「KING」と一致するもの

Yabby You - ele-king

 昨年、ロンドンに数ヶ月滞在した友人が帰国すると、開口一番、「とにかく、やったらヤビー・ユーがかかっていたんだよね。ラフトレードに行っても、オネスト・ジョンに行っても!」と言った。
 へー、ヤビー・ユー、しかし、なぜいまヤビー・ユー? 

 ヤビー・ユー、または本名ヴィヴィアン・ジャクソンの名前で知られる男は、レゲエのルーツ・アーティストとして、世界のレゲエ・ファンから尊敬されている。
 ジーザス・ドレッドという彼の異名が物語るように、ヤビー・ユーは、キリスト教とラスタが混じった独自の宗教観を持った人だった。彼のグループの名前はプロフェッツ(預言者)というが、ヤビー・ユーの言葉は、リー・ペリー並みの異様なスピリチュアリズムに満ちている
 また、彼のバックで演奏しているのがルーツ・レゲエの最重要ミュージシャンばかりで、しかもまた彼のミキシングの多くがダブの巨匠キング・タビーが手掛けていることも、のちのヤビー・ユー再評価にひと役買っているのだろう。『King Tubby's Prophecies Of Dub 』(1976年)はリアルタイムでは500枚しかプレスされなかったが、その後、何度も何度も、本当に何度も再発されている。

 しかしなぜ……、2010年に彼が他界した後も、たしかに彼の編集盤は出ている……が、いまこそ、たしかにヤビー・ユーなのだ。
 この終末的なムードからか、誰かがラジオでかけたことがきっかけなのか、ロンドンではヤビー・ユーがかかりまくっている。そんな西からの風が日本にも届くかのように、昨年末はロンドンの〈Pressure Sounds〉がダブの観点からの編集盤をリリース。そして、今年に入ってからもヤビー・ユーのBOXがリリースされた。

 『ドレッドの預言~奇妙で不思議なヤビー・ユーの物語』は3枚組で代表曲+未発表曲という決定版。ブックレットには著名なレゲエ評論家、デヴィッド・カッツによる、一冊の読み物とも言えるほど長く詳しい解説もある。このブックレットのために手に入れてもいいほどの内容だ。ファンにはマストのBOX セットです。

ヤビー・ユー
ドレッドの預言
~奇妙で不思議なヤビー・ユーの物語

Pヴァイン

Amazon

ヤビー・ユー&ザ・プロフェッツ
Deeper Roots Part 2
(More Dubs & Rarities)

Pressure Sounds/ビート

Amazon


DISQ CLASH - ele-king

 いや、ホント、すごいですね。何がって、あなた、90年代ハウス/テクノが熱いんです。ジェイミーXXだってプラスティックマンの「スパスティック」をかけて、ベンUFOがDJヘルの「マイ・ディフィニション・オブ・ハウス」をオールタイムの1位に挙げ、ジョイ・ベルトラムとジェフ・ミルズと初期URがミックスされている現在、ジャパニーズ・テクノのベテラン3人、Chester Beatty、DJ Shufflemaster、DJ YAMAが新プロジェクト、DISQ CLASHを結成しました。周知のように、ジャパニーズ・ハウス/ジャパニーズ・テクノは、いま旬です。

 3人は、昨年、クラブでならし運転をしながら、スタジオ・セッションをはじめました。そして、彼らのスタジオ・セッションには、ゲットー・シカゴ・ハウスの伝説=DJ FUNKも参加。こうして、DISQ CLASHの「Turbo Clash featuring DJ FUNK」が完成しました!
 この曲が、すでに海外で話題となって、4月中旬に、Tiga主宰の〈Turbo Recordings〉からリリースされます。3ヴァージョン入りです。超クールなシカゴ系のハウスなので、ぜひ聴いてもらいたいです。
 また、彼らは4月28日の「WIRED CLASH 」@ageHaにも出演します。

DISQ CLASH
TURBO CLASH

Turbo Recordings / Twin turbo

>>DISQ CLASH Oldschool DJ Mix
>>Facebook


DBS presents “Spring Funky Bass”は今週末! - ele-king

 UKブラック・ミュージックのストリート部門で活躍するスウィンドルとロスカが今週末に来日する。
 グライムとジャズ、ソウル、ファンクを繋げたスウィンドルの果たした功績はやはり大きい。2012年のフロア・ヒットとなった“Do The Jazz”と、翌年のアルバム『Long Live The Jazz』では(ともにリリース元は〈Deep Medi Musik〉)、卓越した鍵盤のテクニックとメロディとリズムのセンスを見せた。
 ロスカはリンスFMの看板DJとしてだけではなく、プロデューサーとしても好調で、今年に入り〈Tectonic〉テクノ色が強くなった「Hyperion EP」をリリース。UKファンキーの可能性を押し広げていく姿勢がシーンをリードしている。ちなみに、彼がロンドンで主宰するパーティ〈Roska Presents〉には、本誌で取り上げたピンチやジョーカーたちも出演してきた。細分化が進むUKベース・シーンを繋げる存在としても、ロスカからまだまだ目が離せない。
 東京公演にはPart2Style Sound、Prettybwoy、Hyper Juiceといった日本のベース・シーンの第一線でプレイするメンツが出演する。

DBS presents " SPRING FUNKY BASS!!! "

3.21 (SAT) @ UNIT x SALOON
UNIT:
SWINDLE
ROSKA
PART2STYLE SOUND
DJ RS
HYPER JUICE

Live Painting:
The Spilt Ink

SALOON:
DJ DON
DJ MIYU
PRETTYBWOY
ZUKAROHI
ANDREW

open/start 23:30

adv.3,150 yen / door 3,500 yen

info. 03.5459.8630 UNIT
www.unit-tokyo.com
https://www.dbs-tokyo.com

<UNIT>
Za HOUSE BLD. 1-34-17 EBISU-NISHI, SHIBUYA-KU, TOKYO
tel.03-5459-8630
www.unit-tokyo.com

SWINDLE (Butterz / Deep Medi Musik / Brownswood, UK)
13年に"MALA IN CUBA LIVE"のキーボード奏者としてDBSで来日、単独DJセットでフロアーを狂喜させたスウィンドルはグライム/ダブステップ・シーンのマエストロ。幼少からピアノ等の楽器を習得、レゲエ、ジャズ、ソウルから影響を受ける。16才の頃からスタジオワークに着手し、インストゥルメンタルのMIX CDを制作。07年にグライムMCをフィーチャーした『THE 140 MIXTAPE』はトップ・ラジオDJから支持され、注目を集める。そしてSO SOLID CREWのASHER Dの傘下で数々のプロダクションを手掛けた後、09年に自己のSwindle Productionsからインストアルバム『CURRICULUM VITAE』を発表。その後もPlanet Mu、Rwina、Butterz等からUKG、グライム、ダブステップ、エレクトロニカ等を自在に行き交う個性的なトラックを連発、12年にはMALAのDeep Mediから"Do The Jazz"、"Forest Funk"を発表、ジャジーかつディープ&ファンキーなサウンドで評価を決定づける。そして13年の新作『LONG LIVE THE JAZZ』(Deep Medi)は話題を独占し、フュージョン界の巨匠、LONNIE LISTON SMITHとの共演、自身のライヴ・パフォーマンスも大反響を呼ぶ。最新シングル"Walter's Call"(deep medi/Brownswood)でジャズ/ファンク/ダブ・ベースの真骨頂を発揮したスウィンドル、必見の再来日!

ROSKA (Roska Kicks & Snares / Rinse, Tectonic, UK)
トライバルハウス、ディープハウス、UKガラージ等のエッセンスを重低音でハイブリッドしたベースミュージックの新機軸"UKファンキー" の革新者、ロスカ。08年に自己のRoska Kicks & Snaresから"Elevated Level EP"、"The Climate Change EP"をリリース。彼のトラックはSKREAM、ZINC、DIPLO、KODE9を始め錚々たるDJのサポートを受け、一躍脚光を浴びる。09年にはシーンを牽引するRinse FMのレジデントに抜擢され、そのフレッシュでロウなダブ音源でUKファンキーの台頭をリードする。10年にはRinse Recordingsと契約し、キラートラックとなった"Wonderful Day"、"Love 2 Nite"を収録したアルバム『ROSKA』をドロップ。BBC Radio 1のEssential Mixにも登場し、その存在を確固たるものとする。11年にSCUBAのHotflushからのEP、PINCHとの共作発表、Rinseのミックスの監修等を経て、12年は更なる飛躍を遂げ、Rinseからアルバム『ROSKA 2』を発表、ハウスを基調にグライム、ダブステップ、ガラージを独自のスタイルで昇華する。その後は世界各地でのDJ、ラジオショーで多忙を極める中、TectonicからPINCHとの共作"Shoulda Rolla"、Rinseから"Shocking EP"をリリースし、Roska の快進撃はとどまる事を知らない。Tectonicから先頃リリースされた最新作"Hyperion EP"では新境地も伺え、来日プレイの期待は高まるばかり!


Joy Orbison - ele-king

 この5年、ずぅーーーっと評価され、そして、フロアでもヒット作を出していたジョイ・オービソンの初来日が決まった。UKのドラムンベースが「ポスト」期に入ったときに脚光を浴びたオービソンは、最近は、流行のジョイ・ベルトラム風の作品によってフロアヒットを飛ばしている。寡作でありながら、出るEPが必ず話題作になっているほどの大器だ。
 そして、オービソンと一緒にレーベル〈Hinge Finger〉を主宰するのがウィル・バンクヘッド、言うまでもないでしょう、〈The Trilogy Tapes〉で知られる男である。
 ファッション・ブランド〈C.E〉がお送りする4月のパーティは、この協力UKタッグに加えて、DJノブも登場。
 前売りは3月21日(土)より。当日には開催を記念したC.EのTシャツも販売するそうです。

The Trilogy Tapes, Hinge Finger & C.E presents
Joy Orbison & Will Bankhead

2015/04/24(Fri)
@ Daikanyama UNIT & SALOON

[UNIT]
Joy Orbison(Hinge Finger)
Will Bankhead(The Trilogy Tapes / Hinge Finger)
DJ Nobu(Future Terror / Bitta)

[SALOON]
Uncontact-Tribe(C.E)
Toby Feltwell(C.E)
1-Drink
and more

Open/Start 23:30
Early bird 2,000yen(Resident Advisor only) / Adv. 3,000yen / Door 3,500yen

Ticket Outlets: LAWSON / diskunion 渋谷 Club Music Shop / diskunion 新宿 Club Music Shop / diskunion 下北沢 Club Music Shop / diskunion 吉祥寺 / JET SET TOKYO / TECHNIQUE / DISC SHOP ZERO / Clubberia / Resident Advisor / UNIT / min-nano / have a good time

※20歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの公的身分証明書をご持参願います。(Over 20's Only. Photo I.D. Required.)

More Information : Daikanyama UNIT
03-5459-8630 www.unit-tokyo.com https://goo.gl/maps/0eMrY


2015/04/28(Tue)
@CLUB CIRCUS

Joy Orbison(Hinge Finger)
Will Bankhead(The Trilogy Tapes / Hinge Finger)
and more

Open/Start TBA
Door TBA

※20歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの公的身分証明書をご持参願います。(Over 20's Only. Photo I.D. Required.)

More Information : CLUB CIRCUS
06-6241-3822 https://circus-osaka.com

■Joy Orbison
2009年にHot Flush から〈Hyph Mngo〉をリリースしデビューを飾ったのち、〈The Shrew Would Have Cushioned The Blow(Aus Music)〉や〈Ellipsis(Hinge Finger)〉、Boddikaとの共作による〈Swims(Swamp81)〉など精巧かつ念密に構築された楽曲を次々とリリースし続ける傍ら、Lana Del ReyやFour Tet、José Jamesといったアーティストのリミックスを手がけている。ハウスや2ステップ、ジャングル、テクノ、ダブステップ、これらの要素が融合し生まれた〈ガラージハウス〉とはJoy Orbisonの作り出した“音”だと言っても過言ではないだろう。レーベル〈Hinge Finger〉 をThe Trilogy TapesのWill Bankheadと共に立ち上げるなど異質かつ独自な動きを行う中、最近ではBBC RADIO 1の人気プログラムである〈Essential Mix〉に登場するなど、トラックメーカー/プロデューサーとしてはもちろんDJとしても高い人気を誇っている。
https://soundcloud.com/joy-orbison
https://www.residentadvisor.net/dj/joyorbison

■Will Bankhead
メイン・ヴィジュアル・ディレクターを〈Mo’Wax〉で務めたのち、〈PARK WALK〉や〈ANSWER〉といったアパレル・レーベルを経て、〈The Trilogy Tapes(TTT)〉を立ち上げた。現在、前述したTTTやJoy Orbisonとのレーベル〈Hinge Finger〉の運営に加え、〈Honest Jon's Records〉や〈Palace Skateboards〉などのデザインを手がけている。2014年10月には、渋谷ヒカリエで行われた〈C.E〉のプレゼンテーションのアフターパーティでDJを行うため、Anthony NaplesとRezzettと共に来日した。
https://www.thetrilogytapes.com

■DJ NOBU(FUTURE TERROR / Bitta)
FUTURE TERROR、Bitta主宰/DJ。NOBUの活動のスタンスをひとことで示すなら、"アンダーグラウンド"――その一貫性は今や誰もが認めるところである。とはいえそれは決して1つのDJスタイルへの固執を意味しない。非凡にして千変万化、ブッキングされるギグのカラーやコンセプトによって自在にアプローチを変え、 自身のアンダーグラウンドなリアリティをキープしつつも常に変化を続けるのがNOBUのDJの特長であり、その片鱗は、 [Dream Into Dream]〈tearbridge〉, [ON]〈Musicmine〉, [No Way Back] 〈Lastrum〉, [Creep Into The Shadows]〈Underground Gallery〉など、過去リリースしたミックス CDからもうかがい知る事が出来る。近年は抽象性の高いテクノ系の楽曲を中心に、オーセンティックなフロアー・トラック、複雑なテクスチャーを持つ最新アヴァ ン・エレクトロニック・ミュージック、はたまた年代不詳のテクノ/ハウス・トラックからオブスキュアな近代電子音楽など、さまざまな特性を持つクセの強い楽曲群を垣根無くプレイ。それらを、抜群の構成力で同一線上に結びつける。そのDJプレイによってフロアに投影される世界観は、これまで競演してきた海外アーティストも含め様々なDJやアーティストらから数多くの称賛や共感の意を寄せられている。最近ではテクノの聖地〈Berghain〉を中心に定期的にヨーロッパ・ツアーを行っているほか、台湾のクルーSMOKE MACHINEとも連携・共振し、そのネットワークをアジアにまで拡げ、シーンのネクストを模索し続けている。
https://futureterror.net
https://www.residentadvisor.net/dj/djnobu

■Uncontact-Tribe
イラストレーター・グラフィックデザイナー。2011年にToby Feltwell、Yutaka.Hとストリートウエアブランド〈C.E〉を立ち上げた。www.cavempt.com

■Toby Feltwell
英国生まれ。96年よりMo'Wax RecordsにてA&Rを担当。
その後XL Recordingsでレーベル を立ち上げ、Dizzee Rascalをサイン。
03年よりNIGO®の相談役としてA Bathing Ape®やBillionaire Boys Club/Ice Creamなどに携わる。
05年には英国事務弁護士の資格を取得後、東京へ移住。
11年、Sk8ightTing、Yutaka.Hと共にストリートウエアブランドC.Eを立ち上げる。
https://www.cavempt.com/

■1-Drink
TECHNO、HOUSE、BASS、DISCOの境界を彷徨いながら現在にいたる。 DJユニット"JAYPEG"を経て現在は個人活動中。 ときどき街の片隅をにぎわせている。
https://soundcloud.com/1-drink


interview with Zun Zun Egui - ele-king


Zun Zun Egui
Shackles Gift

RockPsychedelicExperimentalAfro Pop

Tower HMV Amazon iTunes

 熱い、といったら本人に笑われてしまったけれども、この数年来の「チル」だったり「コールド」だったり「ダーク」だったり「ミニマル」だったりといったムードのなかでは、ズン・ズン・エグイはあきらかに浮いている。個人的に思い出すのは2000年代の中盤のブルックリンだ。ギャング・ギャング・ダンスらの無国籍的エクスペリメンタルからヴァンパイア・ウィークエンドの繊細に濃度調整されたアフロ・ポップまで、あるいはダーティ・プロジェクターズの汎民族的でありつつも色濃い東欧趣味まで、USのど真ん中から放射線状にエネルギーを発していたトライバル志向、その無邪気で鷹揚とした実験主義──

 一聴するぶんにはその頃の記憶を呼び覚ます音だけれども、しかしズン・ズン・エグイは実際の多国籍バンドにして中心メンバーのクシャル・ガヤはモーリシャス出身、活動拠点はブリストルとロンドン、また実験ではなくポップが身上である。どこからきてどこへ向かうのか、というコアにあるベクトルが逆向きだ。出自を売りにするどころか、彼が大きく英米の音楽に影響され、またそれを愛してきたことは音にも明らか。そして、そうした志向にミュートされながらも浮かび上がってくる自らのオリジンについては隠すことなく祝福する。以下を読んでいただければよくわかるように、彼には音楽へのとても純真な情熱や、パンクへの精神的な傾注があって、それがまたうらやましいまでに輝かしく、彼らの音の上に表れ出ている。ガヤのバンドではないが、彼がリード・ヴォーカルを務めるメルト・ユアセルフ・ダウンもまたそうしたハイブリッドを体現する存在だといえるだろう。以下で「僕らをブリストルと結びつけないでくれ」というのは、土地やその音楽的な歴史性への違和感ではなく、そのハイブリッド性や多元性を力づよくうべなうものなのだと感じられる。

 ともかくも、ファック・ボタンズのアンドリュー・ハングをプロデューサーに迎え、前作に増して注目を集めるセカンド・アルバム『シャックルズ・ギフト』のリリースに際し、ガヤ氏に質問することができた。


■Zun Zun Egui / ズン・ズン・エグイ
ブリストルを拠点に活動する5人組。モーリシャス出身で、メルト・ユアセルフ・ダウン(Melt Yourself Down)のヴォーカルとしても知られるクシャル・ガヤ(Kushal Gaya、G/Vo)、日本人のヨシノ・シギハラ(Key)ら多国籍なメンバー構成を特徴としている。2011年にデビュー・アルバム『カタング』を、本年2月にセカンド・アルバム『シャックルズ・ギフト』を、いずれも〈ベラ・ユニオン〉からリリース。今作ではプロデュースをファック・ボタンズ(Fuck Buttons)のアンドリュー・ハング(Andrew Hung)、ミックスをチエリ・クルーズ(Eli Crews)が手掛ける。


僕は自分自身の中にある、いちばん原始的で、本能的で、すごく人間くさい部分、理性や身体的なものを超えたところにある自分自身のエッセンスとも言えるような何かとのつながりを失いたくないんだよ。

どの曲にも「You」への強い呼びかけを感じます。この「You」は同じひとつの対象ですか? そして、どのような存在なのですか? もしかしてあなた自身ですか?

クシャル・ガヤ(以下KG):うーん……「You」って言葉を何度も使った理由はたぶん……僕が歌詞を書くときは、自分自身も(その歌詞の中に)含まれたものにしたいんだと思う。たとえばアルバムの中の「I Want You to Know」で「You」って言っているのは、曲を聴いている誰かとダイレクトにつながりたいからだよ。っていうのも、あの曲では、僕らがいまもまだそれぞれのいちばん本能的でワイルドな部分を通してつながることができるっていう事実を、僕自身がとても重要視しているということ──そういう個人的な事実を、みんなに伝えたいって言っているんだ。
 個人的に、僕は自分自身の中にある、いちばん原始的で、本能的で、すごく人間くさい部分、理性や身体的なものを超えたところにある自分自身のエッセンスとも言えるような何かとのつながりを失いたくないんだよ。だからあの曲では、「これが僕の感じていることで、これを聴いているみんなにわかってほしい、関わってほしい」っていうことを言っている。だからそれが「You」って言葉を使った理由かな。この答えじゃ何を言っているのかよく伝わらないかもしれないけど……(笑)。

「You」という言葉によってある種の対話のようなものを生み出したいということでしょうか?

KG:そう、僕は対話のきっかけを作りたいと思っていることが多いんだ。「これが僕の感じていることだけど、君は何を感じる?」っていうふうにさ。

あなた方と同じブリストルの、ベースミュージック・シーンの重要人物のひとりピンチ(Pinch)は、一昨年〈Cold〉という名のレーベルを発足させました──

KG:ピンチは知っているよ! 個人的には知り合い程度だけど、彼の音楽はよく知っている。

これはそのまま「冷たい音楽」という意味ではありませんが、音楽の先端的なトレンドが「コールド」という名を掲げる一方で、あなたがたの「熱い」エネルギーは非常に珍しく感じられます。自分たちの音楽が熱いものでありたいという意志や意図はありますか?

KG:ははは、「熱い」か! そうだね、ブリストルってかなりダークなエネルギーがあって、あそこではいろいろなことが起きているけど、そこには間違いなくダークでダウナーな、どこか冷たい感じのエネルギーが感じられるんだ。だからある意味それに対する反応として、僕はそれとはまったくちがった、楽しげでハイテンションな音楽をやるようになった部分はあるのかもしれない。
 それに僕はもともと、落ち着くタイプの音楽じゃなく、エネルギッシュな音楽が好きで、音楽には生命感を感じさせたり覚醒させるようなものであってほしいんだ。僕は覚醒だったりとか、目覚めていること、知覚、現在を感じることとかにとても興味があるんだよ。だから、たぶんそのせいかもしれない。


ブリストルには間違いなくダークでダウナーな、どこか冷たい感じのエネルギーが感じられるんだ。だからある意味それに対する反応として、僕はそれとはまったくちがった、楽しげでハイテンションな音楽をやるようになった部分はあるのかもしれない。

BLK JKS(Black Jacks)というヨハネスブルグ出身のバンドがいますが、彼らもまたプログレッシヴ・ロックなど西洋的な音楽に比較される要素を強く持ちながら、アフリカ音楽のエネルギーを放出する人たちです。あなたの音楽にとって、アフリカというルーツは音楽の制作上どのくらい重要なものなのでしょう。

KG:僕自身アフリカ出身で、人生のうち18年をアフリカで過ごしたから、アフリカ音楽の影響っていうのは自然に出てくるものだと思う。それは僕が意識的に獲得したり、どこかに行って得たものではなくて、自分自身から生じてくるもので、それ自体が僕自身でもあるんだ。たとえばこのアルバムに入っている“Ruby”を例にすると、そこで使われているリズムの多くは、僕の育ったモーリシャスで結婚式や葬式で使うリズムなんだ。そういうリズムを持ってきて、別の何かを作り出しているのさ。そういうふうに、僕にとってそれはすごく自然なもので、作為的なものではないよ。

では、あなたのなかでのアフリカ音楽と西洋音楽との関係についても教えてください。

KG:えーっと、僕はこの世界は国とかの概念を超えるものだと思っているんだ。国や愛国心みたいな概念は死にゆくものだと思っている。過去には西洋のミュージシャンたちがアフリカ音楽に憧れのようなものを持って、それを彼らなりに解釈したものを作っていたけど、僕はその逆をやっているように感じるんだ。僕は西洋音楽を解釈しなおして、彼らの逆側から歌っている。
 それが一点と、もうひとつは、僕は長いこと英国に住んでいるけれど、英国は多文化の合流地点になっていて、人々は「英国的」の定義とは何か、ということについて疑問を持っている。そして「英国的」の定義や、この国の文化のアイデンティティはすっかり変化しつつあるんだ。ロンドンに来れば、それがロンドンのどのエリアであっても、そこにいる人々はそれぞれまったくちがう国から来ている。それってすごく美しいことで、ロンドンという町に多様性を与えているんだ。それこそがここでいろいろな文化が生まれている理由で、人々がここに来たがる理由になっている。そして西洋文化っていうのはここ100年以上の間、世界でいちばん影響力のある文化になっているから、誰もが間違いなくそこから影響を受けていると思う。

僕は長いこと英国に住んでいるけれど、英国は多文化の合流地点になっていて、人々は「英国的」の定義とは何か、ということについて疑問を持っている。

日本でだって、西洋のポップスや音楽は誰が頼まなくても自動的に入ってくるでしょ? だからそういう意味で、西洋音楽には誰もがつながっているんだ。それで、僕は自分のアーティスティックな役割……役割というか、必要に迫られて自然に生まれた反応は、その影響を自分なりのかたちで利用するっていうことだと思っている。なんだか質問にちゃんと答えていない気がするけど……。それに僕は個人的に西洋の音楽はとても好きだし、ヨーロッパの70年代、80年代、あるいは2000年代以降のパンク・ミュージックや80年代のハードコア、ノイズ・ミュージックからも影響を受けている。あとちなみに日本のノイズ・ミュージックからもね! ヨシノと日本の音楽をたくさん聴いたんだ、メルト・バナナやボアダムスとかさ。

たとえばデーモン・アルバーンはあなたとは逆の立場から西洋とアフリカの融合にアプローチしようとしているように見えますが、彼の音楽に対するシンパシーはありますか?

KG:英国にアフリカのミュージシャンたちを連れてきたりっていう、彼のやっていることの意図自体は良いものだと思うけど、同時に僕にはそこでアフリカの音楽が消毒されすぎているような感覚があるんだ。西洋に持ってこられたアフリカ音楽は、あまりにもきれいに衛生処理されてしまって、元々アフリカで演奏されていたときにはあったはずの生のエネルギーが失われてしまっているような気がする。まるでそれを西洋音楽として新しく、薄まったものにプロデュースし直しているみたいで、生々しくてワイルドなエネルギーや、深みが欠けてしまっている。デーモン・アルバーンのやっていること自体はいいことだし、ポジティヴな動きだと思うけど、その一方でそこで失われてしまっている音楽のエッセンスみたいなものがあるように思えるんだよ。こちらに持ってこられた音楽が、「ほら見て、ここにアフリカのミュージシャンたちと僕がいるよ!」みたいな感じで提示されたりとか……。

西洋に持ってこられたアフリカ音楽は、あまりにもきれいに衛生処理されてしまって、元々アフリカで演奏されていたときにはあったはずの生のエネルギーが失われてしまっているような気がする。

 アフリカの音楽を西洋に持ってきて人々に見せたいのなら、それはできるかぎり生の状態、本来の本物の状態に限りなく近いものであるべきだと思うんだ。だって、多くの場合、アフリカの音楽は、売られるためや多数の人に商業的に見せるためのものじゃなくて、儀式のためのものや、日常生活と密接に結び合わさったものであるはずなんだ。結婚式や葬式や、雨の神に雨乞いをしたり、豊穣の神に呼びかけるものだったりさ。もちろんアフリカにもポップ・ミュージックはあるけど、それらふたつの音楽はまったく性質の異なったものだよ。だから、そういう音楽をこっちに持ってきたときに失われてしまうものがあるし、また同時に西洋人のために綺麗に処理されてしまっている部分もあるように感じて、それがもったいないと思うんだ。

あなたがたはまた、混合的なエスニシティを持ったバンドでもありますね。楽曲制作においてはメンバーはそれぞれ自身のルーツを主張しますか?

KG:いや、あんまり……僕らそれぞれのバックグラウンドはあまり問題ではないよ。だって、僕らはもうそういうことをあまり意識したりしないからさ。僕らはただ人間として気が合うからいっしょにいて、それゆえに音楽をいっしょに作っているってだけだよ。たとえば僕が日本に行って、日本人の友達がたくさんできていっしょに音楽を作りはじめたとしたら、そこで「君は日本人だから、日本の音楽をやろうぜ!」「僕はモーリシャス人だから、モーリシャスの音楽を作るんだ!」とはならないと思うし。だから僕らはべつに……そもそもそういうことについて考えることすらないよ。ときどきそれぞれの出身を冗談の種にすることはあるけどさ。音楽を作ることに関していえば、すべては僕らの心から生まれてくるものなんだ。僕らはただ人間なだけで、国籍とかは関係がないんだよ。


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僕はブリストルに移ってきたときにはすでにもう自分自身のはっきりしたアイデンティティと意見を持っていたんだ。

ザ・ポップ・グループを意識することはありますか?

KG:いや、あんまり。よくその質問を訊かれるけど、唯一それに対して言えるのは、僕はブリストルに住んでいたけどザ・ポップ・グループは全然聴いていなかったんだ。バンド・メンバーのスティーヴは聴いていたみたいだけど。ブリストルに住んでいたっていうことで、人々は僕らをブリストルの他のバンドといっしょいっしょのカテゴリーに入れたがるけど、僕はブリストルに移ってきたときにはすでにもう自分自身のはっきりしたアイデンティティと意見を持っていたんだ。その前にはノッティンガムに住んでいたから、ノッティンガムのほうが僕にとってブリストルよりはるかに大きな影響を与えていると思うよ。とくにノッティンガムで出会った人たち、前のバンドのメンバーとかが僕にいまのパンク・ミュージックを教えてくれたしさ。たぶんいまのバンドの他のメンバーたちの方ほうが僕自身よりもブリストルから影響されているんじゃないかな。ザ・ポップ・グループは良いバンドだけど、そんなによく聴いたことがあるわけじゃないし、自分の音楽の形成期とかにはぜんぜん聴いていなかったよ。英国にいるのに、英国の音楽よりも日本の音楽の方がよっぽどよく聴いたよ。

ブリストルの風土やシーンはあなたたちにそう影響は与えていない?

KG:僕自身は6年くらいブリストルに住んでいたけど、いまはロンドンに住んでいるんだ。バンドの他のメンバーはいまもブリストルにいるけど。バンドを結成したのはブリストルだけど、その後、新しい経験をしたくてロンドンに移ったんだよ。ブリストルに住んでいたときは地元のショウに行ったりもしていたし、そこのシーンにけっこう関わっていたと言えるけど。
 ブリストルの音楽シーンはとても多様性があるんだ、すごくいいダンスミュージックもあるし、アヴァンギャルドなショウもたくさんやっているし。僕らはキュー・ジャンクションズ(Qu Junktions)っていうグループといっしょにいろいろやっていたんだけど、彼らはいろいろおもしろいイヴェントをやっていて、僕がいちばん最近行ったのはもう使われていない古い警察署の地下にある留置所で開催されたんだ。牢屋のひとつがバーになっていて、もうひとつの牢屋は座って落ち着けるようになっていて、ショウ自体もいちばん大きな牢屋でやっていた。たぶんそれが使われていた当時は、いろいろな人が精神的に苦痛を感じるような場所だったところをアートのために使って、楽しいおもしろいことをやるっていうのはとても不思議な感じがしたよ。そういうのは他のほとんどの国ではあまり起きないだろうしね。……でも、ひとつみんなにわかっていてほしいのは、僕らはブリストルという町から音楽的なきっかけや影響を与えられたことはほとんどないっていうことなんだ。たまたまそこに住んでいたってだけで、少なくとも音楽的には、ブリストルよりも外の音楽から影響を受けているよ。強いて言うなら、ブリストルではダブやレゲエのイヴェントに行くのが好きだったし、ダブやレゲエからの影響は受けているけれど……それよりも、僕らはまわりで起きていることとは独立して、自分たち自身の音楽をやってきているんだ。

メルト・ユアセルフ・ダウン(Melt Yourself Down)は市場的には「ジャズ」としてカテゴライズされましたが、あなたにとってズン・ズンとの差はどんなところにありますか?

KG:僕はあまりそのふたつを比較することはないよ。大きなちがいといえば、メルト・ユアセルフ・ダウンでは僕はズン・ズンでやるほど曲を書いていないし、メルト・ユアセルフ・ダウンのリーダーはポーラー・ベアでも演奏しているサクソフォニストのピートなんだ。精神性の部分ではどちらのバンドも似通っていると思うけど、使っている音楽的要素がちがうと思う。
 メルト・ユアセルフ・ダウンはよりダイレクトにヌビアの音楽からの影響を受けているんだ。ピートはそういう音楽に傾倒しているからさ。僕はピートが曲を書いた数ヶ月後にバンドに参加した。あと大きなちがいとしては、ズン・ズンにはサックスがなくて、メルト・ユアセルフ・ダウンにはギターがないってことかな(笑)。だからサウンド面では大きな差があるね。ショウの雰囲気もちがっていて、メルト・ユアセルフ・ダウンはワイルドでカタルシスのある、カラフルで凶暴な感じなんだ。ズン・ズンにもそういう面はあるけど、エネルギーを引き出しつつも、より慎重に考えられたソングライティングを目指したんだ。メルト・ユアセルフ・ダウンの作曲がズン・ズンより考えられていないって意味ではないから間違えないでほしいんだけど、今回はエネルギーを失わずに、できるかぎりソングライティングの部分に挑戦してみたかったんだ。だから根っこの精神的なものは同じでも、楽器がちがうからサウンドも異なったり、直接的に影響を受けているものも別かな。


僕にとってのパンクは、それが何であれ自分のやりたいことをやるってことなんだ。自分のいちばんワイルドな部分で、自分が誰で何をするべきかってことを感じるってことさ。

メルト・ユアセルフ・ダウンにはよりパンクを、ズン・ズン・エグイにはよりロック(ブルース)を感じます。

KG:メルト・ユアセルフ・ダウンはたしかに様式的にパンクの要素が強いし、ズン・ズンはロックだね。でも、どちらとも精神的にはパンクだよ。僕にとってのパンクは、それが何であれ自分のやりたいことをやるってことなんだ。着ている服や形式じゃなくて、「時代のカルチャーに疑問を呈しているか」ってこと──さっき言ったような自分のいちばんワイルドな部分で、自分が誰で何をするべきかってことを感じるってことさ。誰かに言われて何かをするんじゃなくて、純粋に自分がそれをやりたいと感じるからやるんだ。

パンクとロックで、あなたが重要だと思うバンドやアーティストを教えてください。

KG:僕にとって、ストゥージズを聴いていたことは重大な影響を及ぼしていると思うよ。それと、(キャプテン・)ビーフハート……、みんな彼をブルーズやロックだって言うけど、僕は彼はパンクだと思う。あとコンヴァージっていうバンドも前はよく聴いていた。あとフガジは僕にとって大きな存在だし、バッド・ブレインズやアット・ザ・ドライヴ・インも……それに日本のパンクもたくさん聴いたよ、ギター・ウルフとか。「♫ジェットジェネレーション〜」(歌い出す)すごくいいよね! メルト・バナナとか、あとボアダムスを観たときはぶっ飛んだよ、彼らは完全にパンクだね。他にはマストドンの初期の2枚のアルバムなんかもよく聴いたよ、みんな彼らのことをロック・バンドだと思っているけど、あれはパンクさ。
 正直、あんまり英国のパンクは聴いていない気がするな。でもノッティンガムに住んでいた頃、ジ・ウルヴズ・オブ・グリーフ(The Wolves of Grief)っていうバンドとローズ(Lords)っていうバンドがいて、彼らは僕にとってヨーロッパでのパンク精神との直接的なつながりっていう意味で重要だった。それとは別に、リーズ出身のBilge Pumpっていうバンドもいて、これら3つのバンドすべては僕自身直接の友人で、ギターのスタイルとかは彼らから学んだことが多いよ。だから英国のパンクっていう括りで言えば、彼らは僕にとって重要な存在だね。

曲作りの手順について教えてください。誰かが曲を書いて持ってくるのですか? セッションから生まれるのですか?

KG:曲によるけど、大抵コンセプトや基本となるアイデアを思いつくのは僕の役割なんだ。時には僕がハーモニックな動きやアレンジメントをふくめて曲のほとんどを書いて、それをバンドに持って行っていっしょに完成したトラックに仕上げていくこともあるし、中にはいちからみんなでいっしょに書いた曲もある。バンド全員に会う前に、いったんメンバーのスティーヴに会うことも多いよ。ふたりで2つや3つのちがう構成の間で固めたうえで、それをバンドに持っていって、「これとこれが候補の構成だから、それぞれ試してみよう」っていうふうにして、後から皆がそれぞれの要素を加えていったりするんだ。ときによっては僕がベースラインを書いたり、キーボードのラインを書いて、アダムやヨシノに「どう思う? 演奏してみてくれる?」って言うこともあるし。

(モーリシャスの音楽の起源について)彼らが自らの苦痛や奴隷状態を利用して音楽を作ったっていうのはとても興味深くて、刺激を受けたよ。文字通りインダストリアル・ミュージックの先駆けみたいなものだし、僕にとってはナイン・インチ・ネイルズやスロビング・グリッスルよりよっぽど暴力的だと感じた。

 ただ、今回のアルバムでは、そのプロセスは曲ごとにかなりちがっているんだ。たとえばいくつかの曲はドラムビーツからできて、ビートの上にそのまま歌をのせて、そこにギターやベースラインを加えてバンドに持って行って、メンバーたちに残りの空白を埋めてもらったり、マットや最近パーカッションを演奏することの多いヨシノにそのビートを覚えてもらったりする。
 今回のアルバムのいちばんはじめのアイデアは、僕らがモーリシャスに行ったときある人に会って、彼がモーリシャス音楽の起源について話してくれたことに由来するんだ。その話では、サトウキビ畑で奴隷が強制労働をさせられていたとき、奴隷の彼らはサトウキビの圧搾機の音を聞いて、そのサトウキビを潰す機械音のリズムを使って音楽を作りはじめたらしい。そういうふうに、彼らが自らの苦痛や奴隷状態を利用して音楽を作ったっていうのはとても興味深くて、刺激を受けたよ。ある意味、文字通りインダストリアル・ミュージックの先駆けみたいなものだし、僕にとってはインダストリアル・ミュージックよりはるかに暴力的で、ナイン・インチ・ネイルズやスロビング・グリッスルよりよっぽど暴力的だと感じた。炎天下の畑で鞭打たれながら、ほとんど食べ物も与えられずに何時間も無理矢理働かされるなんていう苦痛に満ちた状況のなかで、ギヴ・アップするんじゃなく、機械のたてるタカタタカタタカタ……っていうリズムを聞いて音楽を生み出すなんて驚異的だよね。そのアイデアが、アルバムのコンセプトにおける最初のインスピレーションになったんだ。

あなたは、ギタリストとシンガーとではよりどちらをアイデンティティとしてとらえていますか?

KG:うーん、わからないな、「ミュージシャン」じゃない(笑)? 僕はいくつかの楽器を演奏するし、リズミックなアイデアもよく僕の内から生まれてくるし、大抵の楽器は自分で弾き方を見つけることができるし……。まあでも、ギタリストとシンガーのふたつがメインで、両方が柱になっているよ。

アンドリュー・ハング(Andrew Hung)はあなたがたのエネルギーを歪めることなく放射させているように感じました。かといってサイケデリックさもまったく損ないません。彼をプロデューサーに立てたのはなぜでしょう? ファック・ボタンズへのシンパシーですか?

KG:僕らはファック・ボタンズといっしょにツアーしたんだけど……彼らの名前を日本語で何て訳すのか知らないけどさ、このあいだうっかりラジオでその名前を言っちゃって、ちょっとトラブルになったんだ(笑)。彼らとツアーをしたのはけっこう前で、それ以来長いこと会っていなかったんだけど、ロンドンでのショウで再会して、よもやま話をしているうちに、僕らのアルバムにプロデューサーが必要だってことが話にのぼった。僕ら自身が思いっきり滅茶苦茶やっているあいだ、全体を俯瞰して僕らをちゃんと軌道上にとどめてくれる誰かがさ。そしたら彼がその場ですぐに「じゃあ、僕が君たちのレコードをプロデュースするよ!」って言ってくれたんだ。そんなふうに簡単に決まったんだよ。個人的なレベルでも、彼と僕は自然に友だちになったし、彼とは通じ合うのがとても簡単で、レコーディングの前も彼とけっこう長い時間をいっしょに過ごして曲を全部通して見ていったりしたんだけど、彼はそれらの曲のパワーを褒めて、僕にアレンジメントのアドバイスをくれたりした。彼はプロデュースにとても興味があって、人っていうものや人と人とのつながり、互いに与え合う影響みたいなものに興味を持っているし、とても知的で、いろいろなものへの感覚が鋭いから、とてもいっしょに仕事をしやすかったよ。
 それと、付け加えておきたいのは、このアルバムでミキシングをしてくれたイーライ・クルーズも素晴らしい仕事をしてくれたんだ。彼はニューヨーク・シティでミックスをしてくれたんだけど、彼も今回僕らの音を引き出すうえでアンディ(Andrew Hung)と同じくらい重要な役割を果たしてくれた。あと、アンディについてもうひとつは、彼の音楽は僕らの音楽とはかなりちがうから、彼の意見をもらうのはエキサイティングだったよ。僕らはギター・バンドでまぁ普通の楽器を弾いているけど、彼はビデオゲームや道具を使ってエレクトロニック・ミュージックをやっているから、彼が僕らのやっていることをどういうふうに解釈するかっていうのは興味深かった。


僕はいまの音楽シーンには、「ベージュ色」をした音楽が多いように感じるんだ。

2000年代の半ばごろ、TV・オン・ザ・レディオ(TV on The RadioやDirty Projectors)、ヴァンパイア・ウィークエンド(Vampire Weekend)など、とくにブルックリンが象徴的でしたが、インディ・ロックではやはりさまざまな民俗性が参照されていました。2000年代の半ばごろ流行したもので、あなたが好んで聴いていた音楽を教えてください。

KG:その頃に流行っていたそういう音楽はあまり聴いていなかったよ、すでに僕も同じようなことをやっていたしさ。ただ彼らは有名になったけど、僕らはならなかっただけでさ(笑)。ダーティ・プロジェクターズ(Dirty Projectors)はまわりの人からよく話を聞いたからすこし聴いていたけど、でも彼らから影響とかは受けていないし。

いまのUKの音楽シーンについて、おもしろいところとつまらないと思うところを教えてください。

KG:はは、ちょっと物議を醸すような発言になっちゃうかもしれないけど……(笑)。僕はいまの音楽シーンには、「ベージュ色」をした音楽が多いように感じるんだ。ヒットチャートの上位に入るような曲はなんだか郊外っぽくて、うんざりさせられるものが多いよ。音楽が人々の心の中から生まれてきて、それが商品として売られているんじゃなくて、最初から商品として売られるために作り出された音楽のようなものが多すぎる。チャートを占めている音楽には、事前によく計画されたような感じのするものが多くて、チェックリストに沿ってすべての項目を満たすように作られたような感じで、アートとしての性質はほとんど失われつつあるんだ。少なくともメインストリームの音楽に関してはね。すごく計算された音楽が多いよ。
 最近出てきたあるアーティストは──名前を出すのは意地が悪いと思うからあえて言わないけど、彼女の音楽はとても落ち着くような音楽だけど、そのすべては彼女のイメージありきで売られている。彼女のイメージや身体性を中心にしていて、音楽はその副産物みたいな感じだよ。もしかしたら、それがこれから世界が向かう方向性なのかもしれないけど。僕もそういう方向性に向かうべきなのかもね(笑)!
 でもそれはメインストリームの話で、もっとアンダーグラウンドなところではいろいろ起きていて、たとえばケイト・テンペスト(Kate Tempest)はとてもおもしろいことをやっている。あとは……うーん、僕はあんまり英国の音楽に触れていないのかもしれないな。古い音楽とかはいろいろ聴くんだけど。あ、サム・リー(Sam Lee)っていうミュージシャンはもうすぐレコードを出すんだけど、彼はとてもいいフォーク・シンガーだよ。とても現代的なフォーク・ミュージックで、すごくおもしろいよ。
 うーんあとは……そうだ、最近買ったレコードを挙げてみよう。最近のはジョン・カーペンター(John Carpenter)の新しいレコードを買ったけど、そもそも彼はUKじゃないや。あとはハロー・スキニー(Hello Skinny)っていうUKのアーティストがいるけど、彼の音楽は大好きだよ。サンズ・オブ・ケメット(Sons Of Kemet)も。あとはリーズのカウタウン(Cowtown)もすごく好きだね。あとはエレクトロニック・ミュージックだと、キョーカ(Kyoka)っていう女性アーティストがいて、知ってる? 日本人なんだけど、ドイツに住んでるんだ……あれ、これじゃ質問の答えになってないね。質問はなんだったっけ? ああ、UKの音楽シーンについてか。いまのメインストリームの音楽にはあまり好きなものはないけど、もっと自分で聴いていまの音楽も学ぶべきかもしれないな。あ! そうだ、新しい音楽で好きなのを思い出した、ジュリア・ホルター(Julia Holter)は大好きだよ! 彼女はたしかアメリカのアーティストだけど……あとそうだ、UKのバンドでジ・インヴィジブル(The Invisible)がいた! 彼らがどんなにいいバンドか言うのを忘れていたよ。あとはポーラー・ベア(Polar Bear)はいいジャズ・バンドだね。それから、昨日は〈ラフ・トレード〉でファーザー・ジョン・ミスティ(father John Misty)のアコースティック・セットを観てきたよ、彼はすごくいいね。素晴らしい歌詞を書くよ。あともうひとつ、ザ・ウォーヴス(The Wharves)はロンドンの女性ばかりのバンドで、僕の好きなバンドだよ。これでけっこういい「僕の好きな最近の音楽リスト」ができたんじゃないかな(笑)。


アイデアからじゃなくて、強い感情から曲を生みたい。どうせアイデアは後から音楽を装飾するために出てくるから、自分の強烈な感情を音楽の形にして出したいんだよ。

これからどのような音楽を展開していきたいと考えていますか?

KG:さっきも言った、インダストリアル・ミュージックについてのアイデアをもっと掘り下げていきたいな。そしてより使う要素を少なくしていきたい。できるだけミニマルなものにしてみたいんだ。僕はもともとの性格で曲を書くときに書きすぎる傾向があるからさ。それがサウンド面での部分だけど、個人的には、僕が曲を書いているときは、自分の内側にあるとても強い感情にアクセスしたいんだ。アイデアからじゃなくて、強い感情から曲を生みたい。どうせアイデアは後から音楽を装飾するために出てくるから、自分の強烈な感情を音楽の形にして出したいんだよ。まだ今回のアルバムのツアーすらはじまっていないから、いまの時点で答えるのは難しい質問だけどね。でも正直もう次(のアルバム)について考えはじめているんだ。もう曲も書きはじめてて、3、4曲、自分で気に入っているデモもあるよ。アルバムに入るかどうかはわからないけどね!

“ディレイ”対決は加速する! - ele-king

 オウガ・ユー・アスホールとマーク・マグワイヤ。ありそうでなかった貴重なライヴである。両者をつなぐキーワードはひとまずクラウトロック(そしてイヴェント・タイトルのとおり“ディレイ”)だと言えようが、エメラルズを離れたのちのマグワイヤの活動はよりパーソナルに、より自由に柔軟に展開をつづけているし、オウガ・ユー・アスホールも一枚ごとに音楽性を深めひとつところに留まる様子がない。ロックのイヴェントではまちがいなく最高峰のステージを堪能することができるだろう。めくるめくようなディレイ体験を期待したい。

 ということで、ele-kingでは大好きなふたつのアーティストたちの競演を祝福して、みなさんをライヴへご招待いたします。以下のガイドにしたがってご応募(ele-kingツイッターアカウントの該当ツイートをRT)ください!

■応募方法
※twitterサービスをご利用されている方を対象とする企画です

・ele-kingアカウントをフォローし、同アカウントによる本件についてのツイートをRTして下さい
・3月15日(日)24時を締切として、RTをしてくださった方から抽選で3名様をライヴにご招待いたします
・当選のご連絡はツイッターのDM機能を利用して行います。3月16日(月)にご連絡予定ですが、3月19日(木)までにご返信がない場合は無効とさせていただきますのでご注意ください。
・チケットの送付はありません(受付でお名前を頂戴いたします)ので、DMにてご住所をお知らせいただくようなやり取りはございません

本件についてのお問い合わせはele-king編集部までお願いいたします。
(※アーティストやレーベル、UNIT側ではご対応できません)

■"" DELAY 2015 ""
OGRE YOU ASSHOLE × Mark McGuire

オウガ・ユー・アスホール OGRE YOU ASSHOLE
マーク・マクガイヤ Mark McGuire


OGRE YOU ASSHOLE


Mark McGuire

日程:
2015年3月29日(日)
会場:代官山UNIT
開場:17:15 / 開演:18:00
料金:ALL STANDING \4,000(1ドリンク別)
主催:HOT STUFF PROMOTION / UNIT 企画・制作:Doobie / UNIT
協力:ele-king / root & blanch / Office ROPE
INFO:HOT STUFF PROMOTION/Doobie 03-5722-3022 https://doobie-web.com
UNIT https://www.unit-tokyo.com/
チケット:
主催者先行予約受付
1月21日(水)20:00~1月29日(木)23:59
受付URL:https://doobie-web.com
一般発売日:2015年2月7日(土)
●チケットぴあ 0570-02-9999 t.pia.jp Pコード:254-739
●ローソンチケット 0570-084-003 l-tike.com Lコード:79252
●イープラス eplus.jp
●GAN-BAN 03-3477-5701 ●diskunion各店 ●Jet Set Records


Aphex Twin - ele-king

 だいぶ前にユーチューブで観たDJセットは“ウインドウリッカー”をクライマックスに配置したもので、スタートからBPMが遅く、いってみれば“ポリゴン・ウインドウ”をスローにしたような曲が前半の多くを占めていた。『ele-king vol.14』で予告されていた新作はその頃につくられたのではないかと思う曲が並べられ、これを聴いているとどうしても「ウインドウリッカー」が聴きたくなってくる。“ウインドウリッカー”が例の映像とセットで放っていた雰囲気とはまったく異なった曲に聴こえるのはいうまでもなく、かつて“ディジェリドゥー”が時代とともにどんどんちがう曲に聴こえていったことも併せて思い出されてくる(エイフェックス・ツインの初来日DJで、彼が“クォース”を何度もBPMを変えてプレイし、そのことごとくがすべて異なって聴こえたこともいまさらのように思い出した)。

 一方で、このEPには彼がミュージック・コンクレートを追求していた時期のなごりも強く反映されている。ヤニス・クセナキス『エレクトロ-アクースティック・ミュージック』(1970)を思わせるタイトルしかり、そうした種類の発想を随所で取り入れながら、あくまでもベースによってクラブ・ミュージックに着地点を見出していることも明らかだろう。さらにはいくつかのドラミングでワールド・ミュージックへの関心も露わにしている(偶然、そのように聞こえるだけかとも思ったけれど、エンディングでは明らかにマリの楽器バラフォンが一瞬だけサンプリングされている。『ele-king vol.14』のインタヴューでガンツがトルコ出身だということに過剰に反応していた理由がわかったというか)。ミュージック・コンクレートの追求は、少なくとも発表された音源を通じては一時期接近しただけで、ほどなくして離れたのかと思っていたけれど、彼の興味が持続していたことがわかり、これにワールド・ミュージックを掛け合わせてしまうというのは、やはり彼が時代の編集者として優れていることを示している(『サイロ』ライナーノーツ参照)。少なくともリリースのタイミングに関しては天才的な勘を発揮していると思う。

『サイロ』がリリースされた直後、リチャード・D・ジェイムズは「モジュラー・トラックス」と題されたアルバムをフリーで公開した(後に削除。リンクが切れてなければhttps://www.youtube.com/watch?v=0tnh9cbuRBEに転写されている)。また、このEPがリリースされた直後には「user48736353001」の名義で最初は59曲、1月30日の時点では110曲の未発表曲がアップされている。なかには“レッド・カルクス”や“AFXオリジナル・テーマ、さらにはルーク・ヴァイバートの曲を変名でリミックスして話題になった“スパイラル・ステアケース”など聞き捨てならない曲もけっこうあるし、正規盤のリリースと同時になんだかよくわからない名義を駆使して、ぐちゃぐちゃといろんな音源をリリースしまくった90年代の自己イメージが繰り返されていることは明らかだろう。リスナーとの距離感がいつもこの人はどうもおかしい。

 ランダムにアップされた「モジュラー・トラックス」や「user48736353001」との対比で聴くと、新たなEPが1枚の作品としてどれだけ入念にまとめあげられているかがよくわかる。『ポリゴン・ウインドウ』をビート・ダウンさせたものだと冒頭では書いたけれど、「ウインドウリッカー」から『ドラックス』に至る過程のなかで完成できなかったものがここではかたちになっているのではないだろうか。「Pt 2」と題された意味もここにあるような気がして仕方がない。

interview with Boom Boom Satellites - ele-king


BOOM BOOM SATELLITES
SHINE LIKE A BILLION SUNS

ソニー

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 ブンブンサテライツの川島道行の脳腫瘍が最初に発覚したのは、1997年のことだった。僕が彼らに初めて(そして過去、唯一)取材したのは1998年で、欧米では〈R&S〉からの作品の評判が最高潮に達していた頃だった。
 それは『OUT LOUD』が出た年で、ビッグビートと呼ばれたロック的なカタルシスをダンス・ミュージックに取り入れた音楽がブームになったときだった。が、しかし、彼らはしばらくするとさらに加速して、いつの間にかブームを追い抜いてしまった。
 ダークなイメージだが、疾走感のあるビートがやって来て、そして目の前を駆け抜けていくようだった。姿は見えないが、音だけは残っている。「あまりにストレートにハッピーなものにはリアリティを感じない」と1998年の中野雅之は話しているが、実際の話、ブンブンサテライツは流行を追うことも、取り繕いも、みせかけの飾りも必要としない。

 『SHINE LIKE A BILLION SUNS』は、川島道行にとって3度の手術、4度目の再発を経てのアルバムとなる。宿命的だったとはいえ、ブンブンサテライツが「生と死」と向き合わなければならなかったという事実に、僕は正直うろたえてしまうのだが、逃れることはできない。これは生身の音楽なのだ。

川島くんの脳腫瘍っていうのは、積極的に話せば、音楽を作る上でのモチベーションというか、「なぜ音楽をやるのか?」と問いただされるキッカケにはなるんですよね。

久しぶりに聴かせていただき、ざっくり言うと、変わっていないとも思ったんですよね。聴いてて、「あ、ブンブンだ」って。でも、ヴォーカリゼーションは本当に変わりましたね。

川島道行(以下、川島):はい。

で、1曲目の“SHINE”が象徴的なんですけど、曲の途中から、4つ打ちが入るじゃないですか? 90年代的なエレクトロニック・ビートが入って来るんですけど、1998年のインタヴューを読み返すと、中野くんが音楽的なアイデンティティで葛藤しているんですよ。

中野雅之(以下、中野):あ、そうなんですか?

自分たちは、どこにも属していない。ロックでもテクノでもないみたいな。ヨーロッパをツアーしても自分の居場所がない気がするし、日本にいても居場所がない気がするし、っていうような。

中野:なるほど。

ノーマン・クックに評価されてすごく嬉しいんだけど、自分たちはビッグ・ビートだとは思えないし、みたいなね。でも今作の『SHINE LIKE A BILLION SUNS』を聴くと、ふたりのなかには「ブンブンサテライツ道」っていうのがあって、そこをそのままいったのかなって。過去の作品にはロック色が強いものもあるんですけど、大きくは変わらないというかね。

中野:90年代からだとCDバブルって時代があってとか、音楽産業という環境だけでもすごく変化は続いているので、その時々で何にフォーカスをして作っていくかとかは、音楽をやる上でなかなか切り離せないところがあって。それと、自分たちの人生とか境遇とかっていうものも、刻々と変化していくので、やっぱりそれに従って音楽を作っていたと思うんですよね。川島くんの脳腫瘍っていうのは、積極的に話せば、音楽を作る上でのモチベーションというか、「なぜ音楽をやるのか?」と問いただされるキッカケにはなるんですよね。

97年に腫瘍があることが発覚したんでしょう? ということは、ファースト・アルバムが〈R&S〉からが出たときにはそのことを知っているんですよね?

川島:はい。

ブンブンサテライツの内側でそんなことがあったなんて、本当になんと言っていいのか……。

川島:2013年に組んでいたツアーをキャンセルしなきゃいけないっていうことで、発表せざるをえないところがありました。

26ヶ所もの大規模なツアーを組んでいたら、しっかりと誠実に対応しなければならないもんね。

中野:そのときが一番こたえました。

言うか、言わないかというところで?

中野:それもそうですし、決めた予定にたくさんの人が関わっているので、そこで迷惑をかけることになるし。今まではそれが守れていたんですけど、とうとうそれが1回ゼロになってしまって、迷惑をかけてしまったりとか。たとえば、マネージメントとかライヴ制作会社とかが、けっこうな損失を出すことになるし、あとはやっぱりファンですよね。

逆に、いままで病気を公表しなかったのはなぜなんですか?

中野:そういうところで音楽を聴いてほしくなかったですね。

川島:うん。「それでも頑張っている」というのは、音楽の本質とは別のところで起きていることなので、聴く人には純粋に音楽として楽しんでもらって、何かメッセージを受け取ってもらいたいというのがありました。

なるほどね。でもやっぱり、音楽作品っていうのは作り手の人生とは切り離せないところがあると思うんですよね。ブンブンサテライツの創作活動にとっては、命であるとか、死であるとか、人生であるとか、ひとの一生であるとか。そういうようなものに直面せざるをえない問題じゃないですか。それをなぜ言いたくなかったんですか?

中野:なんだろう。セカンドの『UMBRA』(2001年)を出したときとかは苦しい感じがしましたね。それが2回目の再発のときでした。ファースト・アルバム(『OUT LOUD』)が日本もそうだし、いろんな国で受け入れられたところがあって、セカンド・アルバムに期待されることっていうのはその延長線上のもので。川島くんが音楽に向き合うモチベーションをどこに作るかって考えないといけないなと。歌う理由が必要だな、と思いました。川島くんの状態を見ながら音楽を作っていたら、とてもヘヴィなものになったんです。
 そういうものに対して、結局、自分も川島くんも嘘はつけなかったんだなって思います。フラストレーションとか反抗的な感覚を持った音楽を作る理由っていうのは、バンド内のことだけじゃなくても理由はたくさんあったので、ファーストからセカンドにかけてなぜそうなったのかを対外的に話すことにおいて、そんなには不自由しなかったというか。でも、何かを押し黙っているというのは、どこかで感覚的にはありました。

さっき川島くんは音楽とポイントがずれてしまうみたいなすごく冷静な話をしたと思うんですけど、たしかにひとりの個人の命をリスナーがどこまで共有するかっていうところもそうだし。だからやっぱり慎重にならざるえないですよね。話は変わるのですが、ブンブンサテライツってバンド名からすると、この名前にしたことに後悔はないですか?

中野:つけたのは自分ではないので、僕は後悔のしようがないんですけど(笑)。

川島:ハハハハ! 後悔がないかと聞かれれば、ないというのは嘘になりますけどね。自分はもっとロック・バンド然になることを想像していたので。でも後悔はそんなにはないです。

「ものすごくジグ・ジグ・スパトニックが好きなんですね?」とか訊かれたりしない?

川島:まぁ、言われたこともありますけど、それは昔のことで現在は自分たちの音楽があるので、いまはないです。

ジグ・ジグ・スパトニックというのは、これは良い意味で言いますけど、B級色物バンドじゃないですか? おふざけをやったバンドであるわけでしょう? そこからバンド名を引用したわけだからね。ていうか、最初はブンブンサテライツにも少なからずそういう部分があったの?

中野:僕が川島くんと音楽を作るようになったときには、既にその名前があったんです。もちろん、ジグ・ジグ・スパトニックも知っているし。ただ、そこから名前をとったとか、そういうことを僕はあまり気にかけることなく制作をしたので。川島くんのB級っぽいものに対しての……、なんだろう……。

愛情とかこだわり?

川島:ハハハハ。

中野:そうですね。フェティシズムというか、憧れみたいなものはあると思う。そこに憂いがあったり、ちょっと笑ってしったりというか。

川島:うん。そういうユーモアがあるもの魅かれたりね。

中野:それは理解していたんですけど、それは『タイムボカンシリーズ』とかの笑っていいのか、どうなのか、面白いのか、そうじゃないのか、というものでもずっとそうだったと思うし。だからそういうところは、僕と川島はルーツとまではいかないけど、違った感覚だったと思う。

川島くんは基本的にああいうナンセンスなものが好きだったの? 

川島:そうですね。映画にしても、音楽にしても、そういうエッセンスが含まれているものは好き。

ギターのサウンドの感触とかはインダストリアル・テイストのものが入っていて、80年代のニューウェイヴ的なセンスみたいなものは、お互いにずっとあるのかなって思うんです。バックボーン的にはそこにあるの?

中野:すごく意識はしていないけど、あります。若い頃は、バウハウスとか……

シスター・オブ・マーシーとか?

中野:そうですね。川島くんは?

川島:キリング・ジョークとか好きでしたね。

中野:その頃の音楽好きが注目していたものは聴いていたと思うし。エレクトロニックな要素が80年代はポップスのシーンにも出てきていたんで、自然に耳にしていました。80年代の終わりから90年代のハウスやテクノっていうのは、このバンドが形になる上で大きな影響ですけどね。あと、当時はヒップホップがサンプラーを使い出したときで、違うジャンルのものがサンプリングされて別の景色を見せるという、その流れでインストのヒップホップが流行っていたので。

そうだよね。ブンブンは、コールドカットにもリミックスを依頼していたもんね。

中野:そうですね。

初期の“ダブ・ミー・クレイジー”が、2012年のキング・ブリットのミックスに入っていたんだよね。

中野:へぇー。全然知らなかったです。

えー、1997年の曲がいまでもちゃんと通用しているって、すごいよね。長い間いろいろやっているし、テクノやヒップホップや、いろいろ実験してきたと思うんだけど、ブンブンの美学の根幹にあるものって何でしょうね? つねに立ち返るところみたいなものは?

中野:そういう問いに対して、リズム・スタイルだったりとか、音楽ジャンルだったりとか、答えられればいいのかもしれないけど、この間の3回目と4回目の脳腫瘍っていうふうに立て続けにあって厳しかったとき、で、そのときに何をやるのかってなったときに、音楽的なルーツとかが頭に浮かばないというか、川島くんの声をどうやって残していこうかなってことを考えていました。

なるほど。

中野:言葉とか、声とか、そういうものを残す。それで、それが伝わりやすいメロディとかハーモニーにする。だから、リズムというものを取っ払ってしまっても、成立するくらいのものにしたいなと思いました。だから、自分たちの戻るところっていうのが歌とかメロディとかだったりするんだなと。最初の頃はほぼインストだったりするんですけどね。
 知り合ってから20年以上一緒に音楽をやってきて、自分のなかでできていった人間関係とか、人生を共有していることになるじゃないですか。だからいま何をしたいか、そもそも音楽ができるのかできないのか、というところから制作がスタートしているので。

それは今作に限らずにってこと?

中野:いや、とくに今作はその思いが強かった。

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「それでも頑張っている」というのは、音楽の本質とは別のところで起きていることなので、聴く人には純粋に音楽として楽しんでもらって、何かメッセージを受け取ってもらいたいというのがありました。


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〈R&S〉時代のサウンドは、ヴォーカルというよりは全体でひとつのオーガニックな音を作っていたって感じだったよね。でも、途中からは、川島くんのヴォーカルが確立されていくじゃないですか。川島くんはヴォーカリストとして影響をうけたひとはいるんですか?

川島:そう考えると、あまり見当たらないんです。最初の方に立ち返ると、歌を歌いたいと思ったことは、バンドを始めたころはなかったんですよね。ただ、自分がやりたい音楽を実現していくためには仲間が必要だし、誰もそれを共有する人がいなかったんです。自分が楽器をベースからギターに変えて、歌も歌うようになったというなかで、もう一方ではダンス・ミュージックにも憧れがあったので、自分がその飛び道具的な存在としてバンドのなかに存在する音楽がやりたかった。なので、「こういうシンガーになりたい」という感じではなかったんです。「今、誰が好きですか?」と聞かれると……。好きなシンガーはたくさんいますけど、この人に影響を受けてっていうのはないかもしれないですね。

“JOYRIDE”の時代は声もサウンドの一部という感じで、中野くんが当時のハードディスクをいじり倒して作り出したブレイクビーツと、声とギターが絡み合った感じでしたよね。それ以前というか、本当に初期の頃は歌っていたんですか?

川島:歌っていましたね。

中野:歌モノの曲は多かったんじゃないかな。デモテープを作ったりして、ライヴハウスでやって、それを100円で売ったりしていたので。

僕の記憶だと、初めてみたのはイエローのクラブ・イベントだったと思うんですよね。

中野:あの頃は一番、インストのインプロビゼーションっぽいものとか、そういう形でライヴをやっていたんじゃなかったかな。それで、ブレイク・ビーツとか、そういうものに一番傾倒してた。

それ以前は?

中野:その前は学生時代ですね。

川島:ライヴハウスに出ていた頃は、たしかに歌モノが多かったですね。

中野:その頃はすでに、特定のジャンルというよりは、インダストリアルなテイストがあったり、ブレイクビーツだったり、ヒップホップの影響もあったりとか。そのへんはバンドをやっているってだけだったので、特定のジャンルの何かをやっているつもりはなかったです。

なるほどね。でもキリング・ジョークとかバウハウスを聴いていたひとが、ハウスはあるかもしれないけど、ヒップホップっていうと遠い感じがするから。

中野:そうですか?

川島:でも、90年代はパブリック・エネミーとかアンスラックスがいて、そういうミクスチャーなサウンドが刺激的だったし。

中野:あとはパブリック・イメージ・リミテッドのダブっぽい要素とか、いろんなクロスオーヴァーがあった時代だったから。それらは全部外国で起こったことじゃないですか? だから、現場の実態ってわからなくて音楽雑誌を読んで、レコード屋に行って。下北沢の〈スリッツ〉とか〈ズー〉とかに行くと、バレアリックというか、なんでもかけるっていう……

インディ・ロックとハウスをね。インダストリアルとかボディビートとか。

中野:そうですね。メタルよりのものと、エレクトロよりのものを分け隔てなく聴いていたというか。

ボディとかインダストリアルの影響は受けているでしょう?

中野:受けていると思います。川島くんはニッツァー・エブが好きだったんじゃなかったっけ?

川島:うん、好きだね。

ちょうど世代的にはそのへんが一番出てきたときというか。

中野:ちょうどそのときはこのバンドをやっていましたね。

ああ、ミート・ビート・マニフェストが好きだって言っていたもんね。歌詞は川島くんが書いているんだよね?

川島:はい。書いています。

歌詞の主題は、どのように考えていますか?

川島:僕の死生観といいますか。それと、その歌のメロディに自然と口をついて出てくる、フレージングとしての言葉というものがあるんです。それをストーリー仕立てにして、歌詞を書いていくんですけど、メッセージについては強く意識していないですね。そのメロディがちゃんと曲に沿って心地よく聴けるものであれば、それでよくて。メッセージを取り立てて意識して書いたことは、そんなにはないです。むしろ、そういうことをすると、おかしなことが起きるんですよね。

なるほど。中野くんはそこにどう絡むんですか?

中野:うーん。すごい喧嘩したこともあるんですよね。そういう境遇に甘ったれているような感じとか。

それは厳しすぎじゃないですか(笑)?

中野:なんというか、なんだかんだ言っても自分の足で生きていくしかないんで。こんなとこでしゃべれないくらいの口汚い言葉で罵倒したこともあるんですよ(笑)。やっぱり感情的になって。そういう話もたくさんしたし、やっぱり20年も経つとひとって変化も成長もするんですよね。なので、デビューした頃と今の川島くんはまったくの別人と言ってもいいくらい、いろんなことに揉まれることで磨かれていったところがあると思います。考え方とか、姿勢とか、生き方や死生観もそうだし。そのなかに、自分が音楽とどう向き合っていくのかっていうことも含まれているので、運命というか、そういうものを受け入れようと。僕は健康な体を持っているわけですけれども、あまりにも長い時間を共有してきたので、同じとは言わないですけど、痛みとか重みとかはだいぶ共有しているつもりではいるんですけど。

前作の『EMBRACE』は「抱擁」って意味じゃないですか? ブンブンサテライツはラウドでインダストリアルでダークで、海外ではときに「残忍なビート(ブルータ・ビート)」などと形容されたりもする音楽ですけど、タイトルに「抱擁」って言葉を持ってきたってことは何なんでしょうね?

川島:『EMBRACE』を作っていたときには、十何年も発症していなかったので、病気のことはほとんど忘れていたというか、ちょっと遠い存在になっていたんですよね。ただ、音楽が変わってきているということは体感して感じていたので、そのビートの強さがひとに与える印象やメッセージとか、それが与える包容力が僕たちの音のなかに色濃くではじめたので、そのタイトルは自然と出てきた感覚ですね。

十年以上も再発していなかったんだね。完全に治ったと思っていたということ?

川島:薬はずっと飲んでいなければいけない病気だったので、そのことに気をつけていれば、この先もしばらくはないだろうなって思ってましたね。

中野:震災後っていうものに対して、クリエイティヴにどう向き合っていけばいいのかを模索した時期を経て、できたのがそのアルバムでしたね。それだけがあの作品を作っているわけではないんですけど、もう一度、物作りをするっていうことや、音楽というアート・フォーム自体の役割とか、そういうものを考えないと前に進めない時期ではあったんです。僕たちはそのへんを器用に立ち回れないところがあって、たとえばチャリティ的なわかりやすい行動とかが得意ではなくて、じっくりと腰を据えて考える感じになったら、それはそれですごく重いことだったなっていう。その震災のタイミングと、僕たちのキャリア的なタイミングが重なって、ああいうアルバムができたんだと思います。

あのアルバムには、今作に通じるような4つ打ちを使っているんですけど、あのリズムは意識していますか?

中野:4つ打ちっていうのは、普遍的だからなんですよね。

でも、4つ打ち的なダンス・ミュージックを避けていた時期もあったんじゃないですか? もっとロック寄りだったというか。だからクラブ的なセンスが久しぶりに注がれたのかなって。リズムのところだけですけどね。

中野:リズムのところに関しては、それほど意識はしていないですね。あのアルバムあたりは、ビートのスタイルってトレンドで更新されていくもので、昔はそういうものにワクワクしながら12インチを買い漁って、みたいなことをしていたんですけど、『EMBRACE』のあたりからそういうものよりも、ギターやピアノ一本で歌えるものとかに頭がいっているんですよ。今回のアルバムではさっきも言ったように、どうやって川島くんの声と言葉を残していこうかなと。だから、より『EMBRACE』以上にそういう気持ちが強くなって、普遍的なメロディや古典的なコンポーズが中心になっているので、リズムはメロディを後押しするための一要素としてしか、捉えていないところがあるんじゃないですかね。

極論を言ってしまえば黒子みたいな?

中野:そうですね。だからその点に関してはデビュー当初と真逆というか。

98年のインタヴューでも、「どうしても自分たちはハッピーな音楽に対して抵抗があるんだ」みたいなことを言っているんですけど、やっぱその頃はもっとササクレだっていたってことなのかな?

中野:いや、そのへんは変わってないんですよね。ああいうビッグ・ビーチ・フェスティバルとかEDMの大きいイベントを見ていると、音楽が大事にされてないんじゃないかなっていう感覚になったりとか。もともと、音楽が社会に大きな影響力を持って、ひとびとのなかに革命を起こしていくことに直結していくような、イギリスのレイヴが持つ感覚にとても憧れていて。それはパンク・ミュージックともレベル・ミュージックと言えるんじゃないかとか、そういう部分が大きかったんです。だから、そうじゃない完全的な商業的なエンターテイメントになった音楽を見ると、どこか寂しい気持ちになるところはいまでもあるんですよ。

是非スリーフォード・モッズを聴いてください。パンクの感覚って、中野くんのなかではいまでもあると思いますか?

中野:表現の幅が出てきたと思うので、攻撃的であることだけが音楽を作るモチベーションではなくなってきていますね。漠然とした言い方になってしまいますが、音楽の役割として聴いている人に良いことを起こしたい。聴いた人に何か作用を残していきたいと思っているので。それは歌でもなんでもいいんですけど。ビートでも、ビートじゃなくても。聴覚で感じ取ったものが、心で変換されて心で何かを起こすような、そういうことが音楽では起こり得るから、それがあればいいなって思えていて。もう僕たちも40歳を過ぎて、ベテランのアーティストなんですけど、この間に身につけてきた表現の幅ってそれなりにあると思います。ただただ攻撃的な表現じゃなくても、いろんな伝え方があるんじゃないかと。

そういう意味では、川島くんのヴォーカリゼーションは、いままで一番ソウルフルに感じました。

川島:なんでですかね。

中野:僕はソウルフルというより、エゴがない声だと思いました。聴かせようという気持ちが強い歌というよりは、自然に出ている声というか。僕の印象はいわゆるシンガー然とした、きちんとテクニックも持っている歌い手というよりは、表現自体に対してあまり欲がない歌というか、まっすぐ歌うというか。僕はそれがヴォーカリストとして珍しいと思います。歌がうまい人ほど歌の抑揚とかをコントロールしながら歌うので、演歌だったらこぶしがあったりとか、オペラがあったりとかヴィブラートがあったりとか。そういうものをふんだんに使って、自分の歌っていうものを表現するなかで、その欲が川島くんから一切感じられないんです。

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その頃はすでに、特定のジャンルというよりは、インダストリアルなテイストがあったり、ブレイクビーツだったり、ヒップホップの影響もあったりとか。そのへんはバンドをやっているってだけだったので、特定のジャンルの何かをやっているつもりはなかったです。


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作る前から「今回はこれでいこう」というのはあったの?

中野:これも脳腫瘍の話と切り離せないところがあるんですけど、開頭手術をして、約1ヶ月入院していたのでツアーもキャセルになってしまって、これからどうやって生きていこうかなってぐらいに思っていたんです。もちろん、まわりでサポートしてくれている人たちは、無事に手術が終って復帰して、アルバムの制作とかライヴ活動をやっていこうよとなっているけれども、僕は退院して出てくるのを待っている間は、それはやってみないとわからないなと思っていて。もちろんポジティヴに考えているけれども、やっぱり手術後の状態というのは過去の経験として知っているので。まずはリハビリから始めるんですよ。そのリハビリのための曲というか、入院中に僕がメロディから何から書いてしまって、退院してすぐ僕の家のスタジオに来てもらってすぐに歌ってもらったんですけど、それが“SHINE”なんです。それがソウルというか……

ジャンルというよりはね。

中野:そうですね。メンタリティの上でのものというか。そういったものを僕は深く感じ取りましたね。川島くんは意識もまだはっきりしていなくて、まだぼーっとしている状態で歌っていて。で、何に感動したのか理由も明確に言えないくらいにその声を聴いてハッとさせられたんです。こういう歌を残していくのはいいなと思ったけど、それは大変な作業になるだろうなと。

なるほどね。意識とか集中力はやはり大変なんですか?

川島:そうですね。入院生活自体が社会から切り離されたところで行なわれているので、どこかに出てくると馴染めない感覚をもっていたりとかはするんですよね。でも、スタジオに行ったのは退院して3日目ぐらいだったので、そういった意味では自分の様子を窺うというか、自分は大丈夫なのかなということもありますし。様子を窺っているような、馴染めない感覚というか、ぼーっとしている感覚があったんですよね。

反射神経的な部分とか?

中野:川島くんは本人だから、あんまりわからない部分もあるんじゃない?

川島:まぁ、そうだね。

中野:僕は長年、川島くんという人をずーっと見続けているんで、脳腫瘍に限らずに考え方とか、単純に身体能力の衰えとか、いろいろな変化を見てきているし。それで退院直後にレコーディングをはじめたときの川島くんの様子っていうのは、いろんなことがすごく不自由だけど、それでも音楽をやるんだなと思って、すごいことだなと。そのときに完全にヴォーカリストとプロデューサーという関係になっちゃって、トラックメイカーとかそういう感覚はなかったですね。その佇まいだとかを見て、これはどうやって人に伝えていこうかな、というところで考えるようになって。なので、アルバムの制作を始めたときは痛々しいところは痛々しかったです。

川島くん本人はどんな気持ちを持って、このアルバムに臨んだんですか?

川島:とにかくやりたいことはこれなんだ、っていうことは入院中に思っていたので、退院したらこれまで以上のいい音楽を作って成長していきたいなと。何がいい音楽なのかはっきりとしていませんでしたけどね。振り返ると、人生をアーティストとして生きてきたところがあって、それをこれからも続けていこうと退院してきたので、すごく大変な時期もありましたけど、そのことについてあまり迷いはありませんでしたね。

今作は病気のことをファンに公表したあとの作品ですし、とくに伝えたいことってたぶんあったと思うんですけど、それは何なんですかね?

川島:完成させること自体と、佇まいですよね。言葉ではっきりとした「これ」と言える集約されたものではないと思いますけど、病気のことを知った上で、その命の強さというか……

中野:たぶん、そこは意識していないんじゃない?

川島:うん、していないけどね。

中野:まず毎日の生活の中に、自分たちが音楽を続けられるかどうかっていうのがテーマのひとつにありました。人に音楽を聴いてもらう上で何を与えていきたいのかっていうのは、自分の病気と切り離したところで考えているところがあるんじゃない?

川島:うん、そうだね。ただ、諦めないということは格闘家のような姿勢だと思うんですけど、音楽は音楽として美しかったり、高揚感を与えたりとかっていう様々な感情レベルで繋がっていきたいという志は、今でも持っていますけどね。

中野:自分がデビューするときとか、20代で音楽を作っているときとかって、40代になった自分のバンドが続いているイメージって全くなかったです。

夢中だったと?

中野:そういう将来的設計みたいなことは音楽を作る人ってないんじゃないの?

たぶんないよね(笑)。

中野:そのとき、そのときでけっこう精一杯で、そういう私小説的にアルバム単位で音楽を残したり、曲単位で残していったり、それをやり遂げていって、ちょっと先の未来に対してのイメージとかやりたいことのモチベーションが見えてきて……。
 要は何も考えてなかったんですけど、自分たちの考え方とか、生き方とか、そういうものが変化していくことと、音楽的な変化をイコールで考えていて、エンターテイメントとして演じる音楽ではないと思っているところで、作品を作っているんです。だから最初の方で言われた「ブンブンサテライツというバンド名に後悔したことはないんですか?」っていう質問なんですが、たしかにもう似つかわしくはないかもしれないんですけど、たとえば、山田太郎は生まれてから、ものすごく悪い不良少年を経て、すごく立派な大人になるまでずっと山田太郎じゃないですか? まぁ、それでいいのかなって。

川島:ハハハハ。

生と死は、非日常的なことではなく、ものすごく日常的なことでもあるからね。誰もが平等に、それを迎えるものだから。普遍的で、実は日常的なテーマでもあるんだよね。

中野:それはもう、生まれてきた全員に共通して平等に与えられた死という機会で、それまでの時間が長いか短いか話しなので。だから、普遍的なテーマだと思うし、その生に対する執着も当然テーマになりえるし。

そういう生と死といった大きなテーマを思いながら、音楽性を何か変えようとはしなかった? たとえばアンビエント・タッチを取り入れるとか。

中野:自然とできたアルバムではあるので……

やっぱりビートが入らなければという話?

中野:うーん、あまり考えないですね。

川島:むしろビートは入っていないと嫌だなと思っていた。

中野:そういう手法を入れると、僕の感覚だと、あまりにも演出めいている感じがしちゃいますね。やっぱり、いつも通りの川島道行がいることが大事で、その背景としてのトラックやアレンジとかっていうのは、バランスの感覚としか言えないところがしますけど……。

自分たちのなかで、ブンブンサテライツはこうじゃなきゃいけないっていうのはあるんですか?

中野:うーん、言葉でできる部分ではないですけど、日常的に音を出すということはやっているから、そのなかでの取捨選択というのはあると思います。たとえば、10個の音がどんなバランスで組合わさるかっていうときに、そこに長年かけて出てきているアイデンティティみたいなものは、存在しているかもしれないです。

そのアイデンティティというのは、言葉では言うのは難しいんですか?

中野:そうですね。アンビエントみたいなものと言っても、自分が好きなテイストのものと、そうでもないものっていうのが明確にあるんですけど、言葉で説明しきることっていうのは難しいんだよね。

先日、砂原良徳に取材で会ったら、「バンドっていいよ」って言ってたんだけど、ふたり組という単位で続けていることに関しては、どうですか?

中野:これは全然音楽的な話ではないですけど、縁としか言えないところがあるのかなって。たとえば、オービタルとかだったら兄弟としてやっていたとしても、音楽を作るのが難しくなることもあるわけじゃん? 僕と川島くんは家族でもなんでもないんですけど、ここまで続けてきて摩擦っていうものはあるし、違う人間が同じ部屋で作業して何もかもが同意だけで進むことは、ほとんどないわけですね。それで諦めないとか嫌気がささないとか、それはひとが変われば諦めややめるタイミングも早くやってくるのかもしれない。たまたま、巡り会った人と人との縁っていうところもひとつにはあると思うし。2人で音楽を作るってことはハードなんですよ。3人と4人とやるのと比べてもね。

1対1だからね。

中野:妥協というものが存在しないというか、議論するんだったらどっちかがどっちかをねじ伏せるか、もしくは深く納得するとか。

やっぱり議論はいつも起こるの?

中野:はい、制作中に起きます。

とくにこういうところで議論にあるってことはある?

川島:表現方法とかだよね?

中野:そうだね。あとは、リリックのことでも。

川島:内容のとこではないよね。

中野:音楽的のスムーズさとか、伝えることの情報量とか整理とか。やっぱり思いが強いときっていうのは、音楽的じゃない表現方法で情報量が多いから、それだとやっぱり伝わらないというのがあって。あとは歌唱方法ですかね。

なるほど。どちらかと言えば、中野くんが注文をするというか。

川島:そうですね。ディレクションを受けますね。

中野:納得しながら進まないと、そういう声も出てこないので。

川島くんから中野くんに「いや、このトラックはもうちょっとピッチを下げて欲しい」とかって言ったりしないの?

川島:そんなに激しくはないんじゃないかな? だいたい僕が出せる良いところの声を理解して、キー設定なりをしているので、僕がそれに対してもうちょっと低くないとってことはあまりないですね。

でも、お互いにいまでも意見をぶつけ合ってやるってことは、すごく健康的な関係性だよね。

中野:完全にお互いの役割分担ができていて、メールとかサーバーのやり取りだけで済むような感じは一切ないですね。

いまは、そうやってデータのやり取りができちゃう時代だから。

中野:顔を付き合わせて話して、実際に音を出してやるっていうふうにやっていかないとバンドでは全然進まないですね。

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僕と川島くんは家族でもなんでもないんですけど、ここまで続けてきて摩擦っていうものはあるし、違う人間が同じ部屋で作業して何もかもが同意だけで進むことは、ほとんどないわけですね。2人で音楽を作るってことはハードなんですよ。3人や4人でやるのと比べてもね。


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いまとりあえず一番やりたいことってなんですか? ライヴ?

川島:ツアーですね。

中野:けっこうな期間、ちゃんとツアーをやれていないですからね。小さいツアーは、クアトロとか、東京、大阪、名古屋、仙台とかはの規模では去年やって、これができたからいよいよ本格的に、っていう思いはあったんですけど。そこで再発しちゃったから、全国ツアーはキャンセルしました。ツアーはやっぱり顔が見えるのでライフワークのひとつだと考えていて、それができていないから実現したいなと。

オフのときとかに自分の気持ちが癒されるような音楽ってあります?

川島:音楽でですか?

あまり聴かない?

中野:音楽を休みの時間に聴くってことをしなくなった。

川島:そうだね。しなくなった。

中野:休みは静かに過ごしますね。音楽を聴くときってスイッチが入る気持ちになるんで。それこそ、アンビエントとかドローンとかを四六時中部屋で流しておくようなこととかは、やっぱりないね。なんでだろうね?

川島:なんでだろう。聴いたら反能を……

中野:そうだ。音楽に対してセンシティヴ過ぎてしまって、疲れてしまう(笑)。

なるほど(笑)。音楽のことばかり考えてしまう?

川島:オフにならないっていう(笑)。

中野:自分たちが音楽を作る時点ですり減らしてしまう、というところがあるんです。やっぱり、絶対に歳なんだよね。

ハハハハ。

川島:そうなのかな。

中野:これは年齢だと思う。

それはどうかはわからないですけどね。ちなみに、音楽以外でやりたいことって何ですか?

中野:僕はないんですよね(笑)。

ないの(笑)? それはマズいね(笑)。ワーカホリックだよ。

中野:川島くんはないの? 旅とか?

川島:あんまりないね。細美武士くんとかは旅をしたくなるって言っていたけど。「自分が音楽を作っている途中で病気にかかったら、きっと旅に出ると思います」って言ってました。で、彼はアルバムを作ると実際に旅に出るんだけど、俺はそういうのはないなと。

中野:ちょっと変わってはいるんだと思う。よく聞かれるんですよ。「休みの日は何をしているんですか?」とか。まともに答えられたことがないね。「ずっと布団のなかにいます」とかね(笑)。

川島:そうそう(笑)。

ハハハハ。

中野:でも、本当にここ10年くらいでインプットに仕方が変わったというか、音楽を作るモチベーションも昔とは全然違うところからきているから。自分たちの内側からくるところに重心があって、前は外からの情報に対してのリアクションとか、ガキっぽかったので反抗的なところからスタートすることもあったと思うんです。そうすると、クラブへ行ってとか、レコード屋に行ってとか、海賊ラジオをずっとつけておくとか、そういうことで日常を過ごして、制作に入ったときにそれを一気に集約するような感じだったのが、今は静かに過ごして、自分たちから何が出てくるのかっていうことに耳を傾けているような感じですね。

いまは情報過多な時代というかね。

中野:それはこういうメディアを作っていても思いますか?

ある日目が覚めて、「いま自分は何年代にいるんだろう?」って思うくらいに世の中は変わったじゃないですか? ブンブンがデビューしたころに比べると。いろんな意味でね。とくにインターネットというものが普及してから、世界は大きく変わったと思うので。逆に、若い世代で情報を積極的に閉じようとするミュージシャンもいるくらいだからね。だから、ブンブンがそうなったのは年齢じゃないかもしれないよ。

中野:でもテレビとかは、アンテナの線を抜いちゃったりとか。でも、インターネットを見ているから一緒なんですけどね(笑)。本当にそれは思うところがあります。

川島くん、いま何か言いたそうだったね?

川島:あっ、大丈夫です。

アルバムを聴いてくださいと?

川島:はい。アルバムを聴いてください(笑)。

ありがとうございました。

川島&中野:ありがとうございました。


kukangendai - ele-king

 日本のシーンにおいて、若く、音響的な冒険心を持ったバンドといえば、goat(新作が素晴らしい)とともに、HEADZの2トップをはっている空間現代がいる。鮮やかな沈黙、躍動する静けさを創出した、2012年の『空間現代2』が本当に評価されるにはもう少し時間がかかるのかもしれないけれど、彼らはすでにリミックス・シリーズを通して新しいところに向かっているようだ。
 このシリーズでは、すでにマーク・フェル(SND)、中原昌也(ヘア・スタイリスティックス)、ZS、蓮沼執太といったそうそうたるアーティストがリミックスを手がけているが、その最新版は、IDM/エレクトロニカの大物、Ovalことマーカス・ポップによるもの。AFX復活のこの時期にマーカス・ポップのリミックスが聴けるのは喜ばしいことだ。あなたの耳に、心地良い刺激をもたらすだろう。
 ※この希有なバンドを未体験の方は、3/22日曜日、落合Soupのワンマン・ライヴに行くこと。

ElectronicaExperimental

空間現代
dareka (Oval remix)──[空間現代 Monthly Remixes]

UNKNOWNMIX 36 / HEADZ 203

https://itunes.apple.com/album/id969897878/
https://itunes.apple.com/jp/album/id969897878/

https://kkgrmx.tumblr.com/oval


interview with Shotahirama - ele-king

ワナダイズのマネなんですけどね

 Shotahiramaの名前を覚えたのは、東北大震災の後だった。しばらくして『アンビエント・ディフィニティヴ』を編集していたときに『サッド・ヴァケイション』(2011)を聴いたほうがいいのかどうか迷ったものの、結局、聴くことはなかった。ヴィンテージ盤に金を使い過ぎたせいもあるし、ジャケット・デザインがあまりにもそれらしくなかったことも大きい。魚がパクっと口を開けているようなヴィジュアルはあまりにグロい感じが強かった。

「あれはハンバーガーですよ(笑)。ジャケットと内容は関係ない方がいいと思ってるんです」

 その後の『ナイス・ドール・トゥ・トーク』(2012)や『ポスト・パンク』(2014)に女性の写真を使っているのも内容を想像させないためらしい。

「ワナダイズのマネなんですけどね」

 女性が地面にスッ転がっている姿を写した『バグジー・ミー(Bagsy Me)』(1996)のジャケット・デザインが彼の心を深いところで刺激したのだろう。さすがにスウェデッシュはこれだけだったけれど、この日のインタヴューで彼が口にしたミュージシャンは7割ぐらいがロック・バンドだった。彼の音楽はロック的な衝動をグリッチやミュージック・コンクレートに移し変えたもので、方法論的に行き詰ったエレクトロニカが試行錯誤の末に突破口を見出したというような修養の産物とは言わない方がいいのかもしれない。むしろ取材が終わった後で、彼は「シュトックハウゼンとかの名前をもっと出せばよかった」と悔しがっていたぐらいで、そういえば「Shota Hirama」と2語に分けず、ドットを省略してShotahiramaと綴られると、目が悪い僕などは一瞬、Stockhausenと勘違いしてしまうのも彼の巧みな計算から来ているにちがいない。橋元“めっちゃ”優歩がめっちゃ間違えてShitahiramaとメールで書いてきたときはシタビラメの仲間かとも思いましたけれど。めっちゃ。

 Shotahiramaはセールスマンのような男だった。いや、あまりにきちっとし過ぎていて、取材というよりは何かのセット販売に立ち会っていたような気分に近かったのである。まー、たしかに、彼がこれまでにリリースしてきた『クラスター』や『ポスト・パンク』が合わせて4枚組のボックス・セットとしてパッケージし直されるので、彼が何をどのような口調で語ろうともその軸にある行為はセット販売であることは間違いないのだけれども……。


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myspaceに曲を上げたら、スペインのレーベルから連絡が来たんです

 Shotahiramaはニュー・ヨークで生まれた。それから大体、6年おきぐらいに日本で暮らしたり、アメリカに戻ったりと、ピンポン玉のような人生を展開してきたらしい。アメリカではブロンクスヴィルというところに住んでいたので「黒人は見たことがなかった」そうである。デヴィッド・リンチの映画を観ていても『ブルーベルベット』の冒頭で雑貨屋の主人が黒人だった以外、まったく黒人は出てこないので、それだけを見ているとアメリカに黒人はいないと思いがちだけれど、スパイク・リーの初期作を観ると、今度は黒人ばっかり出てくるので、アメリカは黒人だらけだと勘違いするのに似ている(*反知性主義の人にはちょっと難しかったかな?)。

「だからヒップホップを知らないんですよ」

 音楽を聴いただけではそれには気がつかなかった(ウソ)。

「小さい頃はバック・ストリート・ボーイズとか、そういうのがよく流れていました」

 しかし、彼自身が音楽に興味を持ったきっかけはロックだった。

「意識的に聴きはじめたのはストロークスが最初ですね」

 そう言いながら、彼の表情はまるでギターを搔き鳴らしているキッズのそれになっていた。ペイヴメント、ソニック・ユース、ジョン・ゾーンと、彼の興味はどんどん先鋭化し、いつしか「ライヴがしたい、録音したい、人に聴かせたい」の三拍子が揃ってしまい、彼を中心とする流動的なメンバーで構成されたエレクトロノイズ・グループ(ENG)としてデビューする。

「マイスペース(myspace)に曲を上げたら、スペインのレーベルから連絡が来たんです」

 2007年に4曲入りの「バルセロナ」、2008年にはフル・アルバムで『コラープス』がリリースされる。アブストラクトかイルビエントといった形容がこれらを指して並んでいるけれど、僕は聴いたことがないのでなんともいえない。イギリスや香港など世界各地でライヴも行ってきたらしい。

「まだやっているんですよ。現在は休業中ですけど、やめたわけじゃないんです」


日本かアメリカかというアイデンティティの問題で悩んだことはないんです。自分は自分でしたから。

 そうした活動の前、彼はディスクユニオンの本社などで働き、最終的にはクビになっている。同じくディスクユニオンで働いていた橋元“めっちゃ”優歩と時期が重なるために、それからしばらくふたりのあいだで固有名詞がめっちゃ飛び交い、なにがなんだかわからないので、うどんでも食べに行こうかなと思っていると、彼がクビになった理由に話が及びはじめた。簡単にいうと、相手の佇まいから、その人の気持ちを察するという日本文化に馴れていないために、彼は接客でトラブルを起こしまくり、袖から見えるタトゥーがそれに拍車をかけたというのである。

「日本かアメリカかというアイデンティティの問題で悩んだことはないんです。自分は自分でしたから。でも、日本の習慣を理解するにはとにかく時間がかかったんです。なんで直さなければならないのかがわからなかったんです」

 ここまで彼と話をしていて、話しにくいと感じたことはなかった。どちらかというとコミュニケイションはスムーズで、接客でトラブルを起こすようなタイプには思えなかった。日本で働くうちに、彼がすっかり変わってしまったということなんだろうか。あるいは、そうした片鱗さえ窺える部分はなかった。強いて言えば彼は素直すぎると感じたことが精一杯の違和感である。印象に残った彼のひと言がある。

「オトナがコワい」

 そのようにして日本で働いているときに、彼はそう感じたというのである。上手くは言えないけれど、この感覚は彼の音楽にある破壊的なニュアンスや「シグナル・ダダ」と名付けられたレーベル名にどこか通低するものがあるような気がしないでもない。ダダは単に彼がダダイズムが好きだから付けたそうだけど。


オトナがコワい

 2007年に彼はギターをラップ・トップに置き換える。

「PC一台ですべてのことができるというのは、それなりに革命的な気分でした」

 香港の〈リ-レコーズ(Re-Records)〉からリリースされたソロ・デビュー・アルバムのタイトルが興味深い。『アンハッピー・アメリカン・ロスト・イン・トウキョウ』(2010)である。反知性主義者の方に訳して差し上げると「不幸せなアメリカ人は東京で自分を見失う」となる。「アイデンティティの問題で悩んだことはない」という彼の発言にウソがあるとは思えなかったけれど、でも、やっぱりそれはウソだと思いたくなるようなタイトルではある。そして、続くセカンド・アルバムが『サッド・ヴァケイション』。

「東北大震災があった日に出荷の作業をやってたんです」

 タイトルは地震の前からあったもので、同作のテーマは「エレメントの衝突」。プレス資料を写すのが面倒なほどコンセプチュアルなことがあれこれと書いてある。冒頭にも書いたように、この作品はアンビエント・テイスト。続く『ナイス・ドール・トゥ・トーク』は14分ちょっとのミニ・アルバムで、カットアップが以前よりも暴力的な響きを帯びてきた。

 現在の作風に直結してきたといえる『クラスター』(2014)はちょっと考えさせる。

「そのままです。クラスターへのオマージュです」

 一定のテンションを保ちながらも、低音部がカットされているため、ダイナミクスはまったく生じない。いわば平坦でありながら、飽きさせないという意味では初期のケン・イシイを思わせる。ヒップ・ホップを知らなかったことと同じ意味合いなのか、「ダンスものはやりたくなかった」ということが面白い方向に出た例といえるだろう。即興にエフェクトをかけたりしているのかと思ったら、流れるような展開は細かい断片を繋ぎ合わせたものだという。

「エディット狂なんですよ(笑)。これは2週間でつくれと言われて。このときの集中力は二度と再現できません」

 ここから一足飛びに『ポスト・パンク』へ話を進めたいところだけど、次にリリースされたのは〈ダエン〉からのカセット、『モダン・ラヴァーズ』。

「ジョナサン・リッチマンが好きなんです。最初のノイズは実際にジョナサン・リッチマンのアナログ盤をかけたときのもの」

 そうかなとは思ったけど、本当にジョナサン・リッチマンから来ているとは驚いた。2014年は坂本慎太郎にマック・デマルコと、話題作を生み出したミュージシャンが共通してジョナサン・リッチマンに惹かれていたとはどういうことか。ちなみにShotahiramaがジョナサン・リッチマンのことを知ったのは田中宗一郎が「ストロークスだったか、リバティーンズだったかのことを書いていて、それと関係づけていた」からだったという。『モダン・ラヴァーズ』はひと言でいえばノイズで、「ハーシュ・ノイズは嫌いなんです」という彼が練り上げた繊細なノイズ・ドローンと聴いたほうがいいだろうか。


最初のノイズは実際にジョナサン・リッチマンのアナログ盤をかけたときのもの。

「ノイズといっても、ナース・ウインズ・ウーンドみたいにドロドロしたものが好きなんですよ。ビザーレというか。コリン・ポッターも好きです。アンドリュー・ライルズやダレン・テイト、アンドリュー・チョークも……」

――予感はあった?

「まったくなかったです」

 本人も予想しないところで、いきなり『ポスト・パンク』で火が点いた。

――どんな反響が?

「ないですけど、売れたんですよ」

 そんなことが急に……起きたのである。初期のケン・イシイがマウス・オン・マーズと出会ったようなファニーさが『ポスト・パンク』には付け加わった。これも実際に会った彼からは感じられなかった性格ではある。もしかすると、興醒めになってしまうかもしれないけれど、タイトルも含め、この変化がどこから来たのかは彼自身が語ってくれた。

「パレ・シャンブルグです」

 あー、なるほど。アンビエント・ミュージックに聴こえるサウンドにハンバーガーのジャケットを持ってくるセンス。おそらくは彼に元から備わっていた性格なのである。それがようやく音の表面に出てきたのが『ポスト・パンク』だった。そう考えた方がよさそうではないだろうか(どうでしょう、反知性主義の皆さん?)。どう見てもセールスマンにしか見えないShotahiramaが真面目な顔で彼の音楽について語れば語るほど、何かが決定的にズレていく。あるいは、まずは笑わせてくれるのがダダイズムだとも。



*『クラスター』『モダン・ラヴァーズ』『ポスト・パンク』を含むボックス・セット『サーフ』はポスター、缶バッチ2個、ブックレット付きでshrine.jpより発売中。橋元“めっちゃ”優歩もめっちゃ好きみたいです。めっちゃ。


■shotahirama / 平間翔太
ニューヨーク出身の音楽家。国内外のさまざまなメディアから注目を浴び、Oval、Kangding Ray、Mark Fell 等のジャパン・ツアーにも出演。代表作に『post punk』や4枚組CD ボックス『Surf』などがある。
オフィシャルサイト:https://www.signaldada.org

■新譜『Stiff Kittens』

発売日: 2015 年2 月22 日
定価: 2,000 円+消費税
レーベル: SIGNAL DADA
詳細: https://signaldada.tumblr.com/

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