「KING」と一致するもの

サタデー・ベース・ウェイト! - ele-king

 なんということだ。今週土曜、ジャー・シャカが〈ユニット〉を揺るがしに東京にやってくる。しかも、ファット・フレディーズ・ドロップも同じフロアに参加。さらに、〈サルーン〉ではなんとマムダンスやブランコまでもがプレイするときている。今日のサウンド・システム・カルチャーの土台を作り上げた始祖と、その意志を継ぎ前線で戦うプレイヤーの両方を同じ場所で目の当たりにできるというだけで、足がひとりでに代官山へ向かってしまうではないか……!!!

 だがここにひとつ、贅沢な問題がある。お隣は恵比寿〈リキッドルーム〉では、同じ日にUKベース・テクノの現在を語るうえで外せないペヴァラリスト、カウトン、アススの3人がついにリヴィティ・サウンドとしてのプレイを披露するのだ! 彼らに加え、早い段階から彼らの曲をプレイしてきたDJノブやムードマン、C.Eのトビー・フェルトウェルがパーティを加速させる。

 ベース・カルチャーをバックグラウンドに持つリヴィティの根源に何があるかを理解するためには、ジャー・シャカを体感することは必須条件。また、ジャー・シャカを聴いてしまったら、彼が伝えた「意志」が世代から世代へどう伝わっていったのかを目撃しないではいられません。人力でルーツを探求するファット・フレディーズ・ドロップから、マシーン・ミュージックで伝統に切り込むリヴィティ・サウンドやマムダンス。「ダブ」をキーワードにシーンには素晴らしい多様性が生まれているのですから。
 さぁ、あなたはどちらを選ぶ? いや、選ばなくたっていい。ハシゴするだけの価値がオオアリなサタデー・ベース・ウェイトだぜ!

■11月8日(土)
会場:代官山 UNIT
Red Bull Music Academy presents The Roots Commandment: Tokyo In Dub

UNIT :
Jah Shaka

Fat Freddy’s Drop
Cojie from Mighty Crown

SALOON :
Branko,Mumdance,Dengue Dengue Dengue!, Jah-Light 
UNICE :
Fred, Felix, JUNGLE ROCK, ZUKAROHI

Open/Start 23:30
adv.3,000yen / door 3,500yen
info. 03.5459.8630 UNIT

20歳未満入場不可、要ID

■11月8日(土)
会場:LIQUIDROOM
HOUSE OF LIQUID

LIVE:
LIVITY SOUND (Peverelist, Kowton, Asusu / Bristol, UK)

DJ:
MOODMAN (HOUSE OF LIQUID / GODFATHER / SLOWMOTION)
TOBY FELTWELL (C.E Director)
DJ NOBU (FUTURE TERROR / Bitta)

Open/Start 23:00
adv. 2,500yen[limited to 100] door 3,000yen(with flyer) 3,500yen

info LIQUIDROOM 03-5464-0800 https://www.liquidroom.net

20歳未満入場不可、要ID

■JAH SHAKA

ジャマイカに生まれ、8才で両親とUKに移住。60年代後半、ラスタファリのスピリチュアルとマーチン・ルーサー・キング、アンジェラ・ディヴィス等、米国の公民権運動のコンシャスに影響を受け、サウンド・システムを開始、各地を巡回する。ズールー王、シャカの名を冠し独自のサウンド・システムを創造、70年代後半にはCOXSON、FATMANと共にUKの3大サウンド・システムとなる。'80年に自己のジャー・シャカ・レーベルを設立以来『COMMANDMENTS OF DUB』シリーズをはじめ、数多くのダブ/ルーツ・レゲエ作品を発表、超越的なスタジオ・ワークを継続する。 30年以上の歴史に培われた独自のサウンドシステムは、大音響で胸を直撃する重低音と聴覚を刺激する高音、更にはサイレンやシンドラムを駆使した音の洪水!! スピリチュアルな儀式とでも呼ぶべきジャー・シャカ・サウンドシステムは生きる伝説となり、あらゆる音楽ファンからワールドワイドに、熱狂的支持を集めている。heavyweight、dubwise、steppersなシャカ・サウンドのソースはエクスクルーシヴなダブ・プレート。セレクター/DJ/MC等、サウンド・システムが分業化する中、シャカはオールマイティーに、ひたすら孤高を貫いている。まさに"A WAY OF LIFE "!

■LIVITY SOUND (Peverelist, Kowton, Asusu / Bristol, UK)
UKガラージからの影響を色濃く反映したブロークン・ビーツとヘビーな低音を組み合わせることによって今までにない独自のグルーヴを提唱し続けるペヴァラリスト。グライムのエッセンスをテクノ・ハウスに落とし込んだダーティーでざらついた音楽の在り方を新たに提唱し、1つのスタイルへと昇華させたカウトン。ダブワイズな音響処理と確かな技術に裏付けられたプロセッシングを硬質なビートに施した中毒性のある高純度のミニマル・ミュージックを展開するアスス。LIVITY SOUNDは、そうした3つの突出した個性による相乗効果によって、単なる足し算ではなく、三位一体となった1つの「個」を創出してきたライブ・プロジェクト兼レーベルだ。ダブステップの潮流が大型レイヴの方向へと進行し、サウンドシステムの起源から離れていく中、ダンス・ミュージックにおける既存の枠組を取り払い拡張する、という根幹となる視点を維持し続け、新たな領域を積極的に切り開こうとする三者の意思が結実したものだと言ってもいい。その意思はハードウェアを中心としたライヴセットの中でも有機的に絡み合い、ダブ・エフェクトと即興性を活かした、まさに"セッション"と呼ぶに相応しいパフォーマンスを繰り広げることにつながっている。3人がこれまでに受けてきた音楽的な影響を抽出したものから生まれたソロ作、および共作は、それゆえにUKガラージ、テクノ、ハウス、ジャングルなど多くの方向性へとリンクしていくことが可能な音楽性を孕んでいる。この点こそ、多くのリスナーを魅了している理由であり、Resident Adviserにおける2013年レーベル・オブ・ザ・イヤーにも選ばれた要因の1つだろう。今年に入り、彼らの音楽が持つ拡張性を示すかのように、Surgeon、Nick Hoppner、Kassem Mosse、A Made Up Sound、Ron Morelli、MMMの他、広範囲に渡るリミキサー陣が、LIVITY SOUNDの作品を手がけている。現在進行形のUKアンダーグラウンドを体現するLivity Soundのライヴセット、またとないこの機会をぜひとも逃さないでほしい。

■Fat Fredy’s Drop

ファット・フレディーズ・ドロップはニュージーランドの音楽史を塗り替え続けているバンドである。インディペンデント・アーティストとして過去最大の売上を記録するなど、音楽賞は総なめ、そして世界中の名立たるフェスティヴァルにも呼ばれ続けている(グラストンベリー、SONAR、ベスティヴァル、WOMAD、ローランズやロスキルドなど)。そして世界の由緒ある会場でも満員のライヴを開催し続けている(ブリクストン・アカデミー、オランダのパラディソ、ロスのヘンリー・フォンダ・シアターやパリのル・トゥリアノンなど)。レゲエ/ダブをベースに、ソウル/ファンク/ジャズ、そしてミニマルなダンスミュージックのグルーヴをクロスオーヴァーした絶妙な塩梅のバンド+打ち込み・サウンド、そして嫌いな人は絶対いないビター・スウィートな美声で万人を虜にするジョー・デューキーのボーカルなど、彼らの魅力はジャイルス・ピーターソンをはじめとする著名人を虜にしてきた。1999年にウェリングトンのアンダーグラウンド・クラブ・シーンに、ファンクやハウス、ヒップホップなどのレコードをスピンするDJ Mu(akaフィッチー)と共に演奏していたバンドが13年経った今も、同じ友情と気持ちで演奏を続けている。その進化は今日も止まる事が無い。
1st Album『Based on A True Story
2nd Album『Blackbird

interview with Arca - ele-king

僕がそこに住んでいた時期は、マジでクソみたいな出来事ばっかり起きていた。国の名前もベネズエラ共和国からベネズエラ・ボリバリアーナ共和国に変わって、通貨の名前も少し変更された。友だちはボディガードやドライバー付きで防弾仕様の車に乗っていたね。一軒家は簡単に侵入されるから、みんな綺麗なアパートへ越していった。玄関にセキュリティがいるからね。

E王
Arca
Xen

Mute / トラフィック

ElectronicaExperimental

Amazon

 19歳のとき、このベネズエラ生まれのミュージシャン、アレシャンドロ・ゲルシはアフリカ北西岸のはずれに位置する古いスペイン人入植地、カナリア諸島に住む、退職した祖母の家に遊びに行った。そのゲストルームにひと晩寝そべりながら、彼は階上の寝室で誰かと口論する祖母の声に驚かされた。翌日、この亜熱帯の島周辺をドライヴしながら、ゲルシが70歳の未亡人である祖母に苦悩の原因は何だったのかと直接尋ねたところ、昨夜死んだ夫と言い争いをしていたの、と彼女は答えた。「そういうことなんだ」と彼はそのことを思い出して言う。「車内は沈黙。だって祖父はその時点で、もう死んでから13年経っていた。同乗者は誰ひとり笑い声をたてなかったよ」
 このカテゴライズ不能のエレクトロニック・プロデューサーにとって、自身の育った南米時代は、まさにミステリアスでなかなか説明しづらい、強烈に彩りをもった出来事のようである。「古くさいかもしれないけど、科学と迷信のふたつに対して、自分をいつもオープンマインドにすること、それ自体が大好きなんだよね」と語る。「その状態に身を置くことがいちばん幸せなんだと思う。何らかの魔法に身を委ねながらね。自然のすべてを僕らは完璧に理解してはいないんだ」

 ロンドンはダルストンにある彼の自宅で丸石が敷き詰められた庭に座りながら、わたしたちはマジョラム・ティーを飲み、ホワイトチョコのラズベリーチーズケーキをふたつのフォークでつまんでいる。蜂が頭上を飛び、陶器のデザート皿にプリントされた花柄がまるで血の色のようで、鈴の形をした花が頭を垂らすように壁に掛けられている。ゲルシのハウスメイトで長年のコラボレーターである、ジェシー・カンダが飼っているトゥルーという名の小さいベンガル猫がテーブルの上に飛び乗り、わたしのレコーダーを小突き落とし、バジルやコリアンダー、ミントいっぱいのテラコッタの鉢植えの陰に素早く隠れる。ゲルシのこの2年間を語る初インタヴューを行なうため、ほんの数日前にニューヨークからここを訪れたとき、この猫はドア入り口で迎えてくれたが、変なハーブを食べたことによる腹痛から鳴き声をあげていた。今日はもういつものいたずらっ子に戻ったその猫のことを、華奢で少年のような顔をし、破れたTシャツと派手なチョーカーをした24歳のゲルシは即興で子どもめいて語る。「夜になると彼女(猫)の目が赤に代わり、狂ったようにジャンプしだし宙返りまでしちゃうんだ」

 8月の第1週、ゲルシのマネージャーであるマイロ・コーデルが所有する、黒一色の入口に隠れた豚農場をリフォームしたというその場所は、アルカとして彼が生み出す音楽と相まって、胚珠のように何かが続々とこれから生まれてくるような、不思議な感じであった。ちょうど2年前、ゲルシがまだニューヨークに住んでいたころ、彼は2枚のEPで世界にそのプロジェクトを知らしめた。それらはひねくれつつも魅力的なヒップホップ作品で、自身の声を超絶的に切り刻んだサンプルで注目を集める。彼はそれらを「ストレッチ1」、「ストレッチ2」と名づけた。これにジェシー・カンダによるアートがぴったりと寄り添い、プラスチックのような黙示録の美学を強烈に意識させる。その2枚めの作品のジャケットには、あたかも科学がいまだに解明できていないであろう、グネグネにねじ曲がった足に、眼球のようなものが生えた不気味な新種の生物の姿がある。

 それからすぐ後の2013年、カニエ・ウェストが唐突に彼の6作め『イーザス』のリリースを発表し、ネット上で大きな話題となった。その作品のリストには当時はほぼ無名だったアルカの名前が制作コンサルタントとして載っており、そのほかにも新進気鋭のビートメイカーたちの名前が並ぶ。奇怪なサウンドを操るイギリス人プロデューサー、エヴィアン・クライストやグラスゴーのマキシマリスト、ハドソン・モホークなどが参加している。過去にもリアーナがシーパンクの美意識を取り入れ、“テイク・ケア”でジェイミーXXのリミックスをドレイクがサンプリングした例が示すように、このアルバムはインディペンデント・ミュージックと高額予算が動くポップ・ミュージックとのコラボレーションの傑作なのかもしれない。もし2010年代初頭の音楽がアンダーグラウンドとメインストリームの間の壁を表面的に崩壊させたと定義されるのであれば、この特異に挑戦的な『イーザス』は世界にそのことを知らしめた水先案内盤として登場し、それ以降はそのような二者の区別など何ら意味を持たないことにあるのであろう。
 それから1ヶ月後、アルカは『&&&&&』をリリースする。切り刻まれたトラップのビートに調子外れのピアノコード、硬質なアルペジオにアンニュイな吐息など、この25分にわたるミックステープは、音楽の世界における奇妙で新たな章を提示したと捉えられたようだ。溢れんばかりのフックを含みつつ、ラジオ受けするリズムとハーモニーの関係を望んでいるように見受けられる。しかしメールボックスがインタヴュー依頼で一杯になるにつれ、彼はスポットライトから身を引いた。時間に見切りがつかないためメディアとの接触を避けるつもりであることを、ゲルシは自身の広報担当者を経由して本誌へ伝えた。彼は現代の音楽を完全に作り替えた、ずる賢い成り上がりとして大衆の面前にさらされてしまったのである。そして誰もがまだ彼のことを正しく理解していないようだった。

 ゲルシとどれほどの時間を過ごしていても、彼から隠遁者的な性質や不自然なミステリアスさをまったく感じない。わたしが到着した日、彼からの最初の連絡はフェイスタイム経由だった。わたしが運悪く取り損ねてしまったのだが、彼は22秒ものヴィデオ・メッセージを送ってくれた。モーション・キャプチャー撮影スタジオで使われる端子付きの黒い全身タイツを彼は着ていた。「ハーイ、エミリー。いまうまくタイプできないからヴィデオでメッセージを送るね」と彼は語り、グローブをはめた手を挙げその理由を示した。わたしたちが会おうとするときはいつも、彼はわたしのところへ来ると申し出るのだが、たいていはこちらがバスに乗って彼の家までいく。わたしたちがあの赤い花の近くのテーブルに座ると、ゲルシはわたしのヴォイスレコーダーを自分の膝に乗せて、それを落とさないようにバランスを取って、ちょっとしたゲームをはじめる。会話のなかで、彼はいろんな話題へとすぐに話を変える。よくあるネタはソクラテス、アレハンドロ・ホドロフスキーの心理マジック、カリフォルニアにいるドレッドロックのテクノロジー学者、ジャロン・ラニアーなどだ。そして「自分の脳のショート現象」について頻繁に語ることもあれば、いろいろな視点で世界を見ることができる新しい環境に身を置いているとわがままに語ることもある。

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たとえ愛の意味がわからなくってもね。あのころの僕は性的にまったく満たされていなかった。じつは、僕ってとーってもクローゼットだったんだ。自分がゲイだっていうことはかなり昔からわかっていた。でもね、ベネズエラの社会ではそれに気づくことすら許されないんだ

E王
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 ゲルシは1年とちょっと前にニューヨークからロンドンへと居を移し、彼いわく、この引っ越しはボーイ・フレンドである写真家/マルチメディア・アーティストのダニエル・サンウォールドの近くにいたいという気持ちがいちばんだったと語る。またカンダともっと仕事をやりやすくする手段でもあった。彼はカナダで育ったのだが、ここ10年以上、ゲルシの親友でもっとも近しいアーティスト・コラボレーターである(彼自身は7年前にカナダからロンドンに移住している)。彼らが住居を構えて以降、ゲルシは単独の共作者として、またひとつ世間から渇望されているポップ・アルバムであるビョークとの作業を終えた。彼女の2000年代初期から続く変幻自在のシンセポップ、その力強いバラッドは、奇しくもゲルシの音への硬派な方法論を予見していたかのように感じられる。「ゼン」という、彼の空想上のもうひとつの人格がタイトルとコンセプトとなっているゲルシ自身のニュー・アルバムも、ビョーク作品と同様の仕上がりだ。カンダが手がけたアルバムのブックレットには、ダンスや犬の散歩から自慰行為にいたるまで、彼女(ゼン)のさまざまな表情や年齢、日常のストーリーのイメージが収められたポートレートが描かれている。それらはゲルシ自身の写真をもとに作られており、その表現のなかで身体は原型をとどめていない(ゲルシはゼンのことを「ハー(彼女)」と表現するが、その彼女は男性でも女性でもないという)。ゲルシがレコーディング・スタジオで、カンダが2階のベッド・ルームでゼンに魂を吹き込む。その過程についての説明から、ふたりにとって仕事と遊びの境界線が曖昧になっているのは明らかである。

 「僕らは多くのことに閃めいた。それは共同生活によって起こりえたことなんじゃないかな」とゲルシは言う。「ふたりで2階に駆け上って問題を解決したら、1階に舞い戻って僕がヴォーカルとストリングスなどのふたつのサウンドを組み合わせる」。表面上、ふたりの間柄は親友関係とは真逆である。カンダは力強い眉を持ち身長もゲルシより高い。静かでシニカルなところもゲルシのおしゃべりな気質とはちがう。けれどもカンダにゼンのキャラクターをどのように描写するのかを尋ねてみると、彼らがなん人も持ち得ないお互いの一部を共有しているのだと確信する。「アレハンドロにはいくつもの人格がある」とカンダは語る。「それに彼はたまに、冗談で僕らがゼンと呼ぶものにだってなれる。それは生意気で自身に満ちあふれた、彼のすごく女性的な部分だね。そしたら『おー、彼女(ゼン)が出てきたぞ』って僕らは言うんだ。大抵は僕らがウィードを吸ってふざけてるときだけどね。『ゼンが現れる』。するとゲルシは上着を着替えたり、いろいろやらかしたりでクレージーになる。彼のなかのゼンの仕業だよ。一種の幽霊みたいなものかな。もしくはアレハンドロの精霊だね」

 今日にいたるまで、ゲルシはたくさんの家で暮らしてきた。ある場所はゼンにとって居心地がよく、そうでない場所もあった。投資銀行の銀行員だった彼の父がニューヨークへ転勤となり、家族もいっしょに故郷のカラカスを離れノース・メトロ鉄道郊外の街コネチカット州のデリエンに引っ越した。ゲルシが3歳のときのことだ。その当時のことを彼はそんなには思い出せない。思い出の大部分は「森のなかには大きな家があって、地下の部屋にはスーパーファミコン」というものである。だが、9歳で家族とともにカラカスに戻ってきたときには、英語もペラペラでアメリカの漫画もすらすら読めた。つまり、彼が故郷に帰ってきたときには少し場違いな感じを覚えるのには十分な時間が流れていた。そのように彼が感じた理由のひとつには、カラカスが政情不安、オイル・マネーの加速や貧困によって揺れ動いていたことも関係している。子どもが安全に外で走ったり遊んだりできる場所ではなかった。
 「僕がそこに住んでいた時期は、マジでクソみたいな出来事ばっかり起きていた」と彼は言う。「国の名前もベネズエラ共和国からベネズエラ・ボリバリアーナ共和国に変わって、通貨の名前も少し変更された。僕は私立の学校へ通っていたんだけど、友だちはボディガードやドライバー付きで防弾仕様の車に乗っていたね。一軒家は簡単に侵入されるから、みんな綺麗なアパートへ越していった。玄関にセキュリティがいるからね」(※)

(※編集部注)
1999年、大統領に就任した軍人のウーゴ・チャベスは、社会主義的な理念と反米、反新自由主義を掲げながら、国名もベネズエラ・ボリバル共和国に変更。しかしながら、貧困や格差問題はさらに深刻化して、治安の悪化は加速した。アルカの場合は、記事を読めばわかるように貧困層ではないが、なかば暴力的なプレッシャーを受けていたことがうかがえる。独裁政権でもあったチャベスに対する評価については他にゆずる。

 ゲルシの両親は彼に良い学校に通わせ、門扉に囲まれた環境や音楽レッスンの機会などを与えた。比較的快適で教育熱心な両親だったが、若き日のゲルシは、いかなる国の経済的背景に育った子どもにもひとしく影響を与えうるものを経験した。彼が16歳になったとき、両親が夫婦関係の障害に直面し、長い期間にわたって別れたり復縁したりするようになる。彼はこの期間が「自分を大いに成長させてくれた」と語る。彼の家庭がますます惨憺たる状況になるにつれて、彼も自分が他の男子たちとはちがうことに気づいていった。「僕は13歳のときに、スパイス・ガールズの映画『スパイス・ガールズ』を見て、すごく気に入った、みたいなことをよく日記に書いていた。ときどき、その日記にゼンという名前でサインしていたよ。自分がリヴィングで毛布にくるまって遊んでいて、その場に母親がいると、僕は毛布をマントみたいにしていた。でも、ママがいなくなったらすぐにそれをドレスみたいにしていたよ。その瞬間の僕が本当の自分だと感じた。わかるでしょ?」

 彼は7歳から16歳になるまで、クラシック・ピアノを学んでいた。ゲルシにとってはミュージシャンとしての準備期間だったわけだが、ピアノはときとして自身の開放というよりも義務的なものとして働いていたと彼は言う。兄のCDコレクションに助けを借りながら、90年代に育ったキッズが夢中になる一連の典型的なミュージシャン(アリーヤ、オウテカ、ナイン・インチ・ネイルズ、マリリン・マンソンなど)にゲルシは入れこみ、インターネットに使う時間も増えていった。最終的にデジタル・グラフィックへの尽きない興味から、彼は、ユーザーが自作の画像やそれに対するコメントをアップできる初期のSNSのデヴィアントアートへとたどり着く。当時、4000マイルも遠くに住んでいたカンダとゲルシが初めて出会った場所はこのサイトだった。フルーティ・ループスでの基本的なIDMの制作を通し、ゲルシが音楽に没頭する時間が増えていくいつれて、カンダは単なるフレンド・リストのアイコンであることから、ゲルシの最初のクリエイティヴなパートナーへと変わった。「彼はいつも僕の第二の目みたいだったよ。もしくは第二の耳だね。僕たちにとってあのサイトは本当に意義深いものだった。デヴィアンアートを使っている連中のほとんどは似たようなことばっかり繰り返している。現実逃避みたいなものだよ」

 プレスはまったく触れていないかもしれないが、ゲルシの高校時代のプロジェクトであるニューロはまだネットで聴くことができる。初期の音源の大半はグリッチやエイフェックス・ツインに感化されたビート構築だが、それらに合わせて彼は自らの歌声を披露したりもする。そのため、仕上がりはほのかに野心的なサウンドで、スペイン語版のザ・ポスタル・サービスのようだ。
 「理由はいくつかあるんだけど、僕はラヴ・ソングをよく書いていたんだよ」と彼は回想する。「たとえ愛の意味がわからなくってもね。あのころの僕は性的にまったく満たされていなかった。じつは、僕ってとーってもクローゼットだったんだ。自分がゲイだっていうことはかなり昔からわかっていた。でもね、ベネズエラの社会ではそれに気づくことすら許されないんだ」

 ニューロの曲が初期のMP3ブログに掲載されると、最終的にはライヴの依頼が舞い込み、メキシコのインディ・レーベル〈サウンドシスター〉と契約を結ぶにいたる。プロジェクトがオンラインで勢いづいてくると、彼は高校の同級生から注目を浴びた。ゲルシは生まれて初めてオフラインの世界で、自分が人気を得ていることを同世代と分かち合あうようになったのだ。彼はパーティに通うようになり、高校の女の子とデートをし、女性の一人称でラヴ・ソングを歌いはじめた。自分自身が「認められる」ことを願いつつ。ゲイであることをオープンにするとストリートで暴力を受けるような街において、他に選択肢はなかったのかもしれない。
 「一生カミングアウトしないつもりでいたね。結婚して自分が夫としての役割を果たす姿をずっと思い描いていたかな。思い返せば、ゲイをやめたいって祈ってた。自分がどうかストレートになれますようにってね」
 17歳のときに彼はニューヨーク大学の教養学部の入学許可を得たが、最終的にはティッシュ芸術大学のクライヴ・デイヴィス録音音楽科で学位を取るつもりだった。そして、それはニューヨークへ引っ越したらニューロを終らせて、音楽を共有することから身を引くということも意味していた。「2、3年くらい化石なっちゃったみたいだった。振り返ってみると、自分と結んだ神聖な契約みたいなものを破ったからだと思う。偽るのではなく、みんなのためにただ音楽を作るっていうね」
 それと同時に、ひとりで暮らすことは、彼がいままで負ったことのないリスクを冒すために必要な一押しとなった。故郷から遠く離れた巨大な都市では、生まれた場所で自分自身をアウトサイダーだと感じてきた何千もの人びとがうごめいていた。

 霧が立ちこめるとある夏の夜。大学に入って2年めのこと。ゲルシはチャイナタウンに住んでいた。そのころ彼が夢中になっていたのはダウンタウンのミュージカルに革命をもたらした、ティム・ローレンスの伝記にあるカウンター・カルチャーのロマンス。そしてゲイ・アイコンであるアーサー・ラッセルだった。
 「人生のあの夜まで、自分のことを知られないように僕はかなり徹底して他人の視線を拒否していた」と彼は言う。「その晩、ユニオン・スクエアの地下鉄駅である男を見つめていたのを覚えている。駅はとても暑くてうるさかったな。彼はプラットフォームの階段の側に立っていて、彼はこっちを向いて、僕も彼を見ていた。それより前の僕だったら、すぐに目をそらしていただろうね。でもアーサー・ラッセルの話と音楽に勇気をもらったこともあって、『今日がそのときだ』って決心した。その男のほうに歩いていき、『今度、コーヒーでも飲みにいかない?』って文字通り言葉が僕から出てきたんだよ」
 次の日ゲルシはその見知らぬハンサムな男とシンク・コーヒーで落ち合った。会話からキスへ、キスから相手の家で夜を過ごすことへ発展した。

 翌朝、ゲルシは自分のアパートまでわざわざ歩いて帰ることにした。家に着くと、笑みを浮かべながら当時のルームメイトだったジェイコブに、ちょっとそのへんでも散歩しないかともちかけた。親しい友人に初めてカミングアウトした体験を思い出すと、ゲルシはわたしがロンドンにいるときに何回か耳にしたメタファーに戻る。それは、人生を変えてしまうような決断の崖っぷちに立たされた彼の、そのキャリアの一幕に触れるときに必ず出てくるものだ。
 「断崖絶壁から飛び込むようなものだね。生存本能がそれを止めさせるんだけど、自分のなかの何かが僕を前に進める。なんで崖から飛び降りるかと言えば、地面に落ちる時間や、たくさんのレゴみたいにバラバラになってしまうことがわかるからだよ。そしてかつて自分だったかけらを拾い集めるんだ。でも都合がいいようにかけらを組み立てることはできないし、そのピースの集合体は元の自分のようには感じられない。飛び降りるたびに、本当に美しくて豊かで、そして不愉快なチャンスが訪れる。かけらを組み立てた体は完全じゃないんだけど、インスピレーションを与えてくれるものや、人生のすべてだと思えるものを自分自身の本質が教えてくれるんだよ。それが僕の身に起こったことだね」

 農場にある軋む床の家屋の部屋のように、ゲルシのスタジオは森のにおいがする。庭にある長方形の独立した小屋は、かつては温室だったにちがいない。ゲルシはコンピュータの前に座って作業をし、休憩中にハンギングプラントに水をあげたり、引き出しにしまわれたマイクをときおり取り出していた。そのようにしてデビュー・アルバムの大半の制作とミックスがここで行なわれたのだ。
 とある日の午後、音楽ジャーナリストにとって夢のような話だが、自分の作曲過程を生で披露するために彼はパソコンの電源を入れてくれた。アイゾトープ社のアイリスと呼ばれるべつのプログラムを使って、彼は芝刈り機の音を取り出して、その周波数グラフのランダムで幾何学的な形を切り刻み、ネズミの鳴き声のコーラスのような音を作り出す。一方でエイブルトンを起動させ、小さな球状の波形データをタイムラインに配置し、コピー&ペースト繰り返しながら手作業でビートを構築していく。作業は素早く行なわれ、目では追いきれない早さで作曲は拡大し、画像的には数分ごとに都市の地図が広がっていくような光景がスクリーンには広がっていった。庭で猫のトゥルーが悲しそうに鳴きはじめると、「彼女もピッチベンドしてるんだね!」とゲルシは大声を出した。そして、わたしはあることに気づいた。彼は音を聴きながら曲を作っていないのだ。頭のなかで、どのよう何の音が鳴っているかわかっているのだろう。

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一生カミングアウトしないつもりでいたね。結婚して自分が夫としての役割を果たす姿をずっと思い描いていたかな。思い返せば、ゲイをやめたいって祈ってた。自分がどうかストレートになれますようにってね。

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 カミングアウトのあと、ゲルシはアーティストとしての大躍進を経験し、アルカが生まれた。その名義で作られた初期の作品を人気づけた奇妙で闘争心に溢れた声は、これから彼がやろうとしていることの文字通り、頭の中の残響音だった。「それは完全に別物の声で、自分の魂や心のまったくちがった部分から出てきたもの。この混みあった部屋(頭)でお互いがシャウトしまくっていた。自分の体に性的な意味で慣れていく感じだよ。柔軟性と弾力性がふんだんにあって、感情的な方法でそれらの声を包み込むんだ」
 よりダークで複雑に発展していく彼の曲のように、ゲルシが初めてニューヨークのパーティ〈GHE20G0TH1K〉へ行ったことによって、彼自身の社会的領域も広がりはじめた。このパーティは多文化主義や同性愛者、そして狂気的に弾けたポップ・ミュージックのスモークで充満した祭典として、アンダーグラウンドのシーンでは知られている。そのパーティの主催のひとりであるシェイン・オリヴァーによる学校でのインターンも彼をより前進させることになる。オリヴァーはカルチャー・ジャミングとアヴァン・ギャルドを特徴とするファッション・ブランド、フード・バイ・エアーの立案者だ。ゲルシは、パーティのもうひとりの立役者であるプロデューサー、フィジカル・セラピーを経由して、やがて「ストレッチEP」をリリースすることになるレーベル〈UNO NYC〉のチャールズ・ダンガと出会う。のちに〈GHE20G0TH1K〉のさまざまなシンガーとのコラボレーションも続いた。このプロジェクトが2011年にはじまってから、アルカはミッキー・ブランコ、ケレラ、そしてオリヴァーにも楽曲を提供している。そして、人生を変える一通のメールがオリヴァーの友人であるマシュー・ウィリアムズから届く。彼はファッション・ブランド、トリルの創設者であり、カニエ・ウィストの長年のコラボレーターだった。

 「(カニエに)数曲送ってほしいと頼まれただけで、その通りにしたよ。そのとき持っていた最強に奇妙な曲を送ったら、カニエがすごく喜んでくれたんだ」とゲルシは言う。『イーザス』の制作におけるゲルシの冒険はいくつかの点において厳しいものだった。
 「一日の終わりに(みんなが作った音楽を)カニエ本人がチェックすること以外に、決まりごとは本当にないんだ」と彼は言う。世界中のミュージシャンとのレコーディングや、何十人もの制作チームとの共作は家での制作とはかなり異なるものだった。「自分でいままで試みたり、考えたりしたことのない類いのものだった。でもね、僕の人生に変化をもたらした出来事であったことはたしかだよ。恐いもの見たさで極度のプレッシャーのなかに身を置いていたからね」
 その経験を振り返ると、カニエの制作指揮者的なヴィジョンがいちばん印象に残っているとゲルシは言う。「たくさんのことがデザインといっしょに浮かんでくるんだ。謎解きみたいな感じでね。もし曲がアグレッシヴさを求めていたら、頭のなかにあるその瞬間で最良の解決方法をデザインするのは、3、4人の仕事にかかっている。みんながそれぞれ完璧に違ったアプローチをとるんだけど、最終的にすべてを編集するのはカニエ自身なんだ。変な方法だけど、彼はそうやってプロデュースをしている。選ぶだけじゃなくて、カニエはスタイルを作るんだよ」

 神話と化した『イーザス』のセッション以降、アルカはすでにシーンの裏側の多くの強烈な個性たちの共犯者となっていた。ビョークとのコラボレーションに加えて、ロンドンのR&Bシンガー、FKAツイッグスのソウルフルなセカンドEP全体を手がけたのもアルカだ。ルールを壊すことへの愛情は、彼が信頼の置ける実験的なアーティストであることを明確にしたのだが、他人の曲のなかから自分らしさを消すことができる能力が、いちばん役に立っているという。
 「長年考えていたことで、けっこう恥ずかしく思っていたんだけど、僕って強烈な個性を持っているひとといっしょにいると、彼らのような喋り方になっちゃうんだ。もしだれかの方向に引き寄せられると、自分たちのあいだに橋渡しをしてしまう。それでたまに相手の視点から世界を見るようになるのかもしれないね。長い間それは怖いことでもあった。自分にはアイデンティティがないことや、もしくは自分のアイデンティティは未完のままだということを、その現象が表しているのかもしれないって考えていたからね。でも歳をとるにつれて、それが強みだと思えるようになった。自分を一時停止させて相手に完全に開いた状態にすることは、自分の共感能力のすべてを使って誰かを覗き見したり、相手の哀愁を感じることにつながる。これは本当に強烈だよ。だってさ、その人の良さとか健康さとかを超越したものを抱え込むことになるんだからね」

 ロンドンでゲルシと過ごしているあいだ、出会った半数以上の人びととののやりとりから、彼にはその傾向があると気づいてしまった。『ゼン』をリリースするレーベル〈ミュート〉のプロジェクト・マネージャーである、パディ・オニールの誕生日を祝うために、わたしたちはダルストンのパブに向かったのだが、彼がその夜の終わりにバーからこっそり離れ、誰も見ていない間に勘定を済ませようとしていることに気がついた。通りに出て、ベンジーBが長年オーガナイズしているパーティ〈デヴィディエーション〉に行こうと集まっていると、ゾンビみたいな男がわたしに近寄ってきて「エクスタシーをくれ」と言ってきた。ゲルシはすぐさまわたしを守ってくれ、反射的に自分の身体でわたしたちのあいだにバリアを作ってくれた。その男が立ち去るとゲルシは皮肉とともに緊張を解き放ち、「だけど、ヤツはアリーヤのTシャツ着ていたよね」と言った。彼がすこし生意気なときは、彼のかすかなスペイン語のアクセントがいつもよりも強く出てくるとわたしは気づいた。

 ここにゲルシに関するいくつかの覚え書きがある。人ごみのなかで、彼はいつもその場をパーティみたいにする人間だ。夜明けの2時45分くらいになると〈デヴィエーション〉のパーティで高いところによじ登り、パーティ・ピープルのヒラヒラしたシャツの海で、メッシュのボディスとハーネスを身にまとって踊り出す。この都会かぶれなフロアは、わたしたちのお目当てであるLAのエレクトリック・デュオ、ングズングズの良さがわからないだろうと言うと、ゲルシは「すべてのよいDJたちは、フロアをいかに整えるかをしっているはずだよ」と答えた。そして、どこからともなく近づいてきた女性を、彼は立ち止まってクルクルと回しはじめた。

 「アレハンドロがどれだけ爆竹みたいなやつなのか、みんな知らないと思うな。彼といっしょにいると、いつもベビーサークルのなかで、子どものころの友だちと遊んでいる気分になる」と、フード・バイ・エアーのシェイン・オリヴァーは後日、電話で教えてくれた。たしかに、半年に及ぶ『ゼン』で行なわれた即興的なレコーディングのプロセスについてゲルシが語るとき、彼がその無邪気さを創造的な気質へと昇華させていることを感じる。
 「何もコントロールすることができない状態で僕はこのアルバムを作ったよ」と彼は言う。「最初のアイディアこそが最良のアイディアみたいな考えだね。座って作業をするまで、自分が何を作るのかさえ知らなかった」。ゲルシのアイチューンズをちらっとのぞくと、この自由な連想から作られたというたくさんの曲が並んでいる。
 「ハッピーになれる曲を作っているときはいつもなんだけど、1、2回聴き返しただけだと自分の曲だってわからないんだよね。あとね、その状態だと子どものころの自我とつながって、より穏やかで女性的になった気がするんだ。ゼンは男の子でもなければ女の子でもない。彼女の素の存在は冷淡さと魅力を同時に備えている。だから、大きく目を見開いて口が空きっぱなしの大勢の人びとが、スポットライトの下の彼女を見ている様子が想像できるんだよ」

 この作品は自身の潜在意識の旅のようなものであると彼は言う。耳障りな音のストロボから、肉が溶け出しているようなシンセの曲線、半音階のストリングスのセクション、さらにはよろめきながら進むフラメンコのリズム。多くのパートには、それらの間を跳ね回るような、かなり緊迫したリスニングのポイントがある。“シスター”のようにもっとも耳に響く曲においては、ヘッドフォンの右側のチャンネルでランダムに明滅する静かなノイズの壁によって、ふいに足をすくわれる。そのような力をこのアルバムは持っている。
 しかし『ゼン』には同じように愛情にあふれた瞬間もある。彼の声がロボットのうめき声のように奇妙に鳴り響くときや、“サッド・ビッチ”や“ヘルド・アパート”のような曲で一瞬だけ流れるメロディは、彼自身が弾くピアノを伸縮させたものなのだ。豊富な楽器の色彩がダンス・ミュージックと融合しているのだが、『ゼン』はその頼れる波形の地図に執着しない。心を打つメロディが膨らんでいく一方で、良質なポップ・ミュージックのフックを作る能力を誇示することに対して、なんのこだわりもないようだ。そのかわりに、麻酔的な、あるいは情緒的な表現のために高い技術を活用している。それはまるで子ども時代の自分の分身を蘇らせることによって、10代のころに学んだシューマンとメンデルスゾーンへと舞い戻っていくようでもある。『ゼン』は、ロマン派的だがビートも存在するという、自由奔放な表現度をもって展開していくのである。

 より受け入れられやすい『&&&&&』は、彼がポップの革新者として表現できる世界を見せているように思える。その一方で『ゼン』においては、彼の芸術性が、内を向いた美学によって知性や理性を超えた場所へといくぶん押し進められている。その点において、ゲルシが崖から飛び降りたもうひとつの実例として『ゼン』を理解することができるかもしれない。彼が内に籠ろうとしているので、リスナーや知人たちはゲルシの居場所にまで会いにいくことを要求される。同じことが『イーザス』以来初となるインタヴューを受けた彼の決心にも当てはまる。音楽に音楽を語らせることを望んでいるのだ。自分自身を新しいことに挑戦させるよう駆り立てたと彼は言う。なぜなら「作品がそれを必要とする」からだそうだ。外から傍観している者の視点からは、自身を大いにさらけ出そうとしている彼を目撃することは興味深くも恐ろしいことである。迷いもなく、詫びることもなく、自分自身になろうと勇気を奮い起こすとき、外部の現実がふたたび深い恐怖をもたらすリスクが付きまとうものだ。それは、自身をさらけ出したら他者は自分の望むようには反応してくれない、または、そのさらけ出した自分から他者が遠ざかるという恐怖だ。創作のレベルにおいて、それこそが本来の用語的な意味における実験的な音楽を作る危険やスリルである。それまで耳にしたことがないものを享受できるようになる前に、リスナーは聴き方そのものを何度も学ばなければならない。

 『ゼン』を聴いているといつも立ち上がって踊りたくなると彼は言う。わたしがニューヨークに帰る前夜、イースト・ロンドンにある天井の低い地下のパブでゲルシのDJを見たとき、彼はまさにそんな感じだった。彼は手の込んだ拘束衣を身につけていたのだが、夜が進むに連れてその上着のジップはゆっくりとひとりでに開いていくようだった。ダンスフロアは満員で、ゲルシはDJブースの後ろで、ベネズエラのパーティ・ミュージックに合わせてひと言ひと言漏らさずにハミングし、向こう見ずな手首使いでピッチを上げると、もう何曲か歌をつづけた。クラウドがピークに達すると、彼はボーイフレンドに熱いハグとキスをし、わたしはその週のはじめにどういうわけか、映画『ホーリー・モーターズ』に出てくる女曲芸師の話をゲルシとしていたことを思い出した。わたしも彼女のファンだと知ると、彼は興奮して自分のパソコンへ向かい、カンヌのレッド・カーペットで、解剖学上は理解できないポーズをしている印象的な一連の写真を見せてくれた。「おー、彼女は自分が何をやっているか完璧に把握している」と彼は言っていた。それこそが、恐れを知らない女性性を持った人物について話すときに彼が必ず使う言葉だった。ゼンについて同じように述べていた可能性も十分にある。

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Madalyn Merkey - ele-king

 2年ぶり。2作め。前作と同じくダックテイルズのレーベルから。「待った」という感じは以前よりもなかった。サウンドクラウドに上がっていた音源を片端からダウンロードし、とりわけ「スリープ」を繰り返し聴いていたころはマテリアルに落とし込まれるかどうかも定かではなく、『セント(Scent)』がリリースされると知ったときは、自分の好きな音楽とレコード産業には接点があったのかという驚きのほうが大きかった。2作めはつまり、その「接点」が保たれているという保証のような感覚が先に立つ。それは音楽を聴くときにはむしろ雑音になる。ジャム・シティがかつてインタヴューで「(レコーディングのときに)いちばん難しかったのは、自分自身がクリアになること」と話してくれたけれど(『ele-king Vol.9』)、それは大なり小なりリスナーにも当てはまる。作家性ほど音楽自体にとって邪魔なものはなく、語るのに楽なこともない。それぐらい『ヴァレー・ガール』というアルバムを静かに聴きたいと願いながら、なかなか果たせない。かつてとは意識とマテリアルが逆の位置でズレている。

 最初に感じたことはアンビヴァレンスな志向性を持っているということだろうか。この1月に妙な予感でも働いたのかオランダで『セレクティッド・ アンビ ヴァレント・ワークス'05-'12』というアルバムを出した人がいたけれど、実際にはそれほどアンビヴァレントな価値観をプレ ゼンテーションしていたわけでもなかったのに対し、『ヴァレー・ガール』はシンプルながらかつてのようにひとつの志向性に束ねられることはなく、ミュージック・コンクレートの時期によくあったような不条理感を通奏低音としながらも(それだけだと単純な模倣になってしまう)、不条理とはまったく異なるサウンド・エフェクトが微妙に采配されている部分はかなり新鮮だった(オープニングはとくに素晴らしい交錯を体験させてくれた→https://soundcloud.com/new-images/madalyn-merkey-archipelago-1)。そして、それが次第にかつての不条理モードをブラッシュ・アップしたかのように表情だけを変えて収束の方向性に傾き、最終的にはかなりアカデミックな領域に没入していく。ポップ・ミュージックの断片もない。これがミュージック・コンクレートを上書きするという意図のものならば、それを解析する力量は僕にはないので、これ以上は放棄するしかないけれど、せっかくのメデリン・マーキーなので、もう少し食い下がってみよう。だんだん自分がクリアになってきた気もするし。

 このアルバムは「農業と景色」にインスパイアされたものらしい。農業といっても素朴な側面もあれば、モンサントの遺伝子組み換え作物をインドや中国が追放し、アメリカに30億円以上のダメージを与えたとか、思いつくフェイズがさまざまで、どの部分を指しているのかぜんぜん感得できないものの、『ヴァレー・ガール』というタイトルや全体のサウンドから察するにどこか神秘的ながら労働の辛さを感じさせるようなところもある(だから不条理?)。はじまりは「アーキペラーゴ(群島)」だけど、締めくくりは「プルート(冥界)」だし……(農業から「死」が見えてくるとは?)。ちなみにモンサントは昔ながらの品種の改良に立ち返り、新種の野菜でまたしても注目を集めている。ヴェトナムに撒かれた枯葉剤の会社だけに、ホントに逞しいというか。

 ティム・ヘッカーが『ヴァージンズ』(2013)のインスピレイションは新藤兼人監督『鬼婆』(1964)だというなら、『ヴァレー・ガール』はそれこそ同監督による代表作『裸の島』(1960)で、同作でも濃厚に描かれていたように農業にはハレとケの「ケ」を強く意識させるところがある。「ケ」、あるいは、ストレートに「退屈を音楽にしたい」と言ったのはフィッシュマンズで、日常性にも地域によって相当な差があるだろうから一概には言えないとしても、ミュージック・コンクレートの再現として聴いても『ヴァレー・ガール』はここではないどこかへ移動するという感触はなく、積極的に「ハレ」を遠ざけているといえる。もっといえば人間の感情を通したものの見方もやめて、空気になりきろうとしているという感じだろうか。「描写」から「主体」を消すというのもミュージック・コンクレートの時期にはひとつの課題だったけれど。

 あるいはレイヴ・カルチャー以降の身体性をドローンに持ち込むのがゼロ年代のスタイルだったとしたら、かつてブライアン・イーノがプログレッシヴ・ロックの狂騒から平凡な日常性を奪い返そうとしたように(詳しくは『アンビエント・ディフィニティヴ』序文)、USアンダーグラウンドをポスト・レイヴへ誘おうとするものにも聴こえなくはない。レイヴ的な身体の否定ではない。やはり呼吸の間隔などにはレイヴ以降の細切れな区切り方が目立つし、もう一息でトリップへ誘うギリギリのニュアンスは残っている。しかし、最後のところで没入させることを避けているようなところは確実にあり、チル・アウトでいえばワゴン・クライスト『ファット・ラブ・ナイトメア(Phat Lab. Nightmare)』(1994)が醸し出していた曖昧なムードを思い出させる。どこかストイックで、飛行機が墜落するようなことがあっても流れつづけることができるとした『ミュージック・フォー・エアポート』(イーノ)に対して、そういった意味での「無害なBGM性」を踏襲するところもない。なんというか日常でも非日常でもなく、僕には馴染みのない場所に連れて来られたというしかない。

 ネオ・クラシカルのデヴィッド・ムーアが今年、ビング&ラス(Bing & Ruth)の名義でリリースした『トゥモロー・ワズ・ザ・ゴールデン・エイジ』(〈RVNG Intl.〉)はアカデミックな領域にありながら、掛け値なしに気持ちよく響き渡るサウンドを展開していた。モートン・フェルドマンやブライアン・イーノにインスパイアされたという触れ込みはむしろマイナス要因にしか思えず、それこそ今年だったらゴラ・ソウ(Gora Sou)やA・r・t・ウイルスンといったポップ・ミュージックと完成度を競い合ったほうがいいような気がするぐらいに。そう、デヴィッド・ムーアとメデリン・マーキーは立場を入れ替えた方がどちらもすっきりすることはたしかだろう。日本と違ってアメリカにはもはや在野とアカデミックに明確な線引きは存在していないというならば、それはもう、そうかというしかないけれど……。

interview with Ben Frost - ele-king


Ben Frost - Aurora

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 ベン・フロストは、激情の人であり理知の人である。彼の腕には黄金律のタトゥーがある。ムダのない完璧なものを愛するということだろうけれども、その愛し方にはどこか理屈におさまらない過剰さが感じられる。ベン・フロストは矛盾の人でもある。
 しかしその矛盾はいつしか円になって膨大なエネルギーを生む。

 オーストラリアの実験的音響レーベル〈ルーム・40〉より2003年にデビュー・アルバムをリリースし、その後アイスランドに移住、エレクトロニカあるいはポスト・クラシカルの文脈においてアルバムを重ねてきたプロデューサー、ベン・フロスト。近年では映画のサントラやバレエなどの舞踏のための音楽などを手掛けることが増える一方で、大きく注目を浴びたティム・ヘッカーの『レイヴデス1972』(2011)、『ヴァージンズ』(2013)にエンジニアとして参加するなど、その力量の幅を示してきた。

 アルバム・リリースについても、2009年の『バイ・ザ・スロート』の後はサントラがつづくため、このたびの『オーロラ』のような個人的な作品は久しぶりの制作となる。『セオリー・オブ・マシーンズ』収録の“ウィ・ラヴ・ユー・マイケル・ジラ”というタイトルに顕著だけれども、インダストリアル的なアプローチへと接近してきたかにも見える彼が、その久方ぶりのフル・アルバムを今年〈ミュート〉からリリースするというのは、時流と彼自身の個人的な創作モチヴェーションとの幸福で鋭い交差を意味していると言えるだろう。

 とはいえ、硬質で理性的なイメージの裏側に熱くたぎるエモーションを爆発させる、フロストのロマンティシズムは健在だ。今作のモチーフのひとつとして「コライダー(加速器)」が挙げられているが、円形軌道を描いて加速する荷電粒子、そこから生まれる爆発的なエネルギーのイメージは、そのまま音の喩となり説明ともなろう。彼の音楽はハイ・カルチャーからのアプローチを受けつつも、その芯にあっては敷居の高くないものだ。もっとポップでもっとドリーミーな轟音──エクスプロ―ションズ・イン・ザ・スカイや65デイズ・オブ・スタティックといった激情系マスロック・バンドから、シガー・ロスのファーストの若い衝動にまで通じるみずみずしさがその奥に押しこめられている。

 理詰めを加速して感情の爆煙となった音響。音楽は円を描くと彼は言ったが、彼の論理とエモーションもまた円を描いて発熱する。90年代の先に2000年代の黎明の再評価の機運が見えつつある昨今、ベン・フロストが鮮やかにシーンへ帰還した。

オーストラリア出身、現在はアイスランド・レイキャビクを拠点に活動するプロデューサー。ティム・ヘッカーやブライアン・イーノ、ヴァルゲイル・シグルソン(〈ベッドルーム・コミュニティ〉)、コリン・ステットソン、スワンズらとの共作で知られ、最近ではVampilliaの新作『my beautiful twisted nightmares in aurora rainbow darkness』のプロデュースも手がけている。5年ぶりのフル・アルバムとなる2014年作『オーロラ』には、スワンズのソー・ハリス、ブルックリンのブラックメタル・バンド、Liturgyの元メンバーであるグレッグ・フォックスなどが参加する。


今回のアルバムはおもに「光」を題材にしているんだ。そしてそれはエナジー──内省的なものではなくて外に向かってどんどん拡大していくべきものだと思っている。

あなたにとっては少し古い話になるかもしれませんが、『スティール・ウーンド(Steel Wound)』(2003年)をリリースされた頃は、あなたの音楽にはもう少しゆるやかな、ギター・アンビエントといった雰囲気がありました。そこから時間が経って、何作も経て、今回はすごく音の詰まったものになっていますね。
 人は年をとるほど余白を生んでいくものかとも思いますが、今回あなたの音の余白を埋めているものは何なんでしょう?

BF:10年以上前になるけれども、もともと私はオーストラリアのメルボルンに住んでいたんだ。そこは、たとえばこの渋谷にも似ていて、すごく人口密度の高いところだった。建物もたくさんあるし、街自体が、凝縮された濃密な空間だったんだ。何もかもが濃厚というか。街の景色を思い出してみても、どこにも隙間がない。そういうところに住んでいたぶん、自分のなかでもバランスを取ろうと思っていた部分が大きかったんじゃないかな。私は若かったし、いろいろと混乱する部分もあった。安定してなくて、自分の心が平らな状態ではなかった。だからこそ、自分のなかのでこぼこした部分を研磨するような、そんな気持もあったんじゃないかと思うよ。外の環境に対して補正をしていきたいというか。その頃の自分には、外的なものから圧迫されるような感覚があったんだ。そして、それをなんとかして押し返したいという欲求もあった。
 それに比べると、いまは住んでいる環境もちがうし、歳をとることによって自分の感情をコントロールすることもうまくなった。そうしたことが、いまのアルバムに反映されているんじゃないかなと思うよ。

なるほど。この作品はアトラス・プロジェクトという、「ラージ・ハドロン・コライダー(大型ハドロン衝突型加速器)」(※)という装置を用いた実験にインスパイアされたものだともおうかがいしたのですが、今作の音の激しさには、個人的な背景とともにそうしたモチーフも関係しているということでしょうか。

※2008年に完成。史上最高のエネルギーを生み出す装置と言われている

BF:たしかに、ラージ・ハドロン・コライダーからはインスパイアされた部分がある。今回のアルバムはおもに「光」を題材にしているんだ。そしてそれはエナジー──内省的なものではなくて外に向かってどんどん拡大していくべきものだと思っている。具体的にコライダーのどの部分からインスピレーションを得たというようなピンポイントでの影響はないけれども、すべてがつながっているんだよね。リズムというのはつながってできているものであり、サウンドも同様だ。そのなかのひとつだけをとってきても意味はない。つながっているからこそ意味があるのであってね。

リズムでもサウンドでも、基本的には円を描いているものだと思う。

 リズムでもサウンドでも、基本的には円を描いているものだと思う。それらが円を描きながら音楽を構成している。たとえば、完全なる円があると仮定するならば、そこにあるのはテクノのような均一なビートだろうね。しかし、その円をすごくゆがめてみることで生まれる複雑性もあるだろう。しかし音楽自体は円。そしてコライダーも形状的にくっきりとした円のイメージがある。そして、あれは何か新しいものを探したいという実験でもあった。ふたつのものが衝突するからこそ生まれてくる新しいものをね。……というところで今回の作品につながってくるんだ。ふたつのものが衝突して生まれてくる新しいエネルギーという。

なるほど、あの過密な情報量とエネルギーを持ったアルバムとコライダーの比喩はすごくよくわかるんですが、一方に「光」というテーマもあるわけですね。ラージ・ハドロン・コライダーという装置は、ブラックホールを生み出しかねないものだということなんですが、そうすると、光と闇、この世のすべてのエネルギーを持つかのようにイメージがふくらみます。

BF:宇宙は、じつはブラックホールの中に存在しているという説があるんだ。ギャラクシー自体も、トイレの渦なんかと同じで、すべていっしょの方向に回っていっているってね。だから、あらゆる磁場が同じ方向に回っていることによって、宇宙の均衡が保たれているのかもしれない。その意味では、ブラックホールの中にあらゆる情報量が詰まっているというような考え方はアリかもしれないね。
 自分が好きなアーティストなんかを思い浮かべてみると、抽象的で不確かな部分を抱えながら、それを具現化する手段として音楽を用いている人が多い。それはたぶん自分自身にもあてはまる。まだ私自身にとっては、その不確かなものを形にすることを完璧にはできていないんだけど、年齢を重ねるにつれてどんどんと手段を得ているような気はするよ。

想像の追いつかない世界ですね……。年齢とともにバランスがとれてきたということでしたが、まるで青春期の心象風景であるかのような激しさも感じました。

BF:うーん……、そうかもね。

あ、ちょっと違いますか(笑)。

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リズムに頼るというのはもっとも安直な方法のひとつだと思うんだ。リズムの内側に自分自身がいる、それが今回の作品だよ。

ではちょっと話題を変えましょう。あなたの作品は、曲やタイトルまですごく理知的にコンセプチュアルに作られているようでいて、同時に激しさや、感情的でロマンチックなものなどが噴出しているようにも思われます。ご自身ではよりどちらの性質が強いと思っていますか?

BF:エモーショナルな部分もコンセプチュアルな部分も両方あるよ。アートっていうものについて自分自身が高度な教育を受けたわけではないけれど、私には、自分の中のアートな部分がヴィジュアル的で立体的に見えている。そして、きちんとコンセプトを立ててそれらをかためていくことが好きなんだ。それによって自分のなかのどこにどういう引出しがあるのか、そこに何が入っているのかを確認することができる。
 たとえば、コンセプトに比重を置きすぎると頭でっかちになると批判する人がいるけれど、私はそっちに偏りすぎない自信があるんだ。むしろ自分の感情をきちんと使っていくためにコンセプトが必要だという感じかな。
 アルバムを作るからには、ちゃんとしたものを作りたい。その意識はすごく強いと思う。出すからにはよいものを……不要なものは出したくないんだ。世のなかには不要なもの、どうでもいいものがすごくたくさんある。音楽にしても、人は似たようなものを量産しがちだけれども、はっきりいってそんなものは作りたくない。自分が伝えたいことが入っていること、何か新しいものであること、それが必須だよ。だからたとえ何年かかろうと、それがないことには次のアルバムを作らない。いちばんよくないのは「そろそろ時期だな」って思って制作することだね。
 これは世に出さなきゃいけないと認識できるものじゃないと──もし先に誰かがやっていると思ったら、今作だって出していないよ。新しいエレメントを世界に提案したい、その姿勢は確実に必要なものだね。自分に才能があるとかっていうことではなくて、発信者であるというスタンスは譲れないものだよ。

コンセプトに比重を置きすぎると頭でっかちになると批判する人がいるけれど、私はそっちに偏りすぎない自信があるんだ。むしろ自分の感情をきちんと使っていくためにコンセプトが必要だという感じかな。

なるほど、新しいエレメントというところでは、今作では明確にリズムやビートというものが意識されているように思われますが、いかがでしょう。“ノーラン”や“ザ・ティース・ビハインド・キッシーズ”“セカント(scecant)”なんかの、ビートというよりも鉄槌を振り下ろすような打撃の感覚はどこからくるものなんでしょうか。

BF:その3つの曲については、とくに燃料が投下されて燃えあがっていくようなエネルギーが感じられるかもしれないね。ただ、これまでは基本的にリズムを音楽の中心に据えることを避けてきた。というのも、リズムを中心とする音楽にはすごく長い歴史がある──石器時代にさえあっただろうからね。それはものを叩いて音を出して高揚感を得るという古くからあるスタイルであって、だからリズムに頼るというのはもっとも安直な方法のひとつだと思うんだ。
 指摘してくれた3曲については、苦い薬でも砂糖をまぶせば飲めるように、そのまま差し出すと難解すぎるものについて、少し手を加えて咀嚼しやすくしようとした部分があるんだ。そういうガイドとしての役割を果たしているのがこれらの曲におけるリズムだと思うよ。音楽を作るときは、自分自身のために作っているし、自分自身が感動するかどうかを指針にしているから、オーディエンスのことは頭から外している。自分自身が曲作りの中心にいる、リズムの内側に自分自身がいる、それが今回の作品だよ。

リズムの内側に自分がいる……たしかに、外在的なビートではないかもしれませんね。

BF:それに、今回はアルバム全体の長さがやや短いんじゃないかと思う。多くの人はひとつのアルバムの中でアップダウンを作って、息抜きをさせたり長く聴かせるストーリー性を持たせようとしたりするよね。だけど私はそういうのが嫌なんだ。息抜きは聴く前か聴いた後にしてほしい。とにかくアルバムのあいだはぎゅっと凝縮したものでありたいと思う。
 オーロラというのは、じつはひとつの物質なんだ。それをいろんなアングルから見ている。曲によってアングルがちがって、寄りで見ているものがあったり、引きで見ているものがあったりする。でも根本的にはひとつの物体をいろんな角度から見たのがこのアルバムなんだよ。

もしかしたらいま言っていただいたことと重なるかもしれませんが、あなたのフィールド・レコーディングに対するスタンスをおうかがいしたいです。フィールド・レコーディングにおいては「何を」録りたいと思いますか? 素材なのか、感情なのか、土地の文化なのか……。今回は2011年から2013年までの、コンゴやニューヨーク、あるいはアイスランドなどで採音したとのことですね。

BF:いろんな国に行ったんだけれども、フィールド・レコーディングは、その国々を点と点でつないで、隙間を埋めていくようなものだったと思うよ。ドラマ『ツイン・ピークス』の最初のほうの場面で、エージェントのクーパーがダイアンに電話をかけて言うセリフに、とても印象に残っているものがある。「自分の家を離れたら、環境をコントロールする力はそこで100%失われる」──というようなね。でも現代社会においてはもうそうではないような気がするんだ。インターネットがあればいつでもどこにいても友人や家族に連絡できるし、Facebookなんかもそれを手助けよね。それはまるで、自分の環境を連れて世界中を回るようなものだよ。だから、僕自身の世界体験もそうなんだ。コンゴであれどこであれ、そこでした経験はいろいろあって、見たもの聞いたもの味わったものもたくさん存在するけれども、そこにあるものをそのまま反映するという意味でのリアリティを掴み出したいわけではない。そんな究極のリアリズムは持ち合わせていないんだ。もっと、自分なりのリアリティを生み出す手助けになるもの、もしくは自分の中で咀嚼して生み出す新しいリアリティというべきもの、それから、見たままではなくて本来そうあるはずの物事の姿……それを自分の得た経験の中からアダプトしていくというのが、私のフィールド・レコーディングだよ。

なるほど、モバイル・コミュニティというか、人との関係性のなかに世界がすっぽり入ってしまうというか。

BF:ははは、そうだよ。それはとてもコントロール過剰な世界さ。

interview with Dorian Concept - ele-king


Dorian Concept
Joined Ends

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 ドリアン・コンセプトが最初にフィジカルのアルバムを出したのは2009年、オランダの〈Kindred Spirits〉という、当時はビルド・アン・アークやフランシス・モラのリーダー作を出したりと、90年代クラブ・カルチャーとスピリチュアル・ジャズとの接点となりうる作品を出していたことで知られる玄人好みのレーベルからのデビューだった。
 そういえば、〈Kindred Spirits〉は、セオ・パリッシュの力を借りながら、サン・ラー・リヴァイヴァルを促したレーベルでもある。それなりの目利きで、ドリアン・コンセプトは、ほとんど新人に近い存在ながら、マニアが一目置くレーベルから登場し、ジャズに造詣の深いリスナーをも「すごい!」と唸らせた若者だった。
 腕前がすごかった。「朝起きたら、ハムと卵を食べる代わりにコンピュータの前に行くこと」が日課だった、と当時の彼=オリヴァー・トーマス・ジョンソンは話しているが、彼はピアノが上手に弾けるだけの青年ではなかった。彼は、小型のシンセをジェフ・ミルズがターンテーブルを操るように演奏した。つまり、スウィッチ類も、鍵盤である。
 彼はヒップホップのビートも更新した。そもそもビートメイカーの筋から注目された人だった。当時、ウィーン在住の若きベッドルーム・ビートメイカーにとって気になる作品があるとしたら、フライローの『ロサンジェルス』だったのではないだろうか。

 『Joined Ends』は、彼にとってのセカンド・アルバムにあたるが、前作から5年も経っているので、いままでの印象を捨てて向き合ったほうがいい。この作品は、エレクトロニカ・リヴァイヴァルともリンクしているし、同時に彼のバックボーンであるクラシックとスピリチュアル・ジャズ(70年代のひとときの至福な瞬間)の色合いもけっこう出している。『You're Dead!』が動ならこちらは静、『サイロ』がジャングル+IDMならこちらはスピリチュアル・ジャズ+IDM、と喩えられるだろう。メロウで、クラシックの響きもある。さすが音楽の都=ウィーンの人だ。そして、ふだんはドイツ語を話すであろうオリヴァー・トーマス・ジョンソンは、ドイツ人がよく話す素朴で丁寧な英語で答えてくれた。

人間的に成長した結果、ノスタルジックになったりセンチメンタルになったりもします。その一方で、音楽的にも成長して多くの場所へ行けるようにもなりました。なので、今回のアルバムはその異なる感情のミクスチャーだとも言えるでしょう。

いまもウィーンにお住まいですか?

ドリアン・コンセプト(以下、DC):はい、オーストリアのウィーンに住んでいますよ。

すっとウィーンに住んでいるんですか?

DC:3年間ザルツブルグの学校に通っていたとき以外はずっとウィーンに住んでいますね。父親がアメリカ人ですが、僕自身は生まれも育ちもオーストリアです。

引っ越さない理由は、ウィーンという街に特別の愛着があるからですか?

DC:理由はいくつかありますね。ウィーンには家族や友人もいます。10代のころを過ごした場所が自分のホームとなると聞いたことがあるのですが、僕にとってはその街がウィーンです。週末によくライヴをするんですが、街のサイズも大きすぎず小さすぎずで移動しやすく気に入っています。

ウィーンはクラシックの都であり、ヨーロッパの古い文化が残っている街だと思いますが、そういった背景とあなたの音楽には関係があると思いますか?

DC:ウィーンでは一般の学校でもオーストリアのクラシック音楽の歴史が教えられています。さらに僕はピアノのレッスンも受けていたので、その分オーストリアの伝統的な音楽からも影響があると思います。ですが、僕が育った90年代には素晴らしいエレクトロニック・ミュージックがあったので、それらからも影響を受けました。例えば〈メゴ〉のようなレーベルからです。彼らは国際的にも注目を集めていましたが、90年代後期のウィーンではドローン、アシッド・ジャズ、ダウンビートのムーヴメントがありました。クルーター&ドーフマイスターなどをよく聴いたものです。オーストリアには内向的な気質もあるんですが、日本にも似たようものを感じとても落ち着きますね(笑)。

当時〈メゴ〉やクルーダー&ドーフマイスターのような地元のシーンと何か繋がりがあったんですか?

DC:個人的にはUKやアメリカなどの海外のエレクトロニカから強く影響を受けていました。UKの〈ニンジャ・チューン〉や〈ワープ〉、アメリカだと〈ゴーストリー・インターナショナル〉やシカゴの〈ヘフティ〉などです。僕が16歳の頃はまだインターネットがそれほど発達していなかったので、情報源はおもにレコードでした。その情報も曖昧なものだったので、「どうしてコーンウォールのアーティストはこんな音を作るんだろう?」と想像力を働かせていました。当時はそういった海外の音楽のミステリアスな部分に魅せられていましたね。

あなたを有名にしたYouTubeにアップされたコルグのシンセサイザーをジミヘンのように弾く動画は、いま見てもすごいと思います。あれはやはり相当練習したんですか?

DC:あれはかなり自然な流れでやったものです。僕は15歳からジャズ・ピアノを習っていました。マイクロ・コルグを買ったのは20歳のときです。ですがシンセサイザーが欲しかったわけではありません。そのときはザルツブルグとウィーンを往復することが多かったので、持ち運びができるキーボードを探していました。それと同時にライヴで簡単にオクターヴを変更できる機能などが必要だったので、それに応じてテクニックを磨いていたんですよ。

ジェフ・ミルズがターンテーブルでやっていることを、あなたはシンセサイザーでやっているように思えました。

DC:僕はヒップホップ・カルチャーに親しんだ世代でもあります。DMCチャンピオンシップなどもありますが、この文化において競争とは大事な要素のひとつです。テクニックとクリエイティヴィティも求められます。僕はジャズを勉強していたので、その過程で習得した即興性も自分のプロダクションに取り入れています。子供が友だちと競い合いながらビデオ・ゲームを練習していくのと同じですよ。これらは違うジャンルに見えますが、僕なかでは重要な要素です。

まさにそういう意味では、最初のフィジカル・リリースである『ウェン・プラネッツ・エクスプロード』はあなたのテクニックが全面に出ている作品です。それから5年の歳月を経て今作『ジョインド・エンズ』はリリースされました。アーティスト名を聞かされなかったら、あなただとはわからないくらい印象が違うアルバムだと思います。

DC:そうですよね。前作と今作の間で僕は満足に音楽をリリースすることができず、自分の成長や変化をリスナーたちと共有することができませんでした。定期的に作品をリリースすることは大事だと知りましたね。ですから今作までの期間にどういう音楽を作っていたのかをまとめた作品を出すかもしれません。ファースト・アルバムをリリースしたあとの変化はアーティストには付き物ですが、僕にも同じことが起こったんだと思います。

力作だと思います。そういえば、ドリアン・コンセプトとは、ドリアン・スケールから取られた名前ですが、新作のメロディやハーモニーも前作とは違います。また、前作はヒップホップの影響からビートが打ち出されたと思いますが、今作は三拍子の曲があったりとか、ヨーロッパ的なテイストも強く感じました。そう言われて違和感はありますか?

DC:一般的なヨーロッパの芸術や音楽に共通することなんですけど、簡潔性というものを追求している面がありますが、そのシンプルさが衝撃を与えることもあります。今回のアルバムは部屋ではイージー・リスニングのように聴こえるかもしれませんが、ヘッドフォンで聴くといくつものレイヤーが見えてくるような作品にしたいという意図がありました。そういう点で前作とはかなりことなる作品だと思います。

1曲目のシーケンスはとてもミニマルです。アルバムを最初に聴いたとき、2曲目の“アン・リヴァーMN”と4曲目の“クラップ・トラック4”が素晴らしい曲だと思いました。とくに“アン・リヴァーMN”はシンセやリズム、曲のムードから今回のアルバムを象徴しているように思います。

DC:20代になったばかりの頃はミニマリストの反対のマキシマリストだったんですけどね(笑)。その意見は興味深いです。僕も2曲目をとても気に入っています。あなたが言うように、全体の雰囲気から考えて、この曲はアルバムのコアになっていると思うんです。最後の曲も好きな曲です。レーベルと相談しながらアルバムの曲順を決めていきましたが、このプロセスはとても大変だったんですよ。

通訳:この曲名の「MN」はアメリカのミネソタ州のことですか。

DC:はい、そうですね。

なるほど。自身のことをロマンチストだと思いますか?

DC:音楽や映画に関して、僕はロマンチストでしょうね。センチメンタルという言葉が正しいかもしれません。このアルバムを発表するまでの間で、僕は人間的に成長した結果、ノスタルジックになったりセンチメンタルになったりもします。その一方で、音楽的にも成長して多くの場所へ行けるようにもなりました。なので、今回のアルバムはその異なる感情のミクスチャーだとも言えるでしょう。また、映画的な側面も持っているかもしれません。

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スピリットという点では、ジョン・コルトレーンが浮かんできます。彼がモードにスピリチュアルな要素を導入して、それがフリー・ジャズにも繋がっていきますからね。現代のミュージシャンではフライング・ロータスです。コルトレーンとも繋がる自分の家系のバックグラウンドを参照している点でも興味深かいです。

僕はあなたのアルバムを聴いてエモーショナルだと感じました。とくに“クラップ・トラック4”は「喜び」を感じるんでが、いまの話をきいていると感情よりも風景を表現している方が強いんでしょうか?

DC:そういうわけではありません。“クラップ・トラック4”のループを作り終えたあとヘッドフォンでそれを聴いていました。そのときに「このアルバムのテーマはひととの繋がりかもな」とふと頭に浮かびました。アルバム全体を通しては内向的になっているかもしれませんが、4曲目に関しては外に向けたものになっていると思います。今回のアルバムにとって、感情は無視できない要素です。僕はいままでテクニカルなことに重点を置いていたので内向的な部分があったので、今作で自分をもっとオープンにしたかったんです。

あなたに訪れた変化はいろいろとあったと思います。フライング・ロータスやシネマティック・オーケストラなど、多くのミュージシャンとコラボレーションをしたりツアーをしたりしました。前作からの5年でとくにご自身にとっての大きな変化はなんでしたか?

DC:シンプルですが、自然と歳をとっていったことですね。20代後半から30代に入って、人生は繰り返しだと気付き絶望したこともありました。20代よりもあまり興奮を感じなくなったり興味の対象が変化したりもして、そういう発見が自分を変えたと思います。あと、個人的にミュージシャンは30代になったら20代にときと同じことをしてはいけないと思うので、新しい「言語」を身につけるように挑戦したいと思っています。これだけのことを考えさせられたので、やはり歳をとったことは重要ですね(笑)。

クラブ・カルチャーとの距離感をどのように考えていますか?

DC:いまでもとても楽しんでいます。クラブはとても生き生きとしているし、自分の音楽を反映させる場所でもあります。ですが僕はシーンの一部というよりもシーンを追っているタイプの人間です。個人的にはクラブ・カルチャーは自分のホームというよりも、関心を持っている程度なんですよ。ですから、クラブ固有の文脈に自分を当てはめるというよりも、居場所を作っていったほうが性に合っているんです。

初期のあなたには、朝起きるとまずコンピュータに向かったというエピソードがあります。そういったライフスタイルが前作に影響しているとしたら、今作では曲の作り方も変わったんだろうなと思いました。

DC:いまはスタジオを自分の家の外に移しました。誰しも学生時代のときは、部屋に余計な装飾はなくて家具があるだけですよね(笑)。ですがときが来ればいろいろと手を入れてデコレーションをしてみたくなるものです。音楽活動にしても同じことは言えると思います。働く場所を持つことと、帰る場所を持つことは大事なことですよね。家はすべてから距離を取ることができる場所。そして働く場所は、文字通り集中して働くためのもの。僕は朝の8時から仕事をはじめて、夕方6時には家に帰り料理や夕食を楽しむこともあります。昔は典型なベッド・ルーム・プロデューサーだったので、そのための環境と時間があれば十分でしたが、いまはそれを変えることができて嬉しいです。

今回のアルバム・タイトルの『ジョンド・エンズ』にはどんな意味があるのでしょうか?

DC:このタイトルは繰り返しから感情を表現する、ループを基本とする自分の音楽のメタファーなのでしょう。また、終わりを繋げるという意味ではリングを作る職人芸のようなものかもしれません。基本的に即興を頼りにキーボードを弾いて、貯まったサンプルのループを組み合わせていきました。繋げていくという考えは、先ほど述べた人間関係を表しているのかもしれませんね。

今作において、曲のインスピレーションはどんなところからきているのでしょうか?

DC:この作品を作っている間は音楽をあまり聴かないようにしていました。自分で弾いたモチーフが、誰かの真似なんじゃないかと疑ってしまうことがよくあるからです。その代わりに映画をよく観ていました。90年代のもの多く、例えばトーマス・ニューマンが音楽を手掛けた作品などで、彼の手法はミニマリスティックで、ライヒなどの現代音楽家からの影響が明らかです。サム・メンデス監督の『アメリカン・ビューティー』(1999年)で聴くことができる、木琴による三音の繰り返しはまさにその流れを感じますね。意図しなかった音楽的なインスピレーションを映画から貰ったんです。
 さきほど話したヒップホップ文化におけるサンプリングも今回は重要な要素かもしれません。90年代の〈ニンジャ・チューン〉からのリリースでは実験的なサンプリングのメソッドが使われています。例えばセルフ・サンプリングなどです。自分のフレーズをサンプリングする、もしくはサンプリングしているようにみせる手法を使って、古いジャズ・レコードのサウンドを表現したりました。インスピレーション源は90年代の映画とサンプリングのふたつということになりそうですね。

音楽のスタイルではなくて、姿勢やスピリットの面で尊敬するミュージシャンがいたら教えてください。

DC:スピリットという点では、ジョン・コルトレーンが浮かんできます。彼がモードにスピリチュアルな要素を導入して、それがフリー・ジャズにも繋がっていきますからね。
 現代のミュージシャンではフライング・ロータスです。コルトレーンとも繋がる自分の家系のバックグラウンドを参照している点でも興味深かいです。シネマティック・オーケストラのジェイソン・スィンスカーも素晴らしいミュージシャンです。音楽面だけではなく、彼らとは仕事を通して人柄も知れたので人間的にも尊敬できますね。もうひとりはティム・ヘッカーで、僕は彼の大ファンなんです。まだ会ったことはないんですけど、彼のレコードを聴くたびに耳を奪われてしまいますね。
 彼らに共通するのは、決して妥協しないというアーティストとしての素養を持っていることです。尚かつ、妥協ユニークなことに挑戦しても、それが彼らにとっては自然な流れである点も素晴らしいと思います。

マイルスよりもコルトレーンなんですね(笑)?

DC:『ビッチェズ・ブリュー』はあらゆる意味で名作ですよね。でも、僕はどうしてのコルトレーンが好きなんです(笑)。

今回、3拍子の曲が印象的なのは、コルトレーンの影響?

DC:かもしれません。3拍子だけではなく、6拍子の曲もあります。

いつか『ア・ラヴ・シュプリーム』みたいな、大きな作品を作るのかもしれないですね。

DC:いや~、とてもそんなこと……、もしそんなことができれば……、いや、そう言ってくれてありがとう(笑)。

alt-J - ele-king

 2012年のマーキュリー・プライズを受賞したalt-J。というのが彼らのレヴューの普遍的なオープニング文のようだが、ele-king的にいえば、2012年ele-kingベストアルバム・ランキングで16位。わたし個人のリストでは2位だったalt-Jのデビュー・アルバム『An Awesome Wave』に次ぐ2作目が『This Is All Yours』だ。
 あれ? ほんでわたし1位は何にしてたんだっけ。と見てみると、パンク母ちゃんだのロックばばあだの言われているわりには、1位はジャズ系じゃん。と気づいたが、やっぱそれはロック系よりそっち側の人たちのほうが全然おもしろかったからだろう。
 が、alt-Jは相変わらずクールだ。彼らはジャズに負けてない。

              ******

 だいたい日本の地名を曲の題名にするにしても、彼らは“Nara”だ。京都でも、大阪でも、神戸ですらない。緑の芝の上で鹿が寝そべっている日本の古都、奈良を背景に、ジョー・ニューマンが「ハレルヤ、ハレルヤ」と独特のとぼけた哀愁のある声で歌う。フォーク・ステップと呼ばれるサウンドを生んだバンドの面目躍如といったところだろう。実際、2曲目“Arriving Nara”と3曲目“Nara”から、最終曲“Leaving Nara”まで、どうやら本作のalt-Jは、全編を通じて奈良を散策しているらしい。
 ギターの音が前面に躍り出て、ピアノ、フルート、鐘の音などが印象的に散りばめられている本作は、フォーク・ステップのフォークの部分が前作より遥かに強くなっている。よって前作の独特のアーバン・ギーク感は希薄になっているが、聴いているとサウンドから脳内に立ち上がる光景がやけに広がるようになった。というか、リスナーの意識が広がるというべきか。Alt-Jは本作で「マッシュルーム・ステップ」に移行した。と言う人がいるのも頷ける。チル。と呼んでしまうには、なんかこの眼前に広がる森林はドラッギーでいかがわしい。
 
 歌詞もまた、相変わらず淫猥である。

ハレルヤ、ボヴェイ、アラバマ
他の誰とも違う男と 僕は結婚する“Nara”

 アルバムの初頭では、同性愛婚を違法としているアラバマ州や共和党の創設者の1人ボヴェイの名を出したりして、芝に寝そべる鹿を眺めながらホモフォビアについて思索しているようだ。が、奈良を去る頃には

ハレルヤ、ボヴェイ、アラバマ
僕は恋人のたてがみの中に深く手を埋める“Leaving Nara”

 と想いはしっかり遂げたようだし、

女性の中に転がり入る猫のようにあなたの中に侵入したい
あなたをひっくり返してポテトチップスの袋みたいに舐めたい “Every Other Freckle”

 に至ってはもう、いったい彼らは奈良で何をしているのか。
 おタクのセクシネスが濡れぼそった森林の中から立ち昇るようではないか。
 音楽的な実験性いう点で、彼らはよくレディオヘッドと比較される。『ピッチフォーク』に至っては「レディオヘッドの2番煎じ。ギターとコンピュータが好きなUKバンド」などと乱暴に決めつけているが、わたしに言わせれば両者は似ても似つかぬ別物だ。
 alt-Jには、独りよがりではない、コミュニケイト可能な官能性があるからである。
 「ギターとコンピュータが好きなUKバンド」と『ピッチフォーク』が呼ぶジャンルの音楽、即ちナード・ロックを大人も聴けるセクシーな音楽にしたのはalt-Jである。

alt-Jの音楽は70年代のプログレッシヴ・ロックともよく比較される。が、わたしにとってプログレとalt-Jもまったくの別物だ。alt-Jの醒めた目で細部までコントロールし尽くしたサウンドは、自己耽溺性の強いプログレとは異質のものだからである。
前衛的インディー・ロックをすっきり理性的なポップ・ミュージックにしたのもalt-Jなのである。
 今年のUKロックは団子レース状態で似たりよったりゴロゴロ転がっていた。としか言いようがない。が、わたしはalt-Jには大きな期待を寄せている。
 セクシーさというのは、知性ではなく、理性のことだな。と最近とみに思うからだ。
 そして蛇足ながら、『ピッチフォーク』の評価とUK国内での評価が極端に違うUKバンドや個人ほど見どころがある。ということはもう広く知られていることだろう。

interview with Shin Sasakubo + Dai Fujikura - ele-king

 現代音楽という、「芸術音楽」の最前衛の世界で活躍する藤倉大は、これまでに数々の受賞経験を持ち、現代音楽界の巨匠であるピエール・ブーレーズにも認められた、現在の日本を代表する作曲家のひとりである。かたや笹久保伸は、ペルーでアンデス音楽を習得し、帰国してからは「秩父前衛派」なるユニットを立ち上げ、昨今盛り上がりつつある秩父における芸術運動に先鞭をつけるギタリストだ。このまったく出自の異なるふたりを結びつけたのは、音楽に対する態度、すなわち「売れるもの」をまるで忘れて音楽に没頭してしまうという姿勢に、共振するものがあったからだという。ロンドン在住の藤倉と秩父在住の笹久保が、一度も顔を合わせることなく『マナヤチャナ』を完成させ、そしてついに対面を果たした。このインタヴューが行われたのは10月10日であるが、その前日に、ふたりは初めて「出会った」のである。


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■笹久保伸+藤倉大『マナヤチャナ』
作曲家、ギタリスト、映画監督として活動する笹久保伸と、イギリスを拠点に活動する作曲家、藤倉大。フェイスブックで出会ったというふたりが、それぞれ秩父とロンドンからデータを送りあって制作したというサウンド・インスタレーション作『マナヤチャナ(未知のもの)』が本年9月にリリースされた。笹久保がギターのサンプルを藤倉に送り、それにエレクトロニクス処理を藤倉が加えて笹久保に戻し、それをもとにさらに笹久保がパーツを録音して送り……という作業の果てに生まれた9曲にはケチュア語の曲名がつけられ、ワールド・ミュージックにジャズやポップスが溶け合いながら、エレクトロニカやアンビエントとしても楽しめる異色の作品となっている。

『マナヤチャナ』みたいなお金にならない制作をやっちゃったりとかしているけど、そういうことをする人はあまりいないんですよね。だから僕たちは似ているなって思ったんです。(藤倉)

おふたりが実際にお会いしたのは昨日が初めてなんですよね?

藤倉:そうです。

笹久保:昨日初めて直接会って、声も聞きました。電話すらしたことなかったので。

対面してどう思われましたか?

笹久保:Facebookでずっとやりとりをしていたのと、お互いの音楽を通じて人柄はわかっていたので、予想通りといいますか。べつに予想も何もしてなかったですけど。そのままでしたね。

藤倉:音楽って自分のDNAが紛れ込んでいるというか、本質を見せちゃうものなので、自分を隠せませんからね。どういう人なのかっていうのは、そういう面で僕もわかっていました。

『マナヤチャナ』は、Facebookで笹久保さんが藤倉さんに声をかけるところから制作がはじまったんですよね?

笹久保:そうですね。ただ、制作をはじめるために声をかけたわけじゃないです。藤倉さんがこれまでに作曲したギターの曲は“Sparks”というものしかなくて。それはクラシック・ギター・ソロのための曲なんですけど、1分くらいのすごく短い曲なんですよ。だから他にギターのための曲はないのかなと思って、今年の2月ぐらいにFacebookで問い合わせてみたんですよ。新曲があるのかないのか。もしくは新曲はどういうふうに、どんな経緯で依頼したら書いていただけるのかとか。

“Sparks”は、デレク・ベイリーふうのハーモニクスからはじまって、でもそのいわば乱雑なフレーズが繰り返されるという、緻密に構造化された楽曲ですよね。笹久保さんは“Sparks”を聴いてどう思われましたか?

笹久保:あの曲はおもしろいんですけど、すごく短い。たとえばコンサートの中でどのような扱いで弾くかっていうのが難しいんですよ。「これが藤倉大の曲だ!」って提示するには難しい。藤倉さんもあれは自分の作品をつくるというか、ギャラがない仕事で頼まれて作ったんですよね?

藤倉:そう、チャリティーだからね。

笹久保:だから、藤倉大のギター音楽のエッセンスがすごく凝縮されて入っている1分というわけでもないだろうなと僕は思ったんですよ。あれを聴いて。曲はおもしろいんですけどね。

演奏時間の長い“Sparks”的なものを求めたということですか?

笹久保:“Sparks”っぽくても、全然関係なくてもいいですけど、ギターのための作品で気合を入れて書いたものがあったらすごくいいなと思ったんですよ。まぁ、誰しもがそう思っているんじゃないでしょうか。でも、そこでもし仮にそういうギター曲がすでにあったなら『マナヤチャナ』はやってないんですよね。

藤倉:だろうね。

笹久保:だから、よかったな、とも思いますけどね。

藤倉:そうかもしれない。

笹久保:ギター曲があったら「あ、じゃあこれ弾いといて」みたいな(笑)。

藤倉:「はい、これ」って言って(笑)。

笹久保:2000円で買ったりして。「ありがとうございます」って言って終わっていたと思いますね。

藤倉:いやいや、もう、あげますよ。

藤倉さんはそこで笹久保さんのためにギター曲を書こうとは思わなかったんですか?

藤倉:いや、そう思ったんですよ。でも……。

笹久保:こういう国際的に活動している作曲家に、パッと曲を書いてくれと言ったからといって、書いてもらえるわけじゃないんですよ。それは所属している事務所のこととか、さまざまな問題がある。

藤倉:笹久保くんに限らず、そうやって言われたら、委嘱をしてくれる場所とそれを初演する音楽祭とかいろんなところをあたってみようってことになるんですよ。助成金の申請なんかもして、だいたい1、2年。クラシック音楽の世界って2年先までロックされていることが普通なんで。いま僕が進めている仕事の話は2016年か2017年のものですね。2015年なんてもう全部決まっていますから。ほんとに時間がかかるんですよ。

笹久保:僕はその当時、まぁ今年の2月ですけど、そのころコンサートイマジンっていう事務所にいまして、藤倉さんは別の事務所にいて。ギター曲を書いていただくとなると、個人的にできるような規模じゃないから、事務所同士が協力して、藤倉さんに委嘱して、海外のフェスティバルなり特別なコンサートなりでブッキングしなければならない。そうやってお金を発生させて、藤倉さんには委嘱費がいくし、僕にもギャラがいくと。そういうことができるかどうかを相談していた翌日に、僕が事務所を辞めまして。それはただ辞めただけなんですけど、それでその話は成立しなくなってしまった。

藤倉:びっくりだよね。Facebookで「辞めます」って言うから。「え!?」みたいな(笑)。

笹久保:そうそう。だからそこで委嘱するっていう話は終わって。でも「なんかできるんじゃないの?」って藤倉さんが言ってくださって、じゃあとりあえず15秒ぐらいのサンプル音源でも送ってなんかはじめようってなったんですよ。


委嘱するっていう話は終わって。でも「なんかできるんじゃないの?」って藤倉さんが言ってくださって、じゃあとりあえず15秒ぐらいのサンプル音源でも送ってなんかはじめようってなったんですよ。(笹久保)

藤倉:笹久保くんはギタリストであるだけじゃなくて、生活を切り詰めて、レーベルの運営もしている(CHICHIBU LABEL https://www.ahora-tyo.com/)。僕もそうなんですよ。身を削りながらレーベルの運営もしているし。だからお互いに似ているなって思った。やっぱり自分の生活を音楽のまえに置かない人ってけっこう多いんですよ。インタヴューで綺麗なこと言ってても、実際は。

笹久保:じつは音楽優先じゃないってことですよね?

藤倉:うん。だから僕なんかは、笹久保くんも話をきくとそうみたいなんですけど、来月の家賃とかどうなるかわかんないなって思いつつ、『マナヤチャナ』みたいなお金にならない制作をやっちゃったりとかしているけど、そういうことをする人はあまりいないんですよね。すごい高いクルマとか乗ってるのに。だからそういうことしない人が多い中で、僕たちは似ているなって思ったんです。『マナヤチャナ』なんかは誰かが依頼しているわけじゃないですから。1ヶ月かけて作ったんですよね?

笹久保:そうですね。

藤倉:できちゃったんですよ。

笹久保:もちろん1ヶ月で終わらせるつもりじゃなかったんですけどね。

藤倉:合間にやるってことですよ。

笹久保:仕事の合間にちょっとずつやっていって、いつかアルバム1枚分ぐらいになったら、どこか、まぁ自分たちで出そうかって言っていたんですよ。

アルバム・リリースをするために作ったのではなく、気づいたらそれだけの量ができてしまっていたということですか?

藤倉:そうですね。アルバムみたいになっちゃったからね。笹久保くんが秩父でやっているレーベルはCDを作っていて、僕のレーベルはデジタル配信だけなんですよ。でも世界配信。だからもし自分たちで出すのであれば、盤は〈CHICHIBU〉で作って、僕はデジタル配信をやればいい。

笹久保:3秒ぐらいで話が終わりますよね。

藤倉:ビジネス・ミーティング3秒で終わる、みたいな(笑)。

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強いて言えば藤倉さんがやったことは全部狙ってやっていますよね。考えて作っている。そういう意味では、逆に僕がやっていることは何も狙っていないと言えるかもしれない。(笹久保)

『マナヤチャナ』では、ギターにプリパレーションを施していたり、調弦を変則的なものにしたり、素材の段階からさまざまな試みがなされていますよね。

笹久保:プリペアド・ギターはかなり考えて弾いたんですよ、じつは。ジョン・ケージみたいにどこに何を置いたらどんな音がするのか、メモしながらやったわけじゃないですけど。あと素材は多ければ多いほどいいだろうなとは思いました。あとで何かをする上でも選べるじゃないですか。

藤倉:僕の選択肢は多くなるからね。

笹久保:そういう意味で素材のヴァリエーションを豊富にしたほうがいいとは思いました。でもそれよりも、それ以前に、僕が出したい音っていうのがあって、それをいろんなパターンで録音したってことですよね。

藤倉:断片ですよ。たくさんの断片。

笹久保:僕が録音した素材を使って藤倉さんが何をするのかは、その時点ではどうでもよかったっていうことなんですよね。自分にできることをまずやった。僕がいちばん最初に録音したわけですからね。

藤倉:もうほんとに盛りだくさんだったよね。

笹久保:ものすごい量の音源を送ったんですよ。そこから藤倉さんがどんどん引き算して。たとえば僕が2時間の音源を送ったとしたら、藤倉さんはその中の3秒ぐらいを使って、引き伸ばしたりしながら加工していく。

藤倉:たとえばその中のひとつの、プリペアドしたときのギターの音を聴いたときに、笹久保くんが普通のギターで弾いているサウンドを、まぁ古典的な手法ですけど、リングモジュレーターとかに入れたら、プリペアド・ギターと同じような音が出るだろうなって思ったりしたんですよ。それでいろんなサンプルを作っていった。音源をね、1音ずつ。それを組み合わせてやると、プリペアドしているのかエレクトロニクスの音なのかわからないようなトラックができあがる。

素材の音なのか加工された音なのか、聴き手が混乱してしまうようなことを、狙って作っていったということですか?

藤倉:もちろん。

笹久保:強いて言えば藤倉さんがやったことは全部狙ってやっていますよね。考えて作っている。そういう意味では、逆に僕がやっていることは何も狙っていないと言えるかもしれない。

藤倉:あぁ、そうだよね。

笹久保:藤倉さんは僕が録った素材をもとに作曲をしているわけですから。

藤倉:素材を聴いたときに、作曲する手法だとか使うソフトとかが一気に思い浮かぶんですよ。「あ、これだ!」って。

笹久保:リミックス・アルバムとかありますけど、たとえば誰かが演奏したものにビートをつけてとか、ちょっと加工してみたいな、そういうのとはぜんぜんちがうものですよね。あと人によってはシンセサイザーの音を重ねているんじゃないかって言いますけど、このアルバムに入っているすべての音が僕のギターをもとに作られている。歌は別ですけどね。

藤倉:もとからある音色をそのまま使ったりしているわけじゃないんですよ。すべてギターから作っているわけですから。ほわ~っていう音もギターなんですよ。


リミックス・アルバムとかありますけど、たとえば誰かが演奏したものにビートをつけてとか、ちょっと加工してみたいな、そういうのとはぜんぜんちがうものですよね。(笹久保)

それはもう現代音楽の、電子音楽のスピリットですよね。(藤倉)

編集的な態度というよりも、作曲家的な態度で音を置いていったということですか?

藤倉:編集っていうようなものじゃないですよね。笹久保くんが普通に弾いているフレーズとかでも、1音だけとったりするわけですから。1音どころか、波形にしてハーモニクスの上の部分だけを取り出してループさせたりとか。それで10秒ぐらいになったのを、またちがうエフェクトで加工したり、それをさらに引き伸ばしたり。それはもう現代音楽の、電子音楽のスピリットですよね。ポップスの人たちが編集する感覚とはちがいますね。

そこにまた笹久保さんがギターを重ねていったんですよね? それは音源を聴いて、音に合うように考えてギターを弾いたんですか?

笹久保:考えてないですね。ほとんど録り直しとかしないで、聴きながらぱぱって、即興的にやっていったんですよ。

藤倉:弾く前にバッキング・トラックは聴いてんの?

笹久保:聴かないでやっていたかもしれないですね。

直接会うことなく、インターネットを通じて音楽制作を行うことに利点あるいは欠点があるとすれば、それはどのようなものだと思いますか?

藤倉:欠点なんかないんじゃない?

笹久保:まぁ、たまたまこういう方法になっただけですよね。

藤倉:うん、だって僕がもし秩父に住んでいたら、普通に会って録音していたよね。というか会う会わないっていうことはあんまり重要じゃないんじゃないですか?

笹久保:藤倉さんが日本にいてもメールでやっていたかもしれないですよね。

藤倉:そうそう。直接会う必然性が感じられなければそうなるよね。そっちで録音したものを送ればいいだけだし。ただ、会っていっしょにやったりしていたらよくなかったかもしれない。なんでかというと、その時間に僕はそういうモードじゃないかもしれないし、笹久保くんもそうかもしれないから。

笹久保:そうですね。

藤倉:べつに締め切りがあるわけでもないし、さっきも言ったように誰にも頼まれていないアルバムなので、できるときにやればいい。だから笹久保くんに大きな仕事がきて、あと2ヶ月できませんって言われてもべつに問題なかったし。他にやることもあるわけだからさ、笹久保くんも僕も。だからその合間にやったっていうことですよ。ただ、膨大な時間を無収入のプロジェクトにかけて来月大丈夫なの? っていうのはありましたね。うちの奥さんとかはすごく心配していたけど。

制作においてとくに気をつけたことはありましたか?

藤倉:引き算的な発想って言ったらいいんですかね。デイヴィッド・シルヴィアンのようなポップスの人たちと共同作業を行って思ったんですけど、クラシック音楽の世界とポップスの世界ってぜんぜんちがうんですよ。ポップスの人たちは足し算的な発想で物事を進めていく。そういう音楽はすごくシンプルなんですけど、僕はそういうところから来てなくて。僕にとってはそうやって足すのは邪道なんですよ。たくさんの素材からご馳走を作るんじゃなくて、たとえば一本のニンジンからご馳走を生み出すようなところに、創作があると思っているんです。だから素材であるギターの音にこだわったっていうのはありますね。それで絶対に全部やるっていう。笹久保くんの音楽をリミックスする、という感覚とはまったくちがう。


たくさんの素材からご馳走を作るんじゃなくて、たとえば一本のニンジンからご馳走を生み出すようなところに、創作があると思っているんです。だから素材であるギターの音にこだわったっていうのはありますね。(藤倉)

笹久保:ぜんぜんリミックスじゃないですよね。

藤倉:このアルバムのどこを僕が作っていて、どこを笹久保くんが作っているのか、っていうのはわかんないよね。

笹久保:作業の量から言ったら、僕が10%で、藤倉さんが90%っていう感じですけどね。

藤倉:そんなことないよ(笑)。作業の方向性がちがうし。なんというか、たとえばコラボレーションで誰かが楽器を弾いて、もう一人がエレクトロニクスを乗せたとか、そういう感じではないんですよね。お互いの作業がもっと複雑に絡み合っている。一回弾いてそれを渡して、もう一人が加工してそれで意見言うってわけじゃないですから。だって笹久保くんはまた弾かなきゃならないから。それで僕のところにまた返ってくる。だから本当の意味でのコラボレーションですよ、これって。

笹久保:そうですね。

藤倉:あと誰かとコラボレーションするときって、やっぱり「これ俺のアルバムだから」とか言う人がいるわけですよ。最終的にはその人に従わなければならない。でも僕らの場合はそういうんじゃなくて、音遊び以外のなにもなかったですよね。

笹久保:はい。

藤倉:べつに出さなくてもいいわけだし。

笹久保:なんか自分のアルバムって主張する必要もなかったし。

藤倉:だって笹久保くんは他で自分のアルバムを作っているじゃない。僕も他のところで自分の作曲をやっているんで、自分の色がもっと出ないとダメだとかそういうのはぜんぜんなかったですよね。

笹久保:なかったですね。そういうことはどうでもよかったですね。

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笹久保くんの南米的なバックグラウンドとかを学べたらいいなと思って。最初に笹久保くんから送られてきた素材には南米のものはなかったんですよ。まったく。(藤倉)

仕事として依頼されたわけでもないのに、笹久保さんとコラボレーションをすることの魅力というのは、どのような部分にあると思いますか?

藤倉:僕も笹久保くんも一人で曲を作れるんですよ。誰かに手伝ってもらう必要もないんです。なのにわざわざコラボレーションをするのは、相手から学ぶことがあるからですね。それがないと、時間の無駄だと思ってしまう。他に書かなきゃいけない曲がたくさんあって、それは僕の生活にかかっているんですよ。家賃とか。だからそっちを早く終わらせて楽譜を送るっていうのが普通なんですけど、今回のようなコラボレーションがあると、そうしたことが1ヶ月停止状態になるわけじゃないですか。それでもやりたいと思ったのは、笹久保くんの南米的なバックグラウンドとかを学べたらいいなと思って。最終的には学べたんですけど、最初に笹久保くんから送られてきた素材には南米のものはなかったんですよ。まったく。なんでないんだよって思って、笹久保くんが弾いたやつの断片をループさせて南米っぽいトラックを作った。笹久保くんに「南米っぽく弾いてください」って言ったら指示したことになっちゃいますから、嫌じゃないですか。仕事じゃないオアシスの音楽なのに、指示されたくないじゃん。

笹久保:う~ん。僕はべつに指示されてもよかったですよ。

藤倉:あぁ、そうなの?

笹久保:指示されればそれに答えてやってみようかなって。

藤倉:でもどっちも何も言わなかったんですよ。笹久保くんも僕に対して指示したりしないし。

笹久保:こういう反応が来たから、こういうふうに重ねてみようかなって思うようになるわけですよ。

藤倉:でもびっくりしたでしょ?

笹久保:そうですね。送られてきた音源を聴いたとき、ロンドンで別のギタリストに頼んで弾かせてんのかなっていうふうに思ったんですよ。僕が弾いたのとまったくちがったから。ビートができてて。なんだこれと思って。

送られてきた音源を聴いたとき、ロンドンで別のギタリストに頼んで弾かせてんのかなっていうふうに思ったんですよ。僕が弾いたのとまったくちがったから。(笹久保)

藤倉:音源データのファイル名もべつに何も書いてなかったからね。そういうふうに作っていったので、笹久保くんがさらに重ねて送ってきた音源からも、すごく自由な感じはしましたね。そこでの南米的なリズムの揺れとかは学ぶことが多かったですね。あと、統一されたアルバムは作らないようにしようとは思っていたんですよ。1曲めの“マナヤチャナ”って、すごいアンビエントな感じじゃないですか。それを知り合いに聴かせたら、その感じでアルバム1枚できたらいいよねって言われたりして。そう言われたら反対のことしようかなって思って、終わりはぜんぜんちがう感じのアルバムになればいいなと思って。

笹久保:ギターっていう統一性だけですよね。

藤倉:イルマ・オスノさんなんかはいきなり入ってくるし。

笹久保:そうですね、なんの前触れもなく、パッと。

藤倉:そうそう、歌の曲には絶対したくないとも思っていました。またポップスの話なんですけど、ポップスって歌手の声がすごくでかいし、いつもフロントにいるじゃないですか。以前ノルウェーのジャズの人たち、アルヴェ・ヘンリクセンとかとコラボしたときに、女性の声も入っていたんですよ。『マナヤチャナ』と同じようにファイルの交換で作っていったんですけど、その歌手の声をちょっと右にずらしたんですよ。中心じゃなくて。そしたらみんなすごい騒ぎ出して、声は絶対に中心じゃないとダメって。え、なんで? って思った。僕にとって声ってたんなる楽器のひとつなんで。クラリネットの代わりみたいな。でもポップスの人たちにとっては、声が命みたいなことが多いんですよね。僕はぜんぜんそういう重要性を感じられないので。

笹久保:あと、デイヴィッド・シルヴィアンに、藤倉さんの音楽とイルマ・オスノさんのヴォーカルは合わないって言われたんですよね。

藤倉:そう、そう言われたらムカつくから、入れたいなと思うじゃないですか。デイヴィッドと僕はものすごく仲良いんですけどね、彼に限らず誰かに何か言われたら反対のことをしようって僕はいつも思うんで、なんとしてもイルマさんの声は入れたかった。


あと、デイヴィッド・シルヴィアンに、藤倉さんの音楽とイルマ・オスノさんのヴォーカルは合わないって言われたんですよね。(笹久保)

そう、そう言われたらムカつくから、入れたいなと思うじゃないですか。(藤倉)

イルマ・オスノさんはケチュア語を話す方ですが、『マナヤチャナ』に収録されている楽曲はすべてケチュア語で題名がついていますよね。テーマに基づいて楽曲を制作されたんですか?

笹久保:曲名はトラックがぜんぶできた後につけました。僕は最初、英語とかにしたほうがより多くの人に曲のニュアンスが伝わるかなと思ったんですけど。

藤倉:あと〈ソニー〉ですからね。

笹久保:そう、曲名つけたときはもう最後の段階だったので、ソニーから出るってことは決まっていて。せっかく大手からリリースされるし、変なことしたら出ないかもしれないって思ったんですけど、そしたら藤倉さんがせっかくだからとかまた言いはじめて、ぜんぶケチュア語に──アンデスのインディヘナの部族ですけど、ケチュア族のケチュア語でぜんぶやろうって(笑)。よくこれが通ったなとは思いますけど、でもそこには藤倉さんの挑戦があったんですよね。

藤倉:そう、どこまで本気なのかなって思って。ソニーの杉田さんは音楽家でもありますからそういうのわかっているんですけど、大手って僕が想像するに、杉田さんの上にいろんな人たちがいるんじゃないかと思ったんですよ。

笹久保:いるんですよ。

藤倉:音楽的なことじゃなくて、テクニカルなことで最終的にリリースされなくなる可能性も考えたんです。だから本気で出していただけるのかなっていうのを試そうとも思いまして、じゃあ、せっかくだしぜんぶケチュア語でやろうっていうふうに提案したんですよ。

笹久保:1曲でも省いてくれとか言われたら、もう自分たちで出そうって言っていましたね。

藤倉:あと、発売までに時間がかかるのも嫌だなと思って。大手だからと言っても、1年かそこら出なかったりするとね。僕たちのレーベルはまったく規模がちがいますし、もし自分たちで出したらインタヴューなんかあるわけないっていうのはわかっているんですけど、でも出すっていうことであればすぐに出せるので。そうやって素早く出せますかって訊いたら、杉田さんができるって言って、やってくださったんで。6月にできて9月に発売ですから、3ヶ月ちょっとですよ。

笹久保:変にまたアカデミズムっぽいタイトルにしなかったのはよかったですよね。

藤倉:あぁ、そんなの絶対やだよ。

笹久保:“Flagment 1”とか。

藤倉:うわぁ(笑)。

笹久保:“Flagment 1B”とか。

藤倉:やめてほしいそれ(笑)。僕そういう世界にいるので。

笹久保:“Flagment 1+”。

藤倉:う~ん、嫌ですよねぇ。そういうのばっかり書く人たちがいるから。

やっぱりそういう世界とは別のものとして出したかったんですか?

藤倉:もちろん。そっちの世界にいるわけですから。まぁ僕はそういうことやらないですけど、そういう人たちの間でやってるんで。そんなの休暇に会社行くようなもんですよ。たぶん。会社員勤めたことないからわかんないですけど。そんなことしないじゃないですか。せっかく休日があるんだったら行ったことないところとか、いつも行きたくても行けないところに行こうとするじゃないですか。

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苦手なものには惹かれます。苦手な曲とか。(藤倉)

現代音楽の流れをブーレーズ的な前衛音楽とケージ的な実験音楽に分ける考え方ってあるじゃないですか。藤倉さんはブーレーズからの影響のほうが強いと思いますが、笹久保さんが即興的に重ねた音だとか、偶発的に紛れ込んだ響きっていうのは、やはりぜんぶ統括しようとする感じで制作していったんですか?

藤倉:ある意味まったくコントロールできないものを使っていても、最終的には僕がコントロールできるわけですよね。ゴダールの映画みたいな感じで。あれは即興させてんのか知らないですけど、ぜんぶ自由とは言えない中で、でも編集は彼がやる。それとちょっと似ているのかもしれません。ただ、苦手なものには惹かれます。苦手な曲とか。ジョン・ケージも好きになろうとしていて。僕には「苦手な曲を好きになろう月間」っていうのがあるんですよ。その中でジョン・ケージもいくつかやりまして、まぁ、まだ完璧に大好きってわけじゃないですけど。

藤倉さんの音楽に対する思想がケージのそれと対立するのではなくて、苦手ということですか?

藤倉:そうですね、対立するということもあるのですが、音楽的にちょっと苦手な部分がありますね。あったんですけど、でも好きになろうと努力して、いくつかちょっと好きにはなってきましたね。「苦手な曲を好きになろう月間」はこれからも続けていこうと思います。

いまは何を克服しようとされていますか?

藤倉:いまはブルックナー。やっと好きになれたんですよ。あとハイドンとかシューベルトも僕は苦手なので、それもいつか克服したいなと。好きな音楽はもともと好きだからほっといてもいいじゃないですか。でも嫌いなものは僕の問題であって、その音楽の問題じゃないことが多いので、とくにケージみたいに古典になると。そしてその音楽を聴いて発見することは必ずあるはずですし。でも日本で妙にケージを持ち上げる風潮は嫌だなって思いますけどね。
 あと、ポップスで、みんながそうだとは言いませんが、たいして知らないのにシュトックハウゼンとかケージに影響を受けたっていう人いるじゃないですか。そういうふうに見栄を張るためじゃなくて、苦手な作曲家を好きになろうとしています。一昨年ケージの生誕100年祭があったんですけど、そこで僕、曲を書いているんですよ。BBCプロムスから委嘱されて。そのときにケージの本もいろいろ読んだりして、前よりも好きになりましたね。だから自分が快適じゃない状況に持っていこうっていうのが僕にはあるんだと思います。わざと苦手な状況で曲作りしたいなって。それもあってコラボレーションですよ。一人でもできるのに。

自分の世界を崩すというか、押し広げるというか、いわばノイズのような存在として笹久保さんがいると。

藤倉:そうですね。あと学ぶことですね。本を読んで学ぶことももちろんありますけど、音楽から学ぶのがいちばん早いですからね。

偶然性を音楽に取り入れるということと、即興的に音楽を演奏することのちがいはなんだと思われますか?

藤倉:……練習しなくていい。

笹久保:(笑)

藤倉:即興は練習しなくていい。でも偶然性っていっても、ケージ的な偶然ってマイクのフィードバックとかですから。本当の事故的なものをぜんぶ取り入れるものだと思うので。ぜんぜんちがうものだと思いますね。ただ僕はそういうのも好きになってきています。そういう音楽を作りたいかどうかはわかんないですけど。

実演するつもりじゃなかったんですよね。実演なんてできるわけないですし。(笹久保)

録音物は基本的には必然的でしかありませんが、ライヴには必ず偶然的な要素が介入してきますよね。それは音楽にとって良いものだと思いますか?

笹久保:良いものというか、絶対にそうなりますよね。

藤倉:間違いがない演奏を聴きにきているお客さんがいるわけでもないと思うんですよ。間違いがあってもすごい迫力のあるオーケストラのコンサートを聴きたい人も多いでしょうし。そういう意味で言うと、ライヴで演奏されたクラシック音楽の録音物をリリースすべきかどうかというのは、議論が分かれるところだと思います。ラジオ放送はいいですよ。記録ですから。でも作品として出すっていうのはどうなんでしょうね。スタジオ録音と生の演奏だと、演奏者としては目指すものがちがうと思うんですよ。だからライヴでの演奏を繰り返し聴かれるっていうのはどうなんでしょう、まぁわかんないですけどね。

今日これからお二人の初ライヴがあるわけですが、それが録音されて世に出されたとしたら、それは目指しているものとちがうということですか?
藤倉:ぜんぜんちがいますよね。

笹久保:そうですね。

ちなみに今日のライヴはどのようなものにしようと思っていますか?

藤倉:僕たちもわからない、聴いてないから。

笹久保:実演するつもりじゃなかったんですよね。実演なんてできるわけないですし。藤倉さんが僕の音楽をバラバラにして繋げているわけじゃないですか。もうパズルみたいなもんですよ。僕の音ではありますけど、弾けるわけないじゃないですか、そんなの(笑)。それをちゃんと弾くとしたら、紙に書いて同じように弾くしかないですけど、アルバムと同じことをやることに意味はないですから。だからパフォーマンスでやるときは、藤倉さんが素材として作り上げたバッキング・トラックを使いながら、二人で実際に演奏する、っていう感じですかね。

藤倉:まぁ、どうなるかわかんないよね。だって知らないもんこの人、会ったばっかりだから(笑)。

笹久保:僕も知らないですよ、昨日会ったばっかりなんですから(笑)。

今後もコラボレーションしていく予定はありますか?

藤倉:そうやって訊かれると、もう、作んなきゃって感じですよね(笑)。でも何か作るんじゃないですかね。

笹久保:作りますよ。

OG from Militant B - ele-king

漆黒の大地を駆けろ!

ヴァイナルゾンビでありながらお祭り男OG。レゲエのバイブスを放つボムを日々現場に投下。Militant Bでの活動の他、現在はラッパーRUMIのライブDJとしても活躍中。3回目の登場ほぼゴリラのOGです。今回のランキングはダブ! ダブ! ダブ! 歌無し"ハーコーダブ"に焦点を絞って、70年代バンドサウンドから2014年産デジタルキラーなものまで幅広く挙げてみました。音の再構築、破壊と再生。大胆で繊細、最先端なレゲエミュージックを感じてみてください。REBELだろ?

11/4 吉祥寺cheeky "FORMATION"
11/7 山形tittytwister "LIVE AT HOPE"
11/8 秋田re:mix
11/12 新宿open "PSYCHO RHYTHMIC"
11/23 東高円寺grassroots
11/29 池袋bed "NEW TYPE DUB"
12/2 吉祥寺cheeky "FORMATION"
12/6 渋谷asia "IN TIME"
12/30 吉祥寺cheeky


SUN RA - ele-king

 『てなもんやSUN RA伝』は、湯浅学の傑作。この人のPファンクやサン・ラーについての語りは、本当に面白い。その面白さは、彼らの音楽の複層性──大らかだが反抗的で、社会的で、政治的で、実験的で、怒りながら荒唐無稽でしかも笑えるという特徴を巧妙に表している。『ミュージック・マガジン』での連載をまとめた『てなもんやSUN RA伝』は、サン・ラーの評伝であり、ディスクガイドであり、湯浅学の名エッセイ集である。ぜひ手にとって欲しい。

 今年は、サン・ラー生誕100周年。この音楽家は、人類の時間軸では1914年に生まれ、1993年に他界したことになっているが、地球は自分の故郷ではないと主張したことで知られている。もし地球が自分の故郷であるなら差別や戦争があるはずがない、ゆえに自分は宇宙からやって来た。サン・ラーは、彼自身の説明によれば土星人であり、彼のジャズ楽団アーケストラは早い時期から電子機材を取り入れたことでも知られている。40年代から活動をしている彼は、エジプトのマントと宇宙カブトをかぶったピアニストである。50年代にはローファイな宅録作品、ドゥーワップやスウィング・ジャズの楽曲も多く残している。60年代にはヒッピーから愛され、サイケデリック、スペース・オペラ、フリー・ジャズやアヴァンギャルドとも交わり、晩年にはDJカルチャーからも愛されている。彼は地球時間40年もの活動のなかで、100枚ほどの作品を残している。彼のハンドメイドのレコード(サターン盤)は、いまで言えば会場で売られているCDR作品にも近く、世界のコレクターが探している超レア盤だが、この20年のあいだの再発のおかげで、ずいぶん身近に聴けるものとなった。この度も、生誕100周年を記念して、2枚の名盤が日本盤としてリイシューされる。
 1978年の作品『ディスコ3000』、1979年の『スリーピング・ビューティ』、ともに彼のディスコグラフィーのなかでもいくつかあるハイライトの1枚に数えられるだろう。前者はアーケストラのエネルギッシュなスペース・フリー・ジャズを、そして後者では宇宙規模のチルアウト・ソウル・ジャズを堪能できる。とくにフライング・ロータスの新作を評価するあなたは、避けては通れないはずだ。

湯浅学
てなもんやSUN RA伝
音盤でたどる土星から来たジャズ偉人の歩み

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サン・ラー
ディスコ3000【デラックス・エディション】 Limited Edition

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サン・ラー・アンド・ヒズ・アーケストラ
スリーピング・ビューティ Limited Edition

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Serph x 河野愛 - ele-king

 サーフがこれまでわれわれに見せてくれた桃源の夢──それは毒に同義であることをサーフ自身が弊誌インタヴュー(『ele-king vol.』)にて語ってくれたのだが──は、もう一本の柱によって支えられている。河野愛のイラストだ。これまでサーフの作品や活動の多くに関わってきたイラストレーターである。古代ギリシャのモチーフ、架空の生物たちの跋扈、魚も鳥も家も同居する空間……時間と場所がねじ曲がり、あるべきでない時代とあるべきでない空間とが接続され、しかしそのことが奇妙な均衡を生み出す河野のタッチに、すでにサーフの音を連想してしまう人もいるのではないだろうか。一枚の絵の中に、微細な描き込みと神話的な圧縮性をもって世界を埋め込むようなその手つきは、サーフ版マジック・リアリズムとも呼ぶべき、あの強烈な世界構築にしずかに寄り添っている。

 そんなふたりのコラボレーションを、より純度の高いかたちで結晶させるようなプロジェクトがはじまっている。クラウドファンディングを利用したCD付きアートブックの制作だ。これまでのコラボレーションの記録に加え、書き下ろし&描き下ろしの作品、アルバム未収曲のコンピCDも付くようで、通常のパッケージ・リリースでは実現しにくい仕様を楽しめる。また、協力する度合いによって幾パターンものリターンが準備されているから、ファンならばじっくりと頭を悩ませながら参加したいところだ。
 募集期間は11月28日(金)まで。ダイレクトにこの素敵な作品を支えてみよう。

【Serph x 河野愛 コラボレーション・アートブック制作プロジェクト】

■情報掲載日:掲載中
■クラウドファンディング・サイト:CAMPFIRE
■プロジェクトURL: https://camp-fire.jp/projects/view/1267
■ 募集期間:10/15~11/28(45日間)
■ 目標金額:1,350,000円
■プロジェクト概要
このプロジェクトは、電子音楽家Serphとイラストレーター河野愛による、CD付きコ
ラボレーション・アートブックの制作を目指すものです。
Serphは、nobleへの移籍後初リリースとなる2ndアルバム『vent』(2010年作)以降、
今月6日に発表した最新EP『Spring Field EP』まで、その全作品のアートワークを、
イラストレーターの河野愛とのコラボレーションで制作してきました。ノベルティや
MVの為に制作したアートワークも含めるとその数は数十点にも及び、Serphの音楽を
世に問う上で、今や河野愛のアートワークは欠かせないものとなりました。
そこでこのたび、これまでの河野愛によるアートワークを数点の描き下しとともに一
冊の本にまとめ、Serphのレア音源集CDを付けた、Serphと河野愛によるコラボレー
ション・アートブックの制作を思いつきました。
Serphと河野愛のこれまでのコラボレーションの記録となるこのアートブックを、ク
ラウドファンディングを通じて皆さまと共に作り上げる事が出来ればと思っています。
このプロジェクトに参加してくださる皆さまの為に、ジャケットの原画やSerphによ
る書き下し楽曲のプレゼントなど、この場限りの様々なリターンをご用意しました。
少しでもご興味をお持ち頂けたら、ぜひ皆さまのお力をお貸しください。プロジェク
トが無事成立し、このアート本を世に送り出せる事を楽しみにしています。
アートブック制作の実現へ向け、皆さまのご協力をどうぞ宜しくお願いします。

<Serphプロフィール>

東京在住の男性によるソロ・プロジェクト。2009年7月にピアノと作曲を始めてわず
か3年で完成させたアルバム『accidental tourist』をelegant discよりリリース。2010
年からはレーベルをnobleに移し、同年7月に2ndアルバム『vent』をリリース。以降、
2枚のフルアルバムといくつかのミニアルバムを発表している。
2014年1月には、自身初となるライブ・パフォーマンスを単独公演にて開催し、満員
御礼のリキッドルームで見事に成功させた。
より先鋭的でダンスミュージックに特化した別プロジェクトReliqや、ボーカリスト
NozomiとのユニットN-qiaのトラックメーカーとしても活動している。

<河野愛プロフィール>

1984年1月千葉県生まれ。2008年からフリーのイラストレーターとして、雑誌、広
告、映像、WEB、CDジャケットなど幅広いアートワークに携わっている。一部挙げ
るとソラリアプラザ、URBAN RESEARCH、Panasonic、Bunkamura、講談社、
KADOKAWA、ワコール、Serph、ほぼ日、その他多数。細密画をベースに形や大き
さや色、固定観念にとらわれず共存しあう空間を描く。
https://aikohno.com/

■河野愛からのメッセージ
これまでSerphのアートワークで様々な作品を生み出してきました。
それは、私が今迄自分だけの発想で描き上げたものとは違い、音のイメージにあった
テーマに沿ったもので、一人ではなくデザイナーやレーベル関係者の方とアイデアを
共有し、新しい発想の元、描いた事ないような描き方で描き上げ、素晴らしい仕上が
りとなって世に送り出してきました。
そんな作品も今では数十枚となり、それぞれ思い入れのある作品となり、一挙に集め
て、一冊の本になったら嬉しいな、って思っていました。
そんな中、レーベルの方に声をかけてもらい、一気に企画が進み、作品集として本を
販売する企画が実現するまで、あと一歩ということころまできました。
その、あと一歩、皆さんの力をお借りしたいです。
今迄、個人としての作品集を制作していないことから、この企画が実現出来れば、初
めての作品集が世に送り出せる事になります。
私の絵は、細密をベースにしているので、じっくり見て頂きたい想いがあります。
是非、ご協力頂けたら嬉しいです。

■Serphからのメッセージ
亜空間の原風景
蜃気楼の絵筆、デスティネーション・パステル
いつもSerphの作品世界を彩ってくれている河野さんの絵。
音に奥行きを与え、視界から音楽が流れていきます。
Serph体験をより濃厚にしてくれるアートワークを網羅する、必ず素敵な本になると
思います。皆様のご協力をお待ちしてます。

■アートブックの仕様について
・カラー40ページ+CD
・サイズ:A4変形(21cm x 25cm)
・シリアルナンバー入り
※新たな描き下し数点を含む、河野愛によるSerphの全アートワークを掲載予定。
★CD収録楽曲:
アートブック用に書き下ろす新曲含む、雑誌のサンプラー収録音源、ECサイトおよび
配信サイトの購入者特典用音源、1stコンサート用のリアレンジ音源など、全てアルバ
ム未収録の楽曲を8~10曲ほどコンパイルしたSerphのレア音源集。

■資金の使い道について
・本印刷代
・版下作成代
・デザイン代
・CDプレス代
・著作権使用料
・ ファンディング運営会社手数料

■プロジェクトがマッチング(成立)出来なかった場合:
商品の発売を中止とさせて頂きます。

■リターン内容
<500円>
・Serphと河野愛のお礼メッセージ
<3,000円>
・Serphと河野愛のお礼メッセージ
・完成した本を1冊
<5,000円>
・Serphと河野愛の直筆お礼メッセージ付きのオリジナルポストカード
・本のサンクスクレジットへお名前を掲載
・完成した本をSerphと河野愛のサイン入りで1冊
<8,000円>
5,000円のリターン内容に加えて、
・プロジェクト限定の非売品オリジナルTシャツ
・Serphの未発表音源2曲
※楽曲データのDLリンクを送ります。
<50,000円>限定1個
8,000円のリターン内容に加えて、
・Serph『Event Horizon』のジャケット原画を額装してプレゼント。
<50,000円>限定1個
8,000円のリターン内容に加えて、
・Serph『Winter Alchemy』の盤面に使用した原画を額装してプレゼント。
<100,000円>限定1個
8,000円のリターン内容に加えて、
・Serph『Winter Alchemy』のジャケット原画を額装してプレゼント。
<100,000円>限定1個
8,000円のリターン内容に加えて、
・Serph『Heartstrings』の中面に使用した原画を額装してプレゼント。
<100,000円>限定1個
8,000円のリターン内容に加えて、
・Serph『Candyman Imaginarium EP』のジャケット原画を額装してプレゼント。
<100,000円>限定5個
8,000円のリターン内容に加えて、
・あなたのテーマで河野愛が絵を描き、原画を額装してプレゼント。
<150,000円>限定3個
8,000円のリターン内容に加えて、
・Serphがあなたの楽曲を1曲リミックスします。
<200,000円>限定2個
8,000円のリターン内容に加えて、
・あなたのテーマでSerphが曲を作り、河野愛がジャケットを描きます。
・完成したジャケットと楽曲はデータにてプレゼント。
・描いた原画を額装してプレゼント。


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