「KING」と一致するもの

R.I.P. Genesis P-Orridge - ele-king

野田努

 ジェネシス・P・オリッジが3月14日の朝に他界したと彼/彼女の親族が発表した。白血病による数年の闘病生活の末の死だった。

 いまから70年前の1950年、マンチェスターに生まれたジェネシスは、大学のためにハルに引っ越すと70年代初頭はコージー・ファニ・トゥッティらとともにパーフォーマンス・アート・グループ、COUMトランスミッションのメンバーとして活動し、1976年からはロンドンを拠点にコージー、クリス・カーター、ピーター・クリストファーソン(2010年没)らとともに後のロックおよびエレクトロニック・ミュージックに強大な影響を与えるバンド、スロッビング・グリッスル=TGのメンバーとして音楽活動を開始する。

 TG解散後の1981年、ジェネシスはあらたにサイキックTVを結成、そして2019年の『The Evening Sun Turns Crimson』まで、同プロジェクトを通じて数え切れないほどの作品をリリースしている。(80年代末には、クラブ・カルチャー以外のところで派生したアシッド・ハウスのプロジェクトとしてはかなり先駆的な、Jack The Tabも手掛けている)

 コージーの自伝『アート・セックス・ミュージック』における悲痛な告白には、一時期は恋仲にありながら虐待を受けていたことが赤裸々に綴られており、横暴で自己中心的でもあったジェネシスは決して誉められた人格の持ち主ではなかったのだろうけれど、まあ、21世紀の現代からは遠い昔のTG時代のジェネシスにカリスマ性があったのも事実だった。コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』やウィリアム・バロウズをバンドに持ち込んだのはジェネシスだったろうし、コージーが主張するようにTGとはメンバー全員平等のバンドであり、誰かひとり抜けてもTGとしては成立しないわけだから、やはりジェネシス抜きのTGはあり得なかったのである。

 TGはたしかにロックを常識では計れない領域まで拡張し、エレクトロニック・ミュージックに毒を盛り込んだ張本人で、残された作品はいまでも新しいリスナーに参照されいているが、彼らのルーツは60年代にあり、ことにジェネシスはその時代のディープな申し子だった。彼/彼女にはブライアン・ジョーンズに捧げた曲があり、初期のサイキックTVにはサイケデリックなフォーク・ソングもある。彼/彼女の手掛ける電子音響による暗黒郷や全裸姿もさながら反転したジョン&ヨーコの『Two Virgins』だ。そして、アレスタ・クローリーの悪魔崇拝をはじめ猟奇殺人やナチスの引用、オカルトや神秘主義の実践やカルトや原始的なるものへの憧憬もまた、社会基準を相対化しようとした60年代的自由思想の裏返った過剰な回路でもあった。

 良くも悪くも常識という縛りのいっさいを払いのける生き方は、やがて自分を妻と同じ容姿にすることによる同一化へとジェネシスを駆り立て、じっさい性も容姿も変えてみせた。それもまた、TGやサイキックTVと同様に彼/彼女にとってのアート・プロジェクトだった。ジェネシスは妻が先立つ2007年まで彼女と服も化粧も共有していたというが、子供のPTAの会議には、ジェネシスは父親として銀色のミニスカートとブーツ姿で出席したそうだ。

 ぼくがジェネシスを見たのは一回キリで、1990年に彼/彼女が(たしかZ'EVなんかと)芝浦ゴールドに来たときだった。SMコスチュームで身をかためて、鞭に打たれながら這いつくばっている彼/彼女をフロアにできた人垣に混じって呆然と見ていたことをいまでも覚えている。ただ、そのときどんなサウンドが鳴っていたかはもう忘れてしまった。ただ、ジェネシスの姿だけがいまでも脳裏に焼き付いているのだ。

野田努

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三田格

 1979年当時、“We Hate You”というタイトルに何かを感じたのだけれど、うまく思い出せない。ルル・ピカソのアートワークに包まれて<ソルディド・センティメンタル>からリリースされたスロッビン・グリッスルのセカンド・シングルで、正確には“We Hate You (Little Girls)”と副題がついている。曲にはあまりインパクトはなく、歌詞は少女たちに向かって「憎い」と叫ぶだけ。前の年にジョン・ライドンがパブリック・イメージ・リミテッドのデビュー・アルバムで「僕たちは愛されたかっただけ」という歌詞を繰り返していたので、パンクスが共同体への回帰願望を表明しているようで、それはどうかなと思っていたこともあり、“We Hate You”にはそれとは正反対のメッセージ性を感じたということかもしれない。「Hate」という単語がポップ・ミュージックに使われた例は意外と少なくて、ハンク・ウイリアムズの“My Love For You (Has Turned To Hate)”(53)やアルバム・タイトルではレナード・コーエンの『Songs Of Love And Hate』(71)など、まったくないわけではないし、1988年にモリッシーが『Viva Hate』をリリースした時もけっこうなインパクトがあった(1995年にはプリンスがThe Artist (Formerly Known As Prince) ‎として“ I Hate U (The Hate Experience)”をリリース)。ちなみに単語検索をかけてみると、使用頻度では2000年代が最も多く、2005年をピークとして、そのあとは少しずつ減っている。

 いずれにしろ“We Hate You”はスロッビン・グリッスルのキャラクターを端的に印象づけたことは確か。社会に対して攻撃的で、パンクスが退潮した後もアティチュードは死に絶えていないと、そのことは日本にまで伝わってきた。スロッビン・グリッスルがあっという間に解散してもジェネシス・P・オーリッジはピーター・クリストファーソンと共にサイキックTVとして活動を持続させ、彼がその動きを失速させるつもりがないこともよくわかった。だから、当時はセカンド・アルバムとしてリリースされた『Dreams Less Sweet』(83)が僕にはよくわからなかった。イギリスではかなり評価の高い『Dreams Less Sweet』はとても美しい蘭の花にジェニタル・ピアス(性器ピアス)のイメージを重ね合わせたゾディアック・マインドワープとピーター・クリストファーソンによるアート・ワークがあまりにも素晴らしくて、しばらく壁に飾ったりもしていたのだけれど、肝心な音楽に関してはどこか散漫な印象が残るばかりで、良さがわかるまで何度でも聴く癖のある僕にしては早々に投げ出し、クリストファーソン脱退後のセッション・アルバム『Those Who Do Not』(84)ばかり聴いていた記憶がある。さらにいえば、クリストファーソンがジョン・バランスと結成したコイルである。螺旋階段をアナルに見立てるなど、実にユーモラスなゲイ表現とは対照的に強迫的なインダストリアル・サウンドを打ち出してきたコイルはあまりにカッコよく、“We Hate You”を継承しているのはむしろこっちだと思ったのである。

 事態が変化するのはサイキックTVが1984年に「Godstar」と1986年に「The Magickal Mystery D Tour E.P.」をリリースしてから。前者はブライアン・ジョーンズをテーマとし、後者にはビーチ・ボーイズ“Good Vibrations”のカヴァーが冒頭に収録されていた(7インチ2枚組のヴァージョンにはセルジュ・ゲーンスブール“Je T'aime”のカヴァーも)。1986年にNMEがサイケデリック・ムーヴメントの回顧記事を書いた時、それは跡形も残っていないものとして認識され、まったくもって過去の出来事でしかなかった。あれだけ迅速に音楽情報を伝えていたNMEもマンチェスターや北部の諸都市にレイヴ・カルチャーが浸透しつつあることは察知できず、初めてアシッド・ハウスが紙面に取り上げられたのは88年2月だった。明らかにジェネシス・P・オーリッジの方が動きは早かった。“Good Vibrations”のカヴァーを聴いて僕は初めてビーチ・ボーイズに興味が湧き、翌年に入ってジーザス&メリー・チェインが“Surfin' USA”をカヴァーしたことがダメ押しとなってビーチ・ボーイズのアルバムを一気に15枚も買ってしまった。そして、『Pet Sounds』(66)を聴けばどんなバカにもわかったことが僕にもわかった。『Dreams Less Sweet』はビーチ・ボーイズを意識したアルバムだったということが。ビーチ・ボーイズとまったく同じポップ・ミュージックと実験性の共存。サイケデリック・ミュージックはジーザス&メリー・チェインによって復活し、アシッド・ハウス・ムーヴメントへと拡大したというのがニュー・ウェイヴの定説かもしれないけれど、ポップ・ミュージックの文脈で誰よりも早くそれに取り組んだのは『Dreams Less Sweet』だったのである。

 インダストリアルを引きずりつつも、ノスタルジックなベースラインにタンバリンやオーボエ、チューバ、そして、まろやかなコーラス・ワークにヴァン・ダイク・パークスを思わせるメロディ・センスが『Dreams Less Sweet』の中核をなしている。アシッド・ハウス・ムーヴメントとともにようやくそのことを僕は理解した。ジェネシス・P・オーリッジの大言壮語はアシッド・ハウスを最初にやったのは自分だというもので、いくらなんでもそれは言い過ぎだったけれど、『Dreams Less Sweet』をつくっていたことでサイキックTVがインダストリアル・ミュージックからアシッド・ハウスに伸ばした導線が表面的なものではなかったことは実に納得がいく。それどころかジェネシス・P・オーリッジは本気でやっていたとしか思えない。『Jack The Tab』であれ『Tekno Acid Beat』(共に88)であれ、彼らがその当時、量産したハウス・レコードは初期衝動に満ちていて、いま聴いても実に楽しいし、後にはザ・グリッドとして国民的な人気を得るデイヴ・ボールとリチャード・ノリスが当時のメンバーを務めていたことも見過ごせない。あるいは匿名を使わなくなった『Towards Thee Infinite Beat』(90)では彼らなりにアシッド・ハウスを次のステージへ向かわせようと様々な試行錯誤に努めた痕跡も聴き取れる(結果的にクリス&コージーみたいなサウンドになっているけれど)。そう思って調べていくと『Dreams Less Sweet』には60年代の象徴がちりばめられていたことにも思い当たる。特異な録音方法はピンク・フロイドの踏襲、”Always Is Always”はチャールズ・マンゾン、"White Nights”は人民寺院で知られるジム・ジョーンズの言葉をベースとしていて、これはレニゲイド・サウンドウェイヴ”Murder Music”でオリジナル・スピーチがそのままサンプリングされている。とはいえ、それらはラヴ&ピースではなく、イギリスでは魔術師としても知られるジョン・バランスと結成したテンプル・オブ・サイキック・ユースの活動にも顕著なようにサイキックTVの表現はサマー・オブ・ラヴのダークサイドからの影響が濃厚で、“We Hate You”が単純に“We Love You”へとひっくり返らなかったことはアシッド・ハウス・ムーヴメントにおける彼らの位置を得意なものにした要因といえるだろう。なお、テンプル・オブ・サイキック・ユースの背景をなすケイオスマジックについては→https://ja.wikipedia.org/wiki/ケイオスマジック

 また、ジェネシス・P・オーリッジがポップ・ミュージックにおけるトリックスターとしてさらなる役者ぶりを示したのは自らがトランスジェンダーと化したこと(=The Pandrogeny Project)で新たな様相を呈することとなった。噂には聞いていたけれど、ブルース・ラ・ブルース監督『ラズベリー・ライヒ』(04)でその姿を初めて認めた時は僕もかなり驚かされた。その異様さはスロッビン・グリッスルの時よりインパクトがあったかもしれないし、旧左翼と新左翼の対立を描いたハンス・ウェインガートナー監督『ベルリン、僕らの革命』(04)をゲイ・ポルノの文脈で先取りしたような『ラズベリー・ライヒ』(04)はそれこそジェネシス・P・オーリッジはまだストリートに立っている証しのように思えた。最初は反逆者でも結局は規制のポストに収まってしまう人たちとは異なる迫力を感じたことは確かで、トランスジェンダーとして彼(女)はケンダル&カイリー・ジェンナーの父(母)であるケイトリン・ジェンナーのインタビューにも応じ、グランジ・ファッションの祖であるマーク・ジェイコブスのファッション・ショーにも出演している。ヴォーグの編集長アナ・ウィンターの側近ともいえるマーク・ジェイコブスのショーに出たということはニューヨークではかなりなセレブレティにのし上がっているということを意味する。ニューヨーク・タイムスはジェネシス・P・オーリッジをカルトと評し、アヴァンギャルドの宝と讃えていたことがあり、現在はマシーン・ドラムやゾラ・ジーザス、そして、ローレンス・イングリッシュやコールド・ケイヴなどなかなか広範囲の人たちから追悼の声が上がっている。

三田格

石原洋 - ele-king

 まず述べたいのは石原洋の「遠さ」が音の響きの傾向ではないこと。すなわちウェットとかデッドとかではない。音のバランスや定位は関係するにはするが、この論点に、たとえば一般的なレコーディングの技術論や方法論からちかづこうとすると、もっとも重要な部分を「欠落」させる──あるいはもっとも「欠落しなければならない」部分が欠落しないままに終わる──結果をまねく、おそらくカフカの『城』に似た「遠さ」を音楽の時空間内にかたちづくるには二通りの抵触の方法がある。ひとつには音楽という形式にたいするもの、他方に事物としての録音にむかうもの。石原は先日のインタヴュー記事の文中で前者を「コンセプチュアル・アート」と呼び、『formula』とのちがいをやんわりと指摘し、後者との親和性をほのめかしたのち、本作の自身の感覚にちかい既存の作品の作者としてフェラーリやエロワの名前をあげている。この両者はともにテープ音楽~ミュジーク・コンクレートに功績をのこしたフランスの作曲家で、石原のいうフェラーリの「プレスク・リエン」や、作品名こそあげていないがおそらくエロワではNHK電子音楽センターで制作した「Gaku-no-Michi」に耳を傾ければ、あなたは膝をはっしと打たれるであろう。というのも、この2作では具体音と電子音がマテリアルの中心をなし、前者は文字どおり「ほとんどなにも(おこら)ない(プレスク・リエン)」ことで聴くことが前景化し、作曲作品に現実音がまぎれこむ後者では電子音と環境音の差異と近似が作中からせりあがる、その方法論の歴史的な展開と考察は拙著『前衛音楽入門』の第Ⅴ章に述べたのでここではくりかえさないが、石原のいう「遠さ」がたんに音響現象面での距離感をいうのか美学的な意味でのそれをさすのかは留意が必要である。あの裸のラリーズに「記憶は遠い」と題した楽曲があるように、遠さはときに主体の心理のあらわれをさす。すなわち遠さとはなつかしさであり、なつかしさとはノスタルジーである。なぜなら録音にかぎらずすべての記録の対象は特定の過去であり、ことにフィールド録音による音源はかつて世界のどこかでその音が鳴ったことのあかしである──との確信は、しかしその音が匿名的ではなりたたない。森の木々のざわめきや雨音、よせてはかえす波の音はそれだけではライブラリーの収蔵用の音源にすぎない。それらが記名性をもつには「自然」という不変の法則からはみだすものがなければならない。私はひとつには人間、人間は人工と言い換えてもいい、音の記録のなかにそれらが存在することの差異が音の記名性を励起する。ところがそれを聴く人間にはすぎさったものを慈しむ文化的な習性がある。ひとはこれをノスタルジーといい、フェラーリのラジカルさはフィールド録音にわずかばかりのゆらぎを加えることでそのような主体の認識を異化する点にある。これは作品内の現実音が電子音にせめぎあうエロワ──『ヒュムネン』のシュトックハウゼンしかり──とは似て非なる志向性ないしは作者の位置をもつのだが、『formula』の石原洋はどちらの側にたつのかといえば、おどろいたことに両方に足をかけているのである。
 とはいえ『formula』は前衛音楽ではない。作者にはロックへのこだわりがある。こだわりというより刷りこみというべきだろうか。おそらくそこには信仰めいたものとは無縁の探究があった。その遍歴はインタヴュー記事でご確認いただきたいが、リヴィング・エンドを前身に1985年に結成したホワイト・ヘヴンにはじまりソロの前作にあたる23年前の『Passivité』をへてザ・スターズへ、ゆらゆら帝国やオウガ・ユー・アスホールのプロデュース業と並行した石原洋の道程はきらびやかさともちがう鈍色の輝きだった。私はホワイト・ヘヴンの演奏にはいまはなき仙川のゴスペルなどで何度かふれたが、失礼ながらお客さんもそんなに多くはなかったし盛大にもりあがっていた記憶もない。曲はすべて英詞なのもあって「海外と国内での評価差がもっとも激しいバンド」というのがモダーン・ミュージックの店主でレーベル〈PSF〉を運営した生悦住英夫氏をはじめ、ホワイト・ヘヴンを語るにあたっての枕詞のようになっていたが、当人にはたしてその実感があったかどうかはさだかではない。さえぎるもののない正午の庭に佇むとき、不意におとずれる真空のようなハレーションをサイケデリックと呼ぶなら彼らはその典型だが、表現のつよさに重きを置く世相に埋もれがちだったというか地味に映った。いや滋味があったというべきであろうが、科学調味料めいた音にまみれた耳には彼らのサウンドは文字どおり遠かった。その一方で、石原の弁によれば、1980年代初頭に新規性が頭打ちになったロックの形式にとどまる音は速さもかねていた。この「速さ」なる概念にはあの阿部薫の「僕は誰よりも速くなりたい」にはじまる神秘的なセンテンスを彷彿するが、石原の「速さ」はおそらく阿部の念頭にある主体における体感の絶対性ではなく、他者との関係から導く相対速度のニュアンスにちかい。あたかも私たちのより遠くの銀河がより速く遠ざかるように──

 さいわいホワイト・ヘヴンのレコードとしてははじめてのリリースである1991年の『Out』は〈PSF〉のカタログをひきついだ米国西海岸の〈ブラック・エディション〉がさきごろリイシューしたので、未聴の方はぜひご堪能いただきたいが、リマスターによりダイナミックに生まれ変わったサウンドを耳にしてあらためて思ったのは、巧みな曲づくりと抑制をきかせながらもはげしくうねるアンサンブルの妙味である。気をてらうところはないが、趣味性と批評性からくる内的必然性にきわめて忠実な石原洋の方法論は『Out』以降のホワイト・ヘヴンの諸作にも通底し、フランス語の「受動性」を表題に冠したソロ作『Passivité』を緩衝地帯に、ここに参加した栗原道夫やゆらゆら帝国の亀川千代もメンバーに名を連ねたザ・スターズでは作品の意図が直截的になったきらいがあった。能動的(アクティヴ)になったとまではいわないが、音楽はどのように聴かれ伝わるのかという意識(の「速度」の何割か)をプロデュース業にふりむけたことで、作品が負う荷が逆説的に軽くなったというか、楽器を手にとり曲をつくり演奏することと他者と協働で録音物を制作する行為がまったく等価になったというか。この考えを敷衍すれば、その両面をみわたさなければ石原洋はつかめない。知名度のわりになにをしているひとかいまひとつわかりにくいのも、おそらく石原のこのような立ち位置に由来する──のだとしたら、両者を調和する『formula』こそ、秘めた全貌をはじめて世に問う作品ではないか。
 との見立てのもとに『formula』を手にとられた読者はロックの領野ではすこぶる独創的な構想の前で右往左往されるかもしれない。先に述べたとおり『formula』を構成するおもな要素はフィールド・レコーディングと楽曲パートである。数え方にもよるが、楽曲のパートは五つないし六つ、それがフィールド録音と融合する、その全体がひとつづきの曲なのだという石原の言を念頭に『formula』を再生すると、地の底からわきあがるようなノイズが雑踏の喧噪に溶解し、1分半すぎの「プレスク・リエン」風のフランジャーにあなたはいま聴いているのは窓の外の騒音ではなくスピーカーからの音だと気づくだろう。ほどなくバンドの合奏がはじまって聴き手はひと安心だが、おずおずと雑音に踏み入るような曲調はアルバムの幕開けにありがちな威勢のいいものではない。石原のほかに盟友栗原ミチオ(ギター)、山本達久(ドラム)と北田智裕(ベース)のリズム隊に、レコーディングスタジオであるピースミュージックを運営する中村宗一郎らが参加する演奏はそれだけとりだしてもすばらしいにちがいないが『formula』の世界ではなんら特権的な存在にはあたらない。
 それにしても私たちはふだんなんと多くのノイズにとりまかれていることか。またノイズなる言い方ですぐそばにある無数の情報をいかにのっぺりした概念におとしこんでいることか。『formula』を聴いて、あなたが最初に思ったのはそのようなことではなかったか。そのことは足音ひとつとっても、男性のそれとヒールを履いた女性の靴音では音色にちがいがあるのでわかる。さらにそれらの音色は足の運びからくる個別のビートをもち、よりあつまれば、都市の、人間の生活空間をかたちづくる。本作の制作にあたって、石原はいくものフィールド録音に耳をとおしたという。そのことは電車の音、子どもたちの声、バイクの発進音、モーターらしき音など、五線譜に乗らない音がたんに異化作用のためだけでなく、楽曲パートとゆるやかにシンクロし、地も図もないだまし絵のような音響空間を構築するのでもわかる。たとえば元キャバレー・ヴォルテール~ハフラー・トリオのクリス・ワトソンら、フィールド録音の作者たちが取捨選択という透明な人為で録音に介入するのに比して、石原洋は録音物の内と外をこれみよがしに行き来する、その
公式フォーミユラ
はしかしメタ性語りで語り尽くせるほど簡便なものではない。作者の自意識や、インタヴューでも言及するヒューマニズム(人間中心主義)への違和とも深くかかわる表現におけるヒューマニティの変質が兆していたはずだが、そのことについて述べはじめると長々とした文章がさらにのびそうなので別稿にゆずる。

Onoe Caponoe - ele-king

 まずジャケットのアートワークに目がいってしまうのがロンドンのラッパー、オノエ・カポノエ(Onoe Caponoe)。前作も日本語(サーフまたはダイ)を大胆に使ったデザインだったが、新作もまたでかでかと「見えざる戦争」と小学生が書いたような字で描かれている。ヴェイぺーウェイヴではない。いわばラメルジー系で、UKでは一定の評価のあるヒップホップ・レーベル〈ハイ・フォーカス〉所属、かの地のブーンバップ・スタイル(ディラのようにサンプラーでビートをいじりまくるスタイル)を代表するひとりでもあったりする。ブーンバップならではの酩酊感を深く追求し、実験した彼のデビュー・アルバムは、『ダークサイド・オブ・ザ・ムーン』への回答という評価までモノにしているわけだが、同アルバム収録の“Disappearing Jakob”(Cortexの曲をサンプリング)が英国スモーカーたちのアンセムになったかどうかまでは定かでない。

 そのジャケットのアートワークはラメルジーっぽくもボアダムスっぽくもあり、要するにこの音楽に大いなるサイケデリックが否応なく横たわっていると。ちなみに彼が公言している影響は、ジミ・ヘンドリックス、ブラック・サバス、パンク・ロック、サン・ラー、モブ・ディープ、そしてなによりももっとも大きくファンカデリック……と、ファンクの精神をもったドープなMCであることもたしかだ。

 プロデューサー陣は彼自身を含め、前作と同じメンツのようだが、あしからずぼくには彼らの素性を知らない。また、ブーンバップ・スタイルと書いたものの、新作では音楽性が拡張され、打ち込みの曲もあるし、“Wild In The Streets”のような曲にはジャングルの要素も入っている。ことグライムからの影響は確実で、ちょっと詰め込みすぎに思われるかもしれないが、これがUKヒップホップの面白さだ。蛍光色とB級ホラー趣味に不安を感じる人もいるだろうが、アルバムにはメリハリがあり、コミカルで、少々病的だが魅力的フローとサーヴィス精神にあふれている。17曲もあるというのに飽きさせない。ジャジーな曲もあれば、トラップやGファンクもあり、悪意に満ちたノイズもあり……基本的には眉間に皺を寄せて聴く類の音楽ではないのだろう。ぶっ飛ぶしかねぇと言わんばかりに、ふざけているし面白がっている、が、しかしこれもまたある種のアフロフューチャリズムなのだ。

 ジョージ・クリントン気取りも伊達ではなく、彼のユニークな点はその実験精神にもある。どんどん逸脱するラップや音楽性は、アンダーワールドの想像力の証だろう。また、オノエの代表曲にはロンドンを「自殺者の街だ」と言い切った“‘Suicide City”なる曲があって、PVには暴動の場面が挿入されているが、その熱情は彼の道化たマスクの内側に秘められたものだとぼくは邪推する。リトル・シムズロイル・カーナー、スロータイ、デイヴなど、日本でも注目されつつあるUKヒップホップにおける珍客以上の何かがある……かもしれない。
 実際、かつてはUKのオッド・フューチャーとも評されたことがあったようで、いまならダニー・ブラウンへのロンドンからの回答という説明のほうがわかりやすいかもしれないが、いずれにせよ、先述してきたように『見えざる戦争』は典型的なラップ・アルバムではない。そのことがオノエ・カポノエに関しては明らかにポジティヴに働いているし、ときおり知性も感じさせる彼のなかなかの狂人ぶり(宇宙開発)は、気がくさくさする今日、少しは気晴らしになるかもです。

 けだるいギターのループが耳から離れない。メランコリックでビター・スゥイートなメロディ。「開場 Opening」と題された主題はアレンジを変えて何度も繰り返される(「穿過黑暗的漫長旅途 貳 Long Day's Journey Into Night (II)」)。人には必ず思い出せないことがある。そして、思い出せないことの集積によって押しつぶされていく人もいる。ギターのループは催眠術のようであり、自分にはコントロールできない領域があると何度も言い聞かせられているかのよう。映画の始まりはまるで精神分析の始まりである。ホアン・ジェ演じるルオ・ホンウはベッドに仰向けになって横たわっている。父の死をきっかけに彼は故郷に還ろうと起き上がるものの、もしかすると彼は最後までベッドから一歩も動かずに記憶の断片を遡行していただけなのかもしれない。それこそこの作品はストーリーが中心にあるというより自由連想のようにしてシークエンスが連なり、12年ぶりに戻った故郷で昔の「女に会う」という目的がいつしか本当になっていく。映画の前半は努力すれば意識化できる記憶。いわゆるフロイトの「前意識」を本人に都合のいいストーリーとして組み立て直し、捏造記憶にすり替えているだけなのかもしれない。話が展開しているのに同じメロディが繰り返されることによって元の場所に引き戻されたように感じるのはそのせいではないだろうか。「女に会う」前も「会っている」時もルオ・ホンウは常に憂鬱げで、心に揺れが感じられず、感情の主体はどこかほかにあるとでもいうように。唐突に差し挟まれるナレーション(独白)では「映画と記憶の違いは、映画は常にニセモノで、記憶は真実と嘘のミックスだということ」だと告げられる。

 他の映画監督の名前を上げることはあまりしたくないのだけれど、水浸しの部屋や錆びた鉄の塀、あるいはテーブルの振動でコップが落ちるシークエンスなど『ノスタルジア』(83)から借りたイメージが表面的には横溢するにもかかわらず、タルコフスキーが権力や制度疲労を暗喩として作品に忍ばせていたのとは違い、全体を覆っているのはむしろデヴィッド・リンチの「思わせぶり」に近いものがある。ヒッチコックなどを過剰に引用したデヴィッド・ロバート・ミッチェル監督『アンダー・ザ・シルバーレイク』(18)と同じく、伏線を撒き散らしてどれも回収せず、主人公があたかも「ストーリーの牢獄」から抜け出していくように行動する展開は誰よりもデヴィッド・リンチに通じ、毒々しい色使いや見世物文化を前景化する姿勢にもそれは感じられる。このところ「based on a true story(この話は事実に基づく)」というクレジットが作品の品質を保証するキャッチフレーズのように多発されていることに対して反発を感じる映画の作り手が現れてもおかしくはない状況にあったことを思うと、『ロングデイズ・ジャーニー』や『アンダー・ザ・シルバーレイク』がデヴィッド・リンチを召喚することになんの疑問もないわけだけれど(つーか、本人が『ツイン・ピークス』でカムバックしたばかりでした)。そして、何よりも『ロングデイズ・ジャーニー』がデヴィッド・リンチを想起させるのは音楽の使い方である。映画自体にリズム感がなく、映像とまったく関係がない音楽を流すことでそれなりに長いシーンを持続させてきたデヴィッド・リンチの手法はまさにMTV時代の申し子といえ、異様なほどのミスマッチを恐れない『ロングデイズ・ジャーニー』にも音楽に対する過信は増幅して感じられる。リン・チャンとポイント・スーによる多幸感あふれるドローン(「監獄訴說 Confession from Prison」)が延々と流れる刑務所での面会シーンは特に異様で、印象深かった。

 ルオ・ホンウが再会を果たす女、ワン・チーウェンには山口百恵という役名が当初は考えられていたらしい。ワン・チーウェンを演じるタン・ウェイは、そして、アン・リー監督『ラスト、コーション』(07)でデビューした際、あまりにもセックス・シーンが多く、しかも日本軍のスパイという役柄だったせいで中国では批判の的となり、以後の作品も放送禁止や出演シーンがカットされるなど波乱含みのスタートを切った女優である(彼女を起用したことについて後悔しているというアン・リー監督とハリウッド進出に当たって性器を露出する役だった菊地凛子は対談をしたことがあるそうです)。タン・ウェイはその後、香港の市民権を取得するなど、それなりに時間をかけて復活を果たしたものの、言ってみれば名前ばかりが有名な女優といえ、虚構に足を取られた人生がそのまま『ロングデイズ・ジャーニー』における「ヤクザから逃げられない女」という設定に重ねられている。ルオ・ホンウがワン・チーウェンを自由にしようとするトライアルと絶望感の上塗りがイメージの洪水を呼び起こす中盤はかなり見応えがあり、象徴を読み解きたい人たちの議論が尽きないパートにもなっている。また、日本軍のスパイ役を汚点とせず、ケータイの着メロなどで中島みゆきの「アザミ嬢のララバイ」が流れるなど、もしかするとビー・ガン監督は中国で「精日(=精神日本人)」と呼ばれるタイプの人なのだろうか。「精日」というのは単純な「日本かぶれ」から「反政府的」とされる傾向まで解釈に幅のある言葉で、どのあたりということは簡単に言えないけれど。

『ロングデイズ・ジャーニー』の白眉と言われるのは後半である。チェン・ヨンゾン演じるヤクザの親分を撃ち殺すために映画館に入ったルオ・ホンウがサングラスをかけるタイミングで観客はあらかじめ3Dメガネをかけるように指示されている。ここからの64分はワン・カットで撮影されていて、『トゥモロー・ワールド』(06)に始まり、『アバター』(09)や最近では『バードマン』(14)に『1917 命をかけた伝令』(19)といった流行りと同じ手法を用いることで「意識の流れ」を追跡してみたということになるのだろう。ここでは前半にあったような話の整合性はまったくなくなってしまう。流れや脈絡といったことはあっても論理や法則といったことからはどんどん離れていく。僕の解釈ではここからは「前意識」から「無意識」に分け入り、村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』でいえば「世界の終り」の章だけを凝縮したようなものになっている(『ロングデイズ・ジャーニー』の中国原題は『地球最後の夜』)。実際、観客が3Dメガネをかけるとルオ・ホンウは洞窟の中にすとんと落ちている。そして、少年と卓球をしなければそこから出られないという条件を押し付けられ、以後も境界線を意識させるエピソードが繰り返される。前半には曲がりなりにも行動に目的のあったルオ・ホンウは「閉じ込められて脱出する」というパターンを反復してから(以下、ネタバレ)一気に夜空へと飛び上がり、いわば虚構による虚構の解放が試みられる。ルオ・ホンウが一緒に空を飛ぶカイチンはタン・ウェイが二役を演じている女性で、いかにも身分を変えてヤクザから逃げられたかのようでもあるし、着地地点で開かれている歌謡ショーはヤクザの親分のカラオケと対をなしていると見做すことで、音楽と権力の結びつきが解かれたかのようにも感じられるけれど、すべてがどうとでも解釈できることであり、そもそも解釈の必要さえないのかもしれない。そして、この映画は現実には戻ってこない。

『ロングデイズ・ジャーニー』の原型となる『凱里ブルース』も追って4月18日から公開予定。


『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』WEB限定版予告編

Joy Orbison, Beatrice Dillon & Will Bankhead - ele-king

 きたきたきたー! ファッション・ブランドの C.E がまたもやってくれます。彼らが仕掛ける2020年最初のパーティは〈Hinge Finger〉および〈The Trilogy Tapes〉との共催で、両レーベルからおなじみジョイ・オービソンとウィル・バンクヘッドが出演、さらに、先月〈PAN〉よりすばらしいアルバム『Workaround』をリリースしたばかりのビアトリス・ディロンが加わります。前売りチケットは出血大サーヴィスの1500円。これは行かない理由がありません。4月10日は VENT に集合。

C.E、〈Hinge Finger〉、〈The Trilogy Tapes〉共催によるパーティが VENT で開催に。Joy Orbison、Beatrice Dillon、Will Bankhead が出演

C.E (シーイー)による2020年度初となるパーティが、2020年4月10日金曜日に表参道の VENT を会場に、Joy Orbison (ジョイ・オービソン)、Beatrice Dillon (ビアトリス・ディロン)、Will Bankhead (ウィル・バンクヘッド)の3名をゲストに迎え開催となります。

洋服ブランド C.E が〈Hinge Finger〉(ヒンジ・フィンガー)、〈The Trilogy Tapes〉(ザ・トリロジー・テープス)の2レーベルと共催する本パーティのラインナップは、音楽プロデューサーDJ、英国の音楽レーベル〈Hinge Finger〉主宰の Joy Orbison、今年2月に初のソロアルバムをベルリン拠点の音楽レーベル〈PAN〉(パン)よりリリースしたばかりの Beatrice Dillon、そして Joy Orbison と共同で音楽レーベル〈Hinge Finger〉、個人として〈The Trilogy Tapes〉を運営する Will Bankhead の3名です。

Joy Orbison は昨年19年の9月にデビュー10周年を迎えた、英国を拠点とする音楽プロデューサー、DJ、そして音楽レーベル〈Hinge Finger〉の主宰です。昨年19年には Joy O 名義で、〈Hinge Finger〉から「Slipping」を、〈Poly Kicks〉から「50 Locked Grooves」をリリースした他、Overmono (Truss&Tessela) とのユニット Joy Overmono として「Bromley / Still Moving」をリリースし、Off The Meds の楽曲のリミックス「Belter (Joy O Belly Mix)」をてがけました。

Beatrice Dillon は、UKはロンドンを拠点とするアーティスト、ミュージシャン、DJです。前述した〈The Trilogy Tapes〉や〈The Vinyl Factory〉、〈Where To Now?〉、〈Boomkat Editions〉などより楽曲をリリースするほか、Call Super や Kassem Mosse、Rupert Clervaux との共作、多種多様なアーティストの楽曲のリミックスも行っている。今年20年2月には、Kuljit Bhamra や Laurel Halo、Batu、Untold、Kadialy Kouyaté、Jonny Lam、Verity Susman、Lucy Railton, Petter Eldh、James Rand、Morgan Buckley らが参加し、マスタリングを Rashad Becker がてがけた、自身のキャリア初となるソロアルバム『Workaround』を〈PAN〉から発表しました。

Will Bankhead はダンスミュージックのファンだけでなく多くの音楽愛好家が信頼をおく英国の音楽レーベル〈The Trilogy Tapes〉の主宰で、前述した Hinge Finger の運営を Joy Orbison と共同でおこなっています。イギリスのインターネットラジオ局、NTSではマンスリープログラムを担当しています。

C.E, Hinge Finger, The Trilogy Tapes present

JOY ORBISON
BEATRICE DILLON
WILL BANKHEAD

開催日:2020年4月10日金曜日
開催時間:午後11時〜
開催場所:VENT (https://vent-tokyo.net/
当日料金:2,500円
前売り料金:1,500円 (https://jp.residentadvisor.net/events/1402254

※20歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの公的身分証明書をご持参願います。(Over 20's Only. Photo I.D. Required.)

yukifurukawa - ele-king

 成熟したプロダクションになんとも色鮮やかな詩情──ギター/キイボード/ヴォーカルの古川悠木を中心に、ソロでも活動するコルネリ、サラダマイカル富岡製糸場グループのサラダらが集合した東京のバンド、その名も yukifurukawa が、4月1日にファースト・アルバム『金貨』をリリースする。どこかテニスコーツやマヘル・シャラル・ハシュ・バズを想起させつつも、よりクリアな音響がそっとやさしくリスナーの耳を包みこんでいく……まずは先行公開された “ハイキングコース” を聴いてみてほしい。これはチェックしておくべきでしょう。

[3月24日追記]
 まもなくリリースされるアルバム『金貨』より、もう1曲 “サマー” が現在公開中です。とても軽快で元気のわいてくる曲ですね。なお、4月4日には SCOOL にてレコ初ライヴも予定されています。ヒップホップ・グループの E.S.V が共演。詳細はこちらから。

yukifurukawa
『金貨』
WEATHER 80 / HEADZ 245

「yukifurukawa」は古川悠木の曲を無為に演奏すべく2019年5月に活動を開始したが、コルネリ(Maher Shalal Hash Baz / のっぽのグーニーBad medicines)の加入をきっかけに、当初から参加するサラダ(サラダマイカル富岡製糸場グループ)と共に元々シンガーソングライターとしても活動している二人の曲も持ち寄ってライヴ演奏をしていくこととなった。その後、突き進む勢いで完成したのがこの『金貨』と題されたファースト・アルバムである。

『金貨』は古川悠木、サラダ、コルネリという、三人の作曲家によるそれぞれテイストの異なる楽曲が併存して収録されており(“ムーン” が唯一の共作曲)、ワクワクさせられたり、寂しさや諦めを感じたり、それでいてどこかに望みがあるかのような、さまざまな心象世界が描かれている。
古川悠木による丁寧なサウンド・プロダクション、ベース森田哲朗とドラム久間木達朗による渋く手堅いリズム隊の演奏、サラダとコルネリによる美しいコーラス・アレンジが全編に渡って施され、非常に効果的なアクセントになっており、さらに三人のカラーの違う個性的なヴォーカルが見事に調和することで新たな化学反応が起き、予想以上に熟達した作品となった。
ゲストとして、シンガーソングライターの mmm がエレキベースで参加しており(過去に一度、yukifurukawa のライブにサポートとして参加している)、素晴らしいグルーヴを醸し出している。

マスタリングは折坂悠太、入江陽、さとうもか、Taiko Super Kicks、TAMTAM、本日休演などの作品のエンジニアリングも行なっている中村公輔が担当。

フロント・カヴァーのドローイングは若き画家・森ひなたが描き下ろし、デザインはグラフィックデザイナーの浅田農が担当(彼が手掛けた、おさないひかり詩集『わたしの虹色の手足、わたしの虹色の楽器』は東京TDC賞 2020のブックデザイン部門に入選)し、yukifurukawa の世界観をより引き立たせるようなアルバム・ジャケットに仕上がっている

アーティスト:yukifurukawa
アルバム・タイトル:『金貨』
規格番号:WEATHER 80 / HEADZ 245
価格:[税抜価格 ¥2,000]+税
発売日:2020年4月1日(水)
レーベル:WEATHER / HEADZ

01. ハイキングコース
02. どこかの窓
03. 遡行不良
04. サマー
05. 海と犯人
06. 庭
07. 話したくない
08. 蟹の思い出
09. Les méchants
10. ムーン

yukifurukawa
古川悠木:ボーカル(M2,3,5,8,9)、ギター(M1,2,3,5,6,9,10)、ピアノ(M1,2,4,7,8)、オルガン(M3,4)、口笛(M3,5)
サラダ:ボーカル(M4,5,8,10)、ギター(M1,4)
コルネリ:ボーカル、ギター(M7,8)
森田哲朗:コントラバス(M1,2,5,6,8)
久間木達朗:ドラム(M1,2,4,5,6,8)

mmm:ベース(M4)

編曲:古川悠木
コーラスアレンジ:サラダ(M4,10)、コルネリ(M2,3,5,8,9,10)

録音:古川悠木、西村曜(StudioCrusoe)
ミックス:古川悠木
マスタリング:中村公輔
録音場所:StudioCrusoe、七針、柳瀬川、阿佐ヶ谷、天沼、池袋、高田馬場

絵:森ひなた
写真:梨乃
デザイン:浅田農

Ben Watt - ele-king

 どうして彼の音楽はこうも美しいのだろう。1983年の『ノース・マリン・ドライヴ』でデビューし、その後のEBTGの全活動を経て、2014年発表の『ヘンドラ』から改めて本格的に自身のソロ名義の活動を本格化させたベン・ワットが、2016年の『フィーヴァー・ドリーム』に続いて今春リリースしたのが本作『ストーム・ダメージ』である。
 とはいえ今回は「嵐の被害」のタイトルからも明らかな通り、全体にやや重めの仕上がりとなっている。資料に拠ればベンは近年、相次いで異母兄姉らを亡くしたのだそうで、その経験が随所に影を落としていることは否めない。悲しみや苛立ちといった感情を、かなり私的な視点から掘り下げているトラックが目立つのだ。

 たとえば、葬儀の場面を描いたと思しきM3“Retreat to Find”では、サビの部分で「すべてのしがらみから逃げ出し、もう一度きちんと死と向き合える場所を見つけるんだ」と歌われる。特にこのトラックでは、ベン・ワットらしからぬと形容するしかない、怒りや悲痛さといった要素がヴォーカルにおいてもあえて強調されていて、それが、やや鋭利に過ぎる音色のアコギのストロークプレイに乗せられてくる。自ずと想起されてくるのは荒涼という形容が相応しいような光景となる。
 開幕の“Balanced on Wire”は若者らへと向けられたメッセージとも読み取れるのだけれど、全編を貫いているのは切迫感か、あるいは焦燥とでも呼ぶべきものだ。「一瞬を生きろと人は言うが、時にその一瞬はあまりに儚く、あるいは時に間延びしている」「傷つけられたと思っているかも知れないけれど、そういう経験をしていない人間なんていないものだ」「不安を感じたことのない人間だって同じだ」こうした言葉が、規則的に過ぎるほどのピアノとダブルベースを前面に押し出したパターンの上で綴られていくのだ。終盤に向け、さながら終末の景色を描き出そうとでもするかのように押し出されてくるSEの中、細い鉄線の上で危ういバランスを取ろうとするヤジロベエにも似たイメージは、あたかも今のベン自身の心象風景にも思える。
 続く“Summer Ghost”もやはりマイナーコードを主調に展開される。異界と現世がふと重なる一瞬を切り取ったかのような歌詞を、高音のシンセサイザーによる揺らぐような白玉が巧妙に演出してみせる。その先は上の“Retreat to Find”を挟んで“Figures in the Landscape”へと続くのだが、こちらのトラックもまた、風の音しか聞こえて来ない寂寞とした一人きりの場面の描写で幕を開けている。そのまま「自分たちは景色の中の人形みたいなものだ」とまで断じられてしまえば、さすがに重苦しさに息が詰まりそうにもなる。

 けれどここに至って少しだけだがようやく上向きな要素が登場してくる。明らかにロックのリズムのサビに「またもう1日生きてゆくために、さあ手を打とう」と歌われるのだ。そしていよいよこちらとしても、本作は実はベン自身の、いわば回復のための手続きのようなものだったのかも知れないなと想像せざるを得なくなるのである。
 M5M6もともにやはり喪失感を基調としている。引き出しに残されていたナイフに、姿を消してしまった歌姫。選ばれたモチーフがそのまま曲を決定してしまった印象だ。それぞれの物語が具体的な誰かを想定して綴られているのだろうことは、たぶん間違ってはいないはずだ。甘い郷愁とまでは言わないけれど、それでもここまでくると、冒頭から響いていた棘々しさは多少ながら和らいでいる。

 そして次のトラックのタイトルに、僕らはほんの少しだけ、胸をなで下ろすことを許される。「夜に続く日の光」だ。ようやくここから先、メジャースケールを基本にしたメロディーなりコードワークなりが曲を支配していくようになってくる。手のひらの温もりやあるいは「時とともに変わらざるを得ない自分たちの姿」といった内容を肯定的に感じられるようになり始めたベンの姿が垣間見えるのだ。特にM9“You’ve Changed, I’ve Changed”はベン・ワットのバラードとして安心して聴ける仕上がりとなっている。

 ボーナストラック的にアルバムの掉尾を飾っているのが“Festival Song”だ。海辺での大規模ライブの光景を切り取ったこの曲は、モチーフとは裏腹に静謐さに満ちている。そしてこんな一節が登場する。
 「僕の歌うすべての歌が、ちゃんと真実として響きますように──」
 そしてこの言葉が実は、開幕の“Balanced on Wire”で切迫した声で歌われていた「心を開き、自分に忠実であることしかできない」というフレーズときっちり呼応していることに気づかされるのである。そして、きっとベンはだから、本作の全体をそういう作品として提示したかったのだろうなと考えさせられるのである。おそらくはこれが今の彼の、等身大の、嘘偽りのない姿なのだろうな、と。

 個人的には『ヘンドラ』所収の“Spring”や、あるいはEBTG時代の“25th December”といった辺りの、穏やかで優しいミッドテンポのバラードこそベン・ワットの真骨頂と思っているので、真っ向からのこちらの手触りを作り上げてくれているトラックが見つからなかったことは正直やや残念ではある。もっとも本人の公式コメントに拠れば、自身の感受性に忠実であるためには新しいアプローチが常に必要なのだという思いが根底にはあるらしい。繰り返し、あるいは焼き直しを慎重に回避した結果なのだろう。

 本作のサウンドは基本、ベン自身が〝フューチャー・レトロ・トリオ〟と呼ぶところのアップライトピアノにダブルベース、ドラムスといった編成に、各トラックの世界観に相応しい音色を加味する形で仕上げられている。そんなことを思い合わせれば4月の来日公演が一層楽しみにもなってくる。また、最後になったが、個人的には各曲のアプローチに随所で、ほんの少しだけではあるが、レナード・コーエンの後期の楽曲のタッチを思い出したことをつけ加えておこうと思う。あるいはこの先彼は、どこかでああいった立ち位置を目指していくのかも知れないなと、漠然とそんなことを想像しもした。

■来日公演予定

東京公演:2020年4月20日(火)恵比寿リキッドルーム 開場18:30 開演19:30
大阪公演:2020年4月21日(水)梅田シャングリラ   開場18:30 開演19:30

Norma Jean Bell - ele-king

 ビッグ・ニュースの到着だ。サックス奏者として70年代から活動をつづける一方、ムーディマンとともにデトロイト・ハウスを牽引してきたノーマ・ジーン・ベルが、2008年の「Do You Wanna Party ?」以来、12年ぶりに新作をリリースする。レーベルは彼女自身の主宰する〈Pandamonium〉。アリサ・フランクリンのヴォーカルをフィーチャーしたA面の “Got Me A Mann” も気になるが、B面のタイトルがフランス語なのは、かの地に暮らすブラック・ミュージック・ラヴァーたちへの目配せだろうか(彼女の代表作のひとつ「I'm The Baddest Bitch」はかつて〈F Communications〉がライセンス)。ともあれ、これは買い逃せない1枚なり。

artist: Norma Jean Bell
title: Got Me A Mann / Libre comme un oiseau
label: Pandamonium

tracklist:
A side: Got Me a Mann
B side: Libre comme un oiseau (Free as a Bird)

disk union

King Krule - ele-king

 乾いている。3枚めのアルバムとなる『マン・アライヴ!』において、これまでのキング・クルールの音楽にあった湿り気は後退し、とくに序盤、ザ・フォールのようなポストパンクを思わせるドライな音質とクールな攻撃性が前に出ている。オフィシャル・インタヴューでアーチー・マーシャルは「もっと乾いた音にしたかった。それはかなり意識してた。ギター・サウンドにせよ自分のヴォーカルにせよ、リヴァーブやエコーという点でもっとドライなものにしたかった」と発言しているが、あくまで意図的な変化であったことがわかる。ビート・ジェネレーションの文化への憧憬があったのだろう、キング・クルールには1950年代のアメリカにおけるモダン・ジャズやブルーズのスタイリッシュな引用があったが、ここでは、70年代末の英国まで時代も空間もワープしているようだ。オープング、“Cellular” におけるパサついた音質で素っ気なく繰り返されるビートや無機質な電子音、断片的なサックスのフレーズ。ギターは叙情的だが、かえって異化効果を高めている。あるいは、簡素きわまりないリズムとぶつぶつと乱暴に放たれるばかりのヴォーカルの組み合わせで始まる “Supermarché” はそのまま、“Stined Again” の混沌を導いてくる。ピッチを外したギターとフリーキーに交配されるサックス、音程を取らずに吐き捨てられるマーシャルの叫び──「またハイになってしまった」。そこでは無軌道な音たちが散らかっている。

 アルバムは後半に向かってメロウになり、“The Dream” のアコースティックでジャジーな響き、“Theme for the Cross” のピアノの音、“Underclass” におけるムーディなサックスの調べなど、穏やかさや甘さを感じさせる瞬間も少なからずある。しかしそれ以上に、“Alone, Omen 3” のノイズのなかでトリップするような体温の低いサウンドに耳を強く引きつけられ、強烈なまでにダビーな音響に酩酊させられる。重さや暗さはいつでもキング・クルールの音楽の危うい魅力だった、が、これまではもっと聞き手を包みこむような柔らかさを有していたと思う。『マン・アライヴ!』には、無調やノイズ、インダストリアルなビートに象徴される乾いた音によって容赦のない力で引きずりこむような、冷えたダークさがある。
 マウント・キンビーブラック・ミディなど、英国ではポストパンクを更新する若いアーティストが目立っているが(プロデューサーとして参加しているのは、マウント・キンビーやサンズ・オブ・ケメットを手がけているディリップ・ハリス)、キング・クルールもまたそのひとりに挙げられるだろう。前作『ジ・ウーズ』からその傾向を強くし始め、本作でより明確にその意思を見せているマーシャルは、そして、21世紀のジャンル・ミックスを踏まえつつも、ポストパンクの冷たい音を借りて彼の厭世観を深めているように見える。

虐殺が起こっている
陸で
海で
僕には見える
掌のなかに
(“Cellular”)

最下層にいる
社会の穴の奥深く
最後にきみを見たのはそこ
僕らはみんなその下にいた
戻って来るという感覚はたしかにあった
だけどそうはならなかった
(“Underclass”)

 「新世代のビート詩人」などとリリカルに形容されることも少なくなかったマーシャルは、しかし、『マン・アライヴ!』では路上のロマンを掲げるよりも、この世で起きている悲惨な現実をテレビを通して呆然と見ている。そして遠くで起きていることが、自分の身に迫っているものに感じられるのだとつぶやく。それは彼にとって、錯覚ではないのだろう。
 前作から本作までの間に、マーシャルはフォトグラファーのシャーロット・パトモアとの間に娘が生まれたことを公表している。本作に収録された楽曲は娘が誕生する前にできていたそうだから、ここで見られる厭世観は子どもを持つ以前のものだということだ。そうした失意はもちろん、これまでの彼の作品にも色濃く影を落としていた。しかしどうなのだろう。果たして、いまの世界は子どもが生まれるのが喜ばしいと思える場所なのだろうか。僕には、『マン・アライヴ!』のさらなる重さはこれから親になる世代の不安や混乱と同調しているように感じられる。そうした恐れは親にならない選択をした者にとっても同様で、世のなかの反出生主義のような流行りは、ある意味ではそれに対する逃避的なリアクションだろう。アーチー・マーシャルの音楽のなかでは、未来が明るく感じられないこと……が、ポストパンクの記憶と重なる。
 しかしだからこそ、かつて『シックス・フィート・ビニーズ・ザ・ムーン』というタイトルで死のイメージを持ち出していた痩せっぽちな少年はいま親となり、「生」にエクスクラメーションマークをつけて叫ぶのである。死を甘美に夢見るのではなく、むしろ過酷な生を選択するのだと。だから『マン・アライヴ!』は、不安や恐れを撒き散らしながらも、反出生主義のような「夢想」に反発する。どれだけそこが酷かろうと、まずは現実から目を逸らさずに絶望することから始めること。だから音は醒めてなければならなかった。
 ヘヴィな作品であるとはいえ、どうにか聴き手をなだめるようなところもある。“Alone, Omen 3” はメランコリックでダウナーな響きがやがてノイズに飲みこまれていくトラックだが、そのノイズのさなか、マーシャルは「きみは独りじゃない」と繰り返す。この世界に絶望しているのはきみだけじゃない、という逆説的な力──それが、明日をどうにか生き抜くために必要なものとして、暗闇からひっそりと鳴らされている。

『Zero - Bristol × Tokyo』 - ele-king

 先月12日に急逝した下北沢のレコード店オーナー、飯島直樹さんを追悼するコンピレーション『Zero - Bristol × Tokyo』が3月11日にリリースされる。作品はバンドキャンプを経由してリリースされ、現時点では数曲が先行公開中だ。
https://bs0music.bandcamp.com/album/bristol-x-tokyo
 飯島さんが親交を持っていた、ブリストルの伝説的アーティスト、スミス&マイティのロブ・スミスと、生前、彼もその中心メンバーだった東京のクルー、BS0が中心となって今作の制作は始動した。彼らの呼びかけに応え、ブリストルと東京のアーティストを中心に、総勢61曲もの楽曲がこのコンピレーションのために寄付された。今作の売り上げは、彼のご遺族へと送られる。

 このプロジェクトが開始したのは、飯島さんが亡くなる直前のことだ。フェイスブック内に立ち上げられたページ「Raising Funds For Naoki DSZ」には、今作の発表と同時に公開されたブリストルのアーティストの集合写真の撮影風景を収めた動画が投稿されている。ロブ・スミスをはじめ、レイ・マーティやDJダイ、ピンチやカーンなど、ブリストルの音楽シーンを担う重要人物たちが、飯島さんのために集結した。そのブリストル勢に答えるように撮影された東京チームの写真も、飯島直樹/Disc Shop Zeroへの敬意に溢れた力強い一枚である。
 ブリストル側の制作チームによって執筆されたプレス・リリースにあるように、飯島さんは、その生涯を通じてブリストルのアーティストたちとの交流し、その紹介を「何かに取り憑かれたように」行ってきた。その活動は現地のアーティストやレーベルとの交友の上に成り立っている。そして、最近ではブリストルの名レコード店/レーベルの、アイドルハンズが「Tribute to Disc Shop Zero」(2017)というトリビュート盤を出しているように、その関係は東京からの一方向に留まるものではなかった。
 また、飯島さんはブリストルと東京のアーティストを積極的に繋げる役割も果たしてきた。シンガー/プロデューサーのG.リナとロブ・スミス、MC/詩人のライダー・シャフィークと日本のビムワン・プロダクションなど、彼を経由して生まれたコラボレーションは多い。東京の若手プロデューサーのMars89やダブル・クラッパーズのブリストルのアーティストやレーベルとの交流も積極的に取り上げていた。

 『Zero - Bristol × Tokyo』には、飯島さんがライフワークとして取り組んできた彼らとの交友関係が凝縮されている。そこに収められた音源も非常に強力だ。スミス&マイティやヘンリー&ルイスといった、ブリストル・サウンドのハートと呼ぶべき重鎮たちからは、重厚なダブ・サウンドが放たれ、そこにブーフィーやハイファイブ・ゴーストなどの若いグライム・サウンドが重なり、ゼロの店頭の風景が脳裏をよぎる。

 亡くなるまでの5年間に、飯島さんが取り組んでいたBS0のパーティに登場したカーン&ニーク、ダブカズム、アイシャン・サウンド、ヘッドハンター、ガッターファンク、サム・ビンガ、ライダー・シャフィークといった豪華なアーティストたちの新作音源が今作には並んでいる。グライム、ステッパーズ、ガラージ、ドラムンベースなど、彼らの音にはゼロが紹介してきた音が詰まっていて、そのどれもがサウンドシステムでの最高の鳴りを期待させる仕上がりだ。他には〈Livity Sound〉のぺヴァラリストとホッジ、さらにはグライムのMCリコ・ダンを招いたピンチとRSDの豪華なコラボレーションも必見である。

 日本勢からも多くの力作が届いている。パート2スタイルやビムワン、イレヴンやアンディファインドなど、日本のダブ・サウンドを担う者たちが集結。さらにG.リナの姿もあり、カーネージやデイゼロ、シティ1といったダブステップの作り手たちや、グライムのダブル・クラッパーズも収録されている。ENAやMars89など、ベース・ミュージックを重点に置きつつも、その発展系を提示し続けるプロデューサーもそこに加わることによって、サウンドの豊饒さが一層深くなっている点にも注目したい。BS0のレギュラーDJである東京のダディ・ヴェダや、栃木のBライン・ディライトのリョーイチ・ウエノなど、飯島さんが現場から紹介してきた日本のローカルのDJたちからは、フロアの光景が目に浮かんでくるようだ。

 ここに収録されたすべての作り手たちと飯島さんは交流を結び、レコード店として、ライターとして、時にはパーティ・オーガナイザーとして我々の元にその音を届けてくれた。ゼロがいままで伝えてきたもの、そして、そこから巻き起こっていくであろう未来の音を想像しながら、今作に耳を傾けてみたい。生前、「ゼロに置いてある作品のすべてがオススメ」と豪語していた彼の言葉がそのまま当てはまるのが、『Zero -‘Bristol × Tokyo'』である。
(髙橋勇人)

Various Artists - Zero - ‘Bristol x Tokyo’
Artist : Various Artists
Title : Zero - ‘Bristol x Tokyo’
Release date : 11th March 2020 (band camp pre-order from 4th March 2020 - )
Genre - Dub, Dubstep, Drum n’ Bass / Jungle, Grime, Bass, Soundsystem Music
Label : BS0
Format : Digital Release via Bandcamp https://bs0music.bandcamp.com/

東京の名レコード店Disc Shop Zeroの店長であり、レベルミュージック・スペシャリストであり、そしてブリストル・ミュージックのナンバーワン・サポーターだったNaoki ‘DSZ’ E-Jima(飯島直樹)は、2020年2月12日、短くも辛い闘病ののち、多くの人々に惜しまれながらこの世を去った。その生涯と仕事を通して、Naokiはブリストルと東京の音楽シーンの重心として活躍し、同時に多大なる尊敬を集め、素晴らしい友情を育んできた。この新作コンピレーション『Zero - Bristol × Tokyo』の目的は、二つの都市が一丸となり、61曲にも及ぶ楽曲によって、この偉大な男に敬意を示すことである。リリースは、彼の誕生日である2020年3月11日を予定している。

Naokiのブリストル・ミュージックへの情熱は90年代にはじまる。当時、彼は妻のMiwakoとともに音楽ジャーナリストとしても活動していた。この約30年間、二人はブリストルを頻繁に訪れ、アーティストと交流し、レコード店を巡り、そして何かに取り憑かれたようにローカル・シーンを記録し続けた。二人はハネムーンでさえもブリストルで過ごしたほどだ。

Naokiのレコード店であるDisc Shop Zeroは、ブリストルで生まれた新旧両方のサウンドに特化していて、それと同時に、東京のアーティスト、並びに世界中の多くのインディペンデント・レーベルを支援していた。彼を経由した両都市のレーベルとアーティストたちの繋がりも重要
で、多くの力強い結束と友情がそこから生まれた。

近年では、音楽を愛する同志たちと共に、彼はあるムーヴメントを始動させている。「BS0」と銘打たれたそれは、想像上のブリストルの郵便番号を意味し、多くのブリストルのDJとアーティストたちに東京でのパフォーマンスの機会を与え、ツアーを企画し、二つの都市の間に架け橋を築き上げた。Kahn&Neekをフィーチャーした初回のイベント(BS0 1KN)は大成功を収め、後に定期的に開催される「東京のブリストル」のための土台となった。

本コンピレーションのために、世界中から親切にも寄付された楽曲が集まった。その多くが今作のために制作されたものだ。ブリストルと東京だけではなく、さらに遠く離れたグラスゴーのMungo’s HIFIやウィーンのDubApeたち、さらにその他の地域のアーティストたちも参加している。

トラックリスト:
1. Jimmy Galvin - 4A
2. Crewz - Mystique
3. Popsy Curious - Jah Hold Up the Rain
4. Chad Dubz - Switch
5. Henry & Louis ft Rapper Robert - Sweet Paradise (2 Kings Remix)
6. Ree-Vo - Steppas Taking Me
7. Smith & Mighty - Love Is The Key (steppas mix) ft Dan Rachet
8. LQ - Jupiter Skank
9. Part2Style - Aftershock
10. Arkwright - Shinjuku
11. Mungo's Hi Fi - Lightning Flash and Thunder Clap
12. Bim One Production - Block Stepper
13. Alpha Steppa - Roaring Lion [Dubplate]
14. Headhunter - Mirror Ball
15. V.I.V.E.K - Slumdog
16. Ryoichi Ueno - Burning DUB 04:27 17. Pev & Hodge - Something Else
18. Teffa - Roller Coaster
19. Lemzly Dale - So Right
20. CITY1 - Hisui Dub
21. Big Answer Sound - Cheater's Scenario ft Michel Padrón
22. Mighty Dub Generators - Lovin
23. Karnage - Drifting
24. Karnage - Agreas
25. LXC & JB - Men Hiki Men
26. Alpha - On the Hills Onward Journey
27. Boofy - Unknown Dub
28. Daddy Veda - Sun Mark Step
29. Antennasia - Beyond the Dust (album mix)
30. ELEVEN - Harvest Road
31. Atki2 - Mousa Sound
32. Boca 45 - Mr Big Sun (ft Stephanie McKay)
33. DubApe - Hope
34. Hi 5 Ghost - Disruptor Rounds
35. G.Rina (with King Kim) - Walk With You
36. ENA - Columns
37. Red-i meets Jah 93 - Jah Works
38. Peter D Rose - It's OK (Naoki Dub)
39. Flynnites - Freak On
40. Pinch x Riko Dan x RSD - Screamer Dub 04:02
41. BunZer0 - Vibrant
42. Dub From Atlantis - You Are What You Say
43. Suv Step - Jah Let It Dub
44. DoubleClapperz - Ponnamma
45. Denham Audio & Juma - Ego Check (Unkey remix)
46. Mars89 - I hope you feel better soon
47. Kahn & Neek - 16mm
48. Dayzero - Convert hands
49. Sledgehead - Rocket Man
50. Jukes ft Tammy Payne - Tunnel
51. Tenja - We Chant (New Mix)
52. RSD - Lapution City (Love Is Wise)
53. DJ Suv - Antidote
54. DieMantle - Shellaz
55. Ishan Sound - Barrel
56. Ratman - Sunshine
57. Tribe Steppaz - Slabba Gabba
58. Scumputer - PENX - Mary Whitehouse edit
59. Dubkasm - Babylon Ambush (Iration Steppas Dubplate Mix)
60. Undefined - Undefined-Signal (at Unit, Tokyo)
61. Dubkasm - Monte De Siao - Sam Binga / Rider Shafique DSZVIP

クレジット:
Cover Art by Joshua Hughes-Games
Original 'BS0' Kanji drawn by Yumiko Murai
Group photography by Khali Ackford (Bristol) & Yo Tsuda (Tokyo)
Special thanks to Ichi “1TA” Ohara Bim One & Rider Shafique for Tokyo/Bristol co- ordination

Big love & thanks to all BS0 crew & all Bristol crew
Big love & thanks to Annie McGann & Tom Ford
Special love & thanks to Miwako Iijima

全ての楽曲は、我々の旧友である飯島直樹(Disc Shop Zero, BS0)の ためにアーティストたちから無償で寄付され、売り上げは彼の遺族へと 直接送られます。

Eternal love & thanks to Naoki san - you remain ever in our hearts.
直樹さんに永遠の愛と感謝を。あなたは私たちのハートとずっと一緒です。

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