「KING」と一致するもの

Courtney Barnett - ele-king

 メルボルンのシンガー・ソングライター、コートニー・バーネットが3年ぶりのニュー・アルバム『Things Take Time, Take Time』をリリースする。現在先行シングルとして “Rae Street” が公開中。彼女らしいオルタナティヴ・サウンドは健在で、ヴァースでの日常の描写を経てからのコーラス、「たしかに時は金なり。でも金は友だちじゃない」にはグッとくる。ほかの曲も気になります。発売は11月12日とまだ少し先だが、楽しみにしていよう。

コートニー・バーネット、ニュー・アルバムを11/12に発売!
第一弾先行シングルとミュージック・ビデオを公開!

■第一弾先行シングル「レイ・ストリート」ミュージックビデオ
https://www.youtube.com/watch?v=NUXvlpS0TvE

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https://smarturl.it/CBJP

オルタナティヴ・ロック界を代表するアーティスト、コートニー・バーネットは、3年ぶりの3枚目となるニュー・アルバム『シングス・テイク・タイム、テイク・タイム』(Things Take Time, Take Time)を11月12日に発売することを発表し、早速、第一弾先行シングル「レイ・ストリート」(Rae Street)をミュージック・ビデオと共に公開した。

作曲に2年以上をかけ、その後2020年の終わりから2021年の初めにシドニーとメルボルンでプロデューサー/ドラマーのステラ・モズガワ(Warpaint, Cate le Bon, Kurt Vile)と一緒に録音された『シングス・テイク・タイム、テイク・タイム』は、彼女にとってまたもやブレイクスルーとなる作品となった。これは、彼女が最もクリエイティブでリラックスできた、そしてこれぞまさしくハッピーなコートニー・バーネットと言える作品だ。彼女のプライベートな世界を垣間見ることができ、愛、再出発、癒し、自分自身の新たな発見等々、てらいなくそのようなテーマを扱っている楽曲が収録され、これまでで最も美しく、そして彼女自身にとって一番身近なアルバムとなった。

アルバムのオープニングを飾る第一弾先行シングル「レイ・ストリート」は、現代のスピード社会と対峙しながらも、小さなコミュニティの日常生活が繊細にスケッチされた、穏やかなミッドテンポのエッセイで、美しいトーンを奏でている。 特に以下のフレーズが印象的だ「time is money; and money is no man’s friend」(時は金なりだけど、お金は友達じゃない)。それは決して独りよがりで自己満足な台詞ではなく、コートニーの手による哀愁を帯びた歌詞は、激しく驚くほど生き生きとしている。穏やかに物事を見つめながら行動を起こすことで、日々の何気ない日常の中で失いがちな、人々がお互い触れ合えるような道を切り開いていく。そんな驚くべき叙情的な作品だ。

彼女にとって、人生のとりわけ楽しい時期に録音された、ディープでパーソナルな内容がコラージュのように散りばめられたこのサウンドは、彼女が聞くものに大きな影響力を及ぼす画期的な女性シンガーソングライターであること、その地位が間違いのないものであることを示している。そして彼女の実力が1人のミュージシャンとして、まさに今ピークを迎えようとしており、そして新たなフェーズに入ったことを示すものに仕上がっている。

[前作情報]
https://trafficjpn.com/news/cb/

■商品概要

アーティスト:コートニー・バーネット(Courtney Barnett)
タイトル:シングス・テイク・タイム、テイク・タイム(Things Take Time, Take Time)
発売日:2021年11月12日(金)
品番:TRCP-300 / JAN: 4571260591639
定価:2,400円(税抜)/ 解説・歌詞対訳付
ボーナス・トラック収録
Label: Marathon Artists

Tracklist
01. Rae Street
02. Sunfair Sundown
03. Here's The Thing
04. Before You Gotta Go
05. Turning Green
06. Take It Day By Day
07. If I Don't Hear From You Tonight
08. White A List Of Things To Look Forward To
09. Splendour
10. Oh The Night

+ボーナス・トラック

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■プロフィール
オーストラリア出身のシンガーソンングライター。自身が設立した〈MilK! Records〉より発売したEP「How To Carve A Carrot Into A Rose」(2013年)は、ピッチフォークでベスト・ニュー・トラックを獲得するなど、左利きのギター・ヒロインから紡ぎ出されたリリカルな作品は世界的な注目を集め、デビュー・アルバム『サムタイムス・アイ・シット・アンド・シンク、サムタイムス・アイ・ジャスト・シット』を2015年3月にリリース。グラミー賞「最優秀新人賞」にノミネート、ブリット・アウォードにて「最優秀インターナショナル女性ソロ・アーティスト賞」を受賞する等、世界的大ブレイクを果たし、名実元にその年を代表する作品となった。2018年5月、全世界待望の2ndアルバム『テル・ミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール』をリリース。2019年3月、2度目の単独来日公演を東名阪で開催。同年フジロックフェスティバル’19に出演。2020年2月、地元豪メルボルンでのライヴ盤『MTV アンプラグド(ライヴ・イン・メルボルン)』を発売。2021年11月、3rdアルバム『シングス・テイク・タイム、テイク・タイム』を発売。
https://courtneybarnett.com.au/
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Microcorps - ele-king

 聴覚表現というのは、実体のない“音”を見えた気にする幻覚効果もあって、ときに人は視覚的なサウンドなどと言ってみたりするのだが、これはたいてい視覚的イメージの想像を促すという意味で使っている。マイクロコープスのファースト・アルバムを聴いていると、魔獣のごとき迫力をもったエレクトロニック・ミュージックがクローネンバーグの映画さながら暴れ回っているように感じる。しかしながら緊急事態宣言下でオリンピックが開催されるというこの倒錯した現実のなかで暮らしていると、むしろ現実のほうがシュールすぎて、自分の想像力の矮小さが嘆かわしくも感じる。コロナ以降、世界は変わらず不安定なままで、喧々ゴウゴウと情報合戦も続いている。マイクロコープスの迫力ある不気味さは、いまの時代の奇妙な状態を反映しているとも言えるだろう。

 『XMIT』はマイクロコープスのファースト・アルバムだが、作者のアレクサンダー・タッカーは10年以上のキャリアを持つベテランで、〈スリル・ジョッキー〉などから何枚ものアルバムを出している多作の人だ。ただしそのほとんどがロック系に分類されているので、マイクロコープスは彼のテクノ・プロジェクトになるのだろう。テクノといってもこれは、クラフトワークではなくスロッビング・グリッスルのほうに近い。ロボティックでもなければファンキーでもないが、暗喩的で、特異で破壊的な魅力を秘めている。

 その世界は興味深いゲスト陣の名前からもうかがえる。いまやUKでもっともラディカルな電子音楽家のひとりのガゼル・ツイン、デレク・ジャーマン映画のサウンドトラックや〈Mute〉からの作品で知られるサイモン・フィッシャー・ターナー、そしてファクトリー・フロアやカーター、トゥッティ、ヴォイドのメンバーとして知られるニック・ヴォイド、ペーパー・ドールハウス名義でダーク・アンビエントを作っているアストラッド・スティーハウダー。これらゲストが参加した曲には各々の個性が注入され、格別に出来が良い。忍び寄る恐怖を絶妙に描いているガゼル・ツインが参加した“XEM”、異世界における妖美なダンスを展開するニック・ヴォイドとの“ILIN”はとくに印象的で、「H.R.ギーガーの絵画の聴覚表現」ないしは「世界に放棄されたダンスフロア」などという評価がされるのもむべなるかなだ。10年代に〈Blackest Ever Black〉がやっていたことをさらに拡張したというか。

 レーベルはヘルムことルーク・ヤンガー主宰の〈オルター〉、急進的なエレクトロニック作品やポスト・パンク作品のリリースによって評価を高めている。言うなればテクノとパンクのごった煮で、コロナ以降の世界ではより存在感を高めていきそうだ。

 『映画:フィッシュマンズ』がいよいよ上映される。映画ではバンドの歴史が語られ、ところどころその内面への入口が用意され、そして佐藤伸治についてみんなが喋っている。3時間ちかくもある長編だが、その長さは感じない。編集が作り出すリズム感が音楽と噛み合っているのである種の心地よさがあるし、レアな映像も多かったように思う。また、物語の合間合間にはなにか重要なひと言が挟み込まれていたりする。要するに、画面から目が離せないのだ。
 フィッシュマンズは、佐藤伸治がいたときからそうだが、自分たちの作品を自己解説するバンドではなかった。したがって作品解釈には自由があるものの、いまだ謎めいてもいる。レゲエやロックステディだけをやっていたバンドではないし、なによりも世田谷三部作と呼ばれる問題の3枚を作ってしまったバンドだ。いったいあれは……あれは……佐藤伸治があれで言いたかったことは何だったのだろうか。だから膨大な取材によって作られたこの映画は、解釈に関してのヒントにもなるわけだが、まあしかし、まさかフィッシュマンズの映画が観れることになろうとは思いもよらなかったわけで、そのこと自体考えてみればすごいことです。しかも、現時点ですでに28都道府県36館での上映が決まっている。これはもう、快挙としか言いようがない。作ったほうも上映するほうも。
 それにしても、何故いまこの映画が生まれたのだろう。『映画:フィッシュマンズ』は何を意図して、どんな思いをもって作られたのだろう。映画をプロデュースした坂井利帆氏、監督を務めた手嶋悠貴氏が話してくれた。取材をしたのは3月30日。まだ春先で、上映館も都内ぐらいしか決まっていなかった。フィッシュマンズを求める声や熱気が全国からふつふつと湧きはじめる、まだ数ヶ月も前のことである。

ぼくが知りたいことは、もしかするとフィッシュマンズを聴く多くの人たち、これからフィッシュマンズに出会うたくさんの人たちが知りたいことじゃないかなと。リアルタイムで体感できなかった世代としては、どうやってあの途轍もない音楽が生まれたのかを知りたいという欲求があったんだと思います。

どのようにこのプロジェクトがはじまったのか、ことのはじまりから教えてください。

手嶋:2018年の夏頃に坂井さんと、一緒のプロジェクトをやっていたんです。そのときに「フィッシュマンズってご存じですか?」って訊かれて、「知ってますけど、どうしたんですか?」って答えたら、フィッシュマンズで映画をつくりたいんですけど……ってボソッと言われて。「ぜひやりましょう!」と伝えたんです。それがはじまりですね。

坂井さんが言いだしっぺだったんですか?

手嶋:そうですね。最初は冗談かなって思ったけど(笑)

おふたりはそれ以前からお仕事をされていたんですね。

坂井:はい。もう10年くらいです。私は主に日本で撮影した映像を国内や海外メディア向けに発信する映像制作をしていまして、以前勤めていた会社のプロジェクトで何度もご一緒していたので、監督のお人柄と映像制作の腕は存じあげてましたね。
 2018年の春くらいにフィッシュマンズの映画を作りたいと、本作の企画を思いつきました。口に出すと実現に近づいて夢って叶うんだよっていう話があるように、「私フィッシュマンズの映画を作りたいんだよね」って周りに言いはじめたのがこの頃です。そしたらたくさんのクリエイターの方が、みんなやりたいっておっしゃってくださるなかで、手嶋さんが「ぜひやりましょう」って言ってくださった。フィッシュマンズは私にとって宝物なので、宝物をさらけ出してお預けできる人柄と映像制作の力があるとても信頼できる方でしたし、実際に、映画を実現するための具体的なご提案をいろいろとしていただきました。クラウドファンディングも手嶋さんのご提案でした。そこからは毎日のようにお電話したり、いろいろ相談しています、いまだに(笑)。

3時間という長さを感じさせない出来というか。ぼくは2回観たんですけど、わりとあっという間の感覚で、それは監督さんの編集力のなせる業なんだろうなと思いました。

手嶋:ありがとうございます。僕ひとりの力ではないですけど(笑)。

坂井さんに訊くんですけど、なんで2018年にフィッシュマンズの映画を作ろうと思ったんですか?

坂井:(笑)。そうですよね。91年からフィッシュマンズのファンだったんです。デビュー当時から大好きだったんですよ。もちろん聴かない時期もありましたが、いろいろなときを経て客観的にフィッシュマンズを見たときに、佐藤さんが亡くなられてからも変化し続けている様子やライジング・サンで何万人の観客の前でクロージング・アクトを務めていたりとか、夢のような世界が2018年には広がっていて。

佐藤さんが亡くなって、最初のライヴをSHIBUYA-AXでやったときに公園通り沿いに若い子たちが「チケット譲って下さい」というプラカードを持っている光景を見て、フィッシュマンズってこんなに人気あったんだって(笑)。

坂井:そうなんですよ。クアトロがいっぱいにならないような時代を見ていたので、どんな社会現象が起きているんだろうっていう興味がまずありましたね。しかも、主にソングライティングをされていた佐藤さんが亡くなられて、フロントマンを失くして人気が出るってどういうこと? っていうところからフィッシュマンズのストーリーを感じたんです。
 タイミングとしては、自分のキャリアの過渡期とも重なっていて、映画会社に勤めた経験も経たことで映画という作品コンテンツを表現の場としてすごくビュアで魅力的に感じました。ずっと残っていくものなので。このような経緯で自主映画を作ってみたいと思ったときに、対象となるものは自分の揺るぎない情熱を傾けられるものじゃないといけないと人から言われて。それを自分にとってはなんだろう? と考えたときに、自分にはフィッシュマンズしかなかったんです。

2018年っていう時間は坂井さんのなかでのタイミングだったんですね。

坂井:はい。それを思って、茂木さんにご相談をしたときにちょうど2019年の闘魂2019のライヴを計画されていたんです。茂木さんも佐藤さんが亡くなられて20年の節目のライヴを撮影し、残しておきたいというお気持ちがあって。思いが重なったのが2018年の春だった。それから、茂木さんに手嶋さんを紹介したのが夏ですね。そして、どうすればいまの時代に自主映画を実現できるかを考え「クラウドファンディング」を通じてファンの方たちにお力添えをいただくことにしたのです。

手嶋さんはその話を受けてお返事されたということなんですけど、フィッシュマンズのことは?

手嶋:もちろん知ってました。けど、深くは知らなかったですね。ただ、不思議なバンドという印象を持っていました。フィッシュマンズの音楽は良く聴いていたけど、深く掘り下げるというところまではしていなかったですね。何か触れてはいけないような感覚がずっと無意識に働いていたので。

映画の話を引き受けようと思った理由は?

手嶋:直感です。でも坂井さんから映画の話を受けた後、2週間ぐらいその話題がなくて(笑)。坂井さんに「フィッシュマンズの件どうなりましたか?」って訊いたら、「本当にやってくれるんですか?」って言われて(笑)「本気ですよ」って言った記憶があります(笑)。僕のなかでは、何が起こるかわからないけど絶対やるべきだと。直感で確信していましたので。

そこからフィッシュマンズについてリサーチをはじめるわけですよね。どうでしたか? 手嶋さんのなかでフィッシュマンズというバンドは。もちろんそれは映画で表現していると言ったらそれまでなんですけど。

手嶋:2018年の7月に話をもらって、撮影がはじまるのは2019年の2月なんですけど、2018年の12月くらいまでは、ひたすらフィッシュマンズについて調べていました。自分で一冊の本を作っちゃうくらい。世に出てる書籍や残っている映像を片っぱしに集めて。もちろん、楽曲も毎日聴いて。でも、調べれば調べるほど、フィッシュマンズのことがわからなくなったんですね。しかも佐藤さん、取材とかで本当のこと言わないじゃないですか。いつも嘘をつくというか(笑)。譲さんに聞いて後で知ったんですけど、取材とかで本当のことを話そうとすると佐藤さんから止められたって(笑)、本当のこと言っても面白くないからと(笑)。
 フィッシュマンズの楽曲を聴くとそこに流れている空気や風景が何となく「わかる!」という感覚は、彼らの音楽を聴いたことのある人だと理解してくれると思うのですが、フィッシュマンズを映画で表現する立場としては、それだと何も掴みどころがなくて不安になるというか。本当は掴む必要もないんでしょうけど……、ただ、僕はどうしても知りたかった。あの途轍もない音楽と佐藤伸治の歌詞の世界はどうやって生まれたのかを。だから2018年の12月時点では、映画のタイトルを『フィッシュマンズのすべて』と勝手に付けました。
 ぼくが知りたいことは、もしかするとフィッシュマンズを聴く多くの人たち、これからフィッシュマンズに出会うたくさんの人たちが知りたいことじゃないかなと。リアルタイムで体感できなかった世代としては、どうやってあの途轍もない音楽が生まれたのかを知りたいという欲求があったんだと思います。
 だから、知れば知るほどわからなくなったフィッシュマンズを探しにいくような撮影でしたね。なのでインタヴューは時系列通りにおこないました。例えば茂木さんに明学での出会いからデビューまでの話を訊いたら、そこで出た言葉たちを次は譲さんに訊く。そして譲さんから出た言葉を茂木さんの言葉と合わせて、ハカセさん、小嶋さんにも訊く。もちろん、同じ質問も訊いていきます。そうすることで、各個人が持っている当時のさまざまな風景が見えてくるんです。そのようなやり方で繰り返し繰り返しおこなって、どんどん現在に向かっていくという感じ。インタヴューは1対1なのですが、編集するとあたかも彼らが会話しているような。そのような狙いで撮影をおこなっていました。気づくと撮影期間は1年もかかってしまいましたけど(笑)。

その取材時間が相当かかったんですね。1〜2回ではなくて、その都度その都度。

手嶋:茂木さんをはじめ他のメンバーの皆さん、出演者の方々も相当大変だったと思います(笑)。下手すると朝の10時くらいから夜の22時まで、ずっと、質問攻めにされるわけですから。

坂井:思い出の地とかに閉じ込められてね。

しかもその膨大な撮影から実際に使われるカットってものすごい限られているわけで……大変だったんでしょうね、編集も。

手嶋:ぼくひとりの力だとできなかったですね。

坂井:いまは3時間に収まってますが、その前までは5〜6時間あったんですよ。

手嶋:まずは撮影したインタヴューをすべて文字に起こしてもらったんです。それを構成の和田くんに時系列で並べて欲しいってお願いをしました。和田くんはすでに僕がやりたいことを理解してくれていましたので、かなり助かりました。そして和田くんが纏めてきた言葉たちを編集の大川さんがタイムラインに並べてくれました。それが7〜8時間ぐらいだった記憶があります(笑)。和田くんと大川さんが作業しているあいだ僕は膨大な過去映像をひたすら観て、入れるべき映像を探していました。

坂井:ここで佐藤さんがこういうMC喋ってるとかね。

手嶋:大まかに編集の下準備ができたところで、僕と大川さんで編集作業に入りました。たしか2020年の5月頃だったと思います。初めは7〜8時間あったものを5時間にして、3時間にして、また4時間に戻ってっていうのをひたすら、ふたりでやり続けましたね。ある程度、形になったと思ったら和田くんに確認してもらい、構成の話やアイデアを出し合っていく。そこからまた大川さんと作業して。それをひたすらずっと繰り返して、ようやくできたと思った後に、どうしても僕が入れたい言葉たちがあって、粘りに粘り最終的に編集が終わったのが今年の1月後半でした。

けっこうぎりぎりだったんですね。

手嶋:けっこうぎりぎりでした。ぎりぎりまでやってましたね。

坂井:ありえないぐらいの仕事量でしたよね。頼んだ私が申し訳なくなるぐらいの仕事量で。とにかく、本当に真摯に作品に向かい合ってくださいました。

手嶋:ぼく、2回も倒れているので。

え? 

手嶋:ひたすらフィッシュマンズと向かいあってたら、編集しながら頭がおかしくなってきたりして。どんなに向き合っても正しい答えなんてないじゃないですか。でも、クラウドファンディングでファンの方から頂いたチャンスでもありますし、茂木さんとも「これが最初で最後。嘘偽りなく、フィッシュマンズのすべてを話す」という約束をしていましたので、みなさんに対しても自分に対しても絶対に後悔させる形にはしたくないというか。
 そのなかで、プロデューサーの坂井さんから尺は2時間くらいで収めないと上映回数の問題も出てくるので、せめて2時間半尺でお願いしますと。これは当然のご意見なんですけど、2時間半にまとまるわけがないっていうのがぼくの思いで。勝手にいろいろ追い込まれていましたね。当時は(笑)。

坂井:そこは本当に難しい課題でした。とても大きな課題でしたね。

2時間でまとめられなかった理由はなんでしょう?

手嶋:撮影で茂木さん含めてみなさんからいただいた本当の言葉たちを2時間で収められる自信がぼくにはなかった。誤魔化して、ちょっとおもしろい感じにまとめた2時間の映画にしちゃうと絶対にフィッシュマンズを裏切ってしまう。勝手にぼくが責任を感じているだけかもしれないんですけど、誤魔化してはいけないという思いが強かったんだと思います。それで、2本立てにしてはどうだろうかとかいろいろ考えたりもしたんですけど(笑)、それもなんか違うかなと。で、坂井さんに「ごめん。もう2時間無理! なんとか3時間でいけないかな?」って相談をして。

なるほど。そぎ落として、編集して、そのぎりぎりが3時間になったと。

坂井:ぎりぎりまで200分(3時間20分)でしたもん。もう、頼むよって(笑)。ようやく3時間に収まったのは、昨年の12月くらいです。映画の興行を考えると3時間以上というのは非常に難しいということもあるのですが、それよりも元々、フィッシュマンズの映画を作るという話を茂木さんとしたときに、いまは海外でもフィッシュマンズが注目されているので、映像というコンテンツにして英語に翻訳をすることで、新しい人たちにフィッシュマンズを届けることができるのではないかと話していたのです。映画という映像作品にすることで、広げられることが絶対あると思っていたし。元々そういう思いを持ってはじめたプロジェクトだったので、尺が3時間以上になるという話をもらったときにはすごく悩みました。自分が海外の全然知らないバンドの3時間ドキュメンタリーを観るというのは、すごくハードルが上がってしまうので。
でも、手嶋さんも編集の大川さんも、真摯に映像素材と向き合って3時間の尺がないと伝えきれないとおっしゃっていたので。お二人がそこまで仰いているものを、決まった枠(尺)に当てはめようとすると、よい結果にならないことは明確でした。誠実に向きあっているからこそナレーションを入れて省略すようなことはいっさいしないというのは最初から監督がこだわっていましたし。だから、もう私は黙るしかないと(笑)。最後は納得しました。それでも3時間は切って欲しいうところは最後にお願いしましたけど。

ナレーションを使わなかったのでなんでなんですか?

手嶋:ぼくが単純に嫌いだから。作為的なものに感じてしまう。仕事ではよく使いますけど、ナレーションを使うとまとめるのがすごく早い。ただそうするとすごく作為的になって、コントロールしちゃう。コントロールしちゃうと、今回フィッシュマンズをはじめた最初のコンセプトから逸脱してしまうというか。主役は彼らなので。もちろん佐藤伸治という絶対的な存在がいるんですけど、そこに第三者の声を入れると完全にフィクションになってしまうのでそれは絶対にやりたくないなって頑なに決めてた。

坂井:ナレーション抜きで90分に収める、そしてすべてを語り尽くすっていのは物理的に無理ですよねって。

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調べれば調べるほど、フィッシュマンズのことがわからなくなったんですね。しかも佐藤さん、取材とかで本当のこと言わないじゃないですか。いつも嘘をつくというか(笑)。譲さんに聞いて後で知ったんですけど、取材とかで本当のことを話そうとすると佐藤さんから止められたって(笑)。

フィッシュマンズの描き方って時代背景もあるし、いろんな描き方があると思うんですけど、今回はバンドのインサイドストーリーに徹していますよね。それはまずは監督ご自身がバンドのことを知りたいと思ったというのがモチベーションだったということですが。

手嶋:そうですね。あとは10年後20年後にフィッシュマンズを知った人たちがフィッシュマンズのメンバーたちはどういう人たちだったんだろうか、あの途轍もない音楽はどうやって生まれたのだろうか、ってことをピュアな気持ちで掴めるヒントになればと。残すべき音楽ですし、ぼくら世代よりもまだ先の世代の方々にも聴いて欲しい音楽ですので。

例えばフィッシュマンズは90年代のバンドだし、90年代の東京の風景を出すという手もあったと思うんです。いろんな事件もあったし、そういうことをやらなかったのはなにか理由があってですか?

手嶋:最初から頭になかったですね。ぼく自身も90年代を生きてた人間ですけど。今回はフィッシュマンズという人たち、彼らの音楽を描くことだけに集中したかったんです。インタヴューを重ねながら気づいたのですが、みなさん佐藤さんのことを探していて。こちらから敢えて質問しなくても佐藤さんの話をしてくださるんですよね。僕も佐藤伸治をずっと探し続けてました。でも、それは言葉に出して大きく言えない空気というか、ムードというか。だから佐藤さんをみんなで見つける映画でもありつつ、同時に彼らがどのように音楽を作ってきたかっていうことを描けば、90年代の風景も自ずと見えてくるんじゃないかなと思いました。フィッシュマンズの音楽のようにこちらもストイックにやらないと。茂木さんにも「遠慮しないで、やりたいようにやっていいんだよ、フィッシュマンズはそんなに綺麗なバンドじゃないんだから、手嶋くんが思うようにやってくれたら」って背中を押されたのも心強かったですね。

なるほど。佐藤伸治がどんな人間だったのかが浮かび上がるような作品になっているのかなと思います。彼のニヒリスティックなところも垣間見れるとぼくは思ったし、よしもとよしとも君は青春映画として観ることもできるみたいなことを言ってましたけどね。

坂井:嬉しいですね!

手嶋:そういう見方もあるんですね。

バンドのひとつの青春。それはひとつの見方としてまっとうな見方ですよね。大学生のサークルのなかで生まれたバンドが世のなかに揉まれていってっていう成長物語じゃないですけど、そういう要素がありますよね。

坂井:それはすごく嬉しいです。観る人たちがいろいろと感じて欲しいですからね。こういうものっていうことをこちら側から発する作品であるべきではないと思っているので。

ぼく個人としては、『空中キャンプ』以前の映像を観れたのがすごく嬉しかったですね。観たことなかったから。

坂井:“MY LIFE”とかすごくないですか?

ところどころにああいう貴重な映像がありますね。ただもっとも驚いたのは、欣ちゃんが高校生じゃないかくらいに見た目が若かったっていうことですけどね(笑)。

坂井:本当に(笑)。

それに佐藤伸治のノートが出てくる場面も良かった。とくに、「わかりづらいことをわかりやすくする」という言葉がさりげなく出てくる。手嶋監督さんの意図としてはどういう風に物語を見せようと思われたんですか? 

手嶋:“ゆらめき IN THE AIR”を最後に使うことだけは決めていました。あとは、フィッシュマンズが結成から現在に至るまでどのように歩んできたのかという軸と、佐藤伸治はどういう人間だったのかという軸を融合させるかだけ考えていました。佐藤さんも言っていましたけど、「10年後20年後も聴ける音楽を俺はやっているつもりだ」って。実際に10年後20年後も聞ける音楽の力。それに目を背ける事なく映像で紡いでいけば、必然とフィッシュマンズの映画になるんじゃないかと。だから、作為的に何かやってやろうというよりは、とことんフィッシュマンズと向きあっていくことだけをやってきたという印象です。

もしぼくが作るとしたら『空中キャンプ』を特別視したろうから。『空中キャンプ』の曲をもっとかけて欲しいと思ってしまうくらいだから(笑)。

坂井:“BABY BLUE”とかはちょびっとだからね。あれじゃ物足りないわけですよね(笑)。

そう! あれはもっと聴きたかった(笑)。

坂井:“BABY BLUE”は名曲ですからね……。

あれはファンが一番好きな曲のひとつだから!

坂井:(笑)。スタッフみんながそれぞれに思い入れのある曲を持っているので、「“ずっと前”は入らないんですか?」とか、編集途中でスタッフに訊かれることもありました。それぞれみんなが思い入れがあるから。それを受け止める監督は大変だったと思います。

ファンの思い入れの強いバンドだから、それは大変ですよ。だけどぼくは“Long Season”のところで奥多摩にロケに行ったところは感動しまたよ。あのシーンはクライマックスとしてあまりにもよくできすぎてるというか。

坂井:雨降ってね(笑)。

しかも、橋が壊れてて雨降ってて。

手嶋:あれは本当に皆さんにご迷惑をおかけしたというか。

坂井:譲さんと奥多摩に行くっていう日の前日に台風あったんです。地元の役場の方に、濁流がすごいので撮影なんかできませんと言われてしまって。それで撮影を1ヶ月伸ばしたんです。満を持して望んだ再撮影で、さらにまた雨ですっていう。でもやるしかない。譲さんも嫌がってました。「ぼくここ苦手なんだよね」と言いながら。撮影前にも、一回中止になっているし、濁流を心配するくらいなら「もう、代々木でいいじゃない?」とか、ご提案をいただいたりしたのですが。監督が奥多摩にこだわったんです。監督の狙いです。

すごい(笑)。

手嶋:あれは自然とそういう流れになっただけですよ(笑)。単純に譲さんに重要なことを訊きたかったから、雨であろうが、あの場所に行って話をしてもらいたかった。まあ雨と寒さで無理させてしまう形になってしまいましたけど(笑)。でも、あの撮影が終わったあとに譲さんから「ここまでやってくれたから、ここまで喋れたし、1日〜2日で終わるようなものでもなく、しつこく何度も付き合ってくれたから、安心したよ、本当に感謝しかないよ」と言っていただけたのは、忘れられないですね。

あのシーンはグッときましたね。また、奥多摩のシーンの映像の色味がすごく綺麗でした。『Long Season』のジャケットそっくりというか。

手嶋:あの場所を見つけるのがすごく大変でした。(マネージャーだった)植田(亜希子)さんも憶えてなくて。植田さんに「ここです!」と言われて、グーグルマップで見たら違ったんです。だから自分で探して、撮影日の朝早くに撮影部を連れて、豪雨のなか、ぼくが見つけていた場所をロケハンしたんです。それでやっとあの場所(※ジャケットに写っている場所)を見つけて撮影出来た。後から分かったんですけど、『LONG SEASON』の撮影で奥多摩に2回行ってるんですよフィッシュマンズ。1回目はジャケットの撮影で、もう1回はヴィデオ撮影で。もう昔のことなのでみなさん記憶が曖昧になるのは仕方ないですよね。

坂井:でも、ジャケットにも写っている同じあの岩がいまもあったのはすごいですよね。

では最後に、もういちどあらためて訊きます。佐藤さんが亡くなってからさらにバンドの名前が大きくなった。これは映画を作らなければと思ったと。これは、もっと言うと、どういうことでしょうか? まだ知らない人たちに向けて、作らないといけないと思ったということ?

坂井:実際の佐藤さんのステージを観たことがない世代の人たちに知って欲しいという気持ちもありましたし、サブスクが浸透した現代で、海外に音が届いてる状況を客観的に見て、フィッシュマンズをより多くの方に発掘してもらうきっかけに、映画がなると思いました。

フィッシュマンズをまだ知らない人たちにも、こういうバンドだったんだよと教えてあげたいと?

坂井:映画を作る上で恐怖というか心配はありました。最初の頃に茂木さんと植田さんに映画のご相談をしたときに、もしかしたら、いままで作り上げてきたものを壊してしまうかもしれないけど良いですか? と確認をしました。いままでおふたりが作りあげて、人気が出てきたものを壊してしまう可能性があるかもしれないけどいいですか? と訊いたんです。そこで言われたのが、「いいんだよ。フィッシュマンズは元々売れないバンドだったんだから、壊すものなんて何もないよ、そこには」と。これですごく気持ちが軽くなった。そこから、「よしっ作ろう!」って覚悟を決めたんです。

なるほど。

坂井:フロントマンを失くしてもバンドを続けるのはよっぽどのことじゃないとやらないじゃないですか。それを茂木さんが実際にやられていて、さらにそれによってファンがすごく増えている。もちろんフェスが増えている等の背景もあるんですけど。それにしてもこの現象はいったい何なんだろう? きっとそこには何らかの理由があるだろうと。

不思議ですよね。ぼくもこの前の闘魂に行って思ったんですけど、客層が若いんですよ。

坂井:そう!

リアルタイム世代がもっといるのかと思ったら、若い子ばかりなんですよ。特殊ですよね。

坂井:わたしの記憶のなかのフィッシュマンズは知る人ぞ知るバンドというイメージのまま。ところが、先日この映画の試写会を開催した際に会場前に貼られたポスターを見て、20代くらいの、いまどきのおしゃれな女の子3人組が「あれぇ〜フィッシュマンズやってんだ〜」って話している現場を目撃しちゃったんです。とても驚いてしまって。

それはすごい(笑)。

坂井:すばらしいことだと思ったんですけど、そこにあらためて不思議なものを感じました。もちろん茂木さんの思いとか、植田さんやメンバーの方の頑張りは絶対的にあるんですけが、それだけじゃない何かがあるんです。フィッシュマンズの音楽には。そしてきっといまの世のなかにも必要とされているものなんです。なので、この音楽の背景にあるストーリーを伝えたいし、映画を通じて伝えられることがあるじゃないかなぁと映画の可能性を楽しみにしています。映画をきっかけにさらに音楽に興味を持っていただけたら嬉しいですし。もちろん海外の人にも届けたいし。とにかくこのまま色褪せていくべき音楽ではない。

けっきょく映画のタイトルを『映画:フィッシュマンズ』にしたのは変化球はいらないなっていうことですか?

手嶋:ぼくのわがままでそうさせてもらって。このタイトル以外、絶対にないという感じというか。茂木さんにもタイトルは「フィッシュマンズ」でいかせてもらいますってお伝えして、「わかった!」って(笑)。この映画は「フィッシュマンズ」です。

(3月30日、渋谷にて)

【あらすじ】
90年代の東京に、ただ純粋に音楽を追い求めた青年たちがいた。彼らの名前は、フィッシュマンズ。プライベートスタジオで制作された世田谷三部作、ライブ盤『98.12.28 男達の別れ』をはじめ、その作品は今も国内外で高く評価されている。

だが、その道のりは平坦ではなかった。セールスの不調。レコード会社移籍。相次ぐメンバー脱退。1999年、ボーカリスト佐藤伸治の突然の死……。

ひとり残された茂木欣一は、バンドを解散せずに佐藤の楽曲を鳴らし続ける道を選ぶ。その想いに仲間たちが共鳴し、活動再開。そして2019 年、佐藤が世を去ってから20年目の春、フィッシュマンズはある特別な覚悟を持ってステージへと向かう――。過去の映像と現在のライブ映像、佐藤が遺した言葉とメンバー・関係者の証言をつなぎ、デビュー30周年を迎えたフィッシュマンズの軌跡をたどる。

佐藤伸治 茂木欣一 小嶋謙介 柏原譲 HAKASE-SUN
HONZI 関口“dARTs”道生 木暮晋也 小宮山聖 ZAK
原田郁子(クラムボン) UA ハナレグミYO-KING(真心ブラザーズ) こだま和文

監督:手嶋悠貴 企画・製作:坂井利帆
配給:ACTV JAPAN/イハフィルムズ
2021/日本/カラー/16:9/5.1ch/172分     
©2021 THE FISHMANS MOVIE

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7月9日(金)より全国公開
以下、現在上映が決まっている都道府県/劇場です。

都道府県劇場名公開日
東京新宿バルト97月9日(金)公開
東京渋谷シネクイント7月9日(金)公開
東京アップリンク吉祥寺7月9日(金)公開
東京池袋シネマ・ロサ7月9日(金)公開
東京T・ジョイPRINCE品川7月9日(金)公開
神奈川横浜ブルク137月9日(金)公開
千葉T・ジョイ蘇我7月9日(金)公開
大阪梅田ブルク77月9日(金)公開
京都T・ジョイ京都7月9日(金)公開
京都アップリンク京都7月9日(金)公開
福岡T・ジョイ博多7月9日(金)公開
石川シネモンド 7月10日(土)公開
愛知センチュリーシネマ7月16日(金)公開
宮城チネ・ラヴィータ7月16日(金)公開
鹿児島鹿児島ミッテ107月16日(金)公開
大分 別府ブルーバード劇場 7月16日(金)公開
群馬 シネマテークたかさき 7月17日(土)公開
長野 上田映劇 7月17日(土)公開
富山 ほとり座 7月17日(土)公開
広島 サロンシネマ7月23日(金)公開
北海道サツゲキ 7月23日(金)公開
福島 フォーラム福島7月23日(金)公開
山形 フォーラム山形7月23日(金)公開
沖縄 桜坂劇場7月24日(土)公開
愛媛 シネマルナティック7月24日(土)公開
大分 日田シネマテーク・リベルテ 7月26日(月)公開
栃木 小山シネマロブレ7月30日(金)公開
熊本 Denkikan7月30日(金)公開
佐賀 シアターシエマ8月6日(金)公開
静岡 静岡シネ・ギャラリー 8月14日(土)のみ上映
新潟 シネ・ウインド8月14日(土)公開
栃木 宇都宮ヒカリ座8月20日(金)公開
長崎 長崎セントラル劇場8月27日(金)公開
東京 立川シネマシティ近日公開
岩手 盛岡ルミエール近日公開
宮崎 宮崎キネマ館近日公開

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Moor Mother - ele-king

 フィラデルフィアのムーア・マザー、最近はサンズ・オブ・ケメット新作ザ・バグ新作への客演が話題だが、ここへきて本人のアルバムの登場だ。
 今回はなんと、〈Anti-〉からのリリース。現在新曲 “Obsidian” が公開されており、ここでムーア・マザーはなんと、ヒップホップに挑戦している。招かれているのは、いまもっとも注目すべきラッパーのピンク・シーフ。トラックもめちゃくちゃかっこいいです。そしてなんと(三度目)、MVはアリス&ジョン・コルトレーンの家の前で撮影──なるほど、それがメッセージだと。

 こちらは、もう少し前に公開されていた “Zami” のMVです。

 9月17日にリリース予定のアルバム『Black Encyclopedia of the Air』、これは今年の必聴作の匂いがぷんぷん。試聴はこちらから。

詩人、ミュージシャンの MOOR MOTHER がニュー・アルバム『BLACK ENCYCLOPEDIA OF THE AIR』を9月17日に〈ANTI-〉よりリリースすることを発表! PINK SIIFU をフィーチャーした新作アルバムからの先行曲 “OBSIDIAN” とアリス&ジョン・コルトレーンの家の前で撮影されたミュージック・ビデオを公開!

屠殺場の床板の間から花が咲くように、Moor Mother の音楽は、暴力的で耐え難い現在を超越する ──The Fader

フィラデルフィアを拠点に活動する詩人でありミュージシャンの Moor Mother こと Camae Ayewa は、ニュー・アルバム『Black Encylcopedia Of The Air』を9月17日にリリースすることを発表。記憶や刷り込み、未来についての13の魅惑的なトラックが、未だ手つかずの空間を漂い、束縛されず、未知の領域、広大な宇宙へと広がっていく。

新曲 “Obsidian” について、Moor Mother は、この曲は現代に存在する様々な危険性について歌っていると語っている。「暴力の身近さ、家庭内の暴力、コミュニティーにおける暴力について考えています」。ラッパーの Pink Siifu をフィーチャーしたこの曲の新しいビデオの視聴はこちら。

監督の Ari Marcopoulous は、「アリスとジョン・コルトレーンの家の前でビデオを撮影することにした。それ自体が物語っていると思う。望むならもっと詳しく説明してもいい。でも、そこには精神が宿っているんだ」とコメント。

パンデミックが始まった2020年3月に自宅で録音された『Black Encyclopedia Of The Air』は、Moor Mother とサウンドスケープ・アーティスト兼プロデューサーの Olof Melander の傑作となっている。Moor Mother の他のリリースと同様に、多数の楽器と声が重なり、奇妙で未知のものを作り上げている。

Moor Mother は先月、影響力のある黒人・クィア作家の Audre Lorde の著書にちなんで名付けられたトラック “Zami” を公開した。“Zami” のミュージック・ビデオはこちら

『Black Encyclopedia of the Air』

01. Temporal Control Of Light Echoes
02. Mangrove (feat. Elucid & Antonia Gabriela)
03. Race Function (Feat. Brother May)
04. Shekere (Feat. Lojii)
05. Vera Hall (Feat. Bfly)
06. Obsidian (Feat. Pink Siifu)
07. Iso Fonk
08. Rogue Waves
09. Made a Circle (Feat. Nappy Nina, Maassai, Antonia Gabriela & Orion Sun)
10. Tarot (Feat. Yatta)
11. Nighthawk Of Time (Feat. Black Quantum Futurism)
12. Zami
13. Clock Fight (Feat. Elaine Mitchner & Dudu Kouate)

国内総合窓口:Silent Trade GK
販売元:アライアンス

https://www.moormother.net/
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Jamie Branch - ele-king

 注目しておきたいジャズ・トランペッター/作曲家を紹介しよう。彼女の名はジェイミー・ブランチ。ロングアイランドのハンティントン出身で、音楽家としてはシカゴやボルティモアなどで活躍。昨年のロブ・マズレク作品にも参加している。
 2017年のデビュー作『Fly Or Die』で一気に名をあげ、数々のライヴをこなしてきた彼女による、初のライヴ盤が8月4日にリリースされる。ホットなのにクール、まさに「冷静と情熱のあいだ」といったプレイで……ぜひ一度聴いてみて。

jaimie branch
FLY or DIE LIVE

センセーショナルなサウンドに、海外各紙を賑わせるトランぺッター、ジェイミー・ブランチのライブ盤。 2017年の1st『FLY or DIE』と、2019年にリリースされた2nd『Fly Or Die II: Bird Dogs Of Paradise』の楽曲が多数収録された2枚組のヴォリューム。スタジオ録音では感じられない熱気と咆哮とも言えるボーカル、トランペットが心揺さぶるライブ音源を、16分に及ぶ未発表のボーナストラックを加え、日本限定盤ハイレゾMQA対応仕様の2CDでリリース!!

Official HP : https://www.ringstokyo.com/jaimiebranchfodl

ジェイミー・ブランチは、いま最も力強く、感情を揺さぶる音楽を作り出せるミュージシャンの一人だ。このライヴ・アルバムには、彼女の評価を一段と高めたヨーロッパ・ツアーから、スイス、チューリッヒのジャズクラブでの素晴らしい演奏とオーディエンスの熱気が記録されている。時々ヴォーカルも取る彼女が、トランペットで表現するダイナミズムと優しい囁きは、驚くほど美しい。そして、複雑なビートを易々と繰り出すドラマーのチャド・ テイラーらとのコンビネーションも最高だ。(原 雅明 rings プロデューサー)

アーティスト : Jaimie branch (ジェイミー・ブランチ)
タイトル : FLY or DIE LIVE (フライ・オア・ダイ・ライヴ)
発売日 : 2021/8/4
価格 : 3,200円+税
レーベル/品番 : rings / International Anthem / Plant Bass (RINC79)
フォーマット : MQACD (日本企画限定盤) 2CD

Tracklist :

DISC-1
01. birds of paradise
02. prayer for amerikkka pt. 1 & 2
03. lesterlude
04. twenty-three n me, jupiter redux
05. reflections on a broken sea
06. whales
07. theme 001
08. ...meanwhile
09. theme 002
10. sun tines

DISC-2
11. leaves of glass
12. the storm
13. waltzer
14. slip tider
15. simple silver surfer
16. bird dogs of paradise
17. nuevo roquero estéreo
18. love song
19. theme nothing
20. prayer for amerikkka pt. 2 - solo belfast edition (unreleased)(Bonus Track)

interview with Bobby Gillespie & Jehnny Beth - ele-king

恋に落ち、恋に冷め、誰かを愛し、誰かを愛するのをやめる、誰かに愛されなくなる......人間の人生経験は、芸術的経験と同じくらい大切なものだ。
──アンドリュー・ウェザオール

 ボビー・ギレスピーとジェニー・ベスによるプロジェクトのテーマが「夫婦の崩壊」だと知ったときに即思い浮かんだのは、上掲したウェザオールの言葉だった。ぼくはこれをもって本作品の解説としたいと思っているわけだが、もう少し言葉を続けてみよう。
 まずのっけから世知辛い話をすれば、この無慈悲な資本主義社会で家庭などを持つことは、たいていの夫婦はつねに経済的およびメンタル的な不安定さに晒されるわけで、これがじつにしんどい。さらに家族の意味も20世紀とはだいぶ違ってきている。それに輪をかけて感情のもつれなどもあったりするから、夫婦を継続することの困難さは、年を重ねるに連れてより重くのしかかってくる。ジェンダーをめぐる洗練された議論がかわされている今日において、ボビーもまた、なんとも泥臭いテーマに挑んだものだ。
 とはいえ愛の喪失は普遍的なテーマというか、人を愛したことがある人間であれば誰もが経験することでもある。ひいてはポップ・ミュージックの多くは「恋に落ちる」「誰かを愛する」場面を扱い、同時に「誰かを愛するのをやめる」「誰かに愛されなくなる」場面も描いている。オーティス・レディングやスタイリスティックスのようなアーティストのアルバムでは、そのどちらも表現されているように。しかし、「誰かを愛するのをやめる」ことだけに焦点を絞ったものとなると、どうだろうか。それも男女のデュエットによる夫婦の崩壊を描いたものとなると、なかなか思い浮かばない。古風な形態でありテーマかもしれないが、じつはけっこういまどきの話としてのリアリティがある。

 マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルが陽光だとしたら、ボビー・ギレスピー&ジェニー・ベスはその影になった部分を引き受けている。70年代のカーティス・メイフィールド風のファンクからはじまる『ユートピアン・アッシュズ』にはブラック・ソウル・ミュージックが注がれているし、ほかにもプライマル・スクリームで言えば『ギヴ・アウト・バット・ドント・ギヴ・アップ』に近いところもなくはないが、60年代風のフォーク・ロックやバラードがほどよいバランスで混ざっている。プライマル・スクリームが持っているアーシーな一面、ボビーのあの甘い歌声によく合うアコースティックな響きが随所にあり、作品の主題ゆえにエモーショナルで、作品の主題に反して音楽は温かい。打ちひしがれ、身につまされもするがそれによって解放もされる、渋い大人のアルバムなのだ。
 バックを務めているのは、プライマル・スクリームの面々──アンドリュー・イネス(g)、マーティン・ダフィー(p)、ダレン・ムーニー(d)、そしてベースにサヴェージズのジョニー・ホステル。ほかにチェロやヴァイオリンなどの弦楽器奏者、管楽器奏者も数人参加している。
 以下に掲載するのは、日本盤のライナーノーツのためのオフィシャル・インタヴューだが、ふたりはじつに明確にこの作品について説明をしている。とても良い内容のインタヴューなので、ぜひ読んでいただきたい。(野田努)

interview with Bobby Gillespie

僕はただ、普遍的な真実というものを描きたかったんだ。
経験に基づいた実存的な現実というのかな。

──ボビー・ギレスピー、インタヴュー

質問:油納将志  通訳:長谷川友美

人間はとても複雑な生きもので、人生は葛藤の連続だ。人間関係は葛藤そのものだから、このアルバムの命題は、その“葛藤”について描かれたものと言えるだろうね。そして、その葛藤は痛みを伴うんだ。 

ジェニーとは2015年にバービカンで行われたスーサイドのステージで出会ったのが最初のようですね。翌年、ジェニーがプライマルズのステージで“Some Velvet Morning”をデュエットしています。そこからどのようにして今回のコラボレーションが生まれたのでしょうか?

BG:最初にジェニーと腹を割って話したのは、マッシヴ・アタックのフェスティヴァルのときだね。サヴェージズも出演していたんだ。プライマルのギターのアンドリューがジェニーのことをよく知っていて、彼女にゲストシンガーとして歌ってもらったらどうか、と言ってきて。それがすごく良い感じだったから、アンドリューがジェニーと一緒に曲を作ってみたらいいんじゃない? と薦めてくれた。

あなたはジェニーをどのようなアーティストとして見ていましたか?

BG:彼女のことはサヴェージズの音楽を通してしか知らなかったけど、サヴェージズの1stアルバムを買って聴いてみたんだ。彼女たちの音楽は、とてもミニマルで白黒のコントラストがはっきりしているような印象を受けた。明確な方向性やマニフェストを持っているなという印象だったね。ジェニーは自分の見せ方わかっているし、こう見られたい、こう在りたいというのがとてもはっきりしているところに興味を持った。また、彼女たちの音楽には、たくさんのルールがあるように感じた。ギターソロは入れない、曲はすべて短くまとめる、みたいなね。彼女の音楽を聴いて、批判的思考に基づいた曲作りの世界観、というアイデアが浮かんだんだ。

サヴェージズの音楽を聴いて、ジェニーとのコラボレーションにあたって曲作りに彼女たちの方程式を取り入れるようなことは考えましたか?

BG:それはまったくなかったね。ただ、“Some Velvet Morning”のリハーサルをしたとき、彼女のプロフェッショナルな姿勢には感銘を受けたよ。

実際に一緒にスタジオに入ってみて、彼女に対する印象は変わりましたか?

BG:いや、全然変わらなかったね。依然として彼女はとてもプロフェッショナルだったから。絶対に遅刻しなかったし、歌は素晴らしいし、プロジェクトにとても集中していた。ジェニーは詩を書き留めたノートを何冊も持っていて、日記もこまめにつけていたんだ。“Stones of Silence”のヴァースは、彼女のノートの中から歌詞を拝借したんだよ。それから、僕がコーラス部分を書いたんだ。

基本的にはあなたが曲を書いて、一部の歌詞をジェニーが担当したという感じですか?

BG:曲によって作り方はまちまちだったね。例えば“Sunk in Reverie”や“Living a Lie”は僕が歌詞を全部書いたし、“You Can Trust Me Now”はジェニーが一部を、残りを僕が書いた曲だしね。“English Town”は、「I want to fly away / From this town tonight / So high, so high」の部分だけジェニーが書いて、あとは僕が歌詞を書いた。“Remember We Were Lovers”は僕が書いたヴァースとジェニーが書いたコーラスを組み合わせた曲で、“Chase it Down”はコーラス部分だけジェニーが書いた。“Your Heart Will Always Be Broken”はジェニーがヴァースを、僕がコーラスを書いて、それからセカンドヴァース(Bメロ)も僕が書いたな。

1曲のなかで、実際に会話しているような感じで歌詞を書いていったんですね。このアルバムを聴いていると、男女の対話が聞こえてくるのにはそういう理由があったんですね。

BG:そんな感じだね。半分は僕が書いて、残り半分はジェニーが書いた曲もあるし、9割を僕が書いた曲もあって。男女の対話がこのアルバムのコンセプトだから、メロディと歌詞の関係もちょっと会話のようになっているかもしれない。

アルバムにはプライマル・スクリームの主要メンバーも参加しています。アルバムがプライマル・スクリーム&ジェニー・ベスにならなかったのはどうしてでしょうか?

BG:それはこのアルバムのコンセプトが、トラディショナルな男女のデュエットソングだったからだよ。ボビー・ギレスピーとジェニー・ベスのデュエット・アルバムという体裁を取りたかった。男女の会話の持つダイナミズムにとても興味があったからね。それに、ジョン(ジョニー・ホスティル)もアコースティックギターを弾いてくれているし、プライマルのメンバーだけで作ったわけじゃないからね。ジェニーも歌詞のかなりの部分を書いているし、プライマル・スクリームの曲作りとはまったく違うやり方で作ったレコードだという部分も大きいかな。この20年間のプライマル・スクリームのアルバムは、ほとんどコンピュータで曲作りをしてきたんだ。エレクトロニックなサウンドスケープを主軸にした作品を作ってきた。でも、このアルバムの曲のほとんどはアコースティックギターで書いたんだ。初期のプライマル・スクリームに近い曲作りをした感じだね。

たしかに、このアルバムはプライマル・スクリームの近作に比べてずっとオーガニックな手触りを感じました。

BG:その表現いいね。その通りだよ。

グラム・パーソンズとエミルー・ハリスの“Grievous Angel”、ジョージ・ジョーンズとタミー・ワイネットの“We Go Together”などのカントリー・ソウルに触発されたともお聞きしましたが。

BG:僕たちは、既存の曲をなぞるようなレコードを作ろうとは思っていなかったんだ。あくまでもオリジナルの音作りを目指していたし。ただ、プレスリリースにそう書いたのは、ジャーナリストにどんなタイプの音楽性を持つアルバムかっていうわかりやすい見本を示したのに過ぎないんだよ。トラディショナルな男女のデュエットアルバム、というコンセプトを理解してもらうためにね。

以前にも、『Give Out But Don't Give Up』(1994)で、デニス・ジョンソンとの“(I'm Gonna) Cry Myself Blind”“Free”でカントリー・ソウルにアプローチしていますよね。

BG:あのコラボレーションは、今回とはまったく意味合いが異なるものだったんだ。デニースには、ジェニーのようなアーティスティックなクリエイティビティはまったくなかったし。彼女は曲を書いたことも、歌詞を書いたことも、メロディを書いたことも一度もなかったから。『Give Out But Don't Give Up』の曲は全部僕が書いたものだったしね。彼女はシンガーとして、僕の指示通りに歌ったに過ぎないよ。今回のアルバムは、ジェニーも実際に歌詞を書いたり、曲作りにも参加しているからまったく違う性質のものなんだ。

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今回のアルバムは、2人の共作による真の意味でのデュエット・アルバムなんですね。

BG:そうそう。このふたつのアルバムは、まったく異なる性質を持っていると思う。もちろん、楽器の構成とか、演奏の部分では共通点がないこともないよ。“(I'm Gonna) Cry Myself Blind”と“Your Heart Will Always Be Broken”は、言ってみれば同じ枠組みのなかにカテゴライズできると思うけど。とにかく、ジェニーは曲作りも手掛けるアーティストで、デニースはシンガーという大きな違いがある。

残念ながら急逝したデニスとデュエット・アルバムを作ることは考えたりしなかったということですか?

BG:まったく、全然、一度たりとも考えたことはなかったね。僕とデニースの歌声は、デュエットとしてはまったくかみ合わないというか、成立しなかったと思うよ。

僕たちが信じているもののほとんどは嘘で塗り固められたギミックで、僕たちは嘘を信じて嘘にお金を払って買っている。資本主義社会なんて懐疑的な存在だし、僕たちは疑うべきなんだ。

アルバム・コンセプトは「slow disintegration of a failing marriage(失敗した結婚のゆっくりとした崩壊)」と聞いています。どうしてこのコンセプトになったのでしょうか?

BG:う~ん。説明が難しいな……僕はただ、普遍的な真実というものを描きたかったんだ。経験に基づいた実存的な現実というのかな。人間同士の相容れない矛盾や、不明瞭な感情といったもの。僕は、人間というのは分断によって結びつけられていると思うんだ。つまり、人間が背負っている痛みの大部分は、他の誰かと繋がりたい、結ばれたいという思いから来ているんじゃないか。そう願っているのに、ぴったりと重なり合うことは永遠にないんだよ。ある一瞬、心が通ってひとつになることはあるし、精神的な結びつきをほんのわずかな間感じることもある。でも、それは永遠には続かないし、完全にひとつになることはない。僕たちはまるで、孤島のようなものだと思う。誰かと地続きのように繋がることはないんだよね。それがあらゆる種類のリレーションシップに対する真実だと思う。だからこそ、僕たちは誰かと繋がることにこれほどの魅力を感じるんだと思うんだよね。人間は孤独で、だからこそ誰かと繋がることで力を得る。それは神の定めたルールに則っているんだろうし、神学的・哲学的な領域の話になるんだろうけど。なぜ人がロマンチックな恋愛関係をこれだけ追い求めるのかと言えば、それは誰かと関係を持つことで自分がより大きな存在の一部になったように感じられるからなんだ。自分の存在がより大きなものになったように感じられるんだよ。でも、それは長くは続かない。永遠に続くものではないんだ。

それは男女間の恋愛関係に限らず、すべてのリレーションシップについて言えることなんでしょうね。

BG:そう、僕たちは動物と同じなんだ。もしかしたら、無償の愛を注げるだけ動物のほうがマシかもしれない。人間はトリックスター、ペテン師だから。このアルバムは、人間には他の人間のことは理解できないということについて書かれたものなんだよ。もちろん、相手のことは知っているけど、本質まではわからないよね。その人のことを知っているつもりでも、本当のところは全然わかっていないんだ。結局完全に理解することなんてできないから、愛が冷めたらもう全然知らない赤の他人になってしまう。そのとき感じた愛がなんだったかなんて、僕たちにはわからない。愛なんて実体のないものだから。
 そう、愛は言ってみれば生命そのものなんだと思う。僕たちの命も、一度死んだら宇宙の塵と消えてしまう。愛も同じだよ。一度その愛が冷めたら、宇宙の藻屑だ。そうやって宇宙のサイクルの一部として、喪失と再生を繰り返していくんだ。僕たちの命もそこに生まれた愛も、宇宙の規模からしたらとんでもなく小さな、取るに足らないことじゃない? 愛やリレーションシップは、本当に小さな一瞬の火花のような存在でしかない。燃え尽きたらそれで終わりだ。
 このアルバムは、ある意味とても皮肉だけれど、現実的なことをテーマにしているのかもしれないね。実存的な真実を受容することがこのアルバムで伝えたかったことなんじゃないかな。僕たちはわかり合えない、自分以外の人のことは理解できない。表面的なことはわかるし、見えるものについては深く考察するけれど……太古の昔から、ドラマや芝居や脚本や詩や小説のテーマにもなってきたよね。人間はとても複雑な生きもので、人生は葛藤の連続だ。人間関係は葛藤そのものだから、このアルバムの命題は、その“葛藤”について描かれたものと言えるだろうね。そして、その葛藤は痛みを伴うんだ。「葛藤が生み出す無限の痛み」がテーマになっていると言えるかもしれない。ある意味、とてもブルージーなレコードになっていると思う。

曲が進むにつれて、内面がさらけ出されていき、痛みも増していくようです。一方で、サウンドそのものは美しく、アップリフティングで時には優しく、癒されるような要素も入っていますよね。

BG:そうなんだ。だから、そこに一筋の希望が見えるんだと思う。

この痛みを美しいサウンドで表現しようと考えた真意はなんだったのでしょうか。そうした希望の光を込めたかったということでしょうか?

BG:そうそう、その通り。痛みを伴う歌詞を美しい音楽で表現しているというのは良い考察だ。なぜなら、それこそがアートの持つ力だからね。それが聴き手を惹きつけるんだと思う。美しく繊細なサウンドが、ダークな歌詞によって傷つけれた心を引き上げて、包み込んでくれる。言ってみれば、美しさのコクーンのようなものだね。美しい花に見えても、実は君を飲み込んでしまうかもしれない(笑)。毒を持った花みたいなものなのかもね。
 言ってみれば、人間だってそうじゃない? 外見は小綺麗にしてるかもしれないけど、中身はダークでドロドロだ。怒りやサディスティックな感情を秘めているんだから。うん、なかなか良い指摘だね。考える良いきっかけになった。本当にどうもありがとう(笑)!

英国は深刻なコロナ禍を経て、回復へと向かいつつありますが、新型コロナウイルスがアルバムに与えた影響はあったのでしょうか? 

BG:いやいや、このアルバムは新型コロナ以前に完成していたから、そうした影響はないよ。曲自体は2017、2018年頃に書いたもので、レコーディングも2018年の夏にやったし、ミックスも2018年中には終わらせていたんだ。本当は昨年リリースされるはずだったんだけど、そのタイミングで新型コロナが流行して、ジェニーのソロアルバムのリリースもあったから、発表をここまで先送りにしていたんだよ。

そうだったんですね。このアルバムはまるでロックダウン下で物理的な距離を取らざるを得なかったふたりの葛藤を描いているように感じたので。

BG:なるほどね。でも、それは関係なかったかな。それよりも、このアルバムは感情の不明瞭さについて描かれたものなんだ。人間の残酷さと言ってもいいかもしれない。その残酷さというのは僕たちのなかにも、あらゆる場所、あらゆる場面に溢れている。詩人だって脚本家だって小説家だって、本当は不明瞭な感情と闘っているんだ。本当は自身の感情について1ページだって書くことができないのかもしれない。映画や詩を創ってはいるけど、自分自身の感情については不明瞭なまま葛藤を繰り返しているんだと思う。自分の感じ方や生き方、もしかすると結婚生活さえ、自ら正すことはできないんだよ。だって、人間は身勝手で利己的で、ナルシスティックな生きものだから。人間は……そう、混沌としている。すべての人間が、矛盾した存在なんだ。
 僕がこのアルバムで本当に描いたことは、そうした人間の持つ矛盾についてなんだろうな。あるときは素晴らしい人物で、ある時は愛情の欠片もない人物で、翌日は誰もがその人のことを憎んでいるかもしれない。ある意味、サディスティックとマゾヒスティックな感情を持ち合わせているということかもしれないね。人間は、何か実体のないものに突き動かされて、しかるべき状況に陥っている気がする。何か得体の知れない、僕たちを突き動かすなにか……人間ていうのは、結局何もわかっちゃいないんだ。僕を含めて、誰もが自分の感情についても、どうあるべきか、どんな行動を取るべきかなんて、まったくわかってないんだと思う。

そうした音楽に込めた思いや考え方、感じ方というのはやはりあなたのこれまでの経験から来ているのでしょうか。

BG:それはもう、僕の作品はすべて自分自身の経験に基づいているものばかりだよ。

というのも、このアルバムに登場する男女というのは、明確なキャラクター設定があってのことなのか、それよりももっとパーソナルで自然発生的なものだったのかが気になったんです。

BG:ああ、そうだね。たしかにフィクションの部分もあるから、ある意味架空の登場人物に語らせているところはあるね。でも、そうしたキャラクターの人物設定のベースには僕の経験があって、僕がいろいろな人たちの経験やリレーションシップを観察して考察したものを反映しているから、完全に架空のキャラクターを創り上げたという感じではないかな。僕の視点から見た、さまざまな人たちの、さまざまな“痛み”のコレクションといった感じかな。端から見たら幸せな結婚生活でも、そこに葛藤があるかもしれないと思うんだよね。
 1曲目の“Chase it Down”は、生命や宇宙、自然、それに人間にさえ備わっている存在の美しさに対する、ある種の不思議な感動や心理的感覚について歌ったものなんだ。滅私的な優しさや思いやりといった美しさ。でもね、日本もそうだしイングランドも西欧諸国そうだけど、経済的に豊かな国に暮らしていると、生きていることがどんなに幸運で恵まれているかなんて、すぐに忘れてしまうと思う。退廃的になってしまって、どんなに生きづらいかっていう文句ばかり言うようになる。でも、僕は生きていることそのものが素晴らしいことで、奇跡的なことなんだってこの曲で歌いたかった。
「Love while you can / Every woman every man / Everybody is a star / No matter who / Or what you are / And we don’t have too long / Run your race / Sing your song」の部分には、そうした想いが込められているんだよ。人生は短い、僕たちは自分たちに命を授かって、この人生を生きていることを讃えるべきなんだってね。僕たちはこの美しい人生を授かったんだから。でも、人は新しい家が欲しい、新しい車が欲しい、新しい冷蔵庫が欲しいって、不平不満ばかりを言っている。

貪欲になればなるほど自分の不遇さに絶望してしまって、経済的に豊かな国の方が自殺率が高かったりしますよね。

BG:そうなんだ。結局人は、自分より裕福だったり、成功していたり、美貌を備えていたり、そんな人たちと自分を比較して羨んでばかりいるよね。セクシーでスタイリッシュで大きな家に住んでいるセレブと比較することで自分の価値を決めてしまっている。結局、そうした比較対象を設けて、ある種のゴールみたいな人たちを示すことで、資本主義は機能しているわけだから。フェラーリを乗り回して美人のモデルの奥さんがいて大きな家に住んで、という結論を提示することで、わかりやすくそこに向かっていくことになる。だから人は資本主義社会に疑問を持たずに暮らすことができるんだ。成功者はこんな暮らしを手に入れているという幻想を見せることで、君にもその暮らしを手に入れることができるよ、手に入れたら勝者だよ、手に入れられなかったら敗者だよ、とわかりやすく示すことができるわけだよ。敗者には負けた理由があるんだよ、というのが資本主義社会の根底になっている自由競争からのメッセージなんだ。こんな平等な社会で何も手に入れられなかった君自身に理由があるってね。経済や社会が悪いんじゃない、頭が悪いとか、醜いとか、頑張りが足りなかったとか。成功者はみんな身を粉にして働いているっていうけど、実際の金持ちは、そのほとんどが親から受け継いだものだったりするんだけどね。土地とか不動産とか、両親が築いた財力や先祖代々受け継いだ遺産がほとんどだ。
 僕たちが信じているもののほとんどは嘘で塗り固められたギミックで、僕たちは嘘を信じて嘘にお金を払って買っている。資本主義社会なんて懐疑的な存在だし、僕たちは疑うべきなんだ。魅惑的な嘘で塗り固められてる。エルメスのハンドバッグやイブ・サンローランのコートは、消費主義者にとっては魔力を持った魅惑的な存在で、僕たちは幻想に投資してその魔力を持ったフェティッシュな所有物を手に入れている。僕自身だって、他のみんなと同じようにその行為に罪の意識を感じているよ。消費社会の現実は、大衆の奴隷になることなんだ。僕はもちろんその資本主義消費社会の一部だし、ブランドのキャンペーンとかもやってるし、だからこそ罪の意識を感じているよ。でも、この社会の一部だから、その一員として生きていくしかないんだよね(笑)。

“Sunk in Reverie”を聴いて、そういった消費社会に対する幻滅みたいなものを感じました。

BG:あの曲は、人間に対する最上級の嫌悪感を歌ったものなんだ。人びとの行動を目撃している主人公の語りという体裁を取っているんだけど。人間が持つ、寄生本能とでも言うのかな。それを暴こうという内容なんだ。人はみんなさまざまな仮面を被っていて……この主人公も、俳優としてかつてはそちら側に属していた。だから、自分について歌っている歌でもあるんだよ。最後のコーラスの「The bodies keep on coming / The party never ends」の部分は、パゾリーニの映画『ソドムの市』を観て書いたんだ。ラストシーンで少年少女を次々に虐殺するところを描いたんだけど、人間の死体が累々と重なっている様は、まるで肉屋みたいだな、と思って。人間も、虐待されて使い尽くされてやがて死体となって転がっている。つまりこの曲は、そういう放蕩的なライフスタイルや、そういうライフスタイルを送って吸血鬼のようになってしまった人たちの空虚について書いたものなんだ。繰り返しになるけど、ここで描かれているようなライフスタイルはとても魅力的かもしれないけど、そこに愛はないし、とても空虚だ。でも、そこにいる人たちは気付かないふりをしているんだよ。

では、少しサウンド面のお話しを聞かせてください。コンセプトの世界を表現するサウンドですが、方向性についてふたりで話し合ったのか、それともあなたが主導していったのかどちらでしょうか?

BG:2017年の1月に僕とアンドリュー(・イネス)がパリに行って、ジェニーと彼女のボーイフレンドのジョニー・ホスティルと一緒にスタジオに入って、本当にごくごく簡単なアイデアを出し合った感じではじまったんだ。当初はかなりエレクトロニックな雰囲気でね。クラフトワークとか、そんな感じの。それでロンドンに戻って来て、頭のなかにあった曲をアコースティック・ギターで弾いてみたんだよ。で、ギターのコードを決めていった。それから少し曲をシェイプして、歌詞を書きはじめた。5曲くらい書いたところで、『ロックのアルバムを作るべきだな』って思ったんだ。アンドリューとデモを作ってみたんだけど、いまのスタイルにすごく近い、ロック・ミュージックになった。もちろん、もっと原始的な感じではあったけどね。それをジェニーに聴いてもらって、「こんな風に作りたいんだけど」って言ったんだ。生演奏でレコーディングしたいことを伝えたら、「いいわ、最高!」って言ってくれて。それでこういうサウンドになったんだよ。

共作していて思いもよらず、良い方向に向かった曲はありますか?

BG:例えば“Remember We Were Lovers”は、最初はクラフトワークみたいなサウンドだったんだ。ドラムマシーンやストリングマシーン、ピアノが入ってて。でも、自分的にはしっくりこなくて。雰囲気もないし、感情がこもっていない感じがしてね。それで、ギターで曲を書き直してみたんだ。それから、生演奏でレコーディングしたらどうかって提案したんだよ。マーティン・ダフィーとダリン・ムーニーと一緒に。ジョン・レノンの曲みたいなピアノが入れたかったんだよね。(“Mother”を歌う)とかね。“Jealous Guy”とか(“Jealous Guyを歌う)、そんな感じ。アメリカのブラック・ソウル・ミュージックみたいな感じにしたかった。オーティス・レディングとかね。クラフトワークより、ジョン・レノンみたいな曲にしたかった。

それが、共同プロデューサーとしてブレンダン・リンチを迎えた理由のひとつでしょうか?

BG:ブレンダンは優れたエンジニアであり共同プロデューサーでもあるし、とくにバンドの生演奏をスタジオ録音するのがすごく上手なんだ。だから、このアルバムにぴったりだと思ったのは間違いないね。

彼を起用したのは『XTRMNTR』以来ですよね?

BG:そうだね。いや、ちょっと待って。2017年にレコード・ストア・デイに合わせてリリースした“Golden Rope”のリミックスをブレンダンにやってもらったな。

タイトルの『Utopian Ashes』はこれ以上ないほど合ったタイトルだと思いますが、どこから生まれたのでしょうか?

BG:僕の頭のなかから生まれたのさ。アルバムのサウンドとコンセプトを詩的に表現できるタイトルはないかなって考えてて。それでいて、抽象的で聴き手に考える余白を与えるようなものにしたくてね。

たしかに、このアルバムのライヴは朗読劇でも成立しそうですね。

BG:ああ、本当に? 歌詞が? 嬉しいな、ありがとう。

実際にこのアルバムを引っ提げてのライヴの予定はありますか?

BG:うん、11月にライヴができないかって考えているところなんだ。キャンドルを灯してライヴをやりたいと思ってて。

プライマルとしては『Chaosmosis』以来となる新作を期待したいところですが、いかがでしょうか?

BG:『Riot City Blues』の17曲入りアルバムを再発する予定だよ。オリジナルは10曲入りなんだけど、7曲ほど足して17曲入りにしたんだ。

リミックスなどを含めた構成になるということでしょうか?

BG:いや、全部オリジナル曲なんだけど、シングルのB面を入れることにした。オリジナルがリリースされた15年前は、シングル1、シングル2、7インチシングルという体裁でシングルをリリースしていたから、曲がたくさんあって。レコード会社にとにかくたくさん曲をレコーディングしろって言われていた時代で、アルバムに合わせて17~18曲ほどレコーディングしていたからね。それを全部含めて、セッションでレコーディングしたものを『Riot City Blues Sessions』というタイトルで、曲順も変えてリリースする。4つの章に再構成した感じの作りになってて、第1章はハイエナジーなロック、第2章はバラード、第3章は再びハイエナジーなロック、第4章はよりハイエナジーなロックという感じで、面白い構成になっていると思うよ。
 それから、これははっきりとしたことはまだ言えないんだけど、『Screamadelica』もなんらかの形で再発することになりそうだよ。ちょうど今年で発売30周年を迎えるからね。それに、ライヴ・アルバムも出る予定だよ。2015年にオースティンで開催されたサイケデリックのフェスティヴァル、LEVITSTIONに出演したんだけど、その時の音源がライヴ・アルバムとしてリリースされるみたいだね。アハハハ! こんなにいろいろ出るのかって自分でも驚いたよ(笑)。

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interview with Jehnny Beth

もう愛していないって言っているけど、それはまだ愛が残っているから言えるセリフなのよ(笑)。

──ジェニー・ベス、インタヴュー

質問:油納将志  通訳:長谷川友美

このアルバムは、リレーションシップの崩壊に焦点を当てているというよりも、その問題に対峙して、なんとか関係を立て直そうと葛藤する男女の姿を描いていると思う。そのために対話を重ねているんじゃないかな。

いまはロンドンにいらっしゃるんですか?

JB:いいえ、パリよ。4年前にパリに移ったの”

パリはいまどんな状況ですか?

JB:相変わらず悪夢のようよ。まあ、世界中のどの都市にも言えることかもしれないけど。

最初にボビーに会ったとき、どんな印象を持ちましたか? 

JB:最初にボビーに会ったのは、パリで行われたイブ・サンローランのキャットウォークショーに、彼と私が招かれたときだったの。もちろん彼のことはアーティストとして知っていたけど、個人的に会ったことはそれまでなかったわ。彼も私のことを知ってくれていたから、会話を交わして連絡先を交換したのよ。でも、そのときはそれ以上のことは何も起こらなかったわ。
 その後、スーサイドのラスト・ステージとなるA Punk Massっていうイベントがバービカンで行われて、そのときにまた会ったのよ。アラン・ベガが亡くなる直前のことだったんだけど。そこで、スーサイドに“Dream Baby Dream”をボビーと一緒に歌わないかと誘ってもらって。この曲はすでにサヴェージズで歌ったことがあったから、ボビーに「是非やりたいと思ってるけど、一人で歌いたかったら私は遠慮しておくわ」って言ったの。そうしたらボビーが、「いやいや、いいアイデアだからやろうよ」って言ってくれて。なんだかカオスな夜だったわ。ヘンリー・ロリンズが怒ってステージを降りちゃったり(笑)。それで、いつが私たちの出番かさっぱりわからなくて、突然曲がはじまっちゃったの。そうしたら、すぐにボビーがステージに出ていって、こう、客席に向かってかがんだのよ。それが本当にロックスターっぽくて、なんてかっこいいんだろう、って感動したわ。曲の始まりも終わりもわからなくて混乱したけれど、ステージが終わった後は大満足だったし、ハッピーで誇らしい気持ちになって。それでボビーともすっかり意気投合したのよ。
 それから、プライマル・スクリームとサヴェージズがブリストルで行われたマッシヴ・アタック・フェスティヴァルで共演する機会があって、アンドリューとボビーが私にプライマルのステージで歌わないかって誘ってくれたの。その後、アンドリューがボビーに2人でレコーディングしてみたらどうかって薦めてくれて。ジェニーとジョニー(・ホスティル)も一緒に曲を書いてみないかって言ってくれて、断る理由なんてひとつもなかったわ。ボビーとの共演は本当に楽しかったし、彼と私の声はデュエットにぴったりだと自分でも感じていたから。それで、ボビーとアンドリューがパリに来てくれて、いま、私がいるこのスタジオで2回ほどセッションしたの。そこで、曲のベースとなるようなものを書きはじめて。
 当初は、どんな曲を書いているかはっきりしないような状態だった。ただ、なんとなく曲のアイデアを出す感じだったんだけど、私とジョニーはまるでプライマル・スクリームの曲を書いているような気分だった。ベースとなるサウンドはエレクトロニックで、モノコードで。それで、ボビーはロンドンに戻って歌詞を書きはじめたのよ。パリでは歌詞ではなくて、メロディを書くことに集中していたから。
 でも、歌詞がメロディのアイデアにマッチしないと考えたようなのね。それで、「このレコードはエレクトロニックなサウンドのものにはならないと思う」って言われたの。もっと、バラードや、オールドスクールのフォークといった、ソングライティングに重きを置いたアルバムになりそうだって伝えられた。それからアルバムのコンセプトの話になって。“結婚生活の崩壊”というテーマが浮かび上がってきたのよ、ごめんなさい、ちょっと長かったわね。でも、これがボビーと出会った事の顛末なの。

出会う前は、ボビーをどのようなアーティストとして見ていたのでしょうか。

JB:とても強い個性を持っていて、素晴らしいソングライターだという印象だったわ。プライマル・スクリームの曲はもともと好きだったしね。とくに“I Can Change”がすごく好き。とても良く書かれた曲だと思ったわ。最初に彼を目撃したのは、ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズのアフターショーパーティの会場だったの。もちろんそのときはボビーがどんな人物かまったく知らなかったんだけど、ボビーがニックと談笑しているのを見て、意外と明るくてよく笑う人なんだなって思ったわ。というのも、彼は酷いドラッグ中毒者だって噂を聞いていたから。もちろん、あの時代の人たちは多かれ少なかれそういう印象がつきまとっていると思うけどね。
 それが、実際に彼と会って話をしてみたら、そんな悪い印象はすぐに吹き飛んだわ。全然シラフだしクリーンだし。それって、私にとってはとても重要なことなのよ。私はお酒も飲まないし、ドラッグをやるような人たちとつるんだこともない。そういうものは、私が求めているものではないから。ロックンロールミュージックをプレイしているのにね(笑)。ロック界はアンフェタミンと密接に結びついていて、ドラッグまみれという歴史があることもよくわかっているけど、私はもうそういう世代の人間ではないの。サヴェージズは自分自身を律して、自分のやっていること、やるべきことに集中するという考えを共有しているからね。だから、ボビーに会って彼の内面を知ることで誤解が解けて、このプロジェクトは絶対にうまくいくと確信したわ。

最初に「結婚生活の崩壊」というコンセプトを聴かされた時、どう思いましたか?

JB:電話で突然言われたのでビックリしたけど(笑)、すごく面白いと思ったわ。いろいろな音楽やレコードで語られてきたテーマでもあるしね。このテーマが一体どこから来たのか、少し不思議には思ったけれど。でも、題材としてはいろいろな曲で取り上げられているし、ある種のキャラクターを設定するというコンセプトにはとても興味を持ったわ。もちろん、そうしたキャラクターには私たちの素の部分も大いに反映されてはいるけどね。そうでないと、オーセンティックなサウンドにはならないから。
 最初のシングル(“Remember We Were Lovers”)では、一組の男女が彼らの抱えている葛藤と、それをどう乗り越えるのか、その難しさについて歌っているけれど、ある意味伝統的なテーマだと思うのよ。ティーンエイジャーの恋の悩みや失恋とは明らかに異なる胸の痛み。それは、彼らがそれまで一緒に旅してきた軌跡があるからなの。結婚して、生活を共にして、もしかしたら子供もいるかもしれない。責任感の重みも違うし、人生のコミットメントなわけだから。このアルバムは、そうしたリレーションシップの崩壊に焦点を当てているというよりも、その問題に対峙して、なんとか関係を立て直そうと葛藤する男女の姿を描いていると思う。そのために対話を重ねているんじゃないかな。もし話し合うこともなくなってしまったら、関係性は完全に壊れてしまうから。「I don’t love you anymore」なんてとてもヘヴィで辛いフレーズだけど、そうやって自分の心の内を語ることで、なんとか関係性を修復したいと考えているからこそ出て来た言葉じゃないかと思っているの。もう愛していない、って言っているけど、それはまだ愛が残っているから言えるセリフなのよ(笑)。その愛を取り戻したいという心の叫び。まずは自分の相手に対する正直な感情をぶちまけることで、2人の未来を変えたいという気持ちの表れだと思う。私は、このアルバムのコンセプトをそういう風に解釈したけれど。

たしかに相手に対する感情や情熱が残っていなかったら、もう話しても無駄ですもんね。

JB:その通りよ。情熱が残っているから、なんとかしたいと相手との対話を望むのだと思うわ。もう相手のことがどうでもよくなっていたら、自分の気持ちをぶちまける必要なんかないもの。ただ去って行けばいいだけの話だから。

アルバムに登場する女性のペルソナは、あなたが創造した架空のキャラクターですか? それとも、自分自身を投影させたもので、キャラクター設定のようなものはなかったのでしょうか。

JB:そのどちらの要素もあると思う。歌詞はすでに書きためていたものがあったし、私が書いた歌詞のほとんどは、アルバムのコンセプトが決まる前に書いたものだから。私の歌詞が、ボビーがアルバムの方向性を決めるプロセスに少なからず影響を与えたところもあるんじゃないかな。コンセプトがはっきりしてから、歌詞を修正したりして曲のテーマや世界観に合うように、無意識のうちにキャラクターを設定していたかもしれないわね。曲のすべてにキャラクターを設定したコンセプトアルバムという発想も悪くはないけど、私は音楽で自分の本当の気持ちや感情を表現したいから、キャラクター設定にはあまりこだわらず、自分の経験を元にして素直な感情を込めたつもりだし、自分が経験していないようなことを歌った歌については、自分だったらどうするかな、どう感じるかなということをつねに念頭に置いて歌詞を書いたのよ。

“Utopia”という希望に満ちた言葉と、“Ashes”という破滅的な言葉とのコントラストがとても面白いと思った。ある意味、さっき話したような、歌詞の持つダークさとサウンドの持つポジティヴさとを的確に表現したタイトルじゃないかしら。

曲が進むにつれて、内面がさらけ出されいき、痛みも増していくようです。歌詞の一部はある意味、とてもストレートな表現にもなっていますよね。この痛みを男性と女性の両面から描くことが真意だったように思いますがいかがでしょうか?

JB:その通りよ。でも、そこには一筋の光のようなものもあったと思うの。

たしかに、サウンドそのものはアップリフティングだったり、穏やかだったり、歌詞の内容とのコントラストが鮮明だったように思いました。

JB:私たちは、気の滅入るようなレコードを作りたかったわけじゃないからね(笑)。スタジオで曲作りをしている時は本当に楽しかったし、ジョークを飛ばして笑い合ったり、和気藹々としていたから、そういう心が軽くなるような経験もサウンドに反映されていたんじゃないかしら。それに、さっきも言ったけど、人間関係の真実をこのアルバムに込めたのは、そこに希望の光があるからなの。少なくとも私はそういう風に感じているわ。本音を語るのは、解決の糸口を見つけたいからなのよ。自分たちの素直な感情や考え方を表現するのは、まだ希望が残っているからだと思う。もしかしたらこの状況を変えられるかもしれない、良い方向に舵を取り直せるかもしれないという思いから来ているのだと思うわ。だから、一見真逆に見えるサウンドと歌詞の世界観をひとつにまとめることは、それほど難しいことではなかったのよ。悲しい気持ちや暴力的な感情やトラウマといったものを、全編を通して悲しいサウンドで表現する必要もないし、そこにコミュニケーションが介在する限り、様々な方向へと形を変えていくと思うから。
 ボビーが、このアルバムは“表現力の欠如”について描かれていると言ったの。人によっては、会話が苦手で自分の感情や思考をうまく言葉にできないこともあるでしょう。だから、誤解を招くようなきつい言い方になってしまうこともある。でも、このアルバムが最終的に目指すところは、個人や2人の未来を良い方向へと変える力なのよ。カップルとしてすでに機能しなくなっていても、2人とも一緒にいる未来を思い描いている。だから、このアルバムはデュエットとして成立しているのよ。誰かが誰かに属している、そんな感覚を描いていると思うから。

アルバムで描かれている男性については、どのような印象を抱きましたか? ボビーが自分自身を投影しているように感じる部分はありましたか?

JB:そのことについてはボビーに直接たしかめたことがないからわからないけど、彼が自分のことを歌っているのか、それともフィクションの世界を創り上げたのか、私にとってはどちらでも構わないかな。彼はきっと、この男女のキャラクターを使って自分自身の世界を創ろうとしたんじゃないかと思うから。彼はきっといろいろな経験をしてきて、私たちもメディアを通してしっていることもあるし、彼は結婚もしているしね。でも、そこに彼自身の経験が投影されていたとしても、きっともっと普遍的なものを作ろうと思ったんじゃないかしら。もちろん私は彼ではないし、想像で話しているに過ぎないからもしかしたら正しくないかもしれないけど、これまでのインタヴューで彼が語ったことを総合して考えると、きっとあらゆる人に向けてこうした曲を書いたんだと思うのよ。
 人によって受け取り方が違っても良いと思う。多くの人が結婚生活を体験しているわけだし、誰もが最初の頃のときめきや燃え上がるような気持ちを多かれ少なかれ失うのは間違いないと思うから。それで、その頃の思いを取り戻したい、なんとかこの関係を修復したい、って思うのは自然なことよ。だって、リレーションシップって、言ってみれば進化し続けるものなんだから。リレーションシップはレボリューションなのよ。このアルバムの2人も、最後の曲が終わったあとにもしかしたら自分たちの解決策を見つけたかもしれないな、って思うの。
 私はいまやボビーとは友だちだと思っているから、友だちが過去について率直に語るのは素敵なことだな、って思って聴いたわ。例えば“You Can Trust Me Now”は、彼が歌うから美しく聞こえるんじゃないかなって思うの。だって、このセリフって、本来なら全然信用ならない感じでしょ? 「僕のことを信じていいよ」って言われたら絶対に信じないわ(笑)。でも、彼がそう歌うことで、なんだかとても美しいフレーズに聞こえるの。だって、ある意味とても脆いでしょ。そう言われてもまた裏切られるかもしれない、信じていいよ、って言った方が裏切られるかもしれない。それを、ドラッグに溺れたこともある、さまざまな経験を積み重ねてきたボビーが言うことに意味があるのよ。彼が言うと、とても心に響くわ。スタジオのなかでこの曲を聴いたとき、感動したのを覚えているわ。

このアルバムのなかでいちばん好きな曲はどれですか?

JB:やっぱりこの曲かしら。歌詞もサビもとても素敵な曲だと思うから。もう僕は昔の僕じゃないんだ、生まれ変わったんだ、信頼に値する人間になるよ、っていう彼の心の声が聞こえる気がするし、その過程というのはとても美しい軌跡だと思うの。そこに女性キャラクターのヴァースが入ってきて、「You turned into someone / I don’t know」って歌うのは、ある種の拒絶じゃない? それは、彼女のビターな経験から来ている。男は自分を信じてくれっていう。女は信じられないっていう。愛はリスクを伴うもので、だからこそ愛は美しいものだって私は信じているけれど。一方で、リスクを伴うものはもはや愛ではないのかもしれないけれどね。

あなたは女優としても活動しています。今回のアルバムはとてもドラマチックなストーリーを持っていますが、演じるように歌ったのでしょうか?

JB:(笑)どうかしら。演じることと歌うことは私のなかでは全然違う種類のものだから。もちろん、演じるような表現を用いて歌うこともあるけれど、歌には“真実”がないと心に響かないと思っているの。敢えて穿った表現やシニカルな視点を込めて歌う歌手もいるけれど、そこに自分自身が投影されていなければ、それは聴き手にも伝わってしまうって信じているのよ。信用できないシンガーは好きじゃないの。この人は真実の感情を歌っているなって信じられなかったら、その歌を聴く気にはなれないわ。私は歌に、真実を込めたいと思っている。私はボビーよりも若いし経験も少ないかもしれないけれど、それなりに年を重ねてきたし、ジョニーとは18年間付き合っているから、1人の人と長いリレーションシップを持つことがどういうことかも多少はわかっているつもりよ。だから、自分の知らないことを作り出す必要もないし、身の丈以上の表現を取り入れる必要はないと思っているの。

サウンド的には、グラム・パーソンズとエミルー・ハリスの“Grievous Angel”、ジョージ・ジョーンズとタミー・ワイネットの“We Go Together”などのカントリー・ソウルに触発されたと読みました。サウンド自体はどのようにしてやり取りしながら完成していったのでしょうか? 男女のデュエットアルバム、というコンセプトには最初から興味があったのでしょうか。

JB:とくにサウンド的なリファレンスについては話をすることはなかったわ。もちろん、多少はこんな感じの雰囲気で、っていう話はしたけれど。ボビーと私の声はすごくマッチしていると感じていたから、デュエット・アルバムというコンセプトは面白いと思ったわ。ボビーと私のハーモニーは、自分でも素晴らしいと思ったの。それがこのアルバムを作った最大の理由なのよ。ハーモニーというのは本当に心地良い体験で、ある意味人間にとって最も原始的なコミュニケーション術だと思うのよ。ふたつの異なる振動がひとつになって、人と人とを結びつける感覚。とても心が温かになる感じがするし、強い力を持っていると思うの。言葉によるコミュニケーションを超えた、本当に原始的な感覚よ。最初のセッションから、2人で歌うのがスムーズにいって、2人の声を重ね合わせた時、本当に驚いたの。ボビーも、アンドリューも、私も、ジョニーも思わず全員で顔を見合わせてしまったわ。“これはアルバム1枚作れちゃうんじゃないの?”って(笑)。2人のハーモニーに無限の可能性を感じたのよ。

あなた自身は、そうしたハーモニーを取り入れたフォークミュージックやカントリー・ソウルのような音楽には興味がありましたか?

JB:ええ、もちろん。サヴェージズの音楽も、ハーモニーを重視したサウンドを目指しているから。フォークというよりは、もっとリズムが強くてモノコードを使ったサウンドになっているけれどね。ずっとジャズを歌ってきたし、ハーモニーやメロディの美しい曲は大好きよ。私にはこういう歌い方もできるんだって、今回のプロジェクトが再確認させてくれたところもあるの。私にとっては大きな収穫だったわ。このアルバム以来、ちょこちょこ『Utopian Ashes』のときの歌い方を使うようになったから(笑)。

今回のコラボレーションがあなた自身、またサヴェージズに影響を与えることはありそうでしょうか?

JB:サヴェージズ自体は残念ながらもう何年も活動を休止していて。また活動を再開する可能性はゼロではないんだけど、いまのところは何も今後のことは決まっていない感じなの。でも、ええ、サウンド的なこととは別として、ヴォーカル面では私のソロ・プロジェクトにかなり影響を与えることになると思うわ。歌い方のスタイルの、サヴェージズ時代には閉じていた扉を再び開けてくれたような気がするから。メロディの歌い方や豊潤なハーモニー、それにそうした歌い方への喜びみたいなものを取り戻すことができると思うの。

新型コロナウイルス禍は、人びとの生活だけではなく、人間関係やリレーションシップの在り方についても大きな変化をもたらしたと思います。あなた自身、影響を受けた部分はありますか?

JB:もちろん、どのミュージシャンやアーティストにも言えることだと思うけれど、完全に私の音楽活動を停滞させてしまったわ。去年、パンデミックの最中にソロ・アルバムをリリースすることになってしまって。本当はアルバムを引っ提げてヨーロッパにツアーに行くはずだったし、アメリカをナイン・インチ・ネイルズと一緒に回る予定だったのに、大きなフェスティヴァルも全部キャンセルになってしまった。私の記念すべきソロ・アルバムが大きな犠牲を強いられた気分だったわ。世界中にファンを持つ安定した人気のポップ・バンドには、いつでも待っていてくれるファンがいるし、他の形でファンと交流する機会もあったと思うからさほど大きな影響はなかったかもしれないけれど、私の場合は、閉じ込められてしまった気分だったの。
 でも、良い面ももたらしてくれたのよ。この1年間、フランス国外に出られないからずっとパリにいる必要があって。12年間ロンドンで暮らしていたから、どこにも行けない状況に最初はフラストレーションを感じていたわ。でも地元に戻ってきてみて、自分の周りは才能を持った人たちやインスピレーションの源で溢れているって気が付いたのよ。以前の私はそれに気付いていなかったと思う。それによってまた新しい扉が開かれたし、そのことについてはとても感謝しているの。クリエイティブワークにとって、私にとって大きなターニングポイントになったと思うわ。いまも新しい曲をどんどん書いているし、状況が好転したら、次のソロ・アルバムをリリースしてすぐにでもツアーに出たいわ。

アルバムの話に戻りますが、タイトルの『Utopian Ashes』はこれ以上ないほど合ったタイトルだと思います。ボビーが決めたそうですが、このタイトルは気に入っていますか?

JB:そうなの。ボビーが提案したんだけど、他にもたくさんタイトルの候補があったのよ。テーマである「結婚生活の崩壊」や、破れた夢を的確に表すとても良いタイトルだと思うわ。そう、夢破れた後の余波というべきかしら。だって、ここで描かれているのははじまりではなく、終わりのその後、すべての出来事を通り過ぎて来たあとの後遺症のようなものだから。燃え尽きたあとに何が残っているのか、ここからどう立て直していくのか。“Utopia”という希望に満ちた言葉と、“Ashes”という破滅的な言葉とのコントラストがとても面白いと思った。ある意味、さっき話したような、歌詞の持つダークさとサウンドの持つポジティヴさとを的確に表現したタイトルじゃないかしら。

このアルバムのライヴは朗読劇としても成立しそうですが、ライヴの予定は?

JB:わあ、賛成だわ! ボビーの書いた歌詞は、純粋に詩としても優れていると思っていたの。文字で読んでも、読み応えがあるし心情が伝わってくる。スタジオでも、ときどきボビーが大声で歌詞を読誦していたことがあって。私の耳元に囁いてくることもあったわ(笑)。そうやって、みんなが弾いているメロディを聴きながら、歌詞をぶつぶつ唱えることで、曲にぴったり合うようにアジャストしていたみたいなの。それからノートに書き留めて……というのを繰り返していたわ。歌詞のライティングには本当に細心の注意を払っていたと思うから、歌の歌詞というだけではなく、喋り言葉としても成立するかどうかについても細かく考えていたんじゃないかと思う。語彙力の豊かさやイメージの鮮やかな表現力も素晴らしいと思うから、ボビーはこのアルバムで、作詞家としての優れた才能についても遺憾なく発揮していると思うわ。

サウンド面でも、共作していて思いもよらず、良い方向に向かった曲はありますか?

JB:パリのスタジオに入った当初は、一緒に曲を書き始めたの。それを彼がロンドンに持ち帰って、自分のパートを書いて、曲を綺麗に整えた感じなんだけど、最初はエレクトロニックだったりモノコードを使っていたりした曲も、最終的にはメロディを重視した、真の意味でのソングライティングの力を重視したものになったのね。それをボビーがまたパリに持って来てくれて、私が自分の歌のパートを吹き込んだという感じのプロセスだった。もちろん、一緒にスタジオでやってみて、少し変えた部分もあるけどね。レコーディング自体は本当に楽しかったし、とてもよい経験になったわ。新型コロナウィルスが流行る前にこのアルバムを作っておいて、本当に良かったなって思ってる(笑)。プレッシャーもストレスも心配もなくて、最高のレコーディングだった。ボビーもアンドリューもプライマル・スクリームのメンバーもジョニーもプロフェッショナルだから最高のプレイをしてくれたし、何の心配もなかったし、このアルバムは素晴らしいものになるっていう確信が最初からあったのよ、そう、これこそ“信頼”、信じる力なのよ(笑)!

(笑)では最後に、あなたのこれからの活動プランを教えてください。

JB:いまは2枚目のソロアルバムの制作でスタジオに入っているところなの。それから今年2本のフランス映画に出て、状況が好転したらソロツアーに出て、このアルバムのライヴも11月くらいに出来たらいいね、っていう話をしているところだし……やることはたくさんあるけど、とにかく来年が今年より良い年になっていればそれでありがたいかしらね(笑)。

The Bug - ele-king

 ザ・バグは早かった。2003年に〈Rephlex〉から出た『Pressure』。きれいなエレクトロニカが隆盛を極めていたあの時代に、独自の歪んだ音響で大胆にダンスホールを導入、怒りを表現したこと──ザ・バグは10年先を行っていた。
 最近も彼は動きつづけている。2019年にはゾウナルとして過激なアルバムを発表、ベリアルとのフレイムもあった。昨年はケヴィン・リチャード・マーティン名義で怒濤のごとくアンビエント作品を投下、ザ・バグ・フィーチャリング・ディス・フィグとしても〈Hyperdub〉からアルバムを送り出すなど、休むことを知らない。
 なのであまり久しぶりという感じはないのだが、しかしザ・バグ単独名義としてはじつに7年ぶりとなるオリジナル・アルバムがリリースされることになった。その名も『Fire』。タイトルからして熱い。『Pressure』のときはイラク戦争だったけれども、今回はやはりパンデミック~ロックダウンが契機となっている模様。ムーア・マザーも参加している。発売は8月24日。聴き逃す理由はない。

THE BUG
エイフェックス・ツイン、トム・ヨーク、ケヴィン・シールズ、エイドリアン・シャーウッドら錚々たる面子が賛辞を贈る〈NINJA TUNE〉のカリスマ、ケヴィン・マーティンが、7年ぶりにザ・バグ名義でアルバムをリリース! 新曲 “Clash” が解禁!

2008年にスマッシュヒットを記録した『London Zoo』、デス・グリップスなど超凶力なゲスト陣も話題となった2014年の『Angels & Devils』という二枚のザ・バグ作品以外にも、テクノ・アニマルやキング・ミダス・サウンドなどいくつもの名義を操り、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのケヴィン・シールズも在籍した伝説のバンド、エクスペリメンタル・オーディオ・リサーチのメンバーとしても名を連ね、エレクトロニック・ミュージック・シーンのアウトサイダーとして、長きに渡って活躍するカリスマ的プロデューサー、ケヴィン・マーティンが、メイン・プロジェクトであるザ・バグの実に7年ぶりとなる最新作『Fire』のリリースを発表! あわせて新曲 “Clash (feat. Logan)” を解禁した。

The Bug - 'Clash (feat. Logan)' (Official Audio)
https://youtu.be/OgBwOYRuVAw

『London Zoo』『Angels & Devils』に続く、都市を舞台にした三部作の最終作品としても位置づけられている新作『Fire』。MCには、Flowdan、Roger Robinson、Moor Mother、Manga Saint Hilare、Irah、Daddy Freddy などの長年の仲間に加え、Logan、Nazamba、FFSYTHO などの新鮮な面々も参加。音の身体性と強度を追求し続けるケヴィン・マーティンにとって間違いなく最高傑作であり、彼がこれまでに制作した音楽の中で最も獰猛かつ感動的なサウンドが展開する。

ザ・バグを始めたのは、俺の倉庫にあったサウンドシステムのための音楽を作りたかったからだし、バグのライヴ体験こそ、常にレコード作品に反映させたいと思っていた。いつだって炎に、ライヴ体験に注ぐための燃料を探してるんだ。だからロックダウンによってライヴができないことが大きなきっかけとなった。常に「どうしたらもっと盛り上げられるだろうか?」「どうすれば人々をもっとコントロール不能にできるのか?」と問いかけてる。俺にとって、ライヴは生涯忘れられないものでなければならない。オーディエンスをDNAから変えてしまうもの、良い意味で彼らの人生に傷痕を残すようなものでなければならないんだ。俺は、摩擦や混沌、音で炎をあおることが好きだ。このアルバムは、ライヴの激しさや、ライヴ中の “ファックオフ” というアティチュードという点で、俺のライヴが最も良く反映されてる。「WHAT the FUCK?」というのが俺がオーディエンスから望む反応だよ。人々が音楽をどのように消費するかについて多くのコントロールがあり、文化的に抑圧されてる時代において、常軌を逸するということこそ正しいリアクションだ。 ──Kevin Martin

ザ・バグ最新アルバム『Fire』は、8月27日(金)世界同時リリース! 解説付きの国内流通仕様盤CD、輸入盤CD、グレー・ヴァイナル仕様の通常盤2枚組LPの他、シルクスリーン・プリントによるスリーヴ、レッド&イエロー・ヴァイナル仕様の限定盤で発売される。さらに世界限定500枚の Bleep 限定仕様盤(クリアレッド&クリアイエロー・ヴァイナル)が Beatink.com で超限定数販売決定!

label: NINJA TUNE / BEAT RECORDS
artist: The Bug
title: Fire
release date: 2021/08/27 FRI ON SALE

国内流通仕様盤CD
解説書封入 BRZN275 ¥2,000+税
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11960

BEATINK.COM 限定盤LP
(クリアレッド&クリアイエロー・ヴァイナル)
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11961

TRACKLISTING
01. The Fourth Day (feat. Roger Robinson)
02. Pressure (feat. Flowdan)
03. Demon (feat. Irah)
04. Vexed (feat. Moor Mother)
05. Clash (feat. feat. Logan)
06. War (feat. Nazamba)
07. How bout dat (feat. FFSYTHO)
08. Bang (feat. Manga Saint Hilare)
09. Hammer (feat. Flowdan)
10. Ganja Baby (feat. Daddy Freddy)
11. Fuck Off (feat. Logan)
12. Bomb (feat. Flowdan)
13. High Rise (feat. Manga Saint Hilare)
14. The Missing (feat. Roger Robinson)

Aloha Got Soul - ele-king

 ハワイアン・ミュージックといえばウクレレやスチールギターの音色……だけではないのです、たとえば1970年代~80年代のハワイでは、USのソウル/ディスコ/AORに影響を受けた音楽がLPや7インチ・シングルの形態でけっこうリリースされている。しかもそれが極上のメロウサウンドばかり。
 歴史に埋もれたこうしたオブスキュアなハワイ産ソウルをディグっては再発しているのが2015年に始動したホノルルの〈アロハ・ゴット・ソウル(AGS)〉レーベルで、レアグルーヴ・ファンにはもうすでにお馴染み。ハワイ産のディスコやAORなんて聞いただけでワクワクするでしょう。
 コロナ禍でも〈AGS〉は魅力たっぷりのエクレクティックなハワイアン・ミュージックを出し続けてはファンにささやかな喜びを与えている。今年に入ってからはすでに6枚のシングルやアルバムを出しているが、たとえば6月にリリースされたエディ・スズキなるアーティストの『High Tide』、これは1929年生まれのアーティストが1973年に発表したアルバムになるが、サイケ、ポップ、そしてハワイアンの混合物という、かなりゆるゆるの逸品だ。そして7月25日にリリースされるMackey Feary Bandの『Mackey Feary Band』、70年代のハワイアン・ソウル・シーンにおける最高のミュージシャンが集結したこれこそがじつは〈AGS〉の主宰者であるロジャー・ボングがこのレーベルをはじめた理由でもあり、じつに重要なアーティストのリリースになる。

 そもそも、ハワイのロジャー・ボングをその気にさせたのが日本のキング・オブ・ディギングことMUROだった。2010年のある日ロジャー・ボングは偶然、70年代のハワイのレアなファンクやディスコをフィーチャーしたMURO監修の『Hawaiian Breaks』を耳にし、足が止まるほどの衝撃を受けたという。1曲をのぞいて、ロジャーはそのCDに収録されている曲をまったく知らなかったし、そこに収録された全曲が素晴らしかったからだ。以来、ロジャーは1970年代~80年代にワイキキのクラブで流れていたファンクやソウルを掘り続け、その成果をブログにて報告。それが〈アロハ・ゴット・ソウル〉の誕生へと発展した。ロジャーはこう声明を出している。「ハワイの音楽に対するイメージを一度捨ててください。アロハ・ゴット・ソウル、つまりハワイの音楽にはソウルがあることだけは肝に銘じておこう」

 とにかく、みんなそれぞれの魅力があるので、じゃあ、どこから聴いていこうかと迷ってしまいますが、新譜ということで、『High Tide』と『Mackey Feary Band』はオススメです。前者はラウンジ・ミュージックとして楽しめるし、後者は山下達郎的なメロウとグルーヴがあったりもする。
 〈AGS〉は最近、ワイキキとホノルルの中間ぐらいのところ(2017 S. King Street, Honolulu, Hawaii)にショップをオープンさせたばかり。ショップにはディガーばかりではなく、ハワイ在住のいろんなミュージシャン/DJも集まり、音楽コミュニティにもなっているそうだ。〈AGS〉作品だけではなく中古レコードや服なやグッズも販売。コロナが収まったら行きたいですね。
 この夏を快適に過ごすために、ハワイの70年代ソウルを掘るのは良いアイデアです。レコードもグッズもホームページ(https://alohagotsoul.com/)から購入可能。日本でもヴァイナルはアナログを扱っているレコード店に流通しています。


レコード愛たっぷりの〈AGS〉の7インチは、カラーヴァイナルも多い。


ショップにかけつけたハワイアン・シンガーのKainani Kahaunaele 。



店内の様子。


この人がレーベル主宰者のロジャー・ボングさん。

interview with Terre Thaemlitz - ele-king

このインタヴューは来年に延期されたテーリ・テムリッツ氏が出演予定のドイツの都市モンハイムで開催される音楽フェスティヴァル、《Monheim Triennale》から依頼を受け、英語でインタヴューをおこない執筆したものに若干の編集を加え日本語にしたものです。日本で20年、外国人でクィアで反資本主義なアーティストとして活動しているテーリさんの深い考察は、日本の人たちにこそいま読まれるべき示唆に富んでいます。

 DJスプリンクルズとして知られるテーリ・テムリッツは世界を見渡しても、最も進歩的な芸術・音楽家たちのなかでさえも、極めてユニークな立場にある人物だ。批評性というものに深く向き合うことを決意している彼女は、あらゆる先入観や前提を疑うことを書く者に容赦なく迫るので、彼を題材にした記事を書くのは容易ではない。「私はかなり反パフォーマティヴで、どちらかというと文化評論家だと思っています。私は自分をアーティストやミュージシャンだとは思っていません」と彼女はさっそく私の第一の前提をはねのけた。
 とはいえ、テムリッツは音楽制作・パフォーマンスをするアーティストとして最も広く知られているのは事実で、初期作品はドイツの電子音楽レーベル〈Mille Plateaux〉から、それ以降は東京の〈Mule Musiq〉やパリの〈Skylax Records〉といったレーベルから作品がリリースされている他、自身が運営する〈Comatonse Recordings〉がずっと彼の執筆活動や従来のフォーマットに収まらないプロジェクトのためのプラットフォームとなっている。最近では、76曲入りのアルバム『Comp x Comp』(2019年)や、オーディオ、ビデオ、テキストで構成されたマルチメディア・アルバム『不産主義』(2017年)などがそのディスコグラフィーに加えられた。
 彼女のハウスDJ名義であるDJスプリンクルズは、過去10年ほど世界各地のクラブやフェスティヴァルのラインナップに名を連ねる人気を博している。特に、2008年に高い評価を得たアルバム『Midtown 120 Blues』をリリースした後、RAポッドキャストのミックスで国際的な注目を集め、さらに近年こうしたシーンでラインナップの多様性とジェンダー平等を実現しようとする取り組みに後押しされた側面もある。

 ここまでに、「彼」、「彼女」と代名詞が混在していることに気づき、若干の混乱や読みにくさを感じている方もいると思うが、これは意図的である。トランスジェンダーであるテムリッツは、ひとつの代名詞に絞ることに抵抗を示す。近年、英語圏ではノン・バイナリーを性自認する人が、she/her でも he/his でもなく they/them を代名詞として使用することが一般化しつつある。自己紹介の際に、名前の次に代名詞は何かを本人が指定すること、あるいは相手に確認されることがマナーになってきている。しかし、彼女は第三のジェンダー代名詞(they/them)を使うことを拒否している。なぜかというと、「それは、家父長制の下でのジェンダー危機を解決しないからです。私は全く心地よさを感じません。読者には読みやすいかもしれませんが。それより私はむしろ、家父長制下での私自身のジェンダーの違和感を読者が共有することに興味があります。だから、代名詞が交互に入れ替わる文を読むのが心地悪いと感じるなら、いらっしゃい、私の世界へようこそ!」

移民という経験は、日本に順応したと公言することよりも、アメリカにいたときの自分を解体していくこと=“アンビカミング” に役立っているという風に考えています。そのような “それまでの自分のあり方を取り壊していく” =アンビカミングのプロセスこそが、私がより権威を持って語れることであり、より正確でより有益な情報となるのと思います。概して私は、「何かになる」ことよりも「規定されたあり方を壊す」ことの過程について語るほうが有益だと思っています。

移民として日本にいること

この春、テムリッツが母国アメリカから日本に移住して20周年を迎えた。これは、彼が現在住んでいる千葉の田舎の農家と、私が住むベルリンを Zoom を介してかなりじっくりと話を聞かせてもらってまとめたものだ。私は日本人でありながら、オーストラリアとドイツに合計20年近く住んでいるので、移住という経験でいえばほぼ逆相関という関係にある。

芸術や非商業的な音楽に携わる者にとって、日本は通常、移住先として真っ先に浮かぶ国ではない。特に東京では生活費が高く、公的機関や社会一般からのサポートと言えるものがほとんどない。しかし彼女が日本に住む動機は、私たちの多くがごく当たり前に享受している、身体の安全であると言う。

「私はアメリカから日本に、トランスジェンダーとして来ました。アメリカでは、 “ファック・ユー(お前がどう思おうが関係ない)” という個人主義的な文化があり、誰もが気に入らないことがあれば、すぐにそれを表明する権利があると考えています。唾を吐きかけても、物を投げつけても、殴っても、何をしてもいい権利があると思っているのです。一方、日本では気に入らなければ、最悪の場合でも無視されるだけです。だから、私がいたアメリカ社会生活と比べれば、私にとって日本での “沈黙は金” なのです。嫌われても、放っておいてくれるなら構いません。ここでは、ボコボコに殴られずに済むんです。だからといって、ここでの生活を美化するつもりありません。この世界は相当酷い場所だと思っています。アメリカで散々バッシングにさらされて育ってきた結果、私は周りの暴力との関わりをなるべく減らす努力をしてきたのです」

彼が評価する日本の沈黙は、外の人からは礼儀正しさや、場合によっては「zen」な態度としてすら受け取られがちだが、彼女はそれが社会的抑圧のひとつの形態であり、外からは穏やかに見えていても、それがその裏では最も弱い立場の人を息苦しくさせていることがあることをよく知っている。

「ここでの日常生活は、表面的には信じられないほど礼儀正しく、フレンドリーです。おそらく地元の人同士でも。文化と言語の機能、そしてコミュニケーションという概念をめぐる人びとの心の動き……あるいはその欠如。それが自殺率の高さにも繋がっていると思います。この国の人々は、抑圧の概念とそれがもたらすダメージを受け入れられていないと思います」。このような問題意識を持ちながら、なぜ日本に住むことを選んだのかという質問に対して、テムリッツは次のように答えた。「多くの人は、移民というものを誤解していると思います。ほとんどの場合、移民や他国への移住は、いま置かれている状況から逃れるためのものであり、夢を追うためのものではありません。限られた可能な選択肢のなかで動き、それが上手くいくよう願うしかないのです」

◆「ビカミング(何かになる)」という感覚に抗うこと

日本の政治家や高官が女性やLGBTQの人びとに対して放った数々の “不適切” な発言を、世界も時折目にするようになった。森(元)東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長や、内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)の丸川珠代の例が思い浮かぶが、数年前の自民党議員杉田水脈の「生産性がない」発言や、つい最近もLGBT理解増進法案が自民党によって見送られたばかり。現在の拠点が、彼にとって理想的な社会環境でないことは容易に想像できる。日本のジェンダーギャップ指数は、世界153カ国中120位(2021年世界経済フォーラム調べ)という厳しい状況にある。社会全体で保守的な風潮が強まっており、時代遅れな家父長制的な考え方が助長されているだけでなく、勢いを取り戻している。しかし、そのような背景があるからこそ、表現者としてのそれに準拠しない彼女の存在と批評的な表現の実践が、これまで以上に重要な意味を持つのではないか。

「日本における移民という立場に対する私のアプローチは、自分自身のジェンダーやセクシュアリティに対する反本質主義と平行していて、その知識を参考にしていると思います。私は、日本や日本での経験について権威を持って語る外国人になろうとは思っていません。移民という経験は、日本に順応したと公言することよりも、アメリカにいたときの自分を解体していくこと=“アンビカミング” に役立っているという風に考えています。そのような “それまでの自分のあり方を取り壊していく” =アンビカミングのプロセスこそが、私がより権威を持って語れることであり、より正確でより有益な情報となるのと思います。概して私は、「何かになる」ことよりも「規定されたあり方を壊す」ことの過程について語るほうが有益だと思っています。これは、私がアメリカに住んでいたときからの考え方だと思うのですが、私のクィアで非本質主義的なトランスジェンダリズムの観点からも言えることで、単一性(シンギュラリティ)のカミングアウトを指針とすることや、AからBへ移行することではなかったのです。私はいつも、痛みを伴う社会化のシステムに結びついたものや、離れたいと思っているものからどうやって距離を置くか、ということに興味を持ってきました。何か他のものに合わせるのではなく。そして、移民をめぐる支配的な言語は、トランスジェンダリズムやセクシュアリティや “カミングアウト” をめぐる多くの言語と同様に、つねに他の何かになること= “ビカミング” についての大衆的な感覚に根ざしています」

さらに彼は、支配的な社会的権力構造との調和ともなり得る、“ビカミング” の感覚に従うことの潜在的な危険性について説明を加えてくれた。それは冒頭の、代名詞に関する彼女の発言の意味するところとも繋がってくる。「私にとって、調和や可視性を強調することは、社会的関係性の本当の複雑さについて考えることを止めさせてしまうような、有害なことです。それどころか、アイデンティティ・ポリティクスの言語に陥らせ、それはすぐ本質主義的な議論になります。人びとは、社会的に構築されたアイデンティティを、“自然” の力に起因するものだと考えるようになるのです。これは、私は危険なことだと考えます。多くの偏見や暴力はこのような考え方から生まれているのです。

◆DJスプリンクルズ

DJスプリンクルズの「パフォーマンス」を体験したことがある人なら、彼の選曲とミックスは、単なる体感的なグルーヴ感や高揚感でパーティーを盛り上げる類のセットでないことはご存じかと思う。どちらかといえば、内省的で自分の内面を探っていくようなロングセットで真の持ち味を発揮するタイプのDJだ。彼女とこのようなDJ表現との関わりは、昨今の多くのDJとは異なる、極めて特殊なルーツに根ざしており、それはディープで繊細なテクスチャーのサウンドからも伝わってくる。

「私がDJをはじめたのは、88年から92年にかけての非常に特殊な時期でした。ニューヨークのゲイ・プライド・パレードで流すミックステープを制作していました。その後、〈Sally's II〉というクラブのレジデントになったのですが、このクラブはラテン系とアフリカ系アメリカ人の、トランスセクシャルのセックス・ワーカーたちが集まるクラブでした。週に3回プレイしていましたが、そのうちの2回はドリアン・コーリーと一緒でした。ドリアンはニューヨークのボール・シーンでは本当にオールドスクールの、オリジナルで重要なパフォーマーのひとりで、『パリは燃えている』などにも出演しています。ちょうど、ニュージャージーやニューヨークのローワーイーストサイドから、ハウス・ミュージックやディープ・ハウス・ミュージックが台頭してきたばかりの頃です。私はこのような明確にクィアでトランスセクシャルなセックス・クラブでプレイしていたのと同時に、ACT UP(AIDS Coalition To Unleash Power)にも参加していました。文化的には、当時アイデンティティ・ポリティクスの大きな波が押し寄せていました。

プライド運動が結晶化しつつあった、この周囲の誰もが「声高に、誇りを持って」いた時代に、テーリは、性的指向や欲求がそこまであからさまではない形で共有されていた〈Sally's II〉とそのクィアネスにより居心地の良さを感じたという。

「〈Sally's II〉の本当にありがたかったところは、私の “クィア” の理解と経験にずっと近かったことです。私はミズーリ州の出身ですが、そこに唯一あったゲイバーは西部劇に出てくるバーのようなところで、入るとそこには結婚指輪をした60代の男性が2人座っている。それぞれ田舎に奥さんと子供が住んでいるのは明らかで、彼らは奥さんや子供のところに帰る前に、そのバーで手をつないで一緒にウイスキーを飲むわけです。世界的な現実として、男性同士のセックスのほとんどは、自己実現をしている、声高に誇りを持っている男性間では起こりません。それは、片方か両方がゲイであることを否認している状況で起こる。それが、男性同士のセックスの伝統的なパラダイムです。だからこそ私は、“クローゼット”(*) 戦略や秘密主義や不可視性が自己防衛の手段であり、主流のプライド文化が主張するような、タブー視しなければならない単なる心の傷の原因ではないことを理解しています。この考え方はDJスプリンクルズ活動の一部であり、セクシュアリティの商品化とも関連する “プライド” の概念や構造に批判的なクィアネスのモデルと関連しています」

* 同性愛であることを公表していない状態のこと。カミングアウトの反義語。

“クローゼット” 戦略や秘密主義や不可視性が自己防衛の手段であり、主流のプライド文化が主張するような、タブー視しなければならない単なる心の傷の原因ではないことを理解しています。この考え方はDJスプリンクルズ活動の一部です。

◆組織化と教育の場としてのクラブ

このように、DJスプリンクルズが形成されたクラブ環境は、今日の一般的な「娯楽とエンターテイメントの場としてのクラブ」というイメージとは全く異なる意味を持っていた。彼女の関心対象と、彼が考える社会的空間としてのクラブが担う機能は、「グッド・ヴァイブス」や快楽主義をはるかに越えたところにある。

「例えば、アメリカには社会医療制度がなく、ほとんどの人が保険に加入していません。特に、家を追い出されたり、家族から勘当されたりしたホームレスのトランスのキッズたちであればなおさらです。ですから、ハウス・シーンやクラブは、ホルモン剤の投与量や移行期の治療法の効果・不効果、安全な医者とそうでない医者などについて、お互いに情報交換する場としても機能していました。また、薬をシェアする場でもありました。例えば、〈Sally's II〉の売人は、コカインだけでなく、ホルモン剤や処方箋も売っていました。いわゆる踊って楽しむような快楽主義的な従来のクラブの世界であるのと同時に、組織化、教育、セックス・ワークの場でもあったのです」

最近ではこのような場所が少なくなったため、彼女の表現方法は様々な場面に対応できるように、また生活のためにも、多様化した。

「クラブでは、誰もがハイになっているか、酔っ払っているかで、通常は攻撃的な批判をするスペースがありません。だから私は、クラブでは伝えきれない問題、困難、偽善、矛盾などを、執筆やインタヴューで伝えています。また、私はそのような状況に参加することの意味を複雑化するように心がけています。これらは雇用の場であり、私は収入を得ている。正直なところ、ヨーロッパのフェスティヴァルでDJをすることはできれば避けたいです。それらは、私がDJをしていた場所のルーツや、特定の時期にニューヨークで私をDJに駆り立てたものとは一切関係がないからです。また、最近ではクィア・イベントからDJ出演の依頼を受けることはほとんどありません。クィア・イベントには、日本から地球の裏側まで誰かを呼ぶような予算がないからです。だから、私はつねに間違ったオーディエンスに向けてプレイしているのです。でも、経済的な理由でそうしなければならない。同じように、私は “非演奏的” な電子音響作品をステージなどで演奏することを余儀なくされています。これらは、私にとって重大な妥協であり、現実的な問題です。私の作品のパフォーマンス的側面は、完全に経済的な理由からであり、完全に問題を抱えています。私はそれがいかに問題であるかをオープンにするようにしており、基本的にはそれも私の包括的なプロジェクトの一部としています。つまり、私たちがやらざるを得ないタイプの雇用にまつわる問題や矛盾を実際にオープンにしながら、どこまでできるかを検証するということです」

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ハウス・シーンやクラブは、ホルモン剤の投与量や移行期の治療法の効果・不効果、安全な医者とそうでない医者などについて、お互いに情報交換する場としても機能していました。薬をシェアする場でもありました。組織化、教育、セックス・ワークの場でもあったのです。

◆テーリ・テムリッツ電気音響「パフォーマンス」

テーリ・テムリッツとして自身の電気音響作品を「パフォーマンス」することもある彼だが、彼女はこれを今日のパフォーマンス中心の経済に疑問を投げかける機会として捉えているという。

「通常、テーリ・テムリッツのショーのためにフェスティヴァルに呼ばれるときは、『不産主義』や『ソウルネスレス -魂の完全なる不在-』などの特定のプロジェクトをおこなうことが多いです。私の普段のパフォーマンスは、非演技的に構成されています。ある意味、初期の電気音響テープの再生作品のように、再生ボタンを押すと映像が流れ、私は基本的に何もせずに1時間座っているような構成になっています。これは、伝統的なアカデミックな電気音響テープのパフォーマンスを商業的なパフォーマンスの領域に持ち込むことへの言及でもありますが、一方でドラァグ・クイーンとしては、キャンプやパフォーマティヴィティ、派手さ、ジェスチャーといった従来のトランスジェンダーのステージに対する拒否反応でもあります。ですから、私はトランスジェンダーのステージに関連するパフォーマティヴィティにも批判的です。だからこそ、私はステージ上では静けさを好むのです」

グローバル・パンデミックの最中、私たちの多くがライヴ・パフォーマンスやその不在によってそれらの同空間での共有体験を「欲している」と感じている一方で、彼女はノンパフォーマティヴな作品に焦点を当てた文化的空間の不可能性に対する懸念を強めている。

「どこに向かっているかは明確だと思います。それは、ライヴ・ストリームや代理パフォーマンス・システムに焦点を当てたテクノロジーに表れています。さらに、ライヴ・パフォーマンスのモデル、真正性のモデル、即興のモデル、観客対演奏者のモデルなどに対する文化的な投資が結晶化し、具体化しています。そして、それは完全に保守的、徹底的に保守的で、根本的につまらないものです。私には、それは火を見るよりも明らかです」

彼が異なる名義を使い分け、多様な形態の活動で異なるコンテクストに関わっていることは、本質主義や単一性に抵抗するための戦略でもあることがわかる。すべてのものがロゴやサムネイル、ヘッドラインや短いプロフィールに凝縮されてしまう世界において、彼女は私たちに戸惑い、複雑さを受け入れることを強いる。

「異なるジャンルやさまざまな名義で活動することは、本質的なエッセンスや単一的な芸術的ヴィジョンを一般に投影されること──“存在の真実” とか “テーリ・テムリッツとは何者か?” とか、あたかも答えがひとつしかないかのように──を避ける、という私の批判的な関心と平行しています。ですから、このような断片化、グレーゾーンに入ること、白か黒かという考えからの脱却──単一の芸術的アイデンティティ、創造的プロセスの起源の単一性、原作者の単一性、何かが正真正銘自分のものであると信じること──これらすべてからの脱却が、私がサウンド・コラージュやサンプリングに取り組む理由です。純粋な音楽学や組成の真正性のようなものを起点としていないもの。そんなものはクソ食らえです。こうしたものこそが、私が対抗するものです」

実際には微積分レヴェルの問題を扱っているのに、私たちはいつも算数や足し算、引き算で語ることを強いられています。それより私は、オーディエンスに微積分をぶつけるような作品を発表したいのです。クィアな微積分をそのままぶつけたい。

◆クィアの微積分と向き合うことへの呼びかけ

さらに彼は、決してそれを簡単にはしてくれない。

「誰かがたまたまテーリ・テムリッツのイベントやDJスプリンクルズのイベントに行ったり、アルバムを手に取ったり、インタヴュー記事を読んだりして、それが何かをより深く知るための入り口になるのなら、それはそれでいいと思います。でも、私はビギナーのために手を差し伸べてあげるということには興味がありません。なぜなら、文化的にマイナーなレヴェルでは、メインストリームにつねにアピールしようとすることが、問題や危機についてより深く正確に話し合う方法を育むことを妨げるからです。メインストリームは、ある種の拡張主義的にフォーカスしていて、これは非常に西洋的なグローバリズムと資本主義の考え方です。聴衆はなるべく多い方がいい、より多くの人に届ける方がいい、というものです。支配的なポピュリズムの流通モデルを、非常にマイナーで文化的に特殊な形態のメディアに適用するという考え方は間違っている可能性があり、少なくとも私のメリットにはなりません」

彼女は数学をメタファーとして、詳細を省かない交流の必要性をさらに説明する。

「実際には微積分レヴェルの問題を扱っているのに、私たちはいつも算数や足し算、引き算で語ることを強いられています。それより私は、オーディエンスに微積分をぶつけるような作品を発表したいのです。クィアな微積分をそのままぶつけたい」

テーリ・テムリッツの微積分を受け入れようとしながら話をまとめようとしたとき、私はほとんど無意識のうちに、いつものように会話をポジティヴに終わらせる方法を探していた。彼女は最後にそれに対してもピシャリと応えた。

「私はニヒリストです。私たちはもうダメだと思います。私たちは社会に、いつも楽観的に終わらせなければならないと思わされていますが、できません。すべてが最低なクソです。つねに悪い方向に向かっています。私たちは、もう右か左かではなく、上か下かという世界に突入しています。これはセクシュアリティやジェンダーの権力関係とも通じていますね。それが私たちのいる世界です。良いことばかり考えるのではなく、私たちの周りで起こっている暴力や破壊に危機感を持つようにしなければなりません。暴力はあらゆる場面で助長されています。このような状況に希望を持つのではなく、希望を捨てて、『なんてこった!』と思う必要があるのです。バラ色の眼鏡は外してください。パニックしてもいいんですよ」

interview with Emma-Jean Thackray - ele-king

 このたびデビュー・アルバムの『イエロー』をリリースしたエマ・ジーン・サックレイは、現在のサウス・ロンドンのジャズ・シーンにもリンクするアーティストではあるが、たとえばシャバカ・ハッチングス、ジョー・アーモン・ジョーンズ、モーゼス・ボイドなどのように、世間一般で言われるサウス・ロンドンのジャズ・シーンの文脈から登場してきたわけではない。そもそも彼女はヨークシャー出身で、ロンドンの音楽文化とは異なる環境で育ってきたし、サウス・ロンドン・ジャズ勢を多く輩出したトゥモローズ・ウォリアーズの外にいて、シャバカやモーゼスたちとはまた違う経路を辿ってロンドンへやってきた。
 サウス・ロンドンのグリニッジにはトリニティ・ラバン・コンセルヴァトワール(旧トリニティ音楽院)があり、エマはその大学院に通うためにロンドンにやってきたのだが、ペッカムあたりを拠点とするサウス・ロンドンのミュージシャンたちもこのトリニティ音楽院出身者が多く、エマはその方面で繋がっている。いずれにしても、サウス・ロンドンのカルチャーに属しつつも、その一方でアウトサイダー的な感覚も持つのがエマで、そうしたさまざまな多様性を持つミュージシャンが活動するのがまたロンドンらしいのである。

 トランペット奏者であり、ほかにもキーボードをはじめとしたさまざまな楽器を演奏するマルチ・ミュージシャン/プロデューサーでもあるエマは、これまで「レイ・ラインズ」(2018年)、「ウム・ヤン」(2020年)、「レイン・ダンス」(2020年)などのEPリリースで注目を集めてきた。また、マカヤ・マクレイヴンのミックステープの『ホエア・ウィ・カム・フロム』(2018年)やニュー・グラフィック・アンサンブルの『フォールデン・ロード』(2019年)、〈ブルーノート〉のカヴァー・プロジェクトである『ブルーノート・リ・イマジンド 2020』(2020年)への参加など、精力的に活動を行なっている。
 そんな彼女が満を持して発表した『イエロー』は、ドゥーガル・テイラー(ドラムス)、ライル・バートン(ピアノ、キーボード)、ベン・ケリー(チューバ、スーザホーン)たちとのライヴ・セッションを軸に録音を行ない、そこへエマの自宅スタジオで録音された演奏素材をミックス・編集したもの。演奏家としてのみならず歌も歌い、多重録音も含めたエマのマルチ・プロデューサーぶりが遺憾なく発揮された作品である。ジャズ、ファンク、アフロ、ゴスペル、ブロークンビーツのようなダンサブルなサウンドが融合され、宇宙や神秘世界をイメージさせるタイトルがつけられた楽曲群は、サン・ラーやファンカデリックなどのアフロ・フューチャリズム派の音楽性にも通じている。そんな『イエロー』の世界観と、そこに至るエマ・ジーン・サックレイの音楽人生について話を訊いた。

彼も独学で音楽を学んだミュージシャンだから、基本から外れた「間違った」演奏の仕方をするときもある。でも、だからこそ彼の音楽は面白い。自分の直感を信じていいんだと思わせてくれたのがギル・エヴァンス。

現在はロンドン南東部のキャットフォードに住んでいるあなたですが、もともとヨークシャーの出身ですね。この町はどんなところですか? 音楽ではブラスバンドの活動が有名と聞きますが。

EJT:文化的にはとても保守的な町で、あまりアート系の経験ができる場所じゃない。だから、アーティスト気質でちょっと変わっている私は、結構孤独を感じていた。いつも逃げ出したくて、町の外にでることを夢見ていたの。でも、あの町にいたから音楽の基盤が築けたのも事実。あなたの言うとおり、ヨークシャーではブラスバンドが有名だから、私もブラスバンドで演奏することで音楽の経験を積むことができた。あの経験があったから、ギターやドラムやほかの楽器にも興味を持つようになったんだと思う。ブラスバンド以外の音楽活動はひとりでやっていたから孤独だったけど、それが悪いことだとも限らないしね。自分自身の世界に浸ることもできたから。

小学校でコルネットを吹きはじめ、13歳の頃に地元のブラスバンドでリード・コルネット奏者となったそうですね。コルネットという楽器のどんなところに魅かれたのですか? また、ブラスバンドではどんなことを学びましたか?

EJT:キラキラしていたから(笑)。音も大きかったし、あとは単に学校にその楽器があったから。子供ってピカピカしたものや大きな音を出すものに興奮するでしょ(笑)?
ブラスバンドで学んだことはほかの人びとと一緒に上手く演奏すること。特に管楽器はひとりでも合ってないと耳障りなサウンドになってしまう。でも逆に全員が通じ合ってピッタリ合致して演奏すると、ものすごく美しくて優しいサウンドを生み出すことができる。自分自身のサウンドをほかの人たちと一緒に作り、演奏するということを学べたのはブラスバンドにいたおかげだと思う。

ブラスバンドの音源をいろいろダウンロードしている最中に、ギル・エヴァンスがアレンジしたマイルス・デイヴィスの “アランフェス協奏曲”(原作はホアキン・ロドリーゴ)を聴いて衝撃を受けたそうですね。この演奏が収録された『スケッチ・オブ・スペイン』(1960年)はスパニッシュ・モードによる歴史的作品で、マイルスとエヴァンスのコンビはほかにも数多くの名作を生み出すわけですが、彼らの音楽のどんなところに衝撃を受けたのでしょうか?

EJT:初めて聴いたときはほんとうに衝撃だった。私の人生を変えたと言ってもいい。私の音楽の世界の扉を開いてくれた。いま振り返ると、あのときこそが私の人生の方向性が大きく変わった瞬間だったと思う。それまで、ああいう音楽を聴いたことがなかったのよね。私の家族はメインストリームのポップスやロックを聴いていたし。あの音楽を聴いたときは、ものすごくイマジネーションが湧いた。そこからもっとそういった音楽を知りたいと思って、自分で探求していったの。お小遣いを持ってCDショップに行って、マイルスのアルバムを探したり、そのアルバムで演奏する別のアーティストの作品を見つけたら、それも聴いてみたり。すごく自然にジャズの世界が広がっていった。人にオススメを訊いたりはせずに、自分だけでジャズとの繋がりを深めていった。

皆と繋がってもいるんだけど、同時にまったく離れた場所に自分がいるとも感じる。私はサウス・ロンドンやその近辺で育った人とは同じ音楽システムを経験していないから。私はロンドン出身でないし、トゥモローズ・ウォリアーズにも行っていないのよ。だから自分がアウトサイダーとも感じる。

そうしたジャズの体験は自身の音楽へも深い影響を与えていったのですか?

EJT:最初は違った。最初はMIDIキーボードで制作をするようなもっとポップな音楽をやっていたから。あとはギターでニルヴァーナっぽいグランジ調の音楽を作ったり演奏したりしていた。だから、当時ジャズは全く作っていなかった。自分の中で結構区別化されていた。演奏だとトランペットでクラシックをやっていて、聴くのはジャズやプログレッシヴ・ロック、作るのはインディなポップスやギター・サウンド。ジャズっぽいものを作るようになったのはもっと後の話ね。

コルネットにはじまってほかにもいろいろな楽器をマスターし、また作曲や編曲も行なうようになるのですが、これらはどこか学校で学んだのですか? それとも独学でマスターしたのですか?

EJT:他の楽器は全て独学で学んだ。家や学校で音楽室が空いてたらそこを使ったりして。あとはとにかく音楽を聴いていたね。その音楽のドラム・ビートを聴いて覚えて、曲と一緒に叩いてみたり。ギターもそれと同じ。コード・チェンジも何にも知らなかったんだけど、まずは聴いて、その音が出せるようになるまでギターを弾いてみて、それにほかの楽器を合わせて弾いてみたりと。その過程はすごく楽しかったし、その方法だったからこそいろいろな楽器を演奏できるようになったんだと思う。一度コツを掴むと、どの楽器でもそれができるようになるから。

作曲や編曲、特にホーン・アレンジにおいてはやはりギル・エヴァンスの影響は大きいのでしょうか?

EJT:そう思う。彼も独学で音楽を学んだミュージシャンだから、基本から外れた「間違った」演奏の仕方をするときもある。でも、だからこそ彼の音楽は面白いわけよね。トランペットにトロンボーンを乗せようなんて、技術的にはやるべきじゃない。でも彼の音楽を聴いて、自分がやりたいことは何でも試してみていいんだということを学んだ。そのサウンドが素晴らしければ、そのまま残していいんだと。そういう意味で彼は、私自身の音楽を作っていいんだという自信をくれたと思う。自分の直感を信じていいんだと思わせてくれたのがギル・エヴァンス。

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今回意識的に参照しているのは、アリス・コルトレーンやPファンク、ジョージ・デュークなんかの1970年代のサウンドね。

ロンドンにはいつ頃出てきましたか? 進学か、またはプロ・ミュージシャンとして仕事をしていくなかでロンドンに住むようになったのですか?

EJT:ロンドンに来る前に、まずウェールズのカーディフに引っ越したの。18歳になった1週間後にヨークシャーを出た。その後2007年から2011年まで4年間カーディフに住んで、2011年からずっとロンドンに住んでいる。カーディフに引っ越したのはロイヤル・ウェールズ音楽演劇大学へ通うため。その後、ロンドンへはトリニティ・ラバン・コンセルヴァトワール(旧トリニティ音楽院)の大学院に通うために引っ越した。でも、16歳のときから既にセミ・プロとして音楽を演奏してはいたから、ロンドンに引っ越してからもすぐ音楽の仕事をはじめた。自分が住む場所でミュージシャンとして働くのは、私にとっては自然の流れなのよね。

最初のレコーディングはウォルラスというグループによる2016年リリースのEPですね。これはあなたのグループですが、どのようなバンドですか?

EJT:ウォルラスはそのころ私が一緒にトリニティ音楽院で学んでいた人たちや、音楽活動で知り合った音楽ファミリーのなかの人たちで作ったグループなの。音楽仲間ってお互い必要なときに演奏で参加したり、皆で声を掛け合って演奏したりするものよね。ウォルラスもメンバーも私のことをよく理解してくれる人たちで、音楽の趣味を理解し合える人たちだった。
 でも、もうウォルラスというバンドとしては活動していないの。いまは私の音楽は全て自分の名前でリリースして演奏している。バンドのショーでも、自分ひとりで作ったレコードも、オーケストラと一緒にやるショーも、内容は全て違うけれど私の頭のなかから生まれたもの。だから、区別化しないで全部私の名前にすることにした。分けたほうがマーケティングしやすいのにって言う人もいるんだけど、自分にとっては私が作ったものは全て繋がっているし、将来皆もそれらをひとつのものとして受け止めてくれたらいいなと思ってる。

そうしてソロ名義となってから、2018年にリリースした「レイ・ラインズEP」の表題曲がジャイルス・ピーターソンのコンピに収録され、あなたの名前はいろいろ知られるようになりました。ちょうどサウス・ロンドンのジャズ・シーンが注目を集めるようになった頃と重なるのですが、こうしたシーンにあなたも結びついているのですか? サウス・ロンドンのジャズにも関係しますが、ニュー・グラフィック・アンサンブルのレコーディングにも参加していたことがありますし、マカヤ・マクレイヴンのミックステープにヌバイア・ガルシアやジョー・アーモン・ジョーンズらと共にあなたの作品がフィーチャーされたこともあります。また、サウス・ロンドン勢が中心となった〈ブルーノート〉のカヴァー・プロジェクトで、あなたはウェイン・ショーターの “スピーク・ノー・イーヴル” をやっていたので、あなたとサウス・ロンドン・シーンの関係を聞ければと思った次第です。

EJT:たくさん関わっているとも言えるし、全く属してないとも言えるかな。トリニティ音楽院はサウス・ロンドンのグリニッジに校舎があって、サウス・ロンドンのペッカムあたりにいるミュージシャンたちのなかにはトリニティ音楽院に通っていた人たちも大勢いる。だから同じ時期に一緒に勉強していた人たちもいるのよ。学校で共通して学んだのはジャズだけど、皆アフロビートやダンス・ミュージックとかも好きで、そういった音楽への愛もシェアしてきた仲間たち。だから皆と繋がってもいるんだけど、同時にまったく離れた場所に自分がいるとも感じる。私はサウス・ロンドンやその近辺で育った人とは同じ音楽システムを経験していないから。私はロンドン出身でないし、ロンドンのアーティスト開発システムのトゥモローズ・ウォリアーズにも行っていないのよ。だから自分がアウトサイダーとも感じる。これはロンドンに限ったことではなく、子供の頃から何かに属していると感じたことはなかった。どのグループもしっくりこなくて、つねに輪の外にいた。前はそれに対して孤独も感じていたけど、いまではそれが良いことだと思えるようになってきた。

なるほど、そうした孤独感があったからこそ、あなたの音楽におけるアイデンティティの確立へと繋がっていったわけですね。昨年は「ウム・ヤン」と「レイン・ダンス」というEPをリリースします。「ウム・ヤン」ではラッパーでもあるサックス奏者のソウェト・キンチと共演していますが、演奏の軸となるのはドゥーガル・テイラー、ライル・バートン、ベン・ケリーですね。ベン・ケリーはウォルラスにも参加していましたし、ドゥーガルはあなたと一緒にニュー・グラフィック・アンサンブルのレコーディングにも参加していましたが、彼らは今回あなたがリリースするデビュー・アルバム『イエロー』の中心メンバーでもあります。彼らはどんなミュージシャンで、どのように交流を深めていったのですか?

EJT:ベンは私と同じヨークシャー出身なの。彼はまるで私の兄弟みたいな存在。ふたりともロンドンに越してくるまでは一緒には演奏したことはなかったんだけど、同じカルチャー・セミナー会社で音楽を教えていたから偶然顔を合わせる機会があって、「地元が同じだよね?」って意気投合して仲良くなった。
 ドゥーガルとはロンドンのトータル・リフレッシュメント・センターで出会ったの。トータル・リフレッシュメント・センターはレコーディング・スタジオやリハーサル・スタジオもあるミュージック・カルチャー・センターで、ドゥーガルはそこを拠点にヴェルズ・トリオっていうバンドで活動していたの。私はそのファンでもあったし、そのまま友達になった。私たちは好きな音楽も似ていて、もちろんジャズは好きだけど、「ジャズ・ノット・ジャズ」というか「ジャズじゃないジャズ」みたいな精神を持っていて、ダンス・ミュージックやロックも聴く。私たちの目標も同じだったから、テイストが似ているお互いの存在はとても重要だった。
 ライルについては、まずエリオット・ガルヴィンっていうトリニティ音楽院で知り合ったミュージシャンの話からはじめないといけないね。エリオットはダイナソーっていうジャズ・ロック・バンドのメンバーでもあったけど、ウォルラスや『レイン・ダンス』にも参加してくれていて、そうしていろいろと一緒に演奏していた。エリオットとのギグにライルも参加していたんだけど、エリオットが自分のプロジェクトやダイナソーの活動で忙しくてあまりセッションができなくなってきた。エリオットとはじめたプロジェクトだけど、エリオットが参加できないときにも継続して続けたいと考えて、そこでライルと一緒の演奏を増やすようになっていったの。そこからは段々とライルがセッションの中心になっていった。彼はすごく良い耳をもっていて、私が何をしようとしているかをつねに理解してくれる。私が考えていることがお見通しで、文字どおり何でもできるの。頼まれた音全てを演奏できる。彼は本当にオープンで、人としてもすごく良い人。つねにベストな音楽を作ることを心がけていて、様々な可能性を試し、良いものは何でも受け入れる。
 3人とも本当に素晴らしい。この3人に加えて、ライヴではパーカッショニストが加わる。クリスピン・ロビンソンっていうんだけど、このアルバムでも演奏してくれていて、ツアーでは彼がメインのパーカッショニストになる予定。彼ともトータル・リフレッシュメント・センターで出会ったんだけど、話しているうちにお互い近所に住んでるって気づいたの。

ベン・ケリーはチューバやスーザホーンを演奏するので、あなたの作品にはチューバ奏者のテオン・クロスが参加するサンズ・オブ・ケメットにも通じるところを感じます。テオン・クロスやシャバカ・ハッチングスたちとは交流はありますか?

EJT:知り合いではあるわよ。テオンは近所に住んでるし、シャバカとも顔を合わせることはある。ロンドンに住んでいるミュージシャンたちは、いろんな場で一緒になるから。でもいまはパンデミックだから、最近はあまりほかのミュージシャンに会ってないのよね。またギグがはじまったらもっと会うようになると思う。

ホーン・アンサンブルという点ではシーラ・モーリス・グレイやヌバイア・ガルシアらのネリヤにもあなたのサウンドとの共通項を感じさせます。ネリヤのドラマーのリジー・エクセルはウォルラスにも参加していたのですが、シーラやヌバイアたちとは何か交流はありますか?

EJT:シーラのことは直接的にはあまり知らない。同じ楽器を演奏するミュージシャンたちほど、逆に現場で一緒になる機会が少ないから。でも数回だけ会ったことがあって、すごく良い人だったのは覚えてる。ヌバイアはトリニティ音楽院で一緒だった。フェラ・クティの作品を演奏するプロジェクトで初めて出会った。彼女も私の近所に住んでるし。

トランペットや同系のコルネット、フリューゲルホーンを演奏するミュージシャンに限ると、ロンドンにはいま話したシーラ・モーリス・グレイやヤズ・アーメッドなど才能溢れる女性たちがいます。同じ楽器を演奏するプレーヤーとして彼女たちを意識するところはありますか?

EJT:ヤズと同じギグに出たことはないけど、数回会ったことはある。彼女も良い人だったし、話していてすごく面白かった。考え方が面白いのよね。でも、彼女たちを意識することはあまりない。皆演奏の仕方は違うし、それぞれが作る音楽も同じじゃない。トランペットとジャズという共通点以外は、皆それぞれ違う特徴を持っているから、同じフィールドと考えることがあまりないの。しかも正直なところ、私はいまとなっては自分自身をトランペット・プレイヤーだとさえ思っていない。今回のアルバムもヴォーカル曲が多いし、いろいろな活動をしているから「自分が何なのか?」と訊かれると答えるのは難しいけど、一言でと言われたらプロデューサーと答えると思う。

『イエロー』にはタマラ・オズボーンも参加しています。現在のロンドンのジャズ・シーンにおけるリード演奏の第一人者で、フリー・ジャズやアヴァンギャルドな表現をする一方でアフロ・バンドのカラクターも率いる彼女ですが、彼女とはどんな繋がりがあるのですか?

EJT:彼女は最高。いろんな場で一緒に演奏する機会があって、お互いを知るようになった。彼女って本当に素晴らしくて、どんな楽器のリクエストにも答えてくれる。そこに彼女の素敵な色を加えてくれるのがタマラ。今回のレコードではフルート、バリトン・サックス、バス・クラリネットなんかを演奏してくれている。私が彼女と一緒にやったギグでは、彼女はテナー・サックスやオーボエも吹いていた。本当に何でもできちゃうの。

次のレコードがテクノになる可能性も、アンビエントとかドローン・ミュージックになる可能性もあるというわけ(笑)。私はいつも、そのときに作りたいと思う音楽を作っているから。

『イエロー』には何か全体のテーマやコンセプトはありますか? “サン”、“マーキュリー”、“ヴィーナス” など宇宙や惑星をテーマにした作品があり、全体的には神秘的で抽象的なメッセージを持つ作品が並んでいます。宇宙というテーマもそうですが、“メイ・ゼア・ビー・ピース” のようなメッセージはサン・ラーの音楽観や哲学に通じるとこともありますが。

EJT:テーマは普遍的な一体感。私たちと宇宙の繋がりであったり、ちょっと1970年代のヒッピーっぽい世界観ね。「存在するもの全てはひとつ」みたいなヒッピーの考え方(笑)。それは私自身が感じていることだから、そうしたイメージが曲に出てくる。占星術とか、宇宙観とか。あとは人も動物も木も皆同じ存在物であるという考え方。私たちの間に違いはなく、私たちは大きなひとつの塊。それも私が表現したかったアイデアのひとつ。全ての存在がそれぞれの個性を持つけれど、元を辿れば私たち全ては皆同じもので作られている。だからその繋がりを皆で共有して祝福するべきだと思うし、その愛を感じるべきだということがこのアルバムのコンセプト。私は左派寄りで、前は右派寄りの意見にすぐ怒りを感じたりしていた。でもいまは怒り合い、反発し合うばかりでは何も解決しないことがわかった。お互い共通のものを見つけて、それに対する愛を共有しあうべきだと思うようになったの。

アフロやファンクを取り入れた “グリーン・ファンク” や “ラーフ&ケートゥ” はファンカデリックに通じるような部分を感じさせます。サン・ラーや彼らのようなアフロ・フューチャリズムの影響があるのかなと感じますが、いかがですか?

EJT:もちろん。特にPファンクなんかは大好きだし、ファンカデリックやアフロ・フューチャリズムの方法論も音の世界も大好きだから、絶対に影響を受けていると思う。特に “グリーン・ファンク” はそう。あのトラックは大麻について歌っているんだけど、プロモーターがその言葉を使って欲しくなかったから、タイトルを「グリーン・ファンク」にしたの(笑)。私はもう吸わないし、お酒も飲まないけど、私の人生の中で起こっていたことの一部だから曲にした。吸う人を批判もしないし、それに関しての私の考え方はオープンよ。

“アバウト・ザット” は1970年代前半のマイルス・デイヴィスのようなエレクトリック・ジャズで、ジャズ・ファンクの “マーキュリー” やメロウな “ゴールデン・グリーン” でのスペイシーなキーボードやシンセの使い方はハービー・ハンコック的でもあります。『イエロー』では彼らの音楽や演奏を参照したりしているところはありますか?

EJT:直接的にはしていない。そういうサウンドにしたいと意識していたわけではないから。でも、彼らの音楽は本当にたくさん聴いているから、私のなかに流れているんだと思う。だから自然に出てくるんでしょうね。マイルスは私にとっていちばん大きなインスピレーションの源だし、そこから完全に離れるなんてきっと無理なんだと思う。彼の影響があっての私だから。逆に今回意識的に参照しているのは、アリス・コルトレーンやPファンク、ジョージ・デュークなんかの1970年代のサウンドね。

“セイ・サムシング” はディープ・ハウス的なビートを持つ作風で、“ヴィーナス”、“サード・アイ”、“サン”、“アワ・ピープル” などはブロークンビーツとジャズの融合といった具合に、ダンサブルなリズムの作品が多いのも『イエロー』の特徴かなと思います。あなたの作品においてダンス・ビートはどのような意味を持っているのでしょうか?

EJT:そうなったのは自然の流れ。私が作りたいように音楽を作っていたらそうなったんだと思う。私自身がグルーヴィーな音楽を作るのが好きだから。たとえダンスに向いてない曲であっても、そこには必ずグルーヴがあるのが私の音楽なの。いちリスナーとしても、私はそういう音楽が好きだし。人を踊らせようと意識して曲を作ったことは一度もないけど、体が思わず動きたくなるような音楽は作りたいと思ってる。でも、それはクラブで踊れるような音楽である必要はなくて、踊らせることが目的になってしまうと、その意識からリミットができてしまうのよね。四つ打ちや決まったテンポを意識しないといけなくなるから。どんな種類にせよ、制限がかかると私は爆発しちゃう(笑)。誰かに指示されるのが好きじゃない性格だから、何かをしろと言われると敢えてその逆のことをしたくなる。例えば “ヴィーナス” や “セイ・サムシング” のテンポは、ダンスをするにはちょっと気持ちが悪いテンポだけど、それでもグルーヴィーなトラックであることには変わらない。だから曲に合わせて体は動くんだけど、クラブ向けではないのよね。

オルガンとコーラスとハンド・クラップをフィーチャーした “イエロー” はゴスペル的ですが、白人のあなたにとってブラック・アメリカンの音楽であるゴスペルはどのようなものですか?

EJT:大好きな音楽。素晴らしい音楽だと思うし、“イエロー” を聴いたら私がゴスペル音楽を聴くってことがきっとわかると思う。でも、ゴスペルっぽい曲を作ろうとして作ったわけではないの。私は人びとが同じ目的のために一緒に歌うというアイデアが好きだから、あのトラックではその要素を取り入れたというだけ。私はキリスト教信者ではないから、宗教への熱意は表現できない。それでも音楽への愛は皆とシェアできるし、大勢で共に表現できる。そういう意味で皆が一緒に歌を歌うというアイデアが大好きなの。この宇宙で私たちは皆同じでひとつだという一体感は、ゴスペルに通じるものがあると思うのよね。大勢で一緒に歌い、音楽への愛をシェアするというのは、このアルバムのテーマにとっても重要な要素だし。

なるほど、普遍的な一体感というテーマがゴスペル音楽と通底しているわけですね。では最後に、今後の活動予定やプロジェクトがあれば教えてください。

EJT:私はあまり予定を立てないタイプなのよ(笑)。できるだけ頭や体はオープンにしておいて、何かをやることにしっくりきたと感じたときにそれを実行できるようにしている。だから次のレコードがテクノになる可能性も、アンビエントとかドローン・ミュージックになる可能性もあるというわけ(笑)。私はいつも、そのときに作りたいと思う音楽を作っているから。次は何をしようとか、誰に向かって作ろうとか、あまりそういうことは考えない。つねに自分に正直でいて、自分に降りてくるものをインスピレーションに音楽を作るのが私の活動なの。

ツアーの予定はないですか?

EJT:ライヴは計画を立てるのが難しいのよね。このご時世だから、予定してもキャンセルになることもあるし。今年はいくつかフェスへの出演が決まっているから、それが無事に開催されることを祈っている。あと、ヨーロッパを周るショーもできたらいいな。来年になったらUKツアーはもちろんだし、アメリカや日本でもショーをやりたい。いまはとりあえず様子見。いきなりノーマルな世界に戻るのは無理だと思うから、ショーの数は少なくても、そのひとつひとつの内容を濃いものにしたいと思ってる。

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