「KING」と一致するもの

interview with Tomoko Sauvage - ele-king


Tomoko Sauvage
Musique Hydromantique

Shelter Press

AmbientExperimental

Amazon

 Mark Hollisのように1枚の傑作を残せれば、その作品を最後に音楽をやめてもいい。とずっと思ってきた。けれど僕自身はいまだにそういう作品をつくれていない。
 去年の10月ごろ一時帰国したパリ在住のトモコさんと、町田良夫さんの家で食事をした。その時に、8年ぶりの新作をリリースするというトモコさんが「この作品が出せたら、もうこういう音楽をやめてもいいと思ってる」と言っていた。その作品『Musique Hydromantique』は、ele-kingでもデンシノオトさんのレヴューや、WIREなどの海外のメディアでも話題になっている。

 個人的に90年代後半から00年代中盤までは、デジタル・テクノロジーが音の世界でどこまで何ができるのかという、先が見えない楽しさの中で動いていた。グラニュライザーやロング・ディレイが一般的になった頃からアンビエントやドローンの量産がはじまって、デジタル・ミュージックへの関心が急になくなった。ちょうどその頃、西洋医学から東洋医学への意識の移行もあったので、時代に動かされた要素も大きいだろう。仲のいい友だちもライヴでラップトップを使わなくなりはじめたのは00年代後半。それからちょうど10年を経て1周したように個人的にはデジタル・テクノロジーおよび西洋医学の再評価がはじまってはいる。

 そんな流れの中で、即興演奏を加工・編集なく構成されたトモコさんのこのアルバムは、アナログな音を即興的にデジタルで加工して演奏をする。という、この時代を象徴するひとつの演奏スタイルの集大成的な作品のように思う。特筆すべきは、デジタル・リヴァーブ全盛の時代に大きな楕円形の会場でジェネレックのモニタースピーカー10台を鳴らすことで作り出したアナログ・リヴァーブを収録した1曲目だろう。
 最近は、アナログよりもデジタルの方がいい音楽も増えてきている中で、この音楽は、レコードの方が圧倒的にいい。はじめの数秒でそう確信してクレジットをみるとマスタリングはRashadBecker。初回限定版のクリスタル・レコードとジャケットのデザイン、そして音の透明感……、針を落とした30秒後には2017年のベスト・アルバムが決まった。

 音楽にとっていまも昔も変わらない大切なことは、音が「生じる」というその瞬間の神秘性だと僕は思っている。その音の発生する「瞬間」、そしてテクノロジーも含めた「現在」にこだわり続けて10年。ついに完成されたTomoko Sauvage(トモコ・ソヴァージュ)の音楽は、人類史にしっかりと刻まれる傑作だ。
 音の振動は周囲に影響を与えながら減衰していく。その影響は永遠に消えることはない。フランスから届けられたこの音楽が、世界中のあらゆる時間と場所で再生され、世の中の振動が、静逸な調和へと導かれることを心から願う。そんな想いもあってレヴューを書きはじめて、トモコさんにインタヴューまでしてしまったので、それを共有させてください。

水かさを変化することによって、調性、ハーモニーを少しずつ変えていっていますが、やっているのはそれだけです。録音は、西南仏の田舎のとある村にあるフェスティヴァルで、会場に使われた、いまは使われていない公民館のようなところで録音しました。

録音の環境や、機材に関して教えてください。

T:録音に関してですが、すべて4トラック、2本のマイク(ノイマンのKM184ステレオ)と、ミキサーからのステレオアウトです。
 ハイドロフォン(Aquarian Audio / H2a-XLR)は私は楽器の一部としてとらえています。waterbowlsは、大きさの異なる6つの磁器のボウルです。白磁で有名なフランス、リモージュ市のセラミック研究所で作ってもらいました。リムザン地方の山の中にある La Pommerieというアーティスト・レジデンスでのプロジェクトの一環です。いちばん大きいものは直径50センチほど、小さいものは直径20センチほど。水の量によって音程を調節します。それぞれのボウルの水の中にハイドロフォンを沈めて、左手で常にフェーダーの操作できるよう、私の左手にミキサー。右手は水の中、左手は乾いていてフェーダーの上、という感じで演奏をしています。レコードのジャケット写真のように、氷のしたたる音を使っていると思われる方が多いのですが、もっと簡素なドリップシステムで水滴をたらしています。ジャケット写真は、楽器から派生させたインスタレーション作品(2010年)のベルリンでの2度目の展示風景です
 磁器のボウルは私の身体の一部とでも思えてしまうぐらい、大切なものです。飛行機の移動で何度か割れてしまい、トイレで泣いたこともあります。氷が落ちてきたら嫌なので、私の大切なボウルの上には絶対つるしません! 壊れた破片をヤスリで磨いて、それでインスタレーション作品を作ったこともあります。インスタレーション用のボウルは、お店で買えるものを使っています。
 ここ8年間で、25カ国、100回以上コンサートをするうちに、ルーム・アコースティックにものすごく左右される楽器だということ、それをいかにコントロールするかを探ってきました。やっとマスターできた、と思えたのは去年あたりからです。スピーカーの数、位置、それからもちろんミキサーやミキサーのEQなどのクオリティやなどでもものすごく変わります。

それぞれの曲について教えてください。

1曲目:Clepsydra

T:2009年のアルバム『Ombrophilia』でも多用した、水滴でボウル鳴らすテクニックです。ボウルの水かさを変化することによって、調性、ハーモニーを少しずつ変えていっていますが、やっているのはそれだけです。録音は、西南仏の田舎のとある村にあるフェスティヴァルで、会場に使われた、いまは使われていない公民館のようなところで録音しました。楕円形、3層、真ん中が吹き抜けの変な構造になっていて、オーガナイザーが音響に詳しい方だったので、いろんなところにいろんな種類のスピーカーを置いてもらって、建物全体が良く響くようにしてくれました。
 スピーカーの一部として、ジェネレックの小さいスタジオモニター用スピーカーを10台位設置してくれたり、かなり豪華に音響を施してくれました!
 こういった、理解あるオーガナイザー、エンジニア、そしてそれをサポートする国の補助金(税金でまかなわれている)によって、私の音楽は育てられたと思っています。今回は全てフランス国内のそういった、オーガナイザー(でも彼ら自身もミュージシャンなど、若い人たち)のサポートによって録音を実現出来たので、アルバムはフランス語のタイトルにしています。ときどき建物がきしんで、みしみしする音が入っていますが、これは狙いではなく消せなかったものです。

2曲目:Fortune Biscuit

T:気泡の出る素焼きのセラミックを水に沈めることによって音をならしています。泡がはじける音、泡が穴から出てくる時の音が、毎回違うので、フォーチューンクッキー(アメリカ系中国の、中にメッセージが入ったクッキー)にちなんでタイトルをつけました。ビスキュイは、そういった素焼きのフランス語名です。これはマットな音環境の普通のスタジオで録音しています。80年代のソニー製のお宝高音質オープンリールで録音しています。

奇跡を信じて強く生きていかなければならなかった時期、フィードバックがきれいに鳴ることに、一種の奇跡を感じていたというか、日本語で言うと願掛けみたいのかな。強く祈るような気持ちが私の編み出したフィードバック奏法と密接につながっていると思います。

3曲目:Calligraphy

T:これは、私がここ8年以上オブセッションのように追求してきた、ハイドロフォンとスピーカーのフィードバックで演奏しています。もともと手芸用品のDMCの工場で、今はがらんどう、コンクリート、天井高6、7メートル、その部屋は小さめの35-40平米位だったと思いますが、残響が10秒ぐらいある、いままででも最高の音響で録音しています。スピーカーは4台のNEXO。普段は鳴らない周波数のフィードバックもどんどんなって、もう奇跡じゃないかと思うくらいすごかったです。以前鈴木昭男さんが、残響のあるところで笛を吹くと自分が天才になったみたいに上手く吹けるけど、野っ原に行って吹くと途端に天才じゃなくてがっかり、とおっしゃっていました。残響があるところだと鳴る以前の音が鳴るんだ、というような言い方をされていましたが、このフィードバックもそういうことですよね。フィードバックって、なんか幽霊みたいですよね。
 電気も音も目に見えないものだから、幽霊的なものがあるような気がします。
 時々どこからきているかわからないノイズとかがのったりして、すべて科学で証明できるものとはいえ、それでもなにか神秘を感じてしまうのです。
 じつは、当時3歳だった娘の病気が発覚したのが2013年の4月、その約4ヶ月後の演奏、録音です。
 奇跡を信じて強く生きていかなければならなかった時期、フィードバックがきれいに鳴ることに、一種の奇跡を感じていたというか、日本語で言うと願掛けみたいのかな。強く祈るような気持ちが私の編み出したフィードバック奏法と密接につながっていると思います。
 それで『Musique Hydromantique』というタイトルです。古代ギリシャなどで行われていた水占い。現代では占いの結果をどう解釈するかは個人の自由だし、それよりも、占う時の強い気持ちに、なにか意味があるんじゃないかと……
 “Calligraphy”では、複数のボウルの複数の周波数のフィードバックが同時に鳴っています。これ実は結構コントロールが難しいのです。左手でミキサーのフェーダーを超微妙にコントロールしながら、増幅しつつある周波数に耳を傾けて音が強くなりすぎないよう注意を払いつつ、減衰しつつある周波数のフィードバックを増幅するべきフェーダーをアップして……
 バランスポイントを微妙にキープし続ける、集中力を要するプロセスです。この録音ではそういった、瞑想に近い集中力に達することができたと思っています。
 それから、水を揺らし波を作ることで、増幅しつつある周波数が落ち着くんです。
 また、こぶしを水に浸すことによって水かさを増やすことも、増幅しつつある周波数を落ち着かせるテクニックです。その時にできる、カーブ、音楽用語でいったらポルタメント、グリッサンド、ピッチベンドが、とにかくすごく好きなんです。母書道をやっていた母が、完璧な美しいライン、カーブを描くために執拗に練習していたのを見て育ちました。なんかそれに通じるものがあるなーと思ってのタイトルです。インド音楽のガマカなんかに通じるものがすごくあるとも思っています。
 と、とにかく奥深くて、ここ8年間の私の人生の半分位をしめた(!)といってもいい水のフィードバック奏法、語り始めたら止まりません(笑)。
 ちなみに、フィードバックは、幽霊を写真に撮るように、録音が非常に難しいと感じます。一度録音エンジニアと語ってみたいです! 素人として思うのは、フィードバックって、フィジカルに身体に貫通する、骨で聴く音なのではと。身体で直接ヴァイヴレーションを受け取るというか。マイクはそれを感知できないところがあるみたいで、毎回録音に非常に苦労しました。
 実はこの3曲目も、もともと録音状態がひどくて、アナログやデジタル技術を駆使して友人に修復してもらったものなのです。この難しさが今回のアルバムに時間がかかったいちばんの理由です。
 余談ですが、つい先日スウェーデンでのコンサートで、私の到着時にエンジニアがスピーカーチェックのためにこのアルバム、『Musique Hydromantique』をかけていて、ああ音悪いなあと思いながら聴いていて、実際サウンドチェックしたらすごく音がよかったので、音が悪いのはアルバム……。次作は本当の音にもっと近づけるように頑張ります。

この作品を出したらこういう音楽をやめてもいい。とおっしゃっていましたが、WIREなどの世界中のメディアから反響を受けたあと、その心境に変化はありましたか?

T:ええええ、そんなこと言いましたっけ!? 全然覚えがないです。もしかしたら、次へ進むという意味で、違ったスタイルを追求したいという意味で言ったのかもしれませんね。以前から、この楽器は、私の幸せにしてくれる魔法の楽器だと感じていて、誰もよんでくれなくなっても一生演奏し続けているとおもいますよ。先週もレコーディングしていて、楽しくて仕方なかった。次作、早く出したいです。『Musique Hydromantique』はもうだいぶ時間がたってしまい、私がいまやっている演奏スタイルとはだいぶ異なりますが、次作は全然違った雰囲気になると思うので期待していてください(笑)!

悪女/AKUJO - ele-king

 昨年のワースト・ムーヴィーは『ワンダーウーマン』だった。ストーリーが単純な上にとにかくテンポが悪い。『ハリー・ポッター』シリーズは監督が変わってもテンポが遅いのは子どもに観せるという大前提があるからだろうけれど、『ワンダーウーマン』にそんな制約があるとも思えない。余韻がどうという場面もないし、じっくりと観せるシーンもなかったのに、どうしてあんなにゆっくりとしか展開しなかったのか。しかし、『ワンダーウーマン』は全米で年間3位の大ヒットだったという。『ワンダーウーマン』を絶賛している声を表面的に掬い取って見ると、世間のことは何も知らない女性が性善説に基づいてアクションしまくることがいいらしく、アン・ハザウェイやジェシカ・チャスティンといった中西部受けしない女優たちが絶賛し、ヒーローものにしては女性客が50%を超えていることがひとつの特徴だという。人類にはもともと悪い心はなく、悪魔がそうさせているだけなので、純粋無垢なワンダーウーマンがその悪を退治するという展開……と書くと、やっぱり子ども向けにしか思えなくなってしまうけれど、『スリー・ビルボード』もリベラルのおとぎ話みたいなところがあると書いたばかりなので、トランプ政権下で文化系リベラルが求めていた捌け口が集約された作品なのかなと思うばかりである。

 女が激しく戦闘するだけなら日本占領下の朝鮮半島を描いたチェ・ドンフン監督『暗殺』でチョン・ジヒョン演じるアン・オギュンも記憶には新しい。あれは銃があまりにも重くて、狙撃用のライフルを構えるだけでも大変だったらしい。そして、同じ韓国映画でチョン・ビョンギル監督『悪女/AKUJO』も冒頭から女の戦いっぷりは凄まじい。キム・オクビン演じるスクヒはいきなりヤクザの本部に乗り込み、組織ごと全滅させてしまう。ここまでがあっという間。ドミノ倒しのように殺されていくヤクザたちはまるで死ぬために生まれてきたかのように次から次へと倒されていく。物語はここから始まると言いたいけれど、警察に逮捕されたスクヒが連れて行かれたのは国家のためにさらに精度の高い暗殺マシンを養成する施設で、彼女はそこでさらに高度な訓練を施されることになる。この過程がまたシステマティックに構成されていて実に楽しい。スクヒはそして、国家が命じる暗殺をやり遂げればいままでとは異なる身分を国家から与えられ、自由の身になると告げられる。これが絶対に困難なミッションだろうと思っていると(以下、ネタばれ)、拍子抜けするほど簡単で、スクヒはすぐに釈放されて自由の身になれる。所内で産んだ子どもと共に彼女は新たな人生を生き始めることになる。


『悪女/AKUJO』

 その後に起こることは実はどんなストーリーでもよかったのではないかと思う。スクヒは要するに売春組織から抜けられない売春婦の比喩なのだと思う。彼女は徹底的に国家から監視され、それ以上は関わらなくてもよかったはずのことにも駆り出され、自分の人生などというものは持てないどころか、むしろ過去との接点は増えていく。『悪女/AKUJO』を観ていて僕はコリーヌ・セロー『女はみんな生きている』を思い出した。韓国の売春組織がどれほど高度なものかは知らないけれど、ヨーロッパのそれが極めて複雑で女性たちにとって絶望的な組織論によって支配されているかは各種ドキュメンタリーや国連がそれに関わっていることを暴いたラリーサ・コンドラキ監督『トゥルース 闇の告発』がアメリカでは上映できなかったことでも深刻さは伝わってくる(確かガスランプ・キラーがこれについてラップしていた)。フランスの新自由主義を批判するイントロダクションから始まった『女はみんな生きている』は次第にヨーロッパの地下に張り巡らされた売春組織の実態に肉薄していき、主役の女性たちはこれに思いっきりカウンターを食らわせることになる(ファンタジーとはいえ、その方法論はとても痛快だった)。『悪女/AKUJO』もこれと似た展開をたどり、クライマックスでは長丁場のカーアクションも圧巻だし、女性がアクションしまくるという意味では何も申し分はない。しかし、この作品は『ワンダーウーマン』と同じ客層を呼ぶことはできないだろう。それはスクヒにはあまりにも葛藤があり、それが物語を根底からドライヴさせている要因をなしているからである。逆にいえば口コミ型で広まったという『ワンダーウーマン』は何ひとつ葛藤がないことが女性客を引きつけたということなのだろう。

 どうして『ワンダーウーマン』を観たのかと聞かれれば、アメリカで再燃しているフェミニズムがどこかしらにテーマとして盛り込まれているからではないかと予想したからである。しかし、そのような要素はなかった。それどころか反トランプで動いている女性たちと『ワンダーウーマン』にもしも関係性があるとしたら、この運動はヤバいかもと懸念せざるを得なくなってしまった。『ワンダーウーマン』の幼児性がもしもウイミンズ・マーチやタイムズ・アップにも浸透しているとしたら、女性の尊厳というようなテーマからも一気にそれてしまうし、それこそカトリーヌ・ドヌーヴの言うように「女は子どもじゃない」と言いたくなる衝動も理解できないことはない。『ワンダーウーマン』は女性しかいないアマゾナスで育ち、世界のことは何も知らないという設定で、それは確かに子どもということでしかない。子どもが悪と戦う映画を女性客が喜んで観ているというのは……どうなんだろう。ソフィア・コッポラの新作『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』がそして、男性とは隔絶された女子寄宿学園で暮らす女性たちの話であった。1971年に公開された『白い肌の異常な夜』と同じ原作を映画化したもので、反戦や人種問題をばっさりとカットし、女性だけの空間に負傷兵がひとり紛れ込んでくるという設定だけを踏襲している。そして、男性に興味を示す女性たちの心理が事細かに描写され、前作よりも心理劇の要素が比重を増している(そして、アメリカ南部なのにヨーロッパにしか見えない衣装と)。


『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』

『白い肌の異常な夜』では負傷兵の体を拭くのは黒人メイドの仕事である(この時のセリフが実に印象的)。コッポラ版ではこのような仕事をニコール・キッドマン演じる園長のミス・マーサにやらせている。男性の肌に触れるマーサの内面を推し量るようなショットが最も雄弁にこの作品の意図を物語っている。キルスティン・ダンスト演じるエドウィナ、エル・ファニング演じるアリシアもコリン・ファレル演じるマクバニー伍長には興味津々で、クライマックスでマクバニー伍長が動き出すまでは男性にも女性にもいわゆる「理はない」としか言えない場面ばかりが積み重なる。結果的には悲劇ではあるものの、その過程は『白い肌の異常な夜』のようにあらかじめ男性=悪という描き方はせず、男性の内面はあくまで未知数になっているところが現代的だった。ウイミンズ・マーチやタイムズ・アップに対して、結果だけを見てモノを言うのはどうなんだろうという疑義がこの作品に潜んでいないとはとても思えないし、『ワンダーウーマン』を観てはしゃいでいた女性コメンテイターの感想を聞いてみたい作品ではある。とはいえ、『ワンダーウーマン』を監督したパティ・ジェンキンスはかつてシャーリーズ・セローンのブスメイクが話題を呼んだ『モンスター』を撮った監督でもある。リドリー・スコット『テルマ&ルイーズ』が元ネタにしていた事件を忠実に再現した『モンスター』はかいつまんで言えば、自分が愛した女性のために次々と男たちを殺していった娼婦の話である。世界のことは何も知らない、子どもみたいな女性が連続殺人鬼になるか、アクション・ヒロインになるか、パティ・ジェンキンスにとってはもしかすると大した違いはなかったのかもしれない。


『悪女/AKUJO』予告編

『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』予告編

 SWANKY SWIPE / SCARSでの活動でも知られ、数々のクラシック作品をリリースして人気/評価を不動のものとしたラッパー、BES(ベス)。MONJU / SICK TEAM / DOWN NORTH CAMPのメンバーとして、そしてソロ・アーティストとしてこれまでに膨大な音源をリリースし、近年の活発な活動にも注目が集まっているラッパー、ISSUGI(イスギ)。旧知の間柄であり、これまでにも幾度かコラボレーションしてヘッズを狂喜させてきた両者のジョイントによる噂のオリジナル・アルバム『VIRIDIAN SHOOT』(ヴィリジアン・シュート)のリリースへ向け、Teaserが公開! 同作のレコーディング風景を使用し、収録曲“RULES”をいち早くプレヴューしている。また2/21よりiTunes Storeでのプレオーダー受付とその“RULES”(Prod by GWOP SULLIVAN)、“WE SHINE”(Prod by GRADIS NICE)の2曲の先行配信もスタート! リリースはいよいよ来週、2/28!

*BES & ISSUGI 『VIRIDIAN SHOOT』 Teaser

BES& ISSUGI
VIRIDIAN SHOOT

2018年2月28日発売予定
レーベル:P-VINE, Inc. / Dogear Records

[トラックリスト]
1. ALBUM INTRO
 Prod by 16FLIP
2. SPECIAL DELIVERY
 Prod by GWOP SULLIVAN
3. NO PAIN MO GAIN
 Prod by GWOP SULLIVAN
4. GOING OUT 4 CASH
 Prod by GWOP SULLIVAN
5. NEW SCHOOL KILLAH
 Prod by 16FLIP
6. 247
 Prod by BUDAMUNK
7. RULES
 Prod by GWOP SULLIVAN
8. BIL pt3 feat. MICHINO
 Prod by GWOP SULLIVAN
9. EYES LOW
 Prod by 16FLIP
10. HIGHEST feat. MR.PUG, 仙人掌
 Prod by GWOP SULLIVAN
11. VIRIDIAN SHOOT
 Prod by GWOP SULLIVAN
12. SHEEPS
 Prod by DJ SCRATCH NICE & GRADIS NICE
13. BOOM BAP
  Prod by DJ SCRATCH NICE
14. WE SHINE
  Prod by GRADIS NICE
〈BONUS TRACKS〉
15. GOING OUT 4 CASH REMIX
  Prod by GWOP SULLIVAN
16. SPECIAL DELIVERY REMIX feat. MR.PUG
  Prod by GWOP SULLIVAN

Georg Gatsas - ele-king

 見たまえ。いま産業メガシティが生まれつつある。この10年、街の景観はおそろしいほど変わった。五輪を目前にいまも急激に変わりつつある。そこら中が工事だらけであり、スポーツジムだらけであり、広告だらけだ。東京だけの話ではない。ぼくの故郷の静岡もディストピア映画そのものの高層ビルおよびショッピングモールが建てられ続けている。共同体を破壊しながら。

 この血も涙もない再開発は世界中で起きている。イギリス映画でここ最近のロンドンの街並みが写されるのを見るたびに気分が落ち込む。自分がよく知っている時代のロンドンは見る影もないが、90年代後半にはすでにその兆候があった。企業の資本が入った大型クラブの登場は、都市がそのローカリティーや共同体よりもビジネスの主戦場であることを優先するというメッセージだった。「ロンドンはどこまで新自由主義化するのか?」マーク・フィッシャーが嘆く。「私たちは目的を持たない資本主義のラボラトリーのなかで暮らしている」。が、しかし、快楽主義的娯楽施設から文化を生み出すことはできなかった。ロンドンの文化を救ったのは、そうしたラボラトリーには属さない/属せない、疎外された人たち/場所だった。それがグライムであり、ダブステップであり、ベース・ミュージックだった。ギル・スコット=ヘロンが言ったように、革命は本当に放映されたりはしない。

 本書『SIGNAL THE FUTURE』は写真家のGeorg Gatsasによる、2008年から2017年までのロンドンのダブステップのシーンを中心にとらえた写真集だ。2008年というとダブステップがメインストリームの支配的なジャンルにまで上り詰めた時期で(なにせスクリームの「Midnight Request Line」が2006年だ)、むしろダブステップそのものは衰退が見えはじめた時期ではあるが、Georg Gatsasはその後のアンダーグラウンドを見逃さない。伝説となったクラブ〈プラスティック・ピープル〉をはじめとするアンダーグラウンド・クラブ・シーン(クラバーやその場面)、そしてDJやプロデューサーの写真が街の風景とともに展開されている。その風景写真がまず素晴らしい。
 Burialが表現したような、夜の街、雨に濡れて、人がいない街角からはじまる。再開発によって建てられたハイパーモダンなデザイン(魅惑的な未来都市)の高層ビル、スクリームをモデルにしたヘッドフォンの広告板(それらに混じってファティマ・アル・カディリやケイティBのポスター)、地下鉄とその監視カメラ群の写真が、ローファ、マーラ、コード9、スペースエイプ、アイコニカ、ジェイミーXX、リー・ギャンブル、シルキー、ヤングスタ、ローレル・ヘイロー、ピアソン・サウンド、ヴィジョニスト、ピンチ、DJラシャド、ザ・バグ、キキ・ヒトミ、PAN……などなどのポートレイトに混ざっている(つーか、このメンツのなかにジェイミーXXがいることに驚くんだけど)。

 4人のライターが原稿を寄せている。そのひとりは、偶然というかなんというか、たまたま先日レヴューしたばかりの『資本主義リアリズム』のマーク・フィッシャー。「Burialは私に悲しみを抱くことを許してくれた」というその原稿は、変わりゆくロンドンを例によって資本主義批判の立場で分析する。ファレル・ウィリアムスの“ハッピー”を新自由主義に支配された夢見るロンドンに重ねながらこっびどく皮肉り、Burialの『Untrure』においてもっとも重要な曲、“Archangel”にサンプリングされた一節、「If I trust you...」というなかば疑問的な言葉を解読する。
 ほかの3人の原稿も読ませる。都市を描写する音楽、リンスと FWD、家賃の高騰と疎外された人たち、「重要なものはアンダーグラウンドから生まれる」、アフロ・フューチャリズム、シャンガーンなどアフリカとの接続……、エトセトラ・エトセトラ。読んでいるとこの10年で何が本当に重要だったのかがあらためてよくわかる。ハイプ・ウィリアムスを現代のTGと表現した文章には個人的にとても共感した。

 いま冬を生きている。サマー・オブ・ラヴに対する冬、まさしく“レイヴ・カルチャーへのレクイエム”、その象徴がダブステップとグライムだったと。冬のはじまりであり、バレアリックとは対極の、しかしこれはしぶとく生きている道筋なのだ。それを携帯に突っ込んだイヤフォンで満足してはならない。足下から聴こう。アンビエントとしての低音。「いまの私たちにそれを信じることは難しいだろうが……」フィッシャーは意外なことにこう結んでいる。「資本主義リアリズムの冬は終わり、夏はやってくる」と。
 限定1000部という話だが、この時代を忘れないためのじつに貴重な写真と言葉である。もし私があなたを信用できるのなら……。

BPM ビート・パー・ミニット - ele-king

記憶するということと/思い続けることは違います/たいていの人間は/時とともにすぐに忘れてしまう/それが一番/むずかしい事です 清水玲子『パピヨン』1994

 カンヌ国際映画祭には2010年に創設された「クィア・パルム」という独立賞があり、全上映作品の中からセクシュアル・マイノリティに関する要素を持つ作品が候補作として選定される。昨年この賞(カンヌではグランプリも獲ってるが)を受けたのが本作『BPM』で、3年前(2014年)のクィア・パルム受賞作は『パレードへようこそ(原題:Pride)』。

 LGSM(Lesbians and Gays Support the Miners)の軌跡を描いた『パレードへようこそ』の舞台は1984年の英国で、創設メンバーの一人であるゲイ・アクティヴィスト、マーク・アシュトンは1987年2月11日にエイズのため死去している。米国における、エイズ施策に消極的な政府や、感染当事者の要望に応えない製薬会社などに対する直接抗議行動団体「ACT UP」がニューヨークで始動したのが1987年の3月なので、彼はそのムーヴメントの萌芽を見ることなくこの世を去ったことになるが、さらに2年後の1989年には英国の対岸フランスで「Act Up-Paris」が活動を開始する。『BPM』が舞台に設定したのはその頃、90年代前半のパリである。

 実際にAct Up-Parisのメンバーでもあったロバン・カンピヨ監督はこの映画を、実在した過去の人物を役者に割り振ることをせず、あくまでフィクションとして再構成した。それは「フランスにおける90年代前半のエイズ・アクティヴィズム」といった言葉で記憶されるであろうムーヴメントの渦中にいた人々に、改めて顔と名前を与える作業とも言える。いかにあの時代の空気から乖離せずに描くか、という困難な作業をナウエル・ペレーズ・ビスカヤート(個人的に印象深いのはアルゼンチンからベルギーのパン屋のおっさんに身請けされる青年を演じたデヴィッド・ランバート監督の『Je suis à toi』)やアデル・エネル(『午後8時の訪問者』ほか。余談ながらパートナーは同性)を始めとした俳優陣が過不足なく体現することで成立させている。また監督が「出演者の大部分がオープンリー・ゲイだった」と語っていることからは、制作現場が現在と過去とがせめぎ合う空間であったことも窺える。

ゲイ社会にとってエイズはいまだに終わっていないのだ、と心に留めておくことが大切だ。僕の俳優たちはカクテル療法や併用療法の時代しか知らなかった。彼らは予防的治療の時代を生きている。にもかかわらず、未だに彼らはどこにでも存在する忌まわしい伝染病を抱えて生きなければならない。この映画の時代と現代では25年の歳月が経過しているのにね。 (監督インタヴューより)

 映画が始まって割とすぐ、Act Up-Parisの定例ミーティングに初めて来た若者に古参のメンバーが活動内容などを矢継ぎ早やに説明した後で実にさり気なく、こんな一言を付け足すシーンがある。「あ、あと君らの(HIV)検査結果がどうであれ、この活動に参加した時点で世間からはHIV感染者ってことにされるからね」。この実にあっけらかんと軽く、かつ絶望的なジャブを繰り出された観客は、かつて存在した空気の中に引きずり込まれる。

 早期に適切な治療にアクセスできれば、という条件付きではあるが現在、少なくとも先進国においてはHIVに感染しても生きるか死ぬか、というものではなくなった。が、90年代前半にはまさしく生きるか死ぬかの問題だったのであり、加えて感染者に近づくことすら避けられるような、無知に基づく恐怖が社会に充満していた時代である。当事者とその関係者以外(もちろん政治もである)のマジョリティーができるだけエイズについて考えないことで事態をやり過ごそうした果てに感染は拡がり、そしておびただしい数の人々が死んだ。マドンナが1989年に発表したアルバム『ライク・ア・プレイヤー』の日本盤ライナーには枠囲みで「AIDS(エイズ)に関する事実」というタイトルのコラムがあり、オリジナルのブックレットには見当たらないこのテキストが収録された経緯はよく判らないが、最後の一文はこうだ:「AIDSはパーティーではありません」。

 それから、だいたい四半世紀が経った。2018年現在、医療の進歩によってHIVウィルスの影響自体は効率的に抑えこむことが可能となっている(適切な服薬によりウィルスが検出されない状態を保つことができる)のに、いまだ感染者への差別――日本に限定すればお馴染みの「ケガレ」に近い忌避感、と言い換えてもいいだろうか――だけがスモッグのように残ってしまった状態である。感染しても取りあえず死なないらしい、という曖昧な雰囲気が関心を薄れさせている状況は、現実に向き合って判断していないという意味では「AIDSがパーティー」だった頃と似たようなものだ。

 この映画の仏語原題は『120 Battements par minute』である。音楽のテンポとしてならBPM 120は割と普通にあるけれども、安静時の心拍数としては早すぎる(走っている時にはこのくらい出るだろうが)。もしかすると本タイトルにおける「ビート(Battement)」はどちらとも取れるように「120」に設定されたのかもしれないが実際、この映画もビートとともに始まる。そして心拍としてのビートは、血液のイメージにも接続される。本来体内を循環するのが役割であるはずが、時に思いも寄らないところにまで運ばれ、また思いも寄らないものを運んでしまう血液のイメージが視覚的にも随所で使われ、なまじリアルな流血をこれでもかと繰り出すより効果的に作用している。

 登場人物がほぼ10~20代の若者たちで、かつアーバンな首都の生活者で、ある一時期ヒートアップしたムーヴメントを描いた映画であるのは間違いないので、この映画を観て受け取った感動をつい「駆け抜けた青春」などと形容しそうにもなるが、当時の渦中ただ中にあった人にとっての現実は、何も考えずに歩いていた道が実はランニングマシーンだった(止まったが最後、容赦なく地面に叩きつけられる)ことに気づいてしまったようなもので、ひたすらに追いかけてくる現在の中で自らの青春にうっとりしている余裕などなかったであろう。ハードコアな日常に否応なく放り込まれた彼らの顔は、だからどこか茫洋としている。

 『BPM』の中で彼らが束の間の陶酔を表情として見せるのは、観ていて息苦しくなるようなセックス・シーン(フェラチオする時にコンドームを付けたほうがいいのか大丈夫なのか、といったノイズがいちいち邪魔をする)ではなく、ほぼ深夜のクラブでのシーンに留められている。彼らが昼間の活動を終えた後でゆらゆらと漂うクラブで流れるサウンドはあくまで90年代風に作られた、ただしその音の硬さがあの頃の音とはどこか決定的に違う響きを持った新曲が大半を占めているが、そこからも制作者の「これはフィクションである」という明確な意志が伝わってくる。それはつまり、下手を打つと間違い探しによって内容がぼやけてしまう「事実に忠実な再現ドラマ」という枠組から自由になるために選ばれた語り方である。

 確かにエイズはパーティーではなかった。が、どうしようもなく熱を持っていた時期があった。やがてその「フィーヴァー」は去り、しかし終わったわけでもない25年後のいま、ノスタルジアを極力排した映画『BPM』が届けようとしているものは、かつてその熱が何を奪い、何を生んだのか? という人と社会の動きについてであり、そして一番にそれが届けられるべきなのは現在、この映画の中を生きた彼らと同年代の人々と言うことになるだろう。苦闘した先人たちを英雄的に描くことで若者に恩を着せるのが目的では無論なく、この先も人間社会は似て非なる愚行を幾度も繰り返すだろうし、幾ら歴史を学んでも過去が現在のシミュレーションではない以上、眼の前の事象にどう対処したらいいのかの判断は、その場に立ち会ってしまった未来の誰かがするしかないのだ。先に道を歩いてきた者は、さらにその先へと進もうとする誰かに「覚悟だけは決めておけ(幸運を祈る)」とだけ伝えて倒れていくほかに、できることはないからだ。


interview with Toshio Matsuura - ele-king


Toshio Matsuura Group
Loveplaydance

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Jazz not Jazz for dancefloor

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 まあとにかく集まって、互いに音を出す。思わずディナーショーの席を立ち、汗まみれのダンスフロアに向かう。エクレクティックな音楽をやる。SoundCloudからは見えないそのシーン、いわば現代版「Jazz not Jazz」現象がUKでは注目を集めている。松浦俊夫のソロ・アルバムは、まさにその瞬間にアクセスする。
 彼の新しいアルバム『LOVEPLAYDANCE』は、表向きには90年代のクラシックをカヴァーするアルバムとなっているが、それは表層的な情報で、目指すところは「過去」ではない、「現在」だ。参加メンバーを紹介するのが早いだろう。
 メルト・ユアセルフ・ダウンやサンズ・オブ・ケメト、あるいはフローティング・ポインツでドラムを叩くトム・スキナー。レディオヘッドにも参加しているバーレーン出身の女性トランペッター、ヤズ・アーメド。アコースティック・レディランドのベーシスト、トム・ハーバート。ヘンリー・ウーとのプロジェクト、ユセフ・カマールのユセフ・デイズ。ザ・コメット・イズ・カミングのダン・リーヴァーズ……そして『We Out Here』にも参加した今年の注目株のひとり、アフリカ系の女性サックス奏者、ヌビア・ガルシア。要約すれば、UKジャズの新たなるエース、シャバカ・ハッチングス周辺、そしてフローティング・ポインツやペッカムのフュージョン・ハウス・シーンのキーパーソン、ヘンリー・ウー周辺の人たちである。
 DJはプロデューサーであり、オーガナイザーであり、ときにはジャーナリストでもある。松浦俊夫とジャイルス・ピーターソンは、たったいま南ロンドンで起きていることをとらえて、そのエネルギーを90年代のダンスフロアで愛された楽曲にぶつけた。こうして生まれた『LOVEPLAYDANCE』は、ノスタルジーという誘惑を見事に退けて、現在から明日へ向けられるアルバムとなった。しかもこのタイミングでのリリース。これは大きいかも。

この20年くらいで世のなかがまったく変わってしまったので。うーん、生き方が変わったという気はしますよね。だからそれぞれがしょうがないからこうやって生きるかみたいなところで受け入れたり、諦めたりする部分が出てくるのかなと思っていて。自分もけっこういまその岐路に立っていると思っているんですけど……諦めきれないんですよね。

まずはアルバム、『LOVEPLAYDANCE』のコンセプトについて教えていただけますか? いままでのご自身のキャリアのなかでとくに思い入れのある曲ということで選んだんでしょうか?

松浦:曲目を見ていただけるとわかると思うんですけど、90年代前半の曲が意外となくて、90年代半ば以降のサンプリング・ミュージックからすこし移行したあたりの楽曲が中心になっています。最初に何百曲か選んでみて、サンプリング・ミュージックをいま生でやり直すということってどうなのかなと思うところがあったんですよね。サンプリングを通過したクラブ・ミュージックが展開していくうえで、逆にミュージシャン的な人たちを必要とした時期があって。生のバンドでやり直すんだったらそこらへんなのかなと思ったんです。

時期を限ったというか。ところで、ご自身のDJ歴はいつからになるんですか? 

松浦:人前で名前を出してDJをしたのは、川崎のクラブ・チッタが出来たころですね。クラブキングにいたときに、「革命舞踏会」というイベントを(桑原)茂→さんがやっていたんですね。そのクラブ・チッタのイベントでやってからなので、実は今年でちょうど30年目なんです。

30年前ですか。

松浦:クラブキングの頃もそうですし、ジャズ・クラブで働いていたときもそうだったんですけど、自分の音楽歴の要所要所ですごくターニング・ポイントになることがあって。そのターニング・ポイントの入り口を作ってくれたのが、ケニー・ドーハムの『Afro-Cuban』というブルーノートから50年代半ばに出たアルバムなんですけど、それをいまやるのも違うなと思ったんですね。やっぱりいまの時代にリプレイして聴き直す、あらたに世のなかにプレゼンテーションするとしたらなんなんだろうか、というところが実はいちばんこだわったポイントです。
とくに時間的な縛りを設けたというよりは、自分が作り手として出す以上にDJとしていまの時代に出すという意味も含めて考えたときに、自分は作曲だとは思っていないんですけど、曲を作ることと曲を紹介するということが両立出来ないといけないなと思ったんですね。それはどちらかに寄せるだけでもいけないなと思ったので、すごく難しいところではあると思うんですけど。コンセプトはすごくシンプルなんですけど、この楽曲ラインナップになるまではけっこう迷い続けていたところがあったかもしれないですね。

なるほどね。たとえばカール・クレイグの“At Les”やロニ・サイズの“ Brown Paper Bag”みたいな曲とか、ニューヨリカン・ソウルの曲(“ I Am The Black Gold Of The Sun”)はそれ自体がカヴァーだったので違いますけど、クルーダー&ドーフマイスターみたいな人たちの打ち込みの曲なんかは、やっぱりそのローファイな音質やアナログ・シンセの音があって成立する曲かなと長いあいだ思っていたんですね。でも松浦さんの今回のアルバムを聴いて、楽曲そのものの良さというのが他の人がやっても生きているというように思ったんですよ。20年くらい前の曲が入っていますけど、20年経ったいまも楽曲として生きていますよね。そういう意味でいま松浦さんが仰ったことの主旨には納得しましたし、アルバムを聴いたときにもそれは感じました。だから、ひとつにはこういう90年代の打ち込み主体の曲が、いまも楽曲として生きているということを証明するアルバムとも言えるじゃないかと。

松浦:録音自体は4日しかなかったんですけど、そこまでに時間がかかりましたね。実は収録していない曲もあったりして、もしこれが世のなかに認知されたら続編というかたちもあるかなと思ってあえて入れなかったんですね。未完成の状態だったので、新たに作り直したほうがより楽曲としてこなれるだろうなと。どちらかと言うとテック寄りの楽曲だったので、もうちょっと良くなると思って今回はあえてカットしました。

全部ロンドンで録音したんですよね? ぼくもこの2年くらい南ロンドンのペッカム周辺のシーンを好きで聴いていたんですが、松浦さんのアルバムがそのシーントリンクしていてすごく嬉しく思いました。だからこのアルバムはノスタルジーになっていないんですよね。こういうことをやるときってそこが微妙じゃないですか!

松浦:そうなんですよ。だから許される条件として当事者であるということと、いまのイギリスのシーンのなかで頑張っている人たちと世代が違うのに一緒にやれたというところが大きかったですね。実際に演奏してくれた人たちにしてみるとノスタルジックな思いというのは一切なかったりするんですよね。トム・スキナーというミュージカル・ディレクターのドラマーの彼はすごく音楽を知っていて、“At Les”なんかも好きだって言っていたんですけど、基本的にほとんどのプレイヤーは“Brown Paper Bag”も知らないという人たちがほとんどでした。でも逆に知らなくて良かったのかなと思いますけどね。

知らないからこそ良かったんでしょうね。

松浦:事前に楽曲データを送って、余裕があれば聴いてくださいねとは伝えていたんですけど、みんな忙しかったのでロクに聴いていないという(笑)。でもそれが逆に良かった。思いもよらないようなアレンジが途中で出て来たりしたので、それはそれで自分の考える「ジャズ」みたいなものにとっては結果オーライだったんじゃないかなと思っているんですよ。もともとジャズを作ろうと思ってやっているわけではないですし、ジャズはジャズ・ミュージシャンのものだと思っているので。気持ち的にジャズの精神みたいなところ、新しいものに挑戦していくということと、すべてを吸収するものがジャズだという考えであれば、このプロジェクトはOKじゃないかなと思ったんですよね。

ある意味では意図した部分ではあるんでしょうけど、すごくフレッシュな演奏ですもんね。楽曲を知っているヴェテランがやってしまったら……。

松浦:いわゆるカヴァーになっちゃうと思うんですよね。打ち込みの音楽を生でやりました、というか。

ああ、ありましたね。なるほど(笑)。

松浦:いわゆるスタンダードをいなたく、いまのミュージシャンを使ってやるというだけだとたぶん失敗するなと思ったんですね。そこに関してはスタジオでもかなり気を使いました。

なるほどね。なるべくオリジナルに囚われない自由な発想で演奏してほしいということですよね。

松浦:そうですね。だからそもそもイギリスでやろうと思ったのはそこが大きいと思います。

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いまのイギリスのシーンのなかで頑張っている人たちと世代が違うのに一緒にやれたというところが大きかったですね。実際に演奏してくれた人たちにしてみるとノスタルジックな思いというのは一切なかったりするんですよね。

ロンドンはこのところジャズ・シーンみたいなものがとても活気づいていますよね。シャバカ・ハッチングスの新しいジャズの流れもあるし、ヘンリー・ウーみたいにカニエ・ウェストを聴いて育った世代が途中でジャズに向かったような流れもありますよね。今回のアルバムに参加しているヤズ・アハメドやヌビア・ガルシアみたいな人は、シャバカ周辺の人たちで、ヘンリー・ウー周辺ではユセフ・デイズが参加していますよね。このあたりの雑食的な感じがぼくはロンドンのいちばん好きなところで、本当に今回のアルバムではその現地の感じもパッケージされていて、嬉しかったんですよね。

松浦:活気がありますよ。アフリカ大陸からの新たな移民とかも含めて、より人種が多様になってきているじゃないですか。今回のアルバムのメンバーにもユセフ・カマールのユセフ(・デイズ)なんかはそうですし。

ユセフさんは親が移民なんですか?

松浦:親が移民ですね。だからパスポートはみんなイギリスなんですけど、ヤズ(・アーメド)はバーレーンだし、ヌビア・ガルシアもそうですし。いわゆる生粋のイギリスの白人というのは3人くらいかな。アメリカの多人種とは違うおもしろさがありますよね。
ロサンゼルスとかニューヨークを中心とするアメリカのジャズというのはすごくまとめやすい状況だと思うんですよね。(シーンが)ひとつになっているというか。イギリスの場合は多種多様でジャンルも跨っていて表現しようとしているので、それぞれが違うことをやっているというか。グルーヴがあるようなものを中心としてやっているなと思っていて。

そうですよね。ハウスやドラムンベース、テクノともリンクしていますよね。

松浦:それが自分のいままでいた30年間みたいなもので考えると、もちろんアメリカのシーンもおもしろいんですが……。バック・トゥ・ベーシックじゃないですけど、自分が90年代で1枚目のアルバムからロンドンでレコーディングをしていたんで、そういう意味では久しぶりにホームに戻った感じですよね。

まあU.F.O.(ユナイテッド・フューチャー・オーガニゼイション)はロンドンですからね。

松浦:そうですね。

UKのジャズ・シーンは自己流っていうか、USのように楽器はうまくないけど独創的な味がありますよね。

松浦:ヘンリー・ウーにしてもある意味で自己流なんですよね。音楽大学に行っていたわけじゃないですから、音楽理論というよりはもうちょっと感覚的にやっている。だからこそおもしろいものが出来てくるのかなと思います。かと思えばフローティング・ポインツみたいな、より数学的なところのアプローチをしている人もいて、作曲の仕方も違うんだろうなと思いつつ。そういういろいろな才能があってひとつのイギリスのシーンになっていると思うので、その人たちと個々それぞれでやっている人たちがひとつになって、東京から来た自分が入ることによってまた違う反応が起きるんじゃないかなということをすごく期待していました。それは自分が期待していた予想以上に反応が起きてくれたのですごくよかったかなと思います。

とはいえ、90年代のスピリットみたいなものをいまの人たちにも伝えたいという思いはありますか?

松浦:あります。ただその伝え方は難しいかなと思っていて……、ノスタルジックなことではないし、昔はよかったということではなくて、知っておいてほしいことがあるなと。それがバトンだとすると、自分は90年代にキャリアをはじめたとき、どちらかというと先人が残したものをコラージュして新しい物を作ろうとしていて、それを聴いた人たちがその次にバトンを受け取って、さらにその次の世代に渡してもらえる、というように考えていたんですね。でもとくに国内においてはそのバトンがいまひとつうまく渡しきれていなかったかなと思っていますね。
シーン自体が細分化して自分たちが好きなものに特化して、小さなサークルにしてしまったために、全体のシーンというものがいまひとつ見えづらくなっちゃって、なにが起こるかわからないというよりは「これ、レアなんだよね」みたいなところに落ち着いちゃって、趣味の世界に行っちゃったのかなと思うところもあるし。それぞれが刺激し合ってその化学反応が自分だったらこうするみたいのところで、また新しいアプローチが生まれるみたいなことが、イギリスに比べると圧倒的になくなってしまったのかなと思います。

これは今日話したかったことなんですけど、ぼくが松浦さんと初めて会ったのってどこか覚えています?

松浦:どこでしょうかねえ。リキッドルームとかですか?

いやいや。これはすごく笑える話なんですけど、僕が90年代の『ele-king』で初めてU.F.O.にインタヴューしたときは矢部(直)さんひとりだけだったんですね。その当時ぼくはシニカルな質問もよくしたので「なんでU.F.O.はそんなにスーツにこだわるんですか?」みたいな質問をしたんですよ。そのときに矢部さんがどう答えたか、細かくは覚えていないけど「そんなにこだわっているわけじゃない」云々、みたいなことを返してきたんですよね。そのインタヴューが掲載されてからしばらくして、「イエロー」で酔っ払っている松浦さんが僕に突っかかってきたんですよ(笑)。「なんだ、あのインタヴューは!」って(笑)。

松浦:はははは(笑)。

で、ぼくも酔っていたから「なんだ?」みたいな感じになって、当時『bounce』にいた栗原聡さんって編集者のかたが僕と松浦さんのあいだに入って「まあまあ」って(笑)。

松浦:そんなことありましたっけ(笑)。

パチパチ火花を散らしていましたね(笑)。

松浦:そうですか(笑)。すみません。

いえいえ、こちらこそすみません(笑)。松浦さんはたしかそのとき日本代表のユニフォームを着ていなかったっけな(笑)。それは別のときだったかな?

松浦:余計熱くなっちゃってますね(笑)。

いや、でもパチパチやるぐらい真剣だったんですよ。みんな状況を良くしたいから、シーンに良い意味での緊張感がありましたからね。

松浦:その緊張感がなくなってしまったほうが良いか悪いかということの判断基準ではなくて、やっぱりそういう側面はなきゃいけないんじゃないかなという気はしていて。それは頭のなかで考えてどうこうするものではなくて、アティチュードみたいなものがあるというか……喧嘩を売るつもりではなかったと思いますが。

はははは、笑い話ですけど(笑)。

松浦:自分はクラブ・シーンのなかでは一番下っ端みたいな年齢で入ってきたので、怖い大人に比べれば、どちらかと言うと柔らかいほうだったと思うんですけど。ただ、いまは時代が経ったうえで、ある程度下の世代からレジェンド扱いされてお終いにされちゃうというか。レジェンドって言葉の使いかたもちょっとイージーになりすぎているみたいなところがあって。マイルス・デイヴィスはレジェンドだけど(ロバート・)グラスパーはまだレジェンドにはなっていないだろう、みたいなことだと思うんですよね。そういう意味でもうちょっとスリリングで研ぎ澄まされた感じや、体のなかにたぎる青白い炎みたいなものがもうちょっとあってもいいのかなと。そういうものも含めて今回のプロジェクトでなにか動き出すというか、「あ、そうだよね」と思って当時そこにいた人たちも含めてそうやって感じてくれる人がいればいいなというのは大きいですね。

でもこれはもう「Jazzin'」に行っていた世代にとっては「待ってました!」という感じだと思いますよ。もちろんヘンリー・ウーから入っている子たちにも聴いてほしいし。

松浦:それこそサチモスを聴いているような子たちにも届かなきゃいけないなと思っているので。

松浦さんはこの21世紀の現代に対してどう思っていますか? 抽象的な質問で恐縮ですが、どんなところに変化を感じます?

松浦:この20年くらいで世のなかがまったく変わってしまったので。うーん、生き方が変わったという気はしますよね。だからそれぞれがしょうがないからこうやって生きるかみたいなところで受け入れたり、諦めたりする部分が出てくるのかなと思っていて。自分もけっこういまその岐路に立っていると思っているんですけど……諦めきれないんですよね。
このシーンにおいていうと起点の頃からいるので、なんとかしなきゃなという思いはずっと持ち続けていますが、ただ時代のなかで変わっていくということも当然のことながら必要なことであって。それは音楽だけじゃなくて必要だなと思っていて、そのスピリットはなんとか変えずにいく方法はないかなと思っているんですけど。もしかしたらそれが意固地だと思われているかもしれないし、もしかしたらそれがストッパーになっているのかもしれないなと。リミッターみたいなものにかかっているのかなとは思うので。

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ロンドンは活気がありますよ。アフリカ大陸からの新たな移民とかも含めて、より人種が多様になってきているじゃないですか。今回のアルバムのメンバーにもユセフ・カマールのユセフ・デイズなんかはそうですし。ヤズ・アーメドはバーレーンだし、ヌビア・ガルシアもそうですし。

前に取材させていただいたのがHEX(ヘックス)のときで、HEXのときは松浦さんがモーリッツ・フォン・オズワルドの影響を受けていて、アシッド・ジャズのリスナーが望んでないかもしれないことに挑戦したというか、長いキャリアのなかでも違う側面を見せたじゃないですか。しかし今回は、「バック・トゥ・ベーシック」に立ち返って、それを現代版としてアップデートして見せるみたいな感じでやったと。今回のプロジェクトをはじめるにあたって、なにかきっかけはあったんですか? 

松浦:結局自分が納得のいくものを作っても聴いてくれなければ意味がないなと思っていて、HEXの場合は本当にやりたいことだけやったというところがあって、すごくコアな層に届いて、ブルーノート・レコーズ社長のドン・ウォズにも気に入ってはもらえてアメリカでアナログをリリースするかもって話にはなったんだけど、結局出ずじまいになってしまって。説得力に欠けたかもしれないなと思ったんですよね。いま野田さんが仰って下さったようなことがリスナー全員にわかってもらえるとは限らないので。

長い活動をしていれば当然求めているものもあるので、そことのバランスの取りかたというのは難しかったと思いますね。


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松浦:もしかしたらこの新しいアルバムでなにか拡げることができたら、HEXをもう一度やり直すこともあるかなという気持ちもあったんですよね。だからどうしてもひとつひとつに全部を集中しようとすると、U.F.O.だったらその名のもとにできたんですけど、ただ自分でやるとなってアウトプットをどうしようかと考えたときに、これをやり終えてみて肩の荷が下りたところがあったので、いまはもっといろんなことをやってもいいかもと思えるようになったというか。だったらHEXだけじゃなくて、いろんな名前でいろんなことをやるほうが伝えやすいのかもしれないなというのはやってみて思ったことですよね。これで自分がいったんこのシーンにピリオドをつけられたかなと思っていますね。ジャイルス(・ピーターソン)はアシッド・ジャズも含め、いわゆる「ジャズ」という括りのなかで表現されないようにすごく気をつけているのを感じたんですよね。

それはどういうことですか?

松浦:「ジャズ」というカテゴリーのなかに自分を当てはめられたくないというようなことですね。イギリスってクールかどうかというところが大事じゃないですか。だからいまの時代はオルタナティヴみたいなほうがクールというか、そういうところで評価されたいのかなということを傍から見ていて思うんですよね。

それはたとえば『マーラ・イン・キューバ』だとか、南米の音楽との接続というか。

松浦:そうですね。いまも(ジャイルスは)キューバに行っていますけど。なにか未知の物を求めたがるので、そこで新たな出会いを求めるというのが彼の場合はブラジルだったり、キューバだったりしたのかなとは思いますね。ヨーロッパのシーンだと人によってはアフリカのほうが多いじゃないですか。レアなアフリカの音源とか、アフリカのディスコ音源とか。そういうなかで彼の関心は、いま南米のほうにあったのかなという気はしますね。

しかし今回は、“L.M.Ⅱ (Loud MinorityⅡ)”は驚きましたけどね。

松浦:これももともとは(原曲を)やり直そうとしていました。いままでにミュージシャンと三度プレイしたことがあるのですが、90年代の新宿のリキッドルームでU.F.O.のパーティをやったときに、マンデイ(満ちる)さんやMONDO GROSSOのミュージシャンの方々に協力していただいて生演奏したのが最初で、2回目は3年前にユニットでクロマニヨンとHEXが対バンでライヴをやったとき。あともう1回は2016年にスタジオコーストでジャイルスと一緒にソイル(&ピンプ・セッションズ)と日野(皓正)さんを組み合わせたり、ミゲル・アトウッド・ファーガソンとサンラ・アーケストラが出演したりしたイベントがあったんですけど、そのときにソイルにやってもらったんですけど、結局やってもらっておきながら、さっきの話じゃないですけどサンプリング・ミュージックを生でやってもそれ(原曲)を超えることが出来ないというところに行き着いてしまったんですね。
ただ去年で“Loud Minority”を作って25周年だったということもあって、いわゆるクラブ・ジャズみたいなものだったり、自分はもう所属していないもののU.F.O.がもっと評価されていいんじゃないかという思いもあったりして、だったら抜けた人間だけどもカヴァーして聴かせるということがプロジェクトの肝にもなっていたんですね。とにかくその3回の生演奏を自分で客観的に聴き直して「なんか違うな」というところに行き着いて、すごく矛盾しているんですけど今回のスタジオに入るというときに、いかに“Loud Minority”から離れられるか、というかいかにサンプリング要素を削ることができるかということに挑戦しはじめて、その結果曲の途中で一瞬だけベースが出てくるんですけど。

僕はこの曲にHEXとの繋がりを感じたんですよね。だってCANみたいじゃないですか(笑)。

松浦:完全にそうですね。だから本当はオーヴァーダビングするかもしれないということを想定して、ドラムとベースとキーボードの3人での30分くらいセッションが残っているんですけど、最初にああじゃないこうじゃないといろいろやってみて、リズムとかも変えてみて、瞬間的にこれだというのがリズムから出たので、それを中心に回してくださいってことをエンジニアに言ったら、それで演奏が始まっちゃったからもうほっておいたんですよね。それで30分くらいしたら止めたから(笑)、これでOKってことで。あとでオーヴァーダビングもしなくていいからこのままにしようってことで、あとで自分がエディットしたものを聴いてもらうから、それでよければこれでOKですってことでセッションは終わったんですけどね。そのときにこれってHEX2かもしれないって思ったんですよね。もしかしたらこれが次のヒントになると思っていたんですけど……これはたぶんリキッドルームの壁に書かれている「alternative / jazz」ってことなのかなと。それが体現できたかなと思いますね。

ちなみにアルバム・タイトルは最初からこれ(『LOVEPLAYDANCE』)に決まっていたんですか?

松浦:これも悩みました。「ジャズ」とか「クラブ・ジャズ」という言葉を入れるべきか入れないべきかみたいなところでいろいろ考えて、当初は『DANCEPLAYLOVE』か『PLAYDANCE&LOVE』だったんですよ。ちょうどそれを決めなきゃいけないときにトマト(TOMATO)のサイモン・テイラーが来日していて話をしたんですけど、自分が考える英語とネイティヴの連中の英語のニュアンスの受け取り方はたぶん文字以上に違うだろうなと感じていて、「&LOVE」にするとすごく感傷的になると言われたんですね。そのニュアンスは自分にもあったんですよ。クラブでも出会いと別れがたくさんあったような気がするなあと(笑)。それも含めてだったんですけど、その感傷はいったん置いておこうと思ったんですね。「LOVE」を頭に持ってきたほうがおもしろいし、ワン・ワードのほうがいいってサジェストしてくれたので、それにしようと代官山のデニーズで決めました(笑)。

(笑)。「DANCE」は松浦さんがずっとやってきたことで、ダンス・ミュージックということが基本にあると思うのでわかるんですけど、この「LOVE」というのはどうやって出てきたんですか?

松浦:だからやはり出会いと別れですよね(笑)。

そういう意味なんですね。

松浦:音楽をプレイすることも好きだったし、踊ることも好きだったし、人を愛することもすべてそこにあったというか、それがすべてだったような気がしていて。それで人生が回っていたのってすごく幸せだったんだなと。ノスタルジックになっちゃいけないんですけどね。

でもそれはいまでも絶対にあるものだと信じていますね。

松浦:だからそれも含めて「&LOVE」じゃなくて「LOVE」を頭に持ってきて、このジャケットをぶつけたというのはあえて先入観を取り払うためというか。ちょっとポップに見えるじゃないですか。昔だったらもっと渋いジャケットになっていたんだろうと思うんですけど、ポップだけど狂気があるみたいな感覚を表現したかったんですよね。こういうデザインも、作るまではすごく試行錯誤をして悩んだりしたんですけど、最終的には一瞬で決まったんですよね。だいたいそうやって直感的に決まるものはのちのちうまくいくというか、“Loud Minority”然りなんですけど。

“Loud Minority”が当時どれだけすごかったかというのは本当にリアルタイムで知らないとなかなか伝わらない部分があると思うんですけどね。

松浦:2日間くらいスタジオに篭って、卓の下で順番に仮眠を取っていましたからね。だからエンジニアの人辛いなあと(笑)。3人がかりでずっと寝ないで立ち会われているから大変だったと思います。

当時はものすごくヒットしたじゃないですか。

松浦:そういうのがいまの20代の人たちに掘り起こされているということも感じていて。ただし、今回は“L.M.Ⅱ”という名前に改題してオリジナルにしようと思ってやりましたね。

そうですよね。これだけは、カヴァーではなく、ほとんど松浦さんのオリジナルですもんね。

松浦:まだ“Loud Minority”の可能性は残していたときにある人に聴かせてみたんですよ。そしたら一瞬だったんですけど、聴き終わったときにその人の表情を見たらちょっと顔ががっかりしているんですよ。“Loud Minority”じゃないって(笑)。

(一同笑)

松浦:それがわかって、これは(曲名を)変えたほうがいいかもしれないと思ったんですよね(笑)。作っているほうは新しいことができたから「これぞ“Loud Minority”じゃないか」と思っていたんですけど、“Loud Minority”に強い思いを持っている人こそ「なんで!?」って思いが聴いたときに出ると思うんですよね。

それはそうでしょうね(笑)。難しいですよ。去年のゴールディの“Innercity Life”のブリアル・リミックスが賛否両論であったように(笑)。では最後に松浦さんの今後の抱負をお聞かせください。今日も会った瞬間からさっぱりされているなと思ったんですけど、下手したら4年前よりも元気なんじゃないかなと(笑)。

松浦:そうですね。昨日も氷点下のなか10キロくらい走ったりしていたので。

はははは。運動のしすぎはダメですよ(笑)。

松浦:この時期は寒いのに抵抗力ができますからね。12月くらいはすごく寒くてへこたれたんですよ。だからダメだなと思って日々心がけて運動をしていたら、この寒さのピークのときに寒さを感じなくなったので、こういうことだなと思って。とくにこのアルバムが出るのが3月ですし、毎年東日本震災の子どもたちのチャリティでランニング大会をやっているんですね。今年の3月11日は日曜日で、皇居周りをみんなで走るという企画を毎年やっているんですよ。

松浦さんが主催なんですか?

松浦:そうです。基本的には僕がやっています。その参加費をみなさんから集めて、それを現地の子どもたちのために動いてくださっているNPOのかたに送るというのを毎年やっているんです。

本当にえらいですよね。

松浦:いやいや。やっぱり何者でもなかった自分が音楽に拾われたみたいなところがあって、いままでこうやって生業みたいなこととしてできてきたことが幸運だっただけに、恩返しは続けていかないといけないなという思いがあるので。意固地になっている部分はあるのかなと思いますけど。自分も好きなことをやるためにはもっと土台をしっかりさせないとさせなければいけないなと感じますよね。でも前向きなので、根拠のない自信ではあるんですけどなんとかなるんじゃないかなと思っています。

それは重要ですよね。ありがとうございました。

※このページもぜひチェックしてみて! 80年代のUKソウル/ジャズから現在までが聴けます。
https://www.universal-music.co.jp/toshio-matsuura-group/news/2018-02-13-playlist/

Courtney Barnett - ele-king


 コートニー・バーネットは左利き。ジミ・ヘンドリックスも左利き、カート・コバーンもそう。
 コートニー・バーネットはミニマリズムの短編作家のような歌詞をあたたかいメロディとグルーヴィーな8ビートに乗せる。
 彼女は空想して、曲を書いて歌う。
 傑作『サムタイムス・アイ・シット・アンド・シンク、サムタイムス・アイ・ジャスト・シット』から3年、待望のセカンド・アルバムがリリースされる。
 『テル・ミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール』。
 君は本当にどのように感じているんだい?



Courtney Barnett - Nameless, Faceless


コートニー・バーネット (COURTNEY BARNETT)
『テル・ミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール (TELL ME HOW YOU REALLY FEEL)』

発売日:2018年5月18日(金)

Amazon: https://amzn.asia/19I5TnP
iTunes/ Apple Music: https://apple.co/2EsIthe
Spotify: https://spoti.fi/2Hgdoem

■COURTNEY BARNETT プロフィール
1988年、豪生まれ。2012年、自身のレーベルMilK! Recordsを設立し、デビューEP『I’ve got a friend called Emily Ferris』(2012)をリリース。続くセカンドEP『How To Carve A Carrot Into A Rose』(2013)は、ピッチフォークでベスト・ニュー・トラックを獲得するなど彼女の音楽が一躍世界中に広まった。デビュー・アルバム『サムタイムス・アイ・シット・アンド・シンク、サムタイムス・アイ・ジャスト・シット』(Sometimes I Sit and Think, Sometimes I Just Sit)を2015年3月にリリース。グラミー賞「最優秀新人賞」にノミネート、ブリット・アウォードにて「最優秀インターナショナル女性ソロ・アーティスト賞」を受賞する等、世界的大ブレイクを果たし、名実元にその年を代表する作品となった。2018年5月、全世界待望のセカンド・アルバム『テル・ミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール』をリリース。
https://courtneybarnett.com.au/

資本主義リアリズム - ele-king

内面は疲れ果て、いまぼくたちは永遠に魂を失う。 ──ジョイ・ディヴィジョン“ディケイド”

資本主義リアリズムがこうも網羅的で、現在の抵抗の形がこうも絶望的かつ無力であるなら、実のある異議申し立てはどこから来るのだろう? 資本主義がいかに苦しみをもたらすかを力説するモラル的な批判は、資本主義リアリズムを増長させるだけだ。貧困、飢餓、戦争は、現実の避けられない一面として描かれ得るが、こうした苦しみを無くせるかもしれないという希望となれば、しばしばナイーブなユートピア主義のレッテルを貼られれてしまう。資本主義リアリズムを揺るがすことができる唯一の方法は、それを一種の矛盾を孕む擁護不可能なものとして示すこと、つまり、資本主義における見せかけの「現実主義(リアリズム)」が実はそれほど現実的ではないことを明らかにすることだ。  ──マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』


 待望の翻訳だ。妥協のない厳しいメッセージではあるが、率直で勇敢な本だ。ある意味気が滅入るかもしれないが、世界を変えようと真剣に考えている。なんにせよ、昨年1月に自害したイギリスの批評家、マーク・フィッシャーが2009年に発表した『資本主義リアリズム』、彼の代表作がついに日本語で読める。
 ジャンル的に言えば、現代思想に精通している人が評すべき本だと思うが、サイモン・レイノルズが嘆くように、音楽についての文章がただ音楽のためだけの文章になってしまった今日、同調主義的かつナルシスティックなFacebookやインスタのようなネット文化ではないそのオルタナティヴにおいて、フィッシャーはただ音楽のためだけではなく音楽についても書き続けた人でもある。読みやすい本だし、音楽好きにも読んでもらいたいと思うがゆえに自分で書くことにした。
 だいたいフィッシャーは、いまのところ公式では最後にURを取材した人である。2007年の『WIRE』誌に掲載されたそのインタヴューの一部分は、拙著『ブラック・マシン・ミュージック』の新装版のあとがきに引用させてもらった。もうひとつ、彼こそはBurialないしはダブステップをを論じた第一人者であり、現代においてジョイ・ディヴィジョンを論じ直した人だ(あるいはリアーナのようなポップスターについてとか)。レディオヘッドについて書いている文章は読んだことはないが、いずれにせよ、この本を避けて通ることはできない。

 が、おそらくぼくたちはそれをいつの間にかずいぶんと避けてきているかもしれない。避けているとういよりは、慣らされてしまったというか、ほぼ盲従しているというか。たとえばの話、ぼくたちはなんとなくハリウッドがろくでもないバビロンかもしれないと思っている。そのハリウッドではいまどきのトピックの社会派の映画が優秀な人材を配して作られる。そして言う。いや、ハリウッドだろうとないよりはマシだと。この「マシ」にはかなりの説得力がある。
 数年前『パレード』という映画があった。80年代の炭坑夫とゲイが共同してデモをするという、言うなれば集団的オルタナティヴの形成に関する美しい実話をもとにしたイギリス映画で、いまでもぼくは人に薦めたいと思っている。が、その物語は、サッチャーから炭坑廃止をめぐって「それしか道はない」と強制/提言されたことで生じた労働者階級の「亀裂」については突っ込んでいない。資本主義リアリズムはその「亀裂」に深く関わっている。それはジェイムス・エルロイの「ノワール」とも、ギャングスタ・ラップにおける「リアル」とも連なる。
 
 ギャングスタ・ラップとは、その支持者がしばしば主張するように、既存の社会状況を単に反映したものでもなければ、その批判者が主張するように、そうした状況をただ引き起こすものでもない。ヒップホップと後期資本主義の社会的フィールドが互いに浸透し合う回路はむしろ、資本主義リアリズムがアンチ・神話的な神話と化すところと通底している。(本書より)

 本書の特徴は、まずは「ポストモダニズム」よりも「資本主義リアリズム」という用語を優先して使っている点にある。フィッシャーは、サラヴォイ・ジジェクのようにいくつかの映画を解読しながら、複数のアングルから「資本主義リアリズム」なるものを暴いてみせる。そのひとつに、ポスト・フォーディズムの問題がある。いま企業で働いている人たちには身近な話で、これから働く人たちにとってもじつにシリアスな問題だ。

 というのも、ごくまっとうな理由からではあるが、四十年間も同じ工場で働き続けるのはごめんだと思ったのは彼らだから、左派はいろいろな意味で、フォーディズム的バランスを崩し、そしてそのことから未だに立ち直れていないままでいる。特に英国では、労働者階級の伝統的な代弁者、つまり労働組合と労働党の幹部らによって、フォーディズムはむしろ都合が良すぎた。安定した階級対立によって彼らの役割は保証されていたというわけだ。しかしその結果、ポスト・フォーディズム的資本主義を唱える者として容易に自己アピールすることができた。(本書より)

 新自由主義が基本的に人の弱みや満たされない欲望につけ込んで入ってくることは、我が国の政治家たちを見れば一目瞭然であり、歴史の分水嶺ともなったサッチャーの言葉=「これしか道はない」は、訳者もあとがきで指摘しているように安倍内閣が執拗に使っているフレーズでもある。フィッシャーが言うように「反国家主義的なレトリックを明示しているにもかかわらず、新自由主義は実際のところ、国家そのものに反対しているのではなく、むしろ公的資金の特定の運用に反対しているのだ」。そして、こうした新自由主義(非道徳的な合理性)と新保守主義(道徳的で規制的な合理性)は、たがいに矛盾しながらも「資本主義リアリズム」のなかで融合する。
 その結果、現在ぼくたちは自由にお買い物を楽しみ、そして自由に転職して失業するという不安定さのなかで生きる/死ぬことを甘受している。ラップのMCバトルは、あらかじめ敗残者に溢れた世界を生きることを前提とする社会、それが当たり前(リアル)だと思わせるという点で「資本主義リアリズム」を補完する。それは起業家ファンタジーとの親和性を高めるはするものの、みんなが勝利する世界をますます想像しづらくする。
 ラップだけのことではない。それはありとあらゆるものに接続可能だ。社会貢献が好きなボノのような人がつい口にしてしまった「パンクやヒップホップは硬派な商業主義」という言葉から漏れている「資本主義しか道はない」という合意にも通じる。
 インディーズやオルタナティヴも他人事ではない。インディーズやオルタナティヴがメインストリームの外部にあるのではなく、「メインストリームに従属しているどころかそのなかでもっとも支配的なスタイルにさえなっている」ことは、Jポップやファッションを見ていてもわかる。それはテクノやレイヴ・カルチャーがEDMや企業イベントに吸収されたことや、リヴァイヴァルと冷笑主義ばかりが繰り返され、新しいモノが生み出せなくなってきている文化的膠着状態ともリンクしている。いや、「新しいモノ」は出てきてはいるかもしれない。が、「経済的効果」を生み出せないがゆえにメディアで紹介されない、されなくて当然となっている、日本ではいまにはじまったことではないが。
 「資本主義リアリズム」におけるこうした文化の衰退、そして誰もが幸せな未来を描けなくなっていることへの無力感、あるいは、健康や禁煙を奨励するいっぽうで、統計的にもその疾患者の増加が目覚ましいのに関わらず、政治経済からは放置され続けるうつ病/情動障害……これら「資本主義リアリズム」の異常さをフィシャーはとことん見逃さない。

 早とちりしないで欲しいのは、本書は「またかよ」の新自由主義批判ではないということだ。最近問題視されている奨学金制度もそうだが、金利の値下げによりまずは人びとを債務者にする新自由主義にもほころびが起きている。フィッシャーが「新自由主義は必然として資本主義リアリズムであったが、資本主義リアリズムは必ずしも新自由主義である必要はない」というように、実際いまぼくたちはトランプ政権やイングランドのEU離脱という出来事を目の当たりにしている。そしてディスピアを量産することはできても(ディストピアを描くことは現状認識という点において重要だと思うが)、ユートピアを想像できないままでいる。
 「Is there no alternative?」、オルタナティヴはないのか?(選択肢はないのか?)が本書の副題となっているが、フィッシャーは彼なりに未来への手がかり(実験的かつ実践的なオルタナティヴ)をある程度まで具体的に書いている。興味深いことに、毛利嘉孝のようにUKのポスト・レイヴ・カルチャーをバックボーンに持つ彼は、東浩紀のようにポストモダニズムの「大きな物語」批判を超克するための、左派の新しい目標として一般意志という概念の再興を説いている。(そして、原書で読んでいる高橋勇人がぼくにしつこく言ってくるのは、ポストモダニズムの限界とうつ病というテーマにおいて、國分功一郎的でもあるということ)

 フィッシャーが48歳で自ら命を絶ったということもあってか、いまUKの大学生のあいだでは、およそ10年前に著されたこの本がさらにまた読まれているという。学生はカスタマー(顧客)ではないし、公的サーヴィスはビジネスであってはならないのにビジネスにすらなっていないという現実。人口減少にも関わらずマンションが新築され続けるように、多国籍企業の店舗を破壊したところで破壊されることのない「資本主義リアリズム」。フィッシャーの意見をすべて肯定する必要はないだろうけれど、手遅れにならないためにも、その実体を確認することは急務だろう。

 ニュートラル・ミルク・ホテルの『イン・ジ・エアロプレイン・オーバー・ザ・シー』。私が、アメリカに来るきっかけを作った、エレファント6の代表作が20周年を迎えました。
 このアルバムが〈マージ〉より発売されたのは、1998年2月10日。20年前の先週の土曜日で、このアルバムは2000年になるまでに伝説になりました。ニュートラル・ミルク・ホテルことジェフ・マンガムは、『イン・ジ・エアロプレイン・オーバー・ザ・シー』をリリースした後、シーンから姿を消したのです。

 ジェフは、ルイジアナ州のラストンの3人の友だちで作った音楽集団、エレファント6(E6)の創設者の一人で、「音楽で世界を変えよう」というコンセプトでE6ははじまりました。ジョージア州アセンスに拠点を置き、アップルズ・イン・ステレオ、オリヴィア・トレマー・コントロール、エルフ・パワー、オブ・モントリオール、ミュージック・テープスなど、60年代のサイケ・ポップから枝分かれした、現代的方向を持ったバンドとのネットワークを広げていきました。
 デンバーのアップルズ・イン・ステレオのペット・サウンズ・スタジオでレコーディングされた『イン・ジ・エアロプレイン・オーバー・ザ・シー』は、90年代に愛されたインディ・レコードというだけでなく、時代を超えてもっとも愛された1枚になりました。
 当時のE6は、インディ・ロックのブームの中心でもありました。90年代のジェフは、96年に1枚目の『オン・アヴェリー・アイランド」をリリースし、カウチ・サーフィンをしながらツアーを続け、たくさんのE6プロジェクトに参加しました。ステレオがあるところに行くと彼がいる、とまで言われるほど精力的に活動していました。そしてセカンド・アルバムにあたる『イン・ジ・エアロプレイン・オーバー・ザ・シー』を1998年に発表、その年に北アメリカ、ヨーロッパをツアーした後、シーンから唐突に姿を消しました。


 私は1996年頃、アセンスに居て、毎日、E6の仲間と過ごしていました。当時、インディ・バンドを見るためにアメリカ中を旅をしていた私は、LAでアップルズ・イン・ステレオ、オリヴィア・トレマー・コントロール、ミュージック・テープスのショーを見て以来、彼らのファンになりました。彼らのコミュニティ、彼らの音楽に引き込まれ、誘われるままにアセンスに来たのです。
 そこにいる人たちはみんなミュージシャンでした。オリヴィア・トレマー・コントロールの家に居候していると、いろんな人がやって来ました。狭いアセンスのコミュニティでは、すぐに他のバンドとも仲良くなり、彼らの音楽に没頭していきました。ユニークな音楽人に囲まれ、居心地もよく、こうして私はアメリカに住もうと決心します(結局NYに引っ越すのですが、NYにいると、彼らに定期的に会えるのです)。
 ミュージック・テープス/ニュートラル・ミルク・ホテルのジュリアンの家を毎日のように訪ね、彼の夢(サーカス/遊園地のようなショー)を聞くようになった頃、ハウスメイトのジェフにもよく会いました。彼は少し挨拶した後、直ぐに奥に引っ込み、ベッドルームでレコーディングしていました。ジェレミー(NMHのドラマー)と一緒に家に行っても、2人はベッドルームからなかなか出て来ませんでした。
 ジェフはほとんどど引きこもっていて、町を歩く、必ず顔見知りに会うアセンスでも、彼の姿を見かけることはほぼありませんでした。レコーディングに没頭していたのでしょう。そういう意味では、近くにいるのにニュートラル・ミルク・ホテルはいつも遠く感じました。
 それでもしかし、『イン・ジ・エアロプレイン・オーバー・ザ・シー』は、他のどのE6アルバムよりたくさん聴きました。子供の頃の幻想的な夢と機能しない家族について、アンネ・フランクの日記に影響され、ナチスに人質になった彼女を助けたいと夢見るファンタジー、セクシャルな描写を暗喩に含んだ歌詞、倒れそうな無限の勢いのギターと涙を誘うシンギング・ソウやブラス楽器の音が、よりドラマティックにサイケデリックに1曲1曲を磨いています。まるでホーンのように力強く響く彼の声からは悲しみが漂います。そして何度聴いてもアルバムの神秘的な部分には触ることはできません。
 2002年のピッチフォークのインタヴューで、ジェフは、「音楽は癒されるためにある」と語っています。しかしこれは癒しではなく、もっと切迫詰まっている気がします。

 1998年のツアー後、ジェフはオバマ政権の夜明け(2009年頃)まで世間に姿を見せませんでした。「ウォール・ストリートを占領せよ」でソロ・ショーをした後、2013年には突然バンドを再結成し、世界中をツアーしました。BAMでのショーを見ましたが、歳をとり、髭を蓄えたジェフの声はまったく衰えを感じさせず、人びとは彼を救世主のように見ていました。

 1998年はプレ・インターネット期で、レコード屋に通い、1枚のCDを何度も聴いて、フライヤーを見ながらショーに通った時代です。足で探して辿り着いた彼の言葉だから特別に響いたのかはわかりませんが、「何か正直な物のために開いている窓は、長くは続かない」という“エアロプレインの窓”は、たしかにその後直ぐ閉じられました。
 『イン・ジ・エアロプレイン・オーバー・ザ・シー』は、90年代のインディ・ロック黄金時代に存在しましたが、10年後の2008年にその年もっとも売れたレコードになりました。後から発見した人が語り継ぎ、どんどん伝説化していったのでしょう。20年経ったいまでも強烈な力を放つ、E6の、インディ・ロックの代表作なのです。


Neutral Milk Hotel
In The Aeroplane Over The Sea

Merge Records(1998)

Mark Pritchard - ele-king

 ベース・ミュージックへの傾倒から一転し、穏やかで叙情性に満ちた美しいアルバム『Under The Sun』を作り上げたUKテクノのベテラン、マーク・プリチャード。その新たな作品『The Four Worlds』が3月23日にリリースされる。先行公開された“Come Let Us”のドローンとヴォイスを聴く限り、前作の路線を引き継ぎつつもまた新たな試みをおこなっているようである。はたして「4つの世界」とは何を意味するのか? 待て、しかして希望せよ。

MARK PRITCHARD

新作『THE FOUR WORLDS』3月23日リリース決定
新曲“WATCH COME LET US FEAT. GREGORY WHITEHEAD”公開
MVを手がけたのは気鋭アーティスト、ジョナサン・ザワダ

マーク・プリチャードが、トム・ヨークやビビオが参加した2016年のアルバム『Under The Sun』のサウンドをさらに追求した8曲入りの新たな作品集『The Four Worlds』を3月23日にリリース決定。アートワークを手がけた気鋭アーティスト、ジョナサン・ザワダによるミュージック・ビデオとともに、新曲“Come Let Us feat. Gregory Whitehead”が公開された。

Mark Pritchard - Come Let Us (feat. Gregory Whitehead)
https://youtu.be/Eq8uo6dv4Y4

label: Warp Records
artist: Mark Pritchard
title: The Four Worlds

iTunes: https://apple.co/2nPwaAg
Apple: https://apple.co/2nLw8do

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