「KING」と一致するもの

外側の制度や法律を変えることと、内側の意識や欲望を変えること、それらの両輪が大事だという感覚が自分にはあって。(杉田)

男性の駄目さみたいなものをどうすくい上げて、それを断罪する形でなくどうほぐしていけるかを考えていた。(木津)

 『男が男を解放するために 非モテの品格・大幅増補改訂版』の杉田俊介と、『ニュー・ダッド──あたらしい時代のあたらしいおっさん』の木津毅による対談をお届けする。

 昨年9月に発売された杉田俊介著『男が男を解放するために 非モテの品格・大幅増補改訂版』。本書は集英社新書から2016年に刊行された『非モテの品格』に、副題のとおり大幅に描き下ろしを加えた増補版となる。原著の1~3章に加えて「4,5章」として書き加えられたパートはおよそ9万字。実質的に原著のほぼ2倍の分量になっている。

 現代社会において男性が直面する数々の生きづらさについて、「弱さ」という観点から考えたオリジナル版。
そして増補版ではマーク・フィッシャーやスラヴォイ・ジジェク、デヴィッド・グレーバーなどの現代思想、『ジョーカー』や『イニシェリン島の精霊』といった新作映画などに言及しながら男性と「弱さ」についての考えをさらに深めていった。

 一方の木津が2022年刊行した単著『ニュー・ダッド』では、ポピュラー・ミュージックや映画に登場する好ましい「おっさん」たちを通して、新たな男性像を提示することを試みていた。

 現代の男性のあり方についての考察を深めてきたふたりに、それぞれの立場から改めてこれからの男性像について語り合ってもらった。

男性のルサンチマンによって結びつくのではないような、そういう「善きホモソーシャリティ」としての対話関係やケア関係がもっとあったらいいのに。(杉田)

いわゆるホモソーシャルな関係のなかで「本音」と思われてることは、じつはあんまり本音でもない気がします。(木津)

木津:今回加筆された4章5章の部分を後半とすると、前半と後半で論じる内容や文体の違いに感じるものがありました。もともと出された2016年から今回出される2023年の間には#MeTooもありましたし、SNSをはじめとしてジェンダー論の対立が激化した面もあります。
 杉田さんは男性論を次々出されるなかで、この2016年から2023年の男性論について世の中の受け入れられ方の変化など、どういったところに問題意識を持たれているのでしょうか。

杉田:この何年か『非モテの品格』『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』『男がつらい!』という男性論の本を連続で出してきて、今回の『男が男を解放するために』に至るんですが、自分では自分の変化がよくわからないところもあります。木津さんは、どの辺でいちばん落差を感じましたか?

木津:落差というか、「ひろゆき論」の話が出てきたり、稲田豊史『映画を早送りで観る人たち』の引用があったりと、近年話題になったトピック、それもいわゆる弱者男性論と結びついて語られていないことがダイナミックに絡んでいるのが、4~5章についての僕の強い印象です。そこはもしかすると、ジェンダー論がより広範な問題と関わっていると世の中で意識されるようになったこととも繋がっているのかなと。経済の問題にも関わっているし、アイデンティティ・ポリティクスにも関わっている、というように。弱者男性問題は非モテ論みたいな狭いところに押し込められていたけれど、じつはもっと広範に及ぶ話だということが、この4~5章に入ってるという印象を受けました。

杉田:2016年の『非モテの品格』では、ストレートに自分の男性としての当事者意識を言葉にしてみました。だから結構ポジティヴなことも後半では言っています。だけど新たに本を書くごとに、どんどん否定性のほうが強くなってきました。
 特に日本では#MeToo運動の大きなターゲットが「おじさん」だったと思うんです。「おじさん」が日本的なハラスメントや家父長制の象徴とされた。そのなかで、自分の男性性を否定する気持ちも高まっていった。しかし他方では、脱・男性特権と言うものの、脱してどこに着陸すればいいのかわからない。ネガティヴな後退戦が続いてきた、という印象があります。
それに対して、木津さんの『ニュー・ダッド』を読むと、「新しいおっさん」というポジティヴな「おっさん」像を積極的に楽しく打ち出していて、とても元気づけられましたね。

木津:ありがとうございます。

杉田:僕は典型的な異性愛者の古い感覚の持ち主で、何を書いてもそうした「男」の内側からの悪戦苦闘になってしまう。そこは年代差もあるし、シスヘテロである僕とゲイの当事者である木津さんの差異もあるかもしれない。僕がおじさんを肯定する、というのは欺瞞がいっぱい入ってくる。とはいえ否定ばかりでも人間は生きていけない。どうすれば欺瞞なく肯定的なおっさん像が得られるのか。木津さんの本にはそのヒントをもらいました。

木津:まさに男性の自己肯定やセルフラヴの難しさは僕の本の動機になっています。例えばゲイプライドという言葉があります。世の中ではクィアとかゲイというのは、「男らしさ」の規範から悪しきものだとされてきたからこそ、意趣返しとして「プライド」と言えるわけですよね。でも2010年代以降のフェミニズムあるいはジェンダー・イシューが盛んになっていくなかで、ヘテロ男性が自分のアイデンティティにプライドを持っていくのは非常に困難である。脱・男らしさみたいなことが言われていくなかで、いかにセルフラヴが難しいかということは僕も感じていたので、そういうのを、まじめには考えるんだけれども、あまり深刻になりすぎずに、「パーティー感覚」というかみんなで一緒に助け合おうぜみたいな軽いノリで書けないかなというのが自分のなかでは大きかったんです。
 ご本を読んでいると、自意識の問題を大切にされている印象があります。弱者男性論には経済の話が後ろにあることをもちろん杉田さんは落としてはないんだけれども、その話ばかりをしてしまうと、誰がいちばん悲惨なのかという被害者競争になりかねない。あるいはインターセクショナリティ(交差性)の議論は大切だけれども、そこではすくいきれない自意識の問題もある。そのなかで杉田さんが弱者男性とは言わないまでも、マジョリティ男性の当事者の自意識の問題を大切にされているのはどういったポイントなのかもお聞きしたいです。

杉田:自意識というか……どうしても性格的に、肯定と否定を繰り返しながら議論がぐるぐる循環しがちではありますね。木津さんの本を読んで、この自分にとって新しいおっさん像って何だろうかと考えてみたんですけど、これまでの僕は、肯定的な中高年男性像をあまりイメージできてこなかった。

木津:なるほど。

いま、イクメンとか、ケアリング・マスキュリニティのようなことが、リベラルエリートがさらに勝ち抜けるためのマウンティングの道具になっている、という状況もあるんですよね。(杉田)

ケアをする男性像を新しいものとしてもてはやしすぎると、それはそれで新たな勝ち組を生み出してしまう。でもケアをすることは日常的な苦労、ハードさの積み重ねのはずなので、具体的な話をすることで、現実と日常に根ざした男性のケアのモデルが見えてくるんじゃないか。(木津)

杉田:たとえば木津さんはブルース・スプリングスティーンについて書いています。パッションのある素晴らしい文章でした。僕は以前、『長渕剛論』という本を出しました。長渕はベタなマッチョで愛国者のイメージがあるし、そう言われても仕方ない面もある。しかし僕は、長渕のなかの、自分の弱さを引き受け、傷や弱さを晒しながら、それでも自分を前向きに肯定していこうというジグザグな姿勢が好きでした。そうした彼の男性性のあり方は重要なものに思えた。彼はスプリングスティーンほどリベラルではないし、危ういところはかなりあるけれど……。
 少し話はズレますが、僕にとっての男性論は、ウーマンリブや障害者解放運動から影響を受けています。社会の側の法律や制度を批判するだけではなく、内なる優生思想や内なる女らしさ幻想を解除しなきゃいけない。そういうジグザグがそれらのムーヴメントにはあった。外側の制度や法律を変えることと、内側の意識や欲望を変えること、それらの両輪が大事だという感覚が自分にはあって、肯定と否定がぐるぐるするのもそのためもあるかもしれない。自意識の空転とは違うつもりなんですが……。

木津:スプリングスティーンに触れてくださったのはおっしゃるとおりで、どこか葛藤があるほうが僕もリアリティを感じます。杉田さんも本のなかで問題にされてますけれども、最近第4波フェミニズム以降の流れとして、男性が積極的に男性性を降りるみたいな話になると、そこで新たなマウンティングが発生することもある。フェミニズムに目覚めた男たちという別の階層が現れてしまう。
 PC的・リベラル的なメンズリブに助けられる部分もゲイとしてはあって、建前的だとしてもゲイ差別はいけないと言ってくれるマジョリティがいるだけで非常に助かる。一方で、そこでかえって弱者男性のルサンチマンをこじらせるような要因が発生してしまうというパラドックスをどうしたらいいのか悩んでいます。そこから取りこぼれる人間の、あるいは男性の駄目さみたいなものをどうすくい上げて、それを断罪する形でなくどうほぐしていけるかを考えていたので。その辺りの杉田さんが見てこられたメンズリブの近年の流れのなかで特に問題意識があるのはどういったところなんでしょうか?

杉田:そうですね、たとえば男性集団におけるタテマエとホンネの問題などが気になります。公的な場では、タテマエとしてPC的な基準に合わせようとするんだけど、ホンネのところでは納得していないから、性的マイノリティや女性に対する反感が無意識に溜まっていく。やがて暴発して、男こそ傷ついているんだとか、女性やマイノリティには特権があるんだ、という話になってしまう。つまり、反PC的なホンネのルサンチマンによって結びつくホモソーシャルな共同体が形成されてしまう。
 もしかしたら日本では国学的なものの伝統と言うべきなのか、抽象的な外来語としての漢意(からごころ)を嫌って、正直な感情や感動を大事にしよう、みたいな文化がいまも強いのかもしれない。フェミニズムやPCなんて外来の思想は、人間の正直な感情に反するんだ、みたいな。
 でも、人間の「本心」とはおそらくタテマエでもホンネでもない。自分の本心って、自分でもはっきり言語化できなかったり、失語や沈黙を通してしか他者に伝えられなかったりする。カウンセリングや精神分析のような領域に近い。感情的な葛藤を抱えたり、うまく語れなくて失語したりしながら、それでも自分のなかの本心を他者と分かち合っていく──そういう意味での対話を重ねながら、自分のなかの傷や本心を分かち合えるような男性文化をうまく作ってこられなかったんじゃないか。それは「男同士で腹を割ってホンネで話そう」というような悪しきホモソーシャリティとは違うはずです。男性のルサンチマンによって結びつくのではないような、そういう「善きホモソーシャリティ」としての対話関係やケア関係がもっとあったらいいのに。

木津:いわゆるホモソーシャルな関係のなかで「本音」と思われてることは、じつはあんまり本音でもない気がします。例えばモテたいというのも、自分の欲望を真剣に見つめたときに、本当にモテたいのかどうかは人それぞれだと思うんですよ。女性と積極的なコミュニケーションをとってたくさんセックスをしたいというゴールがあるとすると、それは旧来的な「男らしさ」がモデルであって、それよりも例えばマスターベーションの時間を充実したものにするとか、自分へのケアの方向が人それぞれで本当は違うはずです。男性同士の間で本音と思われてる部分が違う可能性もあるんじゃないか。ご本を読んでいても想像するところがありました。

杉田:そういえば、何年か前の紅白歌合戦で、氷川きよしが『ドラゴンボール』の歌を歌った回が好きでした。LGBTフレンドリーな空気を取り入れているのに、「紅白」というバイナリーな枠組みはどうなんだろう、というのはもちろんありますが、氷川きよしが最初は白い服を着ていて、途中から真っ赤な服に着替える。で、そこからもう一段階進化する。てっきり虹色になるのかな──と思っていたら、なぜかゴールドに変身する。そこにグっときた。はっきりいってなぜ金色になって空を飛ぶのか、合理的な理由はわかんないんだけど、金色じゃなきゃダメだったんでしょう。それは本人に固有の特異的な欲望を示す何かであって、別に誰かに共感したり理解したりしてもらう必要もない。でも、本当の意味での多様性って、そういうわけのわからないものなのではないか。虹色モチーフを使えば自動的に多様性、ということではない、と感動しました。

木津:いまの話と繋がってきますが、僕は男性同士の友情、フレンドシップの話はどうなってるんだろうと思っています。例えばこの前ゲイの飲み会があって、50代後半のゲイの方が最近編み物にはまってるとか、同世代のゲイがいまさら『冬のソナタ』にハマったとか、いわゆる「男らしさ」から外れる「ゲイあるある」話ですごい盛り上がって。僕はそういうやり取りにすごくエンパワーメントされるんですよね。それぞれがそれぞれの人生を楽しんでいる感じがゲイにとっても、ひとくくりにできるものじゃないんだけれども、何か共通するものがあり、それでエンパワーメントされる。男性同士の友達の話のなかからそういったことはあまり聞かないなと思って。
 ご本のなかで『イニシェリン島の精霊』も引用されてましたけど、あれは男性同士のフレンドシップの不可能性みたいな映画に僕は見えたので、シリアスに考えたい。一対一の男性同士の関係じゃなくても、グループのなかでも旧来的なホモソーシャルより、もうちょっとマイルドな男同士の関係性を模索できないかなと考えているんです。

杉田:先ほど述べた善きホモソーシャリティというか、非暴力的なホモソーシャリティが大事だと思っています。SNSの議論だと、誰が正しいか間違っているか、敵か味方か、という政治的な集団の対立になりがちです。言葉もぎすぎすしていく。とはいえ、オンラインを遮断してオフラインの対面に還るべきだ、という単純な話でもなさそうです。オンラインとオフラインの中間あたりに、非暴力的で、セラピー的で、善良にホモソーシャルな空間がだんだん拡がっているような気がします。オンライン自助会とかオンライン読書会とかもそうかもしれない。

新しい自分になること、新しい価値観を持つことに対する恐怖をどう男性は乗り越えていけるのかを考えています。(木津)

ひとつの価値観を受け入れたから一瞬で万事OKになるわけではないし、逆にいままでの人生が全部駄目だった、ってことにもならない。自分のなかの古い感情や価値観にも大事なもの、よいものはたくさんあるはずなんですよ。(杉田)

木津:『ニュー・ダッド』のなかで、『クッキングパパ』の高齢男性が料理教室に行く回が好きという話を書いたんですが、男性たちがゆるく繋がれる場所がもっとあればいいですよね。僕ら世代の子育てをはじめた男性たちは暴力的な父親、強権的な父親という、古きおっさんになることを恐れている人が多い。そのなかで子育てをどのようにやっていけるかリアルに悩んでいて、そういった悩みがちゃんと最近は共有されはじめている。そこに前向きなものを感じているんです。

杉田:そうですね。僕も少し前から、MetaLifeというサービスの、自助会みたいな場に参加しているんですよ。ちょっとメンタルを病んでしまって……。ただ、そこはすごくケア的で穏やかな場なんですけど、MetaLifeのホームページを見ると本田圭佑がバーンと出てきて、ちょっと自己啓発的で新自由主義的な感じで(笑)。たしかにいま、イクメンとか、ケアリング・マスキュリニティのようなことが、リベラルエリートがさらに勝ち抜けるためのマウンティングの道具になっている、という状況もあるんですよね……。

木津:それはリアルな話ですよね。

杉田:もちろん使い方次第だとは思うんですけど。他者を配慮したり弱さをシェアできる男性が新しい時代の勝ち組なんだ!、みたいな話には回収されたくない。

木津:いまの話はグラデーションがあって、いわゆるケアをする男性像を新しいものとしてもてはやしすぎると、それはそれで新たな勝ち組を生み出してしまう。でもケアをすることは日常的な苦労、ハードさの積み重ねのはずなので、具体的な話をすることで、現実と日常に根ざした男性のケアのモデルが見えてくるんじゃないか。例えばエッセイ漫画でもお父さんが子育てしてる漫画が増えています。単純に俺は子育てしてるぜっていう感じでもなく、日常的にこれが困ったとか、それをママ友やパパ友に教えてもらって助かったみたいな話が増えてるのは、子育てしてない身としてもいい話だなと思うと同時に、男性たちもいろんなものから解放されてるんじゃないかと、思うところもあります。

杉田:そうですね。ケアをあまりに自己責任、家族責任にしすぎると燃えつきてしまうけど、パブリックすぎず、プライベート過ぎないような──具体的な家事とか育児とかケアってそういうものじゃないですか。その辺の面白さをシェアしながら入れる領域がもっとあったほうがいいですよね。

木津:そうですね。

杉田:男女の間でケア負担に圧倒的に非対称性があるわけだし、ヤングケアラーや老々介護などもあるのだから、一部のイクメンやケアリング・マスキュリニティを持てはやすのではなく、もっと日常化して、かつその面倒な部分も楽しい部分も、わいわい語ったり、わちゃわちゃ協同で実践していければいいなと。

木津:『ニュー・ダッド』の書き下ろしの部分で自分の彼氏のあまりにも子どもっぽい姿を入れたのも、理想論では語りきれない日常的な話を入れたかったんですよね。どうバランスをとっていくか、グラデーションを示していくか。これからの男性論でも重要になってくるだろうし、僕のようなゲイが話してもいいし、ヘテロから出てきてもいい。多様なものが生まれるといいですね。

杉田:あと、ドラえもんにもちょっと「ニュー・ダッド」的なイメージがあります。あの丸めの体形なんかも含めて。ドラえもんはのび太くんがあまりにも駄目だから、のび太の身の回りをケアするために未来から派遣されてきた。ケアラーの役割なんですよね。しかしドラえもんには、のび太を自分に依存させることで駄目にしていく、というマターナリズム(母性的支配)の危うさもある。先回り的にケアしすぎてしまう。
 しかし話が進むにつれて、逆にドラえもんのほうがのび太に依存しているようにも見える。あるいはドラえもんのある種の母性的な力によって共依存関係に陥っている。ふたりはそれを自覚して、だんだん適切な距離を取っていくんですよね。それでちゃんと対等な「友達」になっていく。支配関係や依存関係ではない関係を構築していく。そうした関係の作り方は、現代のおじさんたちにも大事なことに思えました。

木津:なるほど。ちなみに『ドラえもん』で僕が男性でいちばん好感を持ってるのは出木杉くんなんです。満点のザ・ちゃんとした男性(笑)。でも、出木杉になれなくてもいい、という話も『ドラえもん』には出てきます。「家庭科エプロン」のエピソードで、のび太が将来お嫁さんになるしずかちゃんに家事をやってもらうから自分はやらなくていいんだ、みたいなことを言います。それで出木杉の家に行ったら彼が料理を作っていて、しずかちゃんが──この言い方もちょっとどうかって問題はあるんですけど──出木杉さんのお嫁さんになる人は幸せねみたいなことを言ってのび太が大ショックを受ける。『ドラえもん』がいいのは、のび太がそこで出木杉くんを僻んで敵にするのではなく、自分もちょっとでも家事ができる男になろうとするんですよね。ドラえもんの道具を借りてですけど。そこにヒントがある気がします。
 のび太は弱者男性とまでは言わないけれどもある種の僻み根性を持ちやすい立場にある。その感情自体は受け入れて、でも客観的にいいところは取り入れていくという方向のエピソードになっている。僕はすごくそのエピソードが好きなんです。ここでの出木杉的な──いまで言うPC的リベラル的なものがあったとしても、そこに対してたんに僻むじゃなく、距離を置きながらもいいところは取り入れていくというフラットなのび太のあり方には感銘を受けるし、そういうあり方を何か世の中に提示できないかと個人的には考えています。

杉田:『ドラえもん』のコミックスを読んでいくと、最初はジャイ子と結婚することが不幸の象徴なんだ、みたいな女性蔑視とルッキズムからはじまりますが、作者である藤子F先生が時代の流れに学んで価値観が変わっていくんですよね。しずちゃんがじつは男の子に憧れていて自分の体を男性の身体と取り替える回とか、ジャイ子が少女マンガ家の夢を通してフェミニズム的な気高さを発揮していくとか。

木津:そうですよね。

杉田:ジャイ子には自己卑下がなく、ルッキズムの内面化がないのもいいですね。それからジャイ子には途中で男の子の友だちが出てくるんだけど、恋愛関係に入るのではなく、あくまでも同じ漫画家を目指す者同士のアソシエーションのような感じ。女の子は仕事じゃなくて恋愛するのが幸せでしょ、というほうへは行かない。男女の間でフラットな友情を結びながら、漫画家としてお互いに切磋琢磨していく関係でした。時代を先取りするようなところがありますね。『ドラえもん』の映画でもそろそろジャイ子が主人公の長編が観てみたい。

木津:僕もジャイ子の変化がいちばん好きかもしれないですね。藤子先生が漫画家という職業を与えたことも含めて、彼女に対しての優しさを感じます。時代の変化がちゃんと作用している。
 変化という話でいうと、例えばいまLGBT差別はいけないとか言ってる人でも、ほんの15年前ぐらいには差別的なことを言ってたじゃないかと指摘されることがあります。その気持ちもわかるんですけど、僕は時代とともに変わったことをポジティヴにとらえたい。もちろん全く反省しないで単純に乗り換えたのでは困るんですけど、昔は気づいてなかったことを自己反省して変わったのであればそれは歓迎したいんです。男性性の問題についても、価値観を変えることの怖さもある気がして、杉田さんが自意識の問題を重要視されているところも僕は共感します。そこで新しい自分になること、新しい価値観を持つことに対する恐怖をどう男性は乗り越えていけるのかを考えています。

杉田:簡単ではないですよね、もちろん。変わると言ったときに、男性って、全肯定か全否定かになりがちな気がしますね。しかしここでいう新しさというのは、あくまでもパーツであり、その組み合わせの在り方だと思うんです。部分否定しながら部分肯定していく。新しいパーツを取り込んで少しずつ体質改善していく。ひとつの価値観を受け入れたから一瞬で万事OKになるわけではないし、逆にいままでの人生が全部駄目だった、ってことにもならない。自分のなかの古い感情や価値観にも大事なもの、よいものはたくさんあるはずなんですよ。おじさん性を全否定して、それが反転して被害者意識になってしまったら元も子もありません。しなやかな可塑性が大事ですよね、たぶん。

木津:個別具体性が大事なのかなと思いました。『ニュー・ダッド』でも「おっさん」というひとまとめで、そこに差異がないかのように一般化される言葉を、いかに個別具体的に開いていくかという試みをしました。そうして個人の物語が出てきたときに、どこの部分を否定するのか、肯定するのかは人によってバラバラだし、でも重なってくるものもある。その両方の動きがちゃんと語れることが重要だなと思いましたね。

杉田:「おじさん」という大枠の言葉で括って、まずはきっちり批判すべき問題が間違いなくある。特に日本社会にはある。他方では、そうやって大きく括ることで、そこに括り切れない面も見えてくるはずです。僕なんかも全否定しがちなんですよね、おじさんは全員滅びたほうがいい、みたいな。

木津:ただ、本を拝読していて、全否定とはあまり感じませんでした。すごくシリアスな言葉で圧倒される部分はありましたけど。例えばジジェクを引用する形で「残余」という言葉が出てくるのは結構ドキッとする。それは全否定されるものからこぼれ落ちていくものをどう再定義していくか、あるいは再評価していくかということだと思いました。杉田さんのご本を読んでいると、そういった全否定からこぼれ落ちていくものを考え直すことの重要性を考えさせられるきっかけになりました。

杉田:今回の増補版の最後のほうで書いたのは、トランスパーソンの人びととの対話から得られたヒントのことでした。トランスジェンダーの人たちにとっては、そもそも、男性であることや男性性は否定されるべきものとは限らない。そうやって他者による肯定をひとつの媒介にしたとき、シスヘテロの男性が男性性を全否定してしまうことの危うさも再認識したんですよね。逆にいえば、肯定していい部分もあるはずだと。ポジティヴなおじさんのあり方を積極的に語る言葉が、シスヘテロの側からももう少しあっていいんじゃないか。
 木津さんの今回の本を読んでもそういうことを感じました。従来の男性学はどうしてもシスヘテロ男性中心です。異性愛男性中心の社会を批判するために一度通過しなきゃいけない面もあるんだけど、それによって見えなくなっている部分もたくさんある。マジョリティとマイノリティが領域横断的に議論や対話を重ねることによって、ニューダッドや新しい男のなかの肯定性を初めて語れるようになる面もあるのではないか。自己否定や撤退戦ばかりではなく、そういう肯定的な側面も今後はなるべく語っていきたいですね。

木津:僕もぜひそれはお聞きしたいなと思います。もっとシンプルなところで、男友だちのこういう発言に救われたとか、こういう行動に救われたとか、こういうケアがめっちゃ染みたから自分も他の人にしようと思ったとか、そういう男性同士の関係のなかから出てくるものが、今後日常的なところから出てくるといいですね。

杉田:そうですね。同性愛嫌悪やミソジニーを前提としない善きホモソーシャリティはたくさんあると思います。そういう可能性もいろいろとおしゃべりしたり語らったりしながら、もう少し身軽に楽しく実践していくのが大事な気がしますね。

1月のジャズ - ele-king

 2024年1回目のコラムだが、1月は年初でリリースが少なく、紹介すべきものがこれといってない。そこで、2023年を振り返ってリイシューや未発表作品からピックアップしたい。特にアフリカや南米のアーティストで目につく作品が多かった。



Vusi Mahlasela & Norman Zulu, & Jive Connection
Face To Face

Strut

 『フェイス・トゥ・フェイス』は1994年に録音された未発表作品で、スウェーデンの音楽プロデューサーのトルステン・ラーションのアーカイヴから発見された。アフリカ南部のバントゥー系民族であるソト族のフォーク・シンガーのヴーシ・マハラセラ、南アフリカのシンガー・ソングライターのノーマン・ズールーと、スウェーデンのジャズ~ソウル集団のジャイヴ・コネクションが共演した記録である。ちなみにジャイヴ・コネクションにはリトル・ドラゴンのドラマーのエリック・ボディンや、スウェーデン民謡グループのデン・フールなどで演奏するベーシストのステファン・バーグマンらが在籍した。

 スウェーデンは昔からジャズが盛んで、ドン・チェリーらアメリカから移住したジャズ・ミュージシャンも少なくない。南アフリカでは元ブルーノーツのジョニー・ディアニが移住している。ジョニー・ディアニなどのジャズ・ミュージシャンはアパルトヘイトから逃れるために他国へ移住したのだが、そうした反アパルトヘイト運動を支援した国のひとつがスウェーデンで、政府はアフリカ民族会議への資金援助をおこなっている。そのANC議長だったネルソン・マンデラが反逆罪で投獄された後、出所して初めて訪れた国がスウェーデンである。1994年のマンデラ大統領就任式で歌を披露したのがヴーシ・マハラセラで、ノーマン・ズールーを含めて彼らと交流を深めていたジャイヴ・コネクションが一緒に録音したのが『フェイス・トゥ・フェイス』である。

 ヴーシの歌は自由を求めての闘争に彩られており、南アフリカの伝統的な寓話に基づく『プロディガル・サン(放蕩息子)』や、児童虐待に対する嘆きを歌った『フェイスレス・ピープル』などを力強く歌う。音楽的にはジャズやアフリカ民謡だけでなく、レゲエやダブ、ファンク、ポスト・パンクなどの要素を交えたものとなっており、実に興味深い。“フェイスレス・ピープル” はカーティス・メイフィールド風のニュー・ソウル的な歌や演奏にダビーなエフェクトを交え、まるでガラージ・クラシックと言ってもおかしくないようなものだ。ニューウェイヴとアフロ・ディスコが融合した “プッシュ” はピッグバッグを彷彿とさせ、強烈なダブ・サウンドの “フェイス・トゥ・フェイス” や “ルーツ” はデニス・ボーヴェルがミックスしているかのよう。アフロ・ジャズの “ウマザラ” にしても、楽器の録音やミックスなどダブやレゲエを意識したものとなっている。



Orchestre Poly-Rythmo De Cotonou Dahomey
Le Sato 2

Acid Jazz

 オルケストル・ポリリトモ・デ・コトヌー・ダホメイ(別名T・P・オルケストル・ポリリトモ)は西アフリカにあるベナン共和国のコトヌー出身の楽団で、1968年にシンガー兼ギタリストのメロメ・クレマンによって創設され、1980年代の終わりまで活動した。アフリカ民謡、アフロビート、ハイライフ、アフロ・キューバン・ジャズ、サイケデリック・ファンクなどが融合した音楽を演奏し、地元のヴードゥー教にも繋がりを持つ存在だった。欧米諸国などでは長らく知られざるバンドであったが、2000年代に彼らの音源がUKの〈サウンドウェイ〉から紹介されて広まり、ガーディアン紙は「西アフリカで最高のダンス・バンドのひとつ」と評価している。そうした再評価を受けて2009年にバンドは再結成され、2枚の新録アルバムの発表とワールド・ツアーもおこなうが、創始者のメロメは2012年に亡くなった。

 アルバム・リリースは数十枚に及び、原盤はどれもが入手困難なものだが、〈アナログ・アフリカ〉ほか欧米のレーベルもリイシューを手掛けている。1974年作の『レ・サト』は2021年にUKの〈アシッド・ジャズ〉からリイシューされ、その第2弾として同年に録音された『オルケストル・ポリリトモ・デ・ラ・アトランティーク・コトヌー・ダホメイ』が『レ・サト・2』としてリリースされた。原盤は『レ・サト』と全く同じレコード・スリーヴで販売されており、裏面に第1弾と異なるカタログ番号が記載されるという体裁だったため、長らく謎のレコードとされてきたもので、彼らの作中でももっともレアな1枚である。原初的な歌と催眠的なファンク・グルーヴに包まれた10分を超す “ジェネラル・ゴウォン” はじめ、伝統的なヴードゥーの儀式とパーカッションによるポリリズムが結びついた独特の世界を作り出している。



The Yoruba Singers
Ojinga’s Own

Soundway

 ヨルバ・シンガーズは1971年に結成された南米のガイアナ共和国のバンドで、アルバムは1974年の『オジナズ・オウン』、1981年の『ファイティング・フォー・サヴァイヴァル』のほか、リーダーのエズ・ロックライフとヨルバ・シンガーズ名義による2009年作『アー・ウィ・ライク・デム・ソング・ディス』などがある。隣国のトリニダード・トバゴのカリプソやスティールパン演奏の影響を受け、ほかにジャマイカから流れてくるロックステディやルーツ・レゲエ、ガイアナ住民の祖先であるアフリカの伝統的な民謡などを育み、プロテスト・ミュージックへと昇華したのがヨルバ・シンガーズの音楽である。ヨルバというアフリカのナイジェリア南西部に住む部族をグループ名に冠している点で、彼らのルーツ的なところが見えてくる。欧米では全く知られた存在ではなかった彼らだが、2018年に『ファイティング・フォー・サヴァイヴァル』がUSの〈カルチャーズ・オブ・ソウル〉からリイシューされ、陽の目を見ることになる。そして2023年には『オジナズ・オウン』がUKの〈サウンドウェイ〉からリイシューされた。

 彼らの初期のレパートリーは、農園での労働の合間に歌ったり、または宗教儀式の場で歌われるといったもので、『オジナズ・オウン』はそうした彼らの姿をとらえた素朴な作品集である。演奏は原初的な打楽器やギター、フルートなどによるシンプルなもので、10名ほどのコーラス隊が合唱するというスタイル。“オジナズ・オウン” や “アンコンプレヘンシデンシブル・レディオマティック・ウーマン” など、ガイアナの自然や大地、生活や宗教と密着したプリミティヴな作品集である。



Terri Lyn Carrington
TLC And Friends

Candid / BSMF

 現在のUSジャズ界のトップ女性ドラマーであるテリ・リン・キャリントン。1965年生まれの彼女は、ウェイン・ショーターの1988年作『ジョイ・ライダー』への参加で名を上げ、1989年のリーダー・アルバム『リアル・ライフ・ストーリー』でグラミー賞にノミネートされるなど、着実にキャリアを重ねていった。女性アーティストのみで結成されたモザイク・プロジェクトを興すなど、ジャズ界における女性演奏家の地位向上を謳うリーダー的な存在でもある。父親のソニー・キャリントンがサックス奏者だったこともあり、7歳のときからドラムをはじめた彼女は、11歳でバークリー音楽院に奨学金を受けて入学した天才児で、在学中にさまざまなプロ・ミュージシャンとのセッションをはじめ、16歳のときの1981年に自主制作でアルバムを作ってしまった。それが『TLC・アンド・フレンズ』である。一般的に『リアル・ライフ・ストーリー』がファースト・アルバムとされる彼女だが、実は『TLC・アンド・フレンズ』が正真正銘の幻のデビュー・アルバムなのである。

 この度リイシューされた『TLC・アンド・フレンズ』は、ケニー・バロン(ピアノ)、バスター・ウィリアムズ(ベース)、ジョージ・コールマン(サックス)という、1960年代より活躍してきた名手たちとの共演となっている。そして、父親のソニー・キャリントンもゲスト参加して1曲サックスを吹いている。バップを中心としたオーソドックスな演奏だが、アレンジも自身でおこなうなどすでに神童ぶりを発揮するものだ。楽曲はコール・ポーターの “恋とはどんなものかしら”、マイルス・デイヴィスの “セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン”、ソニー・ロリンズの “セント・トーマス” と “ソニー・ムーン・フォー・トゥー” など大半がカヴァー曲で、ビリー・ジョエルの “素顔のままで” もやっている。そうしたなか、唯一の自作曲の “ラ・ボニータ” がラテン・タッチのモーダル・ジャズとなっており、とても16歳とは思えない奥深く豊かな表現力を見せる。

Terry Riley - ele-king

 「Ambient Kyoto」でお馴染みの〈Traffic Inc.〉運営のフリースペース、「しばし」(sibasi)(https://sibasi.jp/)にて、テリー・ライリーのラーガ教室と、フィールドレコーディングのワークショップが開催される。鎌倉にて、月1回のラーガ教室を開いているテリー・ライリーだが、京都で初。3月〜4月の土日に計8回の開催。
 なお2月には同所で、フィールド・レコーディングのワークショップも。著書『フィールド・レコーディング入門 響きのなかで世界と出会う』が第1回音楽本大賞「大賞」&「読者賞」を受賞した柳沢英輔、サウンドエンジニアの東岳志がガイド役。

◉テリー・ライリーのラーガ・レッスン
KIRANA EAST in KYOTO

[日時]
3月
23日(土)、24日(日)、30日(土)、31日(日)
4月
6日(土)、7日(日)、13日(土)、14日(日)

・受講回数に制限はありません。

[タイムテーブル]
土曜日のクラス(共通)
16時~   受付開始 
16時半~  弟子のSARAによる基礎知識の説明及びウォーミングアップ
17時~   テリー・ライリーによる【ラーガ】レッスン(約1時間)
日曜日のクラス(共通)
11時半~  受付開始 
12時~   弟子のSARAによる基礎知識の説明及びウォーミングアップ
12時半~  テリー・ライリーによる【ラーガ】レッスン(約1時間)

※ 参加者全員受付時に抗原検査と体温測定を受けて頂きます。
抗原検査で陽性、もしくは【風邪の症状、】体温が37.5度以上の場合はレッスン受講はできません。
受講料は半額お返しいたします。ご了承ください。

[開催場所] しばし(京都市左京区岡崎)
※詳細は、お申し込み後にお伝えします。
[参加費]1回8,000円
[申込受付定員]各回15名限定
[申込受付開始日時]
3月開催クラス:2024年2月3日 正午より受付開始
4月開催クラスの受付については、後日改めて告知します。
[申込受付サイト]
https://peatix.com/group/15152856

[備考]
・テリー・ライリーによる指導内容は、毎回異なることが予想されます。
 →テリー・ライリーによるラーガレッスンは、カリキュラムはなく一回完結形式で行われます。
  歌うラーガは、当日テリー・ライリーの判断で決まります。その為、毎回異なることが予想されます。
・何時から参加しても料金は一律です。
・お客様都合のキャンセルや日程変更は受け付けておりません。
 ご了承の上、お申し込みください。

◉フィールドレコーディングのワークショップ
The View Up Field Recording


[日時] 2024/2/11(日)14:00-18:00
[参加料金] 4,000円
[ガイド] 柳沢英輔、東岳志
[予約フォーム] https://forms.gle/WPSaNMUtLYzx8dhb8

しばしでは、日常の中に潜む豊かな世界を、様々な角度から見つけていき、他の分野に繋げていくワークショップを企画しています。

フィールドレコーディングは野外録音の側面だけでなく、
聴くという行為を通して、目の前にある言葉にならない出来事を
どう捉えていくかの道筋を作ってくれそうです。

この数年、身の回りにあるものに目を向けることが見直されつつあります。
日常では聞こえてこない音のレイヤーを意識することで新たな視点の発見があります。

今回はフィールドレコーディング的な感覚とは何か、座学の後、近所へ散歩に出かけ、実際に録音機材や耳を使って、小さな音、遠くの音、水中の音などを聴きながら、聴覚体験を深めたいと思います。
散歩でお貸しできる機材もありますが、有線のヘッドホン(イヤフォン)は各自お持ちください。
もちろんマイクやレコーダーなど録音機材をお持ちの方はご持参ください。

[ガイドプロフィール]


柳沢英輔
東京都生まれ。音文化研究者、フィールド録音作家。京都大学大学院アジア·アフリカ地域研究研究科修了。博士(地域研究)。主な研究対象はベトナム中部高原の少数民族が継承する金属打楽器ゴングをめぐる音の文化。フィールドのさまざまな音に焦点を当てた録音·映像作品を制作し、国内外のレーベルや映画祭などで作品を発表している。主な著書に『ベトナムの大地にゴングが響く』(灯光舎、2019年、第37回田邉尚雄賞)、『フィールド·レコーディング入門―響きのなかで世界と出会う』(フィルムアート社、2022年、第1回音楽本大賞·読者賞)など。
https://www.eisukeyanagisawa.com/


東岳志
奈良県生まれ。サウンドエンジニア。
2000年にフィールドレコーディングを始め、その手法で音楽の録音に従事。身体に関する知識を深め、食の領域にも活動を広げる。京都で「山食音」を立ち上げ、自然、食、音楽の融合する場を提供する。現在はサウンドインスタレーション製作やフィールドレコーディング音源の提供、ライブ録音などを行う。AMBIENT KYOTOでは音響担当。
https://takeshiazuma.com/

Oneohtrix Point Never - ele-king

 ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの来日までいよいよ1か月。ジム・オルーク&石橋英子の出演も楽しみな公演ですが、ここへ来てさらに嬉しいお知らせです。最新作『Again』がカセットテープにてリリースされます。フィジカル限定のボーナストラックもあり。これはTOWER VINYL SHIBUYAのリニューアルを記念した企画で、同店(と来日公演会場)のみでしか買えません。この機を逃さないように!
 なお紙エレ最新号にはOPNのインタヴューを掲載しています。来日に向け予習しておきましょう。

来日まであと1ヶ月!
最新アルバム『Again』が超限定カセットで登場!
待望のジャパンツアーとTOWER VINYL SHIBUYAリニューアルオープンを記念して
ライブ会場とTOWER VINYL SHIBUYAのみで
数量限定カセットテープの販売決定!

いよいよ来月、最新アルバム『Again』をひっさげた新たなライブセットをここ日本で世界初披露するワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(以下OPN)。ジャパンツアーには最新アルバムでも客演したジム・オルークが石橋英子と共にスペシャルゲストとして出演することも決定し、コーチェラ出演も発表されるなど話題が続く中、ジャパンツアーとTOWER VINYL SHIBUYAのリニューアルオープンを記念して、最新アルバム『Again』の数量限定カセットテープが、ライブ会場とTOWER VINYL SHIBUYA(タワーレコード渋谷店6F)のみで発売決定! こちらのカセットテープにはフィジカルフォーマット限定のボーナストラック「My Dream Dungeon Makeover」が収録されている。

ONEOHTRIX POINT NEVER『Again』数量限定カセットテープ
※タワーレコードではTOWER VINYL SHIBUYA(渋谷店6F)のみの販売となります。
※予約不可(店頭・電話・ネットからの予約は一切できませんのでご了承下さい)
※販売開始日:2024年2月29日(木)のリニューアルオープン日より
※商品の購入はお一人様1個までとさせて頂きます。
https://tower.jp/article/news/2024/01/29/ta001

ONEOHTRIX POINT NEVER
special guest: JIM O'ROURKE + EIKO ISHIBASHI

[東京]
公演日:2024年2月28日(水)
会場:EX THEATER
OPEN:18:00 / START:19:00
TICKET:前売 1階スタンディング¥8,000(税込) / 2階指定席¥8,000(税込)
※別途1ドリンク代 ※未就学児童入場不可
INFO:BEATINK www.beatink.com / E-mail: info@beatink.com

[Tickets]
● イープラス [https://eplus.jp/opn2024/]
● ローソンチケット [http://l-tike.com/opn/]
● BEATINK (ZAIKO) [https://beatink.zaiko.io/e/opn2024tokyo]

[大阪]
公演日:2024年2月29日(木)
会場:梅田CLUB QUATTRO
OPEN:18:00 / START:19:00
チケット料金:前売¥8,000(税込)(オールスタンディング)
※別途1ドリンク代 ※未就学児童入場不可
INFO:SMASH WEST https://smash-jpn.com

[Tickets]
● イープラス [https://eplus.jp/opn2024/]
● ローソンチケット [http://l-tike.com/opn/]
● ぴあ 【Pコード】254-196
● BEATINK (ZAIKO) [https://beatink.zaiko.io/e/opn2024osaka]

公演詳細 >>> https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13709

企画・制作 BEATINK www.beatink.com
INFO BEATINK www.beatink.com / E-mail: info@beatink.com

label: Warp Records / Beat Records
artist: Oneohtrix Point Never (ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー)
title: Again (アゲイン)
release: 2023.9.29 (FRI)

商品ページ:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13613

Tracklist:
01. Elseware
02. Again
03. World Outside
04. Krumville
05. Locrian Midwest
06. Plastic Antique
07. Gray Subviolet
08. The Body Trail
09. Nightmare Paint
10. Memories Of Music
11. On An Axis
12. Ubiquity Road
13. A Barely Lit Path
14. My Dream Dungeon Makeover (Bonus Track)

国内盤CD+Tシャツ

限定盤LP+Tシャツ

通常盤LP

限定盤LP

YOTO - ele-king

 最近、どこで読んだのか忘れたけれど、RCサクセション “自由” に対するコメントで「頭が悪そうに見える言葉のチョイスがうまい」といった書き込みがあった。「頭が悪そうに見える」というのは「頭が悪い」とは正反対で、「頭がいい」からできることであり、そのような創作の態度は “自由” だけでなく、忌野清志郎の表現全体に認められることではないかと考えさせられた。普段の清志郎は基本的に議論好きだったし、デビュー・アルバムのためにつくった “あそび” などは論理のすり替えを題材にしていて、当時のモラルに抵触したために16年間もお蔵入りしてしまったけれど、常識とされる行動に疑問を挟んでいく歌詞の展開はそれこそ「頭が良く」なければ書けるものではない。「金もうけのために生まれたんじゃないぜ」といってすぐに「この世は金さ」と見方を変えてしまう視点の移動や無数のダブル・ミーニングも同じくで、清志郎の歌詞は確かによく考えられているのに、そうとは感じさせない言葉のチョイスが巧みだし、それが彼の芸風にもなっていた。

 清志郎とは知り合ってすぐに「頭がいい」という表現について深く考えさせられることがあった。具体的には省略するけれど、清志郎にとっては必ずしも褒め言葉ではなく、「頭がいい」という言葉が持つ多義性について考えざるを得なくなってしまったというか。「頭がいい」というのは、資本主義においては「生き延びる」と同義であり、他人の能力と比較することを前提にした価値観である以上、清志郎にとっては手放しで肯定できる感覚ではなかったのだろうというようなことを考えた。ストリートで「頭がいい」とされることと学業などで「頭がいい」とされることはどちらも腕力で支配される世界から距離を取るための手段であり、文明の程度が低いとか高いに関係なく、「頭がいい」を極めていけば人を支配することも不可能ではないという目的のようなものがどうしても頭をもたげてくる。「頭が悪そうに見える言葉のチョイスがうまい」というのは、「頭が悪そうに見える言葉」を選ぶことで、同時に「支配者になりたいわけではない」ということも表していて、「誰の言うことも聞かねえ」とか「俺は法律を破るぜ」といった傍若無人なことを歌っているようでいて、それが上から目線にはならず、リスナーと同じ目線で共感を呼ぶことができるのだろう。

「言葉のチョイス」を「音のチョイス」に変えれば、音だけでも同じことはできるだろう。重厚長大な音が威圧感を与えることと正反対の効果を期待して「頭が悪そうに聞こえる音」を巧みに組み合わせ、あらかじめ競争原理からずり落ちる。フライング・リザーズやドクター・ロキットはそのようにしてロックやテクノにエア・ポケットを生み出した。古くはピエール・アンリからレジデンツ、ジェド・フェアやオル・ダーティ・バスタードなど、いつの時代にもそうしたテクニシャンたちはいて、それぞれの時代に落とし穴を掘っていった。最近だとメリディアン・ブラザーズやロス・モアネスなどクンビアにその手が集中していた感があり、そうはいっても最低限の様式性は保たれていたコロンビアと違ってアルゼンチンに飛び火したクンビアは10年代もなかばを過ぎるともはや原形をとどめず、片鱗を聞き取ることさえ危うい。思い返せばグオ・チェン(Guo Cheng)あたりからおかしくなり始めた。〈Orange Milk〉から『Walden』をリリースしたアイル(aylu)がスラップスティックの壁を飛び越えてネジを最大限まで緩め、ヴィック・バン(Vic Bang)『Lira』はこれをマウス・オン・マースに寄せた感じ。そして、彼女たちを追ってヨトのサード・アルバム『ルビュール』が「とうとう出たね。。。」。

 アニメではなく現実の世界でチェーンソーを振り回して大統領となったハビエル・ミレイが率いる国である。これぐらいのことで驚いてはいけないのかもしれない。19年のミニ・アルバム『プレタ』ではドタバタが少し空回りしている感じもあった。映像用に書いた曲のコンピレーションで聞けるのは暴力温泉芸者が〈Principe〉に移籍したような感じか。ここから4年置いてのリリースとなった『ルビュール(酵母)』は、パン屋を題材におとぎ話のような音が乱舞し続け、レーベルはこれを「ハイパー・フォーク・ブリコラージュ」と称している(なるほどスラップスティックなフォークトロニカである)。緩やかな導入の “Entrada a La Panadería(パン屋の入り口)” から唐突に奇天烈な “Parmigiano Reggiano(*チーズの商品名)” へ。華やかな乱れ打ちというのか、ぐちゃぐちゃなパーカッションの “Una Docena De Vigilantes(12人の自警団)” を経て少し落ち着いたかと思ったら、これだけはビートが主役になる “Amasar Y Celebrar(こねて祝う)” 。 “Fermentación(発酵)” はブラック・ダイスを思わせるポスト・ロックの残骸といったところ。浮かれまくった “Hojaldre(パイ生地)” と沈んだ展開の “Merienda Melancoholica(メランコリックなおやつ)” を経て細かな音を無数に組み合わせた “Especias(スパイス)” と珍しく民族音楽のかけらを張り合わせた “Microdosis Y Las Frutas Del Mercado(微妙なさじ加減と市場の果物)” へ。 “Se Rebalsó El Taper(吹きこぼれ)” はいかにも緊急事態といった感じで最後に音が波打つ “Atracón De Cañoncitos(谷間で暴飲暴食)” でしっかりと幕が閉じられる。小さな子どもが20年経ってもガチャガチャとお皿を叩き続けていたらこんな音楽になっているかもしれないという感じでしょうか。

第2回目:テイラー・スウィフト考  - ele-king

 彼女はすぐにショウを完売させて、チケットの販売窓口のプラットホームを圧倒する。彼女はファン文化を変えたと高く評価されている。そして、2023年――戦争、経済不安や地政学的不安に見舞われた12カ月間――『タイム』誌は彼女をパーソン・オブ・ザ・イヤーに選出した
 個人的な好みはさておき、私はいまだに混乱している。テイラー・スウィフトの何がそれほど革新的なのか? 誤解はしないでほしいのだが、彼女の人気が唖然とするほどとんでもないことはわかっている。その需要は非常に高く、Erasツアーでのチケット収入は一晩で1300万米ドルを超えたと推定されている。増殖しつつあるテイラー・スウィフトの研究者コホートを含む多くの専門家が、このスターの経済的な威力が彼女の文化遺産を証明するものだと指摘している。「彼女のErasツアーがもたらした経済効果は……前例のないものだ。彼女は文化的アイコンであるだけでなく、グローバル・エコノミー(世界経済)である」と、バージニア工科大学の学生担当副学部長、アリアナ・ワイアットは書いている
 が、しかし私がここで提言したいのは、テイラー・スウィフトの人気は彼女の持ち前のスター性を示しているものではなく、彼女が現代のメディア文化そのものであるのに加え、さらには彼女がメディアと適合してきた結果として人気を得ているのではないかということだ。つまり、ミュージシャンとして、そして現象としてのテイラー・スウィフトは、メディアとしてのポップへの畏敬の念が音楽としてのポップを凌駕していることを示していると。

I そう、私たちはメディアへの関心を、以前の主体への関心に変える必要がある。 これは、メディアが自分たちを旧来の世界の代替物にしてしまっていることへの論理的な答えなのだ!*1

 私たちは大好きなミュージシャンについて語られる無数のインタヴュー、ヴィデオやメッセージの掲示板に、タップするだけでアクセスできる時代(era)に生きている。私たちの誰もがそうであるように、メディアによって飽和状態になったイメージは、音楽ファンにとっては音楽そのものと同程度に(あるいはそれ以上に)重要になっている。そしてスウィフトは、ブロンドの髪で青い目をしたカントリー歌手からポップスに転向して成功した神童が、カニエ・ウェストのようないじめっ子体質の男や裏切り者の元カレのオンパレードに苛まれるという〝アメリカの恋人(American Sweetheart)〟の典型を呼び起こすことでパワフルなイメージを作り上げた。*2  彼女が楽器を演奏し、自分で曲を書く(あるいは共作する)ことも、真新しさという点において長年にわたって彼女の役に立っている。
 〝音楽〟という概念が〝ブランド〟の概念と結びついてしまったことで、ファンの消費パターンはより経済的にホリスティック(全体論的)なものとなった――とくにスウィフティーズにとっては、TSが創り出すすべてに対する彼らの熱狂が実際に〝ミクロ経済学ブーム〟を生み出している。最近の『ニューヨーク・タイムズ』の記事では、タフィー・ブロデッサー・アクナーが、テイラー・スウィフトの悪名高いファン集団の一員であるということには、どのようなことが伴われるのかを明らかにしている。

  最高レベルのスウィフティーであるということは、すべてのエネルギーを費やし、すべてを吸収するエヴイデンスと言う名の帝国へのアクセスが可能になることを意味する。それは、あらゆる質問への答えを持ち、謎が解決し、興奮して賢くなった気分になり、自分自身より大きなものに関わっていることを、スマホから顔を上げることなく感じることが可能になるということだ。

 つまり、基本的にファンであるということは、もはや音楽が好きということだけではない。スウィフティーズにとってそれは崇拝に近い。記事の著者は、彼女のライヴ・パフォーマンスについて下記のように述べている。

  厳粛なムードが漂っていた――スピリチュアル、と言ってもいい。私は夜明けに神殿の丘で祈りを捧げたことがある。聖書の祖先の墓で、震える嘆願者たちの中に立ったことも。身震いするほどの静寂の中、バチカンの奥深くの、さらに先の至聖所まで歩いたこともある。これは、(会場にいた)女の子たちの存在を除けば、まさにそのようなものだった。*3

 だからといってスウィフトの社会的な(かつ文字通りの)資本は、世界的な影響力の証拠なのだろうか。あるいは、過剰なメディアがポップ・スターをあらゆるレベルで崇拝できる神へと変えてしまったのか? おそらく両方の要素が少量ずつ含まれているのだろう。彼女の魅力のひとつは、『タイム』が「パーソン・オブ・ザ・イヤー」特集において「驚異的」とまで評したそのストーリー・テリングの才能にある。私もそれには同意する――そのストーリーが彼女のメディア上のペルソナである限りは。スウィフトが元友人や恋人(ケイティ・ペリー、ジョー・ジョナス、カルヴィン・ハリス、ジョン・メイヤー……)を暴露した音楽カタログの膨大さは有名だ。彼女は恋人に振られた話ばかりを歌っているわけではないが、その他の曲も大部分が自己を反映したもので、とくにメディアからの不当な描写について言及されることが多い。

 “Shake it Off”がすぐに思い浮かぶ。

  私は夜遅くまで出歩いている
  私の脳みそは空っぽ
  みんながそう言うの……
  私がデートばかりしている
  なのに誰とも長くは続かない
  みんながそう言うの……

 そして、“Mean”も。

  あなたは、寝返って
  ものすごい嘘と屈辱的な態度で
  私の欠点をあげつらった
  まるで私が気付いていないみたいに
  あなたをブロックするために下を向いて歩く
  もう二度とあなたを楽しませるつもりはないし
  私はもう一度、大丈夫な自分に戻りたいだけ

 彼女はまず主要なターゲットとなる聴衆を10代の苦悩を歌った曲で引き込んでから、尽きることのない自伝的な、ドラマティックな話題を提供して聴衆を虜にしてきた。そのようにして彼女は負け犬であると同時に女王としての地位を確立した。これは“Anti-Hero”の歌で見事に描写されている。

  私よ、ハーイ! 問題児の私だよ
  お茶の時間にみんなが同意するように
  私は太陽を直視できるのに、鏡を見ることはできない
  いつもアンチ・ヒーローを応援するのは、すごく疲れるだろうね

 説得力のある負け犬の物語でオーディエンスの情(パトス)に訴えかけると、皆が彼女を自分ごととして共感し始める! なんと賢いビジネス戦略なのだろう。これにより、スウィフトは両方のいいとこ取りができるようになった。彼女は〝誤解されている〟ものの、間違いなく今日生きている最大のポップ・スターであり、スタジアムでのショウの合間にフットボール・スターの彼氏のもとへプライベート・ジェット機で飛んでいく普通の女の子(エヴリーガール)だ。*4 ゴシップをめぐってのインタヴューにおける "信頼問題 "を抱えたスター、今回は誰のことを歌っているのかについてのジューシーな手がかりは、彼女のアルバムのために彼女が復活させたとされるヴァイナル上でも購入できる。*5
 いまではクリエイターが自伝からインスピレーションを得るのは普通のことだ(回顧録の筆者として自分も例外ではない)。これは、個人的なことが普遍的であるという逆説的な真実を表している。だが、テイラー・スウィフトの生活の特殊性は、我々庶民には決して親近感が持てるようなものではない。彼女が金持ちの出であることはよく知られており、家族は彼女の思春期に、音楽業界へ入るのに有利になるようナッシュヴィルに移住した。前出の『ニューヨーク・タイムズ』の記事によれば、その頃、彼女の友人たちが彼女抜きでショッピングモールに出かけていたという、〝少し死んでしまった〟出来事をきっかけに、急激に芽生えた彼女のアイデンティティーが結晶化し始めたという。銀のスプーンを持って生まれ、あきらかに有利なスタートを切った20年にもおよぶキャリアにおいて、その事件やいくつかの安っぽい失恋がリヴェンジの材料となっているのだろう。
 はっきり言うが、良い音楽を作るためにトラウマを持つ必要はないし、テイラー・スウィフトが不当な経験をしていないと言うつもりはない。メディアで活躍する女性として、彼女が男性であれば気にもされないようなことをいちいち詮索されてきたのは想像に難くない。*6 とはいえ、たとえばカニエ・ウェストがMTVアワードのスピーチで邪魔をしたとか、スーパーモデルのカーリー・クロスが彼女とはもうBFF(Best Friend Forever =ズッ友)ではいたくないと言ったことなどについて、私は限定的にしか共感できない。そもそもこのような問題を抱えること自体がじつに大きな特権なのだ。そして、私がスウィフトのカタログに欠けていると思うものは、そういうところからきている。つまり、真の才能から生まれたセンスと想像力で技巧を研ぎ澄まし、人生における残酷さで鍛え上げた鋼鉄のように洗練されたサウンドというような唯一無二のものが欠けている。それはルイ・アームストロングの、「私たちが演奏するのは人生そのものだ」という言葉が意味しているものだ。

II 情報過多に直面する私たちには、代替となるパターン認識が存在しない。*7

 さて、そろそろ音楽の話をしよう。正直に告白すると最初にテイラー・スウィフトの音楽を聴いたときの感想は、もしもチャットGPTに「Gapのコマーシャル・ソング用のサウンドトラックを作って」との指示を与えたら、できあがってきそうな曲、というものだった。それ以降、かなり真剣に時間を費やしてリサーチのために彼女のカタログを聴き込んだが、驚くことに、(いや、そうでもないか)私の印象は変わらなかった。
 スウィフトが全曲自作のアルバム(『Speak Now』 のように)をリリースしていることは称賛に値するし、彼女の音楽が〝キャッチー〟であることは認める。だが、メロディがおおむねモノトーン=単調音で(少し複雑な曲では、スリー・ノート)構成され、耳にこびりついて離れなくなり、頭から抜けなくなる(私は「You Need To Calm Down」を一度だけ、半分まで聴いただけで頭から消すことができなくなった)。彼女の曲の多くが瞬時に覚えられるほどシンプルで、いつまでも深く脳裏に焼き付いてしまい、彼女が何十年もの間、音楽を形成していくだろうと評価されるのも不思議ではない。
 だとしても、アルゴリズム的なメロディのセンスというものが音楽家の才能として称賛されるべきものなのだろうか? 真面目な話、私が聴いた限りでは(彼女のカタログの大部分ではあるが、網羅したというほどではない*8 )、ほとんどが1音から3音によるフックから成るものばかりだった。たとえば“Enchanted”では、メジャー・トライアド(長3和音)を上がっていき、コーラスで5度まで上がるだけ。“Cruel Summer”はほとんどがモノトーンで、文字通り1音でできており、コーラスでわずかにメロディックな企みが加えられている。“Welcome to New York”も“Blank Space”、“Maroon”他と同様にほとんどがモノトーンだ。ここには明らかに方程式が存在する。
 もういちど尋ねる。彼女は史上最高のソングライターの一人なのだろうか?  
 もちろん、いくつかの興味深い瞬間が味わえる作品もある。たとえば『Red』 でポップに転向したあとやそれ以前のギター演奏など。『Reputation』 と『Lover』、『Midnights』 といったアルバムにはそれぞれ独特の雰囲気があり、スタジオでの巧なプロデュースにより達成されたムードを醸し出している。ただ、古臭いと言われるかもしれないが、プロダクションの技術と音楽の革新性は別物だと思っている。だがその一方で、ことによったら私が他のポピュラー・ミュージックの達人たちを聴きすぎているだけかもしれない(ジャクソン5、大貫妙子、それから、伝統主義者だと思われるリスクを覚悟の上でいえば、ビートルズなど)。さらに、信頼できる語り手となるために、ここにカントリー・ミュージックのウィリー・ネルソン、ドリー・パートンにマール・ハガードの名も挙げておこう。
 私が言えるのは彼女の歌にはヒプノティックな性質があって、私などは狼狽させられるということだ。彼女の世界にいとも簡単に吸い込まれてしまう。これにはスウィフティーズも同意してくれるだろう。

III どのようなメディアにおいても、感覚を拡張して世界を満たすことによって、その領域に催眠術を施すような条件が作り出される。このことが、そのメディアが全体に及ぼす影響に、いかなる文化が過去を遡ってさえ、気付いていないことを証明している。*9 

 考えてもみてほしい。テイラー・スウィフトが人びとに喜びをもたらすのであれば、それは素晴らしいことだ。しかも、彼女の人気は、他のアーティストから何かを奪い取るものではなく、むしろ、彼女のSpotifyとの闘いは立派なもので、自分の地位を善のために使う完璧なやり方だった。私がここで強調したいのは、クリエイティヴの仕事というのは、本来、サイドビジネスであくせく働くことなく、その仕事を全うできるようになるということ。シングルマザーのもと、バーモント州の崩れ落ちそうな農家で、暖房費も稼げず、凍ったシャンプーを3分間のシャワーで解凍するような環境で育ち、ニューヨークでクリエイティヴなキャリアをスタートさせるのに狂ったように働く身としては、有名であることがいかに難しいかを、億万長者(おそらく)に一本調子のアンセムで愚痴られても、興味が持てないのだ。
 私はさらに、テイラー・スウィフトのブランドがある種の知的なチェックメイト[相手を打つ手がない状況に追い込む]のようになっていることを指摘しておきたい。もしテイラー・スウィフトの音楽を批判しようものなら、彼女自身を攻撃しているように捉えられる。もし、テイラー・スウィフト自身を攻撃するなら、その人はスウィフティーズが容赦なく攻撃するいじめっ子たち(meanies)の一人にされてしまうのだ。*10 どうやら、中立的な批評家になることは許されず、彼女の味方か敵かの、二択しかないようだ。この二分化が世界的なものかどうかはさておき、テイラー・スウィフトのブランドは「我々 対 彼ら」という音楽環境を作りだした。だが、率直に言って、いまの世のなかに必要なのが白か黒かの思考を増やすことだとは思えない。
 それにもっとも重要なのは、私がスウィフティーズではない人たちを認めるためにこれを書いていること。そう(イエス)、彼女のスーパー・スターダムは少なくともメディア漬けの現代を部分的には反映している。いや(ノ−)、しかしあなたがスウィフティーダムから外れたからといって、精神的なエクスタシーを逃しているわけではない。そして、そう(イエス)、――善の神さま、イエス――他の種類の音楽を好きでいることになんの問題はないのだ。挑戦的な音楽、真に革命的な音楽、現状を打破し、人びとを繋ぐことのできるサウンド。いち個人としての自分自身を発見させてくれる音楽——マーシャル・マクルーハン(本記事の、セクションごとの見出しの背景にいるメディア理論家)が命名した「電子情報環境における画一的な集団」の一人でも、 あるいは私なら「スワイフィー(Swifie)」と呼ぶかもしれないものの一員としてでもなく。

◆注

  • 1 マーシャル・マクルーハン :『カウンターブラスト』(ロンドン:Rapp&Whiting, 1969), 133
  • 2 スウィフトの自己プロデュースによるドキュメンタリーのタイトルでさえ、『ミス・アメリカーナ』と命名されている。
  • 3 私はこれには憤りを感じる。
  • 4 スウィフトは、自身が使用しない時は、プライベート・ジェットを頻繁に貸し出しているにも関わらず、データ報告書が歪められていると主張し、効果の怪しげな“カーボン・クレジット”を購入して自身の旅行数を相殺しているが、ここ数年で、もっとも二酸化炭素を排出するセレブだとされている。
  • 5 彼女のインスタグラムのコメントのタイム誌の記事へのリンクより引用。
  • 6 男性ミュージシャンが、露骨な女遊びでとがめられること、もしくは、あからさまには賞賛されないことがどれほどあるだろう?
  • 7 マーシャル・マクルーハン,前掲, 132
  • 8 彼女の多作家ぶりは尊敬する。
  • 9 マクルーハン, 前掲, 23
  • 10 公平を期すために。スウィフトはたまに、スウィフティーたちの悪行を注意する。元カレのジョン・メイヤーを攻撃しないように、などと。
  • 11 マクルーハン, 前掲, 142



Contextualizing Taylor Swift: A Gentle Reminder to Think For Yourself
By Jillian Marshall, PhD

She sells out shows so quickly it overwhelms ticket platforms; she’s credited with changing fan culture. And, in 2023 — twelve months marked by war, economic precarity, and geopolitical unrest — Time magazine named her Person of the Year.

Personal tastes aside, I’m still confused: what’s so revolutionary about Taylor Swift?

Don’t get me wrong— Swift’s popularity is awesome, in the literal, mind-boggling sense of the term. This woman is so in-demand that her estimated ticket revenue on the Eras tour surpassed thirteen million USD in sales per night. And many experts, including a growing cohort of Taylor Swift scholars, point to the star’s economic prowess as proof of her cultural legacy. “The economic impact that her Eras Tour… is unprecedented. She is not only a cultural icon, but also a global economy,” writes Ariana Wyatt, associate Dean of student engagement at
Virginia Tech University.

But I’m here to propose that Taylor Swift’s popularity isn’t indicative of her inherent star power; instead, Taylor Swift may be popular because of contemporary media culture itself, and the way she’s interfaced with it. In other words, Taylor Swift — as a musician and as a phenomenon — demonstrates how reverence for pop as medium has eclipsed pop as music.

I. Yes, we must substitute an interest in the media for the previous interest in subjects. This is the logical answer to the fact that the media have substituted themselves for the older world.1

We live in an era (pun intended) when countless interviews, videos, and message boards discussing the musicians we love are a tap away. Saturated by media as we are, image has become equally (if not more) important to music fans than music itself. And Swift has built a powerful one by invoking an American Sweetheart archetype2: young, blonde-haired and blue-eyed countryturned-pop music wunderkind bullied by meanies like Kanye West and a parade of backstabbing ex-boyfriends. That she played a musical instrument and wrote (or co-wrote) her own songs is also a novelty that’s served her well over the years.

With ideas of “music” now intertwined with the concept of a “brand,” fans’ consumption patterns have become more economically holistic— particularly for Swifties, as their fervor for all things TS actually creates “microeconomic booms.” In a recent piece for the New York Times,
Taffy Brodesser-Akner illuminates what membership in Taylor Swift’s notorious fan collective
entails:

Being a Swiftie at the highest level means access to an all-consuming, all-absorbing empire of evidence, where all the questions have answers, all the mysteries are solved, where you get to feel excited and smart and involved with something bigger than yourself without ever looking up from your phone.

So basically, being a fan isn’t just about liking music anymore; for Swifties, it’s closer to worship.
The author concurs when describing a live performance:

The mood was solemn — spiritual, even. I have prayed at dawn at the Temple Mount. I have stood among quivering supplicants at the graves of biblical forefathers. I have walked in trembling silence as I entered farther and farther into the inner sanctums of the Vatican. This was like that, except for girls.3

But is Swift’s social (and literal) capital evidence of universal appeal, or is it that media overload
has morphed pop stars into gods that we can worship on all levels?

Perhaps it’s a little bit of both. One aspect of her charm is her prodigious story-telling; in
their Person of the Year feature, Time magazine even called her penchant for it “extraordinary.”
I agree— so long as the story we’re talking about is her media persona. Swift’s musical catalog
exposing ex-friends and lovers (Katy Perry, Joe Jonas, Calvin Harris, John Mayor…) is famously
enormous. But while she doesn’t exclusively sing about jilted relationships, the bulk of her other
songs remain self-referential as well, particularly with regard to her unfair media portrayal.
“Shake it Off ” comes to mind:

I stay out too late
Got nothin’ in my brain
That’s what people say…
I go on too many dates
But I can’t make ‘em stay
That’s what people say…

Then there’s “Mean”:

You, with your switching sides
And your wildfire lies and your humiliation
You have pointed out my flaws again
As if I don’t already see them
I walk with my head down, trying to block you out
Cause I’ll never impress you
I just wanna feel OK again

So, after reeling in her target audience with songs about teenage angst, Swift has kept
them hooked with the never-ending drama of her autobiographical hot take. In doing so, she has
managed to establish herself as both an underdog and a queen. This is brilliantly portrayed on
“Anti-Hero,” where she sings:

It’s me, hi, I’m the problem, it’s me
At teatime, everybody agrees
I’ll stare directly at the sun, but never in the mirror
It must be exhausting always rooting for the anti-hero

What a clever business strategy: pull at your audience’s pathos with an underdog narrative so persuading that listeners begin to identify with identifying with you! This has enabled Swift has to enjoy the best of both worlds: she’s “misunderstood,” yet arguably biggest pop star alive today;
an everygirl who jets to her football star boyfriend between stadium shows4; a star with “trust
issues” about interviews who saves the best T — with juicy clues about who’s she singing about this time around — for her albums, which you can purchase on the vinyl she’s credited with reviving.5

Now, it’s normal for creatives to draw from autobiography for inspiration (as a memoirist, I’m no exception); it illustrates the paradoxical truth of the personal being universal. But the particularities of Taylor Swift’s life aren’t exactly relatable to us plebeians. It’s well-known that she comes from money, and that her family uprooted to Nashville during her adolescence to help her break into the music industry. It was around that time when, according to the aforementioned New York Times piece, Swift’s burgeoning identity began to crystallize after an incident when she “died a little”: her friends hung out at a mall without her.

Born with a silver spoon, I suppose that and some crappy breakups would constitute two decades of revenge fodder in a career kicked off with an indisputable head start.
To be clear, a person needn’t be traumatized to produce good music; I also don’t mean to say that Taylor Swift hasn’t experienced injustice. God knows that as a woman in media, she’s been scrutinized for things men get away with without mention.6 But my empathy is limited for, say, Kanye West interrupting an MTV awards speech or supermodel Karlie Kloss not wanting to be BFFs anymore. To have such problems is a mighty privilege indeed. And that’s what I find missing from Swift’s catalog: a sense of imagination, born of true grit, that sharpens craft and cultivates sound — tempered like steel the face of life’s brutality — that’s utterly unique.

What Louis Armstrong meant when he said, “What we play is life.”

II. Faced with information overload, we have no alternative but patternrecognition.7

Now let’s talk music.
I’ll come clean: my initial impression of Taylor Swift’s music was that it sounds like what ChatGPT might spit out if tasked with producing “soundtrack for a Gap commercial.” I have since clocked some serious time listening to her catalog in the spirit of research, but (un)surprisingly, my impression hasn’t changed.

I admire that Swift has released albums written entirely by herself (ala Speak Now), and I’ll acquiesce: her music is “catchy.” But with melodies more or less comprised of monotone (or, on more complex tracks, three-note) earworms, of course they get stuck in your head (I couldn’t turn “You Need To Calm Down” off in my mind after only listening to half the song one time). Many of her songs are so simple that they’re instantly memorizable, and get lodged in your brain so deeply so quickly that it’s no wonder she’s credited with shaping decades of music.

But is algorithmic melodic sensibility what were lauding as musicianship these days?

Seriously: from what I’ve listened to (a substantial portion of her catalog, but by no means exhaustive ), I really did hear mostly one to three note hooks. “ 8 Enchanted,” for example, just steps up a major triad, going up to a fifth for the chorus. “Cruel Summer” is mostly monotone — literally, one note — with some slight melodic intrigue added into the chorus.“Welcome to New York” is also almost entirely monotone, as is “Blank Space,” “Maroon,” and surely others: there’s clearly a formula here.

I ask again: one of the greatest song-writers of all time?

There are some interesting production moments that we can hear, though, particularly after she went pop with Red— and before that, of course, we got to hear her play guitar. The albums Reputation, Lover, and Midnights each have a distinct feel to them: moods achieved by clever production in the studio. Call me old fashioned, though, but production techniques are not the same thing as musical innovation. On the other hand, who knows? Maybe I’ve just listened to too many other masters of popular music (The Jackson 5, Taeko Ohnuki, and, at the risk of sounding like a traditionalist, the Beatles) — and country, for that matter, like Willie Nelson, Dolly Parton, and Merle Haggard — to serve as a reliable narrator here.

What I do know is that there’s a hypnotic quality her songs that I, for one, find unnerving. It’s a little too easy to get to sucked into her universe. Surely Swifties would agree with me there.

III. Any medium, by dilating sense to fill the whole field, creates the necessary conditions of hypnosis in that area. This explains why at no time has any culture bee aware of the effect of its media on its overall association, not even retrospectively.9

Look: if Taylor Swift brings people joy, that’s great. Plus, it’s not like her popularity takes away from other artists; in fact, I think her fight with Spotify was a noble one, and a perfect use of wielding her status for good. But I am here to emphasize that the creative’s work is never the work itself— it’s getting to the point where you’re able to do that work without toiling away at side hustles. So, as someone who grew up thawing frozen shampoo in three-minute showers (lest the well water ran out) because my single mom couldn’t afford to heat our ramshackle Vermont farmhouse — and hustling like a maniac in New York as I get my creative career off the ground — I’m not particularly interested in listening to some (estimated) billionaire complain in monotone anthems about how hard it is to be famous.

I’m also here to point out that Taylor Swift’s brand amounts to a kind of intellectual checkmate: if you criticize her music, then you’re attacking her. And if you’re attacking Taylor Swift, you’re one of those meanies who whom the Swifties will pile on, mercilessly.10 It seems that you can’t be a neutral critic; you’re either for her or against her. Whether this bifurcation was intentional or not is beside the point that Taylor Swift’s brand has created a musical environment of Us versus Them— and, frankly, the last thing our world needs right now is more black and white thinking.

Most importantly, I’m here to validate people who aren’t Swifties. Yes, her superstardom is at least partially reflective of our media-soaked times; no, you’re not missing out on spiritual ecstasy by opting out of Swiftiedom; and yes— good God, YES — it’s OK to like other kinds of music. Music that’s challenging, that’s truly revolutionary: sounds that challenge the status quo and brings people together. Music that makes you discover who you are as an individual— not as a member of what Marshall McLuhan (the media theorist behind these cool section headers) called “the uniform sphere of the electronic information environment” 11… or what I might call a “Swifie.”

1 McLuhan, 133.

2 Her self-produced documentary is even called Miss Americana.

3 I resent this.

4 Despite claiming that she frequently loans out her private jet, thereby skewing data reports, and offsets her own trips by buying dubiously effective “carbon credits,” Swift is thought to be the most carbon-polluting celebrity for years.

5 As quoted from her Instagram comment linking to the Time article.

6 How often are male musicians called out — or not overtly celebrated, for that matter — for blatant womanizing?

7 Marshall McLuhan, Counterblast (London: Rapp & Whiting, 1969), 132.

8 I admire her prolificness.

9 McLuhan, 23

10 To be fair, Swift will occasionally call out bad Swiftie behavior, like asking them to stop harassing her ex, John Mayor.

Jeff Mills - ele-king

 4月1日公演だからといってこれはエイプリル・フールではないですよ。来る4月1日(月)、新宿のZEROTOKYOにてジェフ・ミルズ総指揮の舞台作品『THE TRIP -Enter The Black Hole-』の公演が決定した。しかも戸川純が出演するという、これは驚きです。
 『THE TRIP』は、COSMIC LABと共同制作によるライヴ・オーディオ・ヴィジュアル作品で、音楽、映像、ライティング、そして歌とコンテンポラリーダンス、衣装デザインからなる、とにかく壮大な舞台アートらしい。じっさい、その場に行くとブラックホールに吸い込まれる感覚も味わえるとか。詳しくは以下のプレス資料を読んでください。

本公演は音楽、映像、ライティング、そして歌とコンテンポラリーダンス、衣装デザイン、すべてにおいてジェフ・ミルズ総指揮のもと各分野のコラボレーターを迎え入れ、5つの理論的なシナリオで宇宙の神秘に迫ります。

総合演出、脚本、音楽はジェフ・ミルズ。その宇宙観/思考をCOSMIC LABが映像演出で拡張します。また、音楽シーンにおいて圧倒的な存在感を放つ戸川純がシンガーとして参加するほか、コレオグラファー(振付)にはコンテンポラリーダンス〜デジタルアートと領域横断的な表現で世界的評価の高い梅田宏明、各出演アーティストの舞台衣装は日本を代表するブランド〈FACETASM〉のデザイナー落合宏理が手がけます。

もし私たちがブラックホールの中に入ることができたらどうなるのか? ブラックホールの反対側には何があるのだろうか? ジェフ・ミルズは今回の舞台芸術作品を通して、さまざまな理論的可能性の中で、宇宙とブラックホールの疑問について探究します。

これまで誰も体験したことのない聴覚と視覚に訴えかけるパフォーマンスは、ステージ上だけでなく会場全体を宇宙として捉え、観客を音と光の演出で包み込み、ブラックホールへと導きます。DJでもライブでもなく、ジェフ・ミルズとCOSMIC LABによる宇宙を題材とした総合舞台芸術、世界初のコズミックオペラです。

『THE TRIP』は、2008年にフランス・パリで初めてのパフォーマンスが行われ、日本では2016年に東京・浜離宮朝日ホールにてCOSMIC LABの映像演出によって作品が拡張されました。今回はブラックホールをテーマにした全く新しい作品となり、今後数年にわたって進化を遂げる壮大なプロジェクトの始まりとなります。

ブラックホールに向けての宇宙の旅で何が起こるのか、
そのテーマを探求できることをとても楽しみにしている。
テクノが創造された本当の理由がここにある。
——ジェフ・ミルズ

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開 催 概 要
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名 称:COSMIC LAB presents
JEFF MILLS『THE TRIP -Enter The Black Hole-』

会 場:ZEROTOKYO(新宿)

日 程:2024年4月1日(月)
第1部公演: 開場 17:30 / 開演 18:30 / 終演 20:00
第2部公演: 開場 21:00 / 開演 21:45 / 終演 23:15 ※第2部受付は20:30

出 演:
Sounds: JEFF MILLS
Visuals: C.O.L.O(COSMIC LAB)
Singer: 戸川純
Choreographer: 梅田宏明
Costume Designer: 落合宏理(FACETASM)
Dancer: 中村優希 / 鈴木夢生 / SHIon / 大西優里亜

料 金:
【1月26日(金)発売開始 ※枚数限定】
Early Bird入場券 7,000円
スタンディング優先入場券 11,000円
U25入場券 6,500円

【1月29日(月)発売開始 ※枚数限定】
ローチケ先行前売り入場券 9,000円

【3月1日(金)発売開始】
一般前売り入場券 11,000円

主 催:COSMIC LAB

企画制作:Axis Records、COSMIC LAB、Underground Gallery、DEGICO/CENTER

プロジェクトパートナーズ(AtoZ):FACETASM、株式会社フェイス・プロパティー、日本アイ・ビー・エム株式会社、一般社団法人ナイトタイムエコノミー推進協議会、株式会社TSTエンタテイメント

オフィシャルサイト:https://www.thetrip.jp

Squarepusher - ele-king

 パンデミック直前に発表された前作『Be Up A Hello』から4年──。延期となってしまった来日公演も2022年には無事実現され、あらためてその才能を日本のファンに披露してくれたスクエアプッシャー。3月1日にニュー・アルバム『Dostrotime』が送り出される。……のだけれど、今回ストリーミングでは配信されず、ヴァイナル、CD、ダウンロード販売のみでのリリースとなっている。なるほど、たしかにこれは「反逆」だ。アートワークからグッズまでみずからデザインを手がけている点から推すに、まずなにか意図があってのことだろう。とりあえずは先行シングル曲 “Wendorlan” を聴きつつ、新作の全貌を想像しておきたい。

鬼才スクエアプッシャー帰還!

反逆の最新アルバム『Dostrotime』のリリースを発表
新曲「Wendorlan」を解禁

アルバムはCD、LP、ダウンロードのみで
3月1日世界同時リリース

数量限定となるTシャツ・セットや
Beatink.com限定ピンク・ヴァイナルも発売決定

常に挑戦的なスタンスで音楽のあらゆる可能性を追求し続ける鬼才スクエアプッシャーが、最新アルバム『Dostrotime』のリリースを発表し、新曲「Wendorlan」を解禁した。3月1日に世界同時リリースされる本アルバムは、CD、LP、ダウンロードのみでの発売となる。国内盤CDにはボーナストラック「Heliobat (Tokyo Nightfall)」を追加収録。数量限定のTシャツ付セットも発売させる。音楽はもちろん、アルバムのアートワークからTシャツ・デザインまで全てを自らが手掛ける本作は、自らの強い意思と自由を貫き完成させた会心作。Beatink.comでは限定ピンク・ヴァイナルも発売される。

Squarepusher - Wendorlan (Scope Vid)
https://youtu.be/cLOd03UGmH8

label: BEAT RECORDS / WARP RECORDS
artist: Squarepusher
title: Dostrotime
release date: 2024.03.01

https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13872

BEATINK.COM限定
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13873

TRACKLISTING:
01. Arkteon 1
02. Enbounce
03. Wendorlan
04. Duneray
05. Kronmec
06. Arkteon 2
07. Holorform
08. Akkranen
09. Stromcor
10. Domelash
11. Heliobat
12. Arkteon 3
13. Heliobat (Tokyo Nightfall) *Bonus Track

Austin Peralta - ele-king

 15歳で初のアルバムを録音、22歳で逝去という早熟にして早逝のジャズ・ピアニスト、オースティン・ペラルタ。その遺作『Endless Planets』(2011年)がデラックス・エディション(&初LP化)となって蘇る。
 まだ本格的にジャズ作品をリリースしていたわけではなかった当時の〈Brainfeeder〉にとっては冒険的な1枚で、今日の視点から振り返ってみると、その後サンダーキャットテイラー・マクファーリンカマシ・ワシントンなどを送り出すことになる同レーベルにとっては転換点といえるアルバムかもしれない。未発表音源も収録、発売は2月9日です。


Austin Peralta
22歳で急逝した伝説の若き天才ピアニスト
オースティン・ペラルタの傑作『Endless Planets』がデラックス・エディションで再発&初LP化決定!
ザ・シネマティック・オーケストラ参加の貴重な初リリース音源4曲を追加収録
フライング・ロータス主宰レーベル〈Brainfeeder〉より2024年2月9日発売

22歳で急逝した伝説の若き天才ピアニスト、オースティン・ペラルタの傑作『Endless Planets』が2024年2月9日、フライング・ロータス主宰レーベル〈Brainfeeder〉よりデラックス・エディションとして再発されることが発表された。本作には、伝説のスタジオBBC Maida Vale Studiosで録音された未発表のセッション音源4曲が追加収録される。

Austin Peralta - 'The Garden (Jondy・BBC Maida Vale Session)' (Official Audio)
YouTube >>> https://youtu.be/UONb8fVV_tI

サウンドの広大な探検。ペラルタはこのプロジェクトを通して、彼が何者であるかを明確に表現してる。俺が何年もそうしてきたように、君もこのアルバムを愛してくれることを願っているよ。『Endless Planets』をありがとう、オースティン ──サンダーキャット

オースティン・ペラルタ、そして『Endless Planets』のリリースは、今年15周年を迎えた〈Brainfeeder〉の歴史においても、画期的な存在であり、レーベルにとって初のジャズ作品という記念すべきアルバムだ。友人であるサンダーキャットのデビュー・アルバム『The Golden Age of Apocalypse』より数ヶ月、カマシ・ワシントンの傑作『The Epic』より4年も前にリリースされている。天才ピアニストであるオースティンは、好奇心旺盛なフューチャリズムと驚異的なオリジナリティ、そしてジャズの伝統に対する純粋な敬意を、ものの見事に融合させている。そういう意味でも、〈Brainfeeder〉のその後を決定づけた最重要作品の一つと言っても過言ではないだろう。

芸術は、世俗的なしきたりの中に分類されるべきではないと思う。真の芸術はカテゴライズされることを拒み、あらゆる境界を越えていく。だから世俗的かそうでないか、という目線で語られるようなものじゃない。芸術に身を委ね、どこまでも流されていくと、それまでに体験したことのないような経験になるかもしれない。それは無限の世界への入り口になる可能性があるんだ。 ──オースティン・ペラルタ

今回リリースされるデラックス・エディションには、初リリースとなる楽曲4曲が追加収録される。それらは2011年7月にロンドンの伝説的スタジオBBC Maida Vale Studiosで録音されたセッション音源で、オースティンの指揮のもと、リチャード・スペイヴン (drums)、トム・メイソン (bass)、ジェイソン・ヤード (alto sax)ら気鋭ミュージシャン、さらにザ・シネマティック・オーケストラのジェイソン・スウィンスコー (electronics)とハイディ・ヴォーゲル (vocal)も参加した貴重な音源となっている。またそこには、オースティン・ペラルタとフライング・ロータス、サンダーキャットが共同で作曲し、オリジナル・バージョン (フライング・ロータスのアルバム『Until the Quiet Comes』に収録)では、サンダーキャットがヴォーカルを務めた「DMT Song」も含まれる。

伝説のスケーター、ステイシー・ペラルタを父に持つオースティンは、LA出身のジャズ・ミュージシャンとして知られている。それは、単に彼の音楽スタイルがジャズだということではなく、長年の練習と献身が彼を真のジャズ・ミュージシャンに育て、若くしてチック・コリア、ハンク・ジョーンズ、ロン・カーターらに認められ、共演する人間性とスキルを備え、まるで熟練ミュージシャンのようにピアノを奏で、多くの人々を魅了する楽曲を作曲したからだ。そして、彼はそれらすべてを20歳までに成し遂げた。それらはすべて、エリカ・バドゥからシャフィーク・フセインのバンドのセッション・プレイヤーとして活躍し、パン・アフリカン・ピープルズ・アーケストラに参加するなどして広く知られる前の出来事なのだ。

『Endless Planets』は、故ゼイン・ムサ (alto sax)、ベン・ウェンデル (tenor & soprano sax)、ハミルトン・プライス (bass)、ザック・ハーモン (drums) と共にレコーディングされた。また長年の友人でもあるストレンジループがアルバム全体で電子音を担当し、ザ・シネマティック・オーケストラとハイジ・ヴォーゲルが「Epilogue: Renaissance Bubbles」に参加している。

『Endless Planets (Deluxe Edition)』は、2月9日に国内盤CDとLP、デジタル/ストリーミング配信でリリース。国内盤には解説書が封入される。


label: Brainfeeder
artist: Austin Peralta
title: Endless Planets
release: 2024.02.09 (FRI)

予約リンク:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13761

トラックリスト
01. Introduction: The Lotus Flower
02. Capricornus
03. The Underwater Mountain Odyssey
04. Ode To Love
05. Interlude
06. Algiers
07. Epilogue: Renaissance Bubbles
08. Algiers (Jondy・BBC Maida Vale Session)
09. DMT Song (Jondy・BBC Maida Vale Session)
10. Eclipses (Jondy・BBC Maida Vale Session)
11. The Garden (Jondy・BBC Maida Vale Session)

Dry Cleaning - ele-king

 ここ数年のUKインディーズのなかで圧倒的に興味深いバンドのひとつ、ドライ・クリーニングの初期のEP2作(2018年の「Sweet Princess」、2019年の「Boundary Road Snacks and Drinks」)をコンパイルした『Boundary Road Snacks and Drinks/Sweet Princess』が〈4AD〉より3月8日に再発される。これは2019年に配信自主リリースされたっきりで、いまは聴けなくなっていた音源。

 いかにもポスト・パンクなアートワークが印象的な『Boundary Road Snacks and Drinks』は、今回初めてカセット化され、また、CD国内盤には『New Long Leg』に収録されたシングル曲“Strong Feelings”のデモ音源がボーナストラックとして収録。そして、ヴァナイルとしては、通常のブラック・ヴァイナルに加え、数量限定ブルー・ヴァイナルも発売するとのことです。ふぅー。


Dry Cleaning
Boundary Road Snacks and Drinks / Sweet Princess

4AD/ビート

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