「KING」と一致するもの

DBS: LEE BANNON x SOURCE DIRECT - ele-king

 ジャングル・リヴァイヴァルの真っ直中、4月19日(土曜日)に代官山ユニットで開催のDBS(ドラム&ベース・セッション)、好評だった前回2月のコンゴ・ナッティとはがらりと趣旨を変えてのユニークなブッキングです。

 ソース・ダイレクトはダーク・アンビエントな音響+激しいブレイクビートによって、90年代半ばのドラムンベース・シーンに強烈なインパクトを残したプロジェクトです。ちょうどアートコアなる括りで、音楽に意識的なジャングルが評価されていた時期にソース・ダイレクトは暗闇のなかを走ることを選びました。最近のジョイ・オービソンやボディカの先輩、そして、言うなれば、後にブリアルらが拡張することになるダーク・サウンドの先達です。

 先日、〈ニンジャ・チューン〉からアルバムを出したばかりの『オルタネイト/エンディングス』も一緒に来日します。4月18日には大阪公演もあります(https://circus-osaka.com/)。

 ※Sound Patrolにて、DBS主催者の神波京平さんによる「DRUM & BASS: DARKSIDE HISTORY 25選」が公開されています。ぜひ、チェックしてください。

★爆発する漆黒ビーツ! LEE BANNON x SOURCE DIRECT !!!
ニンジャ・チューンから衝撃のアルバム『オルタネイト/エンディングス』を放った奇才リー・バノンが急襲!
そして90'sドラム&ベースを急進させたダークの権化、あのソース・ダイレクトが実に17年ぶりの来日!
ジャングル/ドラム&ベースが勃発してから20年、時を経て今新たに蘇る!
LB x SD 奇跡の競演を見逃すな!!!

DBS: LEE BANNON x SOURCE DIRECT

2014.4.19 (SAT) @ UNIT

feat.
LEE BANNON x SOURCE DIRECT
with.
DJ YAHMAN (Tribal Connection)
TETSUJI TANAKA (90's d'n'b set)
HELKTRAM

Painting: THE SPILT INK.
Food:ぽんいぺあん
SALOON:
ASA (live), DUBTRO, KEN, DJ MIYU, PRETTYBWOY, STITCH

open/start: 23:30
adv.3300yen door 3800yen
info.03.5459.8630 UNIT
https://www.unit-tokyo.com
https://www.dbs-tokyo.com

====================================
Ticket outlets: 2014.3.14 ON SALE!
PIA (0570-02-9999/P-code:227-218)、 LAWSON (L-code: 73922)
e+ (UNIT携帯サイトから購入できます)
clubberia / https://www.clubberia.com/store/
渋谷/disk union CLUB MUSIC SHOP (3476-2627)、
TECHNIQUE (5458-4143)、GANBAN (3477-5701)
代官山/UNIT (5459-8630)、Bonjour Records (5458-6020)
原宿/GLOCAL RECORDS (090-3807-2073)
下北沢/DISC SHOP ZERO (5432-6129)、JET SET TOKYO (5452-2262)、
disk union CLUB MUSIC SHOP(5738-2971)
新宿/disk union CLUB MUSIC SHOP (5919-2422)、
Dub Store Record Mart(3364-5251)
吉祥寺/Jar-Beat Record (0422-42-4877)、disk union (0422-20-8062)
町田/disk union (042-720-7240)
千葉/disk union (043-224-6372)

UNIT
Za HOUSE BLD. 1-34-17 EBISU-NISHI, SHIBUYA-KU, TOKYO
tel.03-5459-8630
www.unit-tokyo.com

★LEE BANNON (Ninja Tune, USA)

★LEE BANNON (Ninja Tune, USA)
カリフォルニア州サクラメント出身、現在はNY在住のビートメイカー/プロデューサー。映画からインスピレーションを得ることも多く、フィールド・レコーディングを多用した自由なプロダクションが賞賛を浴びた1stアルバム『FANTASTIC PLASTIC』を'12年にFLYING LOTUSの作品で名高いPlug Research からリリース。またブルックリンの若手ヒップホップ・クルー、PRO ERAとの交流を経て、代表格のJOEY BADA$$のプロダクションや彼らのツアーDJとして注目を集める。'13年にはダーク&エクスペリメンタルな『CALIGULA THEME MUSIC 2.7.5』、『NEVER/MIND/THE/DARKNESS/OF/IT...』の2作のデジタル・アルバムのリリースを経てNinja Tuneと契約、ダウンテンポの"Place/Crusher"を発表。またKANYE WESTの"Bound 2"をジャングルでリワークし度肝を抜く。
そして2014年1月にNinja Tune/Beat Recordsから遂に発表された最新アルバム『ALTERNATE/ENDINGS』は、彼が影響を受けた90'sジャングル/ドラム&ベースのヴァイブを独自のサイファイ音響&漆黒ビーツで表現し、今まさにベースミュージック・シーンを震撼させている!
https://LeeBannon.com/
https://twitter.com/BANNON916
https://ninjatune.net/artist/lee-bannon

<リリース情報>
LEE BANNON : Alternate / Endings
1,890 (tax/in)
BRC-409:Beat Records / NINJA TUNE


★SOURCE DIRECT (Source Direct Recordings/Demonic, Metalheadz, UK)
現在プロデューサー歴23年のJIM KUTTAのソロ・プロジェクトとなるSOURCE DIRECT。ロンドン郊外セント・オールバンズ出身のJIMは'91年、級友のPHIL SOURCEと共同制作を開始して以来、自身のレーベル、Source DirectやOdysee、他にCertificate 18、Metalheadz、Good Looking、Mo'Wax等のレーベルから20作以上のシングルを発表。そのコズミックかつアブストラクトなSF感覚溢れるサウンドで90年代前半のドラム&ベースを急進させる。そしてVirgin/Scienceと契約し、'97年に編集盤『CONTROLLED DEVELOPMENTS』で日米に本格進出、またHOKUSAI名義で自主制作も継続する。'99年にはScienceから1stアルバム『EXORCISE THE DEMONS』を発表、ダークかつインダストリアルなサウンドスケープで歴史的名盤となる。2000年、JIMとPHILはコンビを解消し、SOURCE DIRECTはJIMが引き継ぎ、彼は新たにレーベル、Demonicを立ち上げ、当時新鋭のINSTRA MENTALやメンバーのBODDIKAたちと新世紀を歩み出す。その後、JIMは暫く沈黙を続けたが制作活動は続けられ、2014年、完全復活を遂げる! 2月にはGOLDIE率いるMetalheadzの20周年セッションに出演し、D&Bヘッズをノックアウトしたばかり。絶対に聞き逃せない、17年ぶりの来日!
https://www.facebook.com/SourceDirectFans
https://twitter.com/Source_Direct
https://soundcloud.com/source_direct_official

LEE BANNON 大阪決定!
4月18日(金) 大阪CIRCUS---info: https://circus-osaka.com/


interview with DEXPISTOLS - ele-king

 すべてはわかってやったことだった。ハウス・ミュージックが完璧に息を吹き返したこの1~2年だが、DEXPISTOLSの登場は、ハウス・シーンが衰退した2000年代なかばに遡る(ハウスのDJの多くが、ミニマルを漁りはじめた時期である)。この頃のダンスのメインストリームに躍り出たのは、エレクロト/マッシュアップ、そしてアンダーグラウンドではディスコ・ダブ/コズミック・ディスコだった。そのいっぽう、ダブステップはピークへと進み、実験的なデトロイト・ハウスは着々と支持を広げながら、そして10年前には威勢の良かったダンサーたちやDJもいい年になって酒を飲むと愚痴を言うようになった。

 以下の取材で、僕は「気取った90年代」に対する「下世話な2000年代」という喩えを用いているが、DEXPISTOLSは、エレクロトやマッシュアップと同様に、「下世話な2000年代」の象徴的な存在だと言える。DJ MAARもDJ DARUMAも90年代のアンダーグラウンドの生き証人──気取った90年代の、筆者と同じ、どちらかと言えばナードなクラブ・カルチャー出身で、とくにDJ MAARの幅広い知識とダンス・ミュージック史への理解を考えればDEXPISTOLSは確信犯だった、と言える。
 1985年、オールドスクール・エレクトロのマントロニクスが「ゲット・ステューピット」(バカになれ)と言ったことで、深刻さにドン詰まったポストパンクにダンス・カルチャーの火をつけたという言い方ができるなら、DEXPISTOLSは2005年に同じことをやった。シーンに居座る年上連中の愚痴には耳を傾けず、若いエネルギーに共鳴しただけのことである。


DEXPISTOLS
LESSON.08 "TOKYO CULT"

エイベックス/tearbridge

Amazon

 「バカになれ」は重要だ。が、それだけでいつまでも突っ走ることはできないし、何かにつけて「バカって最高、ぎゃははー」などと言っている人は信用できない。DEXPISTOLSは、自分たちが成功したときのやり方を繰り返さなかった。新しいミックスCD『LESSON.08 TOKYO CULT』には、彼らのシリアスな面──ダンス・ミュージックへの愛情と寛容さ、シーンにおける彼らなりの開拓精神が見える。
 DEXPISTOLSは、ダンス・ミュージックにラップをノせる、80年代後半で言うところのファンキーなヒップ・ハウスを現代的に展開する。今作では、ベテランのDABOをはじめ、若手のOHLI-DAY、JON-E、KOHH、KICC、K.A.N.T.Aらラッパーをフィーチャーしている。CDは、〈ナイト・スラッグス〉系のベース・ミュージックにはじまり、ハウスやテクノがミックスされる。日本の若手トラックメイカーの作品を積極的に取りあげているのも今作の特徴だ。

 3月某日、エイベックストラックスの部屋のなかで我々は会った。最新の紙エレキングを渡すと、表紙に載っているシミラボのメンバーが自分たちの作った服を着てくれていることに喜ぶ。「うーん、シミラボはやっぱ素晴らしい」を口火に、DEXPISTOLSについておよそ2時間話した。DEXPISTOLS誕生前の話、ダフト・パンクと〈エド・バンガー〉への深いシンパシー、ダンス・ミュージックに対する彼らの考えを包み隠すことなく語ってくれた。


マッシュアップのときにふたりでやりはじめて、エレクトロのときに波が来るのがわかったんで、「ここで俺らやんないと!」って意識がすごくあったんですよね。まわりを見渡したときにジャスティスが「ヤバい」って言ってるDJがひとりもいなかったし。

DEXPISTOLSがシーンで出てきたのって2000年代ですよね。

DJ DARUMA:思いっきりそうです。2005年過ぎてからですね。

DEXって、そもそもどのように生まれたのでしょう?

DARUMA:えっと、もともと友だち同士で、先輩がいっしょなんです。ゲインズ(Gaines)という双子のDJ/トラックメイカーがいまして。僕はダンサー時代の繋がりでゲインズと友だちで、MAARが彼らと地元、小学校がいっしょで。

地元ってどこですか?

DJ MAAR:地元は国分寺なんですよ。

DARUMA:先輩のダンス・チームの音を作っていたのがゲインズだったりしたので、ちょっと繋がりがあったんです。その流れでMAARとパーティがいっしょになるタイミングがあったんですよ。違うフロアでDJやってたりとか。で、現場を介して繋がりがすごくあったんです。そういう時期があって……ミッドナイト・ブラスターが一番最初だっけ? DJクルーみたいなのでミッドナイト・ブラスターっていう、先輩たちが筆頭となったDJチームみたいな、ROC TRAXの原型みたいなものがあって。で、そのとき2メニーDJズがちょうど出てきたときで……。

一時期、よく比較されましたよね。

DARUMA:あとM.I.A.とかああいうのが出てきて、ダンス・ミュージックが新しい方向に動きはじめていましたね。そのとき2メニーDJズのミックスCDが出て、タワーレコードで僕が買ってすごく面白いなと思って。それまでテクノとかハウスとかヒップホップとかポップとか、線引きすることの美学が世のなかで普通のものとされていたのが、それを聴いたときに昔の自分の音楽の聴き方にすごく近いっていうか。中学生のときの、テクノもハウスもヒップホップも全部聴いてる感じに近い気がして。

あれは出たとき(2002年)、新鮮だったよね。カイリー・ミノーグやヴェルヴェッツ、ストゥージズからELPまで入っててね(笑)。

DARUMA:僕は、基本的にはヒップホップの現場にいたんですね。で、MAARはテクノ、ハウスの現場を拠点として、ヒップホップのほうを見たりとか。同じような感じで育ったんですけど、いたシーンとしてはふたりとも違った。で、そこを経てきて大人になって、ある程度いろんな物事がわかってきたときに、ふたりで何かいっしょにやったら面白いんじゃないかなと思ったんです。2メニーDJズのミックスCD聴いたときに、「これ、俺らもできるな」と思ったんですよね。それでMAARに「何かいっしょにやらない?」って言って、〈アゲハ〉の2階で話していっしょにやらないかって言ったのがはじまりなんです。

2メニーDJズのころって、マッシュアップものが海賊盤で出回ったりした頃だよね。ああいうものは、ダンス・ミュージックが深刻な方向に行き過ぎてたころに、何でもアリを極めたし、ちょっとバカっぽい感覚を取り戻したっていうね。

DARUMA:はい、マッシュアップ・カルチャーっていうのが世のなかにすごく出てきてましたね。

「自分たちの出番だ!」って感じでしたか?

DARUMA:んー……いや、単純に面白いなって思ったのと、「できる、これ」みたいな感じがけっこうあったんですよね。混ぜてやったらすごく面白いんじゃないかなって。すごく刺激的だったんですよね。そこに新しいものを感じたっていうか。

勝負のときだって感じだった?

DARUMA:勝負のときだと思ったのはじつはもうちょっとあとで、いわゆるエレクトロみたいな兆しが見えはじめたときですね。マッシュアップの次に、フランスから、(ダフト・パンクのマネージャーだった)ペドロ(・ウィンター)が主宰する〈エド・バンガー〉が見え隠れしはじめた時期で、最初〈ヘッドバンガーズ〉って名前で活動してて。「フランスの〈ヘッドバンガーズ〉っていうサイトが超ヤバい」みたいな。

MAAR:ペドロのマネージメント・オフィスが〈ヘッドバンガーズ〉だよ。たしか。

DARUMA:それでサイトみたいなのに、手描きでカシアスの部屋があったり、ダフト・パンクの部屋があったりして。どうもこれら周りのマネージメントをしてるやつがやってるクルーらしい、みたいなことがわかってきて。そこに1分半ぐらいの粗い画像の動画が上がってて、それがジャスティスの“ウィ・アー・ユア・フレンズ”だったんです。ロックでもテクノでもないその音楽で、フロアが大合唱してるのを見て、「これはすごいことが起こってる」って、そこの時点ですね。「これは俺たちが日本でやらなきゃいけない」って思ったのは。そこで俺たちの番が来たって。

MAAR:しかもそれ、いちばん最初〈ジゴロ〉からライセンスされてるじゃないですか。

時代の向きが変わる時期だったよね。

MAAR:8年ぐらい前じゃないですか。05、06年ぐらいですね。

ペドロっていうとダフト・パンクを売った人だけど、DEXにとってはダフト・パンク以降っていうのが大きかったの?

MAAR:思想が込められたいろいろな音楽があるなかで、ダフト・パンクって、もっと自由っていうか、「言っても俺、まあまあいい家に生まれてきちゃったけど、レイヴ・カルチャーもURも好きだし、スケボーもやったりバンドもやったりしてるし」っていうスタンスだったと思うんです。で、2メニーにもそういう自由さがあった。ベルギーに俺ら行ってみてなんとなくわかったんですけど、そこまでコアなクラブがあるわけじゃなくて、ああでもしないと盛り上がらないんじゃないかって、たぶん(笑)。

あのぐらいやらないと、まわりが自分たちのほうを向いてくれないっていう(笑)。

MAAR:彼らはラジオをやってたっていうのも大きいだろうし。逆に言ったら、そういうリスナーのほうが現代では多いじゃないですか。背伸びしなくてもやれる脱力感的な。昔みたいに、ハウスだったらゲイ・カルチャーの虐げられたなかでの多幸感とか、URの退廃的なインダストリアルのなかから生まれたものとかでもなくて。

ただ、音楽的に言うと、ダフト・パンクはディスコ・クラシックやガラージに対する憧憬がすごく強いでしょ。ニュージャージーのロマンソニーという、玄人好みのガラージといっしょにやってるくらいだから。

MAAR:「ダ・ファンク」よりも前のシングルで「ザ・ニュー・ウェイヴ」っていうのは、じつは140ぐらいの変なテクノだったりしてて。たぶん、その頃彼らはレイヴに行ったりしてて。お父さんがディスコのプロデューサーなんですよね。ヤマスキっていう、最近みんな掘り出してるあれを作ったプロデューサーだったりして。たぶんその辺のレコードが家にあって、そういうのを聴きながら……ほんと、ダフト・パンクって脱力のはしりなんじゃないかって(笑)。

脱力って言葉が適切かどうかはわからないけど(笑)。個人的に、ダフト・パンクがすごくカッコいいと思った瞬間は、90年代後半かなー、彼らはボウズでさ、マスターズ・アット・ワークみたいなガタイのいい人たちに囲まれながらDJやってる写真があるんだけど。あれは良いと思った(笑)。ごっついNYのハウスのDJに囲まれてさ、ちっちゃいフランス人が。

MAAR:知ってます。若い面白いのが出てきたって感覚だったんでしょうね。

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10代だったので、〈ゴールド〉も、終電終わってから行ってるのに、「ダメだ」「入れない」と言われてましたね。仕方なく、ジュリアナの横の川沿いで寝てたり(笑)。で、同じく入れなかった女の子をナンパしてみるけど完全シカトされたりして。

でもMAARくん、話戻すとさ、2メニーDJズって、ダフト・パンクと違って、ほんと根無し草じゃん。

MAAR:たしかに。

ダフト・パンクは戻れる場所があると思うわけ。マスターズ・アット・ワークとかさ、ディスコ・クラシックとかさ、自分たちのアイデンティティを表明してるじゃない。2メニーDJズっていうのは何でもアリだけど、つまり何でもアリが故に「お前ら何だ」って言ったときにほんとに何もないから。ダフト・パンクと2メニーDJズはやっぱり違うよ。

DARUMA:なるほど。

DEXPISTOLSの出方っていうのはどっちかって言うと、2メニーDJズに近かったのかなって俺は思うんだよね。MAARくんはさ、90年代のアンダーグラウンドをけっこうリアルに経験しているでしょう。東京のクラブ・カルチャーの栄光と衰退の歴史を、間近に見てるわけじゃない?

MAAR:〈マニアック・ラヴ〉も含めて(笑)。

〈マニアック〉にも関わってたの?

MAAR:〈マニアック〉が出来てすぐぐらい、木曜日にじつはやってたんですよ、マセくんと。俺19ぐらいですね。

へー、俺ら、絶対に店内ですれ違っているね。

MAAR:いっつも店長さんに「全然ひと入んねーな」って言われて、「すいません、すいません」って謝ってて。「やる気あんの!?」とか。けっこう怖かったす(笑)。

はははは、それ何年ぐらい?

MAAR:だから20年ぐらい前ですよ。〈マニアック〉って最初、内装が白でできたじゃないですか。で、2年目か3年目に黒になったんですよ。要は最後までそれになるんですけど。黒になってすぐぐらいですね。

俺も出来たばかりの頃からずっと通ってたんだけど、必ず朝まで必ずいてさ。

MAAR:俺もあれ行きました。「すげーゾンビがいっぱいいるー」とか言いながら。

ハハハハ。そのなかのひとりが俺だったかもね。

MAAR:94年、95年ぐらいですかね。

そのころDARUMAくんはダンスを?

DARUMA:そのときは完全にダンスですね。いわゆるNYのヒップホップにぐぐーっと行ってるときですね。僕は六本木を中心に遊んでて、週末は〈ドゥルーピー・ドゥロワーズ〉に毎週行ってました。3時ぐらいになると(近所のヒップホップ系のクラブの)〈サーカス〉が終わって流れてくる大人たちがけっこういたんです。そこから選曲もけっこう濃くなっていくんですよね。

MAARくんが〈ゴールド〉に関わったのはもっと早い?

MAAR:俺が18のときですかね。2、3回メインフロアでやらせてもらったらもうお店が閉まっちゃったんですよね。

そもそもクラブ・カルチャーを好きになった理由は何だったの?

MAAR:高校のときに雑誌読んで──「うわー行ってみてー!」と思いました。先輩に「連れてってください!」って言って、連れて行ってもらった〈ゴールド〉が、ど平日だったんですけど、もう衝撃的すぎましたね(笑)。聴いたことねー音楽かかってるし、ていうか「なげーこの曲!」みたいな。「いつ終わるんだよ、4時間経ってるし!」って(笑)。つないでるのを1曲と思ってました。しかも歌入ってこねーし、って。カッコいいひといるしキレイなお姉さんいるし、「ここは楽園か!?」と思ってましたね。

はははは。

MAAR:でも、まだ10代だったので、〈ゴールド〉も、終電終わってから行ってるのに、「ダメだ」「入れない」と言われてましたね。仕方なく、ジュリアナの横の川沿いで寝てたり(笑)。で、同じく入れなかった女の子をナンパしてみるけど完全シカトされたりして、しょうがないからジュリアナのひとたちをずーっと見て、「すっげー車、これどうやって乗るの?」みたいなことを言ったり。で、川原で酒飲んでゴローって寝て、いちおう1時間交代ぐらいで店員が変わるからもう一回行ってみて(笑)。それで入ると、一回飛ばした店員に見つかって「お前ら入ってんじゃねーよ」ってまた出されて、繰り返し。そのうち知り合いも多くなってくるんですけど。知り合っても「お前ら未成年だからダメだよ」って言われてしまったりね。
 〈リキッド〉もよく行きましたね。それこそジェフ・ミルズの来日DJはものすごかったですね。会場に入って、バーには誰もいないから、「全然がひとがいねー。ジェフ・ミルズってそんなに人気ねーのかなー」って思って、ドアをグッと押しても開かなくて、「うおー!」って開けたらパンパンだった。そんなの初めて見た。で、あの人がクネクネしながらエライコッチャなDJしてて、「事件!」って友だちと言ってました(笑)。

はははは。

MAAR:「大変なことが起きてる!」みたいな。〈リキッド・ルーム〉ではバカみたいに踊りましたねー。マスターズ・アット・ワークのときもオープンからラストまで8時間踊ったり、ベーチャン(ベーシック・チャンネル)来たときもずっと踊っていました。

そういう風に、いろいろな現場をリアルタイムで見ることはできたものの、自分たちがいざ「出て行きたい」ってなったときには難しかった?

MAAR:そうっすね。リミックスとかもちょいちょいやってたんですけど。EMMAさんのミックスCDに入れてもらったりしてるんですけど、そこからとくに展開もなく。ハッて気づいたら、「やべー、テクノ・ブームに乗っときゃ良かった」と思って。KAGAMIくんが同い年だったんです。専門学校がいっしょで、その頃はお互い全然知らないんですけどね。「そっか、そういう手があったか」と思って(笑)。で、サンプラーで一生懸命曲作って聴かせても、ハウスの先輩たちは誰も反応してくれなくて(笑)。

いまでこそハウスとテクノの垣根が崩れたけど、当時はものすごい壁があったもんね。

MAAR:いまはもうテクノがハウス化してるし、ハウスがテクノ化してるし。

90年代っていうのはふたりにとってどういう10年間だったんですか?

DARUMA:青春時代ですね、完全に。基本的にはお金なかったですけどね。で、あるとき「俺ダンサーとしてやっていこうかな」って人生を考えたときに、ダンスでご飯食べていくって言っても、ダンス・スクールか、誰かのバック・ダンサーになるか、振りつけ師になるかしか、基本的には見えないんですよね。で、僕ダンスすごく好きなんですけど、ダンス上手くないんですよね。

はははは。

DARUMA:でも僕は、ダンスにヒップホップを感じていたんですよ。あのころのダンスは、いまのスポーティなダンスとは違ってましたから。
 で、じゃあダンスで、僕のスキルで果たして食っていけるのか、って。自分はダンスで食っていくことはできないと。結局、アンダーグラウンドに僕はステイして、ダンスとDJを続けて、あとファッションが好きだったんで洋服を勉強しているうちに、MAARと出会うって感じなんですよ。

かたやMAARくんだけど、〈マニアック〉の木曜日に回してたときは、けっこう悶々と回してるわけでしょう?

MAAR:悶々と回してますね。21から25ぐらいまでかな、「もうやってらんねーや」的な気分になって、クラブのDJやらなかった時代もありますからね。「ダメだなこれ」と思ったことがありました。ちょうど“アラウンド・ザ・ワールド”とかをかけてた頃ですね。で、いちどクラブの現場から離れて、それで曲をしっかり作ろうと思ってたんですけど。
 曲作りは19ぐらいからずっとダラダラやってます。いまいち自分のスタイルが出来なくて……じつはしっくり来るようになったのは超最近なんですよ。曲を作るのが面白くなってきたのが。これ(今作)をマスタリングしたときに、けっこういいスピーカーで何回か聴いてて、「なるほど」っていろいろ気づくことがあって。最近、楽器も練習し直してて。

DJの世界ってさ、たとえば10代の頃にデビューしたDJがトラック・メイカーとしては40代でデビューすることって、意外とあるんだよね。

MAAR:リカルドとかもファーストEP見ると20代半ばぐらいだし。たぶん、自分が楽器を弾けないからDJをやりはじめたっていうのもあるんだと思います。でも、いまは逆だったりして、楽器バリバリ弾けるのに打ち込みやっちゃうジェイムス・ブレイクとか。けっこうね、いい迷惑だったりするんですけどね(笑)。

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べつに暗いものが高尚だとは思わない、でも、やっぱりオリジナリティが欲しい……それがオリジナリティか変な音楽かはひとそれぞれなんですけど、俺は毒があって癖があるものが、すべてにおいて好きなんです。

なるほど(笑)。話を戻すと、ふたりとも90年代のクラブ・カルチャーを通っているんですね。で、2000年代に入って、2メニーDJズやジャスティスみたいなものが出てきて、そしてDEXPISTOLSとなって世に登場する。で、俺は、2000年代のクラブ・カルチャーって、90年代に対する反省であったり、そういったものも含めてなんだろうけど、すごく下世話になったと思うのね。90年代っていうのは、良くも悪くもスノッブだったでしょう。良く言えばオシャレだったし、悪く言えばスカしてる感じもあったと思うんだよ。2000年代っていうのは良くも悪くも、下世話で、言うなれば、ヤンキー臭くなったという印象なんだよね。で、DEXPISTOLSってその象徴的な存在じゃない(笑)?

DARUMA:そうですね。お恥ずかしながら(笑)。

たとえばだけど、90年代のピチカート・ファイヴが2000年代になるとカプセルになるというように、2000年代は物事が下世話になったと思うんだよね。たとえば大沢伸一みたいなひとはずっと下世話なままでやっていけるひとなんだろうし、それはそれですごいと思うんだけど、いや、悪い意味じゃないよ。

MAAR:いや、でも俺それ、すげーわかります。2000年代の下世話感。

だってさ、アンダーグラウンドもヤンキーっぽくなったからね。精神論ばっかというかさ。DEXPISTOLSは、そういう意味ではまったくヤンキーではないんだけど、ただ、下世話なことを確信犯としてやってきていて、で、その下世話さだけでは満足できないように見えるんだよね。

MAAR:いろんなものが好きだっていうのは基本的にあるんですけどね。まー、ギリありっていうEDMもかけてますし、“ゲット・ラッキー”もかけてます。ただ、自分が大事にしてるのって、結局、場の空気感なんです。どういうひとがいて、どういうものがかかってて……まあ、どういうひとが集まってほしいかっていうのがデカいんですよ、自分的に。だから音楽が先行していないと言えばそうなんですけど、でも、好きな音で思想とか嗜好とかが近いひとたちが集まる場所がクラブだと思ってるんで。

スクリレックスにはなりきれなかった?

MAAR:初期はかけてたんで何とも言えないんですけど、あれの世界観をほんとに「カッコいいよね、これ!」って言ってるひとたちと俺は馴染めないってだけで(笑)。でもドッグ・ブラッドは、ガンガンかけてたり(笑)。

その引き裂かれ方、ていうか、「両方好きで何が悪い」って感じなのかな。

MAAR:べつに暗いものが高尚だとは思わない、でも、やっぱりオリジナリティが欲しい……それがオリジナリティか変な音楽かはひとそれぞれなんですけど、俺は毒があって癖があるものが、すべてにおいて好きなんです。映画も、ただ、ワー、ドッカーン、ハッピー、ブチュー、ラブー! みたいなものより、「……どういう意味だったんだろうな、これ?」っていうほうが好きでですね。音楽もそういう感じがいい。
 何だろうな、喜怒哀楽の外側に持って行かれるものすべてに興味がある。バーンってぶつかったら痛てーし、肩ぶつけられたらイラッとするし、女の子のパンツ見えたらウォーってなるし。そうじゃない何か、踊っててもどこか掴まれるもの。要はディープ・ハウスでもテクノでも、それを聴いたときの快感がヤバくて。日常に落ちてねーやってところでクラブに行ってたから。あまりにも日常的な感情だけをボンって出されると、「これだったら家でゲームやっててもいっしょだな」みたいな(笑)。

なるほどね。

DARUMA:たぶんエレクトロのヤンキー的な感覚のままもし行ってたら、僕らはガッツリEDMのトップ40とかもガンガンかけるようなDJになっていく流れだったと思うんですけど……。

そうなの(笑)?

DARUMA:DEXPISTOLSをやってるときから一般的にはそういう風に見られてるんだけど、だけど、すごくいろいろなことを掘って僕らのことを見てくれているひとは、「アイツらはそういう感じになってるけど、そうはなってないギリギリ感があるからアリ」って思ってくれてて──

MAAR:乳首の話だ(笑)。

DARUMA:乳首見せてないから、アリっていう風に思ってくれてるひとがなかにいて。その乳首は絶対に見せないって感じのところが僕らのなかで共通項としてあるから、今回もこういうミックスCDになってるんじゃないかなって僕は思うんですけどね。

うん、ふたりを見てると、それは本当にそう思いますよ。たとえば、『Lesson.04』を出した頃っていうのは、世のなかに一発お見舞いしてやりたいっていう気持ちががこめられてたと思うのね。で、『Lesson.05』を出して、そのまま続けることはできたと思うんだけど、ある意味、そこで踏みとどまってる……でしょ?

MAAR:ルー・リードの「ワイルドサイド」の歌詞じゃないですけど、ワイルドサイドを歩くと変人に当たるっていう(笑)。俺は、ゲットーに生まれたわけでもないし、恵まれた家にも生まれたわけでもないけど。父親は、大阪のゲットー生まれで、母親は、ワイルドサイドを渡り歩いてきた人でしたけどね。いろいろあって幼少期、家庭環境は劣悪そのものだったり(笑)。とにかく俺にとっては、リアルってものがしっくり来る。でもね、やりきってお金持ちになっててもそれはそれで違ったのかなとも思うんですけど(笑)。

はははは。

MAAR:でも結局やりきれない自分がいるんで。どこかカッコつけたがりだし、ビビりだし。とはいえ踏みとどまったって、音楽でガッツリお金稼いでとんでもない生活してるひとたちもいるんですけどね。目指すのは茨の道ではあるとは思うんですけど、そういうほうが俺には心地よく思える。友だちがいいこと言ってて。「アンダーグラウンドっていうのはジャンルとか音楽的なものじゃなくて、生き様だ」って。俺もそう思うんです。

要するに、DIYってことだよね。だからね、90年代にもいいところはたくさんあってさ、たとえば当時のクラブでクライマックスにかかった曲は、オリコン・チャートでは出ない曲なんだよね。「ヒットする」っていう意味にもうひとつべつの回路を作ったのがクラブ・カルチャーっだったわけで、みんな知ってるヒット曲をかけるのがDJじゃないから。EDMというか、いまのレイヴ・ミュージックって、アメリカでは中高生の音楽なんで、俺がとやかく言うスジでもないんだけど、ダンス・カルチャーという観点で見たときのがっかりさをひとつ言うと、結局は、ヒット・チャート的な価値観に回収されているというか……。ダンス・カルチャーのオルタナティヴ感をすっかり無くしているところなんだよね。

MAAR:たしかに、〈イエロー〉や〈マニアック・ラヴ〉はアンダーグラウンドでしたね。まあ、レコードとかクラブ・ミュージックって、昔はきちんとショップに行かないと買えなかったじゃないですか。でもいまって、クラブ・トラックがエクスクルーシヴなものじゃないんですよね。iTunesで買えるし、YouTubeでも聴けるし。ある意味ですべてがエクスクルーシヴではないんですよね。
 若い子たちってすべてを怖いぐらいにフラットに見てて、ラップもやればアニメも大好き、みたいなやつも平気でいたりとか。この前〈レッドブル・アカデミー〉の〈ヴィジョン〉の試写会行ったら、すげーコンサバなお姉ちゃんが帰り際電話でビートについて誰かと熱く語ってて、「あーもうすぐ作りたいわー、曲」みたいな。「どんな時代?」と思って。

はははは。

MAAR:ある意味すべてがフラットになっているでしょう。クラブ自体がエクスクルーシヴな場所じゃないし。とはいえみんな、世界中のエクスクルーシヴな場所を一生懸命探して、いまだとベルリンに集まってたりとかしてるんでしょうけど。それからルーマニア・ハウスが盛り上がってきてたりとか、メキシコが盛り上がってたりとか。南米の4つ打ちいま面白いですもんね。

東欧と南米。北欧から東欧に行って、南米行って(笑)。

MAAR:北欧ありましたよね! ちょうどおとといルオモ聴いて、これカッコいいなって思ってました。

EDM……っていうか、現在のクラブって、大きなところは、90年代初頭で言うところのユーロ・ディスコ化しているよね。まあ、いいんだけどさ。

MAAR:あれですね。ボン・ジョヴィとかに近いですね。もう。

しかし、MAARくんは本当に詳しいよね。世間的にはそういうイメージないけど……。ところで、DEXPISTOLSにとってベース・ミュージックっていうのはどういうものだったんですか?

MAAR:俺は、いちダンス・ミュージックっていう以外の捉え方はしてないんで。たぶんロックかけてたときも踊れるか踊れないかが基準なんですよね。

〈ナイト・スラッグス〉のTシャツ着てるからさ、今日。ガール・ユニットの曲も今作には入ってるしね。俺も好きですよ、〈ナイト・スラッグス〉。

MAAR:ガール・ユニット(の曲をCDに)入れたから着てこようかなと(笑)。ただ、「括られちゃったらいやだなー」っていうのはある。野田さんもメールに書いていていたけど、ベース系の世代の子たちが4つ打ちやりだしているのも、現場行ったら「踊らせたい」っていうことだと思うんですよ。

最近の、その4つ打ち回帰はどう思う? 血気盛んな10代を相手にしているとはいえ、EDMがブローステップからトラップへと、ちょっと凶暴な方向に進んでいるんで、ピースなヴァイブを求める大人はあらためてクラブを重んじるんだろうし。

MAAR:まあ当然そうなりますよ。やっぱクラブでギグ増えてきたら、踊らせなきゃって思うだろうし、作ってるとだんだん、4つ打ち、シカゴ・ハウスが何だかんだ言って「やべー、これ完成されてる」ってなりますもんね。4つ打ちって、結局、帰ってきちゃう場所だと思うんですよ。

言い方を変えると、いまハウスが一番ヤングの音楽なんだから。ケリー・チャンドラーとかマスターズ・アットワークがね。

MAAR:ディスクロージャーとか……。でも、クラブ・ミュージックにおいては、テクノ、ハウスって、もう世界的に確立したものではあると思うんです。何だかんだ言って一番踊りやすいっていうシンプルさではじまっちゃってるんで。そこに戻ってくるとは思うし、結局そのシンプルななかで何かやるっていうのが難しいわけだし。

まあでも、2年前ならトッド・テリー(ハウスのリジェンドのひとり)とか、DEXのミックスCDには入らなかったと思うんだよね。

MAAR:たしかにそうですけど、じつは俺らの『Lesson.02』か何かで──。90年代ハウスのミックスを作ってたりするんですよ。

それいま出したら売れるよ(笑)。

MAAR:90年代のハウスとか、ボム・ザ・ベースとか、ああいう80年代90年代にクラブで聴いてたものを超エディットして、30曲ぐらい入れてるんだよね。あれはすっげーBPMを下げて出したらヤバいかも。

DARUMA:うん。でもあれはあれで面白い。一生懸命やってるんですよね、なんか。

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俺に立ち返るところがあるとしたら、パーティです。パーティにはたぶん、一生戻るんです。そこに何がかかってるかは、その時代ごとでわからないけど。でも、自分の帰るところはパーティですね。

さっきから話しているけど、本人たちの引き出しはこれほど多様なのに、DEXPISTOLSはエレクトロで売れたから、一般的には、いまだにそのイメージが強いよね。

DARUMA:そうですね。で、マッシュアップのときにふたりでやりはじめて、エレクトロのときに波が来るのがわかったんで、「ここで俺らやんないと!」って意識がすごくあったんですよね。まわりを見渡したときにジャスティスが「ヤバい」って言ってるDJがひとりもいなかったし。たんなるノイジーな、わけのわかんない音楽っていう認識だったとたぶん思うんですけど。ジャスティスが、っていうか〈エド・バンガー〉が出てきて、「東京から俺らがここに乗っかってやるぜ」っていう意識はすごくありましたよね、やっぱり。

ロラン・ガルニエも〈エド・バンガー〉のことは評価してるもんね。

MAAR:忘れもしない、だってジャスティスのあのシングルが出る前に──。

DARUMA:「ウォーターズ・オブ・ナザレス」?

MAAR:うん。当時〈シスコ〉のハウス店にいた西村(公輝)さんがすんごいニンマリした顔で、「好きそうなの出てきちゃったよー」って言って、聴いたのがあれで。

へー(笑)。

MAAR:でもよく見たら、〈ジゴロ〉から出てる「ネヴァー・ビー・アローン」(2004年)とか俺持ってて。「あーこのひとなんだー」と思いましたね。最初みんなに聴かせても全員ハテナ出されて。「ビービー言ってるね」って。DARUMAくんすら最初ハテナだったから(笑)。

DARUMA:俺は〈ラ・ファブリック〉で、トレヴァー・ジャクソンと2メニーDJズのお兄ちゃんとペドロがバック・トゥ・バックでやってたのを見たことがあるんです。そのときは、俺、全然わかってなかったんですけど。そこでペドロがジャケット見せながらかけてて、それがノイジーすぎて理解出来なくて。サウンドの質感は違うけどウータン・クランとか最初聴いたときの異物感に近かったっていうか。

MAAR:で、俺サウンドチェックとかで聴いてると、大体PAのひとがバーって走ってきて、「これこういう曲ですか?」って毎回言われるっていう(笑)。

ジャスティスはその後、アメリカですごくウケたよね。

MAAR:ヘヴィメタですもんね。

あれがアメリカのいまのレイヴに与えた影響ってデカいのかなあ?

MAAR:デカいと思いますよ。暴れりゃ勝ちでしょ、みたいな。ジャスティス自体はほんとは音楽性が高いんですけどね。サウンド処理とかじつはとんでもないことやってて。あれぐらい音のトレンド自体を変えるひとたちはいないと思ってるんですけど。あれはたぶん、〈エド・バンガー〉チームが作ったものではあるんですよ。

DARUMA:そうそう。ペドロの手腕ってところがあるよね、やっぱり。ソー・ミーのアートワーク含めて。

MAAR:第二のダフト・パンク作りたいですっていうのがね。

DARUMA:やっぱりあのエレクトロの波っていうのは、ペドロの功績が相当大きかったなっていう。

実際、ペドロが仕掛けたものだしね。

MAAR:ペドロって、若干20歳にして、〈クラブ・レックス〉に初めてマスターズ・アット・ワークを呼んだ人なんですよ。フランスのクラブにディープ・ハウスやテクノを持ち込んだひとりなんです。で、そこにダフト・パンクが遊びに来て、お互いマスターズ・アット・ワークが好きだったと。それが縁でマネージャーになったらしいんですよね。

いまのは、ダンス・ミュージック好きには良い話だね。

MAAR:最近〈エド・バンガー〉がサインしたボストン・バンとか、新しい、すげー遅いハウスなんですけど。なんとなく理解できるなと思って。

MAARくんは、さっきの自分のルーツは何なのか? っていう話の続きなんだけど、本当にそこはどう考えているの?

DARUMA:僕はそこはヒップホップです。

DEXがもし迷ったとき、立ち返る場所っていうのは?

DARUMA:僕個人のなかではヒップホップを感じるか、その1点だけなんですよね。そこがブレていくってことはこの先たぶんもうない。僕はきっとそこだと思います。だからベース・ミュージックっていうのも、トラップとかダブステップとか、ポスト・ダブステップとか言われているものも、ヒップホップ的な感覚で聴いてるところが僕はあるかな。

じゃあジェイムス・ブレイクはダメでしょ。

DARUMA:いや、好きですね。

はははは。

DARUMA:ジェイムス・ブレイクに僕はそういう要素を感じることがもちろんできるから。

MAARくんは?

MAAR:俺に立ち返るところがあるとしたら、パーティです。パーティにはたぶん、一生戻るんです。そこに何がかかってるかは、その時代ごとでわからないけど。

MAARくんが理想とするパーティっていうのはどういうもの?

MAAR:面白いひとがいるところですね。面白いひとがいる、刺激的な場所である、刺激的な音楽がかかってるっていうところですかね。最近は、モノを作るのがやっとほんとに楽しめるようになってきたんですね。でも、自分の帰るところはパーティですね。
 いま、世のなか的には右傾化してて……海外からは右傾化してる日本に対してけっこう警告されたりはするんですけど。ケータイもテクノロジーも含めてどんどんガラパゴスになっていってるって言われる。でも、かたや、日本人のスキルも上がって、海外の有名なDJを呼ばなくても良いセットを聴けるようになったし……、あまりにもDJがロック・スター化したシーンがあって、料理人だったようなものがロック・スターになっちゃって。ただ、パーティというのは、もっとトータルに見せるものだと思うんです。空気感だったり……。

70年代のNYなんか、ある曲がかかると冷房入れるとかさ(笑)、そこまで考えていたそうだからね。

MAAR:昔、イビサでけっこう有名なDJでガン踊りしてたら、隣で似た様にガン踊ってた外人に「今日のDJ、誰?」って訊かれて「お前、知らねーのかよ!」みたいな。それぐらいひとつの面白い空間として、DJが誰とか関係ないひとも音にこだわるひとも、そこに集まるっていうのが理想すね。

DARUMA:最近は、二極化してる感じしますよね。すっげーひと入ってる大バコがあって、EDM的な、トップ40的なものでみんながワッショイ盛り上がってるっていう現場。もう一方では、大バコ程は人は入ってなかったりするかもしれないけど、良い音楽があって、良い空気感のあるパーティもあって。同じクラブ・シーンのなかでも、まったく別のものとして存在していますよね。

そもそもヤンキー的な方向に行くのって、絶対抑えられないと思うのね。もうずーっと、欧米だってそうじゃない?

MAAR:ベルリンでもありますもん。EDMのクラブ。

UKだってそうだよ。でもクラブ・カルチャーっていうのはさ、実は、そういうヤンキー臭さ、下世話さも受け入れているところがじつは良さだとも言えるんだよね、矛盾しているようだけど(笑)。理想を言えば、誰もが自分を解放しなきゃ意味ないんだし。

MAAR:いや俺もほんとそう思います。ただ、昔はおっかないひとたちってけっこうカッコいい音楽掘ってたんですよ。俺の先輩とか、エンジニア・ブーツで革パン履いて革ジャン着て、背中にラリー・レヴァンのサインですからね。

最高だね。

MAAR:「これいつもらったんすか!?」って訊いたら「この格好でNY行ったときに10時間踊ってやったら、『ユーはシリアス・ダンサーだ』って言われてサインしてもらった」みたいな(笑)。で、ジャラジャラとクロムハーツとかつけてて。たぶんそのミックス感も、クラブだけで許されるような気が俺はしてて。

その猥雑な感じっていうのをDEXPISTOLSはすごく出してると思いますよ。

MAAR:それはヤンキー感が強すぎなんじゃないですか(笑)。

はははは! 言ったね(笑)。

MAAR:それは、もう、俺らの地元の問題なんですよ。

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最初はBPM140ぐらいで揃えようとしたんです。ポスト・ダブステップ的な、それこそ〈ナイト・スラッグス〉とか、そういうものにラップを乗せようっていう。でも、時代は動いたし、140だけで合わせるより、BPM100ぐらいのエレクトロニック・ミュージックも入れてみようと思った。


DEXPISTOLS
LESSON.08 "TOKYO CULT"

エイベックス/tearbridge

Amazon

ところで、今回の『Lesson.08』このLessonシリーズっていうのはダブルディー&スタンスキー(※サンプリング・コラージュとしてのヒップホップを強調した人たち)にあやかってやってるんでしょ?

DARUMA:ヒップホップの流れっていうのもあるし。

今回のCDは作ってる側からすると、どういうコンセプトで作ったの?

MAAR:でも、じつはこれ、繋いでないんですよ。いわゆるビート・ミックスってことはしてないんです。
 最初のコンセプトはミックステープ的に、ひとの曲にもっとラップとか歌とか乗っけたかったんですけど、権利関係で無理だったんです。で、いまはミックスだけだったらサウンドクラウドなんかでいくらでも落ちてるし。DARUMAくんがダンサーのショーケースの音源的に、小ネタ的をどんどん挟んで展開してくれてるのを最初作ってくれてラフで持ってきて。後半はビート・ミックスで、なんて言ってたんですけど、じつはその作業ってPCでやるとめちゃくちゃめんどくさいんですよ。
 前は俺、それ全部きれいにミックスしてEQも調整してやってたんですけど、めんどくさくてやる割にはまったく勢いがなくなるんですよ、聴いてて。「なんでこんなつまんねーんだ」ってなってて。昔はもうずーっと、何日間も曲を聴いて合わせてたんですけど、それでやってもカッコ良くないんですよ。で、DARUMAくんに「もうちょっと後半もそういう感じで作って」って言って作ってもらったんです。あとは俺もそういうのを付け足して、ちょっとエフェクトかけたりとか小ネタをまぶして。音量もある程度、気づいたらバラついちゃったんですけど、マスタリングでわざと突っ込んでもらったりと、か突っ込まない場所作ったりとかして。ほんとラフな感じが逆に面白いな、と思って。

選曲のコンセプトは?

MAAR:最初はいちおうダブステップっぽい感じだったんですよ。

DARUMA:最初はBPM140ぐらいで揃えようとしてたんですけど。じつはこの話が1年前ぐらいかもっと前から進行していて、ポスト・ダブステップ的なところからやってみようか、って言ってたんですよ。それこそ〈ナイト・スラッグス〉とか、そういうのを紹介するようなものにラップを乗せようっていう。140で合わせていったら、ケンイシイさんの“エクストラ”とかも、ダブステップの同じBPMのなかに入ってくるのが面白そうじゃない? って言って、140で揃えようとしてたんですけど。もうちょっとこう、時代が動いたっていうのもあるんで140だけで合わせるより、BPM100ぐらいのエレクトロニック・ミュージックの動きとかも出てきたりしてるので、そういうところも入れつつ、借りれたものを組み合わせていったら、こういう流れになったんです。結果的には僕たち的に面白いものになったなと思っていて。全然納得いってる。100パーセントではないにせよ、できる限りのことはやったかなと思ってます。

そうだね。あと、DEXPISTOLSのいままでのなかではいちばん渋いかなって思ったんですけど。

MAAR:あー、やべー。俺全然そういうの思ってなかった。俺けっこう派手だなと思ってたんすけど(笑)。人によっては、EDM枠かなって(笑)。最近俺が遊んでるところが地味だからかもしれないなー。

より、ディープにクラブよりって意味で、そう思った。日本人の曲をフックアップしたいっていうのは前からやりたかったことなんだろうけど、今回はそこも意識してやったのかなって。

DARUMA:でもそれが、無理して入れたわけでもないんですよね。昔は、無理してでも日本人のトラックも紹介したいっていうのがあったんですけど、今回が気づいたら多かった。それを並べてみたら「全然いけた!」みたいな。

ハハハハ。

MAAR:でも、音楽が売れなくて、震災もあって、っていう時代でそれでも作ってる若い子がいるってことはすげーことだと思うし。ほんとカッコいいです。気合入ってるし。

なるほど。

MAAR:モノを作るっていう意味ではとてもいい時代だとは思うので。ゆとり世代のぶっちぎり感ってすごいっす。

俺もそれは思う。25歳ぐらい、面白いよね。

MAAR:もうね、社会的な歯車としては一切機能しないんですけど、モノを作る能力だけは──

DARUMA:ヤバいんですよね。

MAAR:どうしたどうした、その自信? みたいなやつが多い。

DARUMA:ハハハハ。

じゃあ期待できるね!

MAAR・DARUMA:期待できる!

interview with Real Estate (Martin Courtney) - ele-king

 リアル・エステイトはふたつの車輪で回っている。ソング・ライティングという舵をとるマーティン・コートニーと、その楽曲世界を特徴的なギター・ワークによって拡張するマシュー・モンデナイル。インディ・ファンには、もしかするとモンデナイルのほうが馴染み深いかもしれない。彼のプロジェクトであるダックテイルズは、〈ノット・ノット・ファン〉から〈ウッジスト〉、〈オールド・イングリッシュ・スペリング・ビー〉、〈アンダーウォーター・ピープルズ〉といった、USアンダーグラウンドの2010年代を準備したともいうべきレーベルを星座のようにつなぐ、重要な存在だ。

※みな、あのユーフォリックなギター・アンビエントや、穏やかながら底知れないインプロヴィゼーションに、いちどは耳を奪われたはずである。そこにはブランク・ドッグスやヴィヴィアン・ガールズのようなガレージ・バンドも、ラクーンのようなノイズ・バンドも、サン・アローのようなずっこけダブも、カート・ヴァイルのようなシンガーソングライターも、そして自身が主宰する〈ニュー・イメージズ〉のメデリン・マーキーのようなノイズ・アーティストや、エメラルズのマーク・マグワイヤなどまでを横に並べてしまう幅がある。

 しかしあのモンデナイルの音がリアル・エステイトかといえば、そうではない。リアル・エステイトにはコートニーの「ソング」があり、それでこその生活感や物語がある。「水平線はいらない/空の終わりは知りたくない/かすかな景色/ぼくが生まれた場所」(“Had To Hear”)──ひかえめな筆致で描かれるのは、ダックテイルズが幻視させる無辺のユートピアではなく、むしろその真裏にあるような「郊外」、そしてそこで営まれる若くない人間の現実、ぼんやりとした不安、苦く、ときめかず、生活にまみれた恋愛などである。実際のところ、とても地味で、地道な音楽だ。


Real Estate - Atlas
Domino/Hostess

Tower HMV iTunes

こうしたところが彼らのおもしろいところ。モンデナイルのエクスペリメンタリズムはもちろん逃げ水のごとく魅惑的に輝いているが、あくまでそうした実験性によってではなく、メンバー個々のたしかなプレイヤビリティに支えられて各楽曲を成立させているところが、いまのリアル・エステイトの存在感を一段押し上げている。それぞれの楽曲と演奏はライヴと地続きだ。そして、とても洗練されている。プレイヤビリティと洗練、これはとくに、サード・アルバムとなる今作『アトラス』においてまざまざと感じさせられる特徴だろう。録音はむろんのこと、正式にドラマーを迎え、よりかっちりとしたスタイルが整えられてもいる。タイトなドラミングによって心地よく分節される音、旋律。地に足の着いたセッションが生み出す上質なソフト・サイケ。彼らのたたずまいもアーティストというよりミュージシャンたちの連合という形容がふさわしく、そのつながりにおいてまさしくバンドといえる。ceroや森は生きているや、あるいはミツメなどが多くの人に愛される、いまこそ聴かれるべき音楽ではないかと思う。

 本作はリアル・エステイトのキャリアにおいてもとくに落ち着いた作品だが、もっとも長く聴きつづけるアルバムになるはずだ。「この辺りに戻ってくると/嫌でも歳を感じる/昔過ごした家々の前を通り過ぎれば/過去の人々が見える、/……」「ここは昔と変わってしまった/でもあの懐かしい音がする/黄色の町並みを照らす光でさえ/かつてぼくらの町だった時と同じだ」(“パスト・リヴズ”) 変わっていく町の変わらない営み、そうしたものへの視線が鋭く照らしだす、生活という時間の断層。ここには、一瞬を生きるための音楽ではなく、層状に時を重ねていくための音楽が鳴っている。

自分の音楽を理解することに時間を費やさないからな。ただその時に合ったものを書いて、それを生演奏するのみ、だよ。

これまでのなかでは、はじめのアルバム『リアル・エステイト』(2009年)がもっともトリップ感のあるアルバムだったように思います。よりダックテイルズ的でもあり、あるいはサン・アローのようなバンドとも共通する音楽として聴いていました。しかし、枚数を重ねるごとに、地に足のついたフォーク・ロックへと接近していますね。こうした傾向は、なにかあなたがたの生活などとも結びついたことなのでしょうか?

MC:ダックテイルズは、マットのもう一つのプロジェクトなんだ。だから彼の音楽にはつねに関連づけられるね。それに、サン・アローのキャメロンは僕たちの友だちだよ。僕たちのサウンドを形容する言葉を探すと、「忠実度」なんじゃないかな? いまはプロのスタジオを使ってレコーディングをしているから、そういったものを避けて通ろうとしてないしね。

とくに、今作『アトラス』においてはドラムの果たす役割が大きいと感じます。歌ものとしての輪郭が立っていて、新たなリズムやタイム感を獲得し、表現の幅を広げていると思いますが、どうでしょうか?

MC:そうだね。ドラマーのジャクソン・ポリスが僕たちとスタジオ入りしたのは今回が初めてだったしね。今回のドラムが間違いなくいままでのどの作品よりもいいね。

あなたがたの曲はいずれもオールタイムの名曲のようにも思われ、また、ピカピカの新しい音楽のようにも聴こえます。あなたがたが新しい音楽として人々に受け入れられるとすれば、それはどんなところだと思いますか?

MC:どうだろうね。自分の音楽を理解することに時間を費やさないからな。ただその時に合ったものを書いて、それを生演奏するのみ。そうすることによって新鮮さを保てるんだ。あとは批評家、ジャーナリストの解釈に任せるよ。

一方で、ヒゲの風貌や“トーキング・バックワーズ”のMVなどは、さながら70年代のシンガーソングライターのようにも見えます。あなたがもっともアイデンティファイする音楽はいつの時代のどんなものなのでしょう?

MC:このアルバムの制作に取り掛かる前、間違いなくありとあらゆる70年代のロック作品に耳を向けてたね。ヒゲは本当にジョークのネタだね……、僕たちの“レット・イット・ビー”を作ってたんだ。

あなたがたは録音物においても美しいエクスペリメンタリズムを発露させていると思うのですが、ご自身たちの意識としては、ライヴ・バンド、ジャム・バンドであるというふうに考えているのですか?

MC:もちろんだよ。

では、音楽にとって何がいちばん大切です?

MC:正直であること。あとはたくさんの可能性に目を向けることだね。

ヒゲは本当にジョークのネタだね……、僕たちの“レット・イット・ビー”を作ってたんだ。

曲づくりの上では、マシューさんのギターとあなたのソング・ライティングとのあいだの絶妙な緊張関係が肝であるように思えますが、おふたりはお互いの特徴や個性をどのように感じているのでしょう?

MC:バンドの一人ひとりが音楽にスペシャルなインパクトを与えているんだ。みんながベストを尽くしてそれを同時に演奏しているときに、最高のモノが出来上がるんだよ。

“クライム”の教則ビデオ風のMVもおもしろかったですね。洒落たジョークという以上に意図したことがあれば教えてください。

MC:タブの数字を逆再生で見ると、秘密の暗号が解けるかもよ。

あなたがたの作品にはこれまでにも何度も「サバービア」というモチーフがあらわれていますが、日本人であるわれわれにとっては、それはたとえばガス・ヴァン・サントだったりハーモニー・コリンだったり、映画やコミックなどから間接的にしか接することのない幻想でもあります。あなたがたにとっても、「サバービア」が一種の幻想であったりすることはないのですか?

MC:僕たちにとってサバービアはガス・ヴァン・サントよりもジョン・ヒューズだな。

非常に乱暴な質問ですが、あなたのなかでは、生活と音楽とはどちらのほうがより優先されるべきものですか?

MC:それは僕が内出血を起こしていて、病院に行くのとステージに立つのとどっちを選ぶかってこと? だとしたら、僕はどんなときでも病院に行く方を選ぶよ。

ニュー・ジャージーのいまの音楽シーンについて教えてください。

MC:育っていく環境のなかでたくさんのバンドと演奏してきて、まだその友だちが音楽を続けているっていうのはとてもラッキーなことだと思ってる。

わたし自身、〈アンダーウォーターピープルズ〉や〈ウッジスト〉などのインディ・レーベルを心から尊敬していますが、〈ドミノ〉はあなたたちのステージを確実に世界へと広げるレーベルでもあります。ワールドワイドに活躍するようになってから、自分たちを、とくに「アメリカのバンド」として意識することはありますか?

MC:挙げてくれているレーベルはみな、古き良きユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカから来てるからね。アメリカンであることからは逃れられないね!

トム・シックとの作業や録音について、どのような感想を持ちましたか? また、新しく学んだことがあれば教えてください。

MC:トムがいちばんだよ。いままでの中で最良のサウンドを持ったアルバムを生み出すのに、本当に手助けしてもらった。いっしょに働くのも楽しかったし、仕事しているあいだ、圧迫される感じもしなかったしね。最高のプロデューサーだし、またぜひいっしょに制作に取り組みたいって思ってるよ。

 4月になったがNYはまだ肌寒く、ジャケットとスカーフは手離せない。カラフルな色がトレンドと言われる今年でもファッション関係の人以外、NYの大多数は黒……と地下鉄に乗っていて思う。そんなファッション・トレンドからは対角上にいる、著者一押しのモントリオール出身のシンガー・ソングライターがマック・デマルコ

 彼のトレードマークは、ブルーのチェック・ボタンダウン・シャツにオーバーオール、後ろ前に被ったベースボール・キャップ、そして隙っ歯。その辺にいるやんちゃなブルックリンの音楽好きキッズ代表である。パナシェがブッキングを担当しているので、名前は聞いたことがあったが、マック・デマルコを初めてみたのは、2013年8月末の、〈キャプチャード・トラックス〉の5年アニヴァーサリー・パーティだった。ただ、この時は、彼のセットでなくスペシャルゲストのシット・ファーザーとして、ドラムをプレイしていた。

 2013年11月初旬、アイスランド・エアウエイブスで,初めてフル・バンドセットを見る。

 ブッキングエージェントのパナシェについてのインタヴュー

 今年のはじめに、ブルックリン・ナイトバザーで彼のソロのショーを見たときは、「ニューアルバムは2015年発売予定!」といっていたのだが、今日4/1(エイプリルフール)に2枚目のアルバム「サラダ・ディズ」をリリースした。この2年間、世界中をツアーしていたデマルコは、去年の550人キャパのバワリーボール・ルームのオープニングから、1500人キャパのウエブスター・ホールのヘッドライナーにジャンプ・アップ。その前日のベイビーズ・オール・ライトは値段$30(!)なのでかなりの叩かれよう

 彼のスタイルは,ブルーウェイヴ、スラッカーロック。つま弾きギターと、どこかセンチメンタルなヴォーカル。ツアーに1年以上も出て、ガールフレンドを家において行くなど、フロリダにコンドを買って落ち着くにはまだ早い、23歳の感情をストレートに表している。バックヤードでハンモックに乗って、本を読んでいる。そんなレイドバックなギターポップ・ディドリームがぎっしり詰まったアルバム。

 以前見たブルックリン・ナイト・バザーのセットは、バック・バンドもいない、彼ひとりきりのショーだったが、観客のあいだでは、お約束のサーフィンが起こり、古い曲では、シンガーロングの大歓声が沸き起こる。
 カラオケタイムに突入すると、サーフィンはヒートアップし、アンコールをはさみ、彼も観客へダイブ。そのまま観客に運ばれ舞台袖へ退場。オーディエンスとのコール・アンド・レスポンスもタイトで、ジョークや下ネタが多く、オーディエンスを巻き込んで、一緒にパーティしてしまうのだ(彼のレイドバックな音楽スタイルとは関係なく)。その理由は「自分が緩くなった方が、オーディエンスもファンキーに盛り上がりやすいから」だとか。だから、今回発表された大ホールのショーに、キッズからブーイングが出るのも納得。とは言っても彼のジョークは減速せず、今年始めに、手始めに(?)マック・デマルコの新しいアルバムのプレビュー(パロディ)が発表された

 パロディなのだが、ショーではこの曲をプレイしろ、とマックにリクエストが出る出る!実は一番人気ソングかも(アルバムには未収録)。


Mac Demarco - Salad Days
Captured Tracks

Amazon iTunes

■以下「サラダ・ディズ」公式トラックリスト:
1. Salad Days
2. Blue boy
3. Brother
4. Let Her Go
5. Goodbye Weekend
6. Let My Baby Stay
7. Passing out pieces
8. Treat Her Better
9. Chamber Of Reflection
10. Go Easy
11. Jonny's Odyssey

 ちなみに、彼のバースネームは、ヴェーナー・ウィンスフィールド・マクブリア・スミス4世、(Vernor Winfield McBriare Smith IV)で、ニックネームがマック。冗談みたいだが、このアルバムは、パロディではない。是非聞いてみてほしい、エイプリルフールの今日。

Shintaro Sakamoto - ele-king

 坂本慎太郎の、セカンド・ソロ・アルバムが2014年5月28日(水)に、彼自身のレーベル〈zelone records〉からリリースされることになった……という情報は、みなさんもご存じかと思いますが、アルバム・タイトルも『ナマで踊ろう(Let's Dance Raw)』に決まったと、レーベルからメールが来ました。以下、レーベルのメールいわく「全くトロピカルではないスチールギターが、底抜けに明るいバンジョーが、人類滅亡後の地球でむなしく鳴り響く。構想&妄想約2年、坂本作品史上最もシリアスで最もポップな、入魂のコンセプトアルバムが完成しました」
 〈zelone records〉、続いていわく。「今回のレコーディングは、もはや坂本作品には欠かせないドラマーとなった菅沼雄太に加え、新たにベーシストとしてOOIOO等で活躍するAYAを迎え、トリオのバンド編成で入念なリハーサルを重ねた後に行われました。M-1のみ坂本がベースを弾いています。菅沼はドラムの他にパーカッションとコーラス、AYAはエレクトリック・ピアノとコーラスも担当しました。その他のゲストプレイヤーには、サックスとフルートに西内徹、ヴィブラホンに初山博、M-1のボーカルとコーラスに中村楓子、そしてエンジニアは中村宗一郎と、いずれも坂本作品ではおなじみのメンバーが強力サポートしています」

 2年前の『幻とのつきあい方 (How To Live With A Phantom)』において、ポップソングを探求した坂本慎太郎が次に何をやるのかは、我々にとって大いなる関心事である。リリースされるのが、とても楽しみだ。曲名を見ているだけでも、ワクワクするね!

www.zelonerecords.com
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2014年5月28日(水) zelone recordsより発売!
──初回限定盤のみ紙ジャケ仕様 / 初回&通常盤共に2枚組仕様──

ナマで踊ろう / 坂本慎太郎
Let's Dance Raw / Shintaro Sakamoto

01. 未来の子守唄
02. スーパーカルト誕生 
03. めちゃくちゃ悪い男 
04. ナマで踊ろう 
05. 義務のように 
06. もうやめた
07. あなたもロボットになれる 
08. やめられないなぜか
09. 好きではないけど懐かしい 
10. この世はもっと素敵なはず 

All Songs Written & Produced by 坂本慎太郎

品番: 初回限定盤: zel-012s / JAN: 4582237829204
通常盤 : zel-012 / JAN: 4582237829211
価格: 初回限定盤 ¥2,600+税 (紙ジャケ仕様/2枚組/BONUS CD付)
通常盤 ¥2,600+税 (2枚組/BONUS CD付)

Distribution: Bridge Inc. 03-3710-8049 https://bridge.shop-pro.jp/
More Info: zelone records: 03-6805 4232 info@zelonerecords.com


■坂本慎太郎 Profile■
1967年9月9日大阪生まれ。
1989年: ロックバンド、ゆらゆら帝国のボーカル&ギターとして活動を始める。21年間で、3本のカセットテープ、10枚のスタジオアルバム、1枚のスタジオミニアルバム、2枚のライヴアルバム、1枚のリミックスアルバム、2枚組のベストアルバムを発表。
2006年: アートワーク集「SHINTARO SAKAMOTO ARTWORKS 1994-2006」発表。
2010年: ゆらゆら帝国解散。解散後、2編のDVDBOXを発表。
2011年: salyu×salyu「s(o)un(d)beams」に3曲作詞で参加。自身のレーベル、zelone recordsにてソロ活動をスタート、1stソロアルバム「幻とのつきあい方」を発表。
2012年: 以前から交流のあるYO LA TENGOのジェームズ・マクニューのソロ・プロジェクト”DUMP”の”NYC Tonight"にREMIXで参加。NYのOther MusicとFat Possum Recordsの新レーベル”Other Music Recording Co" から、「幻とのつきあい方」がUSリリース。
2013年: 1月11日シングル「まともがわからない」(「まほろ駅前番外地」のエンディング曲) と同ドラマ劇中音楽を手掛ける。「攻殻機動隊ARISE」エンディング曲や、冨田ラボのアルバム「Joyous」に作詞で参加。舞台「高校中パニック!小激突!!」では作曲で参加。
2014年: Mayer Hawthorneとのスプリット7inch vinylを、4月19日の全米/全欧のRecord StoreDay限定でリリース(UNIVERSAL/Republic)。
5月28日に2ndソロアルバム「ナマで踊ろう」をリリース予定。

official HP: www.zelonerecords.com


Rainbow Disco Club 2014 - ele-king

 良いフェスの条件とは? 良い音楽があること。良い場所でおこなわれること。良い人が集まること。良い音楽は、良いオーディエンスを呼ぶ。会場の雰囲気が良いことは、音楽以上に、君の気持ちをあげてくれる。
 いまからGWの予定を考えている方に朗報。4月29日の昼前から夜にかけて、晴海客船ターミナルにて開催される「Rainbow Disco Club 2014」、ラインアップを見るだけでもワクワクする。
 ヘッドライナーにはムーディーマン。で、プリンス・トーマス、ヘッスル・オーディオ、マジック・マウンテン・ハイ……。まったく素晴らしい。
 まずは、主な出演者を簡単に紹介しましょう。

■ムーディーマン
 デトロイト・ハウスの……いまや巨匠と呼べばいいのか。90年代後半にこの人とセオ・パリッシュが出てきたとき、人がどう捉えたのかは1997年頃のele-kingを読むとよくわかる。はっきり言って、度肝のを抜かれている。いまでこそ、黒いだの、ファンキーだのと言われているが、当時彼のハウスは、実験的で、レフトフィールだった。先日リリースされたアルバム『Moodymann』は、日本でも異例のロングセラー。その直後の、しかも2年ぶりの来日になる。
 面白いのが、とかく「黒い」と評されるムーディーマンだが、彼のDJでは、マッシヴ・アタックもかかるし、ローリング・ストーンズさえかかる。音楽に人種も国境もない。フットボールにも。
 ムーディーマンは作品も良いが、DJも良い(マイクを握ることも多々あり)。選曲にも意外性がある。彼は間違いなく君に嬉しい驚きを与えるでしょう。

プリンス・トーマス
 ノルウェーのDJ/プロデューサーで、リンドストロールとともに、コズミック・ディスコ(プログレッシヴ・ロックとイタロ・ディスコの出会い)大使として知られる。2005年のアルバム『Lindstrøm & Prins Thomas』はマスターピースとして知られている。幅広い選曲からか、バレアリックとも言われるが、本人は地中海ではなく北欧の人。情報筋に寄れば、日本のインディ・シーンまでチェックしているそうなので、今回のRDCのメンツのなかでどんな選曲になるのか興味深い。

ヘッスル・オーディオ
 もっとも評価の高いポスト・ダブステップのレーベルで、運営する3人──ピアソン・サウンド/ラマダンマン(デヴィッド・ケネディー)パンジア(ケヴィン・マックオーリー)、そしてベン・UFO(ベン・トーマス)がそろってDJする。ピアソン・サウンドとパンジアは、ともにUKガラージ/ポスト・ダブステップからミニマル/テクノへとアプローチ。ジョイ・オービソンやボディカ(あるいはカッセム・モッセ)らとともにテクノのニュースクールの潮流として注目されている。
 ベン・UFOは、レーベルの看板DJとして活躍中。昨年のRDCにも出演している。また、昨年は、ファブリックからミックスCD『Fabriclive 67』をリリースしているが、その選曲を見れば、彼の趣味の良さがわかる。そこには、オリジナル・シカゴ・ハウスやデトロイト・テクノとベース・ミュージック、あるいはハーバートからカイール・ホールまで、この20年のダンス・カルチャーの素晴らしい部分が切り取られ、繋げられている。はっきり言って、かなり期待できるDJ。

■マジック・マウンテン・ハイ
 90年代から活動するベテランのムーヴ・D率いるプロジェクト。ハウス、アンビエント、テクノの折衷主義で、昨年末〈ワープショップ〉からアルバムを出して、大いに話題になったばかり。
 いま、マジック・マウンテン・ハイは、新譜を出せばレコード店で面だしされるほど注目度の高いので、現役で12インチを買っているリスナーには「おっ」という名前だが、ムーヴ・D自体は、この20年テクノを聴いているリスナー(それもかなりディープに聴いている層)には馴染みの名前である。90年代のムーヴ・Dは、自身のレーベル〈ソース〉をはじめ、アンビエント・レーベルで知られる〈FAX〉、あるいは〈ワープ〉などからも作品を出しているほど。エクスペリメンタルでありながら、メロウなところもあり、野外で聴く彼らの音響は、オーディエンスに良い夢を見させてくれること請け合いである。

 ──という、良いメンツを休日の昼から夜にかけて聴けるのである。
 ちなみに、会場は、先述したように、東京湾に面する晴海客船ターミナルという場所なのだが、実は東京オリンピックのための再開発によって、いま見える景色は来年には見れなくなる。かつてウェアハウス・パーティの会場だったテームズ側沿いの倉庫街が、再開発によってなくなったように……。
 そんなわけで、新自由主義的に亡くなっていく風景を心に焼き付けながら、ムーディーマンやマジック・マウンテン・ハイを聴こう。もう来年には、そこで踊ることはできないのですから。
 渋谷からだと40分〜50分で行ける。会場内には、Red Bull Music Academyによるセカンド・ルームも設置される。
 また、当日は、夜になると東京タワーもレインボーに発光するらしい……です。(野田努)

■Rainbow Disco Club 2014
■開催日:2014年4月29日(火)
■料金:前売チケット6500円 / 当日8000円
■時間:10:00 OPEN/START 〜20:00 CLOSE

■RDC STAGE:
MOODYMANN
PRINS THOMAS
MAGIC MOUNTAIN HIGH
HESSLE AUDIO
SISI

■RBMA STAGE
Special Secret Guest
San Soda
Kuniyuki
Hiroaki OBA
Kez YM

■チケットプレイガイド
CLUBBERIA https://www.clubberia.com/store/
イープラス https://eplus.jp/
Smart e+ https://sm.eplus.jp/e/170
楽天チケット https://ticket.rakuten.co.jp/
tixee https://tixee.tv/
Resident Adbvisor https://jp.residentadvisor.net/event.aspx?555668

■店頭発売
DISC UNION https://diskunion.net/
Technique https://www.technique.co.jp/
JetSet https://www.jetsetrecords.net/
Light House https://lighthouserecords.jp/

■MORE INFO:
RDCオフィシャルウェブサイト
www.rainbowdiscoclub.com


interview with Kelela and Total Freedom - ele-king

「これ以上、神聖なものって、ないの?」

 いつのまにか音楽はしぼみ、日本語のナレーションがくりかえし聞こえてくる。さっきまでトータル・フリーダム(=Total Freedom)のDJで盛り上がっていたフロアは、波がひいたように静まりかえった。会場の全神経がステージ上に注がれる。ほどなくして歌声が響きはじめ、しなやかな身のこなしでケレラが姿をみせた。「Is there sacred anymore?」――そのとき、10分後の気持ちさえ誰も予測できなかっただろう。当時はアルバム一枚さえなかった。たった一曲で彼女は話題になったのだ。張りつめたムードのなか、ケレラとオーディエンスが「はじめまして」からお互いをさぐりはじめる――あまりに官能的な瞬間だった。
ケレラはイヴェントが終わる直前にも、20人もいなかっただろうフロアに降りて、ふたたびマイクを握った。あの日むかえた夏の朝5時は、とても小さいのに広がりがあって、優雅でありながら繊細で、みんなが美しい汗に濡れていた。僕にとって〈Prom Nite 3〉は、2013年どころか、ヒカリエでの〈Revolver Flavour〉と並んで、生涯の最高の夜のひとつだ。


Kelela - Cut 4 Me
Fade to Mind

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 念のためおさらいしておこう。2013年5月にリリースされたキングダム(Kingdom)・フューチャリング・ケレラの楽曲“バンク・ヘッド(Bank Head)”が、サウンドクラウドで〈フェイド・2・マインド(Fade to Mind)〉レーベル史上(ケタひとつ違う)最多の再生数を記録し、『ダミー』誌や『デイズド&コンフューズド』誌は2013年のベスト・トラックとして評価している。同年10月に満を持してレーベル初のアルバムとなるケレラの『カット・4・ミー(Cut 4 Me)』がリリースされ、音楽メディアが軒並み高評価のレヴューで取り上げたのはご存じのとおり。受け身(feat.)のシンガーに納まりたくなかったケレラも陽の目をみるチャンスをうかがっていたはずで、R&Bサンプリングを愛してきたキングダムにとっても、そして世に知られるための決定的なフックを必要としていた〈フェイド・2・マインド〉にとっても、『カット・4・ミー』はまさにウィン・ウィンの結晶といえる作品だ。それによってケレラだけでなくレーベルの存在も急浮上し、『ファクト』誌は〈フェイド・2・マインド〉を2013年のベスト・レコード・レーベルとして讃えた。

 また、〈フェイド・2・マインド〉にはマイノリティとしての背景/出自があることも忘れてはならない。天野龍太郎がレヴューで触れているように、ケレラは移民の娘として育ち、マイク・Q(Mike Q)はヴォーグのフィールドで名を馳せているほか、レゲトンをかけまくっていたトータル・フリーダムやングズングズ(Nguzunguzu)はラテン系移民のLGBTコミュニティが集まるLAでのパーティ〈ワイルドネス(Wildness)〉で活動していた。

ドキュメンタリー映画『ワイルドネス』(ウー・ツァン(Wu Tsang)監督、2012年)には、周囲の圧力によってパーティが中止に追い込まれる様子が記録されているようだが、いまのところ観る手段はなさそう。

 そういった事柄は〈フェイド・2・マインド〉のあくまで一面/一要素にすぎないかもしれないが、まったく無視してしまうわけにもいかない。あのパワフルな「Ha!」が幾度となくミックスされているのは、けっして故なきことではないのだから。

 2014年3月末リリースのボク・ボク(=Bok Bok)との新曲“メルバズ・コール(=Melba’s Call”を、あなたは聴いただろうか? ケレラはまだまだ野心的だ。ぶつ切りにされたエレクトロ・ファンク。脳がゆれるようなオフビート。この故障気味のトラックに歌を乗せてしまうぶっ飛び様にはただただ感服するしかない。「次はこんなに近くで(=DOMMUNE)観れないかもね」と1-DRINKさんがささやいていたように、たしかにケレラの人気は高まっていくばかりだろう。けれど、彼女はけっして安全牌に落ち着くことなく、野心的な活動を続けてくれるにちがいない。

 幸い、近くで観れなくなるかもしれないその前に、僕はケレラとアシュランド(=トータル・フリーダム)に話をきく機会に恵まれていた。帰国直前のふたりといっしょに小さな町の蕎麦屋の暖簾をくぐったのは、2013年、コンクリートもジューシーに焼きあがり、トリップしそうになるほど暑かった真夏の昼のこと………。

(※ぜひ日本のファンに読んでほしいとケレラ本人から届いたラヴ・レターを、最後に添えておきます。)

アメル・ラリューっていうシンガーのライヴを初めて見たときのことなんだけれど、彼女がわたしのなかの何かをぶちこわしたの。あんなに自分の人生を懸けて歌を歌っている人を見るのは生まれて初めてだった。

アシュランド、今年(=2013年)だけで日本には4回も来ていたけど、今回はいろいろと慌ただしい滞在でしたね。そんななかわざわざ時間をくれてありがとうございます。まずはルーツについて訊かせてください。初めて買ったレコードは何ですか?

アシュランド:初めてのレコードはトッド・ラングレンかな。名前が思い出せないんだけど、彼が80年代に出した変なエレクトロっぽいやつ。8歳のときに初めてお小遣いをもらって、家族とショッピングモールに行ったときにレコード屋で買ったテープがそれだった。見た目が可愛かったからジャケ買いしたんだ。

ケレラはどうでしょう?

ケレラ:わたしは……トレイシー・チャップマンのデビュー作だったな。

アシュランド:素敵だね。

ケレラ:うん。でも自分で買ったわけじゃなくて、父からの贈り物だった。たぶん彼は私に気を遣って買ってくれたんだと思うわ。そのとき両親は離ればなれに暮らしていて、父がいつもわたしの送り迎えをしてくれていたの。学校に車で迎えにきてくれるときにだけ、父とふたりで会うことができる時間だったのだけれど、そのときにいつもおねだりばかりしていたから……Oh、 アリガトウゴザイマス(訳者註:蕎麦を運んできた店員に対して彼女は満面の笑みでそう応えた)。

初めていまのようなアーティストになりたいと思ったのはいつ頃ですか?

アシュランド:僕は自分のことをアーティストだなんて思っていないんだ。だからそのようなことを考えたこともない(笑)。そういう誰かのレコードを聴いて、この人みたいにいつかなりたいっていうプロセスで物事を考えたことはないんだ。

ケレラがシンガーになろうと決めたきっかけはなんだったのですか?

ケレラ:アメル・ラリューっていうシンガーのライヴを初めて見たときのことなんだけれど、彼女がわたしのなかの何かをぶちこわしたの。それがきっかけよ。あんなに自分の人生を懸けて歌を歌っている人を見るのは生まれて初めてだった。彼女の歌を聴いて涙が出てきたし、同時にとても幸せな気分にもなった。彼女はべつにわたしのそばでわたしの瞳を見つめながら歌ってくれていたわけではないのよ。ワシントンDCにある大きなコンサートホールで、わたしはステージから遠く離れて座っていたの。それなのに彼女の歌声はわたしの心の奥深くまではっきりと届いた。そのときは信じられなかったわ。その事実も、そんなことができる彼女の歌唱力も。その日を境に、わたしも人生のうちで一度くらいは歌に懸けてみるべきだと思いはじめた。 

それはいつ頃の話ですか?

ケレラ:わたしはもう大学生だったから、2004年頃のことかな。それまで浴室でシャワーを浴びながら歌ったりはしていて、学校の行事とかでソロで歌わされたりしたことはあったけど。あ、そういえばわたし、高校の「将来ポップ・スターになりそうな人ランキング」で1位に選ばれたのよ!

アシュランド:ハハハ(笑)。

ケレラ:きのう考えごとをしていたらちょうどそのことを思い出して。でもとにかく若いときから毎日下手なりに歌は歌っていたわ。日に日に少しずつ上達していっていまに至ったと思う。

以前、インタヴューで「アシュランドはアートスクールに行っていないことを誇りに思っている」とサブトランカのマイルスが言っていましたが、実際どうでしょう?

アシュランド:べつに誇りになんて思ってないけど(笑)、でも多くの人が僕はアートスクール卒だと思うみたい。実際、〈フェイド・2・マインド〉の連中や周りの友だちがみんなそうだし、シカゴに住んでいたときからの知り合いも未だに深い関係にある人はみんなアートスクールの出身なんだ。恐らくそういうイメージがつきやすいのは僕の立ち位置によると思う。僕はアートの世界でコンスタントに活動しているけれど、とくに音楽活動をするときにはいつもインスティチューショナルな現代アートの世界とクラブの世界の両方を行き来するようにしてきたしね。

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それこそが歴史的にシーンと呼ばれるものが生まれてきたポイントだと思うんだ。そこにあるんだと言ってしまうこと自体がそれを生むというか。

あなたがキュレーターを務めたプロジェクト『ブラスティング・ヴォイス』(Blasting Voice)はLPとエキシヴィションの両方の形で発表されましたが、あのヴァリエーション豊かなキュレーションは、何かのシーンを総括するようなものだったのでしょうか?

アシュランド:違うよ。コンピレーションを依頼されたときに「君のシーンにすごく興味があるから何かそれを総括するような物を作ってくれないか」って言われたんだけど、実際それを聞いてすごく笑ってしまったんだ。「それっていったいどういう意味?」って。依頼してきた人のこともまだよく知らなかったし、そのときはそれがすごくおかしくてさ。彼が想像していたようなシーンはそこには存在しなかったし、それぞれのアーティストもその作品もお互いに影響しあわずにすでにそこにあった。だからきっとすごくおもしろい仕事になるなって思ったよ。互いに繋がりのないさまざまな人たちの作品をそこに何か関連があるって想像しながらひとつにまとめていくんだから。でもそれこそが歴史的にシーンと呼ばれるものが生まれてきたポイントだと思うんだ。そこにあるんだと言ってしまうこと自体がそれを生むというか。だから、それはレコードを作る理由としてはじつに楽しいアイデアだったよ。本来のゴールとは違う形だったとはいえどもね。内容の時間軸もバラバラで、2005年頃に知り合いからもらった作品もあればリリース直前に完成した楽曲も入ってる。でもコンピレーションが出るまで誰も聞いたことがなかったものばかりだよ。エキシヴィジョンも同様で、すでに存在していたシーンをリプリゼントしたようなものではないんだ。
どちらもできる限り広範囲から選ぶように努力はしたんだけど、実際思ったより狭い範囲でのキュレーションになってしまったかな。みんな僕の知っているアーティストだったからそういった意味で偏りがあるのはどうしようもないけどね。

わたしが表現した「心地の悪さ」というのは、そこにまた戻ってきたいと感じさせる類いのものなの。それはただ無益に人を傷つけることとは違うのよ。

ケレラは、『ファクト』誌のインタヴューで、「ほとんどの人に共鳴されるとともに、リスナーを心地わるく(uncomfortable)させ」たいという旨をおっしゃっていましたが、それには何か理由があるのですか?

ケレラ:それは、「不安を感じること」には「成長すること」が伴うというわたしの考えから来ていると思う。いままで心地の悪さを経験したときにはいつも、「どうして不安になるんだろう?」って考えさせられてきた。だってもうそんな気分味わいたくないじゃない? たとえそれが意図的に経験させられたものじゃなかったとしてもよ。
わたしが表現した「心地の悪さ」というのは、そこにまた戻ってきたいと感じさせる類いのものなの。それはただ無益に人を傷つけることとは違うのよ。わたしが言いたいのは、他人のパフォーマンスを見ることによって自分が成長できるような瞬間があるということなの。単に「きみは歌がうまいね」とか「あの曲を見事に次の曲にミックスしていたね」とかそういうことじゃなくて、わたしはあなたに関与したいし、あなたにも関わりを感じてほしい。わたしは芸術というフォーマットを通して人との繋がりを得たいし、それだけが人が歌を歌う理由だと思わない? もしも誰にも触れることができないのだとしたら、わたしにはこれを続ける理由がわからないわ。

心地の悪さ、不安感などを伝えることで表面的な部分だけでなく、より深い部分でコミュニケーションを取りたいということでしょうか?

ケレラ:そうね。他にいい言葉がきっとあるはずなんだけど、思い浮かばないな……。とにかく人に関わりを感じて(feel engaged)ほしい。それは「OK、いまのわたしはこの場を去ることはできない」とか「あぁ、いまは飲み物を買いにいけない」とか、いまここで起きていることしか考えられなくなってしまう感じ。それはとても楽しいことにもなりえるのよ。とてつもなく幸せな瞬間にも。ただわたしはそこに心地の悪さや不安感のような感情までも含めてあげたいと思うの。クラブだけじゃなくてどんな場所でも言えることだけど、わかりきった内容のものなんてぜんぜんおもしろくないでしょう。そのために、わたしはいつもそこにある空気を破れるように、みんなのスペースに割って入ることができるようにトライしているわ。

『カット・4・ミー』の歌詞はご自分で書かれているのですか?

ケレラ:基本的には。でも自分ひとりではどうしたらいいかよくわからなくなるときもあって。そんなときにはアズマ(=ングズングズのメンバー)がよく助けてくれる。“エネミー”の歌詞は彼女といっしょに書いたのよ。それからスタジオでもときどきみんなに「ここはこうじゃなくてこう言うべきだ!」って強く言われるときがあった。わたしも「あー! うるさいな!」って感じになっちゃうんだけど、それがよりいい結果に繋がることも多くて(笑)。だからひとりで書いているつもりはないし、みんなでクリエイトした結果だと思ってる。

パートナーとしてングズングズのアズマを選んだのは何か自分と似ているところがあるからですか?

ケレラ:そう。彼女とは知り合ってまだ1年半くらいだけれど、彼女はわたしとまったく同じところからやってきた人のように感じるの。お互い両親が移民だってことも関係しているのかもしれないけれど、彼女もわたしと同じで、ある種のコンテキストに挑戦しながら生きてきた人だし、いまはともに挑戦していける同士だと思ってるわ。だから彼女とはとても深い関係にあるわね。とくにふたりでいっしょに歌詞を考えてるときは、彼女はとても利口で立ち回りの上手な女の子だって気づかされる。英語的表現で言うところの、「Girl in da hood」ね(笑)。とても頭が良くて、必要なときにさりげなく気を利かせてくれる。それは彼女も同じ経験をしてきたから。そしてわたしも同じことを経験しているということにとても重きを置いてくれている。だから彼女と歌詞を書くことは大好きだし、彼女のフィードバックを聞くのも大好き。「ここはこのままで大丈夫よ~」 「なんでここ変えちゃったのよ~?」「ここはこうするべきだわよ~」って。彼女の意見には反発できっこないわ(笑)。

(そっくりなアズマの声真似に一同笑)

アシュランド:いつもそんな感じだよね。みんな自信ないときは「本当にこれで大丈夫なの? アズマに訊かないと……」ってなっちゃうんだ(笑)。

ケレラ:アシュランドもそういう立ち位置だけどね。

〈フェイド・2・マインド〉のアネゴ的存在なんですね(笑)。

ケレラ:わたしにとってアシュランドが父親でアズマが母親みたいな感じなのよ。

みなさん本当に仲良しですね。インク(inc.)のスタジオでおふたりは出会ったときいていますが……

アシュランド:インクのスタジオが初めて会った場所だったっけ?

ケレラ:そうよ。はっきり覚えてるわ。エレベーターの中でふたりで話していて、「友だちがフューチャー・ブラウン(Future Brown)って名前のグループやってるんだけどさ」って言われて、「『フューチャー・ブラウン』だって!? 一体どうしてこのわたしがそのバンドのメンバーじゃないのよ。どこにデモ送ればいいの?」って話したのよ。

アシュランド:(笑)

そのときのお互いの印象はどうだったのですか?

アシュランド:僕はすでにそのときレコーディングしていたティーンガール・ファンタジー(Teengirl Fantasy)のデモで彼女の歌声を聴いていたから、その印象が強かったかな。ケレラはたぶんなんで僕がそこにいたのかも知らなかったと思うよ。僕がニック(筆者註:ティーンガールのニックだろう)の彼氏だったってことは知ってたんだっけ?(笑)

ケレラ:わたしはそう聞いてたわよ。アシュランドが素晴らしいDJだってことも聞いてたけど、プレイを見たことはなかったし、彼がそこにいることの背景とかをまだぜんぜん理解してない状況だった。

アシュランド:彼女はインクのことも知らなかったんだ。その時ティーンガール・ファンタジーがスタジオを探していたから僕がインクのふたりに頼んで使わせてもらっていたんだけれど、それでその日に知ったんだよね。

ケレラ:インクも知らなかったし、トータル・フリーダムも知らなかったの。そのときにはティーンガール・ファンタジーのことも知ったばかりだったし、その背景にある世界っていうのもわたしにはまったく新しいものだった。〈フェイド・2・マインド〉も〈ナイト・スラッグス〉もぜんぜん知らなかった。

アシュランド:君はいったいどこからやってきたのさ(笑)? ティーンガール・ファンタジーの“EFX”のデモを聴いたときに、「これはいますぐにでもヴォーカルを見つけてきて完成させるべきだ! 宅録じゃ駄目だよ、絶対にスタジオでだ!」って言ったんだ(笑)。ケレラはそのときにはもうティーンガール・ファンタジーのふたりとは知り合いだったのかな?

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ティーンガール・ファンタジーの“EFX”のデモを聴いたときに、「これはいますぐにでもヴォーカルを見つけてきて完成させるべきだ! 宅録じゃ駄目だよ、絶対にスタジオでだ!」って言ったんだ(笑)。

ケレラ:たしか10月に彼らがLAでジェイムス・ブレイクとプレイしたのだけれど、その後だっけ? あまりよく思い出せないな。とりあえずそのイヴェント会場で初めて彼らに……ちょっと待って、アシュランド、あなたもあそこにいたわよ!

アシュランド:LAだったらたぶん僕もいたはずだけど……あれ、本当に?

ケレラ:わたしはそこでローガン(筆者注:ティーンガールのローガンだろう)を待っていて、誰も知らなくて不安だったら、そこにあなたもふたりといっしょに現れたじゃない! 初めて会ったのにすごく素敵でキュートな挨拶をしてくれて。そのあとみんなでハウス・パーティーに行ったのよ。

アシュランド:ダニーの家(筆者註:インクのダニエルだろうか)! そうだ思い出した。それが初めて会ったときだよ。なんか不思議だね(笑)。 

ケレラ:すごく行き当たりばったりよ。その日に顔合わせして初めて“EFX”のデモに合わせて歌ったんだけど、わたしはまだ歌詞を持ってなかったの。コクトー・ツインズみたいに自分の独自の言語を作って歌いたいって話をして、ローガンがそのアイデアをとても気に入ってくれたのを覚えてる。まだインクのスタジオに入る1ヶ月以上前の話よ。だからそのときが初めて会った日。訂正するわ。

やっぱりいつもアシュランドがキーパーソンなんですね。ニックと付き合っていたということも驚きです。

アシュランド:本当にただしい期間の間だけだよ(笑)。でも僕らの関係がなかったらケレラは生まれていない。

ケレラ:本当にそうよ。アシュランドの交友関係が広くなければインクのスタジオを使ってレコーディングすることにもなってなかったし、わたしも〈フェイド・2・マインド〉のことも知らずに生きてたんじゃないかな。

すごく興味深いです。それでは、アシュランドはどういった経緯で〈フェイド・2・マインド〉と関わるようになったのですか?

アシュランド:エズラ(=キングダム/Kingdom)とングズングズとは同時期に出会ったんだ。彼らはお互いのことはまだ知らなかったはずだけどね。当時エズラはボストンに住んでいて、とあるバンドのメンバーだったんだ。そのバンドをシカゴで僕がブッキングしたんだよ。彼とはそれ以来の付き合いかな。
その後エズラはバンドを辞めてニューヨークに引っ越すんだけど、ちょうど同じ頃に僕もングズングズとウー・ツァン(筆者註:序文で先述したとおりドキュメンタリー映画『ワイルドネス』の監督)といっしょにシカゴからLAに引っ越したんだ。彼らとは昔からいっしょに音楽を作ってはいたんだけど、LAに越してからングズングズのダニエルがダンス・ミュージックに入れ込みはじめた。そのうちアズマも彼といっしょにビートを作るようになってたんだ。そこでングズふたりにエズラの音楽を聴かせたらマイスペースで連絡をとったみたいで、彼らも友だちになった。それ以来エズラはときおりLAに遊びにくるようになったんだけど、しばらくしたらエズラもLAに引っ越すって言い出してさ。彼は当時テキサスに住んでいたプリンス・ウィリアム(Prince William)とすごく仲がよくて、新しいレーベルをはじめる計画に関してずっとやり取りしていた。それでエズラがLAに越してきてから1年くらい経ってウィル(=プリンス・ウィリアム)もテキサスから越してきたんだ。
それからはみんな毎日のように集まっては音楽を共有したり、ジャムしたりする生活がはじまった。そして〈フェイド・トゥ・マインド〉が生まれたんだ。だからとても自然な経緯だったよ。誰かが「神経質なトータル・フリーダムをレーベルに迎え入れて彼が垂らす不満を聞きながら今後のことを決めていこうじゃないか!」だなんて言い出したわけじゃない(笑)。はじめからそこにいただけなんだ。とても自然に。

アシュランドのDJに毎回テーマはあるのですか?

アシュランド:ないよ。唯一気をつけていることといえば、DJの前に自分が持っている新しい曲たちをUSBかCDに焼くのを忘れないようにすること。

ケレラ:それが彼の準備のすべてなのよ。

アシュランド:それがすべてだよ(笑)。

「いまの会話のなかで君はR&Bという言葉を1回たりとも使わなかったけど、それはどうしてなのか教えてくれるかい?」って。そこで初めて気がついたの。わたしはR&Bという言葉で自分の音楽を考えたことが一度もなかったんだって。

※アシュランドについてはもうすこし掘り下げたかったのだが、彼は一足先に帰ることになっていたので、後日メールでくわしく話しをきくことにして、ひとまず彼を見送った。

それでは、ケレラに質問していきます。現在アメリカにR&Bのシーンのようなものは存在しているのでしょうか?

ケレラ:R&Bに関する何かは起きているわね。でも正直それがなんなのかさっぱりわからないの。ちょうどいまリズラ(=Rizzla)といっしょにわたしのプロフィールを作っているところなのだけれど、わたしのバイオグラフィーに関してひと通り彼に話す機会があって、そのときに彼はこう言った。「いまの会話のなかで君はR&Bという言葉を1回たりとも使わなかったけど、それはどうしてなのか教えてくれるかい?」って。そこで初めて気がついたの。わたしはR&Bという言葉で自分の音楽を考えたことが一度もなかったんだって。それはわたしがルールよりも先に作品のクオリティのことを考えているからかもしれない。作品の完成形を追い求めているときにわたしはR&Bのことを考えていないのよ。完成した後にこれは何ですかって訊かれたら「あぁ、これはおそらくR&Bよね」って単純に思うだけで。だからその言葉を使うことに抵抗は無いし、もしあなたの音楽をまったく知らない人にごく簡潔にあなたの音楽について説明してくださいって言われたら、「これはクラブR&Bよ」って言うと思う。でも歌っているときの影響やなんでそのようなメロディなのかって訊かれたときにR&Bという言葉はそこにはあてはまらない。
それに気づいたとき、リズラといっしょにこの「R&B」現象はいったいなんなんだろうって話をしたわ。だってR&Bに関することなんて2年前には誰もわたしに質問してこなかったもの。この1~2年の間に何かが起こったの。わたしにはそれがよくわからない。でもそれはおそらく、上位中産階級の白人たちみんなに「いま、君はR&Bを聴いているべきなんだよ」って書かれたメモが配られたような、そういう類いの変化なんだと思う。そしてみんながいっせいにそれに関するオンラインのリサーチをはじめて、あたかもいままでずっとそういう音楽を聴いてきたかのように振る舞いはじめたのよ。まるで「オーマイガッド! 僕はR&Bを愛しているし、いままでもずーっとそうだったんだよ! 本当のことさ! やっぱり君は最高だよね!」みたいな感じ。そう、だから何か起きているのはたしかなのよ。
でもわたしはそんな状況をあてにしたくないだなんてカッコつけたことを言うつもりはまったくないわ。すべてのシンガーは自分の限界というものと戦わなければならない。多くのアーティストがそれを乗り越えようとしているし、いまこの瞬間にもそれは実際に起きていることなの。その暗闇は、アーティストからしたら――それはそれはとてつもなく冷たい現実なのよ。
ただ、そういうインターネットで白人でインディなる何かがそこに覆いかぶさってきたような……本当につい最近のことなんだけど。

もともとヒップスターだった白人のキッズたちのことでしょうか?

ケレラ:まさしくその通り! 「だった」というより彼らは未だにそうなの。現在のヒップスタリズムの提示する美学の中にはなぜかR&Bを聴くことも入ってしまっているの。いつからそうなってしまったのかはまったくわからないけれど。でも大事なのはここよ、次のパートよ、よく聴いていて。
そういったこともぜーんぶ含めて、わたしはそれが起きてくれて本当によかったと心から思ってる。正直小さなことはどうだっていいわ。もしヒップスターたちが「R&B」を好きになってくれるなら、それはわたしがアーティストとしてすこしでも長く生活していけるということなんだもの。不満なんてまったく言えた立場じゃないわ。ただ、自分がどこから来たのかってことをいままでよりダイレクトに、はっきりと伝えなくちゃいけないっていうことだけなの。そして何よりもいちばん重要なことは、いまこそがわたしのクリエーションがいちばんノリに乗っている瞬間ということではないっていうことをはっきりとさせることなの。だって「R&B」が流行っていなかったとしても、多少違うかたちにはなっていたかもしれないけれど、わたしの表現したかったこと、目指してきたものは対して変わっていなかったと思うもの。だからどんな理由であれ、いまの状況になってくれて本当によかった。「わたしの音楽が好きなの? アメージング! チケットを買ってショーを見に来てくれるの? グレイト! 本当にありがとう。とても感謝しています」。そういう気持ちだわ。

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現在のヒップスタリズムの提示する美学の中にはなぜかR&Bを聴くことも入ってしまっているの。そういったこともぜーんぶ含めて、わたしはそれが起きてくれて本当によかったと心から思ってる。

なるほど……。続いて「R&B」関連ですが、ジェシー・ウェアと彼女の音楽についてはどう思いますか?

ケレラ:ジェシー・ウェア?  今日中にメールで返答しなくちゃいけない他のメディアからのインタヴューがあるんだけど、そこにも彼女に関する質問があったの。ちょっとここで読ませてもらってもいいかな?

どうぞ。

ケレラ:「質問その1) われわれはあなたもジェシー・ウェアと同じようなラウンドを進めていくものと予想しています。脇役としてのアンダーグラウンド・シンガーからメインストリーム・アーティストへの素早い立ち上がり。この予想に関してはどう思われますか?」

(一同沈黙)

ケレラ:ジェシー・ウェアの音楽に関してわたしがどう思うかというと、彼女が有名になる前に当時の彼女の歌を聴いたことがあるんだけど、正直あまり好きにはなれなかった。彼女が去年くらいに出したアルバムも聴いたけど、わたしはもっとクラブよりのものが好きだし、そういう文脈で音楽を模索していた時期だったこともあって、いまいちぱっとしなかったんだ。何よりもそういうクラブの文脈の中にいるってことがわたしのファースト・ステートメントだと思っているし。
ステートメントの話から派生するとね、わたしにとって「物語(narrative)」ってとても重要なことで。ここで言われている「脇役からメインストリームへの立ち上がり」っていう物語は、わたしにとってとても問題のあるものなんだよ。誰かに付随した価値を得たいと思ったことは一度もないし、その誤解を防ぐためにつねにベストをつくしているつもりなの。たとえば、わたしが最初にキングダムとのフューチャリング・トラック(“バンク・ヘッド”)をリリースしたときのことなんだけど、プロモーターがみんなキングダムとケレラをいっしょにブッキングしたがったの。みんな「Kingdom featuring Kelela」を見たがっていた。たぶんあなたたちもそう思っていたと思うけど……。

プロモーターがみんなキングダムとケレラをいっしょにブッキングしたがったの。みんな「Kingdom featuring Kelela」を見たがっていた。たぶんあなたたちもそう思っていたと思うけど……。

たしかに、あなたが出てきたときには正直そのようなコラボレーション・シンガーのような印象をすくなからず抱いていました。

ケレラ:そう見えたと思う。わたしはそれがすごく嫌だった。エズラはもちろん素晴らしい友だちだしいっしょにやってて楽しいから、最初はイエスばかり言っていっしょにギグをしてたんだ。でも最初の4、5回がすぎた頃、わたしのマネージャーにこう言われたの。「この『Kingdom & Kelela』ってのは一体なんなの? バンドでもやってるの?」って。違うわ、そういうつもりじゃないのよってわたしは言ったけど、彼は「君はソロをやろうとしているんじゃないのかい? 僕にはそのようにはまったく見えない。」って。
つまりわたしが言いたいのは、あなたの意図っていうのはそれが物語の中に反映されていなければまったく意味がないってこと。とくにインターネットの世界では、あなたの考えている意図とはまったく関係なく、そこに提示されている物語がすべてなの。だからエズラに伝えなければならなかった。もうこれ以上はできないって。それはとても辛い会話だったわ。なぜなら、わたしは誰かに付随した価値を得たいわけじゃないんだって、はっきりと言わなければならなかったから。それと同時に、誰かがわたしに付随するDJにもなってほしくなかった。最近はアシュランドといっしょにギグをすることが多いけど、ケレラのショーではあなたのお気に入りのDJがミックスを披露することもあって、トラックを繋げたり、エフェクトを懸けたりするような形でケレラのライヴセットをサポートすることもあるっていう見え方であってほしいの。そしてケレラも彼らのミックスに合わせて歌うこともあるっていう、そういうストーリーであるべきなのよ、ケレラの物語は。ボノボ(=bonobo/イギリスのプロデューサー)っていうアーティストがいるでしょう?

アンドレヤ・トリアーナ(Andreya Triana) をプロデュースしていますよね。

ケレラ:そうよ。アンドレヤはとても長いあいだ歌ってきたのよ。ボノボとのフューチャリングをはじめるずーっと前から。
だからわたしが言いたいのは、物語っていうのはわたしにとってとても重要なことで。男性の横で――いや、それが白人だったらもう本当に最悪なんだけど――白人男性の横で歌う薄幸の黒人「R&B」シンガーの女の子が、ハンサムな彼に拾い上げられて世界の目にさらされたことで初めて成功することができたっていうシンデレラ・ストーリーはわたしのなかではまったく受け入れられないんだ。たいていの場合、そんなのぜんぜん事実じゃない。わたしはべつにジェシー・ウェアが嫌いなわけじゃないよ。おそらくわたしたちが会って話をしたらすぐに仲良くなれると思う。きっと共通項もたくさんある。でも彼女の音楽のこととなると、やっぱりその物語が好きになれないし、それは音楽を聴くときにも反映されてしまうことなの。わたしもよく訊かれるんだよ、「キングダムとの曲“バンク・ヘッド”は素晴らしい出来です。ところで彼はどこであなたを発掘したのですか?」……って。すでに質問の中に暗に含まれてしまっているのよ。わたしの才能を発見したのはわたし自身なのよ。そしてケレラのプロジェクトのほとんどにおいてキュレーションをしているのはわたし自身なのにって。そういうときは本当に悔しい。いままで歌だけ歌って呑気に生きてきたビッチが、運良く腕の良いプロデューサーに育ててもらっただけでここまで有名になれたんだ、っていうこの業界のステレオタイプには本当にうんざりしてる。そしてこういう類いのことはいつも女性に起こっているのよ。女性アーティストに対しては、ありえないくらい頻繁に起こっているの。悲しいけれど、自分の物語は自分自身で守っていくしかないのよ。だからわたしの物語というのはもっと複雑だってことをちゃんと見せていくことで、そういったものには挑戦しつづけたいと思っている。

悲しいけれど、自分の物語は自分自身で守っていくしかないのよ。だからわたしの物語というのはもっと複雑だってことをちゃんと見せていくことで、そういったものには挑戦しつづけたいと思っている。

とても素晴らしい話をありがとうございます。日本の状況を生きる我々にとっても心に突き刺さる内容でした。今回のインタヴュー中に、あなたの口から「コンテクストに挑戦する(Breaking the context)」というような表現を何度か耳にしました。それから代官山〈UNIT〉でのパーティ、〈DOMMUNE〉でのリハーサルの際に、どちらのPAスタッフも女性だったことに、あなたはおおきな喜びを表現していましたね。

ケレラ:超最高(So Sick)だったわ。

やはり、あなたの言うコンテクストというのは男性至上主義なるものなのですか?

ケレラ:そうね。たしかにわたしたちはとても男性優位な社会に住んでいるわよね。でもそれに挑戦することだけがわたしのゴールや目的ではまったくないわ。わたしはべつに男性より強くなりたいわけではないし、いまの男性のポジションが女性のものになるべきだとも思っていない。いちばん重要だと思っているのは、やっぱりわたしたちがちゃんと当たり前にいい仕事をすることなの。そしてそれらのいい仕事の副産物として、そういった社会的コンテクストにも挑戦することができたら素晴らしいと思うの。べつにその人が女性だからってPAスタッフに雇うだなんてことをわたしはしたいわけじゃないよ? わかるでしょう。たとえばクラブのフロアに入ってサウンドチェックで音がパーフェクトで、微妙なマイクの調整も何のドラマや問題もなくスムーズに起きて、すごく満足しているときに、サウンドの担当を見たら女性だったっていう事実は、やっぱり多くを語っているのよ。それはとても意味あることだと思う。

わたしたちの住むこの社会のコンテクストにおいては?

ケレラ:そうよ。そして、それは女性たちの間だけの問題ではないのよ。マッチョさがより少ないっていうのは、何かを成し遂げるときにはとくに必要なように感じる。仕事を無事に終えることを心配されるっていうのは女性たちに共通して起きていることで。自分なりに正しくあるってことよりも、そっちに気を遣ってしまっている女性はやっぱり多いと思う。アズマやファティマ(・アル・カディリ/Fatima Al Qadiri)のようなわたしとおなじシーンに属している女性たちを代表してどうこう言うつもりはないけれど、わたしたちに共通して言えるのは、わたしたちはべつに男性になろうとしているわけではないということ(筆者註:ファティマは「ゲイのムスリム・クウェート人」と中傷されたことへの怒りのツイートを残している)。アグレッシヴでハードなダンス・ミュージックに、フェミニンなタッチが正しい形で融合されることって、いままでに起きた最高のことのひとつだと思ってる(笑)。この前のテキサス州オースティンでの〈SXSW〉でのアフターパーティーのときに、レーベルのみんながバック・2・バックでDJプレイしたのだけれど、アズマがプレイする番になったときのことは言葉で表現できないくらい素晴らしかったわ。彼女の醸し出す上品さがCDJの上にまるで女神のように降臨したのよ(笑)。そして、それはとても価値あることなの。わたしたちの住むこの社会のコンテクストにおいてはね。

貴重なお話をありがとうございます。それでは、最後の質問です。今回の来日公演での1曲めで「Is there nothing sacred anymore」という歌詞を、くりかえしオーディエンスに尋ねるパフォーマンスをしていましたね。その言葉を選んだ理由はなんでしょうか?

ケレラ:1曲めのあの歌はアメル・ラリューの曲のカヴァーなの。わたしにとってとても重要な意味をもつ歌で、“セイクリッド”っていう曲よ。ユーチューブで聴けるわ。その歌詞と曲を選んだ理由は、くり返すようだけれど、みんなのスペースに割って入りたかったから。心地を悪くさせたかったからよ。あそこがクラブじゃなく、聴衆が椅子にすわって待っているような、とても静かな場所だったとしたら、おそらくあの歌は歌っていない。照明を落としてあの曲でパフォーマンスをはじめて、その場のトーンを決めたかったんだ。それに、ケレラにとってとても意味のある歌だから、だよ。

 「本当にありがとう。また会おうね!」 最後にハグをしながらケレラはそう言った。まだ8月前半だったというのに、ケレラと挨拶をしてわかれたとき、僕は夏が終わったのをはっきりと感じた。

結局あの夏から、アシュランドは追加の質問の返答をくれていないままだ。けっこう大切な質問だったんだけどなぁといまでも悔やんでいるのだけれど、なんと今年5月に〈Prom Nite 4〉でJ・クッシュ(J-CUSH)とともに来日するらしい

 今年も春をむかえようとしているさなか、ケレラから手紙が届いた。

BANK HEAD  (Translated into Japanese)

Like kicking an old bad habit
(悪い習慣を断つときのように)
It's hard, but I'm not static
(苦しいのに、落ち着いていられないんだ)
We lock eyes from far away
(遠くから目が合っても)
And then you slowly turn your face
(あなたはゆっくりと顔を背けるのだもの)
Like middle school we're a secret
(ミドルスクールのような秘密の関係ね)
There's more to it but we keep it
(本当はそれ以上だけど抑えてるんだ)
It's not a game I know
(遊びじゃないのはわかってる)
We're moving at our pace
(ただわたしたちのペースで進んでいるだけなんだ)

Remembering that one time
(あの時のことを思い出す)
Had to stop it's making me hot
(本気になってしまいそうで 止めなければならなかった)
Come on out, there's no need to hide
(姿をみせてよ、隠れる必要なんてないのに)
Could you be my new love?
(わたしの恋人になってくれますか?)
Could it be that we need some time?
(それとももっと時間が必要なのですか?)
I'm still browsing, there's no need to buy
(わたしはまだ窺っている、お金で買えるものでもないのに)

It's all I dreamed of, it can't get started
(すべてわたしが夢みていたこと、起こりえないことなんだ)
Time goes by really slow and I need to let it--
(ただ時が過ぎるのが遅すぎて、わたしは――)
And all I dreamed of, it can't get started
(それはわたしが夢みていたこと 起こりえないことなんだ)
Time goes really slow and I need to let it--
(ただ時が過ぎるのが遅すぎて、わたしは――)

Out
(吐き出さずにいられない)

I'm keeping you close you know it
(あなたの近くにいるのは知ってるでしょう)
And I'm taking my time to show it
(時間をかけてそれを伝えていることも)
You're touching me like you've had it all along
(初めから全部わかっていたかのように触れられると)
Feels like you're right
(あなたが正しいような気もするんだ)
And once you're around I notice
(でもいっしょにいると気がつく)
That I need to draw you closer
(もっと近くにたぐり寄せなくちゃならないことに)
A breath away, I wonder how you keep it all inside
(ため息がこぼれるたび、あなたがどうして内に秘めていられるのか気になるんだ)

Remembering that one time
(あの時のことを思い出す)
Had to stop it's making me hot
(本気になってしまいそうで とめなければならなかった)
Come on out, there's no need to hide
(姿をみせてよ、隠す必要なんてないのに)
Could you be my new love?
(わたしの恋人になってくれますか?)
Could it be that we need some time?
(それとももっと時間が必要なのですか?)
I'm still browsing, there's no need to buy
(わたしはまだ窺っている、お金で買えるものでもないのに)

It's all I dreamed of, it can't get started
(すべてわたしが夢みていたこと、起こりえないこと)
Time goes by really slow and I need to let it--
(ただ時が過ぎるのが遅すぎて、わたしは――)
And all I dream of, it can't get started
(それはわたしが夢みていたこと 起こりえないこと)
Time goes really slow
(ただ時が過ぎるのが遅すぎて、わたしは――)

And I need to let it out…
(吐き出さずにはいられない……)

Sad we couldn't go any deeper...
(これ以上深い関係になれなくて残念だよ……)
Something tells me you're a keeper...
(あなたしかいないような気がしているのに……)
Time. goes. by.
(時は過ぎてゆく)

[Something I can't define; Is it love? Loooooove...]
(言葉にできない何か;これが愛なの? 愛……)


Road 2 Battle Train Tokyo - ele-king

 恵比寿のリキッドルームで、日本初のフットワーク・バトル・トーナメントが開催されます。3月29日(土曜日)に、激しいダンス・バトルが見れます。興味のある方、ぜひ、足を運んで……いや、足を高速に動かす人たちを見物しましょう!

 昨年10月にリキッドルーム2階奥のKATA + Time Out Cafe & Dinerにて開幕した日本初のフットワーク・バトル・トーナメント=Battle Train Tokyo(略してBTT)。今年6月28日(土曜日)に開催されるBTTに向け、その前哨戦となる"Road 2 Battle Train Tokyo(略してR2BTT)が3月29日(土曜日)に決定! まずはR2BTTを勝ち抜きBTTのシード権をその手につかもう! 競いしフットワーカー/ダンサーの勇姿をみなで刮目しましょう!

 シカゴ・ハウスを源泉にまさにそのシカゴのローカル・シーンにて独自の進化を続け高速化した音楽スタイル「ジューク」が、足技に重きを置いたダンススタイルと密接に関連し、低音と三連譜などトリッキーなリズムが強調され「フットワーク」という音楽/ダンス・カルチャーとして広がり進化/発展。この国でもさまざまなイヴェント/パーティー/ワークショップなどが開催されるなか、BTTはBPM160のジューク/フットワーク・トラックの上でさまざまなダンサーたちがスタイルやルーツ、世代を超えて競い合えるオープンなバトル・トーナメントの場として、この国のジューク/フットワーク・シーンを支えるDJやトラックメーカー、ダンサーたちと一緒にさらなるこのシーンの燃焼と循環を目指します。毎月第三水曜日にはフットワークDOJO=Battle Train Tokyo Express(略してBTTE)も同会場にて開催中。

※3月19日(水曜日)19:00(ジューク日、ジューク時)より、同会場にて第三水曜日に定期開催されているフットワークDOJO=Battle Train Tokyo Express(略してBTTE)が開催! 概要は下記リンク先をご参照ください。
https://www.kata-gallery.net/events/BattleTrainTokyoExpress_3/

《概要》
Road 2 Battle Train Tokyo

@KATA
Judge:HARUKO(RudeGirl3),
KENT ALEXANDER(PPP/PAISLEY PARKS), Takuya(HaVoC) and You
Host:ヒューヒューBOY(GROSS DRESSER/MAGNETIC LUV)
Exhibition:HARUKO(RudeGirl3) x Takuya(HaVoC)
Guest DJ:SEX山口
Chicago Legacy Set:D.J.April(Booty Tune)
Sound by:Booty Tune, DjKaoru Nakano, DJ SEKIS & DJ DIKE, SHINKARON

@Time Out Cafe & Diner
BTT Lounge presents
JINTANA&EMERALDS "DESTINY" pre-release party supported by PPP
special oldies B2B and live session:JINTANA&STRINGSBURN
DJ:LUVRAW, iga-c, Kent Alexander

《バトルへのエントリー/ルールについて》
・バトルは個人戦のみです。2ターン(1バトル5分ほど)になります。
・ダンス・スタイルは自由ですが、バトル中に流れる楽曲はジューク/フットワーク・トラック(BPM160)のみとなります。
・バトル時の選曲は主催者側でご用意させていただきます。
・オーディエンスの声援と審査員によるジャッジ・システムを採用致します。
・バトル・トーナメントへのエントリー・フィーは2,000円となります。
・優勝者には6月28日(土曜日)に開催されるBattle Train Tokyoのシード権、優勝賞金10,000円を進呈させていただきます。
・前回のBTT優勝者、準優勝者のエントリーは今回はありません。
・バトル・トーナメントへのエントリーは件名を「3.29 R2BTT」として<entry@liquidroom.net>までメールにてお願い致します。ネーム表記と連絡先(氏名/電話番号)も合わせてお送りください。なお、お送りいただきました個人情報は今回の「R2BTT」に関わる目的にのみ使用し、他の目的には使用致しません。

2014.3.29 saturday evening
KATA + Time Out Cafe & Diner[LIQUIDROOM 2F]
open/start 17:00/18:00-22:00
battle tournament entry fee 2,000yen / admission fee 1,500yen

info
Battle Train Tokyo twitter | Facebook
KATA https://www.kata-gallery.net
Time Out Cafe & Diner 03-5774-0440 https://www.timeoutcafe.jp/
LIQUIDROOM 03-5464-0800 https://www.liquidroom.net

《出演者紹介》
▼HARUKO(RudeGirl3)
コンテスト受賞歴:BIGBANGダンスコンテスト特別賞/femal trouble 3位/tokyo dance delight特別賞/BTT準優勝
13歳の頃ブラックミュージックと出会い、ヒップホップダンスを踊り始める。その後レゲエミュージックと出会い、ヒップホップ、レゲエを共に、独自に踊り始める。2003年ニューヨークで本場のストリートダンスのレッスンをうける。その後クラブでのショータイムに出演しつつ、インストラクターとして活動、2009年にはジャマイカに渡り現地のdancehallqueenコンテストにも出場。セカンドラウンドまで勝ち残る。そしてヒップホップ、レゲエなどをミックスした独自のダンススタイルを確立する。そして、2013年BTTにて準優勝。footworkの活動を開始する。現在は都内のクラブでのショーやバトルで活躍中。

▼Takuya(HaVoC)
東京都在住。本場シカゴでも有数のフットワーク・クルーHaVoCに唯一の外国人として名を連ねるフットワーカー。高校時代よりダンスを始め、ブレイキン、ソウルダンス、ハウスなど様々なジャンルをどん欲に学ぶ。2011年、ダンスバトルの世界大会Juste Deboutで活躍するFootworKINGzに衝撃を受け、フットワーカーとしてのキャリアをスタート。ほどなくして開設したYouTubeチャンネルにアップした動画をきっかけにH.a.V.o.Cにスカウトされる。その多彩なステップはフットワーク専門サイトFORTUNE&BANGに取り上げられるなど、本場シカゴでも高く評価されている。2012年10月に開催されたTRAXMANの来日公演にダンサーとして帯同。そのフットワークで各地に熱狂をもたらした。2013年はPaisley Parks、MOP of HEADのミュージックビデオに出演するなど、活躍の場を広げている。
https://twitter.com/TAKUYAxHaVoC

▼KENT ALEXANDER(PPP/PAISLEY PARKS)
ヨコハマ【PAN PACIFIC PLAYA / Бh○§†】所属。BAYなJUKE/FOOTWORKチーム【PAISLEY PARKS】構成員。まるでRAVECOREなDJチームTERROR Pとしても爆笑中。ゲットーレイブ育ちのDJ。インターナショナルスクール時代からアングラパーティー活動のしすぎでアメリカへ落ちる。2012年末、横浜帰還。シカゴのラジオ局のDJMIX SHOWに出演して、PAISLEY PARKSオンリーミックスを披露したり、日本で初めてのFOOTWORK大会【BATTLE TRAIN TOKYO@KATA】を主催するなど、JUKE/FOOTWORK周辺に集まる最もクレイジーな連中の1人。これまでにSWEET SOULのMIX ”Sweet Temptation”と、PAISLEY PARKS音源をアシッドEDITした”THE MIX”を発表。和訳、英訳のお仕事承ります。陽気な大きい弟系の通訳/アテンドもお気軽に◎
https://twitter.com/kent045
https://www.panpacificplaya.jp/blog/
https://ghost045.bandcamp.com/

▼ヒューヒューBOY(GROSS DRESSER/MAGNETIC LUV)
ヨコスカン&ミウラーノ光る海岸系DJユニット『GROSS DRESSER』で活動中。チルってなんぼなメロウトリッピンMIXCDをALTZMUSICAより発表。ハッピーな目つき「MAGNETC LUV」所属。LUVRAW&BTBのライブで、にぎやかしい司会を担当。好評と酷評の間で居眠り一千万。江ノ島OPPA-LAの便所や各種野外パーティーでUP&DOWN、毎年好評の秘密ビーチパーティーも欠かさず解放中。彼の作るホットサンドを食べた内、3人くらいが人生を成功させたようだ。司会、ホットサンド、DJのご用命はお気軽に☆

▼SEX山口
1976年生まれの牡羊座。神奈川県出身の脱力系アイドル。マイケル・ジャクソンと井手らっきょを同じ目線で愛し、FUNKとお笑いを同じ目線で体現したパフォーマンスを得意とする。ダンサー・エロ本編集者・DTPデザイナーを経て、最近はやたらしゃべるディスクジョッキーとして各所でメイクサムノイズ中。インターネットラジオ、block.fmにて生放送でお届けする「SEX山口のGWIG GWIG RADIO」(毎月第2月曜日20時~)ではメインMCとしてZEN-LA-ROCKと共にグイグイっとおしゃべり中。自身のアパレルブランド「S.E.X.Y. by NAOKI YAMAGUCHI」のアイテムや各種おMIX CDも随時デリバリーしてまっす♪
https://secscreativeworks.tumblr.com/
https://twitter.com/sexyamaguchi
https://sexybyny.theshop.jp/
https://block.fm/program/gwig_gwig_radio.html

▼D.J.April(Booty Tune)
Hardfloorでシカゴハウスに目覚め、そんなサウンドをらりくらりと追いかけつつ、Jukeレーベル「Booty Tune」のPR&ARをしております。
https://twitter.com/deejayapril
https://bootytune.com/

▼Booty Tune DJs[D.J. Kuroki Kouichi, Yuki aka 3D, D.J.April]
https://bootytune.com/
https://bootytune.bandcamp.com/
▽D.J.Kuroki Kouichi
1999年 DJ開始。同時期に1人焼肉デビュー。
2001年 DJデビュー。地元の焼肉屋を卒業。都内各地の焼肉屋にて武者修行開始。
2004年 100%ゲットーパーティー「CHICAGO BEEF」を、焼肉屋の上にあるクラブで主催。DJと肉が融合。
2007年 肉好き集団を率い肉を食べまくる肉パーティー「肉GROOVE」を主催。
2008年 下北沢「肉人」に出会う。ホルモン革命が起きる。
2009年 赤身からホルモンまで、あらゆる肉の部位を完璧に焼けるようになり、「肉マスター」就任。
2010年 焼肉対決で「焼肉大王」に勝ち、2タイトル制覇。日本一の焼肉屋「スタミナ苑」の常連入り。
2011年 Juke/Ghettotech専門レーベル「Booty Tune」に加入。
2012年 Booty TuneのCOO(スィーオウオウ)就任。狩猟免許取得。
2013年 シカゴハウスの伝説的レーベル「Dance Mania」の全カタログをコンプリート。
あまり意味が無くてカッコいいダンスミュージックをプレイするよう心がけています。
▽Yuki aka 3D
Booty Tune所属22歳のJuke/Footwork DJ。通称てっどまん。
▽D.J.April
Hardfloorでシカゴハウスに目覚め、そんなサウンドをらりくらりと追いかけつつ、Jukeレーベル「Booty Tune」のPR&ARをしております。

▼DjKaoru Nakano
大阪府出身。14才頃からblack music, rockのレコードを集めだし、18才頃DJを始める。garage, houseなどを経て2009年頃からminimal dub, technoなどでDJ活動をリスタート。2010年頃からjukeに傾倒。2013年11月にNODEレーベルよりmix CD「footwork & smooth」をリリース。Track makerとして日本初のjukeコンピレーション"Japanese Juke & Footwork Compilation"に参加。
https://soundcloud.com/kaorunakano

▼DJ SEKIS & DJ DIKE
JUKE/FOOTWORKのPRODUCER。ホームグラウンドである吉祥寺・西荻窪にて主に活動中。
▽DJ SEKIS
https://twitter.com/djsekis
https://soundcloud.com/dj-sekis
▽DJ DIKE
https://twitter.com/DJ_DIKE
https://soundcloud.com/dj-dike

▼SHINKARON
FRUITY、BoogieMann、Weezy、吉村元年、芝田創、VaEncから成るクルー。 2009年3月よりノンジャンルパーティとしてスタートし、現在はjuke/footworkのレーベルとしても活動中。所属メンバーの他DJ Roc、Paisley Parksなど、国内外問わず様々なアーティストのリリースを手掛ける。
https://shinkaron.info/


SIMI LAB - ele-king

 シミ・ラボの3年ぶりのセカンド・アルバム、『Page2 : MIND OVERMATTER』は素晴らしい作品だ。ラップ、リリック、トラックのどれもクオリティが高い。たとえば、2003年のMSC『マタドール』、2007年のNORIKIYO『OUTLET BLUES』、2011年のERA『3 WORDS MY WORLD』のように、先鋭的なトラックとリアルな言葉、ラップのエネルギーが調和した、この先も記憶されるべきマスターピースだ。

 トラックのベースは、OMSBによって作られている。よって、本作は彼のソロ・アルバム『Mr. "All Bad" Jordan』の発展型だとも言える。『ele-king vol.13』でのOMSBのインタヴューを読んでなるほどと思ったのは、影響を受けたトラックメイカーについて「RZAとプリモ(DJプレミア)ってでかくて。あとはJ・ディラ、カニエも大きい」と発言していたことだった。なんという、幅の広さ……。そしてヒップホップへのこだわり。ベスト・ソングとして挙げたい“Come To The Throne”──この曲は微妙にブレたビートの上に激しいサックスのブロウのサンプリングを複雑にかぶせたナンバーで、絶え間ない編集作業のなかから生まれた──をはじめ、OMSBのヒップホップへの情熱が具現化されている。

 新作には、OMSB、DyyPRIDE、QN、MARIAを中心にしたファースト・アルバムと比べて、参加ラッパーの人数が圧倒的に多い。それぞれの楽曲にテーマを据えて、各メンバーが大喜利的にストーリーテリングするさまはそれだけでも刺激なのだが、ブロークンなトラックの上で披露される“Karma”はとくに強烈だった。1ヴァースめを担当するOMSBは、ビートを無視しつつもさり気なく韻を踏んでいく。それに対して、2ヴァースめのUSOWAはがっつりビートに合わせて韻を踏んでいく。こうした構成上の工夫が作品の随所にある。スリリングで、聴いていて楽しい。

 とにかく、のびのびとやっているのだが、前述の通り、1曲でひとつのテーマを複数視点で展開しているので、ヴァースごとにメンバーの個性が如実に表れている。「Worth Life」では、冒頭でUSOWAが「今日の繰り返しがほら 来たるべき明日さ 回すKey Chain」と冷めた人生観を披露すると、JUMAは「難しい事は言えないけど太陽に手かざして血潮が見えれば life goes on !」とおおらかに歌う。さらにトリのDyyPRIDEは「不甲斐無え過去のてめえとおさらば」と現在の自分を讃え、明日への活力をみなぎらせる。ライムも言葉も十人十色で、若者たちの人生の縮図がそれぞれの曲に描かれているようだ。

 最近の日本のヒップホップ・シーンにはスターがいないと言われるが、そんなことはない。SIMI LABはもちろん、5lack、PUNPEE、サイプレス上野とロベルト吉野、AKLO、SALU、田我流、SEEDA、NORIKIYO、KOHH、MSC、ERA、Fla$hBackS……、彼らはストリートのスターである。『Page2: MIND OVER MATTER』を聴いていて、AKLOの「ダサいものと戦うのが俺のREBELだ」という発言をあらためて思い出した。ヒップホップへの情熱によって生まれたこのアルバムは、今日の日本のストリート・カルチャーの豊かさを証明するものであり、ヒップホップのリスナー以外にも聴いてほしい傑作である。

interview with Cloud Nothings (Dylan Baldi) - ele-king


Cloud Nothings - Here And Nowhere Else
Carpark / ホステス

Review Tower HMV iTunes

 インディ・ロックが2014年にもっとも期待する盤のひとつがリリースされた。年若き才能ディラン・バルディが率いるクリーヴランドの4人組、クラウド・ナッシングス3枚めのフル・アルバムだ。バルディの書く曲はデビュー当初から大きく注目を浴びていたが、結成から約5年の間、彼らはてらうことなく活動を充実させてきた。

 本インタヴューへのディラン・バルディからの返答は、どれもとても率直なものだった。アーティストとしてのエゴがきちんとありながら、しかし自らの像に下駄を履かせない。それは彼の表現に直接的に結びついていていることでもある。シンプルでまっすぐなパンク・ロック。そのまっすぐさがともすれば危うく感じられるほどロウに切り出されたのがスティーヴ・アルビニ録音の前作『アタック・オン・メモリー』(2012年)だとすれば、それをまさにエモとして咀嚼し、控えめながらポップ・ミュージックとしての洗練を加えているのがジョン・コングルトンとの今作『ヒア・アンド・ノーウェア・エルス』ではないかと思う。バルディという中心はいつでもただ率直に音楽に向かい、そして抜きんでて印象に残るメロディを生みつづけている。

 音楽に祝福されているとしか言いようのない、その若い生の喜びと憂愁にみちたパフォーミングについては、気づけばもう3度もレヴューを書いているので割愛するとして、棒立ちに近かった彼らの音のたたずまいが、枚数を重ねながら、そのまま人生における時の積み重なりにつられるように自然にカーブしていくさまに感動を覚えたことを記しておきたいと思う。今作において「完璧に仕上げることを自分に要求するようになった」というバルディは、勢いや生々しさ、青春の追い風によってはアルバム一枚しか作れないということを感覚で知っているのかもしれない。そして、それが職人になることではなく、心の中の衝動に目をつむるということでもなく、「自分がどういう人間なのか、自分はこの世界でどこに位置するのかっていうことについて語ってるんだ。成長するにおいてそれが大事だって俺は思うんだよね」──成長するということに自覚的であることを通して思考されていることに、彼のまっすぐさの深みがのぞいているように思う。10代のように思いあがっているのではない、10代のように真剣なバルディのこの先の時間には、パンクやロックにとっても重要な契機がふくまれているはずだ。

いまは卓越した楽曲を書き上げることに満足してる。だけど何年か経ったら、それに疲れてなんか狂ったことをするんだろうね。

今回、ジョン・コングルトン(John Congleton)をプロデューサーに迎えたことにはどのような意図があったのでしょう?

DB:ジョンは、去年俺たちのマネージャーをしていた人に薦められたんだ。ジョンについてはあまり詳しくなかったんだけど、いろいろ調べてから彼がふさわしいんじゃないかって思ってね。俺のテイストの音楽じゃないものでも、彼が手掛けたものはすべて素晴らしかったんだ。だからきっといいものができるって確信を持てたんだ。

新しく彼から学んだことはありますか?

DB:完璧に仕上げることを自分に要求するようになった。そうすればいいアルバムができるってことがわかったんだ。普段は「完璧」なサウンドになるようにっていうようなこだわりは持たないんだけど、ジョンと仕事をしてから、すべてのパートにベストを尽くせばもっと強い主張性を持ったアルバムを届けられるってことがわかったんだ。

“パターン・ウォークス”には大胆にギターのインプロヴィゼーション・パートがフィーチャーされていますね。こうしたさまざまな模索があなたの音楽の次の段階をひらいていくように思われますが、ご自身としてはどうですか?

DB:インプロを入れるのは大好きなんだ。俺たち曲にいつも入れている。ツアーで毎晩毎晩同じ曲をやるとき、狂わないで済む理由はまさにインプロだね。そこで新しいことを試すのがすごく楽しいんだ。

前作はアルビニ録音ということもあって生っぽさが意識されてもいたと思いますが、今作はさらにノイジーになっていますね。前作リリース後から今作制作にいたるあいだ、ご自身の音楽についてどのようなことを考えていましたか?

DB:『アタック・オン・メモリー』では転機を迎えて、それがあったこそ『ヒア・アンド・ノーウェア・エルス』にたどりつけた。音楽が前作では暗くなりすぎて、いまの自分とはちょっとすれ違うものがあったんだ。だから『ヒア・アンド・ノーウェア・エルス』ではまた俺のちがう面、新しい感情を入れ込みたかったんだ。

“ヒア・アンド・ノーウェア・エルス”とはどのような場所のことを言うのでしょうか?

DB:「いま」だね。いま、この瞬間を示している。場所じゃないんだ。自分の前にあるもの、後ろに置いてきたものじゃなくて、ただ「いま」を生きることが大事だっていうことを伝えたかったんだ。

今作は「ポジティヴな」作品であるとも語っておられますね。それはハッピーで明るい曲が増えたということではなくて、むしろ勢いやアグレッシヴさが増したということであるように感じます。あなたにとってのポジティヴな状態についてもう少し教えていただけませんか?

DB:歌詞はこのアルバムの方がポジティヴだね。音楽はアグレッシヴだし、生身のエネルギーを感じられるものだと思うんだけど、歌詞は自分がどういう人間なのか、自分はこの世界でどこに位置するのかっていうことについて語ってるんだ。成長するにおいてそれが大事だって俺は思うんだよね。

大人になったら何になろうと思っていました?

DB:何かをつくり上げる人。将来自分が何をしているかって考えたときに、何かしらアートを作り出している自分しか想像がつかなかった。

音楽制作において、「新しい音楽をつくりたい」「見たことのないものをつくりたい」という思いは強いですか?

DB:いまはそうでもないかな。いまは卓越した楽曲を書き上げることに満足してる。だけど何年か経ったら、それに疲れてなんか狂ったことをするんだろうね。

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歌詞は本当にギリギリになって書くんだ。じゃないと考えすぎて、自分が言おうとしていることはアホなんじゃないかっていう思いに陥いりそうでさ。


Cloud Nothings - Here And Nowhere Else
Carpark / ホステス

Review Tower HMV iTunes

あなたはシンプルながら本当に忘れがたいメロディを持った曲を作られますね。パワーポップやガレージ・パンク、あるいはサッドコアなどの名作と比較されることも多いかと思うのですが、意識したりリスペクトするバンドやアーティストはいますか?

DB:リスペクトしてるアーティストはたくさんいるよ。いまのお気に入りはザ・ワイパーズ(The Wipers)、スウェル・マップス(Swell Maps)、ザウンズ(Zounds)、プロトマーター(Protomartyr)、タイベック(Tyvek)……リストはキリがないよ!

歌詞は熟考しますか?

DB:いや、歌詞は本当にギリギリになって書くんだ。じゃないと考えすぎて、自分が言おうとしていることはアホなんじゃないかっていう思いに陥いりそうでさ。

本当に、ある意味ではすべてシングル曲と呼べるくらい1曲1曲が独立し完結した魅力を備えていると思うのですが、「アルバム」というフォーマットについてはどのように考えていますか? また、次のアルバムの構想はありますか?

DB:楽曲を順に並べるのは楽しい作業なんだ。実際、筋の通った順っていうのは一つしかないんだよ。『ヒア・アンド・ノーウェア・エルス』の曲順はあれ以外に考えられないね。次のアルバムの予定はまだないよ。先に曲を仕上げないとな。

フィジカル・リリースへの思い入れはありますか?

DB:レコードを集めるのは大好きなんだ。だけど実際なくなって空虚感が残るかって言われたらわからないな。

昨年(2013年)よく聴いた音楽を教えてください。

DB:プロトマイティア(Protomartyr )の『ノー・パッション・オール・テクニーク』。デトロイト発のバンドで、飛びぬけてるアルバムなんだ。俺がいままで聴いてきたなかで完璧だと思った楽曲がこのアルバムにはたくさん収録されているんだ。

小説やコミック、映画、ゲームなど物語系のコンテンツで好きなものを教えてください。

DB:手塚治虫の『ブッダ』をちょっと前に読んだんだ。とてもよかったよ。一つ一つの絵が映画みたいなところが好きなんだ。言葉がなくても、何を物語っているかがちゃんと伝わってくるんだよ。

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