「KING」と一致するもの

Goat Girl - ele-king

 ゴート・ガールのセカンド・アルバムは、2021年初頭のクライマックスのひとつだろう。本作がリリースされた1月から2月にかけてのおよそ1ヶ月ものあいだ、ぼくは三田格とともに『テクノ・ディフィニティヴ』改造版のため、ほぼ毎日、1日8時間以上、エレクトロニック・ミュージックを片っ端から耳に流し込んでは文章を書きまくっていたので(それはそれで充実した日々だったけれど)、ほかの音楽を聴く時間などなかったし、ましてや新譜などエレクトロニックでなければ後回しである。で、『テクノ・ディフィニティヴ』が終わったと思ったらここ1ヶ月は、またしても三田格とともに別冊のフィッシュマンズ号のために取材をしたり調べたり、ほぼ毎日、1日8時間以上はフィッシュマンズを聴いている……わけではないので、いまようやくゴート・ガールまで追いついたという。ふぅ、いまようやく、彼女たちの新作『On All Fours』が素晴らしい出来であることを知ったのであった。

 にしても……バンドというものは、こうして成長するのか。本作3曲目に“Jazz (In The Supermarket)”という曲がある。喩えるなら、この曲はザ・クラッシュの『サンディニスタ!』やザ・レインコーツのセカンドのなかに入っていたとしても不自然ではない、そう言えるほどの舌打ちしたくなるような格好いい雑食性がある。レゲエ風のリズムも個人的にかなりツボで、本文を書いているたったいま現在かなり空腹であることから、ロンドン郊外のあまり高級ではないエスニック・レストラン街が夜霧の向こうに見えてくるようだ。
 ふざけている場合ではない。『On All Fours』はメランコリックで、雑多で、不機嫌で暗い顔をしている人たちをひそかに讃えながら、不安の波が打ち寄せる空しい夜の甘い甘いサウンドトラックとなる。“P.T.S. Tea”のトランペットといい、“Once Again”のベースラインといい、“A-Men”のドラムマシンといい、そしてアルバム全体を浮遊し漂泊するシンセサイザーやギターの音色といい、ゴート・ガールはポストパンク流の格好の付け方をよくわかっている。ちなみに1曲目の曲名は“ペスト”、歌詞は読んでいない、ぼくはまだ音だけに集中している段階なんだけれど、本作がパンデミックの状況にリンクしていることは確実だろうし、メンバーの深刻な病も無関係でないだろう。
 しかし『On All Fours』には、そうした不吉なムードを払いのける強さもある。ザ・フォールの前座を務めたという経歴は伊達ではなかったし、憂鬱で冷たくて、しかし13曲すべてにそれぞれ固有のアイデアがあって、それらすべての曲がキャッチーでもあるこのアルバムは、ものごとがどうにもうまくいかない愛すべき人たちのなかで何度も反復されるだろう。フィッシュマンズのことを考えている最中に聴いても、あまり違和感がない。

VIVA x Television Personalities - ele-king

 昨年はザ・ドゥルッティ・コラムやカンなどをモチーフにした服が話題になった奥沢のViva Strange Boutique、いま現在はなんとテレヴィジョン・パーソナリティーズとのコラボを展開している。
 テレヴィジョン・パーソナリティーズのダン・トレイシーは、ザ・フォールにおけるマーク・E・スミスのような、ポスト・パンク時代の圧倒的な個として知られている。とはいえ、その疑いようのない才能と魅惑的な作品、大きな影響力(アラン・マッギーをはじめ、ペイヴメントやMGMTにまで広範囲に及ぶ)を思えば、ダン・トレイシーは決して幸運な人生を歩んできたとは言えない。
 70年代末にロンドンで結成されたテレヴィジョン・パーソナリティーズの音楽には、インディー・ギター・サウンドと括られるもののほとんどすべてがある。ウィットに富んだポップ・センス、ヴェルヴェッツ、モッズ、ローファイ、ペデンチックな言葉やアート、そして何よりも自分の痛みから生まれるメロディ、甘さ、弱さ、誠実さ、神聖なる若さ、そうしたものが詰まっている。もしあなたがギター・ポップと括られる音楽が好きであるなら、テレヴィジョン・パーソナリティーズの最初の4枚のアルバムは必聴盤だ。
 しかし、そうした彼の華麗な音楽とは裏腹に、ダン・トレイシーは長いあいだドラッグ中毒や貧困に苦しみ、盗みを働き監獄で暮らしてもいる。数年前は大病を煩い手術をし、いま現在も治療と療養を兼ねて施設にいるそうだ。今回のVIVAとのミーティングやデザインのチェックなどはzoomでおこなったそうだが、「久しぶりの明るいニュースだ」と本人は喜んでいたとのこと。
 それで生まれた5つのアイテム、初期テレヴィジョン・パーソナリティーズのスリーヴ・デザインを彷彿させるコラージュ感が良い感じで、当然のことながらモッズ・コートがいちばん最初にデザインされたようです。しかし……まさか“Mummy, Your Not Watching Me”がスウェット・シャツになるとは!

VIVA x Television Personalities


・"...And Don't The Kids Just Love It" Fishtail Parka (Mod's Coat) -
27,000円(税抜)/29,700円(税込)


・"Mummy, Your Not Watching Me" Sweatshirt
10,000円(税抜)/11,000円(税込)


・"Three Wishes" Long-Sleeve Shirt
9,000円(税抜)/9,900円(税込)


・"14th Floor" Long-Sleeve Shirt
7,800円(税抜)/8,580円(税込)


・"Where's Bill Grundy Now?" Tote Bag + Big Orange Badge
3,500円(税抜)/3,850円(税込)

Style Wars - ele-king

 1970年代にニューヨーク・ブロンクスにて誕生したと言われるヒップホップ・カルチャー。その黎明期を描く貴重な映像作品として長年にわたって高く評価されているのが『Wild Style』と、そして今回初めて日本で劇場上映される『Style Wars』だ。当時、ニューヨークにて実際に活動していた本物のグラフィティライターやラッパー、DJ、Bボーイ(ダンサー)が出演しながらも、ドラマ仕立てで作られた『Wild Style』に対して、『Style Wars』は完全なドキュメンタリーであり、作品としての方向性は多少異なる。しかし、1980年代初頭のニューヨークにおけるヒップホップシーンの生々しい姿をダイレクトに捉えたという意味で、『Wild Style』と『Style Wars』は共に重要な作品であるのは疑いようがない。

 二つの作品に共通する重要な点の一つが、ヒップホップの3大要素であるラップ、ブレイキン、グラフィティを扱っているところだろう(注:『Wild Style』はさらにもう一つの要素=DJにもフォーカスを当てている)。実際、この3つの要素はたまたま偶然、同時代に存在していたにすぎず、特にグラフィティに関しては当事者である(一部の)グラフィティライターがヒップホップとの関連性を否定する発言を行なっていたりもしている。しかし、『Wild Style』と『Style Wars』によって、ヒップホップの定義が視覚的にも明確に示されたことは、その後、ヒップホップカルチャーが世界的に広がっていく一つのきっかけにもなっており、いまでは音楽シーンやアートシーン、さらにファッションシーンなど、さまざまな分野にヒップホップカルチャーは多大な影響を与えている。

 1980~83年に製作された『Style Wars』だが、三大要素の中でも最も強くスポットを当てているのが「グラフィティ」だ。『Style Wars』の発起人とも言える存在であり、プロデューサーとしてこの作品に関わっているフォトグラファーのHenry Chalfantは、実際に70年代初期からニューヨークのグラフィティシーンの盛り上がりを目にし、グラフィティ作品の撮影などを通じて様々なグラフィティライターたち繋がっていった。映画の撮影開始時にはすでに40代になっていた白人男性であるHenry Chalfantが、通常であれば決して素顔を明かすことのない10代~20代前半のグラフィティライターたちと深い関係を築いたことは驚くべきことだろう。その結果、有名無名含めて実に様々なグラフィティライターが本作に出演しており、さらに今では伝説として語り継がれている、グラフィティライターの交流の場「ライターズ・ベンチ」など貴重な映像が多数盛り込まれている。
 とはいえ、『Style Wars』は決してグラフィティの格好良さのみにフォーカスした作品ではない。ニューヨークの一般市民やグラフィティライター自身の家族にもグラフィティというカルチャーが理解されなかったり、大きな社会問題として行政側がグラフィティに対して否定的なメッセージを発している部分などもしっかり描かれている。実際、ニューヨークのグラフィティの最初のピークは70年代であり、本作の撮影が行なわれた80年代前半はシーンにとっても過渡期であった。ニューヨーク市交通局がグラフィティを排除するために様々な施策を行なったり、あるいは一部のグラフィティライターが表現の場をギャラリーに移していく様子など、その変化の兆しも本作ではしっかりと捉えている。

 今では全車両がグラフィティで埋め尽くされた地下鉄が、ニューヨークの街中を走る姿を見ることはまず不可能だろう。80年代初期のそんな貴重な映像を見るだけでも本作を鑑賞する意味があるが、グラフィティというカルチャーの陽と陰の対比も感じながら、ぜひ『Style Wars』を観て欲しい。

interview with Bibio - ele-king

二重のノスタルジアが存在する。ひとつ目は、ぼくが当時その曲をとおして呼び起こしたかったオリジナルのノスタルジア。そしてもうひとつは、自分がその曲をつくっていたときを思い出すノスタルジア。

 ギターでこんなに独特の音楽を生み出すことができるのか──当時のリスナーはきっと、そう驚いたに違いない。本人の弁を借りて言えば、「エレクトロニック・ミュージックがどんどん完璧になっていっていたあの当時は、すごく新鮮に」感じた、と。
 2006年に〈Mush〉から送り出されたビビオのセカンド・アルバム『Hand Cranked』が、このたびデラックス・エディションとなって蘇った。おなじく〈Mush〉からリリースされた記念すべきファースト『Fi』(2005年)のリイシュー(2015年)に続く復刻だ。
 1997年に設立されたLAの〈Mush〉は、クラウデッドや(のちに〈Lex〉へと移ることになる)ブーム・ビップなどの、いわゆるアンダーグラウンド・ヒップホップをリリースしていたレーベルである。まだヒップホップのビートをとりいれてはいなかった初期ビビオの作品が、そのようなレーベルから出ていたという事実はなかなかに興味深い。
 当時の彼はまた、みずからの歌声をほとんど披露していない。“Overgrown” に顕著なように、ライヒから影響を受けたギター・フレーズの反復と、何度も録音を重ねることによって得られるロウファイなテクスチャーのみで勝負に挑んでいる。シンプルではあるが、だからこそそれは今日まで続く彼の音楽の、根幹を成す要素となりえたのだろう。変わるものもあれば、変わらないものもある、と。
 二重のノスタルジア──彼はそう表現している。15年前に思い出していた過去と、15年前に過去を思い出していたというその過去。『Hand Cranked』が奏でる特異なギター・サウンドは、折り重なる時間の迷宮へとわたしたちを誘う。まだまだ続く長い道のりで、ちょっと休憩をとりながら、これまでの来し方を振り返るように。

あのロウファイさは、ある意味ああなる以外の道はなかったんだ。自分が持っている機材の魅力に焦点を当てるということ。それを悟ったとき、ビビオという名前が生まれた。

今回のリイシューにあたり『Hand Cranked』を聴き返してみて、当時は気づいていなかった、新しい発見はありましたか?

B:いや、そんなにないよ。自分のトラックは時間をかけてしっかりと聴き込んでいるから、曲のことは徹底的に理解してるんだ。古い作品だと、いま聴き返したときに、少しほかの人がつくったように聴こえることはあるかもしれない。そういう曲からは、魅力的でもあり同時に痛烈でもある自分の若さを感じるね。

2006年から15年が経ちました。当時10歳の子どもはいま25歳です。あなたご自身はこの15年でどんなところが変わったと思いますか?

B:いろいろな意味で、ぼくは変わってないと思う。でもミュージシャン、そしてアーティストとしてはもっと自信がついた。それに、その自信がぼくをもっと進化させ、成長させてくれていると思う。いまは音楽的に自分がやりたいことを前よりも心地よくできているし、なにをすべきとか、どんなアーティストになるべきとか、そういうことを気にしなくなった。多様性を生み出せば生み出すほど、安心感が生まれる。ぼくの音楽を聴いてサポートしてくれているみんなにはもちろん感謝しているけれど、まずは自分自身のために音楽をつくっているということはつねに頭のなかに置いておかなければならないんだ。

『Hand Cranked』には、当時のあなたの私的な思い出が込められていたそうですね。そのとき思い浮かべていた「パーソナル・ノスタルジア」と、そこから15年を経て、いま聴き返して蘇る「パーソナル・ノスタルジア」との間に、差はありますか?

B:ぼくの初期の作品には、いまでは二重のノスタルジアが存在する。ひとつ目は、ぼくが当時その曲をとおして呼び起こしたかったオリジナルのノスタルジア。そしてもうひとつは、自分がその曲をつくっていたときを思い出すノスタルジア。ある意味、この第二波のノスタルジアは、ぼくのなかで大きな存在になっている。20代半ばのぼくを思い出させてくれるんだ。

その「パーソナル・ノスタルジア‐個人の経験」を共有することは意図していないと思いますが、話せるかぎりでそれは具体的にどのような体験だったのでしょう?

B:うーん、ことばで説明するのは難しいな。自分にとってパーソナルな経験だった特定の事柄をいくつか挙げることはできるけど、音楽の力というものは、ひとりひとりそれぞれに、そのひとにとっていちばん良い方法で作用するものだとぼくは感じている。だから、ぼくがことばで説明するより、音楽のほうがそれをうまくできるんじゃないかな。

長い年月が経つと、たいせつなこともじょじょに記憶が薄れていきます。「いつまでも覚えていること、しっかり思い出せること」と、「忘れていくこと、変化していくこと」とでは、どちらが重要だと思いますか?

B:写真や映像がどんどんぼやけ、鮮明さがなくなり、色あせ、暗くなっていくように、記憶というものは時とともに小さくなっていく。「ノスタルジア」のなににハマってしまうかって、それはそれが持つほろ苦さかな。回想するには美しいんだけれども、痛みがあってこそ、そのノスタルジアが成り立っている。もう戻ることはできないと理解しながら、幸せな時期、とくに幼少期なんかを思い出すと、その思い出に内在する悲しみが付いてくるんだ。ノスタルジアを呼び起こすのには、音の質感やレコーディング技術もたいせつだけれど、メロディックでハーモニックな内容もかなり重要になってくる。悲しみと幸福感、そしてその間に存在するすべての感情、これらの感情が提示するニュアンスや陰影の混ざり合いをプレイすることは、激しく恋しがるというフィーリングを喚起させる上でとても重要な部分なんだ。

この『Hand Cranked』や『Fi』の時期に、シンプルなギターの反復を多用していたのはライヒからの影響だったのでしょうか?

B:そのとおり。“Electric Counterpoint” を1998年に聴いたのとおなじ年に、初めてサンプラーを手にいれたんだ。小さくてベーシックなマシーンだった。コンピューターや Portastudio は持っていなかったから、ぼくはその小さなサンプラーを使ってサウンドのレイヤーをつくっていたんだ。そのやり方だとかなり制限があって、クオリティはロウファイで、できあがるものはかなり制限のかかったポリフォニー(多声音楽)になる。だから、ぼくはその制約と付きあいながら作業しなければならなかった。そして、ぼくにはサンプルをバックアップする術もなかったんだ。そういうわけで、一度つくられた曲はカセットかMDに録音され、新しいサンプルの容量をつくるために、そのメモリは削除されなければならなかった。“Electric Counterpoint” にインスパイアされたギター・ピースをつくりたかったけど、設備がじゅうぶんでなかったためにあのロウファイ・サウンドが生まれ、そしてカセットを使っていたこともあり、結果的に曲が「Camberwick Green」や「Trumpton」、「Bagpuss」のような70年代や80年代のイギリスの教育番組のオープニング・テーマみたいなサウンドになったんだ(編註:前二者は60年代にBBC1で、後者は70年代にBBC2で放送されていた子ども向けのテレビ番組。たしかに驚くほどビビオを想起させるサウンドなので、興味のある方はご検索を)。

シンプルなギター・コードの反復は、それ自体を聴かせるためのみならず、あなた特有のロウファイな音色や音響を際立たせるために用いられているようにも聞こえますが、いかがでしょう?

B:ぼくは、使われている材料が正しければ、「簡潔さ」というものは独自の魅力を持つものだと思う。当時のぼくは、洗練されたサウンドをつくる機材を持っていなかった。だから、あのロウファイさは、ある意味ああなる以外の道はなかったんだ。意識したことは、よりプロフェッショナルなサウンドをつくろうとすることよりも、自分が持っている機材の魅力に焦点を当てるということ。それを悟ったとき、ビビオ(Bibio)という名前が生まれた。そのときまでに、ぼくは『Hand Cranked』の作業をはじめていて、その時点ではコンピューターと Logic を持っていたけど、初期のころに使っていた技術や機材はぼくにとってとてもたいせつな存在で、個人的発見のように感じていた。だから、ぼくはそれらを使い続けたんだ。じつは(2019年作『Ribbons』収録の)“Curls” や “It’s Your Bones” でも、『Fi』や『Hand Cranked』とおなじサンプラーを使ったんだよ。すごくユニークだと思うから、すべてのアルバムでおなじFXペダルのいくつかをずっと使い続けているんだ。

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ループは手で操作され、不完全であったということ。でも、ぼくはそれが魅力的だと思ったし、エレクトロニック・ミュージックがどんどん完璧になっていっていたあの当時は、すごく新鮮にも感じた。

このアルバムのなかだと “Black Country Blue” が、テープ音によってつくられたミニマルなアート作品のようで異色に感じました。これはどのようにしてつくられたトラックなのでしょう?

B:『Hand Cranked』で何度も使ったテクニックのひとつは、レコーディングしたものをカセットに移し、それをまたコンピューターに戻して、それをカセットに戻して、そしてまたそれをコンピューターに戻し、またそれをカセットに……という繰り返し。それを繰り返せば繰り返すほど、よりロウファイになっていったんだ。

「フォークトロニカ」ということばは、『Hand Cranked』をあらわすのにふさわしいと思いますか?

B:いや、ぼくは「フォークトロニカ」ということばが好きじゃない。この作品はエレクトロニック・アルバムではないと思う。もちろんエレクトロニックなデヴァイスを使ってはいるけど、そういう意味ではビートルズだって使ってるよね。

あなたを〈Mush〉に紹介したのはボーズ・オブ・カナダのマーカス・オーエンです。なぜ彼はあなたのことを、クラウデッドなどのリリースで知られるアンダーグラウンド・ヒップホップのレーベルに推薦したのだと思いますか?

B:当時ぼくは彼と連絡をとっていて、彼がぼくの音楽を気に入ってくれていたんだ。で、ぼくが「だれにデモを送っていいものかわからない」と彼に話したら、彼がいくつかアメリカのレーベルを勧めてくれた。で、〈Mush〉が興味を持ってくれて、プロモーションのためにマーカスからなにか一言もらえないかとぼくに尋ねてきた。そしたら彼が親切に承諾してくれて、ちょっとした文章を書いてくれたんだ。

あなたにとってボーズ・オブ・カナダはどういう存在だったのでしょう?

B:1999年にぼくが彼らの音楽と出会ったころは、すごく大きな存在だった。もちろんあのノスタルジックな要素もすごくパワフルだけど、彼らの音楽には隠された参照と意味がある。それが、リスナーの「もっと深くこの音楽を探りたい」という気持ちを駆り立てるんだ。もうひとつ好きだったのは、テープのようなハイファイのギアを使ってサウンドを加工しながら、昔っぽいダメージがかったサウンドをつくる技術。それに、彼らはよく、一度しか姿を見せない小さな要素を曲のなかに加えていた。あれは、彼らの音楽をより中毒的にしている要素のひとつだと思うね。

2004年、あなたと契約したことを伝える〈Mush〉の文章では、「もしボーズ・オブ・カナダがインクレディブル・ストリング・バンドや初期ティラノザウルス・レックスをプロデュースしたら」と表現されています。それについて、いまどう思いますか?

B:うーん、それはぼく自身が書いたものではないと思う。ぼくはそういった描写があまり好きではないから。でもまあ、変わってるっていう意味ではありがたく思うかな。

“Ffwrnais” とはウェールズの村で、あなたにとってとてもたいせつな場所だそうですね。“Marram” の鳥の鳴き声もそこに近い砂丘で採ったとか。あなたにとってウェールズとはどのような地域なのでしょうか?

B:ぼくが田舎に魅了された大きなきっかけはウェールズ。ウェールズには、小さな子どものころからずっと通い続けているんだ。とくに中部と西部。子どものころは、ウェールズの田舎で時間を過ごすのが大好きでいつも楽しみにしていた。空気は新鮮だし、芝は青いし、あのカントリーには、あそこでしか得られないヴァイブがある。いくつか似たヴァイブをもった場所に行ったことはあるよ。日本にもそんな場所がある。でも、ウェールズにはあの場所独特のユニークな個性があるんだ。個人的にはとくに渓谷や森のなか、渓流の側なんかにいるのが大好きだね。ああいった場所は、活気と自然のサウンドに満ちているから。ウェールズは湿地だから、ランドスケープが青々としていて、渓谷や森ではコケと地衣類をたくさん見ることができるんだ。あと、ヒツジの鳴き声はウェールズならではのサウンド。朝になると、キャンピングカーのなかで、モリバトやクロウタドリ(blackbird)のさえずり、ヒツジの鳴き声、川が流れる音を聴き、湿った芝生の匂いを感じながら目が覚める。それらは全部ぼくにとってマジカルなもので、すぐさま魂を元気にしてくれるんだ。ファーニス(Ffwrnais)は滝がある小さな村で、友だちと何度かキャンプをしにいって、すばらしい時間を過ごした。あのエリアを参照したトラックタイトルはほかにもある。“Dyfi”(ダビ)もそのひとつで、アイルランド海に続く谷を流れるメインの川の名前なんだ。エイニオン川(river Einion)はクーム・エイニオン(Cwm Einion)を流れる小さな川で、ファーニスの滝をとおりすぎて流れていき、ダビ川(river Dyfi)につながっている。アラスニス・ビーチ(Ynyslas beach)も近くにあって、砂丘、金色の砂、マーラム(植物)が広がるビーチで、春や夏には、砂丘の上で鳴くヒバリのさえずりが聞こえるんだ。

このころはまだヒップホップのビートはとりいれていませんが、『Hand Cranked』の時点でJ・ディラMFドゥームマッドリブの音楽にはもう出会っていたのですか?

B:彼らの音楽にはもう少し後で出会った。『Hand Cranked』の大半は2005年までに仕上がっていたんだけれど、『Fi』のほうが古かったから、先にそっちをリリースしたかったんだ。あと、当時のぼくはまだビートをつくることにじゅうぶんな自信を持っていなかった。そして、その少し後になってぼくはAKAIのサンプラーを買い、それからディラの影響が作品のなかに入ってくるようになったんだ。

また、このころはまだご自身ではほとんど歌っていません。このアルバムでは唯一 “Aberriw” にだけ歌が入っています。当時この曲だけヴォーカルを入れようと思ったのはなぜ?

B:当時のぼくは、シンガーとしてはものすごくシャイだった。どんなふうに歌いたいかもわかっていなかったし、ほかのひとたちに囲まれて歌うのも嫌だった。自信がつくまでに何年もかかったし、訓練を積む時間を必要だったんだ。いまはスタジオもあるし防音だから、だれかに聴かれてることを気にせずに、その部屋のなかで好きなだけ歌える。だから歌にもっと時間を注げるようになったし、シンガーとしてより自信もついたし、前よりもずっとうまく歌えるようになった。でも、オーディエンスに観られながらステージの上で歌うまでの自信がつく日が来るのは想像できないな。

今回ボーナスとして5曲が追加されます。なかでも “Cantaloup Carousel” は1999年の録音とのことで、あなたの原点といってもいいトラックのように思いますが、『Fi』収録のものとはだいぶヴァージョンが違いますよね。それぞれのヴァージョンにどういう狙いがあったか、教えてください。

B:“Cantaloup Carousel” ができたのは、ビビオという名前がつくよりも前のこと。大学の寮でレコーディングしたんだよ。なぜ『Fi』の別ヴァージョンをつくろうと思ったのかはわからない。じつは『Fi』のあのヴァージョンは、オリジナルとしてレコーディングで同時につくられたものなんだ。そのオリジナルをテープに録音して、それをスローダウンした。あのオリジナル・ヴァージョンはつねにぼくのお気に入り。だから、いまあの作品を世界にリリースすることができてすごく嬉しく思っているよ。

『Hand Cranked』は、ぜんまいじかけのおもちゃや回転木馬の模型など、手回しの装置がテーマだそうですね。それらは機械のようでもありますが、こちらでなにかをしないと動きませんし、いつか止まってしまいます。そういった「不完全さ」に惹かれるのはなぜでしょう?

B:あれはどちらかというと音楽がまずできあがって、それがそういった装置を思い出させ、そこに魅力を感じたんだ。ぼくが使用したサンプラーにシーケンサーはついてなかったし、サンプルを量子化する方法はなかった(たとえばタイミングを正すとか)。つまりそれは、ループは手で操作され、不完全であったということ。でも、ぼくはそれが魅力的だと思ったし、エレクトロニック・ミュージックがどんどん完璧になっていっていたあの当時は、すごく新鮮にも感じた。ループする不完全なギター・フェイズがぼくに手回しの装置を思い起こさせる理由は、スピードが不安定であることと、アコースティックのサウンドがぼくにはすごく木の質感を感じさせるから。だから、ヴィクトリア朝の木製の機械仕掛けのおもちゃのイメージが想像されるんだよね。

15年後、あなたはどんな音楽をつくっていると思いますか?

B:おっと! これは難しい質問だ。検討もつかないよ。そして、だからこそ昂奮する。15年前のぼくは、自分が〈Warp〉からさまざまなアルバムのコレクションをリリースすることになるなんて思ってもみなかった。自分が歌っているとも思っていなかったし、ミュージック・ヴィデオに出たり、ポップ・ソングをつくってるなんて想像もできなかった。だからぼくはただ、これからも川の流れに身を任せ続けるつもり。まだまだ掘りさげたいことがたくさんあるし、それがぼくの関心を保ち続ける。でもぼくは同時に、すでに学んだこと、すでにつくりだしたものをふたたび訪れることも好きなんだ。だから、『Fi』で使った技術や装置はいまだに使われているし、守られている秘密なんだよ。

あのこは貴族 - ele-king

 名前を伏せても思わせぶりなのでそのまま記すが、以前つとめていた雑誌の特集に箭内道彦さんにご登場いただき、取材のあとなんとなく雑談にながれた。そこで箭内さんがおっしゃっていたことで妙に印象にのこったのが、移動中につかまえたタクシーの運転手さんが、あなた東京のひとじゃないでしょ、と声をかけてきたこと。箭内さんの特徴的な風貌はごぞんじの方もすくなくないだろうが、バックミラー越しに一瞥をくれた運転手さんが断定したのは、東京のひとはあなたみたいな目立ち方は好まないんですよ、ということだったと思う。じっさい箭内さんは福島のご出身で、ちょうど10年前の東日本大震災以降は地元にまつわる活動もさかんだが、お話をうかがったのはそれより前なので、たとえメンがわれていたとしても故郷(くに)までしれるとも思えない。だのにきめつけるのは職業的な生理か接客業由来の千里眼かヘタなテッポウ流の当て推量か、いずれにせよそういいたくなるなにかがあった。

『あのこは貴族』の冒頭で門脇麦が演じる榛原華子がのりこんだタクシーの運転手は、あなた東京の方でしょ、と話しかける。ときは2016年1月、ホテルにむかう車中で、正月早々の東京でそんなとこにいくなんて東京のひと以外にありえないというのが運転手のみたてだった。はたして華子は東京の裕福な家庭に生まれた三姉妹の末っ子で、家族が顔をそろえる会食へ急いでいたのだった。2015年の『グッド・ストライプス』につづく岨手(そで)由貴子監督の2作目『あのこは貴族』はこの華子と、水原希子演ずる時岡美紀を並行的に描くなかで私たちの暮らしに目にみえないかたちで覆いかぶさるものを描き出そうとする。東京うまれの箱入り娘の華子にたいして、地方出身者の美紀は大学進学を期に上京する。ただしふたりは物語の中盤まで出会うことはない。不可視のものが両者を線引きするからである。それがタイトルの「貴族」の由来でもある階級的なものだというのがこの映画の基調をなしている。
 階級ときいて、この国にそのようなものがあるのかといぶかる方もおられるかもしれない。日本における階級は近代にいちど再編し敗戦と日本国憲法の法の下の平等により廃止になったが、ここでいう階級とは法とはむすびつかない。職業や収入がつくりあげた地位などを親から子へ継承する過程で自然発生的にあらわれる「家柄」のようなものといえばよいだろうか、この点では英国やインドをひきあいに私たちがしばしば述べる階級ともニュアンスがいささかことなる。はっきりとはみえないけれど、あっちとこっちをへだてている壁のようなもの。コロナ禍のずっと前から私たちのまわりにはアクリル板みたいなのがあってひとはそれに沿って生きてきた――のかもしれない、と監督の岨手由貴子はいいたがっているかにみえる。

 山内マリコの原作による物語は5章からなる。そこでは二項対立的な価値観が通奏低音のようにくりかえしあらわれてくる。階層の上と下、社会的な領域の内と外、東京と地方に男と女などなど、私たちの日々の生活にそのような区分や線引きがいかに根を張っているか、岨手由貴子は告発調とも無縁に描いていく。親のお膳立てに応えつづける上流階級のひとたちも、地元が世界のすべての地方のひとたちにも、彼女はひとしくまなざしをそそぎ、俳優たちは監督の狙いに自然体でこたえている。主人公ふたりのほかにも、華子の友人役の石橋静河、美紀と地元と大学が同じ女友だち役の山下リオの存在が物語に奥行きをもたらしている。彼女たちをふくめて、作中人物はひとしなみにひかえめで楚々としており、家柄や性別や居住地や経済状況がさだめる条件に、積極的と消極的とにかかわらず、結果的には忠実に生きようとする、生きてしまう。
 ある側面からみれば、これは未来という来たるべき時間にたいする期待の剥奪であり、階級を再生産する統治の技法である。作中でも、東京は住み分けされていて、ちがう階層のひととは出会わないようにできている、というようなセリフがある。そこでは社会階層は固定化し流動性はきわめて低い。下から上へ、階層の移行が成立しない社会は努力しても報われない社会であり、そのような空間は反動的に生得的なものへの没入がおこりうる。ポール・ウィリスの『ハマータウンの野郎ども』(ちくま学芸文庫)は英国の労働者階級の若者がなぜ、親と同じ仕事に就く傾向にあるのかを考えた社会学の古典だが、そこで取材を受けた労働者階級のある若者は学校教育を不要なもの、まどろっこしいもの、寄り道みたいなものだと述べる。世間の荒波にすこしでも早くふれるのが人生のなんたるかを知る近道だと彼は語るのだが、教育の猶予と選択肢を捨て去ることは他方では階級移行の可能性にみずからフタをすることにほかならない。『ハマータウン』は1977年の刊行だが、これは同じことは40年後の日本の地方でも地元志向の名のもとにくりかえされている。地方都市に生まれた美紀は進学という機会をテコに、生得的な共同体への懐疑なき没入からの離脱をこころみるが、家庭の経済的な事情で東京での学生生活の夢はついえてしまう。

 教育における階層化を論じるのは本稿の任ではないが、ひとことだけもうし述べれば、努力主義を内面化した果ての自助(自己責任)論は端的に欺瞞である。欺瞞のことばは未来をしぼませ、ひとを支配しようとする。生得的な属性はそのさい恰好の材料となり、ときに宿命を擬制するが、それらは偶然や宿命が本来的にそなえるあの複雑さを欠いている。せいぜいが占いレベル――であるにもかかわらず、固定化した社会通念がその価値観を内面化させるというこの無限ループ。むろん『あのこは貴族』に登場するだれひとりとしてこのような構図を俯瞰するものはない。彼らはあたりまえと思う暮らしをおくり、お見合いし、結婚し、ときに都合のいい女になり、家庭に入ったり仕事をしたりする。交錯することのないはずだった異なる階層のふたりの生がまじわるのも、高良健吾が演じる華子の夫幸一郎が美紀とも関係をもっていたからである。そのことに偶然勘づいた友人の仲介で華子と美紀ははじめて出会うが、ふたりは恋情のサヤあてをおこなうでも『黒い十人の女』さながら共謀して男をワナにかけることもない。物語における人物の相関関係は対立的なのがお約束だが美紀と華子はたがいに理解をしめし相手の領分にふみこもうとしない。ましてや「貴族」の表題から連想する革命的階級闘争(ということばを、私もひさしぶりに書きましたけれども)も出来しない。それぞれの問題をかかえそれぞれの暮らしにもどるのだが、出会いにより生まれた内面の揺れは、さざ波のように広がり、彼女と彼らが居るべき場所の外へほんのすこしふみだすときの背中を押す力にもなるだろう。そのかすかなうつろいを岨手由貴子はもうひとりの友だちのような距離感からていねいに掬いとっている。ロケーションや衣裳、小道具などの細部はそのさいのリアリティを担保し、渡邊琢磨のスコアは弦楽四重奏の形式に作中人物たちの関係性をおりこみ楽曲の構造で映画の主題を反復する、けっして大きくはないが、手仕事の巧みさとあたたかさの伝わる好ましい一作である。

映画『あのこは貴族』予告編


 3月3日にLOFT 9 Shibuyaで伊基公袁(イギー・コーエン)監督のドキュメンタリー映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』がプレミア上映された。30分に満たない短編映画であり、阿部薫本人の映像は登場しないものの、さまざまな立場の人物による証言から稀代のサックス奏者を新鮮な視点で照らし出す、きわめて現代的な作品に仕上がっていた。


阿部薫の実家には遺影が飾られている。
映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』より。

 映画は軋るようなサックス・サウンドを彷彿させる走行音が鳴り響くなか、列車に揺られて阿部薫の墓所へと向かうシーンから幕を開ける。カメラはその後、神奈川県川崎市にある実家を訪ね、住宅の一室で実の母・坂本喜久代が息子との思い出を振り返るシーンを映し出していく。いまやオリジナル盤が70万円もの高額で売買されているというレコード『解体的交換』の元になった同名コンサートに親戚一同で足を運んだ話。あるいはライヴのフライヤーやチケットなどが几帳面にファイリングされている様子など、ここで浮かび上がってくるのはことあるごとに神聖視されてきた伝説のミュージシャンではなく、ごく普通に親の愛情を受けて育った一人の人間の姿だ。一方、映画の節々には2015年に新宿ピットインで開催された阿部薫トリビュート・イベントの記録映像が挿入されており、大谷能生、大友良英、纐纈雅代、竹田賢一、吉田隆一らさまざまな世代の5名のミュージシャンによるトークとライヴがモノクロームの映像でテンポよく流される。阿部薫とは同時代を生きた存在であり、あるいは多大なる影響をもたらした先達であり、あるいは音楽的な分析対象でもあるといったふうに、それぞれの立場によって異なる人物像が形成されていく。映画の終盤では阿部薫のサックスの音源が繰り返しループされたあと、サンプリング・コラージュの様相を呈しつつ、突如として小さな子供が玩具のサックスを吹きながら遊ぶシーンへと移り変わって幕を閉じる。映画内で吉田隆一は阿部薫について「自分のやりたいことに特化して、そのための技術を身につけた人」と評していたが、ジャズをはじめとした既存の音楽語法を習得することだけが「技術」ではないことを考えれば、たしかに阿部薫は、彼にしか出すことができない音のために完璧な表現手段を身につけた、きわめて技巧的なミュージシャンだったと言える。だが同時にそのサウンドは、あたかも列車が軋む走行音=環境音や、子供が無邪気に遊びながら玩具のサックスを吹く音と、ほとんど等しい美しさを湛えているようにも聴こえはしないだろうか。あるがままの響きと原初的な音の歓びが、研ぎ澄まされた技術の果てにある極北のサウンドと重なり合うこと。


千歳飴を手に持つ幼少期の阿部薫のポートレート。
映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』より。

 LOFT 9 Shibuyaでは、上映前に竹田賢一と吉田隆一が短いトークをおこない、上映終了後にはライターの大坪ケムタを司会に吉田隆一、柳樂光隆、沼田順、伊基公袁らによるトーク・セッションがおこなわれた。興味深いのは、阿部薫の音楽がマーク・ターナーやジョシュア・レッドマンら現代ジャズのサックス奏者によるミニマルで抑制された音色と比べられるかと思えば、ジャンルとしてのノイズ・ミュージックを聴く耳で体験する快楽が引き合いに出され、あるいはクラシック音楽のサックス奏者であるマルセル・ミュールとの類似が指摘されるなど、ジャンルを異にするさまざまなミュージシャンが議論の俎上に載せられたことだった。1970年代に活躍した阿部薫は、いまや日本のフリー・ジャズのコンテクストのみならず、多種多様な音楽を横に並べて聴きどころを探ることができるのだ。とりわけ昨年は、論集『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』が文遊社から刊行されたほか、未発表音源『STATION '70』、『LIVE AT JAZZBED』、『19770916@AYLER. SAPPORO』が立て続けにリリースされるなど、阿部薫はここにきてあらためて注目を集めることになったミュージシャンの一人でもある。パンデミックによって音楽状況が激変したニーゼロ年代に、彼の音は、あるいはその生き方は、どのように捉え直すことができるのだろうか。そのことを考えるためにも、このタイミングで彼の音楽を振り返っておくことは有意義だろう。以下のテキストは、阿部薫が音楽活動を始めてから没後半世紀が経過した現在に至るまでにリリースされてきたほぼすべてのアルバムを、発表された順に辿り直すことによって、時代ごとにどのようなサウンド像が形成されてきたのかを素描する試みである。あくまでも素描であり、証言や資料を交えたより一層精緻な検証と考察が必要であることは論を俟たないが、少なくとも、時代ごとに異なるコンテクストで魅力を放ってきたその音/音楽に潜在する可能性は、いまだ汲み尽くされることなく未来へと開かれていると言うことはできるだろう。

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前提──録音物によって再構成されるミュージシャンの軌跡

 1949年5月3日、神奈川県川崎市出身。本名・坂本薫。68年に地元のジャズ・スポット「オレオ」でデビュー。アルト・サックス奏者として形式をもたない自由即興演奏に取り組み、都内のライヴ会場を拠点に全国各地への楽旅も敢行。73年には作家の鈴木いづみと出会い、結婚。74年冬ごろから翌75年夏にかけて一時的に表舞台から姿を消し、その前後で演奏内容も大きく変化している。70年代前半はスピード感あふれるパッセージと矢継ぎ早に繰り出される洪水のような音の奔流を得意としていたものの、音楽活動を再開してからは沈黙と間の比重が増し表現的かつ即物的な音の実験へと向かうようになる。サックスやバス・クラリネット、ハーモニカといった吹奏楽器のほか、とりわけ晩年はピアノ、ドラムス、ギター、シンセサイザーなど多種多様な楽器を積極的に使用。また生涯を通じて既存の楽曲の旋律を即興演奏のなかで繰り返し取り上げ、そのバリエーションは歌謡曲 “アカシアの雨がやむとき” や童謡 “花嫁人形” からボブ・ディランの名曲 “風に吹かれて”、さらに “チム・チム・チェリー” “恋人よ我に帰れ” “暗い日曜日” “レフト・アローン” “ロンリー・ウーマン” といったジャズ・スタンダードとしても知られる作品まで多岐にわたる。1978年9月9日、前日に睡眠薬ブロバリンを98錠服用したことによる急性胃穿孔で死去──云々。

 いま現在わたしたちが阿部薫を聴くということは、粗雑に描いても以上のような情報に加えて時代状況をめぐるコンテクストを念頭におきながら彼の音楽に接することを少なからず意味している。わたしたちはいまや、発掘録音や特典盤を含め50枚以上のアルバム、あるいは同時代を生きた関係者の証言、批評家が残したテキスト、ファンのエッセー、さらには幼少期から晩年までを断片的に写し取った写真や演奏する姿をありありと観察することのできる映像まで、膨大な情報を参照することによって、それなりの精度で阿部薫という一人のミュージシャンの足跡を辿り直すことができる。データ化された彼の情報を縫合することによって、あたかも同時代を生きているかのようにリアルな感触をともないながら彼の音楽を再構成してみせることができる。なかには稲葉真弓の小説そして同書を原作にした若松孝二監督の映画『エンドレス・ワルツ』のように、虚構を織り交ぜた物語として劇的な生涯を知ることもできるかもしれない──むろん死を分割払いしていく破滅的な思想を阿部薫の音と足跡にそのまま当て嵌めてしまうこともまた現実に回収し得ない一種の虚構的振る舞いであると言えるものの。いずれにしてもそのような情報が増えれば増えるほど、阿部薫というミュージシャンの「本当の姿」すなわちその音楽の「真実」に近づくことができるように見える。

 だがしかし、このように全体像をイメージしたうえで阿部薫の音楽に接するということ自体が、彼の死後半世紀近く経過し、数多くの資料に容易にアクセスできるようになった現在であればこそ経験できる出来事であるということには留意しなければならない。いまやわたしたちは阿部薫の名前が冠された録音作品について、それが最盛期か否か、晩年か否か、同時期に私生活ではどのような変化があったのかを知ることができるものの、少なくとも同時代にあっては、いかに彼の音楽が死の匂いを濃厚に漂わせていようとも、死の直前の演奏だとはつゆ知らずに「晩年」の音楽を聴いていただろうし、ある録音物を10年という短い活動期間の時間軸上に配置するパースペクティヴも得ようがなかったはずである。新たな情報が客観的事実の正確性をより一層高めることはあったとしても、新たな録音物が日の目を見ることは阿部薫の音楽の「真実」に近づくのではなく、むしろそのサウンド像にこれまでとは異なる視点を設けることを可能とする出来事であるに他ならない。以上のことを踏まえ、本稿ではこれまでリリースされてきた音源を彼の人生に沿ってクロノロジカルに並べるのではなく、むしろ録音物がリリースされることでどのようなサウンド像がその都度形成されてきたのかを素描するべく、三つの時代に分けて音盤を見ていくこととする。三つの時代とは、作者が存命中あるいは没後数年間を含む1970年代〜80年代前半、再評価の機運が高まった1980年代後半〜ゼロ年代前半、そして阿部薫をインターネット上に浮遊する音声ファイルの一つとして聴くことが容易に可能となったゼロ年代後半以降である*。

(註)
* なお本稿は阿部薫の完全なディスコグラフィーを目指す性格のテキストではないため、特典盤やリイシュー盤など言及していない作品もあることをここに付記しておく。また個人史ではなく録音受容史をテーマに据えているため、アルバムには録音年ではなくリリース年を年号として付している。

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同時代の響き──1970年代〜80年代前半

 阿部薫が存命中にリリースされたアルバムは数えるほどしかない。サックス奏者の高木元輝率いるトリオに飛び入り参加したトラックが収録されている『幻野』(1971年)と海賊盤の『WINTER 1972』(1974年頃)を、本人の名義が記されていないため除くのであれば、代表的なアルバムとしては音楽批評家の間章プロデュースによる『解体的交感』(1970年)と『なしくずしの死』(1976年)の2枚を挙げることができる。前者はギター奏者の高柳昌行と結成したデュオ「ニュー・ディレクション」による約1時間のセッションであり、新宿厚生年金会館小ホールで1970年に開催された同名コンサートを収録したものである。ノイジーだがフリー・ジャズ的な快楽とは異なる起承転結のない演奏が延々と続き、途中で阿部はハーモニカに持ち替え一瞬静寂が辺りを包むものの、基本的には激しい音のエネルギーが放射され続けていく。ルイ=フェルディナン・セリーヌの代表的な小説『夜の果てへの旅』の一節を朗読するミシェル・シモンの声から幕を開ける後者は、セリーヌのもう一つの代表作『なしくずしの死』のタイトルにあやかった1975年の同名コンサートと、その二日前のリハーサルを兼ねたレコーディング・セッションを収録した2枚組の大作である。音楽的な性質を帯びる前にフレーズを切断していく円熟期の阿部の演奏を捉えた貴重な記録であり、聴き返すたびに快楽のポイントが変異していくような、彼が残した作品のなかでもっとも既存の価値基準の彼岸をいくサウンドとでもいうべき、アルト・サックスとソプラニーノを用いたソロ・インプロヴィゼーションのまさに極北をいく作品である。


『なしくずしの死』

 『なしくずしの死』がリリースされた翌年の1977年から78年にかけて、やはり間章プロデュースによる海外のミュージシャンを迎えたスタジオ・セッションが録音されている。米国のドラマーであるミルフォード・グレイヴスとともにセッションをおこなった『メディテイション・アマング・アス』(1977年)は、阿部のほか近藤等則(トランペット)、高木元輝(テナー・サックス)、土取利行(パーカッション)が参加した作品だ。力強いドラミングを中心にクインテット編成で祝祭的な演奏をおこない、ミルフォードによるピアノおよびヴォイスの使用がスピリチュアルな雰囲気を醸し出すセッションのなかで、阿部はあくまでも全体のアンサンブルの一員としての役割を担っている。英国のギター奏者デレク・ベイリーが初来日した78年に録音された『デュオ&トリオ・インプロヴィゼイション』(1978年)は、ミルフォードを歓待した国内メンバーに吉沢元治(コントラバス)を加えた計六人が参加し、ベイリーとともにデュオまたはトリオでのセッションをおこなっている。阿部はベイリー、高木とのトリオ・セッションに参加しており、同じサックス奏者である高木の演奏と比較することで阿部に独自の音の鋭さと切り込みの速さがより一層際立って響いてくることだろう。なお2003年に復刻された際、全メンバーが参加したセクステット編成での集団即興がボーナストラックとして付されることになったのだが、阿部が残した音源のなかで最も多人数であろうこの演奏でも彼のサックスの鋭さと独立独歩の精神は際立っている。


のちに音盤化された1975年のコンサート「なしくずしの死」の半券。
映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』より。

 1978年に阿部が急逝すると、ドラマーの豊住芳三郎とのデュオ「オーヴァーハング・パーティー」のセッションを収録した『オーヴァーハング・パーティー』が翌79年に追悼盤としてリリースされた。ここで阿部はサックスのほかクラリネットやハーモニカ、ギター、ピアノ、マリンバなども演奏しており、まるで音遊びするかのような愉しさと、サックスだけでは決して到達し得ない音の領域を開拓する実験性を聴くことができる。81年にはデュオ作品として吉沢元治とのセッションを収めた『北〈NORD〉』がリリースされている。内容は『なしくずしの死』と同じ二種類の会場でおこなわれた演奏の記録である。静謐さのなかに一触即発の雰囲気を湛えたすこぶる緊張感あふれる音楽だ。一方で同年にリリースされた『彗星パルティータ』はソロ・アルバムで、阿部と親交の深かった劇作家で劇団駒場の主宰者・芥正彦プロデュースによる1973年の録音。70年代前半の阿部が到達した超絶的なテクニックをあますところなく収めており、高域の特殊な音響や地鳴りのような低域のノイズ、そしてフレージングの速度と、どれを取ってもきわめてレベルの高い内容となっている。さらにライヴ録音ではなく芥の自室兼劇団駒場のスタジオで録音されたということもあり、演奏がクリアな音質でダイレクトに耳に届くところも印象的だ。最後に付け加えておくと、評伝集『阿部薫1949 - 1978』(文遊社、1994年)で複数の人物が証言しているように、阿部が生きた時代にはライヴへと足を運んだ観客の一部が私的にカセットで演奏を録音し知人友人らとシェアしていた。それもまた録音物としての阿部の受容形態の一つであり、なかにはのちに発掘音源として音盤化された作品もある。

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再評価の機運──1980年代後半~ゼロ年代前半

 およそ8年の空白を経た1989年、阿部のあらたなアルバムとして、死の約二週間前の演奏を捉えた未発表音源『Last Date 8.28, 1978』がリリースされた。同時に、阿部と同時代を生きた人々の証言や資料などを収集した『阿部薫覚書』(ランダムスケッチ、1989年)も刊行。これを契機に再評価の機運が高まっていった。『Last Date 8.28, 1978』にはサックス、ギター、ハーモニカの三つの演奏が収められており、なかでも死の間際とは思えない闊達自在なサックス演奏と、タンギングを駆使した独創的なハーモニカ演奏が特筆に価する。同作品をリリースしたディスクユニオンのレーベル〈DIW〉は続けて阿部が70年代後半に頻繁にライヴをおこなっていた東京・初台のライヴ・スペース「騒」での演奏を収録した『ソロ・ライヴ・アット・騒』シリーズを1990年から91年にかけて計10作品リリース。晩年の貴重な記録であるとともに、70年代前半とは異なる沈黙と間を取り入れた減算の美学とでもいうべき姿勢を聴き取ることができる。こうした傾向は『スタジオ・セッション 1976.3.12』(1992年)にも刻まれているが、特定のスペースにおける演奏を辿り直すことができる録音としては、福島のジャズ喫茶「パスタン」でおこなわれた演奏の記録が全12枚の『Live At Passe-Tamps』(1998年)シリーズとして発表されている。同シリーズには阿部がシンセサイザーやエフェクトをかけたハーモニカ、ギター・フィードバックを駆使したライヴなど、電子音楽あるいはミュジーク・コンクレートの音像にも近い実験的色合いの濃い演奏も記録されており、サックス奏者とは異なる彼の即物的な音響現象に注目していた側面を垣間見ることができる。


『Last Date 8.28, 1978』

 〈DIW〉に加えて阿部薫再評価に貢献したもう一つの特筆すべきレーベルが、明大前モダーンミュージック店主でもあった生悦住英夫が主宰する〈PSFレコード〉である。同レーベルでは「J.I. COLLECTION」シリーズとして阿部薫をはじめとした日本のフリー・ジャズ黎明期の発掘録音を多数発表しており、『またの日の夢物語』(1994年)や『光輝く忍耐』(1994年)、『木曜日の夜』(1995年)といった70年代前半の切れ味鋭い阿部のソロ・インプロヴィゼーションの記録から、最初期の録音でありピアノとドラムスを率いたリーダー・トリオの音源『1970年3月、新宿』(1995年)、そしてかつて高柳昌行とともに「ニュー・ディレクション」として活動していたドラマーの山崎弘(現・比呂志)とのデュオを収めた『Jazz Bed』(1995年)などがリリースされている。また、やや時間をおいて2012年には「マイ・フーリッシュ・ハート」や「いそしぎ」など録音としてはあまり残っていないスタンダード・ナンバーを演奏に取り入れた『遥かな旅路』も発表。阿部は即興演奏のなかで繰り返し叙情的な旋律の歌謡曲やジャズ・スタンダード、あるいはポピュラー・ソングなどを取り上げ、あるときは原型がわからなくなるほどの解体と再構築を施し、あるときは演奏語彙のストックとしてサンプリングのように引用しているのだが、そうした彼の側面を見事に捉えた3枚のアルバムとして、1997年に徳間ジャパンのパンク/オルタナティヴ専門レーベル〈WAX〉から世に出されたドラマー佐藤康和(YAS-KAZ)とのデュオ作『アカシアの雨がやむとき』およびソロ作『風に吹かれて』『暗い日曜日』を挙げることができるだろう。

 世紀転換後の2001年には〈DIW〉から高柳昌行と阿部薫のデュオ「ニュー・ディレクション」による音源『集団投射』『漸次投射』の2枚が発表された。『解体的交感』から数日後の演奏であるものの録音状態が大きく異なり、空間に迸るノイズをリアルに刻印したサウンドは一聴するだけでも圧倒される内容となっている。この時期、評伝集『阿部薫1949 - 1978』の増補改訂版が刊行されたほか、既発音源のリイシューなども盛んにおこなわれている。あらたな音源としてはさらに〈DIW〉から『Last Date 8.28, 1978』の翌日に録音された最晩年の作品である『The Last Recording』(2003年)がリリース。「騒」のシリーズをはじめ主に70年代後半の演奏を数多く世に出した〈DIW〉と、70年代前半の録音を立て続けに発表した〈PSFレコード〉の活動は、阿部薫の音楽性の変容を音響として明らかにし、約10年という短い活動期間に一つのパースペクティヴを与えることに資しただろう。なお90年代からゼロ年代にかけては海外のレーベルからも2枚のアルバムがリリースされている。デレク・ベイリー来日時のセッションを記録した『Aida's Call』(1999年)は音質が悪いものの資料的価値はあり、終盤では間章の声も聴くことができる。一方、豊住芳三郎とのデュオ「オーヴァーハング・パーティー」の演奏を記録した『Overhang Party / Senzei』(2004年)は、国内でリリースされた作品と同年のセッションだが内容は大きく異なり、アルト・サックスに徹した阿部が豊住の激しいドラムスと白熱したデュオを繰り広げる様子を聴き取ることができる。

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ポスト・インターネット時代──ゼロ年代後半以降

 レコードやCDとしてリリースされた音盤は、すでにこの世を去った阿部薫の音楽を聴覚によって検証可能としたものの、数年経つと廃盤となることもあり、一般的なリスナーにとってはアクセスすることが難しい作品が多かった。しかしインターネットの普及はこうした状況を大きく変えていく。たとえば以前、とある海外のミュージシャンと会話した際、阿部薫の話題に花が咲いたことがある。その人物はアルバムをほとんどすべて聴いたことがあるというものの、聞けば自宅の近くに日本のマイナーな音盤を置いているレコード店はなく、フィジカルで所有することなくインターネットを通じて阿部薫の音源を聴き込んだらしい。たしかに骨董品として不当な高値で取引されている音盤は、マニアならいざ知らず、端的に阿部の音を聴きたいという異国の地で暮らすミュージシャンにとって、手の届く距離にあるものではないだろう。そしてそうした時代にあって阿部の音楽は否応なく音声ファイルの一つとして、伝説や物語から切り離された音響として、古今東西の音と等しくアクセス可能なものとしてインターネット上を浮遊しているのである──むろんそこにステレオタイプな日本趣味の眼差しを向けられることが皆無だとは言い切れないものの。いずれにせよかつて阿部が求めたような、既存のジャンルやイメージとしての音楽ではなく端的に音そのものであることは、いまや聴取環境の条件の一つとなっており、あらゆるしがらみから遠く離れて彼が残した音楽を聴き、演奏技術として模倣し、あるいは音響現象として検証することが可能な時代を迎えている**。


トリオ時代のニュー・ディレクションの音源は昨年『LIVE AT JAZZBED』として発掘リリースされた。
映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』より。

 とはいえ一方ではゼロ年代後半以降も阿部の未発表音源は続々とリリースされている。東京・八王子のジャズ喫茶「アローン」が閉店するに際してサックス奏者の井上敬三、ドラマーの中村達也とトリオでセッションした約20分間の音源が収録されている『Live at 八王子アローン Sep.3.1977』(2015年)は、つねに独立独歩の精神を貫いていた阿部の共演者とのコミュニケーションが垣間見える記録だ。たしかに相手の音に露骨に反応することはないものの、共演者と無関係に音を出しているわけではなく、互いにソロ回しをしたり相手が演奏できる間を用意したりしていることがわかる。また豊住芳三郎とのデュオ・アルバム『MANNYOKA』(2018年)は海外からリリースされた作品で、『Overhang Party / Senzei』と同じくフリー・ジャズ的な熱狂が刻印されている。そして2020年前半には3枚の発掘音源が日の目を見ることとなる。『解体的交感』直前の高柳昌行とのデュオを収めた『STATION '70』は、とりわけ1曲目 “漸次投射” の繊細な音のありようがデュオの新たな価値を照らし出している。さらにこの二人にドラマーの山崎弘を加えた編成での録音が『LIVE AT JAZZBED』で、2012年に『未発表音源+初期音源』として出された劣悪な音源の一部で聴くことのできた幻のトリオを存分に堪能できるようになった。さらに『19770916@AYLER. SAPPORO』は札幌のジャズ喫茶「アイラー」での演奏を録音したものであり、スピード感あふれるパッセージやノイジーな特殊音響、間を重視したアプローチ、あるいは既存の楽曲を引用した聴き手の記憶をまさぐるような叙情性など、サックス奏者としての阿部の魅力が凝縮されて詰め込まれた稀有な作品となっている。


『19770916@AYLER. SAPPORO』(※録音年月日は正しくは1977年9月18日)

 復刻盤を含めて阿部薫のアルバムは今後もリリースされ続けることだろう。まだ世に出ていないものの録音されているという証言が残された音源や、音盤化されることなくインターネット上で流通している未発表音源もある。だがその一方で彼の演奏を記録した音源はあくまでも有限であり、いずれはすべての録音が出尽くしてしまう日が来るはずだ。しかしたとえ阿部薫の生涯を記録したすべての音がアクセス可能となったとしても、それはそのまま彼の「本当の姿」に迫ることを必ずしも意味するわけではない。むろん事実としてより正しい情報に塗り替えられることはあるにせよ、わたしたちは聴き手としての有限な経験のうちで阿部薫の音楽を恣意的に切り取ることによってはじめて全体像を仮構することができるのであって、あらたなアルバムのリリースはサウンド像の完全性に向かうのではなく、むしろこうした切断の契機に多様性を担保するものであるに他ならない。そして彼の個人史はわずか29年間という短い尺度のなかに収めることができるのだとしても、この意味でわたしたちはこれからも録音物と阿部薫の音楽を異なるやり方で紐付けることによって連綿と受容史を紡いでいくこととなるに違いない。それは彼の音楽から価値を見出すためのあらたな基準を設定し、あるいは現在とは別種の聴き方を生み出し、さらには彼の演奏の録音を立脚点とするあらたなミュージシャンの試みを創出することへと向かい続けるだろう。

(註)
** ところで阿部薫の音楽がときに難解なものとして一般的なリスナーを遠ざけてしまうことには、少なくとも「価値基準の複数性」と「神秘化」という二種類の要因があるように思われる。前者はたとえば運指の速度やアタックの強度、ノイジーな音色など高度な演奏技術の快楽的側面に加えて、ノスタルジーを喚起させる旋律の引用や間を重視した表現主義的なアプローチ、あるいはどんな快楽にも寄り添うことのない非イディオム的な即興演奏、さらにアルト・サックスを用いた圧倒的な個性とは真反対をいくような匿名的な多楽器主義など、一つの評価軸には回収することのできない、場合によっては矛盾し得る複数の価値が彼の音楽には同居しているのである。後者については阿部薫存命中に代表作をプロデュースした間章による晦渋なテキストはもとより、80年代後半以降の再評価時代に一部の支持者が実際にライヴを経験しない限り検証不可能な現象を説明抜きで称揚したことも挙げることができる。たとえば1991年に放送された深夜番組『PRE STAGE・異形の天才シリーズ①〜阿部薫とその時代〜』で議論された「演奏していないにもかかわらず、音が出ている」というあたかも耳音響放射のような体験を「わかる人にはわかる」と片付けてしまうことは、その真偽を検証することのできない後続の世代には知り得ない「神秘」を否応なく呼び込んでしまう。そして以上のような「価値基準の複数性」および「神秘化」のいずれにおいても、一般的なリスナーが聴くことを楽しもうとするや否や「阿部薫の魅力はそんなところにはない」というエリート主義的な文言が壁のように立ちはだかってきたのである。しかし本稿で主張しているように阿部薫のサウンド像に「真の姿」などというものは存在せず、どのような価値基準の側面であっても、あるいはたとえ録音物であっても、それぞれのリスナーがそれぞれの視点から魅力を感じ取ることができるはずだ──むしろそのように非エリート主義的な開かれた音楽である点が阿部薫の最大の魅力だと言えるのではないだろうか。

現代における「プログレッシヴ」とは何か?

ジャンル誕生から半世紀を経て、いまやオルタナティヴ/ポスト・ロック等あらゆる音楽性をも吸収し、かつてなく広大で多岐に渡る百花繚乱さを誇る現在のプログレッシヴ・ロック、そしてプログレッシヴ・メタル。

現代シーンに大きな影響を与えたスティーヴン・ウィルソン/PORCUPINE TREEや、DREAM THEATER、クラシックなプログの精神を継承し続けるTHE FLOWER KINGSやSPOCK‘S BEARD/ニール・モース、そしてMARILLIONからANATHEMAに至るまで、現代プログの全容を、2000年代以降の作品を中心とした500枚以上に及ぶディスクガイドとして包括的に紹介。

マイク・ポートノイ、スティーヴン・ウィルソンのほか、OPETHやDEVIN TOWNSENDの敏腕マネージャーとして知られるNorthern Music Co.社長アンディ・ファローといった、プログ界キーパーソンの独占インタビューも収録。

その他レビュー掲載アーティスト: BETWEEN THE BURIED AND ME、CIRCUS MAXIMUS、LEPROUS、HAKEN、THE MARS VOLTA、MESHUGGAH、TOOL、ULVER …and so on!

監修・ディスク選: 高橋祐希 with Prog Project(櫻井敬子/楯 弥生/井戸川和泉)

執筆陣(50音順): 井戸川淳一/大越よしはる/奥村裕司/川辺敬祐/渋谷一彦/鈴木喜之/清家咲乃/関口竜太/長坂理史/中島俊也/夏目進平/西廣智一/平野和祥/高橋祐希/櫻井敬子/楯 弥生/井戸川和泉

[目次]

Introduction
DREAM THEATER
 Interview: Mike Portnoy
 DREAM THEATER 解説: 高橋祐希
 Disc Review DREAM THEATERと関連作品
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STEVEN WILSON
 Interview: Steven Wilson
 Steven Wilson 解説: 櫻井敬子
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MARILLION
 MARILLION 解説: 高橋祐希
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THE FLOWER KINGS
 THE FLOWER KINGS 解説: 長坂理史
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ANATHEMA
 ANATHEMA 解説: 井戸川淳一
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Interview: Andy Farrow
掲載アーティストIndex

[監修者プロフィール]

高橋祐希
音楽ライター。『ヘドバン』『EURO-ROCK PRESS』誌でコラム連載中。AERIAL名義で即興ノイズ/アンビエント音楽も演奏。https://twitter.com/yuki_sixx

櫻井敬子
1999~2009年『EURO-ROCK PRESS』編集部に在籍後、3年間のデザイン留学のため渡英、現地のプログ・シーンを肌で感じて帰国。本書では主に企画・編集を担当。

楯 弥生
ライヴが生き甲斐で、何度も欧州遠征するうちに、いつか日本で『Be Prog!』のようなフェスを開催したいという野望を抱き始め、あれこれ画策中。本業はデジタルマーケター。

井戸川和泉
QUEENSRŸCHEの「Empire」のアートワークに衝撃を受け、デザイナーになることを決意したグラフィック・デザイナー。デヴィン・タウンゼンド教信者日本代表。

Prog Project Twitter
https://twitter.com/prog_project

お詫びと訂正

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Mia Doi Todd - ele-king

 90年代から活躍するシンガーソングライターであり、ビルド・アン・アークなどとのコラボでも知られるLAのミア・ドイ・トッドが新作をリリースする。芯がありつつも透き通った歌声は健在、ゲストたちも非常に豪華だ。ジェフ・パーカーにサム・ゲンデル、ミゲル・アトウッド・ファーガソン、そしてララージまで。注目の1枚です。

MIA DOI TODD
Music Life

空間を浄化させる神秘的な歌声を持つ、ミア・ドイ・トッドのニュー・アルバム!! ロサンゼルスでレコーディングされたこのアルバムには、ジェフ・パーカー、マネー・マーク、ファビアーノ・ド・ナシメント、サム・ゲンデル、ミゲル・アトウッド・ファーガソン、ララージ等がゲスト参加した、至福の1枚。ボーナス・トラックを加え、日本限定盤ハイレゾ MQA 対応仕様のCDでリリース!!

Official HP :
https://www.ringstokyo.com/miadoitoddml

ミア・ドイ・トッドのLAの自宅を取材で訪れたのは、もう10年以上前のことだ。カルロス・ニーニョも一緒にいた。あの頃、ビルド・アン・アークでも歌っていたミアは、特別なシンガーソングライターだった。誰もが彼女の才能を讃えていた。現在の彼女も変わることなく、ジェフ・パーカーやサム・ゲンデルら新たな仲間たちの素晴らしいサポートも受けて新作を完成させた。これは、音楽に包まれる歓びに溢れたアルバム、そう断言できる。(原雅明 rings プロデューサー)

アーティスト : MIA DOI TODD (ミア・ドイ・トッド)
タイトル : Music Life (ミュージック・ライフ)
発売日 : 2021/4/21
価格 : 2,800円+税
レーベル/品番 : rings (RINC76)
フォーマット : MQACD (日本企画限定盤)

* MQA-CDとは?
通常のプレーヤーで再生できるCDでありながら、MQAフォーマット対応機器で再生することにより、元となっているマスター・クオリティのハイレゾ音源をお楽しみいただけるCDです。

Tracklist :
01. Music Life
02. Take Me to the Mountain
03. My Fisherman
04. Little Bird
05. Mohinder and the Maharani
06. If I Don't Have You
07. Wainiha Valley
08. Daughter of Hope
+Japan Bonus Track

GoGo Penguin - ele-king

 マンチェスターのレーベル〈Gondwana〉からの諸作で頭角を現し、独自のやり方でジャズとエレクトロニック・ミュージックをつなぐ試みを実践、近年は名門〈Blue Note〉から作品を発表しつづけているゴーゴー・ペンギンが、初のリミックス・アルバムをリリースする。
 リミキサー陣にはコーネリアスマシーンドラムスクエアプッシャー、ネイサン・フェイク、808ステイト、ジェイムズ・ホールデン、クラークらが名を連ねており……これは、テクノではないか!(〈Gondwana〉のポルティコ・クァルテットも参加)。
 長年コンセプトを温めていた企画だそうで、仕上がりが楽しみです。現在、マシーンドラムによるリミックスが先行公開中。か、かっこいい……

2020年にリリースした最新作『ゴーゴー・ペンギン』のリミックス・アルバムが登場。
コーネリアス、Yosi Horikawa をはじめ世界最高峰のアーティストが参加!

ゴーゴー・ペンギン / GGP RMX
2021年5月7日発売[世界同時発売]
SHM-CD:UCCQ-1138 ¥2,860 (tax in)

●クリス・イリングワース(p)、ニック・ブラッカ(b)、ロブ・ターナー(ds)からなるマンチェスター発の新世代ピアノ・トリオ、ゴーゴー・ペンギン。ジャズ/クラシック/ロック/エレクトロニカなど幅広い影響を感じられるサウンドは唯一無二、ピアノ・トリオというフォーマットの可能性を広げた稀有な存在で、2009年の結成以降世界中から大きな称賛を集めています。
 2020年には名門ブルーノートから3作目となるアルバム『ゴーゴー・ペンギン』(UCCQ-1124)をリリース。自らのバンド名を冠した自信作で、大きな反響を呼びました。

●本作はそのセルフ・タイトルド・アルバム11曲のうち10曲について新たなリミックスを施した、バンドが数年にわたりコンセプトを温めていたというリミックス・アルバム。
世界最高峰のリミキサーが名を連ねる中、日本からはコーネリアスと Yosi Horikawa (ヨシホリカワ)が参加しています。
 1曲目の “コラ (Cornelius Remix)” を手掛けたコーネリアスの小山田圭吾は、「remixerに 808 state が入っていて、マンチェの血を感じました。ゴーゴー・ペンギンは、ヒプノティックな生演奏が魅力なので、なるべく彼らの演奏を残したいと思いました。世の中が落ち着いたら、ライブを見に行ってみたいです」とコメントしています。
 また、ピアノのクリス・イリングワースはこのトラックについて、「コーネリアスのミックスは知的で美しく、アルバムの始まりとしてとても良いと思ったよ。ピアノのメロディをシンセのラインと併せて再配置することでそのメロディがより強調されて、楽曲に新しくて個性的なキャラクターを加えている。リミックス・アルバムにピッタリさ」と語っています。

●もとよりエレクトロニカ的な色も濃いゴーゴー・ペンギンのサウンドだけに、リミックスとの相性は抜群。
 バンドのミュージシャンシップやユニバーサルなサウンドを違った形で体感出来る充実の仕上がりとなっています。

収録内容
01. コラ (Cornelius Remix) (4:22)
02. アトマイズド (Machinedrum Remix) (6:15)
03. エンバース (Yosi Horikawa Remix) (4:09)
04. F・メジャー・ピクシー (Rone Remix) (4:17)
05. F・メジャー・ピクシー (Squarepusher Remix) (6:22)
06. オープン (Nathan Fake Remix) (4:33)
07. シグナル・イン・ザ・ノイズ (808 State Remix) (5:38)
08. トーテム (James Holden Remix) (8:16)
09. トゥ・ザ・Nth (Shunya Remix) (6:51)
10. プチア (Clark Remix) (6:25)
11. ドント・ゴ ー (Portico Quartet Remix) (5:44)

Telex - ele-king

 〈ミュート〉が仕掛けるテレックス回顧プロジェクト、まずはその挨拶状的なベスト盤『this is telex』は4月30日にリリースされるのは既報の通りなのですが、昨日、その先行シングルの第二弾としてザ・ビートルズの“ディア・プルーデンス”のカヴァーが発表されました。これは未発表だったカヴァーなので、いきなりこれ公開しちゃうのかよーと思ったファンも少なくないでしょう。

 ちなみに『this is telex』は、彼らのファースト・アルバム『テクノ革命』から2006年のカムバック作『How Do You Dance?』までの全キャリアから選曲されていますが、アルバムの冒頭と最後は未発表曲(しかもどちらもカヴァー曲)という、憎たらしい構成となっています。“ディア・プルーデンス”は同アルバムのクローザートラックです。
 なお、〈ミュート〉の日本の窓口である〈トラフィック〉を通じて、細野晴臣からのコメントも発表されました。細野晴臣がプロデュースしたコシミハルの『Tutu』(1983年)において、テレックスの“L'Amour Toujours”が日本語でカヴァーされていますが、これは当時ブリュッセルにあったテレックスの自前スタジオ(Synsound Studio)での録音です。細野晴臣&コシミハルはそのスタジオを訪れているんですね。ちなみにバンドの中枢だった故マルク・ムーランも『Tutu』の“L'Amour Toujours”でシンセサイザーを弾いています。

■細野晴臣コメント
「先日Miharu Koshiと最近のフランスの新しいPOPSを聴いていて、『これはTelexみたいだ』と話してたんです。Telexのような音楽は今や普遍的なPOP MUSICになったんだと思いました。Telexの皆さんとセッションした暑い夏のブリュッセルがとても懐かしく、優しい心で迎えてくれたことを感謝してます。マルク・ムーランさんの逝去、とても残念ですが、きっと彼も僕たちと同じく、ベスト盤のリリースを喜んでいることでしょう。また、近い将来、あなたたちの新作が聴ける日を楽しみに待ってます」

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