「KING」と一致するもの

 そろそろヒップスターの話をしよう。ヒップスターとは、ブルックリンは、ウィリアムスバーグやブッシュウィック辺りに生息する新感覚を持ったヤング・キッズの事。男の子はチェックのシャツや、短パンを履き、少しヒゲを生やしていたりする。女の子は、ショート・パンツやデニムシャツを着たり、ワンピースだったり、バンダナを可愛く首に巻いたり、ポニーテールにしている。クリーンで、オーガニック思考で、アートと音楽が大好きで、タトゥーが入っていて、Lトレインに乗るとこういったヒップスターがたくさんいる。
 以前はベッドフォード・アヴェニューを歩くとヒップスターにぶつかった。いまはブシュウィックやベッド・スタイ、リッジウッド辺りに散らばっている。わかりやすいところでいうと、ロバータス(ピザ屋)ドウ(ドーナツ屋)などの人気店で働いている人たちや友だち。
 もちろん、誰も自分がヒップスターであるとは思っていない。「ヒップスター」とは、他人を語るときに皮肉を交えて使う言葉である。日本でいうオシャレさんという感じでしょう。ただ、ブルックリンのコラムを書く上で、ヒップスターは切っても切れない。
 私がお店に行ってまずチェックすることは、ヒップスターがいるかどうか。ヒップスターがいるとこの店はオシャレなんだと思うし、いなければ少しホッとする。イコール良い店とは限らないが、判断材料になる。先日、ヒップスターの聖地と噂を聞いていたレストラン〈do or dine〉に行った。

 オープンした当時は、ヒップスターがオープンしたレストランと賛否両論だったが、ハイプも冷めた4年目にして初挑戦。外観は、昔のデリの看板そのまま、入り口を入るとドクロのウエルカム・マットがお出迎え。中を通ってバックヤードへ行くとゆったりした雰囲気で、テーブルや椅子、屋根まで手作り感が溢れ、巨大な壁画が描かれている。メニューはフュージョン・アメリカンでフォアグラ・ドーナツとヘン・アンド・ワッフルが人気だが、ニッポン・ナチョス(=まさごサワークリーム)やE666S(=デヴィルド・エッグ)、ポンド・ウィング(=蛙の足のフライ)、ジェリーフィッシュ・サラダなど、興味そそられるメニューが並ぶ。シェフ/オーナーのジャスティンは、フードネットワークの次のスターだとも言われ、自分の料理本「ザ・ロウ・オブ・クッキングーハウ・トゥ・ブレーク・ゼムー料理の法則、どのように破るか」を出版している。例えば、甘いと酸っぱいハーブと油、ファンキーと新鮮さなど、普通では考え付かない組み合わせを楽しませてくれる。デザートはスニッカーズ・バーの袋のまま、サーブするご愛嬌。「ナプキン・リングなんて使う必要ないんだ、みんなリアルな食べ物を求めてるのさ」とヒップスターらしきコメント。ドリンクはビール、ワイン、リカーなどフル・バーですが、ドラフト・ビールはなしで、キャッシュ・オンリーなところが、インディ感を醸し出していた。

 料理本と言えば、ミュージック・ブルースでドラムを叩いているブルックス・ヘッドレイも少し前に、ロックンロール料理本『ファンシー・デザート』を出版している。デル・ポストというハイエンド・イタリアン・レストランのシェフだが、彼はその以前に、パンク・ドラマーとしての顔を持つ。ユニバーサル・オーダー・オブ・アルマゲドン、ボーン・アゲンスト、スカル・コントロールなどの由緒あるパンク・ヘビー・バンド、いまはノー・エイジやミカ・ミコのメンバーが参加するC.R.A.S.H.やハーベイ・ミルクのベーシストでもある。そしてミュージック・ブルースのステファン・タナーも、NY一美味しいフライド・チキンを作るシェフである(ただいま引っ張りだこ)。


Justin @do or dine

 音楽も食も基本アートセンスが必要なので、〈do or dine〉のような法則を破るシェフが現れるのも彼のバック・グラウンドがミュージシャン/ヒップスターだからである。そんな新感覚なレストランでは、夜な夜な面白いDJイベントが行われたり、レストランを貸し切ってパーティしたりと、普通のショーに行くより、楽しさを倍約束してくれる。


Justin's cook book "law of cooking"

interview with Tigercub - ele-king


Tigercub
ミート・タイガーカブ

Pヴァイン

Indie RockGarage

Tower HMV Amazon

 音楽不況云々、CDが売れなくて云々、専門誌も減って云々……などという話題はもう耳タコかもしれないが、それは産業としては(そんなかたちでつづけることに)無理があるでしょうというだけの話で、むろん音楽そのものになんら瑕疵があるわけではない。それが文化の真ん中で巨万の富を築くツールではなくなったというだけで、のびのび、勝手に、雑草みたいに、新たな音は日々生まれてきていて、生まれてき過ぎなほどだ。

 考えてみればレコードなりCDなりというかたちで音楽が売り買いされていた時代のほうがその長い歴史の中では特殊というか、むしろいまはカネにならなくなったぶん、音楽もアーティストもそもそもの自由さを取り戻しているとさえ言えるかもしれない。ここ最近のインディの充実ぶりを見ても、あるいはネットに音源があふれかえっていることを考え合わせても、「売れなきゃいけない」というオブセッションはほぼ崩されていて、音楽はやり手にとってもっとずっとよい距離で楽しまれているように見える。

 それは、なにが自分にとって楽しいか、ということが素直に優先される環境でもある。新しいものをつくらねば、モードに乗らねば、いや、モードを出し抜かねば、みたいなことはさほどの問題ではなくなって、時代も洋の東西も関係なく、というか、すべてそれらが一並びで定額な環境下で、あるスタイルを選択することに以前ほど社会的な意義もなく、リヴァイヴァルという言葉さえいよいよ空転しはじめた。

 そしてわれわれは前置きなくタイガーカブを聴く!

 タイガーカブはシンプルだ。UKはブライトンの3人組ロック・バンド。聴けばわかるというお手本でもあり、しかし「あえてオシャレに2分間のポップスの永遠性を再現する」という手合いの作為性も感じられない。まだアルバムすら持たないニュー・カマーだが、ブラッド・レッド・シューズが新たに立ち上げたレーベルからシングルをリリースしたり、彼らのライヴのオープニング・アクトとして起用されるなど、期待と注目が寄せられているさなかである。

 今回はこれまでにリリースされた2枚のシングルにB面や未収録曲を収録した日本独自企画盤がリリースされた。これをアルバムとして評価することは難しいが、案外、できてみればこんな感じかもしれない。「アルバム」よりは「曲」をつくり、演奏とコミュニケーションを大事にする、粗暴ではないけれど気取らない、ビートルズが好きな、愛すべきバンドなのだ。もちろんそれは「いい曲」が詰め込まれたものになるだろう。

 なんてそのまんまニルヴァーナなんだろう、いや、ザ・ヴァインズを経由しているだろうか、そうすればたしかにビートルズも透けて見えてくる──カート・コバーンやクレイグ・ニコルズのようなカリスマがいるわけではなく、インタヴュー内でもソニックスの名が挙がっているようにガレージ色が強め。本当にシンプルなバンドだ。

 以下をお読みいただければ、「なぜこんな音を?」を筆頭とした筆者のいくつかの「なぜ」がすべて壁打ちに終わっているのがおわかりいただけるだろう。なぜもなにもない。好きな音を、その内側で謳歌しているのだ。そのまんま聴いて楽しい、スタイル選択にけれんみのない、ゆえにこちらも何も考えずに身をまかせられるロックだ。長らく、それには何かしらの前置きが必要だったけれども。

■Tigercub / タイガーカブ
2013年に結成された、UKはブライトンの3人組。メンバーはジェイミー・ホール(Jamie Hall / guitar, vocals)、ジェイムス・ホイールライト(James Wheelwright / bass, backing vocals)、ジェイムス・アレクサンダー(James Alexander / drummer)。2014年、デビュー・シングル「ブルー・ブラッド(Blue Blood)」が注目を集め、同年、ブラッド・レッド・シューズが立ち上げた〈ジャズ・ライフ〉からセカンド・シングル「センターフォールド(Centrefold)」をリリース。翌2015年には名門〈トゥー・ピュア(Too Pure)〉からもシングル「You」を発表。ロイヤル・ブラッドやブラッド・レッド・シューズらのオープニング・アクトとして抜擢されるなど、フル・アルバムをふくめ今後の活躍が期待されている。

アメリカン・ハードコアや90年代グランジのバラ色のメモリーは音楽のドキュメンタリーとか再放送で情報を集めて結んでいった感じかな。(ジェイミー)

みなさんは何年生まれですか? グランジはリアルタイムで体験しています?

ジェイムス・ホイールライト(以下James):1986年、ワールドカップのアルゼンチン対イングランドで”神の手”事件が起きた年に生まれた。最初のグランジ・ムーヴメントで記憶にあるのは、「kids in flannel」のシャツとニルヴァーナがTVに出ていたこと、でも当時はまだ本当にガキだったけど! フー・ファイターズのファースト・アルバムを買ったのはおぼえてる。そこが自分にとって最初の入り口だった。

ジェイミー・ホール(以下Jamie):俺は1990年生まれ、イギリスの北にあるサンダーランドで育った。グランジがメインストリームをヒットした当時なんてまだ子どもだったから、アメリカン・ハードコアや90年代グランジのバラ色のメモリーは音楽のドキュメンタリーとか再放送で情報を集めて結んでいった感じかな。

同年齢くらいのまわりの人びとは、多くがアメリカン・ハードコアやグランジのバンドたちの作品を聴いているのですか? それともあなたたちが孤立しているのでしょうか?

ジェイムス:俺たちが住んでいるブライトンは音楽的にとてもアクティヴな町だから、友だちもハードコアやロックにハマってるやつらばかりだよ。俺が育ったレディングでは、たしかにもっと孤立しているように感じてたね。

ジェイミー:サンダーランドにいたときは、そんなことはぜんぜん感じなかった。俺は他の誰よりも体がデカいから、どこにいってもハマらないんだ。当時はだいたいいつも一人の友だちとツルんでたし、クラッシュ、G.B.Hとかバッド・ブレインズなんかを聴きながら、トニー・ホークのプロスケーター・シリーズを見ながら毎日遊んでたな。

俺は他の誰よりも体がデカいから、どこにいってもハマらないんだ。(ジェイミー)

あなたがたはどういったきっかけでそうした音楽を聴きはじめたのでしょう?

ジェイムス:バンドとオーディエンスで共有したり、経験を積んだり、オーディエンスから学ぶことがいまの音楽をやっているいちばんのモチヴェーションにつながるよ。

ジェイミー:子どものときはビートルズにぞっこんだったね。自分にとっていまの音楽をやっているのもじつはビートルズからの影響だよ。

UKの音楽で世界に誇るべきものはこれだというアーティストやバンドを、あなたがたの基準で教えてください。理由も添えていただけるとうれしいです。

ジェイミー:イギリスのバンドだとザ・ウィッチズの大ファンだよ。彼らは彼らなりのやり方ですべてをやっているし、惰性的じゃなく、彼らの音楽はリンク・レイやメルヴィンズとかレナード・コーエンからオリジナルのブレンドを作り出していると思う。

あなたがたにとってセックス・ピストルズはどのような存在ですか? また、ニルヴァーナを愛するのはなぜですか?

ジェイミー:彼らはすべてさ。でもストゥージズやソニックスほどではないけどね。

ブリティッシュ・ロックはポリティカルになるべきだと思いますか?

ジェイミー:ポリティカルな音楽、俺はいいと思うよ。でも、露骨に政治的なことを歌ってる曲は嫌いだね。いちばん好きなのはメッセージが曲の中に複雑に編みこまれていて、リスナーに説教するものではなく啓示するような音楽がベストだね。

なぜ髪をのばすんです?

ジェイムス:なまけものだからさ。

ジェイミー:俺たち美容院にいく金もないしな。

3ピースっていう形態はすごく好きで。アドヴァンテージのほうがはるかにディスアドヴァンテージを上回ってると俺は思うよ。ニュートラル・ミルク・ホテルを見れば明らかさ。(ジェイムス)

3人の間柄や、バンドの結成の経緯を教えてください。

ジェイミー:3ピースであることは制限でもあるけど、同時に俺たちがよりハードに演奏して、経済的にバンドをアレンジしなければならないってことで、つまり曲はよりストロングなものにしなければならないし、全部さらけだすし、どこにも隠れる場所はないってことさ。

ソングライティングはおもにどなたが担っているのでしょう? 

ジェイミー:最初はみんなそれぞれ家でアイディアを練って、デモを送りあって、スタジオに持ち込んで、そして精練するというのがパターンだね。あと新しめの曲を路上で演奏するんだ。そうすれば、何がうけるのかうけないのか、リアルタイムにフィードバックをもらうことができるからね。

あなたがたはスリーピース・バンドのよさをシンプルかつストレートなかたちで体現する存在だと思いますが、一方で、いまのかたちに限界を感じることはありますか?

ジェイムス:3ピースっていう形態はすごく好きで。アドヴァンテージのほうがはるかにディスアドヴァンテージを上回ってると俺は思うよ。ギターは1つだし、ベースも1つ、音の帯域幅では制限があるかもしれないけど、3人が効果的に動けばオーディエンスの視点から見てもすごくパワフルなものに映るし、ニュートラル・ミルク・ホテルを見れば明らかさ。

ジェイミー:そうだね、曲をかけば書くほど、もっとこうしたいって大望が生まれてくる。だから、いくつかの新曲はそのまま演奏できないから、ライヴのために作り直さないといけなかったり、3人でそういう曲を同じエナジーでやるっていうのは、かなりハード・ワークだよ。

あなたがたにとってはライヴのほうがアルバム作品より重要なものですか?

ジェイムス:スタジオに持っていくまでは曲は存在しないと思うし、少なくとも完成したとは言えないと思うよ。ライヴで演奏するのは曲が実際どういうものなのか確認するにはいちばんの経験になる。

ジェイミー:ライヴはとても重要だよ。でも、いまは自分たちモードをスタジオ作業にフォーカスしているのさ。

俺たちは本当に日本のファンがタイガーカブを聴いて、情報を更新して、自分たちとの旅の一部のように感じてくれることを願っているよ。(ジェイミー)

トム・ダルゲティとの仕事はどうでしたか?

ジェイミー:彼はとても親しい友人であり、素晴らしいエンジニアでもあり、グレイトなレコードを何枚も作っていて、いっしょに働くことで彼からはたくさんのことを学んだよ。

今作の録音やプロダクションにおいて、バンド側からとくに希望したことや意図などがあったら教えてください。

ジェイミー:日本で今作を出すことで、まずやりたかったのは自分たちのバック・カタログを紹介したかったんだ。UKで活動して、いまの地位に落ち着くまでに1年以上かかったし、ちょうどストーリーができたように思うしね。俺たちは本当に日本のファンがタイガーカブを聴いて、情報を更新して、自分たちとの旅の一部のように感じてくれることを願っているよ。

タイガーカブというバンド名の由来は?

ジェイミー:純粋に偶然の思いつきだよ。俺たちの音に合う名前だと思ったんだ。

同世代で共感できるアーティストを教えてください。

ジェイミー:ザ・ウィッチズ、ロイヤル・ブラッド、TRAAMS

音楽をやっていなかったら何をやっていたと思います? また、もともとからミュージシャンになるのが夢だったのですか?

ジェイミー:音楽をやっていない人生なんて想像できないね。自分にとっては避けられないことさ。

笑いと破壊、これでいいのだ!! - ele-king

 バカにしか見えない真実がある──天才ギャグ漫画家の赤塚不二夫はそんな言葉を言い残しています。しかし赤塚不二夫の「バカ」とは、「バカだなぁ、でへへへ」などという、そんなクサいものではありません。もっとキョーレツで、破壊と解放があります。戦後日本のサブカルチャーが爛熟した60年代から70年代にかけて、それは広く、そして深く突き刺さっています。たとえば天才バカボンには、アナーキーなすごさがあります。アナーキー・イン・ザ・バカボンです。腹がよじれるほど笑いながら、赤塚作品からは庶民の底知れぬパワーを感じ取るができます。笑いながら物事を変えていくことは、果たして可能なのでしょうか。

 来るべき9月14日は、赤塚不二夫生誕80周年。その日に、ele-king booksは赤塚不二夫の本を2冊同時リリースします。
 まず一冊は『赤塚不二夫 実験マンガ集』。赤塚不二夫がメジャーな少年誌を舞台でヒット作を連載していた国民的な作家なのは周知の通りですが、同時に彼はアヴァンギャルであり、実験精神旺盛な作家でもありました。たとえば『天才バカボン』がどれほど表現の限界に挑んだ作品だったのか、あらためて思い知って欲しいと思います。

 もう1冊は、『破壊するのだ!!──赤塚不二夫の「バカ」に学ぶ』。こちらでは生前赤塚不二夫とお付き合いのあった方々(赤塚がもっともアナーキーだった70年代、当時のサブカルチャーと呼びうるシーンに関わっていた方々)に取材、そのすごさをあらためて語ってもらいました。70年代の日本のサブカルチャーの狂乱を振り返りつつ、赤塚不二夫がこだわった「バカ」について考えた本です。
 70年代『宝島』編集長、後の「笑っていいとも」のスーパーヴァイザーとして知られる髙平哲郎、いまも活躍中の音楽家・三上寛、フリー・ジャズの巨匠・坂田明、先日亡くなられた詩人にしてジャズ評論家/偉大なるパロディストの奧成達、映画監督にして革命運動家の足立正生、偉大なるジャズマンの山下洋輔……そして、解説には赤塚りえ子+三田格。
 
 ぼくたちはどこから来たのか……いま日本は本当にとんでもないことになっていますが、日本のサブカルチャーにおいて誇れるものがここにあります。この機会に、手にとっていただけたら幸いなのだ!!

『赤塚不二夫 実験マンガ集』


Amazon

定価:1800円
ページ数:384
並製/B6

マンガを左手で描く狂気とは?
近くのものが遠くに見えるマンガとは? 
フキダシに絵を描いて絵の場所に文字を描くマンガとは? 

メジャーな少年マンガ誌を舞台に、マンガ表現のいきつくところまで行き着いた赤塚不二夫のもっともラジカルな作品群を収録。
解説あらためインタビュー取材には、石野卓球が登場。
いわく「赤塚作品とは、アシッド・ハウスなのだ!!」


『破壊するのだ!!──赤塚不二夫の「バカ」に学ぶ』


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著者:高平哲郎/三上寛/坂田明/奥成達/足立正生/山下洋輔ほ
定価:1850円
ページ数:224
並製/四六判

いま語る70年代日本サブカルチャーの狂乱、
そして赤塚不二夫のすごさ。

ペーソスはいらないのだ!!──高平哲郎
書を捨て町を裸で街を歩くのだ!!──三上寛
深遠なバカなのだ!!──坂田明
クーダラナイから良いのだ!!──奧成達
やりたいことをやるのだ!!──足立正生
破壊するのだ!!──山下洋輔
いまこそ赤塚不二夫が必要なのだ!!──赤塚りえ子×三田格

刊行:ele-king books/9月14日(赤塚先生の生誕日)刊行なのだ!!


Oneohtrix Point Never - ele-king

 2014年度のele-kingのベスト・アルバムがOPNの『R Plus Seven』だったんですが、いまや、OPNは明日のエレクトロニック・ミュージックを占う存在、いや、ソフィア・コポラやアント ニー・ヘガーティにまで目をつけられるほどの、なんとも大きな存在になってしまいました。思わず、かつてのイーノ、かつてのエイフェックス・ツインに重ねたくなるような……。そして彼自身もエレクトロニック・ミュージックの歴史をよく知っています。つまり本気で、(感覚だけではなく)エレクトロニック・ミュージックがいまどこに向かっているのかを考えている人物でもあります。
 OPNは、ミュジーク・コンクレート(録音物を加工する音楽)のパイアオニア、ピエール・シェフェールの21世紀版とも言えるでしょう。彼の音楽は現代=スーパーフラッター・ワールドに生きるものではありますが、その作品は冷酷だったり、攻撃的だったり、あるいは穏やかだったり、起伏に富んでいます。新作はそういう意味では、前作にくらべて躍動的で、OPNらしい挑戦的な作品です。
 ま、それはお楽しみってことで、OPNが来日します!


Eaux Claires - ele-king

「何見るの?」
「もちろんボン・イヴェールだよ!」
「俺、大学で同級生だったぜ」

 ウィスコンシンは……というか、オークレアは思っていた以上に田舎だった。学校の校庭と言われても信じてしまいそうなサイズの地元の空港に降り立ち、少し車を走らせるだけでそのことはすぐにわかった。同じ大きさの家がひたすら並ぶ住宅街、マクドナルドのドライブスルーに大型スーパー、落ち着いた雰囲気の大学、ただ碁盤状に走る道路……アメリカ映画で観たサバービアそのものだ。この風景から生まれた音楽を聴きに来たんだと、流れる景色を見ながら僕はぼんやりと考える(免許がないので、運転は同行の友人に任せきりだ)。レンタカー屋の受付の兄ちゃんが「ロック・フェスティヴァルに来たの? 何見るの?」と訊いてくるので「もちろんボン・イヴェールだよ!」と答えると、「俺、大学で同級生だったぜ」という。ロ、ローカル! ……そうだ。ボン・イヴェールのジャスティン・ヴァーノンがザ・ナショナルのアーロン・デスナーとキュレーターを務め、自分の地元であるウィスコンシン州のオークレアで開催するフェスティヴァル〈Eaux Claires〉に参加するために、僕は大阪から東京に行き、そこからシカゴへと飛び、そこからさらに小さい飛行機に乗ってこの田舎町までやって来たのだ。

 ジャスティン・ヴァーノンはこの何の変哲もないアメリカは中西部の小さな町で育った、ごく普通の、素朴なナイス・ガイである――ヴォルケーノ・クワイアとして来日したとき、がんばって覚えたひらがなでファンにサインをする程度には好青年で、穴の開いたスニーカーでノシノシとそのへんを歩く程度には鷹揚な。だから彼は自分は特別なのだと、選ばれた人間だと強調することはなかった。彼がかつてフォーク・ソングにこめた自身の孤独とその震えが生み出す詩情は、固有名詞のないものとして、ただ「よき冬」と名づけられてひっそりと世に流れ出したのだった。その透徹としたアンビエント・フォークに打たれて以来、しだいにアメリカの田舎に息づく何かを感じてみたいと思うようになったが、そうこうしているうちにボン・イヴェールが本国でどんどんビッグになって来日がますます困難になり、僕はバンドのライヴを観ることを諦めかけていた……バンドとしての活動も休止し、ジャスティンはプロデュース・ワークに精を出すようになっていた。が、今年に入って彼が地元でフェスティヴァルを作るのだと聞いて胸がざわついた(最初にこのニュースを知ったのはジャスティンのお父さんのツイートだった!)。しかもラインアップのフックはボン・イヴェールザ・ナショナルスフィアン・スティーヴンススプーン。(テキサス出身のスプーンは別として)中西部が生んだインディ・ロック・スターを軸としていることは明白だった。心は決まった。

手作り感のある飾り付け、
広場にステージがドン、ドンとふたつ、
背後には雄大なチッパワ川。

 車はどんどん森に入っていく。会場への道順を示す素っ気ない看板に従って走らせると、森のなかのキャンプ場に到着した。ほぼ完全にオート・キャンプ、アメリカの各地から何十時間も車を走らせてやってきたという参加者が続々と集まって来る……ほとんどのアメリカ人にとっても、ここはけっこうな田舎なのだ。キャンピング・カーの連中も多く、みんなビールや食料や遊び道具やらを詰め込んでいる。そんな筋金入りのキャンパー族を見て、あー、アメリカのフェスに来たんだなーと思っているうちに、キャンプ・サイトでのミニ・ライヴがはじまる。その日は前夜祭的な位置づけで、キャンプ・サイトだけがオープンしていたのだ。ジャスティンの学生時代からの音楽仲間、フィル・クックがきわめて内陸部の香りのするオーセンティックなアメリカン・ロックで雨上がりのキャンプ場を大いに盛り上げ、僕はミネソタから来たというやたら人懐こい兄ちゃんに謎のアルコール・ドリンクを分けてもらい、テントで爆睡するのだった。

 そして翌日。2日とも見事な快晴となったフェスティヴァルは最初から最後まで作り手の気持ちのこもった、温かいイヴェントだった。自然のなかであるフェスという意味では、日本だと〈フジロック〉なんかとイメージとしては近いとは思うけれど、もっと小規模だしDIYだし、なんというかもっといなたい。手作り感のある飾り付けがエントランスに施され、広場にステージがドン、ドンとふたつ立っていて、背後には雄大なチッパワ川。収益のためにVIPチケットもあるのだけれど、その特典がビールを含むドリンク飲み放題というのは笑った。いい音楽と美味いビールにもっと酔っぱらいたいやつらのためのフェスなのだ。案の定というか何と言うか、飲み放題のビールは1日めで予定量がなくなり、2日めスタッフの兄ちゃんが「いま急いでストックを運んでるところだから!」と叫んで、みんなイエーと答え、そして到着後さらに飲んでいた。

 2万人強とオーディエンスも少なくはないが、スペースがかなりあるのでフリスビーで遊びまくっているグループもチラホラいる。しかもみんな開放感もあってかフレンドリーだ(ヒゲ男子はかわいいし)。アジア人が珍しいのか不憫なのか、ピザをくれたり(なんで?)、お菓子をくれたり、ビールをくれたり、バンバン話しかけてくる。「きみたち日本人? メルト・バナナは観るの?」
 そう、メルト・バナナも出演していた(大人気だった)。フォークやインディ・ロック色が強いとはいえじつはラインアップの幅も広く、スプーンのロックとブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマのゴスペルとジョン・ミューラーのドローンとサム・アミドンのフォークがカブっていたりする。ただ、基本的にはジャスティンとアーロン・デスナーの知人・友人として招かれているミュージシャンが多く、メルト・バナナもジャスティンが10代のときにライヴを観ていたく感銘を受けたというある種の感傷的な理由で呼ばれている。キュレーションにも作り手の想いがよくよく反映されているし、オーディエンスもそのことをよくわかっているのだ。

野外フェスティヴァルのステージが、アメリカの田舎のダイナーでのライヴ風景と重なっていく。
……本当に音楽が中心にあるフェスティヴァルだった。

 素晴らしい演奏がたくさんあった。ザ・ナショナルの双子のデスナー兄弟は元ムームの双子姉妹と小さなステージに現れ、サム・アミドンはオーディエンスを引き連れてステージの下でフォークロアをみんなで歌い、スプーンはソリッドなロック・サウンドを簡潔になかば暴力的に叩きつけ、ヴァージニアの超ファンキーなブラス・バンドであるNO BS!ブラス・バンドはさまざまなステージに飛び入りしていた。カントリー系のシンガーソングライターであるスターギル・シンプソンが「じゃあブルーグラスをやるよ」と言って演奏を始めた瞬間、僕は電撃を食らったような気持ちになった。そうだ、日本ではほとんど知られていないこうしたカントリー・シンガーの存在がアメリカの内側で音楽を支え、そしてそれらはどこかで確実にボン・イヴェールやスフィアン・スティーヴンスとも繋がっているのだ。野外フェスティヴァルのステージが、アメリカの田舎のダイナーでのライヴ風景と重なっていく。アメリカという土地の音楽の層の厚さ、その広大さには唖然とするばかりだ。
いっぽうでコリン・ステットソンのようなエクスペリメンタルの極を描く瞬間もあり、ピースフルななかにひそかなスリルも併せもっているところもニクい。オーディエンスも真面目な音楽好きが多いのか、演奏中に大声でダラダラくっちゃべったりしていない……本当に音楽が中心にあるフェスティヴァルだった。

このフェスの顔となった中西部出身のシンガーとバンドたちはみな、その地名を含んだ曲を演奏し歌った。それはでき過ぎた偶然だったのだろうか?

 このフェスの顔となった中西部出身のシンガーとバンドたちはみな、その地名を含んだ曲を演奏し歌った。それはでき過ぎた偶然だったのだろうか? だけど僕にはただ、そのことが甘美な体験に思えたのだ。

ミツバチの群れが俺をオハイオに運んでいく
俺は結婚しなかった だけどオハイオは俺のことを覚えていない
ザ・ナショナル “ブラッドバズ・オハイオ”


 ザ・ナショナルはいまのアメリカを代表するロック・バンドとして、あるいは中西部生まれのしがない市民の心情の代弁者として、堂々たるトリをやってのけた。とにかく大人気で、みんな歌う歌う。グレイトフル・デッドのカヴァーを挟みつつ、ゲストにスフィアンとジャスティンを呼んでオーディエンスを狂喜させる。この貫禄は、セクシーなバリトン・ヴォイスを持つマット・バーニンガーが書く歌詞とも大いに関係しているのだろう。ザ・ナショナルが歌っているのはいつも、名もなき市井の人びとの悲しみや孤独、それに疲労感だ。だがそれがそこに集まったオーディエンスの合唱となるとき、それはたしかな高揚となる。

僕はたくさんの過ちを犯した
心のなかで 心のなかで
スフィアン・スティーヴンス  “シカゴ”

 スフィアンは……それほど大きくないヴォリュームで演奏された彼の歌は、なんて悲しいのだろうと思った。前半、新譜からの切ないフォーク・ソングが多く選曲されたこともある。だけど、踊りながら歌う『ジ・エイジ・オブ・アッズ』の“ヴェスヴィアス”も、『イリノイ』収録の“カモン! フィール・ザ・イリノイズ!”のめくるめく変拍子も、ブラス・バンドを招いての華やかな“シカゴ”も、その根っこはとてもとてもサッドだ――「スフィアン、内なるパニック」――誰も理解できない、恐らく本人さえも扱えない内面の混乱がそこにはあり、彼はそれをファンタジックな「語り」にするばかり。それが楽しければ楽しいほど、チャーミングであればあるほど、キリキリとした痛みが尾を引いていく。アメリカそのものを祝うはずの独立記念日モチーフとした“フォース・オブ・ジュライ”では狂おしく「僕たちはみんな死ぬんだ」と繰り返し、張り詰めた空気がそこに立ち現われていた。周りを見ると、誰もがただただ立ちつくしている。僕にはアメリカ人がこれを聴いてどう感じるのか想像しきれないけれど、豊かで勇ましいアメリカとは違った、物悲しく貧しく、だけどささやかなファンタジーと物語が宿るスフィアンのアメリカが愛おしくてならなかった。

だから僕はその指を頼りにする
きみが再び証明してくれるから
ボン・イヴェール  “ブラケット、ウィスコンシン”

 ジャスティン・ヴァーノンはそして、相変わらず飾らないナイス・ガイで……相変わらず度を越した理想主義者だった。彼はこの2日間半で、この町の音楽的な土壌の豊かさを証明し、そのことを祝福した――少しばかり感極まり、「言うべきことはたくさんあるけれど……グッド・ジョブ! きみたちは正しい選択をしたよ!」と冗談めかして笑ってみせた。そこに集まった2万人全員が彼のことを愛していたし、それに何か、彼のことを誇りに思っているようだった。それはきっと、ごく普通の青年が彼の誠実さでこの音楽的な共同体を生み出したことへの敬意だ。ザ・ステーヴス、Yミュージック、コリン・ステットソン、それにジャスティンいわく「このフェスティヴァルのMVP」であるNO BS! ブラス・バンドら、フェスティヴァルの出演者が次々に現れて彼と彼のバンドとともに大団円を作り上げていく。ボン・イヴェールの音楽はスフィアンとはそれぞれ美しく対照的に、傷や孤独を抱えながらそれでも地に足をつけて前に進もうとする、タフなものだった――「僕が失ったかもしれないものは、僕を引き止めたりはしない」。それは合唱となり、わたしたちの宣言としてオークレアの夜空に吸い込まれていく。アンコールでは新曲を2曲披露してバンドの先を仄めかし、ジャスティンは5年前に日本で見たのと同じようにノシノシと長身を揺らしつつ去って行った。

 間髪入れずにNO BS! がステージの下に降りてきて、マイクを通さずブリブリとファンキーなナンバーを演奏する。みんな踊っているし、笑っている。「あと一曲だけやるよ!」……わはは、なぜかアーハの“テイク・オン・ミー”だ。Take on me, I’ll be gone……僕のはじめての海外フェス体験は、その楽しい合唱で終わっていった。そうだね、I’ll be gone.
 5年前、大阪でジャスティンに厚かましくも「ウィスコンシンでいつかあなたのステージが観たい」と言ったら、彼はとびきりの笑顔で「ぜひ来てよ!」と言った。それはもう叶ってしまったけれど……僕はきっとまた、この愛おしい田舎町にやってくるだろう。

(Special thanks to Yusuke Fukuda!)

Vashti Bunyan Japan Tour 2015 - ele-king

 フォーク・リヴァイヴァルというのがあったんですね。数年前のことだけど。アニマル・コレクティヴやデヴェンドラ・バンハートが人気だった時代、温故知新的に脚光を浴びたひとりに、たった1枚のアルバムを残して消えた、伝説の女性SSWのヴァシュティ・バニアンがおりました。彼女は実に30年ぶりにカムバックを果たすと、その新作は新しい世代のあいだでも評判となって、そして素晴らしい初来日公演も果たしています。

 9月、5年ぶりに彼女が来日します。どうか見逃さないで下さい。ひょっとしたら、最後になるかもしれません。彼女についてはこちらの記事も参照しましょう。また、今回のサポート・ギタリストであり、フォーク・シンガーでもあるガレス・ディクソンが1日限りのライヴを披露します。こちらにも注目してください。

9月22日(火・祝)京都教育文化センター
9月24日(木) & 9月25日(金)東京・キリスト品川教会

■詳細:https://www.inpartmaint.com/site/13670/

【Gareth Dickson Live in Tokyo 2015】
Vashti Bunyan来日ツアーのサポート・ギタリストとして帯同するガレス・ディクソンの1日限りのソロ公演が決定!

9/26(土)世田谷美術館

■詳細:https://www.inpartmaint.com/site/14159/


赤塚不二夫生誕80周年企画 - ele-king

 秋と言えば学園祭の季節、 一足早く、バカ田大学の学祭情報なのだ!!
 ライヴ出演は電気グルーヴとスチャダラパー(ちなみに、アニも出演した舞台『レッツラゴン』はそうとう面白かったのだ!!)、バカ田大学特別講師として三上寛と宇川直宏のトークもあるのだ!! ちなみに大学祭がおこなわれる9月14日は、赤塚不二夫先生のお誕生日なのだ!!

 そして、この日を皮切りに、赤塚不二夫先生の生誕80周年がはじまるのだ!!
 実は、ele-kingからは、9月14日に『赤塚不二夫 実験マンガ集』と『破壊するのだ!!──赤塚不二夫の「バカ」に学ぶ』を2冊同時発売。会場内でも売らせていただく予定なのだ!!
 笑いのない人生なんて……賛成の反対なのだ!!
 9月14日はみんなバカになるのだ!!

公演概要

■公演日時 2015年9月14日(月) 開場:18:00/開演:19:00
■会場 渋谷CLUB QUATTRO
■料金 スタンディング/6,500(税込) 生誕80年記念ステッカーつき
※ご入場時、別途ドリンク代が必要です(500円)
※3歳以上要チケット
※記念ステッカーは公演当日、ご入場時のお渡しとなります。
★本日8/1よりオフィシャル先行予約開始(8/7 12:00まで):https://w.pia.jp/t/akatsukafujio/
オフィシャルHP:https://tadpole-lab.com/fujio80/
お問い合わせ ディスクガレージ 050-5533-0888 (平日12:00-19:00)

赤塚イズムとは・・・
昨今、様々な未曾有の出来事が多い中、経済の閉塞感もあり、日本国民が委縮しているのではないかと考えました。ギャグ漫画の帝王「赤塚不二夫」が描いてきたマンガそして幅広い人脈と活動そのものがイズムであると言えます。これを機に気づきを与え、日本が活気満ち溢れる国になることを願い推進したいと考えています。


interview with Cornelius - ele-king


Cornelius
Constellations Of Music

ワーナーミュージック・ジャパン

PopsSoundtrack

Tower HMV Amazon

 ことオリジナル・アルバムに関しては寡作で知られるコーネリアスだが、オリジナルに匹敵する彼ならではの創意と工夫と閃きの賜物であるリミックス作品を集めたコンピレーション・シリーズ『CM』は、これまで4作リリースされてリスナーの渇きを癒す一方、こうした他流試合は来るべき新作への実験の場としても有効に機能してきた。

 そして、リミックスはもとよりプロデュースやコラボレーション作品、未発表の新曲、カヴァー曲など近年のワークス13曲をカラフルに散りばめた最新コンピレーションが、本作『Constellations Of Music』である。タイトルを直訳すれば「音楽の星座」。

 英和辞典を引くと、“constellation”には、①《天文》星座;(天空における)星座の位置 ②そうそうたる人々の一団、きらびやかな群れ;(…の)一群((of …)) ③《占星》星位、星運 ④《心理学》布置、という意味がある。

 「布置」とは聴き慣れない言葉だが、ユング心理学の概念のひとつで「共時性」(synchoronicity)を指す。複数の物、人、事柄などの配置が織り成す相関関係という意味にも使われる。個人の心の中の状況と、外側で偶然に起こる出来事──まったく無関係に思える物事が、あるとき不意に、まるで星座のようにひとつのまとまりを持って結びつき、トータルな意味合いとして理解できるようになる。そうした連鎖や気づきを「コンステレーション」と呼ぶのだ。

 古来より世界中の人々は、地域性や民族性を反映しつつ、どこか共通する要素を持った神話や伝説を育んできた。近現代の天文学で定められている88星座の中に、なぜか「さる座」は見当たらないが、その欠落をもはや見過ごすわけにはいかないと思ったのだろう、小山田圭吾は、偶然のように集った10個のきら星――グラミー受賞者と候補二組(鳥と蜂、猿本人)、野牛娘ひとり、ペンギン、魚、幽霊などを含む――に必然的な繋がりを見出し、限りなくイマジネイティヴに「音楽の星座」を描いてみせてくれた。

 個々の星ぼしの歴史に想いを馳せれば、彼らを産んだ親たちや祖父母の代まで遡ることが可能だ。20世紀という複製文化の黄金時代に花開いた、信じられないほどに豊かなポピュラー・ミュージック(大衆音楽)の甘やかな調べ。それらを創り、歌い、奏でたソングライターや歌手や演奏家たちは、次々に星となって天に召されてゆく。時を超え、世紀を跨いで遺された録音物から、彼らの魂が「偶然」再生される。それに霊感を受けた次の世代へと、文化の円環は引き継がれていく。星の彼方へ、遙かな未来に向けて――。

 Ah Dareka Tooi Basyode / Ah Onaji Youna omoi / Tooku Umiwo Koete Haruka (Cornelius“Omstart”)

 星座から遠く離れていって景色が変わらなくなるなら、ねぇ本当は何か本当があるはず……と歌った吟遊詩人(犬)もいたっけ、ね。

■Cornelius / コーネリアス
フリッパーズ・ギター解散後、1993年から開始された小山田圭吾によるソロ・プロジェクト。ソロ・デビュー22年を迎え、国内外多数のアーティストとのコラボレーションやリミックス、プロデュースなどますます幅広く活動する。2008年にリリースされた「Sensurround & B-Side」がグラミー賞のベスト・サラウンド・サウンド・アルバムにノミネート。「UNIQLO」「CHANEL」などのCMや「デザインあ」(NHKEテレ)といったTV番組ほか、映像とのコラボレーションも多い。https://www.cornelius-sound.com/

僕ぐらいの世代だと『ピロウズ&プレイヤーズ』とかさ、ああいうのが根底にあって。

北沢夏音(以下、北沢):この前インタヴューしたときは、このコンピが出ることをぜんぜん知らなかったから、びっくりした。取材のオファーをもらって、こんなにすぐ…!? みたいな。

小山田圭吾(以下、小山田):ねっ、僕も。20年会ってなかったのに、1ヶ月に1回くらい会ってる(笑)。

北沢:こういう感じでこれからやれたらうれしいね(笑)。今回のアルバムは、『CM4』から3年ぶりのリミックス&ワークス集と捉えていいの?

小山田:いちおう『CM』はリミックスって限定してたんだけど、今回はリミックスも、そうじゃないものも入っていて。まぁでも、「Constellation of Music」って「CM」って略せるし、ちょっと近いところではある。

北沢:コラボレーション的なトラックもわりと目立つというか。

小山田:そうですね。あとは僕が何もやってなくて、ただお願いしただけって曲も入っていたりして。ちょっとコンピレーション・アルバム的な感じにしたいなと思って。

北沢:〈トラットリア〉の頃は他にあんまりないような年鑑っぽいコンピをよく作っていたような記憶がある。

小山田:まぁレーベルだったからね。レーベル・ガイド的なコンピレーションみたいなのは、ことあるごとに作っていたんだけど。僕ぐらいの世代だと『ピロウズ&プレイヤーズ』(「99ペンス以上は支払うな」というメッセージと共に1982年のクリスマスに〈チェリー・レッド〉からリリースされ、翌83年にかけて19週連続で全英インディ・チャート第1位を独走したコンピレーション・アルバムの名作。当時〈チェリー・レッド〉のA&Rであり、後年〈トラットリア〉の命名者となるマイク・オールウェイが企画し、ザ・モノクローム・セット、フェルト、アイレス・イン・ギャザ、エヴリシング・バット・ザ・ガールらが参加。84年には日本盤のみで続篇『ピロウズ&プレイヤーズ2』がリリースされた)とかさ、ああいうのが根底にあって。なんかそれ的なね。あの頃はそういうポストパンクのインディ・レーベルなんかが出てきてさ、ガイド的なコンピレーションってたくさんあったじゃん? ああいうものを自分のレーベルでも作ってみたかったんだよね。

北沢:今回のはレーベル・ガイドじゃないんだけど、やっぱり「小山田くんと仲間たち」というような雰囲気があって、そういうものとしても聴けるって感じがするね。国際色豊かなメンツで。

小山田:仲間たちといっても、会ったことのないひとたちもいたりするんだけどね(笑)。

北沢:本当に(笑)? ゴティエとか会ってない?

小山田:ゴティエは会ったよ。

北沢:このなかで会ってないひとってだれ? コーラルレイヴンとか?

小山田:コーラルレイヴンは一度会った。ザ・バード・アンド・ザ・ビーは会ったことない。あ、でも会ったことないのはそれだけだ。

北沢:じゃあけっこう会ってるね。

小山田:うん。でも、一回会ったとかそんな感じ(笑)。そんなに親しいわけじゃ……親しいひとももちろんいるけどね。

(ミッドタウンのBGMは)季節がテーマになっていて、年間で6つくらいに分かれていて。冬、春、初夏、夏、秋、クリスマス、そして冬っていう(笑)。

北沢:資料を見たら、これは小山田くんが担当した東京ミッドタウン・ガレリアのBGMセレクションの企画からはじまって書いてあるけど?

小山田:そうだね。ミッドタウンのBGMを2年くらいずっとやっていたんだけど、それで最後に企画のアルバムを出すって話がきて、そこからこのアルバムに繋がっていったんだけど。このなかに入っている曲もいくつかは選曲したりしていて。

北沢:たとえば?

小山田:1曲めの大野由美子さんのやつとかもそうだし、salyu × salyuの “ハモンド・ソング”とか、ザ・バード・アンド・ザ・ビーもそう。あと、“ナイト・ピープル”とかペンギン・カフェとか。基本的に自分の曲はあんまり選んでいなかったんだけど、こういうコラボレーションものだったりすると、わりと掛けやすいかなと思って。

北沢:じゃあ、実際にミッドタウンでは掛かってたってこと?

小山田:そうそう。それは季節がテーマになっていて、年間で6つくらいに分かれていて。冬、春、初夏、夏、秋、クリスマス、そして冬っていう(笑)。

北沢:なるほどね。クリスマスは特別なの?

小山田:やっぱりクリスマスがいちばん大変だね(笑)。だいたい90分とか選曲するんだけど、90分、2年分、全部クリスマス・ソングってけっこう大変だった(笑)。

北沢:合計3時間(笑)。

小山田:でも、クリスマス・ソングって意外にあるなって思った(笑)。

北沢:小山田くんはクリスマス・ソングって作ってたっけ?

小山田:いや、そこまで具体的なのはないね。

北沢:いつか作ろう、みたいな気持ちはある?

小山田:うーん。自分からはそんなにかな。キリスト教徒なわけでもないし。でも、クリスマスの街の雰囲気は嫌いじゃないけどね。クリスマス・ソングは好き。

北沢:いちばん好きなクリスマス・ソングって何? アズテック・カメラのカヴァー(”Hot Club of Christ”)やってたよね。

小山田:あったね。あれ好きだよ。あのコンピレーションがすごく好き。〈クレプスキュール〉の(所縁のアーティストのクリスマス・ソングを集めた)コンピレーションで、何種類も出てるんだよね。

北沢:『GHOSTS OF CHRISTMAS PAST』、新装盤が出るたび内容も曲順も少しずつ入れ替わってて。あれはジャケもいいよね。
小山田:毎年クリスマスくらいになると思い出して聴いてるよ。

北沢:そういうの、なんかいいなって思うから、小山田くんもいつかさりげなく作ってほしいな。

(*本作におけるコーネリアスの新曲“Tokyo Twilight”のタイトルは、『GHOSTS OF CHRISTMAS PAST 』にアズテック・カメラと並んで収録されているブリュッセルのポストパンク・バンド、ザ・ネームズの曲名の引用ではないか、と後日レコードを引っ張り出して気づいた。エキゾチック・サウンドの名曲“スリープ・ウォーク”で知られるサント&ジョニーにも同名異曲があるが、そちらは小津安二郎監督の映画『東京暮色』の英題から採ったのかもしれない)


■大野由美子 / Escalator Step

北沢:さて、僕は『CM』のシリーズが好きで、毎回楽しみにしてるんだけど、今作用に小山田くんがリクエストして録り下ろされたという1曲めの大野由美子さんの“エスカレーター・ステップ”を聴いて、これぞまさしくラウンジなエスカレーター・ミュージックで、しかもペリー&キングスレーみたいな感じがした。

小山田:うん。まさにそんな感じで。BGMセレクションで、ああいうエレベーター・ミュージックっていうか、60年代とか50年代のショッピング・センターとかでなんとなく流れていそうな曲っていうのをたくさん選曲してた。それで何曲かに1曲はそういうものが欲しいなと思ってたんだけど、自分のレパートリーになくて。それにライセンスするのもけっこう大変。けど大野さんだったらこういうものが作れるだろうとわかっていて(笑)。大野さんはソロでけっこうそういうものを作っていたりしているんだよね。あっ、ソロっていうか……

ああいうエレベーター・ミュージックっていうか、60年代とか50年代のショッピング・センターとかでなんとなく流れていそうな曲っていうのをたくさん選曲してた。

北沢:バッファロー・ドーター?

小山田:バッファロー・ドーターじゃなくて、珍しいキノコ舞踏団のサントラを大野さんが作っていて。

北沢:モーグを使ってるの?

小山田:そうそう。で、モーグっていったらもう大野さんだなと思って。「こんな感じの曲を作って」って言ったらパーフェクトに作ってくれました(笑)。

北沢:エスカレーターとか、そういう具体的な場所の名前を伝えたの? 

小山田:具体的なキーワードは言ってないけど、そういうショッピング・センターとかで掛かってるような軽い感じのもの、とかってディレクションはしたかな。

北沢:エレクトリカル・パレードみたいな、アトラクション的な感じもある。ああいう音がかかると、すぐにそういう世界に入り込めちゃうから。

小山田:あと、コンピレーション的な内容にしたかったので、なんか冒頭にそういう曲があるといいなと。

北沢:大野さんは“まだうごく”のミュージック・ヴィデオにも参加してるよね。

小山田:うん。最近、僕がやってるプロジェクトにはほとんど参加してもらってる。『攻殻機動隊』プロジェクトでも、“まだうごく”もやってくれているし、“外は戦場だよ”も“じぶんがいない”も全部演奏してくれていて。salyu × salyuでもバンドのメンバーとしてずっとお世話になっていて。しかもお姉さん役として、女子の面倒を見てくれるから(笑)。

北沢:それを小山田くんがやらなくてすむんだ(笑)。

小山田:そうそう(笑)。本当に頼りになる。

北沢:この1曲めからスーッと心地よくアルバムの世界観に入れるっていうかね。

小山田:そんなに多く言わなくても意図を汲んでくれて。「いい感じによろしく」くらいしか言っていないし(笑)。


■坂本慎太郎 feat. Fuko Nakamura / 幽霊の気分で(Cornelius Mix)

北沢:次は坂本慎太郎くんの“幽霊の気分で”のコーネリアス・リミックス。これは7インチ・ヴァイナル・オンリーだったのかな?

小山田:最初は「サウンド&レコーディング・マガジン」の企画だったんだよね。リミックスが付録のCDに入ってた。で、そのあとに坂本くんのレーベルから7インチが出て。CD盤になったことはなかったんだけどね。

北沢:坂本くんのファースト・ソロアルバムに入ってるオリジナルは、いちおう基本的には坂本くんが歌って、(ナカムラ)フーコさんはコーラスだったんだけど、こっちは完全にデュエットになってるね。

小山田:どちらかというとフーコさんのほうを前に出した感じかな。

北沢:これ、バック・トラックにモーグが入ってる?

小山田:モーグは入ってないんじゃないかな。

北沢:なんか1曲めから自然に繋がるような、そういう感じがしたんだよね。

小山田:モーグじゃないけどシンセ・ベースは入っていたかもしれないね。

北沢:坂本くんの原曲ってけっこうエキゾなムードがあるじゃない? それも生かされているような気がして。

小山田:ギロが入ってるのが印象的だよね。

ギロが入ってるのが印象的だよね。

北沢:そのせいだ(笑)。

小山田:だからギロは残したんだけど。普通のポップ・ミュージックにギロが入るのって、あんまりないと思うけど、そこはやっぱりセンスがいいなって思った。

北沢:アンオフィシャルなヴィデオ──舞台は外国で、メキシコ人みたいな感じの男女が出ていたりするんだけど──がネットに上がってて、それが妙に曲に合ってて、いいんだよね。観てない?

小山田:なんか坂本くんがiPadで作ったやつは観たけどね。

北沢:どんなやつ?

小山田:あれって“幽霊の気分で”じゃなかったっけ? 最初に作ったやつ。なんか犬とか出てきて。アニメのやつ。

北沢:アニメのやつは“幽霊”じゃなくて“君はそう決めた”じゃないかな。“幽霊”の謎のヴィデオは、完全にロケで、たぶんメキシコだろう、じゃなきゃ南米だろうって感じの場所で。なかなかよかったよ。

小山田:ギロに引っ張られてそうだね。

北沢:テンポ的にもね(笑)。そういうムード音楽みたいな気配も増幅されてて、すごくいいね。このリミックスは、狙いとしては、ギロからインスパイアされたの?

小山田:ギロって言うよりも、印象をちょっと変えたいなと思って。ナカムラ・フーコさんの声がすごく素朴な感じでいいなと思って、彼女をもうちょっとフィーチャリングしたかったというのと、あとは「幽霊」ってことばにけっこう引っ張られたかな。僕のなかでの幽霊のイメージは、フレクサトーンって楽器なんだよね。おろし金みたいなものに玉がふたつ付いていてベンドができるんだけど、音がだんだん上がっていくみたいな……お化け屋敷とか昔のおばけの効果音に使われているラテンの楽器。それをけっこう使ったんだよね。

北沢:ラテンなんだ。なるほど、だからエキゾな感じがあるんだね。

小山田:なんかユーモアがあるというか、そういうイメージで作った。あとは、坂本くんに『攻殻』とかsalyu × salyuとかお願いすることが多かったんで、逆に恩返しができてよかったなぁと。


■The Bird And The Bee and Cornelius / Heart Throbs And Apple Seeds

北沢:冒頭の2曲でもうかなり引き込まれちゃう。で、3曲めがザ・バード・アンド・ザ・ビー。これはセカンド・アルバムの『レイ・ガンズ・アー・ノット・ジャスト・ザ・フューチャー』にそのまま入ってるよね。

小山田:これはボーナス・トラック的なやつじゃないかな。

北沢:そうだ、日本盤のボーナス・トラックだったね。これは彼らから依頼が来たの? それとも日本のレコード会社から?

小山田:これはもともと車のCMというのが最初にあって、女性向けの軽自動車みたいな車のCMだったんだけどザ・バード・アンド・ザ・ビーを使って何かやるって企画で、日本のアーティストとコラボしたいというので、彼らが僕の名前を出してくれて、やってみようかという感じで。

北沢:それまでに彼らのことは知ってた?

小山田:うん。知ってた。ファーストのFMでヒットした“アゲイン&アゲイン”とか。ローウェル・ジョージの娘のヴォーカルのイナラ・ジョージは、僕の『Sensuous』をアメリカで出してるレーベル(Everloving)からソロのレコードを出していて。それでそのレーベルのひとからレコードをもらっていたんだけど、けっこう気に入って聴いちゃった。ソロはもうちょっと暗いフォークみたいな感じなんだよね。あんなにポップではない。

北沢:そうなんだね。聴いたことないな(※あとでイナラのアルバム『All Rise』を聴いたが素晴らしかった)。ザ・バード・アンド・ザ・ビーは僕も好きで、これは小山田くんも絶対好きだろうなって思ってた。

小山田:カーディガンズとかみたいなFM乗りのいい曲だね。

北沢:あと、テイ・トウワさんがジョアン・ジルベルトの娘(べべウ・ジルベルト)をフィーチャーしていたのを思い出した。

小山田:あれすごく好き。

salyu × salyuをやっていた頃と近いプロダクションだね。

北沢:“プライヴェート・アイズ”(ダリル・ホール&ジョン・オーツ)のカヴァーつながりで連想して。ちょっと甘いんだけど、絶妙なさじ加減だよね。これもハーモニー・ポップって感じかな。

小山田:そうだね。salyu × salyuをやっていた頃と近いプロダクションだね

北沢:でも隠し味的に電子音が入っていて、そういうものがやっぱり繋ぎとしても生かされている気がする。

小山田:これはわりと共作みたいなかたちで、こっちでほとんどまとめたんだけどね。グレッグ(・カースティン)っていうもうひとりのひともちょっと楽器を弾いてくれたりとか、アレンジをちょっとやってくれたりして。完全に僕が作ったって感じではなくて、彼女も歌詞を書いて。ただ、データのやり取りだけでやっていたので、一度も会ってはいなくて。

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■salyu × salyu / Hammond Song


Cornelius
Constellations Of Music

ワーナーミュージック・ジャパン

PopsSoundtrack

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北沢:それで、次に当然のようにsalyu × salyuが入ってくるわけだね。“ハモンド・ソング”はツアーでだけ販売していたんだよね?

小山田:会場でだけ売っているCDに入っていたんだけど、salyu × salyuのライヴでずっとやっていたんだよね。で、一枚しかアルバムが出てないんで、ライヴ1本をやるには曲が少ないからカヴァーも何か考えようと思って、それでこの曲を選んだんだけど。もともとはロバート・フリップがプロデュースしていた、ローチェスっていう三姉妹がやってた曲で。原曲はその3人のコーラスで、大好きなんだよね。それがピッタリだと思ったし、難しいコーラスでも彼女たちならできると思ってね。

北沢:すごくメロディがきれいだよね。これは本当に最近のコーネリアス印っていうか、アコギとシンセ・ベースをけっこう多用しているよね?

もともとはロバート・フリップがプロデュースしていた、ローチェスっていう三姉妹がやってた曲で。原曲はその3人のコーラスで、大好きなんだよね。

小山田:うーん、どうだろうね。アコギもシンベもよく使うけどね。このトラックに関しては僕はほとんど何もやっていなくて、ギターはsalyu × salyuでコーラスをやってる(ヤマグチ・)ヒロコちゃんで、シンベは大野さんで、コーラス・アレンジは全部Salyuがやってくれた。僕は最後に「ちーん」って鐘の音を鳴らしたんだけど、それだけやってる(笑)。

北沢:全体を見ていただけみたいな?

小山田:そうですね。

北沢:ときどき声はいじってる?

小山田:いや、いじってないです。ほぼ一発録りに近いです。ライヴでやってたし、Salyuたちは本当に上手なので。

北沢:これは前半のハイライト・ソングになってるなあって思った。

小山田:本当にいい曲だから。


■Cornelius / Holiday Hymn

北沢:で、次がコーネリアスの新曲“ホリデイ・ヒム”。

小山田:これは新曲というか、もともとは無印良品のCMというか──店内とかウェブで掛けたりする用に作った曲で、それをアルバムのために展開を加えたりして1曲にして。もともとはループが延々と繋がっているみたいな。

北沢:口笛は最初から?

小山田:うん。

本当に昼間のイメージ。

北沢:アコギのカッティングと口笛の多重録音とスティール・パンが入ってて、小山田くんらしいユーモアのセンスが感じられるすごくナイスなトラックだなと思った。聴いていてリラックスするよね。

小山田:ネガティヴな要素が何にもないんだよね(笑)。本当に昼間のイメージ。あと、無印良品的なナチュラルな印象というか、そんな感じで作った曲で。

北沢:曲名はヴィック・ゴダードから。大好きな曲なんでニヤっとしちゃう。


■Korallreven / Try Anything Once(with Cornelius)

北沢:次がコーラルレイヴンの“トライ・エニシング・ワンス”。これはJET SETに新譜を物色しに行ったときに、「あれ、小山田くんが参加してる」って発見して驚いた。彼らのアルバムにも入ってるよね。

小山田:うん。入ってるね。

北沢:12インチも出ているみたいで、それは持っていないんだけど。これはどういうところからきた話なの?

小山田:突然連絡があって、「日本にいるんだけど会いたい」って言われたんだよね。僕はコーラルレイヴンってぜんぜん知らなくて、「なんだろうな」って思ってた。たまたま空いていたのでここ(事務所)に来たよ。

北沢:あっ、ライヴじゃなくてここに来たんだ(笑)。

あんまり、っていうかほとんどないんだけど、(自分が)歌だけで参加するっていう(笑)。

小山田:なんかぜんぜん仕事とか関係なくて、日本に普通の旅行で来たんだって(笑)。友だちが日本に行くからついてきて、そのついでに僕のとこに来たんだって。まだ若い子で20代だった。ふたり組で片っぽの子(マーカス・ジョーンズ)が来たんだけど、「いま新譜を作っていて、なんかコラボレーションをしたい」って言ってて、Youtubeで音を送ってもらったらわりとよかったから、会ってみようかなと。そしたらコーネリアスに“ドロップ”って曲があるんだけど、あの曲がすごく好きみたいで。プロダクションでコーラスがだんだんと重なって和音になっていくみたいな、変わったことをやっているんだけど、ああいう感じの声とアレンジが欲しいって、すごく具体的に言われて。それで彼がトラックを送ってきて、それで僕が歌を入れて返してっていうコラボレーションで。あんまり、っていうかほとんどないんだけど、歌だけで参加するっていう(笑)。だから僕はオケはほとんど何もしてない。

北沢:イントロのハモりがモロにコーネリアス調っていうかね。だからこれをやりたかったのかな、みたいな。あとブリッジのコーラスか。これは声をちょっといじってるよね。

小山田:そうだね。オートチューンとかでいじったりしてるし。

北沢:でもなんか懐かしい感じ。80sのエレポップみたい。チャイナ・クライシスとか、ギャングウェイとかさ。

小山田:フラ・リッポ・リッピとか。

北沢:そう! その感じだよね。ネオアコ感のあるエレポップ。

小山田:そういう感じで僕はすごく好きなんだよね。いまあんまりないような感じだから。

北沢:そうだねえ。これはイギリスの子たち?

小山田:スウェーデンの子たちなんだって。エレポップっぽかったからそういう話をしたんだけど、けっこう若い子だったからぜんぜん知らねぇって感じで(笑)。

北沢:フラ・リッポ・リッピもギャングウェイも知らないの?

小山田:知らない。ディペッシュ・モードすら知らなかった(笑)。ティアーズ・フォー・フィアーズとかも知らない。

北沢:えー! そんな若いの?

小山田:若い。24、5なんじゃないかな。

北沢:えー。ティアーズ・フォー・フィアーズも知らないんだ、信じられないな。

新人だろうがベテランだろうがあんまり関係ないけどね。おもしろそうだったらやるって感じで。

小山田:最近のナウいやつのほうが好きみたいだよ(笑)。なんかヨーロッパのああいう感じはあるよね。イギリスでもない、北欧系みたいな。

北沢:そうか。ほんとにフラ・リッポ・リッピとかチャイナ・クライシスを思い出した。やっぱりふたり組か、っていうね。

小山田:男のふたり組でね。

北沢:この曲は今回のアルバムの中ですごくいい息抜きになってる。

小山田:84、5、6年の感じかな。

北沢:こういうのが好きでいっぱい聴いてたな。

小山田:こういう感じもう忘れ去られてるよね。

北沢:ここら辺は、いま、もうちょっと顧みられてもいいのにね。でも向こうからぜひという要望だったんだね。声だけのコラボっていうのはあまりないにせよ、そうやって向こうからやりたいってオファーがあって実現する例って、けっこう多いの?

小山田:うん。まぁ、ちょいちょい。逆にこっちからいくことはあんまりないかも。

北沢:海外のアーティストと国内のアーティストを比較するとさ、もちろん顔を合わせられるっていうのは国内のいい点だと思うけど、最近の音楽の作り方としては、データのやり取りだけっていうのも多いじゃない? そういう意味では、日本人だろうが海外のひとだろうがあんまり変わらない感じ?

小山田:そうだね。そういう意味ではあんまり変わらないかも。

北沢:逆にいっしょにやってみたいひとっていない? 

小山田:うーん……。あんまりいないかな(笑)。

北沢:こういうのって具体的に話がないと出てこないよね。こういう未知の新人とやるのも、きっとおもしろいよね。

小山田:新人だろうがベテランだろうがあんまり関係ないけどね。おもしろそうだったらやるって感じで。


■Cornelius / Night People

北沢:次は全編通して小山田くんが歌っている“ナイト・ピープル”。これはリトル・クリーチャーズの20周年記念トリビュートなの?

小山田:そうだね。トリビュート的なやつで。さっきのコーラルレイヴンは歌っているというよりもコーラスだったけど、この曲はこのアルバムで唯一ちゃんと歌ってる。

北沢:そうだよね。これはそれこそ“まだうごく”と全体のムードがちょっと似てるというか、スローでメランコリックで。リトル・クリーチャーズの原曲も英語詞なんだけど、『Sensuous』にフランク・シナトラのカヴァー(“スリープ・ウォーム”)があるじゃない? あの感じとも共通してるムードが……。

小山田:小山田:うん。あるかもね。

北沢:“ナイト・ピープル”っていうことばだけでも何か感じるものはあるよね。ちょっと原詞の内容を把握してないんだけど、原曲のヴィデオを観たら、メンバーが夜勤の工員さんとか残業中の会社員に扮していて、頑張って仕事しながらも心は闇夜に漂ってる、みたいな感じ。小山田くんのカヴァーも、ヴォーカルの少し潤んだ感触や曲全体のムードからメランコリーが伝わってくる。これは小山田くんが選んだの?

小山田:そう。リトル・クリーチャーズのなかですごく好きな曲で、これがやりたいなって思ってた。

北沢:彼らは和光の後輩なんだね。

小山田:そうなんだけど、僕が高校3年生のときに中3だから、学校では会った記憶がないの。でも、僕が高校のときにやってたバンドを中学のときに観たって言ってた。

北沢:学内でやってたバンド?

小山田:そうそう。中学と高校とがつながっているから。音楽室とかでジーザス&メリーチェインのコピー・バンドとかやってた(笑)。

音楽室とかでジーザス&メリーチェインのコピー・バンドとかやってた(笑)。

北沢:何年くらいのことだろう?

小山田:84年にジーザスがデビューしてるから、85年かな。

北沢:“ネヴァー・アンダースタンド”とかやってた?

小山田:やってた(笑)。

北沢:やっぱり(笑)。“ユー・トリップ・ミー・アップ”は?

小山田:やってたやってた(笑)。

北沢:そこら辺だ(笑)。すごい初期。

小山田:ファースト・アルバムだもんね。

北沢:ドラムがボビー・ギレスピーの頃。すごいな。和光ってやっぱり変わってるな。そんなの高校でやってるひと、当時はそんなになかったんじゃない?

小山田:うーん、わかんないな。でも世の中はボウイとかレベッカだよね。

北沢:そうだよね。クリーチャーズが『イカ天』でグランプリを取ったときって、もうフリッパーズだっけ?

小山田:フリッパーズ・ギターがデビューする直前に、僕は交通事故にあって、病院に入院していたんですよ。3ヶ月くらい入院してて、病院のベッドでこっそりタバコ吸ってたら、病院のひとに怒られて、ベッドごと喫煙所に連れて行かれて、一日中タバコを吸いながらベッドで寝てる時期があってね(笑)。そこにちょうどブライアン・バートンルイスが入院してて。あいつ高校生だったんだけど、そこで初めて出会って、ブライアンとその喫煙所でずっとテレビを観てて、そこに映る優勝したリトル・クリーチャーズをはっきり覚えてるよ(笑)。

北沢:そのときは面識はなかった?

小山田:うん。面識はぜんぜんなかった。

北沢:和光っていうのも知らなかった?

小山田:それは噂で聞いて知ってて、すごくかっこいいなと思ってた。

北沢:だってまだ18とかでしょう?

小山田:だって僕が19だから、高校生で16歳とか17歳ですよ。

最初から大人っぽくて、完成されてたよね。

北沢:俺もテレビで観たよ。天才少年バンド現る、みたいな。しかも英語詞だった。

小山田:ね。最初から大人っぽくて、完成されてたよね。

北沢:“シングス・トゥ・ハイド”とか“ニード・ユー・ラヴ”って曲を覚えているな。モータウンっぽいR&Bにジャズのスパイスを効かせる、その捻り方がめちゃめちゃ渋くて、とてつもなくセンスいいなって思ってた。でも意外にフリッパーズ・ギターとリトル・クリーチャーズって競演とかないよね。

小山田:フリッパーズのときはなかったね。鈴木(正人)くんとか青柳(拓次)くんとか留学していたでしょう。だからあんまり活動してなかったもんね。

北沢:初めて接触があったのっていつぐらいなの?

小山田:コーネリアスになってから。

北沢:それはいつ頃なの?

小山田:90年代後半くらいかな。でも、べつにいっしょにやる機会とかはそんなになくて、ただコーネリアスで『Sensuous』のツアーのときに、一回いっしょに〈リキッドルーム〉でやったかな。クリーチャーズもそんなに活動していなかったり、僕も海外でライヴをやっていたりとかで、そんなに(機会が)なかった。

北沢:じゃあこのトリビュートが初とは言わないけど、ちゃんとコラボしたのは初みたいな?

小山田:ライヴをやったりとかはあったんだけどね。

北沢:そのライヴ観たような気もするな……。でも当然のように、不思議なくらい近い空気を感じるんだけどね。今作の中に小山田くん自身の歌ものを入れるってことになると、収まるべきところに収まったなって感じがするね。


■Penguin Cafe / Solaris(Cornelius Mix)

北沢:次のペンギン・カフェはどういう経緯で?

小山田:4年くらい前に、六本木であったペンギン・カフェのライヴのオープニングでsalyu × salyuといっしょにやって、そのときに仲良くなって、去年日本に来たときコラボレーションでアルバムを1枚作りたいって話になって。それが最初にあった。アルバムは難しいけど、コラボするのはいいよってことで、そのときにコーネリアスの『Point』に入っている“バード・ウォッチング・アット・インナー・フォレスト”をやってくれて。それでいっしょにコラボをすることになって、このリミックスと合わせてシングルみたいなものにして……去年出たのかな。

北沢:ペンギン・カフェ・オーケストラ名義の頃の初代リーダー(サイモン・ジェフズ)の息子さんがやってるんだっけ?

小山田:そうそう。

北沢:引き継いでやってるって感じなの? おもしろいね。

小山田:うん。メンバーも当時とはぜんぜんちがうひとで、おもしろいよね(笑)。そういうパターンってあんまりないから。でもまったく違和感がなくて完全に同じなんだよね。それがすごいと思う。こういうペンギン・カフェの顔のない音楽っていうか、アイコンがはっきりしないのは、ペンギンだから成立するんだろうなって。でも息子のアーサーもかなり音楽的には才能があるひとだよ。

北沢:同世代?

小山田:たぶんほぼ同世代だと思うんだ。メンバーも僕とだいたい同世代くらいのミュージシャンがやってるの。アーサーは音楽をやっていたんだけど、もともとミュージシャンじゃなくて、探検家みたいなことをやってたみたい。潜水艦に乗ったりね(笑)。それでお父さんが亡くなって、ペンギン・カフェをやることになったらしいんだけど。

もともとミュージシャンじゃなくて、探検家みたいなことをやってたみたい。潜水艦に乗ったりね(笑)。それでお父さんが亡くなって、ペンギン・カフェをやることになったらしいんだけど。

北沢:家業を引き継ぐみたいな。

小山田:そうそう(笑)。バックのひとたちもペンギン・カフェ以外にもいろいろやってるひとで、ゴリラズをやっているひととか。センスレス・シングスっていたの知ってる? ドラムがそこのひとだった。

北沢:90年代のイギリスのパンク・バンドだよね? あんまり聴いてなかったけど名前ははっきり覚えてる。

小山田:何人かそういうミュージシャンがいて。

北沢:ぜんぜんペンギン・カフェっぽくないじゃん(笑)。

小山田:イメージがちがうんだけど(笑)。でもイメージがちがうと言えば、オリジナルのペンギン・カフェのサイモン・ジェフズってシド・ヴィシャスの“マイ・ウェイ”のアレンジをやってたって知ってる(笑)?

北沢:知らなかった(笑)。初耳。

小山田:らしいんだよね。マルコム・マクラーレンと親しかったらしくて、アダム&ジ・アンツとかバウ・ワウ・ワウとかのアレンジをサイモン・ジェフズがやっていたらしい。僕も知らなかったんだけど、ペンギン・カフェをスケシンと観に行って、シンちゃんがそれを知ってて、教えてくれた。

北沢:このトラックはアンビエントなんだけど、けっこう高揚感があって、エモーショナルな構成で、最後に波の音が入ってくる。タイトルの“ソラリス”って、『惑星ソラリス』(理性を持つ“海”におおわれた謎の惑星との交信を描いた、ポーランドのSF作家スタニスラフ・レムの小説をソビエト連邦の名匠アンドレイ・タルコフスキー監督が72年に映画化)から?

小山田:うん。これはそうなんじゃないかな。もともと波は入っていなかったんだけど、『惑星ソラリス』のイメージで、最後に波にしてみたんだけど。

北沢:すごくいいと思う。タイトルのイメージにぴったりの世界になっていて。

原曲との距離の取り方っていうか、それがけっこう難しくて。

小山田:リミックスなんだけど、こういうインストゥルメンタルの曲って、リミックスするのがけっこう難しくて。歌みたいにはっきりとした歌の中心みたいなものってないじゃん? 楽器の組み合わせでできてるっていうか。だから原曲との距離の取り方っていうか、それがけっこう難しくて。

北沢:これは原曲のどこをつかんだの?

小山田:楽曲の持っている音色を外しちゃうとペンギン・カフェにならないから。僕がリミックスするときって歌ものの場合、歌以外のトラックを使わないんだけど、これに関してはけっこう残してあって。弦の感じとか、楽曲のコード進行とかもそんなにいじってなくて。歌ものだと、わりとコードとかもいじっちゃったりするんだけど、そうすると原曲とだいぶ変わってきちゃう。なんかリミックスというよりは別ヴァージョンみたいな感じで作った。

北沢:でもそれが絶妙な感じというか。小山田くんとペンギン・カフェの合体版になってる。

小山田:あと電子音とかをあんまり入れないようにしようとかっては考えたけどね。多少は入っているんだけど。

北沢:ペンギン・カフェっぽくないから?

小山田:そうそう。

北沢:ところで、今回のアルバムのジャケットいいね、ってさっき話してたんだよ。

小山田:本当? よかった。銀が透けるようにするのが大変だったんですよ。

北沢:そこがポイントだもんね。

小山田:そうなんです(笑)。ちゃんとキラキラしてくれないと。

北沢:そうじゃなきゃ星座感が出ないもんね。

小山田:背の厚さが厚すぎると浮いちゃって、中の銀が見えないからやり直して(笑)。

北沢:紙ジャケの風合いもすごくいいし、黒と銀っていう配色も絶妙にハマってるんじゃないですかね。


■Gotye / Eyes Wide Open(Cornelius Remix)

北沢:で、次の曲がゴティエ。ゴティエといえばグラミー賞のレコード・オブ・ザ・イヤーと最優秀ポップ・グループを受賞した、2012年度全世界でもっとも売れたという大ヒットシングル“サムバディ・ザット・アイ・ユース・トゥ・ノウ”。この“アイズ・ワイド・オープン”もシングル曲みたいだね。

小山田:そうみたいだね。たぶん、そのあとのシングル曲なんじゃないかな。

北沢:このリミックスのオファーは向こうからきたの? それとも日本のレコード会社から?

小山田:これは彼からだね。もともといまみたいに売れる前に、オーストラリアをいっしょにツアーしないかって話があった。そのとき僕はぜんぜん彼を知らなかったんだけど、すごくオーストラリアで人気があるって言ってて、オーストラリアをカップリングでけっこう細かくたくさん回りたいって感じのオファーだったんだよね。どうしようかって話しているうちに、曲がドカンと売れて、そのツアー自体が中止になっちゃったことがあったんだよ。世界ツアーで超忙しくなって。それからしばらくして、日本に来て、話してたら、コーネリアスが大好きでオーストラリアにいるとき、いつもツアーで来るたび観に行ってた、って言ってて。

北沢:オーストラリアでも何回かツアーしてるんだ?

小山田:2、3回やっているんだけど、全部観てるって言ってた。
北沢:これはけっこう今回のアルバムのなかでも目立ってるよ。原曲の歌詞を調べてみたら、かなりストレートなメッセージ・ソングなんだね。人類がこのままだと地球は滅びるぞ!っていう警告を発している。これは歌詞を読んでリミックスをしたとかではない?

小山田:作業するときは見たような気がするな。でも、そこまでちゃんと対訳とかを見ながら作ってはいなかったね。

北沢:「人間は地球の歴史という海原に、ほんの短い間、やっと浮かんでるだけなのに、一枚の細い板の上を怖がりもせず大きく目を開けているんだ、終末に向かって……」、つまり人間は自ら滅亡へと突き進んでいるのに、みんなそのことに気がつかないふりをしている、みたいな警告ソング。

イケメンなのに真ん中にいることに居心地が悪そうなところもいいよ。

小山田:ふーん(笑)。けっこう熱い男だね。でもなんかこのひと、山のなかに自分で小屋を建てて、そこをスタジオにして、ひとりで山ごもりみたいな感じでレコーディングしたりしてるとかって言ってて。そうやってストイックにDIYを実践してるひとみたいだよ。

北沢:ヒッピー思想が入っているかもしれないね。

小山田:もともとこのひとはドラマーなんだよね。ライヴを観に行ったらドラムを叩きながら歌ったりしてて、なんか自分が真ん中にいるのが居心地が悪そうな感じだった(笑)。

北沢:もとはフロントマンじゃないんだ。

小山田:イケメンなのに真ん中にいることに居心地が悪そうなところもいいよ。

北沢:いいやつだね(笑)。これ原曲も聴いたんだけど、裏打ちじゃなかった?

小山田:もともとって裏打ちだっけ?

北沢:なんかスカっぽかったような気もするんだけど……。

小山田:原曲が裏打ちだったかどうかははっきり覚えてないんだけど、元とだいぶ変わったような気がする。

北沢:原曲とは出だしからしてちがうものね。(→原曲は4つ打ち。コーネリアス・リミックスは裏打ちのスカのビートに差し替えている)

小山田:声がね、素で聴くとすごくスティングに似てるんだよね。

北沢:似てるよね。これポリスだわって思った。

小山田:スカっぽいところもポリスっぽいっていうか。彼の声を聴いているとポリスを思い出すんだよね。

声がね、素で聴くとすごくスティングに似てるんだよね。

北沢:あとオーストラリアっていうところに引っ張られてね、メン・アット・ワークを思い出す(笑)。あのヒット曲もスカっぽかったじゃん?

小山田:“フー・キャン・イット・ビー・ナウ”か。

北沢:“ダウン・アンダー”かな。あれはむしろレゲエっぽいか。ゴティエもそういう意味では典型的なオージー・ニュー・ウェイヴ感がある。

小山田:それはあるね(笑)。なんか田舎臭いっていうか(笑)。

北沢:素朴な感じがね。でも今回のコンピにこの曲が入っているのとないとでは大ちがいっていうか、ゴティエが入っているから、不思議なメジャー感も注入されていて。

小山田:とはいえゴティエって日本のひとたちはあんまり知らないよね。アップル・ストアに電話をかけると、いつも保留音があの曲なんだよね(笑)。

北沢:邦題が“失恋サムバディ”(笑)。女の子とのデュエット・ソングで。

小山田:キンブラって子とデュエットしてるんだけど、その子とちょっとコラボレーションする企画があったんだよ。

北沢:それはまだ実現してない?

小山田:形にはないってないんだけど。

北沢:この子も歌がうまいし、きれいだし、存在感があって印象的だったね。

小山田:ソロもすごくいいんだよ。

北沢:ニュー・ウェイヴなの?

小山田:ニュー・ウェイヴな感じもある。

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■Plastic Sex / The End


Cornelius
Constellations Of Music

ワーナーミュージック・ジャパン

PopsSoundtrack

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北沢:でもこういうニュー・ウェイヴっぽい曲をやると、小山田くんはすごくハマるね。次はプラスティックセックス。これって中西俊夫さんのユニットなんだね?

小山田:まぁ、中西さんのソロ的な感じなのかな。

北沢:小山田くんはメンバーなの?

小山田:ぜんぜんメンバーじゃないですけど、これだけやったのがけっこう古いんですよ。

北沢:2005年に結成だもんね。

小山田:それ以外はここ4、5年くらいのものなんだけど、これはけっこう前で。たぶん中西さんがロンドンから帰ってきてわりとすぐくらいの頃だったんじゃないかな。

北沢:まだ佐久間正英さんが健在だった頃だもんね。

小山田:そうだね。ただ、そのあとにプラスチックスを再結成したりするんだけど、それよりは前で。その頃、ちょっとプラスチックス的なことをやりたくて中西さんがやってたプロジェクトなんじゃないかな。まだニュー・ウェイヴがリヴァイヴァルする前くらいだと思う。

北沢:ファンキーなニュー・ウェイヴっていう感じだね。小山田くんは何をやったの?

小山田:僕はアレンジ、プロデュース的な感じです。

北沢:これはゴティエのあとに置くしかないっていうか、置き場が他にないっていうか(笑)。

小山田:まぁ、ニュー・ウェイヴという意味では元祖ニュー・ウェイヴだよね。

北沢:トーキング・ヘッズと同列に並んで遜色ないものね。こうしてあらためて聴くと、中西さんのヴォーカルってすごいよね。日本人離れしてるっていうか。

小山田:すごいですよね。男性でああいうヴォーカルって、ホントにいない。

すごいですよね。男性でああいうヴォーカルって、ホントにいない。

北沢:引きつった感じでハイテンション。立花ハジメさんのヴォーカルもちょっと他にないニュアンスがあるなって思うけど、中西さんは完全に外国人っぽいね。

小山田:ノリも外国人っぽいしね。

北沢:けっこう気は合うの?(→『プラスチックスの上昇と下降、そしてメロンの理力・中西俊夫自伝』によれば、プラスチックセックスはもともとは中西氏が小山田くんとなにか一緒にやりたいと思ってはじめた、〈メジャー・フォース〉の相方・工藤昌之氏のように自分と正反対のタイプだからすぐにうまくいった、と)

小山田:合うっていうか、似てるってことじゃないですけど、僕はすごく好きです。

北沢:プラスチックスは日本のバンドのなかでは当時から好きだったの?

小山田:当時はね、そんなに聴いてなかったです。でも、すごい好きです。本当に日本人離れしてますね。本当にカッコいいセンスのいいバンドだなと。〈ラフ・トレード〉からシングルを出してるし。本当に日本のシーンとかを飛び越えてあの時代にインディで向こうで活動してた感じは、YMOよりも自分たちに近かったというか、オルタナ寄りっていうか。

北沢:プラスチックスの海外展開は仕込みなしの自然な流れだからね。


■サカナクション / Music(Cornelius Remix)

で、次がサカナクション。普通のJポップのリスナーにとってはこれがメインって感じに聞こえるんだろうけど、しかもこの“ミュージック”ってサカナクションの代表曲だよね。これはどういう企画だったの?

小山田:これはシングルのカップリング的なことだったのかな。

北沢:「さよならエモーション/蓮の花」のカップリングだね。

小山田:うん。普通に頼まれて。

北沢:サカナクションは聴いてたの?

小山田:僕はそんなに熱心に聴いてたってことはないんだけど、子どもが小学校6年生くらいのときにけっこう好きで、なんか家で聴いたりしているのは知ってて。もちろん存在も知っていたけど、ちゃんとCDを聴いたことはなくて、Youtubeとかで聴いたことがあった。

北沢:4つ打ちのダンス・ロック。それを小山田くんがどう料理するのかなっていう興味だったんだけど、イントロからしてアコギを使った完璧なコーネリアス調に差し替えられていて、踊らせるよりも、歌詞をじっくり聴かせるアレンジかなと。

なんかわりとダンスっぽくなってるんだけど、根幹にあるものはフォーク的なものなのかなと思って、それをまったくの逆にしてみたいなって。

小山田:この曲はうちの子どもが好きで、よく部屋から流れてて。聴いたら僕もけっこう好きで。ただ、なんかわりとダンスっぽくなってるんだけど、根幹にあるものはフォーク的なものなのかなと思って、それをまったくの逆にしてみたいなって。たぶん家で弾き語りで作ったものをダンス調にアレンジしたのかなって感じに思えたので、そのまんまの形に戻してみようかなってイメージで。

北沢:こっちが原型じゃないの? っていう一種の批評だね。

小山田:批評というか、まぁアプローチの仕方として、逆の考え方というか。もともとのトラックは打ち込みとかシンセとか、わりとテクノ寄りのものなんだけど、楽曲自体のメロディとかコードの展開とかすごく多くて、あんまりダンスに向いてないよいうな気がしたっていうか。もうちょっとミニマルじゃないと、やっぱりダンスとかテクノみたいなものにあんまりならないかなって。
それで、僕がイメージした元の形に戻す、みたいなことがコンセプトになったかな。アレンジ的にも、上モノで鳴ってるようなシンセとかを全部アコースティックに変えて、ベースだけ生で入ってたんだけど、逆にそこをシンベにして。

北沢:それもあって、見事にコーネリアス印のリミックスになっているのかな。ラストに入っている鳥のさえずりは原曲には入っていないよね。

小山田:入ってないね。

北沢:歌詞に鳥が出てくるのを踏まえてるし、これが入ることによって、さっきのペンギン・カフェの海の音みたいなアンビエントの要素がそこかしこに散りばめられているのと相まって、アルバムとしてトータルに聴くときに、すごく自然に聞こえて、そこもすごくいいなって思った。これも後半のハイライトかなって感じだね。


■Cornelius / Tokyo Twilight

北沢:次がコーネリアスのもうひとつの新曲“トーキョー・トワイライト”。

小山田:ずっとアルバムを作ろうと思って、曲はずいぶんと作りつづけていて。だからストックがけっこうあるんだけど、このコンピレーション・アルバムを作るときに、足りない要素として、そこから持ってきました。

北沢:エレピと生ピの単音ではじまる、ちょっと水滴を思わせるアンビエント・トラックで、そこに壮麗な響きのシンセが被さってきて、音の要素は少ないんだけど……。ムード的にはザ・ドゥルッティ・コラムを思い出させるというか。ドゥルッティのインストの感じっていうのかな。すごくこの曲好きだけどね。

小山田:ドゥルッティ・コラムは僕も大好きです(笑)。

ずっとアルバムを作ろうと思って、曲はずいぶんと作りつづけていて。-

北沢:最後の一歩手前に置くのにピッタリ。こういう小曲がたくさんストックされている感じ?

小山田:いや。そんなにたくさんってわけでもないけどね。こういうリミックス集でもなんでもいいんだけど、一枚の作品にするときに、歌もの的な濃密なトラックがたくさん並ぶとけっこうお腹いっぱいになるんだよね(笑)。

北沢:とくに後半はけっこう濃いのが(笑)。

小山田:そう。だからやっぱりこういうものがたまに入るほうが、僕的にはしっくりくるんで。

北沢:中西さんとサカナクションのあとだもんね。

小山田:ちょっと濃いよね。


■salyu × salyu / May You Always

北沢:そして最後がsalyu × sakyuの“メイ・ユー・オールウェイズ”。これはザ・マグワイア・シスターズの59年の曲。

小山田:これもやっぱりライヴでカヴァーしてた曲なんですよ。これオリジナルはマグワイア・シスターズなんだけど、いろんなガールズ・コーラス・グループがやっていて、レノン・シスターズっていうひとたちのヴァージョンに比較的近い感じがする。まぁ、ああいう50年代の後半から60年代前半ってこういうガールズ・コーラス・グループってたくさんあって。
それでsalyu × salyuはもともとはひとりで多重録音をして作っていたんだけど、ライヴではそれを再現するためにSalyuの昔の合唱団の友だちとかをスカウトしてきて、salyu × salyuシスターズみたいなのは感じでやってたのね。そういうガール・グループの曲を1曲やりたいなと思っていて、それで僕が選曲したんですけど。

北沢:そうなんだ。すごくハマってる選曲だね。俺はマグワイア・シスターズのヴァージョンしか聴いてないけど、あの頃特有のゴージャスな楽団サウンドにのって、三姉妹がゆったりとハモるっていうノスタルジックなスタイルじゃない? 50sのこの時点ですでにノスタルジックっていう。
salyu × salyuのヴァージョンを聴いたら、テンポは原曲に近いんだけど、歌唱とかハーモニーの付け方も、なるべく似せようとしているような……普段の歌い方ともちがうような気がして、ずいぶん器用なことができるんだなと思った。

小山田:これは3人でコーラスをやっているんだけど。

まったくいじってない。これもほぼ一発録りなんです。オケも。

北沢:ぜんぜんいじってないの?

小山田:まったくいじってない。これもほぼ一発録りなんです。オケも。自分の作品とかリミックスにしても、スタジオ一発録りってことは僕はほぼやらないんだけど、salyu × salyuの2曲に関してはスタジオ一発録りみたいな。

北沢:それは、そうした方が向いてるんじゃないかっていう?

小山田:それもあるし、やっぱりライヴでずっとやってきた曲だったりするから、もう練れてるっていうのもあるかも。

北沢:『Sensuous』のエンディングにシナトラのカヴァーを置いたのと、役割的には……
小山田:うん、かなり近いですよね。

北沢:こんなふうに終わりたいっていうイメージが小山田くんのなかにあるのかな?

小山田:うーん。出口はね。こういう、いかにもというか、ハッピー・エンディングなのはわりと好きです。

最初の曲に入っているモーグとかもそうだけど、そういうものが作られた50年代や60年代って、世の中がこれからどんどんよくなるっていう、未来に対する明るい希望が本当にあったんだろうなって。で、そういう気持ちが人々の間にまだあって、そういう希望がリアルに音楽の形になっていると思うんだけど、なんかそういうものがすごく好きっていうか。

北沢:『Sensuous』のときのインタヴューで、とくに“スリープ・ウォーム”のエピソードが印象に残っていて。……お父さんのレコード棚を整理してたらシナトラのレコードが出てきて、しばらくハマって聴いていたんでしょう? そこでシナトラの人生について書かれた本を読んで、いろいろ複雑な生い立ちから彼の音楽は生まれてきたんだなと。そういうことがわかるような年齢に自分は達したんだな、っていう。
50年代のこうした音楽に惹かれるというのは、ここ数年の傾向なの?

小山田:そうですね。ここ数年というか。若い頃はぜんぜん聴いてなかったですね。

北沢:これはロックンロールじゃない音楽だものね。

小山田:たとえば最初の(大野さんの)曲に入っているモーグとかもそうだけど、そういうものが作られた50年代や60年代って、世の中がこれからどんどんよくなるっていう、未来に対する明るい希望が本当にあったんだろうなって。で、そういう気持ちが人々の間にまだあって、そういう希望がリアルに音楽の形になっていると思うんだけど、なんかそういうものがすごく好きっていうか。いまは絶対に生まれないというか、そういうものだと思うんですよ。

北沢:失われた未来感というかね。

小山田:まだ世の中に明るい希望があった時代の音楽っていうか。

北沢:同じような時代を背景にしても、ドナルド・フェイゲンが『ナイト・フライ』っていうファースト・ソロアルバムを80年代の初頭に出したときは、米ソの冷戦間のムードみたいなものも作品の背景にはあって、実際には50年代から60年代にかけて、世界中が緊迫している時代でもあったと思うけど、こういうシスターズものにしてもシナトラにしてもさ、そういう翳りがないよね。まだまだ楽天的だったんだろうね。

小山田:その時代に生きていないからわからないんだけど、僕はそういうものを感じるんですよ。

北沢:それに憧れる感じ? それとも、それを哀惜というか惜しむ感じ?

小山田:うーん。両方ですね。

北沢:最近の細野(晴臣)さんにもそれを感じるんだよね。

何が主流かもよくわからないですから。

小山田:細野さんとかが最近やっている音楽はそういう感じですよね。

北沢:その名も『Heavenly Music』っていうカヴァー・アルバムは本当に素敵だった。だから小山田くんも、細野さんと共通する心境なのかなと思ってさ。最近の細野さんは、ライヴでもカントリー&ウェスタンとかブギウギみたいなアメリカのポピュラー・ミュージックのオールディーズを熱心にカヴァーしているし、いまは遠く失われてしまった世界に強く惹かれているのかなって。

小山田:それはありますね。でも細野さんはその時代を生きていたひとだし。子どもの頃に身近に感じていたものを、知っているひとが後世に残さなきゃとか、そういうことがあると思うんだよね。
でも僕はもうちょっと距離がある感じがしますね。

北沢:小山田くんのベースになっているのはニュー・ウェイヴ以降の音楽だもんね。でも、距離があるにもかかわらず、いま、50年代のスタンダードなポップスに惹かれていく心境はどういうところからきたの? 現実があまりにも未来がない感じがする? ゴティエ的なメッセージが……(笑)。

小山田:そういうゴティエ的なメッセージはあんまり聞きたくないですね(笑)。

北沢:それはあまりにも現実がシビアだから? それとも小山田くんの性格的に?

小山田:うーん。まぁ、両方ですよね。それよりこういうものをたくさん聴いていたいですよね(笑)。

北沢:こういう音楽が似合う世の中だったらどんなにいいか……とは思うよね。

小山田:そう思いますね。ただ、世の中に足りてないな、というものだとは思うので。

北沢:たしかに小山田くんの音楽活動って、世の中にこれが足りないぞっていう空白を埋める歴史のような。

小山田:そうですかね……。

北沢:そういう気がするけど。だって世の中の主流みたいなことを一回もやったことがないじゃん。

小山田:わかんないっすね。どうなんですかね。何が主流かもよくわからないですから。

(まりん氏は)自分でクラフトワークの音が悪いやつとかをマスタリングし直したりね。

北沢:EDMが流行れば、すかさずそれっぽいトラックを作るような人たちが主流なんじゃない? そうだ、マスタリングをまりん氏(砂原良徳)が手がけていることについて訊いていなかった。前からマスタリングが得意なひとなんだよね?

小山田:もともとは趣味でマスタリングをやってたっていうようなひとなんだよね(笑)。自分でクラフトワークの音が悪いやつとかをマスタリングし直したりね。

北沢:こうやって正式に頼んだのは初めて?

小山田:『ファンタズマ』の再発のときに僕が頼んで。仕事としてやったマスタリングはそれが初めてだったらしくて、それ以降すごいマスタリングしてるよね(笑)。

北沢:それが彼のワークスのひとつになったんだ(笑)。

小山田:サカナクションとかも仕事として普通にやってるからね。

北沢:じゃあ、最初っからマスタリングは彼に頼もうっていうのがあったの?

小山田:うん。

北沢:やっぱり他のひととちがう?

小山田:うーん……、どうなんだろうね(笑)。

北沢:気軽に頼める感じ?

小山田:うん。信頼できる。

北沢:来年はニュー・アルバムの取材ができるかな。次のアルバムのテーマとか、けっこう見えてきた感じなの?

小山田:ぼんやりって感じですけどね。

北沢:その前哨戦としてこれを聴いている自分がいるんだけど。本当に楽しみにしてるので。

小山田:はい。ありがとうございます。

北沢:傑作を(笑)。

小山田:か、どうかはわからないですけど(笑)。

interview with Mayumi Kojima and Makoto Kubota - ele-king

 小島麻由美のデビュー20周年を記念した最新アルバムは、地中海随一のサーフ・スポットとして知られるテル・アヴィヴ産のサーフ・ロック・バンド、ブーム・パムとの心躍るコラボレーション作となった。……と表現すれば陽気なムードも漂うが、イスラエルが置かれた政治的な状況を鑑みるならば、おいそれと東京のインディやJポップと比べるわけにはいかない。建国70年足らず、文化も政情も不安定な場所に芽吹いたその音楽は、それでも翳りなくみずみずしく鳴り響きながら、いまこの列島のポップスと不思議な邂逅を果たした。タフである。
 今回、このコラボレーションにもう一段深い意味を与えるのが、そのたぐい稀な作品群においてたえず日本のポップスのアイデンティティを問いつづけてきた久保田麻琴の存在だ。その名がクレジットされているのを見れば、この企画の仕掛け人かとも思われるが、実際には小島麻由美は小島麻由美として、久保田麻琴は久保田麻琴としてブーム・パムに出会い、ブーム・パムを通してふたりが出会ったかたちになるという。しかし、氏がこの仕事に加わることになったことはただの偶然ということばではカタがつかない。日本のポップスを動かす歯車は、このような出会いによって、しずかに、少しずつ前に向かって回転しているのだと感じられる。
 メジャー・シーンを歩みながらもしなやかなカウンターとしてその歌を紡いできた小島麻由美と、その先見性にいまあらためて瞠目せざるをえない久保田麻琴。『ウィズ・ブーム・パム』を通してイスラエルと日本の音楽について語ってもらった。

■小島麻由美
東京都出身のシンガー・ソングライター。1995年、シングル「結婚相談所」でデビュー。現在までにオリジナル・アルバム9枚、ミニ・アルバム2枚、シングル16枚、ライヴCD1枚、ベスト・アルバム2枚、映像DVD2タイトルを発表。自筆イラストがトレードマークともなっており、1999年NHK「みんなのうた」への提供曲「ふうせん」では、三千数百枚に及ぶアニメ原画も提供。イラスト&散文集『KOJIMA MAYUMI’S PAPERBACK』もある。映画、CMへの歌唱・曲提供、また2001年仏盤コンピレーション参加、2001~2002年「はつ恋」が任天堂USAのCM曲として北南米にて1年間に渡り放映、2006年JETRO主催『Japan Night』(上海)、2009年『Music Terminals Festival』(台湾・桃園)参加など海外のフェスやコンピレーションへの参加も多い。2015年、デビュー20周年を迎える。

■Boom Pam / ブーム・パム
イスラエルを代表するオリエンタル・サーフ・ロック・バンド。現在のメンバーはギタリスト/リーダーのウリ・ブラウネル・キンロト(Uri Brauner Kinrot)、チューバ奏者のユヴァル”チュービー”ゾロトヴ(Yuval "Tuby" Zolotov)、女性キーボーダーのダニ・エヴァ-ハダニ(Dani Ever-Hadani)、2014年秋に新加入したドラマーのイラ・ラヴィヴ(Ira Raviv)の4人。2006年にファースト・アルバムをリリース。WMCE(ワールドミュージックチャートヨーロッパ)のベスト10入りを果たす。その後、ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、メキシコ、南アフリカなど全世界でライヴを行う。2012年、2014年に2度来日。現在までに4枚のアルバムを発表し、日本編集のベスト盤『THE VERY BEST OF BOOM PAM』(Tuff Beats)がこのたび発売となる。

■久保田麻琴
同志社大学在学中より、裸のラリーズのメンバーとして活動をはじめる。1973年に東芝よりソロ・アルバム『まちぼうけ』を発表し、その後、夕焼け楽団とともに数々のアルバムを発表、エリック・クラプトン初来日公演の全国ツアーにオープニングアクトとして参加するなど精力的にライヴ活動も行う。またアレンジャー、プロデューサーとしても喜納昌吉の本土紹介に関わり、チャンプルーズのアルバム『ブラッドライン』ではでライ・クーダーとも共演。80年代にはサンセッツとともに海外の多くの野外フェスに登場し。84年にはシングルが豪州でトップ5入りを果たす。90年代からは、プロデューサーとして「ザ・ブーム」らを手掛け、99年には細野晴臣とのユニット、「Harry and Mac」でロック・シンガー・ソングライター・としてカムバック、2000年代にはBlue Asiaプロジェクトなどアジアにおけるプロジェクトを本格化、さらにプロデュース業が充実、CMソングなども手掛けDJや各種講演等多岐にわたって活躍する。著書に『世界の音を訪ねる-音の錬金術師の旅日記』(岩波新書)がある。

ブーム・パムが出てきたときに驚いて。十分にワールドだけど、かつそれ以上にロックンロールだった。(久保田麻琴)


小島麻由美
With Boom Pam

AWDR/LR2

J-PopGarage

Tower HMV Amazon

すごく意外な組み合わせですよね。小島さんと久保田さんですから。

久保田麻琴(以下、久保田):いや、わたしは後付けというか。「こういうメジャーっぽい方がどうしてブーム・パムなのかな?」とは思いましたね。私は、ブーム・パムを2006年か7年くらいに、スペインの〈ウォーメックス〉というバンドの見本市みたいなところで観て。

スペインに行かれたんですね。

久保田:そうです。ワールド・ミュージックの見本市みたいなものを毎年……もう20数年やっているんですよ。でも出演者を立て続けに見ていると、けっこう企画モノみたいなのが多くて。なんか「ワールドだからいい」っていう安直な感じなんですね。私は1週間くらいそこにいて、けっこうずらっと見たんですけど、ブーム・パムが出てきたときに驚いて。十分にワールドだけど、かつそれ以上にロックンロールだった。で、すんげぇ気持ちよくて。それ以来、彼らのことを気にしてたんですよ。そのときに出たファースト・アルバムはあんまりよくなかったんだけれど、「そのうちいっしょにやろうね」くらいの話はあって。
 そうしているうちに、地元で“ハシシ”っていうシングルが出て──それは彼らの曲じゃないんですけど、別のプロデューサーがサンプリングして新しく作っちゃったんですよ。

サンプリングというと?

久保田:ブーム・パムのある部分を切り取って、それを大きく作り直した。それがアップルズのプロデューサーだったMixMonster 。

小島麻由美(以下、小島):あー、そうなんだ。なんかいまっぽい感じだよね。

久保田:DJ系ですよね。トラックメイクというか。

本当にサンプリング的な。

久保田:そうですね。ある曲で「ハシシ」と歌ったところをうまく取って、それでオケを作って歌をまた乗せたんだと思うんです。

小島:そっか。音圧があると思ったらそれだ。サンプリングしているから音圧があるように聴こえるんだ。

「ハシシ」ってちなみにあのハシシなんですか?

久保田:あの辺は原産ですからね。あの辺からスタートしてますから(笑)。

それがやっぱりおもしろくてサンプリングをしたんですか?

久保田:ことばがおもしろいからね。みんなで笑いながら。Youtubeで観られるMVもおもしろいんですよ。中産階級の白人がキマってフラフラになっているのを、みんなで見て笑うっていう感じの。歌詞は何を言っているのか私にはわからないけど。そのときに「あっ、なんだ、地元でアルバムつくればいいじゃん」って思いましたね。1枚めはシャンテルっていうドイツで活動してるDJがプロデュースして、それがあんまりよくなったから。ライヴがすごくいいわりには、CDがダメだな、と。
でも、そうこうしているうちに何年か経って、3、4年前だったと思うけど、サラーム海上から電話があって、「来週ブーム・パムが来ます」という話になった。そこからじっくり話をするようになって。あのときは、ついでにイスラエルのCDのサンプル盤が2、30枚くらいきたんですよ。それもアタリがめちゃくちゃ高くて。


Boom Pam(ブーム・パム)

音楽やっているやつはみんな反戦ですよ。そりゃそうだよ。だってアメリカだっていちばん音楽がよかった67、8年って最低な戦争をベトナムでやっていたわけだもんね。(久保田)

僕はサラームみたいなハードコアなワールド・リスナーとはほど遠い人間なんですけれども、90年代のイスラエルというとイスラエル・トランス──

久保田:さっきも海上とその話をしていたんですけど、いまはそのシーンは終わっていますね。あの時期は国がお金を使って奨励していたらしいんですよ、ゴアとかを。トランス系のDJはそこで育ったりしていたんですけど。

ですよね。そういうイメージがあったんですけど、中東の音楽ってモロッコから何からいろいろありますよね? そういう中において、イスラエルってあんまり印象になかったんです。

久保田:新しい国ですからね。

しかも民族的にも宗教的にもぐしゃぐしゃでしょう? だからなおさらイメージというものがなかった。

久保田:〈ルアカ・バップ(Luaka Bop)〉というデヴィッド・バーンのワールド・ミュージックのレーベルがあって、そこはアフリカの音楽なんかをやっているんですよ。そのレーベル・メイトのイェールって男から連絡があって、喜納昌吉&チャンプルーズをコンピに入れて出したいんだと言うんです。そういう男だから詳しくて、〈マルフク・レコード〉というところで、地元で昌吉が大学生くらいのときにやった“ハイサイおじさん”がいちばんグルーヴが高いんですけど、それをどうしても入れたいと。
その頃は国際電話しかないんで──92、3年くらいだったかな? イェール・エヴレヴという男でね。「イスラエルの音楽ってどうなってるんだ?」って訊いてみたら、そのワールド・ミュージックを紹介してる当のユダヤ人らしき男が、自分のルーツのイスラエルの音楽はちょっと苦手だと。興味がないっていうかね。たしかに私もずーっとイメージがなかったんですよ。

本(『世界の音を訪ねる―音の錬金術師の旅日記』、岩波新書)に書かれていますよね?

久保田:でも、〈ウォーマッド〉っていう、また別のワールド・ミュージックのフェスティヴァルが、10年くらい前にシンガポールにありました。日本でも90年代にはあったんですけどね。そこで観たバンドにイスラエルのチームもあって、イダン・レイチェル(ライヘル)っていうんだけど。まぁ、サラームに言わせるとイスラエルの坂本龍一だっていうようなね、ちょっと男前で、しっとりした曲を作るひとがバンド・リーダーで。 シンガーはエチオピア人と黒人系の男と、演歌っぽい歌を歌ういかにも東ヨーロッパ系の3人がいて、自分の曲とか民謡を彼らに歌わせるバンドなんですね。それを見たときに「アバみたいだな」と思って。すごく歌謡チックなんですよ。イスラエル歌謡っぽい感じがすごくあって。それが最初にテル・アビブにカルチャーありって思ったタイミングでしたね。
 私はジャズはもうずっと離れているので、とくに新しい音楽は耳が閉じてるからあんまり聴かないんだけど、ジャズ・シーンでイスラエルのプレイヤーってすごく多いんだよね。しかもテル・アビブはちょっとやんちゃで、サーフィンの文化があるから、少しビーサン系というか裸足な感じがあって。しかもヤッファーっていうアラブ人エリアがあって、けっこうミュージシャンがそっちに住んでいるんだよ。みんなユダヤ系ではあると思うんだけどね。そこがおもしろくて、物価も安い。そりゃそうだよね。あと食べ物が安全だと。

じゃあイスラエルのなかでもとくにリベラルというか。

久保田:音楽やっているやつはみんな反戦ですよ。そりゃそうだよ。だってアメリカだっていちばん音楽がよかった67、8年って最低な戦争をベトナムでやっていたわけだもんね。でも、アメリカの音楽をわれわれは好きだし、音楽をやっているやつはみんな反戦だった。

じゃあそれと似たような構造がイスラエルにもある、と?

久保田:あるかもしれない。逆に不条理が彼らの心を刺して、その叫びが音楽になっているってことはあるでしょう。

移民たちが第2世代になって、国のアイデンティティができつつあるっていう、ある意味ではいい状況なのと、軍事的な問題点の軋轢。(久保田)

それが近年とくに顕著なんですか?

久保田:建国してから70年くらいですよね? そしてバックグラウンドがいくつもあるんですよ。何十もの世界のエリアから集まっているから。ヨーロッパも中央アジアも、インド、中国、アフリカのひとたちも集まって、そして第2世代ができるまでこれだけ時間がかかった。両親があちこちから来ているわけ。だからアメリカと同じですよね。アメリカは合衆国だったからああいうポップスができた。……あれ、さっきと言うことがぜんぜんちがうか(笑)。

小島:大事大事。全部同じになっちゃうから、ちがわないとね。

移民文化なんですね。

久保田:だと思います。やっとその移民たちが第2世代になって、国のアイデンティティができつつあるっていう、ある意味ではいい状況なのと、軍事的な問題点の軋轢というか。

僕なんかはイスラエルという国に対して偏見があった人間なんですよね。ガザ地区の空爆があったときも、マッシヴ・アタックが公然と手厳しくイスラエルを非難したように、やっぱり反イスラエルみたいなものがありましたから。ただ、実際の音楽シーンにいるひとたちが尖った存在なんだというお話はリアルだなあと。

久保田:あと徴兵ですよね。みなさんやっぱりとられているんですよ。だから軍楽隊に入ったり、郵便係やったりとかして、なんとか。

あと2世っていうのがすごい大きいですよね。

久保田:ブーム・パムのリーダーは両親がチェコとウズベキスタン。

とくにブーム・パムがその中で何かを象徴する存在だったりするんですか?

久保田:やや先輩格だとは思うけど、とくにというわけではないかな。けっこういいバンドが多いんですよ。私がおもしろいなと思ったのが、さっきのテクノやトランスとは対照的に、実際に演奏するひとたちが多いことですね。ドラムが上手なバンドがけっこう多い。体でやるっていうね。こいつら本気だなと思うことがよくあります。

いろんな名前のなかにブーム・パムも挙がっていてんですが、やっぱり彼らがぶっちぎりにおもしろかったので、じゃあやってみようと。(小島麻由美)

Kojima Mayumi With Boom Pam Album Dijest


小島さんはちなみにどういうようにブーム・パムとは出会ったんですか?

小島:そもそもはスペースシャワーの関さんからCDを頂いて、気に入ってたんです。それで20周年企画で「誰かとやってみないか?」というお話になったときに、いろんな名前のなかにブーム・パムも挙がっていてんですが、やっぱり彼らがぶっちぎりにおもしろかったので、じゃあやってみようと。関さんも「大丈夫だと思います」みたいな感じだったから、企画がサッと通った。

じゃあ、ブーム・パムをきっかけに久保田さんと出会ったんですね。

小島:そうですね。

久保田:ブーム・パムはいいバンドなのに日本人とやってしくじるとよくないんで、自分の立場を隠密に作っておいたんです。「あいつらやっぱりよくなかった」って言われたら、お互いの国に対してよくないんで。最終的にはぜんぜんそんな心配はいらなかったんですけど。

小島:結果としては久保田さんとブーム・パムにプロデュースしてもらったという感じだから。

久保田:いやいや、私は後半であと入りした感じなので。

小島:でも曲順を決めていただいたり。

久保田:ははは(笑)。

実際の作業はどんなふうに進んだんでしょう? 今回は原曲があるわけですが、そのデータを個々に送って、アレンジしてもらうという感じでしょうか。

小島:そうです。チューバだから4ビートは無理かなとか、それくらいの感じで。

チューバ、いい味を出してますよね。

小島:それで選んでいって、向こうが仕上げてきてくれて、こちらで歌入れをして。

久保田:だからその頃のことを私は、「なんか作業が進んでるな」くらいしか知らないんですよ。ただ、その時点でレーベルとの間に入って、よかったらいっしょにやるよと。それもおもしろいなということで話が進んだんです。

すごい繋がりですね。

小島:そうですよね。今日初めてお会いしたんです。

えー! そうなんですか(笑)。

小島:「久保田さんが久保田さんが」ってずっと名前を聞いてたけど。今日が初めてです。やっぱりひとと会うとおもしろいですよね。

じゃあディレクションなんかは?

小島:私はなんにも。全部おまかせしました。

久保田:上がってきた最初のマスターの2、3曲を聴いて声が埋もれていたので……外国人だとどうしても日本語を言葉として聴かないじゃないですか。だからちょっとアドバイスしたのがあったくらいで、あとは最終行程のマスタリング。ぼわっとしたものを締めるっていう最後の彫刻ですよね。
 私はいろんなところに行っていろんなことをしますので、最近はマスタリングをすることが多いですよね。不思議な国の不思議なバンドがやるんで、しかもたまたまブーム・バンドと縁があったわけだから、これは成功してほしいなと思っていて。私は「できることがあれば」というポジションを自分で安全弁として作っといたの。

(久保田さんは)日本人じゃないみたい。扉がいっこない感じ(笑)。すごいダイレクトですよ。 (小島)

小島さんはどうなんでしょう、久保田麻琴さんといえばすごい方じゃないですか? 

久保田:いやいや、彼女はそういう先輩が全員大っ嫌いなので。

小島:なんでそんなこと知ってるんですか(笑)。

久保田:有名な方にはアレルギーを起こすってタイプなので、私くらいのサイズでよかったんだろうね。

実際に今日会われてみてどうですか?

小島:いや、すっごい外国に行ったことがある感じがして、日本人じゃないみたい。扉がいっこない感じ(笑)。すごいダイレクトですよ。

久保田:おもしろいのがね、宮古島ってそうなんだよね。浜とかに出てるおばあに話しかけるとね、5分くらいで彼女の人生を語りだすからね(笑)。宮古島の音楽に制作で関わっていて、おじぃおばぁの神歌は一段落したんだけど、30前後の若い子たちのジャズ・バンドも出てきておもしろい。BLACK WAXというジャズだけど、リズムがファンキーなジャムバンドというか。

宮古島の民族性みたいなところを出していると。

久保田:出してるな。曲はアメリカっぽい5、60年代のジャズな感じですよ。

そういう、日本というものをひとつのワールド的な観点で捉えるというような大きな視点が、久保田さんの中に一貫しておありなのではないかと思いますが、そういうもののなかで今回の小島さんのアルバムはどのように……

久保田:論文になりそうだな(笑)。ありがとうござます。素晴らしい質問です。あのね、(曲をかける)私はマスタリングが仕事なんで、まず聴きやすさとか音圧で負けちゃマズいわけ。その点ではこれはオッケーだなと思った。あと、このコラボは歌とバックの混じり合いがすごくうまくいっている。

聴いていてそう思います。リメイクというかトラックを差し替えたとは思えない。

久保田:そうですよね。いまのことばで言えば、ある意味ではオーガニックな仕上がり。楽曲をより一層立体化している感じすらあるっていうかね。「カヴァーしました」っていうよりも──まあ、こっちが先だと言うのは言い過ぎですけど、十分オリジナルに負けないクオリティがあると思いますけどね。ウリ、やったな! いい仕事だぞ! って思いましたね。

このコラボは歌とバックの混じり合いがすごくうまくいっている。(中略)いまのことばで言えば、ある意味ではオーガニックな仕上がり。楽曲をより一層立体化している感じすらあるっていうかね。(久保田)

“泡になった恋”なんかはもともとガレージ感があるというか、そもそもブーム・パムと相性がいいと思うんですよね。でも、その一方ですごくジャジーなものだったりとかもうまくいってますね。

久保田:さっきもサラームとそういう話になったんですけど、アメリカ音楽とかジャズのなかにはそもそも異国性があると思うんですよ。彼女(=小島)は当然ジャズの影響がありますよね。それをブーム・パムが、地中海的な響きでもってやる。文明の発祥の地というか、意外と新大陸のことはもともとそっちにあったりするんですよね。それをうまく小編成のコンボ・バンドで、小島さんのメロディの中から引き出してくる。ちょっとスウィング・ジャズっぽいものは、さらに突っ込んで南イタリアっぽくしてみたりだとか。

あとは「ワールド・ミュージックとしてのサーフ・ロック」みたいな視点というか──

久保田:いや、それを言わせてもらえばね、ベンチャーズの「ノッテケ ノッテケ」なんてさ、あれはアメリカーナではない。あの時点でそこはぶっちぎれてますよ(笑)。だから彼らが“雨の御堂筋”を書くのには何の問題もなかった。ノーキー・エドワーズ自身がたぶんかなりミックスな人だと思う。アメリカン・インディアンとか。エドワーズなんて怪しい名前だけど、きっと本名はちがうんだよ……(笑)。まあ、いずれにせよベンチャーズの中にはすごく異国性があって、それが日本で異常にウケた。
 リンク・レイなんかの音楽もめちゃくちゃエキゾですもんね。

そうですよね。あらためてサーフ・ロックって言われているもののイメージってエキゾなんだなって。中東的なメロディとか音階みたいなものとかもありますし。それを今回この作品で感じたんです。

久保田:よくぞブーム・パムを選んでくれたなって。

小島:やってよかった!

小島さんはブーム・パムのどこがよかったんですか?

小島:うーん、やっぱり、音階と編成と。チューバとか。

久保田:ネットで最近チェックしたんだけど、ニーノ・ロータとかが好きなんでしょ?

小島:ニーノ・ロータ! 好きですね。

久保田:私らからすれば『ゴッド・ファーザー』のイメージがあるけど、彼の音楽自体が南イタリアなわけで──地中海のど真ん中で、古代からの交易地で、いわゆるヨーロッパとは少しちがう。シチリアなんてチュニジアにボートで行けちゃうわけだから。イタリアもまた、その中に異郷を抱えているんだよね。たとえばピチカっていう音楽があって、タンバリンを使うんだけど、そこには毒蜘蛛の絵が描いてある。毒蜘蛛って、南イタリアのシンボルみたいなんですよね。で、それに刺されたときに治療するための音楽とは言われている。ほとんどトランス状態になっちゃうような音楽なんだけど、まぁ、古代的な話です。
 そういう地中海の感性をテル・アビブのいまの子たちは、アメリカのルーツと同じくらいに大事にしていると思うよ。だから小島さんの音楽に、日本の歌謡曲の中にある異国性を見つけて、すごくうまく整理していると思うんだ。鮮やか。ただ、もしかしたら向こうの子なら誰でもできたってわけじゃなくて、彼らだからこそやれたことだったのかもしれない。

そういう地中海の感性をテル・アビブのいまの子たちは、アメリカのルーツと同じくらいに大事にしていると思うよ。だから小島さんの音楽に、日本の歌謡曲の中にある異国性を見つけて、すごくうまく整理していると思うんだ。(久保田)

知的なバンドというよりは、そういうことを身体的にわかっているタイプなんですか?

久保田:いまのテル・アビブの子たちはみんな身体系。知的な人たちはジャズにいくから。もっとエスタブリッシュメントなもの、アメリカのマーケットに刺さるようなものにいくよね、エリートたちは。まあ、テル・アビブはちょっとやんちゃ系かな。やんちゃだけどちょっとインテレクチュアル。そう思います。……まだ向こうには行かないで、楽しみにとってあるんですよ。行ったらきっとすぐケンカになっちゃうから(笑)。

なぜなんですか?

久保田:いや、それはただヨタを言ってるだけなんだけど(笑)。

(一同笑)

久保田:いやいや、好きすぎてヤバいから。あんなところはちょっと、とっておかないと。

さらに先にですか!

久保田:いや、そういう奴いるんだよね。エイドリアン・シャーウッドって男がいてね、80年くらい……〈オン・U〉の最初の頃に会って、僕はいっしょにやりたかったんだ。でも細野さんに反対されちゃってね(笑)。

小島:どうしてなんですか?

久保田:いや、彼はダブが嫌いで。それでいっしょにはできなかったの。でも彼の家に遊びにいってね、そのとき「ほんとにお前らジャマイカとか好きだよな」っていうような話をしたら、「でも好きすぎて行けない」って言ってたんだよね。ロンドンのジャマイカ人とはよく組んでいろんな仕事をしてるんだけど、「もしジャマイカに行って理想が傷つくことがあったら、俺は死んでしまう」って(笑)。

はははは! 彼とは僕もよく会うんですよ。

久保田:ああ、そう? 奥さんのキシは福井の人だったけど、もう別れちゃったんだっけ? ロンドン英語と写真がとてもうまい人だったなぁ。

うまかったですよね。有名なパンク・ロッカーとかもたくさん撮られてましたしね。

久保田:〈オン・U〉の写真も全部そうだよね。まあ、このエピソードはele-kingだと思ってサービスで出したんだけどね──

(一同笑)

久保田:でも、ジャマイカ人じゃないのにあれだけダブをやってるってことには共感もあって、「好きすぎて……」ってセリフには「ああ、こいつ乙女チックなこと言うな」って思ったもんだけど、なんか、いま自分に当てはまってるなって思った(笑)。

そのくらいお好きだと。

久保田:そう、もう好きというかタダゴトではないよね。〈ブルーノート〉とか〈チェス〉とかだってきっとそうだと思うんだけど、はみ出したユダヤの優秀な子たちが、黒人音楽を一つ商業音楽のジャンルとして確立したわけで、でも同じ系の民族がドンパチ戦争やっているっていうのは、なかなかね……。こんなにいい音楽が出てこなかったらボロクソに言ってると思うんだ。不買運動とかしちゃってると思うけど、でもブーム・パムを観たときに「ああ……、わかってるよコイツら」って。で、アルバムをたくさん聴いてみたらどれもすごくよかった。だから、これはきっとシーンがあるなって思ったんだ。
 でも、シーンって、永遠には続かないんだよね。いつだってそう。

では、あるまとまった世代がイスラエルに現われたということなんですか。シーンと呼べるものが活況を呈している、と?

久保田:そうね、世代というか、ちょっとした社会的な状況というか。シーンは確実にある。このコンピレーションは知ってる(https://www.tuff-beats.com/1034/index.html)? ブーム・パムが初めて日本に来たときにもらったCDがあって、なんとかこういうものを自分でもリリースしたいなと思って。僕も準備してたんだけど、〈タフ・ビーツ〉さんが出してくれるっていうから、ぜひ!

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僕はそういうのが好きなの。ひっくり返すのがね。──「これだけ」っていうような閉塞性がいやなんです。 (久保田)

久保田さんは、70年代の『ハワイ・チャンプルー』の頃──細野さんが『トロピカル・ダンディ』なんかをやりはじめるのと時を同じくして、ポップ・シーンから、いまでいうシティ・ポップと言われるようなシーンへ離脱していった印象がありますよね。

久保田:まあ、離脱というかね、居心地いいところに無理しないで居るようになったというか。しかも外国の都市に盤が置かれるようになったときに、自分の音が何なのかと言えるようにしておかなきゃいけないと思った。だって、「お前はコピーだ」って言われたら終わりじゃないですか(笑)。そのためにポーズを取っておこうと。
 その点、テル・アビブの子たちはしっかりしてるよ。ファンクが多いんだよね。でもそれには誰にも文句は言わせない、ってとこがある。アメリカの音楽のもっともよかったときの要素をサっと取り入れてやるわけだから。
「え、お前らこんなにいい音楽をいまだにやってんの!?」みたいな。そういうバンドが多い。ファンケンシュタインってバンドとかさ──

Pファンクから取ってるんですかね。

久保田:いやいや、それでも彼らは無理しない、黒人のフリをしない。アヴェレージ・ホワイト・バンドって──あれはスコットランドのバンドなんだけど、世界のディスコで大ヒットしてね。ドラマーだけちがうけど、みんなスコティッシュですよ? ビー・ジーズはケルト系でしょうね、でもあの音楽で黒人も踊った。僕はそういうのが好きなの。ひっくり返すのがね。──「これだけ」っていうような閉塞性がいやなんです。そういうものを見ると「ロックか? これが?」っておちょくりたくなる。それでカントリーをやろうとしたりとか……なんだろうね、このひねくれ方って。全体主義が嫌いなの。反対のことを言うと怒るとかってさ、「怒る前に聞けよ」って思うんだよね。それは、まあ、ディアスポラ的な考え方なのか、ヒッピーなのか、よくわからないなあ。
 どっちにしても、押し付けられると反発する。逃げる。そういうところはつねにあるかもしれない。

その「反発」をどんなふうに表出するかというところで、久保田さんは拳を振り上げるかわりにゆるい方向に行くわけじゃないですか。そこに新鮮な共感もあったんじゃないかと思うんですが。

久保田:いやもう、そうしないと物事が動かないじゃないですか。

『ハワイ・チャンプルー』は最高にゆるいですよね。

久保田:そうね、武力はぜったいにうまくいかないから。

そのゆるさっていうのは、たとえば「北風と太陽」みたいなもので、北風じゃうまくいかないという確信があって、その上で意図的にやっていたことなんですか? それとももっとセンスみたいなところで──

久保田:うん、「ロックンロール」っていう言葉は引用なんだよね。ロックはタテ、ロールはヨコ、ふたつあって、まるくつながっている。それは音楽から学んだことなんです。人間はひとつの方向だけ持ってるわけじゃない。

もともと宅録少年なんでね。(中略)自分のプロジェクトばっかりやっていたら今回みたいなこともできないじゃない? 俺もリスナーでいさせてくれよっていう。
 あとさ、自分の声は飽きたよ。はははは! (久保田)

久保田さんというと、夕焼け楽団時代はニューオリンズを訪ねられて──

久保田:それは一種のエキゾだよね。やっぱり。アメリカ音楽の中にある異国性、別の知性。

それはハイブリッドなものでしょうか?

久保田:いや、開放感かもね。アメリカン・スタンダードじゃなくて、いろいろちがってていいじゃんっていうね。

それはやっぱりひとつのきっかけになり得たんですか?

久保田:そうだね。それと、喜納昌吉&チャンプルーズ。列島から出てきちゃったんで……『ハイサイおじさん』がさ。

久保田さんは『サンセット・ギャング』の頃はご自身で歌っておられましたよね。

久保田:気がついたら(笑)。それで食えたんで、まあいっかという感じで。

小島:でも、もう歌わないって。

そうなんですよね。

久保田:もともと宅録少年なんでね。(裸の)ラリーズに『MIZUTANI』っていうアルバムがあって、それが第一回のプロデュース作品みたいなもんですね。
録音して再生するっていうことがすごく好きで。それに、自分のプロジェクトばっかりやっていたら今回みたいなこともできないじゃない? 俺もリスナーでいさせてくれよっていう。
 あとさ、自分の声は飽きたよ。はははは!

(一同笑)

久保田:ほんとの歌手じゃないんで……フリはできてもね。自分でいまソロ・アルバムとか作れば、プロデューサー/エンジニアだからそりゃうまくはできるよ。でもそういうことじゃない。これから先、まったくやらないというわけではないけど、それよりおもしろいことがいっぱいあるんだから。ブーム・パムと小島麻由美なんてすごくおもしろいじゃない? そういうことに関わらずにどうする、っていうね。

小島:歌もやって、そういう活動もやったらどうです?

久保田:バンドをやってる頃は、やっぱりメインはミュージシャンとしていなきゃいけないけど、つねに口は出してたっていうか。エンジニアに「外に出てろ」っていって自分でやってたことはあったね。『まちぼうけ』とかもそうだけど。すぐケンカになるから、レコード会社からは問題児だって言われて。

小島:そういうほうがおもしろいですよね。

細野さんなんかは久保田さんとすごく近いところがあると思うんですけど、当時は日本のポップスをどういうふうに更新していくのか、どういうところにアイデンティティを見つけていくのか、みなさんが真剣に試行錯誤されていたわけですよね。ただアメリカの模倣をすればいいのか、というアンビヴァレンスもあって──

久保田:あのね、『ゴジラ』(=『サンセット・ギャング』)のころは、まだ自分たちはオタクなことをやっているつもりだったんです。で、あれが終わって、ようやく執行猶予期間が切れて(笑)、パスポートを申請できるようになって、3年ぶりに3ヵ月間アメリカに行ったんです。それで出来上がった『サンセット・ギャング』を聴いたら、「なんだこのアジアの音楽は」と思ったわけですよ。自分の本にも書いてあるんだけど。

「醤油だ」って書かれてますね。

久保田:そう、そのことがきっかけになってるかな。意識しなくてどうするっていう。

原曲よりロックっぽくなっていたり、原曲よりのんびりになってたり、いちいちおもしろいんですよね。 (小島)

今回のプロジェクトも久保田さんから見ればその延長にあるってことなんでしょうか?

久保田:いや、すごい進化形だよね。まずは小島麻由美っていう、こんなに天然の豊かなシンガー・ソングライターがいて、それをブーム・パムっていうレセプターがうまくスタイルを整えている……いまでしかありえない仕事だし、驚愕のプロジェクトだと思うよ。しかも超ロー・バジェットで(笑)。

小島:あははは!

久保田:ラッキー! って感じだよ。この値段でこれだけ文化価値のあるものがよくできるもんだよ。時代だよなあ……いまだからこそできた。

ぜったいアナログ盤をつくってほしいですけどね。未来人が、この時代にこんなものがあったのかって掘り返しますよ。

久保田:そうだよな、バチッと歴史に楔を打ってるよね、これは。

小島さん的にいちばん驚いた部分ってどんなとこです?

小島:なんかね、原曲よりロックっぽくなっていたり、原曲よりのんびりになってたり、いちいちおもしろいんですよね。

久保田:いちいちおもしろい。いいね!

小島:ユニークでね。とにかく最初からおまかせで、おもしろくやってもらえればと思っていたので。

久保田:自分の素材をどう料理されるのかというところは楽しみなものだよね。

小島:そうそう。

久保田:この余裕は何なんだろうね(笑)?

(一同笑)

久保田:才能だよね、ここは。

小島:私としてはプロデュースしていただくこと自体が初めてなので、とっても楽しかったです。

私としてはプロデュースしていただくこと自体が初めてなので、とっても楽しかったです。 (小島)

小島さんは楽器もされますよね。

小島:でもぜんぜんうまくないですよ。鍵盤ね?

今回は実際のセッションがあったわけではありませんけど、今後はそういうことへも興味が生まれたりしてますか?

小島:ああー、バンドとやるのはおもしろいですよね。できあがったバンドとやるのは、早いし──

久保田:そうね、いままではセッション・ミュージシャン的な人たちとやってたの?

小島:ファーストの頃なんかはインペグ屋さんを……

久保田:おおー! 古いね。久しぶりに聞いたよそんな言葉。いまの人たちは知らないでしょう?

ええ。

小島:なんか、会社なんですよ。そこに「いいベーシストいませんか?」とかって訊ねると、手配してくれるんです。

久保田:そう、手配師がね、先にバンドにギャラを払うんだよな。いまそんなのないんじゃない?

小島:ないんですかね?

久保田:やろうかな。

(一同笑)

小島:そういう中でだんだん知り合いができてくると、あっという間にメンバーができあがっていって。

久保田:セミ・バンドみたいになるんだよな。そこで集まった人たちとライヴもやってるんでしょう?

小島:そうですね、完全にバンドっていう感じかもしれませんね。

久保田:でも、できあがった個性のあるバンドと、まったくちがう人とがとデイトするっていうのはおもしろいものだよね。

小島麻由美 With Boom Pam(Kojima Mayumi With Boom Pam)/ 白い猫(Chat Blanc)


やり直しはなかったですね。 (小島)

今回のブーム・パムさんとのやりとりはどんな感じで進んだんですか?

久保田:もう、データ交換って感じだよね。

小島:しゃべりもしてないです。間に〈Tuff Beats〉さんが入られて、データが届いて。私は歌うだけだったんです。

久保田:でも、オケのやり直しってなかったの?

小島:やり直しはなかったですね。

久保田:すごい! それがすごいよ。その彼らの集中力というか、包容力というか。初めてのシンガーで、しかも外国語なわけだから。グレイトだよね。

このメロディの強さ、というところも大きいんでしょうね。

久保田:それもある。楽曲がまず第一だよね。それはそう。でも曲は彼らが選んでるんだよね?

小島:そうです。でもお送りした曲はほぼ全部やっていただけたかたちになります。最初に5曲送って、その後に5曲送って、さらにもう少し他の曲も聴かせていただこうということで5曲送ったら、もう先の10曲でレコーディングしてくださっていたらしくて。

久保田:じゃあ、次の10曲もすぐにできるね(笑)。やっぱり彼らは音楽の理解力というか、解析力がハンパない。それで、自分らを押しつけようというんじゃなくて、ちゃんとプライオリティをわかってるじゃないですか。歌っていうよりも全体のサウンドと曲を引き出すというね。……30代だよ? 去年も〈フジロック〉で来日したときに感心したんだけど、苗場に来てみたら彼らの宿が取れてなかったんだよ。それで僕はその話をきいてすごく怒ったけど、彼らは落ち着いてるの。戦時下の子たちだから、そんなこと何でもない。われわれは甘やかされているからね……ロックなおっさんだから、まぁそこで瓶割りゃあいいとかね、暴れるとかさ(笑)。

(一同笑)

久保田:私らのときはそうなんですよ。何かあると暴れるっていう。外国ツアーなんか行ったときにはよけい暴れる(笑)。

小島:あはは! でも、宿はどうなったんですか?

久保田:結局とれたんだけど、そこでぜんぜん感情の揺れがなかったの。そんなことくらい何てこともない……。それを見たときに感動しちゃって。こいつらはなんて人間ができてるんだって。ロックは怒んなきゃいけないくらいに思ってたけど、そうじゃない。そんなことを通り越した人間性が彼らにはあったよね。

そういうタフさと、地中海の、本当にいろんなものが溶け込んだカルチャーの、二世としての担い手っていう──

久保田:文化の発祥地だよね。で、国ができて60年経って、そういうふうに自分たちのポップ・カルチャーをつくるということがやっと可能になったんだよ。

そういう場所への久保田さんの注目があって、それももう10年近く前からご存知で、それが今回のようなつながりも生んで──でもきっと、他にもそんなふうにあたためておられるバンドとかカルチャーがあるんじゃないですか?

久保田:いやいや、私はあっためてたりなんてしないですよ。今回だって僕の知らないところで全部起こっていて、そこへヒュッと横入りしただけですよ。お互いに変な形であってはいけないと思って、ポジションはマスタリングというところでつくっていただけで。もう、何の心配もなかったですよ。
音は少しね、ギャラもらっているので良くしましたけども。

(一同笑)

でもね、そういう可能性はいっぱいあると思いますよ。インドネシアなんて、すごいもん。ギタリストなんかももうバリバリの奴らがいて。(中略)そういうのがいっぱい出てくると思うな。

久保田:でもね、そういう可能性はいっぱいあると思いますよ。インドネシアなんて、すごいもん。ギタリストなんかももうバリバリの奴らがいて。あの、誰だっけ、ジョーイ・アレキサンダーくんって言うんだっけ? 子どもなんだけど〈ブルーノート〉と契約しそうになってる子がいるよね。ピアニストでさ。ニューヨークとかでふつうにライヴやっていて。そういうのがいっぱい出てくると思うな。

久保田さんは〈サブライム・フリークエンシーズ〉のようなレーベルなんかはどう思いますか?

久保田:いやもう、「イイんじゃない?」って感じ。がんばってるねーって。

久保田さんや細野さんが目をつけられたのとはまたちがうところからですけれど、80年代にワールド・ミュージックの流れができていきましたよね。それが21世紀に入ってから、どちらかというとインディ・ロックと呼ばれるようなアーティストたちによって──

久保田:ああ、そうね。アメリカのロックなりヨーロッパのロックなりと、たとえばアジアやらクンビアやらが関わるっていうのは、ポジティヴなことだと思いますけどね。アメリカもそうやってバラけてきてるよね。エチオ・ジャズとかもそうだろうし。

だからいまヨーロッパのレーベルなんかは、ヨダレを垂らしてそうした音源と契約を結びたがると思うんですけどね。そういう機運があるんですよ。

久保田:いまテル・アヴィヴの子たちがアディスアベバに行ってちょうど掘ってる最中ですね。MIxMonsterの相棒のKALBATAらが。地球がどんどん小さくなっているよね。

あと、サイケデリックということもキーワードになっていたというか。ワールドというとみなそうかもしれませんが、とくに2000年代のロックにおけるそうした流れでは、サイケが必ずセットになっている印象がありました。

久保田:ああ、そうなのかもね。マインド・エクスパンディングっていうのは、垣根を取るということだから、関係はあるんじゃないかな。

橋元、久保田さんは裸のラリーズにもおられた方なんだから。

そ、そうですよね。久保田さんの前でサイケなんて、すみません……。

久保田:いやいや、そんなの僕ら何にも知らないでやってたよ。大きい音を出してうれしいなあって。何にも知らないことをやるのがうれしいっていう気持ちで。……なんか、このあいだレディ・ガガが「裸のラリーズ(Les Rallizes Dénudés)」って書いてあるTシャツを着てたらしいよ。

そんなことがあったんですか!

インスタで自分で上げてたって。お父さんのジャケット大好き、かなんかコメントしてあって、そのジャケットの下にTシャツがのぞいてるの。いったいどこの工作員が着せたんだかわからないけど(笑)。

(一同笑)

でも、それはひとつ時代的な傾向を物語るものでもありますね。

なんか、ぐちゃぐちゃですね。いろんな世界でいろんなCDがぐちゃぐちゃに混ざってます。 (小島)

そうですよね。あと、今回のコラボで、小島さんの音楽のサイケデリックな部分が見えやすくなっているような気もします。

久保田:ナチュラル・ハイなんだよな。

小島:あははは!

ご自身では、ジャンルの意識とか持たれてたりしますか?

小島:なんか、ぐちゃぐちゃですね。いろんな世界でいろんなCDがぐちゃぐちゃに混ざってます。とくに「このジャンルが好きで、そのジャンルについてはよく知ってる」ってことはないです。

そうなんですね。では「サイケデリックな音」というよりは「サイケデリックな態度」ということになるでしょうか、そういうものが今回強調されて感じられたようにも思いました。

小島:なんか、ドローンでフルートとか鳴ってるとサイケっぽいですよね?

久保田:まあ、そういう感じにはなるよね。でも、あなたの言葉の中にもあるよね。「蛇むすめ」とか言われるとさ、ええーって。

(一同笑)

久保田:怪しくて普通じゃない感じが。

小島:あははは!

久保田:トルココーヒー飲んで「ズビズバ―」(シュビドゥビドゥバ!)とかさ、もう「ワーッ!」って。トルココーヒーがズビズバに帰結するんだよ?

(一同笑)

小島:あれ、なんだろう、思いつかなかったのかなあ(笑)。

歌詞がロジカルというよりは、ポエティックだよね。発音もアナウンサー発音じゃないところがいいというか。「あいうえお」じゃない発音がけっこう入ってる。 (久保田)

(笑)でも、たしかに歌詞としても印象的に聴こえてきますけど、それが音を邪魔しないというか。あんまり歌詞を聴かなくても大丈夫っていうようなヌケのよさがありますよね。そういうところは海外の音楽を聴くのに似ているかなって感じます。

久保田:そうだね、歌詞がロジカルというよりは、ポエティックだよね。発音もアナウンサー発音じゃないところがいいというか。「あいうえお」じゃない発音がけっこう入ってる。中間音というかね。

小島:あんまり口を開けて歌ってないってだけなんですけどね(笑)。

久保田:体質というか、天然というか。

小島:マスタリング・エンジニアとしてお迎えして、とても勉強になりました。

久保田:「とても」って言うときに「トゥティモ」ってなるんですよ。「おー!」って思って。このあざとさはなんだ、と。

(一同笑)

久保田:そしたら、単に口が開かないだけだった、みたいな。それが音楽とピタっと合ったりしていて。言葉と発音と、それからいろいろ入り混じった音楽性がうまく整理されてストンと出てきたというのが、ブーム・パムなりテル・アビブなりというものとものすごい接点で結びついている。

こうしてお話をうかがっていくと、きちんと新しいものをつくって前に進んでおられますよね。日本の音楽を前進させるものというか。「J-Pop」とか「日本のシーン」みたいなことを意識してつくられることはありますか?

小島:うん、でも、有名な人とは比較されたほうがいいよね?

(一同笑)

それは、どういう意味で……(笑)。

小島:だって、やっぱりマニアしか知らない端っこの音楽ってなると淋しいですから。街の人が知っているようなものに……そういうところに向けてつくりたいっていうふうには思いますけどね。でも、だからといって街でかかっているものと同じような音楽をつくりたいというわけではないですね。

やっぱりマニアしか知らない端っこの音楽ってなると淋しいですから。(中略)でも、だからといって街でかかっているものと同じような音楽をつくりたいというわけではないですね。 (小島)

街でかかっているもので意識するような音楽はありますか?

小島:そんなに意識はしないですね。ちゃんと聴けばいいものがいっぱいあるのかもしれないですけど……。(小さな声で)とにかく有名な人が大っ嫌いだから。

(一同笑)

小島:あははは!

ははは! 痛快ですね。ガガ様ではないですが、国内海外関係なく、気になる音楽とかアーティストというのはとくにいないです?

小島:ガレージの人、最近おもしろいよね。あとは、アラバマ・シェイクスが気になりました。

久保田:テーム・インパラって知ってる?

おおーっ!

小島:素晴らしい。

久保田:いや、ほんともうロックなんて聴かないし、素通りするけど、あいつらは聴いてすぐ買いたいと思ったよ。

ええ、ええ。久保田さん、最新作聴かれました?

久保田:最新作は聴いてないんだよ。

ああ、やっぱり以前の音から聴かれてるんですね! 私も大好きだったんですけど、今回ちょいダメなんですよ。

小島:そうなのー!

久保田:ああー。あれだ、どうしてもメジャーになっちゃうとね。M.I.Aとかもそうだったなあ。ちょっとビッグになると失速したりするの、あるよな。

彼らこそはいい意味で変わらないだろうなと思っていたんですが。

久保田:そういうのって意外にプロデューサー・ワークだったりするんだよな。ユニークなところって。で、自分たちのエゴが出てくるとちょっとな……って。よく、プロデューサーの圧力について悪く言われたりするけど、意外に逆だったりするんだよ。

なるほど……。ですが、すごく若いものを聴いていらっしゃいますね。若いというか、リアルといいますか。

久保田:耳に入ってきて良いものはすっと入りますよ。

でも、どこで入るんでしょう? 追っていないと入らないものはありますよ。

久保田:そうだよな、たしかに。Youtubeだったり、人に音源をもらったりとかかな? テーム・インパラは、ライヴを見たいとは思わないけど、いいバンドだよな。彼らはどこのバンド?

オーストラリアですね。もともとは地元のダンス・レーベルから出てたんですよ、あの音が。

久保田:そこのスタジオがいいのかなあ。

では、話をちょっと戻しますと、Jポップや日本のシーンではどうです?

久保田:知らないですね……。

では仕事という意味で、きちんと新しいことを残していきたいんだというような意識を持たれていたりは──?

久保田:大それたことは考えてないね。まあ、集団に属するのが超苦手だから、好きなことをやらせといてくれよーっていう。それだけで生きてるんでね。

われわれのやっていたときから比べれば、もっとずっと洗練されて、進化している。よくぞ、これができましたね。(久保田)

久保田さんはいまどちらを拠点にされているんですか?

久保田:東京ですよ。前は郊外に住んでました。

なにか、ずっと旅をされているようなイメージを持っていたので。

久保田:もちろん、行きますよ。ただ、この7年は宮古島が多かったなあ。20回以上行ったかな? 1週間か2週間行くと、次にまた調べることが出てきて。

それはやはり音楽のための?

久保田:ええ。『スケッチ・オブ・ミャーク』(大西功一監督、2011年)って映画を観てくださいよ。神歌(かみうた)……スピリチュアル・ソングをまだ歌っている人たちがいる。存在は知っていたんですよ、沖縄にいるって。きっと日本にもあった。それは万葉集とかにぜったい通じている。

ご著書の中にもありますが、かつては日本の歌謡曲のいいところを世界に伝えたいんだというような思いもあったわけですよね。

久保田:いや、垣根がないんでね。それがヒッピーの特徴なんですよ。だからいまの若い子はそうなんだろうね。すごくヒッピー化してるはず。世界のいろんなものを聴いたり、サイケって言ったりしてるのはそういうことなんです。上手にね、そういうことをやっている。
 きっとつながってるんだね、その時代とも。「レヴォリューション」っていうのは有効だったわけだ。いまこうして私なんかがやっていられるのもそういうことなのかもしれない。

ますます参照されているんじゃないですか。

久保田:いやいや。

70年代に久保田さんや細野さんが目をつけられていたものは、本当に先を行っていたんだなと。

久保田:楽しいことだけ追っかけていたんですよ。

いや、でもこのジャケだって(『ハワイ・チャンプルー』)、ヴェイパーウェイヴだって言えば、知らない子は「そうだねー」って納得しちゃいますよ。新しいと思ってたら、すごい先にやられてたという。

そう、アートワークの感覚はすごくいまっぽいんですよ。

久保田:アート・ディレクターは私がやってるんですよ。シャツなんです、この地は。シアトルのヴィンテージ屋で買ったアロハ・シャツ。あと、ヴィンテージ屋で買ったデカールとか、絵とか。それをデザイナーに渡して、合わせて貼っといてって。

まさにサンプリングというか。コピペの要領というか。

久保田:そうでしたね。

まさにこういう柄が、ポスト・インターネットなんて言われてるわけなんですよ。ちょっとスピリチュアルな感じもふくめて。

このとき久保田さんは、ハワイへ行ってアジアを感じられて……つまり、ハワイの中にひとつのミクスチャーを見出されて、「チャンプルー」というのはそもそもそこから来ているわけですよね。

久保田:そうですね。

その意味でいえば、今回もそのコンセプトからつながっているという感じがしますね。

久保田:進化形です。われわれのやっていたときから比べれば、もっとずっと洗練されて、進化している。よくぞ、これができましたね。おめでとうございます!

小島麻由美デビュー20th記念ツアー『WITH BOOM PAM』

出演 : 小島麻由美 with Boom Pam

[大阪公演]
■ 2015年8月31日(月) @梅田 Shangri-La

OPEN / START 19:00 / 19:30
TICKET 前売 4,500円 / 当日 5,000円 (1ドリンク別)
問合せ : 清水音泉 06-6357-3666 (平日12:00-17:00)  https://www.shimizuonsen.com

[東京公演]
■ 2015年9月1日(火) @下北沢 GARDEN

OPEN / START 19:30 / 20:00
TICKET 前売 4,500円 / 当日 5,000円 (1ドリンク別) 2015年7月18日(土) 一般発売
問合せ : 下北沢GARDEN 03-3410-3431  https://gar-den.in/

 適当な音楽を流しながら、その曲が何年に発表された曲なのかを当てる、というひとり遊びをよくする。「おしい、67年かと思ったら68年だったか」とか「2004年にもうこんなサウンドになっていたのか」とか、ささやかな発見がある。ピタリと当てたときは、少し嬉しい。僕は1983年生まれなので、生まれる以前の音楽も多いのだが、そういう知るよしもない時代のことを想像しながら、音楽を聴く。ちなみに、自分が生まれた1983年――ハービー・ハンコック『フューチャー・ショック』が発表された年だ――以降、ポップスにもリズム・マシンが多用されてくる印象があって、それ以前の音楽にへんに郷愁を覚えたりする。とくに、中・高音域がクリアになっていく印象がある1970年代なかば過ぎ――1977年のスティーリー・ダン『エイジャ』あたりが境目だという印象――以前の音楽には、独特なあたたかみを感じる。これは、日本の音楽に対しても同様だ。僕自身はドラムに耳が行くのだが、たとえば、大瀧詠一“乱れ髪”のバタバタしたドラムを聴くと、〈70年代感〉としか言いようのないあたたかい響きを感じる。DJだったら2枚使いしたくなること間違いない、荒井由実“あなただけのもの”や大貫妙子“くすりをたくさん”冒頭のドラム・ブレイクも同様だ。いわゆるジャンル性とも違って、なかなか言葉では説明はしにくいが、共有してもらえると信じる。


萩原健太
70年代シティ・ポップ・クロニクル

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 萩原健太『70年代シティ・ポップ・クロニクル』は、日本における1970年代前半を、ポップ・ミュージックの歴史の随所に存在する「奇跡的に濃密な5年間」のひとつと捉え、はっぴいえんど『風街ろまん』や小坂忠『ほうろう』など、この時期の名盤たち15枚について語る。著者自身がリアルタイムで体験したこともあり、実証的にポピュラー音楽史をつむぐというよりは、自身の記憶を中心に振り返っている。必然、文章中には「感触」「手触り」「実感」「感覚」といった言葉が多くなっている。しかし、このような、ジャンルや音楽性によって整理された歴史から抜けがちな「感触」こそ、一方で大事だったりする。僕自身、日本のポピュラー音楽の通史については後追いで知った気になっているが、たとえば、フジテレビの音楽番組『リブヤング』で音楽の紹介者となっていた加藤和彦のことは知らない。深夜ラジオがきっかけでフォークルが大反響になっていった「感触」もない。きっと一部のリスナーは、そういう「手触り」のなかでサディスティック・ミカ・バンドの登場を見ていたのだろう。あるいは、南佳孝『摩天楼のヒロイン』のレコード・ジャケットのことは知っているが、「あの時代、ステージ上で非日常的に、というか、スクエアな方向で着飾るのはどこか“嘘っぽい”イメージがあった」という、当時の「感覚」は知らない。そのような「感覚」の総体として、きっと当時の南佳孝は存在していたのだろう。

 いつの時代も、音楽は、それをとりまく「感触」や「感覚」とともにやってくる。萩原は、「記憶違いもあるだろう」ということも承知で、実証性より記憶を大事にして書いている。リアルタイムではないと抜け落ちてしまうような、「感触」の総体をこそ再現しようとしているのだろう。その意味で、萩原自身が書評を書いていた、ウィリアム・ジンサー『イージー・トゥ・リメンバー』(国書刊行会)の手つきに似ている。本書の大きな魅力だ。というか、こういう語り口こそ、僕が勝手に抱いているところの〈70年代感〉的なあたたかみの正体をつかむ手がかりになっているようである。萩原は、「まえがき」で次のように言っている。

この時期注目を集めるようになった新しい日本のポップ・ミュージックに関しては、送り手と受け手両者が、確実に何か変わりつつある“場”の空気を共有しているという実感があった。前述したような“肌触り”をベースに、自分の言葉を自分のメロディを乗せて表現する日本人アーティストたち。彼らは“場”を共有していた聞き手たちと微妙な目配せを交わしながら、あの時代ならではの誤解や屈折すら味方につけ、少しずつではあったが、マジカルな名盤をひとつ、またひとつと生み出していったのだった。

 萩原にとって1970年代前半の名盤たちは、リアルタイムの「感触」なしでは語れないのかもしれない。なぜなら、当時の「“場”の空気の共有」こそが、大事だったのだから。後世代の僕は、あるいは読者は、その「空気」の残り香くらいしか共有できていないのかもしれないが、だからこそ本書を読むことで、その一端を共有することになる。

 本書を貫く問題意識のひとつは、外国の音楽を日本でどのようにおこなうか、ということだろう。はっぴいえんど『風街ろまん』からはじまる構成も、本書の主題を示しているかのようである。「日本語ロック論争」のことは言うに及ばず、A面1曲め“抱きしめたい”に対する「外来文化のロックと、日本古来の芸能である落語との融合」という指摘や「アナーキーな文節の区切り方」という指摘は、日本でロックをおこなうことの苦心と工夫を伝えている。あるいは、サディスティック・ミカ・バンド『黒船』に対する「自分たちの眼差しを海外から日本へと襲来する黒船側に置いている捩れた位置取り」という指摘や、細野晴臣『泰安洋行』に対する「屈折しきったエキゾチシズムを実に愉快に、躍動的に、そして毒々しく表現した傑作」という評価も、日本でポップスをおこなうことの意味を問うた先でなされている。本書を締めくくる名盤は、サザン・オールスターズ『熱い胸さわぎ』だが、サザンもまた、はっぴいえんどに端を発する「自分たちの母国語である日本語を使って、それを“どうロックさせるか”、そのうえで“何を歌うか”」という問題意識の延長で語られ、ランプ・アイ『下剋上』(!)に接続されている。

 本書を読んでいると、このような、日本から異国の音楽に焦がれるような態度が、1970年代的な「空気」を形成していたのだろうと思える。しかし、そのこと自体は、いつの時代にも共通するものである。重要なことは、その異国の音楽の内実だ。僕が1970年代の音楽に感じるあたたかみは、ジャンルを越えて存在する。萩原は、「当時、いわゆるロックとかフォークとかソウルとか、従来の音楽ジャンルの枠組みではとらえきれない柔軟な音楽性を持つ海外アーティストたちが日本の輸入盤店やロック喫茶でも話題を集め始めていた」と書いている。具体的には、トム・ウェイツやマリア・マルダー、ヴァン・ダイク・パークスなどだ。つまり、1970年代における「“場”の空気の共有」とは、そういった「柔軟な音楽性」を追求するような態度、その雰囲気なのかもしれない。だとすれば、「フォークでもない、ロックでもない、歌謡曲でもない、従来の枠組みでは計り切れないポップな風景と色彩感に満ちた日本の音楽を、はじめてトータルな形で作り上げてみせた」という『風街ろまん』のインパクトは、やはり大きかったのだろうと想像する。この「柔軟な音楽性」については、「ローラ・ニーロならではのソウル感覚」とともに振り返られる、吉田美奈子『扉の冬』についての文章が良い。『扉の冬』自体が好きなこともあるが、本書全体のコンセプトが詰まっているという点で、本書のハイライトである。萩原は、次のように言う。

ソウル音楽というのは黒人だけのものなのか。黒人ならば誰もがソウルフルなのか。白人に、あるいは白人の音楽にソウルはないのか。それじゃ、日本人は……? そんな永遠の命題に向き合う素晴らしいきっかけになってくれた1枚だった。

 異国の音楽を、柔軟な音楽性を、すなわち1970年代の音楽を、いかに日本のポピュラー音楽として奏でるか。萩原が自身の記憶とともに追っているのは、そのような試みとしてあった音楽なのだろう。そして、そのような音楽たちが、ジャンルを越えて、国境を越えて、時代を越えて、〈70年代感〉的なあたたかみの「感触」として、僕たちのもとに届けられているのだろう。本書を読むと、そんなことを考えてしまう。
 ちなみに『扉の冬』のバックを務めるのは、キャラメル・ママの面々である。1970年代の日本のポップスにおいて、キャラメル・ママ‐ティン・パン・アレーが果たした役割は言うまでもない。時代を彩ったゆたかなサウンドは、ティン・パン・アレー系のミュージシャンによるところが大きい。本書においても、従来的なバンド形態ではない彼らの存在は重要視されている(と同時に、逆説的に、バンドにこだわった鈴木茂やシュガー・ベイブの試みも浮き彫りにされている)。日本のポピュラー音楽について考えるにあたって、このことはけっこう重要だ。というのも、例えば1970年代には、キャラメル・ママをバックに雪村いづみが歌った『スーパー・ジェネレーション』や、ティン・パン・アレーをバックにいしだあゆみが歌った『アワー・コネクション』などがあるが、このような高い音楽性を兼ねた企画モノは、キャラメル・ママやティン・パン・アレーのような独立したミュージシャン集団のもとでこそ成立するからだ。このような、高い音楽性に加えてノベルティ成分が入ったノリは、「プラスティック・オノ・バンドをもじったバンド名からして大いにふざけていたし、プライベート・レーベルを用意してのデビューというのもお遊び感満点だった」と指摘されるサディスティック・ミカ・バンドにも通じるかもしれないし、なにより、大瀧詠一の一連の仕事に接続される。ノベルティ・ソングにただならぬ思い入れを見せてきた萩原は、そのような文脈においても、1970年代の音楽に愛着を感じているのかもしれない(これは、勝手な想像だが)。

 そう考えると、大瀧詠一の存在感は、やはり大きい。本書には、大瀧詠一がソロ第一作『大瀧詠一』を制作するにあたり、キャロル・キングが果たした役割が語られている。すなわち、「前時代的なアメリカン・ショービズの伝統を汲む形で活動していたゴフィン&キング」が、ビートルズのような自作自演のロックの趨勢とともに、いったんは活動の場を奪われたものの、アルバム『つづれおり』で「再び時代に請われるような形でシーン最前線にカムバックしてきた」、「大瀧詠一にとっても、これは事件だった」のだ、と。萩原は、続けて言う。

が、この瞬間、ついに封印は解かれた。新しいとか、古いとか、そんな曖昧な価値基準に何か意味があるのか、と。彼なりの確信を深めた結果、生み落とされた多彩でマジカルな傑作がこの“ファースト”だった。

 大瀧のソロ・ファーストが、ロックン・ロール風ありガールズ・ポップ風ありの傑作であることは、聴いたことがある者ならよく知っている。僕も知っていたつもりだ。しかし、その多彩な音楽性の意味を真に理解した気がするのは、引用部を読んだのちである。このようなゆたかな名盤が、1972年に生まれたことには、それなりの必然性があったのだ。だとすれば、1970年代的な「柔軟な音楽性」を下支えしているのは、時代のトレンドに左右されず、軽やかに音楽を享受する態度なのかもしれない。そのような態度は一方で、自作自演のアーティストとは異なる、ノベルティ・ソングへの興味を引き起こすだろう。この大瀧への指摘は、本当に素晴らしい指摘である。

 1990年代前半、そして現在と、「シティ・ポップ」ブームはたびたびくり返される。とくに現在の「シティ・ポップ」ブームらしきものには、僕は正直ノれないでいるのだが、この「シティ・ポップ」という言葉のなかに、大瀧的な、軽やかに音楽を享受する態度が含まれているのだとすれば、少しは理解できなくもない。本書は、萩原の個人的な記憶とともに語られているが、それゆえに、時代を越えた「感触」を獲得している。話題は1970年代のことに終始しているかもしれないが、その「感触」は、そこにいなかった者たちにも、あるいは、それ以降の時代に生まれた者たちにも、共有できるはずである。本書の言葉を借りれば、「地域性でもなく、人脈でもなく、ジャンルでもなく、言語化しにくい“肌触り”に貫かれた音楽」の「感触」を。

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