「KING」と一致するもの

こだま和文 from DUB STATION(w/DJ YABBY) - ele-king

 僕と水越真紀は乃木坂の駅を出てから西麻布の路地裏をしばらく迷い、同じ区画を一周し、途方に暮れ、問い合わせ先の番号に電話をかけたその瞬間、目の前に〈新世界〉があった。よくある話である。入口には長谷川賢司がいた。この新しいライヴ・スペースには〈ギャラリー〉を主宰するベテランDJが関わっていると知って嬉しく思った。そのこけらおとしとして、二夜連続でこだま和文のワンマンライヴとくれば、日常的には関わりのない西麻布というエリアの初めて入る会場にも親近感が湧いてくるというものだ。

 〈新世界〉はざっと50人も入ればそれなりにいっぱいの、思ったよりもずいぶんと狭い会場だが、テーブルと席があることで落ち着いた雰囲気を醸し出し、より親密な空間を作っているように感じる。この手の会場は、昔よくロンドンで経験した。実験色の強いエレクトロニック系のアーティストのライヴをメインにやっていて、客は学生が多く、集中して聴くことができた。じっくりと音と向き合えるという意味では、最適な空間だとも言える。いままでの東京にありそうでなかったタイプのヴェニューで、今後の展開が楽しみである。

 そんな感じの良い空間の、最初のライヴが4年ぶりのこだま和文のワンマンだというのは、実に贅沢な話だ。先頃このアーティストは、著書『空をあおいで』を上梓している。生活を生きるということを、とても温かく描いているその本に僕はずいぶんと勇気づけられた。彼は、何億光年も彼方の惑星から覗いた地球という星における人の営みのピーマンやミシンについての話を、宇宙よりも大きく描くことができる。疑いの目を一瞬たりとも忘れずに、たったいま生きていることの実感を控えめに滑稽に、しかし力強く描く彼のエッセイは、彼の音楽と同質の悲しみと喜びを有している。

photo: Maki Mizukoshi

 〈新世界〉の通りを渋谷方向にずっと歩いていくと、ポスト・パンク時代にその名を馳せたレッドシューズがある。ミュート・ビートはその頃のレッドシューズに出演していた最高にスタイリッシュなバンドのひとつだった。僕の世代にとっては憧れである。われわれはあの時代、細身のスラックスを穿いて、ハットを被った。襟のついたシャツを着て、踊った。それから20年以上の月日が流れ、こだま和文は燕尾服を着て、頭には白いタオルを巻いた上からハットを被って、スタージに登場する。だぶだぶのスラックスのサイドには、彼自身がミシンで縫いつけたストライプが光っている。

 1曲目は"サタ"だった。アビシニアンズの、崇高的なまでに美しいコーラスで有名なこの曲をこだま和文は演奏する。続いて2パックの"ドント・ユー・トラスト・ミー"のカヴァー......。「お前は俺を信用しないのか?」、夭折したギャングスタ・ラッパーへの思いが込められたトランペットの音色は、狭い場内を埋め尽くしたオーディエンスの感情を宙づりにする。YABBYのコンソールから来る重たいベースとレゲエのリズムは身体にリズムを取らせるが、こだま和文の静かなメランコリーが心の置きどころを簡単には与えない。彼は途中のMCでいよいよハイボールを注文すると、こだま和文らしい言葉がゆっくりと出てくる。今年の猛暑のなか、幸せそうな人たちの顔を見るとそれに落ち込む自分がいるのであります......私の曲はダークで悲しいと言われますが、どうかみなさんが少しでも嬉しくなれればと思って演奏するのであります......場内からは少しずつ笑い声も聞こえるようになる。

 "ロシアより愛を込めて"のカヴァーに続いて、彼は、縁日の屋台で売っているような、子供が遊ぶプラスティック製の水笛を吹きながら曲を演奏する。水は溢れ、彼のステージ衣装を濡らす。曲が終わるとこだま和文は、それは1986年に起きたチェルノブイリの原子力発電所事故のときに書いた"キエフの空"という曲だと説明する。ああ、これが『空をあおいで』に書いてあるそれか、と思った方も少なくないはずだ。チェルノブイリからそう離れていないキエフの空に、いまでも鳥が鳴いていることを願って水笛を吹きました......とこだま和文は続ける。そして『スターズ』に収録された"アース"を演奏して、第一部が終了した。

photo: Maki Mizukoshi

 波の音に混じって、シド・ヴィシャスの歌う"マイ・ウェイ"が流れると第二部がはじまった。スカにアレンジされた"マイ・ウェイ"を演奏すると、そのままロックステディ調の曲が続く。それから"黒く塗れ"のカヴァー......それはいままで聴いたなかでもっとも本気で「黒く塗れ」という思いが込められているであろうカヴァーだったように思う。
 それから、こだま和文はマイクを手に取り、横田めぐみさんとナポリタンの話をする。横田めぐみさんについても、ナポリタンについても『空をあおいで』に収録されている。そして、自分が料理し、食するナポリタンの大切さについて説く。しかし......何よりも大切なのは、私のナポリタンなのであります......場内から笑い......ゆっくりと上昇する場内の温度とハイボールのお陰で、こだま和文はすっかり饒舌になっている。インターネットを通じて顔の見えない相手とコミュニケーションしていると思えるほど自分は浅はかではありません、コミュニケーションとはこういう場のことを言うのです......などといったような内容の話をユーモアを交えながら話し終えると、Kodama & Gotaの"ウェイ・トゥ・フリーダム"を演奏する。
 もうその頃には、〈新世界〉の会場はその親密な空間に相応しい雰囲気を作っていた。不自然なほどの礼儀正しい言葉遣いで話しながら、トランペットと交互に水笛を吹いているこだま和文は、滑稽で悲しいわれわれの日々のなかの、ほんのささやかな喜びを、ゆっくりと手で揉みほぐしながら抽出しているようだった。そしてコンサートも佳境を迎えた頃に再度2パックの"ドント・ユー・トラスト・ミー"のカヴァーを演奏すると、メドレーでザ・ビートルズの"サムシング"を吹くのである。その予期せぬ急な展開と秋の風のように優しい調べによって感情は強く揺さぶられ、何かとても大切な経験をしたような気持ちになった。小さな喜びの、大きな手応えというささやかな経験だ。

 アンコールは2回あった。1回目では、こだま和文はマイクを握って歌を歌った。2回目で"スティル・エコー"を演奏した。場内からは心のこもった拍手がいつまでも鳴り響いた。
 こうして小さな会場の、大きなコンサートは終わった。音楽を生で聴いて、心が満ち足りたのは久しぶりのことだ。僕はその場に居られたことを幸せに思い、こだま和文の音楽がこの世にあることに感謝した。

神聖かまってちゃん - ele-king

 インターネットの普及も、ゼロ年代後半にはそのコミュニティのサークルの断片化が加速し、充足化を経たことで、薄っぺらい共感を我先に求める傾向が強まっている。何時、何処でも、さまざまな情報にコネクトできるがゆえ、目先の自由に翻弄されることも多くなり、人はその現実と理想とのギャップを何とか埋めようとする。その所業に一喜一憂しながら、以前には感じることがなかったであろう疲弊を覚えている。神聖かまってちゃんはそうした「空しい現代」の申し子のように登場した。

 今年の春に放送されたNHKの音楽番組で、神聖かまってちゃんの生演奏を観た。"ロックンロールは鳴り止まないっ"は、ドラマーであるみさこの「ワン! ツー! スリー! フォー!」という威勢のいいカウントではじまる。スティックを叩くときの彼女の笑顔は、実に晴れやかだった。の子が「ロックンロールは鳴り止まねえんだよっ」と吐き捨てる姿も、美しく思えた。の子は、最後に「俺はいまこそ輝いているのであって、俺の時代なのである。いまこそが!」「イッツ・マイ・ジェネレーション!」と吐き捨てた。大人たちからは病的に捉えられがちな彼らの音楽だが、ちゃんと聴けば彼らのそこには、この時代の歪んだコミュニケーション文化を自覚しながらも、そのなかを逞しく生きようとするポジティヴなパワーがみなぎっていることがわかる。

photo : Tetsuro Sato

 三連休の真っ直中、9月19日の日曜日、〈渋谷AX〉。アニメ・ソングのようなおかしなSEが流れはじめると、大歓声のなか、メンバーがステージに現れる。と同時に、ステージ後方には巨大ヴィジョンがゆっくり降りて来る。そこには〈ニコニコ動画〉のライヴ・ストリーミングを使用した公式生放送〈ニコニコ生放送〉の中継映像がそのまま映し出される。閲覧者たちによる「キターーーーーー!!!!!!」「始まったwwwwww」といった挨拶代わりのコメントから、「みさこ結婚してくれ」「あご(メンバーのmonoは顎が出ているから)」といったふざけたコメントまで、〈にちゃんねる〉的な煽りで埋め尽くされている。現場と電脳空間を巻き込んだ大規模な演出や、閲覧者のコメントに触発される形で、現場のオーディエンスはさらに歓声を大きくする。そう、この日のライヴは、現場の空気を共にするアーティストとオーディエンスの関係性だけによって成立するのではなく、PCの前に腰を下ろした〈ニコニコ生放送〉閲覧者も加わって、初めて成立するのだ。
 開演した時点で、すでにヴューワーの総数は8,000人近くまで上り(「8,000キタ!!」などのコメントが表示されるので、会場に居てもすぐにわかる)、現場にいる2,000人近くのオーディエンスを加えると、武道館クラスのキャパシティでこのライヴを共有していることになる。これには興奮せざるを得ない。しかしメンバーたちは、自分たちの姿とコメントが映ったヴィジョンを眺めながら、何だか他人事のように、グダグダと喋りながら戯けて楽しんでいる。この相変わらずともいえる人を食った態度は、〈にちゃんねる〉や〈ニコニコ生放送〉に慣れ親しんだ彼らの自然体なのだろう。
 
 そうした興奮に包まれたまま1曲目"夕方のピアノ"がはじまる。この曲は、の子が学生時代に受けた虐めが元ネタになっているとか、真相は定かではないが、「死ねよ佐藤/お前の為に/死ね/死ね」の叫びは、音源で聴くよりもよりいっそう痛々しい。しかもそのコーラスを、大勢のオーディエンスが力一杯に拳を掲げて「死ねー! 死ねー!」とシンガロングする。ヴィジョンには、「死ね」といった悪質なコメントの投稿は禁止されているので、代わりに「タヒね(「死ね」を崩したインターネット・スラング)、「SINE」といったコメントが嵐のように過ぎ去っていく。いったいどうして「死ね」と叫ばずにはいられなかったのか。どうしてこんなコミュニケーションが成り立ってしまうのか。いったい誰がここまで追いやったのか。自分もゼロ年代に翻弄されたユースのひとりである。自分は、の子とは同い歳だ。ネット社会のエクストリームな縮図ともいえるその空間に身を置いた自分は、その光景を観て涙をこらえ切れなかった。

photo : Tetsuro Sato

 その後も、"ベイビーレイニーデイリー""天使じゃ地上じゃ窒息死"といった目を覆いたくなるタイトルの曲が連発された。ライヴはすぐに中盤を迎え(曲間の喋りが長い)、いつの間にか〈ニコニコ生放送〉のヴューワー総数は15,000人に達している。の子は「こうやってロック史が刷新されていくのだと思います」といったようなMCをして、急に思い出したように「ディス・イズ・ヒストリー!」と叫ぶ。90年代を代表するワーキング・クラス・ヒーロー、オアシスの言葉をオマージュとして使うあたり、この状況に対して、やはりどこまでも自覚的なバンドだ。
 そしてその「ディス・イズ・ヒストリー!」のコール・アンド・レスポンスとともに、"ロックンロールは鳴り止まないっ"のイントロのピアノ・フレーズが聴こえる。このときは思わず鳥肌が立った。オーディエンスもこの日いちばんの雄叫びを上げ、ヴィジョンは「ネ申曲(神様級の曲という意味)」などといったコメントでいっぱいになる。この曲は、ビートルズもセックス・ピストルズもわからなかった少年が、ある日突然、音楽に胸を打たれる瞬間、そう、あの迸る初期衝動をただただピュアに表現した曲でもある。ディストーション・ノイズと目いっぱいに散らしながらギターをかき鳴らすの子の姿には、初めてギターを抱え、アンプのつまみをマックスまで捻り、憂鬱を振り払おうと轟音を鳴らそうとした少年時代の自分の姿がダブって見える。「遠くにいる君めがけて/吐き出すんだ」「遠くで/近くで/すぐ傍で叫んでやる」と、の子は叫ぶ。mixiやtwitterを弄ぶこの時代において、何ともリアルな叫びだ。

 その後は"学校に行きたくない"などを挟み、本編ラストには、サイケデリックなノイズ・ポップ"いかれたNeet"という、実に自虐的なタイトルの曲を披露した。穏やかな狂気じみたその曲調も相まって、ヴィジョンに映る「働いたら負けだと思っている」「今日も自宅警備が忙しい(働かないでずっと家に居ることの皮肉)」といったコメントに胸を締め付けられる。彼らはこうして今日の生き辛さを生々しく告白しているのである。
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 演奏終了後、興奮したの子は、自前のWEBカメラ付きノートPC(USTREAMもしていたらしい)を抱えたまま、客席にダイヴした。オーディエンスたちが、自分たちの心情を代弁してくれたの子に感激の意を込めて、フロアで手厚くもみくちゃにしていたのは、美しい光景だった。ただ、セキュリティの手によってステージに引き上げられたときに、いつも着ている割烹着のような衣装がめくれてしまい、勢いで自ら下半身局部を露出してしまったことで、〈ニコニコ生放送〉の中継がやむを得ず中断してしまったのは、「ディス・イズ・ヒストリー!」の終幕としてはあまり美ししいとは言えなかったが......。

 先日、クラクソンズは『サーフィン・ザ・ヴォイド(虚空をサーフしろ)』という素晴らしいタイトルを冠した新作をリリースした。そのタイトルが示す通り、空しい現状の自覚と、それを何とか打破しようとする彼らの力強い表現には勇気をもらった。そんな自分は、この日本で現代の空しさと真っ向に対峙し、フラストレーションをまき散らしつつ、戯けたようにサーフし続ける神聖かまってちゃんを追いかけずにはいられない。

[house & techno] #4 by Kazuhiro Abo - ele-king

1. DN3 / Perfect Toy EP | Secouer

 〈カリヨン〉や〈セクーエ(Secouer)〉といった新興レーベルが活発な動きを見せ、にわかに勢いを増すイタロ・モダン・ハウスのシーン。コスミック・ディスコの起源とも言われ、北欧ニュー・ディスコ・シーンにも影響を与えたイタリアの伝説的クラブ〈Cosmic〉のサウンドが再評価されている機運も関係しているのか、サイケデリックなサウンドのなかにオーガニックでほんのり土の匂いがするようなサウンドのテック・ハウスが多いようだ。そんなシーンにおいて、数ある新興レーベルのなかでも最近とくに元気があるレーベル〈セクーエ〉から届けられたのは、チェーザレ・デッランナとグイド・ネモラという畑違いの奇才たちによるコラボレート・シングルだ。
 チェレーザ・デッランナはイタリア南部の都市、プーリア州レッチェを拠点に活動するトランペッター。ジャズやトラッド・ミュージックをルーツに持つ彼は、地元で自身のレーベル〈11/8〉を運営しており、多国籍ブラス・バンド"オパ・クパ"や、アルジェリア音楽を取り入れたユニット"ジーナ"としての活動も知られている。また、地元のDJやサウンドシステムとの交流にも積極的で、ローカルなダンスミュージックアーティストとのプロジェクト"タランタ・ヴィールス"としても活動している。このプロジェクトには、今回のパートナーであるグイド・ネモラも参加している。まぁ、言うならば、地元の顔役ってやつなのだろう。
 グイド・ネモラもグイド・ネモラで、アクが強く雑食性を感じるトラックをリリースすることで知られるアーティストだ。先日〈Joyful Noise〉からリリースされた「アマリ(AMARI)」は、ブルーグラス調なカントリー・サウンドをフィーチャーしたハウス・トラックだった。そんな、畑は違えど通ずる雑食なマインドを持つふたりがローカル・コミュニティで繋がったことは、幸福な出会いと言わずになんと言おうか。
 A1に収録されているオリジナル・ヴァージョンは、フェンダーローズとウッドベース、そしてスウィングするアコースティック・ドラムを基調としたトラックの上でチェーザレが吹きまくる煙たいジャズ・ハウスだ。エレピもウッドベースもスウィング・ドラムも、演奏は控えめでクールな空気感を作っている。その上を駆け回るように演奏するチェーザレのトランペットに施された控えめなダブ処理も良い湯加減だ。
 サイドBには、〈Apparel Music〉を中心に、上質なジャジー・テック・ハウスを数多くリリースしてきたキスク(KISK)によるリミックスも収録されている。こちらはスウィングするドラムを生かしつつも、イーブンキックを強調したフロアライクなミックスだ。深度を増した空間処理と、新たに追加された重たいサブベースがダンス強度を増しながらもよりドス黒く煙たい空気を作っている。ローカル・コミュニティから生まれた1枚ながら、すでにフランソワ・Kにも注目されている今作。ここにきて、イタリア南部のシーンに要注目である。

2. Locussolus / Tan Sedan / Throwdown | International Feel

 ルーカス・スーラス(Locussolus)は、もうほとんど生きる伝説と化しているDJハーヴィによる変名プロジェクトだ。盛況を極めた今春のDJツアーも記憶に新しいところだろう。ハーヴィの音楽キャリアは、彼が10代前半の頃にニューウェイヴ・バンドのドラマーとしてスタートしている。80年代の初頭にパンク/ニューウェイヴの文化圏に居るということは必然的にヒップホップの洗礼を受けることになる。旅行先のNYでヒップホップと出会い、レコードを使ってオーディエンスを操るDJという存在を知ったハーヴィも、例に漏れずその世界に飛び込んでいった。そしてセカンド・サマー・オブ・ラヴの到来により、いよいよハーヴィのプレイはフリーフォームになっていく。そして90年代には自身のパーティ〈Moist〉に敬愛するラリー・レヴァンを招聘するなど、精力的な活動によりシーンへの影響を強めていった。それ以降の、つまりバレアリックやディスコ・ダブ、あるいは北欧コズミック・ディスコ・シーンにまで影響力を持ったカリスマとしてのハーヴィについてはみなさんのご存知の通り。ちなみに、この〈Moist〉には、当時イギリスに留学中だったサイコジェム(Psychogem)ことDJ HIROAKIも通っており、多大な影響を受けたそうな。
 さて、何故わざわざハーヴィのキャリアを再確認したかというと、このEPのサウンドこそが、それこそハーヴィのキャリアを総ざらいするような内容だからだ。A1に収録されている"タン・セダン"は、80'sニューウェイヴ感バリバリのシンセリフが印象的な、熱量の大きいディスコ・ハウスだ。イーブンキックをキープするリズム・マシンと、アコースティックなドラムの絡みも絶妙だ。オーガニックなグルーヴとマシン・ビートのハイブリットという手法はまったく珍しいものではないが、今作ではハーヴィのエディットによって巧妙にその比率が刻々と変化し、ときにディスコ・ダブ的に、ときにシカゴ・ハウス的にと、ビートの印象が玉虫色に変化する。ドラッギーな空間処理が施された電子音が、それらの要素の間を埋めるように飛び交い、そして熱く男っぽいヴォーカルがリフレインする。各サウンドのフレーズは総じてどこかぶっきらぼうだが、確実にこちらのダンス衝動を鼓舞してくれる。
 B1収録の"スロー・ダウン"は、ハーヴィ自身がヴォーカルをとる、メランコリックなギターのアルペジオを基調としたダウンテンポなバレアリック・チューンだ。こちらではサイドAとは対照的に、あくまでフォーキーなサウンドで攻めている。チルアウトしているつもりが、いつの間にか深いサイケデリアの沼にハマってしまうような、そんなトラックだ。B2には、ベースとビートを強調して、全体をよりいっそう煙たくダブワイズしたヴァージョンも収録されている。

3. madmaid / USED 90's E.P. | Maltine Records


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 先日、エレキングに掲載されたインタヴューも話題を読んだ17歳の新星、マッドメイドの新作EPが〈マルチネ・レコーズ〉からリリースされた。前作の『Who Killed Rave at Yoyogi Park EP』に続き、今作も大胆なフレーズサンプリングを用いたベースライン・ハウスを展開しているが......、一言で言うならば「やり過ぎ」である(良い意味で)。
 M1の"telstar"は、シャイFXのジャングル・クラシックス"Original Nuttah"のMCを引用したハードコアなベースライン・ハウスだ。ベースライン・ハウスは、スピードガラージの流れを組むUKのベース・ミュージックのひとつで、グライムやダブステップとも影響しあっている。両者ともLFOによって大きくうねるウォブリーなベース・サウンドがキモになっているが、マッドメイドのそれはもはや一言でウォブル・ベースと呼んで良いのか不安になるほど、うねりは過剰になり、そして高速になっている。シンセサイザーの音作りに明るい人ならピンとくるだろうが、音色を高速で揺さぶると元の音色には無かった高次倍音が発生する。マッドメイドの今作は、そうして音色そのものが変化するギリギリまで攻め込んだ音作りがなされている。前作では、あくまでサンプリングしたネタを中心に置いたプロダクションだったが、今作ではサンプリングは自らのアイデンティティを表明するためのエッセンスに留まっている。聴かせたいのはなによりベースだという気持ちが伝わってくる。このEPの凄いところは、ウォブル・ベースのヴァリエーションがまるでおもちゃ箱をひっくり返したように入れ替わり立ち代わり、目まぐるしく登場するところだ。決してワンアイディアになることなく、ポスト・ダブステップのベース・ミュージックを楽しみながら作っているのをひしひしと感じる。
 先日マッドメイドのインタヴューをおこなった際に、ルーツのひとつとして、『ビートマニア』などの所謂"音ゲー"と呼ばれるヴィデオ・ゲームに収録されていたレイヴ・サウンドの影響を語ってくれた。ここでのレイヴ・サウンドというのは90年代初頭にエイベックス・トラックスが主導して"ハイパー・テクノ"などと言う呼び名で打ち出していた、日本的に解釈されたハードコア・テクノのことだ。これらのサウンドは、当時のコアなテクノ・リスナーには好意的に受け入れられず、むしろ物笑いの種にすらされていた。しかし、マッドメイドの持ち味である無邪気で行き過ぎた感じは、そういったサウンドの「ハイパー感」も大きく影響しているのだろう。それはある意味で、日本の土壌だからこそなしえた、良性の転移とも言うべきものなのかもしれない。

4. Rick Wade / The Mack Of Moscow | Shanti Records

 セオ・パリッシュやムーディマン、そして10代の注目株であるカイル・ホールなど、今年はデトロイト・ハウスの良質なリリースが続いている。そこで忘れてはならないのが、いぶし銀ともいうべきリック・ウェイドの存在だろう。ムーディマンのむせ返るようなエロディシズムやセオ・パリッシュの埃っぽい黒さとはまた異なる黒さがリック・ウェイドの音にはある。
 幼少期から、シカゴのラジオ〈WBMX〉を聴いて育ち、若くしてデトロイトの名レコード・ショップ〈レコード・タイム〉でバイヤーも勤めていたリック・ウェードは、その広いライブラリーを駆使した絶妙なサンプル使いに定評がある。丁寧に磨き上げられたサンプルを用いて、ワンループを基調に構築されるそのトラックは、DJプレミアやピー・トロックにも通じるクールな黒さがある。そしてなにより、リック・ウェイドのサウンドでは、ささくれ立ったトゲっぽさや不良性のアイコンとしての煙たさは巧妙に隠されており、一聴すると極めてエレガントな印象を受ける。が、エレガントな上物のベールに覆い隠されているのは、サウンドシステムで再生してはじめて牙を剥く、どすの利いた強烈なボトムの音作りだ。老獪な"ワル"の音作りがそこにはある。ムーヴDもリリースする、モスクワの〈Shanti〉からリリースされた今作も、例によって、クールでエレガントで、そしてワルい。
 A1の"need you back"は、ギリギリまで装飾を排して、エレピ、シンセベース、ビートのシンプルなループで引っ張っていくディープ・ハウス・トラックだ。メインのシンセ・ベースにはアタックを遅らせたサブベースが重なっており、一小節のなかで一箇所だけ裏拍でサブベースのみが鳴る箇所が作られているのが絶妙なアクセントになっている。ときおり現れるシンセ・ストリングスの音色も美しい。
 A2の"Big Score"はさらにミニマルな構成になっており、さらにワン・ループの抜き差しだけでグルーヴを作るコンセプトが推し進められている。派手な空間処理はないが、異なる質感のサンプルをレイヤーすることで、独自の音空間を作るテクニックは流石というべきだろう。この巧みなグルーヴ・コントロールのテクニックは、彼のDJプレイにも反映されている。10月末にはハック・アブドゥルとともに来日し、渋谷の〈amate-raxi〉にてプレイするということで個人的にも非常に楽しみにしている。

5. Nebraska / Minor Key Memories | Rush Hour


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E王   ファルティDLもリリースするオランダの名門レーベル〈ラッシュアワー〉。ここで、このところ勢いがあるのがアリステア・ギブス(Alistair Gibbs)のプロジェクトであるネブラスカだ。DJスニーク周りのビート感と、デトロイト・ビートダウンのファンクネスをいい所取りしたようなサウンドながら、ネブラスカのサウンドの根底から滲み出てくるのは、言うなれば"クリスタル感"とでも言うべきだろうか? 80'sサウンドにも散見されるような独特なアーバン・テイストだ。
 A1の"This Is The Way"、フィルタリングされたディスコ・ループが心地よいジャッキン・ハウスだが、注目するべきはタイトルの由来にもなっている「This Is The Way~♪」と歌い上げるヴォイス・サンプルだ。このサンプル、良く聴くと阿川泰子の"Skindo-le-le"をサンプリングしているではないか! なんというか、まさかのオシャレ30・30。アーバンもここに極まれりといったところか。
 A2の"Bar Story"は、キラキラしたエレピの二小節ループを中心に展開する小洒落たトラックだが、こちらも一筋縄な展開ではない。中盤以降トラックの主導権を握るのは、降り注ぐようにフィルタリングされたホワイト・ノイズや細かくカットされ、リヴァーブとディレイで飛ばされたシンセ・リード、そして図太く粗野なムーグ系のシンセ・ベースだ。小洒落たディープ・ハウスが、いつの間にかデトロイト・フレーバーのするテック・トラックに姿を変える。
 B2の"Ras El Hanout"は、よりテッキーな路線を突き進め、ファンキーなベースラインでぐいぐいと引っ張っていく。デリック・メイの初期作にも見られたような、ピッチ・ベンドで捻じ曲げられた粘っこいシンセ・リードと、空間を分かつように疾走するストリングスの絡みには、デトロイト・テクノ好きは否応無しにもアゲられてしまうだろう。しかし、ここまでの多様な音楽的アイディアを、良くぞ一貫してウェルメイド感のある作品に纏め上げたものだ。正直感心して唸ってしまった1枚。

Deerhunter - ele-king

ディアハンターの4枚目のアルバム『ハルシオン・ダイジェスト』が都内のレコード店でも好調なセールスを見せている。2年前の『マイクロキャッスル』によってサイケデリック・ポップ・バンドとしての才能を見せつけたアトランタ出身のディアハンターは、いよいよ魅力たっぷりなその毒を日本にも撒き散らそうとしているようだ......。

彼の少年性、そして「性別がない」音楽文:橋元優歩


Deerhunter / Halcyon Digest
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 「僕には性別がない」、あるインタヴューでブラッドフォード・コックスはそのように述べている。マルファン症候群という先天性の疾患のためとも言われる驚くばかりの痩身、長すぎる四肢、窪んだ眼窩にぎらぎらと眼球、たたずまい自体が非常に喚起的なディアハンターの中心人物だ。ドストエフスキー『悪霊』に登場するインテリ革命家の誰それを思わせる。あるいは鋭く不穏な知性を湛えたベッドルームの隠遁者。
 ゲイだという噂もある。それに応答する意味だろうか、キャミソール・ドレスを着用した攻撃的なショウの模様も確認できる。ゲイ情報に関する真偽はきわめて曖昧だが、ブラッドフォードの身体には、たしかにそうした様々な物語を収容し得る何かがある。少年のようにも老人のようにも、聖人のようにも悪魔のようにも見える。私には宗教画がイメージされるが、一方でどことなくポップなポテンシャルも感じさせる。
 アトラス・サウンド(ブラッドフォードのソロ名義)の『ロゴス』や、この『ハルシオン・ダイジェスト』のジャケットを並べてみれば、常ならざる形をしたものへのまなざしがはっきりと感じられる。本作ジャケットの被写体については、悲劇的なゲイ青年の物語が付記されてもいる。
 
 「性別がない」ということを、ブラッドフォードはバイセクシュアルだという意味では語っていない。アセクシュアル、つまり自分はセクシャルな存在ではないという言い方をする。セクシャルな存在になる前段階の少年性のようなものを指しているのだろう。彼が好む雑誌に『ボーイズ・ライフ』が挙げられるが、これがどんなものかというのはアマゾン等で検索すれば瞭然である。日本で言えば『学研』みたいなものだろうか、思春期前の少年が携える、ホビーと冒険のバイブル。ちょっとした科学実験や虫取り、子どもが喜ぶジョークやまめ知識がまとまった、男子児童ライフをめぐるトータルな情報誌で、大人の読むものではない。少年性というある種のファンタジーが、彼自身にオブセッシヴに機能していると仮定するのは的外れではないだろう。未分化であるがゆえに何ものでもあり得るというような性に、彼は追慕と理想とを抱いているのではないだろうか。成人男性の身体を持った人間に、そのような「アセクシュアル」が本当に可能かどうかわからないが、そうありたいと思う人がいるのは理解できる。まして彼の場合はかなり特殊な身体だ。世界に対するスタンスとして、自らを異物、あるいは周辺的・外部的なものであると捉えていたとしてもおかしくない。それは彼の音楽のスタンスでもある。
 
 ブラッドフォードの音楽は、翳りがあり退廃的であるとさえ評されるが、ダーティではない。むしろ汚れたものにたいしてうぶでさえある。"ドント・クライ"では少年が雨のなかでなにかを洗っている。"リヴァイヴァル"では、暗い廊下が「来るな!」と呼びかける。"セイリング"で描かれる世界はダークかもしれないが、ダーティではない。いずれの曲もディアハンターらしいリヴァーブに包まれている。夢をみるためのリヴァーブではない。魔除けのためのリヴァーブ。スローな曲でもリズムはよく締まっていて、清潔さを感じる。また、アニマル・コレクティヴの近作のような打ち込みの要素も前作に増して目立っている。それがよく表れている"ヘリコプター"は名曲である。"ベースメント・シーン"では、年をとりたくないという主体が、年をとりたいと考えるまでの過程が描かれている。年をとらずに夢を見つづけることは、人に忘れられ、自らの終わりを意味するからだ。
 
 『ボーイズ・ライフ』が、その他たくさんの書籍とともに雑然と置かれているというブラッドフォードの部屋の壁には、パティ・スミスやマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのLPが掛けられているそうだ。パティ・スミス......そう、彼は少年性に居直っているわけではない。理想を大事に扱っているだけなのだ。"ベースメント・シーン"では、年をとりたくないという主体が、年をとりたいと考えるまでの過程が描かれる。年をとらずに夢を見つづけることは、人に忘れられ、自らの終わりを意味するからだ、と詞はつづく。これほど自覚的な彼の音楽を安直にドリーミー・ポップなどと呼べるだろうか。覚醒的で孤独なブラッドフォードの心のふるえを、大雑把にシューゲイズなどと呼んでしまうことは、私にはほとんどナンセンスに思われる。
 ブラッドフォードの作家性に終始してしまった。実際には、ロータス・プラザとしてソロでも作品を出しているロケットの役割も無視できないのだが、本作はやはりブラッドフォードのアルバムだと感じる。アトラス・サウンドが、前作『マイクロキャッスル』の方法に無理なく溶かし込まれた印象である。

文:橋元優歩

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一緒にハイになろう、僕は年をとりたくないんだ文:野田 努


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 2008年のディアハンターによる『マイクロキャッスル/ウィアード・エラ・コンティニュード』、2009年のアトラス・サウンド名義による『ロゴス』、これらはここ数年のUSインディ・アンダーグラウンドの野心――IDMスタイルからノイズ、ヴィンテージ・スタイル等々――と接続しながら、明日のポップ・サウンドを模索するアルバムだ。サウンド面での工夫があるというのはもちろん大きいが、それだけがトピックではない。それら2枚はアニマル・コレクティヴと並ぶ、ゼロ年代におけるネオ・サイケデリアを代表する作品でもある。個人的な遍歴を言わせてもらえれば、『サング・タングス』(2004年)から『クリプトグラムス』(2007年)へ――というのがおおまかな流れとしてあって、その地下水脈における最初のポップ・ヴァージョンが『マイクロキャッスル』だったと記憶している。
 ポップ・サウンドとはいえ、アニマル・コレクティヴにはない妖艶なメロウネスがそこには詰まっている。ブラッドフォード・コックスが関わる音楽には、昔ながらのジャンキーの、役立たず人間のみが発することのできる香気というものがある。弱者であるがゆえの色気があり、彼にはルーザー・ロッカーとしての十二分な資質がある。いまどき珍しく、頽廃的な光沢がある。それがゆえにだろうか、ブラッドフォード・コックスにはアニマル・コレクティヴほどのピーターパン的な印象はない。
  
 CD2枚に25曲を収録した『マイクロキャッスル/ウィアード・エラ・コンティニュード』においてキャッチーな曲も書ける才能を証明したバンドは、この新作では、CD1枚46分のなかに11曲を収録している。厳選された11曲なのだろう。また、いくつかの作曲にはギタリストのロケット・プントが関わっているそうで、ディアハンターがコックスのワンマン・バンドではないことを暗に主張しているようだ(しかし、いまとなってはディアハンターとアトラス・サウンドにそれほど違いがあるとは思えないのだけれど......)。
 
 子供への自己投影を主題にした"ドント・クライ"はヴェルヴェッツ直系のロック・ソングで、"リヴァイヴァル"とともに口ずさみたくなるタイプの曲だ。恐怖をテーマにした"セイリング"はスローテンポの美しいブルース・ロックで、"メモリー・ボーイ"はテレヴィジョン・パーソナリティーズを彷彿させるキャッチーなサイケデリック・ポップ。"ベースメント・シーン"は夢見るガレージ・ポップ・ソングで、シングル・カットされた"ヘリコプター"はメロウなエレクトロニカ系ポップ・ソング、それに続く"ファウンテン・ステアーズ"はバーズ......というかより深いトリップに夢中なストーン・ローゼズといったところ。まあ要するにアルバムは多彩で、捨て曲なしの引き締まった内容になっている。『マイクロキャッスル』のとの大きな違いはそこで、ポップ・バンドとしてのディアハンターの才能がスマートに発揮されている。
  
 まあ......とはいえ、僕の場合は、間章の啓蒙主義めいた言葉で描かれたコックスの夢想を共有するにはもういい歳なのだ、という事実もある。「年をとりたくない」と歌われても、年をとってしまっている。「目を覚ましたくない」と歌われても、毎朝7時に起こされる。困ったものだ......。「一緒にハイになろう/僕は年をとりたくないんだ」、そのいっぽうでコックスは「それは僕の終わりを意味するのかもしれない/年をとりたい」と、彼の分裂した思いを打ち明ける。その曲、"ベースメント・シーン"の歌い出しはこうだ。「少しでいいから夢を見よう/地下の世界についての夢を」――リヴァーブをかけられ茫洋と響く彼の言葉と歌は、そして成長(大人)を拒否する『ハルシオン・ダイジェスト』は、"終わりなき夏"をひたすら夢想するチルウェイヴと、その他方では過去に惑溺するヴィンテージ・ポップスと、いずれにせよそれほど遠くはないどこかで混じりながら、USインディに拡がるネオ・サイケデリアをよりいっそう強固なものにしている......ように聴こえるのだ。

文:野田 努

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interview with Kikuchi Naruyoshi - ele-king


菊地成孔00年代未完全集『闘争のエチカ』(上下巻)
イーストワークス

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 「瓢箪から駒」というか「バタフライ効果」というか、3年前に活動休止したデート・コース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデン(以下デート・コース)の突然の復活劇に私の提案が一役買っていたのは、眩暈のする気分だった。70年代のマイルス・バンドのベーシスト、マイケル・ヘンダーソンが往時のマイルス・バンドを再結成し日本に来たがっているという話をあるひとから聞いて高見氏の耳にいれたのは私だったからだ。もう2~3年前の話だから、すっかり忘れてしまって、まあ立ち消えたのだろうと思っていた私は、ゼロ年代全集『闘争のエチカ』を出し、10月9日に日比谷野外音楽堂でのライヴを控えた菊地成孔の口からその話を聞くにおよび、不思議な感慨をおぼえた。
 
 ともあれ話は動き出しており、それはあの10年とはちがうこの10年に波風を立たせないはずはなく、私は3年ぶりの活動再開は休止というにはスパンが短いとも当初思っていたが、いまは考えをかえた。非常にたのしみになった。私は菊地成孔とちがい、運命論はほとんど信じない。決定論から逸れるのがおもしろいと思っている。決定論へのすききらいは別にして、全集に--これはあくまで全集の「構え」をしたものと断ったうえで--闘争のエチカ(倫理)とつけた菊地成孔にはゼロ年代からつづく運命とも公理とも正義とも道徳ともいえるものへの諧謔がありいささかも衰えていない。

「マイケル・ヘンダーソンがあのときのエレクトリック・マイルスのメンバーを招集してライヴして、そのフロント・アクトでデート・コースもリユニオンして一回だけ演りませんか?」と高見くんに訊ねられ、「だったら演る」と答えたのね。

デート・コースが復活したいきさつを教えてください。

菊地成孔:(プロデューサーの)高見(一樹)くんにだまされたというのが本当のところです(笑)。

そんなこと書けませんよ。

菊地:いいよ書いて。2年くらい前、アメリカでマイケル・ヘンダーソンがエレクトリック・マイルスのリユニオン・バンドを作った。ついては日本公演がしたいと第一報があったのね。そのとき僕は『オン・ザ・コーナー』のバンドでのリユニオンだともうちょっと細かい話を聞いていたんだけど、「マイケル・ヘンダーソンがあのときのエレクトリック・マイルスのメンバーを招集してライヴして、そのフロント・アクトでデート・コースもリユニオンして一回だけ演りませんか?」と高見くんに訊ねられ、「だったら演る」と答えたのね。リユニオンといっても一度だけだし、旧メンバー集めて演奏して「よかったね」で終わると思って一年くらい交渉を待っていたの。だけど、待てど暮らせど......というか、よくある話なんだけど二転三転して、最終的にその話自体がなくなったはいいが、途中経過で野音を押さえてしまっていた、と。
 マイケル・ヘンダーソンの話は黒人にありがちなブラフで、結局エレクトリック・マイルス・バンドの来日公演というこっちがワクワクするようなものじゃなくドサまわりだとわかってきたんだけど、ギリギリまで粘ったんですよ。じゃないと、デート・コースが単体で活動再開ってことになりかねないから。僕はそれはイヤだといったわけ。というのは、野音がデート・コースが活動を再開するからっていっぱいになるわけないと思っていたから(笑)。もう誰も憶えてないよって。

「誰も憶えていない」は極論だと思いますが。

菊地:だとしても野音は規模がちがう。マイケル・ヘンダーソンに興味をもったひとが「そういえば昔デート・コースってバンドがあったな」って、久しぶりに見るのも悪くないというかね。だから高見くんには、一所懸命頼んで、最終的には「マイケル・ヘンダーソンひとりでもいいから旅費払って呼べ」っていったの(笑)。「デート・コースにマイケル・ヘンダーソンが入るのでもいいから、単独で活動再開っていうのはやめてくんない」って(笑)。だけど彼はそんなこと聞くひとじゃないから、僕の望みなんかたいがい叶わない。で、自分たちだけで野音やるはめになった(笑)。「だったら」ってこっちも降りる目もあったんだけど、そのころには再開に向けてマイケルの話とは別に気持ちが高まっていったところもあったから、彼の来日がなくなったのはたまらないものはあったけど、「でもまあ、やるか」って感じにはなってきていた。どうせ活動再開を謳うなら、懐かしいメンバー中心ではなく、僕以外は若いメンバーで--マイルスのスタイルですが--再構築しようと考えたんです。アルバムのリリースやライヴの頻度は別にして、まずは野音とボロ・フェスタで(新生)デート・コースをたちあげるのに、全体の計画がシフトしてきたわけ。シンシアにいうと、なにもない状態から「デート・コースをもう一回やるべきだ」というモチベーションが生まれてきたわけではない。

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若手にはデート・コースのチルドレンみたいなヤツがいるんだよね。僕の教えている生徒にはティポグラフィカのライヴにはとうとう行けなかったけど、音源を全部もっていて、「楽譜みせてください」とか「自分で採りました」って子がいっぱいいるわけ。


菊地成孔00年代未完全集『闘争のエチカ』(上下巻)
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活動休止から3年の期間をどう見るかですね。しかしそれは瓢箪から駒かもしれないですね。

菊地:そうであってほしいけれども。ただエレクトリック・バンド、デート・コースと名乗るかどうかは別として、ここのところフル・アコースティックのバンド活動に傾いていたから、そろそろファンキーなもの、5~6人のスモール・コンボでポリリズムを主題にしたエレクトリック・バンドはやろうとずっと思ってはいたの。

メンバーは事後的に考えたわけですね。

菊地:そう。旧メンバーで「こいつだけはどうしても」っていうひとには残ってもらって。

それはどなたですか?

菊地:坪口(昌恭)と大儀見(元)と(津上)研太。それと僕を加えた4人が残る。あとは全員変える。

新デート・コースのパーソネルを可能な範囲で教えてください。

菊地:千住(宗臣)くんとJ・A・Mとかソイル&ピンプ・セッションズのピアノの丈青くんはわかるだろうけど、ほかは生徒とかアマチュアからハントしたひととか、名前を知られていないひとたち。厳密にいうとニコニコ動画のテクニック系動画マニアの間では有名とか(笑)、そういう名声あるけど、一般的には無名ですね。

リハーサルはもうはじったんですか?

菊地:明日(取材日は2010年9月15日)が初日。

期待と不安半々ですね。

菊地:僕にとっては千住くんや丈青くんの方がむしろ未知数ですよ。彼らの場合いろんなツテを頼ったけど、ほかのメンバーは自分で選んだからポテンシャルがだいたいわかる。若手にはデート・コースのチルドレンみたいなヤツがいるんだよね。僕の教えている生徒にはティポグラフィカのライヴにはとうとう行けなかったけど、音源を全部もっていて、「楽譜みせてください」とか「自分で(音を)採りました」って子がいっぱいいるわけ。彼らはそこからデート・コースに進んで......なんというかな、種はまいたというかね。いま20代でデート・コースのライヴにギリギリ間に合ったくらいのプレイヤーがでてきた。そういったひとたちからもらったデモ・テープを聴くと、彼らは最初からデート・コースを聴いて育っているから血肉化されているんですよ。ロックンロールのパイオニアに対する第二世代というか、下の世代が育っていることに気づいたんですよ。

デート・コース的な言語でしゃべるネイティヴですね。

菊地:そうそう。彼らは若いし、前のデート・コースの最大のネックだったスケジュールや活動資金の問題もクリアできる。さらに彼らはリズムに対するリテラシーが高い。メンバーがあらかじめ曲を全部知っていれば、マイルス・スタイルを採用しても対応可能であり、現にそういったひとたちが複数名いたというのが活動再開の契機でもありましたね。

ミュージシャンに技術があってもコンセプトを飲みこめないと演奏できないでしょうからね。

菊地:上手いということは結局万能ではないからね。

菊地さんは教鞭をとられてもいるわけですが、この10年の菊地さんの活動によって、若いリスナー一般のリズムのリテラシーが高まったということですか?

菊地:全体はなにも変わってない。むしろ退化している。というのはいいすぎにしても、ほとんど変わってないですよ。いまいったひとたちは好事家であって、アメリカのどの州にも何人かはザッパが死ぬほど好きなマニアがいる、というような意味です。

テープを擦り切れるほど聴いてコピーして、ザッパ・バンドに入りたいひとたちですね。

菊地:オーディション待っているひとたちね。じっさいザッパ・バンドってそうやって長い時間かけてまわっているわけでしょ。いまはザッパの時代とちがうから、YouTubeがあって音源も共有ソフトでとれるし、はいりこむ回路はいくらでもある。新生デート・コースのメンバーは東京にいて、デモ・テープをもらった数人の直接コンタクトできる子たちから選んだけど、時間があればオーディションしたかったですよ。

菊地さんの活動に啓蒙されてリズムのリテラシーが変わったひとは少数であったとしてもいた、ということですね。

菊地:僕がこの10年やってきたことは、ゼロからはじめることだったんです。リテラシーがゼロなのを、友人である優れたミュージシャンたちにやらせてきたのをファースト・インパクトだとすると、それを聴いて育ってひとがでてきて刈りとるセカンド・インパクトが当然うまれるわけ。あらゆる音楽史にとってそれは必然です。僕のゼロ年代にやったことは全部同じで、頭のなかでコンセプトを作り、それをすでにキャリアがある友だちたちにやらせて、結果的にうまくいった、その繰り返し。だから第二世代がでてきたこと自体がすごく新鮮なんですよ。ロックンロールや、レゲエやヒップホップみたいなジャンルではもっと短いスパンでそういった現象が起こるわけで、うちらにもそういったタームに入ったか、と驚いたところもある。それがマイケル・ヘンダーソン不在にも関わらずモチベーションがあがった大きな要因ですよね。

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リテラシーを高くとることで賞味期限を伸ばそうという戦略があったわけではないけど、結果としていまの日本人全体にはポリリズムとか複合リズムはリテラシーは高いものになってしまっている。だからいつまで経っても消費されない感じがある。

『闘争のエチカ』はベスト盤......というか総括とも全集ともいえるものですが、菊地さんのいうゼロ年代は『闘争のエチカ』に集約されたと考えていいですか?


菊地成孔00年代未完全集『闘争のエチカ』(上下巻)
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菊地:『闘争のエチカ』は最初、〈イーストワークス〉のワークスをCDボックスで出そうというありきたりな話で進んでいたんですよ。〈イーストワークス〉の仕事というのは、ゼロ年代というディケイドを前半と後半にわけると、後半なの。00年から05年はスパンク・ハッピー、デート・コース、『スペインの宇宙食』で、後半は歌舞伎町でジャズ。2005年に『情熱大陸』に出演しているから、ちょうどカードの裏表みたいにバチッとわかれる。ディケイドは半分に割れるものだから。その考えで、〈イーストワークス〉ワークスを出すとなるとカードの裏面、後ろ側の5年の全集が出ることになる。それで高見くんにムリは承知で「デート・コースとスパンクスも入れた、この10年の前半も入れた全集が出せたらいいね」っていったんですよ。そうしたら高見くんはもちまえの行動力でそれを実現したわけ。「全部いけますよ」となったときに「じゃあ徹底的にいこう」と。「CDの何枚組っていうのはやめて、4ギガのUSBメモリに全部入れる」となった。僕はご存じの通り、ハードは全然知らないから、「おもしろいね、これ」といっただけなんだけど、いずれにせよ、商品形態としては一個人の10年間の活動を動画と静止画とテキストをあわせて4ギガバイトのメモリに収録して1万円というのは世界初だからね。値段の設定もよくわからなかった(笑)。「安すぎ」だっていう声もあるし、「高くて買えない」っていう若い子もいるという。その意味ではすごく現代的で、昔みたいに鶴の一声で価格をいえば国民のコンセンサスが得られる時代じゃないから値段つけるところから楽しくやったわけだけど、仕事の総括ということとニュー・メディア、新しいプロダクトを出す喜びが重なってきた。デート・コースの活動再開とは時期がダブったのは偶然(笑)。デート・コースは映像がでかくて、夏目(現)くんが撮影した映像が膨大に残っているんだけど、初心者はもちろん、マニアでも見たことのない〈みるく〉でのライヴ映像なんかを入れたらちょっとしたプロモーションにはなるかな、と大急ぎでこれが野音前夜に向けて制作されたという事の次第です(笑)。

〈みるく〉ももうないですからね。菊地さんはコンテンツを確認されたんですか?

菊地:もちろん。高見くんとふたりで全部確認して写真も全部選んで、ライヴ音源も山ほどあるもののこの部分を使おうと指示して、相当な難事業でした。最初は新録がいらないから楽だと思っていたんだけど(いままでで)一番キツかった(笑)。2004年の仙台でやったライヴとか、「ひょっとしたらいいテイクがあるかもしれない」って見るんだけど、全部"ヘイ・ジョー"とか"キャッチ22"なの(笑)。

気が狂いそうですね(笑)。

菊地:狂うよ(笑)。それを乗り越えて、厳選に厳選を重ねました。

キツかったのは過去の自分に対峙するのがキツかったわけではなくて?

菊地:いや、過去の自分の対峙するのは誰でもそうであるように僕だってキツかったですよ。10年前の映像を見るのなんてイヤなものじゃない。でもそのキツさは最初だけで、自分史を補強したというか、精神的なつらさはそれほどでもなくなった。

そのうえで自己分析するとどうなります?

菊地:「多岐にわたる活動」といわれてきたけど、僕のこの10年やってきたのは構造レベルに還元すればひとつだなと思った。全部ポリリズムとポリグルーヴだよね。そういうことも頭では理解していたけど、目のあたりにすると「なるほどな」と思いました。

「なるほど」というのは過去あるいは表現への所有感ですか? 

菊地:音楽の衝動っていうのは個人から出ているとはいえ、もっと共有的なものだと思うよね。だから所有感というより、ともすれば忘れてしまうちょっと前のことだとか、「いろんなことをやっている」といわれるうちに自分でも「いろんなことをやっている」と思いがちだけど、つまるところストーンズみたいな金太郎飴状態ではなくても同根感はあるということです。YMOとかソロとか、坂本龍一さんの音楽はいろんな要素を孕んでいそうだけど、結局のところ、ドビュッシー風の和音がポップスに乗っかってくるというそれだけをつづけている側面があるのと同じで、結局僕はブラック・ミュージック発のダンス・ミュージックの新しい形を模索し、ジャズをどうレコンキスタさせるかを模索しているだけです。

それはこの10年のテーマですか? それとも通史的な?

菊地:10年間を総括して、掛け値なしでよかったと思ったのは消費されきってないということなんですよ。リテラシーを高くとることで賞味期限を伸ばそうという戦略があったわけではないけど、結果としていまの日本人全体にはポリリズムとか複合リズムはリテラシーは高いものになってしまっている。だからいつまで経っても消費されない感じがある。スパンク・ハッピーみたいに例外はありますけどね。あれはポップスだったから、即消費され即分析され、ネットで書かれたり二次制作にまわされたけど、ほかのものにはミスティフィケーションが生きているんですよ。

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いま感じているのは社会単位といっても個人単位といってもいいけど、またリテラシーが下がっているということ。90年代は音楽に対するリテラシーが極限までいって、ちょっとした大学生もレア盤に詳しかったじゃない(笑)。いまのちょっとした大学生はレア盤にくわしくない(笑)。


菊地成孔00年代未完全集『闘争のエチカ』(上下巻)
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リテラシーという言葉には難解なものを理解するという意味をこめてます?

菊地:難解さの定義は明快さの定義と表と裏で、フランス語に対して日本語が難解かという図式であって、難易度ではないよ。よくイタリア語にRの発音がないから日本人にやさしいとかアフリカの言葉には複雑な拗音や促音があるから日本人にはむずかしいとはいうけど、それは極大値の話であって、平均値をとったら、なにが難解かという話ではなくてただの文化的な差異でしょ。
 10年間やったことでもうひとつわかったことがあるんだよ。大友(良英)なんかと比べるとよくわかるんだけど、海外にもっていって外国人がどう反応するかというテストは僕はしなかったのね。大友は作品を作って、外国に売りにいく。そうすると、エキゾチシズムを含めて外国に市場があることがわかって、それは彼の90年代の経験がそうさせていると思う。これからやっていこうと思っているもののひとつはそれで、じっさい、キップ(・ハンラハン)とかマルタン・メソニエだとかそういったひとには、日本人の音楽評論家や音楽家よりもはるかにストレートに通じて大喜びするわけよ。ドメスティックでやっていくのを自分に課していたわけではないけど、この10年ドメスティックでいたよね。デート・コースをアメリカにもっていこうとか、ダブ・セクステットでどこかにいこうとか、そういった話はあったけど、神の見えざる手でことごとく潰れていくわけ。そういう意味では僕の音楽にとって難解さは程度でしかなく、文化的な差異、つまりリテラシーといういい方がいちばん正しく、日本人にとってはリテラシーの高い音楽になってしまったけど、コスモポリタンにとってはどうかなという思いはありますよね。このあいだ、(エルメート・)パスコアールがきたとき、〈ジャズ・ドミューン〉でティポグラフィカとぺぺ(・トルメント・アスカラール)を聴かせたら、「メチャメチャいい」とかいっているわけ、普通に。

大友さんはエキゾチシズムを輸出した側面があったとしたら、菊地さんのおっしゃっているのは翻訳可能性というか、普遍言語としてのリズムで向こうのフィールドに割っていく感じですよね?

菊地:そうそう。だからある種のイグザイルというか、国内においては一種の不適合ではあるよね。

ディアスポラともいえる?

菊地:それは重要かもしれないし、海外でいざやってみると意外と簡単に消費されるかもしれないからね。不適応を抱えたひとがずっと東京の新宿にいることのほうがおもしろいかもしれないわけだから。

2010年代にそこにあえて乗りだしていこうという気が芽生えつつある?

菊地:うーん。ゼロ年代の総括として、複合的なファクターでそれをやらなかったことはたしかで、ゼロ年代の積み残しとして2010年代にそれをやってみようかなと思う部分もあるということだよね。ゼロ年代もトライはしていたんだけど、僕は極端な運命論で、ダメなときはどんなにがんばってもダメで、うまくいくときは放っておいてもうまくいくと思っているから(笑)。今回のデート・コースの野音のフロント・アクトもリッチー・フローレスとペドロ・マルチネスの〈アメリカン・クラーヴェ〉の連中だしさ。(デート・コースの)解散コンサートにキップいたんだよね。キップはデート・コースを大好きだし、僕の旧譜もだいたい聴いて大好きだと。それはヒップホップでいうシンジケートみたいなもので、外国とのネットワークは模索しつつある。

菊地さんはゼロ年代と10年代の空気のちがいをどこに感じます、現時点で?

菊地:歴史は線的に発展しつづけるんだという、いわゆる20世紀的な近代史観というものがあるよね。音楽でもそこに寄与したひとはマイルスをふくめていっぱいいるけど、20世紀のなかば過ぎにそういった考えはダメだ、もしくはまちがいだと主張するひとたちが出てきた。そういう解釈の柔構造として出てきたのがビーガンとかロハスで、彼らは近代を止めろといっているわけだよね。僕はそういったひとたちを批判はしないけど、考えは足りないとは思う。このままいったら破滅するから破滅しないために近代化を止めようといっても止まらないわけで、彼のいっていることは志は高いけどムダな抵抗だと思うわけ。そんなことしなくても、人類史には波みたいなね、行き過ぎたあとの空白みたいな部分がかならずあって、ゼロからやりなおすポイントがある。「マヤ文明は科学が発達したのに一夜にして消えました」とかね(笑)。

ずいぶん遡りましたね(笑)。

菊地:そういうのも喧しくいわれてきたし、レヴィ=ストロースに代表される「インディオの時間は円環している」というような反近代的な時間感覚とか反近代的な文明史も唱えられていたけど、僕はどれもピンとこなかった。というのは、iPadにしろiPhoneにしろ、じっさいにモノは発達しつづけているわけで、たった20年前にはケータイもないわけじゃない。一方でこんなに発達しているものを抱えつつ発達を止めろといってもムリだという気持ちを抱きながらゼロ年代はずっとやってきんだけど、いま感じているのは社会単位といっても個人単位といってもいいけど、またリテラシーが下がっているということ。90年代は音楽に対するリテラシーが極限までいって、ちょっとした大学生もレア盤に詳しかったじゃない(笑)。いまのちょっとした大学生はレア盤にくわしくない(笑)。90年代は音盤的知識がユースに行き渡って、ゼロ年代には構造分析が主流になって、ユースのポピュラー・ミュージックへの解像度がどんどんあがっていくんだと、すくなくとも20世紀的な見地ではいいたかったわけだよね。でもまったく上がってない、どころか下がっている気が、いましています。それが白紙に戻って、10年代はもう1回トライするイメージがありますよね。

そこで必要なのが倫理(エチカ)だと?

菊地:そういうこと。エチケット、エチカがないからどこまでずるずると動物化したわけで、それによって身体性をかなり喪ったと思うんだよね。音楽はどうしても身体的なものだから、それに引きずられるようにして、音楽の身体的なリテラシーが下がってしまった。〈ジャズ・ドミューン〉のあとに〈クラブ・ドミューン〉になるじゃない。Twitterで〈ジャズ・ドミューン〉の間のリプライを全部読むじゃない。読んでいるうちにDJが登場して、TLは「このDJヤバい」ってコメントで埋まるんだよね。それをみていると、ある意味ものすごいリテラシーが高いんだけど、音楽そのものの構造に対するリテラシーはなきに等しいというかね。それは悪い意味ではなくて、そういう状況なんだな、ということですよね。しかもそういったひとたちも数すくないストリーミングでクラブ・ミュージックを聴きたい一部の帰属層っていうかさ、ユース全体ではなくて、アッパー・ユースというか、かつてよくクラブにいったひとたちかもしれない。だからまあ、自分と同じ年配や上のひとたちがどう思っているかは、自分も中年になったからわかってきたけど、いつでも若いひとに刺激を与えるにはどうしたらいいかつねに考えています。50になったら、「いやー、もう若いひとの考えはわからないしねー」って精神的な「引退」をしてもいいわけだけど(笑)、まだそれは考えてますよね。昔のひとはまだ、頭でっかちだといわれながらわざわざクラブに行って「あのDJがヤバい」とかいっていたわけじゃない。いまはそんなことしなくても音楽を聴ける状況ができあがってしまった。音楽の意義がだんだん変わってきていて、レイヴに行くひとなんかはユース全体っていう括りじゃなくて、「レイヴに行くひと」っていう括りに変わっていきつつあるなかで、ユース全体に刺激があると思わせる感覚をもっと研ぎ澄ましてやっていきたい。ゼロ年代もそれはやってきたことだけど、2010年代の展望があるとするとそれですよね。

(2010年9月15日、新宿で)

ライヴ情報 : 菊地成孔presents DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN

出演:DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN
Opening Act: Richie Flores & Yosvany Terry Cabrera
2010年10月9日(土)  開場16:00 開演17:00
会場:日比谷野外大音楽堂
入場料:¥6,500(税込み)
お問い合わせ:0570-00-3337(サンライズプロモーション東京)

『闘争のエチカ』(イーストワークス)

10月30日上下巻同時発売
"ewe special products store" https://eastworks.shop-pro.jp/

interview with Phew - ele-king


Phew / ファイヴ・フィンガー・ディスカウント(万引き)
E王 BeReKet / P-vine

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 彼女はこの国におけるオリジナル・パンク・ロッカーのひとり......である。1979年、ザ・スリッツやザ・レインコーツのデビュー・アルバムと同じ年に発表されたアーント・サリーのアルバムは、怒りと絶望の頂点に達した少女がまばたきもせず無表情に、そしてぬかりなく正確に、相手の急所に一撃を食らわすようなレコードだ。しかも(最近、再結成が囁かれている)ザ・ポップ・グループの"ウィ・アー・オール・プロスティテューツ"よりも1年前だ、"すべて売り物"とはよく言ったもので、ジョン・サヴェージ流に言い表すなら、「アーント・サリーこそ中曽根政権によって変えられた日本のその後の暗い未来を最初に予感したパンク・バンドである」となるのだろう(その観点で言えば、彼女が坂本龍一と組んだのは必然だったとも......、いまあらためて思い返せば)。
 
 それから30年の月日が流れた。ポスト・パンクが欧米の若い世代を中心にリヴァイヴァルしたように、日本でもフューの音楽はいまより強く必要とされている。ザ・レインコーツが初めて日本で演奏したとき、彼女たちの出演前のステージで歌うフューを見ながら僕はそう思った。そんなわけで、ele-kingはいま、誇りを持って彼女のインタヴューをお届けする。

ピストルズは同じ世代なんです。ジョン・ライドンが私よりふたつぐらい年上なのかな。あのファッションから音楽から何もかもがすべて衝撃でした。彼の持っていた気分というのが、ある種、私たち世代の気分を代表していたんですね。70年代の音楽にうんざりしていたわけですよ。

ザ・レインコーツのライヴが良かったとおっしゃいましたが、フューさんから見てどこが良かったんですか?

Phew:昔の曲も良かったですけど、いまの彼女たちの身体を通して出てくる音楽が最高に良かったですよね。楽しかったです。

楽しかったって感じですか?

Phew:ファーストからの曲もたくさんやっていましたけど、なつかしいという感じではなかったです。私、ピストルズが再結成していちばん最初に来たときに観に行ったんですね。

えー、武道館に行かれたんですか(笑)! 僕はあれ、チケット買って行かなかったんですよ。

Phew:行ったんですよ~(苦笑)。あれはね、もう、出てきただけで......、最初は"ボディーズ"からはじまったのかな? はじまった瞬間、それでもうオーケーなんですよ。「あ、生のピストルズだ」って。レインコーツは、それとはぜんぜん違うものですよね。

女性バンドとしての共感はあったんですか?

Phew:むしろそれはいちばんわからない部分というか、共感しにくい部分。〈オン・エアー〉でも、ミキサーの人が「女の人だ」みたいなこと言ってるんですけど、それがいちばんよくわかない。

そうですか。ところでdommuneに出演されたときにスーサイドをかけてましたが、いまでもあの時代のパンクにシンパシーを抱いているんですか?

Phew:それはしょうがないですよね。いちばん多感なときに聴いたということもあるし、何もかもが好きです。スーサイドの1枚目とシングル「ドリーム・ベイビー・ドリーム」は本当に好きです。2枚目になるとちょっとわからなくなるんですけど(笑)。

やっぱアラン・ヴェガの叫び声ですかね(笑)。

Phew:あの時代のリズムボックスの質感とか、ぜんぶひっくるめて好きですね。

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私の若いときっていうのは精神的に危ない場所にいたと思うんですよ。まあ、いまも危ないと思うんですけどね(笑)。あの二行はね、決意表明というか、「そうするんだ」っていう、意思表明みたいなものなんです。あの二行は、いまの気分でもありますよ。

最初に聴いたパンクって何だったんですか?

Phew:たぶんね、ジョナサン・リッチマンだったと思うんですよ。パンクって名前はあったのかな? なかったと思うんですよね。

当時、ジョナサン・リッチマンを聴いていた日本人ってどれぐらいいたんですか?

Phew:日本盤で買いましたよ。私が高校1年のときでしたね。

モダン・ラヴァーズですね。

Phew:そう、ジョン・ケイルがプロデュースしていてね。"ロードランナー"という曲があって、それはいまでも好きです。ただ、それはパンクっていうよりも、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの延長上で気になって、買ったんです。で、それからラモーンズ、ブロンディ、パティ・スミス......その後ですよ、ピストルズは。

フューさんにとってどんな衝撃だったんですか?

Phew:ジョナサン・リッチマンに関してはそれほど衝撃はなかったんですけど。私、とにかくヴェルヴェット・アンダーグラウンドが好きだったんですね。中学3年生のときにルー・リードが来日しているんですけど、行ってるんですよ。グラム・ロックの頃ですね。同じ頃にニューヨーク・ドールズとか大好きで。当時はまだリリースの量もそんなに多くないですし、だからプロデュースがジョン・ケイルであったりすると、ジョナサン・リッチマンとかパティ・スミスとか、わりとたやすく辿れるんです。衝撃という点で言えば、何と言ってもピストルズでしたね。本当にあれは......、良かったです。

それはちょっと意外ですね。

Phew:だってそれはね、パティ・スミスにしたってブロンディにしたってひとつ上の世代じゃないですか。ピストルズは同じ世代なんです。ジョン・ライドンが私よりふたつぐらい年上なのかな。あのファッションから音楽から何もかもがすべて衝撃でした。ピストルズ=ジョン・ライドンだと思うんですけど、彼の持っていた気分というのが、ある種、私たち世代の気分を代表していたんですね。70年代の音楽にうんざりしていたわけですよ。私は、(日本では)そう感じていた極々少数派かもしれないけれど、世界中にそう感じていた人は多かったと思うんですね。だから、ピストルズが起爆剤になったというか、彼の言動やファッションが、当時のティーンエイジャーを代弁していたんです。

僕の勝手な想像は、ブリジット・フォンテーヌとか、ダグマー・クラウゼとか......。

Phew:あ、そういうのも聴いていましたよ。シャンソンも好きで聴いてました。

まあでも、モストをやられているくらいですし、『秘密のナイフ』にも"ひとのにせもの"というパンク・ソングがあるし。

Phew:そうですね(笑)。

アーント・サリー時代からずっとあるように思うんですけど、フューさんが定義するパンクって何でしょうか?

Phew:当時は、77年は定義できたと思うけど、いまはとても......、パンクというのはとても難しい。

解釈がいろいろありますからね。

Phew:だってもう、現実の世界で実現しているじゃないですか。(すでにいろんな人が)勝手なことやっているし、あの当時の「既成の価値観を破壊する」とか言っていたのがほぼ実現しているし、だから、何かに対してのアンチテーゼ、反対するっていうのはあまり意義がないっていうんですかね。70年代後半のパンクの精神みたいなものはつねに持ち続けているし、音楽活動を通じて表現していると思うんですけど、それは私だけじゃなくて、インディペンデントなスタイルを貫いている人たちみんなに言えるんじゃないですか。

DIY主義ということですよね。

Phew:ですね。

ちなみにアーント・サリー以前に音楽活動はされていたんですか?

Phew:ピアノを弾く同級生の女の子と何かをカヴァーしたりとか、遊びでそういうことはしていましたけど、バンドはやっていないですよね。

どんな少女時代を過ごされたんですか?

Phew:少女時代(笑)! 難しいですねー。

反抗的な少女時代だったんですか?

Phew:ハハハハ、そうですね。

学校みたいなところでもアウトサイダーだったみたいな。

Phew:真面目でしたよ。家は朝出て、神戸だったんですけど、三宮に出て公衆電話から親のフリして「今日は欠席します」とか電話して、そういうことはやってるんです(笑)。そうやって、学校をさぼるんです。不良という言葉が生きていた時代ですけど、不良って言われていたかもしれない(笑)。

いやー、フューさんの少女時代ってどうだったのかなーと思って。

Phew:少女っていつぐらいですか?

それはやっぱり小、中、高までですかね。......まあ、小、中、高ではぜんぜん違いますけどね。

Phew:それ違うでしょ(笑)。

ぜんぜん違いました(笑)。

Phew:ただ、自分持っている自己イメージと他人から言われることがものすごく離れてたりするんですね。自分では暗い、暗い、学生時代だったと思っていたとするじゃないですか。そうすると、「面白い子だった」みたいなね。よくわからないんですよ(笑)。

僕はフューさんの作品を聴いたときに、音もそうですけど、言葉にも感銘を受けたんですね。やはり早い時期から言葉を書いていたんですか?

Phew:それはなかったです。歌詞を書くようになって書きはじめました。もちろん、本を読んだりしてましたし、いつも現実ではないものを求めていたというか、いつも本を読んだり映画を観たり音楽を聴いたり、そういったものは子供のときから自分には必要なものでしたね。よくね、先生には「ぼーっとしてる」とか「どこ見てるかわからない」とか言われてましたね(笑)。

なんですかね、頭が良すぎて男を寄せ付けないような(笑)。

Phew:いやそれが、ずーっと女子校だったんですよ。

でもやっぱ、フューさんってそういうイメージありますよ。

Phew:いや、そんなことないですよ。ただね、男の子って嫌いだったかな。中学生とか高校生ぐらいのときとか、同年代の男の子がわからないっていうか、なんか汚いし(笑)。

ハハハハ。

Phew:まあ、女の子ってそういうものじゃないですか。

では、言葉の面で影響を受けた人っていうのは誰かいないんですか?

Phew:作家とかですか?

作家とか。......たとえばアーント・サリー時代の"フランクに"って曲あるじゃないですか。ああいう言葉って「いったいどこから来るんだろう?」って思ってましたね。

Phew:どういう歌詞だっけ?

「飢えて植えた上には上がある/認って慕った下には下がある」とか。

Phew:あー。寺山修司の短歌、塚本邦雄の短歌ですとか、そういうものが好きでしたね。いわゆる現代詩みたいなものよりも、定型詩みたいなほうが好きでしたね。散文みたいなのは好きじゃなかった。

短歌とか俳句とか......。

Phew:だけど、文学少女という感じではなかったんです。

違ったんですか?

Phew:まったく違います。

へー。

Phew:文芸部に入っているような友だちはいましたけど、私はそういう感じではなかったですね。

「返り血を浴びて大きくなるわ」とか......。

Phew:ああ、あの短い曲、"転機"ですね。

そう、「なんであれが"転機"なんだろう?」って。

Phew:あれはね......、私の若いときっていうのは精神的に危ない場所にいたと思うんですよ。まあ、いまも危ないと思うんですけどね(笑)。あの二行はね、決意表明というか、「そうするんだ」っていう、意思表明みたいなものなんです。あの二行は、いまの気分でもありますよ。

「夜な夜な目を凝らしても出口なんか見つからない」って、なるほど。ちなみにあの詞はいくつのときに書かれたんですか?

Phew:18ですね。肉体をもった存在として決意表明なんですね。私、今週末で51になるんですけど、いまはそういう気分です。

なるほど。そういえば、レインコーツといっしょにライヴをやったときにアーント・サリー時代の曲をやってましたね。

Phew:"醒めた火事場で"。

ちょっとびっくりしましたけど。

Phew:アーント・サリー以降、あの歌を歌ったことがなかったんですよ。でも、なんか、あの歌で歌っていたイメージ、風景みたいものがいまの時代と重なる。いまの気分にぴったりというか、向島ゆり子さんのピアノのアレンジで蘇りましたよね。

アーント・サリー以降、あの歌を歌ったことがなかったというのは、やっぱり、フューさんのなかにアーント・サリー時代に対する複雑な気持ちを持ってらっしゃるというのもあるんですか?

Phew:アーント・サリー自体は純粋無垢なバンドで、ビッケにしてもマユにしても、メンバーもほぼ初めて楽器を持った人たちばかりが集まって、純粋に自分たちのやりたいことを手探りで探していって、曲を作っていったわけです。で、なんとなく、〈ヴァニティ〉の阿木(譲)さんという方が出してくれて、でまあ、ぱっと売れたんですよ。でも、いわゆる評判というものは最低だったんです。地元のライヴハウスとか、つまらない雑誌が関西にあって、「学芸会バンド」とか、「下手くそで最悪」とかね、書かれてたんです(笑)。もう、憶えてますよ、そういう意見ばっかり。それで坂本龍一さんプロデュースでシングルを出したじゃないですか。

「終曲/うらはら」(1980年)ですよね、僕もそれが初めてでしたね。

Phew:東京に来て、坂本龍一さんプロデュースで、メジャーからシングルを出した。そうしたら、さんざんボロクソに言っていた人たちが手のひらを返したように、こんどは「すごいモノが出てきた」みたいな評価になっていたんですね。

ハハハハ。

Phew:だから実にくだらない......最初から夢を見ていたわけじゃないですけど、「はぁ、こんなもんなんだ」とか。20歳になるかならないかの頃でしたから、「はぁ、こんなもんなんだ」と思って、そのなかで上手にやっていこうっていう発想がなかったですね。あまりにも若くて、ナイーヴだったのかな。10年前だったら違ったと思いますけど。

そうですね。

Phew:人はそういう反応の仕方をしなかったと思うし、実際にライヴハウスを中心に別のやり方で続けていくってことはできたと思うんです。それが70年代末の関西には......なかったですね(笑)。

ハハハハ、相当、冷たいリアクションだったんですね。

Phew:だけど、唯一、田中唯士さんだけが......。

田中唯士さんって、S-Kenですね?

Phew:そうです。東京ロッカーズが関西に来たときに彼にテープを渡したのかな? そうしたら、「SSといっしょにぜひS-Kenスタジオに来てください」って話をもらって。

そういう風にレコードを出して、ツアーまでしようっていうくらいですから、フューさんのなかの気持ちのテンションも相当に高かったわけですよね。

Phew:それはもう、ムチャクチャ高かったですよね。だけど、なにもかもがピストルズの解散で終わりましたけどね。

そうですか。

Phew:だからあれは時代のものだったんですよ。あのときに何か絶対にやらなければならないという気分、しかも自分たちの世代でって。

パンクの熱で突き動かされていたんですね。

Phew:そうですね。

僕が中2のときにピストルズが解散しているので、解散したということにショックを受けるほどではなかったんですよね。

Phew:でしょ。いわゆる90年代のパンクやピストルズの評価って、シド・ヴィシャスが評価されていたり、あとマルコム? 「どうして?」って。私にとってピストルズの解散の原因って、マルコムなんですよ。もちろんマルコムの功績もわからないでもないんですけど、パンクの流れとして、マルコムがいてヴィヴィアンがいてみたいなのは......「はぁ?」というか(笑)。この感覚は、レインコーツの人とかわかってもらえると思うんですけどね。

僕は、リアルタイムではもちろんジョン・ライドンの発言をすべて信じていたし、インタヴューを読むととにかく彼がマルコムの悪口を言っていたから、最初はすごく印象悪かったんですけど、その後、イギリスのジャーナリストの書いたものを読んで、やっぱりマルコム・マクラレンがジェイミー・リードとともに60年代の夢みたいモノを抱いていて、それがやがてジョン・ライドンみたいな天才と出会ってスパークしたという話を知ってしまうと、マルコムに対する見方もずいぶん変わりましたけどね。

Phew:読んでみようかな、それ。はははは。

60年代後半の学生運動をかじっているんですよね。

Phew:団塊の世代でしょ。

はい。

Phew:私ね、それが嫌だったんですよ。子供が音楽やって、大人が儲けるみたいなのが。

なるほど(笑)。でも、ポップ・カルチャーのなかで最初に"アナーキー"という言葉を使ったのはマルコムだし。「アナーキストこそ美しい」っていう言葉が描かれた有名なシャツがありますけど。

Phew:たしかにそういう要素があったから売れたとは思うんですけどねー。

マルコムのお店にやって来たジョン・ライドンを見たときに、リチャード・ヘルに似ていて、しかもディケンズの小説に出てくる労働者階級の少年そのものってことでジョン・ライドンを気に入るわけで、彼にもそれなりに夢があったんだと思いますけどね。

Phew:ジョン・ライドンはミュージシャンだったし、結局そこでうまく合わなかったんでしょうね。

ピストルズのアメリカ・ツアーの最後のライヴの、ジョン・ライドンがステージ去る前のいちばん最後の言葉があるじゃないですか。「騙されていたと思ったことがあるかい?」っていうの。

Phew:私、あのアメリカ・ツアーのヴィデオを観ていると泣きそうになるんですよね、あのジョン・ライドンの顔を見ていると。

あー、それはわかります。しかもあれ、客席からモノ投げられてものすごく空虚に笑っているんですよね。

Phew:そういえばアーント・サリーもモノ投げられたな(笑)。

フューさんから見て、当時の関西のシーンは評価できないんですね。

Phew:シーンなんかなかったですから。バンドはありましたよ。数は少なかったですけど、みんなすごく良いバンドでした。ただ、シーンと呼ぶにはあまりに......だって、お客さんは多くて30人とか? アーント・サリーの頃なんてそんなものですよ。解散ライヴをいちばん最初にライヴをやったお店でやったんですね。そのときお店から溢れるぐらいの人が入ったんですけど、それでも50人いなかったんじゃないかな。そのぐらい狭いところ。それをシーンと呼ぶのはどうかなー(笑)。

小さすぎたと。

Phew:しかも(アーント・サリーは)半年ぐらいしかやってなかったんです。シーンが大きくなったのは80年代になってからじゃないですか。イエロー・マジック・オーケストラ以降ですよ。

ニューウェイヴ色が強くなってからですかね。

Phew:だいたい私はレコード・マニアだったんです。そういう音楽を聴いたり、やっていた人たちは、ほぼ全員マニアだったんです。新譜が入ってくるお店にみんな集まるわけです。そういう繋がりなんです(笑)。

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「なんでいまさら」っていうのがあったんですよ。アーント・サリー時代に誰にも評価されなくて、メディアとまではいなくても、そういうモノに対する幻滅というか......だから、インタヴューに来る人すべてに対して攻撃的だった(笑)。

なるほど。僕はでも、高校生のときにフューさんの「終曲/うらはら」を買って聴いて、ものすごく好きになって、で、コニー・プランクとホルガー・シューカイが参加した『Phew』も買って聴いて、で、アーント・サリーのアルバムをものすごく聴きたかったんですけど、すでに廃盤となっていて聴けなかったんです。中古でもかなり高値がついていて。再発盤でようやくちゃんと聴けましたね。それまでは友だちが雑誌の『ZOO』とかの文通コーナーで知り合った人からテープを送ってもらったり、ライヴのカセットテープを買ったりして。

Phew:はははは。海賊カセット、一時、売ってましたね。

ハハハハ。〈PASS〉で出すきっかけは何だったんですか?

Phew:〈PASS〉レコードの後藤(美孝)さんという方がアーント・サリーのライヴを神戸に見に来たんです。そのときに「〈PASS〉で何かやりませんか?」と言ってくれたんですけど、アーント・サリーが解散することが決まっていたんですね。だったら、後藤さんの知り合いに「坂本龍一という人がいてて、いっしょにやりませんか」ということで、はじまったんですね。私は坂本龍一さんのことはあんま知らなくて、イメージしていたのはフュージョンの人だったんです。実際に当時はキリンとかやって、渡辺香津美なんかといっしょにやっていたし。

そうでしたよね。

Phew:「でも、ぜんぜんフュージョンとかではなくて」っていう説明を受けたのを憶えています。

それで、その後はドイツのコニーズ・スタジオで『Phew』(1981年)を録音するわけですよね。僕ね、当時、音楽雑誌をよく読んでいたから、フューさんのインタヴューもけっこう読んだんです。で、当時のフューさんのインタヴューの発言って、とにかく恐いというか、トゲがあるというか。

Phew:トゲだらけでしたね(笑)。

「ホルガー・シューカイはどうでしたか?」みたいな質問で、「いや、別に」みたいに答えていて。

Phew:そんなこと言ったかな?

正確にはどうだったかまでは憶えてませんが、たしかそんなような、質問に対してすごくぞんざいな態度というか......、やっぱあの頃は構えていたんですか?

Phew:「なんでいまさら」っていうのがあったんですよ。甘えというのもあったと思うんですけど、でも、アーント・サリー時代に誰にも評価されなくて、メディアとまではいなくても、そういうモノに対する幻滅というか......だから、インタヴューに来る人すべてに対して攻撃的だった(笑)。

ハハハハ。本当にそんなインタヴューでしたよ。

Phew:実際に、私はマニアだったから、カンなんか値段の高い輸入盤で買って......、大好きだったわけですよ。コニー・プランクにしたって、クラフトワークにしたってね。だけど、インタヴューに来る人たちが何にも知らないわけです。全国流通の音楽雑誌の人たちが、そういう音楽のことをまったく知らない。だから取材で大好きな音楽の話ができるわけじゃない、「だったら......」という感じで(笑)。

なーるほど(笑)。

Phew:いまそういう仕事をしている人たちのなかには音楽が好きな人がいっぱいいると思うし、レコード会社にもそういう人がいると思うんですけど、80年当時はほとんどいなかったと思います。自分で見つけてきた音楽について書くのではなくて、有名になったから近寄ってきたみたいな人が多くて。

まあ、僕もカンを意識しはじめたのは『メタル・ボックス』や『Phew』以降でしたけどね。だって音楽雑誌にもほとんど載ってなかったですから。

Phew:でも実はそういうの、日本に入ってきてたんですよ。高かったけど。

では、『Phew』のあとに活動を休止してしまうのも、そのあたりの業界への幻滅が原因だったんですか?

Phew:ていうか、あらゆる要素です。自分が出したモノがわりと注目されてしまって、だけど、自分のなかにはその準備がなかったんですよね。多くの人に聴いてもらいたいとか、そういう感覚がまったくなかったんです。それが、時代のなかで「変な少女」みたいなね(笑)、ちょっと「変わった少女」みたいな扱いですよね。そのへんのことも、自分のなかで最初に「もうこれで食べていくんだ」ぐらいの覚悟があれば大人の対応もできたと思うんですけど、なんだかわけのわからないままに、「変な女の子」という扱いを受けて、来る取材も、コマーシャルの出演とか、グラビア雑誌のモデルとか......。

えー、そんなのもあったんですね。

Phew:いっぱいありましたね。ぜんぶ断りましたけど。

さすがっす。

Phew:いや、だから、出て行く用意がなかったんですよ。かといって、音楽はやっていきたいなという気持ちがあって。それをやるにはもっとしたたかさが必要だったんですよね。時代のなかの象徴的な何某みたいなことはできなかった。

『Phew』を出されたあとに、ご自身で辞めることを決めたんですね。

Phew:次にどういうものをやったらいいのかというのが、像を結ばなかったんです。誰とこういうことをやってとか、イメージが浮かばなかったんです。ショービジネスを否定したところからはじまったパンクだったのが、ニューウェイヴになってショービジネスになってしまったじゃないですか。スリッツがソニーと契約して、ポップ・グループもメジャーと契約して、で、「契約金がいくら」「どひゃー」みたいなね。そういう風になっていった。だから、ものすごく幼稚な感覚なんですけど、「私のファンタジーは終わった」みたいなね、81年にはそう思ってました。ロンドンではニュー・ロマンティックのムーヴメントがあって、いっぽうでスロッビング・グリッスルみたいな人たちはどんどん地下に潜っていった。で、私は......どっちかというと地下のほうかなって(笑)。

まあ、80年代はパンクのDIYもインディ・ブームになっていきますしね。

Phew:85年ぐらいからですか、それが商売になるからですよね。

それでも、『View』(1987年)によってカムバックしたのは、表現に対する欲望みたいなものを抑えきれなかったというのがあったんですね?

Phew:そうですね。時代とはまったく別のところでやっていくぞという意思表示が『View』ですね。当時は、それこそバンド・ブーム、インディ・ブームでした。それらとはまったく違うところでやっていきたいという気持ちでしたね。だから音楽的にもオーソドックスというか......。

なるほど。そして『View』以降は、わりと精力的な活動をされていますよね。とくに90年代後半あたりからはすごくありません?

Phew:そんなことはないですよ。毎年出しているわけではないし。

ソロだけではなく、ノヴォ・トノやモストやビッグ・ピクチャーみたいな別プロジェクトもやってますし、先日dommuneで演奏した山本精一さんとの『幸福のすみか』(1998年)もありました。

Phew:ああ、そういうのは増えましたね。

山本(精一)さんや大友(良英)さんのような人たちと共演されたり......そういった精力的な活動の背景には何があったんですか?

Phew:ライヴハウスで活動するなかで、人に伝わることをやらないとダメだなというのがあって、で、嘘がなくて人に伝えられるものということを考えていたときにモストが生まれた。初期パンクのスタイルで、ストレートな音ですよね。はじまりは、山本さんなんかとスラップ・ハッピーの前座をやったときに、1曲パンクをやって、気持ちよかったというのがあるんですけど。だけど、アルバムを作って、ライヴを続けていくっていうことは、そういうことですね。

いやー、でもフューさんのパンク・ソングはいいっすよ。

Phew:そうですかね。

僕、アーント・サリーのアレとかすごい好きだったなー。なんて曲名だっけな......。

Phew:"すべて売り物"。

そう、"すべて売り物"!

Phew:ハハハハ。

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 彼女の15年振りのソロ・アルバムは、全曲カヴァー曲となっている。時代の大きな流れに背を向けて、ときには苛立ちや失意を表してきた彼女が、カヴァー曲を歌うことで、いまま で表現してこなかった領域に侵入しているようにも思える。そしてその作品、『ファイヴ・フィンガー・ディスカウント(万引き)』は、素晴らしい力強さと大らか さを持っている。


Phew / ファイヴ・フィンガー・ディスカウント(万引き)
E王 BeReKet / P-vine

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ところで、ソロ作品ということで言うと、1995年の『秘密のナイフ』以来なんですね。

Phew:そうですね。

で、通算5枚目となるんですね(1981年の『Phew』、1987年の『View』、1992年の『Our Likeness』、1995年の『秘密のナイフ』)。

Phew:え、そうなの? あ、そうか、そうですね。

で、15年振りなんですよね。

Phew:そうですね。

で、15年振りのソロ・アルバムがカヴァー・アルバムなったことが興味深いんですけど。先ほども話したように、フューさんの独自性の強い言語センスはフューさんの音楽の一部としてずっとあったと思うんです。でも、カヴァーって他人の言葉を歌うじゃないですか。

Phew:ただね、カヴァーはずっとやりたかったんです。他人の言葉で歌うっていうのを。自分で歌詞を書いてメッセージを届けるということではなくて、いち歌手として音楽をやりたいというのがあったんですよ。

もうちょっと具体的に言うとどういうことなんですか?

Phew:自分で歌詞を書くと、どうしてもメッセージ性が出てきてしまう。いまの時代、顔の見えない人たちに向けてメッセージを吐くというのは、私にとってちょっと難しい。それをやるには慎重にならざる得ない時代っていうのかな。

それは何でなんですか?

Phew:世のなかの風潮っていうのかな、言ったものが勝ち、やったものが勝ちみたいな、人の評価を得たものが勝ちみたいな、それに対する反抗......というわけでもないんですけど、ミュージシャンとして敢えて黙っていたい。

言ったものが勝ち、というのは昔からありませんでした?

Phew:昔からあるんですけど、その傾向がね......、ネットを観察しているとものすごいスピードで......気が変わるのがすごく早い(笑)。だから、そのなかに乗り込んでいく気はないってことですね。そこまでの強いものがないんです。逆に言えば、そこまで強いものをいま大きな声で言うっていうのは、すごく恐いことだと思うんです。顔が見えている相手に、どんどん話していくことは逆にいまやりたいことなんです。見えない相手にいまそれはできない。だから......なんかもう、ものすごい小さいレヴェルの話なんですけど(笑)。

いえいえ(笑)。

Phew:世のなかの風潮に背を向けたいんです。いっぽうで、目に入る人たちとのコミュニケーションはすごく大事。そこをいまの出発点に置きたい。このアルバムに関わったすべての人たち、ミュージシャン、絵を描いてくれた人、デザインをやってくれた人......すべての人たちが個人の繋がりで、説得ではなく共感をもってやってくれたんですね。それが誇りというか、出発点というか、それで自主制作というか。

背を向けるというのは、いかにもフューさんらしいというか。いまのお話は今回の選曲には関係しているんでしょうね。

Phew:かもしれないですね。

好きな曲といえば、まあ、キリがないんでしょうけど、今回は選曲も興味深いんですよね。ただ好きな曲を並べたわけではないと思いますが、どんなコンセプトで選曲されたのでしょうか? ポップスというコンセプトはあったんですか?

Phew:「言葉が届く歌」というのが選ぶときの基準でしたね。

ある時代のものが多いですよね。加藤和彦関係、寺山修司が2曲、永六輔、中村八大というのも目につきますね。

Phew:たぶん............

はい。

Phew:批評性のようなものを感じ取られたかと思いますが......って、いま言おうとしたら固まってしまった(笑)。

ハハハハ。それは松村正人による素晴らしいライナーノーツに書いている通りなんですね。

Phew:それはもう、音楽を通して感じてもらえればと思っています。ミュージシャンが言葉で言ってしまのは良くないかなと思います。

松村正人が書いていますが、アーカイヴ化に対する批評性?

Phew:はい、そんなたいそうなものではないですけど、まあ、多少は(笑)。

古い歌の力を証明したかったというのはあるんですか?

Phew:歌でこれだけ風景が変わるってことはやってみたかったですね。もちろん音楽の力もあるんですけど。歌と音楽でこれだけ風景を変えられるってことはやってみたかったですね。

プレスリーの曲はときどきライヴでやってたんです。これはいつか録音しておきたいなというのがありました。"Thatness and Thereness"に関してはすごく好きな曲だったんですよ。あの曲はデニス・ボーヴェルのミックスで、ダブで、だったら、それが21世紀に違うアプローチでできないかなと思ったんです。なんて言うか、21世紀の風景を作れないかなと。

アルバム・タイトルの『万引き』という言葉はカヴァー集というところに起因していると思うのですが、いろんな言葉があるなかでなぜそれを万引という言葉で表したのですか? 

Phew:レコーディングの合間に雑談していたとき、ジム(・オルーク)が「英語で可愛い言葉がある」って、で、「5本の指のディスカウント(five finger discount)、万引き」って。「あ、それアルバム・タイトルにいただき!」って。

なるほど(笑)。そういえば、選曲という観点で言えば、坂本龍一さんの"Thatness and Thereness"とプレスリーの"Love Me Tender"の2曲が特殊というか、浮いていると言えるんじゃないでしょうか?

Phew:浮いてるかなー。

音楽的には浮いていませんが、選曲ということで言えば、発表された時代とか違うじゃないですか。

Phew:なるほどね。プレスリーの曲はときどきライヴでやってたんです。これはいつか録音しておきたいなというのがありました。"Thatness and Thereness"に関してはすごく好きな曲だったんですよ。あの曲はデニス・ボーヴェルのミックスで、ダブで、だったら、それが21世紀に違うアプローチでできないかなと思ったんです。なんて言うか、21世紀の風景を作れないかなと。石橋英子さんがドライヴ感のあるピアノを弾いてくれたおかげで、とても面白くできたと思います。最初はドラムも入っていたんですけど、それを抜いて、自分でつまみもいじったりして。

なるほど。それで......しつこいかもしれませんが、他の8曲が60年代の曲であるのに対して、その2曲だけが違うというのはどうしてなんですか?

Phew:ああ、それは......、もう、いつかやってみたいと思っていたんでしょうね。年代に関しては、特別なこだわりは、あまりなかったです。

音楽性に関しては、フューさんはどの程度仕切っているんですか? あらかじめ方向性なり全体像は決まっていたんですか?

Phew:曲によりますね。"世界の涯まで連れてって"は「せーの」ではじめた完全なセッションでベーシックを録音して、山本精一のギターや向島ゆり子さんのヴァイオリンは後からダビングしました。

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ないです......いや、まったくない。だけど、訊かれることはアーント・サリーや『Phew』になってしまうのは、もう仕方がないかなと思ってますけどね。でも、私のなかに愛着はないんです。愛着があるのは、強いて言えば、最新作ですよね。

フューさんの作品って、つねにどんな作品でもトゲというか、ささくれ立ったものがあると思うんでけど。

Phew:あるのかなー(笑)

と、思うんですけど、今回は音楽に対して違ったアプローチをしていますよね? 

Phew:トゲがないですかね?

ないことはないと思うんですけど、今回はより柔らかく、より寛容な感覚を感じるんですよね。

Phew:それはね、曲の力だと思います。やっぱり......ちゃんとしいてます(笑)。歌い継がれてきたポップスというのかな、すごくちゃんとしいてますね。曲の力が大きいと思います。

もちろんすべての曲が好きなんでしょうけど、とくに歌詞の点で好きな曲ってどれですか?

Phew:"どこか"ですかね。永六輔さんの歌詞が好きです。

当時、リアルタイムで好きだったんですか?

Phew:いや、あとからですね。でもね、永六輔さんの書く歌詞は憶えているんですよ。"遠くへ行きたい"とかね、なんとなく子供心にあって......。"青年は荒野をめざす"も、なんとなくは憶えていて、あとから好きになった曲ですね。私がリアルタイムで好きだったのは、パンクですよ(笑)。

そうでしたね(笑)。

Phew:パンクとドイツのニューウェイヴ。DAFも数ヶ月間、ものすごく夢中になりましたね(笑)。

音楽家が歳を取っていくことについてはどのようにお考えですか? 

Phew:いわゆる天才、私がみて「この人すごい人だ」という人はみんな死んでいるんです。限りなく自殺に近い死だったり、非業の死じゃないですけど、結局、自分の場所が見つけられなくて死んでしまった。いつもその人のことがあります。生きているんだったら、なんか作らないといけないなというのがあります。本当に天才だけど、そういう人が認められなかった、音楽業界というか......。

それは身近な方なんですか?

Phew:野田さんも知ってる人ですよ。クリスロー・ハース(元DAF、元リエゾン・ダンジェルース、Chrislo名義で〈トレゾア〉からテクノの作品も発表している。2004年に死去)。

あー。

Phew:彼は本当にすごい天才で、彼の残した未発表がものすごいんですよ。たとえばノイバウテンの(アレキサンダー・)ハッケとか、「クリスローがいたから僕はシンセができないと思った」とか......。だから、ミュージシャン仲間ではものすごく認められていた。ああいう人が、力を発揮できずに終わってしまった音楽の世界ってどうよ、っていうのがあります。それだけにこだわるのは良くないと思うんですけど。あ、質問とちょっとずれてしいましたね(笑)。

まあ、パンクも初期衝動における純粋な情熱みたいなものがあったと思いますし、それって強いものがありますけど、しかしアーティストも歳を取っていかなければならないわけですし、またリスナーの年齢層もずいぶん幅広くなっているし......。

Phew:歳なんか関係ないという人もいますけど、私は自覚してますね。51歳になるということも、すごく自覚している。初期衝動なんかとっくにないです。そんなものがいまもあったらただのアホですよね(笑)。でも、これ(音楽)でご飯を食べているわけではないので、止めたほうが楽だったりするんですけど、でも、別のところでやっていかないと、半分死んだ感じになる。それは身体感覚なんです。

なるほど。

Phew:いまだにアーント・サリーや1枚目のアルバムについてよく話をされるんですけど、塚本邦雄の「表現者は処女作に向かって退行していく」という格好いい言葉があるんですけど、それを踏まえつつ作り続けるっていうことなのかなぁ。それは、「自分からは死なないよ」という感覚と近いものじゃないかと思うんです。

フューさんのなかにはいまでもアーント・サリーに対する愛着もあるわけですよね?

Phew:ないです......いや、まったくない。だけど、訊かれることはアーント・サリーや『Phew』になってしまうのは、もう仕方がないかなと思ってますけどね。でも、私のなかに愛着はないんです。愛着があるのは、強いて言えば、最新作ですよね。

なるほど。

Phew:新しいものを作っていかなくちゃという強迫観念はないです。でも、生きている限り、何かをやっていくだろうなと、死んだ人たちといっしょに(笑)。

ちなみに、最近、家でよく聴く音楽は何ですか?

Phew:最近、クラスターが来日していたじゃないですか。そのときにメビウスから彼の作品をもらったんです。一昨年でたアルバムなんですが、それをよく聴いています。彼も取材されれば昔のクラスターのことをよく訊かれるだろうし、コニーズ・スタジオで録音した頃の話をよく訊かれるだろうし......。

僕も初めて取材したときにそうしましたからね。

Phew:でも、いまでもシンプルなメビウス節っていうのがあるんですよね。そのねばり強さというか、体力というか、これは音楽の中心にあるものだなと思います(笑)。それを持ち続けることって大変なことだと思うんです。マニアの人たちからすれば「最近のクラスターなんか......」という意見があると思うんですけど、だけど「最近のもすごいな」と思います。これは初期衝動じゃないんです。もっと、生きているということに近いところにあるものだと思うんですけど。

なるほど。

Phew:私、犬をずっと飼ってて、犬の写真をメビウスに見せたんですよ。「かわいいでしょ」って。そしたら「ベトナムで犬を食べた」とか。

ハハハハ。

Phew:すっごい面白い人なのよね(笑)。ICCで取材を受けていたときも、態度悪いんですよ。「どんなアートの影響を受けたんですか?」と訊かれても「知らない。俺は何の影響も受けてない」とかね。66歳の言葉とは思えない。素敵だなと思いましたね(笑)。

面白い人たちですよね。

Phew:実はファーストのとき、コニー・プランクがメビウスにも声をかけていたらしいんです。でも、ちょうどそのとき都合が合わなくて。それでメビウスのほうから絶対にいっしょにやりたいって、一時期やりとりしていたことがあったんですけどね。コニーズ・スタジオがつぶれてしまいましたし......。

コニー・プランクが亡くなってからもスタジオは続いていたんですね。

Phew:2005年まで奥さんがやってました。スタジオの切り盛りをした奥さんが亡くなって、それで終わりましたね。機材とか売ってましたよ。「これはユーリズミックスの弾いたギターだ」とか。最初に行ったときにはすごく小さなスタジオでしたけど、2度目に行ったときは立派なスタジオになっていて、びっくりしましたけど。

ところで、ご自身の作品をお子さんに聴かせることはあるんですか?

Phew:あー、ないない。人に教えられるんじゃなくて、自分で見つけて欲しいです。よく言うんですけどね、湘南乃風とか買ってます。

ハハハハ! 家で聴いているんですね。

Phew:いまはマキシマム ザ ホルモンが好きですね。

いい話を聞かせていただきました(笑)。

Phew:いやいや、親の趣味を強制するのはよくないなと思って。

「カンを聴きなさい」とは言わないわけですね(笑)。

Phew:絶対に言わない(笑)。前に「パンクを聴きたい」と言うからイギー・ポップを聴かせたんです。そうしたら、「古い」って言うんです。マキシマム ザ ホルモンなんかすごい情報量だし、楽曲もよくできているんですね。だから、あれ聴いていたらイギー・ポップが古く聴こえるんだと思います。

なるほど。そういえば、新作は、ジャケットが可愛らしいイラストになっていますよね。いままでは、マン・レイ風のフューさんのポートレイトがジャケットになっていましたけど......。

Phew:いやいや、これはもう、カヴァー集ということで第三者の視点を入れたかったんです。イラストを描いてくれた小林エリカさんはまだ30ぐらいの若い人で、こういう絵を描いてくれて、とても嬉しかったですね。

Chart by JETSET 2010.09.20 - ele-king

Shop Chart


1

HARVEY PRESENTS LOCUSSOLUS

HARVEY PRESENTS LOCUSSOLUS TAN SEDAN / THROWDOWN »COMMENT GET MUSIC
DJ Harvey Presents Locussolus第二弾!!ジャケ付き&重量盤でのリミテッドプレスになります。その圧倒的なクォリティで現行バレアリック・シーンの先頭に踊り出たウルグアイ International Feelから、前作"Gunship"も爆発的ヒットのDJ Harveyによるプロジェクト"Locussolus"待望の第2弾が登場。Prins Thomas, Eric Duncan, Tim Sweeney, Balearic Mike等々、今回もサポートがハンパないです!!

2

DAM FUNK

DAM FUNK HOOD PASS INTACT »COMMENT GET MUSIC
Toeachizown収録のあの曲にMC Eihtが参加した12"が到着!更にSteve Arringtonを迎えた"4 My Homies"、アルバムから"Come On Outside"のDevonwhoリミックスなど充実過ぎる一枚です!

3

FALTY DL

FALTY DL ENDEAVOUR »COMMENT GET MUSIC
☆特大推薦☆バカラック・フレーズからヘッズ直撃のブレイクビーツまで飛び出します!!Cosmin TRGとの相互リミックス・スプリットもヒット中、NYを拠点に活躍する美麗UKGマスターFalty DLが、本拠地Planet Muから特大傑作をリリース!!

4

ITALIC INDIAN

ITALIC INDIAN DROWSY BRUISE »COMMENT GET MUSIC
Antn Hrkwkをリリースするカリフォルニアのグレイト・レーベル、Life's Bloodから。Antn HrkwkとRangersを足してドロドロに煮詰めたようなヘヴィ・エクスペリメンタル・サンプリング・サウンド。RangersやSampsの裏側を見るようです。グレイト!!

5

RUSKO

RUSKO HOLD ON »COMMENT GET MUSIC
☆特大推薦☆ぶち上げつつ込み上げ倒す胸キュン死ボムが遂にリミックス・カット!!ご存知天才ダブステッパーRuskoがDiplo率いるMad Decentからぶっ放した傑作1st.アルバム"OMG"収録のフィメール・ヴォーカルUKG大人気曲が遂にリミックス・カット!!

6

TOTALLY ENORMOUS EXTINCT DINOSAURS

TOTALLY ENORMOUS EXTINCT DINOSAURS GARDEN »COMMENT GET MUSIC
☆大推薦☆Hot Chipに見出された新星をJesse Roseがスウィンギン・リミックス!!盟友Oliver $とZombie Disco Squadによる1、2番が連続ヒットし話題沸騰中、Jesse Rose率いる名門Made To PlayのオフシュートPlay It Downからの第3弾!!

7

FLYING LOTUS

FLYING LOTUS PATTERN + GRID WORLD »COMMENT GET MUSIC
早くも到着!また新たな境地へと歩み入る、これが第一歩!先日リリースされ、各方面で絶賛されたアルバム"Cosmogramma"に続いて、早くも新作EPが到着。アルバムのアウトテイクでも続編でも無い、まったく新たな世界が広がる全7曲。

8

KUNIYUKI

KUNIYUKI SET ME FREE »COMMENT GET MUSIC
アルバム『Walking In The Naked City』からの新カット!!両面共にアルバム収録曲とはヴァージョン違い。よりアブストラクトでアシッドな質感を打ち出した"Set Me Free Dub"は鳥肌の立つカッコヨサ!! DJ ChidaもBeats In Spaceのプログラムにてプレイ済み。

9

WES COATS / BLACKJOY

WES COATS / BLACKJOY WHATCHAWANNADO VOL.4 »COMMENT GET MUSIC
もうお馴染みのリエデット・シリーズ"Whatchawannado"第4弾が登場!今作にはWes Coatsと、新作アルバム"Erotis"も好調なBlack Joyによる極上ニュー・ディスコ・トラックを収録!

10

ANTN HRKWK

ANTN HRKWK THOROUGHBRED »COMMENT GET MUSIC
メチャクチャ最高です。SampsとGold Pandaつなぐ直通弾丸列車インディ・ダンス・キラー!!SampsばりのサンプリングとGold PandaなビートでDomに通じるポップ・センスを爆発させるニュータイプ・サンプリング・ミュージック、Antn Hrkwk。全10曲収録のデビュー・アルバム!!

Eccy(Slye Records) - ele-king

MILK IT CHART


1
G41(Rustie Remix) - 8Bitch - Slit Jockey

2
Drive By - Afrojack - White

3
GTAC - Zinc - Zinc Music

4
It's That Bass - Machinedrum - LuckyMe

5
Work Them - Ramadanman - Swamp81

6
Crew (Instrumental) - Bok Bok - Rinse

7
What You Talking About!? feat.Ms Dynamite - Redlight - MTA

8
Barbie Weed - Sam Tiba - Top Billin

9
Louder - Katy B - Rinse

10
The Flow (Bakongo Remix) - Wonder - Dizturbed Records

interview with Madmaid & Tomad - ele-king


Various Artists
MP3 KILLED THE CD STAR?

Maltine Records

AmazoniTunes

 とにかく、17歳の新鋭トラックメイカー・マッドメイドが〈マルチネ・レコーズ〉からリリースした『Who Killed Rave at Yoyogi Park EP』を聴いたときの衝撃は、なかなか筆舌に尽くしがたいものだった。大人顔負けなサウンドプログラミング・センスに"ワルガキ"感溢れる、あまりにも無邪気で痛快なサンプリング・ネタが乗っかるマッドメイドのサウンドからは、初期のプロディジーにも通じる熱気を感じた。そしてなにより、他の10代のベッドルーム・ミュージシャンたちと比べて圧倒的にトラックに現場感があった。

 知っての通り、昨今のクラブ・シーンはIDチェックがどんどん強化されている。未成年がダンス・ミュージックを現場で楽しみたいと思っても、ちょっと前のように一筋縄ではいかないのが現状だ。そんななかでも出演者が全員未成年の〈20禁〉というパーティをオーガナイズするシタラバたちのように自分の現場を作っていこうとしている若者も存在している。マッドメイドだってそのひとりだし、それこそ彼がリリースしている〈マルチネ・レコーズ〉の首謀者である現在21歳のトマドも、10代の頃からレーベルを運営しつつも、Tofubeatsやimoutoidといった平成生まれの鬼才たちとともにパーティを作っている。ちなみにマッドメイドはプロディジーが初来日した93年生まれで、レーベルを運営するトマドは〈Strictly Rhythm〉と同い年の89年生まれである。

 渋谷のファッション・ブランドgalaxxxyが、クラブに入れない10代のために店舗の一部に設けたDJブース付のイヴェントス・ペース〈galaxxxy mixer〉で、この頼もしくも末恐ろしい平成生まれたちに、彼らのルーツや活動について話を訊いた。

中学3年生とかですね。その代々木公園のレイヴは、通ってたレコード屋の店員さんに教えてもらって行ったんです。クラブにはもちろん行けないんだけど、昼間の野外パーティなら行けるってことで。親には「ちょっと公園に遊びに行ってくる!!」って言って(笑)

ふたりはどういうきっかけで知り合ったの?

トマド:2008年の夏に、代々木公園で知り合いがサウンドシステムを出してたんです。そこで僕とかDJワイルド・パーティがガバとかハードコア・テクノとか回してて。そこにレコード屋の袋を持ったマッドメイドが現れて......。

そのときマッドメイド君はいくつ?

マッドメイド::中学3年生とかですね。その代々木公園のレイヴは、通ってたレコード屋の店員さんに教えてもらって行ったんです。クラブにはもちろん行けないんだけど、昼間の野外パーティなら行けるってことで。親には「ちょっと公園に遊びに行ってくる!!」って言って(笑)。

はははは。嘘はついてないもんね。中3ですでにガバとかハードコア・テクノに傾倒してたんだ! こう言うのもなんだけど、他にもいろいろ音楽があるなかでなんでよりによってガバとかハードコア・テクノを?

マッドメイド::きっかけはゲームですね。ビートマニアっていうゲームにいろんなジャンルの音楽が入っていて。各ステージ毎にそのジャンルの曲を上手く演奏するっていうゲームなんですけど。その中なかに「レイヴ」っていうステージがあって、その音内容的には昔、ジュリアナでかかってたようなハードコア・テクノだったんですよ。最初にその音が好きになって、ブックオフでジュリアナのコンピレーションを105円とかで買って......。そうこうしているうちに、DJテクノウチさんっていう人のWEBサイトを発見したんです。そこにレコード屋さんとかの膨大なリンクが張ってあって...。そこからいろいろ広がっていった感じですね。

ほほー。ちなみにレイヴ・サウンドとか、あるいはガバとかのどういうところに惹かれたのかをもう少し突っ込んで教えてもらえますか?

マッドメイド::まずはそうですね......。他の音楽より音が派手で楽しいのが魅力でしたね。あとはリフの音色とか、スタブの音とかギミックがアーティストによって全然違う感じで、自由な感じが魅力的でしたね。

けっこう最初から作り手っぽい聴き方をしていたんだね。それでリスナーから作る側になりたいと思うようになったと。

マッドメイド::ですね。やっぱり中3の頃にRenoiseっていうソフトの試用版を使って曲を作りはじめました。ただ、試用版なので作った曲の書き出しが出来ないんです。だからひとりでガバとかハッピー・ハードコアとかブレイクコアを作って、ひとりで聴いてました。

ははは。人に聴かせないんだ!

マッドメイド::そうですね。パソコンからの音声出力をカセットとかに録音してっていうのも試みたんですけど音質とかも良くなかったんで......。

ひとりで作ってひとりで聴いていた時期を経て、公の場に自分の音楽を発表したのはいつ?

マッドメイド::それから1年くらいたってからですね。当時ボイスブログを持ってたんです。MP3のファイルを張れるブログですね。そこに発表したのが最初でした。

へー。反応は上々だった?

マッドメイド::悪くないんじゃない? みたいな感じでしたけど、日記にコメントはちゃんとつきました。いま聴くと恥ずかしいんですけど。

でも悪くないっていう反応ってことは、もうある程度形にはなってたんだね。右も左もわからないところから曲作りをはじめると最初はかなりめちゃくちゃだと思うんだけど。その前になにか音楽はやってたの?

マッドメイド::エレクトーンを8年くらいやってたんですよ。

へぇ! 8年!

マッドメイド::でもそれは結構ただやってるっていう感じで。お稽古ですね。でもまぁ、いま、曲を作るときになんだかんだで役には立ってますけど。

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最初は日本語ラップを聴いてたんです。当時流行ってたリップスライムとかライムスターとかを聴いてました。そこから、ラップ繋がりで初期の電気グルーヴに辿り着いたんですよ。それで、聴いたらラップはラップだけど、「この人たちはなんか違うな?」と思って。

なるほど。そういえばトマド君は、どうしてこういう音楽を聴くようになったの?

トマド:僕の場合は、最初は日本語ラップを聴いてたんです。当時流行ってたリップスライムとかライムスターとかを聴いてました。そこから、ラップ繋がりで初期の電気グルーヴに辿り着いたんですよ。それで、聴いたらラップはラップだけど、「この人たちはなんか違うな?」と思って。それで電気グルーヴの『フラッシュパパ・メンソール』を聴いたら、ポール・エルスタックのガバのリミックスが入ってて、そこからそういう音楽に入っていった感じですね。それが5~6年くらい前の話ですね。そこからブックオフとかで中古CDを掘りまくったりしました。

DJやネットレーベルをやろうと思ったきっかけは?

トマド:DJに関しては、最初はネットDJから入ったんですよ。

ネットDJ?

トマド:インターネットの掲示板でストリーミングで好きな曲を流して、書き込みとかで盛り上がるっていうことをやってたんです。それで、そこに集ってたメンバーで実際に箱を借りてパーティをしようっていうオフ会があって。高1だったんですけど、人前で実際にDJをしたのはそれが初めてでしたね。

なるほど。〈マルチネ・レコーズ〉は2005年にスタートしているから、DJとほぼ同時期にはじめたんだね。

トマド:そうですね。その頃、高校の同級生で〈マルチネ〉のアーティストでもあるシェイム君と一緒に音楽を作っていて、その発表の場が欲しかったんです。でも当時の自分たちには、CDとかを作るお金も無かったし。そういう状況でいちばん手っ取り早くネットとかの知り合いに聴いてもらうためにはどうすればいいかと考えた結果、ネット・レーベルという形にすることにしたんです。

〈マルチネ〉の、レーベルとしての音楽的影響っていうのはどういうところから?

トマド:それは時期によってかなり移り変わっていくんですけど......。最初期は『リチャード・D・ジェイムス・アルバム』の頃のエイフェックス・ツインとかはかなり影響が大きいですね。シェイム君とお互い聴きあってました。あとは〈ロムズ〉とか。......そうですね、〈ロムズ〉とかの影響はかなり大きかったと思います。〈ロムズ〉はTSUTAYAにも置いてあったし。どこに行っても端っこのほうに、"日本のエレクトロニカ"みたいな感じで置いてあるんですよね。

なるほどなるほど。そういえばトマド君には一緒に曲を作る同級生がいたわけだけど、マッドメイド君にはそういう同志的な友だちはいなかったの?

マッドメイド::中3の頃にひとりいたんですけど、闇に消えて......。

闇に(笑)!?

マッドメイド::まぁ、高校も違うところに行くことになって。それで、高校には本当にひとりも居なくて......。

そうなんだ......。そういえば、高校の同級生たちはマッドメイド君がこういう音楽をやっていることは知っているの?

マッドメイド::うーん、部活の部員くらいですかね。放送部なんですけど。

放送部なんだ! 校内放送でこういう音楽を布教したりしないの?

マッドメイド::いやー、高校生になったらできなかったですね。中学生の頃も放送委員で、その頃はガバ流したりしてたんですけど。

ガバを(笑)!? そのときの反応は!?

マッドメイド::友だちが「なに流してんだ!!」って。わかってもらえなかったですね。

そうなんだ。やっぱりがっかりした?

マッドメイド::うーん、そんなにがっかりはしなかったですね。ガバとか音楽としては面白いけど、やっぱりどこかキワモノだししょうがないかって。

あー、キワモノ意識はあったんだ。やっぱり速いし、キックが超デカいし。

マッドメイド::なによりTSUTAYAに置いてないし(笑)!

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CDっていうメディア自体は中途半端な物だとも思っています。ただ広めるだけだったら大体みんなネット環境とPCは持っているので音楽配信のほうが良いし、かといってモノとしてのプレミア感というのも普通にCDを作るだけだとそこまで無いんで。

ははは。TSUTAYAに置いてないのはやっぱり大きいんだね。たしかにメイン・カルチャーとの距離を測るひとつのバロメーターかもね。さてさて、いよいよマッドメイド君が〈マルチネ〉からリリースするきっかけの話を聞きたいんだけど......。

トマド:リリースのきっかけは、高校生DJ/トラックメイカーのシタラバ君ですね。彼とはFMP.ZIPっていうフリーで手に入る音楽でDJをするパーティで知り合って。

マッドメイド::僕もシタラバとはそこで知り合いました。

トマド:それで去年シタラバ君の家に遊びに行ったら、「実はマッドメイド、けっこう曲作ってるんですよ」って教えてくれて。何曲か聴かせてもらったらなかなかかっこよくて。それで「新しい曲が出来たら教えてよ!」ってマッドメイド君に連絡したんですよ。

それででき上がってきたのが〈マルチネ〉からリリースされた「Who Killed Rave at Yoyogi Park EP」なんだね! あれ僕のまわりでもめちゃくちゃ評判良いよ。ものすごいお祭り感があるベースライン・ハウスだよね。そういえば、ガバとかハードコアを作っていたマッドメイド君がベースライン・ハウスを作りはじめたきっかけは?

マッドメイド::知り合いがインターネット・ラジオをやっていて、そこで紹介されていたんです。それからベースライン・ハウスを掘るようになって、作りはじめましたね。

このEPはUKでもプレイされてるとか?

トマド:そうですね。Kanji Kinetic(カンジ・キネティック)というUKのアーティストがけっこうかけてくれています。カンジ・キネティックは元々日本のポップ・カルチャーが好きなみたいで、ベースライン・ハウスやエレクトロ・ハウスに日本のアニメのネタを混ぜたりしていたんです。それで僕も面白いと思って、去年カンジ・キネティックを日本に呼んだんですよ。

それでカンジ・キネティックがマッドメイド君を知ったんだね。

マッドメイド::そうですね。それ以降、いろいろ向こうに曲を送ったりもしています。

マッドメイド君の年頃で打ち込みとかをやってる子たちには、〈マルチネ〉ってやっぱり注目度が高いと思うんだけどマッドメイド君は、〈マルチネ〉から出さないかって言われたときはやっぱり嬉しかった?

マッドメイド::そうですね。僕は嬉しかったです。日本のネット・レーベルのなかじゃ知名度があるっていうのもそうですけど、やっぱりそれまでのリリースも良いと思ってチェックしてましたし。やっぱり〈マルチネ〉からリリースしたら反響の大きさが全然違いました。ツイッターで凄い勢いでリツイートされていって。

やっぱりいまだと、もっとも情報がインフレンスするのはツイッターなんだね。ちなみにとくに好きなリリースは?

マッドメイド::"12363253derdome"っていうガバのコンピ・シリーズですね。

トマド:このシリーズは94年くらいの感じのガバをひたすら作りまくってリリースするっていうもので、もう5作くらい出てます。

あと、〈マルチネ〉のリリースというと忘れちゃいけないのが、8月に発売になった〈マルチネ〉初のコンピレーションCDだよね。いままではフリー・ダウンロードという形態でやってきて、ここでCDというフォーマットで作品をリリースしようと思ったのはどういう狙いがあったんですか?

トマド:いままでフリーダウンロードで作品を発表してきましたが、〈マルチネ〉の音楽はタダじゃなくてもちゃんと買って聴いてくれる人がいるというのを示したかったというのもあります。あとは普通に形として残る物を作ってみたかったんです。ただ、CDっていうメディア自体は中途半端な物だとも思っています。ただ広めるだけだったら大体みんなネット環境とPCは持っているので音楽配信のほうが良いし、かといってモノとしてのプレミア感というのも普通にCDを作るだけだとそこまで無いんで。

なるほど。

トマド:そこでどうせCDを作るなら仕組みを工夫しようと思ったんです。今回のコンピレーションCDは〈マルチネ〉のアーティストが書き下ろした新曲を使ったミックスCDと空のCDRの2枚組になっていて、あとはダウンロード・コードが封入されています。WEB上でそのダウンロード・コードを入力すると、ミックスで使われた楽曲を1曲ずつ個別にダウンロードすることができるんです。最初はミックスCDを入れるつもりは無くて、ブックレットと空のCDRとダウンロード・コードだけを入れようとしたんです。だけど、それだと普通のCDショップなんかには置いてもらえないんですよ。やっぱり少しでも多くの人の手に届けたいので、それもちょっと残念かと思って。それでノンセクトラジカルズによるミックスCDをつけることにしたんです。

〈マルチネ〉のいままでのリリースをまとめたブックレットもボリュームたっぷりだし、ジャケットのデザインもかっこよくて、それこそモノとしてのプレミア感もあると思うから、このCDはきっと多くの人の手に届くと思うよ! なにより、このCDはトマド君やマッドメイド君と同じ世代や、さらに下の世代を勇気付けるものになるんじゃないかな。

トマド:そうですね。

最後に、ふたりの今後の展望を教えてください。

トマド:〈マルチネ〉としては、今後もコンスタントに作品をリリースしてより多くの人に知って欲しいですね。国内はもちろんですけれども、海外にも認知されたいです。その他の方向性として考えていることは、今のところ特にないですね。

マッドメイド::そうですね。将来的には海外のフェスとかでライブやDJが出来るようになりたいです。海外のネット・レーベルからリリースする予定もあります。

トマド:マッドメイドはこの調子でがんばってくれれば、ハタチくらいにはどこかUKのフェスとかに出れるんじゃないかなぁ。

interview with Skream - ele-king


Skream /
Outside the Box

E王 HYDRA Records / Tempa

Amazon iTunes

 『アウトサイド・ザ・ボックス』は歴史的なアルバムである。南ロンドンのアンダーグラウンドで発明され、発展したダブステップなるジャンルにおいて、ポップのメインストリームとの接合を果たす、最初の作品であるという意味において。今年24歳になったばかりのオリバー・ジョーンズ――スクリームの名前で知られるこの青年は、恐いモノなどないと言わんばかりにポップの世界にアプローチしている。
 『アウトサイド・ザ・ボックス』は、UKダンス・ミュージックがポップに接近する際の、伝統的なフォーマットのアルバムでもある。歌があり、ラップがあり、ジャングルがあり、アンビエントがあり、テクノがあり......ゴールディーのファースト・アルバムのように、とにかくまあ、幅広くやっている。シーンの盛り上がりが最高潮のときにリリースされるという意味では、アンダーワールドのファースト・アルバムのようなものでもある。
 
 スクリームがシーンの最初期からいたのは事実だが、初めからスターだったわけではない。ただし......彼にとって最初のヒットとなった2005年にのシングル「ミッドナイト・リクエスト・ライン」が、ダブステップというシーンにとって最初のクロスオーヴァーなヒットにもなった。そして、彼にとって最初のポップ・カルチャーとの接触である2009年初頭のラ・ルーの"イン・フォー・ザ・キル"のリミックスが、シーンにとっての最初のポップ・ヒットにもなった。スクリームにはそうした"特別な"経歴があり、それを思えば――それはまさに彼以外の誰もしてないことなのだ――彼にとってのセカンド・アルバム『アウトサイド・ザ・ボックス』が大きな作品になることは必然だったとも言える。
 
 リヴィング・リジェンドのマーズがフィーチャーされている"8-ビット・ベイビー"や"CPU"はモダンなロービット・ファンク・サウンドだ。オートチューンによるメランコリックな"ウェア・ユー・シュッド・ビー"はR&Bとダブステップのあいだで輝き、フレクルズのセクシーなヴォーカルが印象的な"ハウ・リアル"はダフト・パンクを彷彿させる。ディスコ時代の女王、ジョセリン・ブラウンの歌をサンプリングした"アイ・ラブ・ザ・ウェイ"はピークにもってこいのダンス・トラックとなっている。ベースが揺れている(ウォブルしている)"ウィブラー"のような曲もあれば、ラ・ルーをフィーチャーした――おそらくアルバムにおける最高のクライマックスであろう――エレクトロ・トライバル・ポップの"ファイナリー"もある。疾駆するジャングル・トラックの"ザ・エピック・ラスト・ソング"もある。とにかくいろいろなスタイルを試みている。
 ダブステップにおける低音バリバリのアグレッシヴないかめしさを期待している人は肩すかしを食うだろうけれど、ひとつ間違いないのは、ここにはアンダーグラウンドとポップが容赦なく混在し、それが伸び伸びとしたエネルギーとなっているという点である。そして......そういう大胆な作品はこの10年以上もの長いあいだ、実はなかったように思えるのだ。

校庭で生徒を監視してる先生が校長の妹でさ、すごく権力を意識したアホな先生で、俺に「ゴミを拾え」って言ってきて、断って「fat bitch (くそデブ女)」って呼んだら、校長室に連れてかれてその場で停学になったんだよ(笑)。

学校を中退したっていう話だけど、どんな子供だったんですか?

スクリーム:とくに悪い子ではなかったけど、生意気だったね。失礼、っていうか無礼っていう感じかな。とにかく学校が嫌いだったね。

勉強が嫌いだったの? それとも学校が嫌いだったの?

スクリーム:勉強が嫌いなわけじゃなかった。ただ学校にいるのが大嫌いだったね。つねにどこか違う場所に行きたい、そう思っていたのを覚えているよ。学校のほうでも俺のことを嫌いだったしね。

友だちとはうまくやっていた?

スクリーム:人間が嫌いだったわけではないからさ。友だちは大勢いたし、みんなとは仲良かったけど規律が苦手だったんだ。もし勉強に集中していればそこそこ良い成績を残せたと思うけど、しょっちゅう悪いことをしていて、罰を受けたりしていたから、勉強に集中しないようになってしまったんだと思う。授業より居残りのほうが多かったと思うよ。ハイスクール(日本で言う中学。10歳/11歳で入る学校)に入って2ヶ月で停学になったしね。すごいバカなことで停学を食らったんだよ。校庭で生徒を監視してる先生が校長の妹でさ、すごく権力を意識したアホな先生で、俺に「ゴミを拾え」って言ってきて、断って「fat bitch (くそデブ女)」って呼んだら、校長室に連れてかれてその場で停学になったんだよ(笑)。

ハハハハ。クラブ・カルチャーとはどうやって出会ったんですか? お兄さん(ハイジャックの名前で知られる)からの影響ってやっぱ大きい?

スクリーム:自分で音を作り出す前に何回かそういう「18歳以下」向けのクラブのパーティには行っていたけどね。やっぱり音楽を作り出してからクラブに行くようになった。ビッグ・アップル(ダブステップの発火点であり、南ロンドンのクロイドンにあったレコード店)のハチャ(ダブステップにおけるオリジナルDJ)が俺の曲をラジオ(海賊)やクラブでかけてくれるようになって、それを実際に自分でも聴いてみたい、と思ったのがいちばん最初のモチベーションだったね。

それは〈FWD>>〉(ダブステップのもうひとつの発火点となったパーティ)?

スクリーム:ううん。ビッグ・アップルのクリスマス・パーティが毎年あって、それが最初の思い出だね。当時はもう店で働いてて音楽も作ってたから。本当は若過ぎて行っちゃいけないんだけど、招待してくれたんだ。だからクラブのセキュリティーが来る前にみんなが俺らをこっそりなかに入れてくれて、一晩中いっしょに遊んでいたな。そこからだね、他の、もっと大きいクラブがどういうものなのか見たくなって、クラブに行き出したのは。でも最初はクラブではなく音楽を作っていただけだよ。作っていたから、それでクラブに行くようになって、で、そこから好きになっていったんだ。年齢でいったら15歳ぐらいの頃から。

学校を辞めて、すぐにビッグ・アップル・レコードで働くようになったの?

スクリーム:兄貴が2階のジャングルのフロアで働いてて、1階にはハチャが働いていたんだ。彼らがいる頃から店の存在は知っていたよ。だからしょっちゅう遊びに行ってたんだ。11歳の頃からレコードを買っていたから。で、それ経由でビッグ・アップルでハチャとも仲良くなった。そして働くようになった。まだ13~14歳だったかな。

もう音楽は作っていたの?

スクリーム:ビッグ・アップルで働くようになってから、初めて店にいる人たち全員が音楽を作っていることを知ったんだよ。そういう背景があったから自然の流れで自分でも音楽を作るようになって。まわりの人が俺のやりたいことを実際やっていたってわけさ。働くまではまったく気付いてなかったんだけどね。で、アートワーク(アーサー・スミス)とかオーナーのジョンと出会って、彼らに俺が作っていた曲を聴かせたりしていたんだ。すごく気に入ってくれて、「作り続けろ」って言ってくれたものさ。それぐらいの時期にベンガと出会って、いっしょに曲も作るようになった。でき上がったものをハチャに渡して、彼がクラブや海賊ラジオでかけるようになって、じょじょに俺たちの名前が広まっていった。ベンガはまだ14歳で、俺が15歳の頃だったね。

最初はプレステから?

スクリーム:そうなんだ(笑)。しかもプレイステーション1だったよ! 

ハハハハ。

スクリーム:ある日、DJしていたときに友だちから電話がかかって来て「ヘヴィな曲を作ったから聴きにおいでよ」って誘われた。当時はまだインターネットがそんな普及してなくて、データを送ったりする習慣がなかったんだ......みんなフォーラムを見るかポルノを見るためだけに使ってた頃だよ(笑)。で、聴きに行ったら本当にかっこ良くて、「それ本当にそのプレステで作ったの?」って訊いたら「そう」って答るから、「俺もどうにかしないと」って気持ちになった。でも使っていくなかでMusic 2000 (ソフト名)に限度を感じるようになって、家に帰ったら兄貴(Hijack)がFruity Loops、当時はFruity Loops 3だった、を使ってるのを見てそっちに移行したんだよね。使い出して数年経つけどいまも同じソフトを使ってるよ、新しいヴァージョンだけどね。

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一般的に"ダブステップ"っていう音楽に対する印象をある程度変えることができたと思う。その前は低音バキバキのダンスフロアのみでしか聴けない音楽として捉えられていたと思うけど、あの曲によって印象が変わったと思う。「このシーンから本当に面白い音楽が生まれてるんだ」ってみんなが思えるようになったんじゃないかな。


Skream /
Outside the Box

E王 HYDRA Records / Tempa

Amazon iTunes

影響を受けたプロデューサーは誰?

スクリーム:いま名前が出て来たハチャ、ハイジャック、アートワークとかもそうだけどホースパワー・プロダクションズも影響が大きかったね。誰よりも長くスタジオでいっしょに時間を過ごしたよ。彼らが作っているところをずっと見ていたんだ。いまだに彼らの音楽は他の人よりずば抜けてると思う。いまでも大好きだ。極端にレフトフィールドで、極端にアンダーグラウンドだったからさ、本当にやられたね。「こういう音楽を俺は作りたい」ってはっきり思ったんだ。俺は彼らの曲をほとんど知ってるけど、ビッグ・アップルの人間じゃない限り当時誰も知らなかったからね。でもそういう知る人ぞ知る集団のひとりだったのが面白かったし、その音楽を理解できてたまらなく嬉しかったよ。当時はそれがホントに楽しかったね。

"ミッドナイト・リクエスト・ライン"はどうやって生まれたんですか? 

スクリーム:あれはね、実はクリスマスで退屈してたから生まれた曲なんだ(笑)。たしかボクシング・デー(12月26日)だった。最初はグライムの曲を作ろうと思っていたんだ。でも途中で、「これはグライムでもなんでもないな」って思って、だったら「グライムとダブステップの両方の要素を混ぜた曲を作ろう」と思った。シンセとかリフはグライムっぽいけど聴いてるうちに「グライムでこんな曲は存在しないな」と思って、自分のいつもの作業法に戻ってディープなサブベースとか足していって、そして完成していった。

あれが契機だったよね。

スクリーム:当時の爆発ぶりは自分にとっても不思議な感じだったよ。みんなかけてたからさ! グライムのすべてのDJがかけていたし、当時はいま以上にMCが流行ってたから、でっかいダンスでもあの曲をかけてそれにMCを乗せてきたり、とにかくすごかった。そして全然他ジャンルの、たとえばリカルド・ヴィラロヴォスがかけていたり、地上波のラジオも夜枠では必ずかけてくれた。自分にとってはクレイジーな時期だったよ! 「やった!」と思ったし、「これが起きたからには俺の名前が広まる」って実感したよ。最高だった。そこからファースト・アルバムが誕生したんだからさ。

やたら多くの曲を作っているという話で有名だけど、10代の頃から毎日のように作っていたの?

スクリーム:どうだろうな......。14歳から19歳のあいだだから大量にあったのは間違いないけど。アイディアは1000曲以上ある。実際曲に仕上げていったのは数100曲かな。

ラ・ルーの"イン・フォー・ザ・キル"のリミックスもあなたのキャリアの大きな転機になったし、また、結局、あのリミックスがダブステップをメインストリームのポップ・カルチャーと繋げることになったよね。

スクリーム:そう、すごいよ。いまだにあのリミックスはかかってるんだからね! 当時いちばん盛り上がってたジャンルふたつが融合してできた曲だったから、なおさら反応がすごかったと思うけど、俺にとってはデカかったね。2年経ったいまもあの曲の話が尽きないんだよ。

そんなに大きかったんだね。

スクリーム:プロデューサーのキャリアとしては、信じられないぐらい影響が大きかったよ。完全に別部門に進んだからね。『NME』のダンス・アワードで賞を取ったり、ゴールドディスクももらったしね。40万ダウンロードまでいったし、違法ダウンロードも入れたらすごい数だと思うよ。余裕でポップチャートで1位取れるような数字だよ。昼の地上波ラジオでいまだにかかってるし、アメリカの超人気テレビ・シリーズ「Entourage」でも最近使われたんだ。もうあの曲からは逃げられないんだ(笑)!

あなた自身の環境はどういう風に変わった?

スクリーム:ああいう人気曲を1回出すと、不思議なのが会う人間の数が増えることだよね。それもけっこう重要な人物が多いし、そして自然に友だちになっていくのが面白い。例えばBBCラジオ・ワンのアニー・マックっていう有名DJもあの曲をすごくサポートしてくれて、それを通じて出会って、いまはすごく仲の良い友だちなんだ。俺にとってもすごく意味のある曲だけどシーン全体にとっても意味があった曲だと思うよ。いろいろ違う機会をシーンみんなのために生んだと思うし、一般的に"ダブステップ"っていう音楽に対する印象をある程度変えることができたと思う。その前は低音バキバキのダンスフロアのみでしか聴けない音楽として捉えられていたと思うけど、あの曲によって印象が変わったと思う。「このシーンから本当に面白い音楽が生まれてるんだ」ってみんなが思えるようになったんじゃないかな。

ひとつのジャンルに閉じ込められていた自分を「その箱から出す」っていう意味。期待されるのはやっぱり完全なフロア向けのクラブ・ミュージックだけど、自分が好きなように音楽を作らせてもらう、そういうことさ。そこから繋がるメッセージは、「敷かれたレールに沿って生きる必要はまったくない」っていうことだね。

今年はダブステップの流行が頂点を迎えているようですけど、あなたは状況をどう見ていますか? 嬉しい反面、とまどいもあるだろうけど。

スクリーム:うん、そうだね。だけど、もちろん嬉しい部分もあるんだよ。アーティストによっては前からすごいことをやってるけど、「やっと認められた」っていうのは嬉しいことだし、そうやって人気が出るのは良いことだと思うけど、「他のスタイルでダメだったからダブステップをやってみた」とかいう人もけっこういるし、楽に売れると思って中途半端に乗って来る人たちもいるのも事実でさ、それは良くないと思う。流行に乗っかって来てるだけの人は嫌だね。それ以外はまったく文句なし。いまは最高だ!

『アウトサイド・ザ・ボックス』は明らかに、より多くの人たちがアプローチしやすい作品になっていると思うし、ヒップホップやR&B、アンビエント、ハード・テクノなど、実に多様な内容になっているよね。

スクリーム:自分が好きなようにやろうと思っただけだよ。他の人が俺に期待している音楽はもう自分が充分作れることはいまはわかってるから、自分のための音楽を作りたかったんだ。いろいろ違うテンポや曲調を書くのがすごく楽しかった。他のジャンルの曲も作れることを過去、人に見せたことがなかったからなおさら面白かった。自分のためのアルバムで、フロアがどうこう考えずに作りたかったんだ。結果的には良かったよ......反応がすごく良いし。

ゲストも多彩だよね。

スクリーム:ラ・ルーは"イン・フォー・ザ・キル"の借りを返してくれるように、1曲参加してくれた。LAのリヴィング・リジェンドのラッパー、マーズも参加してくれた。彼とはずっと何かやりたいと考えていたんだけどなかなか実現できなくて、今回やったのは自然な流れに近いよ。あのトラックができ上がった瞬間マーズのことを思って、彼に音を送ってラップを入れて返って来たものがイメージ通りのヤバさだったから収録した。

サム・フランクをフィーチャーした"ウェア・ユー・シュッド・ビー"も印象的だよね。

スクリーム:サム・フランクはイギリスのソングライターで、日本盤にしか収録されてない"シティ・ライツ"っていう曲も彼が書いてるんだ。世界中どこでもまだかかってない曲だけど、最高な曲だよ。歌詞の内容は、完全フィクションで、毎週土日に娼婦を買うために平日働いてる男の話なんだ。「I find my baby under the city lights..」(町の明かりの下に俺は俺のベイビーを見つける)って歌ってて、すごく面白いよ。

"ハウ・リアル"で歌っているフレクルズ(Freckles)っていう女性ヴォーカリストは?

スクリーム:これから活躍するであろう女の子のアーティストだよね。ディーブリッジ(dBridge)とインストラ:メンタル(Instra:mental)も1曲いっしょに書いたんだ。俺のアイドルに近い存在だよ、あのふたりは。共作できてすごく嬉しかったよ。

アルバム・タイトルの意味について教えてください。

スクリーム:『アウトサイド・ザ・ボックス』の"ボックス"は主に"ジャンル"を意味している。ひとつのジャンルに閉じ込められていた自分を「その箱から出す」っていう意味。「もういい加減に俺も受け入れないよ」って示したかったんだ(笑)。みんなに期待されるのはやっぱり完全なフロア向けのクラブ・ミュージックだけど、もう人のためじゃなくて自分が好きなように音楽を作らせてもらう、そういうことさ。そこから繋がるメッセージは、「敷かれたレールに沿って生きる必要はまったくない」っていうことだね。俺の場合は音楽だから、音楽的に言うとジャンルに自分の音楽を左右されちゃダメだし、逆に言えば「自分の音楽でジャンルを定義しろ」ってことなんだ。だから音楽以外でもいいんだ。とにかくまわりのルールに従って行動するのではなく、「自分で自分の道を切り開かないとダメだ」っていう意味なんだよ。

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