〈rajishan〉。
それは21日の夜からはじまった、クラブ〈FOUR〉の4周年を祝うパーティだった。二日目のその晩はスペシャルということで〈rajishan〉と〈FOUR〉との共同開催となった。何故ならアンドリュー・ウェザオールがやって来る。〈エレクトラグライド〉のために来日していた彼は、翌日静岡まで来てくれたのだ。僕といえば、当初の予定ではイギリスの生んだ偉大なインディー・レーベルの祝祭に向かうはずだったけれど、躊躇なく予定を変更した。地元のパーティに参加することにしたのだ。
時間を戻そう。21日の夜......えーと、7時過ぎぐらい? 両替町の裏通りにある〈PERCEPTO RECORD〉に二木を連れて行く。店内には、メルツバウ、ヘア・スタイリスティックス、ECDなんかのCDが壁にずらっと並んでいる。そして棚にはソウル・ミュージックとパンクの中古盤がごっそりある。全国の物好きな連中にはすっかり有名なこのユニークなお店を経営するのは、アイデア・オブ・ジョークの森川アツシさんだ。僕が初めてストラグル・フォー・プライド(SFP)のライヴを観たのも、森川さんが静岡で企画したイヴェントだった。あのときSFPはECDと一緒に静岡でライヴをやった。たしか......2003年の5月だ(清水エスパルスがジュビロ磐田に惨敗した夜だった)。
〈PERCEPTO RECORD〉はいまでも"ハート・オブ・オルタナティヴ"だ。僕はたちは......やけのはらのこと、中原昌也のこと、ドリアン君のこと、七尾旅人のこと等々、いま身近にある素晴らしい音楽について話した。「ローリン・ローリン」はもうとっくに売り切れてしまったんですよ、と彼は言った。いま追加注文分を待っているんです。へぇー、すごいね、あれは本当に良い曲だよね。うん、すごい良い曲。「ローリン・ローリン」は口ずさんでしまえるほど聴いている。やけのはらのパートを暗記するほどに。
「来年は、やけのはらとドリアンを静岡に呼びたいんだよね」と森川さん。それは良い、見たい! 中原昌也も呼ぼう! とか、テキトーなことを言っている間に、二木はお店にあった得体の知れないインディー盤を2枚買った。
次はのだやにGO! 二階の座敷には、その晩のゲストとして東京から来てくれたDJ NORIさんがいた。今年DJ生活30周年を迎えた大ベテランだ。そして、〈Luv & Dub Paradise〉を主催する五十嵐慎太郎とその仲間たち――市内で服屋〈NEWPORT〉を営む三ヶ尻吉伸君、〈FOUR〉を切り盛りする海野隆之君、〈Luv & Dub〉を手伝うDJ Rumy、で、二木も一緒になっておでんを貪り、ビールを飲んだ。
きっとどこの町にも音楽好きがいる。ダンス・ミュージック好きが何人か集まればパーティがはじまる。DJが生まれ、クラブがオープンして、クラバーがやって来る。より多くのアルコールが消費され、より多くの汗とより多くの小便が流され、より多くの水が飛ぶように売れる、より多くの夢とより多くの虚無が生まれる......静岡もそうだ。
この15年以上ものあいだ、静岡のクラブ・シーンは他のどの町とも同じように、良いときも悪いときもあった。最悪なこともあれば最良のこともある。その町でいちばんのDJはその町を仕切る......などという幻想がこのシーンを支配したこともあった。派閥ができて、仲違いも生まれた。いろんな試練が小さな町の小さなシーンを襲った。
どこかで聞いたような話だろう? でもね、静岡のような小さい町は少なからずそうした影響から逃れられない。いろいろ大変なことが起きる......面倒な事態に巻き込まれる......ところが、町の音楽好きは自分たちがやってきたことを止められない。過去の努力が報われることを信じているというよりは、本当にそれぐらいしかやりたいことがないからだ。犬が走ることを止めないように......いや、この喩えはよくない。
とにかく、その曲がりくねった歴史のなかで、シーンの開拓者として、あるいはテクノDJとして初期からずっとそこにいるDJ KATSUは、昨年、10年ものあいだ地元のDJ連中やDJ予備軍たちに12インチを配給し続けていたレコード店〈MASSIVE RECORD〉を失った。シーンは動揺した。涙した人もいれば失笑した人もいた。それでもおおよそは親身になっていた。が、新しくはじめたクラブも思うようにいかなかった。静岡、大丈夫?などと東京の関係者たちが囁いた。大丈夫だ、静岡ではテクノとサッカーは信仰なのだ。たぶん。
同じようにシーンの初期からいる五十嵐は、10年前に自分の店を失い、彼の歯も失っている。それでも懲りずにパーティを続けている。3年前に家族の事情によって静岡を離れ、東京を拠点にするようになったいまでも、五十嵐は静岡と東京を往復する。僕は長いあいだこの男の正体がわからなかったが、いまは理解しているつもりだ。DJ KATSUについても、ある程度は。
DJ KATSUと五十嵐――ふたりとも長くシーンに関わりながら、それなりの代価を払ってきた。必要以上に手痛い目にも遭っている。タフと言えば本当にタフな連中だ......というか、高くを望まなければなんとかなるのだ。ま、いっか。それでなんとかやっていける。だから(......と言っていいのかどうか)静岡には他にも面白いDJやクラバーが何人もいる。みんなに共通しているのは、町に対する愛情と遊びへの飽くなき追求心だ。それが彼らを町に出させる。この町のミュージック・ラヴァーが週末を部屋で過ごすことなど、まず許されない。
二木がおでんを食べているその前で、僕はビールをがぶ飲みしていた。21日の晩、そうしなければならない理由が僕にはあった。個人的な理由であり、共同体的な理由でもある。その日の午後、静岡のサッカー競技場では、清水エスパルスが公式戦4連敗を喫した。これでリーグ戦3位以内の望みも途絶えた。試合内容も希望を持てるものではなかった。この敗戦はサポーターをしたたかに打ちのめし、土曜日の夜のアルコールをうながした。チクショー、今夜は飲むぜ、二木! と言ったところで、話は盛りあがらないので、僕は二木を〈rajishan〉に連れて行くことにした。
〈rajishan〉......それは静岡で暮らすミュージック・ラヴァーにとって"帰る家"だ。ここではDJ NOBUがまわし、ヨーグルトもALTZもDJ HIKARUも、あるいはイルリメも、とにかくこの国の腕の良いDJ連中がこの小さなハコでまわしている。バーのカウンターにはディスチャージのレコード(1984年のベスト盤『Never Again』)がいつまで経っても飾られている。このハードコア・バンドは自分たちのジャケに何度かサッチャーの顔を引用したものだけれど、その本当の意味をあの頃の僕はわかっていなかった。もちろんいまは骨身に染みてよくわかる。つまり、それほど彼らは"痛めつけられていた"のだ。「Life is like a pubic hair on a toilet seat」――「人生とは便座の上の陰毛のようだ」、ディスチャージはこう言ったものだった。「sooner or later you get pissed off」――「遅かれ早かれ、うんざりするときがくる」
[[SplitPage]]その晩は〈SCUBA〉というパーティで、ブースには若い女性DJがいた。思わず鼻の下を伸ばす二木に冷や水を浴びせるかのように、彼女はハードなダブステップやグライムを繋ぐ。いま流行のハウシーなダブステップなんかではない。重たくてラウドなダブステップだ。格好いいね~。二木と一緒にしばらくその場にいることにした。「これって爆音で聴くとパンクだね~」などと話しながら踊った。ダブステップやグライムの魅力のひとつは、パンキッシュなハードさにある。クラブで聴くとそれがよくわかる。あのゴリゴリしたベースラインが、抑圧された感情をえぐってくるようなのだ。激しく身体を揺らしている二木を見ながら、僕はそう思った。
それから僕たちは〈FOUR〉に行くことにした。〈rajishan〉から〈FOUR〉まで歩いて1~2分。夜の町をゆっくり歩きながらクラブに着くと、DJはちょうどSHOさんからNORIさんに替わるところだった。SHOさんもNORIさんや透さんと同じように、この国のオリジナル世代のひとりだ。1986年、NORIさんと透さんがNYに行ったその年、六本木の〈玉椿〉で働いていた五十嵐にハウス・ミュージックの洗礼を浴びせたDJのひとりでもある。
SHOさんからNORIさんへ、オリジナル世代がブースに並ぶと、フロアの温度は否応なしに上がる。NORIさんがまわしはじめると、いたるところから叫び声、そしてクラッカーが鳴る。4周年オメデトー! NORIさん30周年オメデトー!などという雄叫びがハウスのビートに合間に聞こえてくる。その「オメデトー」は心の底からのオメデトーだ。
東京のゴージャスなクラブに慣れた人がここに来たら肩すかしを食らうかもしれない。なんじゃこりゃ? これがクラブ? そう言うかもしれない。そんなヤツはさっそと帰ってくれ。地方の小さな町で、資本の後ろ盾もなくクラブを続けることは並大抵のことではない。というか、とてもクラブ営業だけではまわしていけない。海野君も昼間は他の仕事をしながら、夜は〈FOUR〉に顔を出す。まったくのDIY、まったくのインディペンデント・クラブ。このクラブのスタッフのひとりには、DJのCITYBOYがいる。彼は元々は東京の子で、働きながら都内でDJをやっていた。数年前、転勤で初めて静岡にやって来た彼は、町のシーンが気に入ってしまい、永住を決めた。それから会社も辞めて、いまは〈FOUR〉のスタッフのひとりとして働いている。
NORIさんのパーカッシヴなハウスに身を任せながら〈FOUR〉で踊っていると、海野君から静岡のヒップホップ・チーム〈SUGAR CRU〉のメンバーを紹介された。二木も一緒ということで、いろいろと自主制作のCDをもらった(その音源についてはいずれ二木が紹介してくれる)。彼らは、その晩、最近両替町にできたヒップホップの小屋〈VIGO Black〉でイヴェントがあることを教えてくれた。〈VIGO Black〉のことは、実はSFPの今里君から聞いていた。この夏、今里君が静岡に行ったときに行ったそうだ。
二木を連れて、〈VIGO Black〉に出向いた。そこは〈FOUR〉からほんの1~2分の、市内の小さな歓楽街のど真ん中にある。入口にはヒップホップらしい雰囲気が、集まってくる子たちからビシビシと溢れている。着ている服、年齢(若い!)、歩き方、そして音楽......。僕と二木はすっかり圧倒されながらこの文化の真っ直中でしばらく佇んでいた。「すげー、いいクラブでしたよ」と今里君は言っていたが、本当にそうだった。
〈FOUR〉に戻ると、バーのあたりは夜の王族たちで溢れかえっていた。クラバー、町の顔役......ごっそりいる。DJ KATSUも来ていた。彼に会ったのは久しぶりだったので、いろいろ話したかったのだけれど、僕の口は重たくなっていた。「また店をやりますよ!」と、静岡のベテラン・テクノDJは頼もしい言葉を叫んでいた。そうか、それはすげーな、マジでがんばってくれよ。それにしたって......七転び八起きというか、このヴァイタリティは......。それともこれはレス・イズ・モアということなのだろうか......。
ここのクラブ・シーンでは有名な話だが、DJ KATSUと五十嵐はある種のライヴァル同士だ。フランキー・ナックルズとロン・ハーディのようなものだ......と言ったら怒られるだろう。本当に哲学の違いなのかもしれないし、ただの意地の張り合いかもしれない。大方の見方としては、いまとなっては大した話じゃない。DJ KATSUがテクノなら五十嵐はハウスだが、それはマクロで見れば、カレーが好きかハヤシが好きかの違い程度だ。もちろん、小さな町ではどうしても週末の客を取り合うことになってしまう......。しかし、いまはそんなことを言っている場合じゃない。そうだろ! と我々はここ数年、何回も〈rajishan〉で話している。背中を丸めながらカウンターに並んで、いい歳した連中が酒臭い息を相手の顔に吹きかけながらムキになっているわけだ。
話は変わるが、静岡のような小さな町の利点は、意見が違うヤツとも同じ場所にいざる得ないということだ。え? どういうことかって? つまり、東京みたいな大きな町では、会いたくないヤツとは会わなくて済ませることができる。しかし、小さな町では行く場所が限られているのでそうはいかない。とりあえず遭ってしまうし、一緒にやっていくしかない。もはや家族みたいなもので、共存するしかない。こうして地方特有のバレアリック感が育まれるのだ。
二木は、僕の高校の同級生である森藤の家に泊めてもらうことになった。この年になって、高校の同級生でいまでも一緒に踊ってくれるヤツはもう森藤ひとりしかいない。淋しい話だが、46という年齢を考えれば妥当かもしれない。ちなみにこの男は、10年前は週末になると夜ひとりで高速を飛ばして西麻布の〈Yellow〉まで行って、朝まで踊って、そして朝日を浴びながら静岡まで帰ってくる生活を続けていた男だ。そう、彼は心底ダンス・ミュージックが好きなのだ。
森藤は奥さんと一緒に〈FOUR〉まで迎えに来てくれた。もちろんただ来ただけではない。しっかり踊っていった......。
そして午前3時過ぎ。僕は、二木をよろしくね~と言ってから〈FOUR〉を後にして、ひとりで夜の町を歩いて家に帰った。どうやって帰ったのかはあまり記憶にはないのだけれど......。
22日の夜8時、場所は再びのだやの座敷。透さんとDJのWang-Gung、地元のDJのYamada、そして五十嵐、海野君、あるいは二木と一緒に食べて、ビールを飲んでいた。透さんは前日に神戸でDJをやってその足でそのまま静岡へ、Wang-Gung君は江ノ島の〈OPPA-LA〉でDJをやってそのまま静岡へ、というふたりともご苦労なスケジュールだ。Wang-Gung君はデトロイト系のパーティでよくまわしている。働きながら好きでDJをやっている。この国の多くのDJと同じように。
で、しばらくすると......なんとまあ驚いたことに、ムードマン一家が入ってきた。ムードマンに会ったこと自体が久しぶりだった。この一家は、三重の〈Eleven〉に参加して、そのまま静岡に寄ったという。急遽その晩〈FOUR〉でまわすことにしたそうだ。いやー、恐れ入る。彼らはどんな小さなパーティでも呼ばれれば行くのだろう。大雑把に言って、どこまでも音楽を愛するこういう人たちが、この国のクラブ・カルチャーのもっとも美しい場所を支えているに違いない。そういう意味で、ここはまだシーンの純粋さが保たれている......と、思っていたら、東京から下北沢〈SLITS〉店長だった山下直樹さんまで登場。ウェザオールのDJを聴きに高速バスに乗ってきたそうだ。で、地元の先輩で「両替町ブリストル化計画」を目論むKAKEIさんもやって来る。座敷に上がるなり第一声は「どうしたのよ、清水!」、ああ、ようやく僕と話が通じる人が来た。「いや、もう、健太は限界なんですかね?」、「すぐそういうこと言ってはダメだよ~」とKAKEIさん。なんの話かって? 清水エスパルスの話ですよ!
10時を過ぎた。みんなでクラブに行く。まずは〈rajishan〉へ。
〈rajishan〉では、五十嵐――DJネームはHakka-K(歯がないので)がすでにプレイしている。彼のキャラを物語るように、どっぷりと濃厚なハウスで攻めている。それから五十嵐より20も若いDJ Rumyにバトンタッチする。濃厚なハウスからセクシーなハウスに替わるとフロアからは思わず安堵のため息が漏れた......ようだった。
12時からは二木の番だ。1時からは僕だ。酔いを醒ますためにウーロン茶をがばがば飲む。フロアでは地元のテクノDJ、YSKが暴れている。「清水どうしちゃったんだよぉぉぉぉ!」と彼は叫んでいる。そう、YSKは、地元の若手を代表するテクノDJであり、生活における軸ってもんを知っている男でもある。彼の叫びは僕の叫びでもある。奥ちゃんもいた。奥ちゃんもDJで、自分でもパーティを主催したり、DJ NOBUを静岡に呼んだりしている。〈FUTURE TERROR〉があるときは千葉まで行っている。
役者が揃ってきた。暗闇の奥からは透さんの鋭い眼光が光り、DJ KATSUの姿も......、だんだん気合いが入ってきたので、僕は思わずマイクを握る。そして先述したようにしっかり二木を紹介してやった。「DJ Rumyさん、そして東京からやって来た二木信です!」
久しぶりのDJは緊張する。レコードは前日の夜に慌てて選んできた。忙しくて選曲している時間がなかった。テキトーだったが、最初の曲を何するかだけはけっこう悩んだ。ビリー・フューリーの甘いバラードにするべきか、それともジニアスにするべきか。ジニアスはオール・トゥモロウズ・パーティのドキュメントタリー映画の試写に行って、もっとも感動したアクトだった。あのオルタナの祭典において、ウータン・クランの最年長者は特別な存在感を発揮していた。あらためて格好いいと思った。
さあ、なにからはじめよう。二木の横に並んで考えた。ふと、数年前ここで初っぱなにアニマル・コレクティヴの"ザ・ソフテスト・ヴォイス"をかまして客にドン引きされた記憶が脳裏をかすめる。思わず、バッグから「リキッド・スウォーズ」を探した。そして、かけた。それから何をかけたのかは、書かない。neco眠るの「Dashi Culture」のALTZミックスは受けたよ。ありがとう、宮城。......それはまあともかく、今回は、自分のミックスの致命的なまずさを誤魔化すためにMCをやることにした。「えー、次の曲はですね、僕が今年いちばん気に入っているシングルです」とか言いながら、ブリアルをかけるわけだ。はははは。何やってんだか......。
僕の次はKAKEIさんだ。KAKEIさんはずいぶんとエクスペリメンタルな選曲だった。彼がDJをしているとビートインクのスタッフに連れられてアンドリュー・ウェザオールがやって来た。前日の〈エレクトラグライド〉でウォッカを飲み過ぎたらしく、僕と同じ年のDJはホテルで休んでいたそうだ。が、ウェザオールは容赦ない握手攻めに遭い、そして背中をまるめて〈FOUR〉に向かった。僕もウェザオールの後を追って〈FOUR〉に行った。
〈FOUR〉では透さんがまわしている。ファンキーなテクノがフロアを盛り上げる。ボーダーシャツを着たウェザオールがブースに入る。そして"孤独な剣士"は、いかにも彼らしいエレクトロ調のイルなミニマルをミックスする。あれほどミニマルは嫌いだと主張していた二木もフロアで踊っている。ま、いっか。
しばらく踊ってからドリンクを買いにバーに行くと透さんがいた。「二木君、DJにとってもっとも大切なものは何かわかるか?」、ゴッドファーザーのひとりはバカでかい声で若い音楽ライターに問いかける。「何でしょう?」「それはな......」、二木の目をじっと見つめて話している。「スケベ心だよ!」、80年代のNYのアンダーグラウンドを経験しているこのベテランは、いきなり本質をぶつける。二木の顔がこわばっている......。
議論に熱中するふたりをよそに僕はふたたびフロアへ戻る。いやー、こんなに踊ったのってすげー久しぶりだ。楽しいね! そう思いながら......あれ、そういえば、一緒に来たはずの我が妻はどこへ? クラブ内を探し回ったがどこにも見あたらない。〈rajishan〉にでも行ったのかな?
踊りながら、どんどん気になってきたので、ミニマルで踊る二木を強引に連れ立って〈rajishan〉に行く。時間は......たぶん、4時前だろう。
〈rajishan〉ではいつの間にか五十嵐がまわしている。仕方ない、しばらく彼の濃厚なハウスを浴びるよう。しかし......うー、さすがにもう飲めないな......でも、レッドアイを一杯。カウンターにいるミックンもすっかり音にハマっているようだった。気がつくとDJの石川君がいる。いつの間に二木がまわしている。そしてKAKEIさんとのバック・トゥ・バックがはじまる。店内にはムードマンの姿が......。
ミックン、もう一杯レッドアイを......で、このあたりから記憶が途切れていく......森藤もいたな......たしか......。気がつくとソファーの上で寝ていた。
やばいやばい。「野田、もう一回、〈FOUR〉行かねーか?」......誰だ? 森藤か? わかった、待てよ、行きますよ......DJは二木とKAKEIさん。二木がヒップホップをかけるとKAKEIさんは実験的なダビーな音で返す。うー、頭のなかがどうにかなりそうだ......。それから〈FOUR〉に行ってもう一杯。悪徳の液体が身体から感覚を奪っていく......って、何をいまさら......もうとっくにそうだった。DJはまだウェザオールで、相変わらず彼はエレクトロ調のミニマルだった。ドッチー・ドッチー・ドッチー・ドッチー......フロアで東京からやって来た友人たちに遭う。おお、藤井君じゃないか、すげーな、みんな......俺は......もうダメかも......付き合いの悪い男だと思わないでくれ......胃のなかから生暖かいものが喉のあたりまで上がってくる......もうこれ以上フロアにいてはならない......地獄のような虚無感が襲ってくる、悪魔のように容赦なく......トイレの前には人が並んでいる......五十嵐にひと言断って店を出る。
通りをふらついてコンビニに入って、お茶を買うかどうか考えた。考えても無駄だった、財布は妻が持っているのだ。自分のレコードバッグ、衣類がどこに置いてあるのか記憶を辿った......。あとは記憶力と逆流したがる胃酸とどっちが速いかの勝負だ......。そ、そう、じ、じ、じ、じぃぃぃぃ人生とは......。
翌日の昼過ぎ、五十嵐から電話。「お疲れで~す! あのさ、あの後、〈rajishan〉でムードマンと透さんのバック・トゥ・バックがはじまっちゃってさ、もう最高! すごかったよ!」......48時間マラソンを完走したばかりのランナーは元気な声でそう言った。そうか、それは良かった。本当に良かったよ......お疲れさま、みんな......それから永遠のルーディーたち......。
今回の話はこれでおしまい。これはきっと日本のいろんな町に転がっている話。こんどはキミが、キミの言葉でキミの町について語ってください。よろしくな、頼むよ。
ダンス・カルチャーは街の夜に欠かせない光景となった。(略)昼の明るい光がいまだにかなえられない理想郷の夢を見ながら、夜は光り、揺らめき続けている。
――ティム・ローレンス『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ』