「KING」と一致するもの

T.B.Brothers - ele-king

オトコ的Classics


1
Talking Heads - This Must Be The Place (Naive Melody) - Sire

2
Chris Isaak - Baby Did A Bad Bad Thing (O.S.T:Eyes Wide Shut) - Reprise Records

3
Heat Wave - Mind What You Find - Epic

4
Romanthony - Hold On - Roule

5
Anne Dudley And Jaz Coleman - Minarets And Memories (12'Dance Mix) - China Records

6
Robert Hood - Who Taught You Math'Edit' - Peace Frog Records

7
CTI - Dancing Ghosts (O.S.T: Elemental 7) - Double Vision

8
Floating Points - Love Me Like This - R2 Records

9
Ash Ra Tempel - Ain't No Time For Tears (Sacred Rhythm Mix) - Raimo Symphories

10
J Dilla - So Far To Go Feat. Common & D'Angelo - BBE

[Techno] #5 by Metal - ele-king

1. El Rakkas / Extreamely Cheap & Effective Ep | Dub Square (UK)


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 エル・ラッカスは、オーストリアの第二の都市ガーツよりエレクトロニカ、ダブステップをもとにリリースを重ねているアーティストです。先ごろではUS西海岸の〈ロー・ダブス〉からリリースした「Sence Of Disease」でも、レゲエやハウスとミックス可能なダブステップを展開していました。音もきれいで使いやすい曲です。
 〈ダブ・スクエア〉はオーストリアのヴィエンナを拠点にネット・ラジオを母体に活動するレーベルで、DJ IZCと女性アーティストであるCA.TTER等が中心になり、デトロイト・テクノから影響された一捻りあるエレクトロやダブステップをリリースしています。今回届いたシングルはエレクトロニカ、もしくはテクノ側からのアプローチのトラックで、極限までそぎ落とされたミニマル・ハウスを下敷きに、キックを裏打ちにし、リズムに変化をつけたトラックです。ポスト・ミニマルと同時にポスト・ダブステップのひとつの方向を提示したシャックルトンの「3EPS」、あるいは2562のアルバムで知られる〈マルチヴァース〉からミニマル・テクノをリリースするオクトーバーの作品にも通じるアイデアがあり、本当に最小限の音でリズムの揺らぎを追求した曲です。リミックスはカールステン・ニコライ率いる〈ラスター・ノートン〉や、ノルウェーから変態的なディスコのリリースで知られる〈セックス・タグ・マニア〉等、エレクトロニカのフィールドからエクスペリメンタルなトラックを発表しているF・ポマッスルが手がけ、低音が強調され力強い倍音が広がる音響的なダブ・ヴァージョンはどくどくと波打つような独特の響きを持っています。サイン波で作られた冷たいハットもアクセントになり、とても緊張感があるトラックに仕上がっています。ミニマルで言えば、インクセックやジェイ・ヘイズの〈コンテクステラー〉からのシングルに近い雰囲気です。DJをしていると前後の曲のバランス感が気になります。テクノに比べダブステップには音圧が高く、低音が強い曲が多いので選盤には注意が必要です。このシングルは線は細く音楽的な深みには欠けているものの、ミニマル・ハウスの側から音圧やバランスを変えずにリズムに変化をつけることができます。ミニマルのDJでダブステップに興味がある人はこの辺のレコードをセットの中に組み込んでみてはいかがでしょうか。ミニマルとダブステップのあいだを「キープ」しながら繋ぐことができる貴重なDJツールです。

2. Oriol / Coconut Coast | Planet Mu (UK)


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 これはいままでになかった新しい組み合わせの音楽です。ダヴステップやエレクトロを通過した新しい感覚のディスコです。スペインのバルセロナ出身のオリオールはロンドンのブロークン・ビーツのシーンより頭角を現し、いまでは売れっ子プロデューサーとして活躍するフローティング・ポインツに見初められた逸材で、ミュー・ジックを筆頭にUKエレクトロニカの礎を築いた〈プラネット・ミュー〉が期待をこめて送り出した新人でもあります。ガラージとエレクトロニカ、ダブステップをベースに、70'sのソウルやディスコ、フュージョンからのメロディーを取り入れ、わかりやすく現在の音に消化しています。コズミックで美しく広がるシンセはブリストル産のダブステップのような寂しげで内向的なメランコリーではなく、UKのものには珍しくポップで明るい和やかなメロディを奏でています。例えるならイアン・オブライエン+フェイズ・アクション+フォーテットと言ったところでしょうか。ヴォーカル・プロダクションも90'SのUSディープ・ハウスを彷彿させるハイレヴェルな出来です。リミキサーには〈ランプ・レコーディング〉や〈ラッシュ・アワー〉からグライムやダブステップをリリースするファルシィ・DL、〈プラネット・ミュー〉のオーナーでもあるミュー・ジックことマイク・パラディナスの変名プロジェクトであるジェイク・スラセンジャー、〈パンチ・ドランク〉からのリリースでも知られ相棒のブラックレスと共に〈ブランテッド・ロボッツ〉を運営するショート・スタッフが起用され、幅広いリスナーに向けられたシングルです。
 なかでもジェイク・スラセンジャーのリミックスは秀逸で、原曲の良さを素直に拡大しバレアリックで壮大なシンセが軽やかなビートとともに宙を舞うとても美しい曲に仕上がっています。ミュー・ジックを含めた彼のキャリアのなかでも屈指の名曲と言えるのではないでしょうか。ダブステップを契機としたUKアンダーグランドの掘り起こし作業のなかから面白い動きが起こりつつあります。いまのフロアの状況だから言えるのかもしれませんが、テクノは4つ打ちのキックとハウスフィーリングの快楽性に甘えすぎていたようです。ジ・オーブやブラック・ドックなど90'sのテクノは様々なアイデアにあふれていました。イーブンキックから失われた開放感的をとりもどすためには、異なるリズムの組み合わせとタメが必要なのです。ミニマルのバランス感覚を捨て去れば新しいものが見えてくるかもしれません。

3. D Bridge / Zx81 Remixies | Fat City (UK)


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 アンダーグランドのヒップホップを中心に独自のセレクトで知られるマンチェスターのレコードショップ兼ディストリビューターである〈ファット・シティ〉からリリースされたコンピレーション「Produsers No.2」からカットされた限定のリミックス盤です。原曲はポスト・ダブステップ/ドラムンベースをリードするロンドンのD・ブリッジによるもので、エフェクトがかかったアコーディオンが中毒的に響く、ファットで味わい深い低速のブロークン・ビーツで7インチのシングルでカットされていたものです。
 D・ブリッジはUKソウル/R&Bのプロデューサーであるスティーブ・スペイセックの実弟で自ら〈イグジット・レコーディング〉を主宰し、ヒップ・ホップからダブステップまで幅広くUKアンダーグラウンドの音楽を紹介しています。先日リリースされた〈ファブリック〉からのミックスCDでもダブステップとドラムンベースを見事にミックスしロンドンのいまをしっかりと伝えていました。今回のリミックス盤ではモーリッツとともに〈ハード・ワックス〉のマスタリング・エンジニアとしてベルリンから素晴らしいダブ・プレートを送り出すシェドと、〈ヘッスル・オーディオ〉を主宰し〈AUS〉や〈アップル・パイプス〉などからUKガラージ、ダブステップ、さらにはミニマル・ハウスまでリリースするラマダンマンが起用され、それぞれ趣の違ったリミックスを聞かせています。シェドのリミックスは、原曲とほぼ同じ音を加工し、もっさりしたキックに地を這うように力強いサブベースとシャリっとしたハットのシンプルなテクノを主体に、中域で継続して響くのアナログノイズとデトロイティッシュなシンセの和音が絡み合う、ダブと言うよりもドローンに近い壮大な音饗世界を創りあげています。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインをカール・クレイグがリミックスしたらこんな感じになるのかもしれません。とにかく一服せずとも地底に引きずり込まれるような、ベルリンのミニマルの魅力を充分に伝えるずば抜けた音響のトラックに仕上がっています。
 いっぽうラマダンマンのリミックスは、原曲を倍速にし、UKファンキーをベースにジャスティン・マーチンやスウィッチのようなフィジェット・ハウスをかけ合わせた面白いグルーヴのトラックです。リズムはファンキーな曲ですがロスカのような軽さではなく、使っている音色のせいかクールな面持ちです。DJのミックスに上手くはまればいいアクセントになりそうな曲ですが、冒頭のグルーヴが取りづらいのでDJとしては腕が試されるレコードかもしれません。それにしても両面ともに素晴らしいマスタリングが施された12インチです。限定盤なのでお早めに。

 ぼくがロマンの語り手になり切れない部分は、つまりロマンがしばしば語り手の自己肯定を前提にして、ナルシズムに陥りやすいからで、対立物を内包するとくずれてしまう性格をもっているからだ、という気がする
寺山修司(唐十郎との対談『劇的空間を語る』76年3月)

 これは丑三つ時に見た奇天烈な夢の話
 夢の中で夢が夢であると自覚したばかりに
 私は私と分裂した悲しき性に
 汝の半身を探し闇の中
志人"ジレンマの角~Horns of a Dilemma~"


 現在の志人の凄みとは、00年代初頭にヒップホップ・グループ降神のラッパーとして日本語ラップ・シーンに鮮烈に登場してから約10年間、悩み、懊悩し、思想や価値観やラップのスタイルを劇的に変化させながらも決して歩みを止めなかったからこそ獲得できた代物だと思う。


志人 / ジレンマの角 EP ―Horns of a Dilemma EP―
Temple Ats

 今回、志人のシングルはアナログでリリースされている。もしかしたら、「お、久々のリリースじゃん」と思う人もいるかもしれないが、実は昨年も、家族を主題にした「円都家族~¥en Town Family~」というシングルをポストカード・レコードという特殊なレコードでリリースしている。さらに、今回のアナログにも収録された、志人が志虫という名でいくつもの虫に成り代わり物語を紡ぐ(宮沢賢治の『よだかの星』を彷彿とさせる)"今此処 ~Here Now~"とDJ DOLBEEのインストを加えた増補盤を懐かしの8cmCDという形態で発表してもいる。
 それらは、失われていくメディアに焦点を当てるという企画の一環で、ダウンロード配信など、急激に変化する昨今のメディア環境に対する彼らなりのレスポンスなのだろう。志人らが主宰するインディペンデント・レーベル〈Temple ATS〉のアートワークの要である画家の戸田真樹の絵も含め、手作りの「モノ」を残すことへの強いこだわりが感じられる。
 "今此処"のクレイアニメーションのMVなどが収められた『明晰夢シリーズvol.1』やポエトリー・リーディングのイヴェントに飛び込みで参加する志人の姿を撮影した『森の心』といったDVDもひっそりと世に出回っている。また、「ジレンマの角 EP」に収められた"夢境"のクレイアニメのMVは秋に、NHKで放映される予定だという。ヒップホップ・シーンから遠く離れた場所で、彼らは変わらず自分たちの活動を続けてきたのだ。
 そして、"ジレンマの角"をリード曲とするアナログも〈Temple ATS〉のHPで購入すると、特典としてCDとポストカードが付いてくるという仕組みになっている。ラップ入りの曲が3曲、インストが2曲収められているが、すべてのトラックを担当したのはDJ DOLBEEで、音楽的に言えば、エレクトロニカ、アンビエント、ヒップホップとなるだろうか。とはいえ、何をおいてもやはり特筆すべきは志人のラップの圧倒的なオリジナリティである。

 "ジレンマの角"は、志人が、無実の思想犯、警察官、裁判官、医者、看守、死刑執行人、囚人、ガーゴイルなどに扮し、国家権力に囚われ死刑を宣告された主人公と思しき、野蛮思想に侵されたとされる無実の思想犯を中心に展開するストーリーテリング・ラップで、まるでATG映画のような重苦しいムードに満ちている。意図的に劣化させたノイジーな音質はまさにATG映画のざらついた映像のようで、その世界観は大島渚が死刑制度をテーマに撮った映画『絞死刑』を連想させる。危険な香りを漂わせながら、鬼気迫るラップを披露する、一聴して率直に「ヤバイ!」と思わせる志人は久々だ。
 このアナーキーな感覚は、2005年にリリースされたアナログでしか聴くことのできない"アヤワスカ"以来だろう。ちなみに僕は、三島由紀夫、チェ・ゲバラ、ジミヘン、ジャニス・ジョプリン、サン・ラ、バスキアといった過去の文学者や革命家やミュージシャンらの名前をリリックに盛り込み、路上の怒りが渦を巻きながら天空に舞い昇り優しさに変わっていく、麻薬的な快楽の潜むこの曲が、志人の作品のなかでも1位、2位を争うぐらいに好きだ。

 リーマン フリーター ディーラー 
 ブリーダー Dremaer ハスラー やくざ 
 Jasrac シャーマン ターザン 
 ターバン巻くサーバント 
 We are Music Mafia have No Fear 
 FREEDOMを作り出し 救い出すビーナス 
 Winner Loser Who is the Luler(ママ) in this earth?
 I ask You やさしく言う まさしく 君だ
"アヤワスカ"

 ◆無実の思想犯
 そうだ あのとき私は確かにアナーキーな連中とばかりつるみ
 社会からは脱藩人よばわり 盛り場の話題はいつも中身無き冗談か
 国家権力から逃れる方を夜長に語りあかした
 空が白むまで 朝もやが稲妻で 引き裂かれて行くのをただ睨むだけ
 気が付けばそこにはもう誰もいなくなって
 周りには口を尖らした どたま来たお巡りが

 ◆警察官A......「野蛮思想に冒された犯罪人よ じたんだ踏もうが時間だ
 お前にもう夢を見る権利は無い」

 逃げなきゃ 後ろ手に回される 絞め縄
 二メーターはある権力者達に上から押さえつけられ
 あっという間に 前後塞がり 暗がりに砂を噛み
 不渡りつまはじきものの姿に
"ジレンマの角"

 "アヤワスカ"にも近い部分はあるが、"ジレンマの角"は明確に戯曲という形式が採られている。が、しかし、この曲は紛れもなくラップ・ミュージックとして成立している。この2曲に関して言うと、苛烈さという点において、ソウル・ウィリアムズやマイク・ラッドなんかと同じ匂いを嗅ぎ取ることができる。
 いずれにせよ、日本でこんな芸当をやってのけるラッパーを志人以外に僕は知らない。詩人が朗読しているかと思えば、役者のセリフ回しのような語りに切り替え、一瞬ラガ調の声音でかましてみせたりもする。志人のとどまることを知らない自己内対話のエナジー放出するために必然的に発明されたスタイルなのだろう。

 「私」への深い疑念からくるラップへの苛烈な欲求、言い換えれば、近代的自我の解体への欲望と言えるかもしれない。近代的自我に亀裂を入れて、その危うさや不確定さを炙り出そうとするのは、志人の表現の底流にあるもので、我を忘れるほどの限界状態から真実を手繰り寄せるために志人はラップの技術を鍛え、進化させ、ときに驚異的な速度に身を任せているように思える。
 まるで千手観音の手が、五感に物凄い勢いで襲いかかってくるような変幻自在のラップには、聴く者の視覚や聴覚などの感覚を統一させる力を感じる。それはいわば明確なトリップ体験であり、個々の枝分かれした感覚のその奥にある根源的な感覚に触れてしまうような、共感覚の稲妻に打たれる経験である。志人のラップのスピードは共感覚へ到達するための、未来を生み出す生命力に溢れた速度である。
 ことばは生きものである、ということを志人は全身を楽器にすることで体現し、また彼のラップを聴く者はそのことを全身で痛いほど感じることになる。志人は日本語のラップ表現を意味と音声と物語の構成といったいくつかの点において、明らかに次元が違うところまで持って行ってしまった。韻を踏むことでイメージを膨らませ、物語を予期せぬ方向へ転がし、ことばとことばの連なりがまた新たなイメージを喚起させる。

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 「とりたて何の理由も無いですが、鳥だって色んな色を持っているはずなのに
 どうして僕はこんなに真っ黒で小汚ねー色をしているんでしょう?」と問いかける
 「お日様の様にどうしたら成れるの あの真っ赤っかな色に成りたかったんだ
 時たま邪な気持ちを残したお星様に聞いてもさっぱり分からなんだ
 名前も知らないカラスが一匹飛んで来たとき
 浜辺の白波 黒く汚れたこの身を洗い
 何万年後も流れ星追い 嫌がってもやがて年老いる僕らは
 今までのままこれからのカラーを探して どんくらい根比べ重ねてどんぶら大海原
 日溜まりの中で暗闇を焼き払い給え 名前の無い僕は
 猛スピードでモスグリーンに曇った街を行くモスキート
 もう救い様の無い都市はホスピタル 夜の持つ魅了に取り憑かれたヒーローは
 次の朝、ポルノスターになりました
 アスリートの吹かすウィード
 唐墨色に染まる空のオリオン座に恋をした少女は
 君の心なら全てお見通しさ ってな具合にカラカラとただ笑うんだ
"私小説家と黒カラス"(『Heaven's恋文』)

 「ことばの偶発的な干渉=共鳴の自由を許す」(今福龍太)とでも言えようか。ことばとことばの隙間に壮大な冒険への扉を無数に用意し、そして、どの扉を開けるかは、そのラップを聴く人間次第なのである。志人は日本語ラップ界のダダイストであり、モダン・ビートニクの詩人である。そんな形容さえ、僕はまったく大袈裟に思わない。
 2002年に降神がCDRによるデビュー・アルバム『降神』を発表した後、志人のフォロワーが大量に現れたが、「THA BLUE HERB以降」や「SHING02以降」という日本語ラップの歴史認識が仮に成立するのであれば、間違いなく「志人(降神)以降」というのも成立することになる。まあ、誤解されないように一応書いておくが、それは商業的成功という意味ではなく、あくまでも芸術的観点から考えた場合である。


photo by 新井雅敏

 ところで、『降神』の2曲目を飾る、ファンのあいだではクラシックの呼び声も高い"時計の針"の最後で、「血染めの鉢巻き絞めて印税もらって勝ち負け気にして死んでろ 特に お前と彼等」と、商業主義に走るBボーイたちを唾を吐きながらディスしていたことを思えば、ある時期から志人は随分優しくなった。いまは口が裂けても「死んでろ」と言い切ることはないだろうし、「hate=憎しみ」の感情をあからさまに表に出すこともなくなった。
 何が原因でそうなったかは知らない。年齢のせいもあるだろう。デビュー当時の降神には感じられなかった友愛をいつからか率直に表現するようになった。初期の攻撃性や狂気を愛したリスナーは戸惑ったに違いない。だから、もちろん降神や志人をずっと追い続けているファンはいるだろうが、一方で、彼らのリスナー層は変わっていっているように思える。
 実際のところ、僕もある時期、志人のラップとことばを素直に受け入れることができなかった。何年か前、湘南の江ノ島の海の家だったと思うが、志人のライヴをオレンジ色の夕陽が深い闇に沈まんとする美しいロケーションのなかで観たことがある。具体的には思い出せないが、志人が放った自然回帰やエコロジーや友愛のことばは、僕にはあまりに無垢なことばに聴こえ、愕然としたことがある。正直、最後まで観ていられなかった。

 「それは、お前が偏屈で心が汚れているんだよ」、ということであればむしろ話は早いが、しかし、似たような感想を持つ人間は少なくないということだ。いや、これは本当にきわどく、危うい現代的な問題なのである。
 僕は志人というラッパーが、宇宙の真理や自然の偉大さを考えもなしに漠然とペラペラと喋るスピリチュアリズムかぶれの軽薄な人間などではないことをよく知っている。豊かな知性と感情と表現力を持つラッパーであることを知っている。裏を返せば、そんな志人であっても、いまの時代に自然回帰やエコロジーという切り口から平和を訴えることは、共感と同じぐらいの拒絶を引き出してしまう困難さがあるのだ。それぐらい自然回帰やエコロジーというのは、一筋縄ではいかないものだ。
 その意味で、「野は枯れ 山枯れ 海は涸れ すきま風が吹き 国は荒れ果てた 放火魔に 連続殺人 原子力発電所 核戦争 終わらせよう 今日からでも 君は地球さ 地球は君なのだとしたら」というリリックから穏やかに滑り出すアンビエント的な"夢境~Mukyo~"の平和主義は、果たしてリスナーにどう受け止められるだろうか。
 ともあれ、"ジレンマの角"、"今此処"、"夢境"といったまったく異なる表情の曲を1枚のアナログに収めたことには意味があるだろう。それが志人の懐の深さでもある。これは取って付けたフォローではなく、真実だ。

 そしてまた、志人の豊穣さの底を支えるものにはノスタルジアがある。それは単に幼年時代や少年時代や過去を懐かしみ感傷に浸るということではなく、人間の奥深くにある記憶を呼び覚まさせるようなノスタルジアのことだ。それはどこか稲垣足穂の「宇宙的郷愁」と相通じるし、あるいは、志人が思想的にも、芸術的にも大きくインスパイアされたであろう寺山修司の土俗的な、ある種屈折したノスタルジアを思い起こさせもする。
 "今此処"や"夢境"にももちろん滲み出ているが、2005年に発表したファースト・アルバム『Heaven's恋文』に収録された"LIFE"はとくに、ノスタルジアを結晶させた、豊かな色彩感覚に彩られた名曲である。KOR-ONEによるファンクとソウルの感性が映えるトラックも本当に素晴らしい。

嫌というほどに見た現実に疲れては/まぼろしの公園でいつもひなたぼっこLIFE

忘れかけたユーモアというものや/君にとってとっても重要な日々の匂いや色は、
街で見かけたチンドン屋/なびかせた黄色いハンカチーフ
やさしくなった自分をふと思い出すのさ/
どこもかしこも/立ち止まる足場も無く/暇も無く/芝も無い/
僕の居場所を探し出そう/この 都会に お帰り
LIFE

 しかし、こればっかりは歌詞の引用だけでは伝えられないものがあるので、聴いて感じてもらうしかない。他にも、日本の庶民的な家庭を描いているようだが、よく聴くと、現実と虚構が入り組んでいて、どこかズレが生じている"円都家族"の奇妙なノスタルジアも面白い。
 詳述は避けるが、『Heaven's恋文』のあるスキットでは、実際に寺山の映画のワンシーンが引用されている。それは、インテリ批判とも読める志人らしい軽妙なやり口で、その映画を観た人間から言わせると、「ああ、そこなのか!」と膝を打ちたくなるような風刺の効いた場面を拾っている。
 ただ、志人に寺山修司や稲垣足穂や宮沢賢治といった過去の芸術家や詩人の影を感じたとしても、志人がやっていることは、当然過去の意匠の焼き回しではないし、ましてや懐古趣味や権威主義、または衒学趣味とは程遠いものだ。
 「いまの時代がいちばん面白いと言わせたい」というのは、かつて志人が放ったことばだが、その情熱の炎がいまだ燃え盛っているということは、この新しいアナログを聴いても実感できる。さきほど、異なる表情の3曲を1枚のアナログに収めたのが懐の深さだと書いたのは、対立物を内包しながらもロマンを語ることはできる、ということに志人が挑戦しているように思える故である。

 さて、最後に、志人の刺激的な今後について書いておこう。まず、そのうち志人と渋さ知らズとの共演(競演)があるかもしれないという噂が耳に入ってきている。また、MSCのTABOO1のファースト・ソロ・アルバムにゲスト・ラッパーとして参加する予定だが、"禁断の惑星"と名付けられたSF風の曲のバックトラックを制作したのは、なんとDJ KENSEIである。さらに、〈アンチコン〉とも縁の深いカナダのラッパー、BLEUBIRDと録音した数曲は、おそらく日本のヒップホップ・シーンに小さくない衝撃を与えることになるだろう。そして願わくば、ごく少数しか流通しない(させない)「ジレンマの角 EP」の楽曲が、なんらかの形でより多くの人に届くようになればと思う。まあ、ということで、志人の今後の展開を楽しみに待とう。

interview with the telephones - ele-king


the telephones
We Love Telephones!!!

EMIミュージックジャパン

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 海外の新しいムーヴメントから意匠をかっぱらって、それを邦楽のリスナーにアジャストするように意訳、あるいは超訳して音を届けるバンド。いつの時代にもそんなバンドはいて、多くの場合は、洋楽系のリスナーから遠巻きに白い目で見られたりもしてきた。しかし、the telephonesはそんなステレオタイプな洋楽系邦楽バンドの枠組から外れて、新たなムーヴメントをこの国のシーンで巻き起こそうとする強い意志を前面に押し出してきた上昇志向の強いバンドだ。メジャーから2枚目のフルアルバムとなる『We Love Telephones!!!』は、そんなthe telephonesにとって正念場とも言える作品である。
 彼らが過去に参照してきたニュー・レイヴやディスコ・パンクといったムーヴメントは、ここ数年で跡形もなく消え去ってしまった。同時に、the telephonesをめぐる状況は次第に熱を帯びていき、同世代のバンドとのイヴェントである〈KINGS〉や、精力的なツアー、フェス出演などを通して、彼らは新しいタイプのロックリスナーを開拓することに成功してきた。その背景には、かつてはこの国の若いリスナーの間でも機能していた、「洋楽に影響を受けた邦楽と出会う→その元にある洋楽を辿っていく」というリスナーの行動原理が働かなくなってしまったことの、幸福な副産物とでも呼ぶべき追い風があったかもしれない。いずれにせよ、the telephonesが現在の邦楽ロックのフロントラインに立っているのは事実だ。"あざとさ"を捨てた丸腰状態のままバンドの本質と向き合ったニュー・アルバム『We Love Telephones』をたずさえて、彼らはここからどこへ向かっていこうとしているのか? フロントマンの石毛 輝を中心に、本音を交わしてきた。

要はいわゆるニュー・レイヴとかディスコ・パンクっていう流れのなかでやってた僕らが、それが終わったなかで何をやるのかっていうのがすごく大事なことだと思ってたんだけど、そこで開き直ってみたら意外にいい作品ができなって思って。

まず今年の3月にナカコーのプロデュースによる「A.B.C.D.e.p.」をリリースして、4月に初のセルフプロデュースによる「Oh My Telephones!!!e.p.」をリリースして、今回のアルバム『We Love Telephones!!!』に至るわけですけど、この流れのなかで、the telephonesの音楽はどんどん解放されていったように思います。

石毛(VOX/GUITAR/SYNTHESIZER):曲としては全部同時に作ってたんですよね。「A.B.C.D.e.p.」と「Oh My Telephones!!!」用の曲が10何曲かあって、そこからナカコーさんといっしょに選曲していって、これはナカコーさんにやってもらう、これは自分たちでやるっていう感じで分けていって。

じゃあ、ナカコーにある程度たくさんの曲を聴いてもらった上で、どの曲だったらいっしょにやると面白いかっていう判断からピックアップしていったのを最初にかたちにしたのが、「A.B.C.D.e.p.」ってことですか?

石毛:そうです。ずっとナカコーさんのファンだったから、純粋に「どれが好きなのかなぁ?」って訊きたい気持ちもあって。まだその時点ではこのアルバムの曲全部はまだ出揃ってなかったんですけど、たとえば"I'll Be There"(『We Love Telephones!!!』収録)なんかはその時点でもうあった曲で、「この曲やりたいな」ってナカコーさんが言ってて。

「A.B.C.D.e.p.」の時点で、アルバム『We Love Telephones!!!』までの構想はかなり明確にあったんですね。

石毛:そうですね。その時点でアルバムの設計図はあったら、全部が同時進行です。the telephonesのやることは、つねに「確信犯だ」って言われたいんですよね。

そういう意味では、ナカコーから「盗めるものは盗んでやろう」っていう意図もそこにはあったりした?

石毛:あぁ、それはもう、もちろんありましたよ。去年アルバム『DANCE FLOOR MONSTERS』でメジャー・デビューして、あれはある意味、僕らの勢いだけをパッケージした、いちばん濃い部分だけを絞って出したようなアルバムだったんで、その次に出す作品は、本来の自分たち――もともといろんなタイプの音楽をやりたかったバンドだったから――勢いだけじゃないものがやりたいなと思って。やっぱりiLLの作品を聴いたらわかるけど、ナカコーさんの作品って音がすごくいいじゃないですか。シンセもたくさん使ってるし。だから、これまでの自分たちの作品では作れなかった音像が、ナカコーさんだったたちゃんと作れるんじゃないかなと思って。で、もちろんその過程で、いただける技術は盗んじゃおうと思って(笑)。

その意図を隠すこともなく?

石毛:そうそう。もちろん、僕も隠さずに「教えてください!」って言うし、ナカコーさんも隠さない、ものすごくオープンな人だから。音楽に限らず、あまり詳しいことは言えないけど(笑)、いろんな動画とかもすぐに焼いてくれたりとか。the telephonesのレコーディング以外でもiLLの現場に行かせてもらって、機材をどうやって使うのか、音をどう作るのかとかも教えてもらって。しっかり盗みましたね。まぁ、盗みきれてないとは思うんですけど、いままでわかんなかったことがわかったのは大きかった。ものすごい勉強になりましたね。

それは、その次の段階として、「Oh My Telephones!!!」と、『We Love Telephones!!!』収録曲における初のセルフ・プロデュースというチャレンジを見据えてのこと?

石毛:もちろんそれもありますけど、それをそのままナカコーさんからの影響でやったらあまり意味もないと思ってて。あくまでセルフ・プロデュースでやる上での助言というか、アドヴァイザー的な存在として考えてました。あんまりそこに頼っちゃうと、自分たちでやる意味がなくなってしまうから。でもまぁ、ぶっちゃけ、録り終わった後にいっかい聴いてもらって、「大丈夫ですかね?」って相談はさせてもらいましたけど(笑)。

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まぁ、タナソーっていうか、そのへんのメディアの人たちやリスナーも含むすべてに対して。でも、そういうネガティヴな感情もつねに持っていたいというか、それがなきゃダメなんですよね。

あらためて、この『We Love Telephones!!!』をどういう作品にしたいと思ってたのかについて、メンバー全員に訊いていきたいんですけど。

岡本(SYNTHESIZER/COWBELL/CHORUS):まず最初に石毛が曲を持ってきて、それをスタジオで流してっていう作業をこの5年間ずっとやってきた中で、今回はこれまで以上にとにかく曲がいいなっていう印象があって。だから、今まで結構作品ごとにコンセプトがガチガチにあったんですけど、今回は自由に、いい曲はいい曲でどんどん入れていくみたいな感覚でみんなで作っていった感覚ですね。

松本(DRUMS):もちろんそれぞれの曲にはテーマとかもあるんですけど、それを前面に出していくんじゃなくて、まず音楽として楽しくやれたらなって思ったんで。自分たちのスタイルで演奏していったら、それは自然に自分たちだけの音楽になっていくんだなって。それは、作っててそう思ったというより、作品が完成してみて気づかされたことですけど。

前作の『DANCE FLOOR MONSTERS』はリスナーが求めているところに思いっきり直球を投げた作品だと思うんですけど、そういう意味では、今回は思いっきり自分たちのやりたいものをやりきったってこと?

岡本:そうですね。自分たちがもともともっていたいろんな音楽的な要素を、ただ好きなように表現するっていう、なんだか簡易な話になっちゃいますけど、そういうことだと思うんです。やってみたい音楽っていうのは本当にたくさんあって、たしかに『DANCE FLOOR MONSTERS』みたいなアッパーで単純に踊れるロックっていう部分も僕らのなかにあったものだけど、今作みたいにいろんなサウンドやメロディが混在している方が、より自分たちらしい作品って言えるんじゃないかと思います。

長島(BASS/CHORUS):たぶん、『DANCE FLOOR MONSTERS』のツアーをやってたときに、「ここでもっとこういう曲があったら良かったのにね」っていうことを石毛が言っていて、もしかしたら今作はその欠けたピースを埋めていくものっていうか、いままでライヴやってきてもっとこういうのもやりたいっていう思いが、今回の楽曲たちが繋がったんじゃないかなって思います。だから、今回はプレイしてて楽しい曲が多いし、いい意味で力を抜いてできたんですね。作っていく作業の段階から。みんな楽曲がすごく気に入ってたら、逆にすげぇ気合い入れて作らなきゃっていうよりかは、「おぉー! この曲いいね!」っていう感じで、みんなでワイワイやってるうちにできていったような感じです。

これまでとは違ったタイプの曲が生まれてきた、その背景にあったのはどういう思いだったんですか?

石毛:さっき宇野さんが言った通り、『DANCE FLOOR MONSTERS』は求められている場所に思いっきりボールを投げた作品だったので、次も勢いだけで作ったら完全にこのバンドは終わるなぁって思ってたんですよ。じゃあ、もともとこのバンドでやりたかったことって何だったんだ?ってことに立ち返った作品をこのセカンドでやろうと思って。具体的には、the telephonesってインチキディスコって自分たちで言ってきたバンドだけど、ちょっとずつ、もうちょっと濃いダンス・ミュージックの要素も入れていこうかなって。でも、同時にポップであること、勢いのあることっていのもthe telephonesの音楽の重要な部分だから、そこに関してはギリギリのところまで詰めていきましたけど。作品を作っていくなかで、迷いがどんどん消えていった感覚がありましたね。

インディーズ時代のアルバム『JAPAN』は、当時のニュー・レイヴをはじめとする同時代の洋楽とリンクするようなサウンドを無邪気に出していた作品で、『DANCE FLOOR MONSTERS』はメジャーというステージで自分たちがそのタイミングで切れる最も有効なカードを切った作品だったと思うんですけど。

石毛:そうですね。だから、今回は『JAPAN』を作ってた頃の衝動に近いものがあったんですけど、当然、あの頃よりも洗練されてるし、当時は知らないことが多すぎたから。単純に、いま考えるともっと合理的にできるだろってことを悪戦苦闘しながらやったっていう、そういう楽しさが当時はあったんですけど。今回はその頃の無邪気な気持ちのまま、格段にクオリティが上がったものを作れたかなって。それと、あの頃と違って、いまはもう洋楽との同時代性っていうのは、僕はもうぶっちゃけ全然気にしてなくて。というのも、いまは日本でも、自分のまわりにものすごくカッコいいバンドが増えてきて、洋楽に対して変な劣等感を感じなくなってるっていうか。いまの日本の20代でバンドをやってる連中のなかにも、こんなカルチャーがあるんだよっていうのをちゃんと示したほうがカッコイイんじゃないかって思って。迷いが消えたっていうのはそこかもしれないですね。ほんとに胸を張って「日本のバンドです!」って言えるようになった気がする。

なるほど。それといま、同時代性って言えるほどの音楽性だけでくくれるシーンみたいなものって、海外のロックバンドのなかにもないですよね。いいバンドって、もう、個々がそれぞれ勝手にオリジナルなことをやってるっていう状況で。それはイギリスに限らず、ブルックリン周辺のバンドもそうだし。精神性で繋がってる部分はあるのかもしれないけど。

石毛:うんうん。それはほんとにそうだなぁと思って。だから、要はいわゆるニュー・レイヴとかディスコ・パンクっていう流れのなかでやってた僕らが、それが終わったなかで何をやるのかっていうのがすごく大事なことだと思ってたんだけど、そこで開き直ってみたら意外にいい作品ができなって思って。開き直ったっていうのが、いちばん気持ち的にでかいですね。もうパクらなくていいやっていう(笑)。

でも、かつてthe telephonesにニュー・レイヴやディスコ・パンクってレッテルが貼られたことは、the telephonesの音楽に対していちぶのリスナーにいろんな先入観を与えることにもなったけど、逆にそこをうまく利用してきたって部分もありますよね。

石毛:うん。それはもちろん自覚してますし、否定するつもりはないです。みんなで蛍光カラーのパーカーを着たりしてね(笑)。

自分が初めてthe telephonesのライヴを見たのは2年前の2008年でしたけど、そのときに印象的だったのは、他の日本のギター・ロックのバンドのライヴに集まってるオーディエンスとは、全然違うオーディエンスの層をつかんでるんだなってことで。ちゃんと新しい現場を作ってることを実感したんですね。

石毛:いわゆるTシャツとデニムでタオルを首に巻いてるようなロック・キッズ以外の人が、ライヴハウスにたくさんいたっていうことですよね?

そうそう。かわいくてオシャレな子がライヴハウスにいる! っていう(笑)。

石毛:2008年はそういうムーヴメントを小さいながらも作れて、すごく駆け上がっていった実感を持てた年でしたね。普段は全然音楽を聴かないような若い子達に、そういう文化を少しでも伝えられたっていう実感があった。でも、そんなのはすぐ終わるとも思ったんで。次はどうしようってことばかり考えてましたね。

そして、メジャーに行くという選択をしたわけですよね。

石毛:うん。そこでとりあえずファッションとしてのニュー・レイヴは捨てようと思って、みんな思い思いの格好をしはじめたんですよね。僕はヒッピー崩れみたいな格好をして髪が伸ばしっぱなしになって、ノブちゃん(岡本)はゲイみたくなって、(長島)涼平は可愛くなって、(松本)誠治くんはラーメン屋みたいになった(笑)。

一同:あははははは!

石毛:ファッションに縛られるバンドじゃマズイだろっていうのと同時に、メジャーシーンでこのまま何年やれるのかっていう不安と期待があって。せっかくだからそこでシーンをひっかきまわすと同時に、ムーヴメントを作れたらいいなって思って。日本独自のシーンっていうのをすごく意識するようになりましたね。その前後に、KINGSというイベントも軌道に乗るようになって。

興味深いのは、the telephonesを遠目で見ていたような人たちにとっては、「ロックで踊る」っていう〈KINGS〉ってイヴェントのコンセプトって、ニュー・レイヴやディスコ・パンクの延長として見られてた感が強いけど、いっしょに〈KINGS〉をやっているTHE BAWDIESも言ってましたけど、実はそこには90年代末の〈AIR JAM〉がひとつの理想形にあるんですよね。

石毛:うん。時代が時代なら、それこそ〈AIR JAM〉にいたようなキッズたちを、いまの僕たちは巻き込んでるのかもしれないですしね。僕らのライヴでダイヴとかモッシュが多いのも、きっとその時代の名残だと思うし。でも、自分としてはやっぱり、もっとライヴハウスとクラブの現場が――ここでいう現場っていうのはロック系パーティのことだったりするんですけど――混ざって欲しいって思うんですよね。だから、自分も大きなロックフェスとかに出たときに、ステージから「現場に行け!」って言うんですよ。まるで、ワールドカップのデンマーク戦に勝った後の長谷部みたいに(笑)。

「Jリーグにも足を運んでください!」みたいな?(笑)

石毛:まぁ、そこまではカッコよくないかもしれないけど(笑)、言わなくてもいいのにどうしても言ってしまう。それは、もっと音楽を自由に楽しめる現場を作りたいからなんですよね。〈AIR JAM〉の世代の人たちがモッシュとダイブというのを文化として定着させたわけですけど、僕らの世代はそういう立ノリじゃなくてもっと横ノリの、踊るっていう文化をロックのオーディエンスに広げられないかなって。そうしたら、時代と時代が分断して横軸しかないような日本のロックシーンにも、ちゃんと縦軸のようなものができるのかなって思ってて。

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たとえば僕は高校を途中で辞めて死ぬほど退屈だったんですけど、唯一音楽だけはほんとに好きだったからライヴハウスで働き続けて、なんとかここまで生きてきたっていう、本当に音楽に救われたっていう実感を持ってるんですけど。

たとえば、これはele-kingだから敢えて訊きますけど、the telephonesが歌ってるダンスフロアと、ele-kingの読者がイメージするダンスフロアっていうのは、違うものじゃないですか。

石毛:たぶん、真逆ですね。

それによって偏見を持たれるのは不本意なことだったりします?

石毛:うーん......。でも、どっちの現場も健全だし、そんなに違うとは思わないんですよね。ドラッグもないし。だから、どっちもあってよくて、それが混ざるのが一番いいと思うんですけど......なかなか水と油だから、どうなんでしょうね。その架け橋的なバンドになればいいなぁとは常々思ってるんですけど。

今作『We Love Telephones!!!』はいきなり「I Hate DISCOOOOOOO!!!」という怒りを表明した曲で始まるわけですが。この怒りの矛先はいまの音楽シーンに対して? それとも、社会全体に対して?

石毛:全部ですね。たまにすべてのものが嫌いになることあるんですけど、「I Hate DISCOOOOOOO!!!」の"僕を打ちのめしたとこで何の意味がある?""自分じゃできないくせに"というラインは、完全に田中宗一郎に言ってます(笑)。

(笑)。

石毛:まぁ、タナソーっていうか、そのへんのメディアの人たちやリスナーも含むすべてに対して。でも、そういうネガティヴな感情もつねに持っていたいというか、それがなきゃダメなんですよね。すごく充実して幸せを手に入れると不安になっちゃって、これは全部嘘なんじゃないかと思うような人間なんで。

いろんな批判もあるんだろうけど、言ってみればthe telephonesって、最初から隙だらけのバンドだと思うんですよ。

石毛:そうそう。ツッコミどころがいっぱいある。こんなに隙だらけなんだから、打ちのめしたところで何の得もないよって言いたい(笑)。

打ちのめされても、ヘラヘラ笑いながらまた立ち上がってくるような、そういうタフさを持っているバンドだと思うんですけどね。だから標的になりやすいのかな?

石毛:そうですね。そういう部分はタフになったような気がしますね。

もともとthe telephonesはメディア主導ではなく、現場から火のついたバンドだっていう、そこの自負もあるんじゃないですか?

石毛:それもありますけど、現場から生まれた僕らも、結局はメディア主導のフェスにのっかってるっていう現状もありますからね。それは僕らだけじゃなくて、他のバンドもそうですけど。別にそれが悪いって言いたいわけじゃないけど、もっと〈AIR JAM〉がやったみたいに、自分たちだけで磁場を作れるんじゃないかって思いはあるんですよね。せっかくここまで状況を作ってきたんだから、ついてきてくれるオーディエンスもいるんじゃないかって。そろそろ何かを仕掛けていかなくちゃなって。20代のうちになにかデカいことをやりたいなって思ってます。

そういうthe telephonesの持ってるカウンター意識って、あまりファンのあいだにも伝わってないような気もするんですけど。

石毛:表現の根本には、いつもラヴがありますからね。すごく理想主義的な部分が大きいから。僕たちって尖ろうとしても、結局は4人の人間性に部分で、どうしてもラヴとかピースな感じになるんですよ。

今作『We Love Telephones!!!』も、曲によっては"HATE"とか"DIE"とかっていうネガティブなフレーズも耳に残りますけど、基本的にはすごくラヴとピースな作品ですよね。

石毛:そうです。基本的にthe telephonesのテーマは愛と自由だと自分は思ってます。

愛と自由をこの2010年の日本で歌う意味は、どこにあると思います?

石毛:いま、バンドであんまり愛を歌うバンドっていないと思うんですよね。個人的な内面の葛藤とか、そんなのばかりが幅を利かせていて。自分もそんなにすげぇ考え込んだ上で、「愛と自由」だって思ってるわけじゃないから、ちょっと答えづらいんですけど......やっぱり、まだバンド・シーンは終わってないっていう希望の火をつけたかったっていうのがあって。これから音楽をプレイする若い子にも、音楽でもメシは食えるよっていうのを伝えたいのがある。いまってなんとなく、日本の音楽シーン全体が、メインストリームもアンダーグランドも、どんどんコアなものになっている気がするんですよね。

CDを買うという行為そのものが、マニアックな行為になってきてますからね。

石毛:でも、そんな時代でも普通の人がバンドをやってもいいんだよ、選ばれた人しか音楽をやっちゃいけないわけじゃなくて、普通の人間でもバンドはできるんだよっていうのを証明するバンドになりたいんですよ。それが結局は、愛と自由に繋がってるんじゃないかな。だから、いまの世界が退屈で死んじゃうよっていうような人たちに自分たちの音楽を届けたい。この気持ちが正確に届くかどうかわかんないですけど、たとえば僕は高校を途中で辞めて死ぬほど退屈だったんですけど、唯一音楽だけはほんとに好きだったからライヴハウスで働き続けて、なんとかここまで生きてきたっていう、本当に音楽に救われたっていう実感を持ってるんですけど。だからいま、学校も仕事も行かずに時間を持て余してるスーパーニートみたいな人がいたら、別に僕らの音楽じゃなくてもいいんだけど、誰かの音楽を聴いてそれに救われるような体験をしてくれればいいなって。まぁ、それが自分たちの音楽だったらいちばん嬉しいんだけど。

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だからね、ele-kingを読んでるような音楽をすごくよく知ってるような人たちに、「やっぱthe telephonesってクソだね」って言わせちゃうくらいの、そういうバンドになっていきたいですね。それでも、「あの曲はいいよね」みたいな。

いまのtelephonesの現場には、ニートっぽい子はたくさんいる?

石毛:いや、全然いない。リア充ばっかだと思う。2ちゃんねるのスレッドとかも大して書き込みもないし(笑)。だからもうちょっと腐ってる奴らがいてもいいなって思うんですけど、逆に言うと、もう腐ってる奴らが聴きたいとは思わない音楽になっちゃったのかもしれないですね。それはたぶん、これまでの僕らのやり方があざとすぎたのかもしれない。でも、そのへんの連中に嫌われてもいっかいちゃんと上に行く必要があったと思うし、まだまだ上に行きたいところはあるんで。それが一段落したら、もういちどそこらへんにいる人たちに問いかけたいって気持ちは強いですね。

自分で自分のことを「あざとかった」って言うのはそれだけ客観視できてるってことだと思いますけど、あざとさっていうのは、どこかでツケを払う必要があると思うんですよ。そういう意味で、今回の作品はそのツケを払ったような、丸裸の作品になってるのかもしれないですね。

石毛:なってるのかな? 基本的にはツケを払ったつもりではいるんだけど、もっといいツケの払い方もあると思うんですよね。これまで誤解させたきたところをどうやって解いていくか、それは難しいことなんですよね。でも、バンドが上に行くにはそういうこともしなきゃいけない。音楽がカッコよければ売れるっていう時代はやっぱり終わったと思うんで、自分たちがいいと思う音楽をどうやって広げていくか、あらゆる手段を講じるしかないと思うんですよ。で、そういうことに対して自分は積極的な人間だから、何でもやっていこうと思ってます、いまは。それが度を超えると、精神的にはつらくなったりもするんですけど。

それは、別にこれまでのリスナーを裏切ってきたとか、裏で舌を出していたとか、そういうことじゃなくて、自分たちの音楽を限定した形でしか伝えてこなかったことに対するしんどさですよね?

石毛:そうですね......あぁ、そうかもしれない。うん、そうですよ! そうだわ!

一同:あはははははは!!

石毛:そういう意味で、今回の作品でようやく解放されたのかもしれない。いや、完全に腑に落ちたました(笑)。だからね、ele-kingを読んでるような音楽をすごくよく知ってるような人たちに、「やっぱthe telephonesってクソだね」って言わせちゃうくらいの、そういうバンドになっていきたいですね。それでも、「あの曲はいいよね」みたいな。たぶん、全曲好きになるのは難しいだろうけど、「the telephonesクソだけど、この曲だけはいいよね」っていう、それぐらいの耳のあるリスナーといっしょに走っていきたいですね。つねに時代と同期しながら新しいことをやっていきたいし、なるべくならその最先端を走りたい。基本的に人を引っ張ることは嫌いだけど、いまは引っ張ってもいいよって気分、なんでも背負ってもいいよって気分なんで。いろいろ背負うかわりに、先を走らせてくれっていう感じですね(笑)。

interview with Takkyu Ishino - ele-king


石野卓球 / CRUISE
Ki/oon

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 石野卓球は、控えめなスタンスを貫いている。地味な卓球は、以前にも経験している。あれはたしかに『ベルリン・トラックス』の頃だったか。
 『クルーズ』は、しかしあの頃の張りつめた緊張感ともまた違う。控えめだが、音の向こうにリラックスした卓球が見える。そしてその佇まいからは無垢なものを感じる。それは彼と出会ってそれなりに深く話したことがある人なら知っている彼の音楽への純粋な気持ちである。サーヴィス精神を忘れないこの男は、そうした彼の本性を包み隠すようなトリックも楽しんできているが、『クルーズ』にはそれがない。『スロッビング・ディスコ・キャット』のギャグもないし、『タイトル』の深い密室感もない。毒舌も女装もなければ歌もない。素っ裸のテクノ・ダンス・ミュージックが展開されている。
 アルバムの最初に聴こえてくるシンプルだがヌケの良い4/4のキックの音に石野卓球のテクノ魂を感じる。1曲目の"Feb4"は彼がつねづね好んでいるトライバル・ビートとミニマリズムのコンビネーションで、ウォーミングアップとしては申し分のない心地よさを展開する。巻上公一の声とブラスの音をフックにした4曲目の"Hukkle"では、ヘヴィなバスドラとバウンドするベースラインが曲をドライヴさせていく。"Spring Divide"や"SpinOut"は力強いダンストラックで、いてもたってもいられなくなった石野卓球は"Arek"でエレクトロニックな陶酔に浸ろうとする。最後の"Y.H.F."はメロディアスで甘くディープなトラックだが、なんともさりげなく終わっていく。
 石野卓球はポップとダンスフロアの往復者だ。そして本人はそう言われることを嫌がるだろうが、この国でもっとも影響力を発揮してきたテクノ・ミュージシャンである。石野卓球が新作について、そしてカガミとラヴ・パレードについて、ヴァイナルとデジタルについて......話してくれた。

どっちにしろ売れないんだったら楽しんで作ろうって。戦略的なことを考えたところであんま意味がないっていうかさ。あとねー。値段を下げたかったんだよね。だからミニ・アルバムということにしたんだけど、フル・アルバムだと3千円を超しちゃうからね。

完全なソロとしては6年ぶりになるんだね。

石野:そう。ただ、川辺(ヒロシ)とやってたインクもあったから、そんなに空いている気持ちはないんだけど、なんかね......6年も空いたちゃったね。

まさに「石野卓球が帰ってきた」という音だと思ったんだけど、自分のなかで課したテーマはある?

石野:ポップスでもなく、DJツールにもなり過ぎない。そういうのあんまやってなかったからさ。電気ではポップスを追求していたから、DJツールをやるって感じでもないじゃん、メジャーから出しているわけだし。

作りはじめたのっていつ?

石野:6月ぐらい。時間が空いたときにスケッチみたいなのはその前から作っていたんだけど、方向が定まって、ちゃんと作業したのが実質、1ヶ月弱ぐらいかな。

方向性に関しての迷いはなかった? やろうと思えば歌モノだってできちゃうわけだし。

石野:それがけっこうあった。どこに照準を合わせるのかがなかなかわからなくて。作業はしているんだけど、落としどころがわからなくて足踏み状態というかさ。煮詰まることはなかったけどね。ひとりでやってるから、煮詰まったら止めればいいじゃん(笑)。たしかに歌モノというか、ポップスをまたやってみるというオプションもあったんだけど、それをやりたいとは思わなかったんだよね。うん、最初からポップスという考えはなかったな。かといって、完全なDJツールを作るって感じでもないから、自ずとこうなったというか。

しばらく電気グルーヴをやっていたしね。

石野:電気を長くやっていたから、そうじゃないものをすごくやりたいなというのはあったね。どっちにしても売れないからさ。

ハハハハ。

石野:いや、ホントに。冗談じゃなくて。俺に限ったことじゃないよ。

業界全体のことだよね。

石野:そう。それで久しぶりにやるからといって、ゲスト・ヴォーカルを入れて派手にやることも考えてなかったからさ、どっちにしろ売れないんだったら楽しんで作ろうって。戦略的なことを考えたところであんま意味がないっていうかさ。

ハハハハ。でもホントに、ケレンミのない作品だなあと思いましたよ。地味で無垢な作品というか。

石野:あとねー。値段を下げたかったんだよね。だからミニ・アルバムということにしたんだけど、フル・アルバムだと3千円を超しちゃうからね。

そうだね。

石野:いま、アルバム1枚3千円って高いでしょ。あ、野田兄、いまも(アルバム)買うの?

相変わらず、かなりの枚数買ってるよ。

石野:そうか、サンプルもらえないヤツも多いもんね。それでも輸入盤が3千円超えることはないじゃん。

2500円以内で済むよね。

石野:高くても2500円でしょ。安いのになると1600円ぐらいじゃん。いま無料ダウンロードで済ませちゃう人が確実にいっぱいいて、そういう人たちは最初から買う気がないからいいんだけど、買おうと思ってたけど、高いから違法ダウンロードにしちゃうっていう人たちもいるから、そこはちょっともったいないなっていうかさ。

値段で判断されちゃうんだったら、たしかにね。

石野:それを考えると、それぐらいの値段でやるのがいいかなと思って、それで、"ミニ・アルバム"にすると値段がこれぐらい(2300円)に抑えられるっていうさ。

じゃあ、ミニ・アルバムというフォーマットに落ち着いたのは、フル・アルバムの予告という意味じゃなく、単純に価格設定の問題なのね。

石野:あともうひとつは、尺的にもこれぐらいがちょうどいいなっていう。フル・アルバムという考えもまったくなかったわけじゃないのね。でも、それをやったらいろんな要素を入れ込もうとしちゃうと思うんだ。それはやりたくなかったんだよね。BPMをある程度近いものにしちゃうとかさ、フル・アルバムでそれは難しいと思うからさ。あと、ミニ・アルバムといっても尺で40分以上あるんだけど、それぐらいがちょうど集中して聴けるんじゃない?

まあね。

石野:フル・アルバムでも短いのあるじゃん。ラモーンズとかさ。ラモーンズと比べるのもどうかと思うけど(笑)。

まあね(笑)。つまらない質問なんだけど、作っている作業自体はいまでもっていう、今回も純粋に楽しいわけでしょ。自分が楽しめているわけだよね?

石野:もちろん。自分が楽しめてないときできたものって、結局は作品自体も楽しくないからさ。

久しぶりに聴くから余計そう感じるのかもしれないけど、たとえば1曲目の"Feb4"とか、4曲目の巻上公一さんの声をサンプリングした"Hukkle"とか、うまく言えないんだけど、「石野らしいな」っていうか、やりたいことをやっている無垢な喜びみたいなものをすごく感じたんだよね。

石野:それはある。いままでやりたくないことを無理矢理やっていたわけじゃないんだけど、縛りがあって作るものが多かったから。それはそれで嫌いじゃないんだけど。人に提供するものとか、そういうのが続いていたから......で、ソロを作るってなって、「何にも縛りがないですよ」って言われて、「さて、どうしよう?」ってなってさ(笑)。マゾヒスティックな悩みというか、「誰か縛って」って感じでさ(笑)。

ハハハハ。

石野:ま、それもやっていくうちに馴染んでくるっていうかさ。

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昔さ、ホルガー・ヒラーが言ってたじゃん。「下らないことばかりを集めると、スーパー陳腐なものができあがり、言葉の裏にある本当の意味が見えてくる」って。あれと同じで、自分の感覚的な部分を次から次へと構築していくと、自分も意識していなかった自分が投影できるっていうかさ。


石野卓球 / CRUISE
Ki/oon

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よく昔から「インプットがなければアウトプットがない」という言い方をしていたけど、今回のインプットは何?

石野:毎週やっているDJかな。逆にそれ以外はない。それをなるべく出したいと思ったんだ。DJは毎週やっているんだけど、そのフィードバックに関してはこのところやっていた縛りがある仕事ではなかなか出せないことだったから。意図的に出さなかったんだけど。それ(毎週のDJからの影響)だけで作るってことはやってなかったからさ。

毎週DJやっているんだよね。すごいよ。

石野:仕事だからね。

仕事でもあり、楽しみでもあるんじゃない?

石野:でも、"毎日"会社行ってる人のほうが偉いと思う。

ハハハハ。

石野:だって、俺は"毎週"だからね。

でも、仕事として割り切ってやっているというよりも、楽しみもかねてやっているんでしょ?

石野:でも、そのどっちかってもんでもないよ。現場によるね。行ってみて、「あ、今日は仕事を忘れよう」ってときもあるし、「あ、今日は半分仕事かな」っていうのもあるし。100%仕事っていうのはないけどね。そういうのは(オファーを)受けないからさ。ケース・バイ・ケースだよね。基本的には楽しんでやっているけど、遊びだとは思ってないっていうかさ(笑)。100%仕事とも思ってないけどね。だから、まあ、幸せですよ。

いまは活動の場は日本がメインでしょ?

石野:そうだね。海外のブッキング・エージェンシーで、アンディっていたんだけど。

アンディ、覚えているよ。

石野:そうそう、彼が辞めちゃってさ。で、その頃はちょうど電気での活動がはじまった頃だったから、どっちにしても(海外に)行く暇がなかった。あと、リリースがないのに無闇に行ってもなあというのもあった。昔はけっこう経験として選ばずに行くっていうのがあって、それこそ0泊3日みたいなのもあったんだけどさ(笑)。いまは新しいエージェンシーと話をしている最中で、また行くようになるとは思うんだけど。

いずれにせよ、毎週末、どこかしら行ってるんだね。

石野:そうだね。先週は沖縄に行ったあと〈AIR〉やって、あとは逗子もやって、で、今週はフジロックだね。

DJとしては当たり前というか、ホントにそういうライフスタイルなんだね。

石野:1週間区切りだよね。そのほうがいい。週末DJやって、日曜日休んで、月曜日には戻す。昔はずっと(時間帯が)ずれっぱなしだったんだけど、いまは月曜日には無理してでも午前中に起きる。それが心地よい。

健康的だねー。

石野:いままでだと、スタジオに夕方行って、夜中から朝までやって、というのが多かったんだけど、今回は昼にスタジオに行って、夕方には帰ってくる。

規則正しんだね。

石野:そのほうが集中できるっていうかさ。で、家で聴いて、次の日にやることをまとめておくっていうか。そのほうが時間も無駄にならない。夜中にやっているとどうしても......閃くこともあるんだけど、閃きを追求し過ぎて、本末転倒になるっていうかさ(笑)。

ハハハハ。

石野:けっこうあるよ。夜中の2時ぐらいに「おし、閃いた!」って、そうすると夜中の3時に終わるわけにはいかないからさ、5時や6時ぐらいまで作業するじゃん。でも、自分が何を探していたのかもわからなくなるっていうかさ(笑)。そういうのがなっくなったっから、何かすっきりした。

スタジオに入る前には、もうなんとなく青写真はあったの?

石野:うん、BPMはだいたいこれぐらいでとか、歌モノはなしとか、そのぐらいのぼんやりしたものはあったね。過剰に装飾しないとか、あとは削ぎ落としすぎて無愛想にならないとか。方向としてはね、自分が毎週末DJやって、レコードも買っているし、それらから受けている影響がいちばんでかいからさ、黙っていてもそれが出てくるじゃない。それを具現化していくっていうかさ。

現場から吸収したものが出ているっていうのは、現場のエネルギーみたいなもの、あるいはもっと具体的な音楽性に寄ったもの?

石野:言葉にするのが難しいんだけど......たとえば、すげー疲れていて、DJブースに入って「あー、今日は大変だなー」と思っていても、ブースのなかで前のDJのビートを聴いててさ、で、DJ代わったときにはすんなり入れちゃったりするんだよね。慣れというかさ。で、そのときの次にかけるレコードも自ずと決まってくる、それがノっている感じというかさ(笑)。

その感覚みたいなもの?

石野:うん、コンピュータの前に座ると、そうしたフィジカルな部分が削ぎ落とされちゃって、いっかい頭のなかで翻訳しちゃうんだよね。それをなるべくなくすためにスタジオで立ってやるとかさ(笑)。

なるほどね(笑)。

石野:なるべく気分がノっているうちにスタジオに入るとかさ。夕方に入ると、そこからまたエンジンがかかるまでに時間が必要だったりさ。早めに起きて、スタジオに行くと、ちょっと気分がノったまま(作業に)入れるんだよね。

なるほど。

石野:だから、フロアのエネルギーってわけじゃないんだよね。もっと自分の内面的な問題というか。

なんかね、石野卓球らしいリズムのクセがすごく際だっているし。

石野:それがないと困るんだけどさ。

そうなんだけど。

石野:手癖は黙っていても出てくる。黙っていても出てくる手癖を大切にしたというかさ。昔さ、ホルガー・ヒラーが言ってたじゃん。「下らないことばかりを集めると、スーパー陳腐なものができあがり、言葉の裏にある本当の意味が見えてくる」って。あれと同じで、自分の感覚的な部分を次から次へと構築していくと、自分も意識していなかった自分が投影できるっていうかさ。そうすると「俺の手癖ってこうか」みたいなことがわかる。

メリー・ノイズと一直線に繋がるものを感じましたよ(笑)。

石野:モチベーションのところではあんま変わってないっていうかさ。お金になるかならないか、まわりに巻き込んでいる人たちの人数が増えたとか、それぐらいの違いで、モチベーションは変わっていないからね。

声ネタの使い方とかさ。

石野:そこはどうかな(笑)? 自分では何とも言えないけどね。実はさ、最近、(自分が10代の頃に作っていた)カセットをハードディスクにアーカイヴ化したんだよね。いちばん笑ったのが、ニュー・オーダーの"586"のカヴァーのデタラメ英語ぶり(笑)。

ハハハハ。

石野:あれはすごかった(笑)。

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俺、このあいだ中国でやったんだけど、野外フェスだったのね。そのときは時間もそんな長くなかったら、レコードをCDに焼いて持って行ったのね。使うであろうレコードをさ。そうしたら、4枚ぐらいで済んじゃうんだよね。4枚で行くのも気が引けるっていうかさ(笑)。


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話が変わるんだけど、ヴァイナルとダウンロードに関してはどんな意見を持っている?

石野:俺はどっちも使うんだけど、レコードのほうが音が良いっていうか......まあ、ハコによるよね。アナログ盤にチューニングされているハコは、レコード針がモニターから拾ってしまうフィードバックが聞こえないということを前提で作られているから、ヴァイナルをかけると音がすごくいいんだよね。その逆で、CDを前提で作られているハコでヴァイナルをまわすと、音がまわり過ぎちゃって、低音とかモコモコになっちゃうし、だからケース・バイ・ケースだな。「絶対にレコードでないと」っていうタイプでもないし、レコード買ってもCDに焼いて、どっちもいけるようにはしている。でも、どっちかとえばレコード派だけどね。使いやすいしさ。

いろんなダンス・ミュージックがあるなかで、いまでもテクノの人がいちばんヴァイナルを使うって言われるじゃない。

石野:そうだね。

ドラムンベースやダブステップでさえもいまデータが増えちゃってさ、ヒップホップはもうほとんどデータじゃない。テクノだけがいまだDJがヴァイナル使っているから、お店でもレコードが売れるっていうんだけど。

石野:ドイツが強いっていうのがあるんじゃないかな。あと、ヒップホップ以上に、その辺の兄ちゃんがレコード出せるっていう、その機動力っていうか。ドイツはいまでもレコード使うDJ多いからさ。イギリスももう、レコード使ってないでしょ。

CDが多いよね。

石野:レコードいいんだけど、かさばるよね。

CDになったのも、移動するときに面倒くさいというのもあるからね。運ぶのが楽だからね。とくに飛行機乗る人にとってはさ。

石野:最近のCDJはだって、USBでいけるじゃん。すごいことだよ。(メディアの選び方も)場所によるけどね。俺、このあいだ中国でやったんだけど、野外フェスだったのね。そのときは時間もそんな長くなかったら、レコードをCDに焼いて持って行ったのね。使うであろうレコードをさ。そうしたら、4枚ぐらいで済んじゃうんだよね。4枚で行くのも気が引けるっていうかさ(笑)。

4枚、ハハハハ!

石野:考えが古いのかもしれないけどさ、それでもう何十枚かいちおう持っていったんだけどさ(笑)。

中国はともかく、東南アジアは気候的にもレコードが合わないっていう話は聞いたことがあるけどね。

石野:ダウンロードのおかげで、地方のDJと東京のDJとの情報の格差がなくなったよね。それはいいことだと思う。昔だったら、通販でしか買えないとか、コアなものは東京ですぐに売れちゃうからとかさ、そういう情報格差がなくなって、フェアになったと思う。

自分で買うときはレコード?

石野:うん、なんでかっていうと、レコードのほうがまだ周波数帯域が無限の可能性があるように思えるからなんだよね。もっと性能のいいディスコミキサーと針との組み合わせで、さらにもっと良くなるんじゃないかって。デジタルの音もよくなっているけどね、それでも上下は切られているから。まあ、こんなこと気にするのも俺の貧乏根性だと思うけどね(笑)。デジタルでもいま96kHzってあるじゃない。たしかに96kHzにもなりうるけど、441で買ったら441は441じゃん。mp3はmp3だし。レコードで持っていれば、これから来るであろうもっと高いサンプリング・レートの対応もできるっていう安心感もあるよね。

なるほど。

石野:だからiTunesをほとんど買わないのは、あれはmp3じゃない。昔のミュージックカセット買っている感じ。

俺は意外と買うんだよ。

石野:個人で聴くにはいいんだよ。でもあれで(DJやって)お金は取れないっていうか。あれは個人で聴くものでみんなで聴くものじゃない。レコードはひとりで所有するもっていうよりもみんなで聴くものっていう俺の概念があってさ(笑)。CDはどちらかといえば自分で聴くもの。まあ、最近はCDのあり方もレコードに近づいてきているけどね。

CDの寿命が20年だっていう説があるじゃない。ケースにもよるんだけど、CDをケースから取り出すときにどうしても盤が曲がっちゃう。それで、いつの間にかCD盤のなかで亀裂が生まれて、そこから酸化しちゃうっていうね。

石野:あとね、なかのインクだって説があるよ。いまのCDは違うけど、昔のCDは銀紙を貼っただけのものもあって、その銀紙に文字が書いてあって、その文字から酸化してっちゃうっていうね。

それで読み込めなくなっちゃうんだよね。CDって、80年代に出ているじゃない。ゼロ年代になって、聴けなくなったCDが出てきたってね。

石野:当時は100年保つって言われてたのにね(笑)。

いや、俺は永遠に保つって聞いてたよ(笑)。

石野:ハハハハ。永遠に保つってことほど信用できないことはないからね。

俗説かもしれないけど、CDは20年、レコードは200年とかってね。結局、レコードのほうが保つんだよね。

石野:ホントにそう思う。実際にいくつかのソフトで、レコードは持っているけどCDで買い直して、で、さらにリマスターのCDが出て買って、結局、何枚かCDでも持っててさ、「そういえばレコードも持っていたな」と思ってレコードを聴いてみたら、すごくホッとしたことがあったんだよね、パレ・シャンブルグなんだけどさ。ガキの頃に聴いていた帯域をレコードでぜんぶ覚えていたんだよね。いくらリマスターされても、最初に聴いたのとはやっぱ違うよ。

パレ・シャンブルグ(笑)。

石野:CDっていうのは自分で焼けちゃうからね。でも、CDRは便利なメディアだと思う。

ちょっと大きな話なんだけど、そういうメディアの変化とも関係しているかもしれないんだけど、音楽が売れなくなっていることに関してはどう思う?

石野:当然だと思うけど。だってさ、簡単に無料で手にはいるようになったしさ。

違法ダウンロードが原因だと思う?

石野:それだけじゃないよね。値段が高いとかさ。あとは情報がすごく入ってくるようになったから、1曲1曲の音楽の重みが昔よりも軽くなったというかさ。所有することもエネルギーが必要だったじゃん。レコードを大事にするとかさ。データを大事に扱うってあんまないからさ。

俺は絶対に違法ダウンロードしないんだよ。やっぱ音楽がタダになったらマズイと思ってさ。

石野:エコだねー(笑)。ちゃんとゴミ分別するでしょ。そこはでも、なるようにしかならないと思うからさ。

俺らが子供の頃はFMでエアチェックして、録音していたじゃん。

石野:でも、俺らはマニアだから、いずれそのレコードを買いたいと思っていたじゃん。いまはそういうハード・リスナーが減ったんだと思うよ。違法ダウンロードで満足しちゃうヤツが増えたんじゃないかな。

悲しいよな。

石野:でも、しょうがないよ。だって、何万曲とかが持ち歩けたりするんだしさ。昔はだって、ウォークマンなんてさ、20曲とかでしょ。それを何度も繰り返し聴いているんだから。もっと聴きたければさらにカセットテープを持ち歩くっていうかさ。それってもう立派なマニアじゃん(笑)。だってさ、ウォークマンが出る前なんかさ、新しいレコード買ったら早く学校から帰りたくて仕方なかったじゃん。いま普通に授業中でも聴けるからね(笑)。

インターネット文化についてはどう思う?

石野:俺はそんなにどっぷり浸かってない。

YouTubeであるとか。

石野:YouTubeは使ってる。ありがたい話だよ、俺の人生時代の映像とかアーカイヴ化されているしさ(笑)。俺すら知らない映像まであるしさ。でも、コミュニケーション・ツールとしてはそんなに使ってない。ブログやってるわけでもないし、twitterも頻繁にやらないし、あんまり言葉で発信したいことがないっていうか。駄洒落は言ったことあるけどね(笑)。

それはね(笑)。しかしこの10年で音楽をめぐる環境がホントに変化したよね。

石野:ホントだよね。さらに変わっていくんだろうね。それこそさ、うちらの孫の世代なんか、「えー、音楽作ってお金になったの?」っていう時代になると思うよ。

いや、それはなっちゃいけないよ。

石野:いや、なるよ。

なんで?

石野:だって、いままでタダだったものを課金するのって無理だし、よほど大きな力が働いたとしても地下に潜ってやるだろうから、結局はいたちごっこというか。だから......、入場料を取るとか、投げ銭みたいなところに強いミュージシャンはやっていけるとは思うけど。あるいは、昔のドーナッツ盤の頃に戻るとか、あとはものすごく値段が下がるとか、そういうことじゃないかな。

難しいね。

石野:難しいと思うよ。俺はパッケージも含めて好きだから。自分がミュージシャンをやる前から好きだから、そういうのがなくなっちゃうのが淋しいと思う。

いまでも新譜、中古問わずに買っている?

石野:ぜんぜん買っているね。レコードもCDもすごい買ってる。

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あとね、あんま密室的なものにしたくなかったっていうのもあるかもね。やっぱね、密室的なものをもって夏にプロモーションするのはきつい。密室的なことを何度も言わなきゃならないじゃん。それが精神衛生上、良くないんだよね(笑)。


石野卓球 / CRUISE
Ki/oon

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ところで、カガミくんが亡くなったよね。石野はすごく近しい仲だったからさ。

石野:もちろん。

やっぱ、そこで思うところはあったと思うんだけど。

石野:もちろんショックだし、あいつのキャラのなかから"死"っていうイメージが出てこないっていうか、そういうものからもっとも遠い存在だったでしょ。

ホントにそうだよね。

石野:ただね、「こいつ歳を取らないな」とは思っていたんだよね。こんなこと言って誤解されたくないけど、死んでホントにそれが永遠になっちゃったよね。

どちらかといえば天才肌というか、自分を持っている人だったからね。

石野:そうだね。

ちょうど今回の作品を作っている途中じゃない、彼が亡くなったのは。

石野:まったくそうだったね。ちょうどアイツから、アイツが死ぬ何日か前にメールでmp3が送られてきてさ、よく送ってくれていたんだよ。何も書かずにただ音源だけ送ってくるっていうさ。で、聴いたらちょっといままでとは違うネクスト・ステップな感じの曲もあったからさ、アルバムを作るとも言っていたし、「ああ、がんばっているんだな」と思っていたところだったからさ。

今回の『クルーズ』に影響してはいない?

石野:気持ちのうえでは絶対にあるけど、具体的にはない。でも、あれだけ近しい人間で、あれだけ長いあいだいっしょに過ごしてきたから、何にもないって言ったら嘘だよね。もしかしたら、俺の気持ちは自分の意識していないところで出ているのかもしれないけどさ。

そうか......。

石野:ラヴ・パレードのこないだの事故といっしょだよ。それと近いっていうかさ。もちろんカガミの死とはぜんぜん別物なんだけど。

ラヴ・パレードの事故も悲しい出来事だったけど、あれはどうなの? ラヴ・パレードが悪いわけでもないんでしょ?

石野:もちろん。でも、俺が最後に行ったのは2006年のエッセンでやったやつかな。そのときに「うわ、もうずいぶん違うものになっているな」というのは感じていた。ベルリンのラヴ・パレードが2000年代のなかばぐらいになくなったじゃん。ベルリンのラヴ・パレードは最後まで行ってたんだけど、それでも最後の頃はもう別のものになっていたし、ベルリンを離れた時点で、ラヴ・パレードの役割はもう終わっていたと思うんだよね。実際に権利も売っているし、別の人がやっているし、違うのは当然なんだけど。

もうピースな感じは残っていない?

石野:うちらが知っているラヴ・パレードではないよ。ドクター・モテなんかまったく関係ないし、よさこい祭りみたいな感じ。

エスカレートし過ぎていた?

石野:ていうか、たんなるテクノ祭り。テクノ祭りでもないか、たんなるでかいダンス・イヴェント。うちらが知っているラヴ・パレードは、なんでこれがはじまったのかを多少なりとも意識して参加していたじゃん。だけどそれがもうまったくなくなっていたっていうさ。もはや意識する人がまったくいないっていうか。そう思ったけど。

それでもまさかって感じだったでしょ。

石野:いや、もう、びっくりしたよ。今年の二大びっくりだよ。20人の死者の数って......だって、20人ってもう災害レヴェルっていうかさ、テクノ・パーティっていううちらが慣れ親しんだものから20人死ぬっていうのが、さっきのカガミの話じゃないけど、結びつかないっていうかさ。だからこそ、ショックっていうかさ。あとさ、ドイツの音楽シーン、テクノ・シーンやダンス・シーンに落とす影は尾を引くんじゃないかなっていう。

マスコミからのネガティイヴなキャンペーン?

石野:それもあるだろうし、関わっている人たちの気持ちに落とす影だよね。「いままで通りに、それはそれで楽しみましょう」っていう風にはならないからさ。けっこうボディブローでじわじわくると思うから。

ニュースを観て、「まだこんなに人が集まるんだ」とも思ったけどね。

石野:だから、最初のモットーを理解してないからそれだけ集まるんだよ。もちろんはじまって20年も経ってさ、20年も経てば世代交代もしているし、いま20歳の子にしたら生まれたときからあるものだからさ、理解しろっていうほうが無理だしさ、コントロールしているのはモテとかそういう初期の人ではなくて、金で買い取って請け負っている人たちだからさ。あとは町にどれだけ金を落とすかっていうかさ。

しかし、ホントに大きな事件が続いたものだね。

石野:そうだね、うちのなかではね。いますぐには変わらないけど、なんか象徴的なことかなとも思うよ。

どういう象徴なの?

石野:楽天的な考えが難しくなってしまうというかさ。それで楽天的な考えが否定されるのが嫌だけどね。

俺はちょうど静岡に帰っているときにニュースで知った。

石野:俺はアンディからメールで知ったんだけど、警察はそこで止めてしまってはパニックになるから、続けさせたらしいんだけど、ただ、いまは客も何が起きたのか携帯とかでわかっちゃうからさ、結局、11時で終わって、ウェストバムはやらなかったっていう話だけどね。だってさ......オルタモントよりも人が死んでいるんだよ。

やるせないよな。それではまた話を変えましょう。結局、フル・アルバムは控えているの?

石野:うん。夏はフェスもあるし、〈WIRE〉もあるし、賑やかなことがいっぱいあるからそれが終わってから、本腰を入れて作ろうと思っているんだけど。そのあいだに気持ちも変わるだろうから、どんなものになるのかぜんぜんわからない。まあ、次もミニ・アルバムでいいかな(笑)。その形態、俺はけっこう好きだよ。

ハハハハ。

石野:果たして、フル・アルバムって需要があるのかなって思うし。

あるでしょ。

石野:アマゾン知ってるよね?

もちろん。

石野:DVD付けたほうがCDだけよりも安くなるの知ってる? たとえば石野卓球ソロ・アルバム、初回限定DVD付きのほうが通常盤より安くなってしまうんだよ。

ああ、再販制度によって。

石野:それっておかしいでしょ。だから、電気のときはDVD付きにして値段を下げていたんだけど。でもさ、それやってると、フル・アルバム出す度に映像を付けなきゃならないって、映像がマストになっているって、変な状況でしょ。それは違法ダウンロードとはまた別のところでの歪みだよね。

こないだレインコーツにインタヴューしたんだけど、俺らの頃って、レインコーツなんか日本盤出てなかったじゃん。で、しかも円が安かったから、UK盤なんて2800円ぐらいしたじゃん。

石野:もっとしたじゃん。静岡なんか3800円だったよ。

いや、それはドイツ盤でしょ。リエゾン・ダンジュールズがそれぐらいだったと思うんだよね。UK盤は2800円だったと思うんだよ。それで、日本盤が2500円でしょ。当時は外盤って、汚いモノってイメージがあったじゃない。

石野:俺はそれはないよ。UK盤を買って、嬉しくて、中身のにおいをクンクン嗅いでいたけどな。「いいニオイだなー!」って(笑)。

えー、ホント?

石野:俺は日本盤は、ジャケットの紙が厚くて、あか抜けてないなーと思ってたくらいだから。

マジ?

石野:ぺらぺらな感じがいいじゃない。

とにかく当時は、高校生にとって2800円ってものすごく高かったからさ。

石野:当時とは物価が違うけど、たしかにいま2800円って言っても高いよね。

それでミニ・アルバムなんだよね。素晴らしい発想だね。今年は〈WIRE〉も10周年で。

石野:いや、違うよ、えーと、12周年だよ。

そうか、12年かー、それすごいよな。

石野:ねぇ。ひと周りだもんね。こんな続くと思ってなかったもん。

〈メタモルフォーゼ〉もそうだけど、続くものは続いているのがすごいよ。

石野:不況だから、大変なところもあるけど、でも、こればかりはさ、行かないとわからないという"体験"だからね。ただ、こっちも続けるためにやってきたわけじゃないからさ。それが続いたのは副産物として嬉しいね。

やっぱ感慨深い?

石野:......あんまないね。来年あるかどうもわからないしさ、そういうつもりでずっとやっているから。

ハハハハ。

石野:あんま覚えていないんだよね(笑)。4年前も5年前もぜんぶいっしょくたになっていて。自分の頭のなかでしっかりアーカイヴ化できていないし、だから続いたのかもしれない。テキトーさっていうかさ。

タフな人間だからな、石野とか瀧みたいな人は。

石野:鈍い人間だって(笑)。それは野田兄もわかると思うけど、静岡の風土が生み出した鈍さっっていうか、俺も野田兄もそうだよ(笑)。

こないだノブ君に話を訊いたときに、今年の正月に静岡にDJやりに行ったんだって。で、カツヨシと会って、すごい褒め言葉として「俺、全国でいろんな人間見てますけど、カツさんほどずぼらな人間には会ったことないです。カツさん見てるとホントに勇気づけられます」って言ったんだって。そうしたら「え、それどういうこと?」って怒られたって(笑)。

石野:うちらは静岡を出ているから「ずぼら」って気がついてるけど、意外と静岡の人は自分が「ずぼら」ってわかってないんだよね。何故かって言うと、全員ずぼらだから(笑)。

ハハハハ!

石野:あれすごいよね。政令指定都市で全員ずぼらってさ(笑)。別にがんばる必要もないっていうか、がんばりたきゃ名古屋か東京に行けって感じじゃん(笑)。

ハハハハ。そういえば『クルーズ』のジャケットは自分で撮った写真を使っているんだよね?

石野:熱海から初島に行く船があって、その船でかっぱえびせんを捲くと鳥がすごい寄ってくるのね。ヒッチコックの『鳥』みたいに。たまたまそのときに撮った写真で、作品の中身に関係のないものをジャケットにしたいっていうのがあって、で、とくに今回は全体的にパーソナルなものにしたいっていうのがあったから、「あ、ちょうど良いのがある」って。初島まで30分ぐらいじゃん。だからこれは後づけだけど、30分ぐらいで"クルーズ"でミニ・アルバムっていう。これはプロモーション・トークだね(笑)。

いままで、『ベルリン・トラックス』も『スロッビング・ディスコ・キャット』も『カラオケジャック』も、みんな凝ってたじゃない。ある種のギミックというかさ。

石野:それを毎回やったら「次は何?」ってなるじゃん。電気のアー写っていうかさ。それはそれでいいんだけどさ、今回はそういう感じじゃなかった。ギミック的な脅かし的なところもなかったし、派手にしたくないっていうわけじゃないんだけど、なるべくパーソナルなものにしたほうが伝わりやすいかなっていうか。

やけに清々しい感じじゃないですか。

石野:色は毒々しいよ。

あー、たしかに色によって見え方が違う写真だね。

石野:あとね、あんま密室的なものにしたくなかったっていうのもあるかもね。やっぱね、密室的なものをもって夏にプロモーションするのはきつい。密室的なことを何度も言わなきゃならないじゃん。それが精神衛生上、良くないんだよね(笑)。

当たり前の話だけど、同じエレクトロニック・ダンス・ミュージックでも、『ベルリン・トラックス』や『スロッビング・ディスコ・キャット』の頃とはどこか趣が違うよね。

石野:あの頃は外からの刺激がすごかったし、それをカタチにするっていうのもあったけど、それもういまのやり方じゃないかなっていう。

『スロッビング・ディスコ・キャット』の頃に比べると毒がなくなったのかなという気がしたんだけど。

石野:毒というか、屈折した感覚が減ったのかもしれない。

ああ、そういうことだね。

石野:屈折したものを表現するとダメージがすごくでかいというか、屈折はなくならないんだけど、それは自然に出てくるものというか、隠そうと思って隠せないというか。ニュートラルにやっていくいと、自分の屈折していない部分が出てくるんだけど、屈折していない部分も出てくるから。そこはもう、作為的にはやらないほうがいいかなっていうね。

なるほど、ホントにそんな作品だったね。それでは〈WIRE〉、楽しみにしています。今日はどうもありがとう。

[Dubstep/Drum & Bass ] by Tetsuji Tanaka - ele-king

1. Benga / Stop Watching/Little Bits | Digital Soundboy -main stream / post dubstep-


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 UKアンダーグラウンドでは、確実にダブステップが現在の舵取りを握っているわけだが、シャイFX主宰の〈デジタル・サウンドボーイ〉もその方向性をシフトしつつある......そのリリースをダブステップやファンキー中心に切り替えたのもそれを裏付けていると言えよう。源に、このままドラムンベースのみのリリースに限界を感じてきたのであろうことは、悲しいかな......世界中でそのシーンに対して起こっているわけだ。
 
 このレーベルのドラムンベースと言えば 、2008年の代表的な作品のひとつとして語られてるMCシステムの「ニアミス」がしばしあげられ、ディープ・コアなトレンドを作った作品でもあった。2007年〈クリエイティブ・ソース〉から発表された変則ディープ・アンセム、リンクスの"ディスコ・ドードー"によって現在のディープ・フロウなムーヴメントが本格化し、次世代のディープ・スター、コミックスやDJフリクション率いるショーグン・オーディオ・クルーなど、シーンを賑わせていき、現在を象徴する母体となったのである。ダブステップに押されているとはいえ、マーキー&スパイの"リフラフ"やホセ・ジェイムス"ウォリアー"のリミックスによっていちやく注目されたプロデューサー、ロックウェルの「ストーワウェイEP」など、トレンドを意識した無機質なピュア・ビートをレーベルに落としこんでいる。

 ここ最近の〈デジタル・サウンドボーイ〉のダブステップサイドのリリースはスクリーム、ブレイケージのダブステップ・リーダーやブリストルのTCと並ぶジャンプアップ・マスター、DJクリップズのUKファンキー・プロジェクト、レッドライト、などがある。
 そして、今回のベンガに続くのだが......その前に、7/30FUJI ROCK、7/31DBSにてスクリーム&ベンガが待望の再来日する。昨年、満員御礼となった2月の熱狂的なステージから早1年半、UKエレクトロニック・ミュージック界の代表的な存在にまで上り詰めた彼らの人気は世界中でさらに加速......もはや2010年代のダンス・ミュージックを牽引していくであろう彼らの多才なサウンドは、いまだ不確定かつ未知の変化に富んでいる。若さゆえの貪欲な吸収性がそうさせるのであろうが......日々、変化を好むUKエレクトロニック・ミュージック・シーンにおいて、ダブステップ・オリジネーターたちが、ダンスフロア・アンセムなウォブリー・サウンドに嫌気がさし、ポスト・ダブステップを生み出した。またそこからすぐに枝分かれしていくのは、他のジャンルが同じような道を通ったように容易に想像できる。重要なのは、そこではなく、つまりどうような音楽性にダブステップが今後変わるのかであろう。さらにシンプルでミニマルなサウンドを追求していくのか、やはり若い世代によってダンスフロアの再燃が起こるのか、筆者は、ポスト・ダブステップ以降、おそらく初期のヘヴィーで硬質サウンドな状態に戻っていき、よりテクノ・インフルーエンスな作品が増えていくと思うのだが......1年後が楽しみだ。
 
 ベンガもまた現在のポスト・ダブステップの風潮に足を踏み入れつつあるのは、最近のリリースによって感じられる。スクリームの近日発売のニュー・アルバム『アウトサイド・ザ・ボックス』も然り。しかし、彼らはそのちょうど中間地点にいるサウンドで意欲的なチャレンジを続けていると言える。このシンプルで不確かなサウンドこそ彼らのテクニックであり、爆発的人気の秘密なのかもしれない。それをたしかめに数ヶ月後のリリースが控えているダブプレートの嵐を生のステージで体感すべきだ。

2. Instra:mental / End Credits | Nonplus Records-electronic / drumstep / post dubstep-

 どうしても毎回、原稿の随所で登場させてしまうポスト・ダブステップというサブジャンル。野田さんも本サイトの原稿で取り上げていたが、さまざまな音楽媒体で今もっとも注目され"旬"なムーヴメントであるのだが、現在のエレクトロニック・ミュージックの最先端は、やはりここにあるとまたしても感じる。以前、サウンド・パトロールでも紹介した〈ノンプラス〉、そして、インストラ:メンタルの今作、シリアルナンバー入り500枚限定10インチ「エンド・クレディッツ」 だ。チルアウト・ドラムンベース~バレアリック・サウンド~ディープ・ミニマル~ポスト・ダブステップを縦横無尽に駆け抜けるインストラ:メンタルだが、今日のダブステップ(アトモスフェリック・プロダクション側)発展を大きく彩る象徴的な必然変化、いわば"ドラムステップ"が、ここに存在すると言っていい。
 明らかにダブステップのオリジネーターたちとは交わらないサウンド・シンフォニーは、やはり出発点がドラムンベースだからであろう。ドラムンベースからの視点を持ってしても、時折不可解な印象(新感覚なテクノ・ステップいやエレクトロニカ・ステップ)を持ってしまう作品......そこが聴くものをより引き込みのめり込ませるのだ。日々シーンがネクスト・レヴェルへ向かうなか、新たなダウンテンポ・ミュージックに辿り着いた作品かもしれない。 デジタルが先行しつつあるシーンの現状にあって、この作品はアナログで聴くことを推奨したい。デジタルでは、感じ得れないそれが持っている調和のとれた"質感"が大いに発揮されているからだ。 

 その「エンド・クレディッツ」は、盟友Dブリッジとの共作によるミックスで新たな共同レーベル名〈オートノミック〉を冠にしたファブリックライヴ50に先行で収録されていた。このミックスは、全体的にメロウなラウンジ・テイストで見事なまでにドラムンベースとダブステップが、中間地点で融合したまったく新しいものになっている。その冠名にもなった〈オートノミック〉は、ポッドキャスト・シリーズとして好評を博し、次世代のロジカル・ステップとしてファブリック・ミックスへと繋がったのだ。そして5月にアナログ第一弾としてもスタートし、Dブリッジ、インストラメンタル&スクリームの何とも豪華布陣による「アカシア・アベニュー/デトロイド」を発表したのであった。
 先程、アナログで聴いてほしいといったが......この素晴らしい音は、アナログカット10インチの500枚限定品であるため、お早めに。この連載がアップされている頃には、すでに手に入らなくなってしまっているかもしれないが。
 それにしてもアナログは素晴らしいとあらためて感じた。さらに、〈ノンプラス〉の次のリリースはASC(エーエスシー)のアルバムへと続く......。

3. Komonazmuk / Dance Too (LEE JONES RMX) | Apple Pips

-tech dubstep / deep tech house-


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 インストラ・メンタルがドラムンベースとダブステップの境界を跨いでいるとすれば、このアップルブリム率いる〈アップル・パイプス〉は、テクノ/ミニマルとダブステップ/UKガラージを跨いでいる代表的なレーベルのひとつだと言える。 
 レーベルの1番は、マーティンからはじまり、アップルブリム&ペヴァーレリスト、T++、ラマダンマン、ブラックルス、インストラメンタル、アル・トーレッツ等々......いまから思うとポスト・ダブステップも予見していたラインナップで、レーベルの方向性がいまのトレンドを生み出したレーベルである。アップルブリムの音楽性は、得体の知れないブラック・マジック(黒魔術)のようなオカルト・ダブステップ〈スカル・ディスコ〉を通り、テクノ・ダブとポスト・ダブステップ/ガラージを融合した形が〈アップル・パイプス〉なのだ。近年のレーベル・リリースは、よりシンプルでミニマル・ライクな作品が圧倒的多数を締め、さらにトライバルでテック・ガラージな音楽性を推し進めるなど独自のポスト・ダブステップなサウンド形態を追求している。

 さて、コモナズムックだがアップルブリム同様ブリストルのアーティストで、2007年、ダブステップでデビューしている。が、彼のキャリアは、もっと古い。〈ムーヴィング・シャドウ〉、〈テック・イッチ〉、〈ハード・リーダース〉周辺のドラムンベース・レーベルでハード・エッジなドラムンベースをリリースしていた4人組、アイス・マイナスのひとり、ケイラン・ロマックスなのである。アイス・マイナス名義では、1998年~2004年まで活動後、コモナズムック名義にシフトし、ダブステップ・アーティストとして彼は成功を果たしたというわけだ。ドラムンベースで培われたダークでインダストリアル・ハード・エッジなテッキーサウンドを操り、トップ・プロデューサーとしてのし上がっていったのである。

 筆者のお気に入りは、ジェイクス主宰の〈ヘンチ〉より2008年発表された"バッド・アップル"だ。エレクトリックなシンセ群がオートメーション機能により右往左往するテクノ・トラックで、幅広く支持された彼の代表曲である。今作"ダンス・トゥー"でもテクノ・ダブとしても機能する重低音トラックにスライトリー・ダブなシンセがリヴァーブする漆黒のグルーヴでダブステップが本来持っているヘヴィな芯が感じられ、バッド・トリップを引き起こす。フリップ・サイドは、アップルブリムと〈AUSミュージック〉主するウィル・ソールとのコラボレーションでお馴染みのリー・ジョーンズがサポート。秀逸な4つ打ちのディープでダビーなテック・ハウスで、テクノ・シーンでもスピンしてほしい作品だ。

4. LV & Quarta 330 / Dong / Hylo / Suzuran(LV & Quarta 330 Remix)
| Hyperdub -electro dubstep-


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 ちょっと掲載が遅くなったが......6月のダブステップ会議パート2にて素晴らしいライヴを披露してくれた〈ハイパー・ダブ〉から、デトロイト新世代のカイルホールのリリースに続き、日本を発信源としたダブステップ・アーティスト、クオーター・330の作品を紹介しよう。

 リキッドでエレクトロなゲーム音シンセが代名詞な彼の作品だが、コード9がその才能を認めた唯一の日本人アーティストとして、数々の音源を〈ハイパー・ダブ〉からリリースしている。それをダイレクトにライヴ演奏で伝えているその手法も各方面から高い評価を得ている、まさに新世代を代表する日本人アーティストと言えるだろう。今回はLVとのコラボレーションだが、LVといえば、ラガでダビーなエレクトロ・ダブステップを傾倒したり、UKルーツ・シーンのヴォーカルをフィーチャーしたりと素材のオーガニック感を重視するアーティストとして知られる。両曲とも、両者の良さがちょうど真んなかあたりで細かく重なり合うダブステップらしさが生きたメランコリックなハイパーダブの模範的エレクトロ変則ビートと言ったところで、YMOやアフリカ・バンバータ辺りにインフルーエンスを受けているクオーター・330の音楽性が何だか妙に頷ける作風である。ポスト・ダブステップと言う流行など微塵も感じさせない彼らのオリジナル性が、コード9を虜にさせるのであろう。ブリアルがそうであったように。

 話が最初に戻るが、そのダブステップ会議パート2で、野田さんとディスクショップ・ゼロの飯島さんが、メイン・パーソナリティーで最新リリースの紹介や若手DJ/プロデューサーとの熱を帯びたトークを繰り広げられたようで好評を博した。これは私見だが、いまのシーンをダイレクトに伝えるならもうちょっと回数を頻繁にやってほしいと思う。画期的で素晴らしい企画であり、いまもっともホットなジャンルをみすみす放っておく手てはないだろう。ele-kingのようなアンダーグラウンド・シーンの"核"を突いているサイトと連動しているならさおさらだ。ローファーがインタヴューで話していたこと「最初のイヴェントなんか、20人ぐらいしかいなかったよ。そこにいまのダブステップ・オリジネーターたちがみんな居たけど」を日本でも再現できる最適なヴェニュー〈DOMMUNE〉もあるのだし......。

5. Ramadanman / Fall Short/Work Them | Swamp 81 -post dubstep-


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 野田さんとダブステップ界隈の話をすると必ずと言っていいくらいラマダンマンの話題になる。相当好きらしい......と言うか筆者もだが。〈ヘッスル・オーディオ〉主宰でポスト・ダブステップをリードしてきた重要人物だからなおさら注目しているのである。
 とにかく彼はいま、各方面からアプローチされまくっている。ダブステップ・シーンは言わずもがな、テクノ、ハウス、クラブジャズ、そしてドラムンベースの各主要なエレクトロニック・ダンスミュージック・シーンなどからだ。いろんなところで注目されるだけあって彼のプログラミング・スキルは、いたってシンプルながら多様性に耐えうる自身のフォーマットを有している。どのシーンに行ってスピンしても、"ハマる"曲を量産し、認められ続ける彼はある意味凄い。しかも20代前半のプロデューサーだからおそれ入る。なかには、味気ないと感じるものもあるが、そういう曲はテクノ・シーンでウケるし、ガラージ・テイストな変則2ステップみたいな曲はハウス・シーンでウケる。アシッド・ハウスなテイストもあるし、ブロークンビーツ、時折レイヴ・ジャングルなアーメンも組み込む。UKアンダーグラウンドの音楽性を掻き集め、集約したハイブリッドな才能を彼は持っている。
 
 このA面の"フォール・ショート"も確実にテクノ・シーンでも活躍できるDJユースなダブ・ファンクだ。逆サイドは、〈スワンプ81〉のオーナー、ローファーがDBS来日時にかけていたグライム風ヴォーカルをループしたルードボーイ感溢れるスワンプ・アンセムで、これまたインプレッシヴなバウンシー・トラックに仕上がっている。

 その〈スワンプ81〉のローファーと言えば、やはり〈DMZ〉が真っ先に浮かんでくるだろう......その〈DMZ〉から遂にリリースとなったマーラとコーキのユニット、デジタル・ミスティックズのファースト・アルバム『リターン・2・スペース』。おそらくマーラの単独制作によりアナログ・オンリーでリリースした初期DMZを彷彿とさせる重低音ダーク・スペイシー・トラックだ。本当に多くの人が待っていたアルバムで、叙情的なシンフォニーとアトモスフェリックな空間センスが解き放たれた傑作である。

 レゲエにインスパイアされているマーラが、レゲエ・セレクターの象徴であるダブプレート文化を守る数少ないDJとして、そのアルバムを彼らしくアナログ・オンリー(現時点では)でリリースしたことに敬意を表したい。デジタルやダウンロードでは得られないリアルな"物"がここに存在しているのだから。

6. Rregula & Dementia feat Miss Redflowe / Last Hope / Dizgo | Icarus Audio

-neuro funk / drum&bass-


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 個人的な話ではあるが、6月~7月は何かと不調であった。体調が良くなかったり、仕事で転機が訪れたり、DJブッキング、制作に追われ多忙がたたってそうなったのだが、この曲を聴いたお陰でかなり調子を取り戻した。久々に筆者好みのドラムンベースで爽快なランニング・チューンがリリースされたのである。

 レギュラ&ディメンティアは、オーストラリア出身のニューロ・ファンクを支持する若手有望株のプロデューサーだ。レギュラは以前、同じくオーストラリアのフェスタとのユニット、バッド・ロボットとして、2006年にドラムサウンド&ベースライン・スミスのメインストリーム・レーベル〈テクニーク>から「マスターズ・オブ・マイト/シーケル2」、〈ブラック・サン・エンパイアー〉から「フォーエヴァー」を発表し頭角を現す。その後、2007年(音楽性の違いによるのか?)ユニットの活動停止にともない、個人名義やディメンティアと組む機会が増し、いまの音楽スタイルに定着したのであった。

 オーストラリア、ニュージーランドのオセアニア地区は、ペンデュラム、コンコード・ドーン、ステート・オブ・マインドなどが独自の音楽性(ロッキン・サウンドやニューロ・ファンクのブームを作った)を打ち出し、UKやオランダに匹敵するドラムンベースが盛んな地域に発展させたのである。

 今作をリリースした〈イカロス・オーディオ〉だが、USの新鋭レーベルでレギュラ&ディメンティアが看板アーティストとして一翼を担っていると言えよう。A面でフィーチャーしたのは、ベルリンの紅一点、ミス・レッドフラワーとのコラボで、幻想的なヴォイスを披露している彼女は、DJ/プロデューサー/ヴォーカルもこなすマルチな才能を持ち、いまもっとも注目の女性ドラムンベース・アーティストだ。女性だからといって、まったく物怖じしないドライブ感溢れるニューロ・ファンク/サイバー・ファンクなDJで軒並みフロアをロックしているらしい......いつしか筆者も共演してみたいものだ。

 この作品の特質すべきは、ダブル・ドロップ(ロングミックスのブレンド状態)のときに出力される出音が並ではなく飛躍的に伸び、爆発的なドライヴ感が体験できるのだ。この状態を筆者は、"ドライビング・シンドローム"と呼んでいるのだが......いろんな曲でミックスを試した結果、驚くほどそれは良く聴こえるのである。やはりこれはフロアで体感して頂きたい。しかもアナログでないとこの出音は体感できないだろうことは、当然である。

M.I.A. - ele-king

リリース前から『マヤ』というよりもM.I.A.がスキャンダルの渦に巻き込まれている。ことアメリカの音楽メディアでは、『ザ・ニューヨーク・タイムズ』の女性週刊誌風のエグイ記事――テロリストの父はいなかった説、高級ホテルでの豪華な食事もしくはディプロ発言の「彼女は政治的ではなくギャングスタ好きなだけだった」等々――を引き金に、マヤ・アルプラガサムの政治的矛盾や経歴の不透明さを突いたちょっとしたネガティヴ・キャンペーンがおきている。デビュー当時はいちぶの批評家からポリティカル・ポップの旗手として期待され、彼女のほうでもそうした評価をとくに否定してこなかったことを思えば、ある意味仕方がないのかもしれない、が......そしてまた、彼女の気まぐれに見える攻撃性(たとえばネットで流した"ボーン・フリー"の暴力的な映像)と喧嘩っ早さ(たとえば『ザ・ニューヨーク・タイムズ』の女性記者への攻撃)もまた、今回のスキャンダルに拍車をかけているのも事実だ。しかし、残念なのは、そうした喧噪のなかから『マヤ』の音が聴こえてこないことである。

そんな孤独のなかで彼女がやらなければならなかったのは、深く瞑想し、その助走でもって高く飛び上がることだった。文:磯部 涼



XL/Hostess

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 この8月でHMV渋谷店が閉店するというニュースを聞き、何とも言えない気持ちを抱えて訪れた同店で、ワゴン・セールの山の横に、同日にリリースされた七尾旅人の『Billon Voices』とM.I.A.の『マヤ』がディスプレイされていたのは、とても皮肉な光景のように思えた。消え行くリアル・ショップに、Youtubeを模したデザインのパッケージ達が並んでいる。両者のアートワークが似通っているのはまったくの偶然だが、同時に必然でもあるだろう。それはもちろん、いま、ポップ・ミュージックというものに真剣に向き合うのならば、インターネットというものに向き合わざるを得ないからだ。そして、それぞれがそこから導き出している答えのズレこそが、現在のリアリティなのだ。

"10億の声"と題された前者には、何処かオプティミスティックなムードが漂っている。アルバムは、真夜中にネット・サーフィンをしている少年を語り部に、ライヴ・ストリーミング・サイトでロック・スターを気取るサラリーマンが主人公の"I Wanna Be a Rock Star"ではじまる。そこから、前半は世界中に散らばる無数の"声"の主達を紹介していくのだが、七尾の自宅での弾き語り"なんだかいい予感がするよ"を境として、後半は踵を返すように内面へと向かう。ただし、妻にあてたラヴ・ソングで、昨年にスマッシュ・ヒットした"Rollin' Rollin'"が象徴するように、そこに閉塞感はない。そして、アルバムは希望を確信する"私の赤ちゃん"で幕を閉じる。同作のケースは額縁の形をしていて、ジャケットが入れ替えられる仕様になっているのだけれど、その中の一枚である、ネットから拾った様々な画像をコラージュしたデザインの裏は銀色で、覗き込んだリスナーの顔が写る仕掛けだ。

 七尾旅人は99年、日本の音楽産業のピークに18歳でメジャー・デビューし、圧倒的な才能を持っていたのにも関わらず、アンチ・コマーシャルだったがために、業界が衰退に向かうや否や、リストラに合った。その後、彼のキャリアが復調したのは、見よう見真似で自ら立ち上げたホームページで、散り散りになっていたファンたちと直接、交流を始めたことがきっかけだったという。そんな、音楽産業に対して誰よりも複雑な愛憎を持ち合わせている彼が、消え行くフィジカル・リリースに捧げた、初の自主制作3枚組アルバム『911FANTASIA』に続いて、配信システム、DIY STARSの立ち上げとともにリリースした本作に託した熱い思いは、説明するまでもないだろう。

 いっぽう、アスキー・アートでアーティスト・ネームを綴った後者は、非常にストレスフルな内容である。自身で手掛けるジャケット・デザインは何処か、KID606の初期作を思わせる。ミゲル・トロスト・デイペドロが先導したブレイクコアは、ネットから生まれた音楽的なムーヴメントの草分けで、ハッキングやP2P等とも同時代性を持っていた。テロリズムというモチーフに固執するM.I.A.がネットをテーマにすればそこに近づくのは当然である。ただし、00年代初頭にはまだまだ開拓地だったネットという空間は、今やすっかりインフラストラクチャーと化している。M.I.A.は本作の制作過程において、スタジオでYoutubeをひたすら観ることでインスパイアされ、ダウンロードしたサンプリング・ソースでビートを組み上げて行ったという。当然、それは目新しいことではなく、現代のクリエイターにとって、オン・ラインでのディグは中古レコード店やフリー・マーケットを回るよりも、よっぽど日常的な行為となっている。しかし、M.I.A.は『マヤ』において、ネットをブレイクコアのように武器と捉えたり、21センチュリー・B・ボーイのようにキックスと捉えたりするいっぽうで、何処か違和感も覚えているようだ。「デジタルまみれの世界のなかで大きくなった("Meds and Feds")」マータンギル・マヤ・アルルピラガーサムによるこのアルバムは、「iPhoneのTwitBirdから、いつも話しかけてくる("XXXO")」あなたに会いたくて仕方がないというラヴ・コールではじまり、しかし、「電波は圏外、つながらない("Space")」という嘆きで終わっていく。

 いま、M.I.A.は、シングル"Galang"でのデビューから7年、3枚目となるフル・アルバム『マヤ』で、初めての苦戦を強いられている。チャート・アクションの出だしはまずまずだが、とにかく批評家や熱心なファンからの受けが悪い。4月末に先行してネット上で公開された、"Born Free"のMVがあまりに直接的な残虐描写でYoutubeから即削除、賛否両論を呼んだのは、監督にわざわざジェスティスの"Stress"で悪名高いロメイン・ガヴラスを起用したのだから、それこそオン・ライン・テロリスト気取りの戦略だったのだろう。それに対して、「ニューヨーク・タイムズ」誌は、5月25日付け、リン・ハーシュバーグによるルポルタージュで、旧来のメディアから、生意気な新参者に対する報復をおこなった。とくに、ディプロの発言を引用する形でもって、"M.I.A.=Missing In Action"というアーティスト名の由来であり、捜索届けのようにファースト・アルバムのタイトルにもその名を掲げられた、彼女曰くスリランカのテロ組織"タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)"のメンバーで、現地で行方知れずになっている父親ーー彼が、実はスリランカ政府の役人で、現在はロンドン在住、彼女とも普通に連絡を取っているということが暴露されたのは痛かった。もちろん、M.I.A.はすぐさまTwitterや自身のHPを使って反論、『NYT』誌を糾弾したわけだが、彼女自身も父親の素性は明かそうとしていないし、真偽はともかくとして、M.I.A.というキャラクターが色眼鏡を通して見られるようになってしまったのは間違いない。同記事は、言わば、ここまで登り調子でやってきたM.I.A.に対するバックラッシュのトリガーとなったのだ。

 いや、ギャングスタを気取っていたのに、実は看守であったことをバラされて味噌をつけた、強面のラッパー、リック・ロスが語るボースティングとは違って、例えマヤが、ディプロの言うように、テロのモチーフをコラージュして危険性を演出してみせるアートスクール出身の女の子だったとしても、彼女がこれまで"M.I.A."というコンセプトを通して訴えてきたメッセージの価値が失われるわけではない。たしかに、ハーシュバーグの主張する通り、彼女の政治認識は甘いかもしれない。実際、LTTEによる内戦は今年、ようやく終焉に向かったわけだが、彼らはこの4半世紀のあいだに、大量の一般市民を虐殺してきたにも関わらず、それをさも英雄のように扱った罪は重いだろう。しかし、M.I.A.は政治家でも運動家でも、ましてや新聞記者でもなく、ミュージシャンなのだ。問われるのは知識の精度ではなく、サウンドの強度である。その点で、セカンド・アルバム『カラ』は00年代におけるグローバリゼーションとローカリゼーションの鬩ぎ合いを誰よりも見事に描いた傑作であった。ただ、それに続く、今回のアルバムが弱かったのは、「そんな作品を売って、自分だけ成り上がるなんて搾取ではないか」という、事前に簡単に予想出来たはずの、ありがちと言えばありがちな指摘である、「NYT」誌の記事に対する反論の準備が出来ていなかったところだ。

 『カラ』の開放性は、レコーディングを予定していたアメリカのビザが下りなかったため、世界中を周って制作したが故に生まれたものだったが、反対に『マヤ』の密室性は、オーヴァー・ステイのせいでアメリカからの出国が許されなかったため、LAのスタジオに籠って制作したが故に生まれたものである。M.I.A.は、密室の中で、大きな成功を収めた前作を越えなければというかつてないプレッシャーに苛まれていたはずだ。目の前にあるノート・ブックの向こうに広がる無限のネット空間は、ヒントを与えてくれる賢者と、足を引っ張って来るヘイターが姿を隠した真夜中のジャングルに見えたことだろう。それは、母親の名前を掲げた前作が描き出した、世界のポジティヴな側面とは対照的な象徴性だった。そして、そんな暗闇のなかでは、自己に向き合わざるを得ない。だからこそ、彼女は、本作に自身の名前を刻み込んだのだ。本来なら、そんな孤独の中で彼女がやらなければならなかったのは、深く瞑想し、その助走でもって高く飛び上がることだった。それでこそ、この世界の至るところで同じようにノート・ブックを覗き込んでいる人びとの心を掴むことができるし、アートとしても、エンターテイメントとしても前作が越えられたはずである。しかし、その暗闇の前で、M.I.A.の足はすくんでしまったのかもしれない。アルバムでは、"Lovalot"と"Born Free"の、アグレッシヴなトラックに乗った、ハードなアジテーションとナイーヴな心情吐露が入り混じったリリックの組み合わせが、その試みを比較的上手く実現出来ていると言っていい。ただ、それでも『カラ』の"20 Dollar"や"The Turn"が持っていた複雑さには適わない。また、他愛ないセクシャルなパーティ・チューン"TEQKILLA"や、『NME』誌7月号でレディ・ガガに吐いた唾を呑み込むようなエレクトロ・ポップ"XXXO"も、やはり、前作にも収められていたロリポップ・ソング"Boys"や"Jimmy"のような絶妙な効果は発揮していない。

 そして、何よりも足を引っ張っているのが元ボーイ・フレンドにして、つねに盟友であり続けたディプロで、彼が手掛けた2曲ーー炭酸の抜けきったビールみたいなラヴァーズ・レゲエ"It Takes a Muscle"と、前作が生んだ最大のヒット"Paper Planes"の明らかな二番煎じである"Tell Me Why"は、これがあの才人の仕事かと耳を疑うようなどうしようもなさだ。ディプロはTwitterで本作のネガティヴ・キャンペーンを繰り広げており、曰く「オレの曲はスラミン。残りはまるでスキニー・パッピーで、悪夢みたいだ」そうだが、まさか本気で言っているわけではないだろう。あるいは、M.I.A.の夫でワーナーの御曹司、ベン・ボロフマンの反対に合い、プロデューサー陣のなかでたったひとりだけ別スタジオでの作業になったことへの当てつけで、わざと手を抜いたのだろうか。そんなゴシップめいた推測をしたくなるほど、本作は音楽的魅力に乏しい。要となるはずだったダブ・ステップのトラックメーカー、ラスコは健闘しているものの、前作におけるスゥイッチの革新的なプロデュース・ワークをなぞるのがやっとである。

 もちろん、『Billon Voices』と『マヤ』を対等に比較するのは可笑しいし、後者は、前者の何百倍もの売り上げをすでに達成している。しかし、それぞれのディスコグラフィーで見た場合、前者がターニング・ポイントとなったのに対して、後者が傑作『カラ』を越えることも、また、それとは別の道を切り開くことも出来なかったのは明らかだし、インターネットというテーマで聴くと、その混沌に呑み込まれたような後者の失敗の仕方は、2010年のメジャーな音楽産業を象徴しているように思えてならないのだ。ちなみに、『マヤ』の日本盤ボーナス・トラックの1曲である、その名も"Internet Connection"と題された、まったくもってつまらない楽曲は、ディスコミュケーションにこんがらがった以下のようなヴァースで終わっていく。ーー「問題はあたしの情報/だからやすやすと、知らない人には渡さない/あなたには、あたしのことは解らない/あなたは知らない、あたしのやり方を/"何か不具合を起こしたの"と、あたしが訊けば/"ネット接続がおかしいんだ"と、あなたは答える/昨晩もあたしはクラッシュ/アタマの外をぐるぐる廻っていた」

文:磯部 涼

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彼女は初めて90年代後半にイギリスで起きたアジア系の暴動のサウンドトラック・アルバムをつくったのだろう 文:三田 格



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 90年代の後半、『NME』を広げると毎週のようにイギリスのどこかでアジア系の暴動が起きていた。その数はいつもとんでもなく、場所も各地に広がっていた。それらは本当に大規模で、どうして05年にフランスで起きた暴動のように日本では報道されないのかぜんぜんわからなかった。記事に関連してシーラ・シャンドラやモノクローム・セットのビッドなど、いわゆるインド・パキスタン系のコメントを探してみたものの、英語力の問題なのか、見つかったためしはなく、タイミングよく訳されていたハニフ・クレイシの小説を読むことで、なんとなく彼らの不満を理解した気にはなっていた。でも、できればアンジャリやコーナーショップ、あるいはベティ・ブーやティム・シムノンの言葉で何が起きているかを知りたかったというのが本当のところではある。70年代にナショナル・フロントが台頭していたときにはスペシャルズやファン・ボーイ・スリーを結成したテリー・ホールが暴動が起きてからすぐにファン-ダ-メンタルのムシュタクと『ジ・アワー・オブ・トゥー・ライツ』をリリースしたときは(内容はともかく)なんて一貫してるんだと感心したもよく覚えている。

 M.I.A.は暴動のサウンドトラックではなかった。それらはイラスティカやエイジアン・ダブ・ファウンデイションが担っていたことで、その当時、前者のヴィデオ・クルーだったM.I.A.は「平和のために戦う」とか「国家を罵ってやる」といった歌詞をどちらかといえば楽しいダンス・ミュージックにのせて歌い出した。デビュー・アルバム『アルラー』の冒頭を飾る"バナナ・シット"などは何度聴いても笑い転げてしまう。彼女のあっけらかんとした感性は、いってみれば暴動が収束に向かったことを象徴していたとさえいえる。ちなみに彼女に活動資金を与えたのはジョン・ローンだった。両親が誰だかわからず、自分が何系のアメリカ人だかもわからないハリウッド・スターの。
 
 「わたしはアメリカを否定しない。先進国と途上国の情報量が同じぐらいになればいいとは思うけど」
 世界中を旅して回って......つまり、サウス・ロンドンを抜け出して制作されたセカンド・アルバム『カラ』について取材した際、彼女はそういって、なるほどそれからすぐにブルックリンに移住したこともニュースになった。彼女が音楽をはじめた動機はよく知られているようにインド首相を暗殺したタミール・タイガーの幹部である父(アルラー)を探すためで、イギリスで起きていたアジア系の暴動が直接の背景にあったわけではない。『アルラー』はなぜかカナダではナショナル・チャートの1位となるほど売れて、父からも連絡があり、彼女の目的は果たされたといえる。普通に考えれば彼女は目的を見失ったはずである。世界を旅して回る......という方法論はおそらくはディプロのマネで、途上国のニュース・センターになろうとした『カラ』のコンセプトはどれほど彼女の奥深くから発していることなのか、多少は疑問もある。いちばんいいと思った"バード・フルー"のプロダクションが彼女自身によるものだったので、音楽家としてのM.I.A.にはむしろ期待値が高まった面もあるものの。
 
 ブルックリンではなく、なぜか(母の住む?)L.A.で集中的に録音された『マヤ』は全体的に荒廃したムードに覆われ、サウス・ロンドンに対する郷愁が強く窺われる。自分の名前をタイトルにしているぐらいで、アイデンティティと向き合わざるを得なかったことはたしかで、クラフトワークのアルバムのなかでもっともヨーロッパ的な感性が強く滲み出た『トランス・ヨーロッパ・イクスプレス』だけがアメリカで録音されたものであったように、彼女は初めて90年代後半にイギリスで起きたアジア系の暴動のサウンドトラック・アルバムをつくったのだろうと僕は思う。"テックキラ"という曲がレコード・ショップで流れはじめたとき、僕は「これなんですか? これ下さい」といって手渡されたものがこのアルバムだった。もう少し待っていれば彼女の声が聴こえただろうに、そのときは一刻も早くその曲の正体が知りたかった。家に帰って通して聴いてみると、今度は内省的な曲調が耳には残った。正直、"バッキー・ダン・ガン"に横溢していた彼女のあっけらかんとした感性はとても懐かしい。しかし、彼女はいま、大人になろうとしているのである。たとえばマドンナだったら『ライク・ア・プレイヤー』がなければ『エロティカ』はなかったように、どんなミュージシャンであれ、豊かな感情を基本としている人ならば怒りや悲しみといった感情の育て方に僕はとても興味がある。その場所にアメリカを選んだことも含めて『マヤ』はとても興味深い"デビュー作"ではないだろうか。

文:三田 格

RYOTA TANAKA - ele-king

KYOTO INDIE CLUB CHART


1
Mystery Jets - Serotonin - Rough Trade

2
Turntable Films - 2steps - Second Royal

3
The Samps- The Samps - Mexican Summer

4
Duck Sauce - Greatest Hits - Fool's Gold Records

5
Onra- Long Distance - All City Records

6
V.A. / PDXTC / High Score AndI

7
ポチョムキン / おてもやんサンバ FEAT. 水前寺清子, MICKY RICH & ポチョムキン / Face The Music

8
Kings Go Forth - The Outsiders Are Back - Luaka Bop

9
Kisses- Bermuda - Moshi Moshi

10
王舟 / 賛成 / 鳥獣虫魚

Emeralds - ele-king

 三田格が監修した『裏アンビエント・ミュージック 1960-2010』のなかで、2009年の重要作として大きく取り上げているのがこのエメラルズで、彼は2ページを使って5枚の関連アルバムを紹介している。本のなかで三田格は出たばかりの本作について「クラウトロックへの転身が完全なものとなった」と書いているのだけれど、実際の話、僕はこの作品を聴いてエメラルズを買った。「クラウトロックへの転身」によって彼らはこうして新しいリスナーと出会ったわけである。

 オハイオ州クリーヴランドを拠点とするエメラルズは、マーク・マクガイアー(ギター:三田格が ele-kingで書いているように最近〈ウィアード・フォレスト〉からソロ作品を出している)、スティーヴ・ハウシリト(エレクトロニクス)、ジョン・エリオット(エレクトロニクス)の3人からなるグループで、20代前半という若さながらすでにその筋では名が知れている。親切な"裏アンビエント"の監修者は僕にエメラルズのバックカタログを貸してくれたのでひと通り聴いてみたのだけれど、なるほどたしかにどの作品も面白い。2008年の『ソラー・ブリッジ』は『メタル・マシン・ミュージック』の系譜に位置するフィードバック・ノイズによるアンビエントの傑作で、前作『エメラルズ』にアンビエントのハード・リスナーを納得させるであろう特別な輝きがあるのもわかる。それをノイズと呼ぼうがアンビエントと呼ぼうがドローンと呼ぼうが、音楽作品としての充分な魅力があり、エメラルズはすでにある一定水準を超えているのである。

 また、エメラルズは、グルーパー、ポカホーンティッドオネオトリックス・ポイント・ネヴァーなどなど野心的な連中と同様に、カセットテープとCDRによる作品を実にこまめに発表している。USアンダーグラウンドにおける"テープ・シーン"を代表するグループでもあるのだ。"テープ・シーン"とは超限定のカセットテープと超限定のCDRによる作品発表、あるいはまた(デトロイトのブラック・アンダーグラウンドと同様に)ヴァイナルの復権を唱えるものであり、どうやらデジタル・シーンへの批判的な態度を表明する時代精神のひとつとしても注目されているらしい。

 個々の作品性については『裏アンビエント・ミュージック』を読んでもらうとして......、で、『ダズ・イット・ルック・ライク~』はたしかにクラウトロックにおける"コズミック・ミュージック"と呼ばれたものと近しい。初期のタンジェリン・ドリーム、『ラルフ&フローリアン』、『ツァッカーツァイト』、エレクトロニクスを使いはじめたマニュエル・ゲッチング......。アナログ・シンセサイザーの睡眠的な反復とマクガイアーによるゲッチングを彷彿させるギター演奏は確信犯としてそれをやっているのではないだろうかと思わせる。

 『ダズ・イット・ルック・ライク~』は、『エメラルズ』と同様に多くのリスナーがアプローチしやすい作品でもある。それぞれの楽曲にはそれぞれのアイデアがあり、『エメラルズ』と比べて曲のヴァリエーションもある。ただし......、圧倒的な恍惚感ということで言えばたしかに『エメラルズ』で、『ダズ・イット・ルック・ライク~』には少々重苦しさが入り込んでいる曲もある。そこは好みが分かれるところかもしれないが、バンドはドローンやアンビエントといったカテゴリーの殻を破って、より広いところに行きたいのではないかと思われる。このアルバムを成虫前の「繭のような作品だ」と評していた人がいたけれど、そうした期待を寄せるだけのポテンシャルは『裏アンビエント・ミュージック』のおかげで充分にうかがい知ることができた。
 ちなみに『裏アンビエント・ミュージック』は、音楽快楽主義において目から鱗のカタログである。とりあえずは、この本を読んで自分なりのリストを作成し、中古盤店を探してみるかい(値が上がらないうちに)。

CHART by ZERO 2010.07.22 - ele-king

Shop Chart


1

KODE9 and MARTYN

KODE9 and MARTYN HYPERDUB vs 3024 - Exclusive mix for Japan BEAT / JP / 2010.7.14 »COMMENT GET MUSIC
いよいよ今週末に揃って来日するMARTYNとKODE9が関わる音源のみでミックスされた日本限定のMIX CD。会場で500円のキャッシュバックが受けられるカードも封入。まずはこれを聴いてから、現場でベースを体感して!

2

KALBATA & MIXMONSTER feat. LITTLE JOHN & JAH THOMAS

KALBATA & MIXMONSTER feat. LITTLE JOHN & JAH THOMAS SUGAR PLUM PLUM SOUL JAZZ / UK / 2010.6.25 »COMMENT GET MUSIC
イスラエルのダブステッパーがジャマイカ録音を敢行し、2人のレジェンドを迎え、ライヴ・ミュージシャンを起用しアナログ機材で制作した注目作。素晴らしい!

3

NOBODY

NOBODY ONE FOR ALL WITHOUT HESITATION NOBODY'S HOME PRODUCTION / US / 2010.6.20 »COMMENT GET MUSIC
L.A.のLOW END THEORY重要人物新作は、独特のフォーキーでサイケデリックな世界を、ヴォコーダーを通した歌声とエレロなサウンドで彩った素晴らしい内容。ヴォコーダーを通すことで彼のメロディのセンスもより際立つというか、本当にジンワリ染みてくる要素もある名盤!

4

PACHEKO & POCZ

PACHEKO & POCZ ZARBAK SENSELESS / UK / 2010.6.28 »COMMENT GET MUSIC
JUKE~ゲットーテックなベース&リズムのイントロからハーフに打つスネアがいい具合にブレーキを効かせるエレクトロ・ファンキー1。テッキーな方面を向き跳ねより疾走感に重きを置いたリミックス2。1の流れで聴くと東南アジアを空想させる不思議な浮遊感の3。

5

POLSKA

POLSKA 2ND RATE SUBLTE AUDIO / UK / 2010.6.15 »COMMENT GET MUSIC
ジャズ感たっぷりのドラムも含めたエフェクト効果でスペイシーな空間を生み出す1。これまたジャズなドラムをローリンにグルーヴさせたリミックス2。3はハーフなテンポで殆どジャズのような展開で、終盤はドラムンベースになるのも見事。

6

FELIX K

FELIX K RECOGNITION / ICE 31 RECORDS / UK / 2010.6.21 »COMMENT GET MUSIC
エナジティックなミニマリズムの要素を持った、ベルリン出らしいハットの音処理などのワザが光る1。2はドラムンベースのテンポでミニマル・テクノをやったらという感じのディーーーーーーープな曲。

7

JAKES / DARQWAN

JAKES / DARQWAN TIMES END / JAHWAN TECTONIC / UK / 2010.6.28 »COMMENT GET MUSIC
攻撃的なリズムを軸に、パーカッションやクラップ音、不穏に唸るサブベースと、変則的に追加されるリズムがグルーヴに勢いを付ける1。ゲットーテックを意識しつつ、直接そこへは向かわず独自の展開を見せているような2。最高!

8

AFRICA HITECH

AFRICA HITECH HITECHEROUS EP WARP / UK / 2010.7.2 »COMMENT GET MUSIC
スクウィー/チップ的シンセ音を良い味付けにしながら、アフロなグルーヴをエレクトロ・サウンドで展開した1。SPACEKを前面に出した5は、ダンスホール・レゲエを意識したMCとリズムで、ただ音の感触はこれまで通りのヒンヤリ感が満点で新鮮。インスト込みの2枚組6trks!

9

VICTOR ROMEO EVANS / THE DETONATORS

DOM HZ MIST OPENEARZ / UK / 2010.6.28 »COMMENT GET MUSIC
エレクトロニカな感触とジャジーなムードが同居して、チルアウト感覚から(世代によっては)アシッド・ジャズまで連想させるスムーズな1枚。

10

VICTOR ROMEO EVANS / THE DETONATORS

VICTOR ROMEO EVANS / THE DETONATORS SLACK AND SOVEREIGNS / WORKING DUB LOCAL RECORDS / UK / 2010.6.12 »COMMENT GET MUSIC
THE SPECIALSの名曲「GHOST TOWN」のプロデューサー、JOHN COLLINSが運営するレーベルのデッドストックを一挙入荷。後に映画『BABYLON』にも出演するV.R.EVANSや、J.COLLINSの個人プロジェクトTHE DETONATORSによる、UKらしい屈折ぶりも見事に出たダブ!
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