「KING」と一致するもの

第6回:女の子が好きな女の子 - ele-king


V.A.
アナと雪の女王 オリジナル・サウンドトラック

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 ここ1ヶ月半ほど、「ありの~ままの~すがた見せるのよぉ~」と我が家の6歳児がかしましい。もちろん彼女が歌うのは、大ヒット公開中のディズニー・プリンセス映画『アナと雪の女王』の主題歌“レット・イット・ゴー”日本語版です。アンタそれ以上ありのままになってどうするんだ……と突っ込んだところで、「何も怖くない。風よ吹け(I don't care. what they're going to say.Let the storm rage on.)」と、こちらがフローズンされそうな勢い。「友だちの話聞いてたらもう一度見に行きたくなった!」と、彼女の『アナ雪』愛は深まるばかりです。彼女の通う小学校ではサビのフレーズをどれだけ大声で歌うか、もしくはヘン声が歌うかを競うのが女の子の間で大流行。ブランコに乗りながら「アロハ~バイバ~イ」とオラフ(雪だるま)のモノマネをしたり(そんなセリフありましたっけ? 母はうろ覚え……)、オラフのギャグ「てかハンスって誰~?」を繰り返したりするのも流行っているそう。

 ジブリ、ディズニー、ピクサー……これまで数々の子ども向け映画を我が子といっしょに観てきましたが、「クラス中の女子が一つの映画の話題で持ちきり」というほどに子ども界を席巻した映画はなかったように思います。日経ビジネスONLINEによれば、すでにアニメ映画として『トイ・ストーリー3』を抜く全世界歴代1位の興行収入を記録し、実写映画を含むランキングでも歴代6位なのだとか。我が子たちのフィーバーぶりに、この記録的な大ヒットをしみじみ実感しています。
 大ヒットの理由については識者がすでにさまざまな論考を重ねていることでしょうが、少なくとも女児にウケた理由は識者ではない私にもわかります。まず、〈M-1グランプリ〉の決勝大会なみにギャグの手数が多いこと。オラフの体を張ったギャグの数々のおかげで、映画館では子どもたちの笑い声がひっきりなしに鳴り響いていました(女の子は小さい頃からお笑いが大好き!)。そして何より重要なのが、女の子同士の連帯を描いていることでしょう。

 4~7歳のプリンセス期にある女の子は、とにかく女の子が大好き。これは女児を持つ親の多くが実感することではないでしょうか。女の子同士で「○○ちゃんだいすきだよ」「LOVE」などとカラフルなシールやハートマークをちりばめた手紙を毎日のようにやりとりし、遊ぶのももっぱら女の子。テレビを観ていても、少年アイドルやイケメン俳優より少女アイドルやヒロイン女優に夢中です。彼女たちがピンクやドレス、ティアラ、妖精といったキラキラデコデコひらひらしたものを好むのは、それが「女の子」を象徴しているからなのです。
 女の子のプリンセス願望というと、王子様待ちの他力本願、受動的な生き方の象徴としてとかくやり玉に挙げられがちですが、幼い女の子は王子様など眼中にありません。21世紀以降着実に売り上げを伸ばし、現在では2万6千点以上のグッズを抱える「ディズニープリンセス」ブランドも、プリンセス映画から王子様を排除してプリンセスだけで世界観を固めたからこそ、女児のハートをつかんだのです。
 日本でも現代女児の心をとらえてはなさないTVアニメは、『プリキュア』シリーズに『アイカツ!』など、女の子同士の連帯の描写に重きを置いたものばかり。白雪姫とシンデレラはグッズの中で並んでいても、手に手を取って戦ったりはしませんでしたから、プリキュアのほうが進んでいるともいえます。見方を変えれば、『アナと雪の女王』の女児人気は、「ディズニープリンセス」がプリキュア要素を取り入れた結果とも言えるのではないでしょうか。


『アナと雪の女王』
監督:ジェニファー・リー、クリス・バック
製作年 / 国:2013年 / アメリカ合衆国
配給:ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン
ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話『雪の女王』を原案とした長編アニメ映画。王家の姉妹が試練を乗り越え、凍った国を救い、自身らの愛を取り戻す顛末をスペクタクルに描くディズニー最新作。日本国内でも大ヒットを記録し、公開7週めにして累計動員970万人、興行収入121億円を突破して社会現象化しつつある。映画本体に加えてサントラ盤も好調にセールスを伸ばし、とくにMay J.が歌う主題歌“レット・イット・ゴー”は、国民的なヒット・ナンバーとして連日街頭やテレビなどを華やがせている。


 なぜ女児はこれほどまでに「女の子」の世界に執着するのか。一説によれば、アイデンティティを確立する上で必要なプロセスだからだと言われています。自分が何者かであるかを意識せずに生きていくことは難しい。たいていの大人にとって性別は自明ですし、職業や周囲に認知された人格、あるいは「ボン・ジョヴィのモノマネをさせたら三国一」などの特殊技能でアイデンティティを保つこともできます。しかし通常の子どもは、そこまで確立されたアイデンティティを持ち合わせていませんし、生物学的性差への理解もあやふやです。そこで「性別を象徴するすてきな何か」に自らを同化させ、同じ性別を有する者同士で愛情を育むことで、アイデンティティ確立への第一歩を踏み出すのでしょう。男児がスーパーヒーローに自己同一化するのも同じことです(もちろん男女が逆転する場合もあるでしょう)。

 ところで、女児が同性を好むのが自然な発達過程なのだとしたら、そこを当て込んだ女児向けの女の子連帯モノが昔からあってもよさそうなものです。しかし私の子ども時代の女児アニメといえば『キャンディ・キャンディ』『小公女セーラ』に代表されるように、けなげで無垢なヒロインが意地悪な同性にいじめられても耐え、お金持ちの男性に救われるというシンデレラ・ストーリーが王道でした(いじめ描写が苦手な私は女児アニメを避け、『機動戦士ガンダム』に入れ込んだものです)。富や権力が男性に握られている世界では、結婚で富を得るにしても仕事で成功するにしても、権力のある男性にすくい上げてもらうしかありません。つまりかつての女の子にとってのサクセスとは、自ら目標を立て努力し、他人と協力しながら何かを成し遂げることではなく、自分一人にスポットが当たること。そして男性に愛されるには、自意識や自我を隠し、無垢やけなげを装わなくてはいけない。女の自意識や自我は恥ずべきものであると教え込まれた女性たちは、他の同性の自意識や自我の攻撃に走ることもしばしばです。幼い頃に刷り込まれたこうした価値観は、女性たちの生きづらさの一因になっているようにも感じられます。

Be the good girl you always have to be  良い子でいなさい、いつもそうしてきたように
Conceal, don't feel,  隠しなさい、感情を抑えて
don't let them know  誰にも知られてはいけない

 “レット・イット・ゴー”の歌詞の原文を読んだとき、真っ先に思い出したのは、フェイスブックの女性COOによって書かれた全米ベストセラー『リーン・イン』(シェリル・サンドバーグ)でした。同書がクローズアップしたのは、上昇志向や能力、自己主張を隠し、控えめにふるまうのが愛される「良い子」であると刷り込まれているばかりに、女性たちがチャンスを逃がしてしまうという問題です。上記の歌詞は氷を操る能力を隠すように言い聞かされて育った姉・エルサの孤独を描写するものですが、女性全般が感じがちな抑圧にも通じるのではないでしょうか。同書で紹介されている「ハイディ・ハワード実験」は、こうした抑圧の源となるバイアスを明らかにしています。実験内容は、実在する野心的な女性起業家が成功した過程を、ある学生グループに対しては男性名「ハワード」で、もう一つの学生グループには女性名「ハイディ」で、それぞれ読み上げるというもの。すると性別以外の情報はそっくり同じだったにも関わらず、ハワードは好ましい同僚と見なされ、ハイディは自己主張が激しく自分勝手で一緒に働きたくない人物と見なされたのです。単純に言ってしまえば、男性の場合は成功と好感度が正比例し、女性の場合はその逆ということなのでしょう。


『リーン・イン 女性、仕事、リーダーへの意欲』(日本経済新聞出版)
シェリル・サンドバーグ著、村井章子訳
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 著者のシェリル・サンドバーグ自身も、フェイスブックに転職した際、ライフルを構えたコラージュ写真がネットに掲載されるなど激しいバッシングにさらされたといいます(3章「できる女は嫌われる」)。「そして結局、いちばんいいのは無視することだとわかった。無視する。そして自分の仕事をするしかないのだ、と」。まさに「I don't care what they're going to say.Let the storm rage on.(もう皆に何を言われようとも気にしない。嵐よ吹き荒れるがいい)」という“レット・イット・ゴー”の歌詞のとおりです。
 とはいえ、著者は「みんなに嫌われても全然オッケー!」とは言いません。「本音を言えば、チームの和を乱す女だとみなされるのではないか。文句ばかり言ういやな女だと思われるのではないか」とおびえ、意見を言うテーブルにつこうとしない女性たちに、本音でありながら怒りを招かない言い方はスキルとして習得できるとアドヴァイスしています(6章「本音のコミュニケーション」)。また、女性の能力を認めてくれる有力者が目をかけたくなるような実力を身につけ、信頼関係を築き、味方につけなさい、とも(5章「メンターになってくれませんか?」)。『アナと雪の女王』について、「エルサほどの能力があれば世界征服をすればよかったじゃないか。あの結末は日和ってる」「国民を楽しませるだけでは偉大な力の無駄遣いだ」という(主に男性の)感想をちらほら見かけます。たしかにエルサが男性であれば、「世界征服かっけー!」と力に憧れる男性たちが貢ぎ物を持ち寄り、その権力を目当てに女性たちが群がって、強者である自分に満足しながらつつがなく暮らしてゆくことができたかもしれません。しかし、エルサはあのままでは国民とともに飢え死にするほかなかったでしょう。強者ゆえの孤独は男性にもあるかもしれませんが、女性のそれは死に直結しかねません。エルサの物語は、能力を隠しきれなかったことで孤独に陥りながらも、わかってくれる者と信頼関係を築き、その能力を隠すのではなく他者の利になるようにコントロールすることで居場所を獲得したシェリルの人生に似ています。女性が健全なアイデンティティを育むには、まずは抑圧をはねのけて自我のありようを肯定し、その上で信頼できる他者に受け入れられる術を探るという2段階のプロセスをたどる必要があるのです。そう考えれば、プリンセス映画でありながら女児モノの枠を超えて大人の女性を虜にし、世界的に大ヒットした理由も想像できます。
 もちろん、一般女性はエルサやシェリルのような特別な能力を有していないかもしれません。しかし「権利を主張したり賢しらにふるまったりしたら“ブス”“フェミ”として社会から排除するぞ。そうすれば生きていけないぞ」という恐怖にコントロールされ、理不尽をニコニコやり過ごしてきた女性たちも、SNSの発達で自己表現したり、同性と連帯する楽しさを知りつつあります。劇場で声を揃えて「レリゴ~」と歌う女性たちは、ひととき小さな女の子になって「女の子大好き! 自分大好き!」という自己肯定感を育み直すことで、嵐吹き荒れる社会に立ち向かう活力を得ているのかもしれません。

interview with Lee Bannon - ele-king

 リー・バノンは1987年、カリフォルニア州のサクラメントに生まれた。本名はフレッド・ウィーズリー。リー・バノン名義では、これまでに2枚のアルバムと4枚のシングルやEPを発表している。チルウェイヴを追っていた人たちは彼がファースト・パーソン・シューター名義で発表した『モービリティ・フォー・ゴッズ』を耳にしていたかもしれない。前作の〈プラグ・リサーチ〉から発表された『ファンタスティック・プラスティック』は自由度が高いヒップホップ作品だった。そして、今作『オルタネイト・エンディングス』で彼が挑戦したのは、なんとジャングルである。

 ヒップホップを軸にしつつ、チルウェイヴからジャングルまでを往復する──彼のようにさまざまなスタイルを持ったプロデューサーには共通する部分が多い気がする。たとえば、彼らとダンス・ミュージックとの邂逅は多くの場合、ベッドルームで起こった。しかも大きなスピーカーとウーファーがあるわけではなく、ヘッドホンを通して一対一で音と向き合う場合が多い。「クラブでこの曲がかかると盛り上がる」とか、「あのジャンルが流れるあのパーティへ行こう」という前提なしに彼らは「音」を楽しんでいる。そこにジャンルなどは関係ない。素晴らしい作品を聴いていると、音楽を聴くだけでは足りなくなり、自分で作った曲を手にクラブへ行くようになる。リー・バノンの作品を聴いていて、そんな人物像を彼に被せていた(今回話を聴いてみて、実際にそうだった)。


Lee Bannon
Alternate/Endings

Ninja Tune/ビート

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 さて、今回の作品でジャングルがひとつのテーマになっているものの、前作で実験的なヒップホップをやった男が、直球のジャングルを作るわけがない。さまざまな声や音がサンプリングされ、細切れにされ、それがジャングルの高速リズムと絡み合ったかと思えば、いきなりスローダウンして幻想的で荒廃したイメージが広がるトラックもある。映画好きなバノンにとって、サウンドトラックは音ネタの宝庫のはずだ。だが、今回彼はスタジオでマーズ・ヴォルタのベーシストのホアン・アルデッテという強い味方を発見し、自分で楽器を演奏することによってサンプリングに縛られない音の構築にも足を踏み入れた。本作のタイトルは『オルタネイト/エンディングス』(選択可能な結末という意味)である。現在、映画やゲーム(彼の別名儀でもある「ファースト・パーソン・シューター」はまさしくゲームの一ジャンルを意味するものでもある。)の結末を観客が選べたりするように、バノンはそのカラフルな引出しの数々によって自分でアルバムの結末を選べるようにまでなった。

 今回のインタヴューは4月19日の土曜日、ドラムンベース・セッションの会場で行われた。カラフルなスニーカーに白いティー・シャツを着たリー・バノンはニコニコと質問に答えてくれた。「次はデンバーとトロントへ行くんだ。DJラシャドも一緒だよ!」と楽しそうに彼は言った。フェイスブックなどで近況をチェックしたところ、DJラシャドと一緒に写真に写るバノンを確認することができた。インタヴューでテックライフやラシャドとは友だちだと答えており、「今度はフットワークやってよ!」とお願いしてその日、僕はバノンと別れた。

正直なところ、最初は自分がやろうとしているドラムンベースが受け入れられるのかどうかもわからなかったから、始めは俺のヘッドホンの中だけで流れている音楽って感じだった。だけど、ライブをやるようになってから、自分の音楽がみんなに自然と受け入れらていったんだ。

前作『Fantastic Plastic』はヒップホップを軸とした作品でしたが、今作ではジャングルやドラムンベースが主体となっています。どのような経緯があったのでしょうか?

リー・バノン(以下、LB):前作はアルバムっていうよりは、俺の音を集めた作品集的な意味合いが強いものだった。でも今回の作品は、なんていうか、もっと本当の意味で自分の翼を広げて、自分がいまできることを全部投入したっていう感じかな。

なぜいまジャングルなのでしょうか?

LB:とくにジャングルに変えようとしたというよりは、単純にいろんなジャンルをやってみたいという感じだったんだ。いまの自分の音がどういう感じで聴こえるのか、まだ純粋な感じに聞こえるのか、とかね。

今作ではマーズ・ヴォルタのベーシスト、ホアン・アルデッテが参加しています。彼とはどのように出会ったのですか?

LB:このアルバムを作っているときに偶然スタジオで会ったんだ。だから、それまで彼がマーズ・ヴォルタで発表した作品もまったく聴いたことがなかったんだよね(笑)。なんとなくそこで意気投合して、彼がベースを弾き始めたから、俺はペダルを持ってきて一緒にちょっとやってみて、そういう流れで出来上がった感じかな。

今作であなたはピアノを披露していますが、プロダクションをはじめるにあたって、生楽器を使用することが多いのでしょうか?

LB:もちろんドラムマシンやシーケンサーも使っているんだけど、今回はピアノを入れてみたんだ。これからはもっとギターなんかも入れていきたいね。

デジタルが発展し、ソフトウェアのみを使用するプロデューサーの数も多くなっています。その風潮のなか、なぜあなたは生楽器を入れようと思ったのですか?

LB:理由は簡単で、生楽器を入れることでもっと音に深みを持たせたり出来るし、よりピュアな音が表現できると思うんだよね。

プロダクションのデジタル化についてどう思いますか?

LB:まぁ、人が求めているひとつの選択肢としては別にいいんじゃないかな。俺にとってはひとつのツールという認識でしかないけどね。

あなたは今作をゲーム『メタル・ギア・ソリッド』のサウンドトラックのようだと答えています。メタルギア・シリーズはブリアルのようなミュージシャンにも影響を与えていますが、あなたは『メタル・ギア・ソリッド』のどこに魅かれますか?

LB:そうだね、『メタル・ギア・ソリッド』とかからの影響はあると思う。このゲームをしながら育ったしね。とくにどの部分に細かく惹かれたとかはないけれど、そのバイブは自分のなかに影響された部分としてあると思うよ。

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『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』はとてもシリアスな映画じゃない?だから近作も俺の中でかなりシリアスな作品にしたかったからこの映画のシリアスさを参考にしてこんな感じの作品に仕上げたかったというところで影響されたのはあるかもね。

あなたはカリフォルニア州サクラメントでキャリアをスタートさせました。サクラメントとはどのような街なのでしょうか?

LB:とてもユニークな街だと思う。とくに“この街”っていう特徴的な音はなかったと思うんだけど、俺やデスグリップスとかの登場で、こういう音を鳴らすアーティストがいる街っていう認識ができたんじゃないかな。

どのようにクラブ・カルチャーと関わっていくようになったのですか?

LB:自然に入っていった感じかな。正直なところ、最初は自分がやろうとしているドラムンベースが受け入れられるのかどうかもわからなかったから、始めは俺のヘッドホンの中だけで流れている音楽って感じだった。だけど、ライブをやるようになってから、自分の音楽がみんなに自然と受け入れらていったんだ。

レコードからサンプリングをしているようですが、普段はどのようなスタイルで音楽を聴いているのでしょうか?

LB:実は、最近はもっぱらデータばっかりなんだ。もちろんCDやレコードも買うけどほとんどデータだね。

今回はライヴ・セットを披露しますが、DJもするのでしょうか?

LB:普段はあまりDJはしないんだよね。基本的に自分の曲だけでセットを作っているよ!

ヒップホップのアーティストが最初に使う機材はアカイのサンプラーであるMPCの場合が多いですが、あなたはローランドのドラムマシーンで作曲をはじめました。この最初の機材との出会いは、いまのあなたにどう影響していますか?

LB:最近はまたMPCを使いはじめているんだ。俺にはロジック(アップルの音楽制作ソフト)よりもこっちの方が、音的にしっくりくるんだよね…….他にローランドのSP555(サンプラー)を使っていて、これはエフェクトには最適なマシーンなんだ。このローランドのマシンは俺に新しい音の使い方を示唆してくれたりする。最初の入り口が生楽器ではなかったから、いまでもサンプラーやドラムマシンから影響を受けていると思うよ!

あなたに影響を与えたヒップホップのアーティストを教えてください。

LB:実は最近はあんまりいないんだけど……。ラキムとかは好きだったよ。Jean-Luc King Brownもいいよね。

フライング・ロータスが主催する〈ブレインフィーダー〉周辺では、現在も実験的なヒップホップを作るプロデューサーが多くいますが、彼らのことをどう思いますか?

LB:いいんじゃないかな。いろんなジャンルの垣根を越えて、例えばフットワークとか新しいものを作っているわけだし。

あなたはファースト・パーソン・シューター名義で『モービリティ・フォー・ゴッズ』というチルウェイヴ的な作品を発表しています。なぜこの作品は生まれたのでしょうか?

LB:このプロジェクトは友だちとやってる超レフトフィールドなものなんだけど、チルウェイヴよりもっとアンビエント寄りのことをやりたかったんだ。例えばここに来る間に15時間飛行機の中で作った音が結構良かったから、もっと完全なアンビエントな作品としてまとめてもいいかなって思ってる。環境音楽的なものを入り口として広げていくのも悪くないね。

ファースト・パーソン・シューターとして曲を発表したとき、あなたは自分の素性を明かすことはありませんでした。リー・バノンも本名ではありません。どのように名義を分けているのですか? またあなたにとって匿名性とは何でしょうか?

LB:匿名性ってのは、もっと自分を大きく見せるツールのひとつでもあると思うんだよね。なんていうかもっと自分とは切り離された別物というか……。例えば、もし会社に行って自分が経理担当だとしたら、自分の名前が“経理”ってわけじゃないけど、“経理の仕事をした人”っていうことになるじゃない?でも家に帰れば自分自身に戻る。俺もそれと似た感じなんだ。それに違う音をやりたい時もあるから、そういう意味でも都合がいいというか。その音がその名前に帰属するというか、その名前によってその音だと認識して貰いんだよね。

カリフォルニアからニューヨークへなぜ引っ越したのでしょうか?

LB:ジョーイ・バッドアスのため、っていうのがいちばん大きい理由かな。俺は、彼の作品のプロデュース以外にツアーのDJもやってたりするから彼の近くにいる必要があるしね。

ニューヨークおける音楽のシーンはどのような感じなのでしょうか?ドラムンベースやヒップホップに限らず教えてください。

LB:ニューヨークのシーンは大好きさ。バイブや雰囲気がいまの俺の感じにとても合っているのもあるしね。ドラムンベースやヒップホップ以外にもボサノヴァとかのシーンもあるだろうけど、そこまでいろんなシーンはないんじゃないかな(笑)。

ジュークはBPMがドラムンベースに近いため、両方をプレイするDJが増えてきました。あなたにとってジュークはどのような存在なのでしょうか?

LB:俺にとってのジュークは、DJ アールや友だちのテックライフ、DJラシャドとかのことなんだ。次はカナダでラシャドと一緒のイヴェントに出る予定だよ!

今回の作品を制作するうえで、影響を受けた音楽作品はありますか?

LB:今夜出演する予定のソース・ダイレクトなんかよく聴いていたよ! だから今回のブッキングはすごく嬉しかった。さっきみんなで夕食に行ってきたんだけど、ナイス・ガイだった。それと『エクササイズ・アンド・ディーモン』は影響された作品だね。

今作のインスピレーションの源として、ポール・トーマス・アンダーソン監督の映画『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を挙げています。この作品のどのような部分にインスパイアされたのでしょうか?

LB:インスパイアされたというより、対比したものの参考にしたと言う方が正しいかな。この映画はとてもシリアスな映画じゃない?だから近作も俺の中でかなりシリアスな作品にしたかったからこの映画のシリアスさを参考にしてこんな感じの作品に仕上げたかったというところで影響されたのはあるかもね。

お気に入りの映画とサウンドトラックを教えてください。

LB:オリジナル版の『コスモ』のサントラは凄くいいね。最近だったら『ネッフルマニア』のサントラが良かった。

既存の映画のサウンドトラックを作り変えられるとしたら、どの映画を選びますか?

LB:うーーーん、良い質問だね(笑)。そうだな、もし出来るとしたらフランス映画なんだけど『ブルー・イズ・ザ・ウォーメスト・カラー』っていう映画のサントラをやりたいかな。

「同じことを2回しない」ことを信条としていますが、今後はどのような作品を発表する予定ですか?

LB:今俺は新しいステージにいると思ってるんだけど、しばらくはいまのサウンドを追求していきたいかな。そしてまたそこから新しい可能性を見つけて発展させたい。もちろんジャングルやジュークも先にはありえると思うけどね。

昨夜大阪公演でエイフェックス・ツインの“ウインドウ・リッカー”を演奏されていましね。

LB:(笑)! そうなんだよ。俺、彼の大ファンなんだよね。彼の音って不思議の国のアリスの兎のように追いかけても追いかけても捕まらないっていう不思議な音速感があるんだよ。

 この取材から1週間後の27日の朝、DJラシャドの訃報が舞い込んできた。新作の『ダブル・カップ』は最高の1枚で、このマスターピースを携えて、彼はほんの少し前に〈ハイパー・ダブ〉のイヴェントで来日したばかりだった。フットワークという言葉を彼は世界に広め、ジャンルを超えて多くのミュージシャンからリスペクトされてきた。フェイスブックページで、ワンマンやカーンなどの若手から、アンダーグラウンド・レジスタンスのような重鎮までが追悼の意を寄せるなか、そこにはリー・バノンのコメントもあった。彼はDJラシャドの死をどのように受け止めていくのだろう。ただ悲しみに暮れるだけでは故人は救われない。
 新しいステージに足を踏み入れたバノンの次の作品には、ラシャドへのリスペクトが込められているはずだ。

ピクシーズ、この6枚。 - ele-king

■ピクシーズ、まさかの新譜『インディ・シンディ』をクロス・レヴュー

Pixies - Indie Cindy
Review

Pixies - Indie Cindy
Pixies Music / ホステス

結成から29年、再結成から10年。「オルタナ」あるいは「グランジ」といった音楽的潮流の下、90年代以降のインディ・ロックに多大なる影響を及ぼしたバンド、ピクシーズの新譜がリリースされた。「本当に新譜が出るとは……!」という往年のファンから、「オルタナ」がオルタナティヴではなくなってしまった時代に聴きはじめた若いリスナーまで、もちろんその反応は一様ではない。しかし、どの聴き方にも真実がある。合評スタイルで多角的にアプローチしてみよう。 黒田隆憲、久保正樹、天野龍太郎による渾身のクロス・レヴュー!

■ピクシーズ、名盤Pick Up

文章:天野龍太郎、加藤直宏、久保正樹、黒田隆憲

『カム・オン・ピルグリム』
Come On Pilgrim
4AD / 1987年

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 映画『キャリー』でもっとも怖く印象に残るのは、クライマックスのキャリーの暴走ではなく、キリスト教原理主義のあの母親だ。アメリカの病理というべきか、歪んだ正義に息苦しさ、いや狂気を感じた子どもたちによる逆襲。ピクシーズというバンドもそうしたアメリカのダークサイドに唾を吐きかけたバンドのひとつだ。ジャケットを見てほしい。女装をした男の背中に、獣のような体毛が生えている。キリスト教右派たちからすれば、すぐさまに火をつけて、燃やしたくなるだろういかがわしいヴィジュアルだ。歌詞においても高く評価されるフランシス・ブラックがキリスト教社会や学歴社会に対してアンチを投げかけてきたことはよく知られているところだが、バンドの結成から間もない1887年に名門〈4AD〉との契約を勝ち取り、デビュー・アルバムに先駆けてのリリースとなったこのEP『カモン・ピルグリム(ピルグリムとは巡礼者のこと)』のジャケットは、ピクシーズというバンドの存在を見事に説明しているように感じられる。そして本作に収められたサウンドはこのジャケット以上に、聴く者に何か切実なものを訴えかけてくる。
 ピクシーズ史上もっとも美しいメロディを持つ曲のひとつ“カリブー”、パール・ジャムの“スピン・ザ・ブラック・サークル”を思わせる“イスラ・デ・エンカンタ”(彼らはこの曲ヒントにしたのかもしれない)、“エド・イズ・デッド”、乾いたスパニッシュ系のギター・リフに痺れる“ニムロッズ・サン”、ラップのようなフランシスのヴォーカルが特徴的な“アイヴ・ビーン・タイヤード”など、結成から1、2年のバンドとは思えないほど、アイディアに溢れ、完成度の高い楽曲が並んでいる。ピクシーズを聴くなら、本作も必ず押さえておくべき。(加藤直宏)

『サーファー・ローザ』
Surfer Rosa
4AD / 1988年

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 いま聴いてもゾクゾクする。ブラック・フランシスのささくれだった金切り声、頭を掻きむしっているかのように鳴らされるギターのノイズ、混沌のサウンドの中にふいのカウンターパンチのように散りばめられたポップなメロディやコーラス……、若き4人の匂い立つような初期衝動がスティーヴ・アルビニのプロデュースによって、生々しく記録されている。1988年に〈4AD〉からリリースされたこのファースト・アルバムは、グランジはもとより、その後のギター・ロックに大きな影響を与えたオルタナティヴ・ロックの金字塔として知られている。カート・コバーンが『ネヴァーマインド』を制作する際に本作から多くのヒントを得たというのは有名な話だし、2002年にチャンネル4で放送されたドキュメンタリー『Gouge』ではデヴィッド・ボウイ、ボノ、トム・ヨーク、ブラー、PJハーヴェイ、トラヴィスといった面々がピクシーズへの想いを語っていたが、本国を超えてそのサウンドは多くのミュージシャンたちに影響を与えている。アルビニのプロデュースも手伝ってか、本作ではとりわけ彼らのアルバムの中でもパンキッシュで攻撃的なサウンドが展開されている。どの曲も短くソリッドで、しかし強烈なフックを持っている。ピクシーズでもっとも有名な曲のひとつであり、後にブリーダーズを結成するキム・ディールが歌う“ギガンティック”(アップルの最新CMでも使われていているのはこの曲)、映画『ファイトクラブ』のエンディングで流れる“ホエア・イズ・マイ・マインド?”など名曲揃い。サイモン・ラーバレスティア(Simon Larbalestier)による退廃的なジャケットの写真も素晴らしい。(加藤直宏)

『ドリトル』
Doolittle
Rough Trade / 1989年

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スティーヴ・アルビニを迎えた前作『サーファー・ローザ』でUKインディー・チャートのトップに躍り出た彼らは、通算2枚めとなる本作でさらなる飛躍を遂げる。ルイス・ブニュエルの短編映画『アンダルシアの犬』からインスパイアされたという冒頭曲 “ディベイサー(Debaser)”は、まるでグランジ〜オルタナの「幕開け」を告げるかのようなインパクト。キム・ディールのベースライン/コード進行は、その後のインディ・ギター・バンドにとって、一種の「ひな形」になったといっても過言ではないだろう。不気味なうめき声と制御不能な咆哮を、1曲の中で目まぐるしく使い分ける“テイム”や“アイ・ブリード”など、ブラック・フランシスのヴォーカル・スタイルはもはや唯我独尊の域に達し、我関せずとばかりにレスポンスするキムのクールな声とのコントラストも、楽曲を立体的に際立たせている。変態的で、どこかオリエンタルな響きを持つジョーイ・サンチャゴのギターももちろん絶好調だ。ガールズポップのようなポップ・ソング“ヒア・カムズ・ユア・マン”や、屈指の名曲“モンキー・ゴーン・トゥ・ヘヴン”も収録された本作を、彼らの「最高傑作」と呼ぶファンは多い。(黒田隆憲)

『ボサノヴァ』
Bossanova
4AD / 1990年

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1990年リリースの通算3作め。『ドリトル』の延長上にある作品だが、楽曲はよりシンプルに、ストレンジながらもクリアな音作りも優れたバランス感覚で鳴っている。冒頭、オルタナティヴ版ベンチャーズのようなサーフ・ロック調のインストゥルメンタル“セシリア・アン”が意表を突く。全編にわたってブラックが叫び散らす「ロック・ミュージック」の行き詰まった焦燥は、ピクシーズとブラックの真骨頂ともいえる美しい瞬間を捉えている。黄金のリフを奏でる“ヴェロリア”、ロックンロールに駆け抜ける“アリソン”、ポエトリー・リーディングとギターのファンキーなカッティングからじつに美しいメロディへと流れこむ“ディグ・フォー・ファイア”には色褪せない輝きが。スペーシーなジャケットにも表れているとおり、宇宙やUFOが登場するリリックも興味深い。メインストリーム寄りのアルバムとして批判する向きもあるが、僕にとっては重要なアルバム。(天野龍太郎)

『トゥロンプ・ル・モンド』
Trompe Le Monde
4AD / 1991年

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前作『ボサノヴァ』でアレンジ/サウンド・プロダクションの幅を一気に広げ、全英でヒットを記録した彼らが、リハーサル・スタジオから漏れ聴こえるヘヴィ・メタル(オジー・オズボーンやラット)に触発され、ヘヴィメタ要素を大々的にフィーチャーした通算4枚め(ちなみに邦題は『世界を騙せ』)。16ビートのギター・バッキングやライト・ハンドの早弾きなどヘヴィメタ奏法で聴き手の血をたぎらせつつも、いきなりワルツをぶち込んで意表を突くアルバム表題曲をはじめ、随所で顔を見せる天の邪鬼っぷりは健在。キャプテン・ビーフハートやスネイクフィンガーとの共演経験を持つキーボード奏者、エリック・ドリュー・フェルドマンを迎え、これまで以上にシンセ・サウンドを取り入れたのも印象的だ。畳み掛けるような前半のテンションはとにかく異様で、アルバム全体のメタリックな感触にリリース当時は少々戸惑ったものだが、人を食ったようなジザメリのカヴァー“ヘッド・オン”をはじめ、いま聴くと親しみやすい曲もけっこう多い。何より、ナンバーガールやART-SCHOOLなど90年代以降に登場した日本のギター・バンドに多大なる影響を与えたアルバム、という意味でも重要な一枚だ。(黒田隆憲)


サーフ・ポップがねじれをこじらし、波乗りしていたらうっかり宇宙の哲学にまでたどり着いてしまった問題作『ボサノヴァ』の後にリリースされた5枚め。当時、最新ファッションとまで化していたグランジ・ブームのど真ん中で、もろに直球な“プラネット・オブ・サウンド”、幻想的にひた走る“ちびのエイフェル”あたりにシーンとのリンクを聴くことができるものの(というかシーンが追いついたのだが)、UKの〈4AD〉(←当時はデカダンな意匠をまとっていた)からのリリースというところにほかのUS産とはちがうワイアードな恍惚を感じたものだ。ミクスチャー風なグルーヴを採り入れた“スペース” “サバカルチャー”など、これまでにない骨太感も聴こえるが、やっぱり、インパクトのあるギターリフ、そして、妙ちきなくせに鮮やかなメロディをなぞるてろてろしたヴォーカルからの脂肪分たっぷりの絶叫に骨抜きにされてしまう。“モーター・ウェイ・トゥ・ロズウェル”の美しさもさることながら、シーンをともに築いた盟友ジーザス&メリー・チェイン“ヘッド・オン”のカヴァーを、悪意も皮肉もなくストレートに披露する懐の広さにもじんときたものだ。(久保正樹)


「世界を騙せ」と題された本作は、彼らの4枚めのフル・アルバムであり、今回の『インディ・シンディ』がリリースされるまでは、彼らのラスト・アルバムとして記憶されていた。本作を最後にして、1993年にバンドは解散。フランシス・ブラックはソロでの活動をスタートさせ、ベースのキム・ディールはすでに人気のあったブリーダーズでの活動に本格シフトしていくようになる。しかしながら、だからといって本作が輝きを失うわけではない。これほどの作品が作れるというのに、これで解散してしまうのはあまりにもったいないと思った人も多かったことだろう。それぐらい本作にはいい曲がたくさんある。“アレック・エッフェル”“プラネット・オブ・サウンド”“レター・トゥ・メンフィス”といった名曲に加え、ジーザス&メリーチェインの“ヘッド・オン”のカヴァーも収録。サード・アルバム『ボサノヴァ』でのサーフ・ロック的な路線から一転、本作では『サーファー・ローザ』時代に戻ったような、パンキッシュでささくれだったギター・サウンドが展開されている。フロントマンのブラック・フランシスはバンドを結成する際に「ハスカー・ドゥとピーター・ポール&マリー(1960年代にUSで大成功を収めたフォーク・バンド)が好きなメンバーを求む」と募集をかけたそうだが、ピクシーズというバンドは本当にそんな感じのサウンドだ。歪んだギターの轟音の中に、とてつもなくポップなメロディが潜んでいる。『トゥロンプ・ル・モンド』もそんなピクシーズの魅力を存分に味わえるアルバムだ。(加藤直宏)

『ピクシーズ・アット・ザ・BBC』
Pixies at the BBC
4AD / 1998年

Amazon

当時からライヴの良し悪しがその日の状態によって大違いなバンドとして定評(?)のあるピクシーズ。妙々たる奇跡のようなパフォーマンスの傍に──いつがっかりさせられてもおかしくない──垢抜けない要素がべっとり貼りついているところが、彼らを信頼できる所以であったりする。88年から91年までのBBCライヴを収めた本作は、テンション高く、キレも抜群で、アルバム以上にムキ出しズルむけとなったピクシーズのセンスとユーモアを存分に味わうことができる。フランシスの乾いたギターと、サンティアゴの艶っぽいギターの絡みもいつになくスリリングで、キムのコーラスもぱっと華やか。『サーファー・ローザ』以外の各作品から、ライヴ映えよろしい楽曲が選りすぐられていて、ピクシーズ初心者にも心の底からオススメできる内容だ。そして、玄人のあなたにはこちら。締めを飾るピーター・アイヴァースのカヴァー“イン・ヘヴン”(デヴィッド・リンチ監督『イレイザーヘッド』のなかで、おたふく娘が歌い上げる悪夢の幻想バラード)のフランシスの咆哮にまみれ、世にも美しい後味の悪さに浸ることをオススメする。(久保正樹)

Pixies - ele-king

結成から29年、再結成から10年。90年代以降のインディ・ロックに多大なる影響を及ぼしたバンド、ピクシーズの新譜がリリースされた。「本当に新譜が出るとは……!」という往年のファンから、「オルタナ」がオルタナティヴではなくなってしまった時代に聴きはじめた若いリスナーまで、もちろんその反応は一様ではない。しかし、どの聴き方にも真実がある。合評スタイルで多角的にアプローチしてみよう。

マイブラもブラーもローゼズも未踏、“正真正銘の最新アルバム” 黒田隆憲

 マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやブラー、それからストーン・ローゼズと、いわゆる“90年代レジェンド・バンド”の再結成(再始動)がここ数年は大きな話題となったが、その先駆けとなったのがピクシーズであったことは周知の事実である。2004年に彼らがオリジナル・メンバーで再び集まり、精力的にライヴをおこない、たとえばセックス・ピストルズのような従来の再結成バンドとはまったくちがう“現役っぷり”を見せつけたのは、ロック・シーンにおいてエポックメイキングな出来事だったと思う。ただ、再結成した彼らが新曲(およびニュー・アルバム)を作り上げてくれるかどうか? というのはまた別の話で、正直なところずっと懐疑的だった。ドキュメンタリー映画『ラウド・クァイエット・ラウド』を観るかぎり、ブラック・フランシスとキム・ディールの間の溝はもはや埋めようのない状態だったし、「この調子じゃスタジオに入って新作のレコーディングなんて夢のまた夢だな」と個人的には思っていた。おそれていたとおり2013年にキムはバンドを脱退。「もはや、バンド存続すら絶望的かも」と半ば覚悟していただけに、まるで吹っ切れたかのようにニューEPを次々と発表、ついには最新アルバムをリリースという、昨今の怒濤の展開には呆気に取られるばかりだ。「狐につままれたような気分」というのはまさにこのこと。マイブラもブラーもローゼズも、未だ成し遂げていない“正真正銘の最新アルバム”を、そこからもっとも遠いと思っていたピクシーズが最初に作り上げてしまったのだから(先だってのマイブラ最新作は、過去のマテリアルをケヴィン・シールズがひとりでまとめ上げたようなものなので、彼らは次が勝負だろう)。

 キムを除くオリジナル・メンバー、フランシス(ギター&ヴォーカル)、ジョーイ・サンチャゴ(ギター)、デヴィッド・ラヴァリング(ドラム)の3人と、サポート・ベーシストにはザ・フォールの元メンバーで、PJハーヴェイとの仕事でも知られるサイモン“ディンゴ”アーチャーがスタジオ入り。バッキング・ヴォーカルは今回ジェレミー・ダブスで、新ベーシストとして最近加入した美女パズ・レンチャンティンの出番はまだのようだ(レコード・ストア・デイの限定アナログ盤には、彼女が参加した“ウイメン・オブ・ウォー”がボーナス・トラックとして収録されている)。

 セカンド・アルバム『ドリトル』以来の朋友ギル・ノートンをプロデューサーに迎えたこともあり、サウンド・プロダクションはまったく申し分なし。感触としては『ボサノヴァ』の延長線上と言えるだろうか。楽曲も、“アイ・ブリード(I Bleed)”を彷彿とさせるような“グリーンズ・アンド・ブルーズ”、“ボーン・マシーン”のトーキング・ヴォーカルを引き継ぐ“インディ・シンディ”、“セシリア・アン”のスリリングな疾走感を連想する“スネイクス”など、過去曲に引けを取らぬクオリティのものが並ぶ(とにかく“メロディ指向”で、フランシスも丸くなったなーと感慨深いことしきりだ)。ジョーイ・サンチャゴの変態ギター、デイヴィッド・ラヴァリングのソリッドでタイトなドラムも健在だし、「ファンが聴きたかったピクシーズ」としての要件は十二分に満たしており、これを引っさげての〈サマソニ'14〉はいまから楽しみである。
ただ、新たな驚きというか、新機軸と呼べる要素はあまり感じられなかったのも事実。あくまでも本作はウォーミングアップなのだろう。GREAT3の『愛の関係』のように、ピクシーズも復帰第2弾で完全復活を高らかに宣言してくれるであろうと心から期待している。

黒田隆憲

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■過去の名盤を聴いてみよう。
代表作レヴューはこちらから!

・『カム・オン・ピルグリム』(1987年)
・『ドリトル』(1989年)
・『トゥロンプ・ル・モンド』(1991年)
・『サーファー・ローザ』(1988年)
・『ボサノヴァ』(1990年)
・『ピクシーズ・アット・ザ・BBC』(1998年)

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僕らがピクシーズに求めるもの 天野龍太郎

 ピクシーズが23年ぶりにアルバムをリリースする、との報を聞いたときには、正直なところ不安しか感じなかった。むしろ作品をリリースする、ということ自体に失望感すらあった。『ドリトル』がリリースされた年に生まれた僕なんかがいまさら書くまでもないことだが、1980年代のオルタナティヴ・ロックの黎明――既存のロック的表現から踏み外し、その異なる可能性をいびつでノイジーな音でもって探索していたそのさなか――において大きなインパクトを残し、カート・コバーンやトム・ヨーク、向井秀徳や峯田和伸らにトラウマティックな音楽的影響を与えてしまった4枚の作品を生み、そしていちどは完結した存在だ。ピクシーズにはオルタナティヴ・ロック/インディ・ロックの歴史のなかでたしかな存在感を放ったまま眠っていてほしい。そのように思っていた。

 それでもなお、ピクシーズの新譜に期待していなかったと言えば嘘になる。「俺はアンダルシアの犬だ!」(“ディベイサー”)と繰り返すブラック・フランシスの痛々しい叫びに、凍てつくような乾いたサウンドに、刺々しい音の隙間からのぞかせるいびつで美しいメロディに、崩壊寸前のシュールレアリスティックな詩世界に宿っていたあのジリジリとした焦燥感を再び聴くことができるのかもしれない。彼/彼女らがかつて表現していたあの混乱と狂気のさなかにある焦燥を。そんな期待が微かにあったこともまたたしかだ。しかし『インディ・シンディ』はその期待を裏切る。これはけっしていい意味ではない。

 ギターはノイジーに分厚くうねり、ドラムスのサウンドは荒々しく暴力的で、フックのメロディはポップである。ブラック・フランシスのハイトーン・ヴォイスは若干の衰えを見せながらもいまだ繊細な響きをたたえている。『インディ・シンディ』はじつによくできたオルタナティヴ・ロック・アルバム、というふうに感じる。教科書的、と換言してもいい。ロックのいちジャンルとして確立し固定化してしまったオルタナティヴという表現を焼き直しているだけのように聞こえる。
 周知の通りキム・ディールは去ってしまった。彼女の声とベースを失ったグループからはユニークな均衡がなくなり、匿名的なバンド・サウンドになっている(『ボサノヴァ』から『トゥロンプ・ル・モンド』へと至る時点でキムのバンドにおける役割はそれほど大きなものではなくなってしまっていたのではあるが、それでも)。ブラック・フランシスはトレード・マークとも言える叫び散らすヴォーカル・スタイルをほぼ排し、ずいぶんと落ち着き払って堂々と歌っている。ゆえに狂気も、焼けつくような痛々しい焦燥感も、ここにはない。むしろ余裕さえ感じられる。メロディには以前のような輝きもストレンジな感覚もなく、どこかチープな響きを持っている。

 1曲めに置かれた“ワット・ゴーズ・ブーム”はピクシーズの復活の幕開けを飾る曲としては完璧かもしれない――もしブラック・フランシスが叫び散らしていれば、より完璧だっただろう(この曲はバンドを去ったキム・ディールについての歌なのだろうか。そうだとしても、“Are we going to get rocking?”というフレーズはあまりクールじゃない)。『ボサノヴァ』のマナーを使い回すタイトル・ソングや、ブラック・フランシスお得意のポエトリー・リーディング的なヴォーカルがフィーチャーされた“バッグボーイ”はたしかに過去のピクシーズを思い起こさせてくれる。が、それらは過去の自身の表現の使い回し、というふうにしか感じられないのもまたたしかである。

 アウトサイディドな焦燥と狂気の表現のその先で、ピクシーズは堂々たる、しかしほとんど空虚なオルタナティヴ・ロックを演奏している。“グリーン・アンド・ブルーズ”はR.E.M.から芯を引き抜いたようなフォーキーなスタジアム・ロックであるし、“スネイクス”では野外ステージで合唱が起こりそうなメロディを付してヴェルヴェット・アンダーグラウンドを骨抜きにしている。“アナザー・トー・イン・ジ・オーシャン”の大仰なメロディ、“アンドロ・クイーン”の腑抜けたフォーク・ロックを取り繕う喋喋しいサウンド、単調なリリックで歌われるまるでTVドラマのテーマ・ソングのように清々しい“ジェイム・ブラヴォ”、“シルヴァー・スネイル”の間延びしたマッチョな歌……。こういったものはかつてのピクシーズからは想像できなかったものだ。ギターのリフやブラックの歌唱はまるで焼きが回ったハード・ロック・バンドのそれだし、ニッケルバックをインディー・ロックふうに仕上げたかのようなクリーンな音作りには居心地の悪さを感じる。

 奇妙に歪んだオルタナティヴ・ロックで複雑な詩情を奏でていたピクシーズがその先で到達した場所が「よくできたオルタナティヴ・ロック」であるとしたら、それは僕の求めるものではない。世界を騙せ、と引き攣った声で薄暗がりから呼びかけていたピクシーズの音楽は、もはや騙されるほうの明るく正しい「世界」の側から響いてきているかのようだ。かつてピクシーズの音楽が持っていた特別な意味、いまにも壊れそうな均衡のもとにある刺々しくも美しいサウンドが表現するところの苛立たしい焦燥や倦怠感や絶望や混乱はもはや彼らの手元にはなく、それらは遺産を引き継いだ若き先鋭的な音楽家たちが表現している――『インディ・シンディ』が教えてくれるのはただその一点である。

天野龍太郎

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・『カム・オン・ピルグリム』(1987年)
・『ドリトル』(1989年)
・『トゥロンプ・ル・モンド』(1991年)
・『サーファー・ローザ』(1988年)
・『ボサノヴァ』(1990年)
・『ピクシーズ・アット・ザ・BBC』(1998年)

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“絶叫”が後退、滲出する官能性 久保正樹

 1993年。沸点を迎えた(そして、間もなく終息する)グランジ/オルタナティヴ・ロック・ムーヴメントを横目に—──まるでお役目ごめんと言わんばかりに──そそくさと解散したピクシーズ。とくにここ日本では向井秀徳がナンバーガール時代からその影響を公言していることもあり、彼らのことをリアルタイムで知るものも、知らないものも、オルタナティヴを志すものにとってはひとつの大きな憧れとなり、みんなの意識のとんでもなく高いところに鎮座していたわけだが、2004年に突然オリジナル・メンバーで再結成。その後もコンスタントに活動を継続し、いまや仰々しい伝説から僕たちのピクシーズとしてすっかり身近な存在となっている。というか、みんなピクシーズが存在しているというだけで満足してはいないかい?

 昔の名前で出ているピクシーズもいいけれど、あんなにもふてぶてしい面格好をした連中に華やかなお祭り騒ぎはもういらない。そう、僕たちは新しいピクシーズがほしいのだ! 誰もがそんなことを感じはじめていたであろう2013年。彼らから不意に4曲入りEPが届けられた。5000枚限定の10インチ・アナログ盤&ダウンロードという形で発表されたこのEPは、第3弾まで連続的にリリースされ、ピクシーズ完全復活の狼煙を上げる。残念ながらその間にバンドの看板女将、ベースのキム・ディールは脱退してしまったが、そのEPすべての楽曲をコンパイルしたピクシーズ23年ぶりのアルバムが、本作『インディー・シンディー』というわけだ。長かった。再結成からじつに10年めのことである。

 のっけからかき鳴らされるディストーション・ギターにじりじりと立ち現れる絶叫。1曲めの“ホワット・ゴーズ・ブーム”を再生してからほんの5秒。もうこれだけでピクシーズ。センスの塊としか言いようがない、ジョーイ・サンティアゴのフィードバックを活かしたギター・リフ。じつはマジシャンだったりするデイヴィッド・ラヴォリングのタイトなドラム。ブラック・フランシスのふらふら漂い遊ぶハイトーン・ヴォイス。どこまでもストレンジで孤高なのに、すんなり耳に入ってくるメロディ。かゆいところをくすぐる絶妙なコーラス・ワーク。思いっきり切ないのに思いっきり力強い。そんなピクシーズ節がこれでもかと畳み掛けてくる。ああ……あと足りないのは、キムの可愛らしく伸びのあるコーラスだけではないか。キムのいないピクシーズなんてクリープの入っていないコーヒーみたいな……いや、待て、みなまで言うな。そんな野暮はここではまったく無用だ。巧妙に組み立てられた曲の構成、いつ爆発するのかわからない破壊力を隠しもった緊張の持続は、キムの不在を忘れさせるには十分すぎるものだ。そして、YouTubeなどでチェックしてもらいたいのだが、キム・ディール脱退後に加入したキム・シャタック(元ザ・マフス)の解雇(!)を経て、現在ツアーにも同行中の新ベーシスト、パズ・レンチャンティンにも注目だ。ア・パーフェクト・サークル〜ズワンにも在籍していた彼女の凛とした存在感。すらり容姿端麗にしてひらりガーリーな魅力も放ち(ベースのヘッドにはお花が!)、低く構えた大きなベースをクールに弾き倒す姿は、世に多い女性ベーシスト・フェチの心をがっちり掴んで離さないであろう。もちろんコーラスもばっちりだから最高ではないか。

 閑話休題。内容に戻ろう。『ドリトル』から『トゥロンプ・ル・モンド』まで、往年のピクシーズ・サウンドを支えたギル・ノートンをプロデューサーに迎えた『インディー・シンディー』。ギターとヴォーカルが、自由に漂泊して哲学するための空間を残したドラムとベースの8ビート。サビに向かいながら、ぐしゃっと潰れた音が密集するバンド・アンサンブル。そのサウンドの緩急と分離のよさは、まさにギル・ノートンの仕事だ。アコースティックな響きとエレクトリックな艶が絶妙にブレンドされた名曲“グリーン・アンド・ブルース”。リズムマシンのビートを採り入れた“バグボーイ”。フランシスの咆哮がマックスに達するヘヴィ・ロック・チューン“ブルー・アイド・ヘクセ”。見た目からは想像もつかない(失礼!)異様に美しくグラマラスな“インディー・シンディー” “スネイクス”。優しく柔らかに浮遊する“シルヴァー・スネイル” “アンドロ・クイーン”。シュガーコーティングされたとびきり甘いギターポップ・チューン“リング・ザ・ベル”、そして、切なさがいつまでも尾をひく本編ラストの“ジャイメ・ブラヴォ”などなど、楽曲のヴァリエーションの豊かさはこれまでの作品のなかでもピカいちで、最新型のピクシーズを堪能するにはこの上ない内容となっている。

 しかし、どこから聴いてもピクシーズなのに、これまでのどの作品とも違う肌触りはなんだろう。エキセントリックな展開や地の底から湧いたような絶叫が後退し、ひねてねじれたメロディとアレンジの妙が、楽曲の大部分に侵食してきたからだろうか。シンプルにして中毒性のある構成に焦点をしぼり、これまで巨体のインパクトが邪魔をして(フランシス少しやせた?)表に現れにくかった色気、一度ハマったら二度と抜け出せないねっとりとした官能が誘惑して、こちらの悦楽中枢をじんわりと濡らしてくれる。また、度重なる昂揚の裏に、これまでピクシーズに感じることは少なかった涙腺をくすぐる瞬間もたくさんあったりして。何度聴いても、何度も新しい。

 鈍い光を放ち、攻撃の手はゆるめず、しかし、随所にロマンチシズムをちらつかせるパイオニアの大きすぎる一歩がいま踏み出された。「らしさ」を残しつつ、過去の焼き増しとはまったく別のところに技巧をこらしたピクシーズが帰ってきたのだ。結成から29年。どこまでもストレンジなのに、どこまでもイノセント。まるで世界の奇観を眺めているような風変わりな透明感は、ますます度を増して、ある意味暴力的。これをファンタジーと呼ばずして、何と呼ぼうか?

久保正樹

■過去の名盤を聴いてみよう。
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・『カム・オン・ピルグリム』(1987年)
・『ドリトル』(1989年)
・『トゥロンプ・ル・モンド』(1991年)
・『サーファー・ローザ』(1988年)
・『ボサノヴァ』(1990年)
・『ピクシーズ・アット・ザ・BBC』(1998年)

彼らこそはライヴ・バンド - ele-king


65daysofstatic
Wild Light

Superball Music / 残響

Amazon Tower HMV

 65デイズオブスタティックは、なによりもまずライヴ・バンドだという点が重要だ。彼らの音についての「静と動のダイナミズム」という謳い文句は、レコード・ショップの試聴機からドラマチックな展開をみせたという『ワン・タイム・フォー・オール・タイム』(2005年、セカンド)リリースの頃によく目にしたものだが、それはあの構築的で緊張感漲るサウンドやサンサンブルを寸分の狂いなく表現していた。
 モグワイらをポストロックと呼んだそのポスト──轟音を激情でさらに煽り、それと駆け引きをするかのような計算やプログラミングをマスロック的な感性で対置させ、エイフェックス・ツインの叙情も一刷け、さらにはグリッチ、IDM的な佇まいまで有したポスト・ポストロックの肖像。盤でこそ表現可能だとも思われたあのサウンドを、しかし彼らはバンドという人力スタイルで提示する。


One Time For All Time(2005年)


The Fall Of Math(2004年)

 イギリスはシェフィールドにて結成された4人組インスト・バンド、65daysofstatic。2005年に発表されたセカンド・フル『ワン・タイム・フォー・オール・タイム』は、彼らの真骨頂たる轟音ノイズ+構築的楽曲&アンサンブル+トドメのピアノ・フレーズという圧倒的な様式性によって日本においても大きく支持を得た。麗しき中二心を刺激されたティーンも多かったことだろう。同年にはファースト・アルバム『ザ・フォール・オブ・マス』の日本盤もリリースされ、「マスロック」という呼称の一般化とともに多くのロック・リスナーの記憶にとどめられる存在となった。

 あれから10年。その間もたゆまず新譜を発表しつづけていた彼らだが、2010年の〈METAMORPHOSE〉以来、久々となる来日公演が決定した。そう、彼らがとりもなおさずライヴ・バンドであるということを、われわれはまたまざまざと見せつけられることになるだろう。昨年2013年には5枚めとなる最新作『ワイルド・ライト』を発表し、轟音よりもむしろ空白と間隙をめいっぱいに活かすようにして緊張感を生み出す、成熟したいまの姿を見せてくれた。これがどのように演奏されるのだろうか。

 動かざること山の如し、しずかなること林の如し。動くときには火のように……あのしずかな熱狂をもういちど感じに出かけよう。サポート・アクトにはアニメ『進撃の巨人』の後期エンディング・テーマとして楽曲が使用されたことでも知られるエモ/ポストロック・バンド、cinema staffが登場。〈残響〉的な世界観をしなやかに進展させる新鋭だ。


ツアー・トレイラー

■65daysofstatic ジャパンツアー


65daysofstatic

大阪
5月13日(火) @ 梅田AKASO
Support act: cinema staff
OPEN 18:00/ START 19:00
TICKET¥5,500(オールスタンディング/税込)
<問>キョードーインフォメーション 06-7732-8888

東京
5月14日(水) LIQUIDROOM
Support act: cinema staff
OPEN 18:00/ START 19:00
TICKET¥5,500(オールスタンディング/税込)別途 1 ドリンク
<問>クリエイティブマン 03-3499-6669

65dayofstatic: https://www.65daysofstatic.com
残響レコードHP内イベントページ: https://zankyo.jp/event/469

65daysofstatic - 「Prisms」MV




【cinema staff】
飯田瑞規(Vo&Gt)、辻友貴(Gt)、三島想平(Ba)、久野洋平(Dr)からなる 4 人組ギター・ロック・バンド。2003 年に飯田、三島、辻が前身となるバンドを結成し、2006 年に久野が加入して現在の編成となる。愛知、岐阜を拠点にしたライヴ活動を経て、2012 年 6 月に 1st E.P.「into the green」でポニーキャニオンよりメジャーデビュー。2013 年 8 月には TV アニメ「進撃の巨人」後期 ED テーマとなった「great escape」をシングルリリース。 オルタナティヴ、エモ、ポストロックに影響を受けたポップなメロディとアグレッシヴなギ ターサウンド。繊細かつメロディアスなボーカルで着実に人気を高めている。

Brainfeeder 4 - ele-king

 だから言ったでしょ。5月は忙しいって。で、5月23日の〈ブレインフィーダー〉のパーティ、これがすごい。メンツがとにかくすごい。フライング・ロータスとその仲間たち、そして、ゴストラッド、シミラボ、セイホー……とにかく、とんでもないメンツ。

 そもそも、同レーベルのパーティは、日本でこれまでに3回開催されているが、レーベルを主宰するフライング・ロータスが来たのは最初の1回目だけ。2012年のエレグラや去年のフジロックで、彼はいままでこまめに来日をしているものの、クルーに囲まれた彼の姿をファンはずっと待っていた。今回の「ブレインフィーダー4」、フライング・ロータスは仲間を引き連れてやって来る。ライヴセットでは音を操り、そしてキャプテン・マーフィーとしてマイクも握る!

個性派ぞろいの〈ブレインフィーダー〉だが、今回来日するクルーは、クラブの領域には留まらない越境者が多くいる。
 前回の「ブレインフィーダー3」で、圧倒的なテクニックとセンスを披露したサンダーキャット。彼はキャプテン・マーフィーのバックバンドも担当する。
 テイラー・マクファーリンは要注目だ。この若い才能は、ちまたで議論を呼んでいるロバート・グラスパーのような、新感覚ジャズ系のミュージシャンからもあつい支持をえている。アルバムのリリースも控えているので、ある意味では今回もっとも注目を集めるかもしれない。
 4月に来日したばかりのティーブスも出る。今回は、彼のもうひとつの顔であるグラフィティ・アーティストとしてもライヴ・ペインティングを披露する。
 2011年から〈ブレインフィーダー〉に参加し、テクノロジーを駆使してヒップホップと向き合うモノ/ポリーのステージも見逃せない。

で、日本からも最高のメンツが登場するぞ。
 なんと……3月に傑作『Page 2 : Mind Over Matter』を発表したばかりのSIMI LABが登場。夢がある共演というか、これはサプライズですね。
 また、〈Day Tripper Records〉を主宰し、特定のジャンルに縛られない世界を追求するレイヴ男、SEIHOも出演決定だ。

〈ブレインフィーダー〉が日本のDJをキュレーションするという企画もある。
 出演者は、まずはベース・ミュージックを突き詰める我らが英雄、ゴス・トラッド。そして、〈ハイパー・ダブ〉からもリリースがあるQuarta330。関西で活動し、ジャンルを越境するOKADA。アメリカのヒップホップ・シーンも唸らせたDJ SARASA。どうだ、圧倒的な独創性を放つラインナップになっているだろう。

 筆者のように、10代の頃にフライング・ロータスを通して、最先端のクラブ・ミュージックを聴くようになった人は少なくはない。世界においても、日本においても、ここ数年でフライング・ロータスは本当に大きい存在になった。それにつけても、今回はビッグな〈ブレインフィーダー〉祭だ。5月はこれでしめるぜ! (Y.T)

 

 

interview with JAPONICA SONG SUN BUNCH - ele-king


JAPONICA SONG SUN BUNCH
Pヴァイン

Tower HMV Amazon

 BREEZEが心の中を通り抜ける。というよりは、血沸き肉踊るような熱く飛び跳ねる色とりどりの多彩なリズムが、いちど聴いたらすぐに忘れさせてはくれないグッド・メロディが、ひとときに身体を絡めとって離さない。色気たっぷりの歌ときらめくスティールパンが舞い踊る。ファンキーでラテン・ミュージック・オリエンテッド、トロピカルにカラッと乾いていてスムースでジャジー、クールだけれどとってもホット――それにエロティック。

 月にいちど新宿歌舞伎町の地下、〈新宿LOFT〉で催される、1000円で2時間飲み放題という狂騒の〈ロフト飲み会〉において熱気が地上に噴き出してしまいそうなパワフルな演奏を「余興」として繰り広げてきたジャポニカソングサンバンチ。藤原亮(フジロッ久(仮))の脱退、という残念なニュースはあったものの、“クライマックス cw/恋のから騒ぎ”の7インチ・シングルの発表を経てとうとう彼/彼女らのデビュー・アルバムが完成した! 分厚いホーン・セクションを塗り重ね、老若男女が歌って踊れる歌謡ダンス・ミュージックが鳴らされる現場の模様を見事な鮮度で音盤化した快作である。

 ここには先の2曲はもちろんのこと“かわいいベイビー”や“踊り明かすよ”などなど、笑っちゃうほどポップで開放的な楽曲も収められている。2014年の『泰安洋行』、なんて呼ぶにはこの『Japonica Song Sun Bunch』は軽やかにすぎるし色気がありすぎる。

 バンドのソングライターにしてセクシーなヴォーカリストである千秋藤田(でぶコーネリアスのフロント・マンでもある)を中心に、トロピカル・ダンディーことスガナミユウと鍵盤奏者しいねはるか(もちろん両者ともGORO GOLOのメンバー)を交えて話をきいた。あなたのハートかっさらう歌謡舞踏音楽一味、ジャポニカソングサンバンチのインタヴューを、どうぞ!

■ジャポニカソングサンバンチ
メンバーは千秋藤田(Vocal & Sax)、きむらかずみ(Steel Pan)、 キムラヨシヒロ(Bass)、 しいねはるか(Piano & Keyboard)、太田忠志(Drum)、スガナミユウ(Direction & Guitar)。でぶコーネリアスのフロント・マンとしても輝かしい作品を発表しているジャマイカ生まれのアーティスト、千秋藤田を中心に、〈音楽前夜社〉の面々がバック・バンドを務める話題の音楽プロジェクト。毎月1 回、〈新宿ロフト〉のバー・スペースにて、夜20 時から2 時間1000 円ポッキリで飲み放題の「ロフト飲み会」をショウパブ・スタイルで開催。


『ビートマニア』世代なので。あれをやっているとジャンルが切り取られて、ジャンルがゲームのなかで確立されるんですよ。あれはイケないツールですね。人間が逆にシーケンスされてるっていうか(笑)。 (千秋)

まず、ジャポニカソングサンバンチ(以下「ジャポニカ」)がどういうふうにはじまったのかを教えてください。

スガナミ:ジャポニカをはじめたのは2011年の夏です。

千秋:その前に別のバンドでジャポニカの曲をすでに演奏していたんですが、あまり形になっていなくて。〈音楽前夜社〉という凄腕たちと出会って、彼らが「千秋の歌、やってみようか」と言ってくれたので、〈音楽前夜社〉といっしょにジャポニカをはじめました。

スガナミさんないし〈音楽前夜社〉と千秋くんの出会いはどういうきっかけだったの?

千秋:俺はGORO GOLOのファンだったんです。GORO GOLOは一度解散をしたんですけど、2010年頃に復活したときによくライヴを観に行っていました。そしたらGORO GOLOのメンバーの方たちに俺を紹介してくれて。それから(スガナミ)ユウくんが俺の曲を聴いてくれて、「千秋の曲を理想の形に近づけたい。千秋の曲をやりたい」と言ってくれたので、俺も「〈音楽前夜社〉とやりたい」と相思相愛の形でジャポニカソングサンバンチとしての活動をはじめました。

千秋くんのやりたかった音楽というのはジャポニカでかなり形になっている?

千秋:うん。

たとえば、ファンクとかラテンのリズムがジャポニカの音楽にはすごく入っていると思うんだよね。千秋くんはでぶコーネリアスというパンク・バンドでデビューしているわけだけど、そういう音楽は昔から好きだったの?

千秋:それは昔から好きでした。そこはでぶコーネリアスよりはやりやすくなった。バランスなんですよ。(ジャポニカはファンクやラテンのリズムを)もっと前に出せるようなメンバーでもあるから、すごくやりやすくなったんです。

でぶコーネリアスの『SUPER PLAY』(2009年)っていうアルバムではファンキーなこともやっていたよね。だからそこからジャポニカへつながっているのかな、と思っていた。

千秋:それもありますね。比重というかバランスなんですけど、そこ(でぶコーネリアス)で遊びでやっていた部分を、こっち(ジャポニカ)で思いっきしやるというのはあるのかもしれないです。

スガナミ:ハードコア・マナーでやっていた部分をもっとラテンとかに寄せた。

千秋:(ジャポニカは)歌もあるので別次元でやりたいな、と思って。

千秋くんはジャマイカ生まれだけど、レゲエはやらないの?

千秋:レゲエはやらないっす(笑)。レゲエできるのかなあ?

アルバムを聴いて意外だなって思ったんですよね。1曲はレゲエが入ってくるんじゃないかと思って。サルサとかカリプソっぽい曲はあるけど。

千秋:レゲエ、難しいんですよね。でも最近、レゲエっぽいことをスタジオでやっています。でもレゲエにはしないと思う(笑)。ソカとかそういう音楽のほうへいこうかなって思っています。

そういう中南米系の音楽はいつ頃から聴いているの?

千秋:『ビートマニア』(コナミ、1997年)世代なので(笑)。あれをやっているとジャンルが切り取られて、ジャンルがゲームのなかで確立されるんですよ。

それはすごい話だね(笑)。

千秋:あれはかなり影響力があります。ゲームに合わせて(パッドを)指で叩くじゃないですか。それが小学4年生ぐらいのときかな、めっちゃ流行ったんすよ。ゲーセンでずーっとやってて。

『ビートマニア』でいろいろなリズムが叩きこまれたんだね(笑)。

千秋:そうそう。ボサノヴァとかジャングル・ビートとか。ハウスもあったしレゲエもあったしヒップホップもあったし。あれはイケないツールですね(笑)。人間が逆にシーケンスされてるっていうか(笑)。

機械から人間がシーケンスされている(笑)。

千秋:それはゲームとしてやっていたから、意識的なことではないんですけど。

でもそれが原体験として血肉化されている。

千秋:あと『ダンスダンスレボリューション』(コナミ、1998年)もあったし!

はははは! 『ダンレボ』だ。

千秋:「ワン・トゥー」が入ってるんすよねー。

スガナミ:スペシャルズの“リトル・ビッチ”?

僕、やったことないんだよね。

千秋:おもしろいですよ。小学生の頃、(『ダンスダンスレボリューション』)専用のコントローラーが買えなくて、段ボールで作って……。

(一同爆笑)

千秋:授業中、それを叩いたりこすったりして、真似事をしてたんですよね。

しいね:DIYの歴史があるんだね(笑)。

千秋:1プレイ100円って、小学生にとってはけっこう高いので。

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「バンチ」っていうのは、「グループ」「一味」っていう意味で。「sun bunch」と「三番地」でダブル・ミーニングになるのかな(笑)。  (千秋)


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ジャポニカソングサンバンチっていうバンド名はすごくいいなと思う。

千秋:ありがとうございます。

「バンチ」っていうのは英語の「bunch」なわけじゃん?

千秋:そうですね。

日本語の「番地」ともかかってる。「bunch」って「集団」とか「仲間」とかいろいろと訳があって、いちばんおもしろかったのが「一味」っていう訳。

(一同笑)

スガナミ:「一味」いいね。

「一味」っぽさがジャポニカにはあるのかなって。

千秋:手分けしてものを盗んでそうっすね(笑)。

ワイルド・バンチって実在の窃盗団がアメリカにいて、サム・ペキンパー監督の『ワイルドバンチ』っていう映画もあるんですけど。あと、マッシヴ・アタックの前身のグループがワイルド・バンチ。

一同:へー!

そういう不良っぽさがジャポニカにはある。というか、千秋くんにあるなあと(笑)。バンド名はどうやって決めたの?

千秋:(バンド名を)どうしようかな、みんなで決めようってなってて。最初は「デラベッピン」とかすごくいなたい名前になりそうになって、これはマズいと思って(笑)。

スガナミ:「ジャポニカリズム○○」みたいなのもあったよね?

千秋:そうですね。友だちと富士サファリパークへ行った帰りに、「ジャポニカソングサンバンチ」にしよう、と思いついて。

「バンチ」っていうのはもちろんそういう意味で使ってるんだよね?

千秋:うん。「グループ」「一味」っていう意味で。「sun bunch」と「三番地」でダブル・ミーニングになるのかな(笑)。

千秋くんのスター感、アイドル感がジャポニカの魅力になっているかなって、ライヴを観ていて思うんだよね。昔、でぶコーネリアスのライヴを観たとき、千秋くんが光GENJIみたいな格好をしていて……頭に長いピンクの鉢巻を巻いていた。

千秋:ふふふ(笑)。

あれはいまもやってるの?

千秋:いまはもうやっていないですね。いまはTOKIOになりつつあるので(笑)。

そうなんだ(笑)。その千秋くんのパフォーマンスっていうのはそういう昔のアイドルとかにロールモデルがあるのかなと思って。

千秋:パフォーマンスは自分で飽きないように、毎回ちがうことをしておもしろくしよう、というのがつねにあるので。でぶコーネリアスと主軸は変わっていないと思うんですけど。毎回ステージに出てきて同じことをして帰るんじゃなくて、自分でもびっくりするようなことがしたい。

ハプニング?

千秋:ハプニングっすね。それが毎回、起きちゃうっていうか。なんかあるんすよね。自分では意識してないんですけど。〈(CLUB)QUATTRO〉の上、登ったらめっちゃ怒られましたね。

(一同笑)

ジャポニカとでぶコーネリアスで意識的に変えていることはある?

千秋:まず「歌を歌う」っていうのがあるから、そこかなあと思います。でぶコーネリアスは「べつに歌なんて歌わなくてもいいかなあ」っていう感じなので(笑)。

千秋くんの歌はすごく色気があるよね。節回しを工夫しているのを感じる。そこがジャポニカの歌謡曲感につながっていると思う。一聴してラテン歌謡の感じがジャポニカにはあって。アイドル・ソングや、フォーク、歌謡曲のすべてに共通するようなグルーヴや雰囲気があった頃の時代が、ジャポニカのグルーヴからは香ってくるというか。千秋くんはもともとどういうところを目指して曲を書いていたの?

千秋:もともと遊びで歌を作っていたんですよ。ライヴでやらなくてもいいから、作ったものを音源にしてただひとりで楽しむみたいな、それぐらいのレベルだったんです。そういう感じだったんですけど、これは外でやろうということになって。そこからやっていくうちにこうしていこうというのは見えてきたんですけど。もっとキッズたちに聴かせたいとか(笑)。

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ジャポニカにバラードがなくて。俺は“上を向いて歩こう”がすごく好きなんだよね。それの現代版というか、自分なりの落とし込みかたとして“愛を夢を”を作った。 (スガナミ)


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スガナミ:アルバムの曲でいちばん最初に作った曲ってなんだっけ?

千秋:“天晴れいど”じゃないですか? BGM的なノリですけどね。

スガナミ:イージー・リスニング的な。

千秋:ゲームのセレクト画面でずっと鳴ってる、みたいな(笑)。それはけっこう「パレード」に近いものがあって。延々と繰り返すメロディはどういうものなのか、って考えていたんですけど。最初に作ったのは“天晴れいど”じゃなくて“クライマックス”かな? 他の曲とはちょっと毛色がちがうと思うんですけど、“クライマックス”は完全にふざけて作っていたんですよ。もともとは「アイドルっぽいやつを作ろう」と言っていて。たとえばトシちゃんが歌うような、そういう感じのノリで作ったんです。ジャポニカでやったらぜんぜんちがう形になったんですけど。

やっぱりそういう、80年代のアイドル・ポップスがすごく好きなのかなあって感じる。

千秋:好きですね。

それはどうして聴いてたの? トシちゃんとか、光GENJIとか。

千秋:中学生のときに昭和歌謡の復刻がたくさんあって。

スガナミ:コンピレーションが出てたよね。

しいね:出てたね。「青春○○年鑑」みたいな。

千秋:べつに懐古主義ではないですけど、中学生にはすごく新鮮に聴こえるじゃないですか。あと『ルパン三世』が好きだった、ってのもあるんですけど。サントラやリミックスが出てたりして。

ああ、小西康陽さんの(『PUNCH THE MONKEY!』、1998年)。

千秋:あのシリーズが完結したぐらいの年だったんですよ。それはたぶん、意識していない刷り込みっていうか。

昭和歌謡という点でスガナミさんにお訊きしたいんですけど、“愛を夢を”は唯一スガナミさんが書いた曲ですよね。これはどういう歌なんですか? すごく昭和感が出てる(笑)。

スガナミ:ジャポニカにバラードがなくて。俺は“上を向いて歩こう”がすごく好きなんだよね。それの現代版というか、自分なりの落とし込みかたとして“愛を夢を”を作った。だから、出だしの歌詞で「滲んだ星を数えてみた」とあるのはそれを意識してみたんだよね。テンポをどうしようか悩んでいたんですけど、千秋が「“上を向いて歩こう”と同じぐらいのテンポでやってみたらどうですか」とアイディアをくれて、やれたっていう感じかな。

そうなんですね。

千秋:中村八大です。

スガナミ:そう、中村八大(笑)。

千秋:中村八大は俺の地元の市歌を作っている人なんです。だからゴミ収集車が中村八大のメロディを流しながらゴミ収集するんですよ。

(一同笑)

スガナミ:当時、中村八大の話はよくしてたよね。

そっか。中村八大がジャポニカのアルバムに影を落としているわけですね。

千秋:(“愛を夢を”は)詩もまたいいんすよね。俺、そういう気持ちにさせちゃったかなあ、と思って(笑)。

スガナミ:やっぱり千秋の歌詞があって、どういうのを書くかっていうのを考えながら書いたところはある。

スガナミさん自身ではなく千秋くんが歌うから、というのもある?

スガナミ:それもあるね。

その前に入っている“想い影”っていう曲の歌詞がすごくおもしろい。歌詞の「鳴き虫通り」って、「なき」っていう漢字が最後は「亡き」になっているんだけど。

千秋:それは字のとおりですね。もちろん裏に「泣き」があるんですが。

この曲の歌詞はどうやって思いついたの?

千秋:もともと作曲のキム(ラヨシヒロ)が以前やっていたclassic fiveっていうグループのインストの曲だったんですよ。これにメロディを乗っけて、歌詞をつけて、ジャポニカでやってみようってなって。ぜんぶ同じコードなんですよね。

スガナミ:そうだね。ずーっと4つのコードで。

千秋:それにAメロ、Bメロ、サビをつけて、間奏をつけました。実験的な、自分でも挑戦的な感じになったんですけど。

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俺はラップができないから、そこで5・7・5という言葉の配列、リズム、テンポの川柳をいきなりかましてみようと(笑)。  (千秋)


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他の曲とぜんぜんちがう作り方?

千秋:そうですね。

スガナミ:千秋のメロディですごくいい抑揚のついた曲になったよね。

しいね:ずっと繰り返しなのにね。〈(音楽)前夜社〉でやるともう少し単調になるよね。豊かだよね。

スガナミ:川柳パートがすごく斬新なんだよね。間奏の部分の歌詞はぜんぶ5・7・5になっていて。

しいね:いきなり決めてきたんだよね(笑)。

千秋:あはは!

スガナミ:こういうユーモアの投げ方って新鮮。

千秋:俺はラップができないから、そこで5・7・5という言葉の配列、リズム、テンポの川柳をいきなりかましてみようと(笑)。

スガナミ:原始な言葉遊びを(笑)。

しいね:でもさ、25歳でラップができないから川柳ってなかなかないよね(笑)。

(一同笑)

スガナミ:ヒップなスムース・ジャズみたいな曲だからラップは合うんだけどね。

千秋:もしかしたらラップっぽく聞こえるかもしれないんですけど。

5と7の言葉のリズムだと、やっぱりすごく日本っぽくなって、歌謡感がすごく出ると思う。秋元康の歌詞って、けっこう5と7のリズムだったりするんですよ。だからちょっと歌謡曲っぽさがある。ジャポニカの歌詞って、言葉をさらっと流さないというか。言葉をはっきりと区切っていて、歌詞がそのまま歌として伝わってくる、スッと入ってくるよね。もちろん言葉の選択もすごく工夫しているからだと思うんだけど。ジャポニカの歌詞はどういうふうに書くの?

千秋:素の気持ちで、音、リズムといっしょに(書く)。

曲が先にあるんだよね?

千秋:曲が先なんですけど。「こういうテーマで書いてみよう」っていうのはあります。このテーマだからこういうリズムで、こういう言葉で、こういうフックで、みたいなものをざっくり決めてやっていますね。

初期にできた“クライマックス”は歌詞がすごくいいよね。こういう言い方は千秋くんは嫌かもしれないけれど、コピーライター的なひっかかり方がある言葉の選択になっていると思う。「レモンの刺激」と韻を踏んでいるのが「胸に霹靂」とか。直接的な言葉なんだけど、もっと膨らみがあるというか。言葉がスッと入ってきつつも、もっといろいろな意味が喚起される。「眩しい 街中 色彩 パニック」という単語を4つ並べているところもすごくいいと思う。フレーズ、フレーズで勝負している感じがある。

千秋:ありますね。そこはグッと寄って……グッと抱きしめて(笑)。

スガナミ:パンチ力?

千秋:そうですね。どの部分を切り取ってもパンチ力が(あってほしい)、っていう性格なんですよね。BメロでもしっかりBメロとして立つようにしようとか、そういう感じですね。

好きな作詞家っている?

千秋:安井かずみ先生。

あー。僕もすごく好きだな。僕は加藤和彦がすごく好きなんだ。

千秋:いいですね。あの(加藤和彦と安井かずみの)タッグがすごく好きで。松山猛さんも好きなんですけど。松山猛さんはもっとおしゃれっていうか、雑誌感、ファッション感があるんですけど。安井かずみ先生は、テーマが小さくて、かつ広いな、と思うんです。あとは……松本(隆)先生かな。松本先生は偉大すぎる。あの人はカッコよすぎる。キザすぎる感じがあるかもしれない(笑)。

でもジャポニカの歌詞もキザだよね。

千秋:マジっすか?

そんなことない? ロマンティックだと思う。

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1000円で2時間飲み放題というのは新宿歌舞伎町ではありえない設定だと思うんですけど。ジャポニカをやるときに「酒の場でやりたいですね」と。キャバレーじゃないですけど。 (千秋)


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千秋くんが書いてきた曲をジャポニカでどういうふうに形にしていくの?

千秋:このメロディをいれたいとか、こういうリズムをやりたい、ドラムはこのパターン、というざっくりしたアレンジの「骨」をメンバーに渡すんですよ。そこでパッとやって、そこから自分たちの味つけをしてもらう、っていう感じかな。メンバーにとっては(曲は)「お題」ですよね。かつ「このフレーズをいれてくれ」という指示があるなかで、この演奏をしている人に対してこの演奏をして反応を示そう、という積み重ねがあって(曲が)できると思います。完璧に「これがこれで」と1個ずつやってはいられないので、そんなに細かい指示出しはしてないです。

でもそれだけ千秋くんに主導権があるというか、千秋くんのバンドだなあ、っていうのはすごく感じる。〈音楽前夜社〉だからスガナミさんがやたら存在感あるけれど。スガナミさんはこのバンドではどういう立ち位置なの?

千秋:えーっと、スタジオ予約係です。

あはははは!

千秋:嘘です(笑)。マネージャーじゃないですけど、つねに横にいる存在です。ギターも弾いてますけど。俺と〈音楽前夜社〉のメンバーとの間にも入ってくれてます。「千秋どう?」「こんな感じですけど、どうっすか? いいっすか?」みたいにお互い聞き合う感じですね。

ご意見番みたいな感じで。

千秋:あんまアテになんないっすよね。ははは!

そうなんだ(笑)。

千秋:俺がいいようにしてくれます。「これはこうしたほうがいい」みたいなアドヴァイスは、時たまあります。ちゃんと意見を言ってくれます。サウンド面にはあんまり口出ししないようにしてると思う。

千秋くんの意見や考えを優先してくれるんだね。そうなんだ。どういうふうな関係性でジャポニカが成り立っているのかなあってすごく不思議だったので。

千秋:不思議ですよねー。(アルバムでは)1曲しかギター弾いてないのにすごい存在感がある。

ジャポニカは〈ロフト飲み会〉で毎回演奏しているよね。ジャポニカは〈ロフト飲み会〉っていう特定の場所、特定の時間と密接に結びついている。その「箱バン」的なあり方や場所性がジャポニカが普通のバンドとちがうところだと思っていて。〈ロフト飲み会〉が最初にはじまったのはいつ?

千秋:2年前の4月頃ですね。最初はGORO GOLOとかが出ていて、そこからゲストを呼んでいった。「1000円で飲み放題」っていうルールは崩さないように。かれこれ2年ですかね。1000円で2時間飲み放題というのは新宿歌舞伎町ではありえない設定だと思うんですけど。ジャポニカをやるときに「酒の場でやりたいですね」と。キャバレーじゃないですけど。

ナイトクラブ。

千秋:うん。お客さんには、会議しているバンドマンもいれば、若い子が来て踊ったりしてるし、ナンパして口説いてるやつもいると。そういう遊び場を作れたらなあと思っていたんです。幹事はユウくんなんですけど、裏で「この人がいいなあ」って言うのが俺の役目です。

ジャポニカの曲とそういう場とは合っていると思う?

千秋:うん。合ってるかな。聞きやすいというか。DJに負けたくないな、っていうのがありますね。ライヴでもつねにDJのような勢いでやらないと。ちゃんとインプットされる曲ってなんなんだろうって考えるようになって。

DJがかける超有名な曲と渡り合う、みたいな?

千秋:そうっすね。そういう曲がどういう原理でできているのかな、と思ったら、意外と単純で原始的であるってことがわかって。これは今後の自分の課題でもあるんですけど。どれだけ原始的にできるかな、と。言葉もそうだし。飲みの席でもあるし、難しいことなんかいらないと思うんで。

シンプルだからこそすごく普遍的というか、大衆的な響きがある。難しいことはぜんぜん言ってないんだよね。

千秋:俺はあんまり難しいことは考えられないので(笑)。横文字はわかんない、みたいな(笑)。正直な気持ちで(曲を)書けているのかな。

ジャポニカってこれまでCDを出してないよね。リリースしているのはマッチ(『火の元EP』)や勿忘草の種(『WASURENAGUSA EP』)にダウンロード・コードをつけたものと、“クライマックス”の7インチ。このフィジカルのアイディアは千秋くん?

千秋:そうですね。レコードを出したかったんですけど、レコードを出すために資金をどうやって作るか、と。

レコードが目標としてあって。

千秋:もともと出すならレコードがいいなあ、っていうのがあったんです。シングルを3枚切ってアルバムを録ろう、みたいな。でも、いきなりそれは無理だっていうことになって(笑)。まだバンドをはじめたばかりで名刺代わりになるものをどうしましょう、という話になりました。レコードは作れないし、CD-Rだとお粗末でダメかなあと思って。そのときダウンロード・コードが流行っていたので、これをどうにかしようと思って。ダウンロード・コードがいまメインで主流の新技術だとしたら、いちばん古い技術をくっつけて売っちゃおう、と。「火を点ける」っていう意味もあって、人間が発明した新しいものと古いものをくっつけた。

なるほどね。

千秋:ジャポニカのコンセプトにもそういうところがあるのかなあとも思ったりするので。新しいものと古いものと。それを出した半年か1年後ぐらいに、〈less than TV〉が骨(ThePOPS『BONE EP』)を出すんですよね(笑)。骨にダウンロード・コードをつける。これはヤバいなと。パッケージングとして極まってるもんな、と思って(笑)。

だって最近、ビニール袋にCDを入れてたよね(FOLK SHOCK FUCKERSの『FOLK SHOCK FUCKERS ③』)。

千秋:ダウンロード・コードとのつきあいかたがおもしろいですよね。〈less than TV〉の骨を受けて、そのあと種を出したんです。あっちはハードコア・パンクならではの「死」だけど、こっちは「リヴィング」「生きていくぞ」と対比になるものを。

ジャポニカはそういうふうに方向性がはっきりとしていて、フィジカル・リリースに対してちゃんと裏付けがあって、その一貫性がすごくいいと思う。

千秋:レコードの代わりというか、天秤にかけてレコードと同じくらいの重さのものを作ろうって考えてできたのがマッチと種ですね。本当はレコードが出したかったけど、それがダメならどうするか、と。そういう感じですね。

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言葉や音選びで「なにを持って出かけよう?」と。なるべく手ぶらがいいと思うんですけど。なにを持って出かけるかをすごく慎重に選んでいるかもしれないですね。 (千秋)


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千秋くんはアートワークも手がけていてすごいな、と思う。

千秋:アルバム・ジャケットは中東っぽいところが売りですね。

細野晴臣さんの『泰安洋行』とか『トロピカル・ダンディー』っぽいよね。音楽的にも、2014年の『泰安洋行』。

千秋:あっ、いいっすね。

『トロピカル・ダンディー』感あるよね、スガナミさんが(笑)。

千秋:「クロコダイル・ダンディー」かもしれないですよ(笑)。

絵は昔から描いているの?

千秋:そうですね。落描き程度にひそかに描いていました。

デザインは勉強してない?

千秋:勉強はしてないですね。ぜんぜん学校も行かなかった。

自己流なんだ。

千秋:1年ぐらい、女性のヌードとファッションのデッサンはしました。お絵かき教室みたいなところは行っていました。

千秋くんってJ-POPについてどう思う? 聴く?

千秋:ここ最近のですか? 聞きますよ。(中田)ヤスタカ先生はすごいな、と思います。Perfumeはすごい。最近のPerfumeときゃりー(ぱみゅぱみゅ)は歌詞もおもしろいと思います。ああいう音楽が平然とメインのシーンというか、お茶の間に出ているのがすごい。

いちばんメジャーなところで実験をやっているようなものだからね。先鋭的だもんね。

千秋:あとはブルーノ・マーズが好きっすね(笑)。

ブルーノ・マーズ!?

千秋:ダフト・パンクも相当すごいですよね。ダフト・パンクってシブい大人からナンパなヤングまで聴けるじゃないですか。あんなにシブいアルバムを出したのに、『EDM 2013』みたいなコンピにも入ってる。その幅の広さが恐ろしいと思って。ダフト・パンクさすがだわー、と。J-POPじゃないですね。

なんでJ-POPについて訊いたのかというと――ジャポニカってJ-POPというよりは歌謡曲に近いと思うんだよね。いまのJ-POPって歌謡曲的なものはすごく少ない。歌謡性をジャポニカは表現していると僕は勝手に思っているんだけど、ジャポニカが歌謡性を持ったポップスをやるっていうのは、アンダーグラウンドからのJ-POPへの揺さぶりかけのように思う。

千秋:あるかもしれないですね……。自分たちはいちおうJ-POPとしてやっているつもりなので。最近のJ-POPはその人が歌っているのかコンピュータが歌っているのかわからないようなものが多いじゃないですか。(ジャポニカは)そういうものとは真逆のやりかたでやっているのかな、と思う。もちろんジャポニカでチャートを狙う勢いで今後やっていきたいと思うんです。

それは絶対に狙えると思うんだよね。

千秋:目に入ってくるし、耳に入ってくるし、そこ(J-POP)を無視しているわけではないので。「ああ、こういうのが売れるんだ」と(笑)。疎外感はちょっとありますけどね。そういうアプローチのバンドは……。

あまり周囲にはいない?

千秋:そうですね。シンプルで原始的な形で残すってどんな感じなんだろう? と。いまはまだ勉強中なんですけど。いまは飛び道具的だったりとか、消費的だったりとか、そういうものがメインじゃないですか。まだそこには到達していないんですけど、いずれはゴリゴリのEDMサウンドがジャポニカソングサンバンチでできたらいいんじゃないですかね(笑)。やらないと思うけど(笑)。

ジャポニカの曲のメロディ・センスはオーヴァー・グラウンドに行けるようなものだと思う。でも、千秋くんが歌謡曲をリアルタイムで聴いていたわけではないということが関係していると思うんだけど、ジャポニカの歌謡性はぜんぜん懐古的じゃなくて、もっと未来に向いているよいうな、推進力になっていると思う。

千秋:「なにを持って出かけよう?」という感じはあるのかもしれないですね。

どういうこと?

千秋:たとえば、言葉や音選びで「なにを持って出かけよう?」と。なるべく手ぶらがいいと思うんですけど。なにを持って出かけるかをすごく慎重に選んでいるかもしれないですね。それが表現のひとつになっているのかもしれないです。

interview with The Horrors - ele-king

 ザ・ホラーズが3年ぶりとなる4枚めのアルバム『ルミナス』をリリースした。2005年に結成され、ダークなガレージ・パンクと徹底してゴス的なヴィジュアルでセンセーショナルにデビューした彼らだが、そのイメージに留まることなくアルバムごとにさまざまな音楽的探究を行い、取り入れた知識をサウンドとして具現化し、変化しつづけてきた。彼らにとって初期のイメージはコントロールできなかった若気の至りでもあり、いまとなっては少し恥ずかしさも感じているようだ。しかし、ここまでのキャリアにおいては周囲に流されたり時流に迎合したり安易にルックス面で路線変更したりしたわけではけっしてない。20才前後からレコードの収集やDJをしたりしながらマイペースに吸収してきた知識、そこから自然発生した興味を資本とし、何より持ち前のセンスで独自のホラーズのサウンドを作り出しているのだから、その変遷はどれも輝かしい〈白歴史〉になっている。


The Horrors - Luminous

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 今作『ルミナス』は、ダンス・アルバムだ。グルーヴ感のあるビートとサイケデリックなサウンドが全編を覆い、ファリス・バドワンのヴォーカルもいつになく甘く、気怠く、ポジティヴだ。現在は世界のフェスティヴァルでもヘッドライナーを務めるほどの存在になった彼らだが、この、暗がりできらめくような密室感のあるダンサブルな作品によって、よりオーディエンスとの距離を縮めるはずだ。変わりつづける彼らの2014年の現状を切り取ったこの作品もまた、ホラーズの「白歴史」として更新されていくだろう。

 今回インタヴューに答えてくれたのは、ファリス・バドワン(Vo)とリース・ウェッブ(B)。インタヴューがはじまる前、レコード・コレクター/DJとしても名を馳せる音楽博士のようなリースはわたしがプレゼントしたガレージの7インチ・ディスク・ガイドに目を輝かせて熱心に読みふけったり、アートスクール出身で絵の個展を開いたこともあるファリスは自分のお気に入りの極細のボールペンでひたすら緻密なイラストを描いていたりと、両者とも穏やかで落ち着いたなかに好きなものへ寄せる真摯な熱意が感じられた。インタヴューでもさまざまに表現を変えたりしながら、伝えたいことをとても丁寧に考えて答えてくれた印象だった。ザ・ホラーズが日本にもファン・ベースを根強く持ち、その人気を一過性ではなくじわじわと増しているのも、そういうところに理由があるのかもしれない。

ただの仲良しが集まっただけのギャング──そういうバンドだったし、いまもじつはそうだしね。(リース・ウェブ)

個人的にはザ・ホラーズはデビュー当時から大ファンで、これ私物なんですけど……(デビュー当時にザ・ホラーズが表紙を飾った『NME』を見せながら)いまこれを見てどう思います?

リース・ウェッブ(以下R):この写真撮らなきゃよかった……(笑)。7年前だね。

この時といまと、音楽に向かう気持ちに変化はありましたか?

ファリス・バドワン(以下F):物事の進め方っていう意味では何も変わってない気がするよ。熱意とか熱さとか、それが僕らには大事だから。最初のアルバムの当時は自分たちもライヴをやることに一生懸命でそのやり方を模索していたところがあると思う。ライヴをやりながら発展していったようなところがあって、そのやり方ってじつはいまも変わっていない。表現力が増したとか、腕が上がったことでよりやりたいことに近づけるようになったという部分、根っこにある気持ちは変わってないと思う。ファースト・アルバムの頃からとにかくやりたいアイデアがいっぱいあって、それをどんどん実験してみたいという意欲があって、それに突き動かされていたというところはまったく変わらないし、でもあのアルバムではなかなか実現しきれなかった部分もあるけど、でもそこをふまえて次があるという点ではすごく意味のある作品だったなと思うよ。

でもちょっと写真だけは恥ずかしいと。

F:いやいや、べつに恥じるところはないんだけど(笑)、自分たちが思っていた自分たちとはちがう形で表現されている写真が一部あるなと。とくに小綺麗な形で出ちゃっているのが多い気がして。というのも、ライヴにおける当時の僕らって、初歩的でアグレッシヴでヴァイオレントですらあるようなバンドだったんだけど、一部のカメラマンの手にかかるとそれが小綺麗にまとめられちゃって、作り込まれているようなイメージになってしまっているものがあったりするんだよね。実際とちがったところがあると思うよ。もっと自分たちはラフなはずだったのにってね。

R:自分たちもまだわかってなかったんだよね。当時の自分たちのステージでのあり方と写真のイメージがちがうのを、自分たちでもどうすればいいかわかっていなかったかもしれないから。

当時の写真も初期衝動的で素敵ですけどね。

R:僕らもこういう写真は嫌いじゃないし、イメージ的にいいなと思うところもあるんだけど、当時の自分たちの表現として正確さにおいては欠けるのかなと思うんだよね……。

メディアに作られてしまっているなという感じはあったんですか?

R:作られてしまったというよりは、一部誤解されるかなって。スタイリッシュでお膳立てされたような印象を与える写真が一部あって、でもそれは本来の僕らの姿とはちょっとちがって、僕らの音を聴いたことがなかったり会ったことがない人が見たら誤解するのかなって。そういう意味で見せ方として不正確だった部分はあると思うな。ファッション的なバンドとか服装にこだわるバンドみたいなイメージを与えそうな写真に対して僕らはそういう印象を持ったことはたしかだよ。 ただの仲良しが集まっただけのギャング──そういうバンドだったし、いまもじつはそうだしね。ただ、ときとともに人間は変化するから、いまの僕らだったらさすがにあれは無理だと思うし、まったく意味をなさないと思うけど、当時の僕らはああいう部分があったっていう点ではリアルさもあるだろうね。だから、そこまでの抵抗感はないよ。昔とすっかり距離を置いているということではなくて、あれはあれで重要な時期だったと思うし、あの頃だって実際にショーに足を運んでくれる人たちには実際の僕らの姿は伝わっていたわけだし。あの頃を否定するつもりも忘れようとしているつもりでもない。単純にいまの僕らはちがうなって思うよ。

では話が変わりますが、リミックス・アルバム『ハイヤー』(2012年)をはさみ前作『スカイング』(2011年)から3年ほどありましたがその間は何をしていましたか?

R:そのうちの2年間はほぼツアーでとられていたよ。フェスもあったりとか……。詳細は省くとして(笑)、いったんレコーディングに入ったあとにまたフェスも入ったりして、3年の間で事実上18ヶ月はツアーに出ていたよ。で、やっとスタジオに入れたなと思ったら夏フェスのシーズンが来てしまってまた外に出るっていう感じで、けっこう途切れ途切れだったんだよね。ライヴに忙しかったからなかなかフォーカスを絞ってレコーディングに専念することができなくて、3年はあっという間だったよ。基本的に自分たちが完全に納得するものができるまではレコードを世に出さないっていう僕らの姿勢があるから、長い時間はかかったけど、べつに焦る必要もなかったから納得がいくまで時間をかけようというスタンスでできたよ。

『ハイヤー』のリミキサーの人選は自分たちで行ったのですか?

R:うん、そうだよ。

個人的にはピーキング・ライツ(Peaking Lights)の起用が興味深かったです。そのあたりのシーンにも興味があるんですね?

R:そうだね。そういったシーンにはつねに目を光らせているし、ピーキング・ライツは最近のアーティストのなかでは僕たちのフェイヴァリットかな。サウンド的にもすごくおもしろいことをやっているし、ダブの影響を取り込んで、ホーム・スタジオを持っていて……たぶん結婚はしてないと思うけどカップルなんだよね? そのスタジオで手作りのシンセサイザーを作ったりテープに録音したり、そういうやり方も興味深いよ。他のリミキサーに関しては、普通のリミキサーとはちょっとちがうメンツになっているよね。ピーキング・ライツもバンドとしてライヴ活動をしている人たちでミキサーではないし、コナン・モカシン(Connan Mockasin)もいわゆるアーティストだし、ちょっと毛色のちがう人を選んだんだよ。

では最新作『ルミナス』についてなんですが、まず、このタイトルにした理由は?

F:(ずっと『NME』を読んでいたファリスが)いやあ……。それにしても、これを見てたら、いまはずいぶんいなくなっちゃったバンドが多いなあと思って。僕らもそんなに長くやっているつもりはなかったけど、考えてみれば9年でしょ。でもなあ、その9年の間にずいぶんバンドが現れては消えたもんだなあと思いながら読んだよ。
 で、『ルミナス』に関してだけど、曲作りのプロセスそのものなんじゃないかなと思うよ。エネルギーが発散されて、そのときに光が放たれるっていう感覚、僕らの曲作りは昔からそうだけど、とにかく自分たちを表現したいって。有機的な作業を経て最終的な形まで、曲が自然に発展していくそのプロセスを表現した言葉かな。

アルバムの発売を一度延ばし、ミックスにじっくりと時間をかけたようですが、こだわった部分、意識した部分は?

F:じつは延期した理由はミキシングのためにということではなかったんだ。というのも、僕らの制作って同時進行なんだよね。とくに“フォーリング・スター”とかはミキシングをしながらもまだレコーディングして、録ってはまたミキシングして、という形で。そのふたつを分けて考えていないから、ミキシングに入ってもなお曲が発展して、徐々に曲が完成していくっていうやり方なので、ミキシングのために延ばしたっていうわけではなかったんだよ。

今作では、非常にダンサブルに仕上がっていると感じましたが、そのように意識したんですか?

R:僕らがあらかじめこういう方向に、って座って話し合ったわけではなくて、まずは作業をはじめてみて、それがどこに向かっているかを見極めていったんだけど、最初の段階ではまったく何もなくて白紙のキャンバスがそこにあっただけど、その中から自分たちが何にエキサイトできるかなと探っていったんだけど、わりと早い段階で気がついてみたら自分たちがエネルギーの発散とか動きたくなる感覚とかに傾倒していることに気がついて、それを追求していくことになったんだ。いわゆる踊れるレコードになったのがその結果なんだけど、フェスティヴァルの会場でやるのも想定しているけど、今回はナイトクラブとかダンスフロアで聴いても楽しめるような音が頭の中にあったから、その点では意識的だったと言えると思うよ。最初は無意識だったけど、だんだんと曲作りの焦点になっていった。

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それにしても、これを見てたら、いまはずいぶんいなくなっちゃったバンドが多いなあと思って。(ファリス・バッドワン)

7年前ですらいたバンドがいなくなっちゃってることを考えると、そのさらに前にもいい音楽がたくさんあったっていうことを知らせるのは大事かなと思っているよ。(リース・ウェブ)

〈ザ・フライ・アワーズ〉でサーストン・ムーアと共演したようですが、いきさつは?ソニック・ユースをはじめとする彼の音楽についてそれまでどう思っていましたか?

R:とくにジョシュ(G)がソニック・ユースの大ファンで、たぶん彼にとっていちばん好きなバンドなんじゃないかな。ついこの間もジョシュとそういう話をしていたんだけど、ギターをはじめたきっかけがソニック・ユースだったって言ってたよ。ああいう、当たり前のギターではなくて、ペダルを噛ませたりノイズを鳴らしたりチューニングを変えてみたりっていうところで、一般的なギターの認識とはがらりと違うことをやったバンドだってね。ああいうバンドを聴いたのははじめてだったんだって。
 〈ザ・フライ・アワーズ〉の授賞式ではお互い演奏することがわかっていたから、まずはそのステージでいっしょに共演しようかっていう話と、レコードにも参加してくれないかって話を持ちかけたんだ。それまで会ったことなかったんだけど、言ってみたら気さくにいいよって言ってくれたんだ。実際に、ギター一本ぶらさげてスタジオに来てくれたんだよ。サーストンは、ゆっくりゆっくり準備するんだよね(笑)。こんなことがあってさー、とか話しながらね。2回やればじゅうぶんかなって思ったんだけど、せっかくだからって3回通しで弾いてもらって。で、そのあとお酒飲みに行って。飲みながらNYのいろんなバンドの話をしてもらったりしながらね。すごく楽しかったよ!

〈オール・トゥモロウズ・パーティーズ〉や〈オースティン・サイケ・フェス〉などのフェスティヴァルへの参加で受ける刺激はありますか? わたしは以前、ザ・ホラーズがデビューの年に〈SXSW〉へ行ったことがあるのですが、あなたたちが熱心にいろいろなバンドのライヴを観てまわっていたのを見かけましたよ。

R:今年も〈オースティン・サイケ・フェス〉がすごく楽しみなんだよ。週末にフェスに行くとだいたい自分たちの出番が終わったら帰ってきてしまうことも多かったり観たいバンドの出る日が違ったりして、なかなか他のバンドを見ることができないままだったりするんだけど、〈オースティン・サイケ・フェス〉はラインナップもいつも充実しているし、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインとかブライアン・ジョーンズタウン・マサカーとかそういうバンドがばーっと出ているところに行ったらもうとにかく見たいよね。ロンドンでももちろん音楽シーンは充実しているしライヴもたくさん観れるけど、フェスに行ったら一気に観られるからね。僕らは相変わらずライヴを観に行くのが大好きなバンドだから、ああいう機会にはどんどん観るようにしているよ。

フェイスブックで、連載のようにしてお気に入りの曲のユーチューブ・リンクをあげて紹介していたり、レギュラーのDJイヴェントをずっと続けていたりして、たくさんの音楽を聴いて紹介しつづけているのもとても素晴らしいと思います。ホラーズを好きな若いファンたちも、あなた方のルーツであったりインスピレーションを受けた音楽を聴いて興味を広げていくでしょう。そのようによい音楽を紹介しつづけることには使命のようなものを感じているのでしょうか?

R:僕らが紹介しているものは、ホラーズに直接関係があるものとは限らないんだけどね。好きだと思うもの、聴いているものをみんなとシェアしたくてやっているよ。指一本でいろいろなものが聴けてしまう時代だけど、それでも聴き逃してしまういいバンドとかいい曲はたくさんあると思うので、それをぜひ紹介したいなと思うよ。僕らに直接影響を与えているかというとちょっとちがうものもあるけど、僕らのようなバンドに興味を持ってくれる趣味のいい人たちなら気に入ってくれるだろう、というものを紹介しているよ。さっきもファリスが言ってたけど、7年前ですらいたバンドがいなくなっちゃってることを考えると、そのさらに前にもいい音楽がたくさんあったっていうことを知らせるのは大事かなと思っているよ。使命というほどではないけどね。

いまでもレコードは買いつづけていると思いますが、ロンドンでお気に入りの店は? また、フィジカルな録音物へのこだわりはありますか?

R:最近ロンドンのお気に入りのレコード・ショップは閉まっちゃったんだよね……。イントキシカ(Intoxica)とか……。

F:マイナス・ゼロ(Minus Zero)とかね。

R:世界のどこに行ってもレコード店は減っちゃっていて残念だね。

F:ボストンのあの地下のところも……、なんだっけね。

R:リリースに関して言うと、アートワークも含めてアナログのそんざい可能性を僕は信じているよ。流通形態がみんなMP3とかダウンロードとかになっているのはわかっているんだけど、売上のごくわずかだとわかっていても、アナログの存在感は僕は強く感じているし大事にしたいね。

interview with Swans - ele-king


スワンズ - To Be Kind
[解説・歌詞対訳 / 2CD / 国内盤]
MUTE / TRAFFIC

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 4月8日に保坂さんと湯浅さんとディランのライヴ──モニターがトラブったあの日である──にいった翌週、季節はずれのインフルエンザにかかりタミフルでもうろうとしながらこのインタヴューの質問を考えていたら、ボブとジラが二重写しになったのは、テンガロン・ハットをかぶったいかめしい男を真ん中にした男臭い集団のもつムードに似たものをおぼえたからだろうが、それはアメリカの国土に根づく、というより、いまも澱のようにこびりつくアメリカン・ゴシックの、無数の歴史的諸条件によりかたちづくられた感覚を、一方は60年代のフォーク・ロックとして、他方は80年代のインダストリアルと00年代のフリーフォークがないまぜになった感覚で表出するからではないか。音楽の貌つきはまったくちがう。映し出す時代も、住処も地表と地下ほどにちがうかもしれない。ところがともにフォークロアではある。それはポピュラリティさえもふくむ複層的な場所からくる何かである。

 私は前回のインタヴューで再活動をはじめてからのスワンズの宗教的ともいえる主題について訊ねたところジラはそれを言下に否定した。それもあえていうまでもなくそれはディランが70年代末から80年代初頭キリスト教ににじりよったように彼らの一部でありいうまでもなかったのかもしれないと思ったのだった。

 『To Be Kind』は前作『The Seer』を引き継ぎ、長大な曲が占める。セイント・ヴィンセント、コールド・スペックスを招き、ジョン・コングルトンが録音で参加した布陣も今回も冴えている。朗唱のようなジラのヴォーカルと豪壮な器楽音の壁が長い時間をかけ徐々に徐々に変化する作風は前作以上に有機的で、1年前の日本公演をふくむワールド・ツアーの成果を反映した現在のスワンズの音楽を指してジラは「音の雲」と呼ぶのだが、刻刻と変化するのにそれは同時に豪壮な構築物でもある。矛盾するような得心するような、こんな音を出せるバンドは彼らをおいてやはり他にいない。

ハウリン・ウルフは私のヒーロー、アイコンなんだ。彼の自伝も数年前読んだ。すごい人生を歩んだ人だ。1900年代初頭のミシシッピの貧しい小作人の子どもでね、13歳になるまで靴もはいたことがないほどだった。8、9歳くらいから畑を耕しはじめ、もちろん教育など受けたこともなかったが缶を叩きながら畑の中で歌った。

2013年2月の来日公演からすでに1年経ち記憶も定かでないかもしれませんが、とはいえ、その前の来日公演となると20年以上前だったわけですが、なにか印象に残っていることがあれば教えてください。

MG:その来日ではライヴは1回こっきりだったんだけど、日本のファンはとても熱狂的だったのを憶えているよ。あと、これはいつも思うことなんだけど、日本人の礼儀正しさにはほんとうに関心するね。

資料によれば『To Be Kind』の素材となった部分はこのときのツアーで練り込んでいったとあります。じっさい2013年2月の東京公演では“To Be Kind”ではじまり、“Oxygen”などは“The Seer”とメドレーで演奏していました。そのときすでに『To Be Kind』のコンセプトはできあがっていたのでしょうか?

MG:いや、一部の(と強調)要素はライヴを通じて、インプロヴァイズしながら練り込み、そこから私がリフやグルーブを足して、一年をかけてひとつの大きな作品として形を変えていった。たとえば、はじめの段階では歌詞はまだなかったのがその当時読んでいた本を元にライヴで徐々に歌詞をつけたしたりした。それがこのアルバムの半分くらいの曲で、残りの曲のグルーブやサウンドに関しては、アコギでつくりあげたんだ。“A Little God in My Hands” “Some Things We Do” “Kirsten Supine”“Natalie Neil”、それと“To Be Kind”もコアの部分はすべてアコギでつくった。『To Be Kind』の多くはそういった手法でメンバーと集まってつくりこんだ。スタジオでは他のミュージシャンも参加して私がアレンジを加え、練り込み、映画のサウンドトラックのような感じにつくりあげた。

『The Seer』と『To Be Kind』は長尺曲を中心としたCD2枚+DVD1枚にわたる作品という両者の構成もよく似ています。このような構成にこだわった理由を教えてください。あるいては楽曲の要請としてこれは必然だったのでしょうか。

MG:ライヴ音源は長時間に渡っていたからね、34分っていう曲もあったし。そういう曲のことをどういえばいいのか、音の雲とでも呼ぼうか。曲の長さを気にすることなく、流れに任せて演奏して、その曲の存在価値を見い出そうと決めたんだ。素材が集まった段階でどういうフォーマットに落とし込んでリリースするかを決めた。それで今回はCD2枚、ヴァイナル3枚という構成になったんだ。DVDはボーナス・ディスクだ。ほら、われわれは心優しいからね(笑)。

とはいえ、前作と本作では音の表情はかなりちがっています。よりブルージーになったといいますか。要因のひとつにレコーディングを担当したジョン・コングルトンの存在があったのではと思うのですが、彼とは事前にどのような音づくりを目指しましたか。またレコーディング中で印象に残ったトピックがあれば教えてください。

MG:メンバーは私が集めてきた要素よりも、ライヴでやったものを意識していた。どういうサウンドのアルバムにしたいかということはすでに頭にあったし、曲ごとにどの楽器を使うか、どういう構成にするかなどのリストもつくっていた。他のミュージシャンが参加して、別のものをもってくると私のアイデアよりもいいと思うものが出てきたりもした。ブルージーになったかどうかはわからないな。ブルースの雰囲気くらいはとりいれていたかもしれないがコード進行までは意識してはいない。どちらかというと、グルーブとか深い音という面でだろうね。ジョンとはそれぞれの曲がどのような相互作用を持つかを重点に考えていた。スタジオで録音されたものをきっちり演奏するというよりも、ライヴで演奏を重ねることによってより大きな建造物をつくりあげていきたいと思ったんだ。

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Jennifer Chruch

ルーヴェルチュールは奴隷の反乱の扇動者で、ナポレオンの失脚の一因ともなった人物だ。1700年代後半から1800年代前半のハイチで初めて奴隷の反乱が成功したのはルーヴェルチュールのおかげだった。その後にナポレオンの部隊に捕まり、フランス国内で投獄されそこで人生を終えた。

音楽の形式としてゴスペルに対する憧憬をあなたは前回のインタヴューで述べておられました。『To Be Kind』ではそれがより直裁に表現されたと考えられないでしょうか。

MG:実際ゴスペルは詳しくないんだけど、永遠に続くクレセントがゴスペルに通じるものがある、という意味でその当時そういったんじゃないかな。ゴスペルの熱気のようなものはスワンズとの共通項だね。

ジョン・コングルトン氏はセイント・ヴィンセント氏からの紹介ですか?

MG:いや、その反対だ。ジョン・コングルトンが以前からスワンズといっしょにやりたいといっていたんだ。もともと、スワンズのパーカッションのソー・ハリスがジョンとかかわりがあり、いちどShearwaterというジョンがプロデュースしたバンドとライヴをしたんだ。ソーはあと、スモッグの……えーっと誰だっけ? そう、ビル・キャラハンともいっしょにやって、それもジョンがプロデュースした。そういうわけでソーがジョンのことを薦めていっしょにやるようになった。ジョンは長年のスワンズ・ファンなんだけど、3年程前にスワンズの曲をセイント・ヴィンセントに聴かせたら、えらく気に入ってくれてわれわれのライヴに来るほどのファンになったんだ。今回のアルバムでは構想段階で女声ヴォーカルがほしかったから、セイント・ヴィンセントに連絡をしたというわけだ。レコーディングではダラスまできてくれて、すばらしいヴォーカルを録ることができたよ。

彼女以外に『To Be Kind』でも前作と同じく多彩なゲスト・ミュージシャンを起用されています。準メンバーのビル・リーフリン氏以外に、上述のセイント・ヴィンセント氏、コールド・スペックス氏のふたりの女声ヴォーカルが特徴的ですが、彼女たちに声をかけたのはそのような理由だけですか。

MG:コールド・スペックスはソウルフルでゴスペルなすばらしい声のもち主だ。“Bring the Sun”にぴったりだった。彼女を起用したのは、すばらしいシンガーだから。この一言に尽きる。彼女は以前、スワンズのカヴァーをやったこともあるんだ。いままで聴いてきたスワンズのカヴァーで唯一いいと思えたのが彼女がやったものだった。『My Father Will guide Me Up A Rope To The Sky』に収録した“Reeling The Liars In”という曲で、いうことなしのできだった。そこから繋がったんだ。

「Chester Burnett(ハウリン・ウルフ)」「トゥーサン・ルーヴェルチュール」といった歴史上の人物を本作ではとりあげたのはどのような理由からでしょうか? またこれら歴史上の人物からあなたはどのようなインスピレーションを得たのでしょうか。

MG:ハウリン・ウルフは私のヒーロー、アイコンなんだ。彼の自伝も数年前読んだ。すごい人生を歩んだ人だ。1900年代初頭のミシシッピの貧しい小作人の子どもでね、13歳になるまで靴もはいたことがないほどだった。8、9歳くらいから畑を耕しはじめ、もちろん教育など受けたこともなかったが缶を叩きながら畑の中で歌った。ほどなくギターも習った。苦境に立たされているからそこから逃避したい気持ちがあったんのだろうね。後に南部を中心に酒場のドサまわりをはじめ、知名度もあがってきたところで、シカゴに移り、マディー・ウォーターズらとともにエレクトリック・ブルース、つまりシカゴ・ブルースだ、それを確立した。それがのちに多くのひとに多大な影響を与えることになった。その意味では魔法使いという呼び名がふさわしい。苦境から這いあがり世の中に多大な影響を与えるすばらしい人生であると同時にすばらしい声のもち主でもありひと息で低いバリトンから高いヨーデル調の声まで幅広く出る。彼の曲には楽しくてダーティで性的な要素がすべて詰まっている。
 ルーヴェルチュールはまったく別のところから引っ張ってきた。“Bring the Sun”はインプロヴァイズを重ねてつくった曲で歌詞はなかった。その頃私はルーヴェルチュールの伝記を読んでいて、それで彼の名を歌詞の中で連呼することを決めた。そこから歴史的瞬間を捉えるような音的な言葉をつけ加えて曲を構築したんだよ。ルーヴェルチュールは奴隷の反乱の扇動者で、ナポレオンの失脚の一因ともなった人物だ。1700年代後半から1800年代前半のハイチで初めて奴隷の反乱が成功したのはルーヴェルチュールのおかげだった。その後にナポレオンの部隊に捕まり、フランス国内で投獄されそこで人生を終えた。
 彼もハウリン・ウルフと同じく、奴隷としての人生から自由の身となり、働いていた農園のオーナーからは努力を認められ、オーナーや修道士から読み書きを教えてもらったそうだ。そこから、ルソーなんかのフランス啓蒙思想家やマキャヴェッリについて読み、軍事戦略について学んだ。彼も奴隷からはじまり歴史を変えた人物だった。ルーヴェルチュールによるナポレオンの失脚がなければ、ナポレオンはアメリカへルイジアナを譲渡することなどなかったにちがいない。ルーヴェルチュールの軍に勝つには、軍事強化のための資金が必要だったかね。だから彼も世界の歴史を変えた人物の一人だよ。私が読んだのは、マディソン・スマート・ベルの著書(マディソン・ベルはルーヴェルチュールとハイチ革命について『All Souls' Rising』『Master of the Crossroads』『The Stone That the Builder Refused』の三部作を著し、『Toussaint Louverture : A Biography』なる評伝もある)。フランスの歴史上重要な時代だからおさえておいた方がいい。

『To Be Kind』はなぜ〈Young Gods〉ではなく〈Mute〉からのリリースなのですか?

MG:〈Mute〉のダニエル・ミラーがスワンズのことを再結成後からずっとフォローしてくれていたんだ。私は1990年から〈Young Gods〉をやっていてスワンズをはじめ、他のアーティストのリリースもしてきているから、あえて他のレーベルと契約するのは頭になかったのだけどアメリカ国外のディストリビューションには弱かったから、ダニエルがミュートとの契約の話をもちかけてくれてよかったよ。どちらかというとパートナーシップだね。われわれは若いバンドでもないし、懐の広い叔父さんのレーベルと契約をしたわけではない(笑)。音楽を心から愛して、サポートの厚いダニエル・ミラーのことは私自身とても尊敬しているし、ミュート・レコードからのリリースはとても名誉なことだ。だからこういう流れになってうれしいよ。

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Sibastian Sighell

音楽を心から愛して、サポートの厚いダニエル・ミラーのことは私自身とても尊敬しているし、ミュート・レコードからのリリースはとても名誉なことだ。だからこういう流れになってうれしいよ。

『To Be Kind』は繊細かつ実験的な音づくりだと思いました。あなたは前回のインタヴューでベーシック・トラックを録った後、どのような音が必要か考え、音を追加するとおっしゃっていました。今回はそれが非常に緻密におこなわれていると思いましたが、そこにもジョン・コングルトン氏のアイデアが活かされているのでしょうか。

MG:うん。彼は今作ではプロデューサーではなくエンジニアだ。だいたいにおいて、私がアイデアを出して練り込むんだけど、彼に「これも試してみなよ」ってな感じでいわれたり。プロデューサーではないんだけど、アイデアを提供してくれたりはしたよ。どんなエンジニアにもそうあってほしいと思うよ。たとえば、エンジニアにはピッチがおかしかったりしたら、それをすぐに察知して教えてほしい。私はそれ以外のことで頭が一杯だからね。ジョンはその役割も果たしてくれている。私のアイデアをうまくまとめて、さらに広げてくれもした。そういった意味ではジョンのアイデアはかなり活かされているよ。

逆にいえば音盤をライヴで再現するのは難しいと思いました。その点についてはどう思われますか。ライヴはスタジオワークとはまったく別ものでしょうか? スワンズとってレコードとライヴをそれぞれ定義してください。

MG:まず、音源をライヴで忠実に再現することには一切興味はない。ライヴでプレイするのであれば、まったく別のものにしたいと思っている。アルバムをプロモートするためにライヴをしたいんじゃない。ライヴの「いま」を体験してほしいんだ。ツアーをすれば、要素はつねに変化するし、1週間後2週間後のライヴではセットもまったく異なってくる、たとえ同じ曲を演奏していても。だからライヴとスタジオワークはまったくもって異なったものだ。アルバムは録音された曲の集合体。曲を組み立てて、アルバムを構築して、ひとつのアート作品をつくるという行為は私は好きだ。そのプロセスが終わっても音楽はコンセプトとして生き続けるのだがそれをライヴで演奏するとなるとつねに自由自在に変化できるようにしていかなければいけない。
 ニーナ・シモンの“Sinner Man”を考えてごらん。ライヴごとに変化していっているよね。いいアーティストはそれができるのだと思うよ。いわゆるポップ・ソングじゃないかぎりね、われわれはまるっきりのアヴァンギャルドではないけれどもつねにフレッシュで予測できない音楽をつくっていきたい。自分のためにもオーディエンスのためにも。

『To Be Kind』では器楽音意外の具体音(馬の歩み、いななきなど)も使われており、それもあって音による(言葉ではありません)大河ドラマを聴くような気がしました。たとえば『To Be Kind』をサウンドトラックにするとしたら、どのような映画がよいと思いますか。古今東西誰のどんな映画でもかまわないのであげてください。

MG:黒澤明の『蜘蛛巣城』(1957年)とラース・フォン・トリアーの『メランコリア』(2011年)だね。あと、ギャスパー・ノエの『アレックス』(2002年)かな。勇気があったら観てごらん(笑)。ところでギャスパー・ノエの『エンター・ザ・ボイド』(2009年)は映画館で観たかい? 私は家のスクリーンで観たんだが映画館で観たらまた違った体験ができたんじゃないかと思った。家だとトイレに行ったり、スナックを取りに行ったりできるけど映画館じゃできないだろ。だからあの映画の間映画館の椅子に縛りつけられていたらどんな気分だろうと思ったんだ。ストーリーも映像もすごく美しい。当初ストーリーはなかなか入り込めなかったが終わってから作品について読んでもういちど観たらようやくどういうことかわかってきた。よくできた作品だと思うよ。キャラクターの視点からの録り方がよかったね。あと、体内に入りこむところも。

アートワークにはボブ・ビッグスの作品を使っていますが、1981年に彼の目にした彼の作品をなぜ本作でまた使いたいと思ったのでしょう。資料によれば、この作品はボブ・ビッグス氏の家の壁に描かれた水彩画だということですが、ビッグス氏とあなたは旧知の間柄なんですか。

MG:その当時からボブとは面識はあったが親しい仲ではなかった。例の作品は壁の水彩画じゃなくて、黒い用紙上のパステル画だ。その作品がとても気に入ったんだ、ジャスパー・ジョーンズの旗や標的の作品のようにアイコン的でね。表現方法が不思議で興味をそそられた。神秘的なシンボルのようでね。意味が込められているかそうでないのかもわからない。面白いのは、ずっとみていると、意味と無意味が交互に共鳴しはじめるんだ。実際に自分が何をみているのかもわからなくなってくるようでね。30年の時を経て、使用許可をもらったんだけど、黒のバックグラウンドから頭だけを切り取ったんだ。今みてもらっているベージュの部分は実際は段ボール用紙で、その上に作品がエンボス加工でプリントされている。ツヤ加工もしてあるから、段ボール用紙からまるではがせるような風合いだよ。当初の予定では、実は赤ちゃんの代わりに女性の乳首を使おうと思っていたんだ(爆笑)。でも実際画像を集めはじめたら、乳首に焦点を当てると美しくも何ともないことがわかった。これは使えないとなった。そこでなぜかボブのことが思い浮かんだんだ。ほら、赤ん坊と乳首は同じような感情を呼び起こすだろ(笑)? それでボブに例の赤ちゃんの作品について訊ねたわけだ。

上記質問と同じ意味で、あなたが長年あたためながらまだ実現していないことのひとつをこっそり教えてください。

MG:もしかしたら知っているかもしれないけど、私は以前に本を書いたことがある。時間があればぜひまた執筆活動をはじめたいね。いまは本を読む時間もなかなかとれないから、時間ができたらまずは読むことからはじめたい。読むときに使う脳の部分をまずは活性化させないとね。だからそれができる時間がとれれば、また書きはじめられる。それが死ぬ前にやりたいことだね。

スワンズは現在のシーンでは孤高の存在だと思われます。ジラさんにとって現在のシーンで共感できるバンドないしミュージシャンはいますか? もしくは他者の存在はさほど気にすることはないですか。

MG:最近の音楽にはさほど興味がないんだけど、ベン・フロストやシューシューはいいと思うね。サヴェジーズやリチャード・ビショップの音楽もいい。いわゆるメジャーなポップ・ミュージックには興味はないね。

次回の来日公演はいつになりますか? まさかまた20年後ということはないと思いたいですが再々来日を待ちわびる日本のファンにコメントをお願いします。

MG:I love you very much(笑)!

interview with Wild Beasts - ele-king

 ワイルド・ビースツ。UKはケンダル出身の4人組。現体制ではや8年にも及ぶ活動をつづけている彼らは、ポップ・シーンの異端として各メディアからの称賛を得た『リンボ・パント』(2008年)以降、翌年の『トゥー・ダンサーズ』のマーキュリープライズへのノミネートなどを経て、『スマザー』(2011年)でその人気と評価を揺るがぬものにしたかに見える。


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 その後の初のリリースとなる新作『プレゼント・テンス』について、「彼らの確信がその野心に見合うものになった」と評していたのは『ガーディアン』誌だ。同誌の『トゥー・ダンサーズ』(2009年)のレヴューは「近年ヘイデン(・ソープ ※本バンドのメインのヴォーカル)ほどの驚きをもたらしたロック・ヴォーカリストは他に思いつかない」という文章からはじまっているが、それは、当初彼らがシーンに対して投げかけた「驚き」が、少なからず奇異の感やとまどいぶくみのものだったことを思い出させ、同時に、いつしかそれが堂々たる称賛へと変化していたことを実感させる。気に障るあいつは、気になるあいつになり、オンリー・ワンな存在へと変わった──「野心と確信が見合うようになった」というのは、そういうことだろう。

 何が気になるのか、それは彼らの音楽、そしてヴォーカルを耳にしたことのある人ならすぐにわかるはずだ。デヴィッド・バーンやクラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤーのアレック・オウンスワース、あるいはモリッシーを思い浮かべもする。ヘイデン・ソープのヴォーカリゼーションはスノッブで演劇的だと評されることもあるが、起伏が大きく、耳馴染みのよいとはいえないそれはしかし非常に精神的であり、ポップスというひとつの予定調和性との間に摩擦を起こす。そして、その摩擦そのものがひりひりと音楽を高める──その点、オート・ヌ・ヴのアーサー・エイシンとは、性格は異なれど、性的なモチーフへの強いこだわりや、R&Bを意識する点においてより共通性があるかもしれない。ブラック・ユーモアやエグみのある題材は、トラッドな音楽フォームに彼ら一流の解釈と屈折を加えた楽曲と相俟って、誰も真似のできないかたちをなし、近年作においてはエレクトロニックな方法や発想と結びつきながら洗練の度合いを深めてきた。なんというか、彼らの音楽はけっして「ミュータント」なのではなく、知性と確信とが磨き上げた不屈の皮肉であり批評でありパフォーマンスなのだ。そんなものが堂々とすぐれたポップスとして受け入れられ、称賛を浴びていることがとても心強い。
 インタヴューにはそのヘイデンの歌に穏やかな対照を与え、彼らの音楽性を一層深めているもうひとりのヴォーカル、トム・フレミングが応じてくれた。

■ワイルド・ビースツ(Wild Beasts)
英ケンダル出身のヘイデン・ソープ (V/G)、ベン・リトル (G)、トム・フレミング (V/B)、クリス・タルボルト (Dr)の4人組ロックバンド。08年のアルバム・デビューから現在までに3枚のアルバムを発表。09年、2作目『トゥー・ダンサーズ』が英国最高峰音楽賞マーキュリープライズにノミネート。11年3作目『スマザー』が全英17位を獲得。世界中で賞賛を受け、数々の年間ベストアルバムに選出された。14年、ニュー・アルバム『プレゼント・テンス』をリリース。さまざまなメディアが大絶賛し、全英チャートトップ10入りを記録した。


性っていうのは見れば見るほどわかってくるものなんだ。

“ワンダーラスト”などの性的なモチーフは、あなた方の音楽全体にも重要なインパクトを与えていると思いますが、あなたがたの音楽自体は必ずしも肉体的ではなく、むしろ精神性が勝っているように感じます。ワイルド・ビースツにとってのセクシュアリティとはどのようなものなのでしょうか?

トム:性には間違いなく興味を持っているね。君が言うように、精神性や人間性を性から完璧にかけ離そうとはしていない。その方がいろんな意味でおもしろいと思うんだよね、そうだろ? 音楽はまず体で感じるものだし、イギリス人のミュージシャンはそこまでそれが得意じゃないんだよね。性っていうのは見れば見るほどわかってくるものなんだ。

たとえば、音楽のフォームとして、R&Bは意識されていますか?

トム:R&Bは間違いなくよく聴くジャンルだよ。音を一つ一つどう繋げていくか、ちょっと外れている音をどう音楽に取り入れているか、ヴォーカルがどう鳴り響いているか、外れているリズムの技なんかに興味があるんだ。意識しているからなのかはわからないけど、雨がよく降る小さな島に住む子どもたちが動き回れるように、スペースを作り出しているようなイメージが湧くんだよね。4つ打ちのロック・ミュージックよりはしっくりくるんだと思う。

曲は歌のメロディから先に発想されるのですか?

トム:曲によるね。最初にリリックかタイトルが浮かびあがってきて、それをもとに曲の中心となるアイディアが生まれるんだ。そこからどんどん音楽ができあがっていく感じだね。まとめると、普段メロディがいちばん最後に作り上げられるんだ。

歌がとても強く繊細で、多くの曲はリニアにかたちづくられているように思います。そんななかで”ワンダーラスト”の吃音のようなタイム感やビートが必要だったのはなぜでしょうか。

トム:とてもシンプルなリズムだよ。だけど4/4のはずが3/4が聞こえるから何かが「抜けている」ように感じて、リズムに落ち着きがないように感じるんだよね。僕たちの音楽においてはドラムがいちばん大事な要素だと思ってる。4/4とか8/8よりは3/4、6/8に当てはまるんだ。フォーク・ミュージックの影響を受けてるんじゃないかな。

音楽を媒介するSNSなどの普及によって、音楽はより身近なところで完結的・効率的に流通するようになり、もはやポップ・ミュージックが人々の思いや時代の気分といった大きなサイズの共同性を代弁する必要がなくなったように見えます。あなたがこれまで受けたポップ・ミュージックからの恩恵について、教えてもらえますか?

トム:そうだね、いまはどこでも何でも手に入るからね。情報で溢れているんだ。それに対して興味深いレスポンスがさまざまな楽曲の制作。教会・クラシカルなバックグラウンドを持った幼い僕と、いま僕が作っている音楽との架け橋はポップ・ミュージックだったんだ。ボーイズ・II・メンやハダウェイを長波ラジオで聴くのが僕の音楽の学業において大きな役割を果たしたんだ。小さい頃はそれのありがたみに気づけてなかったけどね。

そんななかで、あなたがたは依然として「大きな」ポップ・ミュージックを引き受け、牽引する存在であるように思います。シーンにおいて、あるいは広くアートの営みの上において、自分たちの役割を意識することはありますか?

トム:そんなにいろいろ考えてたら気がおかしくなると思うよ。何よりも大事なのはとにかく打ちこむこと。おもしろみのあるものを作り出すこと。素直でいること。もちろん観客はほしいし、必要ではあるけど、誰も作れない音楽を作り出さなくちゃいけないんだ。そうするためのいちばんの手段は机に向かってひたすら打ち込むこと。僕たちの役割は何かを言う権限を持つことなんだ。だから、いわば、僕たちが言ったりアクションを起こさない限り起きないことを実現させることかな。

イギリスにはザ・スミスという素晴らしいバンドが存在しましたが、あなた方からは彼らがどのように見えますか?

トム:正直なところ、僕たち結成当初、ザ・スミスに多大なる影響を受けたんだ。彼らがいっしょに演奏するさま、マーティン・カーシーのブリティッシュ・フォークのギター・スタイルを取り入れるジョニー・マー、モリッシーの歌詞の組み方、北のブラック・ユーモア……全部健在なんだ。

イギリスの音楽の歴史を考えるときに、もっとも意識するのはどんなアーティストですか?

トム:とにかくたくさんいるよ。パイオニアであることを第一として考えるけど、スロッビング・グリッスル、エイフェックス・ツイン、ペンタングル、レッド・ツェッペリン。一日中話していられるよ。

では、アメリカのバンドやイギリス以外のミュージシャンで意識する人たちはいますか?

トム:数え切れないほどいるよ。その中から名前を挙げるとすればディーズ・ニュー・ピューリタンズ、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー、ザ・ナショナル、ジ・アントラーズ、フォールズ、スワンズ……。

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古風なコラボレーターなんだよ、僕たち。




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みなさんは小さいころからの仲間だそうですね。ケンダルで青春期を送ることは、たとえばロンドンでのそれと大きく異なるものなのですか?

トム:まあ田舎の小さな町だからね。ちがいは大きいと思うよ。中心からかけ離れた存在感を持っているっていうことを自覚するようになったし、周りのヤツらと世界観を共有するようになった。バンドをやっていて狂いそうなときもある。だけど地に足がついているのはケンダルで育ったからなんじゃないかな。

プロデューサーとして加わっているレックス(Lexxx)の影響や、あるいはレオ・アブラハムス(Leo Abrahams)の影響は、それぞれ今作のどのような部分に反映されていると思いますか?

トム:彼らは才能を持った人たちだよ。レックスは音響の面で制作に関わっていて、レオは作曲やヴォーカルをどう届けるかにおいて制作に関わっていたんだ。僕たちが何を欲していて、どこに向かっているのかちゃんと理解していて、彼らどちらともこのアルバムを一人で作り上げることはできたと思ってる。大きく響くシンセの音だったり、引き締まった楽曲の作りは彼らの影響だね。

リチャード・フォーンビー(Richard Formby)の起用は予定されていましたか?

トム:リチャードにはいままでにも多大なる影響を受けてきたんだ。だけど今回は何か新しいことをしようって決めてね。彼と仕事するのは大好きだから今回はいっしょに制作に取り組めなくて辛かったけど、またきっと機会があると思うよ。彼とは2作をともに制作したし、僕たちはただバンドとして進化していきたかっただけなんだ。

ツアーを一旦休止してアルバム制作に専念したということですが、みなで寝泊まりをして臨んだのですか? その流れや模様を教えてください。

トム:アルバムはほとんどロンドンでレコーディングされたんだ。夜おうちに帰って、朝戻ってきてた。他のアルバムは一つの場所で集中した期間を設けて書いてたんだけどね。今回の方が考える時間も大幅に設けられたし、物事を正しくこなせたんじゃないかな。ロンドンは費用がかさむから、狭い、ちょっと窮屈な場所を使ってたよ。ほとんどの楽曲制作にソフトウェアを使ってたのはそのせいでもあるんだ。アルバムを書き始める前に休養をとったのは、ただただ盲目に取り組むんじゃなくて、自分たちがちゃんと欲してるアルバムを作ってることが確かであって欲しかったから。バンド外にもみんな個々の人生があったから、それがあってこそのアルバムなんじゃないかな。世界を見なきゃならないんだ。

基本的にはヴォーカルをとる方がソングライティングを行っているということになりますか? その場合、相手の入ってくるパートは相手の声や表現で歌われることを想像して作られるのでしょうか?

トム:ほとんどはヘイデンと僕が、それぞれ自分が歌う部分を書いてるね。だけどもちろんお互いのために書く部分もあるよ。お互いの声がどういったポテンシャルを持っているのかも熟知しているし、僕たちの声がお互いの声と自然と溶け込むこともわかってるからね。誰がどこを担当するか、誰が何を曲に与えられるかっていうことはよく考えるところだよ。古風なコラボレーターなんだよ、僕たち。だけどアルバムが完成するまでに、楽曲は4人全員の影響を吸収するんだ。

「アート・ロック」と呼ばれることについてどう思います?

トム:まあ、言われるがままにだね(笑)。いいんじゃない? もっとひどい言い回しはあると思うし。構わないよ。

ジャケットのアートワークとしてコラージュされている図像はそれぞれ意味を持っているのでしょうか? ビルの角はどこなのでしょう?

トム:どの楽曲もじつはイメージを持っていて、それが楽曲のアイディアに結びつくようになっている。コラージュにしたのは毎日僕たちが「理解しろ」と与えられる大量の情報を表している。君が指してるのはおそらく西ロンドンに位置する古いビンゴ・ホールだと思うんだけど、正直なところどの建物の写真を最終的に選んだか覚えてないんだよね。

口当たりのよい言葉や元気のよい掛け声をかけないポップ・アルバムを作りあげることは、かなり勇気のいることだと思いますが、本作はその点、4枚目の作品としてのあなたがたの自信や、音楽制作における確信を表すものだと考えてよいでしょうか。

トム:ありがとう。いままで書いてきたアルバムはここに至るまでに必要不可欠だったと思ってる。このアルバムは他に比べてもっと真っすぐだし、意味合いを表現するという分には素直だよ。この時点で僕たちは自信を持っているし、自分たちという存在を確立できたと思っている。過去のアルバム、過去のライヴから学んできたことをこのアルバムを通して抽出しているっていってもいいと思う。だって、何かを学んできたことを証明しなきゃだめだろ……!

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