「KING」と一致するもの

interview with The Orb (Alex Paterson) - ele-king


The Orb
Cow / Chill Out, World!

Kompakt/ビート

Ambient

Amazon Tower

 KLFの歴史的アンビエント作品『チル・アウト』のパロディのようなアルバム名が発表されたときは呆然としたものだ。とうぜん、彼ら流のブラックなユーモアだろうとは思ったが。
 しかし、このジ・オーブの新作「アンビエント作品」は、一聴すれば誰もがわかるように、(KLFとジ・オーブの関係? という、いささかスキャンダラスな)話題性などを遥かに超えて、現代社会への警告のようなものを強く感じるシリアスな作品であった。しかも、カジュアルで、このうえなく美しいアース・ミュージック/アンビエント・アルバムでもある。

 そう、「アンビエント・ミュージックとは何か?」。そんな命題に、彼らは彼らなりに、自分たちが背負っているものを認めながらも、なおもピュアに、音も遊びのように、しかし強いメッセージを持って、アンビエントに向かい合っている。そこが何より感動的だった。その根底に流れているのは、音楽の悦びと深い信頼ではないかと思う。
 本作はかつての『オルヴス・テラールム』(1995)のような睡眠に落ちる直前のような意識がトバされる瞬間は希薄だ。そのかわりに、もっとナチュラルに、カジュアルに、この世界や地球の音/環境の素晴らしさを意識の中に送り込んでくれる楽曲を多く収録している。その繊細で知的なサウンド・メイクは、トーマス・フェルマンがメインになって制作された楽曲が多いのではと思ってしまうが、じっさいユースも参加し、3人での作業が進められたという。制作期間は6ヶ月といわれているが、インタヴュー中でも語られているように、ジ・オーブは結成30周年を迎えつつあり、本作には30年近くに及ぶ彼らのアンビエント観/感が凝縮されているともいえる。まさに濃縮アンビエント。

 制作に困難を極めた(実に6年!)という名作『ムーンビルディング 2703 AD』から1年ほどで、これだけのアルバムを軽々と生み出したジ・オーブは、今、何度目かの黄金期にいる。そこにアンビエントというタームが重要なものとしてあるのはいうまでもない。なるほど、今、世界はチル・アウトをする必要があるし、同時に、アンビエント的な感覚も強く希求されているのだろう。
 じっさい今回のインタヴューで、アレックス・パターソンから得た回答や言葉の数々は「アンビエント」というものを考えるための、素晴らしいヒントやアイデアに満ちていた。ユーモアと真摯さ。ピュアと皮肉。私は本作を聴きながら、英国的だなと思ったものだが、彼の発言はやはり英国人的なのだろう。だが、これが不思議なのだが、本作は日本の光景にも強く(淡く)リンクする。本作を聴きながら日本の景色を観てほしい。まるで世界が柔らかくなったような不思議な質感が満ちてくるはずだ。そんなとき、このインタヴューでのアレックスの発言、たとえば「良いアンビエント作品ならどれでも、必ずどこかにとても綺麗なコードが含まれているものなんだよ。すぐ、ここで変化するとは分かりにくくても、聴き直すうちに気づかされる」という言葉が不意に脳裏に浮かんでくる体験も、なかなか良いものだと思う。

良いアンビエント作品ならどれでも、必ずどこかにとても綺麗なコードが含まれているものなんだよ。すぐ「ここで変化する」とは分かりにくくても、聴き直すうちに気づかされる、という。

新作『COW / チル・アウト,ワールド!』を聴かせていただいて、とても感動しました。まさかのアンビエント作品で、感覚的でもあり知的でもある。そのうえユーモアも感じる音作りで、しかし、まったく雰囲気に流されていない。私は「ジ・オーブの最高傑作ではないか!」と思わず興奮してしまったのですが、もしかしたら、あなたがたも本作を最高傑作と自負されているんじゃないかと思ってしまいました。いかがですか?

アレックス・パターソン(以下、AP):まあ、それ(=ジ・オーブの最高傑作だとの意見)は、とても、とてもデカイ意見だなぁ……。うん、そういわざるをえないよ。ただ、それはとてもナイスで嬉しい意見でもあるから、こちらとしても非常に謙虚な思いにもなってしまう。俺たちとしては、(これが最高ではなく)もっと「これから」があるだろう、とそう思っているんだけどね。俺たちは今、そこに向かいつつある、と。それに適した動き方を見つけるのに、俺たちはかなりの歳月、数年を費やすことになったわけだけどね。ただ、来年になって、今度は逆にアンビエント作品じゃないものを作ってみんなを驚かせる、なんてこともあるかもしれないよね(笑)。
 でも、俺から見ればアンビエント音楽というのは、2~3年くらい考え抜いて作る、そういう風に作るべきじゃないだろう、と思う。そうではなく、自然な勢いでやるべきものだ、と。その意味で、ここで俺たちのやっていることのいい基準になると思う。だから、1年以内で音源を聴き返したところで、そこからミックスに取り組む。ミックスはその場ですぐ終わらせて、ハイ、じゃあ次のトラックに、という具合。そうしたセッションをふたりで5回やった程度でアルバムができ上がっていた。6ヶ月そこそこの期間で完成した。だから、この作品がとてもフレッシュに聞こえるのは、まさにそこが理由でもあると思う。
 というのも、作品の大半は今年完成したものだし、しかも年内に発表される。でも、それってまた、すごくいいことでもあってね。だからこういう動き方をしていると、かつて自分がインディペンデント・レーベルをやっていた頃を思い出すんだ。で、もちろん〈コンパクト〉はそういうインディ・レーベルなわけで。だから彼(=ウォルフガング・ヴォイト)に作品をプッシュすれば、「分かりました、こちらで出しましょう」ってことになる。
 それにタイミングが良い、というのもあるね。今は10月の時点でまだ2016年だし、この作品は自分たちには6ヶ月前から分かっていたようなものだから。今年の3月にはこのアルバムのレコーディングをやっていた。ある意味、あの時点で作品はフィニッシュしていた、みたいな。で、俺たちも「モノにできたぞ」って具合でどっしりと構えていた。いや、というか、あれは3月ですらなかったっけ。ってのも、すべての作業が終わったのは今年の5月だったし。思いっきり厳密に言えば、この作品ができ上がったのは4ヶ月前の話。

通訳:なるほど。

AP:俺たちはノース・キャロライナで開催される「モーグ・フェスト」(2016年版は5月19〜22日開催)に出演してね。あそこで俺は色んなことを発見させてもらったんだけど、やっぱりアッシュヴィルとはまったく違ってね(註:「モーグ・フェスト」は、2016年にかつてのアッシュヴィルから同じくノース・キャロライナのダーラムへと開催地を移した)。アッシュヴィルは、ノース・キャロライナの中でも本当に素晴らしい街だったから、残念なことに以前のような雰囲気は期待できなくなってしまったけれども、それでもやっぱりとても良いエリアでであって。
 で、その際に俺は「イーノ川」という名の川があるのを発見したんだよ(註:イーノ川はオレンジ郡からダーラム郡にかけて流れる川で、ノース・キャロライナ州立公園区として自然保護されている)。
音楽を知っている人間なら誰でも、それ(9曲め“9エルムス・オーヴァー・リヴァー・イーノ”)を聴いて、即座に「おっ!」と思うだろうし、そこで「これはブライアン・イーノとなにか関係があるんですか?」という話になるだろうけれど、あれはブライアン・イーノとはまったく関係なし。単に、「イーノ」という名前の川のことなんだ。で、川のサウンドをあそこでレコーディングして、ほかにも日中に、街中に出て電車の通過音をフィールド・レコーディングしてね。
 で、続いて「モーグ・フェスト」の会場に向かったところ、出店していたポップアップのレコード・ショップで、とても奇妙でユーモラスなレコードの数々に出くわした。何もかもがそんな具合で、その場で瞬時にぱっぱっとモノになっていった。「直感に従う」という風だったんだ。だから、考えてはいったん脇に置き、また改めて考えては中断、という具合に繰り返し吟味する作り方とは違うんだ。

前作『ムーンビルディング 2703 AD』(2015)が6年の制作期間。対して本作は約6ヶ月の制作期間。私は、この振れ幅が凄いと思ったんです。本作の制作期間は、作品のどのような部分に影響を与えましたか?

AP:俺たちは『ムーンビルディング』制作時の経験をすべてここで活かしたかったしね。かつ、それらをビートのないアンビエントな雰囲気へと広げていきたいと思っていた。だからビートを用いることなく、でも音楽は変化し続ける。そういう発想を使おうとした。それは優れたアンビエント作品が持つアイデアにとても近い。良いアンビエント作品ならどれでも、必ずどこかにとても綺麗なコードが含まれているものなんだよ。すぐ「ここで変化する」とは分かりにくくても、聴き直すうちに気づかされる、という。
 自分の頭の中で設計図的に使っていたのは、ブライアン・イーノの『アンビエント 4: オン・ランド』。それにイーノとダニエル・ラノワの『アポロ: アトモスフィアズ・アンド・サウンドトラックス』まで含むかもしれないな。そのダニエル・ラノワとは、今話したノース・キャロライナでの「運命的な」日に、なんと実際に対面する機会にも恵まれたっていうね!
 というのも「モーグ・フェスト」でダニエル・ラノワとレクチャーをやったんだよ。その場で彼のスライド・ギターとアンプなんかを使っていくつか即興演奏をやってね。あれはほんと奇妙な経験だったな……。

それはなんとも歴史的な邂逅、演奏で非常に興味深いです。さて、大胆なアルバム・タイトルで発売前から話題になりましたが、同時にジ・オーブらしいユーモアとも思いました。とはいえ、本作とKLF『チル・アウト』とは、発表された時代なども違いますし、当然、音楽性も異なります。そこで、あなたがたにとって『COW / チル・アウト,ワールド!』とKLF『チル・アウト』の、もっとも「違う」点は、どのようなところだと考えていますか?

AP:まあ、自分が真っ先に上げる点と言えば、「今回、『COW』ではデカいサンプルは使っていない」。そこだね。『チル・アウト』というのは別の時代、80年代と呼ばれる、今とは違う時期に作られたものなんだよ。で、俺はあのアルバムにもかなり関わっていた。だから多くの意味で、いずれ自分はあの作品のとばっちりを受けるんだろうな、と。たとえそれが、今回、俺たちが『チル・アウト,ワールド!』というタイトルを使った、という程度のものであってもね。
 このアルバム・タイトルに関しては、俺たちもかなり話し合ったんだよ。というのも、このタイトルを使えば、やはりおのずとKLF好きな連中を呼び込むことになるだろう。連中は『チル・アウト,ワールド!』と聞いて、間違いなく「おっ! 『チル・アルト/ワールド』か」と思うだろうし。
 でも、俺はこのタイトルでGOすることにしたんだ。ってのも、このアクロニム(=頭文字を繋げた言葉。ここではC-O-W)は自分としても本当に気に入っていたし。だからとにかく、「このアルバムは『カウ(COW)』と呼びたいな」、そう考えたわけ。ところが、そこでまた、なんというか、奇妙なことに、そこで今度は、「じゃあ、これはピンク・フロイド(の『牛』)を意識しているんですか?」という話も出てきたりして。でも、それは違うんだよ! とにかく「偶然の重なり」、というかな?
 ほんと、それだけのこと。俺だったら、あのアルバムを『チル・アウト』ではなく『Chilling』って呼んでいただろうから。ただ、ほかの連中に押されて、(当時は)その意見は通らなかったっていう。

通訳:それで、今回は「COW」を押し通したと。

AP:この「COW」のアクロニムにはやられちゃったね。あの頭字語、「C-O-W」を目にした途端、「これだろ!」と。とにかく、あれを使わずにいるのはもったいないし、自分でも「最高だな」と(笑)。俺は牛が大好きだし、40年近く牛のことはよく知ってきた。だから、あのタイトルについてはとてもハッピーなんだよ。

2曲め“ワイヤレスMK2”と10曲め“ザ・10・スルターン・ラドヤード (Moo Moo Mix)”に、ロジャー・イーノさんが参加されていますね。彼が参加した理由を教えてください。

AP:あれもかなりのシンクロニシティ(=偶然に何かが同期すること)だったんだよ。(プロデュースで参加した)ユースと俺は、とても長い付き合いの友人同士でね。それこそもう、ガキだった頃にまで遡る。それくらい古い友だち。高校時代以来かな? うん、ほんと、あいつとはそれくらい長い歴史があって。
 で、あるとき俺たちは一緒にレコード探しをしていた。とあるレコード・ショップにいたときだったんだけど、俺たちはまったく同時に、それぞれ偶然に、ロジャー・イーノのレコードを引っ張り出したんだ。俺がロジャー・イーノ作品を1枚引き出して、同時に彼も、ロジャーの別の作品を引き抜いていた、と。
 お互いに「こんなレコードを見つけたんだけど」って具合に収穫を見比べてみたところ、ユースの奴は、「こうなったら、彼(ロジャー・イーノ)を見つけなくちゃいけないな!」って調子になった。で、ユースは実際にそれをやってのけた。彼にスタジオに来てもらい、ユースがそこに俺を引っ張ってきた。彼にいくつか音楽を聞かせてね。その時点で聴いてもらったのは、俺たちが前の年にスペインで制作したスケッチ程度のものだったんだけど。あのときの音源の多くは、「これは来年ちゃんと取り組もう」と思っているもので、だから未完成なんだけどね。リズムのあるチューンでベースも入っていたし。俺としては、ちょっとそれが自然な感じのドラム・サウンドっぽく聞こえているんだけど。それを部分的に使った。でも、その全部を使っているわけじゃないんだよ(笑)。

ロジャー・イーノさん(の音楽性)のどういった点に惹かれていますか?

AP:まあ、俺は恵まれた立場にいたんだよね。というのも、80年代に〈EGレコーズ〉で働いていたころ、俺たちはロジャー・イーノのアルバム群を出す機会に恵まれたんだ。だから俺はある意味、彼については知り尽くしていた。彼がさまざまなレコードで、ヴォーカル他で参加していたのを俺は知っていたし、クレジット表記は「ブライアン・イーノ作」ではあっても、それらの多くにロジャーが関わっていたことも俺は認識していた。それに彼が本当にナイスな人だってのも知っていたからね。実際にアプローチしてみれば、とても接しやすい人なんだよ。
 なんで俺がそういうところを知っていたかと言えば、〈EG〉にいたころ、俺はロバート・フリップと非常に強い関係を築いていてね。さらにはペンギン・カフェ・オーケストラのサイモン・ジェフリーズとも仲が良くて。レーベルでA&Rをやっていた時代を通じて、そういう、大きなコネができたんだ。
 俺が〈EG〉で働くかたわらジ・オーブで音楽をやり続ける、その自信をもたらしてくれたのもまさに彼らみたいな人たちだった。だからキャリアの早い時点で、俺は彼らみたいな人たちを通じて発見したんだよ。「ほとんどのミュージシャンは音楽が好きだし、だからこそ彼らは音楽を作っているんだ」っていう事実をね(笑)。

通訳:つまりロジャー・イーノさんは、「音楽的な同胞」みたいな存在と?

AP:いや、彼は、ブライアンと並んで、俺からすれば、「こちらからわざわざアプローチする必要はないだろう(それだけ彼らは事足りている)」、そう感じてきた人たちだった。ロジャーが90年代初頭に、他のアーティストたちとコラボレーションしたのは俺も承知していた。あのときは「なんだって、俺は(遠慮せずに)一番乗りして彼と一緒にやらなかったんだ!?」と、われながらちょっとイラついたりした(笑)。
 それが、こうしてやっと、自分たちも素敵な「50代のオヤジ」になったところで、ついに彼にリーチできたわけだ。しかしそこで、ロジャー・イーノと自分が同い年だってことを知ってね。それに彼が実に素晴らしい人間であることも発見した。彼とは、本当にものすごくウマが合ったんだ。
 俺は先月、9月にスペインでDJギグをやったんだけど(註:ユースがスペインのグラナダにあるスタジオで開催したPuretone Resonate Festivalのことと思われる)、そこで俺たちと一緒にガウディ(註:イタリア人ミュージシャンで、ジ・オーブとも長くコラボしている)とロジャー・イーノがキーボードを弾いてくれて。で、その場で聴いていた連中はみんなハッとして、「これって、もしかして新たなピンク・フロイドじゃないの!?」って反応だったんだけど、「あー、またかよ!」みたいな(笑)。でも、あれはやっていてかなり楽しかったね。

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「アンビエントはこういうもの」って風に固まった概念は存在しない。アンビエント・ミュージックというのは「雲」みたいなもので、「これ」というひとつの形状/フォーメイションは定まっていないんだ。

先ほども話に出ましたが、今回は「盟友」ユースさんも参加されていますね。久しぶりの彼との作業はいかがでしたか?

AP:まあ、表立った形でなければ彼とはしょっちゅうやってきたし、お互い一緒に過ごすのはいつも楽しい。そういう間柄なんだよ。さっきも言ったように、あいつは学生時代からのとても古い友人だし、この間の土曜は俺の誕生日だったから(註:この取材がおこなわれたのは10月17日月曜日)、家族と彼がご馳走に連れ出してくれてね。それくらい、彼はもう「俺のファミリーの一員」だってこと。お互いにそうで、俺も彼にとってそういう存在なんだ。
 彼とやる際は、ほんと何もかも、完全にナチュラルだね。対してトマス(トーマス・フェルマン)との作業は、メカニカル/機械的なんだよな。彼はドイツ人だから。ほんと自然にメカニカルになるっていう。それはそれで、かなり素敵なんだ。俺はトマスに対して最上級の敬意を抱いているからね! 彼をリスペクトしているのは間違いないから誤解しないでほしい。その点は、このインタヴューから省かないでもらいたいな。
 ただ、とにかく、あのふたり(ユース&トマス)を一緒に作業させようとすると、大変で。俺としては「あー、まったく! お前ら、どこかおかしいんじゃないのか?」みたいな。ってのも、ふたりともそれぞれに違うスタイルを持つプロデューサーだからさ。
 でも、俺は果敢に彼らとの作業を続けていくつもりだし、できれば来年、ふたりが一緒に参加したアルバムを出せればいいなと思っているよ。そこにはロジャー・イーノなんかも含まれるだろう。っていうか、俺たちもう、(ジャー・)ウォブルとは1曲作ったんだよな。それは、このアルバムには収録されなかったんだけども。

通訳:やはり、ダブっぽいトラックなんですか?

AP:そのとおり。ただし、ダブとは言っても、俺たちがリー“スクラッチ”ペリーとやった時のような、あそこまでラディカルなダブではないんだけどね。ウォブルは、ああいうことをやるにはまだちょっと早い、そういう状態だと思うし。それでも、もっとぐっとベーシック・チャンネル的で、よりヘヴィでアトモスフェリック。そういうダブだね。サイエンティストみたいな。

通訳:お話を聞いていると、あなたの旧友たちが再び集まって音楽ギャング団を組んでいるようです。

AP:たしかに、そうだよな。でも、それにしたってやっぱり「やってもいいじゃん?」という。ってのも、あいつらは俺の友人なんだし。お互いに長いこと知り合いでもある。ここ数年、俺はジ・オーブで活動するかたわら他の連中の手伝いも色々とやってきたわけだしさ。
 今年の夏、俺たちはブリクストンで1枚めのアルバムの25周年記念ギグをやってね(註:7月29日開催、「THE ORB - ADVENTURES BEYOND THE ULTRAWORLD - 25th Anniversary show / Performed Live in Full with the original family」と題されたショウ。このロンドン公演の成功を受け、同主旨のUKツアーが11〜12月にかけて予定されている)。その際、俺はあのファースト・アルバムに参加してくれたソングライターたちを招いたんだ。あれは素晴らしかったよ! 本当に良い体験をさせてもらったな。あのショウをやったおかげで、俺とトマスのふたりっきりというのではなく、大勢の人間をステージに上げてライヴをやるってアイデアに再び夢中になっているくらいなんだ。だから、そこは今後考えるべき課題だな、と。 俺は明日からアメリカ入りで、トマスとふたりでアメリカ・ツアーを回るんだけど、「自分たちがいつもやるようなことは、これからはやらないだろう」と、そこは分かっているというか。でも、それがどういうものになるか、はっきりしたヴィジョンは自分にもまだ見えていないから、今の時点ではここまでにしておくよ。
 とにかく、今はエキサイティングなタイミングだよ。ってのも、俺たちはこうして実に良い、本当に良いアルバムをモノにしたところだし。自分たちが思うに、俺たちのファンにとってかなりエモーショナル、かつ心に触れる作品なのはもちろんのこと、長年のジ・オーブのファン以外の層にも感動をもたらすものなんじゃないか? と。
 その点、俺にはひそかに分かっていてね。というのも、この夏、俺はフジ・ロックのキャンドル・ステージ(註:ピラミッド・ガーデンのこと)で演ったセットで、このアルバムからの曲をいくつかプレイしたんだよ。あれは土曜の晩で、深夜12時から2時までの時間帯だったな。で、とある曲をプレイしていたとき、ふとオーディエンスを見渡したら、その曲が広がっている最中に、とある若者の姿が目に入ったんだ。彼は涙を流していてね。音楽のピュアなエモーションに揺さぶられて、彼は泣いていたっていう。
 それを見た瞬間、俺も「このアルバムは、かなりエモーショナルなものになるぞ!」と気づいた。あの光景を見ることができたのは素敵だった。っていうのも、誰もが自分自身のエゴや感情だのに何らかの形で対処しないといけないわけだけど、音楽はそのためのひとつの手段を与えてくれているわけで。あの泣いている若者を見て、音楽というのは唯一の……いや、ほかにも色々とやり方はあるだろうけれども、そうやって感情を解放させてくれる自然なパワーを誰かにもたらす、数少ない何かのひとつなんだと分かったから。

今回のアルバムは、アンビエントといってもサイケデリックな感覚は希薄で、とても美しい音のつらなりながら、どこか地球そのものに寄り添っている、オーガニックで自然とシンクロした音作りに感じましたが……。


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AP:うんうん。この質問、すごいね。とても良い解釈だよ。俺たちとしては、この作品をサイケデリックな側面からは引き離しておきたかったんだ。いわゆる「サイケ・トランス」みたいなノリ、それはウウゥ〜ッ! ごめんだな、と。俺とトマスのふたりには、そういうのは必要ないからね。俺たちの趣味じゃないんだよ。
 じゃあ俺たちがクリエイトしたのは実際何なのかと言えば、ヒップホップのベーシックな要素がまずあって、それらをアンビエントな世界に引っ張ってきて、その上で(ヒップホップの)ビートの要素を切り捨ててしまったものである、と。でもそこには独自のリズムがある。そこにちょっとした心地よい響きだのを色々と振りかけてある。繰り返しになるけれども、アンビエント・ミュージックというのは周到に考えて作るものではなく、偶然出くわしたものから生まれるんだよ。あまりに素晴らしくて無視するわけにはいかない、そういう事柄に出くわすことはたまにあるわけでさ。その意味で俺たちは今回非常に運が良かったんだよ。俺たちはまず、1曲めの“ファースト・コンサイダー・ザ・リリス”からスタートしたんだ。ちなみにあの曲は、女性解放運動について触れたものでね。リリーというのは、古代神話において最初の女性解放運動者とみなされている存在なんだ(註:アダムの妻とされるリリスのことか?)。
 あの曲では本当にラッキーだったんだ。あれは、いわゆる「昔のジ・オーブっぽい、12分台の大きなエピック」みたいなものになりつつあったけれど、そこは俺たちもトーン・ダウンしようと思った。俺たちのどちらも、ああいう曲は聴き手をアルバムの中に引き込むのにすごく良いんじゃないか、そう考えたんだ。たとえば(『オルヴス・テラールム』の)“プラトー”みたいにね。

かつてのサイケデリアとは違うこの作品を聴いて、あなたがたの「アンビエント観」に大きな変革が起きたのでは? と思ってしまいましたが、いかがでしょうか?

AP:アンビエント・ミュージックというのは間違いなく変わってきた。俺が今「最高だな」と思うアンビエント・ミュージックは、〈コンパクト〉の出している「ポップ・アンビエント」シリーズに見出せるね。あのシリーズに含まれているアーティストたち、たとえばあのシリーズの2作めに入っているノヴィサッド(Novisad)なんか、他にないくらい最上に美しいギターの調べが聴ける曲だ(註:“Sommersonnenschein”と思われる)。
 そんなことを知っているのも、俺の〈コンパクト〉というレーベルに関する知識、そして彼らに対して抱いているリスペクトを示す良い例だよね。ウォルフガング・ヴォイトが「ポップ・アンビエント」というシリーズを企画していること、そうやって彼が自分の主義を20年も守り通している点を俺はリスペクトしているんだ。それってアメイジングなことだよ! 本当に驚異的だ。それに彼がGASみたいなプロジェクトをやっていること。GASとしての1枚めに収録されている1曲めは、21世紀アンビエント音楽の(いや、90年代発表だから20世紀後半のアンビエント・ミュージックってことになるけど)、そんな基準のひとつになるトラックだと思う。だから、あれは21世紀のアンビエント・ミュージックの可否を判断する。その基準になっている。
 それとウールフ・ローマン(Ulf Lohmann)というアーティスト。彼も〈コンパクト〉発で非常に良い音楽をやっているよね。ほかにも色んなレーベルに良いアクトが散らばっていて、メタモノ(Metamono)とか、色々ね。あと、ダニエル・ラノワのアルバムもチェックしてみるべきだと思うよ。あれも実に良い作品だから。
 だから「アンビエントはこういうもの」って風に固まった概念は存在しない。アンビエント・ミュージックというのは「雲」みたいなもので、「これ」というひとつの形状/フォーメイションは定まっていないんだ。だからこそ、次にどんな形をとるのかも決して分からない。アンビエント・ミュージックは、そうあるべきなんだ。アンビエントは、ポップ音楽メディアにはどうしたって分析不可能なものなんだよ。そもそもポップ・ミュージックじゃないからさ!
 だから「チル・アウト」でもいいし、「リラクゼーション」だとか、「ラウンジ・ミュージック」とか、そういうあらゆる類いの語句を用いて音楽を形容し、分類箱にフィットするようにそれらを使うことは可能だけれども、だからといってアンビエントを分析したことにはならないわけ。たとえば、あのゾッとするようなひどい言葉……「ニューエイジ」ってのがあったけど、あれなんて今や死に絶えたわけだよね? まったく神様ありがとう! ってなもんだよ。ここであの言葉を持ち出しちゃったのは俺自身だよな。あーあ、言わなきゃ良かった!

「ノー・サンプリング」と発言されていますが、サンプリング風に聴こえるループなどは、自分たちで演奏されたものですか?

AP:(小声で)やろうと思えば、やれたかもね? うん、やろうと思えばやれた。だから俺たちからすれば、他のドラムなりのちょっとしたサンプル音源からあれらのループをまとめるのはかなり楽にできる。そうやって、「それ」とは想像もつかない、同じようには聞こえないループを作ることができるわけだ(笑)。
 ああ、でもひとつだけ、あまりにミエミエなものがあってね。〈コンパクト〉から注文されたのも唯一それだったんだよ。「お願いですから、このループは外してください」って言われた(笑)。でも、それ以外はすべて「Okely Dokely!」(註:アニメ『ザ・シンプソンズ』のキャラであるネッド・フランダースのキャッチフレーズ)(笑)。OK、他はすべてオーライ、大丈夫、と。

通訳:なるほど。あなたがたは、いわゆる「マイクロ・サンプリング」で有名なので、今回はどうなのかな? と思ったんです。

AP:それがまさに前作『ムーンビルディング』において、俺たちが4年にわたって潜ってきた「愛/憎」のプロセスだったんだ。「マイクロ・サンプリング」というテクニックについての、ね。
でも、マイクロ・サンプリングは、やっていて楽しいんだよ。“リトル・フラッフィ・クラウド”(1990)を作ったときとなんら変わりはない。ただ、“リトル・フラッフィ・クラウド”では、8小節分をサンプリングさせてもらった。そこだけが今と違うってこと。あそこからは教訓を学んだよ。「我々の手にはサンプルを使うテクノロジーがある、だったらなんでその事実を無視しようとするんだ?」という。その一方で、「レッド・ツェッペリンみたいな古いロック・バンドのようにプレイし続けてほしい、そういうのを恋しがる声が存在する」なんて言う人もいるけど、「未来のテクノロジーがあるのになんで?」と思う。俺としては「んなことないだろ!」と。
 マイクロ・サンプリングってのは本当にもう、やっていて楽しい行為なんだよ。だから、一緒に作業するためにスタジオに来てくれたミュージシャン相手にあれをやると、みんなニッコリ嬉しそうに笑ってくれる。かつ、その結果を聴いてとても喜んでくれるオーディエンスたちもたくさんいる。というわけで、マイクロ・サンプリングというのは、運良く「見つからず」に済む限り、俺としては続けるのは一向に構わない。そういう作業だね。俺からすれば「いっちょ上がり!」だ。

通訳:なるほど(笑)。

AP:でもさ、来年で、ジ・オーブも28歳なんだぜ? それってクレイジーだよな。「俺たちはもうじき30歳になります」って。そういう風に考えた方が、実年齢を考えるよりいいよ(苦笑)。

通訳:その長い歳月の間、あなたたちはうまくバレずにやってのけてきた、と。

AP:それはもう、俺たちのすべてにおいてだよ! ただ、俺にはそもそも失うものもないから、別に問題じゃない、と。

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そこがテクノロジーの「美しさ」なんだよ! それを使って遊んでみようと思えばみんなにやれる。誰にでも与えられたものなんだ。別に俺にしかできないことじゃない。誰にだってやれることなんだ。


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フィールド・レコーディングされたと思える環境音がたくさん使われていました。水の音や鳥の声など、本当に心地よく聴きました。環境音はアンビエント・ミュージックにどういった効果を与えるものとお考えですか?

AP:あー、そこね。たとえば自分の家の庭に目をやるとするよね。これが日本だと、よっぽどバカみたいに大金持ちでもない限り、いわゆる「ガーデン」は持てないんだろうけど……。
 でもまあ、俺の家は庭付きで、すごく良い飼い犬もいて、スズメもたくさん飛び回っているし、お隣にはキツネも来るって具合なんだ。野性動物や自然が常に俺の周囲を飛び交っている。それに今年は、庭のもっとも大きな樹の一本にアオガラ(註:スズメ目。イギリスの庭でよく見られる小鳥の一種)が巣をかけて、ヒナたちを育てているっけ。
 で、俺はそういった環境音をサンプルとして拾い、その小さな断片をアレンジの中に散りばめているんだ。たとえば「プルップッ・プップップッ……(と、汽船の煙突が発するようなサウンドを口真似する)」という感じの水音は、あれは、俺が庭の池で飼っている魚を録ったものなんだ。あれは鯉とまではいかないんだけど、金魚だね。とてもサイズの大きな金魚。でも、見た目はほとんど鯉に近い。
 俺はあの手のアンビエントなノイズには目がないんだよ。自然に存在するナチュラルなノイズにね。このアルバムで、ある曲で使ったサンプルには、他にも面白いものがあって。それは俺たちがイスタンブールのレストランでメシを食っている時の様子を録音したものだったりするし。
 というのも、その場のアンビエンスが素晴らしくて非常に豊かなものだったんだよ。テーブルがあって席についた。そのテーブルの上には水が流れていた。噴水みたいなものが据えてあった。しかもギター奏者が音楽を演奏していて、まわりの人間たちがトルコ語で会話する様子も盛んに聞こえてきた。とても雰囲気が強力だったんだ。だからそうしたアンビエンスをすべてピックアップして、音楽に含めた。

通訳:そういった環境音は、どのような役割を担っているのでしょうか。

AP:その曲のイントロみたいな存在だね。アート・オブ・ノイズのアルバムみたいな感じというのかな。彼らは導入部とエンディングを作り出すのに長けていたし、俺たちもユニットとして長い間、かなり学んできた。だから、これまたさっき話したようなことで、瞬間的に反応するんだ、このスマートフォンでね。今こうして君と会話するのに使っている、このスマートフォンを使って、環境音のサンプル音源、アルバムで使ったものをすべて録ったんだ(笑)。
 そこがテクノロジーの「美しさ」なんだよ! それを使って遊んでみようと思えばみんなにやれる。誰にでも与えられたものなんだ。別に俺にしかできないことじゃない。誰にだってやれることなんだ。そうやって自然に生まれたものをとっさに捉えることができる。しかもその上に、さらに音楽をクリエイトして重ねていっても、そこに独特なアトモスフィアをもたらしてくれる。そこはまあ、「誰にでもできる」芸当ではないかもしれないけど。
 でも、そういった色んな音を収めた、ほかの人間に使ってもらうためのアルバムもあるからね。2、3年前にキャロライナ出身の人に会ったことがあるけど、彼はこれまでの生涯かけてずっと、昆虫の出す音を収集してきたそうだ。その目的は、いつの日にか昆虫のあの「キッキッキッキッ……!」みたいな啼き声の数々を使ってアンビエントな昆虫ノイズを作り出すこと。で、それらをリズムに作り替えて、レコードにしたいんだそうだよ。俺はそれを聞いて、「はぁ?」みたいな、「……そりゃヘンだな!」と思ったっけ(笑)。

たしかに(笑)。「声」といえば、2曲め“ワイヤレスMK2”、3曲め“サイレン33 (オルフェ・ミラー)”など、アルバム中、ときおり挿入される「声」は、誰の「声」ですか? あなた自身の声ですか?

AP:いやいや、俺の声じゃないよ。あれはどちらも、ユーリ・ガガーリンに話しかけているコメンテーターの声。だから、彼が初めて宇宙に行った時にどんな気がしたか? とか、そういうことを訊ねている。けど、あの「声」はなんというか、宇宙へのリファレンスでもある。面白いものだからね、宇宙ってのは。

また、「声」を散りばめた理由なども教えてください。

AP:人間の声に備わったトーンには、とてもエモーショナルなものがあるしね。それに、この作品の中にはドイツ語のユーモアすら、ちょっとばかり含まれていてね。ドイツ人にしか通じないユーモアがあるっていう。ところが、今のところまだ誰もそれに気づいていないんだよね! 今回はまだドイツ人相手のインタヴューは1本もやっていないから、彼らが気づいてくれているのかどうか、俺にも分からないんだけどさ。ってのも、ドイツ人は決して「ユーモア精神が旺盛な人々」としてよく知られている、とは言えないし。だからたぶん、彼らにもあのユーモアは通じないんだろうなぁ(爆笑)。

通訳:えーっと、トマスさんは?

AP:(即答して)彼はスイス人。

(笑)。では話を変えて:4曲め“4am エクスエール(チル・アウト・ワールド!)”の冒頭は、何か動物の鳴き声でしょうか?

AP:それは、聴き返さないと分からないかもしれない(笑)。動物? 鳴き声? サウンドをオフにしたところだったから音を出して聴いてみよう。この電話がかかってきたとき、ちょうどセット・リストを組んでいたところだったから。えーと……よし、“4am エクスエール”の冒頭の部分だよね?(トラックを流してしばし耳を傾けている)……この「ンンンンン〜ムムム〜……」みたいな音のことかな?
 でも、そうじゃないんだ、それだとあまりにミエミエだろ! そうじゃなくて、これはシンセ・ノイズ。シンセを使ってこの雰囲気を作り出している。

このアルバムのテーマは「動物たち」では? と思ってしまいました。いかがでしょう?

AP:特にそれはないな。ただ、今そう言われたのはなんともおかしいな。ってのも、ちょうど庭を眺めていたところなんだけど、うちの犬が寄って来て窓ガラスに頭をくっつけてきてさ。まさに「動物」だよな、フム……みたいな。でまあ、俺は彼女(=飼い犬)から実に多くのことをやるインスピレーションをもらっている、というか。一緒に散歩して健康を維持する、というだけではなくてね。とにかく参るよ、ほんとに愛らしいんだから! 彼女は実に可愛いい犬だよ(と、携帯のカメラでスナップを撮っている模様)。次のアルバムのジャケット写真はこれで決まりだなぁ、悪いけど(親バカめいた口ぶりに、少々照れくさそうに)。
 ともあれ、自然のサウンドに対する強い願望というのは、自分の中に常に存在してきたものなんだ。君はさっき『チル・アウト』を引き合いに出していたけれど、ここのところ俺が話をしてきた人々の多くはまた、ジ・オーブの最初のシングル「ア・ヒュージ・エヴァー・グローウィング・パルサティング・ブレイン」に似ているとも指摘してくれている。ほかにも俺たちがロバート・フリップと作った『FFWD』というアルバムがある。あれは「現在入手不可能」みたいな作品なんだけど、ダウンロードで入手した人だの売買している人はいて、要するに世間には流出している。
 それらを聴けば、あのアルバムとKLF、“ラヴィン・ユー”、そして『チル・アウト』との間の類似性がわかると思うよ。だから『チル・アウト』と『チル・アウト,ワールド!』だけではなく、ほかにも近いものはあるってこと。それに、“ア・ヒュージ・エヴァー~”は、ジミー(・コーティ)と作った曲だしね。で、ジミーは『チル・アルト』を、俺とビル・ドラモンドと一緒に作ったわけで。

本作をどういったシチュエーションで聴いてほしいとお考えですか?

AP:フロート・タンク(アイソレーション・タンク)の中(笑)。じっさい、この作品を自分で聴き返していても、とても魅力的だ。俺からすれば「ビートのないヒップホップ」、そういう世界に連れて行ってくれるもので、ある種、未来的だ。「チル・アウト、マン!」、「落ち着けよ!」と言っているんだ。タイトルも含めてこの作品で俺が意味したのもそういうことで、フロート・タンクを買って半分水に浸かった状態になるのもいいだろうし。あるいは泳ぎに出かけて、スパに行くのでもいい。チル・アウトしようぜ、と。日本はそこらへんが優れているよね、スパがたくさんあってさ。で、スパにのんびり浸かりながら、小型のBOSEスピーカーを通して音楽に耳を傾ける。でも、本当にチル・アウトして頭を冷やしてもらいたいのは、俺にとってはアメリカだね。どうもあちらは、ちょっとクレイジーな状況になっているみたいだし。でも、アメリカからはアルバムに対してとてもポジティヴな反応をもらっているんだ。

通訳:チル・アウトが必要だと、彼らも承知しているからかもしれませんね。

AP:確かに必要だろうね。でも、今起きている事態というのは何も一般大衆のせいではないんだよ。どうしてああなっているのか、その原因の先入観めいたものを俺たちは抱いているわけだけど、それは日本人に対する誤解と少し似ているかもね。基本的に人々はマスコミの報じることをキャッチしているだけ。だから誤解も生まれるけど、俺は日本に何度も行ったことがあるし、日本がどういう国かも理解している。とても素敵な日本の人たちにたくさん出会ってきたからね。っていうか、俺たちイギリス人だって日本人みたくなれるはずなんだけどね。もしも俺たちが右翼な政府からひどく抑圧されてさえいなければ、の話だけど。言うまでもなく、奴らのせいでまたひどいことになっているし。

通訳:日本も右寄りな傾向を高めているようで、世界的な風潮かもしれません。

AP:そうだね、だから1ヵ所だけの話じゃない。ジェレミー・コービン(註:現イギリス労働党党首)は右翼サークルから相当嫌われているしね(笑)。彼はガチガチの左翼人だし……今どき、大したもんだよな! 新たな社会主義者っていうよりむしろ新共産主義者めいていて、ありゃかなり変わっているよ。

本作はどこか人間へのレクイエムのようにも聴こえました。そこで、本作を感情に例えると、どのような状態だとお考えですか?(嬉しい? 悲しい? もしくは怒っている?)

AP:まあ、アルバムのタイトルがすべてを言い表していると思うけどね。これは「アンチ・プロテスト音楽」みたいなものであって。だから状況に対して「怒る」のではなく、そうした思いが頭の中に入り込んでこないようにする。さまざまなことにイライラさせられないようにしようと。そんな風に苛立つのは、誰にとっても良くないよって。
 今の政治家たちっていうのは、人々を怒らせることで、実際に何が起きているのか彼らに見えなくさせてしまう。その術に非常に長けている。だから政治においては、何がなんだか分からない混乱の世界が生まれているんだ。それを始めたのは15年前のプーチンで、以来、世界中の政治が分裂している。あれはちょっとばかし怖い話だね。それこそもう投票で政権を握った人間が、こっちが思っていたものとは違う何かに、「えっ?」と思うようなものに変化してしまう。「こいつら、いったい何をやっている?」と感じたね。投票してくれた人間にあんなことをさせるなんて、連中のやり方は間違っているよ。

通訳:状況に対してあなたは悲観的なのでしょうか?

AP:まあ、国連の全メンバーにこのアルバムを送りつけるのは悪くないアイデアなんじゃないかな? そうすれば彼らも何かしら恩恵を受けるんじゃないかな。今の質問に対する答えはそういうことにしておこうか。で、EUの全メンバーを知っている連中に、確実に最初に送りつけるようにしよう、と(笑)。

本作を作るにあたって、音楽以外で、イマジネーションのソースになったような本、映画などはありますか?

AP:あー、そりゃもう、俺の犬!

通訳:そうなんですか!(笑)。

AP:いや、これはかなりマジな話、そうなんだ。彼女の遠吠えは世界一だよ。彼女はワンワン吠えたりしない犬でね。アラスカン・マラミュート種なんだけど。ネットで調べてごらん。シベリアン・ハスキーに少し似ていて、ああ、日本にもこれとかなり似たタイプの犬がいるはずだよ。かなりの大型犬で、うん、ほんとデカい。で、彼らはアラスカの原住民たちとともに棲息してきたっていう。だから、マイナス40℃くらいの気候だとハッピーな種、っていう。

アルバム名にもなっている「牛」は穏やかで、とてもアンビエント的な動物ですよね。では、逆にアンビエント的ではない動物とは何になるでしょうか?

AP:非アンビエントな動物ねぇ。インドネシアのバリにいるオスのボスザル。あいつらはかなり攻撃的だな。剥き出した歯もデカイし、鼻面も大きくて。

通訳:人間に襲いかかったりもするんですか?

AP:どうだろう? 野性状態だったら、そういうケースもあるんじゃないかと思うけど。それくらい歯も立派にデカいし。バリに行ったときに、一度見かけたことがあってね。奴は家の屋根のてっぺんから、俺に向かって威嚇してきたんだ。「ウギァァァァァァァ〜〜ッ!!」ってもんで。で、屋根から飛び降りてきて俺を見上げて、なんというか、ガンをつけてきたんだ。でも、すぐクルッと後ろを向いて、俺にケツを見せつけたっていう。こっちは「……ありがとさーん!」みたいな。

通訳:そのサル、あなたが本当に気に食わなかったんでしょうね。

AP:(笑)。うんうん、相手にタフに向かう、と。それってもう、「なんだ、マザーファッカーな野郎が来たようだな。おい、俺の縄張りで何してやがるんだ?」みたいな(笑)。

通訳:あなたがウェスト・ノーウッドにあるブック・アンド・レコード・バーというショップ(古本とアナログを販売するカフェ)で、あなたがDJをやっているというのを知って、いつか行きたいなと思っています。

AP:DJを聴きたいなら、WNBCのラジオを聴いてもらうのが早いんじゃないかな(https://www.mixcloud.com/wnbclondon/stream/)? もちろん、あの店に君が来てくれるのは歓迎だよ。ラジオ・ショウは毎週やっているんだけど、これから俺はアメリカ・ツアーだから、しばらく欠席になるね。

通訳:毎月第一土曜日あたりに、あなたはあのショップで生DJを披露しているんですよね。

AP:いや、あれは日曜。夏季限定のイベントで、「ケーキラボ(Cakelab)」ってタイトル(註:手作りケーキが供されるDJイベント)。でも、あれはもう終了したんだ。ってのも、夏も終わって寒くなってきたし、寒い屋外で、座ってケーキを食べながら音楽を聴いたって楽しくないだろ(笑)?
 で、俺たちが次に企画しようとしているのは「フィルムラボ(Filmlab)」ってイベントでね。たぶん、この冬の間に3回くらいやれればいいなと思っているけど、あの店内で俺たちのお気に入りの映画を上映するっていう。上映用のスクリーンもあるから、ばっちりセットアップできるだろう、と。だから、WNBCのウェブサイト(https://wnbc.london/)にアクセスしてくれれば、いずれその上映企画に関するインフォもアップされるんじゃないかな。
 今、俺たちがやろうとしているのは昔っぽい新聞を作りたいな、と。その月に俺たちが企画しているイベントをすべて、見開きのニュース・リーフレットみたいに仕立てたいな、と。オールド・スクールだけど、形式はPDFのニュー・スクールという。そんなわけで、実際あのショップに足を運んでくれるのもいいし、でも、ラジオは24/7で聴けるから。
 そこを聞いてもらえたのは嬉しいね。ってのも、俺はインタヴューを受ける場面で「自分はこの、ロンドンのラジオ局で放送しています」って点について触れるのが好きでね。日本からのリスナーも多いし、そこで、俺はアンビエント・ミュージックをたくさんプレイしているからさ!
 まあ、俺のやるライヴ・セッションは大概(イギリス時間で)木曜の深夜12時から朝6時にかけて、みたいなスケジュールだから、それって日本のリスナーからすればかなり奇妙だろうけどね。もろに日中の時間帯だから。朝まで踊っていてアンビエントで休みたいって手合いのクラバーにはいいだろうけど、そうじゃないと、「ええっ?」みたいな(笑)。

The Cinematic Orchestra - ele-king

 ジャズは古くから映画と蜜月を過ごしてきたが、ヒップホップやクラブ・ミュージックを経由して以降のそれ、となると優れた作品は限られてくる。
 ジェイソン・スウィンスコー率いるザ・シネマティック・オーケストラは、まさにその直球なグループ名が体現しているように、過去の輝けるジャズと映画の親密な関係を、あくまでムードとして現代的にアップデイトさせる試みをおこなってきた(僕のお気に入りは2002年の『Every Day』です)。
 そのザ・シネマティック・オーケストラが来年、なんと10年ぶりのアルバムをリリースするという。詳細はいまだ不明だが、フライング・ロータスやドリアン・コンセプトなど、エレクトロニック・ミュージックとジャズが新たな段階に突入しているいま、ザ・シネマティック・オーケストラの新作がどのような切り口を呈示してくるのか、期待は増すばかり。
 とりあえずいまはアルバムから先行カットされたシングルを聴いて、来年に備えましょう。

ザ・シネマティック・オーケストラが
来年、超待望のニュー・アルバムをリリースすることが明らかに!
1stシングル「TO BELIEVE」を解禁!

音楽家ジェイソン・スウィンスコーを中心に結成され、その名の通り、まるで映画のような壮大なサウンドスケープで人気を博すザ・シネマティック・オーケストラが、来年、10年ぶりとなる最新アルバムをリリースすることを明かし、1stシングルをリリースした。

The Cinematic Orchestra - To Believe feat. Moses Sumney

本楽曲「To Believe」では、ベック、スフィアン・スティーヴンス、ソランジュ、ジェイムス・ブレイクといったアーティストが絶賛し、PitchforkやThe Faderといった主要メディアから早くも注目を集めるLAの新進気鋭シンガー・ソングライター、モーゼス・サムニーをヴォーカリストに迎え、トレードマークである美しいピアノとストリングスのアレンジは見事。未だ詳細は明らかになっていないが、ついに来年届けられるというザ・シネマティック・オーケストラのスタジオ・アルバムへの期待をさらに高めてくれる楽曲となっている。

label: NINJA TUNE
artist: The Cinematic Orchestra
title: To Believe (feat. Moses Sumney)

cat no.: ZENDNLS444

iTunes Store : https://apple.co/2ezgSKR
Apple Music : https://apple.co/2eppX8x

 もう10月も下旬ですね。少し気がはやいかもしれませんが、そろそろ年末のことを考えはじめてもいいのかもしれません。みなさんの今年のベスト・アルバムは何ですか?
 『ele-king vol.19――特集:ベスト・オブ・2016』、公開取材のお知らせです。10/19に新作『TOSS』をリリースしたばかりのトクマルシューゴと、11/9に新作『ハンドルを放す前に』をリリースするOGRE YOU ASSHOLEの出戸学がトークショーをおこないます。おふたりには今年のベスト・アルバムについて語り合っていただきます。詳細は以下を。

ele-king Presents 「ele-king vol.19 特集:ベスト・オブ・2016」 公開取材

トクマルシューゴ×出戸学(OGRE YOU ASSHOLE)
スペシャル・トークショー&特典引き換え(特典内容・・・両名のサイン入りグッズを予定)

2016年11月12日(土)20:30~

タワーレコード新宿店7F イベントスペース  入場フリー

トクマルシューゴ『TOSS』(10/19発売)、OGRE YOU ASSHOLE『ハンドルを放す前に』(11/9発売)の発売を記念したele-king による公開取材が決定!!!
トクマルシューゴ、出戸学(OGRE YOU ASSHOLE) それぞれの今年のベスト・アルバムを語りつくす!!

10/19発売トクマルシューゴ『TOSS』(PCD26065、26066)、11/9発売OGRE YOU ASSHOLE『ハンドルを放す前に』(PCD26067)を、タワーレコード新宿店、渋谷店、秋葉原店、池袋店、吉祥寺店、横浜ビブレ店、川崎店、町田店にてお買い上げいただいたお客様に、特典引換券をお渡しいたします。イベント当日引換券をお持ちいただきますと、イベント記念特典と引き換えさせていただきます。

・対象商品のご予約はお電話とタワーレコードホームページ(https://tower.jp/)の店舗予約サービスでも承っております。

《ご注意》
※ご予約のお客様には優先的に参加券を確保し、商品購入時に参加券を差し上げます。
※ご予約で定員に達した場合、その後に商品をご予約・ご購入いただいても参加券は付きません。
※アーティストの都合により、内容等の変更・イベント中止となる場合がございますので予めご了承ください。
※対象商品の不良品以外の返品・返金は出来ませんので予めご了承下さいませ。

※イベント中はスタッフがお客様の肩や腕などに触れて誘導する場合がございます。
この事をご了承いただけるお客様のみイベントへご参加ください。

※イベント会場内外で発生した事故・盗難等には主催者・会場・出演者は一切責任を負いません。貴重品は各自で管理してください。

※安全面・防犯面・警備強化の為、特典会にご参加の際は手荷物置き場を設置させて頂く場合がございます。手荷物は所定の場所に預けて頂きご参加頂きます様お願いします。

※イベント会場のスペースの関係上、大きいお荷物は事前にコインロッカー等にお預けくださいますようお願いいたします。イベント会場ではお荷物のお預かりはできません。

※当日会場では、スタッフからの指示にご理解とご協力をよろしくお願い致します。当日スタッフの指示に従って頂けない場合は、イベントの中止もしくはご退場を頂く場合がございます。
予めご了承の上ご参加下さい。

※プレゼント・ファンレターを本人に手渡しすることを禁止致します。事前にスタッフにお渡し下さい。
運営の妨げとなる行為をされますと会場より退場して頂く場合がございます。

※対象商品情報

 問い合わせ先:タワーレコード新宿店:03-5360-7811

Floating Points - ele-king

 フローティング・ポインツことサム・シェパードといえば、ポスト・ダブステップの文脈のなかで頭角を現してきたアーティストのひとりである。2009年に〈Planet Mu〉からリリースされた12インチ「J&W Beat」のB面に収録された“K&G Beat”は、ダブステップのリズムを巧みにズラしてみせることでその「次」を打ち鳴らした佳曲で、個人的にはいまでも彼のベスト・ワークのひとつだと思っている。
 しかし様々な音楽に精通したシェパード青年が、「ダブステップ」というひとつの枠組みのなかに安住することなどできるはずもなく、その後の彼はハウスやジャズなどを縦横無尽に消化・異化して再呈示してみせることで、多様な層から支持を集めていった。一方でファンの期待に応えながら、他方でファンの予想を裏切り続ける彼のディスコグラフィは、ベース・ミュージック好きからハウス好き、クラブ・ジャズ好きまでを巻き込んで、「フローティング・ポインツ」という神話を形成していった。そしてこの夏リリースされたEP「Kuiper」で彼は、ついにロック好きまでをも味方につけたと言っていいだろう。
 昨秋リリースされたあまりに遅すぎるファースト・アルバム『Elaenia』は、非常に繊細なテクスチャーのなかにジャズとアンビエントとクラウトロックを同衾させるという意欲的な作品だったけれど、その『Elaenia』を再現するライヴの過程で生み出されたバンド編成による楽曲“Kuiper”は、『Elaenia』のたたずまいを継承しながらアグレッシヴなロックのダイナミズムを展開してみせるという、フローティング・ポインツの「次」を告げ知らせるトラックであった。実際、「Kuiper」のリリース前におこなわれていたワールド・ツアーは、一部でモグワイやシガー・ロスといったバンドの名前が引き合いに出されるなど、(ポスト・)ロックの要素が壮大に展開されたライヴであったようである。

 そんなフローティング・ポインツの「次」の流れのなかで実現したのが、今回の来日公演である。バンド編成でのパフォーマンスは、日本では初披露。これは嫌でも注目せざるをえない。

 会場は満員。いまこの国で、フローティング・ポインツがどれほど神話的な存在になっているかがうかがえる。

 ライヴは『Elaenia』に収められた楽曲を中心に進行していったが、中盤には“Kuiper”が演奏され、また最後には立て続けに新曲が披露された。セットリストの半分くらいを占める『Elaenia』からの楽曲も、ライヴならではの生々しいヴァージョンへと生まれ変わっており、 ダイナミックな“Kuiper”に引き寄せられた演奏になっていたと思う。
 クライマックスはやはりその“Kuiper”だろう。とにかくギターの主張が激しいことに驚く。ハード・ロックのようなリフが炸裂した後は、ベースが主導権を引き継ぎ、次第に壮大な祝祭空間が生成され、最後には落ち着いたブルージィなムードが紡ぎ出されていく。

 これは新たなジャズだ、と言う人もいるだろう。実際、多くのリズムや音階にはジャズの要素が忍ばせられていたし、エレクトロニクスとの違和感のない融合も近年のフライング・ロータスなどの「新たな」ジャズの潮流と通じる部分があった。他にもアンビエント的な空間の演出があったり、シンプルにダンサブルなビートが挿入される瞬間があったりと、全体的にシェパード青年の折衷主義が大々的に展開されたライヴではあったが、しかし、もし今回のライヴに貼り付けなければならないタグがたった1枚しか選べないのだとしたら、僕は「ジャズ」ではなく「ロック」というタグを選ぶ。
 予想以上に深くベースが響いていた。ロッキンな展開の合間にドラムンベースを想起させるようなリズムが挿し込まれることもあった。そういう「自身の登場してきた文脈を忘れまい」というシェパード青年の固い意思のようなものが感じられる瞬間も何度かありはしたものの、全体として今回のライヴは、「試行錯誤するロック・バンドによる新たなアイデアの発表の場」という印象を強く与えるものであった。要するに今回の来日公演は、サム・シェパード自らが指揮あるいはプロデュースするロック・バンドのライヴだったのである。
 ロックというジャンルが音楽的に厳しい状況に置かれているいま、フローティング・ポインツは、ふつうのロック・バンドにはできないやり方で、なんとかロックを更新し、ぎりぎりまで延命させようとしているのではないか。今回の来日公演は、フローティング・ポインツという神話の「次」の呈示であると同時に、ロックの歴史におけるひとつの画期でもあるようなライヴだったのではないだろうか。


Oneohtrix Point Never - ele-king

 昨秋リリースされた『Garden Of Delete』の昂奮も冷めやらぬなか、年明け早々にジャネット・ジャクソンをドローンに仕立て直したかと思えば、ハドソン・モホークとともにアノーニのアルバムをプロデュースしたり、DJアールのアルバムを手伝ったりと、ダニエル・ロパティンの創作意欲は留まるところを知らない。そのOPNがまた新たな動きを見せている。
 昨年公開された“Sticky Drama”のMVもなかなか衝撃的な映像だったけれど、このたび公開された“Animals”のMVもまた、観る者に深い思考をうながす内容となっている。近年は過剰な音の堆積でリスナーを圧倒しているOPNだが、彼はもともとアンビエントから出発した音楽家である。そのことを踏まえてこのヴィデオを眺めてみよう。このMVは「ベッドルームとは何か?」という問いを投げかけているんじゃないだろうか?
 監督はリック・アルヴァーソン。主演はヴァル・キルマー。以下からどうぞ。

https://youtu.be/1UztCDH2xuQ

ONEOHTRIX POINT NEVER
ヴァル・キルマー主演の最新映像作品「ANIMALS」を公開

エクスペリメンタル・ミュージックからモダンアート、映画界まで活躍の場を広げ、熱狂的な支持を集めるワンオートリックス・ポイント・ネヴァーが、2015年に発表し、賞賛を浴びた最新作『Garden of Delete』から、作品の核となる楽曲「Animals」のミュージック・ビデオを公開した。

Oneohtrix Point Never - Animals (Director's Cut)
YouTube:https://youtu.be/1UztCDH2xuQ
公式サイト:https://pointnever.com/animals

Val Kilmer

Directed & Edited by Rick Alverson
Story by Daniel Lopatin & Rick Alverson

Ryan Zacarias - Producer
Drew Bienemann - DP
Alex Kornreich - Steadicam
Julien Janigo - Gaffer
Paulo Arriola - 1st AC
Jess Eisenman - HMU
Dan Finfer - Home Owner

ロサンゼルスで撮影された本映像作品は、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーことダニエル・ロパティン原案のストーリーを元に、映像作家リック・アルヴァーソンが監督を務め、映画『トップガン』や『ヒート』、『バットマン・フォーエヴァー』などで知られる俳優ヴァル・キルマーが主演している。

また本作品は、現在ロサンゼルスのアーマンド・ハマー美術館にて開催中のアート展『Ecco: The Videos of Oneohtrix Point Never and Related Works』のオープニング・イベントにて10月18日にプレミア上映された。

ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーは、『Garden of Delete』をリリース後も、人気ファッション・ブランド、KENZOのファッション・ショーにて、ジャネット・ジャクソンの「Rhythm Nation」をアレンジした160人による合唱曲を披露し、マーキュリー賞にもノミネートされたアノーニのアルバム『Hopelessness』をハドソン・モホークとともにプロデュースし、ツアーにも参加するなど、ますますその活躍の場を広げている。

label: WARP RECORDINGS / BEAT RECORDS
artist: ONEOHTRIX POINT NEVER
title: Garden of Delete
ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー / ガーデン・オブ・デリート
release date: NOW ON SALE

国内盤CD BRC-486 定価 ¥2,200(+税)
国内盤特典:ボーナストラック追加収録

[ご購入はこちら]
beatkartで購入:https://shop.beatink.com/shopdetail/000000001965/
amazon: https://amzn.to/1NbCrP4
tower records: https://bit.ly/1UodWT0
HMV: https://bit.ly/1LVZJIv
iTunes: https://apple.co/1NOGOj3

Tracklisting
1. Intro
2. Ezra
3. ECCOJAMC1
4. Sticky Drama
5. SDFK
6. Mutant Standard
7. Child of Rage
8. Animals
9. I Bite Through It
10. Freaky Eyes
11. Lift
12. No Good
13. The Knuckleheads (Bonus Track For Japan)

interview with galcid - ele-king

 金魚は目をぱちくりさせていた。
 初めてgalcidのライヴを観に行ったときのことだ。9月21日に日本橋・アートアクアリウムでおこなわれたgalcid + Hisashi Saitoの公演は、想像していた以上にダンサブルで、ハードで、でもふと虚をつくような意外性があって、不思議な体験だった。フロアは大量の金魚鉢に包囲されていた。金魚にはまぶたがないから、まばたきなんてできるはずがないんだけど、これがgalcidの力なのだとしたら、おそろしい。


galcid - hertz
Coaxial Records/Underground Gallery

Techno

Amazon Tower iTunes

 文字通りインダストリアルな環境に生をうけ、10代でニューヨークに渡り、クラフトワークやYMOなどの過去の偉大な遺産と90年代の豊饒なエレクトロニック・ミュージックを同時に大量に浴びて育ったgalcidは、ある意味では正統派であり、またある意味では異端派でもある。「ノー・プリセット、ノー・PC、ノー・プリプレーション」を掲げ、モジュラー・シンセを操り、インプロヴィゼイションにこそテクノの本懐を見出す彼女は、ソフトウェア・シンセが猛威をふるう昨今のエレクトロニック・ミュージック・シーンのなかで間違いなく浮いた存在だろう。もしかしたらそういった表面的な要素は、「あの頃」のテクノを知るオトナたちに哀愁の念を抱かせるかもしれない。だがgalcidの音楽が魅力的なのは、単にオールド・スクールなマナーをわきまえているからだけではないのである。
 以下のインタヴューをお読みいただければわかるように、galcidの音に対するフェティシズムは相当なものである。「音色マニア」あるいは「音色オタク」と呼んでも差し支えないと思うのだけれど、そのような彼女の音に対する執念が、予測不能のインプロヴィゼイションというスタイルの土台を形作ることで、ありそうでなかった独特のテクノ・サウンドが生み出されているのである。〈デトロイト・アンダーグラウンド〉が反応したり、ダニエル・ミラーやカール・ハイド、クリス・カーターといったビッグ・ネームが惜しみなく賛辞を送ったりするのも、きっとそんな彼女の職人的な細部への配慮に尊敬の念を抱いているからだろう。
 galcidの音楽には、これまでのテクノとこれからのテクノの両方が詰まっている。その不思議なサウンドが生み出されることになった秘密を、あなた自身の目で確認してみてほしい。きっと目をぱちくりさせることになるよ。

2回目に見たgalcid(ギャルシッド)はより進化していて、さらにインプロヴァイズでの自由度が増した素晴らしいパフォーマンスだった。
──ダニエル・ミラー(2016年9月21日@日本橋・アートアクアリウム)

小林(●)、野田(■))

前に『ele-king』でダニエル・ミラーのインタヴューをしたとき、彼がギャルシッドの名前を出しているのですよ。

レナ:そうなんですか!

「日本人アーティストのリリース予定はありますか?」と訊いたら、ギャルシッドを挙げていましたよ。

一同:へえー。

羽田(マネージャー):DOMMUNEの神田のイベントで1度共演したことがありまして、先日アートアクアリウムで再び共演する機会があり、当日ダニエルと話してみたら、よく覚えていてくれたんですよね。ただ、メディアでコメントをしていた、というのは初耳でしたね……。

レナ:それはすみませんでした(笑)! 実はカール・ハイドがギャルシッドの音源をネットで見つけて会いたいって言ってくれて! この前、東京に来ていたときに会ってきたんです。それをディスク・ユニオンに言ったら、セールスのコピーになっていました(笑)。その前後にダニエルの言葉も入れたかったなぁ……(笑)。

ギャルシッドの音楽は、アンダーワールドよりはダニエル・ミラーの方が近いかもしれないよね。

プラッドと写真を撮られていたのをツイッターで拝見したのですが、プラッドもギャルシッドの音源を聴いていたのですか?

レナ:あのときはたまたま会場で会っただけなんです。それよりクリス・カーターが話題にしてくれて嬉しかったです。すぐ宇川さんに連絡したら、カール・ハイドよりも燃えていましたね(笑)。

うん、クリス・カーターを好きな人のほうがギャルシッドに入りやすいと思います。

レナ:そうですよね。

それではそろそろインタヴューに入りたいと思います。まず、ユニット名の由来は、「ギャル」+「アシッド」ということなんでしょうか?

レナ:そうですね。これはプロデューサーの齋藤久師がポロッと言って決まりました。私がDOMMUNEに出ることになったときに「名前どうする?」と聞いたら、「女性だし、ギャルシッド(galcid)でいいんじゃない?」というすごく軽いノリで決まりましたね(笑)。こんなに長く使うことになるとは思わなかった。

それは何年だったんですか?

レナ:2013年の末ですね。11月末に1回やって、年末のLIQUIDOMMUNE。そこが本格的なスタートになりましたね。

レナさんが最初に音楽に興味を持ったのはいつ頃だったのですか?

レナ:2歳のときですね。「題名のない音楽会」を見て、自分でやりたいと言ってピアノをはじめたんです。あの番組に中村紘子さんが出演していて、すごくカッコよく見えたので、「(ピアノを)習わしてくれ」と両親にお願いしたのですが、当時2歳からのピアノコースが故郷の高松市(香川県)にはなかったんですよね。そこでエレクトーンをはじめました。エレクトーンのコースは小学校に入る頃に終わってしまうので、そこからはピアノという風に自然に切り替わるんです。で、そこからはピアノをやっていたんですが、だんだん課題曲が難しくなってくると、五線譜がすごい感じになってくるじゃないですか!!
 そこから耳コピの世界に入っていきましたね。先生に弾いてもらって、それを聴いて練習していたんですけど、先生は(私が楽譜を)読めているという錯覚を起こしていました。耳で聴いて何かをやるというのはそのピアノ教育のおかげだと思うんですよね。ピアノは中学生のときまでやっていました。

子供のころにピアノとか鍵盤をやっていて、途中でついていけなくなってテクノに行く人は多いよね。OPNだってそうじゃない?

(OPNは)母親がクラシック音楽の教授と言っていましたよね。そこからどのような経緯でテクノに行ったのですか?

レナ:先ずは実家が鉄工場なんですよ(笑)。もう、家がインダストリアルなんです、朝起きたら、もわーっとシンナーの匂いがしているし(笑)。だから、そこから遠いところに行きたくてクラシックやったり、フルートやったりしていました。高校生のときに坂本龍一さんの音楽をちゃんと聴きだして。当時はまだ地元にも中古のレコード屋さんがいっぱいあったんですね。そこに浅田彰さんとの『TV WAR』とか『Tokyo Melody』とか廃盤になったLDがいっぱいあって、『音楽図鑑』とかYMO直後のソロ作品をすごく面白いなあと思って、買って聴いていたんですよ。そこからテクノとは直接は繋がらなかったんですけど、何かの本に坂本さんのインタヴューが載っていて、「クラフトワーク」という言葉が書いてあったんです。それで「クラフトワークって何?」と思って探って、初めて聴いたのがライヴ盤だったんですよ。“トランス・ヨーロッパ・エクスプレス”の80年代のライヴを聴いて、これは聴かなきゃいけない、と思ってずっと聴いていました。そうしたら、だんだん好きになってきましたね。

80年代のライヴ盤って、海賊盤じゃないですか?

レナ:え! 友だちから借りたんですよね……まずいですね(笑)。

一同:(笑)。

レナ:その後は自分でアルバムを買ったりして、すごくハマっちゃったんですよね。そういうものを抱えたまま渡米をしたんです。『ザ・ミックス』が出た頃だったかな。95、6年にそれを聴いて、「(いま聴くべきものとは)ちょっと違う」と言う人も当時いたんですけど。いろんなアルバムを集めたり、クラフトワークのコンサートもニューヨークで観たりしましたね。そのときもけっこう賛否両論で、「クラフトワークに進化はなかった」と言って帰っていく人、私みたいに「生き神に会えた!」という人の両方いましたね。その会場で、エンジニアみたいな人とかゴスやパンクの人、ヒップホップの人とかオタクっぽい人とかがぐちゃぐちゃに混ざって列に並んでいるのを見たときに、「この振れ幅はハンパない!」と思ってすごく感動した覚えがありますね。

クラフトワークが『ザ・ミックス』を作った理由のひとつは、デトロイト・テクノに勇気づけられたからなんですよ。だから当時のアメリカ・ツアーは、クラフトワークにとってみたらきっとすごく意味があったと思いますよ。

レナ:そうだったんですか!! すごい長蛇の列で、ふたつ先のストリートまで並んでいましたね。最後にロボットが出てきて、もう歌舞伎とかでいう十八番みたいな感じでしたよ(笑)。

羨ましいですね。当時はクラフトワークがあまりライヴをやっていなかった時代ですからね。

レナ:その後はけっこう頻繁にライヴをやっているイメージがありますけどね。96、7年頃はアメリカの中でエイフェックス・ツインも表立って出てきたし、〈Warp〉がすごくアクティヴだったじゃないですか?

アメリカでは〈Warp〉がすごく力があったんですよね。とくに学生たちのあいだでね。あの時代、アメリカという国の文化のなかで、オウテカやエイフェックスを聴くというのはすごいことですよね。

レナ:MTVが彼らをとても推していて、『アンプ』という番組でガンガンに詰め込んで放送していたんですよね。その番組で、私が田舎で買ったLDに入っていたナム・ジュン・パイクと坂本さんの映像がちょろっと使われていて、「ここでこんなものを観るとは思わなかった!」とびっくりした覚えがあります。テクノの番組がすごく盛り上がっていて、録画して観まくっていました。ちょうどクリス・カニンガムやビョークが盛り上がっていた頃ですね。ほかにも〈グランド・ロイヤル〉とか、サブカルチャーがかっこいいという流れがあって、そこに学生としていたので、影響は大きかったですね。

ちなみにおいくつで?

レナ:当時は10代でしたけど。

ませてるナー。

10代(17歳)で、いきなりニューヨークに行くということに、特にとまどいはありませんでしたか?

レナ:あまりなかったですね。それは田舎にいたおかげだと思っていて、東京に出るというのとニューヨークに出るというのは、違うんですけど……

言葉が違うよ(笑)。

レナ:(田舎を)出るということに関して、高校生くらいの頃からみんなが選択をするんですよ。うちの場合は近場だと神戸、大阪とかで、東京組はまた感覚が違うんですよね。私の同級生でも何人か海外に行った子はいましたね。父親も変わっているから、鉄を打ちながら「全然いいんじゃん?」と言ってくれました(笑)。父親はジャズとか集めている音楽マニアで、「語学はその国に行って学ぶのがいちばんいいから、いいんじゃないの、その語学で何か学んで来なさい」とふたつ返事で許してくれましたね。

「決まったことじゃなくて、まったく決まっていないことをやる方がライヴなんじゃないか?」と考えたことは印象として残っています。

父親が聴いていたジャズの影響はあったのでしょうか?

レナ:いや、特に10代の頃はほとんど聴いていないです。でも後から知ったんですけど、父はセロニアス・モンクとかバップ系のジャズが好きで、私も速いテンポのが好きなので、もしかしたら影響はあるかもしれないですね(笑)。

小林君はその話をインプロヴィゼーションに結びつけたかったでしょう(笑)。

レナ:そうなると綺麗ですね〜(笑)。すんません(笑)。

ふつう父親が好きな音楽なんて聴かないよ。

レナ:そうですよね(笑)。

周りにレコードが膨大にあって、元々クラシック・ピアノをやっていたということで、環境は整っていたという印象を受けました。それと鉄がガンガン鳴っていたということで(笑)。

レナ:鉄は嫌いでしたけどね(笑)。まあ、そういう意味ではそうですね。

当時テクノというとヨーロッパの方が強かったんですが、なんでロンドンではなくニューヨークだったんですか?

レナ:私も行ってから気づいたんですよね。本当にバカだなーと思ったんですけど、アメリカとイギリスの文化の差があまりわかっていなくて。坂本さんはニューヨークに行ったじゃないですか。「なるほど、ニューヨークはクールなんだな」と思って、行っちゃうんですよね。でも、聴いている音楽はすべてイギリスの音楽だったんですけど(笑)。

90年代のニューヨークはハウスですよね。

レナ:そうですよね。私の場合は90年代と言っても後半ですが、当時ハウスはあまり聴いていなかったので、そういう意味ではニューヨークのものからは影響を受けていないかもしれないです……。後にドラムンベースとかのムーヴメントになってきて、その頃からいろいろなところに顔を出しはじめました。それから、エレクトロニカがいっぱい入ってきたので、オヴァルや〈メゴ〉系のものを聴いたり、結局ヨーロッパ系ばっかり聴いていましたね。ニューヨークにいなくても全然良かったという(笑)。あ、でもノイズ系、アヴァンギャルド系のものに出会えたのは大きかったです!

ハハハハ。

何年くらいまでニューヨークに住んでいらっしゃったのですか?

レナ:2003、4年くらいまでいました。テロの前後くらいにD.U.M.B.Oというブルックリンにアート地帯を作るというプロジェクトがあって、元々アップル・シナモンの工場だったところを占拠してパーティをしたりしていたんです。そこに出させてもらったりもしていて面白かったんですけど、企業が入ってきて、表参道みたいな感じで整備されはじめて。そのときにテロが重なって、アーティストたちがニューヨークを去ってしまったんですよね。私はそれが理由で帰ったわけではないんですけどね(笑)。レーベルはデトロイトにあって、どうしようかなと思っていたんですけど、東京に住んだ経験がなかったので住んでみたいと思ってたんです。住んだことがないところへの憧れってあるじゃないですか。とくにその頃、私は小津安二郎・塚本晋也・ビートたけしの映画を観たり、アラーキーさんの写真集を見ながら、『ガロ』を購読していたりしたので(笑)。

あなた何年生まれですか(笑)?

レナ:ハハハハ、ニューヨークに(書店の)紀伊國屋があって、そこで『ムー』と『ガロ』を定期購読していたんです。

だから宇川君と気が合うんだ(笑)。

レナ:『ユリイカ』の錬金術特集とか本気で見ていましたからね(笑)。それで「日本すごいな」と思って、憧れの東京に行きたかったというのが帰国の理由ですね。

先ほど、ニューヨークにいる時点で所属レーベルがデトロイトにあったとおっしゃっていましたが、その頃からレーベルとの契約があったのでしょうか?

レナ:そうですね。インディーズのレーベルなんですけど、〈Low Res Records〉というレーベルがあって、いま出している〈デトロイト・アンダーグラウンド〉も含めてみんな仲間なんです。あとは〈ゴーストリィ・インターナショナル〉とか、みんな近所なんですよね。

アーティストもダブっていますよね。

レナ:そうなんですよね。ヴェネチアン・スネアズとかが出してました。うちはたまたま白人のコミュニティだったんですよ。デトロイトって、一部の黒人になりたい白人がいたりして、私もそのなかにピョンといたんです。GMキッズと言って、お父さんがみんな車のデザイナーをやっているような人たちが、金持ちなのに一生懸命チープなやつで作っていて(笑)。ちょっと根本のスピリットが違うんじゃないか? とか思ったり(笑)。〈ゴーストリィ・インターナショナル〉はまさにそうですね。

〈ゴーストリィ〉の社長は、フェデックスの社長の息子なんですよね。

レナ:そう、そのサムはすごくいい人ですよ。ただ乗っている車がハマーとか、NYに居る妹の住んでる場所がトランプ・タワーだというだけで(笑)。
 デトロイト辺りで活動してる人ってけっこう保守的なところがあるんですけど、そのなかでも〈ゴーストリィ〉周辺の人たちは実験的なことをやっていましたね。
 昔、シーファックス・アシッド・クルーと一緒にヨーロッパをツアーで回ったんですけど、それも刺激を受けましたね。シーファックスはカセットテープと101と606でプレイしていて、「違う!」と言いながらテープを投げていたのが「かっこよすぎる!」と思ってました。606の裏を見てみたら「TOM」と書いてあったので、「兄貴の借りてるんじゃん(笑)。大丈夫なの?」と訊いたら、「彼はいまお腹を壊してるし、大丈夫!」とか言ってて、すごいなあと(註:シーファックス=アンディ・ジェンキンソンはスクエアプッシャー=トム・ジェンキンソンの弟)。そのときに、「決まったことじゃなくて、まったく決まっていないことをやる方がライヴなんじゃないか?」と考えたことは印象として残っています。

いつから自分で作りはじめたのですか?

レナ:すごく恥ずかしいやつは高校生の頃から作りはじめていますね。

ニューヨークに行ってから意識的に作りはじめたということですか?

レナ:そうですね。機材を買いはじめたのもその頃ですね。ずっと作りたいとは思っていたんですけど、機材というのは敷居が高かったですね。
 オール・イン・ワン・シンセ全盛期だったので、まず階層の深さにやられてしまいました。ステップ・シーケンスは組めるんですけど、音色もすごい量が入っていて、何をやりたかったか忘れてしまうような操作性だったんです。あの当時、ローランドだったらXPシリーズ、コルグだとオービタルが宣伝していたトリニティとかいろいろ出てきたんですよね。とりあえずオール・イン・ワン・シンセを買ったんですけど、シーケンサーに打ち込むということにすごく苦労してしまい、苦戦していたところ、ローランドから8トラックのハード・ディスク・レコーダーが手の届く値段で出たのでそれを買って、そこから幅が広がりましたね。

たしかにあの時代って、作るときのイクイップメントがわりと形式化していたというか、「こうでなきゃいけない」みたいのがいまよりありましたよね。

レナ: 88鍵もなくても別に大丈夫なこととか、少しずつわかってきて、同時に、ニューヨークにあるちょっとマニアックな楽器屋さんに通うようになって、そこで店員をしていたのがダニエル・ワンだったんです。彼はシンセに詳しくて、日本語も上手だったから、行けば教えてくれるんですよ。「オール・イン・ワン・シンセってすごく便利だけど、絶対こっちでしょ!」とミニモーグを勧めてくれて、「なるほど」という感じで、ずっと憧れの機材でした。
 当時、バッファロー・ドーターとかマニー・マークとか、メジャーだとベックとか、モンド・ミュージック要素のある音楽がブームだったんです。同時にムーグ・クックブックが出てきて、音色に感動して、またアナログ・シンセのほうに傾倒していったんです。
 ちなみにニューヨークに行って最初に買ったCDが、YMOの1枚目なんですよ。それまで聴いたことがなくて……。実は、日本にいたときには電子音楽が嫌いだったんです。当時流行っていたのが、全然自分が好きではない音だったんですよ。その当時は聴かず嫌いでYMOも好きではなかったんです。でもクラフトワークはすごいと思っていたので、日本人のシンセの音色がそういう音なのかな、と思っていたんですけど、芸者からコードが出ているジャケのアルバム(註:YMOのファーストは、日本盤とUS盤とでジャケや収録曲が異なっていた)を聴いてみようかなと思って買ったんです。「X/Y」の棚のところでXTCとYMOで迷ったんですけど(笑)。でも自分も日本人だし、「買ってみるか!」と思って、いざ聴いてみたら「すごい! こんな温かい音だったんだ!」とびっくりしてしまって。
 それで「いまさらかよ」という感じでハマっていって、10代の終わりの頃に色んな音を聴きはじめるんですよね。当時の最先端の〈Warp〉系のものと、クラシックなクラフトワークやYMOを同時に聴いていて、「すごいな、いいな」と思って楽器屋さんに通ったんです。ミニモーグは1音しか出ないのに、「こんなにするの?」って心で泣いてました(笑)。

やっぱり最初からアナログ・シンセの音色に興味があったんですね?

レナ:でもなかなか自分で手に入れるまでには至らず、IDMとかが流行って、そういう要素も取り入れながら「頭よさそうにやってみようかな?」とやってました(笑)。もちろんその時期のオヴァルやプラッドは大好きだったんですけど、自分でやるとなると、ああいう頭のいい感じではなかったですね。やっぱり野蛮な方が向いていたみたいで(笑)。ギターも触ってみたし、本当にいろいろやりましたよ。何が一番いいんだろうと思ったんだけど、やっぱりアナログ・シンセへの憧れが捨て切れなかったんですよね。
 その後、NYで出会った保土田剛さん(註:マドンナや宇多田ヒカルのエンジニア)からMK2のターンテーブルとアナログ・シンセを借りたんですよ。それをハード・ディスクで録ったりしていましたね。

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女の子ってお洒落に弱いじゃないですか(笑)。だからそっちに行きそうになったんだけど、「レナちゃんはもっとパンクじゃない?」とか言われて、すごい迷走しながら、インプロの世界に入ったんです。

音色に対するフェティシズムですね。

レナ:そうです。そうして帰国後、仕事で齋藤久師に会うんですね。それで彼のスタジオに行ったら、全部アナログ・シンセだったんですよ。スタジオに行って10時間くらい(アナログ・シンセを)触っていましたね。何も飲まず食わずでずっとやっていて、それくらい没頭しました。
 フルートをやっていた経験がアナログ・シンセの仕組みを覚えることに役立って、フルートって息の量だったり吹き方だったりで音を変えていくんですけど、シンセのモジュールもまさにそういうことで、楽器の吹き方というのをフィルターとかで弄っていく感覚でやっていくと、すぐに覚えられたんです。仕組みがスッと入ってきたので、すごく合うな、と思いました。単音の太さにもやられて、ピアノは和音勝負というかコード勝負というイメージですが、アナログ・シンセの本当に単音で、にじみが出るような音を出せるということにますます魅了されてしまって。
 これをどうやって自分の音楽に取り入れようかと思って、初めはけっこうミニモーグで曲を作っていました。昔のペリキン(註:ペリー&キングスレイ)とかああいうコミカルな感じの曲を作ったり、ディック・ハイマンとかそういう音楽を聴いて作ったりしていましたね。昔のモーグ系の音楽ってカヴァー曲が多いじゃないですか。モーグ・クックブックなんかその最たるバンドなんですけど、カヴァー曲ではなくて自分の音楽を作りたくて。
 だんだん「メロディってなんのためにあるんだろう」と思うようになって、ある意味ジャズ的にマインドが変わっていったんですよね。
 私はそれまで音楽の活動をするときに、すごく時間をかけてやることが美しいと思っていたんですよ。3ヶ月くらい山に籠って歌詞を書いてきましたとか、すんごいカッコいいと思って(笑)。「レコーディングは6ヶ月掛けてやっています」みたいなのがすごいと思っていたんですけど、でも、うちのプロデューサー(齋藤久師)はその真逆だったんですね。何か作ってみようということになったら、「5分くらいで考えて」とか言われて、「え、5分!? いま録音するんですか?」と言ったら、「だってフレッシュなうちがいいでしょ」と。そこで一生懸命絞り出して思考をするということを初めてやって。
 やったことないことにトライするのはすごく好きなので、直感的にすぐにやるということに面白さがあるということに気づいたんです。それで「セッションしてみようよ」と言われて、楽曲制作はしてましたけど、実はセッションなんてしたことがなかったんですよ。「セッションしてみないと楽器がわからない」とか「0から100までのレベルを全部使ってやってみないとわかんないから、全部セッションで試してみればいいんだよ」とか言われたので、「わかりました」と(笑)。やっている最中は「ダメだな」と感じたのに後で聴いてみたらまとまっていたりして、そういういろいろな発見があって、セッションでの制作やライヴの仕方に傾倒していったんですよね。

可能性としてはディック・ハイマンみたいな、モンドというかイージー・リスニングというか、そういうものに行く可能性はあったのですか?

レナ:すごく好きな世界だったので、可能性はありましたね。

でも結果はそれとはある意味で真逆な世界に行きましたね。

レナ:そうですね。その前からエレクトロニック・ボディ・ミュージックとかパンクとかいろんなものを聴いていたんですけど、モンドってお洒落じゃないですか。女の子ってお洒落に弱いじゃないですか(笑)。だからそっちに行きそうになったんだけど、「レナちゃんはもっとパンクじゃない?」とか言われて、すごい迷走しながら、インプロの世界に入ったんです。

なるほど。

レナ:このアルバムを作ったときに、「態度としてすごくパンクだ」と言われたんですよね。(アルバムを)聴くと、これまで聴いてきたものが、どこかしらに滲み出ているということに気づいたんです。私の世代から下の世代のって、ジャンルが細分化されすぎてひとつのジャンルをずっと聴いてるようなイメージがあるんですけど、私は周りに年上の人が多かったというのもあって、たくさんのジャンルの曲を聴きましたね。それでも、電子音楽というのは自分を表現するのにいちばん適しているジャンルだな、というのはなんとなく思っていたんですが。

ギャルシッドのスタイルに一番影響を与えたのは誰だと思いますか?

レナ:うーん、考えてもいなかったですね。

3年くらい前に『ele-king』で「エレクトロニック・レディ・ランド」という特集を組んだんですね。打ち込みをやる女性が00年代に一気に増えてきたので、それをまとめたんです。USが圧倒的に多いんですよね。そのなかでローレル・ヘイローっていう人を僕はいちばん買っているんですが、彼女にインタヴューしたら、「私が女性だからという括りで珍しいとか面白がるというのはない」と言ってきたんですが、考えてみたら当たり前で、それはそうだよなと反省したんですね。女性がテクノやっていて珍しいからすごいのではなく、ローレル・ヘイローがすごいんですね。それと同じように、ギャルシッドは、性別ではなく、やっぱ音が面白いと思うんですけど、でも、女性の感性というものが作品のどこかにはあるんでしょうね?

レナ:女の人はマルチタスクというか、何かをしながらいろいろなことを考えられるから、そういう視点はもしかしたらあるかもしれないですね。何か「この楽器1本で!」みたいな気負いはたしかに感じていないですね。

アルバムを聴いていて思ったのは、単純にずっと反復が続いていくという曲があまりなくて、展開が次々と来る感じじゃないですか。

レナ:それは私のクイーン好きから来てるのかな?(笑)。私、性格がせわしないんですよ(笑)。

一同:(笑)。

クイーンはまったく思い浮かびませんでした(笑)。と言いつつ、踊れないわけではもちろんなくて、僕はボーナス・トラックを抜きにした最後の曲が気になりまして、この曲はキックが入っていないですよね。でもキックを入れたらかなりダンサブルなハウスになると思うんですよ。

レナ:“パイプス・アンド・ダクツ”ですね。純粋にビートを入れるということを抜いて、あの曲には和声も珍しく入れたので、それもあると思います。これは私は言葉と声で参加しただけで、齋藤久師が作曲しました。あの曲を聴いているとある時代に引き込まれていく気分になるんですよね。多分、彼自身がリアルに生きていた時代に、という事だと思うのですが、やっぱり音楽は記憶と結びついていると思うので。まあ私はインダストリアルというだけで懐かしいんですけどね(笑)。

音としては電子音ですし歌詞もないし、冷たい感じに受ける人もいるかもしれないんですけど、私自身はすごくプリミティヴなものを扱っているイメージなんですよね。

テクノをやっているという意識はあるんですか?

レナ:プロデューサーの意図は別として(笑)、本人的にはあまり気にしていないんですけどね。4つ打ちにすればダンサブルになるわけだし、ライヴではいかようにもできるんですよ。でもそれだけだと「ドンチー、ドンチー」となってしまうので、「ドン、ドン、ドン、ドン」ではなくて「ドン、ドン、ドドン、ドン。ドン、ドコ、ドドン、ドン」みたいにトリッキーなリズムにしてみたり、いろいろと試行錯誤してみますね。私はいまTR-09を使っているんですけど、意図するものとは違うという意味で打ち間違いもしてしまうんですよ。そのとき面白いリズムになったりするんですよね。そっちのほうでグルーヴができたら、そのまま修正せずに作っていったりして、そういう意味では軽く縛られているのでそれが面白いですね。

ジュリアナ・バーウィックなんかは、自分の声をサンプリングしてそれを使用するんですけど、ギャルシッドはそれとは真逆で、もっと物質的ですよね。それでいてダンス・ミュージックでもある。いったい、ギャルシッドが表現しようとしているものは何なんでしょうね。それは感情なのか、あるいは音の刺激そのものなのか、あるいはコンセプトなのか……。

レナ:いまは自分でノー・プリセット、ノー・PC、ノー・プリプレーションという縛りを作っているので、まずそこをスタイルとして楽しんでいるというのがあるんですけど、最近ソロでやっているときはマイク・パフォーマンスの比重が多くなってきているんですよ。それに自分でダブをかけながら、エフェクターで低い声を使うときもあるんですけど、最近は素声でもやっていてパンキーに叫ぶときもあったり。それをダブでやっているんです。それを聴いた人が「あまりこういう感じは聴いたことないね」と言ってくれて(笑)。前までは2、3人でやって間を見計らいながらやっていたんですけど、ひとりでドラムやって、シークエンスふたつ持って、ミキサーいじって……となると仕事が多くて、最近は突然全部切って叫んだりして、また全部スタートさせるみたいなことをはじめたんですよ。

ライヴの度合いがどんどん高まっているということですか?

レナ:そうですね。だから2枚目はどうなるんだろうということを話しているんです。性格が変わってきているのかもしれない。言葉にはすごくメッセージがあるのでヘタなことは言えないんですよ。

いまは言葉にも関心があると?

レナ:そうなんです。それは元々あったものなんですが、またここにきて出てきていて、もっとコンセプチュアルになっていくのかなと思っていますね。今回(のアルバム)の最後の曲には声を入れているんですけど、2枚目へのバトンタッチのような気がしていて、あれは声そのものを音として処理しているんですけど、次はもっと声や言葉が意味を持ってくるのかなとも思っています。

クリス・カーターがギャルシッドを気に入ったのは、きっとギャルシッドの音が冷たいからだと思うんですけど、それは意識して出したものなのですか? それとも自然に出ているものなんですか?

レナ:意識はしていないですね。私自身はあまり冷たいとは思っていなくて(笑)。暴れ馬とか、プリミティヴというイメージでやっているので、音としては電子音ですし歌詞もないし、冷たい感じに受ける人もいるかもしれないんですけど、私自身はすごくプリミティヴなものを扱っているイメージなんですよね。
 クリス・カーターがまず言ってきたのは映像だったんです。YouTubeにギャルシッドの紹介ヴィデオを上げていて、それを見て「この音はなんなんだ」と言ってくれたみたいで、「デジタルを使っているのか? 使っていないのか?」とかそんなことを聞いてきたんですよね(笑)。「一応MIDIは使いましたけど……」とか答えたんですけど(笑)。あの人はそこにこだわっているのかな、という感じがしたんですけど、「グッド・ワーク」と言ってくれたので良かったです。昔、DOMMUNEでやったときに、宇川さんが「クリス&コージーだ!」と言っていたんです。そのときのセッションはたしかにノイズではじまっていたんですよ。

ファクトリー・フロアって聴いています?

レナ:聴いていないですね。

UKのバンドなのですが、クリス・カーターがリミックスしているほど好きなバンドなんですよ。最近はミニマルなダンス・ミュージックなんですけど、初期の頃はギャルシッドと似ているんですよね。まさに雑音がプチプチという感じで(笑)。そういうインダストリアルなエレクトロニック・ミュージックはいまいろいろとあるんですけど、もうひとつの潮流としてはPCでやるというのがありますよね。OPNやアルカもそうだろうし、EDMもそうですが、PCが拡大している中で、なぜギャルシッドはモジュラーやアナログにこだわるのでしょうか?

レナ:私の場合は最初にオール・イン・ワン・シンセで体験した階層の深さというのがあって、PCでやるときに操作に慣れればいいんでしょうけど、直感でノブを回すのとマウスでノブを回すというのはちょっと違うんですよね。思ったようにいかなかったりね(笑)。いまこうなんだ!という感覚がマウスやトラックパッドなどのインターフェースだとかなり違いますよね。直感的に動かせないというのが、ひとつのフラストレーションになってしまいますね。
 もうひとつの理由としては、バンドをやって歌を歌っているときにPCを使っていたんですけど、PCがクラッシュしたときほど苦しいものはないということですね(笑)。いまは起動時間がだいぶ速くなったと思うんですけど、でも何かあったときに冷や汗かいちゃう感じとか、どうしようもないときにマイクで「トラブル発生!」とか言いながら繋ぐのも嫌で(笑)。専用機って強いじゃないですか。叩けば治るとかありますし(笑)。

はははは、アナログ・レコードは傷がついても聴けるけど、CDは飛んじゃうと聴けなくなるのと同じですよね。

レナ:そうなんですよ。そこの機能性・操作性は絶対的であって、やっぱり触れば触るほどコンピュータからは遠くなってしまうというか。コントローラーのちょっとのレイテンシーも、音楽のなかではすごく長いんですよね。特にライヴで使っていると、それは私のなかでは大きなデメリットなんですよね。

大きな質問ですが、エレクトロニック・ミュージックに関してどのような可能性を感じていますか?

レナ:私はエレクトロニック・ミュージックにこれ以上技術はいらないと思っていて、楽器メーカーの流れを見てもみんなが原点回帰しているというか、昔あったシンセの6つの階層を2つにして全部いじれる場所をむき出しにするみたいな、より操作をシンプルにしていこうという流れがあって、ライヴ性が高くなるように機能する楽器が出てきているんですね。エレクトロニック・ミュージックの可能性としては縮小していく感じはいまのところまったくないじゃないですか。どこで線引きするのかは別としてですけど。

質問を変えますが、ジャケットをデザイナーズ・リパブリックのイアン・アンダーソンが手がけているということで、そこに至った経緯を教えて下さい。

レナ:レーベルがイアンと仲が良くて、レーベルのなかでイアンがジャケを手がけているシリーズがあるんですよ。それは絶対に写真は使わないでグラフィックのみなんですけど、そのラインにギャルシッドを入れるかという話になっていました。夜光という工業地帯で撮った写真をメインに入れたくてお願いしてみたら、とりあえずイアンに見せてみよう、ということになったんです。そうしたら写真をとても気に入ってくれて、おまけに音も気に入ってくれて、即OKが出ました。結構早めにあげてくれたよね。

羽田(マネージャー):そうですね。

レナ: 「ギャルシッド」というロゴを入れているんですけど、あれは手書きでやっているみたいです。

あのカクカクの文字って彼のデザインの特徴のひとつでもあるのですが、たぶんずっと手描きなんじゃないでしょうか。

レナ:それを知らなくて、すごく失礼な質問をしちゃったんですけどね(笑)。

本当はもっと冒頭に聞くべきだったのですが、〈デトロイト・アンダーグラウンド〉からリリースすることになった経緯を教えて下さい。

レナ:オーナーのケロとはデトロイトの別のレーベルと契約していた頃からの知り合いで、私がやっていることには前から注目してくれていて、彼の友達のジェイ・ヘイズが東京に来るときにも連絡をくれたりして、ずっと繋がっていて、同レーベルのアニー・ホールが日本に来たときにうちにずっと泊まっていたんですよ。そんな経緯もあって、私のやっていることもケロはよく知っていて、「アルバムを出すことを考えているんだよね」と言ったら、「うちから出そうよ。とりあえず作ってやってよ」と手放しに喜んでくれて、その後に音源を聴いて、それでそのままリリースしたんですよね。でもあのレーベルの中でも今回のアルバムは異質だと思います。あそこのレーベルはもうちょっとグリッチ系なんですけど、私は全然グリッチしていないので(笑)。

確かに(笑)。ちなみにカール・ハイドとは何かプロジェクトをする話はあるのですか。

レナ:話だけではそうなっています。私で止まっているんです。連絡しなくちゃ(笑)。「俺が歌うよ」と言われたんですけど、「ギャルシッドが歌?」って話しになって、「じゃあギター弾くよ」と言われて、「ギター弾くとうるさくない?」と返したら本人は爆笑していました(笑)。どうやってコラボするんだろうという感じなんですけど、それもまた面白いところかなと思っていますね。でもすごくミュージシャン・シップを大事にしている方だったので、「お蔵入りなんていっぱいあるよ。U2とのやつもお蔵入りだからね。そういうものなんだって」と励ましてくれたんですけど。彼は人とやるということの大切さを語っていて、確かにそれで違う自分を発見できたりもするので、いろいろやってみたいなとは思っています。

最後に、ギャルシッドの今後の予定をお聞かせ下さい。

レナ:12月2日に渋谷ヒカリエでボイラールームに出演しますね。あと、カセットテープで『ヘルツ』のヴァージョン違いをCDと同じ〈アンダーグラウンド・ギャラリー〉から出す予定です。来年にはボイラールームを皮切りに海外でやることが多くなるので、いまはその準備という感じです。

—galcid Live Information—

10/23 (Sun) Shibuya Disk Union 4F (Workshop & Live) with Hisashi Saito
11/11 (Fri) Contact Tokyo
11/26 (Sat) Shinjuku Antiknock
12/02 (Fri) Boiler Room at Shibuya Hikarie

more info:
https://galcid.com/

interview with TwiGy - ele-king


十六小節
TwiGy

Pヴァイン

Amazon ele-king books

 ツイギーはたしかに日本語ラップの“レジェンド”である。先駆者であり、開拓者である。1971年生まれのツイギーはアイス・Tやラン・DMCに感化され、ラップを始めている。80年代後半に早くもDJ/ビートメイカーの刃頭とビートキックスを名古屋で結成、本格的に活動を開始する。その後、ムロらとのマイクロフォン・ペイジャーでの活動を経て、今度はウータン・クランに触発されて雷を立ち上げる。先日刊行された自伝『十六小節』には、生い立ちはもちろん、そのあたりの詳しい経緯や背景についても書かれている。非常に興味深い自伝だ。
 だが、闇雲に“レジェンド”と祭り上げるだけではツイギーの半分も知ったことにはならないだろう。2016年現在だから強調したいことがひとつある。それは、ツイギーがこの国の“トラップ・ラッパー”のパイオニアであるということだ。USアトランタ発のトラップの源流となるサウス・ヒップホップ/ダーティ・サウスにいち早く着目して独自の日本語ラップを創造した功績を忘れてはならない。その試みは2000年に『FORWARD ON TO HIP HOP SEVEN DIMENSIONS』という傑作として結実している。そして、その後も走り続けてきている。つまり、いとうせいこうからKOHHにまで至る日本におけるラップ・ミュージックの進化/深化のミッシング・リンクとなるのが、ツイギーというラッパーなのだ。先日放映された『フリースタイルダンジョン』でのライヴを収録した翌日にツイギーに話を訊いた。

自伝『十六小節』を刊行したあとにいろんな反響があったと思うのですが、どんな手応えを感じていますか?

ツイギー:音源を出したときとは違うから、こそばゆいような感じですね。

刃頭さんをはじめ、ユウ・ザ・ロックさんやリノさんといった面々が出てきたり、初期から一緒に活動されている方がかなり登場されるじゃないですか。そういう方からの反応はどうでしたか?

ツイギー:みんな、面白かったよ、とは言ってくれているからね。その時代の同じ場面にいた人たちだから、そのときのことを思い出させることができてよかったとは思ってる。

なぜこのタイミングで出すことになったんですか?

ツイギー:最初は俺が小学6年生のときに幽体離脱した話を表に出したい、ということだったんだよね(笑)。途中で、“HOW TO RAP”本にするとかいろんな案があったんだけど、結果こういう形になったね。

自伝を作ることは、これまでの活動や人生を客観的に振り返る作業だと思うのですが、記憶していた事実を整理したり言語化する過程で発見はありましたか?

ツイギー:思い出す作業の連続だったから、それを文字に起こして見てみると、当時はこうやって見てたんだな、と思うよね。そのときは無意識にやっていたことだから、そんな風に考えてもいないし、見ようともしていなかった。いまだからこそ、自分がやってきたことがこのときはこうだった、と理解できている。そのときは説明もしないし、無意識にとにかくやるということを前提に作っていたね。音楽に関して言えば、実験の途中経過をずっと見せてきた感じですね。

「実験の途中経過を見せてきた」という発言は興味深いです。自伝の中で「言葉をフォント化する」という話がでてきますね。例えば、「さ、みんなききなっよ!」という“ツイギー節”としか言いようのないフレーズやラップの技法を生み出すときに理論化していたわけではなかった、と。

ツイギー:考えていなかった。韻を踏むということについてもそうだしね。まだラッパーの数も少なかったし、印象づけるにはどうするか、ということを前提にラップしてた。声にしろ、言葉の喋り方にしろ、ファッションにしろ、フロウにしろ、全部をベタベタにやっていたと思う。アイコン的な言葉を意識して作っていたのはあるね。ヒップホップの最初のころは、ビック・ダディ・ケインはビック・ダディ・ケインでしかなかった。彼を真似しているヤツはビック・ダディ・ケインではないから。でもいまは、みんなの言葉遣いやイメージがけっこう被っているよね。芸人のネタみたいに、もっとわかりやすくした方がいいと思うけどね。

そこで思い出すのが、ウータン・クランをユウ・ザ・ロックさんとニューヨークで見たときのエピソードですね。まだ売れる前の街のあんちゃんみたいなウータン・クランを生で見て、ツイギーさんが「関西芸人みたいな雰囲気」という感想を書いています。オール・ダーティ・バスタード(ODB)が酒を盗もうとして店主に銃を突きつけられる場面を目撃したエピソードも衝撃的ですね。

ツイギー:あのときのウータンがまさに売り出し中だったからね。スタテンアイランドから渡ってきて、マンハッタンやブルックリンでライヴをしてた。フライヤーには他のアーティストの名前が書いてあるのに、クラブに行ってみたらウータンが出てくる、みたいなことも多々あった(笑)。MUSEというクラブで観たライヴがとにかくすごかった。青竜刀を振り回してるヤツがいたり、ゴーストフェイスはまだ指名手配中だったのか、顔をストッキングで隠していて……ストッキングで顔隠しているヤツがラップしてるんだよ? まずおかしいじゃん(笑)。しかもみんなしてハーレムのストリートの露店なんかで売ってるパチモンのブランドを着てた。ODBだったらエルメスの柄がプリントしてあるスカーフとベストと半ズボンとか着て、杖を持っている(笑)。あとはみんなウータンのTシャツを着てたね。ステージからはみ出さんばかりの人数でライヴをやってて、スピーカーの前にもウータンのTシャツを着たキッズがいるような状況だった。ホワイト・オウルという葉巻があるんだけど、スピーカーの前でそれでクサを笛吹童子のようにして巻いていたり、レイクウォンは棒状のスタンガンを持って、それを重ねあわせてバチバチバチって火花散らしながら出てきたり、「もうなんだ、これは!?」という感じだったんだよね。

それはすごい……(笑)。

ツイギー:それまでニューヨークには集団でやるノリがなかったけど、たぶんウータンがそれを作ったんだよ。ウータンが全員同じTシャツを着たり、ステッカーをクラブで投げて撒いたり、みたいなノリを作ったんだよね。街にもあの“W”マークがいっぱいあったんだけど、それだけだったから何もわからなかった。だから俺も何が起きているのかを把握していなかったのだけれど、MUSEに行ったら“W”がウータンのマークだというのがわかった。「プロテクト・ヤ・ネック」の白黒のビデオがバーのモニターで流れたときに、「見ろ! 俺らのビデオだ!」みたいなことを言ってたね。
 で、MUSEでのライヴが終わって、ユウちゃんと水を買おうと思って近くのデリに入っていったら、ODBが店のおじさんに銃を突きつけられながら、「出せ! 出せ!」と言われていて、ODBがおじさんに酒を渡して走って逃げるところを見たんだよね。そのとき俺の前にいた若い黒人の男がそれを見て、腹から酒を2本出して、「こいつもだったんだ!」と思った(笑)。
 普通にODBがそのへんを歩いててストリートのヤツと話をしてたりするのも見たね。そういう経験をして生活の延長線上にヒップホップがあるのを感じた。日本だとどうしても普段の生活とステージが切り離されている。俺はそういうものに違和感を抱いたからヒップホップを選んだ。そういう考えがあったから、ウータンには感じるものがあったんだ。ODBのやってることにしたってもちろん悪いことは悪いことだけど、そういう部分も含めてすごく俺らと似通っている部分があった。だから、NYでウータンを観て雷をやろうということになったんだよね。みんなキャラ立ちしすぎているし、これを何とかしないともったいないと思ったしね。だから、ウータンからの影響は大きかったよ。

なるほど。ツイギーさんが本格的にラップを始めるきっかけとなったのが、ラン・DMCとフーディニのライヴであったとも書かれています。彼らに見たヒップホップとウータン・クランに見たヒップホップにはどういう違いがありましたか?

ツイギー:ラン・DMC、フーディニ、ビースティ・ボーイズを観たときの俺はまだ子供だった。大人のショーを見ている俺だもん。ニューヨークに行ったときからその価値観というか考え方が変わったんだよね。ウータンをニューヨークで観たときに俺はヒップホップの一部になっているつもりだったから、ライヴをお客さん側として見るという気持ちはない状態なんだよね。だから、ファンとして観るというよりかは、仲間として観ているという感覚のほうが強くなっていたのかもしれない。
 でも、日本ではヒップホップの一部になっているという価値観でこのムーヴメントと関わっている人はいまよりも圧倒的に少ないわけでしょ。だから、ずっと闘ってきた。「日本語でラップなんてできるわけないじゃん。バカじゃないの」という人が圧倒的に多かった。だから、「そんなことないんですよ」と言ってやってみせる。そのくり返しだったね。
 ラップは日本語でやってもいろんな国の人に伝わる素晴らしいものだと考えていたから、日本語でやろうと思ったんだよね。俺が英語でラップをやったら、その中の一人でしかないじゃん(笑)。だけど、俺がやりたいのは日本語のラップでヤバいと思わせることだったんだよね。

例えば、いとうせいこうさんや高木完さんもラン・DMCを観た時に「自分にもラップができると思った」と口をそろえておっしゃるのですが、ツイギーさんはどうでしたか?

ツイギー:俺はラン・DMCやフーディニを観る前から心は決まっていたのだと思う。だから、ラップをやるきっかけというよりは最終確認だった。俺のきっかけは、『ブレイキン』のアイス・Tだから。それからずっとラップを日本語に変換してできないかと考えてた。ラン・DMCとフーディニが来たときは、それまでの考えを構築していく感じだった。でも、やっぱり簡単にできるものだとは思わなかったね。だから、他の人の曲を聴いてもやり方に納得がいかなかったし、素直にカッコいいとは思えなかった。だから、自分自身で作ったんだと思う。横浜銀蠅スタイルだよね(笑)。彼らも自分の車でかけたいカッコいい日本語のロックがないから、自分らで作ったんでしょ? それと同じだと思うよ。当時は英語を入れてごまかしているものか、笑かそうとして作っているものしかなくて、カッコいい日本語のラップがなかった。
 だけど、いとうせいこうさんのラップのやり方は、俺にギリギリ入ってきた。みんながオン・ビートでラップしていたけど、俺はずっとオフ・ビートでやろうとしていた。せいこうさんもそうだった。その上で俺は恥ずかしくない聴こえ方を意識していた。日本語でラップをするなんていうのは、やっぱりお笑いになる確率がすごく高かったから、どっちの振り幅に傾けるかというのがとても重要だった。たぶんムロくんもラップをするにあたってそこを考えたと思う。面白いことを言いたいし、聴かせたいけど、笑われるのは嫌だった。当時はカッコよくて面白いんだ、というところをずっと追求していたんだと思う。

「カッコよくて面白いことを追求した」というのは重要なテーマですね。かつては日本語でラップをするときに、どこかでトリック・スター的にならざるを得ない状況があったと思います。せいこうさんはそこを逆に強みにしたと思います。ツイギーさんは同世代とそういう議論することはできていました?

ツイギー:いや、ひとりで考えていたね。そこの部分はシェアできないもん。せいこうさんが同世代にいたら、その話はできただろうね。せいこうさんは曲によってスタイルを変えていたでしょ。あの当時から曲によって違うフロウを乗せているし、俺はそれにすごく影響を受けているんだよね。その重要さにみんな気づかないで、ただ普段しゃべっていることを言えばいいと思っていたんだよ。いまでさえそれにちょっと近い部分はある。言葉を大事にしていないから、パンチラインも作れない。決定的なところでパンチラインを出すべきなんだけど、そういう意識がないと他のラインと同化してしまって、デコボコは生まれないし、聴く側の感じ方も平坦なものになっていくよね。日本語のラップでもっといろんな実験ができるはずなんだけど、(日本のヒップホップは)終わりに近づいているな、という感じはするね。2007年くらいにシンゴ02が日本に来たときに初めて会ったんだ。そのとき彼に「ツイギーさん、諦めないでくださいね」って言われたんだよね(笑)。ちょっと腹が立って、「何をだよ!? 俺はやってるよ!」って言ったけど、あいつの言っている意味はわかったね。「日本でヒップホップを諦めない」という意味だということはわかるんだよね。それをいまでもやっております、という感じ(笑)。

90年代初頭にオーディオ・スポーツ(恩田晃、竹村延和、山塚アイ)にゲスト参加して作品を出していますよね。マイクロフォン・ペイジャーや雷の以前にツイギーさんがオーディオ・スポーツと一緒に曲を作っていた史実は非常に興味深いですよね。どのような経緯だったんですか?

ツイギー:俺はさっぱりわからない。当時は刃頭が全部セッティングして決めてきたからね。オーディオ・スポーツも同じように、「星野(ツイギー)を呼びたいってヤツがおるんだわ」と言われて、ちょこっとオーディオ・スポーツの音源を聴いて、名古屋から恩田くんのいる京都に行った。牛丼食べたんだけどあまり美味しくなくて、「京都は水がマズいんですわ」「盆地やから詰めて固めたものばっかり食べさせてる」という話をされたのをおぼえているね。それから竹村くんのところに行って、レコード選んで、2、3日間かけてアイちゃんとスタジオでレコーディングしたんだよね。いくらもらったのかもおぼえてない。まだ10代だったし、全然おぼえてないね。俺は多分もう音源も持っていない。ただ、レコーディングしてからしばらくしてCDとアナログが出たんだよね。

ツイギーさんが客演で参加したオーディオ・スポーツのシングル「Eat & Buy & Eat」は1992年に出ていますね。

ツイギー:当時名古屋でヒップホップの音を作るヤツは刃頭ひとりだし、ラップするヤツは俺ひとりしかいなかった。オーディオ・スポーツとやったあとに、イベントとかやりだして、ネイキッド・アーツの前身のスキップスが出てきたり、PHフロンが出てきたりしたね。何も生まれていないころだね。だからオーディオ・スポーツも新しいことをやっていたということだよ。あの当時にヒップホップをやってんだもんね。関西のムーヴメントだよね。でもなんで俺に話が来たのか、ということは刃頭に訊かないとわからないね。

オーディオ・スポーツのメンバーとはその後交流はなかったんですか?

ツイギー:一切ないね。何年後かに恩田くんやアイちゃんに会った気はするけど。まぐれでCD出せちゃったような運命的なものなんだよね。

話は少し戻りますが、さきほどツイギーさんはラップの抑揚、フロウに関して“デコボコ”という表現を使われていましたよね。いかに日本語でリズムやアクセントを作るか、ツイギーさんはその探求をされてきたラッパーだと思います。2000年に『FORWARD ON TO HIP HOP SEVEN DIMENSIONS』を出しますが、日本でいち早くサウス・ヒップホップを取り入れて独自に表現した作品でした。あの作品について語ってもらえますか。

ツイギー:せいこうさんもそうだけど、俺は(ヒップホップを)聴いて“ひっかかり”にすごくこだわっているような気がしたんだよ。俺はそれを自分ではどうやればいいのか、ということを考えながらやっていたんだよね。せいこうさんはそのやり方や言葉の使い方を知っている人なんだと思う。せいこうさん以外はカッコつけにしか聴こえなかったわけ(笑)。俺はパッと聴いて無条件に音として「カッコいいじゃん」と思わせるものをいかに作るかということをいつも考えてきた。
 日本語は棘がなくてやわらかい、なめらかなものだからこそ、とっかかりを作ってデコボコにするということを意識してきたね。その手法が倍速のラップとかにつながっていく。なだらかなものをガタガタにするということ考えていたら、その手法になったんだよね。それは日本語が英語ともパトワとも違うからであって、それを構築していくことには時間がかかったね。文法はめちゃくちゃになるし、意味はどう伝えればいいのかということも考える。
 サウスのラップを聴き始めて、『SEVEN DIMENSIONS』を作ったのもそういったことを考えていたからだね。ライムの乗せ方のアプローチが違うから、それをやりたかったんだよね。トゥイスタとか、レゲエのダディー・フレディーとかの早口が好きだったから、それを日本語でやってみたかった。アメリカのテレビ番組やライヴでラップを見ると、とにかくすごく速いわけ。だけど日本のラップは、相変わらず遅かった。俺は、ライヴで早口のラップをするとみんなが盛り上がる感覚が欲しかった。
 いまトラップが流行ってきて、その手法が簡単に見えて実は難しいということにみんな気づいている。しかも速くしゃべると、言葉に表情を持たせられないから、「あーーー」って言うのと「あっ」って言うのとでは聴こえ方も感じ方も違うから、なおさらそこにどんな言葉を使えばいいか、どんな感じで言えばいいのかということもすごく重要になってくる。
 日本語の使い方も内容も見せ方も含めて、いまはKOHHが一番だと思っている。それ以外は頑張った方がいい、という感じはするよね。あと何枚アルバム出すのか、早く死ぬのか、ヒップホップを茶化しただけなのか、なんでもいいけど、みんなに名前を知られるというのはそういうことだからさ。だったら頑張ったほうがいいよね、俺も。

『SEVEN DIMENSIONS』の“七日間”、“GO! NIPPON”、“一等賞”、“もういいかい2000”を当時聴いたときの衝撃はすごかったですし、古びていないですよね。いま考えると、ツイギーさんは日本のトラップのラッパーのパイオニアだと思うのですが、“GO! NIPPON”にはマッチョさんも参加していて……

ツイギー:そう、あのときあのスタイルを理解していたのはマッチョだけだよ。俺らはスリー・6・マフィア・スタイルでやってるよね。いまトラップが流行っているのを見ていて、俺は『SEVEN DIMENSIONS』ですでにやったし、ラップの仕方もそれの真似じゃんとは思うよね。

『SEVEN DIMENSIONS』、そして『The Legendary Mr.Clifton』 でデコボコを強調する実験を経たのち、『BABY’S CHOICE』『Blue Thought』ではささやくようなラップのスタイルにギア・チェンジをしているように思うのですが、変化をうながした何かしらのインスピレーションがあったのですか?

ツイギー:変化というよりかは、俺の中のジャンルのひとつだよね。ペイジャーもそうだし、その前からもいろんな声を登場させているわけ。俺の曲を初めて人に聴かせたりすると、よく「これ、ひとりなんですか?」とか「何人でやっているの?」とか言われたりするんだけど、全部俺だから(笑)。その感じでずっとやってきているから、細分化されただけなんだよね。番外編が登場みたいな感じ。俺はライヴであってもメロウなものから激しいものまで全部の曲をそういう風にやるし、そこに変化はないんだよ。だから、「昔のスタイルが良かった」とかみんな言っているけど、俺のライヴでは全部やるから、そういう人なんだ、という合点がいくんだよね。俺自体はなにも変わらないんだよ。次はまた激しいのをやろうかなとか、スカのアルバムを出そうかなとか、なんでもいいわけだから。HAKUEIとRUKAくんとやった“砂ノ街”も賛否両論あったけど、ヴィジュアルとかパンク聴いているヤツらには評判いいもんね。イメージつけて鍵かけないでくれよ、とは思うよね。
 だから何ひとつ断らず全部にフィーチャリングして、ムチャクチャにしてやろうと思ってやってきたよね。でもそれをやっている最中、ある先輩に「セル・アウトだ」と言われたんだよね(笑)。「ふざけんな!」と俺は思ったんだけどね。ヒップホップはユナイトだろ、どれだけでもつながってやるぞ、相手が嫌だろうがなんだろうが、全部活かしあってつながっちゃうんだから。
 ロックっていう音楽は全部をつっぱねていた気がするんだよね。「俺はロックだからそんなことはできねえ。そんな曲はやらねえ。レゲエ? そんなの知らねえ。ヒップホップ? そんなのわかんねえ」と言っていたのがロックだと俺は認識しているんだよね。ロックは手法から何からヒップホップに食べられてしまったから、いまは長い髪やモヒカンや革ジャンが残っているだけでしょ。でも、ヒップホップはそんなものはいらない。パンツ一丁でもラップしてやる、という話だよね。それがヒップホップだもん。それをみんなは箱に入れたがるよね、ずっと。それに我慢ができない感じ(笑)。だから続けてる。

ツイギーさんは今後の活動のイメージはありますか?

ツイギー:いや、何も決めていない。決めようかとは思っているけど(笑)。5年以上ソロ作品は作っていないから、音楽は作りたくなってきたという感じかな。フィーチャリングだのはやったけど、自分の作品ではないからね。枯枝楽団をどうするかはわからないけど、誰かにトラックを提供してもらうかもしれないし、バンドになるかもしれないし、未定ではあるけども、作りたい感じはちょっとある。ここ数年は音楽を意識的にやめている感じだったからね。

そうだったんですか。音楽を作るということに関して、5年のブランクがあるという意識だったんですね。

ツイギー:そうだね。2011年に『Blue Thought』を出した時点でやめようと思っていたから、まあある意味やめられた感じもあるけどね(笑)。

Black File #276 ONAIR INFOMATION

ONAIR NO.276
 10/21(金)27:00〜

PROGRAM
 INTERVIEW FILE:TwiGy
 LIVE FILE:Mary Joy Recordings Presents "Diversity Vol. 1"
 オタク IN THA HOOD:呂布カルマ
 Exclusive MV “NEIGHBORHOOD”:Y2FUNX
 DRIVER:V.I.P. HI-POWER & KEN U

https://blackfile.spaceshowertv.com/post/151510951867/black-file-276-onair-infomation-interview-file

ISSUGI 、格好良すぎるぜ! - ele-king

 ISSUGIや仙人掌って、夜の10時の取材にスケートに乗って来るような連中で、で、12時過ぎに、「じゃ」「お疲れっす」と言って、スケートに乗って帰って行くんですよ。なんかこう、その感じが格好いいんだよね。で、そんなライフスタイル、そんなアーバン・リアリティが彼らの音楽にはよく出ている。
 ヒップホップの文化には、でかいところを相手にぶんどるっていうのがあって、“ペイド・イン・フル”とか、持って行くだけ持って行く金銭闘争というか上昇志向というか、90年代はとくにヒップホップといえばメジャーを相手にそんな格闘をしていたようなところがあるんですけど、DJシャドウ周辺のインディ・ヒップホップと呼ばれるような連中は、パワーゲームには参加せず、好きなことを好きなようにやっていく潮流を作っていった。DOGEAR RECORDS/DOWN NORTH CAMPも大きくはそんな流れにあると思う。過剰にはならない。ビートは黙々と刻まれ、言葉が自然と溢れてくる。
 さて、そのクルーのひとり、ISSUGIやが待望のニュー・アルバム『DAY and NITE』をリリースする。5lack や仙人掌、KID FRESINO、BES が参加。プロデューサーはブルックリン在住のGRADIS NICE。ストリート系とはまさにこのこと。ひとりでも多くの人に聴いて欲しい。

ISSUGI FROM MONJU - DAY and NITE
DOGEAR/Pヴァイン・レコード
Amazon

<トラックリスト>
1. Intro Cut by DJ Scratch nice
2. Navy Nubak
3. Flowr(album version)
4. Skit(PM)
5. Time feat Kid Fresino, 5lack Cut by DJ K-flash
6. Heat Haze feat Mr.Pug
7. How Ya Livin feat BES
8. Water Point(Remix) Cut by DJ Bress & DJ Shoe
9. Midnite Move feat. 仙人掌
10. Interlude(AM)
11. Nite Strings
12. Outro(In the evening)
All Track prod by Gradis nice
#3 "Flowr" prod by Gradis nice & Kid Fresino

ISSUGI - Profile

 MONJU / SICKTEAM / DOWN NORTH CAMP のメンバー。仙人掌、 Mr.PUG と共に MONJU として『CONCRETE GREEN』を始めとする数々の CD への参加で注目を集め、2006 年にファースト EP『103LAB.EP』、2008 年 にはセカンド EP『Blackde.ep』をリリース。2009 年にはソロとしてのファースト・ア ルバム『Thursday』をリリース。16FLIP と共に作られた音楽性は ISSUGI のス タイルや空気を一枚で浮かび上がらせ、音源を通して各地に届くようになる。
 以降は東京内外でライブする中、繋がっていった BEATMAKER達と 2010 年にセカンド・アルバム『The Joint LP』をリリース。BUDAMUNKY(a.k.a. BUDAMUNK)、MASS-HOLE、PUNPEE、Malik、K-MOON as Gradis Nice をプロデュースに迎えた『The Joint LP』は自身の内面をより深く 投影した作品で着実に強度を増した音楽性を示した。2011年にはJAZZYSPORTからBUDAMUNK、S.L.A.C.K.(5lack)とのユニット、SICK TEAMとしてのアルバムや現在NYに渡っているDJ SCRATCH NICE とのミッ クステープ『WHERE OWN WONDER』をドロップ。SICK TEAM のアルバム 『SICKTEAM』では BUDAMUNK、S.L.A.C.K.、ISSUGI、この3人での化学反応や feat に EVIDENCE、ILLA J、ROC MARCIANO を起用するなど話題を集め、海外の HipHop サイトなどでも紹介されることとなった。
その後2013 年 2 月にリリースしたサード・アルバム『EARR』は再び全曲16FLIP と共に作り上げ、ALBUMとしての世界観や中毒性のある BEAT達が高く評価され、Complex UK のサイトでは「The Best Of Japanese Hip-Hop: 25 Artists You Need To Know」の記事に ALBUM とともに記載され、同作は「驚異的な作品(Phenomenal)」とも評された。同年 11 月には以前から数々のJOINTを生み出してきた盟友 BUDAMUNKとのタッグ、ISSUGI & BUDAMUNK名義(II BARRET)でフルアルバム『II BARRET』をリリース。2014 年には SICK TEAM 名義で『SICK TEAM 2』をリリ ースするなどマイペースながらも精力的に活動。2015 年 4 月には ISSUGI & DJ SCRATCH NICE 名義で待望の 4th ALBUM 『UrabanBowl Mixcity』をリリース。2016 年、2 月には ISSUGI×JJJ 名義の FREEMIXTAPE“LINK UP 2 EXPERIMENT"を Dogearrecords の homepage で公開している。そして現在サイゾー動画と連動した自身の番組、"7INCTREE"(毎月 7inch をリリ ースするプロジェクト)を開始。すでに7枚の7inch をリリース中。
https://soundcloud.com/issugi

GRADIS NICE - Profile
アメリカ合衆国 ニューヨーク市 ブルックリン区を拠点に活動するプロデューサー。 近年では IO『Soul Long』、C.O.S.A.×KID FRESINO『Somewhere』、KID FRESINO『Conq.u.er』、ISSUGI & DJ SCRATCH NICE『UrbanBowl Mixcity』、 仙人掌『Be in ones element』、5lack『5 sence』、B.D.『BALANCE』、 Flashbacks『Flyfall』等の ALBUM にプロデューサーとして参加している。
https://soundcloud.com/gradisnice
https://www.instagram.com/gradisnice/

VINYL FOREVER - ele-king

 今度のele-kingの12インチ・アナログ盤シリーズ、通算4枚目は、自分たちで言うのもナンだけどすごいよ。ジジ・マシンの美しき傑作「Clouds」の世界初アナログ・シングル化/B面にはインナー・サイエンスによるリミックス。すごいでしょ。

 イタリアのアンビエント・ミュージシャン、ジジ・マシンが1989年にリリースした『Les Nouvelles Musiques De Chambre Volume 2』は、まさに“E2-E4”のように、後からクラブ系で再評価され、リスペクトを込めてサンプリングされた名曲“Clouds”を収録していることで知られている。1999年のトゥ・ロココ・ロットのヒット・アルバム『The Amateur View』に収録された“Die Dinge Des Lebens”を発端に、2002年にはビョークが“It's In Our Hands”で使い、2003年にはヌジャベスが“Latitude”のネタにしている。2011年にはドーリーミーなヒップホップで話題となったメイン・アトラクションズにもサンプリングされたり、あるいはここ数年、入手困難だったジジ・マシンの過去の名盤『Wind』や『Tsuki』が続けざまに再発されたりと、静かにブームとなっている。

 そんなわけで、彼の代表曲、“Clouds”を世界初の12インチ・シングル・カット! Bサイドにはインナー・サイエンスによる、オリジナルの美しさ/気持ち良さを見事なまでに継承したスペシャル・リミックスを収録。発売は、10月26日発売。再プレスの予定は一切なしです!

Inner Science Profile

 西村尚美によるソロ・ユニット。浸透するように透明できらびやかな音色とメロディー、そこに拮抗する振り幅の広いリズムを操り、色彩豊かで独特な世界観のインストゥルメンタル/エレクトロニック・ミュージックを産み出す。それら自作楽曲の音色がフロア中を満たす没入感あふれるライブと、様々な楽曲を大胆に紡ぐスタイルのDJプレイを各地で展開中。
 自作音によるサウンドコラージュ集の二作目「Assembles 5-8」を2015年12月に、アンビエント・ミュージック集の新作『Living Ambient』を2016年2月に、オリジナル楽曲を2曲収録したデジタル・シングル『Single Compression 1』を2016年6月にそれぞれリリース。

Jameszoo - ele-king

 〈ブレインフィーダー〉の勢いが止まらない。
 ジョージ・クリントンと契約を交わしたことでも話題沸騰中の同レーベルだが、5月にリリースされたジェイムスズーのデビュー・アルバムも、後世に長く語り継がれることになるだろう珠玉の1作である。まだフローティング・ポインツほどの知名度はないけれど、少なくともそれと同等か、場合によってはそれ以上のポテンシャルを秘めたオランダ出身の青年――それがジェイムスズーことミシェル・ファン・ディンサーだ。
 この期待の新星が、なんと11月に来日しちゃいます。11月25日(金)@CIRCUS TOKYO、11月26日(土)@CIRCUS OSAKA。ちなみに両公演にはSeihoも出演予定とのこと。
いまのうちに彼のパフォーマンスを堪能しておけば、将来お友だちに自慢できますYO!

〈Brainfeeder〉の現在の勢いを体現する怪作にして、
ジャズとエレクトロニック・ミュージックとを融合した音楽の1つの頂点ともいうべき傑作
『Fool』をリリースして大注目のJAMESZOO来日公演が決定!!

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